震災の現場で撮影した家族はなぜ笑顔だったのか 写真家・広川泰士が写した二つの「定点写真」 *** 広川泰士さんは東日本大震災直後から被災地を訪れ、家族の写真を撮影し、プレゼントする活動を続けてきた。 アサヒカメラ 広川泰士 写真展 写真家 dot. 9/21
米倉昭仁 「ぼくはゴリゴリの大阪人」 百々俊二の写真家人生50年と松本清張、田辺聖子、中上健次との出会い 9月16日から入江泰吉記念奈良市写真美術館で百々(どど)俊二さんの写真展「よい旅を 1968-2023」が開催される。そこに飾られる作品は50年以上にわたる写真家人生の軌跡である。 アサヒカメラ百々俊二入江泰吉記念奈良市写真美術館写真展写真家 dot. 9/15
米倉昭仁 「ファインダーを通して見た日本は激変していた」 香港出身の写真家・ERICが見た20年ぶりの日本 香港出身で、岡山在住のERIC(エリック)さんはコロナ禍の東京でスナップ写真を撮影した。 ニコンサロン写真展写真家 dot. 9/11
米倉昭仁 「もう匠という言葉はうんざりや」 伝統工芸士の“素”の姿を撮り続ける写真家・長谷川佳江 *** 神戸市在住の長谷川佳江さんは「伝統工芸士」を中心にものづくりを担う職人の世界をカメラに納めてきた。 アサヒカメラ長谷川佳江写真展写真家 dot. 9/6
米倉昭仁 「なぜ寺や神社で猫を見かけることが多いのか」 猫をテーマに全国の神社仏閣を訪ね歩く写真家・小森正孝 *** 小森正孝さんは全国各地にある、いわゆる「猫神社」「猫寺」を撮影し、4年前から雑誌「猫びより」(辰巳出版)で連載してきた。 OM SYSTEM GALLERYアサヒカメラ写真家写真展小森正孝猫 dot. 7/26
「クマはクマでしかない」 米田一彦が写したクマの実像 1948年、青森県十和田市で生まれの米田(まいた)一彦さんさん。秋田大学を卒業後、秋田県庁に就職し、生活環境部自然保護課に配属された。それから50年あまり、ツキノワグマを撮り続けてきた。米田さんは「クマがクマの世界で暮らしている姿をみんなに見てもらいたい」と言う一方、「場合によってはクマは害獣でもある。だから殺すことも手伝ってきた」と語る。そんな米田さんの作品を紹介します。 アサヒカメラ写真家米田一彦 dot. 7/17
米倉昭仁 「殺人的な攻撃をされたのは9回」 ツキノワグマを50年追い続ける写真家・米田一彦 ツキノワグマを追って50年になる米田(まいた)一彦さんによると、クマは本来、臆病な動物で、人間の存在を察知すると、そっと逃げていくという。 アサヒカメラツキノワグマ写真家米田一彦 dot. 7/17
米倉昭仁 19世紀の写真技法「ダゲレオタイプ」を探究する孤高の写真家・新井卓 *** 19世紀に誕生した世界初の実用的な写真技法「ダゲレオタイプ」は、銀メッキした銅板の表面を磨いて写し撮ることから「銀板写真」とも呼ばれる。 PGIアサヒカメラ写真家写真展新井卓日日の鏡 dot. 7/4
米倉昭仁 「暗いほうが心が揺さぶられる」 闇の中から浮かび上がる“日常”を撮り続けてきた写真家・山田省吾 山田省吾さんの作品は全体的に暗く、えたいの知れない怪奇漫画のページをめくるような感じがする。不条理な世界を描いた薄暗い童話のような印象というか。 アサヒカメラ入江泰吉記念奈良市写真美術館写真家写真展山田省吾影の栞 dot. 6/30
米倉昭仁 「なんでこんなところに来ちゃったのか」 日本“最後の秘境”・黒部川源流の自然を追う写真家・秦達夫 深く切れ落ちた谷へ落下する豪快な放水が観光客を魅了する黒部ダム(富山県)。黒部川の急峻さはダムの建設を題材にした小説『黒部の太陽』(木本正次)、『高熱隧道(ずいどう)』(吉村昭)などでも描かれてきた。 OM SYSTEM GALLERYアサヒカメラ写真家写真展秦達夫黒部 dot. 6/28
包容力とやさしさを感じる雄大な黒部の山々 北アルプスの中央部に位置する黒部川の源流部はどの登山口からも遠く、たどり着くのに山道を歩いて2日かかる。「最後の秘境」と呼ばれるゆえんである。源流はイワナの宝庫であり、フライフィッシングの聖地としても知られる。秦達夫さんは8年ほど前、釣り好きの仕事仲間から黒部川源流行きに誘われた。秦さんはそこで、雄大な山の包容力ややさしさを感じた。そんな秦さんの作品を紹介します。 OM SYSTEM GALLERYアサヒカメラ写真家写真展秦達夫 dot. 6/28
米倉昭仁 華やかなスペインの裏にある「内戦の暗い影」を半世紀前に写し取っていた写真家・高橋宣之 *** 1947年、高知県生まれの高橋宣之さんは半世紀前、スペイン・サラゴサ大学で美術史を学び、72年に帰国後、写真家として本格的に活動を始めた。 アサヒカメラフジフイルム スクエア写真家写真展高橋宣之鳥の歌 dot. 6/27
米倉昭仁 「え、これが渋谷?」 上空からしか見えない、知られざる“空撮の世界” 写真家・吉永陽一 *** 吉永陽一さんが撮影した1枚の空撮写真について、「これは東京・渋谷です」と言われ、驚いた。こんな渋谷は見たことがない。 アサヒカメラ写真家写真展吉永陽一地上絵 dot. 6/14
空から見た意外性のある風景 写真家・吉永陽一さんは空から写した鉄道の世界を「空鉄(そらてつ)」と名づけ、作品づくりに取り組んできた。思い切り飛行機を傾け、望遠レンズで真上から写すと、普段見慣れた風景が別の世界のように見える。さらに吉永さんは鉄道以外にもさまざまな被写体にレンズを向けてきた。そんな吉永さんの作品を紹介します。 アサヒカメラ写真家写真展吉永陽一地上絵 dot. 6/14
米倉昭仁 「私のことは撮らないのね」 関節の曲がった母を初めて“撮ろう”と決めた写真家・笠井爾示の決意 *** 笠井爾示(ちかし)さんが写真集『Stuttgart(シュトゥットガルト)』(bookshop M)で日本写真協会作家賞を受賞した。 アサヒカメラ写真家写真集笠井爾示 dot. 5/25
かつて暮らしたドイツ・シュトゥットガルトで撮影した母の姿 写真家・笠井爾示(ちかし)さんの父、叡(あきら)さんは国際的に活躍してきた舞踏家である。笠井さんが小学5年生のとき、「父がドイツで活動するというので」、一家はシュトゥットガルトに移り住んだ。それから約40年。家族は再び、この街を訪れた。その際、笠井さんは母の姿を撮影した。 アサヒカメラ写真家写真集笠井爾示 dot. 5/25
米倉昭仁 「昔の街はたばこだらけでね、汚かったのよく覚えているよ」 1970年代の東京や横浜を撮り歩いた写真家・山崎茂 *** 1951年生まれの山崎茂さんは20代のころスナップ写真の撮影に没頭した。 アサヒカメラ写真家写真集山崎茂 dot. 5/18
1970年代 高度経済成長期直後の東京の人々の表情 東京・向島。古い木造住宅を背景に路地裏で遊ぶ子どもたちの姿。山崎茂さんは、休日になると横浜市鶴見区の自宅から東京や横浜の街を訪れ、日常的な人々の表情や動きを撮り歩いた。時代は高度経済成長期直後。「昔の街はたばこだらけでね、汚かったのよく覚えているよ。時代が変わって建物なんかはどんどん奇麗になったけれど、人の営みは大きくは変わっていない」(山崎さん)。 アサヒカメラ写真家写真集山崎茂 dot. 5/18
米倉昭仁 知られざる「東京湾アクアライン」の裏側 海底トンネルを支える“職人”たちを追った写真家・山崎エリナ *** 千葉県木更津市と川崎市を結ぶ全長15.1キロの東京湾アクアラインは2022年12月、開通から25年を迎えた。 アクアラインアサヒカメラ写真家写真集山崎エリナ dot. 5/6