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頭に花を咲かせるファッションが流行 人間が“植物化”する未来の話
頭に花を咲かせるファッションが流行 人間が“植物化”する未来の話 ※写真はイメージです (GettyImages)  文芸評論家の清水良典さんが選んだ「今週の一冊」。今回は『植物忌』(星野智幸著、朝日新聞出版 1760円・税込み)の書評を送る。 *  *  *  子どものころ見た映画で「マタンゴ」というSFホラーがあった。数人の男女を乗せたヨットが遭難して、巨大なキノコだらけの無人島に漂着する。空腹に耐えられずそのキノコを食べた仲間が、次々とキノコに変身していくという内容である。「総天然色」映画の毒々しい色彩のマタンゴは、しばらくの間うなされるくらい気味悪かった。それでいて、心の奥底にはちょっぴり自分もそうなってみたいという変身願望が潜んでいたような気がする。本書を読みながらこの昔の映画をふと思い出したのは、そのときに覚えた変身願望が甦ったからだろうか。  11作品を収めた本書では、さまざまな架空の植物が出てくる。そして植物にとりつかれた人間が、ついには植物化を遂げるヴィジョンが進行していくのだ。たとえば「スキン・プランツ」は、植物を頭皮に植える技術が生まれ、新しいファッションとして流行する話から始まる。ところが花が咲くと当人が死ぬことが判明する。慌てて品種改良されたものの生殖能力を失うらしい。にもかかわらず頭にいろいろな花を咲かせる人が溢れ、人間の世は花園のようになる。人類が滅んでも良いという暗黙の覚悟をしたことになる。ぞっとするホラーのようでもあり、妖しい誘惑力をも秘めている。  一方「ひとがたそう」では、植物の人類破壊計画を阻もうとする「ネオ・ガーディナー」なるチームが登場する。しかしマメ科の人形草に仲間がいつのまにか取り込まれている。どうして植物の仲間になったのかを尋ねると、「人間が生き延びるため」だと答えるのである。草になれたほうが幸せかもと思いながらも「まだ人間でいたい」と言い切る2人が残る。しかしラストの言葉は次のようだ。 「私たちはまだ若かった。」  これもショート・ホラーみたいだが、人類が全て植物になり代わったら、さぞ地球は美しい星になることだろう。私たちはその可能性にまだ気づいていないだけなのかもしれない。そんな未来の視点から本書は書かれている。  本書には「世界的な植物の殿堂」と謳われる「からしや」が共通してあちこちに出てくる。最初は大きなグリーン・ショップのようなイメージだったが、じつは先端的な研究所であり、次第に世界を変革する巨大企業に成長していく。「からしや」の名前の由来は、「あまりの種」と題した「あとがき」に書かれているが、これもまんまと作品の一部になっている。いわば本書は「からしや」サーガ(物語群)なのだ。植物への倒錯的ともいえる愛に加えて、ナンセンス・ギャグのような軽やかなノリと、とめどない奔放な想像力、そして平然とモラルの限界を超えてしまう語りの力が渾然と結集した作品群である。  私のお気に入りは「ディア・プルーデンス」。もとは「からしや」のレジ打ちのおばさんだったが、今は青虫の「ぼく」が、隣家の二階の部屋に閉じこもっている少女に懸命にコンタクトを取って外へ出てくるよう促す物語だ。タイトルはビートルズの曲名。彼らが仲間とインドに渡って瞑想にハマっていた頃に、宿舎の部屋から出てこないミア・ファーローの妹、プルーデンス嬢に呼びかけたジョン・レノンの曲である。それと「はらぺこあおむし」が合体したようなチャーミングな作品だ。  我が家のベランダにも植物が十数鉢ある。朝夕水遣りするのが私の仕事で、メンテナンスが妻の仕事である。そこに本書に出てくるミスマッチな返答をするランの新種「喋らん」なんか加えて育ててみたい。コロナ禍で屋内に閉塞する私たちに、本書は植物という未来の夢を届けてくれた。ヒトから出ていきなさいと囁いてくれた。 ※週刊朝日  2021年7月9日号
老後の最低生活費「約1千万円不足」と専門家 やはり2千万円はいる
老後の最低生活費「約1千万円不足」と専門家 やはり2千万円はいる AERA 2021年7月5日号より 井上智紀(いのうえ・ともき、48)/ニッセイ基礎研究所主任研究員。少子高齢社会、社会保障、消費者行動などを専門とする調査・分析を行う(写真:本人提供)  老後資金「2千万円問題」以降、老後のお金に不安を抱える人は多い。医療費アップも不安だ。AERA 2021年7月5日号は、専門家に老後資金のリアルを聞いた。 *  *  * 「年金だけでは暮らせないと思う。夫は七つ年上で退職が早いので、私ががんばるしかない」(40代女性)。「老後にいくら必要なのか把握していない点では不安」(30代男性)。「資産を取り崩しながら年金不足分を生活費にあてるのがメンタル的に持つか」(40代男性)。「コロナ禍で突然の退職勧奨となり、老後資金作りの計画が狂ってしまった」(50代女性)。  これらは、本誌が6月4~14日にインターネットを通じて行った「年金・資産運用アンケート」(回答者176人)に寄せられた生の声だ。「老後のお金に不安がありますか?」という問いに対しては、67%が「ある」と回答していた。 ■高齢者家計赤字の実態  金銭面で老後に不安を抱く人が多いのは、2019年に「老後資金2千万円問題」が話題となったことも影響しているだろう。同年6月、金融庁は「高齢社会における資産形成・管理」という報告書を公表。「公的年金だけでは老後資金が約2千万円不足する」と解釈できる記述があり、大騒ぎになった。  金融庁が根拠としたのは総務省統計局の「家計調査年報」2017年版だ。「高齢夫婦(夫65歳以上、妻60歳以上)無職世帯の家計収支」において約5万5千円の赤字が毎月発生していたことから「5万5千円×12カ月×30年=約2千万円」と試算した。  後日、金融庁はこの報告書を撤回したが、高齢夫婦無職世帯における赤字家計は今も続いているのだろうか。  18年版の「家計調査年報」を見ると、公的年金の受給額が1万円以上増えたので、毎月の赤字額は4万2千円弱に縮小。19年版では公的年金の受給額がさらに前年比で約1万3千円のプラスとなり、赤字額は約3万3千円に減った。  なぜ年金の受給額が上がっているのか。この謎について、ニッセイ基礎研究所主任研究員の井上智紀さんが解説する。 「“夫65歳以上・妻60歳以上”といっても、妻の年齢により収入は異なります。高齢化に伴い、夫が65歳以上の世帯でも“妻が60代前半で年金を受け取っていない世帯”より“妻も65歳以上で年金を受け取っている世帯”が増えると平均年金収入は上がります」  では20年版の収支はどうか。結論からいうと、マイナス1541円! かなりの赤字縮小である。この理由は? 「主因はコロナ禍だった、ということです。外食、旅行などのレジャーが自粛され、支出は減っています。昨年は高齢者も含めた全国民に10万円の特別定額給付金が支給されました。支出面では消費抑制、収入面で特別定額給付金。これにより赤字が1541円まで縮小したのです」 ■最低生活費は1千万円  20年版の家計調査報告は、ある意味“異常値”というわけだ。強いて実態に近い結果の調査を挙げるなら、19年版だと井上さんは言う。 「総務省統計局が5年ごとに実施する『全国消費実態調査(2014年版)』に目を転じても、65歳以上の無職世帯の月々の収支は3万4099円の赤字。家計調査年報の19年版と似ています。その約3.4万円を単純計算すると30年で約1200万円の不足ですが、年齢を重ねると行動が狭まりがちなので、さらに支出は減るはず」  井上さんが年齢別の家計収支をさらに検証したところ、やはり85歳以上で毎月9300円の黒字に転じていた。こうした年齢別の収支差を踏まえて計算し直すと、30年分の不足額は約1千万円程度にとどまる。  2千万円じゃなくて1千万円で足りるのか、と安心するのはまだ早い。あくまでこの金額は“必要最低限の生活を健康な状態で”送るためのお金だ。高齢になると病気や要介護状態に陥るリスクも高くなる。  22年度後半からは、年収200万円以上の後期高齢者(75歳以上)が医療機関で支払う自己負担額が現行の1割から2割に引き上げられ、今まで以上に医療費の負担も増す。こうした実情を踏まえると、やはり2千万円程度は蓄えたい。(金融ジャーナリスト・大西洋平、編集部・中島晶子) ※AERA 2021年7月5日号より抜粋
日本人初の五輪メダリストは商社マン? オリ・パラの「人物うんちく」7連発
日本人初の五輪メダリストは商社マン? オリ・パラの「人物うんちく」7連発 日本人初五輪メダリストはテニス男子シングルス。それから96年ぶりの2016年リオ五輪で、錦織圭が銅メダルを獲得した(写真/朝日新聞社)  オリンピックやパラリンピックの歴史に残る人物にはどんな人がいるだろう? 小中学生向け月刊誌「ジュニアエラ」7月号の「スポーツのうんちく特別編」では、さまざまな人物にまつわるうんちくを紹介した。 *  *  * ●最年長の金は「射撃」 スバーン(スウェーデン・射撃)  五輪史上最年長の金メダリストはスウェーデンのオスカー・スバーン。1912年ストックホルム大会(スウェーデン)、シカの形をした的をライフル銃で撃つ射撃競技「100m鹿追い」のシングルショット団体に出場し、64歳258日で優勝した。8年後の20年アントワープ大会(ベルギー)にも100m鹿追いのダブルショット団体に出場し、72歳280日で銀メダル。これはメダリストの最高齢だ。  逆に、最年少は? 1900年パリ大会(フランス)、ボートのペア競技で、オランダチームの舵手が出場できなくなり、10歳くらいの少年の観客が代役を務めて、見事に優勝。名前も告げず消えたこの少年が、幻の最年少金メダリストといわれている。記録に残る最年少金は36年ベルリン大会(ドイツ)、女子3m飛び板飛び込み、マージョリー・ゲストリングの13歳268日。  日本人金メダリストの最年長は1984年ロサンゼルス大会(アメリカ)、射撃競技「男子ラピッドファイアピストル」の蒲池猛夫(48歳135日)、最年少は92年バルセロナ大会(スペイン)女子200m平泳ぎの岩崎恭子(14歳6日)。 ●日本初メダリストは商社マン 熊谷一弥(テニス)  日本人初の五輪メダリストは、1920年アントワープ大会テニス男子シングルス銀メダルの熊谷一弥。慶應義塾大学テニス部で活躍し、卒業後は三菱合資会社銀行部(現・三菱UFJ銀行)に入社。ニューヨーク駐在員として働きながら現役プレーヤーを続け、日本人初のメダリストになった。柏尾誠一郎と組んだダブルスでも銀メダルを獲得している。  熊谷が銀メダルを獲得した後、日本人はテニスでなかなかメダルを獲得できなかったが、2016年のリオデジャネイロ大会(ブラジル)男子シングルスで錦織圭が銅メダルを獲得。熊谷以来96年ぶりの快挙だった。 ●日本初の金と特大の日章旗  織田幹雄(三段跳び)  日本人初の五輪金メダリストは、1928年アムステルダム大会(オランダ)、陸上男子三段跳びの織田幹雄。主催者側は日本人の優勝を予測しておらず、表彰台に掲げる日の丸を準備していなかった。日本選手団が持ってきていたもので代用したが、2、3位の国の旗よりもかなり大きかった。この大会では競泳男子200m平泳ぎで鶴田義行も金メダルに輝いている。  アムステルダム大会には日本から初の女子選手として人見絹枝が1人だけ参加し、陸上女子800mで銀メダルに輝き、日本女子初のメダリストに。日本女子初の金メダリストは、8年後のベルリン大会競泳女子200m平泳ぎの前畑秀子だ。 ●6連覇の鉄人はメダリスト一族 ゲレビッチ(ハンガリー・フェンシング)  五輪連続大会金メダルの記録を持つのはハンガリーのアラダール・ゲレビッチ(ハンガリー)。1932~60年にかけて、フェンシング男子サーブル団体で6大会連続優勝を果たした。22歳から50歳まで、世界のトップに君臨していたことになる。しかも、妻、息子、義父もメダルを獲得しているメダリスト一族だ。  個人の夏季五輪連続金メダルの記録は4回で、男子は陸上・走り幅跳びのカール・ルイス(アメリカ)、競泳200m個人メドレーのマイケル・フェルプス(アメリカ)ら4人。女子はレスリング63キログラム級・58キログラム級の伊調馨(2004~16年)1人だけだ。 ●オリ・パラ両方に出場! パルティカ(ポーランド・卓球)  卓球女子のナタリア・パルティカ(ポーランド)は、 生まれつき右腕のヒジから先がないが、2004年アテネ大会(ギリシャ)からパラリンピックのシングルス(立位)で4連覇している。オリンピックにも08年北京大会(中国)からは3大会連続で出場して活躍。16年のリオ大会の団体1回戦では、ダブルスで日本の福原愛、伊藤美誠チームと戦っている。  オリンピックとパラリンピックの両方に参加した選手は、ほかにもアーチェリー女子のザハラ・ネマティ(イラン)、競泳女子のナタリー・デュトワ(南アフリカ)、陸上短距離のオスカー・ピストリウス(南アフリカ)らがいる。 ●冬季五輪初の金は表彰台独占 笠谷幸生(スキージャンプ)  冬季オリンピックでの日本人初の金メダルは、1972年札幌大会スキージャンプ70m級の笠谷幸生。金野昭次が銀、青地清二が銅と続き、表彰台独占の快挙だった。以後、ジャンプは日本のお家芸となり、これまでに金3を含む11個のメダルを獲得。五輪のジャンプで金メダルを手にしている国は、ヨーロッパ以外では日本だけだ。  日本の表彰台独占は、冬季大会ではこの1回のみ。夏季大会では、1932年ロサンゼルス大会の競泳男子100m背泳ぎ、68年メキシコ大会の体操男子床、72年ミュンヘン大会(西ドイツ)の体操個人総合、鉄棒、平行棒(ともに男子)の計5回ある。 ●帰ってきた金15の「水の女王」 成田真由美(パラ水泳)  パラリンピックの日本人最多金メダル獲得者は競泳女子の成田真由美。中学1年生のときに発症した脊髄炎で両足に障害が残り、車いす生活になったが、パラリンピックには1996年のアトランタ大会から2008年の北京大会まで4大会に出場し、金15個を含む計20個のメダルを獲得。一度は引退したが、16年のリオ大会で日本代表に復帰している。  オリンピックの日本人最多金メダリストは体操男子の加藤沢男で、1972年ミュンヘン大会と76年のモントリオール大会(カナダ)で金8。最多メダリストは同じく体操男子の小野喬で、金5を含む計13個を獲得。 ※月刊ジュニアエラ 2021年7月号より
「有田哲平」と「有吉弘行」が牽引する令和のお笑い 2人の「無茶ぶり」に芸人たちが救われるワケ
「有田哲平」と「有吉弘行」が牽引する令和のお笑い 2人の「無茶ぶり」に芸人たちが救われるワケ 左から有田哲平と有吉弘行(C)朝日新聞社  有田哲平と有吉弘行。  この2人は、お笑い界におけるポジションやスタンスが似ている。ともに1990年代「ボキャブラ天国」(フジテレビ系)や「進め!電波少年」(日本テレビ系)といったバラエティー番組のブームでブレーク。やがて、自分の番組を持つまでになった。最近では、お笑い界全体を考えているような動きが目立ち、実際に影響力もある。  たとえば、有吉は昨年4月にレギュラー化された「有吉の壁」(日本テレビ系)で存在感を示した。コロナ禍にあって、ロケなどが難しくなるなか、可能な限りの収録と再編集で笑いを提供。バラエティーの孤塁を守った印象だ。  また、6月18日には「マツコ&有吉 かりそめ天国」(テレビ朝日系)で、アンジャッシュの渡部建に触れた。グルメ絡みの話題で「そう言ってると渡部さんなんかが『そりゃダメなんだよ』とか言って」と名前を出し、 「渡部さんって刑務所入ってるの? ずいぶん見ないけど、どうかしたの? 模範囚だと思うけど」  と、いじってみせたのだ。これは謹慎中の渡部が世間から忘れられないようにという、彼なりのフォローだろう。芸人はネタにもされなくなったら、おしまいだ。  一方、有田は一昨年、アンタッチャブルをコンビとして復活させた。柴田英嗣のスキャンダルにより、山崎弘也との別々での活動が続いていたが「全力!脱力タイムズ」(フジテレビ系)で10年ぶりに漫才をさせたのだ。  のちに有田は「しゃべくり007」(日本テレビ系)において、この件を振り返り「10年ぐらい、たびたび山崎が唇を真っ青にしてコンビ復活について相談しに来ることがあった」としたうえで、 「変な復活の仕方だったらもったいない。うちの番組だったら伏線がある」  などと、実現への経緯を語った。伏線とは、それまで柴田が出演するたび、他の芸人と漫才をさせていたことだ。今回もそのパターンと思わせておき、本物の相方である山崎が登場したら盛り上がるのは必至。このサプライズは大成功した。  また、この番組では、一発屋芸人のコウメ太夫を何度も呼び、素顔で出演させるなどして、再評価につなげている。  ほかにも「有田P おもてなす」(NHK総合)や「賞金奪い合いネタバトル ソウドリ~SOUDORI~」(TBS系)のような芸人の新境地ややる気を引き出す番組を立ち上げ、お笑い界を活性化させようとしてきた。  そんな姿を見るにつけ、これからしばらくのバラエティーはこの2人にかかっているのでは、という気がしてくる。ビートたけしやタモリ、明石家さんまのビッグ3やダウンタウン、ウッチャンナンチャンの第三世代の次を担う存在に思えるのだ。  年齢は有田が3つ上だが、世に知られるのは有吉が早かった。ただ、その芸風はわりと似ている。いわば「愛ある無茶ぶり」が得意で、芸人たちの特性を踏まえつつ、面白く転がすのである。  違うのは、自分自身の出し方、見せ方だろう。有吉は素で、有田は型を作りながらやっている。  なぜそうなるかというと、有吉の場合、天国から地獄へと落ち、そこからはい上がってさらなる高みに上り詰めたという稀有な芸人だからだ。たけしなどと同様、劇的な芸能人生に畏敬の念を持たれているので、素のまま何をやっても許されるところがある。本人も自分をさらけ出すことに怖さがないのだろう。  だからこそ、再ブレークのきっかけとなったあだ名芸も成立した。そこにはもともと、シニカルで冷静なキャラだというのもプラスに作用している。猿岩石としての人気絶頂期、共演した東野幸治から「お前、目、死んでんなあ」と指摘された話も、いずれ落ちぶれることを見越して貯金していた話も、今となってはうなずけるところだ。  そういえば、アイドル的な売れ方をして遠回りをした分、そこが肥やしやハクにつながっているということ自体、人生の「貯金」といえる。そのおかげで、彼は生番組でもギリギリを攻めることができる。「ヒルナンデス!」(日本テレビ系)のコーナー司会をしていた頃、陣内智則を毎回のように藤原紀香ネタでいじっていたのはなかなかの見ものだった。  そんな有吉も今年、夏目三久という大物と結婚した。4月には「かりそめ天国」で共演。この番組の前身である「マツコ&有吉の怒り新党」(テレビ朝日系)で知り合ったといういきさつもあるが、何やら昭和の大スターが妻をお披露目しているようでもあった。  その結婚をめぐっては、こんな興味深い発言も聞けた。「有吉のお金発見 突撃!カネオくん」(NHK総合)でのこと。千鳥のノブが結婚祝いによさそうなものを見つけたものの「ダサい」と言われるのがイヤでやめたという話をした際、 「恥かいてもいいから、何でも持ってこなきゃダメ」  と、笑いながら返していたのだ。これは案外、有吉の芸に関する基本姿勢でもあるのではないか。何かやってくれさえすれば、自分がそれなりに面白くしてやるという揺るぎないものを感じるのである。  一方、有田には有吉ほどのカリスマ感はない。しかも、コンビ芸人であり、担当はボケだ。くりぃむしちゅーとしての番組では、ツッコミの上田晋也が司会を務めている。  それゆえ、有田は自分の番組では、型を作り、それを演じることで進行する。「脱力タイムズ」ではニュースキャスター、「おもてなす」ではプロデューサー、「ソウドリ」ではお笑いトーナメント主催者という具合だ。そうすることで存分に「愛ある無茶ぶり」ができるわけだ。  また、かつては細木数子のようなクセの強い重鎮ともつきあい、転がしてみせた。そういう相手の懐に飛び込み、許されるような独特のずぶとさとかわいげがあるのだ。  もっとも、若い頃は彼自身もクセの強いタイプだった。コンビのボケ担当にありがちな、悪ぶった芸風も見せ、ダーティなイメージもちらついていたものだ。実際、20年近く前、メディアによく取材される店の看板娘だった女性から彼について「すごく感じが悪かった」と聞かされたこともある。  ただ、こうしたタイプはキャリアを重ねるうち、芸風が丸くなり、ツンデレ効果でイメージがどんどんよくなったりする。特に、アンタッチャブル復活の仕掛け人となったあたりから、人間的評価も爆上がりした印象だ。  とまあ、なかなか甲乙つけがたいふたり。個人的には、修羅場をくぐり抜けてきた経験値だったり、猿岩石時代に映画で共演した嵐をはじめとする人脈だったりを持つ有吉に軍配を上げたい気もするが、素をさらけ出し、ギリギリを攻める芸風は危険もともなう。その点、上田という安定した相方がいることは有田の強みだろう。  そんな2人にとって、鍵になりそうな存在がマツコ・デラックスだ。有吉とは名コンビだし、有田とは同じ事務所。フリーで人気が出て、仕事が殺到したマツコが、マネジメントを任せたのが設立されたばかりのくりぃむしちゅーが所属する事務所だった。したがって「有田とマツコと男と女」(TBS系)のような番組もまた始まるかもしれない。  マツコのキャラと芸風はジェンダーフリー的な最近のトレンドとも合っていて、相変わらず数字も持っている。年齢的にも、有田が50歳でマツコが48歳、有吉が47歳ということで、ほぼ同世代だ。この3人は昭和のテレビ黄金時代を知っていて、かつ、令和へのアップデートもできているという共通点があり、それが幅広い支持を得られているゆえんだろう。  EXITらの第七世代は、令和へのアップデートはもちろん大丈夫だが、昭和を知らないのでテレビへの熱に乏しい。また、人と人との距離感を大事にする分、愛ある無茶ぶりのような芸は不得手だ。  世の中のテレビ離れを食い止めるとしたら、やはり、有田と有吉の2人が思い浮かぶ。どんなバラエティーでどんな笑いを繰り広げてくれるのか、要注目だ。 ●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など
「ゼッタイ君と別々の生活はおくらない」夫が最期の手紙に綴った愛 8年間待ち続けた妻の“長い一人旅”
「ゼッタイ君と別々の生活はおくらない」夫が最期の手紙に綴った愛 8年間待ち続けた妻の“長い一人旅” プノンペン特派員時代の石山幸基さん。共同通信の記者としてカンボジアの民衆に寄り添う取材を続けた(写真:石山陽子さん提供) 長女の誕生を機に一時帰国した石山幸基さん。カンボジアに戻ったあと帰らぬ人となり、これが唯一の家族写真となった(写真:石山陽子さん提供)  不確かな人生。取り返せぬ瞬間の積み重ねに導かれ、私たちは生きている。そんな現実にあらためて気づかされる一冊に出合った。同書を取り上げた、AERA 2021年6月28日号の記事を紹介する。 *  *  *  主人公はジャーナリストの石山幸基さん。1970年代、共同通信の記者として内戦状態のカンボジアに入り、消息を絶った。横浜市在住の妻陽子さん(75)が3月、彼の生き様や自身のその後の人生を綴(つづ)った本を自費出版した。  2人が出会ったのは大学紛争が燃えさかっていたころ。京都大学の総長秘書室で働いていた陽子さんには、火炎瓶が飛び交うなか、学生が築いたバリケードの向こう側で取材する幸基さんの姿が焼き付いている。 ■戦火に飛び込む夫  著書『そして待つことが始まった 京都 横浜 カンボジア』(養徳社)では、幸基さんの取材スタンスをこう記した。 「彼は、(中略)いつも反体制の側から物事を見ようとしていた。おそらく不条理なコトに対して我慢できなかったということだと思う。こういう彼の姿勢は以後、どんな時でもずっと変わることがなかった」  結婚して2年余りが過ぎた72年。夫がいつになく真剣な顔で「プノンペン支局に単身赴任したい」と切り出した。ベトナムからカンボジアへと戦火が広がりつつあった。1歳になる息子と、2人目の子の命も宿していた。陽子さんは「一瞬躊躇(ちゅうちょ)」したが「すぐにうなずいた」。1年くらい別々になっても、私たちには未来があると考えていた。  初の海外勤務から1年。離任が迫った73年10月6日付の手紙には、幸基さんの仕事と家族に対する率直な思いが綴られている。「もう、ゼッタイ君と別々の生活はおくらないでしょう。どんなに危険なことに将来直面しようとも、あるいは職業上直面せざるをえないことになろうとも、オレは君といっしょにそうしたい、とおもいます。君とオレとは運命共同体だ、と」  これが最後の手紙になった。その後、幸基さんはポル・ポト派の支配地域に潜入取材し、行方不明になる。陽子さんにとっては、ほぼ8年間にわたる「夫を待つ日々」の始まりだった。 ■父を奪い自問自答  81年。内戦が小康状態になった間隙(かんげき)を縫って、陽子さんはカンボジアに入った。幸基さんは74年1月に病死していた。その事実を、最期まで看病した女性から聞くことができた。2009年には彼が息を引き取った野営病院や埋葬場所を確認。消息を絶ってから36年の歳月が流れていた。  長男は父親と同じ職業を選び、長女は米国で家庭を築いた。子供たちを立派に育てた陽子さんだが、自問自答は続く。「父親を奪った事実、いつも心のどこかで私は子どもたちにわびている。それは彼らがすでに人の親になっている今でもそうだ」  カンボジア人のためでも、国を良くするためでもなく、大国の論理で始まった内戦。実態を知るにつれ、「夫をこんなばかげた戦争のために亡くしてしまった」とやりきれなさが募る。  それでも夫からの手紙を読み返すと、ジャーナリストの仕事に身を捧げながらも、夫であり父であるという自覚が幸基さんの意識の根底にあったことに気づき、救われる。陽子さんが記憶の断片を拾い集め、夫の資料を整理しながら分かったことは「私が自分の生涯で『確かに、一人の人から心から愛された』という愛(いと)おしい思い」だった。  陽子さんの軌跡は、幸基さんの人生の続編のような色彩も帯びる。内戦を取材した人たちの交流会に参加し、かつての仲間と本人に代わって旧交を温めた。そして、戦場に散った報道の猛者たちに思いをはせ、涙する。  自分の内面と生き様を丁寧に掘り下げ、記録してくれる伴侶の存在は、幸基さんにとってジャーナリスト冥利(みょうり)に尽きる最高の幸運といえるだろう。 「長い旅だった。一人旅だなんて思いもよらなかった」  陽子さんが綴るこの言葉が少しも愚痴っぽくなく、凛(りん)とした彩りを放つのに感動をおぼえた。(編集部・渡辺豪) ※AERA 2021年6月28日号
共働きは老後も「最強の家計」に? そのための3つのポイント
共働きは老後も「最強の家計」に? そのための3つのポイント ※写真はイメージです (GettyImages) (週刊朝日2021年7月2日号より) (週刊朝日2021年7月2日号より)  現在の収入が増え、それを基にした投資と年金増額で老後ライフも楽しめる──共働きはハッピーリタイアメントの一つの条件といえるかもしれない。しかも、基礎条件さえ満たせば、将来、さらに上乗せが見込め、老後の「最強の家計」を作ることも可能になる。  この4月、そんな家計になる可能性が高いカップルが首都圏で誕生した。40代後半の会社員Bさんと“姉さん女房”のCさん夫婦である。10年来、共通の趣味を通じて交際を深め、ゴールイン。若干、晩婚となったが、そのことが「最強」の要素を家計に組み込んだ。  二人とも会社勤めが長く、当然のように共働きを選んだから「ダブル厚生年金」が確実だ。加えて妻のCさんには強い就業意欲がある。 「ウチは長生き家系なので、生きている限り働きたいと思っています。年金繰り下げにもぜひ挑戦したい」  また、二人とも積み立て投資をしていて、そのことが家計に余裕を生んでいる。Bさんが言う。 「私も妻もリーマンショックの前から続けていて、相場が悪いときも金額を変えませんでした。それが功を奏して、アベノミクスから続く株高で格好の老後資金ができつつあります」  年金の実額を増やす「繰り下げ」は、豊かな老後資金を作る手段として共働きならずとも大きなキーポイントになりつつある。66歳以降1カ月遅らせるごとに年金額が0.7%増える。5年で42%増だ。「ねんきん定期便」の見込み額に、これからの増額分を合わせた分で計算してほしい。そのすさまじい増額ぶりに驚くはずだ。  加えて「余裕の資産」。実は共働きの唯一ともいえるデメリットは、夫が亡くなった場合、「遺族年金」で専業主婦に追いつかれてしまうことにある。多くの家庭で夫の遺族厚生年金のほうが妻の老齢厚生年金より高いからだ。  夫の遺族厚生年金は、夫の老齢厚生年金の4分の3が基本。しかし以前と違って、妻の老齢厚生年金の支給が優先され、4分の3との差額分だけしか遺族厚生年金として支給されないのが今の決まり。仕組みが原因で世帯年金額は専業主婦世帯と同じになってしまう。  そんなときに余裕の資産があれば夫の死による収入減を補える。だからこそ、共働きで得た現在の収入を積み立てることが大事なのだ。  共働き+年金繰り下げ+余裕の資産形成──この三拍子がそろえば老後の「最強の家計」といえそうだ。(本誌・首藤由之) >>【関連記事/主婦の労働を阻む「壁」崩壊? 50代から共働きで「老後資金づくり」】はこちら >>【関連記事/年金を増やせる! 50代から妻も働く「1.5人分」厚生年金のススメ】はこちら ※週刊朝日  2021年7月2日号より抜粋
年金を増やせる! 50代から妻も働く「1.5人分」厚生年金のススメ
年金を増やせる! 50代から妻も働く「1.5人分」厚生年金のススメ ※写真はイメージです (GettyImages) (週刊朝日2021年7月2日号より) (週刊朝日2021年7月2日号より)  子育てを終えて増えた時間、主婦の労働を妨げるとされてきた数字の「壁」を崩していく国の政策……。いま、共働きには強いフォローの風が吹いている。では、実際に夫婦で合わせて1.5人分の厚生年金がもらえる「ワン・ハーフ厚生年金」を目指して働き始めると、どうなるのか。  当然のことながら、まず現在の収入が増える。「月10万円年収120万円」を出発点に「同20万円同240万円」まで、主な年収での収入の様子をまとめてみた。今の基準である501人以上の企業で働き、社会保険料(厚生年金保険料、健康保険は東京の「協会けんぽ」の保険料で介護分を含む)を払うことを前提にしている。  社会保険料に加えて一定金額以上は所得税・住民税がかかってくる。それらの合計は額面の1~2割、したがって手取りは額面の8~9割だ。「そんなに引かれるのか……」と思う気持ちもわかるが、それよりは年収アップに従って手取りも着実に上がっていることに注目したい。  収入が増えたからといって、使ってしまっては元も子もない。 「子育てが終わった主婦の中には、『次は自分たちが楽しむ番だ』とはじけてお金を使い始める人がいます。旅行、グルメなどが主ですね」(ファイナンシャルプランナーの丸山晴美さん)  そうならないためにも、一定の管理が必要だ。ファイナンシャルプランナーの井戸美枝さんは、先に「103万円の壁」のところで述べた積み立て投資を始めるべきだという。 「月2万3千円が上限の個人型確定拠出年金(iDeCo、以下イデコ)に加入すれば、掛け金が全額所得控除されるので所得税・住民税の負担が軽くなります」  確かに、試算してみると、上限の年27万6千円をイデコに回せば、年収150万円までは所得税がゼロになった。 「生活に余裕があれば、加えて『つみたてNISA』での投資を加えてもいいと思います(年額40万円まで)。イデコと合わせて将来、大きく殖やせる可能性があります」(井戸さん)  もちろん一定額は自分へのご褒美として、趣味など今の消費に使うのも「あり」だ。 “恩恵”ではほかに、健康保険に加入しているので、病気やケガで働けなくなった場合に「傷病手当金」をもらえる。過去1年間の平均賃金の3分の2が最長1年6カ月間出る。病気を想定するのは縁起でもないが、万が一のときの「強い味方」だ。  将来の年金(老齢厚生年金)はどれぐらい増えるのか。  老齢厚生年金額は収入金額と加入期間で決まる。年収(120万~240万円)で5~20年働いた場合に増える年金額を試算してみた。収入レベルを考えれば劇的に増えるわけではないが、それでも10年以上働くとそれなりの金額になってくる。  毎年来る「ねんきん定期便」の年金見込み額に、表を参考に自分が考えている共働きの姿(年間給与、働く年数)をあてはめれば、将来の年金額が予想できる。  もう一つ、年金制度では1991年3月まで学生は任意加入だった。このため今の50代以上では20歳以上の学生時代に年金に未加入で、老齢基礎年金を満額受け取れない人がいっぱいいる。そんな人が60歳以上で厚生年金に加入して働けば、その満額に満たない分を埋められる。  老齢基礎年金はそのままだが、厚生年金から「経過的加算」と呼ばれる年金が支給されるからだ。詳しい説明は省くが、老齢基礎年金は20歳以上60歳未満で1年加入すると年金額が約1万9500円増えるのに対し、経過的加算も60歳以上の1年加入でほぼ同額増えるのだ。  仮に浪人していたりして未加入期間が3年ある人が60歳以上で3年働けば約5万8600円も年金額が増える。金額からすると、1年で「月収10万円で10年」働いた分の年金額に匹敵するから、未加入期間がある人にはお勧めだ。(本誌・首藤由之) >>【関連記事/主婦の労働を阻む「壁」崩壊? 50代から共働きで「老後資金づくり」】はこちら >>【関連記事/共働きは老後も「最強の家計」に? そのための3つのポイント】はこちら ※週刊朝日  2021年7月2日号より抜粋
「二度と部下が死に追いつめられないように」 赤木ファイルを手にした妻・雅子さんが麻生財務相に悲痛の訴え
「二度と部下が死に追いつめられないように」 赤木ファイルを手にした妻・雅子さんが麻生財務相に悲痛の訴え 会見した赤木雅子さん (c)Tsuno Yoshikazu 「私がいま一番望むことは、なぜ夫が死に追い込まれなければならなかったのか、その原因と経緯を明らかにすることです」  6月24日午前10時過ぎ。東京・有楽町の日本外国特派員協会でそう訴えるのは、2018年3月に自死した財務省近畿財務局職員の赤木俊夫さん(当時54)の妻、雅子さん(50)。紺のブレザーを着て、遺影を前に置き、マイクに向かった。  学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却をめぐる、財務省の公文書である決算文書改ざん問題。2日前に、俊夫さんが職場で改ざんの経緯を書き残した「赤木ファイル」が開示された。あるのかないのか存否すら明らかにしてこなかったファイルだった。  全518ページ。雅子さんは、ファイルを代理人弁護士の事務所で受取り、自らハサミで切って開封した。第一印象は、 「黒塗りが少ない」  コピーだが、「私の元に帰ってきてくれた」という感じたという。  ファイルの所々には、手書きのメモも残っていた。雅子さんは言う。 「夫の字だとすぐにわかりました。夫が苦しい立場に追い込まれながら、赤木ファイルを残してくれたのだと思うと涙が出そうになりました」  ファイルには、雅子さんが知らなかった多くの事実が記載されていた。夫は、具体的に説明もなく、反対しても一方的に改ざんされて苦しんでいたことがわかったという。  改ざんを主導した、財務省理財局長だった佐川宣寿氏が、改ざんを指示したとするメールもあった。だが、佐川氏の指示がどのように俊夫さんまで関わったのか具体的な経緯は明らかになってなく、佐川氏や理財局内部のメールは開示されていない。 「佐川さんからの指示がどのように夫までつたわったのか、具体的な経緯は明らかになっていません」  雅子さんが会見で特に強調したのが、再調査と麻生太郎財務相の責任問題だ。麻生財務相には、こう訴えた。 「麻生さんは部下である夫が死に追い詰められて3年以上たつのに、仏前に手を合わせに来ることも再調査を提案することもなく、辞任せず、財務大臣を続けています。もし部下のことを思う心があるなら、二度と部下が同じような死に追いつめられように何らかの行動を起こすべきではないでしょうか」  赤木ファイルには、森友学園が購入しようとしていた国有地について安倍晋三前首相の昭恵夫人が「いい土地ですから、前に進めてください」と発言したとする記載が佐川氏の指示で削除されたことも記されていた。  雅子さんは昭恵氏と、LINE(ライン)で繋がっているという。昨年3月に雅子さんが俊夫さんの遺書を公開した後、昭恵氏から「仏前に手を合わせに行きたい」という連絡があった。ただその後、LINEでのやり取りが週刊誌で報じられると返事はなかなか来なくなった。そして、国が赤木ファイルの存在を認めた朝日新聞の写真と一緒にLINEを送ると、既読もつかなくなったという。  今回、外国特派員協会で会見を開いた理由について、雅子さんはこう話した。 「世界からも注目されることで、国は一歩前に出てくれるのではないかと期待しています」 (編集部・野村昌二) ※AERAオンライン限定記事
池袋暴走事故裁判で遺族が被告人質問のニュースに拳をキュッと握りしめた 鈴木おさむ
池袋暴走事故裁判で遺族が被告人質問のニュースに拳をキュッと握りしめた 鈴木おさむ 放送作家の鈴木おさむさん  放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、2年前に起きた池袋暴走事故の裁判について。 *      *  *  息子、笑福が6歳になりました。あっという間の6年。自分の子供が成長していく姿を見ることが出来る幸せ。毎朝起きて、ご飯食べて、保育園に送って、帰ってきて、風呂入って寝る。当たり前のことに慣れてしまうけど、この当たり前は当たり前ではないと、強く思うようにしている。  子供が川で流されて死亡したというニュースを見て、胸をギュっとわしづかみにされる。かわいそうという思いと同時に、恐怖。もし、息子がそうなったらと。  当たり前の日常はある日突然壊れてしまう可能性があり、その可能性は誰にでも突然訪れることもある。  東京・池袋で車を暴走させて母親と子どもを死亡させた罪に問われている90歳の被告の裁判。21日に、遺族による被告人質問が行われたというニュース。  旧通産省の幹部だった飯塚幸三被告90歳。おととし4月に、東京 池袋で車を暴走させて松永真菜さんと長女の莉子ちゃんを死亡させた事件。莉子ちゃんは3歳でした。  飯塚被告は無罪を主張していて、今回、妻子を亡くした松永拓也さんが「事故当時、あなたは100%ブレーキを踏んだ自信があるのか」という質問をした。それに対し、飯塚被告は「心苦しいとは思うが、私の記憶では踏み間違いはなかった。私の過失はないものと考えています」などと述べたと。  このニュースを聞いて、今まで体の中に沸き上がったことのない感情が混じっていく。悲しみや怒りはもちろん、もしこれが自分の息子だったら冷静でいられるのか?とか。亡くなって2年たっているのに、その痛みは和らいでいくどころか、強くなっているはずだ。  松永さんはこの2年、どんな思いで過ごしてきたのだろう?会見などを見ていると、とても我慢している。感情に強い蓋を閉めて、答えている。自分だったらああいられるだろうか?  見ながら拳をギュッと強く握りしめてしまう。  そして、飯塚被告はこの2年、どういう気持ちで過ごしてきたのか?自分のことと相手のこと、どっちのことを考えている時間が長かったのだろうか?  後者だと思いたいが。期待は出来ないと思ってしまう。  松永さんは、事故で家族を奪われたにも関わらず、その先もずっと、心に釘を何度も何度も刺されている。  裁判の結果はどうなるかはわからないが、やはり、「旧通産省だから」と思ってしまう人も少なくないと思う。  当たり前の日常はある日突然奪われてしまう時がある。だけど、奪ってしまった側の態度や気持ちによっては、そのあとも、ずっと、被害者の家族から大切なものを奪い続けていくのだということを、強く感じた。  だから、この先の発言や裁判の結果で、傷つけたり何かを奪うことがないことを本当に願っています。 ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中。バブル期入社の50代の部長の悲哀を描く16コマ漫画「ティラノ部長」の原作を担当し、毎週金曜に自身のインスタグラムで公開中。YOASOBI「ハルカ」の原作「月王子」を書籍化したイラスト小説「ハルカと月の王子様」が好評発売中
がん闘病中の大島康徳さん ブログに中傷コメント「投稿者の名前公開で処罰」求める声が殺到
がん闘病中の大島康徳さん ブログに中傷コメント「投稿者の名前公開で処罰」求める声が殺到 日本ハム監督時代の大島康徳さん(OP写真通信社)  現役時代に中日、日本ハムで活躍し、日本ハムで監督を務めた野球解説者・大島康徳さんは、現在がん闘病中だ。回復することを心から祈るばかりだが、今月22日に大島さんのブログで更新された内容が衝撃だった。  大島さんの妻が代筆し、一部の心無いコメントが投稿されていることを告白。一部伏せ字にした上で問題のコメントを掲載し、「このような心ないコメントがまだ続いている悲しい事実もございます。堀ちえみさんも心を痛めていらしたことを知りました。本人の目に触れないように削除を続けていますがこれを目にする家族も本当に傷ついています。どうかどうかお止め下さい。心よりお願い申し上げます」と訴えた。  大島さんは16年10月にステージ4の大腸がんと診断され、17年2月に手術を終えたと報告。しかし、がんは肝臓に転移して抗がん治療を続けている。今月21日に肺にも転移があったことを明かしている。  ネット上で誹謗中傷の書き込みの被害を受けている著名人は大島さんだけではない。がんで闘病を公表していたタレントの堀ちえみさんに対し、「再発するといいですね」、「永遠の眠りについてくださいね」など名誉を傷つけるようなコメントを150回以上投稿したとして、警視庁が今月21日、奈良市の無職の女(45)を東京都迷惑防止条例違反容疑で書類送検している。  一般紙の社会部記者はネット上での誹謗中傷がなくならない理由について、このように分析する。 「匿名制度が罪悪感をなくしてしまっている部分は大きいと思います。相手の心情を配慮することなく、自分の怒りをぶつけることに躊躇がない。実生活では暴力的なわけではなく、普通に暮らしている人が多いのも特徴です。ネットに書き込むことがストレスのはけ口になっている。処罰も正直甘いと思います。堀さんを執拗に誹謗中傷した女も書類送検ですから。被害者が泣き寝入りしてしまうケースも少なくありません。名誉棄損罪や侮辱罪で訴えるにしても投稿者を特定するのに1年以上かかるケースもあり、裁判の手続きになると弁護士費用などお金がかかる。被害者や家族の立場に立った法整備が必要です」  SNS、ネット上では誹謗中傷のコメントを行った投稿者の実名公開を求める声が多い。 「どういう神経で、大島さんに心無いコメントを書き込めるの?奥さんにこんなお願いさせるなんて異常な社会だよ!サイトの管理者が誹謗中傷のコメントを見つけたら、発信者のIPアドレスをすぐに開示して名前、住所をスピーディーに特定する制度を作らないと。木村花さんの悲しい事件があったのに何も教訓にしていない。被害者の心を壊す行為は殺人と一緒。投稿者の名前を公開して警察から厳罰を受けるべき」、「匿名でコメントできてしまう制度そのものを規制しなくちゃいけなくない?匿名でコメントしている自分自身が言えることではないと思うけど、私は実名でコメントしてもいいと思っている。独身ならば。実名でコメントするならば、家族持ちではなく、1匹狼でないと出来ないと思う。普通の人には家族に対してもさえ譲れない一線というものを持っているものでしょう。お互い譲りあって手を携えて生きていくのが家族というのもの。1匹狼であれば守るべきものは自分のみ。堂々と主張したい事を主張できると思う。でも、それらは他人を誹謗中傷するものであってはならない。今回ひどいコメントをした輩は、自分が大島さんや家族の身になったとしたら、という事を考えたらどう行動するだろうか?そういう想像力を働かせてもらいたいと思う」などのコメントが。  大島さんのブログにはコメント欄で激励のメッセージが殺到している。言葉は人の支えになると共に、心をえぐる刃にもなる。誹謗中傷のコメントは絶対に許されない。(牧忠則)
主婦の労働を阻む「壁」崩壊? 50代から共働きで「老後資金づくり」
主婦の労働を阻む「壁」崩壊? 50代から共働きで「老後資金づくり」 ※写真はイメージです (GettyImages) (週刊朝日2021年7月2日号より) (週刊朝日2021年7月2日号より) (週刊朝日2021年7月2日号より)  子育てが終わり自由になる時間が増えた専業主婦なら、「共働き」を考えてみてはいかがか。本格的に働けば自分の年金が増え、稼いだお金を積み立て投資に回せば余裕資金も増やせる。折しも主婦の労働を妨げるとされてきた数字の「壁」は次々に崩れつつある。  東京都内に住む主婦Aさん(53)が言う。 「来年度から『戦略的主婦』を卒業しようと思っています」 「戦略的主婦」とは、Aさんの“造語”。あらゆる手段を駆使して「給与とその他の所得」を年間130万円以内に収め、夫の扶養から外れないようにすることを指す。  少額ながら不動産所得があり、数十銘柄の株式も保有する。労働ではここ数年、派遣会社に登録してさまざまなスポット仕事をこなしてきた。それでも夫の扶養だから、健康保険は夫の会社の健保組合で、年金は専業主婦が多い「第3号被保険者」(以下、3号)のままだ。  そんな立場を捨てて、来年度からきっちり雇用契約を結んで年収240万円を目指すという。 「夫婦で長生きしちゃったらどうしよう、って思い始めたんです。折しも年金の制度がどんどん変わり、もらい方も自分で選べるようになってきている。できれば私も、遅くもらって金額を増やす『年金繰り下げ』をしたい。それなら、まずは元になる年金額を増やさなきゃ、と思ったんです」(Aさん)  派遣で行った複数の職場から、「長期で勤務していただけないか……」という誘いを受けている。それでも、私立高校に通う次男への国の就学支援金と都の授業料軽減助成金を来年度も獲得するため、すぐには動かない。「戦略的」を続け、始動はあくまで「22年4月」だ。  共働き世帯が増え、専業主婦世帯が減り続けている。1980年代までは専業主婦世帯のほうが多かったが、92年に逆転し、それ以降は共働き世帯が増える一方だ。しかも、2010年代に入ってから両者の差の開きに拍車がかかっている。  20年は共働き世帯1240万に対し、専業主婦世帯は571万世帯だった。ダブルスコア以上だが、今なお600万世帯弱に専業主婦がいる。また、Aさんは脱皮しつつあるが、働き方を調節して3号を維持している50代主婦も数多くいるとみられる。  お金の専門家は、こうした女性たちに積極的な共働きを勧める。女性の老後資金に詳しいファイナンシャルプランナー(FP)の井戸美枝さんが、 「女性は長生きで、半分の人は確実に90歳まで生きると思っておいたほうがいい。50代以上になって自分の時間ができたのなら、働いてお金を稼いで年金を増やしたほうがいい」  と言えば、同じく女性のお金に詳しいFPの丸山晴美さんも、 「お金はさかのぼってため直すことができません。だから気づいたときがやり始めるときです。今の50代は子供を産むのが早く、子育てを終えてからの時間が長い傾向にあります。50歳代前半だと70歳まで20年近くあります。老後資金づくりに生かさない手はありません」  と背中を押す。  人生最後の「ためどき」で、主婦が貢献できるのはズバリ「共働き」なのだ。  共働きが老後に絶大な威力を発揮するのは、次のような比較をするとよくわかる。  厚生労働省が標準的な年金額として挙げているいわゆる「モデル世帯」(平均的な収入で40年間会社で働いた場合の老齢厚生年金9万円と、2人分の老齢基礎年金<満額>=1人当たり6.5万円)を例にとろう。  モデル世帯は事実上、専業主婦世帯を指し、その世帯年金額は月額「22万円」(夫15.5万円+妻6.5万円)だ。一方、完全共働き世帯として、両方がモデル世帯の老齢厚生年金をもらえる夫婦を想定すると、世帯年金額は同「31万円」(共に15.5万円)に増える。そして、その中間として、妻が夫の半分の老齢厚生年金をもらえる世帯も考えると、世帯年金額は同「26.5万円」(夫15.5万円+妻11万円)になる。  この3組の夫婦が20年間、年金をもらい続けた場合の累計額を比較した。専業主婦世帯は5280万円にとどまるのに対し、完全共働き世帯は7440万円にも達する。実に2千万円もの差だ。中間世帯はその中間の6360万円である。  老齢厚生年金で比べると、完全共働き世帯は2人分だから「ダブル厚生年金」といえ、中間の夫婦は1.5人分で「ワン・ハーフ厚生年金」と呼べるだろう。  50代の専業主婦や、労働時間を調整して3号を維持している主婦は、“残る時間”などを考えれば、さすがに今から「ダブル厚生年金」を狙うのは無理だ。しかし、「ワン・ハーフ厚生年金」なら十分狙える。今の50代女性は学校を出てから結婚するまで会社で働き、数年~十数年の厚生年金歴をすでに持っている人が多い。それを土台に積み上げていけばいいのだ。  折しも、これまで主婦の労働に対して、いくつもの「壁」の存在が指摘されてきたが、それらが国の支援などで次々に崩れつつある。  これより高いと所得税を支払う必要が出てくる「103万円の壁」は、後述する、国がつくった老後資金への積み立て投資を始めれば簡単に回避できる。  これともう一つの税金の壁、夫が配偶者特別控除を満額受けられなくなり始める「150万円の壁」は、まさに「今」の家計か「将来」の年金のどちらを選ぶかの問題だ。夫婦で納得が得られれば壁はなくなる。  社会保険(厚生年金と健康保険)の壁では、従業員501人以上の企業で働くなど一定の条件を満たすと加入が義務付けられる「106万円の壁」が16年にできた。非正規で働きながら国民年金に加入している人らに厚生年金加入を促す政策で、この先、適用企業をどんどん増やすことが決まっている。来年10月からは「101人以上」の企業、24年10月からは「51人以上」に広げ、いずれはすべての企業に適用される見込みだ。つまり、どこで働くかは関係がなくなってくる。  すると残るは、夫の扶養であり続けるための条件、冒頭のAさんが気にしていた「130万円の壁」になる。先の井戸さんが言う。 「確かに夫の扶養は楽な部分がありますが、夫の稼ぎや健康状態に自らを委ねることになるので、けっこうリスクが高くなる気がします。とにかく将来何があるかわからないので、よほど資産がある人以外は共働きを選ぶのが安心できると思います。また、厚生年金の加入者を増やしていくのが国の政策ですから、その船に乗らない手はありません」 (本誌・首藤由之) ※週刊朝日  2021年7月2日号より抜粋
年金繰り下げモデル「WPP」とは? 長生きリスクもカバーできる
年金繰り下げモデル「WPP」とは? 長生きリスクもカバーできる ※写真はイメージです (GettyImages) (週刊朝日2021年7月2日号より) (週刊朝日2021年7月2日号より)  歌のように、年金も世に連れ……となるかもしれない。国が誘導を狙っている年金の「繰り下げ」をしやすくするような、私的年金や貯蓄・資産の使い方が提唱され始めているからだ。すでに実践者も出ている。これぞ人生100年時代の老後資金の“総力戦”だ。 *  *  * 「できれば70歳まで続けたいです」  関東地方に住むAさんは、ともに66歳の夫と昨年から、公的年金を遅くもらう「繰り下げ」を始めた。  夫の給料が60歳定年後にガクッと下がったことに衝撃を受け、老後資金の勉強を始めた。贅沢(ぜいたく)をしたいわけではない。「現役時代とあまり変わらない生活を続けたい」のが動機だ。夫と相談しながら、エクセル表を使って年金のもらい方をあれこれ研究して決めた。 「全部を繰り下げると60代後半の生活費に支障が出るので、夫は老齢厚生年金を、私は老齢基礎年金を繰り下げることにしました」(Aさん)  もっとも、思ったとおりには進まないのが人生だ。夫は勤め先を離れた後、アルバイト的な仕事を週数回していたが、この2月、急に「辞めたい」と言い始めたのだ。 「『十分働いた。休みたい』と。趣味が多いので、そっちに力を入れたいと思ったんでしょうか。80歳でも続けている人がいる仕事なので、もったいない気はしましたが、どうしようもありませんでした」(同)  収入が減った分は“作戦”を変更し、預金で穴埋めして「繰り下げ待機」は続けている。 「ちょうどいい銀行定期があったので、それを取り崩しています。計算上は70歳までもちそうです。とにかく、やれるところまでやってみますよ」(同)  ひょっとしたら、Aさん夫婦は今後、年金をもらい始める世代にとっての「スーパーモデル」になるかもしれない。  本連前号では、公的年金や企業年金の受給の選択肢が飛躍的に増えて年金が「パズル化」しつつあること、その背景には高齢化や年金財政の逼迫(ひっぱく)で、「少なくとも70歳まで働き、余裕があればその間、年金を繰り下げてほしい」とする国の“意図”が読み取れることをみてきた。 「需要あるところに供給あり」か、あるいは「必要は発明の母」か──。国の意図をふまえ、時代の流れにのって生活する方法が、ここにきて出始めている。しかも、それがAさん夫婦の実践とピタリと一致するのである。 「考え方」として支持を広げているのは、日本年金学会の幹事も務める第一生命の谷内陽一氏が提唱する「WPP」理論だ。 「W」は「Work longer」、つまり「長く働く」。一つ目の「P」は企業年金など私的年金を指す「Private Pension」で、最後の「P」は公的年金を指す「Public Pension」。  谷内氏が説く。 「会社を定年後、公的年金を受けながら、同時に企業年金や個人年金の私的年金を上乗せして老後の生活費を賄う、しかも両方とも終身、これが昔からの理想でした。しかし、低金利や長寿化で私的年金を終身にするのが厳しくなってきました。そこで、終身部分は公的年金に寄せて、そこ(公的年金)を増やして長生きリスクをカバーしようという考え方です」  公的年金を増やすには繰り下げが必要になる。1カ月遅らせるごとに0.7%増え、65歳からもらう年金を上限の70歳まで遅らせれば年金額は42%増やせる(2022年4月以降は上限が75歳まで拡大)。しかし、繰り下げるには、その間の生活費がいる。そこで、企業年金や退職金、自助努力で貯(た)めた個人年金や貯蓄を、繰り下げ期間に集中投入して、繰り下げを成功させる。公的年金は終身だから、70歳以降は増額した公的年金で安心した老後が送れるというわけだ。 「プロ野球のピッチャーを考えてください。昔の『先発完投型』が、すっかり『継投型』に切り替わりました。それと同じで、先発である就労が厳しくなってきたら私的年金に中継ぎを頼み、最後は抑えの切り札を投入、増額した公的年金で締めるわけです」(谷内氏)  なるほど、確かにわかりやすい。とりわけ自助努力の側面が大きくなる「中継ぎ」部分で目標を立てやすくなるのがミソという。 「5~10年と期間が限られるので具体的な金額が見えてきます。民間の年金は給付期間が5~10年の有期がほとんどですから、そうした実態にも合っています」(同)  WPPを実際の家計に落とし込むと、どうなるのか。さまざまなシミュレーションの実績があるのは、ファイナンシャルプランナー(FP)の長尾義弘氏だ。  谷内氏がWPP理論を発表したのは18年の日本年金学会だったが、実は同じ年に、長尾氏はWPPと考え方を同じとする、年金繰り下げを推奨するマネー本(『老後資金は貯めるな!』)を出版している。 「WPPを聞いたときは『同じじゃないか!』とビックリでした。当時、私は還暦を前に自分の老後資金のことをあれこれ考えていたんです。運用しようとすると100%の保証はない。では、どうすればいいかを考えていて行き当たりました。年金繰り下げなら安全で合理的、しかも初心者でもできます」(長尾氏)  偶然の一致には驚くばかりだが、それはともかく、家計のシミュレーションである。長尾氏は、厚生労働省のモデルに近い世帯、ここでは架空の「鈴木家」を想定して考えたいと言う。次のようなケースだ。  鈴木家には、65歳時点で貯蓄2千万円があるとする。夫の年金は老齢基礎年金と老齢厚生年金合わせて年間200万円、妻の年金は両方で100万円とし、65歳以降の生活費は総務省の家計調査の平均値より少し上の年間400万円とする。  普通に65歳から年金をもらい始めると、2人の年金収入300万円に対して支出は400万円なので、毎年100万円の赤字が出る。すると2千万円の貯蓄は20年しかもたない。 「私は、貯蓄は2人の介護費用として800万円準備できていればいいとする考え方をとっています。とすると、2千万円の貯蓄のうち1200万円は60代後半に使っていいことになります」(同)  つまり、年間240万円が使えることになる。これに年間160万円を就労収入で稼げれば、繰り下げ待機生活が成り立つ。アルバイトでもいいし、勤め先に就業確保策があればそれでOKだ。 「70歳まで繰り下げることができれば、夫婦の年金は42%増で年間426万円に増えます。生活費が賄えるうえに、70歳以降も貯蓄が増えていきます」(同)  谷内、長尾両氏がそろって強調するのは「65歳(あるいは70歳)までに『○○○○をしなければならない』などと硬直的に考える必要はなく、個人の状況に合わせて柔軟に対応していけばいい」ということだ。  谷内氏が、 「勤め先に確定給付年金(DB)と確定拠出年金(DC)の両方があるなら、60歳以降の給料減をDCで補って、60歳代後半はDBでつなぐ手が考えられます。また、老後資金が想定以上に積み上がったのなら、70歳以降、増額した公的年金への上積みを考えてもいい」  と言えば、長尾氏も、 「不幸にして貯蓄が貯まらなかったのなら、働く期間を延ばして就労と年金のバランスを変えればいい。また、繰り下げでも思うほど年金収入が増えないのなら、少し節約して生活費を減らすことも考えられる」  実は、年金制度自体がかなり柔軟にできている。  老齢基礎年金と老齢厚生年金を一緒に繰り下げる必要はない。冒頭のAさん夫婦のように、基礎、厚生をそれぞれ単独で繰り下げできる。例えば、年下の配偶者がいる場合、一定の条件を満たせば年金制度の「配偶者手当」と呼ばれる「加給年金」が厚生からもらえる。配偶者が65歳になるまで年間約40万円と、なかなか貴重な金額だ。このため老齢基礎年金だけを繰り下げて老齢厚生年金は受給すれば、加給年金が受け取れるうえに年金も増やすことができる。  また、繰り下げは、体調を崩して働くのが難しくなったり、家計が苦しくなったりすれば、いつでもやめることができる。その場合、やめたときまで増額されてきた年金をそれ以降も受け取れるし、あるいは、繰り下げを選ばずに65歳からもらえる年金額をまとめて一時金で受け取ることもできる。  どうやらWPPの考え方を採り入れれば、さまざまな年金プランを組めそうだ。  専門家の間でも評価する声が多い。ニッセイ基礎研究所の中嶋邦夫上席研究員は、組み合わせが新鮮だったという。 「60歳現役から65歳現役へ移行したときも、企業年金を“つなぎ”に使う考え方はありました。でも、それを60代後半にずらして公的年金の繰り下げとセットにしたことが新しい」 「同一労働同一賃金」が絡んでくる可能性を指摘するのは、FPの山崎俊輔氏だ。 「この考え方が浸透してくると、能力的には50代のころとさほど変わらないので、60代の賃金が必然的に上がると私はみています。すると『W』に上乗せする『P』も軽くなり、DBなどが10年の有期でピッタリはまる会社が出るのでは、と思います」  ところで、冒頭のAさんは、ただただ驚くばかりである。自分が思い描いていた年金の世界が“理論化”されていることを知ったからだ。 「WPPですか? まったくの初耳ですね。でも、公的年金という生涯もらえるものを増やして老後の生活を安定させるというのは、まさに私が考えたことでもあります」(Aさん)  柔軟に考える点もAさんはしっかり先取りしている。現在はパートで働いていて、夫婦ともに70歳まで働くのが当初の計画だったからだ。 「夫が辞めて貯蓄を取り崩していますが、夫は余裕を取り戻して平和に生活できています。まあまあ、といったところです」(同)  同じような考え方が同じころ、自然発生的に出て、実践者も現れる──。WPPはパズル化する年金の一つの「解」になるかもしれない。(本誌・首藤由之) (以下次号) ※週刊朝日  2021年7月2日号
ミッツ・マングローブ「ドラマが失くした日常と『篠ひろ子ロス』」
ミッツ・マングローブ「ドラマが失くした日常と『篠ひろ子ロス』」 ミッツ・マングローブ  ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、篠ひろ子の引退について。 *  *  *  私にとって、日本ドラマ界における最大の損失のひとつは「篠ひろ子の引退」です。とは言え篠さんが正式に引退表明をしたことはありません。50歳になる前年(97年)に主演した作品を最後に、忽然と私たちの前から姿を消したのです。あれから早20余年。現在は夫の伊集院静さんとともに故郷の仙台に住んでいるとか。以来、定期的に訪れる「篠ロス」を、私は過去の名作たちを穴が開くほど何度も観て凌いできました。  女優・篠ひろ子が頭角を現したのは、70年代に一世を風靡した久世ドラマの金字塔『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』だそうです。ちなみに同世代の小川知子さんやいしだあゆみさんらと同じように、篠さんも60年代に歌手デビューしています。しかし篠さんの場合、ヒット曲に恵まれないまま女優へと転身したため、最初から主演級というわけではなく、その魅力と人気が爆発したのは80年代に入ってからでした。  まずは84年に放送された『金曜日の妻たちへII』。下ネタ好きで化粧っ気のない意地悪主婦を演じたのを皮切りに、『毎度おさわがせします』では思春期の息子を持つハイテンションな母親、さらに『金曜日の妻たちへIII』では夫を親友に寝取られる品行方正な妻、『誘惑』では夫の愛人に家庭を崩壊させられる一方で自身も若い男に入れ上げていくブルジョワ妻など、バブル景気を背景に当時30代後半から40代前半だった「団塊の世代」を描いた作品においては欠かせない存在となりました。今も観返す度に、彼女の凛とした立体感、潤沢だけど押し付けがましくない色気、親しみやすさの中に垣間見える冷たさ、独特な抑揚の台詞回しに、たまらない心地良さを感じます。  そんな篠さんと夫婦や恋人を演じた俳優陣と言えば、板東英二さん(『金妻II』『金曜日には花を買って』)、古谷一行さん(『金妻III』『木曜日の食卓』)、林隆三さん(『誘惑』)、中村雅俊さん(『しあわせの決断』『ふたりのシーソーゲーム』)、小野寺昭さん(『毎度おさわがせします』)など錚々たる男たち。小野寺さんとは即席ラーメン「うまいっしょ」のCMでも長年コンビを組んでいました。そして特筆すべきはやはり田村正和さん(『妻たちの危険な関係』『ニューヨーク恋物語II』『カミさんの悪口』)ではないでしょうか。「妻に先立たれた男やもめ」や「バツイチの独身中年」といった役柄の多かった田村正和を、唯一尻に敷き続けた女性は「篠ひろ子」以外にいません。  一方で、古谷一行さんとのコンビも素晴らしかった。特に『金妻シリーズ』の団塊世代が40代後半に差し掛かり、二世帯住宅を建て、家族のあり方や老後を見つめる『木曜日の食卓』(92年)が好きです。ふたりが演じる夫婦の絶妙な「熟し方」は、往年のTBS木下プロ制作ドラマファンとしては終始ニンマリさせられること必至。  改めて言います。今のドラマ界に不足しているのは「篠ひろ子的」な軽さを持った女優の存在です。鬼気迫る演技とか、漫画的なぶっ飛びキャラとか、萌えだのキュンだのも良いですが、ともすればその不在すら忘れてしまいがちな篠ひろ子の軽快過ぎる存在感は、今のドラマが失くした「日常」なのかもしれません。 ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する ※週刊朝日  2021年6月25日号
カーネーションから10年…業界でささやかれる尾野真千子「最強説」
カーネーションから10年…業界でささやかれる尾野真千子「最強説」 尾野真千子(C)朝日新聞社  公開中の映画「茜色に焼かれる」で、4年ぶりに単独主演を務める女優・尾野真千子(39)の体当たりの演技が話題だ。傷つきながらも自身の信念のもと、たくましく生きる母親を熱演し、映画レビューサイト「Filmarks」では初日満足度第1位を獲得した。  尾野について、メガホンをとった石井裕也監督は「(主人公の)田中良子役は尾野真千子さんしか考えられませんでした」とコメント。尾野の芝居の熱量と、演技に対する思いの強さを絶賛した。また、共演した永瀬正敏も「この作品をちゃんと背負っている感じ」と賛辞を贈っていた。  同作品に限らず、尾野は共演者からの評判がすこぶる良い。 「尾野さんの演技力は先輩俳優からも絶大な信頼を得ています。映画『起終点駅 ターミナル』で共演した佐藤浩市さんは『本番前と本番でパッとスイッチを変えられる稀有な女優さん』と話し、彼女の演技を見るのが楽しみで作品に出たいと思うと明かしていました。また、ドラマ『狙撃』で共演した松重豊さんも『過酷な人生を歩んできた女性を演じさせたら彼女の右に出る女優はいないんじゃない?』とその演技力を高く評価。そして、ドラマ『サマーレスキュー ~天空の診療所~』で共演して以来仲良しという向井理さんも『演技力は同世代の中ではずばぬけている』と称賛していました」(テレビ情報誌の編集者)  今年だけで「茜色~」のほか、「ヤクザと家族 The Family」、「明日の食卓」とすでに3本の出演映画が公開されている尾野。「見てくれた人に『あの役、尾野真千子っぽいよね』って言われたら終わりだと思ってます」(「Numero TOKYO」5月18日配信)と本人も言っているとおり、多くの役を演じているはずなのに「尾野真千子っぽい」という印象の役柄は少ない。リアリティーのある演技は「ちゃんと役として生きられているかどうか」を大切にする彼女のこだわりから生まれているのだろう。  一方、尾野といえばバラエティー番組などでみせる明るく豪快な性格も魅力のひとつだろう。5月16日に出演した「おしゃれイズム」(日本テレビ)では、普段はほとんどジャージーで過ごしていることを暴露。銀座や青山などおしゃれな場所に行く際はどうするのかと聞かれると、「黒パンに、ちょいいいトレーナ」と笑い、「ボタンのある服、絶対着たくないです」と共演者を驚かせていた。 「女優さんによっては黒歴史ともいわれそうな、過去にスナックでアルバイトをしていたことなどもあっけらかんと話してしまうのが尾野さんらしいところ。上京直後に働いていたそうで、当時のお店のママへの感謝の気持ちをテレビで伝えていたこともあります。下積み時代は月給が500円だったこともあったとか。振込手数料を差し引くとなくなってしまうので、事務所に取りに来るよう言われたそうですが、電車代でその500円も飛んでしまったというエピソードも。苦労していた頃の話を豪快に笑い飛ばす姿に視聴者も好感するのでしょう」(同) ■ガチのすっぴんで映画出演  バラエティー番組などで3枚目を買って出るタイプゆえ隠れがちだが、実は尾野の美しさも関係者からは絶賛されている。 「取材現場でカメラを向けられた際に、尾野さんはパッとスイッチがオンになり、ガラっと表情が変わるんです。その目の輝きやたたずまいは、現場にいる人間をグッと引き込むパワーがあります。そして何より美しい。とくに瞳が茶色くて澄んでいてキレイなんです。ときどき尾野さん自身も感動するくらい、ステキに撮れるときがあるそうで、『とくにメークと衣装の力はすごいです』と謙遜されているインタビューもありましたが、尾野さんの素材と見せ方のうまさがあってこそだと思います。ドラマ『フジコ』で、受刑中の殺人鬼を演じた際、完全ノーメイクのシーンがあったのですが、彼女のすっぴんが美しすぎて『リアルじゃない』という声があがったほどです」(同)  ヒロインに抜擢されたNHK連続ドラマ小説「カーネーション」(2011年)の撮影現場で30歳の誕生日を迎え、その後は映画にドラマに引っ張りだこ。プライベートでは芸人のほっしゃんや俳優の高橋一生と浮名を流し、30代で芸能事務所・LDHの役員との結婚・離婚を経験。公私において転機を迎えた時期でもあった。今や日本映画界になくてはならない実力派女優となったが、そんな彼女も今年11月で40歳を迎える。  ドラマウオッチャーの中村裕一氏は、尾野真千子の魅力についてこう分析する。 「まさに『役を生きる』を地で行く女優だと思います。それだけでなく、演者である前に一人の人間としてもがき苦しみながらもまっすぐ誠実に歩んでいこうとする姿勢が垣間見えますし、数々のエピソードからも気さくで飾らない人柄がうかがえます。昨年放送され、今年映画にもなった『心の傷を癒すということ』(NHK総合)では、主演の柄本佑演じる医師を支える妻役を演じ、非常に印象に残る芝居をみせてくれました。代表作はやはり『カーネーション』だと思いますが、きっと視聴者や観客それぞれに好きな彼女の出演作があり、“尾野真千子”という存在が深く刻み込まれているのではないでしょうか。彼女の人物像を一言で表すなら、“しなやか”という形容が最もふさわしいと思います」  年を重ね、ますます演技の幅を広げる尾野。スタッフからも役者仲間からも厚い信頼を得る尾野真千子は、現在の映画界において「最強の女優」かもしれない。(高梨歩)
518ページの「赤木ファイル」公開 近畿財務局は実名公開で本省キャリアは黒塗りの理不尽
518ページの「赤木ファイル」公開 近畿財務局は実名公開で本省キャリアは黒塗りの理不尽 ファイルを残して亡くなった赤木俊夫さん(C)朝日新聞社 「赤木ファイル」開示で会見した弁護団(撮影・今西憲之)  学校法人森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざん問題で、自殺した同省近畿財務局職員赤木俊夫さん(当時54)が改ざんの経緯などを記した文書「赤木ファイル」が22日、妻・雅子さん(50)による大阪地裁での国家賠償請求訴訟で公開された。代理人弁護士事務所に届いた文書は500ページ以上にのぼり、赤木さん自身の手書きメモなど、生々しい内容もある。  例えば、<本省の対応(調書等の修正指示)>という文書の冒頭に赤木さんはこう記していた。 <本省において、議員説明(提出)用に、決済文書をチェックし、調書の内容について修正するとの連絡受。本省の問題意識は、調書から相手方(森友)に厚遇したと受け取られるおそれのある部分は削除するとの考え。現場として厚遇した事実もないし、検査院等にも原調書のままで説明するのが適切と繰り返し意見(相当程度の意思表示し修正に抵抗)した>  財務省からの改ざん指示について、森友学園に配慮したこともなく、公務員として誠実、公正に対応してきたと、強い抵抗の意思を示していた。 さらにこう続く。 <本省の修正指示を受け、3月7日午前、速やかに部長に報告。本件事業は本省と協議し当初の定期借地権契約を締結している過程等が調書から削除されることは今後の検査院への説明等に支障が生じるため、現場の問題意識として既に決裁済の調書を修正することは問題があり行うべきではないと、本省審理室担当補佐に強く抗議した>  赤木さんは文書にアンダーラインを引いて、強く抗議を示していた。 財務省からの回答に対してもこう不満を記載していた。 <3月9日、A部長から局長に報告。今回の対応(修正等)は、本省理財局が全責任を負う。B局長の責任で対応すると発言(部長と本省幹部間で話をしたと思われる)。当局は一切修正作業を行わず、本省が修正作業を行うとの説明受(納得できず)>  そして当時の担当者、佐川宣寿理財局長については以下の記述がある。 <本省で議員からの資料要求に対する、佐川理財局長への説明過程や、同局長からの指示等の詳細が当局に還元(説明なし)されず、詳細が不明確のまま、本省審理室(担当補佐)からその都度メールで投げ込まれてくるのが実態。本件の備忘として、修正等の作業過程を下記の通り記録しておく>  財務省が高圧的に修正を求め、やむにやまれず応じるしかなかった様子が書かれていた。それゆえ公文書改ざんの過程を記録した「赤木ファイル」を残すことを決めたとも書かれていた。  赤木さんは財務省の改ざん指示を一覧表にまとめて、添付していた。 <佐川理財局長に説明後、再修正> <売払決議書(売払調書)は佐川局長から国会答弁を踏まえた修正を行うように指示(調書の開示により新しい情報を与えないよう)があったとのこと>  佐川氏から具体的な指示があったとしか思えない、改ざん要求も残されていた。  3月25日土曜日深夜1:24に財務省理財局の担当者(氏名は黒塗り)がこんなメールを送信している。 <今後(会計検査、開示請求、国会、議員等)、外部提示する可能性のある文書セット(案)を送ります>  財務省が国会議員、政治への忖度、配慮をしていたことがうかがえる内容だ。赤木さんが改ざんを余儀なくされた公文書には、政治家の名前が書かれているものがいくつもあった。担当者が後日、さらに<マーキングしておきました>と改ざんする部分を示したメールを送信していた。 <学校法人 森友学園の概要等>という文書だ。 <理事長 籠池康博氏は「日本会議・運営委員」を始めとする諸団体に関与> <国会においては、日本会議と連携する組織として、超党派による「日本会議国会議員懇談会」が平成9年5月に設立され、現在、役員に特別顧問として麻生太郎財務大臣、会長に平沼赳夫議員、副会長に安倍晋三総理らが就任> <(参考)森友学園への議員等の来訪状況 平成20年11月 中山成彬議員(衆・維・比例九州)講演会 平成25年9月  平沼赳夫議員(衆・維・岡山3区)講演会 平成25年11月 日本維新の会女性局(三木圭恵議員、杉田水脈議員、上田小百合(原文ママ、上西の間違いと思われる)(いずれも衆・維・比例近畿)等)視察 平成26年4月 安倍昭恵総理夫人 講演視察>  安倍前首相、昭恵夫人、麻生財務相など政治家の名前が登場する部分は 軒並み、削除をしたと記されていた。また、森友学園への国有地売却を時系列で詳細に記した<調書>の5枚目についている<別紙>には以下の記述があった。 <なお打合せの際、「本年4月25日、安倍昭恵総理夫人を現地に案内し、夫人から『いい土地ですから、前に進めてください』とのお言葉をいただいた。」との発言あり。(森友学園籠池理事長と夫人が現地の前で並んで写っている写真を提示)。>  この4行や鴻池祥肇参院議員(故人)や北川イッセイ衆院議員、前出の平沼氏の名前も削除されていた。別紙はA4サイズで3枚に及ぶが、10行ほどを残すだけで、ほとんどが削除された。とんでもない改ざんだった。  また、メディアの動きも気にしていた模様で2月26日、財務省理財局の担当者が赤木さんに<【取扱注意】本日(26日(日))18時、森友学園がNHKの取材に応じる>というタイトルで<本日の近畿地区のNHKニュースについても、注意を払っていただき、放送されましたら、その内容を当方に送付方お願いします>と報告を求めていた。  また、<変更後><差し替え前>など、赤木さんが手書きしている文字もある。だが、赤木ファイルの財務省の担当者の名前はほとんどが黒塗りで誰なのかわからない。一方、近畿財務局の関係者は赤木さんの上司だった人物はじめ、黒塗りになっていない人が複数いた。  改ざんの指示をした側は隠し、赤木さんらやらざるを得なかった側はオープンになっていたのだ。 「赤木ファイル」開示を受けて21日午後に会見した赤木さんの弁護団は、「ファイルの公開は第一歩」と評価した。 「財務省からのメールを見ると財務省、佐川氏の関与は明らか。2月に赤木さんが休日なのに呼び出されたメールでは、すでに政治家の文書が添付されている。また森友学園が有利にとれる内容がすべて訂正されているように思える。赤木さんは抵抗したが、改ざんせざるを得ない状況に追い込まれたのがよくわかります。この裁判だけではなく、国会でも真相を明らかにしてほしい」(弁護団)  そして妻の雅子さんは弁護団に「これは主人の字と手書きの文字だ」 「指示している財務省側のメールを送信した指示者の名前が黒塗りで 隠されている」などと感想を語ったという。 「今後は赤木ファイル原本の開示や発見された経緯などを財務省に裁判で説明を求めたい」(弁護団)  森友学園問題を国会で追及してきた福島伸享元衆院議員はこう語る。 「財務省は責任を赤木さんら近畿財務局に押し付けるようなやり方をしていたのではないのか」  福島氏は財務省が赤木さんらに宛てたメールで名前が登場。福島氏からの資料要求にについて財務省が<近畿(財務局)に探させているけどなかなか…>とごまかし、引き延ばすような文言もあった。福島氏はこう話す。 「私は官僚だったので、絶対に決裁文書があると要求を続けた。引き延ばして、公文書を改ざんする時間稼ぎだったのでしょうかね。公開されたファイルは赤木さんら近畿財務局の名前は出ていて、財務省側の名前が黒塗りになっている。“キャリア隠し”ですね。本当にひどい。財務省は赤木ファイルだけではなく、まだ森友学園問題の真相にかかわる文書を隠しているはず。赤木ファイルをきっかけに、新たな文書が出てくるように期待したい」  真相の解明が待たれる。 (AERAdot.編集部 今西憲之)
「息子が30年前にあなたと出会えていたら」と義父が味方に アラフォー以降の婚活のリアル
「息子が30年前にあなたと出会えていたら」と義父が味方に アラフォー以降の婚活のリアル 写真はイメージです(Getty Images)  それなりに恋愛経験はあるけれど、現在は人生のパートナーと呼べる相手がいない。遠くない未来に訪れる老後を一人で生きていくのかと思うと不安……。いわゆる結婚適齢期を過ぎたアラフォー以降に真剣に婚活をする人は少なくない。ただ、いまは気軽に人に会うのがはばかられるコロナ禍。気持ちばかりが焦るが、近道はあるのだろうか。50代カップルの事例にヒントを探し、専門家にもアドバイスを求めた。 *  *  *  颯爽とした若々しさが印象的な音楽教師の沢村律子さん(仮名・59歳)は、趣味の音楽活動が縁で、2歳年下の会社員の夫と知り合い、54歳で結婚した。  現在、同じアマチュアオーケストラに在籍する2人は、当初から波長がぴったりで、相性の良さを実感したという。休日には手をつないで散歩し、自宅ではピアノとフルートでアンサンブルを楽しむ。 「私は好き嫌いがハッキリ、夫は物腰が柔らかく人に合わせるタイプ。対照的な性格ですが居心地が良く、しっくりきます。現在は私の親と一緒に暮らし、家事も積極的にやってくれます。結婚して本当に良かったですね」  結婚5年目。充実した毎日を送る沢村さん夫妻だが、ここに至るまでは平たんな道のりではなかったという。  実は、2人とも初婚ではない。双方に、前のパートナーとの間には子どもがいた。夫も沢村さんも子どもたちに理解してもらえるかが、最大の不安だった。しかも夫は、離婚する際に前妻との協議がなかなかスムーズにはいかなかったという経緯がある。  2人の結婚を後押ししてくれたのが、夫の父親だ。 「息子を心配していた義父は『子どものために人生を犠牲にするな。彼らもいずれわかってくれる』と。50歳からあと何年生きられるか、80歳まで生きるとしたら30年。長い年月を無意味に生きるより、自分たちの人生を大切にしようと改めて思えて、大きな力になりました」  沢村さんは義父から「息子が30年前にあなたに会えていたら……」「1人でも遠慮なく遊びにおいで」と言葉をかけられたという。沢村さんの人間としての魅力が、夫だけでなく義父にも伝わっていたのだろう。  そんな沢村さんは、出会いから結婚までどんなことに気をつけていたのだろうか。婚活中の女性のヒントになるかもしれない。 「自分の軸がブレないようにすることが大切。不安定な状況はトラブルも起きがちで、つい相手に不満をぶつけたくなるものです。でも、そこはグッとこらえて。相手の話に耳を傾け、説得が必要なときは辛抱強く説明する。大事なのは『ここまで言っても大丈夫。これ以上言ってはダメだ』というラインを見極めて接することですね。男女の関係性を超え、人間愛のような広い気持ちで歩み寄れたら最高だと思います」  若いときのように、勢いや情熱だけでは関係は長続きしない。人生の中盤にさしかかった年代の結婚には相手を思いやる気持ちが第一。「相手を傷つけない」「歩み寄る」コミュニケーションが求められているようだ。  結婚相談所やお見合いパーティー、マッチングアプリを使ったいわゆる「婚活」でも、沢村さんのような相手を思いやることのできる、心に余裕のある女性が人気だという。  婚活パーソナルトレーナーのマチコさんによれば、婚活に最も必要なのは「自己肯定感」。自己肯定感が高い女性は、心に余裕があることが多く、それが雰囲気にも表れるという。そういう女性は、オフ会でも男性人気が高い。「自分もパートナーも大事にしそう」と好意的な意見が多く聞かれるという。  しかし、長年、仕事で多忙な女性は婚活も合理的に進めたいがためか、雰囲気がどうにもギスギスしてくるのだとか。でも大丈夫。コロナ禍で出歩けない時期こそ、この自己肯定感をアップさせる絶好のチャンスだという。それには丁寧な暮らしを心がけるだけで違うそうだ。 「丁寧な暮らしといっても、料理嫌いなら、無理して料理の特訓をする必要はありません。自己肯定感を上げるには、好きなことをしながら、自分との対話の時間を増やすことです。美術館へ行く、ホテルのラウンジでお茶を飲む、着心地の良い部屋着で過ごす、鏡をピカピカに磨くといったことでもいいのです。豊かな時間を過ごしつつ、どんな結婚生活を送りたいかを具体的にイメージするのです」  相手との縁を育むためにはこうした心の余裕は大きなポイントになるが、そもそもの出会いのチャンスを増やすコツやテクニックも侮ってはいけない。婚活は半年から一年を目標に短期決戦でのぞむのがベストとよくいわれる。 「まず、相手に求める20項目を決め、絶対に妥協できない上位3項目をしぼり込む。意外と明確に決まっていない人が多い。でもここをすっとばしてもうまくいきません」  自己プロフィールの書き方も重要だ。その内容次第で次のステップで出会える人数も質もかなり違ってくるという。 「女性の趣味に多いヨガは男性にはピンときません。ありがちな趣味は書いても響かない。食べ歩きなら、具体的なエピソードをプラスし、読んで楽しい印象が残るようにします。また、ダメエピソードのような謙遜する内容を載せても引かれるだけ。よく知らない人の失敗談はしらけてしまいます」  個人情報の管理に慎重な時代だからこそ、あまり出したくないのが「職業」。ぼやかしたい気持ちはわかるが、職種くらいは明かすほうが婚活には有利だという。 「仕事に見出すやりがいや喜びを語る言葉には、その人の生きざまがストレートに表れます。真剣に婚活を考えてプロフィールに目を通しているような人にはちゃんと響く。そのうえで好感をもってくれるような人となら良い縁につながりますよ」  婚活で苦戦していると、たまには女友だちと話したくなるが、独身女性の集まりは参加しないほうがいいという。 「女子会では、婚活で出会った男性の失敗話などを肴に盛り上がりますが、これがマズい。自分が『アリ』だと思っても友達が『ナシ!』と言い放てば、『ナシかも』という気になり、可能性を狭めてしまうんです」  そこでおススメなのが、円満な結婚生活を送る既婚女性の友人との集い。結婚の現実をわかっているので少々のことには動じない。「ま、そんなこともあるよ」という懐の深さがあり、すでに結婚している立場から役立つ情報やアドバイスをもらうこともできる。  コロナ禍でも、直接対面に代わる方法としてZoomやLINEをフル活用し、大手婚活サイトでも各社は昨年からアプリ内でオンラインデートができる機能を備えており、出会いは決して少なくはないとのこと。 「第一印象を左右する外見に気を配るのはもちろん大事。でも、それ以上に不可欠なのがタフなメンタルです。お互いさまとはいえ、婚活は他人と比較されることの連続で、心折れることが本当に多いんですよ」  自由度が高いアプリのマイナス面として、待ち合わせをすっぽかされた、既婚者がダマそうとしてきた、突然LINEをブロックされた……などがある。最終目的が金銭やマルチ商法の勧誘という危険な人も紛れている。しっかりした自分自身と打たれ強さがなければ、今の時代の婚活は乗りきれないという。  悪い縁は忘れ、良い出会いがあったらコミュニケーションの基本に立ち返ることが、幸せな結婚を実らせる王道かもしれない。(取材・文/スローマリッジ取材班、山本真理) マチコ/婚活パーソナルトレーナー。婚活をする女性たちを多方面からのアドバイスで全力サポートする「マチコの部屋」を運営。自身も38歳で結婚した経験から、難航しがちなアラフォー世代の婚活の各種講座やカウンセリングを対面セッションやオンラインで実施。顔タイプアドバイザー1級(一般社団法人 日本顔タイプ診断協会)。一級建築士の資格も有するリケジョ(理系女子)でもある。
滝クリ「1歳半の長男を車に放置」でまたも炎上 懲りない小泉進次郎夫妻の“放置癖”
滝クリ「1歳半の長男を車に放置」でまたも炎上 懲りない小泉進次郎夫妻の“放置癖” 小泉進次郎環境相と妻の滝川クリステルさん(C)朝日新聞社  小泉進次郎環境相(40)の妻でフリーアナウンサーの滝川クリステルさん(43)が今月上旬、車内に1歳半の長男を約30分、放置していたと週刊新潮(6月24日号)が報じ、SNSやネットで”炎上”している。  同誌によれば、当日の気温は29度で、滝川さんは都内のインターナショナルスクールに長男をお出迎えし、その後、近所の商店街へ向かい、長男を置き去りにしたままクリーニング店に入って行ったという。 「途中で一度、荷物を持って車に戻ったものの、ふたたび一人で店に向かう。車内放置することのべ30分」(同誌より)  SNSやネットでは「母親として失格」「熱中症が心配」「高級車なら盗難のリスクもある」などの意見が相次いだ。  実は半年前、小泉夫妻は愛犬のオシッコ放置でも世間を騒がせていた。写真週刊誌の『フライデー』(昨年12月4日号)は、昨年11月中旬、東京・広尾の商店街を進次郎氏と滝川さんと長男の一家3人がSPを引き連れ、愛犬のラブラドールレトリバーの散歩をしているところを激写した。その時に、愛犬が歩道で3回もおしっこしたのに、小泉夫妻がそれを放置したまま自宅へ帰ったと報じられ、ネットで炎上したのだ。  進次郎氏の地元の後援者はあきれ顔でこう話す。 「犬のオシッコを放置した時も批判されたのに、今度は1歳半の長男を車内放置ですか。どうも、夫妻には”放置癖”があり、社会常識から外れ、浮世離れしたところがありますね」  進次郎氏は滝川さんと腕を組んで歩くなど、仲睦まじいが、「妻を自分の選挙に関わらせない」と明言している。 「滝川さんと結婚してから、進次郎の人気が落ちているのが不安材料です。本人は昨年、長男を抱っこして横須賀にやってきて、みんなに披露していましたが、かみさんの尻にしかれているようですよ。かみさんが出張から帰って来ると、羽田空港までお出迎えに行ったりもしています。今回の件は滝川さんの話を聞いてみるまでは真相がわからないけど、この大切な時期、一人で車を運転しない方がいい。誰か子供の面倒を見たり、運転する人が必要じゃないのかな」(同) 奇しくも、6月20日は横須賀市長選が告示された日だ。進次郎氏がバックアップするタレントの上地雄輔の父親で、現職の上地克明氏(67)=自民、公明推薦=が再選を目指し、「第一声」を上げた。  対立候補は新人で市民団体「横須賀市民九条の会」共同代表の岸牧子さん(64)=共産推薦=で一騎討ちとなる。 「上地さんの出陣式には、進次郎さんの姿はありませんでした。リモートで参加し、画面で『緊急事態宣言中なので出席できなくてすいません』などと言っていましたね。進次郎さんは前回、前々回の横須賀市長選では駅頭でビラ配りをしていましたが、今回は地元に入らないようです」(地元の後援会関係者)  しかし、地元では進次郎氏の2連ポスターがあちこちに貼られていた。 「秋には衆院選挙が予定されているので、自分の選挙準備にも余念がないんです。今回の横須賀市長選は、衆院選の前哨戦として位置づけているようです。勝ちが見えているので、リモート参加のみの余裕ぶりです」(同前)  好事魔多し…。これ以上、激写が続かないことを祈るばかりだ。 (AERAdot.編集部 上田耕司)
「老人性うつ」克服の森村誠一 一番つらかったのは「言葉を忘れること」
「老人性うつ」克服の森村誠一 一番つらかったのは「言葉を忘れること」 森村誠一(もりむら・せいいち)/1933年、埼玉県生まれ。推理小説、時代小説、ノンフィクションと幅広く活躍する作家。10年のホテルマン生活を経て、作家に転身。以降、多くの小説を執筆する。2011年吉川英治文学賞を受賞。著書にミリオンセラー『人間の証明』『野性の証明』『悪魔の飽食』など。(写真提供・中央公論新社) 『人間の証明』『悪魔の飽食』など数々のベストセラーを生み出した作家・森村誠一さん(88)が、自らの「老人性うつ」体験を克明に描いた新書『老いる意味』を上梓した。苦難を乗り越えて気がついた新しい「老い方」とは。書面でインタビューに答えてもらった。 *  *  * ──「老人性うつ」を公表することに、抵抗はありませんでしたか。  編集者から私の体験した「老人性うつ」との闘いを書いてくれと言われたとき、一度は断ったんです。私はずっと、作品を通して夢と希望を与える作家は、自分自身の弱さを読者に見せてはいけないと思っていました。作品の中で、悪を懲らしめ、人間の善を書いてきましたから。けれども、私も88歳の老人になった。読者と同じように年を取った。本音を言えば、病気もすれば、悩み苦しむ。ここ数年は「老人性うつ」との格闘でした。読者と同じ人間として、「私も頑張るから皆さんも頑張りましょう」と正直に言いたかったのです。 ──何が一番つらかったですか。  言葉を忘れることです。作家にとって言葉を忘れることは「死」を意味します。作品は言葉のつながりですから。老人性うつ病になったときは、言葉を忘れるというより、「言葉がこぼれ落ちる」という感覚でした。  闘病中、私は言葉を忘れないように筆ペンでノートに文字を書き散らしました。トイレや仕事場の壁、寝室の天井まで書いた文字を貼って文字や文章を復唱していました。お医者さまにも自分の病状や悩みを相談するときは、手紙を書いて報告しました。つらい日々でしたね。 ──克服できた理由はなんだと思いますか。  言葉を忘れまいと一歩ずつ元の生活へ戻れるように歩み続けた先に、光がわずかに見えてきました。手を差し伸べてくれた主治医や看護師、家族や知人に助けられた部分は多かったです。ほとんど何も食べなくなっていた私に流動食で栄養をとらせてくれたので、少しずつ体力が回復していき、気力をとりもどしていけました。  そのおかげで闘う意志を持ち、言葉との格闘やふれあいが始められた。そうしているうちに、どんよりと濁った朝ではなくなり、いつもの朝が戻ってきました。3年がかりでした。 ──うつ病を克服してからは、生き生きとお暮らしになっています。秘訣はなんでしょうか。  好奇心を刺激してくれるものを身近におき、わくわくする感情を持ち続けることだと思います。老いを恐れず、残された日々を自然体でいること。良いことも悪いことも許容する。リセットもする。病気をしていてもいい人生を創り出す気持ちを失わない。  私は、たとえベッドの上で寝たきりになっても、夢だけは持とうと決めています。 ──老け込まないための習慣があれば教えてください。  私は俳句が趣味です。毎日、日課のように俳句を詠んでいます。写真と俳句を融合した「写真俳句」を提唱していますが、楽しいですよ。推理小説や時代小説は犯人を捕まえ悪をほろぼす内容ですが、俳句や詩は、自分自身との対峙。また俳句はイメージを十七文字に凝縮させなければなりません。小説の世界と対極にあります。脳のリフレッシュにとても役立っています。  もう一つは散歩。同じ道を毎日通っていても、新しいパン屋ができたりします。その変化が脳への刺激になるように感じます。同じ時刻に歩いていても、春夏秋冬で表情は違ってくる。早いときには1週間で町は風貌を変えてしまう。日本の四季はいい、と改めて実感します。また散歩コースにかかりつけの医院を入れてあります。通りすがりに待合室をのぞいて、空いているようだったら診てもらう、混んでいたら素通りする。病院のためだけに出かけるとおっくうですが、散歩のついでなら時間の無駄にならない。一挙両得です。 ──「老人性うつ」を公表したことで、読者からの反響はどうでしたか。  反応はすごいです。毎日のように手紙を頂きます。同世代だけでなく、親を介護されている息子さんや娘さんからも手紙をもらいます。高齢化社会、人生100年時代になり、一昔前より「人生の時間」が延びました。いままでは老後の時間は人生の「続編」でしたが、「新章」となりました。延びた時間で人生を総括できるし、また新しい人生を創ることもできる。人生に「決算期」ができたのです。ただし老後はアクシデントがあります。病気もするし、家庭の問題なども増える。もちろん、健康はなにより。病気をしないのもなにより。けれども、多くの老人はどこかに持病があり、大病になられる方もたくさんいます。それは運命といってはいけませんが、いくら気を付けていても避けられないものもあります。  私は皆さんに「病気になってもいいじゃないか」「悩んでもいいじゃないか」「他人に迷惑をかけてもいいじゃないか」と言いたい。それは老人だからです。老いるということはそういうことなのです。 ──人生が延びて、配偶者に先立たれることも多くなりました。「没イチ」に苦しむ方もいます。  女性は配偶者に先立たれても、切り替えて明るく生きていく方が多いようですが、ほとんどの男性が、なぜか妻よりも自分のほうが先に死ぬと思い込んで、先立たれてしまったとき、非常に落ち込むようですね。妻のほうが長生きするなんて、思い込みです。ある日突然先立たれることだってあります。そうなって茫然としても誰も助けてくれません。そうならないために、今日からでも懸命になってひとりで生きていく方法を模索することをおすすめします。食事を作れるようになる、任せっきりだった洗濯や食事などの家事を覚える、重要な書類や有価証券、印鑑、通帳などの保管場所を確認する。日常生活に必要なものすべてを把握して備える。準備をしているうちにひとりで生きていく覚悟もついてきます。 ──最後に、先生と同じ年代を生きる読者へエールをお願いします。  50代、60代、70代までは「野心」がある方がいます。仕事や生活での野心です。サラリーマンをやめてみると、その野心が生きがいだったんだと、懐かしく感じます。  80代を超えて老人になると、生きがいが孫の成長だったり、庭木の咲いた花を楽しむことだったり、家に迷い込んできた野良猫の姿になってくる。それもいいじゃないですか。生きがいとは夢。たとえ小さな生きがいでも本人にとっては大きな希望になる。  老いる意味とは「生きること」です。夢と希望を持ちながらお互い頑張っていきましょう。 (構成/本誌・工藤早春) ※週刊朝日  2021年6月25日号
「まゆちゃんラブ」妻子ある56歳平凡なおっさんが凶悪ストーカー化した動機【大阪カラオケ店主殺害】
「まゆちゃんラブ」妻子ある56歳平凡なおっさんが凶悪ストーカー化した動機【大阪カラオケ店主殺害】 送検のため大阪府警本部を出る宮本浩志容疑者(C)朝日新聞社 殺害されたカラオケ店店主の稲田真優子さん・享年25歳(知人提供) 殺人容疑で逮捕された宮本浩志容疑者(C)朝日新聞社 事件現場となったカラオケパブ「ごまちゃん」が入ったビルの前に置かれた花束(撮影・今西憲之)  大阪市北区のJR天満駅近くにあるカラオケパブ「ごまちゃん」の経営者、稲田真優子さん(25)が殺害された事件で、逮捕された会社員・宮本浩志容疑者(56)は当初から大阪府警にマークされていたことがわかった。  宮本容疑者は稲田さんが「ごまちゃん」をオープンさせる前に働いていたカラオケ店A時代からの常連客だった。A店と「ごまちゃん」のどちらも常連だった客はこう話す。 「稲田さんの遺体が発見された直後、彼女と親しかった人に府警から問い合わせがあった。前のA店関係者などは、すぐに宮本容疑者の名前をあげていたそうです。私もその話を聞いて、やはりそうだろうなと思うほど、宮本は稲田さんに執着していました」  宮本容疑者は4年ほどにA店を訪れ、稲田さんと知り合った。A店は集客にSNSを活用。稲田さんの出勤日はすぐに把握できるようになっていた。  宮本容疑者は、稲田さんの出勤日にはたいてい店に足を運んでいたという。 「夜8時~9時頃に来て、閉店まで粘っていた。もちろんお店には稲田さん以外の女性もいますが、宮本容疑者は話し相手が稲田さんでなければ、ダメ。同じ常連客から『まゆちゃんラブだね』と声をかけられると、『そうまゆちゃんラブ』と笑っていた。稲田さんが他の客と話していると、急に怒り出すこともあった。稲田さんが自分の店『ごまちゃん』をオープンさせてからも毎日のようにやってきた。稲田さんが他の客を30分くらい接客していると、『何してんのや』と言い、立ちあがって激高。他の男性客が止めようとすると、つかみ合いになったこともあった」(前出の常連客)  常連客がこのトラブルを稲田さんから聞いたとき、 「何を考えているのかわからない。もう店に来ないでほしい。しかし、来店を断ることもできないし…」  と困り果てた様子だったという。さらに常連客はこう続ける。 「稲田さんが店を閉めるのを外で待ち伏せしたり、自宅を突き止めようとし、後をつけてきたこともあったらしい。悪質なストーカーだったと思います」  大阪府警などによると、宮本容疑者が犯行に及んだ時刻は6月11日午後9時~10時の間とみられる。緊急事態宣言下で「ごまちゃん」は飲み物はノンアルコールを出し、午後8時で閉店していた。 「宮本容疑者は営業が終わるまで居座って犯行に及んだようだ。稲田さんを殺害した後、店のカギを探し、施錠して発覚を遅らせようとした形跡がある。犯行後はそのまま兵庫県西宮市の自宅に戻ったようだ。宮本容疑者は、営業が終わり、稲田さんと2人になれるタイミングを見計らったようだ。計画性のある犯行と思われる。稲田さんは店の関係者に宮本容疑者が帰るまで、『一緒にいてほしい、2人っきりになりたくない』と、頼んでいたこともあった」(捜査関係者)  宮本容疑者が稲田さんに執着していたのかがわかるのは、SNSからもうかがえる。宮本容疑者のものと思われるツイッターから稲田さんがSNSに投稿する度に、コメントがつけられていた。  犯行の日、6月11日、午前8時23分に稲田さんが<ブログを更新しました。『るんるん~』>とツイートすると、午前9時58分に<リフレッシュ完了にやにやした顔 今日からがんばれ~>と宮本容疑者はコメントをつけた。  その後、午後1時20分に、稲田さんが<昨日はソロハイキングしたぜ。帰り道のラーメン幸せ^_^>と奈良県に一人でハイキングに出かけて、ラーメンを食べた様子をつづると、2時17分に宮本容疑者は<ラーメンのためのハイキングか~>と返信。  ほぼ毎日、ツイートしている稲田さんにコメントをつけている。 中には<今日も運動するのかな? ますますキレイになるんだね~><(稲田さんが)いなくていいのかな~看板がいないなんて?>と稲田さんへの執着が読み取れる返信もあった。  また、稲田さんの料理を宮本容疑者が<小料理も多くなってきたね~ 店長の努力の賜物だね>とほめるレスポンスをつけると、<いつもほめ殺しどうもです>と稲田さんが返信していた。  宮本容疑者は兵庫県西宮市のマンションに妻と2人の子供と住んでいた。それでも終電近くまで稲田さんの店にいることもあった。 「奥様は時々、顔を合わせることがあったが、宮本容疑者はよく知らない。ごく普通のサラリーマン家庭に見えた。昨日から捜索で警察が来ていたようです。宮本さんが逮捕されたとニュースで知って本当に驚いた」(近所の人)  事件のあった稲田さんの店のあるビルには、たくさんの花がたむけられていた。別の常連客もこう語る。 「稲田さんは宮本容疑者に見張られているような気がする。かなり粘着質だとイラついていたようだ。宮本容疑者は店で稲田さん以外とはあまり会話をしなかった。しかし、妻子がいることは店で隠していなかった。どこから見ても、年齢相応のおっさんでした。稲田さんと釣り合わない。どうしてこんな凶行に及んだのか、理解できない。稲田さんの冥福をお祈りするばかりです」 (AERA dot.編集部・今西憲之)
小説家デビューした“日テレ現役キャスター”が感じていた「もどかしさ」と「異端の自分」
小説家デビューした“日テレ現役キャスター”が感じていた「もどかしさ」と「異端の自分」 作家としてデビューした日本テレビの鈴木あづさ氏(撮影/写真部・高野楓菜)  日本テレビのキャスターとして活躍する鈴木あづさ氏(46)は、4月に『蝶の眠る場所』(ポプラ社)で「水野梓」として小説家デビューした。本作は、テレビ局の女性記者がドキュメンタリー番組の取材を通して、ある小学生の転落死の「謎」に迫るミステリー小説だ。  だが単なる“謎解き”で終わらず、冤罪、死刑制度、犯罪加害者の家族、シングルマザーなど社会に横たわる諸問題が、さまざまな場面で主人公に突き付けられる。報道の現場に身を置く著者ならではのリアリティーは話題を呼び、本作は発売直後に重版が決まった。なぜ鈴木さんは報道キャスターでありながら小説というフィクションの世界に飛び込んだのか。小説で伝えたいことは何だったのか。 *  *  * ――鈴木さんは日本テレビで警視庁担当など社会部畑を歩み、中国総局特派員や国際部デスクなども歴任されました。NNNドキュメントのプロデューサーなどをへて、現在は経済部デスク、『深層NEWS』のキャスターとして活躍されていますが、キャリアは一貫して報道の現場です。そんな生粋の「報道人」が小説というフィクションに挑戦しようと思った理由を教えてください。  22年間ずっと報道の現場にいるなかで、マスメディアの記者として真実を追い続けるには、ある種の“限界”があると感じていました。マスメディアは毎日大量のニュースを追いかけて取材します。事件発生直後はバシャバシャとフラッシュをたいて関係者に話を聞いて回りますが、熱が冷めた後の「その後」を取り上げることはなかなかありません。テレビの記者は1分でも早くオンエアした方が勝ち、という強迫観念があり、その競争に明け暮れます。  でも、事件の当事者や家族たちはその後も苦しんだり、もがいたりしながら人生が続きます。『NNNドキュメント』というドキュメンタリー番組にいた時、死刑執行された男性の妻が再審請求をした「飯塚事件」を取り上げました。冤罪の疑いがある中で死刑は執行されましたが、遺族にとっての“真実”は別にあると思います。日々の小さな事件の中にも同じような“真実”はあるはずです。ニュースでは取り上げられない「その後」にこそ、私たちが知るべき本質があるのではないか。そう思って、死刑囚の遺族をめぐる物語を書き始めたんです。 ――そもそも、小説を書こうと思ったのはいつ頃からですか。  小学校の3~4年生くらいから、将来は小説家になりたいと思っていました。というのも当時は友達関係で悩んでいて、学校ではずっと図書館にこもっていたんです。そこで司書の先生が勧めてくれたのが「孤高の人」(新田次郎著)という小説でした。小学生には少し難解でしたが、主人公が1人で山と向き合う姿勢に「孤独でもいいんだ」「何でもうまくやろうとしなくていいんだ」と気分が楽になったんです。その後も人間関係ではいろいろとありましたが、小説の登場人物との会話が私を救ってくれました。学校や会社では集団にひとり「黒い羊」がいると異端とみなされ、邪魔者扱いされる。私はある種そんな存在だったと思います。でも、そんな1匹の「黒い羊」に向けて語りかけてくれるのが小説であり、私もそんな悩みを抱える子どもたちのために本を書きたいとずっと思っていました。  小説もずっと書き続けていて、母と娘の愛憎、介護、恋愛、生老病死などこれまで書いたテーマは多岐にわたります。ありがたいことに、次回作以降のお話も頂いているのですが、過去に書いた物語を基に書き進めている作品もあります。 ――小学生の頃の原体験があり、学生時代から小説を書いてきたとはいえ、社会人になって多忙な日々を送る中で執筆時間を確保するのは容易ではなかったはずです。特に警視庁担当の記者となれば、警察幹部への「夜討ち・朝駆け」などで睡眠時間が削られるほどの激務です。そんな環境で小説を書き続けられたのはなぜでしょうか。  端的にいうと、2つの「違和感」が原動力になっていると思います。  1つは目は先ほどお話した、取材をしても本質に迫れていないのではないかというもどかしさです。日々、報道の仕事で「このままでいいのだろうか」という気持ちを抱えており、それをフィクションとして書くことで“浄化”させていたのかもしれません。  2つ目は、私個人がテレビという業界にどこかなじみ切れないような不安を抱えてきたことです。私が入社した1999年は就職氷河期でいわゆるロスジェネ世代ですが、テレビ業界はまだバブルの残り香がありました。周りの人もすごくキラキラと華やかな気がして、私はどこかでずっと自分自身に違和感を覚えていました。自分のいるべき場所は本当にここでいいのだろうか、という思いです。  私には人とうまく関係を築けなかったというルサンチマンがずっとあって、それを文字の世界で癒やしてきました。きっと自分みたいな人間がこの世界にはいるはずだ、そういう人に向けて「どうしても書きたい」という思いは強く持ち続けていました。 ――本作はテレビのドキュメンタリー番組が舞台ですが、小説なので発生する事件やキャラクターの造形などはフィクションだと思います。ただ、社会部でキャリアを積んだ鈴木さんが書かれているので、「ここは現実にあったことなのでは」と思わされる部分もあります。物語の中で“リアル”にこだわったところがあれば教えてください。  調査報道の手法については、リアルに描写しました。私たちが事件を取材する際には、本当に一枚一枚の薄紙をはぐようにして真実に近づこうとします。取材対象者に何回も手紙を出して信頼関係を築いたり、靴底をすり減らして何度も同じ現場に足を運んだり、同じ場所で何時間も待ち続けたり。調査報道とは「面倒なこと」の積み重ねであり、地道で愚直な取材だけが人の心を動かして真実に近づくことができる。それは知ってほしいと思いました。  小説を書くうえでは、いきなり協力者が現れて内部文書をくれたり、犯人を知っている人と偶然出会ってしまったりという「飛び道具」を使うとすごく楽なんですが、それは絶対にしないように心がけました。だから逆に、「もどかしいこと」はそのままにしておいて、あえて結論めいた記述をしていないところもあります。人間は白と黒にはっきりと二分されるものではなく、誰もがその中間のグレーだと思うんです。登場人物でもそれは意識して描きました。 ――物語には個性的でクセのあるキャラクターが多く登場しますが、特に思い入れがある人物はいますか。  警察のキャリア官僚である「冴木」の造形にはこだわりました。経済部の財務省担当として森友学園問題も取材しましたが、そこで目の当たりにしたのは、エリート官僚たちの“もろさ”でした。彼らは求められている答えを先回りして「解」が提示できる頭の回転と、組織の大義にすぐに順応できる適応力をもって出世してきました。  しかし、その意思決定に絶対の自信を持っているわけではなく、組織にNOと言えない自分をはがゆくも思っているし、そうした弱さも自覚している。こうしたエリート官僚が国民の人生を左右する政策決定をして、ときに道を誤るのです。「冴木」はその弱さの象徴として描きたかった。本当は主人公の美貴ともう少しちゃんと結ばれる展開も考えていたのですが、そこまでこの男を許していいのだろうか、などと思い悩んで、本で書いたような結末にしました。そういう意味で、人物造形にとても苦労したキャラクターでした。 ――鈴木さんは今でも日本テレビの社員であり、組織に所属するジャーナリストです。そうすると会社や組織の批判はしづらくなりますし、作家として本当に書きたいことを制限されてしまうという懸念はありませんか。  本質的には作家としての「水野梓」と日本テレビの「鈴木あづさ」は別人格です。でも、小説には自分の経験や思考は投影されるものだし、「テレビ局の現役社員」「報道キャスター」という肩書をフラットに見てもらえないことは自覚しています。会社は私の作家活動を認めてくれていますが、社員であるがゆえの制約もゼロではないでしょう。  ただ、私は作品をメディアのありように対して何かを言う舞台とは思っていないんです。小説では、もっと人間の真理や本質を追求していきたい。書くことの原点は、1匹の「黒い羊」にメッセージを投げかけることだと思っています。一方で、100行の原稿を費やしても語り尽くせない真実が、たった5秒の映像に宿ることもある。映像と文字、両方の良いところを生かしていきたいと思っています。  今の社会はポリティカル・コレクトネスが厳しく求められていて、同調圧力も強い社会です。小説における表現も例外ではなく、フィクションであっても“正しさ”が求められる時代かもしれません。でもポリコレが何たるかを知ったうえで、私は“常識”に対して怒りや疑問を抱き続けることが、ものを書くことの原動力だと考えています。私が尊敬する大島渚監督の「反骨こそわが魂」の精神を忘れずに、これからも書き続けたいと思っています。(構成=AERAdot.編集部・作田裕史) ◎鈴木あづさ(作家名:水野梓) 1974年生まれ、東京都出身。早稲田大学第一文学部とオレゴン大学ジャーナリズム学部を卒業後、日本テレビ入社。警視庁や皇室担当、社会部デスク、中国総局特派員、国際部デスク、『NNNドキュメント』プロデューサー、『ニュースevery.』デスクなどを歴任。現在は経済部デスクとして財務省と内閣府を担当するかたわら、BS日テレ『深層NEWS』金曜キャスターも務める。NNNドキュメント14『反骨のドキュメンタリスト~大島渚「忘れられた皇軍」という衝撃』でギャラクシー賞月間賞。9歳の息子を持つ母親でもある。

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