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「まゆちゃんラブ」妻子ある56歳平凡なおっさんが凶悪ストーカー化した動機【大阪カラオケ店主殺害】
「まゆちゃんラブ」妻子ある56歳平凡なおっさんが凶悪ストーカー化した動機【大阪カラオケ店主殺害】 送検のため大阪府警本部を出る宮本浩志容疑者(C)朝日新聞社 殺害されたカラオケ店店主の稲田真優子さん・享年25歳(知人提供) 殺人容疑で逮捕された宮本浩志容疑者(C)朝日新聞社 事件現場となったカラオケパブ「ごまちゃん」が入ったビルの前に置かれた花束(撮影・今西憲之)  大阪市北区のJR天満駅近くにあるカラオケパブ「ごまちゃん」の経営者、稲田真優子さん(25)が殺害された事件で、逮捕された会社員・宮本浩志容疑者(56)は当初から大阪府警にマークされていたことがわかった。  宮本容疑者は稲田さんが「ごまちゃん」をオープンさせる前に働いていたカラオケ店A時代からの常連客だった。A店と「ごまちゃん」のどちらも常連だった客はこう話す。 「稲田さんの遺体が発見された直後、彼女と親しかった人に府警から問い合わせがあった。前のA店関係者などは、すぐに宮本容疑者の名前をあげていたそうです。私もその話を聞いて、やはりそうだろうなと思うほど、宮本は稲田さんに執着していました」  宮本容疑者は4年ほどにA店を訪れ、稲田さんと知り合った。A店は集客にSNSを活用。稲田さんの出勤日はすぐに把握できるようになっていた。  宮本容疑者は、稲田さんの出勤日にはたいてい店に足を運んでいたという。 「夜8時~9時頃に来て、閉店まで粘っていた。もちろんお店には稲田さん以外の女性もいますが、宮本容疑者は話し相手が稲田さんでなければ、ダメ。同じ常連客から『まゆちゃんラブだね』と声をかけられると、『そうまゆちゃんラブ』と笑っていた。稲田さんが他の客と話していると、急に怒り出すこともあった。稲田さんが自分の店『ごまちゃん』をオープンさせてからも毎日のようにやってきた。稲田さんが他の客を30分くらい接客していると、『何してんのや』と言い、立ちあがって激高。他の男性客が止めようとすると、つかみ合いになったこともあった」(前出の常連客)  常連客がこのトラブルを稲田さんから聞いたとき、 「何を考えているのかわからない。もう店に来ないでほしい。しかし、来店を断ることもできないし…」  と困り果てた様子だったという。さらに常連客はこう続ける。 「稲田さんが店を閉めるのを外で待ち伏せしたり、自宅を突き止めようとし、後をつけてきたこともあったらしい。悪質なストーカーだったと思います」  大阪府警などによると、宮本容疑者が犯行に及んだ時刻は6月11日午後9時~10時の間とみられる。緊急事態宣言下で「ごまちゃん」は飲み物はノンアルコールを出し、午後8時で閉店していた。 「宮本容疑者は営業が終わるまで居座って犯行に及んだようだ。稲田さんを殺害した後、店のカギを探し、施錠して発覚を遅らせようとした形跡がある。犯行後はそのまま兵庫県西宮市の自宅に戻ったようだ。宮本容疑者は、営業が終わり、稲田さんと2人になれるタイミングを見計らったようだ。計画性のある犯行と思われる。稲田さんは店の関係者に宮本容疑者が帰るまで、『一緒にいてほしい、2人っきりになりたくない』と、頼んでいたこともあった」(捜査関係者)  宮本容疑者が稲田さんに執着していたのかがわかるのは、SNSからもうかがえる。宮本容疑者のものと思われるツイッターから稲田さんがSNSに投稿する度に、コメントがつけられていた。  犯行の日、6月11日、午前8時23分に稲田さんが<ブログを更新しました。『るんるん~』>とツイートすると、午前9時58分に<リフレッシュ完了にやにやした顔 今日からがんばれ~>と宮本容疑者はコメントをつけた。  その後、午後1時20分に、稲田さんが<昨日はソロハイキングしたぜ。帰り道のラーメン幸せ^_^>と奈良県に一人でハイキングに出かけて、ラーメンを食べた様子をつづると、2時17分に宮本容疑者は<ラーメンのためのハイキングか~>と返信。  ほぼ毎日、ツイートしている稲田さんにコメントをつけている。 中には<今日も運動するのかな? ますますキレイになるんだね~><(稲田さんが)いなくていいのかな~看板がいないなんて?>と稲田さんへの執着が読み取れる返信もあった。  また、稲田さんの料理を宮本容疑者が<小料理も多くなってきたね~ 店長の努力の賜物だね>とほめるレスポンスをつけると、<いつもほめ殺しどうもです>と稲田さんが返信していた。  宮本容疑者は兵庫県西宮市のマンションに妻と2人の子供と住んでいた。それでも終電近くまで稲田さんの店にいることもあった。 「奥様は時々、顔を合わせることがあったが、宮本容疑者はよく知らない。ごく普通のサラリーマン家庭に見えた。昨日から捜索で警察が来ていたようです。宮本さんが逮捕されたとニュースで知って本当に驚いた」(近所の人)  事件のあった稲田さんの店のあるビルには、たくさんの花がたむけられていた。別の常連客もこう語る。 「稲田さんは宮本容疑者に見張られているような気がする。かなり粘着質だとイラついていたようだ。宮本容疑者は店で稲田さん以外とはあまり会話をしなかった。しかし、妻子がいることは店で隠していなかった。どこから見ても、年齢相応のおっさんでした。稲田さんと釣り合わない。どうしてこんな凶行に及んだのか、理解できない。稲田さんの冥福をお祈りするばかりです」 (AERA dot.編集部・今西憲之)
小説家デビューした“日テレ現役キャスター”が感じていた「もどかしさ」と「異端の自分」
小説家デビューした“日テレ現役キャスター”が感じていた「もどかしさ」と「異端の自分」 作家としてデビューした日本テレビの鈴木あづさ氏(撮影/写真部・高野楓菜)  日本テレビのキャスターとして活躍する鈴木あづさ氏(46)は、4月に『蝶の眠る場所』(ポプラ社)で「水野梓」として小説家デビューした。本作は、テレビ局の女性記者がドキュメンタリー番組の取材を通して、ある小学生の転落死の「謎」に迫るミステリー小説だ。  だが単なる“謎解き”で終わらず、冤罪、死刑制度、犯罪加害者の家族、シングルマザーなど社会に横たわる諸問題が、さまざまな場面で主人公に突き付けられる。報道の現場に身を置く著者ならではのリアリティーは話題を呼び、本作は発売直後に重版が決まった。なぜ鈴木さんは報道キャスターでありながら小説というフィクションの世界に飛び込んだのか。小説で伝えたいことは何だったのか。 *  *  * ――鈴木さんは日本テレビで警視庁担当など社会部畑を歩み、中国総局特派員や国際部デスクなども歴任されました。NNNドキュメントのプロデューサーなどをへて、現在は経済部デスク、『深層NEWS』のキャスターとして活躍されていますが、キャリアは一貫して報道の現場です。そんな生粋の「報道人」が小説というフィクションに挑戦しようと思った理由を教えてください。  22年間ずっと報道の現場にいるなかで、マスメディアの記者として真実を追い続けるには、ある種の“限界”があると感じていました。マスメディアは毎日大量のニュースを追いかけて取材します。事件発生直後はバシャバシャとフラッシュをたいて関係者に話を聞いて回りますが、熱が冷めた後の「その後」を取り上げることはなかなかありません。テレビの記者は1分でも早くオンエアした方が勝ち、という強迫観念があり、その競争に明け暮れます。  でも、事件の当事者や家族たちはその後も苦しんだり、もがいたりしながら人生が続きます。『NNNドキュメント』というドキュメンタリー番組にいた時、死刑執行された男性の妻が再審請求をした「飯塚事件」を取り上げました。冤罪の疑いがある中で死刑は執行されましたが、遺族にとっての“真実”は別にあると思います。日々の小さな事件の中にも同じような“真実”はあるはずです。ニュースでは取り上げられない「その後」にこそ、私たちが知るべき本質があるのではないか。そう思って、死刑囚の遺族をめぐる物語を書き始めたんです。 ――そもそも、小説を書こうと思ったのはいつ頃からですか。  小学校の3~4年生くらいから、将来は小説家になりたいと思っていました。というのも当時は友達関係で悩んでいて、学校ではずっと図書館にこもっていたんです。そこで司書の先生が勧めてくれたのが「孤高の人」(新田次郎著)という小説でした。小学生には少し難解でしたが、主人公が1人で山と向き合う姿勢に「孤独でもいいんだ」「何でもうまくやろうとしなくていいんだ」と気分が楽になったんです。その後も人間関係ではいろいろとありましたが、小説の登場人物との会話が私を救ってくれました。学校や会社では集団にひとり「黒い羊」がいると異端とみなされ、邪魔者扱いされる。私はある種そんな存在だったと思います。でも、そんな1匹の「黒い羊」に向けて語りかけてくれるのが小説であり、私もそんな悩みを抱える子どもたちのために本を書きたいとずっと思っていました。  小説もずっと書き続けていて、母と娘の愛憎、介護、恋愛、生老病死などこれまで書いたテーマは多岐にわたります。ありがたいことに、次回作以降のお話も頂いているのですが、過去に書いた物語を基に書き進めている作品もあります。 ――小学生の頃の原体験があり、学生時代から小説を書いてきたとはいえ、社会人になって多忙な日々を送る中で執筆時間を確保するのは容易ではなかったはずです。特に警視庁担当の記者となれば、警察幹部への「夜討ち・朝駆け」などで睡眠時間が削られるほどの激務です。そんな環境で小説を書き続けられたのはなぜでしょうか。  端的にいうと、2つの「違和感」が原動力になっていると思います。  1つは目は先ほどお話した、取材をしても本質に迫れていないのではないかというもどかしさです。日々、報道の仕事で「このままでいいのだろうか」という気持ちを抱えており、それをフィクションとして書くことで“浄化”させていたのかもしれません。  2つ目は、私個人がテレビという業界にどこかなじみ切れないような不安を抱えてきたことです。私が入社した1999年は就職氷河期でいわゆるロスジェネ世代ですが、テレビ業界はまだバブルの残り香がありました。周りの人もすごくキラキラと華やかな気がして、私はどこかでずっと自分自身に違和感を覚えていました。自分のいるべき場所は本当にここでいいのだろうか、という思いです。  私には人とうまく関係を築けなかったというルサンチマンがずっとあって、それを文字の世界で癒やしてきました。きっと自分みたいな人間がこの世界にはいるはずだ、そういう人に向けて「どうしても書きたい」という思いは強く持ち続けていました。 ――本作はテレビのドキュメンタリー番組が舞台ですが、小説なので発生する事件やキャラクターの造形などはフィクションだと思います。ただ、社会部でキャリアを積んだ鈴木さんが書かれているので、「ここは現実にあったことなのでは」と思わされる部分もあります。物語の中で“リアル”にこだわったところがあれば教えてください。  調査報道の手法については、リアルに描写しました。私たちが事件を取材する際には、本当に一枚一枚の薄紙をはぐようにして真実に近づこうとします。取材対象者に何回も手紙を出して信頼関係を築いたり、靴底をすり減らして何度も同じ現場に足を運んだり、同じ場所で何時間も待ち続けたり。調査報道とは「面倒なこと」の積み重ねであり、地道で愚直な取材だけが人の心を動かして真実に近づくことができる。それは知ってほしいと思いました。  小説を書くうえでは、いきなり協力者が現れて内部文書をくれたり、犯人を知っている人と偶然出会ってしまったりという「飛び道具」を使うとすごく楽なんですが、それは絶対にしないように心がけました。だから逆に、「もどかしいこと」はそのままにしておいて、あえて結論めいた記述をしていないところもあります。人間は白と黒にはっきりと二分されるものではなく、誰もがその中間のグレーだと思うんです。登場人物でもそれは意識して描きました。 ――物語には個性的でクセのあるキャラクターが多く登場しますが、特に思い入れがある人物はいますか。  警察のキャリア官僚である「冴木」の造形にはこだわりました。経済部の財務省担当として森友学園問題も取材しましたが、そこで目の当たりにしたのは、エリート官僚たちの“もろさ”でした。彼らは求められている答えを先回りして「解」が提示できる頭の回転と、組織の大義にすぐに順応できる適応力をもって出世してきました。  しかし、その意思決定に絶対の自信を持っているわけではなく、組織にNOと言えない自分をはがゆくも思っているし、そうした弱さも自覚している。こうしたエリート官僚が国民の人生を左右する政策決定をして、ときに道を誤るのです。「冴木」はその弱さの象徴として描きたかった。本当は主人公の美貴ともう少しちゃんと結ばれる展開も考えていたのですが、そこまでこの男を許していいのだろうか、などと思い悩んで、本で書いたような結末にしました。そういう意味で、人物造形にとても苦労したキャラクターでした。 ――鈴木さんは今でも日本テレビの社員であり、組織に所属するジャーナリストです。そうすると会社や組織の批判はしづらくなりますし、作家として本当に書きたいことを制限されてしまうという懸念はありませんか。  本質的には作家としての「水野梓」と日本テレビの「鈴木あづさ」は別人格です。でも、小説には自分の経験や思考は投影されるものだし、「テレビ局の現役社員」「報道キャスター」という肩書をフラットに見てもらえないことは自覚しています。会社は私の作家活動を認めてくれていますが、社員であるがゆえの制約もゼロではないでしょう。  ただ、私は作品をメディアのありように対して何かを言う舞台とは思っていないんです。小説では、もっと人間の真理や本質を追求していきたい。書くことの原点は、1匹の「黒い羊」にメッセージを投げかけることだと思っています。一方で、100行の原稿を費やしても語り尽くせない真実が、たった5秒の映像に宿ることもある。映像と文字、両方の良いところを生かしていきたいと思っています。  今の社会はポリティカル・コレクトネスが厳しく求められていて、同調圧力も強い社会です。小説における表現も例外ではなく、フィクションであっても“正しさ”が求められる時代かもしれません。でもポリコレが何たるかを知ったうえで、私は“常識”に対して怒りや疑問を抱き続けることが、ものを書くことの原動力だと考えています。私が尊敬する大島渚監督の「反骨こそわが魂」の精神を忘れずに、これからも書き続けたいと思っています。(構成=AERAdot.編集部・作田裕史) ◎鈴木あづさ(作家名:水野梓) 1974年生まれ、東京都出身。早稲田大学第一文学部とオレゴン大学ジャーナリズム学部を卒業後、日本テレビ入社。警視庁や皇室担当、社会部デスク、中国総局特派員、国際部デスク、『NNNドキュメント』プロデューサー、『ニュースevery.』デスクなどを歴任。現在は経済部デスクとして財務省と内閣府を担当するかたわら、BS日テレ『深層NEWS』金曜キャスターも務める。NNNドキュメント14『反骨のドキュメンタリスト~大島渚「忘れられた皇軍」という衝撃』でギャラクシー賞月間賞。9歳の息子を持つ母親でもある。
夫婦はなぜ嘘をつくのか? 家庭を円滑に回すつもりが、鈴木おさむの大失敗
夫婦はなぜ嘘をつくのか? 家庭を円滑に回すつもりが、鈴木おさむの大失敗 放送作家の鈴木おさむさん  放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、嘘について。 *    *  *  世の中の夫婦はどのくらい嘘をついているものなのだろう?気になってネットで調べてみたら、とあるアンケートで、パートナーに嘘をついたことがあると答えた人が85%以上いた。それを聞いて安心した。安心したということは嘘をついているということだ。  嘘をついてはいけないというのは子供のころから大人たちにずっと教わり続けていることだ。だけど、大人になると、仕事でも、嘘をついてしまう。遅刻の言い訳などの自分を守るための言い訳的嘘はもちろんのこと、生きていくうえで必要な嘘もあると思ってしまうからだ。これはあの上司には言わない方がいいから嘘をつくということもある。仕事を円滑に進めたいがための嘘なのだが。  とある番組の取材で驚くべきことがあった。「一発屋」と言われるあるアーティストに番組ディレクターが取材したときのこと。そのアーティストAさんは、その取材を受けることもあんまり納得してない様子。ディレクターが一発屋であることに斬りこむと、Aさんは「私、一発屋じゃないですよ。そのあとのシングルも、○万枚売れてるし」と怒っている。そのAさんが言っている情報と、ディレクターが調べた情報は違った。ディレクターが「その情報間違ってると思います」と、本当のデータを見せた。顔色が変わるAさん。そしてマネージャーにブチ切れ。そうです。Aさんはマネージャーさんに30年以上嘘をつかれてきたんです。それがバレないっていうのも凄いんですけど。嘘をついたマネージャーさんはダメですが、でも気持ちはわかります。当時、Aさんを傷つけたくない、落ち込ませたくないという思いもあったんでしょう。良かれと思ってついた嘘だったんでしょうね。  で、夫婦の話に戻りますが、そのアンケートを見ていると、「なぜ嘘をつくのか」という理由に「相手が怒りそうな時は嘘をつく」と書いてあった。わかる~~。そうなんです。相手が怒りそう。空気が悪くなりそう。それをもとの空気に戻すのに時間がかかりそうと思ってしまうから嘘をつくんです。  他の理由で「円滑に家庭を回すには大ごとでない限り嘘もありだと思う」と書いてあり、それも、わかる~~~。そうです。円滑に回すためなんです。そのために大人は嘘をついてしまうのです。世の中の嘘は「いい嘘・悪い嘘」ではなく、「仕方ない嘘・ダメな嘘」だと思うのです。  と、長々と書いてきましたが、先日我が家庭で起きたこと。  僕は毎朝、お風呂に入ります。じゃないと目が覚めないからです。お風呂に入り、妻にたまに「お風呂洗ってきてくれた?」と言われます。朝、お風呂に入ったら、自分で洗ってくるのがルール。だけどね、急いでる朝の中で、忘れてしまう時が多いんです。急いでるなら風呂入るなと言われそうですが、入らないと目が覚めない。  もちろん洗う時もあるのですが、洗わずに出てきてしまう時がある。そして妻に「洗ってきた?」と聞かれた時に、ついつい嘘をついてしまう時がある。ただ、「ちゃんと洗ってきたよ」と言う嘘はつけず「軽く流してきた」という嘘をついてしまう。不思議なもので、120%のフスルイング嘘をその場ではつけない。  数日前、同じことが起きました。「洗ってきた?」と妻に聞かれ、僕は「軽く流してきた」と嘘をついてしまったのです。もちろん小さな罪悪感は胸の中にあります。  しかし、そのあと、妻が風呂に行くと「なんだよー」と叫んでいます。何事かと思ったら、なんと、僕は風呂のお湯を抜き忘れていたのです。大失敗です!!  朝風呂の為に昨日の夜からお湯を抜かずにためたままで、僕が入り、それを抜かずに出てきていた。なのに「軽く流した」と嘘をつく。  風呂のお湯を抜いてないことさえ忘れて嘘をつく。なんてダメ野郎なんでしょう。刑事ドラマだったら冒頭2分で解決。超つまらないドラマ。  このバレバレな嘘を、妻は怒ることなく、呆れて見逃してくれました。 だけどね、嘘をつきたくてついてるわけじゃない。怒らせたくない、円滑に進めたいという思いでついてしまう。だったらそもそも風呂を洗えという話なんですが、それがなぜか出来ない。  子供の頃の僕は、大人になってこんな嘘をつくなんて思ってなかったよなーと思いますが、日本全国の大人たちはどんな嘘を家庭でついているんでしょうか?  そして、コロナ禍になってからこれまで。政治家の方達が発言したことで、今振り返ると「あれ、嘘だったろ~」と思うことは少なくない気がする。  そんな方たちも、嘘つく時はドキドキしてるんであろうか。せめてドキドキはしていてほしいと願う。 ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中。バブル期入社の50代の部長の悲哀を描く16コマ漫画「ティラノ部長」の原作を担当し、毎週金曜に自身のインスタグラムで公開中。YOASOBI「ハルカ」の原作「月王子」を書籍化したイラスト小説「ハルカと月の王子様」が好評発売中
メーガンさんの第2子に“女王にしか許されない名前” 「無神経にもほどがある」と英国民が怒りの声
メーガンさんの第2子に“女王にしか許されない名前” 「無神経にもほどがある」と英国民が怒りの声 長男のアーチー君を抱くメーガンさんと二人を見つめるヘンリー王子。アーチー君にとっても待望の妹ができた(写真:Getty Images) エリザベス女王の公邸であるロンドンのバッキンガム宮殿。女王もリリベットちゃんの誕生を祝福した(写真:Getty Images)  英王室を離脱したヘンリー王子とメーガンさんに待望の第2子が生まれた。長女の名前は「リリベット」。それがいま、英国で議論の的になっている。それは、女王にしか許されない愛称だったからだ。AERA 2021年6月21日号の記事を紹介する。 *  *  *  ヘンリー王子(36)とメーガンさん(39)に、6月4日午前11時40分、第2子の長女リリベット・ダイアナ・マウントバッテン・ウィンザーちゃんが誕生した。体重は約3450グラムで、兄のアーチー君(2)より大きい。生後2日目の6日に慈善団体「アーチウェル」で発表し、「あらゆる想像を超えた素晴らしい子で、世界中から寄せられた愛や祈りに引き続き感謝しています」と書いた。王位継承順位は第8位で、エリザベス女王(95)の11番目のひ孫にあたる。  出産はロサンゼルスのシダーズ・サイナイ病院と予想されていた。米国のトップ1%にランクされる医師2千人を擁する総合病院で、豪華なマタニティースイートがある。「セレブ御用達」として有名だ。だがメーガンさんは、ロス近郊のサンタ・バーバラ・コテージ病院を選んだ。分け隔てなく医療を提供するため50人の女性グループが設立した非営利の病院。女性のエンパワーメントをサポートするメーガンさんの希望だった。 ■女王だけの名前なのに  注目されたのは、名前だ。ミドルネームの「ダイアナ」は、ヘンリー王子の亡き母ダイアナさんを偲(しの)んだ。兄ウィリアム王子(38)とキャサリン妃(39)の長女シャーロット王女(6)のミドルネームにも入っている。  問題は「リリベット」にあった。エリザベス女王の愛称なのだ。女王が幼かったころ、よく回らない口で、自分を「リリベット」と名乗るのを聞いた祖父ジョージ5世が、そのかわいらしさに、まねるようになった。それから祖母も両親も妹のマーガレット王女も、家庭内で女王を「リリベット」と呼ぶようになったのだ。父ジョージ6世は「リリベットは私の誇り。マーガレットは私の喜び」と姉妹をかわいがったという。  最後に女王を「リリベット」と呼んだのは、夫のフィリップ殿下だった。4月17日の葬儀では、棺の上に花束と手紙が手向けられた。手紙は「愛に満ちた思い出とともに」の言葉に添え、手書きで「リリベット」と読み取れた。「エリザベス」でも「女王」でもない。夫妻の仲の良さが伝わってくると、胸を熱くする国民も少なくなかった。   リリベットは女王の代名詞であり、祖父母や両親、夫との思い出の詰まった宝物でもある。ほかのロイヤルファミリーにはいっさい使われない。英国民もこれを聖域として、子どもに付けることは遠慮している。その名前をヘンリー王子夫妻が娘に付けたのだ。「無神経にもほどがある」「女王のプライバシーに土足で踏み込んで、失礼極まりない」といった批判がメディアのコメント欄にあふれる。  ヘンリー王子とメーガンさんは王室離脱後、王室を厳しく批判してきた。3月に出演した米国のテレビ番組では、メーガンさんはいくつものショッキングな発言をした。例えば「アーチー君が生まれる前に、肌の色を探る人種差別的な質問を受けた」「自殺を考えるほどつらい時期があったのに、助けを求めても王室は何もしてくれなかった」といった具合だ。ヘンリー王子からも驚くべき発言があった。父チャールズ皇太子(72)とウィリアム王子は、王室という狭い枠に閉じ込められて気の毒だという一家を侮蔑するような物言いだった。 ■王室批判に怒りの声  王子は番組の司会を務めるオプラ・ウィンフリーさんと動画配信サービスでも共演し、メンタルヘルスについて語り合った。最も衝撃的だったのは、王室内での子育ての失敗に触れたことだ。女王夫妻の子育ての影響がチャールズ皇太子に及び、皇太子からは「自分が受けた子育てをお前たちも受けるのだ」と言われた。次の世代に受け継がれる負の連鎖を断ち切ろうと、王室を出たと話したのだった。  次から次へと王室批判を繰り広げながら、王室トップである女王のニックネームを娘に付ける矛盾に、英国の人たちからは怒りの声がやまない。 (ジャーナリスト・多賀幹子) ※AERA 2021年6月21日号より抜粋
招致“ワイロ”や帳簿廃棄…竹田前JOC会長が疑惑調査の皮肉【長野五輪調査報告書・後編】
招致“ワイロ”や帳簿廃棄…竹田前JOC会長が疑惑調査の皮肉【長野五輪調査報告書・後編】 招致委員会が処分した帳簿のコピー「91(平成3)年度の支出記入帳のコピー」。「長野県」調査報告書から(以下同)  五輪が開催されるたびに必ず報じられるのは、招致ワイロ疑惑だ。まもなく開催予定の「東京2020」でも、招致委員会から海外のコンサルタント会社に支払われた約2億3千万円がIOC委員への買収工作に使われた疑いがあるとして、フランス当局が竹田恒和前JOC会長を聴取。捜査は現在も続いている。歴史は繰り返し、1998年に開かれた長野冬季五輪でも同じ疑惑が持ち上がっていた。  世界5都市が激しい招致活動を繰り広げた末、91年に開かれた英バーミンガム総会にて開催が決定した長野五輪。当時の招致活動を巡っては、IOC委員への過剰接待や、招致を巡る不透明なカネの流れが多数あったことが、長野県の第三者委員会が調査した報告書で明らかになっている。「前編」に続き、長野冬季五輪招致における不正を追及した「長野県」調査委員会(2005年11月)の報告書を、調査メンバーの一人だった後藤雄一さん(71歳、元東京都議会議員)に読み解いてもらった。後編では、帳簿廃棄や使途不明金の問題を取り上げる。 <<前編『IOC貴族への過剰接待リスト 渡航滞在費は夫妻450万円、土産代計6300万円【長野五輪調査報告書・前編】』から続く>> ◆会計帳簿の不自然な廃棄  長野五輪の招致活動の原資は、長野県や市町村が拠出した交付金と負担金、そして、県民などからの寄付金からなる。長野県では交付金を交付する際、会計帳簿を5年間保存することを義務づけている。だが、招致委員会は、長野五輪開催が決定したのち、招致にかかった明細を記録した会計帳簿を「92(平成4)年3月末」に処分したと説明。調査委員会では「92年7月20日以降に処分された」と認定されている。  94年には、住民グループが公文書を毀棄した罪で招致委員会の清算人であった当時の吉村午良知事と塚田佐長野市長を長野地検に刑事告発するも、不起訴処分となった。不起訴の理由は、招致委員会は公務所ではなく、帳簿も公用文書ではないので保管義務が生じない、という趣旨のものだった。  しかし、後に会計帳簿の一部とみられるコピーが、「長野県」調査委員会のもとに渡る。  後藤さんは言う。 「善良な役人気質の人が残しておいたのでしょう。役人は自分の身に降りかかったことを証明するために、必ず残しておく習性がありますから」  こうして出てきた「マル秘」と印字された帳簿のコピーから、調査委員会は、招致活動における使途不明金の存在を発見した。 ◆約9000万円の「使途不明金」 「91(平成3)年6月のイギリス・バーミンガムでのIOC総会で、拡大招致委員会は、直接経費だけで3億6405万円を使っていたとされている。しかしその中に、約9000万円の使途不明金が存在していたのである」  調査委員会がまとめた報告書には、こう書かれている。  調査委員会が「91(平成3)年度の支出記入帳のコピー」と期間中の招致活動経費をまとめた「第97次IOCバーミンガム総会招致活動概要」を突き合わせたところ、招致委員会の事務局長名で、総会前に2億2500万円が「資金前渡し」として現金で持ち出され、帰国後に約1億3500万円が返金されたことがわかった。結果、差額分の約9000万円が未返却だったため、調査委員会はこれを「使途不明金」であると認定した。 使途不明金約9000万円を示す資料(写真の一部を編集部で修正、以下同)  事務局長は、2億2500万円を必要資金として八十二銀行でドル紙幣にして「英国に持ち出した」として、調査委員会に次のように説明していた。 「外貨持ち出しの申告限度以内にするために、大勢の同行者で小分けにして出国したが、コワかったし現地到着まで緊張した」 「現地のホテルでは、そのドル紙幣を一カ所に集め、八十二銀行の人に管理してもらった。帰国に際して、残金はドルのまま持ち帰り、為替レートの有利なときに円転換すべくドルで保管していたので、清算が遅れた」  前出の後藤雄一さんは、同じく調査委員会のメンバーだったジャーナリストの黒木昭雄さん(故人)とともに事務局長に聞き取りをおこなっている。そのときの様子をこう振り返る。 「私と黒木さんとで根掘り葉掘り聞きました。金を持ち出したにもかかわらず、最後までとぼけていました。覚えていないというより、知らぬ存ぜぬを突き通していた。小分けにして持ち出したという証言をもとに同行者に確認すると『持って行っていない』と言い、国内で処理されたのか、何をしたのかということは、口が裂けても言えないといった様子でした」  この前払い資金の支払先について、納得のいく説明は得られなかったという。  さらに、当時バーミンガム総会に同行した八十二銀行の行員は、「約1万ドルの現金を管理していた」と証言。持ち出したとされる2億2500万円は、当時の為替レートで換算すると約167万ドルになるため、つじつまが合わない。他の同行者に確認すると、「小分け」にして持ち出した記憶の持ち主もいなかった。  調査委員会では、使途不明金についてはこれ以上解明できなかった。 調査委員会の質問に対して八十二銀行が行員にヒアリングした際の回答 ◆スタジオ6をめぐる「疑惑」  報告書では、IOC委員への集票活動があったのかどうかについても言及されている。そのカギとなるのが、スイスの広告代理店「スタジオ6」。のちに「集票を請け負う仲介人」としてマーク・ホドラーIOC理事(当時)が告発した、ゴラン・タカチ氏が経営する会社だ。ゴラン・タカチ氏は、IOCサマランチ会長のアドバイザーであったユーゴスラビア国際陸連副会長の息子だ。  招致委員会は90年、「スタジオ6」とエージェント契約を結んだ。契約金は45万スイスフラン(当時の日本円で約4500万円)。うち15万スイスフランは、長野での開催が決まった際に支払われる「追加支払い」とされた。この「追加支払い」は「成功報酬」であった疑いがあると調査委員会は指摘している。  ただし、調査委員会は「スタジオ6が、長野オリンピックの招致活動において集票活動をおこなったかどうかは不明」と結論づけている。  招致委員会とスタジオ6との契約につながるやりとりは、89年7月の「第7回招致連絡会」の議事録に残されている。招致委員会幹部が「他の候補都市の情報、IOCの情報、スケジュール、会議の出席者はどうなっているか等の情報が欲しい。スイスに専門的なマーケティングの会社がある。これと接触している。情報機関とのパイプが必要である」と提案すると、猪谷千春IOC副会長(当時)は、「これはスタジオ6か」「その会社の社長の父はIAAFの副会長でサマランチ会長の個人的なアドバイザーである。プレゼンテーション等の仕方も熟知している。この会社の右に出る者はいない」と回答している。 「第7回長野冬季オリンピック招致連絡会議議事録」から  報告書では、長野五輪でスタジオ6による集票活動があったかどうかは不明と強調しつつも、BBCが04年に放送したある報道番組の内容が引用されている。  それは、BBCの記者がロンドン五輪招致を目論む企業の社員を装い、ゴラン・タカチ氏に接触したものだ。タカチ氏は「すべてはお金につきますね」「いま、ここにある(IOC委員のリストの)うちで、私が接触できる人を言うから」とほのめかし、30人以上のIOC委員の名前を上げたという。記者が取材であることを明かすと、タカチ氏は「自分たちの考えていることを本当にやったら、招致活動のルールに違反するのだよ、ということを披瀝するためのものだった」「汚職の現場にワナを仕掛けるためのものだった」と釈明していた。  一方、スタジオ6をめぐっては、こんな資料も残っている。この問題などを調査するためJOCは99年、「IOC問題プロジェクト」を発足。そのチームの委員のなかに、竹田恒和氏(事業・広報専門委員長)の名前がある。99年2月7日、JOCが招致委員会にヒアリングした際、竹田氏はスタジオ6に対する報酬について「成功報酬はいずれにしても問題はある」と発言している。  東京2020大会では、その竹田氏自身が招致をめぐるワイロ疑惑の渦中にある。招致委員会からシンガポールのコンサルタント会社に支払われた約2億3千万円が、IOC委員だったラミン・ディアク氏と息子パパマッサタ氏を通じて開催都市決定の投票権を持つIOC委員への買収工作に使われた疑いがあるとして、フランス司法当局はJOC会長だった竹田氏を聴取している。  長野五輪では、結果的に多くの疑惑が闇に葬られることになった。後藤さんは当時の経験から、今回の東京五輪についてこう指摘する。 「東京五輪でも必ず帳簿などの内部資料は存在します。公金だから残さなければならないものです。現在のJOCは長野の経験を引き継いでいますから、体質は変わっていないとみています」 (AERA dot.編集部 岩下明日香) <<前編『IOC貴族への過剰接待リスト 渡航滞在費は夫妻450万円、土産代計6300万円【長野五輪調査報告書・前編】』から続く>>
IOC貴族への過剰接待リスト 渡航滞在費は夫妻450万円、土産代計6300万円【長野五輪調査報告書・前編】
IOC貴族への過剰接待リスト 渡航滞在費は夫妻450万円、土産代計6300万円【長野五輪調査報告書・前編】 「長野県」調査委員会の報告書から。「IOC委員招待費」には長野訪問後に京都観光を含めた予算があった  東京五輪で来日する国際オリンピック委員会(IOC)の幹部が宿泊するホテルの宿泊料について、招致委員会の求めに応じ「IOCが全額負担することになった」と朝日新聞が報じた。IOCは「四つ星~五つ星のホテルを1600室、33泊確保すること」を開催都市契約に付随する要件で義務付けているといい、IOCの“金満体質”に改めて注目が集まっている。  23年前に開かれた長野冬季五輪(1998年)では、招致、大会実施の過程でIOC委員への度を越した接待が行われていた。AERA dot.編集部は長野冬季五輪招致における不正について追及した「長野県」調査委員会の膨大な報告書全文(2005年11月)を入手。報告書には、県の交付金などを原資とした金の使い道や、招致委員会の会計帳簿が処分された事実、使途不明金約9000万円の発生、IOC委員たちへの過剰な接待を裏付ける資料など、腐敗した五輪招致活動の驚くべき実態がまとめられていた。調査メンバーの一人だった後藤雄一さん(71歳、元東京都議会議員)に資料を読み解いてもらった。前編ではIOC貴族への過剰接待を徹底検証する。 <<後編『招致“ワイロ”や帳簿廃棄…竹田前JOC会長が疑惑調査の皮肉【長野五輪調査報告書・後編】】』に続く>> *  *  * 「長野県」調査委員会は、長野五輪後の2000年に長野県知事に就任した田中康夫氏が設置した第三者機関だ。報告書は、1年9カ月の調査を経て05年11月に田中知事に提出された。  後藤さんはこう語る。 「長野五輪招致の時、誰がどのIOC委員に何をプレゼントしたかを示す贈呈品リストが残っていました。IOC委員が、自分たちを貴族だと勘違いしているのは、そう思わせるかのように周りがおだてているから。ホテルや飛行機、ヘリの手配だけでなく、行けば何かもらえる、最高級のものを食べられるといった、鴨が葱を背負ってくるようなものでした」 「IOC委員等に渡した招致物品一覧表」。「長野県」調査委員会の報告書から(以下同)  報告書には、調査委員会が入手した「IOC委員等に渡した招致物品一覧表」が資料として残されている。このなかにあるのが、後藤さんが指摘した贈呈品リストだ。  一覧表から例をあげると、ファン・アントニオ・サマランチIOC会長(当時)の項目には、「88-10/17~10/19(東京)」「ビデオカメラ・香炉・有田焼・法被」が送られ「市長」が対応した、とある。ほかにも「ハンドバック」「時計・浮世絵・スカーフ」など、7回にわたり物品を送ったことが記載されている。のべ91人の委員に対して、複数回にわたるお土産品が被らないように、いつどこで何を誰が渡したのかが、細かく記載されている。  一覧表(期間は88年6月~89年11月)のなかで、招致委員会が最もお土産を渡していたのは、スイスのマーク・ホドラー委員。回数は11回にわたり、カメラ、ビデオカメラのほか「青磁の壺」などが贈呈されており、同委員会は「計23万3400円に相当する」と試算している。  また、89年度の「長野冬季オリンピック招致委員会年度別予算(案)」には、IOC委員訪問時のお土産代として一人10万円、45人分の450万円が組まれていた。その他にも、「国際大会および国際会議での招致活動(国外)」では、一回につきIOC委員に渡すお土産を一人5万円としているほか、IOC委員に個別訪問した時には一人10万円のお土産を持参する方針を立てていた。報告書は、88~91年度までにIOC委員へのお土産代として約6304万円もの予算がついていたとまとめている。  後藤さんによると、当時判明した贈呈品の中身はごく一部だったという。 「本来IOC委員は過剰な贈呈品などを受け取るべきではない立場なのに、資料から、みんなにおだてたてまつられていたことがうかがえました。委員のために高級ワインの銘柄までチェックしたメモまでありました」某ホテルの名前が入った便せんに書かれたメモ「高級白ワインリスト」(平成3年4月30日付)  贈呈品だけでない。IOC委員は来日時、厚いおもてなしで迎えられていた。  多くのIOC委員は夫人同伴で来日していた。夫妻一組につき渡航費として平均約210万円、別途「国内関係費」として長野訪問だけで平均247万円が予算に組まれており、あわせると約450万円。長野を訪問した後に京都観光を案内するIOC委員夫妻には平均349万円の予算がついた。同委員会の調べによると、京都観光には数名が招待に応じ、「お茶屋での舞妓さんの踊り」などを堪能したとされる。  90年8月のIOC東京総会の際には、IOC委員の夫人たちのために、日本橋三越でのショッピングが企画された。招致委員会が宿泊先のホテルと三越間のシャトルバスの運行や割引券までサービスし、長野県職員が付き添っていたことがうかがえる資料も残されていた。 「三越ショッピング」という文字が見える(編集部で写真を一部加工。以下同)  過剰接待ぶりが際立つのが、91年1月、開催候補都市の現地調査のためにホルスト・ソレンセンIOC委員を筆頭とする7人が長野を訪れた際だ。  ソレンセン委員は来日前、「旅費はIOCが負担するので、招致委員会には宿泊費だけを負担してほしい」という趣旨の文書を送っていた。だが、実際には、宿泊費だけでなく、航空券やヘリコプター代、レセプション費、ホステス謝礼などを招致委員会が負担した記録が残っている。その総額は2880万円に及んでいた。この時、ソレンセン委員の夫人も同行しており、夫人にかかる費用も負担。調査後には夫妻のために宴席を設け、宿泊代などを含め、別途約310万円をかけてもてなされたと、報告書はまとめている。 「平成2年渉外小委員会」におけるメモの一部  こうした招致活動を巡る過剰接待が明らかになったことを受け、IOCの広報部長(当時)は2006年、「IOCは貴重な教訓を得て、招致のシステムを刷新した。調査は既に完結しており、過去のこととして線を引いている」と述べ、新たな調査は行わないことを明らかにしている。  それから十余年。東京五輪を前に、IOCは「過去」と決別できているのだろうか。五輪を研究する米パシフィック大学のジュールズ・ボイコフ教授は「五輪貴族は快適なジェット機で飛んできて、五つ星ホテルで優雅に滞在し、祭典が終われば帰るだけ」と、IOCのあり方を厳しく批判している(6月3日、朝日新聞)。  後藤さんはこう語る。 「今度の東京五輪でも、IOC委員は競技に出るわけでもないのにわざわざやってきます。IOCの連中は、いまでも貴族のままです」 招致委員会からJOC委員10人に対し「JOC委員活動費」として1人あたり50万円計500万円が支給予定であったことを示すメモ (AERA dot.編集部 岩下明日香) <<後編『招致“ワイロ”や帳簿廃棄…竹田前JOC会長が疑惑調査の皮肉【長野五輪調査報告書・後編】』に続く>>
村上春樹が明かす安西水丸との日々「うちの猫に震えあがった」
村上春樹が明かす安西水丸との日々「うちの猫に震えあがった」 延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)  TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。村上春樹さんと観た「安西水丸展」について。 *  *  *  安西水丸さんのイラストが表紙の週刊朝日99周年号(今年2月12日号)は、僕のラジオ局でも話題になった。2014年に亡くなった水丸さんが村上春樹さんの連載『村上朝日堂画報』で描いた挿絵だ。懐かしい。ほのぼの。おおらか。発売日以降その号を買おうにもどこも売り切れだった。 「このイラストにある『カンガルー日和』の装丁はもともと佐々木マキさんが描いたもの。それを水丸さんは模写している」と説明してくれたのは村上春樹さん本人だ。  緊急事態宣言下、特別の許可を得て世田谷文学館の「安西水丸展」にご一緒した。  展示会のカタログに「ぼくと3人の作家」の章があり、春樹さんとの間柄を「互いのことを『兄弟のようだ』」という水丸さんの言葉が載っていた。ちなみに村上作品にたびたび登場する「ワタナベノボル」や「渡辺昇」は水丸さんの本名である。 「こっち、こっち」と春樹さんに呼ばれるたびに、とっておきのエピソードを知ることができた。  いかにも郊外の線路の風景。読みかけの本を傍らに、猫をお腹に乗せてレールに寝転び「線路に寝転んで日なたぼっこをして楽しんだ」と言う春樹さんに「そんなことをしてるとトマトケチャップになりますよ」と水丸さんが呼びかける絵は「国分寺に住んでいた頃(昭和49年か50年あたり)」だという。 「国鉄中央線と西武国分寺線の間に住んでいて、国鉄がストになるとここまで静かだったんだとレールの上で猫と遊んだことを週刊朝日に書いたら、こんな挿絵を描いてくれた」 『螢・納屋を焼く・その他の短編』の表紙ではイラストではなく「字」だけをお願いしたそうだ。「水丸さんの字が好きだったからね。でも水丸さんがずいぶん緊張して。結局、最初に書いたメモが題字になったみたい」と春樹さん。 「ある店で絵とサインが入った色紙を頼まれた水丸さんは1時間待たせてからささっと書いた。『簡単に描けると思われたら嫌だ』。そんなことを言っていた(笑)」 『うずまき猫のみつけかた』や『ふわふわ』など、猫にまつわる春樹さん本の装丁も手がけたが、「実は猫が苦手。うちの猫がそれを見破ってわざと水丸さんの手に自分の前足を置いた。そうしたら震えあがってね!」  水丸さんが着ていたLeeのデニムジャケットとチノパンも展示されていた。いつだったか四ツ谷駅でお見かけした時と同じ格好だ。安西水丸著『東京美女散歩』の愛読者の僕は、これから美女探検にでも出かけるのかなと後ろ姿を見送った。 「とにかく女性にもてる人だった。『どうしてこんなにもてるんだろう』と驚きあきれるくらいもてた。いつもまわりにきれいな女性がいた。でもそれと同時に彼は、会うたびにいつも奥さんの話をした。酒が入ると、『うちの奥さんはとても素敵な人なんだよ』と真剣にのろけていた」(村上春樹「描かれずに終わった一枚の絵─安西水丸さんのこと─週刊村上朝日堂特別編 週刊朝日2014年4月18日号)  愛妻家の水丸さんは天国でもスケッチブックを携えてあちこち散歩しているに違いない。あのチャーミングな笑顔で。 延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞 ※週刊朝日  2021年6月18日号
眞子さま、小室さんが参考にすべきはノルウェー王室のスキャンダル克服法 「国民への誠実さが大事」と専門家
眞子さま、小室さんが参考にすべきはノルウェー王室のスキャンダル克服法 「国民への誠実さが大事」と専門家  眞子さまと小室さん(c)朝日新聞社 代表撮影  秋篠宮家の長女、眞子さま(29)との結婚が暗礁に乗り上げた小室圭さん(29)。国民の大反発を乗り越えて王族と結婚した好例として引き合いに出されるのが、ノルウェーのメッテ王妃だ。  実はノルウェー王室は「お騒がせロイヤル」の宝庫。恋人と怪しげな商売に手を出し批判を浴びた王女もいる。「お相手」問題で批判を受けながらも国民人気の落ちないノルウェー王室と敬愛を失いかねない危機にある日本の皇室。二つのロイヤルの決定的な違いを専門家が明かす。 *  *  * 「君は、いまの皇室をどう思うんだ」   記者が夜回りに行くたびに、皇室医務主管をにあった金澤一郎氏(故人)は、何度もそうたずねてきた。皇室やそれを支える幹部らは、「人びとが皇室に対して何を思っているのか」を、熱心にくみ取ろうとしていた。  平成から令和に移り、コロナ禍で公務はオンラインがスタンダートとなった。皇室が人びとの手を握りしめ、同じ目線で相手の表情や体温を感じる機会は、ほぼなくなった。皇室と国民の間には再び、菊のカーテンがひかれてしまった。  眞子さまの結婚問題で、国民の怒りは一向におさまらない。天皇や皇族方に仕えていた人物は、こう話す。 「悲しいことだが、いまの皇室は、国民の失望や怒りに対して向き合っているといえるのだろうか。国民の目を見て話し合おう、という『心』を皇室や宮内庁から感じることが出来ない。人びとの批判がやまないのは、人びとがそう、感じているからではないでしょうか」 東日本大震災の避難所となった宮城県山元町の山下小学校を訪れ、被災者に声をかける両陛下 2011年6月 (c)朝日新聞社 (代表撮影)  いまの皇室と同じように、多くの国民が結婚にNOを突きつけ、結婚式のボイコットさえ呼びかけられたどん底の状態から国民の信頼を勝ち得た王室がある。  王室人気の高いことで知られる北欧、ノルウェーだ。ハラルド5世国王(84)の長男、ホーコン皇太子(47)の妻メッテ・マーリット皇太子妃(47)をめぐり、スキャンダルがさまざま巻き起こった。  皇太子は96年にノルウェー南部のロックフェスティバルでメッテ・マーリットさんと出会う。当時、彼女は息子のマリウス君を妊娠中。前夫との離婚後、ウエートレスや農家のアルバイトで生計を立てていた。   ノルウェー王室の皇太子一家 中央から時計回りに長女のイングリッド・アレクサンドラ王女、スヴェレ・マグヌス王子、ホーコン皇太子、メッテ妃、マリウス2019年(C)Getty Images  4年後に皇太子は、彼女との交際を宣言して、親子ともにマンションで一緒に暮らし始める。国民は、「王室の品位を落とす」と非難を浴びせ、王室廃止を叫ぶ団体が結婚の祝賀行事のボイコットを呼びかけた。  おまけに、マリウス君の父親が麻薬中毒で服役中であることや、メッテさんもドラッグパーティーに出入りしていた過去が暴露され、王室の支持率は9割から4割まで落ち込んだ。  状況を変えたのが、彼女自身が会見でみせた誠実な対応だった。01年、挙式を3日後に控えたメッテさんは記者会見で、涙ながらに謝罪して言葉を継いだ。 「残念ですが、どんなに変えたいと思っても過去は変えられません。でも、未来は変えることができます」  若者たちはふたりの熱愛を歓迎し、支持率は回復。父のハラルド国王も、「若い世代は自分の生き方を自分で見つける権利がある」と応援した。オスロの大聖堂で挙げた挙式には、欧州各国の王族に加え麻薬・売春からの更生者など800人が参列した。  涙の会見から20年の歳月が流れた。不倫疑惑が持ち上がったり、ぜいたく品を購入し過ぎだとの批判もあったが、メッテ妃は公務の実績を積み国民との信頼関係を築いてきた。2018年に治療法が確立されていない肺の難病であると公表。 「できる限り公務に参加することが私の目標だ」   この決意表明によって、再び注目を集めた。 ノルウェー王室のマリウスと恋人とのショット 本人 Instagramより  そして連れ子のマリウス・ボルグ・ホイビーは現在24歳。王位継承権も王子としての称号も持たない王室メンバーだ。メッテ妃は、成人を機にマリウスは公務には参加しないと宣言した。    皇太子とメッテ妃の間に生まれた異父妹の女王、王子とも仲良く過ごしている。絹のような金髪と端正な顔立ちの美青年マリウスも、注目を集める存在だ。  3年前には。モデルで恋人のジュリアンとのキス写真をインスタグラム(Instagram)で公開。ジュリアンは米雑誌『プレイボーイ』にトップレス姿や露出度の高いグラビアを載せていたため、王室メンバーの相手として「ふさわしいのか」と批判を浴びるが、若い2人は、さして気にする風でもない。  昨年は教会で行われた弟王子の堅信式に、彼女を同伴で出席。親も公認の交際だと見られている。   「お騒がせロイヤル」の宝庫、ノルウェー王室。国じゅうを騒がせているのは、国王夫妻の長女でホーコン皇太子の姉、マッタ・ルイーセ王女(49)と恋人のスキャンダルだ。  ルイーセ王女の皇位継承権は第4位。昔から妖精やおとぎ話が大好きで、「不思議ちゃん」として、有名だった。  長ずると、ホメオパシーやスピリチュアルに傾倒。そうした「治療」を行う「天使の学校」を設立して、医学会から批判を浴びる騒ぎも起こした。  ノルウェーの王室メンバーは、選ぶお相手も個性的だ。王女は、作家で芸術家の夫と3人の娘と一緒にロンドンで暮していたが、平穏とは言い難い生活だった。全裸の男性や女性と一緒にポーズをとった夫の写真は2012年、新聞に大きく掲載されて注目を集めた。    この個性的な夫婦は16年に離婚するが、国民の評判はそう悪くない。王女と芸術家の元夫が、「私たちも人間だ」と訴える姿に、国民は心を打たれたという。 ルイーセ王女とシャーマンの恋人 本人Instagram より 「お騒がせロイヤル」の国民は、感動の余韻に浸る間もない。離婚からわずか3年で、ルイーセ王女は新恋人と交際宣言をした。お相手は、なんと死者と対話できるというシャーマン(霊媒師)の米国人だった。斬新ではあるが、法に触れるような問題がなければ、お相手選びは王女の自由だ。 その先がいけなかった。  ルイーセ王女は、霊媒師の恋人デュレク・ベレットと一緒に、「王女とシャーマン」と題した有料の講演ツアーを主催し出した。もちろん、「王室の肩書をビジネスに利用した」、と批判を浴びた。王女は結局、「王女」の肩書を商売に利用しないと、SNSのインスタグラムを通じて謝罪した。  王女は、どのような形でけじめを示したのか。  出した結論は、インスタグラムを使い分けることで「公」と「私」を線引きし、けじめをつけたのだ。つまり、王室メンバーとしての「プリンセス・ルイーセ」と、個人である「ルイーセ」。この2つのアカウントを使い分けることにしたのだ。 ノルウェー訪問 オスロ市庁舎で美術品を鑑賞する上皇ご夫妻。美智子さまの後ろがホーコン皇太子とメッテ妃 2005年 (C)朝日新聞社(代表撮影)  王室人気が高く、王室がSNSを積極的に使うノルウェーならではの手段で、日本とは感覚は違うように思えるだろう。だが、眞子さまと小室さん問題の対応では感じることができず、ノルウェー王室には感じられたものがある。 「国民に対する誠実さであり、正直さでしょう」  こう話すのは、象徴天皇制を研究する河西秀哉・名古屋大准教授(歴史学)だ。 「たしかに、欧州王室と日本の皇室は前提が異なる部分があり、単純に比較はできません。またノルウェー王族のふるまいも、日本では想像できないほど破天荒です。しかし、メッテ妃もルイーセ王女の件でも一貫しているのは、国民に向き合う正直さ。そして、過ちがあれば素直に認め、理解してもらおうと努力を続ける姿勢です」  必ずしも、計算がないとはいえない。だが、戦争と外交に明け暮れた歴史を持つ欧州王室が、駆け引きに長けているのは当然だ。 「メッテ妃の記者会見も一世一代の大勝負であり、人生をかけた大舞台であった。ルイーセ王女が、SNSを通じた謝罪やけじめのつけ方は、『軽い』というより、最も国民感情に訴える方法だと判断したのでしょう。日本の場合、ロイヤルに求める品位や節度、伝統への思いはさらに強い。そうした、皇室に敬愛を持つ人びとの存在が皇室を守ってきたのだと思います」(河西さん)  眞子さまと小室さんの結婚問題では国民とのズレを埋めるべく、宮内庁長官ら幹部がハンドリングを試みたものの空回りに終わった。ふたりは、天皇と秋篠宮さまから、トラブルを抱える恋人との結婚について、「国民の納得と祝福」という条件を課された。 「問題は小室さんの世代には、そうした日本人が大切にしている常識や完成が通じないという点です。民間のセレブと同じように、『理解して貰わなくてもいい』という姿勢が透けて見える限り、人びとが祝福をするのは難しいでしょう」(河西さん)  皇室や宮内庁が国民に向き合い、双方を隔てるカーテンを開けることはできるのだろうか。 (AERAdot.編集部 永井貴子)
元関東連合幹部が語る「アウトロー系YouTuber」増加の背景 動画が原因で「事件」に発展したケースも
元関東連合幹部が語る「アウトロー系YouTuber」増加の背景 動画が原因で「事件」に発展したケースも 元関東連合幹部の柴田大輔氏。「工藤明男」の名義でTwitterでも発信している。https://twitter.com/kudouakio (撮影/写真部・松永卓也) アウトローと呼ばれる経歴を持つ人たちがYouTuberとしてデビューするケースが増えている。暴力団、半グレ、チーマー……その過去はさまざまだが、かつての「不良」たちが顔と名前を表に出して動画に出ている風景は、昔では考えられなかったことだ。今、こうしたアウトロー系YouTuberが次々と現れている理由は何か。世間を騒がせた半グレ組織「関東連合」の元最高幹部であり、IT動向にも詳しい柴田大輔氏にその背景を聞いた。 *  *  * ――ここ最近、元暴力団や半グレなどいわゆる「アウトロー」だった人たちがYouTubeチャンネルを開設する動きが活発になっています。柴田さんはこの現象をどうみていますか。  アウトロー系に限らず、YouTubeをやる人の動機は主に3つに集約されると思います。(1)収益(2)承認欲求(3)自己の記録です。この3つのうちどこに比重を置くかは人それぞれですが、多くのアウトロー系YouTuberの目的は「収益」でしょう。つまり、YouTubeは儲かると思っているからやっている。その背景には、元不良としてかつてのように注目されたい、あるいは“言わずにはいられない”などの動機もあるかもしれませんが、やっぱりおカネにならなければ、わざわざ動画配信なんていう面倒なことはやりません。  なぜかといえば、もともとアウトローとして「表」に出ないことを矜持としてきた人間が、YouTubeで顔や名前をさらして昔のケンカ自慢をしたり、武勇伝を語ったりしても、普通はデメリットしかないからです。今やっている仕事に悪影響が出るかもしれないし、家庭があれば妻子が白い目で見られるかもしれない。そういうデメリットがあっても続々と参入してくるほど、いまアウトローは“メシが食えない”のです。  実際にチャンネルを始めたアウトローの中には、昼は肉体労働をしている人間もいます。でも、不良時代にはそこそこ名前が通っていた連中からすれば、過去の名声と現在の収入が釣り合っていないと感じてしまう。そんなとき、いま流行のYouTubeをやって儲けている奴がいると聞けば、「じゃあ俺も一花咲かせてやる」と思うんでしょう。 柴田氏はIT事情にも詳しい(撮影/写真部・松永卓也) ――現状では、元暴力団員で海外の刑務所に服役経験があるホーミーKEI氏の「KEI family」(チャンネル登録者数=24万8000人)、関東連合とも関わりがあり作家活動もしている瓜田純士氏の「瓜田夫婦」(18万3000人)、元暴力団組長だった油山真也氏の「ゆやまチャンネル」(12万人)などはチャンネル登録者数が10万人を超えています(6月8日時点)。その他、タイマン無敗という伝説を持つ久保広海氏の「タイソンチャンネル」、11回の逮捕歴があるダルビッシュ翔氏の「ワルビッシュTV」、宇田川警備隊というチームの総長だった小山恵吾氏の「KEIGO COYAMA」などもどんどん伸びて4万~5万人近い登録者数がいます。今年4月からは、有名地下格闘技にも出場した元KGB(チーム名)幹部の内藤裕氏や、中国残留孤児の2世を中心とした半グレ組織「怒羅権」の創設者である佐々木秀夫氏なども参戦して、群雄割拠という状況です。すでにYouTubeだけで生計が立てられるくらいの収益がある人もいそうです。  わかりやすいところで言えば、多くのアウトロー系YouTuberが目指しているのは、格闘家の朝倉未来くんのようなチャンネル(登録者数180万人)でしょう。でも、彼は元不良ではあっても「格闘家枠」なのでカテゴリーが違います。ゆえに広告収入の入り方も異なります。  YouTubeの1回再生あたりの広告収入は0.3円~0.48円が相場とされています。0.48円取れるのはゲーム実況など広告クライアントとの親和性が高い分野で、アウトロー系は底辺に限りなく近い。あと、今は8分以上の動画だと途中でミッドロール広告が挟み込めるので、その収入が加味されます。概算の予測ですが、瓜田のチャンネルで月に60万円~80万円くらいの収益だと思います。  それなりに安定して高い収入を得ているとも言えますが、ここからいくら再生回数を増やしたとしても、アウトロー系の動画には企業広告が入らないのでスケール(規模の拡大)しないという決定的な欠点があります。たとえば、カリスマYouTuberならば、動画の中に商品を映り込ませておくだけでクライアントから年間5000万円の広告料が入るなど、「企業案件」で収益を一気に拡大することができます。アウトロー系はこれが見込めないので、ビジネスとしては限界がある。そこがわかっていないアウトロー系YouTuberは多い気がします。 柴田大輔氏(撮影/写真部・松永卓也) ――アウトロー同士がお互いのチャンネルに出てコラボする機会も多いような気がします。これは、かつてアウトローとして名をはせた者同士の連帯感というか、仲間意識のようなものなのでしょうか。  実社会では不良同士の上下関係があって「先輩が来いといえば絶対に行く」みたいな世界がありますが、コラボに関してはアウトローの文化というよりもYouTubeの作法だと思います。実際に仲がいいのか悪いのかはわからないですが、はじめしゃちょーとヒカルがコラボするようなものです。  アウトロー系のなかでは、ホーミーKEIさんが番組にいろいろな元不良たちを出演させて、露出する機会を与える役割にもなっています。KEIさんは、自身のアウトロー人生がマンガ化されたり、問題を抱える子どもたちを支援するNPO法人などもやっていて、YouTubeも収益目的というより、そうした活動の延長線上なのかもしれません。実際、KEIさんは、YouTubeの作法をよくわかったうえでやっていると思います。タイソンもKEIさんの支援を受けて本を出版してYouTubeもやるようになった。油山さんもKEIさんを慕っているようですし、中心的な存在であることは間違いないでしょう。 ――その一方で、瓜田氏は動画でKEI氏にかみつくような発言をしたり、それに油山氏が仲裁に入るような動画を出したり、YouTube上での“バトル”も発生しています。さらに、その瓜田氏の言動に怒ったタイソン氏が実際に脅迫めいたメールを瓜田氏に送ったとして逮捕されるなど「事件」に発展した例もあります。このあたりはアウトローならでは血の気の多さなのでしょうか。  これはもうYouTubeのリテラシーの問題です。YouTube上のバトルって、シバターVSラファエルのように、基本的には筋書きのある「プロレス」です。KEIさんをめぐる騒動も、油山さんくらいまでは「プロレス」だったと思います。瓜田はKEIさんをディスったところで実害があるわけじゃないし、油山さんも流れの上では乗るけど実際に何かするわけではない。暗黙の不可侵条約みたいなものがあったはずです。でもタイソンなんかはまだYouTubeに慣れてないから、本気になって実力行使に出てしまう。 柴田大輔氏(撮影/写真部・松永卓也)  最近はまた瓜田の動画での発言に対して、内藤裕くんが怒って「実際にリングで勝負する、しない」の話になっていますが、本来の目的から離れてしまっています。収益化が目的でYouTubeを始めたはずなのに、いつの間にか「不良として引けねえ」みたいな感じになってしまうのは、YouTuberとしてはまだ未熟です。不良をやめてYouTubeという“厳しい規制”がある世界に行こうとしたはずなのに、完全に趣旨がズレてしまっています。 ――他にも、小山恵吾氏のYouTubeでの発言が原因で元関東連合総長だったN氏が怒り、そのケンカ(口論)が実況中継されて炎上したこともあります。そこまでならエンターテインメントかもしれませんが、その後、N氏は小山氏の関係者に危害を加えようとしてトラブルになったと言われています。N氏はYouTuberではありませんが、YouTubeの発言が実際のトラブルに発展してしまうのは、やはりアウトロー系の特徴のような気がします。  Nは同年代でよく知っていますが、いくら小山恵吾が原因を作ったとはいえ、実際にトラブルを起こしたNが悪い。これは間違いありません。一方、小山恵吾は、実在する暴力団の親分の名前を出すなど過激な動画で注目を集め、過去にはYouTubeの規約に引っかかってBAN(アカウント停止)されたこともあります。発言もどこまでが本当かわからないけど、そんな危ないことを実名、顔出しで話す奴なんていないから、みんなが面白がるわけです。  当然、炎上状態となった2人のやりとりが中継された実況動画は、同時接続が約8000人という“神回”になった。その時はNがかなり酔っていて「次回はシラフで話す」というライブ予告までされたので、2回目も同接で約8000人。小山恵吾としては大満足でしょう。Nは瓜田の動画にも登場したりして、何がしたかったのかはいまいちわかりませんが、素人のアウトローがYouTubeに関わるとロクなことがないということです。 アウトロー系YouTuberの発言が発端で「事件」になったことも…(撮影/写真部・松永卓也) ――アウトロー系YouTuberのなかでもエンターテインメントとしての作法がわかっている「玄人系」と、まだ不良としての地金が出てしまう「アマチュア系」に分かれているということなのかもしれません。ある意味でそこがひとつの魅力であり、本当に「ガチ」のケンカがみられるかもしれないという期待が視聴者をひきつけている部分もありそうです。  まだ成熟していないから面白い、とは言えるかもしれません。マーケットもまだピークアウトしていないので、そこに向けていろんなアウトローが参戦してくる熱気というのは、しばらく続くかもしれませんね。  ただ、YouTubeの世界では不良の「格」は関係ない。「不良としては俺が上なのに、なんであいつの方が人気があるんだ」みたいな理屈で考えているうちは、まず成功しないでしょう。ローカルの狭い地域で有名になったくらいの不良が、YouTubeという大きなプラットフォームで戦うのは簡単じゃないことは理解しておくべきです。  それともう一つ、沖縄の暴走族がここ10年で激減したというニュースがありますが、理由はスマホが普及したからだそうです。バイクをいじるよりも、スマホをいじるほうがコスパがいいんだとか。つまり、今後もYouTubeがきっかけでリアルな事件が起きていくかというと、この沖縄の暴走族と同様、YouTube規約が厳しいことに加え、アウトローたちがYouTubeで好きなことをやることに充実感を覚えたりして、結局、リアルな争いよりも平和的な“プロレス的”争いに集約されていくんじゃないかと思います。 ――今後YouTubeにおける「アウトロー系」という市場はどうなっていくと思いますか?  元不良が個人として名前を出してやっていく今の形だと、3年後にはほぼ消えていると思います。  そもそも、マーケット自体がさほど大きくはなく、アウトロー系の実話誌などを熱心に読んでいた人たちがYouTubeに移行しているだけで、このパイが飛躍的に拡大することはないからです。 柴田大輔氏。丸太のような太い腕はアウトローだった名残を感じさせる(撮影/写真部・松永卓也)  また、アウトローは「演者」としてはどこまでいっても素人です。いま続々と参入しているテレビ出身の芸人やタレントには、絶対にかないません。そういう意味では、瓜田は演者として割り切っているし、スケールの限界はあるにしても「全国区」になれる可能性はあるんじゃないでしょうか。個人的に、好きか嫌いかは別にして(笑)。  それと個人的には、佐々木さんは、とにかく怒羅権のTOPの中のTOPで“本物”ですから、今後の展開に注目しています。ダルビッシュ翔も、自身の更生体験をいかして「反社」や「半グレ」と真剣に向き合っているので、単に武勇伝を語るアウトロー系とは一線を画していて、今後どうなるか……。 ――ここまで冷静な分析ができる柴田さんがYouTubeデビューしたら、成功できるような気もします。  いまのところ、やる意味がないですね。ツイッターをやっているだけでも変な奴に絡まれるのに、スケールしないYouTubeなんてやっても生活にデメリットしかありませんから。外側から見て、「もっとこうしたらいいのに」と思う程度にしておきます。(構成=AERAdot.編集部・作田裕史、取材協力=POWER NEWS・鈴木毅)
「また授かるよ」も苦しい 悪気ない言葉で傷つくことも 南明奈さん、濱口優さん夫妻が死産を公表
「また授かるよ」も苦しい 悪気ない言葉で傷つくことも 南明奈さん、濱口優さん夫妻が死産を公表 写真はイメージです(Sunil Ghosh/Hindustan Times via gettyimages)  産声も聞けないのに、陣痛を起こして亡くなった赤ちゃんを産む。 壮絶な死産を経験した家族が悪気のない励ましでさらに傷つくことも少なくない。AERA 2021年6月21日号は当事者や専門家に死産直後の心身の状況について聞き、赤ちゃんを失った家族を傷つける言葉を掲載している。 *  *  *  4月に妊娠を公表していたタレントの南明奈さん(32)が8日、死産したことを公表した。自身のインスタグラムに、夫でお笑いコンビ「よゐこ」の濱口優さん(49)と連名で、「ご報告がございます。私達夫婦に授かった命は、空へと戻りました。約7ヶ月という時間でしたが、私達家族は幸せでした。皆様から頂いた祝福の言葉が子どもの生きた証です」などと記した。 ■善意の暴力でいっぱい  インスタグラムには公表から1日余り経った9日夜までに約7500件のコメントが書き込まれた。どれも南さんの悲しみに寄り添い、励まそうとする内容に見えるが、5年前に妊娠7カ月で死産した東京都内の女性(42)は「善意の暴力でいっぱいで見ていられない」という。 「『忘れ物を取りに戻っただけ』『また授かるよ』『前を向いてね』とか、私も周囲から言われ、ナイフのように心に突き刺さりました。なぜお空に帰ったのか、あの子の気持ちを知りたくて苦しんでいるのに勝手に代弁されて嫌だったし、次の子の話は亡くなった子が無視されているようでつらかった。心身に大きなダメージを受けているということをもっと想像してほしい」  死産とは妊娠12週(4カ月)以後に、おなかの中で亡くなった赤ちゃんを出産することだ。南さんがどのようなお産だったかはわからないが、現在も多くの死産は人工的に陣痛を起こして産む。産声を聞くことができないのに、痛みと悲しみに耐えながら出産し、産後の体が回復しないまま葬儀の手配や役所への死産届の提出など手続きに追われ、火葬場で小さな骨になったわが子を拾う。確かに命は存在したのに、戸籍にも残らない。  厚生労働省の人口動態統計によると、2019年の死産数は1万9454。出生数は86万5239なので、2・2%、約50人に1人が死産だ。妊娠22週以降の死産の原因をみると、赤ちゃん自身の病気は2割強。そのほかは常位胎盤早期剥離やへその緒のトラブル、感染症などで、25%は原因不明で、予測がつかず、突発的に起きることが多い。 ■誰にでも起こる可能性  自身も子宮内胎児死亡の経験のある産婦人科医の藤田聡子さん(くすの木レディースクリニック北千住院長)は言う。 「赤ちゃんを亡くし、自分を責めてしまう方はとても多いです。私自身も『もっと健康的な生活を送っていたら助かったのではないか』と思ったことがありました。でも、まず関係ない。誰にでも起こる可能性があります」  千葉県内の女性(40)は6年前に死産して以来、芸能人が妊娠を公表するたびに「出産まで何が起こるかわからないのに、大丈夫か」と考えるという。  赤ちゃんを亡くした家族への心の支援を啓発する「Angie」共同代表の小原弘美さん(42)は、自身も41週で死産した経験から、こう話す。 「死産直後は出産後の体力低下もあり、心身の苦しさは壮絶なものでした。そんな時期は、どんな励ましの言葉も傷を深めることが多く、前を向こうとするだけで苦しい。特に、有名であるほどたくさんの言葉をかけられ、苦しさが重なると思います」  この時期に大切なのは「十分に悲しみ切ること」だという。 「悲嘆と向き合い、受け止めていくためにも、周囲の人は、本人の気持ちに寄り添い、亡くなった子の存在も認めてほしい」  死産の体の負担は、通常の出産と変わらないが、産後の支援体制は整っていない。赤ちゃんがいないため、保健師による訪問もないなど孤立する。厚労省は今年5月、自治体向けに流産や死産を経験した女性へ適切な施策を講じるよう通達を出した。 「医療者、心理職、福祉職などの専門職や当事者同士、家族・友人など様々な人が付かず離れずそっと見守ることが、その人の生きる力をつなぎ留めてくれると思います」(小原さん) (文/編集部・深澤友紀) ※AERA 2021年6月21日号から ■「傷ついた言葉」のリスト (『産声のない天使たち』より抜粋)  赤ちゃんを亡くした家族は悲嘆の中にあり、良かれと思って励ました言葉でも傷ついてしまうこともある。  不用意な言葉は赤ちゃんを亡くした親たちがますます孤独感を募らせていくきっかけになってしまうので、気の利いたことを言おうとせずに、ただ話を聞き、その悲しみに心を寄せるだけでいい。家族や親しい友人であれば、赤ちゃんのことを聞いていいか尋ねてみて、もし話したい様子だったら話題にし、名前があれば赤ちゃんの名前を呼ぶことも、親たちにとって救いになることがある。  以下のリストは、死産や流産、新生児死を経験した家族に取材しまとめた「傷ついた言葉」。受け止め方には個人差もあるし、死別後は心が不安定なので、そのときの心身の状態で受け止め方が変化することもある。 ・「元気そうで良かった」「もう大丈夫そうだね」 相手に心配をかけまいと気遣い、元気を装っていることも多い。こう言われると「やっぱりわかってもらえない」と距離を感じてしまう ・「また授かるよ」 次の子の話は亡くなった赤ちゃんの存在を否定されたような気持ちになる。次の妊娠・出産については不安がある人も多く、気軽に口にしないほうがいい ・「そんなに泣いていると亡くなった赤ちゃんが悲しむよ」 親たちの多くは、なぜ空に帰ってしまったのか、わが子の気持ちが知りたくて苦しんでいる。そんな中で赤ちゃんの気持ちを勝手に代弁するような言葉は、「他人のあなたにわかるわけがない」と心を閉ざしてしまうきっかけに ・「その気持ち、理解できるよ」 同じような経験をしていない人から安易に「理解できる」と言われると、わが子の死という体験が軽んじられたような気持ちになる ・「今回は縁がなかったんだよ」 いつまでも大切にしたいと思っているわが子とのきずなを断ち切られるような酷い言葉 ・「上の子がいるからいいじゃない」 亡くなったあの子の代わりはほかにはいない。子どもを失う悲しみは、他の子どもがいることで薄れるものではない ・「早く忘れなさい」 赤ちゃんを亡くした事実をないことにはできないし、我が子の死は生涯忘れることはできない ・「いつまで落ち込んでいるの」  我が子の死を受け止め、前を向き始められるには、決まった期間はなく、心身の回復にかかる時間も人それぞれ ・「神様は乗り越えられない試練は与えない」  自分自身で思う分にはいいが、他人に言われるとわが子の死を勝手に意味づけされ、と怒りを抱く場合も
やっぱり、ナマがいい!!  沢田研二“健在” ソロデビュー50周年ライブ  活動自粛から1年4カ月
やっぱり、ナマがいい!! 沢田研二“健在” ソロデビュー50周年ライブ 活動自粛から1年4カ月 約半世紀にわたり音楽シーンの最前線に立ち続けてきた沢田研二=今回のライブ以前撮影(C)朝日新聞社 開演直前のライブ会場外の様子=東京都千代田区、宮崎健撮影 再結成コンサートであいさつするザ・タイガース=2013年(C)朝日新聞社 熱唱する沢田研二。ドラムスは瞳みのるさん=2012年(C)朝日新聞社 ライブミュージシャンとして、一人の人間として表現活動を貫く=2011年(C)朝日新聞社  その男は、度重なる“引退説”をあざわらうかのように登場した。「週刊誌でよく言われてる、根強い人気の沢田研二」。自ら笑いを誘うと、長らく“禁断症状”に陥っていたファンはうれし泣き。やっぱり、スポットライトがよく似合う。ついにジュリーが、1年4カ月ぶりのライブを開いた。 「ザ・タイガース」でのデビューから54年、ソロ活動で50年。常に音楽シーンの第一線に立ち続けるロックスターのパフォーマンスは、この間のブランクをいっさい感じさせない強烈なパワーに満ちたものだった。  5月28日、ソロデビュー50周年記念ライブツアー「BALLADE」の幕開けとなる東京公演が、東京国際フォーラムであった。 「無事にこうして今日を迎えられたのは、幸運に幸運が重なりまくったということです」  新型コロナウイルスの感染拡大で昨年来、表立った芸能活動を控えていた沢田。実際、ライブのチケットは緊急事態宣言の前に売り出されていただけに懸念もあったというが、すぐに完売した。  活動自粛中は、ライブツアーの中止を余儀なくされ、さらにファンクラブを解散して事務所機能を縮小したことから、一部メディアからは引退説までも報じられた。  それだけに、ファンはこの日をどれほど待ちわびていたことか。実に、1年4カ月ぶりの晴れの舞台となった。 「こんな大変な時にこうして駆け付けてくださって本当にうれしいです」  その“復活”の瞬間を見守ろうと、集まった観客は約5千人。瞳みのるさん、森本タローさん、岸部一徳さんらザ・タイガースのメンバーの姿もあった。  ステージでの歌声を聴けば、ファンらの心配や不安はどこ吹く風。6月25日には73歳となる沢田に、そんな気はさらさらないことがすぐにわかった。声量みなぎるシャウトといい、よどみないMCの語り口といい、そのパフォーマンスは、声援が禁じられていた分、力のこもった拍手によって迎えられた。  開演前に長蛇の列となったライブは、厳しい入場制限や検温、消毒の影響で予定より25分遅れで始まった。  曲目はツアータイトル通り、バラードやミディアムナンバーを中心とした構成だった。これは収容人数についてフォーラム側と交渉するなかで、担当者から「ポップスやロックは50%までしかできないが、歌謡曲なら」という言葉を聞き出し、それを最大限に利用して収容率100%を実現するための選曲だったそうだ。  そんな苦慮があったとはいえ、「君をのせて」「追憶」「時の過ぎゆくままに」「渚のラブレター」など日本の音楽史を彩った名曲の数々と、沢田の熟成された歌声、それに寄り添う柴山和彦のギターのアンサンブルは聴く者をふるわせた。  なかでも印象的だったのは、ニュー・バージョンの「TOKIO」だ。原曲のポップさが取り払われて、コロナ禍で混乱が続く東京五輪・パラリンピックの開催を風刺するかのような鬱々としたアレンジ。歌唱からはさすがの“ロッケンローラー”ぶりが感じられた。  ライブを観覧していた森本タローさんは、力あふれる沢田のパフォーマンスに舌を巻いた。 「あの年で、あのステージングができるのはすごいですよね。デビュー前から五十数年も彼を見続けてきてるけど、年を経るごとに歌もMCも数段うまくなって進化し続けているな、と感じます」  インターネット上では緊急事態宣言下でのライブを危惧する声もあったが、森本さんとしては沢田の方針を応援したいという。 「いろんな意見があるだろうけど、1年以上もコロナ禍の自粛生活が続くなかで、ああやって大勢の人に元気を与えることができたというのは素晴らしいことだと思います。僕も久しぶりに大音量で音楽を聴けて、はつらつとしました。ファンのみなさんも、沢田の呼びかけ通りしっかり感染対策を守っていてすごいなと。いつもなら終わった後、タイガースのメンバーで食事に行くのですが、今回は僕たちも自粛して直帰しました」  今後の活動についても期待を寄せた。 「沢田はまだまだいろんなことができるアーティスト。これからも僕たちを楽しませてほしい」  同じくライブを見守った瞳みのるさんも、次のように語った。 「一言で言うと『圧巻』でした。ステージのブランクは1年4カ月あるのかもしれませんが、その間もずっと緊張感が続いていたんでしょう。そうでないと70代であんなシャウトやパフォーマンスはできません。コロナ禍を逆手にとって、しっかりトレーニングをしていたんじゃないでしょうか」  現在の沢田についてたずねると、「1960年代から音楽シーンを切り開いてきたパイオニアです。タイガース解散後、いったんは袂を分かって僕は教育者の道に進んだけど、沢田の活躍については『やってるな!』とひそかにうれしく思っていた。ひいき目じゃなく、今の彼は日本のポップス界の頂点にいるアーティストだと思っています」と絶賛した。  そのうえで「勉強家で、人におもねらず、自分の信じたことを貫き通す。そういう部分は10代の頃からちっとも変わっていません。僕が活動をするうえでもいいお手本、張り合いになっています。同じ思いを持つ同志として、また一緒にステージに立つ機会があればいいなと思います」と、心境を明かしてくれた。  J−POPのパイオニアであり、“一本独鈷”のアーティストでもある沢田をリスペクトする声は音楽界を含め、芸能界に根強い。  トシちゃんこと、田原俊彦もその一人。デビュー間もない時期から、著書やインタビューでたびたび沢田に対する尊敬を口にしてきた。 「沢田さんの生き方は、男として共感するところがありすぎですから。いまどんなステージをされているのか、この目で確かめに行ってきます!」  2019年に開かれた沢田の70歳記念ライブツアーに足を運んだ。  俳優の渡辺えりは、小学6年からのファンで、沢田と交流ができた今も頻繁にライブに通うという。 「意志もぶれず、歌もぶれない。一曲一曲を丁寧に魂を込めて、創り上げていく姿勢とサービス精神、そして毎回新しい努力を重ねつづける美しく光る星のような何か……。この輝く何かに惹かれている」とブログに思いをつづる。  あふれるジュリー愛を飛び越えて、「沢田研二論」なる文章を発表したのは、ダイアモンドユカイ。ローリング・ストーンズのキース・リチャーズと沢田を比較し、考察した。 「ジュリーも今新しいジュリーを作り出そうと戦っているのではないか。過去は確かに美しいものであるに違いないが大切なのは、今である! 今の自分のベストな表現を思い切り生きたいものだ! 日本のロックスターの先人(陣)を切るジュリーこと沢田研二さんから俺は目が離せない!」  こうした声は枚挙にいとまがないものの、それぞれに地位を築いた有名人たちが今も、奇をてらうことなく尊敬やあこがれを口にできる存在、それが沢田研二なのだ。  ビートルズやローリング・ストーンズにあこがれ、10代半ばで音楽の世界に飛び込んでから半世紀余り。  ふり返れば、沢田は“変わらない自分”であり続けるため、常に歩みをとめずに走ってきた。  人気に甘んじようとせず、当時としては異例だったメイクやコンセプトの凝った衣装、最新の音楽性を採り入れて、日本の歌謡界を切り開いた20代、30代。  テレビ出演をピタッとやめ、昔のヒット曲で露出することを自ら戒めた40代。毎年、新たなシングル、アルバムを制作し、「サービス心がない」「客が入らない」と揶揄されながらも、新曲を中心としたセットリストでライブを続けた50代。  そして、アイドル、タレントとしてではなく、一人の人間として表現活動を貫くために、批判を恐れず政治や思想にまで言及した60代。はた目には不器用に、時には奇行のようにすら映ったであろう彼の変化はすべて、変わらない自分──。つまり、現在進行形の沢田研二であり続けるためだった。  70代になった今、その生き方、信念が間違っていなかったことは、多くの人たちから共感され、注目されていることが証明していよう。  沢田は音楽を通して、時代と、世間と、そして自分との闘いを続けてきたのだ。  久しぶりの東京公演でも、歌い終えた後のMCで「ナマは違うでしょ?」と、ライブミュージシャンとして生きてきた自負をうかがわせた。  前妻の伊藤エミさん、加瀬邦彦さん、井上堯之さん、内田裕也さん、萩原健一さん、岸部四郎さん、そしてコロナ禍で命を落とした志村けんさん……。近年、何人もの恩人、友人に先立たれている沢田にとって、ステージに立ち、歌い続けることは何よりの心の支えであり、同時に“自己証明”にもなっているのだろう。  ライブでは、志村さんに代わって主役を務めた映画「キネマの神様」にも話が及んだ。志村さんの名こそ出さなかったものの、その後に熱唱したのは、「ヤマトより愛をこめて」だった。 「今はさらばと言わせないでくれ」  その滔々としたメロディーは、いつもよりなお哀調深く、胸に迫るものがあった。  沢田は8月に「キネマの神様」が封切りされた後は、京都、奈良、神戸、博多など西日本各地でのライブ開催も検討しているようだ。さらに、詳細は明かされていないが、新型コロナが収束したあかつきには「1年を通してやる仕事」というのも控えているらしい。  2時間近くに及んだライブの終盤、シングルではないがファンの間でよく知られた名曲「いくつかの場面」を披露した。46年前に河島英五さんから提供されたものだ。 「いつも何かが歌うことを支え 歌うことが何かを支えた」  この曲の歌詞ほど、沢田の波乱に満ちた音楽人生を如実に物語るものは他にない。  はからずも1年4カ月のライブ活動休止を強いられ、さまざまな臆測が飛び交った。しかし、ジュリーに“停滞”という言葉は似合わない。  ライブや映画だけでもうれしいが、できるなら新たなCD制作やさまざまな仕事にも挑んでほしい。まだまだ走り続け、ファンたちの心を最大限に満たしてくれることを期待したい。  森本タロー(もりもと・たろう)1946年11月18日、京都生まれ。1967から1971年までザ・タイガースのギタリストとして在籍。解散後は森本タローとスーパースターを経て芸映に入社。プロデューサーとして西城秀樹、岩崎宏美などを手がけた。「青い鳥」「色つきの女でいてくれよ」などの作曲者としても知られる。近年は再結成した森本タローとスーパースターでライブ活動を続け22年目を迎える。今年8月には加橋かつみ、岸部四郎をはじめ、かつてのグループサウンズのメンバー岡本信、アイ高野、真木ひでと、三原綱木らと共に活動したユニット「タイガースメモリアルクラブバンド」の1993年3月、中野サンプラザでのコンサートを収録したDVDを発売予定。  瞳みのる(ひとみ・みのる)1946年9月22日、京都生まれ。1967から1971年までザ・タイガースのドラマーとして在籍。グループ解散後、芸能界から引退。解散直後に高校(京都府立山城高等学校)に復学し、1年間の猛勉強で慶応義塾大学文学部に合格。文学部中国文学科を卒業後、同大文学部の修士課程を経て慶応高校で教壇に立つ。2011年に芸能界へ復帰し、ザ・タイガースのメンバーとも積極的に競演する。2021年9月20日には烏山区民会館(東京都世田谷区)でバースデーイベント『瞳みのるHa・Pee・y Birthday Event 2021 in Karasuyama』を開催予定。 (中将タカノリ) ※週刊朝日 2021年6月18日号に加筆
よゐこ濱口さんの優しさについて鈴木おさむが思うこと
よゐこ濱口さんの優しさについて鈴木おさむが思うこと 放送作家の鈴木おさむさん  放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、よゐこの濱口優さんについて。 *  *  *  よゐこの濱口さんとは、僕が21歳の時に知り合い、最初に電話番号を交換した芸能人です。  そこからライブを中心に、28年間のお付き合いがあります。「めちゃイケ」や「黄金伝説」などのテレビ番組も僕は作家としてやらせていただきましたが、1年半に一度行われるライブの構成もずっとやらせてもらってて、ライフワークの一つ。  本当の友達って会う回数とかが大事じゃない。僕にとって濱口さんは、仕事仲間であり、友達であり、親友だと思っています。  人の優しさって、中々比較できるものではないですが、僕の知ってる中で濱口さんは優しい。とてつもなく優しい人です。僕の知ってる人の中で一番優しい人です。  優しいというのは、ただ甘やかすとか、自分の主張をしないとか、そういうことではないです。濱口さんはああ見えて、自分のこだわりがしっかりしている。嫌なものは嫌だとはっきり言うタイプです。好きなものは好きだけど嫌いなものは嫌い。背骨がとてもしっかりしている。  濱口さんの優しさは、そっと寄り添ってくれるところにあると思います。あの「アハハハハ」という笑い声とともに、笑いながら寄り添ってくれる。  そんな優しさなんです。本物の優しさ。  優しい濱口さん。濱口さんと南明奈さんとのお子さんが、お空に戻ったという報告がありました。妊娠7か月だったそうです。  胸がキュっと苦しくなりました。うちも妻のお腹の中に出来た子供がお空に戻った経験があります。二度ありました。二度目は双子でした。  最初の時。妻が産婦人科に検診に行っていたのですが、なかなか帰ってこず。嫌な胸騒ぎがしました。そして電話が鳴った。妻が激しく泣いていた。それで何が起きたかわかりました。  妻を病院に迎えに行く。泣きながら病院を出て行く。  大きなお腹を撫でながら帰る人。生まれて間もない赤ちゃんを抱きながら入ってくる人。そして、残念なことになってしまった妻のような人。みな、同じ扉を通って帰っていきます。  泣きながら家に帰った妻。もう芸人として仕事出来ないかもと思っていました。  家に帰ってからもずっと泣いている妻。親に報告の電話をする。残念になってしまったことを。それから数日たって手術をしました。  悲しみの中にいる妻と一緒にいても、僕は何を言っていいかわからない。「がんばれ」なんて言えない。言っても意味がない。だから言葉が出ない。何をしていいかわからない。歯がゆい。自分の無力さを感じる。  手術をした翌日、栃木の実家から妻のお母さんが来てくれました。家に来て、あまり言葉は発さずに、カレーを作り始めました。妻が大好きだったお母さんのカレー。そしてそのカレーを食べた妻。お母さんは、再び栃木に帰っていく。  妻が再び起き上がり、前向きに進もうと決めました。きっかけは、お母さんのカレーでした。子供の頃からずっと食べてきたお母さんのカレー。  濱口さん。僕とは違うかもしれませんが、夫として、歯がゆさとか感じているかもしれません。だけど、濱口さんは優しいです。とてつもなく優しいです。  濱口さんの、そのとてつもなく優しい風呂敷を大きく広げ続けていれば、きっと、立ち上がり、その優しさの風呂敷に包まれ、また歩き出せる日が来ると、僕は願っています。  また、いつか。きっと。 ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中。バブル期入社の50代の部長の悲哀を描く16コマ漫画「ティラノ部長」の原作を担当し、毎週金曜に自身のインスタグラムで公開中。YOASOBI「ハルカ」の原作「月王子」を書籍化したイラスト小説「ハルカと月の王子様」が好評発売中
「生きて帰れるとは思わなかった」鈴々舎馬風(81)のコロナ闘病体験
「生きて帰れるとは思わなかった」鈴々舎馬風(81)のコロナ闘病体験 鈴々舎馬風 (OP写真通信社) クラウドファンディングでの寄付を呼びかける(左から)春風亭一之輔・柳亭市馬・春風亭昇太・三遊亭小遊三 (c)朝日新聞社  新型コロナに感染し、容体が案じられていた落語協会最高顧問、五代目鈴々舎馬風師匠が復活した。齢81にして「俺も、いよいよかな」と覚悟したという闘病体験を、臨場感たっぷりに話してくれた。 *  *  * 「朝、目を覚ますと、窓の外が明るいでしょう。まだ明るい光が見えるぞ。ああ、俺は生きていたんだなあ、と」  落語協会最高顧問の噺家、鈴々舎馬風師匠(81)が体調の変化を感じたのは、1月15日のこと。 「なんだかだるくて、熱っぽい。正月の疲れが出て、風邪ひいたんだろう、でも、2、3日休めば治るだろうって深刻に考えなかった。熱だって37度5分から38度の間だしね」  ところが17日夜に若手の落語家数人が新型コロナウイルス陽性者になったという知らせが。 「かみさんと娘にタクシーに押し込まれて、かかりつけの帝京大学附属病院に行ったんですよ」  同病院は師匠であった先代柳家小さんのかかりつけで、自らも50代で脳梗塞を患って入院以来、定期的に通っている。唾液や血液など一通り採取、結果は翌朝と言われ、念のために入院することに。 「入院もコロナもまさかでね。朝には家に帰れるだろうと疑いもしなかった。ところが、朝になったら看護師さんがすっとんできて、『陽性でした』。あとは防護服着たスタッフに連れられて、隔離病室へ。大きな赤いバッテンの描かれた鉄の扉の中へ送り込まれたんで、やばいな、と」  濃厚接触者となった妻の高子さんも陽性だったが、症状は軽く、自宅療養。携帯電話を家に置いたままの師匠は、誰とも連絡がとれず、医師や看護師はみな防護服なので、顔が覚えられないし、表情も見えない。孤独感がつのっていく。 「俺も、いよいよかな、子どもやかみさん、弟子に遺言を書いておこうと思ったよ。内容は感謝の言葉に尽きますよ。これまでありがとう、って」  しかし、体調は特に悪くも苦しくもなく、食欲もあった。食事は、スーパーでよく見かけるような弁当が供された。普段家では食べる機会がないのでめずらしくて、それなりに食べた。 「しかし、毎日三食これじゃ、飽きるよね。すぐに食べられなくなっちゃった。すると、その場で捨てるんだ。コロナ患者の弁当だから、たとえ手つかずでも捨てるんだね。ますます滅入って、気力がなくなって、ただ病室の白い壁をぼんやり見ていた。それでも病院ではかみさんに、『食欲もあり、お元気ですよ』って連絡してくれていたらしい。コロナ陽性者が元気も何もあったもんじゃないと思うけどさ」  そのころ、りんごが食べたいと言ったら缶詰のりんごが、続いて洋梨や桃の缶詰が食事に出た。 「だけど、そんなものばかり食べて、体も動かさないでしょう。ひどい便秘になっちゃってその苦しさったらないね。そのうちに、足が動かなくなった。筋肉が衰えて脚も腕もブヨブヨ。3歩先にトイレがあるってわかっていても、その3歩が歩けない。何かにつかまろうとしても腕に力がないからそれもできない。これまた苦しみだった」  そんななかで、心がけたことが一つ。主治医の目を見て話すことだ。防護服で顔をおおっていても、声はわかる。 「先生の目をじっと見つめたよ。俺の先がないと診れば、先生はきっと話すとき目を逸らすと思ったんだ。そしたら、先生も俺の目を見る。いつまでたっても、目を逸らすことがなかったので、俺は助かるのかなと」  些細なことにも希望をつなぎ、コロナからの回復を願った。隔離何日目か定かではないが、小さな錠剤が処方された。 「トランプ前大統領も飲んだ、って聞かされたね。高齢だし、糖尿病と腎臓の持病があるので、先生のほうが神経使ったと思うよ。日に3度のインスリン注射も欠かせなかった。おかげで、便秘と足以外は不安がなくなったから、もういいでしょうって言ったんだけど、まだ肺に影がありますって。結局、隔離病室を出たのは3週間後でした」  一般病棟に移ってから、ようやくなぜ感染したのか、これからどうしたらいいのか、思いをめぐらす余裕が出てきた。 「感染は、ちょっとの油断からだね。コロナがニュースになり始めたときから、家と寄席の往復だけ。緊急事態宣言に関係なく、寄席から帰れば玄関で着物脱いで、アルコールをこれでもかというくらいスプレーしてた。ところが、楽屋でマスク外してたんだ。それがいけなかったんだね」  不安だったのは、噺を覚えているかどうかより、自力で歩いて高座に上がれるかどうかだった。正座ができなくなったら、噺家も終わりだと常々思っていたから不安に駆られた。病室で理学療法士の指導を受けながら、屈伸や足踏み、歩行訓練を少しずつ始めたが、これで大丈夫だろうか、という不安は去らない。 「生きて帰れるとは思わなかった」という自宅へ帰ったのは入院から2カ月が過ぎた3月15日。玄関のたった30センチほどの段差が上がれず、ショックだった。それからは、病院にいたときと同じように屈伸体操や、ペットボトルを持っての腕の上下、歩行訓練などを続けた。疲れるとテレビで時代劇と大相撲観戦。 「相撲の照ノ富士に力をもらったね。大関だったのが序二段まで落ちて、また巻き返したでしょ。俺も頑張らなきゃって励まされたね」  4月下旬、3回目の緊急事態宣言が出されたが、それについて、加藤官房長官は定例会見で「ヨセキを含む劇場等に対し無観客開催を要請して……」と発言。寄席をヨセキとしか認識しない長官に、多くの噺家や関係者はショックを受けた。 「寄席の経営者はやってらんないよ。昼夜で出演者は約40人、お客さんは10人くらいしか入らない。この席料を寄席と出演者で半々にするんだから、経営が成り立つわけないやね。補償をしっかりしてもらわないことには」  休業・入場制限により、苦境に陥っている寄席定席を支援するため、5月中旬から落語協会と落語芸術協会が手を組み、都内5カ所の寄席への寄付金を集めるクラウドファンディングを受け付け、ファンからの支援が集まっている。このニュースに感謝する日々だ。それでも不安は残る。来春には弟子の鈴々舎八ゑ馬(やえば)さんの真打ち昇進が予定されている。 「その披露が、休業や入場制限なしで予定どおりできればいいけどね」  こんなときだからこそ、寄席を、笑いの文化を、大事にしていきたい、師匠の願いは切実だ。(由井りょう子) ※週刊朝日  2021年6月18日号
『鬼滅の刃』恋柱・甘露寺蜜璃が見つけた「真実の恋」
『鬼滅の刃』恋柱・甘露寺蜜璃が見つけた「真実の恋」 恋柱・甘露寺蜜璃(画像はコミックス「鬼滅の刃」14巻のカバーより) 『鬼滅の刃』は集団戦のバトル漫画であると同時に、キャラクターたちの心情が細かに表現されており、個々の「人生」がうかがえることも人気の秘密である。その中には「恋愛」もいくつか描かれているが、決して多くはない。そんな中で読者の心をつかんでいるのは、鬼殺隊実力者の「柱」である、甘露寺蜜璃と伊黒小芭内のエピソードである。蜜璃が「恋柱」である必然性も含めて、なぜ2人の恋が物語で重要だったのかを考察する。【※ネタバレ注意】以下の内容には、既刊のコミックスのネタバレが含まれます。 *  *  * ■『鬼滅の刃』の恋愛要素は多い?少ない? 『鬼滅の刃』には、鬼を殲滅するための「鬼殺隊」という組織がある。ここに所属する隊士たちは、日々、命をかけて鬼との戦闘を重ねているせいか、14歳から20代までの構成員が多いにもかかわらず、恋愛的なエピソードはあまり描かれていない。 本編では、主人公・竈門炭治郎(かまど・たんじろう)の妹・禰豆子(ねずこ)に対する我妻善逸(あがつま・ぜんいつ)の片思い場面が時々語られるが、その他の隊士たちの恋愛要素は「憧れ」「好意」くらいの範囲にとどまっていることが多く、物語本編の主軸にはなっていない。  そんななかで、鬼殺隊「柱」の男女2人が紡いだ恋のエピソードは「異色」と言える。 ■「恋柱」という異例のキャラクター  鬼殺隊の実力者「柱」には、岩柱、音柱、炎柱、風柱、水柱、蟲柱、霞柱、蛇柱、そして恋柱がいる。柱集合の初シーンは、コミックス6巻だ。この場面では、炭治郎が鬼を連れていることが問題になり、その処罰をどうするか話し合うための深刻な空気がただよっていた。にもかかわらず、恋柱・甘露寺蜜璃(かんろじ・みつり)は、頬を赤らめながら、ひとり、周囲の人たちにドキドキときめいている。 <伊黒さん 相変わらずネチネチして蛇みたい しつこくて素敵><冨岡さん 離れた所に一人ぼっち 可愛い><不死川さん また傷が増えて素敵だわ>(甘露寺蜜璃/6巻・第45話「鬼殺隊柱合裁判」)  蜜璃がほめているのは、通常であれば気性の荒さや、孤独さなど、一見するとマイナスの要素だ。しかし、蜜璃は冗談でも嫌みでもなく、他の柱の「柱らしい性格」、言いかえるならば、戦闘に日々集中している彼らを「素敵だ」と評価している。これには、蜜璃自身が柱であること、そして彼女の鬼殺隊入隊の動機が関連している。 ■蜜璃の鬼殺隊入隊の動機  蜜璃は、炭治郎に入隊の動機を聞かれた時、こんなふうに答えている。 <ん?私?恥ずかしいな~ えーどうしよう 聞いちゃう? あのね…添い遂げる殿方を見つけるためなの!!>(甘露寺蜜璃/12巻・第101話「内緒話」)  蜜璃は決してふざけて言っているわけではなかった。彼女は、通常の人間の8倍の筋力、成人男性をしのぐ腕力を持ち、相撲取り3人分以上の食事量をとった。髪と目の色が特殊な変化をしたこともあいまって、見合いで手厳しい言葉をあびたことがある。彼女は、自分が自分らしくあるために、そしてその恵まれた肉体を「他者を守るため」に使おうと、鬼殺隊に入隊したのだった。 ■恋に憧れる蜜璃  蜜璃は、自分の強さで他者を守りたいと考える一方で、同時に「普通の女の子」として、自分のことを愛してくれる誰かがいるのではないかと、「恋に憧れて」いた。強すぎる自分をそのままでいいよ、と言ってくれる相手がいるのではないかと、日々、鬼殺の任務に励みながらも、新しい出会いを待ち焦がれていた。蜜璃はいつも前向きで明るい。 <誰か来たのかしら 何だかドキドキしちゃう>(甘露寺蜜璃/12巻・第100話「いざ行け里へ!!」)  初登場シーン以降、蜜璃はたくさんの男性にドキドキしてきた。それだけでなく、蟲柱・胡蝶(こちょう)しのぶにすらも、キュンとしている場面がある。甘露寺蜜璃はまだ本当の恋のときめきを知らない。 ■蛇柱・伊黒小芭内の恋心  そんな蜜璃に、蛇柱・伊黒小芭内(いぐろ・おばない)は、以前からひそかに恋心を抱いていた。伊黒の気持ちは真剣そのものであったが、彼は、自分が強盗一家を出自に持つことを恥じていた。さらに伊黒の一族は、「蛇鬼」の支配と助力によって、財を成していた。 <甘露寺 俺は 人を殺して私腹を肥やす 汚い血族の人間なんだよ><屑の一族に生まれた俺もまた屑だ 背負う業が深すぎて 普通の人生は歩めなかった>(伊黒小芭内/22巻・第188話「悲痛な恋情」)  そんな伊黒の願いは、「何げない日常で」蜜璃と出会うことだった。そんな自分の願いを、伊黒は自嘲気味に「いや 無理だな 俺は」と否定する。伊黒は蜜璃に告白するつもりはなかった。 <まず一度死んでから 汚い血が流れる肉体ごと取り替えなければ 君の傍らにいることすら憚られる>(伊黒小芭内/22巻・第188話「悲痛な恋情」) ■伊黒と蜜璃の交錯する思い  見合い相手にののしられ、自分の魅力に自信がない蜜璃と、親族の女性たちに監禁され殺されかけた伊黒。彼らは文通をし、任務の間に、たまに一緒に食事をするくらいの関係だった。しかし、蜜璃は伊黒に少しずつひかれていった。伊黒の前の蜜璃は、なんのうそもない「本当の自分」だった。 <伊黒さんと食べるご飯が一番美味しいの だって伊黒さん すごく優しい目で 私のこと見ててくれるんだもん>(伊黒小芭内/23巻・第200話「勝利の代償」)  しかし、伊黒は、無惨との最終決戦で大きな傷を負った蜜璃を救った後、恋心も告げぬままに戦闘に戻ろうとする。そんな伊黒に蜜璃は「待って!!私も行く!!伊黒さん 伊黒さん嫌だ 死なないで!!」と叫んだ。それでも伊黒は振り返らない。心の中で、自分の気持ちをそっとつぶやくだけだった。 <もう一度人間に生まれ変われたら 今度は必ず 君に好きだと伝える>(伊黒小芭内/22巻・第188話「悲痛な恋情」) ■蜜璃と伊黒の「本当の恋」  鬼舞辻無惨との戦いは、大きな被害をもたらした。甘露寺蜜璃も、伊黒小芭内も最後まで死力を尽くし、戦いきった。勝利の後、彼らは残された短い時間の中で、最期の言葉を交わすことになる。 <あの日会った君が あまりにも普通の女の子だったから 俺は救われたんだ>(伊黒小芭内/23巻・第200話「勝利の代償」) <伊黒さん 伊黒さん お願い 生まれ変われたら また人間に生まれ変われたら>(甘露寺蜜璃/23巻・第200話「勝利の代償」)  自分が普通でないことに悩んだ、甘露寺蜜璃と伊黒小芭内は、特別な恋をした。同じ目標に向かって同じ戦場に立ち、お互いがお互いを支える力を持ち、命を尽くして戦った。そんな彼らは身を寄せ合ったまま、来世に続く永遠の愛を誓い合う。生まれ変わったら、また人間に生まれ変わったら、平和な世界で一緒に生きようと。 ◎植朗子(うえ・あきこ) 1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。
加藤綾子アナの結婚相手の母親が激白 「息子が連れてきたのがカトパンでびっくりしました!」
加藤綾子アナの結婚相手の母親が激白 「息子が連れてきたのがカトパンでびっくりしました!」 加藤綾子アナ(C)朝日新聞社 「息子から前もって『女性アナウンサーを連れて行くから』と知らせがあって、誰なのかわからなかったけど、お会いしたらびっくり。カトパンでした。いつもテレビで見てましたから、すぐにわかりました。テレビで見てるそのまんま(笑)」  こう語るのは、6日に電撃婚が発表された元フジテレビでフリーの加藤綾子アナウンサー(36)の結婚相手・Aさんの母親だ。結婚前の昨年11月後半、Aさんは加藤アナを実家に連れて行き、両親に紹介していたのだ。  Aさんの母親は加藤アナのことを「カトパン」と呼び、加藤アナはAさんの母親を「お母さん」と呼んだという。 「ウチにいたのは2~3時間くらいでした。出合いは知人の紹介だと言っていましたね。お付き合いは昨年10月か11月ごろからみたいですよ。当日は息子がおすしの材料を買ってきましたから、加藤さんも一緒にお魚を切ったり、具をノリで巻いておすしを作ったり、他にも料理を作っていました。ただ、その時はまだ結婚という話は出なかったですよ」  加藤アナは相手の男性を「一般の方です」としていたが、Aさんは年商2000億円を誇る中堅スーパーマーケットチェーンを経営する39歳の御曹司。大方の予想通り、「一般人」というには華麗すぎる経歴の男性だった。  Aさんの会社は神奈川県に本社があり、東京、神奈川、千葉などの首都圏、大阪などの近畿圏にも多店舗展開している。生鮮食品に力を入れており、特に牛肉は豊富な部位を取りそろえていると評判だ。食品スーパーと言えば、オーケー、ライフ、ヤオコーなどが100店舗以上を展開をしているが、Aさんの会社はその次のグループの位置におり、現在急成長している。同社の2020年度の売り上げは2000億円を突破し、10年後の2031年にグループ売上高1兆円を目指しているという。  Aさんは男3人、女1人の4人きょうだいの三男。父親は精肉店を営んでいた。慶応大学を卒業して食品会社に勤めた後、父親が経営する今の会社に入社した。2013年に2代目社長に就任。就任当初は500億円台だった売上高を、8年で約4倍に押し上げたやり手の社長だ。  Aさんの母親は言う。 「今の会社の土台を作ったのはうちの主人です。もともとは精肉店からスタートして、それをスーパーにして、大きく成長させたのが2代目の息子なんです。仕事は一生懸命やってくれるので、それは親としてはうれしいですよね。主人を見て育っていますから、仕事が好きというのもあるんでしょうね」  スポーツ紙の芸能担当記者はAさんの人柄についてこう話す。 「Aさんは”楽しく感動”がモットーのイケメン社長です。店舗もそうした売り場作りを目指しているそうです。社内ではリーダーシップを発揮して、社員を入社して3年でチーフに抜擢するなどの制度改革をしたそうです。スポーツマンで特にゴルフが大好き。会社はプロゴルファーと所属契約を結び、Aさんがキャディーとしてつくこともあるとか。コースをまわる時にはお手製の『はちみつレモン』を差し出して選手を気遣うなど、細やかな性格でもあるようです」  母親もAさんのスポーツ好きをこう話す。 「スポーツは昔から好きで、テニスは地域のチームのコーチもやってました。冬はスノーボードもやってましたし、最近はゴルフが好きみたいでしょっちゅう行っています」  結局、母親が加藤アナと会えたのは、冒頭の顔合わせの会の1回限り。その後もAさんから加藤アナ同席の会食のお誘いはあったが、行けなかったという。 「彼女は仕事が忙しくて土日くらいしかお休みがないんでしょう。加藤さんと一緒の食事は、何回か息子には誘われたんですけど、やはり、コロナ禍でもあり、東京まで行くことができませんでした。でも、テレビで見ているままの加藤さんなら私も安心です。お互いに気が合っていい感じで結婚までいったのだからいいと思いますよ」  6月6日、2人の入籍日はどんな様子だったのだろうか。 「会社の事務所で、うちの主人が証人になりました。結婚式は今のところまだ聞いてません。加藤さんは結婚しても仕事を続けると言ってますね」  Aさんは39歳という年齢だが、実は加藤アナとの結婚が初めてではない。26歳の時、大学時代に知り合った女性と結婚した。前妻とは2人の子どもをもうけたが、8年ほど前に離婚したという。事情を知る関係者はこう話す。 「2人の子どもは相手の女性が引き取って育てていますが、Aさんもちゃんと面倒をみています。加藤さんももちろん知っているでしょう。そうでなければ一緒にならないでしょう」  また、8日に配信されたFRIDAYデジタルの記事では、2015年6月にTBSの出水麻衣アナ(37)とデート写真を掲載したときの相手がAさんだったと報じている。当時は人目もはばからずに肩を寄せ合ったり、路上でキスをするシーンもあったと記している。加藤アナの前も人気女性アナウンサーと交際していたとなれば、やはり相当モテる男性であることは想像に難くない。Aさんの知人はこう話す。 「(出水アナとは)食事へ行ったり、一緒に遊んだりして、本当に仲がよかった。実は出水さんも実家の親に紹介したらしいけど、その時は結婚というところまでは行かなかったようです」  モテるがゆえに恋多き人生を歩んできたであろうAさん。だが、最後に選んだのは加藤アナだった。2人の末長い幸せを祈りたい。 (取材・文=AERAdot.編集部・上田耕司)
菅原一秀前経産相を略式起訴に追い込んだ元秘書が暴露 現金バラマキ、パワハラ、隠蔽工作のすべて
菅原一秀前経産相を略式起訴に追い込んだ元秘書が暴露 現金バラマキ、パワハラ、隠蔽工作のすべて 略式起訴された菅原一秀前経産相(C)朝日新聞社 菅原氏と秘書が交わしたLINE(提供) 菅原氏と秘書が交わしたLINE(提供)  前経済産業相で衆院議員を辞職した菅原一秀氏は、地元の衆院東京9区の有権者に香典や現金など80万円を寄付した公職選挙法違反(寄付行為)で6月8日、東京地検に略式起訴された。    一度、不起訴と判断されたが、検察審査会は2月24日付けで起訴相当と議決。東京地検が再捜査をしていた。その結果、菅原氏が地元有権者に香典や会費、陣中見舞いなどの名目で53万円の現金を配り、供花などで27万円相当の花を贈ったことが判明した。 「長く国会議員を務め、大臣にまでなっているのに菅原氏は遵法精神など皆無。香典などカネのばら撒き以外でも、めちゃくちゃです。ひどい目にあった」  こう証言するのは、菅原氏の元で公設第2秘書を3年間ほど務めた男性のAさん。2016年に知人のツテで菅原氏の公設秘書となった途端、通夜、葬儀に香典を持参して参列することが重要な仕事と言いつけられた。  選挙区内の通夜、葬儀の情報をつかみ、いち早く菅原氏に報告。菅原氏の代わりに、秘書が香典を持参する。香典には必ず「衆議院議員 菅原一秀」と記したものを渡していた。  公職選挙法では地元の有権者へ金品を提供することは一切、禁じられている。香典は議員本人が出席し、持参する以外は認められず、秘書の持参となれば、法に触れるのだ。 「訃報の情報があれば、すぐLINEで伝えます。そして、菅原氏から1万円とか2万円という香典の金額が指示されます。いつでも通夜、葬儀に行けるように秘書は香典袋を5枚ほど常備していた。金額は菅原氏の判断で5千円から3万円だった。後援会幹部など関係が濃い方や地元の有力者になるほど、香典の金額を増やしていた。菅原氏から『関係はどうか?』と聞かれ、支援者名簿にも掲載がない方の葬儀がありました。5千円でいいと指示された。後援会幹部の方のご葬儀では『三万』とLINEがありました。菅原事務所では菅原氏からの指示があり、その通り、動くのが秘書の仕事。自分で考えてやることはありません。大臣にまでなるような人からの指示です。それが違法なこととは、検察の指摘があるまで思いもしませんでした」  菅原氏の秘書たちは通夜、葬儀に加えて、地元の祭りやイベントの情報にはとても気を使っていた。もし、情報が入らないと菅原氏から「とりこぼし」だとして「罰金」を命じられるのだ。  2019年1月18日のLINEには菅原氏から「着いたのか」「ペナルティだぞ。仁切りしていない。厳罰」とAさんにメッセージが入った。「着きました。すみません」と謝罪するが、「なぜしていないのか? 3万」と金額を言い渡している。 「仁切りとは、出席予定会合の主催者に、菅原が行くと伝えていなかったことを意味します。秘書だった時には、こういう理不尽なことで30万円から40万円くらい罰金をとられました」(Aさん)  電話で叱責されることもあり、「アホ、バカと汚い言葉で罵られ『罰金払え』とどやされた。パワハラですよ」という。  東京地検の発表でも菅原氏は香典だけではなく、地元の祭りや会合などにも会費などと称してカネを配っていたことも立件対象となっている。  一連の疑惑が明らかになったのは、2019年10月、週刊文春の報道だった。週刊文春が掲載した写真は、菅原事務所の秘書の一人が「衆議院議員 菅原一秀」と書かれた香典を差し出すシーンだった。秘書は写真を撮られたことはまったく知らなかったという。問題とされた葬儀の香典に関するLINEでの打ち合わせ内容をAさんから入手した。 「ISSHU」とあるのは菅原氏のこと。「香典気をつけて」とLINEでメッセージが入る。秘書が「明日は1030からです。香典はいかが致しますか? 額はおいくらでしょうか?」と尋ねると、菅原氏は「二万」「弐」と返信している。  週刊文春の報道を受けて、菅原氏は周囲に「困った、どうしよう」と秘書たちにも相談していた。Aさんはこう振り返る。 「事務所では日程表や紙ベースのスケジュール表など、シュレッダーにかけ、パソコンから削除するように指示がありました。明らかな証拠隠滅工作でしたね」  菅原氏はその直後、経産相を辞職に追い込まれた。    辞任時、マスコミから香典の経緯を聞かれると、菅原氏は「二万については、自分が葬儀に出席する時に持参する香典の金額だった。秘書が代理で持参するのはダメだという意味。バレないように持参せよという意味ではない。結果的に秘書が香典を出した。しっかり言えばよかったが教育、指導不足だった」とLINEの一部を示し、説明した。  だが、Aさんはこう反論する。 「LINEをよく見てください。二万の次に念押しで弐とあります。菅原本人が葬儀に出席するつもりがあれば、念押ししませんよ」  さらにこう付け加えた。 「週刊文春の報道に対して、後援会幹部を集めて、私や別の秘書たちをやり玉にして『秘書が週刊文春と組んで写真を撮らせ、私を経産大臣から引きずりおろした』『スパイだ』などといい、秘書に責任を押し付けていることがわかった。私も後援会幹部に呼ばれて『お前が文春に売ったのか』と言われた。本当に腹が立った」  数か月後、Aさんは菅原氏から公設秘書から私設秘書に「降格」を言い渡されたのを機に事務所を去ったという。  Aさんや菅原氏の秘書、スタッフは東京地検特捜部から多い人で20回以上、事情聴取を受けた。その中でAさんたちは菅原氏の香典や地域の行事のカネのばらまき以外でも話を聞かれたという。菅原氏が過去、カニやメロンを菅義偉首相、安倍晋三前首相ら有力国会議員、有権者に贈っていたことは、週刊朝日が2009年8月、特報している。 「カニやメロンは報じられてヤバイとやめた。しかし、その後も贈り物を配っていた。2019年4月は統一地方選があり、参院選が迫っていた。有名な果物店から大中小に分けた、カゴを取り寄せて地元後援会幹部をランク付けして持っていくように指示された。私は10人以上に持参しました。検事に話すと『菅原は本当に悪質、買収だ』と怒っていた」(Aさん)  また2017年の衆院選の時、「ボランティアスタッフと聞いていた人に、ウラで時給いくらとカネを払っていた。今思えば、それもアウト」と告白する。  また、菅原氏はポスター貼りと街頭演説の活動に力を入れていることをよく強調していた。その裏ではこんなことがあったという。 「ある時、立憲民主党の枝野幸男代表のポスターが貼ってあることに菅原氏が気づいた。『夜、あのポスターを破ってこい』『菅原一秀と赤文字で車にあるが、それは何かで隠せ』『車は遠くに止めて、歩いて行け』『代わりに俺のポスターを貼ってこい』などと細かく指示してきました。嫌なので行ったふりをしていたら『まだ枝野のポスターがあるじゃないか』と厳しく叱られた。仕方なく、夜闇にまぎれてはがしたことがありました。枝野さんには本当に申し訳ないです。菅原氏には法を守るという意識はありません」(Aさん)  菅原氏は辞職後、SNSで事件についてこう謝罪した。 「私の政治活動において一部公職選挙法に触れる部分があり、当局の事情聴取に多くの時間を使って丁寧に説明してまいりました」「今後のことは一切白紙です」  検察審査会の申立人代理の郷原信郎弁護士はこう語る。 「河井克行夫妻の事件と同様、これだけハッキリ証拠があるのに一度は、不起訴にした。検察はその理由を『大臣を辞職して反省』というが、そんなことでクロをシロにし、検察審査会から起訴相当を突き付けられ、あわてて捜査というのはお粗末すぎる。起訴に追い込んだのは、勇気ある菅原氏の元秘書たちだった。自らの経験を踏まえて、客観的なデータをそろえて、検察に証言したからこそ、事件化できた。また、立件金額80万円としているが、より丁寧に詰めて捜査すれば数百万円になった可能性もあるので、略式起訴には違和感が残る」  菅原氏の略式起訴の一報にAさんはこう語る。 「経産相の辞職を余儀なくされ、しばらく病気、体調不良と言いながら、国会を欠席していた。実際は事務所に来て、戸別訪問までしていた。菅原本人の指示なのに秘書に責任を押し付け、反省なんてゼロですよ。菅原氏を見ていると、香典や地域のイベントでカネがばらまける資金があったからこそ、当選してきたと感じます。私は数々の違法行為を押し付けられた。こういう人物は二度と国会議員になってはいけない」 (AERAdot.編集部 今西憲之)
家に帰った門倉健・前中日コーチの「うつ病」診断に選手の反応は?
家に帰った門倉健・前中日コーチの「うつ病」診断に選手の反応は?  単身赴任の家を出たまま行方が分からなくなっていた中日前2軍投手コーチの門倉健氏が6日夜に自宅に戻ったと、妻・民江さんが門倉氏のブログで7日に明らかにした。門倉氏は医師の診察を受けた結果、うつ病と診断され、当面の間は治療と静養が必要な状況だという。    ブログは「報道関係者の皆様、ファンの皆様へ」という書き出しで、「夫、門倉 健が昨夜、無事、自宅に戻りましたことを謹んでご報告申し上げます。皆様にはこれまでご心配をおかけし、大変申し訳ありませんでした。心よりお詫び申し上げます」と謝罪と共に報告。 「私たち家族は無事に帰って来てくれたことにとても喜んでおりますが、医師の治療を要する状況と思われたため、本日、医師の診察を受け、うつ病と診断がありました。当面の間、治療と静養が必要な状況です」と伝えた。  そして、「本来であれば、門倉本人が自ら、関係者の皆様に事情をご説明しお詫びを申し上げるべきところですが、私たち家族すら失踪の理由やこれまでの経緯を聞くことが出来ない状態です。今後は暫くの間、医師の指導に従い、治療に専念したいと思います。この度、本人の回復を待って、改めて、その機会を設けさせて頂ければと思います。皆様のご理解とご協力を何卒よろしくお願い申し上げます」と綴った。  門倉氏は5月15日以降、中日でコーチを担当するファームの練習を無断で休み、連絡が取れなくなった。翌16日に家族が愛知県警に捜索願を出し、行方を探していた。  スポーツ紙の遊軍記者によると、中日の選手から「門倉さんが見つかってホッとしました」と連絡が来たという。 「退団してしまいましたが、門倉さんを慕っている選手たちは多いです。失踪の後に横浜市内で見つかったという情報がメディアで流れたのに、『確認された事実がない』と家族が発表していたので本当に無事なのか、中日の関係者だけでなく、他球団の選手、首脳陣、OBも心配していました。行方が分からなくなったのは色々事情があったのでしょうけど、それは個人的な問題だから深く立ち入る必要はない。とにかく無事に見つかってよかった。うつ病が心配ですがゆっくり休んでほしいですね」  ある球団OBも静かにこう語った。 「もうそっとしておいた方がいい。今回の経緯についても門倉本人からお詫びや事情説明を公の場でする必要はない。まず治療を最優先にして、心と体が落ち着いたら中日球団に謝罪すればいい。でもそれも当分先でもいい。とにかく心が安らぐ場所でゆっくりしてほしい」  SNS、ネット上でも安堵のメッセージが相次いだ。 「家族にも心配をかけないようにと気を使っているうちに自分でもどうにもならなくなって、一杯一杯になったのかなと思います。とにかくご無事で何よりでした。すぐに話を聞かなくても帰ってきてくれただけでよかったと思います。うつ状態のときは生きている(生活する)だけで精一杯です。話なんて後からでもいいと思うし、話すことがさらにストレスになることもあります。門倉さんの優しい性格ゆえにそっとしてあげて欲しいし今は治療に心の休養に専念させてあげて欲しいです」 「とにかく事件、事故に巻き込まれてなくて本当に良かった。これまでのご家族のお気持ちをお察しいたします。さぞかしご安心されたことでしょう。本当に良かった。人はそんなに強いものではないし、そっとして差し上げたいですね」  命に代わるものはない。今後は治療に専念して心身が回復することを願うばかりだ。(梅宮昌宗)
「結婚していますよね?」独身と知りその場でアタック コロナ禍がもたらした出会いと新しい命
「結婚していますよね?」独身と知りその場でアタック コロナ禍がもたらした出会いと新しい命 【夫】高塩大輔[41]GKNドライブラインジャパン 会社員:たかしお・だいすけ◆1980年、栃木県宇都宮市生まれ。2003年、東京電機大学理工学部を卒業後、車の足回りの部品製造をするGKNドライブラインジャパンに入社。名古屋工場、13年からタイ駐在4年間を経て、現在は管理職として約250人の部下を抱えている/【妻】山口理絵[30]Sun Life代表取締役 独立系ファイナンシャルプランナー:やまぐち・りえ◆1991年、三重県亀山市生まれ。2013年に、三重中央医療センター附属三重中央看護学校卒業。看護師、訪問看護スタッフを経てFPの資格を取得。19年にSun Lifeを設立、20年に障害者向けグループホーム「たいようの家」をオープン(撮影/片山菜緒子)  AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。2021年6月7日号では、会社員の高塩大輔さん・Sun Life代表取締役で独立系ファイナンシャルプランナーの山口理絵さん夫婦について取り上げました。*  *  *夫40歳、妻29歳で結婚。6月に第1子を出産予定。【出会いは?】2020年4月、コロナ禍で在宅勤務になった夫が知人の紹介で妻に資産運用の相談をした。【結婚までの道のりは?】2020年6月に東京に投資用物件を見学に行き、帰りの新幹線で夫が妻に「結婚していますよね?」と質問。独身と知りその場でアタック。交際がスタートし10月に結婚。【家事や家計の分担は?】家事は基本的に分担。月~金は食材宅配を利用し、先に帰ったほうが料理する。家計も分担制で、家賃や光熱費は夫、食費や日用品は妻。資産状況は妻がしっかり管理。夫高塩大輔[41]GKNドライブラインジャパン 会社員たかしお・だいすけ◆1980年、栃木県宇都宮市生まれ。2003年、東京電機大学理工学部を卒業後、車の足回りの部品製造をするGKNドライブラインジャパンに入社。名古屋工場、13年からタイ駐在4年間を経て、現在は管理職として約250人の部下を抱えている 僕はずっと仕事と実業団選手としてのバスケにかまけて、将来のこともお金のことも何も考えてこなかったんです。でもコロナ禍でゆとりができて「将来を真剣に考えてみよう」と思った。知人にFPの彼女を紹介してもらいました。 明るくて楽しくて、NISAなど金融についても興味が出てきた。彼女に出会って人生を真剣に考えるようになったんです。独身だと知って即、交際を申し込みました。 出会いから結婚の半年間で、彼女は着々とグループホームの準備をしてオープンさせた。「何か手伝えることはありますか?」と聞いたけど「大丈夫です」と(笑)。代わりに家のことは僕が助けようと思っています。もうすぐ世界一の娘も生まれますから。 エナジーに溢れ頼りになる文句のつけようのない奧さんですが、強いて言うならデジタルに弱い。エクセルでの足し算もできないし、パワーポイントも使えず顧客へのプランは手書き。デジタルへの移行と効率化に協力するのも僕の役目かなと思っています。 妻山口理絵[30]Sun Life代表取締役 独立系ファイナンシャルプランナーやまぐち・りえ◆1991年、三重県亀山市生まれ。2013年に、三重中央医療センター附属三重中央看護学校卒業。看護師、訪問看護スタッフを経てFPの資格を取得。19年にSun Lifeを設立、20年に障害者向けグループホーム「たいようの家」をオープン「27歳で絶対に起業する」と決めていたんです。最初は訪問看護事業を考えていましたが、25歳で株に出合い、FPの道に。看護師もFPも「相手の状態をもっとよくしたい」と願う点が共通しています。さらに「その人らしく生きるためのお手伝いを」という思いで、障害者向けのグループホーム「たいようの家」の運営にたどり着きました。 起業を決意したのは、24歳のとき恋人を事故で亡くした経験からです。「人生なにがあるかわからない。生きた爪痕を残したい」と強く思った。彼の年齢を超えるまでは結婚もしないと決めていましたが「そろそろいいかな」と思ったとき、夫に出会うことができました。私の意見を否定せず全てを受け入れ助けてくれるので感謝しています。 妊娠初期はつわりがひどく、自分の努力ではどうにもならないしんどさを生まれて初めて知りました。それまでは本当の意味で「生きづらさ」を感じたことがなかった。妊娠を機に自分の事業への思いもさらに強くなりました。(構成/中村千晶)※AERA 2021年6月7日号
眞子さまと小室さんの結婚問題 納采の儀は異例の「節約レシピ」という選択肢で可能
眞子さまと小室さんの結婚問題 納采の儀は異例の「節約レシピ」という選択肢で可能 眞子さまと小室圭さん(C)朝日新聞社  世間の批判を浴び続ける秋篠宮家の眞子さま(29)と婚約内定者の小室圭さん(29)の関係。もし2人が結婚するならば、ハードルとなるのが一般の結納にあたる「納采の儀」だ。コロナ禍で自粛生活を強いられる中で世間の目は厳しく、小室家側の事情もある。その一方で、節約レシピを用いた納采の儀という選択肢もあるようでーー。 *     *  *  眞子さまの望みは、皇室からはやく出ることーー。    皇室を長年見てきた人物や記者たちの一致した見方だ。女性宮家創設議論が出るたびに、眞子さまは「女性宮家の筆頭候補」として期待をかけられた内親王ではあったが、ご本人方がそれを望んでいるのかは、また別の問題だ。  宮内庁関係者のひとりはこう話す。 「そもそも若い世代の女性皇族は、皇室から出たいと思っておられる方がほとんどではないでしょうか」  同時に宮内庁は、眞子さまの結婚問題で宮内庁への抗議が殺到。皇室への敬愛が失われ続けていることに頭を痛めている。元宮内庁職員の山下晋司さんは、こう分析する。 「宮内庁が考えを巡らせているのは、いかに穏便に、眞子内親王殿下に皇籍離脱をしていただくか――、という点でしょう」  山下さんは、眞子さまの結婚相手として小室さんがふさわしいとも考えていないし祝福もしていない、と言い切る。一方で、皇室の記録に汚点を残さないためにも、一般の結納にあたる「納采の儀」を行ったほうがいいとも考えている。  その場合、ハードルとなると指摘されているのが費用と人材の面だ。  一般的に、皇室の内親王や女王との結婚する男性は、結婚に関連する儀式や挙式、披露宴にかかる費用などの応分を負担するのが慣例だ。形式通り行うのであれば、小室家が費用を“工面”する必要がある。  たとえば納采の儀をみても、男性は、清酒3本と白い絹の巻物、「鮮鯛」を納める。とくに絹の巻物は、これまで結婚する皇族女性の挙式や披露宴でのドレスに仕立てられており、結婚するふたりにとって大切な品だ。  上皇ご夫妻の長女、黒田清子さんのときは、慶樹さんが納采の儀で納めた絹の巻物を純白のロングドレスに仕立て、挙式で身に着けた。  高円宮家の三女、絢子さんに贈られた巻物も、お相手の守谷さん親子の思いが込められている。披露宴は、皇族方や各界要人を招いての晩さん会。絢子さんはピンクのシルク地と白いチュールレースをあしらったドレス姿だった。    ピンクのドレス生地は、NPO法人「国境なき子どもたち」の専務理事だった守谷さんの母の故・季美枝さんが生前に選び、団体から宮家に贈られたカンボジア製のシルク生地だったが、美しいレースは、守谷慧さんが納采の儀で贈ったものだ。  皇族女性の結婚は、相手が相応の財力や社会的な立場を持っていることが前提で行われてきたのが現実だ。 「小室さんの母親の元婚約者に対する400万円を越える金銭トラブルが解決していないこと。さらに、小室さん自身が留学の滞在費などの費用を、パラリーガルとして所属する法律事務所に借りている身です。そうした現状を考えると、数百万円に及ぶと思われる儀式を無理に行う状況ではないのは明らかです」(皇室ジャーナリスト)  また、小室家の場合「使者」となるにふさわしい人物を立てられるかという問題もある。  納采の儀や結婚式の前に執り行われる「告期(こっき)の儀」では、小室家からモーニングで正装した使者を立てて秋篠宮邸を訪問し、納采の品を納める必要がある。これも、親族とのつきあいがほぼ絶縁状態にあるといわれる小室家にとって、簡単なことではないと見られている。  そもそも、皇族の結婚には、なぜこのような複雑な決まり事あるのだろうか。   近代皇室の結婚に関する儀式は、1910(明治43)年に制定された「皇室親族令」に基づいており、戦後に同令が廃止されてからも、ほとんどこの形式に沿っている。  当時の皇室において、皇族女性の結婚相手といえば皇族か華族。皇室親族令には、<内親王臣籍ニ嫁スル場合ニ於ケル式 納采ノ儀>として、内親王が皇族ではない臣籍と結婚する場合の納采の儀について次のように定めていた。 <配偶者タルヘキ華族ノ使 配偶者タルヘキ華族ノ親族 幣贄ヲ齎シ(=贈り物を持って)内親王ノ殿邸ニ参入ス>  華族の親族が使いとなり、贈り物を持って内親王の殿邸に参入するということだ。   山下さんが続ける。 「皇室親族令は、1947年の新憲法施行に伴い廃止されましたので、いまは根拠となる法令はありません。しかし、この廃止の際、新しい規定がないものは、問題のない限り、従前の例に準ずることにしたのです。  一方で、皇室は時代に合わせて変えてきたこともあります。どこまで儀式を細かく執り行うかは、秋篠宮殿下のご判断による部分もあるかと思います」  昨年11月末、秋篠宮さまが誕生日会見で結婚と婚約は別だと話した。 「結婚と婚約は違いますから、結婚については本当にしっかりした確固たる意志があれば、それを尊重するべきだと私は思います」  そのため、家と家の儀式である納采の儀は行わない、もしくはかなり簡略化したうえで入籍婚などの見方もいまだ根強い。  元日本テレビアナウンサーで「皇室日記」のキャスターを長年務めてきた久能靖さんは、簡略版「納采の儀」も可能ではないかと話す。 「とくに、民間に出る女性皇族の結婚は、あくまで秋篠宮家と小室家の個人的な儀式です。両家の状況により、濃淡をつけることはできるのではないでしょうか」  たとえば、納采の儀で納める『鮮鯛』は、腐りやすい夏場は、鯛の代金を代料として納める。 「その延長で考えれば、挙式も披露宴も行わない。もしくは、入籍だけの結婚や身内のみを集める内輪の式であれば、高価な絹布でドレスを仕立てる必要もない。納采の儀で必ずしも高価な絹布を納めなくともいいでしょう」  久能さんは、儀式で親族が立つ使者についても、親族以外の選択肢もあるのではないか、と話す。 「場合によっては、小室さんがパラリーガルとして所属する法律事務所の所長もあり得るでしょうね」  思い起こせば、2017年秋に行われたふたりの婚約内定会見。その直前に、小室さんが本屋で『月たった2万円のふたりごはん』という節約レシピ本を購入する姿が目撃され、週刊誌で報じられたこともあった。  納采の儀、結婚ともに「節約レシピで強行」、という選択肢も視野に入ってくるだろう。    ただし、皇族にふさわしい形であるかは、別の話しだ。皇室に織物を納めてきた業者のひとりは、こう話す。 「絹織物を表す『錦』という字は、糸偏ではなく金が使われています。これには、絹は金と同等の価値があるほど高価な品という意味が込められています。庶民には手の届かない絹は、皇室や上流階級の間で用いられてきました。皇族の儀式に絹が使われてきたのは、意味のあることなのです」  眞子さまと小室さんの結婚問題は、いまだに先が見えない。また、前代未聞の内親王と婚約内定者をめぐる醜聞が、どのような形で皇室の記録として残るのかも分からない。しかし、内親王が皇族としてふるまいの一線を越えたという事実は、国民の記憶には、しっかりと残るだろう。(AERAdot.編集部 永井貴子)
「2歳の息子にレトルト食ばかり与える妻に不満」 父親の悩みにアドバイスは?
「2歳の息子にレトルト食ばかり与える妻に不満」 父親の悩みにアドバイスは? 「論語パパ」こと山口謠司先生  2歳の息子にレトルトの幼児食ばかり与える妻。夫は、仕事が忙しく子育てに時間をかけられないものの、妻のレトルト食に不満を募らせています。ただ、妻に不満を言いづらいという悩みももっています。「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、「論語」から格言を選んで現代の親の悩みに答える本連載。今回の父親へのアドバイスはいかに。 *  *  * 【相談者:2歳の息子を持つ40代の父親】 2歳2カ月の息子を持つ40代の父親です。妻の育児に不満があります。妻には、子どもに幼少期から十分な愛情を注いでもらいたく、妊娠を機に専業主婦になってもらいました。しかし先日、台所に大量のレトルトの幼児食がストックされているのを見つけました。聞くと、「朝と昼はいつもぶっかけご飯にしているため、まとめ買いした」とのこと。私が仕事で家にいない間、息子がレトルトの味に慣れてしまい、「レトルト以外のものを食べなくなるのでは」「将来、インスタントラーメンばかり与えるのでは」と心配です。ただ、自分は子育てに時間をかけられるわけではないので、不満を口にしづらいです。さらに話し合いをしようとしても妻は「自分は大変」と主張するだけで全く解決に至りません。どうしたら妻への不満を解消できるでしょうか。【論語パパが選んだ言葉は?】・「唐棣(とうてい)の華(はな)、偏(へん)として其(そ)れ反(はん)せり。豈(あ)に爾(なんじ)を思わざらんや、室(しつ)の是(こ)れ遠ければなり。子曰わく、未(いま)だ之(こ)れを思わざるなり。夫(そ)れ何の遠きことか之れ有らん」(子罕第九)・「参(しん)よ、吾が道は一以って之れを貫く」「夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ」(里仁第四)【現代語訳】・「『ニワザクラの花が、美しくひらひらと揺れている。あなたを恋しいと思うのだけど、なにぶんあなたのお住まいが遠すぎて――』。先生はおっしゃった。遠いと思うのは、相手の女性を心の底から思ってはいないから。本当に会いたいと思うのであれば、家の遠さぐらいはふっとぶ。なんの遠いことがあるものか」 ※写真はイメージです(写真/Getty Images) ・「参よ。私の生きる道は、たった一つのことで貫かれている」「先生の道は忠恕、ただそれだけだ」【解説】 お答えします。「妻の育児に不満」? 何をおっしゃっているのですか。大事な息子さんの食事だと言うのなら、自分で率先してお作りなさい! 自慢ではありませんが、私は、息子が生まれてから朝夕食の支度は、買い物も含めてほとんど自分でしています。 妻に炊事を押しつけて、不平不満を言うなんてもってのほかです。出産はもちろん、産後の育児も女性には大変な身体的・精神的な負担がかかります。子どもは幼いうちは、どうしても母親をさがして泣きわめきますし、2歳2カ月という年齢であれば、毎晩1回か2回は起きて泣く子もいるでしょう。相談者さんの妻は睡眠不足でフラフラのはずです。 『論語』にこのような話が記されています。「唐棣の華、偏として其れ反せり。豈に爾を思わざらんや。室の是れ遠ければなり」 これは、当時の歌謡で、「ニワザクラの花が、美しくひらひらと揺れている。あなたを恋しいと思うのだけど、なにぶんあなたのお住まいが遠すぎて──」という意味です。 この歌を受けて、孔子は一言「未だ之れを思わざるなり。夫れ何の遠きことか之れ有らん」と感想を述べます。「遠いと思うのは、相手の女性を心の底から思ってはいないから。本当に会いたいと思うのであれば、家の遠さぐらいはふっとぶ。なんの遠いことがあるものか」という意味で、「恋しいが家が遠い」と弁解じみたことを言う男性に、愛情のあり方を戒めたのです。 おわかりでしょうか? 息子さんを本当に大事だと思うのであれば、相談者さんが食事を作ることなど、なんともないことだと思いませんか。もちろん40代のお父様は忙しいことと思います。40、50代の働き盛りの時に、「子どもの食事を作る時間などない」と思われるでしょう。しかし、仕事同様、家庭も大事ですよね? 孔子は、温かく、優しく、そして強い有名な言葉を残しています。 「参よ、吾が道は一以って之れを貫く」 孔子は、弟子の曽子に、「参(曽子の名前)よ」と呼びかけて言います。「私の生きる道は、たった一つのことで貫かれているのだよ」  曽子は、これを聞いて、「はい。わかります」と答えるのですが、しかし、他の門人たちは、孔子が言った意味がわかりません。そこで「さっきの対話はどんな意味なのですか?」と曽子に聞いたところ、曽子は皆にこう教えます。「夫子の道は忠恕のみ(先生の道は忠恕、ただそれだけだよ)」「忠恕」は、一言でいえば「思いやり」です。「忠」とは、一般的に「自己の良心に忠実なこと」と解釈されますが、漢字の成り立ちを見ると「心」を「中(あ)てる」と書きますね。「中」は、反時計回りに90度回転させると、一本の矢が、的の真ん中を貫いている形になります。「中(あ)たる」です。一本の矢は言葉であり、行為です。何に中てるかと言えば、「的」は相手の心。他人が欲していることを感じ取って、そこを射抜く、こうして、人の心をつかむことを「忠」と言います。  では「恕」とは何でしょう。「恕」という字は「如」と「心」で作られています。「如」は「自分とペアとなる相手」を意味します。相談者さんの場合であれば、妻ということになるでしょうし、会社という組織で言うなら、上司や部下、取引先の方となります。これに「心」が付くと、「いつも相手の側の心に立ってものを考える」という意味になります。すなわち「忠恕」とは、「他人が何を欲しているのかということを、相手の立場に立って思いやる」ということです。  レトルトの幼児食が悪いわけではありません。相談者さんは父親として、妻の立場、あるいは2歳2カ月の息子さんの立場になって「今、2人が本当に必要としているものはなにか」と考えをめぐらせなければならないのです。冒頭でも述べましたが、料理を担うなど、2人のためにできることがあるはずです。 このような「忠恕」の力は、仕事面にも応用して使うことができるようになるのではないでしょうか。そもそも、料理というのは楽しいものです。段取りを試行錯誤するなかで、どれだけ無駄をなくすかを考えますし、テキパキと次の作業に取り組んでいると、頭も冴えてきます。父親の家事の「自立」は、生活も仕事も質を上げることにつながるでしょう。応援しています。【まとめ】不平不満を言うのではなく、妻と息子さんが今何を欲しているか、相手の立場になって思いやろう山口謠司(やまぐち・ようじ)/中国文献学者。大東文化大学教授。1963年、長崎県生まれ。同大学大学院、英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。NHK番組「チコちゃんに叱られる!」やラジオ番組での簡潔かつユーモラスな解説が人気を集める。2017年、著書『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。著書や監修に『ステップアップ  0歳音読』(さくら舎)『眠れなくなるほど面白い 図解論語』(日本文芸社)など多数。母親向けの論語講座も。フランス人の妻と、大学生の息子の3人家族。

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