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志村けんさん三回忌 ドリフターズメンバーもしのぶ ゆかりの地「東村山」にはファンも
志村けんさん三回忌 ドリフターズメンバーもしのぶ ゆかりの地「東村山」にはファンも 東村山駅前の志村けんさんの銅像周辺を掃除する「志村けんさん銅像プロジェクト実行委員会」メンバーら=3月27日、高鍬真之撮影  2年前の3月29日、新型コロナで急逝したタレントの志村けんさん(享年70)。早いもので三回忌だ。生まれ育った東京・東村山市の西武・東村山駅東口には、昨年6月、志村さんの等身大の銅像が建てられ、今では志村さんやドリフターズの聖地として全国からファンが足を運んでいる。東村山市内の志村さんゆかりの地を歩いた。 「東京都とはいえ、いちローカル市にしか過ぎなかった東村山を全国区にして下さった功績はすごく大きい。この街を故郷とする僕らにとっては、誇りであり大恩人なんです」  こう話すのは「志村けんさん銅像プロジェクト実行委員会」の実行委員長、中野陽介さん(38)だ。命日を2日後に控えた3月27日午前、東村山駅東口にある志村さんの銅像の周囲を、同プロジェクトのメンバーや家族ら約15人がボランティア清掃していた。  志村さんがブレークするきっかけとなった「東村山音頭」は、もともと1964年の市町村合併で東村山市が誕生することを祝い、東村山町農協(現・JA東京みらい)が東村山町役場の協賛を得て制作。最初に歌唱したのは昭和歌謡の大御所・三橋美智也さん(故人)だった。  それをアレンジして、志村さんが「8時だョ!全員集合」(TBS)の少年少女合唱団コーナーで歌ったのは76年。白鳥の首がついたバレエのチュチュなど奇抜な衣装も大ウケし、「志村けんといえば東村山。東村山といえば志村けん」と言われるほど人気を集めた。 「志村さんに感謝の気持ちを表し、功績を残そう、ということで建てたのがこの銅像なんです。建立資金は目標金額2400万円のクラウドファンディングで募り、海外を含め6630人から約2744万円も集まりました」(中野さん)。  銅像は羽織はかま姿で、代名詞とも言える定番ギャグ「あい~ん」ポーズを決めており、にこやかな笑顔が見る人を和ませてくれる。 「先ほども、『大阪から来た』というファンの方がいましたし、志村さん人気は衰えていないようです。銅像の背景のパネルに『多くの笑いと感動をありがとう。』と感謝の言葉を記しました。コロナ禍で閉塞(へいそく)感が依然として残っていますが、これに尽きますね」(同) 東村山駅前の志村けんさんの銅像前で「アイ~ン」のポーズをする「志村けんさん銅像プロジェクト実行委員会」メンバーや家族=3月27日、高鍬真之撮影  銅像を管理する東村山市では、「『静かに追悼したい』とのご遺族の意思を尊重し、偲ぶ会などは予定していません。でも、3月31日まで市のホームページの専用ホームから『志村けんさんへのメッセージ』をお受けしています」(市秘書広報課)。  27日午前、市内では三回忌法要が、実兄の知之さん(75)によって営まれ、親族ら関係者10人が参列した。志村さんが眠る墓は、菩提(ぼだい)寺でもある市内の古刹(こさつ)の近くにある。26日には、ザ・ドリフターズの高木ブーさん、仲本工事さん、加藤茶さんが墓参に来た。  高木さんはインスタグラムに、「早いもので、志村が亡くなって3回忌です。今日、3人でやっとお墓参りに行けました」とつづり、いつまでも一緒との気持ちからだろう、「#ドリフターズ#加藤茶#仲本工事#高木ブー#いかりや長介#志村けん#荒井注」のハッシュタグも添えた。  また仲本さんは自身のツイッターに「久しぶりに三人揃ってお墓参りに行ってきました。やっぱり、グループで一緒に仕事をした時のことが一番甦りました。今となっては、良い思い出です。志村、ありがとうネ」と感謝の気持ちをツイート。  加藤さんの妻でタレントの加藤綾菜さんも自身のインスタグラムに、「今日、志村けんさんの3回忌にドリフで集まりお墓参りにいきました。私も参加させて頂きました。寂しいですね」と加藤さんの言葉と墓前で撮った3人の写真をアップした。  筆者が訪れた時も、市内在住の30代の夫妻が手を合わせていた。亡くなられて以来、年に数回、お参りに来ているという。 「僕らは『8時だョ!』の後の世代で、物心がついたころに『志村けんのだいじょうぶだぁ』『志村けんのバカ殿様』(ともにフジテレビ系)が始まっていました。バカ殿や『変なおじさん』『ひとみばあさん』に大笑いして、『だいじょうぶだぁ』が終わってからは『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)が楽しみでした。BSで再放送しているせいか、今でも亡くなられたのが信じられなくて」(夫) 餅萬の「だいじょぶだァー」シリーズ 笹本だんご店  市内には、志村さんのギャグ「だいじょうぶだぁ」をブランド化した和菓子店もある。東村山駅の東西両出口にある和菓子処「一風柳 餅萬」だ。7代目社長の深井駿さん(39)が話す。 「13年前に亡くなった父が、志村さんの小学校時代の同級生で親友だったんです。89年ごろ、『志村けんのだいじょうぶだぁ』で小倉あんとウグイスあんのお饅頭が登場するコントがあり、それをヒントに父が考案。もちろん志村さんからお墨付きをいただいています」  饅頭(5個セット750円)、どら焼き(1個180円)、最中(同190円)の3種類。小倉あんが「だいじょぶだァー」で、ウグイスあんは「だっふんだァー」。 「収録現場のスタジオや、舞台がある時は劇場にしばしば差し入れしていたものです。また、『だいじょぶだァー』という語呂の良さから、入院や受験、就職、転勤などのお見舞い、ご進物用にお買い求めになる方が多いですね」(深井社長)。  もう1軒、忘れてはならないのが、焼き団子の「笹本だんご店」。東村山駅から徒歩約20分の距離に位置するが、“聖地巡り”ファンの休憩場所でもある。 「志村さんのお母さん(故人)がウチの団子が大好きで、時々、志村さんご自身も買いに来て下さいましたよ。17年前の11月、ご実家でお正月特番のロケがあった際に、一度に100本お届けしたのが懐かしいですね」  こう話すのは、店主の笹本悦子さん(76)。  笹本さんによると、団子のタレはしょうゆを1時間煮詰めてあくを取り、それを開店以来、45年余り使い続けているかめのタレに継ぎ足ししているという。タレが焦げる香りに誘われ、早速、いただいた。志村さんも味わったのかと思うと、格別だった。  取材後、東村山駅のホームで、電車の発車のメロディーを聞いた。1、2番ホームのメロディーは「東村山音頭」をベースにしており、2種類の軽快なチャイム音が鳴る。 「このメロディーは、2014年から16年にかけて使用し、いったん休止していました。でも志村さんが亡くなられ功績をたたえようと、20年7月に復活させたのです。5、6番ホームでも平日の午前5時から同9時まで、土日休日は同6時台に1本限定ですが流しています」(東村山駅)  志村さんの記憶と思い出は、いつまでも残るのだろう。 (高鍬真之) ※週刊朝日オンライン限定記事
「これは映画の神さまだ」 佐藤浩市が最新作で見た“明け方の空”
「これは映画の神さまだ」 佐藤浩市が最新作で見た“明け方の空” 延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)  TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。前回に引き続き、俳優・佐藤浩市さんについて。 *  *  * 『IMPERIAL 大阪堂島出入橋』は佐藤浩市の最新作。メガホンは三島有紀子がとった。  2021年7月早朝、午前4時16分、ヨーイ・スタート! 800メートルのワンカットの一発勝負。11分40秒後に目指す空の明かりになる。生まれたのは奇跡の叙情詩。 「信号の色のタイミングも計算しました。でも撮影はあくまで生モノ。佐藤浩市さんが全てアジャストしてくださったんです」と三島監督は言う。  圧巻の11分40秒だった。11分に人生の全てが詰まっていた。映画は小説にも詩にも、音楽にもなると知った。 「最後にあの人に食べさせたい」と、浩市さん演じる白いコックコートを着たシェフ川上次郎がデミグラスハンバーグをもって深夜、店を出る。老女は別の場所に引き取られており、途中からあてどなく街を歩くことに……。  大阪には幾筋もの川が流れ、橋も多い。「男の生き様を通してこの街を見せたかった。元々ごく私的な物語から始まった作品です。出入橋に家族ぐるみの付き合いをしていた洋食屋さんがあり、90歳になる母がそこのハンバーグが食べたいと。でも店はがらんどうだった。緊急事態宣言下に閉店との貼り紙に胸が締め付けられた。幼馴染の2代目は今もデミグラスソースを作り続けている。ソースを絶やすと全てがなくなってしまうからって。その言葉に微かな光を感じたんです」(三島監督) 「撮影は最初の250メートルが辛かった。セリフもない。でも、携帯を見るような逃げることはしたくなかった」と浩市さんが振り返った。そこをしのいで足を緩め、自分の半生を口にする。生まれた場所、生まれた日、初恋、修業時代、妻とのなれそめとその死。 「そしてもう何もなくなったと、大の字に道路に横たわる。死んでもいいかなって。で、何やってるんだ俺はと立ち上がる。こんなこと、コロナでは多いんじゃないだろうか。デミグラスソースを舐め、明日もかき混ぜなきゃと。そこで空が白みかける。30代、40代なら明けきった空なんだろう。でも主人公の男には、ぼんやり白みかけた空なんです。(その色に)少しの希望を託そうと監督が意図し、その逆算から午前4時16分のスタートになった」 (c) 2021 MIRRORLIAR FILMS PROJECT 「映画の神さまがいた」と浩市さん。「もう一回撮りたいと監督が言ったんです。10分後にやろうと答えたら、いや明日もう一度と。光の加減は後処理でできるのに。翌朝、同時刻にスタートした。できあがった映画を見て監督のビジョンがわかった。それが少し白みかけた空だった。2日目は断然いい絵が撮れた。道路から起き上がったら何台ものクルマが猛スピードで通過した。ラストも手の甲にソースがついた。こんなの狙って撮れるわけじゃない。これは映画の神さまだって」  自らの半生を独白するシーンで主人公は息子を語る。ハンバーグを一度もうまいと言ってくれなかった息子。家を出たきり、行方知れずの息子。  先週も触れたが、ここにも永遠のテーマ「父と息子」が出てくる。  これは浩市さんの映画だと思ってぐっときた。ナイーブな「少年のはにかみ」を持っている浩市さんが「息子」になり、その横に「父」三國連太郎さんが見えた。  作品『IMPERIAL 大阪堂島出入橋』は主人公に微かな希望を与えて終わるが、その先に息子と再会している川上次郎の姿が浮かんだ。 延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞。新刊「松本隆 言葉の教室」(マガジンハウス)が好評発売中※週刊朝日  2022年4月1日号
清原和博が再婚相手として鈴木紗理奈に猛アプローチに「穏やかな笑顔にほっとした」の声
清原和博が再婚相手として鈴木紗理奈に猛アプローチに「穏やかな笑顔にほっとした」の声 清原和博氏  現役時代に西武、巨人、オリックスでプレーし、現在はYouTuberなどで活動している清原和博氏が自身のYouTube動画で、タレントの鈴木紗理奈に猛アプローチした内容が反響を呼んでいる。  清原は3月12日に「清ちゃんと紗理奈の恋物語!!」のタイトルで動画を投稿。清原氏は緊張の面持ちで約1年ぶりに対面で会うことを明かし、鈴木のいる部屋に移動。清原氏の登場を聞かされていなかった鈴木は「えー!ちょっと待って!」と絶叫。対談が始まると、清原氏が先日に「絶対に再婚する」と占われたことを明かした。撮影者のマッコイ斉藤氏から「再婚するんなら誰がいいんでしたっけ?」と聞かれると、清原さんは「紗理奈さん」と即答。「お互いキズもちじゃないですか」と共に離婚経験があることに言及すると、鈴木は苦笑いを浮かべた。  そして、清原氏がシャンプーなどのコスメセットをプレゼントすると、鈴木は「やさしい!こんなことしてくれる人周りにおらんから」と感謝を口にした。会食の誘いも快諾。清原氏が「春が来ました。ひと足早く」と喜びを露わにすると、「ちょっと待ってください、早いです話が。そんな勘違いするなら行かないですよ」とツッコミを入れた。「昭和の空気が残っている人が好きなんですよ」と明かすなど和気藹々とした雰囲気でトークが弾んだ。LINE交換も行い、距離を縮めたようだった。近日中に清原氏と鈴木の「デート編」の動画公開が予告された。  ネット上では「お子さんや支えてくれた元奥さんがこの動画を見てどう思うか考えた方がいい」、「こういう企画を否定するつもりないけど、子供の気持ちを考えたら動画にすべきではないかな」などこの企画に対して批判的なコメントが少なくない。  プロ野球関係者は違った見方をする。 「お互い独身だし恋愛も自由だと思いますよ。清原さんは14年に離婚しましたが、現在も家族と交流はありますし、支えてくれた元妻、2人の子供に対する愛情は変わりません。鈴木紗理奈さんと交際に発展するかは分かりませんが、自分の気持ちを明かすことは決して悪いことではない。清原さんの穏やかな笑顔をYouTube動画で見るとホッとします」  清原氏は2016年に覚せい剤取締法違反罪で懲役2年6カ月、執行猶予4年の有罪判決を受け、20年6月15日に執行猶予が終了。半年後の同年12月にYouTubeを開設し、チャンネル登録者数は50万人を突破した。今年2月には春季キャンプでPL学園の後輩の中日・立浪和義監督を訪問。キャンプ地の訪問は8年ぶりで、活動範囲が広がっている。  ただ、薬物依存症の治療は今も続いている。今月18日には自身のツイッターで、「つい最近病院へ行ったばかりだったが…昨晩、苦しくて苦しくて先生にメールしたところ『明日来て下さい』と。誰にも言えない苛立ちや辛抱してる事を聞いていただき落ち着いた」、「そして先生から『今日は仙台から患者さんが…被災によって電車を使えず車で5時間かけて来た』そのきっかけは松本先生と自分だったとのこと。自分自身にとっての心強い励ましを頂き、感謝の気持ちと心より見舞いを申し上げます」と連続投稿した。  清原氏が幸せな人生を歩むことを願うばかりだ。(西川秀之)
息子の小学校の入学式、父親は仕事を休んで出るのが常識? 「行きたくない」父に“論語パパ”がズバリ
息子の小学校の入学式、父親は仕事を休んで出るのが常識? 「行きたくない」父に“論語パパ”がズバリ 「論語パパ」こと、山口謠司先生  人付き合いが苦手な40代の父親。息子の小学校入学を前に、妻から「父親も式典に参加すべきだ」と言われて憂鬱な気持ちになっています。「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、「論語」から格言を選んで現代の親の悩みに答える本連載。今回の父親へのアドバイスはいかに。 *  *  * 【相談者:6歳の息子を持つ40代の父親】 4月に小学校入学を控えた息子(6歳)を持つ40代の父親です。どうも最近の入学式には父親も出席するケースが多いようです(8割という情報も)。自分が子どもだった頃は、父親は送迎のみが当たり前だったのに、妻からは「参加しないのはおかしい」と言われています。私はもともと人付き合いが苦手なうえ、普段はテレワークなので晴れの日にふさわしいスーツもないし、知り合いもいないので、居心地が悪いのが目に見えており、避けたいのが本音です。平日に仕事を休んででも、父親は入学式に参加すべきでしょうか。 【論語パパが選んだ言葉は?】 ・「子貢、告朔(こくさく)のき羊(よう)を去らんと欲す。子曰(い)わく、賜(し)や、爾(なんじ)はその羊を愛す。我れは其の礼を愛す」(八イツ第三) ・「子、四(し)を絶つ。意(い)毋(な)く、必(ひつ)毋く、固に毋く、我が毋し」(子罕第九) 【現代語訳】 ・弟子の子貢が「毎月1日に行われる祭事では、先祖の廟に羊をお供えする儀式だけが残っているが無駄だからやめよう」と提案したところ、孔子はこう答えた。 「子貢よ、お前は羊を惜しむだろうが、私は無駄を省いて伝統が失われることを惜しむ」 ・孔子には、四つのことがなかった。第一に「主観的な恣意」、第二に「無理押し」、第三に「固執する心」、第四に「自分のことだけを考える執着」。 【解説】  お答えします。相談者さんは、心を入れ替えてください。自分がこれから小学校に入学する6歳の子どもだとしたらどう感じますか。両親がそろって自分の小学校入学を心からうれしく思ってくれていることを感じたら、ワクワクした気持ちになりませんか。 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)  儀式というのは、大切なものです。なぜなら人の一生の転換点だからです。「冠婚葬祭」と一口に言っても、人は誕生から死に至るまでにいくつもの節目を迎えます。それは別の言い方をすれば、新たな人生のターニングポイントです。身も心も心地よくスタートを切ることができれば、次の節目までうまく走れる可能性は高くなります。「がんばって!」という周りの声援も大切です。心を込めて贈られる声援ほど、走り出す人のハートを熱くしてくれるものはありません。  2500年前の思想家・孔子と弟子の言行録である『論語』には、人としての身と心の正し方が記されています。 「子貢、告朔(こくさく)のき羊(よう)を去らんと欲す。子曰(い)わく、賜(し)や、爾(なんじ)はその羊を愛す。我れは其の礼を愛す」(八イツ第三)  弟子の子貢が「毎月1日に行われる祭事で、先祖の廟に羊をお供えする儀式だけが残っているが、無駄だからやめよう」と提案したとき、孔子はこう答えました。 「子貢よ、お前は羊を惜しむだろうが、私は無駄を省いて伝統が失われることを惜しむ」  孔子は無駄を省いていくことで、次第に人々が先祖のおかげで朔日(月の始まる1日のこと)を迎えられることへの感謝の気持ちを持たなくなることを残念に思ったのです。  季節的な儀式、イベントの中には「無意味なものが多い」と感じることは少なくありません。とくにこのコロナ禍ではそうかもしれませんね。でも「無駄」ばかりを省いていくと「心をともにして、次の節目までみんなでがんばろう」という意識も薄れて、次第に互いを思いやる空気もなくなってしまうのではないでしょうか。  父親である相談者さんは、心から息子さんの門出をお祝いする気持ちを持つべきです。ここに、相手の側に立って考えるための心得を『論語』から紹介します。 「子、  四(し)を絶つ。意(い)毋(な)く、必(ひつ)毋く、固に毋く、我が毋し」(子罕第九)  孔子には、四つのことがなかったといいます。第一に「主観的な恣意」、第二に「無理押し」、第三に「固執する心」、第四に「自分のことだけを考える執着」です。人間関係とは子どもと妻、両親、親戚、同僚……と、自分を中心に広がっていくものですが、その広がりの中に「恣意」を置かず、「人を大切に思う気持ち」を置けば、すべてがうまく円満にいくことを教えているのです。相談者さん、「人の集まる行事は苦手」という自分のことだけに執着してはいけません。ビシッとしたスーツを一着新調し、内面から自分を光らせ、それを6歳の息子さんへのお祝いにしてあげてください。堂々と胸を張って、明るく、美しい背中を見せてあげましょう。 【まとめ】 儀式は大事。自分のことに執着せず、息子さんの立場に立って考えて、新しい人生の始まりをお祝いしてあげよう 山口謠司(やまぐち・ようじ)/中国文献学者。大東文化大学教授。1963年、長崎県生まれ。同大学大学院、英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。NHK番組「チコちゃんに叱られる!」やラジオ番組での簡潔かつユーモラスな解説が人気を集める。2017年、著書『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。著書や監修に『ステップアップ  0歳音読』(さくら舎)『眠れなくなるほど面白い 図解論語』(日本文芸社)など多数。2021年12月に監修を務めた『チコちゃんと学ぶ チコっと論語』(河出書房新社)が発売。母親向けの論語講座も。フランス人の妻と、大学生の息子の3人家族。
トルコで植毛報道のいしだ壱成に、「激励のメッセージ」が多い理由とは
トルコで植毛報道のいしだ壱成に、「激励のメッセージ」が多い理由とは  俳優のいしだ壱成(47)が3月15日に自身のインスタグラムを更新し、トルコで植毛手術を受けたことを明かした。いしだは「今回植毛手術を執刀して下さったブラック先生、名医さん!そして同行してくれた株式会社薄毛の窓口代表取締役の山本さん、ナイスガイ!ありがとうございました」と感謝の思いを綴り、坊主頭にバンダナ姿で夜景をバックにした写真を掲載した。   いしだに紹介された山本祐司氏も16日に自身のインスタグラムを更新し、髪を全部そって植毛したいしだの写真と施術前の写真を掲載した。植毛したのは2350株で、「いしだ壱成さんは終始元気そうで僕も安心して過ごせました この度はとても楽しい旅をありがとうございました!!」と綴っている。  ネット上では「俳優としてもう一度見たい」と激励のメッセージが予想以上に多い。テレビ関係者はこう語る。 「山本氏はユーチューバーとしても活動しており、トルコで植毛の旅に行く動画を配信しています。いしださんは緊張しながらも目に輝きが戻って楽しそうな姿が印象でした。個人的には俳優として表舞台に戻ってきてほしい思いが強いです。昔のドラマを見返しても、いしださんの表現力は凄かった。演技がうまいという言葉で形容するのもちょっと違う。たたずまいから個性的で視聴者が強く惹かれる役者さんだった。今もファンが多いのはあの時の強烈なイメージが強いのだと思います。40代後半になり、人生で紆余曲折を経ましたが、いしださんにしか出せない味があると思います。生活が大変かもしれませんが、役者業に没頭する姿をもう一度見たいですね」  いしだは03年に最初の結婚をして1児をもうけたが06年に離婚。14年に再婚したが17年に2度目の離婚をした。18年に当時19才だった女優と飯村貴子と「できちゃった婚」で3度目の再婚をしたが、昨年12月に自身のインスタグラムで離婚を発表した。  同月中旬にNEWSポストセブンで報じられた記事によると、いしだは離婚の理由として経済的困窮を挙げている。11年に東京から石川県に移住したがうつ病が再発。ハローワークに通って定職に就こうとしたが、20社ほど受けてすべて面接で不採用となった。貧困から抜け出せず。話し合って離婚を決断したという。    うつ病の影響もあるのか、インスタライブでは表情がうつろな時も珍しくなかった。ただ、それでも俳優として「復活待望論」は根強い。90年代に出演した「一つ屋根の下」、「聖者の行進」、「未成年」など人気ドラマで見せた演技は30年経った現在も業界内で語り継がれているほどだ。  いしだは17日放送のフジテレビ系情報トーク番組「バイキングMORE」にVTR出演した際、今後の展望について「まだ計画段階ですけど、今年中を目標にアジアに進出したいなと思ってまして。タイ語を勉強して、できれば俳優で。最初は音楽でデビューしようかなと思っているんですけど」と語っている。楽曲作りはすでに始めており、来年にタイに拠点を移し、音楽活動を行う予定を明かした。再起のきっかけは、前妻の飯村に掛けられた言葉だったという。「離婚した時に妻からの『やっぱりあなたは舞台の上に立っていてほしい。スクリーンの中にいてほしい。カメラの前に立っていてほしい』という言葉に、すごくグサッときた」と振り返り、「原点に立ち返ってゼロ以下からのスタートですけど、そういったきっかけがありました」と思いを新たにした。  異国の地で俳優として成功するのは至難の業だ。いしだも重々承知しているだろう。その生き様をファンたちは見守っている。何年かかってもいい。もう一度、役者として輝く姿を見たい。(西川秀之)
JAYWALKの元ボーカル・中村耕一さんが再起できた3・11被災者の言葉「あなたには歌がある」 
JAYWALKの元ボーカル・中村耕一さんが再起できた3・11被災者の言葉「あなたには歌がある」  都内下北沢のライブバー「ニュー風知空知」で歌う中村耕一さん(撮影/高鍬真之)  東日本大震災から11年。チャリティーソング「花が咲く」やAKB48の「風は吹いている」など、今も歌い継がれる復興ソングが知られるが、一方で、歌手自身が被災地で再起のきっかけを得た例もある。「贖罪」のため一時、歌手活動を封印していた、ロックバンド「JAYWALK」の元ボーカル・中村耕一さんもその一人だ。 「僕は歌えません」 「いや、あなたしかいないんです」  震災から1カ月余り経った2011年4月24日早朝。宮城県石巻市桃生町にある古刹・香積(こうしゃく)寺の本殿横の檀信徒会館で、中村さんと川村昭光住職がこんな押し問答をしていた。  この日は午前9時から、隣接する登米市の斎場で、ある3人の葬儀が行われることになっていた。石巻市内の自宅で被災した遠藤正さん(当時72)・律子さん(当時71)夫妻と身元不明の11歳の少女だ。  遠藤さん夫妻は同寺の檀家である。それで川村住職が葬儀を行う導師を務めることになっており、式中の献奏を中村さんに依頼したのだ。  葬儀当日、それも数時間後には始まるという急なお願いになったのにはわけがあった。  中村さんはその前々日、名古屋市内の自宅を車で出発し、同市内の企業のボランティアスタッフとともに、宮城県七ケ浜町のボランティアセンターに救援物資を運んでいた。その後、石巻市郊外の避難所で炊き出しを手伝い、同寺院の檀信徒会館に寄宿した。それも誰にもわからないよう、マスクで顔を隠しての参加だった。  そのため川村住職は、中村さんがJAYWALKの元ボーカルなどとはまったく知らず、葬儀前日の夕食後、別の寺院の若手の僧侶から教えられた。 「ネットで検索し、YouTubeでJAYWALKの楽曲《君にいて欲しい》を視聴して、これしかない、と献奏を思いついたのです」(川村住職)  歌詞は、離れた場所から恋人を思う男性の心境をつづっている。それが、遠藤夫妻や遺族の立ち会いがない少女に寄り添う気持ちに通じると思ったという。  川村住職のお願いを、中村さんは固辞した。急だったということもあるが、大きな理由があった。  2010年5月。中村さんは覚醒剤やコカインを所持したとして覚醒剤取締法違反などの罪に問われ、東京地裁で懲役2年執行猶予4年の判決を受けた。  その年は、JAYWALKのメジャーデビュー30周年の大きな節目だった。だが事件を受け、5月から予定していた記念全国ツアーをはじめ、ライブやイベントは全部中止。CDもショップから撤去された。  償いと自戒を込め、「自宅でさえも歌うことはなかった」と中村さんは振り返る。 「僕がバッシングを受けるのは仕方のないことです。でも、高校に進学したばかりの多感な時期の一人息子や愛知県を中心にタレント活動をしている妻(書家でもある矢野きよ実さん)にも辛い思いをさせているだろう、と。それが申し訳なくて、判決直後は歌を辞める覚悟でいたのです」  そのような経緯から、歌うことを断った中村さんだったが、川村住職は、中村さんの過去も知った上でお願いした。 「大きな津波被害にあった地域では、ご夫婦で被災され、別の日に離ればなれでご遺体が発見されることが多いのです。ところが遠藤さんご夫妻はほぼ一緒だったと聞きました。震災前から、身寄りがないけれど仲むつまじいことで知られていた夫妻らしい最後です。それで、御三方を送るに当たり、無理を承知でお願いしたのです」(川村住職)  中村さんは、3人の話を深く聞き、迷いに迷ったあげく引き受けることにした。  本番は、ギターひとつないアカペラだった。 「3人の僧侶が読経したのですが、あまりの熱唱に途中から声を出せていたのは1人だけ。2人は参列者とともに号泣していました」(川村住職)  中村さんは大役を果たせてホッとした。ただ、禁を解いたことに後ろめたさもあった。帰宅後、以前と変わらぬ歌のない生活に戻り、その後もゴールデンウィークを挟んで何度か被災地へ通った。  5月13日。中村さんは、石巻市の飯野川中学体育館にいた。避難所での炊き出しに、いつものように髪をタオルで覆いマスクをして参加していた。同中学校は、津波で多くの児童が犠牲になった大川小学校の関係者らが避難していた。 「大事な我が子を亡くされた家族ばかりでしたから、中に入れるのは信頼関係ができているボランティアグループだけ。マスコミ関係者は一切入れず、行政の担当者も細心の注意を払って対応されていました」(川村住職)  配食していた中村さんは、目の前に立った同年代くらいの女性に「おいくつ必要ですか?」と尋ねた。 「一つで結構です」  思わず顔を上げると目が合った。 「一つ。それが何を意味することか、想像に難くなかった」(中村さん)  そして女性は静かにこう言った。 「私はすべて無くしました。でもあなたには歌がある。私たちも頑張るから、あなたも頑張りなさいね」  返す言葉がなかった。女性は、あの中村さんであること、中村さんの過去をわかっていたのだ。 「胸にズシンと響きました。罪を償うことと歌うことは別だ、と諭されたように思ったのです」(中村さん)  そして食事の後、被災者の大半がすでに気付いていたことを、中村さんはようやく知る。周囲の被災者から湧き上がるように中村さんにリクエストが寄せられた。 『何も言えなくて・・・夏』  1991年7月にリリースし、92年から93年にかけて大ヒットしたJAYWALKのミリオンセラー。93年の大みそか、NHK紅白歌合戦で歌唱した名曲だ。 「その時も最初は断りました。女性に声をかけられた直後とはいえ、現地では一人のボランティアですし、まだ気持ちとして歌える状態ではありませんでしたから」  だが、その場で起きた、歌ってほしい、というお願いを断って、雰囲気を壊すこともできないと思った。気おされるまま、やはりアカペラで心を込めて歌った。  サビにはこうある。 ♪何も言えなくて まだ愛してたから  歌い終わると、満場の温かい拍手に包まれた。避難所がかすんで見えた。  その後も石巻市内を中心に、南三陸町や岩手県陸前高田市など三陸沿岸部へ足を運んだのは数十回に及ぶ。泉谷しげるさん、嘉門達夫さんらと現地の町おこしイベントにも協力した。その際、何度か歌う機会があったが、本格的に音楽活動を再開したのは2013年2月から。 「懲役2年・執行猶予4年の懲役分は実刑と思って自粛する」  中村さんの中では、その思いが強かった。ミュージシャンの三宅伸治さんのサポートで重い扉を開けるまで、結局3年かかった。  そして現在。コロナ禍による自粛から少しずつライブ活動を再開させている。 「香積寺のご住職、避難所で声をかけてくれた女性、被災者の皆さん。そして大きな拍手。今も忘れられません。あの体験がなかったら、音楽はやめていたかも知れないです」  被災地での経験を経て、今日も大好きな歌と向き合っている。 (高鍬真之) ※週刊朝日オンライン限定記事 ●中村耕一さんのライブ情報4月2日、3日・横浜パラダイスカフェ、 5月1日・渋谷エッグマン。その他のライブ情報は、中村耕一オフィシャルサイトを
尹次期大統領で日韓関係どうなる? 「電光石火の改善が必要」元駐日韓国大使が指摘
尹次期大統領で日韓関係どうなる? 「電光石火の改善が必要」元駐日韓国大使が指摘 金正恩・朝鮮労働党委員長(当時)は妻の李雪主氏とともに平壌国際空港で文在寅・韓国大統領夫妻を出迎えた/2018年9月18日、平壌(photo:gettyimages)  韓国大統領選で最大野党「国民の力」の尹錫悦氏が、大接戦の末に当選した。過去最悪とも評される日韓関係は改善するのか。元駐日韓国大使の2人に関係改善のポイントを聞いた。AERA 2022年3月21日号から。 *  *  *  日韓外交に携わった当局者たちの間で、強固な信頼関係を結んだ日韓両首脳として名前が挙がるのが、中曽根康弘首相と全斗煥(チョン・ドュファン)大統領、小渕恵三首相と金大中(キム・デジュン)大統領の2組だ。  中曽根氏は首相就任直後の83年1月、最初の外遊先として韓国を訪問。夕食会の冒頭、「ヨロブン アンニョンハシムニカ(皆さん、こんにちは)」とあいさつし、万雷の拍手を浴びた。当時、ソウルの大通りには戦後初めて日の丸の旗が掲げられた。全氏は涙を流して喜び、深夜に中曽根氏を大統領府に招いて午前3時まで酒を飲んだという。 ■小渕氏と金大中氏  中曽根訪韓の準備に携わった町田貢元駐韓公使は「中曽根さんのスピーチは過去の謝罪を巡る表現は弱かったが、ものすごく評価された。要は言葉ではなく、韓国人の琴線に触れることが重要だ」と説明する。小渕氏は外相時代の97年12月、ソウルで大統領選に勝利したばかりの金氏と面会。小渕氏の依頼で、金氏は「敬天愛人(天を敬い、人を愛する)」と揮毫(きごう)した。小渕氏は「政治家としてあなたを尊敬している」と語りかけたという。小渕氏は98年7月に首相に就任。両氏は同年10月に「日韓関係で最高の政治文書」と評される日韓共同宣言を実現させた。  当時の関係者によれば、共同宣言で最も重要なポイントは「痛切な反省と心からのお詫び」を述べた小渕首相に対し、金氏が「真摯に受けとめ、これを評価すると同時に、両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互いに努力することが時代の要請である旨表明した」という記述だったという。関係者の一人は「日本が謝るだけでは意味がない。韓国が評価して先に進む意思表明をして初めて、日韓関係が発展する」と説明する。  では、果たして岸田文雄首相と尹錫悦(ユン・ソクヨル)次期大統領との間に強い信頼関係が結ばれるだろうか。 激戦を制して第20代韓国大統領に選出された尹錫悦氏(右)が支援者を前にあいさつした/3月10日、ソウル(photo:gettyimages) ■3月に特使団が訪日も  岸田首相は自民党政調会長時代、自らが外相として尽力した日韓慰安婦合意が文政権によって白紙に戻ったと聞き、激怒したという。尹氏に先入観はない一方、今夏に参院選を控え、韓国に厳しい日本の世論に配慮する必要にも迫られている。  尹氏の日本との関わりは学生時代、大学教授の父親が日本に一時滞在していた頃、日本を訪れた程度という。町田氏は「尹氏は政治経験が少なく、できあがっていない大統領。側近集団が日韓関係についてどのようなアドバイスをするのかが鍵になる」と指摘する。  これまでの慣例上、韓国の次期政権は日米などに特使を送ってきた。尹氏は2月3日の討論会で、大統領に就任したらまず米国、次に日本と首脳会談を行う考えを示した。特使団が3月中にも訪日する可能性がある。  駐日韓国大使を務めた申ガク秀氏(シン・ガクス、大使在任期間2011年6月~13年5月)氏は「岸田政権も参院選で勝利するまでは簡単に身動きできないだろうが、状況をこれ以上悪化させない措置は必要だ。韓国の積極的な姿勢に、肯定的に対応してほしい。過去の問題の懸案を解決しようという立場を早期に表明してくれれば、モメンタムを生かす助けになる」と語る。李俊揆氏(イ・ジュンギュ、同16年7月~17年10月)も「今から尹氏の大統領就任直後までの雰囲気が良い状況のうちに、電光石火のように関係改善プロセスを進める必要がある。韓日関係改善の鍵は懸案に対する解決策にあるのではない。両国指導者の信頼と認識の共有、両国民の間の理解と意思疎通にあると思う」と語った。(朝日新聞記者・牧野愛博)※AERA 2022年3月21日号より抜粋
長谷川京子「金魚妻」の艶技で騒然 セクシー路線でセカンドブレークなるか
長谷川京子「金魚妻」の艶技で騒然 セクシー路線でセカンドブレークなるか 長谷川京子  2月14日より配信されたNetflixドラマ「金魚妻」に出演している女優の長谷川京子(43)。篠原涼子演じるDVやモラハラに苦しむ主人公をはじめ、タワーマンションに住む人妻たちの不倫を描いた作品で、長谷川も不倫妻役を演じており、大胆な濡れ場が話題になっている。 「長谷川は主演・篠原の夫と不倫する人妻の役ですが、なんと第1話のオープニングから彼女の濡れ場が展開されます。安藤政信とバスルームで濃厚に絡み合ってるんですが、CanCamモデルだった頃からすると考えらない官能的な演技を見せています。SNS上では『色気がとんでもない』と、中年男性とみられるファンが増えている印象です。そもそも、最近はドラマ以外でも自身のYouTubeチャンネルで大胆な露出をして話題になっていました。2020年6月の初投稿は、キャミソール1枚で胸の谷間を丸出しにしてメカジキのレモンバターソースがけを作るという料理動画で、普段料理をしないオジサンもくぎ付けに。一方で、女性からは『胸の谷間はワザと見せてるの?』などの声も上がり、路線変更には賛否両論あるようです」(テレビ情報誌の編集者)  長谷川といえば、最近は「グータンヌーボ2」(関西テレビ)でMCを務めるなど、女優業以外でも活躍しているが、地上波での控えめな露出とは裏腹にSNSやYouTubeではセクシーショットを多数掲載。ランジェリー姿や美尻を披露する開放的な姿で“新たなファン”の獲得にも成功しているようだ。実話誌の記者は言う。 「YouTubeやインスタのコメント欄では、明らかに男性からのコメントが増えています。オヤジ向け実話誌では、これまで井川遥さんが人気だったんですが、ここに来て長谷川京子さんの記事が多くなりました。今、下着以上の大胆なグラビアや写真集を出せば、大ヒット間違いなしだと思います」 ■離婚前に口にした「モテ願望」  かつて“清純派”のイメージで売っていた彼女の心境はどう変化したのか。「VERY」(2021年5月20日配信)では、キャミソール姿の動画について「我が家にとっては日常の光景だったので想定外の反応に驚きました」と反応に驚いた様子。また、「そんな露出して料理をするなんて母親らしくない」という声には「放っておいてよ、と思ったり」と述べている。あくまで自然体ということなのだろう。 「本格的にセクシー路線に傾いていったのは、2018年に長女の“お受験”が終わってからだと言われています。2015年に夫の浮気疑惑があり、夫婦仲は冷めきっていたという報道もありました。その後、2019年に長谷川さんは41歳で水着姿や胸元があらわになった姿を掲載した写真集を発売しています。そして昨年10月に離婚が発表されたわけですが、ダメ押しとなったのは、その直前に写真誌に報じられた夫のパパ活疑惑。記事では『セクシーな下着に、高いヒールを履いてもらうことかな?』と、相手におねだりしているとありました。セクシー路線が新しい恋に向けた動きなのかはわかりませんが、そうした夫婦関係も影響していたのではないでしょうか」(週刊誌の芸能担当記者)  離婚前、長谷川は「グータンヌーボ2」(2021年1月19日放送)で、「モテたい」と明かしており、「『長谷川京子とだったら付き合ってみたい』という選択肢に入りたい」とも話していた。自身の持つ女性としての魅力を、世の男性にアピールしたいという強い願望があるようだ。 「2000年代の清純派女優としての長谷川さんをリアルタイムで見てきた40代以上の女性からはセクシー路線は不評ですが、それよりも下の世代からは生き方や美容に対する情熱などが支持されています。離婚後の吹っ切れた感じも好感が持たれています。年始に放送された『さんまのまんま』(フジテレビ系)で、田中みな実さんから『独身です』と紹介された長谷川さんは『私のこと、つぶしに来たでしょ』と、離婚ネタ交えて笑いをとっていました。肌の露出は増えましたが、前向きで悲壮感がないところがポイント。今後も好感度はそこまで落ちないと思います」(前出の記者)  ドラマウオッチャーの中村裕一氏は、そんな彼女のキャリアと今後についてこう分析する。 「女優としては、派手さはないものの着実にキャリアを積み重ねてきました。2000年代前半は長瀬智也主演の『ビッグマネー!~浮世の沙汰は株しだい~』(フジテレビ系)や、初主演作である『おいしいプロポーズ』(TBS系)などのヒット作に毎年のように出演し、落ち着いた演技を披露してきました。しかし、正直言って、決定的な代表作と言えるドラマが見当たらないのも事実。裏を返せば、そこに伸びしろや可能性があるということ。演技力・表現力を磨けば何歳になっても輝くことができるのが芸能の世界です。子育てを経て、アラフォーになって色気の増した彼女がこれから先どのような役を演じるのか、またどう羽ばたいていくのか非常に楽しみです」  2月に23年間所属していた事務所から独立した長谷川。夫や事務所から独り立ちした彼女が、どんな新境地を切り開いてくれるのか楽しみだ。(丸山ひろし)
元厚労相・塩崎恭久が語った「児童養護施設の実態」 役人との大バトルと里親を目指した思い
元厚労相・塩崎恭久が語った「児童養護施設の実態」 役人との大バトルと里親を目指した思い 元厚労相の塩崎恭久さん  官房長官や厚生労働相などを歴任した前衆院議員の塩崎恭久さん(71)は今春、地元愛媛県で里親として登録された。虐待などの理由で親と暮らせない子どもを育てる里親制度。なぜ、塩崎さんは里親になろうと思ったのか? 話を聞いてみると、児童相談所がいま、虐待された子どもたちのセーフティーネットとして十分に機能していない現実や、児童養護施設が子どもの未来の健全な養育の場になり得ていないことなど、厚労相を務めた塩崎さんだからこそ見えた、子どもの社会的養育の課題を語ってくれた。 *   *   *「愛媛県養育里親名簿に、我々夫婦が正式に登録された。大切な愛媛の子ども達の養育のお手伝いをしっかりやって行きたい」  3月12日、塩崎さんはTwitterにこう投稿した。  塩崎さんは厚労行政に明るい政治家だが、政府の要職や大臣を歴任する超多忙な議員生活のなかで、自分自身の子育てや身の回りのことに費やせる時間がはかなり少なかっただろう。それでも70歳を超えてから「里親」にチャレンジするというのだから驚きだ。  実際、話を聞いてみると、これまで子育てに携わったのは、議員となる以前、1975年、日本銀行に入行して下関支店に赴任した2年間や米国大学院への留学中だけだという。 「でも私だけじゃなくて、ふつう、お父さんって、家にほとんどいないじゃないですか。まあ、子育ては妻に任せっきりってわけではなかったけど、忙しかったし。選挙運動にも相当の時間をとられてきた。だから、そういう意味では、初めて子育てに自ら正面から向き合うのかもしれない」 ■「なぜ、票にもカネにもならないことを?」  しかし、里親として受け入れるのは虐待などで傷ついた心を持つ子どもである。不安はないのだろうか? 「不安? 私は自分が不安を感じていると考えたことはありません。私にとって里親が未知の世界だとしても、その不安とは比較にならないほど大きな不安を抱きながら毎日生きている子たちがたくさんいる。そんな境遇の子どもたちに比べたら、私の不安なんて、1万分の1以下じゃないでしょうか。まったく考慮にも値しないことです」  そう言うと、塩崎さんは、語気を強めた。 「子どもって、2歳くらいまでは、親にベターって甘えてくるじゃないですか。ところが、そのいちばん甘えたい相手から想像を絶する虐待を受ける。それによって子どもたちの精神は、取り返しがつかないほどゆがんでしまう。そんなことを考えたら、たとえ80歳になったって、大したことができなくても、そんな過酷な状況よりもマシな環境をつくってあげられるのではないか。そんな思いです」  妻、千枝子さんとともに里親になるわけだが、最初、この話を切り出したときの反応はどうだったのか? 「『里親、やってみようと思うんだけど、どう?』って言ったら、『いいんじゃない』って、即、返事があった。何か言うかなと思ってたけれど、全然なかったです」 ■児童養護施設で目にした異様な光景  塩崎さんは2014年に厚労相に就任するずっと以前から全国各地の児童養護施設を訪問してきたという。  きっかけとなったのは、1998年ごろ、愛媛県宇和島市の児童養護施設「みどり寮」の理事長で、全国児童養護施設協議会の会長を務めていた谷松豊繁さんから「(塩崎さんの仲間の政策づくりの)グループで子どもたちの現状を聞いてくれないか」と、言われたことだった。 「その勉強会で、当時でも施設に入っている子どもの約5割が家庭での虐待が原因だ、って言われて、これはひどいじゃないか、と思った」  ところがその後、機会があるごとに児童養護施設を訪れるようになると、塩崎さんはそのあり方にも疑問を抱くようになっていく。ここは子どもにとって、健全な成長が育まれる場なのか? と。 「子どもたちが廊下に座って、みんな下向いて黙々と電子ゲームやっている異様な光景を見たときはショックを受けました。ふつうの家だったらゲームは1日に何時間までとか、一定のルールのもとで許されますよね。人手が足りず、注意も行き届かないため、自尊心も育ちません」 ■子ども同士が性暴力をふるっても記事にならない  さらに、塩崎さんはショッキングな話を続ける。 「あまり知られていませんが、施設内の子ども同士の性暴力は深刻な場合がある、と聞きます。ふつうの家庭では親の目もあり、常軌を逸する行動はほぼありませんが、人手不足の施設の下では起こり得る。職員が子どもに性暴力をふるったらすぐ記事になるけれど、子ども同士の場合、気づかれないため、何の記事にもなりませんでした。それが三重県で初めて記事になったときは、みな驚きました」  これは、離婚後に体調を崩した女性が娘(当時7歳)を三重県の施設に預けたところ、同じ施設の少年から下着を下ろされて下半身を押しつけられるなど、わいせつ行為を繰り返し受けたとして、13年に県と施設、少年を提訴した事件だ。17年、津地裁は性被害を認め、少年の母親に180万円の支払いを命じた。  この報道を受けて、厚労省は委託調査を行った。報告書によると、17年度に自治体(全都道府県、政令市、児童相談所設置市)が把握した児童養護施設などにおける「子ども間で生じる性的な問題」は250件、それに関わった実人数は649人。ただし、この数は調査対象の施設が「認知・把握した数」であり、「発生数」ではない。実際の発生数はさらに多いと見るべきだろう。 「問題が起きがちなのは、『大舎』と呼ばれる20人以上の子どもが収容される施設です。ケアが手薄となり、職員が気づかないためでしょう。大きな建物の中を6人単位に分けた『ユニット型小規模施設』にしているところが多くみられますが、廊下で全部つながっているから、性暴力は個室で発生してしまうようです。あるべき子どもの健全な心や頭脳の発達のためには、やはり、里親や特別養子縁組のような、家庭と同様な養育環境が大事なのです」  親の虐待から逃れてきた子どもたちが、今度は性暴力の危険にさらされる。なぜ、長年このような状況が全国各地で放置されてきたのか? 「実は、厚労大臣になったとき、日本の児童福祉法は戦争孤児対策の延長で今日まできてしまったという話を聞かされて、大ショックを受けました。戦後は孤児を施設収容すれば事足りましたが、いまは虐待により、心に深い傷を負った子どもの心と向き合い、いかに健全な育ちを再び確保するのか、という難しい問題解決が不可欠なのです」 ■戦争孤児対策でつくられた児童相談所と児童養護施設  塩崎さんのまぶたには昔、目にした光景が浮かんだ。 「私が子どものころ、ガード下で生きる人たちがまだおられました。それに近いかたちで身寄りのない子たちがいたのですね。戦争孤児です。その子どもたちを収容し、暖かいところで食事をさせ、ゆっくりと寝かせてあげる施設がつくられた。それが児童養護施設の原型です。ところが、虐待が原因で保護せざるを得ない子どもが急増した1990年代以降も児童福祉の基本的な考え方が変わらないまま、ここまできてしまったのです」  1947年、児童福祉法は戦争孤児対策の施設収容を趣旨として制定された。それに基づき、つくられた児童相談所や児童養護施設は、対応すべき問題が大きく変化したいまも、設置の原点である「収容施設」という閉鎖的な色が染みついていると、筆者の目には映る。  厚労相となった塩崎さんは、戦後70年間続いた児童福祉法の抜本的改正に取り組んだ。  塩崎さんは、改正前の児童福祉法の基本理念である第一条を読み上げ、こう言った。 <1すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない> 「何か人ごとみたいに聞こえませんか。子ども中心ではありませんし、努力義務でしかありません」 <2すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない> 「『愛護される』って、まるで愛玩動物のようですね。その権利を認めつつ、一人の人間として向き合う姿勢が感じとれませんでした」  塩崎大臣がこだわったのは「子どもの権利」「子どもの最善の利益優先」「家庭養育優先」。この3原則をいかに盛り込むか、だった。 ■数値目標を掲げられた施設の困惑  改正案の草案づくりでは、当時の雇用均等・児童家庭局の局長などと大臣室で、しばしば激しい議論となった。  通常、改正法案の条文は事務方が詰め、それに大臣が注文をつけることはほとんどない。しかし、塩崎さんは文書による「大臣指示」を法案提出までに、実に7回も出し、やりとりを繰り返した。  16年5月27日、改正児童福祉法は参院本会議において全会一致で可決、成立。保護された子どもたちは「施設」ではなく、里親や養子といった「家庭」での養育を優先する方向へ大転換した。 「それが第三条『家庭養育優先原則』で、法律に順番まで書き込んだのです。第一は生まれた『(1)家庭』。それがかなわないなら『(2)家庭における養育環境と同様の養育環境』、すなわち、里親と特別養子縁組。それでもだめな場合は『(3)できる限り良好な家庭的環境』とした。この部分は別途通知で『明確にしてほしい』と局長に指示し、これは『小規模かつ地域分散型施設』ということになりました」  さらに、「仏つくって魂入れず」にならぬよう、17年8月2日、改正児童福祉法の下での子ども社会的養育の根本哲学・ビジョンを、具体的な数値目標も書き込んで「新しい社会的養育ビジョン」として公表。その翌日、塩崎さんは厚労相を退任した。 「多少急いでいただき、何とか退任までに間に合いました」というビジョンには、里親委託率の目標がこう書かれている。 「3歳未満、おおむね5年以内に75%以上」「それ以外の就学前、おおむね7年以内に75%以上」「学童期以上、おおむね10年以内に50%以上」。だが、これには軋轢もあった。 「施設の方々は当初、かなり当惑されたようです。子どもが施設に来なくなり、経営的にも厳しくなる、と誤解されたのでしょう。地元の児童養護施設に説得された自民党の数多くの同僚議員が、議連会合でこの新しいビジョンへの慎重論を展開されたこともありました。しかし、新しいビジョンにおける今後の施設の役割は、家庭環境での養育が困難なケースの子どもたちを濃厚なケアにより、考え方を変え、里親に出せるようにすることです。高度な専門性を持つプロ集団として脱皮する必要があります。さらに、地域の家庭や里親に出向いて指導するなど、まったく新しい取り組みもある。この点を理解されている施設の方々は、前向きな発想への変化ととらえられていただけているようです」 ■現状変更を嫌う「大人の都合と論理」  しかし、「新しい社会的養育ビジョン」実現への道のりは遠く険しい。19年度末、日本の「里親等委託率」は21.5%。それに対して、オーストラリア92.3、アメリカ81.3%、イギリス73.2%、香港57%と、大きな開きがある(諸外国は2010年前後の値)。  さらに、国内の里親等委託率は自治体間の差も大きい。新潟市60.4%、福岡市52.5%、静岡市49.6%、さいたま市43.9%と、里親制度の普及にかなり力を入れている自治体がある一方、1割台の自治体名がずらりと並ぶ現実がある。  ちなみに、養育里親になると、1人あたり毎月9万円の里親手当が支給されるほか、別途、生活費、教育費、医療費が出る。 「でも、それを知らない方がほとんどです。短期の『週末里親』があることも多くの方はご存じではない。なので、そういうことを夜8時台のゴールデンタイムにテレビコマーシャルでどんどん流すのは有効ではないか、と大臣時代から言い続けています」  遅々として増えない里親や特別養子縁組の背景には、子どもの社会的養育問題に関わる施設や自治体などが現状変更を嫌う「大人の都合と論理」がある。 「日本は、保護される子どもの数が他の先進国に比べ、異常に少ないのです。一度は保護されても、また家庭に戻され、亡くなるケース、そのまま虐待が子どもが大きくなるまで続くケースなど、人知れず不幸なケースが数多くあるはずです。私のように、できる範囲内で里親になろう、という方々がもっと出てくると、多くの子どもたちがもっと救われるのではないでしょうか。私も年齢相応に多少でも役に立てれば、という気持ちです」 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
日本でできる“安心”なウクライナ支援 映画やワイン購入も
日本でできる“安心”なウクライナ支援 映画やワイン購入も (GettyImages)  いまだ収束する見通しが立たないロシアによるウクライナ侵攻。日々伝えられるウクライナの惨状に、ただ悲しむだけでなく、ウクライナの人へ、そして未来へできることが、私たちにはある。 *  *  * 「何もできなくてちょっと寄付をするのが精いっぱいです。いつ終わるのか不安に思っています」  寄付に訪れた都内在住の50代の女性はそう言って、心配そうにウクライナ大使館を見つめた。  千葉県在住の80代の男性は、防寒着50着を車に積み込んで大使館にやってきたという。 「ウクライナの人たちに、めげずに頑張ってほしい」  東京都港区のウクライナ大使館は閑静な住宅街にあるが、スタッフらしき人が慌ただしく出入りしていた。  3月上旬のこの日は、悲しいほどお天気であった。  2月24日、ロシアがウクライナへの侵攻を開始した。戦火の中、守られるべき市民までが犠牲になっている。  苦境にあえぐウクライナの人々に、私たちができることは何があるのか。  まずは、金銭的な支援、募金である。  ウクライナへの募金の窓口は数多くある。その中の一つ、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の例をあげて、募金の方法を紹介しよう。  UNHCRは国連の機関であり、世界で今も増え続ける難民の支援活動を行っている。  今回だけ募金する方法と、毎月募金する方法がある。各種クレジットカードが使える。今回だけ寄付する場合は、クレジットカード、郵便局・ゆうちょ銀行、コンビニでの払い込みのほか、インターネットバンキングのペイジーでも可能だ。毎月の募金の場合は、銀行での口座振替にも対応している。  以上の方法は、ホームページに掲載されている。インターネットが利用できない人は、電話番号0120-540-732、あるいは03-4366-7373(平日10~19時)に問い合わせることもできる。 ◆スマホから簡単 ポイント募金 (週刊朝日2022年3月25日号より)  日本ユニセフ協会、日本赤十字社など、他の機関も同様にホームページで、ネット経由での募金や銀行、ゆうちょ銀行などでの募金の方法を紹介している。 (GettyImages)  このように国際機関やNPOなどへの募金が可能だ。  また、楽天やYahoo!などは各種ポイントをスマホから寄付ができ、より手軽だ。楽天ポイントやTポイントの1ポイントを1円として、1ポイントから寄付できる。例えば、楽天ポイントの場合は、「楽天クラッチ募金」のホームページから、金額を入力して寄付できる。 「各種団体に寄付する場合は、寄付金をどう使ったのか実績を確認するといい。自分が望む使い方かがわかります。最近は難民支援、医療支援など、使用用途を明確にするものが多くなっています」  と話すのは、日本ファンドレイジング協会の広報担当の宮下真美さん。同協会は寄付などでよりよい社会の実現を目指す。  内閣府が認定している団体や公益財団法人などの機関であれば、詐欺の可能性がないとも話す。 「団体を選べないなら、例えば、楽天など企業が行っているものは信頼性があるのでそちらから寄付するという方法もありますね」(宮下さん)  楽天の広報担当者によると、「楽天クラッチ募金」は、2011年の東日本大震災の発生後、ネットで募金をしたいという声を受けて生まれた。  団体や企業を通さずに直接、当事者のウクライナに寄付した場合、お金が戦費に使われ、戦争に加担することになるのではと危惧する人もいるだろう。在日ウクライナ大使館が開設している寄付金の口座は、ウクライナに対して人道支援物資を提供している慈善基金に送金し、武器には使われないとしている。  一方で、ウクライナ軍に寄付をしたい人は、ウクライナ中央銀行の特別口座にクレジットカードから送金できるという。紛争を早く解決するために軍に寄付するという考え方もあるようだ。 「さまざまな状況を考えどこに寄付をするかを考えるべきですね」(宮下さん)  またウクライナ大使館は、ビットコインなどの暗号通貨を含めて寄付を呼びかける詐欺のメールが出回っているので注意するよう呼びかけている。 (GettyImages)  ロシアの侵攻に対して祖国を逃れ、国外に退避せざるを得ない人々の数は200万人を超え、さらにその数は増えると予測されている。苦悩する人々の姿を見て、自分たちでも受け入れたいと考えている人も多いだろう。 「個人で受け入れることは可能かという問い合わせは多く来ています」  と難民支援協会は状況を説明する。  現状、個人での受け入れは、日本に血縁関係者や知人がいるウクライナ人に限られており、不可能だという。  難民としての受け入れには難民条約に基づく難民申請をするなどの手続きが必要で、現在は法的な問題が立ちはだかる。  とはいえ、何か受け入れる手立てはないのだろうか。日本政府もただ手をこまぬいているわけではないようだ。  UNHCRの広報官・守屋由紀さんは話す。 「ウクライナから日本で受け入れる人々を難民ではなく、『避難民』と呼んでいます。これは難民条約が定義する『難民』ではなく、人道的にウクライナからの避難民であるとして一時的に特例として受け入れるという考えのようです」  現時点では個人での受け入れは不可能なので、一般人は寄付での支援が有効である。 「ウクライナは寒いだろうからと、毛布や衣類を送りたいという気持ちもわかりますが、すぐに使えるキャッシュが一番の支援になります」と守屋さんは強調する。  また、寄付をしたらそれで終わりではなく、そのお金がどう使われたかを注視していくことが重要だと守屋さんは続ける。 「つまり、参加意識を持つことです。その後のウクライナがどうなるか、また日本がどういう姿勢を示すのか、政治や社会に強い関心を持つようになることが寄付する意義でもあります」  今、日本は世界からどう行動するかを見られている。 「だからこそ、支援をする、声を上げるなど、正面から向き合わなければならないと考えています」(守屋さん) ◆映画やワインでウクライナ支援 企画に込められた平和への願い 「現金を振り込むのは、やっぱり難しそう」という人もいるだろう。そんな人のために意外な方法でウクライナを応援する動きも全国で始まっている。 「皆さん支援したいという気持ちはあるじゃないですか。ただネットが使えなくてどうしていいかわからない。そんな方が近所に多いのでやろうということになりました」  長野県諏訪市で直販店を運営する、名取鶏卵の名取剛社長(50)はそう語る。看板商品である「くるたま」(税込み180円)1個につき100円が、ウクライナを支援するNPOに寄付されるという。 「『くるたま』っていうクルミの入ったマドレーヌです。誰でも気軽に支援ができます」と呼びかける。長野県内の直販店で31日まで販売される予定だ。  ウクライナ人の家族がいる家庭にとって支援は切実な問題だ。  鳥取県北栄町の北条ワイン醸造所では「ウクライナ義援金ワイン」を始めた。同社の山田和弘専務(45)の妻、マリーナ・ピロゴバさん(36)は、ウクライナ出身だ。  赤ワインと白ワインが各3千円。1本あたり千円を在日ウクライナ大使館に寄付するという。ウクライナ国旗をイメージしたラベルはマリーナさんのデザインだ。 「家内の弟が2019年に来日した際に、収穫や醸造を手伝ってもらったんです。その年のワインをあえて選びました」(山田さん)  鳥取県内の直売所で31日まで販売される。  飲食業以外でも支援の輪は広がっている。  横浜市中区の横浜シネマリンでは、ウクライナを舞台に戦争によって引き裂かれた男女を描いた1970年の映画、「ひまわり」(50周年HDレストア版)の緊急上映を行う。収益の一部は在日ウクライナ大使館に寄付される。  ウクライナ侵攻で「ひまわり」がツイッター上で話題になり、急遽上映する話が上がってきたという。支配人の八幡温子さんは「早く平和が訪れるようにという思いを込めて上映したいと思っております。ただの悲恋ものではなくて反戦の意味を込めて作られた映画だと思います」と話す。  料金は一律千円で高校生以下が800円。4月16日から1週間の上映となる予定だ。 「せっかくなら形に残るモノがいい」という人もいるだろう。  愛知県東海市の熊野神社では、「平和を願う御朱印」の授与を始める。初穂料500円は全額在日ウクライナ大使館に寄付され、人道支援に限って利用される。  権禰宜(ごんねぎ)の伴野仁美さん(34)は内戦を経験したセルビア人や、シリアから戦火を逃れてドイツに渡った友達の話にショックを受け、何か平和のためにできないかと思い、この企画を始めたという。 「普通に寄付すればいいという人もいると思うのですが、手元に何かが残ることによって戦争に苦しんでいる人たちに継続して目を向けることができると思うんです」  期間は31日まで。電話で郵送授与も受け付けている。 ◆大手企業や自治体が次々と寄付・避難民受け入れを表明 「受け入れの方法はこれから決めていく」(PPIH広報)  大手企業も続々と支援を打ち出している。  いち早く反応したのは、楽天グループの三木谷浩史会長兼社長。2月27日にSNSで「家族と相談し10億円をウクライナに寄付する」と発表した。楽天は前述のようにグループとしても募金を立ち上げており、3月9日時点で7億円を超える募金が集まった。  これに多くの企業が続いた。ファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営するZOZOは3月1日にチャリティーTシャツを製作・販売し、売り上げ全額を寄付するとした。販売開始から3日で8万枚超を販売し、寄付総額は1億6千万円に到達した。  ユニクロを運営するファーストリテイリングは4日、UNHCRに1千万ドル(約11億5千万円)の寄付を決定。 「UNHCRとは長くパートナーシップを組み、店舗で回収したリサイクル衣料を難民キャンプに届けています。その経験を生かし、輸送の便を考えてヨーロッパの倉庫にあるユニクロのヒートテック毛布や衣料品などの製品10万点と、国内のユニクロ店舗で回収したリサイクル衣料のうち防寒着など10万点を提供します」(広報室)  資生堂は100万(約1億3千万円)をUNHCRに寄付すると同時に、世界中の資生堂グループ社員に募金を呼びかけるほか、現地へ支援物資を送った。  このほか、ソニーグループやファミリーマート、DMM英会話などがそれぞれのやり方で寄付を行うと発表している。  寄付以外の支援も続く。  ドン・キホーテを運営するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)は3日、ウクライナの避難民100世帯の受け入れを発表。不動産仲介業者のアパマングループも同日、日本への避難民の人々へ同社が管理している空室物件を短期的に無償提供するとした。西濃運輸を展開するセイノーホールディングスも避難民受け入れに名乗り出た。同社広報は「4日の取締役会で決まりました。政府が入国を認めた避難民を対象に、社宅を活用して住居を提供し、仕事を提供いたします」という。  また日清食品ホールディングスは9日、避難民に対し、インスタントラーメン10万食を無償で提供すると発表した。  こうした支援の動きは自治体にも広がっている。  今年度でキエフ市と姉妹都市提携50周年を迎えた京都市では2日から、市役所前に献花台を設置し、寄付金の受け付けも始め、難民の受け入れも検討している。国際交流・共生推進室の担当者は「具体的なことは検討中ですが、心配されている市民の方も多く、問い合わせも多数いただいてます」と話す。避難民の受け入れを表明した兵庫県姫路市の企画政策室は「姫路市はベトナム戦争の際にインドシナ難民を定住促進センターという施設で通算2640人受け入れた経験がある。ぜひ協力していきたい」と言う。ほかにも鳥取県など多くの自治体が受け入れ準備を始めている。寄付や募金に至っては全国規模で広がっている。  あとは、肝心かなめの政府。また後手後手にならなければいいが。(本誌/鮎川哲也、佐賀旭、鈴木裕也)※週刊朝日  2022年3月25日号
元駐日韓国大使に聞く日韓関係 改善のカギは「両首脳に信頼関係が結ばれるか」
元駐日韓国大使に聞く日韓関係 改善のカギは「両首脳に信頼関係が結ばれるか」 激戦を制して第20代韓国大統領に選出された尹錫悦氏(右)が支援者を前にあいさつした/3月10日、ソウル(photo:gettyimages)  次期韓国大統領に尹錫悦氏が激戦を制して選出された。過去最悪とも評される日韓関係は改善するのか。AERA 2022年3月21日号は、元駐日韓国大使の2人に見通しを聞いた。 *  *  *  韓国大統領選が9日、投開票され、最大野党「国民の力」と中道系野党「国民の党」が推す尹錫悦(ユン・ソクヨル)前検事総長(61)が、与党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)前京畿(キョンギ)道知事(57)らを破った。尹氏は5月10日、第20代大統領に就任する。尹氏と岸田文雄首相は3月10日、それぞれの記者団に、日韓関係の改善に取り組む考えを示した。両首脳は最悪の状態に陥った日韓関係を立て直すことができるのか。かつて駐日韓国大使を務めた申ガク秀(シン・ガクス、大使在任期間2011年6月~13年5月)、李俊揆(イ・ジュンギュ、同16年7月~17年10月)の両氏は、両首脳の信頼関係が何よりも重要だと語った。  両氏は、文在寅(ムン・ジェイン)政権の5年間を「1965年の国交正常化以来、最悪の関係に陥った」と口をそろえる。申氏が「原因が複雑な多層複合骨折状態。対立が政治分野から経済や安保などに広がり、ほとんど全方位的に断層ができた」と語れば、李氏も「両国間で虚心坦懐(たんかい)に対話できるパイプがなくなり、関係改善に努力するエネルギーそのものが失われてしまった」と語る。 ■小さな政府構想訴える  実際、昨年着任した姜昌一(カン・チャンイル)大使は依然、首相にも外相にも面会できていない。日本政府関係者は「会っても前向きな話ができない。逆に世論を刺激するだけだ」と語る。李氏は、18年5月に東京で開かれた日中韓首脳会議と昨年7月の東京夏季五輪開会式が忘れられないという。「文大統領は18年5月、韓国大統領として6年5カ月ぶりに訪日したのに、日帰りだった。東京五輪開会式には来なかった。冷淡な韓日関係を雄弁に物語る出来事だった」という。  申氏は現在の日韓関係を「韓日が互いに敬遠する現象が起きている。韓国は日本を軽視し、日本は韓国を無視する傾向が目立つ」と語る。李氏も「隣国である韓日両国がお互いに対する重要性を軽視することは誰の助けにもならない」と指摘する。  こうしたなか、尹氏が当選した。申氏は尹氏の勝利について「文政権5年間の国政失敗に対する国民の審判だ。尹氏は検事総長時代に文政権と全面的に対立した人物で、国民的な人気も高い。政治経験は少ないが、有能な専門家を起用し、小さな政府構想を訴え、合理的な路線を取るだろう」と語る。  李氏も「一言で言えば、Back to normal(正常への回帰)となるだろう。韓米同盟を確固とし、日本との関係を改善し、自由民主主義、市場経済に基礎を置く価値外交にも相当な努力を傾ける。北朝鮮の核開発問題には断固対処し、中国との友好関係を維持するために最善を尽くす」と予測する。  ここで問題となるのが、野党に転じる「共に民主党」の存在だ。10日現在、韓国国会(定数300)で、同党の議席数は172。与党になる「国民の力」と「国民の党」を合わせた議席113を圧倒。申氏は「巨大野党の協力なしには、立法が難しい。大統領選での激しい批判合戦からみて、新政権は、困難な国政運営を強いられるだろう」と語る。  申氏は、日韓関係の懸案の一つである徴用工判決の解決のためには特別立法が欠かせないと指摘する。韓国では18年秋の大法院(最高裁)判決で、日本企業に賠償を命じる判決が確定した。一部は被告企業の韓国内資産が差し押さえられ、売却命令も出ている。日本は日本企業に損害が出た場合は報復措置を取る方針で、そうなれば、日韓関係は改善の機運を失いかねない。 ■両首脳の信頼関係が鍵  日本政府関係者は「まず、徴用工判決問題で日本企業に被害が出ないことと、15年の日韓慰安婦合意を元に戻すことが必要。それが実現しないと、日韓関係を前に進められない」と語る。 金正恩・朝鮮労働党委員長(当時)は妻の李雪主氏とともに平壌国際空港で文在寅・韓国大統領夫妻を出迎えた/2018年9月18日、平壌(photo:gettyimages)  ただ、申氏は「新政権が、日本企業の財産の現金化が実現しないよう代位弁済などの方法を優先的に模索し、解決するにはある程度の時間がかかる。それまで、両国間の協力が可能な分野を進展させ、信頼を回復することで、この問題の解決に肯定的な雰囲気をつくり出す必要がある」と語る。  李氏も「尹氏は、大統領に就任する前から、日本との関係改善のための努力に傾注するだろう。日本も、韓国が満足できる解決策を持ってくるまで待つのではなく、初期段階から両者の信頼構築のため、韓国側の働きかけに肯定的に応じてほしい」とし、尹氏と岸田首相との間に信頼関係が結ばれるかが、関係改善の鍵になるとの見方を示す。(朝日新聞記者・牧野愛博)※AERA 2022年3月21日号より抜粋
稼ぎも実績もハンパない世界最強な「アスリート夫婦」は? 日本でも“世界的選手”2人が結婚
稼ぎも実績もハンパない世界最強な「アスリート夫婦」は? 日本でも“世界的選手”2人が結婚 ともに世界的なテニスプレイヤーだったアンドレ・アガシ(右)とシュテフィ・グラフの夫妻(写真/gettyimages)  日本でもスポーツ選手同士が結婚することは珍しくはないが、夫婦ともにトップアスリートというのは稀だ。これは世界を見回しても同様だが、中にはトップクラスのアスリート同士が結婚に至ったケースも存在する。  同じ競技のトッププレイヤー同士で結婚したのがテニスのアンドレ・アガシとシュテフィ・グラフ。テニスファンでなくとも一度は聞いたことのあるようなスター選手の2人はやはり経歴を見ても凄い。夫のアガシはキャリアグランドスラムを達成し、通算のグランドスラム勝利数は8回。1996年には自国で開催されたアトランタ五輪で金メダルを獲得し、世界ランキング1位の在位期間は歴代9位(101週)となっている。  妻のグラフも説明不要の伝説的プレイヤーだ。88年にはテニスプレイヤーが最も達成することが難しいとされるゴールデンスラム(五輪+四大大会で優勝)を男女通じて成し遂げた唯一の選手に。グランドスラム制覇は夫を大きく上回る通算22回で、ダブルスでも88年の全英で優勝。世界1位の在位期間は歴代トップ(377週)であり、夫とともに殿堂入りも果たしている。テニスは世界で5番目に競技人口が多いとも言われており、その人気スポーツで互いに頂点まで上りつめた2人を“世界最強の夫婦”と呼んでいいだろう。  選手時代に獲得した賞金総額を見ても、アガシが3115万2975ドル(約36億5000万円)、グラフが2189万5277ドル(約25億7000万円)と合わせて60億円以上の大金を夫婦で稼ぎ出している。  2001年の結婚後、夫婦の間には2人の子どもが誕生しているが、長男のジェイデンは野球で才能を発揮。高校時代から投打の二刀流として活躍し、2020年にはドラフト候補になったことで話題となった。現在は名門・南カリフォルニア大学でプロ入りを目指してプレーしている。テニスで成功を収めた2人の子どもがメジャーリーグで活躍するのも非常に夢のある話だ。  また、競技は違うもののレジェンド同士の結婚となったのが、ノマー・ガルシアパーラ(野球)とミア・ハム(サッカー)だ。  夫のガルシアパーラはレッドソックスなどでプレー。プロ入り後すぐに頭角を現し、首位打者に2度、オールスターに5度選出されるなど、将来の殿堂入り選手とも目されていた。キャリアの中盤からは怪我が重なり思うような結果は残せなかったが、それでも生涯打率.313(通算1747安打)をマークした稀代の名打者として野球ファンなら誰もが知るスーパースターである。  一方、妻のハムは世界一の女子サッカー大国であるアメリカでも歴代トップクラスのスタープレイヤー。2001年から2年連続でFIFA最優秀選手賞に選ばれ、米国代表の主力としてチームを2度のW杯優勝と五輪での2つの金メダル獲得に貢献し、2004年にはFIFAが発表した「偉大なサッカー選手100人」の一人として名を連ねている。  キャリアの凄さだけではなく、収入でもアガシ&グラフ夫婦に負けておらず、2人の現役時代の稼ぎを合わせると5500万ドル(約64億5000万円)に上るという。  このほか、2組に負けない実績を持つのがバスティアン・シュバインシュタイガー(サッカー)とアナ・イバノビッチ(テニス)の夫婦。シュバインシュタイガーはブンデスリーガの名門バイエルンなどで活躍し、W杯にはドイツ代表として3度出場。2014年には優勝メンバーにもなっている。妻のイバノビッチも全仏で優勝、全豪で準優勝して世界ランキング1位にもなった女子テニス界のトッププレイヤーだ。  婚約まで至ったケースとしては、メジャー大会を4度制した元世界1位のローリー・マキロイ(ゴルフ)と、グランドスラム1勝で世界1位にもなったキャロライン・ウォズニアッキ(テニス)のカップル。NHLでMVP3度選出のアレクサンドル・オベチキン(アイスホッケー)と、ロンドン五輪ダブルス銅メダリストのマリア・キリレンコ(テニス)が挙がるだろう。いずれのカップルも残念ながら婚約解消となったが、結婚していればトップレベルのアスリート夫婦となっていただろう。  こうしてみると、世界を転戦する女子テニスプレイヤーはアスリート界で“モテている”傾向がある。グランドスラム5度優勝のマリア・シャラポワも、NBAで活躍したサーシャ・ブヤチッチ(バスケットボール)や、同じテニスのグリゴール・ディミトロフと交際していた時期もあり、いずれも結婚とまでは至らなかったが“元カレ”はともにワールドクラスのアスリートであった。  日本でもプロ野球で通算1928安打を放った谷佳知と、五輪で2つの金メダルを含む5つのメダルを獲得した柔道の谷亮子(旧姓・田村)。広島の主砲として活躍し、メジャー移籍を目指している鈴木誠也と、新体操の日本代表フェアリージャパンの一員として五輪2大会出場の畠山愛理。バドミントン日本代表として北京五輪とロンドン五輪に出場した潮田玲子と、サッカーJリーグの柏レイソルなどで活躍した増嶋竜也など、アスリート同士の結婚は決して少なくはない。  その中でどちらも世界的にその競技のトップクラスになったという意味では、メジャーリーグのパドレスに在籍するダルビッシュ有とレスリングの山本聖子が当てはまるだろう。ダルビッシュは2012年からプレーするMLBで2013年に奪三振王に輝き、オールスターに5度選出されるなど実績は申し分ない。妻の山本聖子もレスリングの世界選手権で4度の優勝を誇るスーパーアスリート。実績的には海外のアスリート夫婦にも負けてはいない。  今後もここで挙げたカップルに負けない経歴を持つ夫婦は誕生するのか。現在、世界で活躍する日本人アスリートとして最も有名なエンゼルス大谷翔平も未婚。もし彼が世界的なアスリートと結婚することになれば、“世界最強クラス”になるのは間違いない。
「二男と三男はひやめし」 『昭和天皇拝謁記』に見る天皇家の兄弟 立場の違いと苦悩
「二男と三男はひやめし」 『昭和天皇拝謁記』に見る天皇家の兄弟 立場の違いと苦悩 1969年、浩宮さま(天皇陛下)に手を貸してもらい、自転車に乗る練習をする礼宮さま(秋篠宮さま)  昭和天皇と秩父宮、高松宮、三笠宮、上皇さまと常陸宮さま、そして天皇陛下と秋篠宮さま──。男系男子が継承する天皇家の兄弟の立場の違いを、それにより生じた苦悩を考察する。AERA2022年3月14日号の記事から。 *  *  * 『相模湾産後鰓類図譜』(生物学御研究所編)という本が1949年、岩波書店から出版された。昭和天皇が相模湾で採取した後鰓類(ウミウシ、アメフラシなど、読み:こうさいるい)を解説した本だ。  この出版の後日談が『昭和天皇拝謁記1』(岩波書店)に登場する。初代宮内庁長官・田島道治氏による天皇との詳細な面談メモにこうあるのだ。 <本の御礼が三笠宮様から直ぐ来た。三笠宮様は近来余程よく御成りになつた様に思ふ。(略)高松宮はおそく御礼が来た。(略)秩父さんは未だ何ともいつて来ないとの御話、一寸御返事に窮す。大きい御心で御寛容をと申すのみ>(49年9月19日)  名の挙がった3人は、昭和天皇の弟。上から秩父宮(昭和天皇の1歳下)、高松宮(同4歳下)、三笠宮(同14歳下)だ。年の離れた順に反応し、気やすい間柄ほど反応が鈍いと読むことも可能だが、そう単純でもないことは明らかだ。49年2月から始まるから、この日まで7カ月、何度となく弟たちへの不満が登場する。  昭和天皇は弟を「宮号+さん」で呼ぶ。「高松さんのことだがネー」といった調子で語りだし、「ネー」の後はほぼ不満。その理由は、田島氏の50年4月5日の記述から明らかだ。 <それから高松宮、秩父宮等のことにも言及され、皇弟たるの自覚足らぬとの仰せ(皇弟たるの自覚の内容が陛下と宮様方の間で違ふやうに思はるゝ)>  弟宮とも話をする立場の田島氏は、彼らに「皇弟の自覚」はあると認識している。が、兄の思う「自覚」とは違う。この指摘、皇弟とは何かという問題提起ではないかと思う。 二男と三男はひやめし  田島氏は昭和天皇と弟宮たちを見ながら、昭和天皇の長男(現在の上皇さま)と次男(義宮、現在の常陸宮さま)について考える。50年7月5日には、昭和天皇にこう語ったと記している。 <民法に家の観念も長子相続もなくなつたに係らず、皇室だけは長子相続で家のある様な建前で長男は所謂惣領であり、二男、三男はひやめしで余程違つた事となる故、此等の点余程注意しなければならぬと存じます>  ひやめし。天皇と田島氏の信頼関係あってこそのクールで率直な表現だ。翌日はこう記す。 1954年5月、バイオリンの演奏会を訪れた当時の皇太子さま(上皇さま・中央)、義宮さま(常陸宮さま) <田島は私と三笠さんとのやうな事を東宮ちやんや義宮の事に心配してた様だけれども、二人は私は余程違ふと思ふとの仰せにて、それは教育が違ふ。東宮ちやんと義宮は同じ学習院へ通つてる>  自分は御学問所で特別な人、弟たちは幼年学校や中等科で、みな違ったと天皇は語る。田島氏は「義宮様は軍人といふ昔のやうな事がなくなりましたが」と答える。学校の問題でなく、大人になってからの役割の問題だという指摘だろう。すると天皇は、こんなふうに語る。 <今は化学がいゝと思ふ。然し専門家になつて貰つては困る。相当の時間つぶしになつて、そして趣味の程度といふ事を考へる。丁度私の生物学等の程度のものに>  弟宮には仕事がない。そういう田島氏に、時間つぶしが必要だと答える昭和天皇。何というリアリスト同士だろう。  弟宮たちの直接の言い分は、『昭和天皇拝謁記』には見当たらない。が、こんな記述が49年12月にあった。 <高松さんは人が右といへば左と仰せになるといふ御話故、それは高松さんの御くせと存じますと申し上げ> 分け隔てせずいきたい  御くせという言葉で、田島氏は高松宮の気性を表現したのだと思う。自分なりの視点を常に持ち、表明する。そういう気性だ、と。思い出したのが、天皇陛下の弟として生まれた秋篠宮さまだ。  2018年、53歳の誕生日を前にした記者会見で、代替わりに伴う行事「大嘗祭(だいじょうさい)」について「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と述べた秋篠宮さま。弟宮歴53年の自覚は、兄には言えない意見を率直に語ること。そして国民と皇室との距離を近づける。そうわかる発言だった。  秋篠宮さまが生まれたのは、65年11月。その翌月、上皇さま(当時の皇太子さま)は誕生日にあたっての記者会見で「私は二人を可能な限り、分け隔てしないでいきたい」と述べた。乳母制度を廃止した上皇さまと美智子さまだから実際、分け隔てなく育てたに違いない。が、やはり長男は違うのだとしみじみ思わずにいられないのは、美智子さまのこんな言葉だ。  74年、40歳のお誕生日にあたっての記者会見、美智子さまはこう述べた。 「私一人の感じでいえば、浩宮の人柄の中に私でも習いたいというような美しいものを見出しています」  浩宮、つまり現在の天皇陛下は当時、14歳だった。  秋篠宮さまと親しい毎日新聞編集委員の江森敬治さんは共著『天皇交代』の中で、「秋篠宮を理解するキーワードの一つ」として「自由」を挙げた。 AERA 2022年3月14日号より 「自由」と生じた「誤算」  兄と弟、成年式を前にした記者会見での質問の違いなどを示し、皇族としての明確な目標のない次男だから好きな研究の道を歩む、早く結婚し、両親らと別な生計を立て、より自由な道を得る。江森さんは、若き秋篠宮さまの思いをそう解説した。  が、そこに「大きな『誤算』が生じた」と江森さん。それは、兄夫妻に男子が生まれなかったことだ、と。そして06年の悠仁さまの誕生に筆を進め、「ここに、今に続く、彼の大きな苦悩があるのではないだろうか」と書いた。  次男であり、将来の天皇の父。秋篠宮さまは、叔父も大叔父も経験していない立場にいる。その複雑さゆえの「誤算」と「苦悩」。端的すぎる表現だ。  江森さんは「仮にだが」として「皇太子夫妻に男の子が誕生していたら」と論を進めている。マスコミの目も国民の関心もそちらに集中、悠仁さまの誕生も「秋篠宮家の後継ぎ」として喜ばれるだけで、特別な視線が送られることもなかったろう、と。  この本が出版されたのは平成が終わる前年の18年だった。それから4年。仮のこの論を現在に当てはめるなら、眞子さんの結婚も悠仁さまの筑波大学付属高校進学も、これほど批判を招くことはなかっただろうと思う。そしてもう一つ、仮の論として、秋篠宮さまが長男だったら、と置いてみる。 男系男子に限る継承  女子2人と男子が生まれる。女子は大学から、男子は幼稚園から非・学習院を選択する。自由がキーワードの家庭ということで、あまり波風は立たなかったはずだ。大学で出会った男性と長女が婚約、その男性の関係者が「金銭トラブル」を訴えたとしても、嵐のような非難は起きなかったに違いない。  そう書きながら胸が痛む。「男系男子」に皇位継承を限っていることに行き着いてしまうからだ。それがなければ、誤算も苦悩もなかった。それは兄弟どちらの家庭にも、と思う。 「民法に家の観念も長子相続もなくなつたに係らず、皇室だけは長子相続で家のある様な建前で」と田島氏が語ってから、72年が経とうとしている。(コラムニスト・矢部万紀子) ※AERA 2022年3月14日号
韓国大統領選で野党・尹錫悦氏が勝利に、「日韓関係改善」期待の気運
韓国大統領選で野党・尹錫悦氏が勝利に、「日韓関係改善」期待の気運 尹錫悦前検事総長  9日に投開票された韓国大統領選で、保守系最大野党・国民の力の尹錫悦前検事総長が大接戦の末に当選した。1987年の民主化以降の大統領選で最も僅差の勝利で、5年ぶりに保守政権への交代となる。  開票中盤までは。革新系与党・共に民主党の李在明前京畿道知事が優勢だったが、開票率が50%を超えてから尹氏が逆転。その後も拮抗した争いが続き、開票率が90%を超えても当選者が確定しない大接戦が続く。最終的に韓国の中央選挙管理委員会が発表した得票率は尹氏が48.56%、李氏が47.83%の僅差で投票率は77.1%だった。報道によると、当選が確定した尹氏は党本部で「競争は終わり、われわれ皆が一つにならなければならない。議会を尊重し野党と協調しながら国民に尽くす」と誓ったという。 「不動産価格の高騰などで文在寅大統領に対する不信感が高まる中、文大統領に対する批判票が尹氏に集まる形となった。若い世代に人気がある中道系野党の安哲秀氏と尹氏が投票日直前に一本化できたのも大きい。安氏と共闘が実現できなかったら結果は変わっていたかもしれません」(通信部の国際部記者)  文在寅大統領就任以来、悪化の一途をたどる日韓関係についても注目が集まる。文在寅大統領夫妻が今年1月に各国大使らに贈った旧正月のギフトセットの箱に、韓国が領有権を主張する島根県の竹島(韓国名・独島)とみられる絵が描かれたプレゼントが入っていたことが判明。在韓国日本大使館はギフトセット受け取りを拒否して返送し、竹島の領有権に関する日本政府の立場を改めて伝えたことが報じられた。  李氏は日本に対して「強硬派」と評されたのに対し、尹氏は日本に対して歩み寄る姿勢が見られるなど対照的だ。尹氏は父親の起重氏がかつて日本の一橋大学に留学し、同大学の客員教授を務めて日本語に堪能なことも影響しているかもしれない。2月3日に首都・ソウルで行われた放送会社3社が共同主催の「大統領選候補討論会」では各候補に当選後の外国首脳との会談優先順位に関する質問が出た際、李氏が中国、米国のどちらを最優先にするか慎重な姿勢を示したのに対し、尹氏は米国のバイデン大統領に最初に会い、2番目は岸田文雄首相と会談したい意向を明言。「共に民主党の政権で親中・親北の『屈辱外交』を行った結果、韓米、韓日関係が崩れてしまったので、米国、日本との関係を正常に戻すことが優先事項であると考えている」と持論を述べたという。  米国ワシントン・ポストも現地時間の7日の電子版に「韓国の次の大統領になる男たち」というタイトルの記事で、尹氏が日本との関係改善に前向きな姿勢が韓国の外交政策の変化であることを指摘。「尹氏は北朝鮮の核問題などを解決するためにワシントン、東京、ソウルの間の関係を改善することを目指している」と報じている。  尹氏と岸田首相の間で良好な関係を築くことが期待されるが、前出の記者は「楽観視はできません」とくぎを刺す。 「元徴用工、慰安婦問題、竹島の領有権など両国の間には溝が深いテーマが多い。かつて、親日家と言われた韓国の政治家たちも国民の支持が得られず窮地に追い込まれると、『反日カード』を切って支持率を回復させ、日本の不信感が募った歴史がある。尹氏が日本と関係改善を目指す姿勢を良く思わない韓国国民もいるでしょう。検察総長時代は信念を曲げず行動力に定評があった。政治家としての手腕が注目されます」  尹氏の大統領就任で、日韓関係に変化は起こるだろうか。(平野拓哉)
大阪ビル放火の容疑者が深めた「社会的孤立」 どこかで救うことはできなかったのか
大阪ビル放火の容疑者が深めた「社会的孤立」 どこかで救うことはできなかったのか 放火殺人事件が起きたのは8階建てビルの4階にある心療内科クリニック。容疑者も5年近く、100回以上通院していた  大阪の雑居ビル放火事件で、容疑者の足取りから「社会的孤立」が浮かび上がる。犯行に至る前に、社会は救いの手を差し伸べられなかっただろうか。AERA 2022年3月7日号の「孤独」特集の記事から。 *  *  *  昨年12月に大阪市北区の雑居ビルで起きた放火殺人事件では25人が犠牲となった。事件を起こしたとされる谷本盛雄容疑者(61)は事件現場の心療内科クリニックに通っていた患者だった。容疑者は死亡し、犯行動機の解明は難しくなったが、容疑者が経済的貧困を抱え、社会的にも孤立していた状況が明らかになっている。どこかで社会が手を差し伸べる機会はなかったのか、容疑者の足取りから検証した。  容疑者は1985年に結婚し、妻と2人の息子と暮らしていたが、2008年に離婚。孤独感を募らせ、板金工として勤めていた工場でも無断欠勤を繰り返し、失踪した。妻に復縁を迫ったが拒否され、11年に無理心中を図ろうとして長男の頭部を包丁で刺したとして逮捕された。  懲役4年の実刑判決が出て服役。出所後は更生保護施設に入ったことから、家族や親族らが身元引受人を拒否したことが窺える。生活はさらに困窮し、生活保護の申請も試みるが受給できず、一時得ていた家賃収入も途絶え、19年秋からは銀行口座の残高は1万円以下。ついに21年1月に0円になった。携帯電話の電話帳登録は1件もなく、通話履歴もなし。孤立していた。 ■中高年単身男性の孤立  法務省職員として刑務所や保護観察所での勤務経験がある浜井浩一・龍谷大学教授(犯罪学)は、元受刑者の生活再建の厳しさを指摘する。 「日本は罪を犯した人に排他的で、人に迷惑をかける人を許さないところがあります。それが犯罪を抑止し、国の安全を守っている側面もあるが、再犯率は非常に高い。それは一度罪を犯すと社会に戻っても居場所がないからです。人が罪を犯すのは、貧困や孤立などの理由で自尊感情が著しく低下しているとき。ここにいてもいいという『居場所』と、必要とされている『出番』がなく、自暴自棄になって再犯する人は少なくありません」 AERA3月7日号より  社会的孤立の実態に詳しい藤森克彦・日本福祉大学教授(みずほリサーチ&テクノロジーズ主席研究員)も言う。 「社会的に孤立している人は、そうでない人と比べて自己肯定感が低く、抑うつ傾向が強いことが指摘されています。貧困に陥っても助けを求める先がないので、一層悪化しがちです」  国立社会保障・人口問題研究所の「2017年生活と支え合いに関する調査」の報告書によると、最も社会的に孤立しやすいのが高齢の単身男性。例えば、会話頻度を見ると、その15%が「2週間に1回以下」だった。現役世代の単身男性も8%と高い。藤森さんは、特に中高年の単身男性を危惧する。 「身寄りのない単身者でも、生活保護を受給すればケースワーカーがつき、判断能力が衰えていれば成年後見人が見守る。65歳以上になれば介護保険もある。しかし、中高年男性は働き盛りとみなされ、公的支援につながりにくく孤立に陥りやすい」 ■相談が当たり前でない  藤森さんによると、日本は未婚化や単身世帯化が急速に進む社会だという。一方で、「家族依存型福祉国家」と呼ばれるように、家族が大きな役割を果たしてきた。日本では心情的に「人様に迷惑をかけてはいけない」という文化が根強くて家族以外に頼ることが難しい。そのため、社会的孤立が深刻化しているのではないかという。 容疑者は17年2月と21年5月に大阪市此花区役所に生活保護を相談したが、受給に至らなかった。17年2月に関しては大阪府警が「家賃収入があったため」と説明している。生活保護は、資産があっても収入が一定以下で就労も難しければ受給は可能だが、受給要件は厳しく、厚生労働省の17年の推計では年間約30万人が受給に至っていない。 「容疑者に対して何かできたとすれば、生活保護を相談してきたときでしょう」  前出の浜井さんはそう話す。念頭にあるのが、生活保護には至らないものの、生活に困窮している人を対象にした「生活困窮者自立支援制度」だ。15年に始まった国の制度で、容疑者が17年や21年に生活保護が受給できなかったときにこの制度をうまく利用できていれば、無料で相談支援員に相談し、必要な支援を見つけることもできた。  此花区役所によると、生活保護窓口から自立相談支援の窓口を紹介することもあるというが、個別の事例は個人情報を理由に公表できないという。現実として容疑者は孤立を深めていった。 「ただ、現状の生活保護の窓口の多くは、それだけの態勢は取られていません」(浜井さん)  貧困問題に取り組む認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの大西連理事長もこう話す。 「国はさまざまな相談窓口を有機的に連携させることを奨励していますが、現場レベルでできているところは少ない。特に生活保護の担当窓口は忙しく、1人のケースワーカーが100人を担当するなど、つなぐ余裕がないのが実情です」  大西さんはさらに、日本では「相談」の意味や価値が理解されていない点も指摘する。 「生活困窮者自立支援制度の意義は、相談相手として伴走してもらい、必要に応じて地域の支援メニューにつながることですが、日本では専門家に相談する文化が当たり前になっておらず、現金給付ではない支援には価値を感じてもらいにくい」  容疑者は17年に生活保護利用に至らなかった翌月、事件現場のクリニックに通い始めた。「夜眠れない」などと訴えていたといい、通院回数は5年弱で100回を超えていた。容疑者にとってクリニックが社会との唯一の接点だったともいえる。 ■英国は「社会的処方」  英国では、社会的孤立や生活面に課題を抱える人に対し、かかりつけ医が患者団体や地域福祉などの社会資源につなぐ「社会的処方」が行われている。日本では現在全国7県でのモデル事業の段階だが全国で実施されるようになれば、適切に福祉につなぐことができるかもしれない。  今回の放火には、ガソリンが使用された。19年の京都アニメーション放火殺人事件を機に、20年2月からガソリンスタンド事業者が容器への販売を行う場合は、客の身元や用途の確認、販売記録の作成が義務付けられている。不審な客を見つけた場合は警察への通報を求めているが、今回、容疑者は使用目的を「バイクに使う」と申告。虚偽申告を見抜くのは難しい。  前出の大西さんは言う。 「経済的な問題はかなり心をむしばみ、周囲に借金をするなど人間関係も壊れます。支援につながるタイミングが早いほど、傷つき体験が少ないので孤立や貧困からの回復も早い。いま、コロナの影響で、経済的に苦しい人は爆発的に増えています。しんどいときに助けて、と言える文化をつくり、社会にさまざまな居場所を作っていく必要があります」 (編集部・深澤友紀)※AERA 2022年3月7日号
死にゆく人に押し付けるのは酷 在宅療養で必要な「頑張らない」選択
死にゆく人に押し付けるのは酷 在宅療養で必要な「頑張らない」選択 ※イラストはイメージです  在宅療養の最大のメリットは、何かと制約の多い病院と違って自由に過ごせることにある。家で過ごす時間をより良いものにするためには、本人の希望をかなえることが何より大事だ。家族はどんな姿勢で支え、希望をかなえる環境を整えるべきなのか。 *  *  *  在宅医療を受けているAさん(76)は、妻と二人暮らし。末期がんで余命半年と診断されてから、入院していた病院から自宅に帰ってきた。移動は車椅子がメインだが、トイレには自分で立って行くことができ、食欲もある。 (週刊朝日2022年3月11日号より)  朝7時過ぎ、テレビから流れるニュースと、妻が朝食を作る音で目が覚める。焼き魚、味噌汁、サラダの和定食が朝食の定番。食後は縁側で日向ぼっこしながら新聞を読んだり、愛猫と遊んだり、体調が良い日は妻と一緒に近くの公園まで散歩に出かけたりする。 「おはようございます。体調はどうですか?」  朝10時半ごろになると、家のチャイムが鳴り、看護師がやってくる。看護師が訪問する日は、Aさんの体温を測ったり、血圧のチェックをしたりして身体の状態を確認する。病気のことや日常生活も含め、困ったことがないかも聞いてくれる。会話をしながら、痛み止めの飲み薬の効果と、副作用が出ていないか、薬が正しく飲めているかもあわせてチェック。約1時間の訪問看護が終わると、入れ替わりでホームヘルパーがやってくる。同時に妻は長年続けている習い事に出かける。  この日、ヘルパーはシーツの洗濯と交換、そしてAさんの希望を聞きながら昼食を準備してくれた。体調が悪い日には、食事の介助もしてくれる。ヘルパーとの何気ない会話も、Aさんにとって楽しみの時間だ。昼食後は、少し横になってテレビを見ながら休憩する。  15時になると、看護師と介護スタッフが、訪問入浴のために訪れる。Aさんは自宅の昔ながらの深い浴槽に一人で入ることが難しくなり、退院後は週に2回ペースで訪問入浴を依頼している。訪問入浴では爪切りもお願いできる。 ※イラストはイメージです  風呂から上がるころ、妻が夕食の買い物を終えて帰宅。18時ごろには夕食を囲む。この日はAさんの好物のマグロの刺し身。お酒好きで晩酌が大きな楽しみであるため、日本酒もお猪口に少しだけ。夕食の後はテレビを見てゆっくり過ごし、好きな時代劇の放送を見て、深夜ラジオを聴きながら23時ごろに就寝。一日を終え、自分の寝床で眠りにつく。「家に帰ってきて良かった」としみじみ感じながら──。  入院中は、朝は院内放送と看護師のかけ声で目を覚まし、ほとんどの時間をテレビを見て過ごしていた。カーテンを挟んで常に隣に人がいるため、咳をするにも気を使う。唯一の楽しみである食事も、バランスが良いのはわかるが、薄味で味気ない。夜は消灯時間になると一斉に電気が消え、目が冴えていると、夜が果てしなく長く感じた。一日を自由に過ごせることがどれだけありがたいことなのか、入院生活を経て実感している。  残る願いは、体が動くうちに、車で片道3時間ほどの故郷の町に妻とともに帰ることだ。幼なじみが経営するすし屋のカウンターで、懐かしい顔ぶれとともに、すしをつまみたい。生まれ育った街並みにも、“最後のあいさつ”をしたいと願う。 「終末期になると特に、『家に帰りたい』『好きなものを食べたい』『誰かにそばにいてほしい』など、自分の意思が明確になってくる人が多い」  こう話すのは、多くの在宅看取りを支えてきた看護師の大軒愛美さんだ。ただでさえ制約が多い入院生活だが、コロナ禍により面会制限が設けられるなど、入院生活の制約に拍車がかかる。 「特に末期がんのように、治療する段階に区切りがつき、あとは“残された時間”という段階に入ると、より“どう過ごすか”ということを考えるようになる。体が動くうちは、自分が心地よい場所で思うように過ごしたいと考えるのはごく自然な流れです」(大軒さん) ◆食べたいものを食べたい量だけ  病院と自宅での過ごし方を比較する中で、特に大きいのが食事の自由度だ。冒頭のAさんも「食べられるうちに、思う存分、好物が食べたい」という明確な意思があった。仮に体が不自由な状態であっても、食欲があるうちは、一日を過ごす上で食事は大きな楽しみとなる。だが病院食は栄養バランスを考えて作られているものの、多くの場合、「好んで食べる」というものではない。 (週刊朝日2022年3月11日号より)  また入院すると、本人が「食べたくない」と言っても、基本的には一日3食の食事が提供される。中にはカロリーを多く取るために、甘いジュースのようなものが出されることも。患者の中には「おいしくない」「飲みたくない」と嫌がる人もいるが、看護師は「体重を減らさず栄養を効果的に取るために飲みましょう」と促す場合がある。  大軒さんは言う。 「病院は“治療する場”なので、死期が近づいている状態でも、口から食べることができる限り、食事の提供は続きます。しかしそれが患者にとって、大きなストレスになることもある」  多くの在宅医が家族から質問を受ける中に、「本人が好きなもの、食べたいというものを食べさせていいのかどうか」ということがある。患者本人の症状や身体の状態にもよるが、在宅では「基本的には食べたいものを食べていい」とする医師が多い。  兵庫県で家での看取りを25年にわたって支援し続けている桜井隆医師(さくらいクリニック院長)は言う。 「楽しみであるはずの食事が苦痛にならないように、在宅療養生活ではできる限り本人の好みを優先したらいい。例えば、吐き気があるにもかかわらず、カレーライスを食べたいという人がいれば、食べていい。ただし、誤嚥には注意すること。嚥下が困難な場合は食材を刻んだり、とろみをつけてのみ込みやすいように工夫することも必要」  反対に「食事を食べない」「食べるのを嫌がる」など、食欲の低下は、家族が不安になる要素の一つだ。食欲の低下には、視覚や嗅覚、味覚の障害や、歯の不具合、咀嚼・嚥下機能の低下、睡眠不足、薬の影響などもあれば、料理の味付けの問題もある。また、排泄介助の負担を気にして食事や飲水量を減らしてしまうということもありうるという。  こうした要因を考慮しつつも、最期が近づくごとに、「食べたいのに食べられない」のではなく、「欲しくないから食べない」という状態になってくる。食べられなくなる患者を目の当たりにすると、「なんとかして栄養を与えたい」と考えるのは、家族の素直な思いであり、切なる願いだ。しかし、あまり無理に食べることを強制すると、かえって本人の負担になってしまう。 ※イラストはイメージです 「健康な人と比べて1~2割しか食べられないなら、なんでも好きなものを1~2割でも食べられたらいい」(桜井医師)  また、家族の判断で本人が食べたいものとは違うものを食べさせようとすることも、本人にとって負担になりがちだ。例えば末期がんで食が細くなり、のみ込む力が弱くなってきた患者の場合、本人は「サンドイッチが食べたい」と言うが、家族が「のみ込めないだろう」と判断し、良かれと思って、喉越しがよく食べやすいゼリーやプリン類を与えようとする。たとえ良かれと思っても、本人が食べたいものでないものは、思わぬ心理負担を招くことになる。 ◆頑張らない選択 終末期には必要  前出の大軒さんが言う。 「ほんの一口であっても、自分が食べたいものを食べられたら、満足感につながる。“歯がないけどトンカツが食べたい”なら、薄い豚肉を揚げて食べやすく切った“トンカツ風”にして出すなど、工夫すれば食べることができる。お酒が飲みたいと言う患者の希望に、家族が拒否感を示すこともありますが、終末期に飲める量は、お猪口一杯にも満たない量だったりする。それでも口にできたら、本人にとっては満足なのです」  終末期になると、「頑張る選択」ではなく、「体力温存」にギアチェンジしていくことも必要になってくる。治療が可能な時期は、希望を持って頑張って治そうとすることが大切だが、回復が見込めない症状や老衰が進行している終末期は、時に「頑張らない」選択が必要になる。終末期に「治そう」と頑張ってしまうと、大切な時間を失うことにもなりかねない。また頑張って体を動かそうとすることで、寿命を縮めてしまうことにもなりかねないという。  見守る家族としては、患者を思うあまりに「もっと頑張って」と食べさせたり、寝たきりになっては大変だとリハビリで歩かせようとしたりしてしまう。死期を察してもなお、患者本人も、そうした家族の思いに応えようと、無理をしてしまうことがある。がん患者の中には、「抗がん剤はつらいからもうやめたいけど、家族がやってほしいと言うから」と無理する人も少なくないという。 ※イラストはイメージです  点滴や経管栄養についても、ある時期を乗り越えたら状態が再び良くなるということなら頑張ればいいが、そうではないステージに入ったときには、かえって苦痛の原因になることがある。少量の点滴が脱水を改善して体調を一時的に良くすることがあっても、あまり過剰な点滴は痰を多くし、むくみを増し、余計に本人を苦しめることがある。 「家族が“頑張ってモード”になると、つらくなるのは本人。“頑張ればもう少し良くなるのでは”という願望を、死にゆく人に押し付けるのは酷です。家族が来たる死を受け入れさえすれば、本人は肩の荷が下りて楽になれることもあるのです」(前出の大軒さん)  一方で、家族が自分を犠牲にしなくてはならない状況では、お互いが苦しくなってしまう。在宅医療を選択すると、家族は「頑張って自分たちでサポートしよう」と気負いがちだ。だが完璧を追い求めると、だんだんと余裕がなくなり、家族から笑顔が消えてしまうこともある。冒頭のAさんの妻も、「自分の時間がないと優しくできないこともあるから」と、習い事は休まず通っていた。  終末期の患者にとって、そばにいてくれる家族の笑顔は何より欠かせない。家族に余裕がなくなることで、患者も「自分のせいで、家族に無理をさせている」という罪悪感を抱くことになる。年間100人以上の看取りを支える在宅医療専門医の中村明澄医師(向日葵クリニック院長)は言う。 ◆なるべく普段の生活を心がけて 「家族はサポートする上で、完璧は目指さなくていい。それより“心地よさ”を目指して、“相手がしてほしいこと”の中から“自分ができること”を無理なくやればいいのです。訪問介護や訪問看護をうまく使いながら、生活を犠牲にしないサポートを心がけて」  時に穏やかではいられない日も訪れるかもしれない。病人の多くは、刻々と症状が変化していく中で「これしか食べられない」「これしか動けない」という自身への苛立ちや絶望感を抱く。同時に家族や周囲の人に「迷惑をかけて申し訳ない」という気持ちも募らせていく。その気持ちの揺れが、思いがけない怒りとなってあらわれたり、家族に八つ当たりしたりするような行動になることもある。また、家族や周囲の何気ない一言に傷つくケースも少なくない。  中村医師は言う。 「大事なのは、本人の気持ちにできるだけ寄り添い、考えていることを理解しようと努めること。急に怒りっぽくなった、沈みがちになったといった変化の裏には、本人なりの理由があるものです」  できるだけ病気になる前の普段の生活を送るほうが、お互いにとって心地よく過ごせるはずだ。その上で家族が心がけたいのは、患者に対する精神的なサポート。医師や看護師、ヘルパーなども精神的なケアを行うが、家族のフォローにはかなわない。本人が自宅で過ごすことを決断したら、家族は本人の意向や発言を尊重するようにしたい。 「家族が決めず、本人の意思で過ごし方を決めていけることがベスト。家族は無理に何かしなくてはと思う必要はなく、できる限り本人のそばにいることが何よりの精神的なサポートになります」(中村医師)  残された時間の中で、患者本人の希望をかなえられたら、家族にとっても大きな達成感になる。本人は自分の意思をはっきり伝え、家族は自分たちで判断せずに本人の意向にできる限り寄り添うこと。これができれば、きっと満足いく在宅生活が送れるはずだ。(フリーランス記者・松岡かすみ)※週刊朝日  2022年3月11日号
笑福亭鶴瓶が語る「大阪人のたしなみ」一回ウケたらからんでこない?
笑福亭鶴瓶が語る「大阪人のたしなみ」一回ウケたらからんでこない? 笑福亭鶴瓶 [撮影/写真部・高橋奈緒、ヘアメイク/上田実穂(be-m)、スタイリング/上野真紀]  数多くのバラエティー番組で活躍するほか、俳優としても人気を博す笑福亭鶴瓶さん。脚本家・中園ミホさんの縁をきっかけに、作家・林真理子さんと鼎談が行なわれることに。数々の女優さんとのエピソードや「西郷どん」の裏話を明かしてくれました。 【笑福亭鶴瓶「縁は努力」 引き寄せる力で樹木希林さんが自宅にやってきた!?】より続く *  *  * 林:今度、NHKのドラマ(BSプレミアム・BS4K「しずかちゃんとパパ」)に出られるとか? 鶴瓶:そう。手話やるんですよ。 中園:聾(ろう)者のお父さんの役をなさるそうです。 林:楽しみです。鶴瓶さんは俳優としても数々の映画賞をおとりになって、私、「ディア・ドクター」とか吉永小百合さんと共演した「おとうと」とか、中居(正広)君と共演した「私は貝になりたい」も拝見しました。吉永小百合さんが絶賛してましたよね。「鶴瓶さんは俳優さんとしても素晴らしい」って。 鶴瓶:運がええんでしょうね。「ディア・ドクター」で八千草薫さんに出会ったりね。八千草さんは心の恋人役やったんです。そんなん考えられへん。 林:大竹しのぶさんと映画「後妻業の女」でああいう役をやられたのも、すごいことですよね。 鶴瓶:しのぶさんと仲ええから、「なんでこの役、受けたのよ」「こんな役と思てへんがな」言うて。巨根の絶倫男の役で、しのぶさんとからむシーンがあったでしょう。しのぶさん、「どうしよう」言うから、「シーツの中で、アカ~ン、アカ~ン言うとき」言うて。僕、何もしてないんやけど、「アカ~ン、アカ~ン」言うから、ものすごいイヤラシイことしてるみたいで(笑)。 林:アハハハ。 鶴瓶:「彦八まつり」という大阪の落語家の集まりがあって、司会してたら、大阪のおばちゃんが「映画見てきたけど、ほんまに大きいんか」って(笑)。 林:大阪のおばちゃん、一人でオチつけるからすごいですね。 鶴瓶:おばちゃんだけやなしに、大阪人は全部そうですね。僕の落語会の前に「鶴瓶噺」いうて30分ぐらいしゃべるんですけど、「昔は吉永小百合さんの相手役は石原裕次郎さん、渡哲也さんやったけど、なんで俺がやるんやろな」言うたら、おっちゃんが即答ですよ。「もう飽きたんや」。 林:アハハハ。 鶴瓶:あの一発でド~ッと(笑いが)来ましたよ。でもね、それ以上からんでこない。一回ウケたら、またからんできてもおかしくないんやけど、そうはならない。 笑福亭鶴瓶さん(左)と林真理子さん [撮影/写真部・高橋奈緒、ヘアメイク/上田実穂(be-m)、スタイリング/上野真紀] 林:それが大阪の人のたしなみなんですね。 鶴瓶:たしなみですね。それと、身構えがあるんでしょうね、僕は。 林:言ってもかまわないという。 鶴瓶:そう。「西郷どん」のときも、おもしろいホン(脚本)やなと思ってやってたんやけど、大阪のおばちゃんに「あんなんちゃう(違う)で、岩倉具視」って言われて、「見たことあるんか」って(笑)。 林:中園ミホさんがお芝居か何かを見に行ったときに、鶴瓶さんに会って「岩倉具視、見ぃ~つけた」って言ったんですよね。 鶴瓶:何のことかわからんから、「何のことですか」言うたら、「今度、NHKの大河で西郷隆盛をやるので」いう話になって。 林:中園さんが歴史家の磯田道史さんに「岩倉具視ってどういう人ですか?」って聞いたら、「目が笑ってない人です」と言ったんでしょう? 中園:鶴瓶さんの1回目の放送のときに、磯田先生から電話かかってきて、「あれが岩倉具視です」っておっしゃったんです。 林:ほーお、歴史家が言うんだからそうなんですよね。 中園:でも、磯田先生も会ったことないわけだから(笑)。 鶴瓶:ええ加減な人や(笑)。でも、ありがたいですね。やったあとにわかります、ええもん出してもろたなって。 林:狡猾さだけじゃなくて、お公家さんの品位がちゃんとありましたよ。さすが中園ミホさん。 鶴瓶:前に僕がつくった落語(「山名屋浦里」)が歌舞伎になったんです。そのときに中園さんから電話かかってきて、「それ、映画かドラマにしません?」って言われたんです。 中園:いまもそれはあきらめてないです。 鶴瓶:タモリさんが「ブラタモリ」で聞いてきた話を僕に話して、それをもとに僕が落語にして(中村)勘九郎の前でしゃべったら、「それ、歌舞伎にさせてください」言うて、それで歌舞伎になったんです。 中園:勘九郎さんと七之助さんが演じて素晴らしかったんです。 鶴瓶:僕、勘三郎さんと仲よかったから、その流れでずっと来てるんですよね。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 笑福亭鶴瓶(しょうふくてい・つるべ)/1951年、大阪府生まれ。72年、大学を中退し、六代目笑福亭松鶴に入門。関西で活動後、東京に進出。数多くのバラエティー番組で活躍するほか、俳優としても人気を博す。レギュラー番組に「ザ!世界仰天ニュース」「鶴瓶の家族に乾杯」など、過去の出演作に映画「ディア・ドクター」「閉鎖病棟」など。第43回日本アカデミー賞優秀主演男優賞など受賞多数。出演ドラマ「しずかちゃんとパパ」(NHK BSプレミアム・BS4K)は3月13日から放送予定。 >>【笑福亭鶴瓶が明かす初恋の人との結婚 弟子入り志願がプロポーズに?】へ続く※週刊朝日  2022年3月11日号より抜粋
富士山噴火、台風…江戸時代に起きた「天下大変」 2度のペリー来航に重なった巨大地震とは
富士山噴火、台風…江戸時代に起きた「天下大変」 2度のペリー来航に重なった巨大地震とは 「安政二年江戸大地震火事場の図」は、軟弱な地盤の下町で起きた家屋倒壊と火事で多くの人命が失われた様子を描く。水戸藩の藤田東湖は、母親を助けるために圧死したという(国立国会図書館所蔵)  現代の日本は度重なる災害・疫病に襲われている。だが、江戸時代も多くの災厄に見舞われ、その都度、民衆はたくましく乗り越えた。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.10』では江戸時代の民衆を苦しめた「災害」を解説。富士山の宝永噴火から安政大地震まで、甚大な被害を及ぼした「天下大変」が江戸を襲った。医療・防災が今より乏しかった時代、凶変とともに生きた歴史をたどる。 *  *  *  平成二十三年(2011)の東日本大震災、平成三十年の西日本豪雨など、近年は災害が多いように思われるが、実は、江戸時代も規模の大小はともかく、3年に一度程度、自然災害に見舞われていた。  最も有名な自然災害と思われるのが、宝永四年(1707)に起きた富士山の噴火であろう。日本一高い山から吐き出された火山灰は偏西風に乗って山の西側、遠く江戸まで運ばれて、これを吸い込んだ人が風邪のような症状を訴えた。  この噴火に先立つこと49日、宝永四年十月四日、関東から九州にかけてという広域で地震があった。マグニチュード8・6、津波もあり、2万人以上の死者が出たという。さらにさかのぼること4年、元禄十六年(1703)十一月二十三日に相模湾沖を震源とする元禄大地震が発生、1万人以上の人が亡くなったか行方不明になった。  小田原藩はこれら二つの地震によって被災したところに噴火による火山灰で領地が埋まり、それを除去するだけの体力は残っていなかった。同藩は江戸時代を通して十万石前後で、その半分に近い六万石あまりを幕府が公収し、代わりに五・六万石の土地を美濃や播磨で与えた。江戸時代の藩は、現在の県に比べて強い自治権を有しており、よほどのことがないかぎり、幕府は藩内のことには口を出さないので、相当ひどかったといえる。  噴火といえば、群馬県と長野県にまたがる浅間山は江戸時代を通して数度噴火している。中でも天明三年(1783)の噴火では、1万5000人以上の人が亡くなったとされる。この噴火によって吹き上げられた火山灰のため日照不足が起こって凶作となり、江戸時代最大の飢饉である天明の飢饉を引き起こした。 吾妻火砕流は約8kmにわたって山林を焼き尽くし、また、噴出物が吾妻川の河床を埋めたため各地で水害が発生した。噴出した火山岩塊などが固まって残った場所が、現在の鬼押出しである(図版作成/アトリエ・プラン)  地震大国とも呼ばれる日本では、江戸時代にも大規模な地震になんども襲われた。地震で最も有名なのが、安政の大地震であろう。じつは、「安政地震」と呼ばれている地震は大きく二つに分けられる。安政東海・南海地震と安政江戸地震だ。安政東海・南海地震の方は、嘉永六年(1853)二月二日、小田原でマグニチュード6・7の地震が発生。三島などの東海道の宿場町に甚大な被害が出ただけでなく江戸でも地震による火事が起こったという。ペリー来航はこの年の六月三日。おそらくまだまだ続く余震に、おびえていたころ黒船がやってきたことになる。ペリー来航に対して老中・阿部正弘が慣例を破り、外様から庶民にまで広く意見を求めたのは、地震でそれどころではないということだったのかもしれない。  ペリーが予告通りに再来日を果たした翌年の嘉永七年六月十五日、伊賀上野で前年を超える大型地震が起こる。さらに十一月四日、五日とマグニチュード8・4の地震が起き、太平洋側の広い範囲で津波が起こった。  つまりペリーとの交渉は、こうした連続する大地震の前後に行われたことになる。このほか嘉永三年、岡山県を中心に台風による水害、同五年に江戸城西の丸が全焼と続く災難のため、同七年十一月二十七日に安政と改元。そのため、嘉永に起こった地震でも安政地震と呼ぶ。  もう一つの安政地震である安政江戸地震は、安政二年(1855)十月二日の夜、江戸は直下型の地震に見舞われた。町屋だけでなく、大名小路にあった大名屋敷の多くが被災している。この地震に対し、幕府は12の大名家に拝借金を許し、旗本にも無利息で金を貸して、御家人には扶持米を支給。町人たちのためには町会所がお救い小屋を設けた。  このほか安政三年、安政四年、安政五年と八戸沖を震源とする地震などが連続して起きている。その上、安政三年には、台風が江戸を直撃。この台風の被害をまとめた『安政風聞集』によると、大風が吹き荒れて、築地本願寺の本堂がつぶれたといい、また、芝・品川・本所・深川などの当時海に近い地域で1m程度の高潮に見舞われて、強風も相まって多くの船が打ち上げられ、隅田川に架かる永代橋に流された船が衝突して砕けた。  さらに安政五年(1858)六月、長崎で流行り始めたコレラは瞬く間に全国に広がり、この流行の最中安政七年に大老井伊直弼が殺され、続いて老中の安藤信正が襲われて、政局が江戸から京都へと移ったといわれているが、安政六年に本丸が、文久三年には本丸と西の丸が全焼して、江戸城は政治が行える状態ではなかったことも一因であろう。  政治的に不安定な状態が続く上、慶応元年(1865)と同三年は凶作となった。度重なる災害に人々の不安は募り、慶応三年(1867)に、ええじゃないかという形で爆発するのである。 ◎監修・文/加唐亜紀(かから・あき)長年、歴史書関連書籍の編集に携わった後に独立。歴史分野を中心とした執筆・編集に活躍中。主な著書に『新幹線から見える日本の名城』(ウェッジ)、共著に『ゼロからわかる江戸の暮らし』(学研)、『NHKスペシャル シリーズ大江戸の世界』(洋泉社)他。現在『歴史人web』に執筆中。 ※週刊朝日ムック『歴史道 Vol.10』から
共感VR、オンラインバスツアー、混雑予報AI コロナをチャンスに変えた人たち
共感VR、オンラインバスツアー、混雑予報AI コロナをチャンスに変えた人たち クロスフィールズがコロナ禍に立ち上げた「共感VR」のワークショップ。教育現場での活用も広がる(photo 提供)  コロナ禍はとりわけ、中小・零細企業や商店を苦境に陥れた。そんな逆境をバネにチャンスに変えた人もいる。多くの分断を生んだコロナ禍の出口は、ポジティブにつながる社会の入り口であってほしいと願う人たちだ。AERA 2022年3月7日号から。 *  *  *  国際協力と企業のリーダー育成を手がけるNPO法人クロスフィールズ(東京都品川区)。小沼大地代表理事(39)は「この2年間でより打たれ強くなった気がします」と話す。  コロナ禍の前の主力事業は、企業の若手社員を新興国のNGOなどに派遣する「留職」と、企業の幹部社員が国内外の社会課題の現場を体感する「フィールドスタディ」の二本柱。この事業モデルは、新型コロナウイルスの感染拡大とともに壊滅的なダメージを受けた。  2020年2月には留職が中止に追い込まれ、人との密な接触が前提のフィールドスタディも継続が困難になった。両事業で見込んでいた約2億円の収入がすべて失われたうえ、返金も必要になった。 「経験したことのない絶望の谷に突き落とされたのが、私たちにとってのコロナ危機でした」(小沼さん) 「撤退戦」の日々。プレッシャーと先行きへの不安が相まって、小沼さんは精神的に追い込まれていく。 ■日記に「悪夢と動悸」  3月後半には胃薬がないと夜眠れなくなった。不調を自覚した小沼さんは、自分の心情と向き合うため日記を書き始めた。3月23日の日記には「娘の卒園式の後に昼寝をしたら悪夢を見て、その後は動悸(どうき)が治まらず、精神的にまずい状況にいると思う」と書かれている。見かねた妻から、経営者向けのコーチに相談するよう勧められた。  コーチに「何が不安で何が恐怖なのか」と問われたが、冷静に考えると判然としなかった。11年の創業以来、赤字に陥ったことはなく、相当の内部留保もあった。同時に、職員に対する感謝の念が湧き上がった。 「去っていった職員も含め、これまでのスタッフの努力や、ステークホルダーの皆さんとの信頼関係があったからこそ、積み上げてこられたものだと気づいたんです」(同)  小沼さんは危機の中でこそ、自分とチームを大切にする教訓を得たという。これが転換点になり、メンタルを整えて現実と向き合うことができた。  4月以降、コロナ禍でも実施可能な事業を模索。新たに始めた「国内留職」「オンライン型フィールドスタディ」「共感VR」の3事業は今、予想もしなかった広がりを見せている。 クロスフィールズ 国内で社会課題解決に向けて活動するNPOや社会的企業に社員を派遣する国内留職。多国籍なメンバーと課題解決に挑む(photo 提供)  グローバルな社会課題に取り組む国内の団体に派遣するプログラムへ切り替えた「国内留職」は、コロナ禍でもグローバル人材を育てたい企業のニーズをつかんだ。海外派遣を再開できるようになれば、「留職プログラム」の中に国内版と新興国版を並立させるつもりだ。  社会課題を体感する「フィールドスタディ」は「オンライン対話型」にシフトした結果、テーマも参加者もグローバルに拡大した。社会課題の現場を疑似体験する「共感VR」は国の事業に採択され、自前のコンテンツが全国の中学・高校に提供されている。ビジネスパーソン向けに立ち上げた事業が、子どもの教材になるのは予想もしなかった展開だ。 「危機に陥るとどうしても視野が狭くなり、内にこもって自分の力で何とかしようと考えがちですが、窮地のときに手を差し伸べてくれる周囲の人たちに感謝し、思い切り頼ってみる。そうした中で突破口が見えてくるのだと思い知りました」(同)  20年度の事業規模は前年度を上回る約2億3千万円。長期戦略を練り直し、職員もコロナ前の20人に加え、5人以上を増員予定だ。小沼さんは言う。 「人と人がつながるソーシャルキャピタルはお金よりも価値があると思っています。社会の分断に『共感』の力で立ち向かい、社会課題の解決を加速していきたい」 ■オンラインでも実体験  パソコン画面に映し出されたバスの車内で、ワクワク感と親しみやすさを醸しながら道中を案内するのは、琴平バス(香川県琴平町)執行役員の山本紗希さん(32)。オンラインバスツアーの仕掛け人だ。 山本紗希さんが「プランナー・さきちゃん」と称し、没入感にこだわったツアーを盛り上げる(photo 提供)  新型コロナの感染拡大でバスツアーの全面中止を余儀なくされた20年4月。社内会議で山本さんはこう提案した。 「お客様にリアルで会えないのなら、とりあえずオンラインでやってみるしかありません」  とはいえ、前例はない。反対意見も出たが、社長が背中を押してくれた。  提案から3日後。同業他社の経営者らを招き、トライアルツアーを開催。定番の観光地の画像を並べただけの案内は不評だったが、いろんなアドバイスをもらった。 「事前にお土産を送ったほうがいい」「食べ物も食べたい」「ライブ中継もしてほしい」  これらをすべて取り入れたのが、業界初のオンラインバスツアーの原型になった。  参加を申し込むと、特産品が宅配便で届く。旅先の動画の景色を眺めながら飲食する趣向だ。現地ガイドや他の参加者とも会話でき、ライブ感満載で旅気分を味わえる。 参加者には旅のしおりとオリジナルドリップコーヒー、手作りのシートベルトなどが届く(photo 提供) ■あえて人数を抑える  参加費は1人5千円前後。オンラインに「満席」はない。参加人数が多いほど利益は上がるが、あえて定員は15~20人に抑えている。  理由は「参加者とインタラクティブにコミュニケーションが取れなくなるから」(山本さん)だ。旅にでる最大の魅力は「人との出会い」だと考える山本さんは、オンラインでも双方向のコミュニケーションを大事にしている。  一方、参加者どうしの人間関係が既に構築されている職場や学校単位の貸し切りツアーは百人規模で受け付けており、収益確保の要になっている。最先端の観光を学ぶゼミ学生や留学生の需要も多い。全国の自治体や民間の観光施設、国内外の旅行会社とタイアップし、これまでに手掛けたツアーは約100本。意外だったのは、リアルのツアーには参加しづらい人たちのニーズに応えられたことだ。 「『後ろで、寝たきりの母も見ています』というお客様がいて驚きました。あーそういう利用の仕方もあるんだと。新型コロナが終息しても継続する意義の一つと考えています」(同)  今年1月から始めたのは、全員がアバターに扮して参加するツアー。ご当地ブイチューバーのオファーに応じ、実現した。斬新なアイデアにも果敢に挑む柔軟さが琴平バスの真骨頂だ。 「オンラインツアーを始めたことで、いろんなところから声がかかり、新しい仕事の開拓につながりました。できないじゃなくて、常にやってみる、という構えでいます」(同) ■AIで「3密回避」  3密回避の「混雑予報AI(人工知能)」をいち早く開発した会社が三重県伊勢市にある。さまざまなデータを取り込んで人の流れを可視化するシステムの特許を今年1月に取得した「EBILAB」だ。  同社の小田島春樹社長(36)は「生産効率や商品の付加価値を高める取り組みはこれからますます求められます。そのベースになるのはデータの活用です」と意気込む。 EBILAB テーブルの空き具合や1日の混雑予報を掲示するスクリーン(photo 提供)  小田島さんはソフトバンクの元社員。12年に退社し、妻の実家が営む伊勢神宮から徒歩1分の老舗食堂「ゑびや」の経営再建に取り組んだ。天気予報や曜日、近隣の宿泊者数などのオープンデータに、グルメサイトからのアクセス数や、従業員が来店客を目で確認して端末に入力して集めた自社データを組み合わせた「来客予測AI」などのITを駆使し、業績アップに導いた。他社にもサービス提供しようと、18年に設立したのが「EBILAB」だ。  20年春の新型コロナの感染拡大は「ゑびや」も直撃した。  この時期、窓越しに店内をのぞくお客さんが普段より多いことに気づいた小田島さんは「店内の混雑状況を『見える化』すれば、混雑を避け、かつ入店してもらいやすくなるのでは」と考えた。来客予測AIのノウハウを応用すれば、短期間で「混雑予報AI」を開発できる自信もあった。  1回目の緊急事態宣言が明けて間もなく、店内のテーブルの空き具合や1日の混雑予報が一目でわかるスクリーンを店頭に設置。スマホやパソコンの画面からも確認できるサービスを始めた。同時に来店客のデータ分析も進め、コロナ禍の前後で40代以上と30代以下の来店客数が逆転し、若い層にシフトしていることをつかんだ。間髪を入れず、インスタ映えする若い人向きのメニューをアピールする戦略に切り替えたところ、店舗前の通行量が2割減るなか、過去最高の売り上げを更新した。 来客予測AIはシフト作成や食品ロス削減にも活用できる(photo 提供) ■大切なのは自由な風土 「EBILAB」はコロナ禍で飛躍的な成長を続けている。19年が3600万円だった売り上げが、21年に1億円を突破、22年は2億円を予想している。顧客は海外を含む180社、200店舗。混雑予報AIなどのデータ分析システムは、個人営業の店舗から空港や商業施設まで引っ張りだこだ。  コロナ禍をチャンスに変えた秘訣(ひけつ)について「迅速、的確に情報を集めて何が必要かを判断し、誰よりも早く行動すること」と話す小田島さん。「時代に求められるものを常に追求し、地方にいても起業家として成功できることを証明したい」  パンデミックの有無にかかわらず、変革の時代は到来している。ウェブサイト「J‐Net21」で先進的な企業情報を発信している独立行政法人中小企業基盤整備機構の増田武史広報課長は「世の中はもう変わってしまった、と捉えるべきです。緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が明けたら、お客さんは本当に戻ってくるのか。そこに思いが至るかどうかが分かれ道です」と指摘する。  デジタル化や脱炭素化への対応は待ったなしだ。小回りの利く中小企業のほうが変化に対応しやすい、と増田さんは言う。 「大事なのは自社の強みを認識すること。その上で、強みを生かして新しいモノやサービスに転用していく柔軟性が必要です。若い従業員のやる気や感性をうまく引き出し、自由にアイデアを出せる企業風土が求められています」 (編集部・渡辺豪)※AERA 2022年3月7日号
高齢者を狙う“悪徳商法” 「光からアナログに戻すと安い」勧誘文句に注意!
高齢者を狙う“悪徳商法” 「光からアナログに戻すと安い」勧誘文句に注意! ※写真はイメージです  コロナ禍で閉じこもりがちな高齢者を狙い、言葉巧みに契約させ、高額な請求をする悪徳商法が後を絶たない。すぐに契約せず、まずは相談しよう *  *  * 「いま、アナログに戻すと安くなりますよ」  そんな勧誘で、高額な費用を請求する「アナログ戻し」という新手の商法をご存じだろうか。 「インターネットは使わないから月々の光回線の使用料が無駄だな」と考えている人は要注意だ。国民生活センターへの相談事例を紹介しよう。  ある70代の男性も、そう思っていた矢先に勧誘を受けた。この機を逃しては、と言われるがままに申し込むと、請求されたのは、工事費4万円+月2千円の「補償サービス料」という意味不明な支払いだった。  同センターによると、ここ数年、この「アナログ戻し」被害者からの相談が増えているのだという。昨年4~12月の相談件数は前年同期と比べ約2倍の1684件。3年前の5倍以上の伸びだ。  NTT東日本の広報室は、「アナログに戻すのに多額の工事費はかかりません。少なくとも光回線を廃止する費用は発生せず、アナログ回線の新設は実際の工事内容により変動があるものの2千円からで、かかっても1万3千円ほどです」と説明する。そもそも、アナログに戻すことを勧めることはないという。  高齢者がひっかかりやすい勧誘文句“その2”は「自宅を売却しませんか」だ。  昨夏、関東圏のマンションで一人暮らしの80代の女性に、電話があった後でこんな訪問があった。 「お宅を売りませんか。現在は400万円ですが、来年になったらタダ同然になります。今なら老人ホームを紹介します」  女性はもっと高く売れると思ったものの「老人ホームの紹介」の言葉に引かれた。よくわからないまま、次々置かれる書類に言われるとおりに署名・押印し、手付金も振り込んだ。退去の準備も求められたが、老人ホームの紹介はなく、どうしたものかと国民生活センターに相談したという。  ほかでは、80代の高齢者が、朝10時から夜9時半まで、自宅を売らないかと勧誘を続けられ、強引に契約させられたり、契約解除を申し出た際に900万円の支払いを要求されたりした例もある。 (週刊朝日2022年3月11日号より)  高齢者が不審な来訪者の話に誘導される理由を、全国消費生活相談員協会の担当者はこう語る。 「予期せぬ勧誘に弱い高齢者も多いです。在宅時間が長く、固定電話の保有率も高い。情報も少なく、コロナ禍で閉じこもりがち。訪問者があるとうれしくなってしまうのか、電話にも訪問者にも対応してしまう」  優しくされると断れない。被害に遭っても相談する人が近くにおらず、「家族には迷惑をかけたくない。自分に非がある」と背負い込む。その結果、詐欺事件として発覚が遅れることもあるという。  次は、こんな商法だ。 「最近、悪質化しているのは、訪問買い取りです。妻の形見の高価なアクセサリーを1万8千円で買い取られたという80代の方もいました。断りたくても、怖くて言えなかったそうです」(担当者)  訪問買い取りとは、自宅に業者が訪れ、物品を買い取るものだ。  今は「終活」のはやりもあってか、身辺整理の一環で利用する人も多い。悪質業者が貴金属などを強引に買い取るトラブルもある。当人が満足する妥当な金額であれば問題ないが、希望しない買い取りはきっぱり断りたい。万一契約を交わしてしまっても、その日を含む8日間はクーリングオフ(契約後ある期間内であれば解除)できる。  前出の全国消費生活相談員協会の担当者が「高齢者に限らず注意が必要」と注意喚起するのは、トイレの水漏れなど暮らしのトラブルだ。  関東圏に住む男性(40代)は、深夜に自宅のトイレが詰まり、便器から汚水があふれ出したため、ネットで修理業者を検索。「最安値(460円~)」に目がとまり、業者に依頼すると1時間後には作業員が到着し、まずは薬剤で汚物を溶かす処理で3千円、続いて高圧ポンプを使って5千円。それでも終わらず、便器を外し(2万5千円)、電動ドリルで汚物を押し出す作業(10万円)。合計の請求額は、「作業衛生費」が追加されて計15万円。  国民生活センターによると、こういったトラブルは年々増えている。トイレ修理に300万円超の請求額という相談は、前年度に10件以上あったという。  悪質商法の種類は豊富だ。あたかも行政の担当者のような身なりと口調で、消火器やガス警報器などの商品を売りつける「かたり商法」、「点検に来た」と言って事実と異なる情報で不安をあおり、工事を契約させたり、商品を売りつけたりする「点検商法」は、多くの人が知るところだろう。  信頼感を持たせて次々と高額な商品を購入させる「次々商法」や、注文していない商品を一方的に送り付けて、断らなければ買ったものとみなして代金を一方的に請求する「ネガティブオプション」(2021年7月以降は売買契約に基づかず送り付けられた商品は処分できるようになった)など。  日本消費者協会は、「相手の言うことをうのみにせず身近な人に相談し、すぐに契約をしないこと。『消費者力』を身につけることが必要です。『それってホント?』と疑いの気持ちを持ち、自分で調べようとすることが大事なんです。全国にある消費生活センターは、被害に遭う前にも相談できます。ぜひ、前の段階から相談してはいかがでしょうか」と注意を促す。  悪質商法に詳しい立正大学心理学部教授の西田公昭さんはこう話す。 「手口を知っているのは犯人だけであり、我々が知っているのは、被害が出て表面化されたものに過ぎません。だから、『私は大丈夫』と構えている人には、詐欺や悪質商法への対策をどれだけ考えてきましたか、と聞きたい。だます側は四六時中だますことを考えて、どうやったらうまくいくか試行錯誤している『プロ』。我々『素人』は太刀打ちできません。根拠のない自信を持っている人ほど危険。むしろ『大丈夫かな』と自信のない人のほうがいいかもしれません」  そして、いまだに被害が多い「オレオレ詐欺」。これもまずは疑ってかかることが重要だが、NTTグループが固定電話利用者向けに始めた特殊詐欺対策のサービスがある。録音された音声をAIが解析し、詐欺だと疑われた場合は、契約者本人やあらかじめ登録した人に注意喚起の電話やメールが入るという仕組みだ。利用料は月額440円(別途初期費用8800円)。  まずは不審に思ったら、家族や友人、消費生活センターなどに相談すること。局番なしの188(いやや)にかければ、最寄りのセンターへと案内してくれる。前出の西田さんはこう助言する。 「怖いとか、不安とか、うれしいといった感情に、お金の話がセットで来た時にアラートを発せられることが大切です。そんな時は自分で判断せずに、周囲の助けを得ましょう」 (本誌・大崎百紀)※週刊朝日  2022年3月11日号

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