
GMO FHD石村社長「信託銀行から大工に弟子入り」 知り合いからも金を借りた8500万円の“買い物”
GMOフィナンシャルホールディングス 代表執行役社長の石村富隆さん(撮影/写真部・加藤夏子)
社長に今日の食事と財布の中身を尋ねる「社長のカネとメシ」、第5回はGMOフィナンシャルホールディングスの石村富隆社長。GMOクリック証券、FXプライム by GMO、GMOコインなどGMOインターネットグループ金融部門のトップだ。「カネとメシ」の話から、臨機応変を地でいくような半生とスピード感のある経営スタイルが浮かび上がった。
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GMOインターネットグループが拠点を置く東京・渋谷のオフィスを訪れると、社長の石村さんはトレーナーとジーンズ姿で出迎えてくれた。インタビューの最後に判明したが、このときすでに社長は昼食を携えていた。
石村さんの社会人のはじまりは東洋信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)から。入行は1997年4月、就職氷河期のどん底だった。
初任は渋谷支店。社長として指揮を執る現在の職場までわずか数百メートルの距離だ。それから四半世紀の間、石村さんは何度もやってくる転機をクリアしてきた。
「最初は支店の窓口業務、2年目から法人担当でした。港区や渋谷区などのオフィス街を朝から晩まで回遊魚のように歩き回って、新規顧客を開拓していましたね」
銀行員としてのキャリアを順調に歩んでいるように見えたが、石村さんは退職してしまう。
「従業員5人くらいの工務店で大工さんに弟子入りしました。大学時代、阪神・淡路大震災で瓦礫(がれき)の山になった神戸市で、住み込みの大工仕事をした経験があります。
取材日の「お弁当ポーチ」に入っていたのは、自分で握った「ゆかり」のおにぎり、プロテインバー、なぜか柿の種。これで足りなければ社内に大量ストックされているカップ麺を食べるそう(撮影/写真部・加藤夏子)
銀行員になったのも、当時、弟子入りを志願した親方に『大工の仕事はいつでもできるから、世界を見てこい』と言われたからです」
生涯2回目の職人生活は3年ほど続き、建築の仕事を通じて不動産業界ともつながりができた。ちょうどその頃は、土地やビルの権利、賃貸収入を証券化する不動産ファンドの草創期にあたる。ここで証券化商品を扱っていた信託銀行での経験が生きた。
「懇意の業者が不動産投資を手がけることになり、投資家探しを頼まれたんです。そこでお願いしに行ったのがライブドア(当時の社名はオン・ザ・エッジ)」
財布と呼べるものはイタリアの良質な革小物ブランド「イル ビゾンテ」のカードケースのみ。ザ・キャッシュレスなのに、紙製の「餃子の王将」のスタンプカードが一番手前に入っていた(撮影/写真部・加藤夏子)
ライブドアは銀行員時代に担当した取引先のうちの一つだった。
「株式上場のお手伝いをした縁もあり、旧知の経営陣に不動産投資を提案しました。投資は断られましたが、代わりに入社しないかと誘われて(笑)。
そのときは『嫌です』と断りましたが、半年経って再びライブドアから電話がありました。『不動産投資は失敗だっただろうから、こっちに来ないか』と。今度はOKしました」
石村さんは銀行員から大工へ転職したあとも、ライブドアとは不思議な縁があった。
「FX(外国為替証拠金取引)の新事業をやるから宣伝してくれと頼まれ、東京からチラシが送られてきたことも。ボランティアですよ、なんなんでしょうね(笑)」
大方の人は断りそうだが、石村さんは近隣のマンションにポスティングして歩いたという。
大工からライブドアに転職し、FXを担当した。図らずも自らチラシをまいていた新事業。当時、金融部門で5人目の社員だった。
「FXは当初のシステム開発に失敗し、仕切り直しになりました。それに伴い、システム開発会社のある中国行きを命じられ、2年ほど滞在していました」
ここで、またも事態が急変。粉飾決算の疑いで2006年1月に東京地検が強制捜査に乗り出したのを機に、ライブドアの株主がプライベート・エクイティ・ファンドに変わったのである。それによりFX事業の撤退が決まり、どこかに売却することになった。
「ここでFX事業の売り手探しをしてくれと言われました。でも、買い手は簡単に見つからなかった。そこで発想を変えて、自分で買い取ることにしました。8500万円の買い物です」
発想を変えて、って。軽やかに語るが、その値段……。
「自己資金2000万円では足りず、知り合いからもお金を借りました。当時30代半ば。結婚直後だったので妻は驚いていました」
妻でなくとも、驚く。こうして石村さんはFX会社のトップとなった。米国系金融大手OANDAの出資を得て、OANDA日本法人の社長という肩書だった。そこでまたもや転機が待ち構える。
石村社長をインタビューした会議室に置いてあった招き猫たち(撮影/写真部・加藤夏子)
「GMOインターネットグループ金融部門の立ち上げメンバーの高島秀行さん(現GMOフィナンシャルホールディングス会長)とごはんを食べていたら『英国でリテール(個人向け事業)をはじめるにあたり、人材を探している』と。
『僕にやらせてください』と手を挙げ、英国の『GMO CLICK UK LIMITED(現GMO-Z.com Trade UK Limited)』のCEO(最高経営責任者)になりました。また会社を辞めると聞いて、妻は驚きを通り越し、あきれていました」
GMOフィナンシャルホールディングスの金融サービスはどう進化していくのか。現在、取り扱っている金融サービスは株式やFX、CFD(差金決済取引)、暗号資産など幅広い。低コストで使いやすいだけでなく、デジタルデータ「NFT」などの新分野もいち早く取り入れる。
「ネット証券の登場から約20年が経って、金融商品の幅も広がりました。どの金融商品を売買するにしても、コストは気になりますよね。どこよりも安く便利なものを提供していきたい」
財布とその中身を見せてくれるようお願いしたら、石村さんはカード入れを机の上に置いた。そこには運転免許証やクレジットカードなどが数枚。次に「財布はこっちです」と言いながらスマホを取り出した。現金は1円も持たない完全キャッシュレス生活だ。
「現金が必要な店には行きません。私たちは金融の会社なので、キャッシュレスの不便なところやいいところを見ていくと、ビジネスに役立つのではないかと思って」
日々の生活も実証実験ということか。カード入れの中には、チェーン店の「餃子(ぎょうざ)の王将」の会員カードもあった。庶民派の「演出」ではなく、会社近くの店舗にしょっちゅう足を運ぶという。
ところで今日の昼食は? 腰に付けた黒いポーチからゆかり(赤しそ)のおにぎりを1個取り出した。炊飯器の米を自分で握って、ラップに包んできたそうだ。
「前日のおかずが余っていたら、ジップロックに入れて持ってきます。柿の種は、小腹がすいたら手を汚さずにすぐ食べられていい。プロテインバーは、おやつ」
昼食に時間をかけるより、仕事に全エネルギーを投入したいのだとお見受けした。
◎石村富隆(いしむら・とみたか)/GMOフィナンシャルホールディングス代表執行役社長。1973年、奈良県出身。大学卒業後、1997年4月に東洋信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)入行。2003年8月、ライブドア(現NHN テコラス)に転職。2007年2月、当時ライブドア傘下のかざかフィナンシャルグループに転籍。2010年10月、My外貨(現OANDA証券)代表取締役。2013年4月、GMOCLICK UK LIMITED(現GMO-Z.com Trade UK Limited)取締役CEO。2017年12月、GMOコイン取締役社長。2018年1月、GMOコイン代表取締役社長(現任)。2018年5月GMO-Z.COM COIN CANADA,INC. 取締役(現任)。2022年1月、GMOフィナンシャルホールディングス代表執行役社長COO。2022年3月、GMOフィナンシャルホールディングス取締役兼代表執行役社長COO、GMOインターネットグループ執行役員(現任)
(文/大場宏明、編集/中島晶子)
※『AERA Money 2022夏号』から抜粋