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20th Centuryが「週刊朝日」の表紙&カラーグラビアに登場!「V6があって今のトニセンが存在する」
20th Centuryが「週刊朝日」の表紙&カラーグラビアに登場!「V6があって今のトニセンが存在する」  今週の「週刊朝日」の表紙とカラーグラビアには「20th Century(トニセン)」が登場。1995年の結成から昨年11月の解散までV6として26年間を駆け抜けた、坂本昌行さん、長野博さん、井ノ原快彦さんの3人が、本格的に活動を再スタートさせています。井ノ原さん主演のドラマ「特捜9 season5」の主題歌「夢の島セレナーデ」も話題に。インタビューでは、3人が、“6人の変わらぬ絆”と“3人で目指すもの”を語りました。他にも、地域の力で問題に挑むシニアの「困りごと」解決マニュアル、話題の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を13倍楽しむ方法、史上初めて誕生した現役東大生力士に高まる期待、運動能力調査などで高齢者の体力が軒並み上昇している話題など、盛りだくさんのラインナップでお届けいたします。  3人での活動が本格的にスタートしている「20th Century」。井ノ原快彦さん主演のドラマ「特捜9 season5」の主題歌「夢の島セレナーデ」にある「もがきながらも変わっていこう」というフレーズについて、長野博さんは「やっぱりもがかないと新しいことを生み出せない。でも、いやなことやってたら苦しいけど、そういうわけではない。楽しもうとする気持ちが大事なのかなと思います」。井ノ原さんはこのパートを坂本昌行さんに歌ってもらいたかったとのことで、「後輩や今の時代とどう向き合うかっていう、50代の人たちの思いを代弁しているという意味でも似合うと思って」。その坂本さんは周囲とのかかわり方について、「40代後半くらいから、僕のまわりにいる人が笑顔でいてほしいってずっと思ってて。いやな現場を見て、『なんかさみしいな。俺は違うやり方で進んでいこう』って思ったからかな」。経験を重ねたからこそ、3人それぞれの人生哲学がにじみでるインタビューとなりました。また、「特捜9」について井ノ原さんが語った記事も掲載。キャストやスタッフとのエピソードたっぷりでお届けしています。 その他の注目コンテンツは、 ●「草燃える」の岩下志麻インタビュー 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を13倍楽しむ三谷幸喜脚本によるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が毎回、話題を呼んでいます。源頼朝の妻である北条政子役、小池栄子の演技が好評ですが、昭和のドラマファンにとって大河、北条政子といえば「『草燃える』の岩下志麻!」ではないでしょうか。岩下さんに北条政子、そして「鎌倉殿」について聞きました。「大河フリーク」の松村邦洋さんのインタビューや、鎌倉武士の武装や食生活など、読めば13倍面白くなる(?)お話をどうぞ。 ●現役東大生の力士が誕生 やくみつる「相撲協会理事長を目指せ!」東京大学の現役学生である須山穂さんが角界に入り、大いに盛り上がる東大相撲部。東大相撲部の稽古の内容は? 歴史は? 学業との両立は? 東京都相撲連盟常任理事で東京大学相撲部OB会幹事長の白石浩三さんにお話を聞きました。また、漫画家のやくみつるさんは、大関ではなく「相撲協会理事長を目指せ!」と、今後への期待を語りました。 ●週刊朝日と考える“幸齢者”ライフ! シニアの「困りごと」解決マニュアル運転免許を返納したため買い物に行けない、足腰が弱って重いものが持てない……。高齢になると、生活する上でさまざまな「困りごと」に直面するものです。楽しく快適に暮すために、地域の“資源”で解決できる方法が! 自治体の「緊急通報装置」レンタルや、シルバー人材センターに頼む見守りや付き添いなど、様々なテクニックを紹介します。また、高齢者の体力テストの結果が軒並み向上。“ムキムキ”シニアが増えているという特集もお見逃しなく。 ●6月から業者に犬猫への装着を義務化 「ペットにマイクロチップ」どうする?6月1日に改正動物愛護管理法が施行され、販売業者などに対して、販売前の犬猫にマイクロチップを埋め込むことが義務化されます。飼い主になる際にも所有者の情報を登録しなければいけなくなります。果たしてその影響と、メリット、デメリットはどんなものがあるのでしょうか。ペットのマイクロチップ装着について考えます。 週刊朝日 2022年 5/27号発売日:2022年5月17日(火曜日)定価:440円(本体400+税10%)https://www.amazon.co.jp/dp/B09WQQGY65
サッカー強豪国のコーチとして異例の抜擢 セルビアサッカー男子A代表アシスタントコーチ・喜熨斗勝史
サッカー強豪国のコーチとして異例の抜擢 セルビアサッカー男子A代表アシスタントコーチ・喜熨斗勝史 サッカーには人生の要素が詰まっている。自分の生き方は、すべてこの競技から学んできた(撮影/今祥雄)  セルビアサッカー男子A代表アシスタントコーチ、喜熨斗勝史。サッカーの強豪国がひしめくヨーロッパ。そのワールドカップの最終予選でセルビアが劇的な逆転勝ちをおさめた。コーチを務めるのが喜熨斗勝史だ。ヨーロッパのチームで日本人コーチは異例中の異例。道のりも平坦ではなかった。一つのミスも許されない。勝てなかったらクビ。重いプレッシャーだが、指導者としての高みを目指して挑戦が続く。 *  *  *  ポルトガルの首都リスボンの浜辺に座った喜熨斗勝史(きのしかつひと)(57)は、奔流のような自身の人生をかみしめていた。ホテル群のまたたきが映る真夜中の海岸。数時間前の熱狂がいまだ余韻として身体の中に残っていた。  この日、2021年11月14日の夜、リスボンでは、ポルトガル代表対セルビア代表のワールドカップ最終予選が行われ、アウェー戦に臨んだセルビアが劇的な逆転勝ちを収めていた。これにより、セルビアは、ワールドカップカタール大会への出場を決め、逆にポルトガルはプレーオフへと回らなければならなくなっていた。  喜熨斗の肩書は、「セルビアサッカー男子A代表アシスタントコーチ」。この年の3月に就任して以来、セルビア代表をワールドカップへ導くために監督のドラガン・ストイコビッチ(57)を支え続け、この夜、ひとつのゴールを迎えていた。  深夜の浜辺に座った喜熨斗は、日本に住む妻に電話を入れた。早朝から試合の生中継を見ていた妻の声はうわずり、互いに涙声になった。  喜熨斗が振り返る。 「小学校に上がる前からサッカーを始めて、コーチになるという決断をして、妻をはじめいろんな人に助けられてここまできた。もう、コーチ業としてはマックスだなと思うと同時に、もっと上を目指せるとも感じていた。諦めずに一生懸命、ひとつひとつ積み重ねていくと、こういうことが起きるんだということを、このとき改めて実感していました」  サッカー強豪国セルビア(旧ユーゴスラヴィア)で日本人が代表チームのコーチとして場を与えられることは、異例中の異例だ。極東からやってきたコーチに対して、名門アヤックス・アムステルダムでキャプテンを務めるドゥシャン・タディッチをはじめ、欧州リーグで活躍するセルビア人選手たちが当初、どんな思いを抱いていたかも容易に想像がつく。そんな中、喜熨斗は、限られた時間でスタッフや選手たちからの信頼を勝ち取り、チームになくてはならないコーチとして受け入れられたのだ。 一時帰国した3月、旧知の三浦泰年が監督を務めるJFL鈴鹿ポイントゲッターズの練習に参加。その弟のカズとは長年にわたってパーソナルコーチ契約を結び、自主トレのメニューなどを構成、ベテランを支える(撮影/今祥雄) ■母子家庭で平屋のボロ家 サッカーだけが支えだった  喜熨斗は、歌舞伎役者の家系に生まれた。祖父は二代目市川小太夫、その兄つまり喜熨斗にとっての大伯父が初代市川猿翁と八代目市川中車という生粋の役者一家だった。市川小太夫は、1950~60年代には東映、松竹などで100本を超える映画に出演する人気俳優でもあった。  喜熨斗が物心ついた頃には、アナウンサーだった父と母は別居していて、母と2人での暮らしが続いていた。サッカーを始めたのは、父親不在の中で、「何か人とコミュニケーションがとれるものを」と考えた母が園児だった息子を地元のサッカー教室に入れたのがきっかけだった。  喜熨斗が述懐する。 「母子家庭だったので裕福ではなく、みんなの家は水洗トイレなのに、うちはなんで流れないんだろうと真剣に思っていた。そんな平屋のボロ家に友だちを呼ぶことも恥ずかしくてできなかったし。そんな中での自分の存在価値は、サッカーにしかなかった。キャプテンだったし、うまかったし、そのサッカーを奪われたら自分には何もない、という思いが強かったんです」  11歳の冬、喜熨斗をさらにサッカーへと向かわせる出来事が起きる。親戚から臨終間近の祖父の病院に呼び出され、「勝史、おじいちゃんがもうすぐいなくなるから、嘘でもいいから、跡を継ぐと言ってやれ」と言われたのだ。 「子どもながらにそんな嘘は言えないし、言いたくなかったですが、病室に入ったら、祖父を前に『俺、跡を継ぐから、大丈夫だから』と言っていた。でも、その後もサッカーを続け、跡は継いでないわけで、あのときの嘘は、忘れられない。だから、せめてサッカーだけは、フィールドにしっかり足をつけて、情熱と責任をもってやっていこうと強く思ったんです」  喜熨斗少年に大きな影響を与えたのは、大学を卒業し、下石神井小学校に赴任したばかりの教師、石橋博(73)だった。石橋は、2年生だった喜熨斗の担任になると同時に「下石神井サッカー団」の監督に就いた。  石橋が振り返る。 「6年生のときには、喜熨斗中心のチームをつくっていて、全国制覇したチームと区内の学童大会の決勝で戦って、延長の末、勝ったんです。彼は、ゴール勘があって、相手チームから嫌がられるぐらいよく点をとった。なにしろ負けず嫌いで、能力はひとつ抜けていました」 「サッカーの楽しさを教えてくれた」石橋に感化された喜熨斗は、先生になって、同じようにサッカーを教えたいと思うようになる。  都立高校から日体大へと進んだ喜熨斗は、サッカー部に所属しながら、早くも指導者としての経験を積み始める。練馬区内の小学校のサッカー部で監督に就き、弱小チームを区内3位へと導くのだ。卒業後は、都の教員採用試験を受け、工業高校の教員となり、サッカー部の顧問兼監督となった。同時に、関東1部リーグの選手としてプレーしていたから、まさにサッカー漬けの日々だった。  しかし、サッカーをやりながら体育教師として生きていくという喜熨斗の人生プランは、90年代を迎えると転換せざるを得なくなる。日本初のプロリーグ創設の話が急速に進み始めたからだ。 「プロリーグができるとなれば、サッカーにもっと深くかかわりながら稼げるかもしれないし、なにより、日本代表も強くなるかもしれない。自分もなんとか、そのプロの世界に、と思いました。けれども、Jリーグのスタートのときは29歳。やはり選手ではなく、指導者として入るしかないと思った。それでも、学校の先生じゃなくて、本物のサッカーに関われるかもしれない、という可能性がうれしかった」 ■自分の主張は曲げたくない 風当たりが強くなる  いま一度コーチングの勉強が必要だと考えた喜熨斗は、東京大学大学院総合文化研究科の門を叩(たた)いた。専門は、生命環境科学系身体運動科学。修士課程を終えた喜熨斗は、その後、セレッソ大阪のフィジカルコーチなどを経て、02年、浦和レッズのフィジカルコーチに就任する。  しかし、コーチ人生は、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)とはいかない。  つまずきは、浦和レッズのオランダ人監督、ハンス・オフトとの衝突だった。 (文中敬称略)(文・一志治夫)  ※記事の続きは「AERA 2022年5月16日号」でご覧いただけます。
生前贈与や特例利用で損も!? やってはいけない“老後資金の守り方”
生前贈与や特例利用で損も!? やってはいけない“老後資金の守り方” ※写真はイメージ(GettyImages)  近年、相続トラブルを防ごうと「贈与をしたい」と考える人が多い。 「贈与をしてしまうと取り返しがつかないことがあります。特に生前贈与は近々、特例の期限が来るものがあるので、慌てて実行すると、老後資金を減らすことになりかねません」  そう警鐘を鳴らすのは、相続実務士で相続支援会社「夢相続」代表の曽根惠子さん。  生きているうちに子どもや孫たちに財産を前渡しする「生前贈与」は、相続税対策の柱だが、2023年以降にルールが見直される可能性が高まっている。  21年度、22年度の「税制改正大綱」で示されている考え方が「相続税と贈与税の一体化」。真っ先にメスが入りそうなのが毎年、110万円までの贈与が非課税になる「暦年贈与」だ。ただ相続が発生したときには、被相続人が死亡前3年以内に行った贈与分は、相続財産に含めて相続税を計算する「持ち戻し加算」の仕組みになっている。  専門家の間では、暦年贈与そのものが使えなくなる、あるいは持ち戻し加算の期間は現在3年以内のところ、10年、15年に延長されると推測されている。 ※週刊朝日2022年5月20日号より 「贈与のルールが変更になる前に『駆け込み贈与をする最後のチャンス』と思って、無理に贈与をしてしまう人も多いのですが、もし贈与者が10年、15年以内に亡くなったらその間の贈与した額は相続財産に含まれる可能性もあるので、相続対策をしたつもりが、結局は税負担が増えてしまうということにもなります」(曽根さん)  また、親から子どもに暦年贈与をしたとき、後から「お金が必要になったので贈与はなかったことにしたい」とし、子どもが同意したとしても、贈与は取り消すことはできない。  慌てて財産を渡そうと思う前に、自分たちの介護が必要になったときの「住み替え」などを視野に入れながら、老後資金の計画を立てよう。また相続対策の順番は間違えないほうがいいと曽根さんはいう。  特に注意したいのは、贈与できる期間が決まっている一括贈与の特例。 「住宅取得等資金の贈与」は23年12月31日までに、一般住宅500万円、省エネ等住宅は1千万円まで非課税で贈与できるという制度。  北関東に住む男性(83)は、結婚した孫が住宅を建てるというので、頭金などに充ててほしいと500万円贈与した。ところが、後日、男性は脳梗塞になり倒れてしまい自宅での生活が難しくなり、高齢者住宅に移り住むことになったという。 ※週刊朝日2022年5月20日号より 「入居一時金などの費用は結局、男性の息子夫婦が支払うことになってしまいました。孫への資金援助をしなければと思っても後の祭りで、結局、男性の息子夫婦が介護費用の全額を負担したそうです」(男性の知人) 「教育資金の一括贈与」は1500万円まで、「結婚・子育て資金の一括贈与」は1千万円まで(結婚資金は300万円)の贈与が非課税になり、いずれも23年3月31日までの贈与分が対象となる。 ■「おしどり贈与」思わぬ損失にも  特例を使う場合は、領収証を金融機関に提出する手間があり、贈与者が死亡したときには残額は相続税の対象になる(教育資金は受贈者が23歳未満などであれば対象外)といったルールもあるので、期限まで1年を切った今、無理に特例を使わなくてもいいという。 「教育資金贈与の特例は、使途は教育資金に限られるので、贈与する人が亡くなったら余った分は相続税の課税対象になります。数十万円程度であれば、実費で支払えば、課税対象にはなりません」(曽根さん、以下同)  相続対象になる財産は自宅などの不動産がほとんどという人は意外と多い。「夫が先に死んだら妻が安心してこの家に住み続けられるように」と、生前に共有名義にする「おしどり贈与」も思わぬ損失につながる。 「夫が取得した不動産の名義を妻と共有名義にするとき、不動産登記、不動産取得税の費用がかかり、場所によっては100万円を超えるケースもあります。また、妻が取得した分の土地と建物の評価額が2千万円を超えますと、その分は贈与税がかかります。夫の死後、配偶者が引き継ぐ財産が1億6千万円以下であれば相続税はかかりませんので、夫が亡くなってから自宅の名義を妻に変更したほうが無難です」  今のうちに自宅の名義を子どもに変更しておきたいという人も多いというが、夫の死後、相続トラブルなどで子どもたちと仲違いして妻が住む場所を失う可能性もある。  自宅は相続が発生してから所有権を移転したほうが税金と諸費用は低く抑えることができるので、所有者(夫)の生前に慌てて名義変更をしないほうがいいという。(ライター・村田くみ) ※週刊朝日2022年5月20日号より ※週刊朝日  2022年5月20日号より抜粋
授業参観にTシャツとジーンズで行った夫に妻が激怒! 「親の服装」はどうすべきか論語パパがアドバイス
授業参観にTシャツとジーンズで行った夫に妻が激怒! 「親の服装」はどうすべきか論語パパがアドバイス  小学2年生の息子を持つ40代の父親。授業参観に普段着で行ってしまい、「きれいな服を選ぶべきだ」と妻から叱責されました。「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、「論語」から格言を選んで現代の親の悩みに答える本連載。今回の父親へのアドバイスはいかに。 *  *  * 【相談者:8歳の息子を持つ40代の父親】  都内の公立小学校に通う息子を持つ40代の父親です。先日、入学以来、初めての対面の授業参観がありました。仕事の都合で行けない妻に代わって参加したのですが、Tシャツにジーンズという普段着だったので、妻から「信じられない。授業参観や懇談会などの学校行事には、デパートで買ったようなきれいな服を選ぶのが当たり前」と激怒されました。でも7割方の保護者がその辺のスーパーやコンビニに行くような普段着で来ていましたし、きれいな格好のほうが浮いてしまう感じでした。また、保護者のなかには持参したアウトドア用の折りたたみ椅子に座ったり、スマホをいじったりしている人もいて、私はその人たちに比べれば親としてきちんとふるまっていたと思います。授業参観は保護者の服装のお披露目の場ではなく、主役は子どもたちのはず。その感覚でいてはいけないのでしょうか。 ※写真はイメージです(写真/Getty Images) 【論語パパが選んだ言葉は?】 ・「子曰(い)わく、敝(やぶ)れたるおん袍(ぽう)を衣(き)、狐貉(こかく)を衣る者と立ちて、而(しか)も恥じざる者は、其(そ)れ由(ゆう)なるか」 「そこなわず求めず、何を用(もっ)てか臧(よ)からざらん。子路(しろ)終身(しゅうしん)之(こ)れを誦(しょう)す。子曰わく、是(こ)の道や、何(な)んぞ以(も)って臧しとするに足らん」(子罕第九) ・「敬(けい)に居(い)て簡(かん)を行う」(雍也第六) 【現代語訳】 ・孔子はおっしゃった。「やぶれてボロボロの粗末な綿入れを着て、狐や貉(むじな)の上等な毛皮を着た人と一緒に立っても恥ずかしいと思わないのは、子路だろう」 「他人に害を与えず、無理な要求もしていないのに、どうして不善が発生しようか」。子路(しろ)はいつもこの一節を口ずさんでいたが、孔子がおっしゃった。 「それだけでは十分とは言えない。我々の目指す道はもっと遠くにあるのだ」 ・自分の心持ちは慎み深くして、他人に対しては寛大に簡素に接する。 【解説】  対面で授業参観が行われるようになったことは、本当に喜ばしいことですね。子どもが授業に参加しているところを実際に見られることがどんなにありがたいことか、コロナ禍を通して我々は知ったのではないでしょうか。  さて、すでに、コロナ禍以前から「クールビズ」などによって、服装の簡素化は進んでいました。コロナ禍でZoomを使ったリモートワークが増えるにしたがって、スーツを着なくても商談や会議に出席することができるようになりました。  相談者さんが言うように、授業参観も「7割方の保護者がスーパーやコンビニに行くような普段着で、きれいな格好のほうが浮く」というのは新しい時代のスタイルなのではないかと思います。カジュアルな服装は、堅苦しくなく、くつろいだ気持ちも演出してくれますので、みんながカジュアルな服装だと、企画会議などでも、より自由な発想、より自由な発言ができると言われていますね。そういう点では、授業参観にも保護者が、カジュアルな服装で出席するのは、先生も子どもたちにも堅苦しくない雰囲気でいいことであるとは思います。  2500年前から人の生き方の規範として親しまれた『論語』の中でも、服装のことが話題に取り上げられている章句があります。 「子曰(い)わく、敝(やぶ)れたるおん袍(ぽう)を衣(き)、狐貉(こかく)を衣る者と立ちて、而(しか)も恥じざる者は、其(そ)れ由(ゆう)なるか」(子罕第九)  孔子の弟子のなかでも大変な志を持った子路は、ボロボロになった粗末なおん袍(綿入れ羽織)を着ていましたが、高い毛皮をまとった高位高官と会っても、まったく恥じたり、気後れしたりしない人物でした。  しかし孔子は、そんな子路を、見苦しいと思っていたに違いありません。どうしてそんな格好で立派な人物に会っても何とも感じないのかと、聞いたのでした。由(ゆう)とは子路の実名です。  子路は「こんな格好をしていたからって、他人を傷つけるわけでもない。無理な要求をしているわけでもないから、いいじゃないですか」と答えたのです。  孔子はこうたしなめました。「それだけではまだ十分ではない。我々の目指す道はもっと遠くにあるのだ」と。  カジュアルであるということには、もちろんいい点もありますが、それでいいのだとあまりにもくついだ状態が続くと、それに慣れて、心がたるんでしまうと孔子は考えたのです。  スーツは「ホワイトカラーの鎧」と言われることもあります。言い換えれば、スーツは、カジュアルな自分を、非日常の緊張した心に切り替えてくれる道具でもあったのです。古代から現代に至る服装、服飾の歴史を大観すると、簡素化していることに改めて気づかされます。それは繊維製造技術の発達とも無関係ではありませんが、技術の発達に伴って、心がすさむ方向に進むのは残念です。 『論語』には、立派な人の思考と行動のバランスについて「敬(けい)に居(い)て簡(かん)を行う」(雍也第六)という言葉があります。つまり、「自分の心持ちは慎み深くして、他人に対しては寛大に簡素に接する」という教えです。  相談者さんは、父親として授業参観に行くのに、「自分の服装と心とが一致しているのか」どうかを考えることが最も大事なことです。教室にいる先生、児童、保護者に安心感を与えつつ、自分の心は、「子どもを温かく見守る愛情でいっぱいである」という姿勢を、服装で表すことができるようなチョイスをしましょう。そのためには、やはり妻の意見を取り入れて、カジュアルすぎる服装ならば見直すべきでしょう。 【まとめ】  自分の心はあまりにくつろいだ状態よりも、慎み深く。服装と心が一致しているか見直そう 山口謠司(やまぐち・ようじ)/中国文献学者。大東文化大学教授。1963年、長崎県生まれ。同大学大学院、英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。NHK番組「チコちゃんに叱られる!」やラジオ番組での簡潔かつユーモラスな解説が人気を集める。2017年、著書『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。著書や監修に『ステップアップ 0歳音読』(さくら舎)『眠れなくなるほど面白い 図解論語』(日本文芸社)など多数。2021年12月に監修を務めた『チコちゃんと学ぶ チコっと論語』(河出書房新社)が発売。母親向けの論語講座も。フランス人の妻と、大学生の息子の3人家族。
「これはラーメンじゃない」 批判された“TKM”がブレークした理由
「これはラーメンじゃない」 批判された“TKM”がブレークした理由 「かし亀」の生姜醤油チャーシュー麺は一杯1100円。メンマ、ほうれん草、ネギ、ナルトが乗っている(筆者撮影)  日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。埼玉で60年続く老舗町中華の3代目が愛するラーメンは、熊谷で大行列ができる人気店の“TKM”というシンプルすぎる一杯だった。 ■老舗の町中華がSNSでバズった理由  東武伊勢崎線の加須駅(埼玉県)から徒歩5分。60年以上も続く老舗の町中華がある。「かし亀」だ。老舗ながら、高級中華料理店出身の3代目店主・駒剛行さんの料理の腕と、あふれるアイデアで常に行列の人気店。連日、ツイッターやインスタグラムの投稿でファンがにぎわう、まさに令和を生きる町中華である。 かし亀/埼玉県加須市中央1-10-8/11:00~材料終わり次第終了、17:00~材料終わり次第終了。日曜定休、営業情報は店のツイッター(@kashikame_new02)にて/筆者撮影 「かし亀」がSNSでバズり始めたきっかけは、チャーハンの横に中華の一品ものを乗せた「デカ盛り」だ。「肉乗せチャーハン」を筆頭に「チャーシューチャーハン」「唐揚げチャーハン」など、人気メニューを次々チャーハンに合わせていった。  そして、もう一つの看板メニューは、駒さんが東岩槻(埼玉県)の名店「オランダ軒」で食べて衝撃を受けた「生姜醤油ラーメン」だ。スープを継ぎ足しながら作る“呼び戻し”の要領でスープを徐々に濃くして厚みを出し、2~3年かけて現在の形に完成した。  今ではラーメンファンとデカ盛りファンが集まる店としてすっかり人気に。だが、量が多く食べるのに時間がかかり、行列がどんどん長くなっていった。外で2時間待ちという事態になり、今では来店時に名前を書く記帳制にせざるを得なくなった。 外で2時間待ちが続いたことを受け、記帳制になった(筆者撮影) 「チャーシューチャーハンと生姜醤油チャーシューメンが一番出ているので、とにかくチャーシューをたくさん作ります。現在では1日30キロ出ています。豚のウデ肉を濃いめのタレで柔らかくなるまで煮て作るんです」(駒さん)  祖父が経営していた店を使っているため家賃もかからない。おのずと利益率は上がりそうだが、その代わり材料にこだわっている。 生姜醤油チャーシュー麺。「オランダ軒」山本さんは「町中華の域を超えている」と評する(筆者撮影) 「お客さんに喜んでもらえればそれでOKだと思っています。喜んでくれたお客さんは口コミを広げてくれるので、CMや宣伝を打つ代わりに原価率をかけていると思えば安いものです。実家でやれることの良さを生かしていきます」(駒さん)  チャーシューが1日30キロも出る町中華とはそうそう聞いたことがない。昭和から続く町中華の止まらぬ進化を感じるお店である。 「かし亀」3代目店主の駒剛行さん。高級中華での修行経験もある(筆者撮影)  そんな「かし亀」駒店主が愛する名店は、埼玉・熊谷で“TKM”というメニュ-で大行列ができる店だ。誰でも考え付きそうで考え付かなかったアイデアメニュー誕生の秘密を追ってみたい。 ■「これはラーメンじゃない」批判も一転 名店店主がTKMを評価  JR高崎線・熊谷駅(埼玉県)から徒歩5分。およそラーメン屋とは思えぬポップな店先に大行列ができる店がある。「ゴールデンタイガー」だ。2018年のオープン以来、熊谷を代表する人気店としてその名が知られている。 ゴールデンタイガー/埼玉県熊谷市本町2-116アイジマビル1F/11:00~14:00、18:00~21:30LO。水曜定休日。営業情報は店のツイッター(@golden_tiger24)にて/筆者撮影  店主の金澤洋介さんは埼玉県美里町出身。浦和学院高校出身で、野球部に所属。チームは甲子園にも出場した。金澤さんは惜しくもベンチからは外れてしまったが、野球漬けの毎日を過ごしていた。  そんな金澤さんがラーメンと関わるようになったのは、高校3年の9月。部活引退後、「本庄大勝軒」でアルバイトを始めたことがはじまりだ。  食べながら汗をかくのが嫌いでラーメンはあまり食べていなかった金澤さんだが、「本庄大勝軒」のもりそば(つけ麺)は違った。冷たい麺で食べるもりそばがおいしく、ここでアルバイトをしたいと思った。皿洗いが中心だったが、3カ月間働いた。 ゴールデンタイガー店主の金澤洋介さん(筆者撮影)  その後は工場に3年勤め、佐川急便の配達を3カ月、インテリア関係の仕事を1年と職を転々とした。「本庄大勝軒」にはバイトを辞めてからも定期的に訪れていた金澤さん。ある日、マスターとおかみさんに「いつラーメン屋をやるの?」と聞かれた。  このまま仕事を続けるか迷っていた頃、「本庄大勝軒」が2店舗目の「常勝軒」をオープンすると耳にする。50席ほどある大型店で、ここで頑張れば月100万円稼ぐことも夢ではないと思い、入社を決める。23歳の頃だった。 ゴールデンタイガーの店内は随所に遊び心が垣間見える(筆者撮影) 「常勝軒」はすぐさま繁盛店になった。金澤さんは無我夢中で店を回し、気がつけば接客が好きになっていた。 「お客さんとのコミュニケーションがとにかく楽しくて、この仕事って良いなと思いました。目の前で『おいしいね』とか『元気もらえるよ』を言ってもらえる幸せな職業ですよね。常連の多い地元に愛されるお店だったからこそ感じられたことかもしれません」(金澤さん)  オープンから3カ月後には店長に抜擢(ばってき)され、失敗も多かったが成長できた。従業員もたくさんいて、人の配置や人間関係も含め、店作りを学んでいった。「常勝軒」で8年働いた後は、群馬の系列店「景勝軒」に入り、エリアマネジャーとして各店を指導する立場になる。原価や人件費などの数字面も見られるようになった。  その後、妻の妊娠をきっかけに、金澤さんは独立を考え始める。 「ちょうどこの頃仕事に疲れている状況で、今のままだと子どもにこの顔を見せられないなと思ったんです。妻も背中を押してくれて、独立に向けて動き出すことになりました」(金澤さん) 店主の金澤さん(筆者撮影)  そこで、店の定休日を利用して「金の舌」と名付けたイベントを開催。オリジナルのラーメンを提供することにする。ここで生まれたのが、「金の素」というメニューである。ゆでた麺を氷水で締め、醤油タレをかけて生卵を乗せたシンプルな一杯。店のまかないとして、具無し、スープ無しで麺とタレだけを絡めて食べていたのをヒントに作ったという。 「つけ麺をメインでやろうと思っていましたが、週1のイベントのために仕込むのがとにかく大変だったんです。スープを無しにして、麺とタレだけで作れれば理想だと考えて作りました。うまい麺があればスープは要らないのではという発想です」(金澤さん) ポップな入り口にはマスクをつけた虎のイラストも(筆者撮影)  この「金の素」が、のちに「ゴールデンタイガー」を支える一杯になっていく。  こうして2018年3月、金澤さんは熊谷に「ゴールデンタイガー」をオープンする。33歳の時だった。店名は長男の虎太郎くんの名前から名付けた。店のポップな外観は、先輩のデザイナーに作ってもらった。 ゴールデンタイガーの「特製TKM」は一杯850円。生卵、鶏チャーシュー2枚、味玉がのっている(筆者撮影)  メニューはつけ麺と「TKM」。TKMは「タマゴカケメン」の略称で、「金の素」をブラッシュアップさせたものだ。「卵かけご飯」の「TKG」からヒントを得て付けた名前はアイデア賞といっていいだろう。艶やかな麺の上に浮かぶ黄色い卵の黄身。シンプルながら絵になる一杯だ。  このTKMが19年4月に大ブレークする。栃木県小山市で開かれた「ラーメン祭り」に出店した時である。ポスターにTKMの写真が載った時は、「これはラーメンじゃない」とばかにされたが、いざイベントが始まると、そのおいしさに他店の店主から絶賛の声が集まる。その後、名店の店主が限定メニューとして出し始めるなどTKM自体が広がっていった。 「よく言えばシンプル、悪く言えば手抜きに見えたのか、お客さんもあまり注文してくれないメニューでした。でも、イベント後に一気に忙しくなり、TKMを注文する人も増えましたね。続けることでリピーターも確実に増えていきました」(金澤さん) 締めの追い飯も絶品だ(筆者撮影)  つけ麺の材料で作ることができ、麺のゆで方もつけ麺と同じ。なのに、この唯一無二な一杯を作り上げたのは革命といえる。簡単そうに見えるが、シンプルさゆえにごまかしが利かない。麺をどう仕上げるかがすべてで、そこに全神経を集中して緻密(ちみつ)に作り上げた一品である。  このTKMを看板に掲げ、「ゴールデンタイガー」は一気に人気店に上り詰めた。20年10月からは麺を自家製麺に切り替え、よりうまさが際立つようになった。金澤さんはこれからもシンプルな一杯を極限まで磨き続ける。 「かし亀」駒店主は、このTKMの大ファンだ。 「とにかく麺がおいしい。かためですごくコシのある麺で、なかなかこういう麺には出会ったことがありません。シンプルなだけに細部まで磨き上げられていて、麺の太さ、弾力、のど越し、タレの絡みなど、どこをとっても最高の仕上がりです。私も家で何度も試作したことがありますが、なかなかうまく作れないんですよね」(駒さん) 「うまい麺があればスープは要らない」という金澤さんの発想から「TKM」は生まれた(筆者撮影) 「ゴールデンタイガー」金澤店主も、「かし亀」の町中華の域を超えた人気に感服する。 「インスタ映えの先駆者的なお店だと思います。そして映えだけでなくしっかりおいしい。ラーメン店ではなかなかできないメニュー数を毎日こなしていて、こだわりのすごい方だなと思います。オリジナリティーにあふれていて、見せ方も面白く、町中華の新たな形として大変勉強になるお店です」(金澤さん)  人気の町中華のデカ盛りメニューとシンプル・イズ・ベストなTKM。どちらも料理は味だけでなく、見た目も大事だということを教えてくれる。そして食べればさらに納得なおいしさ。ファンを夢中にさせる一杯は何より強い。(ラーメンライター・井手隊長) ○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho ※AERAオンライン限定記事
佳子さまの装いは「満点以上」とマナー解説者が絶賛 耳を出したハーフアップにした理由とは
佳子さまの装いは「満点以上」とマナー解説者が絶賛 耳を出したハーフアップにした理由とは 「第31回森と花の祭典―みどりの感謝祭式典 “感じよう みどりの恵みと 木のぬくもり” 」の式典の佳子さま  森林づくりの功労者を表彰する「第31回森と花の祭典―みどりの感謝祭式典 “感じよう みどりの恵みと 木のぬくもり” 」の式典が7日、東京都千代田区で行われ、秋篠宮家の次女・佳子さまが出席された。前回は姉の小室眞子さんが出席し、コロナ禍で3年ぶりの式典となった今回は佳子さまが初めて臨まれた。そのときの佳子さまの装いが「壇上のフラワーアレンジメントとマッチしてすごい!」という。 *  *  *  写真を見れば一目瞭然、その日の佳子さまの装いは、まさに「華」があった。 マナー解説者が絶賛した佳子さまの装い 「グリーンがベースでピンクと白い花柄の刺繍があしらわれたセットアップに、同系色のノーカラージャケットを羽織られていました。足元はベージュのパンプス、手元には小ぶりのベージュのクラッチバックと白の手袋をお持ちになっていました。髪型は耳をしっかり出し、後ろでまとめたハーフアップにパールのイヤリングにパールのネックレスをされていました」(皇室記者)  この装いと身だしなみを「満点以上の高得点」と絶賛するのは大手企業のマナーコンサルティングを長年務めるマナー解説者の西出ひろ子さん。西出さんがまず挙げるのが髪型だ。 「まず髪型ですがハーフアップにしていらっしゃって、耳を出すというのは、すっきりときちんとした印象になるのと、おじぎをしたときに髪が顔にかかることがない。だらりと髪の毛が顔にかかるのは、清楚感や清潔感に欠けると思う方もいるのでハーフアップというのはとても大事ですね」  続けて、その装いも素晴らしいと言う。 「お若い方がカチッとしたフォーマルを着てしまうと年齢よりもかなり老けて見えたり、服に着られてしまう感じになるのをレースの花柄のモチーフのセットアップが解消しています。とても、可愛らしく、でもきちんとした印象もある素敵なフォーマルの装いだと思いました。また、ピンクにグリーンの差し色もあり、“みどりの感謝祭”への気持ちを表すのにぴったりです」(西出さん)  さらに、西出さんが感心したポイントが靴とバッグの色選び。 「一番感心したのはパンプスとバッグの色を同色にしていること。これは、フォーマルなマナーで重視されていることです。基本的なことですが、あまり浸透していないことなので、佳子さまはさすがだと思いました。足元にベージュを選ばれているのも素晴らしい。全体的な色味から黒い靴や茶色の靴は合わせないと思いますが、今回の佳子さまのような淡い色の服に黒い靴を合わせている方も正直多いです。統一感のあるベージュになさっていることで高得点過ぎるといいますか、身だしなみというマナーにおいて満点以上の着こなしです!」(西出さん)  さらに、佳子さまは、式典の壇上にある花も味方に付けていた。 「ステージに飾られた生花が佳子さまのジャケットの下のセットアップの色合いに合わせられたようでした」(皇室記者)  1枚目の写真が生花を背にした佳子さまだが、たしかに「華」がある。ここ数年、秋篠宮家と言えば眞子さんの話題ばかり取り上げられることとなってしまったが、佳子さまのファッションから紐解くとしっかり大人の階段を上っているようだ。年代を追って振り返ってみる。 【1】姉妹でお揃いコーデが定番だった 2007年8月31日、佳子さまと遊ぶ、もうすぐ1歳をむかえられる悠仁さま。この時12歳の佳子さまは眞子さま(当時)と似た感じのジャケットスタイルで初々しい。佳子さまがもっと幼い頃は姉妹で全身同じコーデだったり、色違いのワンピースだった。 【1】 【2】佳子さまのファッションに変化が! 2007年御用邸近くの葉山しおさい公園を訪れ、日本庭園の池の鯉に餌を与え楽しげな佳子さまと眞子さま(当時)。この頃から、姉妹お揃いからは卒業!? 真っ白なダウンにミニスカート、足元はボアブーツで。姉の眞子さまのセーターがトラディショナルなアーガイル柄のタートルなのに対し、妹・佳子さまは襟元ゆったりなタートルが対照的。 【2】 【3】グッとおしゃれ度が増しカジュアル路線に 2012年9月6日で6歳になった秋篠宮家の長男・悠仁さまと眞子さま(当時)と佳子さま。この年に大流行したダンガリーシャツにパッチワークのワンピースを合わせたスタイル。ダンガリーシャツは裾を結んでご自分なりのアレンジをきかせている。当時は、赤文字系ファッション誌できれいめファッションが取り上げられた最後の年で、その後、ナチュラル・カジュアルへ転換していったのがこの頃。 【3】 【4】同じ入学式スタイルでもこんなに違う 左は2013年4月学習院大学文学部教育学科へ入学式に向かう佳子さま。右は2015年、前年にAO入試で合格した国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科の入学の1枚。スーツは同じだが、高校卒業後すぐの入学式とその2年後、真っ黒ストレートヘアから少し明るい髪色でふんわり毛先を遊ばせたスタイルに変身している。 【4】 【5】母と娘たちコートの着こなしも様々 2017年2月28日ベトナムへ出発する天皇、皇后両陛下(当時)を見送る紀子さま、眞子さま(当時)、佳子さまは3者3様のコートスタイル。佳子さまはダブルブレストコートでウエストに切り返しがあり脚長効果も。つばがやや広めのしっかりした帽子で小顔効果もありスタイルよく見える。 【5】 【6】真っ白なワンピーススーツで外国訪問へ 2019年9月15日オーストリアとハンガリーを公式訪問するため、羽田空港を出発する秋篠宮家の次女佳子さま。光沢のある真っ白なワンピーススーツで清楚な感じもしつつ、程よいフレアスカートでかっちり過ぎず23歳らしいフレッシュな印象に。よく見るとストッキングもナチュラルベージュではなく光沢がある白っぽいものにしていて、そのコーデは完璧過ぎる! 【6】 【7】アイテムのチョイスが絶妙 2019年12月の25歳のお誕生日前に公開された秋篠宮邸の庭を散策する佳子さま。佳子さまが着ているダッフルコートと言えば紺色かキャメルカラーが定番。それを鮮やかなスカイブルーで、しかもショート丈のチョイスはかなりのオシャレ上級者!? 写真では見えにくいがワイドパンツとのコーデをしていて年齢相応の大人カワイイも演出。 【7】 【8】「姉が主役」のため落ち着いた装い 2021年10月26日眞子さま(当時)を見送る秋篠宮ご夫妻と佳子さま。あまりに有名になってしまった姉妹のしばしのお別れのシーンだが、嫁ぐ姉に寄り添う佳子さまはグッとシックな装い。「この日は姉が主役」とTPOをわきまえられた気持ちの表れも感じられる。 【8】  前出の西出さんは、着こなしにはTPOをわきまえることの大切さを指摘する。 「身だしなみや服装において、一般的に大事なことはTPOです。私はマナーの専門家として“P”をさらに2つ加えていてTPPPOと言っております。TはTIME(時間)、PはPLACE(場所)、私が加えるPの一つ目はPERSON(人)。どんな人と一緒にいるか、どんな相手と接するのかによって服装や身だしなみが変わります。もう一つのPはPOSITION(立場)です。例えば、結婚式の服装で言うと、親族なのか友人なのか立場で変わりますよね。この2つのPがとても大事なのかなと思っています。佳子さまの今回の式典の話しに戻すと、今回の“みどりの感謝祭”というのは、樹木や草花を大切にしていく気持ちが、しっかり服装に表れていたなと思いました」(西出さん)  佳子さまの今回の装いを見ても、ファッションの変遷をたどってみてもなかなかの上級者なのかもしれない。(AERAdot.編集部・太田裕子)
上島竜兵さん、渡辺裕之さん 続く60代の急死に精神科医は「老人に着地していくことも必要」
上島竜兵さん、渡辺裕之さん 続く60代の急死に精神科医は「老人に着地していくことも必要」 上島竜兵さん(左)と渡辺裕之さん  ダチョウ倶楽部のメンバーで、お笑い芸人の上島竜兵さんが5月11日未明、死去したことがわかった。その約1週間前の3日には、俳優の渡辺裕之さんが、横浜市の自宅で急死したと発表されたばかり。  10日、渡辺裕之さんの妻で女優の原日出子さん(62)は、所属事務所の公式ホームページを通じてコメントを発表した。 「(夫は)『眠れない』と体調の変化を訴えるようになり、自律神経失調症と診断され,一時はお薬を服用していましたが、またお仕事が忙しくなって、元気を取り戻したようでもありました。しかし、少しずつじわじわと、心の病は夫を蝕み、大きな不安から抜け出せなくなりました」  なぜ、このような悲しいことが起こるのか。上島さんは61歳、渡辺さんは66歳。両者とも60代の男性で、仕事も続けていたなど共通点は少なくない。  精神科医の片田珠美氏はこう語る。 「一般的に60代になると初老期うつ病を発症しやすいと言われています。これは50代から60代半ばの初老期に発症するうつ病で、何らかの喪失体験がきっかけになることが多い」  喪失体験とは、本人が大切なものを失ったと感じて「自分はもうダメだ」と思い詰めるような体験だという。 「例えば、コロナ禍の影響で経済的損失があったのならば、それは喪失体験です。思い通りに体が動かせなくなったとか、理想とする体形ではなくなったとかいう場合も、喪失体験と受け止められやすい」(片田氏)  精神科医の香山リカ氏も、「60代の初老期うつ病というのはけっこう起きやすいものです」と語る。 「60代で、それまで社会的にも活躍していたような男性だと、年齢的にも体力的にも、これからだんだんと高齢者になっていく中で、どのように自分を高齢者として着地させていくのかが大きな課題になります」  周りから「明るくて元気でタフ」、「頼りがいがある」、「いつまでも若い」というイメージで見られている人ほど、「老いてきた自分をなかなかみせられない」という葛藤が生じやすいという。 「60代でも、まだまだ元気で若く、新しいチャレンジをするというのは理想の生き方としてありますが、60代なりの老いの兆候や体の不調というのは誰にでも出てくるもの。少なくない人が年齢に関係なく、若さを保っている時代だからこそ、自分のイメージと現実のギャップに、想像以上に苦しんでいる人がたくさんいると思います」(香山氏)  老いるに老いられない時代。個人差もあるだろうが、「一生現役」と考える人も少なくない。 「老いの兆候があると、ものすごくショックを受けたり、それを自分で否定しようとしたりする人は少なくありません。そして、『いっそのことここで命を絶って終わりにしたほうがいい』『老いていく自分を自分で認められない』と考えてしまう」(香山氏)  それではどうしたらいいのか。 「エイジング(加齢)によって、体に痛みが出てきて動かしにくくなる。元気で明るくと思っていても、気分が上向かないこともある。肉体は衰え、気力もなくなって、記憶も低下するというのは、ある意味では自然の摂理です。いつまでも若い時みたいに元気で明るくいられるわけではありません。難しいことですが、そういう現実を少しずつ受け入れていくことが大切だと思います」(片田氏)  いくつになっても元気で若々しく美しい人というのはいるものだ。 「それは素晴らしいこととは思うんですけど、やっぱり60代、70代ということを自分で認めて、あんまり無理せずに老いていってもいいんじゃないかと思います。老いていく自分も面白いんじゃないの、と思います。うまく、老いというか老人に着地していくことも必要なんじゃないかと思います」(香山氏)  今回は60代の芸能人の急死が続いたが、男女差はあるのだろうか。 「どんな国でも、どんな文化でも、どんな時代をとっても、男性の自殺率が女性よりたいがい高いんです。これは男性の方が喪失体験に対して脆弱だからです」(片田氏)  厚生労働省が今年3月に公表した「令和3年中における自殺の状況」によると、昨年1年間に自殺した人は全国で2万1007人。これを年代別に見ると、50代が3618人と最も多く、60代は2637人、70代は3009人、80代以上は2214人だった。じつに、50代以上が1万1478人と、全体の半数以上を占める。男女別では、男性は1万3939人、女性は7068人と、男性の自殺者数が女性の2倍近い。  ともに老いていく伴侶はどう対応したらいいのだろうか。 「元気で若いイメージのまま、ポキッと折れてしまう人もいるので、少しでも歳を感じさせるような行動とか、見た目を含めた兆候とか、足腰が弱くなるとかが出てきたら『一緒に老いるんだし、当然じゃないの』と受け止める。『まだまだあなたはできるはず』と励ますばかりではなくて、夫と一緒に少しずつペースを緩めて生活していくくらいがいいと思います。『老いたあなたもステキよ』と、変化を楽しむ余裕が必要です」(香山氏) (AERAdot.編集部・上田耕司) ◆「日本いのちの電話」相談窓口◆厚生労働省は悩みを抱えている人に対して相談窓口の利用を呼びかけている。◆ナビダイヤル 0570・783・556(午前10・00~午後10・00)◆フリーダイヤル 0120・783・556(毎日:午後4・00~9・00、毎月10日:午前8・00~翌日午前8・00)
急死の上島竜兵さんが残した「山ねこ」のボトル 「会計はいつも竜兵さん」後輩と通ったなじみの店主
急死の上島竜兵さんが残した「山ねこ」のボトル 「会計はいつも竜兵さん」後輩と通ったなじみの店主 ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん  ダチョウ倶楽部のメンバーで、お笑い芸人の上島竜兵さんが11日未明、死去したことがわかった。東京都中野区の自宅で意識がなくなっているのを家族が発見。病院に搬送されたが、午前1時頃、死亡が確認されたという。  上島さんはお酒が好きだった。2015年から行きつけのカフェバーの30代のオーナーはこう語る。 「うちの店には週1回くらいのペースで飲みに来ていました。昔はウイスキーも飲んでいたんですが、そのうち宮崎県産のイモ焼酎『山ねこ』をロックでひたすら飲んでいましたね。食べ物はちょっとつまむぐらいで、もっぱら飲む方でした」  店内には、「上」と書かれた、上島さんが入れた「山ねこ」のボトルがあった。まだ少ししか飲んでいないままだった。 「ボトルが空になると次にまた入れるという感じでした。1人でも来ましたが、たいてい、後輩芸人を1人から3人連れて来ました。会計はいつも、竜兵さん。先輩、後輩がきっちりしていました」  長い付き合いのオーナーには素顔を見せることもあった。 「竜兵さんは自分を『出無精』だと言ってました。自宅で過ごすのが好きだった。『そんな自分を無理やり外に連れ出して、何かやらせる企画が面白いんじゃないか』とか冗談を言ってました」  上島さんは自宅での映画鑑賞を趣味にしていた。 「とくに渥美清さんが寅次郎を演じる『男はつらいよ』(シリーズ48作)がメチャメチャ大好きでした。何回も繰り返し見ていると話していました」  飲んでいても、お笑いの話をするのが常だった。 「『あいつのボケはダメ、こいつのツッコミはいい』という話とか、とにかくお笑いの仕事の話ばかりしていました」 たまに妻でタレントの広川ひかるさん(51)と夫婦でやって来ることもあったという。 「夫婦仲は良さそうでした。2人でずっとしゃべってましたから。ひかるさんのインスタを見ても、『今日は夫が料理を作ってくれた』とか書いてあって、仲のよさがうかがえました」  最後に店に来たのは2020年の秋頃。 「コロナ禍になって、竜兵さんの足が遠のいてました。また、コロナが落ち着いたら来ていただけるのかなと思っていたら、こんなことになってしまった」 上島さんが入れた「山ねこ」のボトル(撮影/上田耕司)  上島さんの行きつけの喫茶店の店主(47)は「おとなしい人でした」と話す。 「うちには午後3時頃やってきて、ホットコーヒー(450円)の注文が多かったです。夏はアイスコーヒーでした。いつも砂糖もミルクも入れず、ブラックで飲みながら、スポーツ紙を読んでいました。テレビのお笑い番組でみるような感じではなく、気さくだけどおとなしい人でした。上島さんはタバコを吸うから、タバコのためにうちにやって来ていたんでしょう。2年前、受動喫煙防止条例が制定されてからは、店でタバコが吸えなくなり、上島さんもほとんどお見えにならなくなりました」(喫茶店店主)  上島さんが死去する4,5日前にあいさつを交わしたという。 「自宅マンション1階のエレベーターホールの周辺で見かけました。上島さんの方から『こんにちは』とあいさつしてきて、普段と変わらなかったです」  知人らによると、自身が出演したドラマの話をするのがとても好きだったという。「俳優・上島としての仕事も、もっと見たかった」という声も根強い。  所属事務所は11日、公式ホームページを通じて「あまりにも突然のことで驚きに堪えません。今まで上島竜兵を応援して下さった皆様には心から感謝いたします」とコメントを発表した。 (AERAdot.編集部・上田耕司) ◆「日本いのちの電話」相談窓口◆ 厚生労働省は悩みを抱えている人に対して相談窓口の利用を呼びかけている。◆ナビダイヤル 0570・783・556(午前10・00~午後10・00)◆フリーダイヤル 0120・783・556(毎日:午後4・00~9・00、毎月10日:午前8・00~翌日午前8・00)
昭和感漂う「個性派ドライブイン」 映画・アニメ聖地と“映え”で脚光
昭和感漂う「個性派ドライブイン」 映画・アニメ聖地と“映え”で脚光 惜しまれ閉店「名阪上野ドライブイン」(三重)/ 営業最終日には多くの客が駆けつけた  大型のショッピングセンターや「道の駅」といった新しくて便利な施設に押され気味のドライブイン。だが最近は、個性的な店構えやサービスが改めて見直されている。レトロな雰囲気を味わえる場としても魅力的だ。注目のドライブインを紹介しよう。  55年間のご愛顧ありがとうございました──。  三重県伊賀市の名阪上野ドライブインが3月末、閉店した。店は1965年に開通した名阪国道沿いにあり、翌66年9月に開業。伊賀忍者で知られる伊賀市にあることから「忍者ドライブイン」と呼ばれ、国道を通るドライバーや地元の利用客に長年親しまれてきた。  かつては関西方面から来る伊勢神宮への団体旅行を中心に、大型バスや家族連れでにぎわった。90年代には年8万台のバスが来たこともあったという。  しかし、旅の形はやがて、団体旅行やバスツアーから個人旅行が主流になった。順次開通した新名神高速道路の影響で、車の流れも変わった。コロナ禍が経営悪化に追い打ちをかけ、運営会社の三交興業(三重県亀山市)は今年1月にやむなく閉店を決めた。  最後の営業日と聞いて駆けつけた70代の女性は「子どもを連れて来たこともあるので残念。孫ももう大きくなったし、これも時代の流れかな」と名残惜しそうに建物を見回した。  ドライブインと聞いて、その姿をぱっと思い浮かべられる人は少なくなったかもしれない。「そういえば最近見かけないな」と感じる人もいるだろう。  ドライブインは一般的に、国道や県道など主要な幹線沿いや、観光地周辺で食事やおみやげ、休憩場所を提供する施設を指す。トラックや観光バスがとめられる大きな駐車場があるのも特徴だ。明確な定義はなく、店名に「ドライブイン」と銘打つところもあれば、食堂や土産物屋の形で運営する店もある。  経済成長に伴って60年代から急速に進んだ自動車の普及や団体旅行ブームに乗り、全国各地に相次いでできた。業界団体「日本観光施設協会」(旧・日本ドライブイン協会)によれば、ピークの70年代には全国で1千軒を超えたという。  協会で事務局長を務める石田光二さんは言う。 「国内ツアーを扱う旅行会社と連携する店の数などから推測すると、現在は数百軒ほどに減ったと見込まれます。高速道路やバイパスといった交通網の整備に伴い、店の前を車が通らなくなったり、充実した設備のある高速道路のサービスエリア(SA)やパーキングエリア(PA)が増えたりしたためです。後継ぎが見つからずに店をたたむケースもあります」  国土交通省が管轄する「道の駅」や、大きな駐車場のあるコンビニ、ショッピングセンターなどもドライブインにとっては脅威だ。道の駅は国交省への登録が必要で、市町村や「公的な団体」が運営する。ドライブインとは対照的に、事業が正式に始まった93年から今年2月までの約30年で1194件に増えた。単純に計算すると、年平均40件近くが新しくできるペースだ。  だが、全国各地に元気なドライブインはまだまだある。 「映画やテレビドラマのロケ地巡りをするお客さんに加え、3~4年前からは『昭和レトロ』な雰囲気を写真に撮りたいという若い人たちが目立つようになりました」と話すのは、ドライブイン七輿(ななこし、群馬県藤岡市)代表の木村清さん(74)だ。 レトロ自販機で昭和を満喫「ドライブイン七輿」(群馬)  店には、うどんやラーメン、そば、チーズバーガー、トーストといった食べ物を出す自動販売機がずらりと並ぶ。いずれも、すでに自販機メーカーも製造や販売をやめた年代物ばかり。故障も多く、動かなくなった自販機から使える部品を取り出し、自前で直しながら使い続けている。 「手間はかかりますが、自販機を目当てに来てくれるお客さんは多い。修理に時間がかかっても、何も言わずに待っていてくれます。ありがたいことです」(木村さん)  地元で桜の名所として人気の旧跡「七輿山古墳」と隣り合わせで、平日は地元客や休憩に立ち寄るサラリーマン、休日はバイクやスポーツカーの愛好家、家族連れの観光客らが集う。平日はラーメンが50杯前後、うどんやそばが約30杯ずつ、週末にはその倍くらいが売れる。自販機で扱う料理の仕込みや店の経営は、妻のふじ子さん(71)と夫婦で切り盛りする。 代表の木村清さんと妻ふじ子さん。 店内に懐かしい自販機やゲームが並ぶ/ドライブイン七輿  創業は75年8月。当時、県内で増えていた自販機売り場に目をつけた木村さんが、脱サラして始めた。「デコトラ」や走り屋の集まりがあったり、カラオケイベントの会場になったりしたこともある。当初5~6台だった自販機は、ピーク時には40台近くまで増やした。  ただ80年代に入り、周りにコンビニができ始めると売り上げは減少に転じた。近くにバイパスができ、店の脇の交通量も減った。自販機を半分に減らし、調理師を雇って食堂を始めたり、ゲームコーナーを併設したりしてやりくりしてきた。  経営が上向きに転じたのは、約20年前にVシネマの撮影が行われたことがきっかけだ。昭和を感じさせるレトロなたたずまいが注目され、その後、歌手の山崎まさよしさんが主演の映画「影踏み」や、横山秀夫さんが原作のNHKテレビドラマ「64(ロクヨン)」といった作品のロケ地になった。情報番組でも取り上げられ、埼玉県や関西地方など県外から訪れる客が多くなったという。 「私たち夫婦も機械も、動く限りは頑張るつもり。いずれは息子が継いでくれるでしょう」(同)  大川オアシス(香川県さぬき市)も、昭和レトロブームが追い風になっている。店長として35年以上切り盛りしてきた本村佳子さん(66)は言う。 絶景〝映える〟「大川オアシス」(香川)/瀬戸内海が一望できるテラス席 「25年ほど前に高速道路が近くにできてからお客さんは減り続け、コロナ禍も打撃となりました。でも、昨秋に人気番組『超無敵クラス』(日本テレビ系)、今年1月に朝日新聞で紹介してもらってからお客さんは一気に増えました。今では大阪や東京など全国からお見えになります」  店は高松市と徳島市を結ぶ国道沿いにある。瀬戸内海をのぞむ食堂や喫茶のテラス席からは、小豆島や淡路島が一望できる。メニューには、開店当初から出しているというナポリタンやオムライスといった定番の洋食のほか、クリームソーダや果物ジュース、パフェなど昭和世代には懐かしい食べ物や飲み物が並ぶ。たくさん食べたい人は、近くの海でとれた新鮮な魚を使った刺し身やすし、地元の名物「たらいうどん」もある。 クリームソーダはSNSなどで人気/大川オアシス 造りの洋館のような外観/大川オアシス  オープンは東京五輪直前の64年7月で、「国内のドライブインの中でも早いほう」(本村さん)。運営する親会社、大川バス(さぬき市)の当時の専務が米・サンフランシスコで見たドライブインに触発され、店を出すことに決めた経緯がある。  高速道路の開通後、長く苦しい時期は地元の常連客に支えられ、乗り切った。客足は今ではコロナ前の1.5~2倍の水準まで回復した。ガラス窓から見える瀬戸内海を背景に撮影すると写真映えがするとして、人気のクリームソーダは1日あたり平均20~25杯の注文がある。本村さんは「しばらくは元気にやっていかなきゃと思って頑張ります」。 メディアなどでよく取り上げられるドライブインはほかにもある。ドライブイン七輿の近くにある茂木ドライブイン(群馬県下仁田町)は同町出身のタレント、井森美幸さんがデビュー前にアルバイトをしていたことで知られる。食べ放題の「みそおでん」や、山小屋風のユニークな店構えが名物だ。舞木(もうぎ)ドライブイン(福島県郡山市)は、テレビドラマ「孤独のグルメ」(テレビ東京系)に登場。休日には松重豊さん演じる主人公が食べた「焼肉定食」や「ぞうりぱん」を目当てに行列ができることもある。  こだわりの鳥料理が人気のドライブイン鳥(佐賀県伊万里市など)は、佐賀県が舞台のテレビアニメ「ゾンビランドサガ」の“聖地”の一つ。アニメには、主人公らがこの店のキャンペーンガールを務めたエピソードがある。訪れたファンは、店の写真をSNSに思い思いに載せる。写真映えするかや、映画やアニメの聖地かどうかは、集客を左右する要素になりつつある。(本誌・池田正史)※週刊朝日  2022年5月20日号より抜粋
「フルリモート求人」の落とし穴 「チャットで公開処刑」された38歳男性の場合
「フルリモート求人」の落とし穴 「チャットで公開処刑」された38歳男性の場合 写真はイメージ(GettyImages) 「日本全国どこに住んでもOK!」をアピールするフルリモートの求人。少し前までなら考えられなかったような“転職なき移住”も一部企業では認められつつあり、テレワークの普及などから、“出社しない働き方”は浸透し始めている。これからの「働く」をAERAdot.と一緒に考える短期集中連載「30代、40代の#転職活動」。第2回目のテーマは、テレワークのリアル。その前編では、「フルリモート可」の求人に飛びつき転職した、ある男性の話から、隠れた実態が見えてきた。 【後編はこちら】憧れの「フルリモート職場」のシビアな現実 「安易に応募すると痛い目に」専門家が指摘 *  *  *  九州地方在住のAさん(38)。昨年、東京から地元である九州に、同郷の妻と子どもを連れてUターンした。「いずれは地元に帰りたい」と考えていたが、東京での仕事や生活も充実していたことから、Uターンは遠い未来のつもりだった。  そんな中、2年前に2人目の子どもが産まれた。妻も共働きで、2人目の出産後も「仕事を続けたい」という希望があったが、東京には頼れる身内もいない。子育て環境も踏まえて考えると、九州に引っ越す選択肢もありかもしれないと考えるようになった。時を同じくしてコロナが広がり始め、時間や場所にとらわれない新たな働き方が広がり始めたことも、決断の後押しになった。  問題は、仕事をどうするかだ。都市部から移住を考えるときに、多くの人にとって目下の課題となるのが、地方でどんな仕事をするかという点だ。当時、Aさんが勤めていたのはIT企業の営業職。リモート勤務は認められていたが、週に1~2日は出社が必要で、地元に引っ越すなら今の会社で働き続けることは難しい。「できれば地元に帰っても、IT分野でこれまで培った経験を生かしたい」と考えたAさんだが、地元企業には「これ」と思えるところがない。そこで目をつけたのが、出社を求められない“フルリモート求人”だった。  テレワークが広がる中、居住地を「国内であればどこでもOK」とする企業は少しずつ増えている。「基本的に出社しなくて可」という求人は、IT系の業種に多く見られる。背景には、IT人材の不足が指摘される中、柔軟な働き方ができることを求職者にアピールし、人材の獲得競争で優位に立ちたいという企業側の狙いもある。  Aさんは、そうしたIT企業数社のフルリモート求人に応募。結果的に、二度のオンライン面接とリアルの場での最終面接を経て、東京に本社があるIT企業で、フルリモート勤務可の職に就くことができた。入社して最初の2週間は、研修や手続きを兼ねて本社に出社。入社3週間目には九州にある自宅で、リモートワークをスタートさせた。  晴れて手に入れたフルリモート環境。だが入社してほどなく、オンラインでのコミュニケーションの難しさにぶち当たることになる。例えば、リモート環境では、同僚などに“ちょっとしたこと”が意外と聞きづらい。「電話で聞いた方が早いだろう」と思い、先輩社員や同僚の電話を鳴らすと、「電話だと作業が中断してしまうので、質問はなるべくチャットでお願いします!」と返ってくる。9割方の社員がリモートワークというAさんの勤務先では、会議以外のコミュニケーションは、基本的にチャットなのだ。 写真はイメージ(GettyImages)  仕事の案件ごとに、それぞれの担当者で構成されるチャットルームが開かれており、定期的に上司が各ルームで繰り広げられている会話を“徘徊”し、チェックしてまわるのも常だ。時折、上司から「ルーム全体の熱量が低い」「質問するときはポイントを分かりやすく」「即レスで対応すること」などと指摘の声が飛んでくる。各チャットルームは、通知機能はないものの、全社員が見られる状態のため、そこで叱責されると“公開処刑”とも言える事態になる。  テキストでのコミュニケーションは、簡単な内容であっても意外と時間がかかるものだ。特に入社して間もないときは、ごく簡単な内容であっても、言葉のニュアンスに気を遣うことが多く、返信を書くにも時間がかかった。Aさんが返信を書く前に、チャットルームはどんどん次の話題に移っていき、ネット空間で置いてけぼりにされている感覚が生まれた。 写真はイメージ(GettyImages)  オンラインでのコミュニケーションでは、とかく「要件のみで終わらせる」ことが重視されがちで、雑談がしづらいということも、フルリモートで働き始めてから分かったことだ。オンライン会議も、予定時間内に会議を終えることが前提でスタートされるため、タイムキーパー役が一人一人の発言時間を管理する。まどろっこしい説明を始めてしまうと、「要点を整理してからチャットで連絡して」と言われてしまう。よく言えば効率的、悪く言えばあまりにドライなコミュニケーション。Aさんは次第に、こうした“リモート流儀”に辟易する場面が増えていった。  これまでの環境であれば、こうした時にはガス抜きに、同僚と飲みに行って愚痴を発散させたいところだ。しかしフルリモート環境ゆえに、同僚はオンライン上にしかいない。入社1年が経った今も、気軽に愚痴を言えるような相手は会社にいないという。  無論、マイナス面ばかりではない。通勤に時間を取られることもなく、自宅で仕事ができる快適さもある。家族と一緒に自宅で朝昼晩と食事を共にすることができるし、自然豊かな環境で過ごせるメリットも大きい。都会に比べて物価の安い地方で、東京の給料水準の年収を稼ぐことができるのも大きな魅力だ。  ただ入社から1年経ち、入社前は良いことばかりに見えたフルリモート職にも、向き不向きがあるということが分かってきた。Aさんはすぐに仕事を変えるつもりはないが、並行して地元企業の求人もチェックするようになった。2人目の子どもが保育園に通い始めたら、地元企業に転職することも選択肢の一つだという。 「フルリモートで働いてみて、人と直接やり取りできるメリットは、やはり大きいと感じます。それにせっかく地元に戻ったのに、日々コミュニケーションを取る相手は他県の人ばかりというのも……と思うようになりました。金曜の夜に、同僚と気軽に飲みに行く楽しみも、僕にとってはかえがたい日常かもしれないとも感じます。転職はまだ検討段階ですが、結局はフルリモートを辞めるかもしれません」(Aさん)  フルリモート求人の誘い文句にある「基本出社ナシ」は、もちろんいいことばかりではない――。(松岡かすみ) 【続きを読む/後編】憧れの「フルリモート職場」のシビアな現実 「安易に応募すると痛い目に」専門家が指摘
和泉元彌、羽野晶紀の長女・和泉采明&いとこ・慶子 大学生“女性狂言師”の2人が語る狂言への思い
和泉元彌、羽野晶紀の長女・和泉采明&いとこ・慶子 大学生“女性狂言師”の2人が語る狂言への思い 和泉慶子さん(左)と采明さんはともに大学2年生。神田明神内のEDOCCO文化交流館にて(撮影/上田耕司)  5月17日、20歳と19歳の女性狂言師2人が、国立能楽堂(東京都渋谷区)の舞台に立つ。和泉元彌、羽野晶紀夫妻の長女・和泉采明(あやめ)さんと、元彌さんの姉で“史上初の女性狂言師”和泉淳子さんを母に持つ、慶子(きょうこ)さんだ。采明さん、慶子さんはともに現役大学生で、いとこ同士。幼いころから切磋琢磨してきた。晴れの舞台を前にした2人に、狂言への思いからプライベートまで、話を聞いた。 *   *  * 「今年女性狂言師は50年の節目を迎えますが、プロの狂言師の世界で女性は、私と妹の十世三宅藤九郎の2人だけ。私たち女性狂言師の歴史を継ぐのが彼女たち2人」と、和泉淳子さんは語る。  室町時代から600余年にわたって続いてきた狂言には、大蔵流と和泉流の2流がある。 「和泉流では、大人のプロになるためには、『奈須與市語(なすのよいちのかたり)』と『三番叟(さんばそう)』の2曲を必ず披(ひら)いて(=初演して)いかなければならない」(淳子さん)  采明さんも慶子さんも、そのうちの『奈須與市語』は既に勤めた。 「ある一定以上の大曲を初めて演じることを“披キ(ひらき)”と言います。采明は昨年12月、『三番叟』を披きました。5月17日の舞台では、今度は慶子が『三番叟』を披き、采明は相手役となる『千歳(せんざい)』を勤めます。2人の女性狂言師に同等の力がないとできません。一生に一度しかやって来ない、かけがえのない“披きの日”となります」(淳子さん)   女性狂言師として将来を背負う采明さんと慶子さん。「インタビューを受けるのは初めて」と初々しく答える2人に、家族、親族が見守る中で話を聞いた。 ──2人は小さいころから一緒に遊んでいたんですか? 采明「もう、いっぱい。小さいころからずっと一緒です」 慶子「毎日のようにお稽古をするので、放課後はいつも顔を合わせます」 ──采明さん、慶子さんはともに大学2年生ということですが、大学では何を学んでいるのですか。 羽野晶紀さんの長女・和泉采明さんといとこの和泉慶子さん(撮影/上田耕司) 采明「私は国際系の学部で外国語の勉強をしつつ、国際政治、平和研究、環境問題、比較文化など幅広い視点から国際社会を学んでいます」 慶子「私は上智大の総合グローバル学部で、世界各地の紛争、貧困、移民など地球規模の課題について、グローバルとローカルの視点からどのようにしたら解決できるか、そのアプローチなどを学んでいます」 ──2人とも、3歳で舞台に立ったそうですね。お互いの長所はどこですか? 采明「いっぱいあります!その中の一つは、慶子ちゃんは本当に周りをよく見ているから、私よりいろいろな場面で“気づき”が多い。お手伝いをする時も、一歩先を見ていて、すごく早く動きます」 慶子「采明ちゃんは、そばにいる人をいつでも元気にしてくれます。場をなごませますね。そこがいいところ。采明ちゃんという存在がいてくれて、私はがんばれると感じる瞬間が、これまでの19年間の中でたくさんありました」 ──狂言は室町時代に生まれたコメディー、笑いの芸術だと言われます。「狂言って何?」と聞かれたら、どう答えますか。 采明 「うーん、そう聞かれると難しい。自分の中で狂言の定義はないのですが、聞かれたら『昔のお笑いだよ』と説明しています。登場人物にはみんな弱みがあったりして、その弱みを見せるから面白くて、かわいいって思える。そういうところに惹かれながら演じています」 慶子「室町時代から伝わってきたものなので、ああ昔の人は、こんなふうに笑うんだとか、こんなふうに感じていたんだとか、狂言を通じて体験しています。人間にはこんな変わらないステキなところがずっとあるんだなと、その人間くささがたまらなく好きなところです」 ──お二人の話で、何だか狂言を見たいという気持ちになりました。普段はどんなことが好きですか。 采明「絵を描くのが大好きですし、ファッションも好きです。特にTシャツがすごく好きで、ユニークなデザインのTシャツをつい集めてしまいます!自然も大好きで、緑の多い公園とか海に、友達とよく行きます」 慶子「私は音楽が好き。歌うこと、ギターやピアノを演奏することですね。中学、高校の部活は、軽音楽部でバンドを組んで、ベースギターとボーカルを担当していました。洋楽より邦楽が好きですね。J-POPの曲をいつも聴いています」 女性狂言師4人。左から和泉淳子さん、慶子さん、采明さん、三宅藤九郎さん(撮影/上田耕司) ──慶子さんは声がいいようですね。狂言をやりながら、歌手や女優をやってもいいんでしょうか? (一同いっせいに、元彌さんのほうを見る)) 元彌「大丈夫です。狂言師という軸足がぶれなければ、全然、禁止はしません(笑)」 ──慶子さんのお母さまの淳子さんは33年前の1989年、“史上初の女性狂言師”として、国立能楽堂でお披露目の舞台を踏みました。どんなお母さまですか? 慶子「私たちにいつも稽古をつけてくれるのは宗家(元彌さん)ですけれども、母も母の妹の三宅藤九郎先生も、私たちの師匠なんです。だからこそ厳しいところもあって、私は小さいころ、『お母さんなんて大嫌い』、もっと小さい頃は『ママなんていらない』と、言い放ったことがあったらしいんです。でも、19歳になったいまも、私がいろんなことに苦悩している時に絶対そばにいてくれるので、大切にしてくれているというのがやっとわかるようになりました」 ──采明さんのお父さんは和泉元彌さん。家では「師匠」と呼ぶのですか。 采明「普段は『とと』と呼んでいます(笑)。子どものころからずっと稽古をつけてくれるのはお父さんです。まだ物心がついていない時からずっと師匠でした。芸にはすごく厳しい。言われたことができてない時が一番厳しいですね。父から『わかってないのか、やろうとしてできてないのか、ハッキリしろ』と叱られる時もあります」 ──采明さんのお母さまは女優の羽野晶紀さんですが、家庭ではどのようなお母さまですか。 采明「お母さんは面白くて、友達みたいに気軽に話ができる人。お買い物とかも一緒に行きます。一緒にいろんなことを楽しんでいます。家族といる時間がすごく楽しい」 ──お二人は、どんなタイプの人が好きですか。 采明「素直な人がステキだなと思う。楽しい時に楽しいね、とか素直に感情を出せるってすごい魅力。あとは、愛が大きい人がステキだなと思います」 慶子「私は一緒にいて、楽しくもあり、安心できる人がいいです。お互いが窮屈になる関係じゃなくて、何かあったら、そっとお互いそばにいて、悲しいこともうれしいことも半分こ。自分をどんどんさらけ出して、一緒にたくさん笑える人」 ──好きな歌手や俳優はいますか。 采明「ずっと、(アメリカ人歌手の)テイラー・スウィフトが好き。いつまでも乙女というかピュアな心を持っている」 慶子「好きな俳優さんはムロツヨシさん。雰囲気がふわふわしていて、いい人そう。4人組ロックバンドの『RADWIMPS』のメンバーや元オフコースの小田和正さんも好きです」 *  *  *  淳子さんは、「5年後、10年後、彼女たちは現代の中で狂言に何ができるのか、考えていくと思います。それにも期待しています」と話す。  2人の祖母で“セッチー”こと和泉節子さんは、女性狂言師の発祥についてこう語る。 「狂言和泉流が始まった584年前から女人禁制ではないんですよ。だけど、武家の時代に女性が男性より前に出ることはほとんどなかった。だから女性狂言師が生まれなかった。世界がグローバル化を迎えるなか、私の夫の19世宗家和泉元秀は『狂言が先すぼみではいけない、末広がりにしたい』と考え、娘の淳子、藤九郎の2人に1歳半から狂言を教えたんです」  節子さんは、采明さん、慶子さんについての思いを、こう話した。 「淳子、藤九郎の2人に次いで、女性の孫2人が女性狂言師を継いでくれる。私から見ても、この2人は狂言が好きですから、飽きることなく、尽きることなく、自分の道を突き進んでもらうことを願っています」(節子さん)  彼女たち2人が狂言の世界でどんな個性を見せるようになるのか。楽しみだ。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
酔って妻にチュウを懇願するのは避けねばならぬ 53歳になった俳優・佐藤二朗の誓い
酔って妻にチュウを懇願するのは避けねばならぬ 53歳になった俳優・佐藤二朗の誓い 俳優、脚本家の佐藤二朗さん 個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は、年齢について。 *    *  * なったぜ。  俺、53歳になったぜ。5月7日で、俺、53歳になったんだぜ。  過去、幾度となく、当コラムで、俺の精神年齢の低さに関して言及してきた。  ソワソワする。浮かれる。テンパる。わりと頻繁に奇声を発する。しかも発した自覚があまりない。すぐに妻に頼る。その日の出来事をすべて妻に話したくなる。妻(母)に話を聞いてもらう権を息子と熾烈に奪い合う。息子と野球盤とかで遊ぶと28対0みたいなスコアで勝利する。その勝利にわりと歓喜する。妙な自作の言葉を突然口走る。しかも口走った記憶がわりとない。妻のことを「お母たぬ」と言う。折り畳み傘がうまく畳めない。静電気が怖い。方向音痴である。カバンを持つとかなりの高確率で肩ヒモがグニャグニャになる。そのグニャグニャの肩ヒモをなかなか自分で直せない。肩ヒモを直せないのに足が31センチもある。足が31センチもあるのに短足。短足なのに顔が大きい。顔は大きいのに気は小さい。  なんか、だんだん腹が立ってきたし、最後の方は精神年齢の低さとはなんら関係のないことを書いてしまったが、しかし一方では、白髪は増え、老眼は容赦なく進み、お酒にも少し弱くなり、カルビなどの脂身が多い肉はあまり食べられなくなった代わりに、漬け物とかシラスおろしなどのサッパリ系を好むようになり、思いついたダジャレを口にしないと気が済まなくなり、要するに老化は徐々に、そして確実に俺の元に訪れている。  もう終わりにしなければならぬだろう。精神年齢の低さをネタにすることはもう終わりにしなければならぬ。53歳になったことを機に(←わりと毎年言ってる)俺は歳相応の精神年齢に飛躍しなければ。だって大人だから。俺、53歳の大人なんだから。  思えば昨年は「精神年齢8歳の52歳児」を標榜していた。標榜はしていたが、わりと実は冗談のつもりだった。するとラジオ番組でプロの占い師さんから「佐藤さんの精神年齢は11歳です」と言われた。わりと近かった。あんまし冗談じゃなかった。さらにテレビ番組で別の占い師さんから「6歳です」と言われた。冗談で標榜していたことが、むしろ2歳ほど背伸びしていたことが発覚した。いよいよあとがなくなった時、また別の占い師さんから「15歳です」と言われて、ガッツポーズした。   ガッツポーズではない。50代の大人が15歳でガッツポーズしてる場合ではない。しかもその占い師さんは「まあ大体、13歳から15歳ですね。中坊です。佐藤さんはどうあがいても、15歳を上回ることは未来永劫ないでしょう」と血も涙もないことを仰っていた。  散歩していたら、突然激しい尿意に襲われ、「お母さーん!もれる!もれそう!家まで!家までもたんかも!」「もれる!もれそう!」「ああああああああああ!」(すべて原文ママ)と立て続けに3通のメールを妻に送りつけ、そのすべてを妻に無視されるという事態は今後、避けねばならぬ。これ、ツイッターに書いたら多くの方々が「メール書いてる暇があったら家路を急いで」とのリプだったが、ホントその通り。53歳になった今、急に尿意を催した場合、妻にメールする前に家路を急ぐことを俺は学んだのだ。  酔って寝る前に「ねええぇええぇええ!いいじゃんいいじゃん!1回だけぇええぇええ!1回だけだからぁあああぁ!チュウゥゥウウウウ!ほっぺにチュウゥウウウウ!1回だけほっぺにチュウゥウウウウ!」と妻に懇願する事態も53歳になった今、避けねばならぬ。53歳になる前から避けるべきだった。キモい。普通にキモい。息子には「キモいという言葉は誰かを傷つけるかもしれない言葉だからあまり使わないで」と言っているが、さすがにこれはキモい。自分が自分でキモい。  およ。  結局、53歳初コラムも、精神年齢の低さをネタに書いてしまった。てへ。  この1年も、ひとつよろしく。 ■佐藤二朗(さとう・じろう)/1969年、愛知県生まれ。俳優、脚本家、映画監督。ドラマ「勇者ヨシヒコ」シリーズの仏役や映画「幼獣マメシバ」シリーズの芝二郎役など個性的な役で人気を集める。著書にツイッターの投稿をまとめた『のれんをくぐると、佐藤二朗』(山下書店)などがある。96年に旗揚げした演劇ユニット「ちからわざ」では脚本・出演を手がけ、原作・脚本・監督の映画「はるヲうるひと」(主演・山田孝之)がBD&DVD発売中。また、主演映画「さがす」が公開中。  
円安を乗り切る! 「パンより米」で生活防衛、投資先は「海外売上高比率」に注目
円安を乗り切る! 「パンより米」で生活防衛、投資先は「海外売上高比率」に注目 年初は1ドル=115円前後だったが……  円安が急激に進んでいる。ついに20年ぶりの水準となった。輸入物価が上昇し続けており、私たちの生活は苦しくなるばかりだ。どのように生活防衛をすればいいのか。有効な資産運用はあるのか。専門家に徹底的に聞いた。 *  *  *  為替相場で円安が進行している。年初は対ドルで115円前後だったが、4月20日に129円を付けた。2002年4月以来、ほぼ20年ぶりの円安だ。当面、円安傾向が続くとの見方が多い。 「円安進行やウクライナ情勢などから年内は物価が上がり続けそう。上がらないのは給料や年金だけで、生活はすごく大変になっている」  こう話すのは、経済ジャーナリストの荻原博子さん。生活防衛策として「地道で細かい積み重ねしかない」という。  荻原さんが勧めるのは、パンや麺より、価格が上がっていないお米を食べること。為替の影響を受けない国産のうえ、昨年の豊作の影響や外食産業の低迷で価格が上がっていないという。  子どものいる家庭なら、おやつ選びにも苦労する。たとえば、ポテトチップは値段が上がっているので、「おにぎりがいい」(荻原さん)。  毎日の食事は減らすことができないため、食料品はできるだけロスをなくすことが大切だ。すでにある食料品を重ねて買わないようにするため、買い物前に冷蔵庫をチェックしよう。値段が安く、品質が安心な大手スーパーなどのプライベートブランドの商品を積極的に活用したいという。  道の駅などの直売所は食料品が安く、インターネットで通販しているところもあるため、利用することを荻原さんはアドバイスする。  電気料金は、原油価格の高騰で値上がりしている。節電はもちろんのこと、電気契約も見直したい。ひところ人気だった新電力は原燃料の高騰で撤退が相次いでいる。原燃料を長期契約で確保している従来の電力会社のほうが、むしろ電気代が安くなっているという。契約するアンペア数も、家族が多かった昔のままなら、引き下げてみるのもいい。電気を使いすぎるとブレーカーが落ちるので、「気をつけて電気を使うようになる」(同)。  趣味娯楽の分野も節約の例外ではない。スマートフォンに入れているアプリは整理したほうがいい。課金されるものもあるほか、不要なアプリが入っていると、スマホの稼働に時間がかかることもあり、バッテリーを消費しやすい。  保険も見直したい。荻原さんは、健康保険でかなりの部分をカバーできているという。一方、民間の生命保険は契約内容にもよるが、一般的には入院しないと保険金は支払われない。また、子どもが大学を卒業するまでに親が亡くなると1千万円程度が支払われる生命保険には入っておくのもいいが、「それ以外は必要ない」(同)。  生活防衛は守りだけでなく、攻めてもいい。持てる技術を生かした副業やアルバイトなどだ。荻原さんは、副業詐欺にはくれぐれも注意してほしいとしながらも、インターネットで探せば、いくらでも募集はあるという。妻が専業主婦なら、パートなどでいいので、共働きを荻原さんは勧める。「家計の状況を一覧表にして、夫婦で共有する。こういうときこそ、夫婦仲良くすることが大切です」(同)  住宅コストも見直し対象になる。住宅ローンがあると仕方がないが、親の住宅をいずれ相続する可能性があるなら、「早めに同居すると相続税が安くなる」(同)。100坪までなら、相続税が8割引きで、2割の水準にまで下がるという。  いまの二世帯住宅はアパートのような構造にできるので、一緒に住んだ親がいなくなった後はアパート経営に切り替えることもできるとも。  東京など大都市に固執しなくてもいいなら、これを機に、生活費の安い地方に移り、リモートで仕事をするのも選択肢になる。荻原さんが徳島県神山町を訪ねると、徳島駅から車で1時間くらいの山の中だったが、IT(情報技術)企業のサテライトオフィスがたくさんあったという。畑つきの家で月3万円ぐらいで借りることができ、仕事をしながら畑仕事も可能だ。子育ての環境もいいと話す。「ライフスタイルを変えて、人生を豊かにするのもいい」(同)  そもそも、どうして円安が進行しているのか。米国では急激なインフレが進行し、これを抑えるため、中央銀行にあたる連邦準備制度理事会(FRB)が利上げするなど、金融引き締め策をとっている。一方、日本は日本銀行が金融緩和を続けており、日米で金利差が拡大している。お金は、より金利の高いほうへと動き、これがドル買い、円売りとなっている。 「米国は年率8%近い激しいインフレが進んでいる。何とか抑えようとFRBが利上げをするなど、いろいろな形で金融を引き締めている」  こう話すのは、松井証券シニアマーケットアナリストの窪田朋一郎さん。一方、日本は景気が米国ほど良くなく、黒田東彦日銀総裁は「円安は輸出企業にプラス」などと述べ、金融緩和政策を続けている。こうしたことから、窪田さんは「円安になりやすい地合いが続いている」と話す。 「いまの円安は、輸入額の拡大などで経常収支の悪化が長期化するとの懸念も背景にあるのではないか」  こう指摘するのは、投資情報会社フィスコのチーフアナリスト、小林大純さん。小林さんは「黒田日銀総裁が金融緩和を見直すと言わない限り、円安は止まらない」とみている。 日銀の黒田東彦総裁は金融緩和を見直すことができるのか  1千兆円規模の財政赤字を抱え、巨額の国債を発行する日本にとって、金利上昇は利払い増大で財政がひっ迫する。国内がインフレになっても、米国のように、利上げに踏み切れない。むしろ、日銀がインフレを容認しているようにも、金融市場はみているという。そこを見透かして、黒田日銀総裁がどこまで金融緩和政策を続けられるのか、投機筋は日銀の対応を試しているのだと窪田さんは言う。  こうして円安が進むなかで、どんな株式投資をすればいいのか。  円安がプラスになる輸出企業の銘柄として自動車メーカーがある。具体的には、トヨタ自動車、日産自動車、ホンダ、スバルなどだ。ドル円相場が1円の円安になると、それぞれ400億円、130億円、120億円、100億円のメリットになるとし、そのなかでも、収益の規模に対して円安メリットが大きいスバルに特に恩恵があると窪田さんはみている。 利上げに動いた場合は……  ただ、長期的に見ると、日本の自動車メーカーは米国市場での販売額が大きく、利上げで自動車ローンの金利も上がるため、売れにくくなる可能性もある。また、「ゼロコロナ政策」を遂行する中国が上海で都市封鎖するなどサプライチェーンと呼ばれる部品の供給網が混乱している。このため、円安でも、自動車株はあまり買われていないともいう。  サプライチェーンが混乱しても、円安の恩恵を受けるセクターとして、窪田さんは海運株に注目する。具体的には、日本郵船、商船三井、川崎汽船の大手3社を挙げる。  資源価格の高騰でメリットがある株として、窪田さんが取り上げるのは、INPEX、住友金属鉱山、日鉄鉱業。資源を取り扱い、海外でも事業を展開する三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、住友商事の大手商社4社にも注目している。  一方、仮に円安がどんどん進み、日銀が金融緩和政策を変更して、利上げなどへ動いた場合は、ゼロ金利政策で業績不振に陥っていた銀行株がおもしろいと窪田さんはみる。具体的には、三菱UFJフィナンシャル・グループ、三井住友フィナンシャルグループ、国内中心に事業展開するりそなホールディングスという。  さらに、円安に関係なく、需要が伸びるのは通信分野で、日本電信電話、KDDI、ソフトバンクに窪田さんは注目する。  小林さんが円安で注目するのは、海外売上高比率の高い企業で、半導体製造装置のアドバンテストや東京エレクトロン、TDK、ホンダなど。ただし、これらは景気敏感株の色彩が強く、長引くウクライナ侵攻の影響などで世界景気が減速すれば逆風となるという。  そこで、内需中心で、コスト増にも耐性がある分野として、小林さんは食品株に注目する。コスト増はあらゆる企業にのしかかってくるが、商品価格に転嫁しやすいブランド力のある銘柄として、日清食品ホールディングス、サントリーホールディングス傘下で飲料や食品事業を中核とするサントリー食品インターナショナルを挙げる。  一方、コスト増の圧力が比較的弱いと小林さんがみているのは、ヤクルト本社、ピックルスコーポレーション。ピックルスはキムチなどの野菜漬物会社で、葉物野菜はそれほど価格が高騰していないという。  医薬品会社も、景気動向に左右されにくいとして、小林さんは武田薬品工業を挙げる。  かつては円安で輸出企業の株価が上昇したが、最近は海外への生産シフトなど為替変動への対応が進み、株価もそれほど反応しなくなったと指摘するのは、マネックス証券チーフ・ストラテジストの広木隆さん。いまの円安について、広木さんは「実質実効為替レートでみて50年ぶりの円安」と話す。実質実効為替レートとは、対象となる全通貨と日本円との2通貨間為替レートを貿易額などで測った相対的な重要度でウェートづけして算出する。  広木さんは、円安効果が得やすい外貨建て資産への投資がおもしろいとみている。例えば、米国株投資だ。一方で、「金融市場は米国の利上げを相当織り込んでいる。これ以上は織り込みにくい。日本からユーロなどへ投資することも考えたほうがいい。投資先をグローバルに見るのがポイント」とも広木さんは話す。  円安メリットのある企業のほか、為替や景気動向の影響を受けにくい企業への株式投資、さらにはグローバルな視野で外貨建て資産への投資などを検討してもいいかもしれない。(本誌・浅井秀樹) (週刊朝日2022年5月6―13日号より) ※週刊朝日  2022年5月6・13日合併号
「全部吹っ飛んでしまえばいい。そして一からやり直すの」 秘匿された旧ソ連の「ノボチェルカッスク事件」を描く
「全部吹っ飛んでしまえばいい。そして一からやり直すの」 秘匿された旧ソ連の「ノボチェルカッスク事件」を描く アンドレイ・コンチャロフスキー監督(Andrei Konchalovsky)/1937年、モスクワ生まれ。「僕の村は戦場だった」(62年)の共同脚本ほか、「パラダイス」(2016年)などがある。全国順次公開中 (C)Produced by Production Center of Andrei Konchalovsky and Andrei Konchalovsky Foundation for support of cinema, scenic and visual arts commissioned by VGTRK, 2020  1962年6月1日、ソ連の地方都市ノボチェルカッスクで労働者たちが大規模なストライキを起こした。市政委員会に勤める共産党員のリューダは「全員を逮捕し、首謀者に厳罰を!」と毅然と言い放つ。だが翌日、労働者たちが次々と銃撃される――。新連載「シネマ×SDGs」の3回目は、実際の事件をもとに描いた映画「親愛なる同志たちへ」のアンドレイ・コンチャロフスキー監督を直撃した。 ――ロシアのウクライナ侵攻が止まりません。現在のモスクワの状況はどうですか?   私が住んでいるのはモスクワから車35分ほどの郊外で、いまのところロシアでの生活に特に変化はありません。しかしこの状況を、いまも心配な気持ちで見守っています。私は世界で自ら戦いたいと思う人を一人も知りません。戦争をしたいと思っている人間なんて一人もいない。でもこの悲劇が起きてしまっています。  アートというものはその時代が平和であろうと戦争中であろうと革命中であろうと、常に同じように人々の琴線に触れていかなければいけないと考えています。アートとは人間の「存在理由」に深く関わるべきだからです。本作は1962年に起こり、ソ連時代終焉まで秘匿されていた「ノボチェルカッスク事件」を描いていますが、実際の事件をそのまま描くのではなく、「人間」というものについて描いたつもりです。60年前の事件を描いたこの作品がいまに、さらに50年後にも同じように響けばうれしいし、そうであってほしいと思っています。 映画の場面 (C)Produced by Production Center of Andrei Konchalovsky and Andrei Konchalovsky Foundation for support of cinema, scenic and visual arts commissioned by VGTRK, 2020 ――ヒロイン・リューダがストライキを起こす労働者側でなく、共産党側の立場だったことが意外でもあり、より深い考察を促していると感じます。どうやってこのストーリーを編み出したのでしょう?   今回はリューダのように厳格な共産党員の人生を分析することに興味を持ちました。私は共産主義を信じている人たちへのリスペクトを持っています。戦後、ソ連だけでなくユーゴスラビア、フランス、イタリアなどにも「共産主義こそが私たちの進む道だ」と心から信じた人たちがいて、それは重要なムーブメントでもありました。 映画の場面 (C)Produced by Production Center of Andrei Konchalovsky and Andrei Konchalovsky Foundation for support of cinema, scenic and visual arts commissioned by VGTRK, 2020  ただ人生とはアンビバレント両面性があり、曖昧なものです。一人の人間のなかにいい人と悪い人が存在し、絶対的な悪も絶対的な善もこの世の中には存在しません。リューダはあるできごとから、自分が真実だと信じてやまなかったものが揺らぎ、壊れてしまいます。自分の信じているものが打ちのめされたとき、人はどういう状況になるのか。そのことへの興味からこの物語が生まれました。人間の心について、掘り下げたかったのです。  私たちの親の世代にはイデオロギー的に厳格な人がたくさんいました。彼らは「自分たちの手で社会を作っていくのだ」というピュアな思いを持っていた。日本の同じ時期においてもそうだと思います。いま振り返ってみると間違っていたかもしれないけれど、当時はある信念を心から信じ、それを追って行動していたのです。私は彼らの行動をジャッジするようなことはしたくありませんでした。すべての人を「人間」として描きたかったのです。 映画の場面 (C)Produced by Production Center of Andrei Konchalovsky and Andrei Konchalovsky Foundation for support of cinema, scenic and visual arts commissioned by VGTRK, 2020 ――社会的な題材を扱っていても、映画は「アート」であり、「人間」を描くものだと捉えていらっしゃるのですね。  その通りです。偉大なるアートには日本の作品も多いですよね。黒澤明監督の作品や、小津安二郎監督の「東京物語」もそうです。彼らの作品はすべてが人間の存在についてのアートだと思っています。人間がなぜ愛し、生き、慈しむのか。人間を動かしているものがなにか、という探求です。私も映画に取り掛かるたびに、人間というものを理解しようという思いで望んでいます。毎回うまくいかないと感じていますけどね(笑) ――監督はアンドレイ・タルコフスキー監督と大学の同級生で「僕の村は戦場だった」(62年)などの脚本を共同執筆されています。タルコフスキー監督は84年に西側に亡命されましたが、監督はロシアで創作を続けていらっしゃいます。  私も1980年代にはアメリカで10年ほど仕事をしました。でもその後、ロシアに戻ったのです。80年代初頭のハリウッドは、私からすればまだシリアスで真剣な映画作りをしていたと思います。しかしその後はティーンエージャーの心を追いかけることにばかりに熱心になり、私や私の友人であるフランシス・F・コッポラやマーティン・スコセッシのような監督は苦境に立たされてしまった。彼らは彼らなりにうまく居場所を作り出してはいったけれど、私は商業性を求められる映画ばかりを作るのは無理だと思い、ロシアに戻ったのです。それでもロシアにいながらアメリカのテレビシリーズを撮ったり、イタリアで作品を作ったりできていますから、アメリカで学んだことは大きかったですね。 映画の場面 (C)Produced by Production Center of Andrei Konchalovsky and Andrei Konchalovsky Foundation for support of cinema, scenic and visual arts commissioned by VGTRK, 2020 ――ロシアにおいて、本作のようなソ連時代の暗部を描くことに、政治的な圧力などはないのでしょうか?  プレッシャーはなかったし、あったとしても気にもとめませんよ(笑)。現在ロシアで私が作品をつくるうえで検閲はありません。ソ連時代には作品が公開禁止になった経験もありますが、しかし自分の能力が滅ぼされたと感じたことは一度もなかった。アーティストとはどんなときでも、自分が表現をする方法を見いだすものです。たとえばミゲル・デ・セルバンテスは、スペインの宗教裁判の恐ろしい時代に小説『ドン・キホーテ』を描き上げていますからね。  それに私は「自由であること」が必ずしも芸術作品を作るときに一番大事なものではないと考えています。過去100年をみても、さまざまな国の検閲のもとで作られた偉大で素晴らしい作品はたくさんあります。それよりもアーティストにとっての検閲とは、自分自身が吸収してきた「文化」なのではないかと感じます。自分の知識や教養が、自分自身を検閲し、ときに縛る。それがなければ、完全に自由といえるのかもしれませんけどね。 <こんなところにSDGs> ヒロインのリューダはシングルマザーであり、市政委員会で役職につく自立した女性だ。監督によると1960年代のソ連時代でもこうした役職に女性がつくことは普通だったという。現在ロシアのジェンダーギャップ指数は81位。ちなみに主演のユリア・ビソツカヤは監督の妻でもある。 フリーランス記者・中村千晶
オンライン婚活で知り合った夫婦 お断りから半年後に再会、交際から1か月弱で婚約へ
オンライン婚活で知り合った夫婦 お断りから半年後に再会、交際から1か月弱で婚約へ 夫の中山正和さんと妻の中山裕子さん(photo 張溢文)  AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2022年5月2-9日合併号では、ステージシフト代表・起業コンサルタントの中山裕子さん、IT企業でシステムエンジニアとして勤務する中山正和さん夫婦について取り上げました。 *  *  * 夫49歳、妻42歳のときに結婚。 【出会いは?】オンラインの婚活サービスを通して知り合った。 【結婚までの道のりは?】出会って半年、交際から1カ月弱で婚約したスピード婚だった。 【家事や家計の分担は?】夕飯作りは妻が担当。その他の家事は、できる人ができることをしている。家計は別々。毎月、決まった額の生活費を夫が妻に渡している。 妻 中山裕子[49]ステージシフト代表 起業コンサルタント なかやま・ゆうこ◆1972年、静岡市(旧・清水市)生まれ。地元の市役所に就職。36歳で退職、渡米し、帰国後に起業。結婚を機に、婚活コンサルとして活動を始め、2017年に起業コンサルに転身。21年に『わたしは「私」を諦めないことにした』(青春出版社)を出版  婚活を始めたのは40歳を超えてからでした。結婚を先送りにし過ぎて、「来世は結婚しよう」と思った自分に、思わず笑ってしまいました。  そして始めたのがオンライン婚活。登録時に決めたことが二つありました。一つは、期限は半年間。もう一つは、最初に「結婚してほしい」と言ってくれた人に決めるということ。  当時、もう一人デートをしていた人に、夫より先に結婚前提の交際を申し込まれたため、自動的にその人を選びました。ところが、その1週間後にその男性が前の恋人と復縁するという(苦笑)。  その間、夫とはゆるくつながっていました。お断りしてから半年近くが経ち、私から「近況報告がてら会いませんか」と連絡をしました。  夫も、私のことを気にかけてくれて、とんとん拍子に進み、婚約に至りました。  今では、夫は公私ともに良き相談者です。私は今年50歳で、夫も定年間近に。これからもそれぞれのフィールドで、お互い活躍していきたいです。 夫 中山正和[56]IT企業 システムエンジニア なかやま・まさかず◆1965年、大阪府生まれ。大学卒業後、89年に大手メーカーの子会社に就職し、工場の機器開発を担当。その後、勤め先のグループ会社間の合併や再統合を経て、2013年から現在の職場に。太陽光発電開発事業や新規事業の立ち上げに従事し、現在は設計事業部のプロジェクトマネジメントを担当  妻とは、オンラインの婚活で知り合いました。私から声をかけ、1度デートをするも、2回目はなく。後に、妻から「最初に結婚したいと言ってくれた人と交際すると決めていた」と訳を聞いたのですが、その時は何がまずかったのかと落ち込みましたね。  そんな中、再び妻から連絡がありました。チャンスだと思い、再会することに。大阪から東京に車で帰省する際、妻のいる静岡に寄りました。その時、愛犬のコーギーも一緒で、初対面の妻をクンクンと2回嗅ぎ、その後は空気のような扱いをしたんです。それを見て、私以上に妻を受け入れてくれたと思いました。  実は、私は46歳の時に前妻と死別しています。その後、愛犬も旅立ち、身近な存在を続けて失い、自分が欠ける感覚がありました。同時に、日々の生活が貴重で、特別なことがなくても大切な人と一緒に過ごす時間がいかに重要かを痛感しました。  今は、前向きで勉強熱心な妻のそばにいることで、多くの刺激を受けています。 (構成・小野ヒデコ)※AERA 2022年5月-9日合併号
「クラスでいちばん頭のいい子の授業ノート」がコンセプト! 高度な内容をポップに学べる"世界史超入門"
「クラスでいちばん頭のいい子の授業ノート」がコンセプト! 高度な内容をポップに学べる"世界史超入門" 『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』ワークマンパブリッシング,千葉 敏生 ダイヤモンド社  みなさんは学生のころ、世界史の授業に対して苦手意識を持っていませんでしたか? いろいろな国が絡んでややこしい、カタカナの名前が覚えにくい、暗記量が多いなどなど......。  そんな方におすすめしたいのが、『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』です。同書のコンセプトは、「クラスでいちばん頭のいい子が取った授業のノート」。ページを開くと、罫線の入ったノート風デザインの紙面に、手書きに似た書体の文字が並んでいます。ポップな図やイラストも多く、全編オールカラーです。  教科書や参考書って、文字がつらつらと並んでいるのを目にするだけで放り出したくなるものですが、そうした拒否感がまったく起こらない......! まさに授業内容をまとめるのが上手なクラスメイトのノートを見せてもらっているような親しみやすさがあります。  人類の誕生から現代のインターネット時代までをバッチリ網羅。黄色の文字は新出用語、緑の蛍光マーカーは言葉の定義、青色は大事な人名、地名、日付、用語といった形で整理されていて、頭に入りやすい工夫も施されています。  文章は簡潔ながら、読み手の興味を惹く書き方です。たとえば、フランス革命の分野を見てみると、フランス国内での不満の高まりについて、このように書かれています。 「第三身分の人々は、貴族に与えられた特権に怒った。第一身分も第二身分も、タイユと呼ばれるフランスの土地税を支払う義務がなかったのに、いちばん貧しい人々だけが税金を支払っていたからだ」 「人々が食べ物に困っているときに、ルイ16世と妻のマリ=アントワネットは、パーティーに明け暮れていたというから、あきれたものだ!」(同書より)  気軽に読める文章なので書かれていることがすっと頭に入ってきませんか? 特に子どもの学習において、苦手意識を持たずに取り組めるのは極めて大事なことです。同書はその入門書としてうってつけと言えそうです。  もちろん、大人の学び直しにも最適。わかりやすい内容ながらも500ページを超える濃密さで、知的好奇心を刺激してくれるでしょう。もうすぐ訪れるゴールデンウィーク。どう過ごそうかと考えている方は、同書を読んでみてはいかがでしょうか。グローバルな視野で世界史の全体像を見直してみるひとときは、たいへん有意義なものになるはずです。 [文・鷺ノ宮やよい]
親族の風評がやまぬ秋篠宮ご夫妻と続く「愛子天皇論」 迷走する令和皇室
親族の風評がやまぬ秋篠宮ご夫妻と続く「愛子天皇論」 迷走する令和皇室 4月21日、伊勢神宮外宮に参拝した秋篠宮ご夫妻  26日、秋篠宮ご夫妻が東京都八王子市の武蔵陵墓地にある昭和天皇陵と大正天皇陵を参拝した。三重県伊勢市の伊勢神宮、奈良県の神武天皇山陵への参拝と同様に、秋篠宮さまが皇位継承順位第1位の皇嗣になったことを示す「立皇嗣の礼」を終えたことを報告した。これで2020年11月に行われた立皇嗣の礼の関連行事を終えたことになる。だが、この重要な節目にもかかわらず秋篠宮ご夫妻の周辺が騒がしい。皇室を支持する保守層からも愛子さまと「天皇論」を結びつけ期待する声が漏れ、令和の皇室の迷走が続く。 *  *  *  4月21日早朝。  モーニングと白いロングドレス姿の秋篠宮さまと紀子さまが伊勢神宮の外宮へと進んだ。直前まで降り注いでいた雨はやみ、あたりは静寂に包まれた。  おふたりの奉仕を支えるのは、秋篠宮さまの妹で伊勢神宮の祭主を務める黒田清子さんだ。  ご夫妻は、天照大御神の食事を司る豊受大神を祭る外宮(げくう)を参拝したのち、皇祖神である天照大神を祀る「内宮(ないくう)」に拝礼した。  翌日は奈良県の神武天皇陵、そして午後は、ご夫妻の意向で京都の泉涌寺(せんにゅうじ)にある孝明天皇陵、京都伏見の明治天皇陵を参拝した。26日には東京・八王子の武蔵陵墓地にある昭和天皇陵と大正天皇陵などを参拝。  いずれも秋篠宮さまが皇位継承順位第1位の皇嗣になったことを示す「立皇嗣の礼」を終えたことを報告し、20年11月に行われた一連の行事のいわば最終章である。 「立皇嗣の礼」に関わる一連行事の重要性はいうまでもない。いまの天皇陛下から皇嗣である秋篠宮さま、そして長男の悠仁さまへと受け継がれる皇位の在り方を、明確にするものだ。  特に三重・奈良・京都訪問は、祭祀を大切にする秋篠宮家の姿勢がにじむものだった。秋篠宮さまの伊勢への参拝は今回で16回、紀子さまは9回目となった。 やまぬ周辺の雑音  ご夫妻の意向で参拝した孝明天皇稜は、泉涌寺内にある。  皇室の菩提寺(ぼだいじ)として知られる泉涌寺には、後水尾天皇から孝明天皇までの江戸時代の天皇と皇后、妃の陵も造営されている。「御寺泉涌寺を護る会」の総裁を務める秋篠宮さまが、孝明天皇陵、明治天皇陵の参拝に臨んだのも自然な流れだ。   平成の時代から皇室の伝統と文化を熱心に継承し、公務や祭祀を立派に務めあげるご夫妻だが、周辺が何かと騒がしい。  静岡福祉大学名誉教授で皇室制度を研究する小田部雄次氏は、こう嘆く。 「立皇嗣の礼の行事の締めくくりのタイミングで、秋篠宮家が親族の雑音に巻き込まれる結果となったのは残念です」  ご夫妻のせいではないが、長女の眞子さんの夫の小室さんがNY州の司法試験に落ちて騒がれた。また紀子さまの親族の結婚相手が、神宮と神武、昭和以前4代天皇陵への参拝という神聖な儀式が続くなかで、邪推を招きかねないタイミングでのビジネス行為をマスコミに騒がれる結果になった。 「昭和の時代から皇室を見てきた身としては、一般の人の敬愛が薄れ、皇室離れにつながりかねない状況が続いている状況が心配です。秋篠宮ご夫妻は、親族の考えや行動について口をはさむことはなさらないが、大事な節目の時期は、周辺もしっかりとコントロールしていただきたかったとの思いはあります」(小田部氏) 「愛子天皇」人気と現実  皇室そして天皇という地位は、人気商売ではない。  皇位の継承は典範に定められ、人気のある皇族だから天皇に即位することもない。しかし、秋篠宮さまに継ぐ、皇位継承者である悠仁さま(15)と愛子さま(20)が何かにつけて比較される傾向にある。  悠仁さまの存在感が増すのは、皇族としての成年を迎える18歳からではあるが、先日20歳の成年を迎えた愛子さまの人気ぶりは、成人の記者会見の盛り上がりに象徴されている。サーフボードからご家族で落ちたお話や、「どこでも寝られる」といったエピソードを交えて、笑いもまじる明るい雰囲気で会見を終えた。  先の小田部氏は、こうも言う。 「僕は今の皇室のご子孫が皇位を継承するのがいいと思っています。女系も容認していますが、男系を否定するわけでもありません。ただし、皇室の先行きを考えると愛子さまにも皇位継承権を持たせた方が幅は広がるように思います」  巷でも愛子さま人気の時流に乗って、上皇ご夫妻と同じ世代の皇室ファンにも、そうした考えを持つ人は増えているようだ。  先日、上皇ご夫妻の引越しに伴う葉山ご滞在のため、高輪の仙洞仮御所にたくさんの人が見送りのために集まった。上皇ご夫妻と同世代と思われる人も多く、杖を突き、また家族に支えられながらご出発を待つ人も少なくない。  上皇さまと同じ年だという88歳の男性は、「皇室を維持するためには、愛子さまが天皇でも良いのでは」と話した。また別の男性も、「愛子さまの成年の会見の印象を挙げて、天皇という言葉を口にした」   元宮内庁職員の山下晋司は、こう肩を落とす。 「愛子内親王殿下の評価が高まっているのは喜ばしいことです。だからといってメディアなどが『愛子天皇論』といった見出しを掲げて、国民にその可能性があるように思わせるのは、よい状態ではありません」  悠仁さまが誕生する前に小泉内閣で、女性、女系天皇論が議論されたときは、愛子さまは幼稚園入学前あった。山下氏が続ける。  「その時期から将来の天皇として成長されているならばともかく、悠仁親王殿下がお生まれになったことで状況は変わりました。現在も、皇室典範で皇位は男系男子と定められています。その環境で20歳まで成長されてきた愛子内親王殿下が、天皇になることはないといっていいでしょう」  山下氏は、男系男子維持のためという視点ではない、と話す。皇室のメンバーは、生まれながらに住居や生き方が決まっており、選挙の投票権や国民健康保険の適用など一般の国民よりも制約も多い。  仮に、20歳を過ぎたこれから皇室典範が改正されて女性天皇の即位が可能になったとする。それは、結婚も含めて人生の選択肢が変わるという話だ。 「ここまで成長された後に制度を変えて天皇になっていただく――。それは、皇室の方々は人権が制約されているとはいっても、あまりに酷な話。決して起きてはならないことです」 残る愛子さまの成年行事  コロナ禍で皇室の行事も予定通り進まないなか、愛子さまの成年に伴う行事も遅れている。  宮中三殿への参拝と皇居・宮殿で正装のローブ・デコルテに勲章と髪飾りのティアラなどの宝冠を身につけ、首相ら三権の長から祝賀のあいさつを受ける祝賀行事などは、滞りなく終わった。一方で、新型コロナ感染防止に配慮して、大学の授業も全てオンラインで受講するなど大変なことも多い。  そうしたなか、誕生日の記者会見は3カ月遅れで行われた。  そして、成年を迎えた皇族は、伊勢神宮と神武天皇陵、大正天皇の多摩陵と昭和天皇の武蔵陵等へ成年の報告を行うため参拝をする。だが、コロナ禍で先行きが見えないこともあり、まだ行われてない。  愛子さまが成年行事に伴う神宮や天皇陵への参拝を終えていないことで、令和皇室の在り方を心配する声もある。  伊勢と神武天皇陵は、遠方だが武蔵陵は東京。しかも、悠仁さまは、お茶の水女子大学附属中学校を卒業した翌日には八王子市に向かい、武蔵陵墓地で曽祖父母である昭和天皇と香淳皇后の陵を参拝し、中学卒業の報告をしている。  愛子さまは2014年に学習院中等科入学に伴い初めて武蔵陵を参拝した。それ以来、参拝の機会は実現できていない。  また皇后となった雅子さまも祭祀については、体調を考慮して御所で祈りをささげる遥拝(ようはい)が主となっている。そうした状況もあり、愛子さまの伊勢神宮参拝がいつ行われるのかについて、関心も高まっている。  一方で、古代祭祀を専門とする日本史学者として知られる藤森馨・国士館大学教授は、「そう焦る話しでもない」と考える。というのも、そもそも皇室が伊勢神宮を直に訪れての参拝を始めたのは、明治以降の伝統であるというのだ。 「明治2年に明治天皇が伊勢神宮を参拝したのが最初で、実はそれまでの天皇は誰も参拝に行っていないのです。伊勢が特別な場所であったため、祟りが起きると天皇が参拝に行くことを止める公家もいた。そのため、天皇や皇族方は離れた場所で祈る遥拝を行っていました。御不例のときは、天皇は神祇官に付与して祭祀をおこなわせていたのです」(藤森教授) あと2年で悠仁さま成年に   愛子さまの成年に伴う参拝が遅れている点について、かつて掌典職をつとめた人物はこう話す。 「成年のご報告については、誕生日の祝賀行事が行われた昨年12月5日の朝には、宮中三殿を参拝なさっています。三殿とは、天照大神をまつる賢所(かしこどころ)、皇室の祖先をまつる皇霊殿(こうれいでん)、さらに国内の神々をまつる神殿です。そこで成年の報告をなさっていますので、コロナ禍でできることはなさっているとも見えます。ただし、八王子の武蔵陵墓地はそう距離がありません。海外へ出る際や卒業などの節目で、曾祖父母の陵のある武蔵陵墓地へのご報告をなさるのは、天皇家の内親王としてなされたほうがよろしいかもしれません」  愛子さまの伊勢神宮と天皇陵の参拝は、コロナ禍が落ち着いたのちに行われると見られる。 「26日に、秋篠宮同妃両殿下の昭和天皇陵ご参拝が終わりました。そして同じ日の夕方、上皇上皇后両陛下が葉山から赤坂御用地の仙洞御所にお入りになりました。これで御代替わりに伴う一連の行事等がひと段落したわけです」(前出山下氏)  コロナ禍で皇室も人の目に触れない形での活動が主流になり、それが2年以上続いている。  秋篠宮ご夫妻の伊勢神宮と天皇陵への参拝は、祭祀を守り続ける皇室のあるべき姿を久しぶりに発信する機会となった。 「眞子さんの結婚問題に端を発した秋篠宮家への批判は、いまだおさまったとは言えません。しかし、悠仁親王殿下が18歳の成年を迎えるまであと2年4カ月ほどです。将来の天皇である悠仁親王殿下が宮中行事や式典などにお出ましになって、存在感が増してくれば、令和の皇室をとりまく空気もまた変わってくるのではないでしょうか」(同) (AERAdot.編集部・永井貴子)
「加護亜依」バラエティー出演増加中 再婚で幸せをつかんで“復活”の狼煙
「加護亜依」バラエティー出演増加中 再婚で幸せをつかんで“復活”の狼煙 加護亜依(撮影/上田耕司)  元モーニング娘。でタレントの加護亜依(34)がテレビに戻ってきた。度重なるスキャンダルにより、一時はメディアから遠ざかっていたが、近年はバラエティー番組への出演が増えている。4月7日放送の「ダウンタウンDX」(日本テレビ系)では、ドバイの富豪がペットのライオンやトラをかわいがる動画を見るのが趣味だと語ったものの、つい最近まで「トラがメスでライオンがオスだと思っていた」と発言するなど、天然ぶりは健在。また、夫とのLINEのやりとりも明かし、早く帰ってきてほしいときやケンカをした際は、自分の「最高級に盛れた写真」や水着姿、下着姿の写真を送っているという衝撃的な話も飛び出した。  モーニング娘。時代のエピソードにも事欠かない。 「同番組では、矢口真里から、辻希美と一緒に説教をされたときのことを披露。矢口のことを『うるさいな! このチビ!!』と辻にこっそりメールを送ろうとして、誤って矢口に送ってしまったとか。また、極楽とんぼの番組に出演した際は、最初の不祥事だった喫煙のきっかけについて、祖母が吸っていて興味がわいたことや、ハスキーな声に憧れていたことなどを赤裸々に告白。米ロサンゼルスを訪れた際、女優のウィノナ・ライダーとたまたまパーティーで遭遇し、『人生はまだ長いんだから(たばこのスキャンダルなど)気にするな。もっと弾けないといけない』と助言を受け、すごく勇気づけられたと話していました。もっとも、加藤浩次は半信半疑で聞いていましたが(笑)」(テレビ情報誌の編集者)  ぶっちゃけキャラとして、テレビ復活の兆しを見せる加護。一方で、母としても、子育てに奮闘する様子をブログやSNSでつづっている。4月20日に更新されたブログでは、長男と夫のために作った愛妻弁当を披露。彩りやおかずのバランスの良さに、コメント欄には「おいしそう!」との声があがっていた。 「インスタグラムでも、息子さんが公園で大きいお兄さんたちとバスケを楽しむ様子を報告したり、お誕生日を息子さんの大好きなポケモンのケーキでお祝いする様子をアップするなど、子育てを楽しんでいる様子が伝わってきます。辻希美と比べられることも多いようですが、背伸びせず、等身大で子育てに励む加護に親近感を持つ人も多いようです。ただ本人は、あくまで『歌手』であり、ママタレにはなりたくないとバラエティー番組で話していました。あくまでも辻とは違う路線で生きていきたいということでしょう」(同)  これまでの加護と言えば、未成年喫煙をはじめとした不祥事やのDV被害など、私生活でスキャンダルが多かったことは事実だ。しかし、世間の見る目も変化してきたようだ。 「たばこに関しては、やはり『1度ならず、2度までも……』という印象を与え、致命傷になりました。何とか復帰させてあげようと水面下で動いていた当時の所属事務所も激怒し、事実上の解雇を発表しましたからね。その後も、当時の彼氏からのDV被害報道や、映画で共演した俳優との不倫疑惑、元夫の逮捕もありました。それでも、現在の旦那さんとは幸せな結婚生活を送っているようですし、2015年の離婚から時間がたち、過去の“負のイメージ”もだいぶ薄れつつある。私生活の充実が、今後の仕事面にもプラスに働くのではないでしょうか」(芸能事務所マネジャー)  こうしたなか、2020年から始めたYouTubeも人気復活の足がかりとなっている。登録者数は11万人と決して多くないが、コンテンツの質の高さが話題になっているからだ。 「加護がさまざまな曲を歌うというシリーズが人気で、『エヴァンゲリオン』や『セーラームーン』、『うる星やつら』の主題歌のときはちゃんとコスプレまでして、アニメファンを沸かせていました。歌が下手だと言われる辻希美に比べ、モー娘。時代から歌唱力には定評がありましたからね。他にも、宮迫博之とコラボしてミニモニ時代の曲を歌った動画は50万回再生まで伸びています。美貌も維持するための努力もしているようですし、今後は『歌がうまい』元アイドルという路線で需要がありそうです」(週刊誌の芸能担当記者)  芸能評論家の三杉武氏は加護亜依についてこう述べる。 「12歳でデビューし、国民的アイドルグループのメンバーとして活躍した加護さんも今や30代半ばの2児の母です。波瀾(はらん)万丈な人生を歩んで来た印象ですが、最近のSNSなどを見ると再婚後は幸せな家庭生活を送っているようです。仕事面でも、近年は長く絶縁状態にあったかつての所属事務所との関係が修復傾向にあり、『ハロー!プロジェクト』のコンサートにOGゲストとして参加してファンを喜ばせるなど、明るい兆しがみられます。もともと音楽業界花盛りの頃に活躍していただけに知名度は高く、全盛期は幅広い年齢層から親しまれていました。同じように若い頃に人気歌手として活躍後、紆余(うよ)曲折あった華原朋美さんも最近はマルチな活躍を見せていますし、加護さんにもさらなる活躍を期待できそうです」  注目度の高さはいまだ健在。今後もバラエティー番組を中心に、加護の姿を見る機会は増えそうだ。(高梨歩)
片づけたら「どうせ、二日坊主やろ」と言う息子と夫を見返せた
片づけたら「どうせ、二日坊主やろ」と言う息子と夫を見返せた 本来ダイニングの場所にあった黒くて大きいソファ。通りにくい/ビフォー  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 *  *  * case.22  手は動かさないけど口は出す家族への対処法 夫+子ども2人/事務 「とにかく家族の仲が悪かったです。上の子はお父さんを嫌いだと言うし、父親も息子にきつく言うことが多くて。私も嫌だと思って、離婚が頭をよぎることもあったんです」  片づけ前を振り返るこずえさんは、夫の実家の会社に勤め、息子2人と夫の4人暮らし。もともと片づけは好きではなく、性格はおおざっぱで男っぽい、と言います。整理収納やインテリアのプロを頼ってきれいにするけど、すぐリバウンド。そんなことが20年近く続きました。  小さい頃は、友達を家に呼んでいた上の子も、ほかと比べ自分の家は汚いと気づいてからは「こんな家に友達を呼べない」と言うように。  大学進学を控えた受験生になると、勉強がうまくいかないのは環境のせいだと言って、けんかになることもしばしば。リビングには出てこず、部屋にこもりがちに。こずえさんは自分を責めました。  こんなに汚い家から息子を送り出していいのだろうか?  ふと思ったのは、上の子が高校3年生の夏でした。家族関係も本当は修復したい。上の子が県外への進学を志望し、離れていく現実が近づいた年明け、プロジェクトに参加したのです。  結果的に上の子は、家を出る直前の2月ごろからリビングにくるようになりました。  こずえさんが十数年ぶりにキッチンから見たのは、息子と夫がリビングで取っ組み合いをするさまでした。男子たちが仲良くじゃれあっている。離婚を考えるほど追い詰められていたこずえさんが、本当は一番見たかった風景があったのです。 ダイニングテーブルがキッチンのそばに。あと片づけもラク/アフター  あれだけ悪化していた家族関係、いったい何があったのでしょうか。  実は、片づけ中にゴタゴタはたくさんあったのです。  一番のストレスは家族でした。オンライン受講だったこずえさんは、リビングでPCの音量を出して講座を聞いていました。  すると、出かける前の夫がなかなか出発せず、そばで聞くだけ聞いて、 「この片づけられへん人のこと、全部お前のことやな」と言って出て行ったとか。  さらに、朝の6時からオンラインでつながって片づける母親を見ていた息子にいたっては、「どうせ母さん、二日坊主やろ」と塩対応。  絶対に見返してやる。  手は動かさないのに口は出す人たち。こずえさんに火がつきました。これまでだって、さんざん悔しい思いをして心が折れていた。  でも今回は違います。なぜなのか? 「片づけない夫のせい、息子のせい、夜まで働いて忙しいとか、これまでは人や仕事のせいにしていました。確かに家族も片づけないけど、自分の問題まで棚に上げていたわけで」  変えられるのは自分しかいない。プロジェクトのテーマでもある主体性を信じて、不用品をどんどん出していきました。  あとでわかったのですが、夫は言わないけど共通の友人に「妻が、リモート片づけやっていて、すごいきれいにするらしいよ。また遊びに来てよ」と言っていたとか。内心は期待していたんですね。  ただ、自分だけじゃ越えられない難関が一つ。  リビング兼ダイニングには、黒い大きなソファが中央に陣取っていました。夫のお気に入りの場所だけど、間取りからするとリビングにあるべきものがダイニングにあったのです。こずえさんは料理を運ぶ時、じゃまだじゃまだと思っていました。  だけど夫は動かしてくれない。この位置が一番だと言う。強行するにも女性ひとりで動かせる大きさじゃない。  こずえさんは、ちょっと大げさに言い続けました。 「さちさんが、ソファが家族の動きのじゃまになって、黒いから見た目も重たい。商売の運気も下げるよ!って言っているよ」  夫はしぶしぶ「うん、わかった」と言うけど、動く気配がない。いつやってくれるかわからなくてヤキモキするけど、催促しすぎて機嫌を損ねられると困る。  考えた末に「寝ている夫の耳元でささやく作戦」に出たこずえさん。「ソファ動かせー」と、毎日ささやき続けました。  待つこと数日、息子とこずえさんと夫がそろった日に「よしやろう」と夫が動き出します。ソファは部屋のサイドに、ローテーブルは夫の足置きにしかなっていないから処分。大空間が生まれ、息子たちはサッカーのリフティングをしたり、マッサージしあったりしはじめたそうです。  家族の雰囲気は、あきらかに変わっていきました。 「これはいる?あれはいる?って物をとおして話し、家具を一緒に動かすなかで会話が増えました。朝は未確認の息子のプリントを発見したりして、焦ってイライラしていたけど、片づくとそういったことも無く関係も良好です」  機能的な家になると、気持ちだけじゃなく生活も変わっていきました。 「パッとご飯が作れて、ダイニングテーブルにサッと出せる。こんな世界があったんだと。前は『リフォームしたい』が口癖で。キッチンもまだピカピカだし、収納が少ないと思っていたけど物が減ったら十分だとわかり、必要性がなくなりました」  もう一つ大きなことがありました。こずえさんはみんなに言わなかったけど、同時期に義理の母が病気で入院し、そのあと他界されたそうです。その時も片づけが味方になってくれたとか。 「あの乱れたキッチンで知らせを聞いていたら、かなり混乱していただろうと思います。突然のことだったけど冷静でいられました。お葬式では家に人を呼ぶこともできました」 足元にまで物があふれてしまっていたキッチンは輝きを取り戻した  そのほかにも、地震でお皿が落下し、片づけの大切さが染みる出来事がありました。  この春、上の子は無事に大学に進学して県外で一人暮らしをはじめたそうです。 「子どもには本当に申し訳ないことをしました。同じ失敗は繰り返さないようにと、一人暮らしのキッチンや収納はぜんぶ、使いやすいようにしてきました」  自分にこんなことができるんだと、びっくりしたとか。「二日坊主」と言われた過去がうそみたいです。片づけは何歳になってからでも遅くない、気づいた時がはじめどき。人生で片づけてこなかった、罪悪感でいっぱいであきらめてしまいそうな受講生さんに、私はいつも伝えています。 ◯西崎彩智(にしざき・さち)1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・夫婦間のコミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト®」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。ラジオ大阪「西崎彩智の家庭力アッププロジェクト」(第1・3土曜日夕方)が2021年5月1日からスタート。フジテレビ「ノンストップ」などのメディアにも出演 ※AERAオンライン限定記事
コロナの後遺症で味覚過敏と右耳が聞きづらくなった オミクロンは軽くない 鈴木おさむ
コロナの後遺症で味覚過敏と右耳が聞きづらくなった オミクロンは軽くない 鈴木おさむ 放送作家の鈴木おさむさん 放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、コロナ感染後の後遺症の怖さについて。 * * *  今週のニュースで、コロナ感染後、専門の外来を設けている医療機関には味覚や嗅覚(きゅうかく)の異常のほか、倦怠(けんたい)感や集中力の低下などの症状に悩む患者の相談が相次いでいると。  厚生労働省は後遺症の実態の把握と新型コロナが医療態勢に与える影響を調べるため、今月から2億円の予算をかけて調査を始めたとのことなのですが、オミクロン株は後遺症の出ている人が多いとよく聞きます。  僕はコロナに感染し、先週退院したのですが、まあまあな後遺症に悩まされています。  まず、味覚異常。入院中に、うちのスタッフがカレーを差し入れてくれました。大好きなお店のカレーの中辛。食べると、めちゃくちゃ辛くて、思わずスタッフに電話して「中辛じゃなくて激からじゃないか!」とクレームを言ってしまいました。楽しみにしていたカレーだけに。  スタッフは中辛を頼んだと言っているのですが味は激辛なので、お店の人が間違えたのかと。翌日、スタッフが豚丼を差し入れしてくれました。それを食べてみると「からーーーーい」。そこで気づくのです。「あれ?僕の味覚の問題か?」と。  コロナになり、味覚と嗅覚がなくなった人は周りにも結構いますが、味覚過敏になるなんて。  病院の先生に相談すると、「そういう風に出る人もいるんですよね」と。しょっぱいものがめちゃくちゃしょっぱく、スパイス的なものはめちゃくちゃ辛く感じる。  そこから味覚がちょっとずつ変化していって、味覚を感じないものと、めちゃくちゃ感じすぎるものとわかれていって、ご飯を食べても味のバランスがめちゃくちゃ悪い。退院して1週間過ぎましたが、いまだ、味覚は治りません。  そして、もう一つ。これが本当にしんどいのですが、右耳が聞こえにくくなってしまいました。中耳炎みたいな。ずっと水の中にいる感じ。  退院したあと耳鼻科を受診したら、副鼻腔炎からの中耳炎のようになっていて、これもコロナの後遺症だと。こちらの耳もいまだ治っておりません。聞こえづらいしイライラします。 厚生労働省が対応をまとめた「罹患後症状のマネジメント」。ホームページからダウンロードできる  コロナになった妻は熱が下がり、体調が良くなり始めたころに、とんでもない倦怠感に襲われ、2日ほど立ち上がれないくらいになってしまいました。ある時からそれもなくなりましたが、病院の先生に聞いたところによると、女性で倦怠感を感じる人も多く、2カ月以上続く人もいるのだとか。  あと、言われて怖かったのが脱毛。僕も妻もありませんでしたが、先生いわく、10%くらいの人が脱毛症状の後遺症があるのだとか。そんな話をしてたら周りにいました。脱毛の後遺症の人が。想像していたよりも結構抜けたんだと。最近、見たニュースでは記憶力が低下した人もいるのだとか。  退院して思うのですが、このオミクロンの特徴が後遺症なのだとしたら、これはもはや後遺症なのではなく、こういう病気なのではないか? 後遺症というから軽く思われがちですが。知人で後遺症によるうつ病に悩まされている人もいます。  だからこそ、オミクロンは軽いとか、そういうことではなく、この後遺症まで含めての怖い病気であることを、もっと知らせるべきなのではないかと思っています。  ちなみに、後遺症外来をやっているところも多いので、自己判断ではなく、ちゃんとそういうところに相談することが大事なんだと思います。  後遺症で片付けてはいけない。いや、怖い。そして早く治ってくれ。

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