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上皇さま「時には無表情」美智子さま「髪型もチェンジ」19歳で目覚めた「皇室おっかけ大学生」の撮影記録
上皇さま「時には無表情」美智子さま「髪型もチェンジ」19歳で目覚めた「皇室おっかけ大学生」の撮影記録 2022年4月 皇居の生物学研究所に通う上皇さま(撮影/阿部満幹さん)  4月26日、上皇ご夫妻が思い出の住まいである赤坂御用地の仙洞御所に戻る。代替わりに伴う住まいの転居により、ご夫妻は品川区高輪にある旧皇族邸を仙洞仮御所として2年の歳月を過ごした。その間、コロナ禍が続き、外出を控えていたため、国民が上皇さまと美智子さまのお姿を見る機会は、ほとんどなかった。  おふたりの姿を、そっと見守るように写真の記録におさめた大学生がいた。平成の終わりに天皇と皇族の姿を目にして以来、皇室に魅了され、距離を保ちつつシャッターを押し続けたのが、皇室おっかけ大学生、阿部満幹(あべ・かずひろ)さんだ。  月曜日と金曜日の午前中、上皇さまは、高輪の仙洞仮御所から皇居にある生物学研究所に通う。研究所に向かうため皇居の乾門を通過する上皇さま。阿部さんは、咲き誇る桜を背景に写した。  上皇さまは、魚類学研究者として世界的に知られる。退位後も研究を続け、新しい論文を発表している。また、各地で開催される魚類の研究会にオンラインで参加し、研究者との交流も積極的に続けている。  阿部さんが皇室の追っかけ大学生となるきっかけは、2018年12月23日。阿部さんは19歳の誕生日を迎えたばかりだった。平成最後となる明仁天皇の天皇誕生日(当時)の一般参賀に足を運んでみようと思い立った。  このとき天皇陛下の姿をひとめ見ようと、平成で最多となる8万3千人が皇居を訪れた。  阿部さんは、皇居の宮殿中庭から天皇ご一家を目にして、スマートフォンでシャッターを切った。帰りに皇居・東御苑周辺を歩いていると、人だかりを見つけた。赤坂御用地に戻る秋篠宮ご夫妻が車で通るという。阿部さんも少し待ってスマホを構えた。  年が明けた19年2月24日、千代田区の国立劇場で行われた天皇陛下御在位30年記念式典にも足を運び、スマホを構えた。式典が終わり皇居に戻る明仁天皇と花束を抱えた美智子さまの姿を見ることができた。  それからも皇族方の行事の機会があると、足を運んだ。相変わらず手に構えるのはスマホだったが、次第に「追っかけ」の先輩の人たちの写真も気になりはじめた。先輩が撮影した写真には天皇陛下や皇族方のいい笑顔が写っている。もっといい写真が撮りたい――負けん気がわいてきた阿部さんは、翌20年にスマホから一眼レフのカメラに持ち替えた。  19歳で足を運んだ皇居から始まった皇室との縁は、すでに3年半になる。阿部さんの“本業”は、大学生だ。 「コロナでリモート講義が多いので、勉強の隙間を見つけては、足を運んでいます。学業との両立は大変なこともありますが、じっとカメラを構えつづけていると、皇族方の表情の違いがなんとなく見えてくることもあるので、楽しいです」  メディアではなく一般の皇室ファンである「おっかけ」、しかも阿部さんのような若い学生だからこそ引き出せるものもある。皇室メンバーの柔らかな表情だ。 2022年1月 皇居の生物学研究所に通う上皇さま(撮影/阿部満幹さん)  22年1月に撮影した写真には、上皇さまが皇居に入る瞬間に見せた優しい笑顔が写っている。おつきの侍従が大事そうに抱える鞄は、ご研究用の資料が詰まっているのだろうか。皇室好きにとっては、このようなちょっとした発見も嬉しいものだ。  もっとも、阿部さんの関心は背景と上皇さまの取り合わせだ。 「冬で緑がなく、枯れ葉を背景にした撮影も挑戦してみました。上皇さまは、渋いオレンジ系の色もお似合いですね」  あらためて実感するのは、上皇ご夫妻の人気ぶりだ。譲位して引退生活を送っていても、阿部さんはおふたりに対する人びとの敬愛を実感する。 「ご退位されてからは、こぼれるような笑顔を見せてくださるのが印象的です」(阿部さん)  いまどきの大学生である阿部さんが、60歳以上も年齢が離れた上皇ご夫妻に惹かれる理由はどこにあるのか。 「実は、上皇さまは表情がとても豊かなのです。お元気のないお顔のときもありますし、ちょっとご機嫌が悪いように見える表情だと感じることもあります。保育園や幼稚園など子どもたちが沿道で見送ることもあるのですが、そんなとき、上皇さまは驚くほど、嬉しそうなお顔をなさるのです」  阿部さんが関心するのは、美智子さまの気遣いだ。 「上皇さまのお顔に重ならないように、そして常に上皇さまの手より下の位置でご自身の手を振っていらっしゃる。もっとも令和に入ってからは、目立たぬよう配慮されているのか手は振らずに会釈が多い。でも、沿道に子どもたちがいるときは、それは嬉しそうに車の窓の縁に手をかけてニコッとなさるんです」 2021年4月皇居のご研究所へ通う上皇さま 沿道に集まった人から歓声があがった(撮影/阿部満幹さん) 2021年6月 皇居に入る上皇さま(奥)と美智子さま(撮影/阿部満幹さん)  美智子さまの装いにも強い関心を持っている。  「私が見る限り、ここ2年半の雅子さまの装いは白系の色味が中心でたまに青系統といったサイクルで、落ち着いています。一方で、美智子さまは引退後も、目立たぬよう控え目ながら細かいところまで気を配る装いで拝見するのが楽しみなのです」  美智子さまは、1959年に民間出身の初の皇太子妃となった。戦争の傷あとから日本が立ち直り復興を遂げるなかで、美智子さまの気品あるスタイルは日本女性が洋装を積極的に取り入れる後押しとなった。米国のファッション業界の投票による「ベストドレッサー賞」にも選ばれている。  品のある着こなしは健在だ。21年6月、皇居に入る美智子さまの横顔を写した一枚の写真がある。メガネを耳にかける「リム」部分の上品な深い青とお召しの明るいブルーの服との調和が美しい。  気品がありながら、年齢を重ねてもどこかチャーミングな魅力を持つのが美智子さまだ。22年1月に、そんな美智子さまらしさをとらえた。上皇さまと美智子さまが、皇居の乾門から出た際に撮影したのだという。  外気は5度の寒さ、おっかけの皇室ファンはブルブル震えながら待ち時間を過ごした。乾門から出たおふたり。美智子さまは、耳当てをして寒さ対策をしていた。  寒い地方取材や海外などでは、その土地にあった装いをすることはあるが、都内や公務ではなかなか見ることのない小物使いである。なんともお似合いで珍しい。  21年10月、眞子さんと小室さんの結婚から3日ほど経たタイミングで、上皇さまと美智子さまの様子をカメラに収めたこともあった。 「普段とお変わりないご様子でしたが、胸の内ではずっと大変でおられたのではと思います。それでも沿道で元気いっぱいにお見送りする園児に、上皇さまは手を振り、美智子さまは窓の縁に手をかけてほほ笑むご様子にホッとしました」 2022年1月皇居の乾門から出てきたおふたり。5度の寒さで美智子さまは、耳当てをつけている(撮影/阿部満幹さん) 2022年1月 乾門から出るおふたり。美智子さまは上着と同色の耳あてがお似合い(撮影/阿部満幹さん) 2021年10月、眞子さんと小室さんの結婚から3日ほど経た日の外出。皇居から仙洞仮御所に戻る上皇ご夫妻。 沿道で園児がお見送りしており、美智子さまは手を窓にかけてほほ笑んでいる(撮影/阿部満幹さん)  阿部さんは男性ながら大学生らしく、美智子さまのファッションの変化も敏感だ。  「皇后でいらしたときは、頭頂部から後頭部にかけてボリュームをつけた髪型をなさっていました。しかし、令和に入ってからはシンプルに髪をまとめることが増えて雰囲気をすこし変えられたな、と感じます」  美智子さまは、令和に入った2019年に白内障で両目を手術している。サングラスは目を保護する意味もあると思われるが、よくお似合いだ。  今年3月、日中は小春日和とはいえまだ肌寒い日もある。阿部さんがカメラでとらえた美智子さまはボーダーのインナーにラフなジャケットという、若々しい組み合わせ。ジャケットの淡いピンクの色味とサングラスの色の調和が上品だ。  「カジュアルなジャケット姿を拝見するのは、珍しかったのでこちらもお気に入りの1枚です。スタイリッシュなサングラスもよくお似合いです。上皇后になられて3年、だいぶ一般の装いに近くなられたかなという印象を日々受けます」  阿部さんは、これからも少しずつ変化する皇室の姿を撮り続けたいと話す。 2022年4月12日、改修の終わった赤坂の仙洞御所へのお引越し。高輪の仙洞仮御所を出発し、滞在先の葉山へ向かう上皇ご夫妻(撮影/阿部満幹さん) (AERAdot.編集部・永井貴子)
食前のチョコも有効 医者に聞く「医者いらず」な食べ物と生活習慣
食前のチョコも有効 医者に聞く「医者いらず」な食べ物と生活習慣 ※写真はイメージです (GettyImages)  コロナ禍で生活様式が乱され、健康に不安を感じる人も少なくないだろう。そんな時、魅力的に響くのは「医者いらず」という言葉。医者を遠ざける食事や生活習慣とはどんなものか、その道のプロである医師たちも実践する極意を聞いた。 *  *  *  日本人の寿命は延びている。厚生労働省によると、2020年の平均寿命は女性が87.74歳、男性が81.64歳で、女性は8年、男性は9年連続で過去最高を更新した。  ただし、介護などの必要がなく、自立して日常生活が送れる「健康寿命」(19年)は女性が75.38歳、男性が72.68歳。平均寿命との間に女性は約12年、男性は約9年の開きがある。病気の治療や介護はお金がかかり、周りの人の世話も必要だ。どうせなら、元気なまま長生きしたい。 『40歳からの予防医学』(ダイヤモンド社)の著者で、YouTubeで予防医学に関する情報を発信している産業医・内科医の森勇磨さんは、病気になる前にできることの大切さを訴える。 森勇磨さん 「病院へのアクセスのよさや国民皆保険制度など、日本の医療制度は世界トップクラスです。しかし、これらは主に病気になってから利用するもの。病気になる前の、予防医学のアプローチは十分とは言えません。健康や医療に関する情報はメディアにあふれていますが、それらを吟味し、正しいものを取捨選択する能力を示す『ヘルスリテラシー』は、実は世界的にみて極めて低いとされています」  元気でいるための知識や行動で参考になるのが、日本や海外に古くから伝わる「医者いらず」。食べ物や生活習慣により、医者に行く必要がないほど健康でいられると考えられるものを指す。伝統的には、柿や大根、梅干しなどが挙げられることが多く、「腹八分目の医者いらず」「1日1個のリンゴは医者を遠ざける」といった言葉もある。  しかし、中には根拠がはっきりしないものもある。食べすぎややりすぎが、かえって害をおよぼす場合だってあるだろう。 (週刊朝日2022年4月29日号より)  そこで今回、がんや、糖尿病など生活習慣病の予防や治療に取り組む医師たちに、医者いらずな食べ物や生活習慣を教えてもらった。  まずは食べ物から見ていこう。若林医院の若林利光院長(脳神経外科医)は、トマトを挙げる。 若林利光さん 「緑黄色野菜は細胞のダメージを和らげ、動脈硬化や老化を防ぐ効果が期待されるポリフェノールを多く含みます。とくにトマトは抗酸化作用が高いとされるリコピンも豊富。『トマトが赤くなると医者が青くなる』『トマトのなる家に病なし』といった言葉があるように、健康状態の改善に高い効果が期待できる野菜の代表例です」  カボチャも、トマトに引けを取らない医者いらずだという。 「『冬至にカボチャを食べると中風にならない』と言われます。中風とは、脳卒中のこと。実際に、カボチャには脳卒中のリスクを高める動脈硬化の予防に効果的なβ(ベータ)カロテンやビタミンC、ビタミンEが多く含まれています。糖質の吸収を抑える食物繊維も多い」  若林院長が三つ目に挙げるのはビタミンB1だ。 「脳や心臓の細胞を活性化する働きがあり、認知症や心不全の予防効果が期待されています。脳や心臓にエネルギー源であるブドウ糖が十分にあっても、ビタミンB1が不足すればうまく活用できない。ビタミンB1を多く含む食べ物は、豚肉やウナギ、玄米など。錠剤でも構いません。私も毎日飲んでいます」  ビタミンB1は、実は歴史上の有名な人物の生死とも関わりが深い。例えば、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公で、1224年に62歳で亡くなった北条義時の死因は、ビタミンB1不足が原因の脚気だった可能性があるという。 「諸説ありますが、歴史書『吾妻鏡』には、精神障害を伴う脚気に、強い腹痛や嘔吐を伴う『霍乱(かくらん)』が重なったとある。脚気が原因の精神障害なら、ウェルニッケ脳症が考えられます。脚気がそれほど重症化していたとすれば、耐え難い胸の痛みに襲われる『衝心脚気』で亡くなったことの説明もつく。義時の場合、白米の偏食か、アルコール依存症によって、ビタミンB1不足に陥っていた可能性があります」(若林院長)  アルコールの分解時にはビタミンB1が消費されてしまうというから、飲みすぎには要注意だ。  一方で、脚気で亡くなる人が多かった江戸時代、浮世絵師の葛飾北斎は90歳まで長生きした。その一因として、ビタミンB1を多く含むそばが好きだったことが影響した可能性があるという。「そばは動脈硬化を防ぐ効果があるとされるルチンも多く含みます」(同)  古くから「万病の薬」と呼ばれてきた緑茶に改めて注目しているのは、肝臓病を専門とする栗原クリニック東京・日本橋の栗原毅院長だ。 栗原毅さん 「緑茶に含まれるポリフェノールの一種、『茶カテキン』は糖質の吸収を緩やかにしたり、中性脂肪の合成や血糖値の急上昇を抑えたりする働きがあると考えられています。茶カテキンには、抗がん作用があるという研究結果も報告されている。さらに緑茶に含まれる『テアニン』にはリラックス効果があり、疲労回復や安眠を促す効果も期待されます」  その効果は、お茶を飲むだけでなく、茶葉や茶殻をそのまま食べると一段と高まるという。 「飲むだけでは、緑茶の葉に含まれる健康成分のうち3割程度しか摂取できません。それでも十分な健康効果を発揮しますが、残り7割はお湯や水に溶けないので捨てることになる。残った茶葉をお酢や調味料で味付けしてサラダのように食べてもいいですし、お茶をいれる前の茶葉もおかずやご飯に混ぜたり、揚げて天ぷらにしたりして食べれば、より高い健康効果が得られます。味も意外といけますよ」(栗原院長)  さらに、お茶は感染症や歯周病対策にも有効だという。茶カテキンには、抗ウイルスや抗菌作用があるからだ。 「より効果的なのは、緑茶でうがいをし、そのまま飲み込むこと。口の中だけでなく、のどのウイルスを洗い流すこともでき、胃の中で胃酸の力で死んでしまいます。コロナウイルスの感染防御にも使えそうです」(同)  栗原院長は、チョコレートも生活習慣病全般の改善に有効だと指摘する。 「カカオ成分が70%以上の高カカオチョコがとくにおススメ。原料のカカオには、血糖値の上昇を抑えるカカオポリフェノールと、糖質の吸収を緩やかにする食物繊維が豊富。二つの相乗効果で血糖値の急上昇を抑えられれば、血糖値を調整するホルモンであるインスリンによる脂肪の蓄積を和らげることができ、内臓脂肪も落とせます。朝昼晩の食前や、各食間の5回に分けて5グラムずつ食べれば、効き目は長続きします」  チョコは今回取材した医師5人のうち、4人が挙げた。カカオ成分の多い高カカオチョコは、スーパーやドラッグストアでも売っているので、試してみるのも良いかも。ただし、カロリーも高いので食べすぎにはご注意を。  食べ物だけでなく、独自に考え出した「食べ方」を推すのが、糖尿病専門医の梶山内科クリニック・梶山静夫院長だ。 梶山静夫さん  梶山院長は、より簡単に実践できる糖尿病の食事療法の研究を20年以上、続けてきた。食べる順番や食べ方を工夫することで、食後の血糖値の上昇を抑える「食べる順番療法」を考案。今では全国に広がっている。梶山院長は言う。 「最初に野菜(食物繊維)、次に主菜(たんぱく質)、最後に主食(炭水化物)という順番で食べると、食後の血糖値は約20%、血糖値を調整するホルモンのインスリン分泌量は約30%抑えられることがわかりました。野菜を最初に食べると良いのは、野菜に含まれる食物繊維が糖質を包み込み、小腸での吸収スピードを和らげるためです。ゆっくり噛んで食べるとより効果的です」  血糖値が高いと糖尿病の原因になるほか、脳梗塞や心筋梗塞といった血管系の病気につながる動脈硬化になりやすくなる。最近では、がんやアルツハイマー型認知症との関連もわかってきた。 「インスリンが過剰に分泌されると、アルツハイマー型認知症の原因物質の一つとされる脳内のアミロイドβの分解がうまく進まなくなるという研究結果が報告されています。長生きするほど認知症のリスクは高くなるし、発症した場合の治療期間も長くなる。糖尿病患者はもちろん、健康に問題がない人も、ぜひ実践してほしい。私も家族ぐるみで続けています」(梶山院長)  前出の森さんは、「運動以上に体によい習慣はない」と言う。 「適度な運動は、加齢とともに動きが悪くなる心臓の劣化を防ぐのをはじめ、高血圧や糖尿病、大腸がん、認知症など、多くの病気の予防に効果があります。1日にたった15分の運動をするだけで、運動量がゼロの人に比べて死亡リスクが14%も減ったというデータもあります。でも、効果は一朝一夕に表れるものではありません。早いうちから運動する習慣を身につけましょう」  運動が嫌いな人もいるだろう。森さんは、取り組みやすいものとして、ウォーキングを勧める。 「歩数は1日8千歩が目安。米国の女性約1万5千人が対象の研究では、8千歩までは歩けば歩くほど寿命が延びたというデータがある。大変に感じる人もいるかもしれませんが、歩数にこだわりすぎなくていい。続けることが肝心です」  コロナの感染拡大で、免疫力の重要性を改めて実感させられた。医療法人康梓会Y’sサイエンスクリニック広尾統括院長で、アンチエイジングドクター(日本抗加齢医学会専門医)の日比野佐和子さんは、「免疫力を高めるには『幹細胞』がカギを握っています」として、食べ物を含めた生活習慣をトータルで改善する必要性を説く。 日比野佐和子さん 「幹細胞は全身にあって、細胞や組織を再生・修復する役割があり、若さや寿命にも深くかかわっていると考えられています。幹細胞も加齢とともに老化するので、ダメージを抑え、活性化し続けることができれば、老化のスピードを抑え、健康で若々しくすごせる時間も長くなるでしょう」  日比野さんは幹細胞の活性化に必要な生活習慣として、(1)7~8時間の睡眠(2)青魚(3)深呼吸や瞑想(4)寝る前のストレッチ(5)赤ワインやダークチョコレートの五つを挙げる。 「良質な睡眠は自律神経を整え、細胞の修復、再生を促します。米ワシントン大の調査では、よく眠れている人ほどアルツハイマー型認知症の発症原因とされている脳内のアミロイドβの蓄積が少なかったといいます。サバやサンマ、マグロなどの青魚には、体内の炎症を抑え、細胞の活性を促すオメガ3脂肪酸のDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)が多く含まれる。この二つの栄養素が少ないと、脳梗塞や心筋梗塞といった動脈硬化が原因となる疾患リスクが高くなることがわかっています」  医療に関する研究や技術の進歩に伴い、「医者いらず」のノウハウも進化している。食事や生活習慣を改めて見直してみよう。(本誌・池田正史)※週刊朝日  2022年4月29日号
小室夫妻「カナダ移住」説の現実味は? ビザ取得は眞子さんが鍵か
小室夫妻「カナダ移住」説の現実味は? ビザ取得は眞子さんが鍵か 昨年11月に渡米した際の小室夫妻  2度目の挑戦だった米ニューヨーク州の司法試験に不合格だった小室圭さん(30)。秋篠宮家の長女・眞子さん(30)との新婚生活にも暗雲が垂れ込める中、聞こえてくるのはまさかの「カナダ移住」説。新天地への「転進」の現実味を探ってみた。 *  *  * 「サクラサク」とはならなかったようだ。  昨年10月に秋篠宮家の長女、眞子さんと結婚した小室圭さんが今年の2月に受験した米ニューヨーク州の司法試験。その結果が4月15日未明(日本時間)に公表されたが、そこに「KOMURO,KEI」の名前はなかった。  その日の午前、小室さんは自身の留学を支援してきた奥野善彦弁護士に電話で連絡。「残念ながら落ちました。合格点に5点足りず、とても無念です」とのやりとりがあり、7月の試験へ再々受験の意欲を示したと伝えられる。  ニューヨーク市内の法律事務所で「Law Clerk」として勤務する小室さん。昨年7月から数えて3度目の試験に挑むというのだが、いくつか不安材料がある。日本とニューヨーク州の弁護士資格を持つ樋口一磨弁護士が説明する。 「所属する事務所次第ですが、2度目の試験も落ちたとなると、一般的には解雇になる可能性が高い状況です。また、仮に雇用を継続してくれるとしても、ビザが取れないため、引き続き米国に滞在して働くこと自体ができなくなると思われます」  アメリカでは大学や大学院を卒業後、そのまま米国に滞在して企業で働くことができるOPT(オプショナル・プラクティカル・トレーニング)制度があり、小室さんはこれを利用している可能性がある。その期限が遅くとも今年の夏ごろにはやってくる予定なのだ。  金銭面の不安もある。英字紙などは眞子さんがニューヨークのメトロポリタン美術館の仕事に関わっていると報じたが、無給のボランティアに近い契約との情報もあり、月50万円以上とも言われるタワーマンションの家賃を賄うには心もとない。  二人の新婚生活は1年も経たず頓挫してしまうのか。今後を心配する声が高まる中、ネット上では「小室夫妻がカナダに移住するのではないか」という説がまことしやかにささやかれている。 “根拠”の一つとされるのが外務省の人事だ。1月の人事でニューヨーク総領事を務めた山野内勘二氏が異動となり、新たに森美樹夫氏が後任となったのだ。山野内氏といえば昨秋に小室夫妻がニューヨークに渡って以降、新居や勤務先、警備の配置など、二人を裏で支えてきた人物とされる。後任の森氏は、外務省の領事局長に着任してからわずか1年での異動。そして小室夫妻の「お守り役」を任されてきた山野内氏の新しい赴任先はカナダ大使なのだ。  カナダといえば、2020年3月に英国王室を離脱したハリー王子夫妻が一時、移住した地。元々英連邦の一員で王室への親しみがあり、メーガン妃がトルドー首相と知り合いだったことから移住先に選んだという。 メーガン妃とハリー王子 (GettyImages)  日本の皇室とカナダの結びつきも古い。1953年に当時皇太子であった上皇さまがエリザベス女王の戴冠式に昭和天皇の名代として出席するため初めて外遊した際、カナダにも立ち寄った。78年からは高円宮憲仁親王がオンタリオ州のクイーンズ大学に留学し、それ以降、高円宮家とカナダとの交流は現在まで続く。  皇室・王室事情に詳しいジャーナリストの多賀幹子氏はこう語る。 「日本の皇室にとってカナダは深い関わりがあります。ニューヨークも最先端を行く楽しい街ですが、一方で危険も多い。先日もブルックリンで発砲事件がありました。治安という点では心配ですし、警備費用もかかる。結婚されたので、妊娠・出産や育児も考えておられるかもしれません。『複雑性PTSD』と診断された眞子さんのメンタルヘルスの問題もありますから、自然に囲まれた空気の良いところで過ごすほうがよいでしょう。安心安全を考えるとカナダはお薦めですね」  ちなみに、小室さんの通った中学・高校は東京都内の「カナディアン・インターナショナルスクール」。同校はカナダの教育制度に基づいたプログラムを提供しており、卒業時にカナダの全ての州で認知されている卒業証書が授与されるという。 カナダの国旗と街並み (GettyImages)  自身もバンクーバーにロングステイした経験を持つ海外生活ジャーナリストの飯田道子氏は、こんな利点を語る。 「ニューヨークと比べ物価が安いのが魅力。お酒や贅沢品は高いですが食材には消費税がかからないので、外食せず自炊で慎ましく暮らせばお金もあまりかかりません。住居も30万円くらいあればセキュリティーのしっかりしたところに住めます」  新天地としてふさわしいかに思えるカナダ。だが、そこにはやはりビザの問題が立ちふさがる。いくら信頼できる大使がいても、こればかりは自力で何とかするほかないはずだ。飯田氏が語る。 「恐らく、小室夫妻が取得できるビザは観光ビザ以外ほとんどないのでは。以前はお金を持っていれば投資家ビザで移住できましたが、現在は中断されています。最終手段として、学生ビザでまたカナダの大学に入り直す方法はありますが……」  小室さんがカナダで法律関係の仕事に就くことも、難しいという。 「カナダなど英米系の法体系を基礎としている国では、米国の法律知識が部分的に役立つことはあります。しかし、司法試験に合格していない以上、小室さんはただの『知識のある日本人』にすぎない。米国とカナダの法律は全く違いますし、日本法についてアドバイスできる資格があるわけでもないため、ほかの国で雇用されるニーズはあまりない」(樋口弁護士)  現地の反応も「ウェルカム」ばかりではないだろう。小室さんはメーガン妃と同じ「ゴールドディガー(玉の輿)」だと酷評するカナダのネットメディアもある。実際、カナダに移住したハリー王子とメーガン妃もその警備費用を税金で負担していたことから非難が殺到し、米国カリフォルニア州に転居することになった。  やはり一筋縄ではいかなそうなカナダ移住。それでも、実現する可能性がないわけではない。 「スキルドワーカーのビザでは専門職として10年以内に1年以上のフルタイムの職歴が必要。小室さんの法律事務では難しいので、ビジネス関係で審査を通すのであれば眞子さんが頑張らないといけないでしょう。博物館の学芸員など専門性を生かした仕事でフルタイムで働けば、可能性はあります」(飯田氏)  結婚会見で「心穏やかに過ごすことの出来る環境」を望んだ眞子さん。はたして安住の地は見つかるのか。(本誌・佐賀旭)※週刊朝日  2022年4月29日号
4歳娘、ロシアのウクライナ侵攻に「なぜよその家にはいるの?」 困る父親に論語パパがアドバイス
4歳娘、ロシアのウクライナ侵攻に「なぜよその家にはいるの?」 困る父親に論語パパがアドバイス 朝から晩まで「なんで?」「どうして?」を繰り返す4歳の娘を持つ40代の父親。最近はロシアによるウクライナ侵攻について質問攻めにあい、答えられず困っています。「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、「論語」から格言を選んで現代の親の悩みに答える本連載。今回の父親へのアドバイスはいかに。 *  *  * 【相談者:4歳の娘を持つ40代の父親】  興味が広がり、あらゆることを不思議に思い、朝から晩まで質問したがる4歳の娘がいます。最近は、ニュース映像でウクライナから避難する子どもたちを見て「あの子たちはなにをしているの?」「ロシア人はどうしてよその人の家に勝手に入るの?」とエンドレスで聞いてきます。これだけテレビでウクライナのニュースが流れると、見せないということもできず、適当なつくり話でかわすこともできず困っています。「悪いこと」だと教えたとして、「ではなぜ止められないの?」と聞かれたらどう答えればいいのか……。4歳にわかるような話で、よい答えはないものでしょうか。 【論語パパが選んだ言葉は?】 ・「子張(しちょう)、行われんことを問う。子曰(い)わく、言忠信(げんちゅうしん)、行篤敬(こうとくけい)なれば、蛮貊(ばんぱく)の邦(くに)と雖(いえど)も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならずば、州里(しゅうり)と雖も行われんや」(衛霊公第十五) ・「子曰わく、已(や)んぬるかな。吾(わ)れ未(い)まだ能(よ)く其(そ)の過ちを見て、而(しか)も内に自(み)ずから訟(せ)むる者を見ざるなり」(公冶長第五) 【現代語訳】 ・子張が孔子に尋ねた。「どうすれば自分の行いが正しいところに達するのでしょうか」 孔子がこう答えた。「言うことが誠実で、行動が敬虔であれば、異民族の国で自分の思った通りに行っても人々は従うだろう。しかし、もし言うことに誠意がなく、行いが軽薄であれば、自分の郷里であったとしても、人々が自分に従うことはないだろう」 ・「あぁ、なんとも仕方のないことで、だめだなあ。私は、自分で過失を自覚して反省する、自責の念の強い人をまだ見たことがない」 【解説】※写真はイメージです(写真/Getty Images)  ニュースに深い関心を抱く4歳の娘さん、さすがですね! 大人にも即答できない問題に対し、エンドレスで質問するなんて、まさにブレーンストーミングの練習になってすばらしい家庭環境ですね。  さて、人命に関わる危機、国の存亡に関わる危機に「適当なつくり話」をすることはやめましょう。幼い頃から「人としての正しさ」が奈辺にあるのかを、しっかり教えるべきです。  古代中国の思想家・孔子は、弟子たちに、見識を広くして客観的に物事を見ることができるようにするために学問を教え、人間関係を円滑で豊かなものにするために「礼」を教えました。  実は、孔子は、裏切り、謀反、贈収賄などが横行し、いつ自分の国が他国に侵攻され滅びるか、わからないような戦国の世に生きていました。今から2500年前、人々は自分の生命や国の存亡に対して、われわれ、現代の日本人よりもっと危機感を抱いていました。   娘さんの疑問「どうしてロシアのウクライナ侵攻を止められないのか」について、説くことは難しいですが、孔子の言行録『論語』に記された言葉に沿って考えてみます。 「子張(しちょう)、行われんことを問う。子曰(い)わく、言忠信(げんちゅうしん)、行篤敬(こうとくけい)なれば、蛮貊(ばんぱく)の邦(くに)と雖(いえど)も行われん。言忠信ならず、行い篤敬ならずば、州里(しゅうり)と雖も行われんや」(衛霊公第十五)  弟子の子張が「どうしたら人々が従うような、正しい行いに達することができるのか」と尋ねたとき、孔子は「言うことが誠実であるように、行いが敬虔であるように」と答えました。 「忠信」とは誠実さ、優しさ、「篤敬」とは敬虔、謙譲であることを言います。孔子は「正しさ」を、常に人間関係という点から考えていました。人は、他者との関係があってはじめて生きていくことができるのですから。  でも今のプーチン大統領の発言、言動は「忠信」、行動は「篤敬」でしょうか。人と接する時に、「忠信」「篤敬」の気持ちがなかったとしたら、どうやって他者と信頼関係を築くことができるでしょうか。  孔子は、「忠信」「篤敬」の気持ちで接していくなら、異民族の国でも他者と信頼関係を作って生きていくことができる。反対にそうした気持ちで対応しなければ、住みやすいはずの生まれ故郷ですらうまくやっていくことはできなくなってしまう、と説いているのです。常に誠実で優しく、また敬虔、謙譲であることを、娘さんはもちろん、みんながそういう気持ちになれるよう、日々の生活を過ごすことを子どもに教えるのが、父親である相談者さんの務めだと思います。  他国への侵略は、他人の家に勝手に入っていくことと同じです。プーチン大統領は、他人の家に入って、自分の言うことを聞かない人を殺しているのです。決して許されることではありません。4歳の子どもにもわかることですが、では、なぜ侵略を止められないのでしょうか。  悪いことをしている人をつかまえるには、自分たちでそれに対処する力も必要ですし、それができないのであれば、外の人たちに助けてもらうしかありません。自宅にセキュリティーサービスを付けたり、警察への通報をするのと同じことですね。  でも、セキュリティーサービスに加入していなければどうすることもできません。さらに、家の中の人たちが機転を利かせることや、外部に助けを求めるための言語能力や信頼関係がないとしたら、助けを求めることもできなくなってしまいますね。  娘さんの質問をきっかけに、ぜひ家族全員でこうした力をつけていこうと話し合ってみてください。そして、2500年前の戦乱の中国で非戦と平和主義をとなえた、孔子の次の嘆きの言葉の意味も、家族で話し合ってほしいと思います。 「子曰わく、已(や)んぬるかな。吾(わ)れ未(い)まだ能(よ)く其(そ)の過ちを見て、而(しか)も内に自(み)ずから訟(せ)むる者を見ざるなり」(公冶長第五) 「訟」とは自責の意。「ああ、なんとも仕方がないことだ。自分で過失を自覚して反省する、自責の念の強い人をまだ見たことがない」という意味です。立派な人間は、自分の過ちを認めて反省できる人であって、そういう人がいない世の中がよくなるはずがないと嘆いたのです。 【まとめ】 適当なつくり話は×。どんなときでも誠実で、敬虔であること、自分の過ちを認める大切さについて家族で話し合う機会にしよう 山口謠司(やまぐち・ようじ)/中国文献学者。大東文化大学教授。1963年、長崎県生まれ。同大学大学院、英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。NHK番組「チコちゃんに叱られる!」やラジオ番組での簡潔かつユーモラスな解説が人気を集める。2017年、著書『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。著書や監修に『ステップアップ  0歳音読』(さくら舎)『眠れなくなるほど面白い 図解論語』(日本文芸社)など多数。2021年12月に監修を務めた『チコちゃんと学ぶ チコっと論語』(河出書房新社)が発売。母親向けの論語講座も。フランス人の妻と、大学生の息子の3人家族。
伝説のアイドル岡田有希子さんが今でも愛される理由 36年経ってもファンが偲ぶ“ユッコ”の命日
伝説のアイドル岡田有希子さんが今でも愛される理由 36年経ってもファンが偲ぶ“ユッコ”の命日 岡田有希子さんが亡くなった現場で花などを手向ける人たち/撮影・高鍬真之  1980年代に人気を博し、18歳で命を絶ったアイドル岡田有希子さん。今年も4月8日、36回目の命日を迎えた。現場となった都内のビルの前や、故郷の墓前には、今年も多くのファンが足を運び、“ユッコ”を偲(しの)んだ。  4月8日、午前11時半過ぎ。東京都新宿区の新宿御苑にほど近いビルの前に行くと、歩道の植え込みに岡田有希子さんの写真やポスターなどが並べられ、花を手向けるファンが多くいた。  1986年のこの日、岡田さんは、所属する事務所のビル(当時)の屋上から飛び降り、18歳の短い命を絶った。熱心なファンはこの日を、本名・佐藤佳代の「佳」と、桜が満開の時期であることにちなみ、「佳桜忌」(けいおうき)と呼んで偲んでいる。  現場で歩行者の誘導をしていたのは、岡田さんをテーマにした作品を持つ現代アート作家の弓指寛治さん(36)。 「ここは公共の場所なので、近隣の方や通行人に迷惑をかけるわけにはいきません。以前、集まったファンの数が多くて110番通報され、警官が規制に来たそうです。もし、再びそのようなことが起きて集まれなくなったら、ファンはもちろん、何よりも岡田さんが悲しむんじゃないでしょうか。それで2019年から自主的に1人で始めたんです」  以前は元親衛隊やユッコフレンズと称されるファンのグループが、命日に合わせて集まったり、オフ会を開いたりしていた。年忌法要の最後として執り行う三十三回忌の16年でピリオドを打ったが、その後も現場を訪れる人は尽きない。 「追悼したい方は来られるでしょうし、『佳桜忌』は無くせるものではありません。だったら僕が『交通整理』をやろう、って思ったのがきっかけで続けています」  しばらくすると岡田さんが所属していたサンミュージックの関係者も喪服で来た。  千葉県松戸市の会社員の男性(55)は、 「10年ちょい前から毎年来ています。今日は有給休暇を取りました」と話し、 岡田さんが亡くなった時のことを振り返る。 岡田有希子さん 「僕はユッコがデビューして間もなくからのファンで、1浪して合格した関西の大学の入学式が4月8日だったんです。受験勉強からようやく解放され、コンサートにも行けるぞ!って意気込んでいた矢先だっただけに、すごくショックでした」  1983年、名古屋市出身の岡田さんは、当時数々の人気アイドルが輩出したオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)で決戦大会まで残り、サンミュージックがスカウトしたのがきっかけで芸能界入りした。同社の初代社長・相澤秀禎氏(故人)が自宅に下宿させたことからも、いかに期待されていたかがわかる。  デビュー曲「ファースト・デイト」(竹内まりあ作詞・作曲)が発売されたのは84年4月。歌唱力が評価され、“ポスト松田聖子”の呼び声も高かった。  岡田さんは、デビューして間もない頃、現在の東京ドーム(文京区)の横にあった『後楽園ジャンボプール』の歌謡ショーに出演したことがあった。そのとき司会を務めた芸能リポーターの菊田あや子さん(62)は、当時の岡田さんのことを今でも鮮明に覚えているという。 「小柄で素直な明るい感じの子でした。育ちが良かったんでしょう、きちんとあいさつができてて、とても好印象でした」  感心したのは、頭の回転の早さだったという。 「中学では学年で一番の成績で、上京するまで通っていたのは地元の進学校だと聞きました。受け答えが上手で、可愛く見せよう、とするのではなく、自然に振る舞える。売れる要素を感じましたね」  転校した都内の堀越高校同級生には、南野陽子さん、長山洋子さん、本田美奈子さん、桑田靖子さん、田中久美さん、岡田有希子さん、いしのようこさん、宮崎萬純さんら、その後、歌手や女優として活躍するそうそうたる顔ぶれがそろっていた。  そして、84年は日本レコード大賞最優秀新人賞をはじめ、名だたる歌謡賞の新人賞を獲得。まさにシンデレラガールだった。  その後も大手メーカーのCMタイアップ曲に恵まれ、スマッシュヒットを連発。86年1月にリリースした8枚目のシングル「くちびるNetwork(ネットワーク)」(作詞・Seiko=松田聖子、作曲・坂本龍一)も沢口靖子さんをイメージキャラクターにした化粧品のCMソングに起用され、待望のオリコン1位を獲得するヒットとなった。  高校在学中にすでに「売れっ子」になった岡田さん。岡田さんの日記や母親の手記などがまとめられた本「愛をください」によると、3月3日に高校を卒業し、全国ツアーがスタートする前日の4月4日から一人暮らしを始めた。  さらなる活躍が期待された時だった。だが、その4日後、岡田さんは帰らぬ人となった。  当日、現場からワイドショー「3時のあなた」(フジテレビ系)の中継リポートをした東海林のり子さん(87)はこう振り返る。 「人気絶頂のアイドル歌手でしたから、あまりにも衝撃的でした。 “ユッコシンドローム”と言われるほど若い世代の後追い自殺がおきて、国会でも取り上げられる社会問題となりました」  忘れられないのが、数ヶ月後、直前まで下宿していた相澤社長宅を取材した時のことだ。岡田さんの部屋が、ファンのために開放されていたという。 「奥様が在宅されている時は、いつでも応対されていました。部屋にはノートがあって、自由にコメントも残せるんです。それが何冊も何冊もありました。ファンのためでもあり、ご自身が悲しみを忘れるためでもあったのかもしれません。それだけ、相澤夫妻は我が子のように可愛がってらっしゃったんだと思います」(東海林さん)  突然の死から36年--。岡田さんを思うファンは多い。彼女が今も愛される理由はどこにあるのだろうか?  4月8日に新宿の現場に訪れたオーストラリア出身の元サンミュージックの社員、リチャード・ノースコットさん(56)=現在は都内のIT企業の社長=はこう言う。 岡田有希子さんへのメッセージカードが添えられた供花/撮影・高鍬真之 「彼女が亡くなった時、僕はオーストラリアの大学の学生でした。登校できなくなるくらいショックで、それを癒やすために日本の大学に編入して、サンミュージックに入社したんです。人気アイドルの要素を全て持っていたユッコは、今でも私の憧れの女性です」  デビュー時からのファンという男性(57)は、 「一番輝いていた86年で時間が止まっているんです。僕らは年齢を重ねてそれぞれの人生を歩んでいますが、ユッコは18歳のかれんでピュアなアイドルのまま。だから素直な気持ちで今も応援できるし、心の中で生き続けてる理由だと思います」。  岡田さんのパネルを少し離れた場所から見つめていた50代の女性は、かつてファンクラブの運営に関わっていたといい、最近命日に現場を訪れるファンについて、 「彼女を直接知らない若い世代のファンが増えてきたというのが最近の特徴ですね。全体の3分の1以上にはなったというのが実感です。純粋に彼女や楽曲が好きなのではなく、“悲劇のヒロイン”であることに興味を持って来てる人も多く、5、6年前までとは雰囲気が変わったように思います」と話す。  兵庫県姫路市から夜行バスで来たという2人組はいずれも36歳。当然、岡田さんをリアルタイムで見ていた世代ではないが、岡田さんの魅力についてこう語った。 「ファン歴はまだ2年ほどですが、80年代アイドルならダントツでユッコ。デビュー曲の『ファースト・デイト』はもちろん好きですけど、亡くなられた翌月の5月14日に発売予定だった最後のシングル『花のイマージュ』が一番好き」 「5枚目のシングル『Summer Beach』とか、生前最後の曲『くちびるNetwork』などは、今ブームのシティポップ風で歌詞もいい。聴けば聴くほど心に染みるんです」  このように岡田さんのファンは、50~60代からリアルを知らない世代までと層は厚く、広い。  4月8日の正午くらいには、現場に集まったファンの数は、少なくとも200人を超えていた。  岡田さんが亡くなった12時15分。現場では、1分間の黙祷が行われた。  コラムニストでアイドル評論家の中森明夫さんも来ており、こうツイートした。 「アイドル#岡田有希子の36回目の命日です。四谷四丁目交差点へ行き、12時15分に黙祷してきました。毎年、来ています。今年も沢山の方々がいらっしゃっていました。一度だけお会いした時の彼女の笑顔が忘れられません。岡田有希子さんの魂が安らかでありますように…」 その後、供花や写真パネルなどは、有志の手で愛知県愛西市郊外にある岡田さんの菩提寺、成満(じょうまん)寺へ全部運ばれた。  前出の弓指さんは「僕は持てるだけ持って新幹線で。残りは愛車で運んでくださる方がいるのでお任せしました」と急ぎ足で東京駅へ向かった。   一方の成満寺。岡田さんと同じく84年デビューの歌手・荻野目洋子さんは、今も墓参を欠かさない。  同寺の住職(79)によると、 「今年は3月7日、(荻野目さんは)朝の7時頃に来て下さいました。36年経つのにずっと続けられるのは、なかなかできないことだと感心しています」。 4月8日は朝早くからファンが絶えず、岡田さんが眠る墓は供花で埋め尽くされた。 「100人以上お越しになられました。東京で追悼後、新幹線で足を運ぶ方もいらっしゃるので、毎年午後4時から本堂で法要を行っています。今年は50人ほど参列されていました」  わずか3年弱の歌手生活だったが、岡田さんは永遠のアイドルになった。 (高鍬真之)
マキタスポーツ 結婚10年で式を挙げ、妻に「これで終わったと思うなよ」と言われる
マキタスポーツ 結婚10年で式を挙げ、妻に「これで終わったと思うなよ」と言われる マキタスポーツ (撮影/写真映像部・高野楓菜)  芸人でありながら、俳優やミュージシャンとしても活躍するマキタスポーツさん。そんな「異能の人」が、今度は初の小説『雌伏三十年』を出版。同じ山梨出身で高校の先輩でもある林真理子さんとは、地元の話で意気投合。自身のキャリアから山梨への思いを語りました。 【マキタスポーツが役者で成功した理由は「古着化」した顔?】より続く *  *  * 林:私がマキタさんを初めて見たのが「花子とアン」(NHK朝ドラ、2014年)ですけど、甲州弁がこんなにネイティブな人、誰だろうと思ったら、「マキタスポーツさんよ」って言われて、おもしろい名前だなと思っていたんです。 マキタ:林先輩、僕の実家の「マキタスポーツ用品店」には、行ったことないですか。 林:すいません、私、スポーツには縁がない人だから(笑)。 マキタ:僕が役者の仕事を本格的に始めたのは2012年で、今年で丸10年なんです。最初は芸人として10年ぐらいの下積みがあって、ようやく認められたぐらいのタイミングで映画のお仕事をいただいたんですよ。それが先ごろお亡くなりになった西村賢太さん原作の「苦役列車」という映画(12年)で、あろうことかブルーリボン賞の新人賞をいただいちゃったんですよ。40(歳)すぎて。 林:そういうことがあったんですね。それまで演技の経験はあったんですか。 マキタ:エキストラに毛の生えたような役をいただいたり、たけしさんの事務所にいたときに、たけしさんが撮った「アウトレイジ」(10年)にちょい役で出してもらったりしてました。だけど僕、役者をやっていく気持ちまったくなくて、音楽と笑いを混ぜた「オトネタ」っていうやつを基本的にやっていきたいと思ってたんです。 林:いまもやってますよね。すごくおもしろいって評判です。マキタさんは、“異能の人”のわりには、意外なことに破天荒な女性関係もなく、ご家庭もすごく大事にされていて(笑)。 マキタ:ハイブリッドな“異能の人”ということで(笑)。 林:お子さんも4人? マキタスポーツさん(左)と林真理子さん (撮影/写真映像部・高野楓菜) マキタ:4人います。長女が4月から大学3年で今年ハタチになりまして、次女が4月から高校1年で、4月から小学2年生になった双子の男の子がいるんです。七転八倒しながら、なんとか二人で育ててます。『雌伏三十年』の表紙は僕の顔のイラストにしたんですけど、これ、実は僕の長女が描いた絵なんですよ。 林:すごく上手じゃないですか。 マキタ:「俺が若かったころをイメージして描いて」と言って。 林:じゃあこの絵は、お父さんとお母さんが出会って、一緒に暮らし始めたころですね。山梨県人って、なかなか同棲なんかしないと思ってたけど。 マキタ:アハハハ、そんなことはないと思いますよ。 林:そう? そんなことするとお嫁に行けないし、みたいな、保守的な空気が私のころにはまだまだありましたよ。 マキタ:僕は授かり婚なんで、まともな結婚式も挙げることがなかったし、当時は僕も無法者というか、とんがってればとんがってるほどいい、みたいな荒くれた精神でいましたから。妻にも「これでいくぞ!」みたいなノリで。 林:カッコいいじゃないですか。 マキタ:でも、その勢いがもったのは1、2年で、あっという間に侵略されましたね(笑)。迷惑をかけてきたので頭が上がらないし、自分の中に罪の意識があったんです。仕事に恵まれ始めるまで10年ぐらいかかって、恩返しというほど大げさなものではないんですけど、「見とけよ。何とかしてその10年分おまえに返してやるぞ」みたいに思っていて。それで、仕事が上向きになってきた10年目に結婚式を挙げたんです。 林:まあ、ステキです。 マキタ:債務を返済したつもりで感謝の手紙を読んだら、妻が「これで終わったと思うなよ」って言ったんですよ(笑)。 林:おもしろい奥さんですね。奥さんのほうも“異能の人”なのかな(笑)。 マキタ:変なノロケ話に聞こえたらイヤなんですけど、仕事もないのに「俺はこんなことやりたいんだ」みたいな、たいそうなことを語る妙な男と結婚して、子どもを産んだりするおまえのほうがよっぽど変だよ、と僕は思ってました。それぐらい強烈な女性なんですよ。 林:奥さまはこの本、なんておっしゃってるんですか。 マキタ:僕は見せてません。読んだらムカツクことだらけだと思うので。こっそり読んでるかもしれませんけど。 林:私たちはネイティブな山梨県人で、それを隠していませんけど、本当は山梨生まれのくせに、東京生まれだと言い張ってる芸能人もいますよね。 マキタ:山梨を否定するどころか、抹消してる人もいますからね。僕、山梨市の万力公園にある根津嘉一郎(山梨県出身の実業家)の銅像の隣に、自分の銅像を建てたいと思ってるんです。ちょっとバカバカしいとも思うけど、ロマンがあると思うから。 林:今日みたいに、ベレー帽かぶった銅像を(笑)。 マキタ:僕、山梨に対しては思うところがあって。若いころは、山梨を低く見て「見てろよ、俺は東京で成功してやる」なんて言ってるうちに、気持ちがどんどん変わってきたんですよね。この年になって子どもを育てたり、人並みに自分のアイデンティティーみたいなことを気にし始めて、生まれ故郷の山梨とようやく向き合える気分になってきたんです。 林:いいことじゃないですか。 マキタ:そのタイミングで山梨のYBSで自分の冠番組(「マキタ係長」)を持つことになって、いまもやってますけど、もっと山梨をおもしろくしたいなと思うようになってきましたね。 林:私は山梨県のワイン県副知事とか、いろいろやってますけど、マキタさんもいろいろなさってるんでしょう? マキタ:僕も山梨市の観光大使をやらせてもらってます。 林:私、桃の季節に編集者の人たちとバスに乗って山梨に行って「桃見の会」というのをやってるんですよ。この2年、コロナで行けなかったので、今年は落ち着いたタイミングで行けたらいいなと思ってるんです。 マキタ:僕もギター一本かついで行きますよ。 林:ほんとに? 楽しみです! (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。28歳のときに芸能界デビューし、音楽と笑いを融合させた「オトネタ」を提唱。各地でライブ活動を行うほか、ドラマ、映画、バラエティー、ラジオなどで幅広く活躍。2012年の映画「苦役列車」で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞を受賞。著書に『越境芸人 増補版』『決定版 一億総ツッコミ時代』『すべてのJ−POPはパクリである』など。3月、自身初の小説『雌伏三十年』を出版した。※週刊朝日  2022年4月22日号より抜粋
小室圭さん、試験結果に名前ナシ 7月に3度目再挑戦?眞子さんの就職や永住権も選択肢
小室圭さん、試験結果に名前ナシ 7月に3度目再挑戦?眞子さんの就職や永住権も選択肢 米国のニューヨークに向けて出発する小室圭さん、眞子さん夫妻=2021年11月14日、羽田空港 小室圭さん、眞子さん夫妻は今後もアメリカに住み続けることはできるのか? 4月15日、今年2月に小室さんが受けたニューヨーク州の司法試験の結果が発表された。合格者リストに小室さんの名前はなかった。2人の方向性について、ニューヨークに長く住む「先輩」たちに話を聞いた。  小室さんは昨年5月、ロースクールを修了し、7月に司法試験を受けたが合格者リストに名前はなく、不合格だった。今回も不合格だったとの見方が強い。  現地の司法試験委員会によると、今回は約3千人が受験し、合格率は45%。再受験での合格率は30%だった。もし、小室さんが3度目の挑戦をするのであれば、試験は7月だ。  在米30年で、グリーンカード(永住権)を取得していてビザにも詳しい50代の日本人男性は、「合格発表の日の夕方、小室夫妻の住むマンハッタンのマンションの前を車で通ってきたんですが、人だかりなどはなく、ひっそりと静かでした」と話す。  気になるのは小室さんの今後のビザなどについてだが。 「小室さんが今回司法試験に合格していれば、H-1Bという専門技術者として一時的に就労する場合のビザを申請できたはずなんですよ。それも抽選に当たらなければいけないという前提がありますが、遠のきましたね」(前出の50代男性)  小室さんは現地の法律事務所で弁護士の助手として勤務しながら司法試験に挑戦していた。  ニューヨーク在住の日本人経営者の男性はビザについてこう考える。 「小室さんはフォーダム大を卒業した時、OPT(オプショナル・プラクティカル・トレーニング)をとっていると思われます。眞子さんは小室さんの配偶者ビザではないでしょうか。OPTは学生ビザの延長で、通常は1年間の期限があります。期限が切れたら、帰国しなければならないです」  では、米国に住み続けるためにはどうすればいいのか。前出の日本人経営者はこう話す。 「現実的かどうかは別として、小室さんがもう一度、大学に入り直し、学生ビザが取れれば合法的にいられます。眞子さんも配偶者のビザが取れます」 記者会見に臨む小室圭さんと眞子さん=2021年10月26日、代表撮影  仮に、小室さんが7月の司法試験を受けようとしても、小室さんのビザがもたなくなる可能性がある。そうした場合、眞子さんがビザを取得し、その配偶者ビザに移行するという方法もあるという。  英紙デイリー・メールは4月12日、眞子さんについて、「現在、ニューヨークのメトロポリタン美術館で無給のボランティアとして働いている」と報じた。メトロポリタン美術館(MET)といえば、世界3大美術館の一つに数えられる。  眞子さんはMETのウェブサイトで、絵画作品の解説文を「Mako Komuro」の署名入りで寄稿。METのキュレーターの元で業務に関わっているとも報じられた。 「METで仕事をしたいという人はたくさんいます。無給でも次につながります。たとえば研修だったらJ-1ビザというのがあります。就労ビザとは違い、海外の人が英語を使って学んだことを現地で研修するためのビザです。アメリカの大学を出ていると、すでに研修が済んだということになりますから取れません。ですからアメリカの大学を出ていない眞子さんなら取れるはずです。小室さんは配偶者ビザ(J-2)をとって、さらに仕事をするには労働許可証を取らなければなりません」(前出の日本人経営者)  J-1の期限はおおむね18カ月で、更新は不可という。  眞子さんの場合、国際基督教大学教養学部を卒業後、英国のレスター大学大学院博物館学研究科に入り、修士を取得した。その点ではJ-1の資格としては問題なさそうだ。  他にも、当てはまるかは別として、「O-1という、芸術家などが取得できるビザもあります。アーティストやスポーツ選手、その分野にたけている人が取るビザですね。ただし、プロのミュージシャンでも簡単には取れないです」(50代男性)  一方、永住権を取る方法も、簡単ではないが、あるという。  永住権については、アメリカ人の配偶者がいる、多額の投資をする、世界的に有名な並外れた能力がある--など、いくつかの方法があるようだが、小室さんにとって現実的なのは、抽選のようだ。毎年1回の抽選があり、高校を卒業していれば申請できる。  とはいえ、確率はかなり低そうだが……。 「申請して抽選に当たる人はいますよ。私は昔、はずれましたが、知人は3人当たりました」(同)  30年住んでいれば、3人くらいは知り合いにいてもおかしくはないのだろう。  小室さん夫妻は、ニューヨークに住み始めてまだ半年弱。早くも壁にぶつかった格好だが、やはり今後の動きが気になるところだ。 (AERAdot.編集部 上田耕司)
自宅に難民を受け入れ、託児所開設に奔走 ポーランドに暮らす20代日本人男性の思い
自宅に難民を受け入れ、託児所開設に奔走 ポーランドに暮らす20代日本人男性の思い ポーランドの駅で寝泊まりをするウクライナ難民の子どもたち(photo 東さん提供)  ロシアによるウクライナ侵攻が続くなか、隣国ポーランドでは難民支援に奔走する日本人男性がいる。自宅に難民を受け入れ、難民になった母親のために現地のNGOとともに託児所の開設を目指している。AERA 2022年4月18日号は男性に話を聞いた。 *  *  *  戦争の長期化とともに深刻な問題となっているのが、ウクライナからの難民だ。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、人口約4200万人のウクライナで、ロシアの侵攻後に国外に逃れた市民は413万人に上る(4月1日現在)。これほど大勢の人が一度に難民となるのは、第2次世界大戦後では初めてとなる。戦いに備えるため、18~60歳の男性は原則、出国を禁止されている。難民の9割は女性と子どもだ。 「行き場を失った母親や子どもたちを見るに堪えなかった」  ポーランド南部のカトビツェに住む東優悟(あずまゆうご)さん(25)はそう話す。ウクライナとの国境から西へ約350キロのところにある都市だ。 「難民を受け入れたい」  沖縄県出身。婚約者のポーランド人女性(25)と息子(4)の3人でこの街で暮らす。大学院で経済学を学び、4月から地元企業でも働くはずだった。  それが、ロシアのウクライナ侵攻で一変した。駅は、命からがら逃れてきた女性や子どもたちであふれ返った。子どもは寒さで震えながら、駅構内の一角に敷かれた毛布の上で寝ていた。自分の息子と同じくらいの年齢だった。  放っておけない──。  そう考えていると、婚約者が「難民を受け入れたい」と提案してきた。  今はキーウから戦火を逃れてきた1家族を自宅に受け入れ、衣食住を提供している。母親(35)と娘(8)、息子(3)の3人だ。電車を乗り継ぎ数日かけて国境を越え、やっとの思いでポーランドにたどり着いた。東さんの難民受け入れのフェイスブック(※)の投稿を見て、連絡をしてきたという。  ポーランドは、ウクライナからの難民を最も多く受け入れている国だ。UNHCRによると約240万人に上り、ポーランドの全人口の約6%に相当する。 ポーランドでウクライナ難民を支援する東優悟さん(右から3人目)、婚約者(同2人目)、息子(右端)と、受け入れている家族(photo 東さん提供) NGOと一緒に託児所 「難民の数が多すぎて、ポーランド政府の対応はどうしても遅れます。僕たちのような民間人が動かないと、多くの難民が飢えることになります」  そう話す東さんは、難民が避難している「支援センター」や駅などにも食料や毛布など物資を届けている。すべて手弁当だ。  息つく間もなく、睡眠も満足に取れない。だが、戦争に傷つき苦しむ人たちがいる、その人たちの力になりたい──。その一心で踏ん張っているという。  今、東さんが進めているのが、集まった支援金で現地の非政府組織(NGO)と一緒に託児所をつくることだ。  難民になった母親たちは、生活していくためポーランドで働かなければいけない。その際、子どもの預け先があれば母親は安心して働くことができ、その施設で母親が働けば収入源になる。そのための託児所だという。 「ウクライナに残って妻や子どもを心配している父親たちも、安心させることができると思います」(東さん)  4月中旬の開設を目指す。ただ、支援に終わりはないという。戦争はいつ終わるかわからず、終わっても破壊されたウクライナにいつ戻れるかわからない。そのためにも継続的な支援が重要だと訴え、自身のフェイスブックなどを通し寄付を募る。  首都ワルシャワなどにも託児所をつくり、戦争が終わりウクライナに帰った時、ポーランドでは孤独を感じなくて済んだという場所にしたいという。 「一人でも多くの子どもを救いたい」 (編集部・野村昌二)※AERA 2022年4月18日号より抜粋
80歳で「いくら」残って入れば安心か? 介護次第、3千万円必要な場合も
80歳で「いくら」残って入れば安心か? 介護次第、3千万円必要な場合も ※イラストはイメージです  長寿化が進むにつれ老後資金への不安は募るばかり。先が長すぎるので「中間地点」を設けて、そこでの必要額を探ると、今度は新たに「介護」の準備が必要であることがわかった。介護費用を含めると、いったい80歳でいくらあればいいのか。さまざまな見方を紹介しよう。 *  *  *  首都圏に住むA子さん(67)が言う。 「80歳ですか? あまり考えたことないですね」  夫は勤め先を退職し、すでに年金生活に入っている。A子さんは少しでも年金を増やしたいと、パートをしながら「年金繰り下げ」に挑戦中だ。  年金収入で生活費を賄いたいのが繰り下げの動機というから、お金の計算は綿密に行うタイプだ。それでも、コロナ前は毎年行っていた海外旅行や孫への援助は貯蓄の取り崩しで対応している。 「『65歳でいくら』には関心がありましたが、80歳だと旅行やおいしいものを食べに行ったりもできなくなる年齢ですからねえ。1千万円ぐらいかとも思いますが、将来のことはわかりません」  率直で正直な意見だろう。「老後資金」というと、現役の間にいくらためられるか、その一点に焦点が絞られる。しかし、ファイナンシャルプランナー(FP)の畠中雅子さんによると、60歳代の貯金がピークのときに判断ミスをする人が後を絶たないという。 「例えば、会社を退職してしばらくすると1千万円ぐらいかけて家をリフォームする人がいたりします。300万円ぐらいに抑えておけばいいのに、気が大きくなるのか使ってしまうんです。そして後になって、老後資金が足りないことに気づく」  逆に、しっかり準備してきた人の中には、「不安だらけで使っていいお金がわからない」と戸惑っている人がいたりする。  人生100年、現役を終えてからの先は長い。だとすると「中間地点」を設定し、そこで「いくらあればいいのか」を知っておく必要があるのではないか。そこで考えたのが、今回のテーマだ。 ※イラストはイメージです  今の高齢者の元気な姿を見ていると、70代の間はアクティブに活動できる人がどんどん増えていくだろう。お金は元気なうちに使ってこそ楽しい。80歳で安心できる金額を知ることは、元気なうちに使えるお金を知ることにもつながる。  では、どうすれば、その金額がわかるのか。老後資金だから、年金などの収入で生活費が賄えていればよし、足りなければ赤字分に残りの年数を掛ければよい、と思われるだろうが、それでは半分正解にしかならない。 「介護の費用が入っていません。それをどう見るかで違ってきます」(先の畠中さん)  確かに、そうだ。元気なまま逝ければよいが、認知症や寝たきりになって「介護」が必要になる可能性が誰にもある。  実は、これまで語られてきた老後資金には、介護の費用は一切考慮されていない。若い世代の将来不安に火をつけた「老後資金2千万円問題」にしても同じ。毎月の生活費の赤字分、約5万5千円を30年分積み上げると約2千万円になるとするものだった。  心身に衰えが出てくる80歳以降は、生活費の足りない分に加えて介護の費用も考慮しなければならないのだ。  それでは介護にはいくらかかるのか。しかし、これが一筋縄ではいかない。人によって介護の必要度合いが違うし、どの程度の質を望むのかで費用が全然違ってくる。  生命保険文化センターが「全国平均」の数字(2021年度)を出している。それによると、住宅改造や介護用ベッドの購入などの「一時費用」に「74万円」かかり、実際の介護にかかる費用は「月額8.3万円」で介護期間は「約5年1カ月(61.1月)」だった。すると介護にかかる総費用は次のようになる。 74万円+(8.3万円×61.1月)=581.1万円  この数字を手がかりに介護費用を「1人800万円程度」と見込むのは、老後資金に詳しいFPの長尾義弘さんだ。 「これ以外に数年前に損保会社も同様の調査を行っており、両者を勘案して800万円としました。夫婦だと1600万円ですが、補い合うので丸々この金額はかからないかもしれません。でも80歳で介護費用として1千万円は準備する必要があるのではないでしょうか」 ※イラストはイメージです  同じくFPの澤木明さんも「1千万円程度」を持論とするが、こちらは自身の介護体験がベースになっている。 「認知症も入った母親を約15年間介護したんです。最初は在宅で、症状が重くなってからは特別養護老人ホーム(特養)に預けました」 ◆調査や体験から「1千万円程度」  澤木さんが考えたモデルは、介護期間を10年として在宅と介護施設の期間を半々とするもの。在宅では徐々に症状が悪化するとし、費用も年々上がっていく。特養は待機期間が必要になることが多いため、最初は介護付き有料老人ホームに入り途中から特養に移る。 「母親の介護費用を参考に10年間の数字を積み上げていくと、1千万円程度になります。いろいろなセミナーでこの数字をお伝えしています」  1人800万~1千万円。冒頭のA子さんはいい線をいっているが、在宅や公的施設ではなく民間の有料老人ホームで快適な介護を受けたい人もいる。さまざまな人の参考になるように、もう少し幅広いモデルがほしい。そこで介護と介護施設に詳しいFPの岡本典子さんに平均的な介護パターンと介護費用を教えてもらい、それをもとに「モデル夫婦」を作ってみた。  80歳の夫と75歳の妻がいたとする。年金収入は2人で年間300万円、生活費は月額25万円(年間300万円)とし、生活費では赤字は出ない。夫は85歳から90歳の間、介護状態になり90歳で死亡、妻は90歳から介護を受け同じく5年後に95歳で死亡するとする。  岡本さんが言う。 「高齢期を過ごす住まいには『自宅』のほかにさまざまな施設がありますが、最期の看取りまで受けられる代表的なところとして民間の『介護付き有料老人ホーム』と『特養』を想定しました。有料老人ホームは家賃分の前払い金として500万円、月額費用は25万円としています。首都圏では『中程度』です。また特養の費用は余裕を見て月15万円を見込みました」  とすると、考えられる典型的な介護パターンは次の五つになる。夫は在宅介護で対応し、「おひとりさま」になった妻は特養(パターンI)か有料老人ホーム(同II)で最期を迎えるケース、夫婦2人とも有料老人ホームで介護を受けるケース(同III)、そして一人は有料老人ホームで一人は特養(同IV)、2人とも特養(同V)だ。 ◆有料老人ホーム 数千万円が必要  この五つのパターンについて、どれくらいの費用がかかり、それを賄うには年金収入以外にいくら必要なのかを試算した。 (週刊朝日2022年4月22日号より)  在宅や特養を利用した場合の1千万円(パターンV)や1200万円(同I)は、先に長尾さんや澤木さんが指摘した金額に近い。ただし、有料老人ホームを利用すると金額は跳ね上がる。どちらか一方が利用(同II、IV)すると年金以外に2千万円以上かかり、両方(同III)だと3千万円を超す。 「夫を在宅で介護する場合、症状が重くなってくると妻の負担が増えるので、最期の施設利用も考えるとパターンI、IIの場合、もう少し費用を見ておいたほうがいいかもしれません。いずれにしても介護を考える場合、お金は多いに越したことはありません。選択肢が増えますから」(岡本さん)  もっともこの試算、いろいろな条件を設定した一つのケースにすぎないので、自分の収入や希望に沿って数字を変えてイメージを広げてほしい。また特養の場合、要介護3以上でないと入れないことや、大勢の待機者がいることが多く、希望したときに入れないという現実も知っておきたい。  それにしても、かなりのお金がかかることは間違いない。「介護はピンキリ」は有料老人ホームの広告などで実感できるが、準備するほうはたまったものではない。これでは有料老人ホームは、高値で売却できる自宅がある人などを除けば、「夢のまた夢」になってしまいそうだが、ここからが人生100年時代の老後資金の「懐」が深いところだ。高齢になっても、十分資金を積み増すことができるのだ。  自助努力の筆頭として挙げられるのは、冒頭のA子さんもしている「年金繰り下げ」だろう。65歳からもらわずに受給を遅らせることで年金を増やす方策。1カ月遅らせるごとに0.7%年金額が増える。しかも4月からの制度改正で上限が5歳延びて75歳まで繰り下げできるようになった。 (週刊朝日2022年4月22日号より)  10年繰り下げはさすがにハードルが高いので、70歳まで5年繰り下げた場合(60カ月遅らせるので42%増額)の金額を左の特大表に載せておいた。増額の効果は絶大だ。右から2番目の列が夫婦2人とも繰り下げた場合で、2人が有料老人ホームを利用するケースで65歳受給のときの半額強、「年金プラス1700万円」まで費用は下がる。70歳までフルタイムで働いて生活費を稼げるのなら、繰り下げがおススメだ。  体力や気力の減退などでフルタイムがきつい人でも、アルバイト的な「チョイ働き」ならできる。先の澤木さんは、この「チョイ働き」を勧める。 「週に3日、1日6時間程度働くやり方です。都内なら鉄道の駅近くにある駐輪場の管理人や公共施設の受付など仕事はいっぱいあります。今、パートやアルバイトの時給は千円強ですから、月7万~8万円、年間では100万円稼ぐことも可能です。10年働けば1千万円が上積みできます」 ■自助努力すれば負担軽減が可能  金額を増やすことだけが自助努力なのではない。先の畠中さんが言う。 「介護は情報戦です。知っているかどうかの差が大きい。情報戦に勝てた人は費用負担を抑えて、いい介護を受けられています」  もちろん「いい情報」はネット検索では出てこない。畠中さんが勧めるのは、まずは地元の施設を見学することだ。公的施設は自治体にリストがあるし、有料老人ホームはネット検索で探せる。 「一つずつ見て回るのです。何人待ちかも直接施設に聞いてください。特養でも待機者がいないところがありますし、介護になる前に入るケアハウスで条件のいい施設が見つかることもあります」  目が肥えてくれば、地元を離れてもう少し広い範囲で探せるようになるだろう。地方へ行けば、東京の半額程度ですむところもある。 「情報戦を戦える人は、80歳で1千万円なくても大丈夫だと思います」(畠中さん)  もう一人、FPの鈴木暁子さんも、そんなに介護費用のことは心配しなくてもいいとする。 「元気なときのために積み上げた資金に『介護だから、あといくら必要』と思うから負担が大きく感じるんです。そうではなく、元気だったら楽しいことにお金を使うし、元気でないのなら、それが介護の費用になると考えればいいのです」  生きている限り、生活に潤いを与えるお金は必要。リタイア前にマネープランをしっかり作り、とりわけ旅行や趣味、家具・家電の買い替えなど、「潤い資金」でまとまったお金が出ていく項目を綿密に洗い出しておけばいいと鈴木さんは言う。 「これらは人生を快適に過ごすために使うお金です。でも、介護になると使えません。だから、そういうお金を介護に回していけばいいのです。最初からプランに入れておくと、使い道が変わるだけと納得できます」  工夫しだいで費用は賄えていく。もちろん最大の自助努力は健康を保って介護にならないことだ。そして「PPK(ピンピンコロリ)」で旅立てれば、介護費用はゼロですむ。今回取り上げた試算や手法を参考に、納得のいく準備をして80歳を迎えてほしい。(本誌・首藤由之)※週刊朝日  2022年4月22日号
「普通の主婦」がなぜ特殊詐欺の“受け子”になってしまうのか 専門家が語る「自分をだます」心の動きとは
「普通の主婦」がなぜ特殊詐欺の“受け子”になってしまうのか 専門家が語る「自分をだます」心の動きとは 逮捕された主婦が接触したのもSNSに掲載された「闇バイト」の求人だった(画像はイメージ)  特殊詐欺の「受け子」役として高齢者から現金を詐取したとして、42歳の女が逮捕された。報道によると、女はいわゆる「普通の主婦」でSNSの闇バイト求人に引っ掛かったようだ。動機は「生活費の足しにしたかった」という素朴なもの。犯罪とは縁遠いはずの主婦が、なぜ手を染めてしまったのか。詐欺事件に詳しい犯罪心理の専門家によると、そこには、自分自身さえもだまし「これは犯罪ではない」と肯定する複雑な心理が働いているという。 *  *  * 報道によると、都内に住む70代男性が今年3月、長男を装った人物から金が必要という趣旨の電話を受け現金600万円をだまし取られた事件で、42歳の女が警視庁練馬署に逮捕された。女は「受け子」で、会計事務所の職員になりすまして被害者の男性に接触し、現金が入った封筒を受け取ったという。  きっかけは女がSNSで「荷物の受け取り数万円」と書かれた投稿を見つけたこと。女はいわゆる「普通の主婦」で「生活費が足りず、生活費の足しにしようとした」と供述する一方で、「だまし取るつもりはなかった」とも話したという。  SNSを使った闇バイト求人への注意喚起が当局などから出されている中、「普通の主婦」が、「荷物の受け取り数万円」といういかにも怪しい求人に、なぜハマってしまったのか。  詐欺などの犯罪や、犯罪心理に詳しい東京未来大学の出口保行教授によると、こうした容疑者が犯行へと突き進む過程では、心理学における「合理化」というメカニズムが働くのだという。 「合理化」とは何か。  出口教授は「自分にとって都合の悪い現実を、もっともらしい理由付けをして正当化していく。これを合理化と呼びます」とし、女の心理をこう推察する。 「この主婦の場合、お金を手に入れたいという目的がまずあります。それをかなえるため、犯罪に違いないであろうSNSの求人に対し、『荷物を受け取るだけだから』『中身が何かは知らないから』などの理由付けをして、募集に応じることを正当化しようとしたと考えられます。そして、合理化の作業を繰り返していくと、正当化するための理由付けが、いつしか確信に変わるのです。受け子で逮捕された容疑者は逮捕直後、『中身を知らなかった』などと犯意を否定することが多いですが、まさに合理化によってその心理ができあがっているのです」  そして、合理化の次は「リスクとコスト」について思考をめぐらすのだという。  リスクとは、実行した場合に逮捕されるなどのリスク。コストとは、自分の犯罪が知られることによって、自分が失うものの大きさを指す。この二つが大きいと判断すれば、犯罪行為にはいたらない。  深く考えなくてもわかりそうなものだが、合理化した心理状態では、そう簡単ではない。犯罪へと向かって行く最中は、物事を判断する視野が極端に狭くなってしまうのだという。夫や妻がいても、子供がいてもだ。 「リスクについては、『渡される物の中身や、そもそも犯罪だとは知らなかったのだから逮捕はされないだろう』。コストには、『その言い逃れが最後まで通じるはずだから、失うものはない』。そんな具合に双方を過小評価し、ついには犯行に至るのです。自分の行動を合理化によって正当化し、コストとリスクを非常に小さく見積もる。犯罪加害者の多くが、このような心理的な経過をたどります」(出口教授)  そもそも、この主婦はなぜSNSの闇バイトに行きついたのか。「生活の足しに」という程度なら、仕事を探す手段は他にもあったはずだ。「合理化」うんぬんの前に、単に欲をかいただけのようにも思える。  だが出口教授は、主婦のケースは特殊ではないとし、「普通の人」なら誰でも同じような状況に陥る可能性があると言い切る。 「例えば、少しだけいい服やアクセサリーを買いたい。ただ、夫に頼ったり家計に負担はかけたくない、などとふと思う主婦はたくさんいるはずです。そんな時、手軽で給料が高い『おいしそうな』仕事を見つけると手を出してしまいがちになる。なぜなら、そうした仕事を探している時点で、すでに『合理化』は始まっているからです。そして、その対象を見つけると、必死に合理化を繰り返していってしまうのです」  特殊詐欺の被害額は年間で300億円近くに達し、深刻な事態が続いている。その状況下で、捜査関係者が指摘するのは特殊詐欺の「受け子」の不足だ。  受け子で逮捕されるのは10~20代の若者が多い。だが、例えば2018年に神奈川県警が行った、主に受け子で逮捕された若者ら96人に対する聞き取りでは、ほぼ半数が報酬をまったくもらえていなかった。受け取った者も10万円未満が半数。ハイリスク・ローリターンどころか、ゼロリターンの実態が明らかになった。若者にとっては「割りのいいバイト」ですらないのだ。  出口教授は、犯罪グループが受け子などの末端協力者について、リクルートの方向性を変えていく可能性を指摘する。 「警察当局の啓発活動もあり、受け子らは逮捕リスクが高いことが周知されています。犯罪グループからすれば、若者が中心だった使い捨ての汚れ役が不足している状況です。今回の主婦のように『普通の成人』に狙いを定める流れが、今後ますます加速していくでしょう。どんな手で勧誘するか、犯罪グループは次の手を常に考えているのです」  いくら自分の気持ちを「合理化」しようとも、いずれは事の重大さと失うものの大きさに後悔することを忘れてはならない。(AERA dot.編集部・國府田英之)
霧島れいか、ニコール・キッドマン…アカデミー賞ファッション ドン小西が批評
霧島れいか、ニコール・キッドマン…アカデミー賞ファッション ドン小西が批評 ドン小西  3月27日、第94回アカデミー賞授賞式に出席したクリステン・スチュワート(31)、ニコール・キッドマン(54)、霧島れいか(49)、ビリー・アイリッシュ(20)。ファッションデザイナーのドン小西さんがチェックした。 *  *  * クリステン・スチュワート(31)は主演女優賞にノミネート=3月27日、第94回アカデミー賞授賞式で (GettyImages)  新しさを取り入れる努力が見える4人を選んでみたけどさ。しっかりスベってるよな。まずダイアナ妃を演じたクリステン・スチュワート。シャネルのミニパンツと、ヘソまで延びたVゾーンだけは話題にはなったけど、肝心の彼女と合ってない。この子こそ、ピンクの女優ドレスが似合いそうだよね。 霧島れいか(49)は、国際長編映画賞に輝いた「ドライブ・マイ・カー」で西島秀俊演じる主人公の妻を演じた=3月27日、第94回アカデミー賞授賞式で (GettyImages)  もう一人、霧島れいかもシャネル。透明感のある素敵なドレスだけど、オーラの薄い彼女には合ってない。アクセントのウエストベルトも小柄の彼女には太すぎだよ。一方、グッチのドレスはビリー・アイリッシュ。ボリューミーはいいけど、髪をまとめるとか、どっかで締めないと。黒い芋虫かい! ビリー・アイリッシュ(20)は歌曲賞を受賞=3月27日、第94回アカデミー賞授賞式で (GettyImages)  こう見るとアルマーニ・プリヴェの古典的ドレスで「私、今もゴージャスでしょ?」と言わんばかりに女優ポーズを取るニコール・キッドマンが、古いけど一番まともという……。新たな時代を迎える生みの苦しみかね。この先、大丈夫です? ニコール・キッドマン(54)は主演女優賞にノミネート=3月27日、第94回アカデミー賞授賞式で (GettyImages) ■評価は……?2DON! 「ちょっと痛いニコールが一番って」 (構成/福光恵)※週刊朝日  2022年4月15日号
片づけたら、夫が家事メンで理想の男性だとわかった
片づけたら、夫が家事メンで理想の男性だとわかった 身支度しにくいクロゼット。子どもと自分の洋服屋バッグが混在/ビフォー  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 *  *  *  case.21 パートナーシップは努力が必要。片づけで解決! 夫+子ども3人/教育関係 「夫が単身赴任先から帰ってくる、と聞いたら『ゲッ』って感じで(笑)。夫は家にいても自室で本とか読んで、ご飯ができたのを察してダイニングに出てくる。一瞬で食べてまた部屋に戻る。食べるだけなのになんで帰ってくるんだろうね、そんなことばかり考えていて」 「前は夫への被害者意識でいっぱいだった」と言う女性は、単身赴任中の夫と3人の子どものいるお母さん。2020年に45日間で家をまるごと片づける家庭力アッププロジェクトに参加しました。  彼女は20代で結婚して10年以上を転勤族として過ごしました。2、3年おきに引っ越してはゼロから暮らしを立て直す生活。自分だけならまだしも、子ども3人分の学校の転入、アウェーでの学校行事、人間関係づくりは大変だったと振り返ります。  企業戦士な面がある夫は、子どもの行事には参加したことがありません。頼らないし頼れない、と転勤族の妻は、一人で何とかする意識を染み込ませていったと言います。  十数年来の緊張の糸が切れたのは、上の子が中学受験に合格したとき。夫は単身赴任中で、彼女は下の子が環境になじめない不安とはじめての受験を、ワンオペでのり切りました。すると、急に家庭に意識がいかなくなったとか。 「もちろん受験が子育てのゴールであるわけないけど、ちょっとくらい休んでいいよねと、気持ちが外に向かって。今思うとバランスが悪かったです」  意識が家から外れると、部屋は少しずつ散らかり、人を呼べなくなり、目を背けたい場所に。そんな折に来た、コロナ禍。つかの間の自由さえ消えてしまった。 「夫、子ども、何もしない人が家にいっぱい。私を邪魔する存在に見えました。夫は何で機嫌が悪いんだろう、とわからなかったはず。うつうつとして家族と目を合わすのも嫌でした」  やっとコロナ休校が終わったと思ったら、真ん中の子が不登校に。熱心な先生からは、たびたび連絡が来る。下の子は面談のたびに注意される。言われたところでどうすればいいのか。自分を責め、全部自分がやらなきゃと追い込まれました。  そんなとき部屋は、引っ越しつづきで物は多くないけど、収納の中は何がどこにあるかわからない状態。彼女は、家事が少しでも楽になればとプロジェクトに参加したのでした。 アイテムごとに住所が決まったクロゼット。バッグは立てて取り出しやすい/アフター 「プロジェクト前に理想の家庭のゴールをいろいろと書いたけど、正直、明るいほうはまったく信じられませんでした。夫をあてになんてしていなかったし、これより悪い状況だけは避けたかった」  不安から始まったプロジェクト。しかし終了して一年半が経ち、今は「夫が週末に帰れないとなると、残念に思う」という変わり様。  夫は実は理想の人だったと言う彼女、何があったのでしょうか。 「結果的に、夫はプロジェクト中に家事が全部できるようになっちゃったんです。料理も洗濯も掃除も子どもの送迎も。負担だった先生との連絡は『そんなの僕がやるよ』と肩代わりしてくれて」  彼女は夫への接し方を変えてみました。課題図書の『7つの習慣』を読み、相手に期待することは不自由だと知り、「本当に変わる必要があるのは、夫だけなのだろうか」と自問自答したのです。子どもの話で少しずつ歩み寄っていきました。 「家事をするようになったきっかけは、雑談中に夫にプロジェクトのことを話したとき『ふーん、僕にも家事を教えて。わからないから』と言ってくれたとき。最初、食洗機にお皿を横向きに入れたりしてびっくりしたけど、完璧は求めず、洗濯物の干し方、簡単な料理の仕方まで全部教えました」  夫に期待はせず、希望だけ抱いて、「信じてまかせる」を続けていきます。家事をやってくれないという思い込みはいったん横に置いて。 「これまで夫は、私の機嫌がいつも悪く、協力って雰囲気にもならなかったのかと。九州生まれの長男で家事になじみがなく、必要性がわからなかったみたい。私は一人でふてくされて、家事をしない夫を仕立てあげたかったんだと思います。何も教えないのに『ほらね?やらない』って諦めて、自分中心の暴君のようでした」  片づけによる効果はもちろんあります。家族の動線に沿って、下の子がランドセルを置く位置、お弁当箱のセットの置き場所、すべての物が収納されると、夫にとって家事をやってみようかなと思える環境になり、彼女のイライラは消え、子どもは自分で物を定位置に置くように。楽しそうに家事をするお母さんに、家族は影響されたのでしょう。 コンロ上のお鍋が消え、キープできている。料理がすぐ作れる/ビフォーとアフター(右)  夫にプロジェクト後の感想を聞いてみました。 「家の仕組みが合理的になり、家事がしやすくなったと感じます。妻は何ごとにも積極的になり、人生観が変わったように見えました。一番身近な人が変わろうとしている、変わっていくというのは、夫である自分にとっても大きな変化につながりました。このままじゃいけない、と影響されました」  妻の改革は夫に伝わっていました。夫は家事をやりきった自信が主体性につながり、資格取得を達成したそうです。今は別の資格に向けて勉強中。家事は仕事を妨げる、という思い込みが一般的にあるように思いますが、彼にとっては、人生の器を広げる手段になったように感じます。 「子どもが自立したら、また赴任先で2人きりで住みたいと思うようになりました」と言う彼女。以前の言葉とは真逆ですね。  2人は努力でパートナーシップを深めたことで、新しい壁が立ちはだかった時も、うまくやっていけると思います。  今回は、片づけそのものというより、家庭力アップに取り組んだ夫婦を取り上げてみました。自分の価値観をありのままパートナーに伝えることが苦手な人もいますよね。ですが、どんなことも素直に表現する権利があるんだと、対話を諦めないでほしいと思います。そして、真剣なのはいいけど、深刻にならないのがコツです。希望を持って自分から変えていけば、きっと相手にポジティブに影響すると思います。 ◯西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・夫婦間のコミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト®」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。ラジオ大阪「西崎彩智の家庭力アッププロジェクト」(第1・3土曜日夕方)が2021年5月1日からスタート。フジテレビ「ノンストップ」などのメディアにも出演 ※AERAオンライン限定記事
撮影に使う家で生活も カンヌ受賞作「英雄の証明」に注いだイラン人監督の意図
撮影に使う家で生活も カンヌ受賞作「英雄の証明」に注いだイラン人監督の意図 主演のアミル・ジャディディ (c) 2021 Memento Production ― Asghar Farhadi Production ― ARTE France Cinema  昨年のカンヌ国際映画祭でグランプリを獲得した「英雄の証明」は国を超えて人々に大きな影響力を持つSNSの光と影を描き出す。イランが舞台のヒューマンサスペンスは日本にも通じるリアリティーがある。米アカデミー賞外国語映画賞を2度受賞したイランのアスガー・ファルハディ監督と主演のアミル・ジャディディに話を聞いた。 *  *  *  勝手に祭り上げて勝手に落とす。ネット社会となった今、犠牲になるのは有名人ばかりではない。  映画「英雄の証明」は、美談の英雄に祭り上げられた男を主人公に、現代社会にはびこるゆがんだ正義と不条理をサスペンスタッチで描く。コロナ禍の中止があり2年ぶりに開かれた昨年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した。  借金が返せなかった罪で服役しているラヒム・ソルタニ(アミル・ジャディディ)はある日、2日間の休暇を取得する。軽犯罪者は休暇を得ることができ、一時出所を利用して借金返済をしようとしていた。実は数日前にラヒムの婚約者が拾った17枚の金貨を売って、ラヒムを訴えた貸主であり元妻の兄バーラム(モーセン・タナバンデ)に返済し、訴えを取り下げてもらおうとしたのだ。  ところが、店で金貨を鑑定してもらうと、借金の半分程度の価値しかない。ラヒムを憎むバーラムは当然、示談交渉に応じることはなかった。翌日、金貨を我が物にしようとしたことに後ろめたさを覚えたラヒムは、金貨を持ち主に返すのだが……。  メガホンを取ったのは、イランのアスガー・ファルハディ監督(49)。「別離」(2011年)と「セールスマン」(16年)でアカデミー賞外国語映画賞など、多くの賞を受賞している名匠だ。  世界中の人々を魅了するのは、いずれの作品にも通じるリアリティーだろう。文化も言葉も異なるイランが舞台であるにもかかわらず、そこで起きることがとてもひとごととは思えない。本作では、「金貨を我が物にせず届け出た善意の囚人」が、SNSで祭り上げられながら、悪意ある中傷をきっかけにあっという間に不幸のどん底へ落ちていく。浮き彫りになるのは、人間の戸惑い、うそ、手のひら返しの態度、自己正当化……。どこの国であろうと変わらない、人間のエゴや卑小さがむき出しになる。 アスガー・ファルハディ監督 (c) 2021 Memento Production ― Asghar Farhadi Production ― ARTE France Cinema  リアルな物語をつづるには、俳優たちのリアルな演技は必須だ。ファルハディ監督は「毎回素人を出そうとしている」と言うが、今回のラヒム役は別だった。 「シンプルな役ほど難しい。今回はプロでなくてはならないと考えました。アミルには、目の奥に純粋さを感じました。その純粋さがなければ、ラヒムは意地の悪い男に映ると感じたんです」  抜擢されたアミル・ジャディディ(37)は、監督からは何度も「ラヒムは単純な男と聞かされた」と振り返る。 「ラヒムはあまり話さないし大きなアクションもない。監督が言っていたのは、内向的な役を演じるのは俳優にとってもっとも難しいということ。俳優はたくさん話したりアクションを大きくしたりという役のほうが簡単なのです。見る側がラヒムを信じるために、内向的で口数の少ない、でも単純な男を最初から終わりまで保たなければならなかったのは大変でした」  具体的な役作りでは、話し方に注意したと言う。 「普段は胸から息を出すように話していますが、ラヒムは口先で話している。監督からそう言われて、練習しながら徐々に自分の体の中に入れていきました」  リアルな演技を引き出すため、ファルハディ監督はリハーサルに時間をかける。この作品は撮影に入るまでに「特に長い時間をかけて稽古をした」と言う。舞台のように、キャラクターたちがどんな人生を送ってきたのか細かく伝え理解してもらった。また、実際に撮影で使う家を使って、子どもから姉夫婦役まで俳優たちが生活するように数カ月かけてリハーサルを行った。 「自分の家なら電気のスイッチがどこにあるのか意識しなくてもわかります。俳優にはそれを身につけてもらった。撮影時にスイッチを探すようだとどうしても俳優の目が泳いでしまう。そんなことがないように実際にそこで生活してもらうのです」(ファルハディ監督)  実際、ジャディディは撮影時にはすでに「ラヒムとして生きていた」と言う。 「監督は演技がなんだかをよく知っています。演出の仕方が俳優を助けている。俳優の演技力を引き出すのがとてもうまい。多分、監督の作品に出た俳優はそれまでで一番良い演技をしていると思うのではないか。監督と一緒に仕事をしたことで、僕はこれまで以上に演技の細かいところに注意していこうと思いました。演技の扉を開いてもらったと感じています」 ◆小さなつまずき 予想外の展開へ  普通の人のちょっとしたつまずきが、予想もしない方向へ転がっていく。ファルハディ監督の映画はいつもそんなスリリングな展開で、見る者を捉えて離さない。普通の人の日常とサスペンス。一見関わりがないように思えるが、 「私たちはありきたりの日常を過ごし、繰り返しを生きているようですが、そこにもサスペンスはあります。映画にしたらつまらないと思うような日常生活も、ひとたび何か問題が起こると、波のようにいろんなことが打ち寄せてくるのです」  ファルハディ監督は毎日18階まで乗るというエレベーターを引き合いにこう説明してくれた。 「そこには子どもも女性も男性も乗っている。そのエレベーターがある日、15階で止まってしまった。いつもエレベーターに乗っている人たちでも、一人は気を失うかもしれないし、一人はパニックになるかもしれない。電話をかける人もいるでしょう。毎日乗っているありきたりのエレベーターの状況が変わってしまう。そこでサスペンスが生まれます。私は自分の書いている物語の中のエレベーターを途中で止めます。すると、そのエレベーターの中にいる人たち一人ひとりのアクションが変わっていき、物語が生まれるのです」  人間とは何者か。監督の映画を見るたびにそう考えさせられる身としては、それが映画を作る理由なのだろうかと考えていた。そんな思いをぶつけると、ファルハディ監督はこう答えた。 「映画を作るのはすごく楽しいから。映画を作らない人生はつまらないと思っています。映画作りは側から見ると、人生において大切なことではありません。子どもの遊びのように思われている。私は子ども時代から離れずに子ども遊びをやっているのかもしれません」 (ライター・坂口さゆり)※週刊朝日  2022年4月15日号
愛のためなら何も恐れない…林真理子が描いた「恋の貴族」物語
愛のためなら何も恐れない…林真理子が描いた「恋の貴族」物語  ライター・温水ゆかりさんが選んだ「今週の一冊」。今回は『奇跡』(林真理子、講談社/1760円・税込み)。 *  *  *  情熱を意味するパッションには受難という意味もあると教わったのは、ある海外の作家からだった。情熱と受難はコインの裏表ということだろうか。それとも激情と激痛の見分けはつかないということだろうか。そんなことを思い出したのも、本書の帯に「林真理子が描かずにはいられなかった愛の“奇跡の物語”」とあったからだ。  実在の男女に材を取ったノンフィクション・ノベル、華麗な恋愛譚である。男性は世界的なカメラマンの田原桂一氏、女性は当時梨園の妻だった博子氏。本書は著者の手で夾雑物を排され、芯だけを削りだした大人の寓話に仕上げられている。実在の人物を敬称なしで書くのは居心地が悪い。寓話に倣い、この先何カ所かは男と女という呼称で書き進めようと思う。  ふたりは男がプロデュースした京都の教会で真に出会った。6年前に宴席に同席しただけの淡い縁なのに、この日女を見るなり男は「博子ちゃん」と驚きの声を出す。女もすぐに男を思い出す。パリを拠点に国内外の賞を受賞しているカメラマン、豊かな髪をたくわえた身長180センチ以上の美丈夫。このとき男、52歳。3年前に男児をさずかって大名跡の舅を歓喜させた女、33歳。  互いの気持ちが決壊するのは早かった。偶然二人きりのディナーになった夜、女が受けた狂おしいほどの深く長いキス、パリに戻る前にもう一度会いたいとホテルを指定され、女はためらわず男の胸に飛びこむ。  博子氏はその時々の感情を日付なしで日記に書いていた。著者はそれを引用しながら、この愛の物語を進めていく。女は「彼に触れる時間がないとおかしくなってしまう」と書き、男は手のひらに吸い付くような女の肌を愛した。男と女は肉体的にも強く惹かれあった。  青山にダミーも含めて2軒借りたマンション、代々木上原のプール付き邸宅、男が東京に本拠地を移してからは仙石原に買った別荘が、新たな3人家族の住まいとなる。どうやって別居が許されたのか、本書は明らかにしていない。  イタリア旅行、男をおじちゃんと呼んで慕う息子と3人で迎えるパリのクリスマス、ダイヤモンドの指輪を贈られた地中海クルーズ。失われた20年とも30年とも呼ばれるようになる時代に、こんなきらびやかなカップルがいたとは。  2013年冬のパリ。女は胸に秘めてきたことをさりげなく切り出す。「もう近江屋の嫁をやめてもいいかなって」。男は好物の生牡蠣をすすりながら言う。「僕、死んじゃうよ」。離婚してくれとも結婚しようとも口にしてこなかった男が短い言葉で真情を吐露した。女は涙が止まらなくなる。日記に書いた。「全てを捨てても、全てを敵にしてでも決断せねば」。  帰国した12月に離婚届を提出、しかし神様はどれだけ気まぐれなのだろう、1カ月後の年明け、田原氏の肺に悪性腫瘍が見つかる。陽子線治療、癌細胞消滅、そして再発。この間田原博子氏は“戦う女”だった。情報収集、自宅での医療補助行為、治療をめぐる医師とのバトル。受難とは厄災のことではなく、不安や恐怖にくずおれない鋼の精神のことかもしれないと、今になって思う。  私ほど愛された女はいない、私達ほど愛し合った男と女はいない。こんなことを言える女性が、世の中にどれだけいるだろう。「恋の庶民」を自称する著者は、彼らのことを「恋の貴族」と呼ぶ。  愛も恋もセックスもリスクに分類される時代。私は恋とは愚行権の行使ではないかと思う。愚かだと上から目線で言うのではない。愛を見捨てない、愛のためなら何も恐れない。そんな一途な愚かしさを生きた者こそ、パッションに祝福された選民なのだと思う。※週刊朝日  2022年4月15日号
今こそ「#MeToo」 性加害者の余裕ぶりに屈しない性被害者の声
今こそ「#MeToo」 性加害者の余裕ぶりに屈しない性被害者の声  作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、#MeTooについて。  日本の#MeTooがじわじわと大きくなっているのを感じる。週刊文春が報じた映画監督の榊英雄氏や、俳優の木下ほうか氏の性加害にくわえ、今週は週刊女性が著名な映画監督である園子温氏の性加害を報じている。彼らを告発したのは、すべて俳優たちである。榊氏の場合は、フェミニスト、アクティビストである石川優実さんや、俳優で文筆家の睡蓮みどりさんが実名で告発したこともあり、石川さんのもとには被害者からの連絡が相次いでいるという。その数は既に25人にも及び、そこには「未遂」と「知人に被害者がいる」という告発は含まれていない。  業界で知られている男性の監督や俳優と、売り出し中の女性の俳優。当事者じゃなくてもわかる、圧倒的な力関係がそこにはある。記事によれば、女性たちは「映画に出てほしい」「プロデューサーに紹介してあげる」という甘言や、またはそういう言葉がなかったとしても「断ったら仕事がなくなる」というプレッシャーのなかで屈辱的な行為を強いられてきたという。  記事では、男性の監督や俳優の周りの人たちも「あの人はああいう人だから」と見て見ぬふりをしていたことがわかる。誰がどの加害をしたのかわからなくなるほど、告発の内容は言葉を失うほどに似ている。被害者ひとりひとりは人生を中断させられるほどの痛みに必死に耐えているというのに、性加害者側の振る舞いは軽々しく、自分がそうする権利があるかのように性交を求め、加害性を全く理解せず同じことを繰り返していたことが報じられている。  力関係を利用した性加害は決してエンタメ業界だけのことではなく、あらゆる仕事関係で起きているだろう。それでも加害側が有名人で影響力がある人ほど、告発は難しくなる。告発をしたくても「彼のキャリアをつぶしてはいけない」などと、口を封じられた人はどれほどいるだろう。それでも告発をしようとすれば、「彼女は嘘つきだ」「合意だった」「何か意図があるのだろう。金か?」「有名になりたいのか?」という誹謗中傷が被害者に向けられる。それでも告発の手を緩めなければ、「本当は彼が好きだったのに、振られたから、おかしくなってしまったようだ」と、女性に「精神的な問題がある」というお決まりのレッテルが貼られる。  どこかに性加害者マニュアルのシナリオがあるのかと思うほど、性被害者に向ける誹謗中傷の内容は世界中、時代を問わず、驚くほどに全く同じだ。  それでも、ここ数年、世界中であげられた#MeTooの声が、世界を変えつつある。少し前だったら、公開直前の映画が取り消されたり、仕事が全てキャンセルになったりするなど、告発された側のキャリアが中断させられるようなことはなかったかもしれない。海外のように何万人もが集まる#MeTooデモがなかったとしても、性被害者の告発に数百万の「いいね」がつくような国ではなかったとしても、じわじわと、日本に暮らす女性たちは諦めずに、力をつけはじめているのだ。 「もしかしたら今、過去の自分を振り返って怯えている男性はけっこういるんじゃない?」  そんな話を女友だちとした。#MeTooの声は、その声の数だけ加害者がいる、ということである。社会的地位が高く、失うものが大きい人ほど#MeTooに怯えるのはその通りだろうとは私も思う。それでも、本当にそうなのだろうか? これまで私がみてきた性暴力やセクハラ、未成年を買春した加害者たちの顔や言い分が思いうかぶ。彼らは誰一人、怯えておらず、堂々としていた。むしろ地位が高ければ高いほど、自信を持って「合意の上です」と言い切っていたものだ。有名であればあるほど「彼女にも何か意図があるのだろう」と詮索してくれる「仲間」も多かった。また「妻に申し訳ないことをした」など、「愛妻家」をここぞとばかりにアピールし、「家族も苦しんでいるんです」と被害者のポジションに立ちたがる人もいた。  #MeTooの声で加害者は怯えるのだろうか?  「加害者は怯えてないかもよ。だって悪いことしたと思ってないし。だから被害者が何年も後に告発したときに、本気で驚くのだと思う」  別の友だちはそう言い切ったが、私もそうなのではないかと思っている。心の奥底では怯えているからこそ、過剰防衛で攻撃的になったり、やましさを打ち消すために堂々と振る舞ったりしている可能性もあるが、たいていの場合「被害者は告発などしない」と余裕を感じているのではないか。そして、そういう加害者の余裕ぶりが、さらに被害者を恐怖に陥れ、怯えさせるのだと思う。被害者はずっとずっと怯え続けている。  それでも性被害者が告発するのは、もう怯えたくないからなのだと思う。  被害者に怯えを強い、口を塞ごうとする世界に、未来はないからだと思う。  そしてやはり、私たちは、そういう被害者に寄り添うべきなのだと思う。 「意図」を探る前に、まずは被害者が過ごしてきた時の重さに耳を傾けるべきなのだ。  今年の4月11日は、性犯罪無罪判決に抗議するためにはじまった「フラワーデモ」にとって、4回目の4月11日になる。全国で、毎月11日になると性暴力根絶をめざして街に立つ人たちがいる。私たちの気持ちはみんな一緒だ。もう怯えたくない。もう黙りたくない。そして声をあげた人のそばに立ちたいのだ。  海外で報じられているアメリカや韓国やスペインでの#MeTooのように、私たちのそれは大きく勢いのあるものではないかもしれない。でも、じわじわと、じわじわと、だ。諦めない声が、日本の#MeTooの声を強くしているのだと思う。
分身のようだった友人を亡くした悲しみを昇華させた作品「よだか」を出版した写真家・深沢次郎
分身のようだった友人を亡くした悲しみを昇華させた作品「よだか」を出版した写真家・深沢次郎 撮影:深沢次郎 *   *   *  深沢さんにインタビューを申し込むと「食事でもしませんか」と、誘われた。  当日、待ち合わせたJR藤野駅(相模原市)から深沢さんの車で山道を走った。10年ほど前、「田舎暮らしに憧れて」、東京からここへ引っ越してきたという。  木のにおいがするようなレストランに到着し、車を降りると、眼下に早春の山々が広がった。レストランには小さなギャラリーが併設され、2年前、ここで写真展を開いたという。  テーブルにつくと、当時の写真展案内を手渡された。そこは雪に半分埋もれたようなシカの頭が写っていた。 「何か悲しい顔をしているじゃないですか。うちのかみさんから『あのころ、ずっとこんな目をしてたよ』って、言われました」  2019年、深沢さんは多感な大学時代をいっしょにすごした友人、鶴岡一生さんを失った。写真展はその気持ちの整理をつけるためだった。  深沢さんはここに飾った写真を元に、新たに構成した作品「よだか」を4月7日から東京・目黒のコミュニケーションギャラリーふげん社に展示する。 「この2年間は、悲しみを昇華する作業だったと思うんです。前回の写真展は、もう悲しみで、ずぶずぶだった。今回はそれをちょっと昇華できたかな」 撮影:深沢次郎 ■「奇麗だから、撮りに来いよ」  かつて鶴岡さんが暮していたのは美ケ原高原に近い長野県上田市武石地区。 「それこそ、水道がないような山奥です。彼は集落のいちばん外れに一軒家を借りて、畑と炭焼きをしていた」  炭を作るには、適当な長さ切った広葉樹の原木を炭焼き窯で蒸し焼きにする。鶴岡さんは頃合いを見て、「奇麗だから、撮りに来いよ」と、深沢さんを誘った。 「炭焼きを撮ったのは2010年です」 と、深沢さんは言い、今回の作品を取り出した。  闇夜に光るオレンジ色の小さな釜の入り口。その周囲には石を積み上げた釜の壁がぼんやりと写っている。 「釜の中は1000度もあるんですよ。撮ったら、すぐ逃げないと。もう、溶ける、みたいな感じで」と言い、深沢さんは釜の入り口でカメラを構え、シャッターを切った瞬間、身をよける動作を実演して見せてくれる。 撮影:深沢次郎  炭焼きをするのは農閑期の冬が多い。標高約1000メートルの武石地区の冬の寒さは厳しく、家のすぐ近くを流れる武石川の岸辺は凍りついた。写真には朝日を浴びた氷の粒が輝いている。 「夜、渓流の水のしぶきが地面に落ちてどんどん凍りつくんです。でも、朝日が当たると30分くらいで溶けちゃう。これが撮れるのは、ほんと一瞬です」 ■凍った滝を目指した2人  白っぽい滑らかな大理石のオブジェのような氷の写真もある。 「高さ5メートルくらいの岩肌に滴った水が凍りついた氷柱です。これを撮りに行ったときのことを彼は本に書いている」  そう言うと、深沢さんは鶴岡さんの著書『まほろば夢譚(むたん)』(コスモの本)をかばんから取り出した。  そこに収められた短編小説「黙雷」には、氷結した滝を目指して雪深い山のなかを歩く2人の男の会話が、こう描写されている。 <「どうです、まだ着きませんか?」「まだのようだ」「早く着いてくれないことには、そろそろ体力が保(も)たないです」> 「ははは。フィクション、フィクション。実際は車で行って、ちょろっと歩いたところ」と、打ち明ける。 撮影:深沢次郎  さらに、こんな描写もある。 <男はなんとしても滝を掴まえようと、懸命に撮影した。だが、凍った滝は、その美を捉えようとすればするほど、足早に逃げた。(中略)男はついにあきらめて、カメラを置いた> 「でも実際は、こんなにたくさん撮ってないですよ」と言い、深沢さんはまた笑った。 「この短編を書いたときは、朝4時ごろ起きて、一編書いて、飯食って、畑をやったりしていた。彼はいろんな文学新人賞の最終選考に結構何回も残ったんです」 ■巻き戻せない時間  鶴岡さんは10年、「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」で農民文学賞を受賞。翌年、深沢さんが撮影した炭焼きの写真を表紙に、同名の本を出版した。 「それを出したころは、『よーし、これからだ』みたいな感じだった」  ところが、その約1年後、鶴岡さんは山仕事の事故で左目を失明してしまう。耳鳴りにも悩まされるようになった。それでも小説を諦めることなく、『まほろば夢譚』を書き上げた。 撮影:深沢次郎  しかし、さらなる病が襲った。 「その2、3年後、脳梗塞をやってしまったんです。半身まひ、言語障害になってしまった。小説も書けなくなってしまった」  深沢さんはしばらく、そのことを知らなかったという。 「『深沢には言うな』、みたいなことを家族に言っていたみたいです。でも、1年くらいして彼の妻から『実はいま、こんな状況です』って、メールがあった。その後、本人とも電話でしゃべった。『治ったら遊び行くわ』みたいな、結構明るい感じだった。でも、姿はあまり見られたくないだろうから、そのままにしておいたんです」  鶴岡さんが亡くなったのは19年の初夏だった。 <彼の妻から久方ぶりに報を受け、翌朝車で彼の住む信州の山の中に向かう。昼過ぎに到着した。時間は巻き戻せない>(『よだか』ふげん社) 撮影:深沢次郎 ■「じゃあ、わかりました、とは行けなかった」  鶴岡さんが亡くなった翌年、深沢さんは上田で写した写真と鶴岡さんの文章を組み合わせ、作品にまとめた。 「それは悲しみしか写っていないものだった。彼の顔写真が結構入っていた。死を思わせるような写真もあった。彼は俳句を何百首も残して死んだんですけれど、死にちかい句をぼんぼん載せた」  それをふげん社に持ち込むと、「ちょっと重いよね。見てよかったって思えるものがいい、という話になったんです。それで、『もう一つ、世界をつくってみたら』って、言われた。なるほどな、と思った」。  しかし、深沢さんは気持ちを吐き出さずにはいられなかった。 「もう一回、構築してみたらいかがですか、とは言ってくれたけれど、じゃあ、わかりました、とは行けなかった。自分の気持ちに落とし前をつけたかった」  そして開いたのが、冒頭に書いた写真展「山の阿房(あほう)」だった。 「写真展の案内は1枚も送らなかった。自分と鶴岡のためだけの、ごく私的な展示だったんです。それで区切りをつけた」  深沢さんは沈黙し、口を開くと、こう続けた。 「彼とは18から20歳くらいまで濃密な時間を過ごしたんです。新宿界隈で8ミリ映画をつくったりした。彼が亡くなって、ああ、彼とぼくはお互いに分身だったな、と思った。なんか、目はかすむし、見るものがぼやけるような感じだった。ピントもぜんぜん、合わなくなってしまった。それがだんだんまともになってきた。星とかを撮っているときに直していったんでしょうね。2年くらいかかったかなあ」と、振り返る。 撮影:深沢次郎 ■星を撮るタイミングだった  深沢さんは子どものころから宇宙が好きだった。 「でも、星の写真は撮ってこなかった。いまがそのタイミングだな、と思った」  都会から遠く離れ、美しい星空が望める長野県の木曽地方に通った。 「昔、親が別荘みたいなのを木曽に建てたんですが、使わなくなっていた。そこをもう1回、使えるようにしようと思って、リフォームに通いながら星を写した」  冬枯れの森の中から夜空を見上げるように写した写真。木々の合間を星が埋め尽くし、画面中央にはアンドロメダ星雲が輝いている。「写ったのはまったくの偶然で、びっくりしました」。  月の光跡が飛び跳ねるように写った不思議な写真もある。 「これは自宅で撮ったんです。満月って、とても明るいんですよ。その光がすごいな、と思って、デッキで月光を浴びながら音楽を聴き、お酒を飲んでいるうちに妖艶な気分になってきて、カメラを持って踊ったりしながら撮影した。そうしたら、こう写った」  氷柱を写した写真もある。 「さっきの小説は、結局、凍った滝をとらえられなかった、という終わり方をしているじゃないですか。じゃあ、それをとらえてやろうと思った」 撮影:深沢次郎 ■楽園への歩み  鶴岡さんを写した写真はほぼすべて外したが、1枚だけ残された写真は不鮮明なモノトーンで、なぜか細い縦筋が入っている。 「昔、彼がテレビに出たときの場面を撮ったんです。NHKのドキュメンタリー番組で『ネットオークションで暮らす人々』みたいな特集があった。彼は上田でレコードのネットオークションで糊口(ここう)をしのいでいたんです」  しかし、なぜ、この写真を作品のなかに残したのか? 「あれみたいじゃないですか。ユージン・スミスの『楽園への歩み』」。  それを聞いて、ああ、なるほど、と思った。太平洋戦争の沖縄戦で重傷を負ったユージンが、再びカメラを持つきっかけとなった有名な作品で、光に向けて歩き出す2人の子どもの背中を写している。  作業着と長靴姿で山道を歩く鶴岡さんは、少しけげんそうな表情でこちらを振り返ると、光のなかに消えて行こうとしていた。 (アサヒカメラ・米倉昭仁) 【MEMO】深沢次郎写真展「よだか」コミュニケーションギャラリー ふげん社 4月7日~4月28日
「ドライブ・マイ・カー」西島秀俊 不遇の時代と転機となった「たけしとの出会い」
「ドライブ・マイ・カー」西島秀俊 不遇の時代と転機となった「たけしとの出会い」 西島秀俊  第94回アカデミー賞で日本映画史上初となる作品賞や監督賞など計4部門にノミネートされ、国際長編映画賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」。主演を務めた西島秀俊(51)は現地で行われた授賞式に参加し、鮮烈なハリウッドデビューを果たした。  村上春樹氏の短編小説を基に、世界的に注目されていた映画監督・濱口竜介氏が大胆に映画化した本作。西島演じる主人公の舞台俳優兼演出家が妻を亡くし、失意のなかで出会った専属ドライバーがきっかけとなり、妻が残した秘密と向き合っていくというストーリーだが、ほぼ全編出ずっぱりの西島に対する評価は日本でもかなり高い。映画雑誌の編集者はこう分析する。 「3時間弱の大作ということもあり、最初の日本公開時はややハードルの高い文芸作品というイメージでしたが、当初から映画愛好家からの評価はすこぶる高い作品でした。商業映画2作目にして独創的な作風を見せつけた滝口監督はもちろん、西島さんがみせる感情の機微、淡々とした演技がとにかくすごい。突然いなくなった妻への喪失感や、残された秘密に対する向き合い方など、緻密に構成された脚本を西島さんがさらに緻密に演じ切っています」  西島など役者陣の好演と監督の手腕が光り、本作品は「原作を越えた」と評価されるほどだ。映画ライターはこう話す。 「村上春樹さんの作品は喪失感を抱えた主人公がよく出てきますが、いざ映像化するとそのアンニュイさが伝わりづらい。そのため業界内では“最も映像化が困難な小説家”とも言われていますが、『ドライブ・マイ・カー』では西島さんがそのハードルを飄々と超えて、原作よりもさらに味わいのある映像作品として昇華させている。もともと西島さんは無言の芝居がとにかくうまく、たたずまいや表情だけで、感情の機微を上手に表現することができる俳優。西島さんが演じたからこそ、この作品が世界にも認められたと言っても過言ではないでしょう」  50歳を越えて、ようやく名実ともに日本を代表する俳優となった西島だが、ここまでは決して順風満帆なキャリアではなかった。 「俳優デビューして間もない頃、同性愛者の美青年役に抜擢された『あすなろ白書』は最高視聴率31.9%を獲得するほどの社会現象となり、彼も瞬く間にスターダムへとのし上がりました。しかし、当時の所属事務所からはテレビドラマを中心としたアイドル路線を強く求められたそうです。西島さんはそもそも映画界に憧れがあり、映画俳優としてのこだわりが強かったため、結果的には方向性の違いから事務所を移籍。その際、『民放ドラマに5年間出演しない』との厳しい条件をのんだと当時報じられました。ご本人も『20~30代は仕事のない時期が長かった』といろんなインタビューで明かしていますが、俳優として華々しいスタートダッシュを切れたのに、それを捨ててまで映画俳優にこだわりたかったようですね。そう考えると、オスカーを受賞するような作品で主役を演じ、共演者やスタッフとレッドカーペットを歩いたあの瞬間は感無量だったことだと思います」(前出の映画雑誌編集者) ■恩人はビートたけし  そんな西島が俳優としての転機となったのは、北野武監督作品の「Dolls」(2002年)。すでに「HANA-BI」でヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、“世界のキタノ”として注目を集めていた頃の作品に、西島は主役に抜擢された。スポーツ紙の芸能担当記者はこう語る。 「当時の西島さんはそこまで売れっ子という存在ではなく、ちょうど映画俳優として頭角を現しつつあった頃です。北野作品が世界的に注目を集めていたので、西島さんの抜擢も相当話題となりました。ですが、いざフタを開けてみると映画は観念的すぎるというか、難解極まりない作品だったため、興行的には失敗したんです。ただ、もともと西島さんは超がつくほどたけしフリークで、オールナイトニッポンのオンエアを欠かさず録音して聴いていたほど。憧れの人の作品に関われたことが相当うれしかったようで『恩人』とまで語っています。この作品で西島さんは一皮むけたような感じがします」  たけしとの関係は今でも続いており、西島は昨年クランクアップした北野武監督最新作「首」で主演を務めている。 「すでに撮り終えている『首』は制作や配給を巡るトラブルで公開時期は未定になっていますが、折しも西島の評価も世界的に高まってきている絶好のタイミングで、20年ぶりのタッグが見られるとあり、ここに来て期待が集まっています」(前出の映画ライター)  ドラマウオッチャーの中村裕一氏は、西島秀俊の魅力をこう分析する。 「その柔和な笑顔と落ち着いたたたずまいから一見、優男に見えますが、『MOZU』シリーズや『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』、『奥様は、取り扱い注意』などではタフでハードなアクションをたっぷりと披露。そのギャップが多くの人の心をわしづかみにし、惹きつけるのだと思います。鍛え抜かれた体を衣装で隠してもわかるほどスタイルが良いので、アクションがとてもスマート。どれだけ動き回っても画面やスクリーンに映える貴重な存在と言えるでしょう。そんないわゆる“動”の芝居も魅力ですが、やはり彼の真骨頂は“静”の芝居。演じるキャラクターの心情を、優しく丁寧に表現することによって作品世界により一層の深みと重みを加えることのできる、数少ない俳優だと思います」  アクションから文芸作品まで、その高い演技力はすでにお墨付き。これからは「国際派俳優」としても世界にも羽ばたいてほしい。(藤原三星)
埼玉エスカレーター条例施行から半年「右側に立ち止まって手すりを持ちたい」 まひ残る40代男性の本心
埼玉エスカレーター条例施行から半年「右側に立ち止まって手すりを持ちたい」 まひ残る40代男性の本心 エスカレーターを降りようとする川瀬正広さん。地元の駅にある距離の短い低速のエスカレーターは乗りやすいのだという(写真/編集部・國府田英之)  埼玉県で、全国初のエスカレーターに立ち止まって乗るよう求める条例が施行され、4月1日で半年がたつ。首都圏ではエスカレーターの「左側立ち、右側空け」が長く定着してきた。だが、身体に障害があり右側に立ちたい人もいる。昨年11月にAERAdot.が配信した、エスカレーターの右側にしか乗れない15歳少女と両親の苦悩についての記事は大きな反響を呼び、様々な声が寄せられた。条例をきっかけに県民の意識やマナーは変わったのか。そして、エスカレーターの右側に立ち止まって乗りたい当事者は、どう感じているのか。 *  *  *  3月下旬の午後。  埼玉県最大のターミナル駅であるJR大宮駅西口のエスカレーターを眺めていると、「左側立ち、右側空け」の慣習は変わっていないように見えた。大半は左側に立っているが、右側を歩いたり早足で駆け上がっていった人も少なくない。JRが立ち止まって乗るようアナウンスを流し続けているのだが、効果はいかばかりか。駅のホームでは、電車から降りた客で上りエスカレーターを歩く人は、さらに多かった。  右側を歩いて上っていった春日部市の30代男性会社員に話を聞くと、 「条例は知っていますけど、子どものころから身に着いた習慣なので急いでいると歩いてしまいます。小さい子どもなどに気づいたら、立ち止まるようにはしているつもりです」  左側に立った地元の80代男性は、 「高齢者はみんなが立ち止まって乗ってくれた方が安心。ぶつかられると怖い」と話しつつも、「仕事をしていた若いころは、何も考えずに歩いていたと思います。自分自身の足が弱ってくると色んなことに気がつくんだよね」  さらに、「埼玉だけじゃ効果はない。東京で働く県民が多いんだから、東京都にも働きかけるべき」(40代女性)や、「大人が変わらないと子どももマネするだけでは」(19歳女子大学生)など、意見は様々だ。 ■立ち止まる勇気が持てない 「条例の効果なのかはわかりませんが、大丈夫ですかと声をかけてくれたり、気を使ってくださる人もいらっしゃいます。ただ、全体的にはエスカレーターの乗り方は条例施行前と何も変わっていないように感じています」  うつむき加減でそう話すのは、和光市在住の会社員、川瀬正広さん(49)だ。20年近くすし店の板前として働いていたが、2015年の秋、脳出血を起こし入院。リハビリを経て歩けるようにはなったものの左半身にまひが残り、一歩一歩、ゆっくりと足を運ぶ。 3月25日の午後、JR大宮駅西口のエスカレーター。空いていても右側を歩く人は散見された(写真/編集部・國府田英之)  立ち仕事の板前から道を変え、今は都心で事務の仕事に就く川瀬さん。 「特に駅のエスカレーターは、歩く人がとても多いですよね。ぶつかられると転んでしまうし、下りだと転落する危険があるので怖いですよ。板前のころは自転車通勤で、プライベートも車移動が大半だったので、通勤時の駅はこんなにエスカレーターを歩く人が多いのかと驚きました」  本心は、右側に立ち止まって力の入る右手で手すりを持ちたい。ただ、右側空けの慣習が根付いている状況で、立ち止まる勇気が持てない時もある。  事情を察してもらうためにヘルプマークをつけているが、そうそう気づいてもらえないのが現実だ。 「エスカレーターが混んでいないときは、少し左寄りに立って、右手を伸ばして手すりをつかむようにしています。後ろから人が歩いて来たら、右手を離して通れるようにするときもあります。埼玉県内は条例ができたので気持ちとしては少し楽ですが、都心は重圧を感じます」  コロナ禍で在宅勤務が増えたとはいえ、気を使いながらの通勤が続く。 ■「罰がないからやりません」に疑問  埼玉県の条例は違反しても罰則がなく、実効性を疑問視する声は施行前からあった。川瀬さんは疑問を口にする。 「身体の不自由な高齢者や、子どもでも障害などで配慮が必要な人はいます。罰がないからやりません、で良いのでしょうか」  リハビリをした病院で、懸命な患者たちの姿を見てきたからこそ、思いは強い。 川瀬さん自身、脳出血後に医師から、歩くことはもうできないと告げられた。 「心が折れましたよ。妻と小さな子ども2人。これからどう生活していけばいいのか、目の前が真っ暗になりました」  左半身は手足に力が入らず、ベッドから車いすに移る練習も、うまくいかない。それでも当時、小学校低学年だった長女にこう話した。 「小学校の卒業式には歩いていくよ」  幼い娘は何の話かよくわかっていなかったが、父は再び歩くことをあきらめなかった。  学生時代はスキーでインターハイに出場し、体力に自信のあった川瀬さん。「本当にきつかったです」と今も顔をゆがめて振り返るほどのリハビリを経て、何とか立てるようになったという。 「真っ暗闇」の状況で、大きな気づきもあった。 JR大宮駅構内。立ち止まって乗るよう呼びかける掲示板も(写真/編集部・國府田英之) 「友人たちは、障害者になった自分と、以前のようには付き合わないだろう」。勝手にそう思い込んでいたが、現実は違った。毎日のように見舞いに来た高校時代からの友人。退院後、ひそかなブームとなっていた「たき火」に誘ってきた友人は、荷物を持つこともできないと遠慮しかけた川瀬さんにこう言った。 「そんなのいいよ。楽しめるだけ楽しめばいいじゃん」  つらい経験は少なくない。エスカレーターで後ろから来た人に舌打ちされたり、「どいてください」などと吐き捨てられたり……。今でも、「また何か言われるだろうな」と、あきらめにも似た気持ちを抱えてエスカレーターの右側に立つ。  一方で、障害を知ってくれた仲間たちは優しかった。 「知ってくれれば、ちょっとずつ状況が変わるんじゃないかとも思っています。自分の今の姿や思いを伝えてもらうことで、一人でも二人でも、エスカレーターで立ち止まってくれる方が増えてくれないだろうかと」 ■見えない努力を重ねて  長女の小学校の卒業式には、約束通り歩いて行った。その5歳下の長男は、ペットボトルのふたをやっと自分で開けられるようになった父を見て、こう言った。 「できなかったことができたね」  誰もがいつかは年を取り、身体は弱る。自分は元気でも、身近な誰かが病気や事故などで配慮が必要な状況になるかもしれない。その当事者たちは、川瀬さんのように見えない努力を重ねて社会で生きているはずだ。 「自分にとってのエスカレーターの問題だけではなく、エレベーターに乗りたいベビーカーを押すお母さんや、事情があって電車の優先席に座りたい人、点字ブロックを開けてほしい視覚障害者の人……配慮や支えを必要としている人は日常にいますよね。そうした人たちが生きやすい社会になっていってほしいと強く願います」  条例の施行がゴールなのか、埼玉以外にも広がり、社会を変える一歩目になるのか。自分や身近な人に何かがあったとき、「生きやすい社会」で暮らせる方がいいことだけは間違いない。 (AERAdot.編集部・國府田英之)
高岡早紀“魔性”健在も女性ファン多し 昼番組コメンテーターに起用されたワケ
高岡早紀“魔性”健在も女性ファン多し 昼番組コメンテーターに起用されたワケ 高岡早紀  フジテレビの情報番組「バイキングMORE」の後継番組として4月4日にスタートする「ポップUP!」。情報&Lifeエンターテインメントをコンセプトに、曜日別のレギュラーコメンテーターには、“かわいすぎるジュノンボーイ”と話題の井手上漠や女優の工藤美桜などフレッシュな顔ぶれが並ぶ中、情報番組初レギュラーが決まった女優の高岡早紀(49)に注目が集まっている。  高岡はフジテレビを通して「15歳でデビューして以来、紆余曲折ありましたが、女優としても、3人の子の母親としても、自分なりの人生を試行錯誤しながら歩んできました。50歳を目前に“50の手習い”と言っていいのか分かりませんが、一度も経験のない情報番組のレギュラーのお話を頂き、挑戦してみることにしました」とコメントを寄せている。  高岡は1986年にモデルとして芸能活動をスタート。1988年に歌手デビューし、翌年に映画「cfガール」で女優デビューした。1994年には、映画「忠臣蔵外伝 四谷怪談」で日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞し、その後も多くの作品で活躍してきた。一方で、私生活では恋のうわさが絶えず、“魔性の女”というイメージが定着した感がある。 「うわさの相手は、ベテランから若手まで年齢層は幅広く、名が挙がる方々はみな大物でした。茶褐色の大きな潤んだ瞳に見つめられるだけで恋に落ちそうなのに、さらにあの抜群のプロポーションですから、無敵ですよ。高岡さんは打ち合わせなどでも至近距離で話すなど、人との”距離感”が近い。お酒が入るとますます近くなるそうで、知らず知らずのうちに周りの男性の多くが好きになってしまうようです。ただ、狙っているわけでも、あざといわけでもなく、もともと感覚がフレンドリーなんでしょうね。高岡さんご自身は『魔性』と呼ばれることをイヤがっていたそうですが、『離婚後のほうがモテた』と明かしていたこともあります。最近は開き直って『魔性ですか?』という本まで出版したほど。男っぽい潔さがまた高岡さんの魅力でもあります」(週刊誌の芸能担当記者)  現在、3人の子どもを持つシングルマザーとしても奮闘中の高岡。母としての一面はフォロワー数29万人を誇る彼女のインスタグラムからも垣間見ることができる。 「高岡さんのインスタグラムは仕事のロケ風景や舞台のオフショット、料理写真に愛犬のダルメシアンなど盛りだくさんで幅広い層に需要があります。とくに『#早紀おウチごはん』とハッシュタグのついた料理写真は子育て中のママ層からも高い人気があり、たくさんコメントがついています。料理のセンスだけでなく、盛り付け方から食器の選び方、高岡さんの私服まで、スタイリッシュなので参考にしている方も多いようです。ときに水着姿や胸元のあいた大胆なドレス姿、セクシーな表情をアップすることもあるのですが、要所要所で男性向けのアピールを忘れないところが高岡さんらしい」(テレビ情報誌の編集者)  90年代に映画や写真集で相次いでヌードを公開したため、男性ファンが多い印象があるが、近年は女優として多くの話題作に出演し、女性からの支持が高まっている。 「2021年度前期放送の連続テレビ小説『おかえりモネ』では、懐が広く責任感の強い上司役を演じ、そのクールさに『カッコいい』『憧れる』など絶賛の声が相次ぎました。また、狂気のストーカー役が話題となった主演ドラマ『リカ』の怪演も好評で、続編の放送と映画化もされたほど。一方、バラエティー番組に出演した際の飾ることのない、歯に衣(きぬ)着せぬ発言が心地よいという意見も多い。言いたいことを言ってくれる姉御肌の高岡さんに憧れる女性も増えているようです」(同)  一方で、今回の情報番組のレギュラー決定を懸念する声もある。前出の記者はこう語る。 「自身は過去、何度か不倫疑惑が報じられているので、そういうニュースが話題になったときどう対応するか。2004年に布袋寅泰さんとの濃厚キス写真がスクープされ、その後、保阪尚希さんと離婚。さらに2018年にも妻子持ちの俳優との居酒屋デートが報じられています。ただ、高岡さんは今独身ですので、そうした過去も“魔性キャラ”で乗り切れると番組制作サイドも踏んでいるのでしょう」  芸能評論家の三杉武氏は高岡についてこう述べる。 「昨夏にはNHKラジオで約30年ぶりにラジオパーソナリティーも務めるなど、新たな一面も見せています。お昼の情報番組への出演も年配層や主婦層からの支持を開拓するチャンスになるでしょう。私生活での恋愛が話題になることが多く、魔性の女のイメージが先行しがちですが、仕事をしながら3人のお子さんを立派に育て上げたママでもありますし、そうした一面をより多くの人たちに知ってもらう機会にもなります。以前からトーク力や発言力の高さは注目されていましたし、波乱に満ちた私生活での経験もコメンテーターとして生かされるのでは」  いよいよ来月からスタートする「ポップUP!」。高岡の発言に注目したい。(高梨歩)
ひろゆきの妻が「論破はしない方が良い」と思う理由
ひろゆきの妻が「論破はしない方が良い」と思う理由 パリのコンコルド広場前の観覧車にて(2018年/著者提供)  夫・ひろゆきとのちょっとおかしな生活をつづり話題となったコミックエッセイ『だんな様はひろゆき』(原作・西村ゆか、作画・wako)。“宇宙人”さながらの夫とのユーモアのある日常や、暮らしでの折り合いのつけ方が大きな話題となり、3万部(電子版含む)を突破した。日々、共存方法を模索する妻ゆかさんに、価値観の違う夫婦が仲良く共存する方法について特別エッセイを寄稿してもらった。今回のテーマは「論破王な夫を論破する方法」だったが、「夫婦やパートナーで論破合戦なんてしてもメリットなくない?」と語るゆかさん。その真意とは? *  *  *■家庭内で論破してもいいことナシ 「普段ひろゆきさんとどんな会話してるの?」といった質問を良くされます。  論破王(彼からそう名乗ったことはないはずですが)と呼ばれて久しい夫と暮らしているので、プライベートの彼がどんなことを喋るのか気になる……という感じだと思うのですが、改めて思い返しても、日々の何気ない出来事から時事ネタ、共通の知人の話題など……多くの人が話すであろう会話と変わりない気がします。  ちなみに1番多いのは、漫画でも描いた通り「しゅっしゅ!」「むふーん」など翻訳不能な宇宙語なので、議論とはほど遠い感じです。  そもそも夫婦やパートナーって共に進むバディなわけで、無駄に対立構造を作っても良いことなんてありません。「論破」が盛り上がる状態というのは、テレビ番組など尺の決まったイベントで絵になる瞬間が作れ、かつそれを“他人事”として観られるから面白いと感じられるわけで、『水戸黄門』や『半沢直樹』を観て、わかりやすい悪人がコテンパンにされて「あーすっきりした!」と言う図式と同じです。  一方、それが自分事として起きたら厄介です。職場でも友人関係でも、好戦的に畳み掛けてくるような人間って嫌じゃないですか。それが家族なら尚更で、例え揉めたとしても、次の日も一緒に暮らしていかなければならない間柄で論破とか、基本しない方が無難だと思う派です。 原作・西村ゆか、作画・wako『だんな様はひろゆき』※Amazonで本の詳細を見る ■論破はお茶の間でウケてるの?  昨年漫画を出版した後に、いくつかの媒体でインタビューを受ける機会がありました。漫画の紹介を兼ねて、聞かれたことに対して基本好き(勝手)に答えていたのですが、そこで不思議だなぁと思うことがありました。  あるインタビュアーさんから「今日本では論破王、というかひろゆきさんブームがすごいんですが、ひろゆきさんの支持される理由はなんだと思いますか?」といった感じのことを聞かれました。  前提として、私は2015年からフランスに住んでいるため、日本のテレビ番組を見ることができません。時々Twitterのフォロワーさんが、YouTubeに投稿された彼の出演番組を教えてくれることもありますが、それを観る程度で、基本的に彼が日本のどんな番組に出ているかは殆ど知らず、彼も私に自分の活動を逐一話すタイプでもありません。  そんな状態なので、私は正直に「支持される理由は内容によるから、番組を観ていない自分には分からないけれど、論破に関しては、絵的に強くてわかりやい図式だし、決まった時間で毎回ネタを考えなければいけないメディアなど、作る側が楽だから好まれるんじゃないですかね?」と答えましたが、心の中ではこう呟いていました。 「え、別にそこに論破いらなくね?」って。 ■それってメディアの怠慢ですよね?  議論する内容について知識はあった方がもちろん良いし、視聴者と目線が近いことも悪いことではないと思います。人は自分に近いと感じる人に親近感を覚えるもので、そういう人は自分の味方であるかのように感じたり、応援したくなったりします。  でも、そこに論破の要素って必要でしょうか?  上手に言い返したりその場を切り抜けられず悔しい思いをしたり、「ああ言えればよかったのに」と思う人がいたとして、それが出来る人を見て、代わりにスカッとする気持ちは分からなくもありません。  でも、他者に向けて自分を優位に見せたり、勝敗をはっきりつけなければならない局面って、日常ではそこまで多くありません。職場など駆け引きが必要な場面でも、長期的な関係を考えれば論破は逆効果になることが多いと思うのです。 家ではほとんど宇宙語で話すというひろゆきさん(『だんな様はひろゆき』より)  難しいことを考えず、リラックスして観ることのできるエンタメ型の番組の需要はもちろんあるので、わかりやすい図式のひとつとして取り入れるのは良いのですが、話し合いの場面でなんでも勝ち負けの構図を作るのは、ぶっちゃけ制作サイドが若干楽しているからなんじゃないの?と感じてしまいます。  ポジティブでもネガティブでも、盛り上がった方が勝ち!といったSNS時代の番組作りは、視聴者を若干馬鹿にしているようで、論破以外の切り口を提案できるメディアがもっと増えると良いのになぁと個人的には思います。 ■継続する関係、信頼関係が必要な間柄で論破はダメ  そもそも議論は互いの意見を述べ、傾聴し合い内容を深めていくもので、たとえ討論であっても意見の優劣がわかれば十分、相手を叩き潰す必要はないはずです。  例えば、現役保育士で人気YouTuberでもあるてぃ先生という方がおられまして、てぃ先生のYouTubeにひろゆきくんがゲストとして登場、保育園児からの質問に答えるという動画があるのですが、論破要素は一切なし、子どもと同じ目線に立ちつつも彼のトーンは崩さない感じで番組が進んでいく様子が観ていてジワジワと面白く、「そういう回答の仕方もありなのかー」と新鮮でした。 てぃ先生とひろゆきさんのコラボ動画「おしえて!ひろゆき!」#1【著名人が子どもの質問に答えるシリーズ】※クリックして動画を見る  質問に答えることと議論は違いますが、まだ上手に自分の意思を伝えられない年齢の子に対して、相手が聞きたい・知りたいと感じていることは何なのか?と目線を合わせて耳を傾けることは傾聴であり、それに対して自分が提案できる答えを探し、相手にわかる言葉で語りかけることでポジティブに物事が進んでいきます。  夫婦やパートナーなど、共に歩んでいく同士の対話もそうあるべきではないでしょうか。  喧嘩してその場で一時的に勝っても、次の日も一緒にご飯を食べ、コーヒーを飲むわけですから。

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