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「ゾッとしましたね」電動キックボード運転中思わぬ段差で転倒した男性 免許制導入を求める声も
今川秀悟 今川秀悟
「ゾッとしましたね」電動キックボード運転中思わぬ段差で転倒した男性 免許制導入を求める声も
街中を走る電動キックボード  電動キックボードの事故が都内を中心に相次いでいる。  都内を走るタクシーの運転手は、こう漏らす。 「最近急に増えたよね。交差点で突然飛び出してきて危うく衝突しそうになったことがあった。予想以上にスピードが出ているし、公道を走るならヘルメットの装着を義務化にして免許制にしてほしい。死角から飛び出して事故を防ぎようがない状況でも、悪者になるのは車の運転者。危険な運転が多くて怖いよ」  電動キックボードは電気で動く仕組みになっており、利用者は車輪と電動モーターが付いた板の上に立ち、ハンドルで操作する。モーターの出力や最高速度に応じて、「原動機付自転車」(法定速度30キロ)、「小型特殊自動車」(最高速度15キロ以下)に分かれ、共に車両区分に応じた免許が必要だったが、今年7月1日以降は改正道路交通法が施行されて大きく変化した。法定速度30キロの「一般原動機付自転車」は従来の交通ルールが適用されて免許が必要だが、新たな車両区分「特定小型原動機付自転車」(長さ1.9m、幅0.6m以下かつ最高速度20キロ以下で定格出力が0.60キロワット以下)は、免許なしで運転が可能になった。原則として車道を走行し、ヘルメット着用は努力義務になっている。  免許が必要なくなり16歳以上なら運転が可能なため、「特定小型原動機付自転車」の利用者が急増。サラリーマンの通勤や、大学生、専門学校生を中心に通学で利用するケースが多く、車の渋滞緩和の観点から全国の観光地でも普及が進んでいる。環境面でもメリットが大きく、電気を動力としているため排ガスを出することがない。また、エンジンと違ってモーターの音は非常に小さい。都内の企業に勤務する30代の女性は移動の際に電動キックボードを重宝しているという。 「通勤ラッシュの時間帯に満員電車に乗ることが大きなストレスだったけど、解放されました。移動時間も都内なら電車を利用する時とあまり変わらない。最初は最寄り駅近くに設置されたレンタルサービスを利用していたけど、店頭で気に入ったデザインの電動キックボードを見つけたので購入しました。折りたためてコンパクトなので電車でも持ち運びが可能なため遠出もできる。行動範囲が広がりましたね」  快適な乗り物だが、交通ルールを守らなければ大きな事故につながる恐れがあることも忘れてはいけない。警察庁のまとめによると、<電動キックボードに関連する交通違反・事故の発生状況>の事故件数は2020年が4件、21年が29件、昨年が41件と年々増加している。20年~今年1月の事故件数は計76件で、発生場所は東京都が51件と圧倒的に多く、大阪府が6件、神奈川県が5件で続く。事故の相手は自動車が31件、自転車が14件で、合わせて全体の6割近くを占めた。昨年9月には男性が都内のマンション駐車場内で電動キックボードを運転中、方向転換して走り出そうとした際に車止めに衝突。前から倒れて頭を強く打ち、搬送先の病院で亡くなった。電動キックボードが絡む事故で死亡者が出るのは初めてだった。警視庁は男性を道路交通法違反(酒気帯び運転)の疑いで容疑者死亡のまま書類送検した。  20代の男性は電動キックボードで深夜に都内の公道を走行した際、転倒したという。 「雨が降った路面で思ったより滑るなと怖さを感じていたのですが、道路の段差に前の車輪が引っかかってそのまま前のめりになって転びました。自転車を運転している時だったらこれぐらいの段差でバランスを崩さないだろうという感覚だったので、びっくりしました。車が走っていなかったのでかすり傷ですみましたが、交通量の多い時間帯だったら転倒した状態でひかれていたかもしれない。ゾッとしましたね。今は慎重に運転していますし、雨が降っている時は安全面を考えて利用していません」  21年9月~今年1月の検挙件数は計2014件。通行区分の違反が最も多く1116件で、信号無視が437件だった。乱暴な運転で電動キックボードが凶器となる恐れがある。21年5月に大阪府内の歩道を電動キックボードで走行していた男が女性にぶつかって転倒させた。首の骨を折る重傷を負わせたのにそのまま逃げたとして、自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致傷)、道路交通法違反(ひき逃げ)の疑いで逮捕された。その後、大阪区検は、同法違反と道交法違反(ひき逃げ)で大阪簡裁に略式起訴したと発表。 電動キックボードの新ルールが書かれたチラシを配るピーポくん  一部の利用者の安全意識が低いことも気がかりだ。電動キックボードを利用する際はナンバープレート、ウィンカー、最高速度で点灯する緑色のランプが必要で、運転者は自賠責保険への加入が義務づけられているが、新宿や渋谷の車道を駆け抜ける電動キックボードを確認すると、ナンバープレートをつけていない車両が少なくない。  民放テレビ局の記者は、「店頭より破格の安さでネット販売している電動キックボードはナンバープレートがついていないケースが目立ちます。安全面でも不安がある作りで、事故に遭うリスクが高い。自賠責保険への加入が義務であることを認識していない利用者も目立ちます。購入方法のルール作りは再考の余地があると思います」と警鐘を鳴らす。  電動キックボードは欧米で普及が進んでいるのを受け、日本でも規制緩和の動きとなったが、実情は国によって異なる。英国は電動キックボードの事故件数が急増している状況を政府が重く受け止め、一部の実証実験地域をのぞき、公道での走行は禁止されている。  仕事で赴任した米国で電動キックボードを利用していたという50代の男性は、日本に帰国後は利用していないという。 「米国は公道が広いし、自転車、電動キックボードの専用レーンを設置した公道が多かったので利用していましたが、日本は公道が狭いし、専用レーンも少ない。ヘルメットなしで車の間をすり抜けるように走行するなんて怖くてできません。政府は電動キックボードの普及拡大を目指しているかもしれませんが、交通の安全面が大前提です。免許制の導入、ヘルメットの装着を義務化するなどやらなければいけないことがあると思います」  今後も電動キックボードの利用者は増加の一途をたどるだろう。対策が遅れれば、事故件数も増える懸念について考える必要があるだろう。 (今川秀悟)
キックボード事件事故
dot. 2023/08/02 11:00
ニューヨークで「専業主夫」になった物理学者の子育てが話題 「哺乳瓶の洗浄で超伝導空洞を思い出す」ってなに?
大谷百合絵 大谷百合絵
ニューヨークで「専業主夫」になった物理学者の子育てが話題 「哺乳瓶の洗浄で超伝導空洞を思い出す」ってなに?
  仕事のお昼休み中の妻と合流し、3人でランチを食べる久保さんファミリー(写真=本人提供)  日本加速器学会の学会誌で、「育児休業のすすめ:ニューヨークで専業主夫になった物理学者」という育休エッセーを発表し、ひそかに話題を呼んだ研究者がいる。高エネルギー加速器研究機構(高エネ研)に所属し、現在2歳半の娘を育てる久保毅幸さん。妻のニューヨーク(NY)勤務を機に、3年近くの育休をとり、家族で渡米した。NYでの過酷な育児の様子などを語った、異色の物理学者のインタビューを、ユーモアたっぷりなエッセーを抜粋(本文《 》の囲み)しながらお届けする。 *  *  * ――学会誌「加速器」に育休エッセーを寄稿した経緯を教えてください。 「加速器」の編集員の方から、「育児休業中の経験について書いてほしい」と話が来たんです。学会誌ってカタいものではなく、国内外の研究を解説する記事やイベント報告などが載る、いわば情報交換の場。育休は、そんなに驚くようなテーマではないんですよ。  どうせならほかの業界の人が見てもためになる……とは言わないまでも、読もうかなって思うような内容を目指したんですけど、エッセーをきっかけに5社以上の出版社さんから原稿の執筆依頼を頂いて、驚きました。今まで文才があるなんて言われたことはなかったのに。本は年に5冊読めばいいほうだし、日本語で何か書くというと、物理の解説記事か、科研費(研究への助成金である「科学研究費」)の申請書くらい。だからエッセーの文体は、科研費口調に近いと思います(笑)。 《高エネ研の上司・同僚は一切の躊躇なく私の(育休取得の)決断を支持してくれた。一般的に、職場で何かしらの決断をした際、それを同僚が支持してくれるか否かは、諸賢の日々の働きぶりにかかっていると言っても過言ではないだろう。本件で私が同僚達から快いサポートを得られたのも、私が長年にわたり築き上げてきた職場内での評価、すなわち「居ても居なくても同じ人」という評価のおかげである。》 雨の日に街を散歩する久保さん親子(写真=本人提供) ――3年近い育休を取るうえで、仕事上の懸念や不安は一切なかったのですか?  僕は、〝国際リニアコライダー〟という、宇宙誕生の瞬間を再現できる粒子加速器を開発するプロジェクトに携わっているんですけど、僕自身の仕事に限れば、チームでの実験よりも、一人で理論研究を進めるほうに重点を置いているので、周囲に迷惑をかける心配が少なくて。僕がいなくなって困ることって、実験関連の当番のシフトがちょっと早く回ってくるくらいです。  まあ、3年も離れていたら、世界中でいろんな研究が進んで完全に置いていかれちゃうだろうなとは思いました。でも、僕は天才ではないので、育休を取っても取らなくても、大発見やノーベル賞を逃すようなことはない。凡人でよかったです(笑)。 《晴れて専業主夫になりニューヨークへとやって来たのは、子の誕生から数か月が経った2021年5月のことである。~中略~(街では)危険な眼つきの男がすれ違う人々に罵声を浴びせながら歩いている様子などは最低でも1 日1 回は見る。人糞には要注意である。歩道を横切るように流れる黄色い液体は尿であるから踏んではいけない。地下鉄へと繋がるエレベーターの中は尿まみれで足の踏み場はない。踏むしかない。ここは地獄であろうか。否、ニューヨークである。東京に帰りたいと一日に何度も願うが、それは叶わぬ夢である。こうして私のニューヨーク専業主夫生活が幕を開けた。》 ――NYは育児向きの環境ではないのでしょうか?  インフラに関しては、日本と比べて圧倒的に不便です。駅にエレベーターがないし、あったとしても、中に尿とか便とか……。すごい臭いです。しかも夜になると、注射器で薬物を打っている人がいるから、頑張ってベビーカーを持ち上げて階段を登るしかない。  実際、僕自身は駅の改札で知らない人に背中を殴られたこともあるし、公園の子ども専用エリア以外はなかなか娘を歩かせられないですね。外では、必ずベビーカーに乗せています。スターバックスの入り口とかでベビーカーの方向転換をしていると、中からお客さんが走ってきてドアを開けてくれたりと、子ども連れに寛容なムードはありがたいんですけど……。 セントラルパークで蟻の観察をしている久保さん親子   《アメリカ人に、私が2 年半以上の育児休業を取っていると話すと驚かれる。「アメリカはこの点で本当に遅れている。日本は進んでいるんだなぁ」と感心されるのだ。私が日本人男性の評判を押し上げているのは間違いない。》 ――アメリカでパパ仲間をつくるのは難しそうですね。  平日公園に行くと、パパはもちろんママの姿さえもほとんどないです。アメリカは公的な育休制度があまり整っていなくて、基本的には両親共働きでベビーシッターさんが子どもの面倒を見ている。男性だけで子どもを連れている姿なんてほぼ見ないので、「なんだあのアジア人は?」って変な目で見られているかもしれないです。 《私の料理の腕前は酷いものだが、幸い、子どもはまだ味が分からない上、文句も言わないから簡単である。2 歳にもなれば、だいたい何でも食べさせて良い。しかし、どういうわけか逆に何も食べなくなる。味に厳格になり、不味いものは食べなくなるのだ。これは妻のせいである。時々私に代わって妻が美味しい夕飯を作るからだ。》 ――物理学者としての経験が、家事に役立ったことはありますか?  哺乳瓶を熱湯や蒸気で殺菌するときにいつも思い出していたのは、自分がこの業界に来て最初にやっていた、「超伝導空洞」という装置の洗浄です。ミクロのごみも許されない作業でした。哺乳瓶の殺菌状態を保つためには、絶対にタオルで拭いたり触ったりせず、自然乾燥すること。そのせいかは分かりませんが、うちの娘は生まれてから一度も熱を出したことがありません。 《私には短いながらも某省の官僚としてサラリーマンをやっていた時期があるが、少なくとも私にとっては、サラリーマン時代よりも今の主夫生活の方が圧倒的に気楽である。朝から晩まで、上司や同僚のプレッシャーもないなか、愛する子どもの世話をしていれば良いのだ。ただし、晩には上司が帰って来ることを忘れてはいけない。》 ――久保さんにとって、育児の喜びとは?  たとえば公園で遊ぶ娘が、階段から地面にピョンって飛ぼうとするとき、最初は足がほぼ浮いてなくてその場で屈伸するだけだったのに、今では当たり前のようにジャンプして下りてくる。新しいことができるようになる姿を見るのはうれしいですね。  夕方に台所で大根を切っているときとか、僕の母親やおばあちゃんのことを思い出して、自分を重ねるんです。ああ、きっと二人とも、こういう感じで子どものころの僕を見ていたんだなって。で、娘もきっと、今の僕の姿を覚えていてくれるのかなって思うと、なんだかあったかい気持ちになります。 《兎にも角にも、これから子を持つ読者諸賢には、育児休業の取得を強くお勧めする。可能なら2~3 年の育児休業を追求すべきである。特に、私の仕事を奪いそうな優秀な若手研究者は3 年と言わず30年休むとよい。》 ――育休期間もあと半年ほどで終わりますが、今後の予定は?  妻は仕事があってたぶん日本に帰らないので、子どもはNYに残るのか、僕と日本に帰るのかはまだわかりません。今はボケ防止を兼ねて、できるときに自分のペースで研究を進めていますけど、復帰するとシフトに入ったりミーティングに出たり面倒なことも増えるので、ちょっと憂鬱(ゆううつ)です。夏休みが終わる前、8月15日くらいの小学生の気分ですね(笑)。 (聞き手・構成/AERA dot.編集部・大谷百合絵)
子育て育休ニューヨーク専業主夫
dot. 2023/08/02 06:00
ベッドで血を吐きアルコール依存症と診断された女性が「ストロング系」を“着火剤”と話すわけ
國府田英之 國府田英之
ベッドで血を吐きアルコール依存症と診断された女性が「ストロング系」を“着火剤”と話すわけ
  写真はイメージです(Getty Images)    夏の暑い時期、冷たいビール、サワーでのどをうるおす機会も増えるだろう。ただ、家飲みをする場合は注意も必要だ。アルコール度数の高い「ストロング系」商品が登場して久しいが、最近は主流の度数7~9%を上回る12~13%の高アルコール商品まで販売されている。安く早く酔えるからと気軽に飲み続けた結果、いつのまにか飲む量がコントロールできなくなりアルコール依存症に陥った事例も少なくない。「依存症に陥る強力な着火剤だった」と振り返る、当事者の女性に話を聞いた。  首都圏で実家暮らしをしている加納早織さん(41=仮名)は、美術系の学校を卒業し、広告会社などで働いてきた。服装もおしゃれで、雰囲気は年齢より若く見える。はきはきと話す彼女の姿に、アルコール依存の面影は感じられない。  だが、わずか半年前。朝から晩まで酒に溺れていた加納さんは、翌朝、自宅のベッドで血を吐き救急搬送された。アルコールの大量摂取による急性膵炎(すいえん)と診断され、その後約1カ月間入院した。 「毛布をつかんで、息が苦しくてもがいたのは覚えています。家族が『救急車を呼ぶね!』と言っているのは聞こえましたが、答えることすらできなくて……」  加納さんはその時のことをそう振り返る。  20代の学生時代、飲酒は友人たちと食事をする際にたしなむ程度だったという。社会人になり、仕事で怒られるなどしてストレスがたまったときなどは、同僚たちと憂さ晴らしで飲みに行き、酔うことが徐々に増えていった。とはいえ、よくある社会人の「ヤケ酒」の範囲内だった。  “転落”するきっかけは30代に入ったころ。しばらくの間、酒からは遠ざかっていたが、派遣社員として新たに勤めた職場で、仕事や人間関係のストレスにさらされるようになり、酒に頼りたくなった。久しぶりに飲もうと飲食店に入ったが、酔った男性客にしつこく話しかけられ、余計ストレスがたまった。  誰にも邪魔されない「家飲み」をしようと決め、初めて手を出したのがストロング系だった。コンビニで350ミリリットルの缶を1本だけ買って家で飲んだ。それを選んだ理由は、値段が安いのにちゃんと酔えそうで、なによりおいしそうだったから。缶のデザインも気に入り、女性一人で購入する抵抗感もなかった。 「実際に飲んだら酔いが早く、気分が良くなって、『これだよ~』って思ってしまったんです。ジュース感覚で飲みやすい味に感じた」(加納さん)  すぐに500ミリリットルを買うようになり、数日で一晩に飲む本数は2本、3本と、どんどん増えていった。  飲む量が急激に増えていっていることは自覚していたが、自分で量を減らすことはできなかった。記憶をなくしたりはしないのだが、ついにはストロング系だけでは飽き足らず、ウォッカを混ぜて飲むようになり、“壊れた”飲み方をする日々が長く続いた。  そして昨夏、派遣先の都合で仕事を辞めると、飲み方が一気に崩壊した。朝からストレートでウォッカを飲むようになり、自分の部屋で吐きながら飲み続けた。約半年後、ついにはベッドで血を吐いたのである。  退院後、アルコールの専門外来を受診して依存症と診断され、断酒に取り組みはじめた加納さん。だが、「できるかも」と思えたころにまたストロング系に手を出した。 ストロング系が国内でどれだけ飲まれているか 「ご飯を作りながらちょっとだけ飲みたくなってしまい500ミリリットルの缶を1本だけ飲んで、まったく大丈夫だと思ったから翌日は2本飲んで……。1週間後には朝からウォッカを飲む状態に戻ってしまい、すぐに専門外来に連絡をしました」  それから3カ月。医師の勧めで「断酒会」に参加するようになり、一滴も飲まない日々を過ごしている。  ストロング系じゃなくても、加納さんが依存症になっていた可能性はある。ただ、興味深い論文がある。  慶応大の吉岡貴史特任助教(前福島県立医大臨床研究イノベーションセンター)と岡山県精神科医療センター臨床研究部の宋龍平医師は昨年2月、ストロング系が国内でどれだけ飲まれているかや、問題飲酒との関連についてインターネットで調査。回答のあった約2万8千人のうち、56%がストロング系飲料を「飲んだことがある」と答えた。  さらに、このうち現在も習慣的に飲酒している約1万5千人について調べると、ストロング系を「現在も飲んでいる人」は、「飲んだことがない人」に比べ、健康に悪影響を及ぼす「問題飲酒」に当たる人が2倍以上いることが分かった。  加納さんも、当事者としてこう感じている。 「最初に飲み方がおかしくなったきっかけも、スリップ(再飲酒)したきっかけもストロング系だったことを考えると、依存症に陥る強力な“着火剤”になるものだとは感じています。ストロング系をきっかけに、深みにはまっていく人や、さらなる深みに落ちていく人。さらに、そこから脱出しかけている人をまた深みに引き戻してしまう危険性があることは間違いないです」  アルコール依存症専門の心療内科「さくらの木クリニック秋葉原」の倉持穣院長が、こう指摘する。 「臨床的な実感としてですが、ストロング系がアルコール依存症の発症や進行に大きくかかわっている患者さんは多いと思います。最近、外来にやってきた患者さんにもストロング系がきっかけで一気に酒量が増えてしまった人や、短時間に何本も飲んでしまうという方が数多くいます」 ストロング系1本で男性は上限近く、女性は上限超  倉持院長によると、そもそもアルコールは大麻より強力な依存性薬物で、長期間飲み続けると、欲求が満たされたときに活性化し快感をもたらす、脳の「報酬系」という回路に変化が生じ、次第に飲酒をコントロールすることができなくなっていく。  厚生労働省が定める、生活習慣病のリスクを高める1日平均の純アルコール(お酒の量×アルコール度数×0・8)の摂取量は、男性が40グラム以上、女性が20グラム以上。500ミリリットル(度数9%)のストロング系1本(36g)で男性は上限に近くなり、女性は簡単に上限を超えてしまう。  倉持院長は、ストロング系に手を出しやすく、ハマりやすい点についていくつかの理由を挙げる。 ▽安く早く酔えてお得 ▽若者向けのイメージを作りだしている ▽酒臭さがなく、人工甘味料・香料を加えたり強炭酸にしたりして飲みやすくしている ▽フレーバーを季節ごとに変えるなど消費者の購買意欲を上手に刺激している ▽「プリン体ゼロ」「糖類ゼロ」など健康に配慮しているかのような記載がある  普通の酒好きは、急激なスピードで依存症へと引き込まれていく。倉持院長がこう指摘する。 「どんなお酒でも飲み過ぎてはいけませんので、ストロング系でなければ依存症の危険性がないということでは決してありません。それでも、ストロング系が高リスクなのは明白で、専門医の間では長く問題視されてきました。にもかかわらず、いまだに悪ノリのような商品まで開発されてしまっています。売らんがための商品開発や宣伝の陰で、悲惨な目に遭っている人がたくさんいることは知っていただきたい事実です」  企業側が売るのをやめればいいと考えることもできるが、話はそう単純ではないようだ。倉持院長は、こうした商品が生まれた構造的な問題にも触れる。 仕組みを考える必要がある  ビールの酒税が高かったため、低価格で売れるものを求めて各社が開発したのが発泡酒。その発泡酒が人気となって発泡酒の酒税も上がった結果、同じ流れで酒税が安いままだったストロング系に注力するようになった、との指摘があるのだ。 「販売側の責任だけを問うのではなく、アルコールの量に比例して課税する制度にするなど、安くて手軽に買える高アルコール商品が生まれにくい仕組みを考える必要があるのではないでしょうか」(倉持院長)   アルコール依存に陥れば、本人が苦しむだけではなくその家族にも大きな負担がかかる。前出の加納さんも、ストロング系に気軽に手を出し「これだよ~」とまどろんだあの夜、その先に苦しむ事態が起きようとは夢にも思わなかったのだ。 (AERA dot.編集部・國府田英之)
ストロング系アルコール依存症
dot. 2023/08/01 19:01
ホテルに指紋すら残さない“完璧な犯行”とゴミ屋敷に頭部は放置の落差 札幌遺体切断事件の謎
ホテルに指紋すら残さない“完璧な犯行”とゴミ屋敷に頭部は放置の落差 札幌遺体切断事件の謎
事件現場となったホテル。ススキノの歓楽街からほど近い場所にある=2023年7月5日、札幌市中央区    札幌市の歓楽街・ススキノのホテルで会社員男性の遺体が首を切断された状態で見つかった事件。娘と両親の親子3人が死体遺棄、死体損壊などの疑いで逮捕されて1週間ほどが経ったが、いまだ動機はおろか、認否についても明らかになっていない。男性の頭部を自宅に置いたまま3週間以上生活するなど、通常では理解できない謎がある。  この事件で逮捕されたのは、いずれも札幌市厚別区の無職田村瑠奈容疑者(29)、父で精神科医の修容疑者(59)、母の浩子容疑者(60)の家族3人。共謀して7月1日深夜から2日未明にかけ、札幌市・ススキノのホテルで、死亡した男性の首を切断し、頭部を自宅まで運んで遺棄した疑いが持たれている。  一方、遺体は、北海道恵庭市の会社員男性(62)で、道警の司法解剖の結果、刺し傷が致命傷となり、殺害後に首を切断されたとみられている。道警が3容疑者の自宅を捜索したところ、頭部が見つかった。  これまでの調べでわかっているのは、7月1日、札幌市のディスコで開かれていたイベントに会社員男性は参加していた。その後、男性は午後10時半ごろに瑠奈容疑者とみられる人物と合流し、ホテルに入った後、殺害されたとみられている。  翌2日の午前2時ごろにホテルのフロントに「先に出ます」と内線電話があり、瑠奈容疑者とみられる人物が一人でスーツケースを引いてホテルを出て、修容疑者が車で迎えにくると、それに乗って走り去った。その後、午後にホテルの従業員が会社員男性の遺体を浴槽で発見した。 ①計画的な犯行後、ずさんすぎる頭部の保管  遺体が発見された当初、報道されたのは、首が切断されるという猟奇的な犯行▽会社員男性は女装してイベントに参加▽住まいは札幌市から40キロ離れた場所で、仕事は会社員▽ホテルに入っていった人物の性別は未確認▽足取りが不明――といった情報などで、様々な臆測を呼んだ。  事件が大きく動いたのは24日。瑠奈容疑者と修容疑者が逮捕されたという一報が流れた。世間を驚かせたのは、2人が親子で父は精神科医。そして、翌25日には母の浩子容疑者も同じ容疑で逮捕され、家族3人による犯行の疑いがあることが明らかになったときだ。さらに道警が3人の自宅を家宅捜索し、浴槽から会社員男性の頭部が見つかったとのニュースが流れると、SNSなどでも大きく騒がれ、さらに大きな注目を浴びた。 送検される田村瑠奈容疑者を乗せた警察車両=2023年7月25日、札幌市中央区の北海道警本部    3人が逮捕される前、捜査は難航していたという。犯行現場であるホテルの部屋からは、会社員男性の衣服や携帯電話、財布などの所持品はすべて持ち去られ、ベッドなどは整然とし、容疑者の指紋すら残っていなかった。ホテルに2人が入ってから約3時間後には犯行を終えて出ているだけに、“しっかり”とした計画の上での犯行とみられた。  その後の捜査では、瑠奈容疑者と修容疑者が事件前、札幌市内の量販店で、ノコギリやスーツケース、ナイフなどを購入していたことが判明。道警は、これらが事件で使われた可能性があるとみて調べており、入念な準備をしていたとの見方を強めている。  しかし、会社員男性の頭部は、「自宅内の浴槽に放置され、腐敗して臭いが漂うほどだった」(捜査関係者)という。 容疑者宅から押収物などを運び出す捜査員ら=2023年7月24日、札幌市厚別区    用意周到な犯行をうかがわせる半面、事件後のそうしたずさんな状態に、 「綿密な計画性と行き当たりばったりの感じが入り交じっている」(同)  と複雑な表現をした。 ②瑠奈容疑者と被害者の接点と動機は?  62歳の会社員男性と、29歳女性の接点がどこにあったのかも大きな焦点となっている。  これまでの調べや周囲の話などから、会社員男性は、札幌市からは離れた自宅から、週末にはよく札幌市内の繁華街を訪れていたという。  ススキノの飲食店関係者によれば、ディスコなどに女装して出入りしていた姿が目撃されている。そうした様子はコロナ禍前から確認されており、店内ではよく女性と話していたという。  この飲食店関係者は、 「(会社員男性は)女装していたけど、ゲイなどではなく、女性のことが好きだったようです。女装の腕がすごくて、うまく溶け込んでいました。一方でトラブルもあったようです」  と話しており、 「瑠奈容疑者ともディスコで知り合ったと聞いています」  と振り返る。  前出の捜査関係者は、 「瑠奈容疑者は会社員男性と何度か会うなかでトラブルを抱え、暴行も受けたという話が出ています」  と語っている。  少なくとも事件の1カ月前から2人は知り合っていたようで、各紙の報道では、それから複数回会っており、その間にトラブルがあったようだとも伝えている。  まだ瑠奈容疑者の犯行とは決まっていないが、首を切断するという猟奇的な犯行に及ぶ人間の動機とはどんなものだろうか。 ③修容疑者の周囲の評判とのギャップ  修容疑者は、札幌市内の総合病院に精神科医として勤めており、職場のメンタルヘルスなどにも取り組んでいた。過労死などが裁判になると、意見書を書いて提出することもあった。  2018年には海外に派遣される自衛隊員のケアを手掛ける「海外派遣自衛官と家族の健康を考える会」を発足させ、代表幹事にも就いていた。2年前のシンポジウムでは講演し、「命の大切さ」などを説いていた。  修容疑者を知る病院関係者は、 「優しく非常に面倒見のいい先生でした」  と話すなど、周囲の評判は良かった。 評判は良かった田村修容疑者    一方、瑠奈容疑者は、小学校高学年の頃から引きこもりがちで、近隣住民は「ほとんど姿を見ることはなかった」と話している。  修容疑者は、そんな娘が好きなファッションを一緒にしたり、買い物をしたりと、仲が良かった様子がうかがえる。  今回の事件で、犯行現場となったホテルから1人で出てきた瑠奈容疑者とみられる人物は、迎えに来た修容疑者の車で一緒に自宅に帰っている。 「修容疑者は、瑠奈容疑者が会社員男性を殺害したことを認識して迎えに行っていたとみられる」(捜査関係者)  医師としても、父としても評判がいいだけに、犯行とのギャップが際立つ。  そして先述の近隣住民が語った最近の一家の様子は異様だ。 「(修容疑者が)コンビニのお弁当やカップ麺を家の外で立ったまま食べたり、夜間にヘルメットにライトをつけて読書をしていたり、変な家だなと思っていました。家の中が少し見えたときがあって、廊下、玄関先にまでゴミがあふれていて、すごく散らかっていました」  捜査関係者も、 「家の中は廊下までものが散乱し、“ごみ屋敷”のような状態で片付けに手間がかかった」  と話していた。 「一家全員が共犯関係」という家族に何が起き、どんな話がなされたのか。
札幌遺体切断事件
dot. 2023/08/01 06:30
福原愛“連れ去り問題”で窮地 中国人も「愛想が尽きた」と大陸でのビジネスに黄信号
山重慶子 山重慶子
福原愛“連れ去り問題”で窮地 中国人も「愛想が尽きた」と大陸でのビジネスに黄信号
福原愛さん    卓球の元五輪メダリスト・福原愛さん(34)の元夫である江宏傑氏の会見が話題を呼んでいる。長男の引き渡しをめぐる法廷闘争が日台双方で繰り広げられるなか、会見で江氏は福原さんに対し「日本の裁判所の決定に従い、長男を引き渡すこと。履行されない場合、未成年者誘拐の罪で告訴することも検討している」と涙ながらに訴え、誠意ある対応を求めた。  一方、福原さん側は「公衆の面前で国際記者会見を開くことは、高度な紛争を引き起こす」「子どもに対する家庭内暴力の一種」などと反論した。  2人は2016年に結婚。卓球界のビッグカップルとして注目を集めたが、2021年ごろから夫婦関係が悪化。福原さんの不倫疑惑が報じられると、彼女は逆に江氏のモラハラ行為を告白し泥沼化した。2人は同年7月に離婚を発表。その後、子どもの養育を巡りたびたびトラブルとなっていたことが報じられてきた。  今回の記者会見について、台湾メディアは「江宏傑が日本で開戦! 日本の裁判所の判決に従わぬ福原愛」(華視新聞)、「涙の江宏傑! 福原は緊急声明を発表で反撃に」(今週刊)などの見出しで大々的に取り上げた。おおむね江氏に対し同情的な報道内容となっている。  一方で気になるのは、福原さんが現在“主戦場”としている中国大陸の反応だろう。中国事情に詳しいライターの広瀬大介氏はこう話す。 「福原さんは、過去に中国の国内リーグに在籍していましたし、中国東北地方なまりの中国語などが国民に受け、『中国国民の妹』『お人形さん』などの愛称で親しまれてきました。日本ではSNSをほとんどやっていない福原さんですが、ウェイボ(中国版Twitter)では積極的につぶやいており、約550万人のフォロワー数を誇っています。かつての不倫報道の際には中国のネットユーザーからも一部厳しい意見が寄せられましたが、原因が江氏のモラハラ行為だとする報道が紹介されると、中国世論は一気に福原擁護へと動きました。また昨年、福原が長男を日本に連れ帰った際も、『母親として当然の行為。母親といるのが幸せだ』『愛ちゃんの方が経済的にも良い教育環境を提供できるはずだ』と、福原を応援するコメントであふれていました」  しかし、今回は潮目が変わったようだ。会見が行われた27日夜、福原さんは自身の公式ウェイボに声明を発表し、江氏の行為が家庭内暴力に当たると指摘。しかし、中国のネットユーザーからは「(福原は)江に台湾の裁判所の命令を遵守するように求めているのに、自分が日本の裁判所の命令を無視するような行為をしていては江を非難する資格はないのでは?」「日本人の母親と台湾人の父親の争いなのに、なぜ中国向けのSNSで声明を発表しているのか」「そもそも婚姻中に他の男性とデートしている時に、子どものことは思い浮かばなかったの?」など、これまでには見られなかった厳しいコメントが多く寄せられているのだ。 中国人男性ファンも激減!?  今回の騒動は中国政府系メディア「環球時報」や、共産党系メディア「北京青年報」なども報じており、注目の高さがうかがえる。複数の中国メディアは、それぞれ「江宏傑が涙の訴え、裁判では福原愛の負け、さらに履行を拒否」(極目新聞)、「江宏傑の弁護士が警告、福原愛が子供の引き渡しに応じない場合、未成年者誘拐罪での告訴も検討」(環球時報)などの見出しで、福原さんの“情勢不利”を強調して伝えている。 「中国SNSを見ていると、江の会見前までは福原養護が7割といった感じでしたが、会見後は非難派が7割と逆転した印象です。さすがに今回は中国人も愛想を尽かしたようで、今後の彼女の中国でのビジネスも黄信号がともった。福原は5月に中国コスメブランド・ITOの広告塔になり、中国美容博覧会にもアンバサダーとして登場し、ファンとの写真撮影に応じたり、クレンジングタオルなどの商品について熱心に紹介したりしています。また5~6月に政府系の日中文化交流イベントや中国の自治体主催の健康イベントなどに出演しています。このまま福原への風当たりが強くなれば、企業CMや政府系イベントの仕事は難しくなるのではないでしょうか」(広瀬氏)  中国では近年、法律違反や反道徳的な問題行動を起こした芸能人対して、起用を禁止する通達を出しており、実際にこれまで薬物事件や買春行為、不倫などが報じられた数々の芸能人が封殺対象となった。福原さんの行為はこれらとは異なるものの、場合によっては、中国でのタレント生命が絶たれる可能性もある。  ジャーナリストの周来友氏は福原愛さんの今後についてこう見る。 「今回の江さんの会見は中国でも大きなインパクトをもたらしました。“連れ去り問題”が完全に解決するまでは、中国での起用も様子見となり一時中断になるでしょう。さらに中国の男性ファンの愛ちゃん離れもあります。江さんと離婚したときは『台湾の男にとられたけど、やっぱり大陸の男のほうがよかったんだ』と歓喜したのですが、離婚後も中国人とは浮いた話も一切ありません。中国人男性は面白くなく、もう応援しても意味がないと思い始めています。若い世代はそもそも愛ちゃんの現役時代の活躍を知りませんし、中国ではもはや中年以上の女性しかファンがいないのです。そういう意味でも、中国での活動は厳しくなる一方でしょう」  台湾、中国、日本……福原さんの居場所はどこになるのだろうか。(山重慶子)
福原愛連れ去り江宏傑
dot. 2023/07/31 15:52
3男1女が東大理III合格の佐藤ママ「口を出すよりお茶を出して」 夫婦はどう支え合う?
3男1女が東大理III合格の佐藤ママ「口を出すよりお茶を出して」 夫婦はどう支え合う?
  『三男一女 東大理III合格! 佐藤ママの子育てバイブル 学びの黄金ルール42』(佐藤亮子著、朝日新聞出版) 夫と教育方針をめぐって意見の相違が……。4人の子ども全員を東大理III(医学部)に合格させた佐藤ママこと佐藤亮子さんの場合はどうだったのでしょうか。夫婦の支え合いについても考えさせられます。『三男一女東大理III合格! 佐藤ママの子育てバイブル 学びの黄金ルール42』からの一部抜粋です。第五回目は、第4章「ママ友との関係、祖父母の口出し…困ったときの対処法」から黄金ルール30「夫と教育について意見が違う!… 父親は口を出すよりお茶を出して」を公開します。 【第五回】夫と教育について意見が違う! 父親は口を出すよりお茶を出して  両親が教育に関して別々のことを言うのが一番よくありません。わが家では、子どもの教育に100%私が責任を負うことにしました。  遅くに帰宅した主人が、「こんなに遅くまで勉強させてはかわいそうだろ。もう寝かせてやったらどうだ」と言ったことがあります。せっかく子どもたちががんばっているのに、そう言われると私も子どもも意欲をそがれるのです。父親と母親で言うことが違うと子どもたちは混乱してしまうため、「子どもの教育に関しては、すべて私がやる」と決めたのです。  もちろん、主人にも私や子どもたちをサポートしたいという気持ちがあったと思います。その気持ちはありがたい。だから、主人には、「子どもが勉強しているときには口を出さないで、お茶を出して」と言いました。すると、主人は私たちが勉強に取り組んでいると、お茶を出してくれるようになりました。お父さんがお茶をいれてくれると子どもたちもがんばろうと思い、私もねぎらってもらっていると感じられてうれしかったです。  サポートとは、自分がやりたいことをするのではなく、相手がしてほしいことをすることです。自分がやりたいことと、相手がやってほしいことはたいてい違うものです。  お父さんはお母さんがやってほしいと思っていることをしてください。お母さんが「お父さんと結婚してよかった」と思うようなことを、お父さんにはしてほしいと思います。わが家の場合、それは、主人が私に「大変だね」と言ってお茶を出すことだったのです。     わが家のリビングには、テレビがありません。結婚したときにはありましたが、長男の出産前に出産後のことをシミュレーションしたとき、「私が育児をがんばっているときに主人がテレビを見てアハハと笑っていたらイラッとするだろうな」と思い、テレビを2階に移動しました。最初は主人もテレビを見たいときには、2階に上がっていましたが、しばらくすると見なくなりました。あんなに楽しみにしていた、野球の試合の結果をテレビで見ることもなくなり、新聞で読むだけになって、人間の習慣は面白いと思いました。  子どもの教育に全力で取り組んだというと、家の中のことも完璧だったとよく勘違いされます。4人の子どもの中学受験、大学受験のときには、家事は適度に手を抜いていました。  あるとき、主人が「食器棚に皿がない。洗ってないよ」と言うので、「そんなこと言う暇があったら、食器を洗って」と言ったら、自分が使いたい1枚だけを洗っていました(笑)。主人は、「子どもたちが大学に合格するまでは子どもが最優先」ということを理解していたので、家事についてうるさく言うことはありませんでした。そのことにとても感謝しています。  世の中には、普段は仕事が忙しくて子どもの教育にはほとんど関わっていないのに、志望校や志望学部を決めるときに、ダメ出しをしたり、自分の希望を押しつけたりするお父さんもいるようです。子どもから相談されたときは別ですが、子どもに聞かれてもいないのに口を出すと反発されるだけです。  だから私は、弁護士の主人に「弁護士を目指せ、弁護士になってほしい」とは言わないように、と伝えていました。結果的に4人の子ども全員が医学部に進むことになりましたが、主人も子どもたちの意思を尊重してくれました。  サポートとは、自分がしたいことをするのではなく、相手がしてほしいことをすること。子育てにおいて、夫婦が支え合う場合も同じではないでしょうか。わが家では「父親は口を出すより、お茶を出す」。これでうまく毎日が回っていました。でも、できれば、家事も手伝ってほしかったのですが……(笑)。 『三男一女 東大理III合格! 佐藤ママの子育てバイブル 学びの黄金ルール42』(佐藤亮子著、朝日新聞出版) ■■目次■■ 【はじめに】 【佐藤家のプロフィル】 【3男1女佐藤家4きょうだいのあゆみ】 【第一章】親として自信がつく!まず、知っておきたい8つのこと  (1)18歳まではどこまでも子どもに手をかけて  (2)親のサポートが子どもの人生を左右する  (3)子どもは怠け者で、勉強は嫌いだし、ウソもつく。そこからスタート  (4)学びには旬がある。今、やらせないと後悔します  (5)テストで1点を上げる努力を甘く見ない。成功体験が自己肯定感につながる  (6)とりあえずやってみる。教育は「いいとこどり」の精神でOKです  (7)子どもの「わかった!」は親への最高のプレゼント  (8)自分の人生はオリジナル。周りは気にしないで 【第二章】早期教育の鉄則 就学前は「よみ、かき、そろばん」を徹底的に  (9)IT時代も30年前の子育てがちょうどいい  (10)目指してみよう! 能力を開花させる魔法の数字「1万」  (11)豊かな感性を育てる絵本の読み聞かせ  (12)読み聞かせで読解力が向上  [絵本リスト]佐藤ママおススメの絵本100冊  (13)生きた教養は童謡から。お父さんの出番です  (14)童謡は学校の勉強にも役に立つ  [童謡リスト]佐藤ママおススメの童謡100曲  (15)英語より、ひらがな、九九、一桁のたし算。就学前にやって損はない 【第三章】成績がぐんぐん伸びる!小中学生の宿題・テストのサポート術  (16)子どものやる気を引き出すのは、親のあなたです!  (17)「しっかりして」「がんばって」は禁句。子どもには負担です  (18)テスト勉強や宿題を子どもに丸投げしない。親の関わり方を見直そう  (19)急がば回れ。テストの点数が悪かったら、勇気を持って戻る  (20)こうすれば意欲がわく。子どもの達成感を演出する3つのコツ  (21)寝る時間は厳守。ノルマが残っていても寝る  (22)勉強中の子どもは孤独。親がそばにいてあげる  (23)塾で先取りはOK。でも学校もおろそかにしない  (24)勉強だけでは効率が悪い。成長期は運動もさせて  (25)新聞は子どもにとって社会の窓。活用しないともったいない  (26)スマホには断固とした態度を!子どもは「やめたい」と思っている 【第四章】ママ友との関係、祖父母の口出し…困ったときの対処法  (27)子どもに信頼されたい… 接し方次第で関係は変わります  (28)反抗期は成長に不可欠?…なくていい! 親の暴言が反抗期の種に  (29)子どもに勉強を教えられない…お母さんは堂々としていていいのです!  (30)夫と教育について意見が違う!…父親は口を出すよりお茶を出して  (31)祖父母が口を出す… 一役渡して、蚊帳の外には置かない  (32)受験の結果が心配…シンプルな激励の言葉を用意しておく  (33)志望中学・高校に落ちたときには…とにかく忘れて! 人生はノーサイド  (34)ママ友は必要?… 悩むくらいなら腹をくくる 【第五章】今から知っておけば安心!合格へ導く大学受験の法則  (35)難しく考えないで。大学受験はシンプルです  (36)「計画は分単位で立てる! 後悔しないための時間管理術  (37)受験生の持ち時間は平等。計画はゴールから逆算がカギ  (38)受験に完璧は禁句。暗記はすきま時間でOK  (39)暗記と苦手な部分は除夜の鐘までに終わらせること  (40)最後の2週間の過ごし方。本番の時間帯に身体を慣らす  (41)男の子と競う受験。女の子は早め早めが正解です  (42)受験生でも女の子の美容は大事!「きれいにしたい」は否定しない 【第六章】家族の結論! 0歳から18歳まで「ママの言う通りにしてよかった!」  [長男から]調べる習慣は母の姿を見ていたから  [次男から]母のおかげできれいな歯。大切にしたい  [三男から]性格に合わせて勉強法を工夫してくれた  [長女から]親元を離れて実感。幸せな18年間だった  [夫から]精神的な強さも尊敬。私の人生も豊かになった子育て  [後日談]「恋愛は無駄」でママが炎上!? 火消しに走った次男のフェイスブックコメント全文 【対談】  佐藤ママ×佐藤パパの本音対談!「アンチがいてもいい。家族が一番の味方」 【おわりに】 ※『三男一女 東大理III合格! 佐藤ママの子育てバイブル 学びの黄金ルール42』(佐藤亮子著、朝日新聞出版)は好評発売中。5年前から支持され続けるロングセラーです。子どものやる気がアップする接し方など、親が今日から取り組めるノウハウが満載です
佐藤ママ夫婦問題東大理三子育てバイブル
dot. 2023/07/31 08:00
出張ランにもおすすめ!暑さを回避できる東京のランニングコース4選
出張ランにもおすすめ!暑さを回避できる東京のランニングコース4選
東京のランニングコースといえば皇居の外周が定番ですが、1周5kmの間で日差しを遮るものが少なく、夏のランニングにはあまり適していません。とはいえ他に走れるコースがわからないため、暑いとわかっていても皇居で走る人も多いはず。でも都内には暑さを回避して走れるコースがいくつもあります。ここではそんな都内のランニングコースの中でも、夏のランニングに適した4つのコースをご紹介します。ただし、どのコースも熱中症リスクはあるので、比較的涼しくなる時間帯に走るようにしましょう。夏でも涼しく走れる東京のランニングコースをご紹介します緑の屋根で涼しさアップ「代々木公園」原宿駅からすぐのところにある代々木公園は、織田フィールドのような陸上トラックもあるため、シリアスランナーが多いというイメージがあるかもしれません。しかも休日は人が多いので走れるイメージが湧かないという人もいますよね。でも朝の早い時間帯であれば、人もまばらでとても走りやすいランニングコースになります。都心なのに豊かな自然を感じることができ、1周約1.15kmのコースは緑の屋根で覆われているため、直射日光を避けて気持ちよく走れます。織田フィールドの一般利用日であれば更衣室やシャワーが利用でき、代々木八幡や代々木上原に向かえば銭湯もあるので、しっかり汗をかいても安心です。ただし、どちらも早朝には利用できませんので、仕事前に走りたいなら渋谷のシャワー付きネットカフェをご利用ください。●代々木公園アクセス:原宿駅 or 明治神宮前(原宿)駅下車 徒歩3分住所:東京都渋谷区代々木神園町2-1開園時間:24時間緑のトンネルが続く代々木公園は早朝ランニングにおすすめフラットで走りやすい都内の穴場「神宮外苑」皇居ほどランナーが多くなく、陰になる場所も多くて走りやすいのが神宮外苑です。コースはほぼフラット(1周1.325km)で距離表示もあります。プロ野球やJリーグ、コンサートなどのイベント開催日でなければ通行人も少なく、快適に走れるのもおすすめポイントになります。午前9時以降であれば東京体育館を拠点にできるので、仕事終わりの涼しい時間や休日の午前中に走るのがおすすめです。屋根のある国立競技場の外周を走れるので、雨の日でもしっかりと走り込みしたいという人にも適しています。負荷をかけて走りたいなら、すぐ隣に赤坂御所の外周コース(約3.3km)もあり、さらに赤坂まで足を延ばせば、そこは都内屈指の激坂エリア。様々なランニングを楽しめる都内の穴場ですので、出張ランにもおすすめです。●神宮外苑(東京体育館)アクセス:千駄ケ谷駅下車すぐ住所:東京都渋谷区千駄ケ谷1-17-1施設利用時間:9:00~23:00(土曜 ~22:00・日曜 ~21:00)※陸上競技場の最終入場は閉館の1時間前神宮外苑を拠点にいくつものランニングコースを楽しめますナイトランにおすすめ「レインボーブリッジ」 仕事終わりに夜景を楽しみながら走るなら、レインボーブリッジがおすすめです。レインボーブリッジは片道約1.7kmの遊歩道があり、アップダウンもあるのでしっかりとしたトレーニングになります。しかもレインボーブリッジは風の流れがあり、暑さをほとんど感じません。長めに走りたい人は、有明スポーツセンターなどの施設を利用して、お台場エリアのランニングコースと組み合わせることも可能です。ただし、お台場のランニングコースは日陰がほとんどないので、太陽が出ている時間帯に走るのには適していないのでご注意ください。それでも新橋や浜松町周辺からもアクセスしやすく、出張でそれらのエリアに宿泊するという人にはぜひ走ってもらいたいコースのひとつです。スカイツリーや東京タワーなど東京ならではの夜景を楽しめるので、非日常を感じたい人におすすめです。●レインボーブリッジアクセス:お台場海浜公園駅下車 徒歩15分住所:東京都港区海岸3-33-19開場時間:9:00~21:00(11~3月:10:00~18:00)※最終入場は閉場の30分前涼しいだけじゃなく夜景も美しいランニングコースアフターランも楽しい都会のオアシス「日比谷公園」通勤前に走りたいという人におすすめなのが日比谷公園です。皇居エリアということでシャワー施設も充実しており、日比谷公園内には7時から営業しているBEACHTOWN日比谷公園があるので、走り終えてすぐにシャワーで汗を流せます。日比谷公園も緑が多く、直射日光を避けられるので、皇居のランニングコースよりも気持ちよく走れます。公園内には図書館もあり、休日の午前中に日比谷公園を走って、そのまま図書館で本を読みながらクールダウンするなんてことも可能です。さらに有楽町駅も近いので、仕事終わりに軽く走って、そのまま仲間と一緒にアフターランを楽しむといった使い方もできます。スピードを出す人もほとんどいないので、皇居のコースは人とぶつかりそうで怖いという人にもおすすめです。●日比谷公園アクセス:日比谷駅 or 霞ヶ関駅下車すぐ住所:東京都千代田区日比谷公園開場時間:24時間アフターランの選択肢が多く、早朝ランニングにも対応
tenki.jp 2023/07/28 20:30
3年間に10万回の「おはよう」 そこに込めた思い 大林組・蓮輪賢治社長
3年間に10万回の「おはよう」 そこに込めた思い 大林組・蓮輪賢治社長
長年の現場の経験からIT化やAIの利用がいくら進んでも、最後は人間力の戦い。物事の判断やものづくりへの情熱はやっぱり人になる(撮影/狩野喜彦)  日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年7月31日号の記事を紹介する。 *  *  *  1996年9月から務めた、近鉄奈良線・学園前駅舎の建て替えと新しい商業施設をつくる工事事務所の所長のときだ。事務所は、南口の広めの土地を借りて、プレハブ2階建てをつくった。2階は近鉄関係者と自分たち共同企業体(JV)の約20人が使い、1階は工事を担う協力会社の職人が出入りした。職人の数は、100人を超す。  毎朝、事務所で100人を集めて朝礼をやり、その日の工事の内容や注意事項を確認する。ときに、自分も話をした。それだけではない。99年9月に竣工するまでの3年間、朝礼の前後に入り口に立ち、1人ずつに「おはよう」と声をかけた。  全員に言い続けたのが、蓮輪流だ。そうしておくと、仮に現場で安全に反する行動をみかけたとき、同じ目線で言葉をかけやすい。目と目が合えば、安全に反した行動をしていたら「しまった」と思うだろう。  事務所に籠もっている人間に言われるのでなく、毎朝会っている相手なら、注意も聞きやすいはずだ。  毎朝100人として、「おはよう」は3年間で約10万回になる。間違いなく、家族に言った数より多い。「おはよう」には「ご苦労さん」の意味は当然として、目が合ったときに「頼むぞ、無事故・無災害で仕上げてくれよ」との思いも込めた。 ■アイコンタクト身についた部活のサッカー  キーワードは「アイコンタクト」だ。互いに何を考えているのか、何を伝えたいのか、「言葉にしない思い」を通わせる。中学校と高校の部活で続けたサッカーで、身についた。広いグラウンドで離れたところにいる選手同士が、次のプレーへの意図を伝えるのに、欠かせない。  母も、眼で気持ちを伝えてきた。1964年2月27日、小学校4年生のときに、旅行代理店に勤めていた父が、出張先の大分市で起きた飛行機事故で急死した。母に連れられ、その夜の飛行機で福岡へ飛び、車で大分へ向かったことは忘れない。  衝撃だった。弟は7歳下で、まだ幼児。母は自宅近くに日中の仕事をみつけ、働いて2人を育ててくれた。自然、弟の父親代わり役が増えていく。母は何も口にしないが、目が合えば思いは分かる。ここでも「言葉にしない思い」を伝える過ごし方が、身に染み込んでいく。  蓮輪賢治さんのビジネスパーソンとしての『源流』は、このサッカーと母との日々だ。 高校では副主将だった(写真:本人提供)  工事事務所長は、現場の筆頭責任者。それを、学園前駅の改築で初めて務めた。難工事だった。電車がこない深夜だけでなく、運行する日中に客が乗り降りするなかでの作業も多い。しかも、駅周辺は、近鉄が東京の田園調布をモデルに高級住宅地を開発した地域だ。発注者にとって大事な客がたくさんいることが、想像された。安全の確保が、すべてに優先する。 ■乗降客の安全に二つ目の屋根で落下物を防ぐ  ホームの屋根の下でやる作業には、間にもう一つ、仮の屋根をつくった。万が一、工具や資材が落ちても、乗降客に怪我をさせないためだ。気を使ったのは、通路や階段の仮設。不便さが高じたら、工事への理解や協力が得にくい。備えを、二重三重にした。  大阪大学工学部の土木工学科を出て入社し、土木部門の仕事を続けた。駅舎などの工事には建築部門の作業があり、作業者はそのほうが多く、職種もいろいろだ。でも、最高責任者だから、土木だけでなく、初めて建築も指揮をした。その人たちの気持ちや動きを掌握しようと思えば、「おはよう」とアイコンタクトは、必要だった。  太平洋戦争の「戦艦大和」、戦後まもなく建造された当時世界一のタンカー「日章丸」、北アルプス山系につくられた黒部ダムの工事を描いた『黒部の太陽』と、小学校高学年から中学校へかけて読んだ本で知った巨大な難工事。そこから「でっかいものを造ってみたい」と思って入った道は、学園前駅で、技術者からマネジメントの役へ変わっていた。  1953年11月、大阪市阿倍野区で生まれる。父母と弟の4人家族。大阪学芸大学附属平野小学校(現・大阪教育大学附属平野小学校)から同中学校へ。父が亡くなった後、楽しみはサッカーだった。小学校5年生の64年、大阪であった東京五輪のサッカー順位決定戦で、初めて生の試合をみて好きになる。放課後にボールを蹴り、中学校に入って上級生とサッカー部をつくり、府立住吉高校でも続けた。アイコンタクトが自然な動作になり、『源流』が流れ始める。 ■入社して2年 原点になった繰り返しの仕事  就職は、研究室の先生が推薦した大林組に決める。77年4月に入社し、研修が終わると、兵庫県を走る能勢電気軌道(現・能勢電鉄)の新線の鉄道高架橋工事現場へいかされた。描いていた仕事とは違い、毎日が作業員に対する仕事内容の指示書類づくり、図面から使用する部材の数拾い、職人が何人・何時間働いたかの記録など。「施工管理」と呼ぶ仕事の繰り返しで、工学的な知識を生かすことはほぼなく、ストレスを感じた。  でも、橋の基礎をつくるコンクリート打ちの担当もさせてもらい「でっかいものを造る」の手応えを感じていく。この2年弱がすべての原点となる。関西の橋やトンネル、地下鉄などの現場で施工管理ひと筋に歩んだ。  民主党政権下で公共事業の削減という逆風が業界に吹いた2011年、前任の社長に呼ばれた。言われたのは「新事業を考えろ」だ。事前に、話が出たことはない。社長の目をみると、「きみに任せる」と言っていた。言葉がなくても、伝わる。『源流』が、顔を出す。  選んだ新事業は、再生可能エネルギーの創出と販売だ。直前に、東日本大震災があった。エネルギー源の構成が大きく変わるのは、間違いない。自社も、使っているエネルギーを省エネ技術と創エネで相殺する理念を打ち出していた。政府は再生可能エネルギーの普及に全量買い取り制を整え、契約時に買い取り価格が固定する。これなら、採算をはじきやすい。翌年1月、創った電力を売り始めた。  発電設備をつくるには、土木と建築の双方の技術が不可欠だが、風力発電施設は大規模な風車になるので土木分野に近い。一方、山梨県や茨城県で稼働させた木質バイオマス発電所は、木を燃やすプラントづくりが土木よりも建築に近い。いま、国内での太陽光、風力、木質バイオマスによる1日の発電量は平均140万キロワット時。1日平均消費電力からはじくと、約12万世帯を賄える量だ。  2018年3月に社長就任。売上高の過半を占める建築部門から続いていたトップに、土木部門から選ばれた。リニア中央新幹線工事の受注を巡る談合問題に無縁だった点も一因、と報じられたが、社内では建築部門も指揮した経験に「建築・土木の双方に通じた新タイプのリーダー」と評された。  受注競争からは、逃げられない。でも、談合やコンプライアンスに抵触する行為があれば、いくら受注しても意味がない。担当者としての受注意欲や出世欲、そうした欲と闘うことだ。  これは「言葉にしない思い」というわけには、いかない。口を酸っぱくして言い続けよう、と社長就任時に決めた。もちろん、相手の目をみて言う。(ジャーナリスト・街風隆雄) ※AERA 2023年7月31日号
AERA 2023/07/28 07:30
【社会人の学び直し】武庫川女子大が開設したリカレント講座 女性に限定せず「申し込みは想定以上」
【社会人の学び直し】武庫川女子大が開設したリカレント講座 女性に限定せず「申し込みは想定以上」
「ビジネスパーソンのためのDX基礎講座」は、2023年5月から6月にかけて金曜日の夜間に計6回の講義が行われた 社会人が学び直すリカレント教育には、さまざまな学びの場がある。大学で手軽に学べる社会人講座にも多くのニーズがあり、最近開講したなかでは、2023年4月にスタートした、150以上の講座が設置される武庫川女子大学のリカレント教育センター「ムコノアプラス」が注目される。 *  *  * ■DXを始め150以上の社会人向け講座を開設  武庫川女子大学は文系、理系、医療系なども設置する12学部19学科の総合大学で、全国で一番学生数が多い女子大学だ(「大学ランキング2024」から)。2023年4月には兵庫県の西宮北口キャンパスにリカレント教育センターを新設し、150以上の講座をそろえたリカレント教育「ムコノアプラス」をスタートさせた。 阪急西宮北口駅から徒歩5分のところにある武庫川女子大学西宮北口キャンパス。社会人や地域にも開かれたキャンパスとして2022年4月に開設された  結婚や出産、育児をきっかけにいったん職場から離れ、再び社会に出ようとする女性は多い。武庫川女子大学を運営する学校法人武庫川学院は、創立80周年の2019年に、20年後の100周年に向けたビジョンとして「一生を描ききる女性力を。」を掲げた。同センター長の高橋千枝子教授は「武庫川女子大学の卒業生は20万人いますが、時代とともにその後の人生のあり方が多様化するなかで、キャリアをサポートする必要があるのではという話は以前から出ていました。リカレント教育センターも、このビジョンのもとに開設されました」と話す。 「ただ1年前にできたばかりの新しい西宮北口キャンパスで、ほかのキャンパスと違って女性に限定せず、性別や年齢、国籍関係なしに学び直しをする社会人を幅広く支援することにしました。全般的には女性の受講生がやや多い程度で、男性のほうが多い講座もあります」  ムコノアプラスにはDX関連からビジネス全般、コミュニケーションのしかた、キャリアマネジメントなどの人材育成、各種資格取得、公務員試験対策、お父さんの子育て支援までさまざまな講座がある。  卒業生や社会人に事前アンケートをとったところ、「DXやITについて学びたい」という声が多かった。そこでこの分野については、基本的なスキルとなるリモートワークのしかたやExcel基礎講座を始め、文理融合型の「ビジネスパーソンのためのDX基礎講座」や「データ分析入門講座」、専門的な分野のグラフィックデザイナー養成コース、WEBプログラマーコースなどを幅広くラインアップしている。 「ビジネスパーソンのためのDX基礎講座」を担当する宗平順己教授は「日本ではデジタル化で効率化やコストカットをするのがDXの目的と誤解されやすいのですが、本来はAIやIoTを使って顧客に新しい価値を提供し、そのことで企業としてどう生き残っていくかを考えるためにあります」と語る。  経済産業省のIT政策実施機関である独立行政法人情報処理推進機構は、22年12月にまとめた「デジタルスキル標準」で、ビジネスパーソンが身につけるべき能力・スキルを示している。 「ビジネスパーソンのためのDX基礎講座」は、2023年5月から6月にかけて金曜日の夜間に計6回の講義が行われた 「いわば国の方針ですべての社員がDXについて知ることが求められているのです。デジタル技術に詳しい専門家は、その企業が顧客に何を望まれているかを知りません。ビジネスの最前線にいる人たちが、AIやIoTで何ができるかを自ら知る必要があります。これは今、日本全体に突きつけられている課題でもあります」と宗平教授は強調する。 「すぐに役立ち、学問的にも正しいことを分かりやすく伝えるようにしています。AIにしても、すぐに使えるものは世の中にたくさんあります。DXをもっと身近なものととらえて、どう活用するかを考え、得たものを持ち帰ってもらえればと思います」(宗平教授)  西宮商工会議所中小企業相談所所長の元辻昌典さんは、地元企業の経営を支援する機関としてまず自らが知識やスキルを高めようと、このDX基礎講座で学ぶことにした。「DXは顧客起点の価値創造」という考え方に特に共感したという。 「技術についての解説ではなく、DXの考え方の説明が中心で期待通りの講座でした。学ぶ情報は大変多く、またさまざまな業種の人が受講しています。職場研修とは異なり、いろいろな目的を持つ人たちと幅広い内容をじっくり学べて、自分自身をアップデートできました。社会人が学び直しをする意義を改めて感じます。中小企業支援のヒントを得たので、これから職場で共有していきます」 「ムコノアプラス」では、オンラインの対面指導を受けることもできる。受講生や修了した人たちが交流するイベントを開催し、自習室や大学の付属図書館が利用できるというメリットもある。  最初にどの講座を選べばいいか悩んだときにはキャリアカウンセラーに相談できる。DX講座を受講した後に転職、再就職を支援する「育成型就職支援プログラム」もあり、講座を修了した後の企業の紹介から応募するところまでフォローする。卒業生からの問い合わせ・申し込みが想定以上に多く、手ごたえを感じているという。 「ムコノアプラスでは事前にキャリアカウンセリングを受けられますが、自分にとって何が必要なことか、どの講座でそれが学べるのかをまず把握することが大事です。仕事や家庭と学びを両立させるためには、対面授業なら通いやすい場所にあるか、リモートやオンデマンドが選べるかも確かめておくといいでしょう」と高橋教授はアドバイスする。  リカレント教育を通して、職場では出会えなかった人々との交流から得られることも多い。それは人生のキャリアアップにもつながっていく。 (取材・文 福永一彦) 高橋千枝子 教授 たかはし・ちえこ/武庫川女子大学リカレント教育センター長。三和総合研究所を経て、2020年から武庫川女子大学経営学部教授。23年から現職。 武庫川女子大学リカレント教育センター長 高橋千枝子 教授 宗平順己 教授 むねひら・としみ/武庫川女子大学経営学部教授。1986年、オージス総研入社。同社コンサルティング部長、執行役員技術部長などを経て2020年から現職。 武庫川女子大学経営学部 宗平順己 教授
リカレント教育リスキリング
dot. 2023/07/25 16:30
【下山進=2050年のメディア第4回】チェスとナチス 自殺直前に投函したユダヤ人作家の小説は
下山進 下山進
【下山進=2050年のメディア第4回】チェスとナチス 自殺直前に投函したユダヤ人作家の小説は
『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』より。ドイツ映画。シネマート新宿他で公開中。(c)2021 WALKER+WORM FILM, DOR FILM, STUDIOCANAL FILM, ARD DEGETO, BAYERISCHER RUNDFUNK 「その手は駄目だ。敵は罠をしかけた。g8からh7へキングを移せ」  豪華客船のバーで、チェスの世界チャンピオンが13面指しだろうか、大勢の相手とチェスをしている。チャンピオンは次々に盤面の向こう側の相手をくだしていき、最後の一人がある手を指そうとしたとき、後ろから思わず声をかけた中年の紳士がいた。  指し手はその船のオーナーだったが、この中年の紳士の言うとおりにそれ以降の手をうっていき、なんとその世界チャンピオンとの勝負を引き分けに持ち込む。  オーナーは信じられないというようにその紳士の素性を訊ねる。さぞかし高名な指し手であろう、と。ところが紳士はこう言うのだ。 「本当に駒に触れたのは人生で今日が初めてだ」  チェスの話が好きだ。  天才的チェスプレイヤーとしてソ連のボリス・スパスキーを世界選手権で破って冷戦のヒーローとして名を馳せたにもかかわらず、その後ぷつりと消息を絶ったボビー・フィッシャーについては、出版社にいた時代にノンフィクションをひとつつくっているし(『完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』)、8月末に文庫版が出る『アルツハイマー征服』の中で重要な役割をはたす天才科学者も、チェスの名手だ。  その天才科学者に、新宿のパークハイアットホテルの朝食に招かれたが、静かなラウンジにつくと、彼がポケットチェスを出して朝陽さすテーブルで一人チェスをしているのを見て痺れたこともある。  ということもあって、先週金曜日(21日)に公開の始まった「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」という映画を観た。冒頭は、その映画からの一シーンである。  この映画は、オーストリアからの亡命ユダヤ人作家だったシュテファン・ツヴァイクの最後の作品『チェス奇譚』(杉山有紀子訳)を原作にしている。  ツヴァイクは、ナチスが台頭するオーストリアを1934年に逃れブラジルに滞在していた。リオデジャネイロでこの『チェス奇譚』の原稿を書き上げるとそのタイプ原稿を一通は、ニューヨークの出版社、一通はユダヤ系出版社、そして一通をリオの翻訳者宛に投函し、その夜、妻と一緒に服毒自殺をとげている。  日本ではみすず書房が全集を出していたが、忘れられた作家と言っていい。私も、実はまったく知らなかった。今回、映画をみて、初めて幻戯書房から出た新訳を読んだが衝撃をうけた。  70代以上には有名な作家だったらしい。月刊『Hanada』編集長の花田紀凱は文春の若手編集者だったころ、故田中健五から「面白いから読んでみろ」と言われて、やみつきになり、全集をそろえたと言っていたし、故児玉清の愛した作家でもあった。  本来は伝記作家として有名だが、この『チェス奇譚』は、ユダヤ人として故国を逃れた自身が投影された短編だ。豪華客船のなかの試合で世界チャンピオンと引き分けに持ち込んだ紳士は、オーストリアから亡命をしたユダヤ人という設定である。  公証人として他のユダヤ人の巨万の富を管理していたその紳士は、オーストリアがドイツに併合されたその夜逮捕され、ホテル・メトロポールというナチスが接収したホテルに時計をとりあげられ軟禁をされる。402号室には、何も読むものがない。話す人もいない。一日に一回、ドイツ兵がスープとパンを運んでくるが、彼は一言も言葉を発しない。  時折、排気口を伝わって悲鳴が遠く聞こえてくる。他の部屋で軟禁されている者が、拷問をうけているのだろうか。  威厳に満ちた公証人だった彼は、時間をとりあげられ、読むものをとりあげられ、次第に狂っていく。ころあいをみて、秘密警察のベームが執務室に呼び出し、スイスの銀行にあずけた富豪たちの秘密口座の暗証番号を教えるよう、うながす。話せば、外に出られる、と。  時折あるその呼び出しは、意味もなく控室で2時間も3時間も待たされる。それがまた彼の神経を苛むのだが、そこで彼は、監視の隙をついて、本を一冊くすねることに成功するのだ。  独房とも言える402号室に帰ったとき、その本をいさんでとりだし読もうとするが、それはチェスの過去の世界戦の棋譜がただ収録されたものだった。  心底うちのめされるのだが、それからチェスを知らない彼は、一つ一つルールを咀嚼しつつ、過去の世界戦を、頭の中で何度も何度も繰り返すのだ。  窓は防火壁で塞がれ昼も夜もわからない。その部屋でひとり白と黒にわかれて無限のゲームを繰り返す。  ツヴァイクが描くユダヤ人公証人の内面の心理は、実は作家という仕事そのものの内面を描いているかのようだ。特にフィクションの作家は、自分の頭の中で、白と黒のふたつの人格にわかれて、無限のゲームを戦っている。それをどんな抑圧下にも負けない精神の自由と表現することもできるだろう。が、ツヴァイクが、『チェス奇譚』の中で描くように、狂気と紙一重でもある。  ツヴァイクは、反ファシズムの運動には関わらなかった。というのは、ツヴァイクは、1920年代にソ連に招かれ旅行をしていたが、そのときの経験から、マルキシズムに対してもナチズムと似た冥(くら)さを感じていたからだ。ツヴァイクはイデオロギーから常に独立していようとしたが、それが文壇での孤立にもつながり、マルキシズム全盛の戦後には、作品が「通俗的」として遠ざけられる要因にもなった。  言葉も通じない異国での孤独のなかで、ドイツ軍の快進撃のみならず、日本の真珠湾攻撃や、シンガポール陥落のニュースを知る。世界は日独のものになるという暗い予感から1942年2月22日深夜、妻ロッテとともに死を選んだのである。  そのわずか4カ月後には、ミッドウェイ海戦で、日本が大敗し、翌年正月には、東部戦線でもドイツの後退が始まるとは、夢にも思わずに。  ところで映画と原作には当然のことながら違いがある。そのうちの大きなひとつは、世界チャンピオンとの船上での再戦の帰結だ。原作では、公証人は、世界チャンピオンに敗北をきっすることになる。ヒートした脳細胞は、いつしか、盤面の試合ではなく、過去の世界戦を公証人が戦っているという錯乱で終わっている。  映画は、これを見事に脚色し、この再戦と、秘密警察の最後の尋問を交互に描く。公証人はついに口をわり、秘密警察側は必死にそのメモをとるが、そのアルファベットと数字の羅列は口座番号でも暗号でもなく、チェスの棋譜だった。  映画では、チェスの再戦自体も勝利に終わっている。つまり、原作は、全体主義に対する敗北を描いているとも言えるし、映画は勝利を描いているとも言えるのだ。   下山進(しもやま・すすむ)/ノンフィクション作家・上智大学新聞学科非常勤講師。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた。主な著書に『2050年のメディア』(文春文庫)など。 ※AERA 2023年7月31日号
下山進
AERA 2023/07/25 11:00
30代ひきこもり女性の孤立と自立 母は宗教にハマり、父は無関心、姉の過干渉と折り合えるか
30代ひきこもり女性の孤立と自立 母は宗教にハマり、父は無関心、姉の過干渉と折り合えるか
写真はイメージです(Getty Images)  現在、若者(15歳~39歳未満)のひきこもりは推計54万人に上り、そのうちの約4割が女性といわれている(2015年内閣府の調査より)。女性は一般的に家事を担うことが多く、就労していなくても違和感をもたれにくいので、男性に比べてひきこもりの実態が見えづらい。しかし実際には社会に居場所を持てずに、孤立している女性も多くいる。中学で不登校になり、ひきこもりを経験した34歳の女性の優紀さん(仮名)もその一人。ある支援団体に頼ったのがきっかけで自立することができたという。優紀さんと、自立を手助けしたスタッフらを取材した。 ◆思い悩んだ母親は宗教にハマる 何とか学校に行かせたい  優紀さんは、中学2年生のときに不登校になった。友達とうまくいかなくなったのがきっかけだ。  母親には、娘が「普通の道」から外れてしまったと映ったのだろう。とにかく優紀さんが学校に行くことを望んだ。心配した友人や部活の仲間が家に来てくれることもあったが、優紀さんは誰にも会いたくなかったので拒否した。それでも、母親に無理やりドアを開けられてしまった。  母親は、ふだんは優しいが怒ると怖い。優紀さんを叱り、何とか学校に行かせようとした。  優紀さんのことを思い悩んだ母親は、宗教にはまった。寺のようなところに優紀さんを連れて行き、祈祷を受けたり、あるときは、紙のお札を食べるよう強要されたという。 「おいしくなくて辛かったです……」(優紀さん)  不登校のまま卒業後の進路を決める時期になり、優紀さんは、通信制の高校への進学を希望した。しかし母親と、通っていた塾の講師は大反対。「何が何でも普通高校へ行け」という方針で、塾の講師からは、「行くというまで家に帰さない」「叩いてでも行ってもらう」などと威圧的に説得されて、しぶしぶ普通校への進学を決めた。  しかし、やはり入学して間もなく不登校になってしまった。  そんなとき、母親が亡くなった。優紀さんが中学3年生のとき、母親が体調を崩して検査したところ、すい臓がんの末期と診断されていたのだ。  優紀さんは自分の意思で高校を中退し、通信制の高校に入学した。基本的に登校は月2回でいいので負担が軽く、自分と同じような状況のクラスメイト達がいる。仲のいい友達もできた。  しかし高校を卒業する日が近づくと、優紀さんは「進路を決めなければいけない」というプレッシャーから、精神不安定になってしまった。電車に乗るとすぐにトイレに行きたくなってしまう。人が怖くて、コンビニでレジに並んでいるだけで動悸がする。誰もいないのに人の視線を感じたり、悪口を言われているような声が聴こえたりすることもあった。 ◆精神科医療に解決を求めたが……  優紀さんとその家族が、最初に解決策を求めた先は、医療だった。姉に勧められ、心療内科を受診することにした。薬を処方され、飲み始めたが眠れない。ほかにも、姉の意見に従い、さまざまな病院を受診してみたものの、症状は一向に改善しなかった。 「もう、無理……」  自分から精神病院への入院を希望した。  その後1カ月間の記憶が、優紀さんにはない。 「1階の病室にいたはずなんですけど、いつの間にか2階に移っていたんです。1階の患者さんたちからは、なぜかすごく嫌われていて……。きっと何か迷惑をかけたんでしょうね」  毎日たくさんの薬を飲まされ、だんだんと体に力が入らなくなってきた。自分の力では起き上がれず、食べ物も、筋力がないから口から流れ出てしまう。  ついに優紀さんは体調悪化で救急搬送され、集中治療室に。このとき家族は、「このまま寝たきりになることも覚悟してください」と告げられたという。  幸いなことに優紀さんはそこから少しずつ回復し、元の病院に戻ることができた。入院中は、再び大量の薬を飲み続ける日々。妄想が激しくなって、自分が人を殺したんじゃないか、テレビに自分の名前が出ているなどと考えるようになった。  「自分はいったい何の薬を飲まされているんだろう」  薬による副反応を疑い、「帰りたい」と希望を伝えて、退院。優紀さんは20歳になっていた。  家に帰った優紀さんは、日に日に元気を取り戻していった。  「底辺まで落ちたから、その反動で一気に良くなったのではないかと言われました」  優紀さんは職業訓練所に通い、パソコンを練習してワードやエクセルの資格を取った。さらにマッサージの学校に通って技術を取得し、商業施設のマッサージ店で働き始めた。  しかし、もともとコミュニケーションが苦手な優紀さん。マッサージ店の仕事はお客さんと一対一になることが多いため、動悸が激しくなったり、ぐったりと疲れてしまったりした。  「自分には向いていないかもしれない」。  せっかく見つけた職場だったが、3年足らずで退職した。  ◆姉の暴言とDVに悩まされたが、父は無関心だった。   優紀さんが置かれた状況を理解しようとするとき、家族のことは避けて通れない。  優紀さんは、体調以外にも大きな悩みを抱えていた。4つ上の姉からのDVだ。姉はふだんは優しいが、機嫌が悪いと優紀さんに暴言を吐き、暴力を振るう。不登校時代は、「なぜ学校に行かないんだ」と殴られた。髪をつかんで引きずり回されたり、お腹を蹴られたりすることも。ときにはハサミや包丁が飛んできて、命の危険を感じたこともある。  「でも私は、自分がDVを受けていたという自覚がなかったんです。ひどいきょうだいげんかだとしか思っていなかった」(優紀さん)  母親が生きていたときは止めに入ってくれていたが、今は守ってくれる人がいない。父親は姉が暴言を吐いていても、イヤホンをしてテレビを観ているだけ。暴力が始まると、自分の部屋に入ってドアを閉めてしまっていた。思い返せば、中学で不登校になったときも「熱心」な母親とは対照的に、父親は自分に何かを求めたり、希望を口にしたりすることはなかった。 「私にはまったく関心がないんです。面倒なことには関わりたくない人」(優紀さん)  そのうち優紀さんは、姉が近づいてくるだけで、膝を抱えて座り込むようになった。  その姿を見て、ある日姉ははっと気づいたように言った。 「私、あんたがそんなに怖がるようなひどいことしてたんだね」  その日からは、暴言は度々あるものの、手を出されることはなくなった。   マッサージ店を辞めた優紀さんは、再び引きこもる生活になっていた。昼夜逆転で、ゲームばかりする毎日。そんな自分が嫌でたまらないが、変わることができない。  「もう、消えてしまいたい」   呼吸が苦しくなることも多く、夜は眠れない。だんだんと、食も細くなっていった。 「あんた、これからどうするの」  姉は優紀さんに詰め寄った 「私はあんたの面倒は見られないよ。働くか、支援団体に頼りなさい」 皮肉なことに、結果的にはこの姉の突き放すような一言が、優紀さんが前を向いて進むきっかけになった。その後、優紀さんはインターネットで就職支援団体を検索して行動を起こしたのだ。なぜかというと、姉は実家を出て暮らしていたが、過干渉ぎみで、優紀さんは常に監視されているようで息苦しさを感じていた。父と暮らし続けるのも嫌だった。 「仕事を見つけよう。そして、この家を出よう」 そう決意したのが、一年前のことだ。 ◆ひとり暮らしを始めて、家族への感謝の気持ちが生まれた  生活を立て直すために優紀さんが頼ったのは、不登校や引きこもりの若者の支援をする一般社団法人「八おき塾」だ。一人ひとりに担当コーチがついて、自立までの道のりを伴走してくれる。  コーチに話を聞いてもらい、心の整理ができるようになったり、ボランティアを経験したりしながら、働くための力をつけていく。自分以外の人と食事をともにする習慣がなかったので、昼食の時間は苦手だったが、バーベキューやお花見などのイベントに参加できたし、ほかの受講生たちの話を聞いて、視野が広がった。アルバイトに応募するときは、面接の練習をしてもらったのも心強かった。  何より嬉しかったのは、自分のペースで考えて、物事を決められるようになったことだ。それまでは常に周りに押し切られて、自分の意思に反することをやらされていた。しかしここでは、「時間がかかっても、自分のやりたいようにやっていいよ」と言ってもらえた。  元気を取り戻してきた優紀さんに、コーチからひとつ提案があった。「やりたいことリスト50」の作成だ。ちょっと勇気がいるけれど、やってみたいこと、なんとかできるかもしれないと思うことを書きだすようにと言われ、一生懸命考えた。ひとり暮らしをしたい、カフェに入ってみたい、野球観戦に行きたい、アルバイトを始めたい……。  そのリストの中でかなえられたものに〇をつけてきた。現在までにかなったことが20個もある。カフェや野球観戦はひとりではまだ難しくて、コーチと一緒だけれど。 「ひとり暮らしをしたい」という夢は、半年前にかなった。物件探しにつき合ってくれたコーチ、親切な不動産屋のスタッフ、保証人になってくれた姉がいたから部屋を借りることができた。 「自分ひとりでは何もできないんだな」  自然と、家族への感謝の気持ちもわいてきた。 「今まで、私を家から追い出しもせずに置いてくれて、ありがたかったな」   仕事は、元々子どもが好きだったので、放課後児童クラブでのアルバイトをしている。小学生のお世話をしたり、一緒に遊んであげたりする仕事だ。まだ収入は少ないが、これからも、子どもに接する仕事をしていきたいと考えている。   家族に対する気持ちは複雑だけれど、なんとか折り合いをつけている。実家には、可愛がっていた猫に会うために時々立ち寄る。でもやっぱり父親のことは苦手。   姉の部屋に泊まりに行くこともしばしば。昔のことを謝ってくれないのは不満だが、姉がいなければ今の自分はいないのも事実。優紀さんにとっては大切な居場所だ。  優紀さんのコーチの吉永美香さんは言う。  「優紀さんは、『自分は何もできない人間』というけれど、実際はこれまでめちゃくちゃ頑張ってきているんです。お母さんの看取り、おばあちゃんの介護、家の家事……。優紀さんがいないと回らない家だったんですよ。それに優紀さんには、自然と人が集まってくるような、穏やかな空気感があります。私の役目は、優紀さんの心が動いたときに背中を押すことだけ」 優紀さんは今でも、自分のことが嫌いで、しょっちゅう「死にたい」と思うことがある。人と接するのが苦手なのも変わらない。でも、以前よりは少しだけ前向きになれたかな、と感じている。 「まずは、自分のことを好きになりたい。時間がかかるかもしれないけれど」 (取材・文/臼井美伸)  臼井美伸(うすい・みのぶ)/1965年長崎県佐世保市出身、鳥栖市在住。出版社にて生活情報誌の編集を経験したのち、独立。実用書の編集や執筆を手掛けるかたわら、ライフワークとして、家族関係や女性の生き方についての取材を続けている。ペンギン企画室代表。http://40s-style-magazine.com『「大人の引きこもり」見えない子どもと暮らす母親たち』(育鵬社)https://www.amazon.co.jp/dp/4594085687/
ひきこもり
dot. 2023/07/18 17:00
「殺人的な攻撃をされたのは9回」 ツキノワグマを50年追い続ける写真家・米田一彦
米倉昭仁 米倉昭仁
「殺人的な攻撃をされたのは9回」 ツキノワグマを50年追い続ける写真家・米田一彦
広島県、2013年7月。なぜ、このように倒木の上や土が露出した所で眠りたがるのか。クマはマムシ避け、害虫避け、それに腹部の冷却をしているようだ(撮影:米田一彦)    ツキノワグマを追って50年になる米田(まいた)一彦さんによると、クマは本来、臆病な動物で、人間の存在を察知すると、そっと逃げていくという。 *   *   * 「クマは森林の動物ですから、森の中にいるときは非常に穏やかな顔をしているんですよ」  米田さんの作品には、夏の小川のせせらぎのなかであおむけになって気持ちよさそうに昼寝をするクマの姿や、森の中に座ってのんびりと毛づくろいする様子が写っており、なんともほほえましい。  一方、狭い穴の中で迷惑そうな目でこちらを見るクマの写真もある。 「これはクマが越冬している穴の中にカメラを持った腕を突っ込んで、ストロボをたいて写した写真です。カシャっと撮った瞬間、ガーッとカメラをかじられた。レンズに装着したフィルターに穴が開いた」と、淡々と語る。  これまでに米田さんが出合ったクマは数えきれない。襲われることも珍しくない。 「一般的な攻撃とは違う、殺人的な攻撃で襲われたのは9回。捕まえるときに麻酔で失敗したとか、越冬穴に入ったら襲ってきたとか」  いずれも重大な事故にならなかったのは、経験によってクマの動きを読めたからだという。 広島県、2012年7月。クマは森の中では自由自在、座って20分も毛づくろいをしていた。動きは黒い毛皮を着た人のようだ。北米先住民も、そう言う(撮影:米田一彦) ロボットカメラは嫌い  米田さんは1948年、青森県十和田市で生まれた。秋田大学を卒業後、秋田県庁に就職し、生活環境部自然保護課に配属された。 「50年前、行政も研究者も、クマのことは何も知らなかった。研究は全く揺籃(ようらん)の時期だった。クマの管理といえば駆除がほぼ100%だった。そこで不法な捕殺行為がたくさん行われていた」  米田さんの業務は農作物被害をもたらす野生動物や、希少生物の確認だった。 「その際、写真を撮って確認を行うんですが、それをきっかけに、写真に凝るようになった。『アサヒカメラ』もずいぶん読みましたよ。それで、機材をたくさん買わされた。大迷惑ですよ(笑)」  昭和40~50年代はニホンカモシカによる食害が深刻だった。 「それで撮影したカモシカの写真を何げなく『アサカメ』に送ったら、カラーで大きく掲載された」  米田さんはいわく、「カモシカは明るいところに出てくるから、撮影は簡単なんです」。 「一方、クマの撮影は難しかった。森の中は暗いので、高感度フィルムを使ってもほとんど写らない。なので、クマがやってくる場所にロボットカメラなどを仕掛けて、ストロボをたいて撮るしかなかった」  ロボットカメラというのは、クマがカメラの前を横切ると自動的にシャッターが切れる仕組みだ。 「でも、ロボットカメラは好きじゃない。できるだけ自分の手でシャッターを切りたかった」 広島県、1998年8月。枯れ木にニホンミツバチが巣をつくっているが爪で破壊できず、上から入ろうとしている。ミツバチの蜜はもちろん、クロスズメの幼虫も好物だ(撮影:米田一彦)  米田さんは森の中に1畳ほどのスペースの小屋を設け、クマが訪れるのをじっと待った。 「クマは来る場所は決まっています。夏は沢で草を食べているし、秋は実のなる木の上にいる。そこにカメラを仕掛けて、クマが来たら遠隔操作でシャッターを切る。昼も夜も、日曜日も。ずっと仕事の延長だった」 「動物写真家とやっていることは変わらないですね」と、筆者が言うと、「へっへっへ」とうれしそうに笑う。 秋田から広島へ  ちなみに、最近のクマの研究は、クマにGPSを装着して人工衛星で行動を追跡したり、体毛やふんなどから取り出した遺伝子の分析が主流になっている。  それに対して、米田さんの研究は、山に分け入って、クマはどのようなところで暮らしているのか、「森を見る」と表現する。 「最近の研究者はずいぶん遠くからクマを見ている感じがします。彼らが話すクマの生態は、本当のクマの生き方とは違うような気がしてね」  86年、米田さん秋田県庁を退職し、90年にフリーのクマの研究者として広島県廿日市に移住した。 「環境省が『西日本のクマの実態は全然わからない。研究者が誰もいない』って、言うんですよ。それで、こっちに引っ越してきた。広島県の一番山奥です」 広島県、2013年7月。若いクマは林内では見晴らしのよい地点から危険なクマがいないかうかがう。ブナ林内でクマを待つのは非常に寒くて私は主に夏に観察する(撮影:米田一彦)  秋田県とは異なり、中国地方に生息するクマは「絶滅のおそれのある地域個体群」に指定されている。  クマとの共存を訴える米田さんは、農作物被害を防ぐために捕獲したクマを殺さずに山奥に放つ「奥山放獣」を始める一方、これまでと同様、クマの観察や撮影を続けた。 「最近はカメラがデジタルになって、感度がすごく上がったのと、さまざまな画像処理が施せるようになったので、暗くて陰影の強い森の中でもふつうに撮れるようになりました」 秋田で撮り続ける理由  米田さんは7月18日から東京・新宿のニコンサロンで写真展「クマを追って50年 思い出の40コマ」を開催する。 「写真作家の登竜門と言われるニコンサロンに応募して、通ったわけですから、もう写真家だよね。ははは」 秋田県、2021年7月。雨の中に直立して6メートル先の私を見続ける。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」五段目に出て来る雨に濡れた「斧定九郎」みたいな虚無感と殺気を感じて足がすくんだ(撮影:米田一彦)  展示作品の約半数は自宅のある広島県で写した写真だが、その他は比較的最近、秋田県で撮影したものである。理由を尋ねると、衝撃を受けた。 「秋田の写真は16年に4人が殺された『人狩り熊』の延長で撮影しています。個体識別をする必要があるので、クマの顔写真を全部撮っています」  山菜採りに入山した4人が死亡、4人が重軽傷を負った本州最悪の獣害事件、いわゆる「十和田山熊襲撃事件」である。  事件はすでに終息しているはずだが、なぜ今も当時の現場に通い、クマを撮り続けているのか。 「あの事件は1頭が起こしたわけじゃないんですよ。関係したクマが6、7頭いる。それが、どう駆除され、残存しているのか、写真を撮って、識別している」  先に書いたように、クマは基本的に臆病な動物で、不意に鉢合わせしたりしなければ、まず人を襲うことはない。 「ところが、クマが人を襲う重大事件はどの地域でも同じように起きているのではなくて、特定の地域で継続して起きている。そこには攻撃性の強い、凶暴な家系のクマが生息していると、研究者の間では言われています」 秋田県、2020年7月。牧草に隠れるぐらいの幼熊を2頭つれた100キロ級のメスグマ。クローバーを食べている(撮影:米田一彦) それでも襲われる  広島県の自宅周辺の森では5メートルくらいまでクマに近づいて顔のアップを写したりする。クマの対処法を知っているので、それほど怖くないという。  一方、秋田県で写した写真の多くは大豆やソバの畑にやってきた来たクマである。 「畑で撮るのが一番怖いですね。相手からこちらが必ず見えていますから。もちろん、気づかれないように『だるまさんが転んだ』方式で接近します」  クマが他の方向を見ているときに、たたっと走って、止まり、クマにレンズを向ける。 「この母子グマの写真は距離10メートルくらいです。非常に緊張しました。子連れの場合はどう反応するか、わかりませんから」  襲われた場合は、催涙スプレーの一種である「クマ撃退スプレー」を使用する。 「これまでに何回もクマスプレーに助けられました。メーカーによると、90%の撃退実績があるそうです。でも残り10%はそれでも襲われる」  米田さんは「クマがクマの世界で暮らしている姿をみんなに見てもらいたい」と言う一方、「場合によってはクマは害獣でもある。だから殺すことも手伝ってきた」と語る。 「私はクマの被害対策をずっとやってきたわけですが、今、山村の人々の被害意識と、都市住民の愛護の意識との乖離(かいり)がひどいんですよ。クマを捕獲すると、地元の自治体に『殺すな』と電話がたくさんかかってきて、事務停滞を引き起こす。なので、都市住民にもクマの実像を伝えたい。日本の中心で写真展をやるなんて、望まなかったんだけれど、やることになっちまった、という感じです」 (アサヒカメラ・米倉昭仁) 【MEMO】米田一彦写真展「クマを追って50年 思い出の40コマ」 ニコンサロン(東京・新宿) 7月18日~7月31日
アサヒカメラツキノワグマ写真家米田一彦
dot. 2023/07/17 17:00
緊急避妊薬が処方箋なしで100円で手に入る衝撃 女医が憤ったミャンマーと日本の対応の差
山本佳奈 山本佳奈
緊急避妊薬が処方箋なしで100円で手に入る衝撃 女医が憤ったミャンマーと日本の対応の差
山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師  日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「緊急避妊薬」について、NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  先月末、厚生労働省は望まない妊娠を防ぐ「緊急避妊薬」を、処方箋なしに販売する調査研究を始める方針であることを発表しました。早ければ今年の夏から来年の春にかけて、都道府県ごとに最低1カ所設けられた一定の要件を満たす薬局で、その調査が実施される予定です。 「緊急避妊薬」とは、その名の通り、避妊に失敗したときに緊急的に内服する避妊薬のことです。性交渉から3日以内、ないしは5日以内に内服しないと避妊効果が期待できない薬であり、避妊に失敗してしまった場合や、そもそも避妊をしていなかった時に、緊急的な手段として翌朝に内服されることが多いことから、「モーニングアフターピル」や「アフターピル」とも呼ばれています。「こちらの名称の方なら聞いたことがある」という方も多いのではないでしょうか。  世界保健機関(WHO)は2018年、「意図しない妊娠のリスクを抱えた全ての女性は、緊急避妊薬にアクセスする権利がある」として、必要とするときに手に入れることができるよう、複数の入手手段を確保するように各国に勧告しました。また2020年4月には、薬局での販売の検討も含めた緊急避妊薬へのアクセスを確保するように提言しています。  そのような働きかけもあってでしょうか。世界にはすでに市販化されている国や、処方箋がなくても薬剤師を通じて購入することができる国が多く存在しています。しかしながら、日本では、今の所、緊急避妊薬は市販では販売されていません。病院を受診し、処方箋を発行してもらわないと、緊急避妊薬を手に入れることはできません。その上、価格も1万円前後と高額です。  恥ずかしながら、私が薬局で緊急避妊薬を購入することが他国では可能であることを知ったのは、医師になってから4年目の秋のことでした。とある学会に参加するためにミャンマーのヤンゴンを訪問した際、会場近くにあったスーパーの中にある薬局に、緊急避妊薬が陳列してあるのをたまたま発見したのです。  処方箋がないと緊急避妊薬は手に入らない、と思い込んでいた私にとって、この発見は驚かずにはいられない出来事でした。さらに、日本だと1万円前後くらいの値段で処方されている緊急避妊薬が、もちろん物価の差はあるものの、当時の物価で100円もしなかったことへの衝撃は、今でも忘れられません。  薬局で緊急避妊薬を購入することができれば、いざ必要になった時に駆け込むことができますし、念のために日々持ち歩くことも可能になります。WHOが勧告するような、全ての女性が緊急避妊薬に容易にアクセスできる環境の整ったミャンマーの実態を目の当たりにした私は、日本の現状に憤りを感じざるを得ませんでした。処方箋がないと緊急避妊薬が手に入らない日本の現状は、避妊法の一つである緊急避妊薬にアクセスするハードルが高いと言わざるを得ないからです。 「避妊具はつけていたのですが、いつの間にか破れてしまっていたみたいで……。ネットで調べたら、緊急避妊薬があることを初めて知りました。休日でも処方してもらえる病院を必死に探して、ここ(このクリニック)を見つけました」  とある連休最終日の正午に、勤務先のクリニックに20代前半の女性が一人、緊急避妊薬の処方を希望してクリニックを受診されました。「緊急避妊薬の存在自体、知らなかった」と言う彼女は、インターネットで必死に調べて、避妊法の一つに緊急避妊薬があるということ、そして、日本では薬局では買えないこと、入手するためには処方箋が必要だということを初めて知ったといいます。  外来の現場で緊急避妊薬をたくさん処方したことで、自分なりに分かったことが2つあります。一つ目は、必要とする女性がクリニックを受診すること自体のハードルの高さです。「仕事を休めないから、休日にも診療しているクリニックを探しました」「勤務の合間や、昼休みの時間に、なんとか受診できてよかった」「夜遅くまで診療してくださって、助かりました」緊急避妊薬を希望して受診された多くの方がこうおっしゃるのです。 米国カリフォルニア州の薬局では緊急避妊薬(ラック右上段)はこのような感じで陳列棚に/山本佳奈医師提供  二つ目は、緊急避妊薬の処方を希望する理由として、「避妊自体していなかったから」という理由は思ったより少なく、「避妊していたが避妊に失敗してしまったから」という理由の方が思ったよりも多かったことです。「コンドームを適切に使用できていたか不安に思うことがあったから、緊急避妊薬を内服しておきたいと思った」といった声も、よく聞かれたことも印象に残っています。  ちなみに、私が今滞在しているカリフォルニア州でも、薬局で緊急避妊薬を購入することが可能です。近所の大手薬局チェーン店では、盗難予防でしょうか、女性のヘルスに関する薬の陳列棚に、箱のみ透明のケースに入れられて、緊急避妊薬が販売されていました。価格は50ドルほどと、日本よりも安価でした。   女性が緊急避妊薬を入手する上でのハードルを下げ、アクセスしやすい環境を整備することは、女性がからだを守る上でとても重要なことだと私は思います。その点において、他国よりも遅れをとっている日本において、緊急避妊薬を処方箋なしに処方する調査を開始するという政府の方針は、大きな一歩だと思います。  一人の女性として、1日も早く、日本において、すべての女性が緊急避妊薬まで容易にアクセスできる環境が整うことを切に願っています。 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師。医学博士。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。2022年東京大学大学院医学系研究科修了。ナビタスクリニック(立川)内科医、よしのぶクリニック(鹿児島)非常勤医師、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書)
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dot. 2023/07/12 06:30
点検から労務相談まで行うタイヤのスペシャリスト スポーツカーを乗り回していた学生時代の経験がきっかけに
点検から労務相談まで行うタイヤのスペシャリスト スポーツカーを乗り回していた学生時代の経験がきっかけに
日本ミシュランタイヤ B2B事業部 建設・産業機械担当 シニアアカウントマネージャー 金田明雄(かねだ・あきお)/1971年生まれ、神戸市出身。98年入社。アカウントマネージャーとしてトラック・バスタイヤ部門勤務。20年、大型タイヤ部門に異動(現職)。社内総合評価2年連続1位。大型タイヤのスペシャリスト(撮影/写真映像部・松永卓也)  全国各地のそれぞれの職場にいる、優れた技能やノウハウを持つ人が登場する連載「職場の神様」。様々な分野で活躍する人たちの神業と仕事の極意を紹介する。AERA 2023年7月10日号には日本ミシュランタイヤ B2B事業部 建設・産業機械担当 シニアアカウントマネージャー 金田明雄さんが登場した。 *  *  *  直径4メートルにもなる建設機械用のタイヤ。その点検をするスペシャリストだ。  鉱山や港湾、採石場などの過酷な現場に出向く。作業現場から車両や機械が戻ってくるのは昼休みのみ。限られた時間の中、目視と計測器を使い、徹底した点検で事故を未然に防ぐ。  点検のポイントは、タイヤの磨耗状態、空気圧、外傷の有無など。側面に膨らみがあると、何かしらのトラブルが起きているという。  積み荷の重さによってタイヤの空気圧も前と後ろで変わる。これらの課題改善の管理も、高い安全性につながる。  人命を守ることはもちろんのこと、車両や機械が故障して工事が中断すると、1日で巨額の損失が出てしまう。  点検を通じ、顧客の事業の生産性拡大やコスト削減、安全性向上をサポートする。  学生時代、スポーツカーを乗り回していた。お金をためて、タイヤを変えると、乗り心地が良くなった。この時、地面に触れる唯一の部品であるタイヤの重要性に気付き、それに携わる仕事をしたいと思った。入社後、本社のあるフランスでの研修で、ミシュランの博物館に展示されていた大型タイヤに魅了され、異動を希望した。  常に心がけていることは、現場で顧客のニーズや課題を把握し、最適なソリューションを提供すること。  顧客の多くがドライバーの定着率を高めたいと思っており、金田さんはタイヤの販売だけでなく、点検を効率良くできるツールの提供、労務の相談まで、包括的に提案する。いわばタイヤのコンサルティングである。 「トラブルで夜中に呼び出されることがなくなった」「タイヤの交換頻度が減った」などの声を聞くとうれしく、やりがいを感じる。  売り上げのみならず、タイヤ点検回数やコストリポート提出数などが総合的に評価され、年間を通じて最もプロフェッショナルな仕事をした営業担当に贈られる「エリート5」の大型タイヤ部門で2年連続1位となり、フランス本社で表彰された。  業務で得た知見は、タイヤの開発にも生かされる。2050年までに廃タイヤを熱処理して新しい製品をつくること、素材を全て再生可能やリサイクル材料にしてサステイナブルに貢献することを目指している。(ライター・米澤伸子) ※AERA 2023年7月10日号
職場の神様
AERA 2023/07/10 07:30
【社会人の学び直し】公文書・記録資料を扱うアーキビスト育成/学習院大 リーダーシップ開発/立教大
【社会人の学び直し】公文書・記録資料を扱うアーキビスト育成/学習院大 リーダーシップ開発/立教大
※写真はイメージです(写真/Getty Images)  社会人になってから外部の教育機関で新たなスキルや知識を身につけるリカレント教育。本格的に研究に打ち込むなら、2年間かけてじっくり取り組める大学院修士課程がお薦めだ。注目されるテーマのなかから2つ、重要な資料を収集、整理して保存し後世に伝えていく「アーキビスト育成」と、人と組織の課題を解決できる高度専門職者を育成するプログラムについて、AERAムック『大学院・通信制大学2024』で取材した。 *  *  * 「アーキビスト育成」の大学院として、今回取材したのは学習院大学大学院アーカイブズ学専攻だ。社会を支える基礎となる記録資料を扱うプロフェッショナルになるために必要な知識とノウハウを学ぶ場だ。また、次世代リーダー育成プログラムとして取材したのは立教大学大学院リーダーシップ開発コース。人と組織の課題を解決できる能力を身につけることができるという。これら2つの大学院の取り組みを順に見ていこう。 ■人間活動の重要な記録を共有し、大切な記憶を伝えていく  過去10年の間に、いわゆる「モリ・カケ・サクラ」(森友学園、加計学園、桜を見る会)問題を始め公文書の不適切な扱いが次々と明らかになった。こうした記録の保存や公開についての専門知識やノウハウを持つのがアーキビストだ。  学習院大学大学院人文科学研究科アーカイブズ学専攻は、アーカイブズ学を研究しアーキビストを育成するため、2008年に開設された。アーカイブズ学演習などの科目を担当する保坂裕興教授は「役所が公文書を管理したり、博物館や図書館が歴史資料などを収集するというのがアーカイブズについての一般的な認識だと思います。しかしそれだけではなく、人間の活動に伴って作られるさまざまな文書を評価選別し、重要な記録、つまりアーカイブズとして保存し、利用に供するのがアーキビストの役割です」と解説する。  アーカイブズという言葉は、重要な記録そのものを指す場合と、記録を保管する建物や施設を意味する場合とがある。その歴史は古く、欧州の公文書館では羊皮紙にラテン語で書かれた古文書や、近世の戦争の講和条約・議定書なども見ることができる。 「企業も自らの歴史を残すため、たとえばメルセデス・ベンツは1900年ごろ自動車の販売を開始した当初から大量生産に移る1950年前後までの受注生産台帳をすべて保管しています。あらゆる人間活動に関する重要な記録を、広く共有されるべき記憶として残すのがアーキビストといえます」  同大学院のアーカイブズ学専攻の出身者の一人は、建築に関する記録の整理方法の日本における課題をまとめた博士論文で、建築分野のすぐれた論文に贈られる「山田一宇賞」と「住総研博士論文賞」をダブル受賞した。また社会的養護施設の記録管理が不十分なため施設の出身者が自分に関する過去の情報が得られにくい現状とその解決方策を研究書にまとめ、日本社会福祉学会「学会賞(奨励賞)」を受賞した人もいる。アーキビストが扱う記録は、このように専門領域や社会生活を含む幅広い領域に及ぶのだ。 ■劣化した文書の修復実技も体験する  大学院ではアーカイブズ学を基礎から学ぶ。なかでも記録資料の保存についての授業はほかの専攻にはない内容で、資料が劣化する原因を科学的に分析したり、どのように保護するかを学ぶ。また2023年4月にオープンした新しい大学図書館棟に設けられた保存修復実習室では専門家に指導を受け、虫食いになった江戸時代や明治時代の文書を繕い、和紙で裏打ちをするなどして修復を体験する。  アーキビストの公的資格制度としては、2020年度に始まった独立行政法人国立公文書館の「認証アーキビスト」があり、22年度までで281人が認証されている。学習院大学大学院アーカイブズ学専攻は、認証アーキビストに必要な知識や技能などが体系的に修得できる教育機関として、出身者や在籍者のうち22人がこの資格を取得している。  就職先は大学など研究機関のほか、公文書館や博物館、資料館、自治体、記録保存を受託する企業や出版社などだ。保坂教授はアーキビストをめざす人に向けて「研究者としての能力はもちろん、資格を取った後にもスキルを磨き続け、記録を扱う専門家として認められなければなりません」と語り、次のようにアドバイスする。 「公文書館や資料館などに出かけて、たとえば自分の仕事に関連する記録を閲覧してみるといいでしょう。自分がアーカイブズの利用者になることで、それが重要であると実感できるはずです」  日本は欧米やアジア諸国に比べてアーカイブズへの取り組みが遅れているという。 「世界のどの国も公文書に関するスキャンダルがきっかけで文書管理が課題になり、アーカイブズが充実します。近年では、公的機関はもちろん民間企業などでも優秀な人材を求めており、本専攻の大学院教育が注目されています」  アーカイブズは国や社会の現在と未来を支える基礎となる。そのための専門職としてアーキビストは重要な記録を保存し、後の世まで伝えて利用できるようにし、記録活動をサポートする役割を担う。これから活躍の場はなお一層広がろうとしている。 【プロフィール】 保坂裕興 教授(ほさか・ひろおき) 学習院大学文学部 大学院人文科学研究科アーカイブズ学専攻 1985年学習院大学文学部史学科を卒業。89年同大学院人文科学研究科博士前期課程(史学専攻)を修了し学習院大学史料館助手に。94年駿河台大学文化情報学部専任講師、98年同助教授、2005年同教授。08年から学習院大学大学院人文科学研究科アーカイブズ学専攻教授(現職)。主な研究テーマはアーキビスト教育論。14年から20年まで内閣府公文書管理委員会委員。20年から日本アーカイブズ学会会長。23年から文部科学省技術参与(ユネスコ「世界の記憶」)。 【学習院大学大学院 人文科学研究科アーカイブズ学専攻】 対象/学部卒業生および社会人 入学定員/博士前期課程約15人 博士後期課程約3人 開講日時・場所/平日夕方以降・土曜 目白キャンパス(東京) アーカイブズを扱う専門職としての知識・技能を身につける。独立行政法人国立公文書館の「認証アーキビスト」資格取得が可能になる 修士(アーカイブズ学)、博士(アーカイブズ学)を授与 ■「人づくり・組織づくり」の次世代リーダーを育成  立教大学大学院経営学研究科経営学専攻リーダーシップ開発コースは、「人づくり・組織づくりのプロフェッショナル」をめざす社会人のために2020年に開設された。その前年に実施した志願者対象の説明会には入学定員10人に対して500人ほどが集まったという。その人気の理由を、経営学研究科委員長の山口和範教授はこう分析する。 「企業や組織の人事部門で、今のままでいいのかと疑問を持つ人が多いと思います。このリーダーシップ開発コースは、組織で働く人がそれぞれにリーダーシップを発揮するしくみを2年間で設計できるようになることをめざします。異なる組織で働いている学生同士が話し合い、情報交換もできます。人事に関わる人たちはこういう場を求めていたのではないでしょうか」  このコースでは人事部門だけでなく、人材関連のコンサルタント、経営者、公務員、看護師や医師、弁護士などさまざまな職に就いている人たちが学ぶ。年齢層は20代から50代までで、30~40代が多い。管理職は組織運営に悩み、経営者も人や組織についての知見が必要になる。ほかにも人や組織をめぐるさまざまな場面で、リーダーシップ開発のスキルが活用できる。  社会人が対象のプログラムであることを考慮して授業はオンライン形式が基本で、金曜日の夜と土曜日に集中している。東京・池袋キャンパスでスクーリングを行うときにはほとんどの学生が顔をそろえるが、すべてオンラインで受講しても修士の学位が取れる。 「講義の途中でグループに分かれて、今学んだことを現場でどう生かすかなどをディスカッションしますが、オンラインでも活発に意見交換をします。次の授業までに課題が出されるので、それについてのグループワークがいろいろな時間帯にリモートで行われています」 ■「プロジェクト研究」では改善計画を企業に提案する  リーダーシップ開発コースのカリキュラムでユニークなのが、企業などのクライアントに組織の課題解決を提案する「プロジェクト研究」だ。  入学するとすぐに「リーダーシップ・ウェルカム・プロジェクト」が始まり、秋学期にある「人材開発・組織開発論2」の授業ではグループごとにクライアントに対して改善計画を提案する。そして2年次の「リーダーシップ・ファイナル・プロジェクト」では、一人ひとりが個別にクライアントを見つけてきてプレゼンテーションを行う。契約を結ぶためにはクライアントに課題解決の効果があると納得してもらわなければならず、契約しなければプロジェクト研究が進まない。 「修士論文の代わりの実証研究で、もちろんいい結果を出すことをめざします。もしそうならなくても文章で報告し、教員の前で発表して認められる必要があります。実践的なプロジェクトに始まりプロジェクトに終わる2年間で鍛えられます」と山口教授は語る。  また共感が得られなければリーダーシップは発揮できない。そのためにエビデンスベースの説明で納得してもらうことも大事だ。山口教授が担当する必修科目のデータアナリティクス演習は、そのようなエビデンスベースの手法を修得する科目の一つだ。 「最初は野球やサッカーのデータを使い、データの取り方や調査票の設計を学び、続いて人材開発に関わる大規模なデータを扱います。こうした経験を積むことで、自らがリーダーシップを発揮できるし、組織のメンバーにリーダーシップを発揮するスキルを伝えられます」  修了後にリーダーシップ・ファイナル・プロジェクトのクライアントだった企業に入社したり、2年間の在学中に早くも転職する例もある。また、修了生たちは「エンドレスプロジェクト」と名づけた修了後1年間の活動を報告する会を開いている。リーダーシップ開発の学びはこうして在学中だけでなく修了後も続き、それぞれが所属する組織で生かされていく。 【プロフィール】 山口和範 教授(やまぐち・かずのり) 立教大学 経営学部長 経営学部経営学科教授 大学院経営学研究科委員長 1985年九州大学理学部数学科を卒業。90年同大学院総合理工学研究科情報システム学専攻博士後期課程単位取得後退学。91年理学博士(九州大学)。92年立教大学社会学部産業関係学科助教授、99年同教授に就任。2006年から同大学経営学部経営学科および同大学院経営学研究科経営学専攻教授(現職)。データ分析のための統計解析手法の開発・評価が主な研究テーマで、統計ソフトウェアの比較研究、統計計算アルゴリズムの研究も行う。 【立教大学大学院 リーダーシップ開発コース】 対象/職務経験のある社会人 入学定員/10人 開講日時・場所/金曜夜間・土曜 原則オンライン形式で授業を行う。ほかに池袋キャンパス(東京)でのスクーリングを実施 組織でリーダーシップを発揮する人材を開発するためのスキルを修得する 修士(経営学)およびリーダーシップ開発コース修了証を授与 (取材・文 福永一彦)
アーキビストリカレント教育リスキリング大学院・通信制大学2024
dot. 2023/07/09 08:30
この品は、あの人なら買う 浮かぶ顔と名前 ウエルシアホールディングス・池野隆光会長
この品は、あの人なら買う 浮かぶ顔と名前 ウエルシアホールディングス・池野隆光会長
坂戸のトップ2号店、ここで安売りの限界を痛感した。いまは様変わりで、調剤や相談コーナーと、客が主役の形に変えて賑わいが続く(撮影/狩野喜彦)  日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年7月10日号では、前号に引き続きウエルシアホールディングス・池野隆光会長が登場し、『安売り合戦』を展開した地域を訪れました。 *  *  *  ウエルシアは全国に2751店(2月末現在)と、国内ドラッグストア業界で最大級になった。52年前に埼玉県新座市で売り場面積6坪(約20平方メートル)の小さな薬屋を開き、「もっと品物を揃え、大きくやりたい」との思いを溜めて、1979年に同県南西部の毛呂山町でドラッグストア「トップ1号店」を開業した。  宅地開発が急速に進む地で、夢中でやったのが安売り合戦。でも、売り上げを増やしても、利益が残らない。「安売りだけでは、生き残れないな」と悟ったのが、この1号店と東隣の坂戸市に持った2号店の時代だ。  ことし4月、安売り合戦を展開した地域を、連載の企画で一緒に訪ねた。  企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。  池野隆光さんがビジネスパーソンとしての『源流』になったという毛呂山町の1号店は、東武越生線の武州長瀬駅から約800メートル。幹線道路に面した物件で、床面積は約20坪と当時では広いほうだった。さらに隣で閉店した家具店も借りて、床面積が一気に100坪となる。 ■売り場広げても売る品がない創業初期の日々  ところが、広くしても、置く品がない。周囲に「こんなに広い店、どうするのか」と言われて、先が怖くなったことを、跡地に立って思い出す。土地はその後、町の区画整理事業の対象になったので、売却した。買い上げてもらえなかった角の三角地は、そのまま残っていた。  あのとき、新座市の薬屋は薬剤師の資格を持つ妻に任せ、1号店の品揃えに走った。何でも売るぞと、ファミコンのゲームソフトから始め、家電製品、飲料、菓子と、次々に並べた。それが「ドラッグストア」のビジネスモデルに、つながった。  安く売れば、売り上げが伸びて、儲かる。そう思い込んでいた。でも、安く売るには、安く仕入れなければいけないのに、思ったほど安く手に入らない。小さな商店を守るためにつくられた大型店の売り場面積の規制が緩和され、地域に自店と同規模の店も増えた。どこもが、安売りに賭ける。対抗するため、酒類の販売免許を取った。化粧品を買う女性ばかりでなく、男性も呼び込むためだ。薬と化粧品しか扱わない薬局から「あいつ、おかしい」と言われた。  苦戦が4年ほど続いたころ、県の薬販売業者の協同組合で、理事長に就く。小さい店が仕入れ数を集めて価格交渉権を強め、安く買う共同仕入れの先頭に立つ。月に2回、夜に集まって勉強会もした。講師の話が終わると、居酒屋で課題や夢を語り合う。熱い時代だった。 ■新商品の売り方バス旅行で紹介 客の好みを記憶  1号店跡の三角地から遠くへ目をやり、「向こうの分譲地に新築住宅の列ができて、どの列の家からきてくれているのかが気になった」と振り返る。客にそれとなく住所や名前を聞き、住宅地図を買ってきて「この家はきている」「きていない」とチェックすると、ある列からは全くきていない。自分たちの品揃えや売り方では、満足してもらえないのか。だとすれば、店はいずれつぶれる──安売りの消耗戦への疑問が、芽生えた。 『源流Again』で、坂戸市浅羽野の2号店にも行った。開いたのは86年で、200メートルしか離れていないところに競合店があり、さらに新規参入店もあって大激戦区となる。  このころ、旅行会社と組んで「感謝のバス旅行」と銘打ち、客を連れてバスで河口湖や箱根など近隣の観光地へ日帰りでいく。みんなが「楽しかった、ありがとう」と言ってくれた。でも、それだけでは、売り上げにはつながりにくい。  そこで、考えた。社員たちに「次は添乗員としていってね」と指示し、1時間や1時間半の道中で売りたい新商品を説明させた。顔見知りの客に「商品を紹介するから、買ってね」と言って、前の席に座ってもらう。車中で「これはすごい商品、買うならいまです」とみせると、その客が「いいよ」と答え、隣の女性客に「奥さんも買ってくれる?」と続けた。  けっこう、売れた。連日のようにバスを2台ずつ出し、多いときは10台に社員を乗せた。社員たちも、売り方のコツを身につけていく。浅羽野店の前で、そんな思い出話が続く。 薬局開店からの半世紀を振り返ると、こちらの勝手な思いを押しつけるのが最低。飲食店で献立を書いた紙を食卓に置き、店員に説明させるのも同じ独りよがりだ(撮影/狩野喜彦)  この日の午前、新座で薬局を開いたところにもいってみた。広島県御調町(現・尾道市)で生まれ、大阪経済大学を卒業、東京の製薬会社に就職して薬局担当の営業を5年余りやって、2人目の子どもが生まれる前に退職した。夫婦で薬屋を開くためで、71年6月に開店する。  久しぶりだが、記憶がどんどん蘇る。「周辺に500世帯くらいあり、名前と家族構成、好みまで全部、覚えた。それで、新商品をみると、誰なら買うかもしれないと分かった」 ■脱・安売り依存 三つの「価値」で一直線に実現  安売り依存からの転進は、一直線だった。埼玉県で競り合っていた競争相手2社が97年に合併し、その経営者と「互いにいまの売り上げでは、社員を十分に食べさせていく給料を払えなくなる。でも、足してやれば、店をたくさんつくれるから、一緒にやろう」と合意した。  2002年に合流し、提携が進んでいた流通大手イオンが使っていた「ウエルシア」のブランドに統一。ウエルは健康、シアは国の意味で、「健康な国にしていきたい」との思いに共感した。  合併前の3社の経営路線は違っていたが、「安売りだけではダメ」では、すぐに一致。三つの「価値あるサービス」でも合意した。24時間営業、調剤の併設、カウンセリングの実施。2013年3月に持ち株会社ウエルシアホールディングスの会長に就き、それを推進する。合併時は3社合わせて80店足らず、売上高は計300億円。買収を重ね、2022年2月期に売上高を1兆円に乗せた。 『源流』再訪の結びに、東京・日本橋の交差点の角に設けた実験店にもいった。思い出の先に「いま」がある。「正直言って、3千近い店を持つ1兆円企業になるとは、思ってもいなかった。本気でやり通せば、やれることは多い、ということですね」と笑った。  いま、四つ目の「価値あるサービス」に「地域への協力」を加えた。調剤に不可欠の薬剤師か登録販売者がいる店は、全国で2千を超える。この戦力が、在宅医療での治療に貢献する通称「在宅調剤」を展開する。  静岡県島田市と埼玉県長瀞町、愛知県岡崎市では、生活用品を買う店がなくなった地域へ移動販売車を送り、商品を売るだけでなく、人々が「今度、これを持ってきてね」という品を次回に届けてもいる。生活や健康に関する御用聞きも含め、情報が移動販売車からウエルシアの薬剤師へつながり、自治体にもつながる仕組みを築いていく。  地域に人々が集まる小さなコミュニティーを、成り立たせていきたい。『源流』からの流れは、かつて想像もしていなかったところへ、向かっている。(ジャーナリスト・街風隆雄) ※AERA 2023年7月10日号
AERA 2023/07/08 19:00
美しい自然で育んだ感性で音を作る「共感覚」の持ち主 指揮者・沖澤のどか
千葉望 千葉望
美しい自然で育んだ感性で音を作る「共感覚」の持ち主 指揮者・沖澤のどか
「芸術は自然があってのもの」と話す沖澤。静かな場所で過ごすことを大切にしている(撮影/楠本涼)  指揮者・沖澤のどか。2019年にブザンソン国際指揮者コンクールで第1位となり、沖澤のどかは今、世界的にも注目される指揮者の一人だ。今年4月からは京都市交響楽団の常任指揮者にも就任。忙しい日々だが、常に大事にしているのは自然と家族との時間だ。青森で生まれ、美しい自然の中で育った。体に自然の景色や音がしみ込んでいる。四季の美しさが、沖澤の作る音に溶け出す。 *  *  *  今年4月14日夕方。京都市左京区にある京都コンサートホールには当日券を買い求める人の長い列ができていた。この日は4月に京都市交響楽団(以下京響)第14代常任指揮者に就任したばかりの沖澤(おきさわ)のどか(36)が登場する「フライデー・ナイト・スペシャル」が開催されるのである。翌日の定期演奏会は既にチケット完売となっていた。  エントランスから大ホールへと向かうゆるやかなスロープの壁には京響代々の常任指揮者の写真が飾られている。渡邉暁雄、山田一雄、小林研一郎ら名指揮者たちの最後に掲げられた沖澤の写真の前で多くの人が足を止め、撮影していた。  沖澤の常任指揮者としてのデビューコンサートとあってロビーには祝いの花がずらりと並び、新しい「シェフ」の誕生を歓迎する興奮した空気が漂う。たくさんの若者の姿が目についた。  ほっそりした身体をタキシードに包んだ沖澤が登場すると、客席から温かな拍手が湧いた。プログラムは休憩なしでモーツァルトの歌劇《魔笛》序曲、メンデルスゾーンの序曲《ルイ・ブラス》と交響曲第4番《イタリア》。小柄な沖澤だが背筋を伸ばし、腕を柔らかに使う指揮ぶりは大きく、ぶれがない。どの曲もホールの隅々まで伸びやかな音が届いた気がした。拍手に応える沖澤も、オーケストラのメンバーも、聴衆も笑顔だった。  コンサートの2日前、沖澤の姿は京響の練習場にあった。彼女のリハーサルは非常に緻密である。じっくりと楽譜を読み込み、指揮そのものはもちろん、言葉でも細部にわたる要求を伝えていく。自分がなぜこの曲を選んだのか、どう演奏したいのか、何を伝えたいのか、ギリギリまでメンバーと共有していこうとする。定期演奏会で演奏するブラームスの交響曲第3番について説明する沖澤の声が、少し離れたところにいた私にも聞こえてきた。「4楽章終結部は桜の花びらが散っていくようにしたい」と説明し、こう付け加えた。 「私には調性が色で見えるんです。たとえばF-Dur(ヘ長調)は桜色、Es-Dur(変ホ長調)はエメラルドグリーンですね」 4月14日、京都市交響楽団常任指揮者として初めての演奏が終わり、奏者を称える沖澤。笑顔があふれるデビューコンサートだった。終演後のロビーでも華やいだ人々の会話が続いていた(写真提供・京都市交響楽団) ■見えていた音の色が妊娠中は見えなくなった  フランスの作曲家メシアンは音と色の「共感覚」を持っていたことで知られるが、沖澤もそれと同じ感覚の持ち主であるようだった。  2021年10月、沖澤は初めて名門・京響に呼ばれ、一夜のコンサートを指揮した。フランス音楽のプログラムである。翌22年、京響は思い切った決断を下す。沖澤を広上淳一に続く第14代の常任指揮者として迎えることにしたのである。  このニュースはクラシック音楽界を超えて広く話題となった。若く、しかも女性。常任指揮者就任にはゲストで招かれる場合とは別格の重みがあった。数年契約で定期演奏会をいくつも指揮し、緊密な関係性の中でオーケストラの音を自分の色に染めていく。世界の音楽界で、「どのオーケストラが誰をシェフに迎えたか」がニュースになるのもそのためである。  それまで京響は広上のもと、ワーグナーやマーラーなど大編成のドイツ・オーストリア系の音楽を得意としてきた。京響のコンサートマスターの一人、ヴァイオリンの会田莉凡(あいだりぼん・32)は、 「最初のリハーサルの時、沖澤さんは京響がフランス音楽のような繊細なものを演奏する『パレット』があまりないことを瞬時に見抜いたと思うんです。どうやって振るのかなあと思っていたら、振り方もすばらしいし日本語の使い方がとてもうまくて、むずかしい要求でも全員が共感できるように話してくれる。めちゃめちゃ理知的な人です」  ラヴェルの《ダフニスとクロエ》の中の野性的な曲で「まだ音が上品すぎますね」と指摘したあと、「お風呂に5日間入っていない海賊のイメージで」と言った時は「おお」とどよめきが起きた。初顔合わせのコンサートは大成功。終演後、沖澤の楽屋前にはメンバーの長い列ができた。 「15人はいたと思います。みんな沖澤さんとツーショットを撮りたがったんですけど、『絶対常任(指揮者)になってください!』とも言っていましたね。そうしたら本当に常任になったので、『言ってみるもんだなあ』と思いました」(会田)  実はこのコンサートの時、沖澤は妊娠後期に入っており、大きなおなかで指揮台に登った。 「妊娠中と出産後半年くらいは調性に色が見えなくなってしまいました。頭もぼーっとしてミスばかり。元に戻れるかどうかとても不安でした。出産後1カ月くらいで仕事に復帰できると思っていたけれどとても無理で、結局2カ月かかりました」 ■楽器を買わずに済むから 指揮科の進学を志す  不調の中で振ったコンサートだったが、オーケストラとの相性はよく、滞在した京都の街でとてもリラックスできた。都会でありながら山が近く緑も多い。練習場近くには鴨川も流れている。沖澤には自然が必要なのだ。  沖澤は青森県三沢市に生まれた。公務員である父の転勤で生後すぐ青森市に転居。小学3~4年生の頃に宮城県多賀城市でも暮らしたことがあるが、青森市での生活が長い。津軽平野は空が広く開けており、岩木山をはじめとする山々や津軽海峡の海など、豊かな自然に恵まれた土地である。冬は寒いが変化に富んだ四季折々の暮らしは、今も沖澤の感性の基盤となっている。 「春夏秋冬、きれいなんですよね。冬は雪が降り積もる音がするけれど、深く積もった時にはまわりの音がなくなって、月が雪に反射して。チャイコフスキーの交響曲第5番の最初のテーマで弦楽器がタンタンと鳴ると、『あ、これは雪に音が吸収されている音だな』とすぐに思い浮かびます」  幼い頃はよく外で遊んだ。野原で虫を捕まえ、川ではザリガニ釣り。冬になって白鳥が飛来するとパンの耳を与えに行った。その一方で音楽にも親しんだ。姉と共にピアノやチェロを習い、青森ジュニアオーケストラに所属。小さなオーケストラだったが指導者の村川芳信が熱心で、楽しく音楽に打ち込めた。高校では吹奏楽部にも所属し、オーボエを吹いた。 「プレッシャーは全くなく、ただただ音楽が好きという気持ちで続けていました。狭い世界で『自分はうまいんだ』と思って過ごせたのがかえって良かったのかもしれません」  高校2年生の時、音大受験を志す。既に姉が東京の私立音大に進学していたため、親の負担を考えて受験先を東京藝術大学一本に絞った。それも俊英の集まる指揮科である。オーボエで受験しようかと思ったが、指揮科なら音大受験用の高い楽器を買わずに済むというのも理由の一つだった。そもそも、指揮者が何をやる仕事なのかよくわかっていなかったという。 「それでも『絶対に受かる』と思っていたんだから世間知らずでしたよね(笑)」  受験準備のため音楽の勉強を基礎からやり直した。藝大の夏期講習へ行き、指揮の個人レッスンも受けた。その甲斐あって、難関の指揮科に見事現役合格する。  だが、入学後がつらかった。まず人の多い東京に慣れない。満員電車、猛暑による夏バテ。水も合わずひどい肌荒れになった。まわりのレベルが高すぎて勉強についていけない。それなのに学内では「指揮科なんてすごい!」という目で見られる。レッスンでは毎回「才能がない。やめてしまえ!」と叱られてばかり。眠れなくなり、とうとう3年の夏休みから休学して青森に帰ってしまう。 「別の大学を受験し直すことも考えたのですが、半年休んでぼーっとしていたらだんだん具合が良くなっていきました」  翌年4月に大学へ戻った。1年留年することになったが、それからはいろいろな先生に習うようになり、大学院進学直前には高関健(68)についた。 「高関先生は昔風の師弟関係ではなく、学生一人一人を人間として扱ってくれる方でした。楽譜の読み方、知識や指揮のテクニックも完璧で研究にも熱心。先生にはテクニックだけでなく、すべてのことを教えていただきました」 ■ブザンソンで1位を獲得 欧州でも認められるように  最初は指揮者が何をするのかよくわからなかった沖澤だったが、尊敬する指導者を得て、いよいよ指揮者という存在に向かい合っていく。高関は初めて沖澤を指導した時のことを覚えている。 「レッスンではピアニストに対して指揮をするのですが、最初のうち沖澤さんはピアニストを見られずに下を向いて振っていましたね。気持ちが内向きになっていたのでしょう」  沖澤は少しずつ変化していった。レッスンでは事前によく勉強し、鋭く反応してきた。 「私が一方的に教えるのではなく、どんどん質問が来ます。成長していく学生は皆そうですね。私だけでなく、井上道義さんや下野竜也さんなどいろいろな先生たちから違うレッスンを受けていました。それもよかったのです」  カラヤンのアシスタントを務めた経験があり、バーンスタイン、小澤征爾らの音楽作りもじかに見ている高関の指導は刺激的だった。沖澤はできる限り生のコンサートへ足を運び、さまざまな指揮者のリハーサルを見学し、一方で藝大オーケストラを指揮。オペラ公演も自分で企画して上演した。大学院に進もうというタイミングで井上に誘われ、石川県金沢市の「オーケストラ・アンサンブル金沢」の研究員となる。休学し、事務局員として働きながら指揮者の仕事を学び、時には鍵盤楽器奏者として舞台で演奏もした。 「ジュニアオーケストラの運営も一人でやっていて大変だったけど、一応社会人として働いたのはとてもよい経験でした。オケの裏表でどれほどの人たちが関わり、大変な思いをしているのかよくわかりましたから。それに金沢ではたくさんの人がオケを知っていたのも素晴らしいと思いました。金沢で過ごした1年間で、どうしても指揮を続けたいという気持ちが湧いてきたんです」  15年、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学修士課程へ留学。18年には東京国際音楽コンクールで、19年には小澤征爾や佐渡裕、山田和樹らが優勝したブザンソン国際指揮者コンクールで第1位となり、一気に視界が開けていった。特に3年に1度開催される東京国際音楽コンクールは、03年から4大会連続で1位を出さなかったほど審査が厳しいことで知られる。その時の課題曲はメンデルスゾーンの《静かな海と楽しい航海》、自由曲にはリヒャルト・シュトラウスの《ドン・ファン》を選んだ。審査員の一人だった高関は言う。 「今の若手は大編成のリヒャルト・シュトラウスなどはうまく振れるんですが、古典的なメンデルスゾーンには苦労するものです。でも彼女が振り終えた時、隣にいたユベール・スダーンさんがすぐ、『彼女は素晴らしい演奏をした』とおっしゃいました。それだけインパクトがあったんです」  ブザンソンでの優勝後は欧州でも認められ、有力なドイツの音楽事務所KDシュミットへ所属することになった。19年にはリトアニア人男性と結婚。公私ともに変化の時を迎えた。 (文中敬称略) (文・千葉望) ※記事の続きはAERA 2023年7月10日号でご覧いただけます
現代の肖像
AERA 2023/07/07 18:00
ジェーン・スー「幸せの指標がない社会 次世代のための露払いこそ我々中年の仕事」
ジェーン・スー ジェーン・スー
ジェーン・スー「幸せの指標がない社会 次世代のための露払いこそ我々中年の仕事」
次世代のための露払いこそ我々中年の仕事(イラスト:サヲリブラウン)  作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんによるAERA連載「ジェーン・スーの先日、お目に掛かりまして」をお届けします。 *  *  *  鳥取にお邪魔しました。俗に「講演会」や「セミナー」と呼ばれる仕事です。仰々しいので、私はトークイベントと呼ぶのが好き。私が思ったことを話すだけだもの。  トークイベントに関しては、自治体やそれに準ずる組織が男女共同参画社会を目指す目的で催すものなど、希望者が無料で参加できる催しを中心に受けています。有料イベントを毛嫌いしているわけではなく、有料なら私のなかでそれは「興行」扱いになるので、なにかしら芸がないと、お客さんに申し訳が立たないので。  さて、ポッドキャスト配信を始めてからというもの、どこへ行っても数百人の方が会場へ足を運んでくれるようになりました。文筆やラジオの仕事だけだった頃よりは、心待ちにしてくださる人がグッと増えた体感があります。  今回は、せっかくだから1泊しようと前乗りした鳥取。20年以上ぶりに空港に降り立ち、倉吉市までの美しい海岸線に目を奪われました。右を見れば青い海と滑らかな砂浜、左を見れば生命力あふれる緑が生い茂る山。圧巻です。こんなに美しいものを毎日見ている人たちの時間を頂戴するに値することをしゃべれるかしら?と、ちょっと怖気づいてしまったくらい。  夜はとろけるような白いかを食べ、旅館のそばの小川で蛍を鑑賞し、温泉につかってのんびり。束の間の休みをじんわり味わいました。前乗りして本当によかった。  翌日、会館に集まってくださったのは、250名にのぼる県民のみなさん。質疑応答含めて1時間半という長丁場でしたが、寝落ちする人もおらず、一生懸命私の話に耳を傾けてくださいました。 イラスト:サヲリブラウン  今回のテーマは「ちょうどいい、を見つけよう」。多様性を尊重する社会になれば、当然の如く、過去の「これがあれば幸せ」の指標が消滅します。しかし、私たちのマインドがまだ追いつけていない場面が多々ある。すると、不安や心配ばかりが増えてしまう。どうやってそれを回避すればよいかのヒントを、20代の頃に思っていた未来とはまったく違う人生を歩んでいる私の経験からお話ししました。  大切なのは、生き方の選択肢が社会に複数あること。そして、自分の幸せを他者に決めさせないこと。新しい価値観が宿るテクノロジーに食らいついていくこと。  胆力のいる作業ですが、次の世代のための露払いこそが、我々中年の仕事です。 ○じぇーん・すー◆1973年、東京生まれ。日本人。作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニスト。著書多数。『揉まれて、ゆるんで、癒されて 今夜もカネで解決だ』(朝日文庫)が発売中 ※AERA 2023年7月10日号
ジェーン・スー
AERA 2023/07/06 19:00
社会を変える“武器”としての「公共訴訟」 声なき声を社会に反映させる仕組みを
社会を変える“武器”としての「公共訴訟」 声なき声を社会に反映させる仕組みを
司法の壁に、一度は弁護士という道を断念しようとしたこともある。だが、アメリカで見た光景が谷口太規に、公共訴訟は「変わらない社会を変えられる」可能性があると気づかせてくれたという(撮影/篠塚ようこ)  個人の権利回復を求めるだけでなく、社会の仕組みを変えることも目指す「公共訴訟」。日本では現状、弁護士がほぼ“手弁当”で担っている状態だ。経済基盤を安定させることで公共訴訟の担い手を増やすことを目指すプロジェクトが立ち上がろうとしている。AERA 2023年7月3日号の記事を紹介する。 *  *  *  若者たちの政治参画を目指すNO YOUTH NO JAPAN(NYNJ)の代表、能條桃子(25)は3月、Twitterでこうつぶやいた。 「実は昨日、神奈川県知事選挙に立候補届を出しに行きました。が、被選挙権年齢(選挙に立候補できる年齢)が30歳なので、先日25歳の私は不受理になりました。これから被選挙権年齢の引き下げに向けて、仲間たちと一緒に公共訴訟という形で問題提起をすることを計画中です」  大学時代にデンマークに留学し、若者たちが日常的に政治を話題にしていることに衝撃を受けた能條は、2019年にNYNJを立ち上げた。だがそもそも、自分たちの声を託したい同世代の候補者がいないことに気づく。  16年に選挙権年齢は18歳に引き下げられたが、被選挙権は都道府県知事、参議院議員が30歳以上、衆議院議員、市区町村長、都道府県・市区町村議会議員は25歳以上のままだ。世界の国々では徐々に引き下げられ、日本の衆議院に当たる下院には18歳や21歳で立候補できる国は120カ国以上にもなる。 「なぜ日本は25歳と30歳のままなのか。これには合理的な理由がありません。少子化対策などに若者世代の声が反映されてこなかったのは、中高年の男性中心の政治が続いているから。雇用や気候変動、ジェンダーなど10代・20代にとって関心の高い政策を進めるためにも、被選挙権年齢を引き下げ、多くの若い世代が政治に参画する必要性を感じてきました」(能條)  そんな時に出合ったのが公共訴訟を支援するNPO法人CALL4だった。  公共訴訟とは個人の権利回復を求めるだけでなく、社会の仕組みを変えることも目指した訴訟だ。これまでに「一票の格差」や「在外日本人選挙権」など当事者が起こした訴訟が広く社会課題への関心を呼び、制度や法律を変える契機にもなってきたことから、「社会を変えるための裁判」だとも評される。最近では同性婚や選択的夫婦別姓制度をめぐる訴訟もそうだ。 同性婚訴訟違憲判決に「違憲判決」の横断幕を広げて喜ぶ原告弁護団と支援者ら=2023年5月30日、名古屋市中区の名古屋地裁で  CALL4は19年の活動開始以降、実際の裁判を傍聴するツアーや裁判費用を集めるクラウドファンディングの実施、訴訟の背景を知るために原告への取材記事の発信などを通して、公共訴訟を支援してきた。  能條は自身の問題意識をより多くの人に共有してもらい、世論を喚起する難しさも感じていた。CALL4との出合いで、「社会を変えるには司法、公共訴訟という手段があるんだ」と気づいたという。 ■予算をかける国に対し“手弁当”で戦う限界  CALL4の創設者で、代表理事である谷口太規(44)は大学では哲学や社会学を専攻していた。卒論のテーマにアクティビズムを選んだことで、人には社会を変える力がある、大事なのは力を発揮するために話し合うプロセスだと感じるようになった。「その場を推進できる“代理人”になろう」と司法試験を受け、弁護士の道に進んだ。  谷口が公共訴訟を強く意識するようになったのは司法修習時代だ。師事した弁護士が岡山で、ハンセン病患者が原告となった国家賠償訴訟を担当していた。裁判の過程で、谷口は原告たちが変わっていくのを目の当たりにした。 「最初は裁判をすることすら躊躇していたおじいさんやおばあさんたちが、徐々に自分たちが受けた被害を語るようになった。耳を傾けてくれる人がいて、公に認知されることは人間の尊厳のために大事なことなのだと気づいたのです」  弁護士になって6年目には、ガーナ出身男性の在留資格をめぐる訴訟を担当した。訴えが認められず、強制送還される過程で、男性は入管職員によって手錠や足錠、猿ぐつわ姿で押さえつけられ急死した。彼の妻と母が原告となって、死の責任を問う国家賠償訴訟を起こしたが、国は心臓の特殊な病気のせいだと主張。何人もの医師を法廷に連れてきて証言させた。  一方の弁護団には協力してくれる医師がいなかった。谷口らは必死で英語の文献を読み、制圧行為が死につながることを研究しているイギリスの専門家を見つけ出した。一審では国の責任が認められたものの、控訴審では敗訴。多額の予算をかけ、研究者を雇い、再現実験までやった国に対し、弁護団はそれを翻せるほどの根拠を見つけられなかった。10年に彼が亡くなってから6年間、弁護団は翻訳費用が捻出できない中、徹夜して慣れない英語の医学論文を読み、数百枚もの書面を書いた。 「公共訴訟とはダヴィデとゴリアテの戦いのようなものです。原告は資金も人も潤沢な国を相手に戦わなくてはならない。手弁当に近い形で引き受ける弁護士は『聖人』のように感謝されることもありますが、引き受ける人は限られます。引き受けたとしても、通常の弁護士であれば事務所経営もあり、関われるのは一生で数件。一方の国には100人以上の法律の専門家集団がいて、ノウハウも溜まっているのです」  これまで日本で確定した法令違憲判決は、在外日本人国民審査権訴訟など11件のみ。対して、アメリカでは州レベル最高裁まで含むと500件超、ドイツでは700件以上になるという。コロナ禍で相次いで作られた法律や行政の施策に異議を申し立てる訴訟も、日本では飲食店の営業自粛要請など2件程度だが、ドイツでは営業停止など権利の侵害や制限を巡って1千件以上の訴訟が起きた。 「さらに日本では裁判沙汰という言葉に象徴されるように、裁判には関わりたくないという人が多く、裁判で国や行政の責任を問うことを躊躇しがちです」(谷口)  それでも谷口が、変わらない社会を変える“武器”としての公共訴訟の可能性を信じているのはもう一つの経験がある。 ■アメリカで目にした司法への期待や信頼  谷口はガーナ人男性の控訴審後、日本の司法に絶望してアメリカの大学院に留学した。ソーシャルワークを専攻し、一度は法律以外の方法で貧困問題などに取り組もうと考えていた。もう一度司法界に希望を見いだし、引き戻されたのは、ある光景を見たからだ。  当時アメリカではトランプ大統領が誕生し、イスラム圏の国からの入国を制限する大統領令を発していた。アメリカの変貌にショックを受けていた谷口が目にしたのは、空港に駆けつけた弁護士たちが床に座り込んだイスラム圏の人たちに話を聞いて回る姿だった。数百人単位の弁護士が大統領令の無効を訴える仮処分申請を支援し、その動きを支持する動きがネットで広がり、寄付は数十億円規模で集まっていた。 LEDGEのコアメンバー。弁護士たちだけでなく、CALL4時代からホームページなどで情報発信を担う編集者もいる(撮影/雨森希紀) 「社会の司法への期待や信頼を見て、胸が熱くなりました。一方で、自分自身は必死でやってきたけど、頑張る方向が間違っていたのではないかと感じました。もっと仲間を増やし、司法をより多くの人に開く活動をすべきだったのではないかと思ったのです」  帰国後、谷口はCALL4を立ち上げ、裁判ツアーやクラウドファンディングを通じて、「司法をひらく」活動を始めた。  そして今、谷口は公共訴訟を主体的に担うプロジェクト、「LEDGE」を立ち上げようとしている。広く寄付を集め、弁護士だけでなく、専従のリサーチャーらの経済基盤を安定させることで公共訴訟の担い手を増やすことを目指している。メンバーには、趣旨に賛同した元編集者など法曹界とは関わりのなかった人もいる。  CALL4を谷口とともに立ち上げ、LEDGEにも参画する弁護士の井桁大介は、公共訴訟の担い手の減少に危機感を募らせている。 「司法改革以後、弁護士増員に伴い、1人当たりの平均売り上げは1千万円ほど減少しました。今後ますます“お金にならない”公共訴訟を引き受ける弁護士は減っていくかもしれません。引き受けても日常の仕事に忙殺されていては、思うような主張や立証をできず、結果を出すことも難しい」  理想を掲げて熱い想いで突き進む谷口に対し、井桁は想いだけでは持続可能性が低くなると、ITも生かし寄付が集まる仕組みを作るなど戦略を担う。  アメリカにはアメリカ自由人権協会(ACLU)という公共訴訟を専門に扱う組織があり、専従の弁護士を抱え、予算は年間数百億円規模にのぼる。支えるのは大口から市民まで幅広い人たちの寄付だ。 「日本にも公共訴訟に専従できる環境ができれば、目指す若い弁護士も増える。担い手が増えることで、司法と社会をアップデートすることにもつながります」(井桁) ■声上げる人がいないと社会は変わらない  日本でもベストセラーとなった『FACTFULNESS』や『ゼロ・トゥ・ワン』の翻訳者としても知られる関美和は、早くからCALL4やLEDGEを支援してきた。Twitterで流れてきた、ネパール人男性が取り調べ中に死亡したことに対する国家賠償訴訟を支援するCALL4の活動に寄付をしたことが始まりだった。 3月下旬、神奈川県知事選への立候補を届け出た能條。被選挙権年齢のことは知っていたが、あえて問題提起として届け出た(写真:能條桃子提供) 「特定の人種や国籍の人たちに対する偏見や差別的な扱いに対しておかしいという憤りと、被害にあった当事者への共感もありましたが、公共訴訟という形に一つの希望を見いだしたのです」  関はかつて過ごしたアメリカで、司法が「最後の拠り所」として機能している様子を見てきた。 「アメリカにも韓国にも公共訴訟を担うプラットフォームはあるのに、日本にはない。弁護士が個人的な使命感と負担を背負うのではなく、これは社会で背負うべきコストだと思ったのです」  能條たちの被選挙権年齢引き下げ訴訟は、LEDGEが支援する初めての案件だ。原告は、能條ら19~25歳の6人。いずれも今春、鹿児島県議選や船橋市議選に立候補しようとして届け出が不受理となった。「年齢が低いというだけで立候補できないのは、憲法14条の法の下の平等に反する」ことを問う。  LEDGEは今後、外国人というだけで職務質問を受けるレイシャルプロファイリングの問題や中絶手術に配偶者の同意を必要とするといったセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR)の問題に対する集団訴訟も予定している。共通するのは、「今十分に聞かれていない人々の声を社会に反映させたい」という思いだ。谷口は言う。 「政治に若い人の声を反映させたいという問題提起のために立候補した能條さんたちは、『ルールを守れ』と苛烈なバッシングにあった。日本には社会を変えたいと声を上げる人たちを叩く『声を上げるフォビア』が蔓延しています。その社会そのものを公共訴訟という手段で変えたいんです。声を上げる人たちがいなければ社会は変わらないのです」 (文中敬称略)(ジャーナリスト・浜田敬子)※AERA 2023年7月3日号
AERA 2023/07/02 11:00
「暗いほうが心が揺さぶられる」 闇の中から浮かび上がる“日常”を撮り続けてきた写真家・山田省吾
米倉昭仁 米倉昭仁
「暗いほうが心が揺さぶられる」 闇の中から浮かび上がる“日常”を撮り続けてきた写真家・山田省吾
撮影:山田省吾  山田省吾さんの作品は全体的に暗く、えたいの知れない怪奇漫画のページをめくるような感じがする。不条理な世界を描いた薄暗い童話のような印象というか。 *   *   *  いったい、山田さんは何を写そうとしたのか? 「そうですね、ぼくも説明に困るところがあって……。というか、説明にならへん。若いときは真面目なんで、社会的なドキュメント思考があるじゃないですか。何かを説明できる明確な写真が全体の7割くらいはあったと思うんですけど、今はそういうのを捨てている。その場、その場で、何か目の前のことが面白かったら写真を撮る。そんな感じですね」 「諸星大二郎の漫画みたいやん」  7月1日から入江泰吉記念奈良市写真美術館で開催する写真展「影の栞(しおり)」は、山田さんが写真学校を卒業してインドを旅したときの作品から最新作まで、25年あまりのスナップショットの集大成的な展示だという。  撮影地は地元の関西、パリ、インドとばらばらだが、不思議と違和感を覚えない。  山田さん自身も、「パリに行って撮ったとか、インドで写したというような場所の意識は薄いんですよ」と説明する。 「例えば、パリの地下鉄の駅で写した写真。これを選んだとき、諸星大二郎の漫画みたいやん、と思った」  諸星さんは何げない日常に潜む悪夢や、破局の足音が聞こえる近未来などを描く漫画家である。 「背景に対する人の大きさとか、顔と体の比率とか。諸星大二郎みたいな写真が撮れたな、という感じで、パリをあまり意識していない。まあ、どこへ行っても路地裏とか、人が普段生活しているような場所、というところでどっかつながってるんちゃうかな」 撮影:山田省吾 インドでの暗い体験  1997年、大阪の写真学校を卒業したばかりの山田さんはインドを訪れた。すると、ニューデリーに到着した直後、悪夢のような体験をした。  真夜中の空港を出た途端、声をかけられ、タクシーに乗せられた。連れて行かれたのは事務所のような場所だった。 「そのとき、他に日本人が何人かいたんですが、旅慣れた人たちは事務所からどんどん出て行った。だけど、ぼくは英語がしゃべれないし、どうしたらいいかわからなくて、最後まで残ってしまった」  行くつもりのないカシミール地域を訪れるツアーの代金を支払わされた。わけもわからないまま郊外の民家に連れ込まれた。ようやく逃げ出して金を取り返そうと警察に訴えたが、無駄だった。 「英語もしゃべれない面倒なやつがきた、という感じだった。それで諦めた。心を閉じてしまい、写真を撮ろう、という気にはなれなかった。街を歩くとまとわりついてくる物乞いがすごくうっとうしくて、近寄るな、って感じでした」 撮影:山田省吾  日本を発つ前、「初めての海外で、英語がしゃべれずにインドに行くのはハードルが高すぎる」と、周囲から心配された。しかし、その心配が現実のものとなってしまった。 「親には半年インドに行ってくる、と言って旅立ったんですけれど、最初の1週間でもう帰りたくて仕方がなかった」 「電波少年」と「風の谷のナウシカ」  しかし、なぜ山田さんは周囲の忠告を振り切ってまでインドにこだわったのか? 「藤原新也の写真集『全東洋街道』(集英社)がすごく印象に残ったんですよ。あと、テレビの影響もあると思う。(お笑いコンビ)『猿岩石』の『電波少年』とかが、ちょうどやっていたときやった」  インドに着いてから1週間後、山田さんはニューデリーから逃げ出すようにインド北部の山岳地域ラダックへ向かった。 「最初はバラナシとかに行こうかなと、漠然と思っていたんです。でも、もう人のいっぱいおるところは嫌やった。ラダックを選んだのは宮崎駿監督の映画『風の谷のナウシカ』のものすごく強烈な印象があったから。同じような風景があるところはどこやろ、って、インドに行く前に探したんです」  山田さんはラダックのゲストハウスに腰を落ち着けると、ようやく撮影に没頭した。 「すごく運がよかったんですけれど、ゲストハウスのおばちゃんが『今日はこっちに行くわよ』という感じで、いろいろなところに連れていってくれた」  季節は冬になろうとしていた。標高約3500メートルのラダックは寒さが厳しく、観光客はほとんどいなかった。 「そこに1人でずっとおるやつは珍しかったからやと思うんですけど、撮影を断られた記憶はほとんどない。家の中を撮らせてくれって頼むと、簡単に入れてくれた」  山田さんはラダックに2カ月半ほど滞在したのちに帰国。さらに99年にも同地を訪れた。 撮影:山田省吾 撮影はノラリクラリと  2度目のラダック訪問から1年後、山田さんは大阪芸大・阿部淳ゼミの卒業生らの集まりに参加した。 「自信満々でインドの写真を見せたんですけれど、結局、ぼくのは旅して撮れたっていうだけの写真だった。他の卒業生は普段、行ける場所で撮って、それを作品にしていた。けれど、ぼくにはそういう思考がまったくなかった」  特に印象深かったのは、阿部先生の作品だった。 「こんなことをしていいんか、と思った。言うたら、それは個人的なドキュメンタリー写真だったんですよ。社会的なメッセージが明確になくてもいい。自分の普段の経験を写真にすればいい。そんな先生の話を聞きながら、ああ、こんな自由なことができるんか、と思った。それからは、今いる場所で撮っていこう、という感じになりました」 撮影:山田省吾  これまで山田さんは写真学校の非常勤講師や派遣社員、アルバイトをしながら撮影を続けてきた。 「去年の夏までやっていた仕事は大阪・難波のど真ん中にある米屋さん。毎日カメラを持って出かけて、仕事が終わってから撮影した」  休日は梅田を中心とした「キタ」のほか、難波や天王寺など、人が多い場所へ足を運ぶ。 「撮影はルートを定めないというか、定めたらぜんぜんあかんな、と思います。本当はこっち行くつもりやったけど、やっぱりこっちに行ってみようとか。曲がり角で気配みたいなのを感じて、方向がどんどん変わっていく。ノラリクラリと、華やかじゃないところに引かれていく」 撮影:山田省吾 「黒が濃くないと無理やなあ」  冒頭で書いたように、山田さんの写真はどれも全体的に暗く、闇のなかから絵が浮かび上がってくるような印象がある。 「それは、くせというか、好みですね。写真学校時代から黒が濃くないとちょっと無理やなあ、という感覚をずっと抱いてきた。暗いほうが心が揺さぶられる感じがあります」  プリントを黒く仕上げるには印画紙の露光時間を長くする。ところが山田さん場合、原版のネガが濃いので、それ透過する光が弱くなり、かなり長い露光時間を必要とする。 「だから、写真を焼くのはめちゃくちゃ大変です。一番感動するプリントは、闇に浮かぶような絵が暗部にうっすらと残っているとき。ああ、奇麗やなあ、と思う。そういう写真に引かれますね」 (アサヒカメラ・米倉昭仁) 【MEMO】山田省吾写真展「影の栞」入江泰吉記念奈良市写真美術館 7月1日~7月2日
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dot. 2023/06/30 17:00
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