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五輪表彰式で「君が代」使えないなら何が最適? 一之輔が出した答え
五輪表彰式で「君が代」使えないなら何が最適? 一之輔が出した答え 春風亭一之輔・落語家 イラスト/もりいくすお  落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「金メダル」。 *  *  *  なんだかんだでオリンピックを観ています。そもそも熱心にスポーツを見るほうじゃないので、野次馬的にあーだこーだ言いながら。ほどよく五輪との距離を保っています。  柔道の阿部兄妹。同じ日に揃って金メダル。日程もあるから偶然も重なっての快挙です。まず妹の決勝戦。見守る兄ちゃん。妹が金メダル取ったときのプレッシャーたるや。私が兄貴だったら応援しつつも「詩……銀……メダルくらいにしといてくれんかなぁ……」って、正直思ってしまうかもしれん。いや、思わないかな……一二三の立場になってみなきゃわからんな。でも思っちゃいそうだ。悪かったよ。小さいよ、俺は。  スケートボードの堀米選手。22歳でアメリカに豪邸を持ってるらしい、スゴイ。今、喫茶店でこれを書いてるのだが隣の席に座ったオバさん2人がずーっと「スケボーの子、豪邸」って言ってるから本当なんでしょう。「うちの息子にもやらせよう」って言ってる。近所の公園にニワカスケーターが増えそうだ。階段の手すりを滑ったり、素人がいきなりやると絶対ケガするぞ。近所の整形外科が繁盛したり、駅前のドラッグストアで湿布が売れたり、少なからず特需はありそうだけど、心配なのは公園の裏に住んでる高橋さん(仮)だ。公園の平和を守ることに命をかけているお爺さん。夜、遅くまでスケボーをのりまわす無軌道な若者に血圧が上がること必至。どうかお身体には気をつけてほしい。高橋さん(仮)になんかあったら堀米くんのせいだぞ。お詫びに高橋さん(仮)が会長を務める敬老会の余興にぜひ来てあげてほしい、堀米くん。  ソフトボール決勝を観ようとしたら、真裏の東京MXテレビで『空手バカ一代』を再放送してました。アメリカ人レスラー軍団と主人公・飛鳥拳がリング上で睨み合い。「かかってきやがれ、ジャップ!」だのハードなセリフが飛び交います。「次回『ジャップを殺せ!』にご期待ください」と予告があり、番組が終わりました。日米戦の裏で流すところがさすがMX。物騒な予告のおかげで気持ちアゲアゲで観戦できたよ。  いろんな事情(おのおの調べて)でロシアの選手が金メダルをとっても、表彰式でロシア国歌が流れない。代わりにチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第一番」が流れてました。チャイコフ師匠はロシア出身でしたか。もし他の国が国歌以外の曲を使用するなら……? アメリカはハルク・ホーガンの入場曲「リアルアメリカン」だな。中国は「夜来香」。イギリスならビートルズ。フランスだったら「夢見るシャンソン人形」か「枯葉」でしょう。  日本だったらなんだろね? と家内と話し合う。妻「『川の流れのように』かな?」私「これ以上、秋元康にお金が入るの嫌だな」妻「サブちゃんの『まつり』は?」私「なんか違う……『上を向いて歩こう』は!?」妻「それだっ!」ということで、あってはならんことですが日本がもしそういう事態に陥った時は『スキヤキソング』で表彰式。  ちなみに今回の金メダルのデザイン。どうも「パイナップル缶の底」に見えてしょうがない。いかがでしょう? 春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。この連載をまとめた最新エッセイ集『まくらが来りて笛を吹く』が、絶賛発売中 ※週刊朝日  2021年8月20‐27日号
「勝ち組女性」を狙った小田急刺傷事件 韓国ミソジニー殺人と酷似 上野千鶴子氏が分析
「勝ち組女性」を狙った小田急刺傷事件 韓国ミソジニー殺人と酷似 上野千鶴子氏が分析 成城署を出る対馬悠介容疑者(c)朝日新聞社 事件直後の駅構内(c)朝日新聞社  東京都内の小田急線車内で乗客10人を刺傷し、殺人未遂容疑で逮捕された対馬悠介容疑者(36)。事件後、「勝ち組と思われる女性を見ると、殺したくなった」などと話し、重症を負わせた20代女子学生に対して「勝ち組の典型にみえた」と供述したことが報じられた。社会学者の上野千鶴子さんは、女性嫌悪の「ミソジニー」が事件の背景に潜んでいると指摘する。対馬容疑者の言動から垣間見える事件の本質を上野さんに語ってもらった。 *   *  *  8月6日夜、事件発生直後の速報では、最初に狙われた被害者が女性であることをはっきり報じていなかったのを覚えています。電車の中で複数の乗客が男に刺されたとして、無差別刺傷事件をうかがわせる内容だったと記憶しています。プライバシーに配慮して性別や年齢を伏せたのか、事情はわかりませんが、フェミニストのネットワークでは直ぐに被害者は女性であるという情報が飛び交い、後の報道でも「20代女子学生」が狙われたと明らかにされていきました。  犯行が無差別だった場合と女性を狙った場合では、事件の解釈や社会の受け止め方も変わってきます。  この事件で私の頭に浮かんだのは、韓国の「江南(カンナム)ミソジニー殺人事件」です。2016年5月17日深夜1時、ソウルの江南駅近くにある建物の男女共用トイレで、23歳の女性が、面識のない34歳の男に刺し殺されました。個室トイレに潜んでいた男は、女性が来る前にトイレに入ってきた男性たちは犯行対象とせず、女性が来るまでじっと待っていたのです。犯行の動機を「女たちが自分を無視したから」と供述しました。狙いが女性だったことから、韓国のフェミニズムに火が付いた重大な事件となりました。  韓国では、はじめ、「変質者」による犯行と警察が発表していました。変質者だから、誰が狙われるかわからないというような論調だったのが、女性を狙った犯行であることがはっきりわかってくると、女性たちは「ミソジニー殺人」として再定義したのです。「ミソジニー」とは、男性による「女性嫌悪」を意味します。事件の概念を「変質者」から「ミソジニー」にリフレイミングすることで、問題を明確に浮かび上がらせたのです。  これにより、女性であるというだけで、誰もが被害者になり得るという恐怖を、女性たちが共有していきました。  事件現場近くにある江南駅舎には、たくさんの女性たちが訪れ、被害女性を哀悼する聖地となりました。女性たちはポストイット(付箋)に哀悼の言葉とともに、自身が男性から受けた理不尽な体験などを書いて、駅の出口に貼り付けていったのです。それがわずか2、3日でおびただしい数になりました。しかも、一週間後の雨予報が出た時には、ソウル市長の英断により、張り出されたポストイットを濡れないように回収して、一部をソウル市女性家族財団の壁面に張り出して復元させたのです。さらに、予算がついて、3万5千余りのポストイットに書かれた内容をデータベース化しました。  私はソウル市女性家族財団を訪れて見てきたのですが、おびただしいポストイットが天井に届くほど壁を埋め尽くしていました。下記は、つづられたメッセージを日本語に訳してもらったものの一部です。 「あなたは殺された、私は生き残った。だから私はもう黙らない」 「わたしは運がよくて生き残っただけ」 「女は男を怒らせるな、いつも控えめに、夜遊びをするなと言われてきた。女も人間だ」 「私は性暴力サバイバー。私や殺された彼女のような女性を、これ以上増やしたくない」  実は、この当時、私の著書『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』が韓国語に翻訳されたばかりで、不幸な事件がきっかけとなりましたが、これによって韓国で「ミソジニー」という言葉が広まりました。「ミソジニー」という概念は、まだ日本でもそれほど認知されていませんでした。  今回の小田急線刺傷事件と江南ミソジニー殺人に共通しているのは、無差別ではなく、加害者は逃げられない空間で、自分よりも弱い女性を真っ先に狙っていたということです。報道によると、対馬容疑者は大学中退後、職を転々とし「俺はなんて不幸な人生なんだと思っていた」と逮捕後に話していたとされます。派遣会社に登録して工場などで働いたが、生活に困窮し、数カ月前から生活保護を受給していたなどの詳細も見えてきました。  貧困や非正規雇用、学歴崩壊などが背景にあるという解釈もできるでしょう。しかし、なぜそれで女性を狙うのでしょうか。解雇した会社や使用者、ピシッとしたスーツに革靴をはいた“勝ち組男”が狙われる可能性だってあるでしょう。しかし、使用者や勝ち組男に憎悪の矛先は向かわず、抵抗しない弱い対象に攻撃が向かうのです。DV夫がよそで受けたストレスを、弱い立場の妻に向けるのと構図が似ています。  社会の中で負け組になったと思う男性は、勝ち組男を恨まず、自分よりも弱そうな女性に憎しみを向けるのです。DVは世界中にありますし、韓国でミソジニー殺人が起きたように、女性への暴力は日本社会の特殊な事情ではありません。  もう1つ類似性のみられる事件として、2008年6月8日に起きた秋葉原無差別殺傷事件も取り上げておきたいと思います。加藤智大死刑囚(当時25)は、犯行前、携帯サイトに書き込みをしていました。その中に「彼女さえいればこんなに惨めに生きなくていいのに」といった内容がありました。加藤容疑者は自動車工業で派遣社員として働き、リストラされるかもしれないと自暴自棄になっていました。社会はどんな理由があっても無差別殺傷など許されないと断じる一方で、「彼女さえいれば~」という書き込みついては、男性の識者から同情的な論調があったのを覚えています。  女性が不遇な男を支えてさえいてくれれば、男は凄惨な事件を起こさずに済んだというような解釈がされたのです。ふざけるな、女性に救ってもらおうとするなよ、と私は言いたかったですね。加害者に同情的な論調は、女性をケアする性とみなしていることの裏返しです。  彼女さえいれば、というのは、実際は、女性1人を所有すれば男としてのアイデンティティが保てたのに、という解釈の方が正しいでしょう。女性は男性のために存在するものだと無意識に思っているのです。  こうした意識は、事件の犯人となるような人物の特異な歪みではなく、ふつうの男性にも潜んでいる感情なのです。  今回の小田急線刺傷事件は、サイコパスや奇人などの特異な人間による犯罪だとみなしてしまえば、人びとにとって「怖いね、遭遇しなくてよかった」で終わってしまうでしょう。しかし、もし、対馬容疑者が、大学を中退せずに安定した職に就き、生活保護を受けていなかったら、誰も刺す理由がなかったかもしれません。  事件は、その社会の問題の多面性を表すことがあります。この小田急刺傷事件は、一つには、冒頭に述べたとおりに「ミソジニー事件」として、女性にとって被害は他人ごとではないという側面があります。それと同時に、対馬容疑者が陥ったように貧困や学歴崩壊など社会的に弱い立場に追いやられたら、攻撃性が更に弱者に向かうことがあっても不思議ではないという人間の一面も表しています。またコロナ禍でもともと脆弱な立場にいた人たちがますます追いつめられた結果とも言えます。  犯行前に対馬容疑者は、食料品店で万引きをした時に女性店員に通報され、駆け付けた警察官に自宅まで送り届けられたものの、女性店員に仕返ししようとして店に戻っていました。店は閉まっていましたが、その対馬容疑者の行動を後で知った女性店員は震えあがったことでしょう。痴漢の通報で仕返しされた女性もいます。女性の恐怖心は強まったと思います。  一方でもしも、対馬容疑者のようにさまざまな事情で追い詰められている男性が、故意でなくとも誰かに自尊心を傷つけられたら……。もちろん、他人に危害を加えることはあってはならないことです。ただ、思わず目の前の自転車を蹴るなど、何かに当たりたくなるような感情が沸いてきてもおかしくありません。女性の場合、そうしたとき、外に向かうより自分を傷つける自傷行為に走る傾向があります。  この事件を「ミソジニー犯罪」と呼ぶか、「貧困と学歴崩壊が招いた犯罪」とするかによって、問題の捉え方は違ってきますよね。  これまで、犯罪には、加害者と被害者をつなぐ、動機という必然の糸があるとされてきました。しかし近年、その糸がなくなり、「通りがかり」や「偶然」の事件が増えています。これをポストモダン型犯罪と呼び、専門家は「世間がなくなった」からと説明しています。顔見知りの人間関係が希薄になり、SNSがそれを加速させているとされます。加害者には、犯行の理由があったとしても、被害者はそれを受ける理由がわからないのです。だからこそ、より被害者の傷が深くなってしまいます。その被害の矛先が女性に向けられるという事実に、向き合うことも大切な視点ではないでしょうか。 (構成・AERA dot.編集部 岩下明日香)
かび隠し、勝手に穴開け 1億円被害もあったリフォームの実態
かび隠し、勝手に穴開け 1億円被害もあったリフォームの実態 かびだらけの内壁 (さくら事務所提供) 湿気で発生したキノコ (さくら事務所提供)  突然、12階建てマンションの一部が崩れ落ちる様子は、特撮映画のシーンかと見まがうほど衝撃的だった。米フロリダ州で6月に起きた崩落事故。死者が98人に達した惨事の舞台は、築40年の高級マンションだ。このニュースを見て、マンション暮らしの人や、物件をさがそうとしている多くの人たちは、気が気でなかったかもしれない。  それもそのはず、日本のマンション市場はコロナ禍で広がった在宅ワークによって、個室のととのった広い住居を求めるニーズが増え、売れ行きが好調なのだ。  夫に妻、子どもと、家族それぞれがオンラインで仕事や学習をするようになったためだ。とくに大都市圏に住む人にとっては、勤務地や通学地への利便性を考えると、地方へは引っ越しにくい。土地付きの戸建てや新築マンションは高額となるため、物件も多いリフォームマンションが選択肢として注目されている。  東日本不動産流通機構(東京都千代田区)によると、2020年度の中古マンション成約件数は約3万7千件で、この10年で24%増えた。利便性への人気が根強く、とくに大都市圏の中古マンション価格が値上がりする傾向だ。  不動産情報サービスの東京カンテイ(東京都品川区)がまとめた家族世帯向け(70平方メートル換算)の中古マンションの流通平均価格をみると、首都圏は6月に4114万円と過去最高を更新した。15年1月から40%ほど上昇した。近畿圏も6月に2579万円となり、8カ月連続で上昇した。  中古マンションは、長い年数を経てもリフォームで生まれ変わる。買い取り再販事業者がリフォームをして売り出すようなことも多い。もちろん見た目は美しくなるのだが、見えない部分に問題が生じていることも少なくないという。  そこで被害に遭わないためにも、実際にあった中古マンションのずさんなリフォーム事例を紹介していきたい。 「マンションは結構、かびていて、業者には、リフォームにお金をかけたくないので、かびがあっても壁紙などをはるところもあります」  住宅診断などのコンサルティングを担うさくら事務所(東京都渋谷区)のホームインスペクター(住宅診断士)、田村啓さんはこう説明する。  多くは日当たりが悪く、冬場は結露も起きやすい部屋。リフォームでかびの除去など根本的な処理をなさず、そのまま壁紙で覆い隠してしまうケースがあるというのだ。  田村さんもかつて調査依頼を受けて、リフォーム中の中古マンションの壁紙がはがされ、かびだらけの状態を目の当たりにしたことがあるという。  また、給水管や排水管がさびだらけの事例も報告されている。管のなかにさびが詰まっていたり、管自体がさびて劣化していたり、穴があいてしまったりしたものもあった。  近年は樹脂系などのさびない素材を使うことも多いが、「築30年以上だと鉄の管が使われ、さびやすい」(田村さん)。  給水管や排水管は適切なタイミングで交換しないと、水漏れにつながってしまう。すぐに気づけばいいが、知らないうちに下の階に損害を与えかねない。 ■階下が水浸しに 被害総額1億円  一般的に、マンションのこうした配管は上下階を「縦方向」に貫くものが共有部分に設置されている。そこから各部屋に引き込む「横方向」の配管は専有部分を通る。もし、この横方向の配管で水漏れして下の階に迷惑をかけると、その住民が損害の責任を問われてしまう。  田村さんが知る水漏れで“最悪”だったのが、下の階とその下の階に水漏れしたケースだ。たまたま下の階の住人が留守中だったこともあり、部屋が水浸し状態になっていた。六つの部屋に影響が及び、被害総額は1億円規模にのぼったという。 「下の階に赤ちゃんや体の不自由な人がいて、おぼれたりする可能性もあります。漏電につながり、火災が発生することもあり得る」(同)というだけに、見えない部分にも注意が必要だ。  さらに、勝手に穴をあけてリフォームされてしまった事例も。  鉄筋コンクリートの上下階の間の部分において、配管を交換するためにそのコンクリートの床が一部あけられていたという。穴をあけた部分は木の板でふさがれていた。ここまで大胆なものは珍しいかもしれないが、構造上の強度や遮音性に影響が出かねない。リフォーム業者が勝手に、外壁に穴をあけて排気ダクトを通していたケースもあった。  こうしたリフォームの数々は、発覚しても元の状態に戻しにくい。マンション全体の安全性が保たれなくなる可能性もあるばかりか、マンションの管理規約違反のおそれも出てくるというのだ。  危ないリフォーム事例の多くは、買い取り再販事業者が物件をリフォーム会社に丸投げして売られたパターンで目立つ。問題が起こるのは、リフォームに法的規制がほとんどなく、第三者によるチェックを受けていないのが背景にある。  買い取り再販事業者は参入しやすく、業者自体が「玉石混交」(同)であるため問題を引き起こしやすい。残念ながら、安全性などを無視してでもできるだけ安いコストで、もうけを多くしようと考える悪質な業者がいるからだ。(本誌・浅井秀樹) ※週刊朝日  2021年8月20‐27日号より抜粋
五輪アスリートの妻・おのののかが語る「夫の努力」と「生まれてくる命」
五輪アスリートの妻・おのののかが語る「夫の努力」と「生まれてくる命」 おのののか(写真=事務所提供) 夫の塩浦慎理(左)とのラブラブなツーショット(写真=事務所提供)  8日に閉会式を迎えた東京五輪。開催までは紆余曲折あったが、選手たちの懸命な姿には、多くの人が心を打たれた。そんな選手たちを支えたのはパートナーの存在も大きい。競泳男子400メートルリレーに日本代表として出場した塩浦慎理(しおうら・しんり 29)の妻でタレントのおのののか(29)は、五輪選手の妻として、どのようにサポートしたのか。コロナ禍での五輪、かつ自身が妊娠中という「異例の状態」の中で、どのような思いだったのかを聞いた。 *  *  * 「テレビを見ていられないくらい緊張していました」  夫の塩浦選手が東京五輪に出場したのは7月25日。無観客で行われた競技を、おのは自宅マンションで観戦した。 「本来だったら会場へ行って応援したい気持ちもあったんですけど、今回は家族でも会場には入れなかったので、自宅で夫のご両親とテレビを見ながら応援しました」  結果は惜しくも予選敗退。競技直後、まだ息の荒い中で、塩浦選手はインタビューにこう答えた。 「年齢的にも経験的にも僕はやっぱり、チームを引っ張る立場だと思っていたんですけど、もう少しタイムが欲しかったし、後半の2人にもっといいところで引き継ぎたかったというのはありますね」  それを見ていた妻のおのは、どのような感想を抱いたのだろうか。 「本人はできることをやり切ったと思います。無事に(五輪が)開催され、出場できて、応援できたことがまずありがたいなと思いました」  新型コロナウイルスの猛威がおさまらないなかで、東京五輪は1年延期され、さらに直前まで開催の是非が問われることになった。観客を入れるかどうかもなかなか決まらず、選手たちにはもどかしい時間が続いた。 「夫はオンとオフをしっかり分けるタイプで、家では私から聞かない限り、水泳の話はあまりしません。でも、昨年3月、五輪が延期になった時には、さすがにへこんでいました。彼は4年かけて五輪でピークになるようにコンディションを仕上げてきた、と言っていたので、延期はかなりショックみたいでした。(五輪を)やると確信できないと、どうしても気持ちが入らないので、本人は『絶対にやる』と意気込んで練習に取り組んでいました。私には想像できないくらい、自分を追い込んで、体を仕上げて、すごく大変だったと思うんです。本当に尊敬しかありません」  競技が終わってすぐ、おのは夫から「まだまだやれる、頑張るから」と伝えられたという。まだ現役生活は続けるという前向きな気持ちを真っ先に聞いた。 「彼は、自分の体のことはすごくわかっている人なので、前々から『もうこれ以上、速く泳げないと思った時点で競技生活をやめようと思っている』と言っていたんです。それでも『まだ全然できる』と言っているのだから、彼はもっと速く泳げる自信があるんだと思います。その言葉はすごく心強いですし、私も一緒にやっていきたいと思っています」  おのには、アスリートの妻として日頃から心がけていることがある。 「競泳は0・01秒を競う世界で、少しでもタイムを短縮するためには毎日の睡眠、食べる物の積み重ねで、結果が変わってきます。なので、毎日規則正しく、夜12時までには寝るようにしています。就寝環境も大事なので、寝室のエアコンは、直接体に風が当たらず、温度調整ができるものを選びました。それで、すごく体が楽に過ごせるようになったんです。今は夫婦で一緒に寝ていますが、結婚しているアスリートの先輩方に聞くと、子どもが生まれたら、ちょっと寂しいけど、夜寝るときは別の部屋にしたほうがいいそうです」  食生活では、「アスリートフードマイスター」の資格を取得し、栄養面でのサポートをしている。 「結婚前はほとんど自炊もしなかったんですけどね(笑)。まだまだ勉強中ですが、少しずつアスリート向けの献立も作れるようになってきました。かつおや昆布からだしを取って、塩分をなるべく控えめにして、和食をヘルシーに食べられるように心がけています。トレーニング内容によって、食べるものも変えています。お肉、お魚の種類や部位をそれぞれ選びローテーションを考えて、野菜は根っこと葉っぱと実の部分でそれぞれ栄養素が違うので、『ね』と『は』と『み』がバランス良くとれるように工夫しています」  おのと塩浦選手は昨年9月に結婚。おのは彼を「慎理」と呼び、夫はおのの本名である「真理愛(まりあ)」と呼んでいるという。おのは今年5月27日、インスタグラムで第一子の妊娠を発表した。 「今妊娠7カ月で、11月頃に出産予定です。おなかもちょっとずつ大きくなってきて、目立ち始めました。彼も五輪から帰ってきて、『ちょっと見ない間にこんなに大きくなるんだ』って喜んでいました」  子どもが生まれたら、おのは本格的に仕事復帰を考えているのだろうか。 「彼は『息抜きになるんだったら、仕事を続ければいいんじゃない』と言ってくれています。スポーツ関係や食事、ダイエット、子育てなど自分に近い範囲のことで、みなさんと共有できるお仕事をしたいと思っています。今は体も動かせるので全然大丈夫ですけど、子どもが生まれたら、周りにサポートしてもらいつつ、できる範囲で仕事を続けていきたいです」  塩浦選手の次の目標は、3年後のパリ五輪でのメダル獲得だ。 「今回はリレーで出場しましたが、彼は本来は50メートルの自由形を主戦場としています。パリ大会では50メートルとリレーで活躍してくれることを期待しています。その頃には、生まれてくる子どもも、おしゃべりができるように成長していると思うので、子どもの記憶に残るような泳ぎをしてもらえたらうれしいです。夫が0・01秒を競う競技を続けて行く上で、最大限のサポートしつつ、自分も日々楽しく過ごしていけたらいいなと思っています」 (AERA dot.編集部・上田耕司)
参入は楽でも生き残り3割? コロナ禍でキッチンカー増加
参入は楽でも生き残り3割? コロナ禍でキッチンカー増加 ※写真はイメージです (GettyImages) 大手町川端フードガーデン (撮影/高鍬真之) 「ラッキーポークカー」のチャーシューエッグ丼(提供)  新型コロナ禍で青息吐息の飲食店を尻目に、街中でよく見かけるのが弁当などを移動販売するキッチンカー(フードトラック)だ。軽トラックやライトバンに厨房(ちゅうぼう)設備を取り付けた車両は、今やオフィス街やイベント会場だけでなく、住宅街にも進出している。その現状をリポートする。 *  *  *  国内屈指のオフィス街、東京・大手町。新型コロナ禍によるリモートワークでビジネスマンの姿は減ったものの、ランチ時ともなると各ビルのエントランスやパティオに並ぶキッチンカーには人だかりができる。  中でも神田川沿いの「大手町川端フードガーデン」は、毎日10台前後が軒を連ねるキッチンカーの“名所”だ。  7月のある日、正午前に訪れると、ケバブやタコライス、チキンビリヤニ、奥では吉野家のノボリもはためいていた。  運営管理するのは「無形工房kochen」(東京都港区)。同社の中野敏行社長(60)はキッチンカー歴15年の業界最古参の一人で、6年前から委託されている。 「コロナ前は、15台前後出店して月間総売り上げ約900万円を記録したこともありました。それが最初の緊急事態宣言で営業ができなくなり、いったんゼロに。再開後は昨年8月が約230万円、現在は10台で約500万円まで戻しています」  キッチンカーもコロナに翻弄されてはいるが、参入者は増えている。  空きスペースのマッチング事業のパイオニア「軒先」(東京都千代田区)の西浦明子社長(52)は「コロナ前に比べて弊社に登録された出店者(社)は1.4倍に増えました」。  キッチンカー専門メーカー「フードトラックカンパニー」(東京都目黒区)の浅葉郁男社長(37)も、「受注したキッチンカーは、2019年が月間平均10台ほどでしたが、昨年は20台へと倍増し、今年は上半期の実績で25台です」と話し、キッチンカー需要は強いという。  グルメに知られた都内・丸の内の「東京会館」が昨年12月、「日比谷松本楼」が今年1月からキッチンカー事業に着手したことも話題となった。  人気の理由は、密を避けての飲食で、弁当・総菜を購入したい消費者ニーズにほかならない。また、経営側にとっては、初期費用、維持・運営費を安く抑えられるため出店しやすい。もし、思うような売り上げが確保できない場所であれば、即座に移動して新たなマーケットを探せる……。  主な出店場所はオフィス街や幹線道路のロードサイド店駐車場だが、新たに住宅地やタワーマンション、大型総合病院が注目されている。軒先の西浦社長がこう話す。 「コロナ前は見向きもされなかった住宅地に、いざ出店してみたら、意外とランチや総菜の需要がありました。大人数での外食がしにくい中、非日常的なキッチンカーでの買い物は、心をウキウキさせるプチレジャー感があるからではないでしょうか」  今年4月から埼玉県内で、チャーシュー丼などを販売する「ラッキーポークカー」を出店している河野英司さん(52)は昨年6月、28年間経営してきた都内千代田区の居酒屋を閉め、新たな活路にキッチンカーを選んだ。 「老若男女問わず、好き嫌いが割と少なく、安価に提供できることから豚肉料理をメインにしました。曜日ごとにJR蕨駅、北与野駅の駅前と越谷市の獨協医科大学埼玉医療センターにいます」  愛車の製作は先述のフードトラックカンパニーに依頼し、厨房設備を含めて初期費用は約350万円。すべて預貯金で賄った。 「出店場所は仲介業者にあっせんしてもらっています。自分で探したこともあるのですが、条件の良い場所はすでに仲介業者が押さえているので、『餅は餅屋』に任せることにしたわけです」  出店時間は12時から20時前後。売れ行きがいいのは16時以降の総菜タイムで、1日当たり3万~5万円の売り上げという。  クレープとタピオカをメインにフランチャイズ(FC)制の「ベリーズ・カフェ」で奮闘中なのは、同じく埼玉県の小林勲さん(54)だ。 「2年前、それまで25年間勤務していた冠婚葬祭会社を早期退職して、昨年1月に開業しました。下調べの結果、過去の実績と1年を通じて売り上げが見込める商品としてクレープを選び、研修や車両、食材をセットで起業支援する大阪の会社と契約しました」  その会社は13年6月に創業した「NE PROJECT」(大阪府堺市)で、和田幸一社長(52)は大手クーポンサービス会社の役員を経て開業支援を始めた。 「クレープは食べたことはなくても、どのようなスイーツか誰もが知っていますし、ポップで可愛いイメージなので場所が借りやすい。企業イベントの出店依頼も多く、しかも比較的利益率が高いのが魅力です。売り上げは現状で月平均70万円くらいから、多い人で200万円」(和田社長)  同社の強みは和田社長自らが開拓したショッピングモールやアウトレットモール、ホームセンター、スーパーなど、全国に数百カ所持つ独自の出店先だ。  一方、小林さんにとっては大きな人生の岐路。少なからず葛藤があった。 「最初、妻に相談したときは、猛反対されました。でも定年までのカウントダウンが見えてきて、その後の生活に不安を感じていたので、『気力も体力もあるうちに起業して基盤をつくっておいたほうが得策』と説得して了解を得ました」  出店した矢先にコロナ禍となり、当初の目算とは違う結果になったが、 「お客さんの笑顔を毎日見ることができるのは、本当にやりがいを感じます。夏場は苦戦しますが、リピーターさんが徐々に増えてきてるので頑張れますね」  キッチンカーの開業に当たっては、多くの仲介業者などがそれぞれセミナーを開いているので、まずは受講することをお勧めしたい。  とはいえ、皆が皆、成功するほど楽ではない。無形工房の中野社長がこう指摘する。 「だれでも参入できるのがキッチンカーですが、3年後に生き残っているのは3割ほど。調理に火を使いますから、料理によっては車内温度が70度を超すことはザラです。それでも成功している人は、助言者の話を素直に聞き、模倣が上手な人」  車両購入の際は、少なくとも数社から相見積もりを取ったほうがいい。 「保健所の許可がとりやすい設計で、オペレーションがスムーズにできる。そしてコンディションの良い車両を選ぶことが大切」(前出の浅葉社長) 「予算が少なければ中古車。150万円ほどからあります」(中野社長)  流行に踊らされず、信念を貫くことが成功への早道だ。(高鍬真之) ※週刊朝日  2021年8月20‐27日号
コロナ禍で不倫が増加!? 嘘の出社日、別室借り…“密”会体験談
コロナ禍で不倫が増加!? 嘘の出社日、別室借り…“密”会体験談 ※写真はイメージです (GettyImages)  オリンピック開幕中に新規感染者数が最多を更新するなど、新型コロナウイルスの拡大は1年半たっても止まらない。“密”を避け、ステイホームが叫ばれるなか、意外なことに不倫カップルも急増しているという。その理由は「コロナ禍のほうが密会しやすいから」というから驚きだ! *  *  * 「リモート勤務が始まったばかりのころは、もうこういう関係も終わりだなと思っていました」  埼玉県在住の男性(40)はこう打ち明ける。在宅勤務で一日中、妻子と一緒の生活となった当初は、不倫相手の30代女性に電話さえできない日々が続いた。昨年の最初の緊急事態宣言下では東京の街はガラガラ。“自粛警察”も現れ、自分が外出するなんて想像もしなかったが、すぐに転機が訪れた。週に1度の出社日、我慢できずに不倫相手に電話をかけてしまったのだ。 「彼女が言うんです。『リモートでの仕事なんて私の家からだってできるじゃない』って。なるほどと思いました」。まもなく、密会はエスカレートしていった。 「妻には出社日だと偽って彼女の家に行き、仕事はリモートでやりながら、水入らずの時間を過ごしました。初めて彼女の部屋に入るドキドキも手伝って、盛り上がりました。少しずつ妻に伝える出社日も増えましたが、全然疑わない。結果的に、新型コロナ前より密会する時間も長くなりました」  たまには外に出たいという彼女のリクエストに応えて、昼休みの時間にふたりでランチに出かけたり、閑古鳥のラブホテルのフリータイムをエンジョイしたりもした。 「慣れてくると、リモートで業務中の彼女の下半身を裸にして遊んだり、その仕返しをされたり、大胆なことも平気に(笑)。宣言が明けてもリモート勤務は続いていましたが、『通常勤務に戻った』と妻には伝え“偽出社”して彼女の家に入り浸りでしたね」  4度目の緊急事態宣言下の東京五輪期間中も、オリンピックならぬ「不倫ピック」で、リモート勤務となった彼女の家で過ごしている。  コロナ禍で不倫を始めたという女性もいる。都内在住の40代女性はこう話す。 「昨年春から夫も私も基本はテレワーク、ふたりの子どもも休校で家にいます。3LDKの狭いマンションで家族4人、顔をつきあわせる日々が続き、気持ちが煮詰まった」  夫と別室でしていたテレワークの合間に、初めてSNSに手を出し、高校時代に片思いだった男性とのやり取りが始まったという。やがて、お互いの会社が近いことがわかり、出社日を調整し合って再会。「明日も出社だということにして会おう」と、不倫に走った。 「そんなことになるなんて思ってもいなかったけど、コロナ禍で唯一の救いになったのが彼だったかも。『Go Toキャンペーン』のころは割安で食事やホテル利用ができたのもラッキーでした。今は夫が通常勤務で私は週3回出社ですが、会う時間をつくって不倫を楽しんでいます。夫とのセックスレスが解消されたら、更年期症状も楽になった気がします。今後もバレないように続けていくつもりです」  不倫カップルの多くは「コロナ禍のほうが密会しやすい」と口をそろえる。 「今日は出社日と妻に言えば、疑われずに外出できる」(50代男性)、「100%リモート勤務になったことを相方に告げずに、今日は出社日と言ってデートしている」(40代女性)など。「相手の男性にリモートで会社のスタッフと話しているふりをさせて、きわどい会話を楽しんでいる」(20代女性)という強者もいた。  コンドームメーカーのジェクスが昨年2月、新型コロナ流行直後に実施したアンケートによると、「浮気・不倫の経験がある」と答えた男性は約68%、女性は約46%。2017年の同様の調査より男性は30ポイント超、女性は20ポイント超、それぞれ増えた。  夫婦問題研究家の岡野あつこさんも夫婦間の相談のうち、不倫がコロナ禍で増えているという。 「新型コロナ発生当初は、在宅時間が長くなり夫婦間のストレスが増加したという相談が多かったのですが、今年に入って増えているのは不倫の相談です。一緒の時間が長くなり夫(妻)にイライラ、不倫相手には会えずイライラ。それが爆発して不倫に突き進んでしまったというケースが多いようです」 ■外に部屋を借り家庭内感染防止  例えばこんな内容だ。「家庭内感染を避けるため」と説明し、マンスリーマンションを借りた夫が、その部屋で堂々と不倫をしていたという。 「受験を控える息子と高齢の両親が同居していたので、夫の提案を受け入れたら、まさか夫は不倫相手と暮らしていたというんです。用事があって夫の部屋に立ち寄ったら、インターホンに出たのは女性だったため発覚しました」(岡野さん) 『夫の不倫がどうしても許せない女たち』など不倫関連の著書も多い亀山早苗さんは、コロナ禍で不倫する女性が増えていると実感していたという。 「家族とずっと一緒で煮詰まってしまった既婚者と、一人暮らしでステイホームが続き、人恋しさが募る不倫相手の利害が一致したのかもしれませんね。在宅勤務では急に出社の必要が生じることもあり、とっぴな外出も疑われにくいということもあるでしょう。取材していても、新型コロナになってからマッチングアプリを始めたという女性はかなりたくさんいますね」  亀山さんが出会った40代の女性は、こんな体験を話してくれたという。  自分はこれまでどおりシフト制のパート勤めなのに、夫は自宅でテレワーク。自分が働いている間に、夫と娘が楽しそうに話している。そんなモヤモヤを抱えていたときに、友人からマッチングアプリを紹介されたのだ。  仕事のため留守番となった自分を除き、家族が長期休暇で旅行に出かけた日、初めてアプリに登録し、そこで知り合った既婚男性と1カ月後に会うことに。ひと目で惹(ひ)かれ合い、今は恋する毎日を送っているという。  東京・渋谷のホテル街を今も定点観測しているという亀山さんは、 「コロナ禍の今でもホテル街にはたくさんの不倫のにおいがするカップルが出入りしています」  五輪期間中だからこそ人流を抑えなければならないのに、「不倫ピック」は聖火を高らかに掲げ、まさに絶賛開幕中なのだ。(本誌・鈴木裕也) ※週刊朝日  2021年8月13日号
ひとりで死ぬために必要な備え 「死後事務委任契約」とは?
ひとりで死ぬために必要な備え 「死後事務委任契約」とは? ※写真はイメージです (GettyImages) (週刊朝日2021年8月13日号より) 「最期まで住み慣れた家で過ごしたい」と、「在宅死」を選ぶ人が増えている。家族がいなくとも家で最期を迎えられるそう。後悔しない「看取りへの備え」とは? 【前編/コロナ禍で在宅死の希望が増加 在宅医療は意外と安い?】より続く *  *  *  もちろん「おひとりさま」でも在宅死を選択できる。 「オレは絶対に病院とか施設とか行く気はないから。畳の上で死にたいんだ」  と、『「在宅死」という選択 納得できる最期のために』(大和書房)の著者で、在宅医療専門医の中村明澄医師に訴えたのは、C男さん(当時98)。妻やきょうだいには先立たれて、子どもはいない。血縁の親族も近くにいなかった。 「介護保険サービスの利用は最小限にして、家に人が出入りするのは、できる限り少なくしたいというのが希望でした。『自宅で治療が受けられる範囲で治らないのならあきらめる』と病院の受診も拒否されました」(中村医師)  ほとんど寝たきりの状態になり要介護度は5になった。おむつを使用するようになっても、「最近のおむつは性能がいいんだ」と言い、使ったサービスは1日1回の訪問介護と、週1回の訪問看護のみ。  床ずれを心配して介護ベッドのレンタルを勧めても、「布団がいい」と拒否。本人の希望どおりに布団のなかで、眠るように息を引き取った。  翌日に訪問した看護師や介護職員が見つけるケースもあるが、ひとりで逝ったとしても「孤独死」ではないという。  このように、おひとりさまでも「在宅死」を選択することができるが、「亡くなった後の備え」が必要になる。  D子さん(当時75)は、姉と二人暮らしだったが、姉を看取った後、「姉は自分が看取ったが、自分はどうやって看取られるのだろうか」と不安に駆られた。  甥や姪は疎遠なので負担はかけたくない。そこで、「死後事務委任契約」を結ぶことにした。  死後事務委任契約とは、元気なうちに、本人が亡くなった後の「死後の手続き」のほか、葬儀、納骨などを第三者に委任する契約をいう。 「自分が死んだ後の『死後の手続き』は家族や親族がいる人はいいのですが、子どもがいない、兄弟姉妹や配偶者には先立たれて、離れて暮らす親族には頼めないという人が増えています。葬儀や埋葬や、死後の手続きを行う『死後事務委任契約』を結ぶと安心できます」  そう語るのは、D子さんを看取った司法書士法人ミラシア、行政書士法人ミラシア代表の元木翼さん。  注意したいのは死亡届。自治体に出す死亡届は戸籍法により提出する人は家族や親族、後見人などに限られているので、判断能力が低下したときに備える成年後見制度の「任意後見」と一緒に契約するのが一般的という。 「遺言書では財産の継承以外の死後の手続きについて記載しても、法的な拘束力はないので、遺言書と死後事務委任契約をセットで、公正証書によって作成します」(元木さん)  D子さんのケースでは、病気で入院したとき、病室での付き添いや医療費の支払いなどは元木さんが任意後見人として代行した。  いよいよ危篤の状態になったときに医師から連絡が入り、D子さんを看取った。亡くなった後から、死後事務委任契約の「受任者」として生前に契約で結んだ内容に沿ってさまざまな手続きを実行していった。  まず、葬儀会社の手配をして、「喪主代行」として葬儀の準備に取りかかる。事前に甥や姪、関係者のリストを作ってもらい、D子さんが亡くなったことを連絡して、葬儀から火葬、納骨するまで仕切った。その一方で、行政関係の届け出、電気・ガス・水道など公共料金の支払い停止、固定・携帯電話、インターネットプロバイダー、クレジットカードなどの解約をし、遺品整理の業者に連絡して家財を片付けて、自宅を家主に引き渡した。  気になるのは、これらの費用。死後事務委任契約は、決まった形式はないが、公正証書で交わすケースが多く、公証人の手数料が約2万円。  死後事務委任契約の報酬に基準はなく、受任者に支払う報酬の相場は30万~50万円。委任する業務が多いほど価格は上がる。このほかに、葬儀代や遺品整理業者などへの支払いが別途かかる。実費を含めてトータルで100万~150万円あれば、無事にお墓まで連れていってくれるのだ。 「受任者は弁護士や行政書士、司法書士など専門家に頼むと安心できるでしょう。ただし、先に受任者が亡くなったり、法人が倒産したりするといったリスクも考えられますので、報酬は生前ではなく、相続財産から支払うケースが安心です。  受任者は遺言執行者を兼務して、死後事務委任契約書に『死後事務の費用や報酬は故人の遺産を受け取る相続人や遺言執行者から支払う』などと明記しておくといいでしょう」(同)  住まいが賃貸ではなく、持ち家であれば売却手続き、車を所有していれば処分もする。  死後にどんな手続きが発生するのかは、その人の所有している物にもよる。「エンディングノート」などで、処分してもらいたいものや情報をまとめておくと、処分する費用がいくらかかるのか、目安にもなる。  お金をかけないで、なおかつ納得した最期を迎えるためにも、元気なうちから「終活」を始めておきたい。(ライター・村田くみ) ※週刊朝日  2021年8月13日号より抜粋
自分らしい生き方描く“終活”物語 桂望実「よく聞くのが親への後悔話」
自分らしい生き方描く“終活”物語 桂望実「よく聞くのが親への後悔話」 桂 望実(かつら・のぞみ)/1965年、東京都生まれ。大妻女子大学卒業後、会社員、フリーライターを経て、2003年『死日記』でデビュー。05年刊行の『県庁の星』が翌年映画化され大ヒット。他の著書に『嫌な女』『僕は金になる』『総選挙ホテル』など。(提供)  作家・桂望実さんの最新作『終活の準備はお済みですか?』(KADOKAWA、1760円・税込み)は、葬儀会社千銀堂の子会社満風会の終活相談員・三崎清とそこに集う老若男女の交流と、それぞれの“終活”を描いている。 「私自身、いつ親が亡くなってもおかしくない年齢になりましたし、知人の親が亡くなることも増えてきました。その時よく聞くのが『親が生きている間にもっとこうしておけばよかった』という後悔話。そういう意味では未婚既婚、若者老人に関係なく人生の閉じ方を考えることは共通のテーマになりうるのではないか、と思ったのがこの作品を書くきっかけです」  どうしても“終活”と聞くと、人生の終え方の物語と思われがちだが、今作は「そこに至るまでにどれだけ自分らしく生きられるか」を描いたのだと桂さんは言う。  5人5様の「終活」は、そのどれもが時に切なく、心に響く。例えば、3人兄弟の68歳になる末っ子の発案で、カッコよくて憧れの存在だった長兄が認知症になったのを機に、キャンピングカーで旅をするという第二章。長兄に寄り添う弟たちの姿が実に微笑ましい。 「子供みたいなお兄ちゃんに接していくことに最初は弟たちも葛藤があったと思います。でも、それが今後の3兄弟の新しい関係性になっていくわけで、それはそれで幸せな人生なのかなって」  葬儀、ましてや人生のエンディングをテーマにする作品はどうしても暗くなりがちだ。だからこそ桂さんは読後感に人一倍こだわっている。 「プロの作家になる前、友人に私の書いた小説を読んでもらったことがあるんです。そしたら『お金を払ってこんな救いのない小説は買わない』と言われたんですよね。その時に世間の人は明るい兆しや、明日元気になれそうといったものを本に求めているんだということを思い知らされて。それからは、“読後感”にはすごく気をつけています」  さて、50代半ばとなったご自身の年齢をどう捉えているのだろう。 「それこそ昔は人生のゴール間際で世の中のこともわかり、人格もできあがっている“大人”という印象があったんです。でも、実際の自分は、こんなにしっかりしてない50代もいるの、ってぐらい頼りない。ただ、友人たちを見ると、離婚したり、この年で恋愛するの!?みたいなことも平気でしているので、まだまだ元気な年代なんだなあ、と。たぶんこれからも悩むし、迷うだろうけど、新しい人生にも足を踏み出せる、そんな最後の年代かなって気がします」  最後に読者へのメッセージを。 「人生の見直しは定期的にすべきだと思います。もし、思うようにいかなくなっているのなら時々立ち止まって、このままでいいのか、それとも方向性を変えるべきかを考えてほしい。そういうことの大切さをこの小説を読んで何となくでもいいので気がついてもらえたら、と思います」 (大西展子) ※週刊朝日  2021年8月13日号
天龍さんが語る“店の経営”レスラーより手強い寿司職人 お客さんは里見浩太朗、東山紀之…と豪華面々
天龍さんが語る“店の経営”レスラーより手強い寿司職人 お客さんは里見浩太朗、東山紀之…と豪華面々 天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子) 七夕に開催された試合の後、天龍さんがリングに登壇。次回は8月13日!(天龍源一郎公式インスタグラム@tenryu_genichiroより)天龍プロジェクトpresents「SURVIVE THE REVOLUTION Vol.8」8月13日(金)OPEN18:30/GONG19:00/新木場1stRING (東京都江東区新木場1-6-24)/チケット料金(前売りチケット)特別リングサイド(1.2列目)…6000円/指定席(3列目以降)…5000円※当日券は500円UP/チケットはこちらhttps://www.tenryuproject.jp/product/47日本全国どこからでも会場の熱気そのままにお楽しみ頂ける生配信!ログイン方法等お使いになりやすい方のチケットでお楽しみください! 配信チケットhttps://tenryuproject.zaiko.io/buy/1qoL:dSx:9982dLINELIVE⇒https://onl.tw/WAMdtKg  50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、2019年の小脳梗塞に続き、今度はうっ血性心不全の大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「店の経営」をテーマに、つれづれに明るく飄々と語ってもらいました。 * * *  俺が47~48歳のときに「プロレスもだいぶやったし、そろそろサイドビジネスをしたいな」と思って店を始めたんだ。それが、東京都・世田谷区の桜新町で1997年~2009年までやっていた「鮨処しま田」だ。  店を借りた当初は焼肉屋をやろうと思っていたんだけど、大家さんから「焼肉屋は煙が出るからダメだ」と言われてしまってね(「しま田」が閉店した後、そこは焼き鳥屋になった。煙が出るじゃねーかよ!)。それで銀座で寿司屋をやっている人に相談したら、寿司屋をやってみたらと勧められたんだ。  それで、今度は回転寿司をやろうとしたんだけど、その人に「天龍源一郎が回転寿司はカッコ悪いだろう」と言われてね。協力を得て「世田谷で銀座の味が食べられる」というコンセプトで寿司屋を始めたんだ。  店の自慢は白木の一枚板のカウンターが2枚あって、銀座の寿司屋が仕入れるようないいネタを出していたことだ。当時、店があった街には家族経営の寿司屋が多くて、宴会や家族連れでゆっくりできる店が少なかったから、うちは70席以上ある広い店にして、ここで銀座の味が楽しめる店にすれば、世田谷だし、お客さんもいっぱい来てくれるだろうと思っていた。  ところが、この辺の人は銀座をはじめ都心でご飯を食べてから家に帰ってくる人が多いもんで、なかなか思惑通りとはいかなかった。口が肥えているからいいものを出せば来てくれるだろうと思っていたが、それは都心で食べて、近所で食べるのは手ごろな値段の店がいいということだ。ここで、ちょっと俺の経営理念と乖離(かいり)があったね。  それでも月に100万円近くの金が手元に残ったときは、プロレスをやめてもこれで生活していけばいいかって思ったもんだよ(笑)。でも、4~5年で徐々に経営が厳しくなったけど、13年間も店をやってこられたのは、大会があるとファンの人たちが三々五々集まってきてくれてお金を落としてくれたお陰もある。  俺も週に3~4回は店に顔を出して、カウンターで酒を飲んだり、お客さんに挨拶したり。ファンが来てくれた時はアイスペールにいろいろな酒を混ぜた“天龍カクテル”でもてなして、ベロベロに酔ってお帰りいただいたりね(笑)。俺が店で飲んでいるのを見て、俺が店のオヤジだって知らない人は「なんでレスラーがでかい顔してカウンターで飲んでるんだ」って思ったんじゃないかな。俺のことをまったく知らない人だとなおさら“ややこしい人”がいると思うよね。  店の経営者として、お客さんのクレームやトラブルがあると対応しなきゃいけないけど、俺が話に入ってくると、知らない人は“ややこしい人”が出てきたと思うらしい。トラブル対応した後日「お前のところは、寿司屋のくせに“プロのややこしい奴”を使いやがって!」と抗議の電話がかかってきたこともあったよ(笑)。  土地柄、芸能人も多く住んでいて、俺の店だと知らずに来てくれる人も多かった。里見浩太朗さん夫妻、元プロ野球選手の山本浩二さん夫妻、サッカーの北澤豪さん、杉本彩さん、少年隊の東山紀之さん、それから当時は大人気だった押尾学君もうちでよく宴会を開いてくれたりしていたよ。  漫画家のやくみつるさんもちょこちょこ来てくれたけど、俺はあんな風刺漫画を書いている人だから、面白い性格の人だと思ってからかったりしたんだ。でもやくさんは意外と真面目な人で、お酒もあまり飲まないもんだから最初は戸惑ったよ。まあ、最終的には無理やり飲ませてベロベロにして、後で文句も言われけど、うちの店はそういう被害者が多いからね(笑)。  それから相撲では谷川さんや北の富士さんも来てくれた。北の富士さんが初めて来てくれたときは、着流しの粋な恰好をしていてね、女房も娘も一目で「カッコいい!」となっちゃった。特に娘はそれまで一番の男は父親である天龍かケンドー・カシンかだったのに、その日から北の富士さんが一番になった(笑)。  そうそう、店にはレイザーラモンRGもよく来ていた、というより俺が呼んで飯を食わせていたんだけどね。RGとはハッスルで一緒だったんだけど、最初はHGと二人「場違いな奴が来たな。こんな素人がふざけやがって」と思っていたんだ。「プロレスは世間からこんなに軽んじられているのか」と憤慨もしたが、RGとHGの二人が一生懸命やっているのを見て見直したのが正直なところだ。  彼らは受け身などの練習もよくやっていたし、試合でも全力で頑張っていた。だから、特にRGのことはよく店に呼んでは飯を食わせて、飲ませていたよ。今のように「あるある」でブレークする前だからね。最近は連絡もめっきりなくなって、偉くなったな、あの野郎!(笑)。まあ、RGからしたらずいぶん年上の俺に連絡もしづらいだろう。俺も逆の立場だったら連絡しづらいしね。それに彼の活躍は、いつもテレビで観ていて元気にしているのがわかるからいいんだ。俺が生きているうちに、もう一回くらい飯食いに行けるかな?  いろいろな人が来てくれて、広い店だったけど、その分、多くの職人を雇っていたし、その職人を扱うのは難しかったね……。店を手伝っていた娘は「プロレスラーも職人も大差無いよ!」と言うけど、力士やレスラーよりも職人は手に負えない……。レスラーはライオンと一緒で、相手が噛みついてきたら力ねじ伏せて、服従させられるけど、職人相手に言葉のコミュニケーションだけでそれをするのは難しい。  それに職人は「あんたは腕がいいから1番のポジションで、あなたが2番」と、こっちで序列を作るとプライドが傷つくし、実力差があっても「なんで俺があいつの下に仕えなきゃいけないんだ!」ということも多くあった。プロレスは実力次第で“飛び級”でトップになれるけど、職人はそうはいかない。  その調整や見極めも難しいし、特に腕のある職人はそれなりにお米(給料)も取っている上に、手に負えないのが多かったなぁ。多いときはつけ台で握れる職人が5~6人とその下に3~4人で10人ほど従業員として雇っていたからね。職人同士で徒党を組むし、嫌なことがあると「辞める」「じゃあ、お前が握ってみろよ」なんて言って、こっちも職人に辞められると困るからね……。  仕入れにしても、自分で金を出すわけじゃないから値段交渉もしないでホイホイ買ってくるし、常連さんが来ると「これ、うちからのサービスです」っていろいろ出すけど、その金を払ってるのはこっちだろう! って思うこともよくあった。  お客さんとしゃべってるだけで、今日出したいネタを勧めなかったり、逆に全然お客さんとしゃべれなかったり。寿司屋の評価は板前次第だし、その板前も誰に当たるかで印象が全然違う。お客さんにとっては板前=店だもの。俺も人を店に連れてくるときは「この板前がいい」という人もいたからね。板前をうまくコントロールするのは難しいし、「もっとこうしてくれよ!」と、もどかしい思いもいっぱいしたよ。  そんな職人を相手にするのは女将である女房だったんだけど、彼女は大変だったろうね。女房のアイデアで当時の寿司屋では珍しかったサラダをメニューに載せたんだ。これは「鮨処しま田」のヒットメニューになったんだけど、女房が「店でサラダを出したい」と言ったときは職人が「寿司屋でサラダなんか出せるか!」と反対したし、店を出すときに相談した人も「寿司屋でサラダは……」なんて言っていたからね。でも、その3年後にはその人の銀座の店でもサラダを出し始めたから、こっちは「なんだよ!」だ(笑)。  同じようにランチも女房の発案で始めたときも、職人たちは猛反発。自分たちが忙しくなるからね。でも、このランチで出していたネギトロ小丼とうどんのセットも大当たりだ。近所に勤めている人たちがいっぱい来てくれて、ランチ時は70席の店が2~3回転していて「この街にこんなに人がいたのか!?」と思ったほどだ。  ランチはほとんど女房と娘が対応していたから、彼女らはいまだに「地獄だった」と言うけど(笑)。他にも、マグロやその日のネタを刻んで、オクラや納豆と合わせて特製のタレをかけた「パワー丼」も人気だったね。素人のアイデアもヒットにつながることは多いんだよ。  そうそう、娘がよく出前の配達をしていたんだけど、寿司屋の出前はほとんどが男だろう? 出前先で受け取るのはその家の奥さんが多いから「女の人が来てくれて嬉しい」と評判だったんだ。最近はデリバリーをやっている店も多いから、少し参考になるんじゃないかな。  いろいろなアイデアを出したり、接客で店を切り盛りしていた女房だけど、店を始めて4~5年経ったころ、急に「私は魚の生臭い匂いが大嫌いだ!」と言い出して、驚いたこともあった。寿司屋を始める前に言ってくれよ……。女房は少しでも魚の匂いがしないように掃除を徹底していたから、うちは寿司屋独特の魚の匂いが一切しなかったんだ。寿司屋の女将が魚の匂いが嫌いなんだもの(笑)。  店を切り盛りしていた女房の負担も大きくなって、2009年11月のある日、女房が突然「よし、店は今年でやめよう!」と言い出した。意気に感じない職人たちに女房がギブアップした形かな。俺も女房が頑張ってくれていたのは知っていたし、覚悟はしてたけど、それでもあまりに突然だった。  そんなんだから、最後の1カ月は「13年間で来てくれたお客さんが全員来てくれたんじゃないか」というぐらい大忙しだった。店で使っていた湯呑や皿も「ご自由にお持ちください」って店の外に出していたら、それも大盛況だ。自慢の白木のカウンターも処分してしまったが、今にして思えば小さく切ってサインを入れたり、下駄にしたりして売ればよかったよ、もったいない(笑)。  こうして「俺の引退後に食い扶持を稼ぐための店」を閉めたわけだが、このことが後の「天龍プロジェクト」設立につながるんだよね。あのまま店を続けていたら娘も天プロの代表ではなく、寿司屋の代表になっていだろうなぁ。  いろいろあって閉店したとはいえ「鮨処しま田」はいい思い出の場所だ。自分の店で仲間を呼んで飲めるというのは、解放感と充実感があったし、楽しい時間が過ごせる場所だった。呼んだレスラーが騒ぎすぎて、ほかのお客さんに「うるさい!」と怒られることもしばしばだったけど(笑)。なにより、俺の試合があまりなく、トレーニングしかしない日々が続いて「俺は何をやっているんだろう」と自問自答していた時期も、この店が逃げ場となって支えてくれたのも事実だ。  俺にとっても店はファンだけでなく、俺やプロレスを知らない人との交流の場でもあったし、そこからプロレスファンになってくれた人も大勢いる。プロレスを知らない人と一番触れ合ったのは店での時間だからね。今でも「ここは『しま田』があった場所だよね」「よく『しま田』に行っていましたよ」という話を聞く機会もあって、懐かしく、感慨深い気持ちになる。  ずいぶん職人の悪口も言ったけど、うちにいた職人が出した店にうちのお客さんだった人が今も通っていたり、職人だった人が天龍プロジェクトの試合を観に来てくれたりと、今も店の縁と人の交流は続いているんだ。だからあんまり悪いことも言えないんだけど、あの時大変な思いをして店を切り盛りしていたのは事実だし、まぁ、良しとしよう!(笑) (構成・高橋ダイスケ) 天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。
コロナ禍で在宅死の希望が増加 在宅医療は意外と安い?
コロナ禍で在宅死の希望が増加 在宅医療は意外と安い? (週刊朝日2021年8月13日号より) (週刊朝日2021年8月13日号より)  家族にも迷惑をかけるのだろうから、病院に行くべきなんだけど、できれば最期まで家で過ごしたい──。  肺がんの終末期だったA男さん(当時64)は、病院の医師から「これ以上できる治療はない」と言われて、自宅近くの診療所の在宅医療を受けることになった。時間があるときは近所のパチンコ店に出かけるなど、まだ趣味を謳歌でき、普段の生活は変わりなかったという。 「余命数カ月と言われても、まだ歩いて病院に通えるくらいの体力があると、在宅医療は必要ないのでは?と思う人も多いのですが、がんの最期は急速に状態が変化するので、慌てる前に『納得できる最期』を選んで準備してもらいたいと思っていました」  A男さんを看取ったときの様子をそう振り返るのは、『「在宅死」という選択 納得できる最期のために』(大和書房)の著者で、在宅医療専門医の中村明澄医師。  中村医師は大学病院を経て、2017年に「向日葵クリニック」(千葉県八千代市)を開設。年間100件以上看取り、在宅医療に関する情報を発信している。 「在宅医療」とは、通院が困難な人が自宅で生活を送りながら医療サービスを受けられる医療制度のこと。医師や看護師、薬剤師などが自宅へ訪問して、適切な治療を行う。 「そのまま自宅で看取られた方もいますし、家族に迷惑をかけたくないと、病院や施設での最期を選ぶ方もいます。最期までの時間の過ごし方、看取りの場所は自分で決めていいのです」(中村医師、以下同)  A男さんはまだ通院できる状態だったが、主治医から在宅医療を勧められ、向日葵クリニックにつながった。最初、中村医師は月2回のペースでA男さん宅を訪問。あるときA男さんの妻からこう告げられたという。 「A男さんの奥さま(同59)は、夫の死期が近づいている事実を認めたくない様子で、『余命はあと数カ月と言って、今がその時期かもしれないけれど、まだ動けるし、口は達者だし、まだ大丈夫でしょう?』とおっしゃったので、私は『あと1カ月はないと思います』とはっきり伝えました」  妻は取り乱すことなく、「それなら仕事を休んで最期まで夫に付き合います」と即答。職場に介護休業を申請し、介護に専念した。それから2週間ほどして、A男さんは自宅で家族や中村医師に見守られながら、静かに息を引き取った。  今、コロナ禍で病院では面会がほとんどできないので、在宅医療を希望する人が多いという。その流れで「最期まで住み慣れた家で過ごしたい」と在宅死を選ぶ人が増えている。 「自宅で亡くなるときには、最期の瞬間に医師や看護師が立ち会うことは少なく、ご家族だけで看取ることがほとんどです。ご家族から『呼吸が止まった』といった連絡を受けてから医師が訪問し、死亡確認を取った後、死亡診断書をお渡しします。最期までの瞬間はとても大切な時間ですから、慌てて医師や看護師を呼ぶ必要はありません」  自宅で最期まで過ごすことを考えている場合は、24時間体制が整っている「在宅療養支援診療所」に依頼するのがよいと、中村医師は言う。  かかりつけ医やケアマネジャー、病院内の医療連携室、地域包括支援センターなどで教えてもらえるので相談してみよう。  そして気になるのは、お金のこと。在宅医療は高額な費用がかかると思われがちだが、基本、公的な健康保険が適用される。  例えば、75歳以上で健康保険の自己負担が1割の人は、月2回の訪問で、約6500円程度かかる。ただし、高額療養費制度で70歳以上の自己負担の上限額は、月に1万8千円(一般年収の場合)と決められているので、それ以上の負担はない。  70歳未満の人は、自己負担が3割になるので、月2回訪問診療を受けると、約2万円。このほかに薬代、介護保険サービスを使えばその分の費用がかかってくる。 「介護保険サービスは65歳以上の方が対象ですが、がんの終末期の方など国の定めた16の『特定疾病』に認定されると、40~64歳の方でも利用できますので、使いたいサービスがあったらあきらめないで、まずは医師に相談してほしい」  在宅医療は医師や看護師、ケアマネジャー、服薬指導などを行う薬剤師、リハビリを行う理学療法士など、さまざまな専門家が連携を取りながらサポートしてくれる。  前出のA男さんは、64歳だったが、要介護認定を受けると要支援1。介護ベッドをレンタルした。自力で入浴するのが困難になってから訪問入浴を利用するというように、そのときの体調に応じて、介護サービスを使うことができる。  末期がんの人以外にも、「在宅死」を選択した人はいる。  認知症のB子さん(当時98)は、肺炎で入院したとき、持病の心臓病も抱えていたので療養型の病院への転院を勧められたが、娘(同75)が自宅での療養を決めたという。 「食事は少しずつですが、口から食べさせてあげると『うん、うん』と言いながら喜んでいたようです。B子さんはほとんど寝たきりだったので、娘さんは三度の食事やおむつの取り換えなど、毎日の暮らしの世話から、床ずれのケアまで丁寧に介護されていました」  穏やかな日々は3カ月ほど続いたが、お別れは突然やってきた。  いつものとおりに昼ごはんを食べて、娘が自分の食事を済ませてB子さんのベッドを見に行くと、すでに呼吸が止まっていたという。中村医師たちが駆けつけ、死亡を確認した。  亡くなった後に、体をきれいにして身なりを整える「エンゼルケア」を行った。エンゼルケアは訪問看護師か葬儀会社のどちらに頼んでもよいが、訪問看護師が行うと費用が5千~2万円程度かかる。葬儀会社ではセットで含まれているケースがあるので重複していないか確認する必要がある。 「『よかったね、きれいにしてもらったね』と、娘さんたちが涙を流しながら、穏やかな笑顔を浮かべていました。思い出話をしながら100歳近くまで頑張って生きてきたB子さんの人生をみんなでたたえるような穏やかなお見送りができました」  娘たち遺族も、自分ができることをすべてやりきった満足感から、「在宅死を選んでよかった」と振り返っていたという。(ライター・村田くみ) ※週刊朝日  2021年8月13日号より抜粋
「もう夫はいらない。邪魔されず生きたい」夫を断捨離する妻のリアル
「もう夫はいらない。邪魔されず生きたい」夫を断捨離する妻のリアル 篠原涼子(左)、市村正親 (c)朝日新聞社  23年にわたる結婚生活を解消した鈴木保奈美(54)と石橋貴明(59)、結婚16年で離婚した篠原涼子(47)と市村正親(72)。この2組は、いわゆる“略奪婚”から“おしどり夫婦”と呼ばれるようになり、最後は離婚を選択。いずれも妻側が「結婚」という枠から脱出したように見えることなど共通点は多いとフリーライターの亀山早苗氏は指摘する。 【前編/鈴木・石橋、篠原・市村の離婚も妻の“断捨離”? 悔いなくリセットする妻】より続く  家庭から巣立つ妻、非のない夫も直面する「令和のリアル」について亀山氏が取材した。 *  *  *  鈴木・石橋、篠原・市村の2組を見るだけでも、結婚や夫婦のあり方が変わってきたことがわかる。3組に1組は離婚する現代。芸能界の夫婦関係は、世間のそれの縮図でもあるからだ。 「下の子が高校を卒業したら離婚しようとずっと思っていました」  昨年冬に離婚したハルコさん(仮名、52歳)は晴れ晴れとした表情でそう語った。28歳のときに、4歳年上の社内の先輩と結婚。ふたりの女の子をもうけた後、再就職したが、夫とはいつまでたっても「先輩・後輩」の感覚が抜けなかったという。 「今思えば、モラハラみたいなこともありました。再就職したときは『家庭に支障のないように』と言われましたが、そもそも夫の収入だけでは将来、子どもたちの学費などが不安だったから仕事をしていくしかなかったんです。でも夫はそのあたりは理解せず、家事育児もほとんどやってくれなかった。今でいうワンオペ状態。大変でしたね。子どもが大きくなったら離婚も視野に入れたいとずっと思っていました」  日常生活では工夫して節約し、貯金を増やした。そして長女が大学4年生、下の娘が専門学校に入学した昨年春、離婚を決意したのだ。 「正直言って、もう夫はいらない。そう思いました。娘たちが巣立っていき、自分の残りの人生を考えたとき、夫がいるメリットは何もなかった」  家事ひとつできない夫。老後を考えたら、確かに妻にメリットはない。「冷たい」と言われるのは承知の上だった。 「それでも私は私の人生を、誰にも邪魔されずに生きていきたかった。だって休日に出かけようとすると、『何時に帰ってくる?』『オレの昼飯は? 夕飯は?』と聞いてくるんですよ。大人なら『自分の食事くらい自分でなんとかしなさいよ』と言いたいところだけど、そこが先輩・後輩の悪い習慣で、つい昼食を用意し、夕飯までには帰ってきてしまう。私は夫にとって飯炊き女でしかないのかとため息ばかりついていました。娘たちから『いいかげんにお父さんを甘やかすのはやめたほうがいい』と言われていたけど、『女はこうあるべき』に私もとらわれていたんでしょうね」  なかなか離婚を承諾しなかった夫だったが、決意を固めたハルコさんに揺らぎはなかった。春に離婚を宣告。最後には夫が折れ、家を母娘に明け渡して出ていった。現在は会社の社員寮に住んでいるようだ。ただ、離婚後は結婚時よりも交流があるという。 「不思議なもので、夫と妻という立場でなくなったら私も気が楽になり、言いたいことが言えるようになったんです。元夫とは時々、外でランチをしたりするし、娘たちも会っているみたい。私は娘たちと暮らしていますが、女3人、それぞれ勝手に生活しているという感じです。夫と離婚すると同時に、娘たちとも親子というより、ひとりの人間同士として接するようになっています」  母娘にありがちな妙な葛藤もなくなった。ハルコさんは妻とともに“母”という重い役割も手放せたのかもしれない。母娘の関係に新たな風が吹き込んできたのだろう。 ■仲よし夫婦でも「独身」への憧れ  相手に不満がなくても離婚を選択するケースもある。 「うちは本当に仲のいい夫婦だったんです。子どもたちにからかわれるくらい」  結婚25年にして離婚したのは、ユウコさん(仮名、53歳)だ。夫は学生時代からつきあっていた同い年で、就職3年目で結婚したという。27歳で長女を、29歳で長男を出産。共働きで協力しながら家事も子育てもがんばってきた。 「ささいなことで口げんかはしても、決定的ないさかいにはならなかった。つきあいが長いからお互いに言ってはいけないことを言わない暗黙のルールができていたんでしょうね。子どもたちが小さいころは家族4人であちこち出かけて楽しい思い出ばかりです」  それなのに、なぜ?  結婚25年を迎えたとき、夫が彼女に尋ねてきた。「記念日に何かほしいものはある?」と。 「そのときふと、『自由がほしい』と口から言葉が飛び出したんです。長男が成人になって、ようやく肩の荷が下りた時期だったし、私自身が更年期真っただ中で、若いころを思い返して独身時代にもっといろいろなことをしたかったという後悔もあった。そんな思いが口をついて出たんでしょうね」  これに対して、「きみは自由だよ。ひとりで旅行したければすればいいし、やりたいことがあればやればいい」と夫。だが、ユウコさんはそう言われること自体が「うっとうしかった」。 「私、男性は夫しか知らないんです。恋愛は夫だけ。それでいいと思っていたけど更年期を迎えて、もっと独身生活を楽しめばよかったという気持ちが強くなっていた。夫が嫌になったわけじゃないんです。だけど息子が成人になったのを機に、家族という枠組みから離れたくなった」  当時、実家でひとり暮らしをしていた実父の認知症が進み、彼女は迷わず父を介護施設に預けることにした。そのとき夫が「ずいぶんドライだな。オレにはできない」と言ったこともひっかかっていた。 「私は私なりに葛藤したから、ああ、夫はしょせん他人なんだなと感じたんです。施設に入れて介護はプロに任せ、頻繁に面会に行ったほうが父も私も幸せだと信じて出した結論だったのに……」  それでも、自分がドライに冷静に考えられるからこそ、家庭と仕事を両立できていることも感じていた。 「これからは仕事だけに没頭したい。たったひとりでがんばってみたい。結婚しているから、男性とふたりだけで食事をしたりお酒を飲みに行ったりすることも極力、控えていたんです。よく考えればどこか夫に遠慮しているところがあった。だからこそうまくいっていたんでしょうけど。結局、25年間、心の中には少しずつ澱(おり)のようなものがたまっていったんでしょうね」 ■妻からのサイン気づけずに離婚  夫の反対を押し切り、離婚届を置いて家を出たのが3年前。ユウコさんは現在、会社初の女性役員となった。  老後も何となく一緒に暮らしていきたい夫と、新たなチャレンジをしたい妻との間では、温度差が大きい。  定年退職したその日に、5歳年下の妻から離婚をつきつけられたジュンイチさん(仮名、62歳)は、まさに「青天の霹靂(へきれき)だった」と言う。 「結婚して30年、ごく普通の夫婦だと思っていました。暴力をふるったこともないし、借金をつくったこともない。浮気は皆無とはいいませんが、飲んだ勢いで一度きりという関係です。離婚されるようなことは何もしていない。妻にそう言ったら、『何もしていないから離婚なのよ』と静かに言われました。あのときの妻は迫力があった」  妊娠、出産、そして年子のふたりを抱えて悪戦苦闘の育児……。妻は昔のことを持ち出した。折に触れて自分は助けてほしいとサインを出してきたのに、あなたは無視した、と。 「言ってくれれば何でもしたのに。当時、妻の母が近所に住んでいて助けてくれていたので、なまじ私が手を出さないほうがいいと思っていた。ちゃんと言葉にすればよかったじゃないかと言ったら、『言われなくても私がどんなに大変だったかわかるはずでしょ』って。不用意な私の発言も覚えていて責められました。後半生を一緒に生きていくのは無理だと。しかたなく離婚届を書きました」  その2年後、57歳になった妻は10歳年下の男性と再婚した。 「長年一緒にいるからこそ、年をとってから夫婦のありがたみがわかったり味わいが出てきたりするものだと私は信じていました。でも妻はそう思っていなかった。常に新しいことにチャレンジするのが好きだった。その集大成が、私との離婚、若い男との再婚だったのかもしれません」  個人差はあるものの、熟年になって新たなチャレンジを好む女性は少なくない。逆に、これまで築いてきた家庭がずっと続くものだと疑わず、習慣や惰性に流され、保守的になるのは男性。  ひとりの人生を歩き出す女性たちは身勝手なのか、それとも正直に生きられる時代が来たと思うべきなのだろうか。 ※週刊朝日  2021年8月13日号より抜粋
たった5年前の夏は「まさかのRSウイルスでした」 鈴木おさむが病気について思うこと
たった5年前の夏は「まさかのRSウイルスでした」 鈴木おさむが病気について思うこと 放送作家の鈴木おさむさん  放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、RSウイルスについて。 *    *  *  RSウイルスと聞いて反応する人、どのくらいいるでしょうか? 東京都は今年の6月末に、乳幼児を中心に流行するRSウイルス感染症の報告が都内で急増し、2003年の調査開始以来、もっとも高い値になったとして、注意喚起しました。1歳未満の乳児等は重症化する恐れがあり、最悪の場合、死亡する場合もある、めちゃくちゃ怖い病気なんです。  今、とてもはやってしまっているこの病気。RSウイルス感染症のおもな症状は発熱、咳、など、とても風邪に似ているのです。感染力の強さから、2歳までに多くの子どもがRSウイルスに感染すると言われていて、再感染もあるのですが、一般的には年長児以降は重症化することは少ないとも言われています。  このRSウイルス感染症は、飛沫が患者のくしゃみや咳によって空気中に放出され、それを吸って感染する。コロナと一緒ですね。特効薬がなくて、治療には対症療法が用いられる。これもコロナと似ているんです。  なぜ僕がRSウイルスのことを語っているかと言いますと、息子、笑福が2016年にRSウイルスにかかり入院し大変な思いをしたのです。そもそも僕がRSウイルスを知ったのは、一緒に番組をやっていた女性スタッフの体験から。この女性の子どもは生後半年ほどで感染し高熱が続き、大変だったと。その人から「子どもが生まれたらRSウイルスだけは気をつけてくださいね」と助言を受けていた。  とにかく1歳までの間に、なんとかかからずに気をつけたいと思っていました。が、1歳2カ月。ちょうど今くらいの夏。笑福が熱を出して、容体が変で、夜に病院に連れて行ったのですが、風邪と診断された。でも2日たっても治らず、様子が変。咳も苦しそうで。息をするときも変な音がして。それで、もう一度病院に行きました。そしたら先生は「まさかだけど」と検査をしました。その結果、「まさかのRSでした」と。  なぜ「まさかの」と言ったかと言うと、この時(2016年夏)は、RSは冬にかかる人が多い病気と言われていました。妻も僕も冬にかなり気をつけていました。なのに、夏にかかったので、だから先生は「まさかの」と言ったんですね。  でも、そのあと、夏にかかる子どもも増えていったようで。そして今年は、夏にかなり多くなってしまっている。  笑福は入院して高熱で酸素吸入もして約1週間。かなりつらそうで。だからこそ気を付けてほしいと思うんです。  たった5年前は「冬にかかる病気」と思われていたものが、夏にかなり増えちゃってるんですよ。これって怖いです。  これは勝手な考えですが、実はコロナと何か関係があるんじゃないかと思ってたり。なんか変なんですよね。夏にかなりはやってしまったり。症状もちょっとコロナと似てるなと思ってしまったり。なんか変。コロナのこともそうですが、真実は教えてくれないと思って生きています。  とにかく、冬にはやるはずの病気が夏にはやったり、何が起きてもおかしくない状況。今週、僕の友達はコロナにかかり5日目に急変し、入院しました。病院が一杯で、運よく入院できたと言ってました。僕の周りで40度の熱が出て入院してる人が結構います。みんな30代です。  体の不調がいろいろな病気につながる可能性がある。今までの常識もいきなり変わっている状況。何が起きてもおかしくない。病院だけに頼らず自分でも情報をたくさん集めて、家族を守りましょう! ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中。毎週金曜更新のバブル期入社の50代の部長の悲哀を描く16コマ漫画「ティラノ部長」と毎週水曜更新のラブホラー漫画「お化けと風鈴」の原作を担当し、自身のインスタグラムで公開中。YOASOBI「ハルカ」の原作「月王子」を書籍化したイラスト小説「ハルカと月の王子様」が好評発売中。作演出を手掛ける舞台「もしも命が描けたら」が8/12~22東京芸術劇場プレイハウス、9/3~5兵庫芸術文化センター阪急中ホール、9/10~12穂の国とよはし芸術劇場PLAT主ホールにて上演。
離婚後も好感度変わらぬ「吉瀬美智子」 セレブに見えて“庶民”な生活が人気の秘訣?
離婚後も好感度変わらぬ「吉瀬美智子」 セレブに見えて“庶民”な生活が人気の秘訣? 吉瀬美智子(C)朝日新聞社  7月24日からスタートしたドラマ「連続ドラマW 黒鳥の湖」(WOWOW)に出演している女優の吉瀬美智子(46)。18年前のある事件によって、地位も財も手に入れた主人公(藤木直人)が、新たな誘拐事件をきっかけに過去の過ちを突き付けられ、翻弄されていく“因果応報”がテーマの作品だ。吉瀬は、誰にも言えない秘密を抱える藤木の妻・由布子を好演している。  吉瀬といえば、今年4月に離婚を発表したばかり。2010年に10歳年上の一般男性と結婚したが、10年あまりで夫婦生活にピリオドを打った。突然の発表で世間を驚かせたが、女性ファッション誌「STORY」8月号では、離婚に至った経緯や現在の心境などを赤裸々に語っている。  記事によれば、吉瀬自身、両親が別居したため父と一緒に暮らした経験がある。こうしたことから、同じような寂しい思いをさせたくないと子どもたちの前では夫婦げんかをしないよう“家族第一”で過ごしてきたという。だが、そんな吉瀬のことを長女は敏感に察し、「ママはお別れしたほうがいいんじゃない」と背中を押してくれたと告白した。 「吉瀬さんは自身の半生をつづった著書『幸転力』でも家族について明かしています。小学生の頃は両親が別居していたため、母親と一緒にいた記憶があまりないそうです。中学入学前に母親が戻ってきたそうですが、中学時代は『自分は捨てられたのではないか』という反抗心から、自宅にあまり帰らず、友達の家ですごすことも多かったそうです」(女性ファッション誌の編集者)  その後、実母との関係は修復されたようで、1月に出演した「徹子の部屋」(テレビ朝日系)では、仕事と育児の両立させるため実母がサポートしていることを明かしていた。ドラマなどの撮影期間中は福岡県から実母が上京し、「なんでもいいから食べさせておいて!」と家事や子育てを手伝ってくれている様子を語っていた。こうした発言にSNS上では、働く子育てママから好意的な意見が相次いでいた。 「吉瀬さん世代の女優さんは、プライベートを明かすことを避ける傾向にありますが、吉瀬さんはかなりオープンに話すイメージがあり、好感度アップにつながっていると思います。でも、よくよく発言内容を見てみると、もちろんすべてをオープンにしているわけではなく、情報の切り出し方がすごく絶妙で、うまい方だなと感じますね。同性からの支持が特に高いと思うのですが、インスタグラムにはママ世代が憧れるお子さんとのお出かけ写真をアップしたり、『ママはどうやってTVの中に入ったの?』と4歳次女から答えに困る質問をされたという、ほのぼのしたやりとりをポストしたりしています。嫌みのない投稿が多い。過去には、(離婚した)夫のいびきがうるさくて寝室を別々にしたという発言もありましたが、これも40、50代の既婚女性にとっては『あるある』で、彼女に同情が集まっていました」(同) ■シャンパン片手にぶっちゃけ話も  一方、昨年秋に所属事務所のYouTubeチャンネルで配信された、40代の4人の所属女優(吉瀬、山口紗弥加、紺野まひる、西山繭子)とのトーク番組でも、吉瀬はシャンパンを片手にほろ酔い状態で「大好きな人にはすっぴんで会いにいけない」と恥ずかしそうに話す姿が話題に。ファンからは「シャイでかわいい」など絶賛の声があがっていた。 「今回の離婚も本来ならイメージダウンにつながりかねないのですが、彼女に限っては応援の声が多く寄せられ、むしろ好感度が上がった感さえあります。離婚後のインタビューでも『セルフプロデュースに努めている』と答えていたので、やはりこれまで情報をコントロールして私生活を小出しにしてきたことが奏功したと思います」(女性週刊誌の芸能担当記者)  もともと吉瀬はそのサバサバした性格と少し天然なところが人気だった。今年1月、12年ぶりに吉瀬とドラマで共演したという生田斗真は「キレイな方なのにすごくフランクで、かわいらしい部分も混在しているという魅力は全然変わっていない」と絶賛。同じくドラマで共演した木村祐一もトーク番組で「いきなり『キム兄』と呼んでくれる人なんやって思って、あれは、ものすごい親近感でした」と明かしていた。こうした姉御肌な一面は、男性からも支持されているのかもしれない  ドラマウオッチャーの中村裕一氏は、そんな吉瀬の魅力をこう分析する。 「吉瀬さんはモデルとしてデビューした後、情報番組のアシスタントを務めていたこともあります。女優に転身後、初の連続ドラマ単独主演作となった『ハガネの女』(2010年)がターニングポイントになったと言えるでしょう。本作で彼女は自身の力量不足に悩みながらも生徒とまっすぐに向き合う小学校教師を見事に演じ切り、それ以降、着実にキャリアを積み重ねていきます。スタートがモデルですし、エレガントなルックスなので、どうしてもセレブ感が出てしまいますが、これからは気さくなキャラクターを前面に押し出してもいいと思います。とてつもなく冷酷な悪女やダメなキャラを演じる姿も見てみたいです」  女優デビュー14年。バツイチとなってもさらに磨きのかかった美しさで、新しいステージに向かっている。(高梨歩)
コロナ入院制限「非常に危険な勇み足」専門医から怒りの声 田村厚労相は見直し言及も菅首相は撤回拒否
コロナ入院制限「非常に危険な勇み足」専門医から怒りの声 田村厚労相は見直し言及も菅首相は撤回拒否 新型コロナ感染症対策の進捗に関する閣僚会議で発言する菅義偉首相(c)朝日新聞社  政府の迷走がまた始まった。菅義偉首相は新型コロナウイルスの急増地域では、入院を重症患者や重症化リスクの高い患者に制限し、自宅療養を基本とする方針をまとめた。しかし「重症になってから入院させては手遅れ」「自宅で症状が急変したら、誰が判断するのか」など、国民の猛烈な反発を招いている。与党からも撤回の要求が出る一方、菅首相は撤回しない姿勢をみせているが、医療現場からはこの方針に対し厳しい声が上がっている。 *  *  *  4日、衆院厚生労働委員会で、田村憲久厚生労働相は、立憲民主党の長妻昭議員への答弁でこう答えた。 「海外で感染が拡大しているところは、基本は在宅。在宅で悪化したときに、ちゃんと対応できる体制を組むこと、そして本来入院しなければならない方々が入院できるように病床を確保できるようにするための対応であるとご理解いただきたい。もしそうならなければ、方針を元に戻して、しっかりと入っていただければいい」  うまくいかなければ方針を撤回して、中等症患者も入院してもらえばいいということだが、これに対し、政治ジャーナリストの角谷浩一さんは「首相の決定を1日で覆すような発言は、普通はありえない」と憤る。  これまで政府のコロナ対策はずさんな対応が続いてきた。自粛を求める一方で、GoTo事業を推進。結局、停止に追い込まれている。菅首相が「21年前半までに全国民分確保を目指す」としたワクチンは、ここに来て弾不足に。休止になった職域接種も多い。7月には酒の販売事業者に、酒類の提供停止に応じない飲食店との取引を行わないよう要請したが、こちらも関係団体や世論から猛烈な反発を受け、西村康稔経済再生担当大臣は謝罪に追い込まれた。角谷さんはこう指摘する。 「菅首相は自分を司令塔にせずに、西村大臣や河野大臣を担当にさせ、さらに田村厚労大臣もいて、大規模接種で防衛省を巻き込み、地方にワクチンを差配するために総務省をもまきこんだ。関係閣僚が6人もいます。本当なら内閣官房をベースにして特命大臣をおくべきでした。大臣が多すぎて、それぞれの思惑で政策を考えるから、混乱するんですよ。覚悟を持って対策を進める司令塔がいない」  政府関係者によると、今回の方針を決めたのは内閣官房と厚労省だという。自宅療養への方針転換はなぜ、行われたのか。 「国民の切り捨てではありません。ウイルスが発見された当初は完全隔離でも、治療法が確立して死亡リスクが低い病になってきたら入院せずとも治癒可能になる。今回の対応も諸外国でも既に通った道であり、菅首相はその真似をしたに過ぎません。治療法が確立しつつあることにより、当初に比べて死亡率が著しく下がってきましたから、病床使用を見直した、ということです」(政府関係者)  4日夜、菅義偉首相は「必要な医療を受けられるようにするための対策である」と述べ、撤回しない考えを示した。  政府の新しい方針には医療現場から強い疑問の声があがる。感染症専門医で埼玉医科大学総合医療センター総合診療内科の岡秀昭医師は「今回の政策は感染者を増やすことにつながるのでは」と危惧する。  重症化した患者や重症化リスクの高い患者を入院させるということは、他方で、中等症や軽症の患者が自宅療養することで、家庭内での感染や、街中での感染が増えるとみられる。その結果として、重症化する患者やリスクの高い患者が増えることが考えられる、ということだ。しかし、その患者を診るための病床を増やすことは簡単ではない。 「この政策を進めるためには、40、50代のワクチン接種を進め、重症化する率をもっと下げる必要がある。ですが、この年齢のワクチン接種はまだ進んでいません。他方で、機能する重症病床をもっと増やす必要がありますが、スタッフも設備も揃える必要があり、すぐには対応できるものではない。非常に危険な勇み足だと思います」(岡医師) 「確立しつつある」という治療法も、現在のところ、どの程度適用できるかまだ不透明だという。 「確かに発症して早めに、症状が軽い段階で抗体カクテル療法をすることで重症化を減らすことができるようになっています。海外では入院する前の人に投与することで効果が認められているが、日本では入院中の患者でしか使えません。自宅療養にすることで症状が軽い段階で投与することができなくなるケースが増えるでしょう。また、この薬は軽症者でも全員に投与できる薬ではない。日本では薬価はついていないが、アメリカでは1本25万円くらいする。そのためか、厚労省も使用に規制をつけている。政府は薬は確保しているといいますが、その量は明らかになっていません」(同前)  全国での新規感染者数は連日1万人を超す状況になっている。岡医師の勤める総合医療センターでも新型コロナの患者が増加。コロナ患者の増加に合わせ、今週から他の専門の医師に応援を頼み、症状の軽い患者について診てもらっている。重症者用のベッドはすでに満床状態だ。岡医師はこう語る。 「通常の医療体制であれば救える命が救えなくなる状態を医療崩壊だとするのであれば、すでにそれは始まりつつある。がんや脳卒中、外傷などを診ていた医師がコロナ対応せざるを得ないような状況になっている。コロナで重症化しても人工呼吸器があれば当院ではいまのところ9割は助かっているが、他の医療を提供しながら、これ以上の重症者を受け入れるのは限界だ。コロナ患者はもちろん、コロナ以外の患者でも本来助けられる命が助けられなくなってしまいます」  政府の判断は適切なのか。結果が厳しく問われそうだ。 (文/AERA dot.編集部・吉崎洋夫)
麻雀は手術の腕を磨くのに役立つ? 帯津医師が語る意外な共通点
麻雀は手術の腕を磨くのに役立つ? 帯津医師が語る意外な共通点 帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長 ※写真はイメージです (GettyImages)  西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「麻雀と手術の共通点」。 *  *  * 【直観力】ポイント (1)昔は麻雀をよくやって、膨大な時間を費やした (2)麻雀の強さと手術の腕のよさには、つながりがある (3)麻雀で記憶力と先を読む直観力を養い、役に立った  前号で書いたように私は医学部への進学試験に失敗して、1年浪人しました。そのせいか、医学部に入ってからは、自由を謳歌(おうか)しました。講義が終わって、空手部の稽古をすますと、酒と麻雀(マージャン)です。酒は行きつけのトリスバーか、おでん屋さん。麻雀は大学の近くにあった2軒の雀荘です。  久しぶりに会った医学部時代の友人が「お前は麻雀が強かったなあ」というのです。友人との思い出がまず麻雀というのもどうかと思いますが、学校でより、雀荘で顔を合わすことのほうが多かったのですから、しかたがありません(笑)。  この麻雀生活は医師になってからも続きました。医師2年目に、乳飲み子をかかえて一家3人で静岡県の共立蒲原総合病院に赴任したのですが、そこの医局には麻雀卓があり、夜になると、それはにぎやかなものでした。  これは、病院にとっても悪くなかったのです。夜間に常に4人の医師が雀卓を囲んでいるので、救急の患者が運び込まれたときには、「よし」と出動して、当直の医師の手助けができるのです。まあ、近くの独身寮に場所を移して“徹夜麻雀”ということもしょっちゅうでしたが。よく、そういう生活を当時の妻が許してくれたと思います。  ただ、その頃のわが家の家電製品は、私の麻雀の勝ちでそろえていきましたから、それが埋め合わせになっていたかもしれません。麻雀ではたいてい勝って、毎月黒字だったのです。でも、麻雀というのは4人のうち、必ず誰かが不幸になります。その不条理が気になり出して、競馬に鞍替(くらが)えしました。それから40年以上やっていません。  しかし、振り返ってみると、麻雀に費やした時間は膨大だったですね。その代わりに、もう少し勉強していたらと考えないではないのですが、一方で無駄ではなかったという気持ちもあります。  実は、麻雀は手術の腕を磨くのに役に立ったと思っているのです。  腕のいい外科医の条件は、まずは切除範囲が適正であること。取り過ぎも取り残しもダメです。そして、手術時間は短いほうがいいのです。切除範囲を決めるのには「記憶」と「直観」がものをいいます。検査データを過去の経験(記憶)に照らし合わせ、その上で患部を直接見て、直観を働かせる。あとは一つひとつの作業を動じず、落ち着いてこなします。  一方、麻雀は対戦相手3人を一瞥(いちべつ)して、過去の記憶と直観で戦局の流れをつかみます。あとは相手のふるまいに動じず、落ち着いて牌(パイ)を切って、一つひとつ上がっていけばいいのです。  私は麻雀で記憶力と先を読む直観力を養いました。それが手術の腕を上げることにつながり、その後の人生にも役に立ったと思っているのです。また、久しぶりに麻雀をやってみようかな。 ※週刊朝日  2021年8月6日号
末っ子の「お言葉」が背中を押した、夫婦関係と「開かずの間」のビフォー・アフター
末っ子の「お言葉」が背中を押した、夫婦関係と「開かずの間」のビフォー・アフター お酒や本の箱、使わなくなったベビーラックや荷物でいっぱいの「開かずの間」/Before  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。*  *  *case.5家族を巻き込んで「ママだけが頑張らない」を実践できた夫+子ども3人/システムエンジニア 3人の子どもを育てるシステムエンジニアの女性は、もともとは片づけられる人でした。家庭力アッププロジェクトに参加中も、障害対応で夜遅くまで働く日があったくらいハードな仕事に就いていますが、ご両親や妹が遊びに来たら気軽に泊まってもらえる、いつでも「どうぞ」と言える家をキープしていたのです。 うまくいかなくなったのは、夫婦の信頼関係が揺らぐ出来事が起こってから。子どもたちのために部屋を整えなきゃ……とわかっているのに頑張れない。気力が湧かない。前はどうやってこなしていたのか、わからなくなっていました。 そしてコロナ禍。家の居心地の悪さを見て見ぬふりすることはできなくなりました。足の踏み場もない洋室、別名「開かずの間」もずっとストレスでした。本当は、巣立った上の子がふらっと帰りたくなるような家にしたい。プロジェクトを知って昨年の秋、家と向き合う覚悟を決めたのでした。 忙しい彼女には家族の協力が必要でした。しかしどこのご家庭もそうですが、ママが「片づけるよ!」と言ったところで家族は動いてくれません。彼女はプロジェクトで教わった通り、まずは一人で不用品を処分し片づけを続けました。 家族を巻き込むための地ならしとして、自分自身が有言実行する姿を見せるのです。するとの“一人片づけキャンペーン“に感心した小学生の末っ子が味方についてくれました。  末っ子は、女性の良きメンターになりました。毎日の成果を評価しつつ、子どもらしく残酷なまでに正直で愛情たっぷりのフィードバックをくれるのです。彼女は弾みをつけようと、講座の受講生グループへの日々の報告に「末っ子のお言葉」を添えました。 玄関を片づけた日の“お言葉”です。【本日の末っ子のお言葉】スッキリ片づいて良い気持ち!お部屋がまだまだだけどね!(←分かってますよー…;)【本日の末っ子のお言葉】ボクは真っ白な気持ちでやってるからさ、使いやすいかどうかは聞いて。ダメだったらダメー!って言うからね 末っ子は彼女を励ますだけではなく、時にはごみ捨て、お風呂掃除、不用品の仕分けを手伝ってくれました。 化粧品を片づける日は彼女のマニキュアにお言葉。【今日の末っ子のお言葉】マニキュア、もっと捨てたらいいじゃん。ボク、ママがあんまり使ってないやつ分かるから、捨てていいやつ選んであげる。(確かに!良く見てるな;…コワイ) やがて、ママと末っ子の奮闘ぶりを見ていた真ん中の子が、自分から片づけに参加するようになりました。期末テストが終わった日はカオスだった自分の部屋を片づけ、不用品のごみ袋をいくつも捨ててくれました。 夫はどうでしょう?実は夫は、家族の片づけになじめないでいました。使用期限が10年前のコンタクトレンズを「えー。もったいない」と処分できず、妻が片づけする日は、「じゃあウオーキングがてら夕飯の買い物行ってくる。何が必要?」と理由を作っては逃げ出していたのです。片づけたくないわけじゃないけど、なんで今?ってご様子。 でも女性はあきらめることなく、プロジェクトで教わったコミュニケーションを実践しました。責めずに感情を伝える、相手に選択してもらう、感謝を伝えるなどあの手この手で。言うだけではありません。夫の行動を観察して理解し、彼の物を捨てなくてはならない時は気持ちを尊重しました。 「開かずの間」は生まれ変わって真ん中の子の部屋になりました/After  ついに、夫が動きだしました。彼の片づけスイッチが自発的に入った休日は、負けていられないと朝から晩まで頑張り、そんな夫婦を末っ子も応援してくれました。【本日の末っ子のお言葉】とうとうボクの出番だね。ママとパパが疲れたらマッサージしてあげる(片づけないんかーい!) そして見事、全部屋コンプリート!一番の難所だった「開かずの間」はスッキリと床が見えて、真ん中の子の部屋になりました。 12月中旬、家のリセット後、初めて上の子が帰ってくる日。ひそかな目標として「上の子が帰りたくなる実家」を掲げていた女性はドキドキです。 家に入ると、「スゲー!どうやったの?」と驚きの声。末っ子がすかさず「ママがね~、めっちゃがんばったんだよ」と報告してくれました。「お母さんも家が片づいて気持ちがスッキリしたでしょ。あとはダイエットだな」と言われつつ、みんなで上の子が作ったご飯を愉しみ、広くなったリビングでゴロゴロして、床暖房を堪能。「床暖ってさ、きれいなお部屋だとあったかいところいっぱいあるんだよ。散らかってると物が邪魔で、あったかいところ少ないんだよね~」(末っ子)。くつろぎながら久しぶりのきょうだいの時間を過ごしたのでした。                               上の子はリセットされた実家で充電できたのか、「正月三が日はこっちに泊まるよ。やっぱり実家が落ち着くし、過ごしやすくなったしね」と言って、帰っていきました。 女性が一番望んでいたことがかないました。年末年始は、家族で穏やかに過ごしたそうです。 自信を取り戻した女性は今、ビフォー/アフターからさらに進化したアフターの毎日を楽しんでいます。和室にはフローリングを貼り、これまで入ってほしくても入ってもらえなかった業者さんにキッチンとお風呂の換気扇の大掃除を頼みました。 好きな本をしまう棚も入れ替え、自分の人生をもっと大切にしていく準備が整ったところです。◯西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・夫婦間のコミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト®」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。ラジオ大阪「西崎彩智の家庭力アッププロジェクト」(第1・3土曜日夕方)が2021年5月1日からスタート。フジテレビ「ノンストップ」などのメディアにも出演※AERAオンライン限定記事
「12歳の娘に完全無視される」 嘆く父親へのアドバイスは?
「12歳の娘に完全無視される」 嘆く父親へのアドバイスは? ※写真はイメージです(写真/Getty Images)  年頃の12歳の娘に完全無視される父親。悲しみをやわらげ、関係を改善することはできるのか。「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、「論語」から格言を選んで現代の親の悩みに答える本連載。今回の父親へのアドバイスはいかに。*  *  *【相談者:12歳の娘を持つ40代の父親】小6の娘を持つ40代の父親です。最愛の娘に嫌われてしまいました。思春期になれば「キモい」「ウザい」「クサい」などと呼ばれる覚悟はできていましたが、娘の場合は私を「完全無視」します。話しかけても、「つまらない生き物」をみるような目で私を見ます。関わろうとすればするほど嫌われていくようです(妻はそんな私を慰めてくれます)。「父娘の関係は幼少期の接し方が大事」と聞いていたので、小さい頃はよく公園で遊び、保育園の送迎や学校行事にも積極的に参加してきました。 同い年の娘をもつ同僚は、お嬢さんと仲がよく、週末に2人でスキーや釣りに行くと聞き、「嘘をついているのでは?」と思ってしまいます。嫌われる理由として思い当たるのは、私が短気な性格なため、家でよく怒鳴っていたことです。もう娘と話すことはできないのでしょうか。【論語パパが選んだ言葉は?】・「子遊曰く、君に事(つか)うること数(しばしば)すれば、斯(こ)れ辱(は)ずかしめられる。朋友に数すれば、斯れ疏(うと)んぜらる」(里仁第四)・「視ることは明(めい)を思い、聴くことは聡(そう)を思い、色は温を思い、貌(かたち)は恭(きょう)を思い、言(ことば)は忠を思い、事は敬を思い、疑わしきは問うを思い、忿(いか)りには難を思い、得るを見ては義を思う」(季氏第十六)【現代語訳】・「君主に仕えるのにしつこくすると、かえって軽んじ侮られることになる。友人と交わるのにあまりにしつこいと、かえって疎まれ嫌われる」・「物事を見極めるためにはあらゆる面を見ること、耳に入る情報はその真偽に惑わされないこと、どんな人にも温厚であること、容貌は恭しくあること、言葉には誠実で、仕事は慎重、疑問はしかるべき人に質問すること、一時の怒りがその結果として生むであろう困難な事態を思念すること、利得に前にしては道義に適っているか吟味すること」 【解説】 お答えします。短気は損気です。子育てはもちろん、物事は短期、中期、長期の三つの目で見ることが大切です。今は話をしてくれない娘さんでも、相談者さんが態度を変えれば、いつか仲良く話をすることができる日が来るに違いありません。 対人関係に効く名言の宝庫である『論語』には、孔子の弟子・子游(しゆう)が言った言葉として、次のように伝えられています。「子遊曰く、君に事(つか)うること数(しばしば)すれば、斯(こ)れ辱(は)ずかしめられる。朋友に数すれば、斯れ疏(うと)んぜらる」(里仁第四) 訳すと、「君主に仕えるのにしつこくすると、かえって軽んじ侮られることになる。友人と交わるのにあまりにしつこいと、かえって疎まれ嫌われる」ということになるでしょう。「辱」とは、「自信や体面を崩し、ぐったりした気持ちになる」ことを意味します。また、「疏」は「疎」と同じ漢字であり、「疋」は「左足と右足」を描いた象形文字で「左右」がバラバラになる、ひいては「人と人との関係にすきまがある」ことを意味します。良かれと思って、人の世話を焼きすぎると、かえって自信を失い、体面を崩すようなことになってしまうのです。 職場でも友人との関係でも、一生懸命やればやるほど「あいつはウザい」「面倒くさい人」と思われてしまうようなことはありませんか? 親子関係も同じです。自分では、なかなか「自分がウザくて、面倒な人間である」と気づくことはできませんから、相談者さんに対する娘さんの態度は、社会と自分の関係を映し出す鏡なのかもしれませんね。『論語』には、「九思(きゅうし)」といって、君子として常に心がけるべき九つの心得が書いてあります。「視ることは明(めい)を思い、聴くことは聡(そう)を思い、色は温を思い、貌(かたち)は恭(きょう)を思い、言(ことば)は忠を思い、事は敬を思い、疑わしきは問うを思い、忿(いか)りには難を思い、得るを見ては義を思う」(季氏第十六) 「物事を見極めるためにはあらゆる面を明確に見ること、耳に入る情報はその真偽に惑わされないこと、どんな人にも温厚であること、容貌は恭しくあること、言葉には誠実で、仕事は慎重、疑問はしかるべき人に質問すること、一時の怒りがその結果として生むであろう困難な事態を思念すること、利得に前にしては道義に適っているか吟味すること」という意味です。 もちろん、常にこうして自分を客観視することはできません。ただ、この言葉が、2500年前から伝えられているのには、やはり意味があるのです。 相談者さん、娘さんとの関係をよくしたいのなら、まず、ご友人の話を「嘘をついているのでは?」と疑うより、その人にうまくいく秘訣を尋ねてみてください。 そして「短気でよく怒鳴る」ことが原因であると思うなら、それを直し、自分の生活態度を「九思」の面から思い直してみましょう。 孔子にも、娘がありました。名前もわかりません。孔子との関係がどうだったのかもわかりません。ただ、大事に思っていたことは確かです。孔子は、弟子の公冶長(こうやちょう)に、自分の娘を嫁がせています。一度無実の罪で牢獄に入れられたことがあった公冶長ですが、恥を忍ぶ慎ましやかな性格だったので、孔子は結婚を許したのだそうです。 12歳の娘さんとともに、父親である相談者さんも、成長の過程にあると思ってがんばってください。娘さんを変えることはできません。対人関係をよくするためには、自分が変わるより方法は他にないのです。【まとめ】娘さんは変えられない。しつこく関わろうとせずに、「九思」を意識しながら、自分の態度を変えてみよう山口謠司(やまぐち・ようじ)/中国文献学者。大東文化大学教授。1963年、長崎県生まれ。同大学大学院、英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。NHK番組「チコちゃんに叱られる!」やラジオ番組での簡潔かつユーモラスな解説が人気を集める。2017年、著書『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。著書や監修に『ステップアップ  0歳音読』(さくら舎)『眠れなくなるほど面白い 図解論語』(日本文芸社)など多数。母親向けの論語講座も。フランス人の妻と、大学生の息子の3人家族。
なぜ私が地域の「消防団」に? 50歳以降は「あえてアウェー」の居場所が重要
なぜ私が地域の「消防団」に? 50歳以降は「あえてアウェー」の居場所が重要 AERA 2021年8月2日号より  50代以降の人生で特に大事なのが人間関係だ。仕事以外で、どんなつながりを持つかがカギになる。「50歳からの戦略」特集したAERA 2021年8月2日号の記事を紹介。 *  *  * 「今後は自分が暮らす地域コミュニティーの中でも友達ができればいいなと思っています」  千葉県に住む会社員の女性(51)は昨年、町内会の役員を務めた。いつもは仕事で日中は地域の中にいない。町内会には、職業も年齢も幅広く、多様な経験をしてきた人が多くいることに気づき、新鮮な驚きだった。 「彼らとつながることで、自分の普段の生活も楽しくなるし、刺激ももらえるのではと考えるようになったんです」 企業研修などを展開するエマメイコーポレーション代表取締役の大塚寿さん(59)は、会社という居場所だけではなく、「異質な人とのコミュニティーに飛び込むこと」が、50歳以降の人生を豊かにすると指摘する。 「いろんな居場所をできれば五つほど、確保するのが理想です。手始めとしてマンションの理事などを引き受けてみるのもいい。ただし、合う合わないはありますから、『入るのも、出るのも気軽に』がポイントです」  その際、一つはあえて「アウェー」な場所を選びたいという。 「『普通なら俺、こんなところに絶対いないよ』というコミュニティーにも飛び込んでみる。私は地域の消防団に入っていたことがありますが、会社員をしていたら絶対に周りにいないような職人気質の人たちで、話す内容も新鮮。見えていなかった世界に触れられた気がしました」  ただ、その際に注意すべきは「名刺に頼らないこと」だ。 「会社人間から脱却していくためにも、仕事相手以外の人に、『自分はどういう人間なのか』を名刺なしで語れるようにしておくことが大事です」  家族との関係も大事だ。大塚さんによると、あるアンケートで40代、50代の男性会社員の約25%が、「妻や子どもとうまくコミュニケーションが取れない」と回答したという。 「この先、仕事の第一線を退けば家にいる時間が増える。考え直すべきは、『壁』を作っているのは家族なのか、自分の方なのか、ということです」 ■失敗談もさらけ出す  大塚さんは、仕事のことを、パートナーにも子どもにも積極的に話すようにしてみては、と提案する。 「いまはコロナ禍で在宅勤務も多いのでいい機会。相手のことを知れば知るほど親近感がわくのは家族でも同じです。自分の失敗談など『弱み』をさらけ出すのも大切。たとえば子どもが受験に失敗したとき、自分の過去の失敗を飾らずに話す。それが子どもに共感を生み、コミュニケーションが促進されます」  どうしても家族と価値観が合わないとき、一歩を踏み出す選択肢もある。冒頭の女性は現在、「リコカツ」(離婚活動)の真っ最中だ。 「二人の子どもも大学生になり、夫婦二人の時間、となったところで離婚を決意しました。妻や母はこうあるべき、が強い夫からの『ガラスの天井』に抑えられてきたので、もう限界。親が元気なうちに親孝行をちゃんとしたい。夫の目を気にしていつも義理親が優先。実親には何もできていなかったので」  子どもたちもずっと離婚に賛成してくれていたという。 「離婚後は自分の時間も大切にしながら、子どもたちとは一緒に旅行したり、子ども時代とは違う付き合い方をしたい。また、仕事や子育てをしているだけではない自分の姿を子どもたちには見せておきたいですね」  メンタルケア・コンサルタントの大美賀直子さんは、これが大事な視点だと言う。 「子ども中心の生活をしてきた親の中には、子どもが巣立っていくことでむなしさを感じる『空の巣症候群』になるケースもあります。でも、もう役割が変わったことを理解し、『大人としての子どもとの関わり』を考え、楽しむ。そして親は親で、自分らしい人生を生き、その姿を子どもに見せる。そうすることで子どもは、自分の人生を選んでいくことができるんです」  50歳ともなれば、年老いた自分の親と関わることも増える。 ■親と一対一にならない  大美賀さんは言う。 「親と関わる中で、自分の人生に親が与えた影響や、そのことで自分が苦労したこと、自分と似ている嫌な面などを、鏡のように見せられて苦しい。そんな声はとても多いです。離れて暮らしている人は、自分の中で勝手に膨らんでいた親の理想像が、年老いた親の現実を見たときに崩れ、そのギャップで苦しむこともあります」  親の介護も現実のものになる。ほとんどの50代が避けて通れない道だ。前出の大塚さんは、「介護は一人でがんばらず、親と一対一にならない」ことが大事だと指摘する。 「自分の親なんだから、自分が何とかする。そう思えば思うほど、最後は親が憎くなってしまう。公共機関や民間のサービスをフルに利用し、ケアマネジャーやヘルパーとの関係を構築していく。それが大切です」 (編集部・小長光哲郎) ※AERA 2021年8月2日号より抜粋
オリンピック選手にして大哲学者プラトンを医師が「診断」 無観客試合は誰のため?
オリンピック選手にして大哲学者プラトンを医師が「診断」 無観客試合は誰のため? 無観客でサッカーの試合が行われた日産スタジアム。ピッチに入るフランスと日本の選手たち(c)朝日新聞社 プラトン(gettyimages) 『戦国武将を診る』などの著書をもつ産婦人科医で日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授の早川智医師が、歴史上の偉人たちを独自の視点で分析。今回は哲学者プラトンを「診断」する。 *  *  *  よく聞く言葉に「太った豚よりも痩せたソクラテスになれ」というのがある。前回の東京オリンピックの年に、東京大学の卒業式で当時の総長だった経済学者の大河内一男教授の祝辞にあるという。  もともとは、19世紀英国の哲学者、ジョン・スチュアート・ミルが『功利主義論』の中で、“It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied”(満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい)とのべた言葉の短縮形である。  ただ、「不満足なソクラテス」を飽食する豚との対比から「痩せたソクラテス」と意訳したため、哲学者は痩せたインテリというイメージが広がっていった(実際には卒業式で大河内教授はそうはおっしゃっていないという記録もあり、真偽は不明である) 三大哲学者とスポーツ  では、現実はどうだったのか。  ソクラテス、プラトン、アリストテレスは古代ギリシア盛期アテナイの生んだ三大哲学者であるが、彼らは各々、師の思想を発展させ、独自の哲学を生み出していった。ソクラテス自身についての体格や運動についてははっきりした記録はなく、あまりハンサムでなかったこと、奥方が悪妻だったらしいことしか知られていない。  また、ソクラテス自身は著書がなく、弟子たちの記録を読むしかない。倫理を中心としたソクラテスの思想は、一番弟子だったプラトンの壮大な世界観に包括されるが、プラトンは運動について強い関心と主張を表明している。彼自身が優れたアマチュアレスラーで古代オリンピック「イストミア大祭」にアテナイを代表して出場したと弟子のアリストテレスが記している。プラトンの名自体が「肩幅の広い(プラエトウス)」から由来しているという説もある。  多くの人はプラトンというと、ルネッサンスの巨匠ラファエロが「アテネの学堂」で描いた天を指さす白髪の老人(レオナルド・ダ・ヴィンチがモデル)を思い浮かべるが、実際には『テルマエ・ロマエ』で知られる漫画家ヤマザキマリさんの「オリンピア・キュクロス」に登場する筋骨隆々たるアスリートだった可能性が高い。 加重な運動負荷で感染脆弱性  さて、プラトンは『ゴルギアス』において、“魂の健全性”を保つのはバランスのとれた食事と十分な睡眠に加えて適切な運動としている。現代でも疫学的に、運動を習慣的に行っている人は同年齢の対照に比較して、悪性腫瘍の発生頻度や上気道感染の罹患率が低く、平均寿命も長いという。  実際、近年の臨床的研究から、運動が免疫系さらに高次神経機能を含む全身に及ぼす影響が明らかになってきた。一般に、高齢者や慢性疾患を持つ人では定期的に中程度の運動を行うことは感染防御に有益であるという。  しかし、軽度―中等度の運動が活性を高める一方、過剰な運動負荷は抑制的に作用する。世間では、筋骨隆々たる、あるいはカモシカのようにしなやかなスポーツ選手は体力が有り余っていて、感染症など縁がないと思われがちだ。  だが、これは大いなる誤解である。  先に述べたように、適切な運動が感染に対する抵抗力を高めることは間違いがない。しかし、何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。重要なのは運動負荷の量であり、健常者であっても加重な運動負荷は一過性の感染脆弱性を引き起こす。さらに肉体の限界までの競技やトレーニングを行なうトップ・アスリートは特に上気道感染や消化器感染に対して非常に脆弱である。その機序として、酸化ストレスや筋組織の損傷による一過性のNK活性低下や、長時間の交感神経興奮によるカテコールアミンや炎症性サイトカインの過剰分泌、腸管の虚血などが想定されている。  現在ではトップ・アスリートで喫煙者はまずいないが、スポーツ大会時の精神的緊張と不安、睡眠障害、国内国外への旅行と時差、食事と栄養、気温・湿度など自然環境の変化などに加えて、過激な運動自体が免疫を抑制し、感染リスクを増加させる。 無観客試合は選手の安全のため  感染防御の観点からこの時期の東京オリンピック開催に懐疑的だった多くの医療関係者も、ニュースで日本選手の活躍を聞くと心が躍る。酷暑、COVID-19流行という悪条件の中、世界中から来日してくださったアスリートには感謝しかない。一流のアスリートほど普段のトレーニング量を把握し、大会に向けて最良のコンデイション作りを行っているという。そして、全てを出し切った大会後に最も感染脆弱性が高まる。  つまり、無観客試合は観客間のクラスター発生を防ぐと同時に肉体の極限まで修行を重ねた選手たちを守るという意味もあるのである。全てのアスリートがこの大会を通じて健康に全力を出しきることを祈りたい。 ◯早川 智(はやかわ・さとし) 1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)など ※AERAオンライン限定記事
外国人五輪記者が嘆く日本人の目「危ない人のように思われている」
外国人五輪記者が嘆く日本人の目「危ない人のように思われている」 五輪取材の拠点となるメインプレスセンター(MPC) (撮影/西岡千史) MPC内のフードコートで出しているハンバーガー(1600円) (撮影/西岡千史)  東京五輪で来日した海外関係者がルールを無視し、指定場所以外で飲食しているという情報が、ネットなどに出ている。たしかに、そうした外国人もいるようだが、街に出て見かけた彼・彼女らに話を聞くと、多くはルールを守り、なんともわびしい食生活を送っているようだ。 *  *  *  開幕を数日後に控えた平日のランチタイム。銀座にもほど近い、地下鉄日比谷線の築地駅近くのホテル前に、「イギリスオリンピック委員会御一行様」の表示がある大型バスを見つけた。  周辺を歩くとすぐに別の大型バスを発見。「Kホテル⇔オリンピックセンター」の表示がある。Kホテル前で出待ちしていると、そのバスが玄関前に横付けされ、ホテルから出てきた関係者が次々とバスに乗り込んでいく。そのうちの一人がホテル脇で一服し始めた。 「アメリカのプレスだよ。日本に来て1週間になるけど、ここ(ホテル)とメインプレスセンター(MPC)しか行ってない。食事? デリバリーやランチボックスばかりだね。ホテルの部屋が禁煙なのが一番つらい(笑)」  ほかにもコンビニから戻り、ホテルに入っていく外国人の姿など、この周辺のホテルに、関係者の多くが泊まっていることが確認できた。  報道では、MPCがある東京ビッグサイト(東京都江東区)周辺のハンバーガー店やコンビニでも多数の関係者が目撃されているほか、ビッグサイト周辺で外飲みしていたという。「選手村近くで花火をしていた」「豊洲やお台場は外国人がウロウロしてる」などというSNSの投稿もあった。どれも行動ルール(プレーブック)では禁じられている行為だ。  さっそくMPCに向かうと、手作りの聖火トーチを持った香港メディアがいた。聞くと、この日初めて入ったという。 「日本に来て4日目。それまではホテルから出られなかったからね。この周辺ならいいというので記念写真を撮りに出てきただけだよ」  ビッグサイト付近のハンバーガーショップは日本人ばかり。ネットでは外国人だらけと書かれていた豊洲周辺でも、たまに見かける外国人は、周辺の会社に勤務する人ばかり。ネットの情報どおりでもない。  日も暮れて、築地に戻った。昼にチェックしていたホテル前に行くと、非常階段下に座り、首から身分証を下げた男性2人が、身を寄せるように小さくなってたばこを吸っている。近づくと警戒心いっぱいの視線を向けてくる。身分を明かして話しかけるとホッとした表情で、オーストリアとドイツのメディア関係者だと明かしてくれた。 「迷惑をかけずに外に出られるのはここくらい。ホテルの部屋は狭くて、天井も低い。小さく縮こまらないと風呂にも入れない」と笑うのは2メートルはあろうかというドイツ人。  これまで何度も来日し日本食も大好きだというが、今回は連日コンビニ弁当とデリバリー。オーストリアの男性は、ホテルの狭さ以上に悲しいことがあると言う。 「ルールが厳しいのは仕方ないよ、コロナだしね。14日間は外出せずに我慢するのは当然。ただ、悲しいのは、街の人たちが僕らのことをネガティブな目で見ていることだね。僕らは毎日PCR検査もするし、感染対策も万全なのに、まるで危ない人のように思われているんだ」  別のホテルの前には、スマホを見ながら夕食のデリバリーを待つ、ノルウェーのメディア関係者の女性がいた。 「ここにはいろんな国のメディア関係者が泊まっているけど、みんなバスでホテルと取材場所を往復するだけよ。コロナ禍でノルウェーでも同じような生活だから慣れちゃったわ。行動制限が厳しいとは思わない。食事もデリバリーやテイクアウトばかりだけど十分おいしいわよ。今日はギョーザを頼んだの」  ルール違反外国人を探しているはずなのに、ルールを厳守するマジメ外国人にしか出会えない。しかもその境遇を聞くほどに、ちょっとかわいそうな気持ちにさえなってしまう。  特に話題になっている、MPC内での食事。提供場所の一つであるフードコートでは、最も安いカレーでも千円(税込み、以下同じ)。記者も食べてみたが、具はほとんどなくてレトルトカレーのような味だ。ネギトロ鉄火丼は1600円で、丼に盛られたマグロの刺し身は3切れ。そこに釜揚げしらすと少しのネギトロが添えられている。  別のフロアのレストランでは、特製ピザが1900円、東京バーガー1600円、金メダルバーガー1600円などと書かれている。ハンバーガーはパンが冷たく、肉も味があまりしない。フランスの記者はツイッターに「ゴム肉、冷たいパン、汚いプレゼンテーション。すべて1600円」などと投稿したほどだ。  いずれもドリンク代は別で、コーラが280円、水が180円と外の価格の1.7倍。これには外国メディアの記者も「高いよ!」と驚いていた。  2000年のシドニー大会から五輪取材をしている日本の記者は、「北京大会では北京ダックが数百円だったし、他の大会でもスポンサーになっている飲料メーカーの商品は取り放題でした。コロナという事情があったにせよ、これでは『おもてなし』どころか料理のレベルは過去最悪かもしれない」と話した。  選手村に入ったロシアチームの部屋には、テレビも冷蔵庫もなかったという報道もあった。  一方、大会組織委員会は、外国のメディア関係者らが都内の観光地を訪れている姿が報じられたことなどを受け、行動制限を強化する方針を打ち出した。開幕前日の22日には、ルール違反した数人について、IOCが発行する資格認定証の効力を1日停止したことを明らかにした。  築地周辺で酒を出しているという店を見つけて聞くと「先ほどまで五輪関係の外国人の方が食事をしていましたよ」と言う。ルール違反をしている外国人関係者がいることもたしかなようだ。  お台場にも多くのメディア関係者が宿泊していると聞いて行ってみた。商業施設のフードコートでハンバーガーを頬張っている外国人を見つけた。 「ブラジルから来たテレビの技術者だよ。ホテルは、電車で数十分のところにある」と言う。禁止されている外食と公共交通機関への乗車。ルール違反者かと思いきや、「僕はもう1カ月以上前に来日しているから移動できるんだ。もちろん最初の14日間はコンビニ弁当やウーバーイーツの毎日だったけどね」。  この日はMPCの帰りに、ブラジルで待つ身重の妻へのお土産に、ぬいぐるみを買いに来た。そのついでに食事をしていたところだという。 「本当は焼きそばが食べたかったんだけど、英語メニューがなくてわからないから、仕方なくハンバーガーさ」  やっぱりわびしい。(本誌・鈴木裕也、大谷百合絵、西岡千史) ※週刊朝日  2021年8月6日号

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