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ジェーン・スー「50歳の節目に『講演会』というワクワク 集合知を循環させる大役を担う気持ち」
ジェーン・スー ジェーン・スー
ジェーン・スー「50歳の節目に『講演会』というワクワク 集合知を循環させる大役を担う気持ち」
50歳の節目に「講演会」というワクワク(イラスト:サヲリブラウン)    作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんによるAERA連載「ジェーン・スーの先日、お目に掛かりまして」をお届けします。  *  *  *  福島県へ行ってきました!会津若松市や福島市には訪れたことがありますが、今回はお初の二本松市。福島県男女共生センターのイベントにお呼ばれしての講演会でした。「講演会」ってほど役に立つ話はできないので、ほかの呼び方はないかなと、いつも考えあぐねてしまうのですが。  2018年あたりから依頼があれば受けてはいた講演会、2022年の後半から、地方自治体からの男女共同参画にまつわる依頼は、スケジュールが許す限り受けています。京都府宇治市、兵庫県明石市、富山県富山市、三重県津市、鳥取県倉吉市にも伺いましたし、東京なら中野区や千代田区でお話をさせていただきました。おかげさまで、来年の春まで予定が決まっています。  ありがたいことにどこも盛況で、今回の福島は約400名の方が集まってくださいました。始まる前から熱気がムンムン、講演会が行われたセンターの館長がたじろぐほど。福島のみなさんは非常にリアクションがよく、まるでライブを観に来てくださっているようでした。私もできるだけわかりやすく、エネルギッシュに話すようにしているので、とてもやりやすかった! イラスト:サヲリブラウン    講演会では、社会的な男女の役割が、如何に私たちの無自覚なところで刷り込まれてきたかという話をメインにしています。一人でも多くの女性、そして少人数ながら参加してくれている男性に、「これは自分のせいではなく、刷り込まれたことによる思い込みなのだ」と気づいて、自由になってほしいからです。私も過去に、それでずいぶん悩んだことがあったから。  様々な会場で手を替え品を替え話をし、参加者の反応で内容をどんどん更新していきます。「ここは伝わりづらいな」とか「ここは時間をかけて話をしよう」とか「ここは順番を変えよう」、といった具合です。やりがいがあるし、うまく伝わると、大きな達成感が得られます。  たとえばA市での反省を活かしたB市での講演が好評だったとしたら、それはA市の講演会にご来場してくださった方のおかげ。そうやって内容をアップデートし続け、またいつかA市に戻りたい。集合知を循環させる大役を、自分が担っているような気持ちになります。  体力が必要な仕事ではありますが、50歳の節目に新しいワクワクに出会えて、私はとても幸せ。ぜひ、読者のみなさんもご参加ください! ○じぇーん・すー◆1973年、東京生まれ。日本人。作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニスト。著書多数。『揉まれて、ゆるんで、癒されて 今夜もカネで解決だ』(朝日文庫)が発売中 ※AERA 2023年9月18日号
ジェーン・スー
AERA 2023/09/14 19:00
不登校の娘に触発されて片づけたら、きれいな家がキープできるようになった
西崎彩智 西崎彩智
不登校の娘に触発されて片づけたら、きれいな家がキープできるようになった
散らかってくつろげなかったリビング。床置きのダンボール箱の中は洋服/ビフォー 5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 case.51  「自分は片づけられない人間だ」というのは思い込み 子ども1人+犬1匹/無職  家は、家族が一緒に時間を共有する場所です。誰かの気分や体調は、知らず知らずのうちに、他の家族にも影響を与えます。1人の影響が家族に広がり、さらに家の状態として目に見える形で現れることがあります。  ゆかりさんの家は、自称・ゴミ屋敷。とはいっても、本当にゴミが山積しているわけではなく、モノの量が多くて収納しきれずにリビングなどに放置されている状態でした。 「私がアパレル関係の仕事をしていたこともあって、洋服に対する執着がすごいんです。リビングやキッチンにも洋服があふれていましたね」  思い返せば、子どもの頃から片づけられませんでした。引っ越しのときに不要なモノを処分したものの、2年前まで住んでいた家はまさに「ゴミ屋敷」と呼ぶくらいの散らかり具合。新しい家は前の家よりも広かったので、「これで理想的な暮らしが始められる!」と思いましたが、現実はまたモノだらけの家に戻ってしまいました。  中学3年生の一人娘も片づけが苦手なので、2人で大量のモノに囲まれて暮らす生活が続きます。  娘は小学校高学年くらいから不登校になってしまい、コロナ禍の影響もあって中学1~2年生はまったく学校に行けませんでした。前日には「行く」という気持ちになっていても、当日の朝になると行けない状況が続き、ゆかりさんは仕事を急に休むこともしばしば。 「私の仕事柄、当日に休むというのがけっこう大変だったんです。娘に合わせた生活をしてあげたかったので、思い切って仕事を辞めました。私も時間と心に余裕ができるから家の中を片づけようと思ったんですが、なかなかできなくて……」   娘や犬がのんびり寝転がれるほどきれいになりました/アフター    むしろ、状況は悪化していきます。自分よりも娘を優先する生活により、いつのまにかストレスが溜まってしまったのです。昼間は娘に当たってしまい、夜中に動画配信サービスを見て気分転換する毎日。昼夜逆転で体調も悪くなってしまいました。  そんな生活を先に変えたのは、娘でした。  中学3年生の4月からがんばって学校に行くようになり、1学期中に休んだのはたったの1日だけ。気の合うお友だちができたこと、そして高校進学を気にかけるゆかりさんからの助言がきっかけでした。 「附属校なので、問題なければ高校もそのまま進めるはずなんです。でも、中学3年生もずっと休んでいたら高校に行けなくなってしまうので、そのことを根気強く話し続けました」  娘の行動は、ゆかりさんも変えます。 「娘の姿を見たら、私もがんばろうって気持ちになって。何もしていない母親の話なんて、娘も聞かないですよね。まずは家の環境を整えようと思いました」  家庭力アッププロジェクト®を知ったのは、そんなタイミングでした。これまで片づけに関する本を何冊も買ったものの、自己流でいつも失敗ばかり。でも、家庭力アッププロジェクト®には他の片づけメソッドとは違うものを感じていました。 「娘が変わろうとしている中で、私も変わるチャンスは今しかない!」とゆかりさんは思い、プロジェクトへの参加を決意します。  手放すのに苦労したのは、やはり大量の服。ネットで注文して届いたままの箱もありました。 「ものすごい量でしたが、全部1回着てみて『いる・いらない』を判断しました。仕事に着ていくための服だけでも、余裕で200着以上はあったかと思います。全部持っておきたいと思っていましたが、形が気に入って色違いで2着持っていた服を着てみたら、まったく似合わなかったときはショックでしたね。すぐリサイクルに出しました」  ずっと手放せなかった服も、その多くは今の自分に必要ないのだと気づいたゆかりさん。プロジェクト中に聞いた「時間は命」という話が胸に響き、片づけの手を速めていきます。 「時間は誰にでも平等にあるもの。お金持ちとか貧乏とか関係なく、自分でコントロールできるものだという話を聞いて、本当にそうだなと思って。   イスやテーブルまで洋服に占領されているリビング/ビフォー    さらに、ゆかりさんの心を落ち着けたのは、「今の最善解をめざす」ということでした。 「私は完璧主義のところがあって、1つのことを完全に終わらせてからでないと次に進めませんでした。でも、『今の私のベストがこれなんだ』と思えるようになったら、プレッシャーのようなものがなくなって気持ちが楽になりました」  プロジェクト終了時には、引っ越してきたときに思い描いていた理想の家とは違うかもしれませんが、今のゆかりさんたちの生活にとって1番いい環境を整えることができました。家の中がきれいになると気持ちがいいという感覚を、娘とも共有できていると言います。 「片づけが苦手なのはお互い様なので、そこは一緒にがんばろうって話しています。娘からは、いい意味で小言が増えたと言われました(笑)。私が片づけられるようになったし、何かうるさいことを言われても、納得して受け入れてくれているそうですよ」 カウンター沿いに棚を設置してさらにブラッシュアップする予定/アフター    まだまだ家の中のブラッシュアップは、親子2人で続けていくとのこと。やればできるという自信を持てるようになったゆかりさんは、こう話してくれました。 「私、何十年も片づけられない人間として生活してきました。でも、そうじゃなかった。ただの思い込みでした」  今では、ちゃんと朝起きて健康的な生活を送れているという話も聞けました。  ゆかりさんのように、「自分は片づけられない」と思い込んで家族によくない影響が及んでしまっている方はたくさんいるような気がします。まずは家の中を見直して、片づけから生活を整えると明るい未来につながるということを、1人でも多くの方に知っていただきたいと思います。 ●西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・家族間コミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト?」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。NHKカルチャー講師。「片づけを教育に」と学校、塾等で講演・授業を展開中。テレビ、ラジオ出演ほか、メディア掲載多数。
AERA 2023/09/12 07:00
星野源×オードリー若林のトーク番組にこれほどふさわしい人選はないと思う理由
ラリー遠田 ラリー遠田
星野源×オードリー若林のトーク番組にこれほどふさわしい人選はないと思う理由
星野源(写真右)とオードリー若林  Netflixで8月に配信開始された『「LIGHTHOUSE」~悩める2人、6ヶ月の対話~』の企画内容が「星野源とオードリー若林のトーク番組」であると聞いた瞬間、「なるほど!」と思った。たしかにこれほどふさわしい組み合わせはない。音楽家・俳優の星野と芸人の若林。それぞれ専門とするフィールドは違うが、人間としてのあり方は重なるところが多いように見える。    彼らに共通するのは、人生で直面するあらゆる問題の前で立ち止まり、そこに向き合い、思い悩み、どこまでも考え続けてしまうことだ。適当にごまかしておけばいいとか、いったん飲み込んでおけばいいとか、ノリで何とかすればいいとか、そういう応急処置ができない。    ちゃんと傷つくし、腹も立つし、絶望する。それでも彼らは人一倍敏感で繊細であることをやめられない。いちいち立ち止まり、いちいち考えてしまうこと自体が、彼らの偉大な才能であると同時に、どうしようもない癖(へき)である。    彼らが文筆家やラジオパーソナリティとして評価されているのは、その思考の深さに裏打ちされた「誠実に書くこと」「誠実に聞くこと、語ること」のクオリティが圧倒的に高いからだ。    彼らは1人で文章を書いたり話したりしていても面白いし、誰かと語り合っても面白い。『タモリのオールナイトニッポン』の「星野源×タモリ」、『欽ちゃんとオードリー若林のあけましてキンワカ60分!』の「若林正恭×萩本欽一」などは、ラジオ史に残る名対談だった。    語り手としても聞き手としても類まれなる才能を持つ2人が、月に一度顔を合わせ、お互いの悩みについて語り合う。しかも地上波テレビではなく配信コンテンツである。この企画の建て付けなら、どちらにも逃げ場はない。彼らは誰よりも誠実にお互いの悩みに向き合い、思索を深めていくことになる。    私は夜に見始めて、そのまま深夜まで全6話を一気見した。文字通り目が離せない内容だった。    エピソード1は、2人が下積み時代を過ごした高円寺のカフェで落ち合うところから始まる。思い出の場所を歩き、彼らの頭の中には昔の記憶が次々に蘇っている。そうやって脳内エンジンが十分温まった状態でいよいよトークが走り出す。    直近1カ月の間に悩みや日々の出来事を記録した「1行日記」を読み返しながら、話は進んでいく。最初に星野が読み上げたのは「大人になってもストレスが一向に減らない」という言葉。冒頭からアクセル全開のフルスロットル。    そこに若林は共感を示して「ストレス量は変わらないけど、ないふりをしてますよね」と応じて、星野が「ないふりをしないと社会に受け入れてもらえない、っていうか」と返す。細かい説明抜きで2人がお互いの考えていることを理解し合い、話がどんどん深まっていくのが心地よい。まさに思考のフリーダイビング。    彼らの会話は、人前に出る仕事をしている芸能人同士の芸談でありながら、働くアラフォー男性の等身大の仕事論、人生論でもある。芸能の世界とは縁のない一般人が見ても、心に刺さるパンチラインがたくさん見つかるはずだ。    誤解を恐れずに言えば、月に一回、彼らが会って本音を交わすこの企画は、お互いにとっての公開カウンセリングのようなものだと感じた。定期的に自分の考えを整理して、感覚を修正していく。半年間のカウンセリングを経て、2人がどう変わったのかを見届けるドキュメンタリー的な側面もあった。    番組名の「LIGHTHOUSE」は「灯台」という意味。総合演出の佐久間宣行氏が「悩める人々の明かりを照らす灯台でありながら、自分たちの足元は暗そう」という2人への印象から命名したものだ。    たしかに灯台の下は暗い。しかし、星野と若林という2本の灯台は、お互いの足元を少しは照らせたのかもしれない。(お笑い評論家・ラリー遠田)
星野源若林正恭オードリーNetflix
dot. 2023/09/09 11:00
「ジジイども、見たか」発 落語愛への一本道 落語家・桂二葉
矢部万紀子 矢部万紀子
「ジジイども、見たか」発 落語愛への一本道 落語家・桂二葉
オリジナル手ぬぐいを染めてもらっている東京・浅草の「ふじ屋」で。店名にちなみ、草履の鼻緒は藤の柄(撮影/武藤奈緒美)    落語家、桂二葉は女性の帯の締め方で、高座に上がる。女性なら当たり前のようだが、落語界では少数派だ。2021年、「NHK新人落語大賞」で大賞を受賞、一挙にブレイクしたのは、50年超の歴史で初めての女性だったから。その上、記者会見で口にしたのが、「ジジイども、見たか」だったから。そんな二葉の熱き落語愛、どうぞお見知り置きのほどを。 *  *  *  7月20日、有楽町朝日ホールでの落語会。前座に続いて登場した桂二葉(かつらによう・37)の1席目は「幽霊の辻(つじ)」、次いで笑福亭鶴瓶(しょうふくていつるべ)が登場、「芝浜」で仲入りとなり、明けて二葉の2席目。 「おい、らくだ、らく、いてへんのかいな」  上方落語を代表する大ネタ「らくだ」が始まった。その瞬間、会場から落語会では珍しいどよめきが起きた。観客一人ひとりの「おっ」が重なって「おー」となる。そんなどよめきだった。 「らくだ」という嫌われ者が長屋で死んでいるところから始まる噺(はなし)だ。見つけたのは、らくだに輪をかけたろくでなし「脳天の熊五郎」。通りがかった紙屑(かみくず)屋を使い、葬式の準備をする。ところが酒を飲んだ紙屑屋が、突然豹変(ひょうへん)し……。  この日は途中まででまとめたが、演じ切れば1時間近くなる。熊五郎の狼藉(ろうぜき)ぶりは飛び切りで、女性落語家が演じることはほとんどないネタだ。  初演は2023年2月、「桂二葉しごきの会」(ABCラジオ)だった。「しごきの会」は上方落語の未来を背負う若手を鍛えるという趣旨で、1972年に始まった。初回は桂小米(こよね・のちの枝雀(しじゃく))で、二葉は15人目にして初の女性。そんな経緯も含め、「おっ」となったというわけだ。  簡単に二葉の経歴を紹介する。  入門は11年、師匠は桂米二(よねじ)(65)。米二は桂米朝(べいちょう・人間国宝、15年没)の弟子だから、米朝の孫弟子だ。上方落語には真打制度がないが、大賞を取った「NHK新人落語大賞」の出場資格は「二つ目(大阪の場合は同程度の芸歴)」だ。東京の大賞受賞者を見ると、受賞から数年で真打になっている。 岐阜市にある敬念寺での「第8回敬念寺落語会」。午前は檀家さん、午後は一般のお客さんに「金明竹」「真田小僧」「天狗さし」。抽選会もあって大盛り上がり、写真撮影やサインにも気さくに応じた(撮影/武藤奈緒美)    ちなみに「NHK新人落語大賞」は何度か名前を変えているが、ルーツは72年。二葉は21年、天狗(てんぐ)をつかまえてすき焼き屋をしようと思いつくアホが活躍する噺「天狗さし」を演じ、大賞を受賞した。受賞後の記者会見の最後の方で「ジジイども、見たかっていう気持ちです」と言った。本人によれば「可愛い感じ」で言ったそうだが、ニューヨーク・タイムズにも取り上げられた。そこからは破竹の勢い。今年3月には「探偵!ナイトスクープ」(ABCテレビ)の探偵にも選ばれた。 大人の感覚に敏感な子ども 母は「アホやなー」とほめた  さて、冒頭の落語会に戻る。演芸写真家・橘蓮二がプロデュースする「桂二葉チャレンジ!!」シリーズの4回目だった。22年10月にスタート、初回の相手は春風亭一之輔(しゅんぷうていいちのすけ)、次が春風亭昇太(しょうた)、柳家喬太郎(やなぎやきょうたろう)、そして鶴瓶で「最終章」。4回すべて満席でこの日、大入り袋も配られた。動員数は延べ3千人になる。  二葉の武器は明るく高い声。自然で自在な声にのせ、得意ネタは「アホ、子ども、酔っ払い」。入門からしばらくアフロヘアにしていたのは、「女性落語家」と思われるより先に「アホっぽい」と思われたいからで、一門の集まりで対面した米朝に「はやってんのか?」と尋ねられたという伝説も持つ。その上「ジジイども、見たか」だから、根っから大胆な人物に違いない──。  ところが二葉、大人の感覚に敏感で、話すのが苦手な子だったという。例えば保育園の卒園アルバムの「将来の夢」。「あるわけないやろ」と思ったが「ケーキ屋さん」が正解だとわかっていたからそう言った。ランドセルも黒がよかったが、赤を選んだ。その点、3歳下の弟は将来の夢を「忍者」と言い、茶色で横型のランドセルを選んだ。「男の子ってアホやから、余計なこと考えずに言ったり選んだり、えらいなって思ってました」  二葉の両親が事実婚だということは、「ジジイども、見たか」と共に有名になった。二葉が弟に「男のくせに泣いてる」と言うと、「男も女も泣くやろー」と言った母。勉強が苦手で「N」と「M」の区別がつかない二葉に「Mは1本、多いねんで」と根気よく教えてくれた。勉強が得意だった弟の西井開(34)は臨床心理士になり、『「非モテ」からはじめる男性学』などの著書もある。  西井によれば、58年生まれの母はウーマンリブやフェミニズムに触発され、「規範」から解放されることに肯定的、または促す人だった。優等生の西井が学校で「いい子」と評価されると「おもんない」と言い、連絡帳に書かれた先生の記述を消した二葉には「アホやなー」とほめた。父は学童保育の指導員で、2人はその学童に通っていた。 女性落語家への違和感 自分は嘘なくアホができる  西井の観察では、父の手前ヤンチャに振る舞えない二葉は、学童の“アホなお兄さん”への憧れを強く持っていた。その一方で身体能力が高く、学童で取り組んでいた和太鼓が群を抜いてうまく、発表のたびに圧倒的に目立ったのが二葉だった。  アホ=愛嬌(あいきょう)ある目立ちたがり屋への憧れに、和太鼓で注目された原体験があるから、「落語家になるって聞いた時、違和感はありませんでした」。  二葉を落語に結びつけたのは、実は鶴瓶だ。大学時代、「きらきらアフロ」というトーク番組を見て好きになり、追っかけになる。落語会にもすぐに行き、他の落語家も見るようになった。女性落語家を見ると違和感を覚え、その理由を知りたくて全員を見に行った。無理をしている、特にアホな人を演じると痛々しい。そうわかった。 「いけると思いました。自分がアホやという自信は子どもの時からあったけど、言えずに来た。でも落語でならできる。自分なら嘘(うそ)なくアホができる」。入門に備え貯金をしようと就職、師匠を探して米二にたどりついた。  毎日新聞大阪本社学芸部記者の山田夢留(むる)(46)は、駆け出しの頃の二葉の言葉にハッとさせられた。「女性というのは、アホと距離がある」。すごく腑(ふ)に落ちた。小さい頃から面白いことを言うのは男の子で、女の子は「しっかりしなさい」と育てられる。だから女性がシンプルに面白いことを言っても、見る側が「女性」というフィルターを通すから笑えない。今も「痩(や)せてる」「太ってる」をネタにしがちな女性お笑い芸人のことなども含め、「笑いとジェンダー」が氷解する一言だった。 京都・鴨川近くの「かもがわカフェ」には修業時代から通っている。「うちのお客さんは、みんな応援してますよ」と、オーナーの高山大輔(写真手前)。二葉は「大ちゃん」と呼ぶ(撮影/武藤奈緒美)   目標としたら、がむしゃら 怒りをパワーにするタイプ  この人はすごい噺家(はなしか)になる。そう感じ、初めてインタビュー記事を載せたのが16年8月。19年4月からは「勝手に大阪弁案内」という二葉の連載を始めた。2回目に二葉が書いたのは「いちびり」。はしゃいだりふざけたりを堂々とできるけど愛嬌がある、アホな子どものことだ。  師匠の米二はなぜかアフロヘアで落語会に通ってくる二葉をおもしろいと思い、着物の着方も二葉に任せた。「彼女のアホは、ええアホやと思います。ほんまにいたら難儀やけど、見ててにこやかになれる。アホもいろいろいますから、極めていきたいんでしょうね」  米二が語る修業時代の二葉は、健気(けなげ)で可愛い。いわく、初めて稽古をつけたら何もわかっていなくて驚いた、あれだけ自分の落語会に来ていたのに、上手(かみて)も下手(しもて)も知らなかった、目の前の自分を真似(まね)るので左右が逆になるから、並んで稽古をすることにした、台詞(せりふ)覚えもすごく悪い、ところが覚えると、これがなんとなく落語になっている。 「なんとも言えないおかしみを感じました。我々の方ではそれを、フラがあるっていいますが」  1年ほどしたら、稽古中に泣くようになった、想定外だったが、それで女は面倒だとは思わなかった、悔しいからだとわかったし、泣きやんでもまた泣くから、稽古は「もう今日あかんな、今日やめとこな」と……温かい語り口が心に響く。  米二がほめるのが、二葉の根性だ。上方落語協会主催の「上方落語若手噺家グランプリ」、「上燗屋(じょうかんや)」で初めて決勝に残った18年、「どこがあきませんでしたか」とすぐに聞きに来た。 「目標としたら、がむしゃらにくらいつく。3人いてる弟子の中で、根性は一番です」  前出の山田も「若手噺家グランプリ」の二葉を覚えている。準優勝した21年、出場者全員が並ぶ結果発表でのことだ。舞台上の二葉はひとり、憮然(ぶぜん)とした表情で立っていた。気楽に話せるようになっていたので、客前であんな土気(つちけ)色の顔はどうだろうと言ってみた。「負けた時にニコニコできひん」と返ってきた。  二葉が賞レースへの思いを強めたのは、米二の語った「若手噺家グランプリ」だった。初めての予選通過がうれしかったし、自信がついた。 「女も落語できるんやでって証明したかったし、賞をとったら一つ認めてもらえる。いいきっかけになりました」  前出の西井に、二葉の人気はどこから来ると思うかと尋ねた。少し考え、「怒りみたいなものがあるような気がします」と返ってきた。女に落語ができるのか、女の落語家だから聞かなくていい。そういうことを言われると、時おり二葉は西井に電話をかけてきた。会話から彼女が女性差別への関心と、道を開いてきた先輩女性落語家へのリスペクトを高めていることが伝わってきた。 「アホをやりたいと落語家になったのに、『女性落語家』という薄い膜の中に閉じ込められている。そんな感覚があるのかなと思いました」  二葉はこう語る。 「確かに怒りをパワーにするタイプだと思います。何で自分の思ってる落語ができないのとか、なんでこんなおもろい落語やってんのに認めてくれへんねんとか。『女流』って言葉もすごく嫌やったけど、そういうことも勝ってから言おうと思いました。勝っても勝たなくても言うべきことは言うたらええと思うけども、やっぱり説得力は違うし、それは勝ってからやなって」  賞をとるための戦略を、ある時からすごく考えるようになったと二葉。「私の研究によると」と照れたように言って、NHK新人落語大賞の「傾向と対策」を語ってくれた。  (1)お行儀の悪い感じは嫌い→酔っ払いネタはダメ(2)“正しい”ものが好き→夜這(よば)いなどのネタはペケ(3)長い話を上手にまとめるのは好き→20年、「佐々木裁き」で決勝進出、力及ばず(4)予選はNHKの人が相手→牧村史陽著『大阪ことば事典』に触れる(5)決勝はウケたもん勝ち→事典ははずし、言いたいことを言う。  二葉の戦略は、懸命さの表れでもある。  動楽亭は米朝一門の桂ざこばが席亭をする寄席(よせ)小屋だ。毎日6人の落語家が日替わりで出る昼席に、弟弟子の桂二豆(にまめ)が出るようになっても二葉には声がかからなかった。女性の先輩も出演したことがあったようだが、長く「男性のみ」になっていた。「もうええわって思てたんですけど、途中でええわちゃうなって思って」。出番はなくても動楽亭に通い、楽屋仕事を一生懸命やった。 「ま~ぶる!桂二葉と梶原誠のご陽気に」(火曜午前10時~)本番前。前回の放送で話題になったゆで卵のむき方を実践。「梶原さんとは仲良しやから」、言いたいことを言い合える(撮影/武藤奈緒美)    続けていると1人の先輩がざこばに、「二葉も出してはどうか」と言ってくれた。ざこばは電話を取り出して、一門の落語家が多く所属する米朝事務所の社長と相談を始めた。「ここは押さな」と思った二葉、「頑張ります」と横から言った。電話が終わり、出演が決まった。 「ありがとうございますって、泣きましたね。うれしいっていうのか、悔しいっていうのか、小さい薄い壁やけど、なんかちょっと壊せたみたいに思ったから」  20年1月、初出演。22年9月に米朝事務所を辞めるまで出演した。  毎週火曜日放送の「ま~ぶる!桂二葉と梶原誠のご陽気に」(KBS京都ラジオ)は二葉にとって初の看板番組だ。ディレクターの大坪右弥(26)は、ラジオでの二葉の魅力は「嘘をつかないこと」だという。みんながうなずく場面でも、違うと思えばうなずかない。だから信頼され、全国からメールが来る。  NHK新人落語大賞受賞後、「私の周りのジジイども!」のコーナーを作った。二葉の声は「怒り」をポップに柔らかくする、大賞受賞で自信と解放感が増したように見える、と大坪。 「らくだ」の話に戻る。「しごきの会」と「チャレンジ!!」で、二葉は台詞を変えている。一つは紙屑屋が酔って自分語りをする台詞。道具屋を構えていたが、酒のせいで紙屑屋になった。最初の妻は「いいところ」から嫁に来たという場面。 「前のかか、女一通りの道、みんなできた。縫い針、茶、花。けど貧乏慣れしてなかった」  それをこう変えた。 「前のかか、縫い針、茶、花、みんなできた。けど貧乏慣れしてなかった」 ずっとメラメラしている 毎朝、米朝の写真に感謝 「女一通り」をなくした。最初は教わった師匠通りにするのが礼儀だから、すべて忠実に演じた。それを2回目から外したのは、「なんか引っかかるし、別に言わんでもいいかなと思って。引っかかったままやると、嘘っぽくなるので」。気になる言葉は他にもある。「『嫁はん』とか言いたくないんです。『奥さん』もあまり言いたくない。できるだけお名前で呼んだりしてるんですけど」  登場人物に「お名前」と言う二葉。「お玄関」に「お師匠はん」「おネギ」も聞いた。母の話は「身内の話であれですが」と言ってからし、「米二師匠が『らくだ』をほめていました」と言うと、「親バカみたいですみません」と反応した。そんな品の良さが落語ににじむ。という話はさて置いて。 「ぽかぽか」の収録で通うフジテレビ。「もっと上手に話せるようになりたいけど、なかなか慣れません」(撮影/武藤奈緒美)    噺ごと腑に落ちないものもある。たとえば「立ち切れ線香」。芸妓(げいこ)に入れ上げた大店の若旦那が仕置きとして蔵に閉じ込められ、来なくなった若旦那を待ち焦がれた芸妓が死んでしまうという噺。ツッコミどころ満載のようだが、今も演じる落語家は多い。米朝が語り、枝雀が舞台袖で涙したというエピソードもある。  二葉は、「どの辺に心が動いたのか、聞いてみたいです。不思議やわ」と言いつつ、「ちょっと挑戦してみたくなるんです」と言う。「立ち切れ線香は上方落語屈指の人情話」、そう聞くと心が揺れる。こういう「古典」を、どう残していくのか難しい。それでも古典落語にこだわっている。 「古典がうんとうまい女の人って、あまりいないじゃないですか。そこへの欲があるんです。醍醐味(だいごみ)があります。たまらなくワクワクします」  かつては朝まで飲んでいたという二葉だが、もう2年以上、飲んでいない。「なんかもう、飲もうって思わへんのです。酔っ払ってる暇がない。ずっと考えていて、なんかメラメラしてます」  目下の悩みは忙しさだ。大阪より東京で落語の仕事が増えている。上方落語が大好きだし、盛り上げたいのに「本末転倒」だとジレンマを口にする。自転車操業になっている、ネタがたくさんあるわけではないから、「あかんなと思ってます。ほんまに地道に覚えなあかん」。  二葉の自宅玄関には、米朝の写真が飾られている。だってスーパースターですから、と。たくさん話を復活させて、今につなげてくれた、各地で独演会をして、お客さんを育ててくれた、すごいことです、毎朝「ありがとうございますっ!」と言って家を出ます。そう息急き切ったように話す。  二葉にこれからのことを聞くと、「5年、10年後はわからへんけど、90ぐらいの自分は」見えているという。点滴をしながら高座に上がり、最後まで滑稽な噺をして死んでいきたい、と。 「もっとうまくなりたいです。自分の言葉で、まっすぐに声が出る。そういう落語ができたらなって思います。伸び代が、えげつなくあります。それがわかってきたから、すごく楽しみです」  高く明るい声だった。(文中敬称略)(文・矢部万紀子) ※AERA 2023年9月11日号
現代の肖像
AERA 2023/09/08 18:00
火曜から金曜は妻が単身赴任 その時々で変化をしながら、柔軟に生きていく夫婦
小野ヒデコ 小野ヒデコ
火曜から金曜は妻が単身赴任 その時々で変化をしながら、柔軟に生きていく夫婦
中西亮太さん(右)と笹木郁乃さん(撮影/写真映像部・上田泰世)    AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2023年9月11日号では、アイシンで車のソフトウェアの開発を担当する中西亮太さん、PR会社「LITA」で社長を務める笹木郁乃さん夫婦について取り上げました。 *  *  * 夫26歳、妻24歳のときに結婚。長男(10)と3人暮らし。 【出会いは?】2006年、新卒で入社した会社の同期として、研修で同じグループになった。 【結婚までの道のりは?】夜に外食先で「四川大地震」のニュースを見た妻は、「いつ死ぬかわからない」と思い、その足で夫が住む家に行き、玄関先でプロポーズをした。 【家事や家計の分担は?】平日は夫、週末は妻が家事全般を担当。週末はデリバリーなどを活用し、家族と過ごす時間を優先している。財布は別々、その都度出し合っている。 夫 中西亮太[42]アイシン 電子先行開発部 次世代システム開発室 なかにし・りょうた◆1981年、三重県出身。大阪大学卒業後、2006年にアイシンに入社し、研究開発に従事。主に、車のボディーやプラットフォームのソフトウェアの開発を担当。現在はトヨタ自動車に出向し、車のソフトウェアの開発を担当している  発想が面白く、子どものようにキャッキャしている妻は、見ていて飽きません。何事にも100%で突き進み、壁にぶち当たったと思ったら、今度は方向を変えて全力で突き進んで別の壁にぶつかっているイメージ。一方の僕は、進む先にはどういった壁があるのかを調べ上げて、極力当たらないように進むタイプなので、性格は真逆です。  その姿勢は、仕事面でも表れています。東京に会社を作った妻から、愛知の家で過ごす時間は週の半分にしたいと相談された時は、さすがに「ちょっとそれは……」と思いましたね。何度も話し合った結果、妻は金曜夜から火曜朝は愛知で過ごすという妥協点に落ち着いたところです。平日は両親の手も借りてやりくりする中、息子は僕が作った料理を「おいしい」と言って食べてくれます。最近、野菜を切ることに興味を持ち始め、二人で料理をすることも。  今の生活に落ち着いて2年ほどになります。その時々で変化をしながら、柔軟に生きていきたいと思っています。 【こちらもチェック!】 AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」はこちら 中西亮太さん(右)と笹木郁乃さん(撮影/写真映像部・上田泰世)   妻 笹木郁乃[39]LITA 社長 ささき・いくの◆1983年、仙台市生まれ。山形大学卒業後、2006年にアイシンに入社し、研究開発に従事。09年に転職し、寝具やクッションを製造販売する「エアウィーヴ」のPR、15年に「愛知ドビー」のPRを経て独立。17年にPR会社「LITA」を立ち上げた  結婚後、転職と起業をする中で、子どもを授かりました。起業した会社を東京に据えたこともあり、週の半分は東京で過ごしたいという希望を夫に打診したところ、「それって結婚している意味ある?」と言われました。いつも応援してくれる夫からの反対に、思わず唇を尖らせてしまいました。当時は自分の会社のことで手一杯で、夫の意見に耳を傾けていなかった。話し合いを重ねても折り合いがつかず、離婚を考えたことも。  でもその前に、約1週間の“プチ別居”をすることに。その結果感じたことは、「寂しい」でした。私たちはお互いを尊敬し合っていて、息子が大好き。仕事で失敗しても、家族の存在があるから挑戦できていると気づきました。改めて話し合った結果、火曜から金曜は単身赴任をする生活でひとまず落ち着きました。  これまで未来ばかりを見据えていましたが、最近は「今も幸せに生きる」と思うように。先日ソファを新調したので、家族3人で座って映画を観たいと思っています。 (構成・小野ヒデコ) ※AERA 2023年9月11日号
はたらく夫婦カンケイ
AERA 2023/09/08 18:00
今週の読まれた記事ランキング【8/25-9/1】
今週の読まれた記事ランキング【8/25-9/1】
  みなさん、こんにちは。週末いかがお過ごしでしょうか。ニュースサイトAERAdot.でこの1週間に読まれた記事をランキング形式で紹介します。 【5位】新幹線の伝説の元ワゴン車内販売員にインタビュー 新幹線「ワゴン販売」はなぜ終わってしまうのか 1日50万を売り上げた“伝説の販売員”が思うこと https://dot.asahi.com/articles/-/199669    JR東海は10月末で、東海道新幹線「のぞみ」「ひかり」車内でのワゴン販売を中止するというニュースが流れました。それに絡めた人物インタビュー記事です。かつて1日50万円(平均の5倍以上)を売り上げた“伝説の車内販売員”だった茂木(もき)久美子さんに話をうかがいました。 ワゴン販売終了について、茂木さんが「新幹線が、お土産を買ったり駅弁を食べたりする“楽しみ”の場から、ただの移動手段になってしまった」と語られたことが印象的です。タイパ重視の時代ですが、効率化の陰にわれわれが置いてきたものがあるのかもしれません。   【4位】雅子さまのコミュニケーションが「さすが」 雅子さまご静養先でも別格のコミュニケーション能力 「テントは?」 天皇陛下へひと言アシストhttps://dot.asahi.com/articles/-/200116  那須でご静養中の天皇家の話題です。記事では雅子さまのやりとりや振る舞いに着目しました。  御用邸は夜空に輝く星がきれいで、長年愛用している望遠鏡を持参していることを天皇陛下が明かした瞬間、雅子さまは「テントの話は?」とマイクが拾えないくらいの小さな声で話しかけられました。すると、天皇陛下は、愛子さまが生れる前、テントを張って寝袋にくるまってお二人で一晩過ごしたエピソードを披露。注目のひと言アシストでした。   【3位】いったいどこから…記者の実体験から取材 布団に大量発生していた「黒くて小さな虫」はダニではなく『衣類害虫』だった!夏物の衣替えにしたい対策法https://dot.asahi.com/articles/-/199464  家の中にいる小さな虫。その大量発生……。記者の実体験に基づく記事です。実は、ある虫の幼虫らしいのですが、いったいどこから入ったのか、どうしたらいいのか? 虫ケア用品大手・アース製薬の担当者に話を聞きました。閲覧注意の写真も掲載していますので、詳しくは記事を。   【2位】甲子園優勝の余韻はまだ続く 慶応高「清原勝児」にプロスカウトが“意外な評価” 「ネックとなるのは身長ではない」 https://dot.asahi.com/articles/-/199379  先週もランクインしていましたので簡単に。甲子園のスターといえば、父親で元プロ野球選手の清原和博さん。その息子さんが今回出場したことが大きな話題になりました。   【1位】「今回ばかりは捻くれ者の私も…」ミッツ・マングローブ 慶應優勝で完全に決壊した「愛校心」 ミッツ・マングローブ https://dot.asahi.com/articles/-/199604  これも甲子園ネタではありますが、ミッツ・マングローブさんの連載です。高学歴の女装家としても有名なミッツさんですが、実は「慶応ボーイ」です。 慶応特有とも言えるこの連帯感は、時に当事者すら戸惑わせるものですが、今回ばかりは捻くれ者の私も、最後はただの「愛塾心の塊」と化していました。暑さにさえ屈しなければ、仕事の合間を縫って甲子園まで足を運んでいたでしょう。 とミッツさんも愛校心が刺激されたそうです。  愛塾心といえば、今回は慶応OBの応援が議論の的になりました。反発がおこるのは「甲子園はかくあるべき」とう見ている側の思いの裏返しでもあります。冷静に俯瞰して反発の正体って、なんなんだろうかと読者に疑問を投げかけるような内容になっています。  そして、最後の締めの一文が効いています。ミッツさんの賢さを証明しているのでぜひご一読ください。
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dot. 2023/09/02 17:00
内田恭子アナが、保育園など展開する企業の社外取締役に 息子の子育てで感じた「やってあげたいこと」
市川綾子 市川綾子
内田恭子アナが、保育園など展開する企業の社外取締役に 息子の子育てで感じた「やってあげたいこと」
内田恭子さん(提供写真)  元フジテレビ社員で、フリーアナウンサーの内田恭子さんが6月、保育園や学童施設を展開する「キッズスマイルホールディングス」の社外取締役に就任したと発表した。13歳と10歳の息子の子育て、そのなかでの新たな挑戦について聞いた。 *   *   * ――7月から、保育園や学童施設を展開するキッズスマイルホールディングスの社外取締役に就任されました。  打診が来たとき、「なぜ、私なんでしょうか?」と伺いました。私がお役に⽴てるのか不安もありましたし、納得した上で全力で臨む性格ですので、そこは聞いておきたかったんです。  私のこれまでのキャリアや子育て中の母親といった色々な面を見て⾒ていただけたようですが、何よりも、笑顔で育児をする⺟親たちを増やしたいという指針に共感しました。微力ながら、是非お手伝いしたいと決めました。  私自身そうですが、働きながらの子育ては葛藤がつきもの。限られた時間の中で⼦供のためにやってあげたいことがたくさんあり、それができないと⼼のどこかで消化不良として残ります。キッズスマイルでは、安心して預けられる環境のなか、子どもたち自身の「生きる力」を第一に考えて、充実したプログラムを組んでいるので、そういった意味でも心強いのではと感じます。   【こちらもおすすめ】 NHK退職の報告に「まじ?」 武田真一アナが「なめるように可愛がって」きた息子たちに見せた姿 https://dot.asahi.com/articles/-/197860 ――子育てにおいて、大切にされていることは何ですか。  私にとっていかに大切な存在か、2人の息子にずっと伝え続けています。そのうち、もういいよと言われてしまうんでしょうけれど(笑)。「大好き」といつも言葉にしますし、私自身がアメリカで育ったこともあり、あいさつがわりにぎゅっとハグをします。  ハグには、安心感を伝える意味合いもあります。子どもなりに、家の外の世界ですごく頑張っているはずですので、ホームは安心する居場所で、心の荷をすべて下ろして大丈夫と。  話を聞く時間もなるべく作るようにしています。我が家の玄関には小さなベンチがあるんですが、今日は学校で何かあったなと表情からわかるときは、家の中に入る前に「とりあえず座ろうか」と並んで腰かけて話すこともあります。意図して置いたものではないのですが、よいひと呼吸の場になっています。やっぱりホームでは、2人ともハッピーな気持ちでいてほしいですからね。   子育てには親がワクワクする楽しみも ――安心するホーム、ご家族ではどのように過ごしていらっしゃるのですか。  夫は仕事で帰宅が夜遅いので、子どもが生まれたときに、せめて朝ごはんはみんなで一緒に食べようと決めたんです。夫が朝ごはんを作る担当、コロナ禍で在宅生活を始めてから今も続いているんです。バタバタと忙しない朝時間ですが、互いに声を掛け合ったりして、食卓を囲むことはとても大切な時間だと思っています。  ひと月に数回ほど、金曜や週末の夜には「ムービーナイト」も開きます。部屋を真っ暗にして、ポップコーンなんかを準備して、みんなで映画を楽しみます。   【こちらもおすすめ!】 アンガールズ・山根の決断 「パパ、大丈夫だから」と英語留学に旅立った愛娘8歳への親心 https://dot.asahi.com/articles/-/195055 ――子育てで楽しいことは何ですか。  子育てはマストでやらなければいけないことが多い。でも、それだけに縛られると親も辛くなってきますから、あれやったらどうだろうと、自分から楽しいことを企画していったりします。  クリスマスに階段下のクローゼットを秘密基地にプチリフォームして、プレゼントしたこともあります。二人が喜ぶものって何だろうと考えたときに、部屋にテントを広げてクッションやお菓子なんかを持ち込んで楽しんでいる姿を思い出して、ワクワクしながら準備しました。  そして、自分では交じらなかったかもしれない世界も見せてもらっています。スポーツ好きの長男の影響で、相撲やラグビーにも詳しくなりました。次男は尺取り虫を手に乗せて帰ってきたり、車のドアポケットにセミの抜け殻をたっぷり詰めこんでいたりと、生き物好きが持ち込む時々に驚かされます。   手助けのタイミングは葛藤だらけ ――大変なことはありますか。  男の子2人を育てるなか、常にニコニコしているのは無理です(笑)。2、3回注意しても聞いてくれないこともあり、かといって声を荒げてもしょうがない。最近では、「1回しか言わないからね、よく聞いてね」と、敢えて静かな声で前置きをして、話すようにしています。  子育ては思い通りにいきませんし、頑張った分うまくいくものでもない。ある程度の割り切りも必要で、突き放すわけではなく、見守ってあげるのが私の役割なのだろうと。せっかちな性格なので、すぐに結果を追い求めがちですが、子どもの頑張りにはリスペクトを示し、きっといつか実を結ぶと信じて関わっていく。忍耐を子育てで学んでいるような気もします。  年齢があがるにつれて、サポートの仕方も難しくなってきました。どのタイミングで親が手を出すべきか。今なのか、いや出さないべきか。ああ出してしまった、ここからどうしよう……そんな葛藤だらけの日々です。特に長男は思春期にさしかかっていますから、まだまだ母親に甘えたい一方で、未知の世界にもチャレンジしたい。今はどっちのモード?と、たまに見極めに失敗して、ややこしくなることもあります。 好きなことを自分の力で ――お子さんたちに求める像はありますか。  好きなことをどんどんやりなさい、と伝えています。好きだからこそ、さらに良くするために考えますし、新しい経験や人との出会いもあるはずです。コロナ禍のように何が起きるかわからない状況のときに、好きなことがあるというのはとても強みになります。  好きなことすらも、親が向かせたい方へ引っ張っていきたくなるものですが、将来役に立つかというよりは、自分の力でやることが大切だと考えています。息子たちはタイプが異なり、長男はスポーツ全般が大好きで、運動系の習い事を週4日、スポーツ観戦にもよく行く。次男は絵を描いたりレゴをやったり、工作をしたりと、暇さえあれば手を動かしている。「宿題をやってからにしなさい」と現実との闘いはあるものの、没頭しているときはなるべく声をかけないようにしています。 ――忙しい日々、ご自身のケアは。  健康オタクです。体に関する本をよく読んでいて、納得すればすぐ生活に取り入れます。今はたんぱく質、周りのスタッフさんにもプロテインの話ばかりしています。育児は外の仕事が終わってからなお続く、ある意味仕事が終わらない状態ですから、体力を養わねばと危機感を覚えて、健康志向に走っている面もあります。   仕事は短期集中型で誠実に ――社会的な立場とプライベート、どうコントロールしていますか。  どんな仕事でも直前でスイッチを入れます。短期集中型なんだと思います。毎晩23時過ぎから生放送のテレビ収録をしていた当時、早くから本気モードでは肝心のときにもたないので、瞬間的に切り替えていました。そのスタイルが板についているのかもしれません。  仕事終わりの切り替えも早いです。家でも忙しない日常ですが、何か失敗してしまっても、まあ仕方ないとどーんと構えているタイプですね。ただ、好きなことにはオンオフなく、常に全開です。 ――今、力を入れていることは何でしょうか。 「マインドフルネス」を学び、教えています。コロナ禍で在宅時間が増えたときに、大学院で心理学を学びたいと思い立ちまして。調べていたら、近代心理学のなかにマインドフルネスが出てきて、ああこれだとピピッときたんです。  日本でも瞑想ブームがありましたが、マインドフルネス瞑想は医学的エビデンスのもと、⾝体の感覚を使っていく、脳科学と密接に繋がっている瞑想法です。  マサチューセッツ大のオンライン授業に飛び込んでみたらとても楽しくて、さらにスタンフォード大などでも受講を続け、合間に週1回の勉強会にも出席しながら、2年ほどかけてトレーナーの資格も取りました。  私は「心の筋トレ」と捉えているのですが、毎朝、瞑想もしています。呼吸に意識を集中させるなかで、自分の思考パターンに気づき、広い選択肢の中で的確な解決策を⾒つけられることもあります。 ――保育に関わる仕事について今後、どのように取り組んでいかれますか。  保育の現場は、何よりも大事なお子さんの命を預かりますので、親御さんの心配がよくわかり、信頼関係は絶対だと考えています。そして重圧だけを感じていては新しいものは何も生まれませんので、誠実な姿勢でベストを尽くしながら、楽しみたいですね。現場にもどんどん足を運んでいます。  内田恭子(うちだ・きょうこ)/フリーアナウンサー。1999年慶應義塾大学商学部卒業、株式会社フジテレビジョン入社、編成局アナウンス室所属。2006年退社、以降フリーアナウンサー、タレントとして活躍。kikimindfulness主宰、マインドフルネストレーナー。2023年6月キッズスマイルホールディングス社外取締役就任。二児の母でもあり、そのライフスタイルが共感を集めている。 (AERA dot.編集部・市川綾子)
内田恭子子育てビジネス
dot. 2023/09/02 11:00
日本で最初の恋愛結婚は福沢諭吉が証人になった「契約結婚」か 戦前の結婚事情を振り返る
山田昌弘 山田昌弘
日本で最初の恋愛結婚は福沢諭吉が証人になった「契約結婚」か 戦前の結婚事情を振り返る
※写真はイメージです(Getty Images)  個人が尊重され、多様化の進む現在、「結婚」に対しても個人の捉え方は広がりつつある。一方、かつての結婚事情は現代とまったく違っていた。家族社会学者である山田昌弘氏の著書『結婚不要社会』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し紹介する。 *  *  * 戦前の階層結婚  戦前までの日本の結婚パターンは、階層ごとに異なっていました。明治政府は近代化、つまり「結婚の自由」を推し進めたのですが、実質的な結婚の自由というものはほぼ無かったというのが実情です。  もちろん、ヨーロッパやアメリカの影響を受けて、「自由恋愛結婚」というものが巷間に流布するのですが、それとて一部のインテリ層にとどまっていたわけです。同時期に、恋愛をテーマにした小説も数多く描かれました。ただその内容は、自由な恋愛結婚を求めるのだけれども、周囲からの圧力でつぶされて登場人物が悩む、というのが基本路線です。  世間で最初の恋愛結婚として騒がれたのは、のちに初代文部大臣となる外務大丞の森有礼が1875年(明治8年)に行った「契約結婚」でしょう。「破棄しない限り互いに敬い愛すこと」といった条件に本人同士が合意し、友人の福沢諭吉が証人になって結婚。真実かどうかはともかく、自由に相手を選んだ結婚として大きく報道されました。  ただ同じインテリでも、森鴎外のように、留学先のドイツの女性と恋愛して結婚しようとしたけれども、結局はイエの圧力に負けてイエ同士の「取り決め」の結婚をするというパターンが圧倒的に多かったのです。  日本では、明治から戦前まで社会の基盤が家業共同体であるイエにあったので、結婚はイエの継続を第一の目的としていました。  基本的には長男が嫁を取ってイエの跡を継ぐ、男子がいなかった場合は長女に婿を取るという「長子単独相続」です。子どもがいなければ、夫婦養子を取りました。そうしたかたちで、家族というものがイエを継承することを第一の目的としていたので、結婚もそれに従っていたわけです。  法律的にも、本人同士が結婚に合意していても、跡取り同士(戸主同士)の場合は「親の承認」を得ないと結婚できませんでした(「明治民法」には、第七百五十条「家族カ婚姻又ハ養子縁組ヲ為スニハ戸主ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス」、第七百七十八条「婚姻ハ左ノ場合ニ限リ無効トス 一 人違其他ノ事由ニ因リ当事者間ニ婚姻ヲ為ス意思ナキトキ」などの条文がある)。  また離婚に関しても、本人同士が離婚したくなくても、親が強制的に離婚させるということは一般的に行われていたわけです。  一方、長子でなければ、法律的には自由でした。男性30歳・女性25歳以上は親の同意が不要で、自由に結婚相手を選べたわけです(明治民法 第七百七十二条「子カ婚姻ヲ為スニハ其家ニ在ル父母ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス但男カ満三十年女カ満二十五年ニ達シタル後ハ此限ニ在ラス」)。西洋化をはかった大日本帝国憲法には「居住・移転の自由」があり、これに「職業選択の自由」も含まれているとみなされました。  けれども、社会的・経済的条件というものがあって、法律という形式が整っていたとしても実情は異なるわけです。たとえば経済的には、基本的にどちらかの家業が本人の仕事となるので、「仕事がある・ない」という問題が生じるのです。  イエは経済的基盤と連動していました。結局は、家業を継承するために結婚相手を選ぶということが、結婚の基本となるわけです。  ただし、この基本には、階層格差が大きく影響します。  上流~中流階級の結婚は、イエの継承にふさわしい結婚相手でなければ不可能でした。だから親の介入、つまり「取り決め」は当たり前の世界です。そしてその裏側に、男性は本妻以外の女性と恋愛して、時には第二夫人にしてもかまわないという「一夫多妻」的な慣習があったわけです。  一方、庶民は比較的自由に相手を選べます。上流~中流階級とは違い、庶民同士なら誰と結婚しても「暮らし」は結婚前と一緒なので、比較的自由だったのです。とはいえ、地域の仲間の介入はありました。  たとえば、農村や漁村には夜這いの慣習がありました。夜這いは「お前はあそこに行け」などと地域の仲間に管理されていて、その結果、子どもができて結婚するということがよくあったわけです。ただ、それは緩やかな管理で、相手選びは比較的自由だったのです(服部誠「近代日本の出会いと結婚──恋愛から見合へ」平井晶子・他編『出会いと結婚』所収)。  とはいえいずれにせよ、階層を超えた結婚というものは稀でした。 ●山田昌弘(やまだ・まさひろ)/1957年、東京生まれ。1981年、東京大学文学部卒。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。現在、中央大学文学部教授。専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られる。「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなった。主な著書に、『近代家族のゆくえ』『家族のリストラクチュアリング』(ともに新曜社)、『パラサイト・シングルの時代』『希望格差社会』(ともに筑摩書房)、『新平等社会』『ここがおかしい日本の社会保障』(ともに文藝春秋)、『迷走する家族』(有斐閣)、『家族ペット』(文春文庫)、『少子社会日本』(岩波書店)、『日本はなぜ少子化対策に失敗したか』(光文社)『「家族」難民』『底辺への競争』『新型格差社会』(朝日新聞出版)などがある。
朝日新聞出版の本結婚不要社会結婚
dot. 2023/09/01 17:00
「自宅に帰りたい」寝たきり患者を在宅へ ICT機器で病院が状態把握し悪化させないケア【離島の在宅医療・前編】
杉村健 杉村健
「自宅に帰りたい」寝たきり患者を在宅へ ICT機器で病院が状態把握し悪化させないケア【離島の在宅医療・前編】
訪問診療する対馬病院院長の八坂貴宏医師(撮影/木村和敬)   病院に行くことが難しい患者の自宅に、医師が訪問して診療するのが「在宅医療」だ。日本でもっとも離島が多い長崎県では、離島で在宅医療をおこなう医療機関は減少傾向にある。この課題に対して、同県は2022~23年度に医療ICTを活用して効率的な医療体制の構築を図る実証事業に取り組み始めた。その現場のひとつ、離島の対馬にある長崎県対馬病院の在宅医療を取材した。前編後編の2回に分けてお届けする。 *  *  * 過疎化・高齢化が進む離島  長崎県・対馬は、九州と韓国の間に浮かぶ島で、南北に約82キロと縦長の形をしている。人口は約2万8千人。病院は二つあり、最北端に上対馬病院、南半分のおよそ中心あたりに対馬病院がある。    今回取材した対馬病院は、2015年に新築移転した病院で、25の診療科を持ち、病床数は275床。医師47人が勤務している。 2015年に新築移転した対馬病院。25の診療科を持ち、病床数は275床。1日平均600人以上の外来患者が訪れる。内科患者の7割は65歳以上の高齢者だという(撮影/木村和敬)    19年4月に八坂貴宏医師が院長に就任し、在宅医療やICT導入に積極的に取り組んでいる。  在宅医療は、医師が訪問する「訪問診療」と看護師が訪問する「訪問看護」があり、組み合わせておこなうことも多い。ときに、患者や家族からの緊急の要請に応じて駆けつける「往診」もある。  こうした在宅医療は、過疎化・高齢化が進む離島やへき地で、診療機会の減少が懸念される患者への診療提供の方法として期待されている。高齢で日常生活動作が衰えた患者は、家族のサポートなしで遠くの病院まで通院できなくなるからだ。この課題に対して、長崎県はICTを活用して解決していこうと「地域医療充実のための医療ICT活用促進事業」(2022~23年度)を実施している(詳細は後述)。  この事業に離島で唯一参加しているのが対馬病院だ。院長の八坂医師自ら担当している。今回、この事業の実情を探るべく、7月上旬、対馬を訪れた。 長崎県の対馬(撮影/木村和敬)   今年6月にICT機器導入  対馬病院を出発して訪問診療に向かう車を追いかけて、南に約25分。途中、左手に海を臨みながら、港町を過ぎ、山あいの入り組んだ道に入っていく。戸建ての家の前に車を止めて、八坂医師と訪問看護師が赤木良夫さん(仮名、76歳)の自宅に上がる。出迎えた妻の幸子さん(仮名、66歳)が、1階リビングに置かれた良夫さんのベッドの前で八坂医師に話しかける。 「先生、今日は(夫の)顔色いいでしょう」  夫婦二人暮らし。良夫さんは、電気工の職人だったが、広範脊柱管狭窄症という脊椎の病気で現在は寝たきり生活を送っている。手足の筋力が低下し、自分で食事や排せつができず、1年前、尿路感染症を起こし対馬病院に入院していた。根本治療がなく、このままでは命も危ないという状態だったが良夫さんの「病院はいやだ。自宅に帰りたい」という希望から、在宅に切り替えた。 対馬病院から車で約25分かけて患者宅に訪問して診療をおこなう。遠いところでは1時間ほどかかる家もある(撮影/木村和敬)   「当初は『1カ月ももてばいい』という状態でした。なんとか夫の希望をかなえ、1年間在宅でやってこられました」  と幸子さんは話す。入院中は病院まで通い、つきっきりで看病するのが体力的にきつかったという。在宅になってからはそんな苦労からも解放された。週2、3回の訪問看護と月1回の訪問診療を受けながら、幸子さんが介護をしている。当初危うかった状態も、自宅に帰り食事がとれるようになって落ち着いた。 毎日3回、幸子さん(仮名、写真右端)が血圧や脈拍などを測定する(撮影/木村和敬)    この赤木家の在宅医療に、今年6月からICT機器が導入されている。幸子さんが毎日朝昼晩の3回、脈拍、血圧、体温、血液酸素濃度を測ると、数値がスマホに自動転送される。このデータがネットワークを介して対馬病院に届き、八坂医師は病院のパソコンや手持ちのタブレット端末で良夫さんの状態を把握することができる。これらのICT機器は、長崎県の実証事業として県から貸与されたものだ。 「これまでは毎日、ノートに脈拍、血圧などを記入して、訪問看護師さんが来るときに見せていました。高熱が出たとき、とくに夜の場合、看護師さんに電話してもいいものか迷っていましたが、いまは、状態を八坂先生が診ていてくれるという安心感があります。困ったときはチャット機能で問い合わせることもできて、とても助かっています」(幸子さん) 血圧や脈拍などを測定する機器、連携に利用されるスマホ(撮影/木村和敬)    八坂医師はICT機器導入の手ごたえをこう話す。 「24時間バイタルデバイスでチェックできるので、早め早めに対応ができるようになりました。おかげで、悪化させない、入院させないケアができやすくなったと思います」  良夫さん本人は、寝たきりではあるものの、電気工の職人として「(弟子に)技術を伝えたい、教えたい」と言って、それを生きる目標にしている。幸子さんは「それをかなえてあげたい」と献身的に介護を続けている。 病院内のモニターで、ICT機器を通じて送られてくる患者情報をチェック。タブレット端末でも見ることができる(撮影/木村和敬)   長崎県の医療状況  ここで、長崎県の医療状況やICT事業について簡単に説明しておこう。  長崎県は日本で最も島の数が多い都道府県だ。県の担当課によると、人口10万人あたりの医師数は、全国267.0人に対し、長崎県は332.8人と意外に多い。しかしこれは内訳として本土部が多く、離島部は213.7人と少ないのが現状だ。訪問診療をおこなう医療機関の数でみると、約半数が長崎市を中心とした本土の長崎医療圏に集中しており、離島医療圏では22施設と県全体の件数の2.8%にすぎない。  対馬の人口における65歳以上の割合は、38・6%。全国平均の28・6%はもちろん、長崎県33・0%よりも高い。  長崎県は、▼離島へき地を中心に住民の過疎化・高齢化が進行することで訪問診療のニーズが増える▼訪問診療実施医療機関は減少傾向(15年:456施設↓19年:418施設)にあることから、1機関あたりの負担軽減や離島僻地における診療機会の確保を図る必要性を認識。医療ICTを活用した効率的な医療体制の構築を図る狙いで、今回の事業を開始した。  具体的には、在宅医療に取り組む事業所に患者用のICT機器を貸出し、機器を通して各施設で患者の状態を共有できるようにする。患者や家族は、自宅で体温、脈拍、血圧、酸素飽和度などを毎日測定。データはスマホを介して、サーバに自動転送。事業者はパソコンやタブレット端末などで、患者の状態を把握できる。これにより、訪問診療の回数を減らすなど、医療機関側・患者側双方の負担を減らそうという試みだ。 ★「AERA dot.」のコラムニストだった大石賢吾・長崎県知事のインタビュー記事はこちら:精神科医コラムニストから長崎県知事に 「誰も取り残されない社会の仕組みづくり」目指して  応募できる事業者の条件は、患者の診療情報を複数の医療機関で共有できるシステム「あじさいネット」(長崎県医師会や長崎大学が運営)に加入していること。  長崎県は応募があった事業者から、11事業者を選定し、現在、各事業者で実証事業が進められている。このうち、離島部で選定されたのが対馬病院だ。  八坂医師は、対馬病院の在宅医療の状況についてこう話す。 「私が院長に就任する以前は、入院していた患者が退院して自宅に戻る場合、条件が合うケースにだけ、在宅医療を提案するという具合に、細々と実施していた状況です。私は、前任地の五島列島の上五島病院で在宅医療に取り組んできたので、対馬でもやるべきだと考えました」  院長就任翌年の20年には地域医療連携室を充実させ、地域の医療機関、行政、介護福祉施設などとの連携を進め、21年には訪問看護ステーションを設置し、医療保険・介護保険の両方で訪問看護をできるようにした。在宅医療の対象は、入院から退院する患者だけでなく、通常の外来で通院が困難になった患者にまで広げ、認知症にも対応するようにした。  現在、対馬病院で訪問診療に携わる医師は7、8人。訪問看護師は4人で、平均20~25人の在宅患者を担当している。八坂院長は、在宅医療に取り組む理由やICT事業応募の理由についてこう語る。 「私自身が島出身で、我々の仕事は患者の生活や生きていくことを支えることだと思っています。病気を治すことだけではないですから、病院の中で仕事をするのではなく、患者の生活が見える外へ出ていく在宅医療に取り組んでいます。ICTについては、離島だから本土並みの医療が受けられないということがあってはならないし、離島医療が都会と同じ医療の質を提供できる形を目指したいと思っています。その可能性が広がるものであれば何でも新しいことにチャレンジしてみたい。やれることはやるという感覚ですね」 最近の良夫さん(仮名)の様子を幸子さん(同)に確認する八坂医師。幸子さんは、「日々の状況を把握してもらえているので安心感があります」と話す(撮影/木村和敬)    ICT事業は今年2月から開始し、県から貸与された機器は3セット。研究ベースで1年間おこなうものなので、1人あたり3~6カ月程度で複数人に使うことで、どういう人がマッチしているかを検証していきたいという。すでに2人の患者の使用が終了している。うち1人は外来の60代糖尿病患者に使ってもらい、日々のデータ把握により、意識向上につながり、体重減少に成功した。もう1人は、在宅の90代慢性心不全患者で、同居の息子がICT機器でデータを管理。「毎日状態を病院に把握してもらっているので安心感があった」という声をもらったという。 取材・文/杉村 健(編集部) 後編に続く:医療的ケア児の通院「泣き出すと酸素量も低下」 5分で終わるオンライン診療導入で恩恵【対馬の在宅医療・後編】
在宅医療
dot. 2023/09/01 16:30
ステージ4のがんと闘う僧侶・高橋卓志「沖縄戦の図」前に音楽と般若心経の共演で鎮魂の祈り
亀井洋志 亀井洋志
ステージ4のがんと闘う僧侶・高橋卓志「沖縄戦の図」前に音楽と般若心経の共演で鎮魂の祈り
  高橋卓志さん(撮影・亀井洋志)    ステージ4の大腸がんと闘病中の僧侶、高橋卓志さん(74)は毎年、沖縄へ慰霊の旅を続けてきた。「残りのいのち」を生きる中で、戦争の不条理を伝えていきたいと考えている。今年も6月に病躯をおして沖縄へ飛んだ。  高橋さんは沖縄戦の犠牲者を追悼する6月23日の「慰霊の日」に合わせ、19日から沖縄を訪れた。沖縄戦は「ありったけの地獄を集めた」と形容された地上戦で、日米合わせて約20万人が亡くなり、住民約12万人が戦禍に巻き込まれて犠牲になった。米軍に追い詰められた住民、軍人が逃げ場を失い、最後の激戦地となった沖縄島の南部には、多くの戦跡が点在する。高橋さんは喜屋武岬、ひめゆりの塔、魂魄の塔など戦跡を巡り、戦没者を悼んでお経をあげた。  高橋さんはこう語る。 「日本の戦時国家体制によって、沖縄では住民の4人に1人がいのちを落としました。戦火の中で死に逝く人々の理不尽と不条理に向き合うことは、いのちの本質に触れることです。だから、僕は沖縄に通い続けている。今回、沖縄に旅立つ前夜、奥歯が痛み出して臼歯が2本抜けたうえ、抗がん剤の副作用にも悩まされている。長旅は危険だと思いながら、沖縄行きを強行しました」  今回の旅には同行者がいた。11弦ギター演奏の第一人者で、作曲家の辻幹雄さん(71)だ。辻さんは世界各地で活躍する一方、1994年に千葉県芝山町で成田空港問題終結に向けた野外コンサートを実施。96年、チェルノブイリ原発事故後10年の節目に、ベラルーシ共和国をはじめ東欧・北欧で鎮魂のコンサートツアーを行ってきた。  高橋さんとは長年の友人で、辻さんの代表曲の一つ「長崎の鐘」は2015年、高橋さんが住職を務めていた神宮寺(長野県松本市)に籠もって作曲したという。「長崎の鐘」は、原爆で被爆しながら医療活動に尽力した医師、永井隆博士の長編詩だ。その詩の朗読に辻さんが11弦ギターの曲を付けたもので、神宮寺でのコンサートで初めて披露された。数々のミュージシャンとお経で共演してきた高橋さんも般若心経を唱え、鎮魂の祈りは重層的に響き合った。   作曲家の辻幹雄さん    辻さんが神宮寺で「長崎の鐘」を作曲中、高橋さんは、画家の丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」を展示する丸木美術館(埼玉県東松山市)へ行くことを勧めた。辻さんが語る。 「高橋さんから『曲作りのヒントになるかもしれないよ』と助言され、帰りがけに丸木美術館に寄りました。『原爆の図』や『アウシュビッツの図』を見ながら、このままではいけないなと感じました。自分は傍観者であり、その立ち位置ではダメだと痛感しました。作家とか作曲家、画家の多くは政治的な問題に無関心ですが、やはり、丸木先生がやってこられたようなことに足を踏み入れなければならない時もあるんです」  辻さんはその後も「自分は何かをやり残していないか」という焦燥感が、心の中でくすぶり続けていたという。思い立って今年の春ごろ、高橋さんに電話をかけ、「また音楽と般若心経の掛け合いをやりたいと思っているんだよね」と伝えた。  高橋さんは「最後の仕事としてやらなければならないことの一つが、戦争の事実と悲惨さを伝承すること」と考えている。その表現方法として、読経と音楽の共演を録音し、CD化する構想があった。高橋さんと辻さんは「もうやるしかないよね」と意気投合した。それがこの旅の主目的にもなった。  沖縄県宜野湾市の佐喜眞美術館は、丸木夫妻の「沖縄戦の図」全14部を展示している。多くの住民が死へと追いやられた「喜屋武岬」、日本兵による「久米島の虐殺」など、戦火から逃げ惑う人々、戦場に斃(たお)れた人々の姿が描かれている。  館長の佐喜眞道夫さん(77)と高橋さんは親しい間柄で、神宮寺での平和を考えるイベント「いのちの伝承」に丸木夫妻の絵を貸し出してきた。佐喜眞さんは高橋さんの願いを快諾。6月21日、「沖縄戦の図」展示ホールで高橋さんの読経と、辻さんの11弦ギターの音色が静かに響いた。今回はリハーサルだったが、曲作りに向けて辻さんはこう考えていた。 「沖縄戦の図」の制作過程に迫るドキュメンタリー映画の上映にあたり、「沖縄戦の図」への思いを語った佐喜眞美術館の佐喜眞道夫館長(2023年4月) 「今回、絵が発するエネルギーを感じながら即興で演奏しましたが、CDに収録するのは新曲になります。普通はレクイエム(鎮魂曲)を想定するでしょうし、僕はすでに何曲かつくっています。でも、高橋さんが求めているものは違うと思っている。彼が思い描いているのは断末魔です。ニューギニア、ボルネオなどアジア・太平洋の戦跡へ慰霊法要に赴き、死の間際の呻き声、慟哭を聞いたと言います。だから、丸木先生の絵に共感するのでしょう。音楽では、レクイエムは死者に手向ける曲ですが、その前の段階である死へと向かう苦痛の時間、そこから湧いてくる悲しみや不条理を表現する曲作りは、誰も手がけていない分野です。それが最大の障壁でしたが、何とか曲を完成させました」  体調が心配だが、お経は高橋さんに詠んでもらうことしか考えていない。お経は事前に収録することもできる。レコーディングは佐喜眞美術館でやらなければならないと、辻さんは強い意思を語った。  地上戦の残酷さから、丸木位里さんは「沖縄を描くことが一番、戦争を描いたことになる」と語っていたという。館長の佐喜眞さんは、丸木夫妻の「『沖縄戦の図』は沖縄に置きたい」という意向に応え、美術館の建設を決意した経緯があった。  佐喜眞美術館は米軍普天間基地に食い込むように立ち、建物の3方向をフェンスに囲まれている。佐喜眞さんは祖母から引き継いだ約1800平方メートルの土地を米軍から取り戻し、94年に美術館を開館した。だが、土地の返還交渉は容易なことではなかった。那覇防衛施設局(現・沖縄防衛局)に3年以上通い詰めても「佐喜眞さんの返還要請は米軍に伝えてあるが、返還を渋っている」などと同じ言葉をくり返すばかりだった。 「そのうち諦めるだろうと門前払い同然でした。続いて、宜野湾市に協力をお願いしたところ企画部長の比嘉盛光さん(後の宜野湾市長)が普天間基地の司令官と直接交渉してくれたのです。米軍の窓口は不動産管理部長のポール・ギノザさんという沖縄移民でした。私が美術館をつくりたい旨を説明すると、ポールさんは『ミュージアムができたら宜野湾市はよくなるね。問題ないよ』と言うので驚きました。私は3年以上も防衛施設局と交渉したけれど埒(らち)が明かなかったと話したら、ポールさんは『あんなものに話をしても、この問題は解決しませんよ』と言うんです。彼らからすれば、日本政府は『あんなもの』なんですよ」  米軍普天間基地の現状は、基地負担の軽減とは逆行する形で飛来する軍用機の数が増え続けている。「復帰50年」を迎えた22年度、沖縄防衛局の目視調査によると、普天間基地に航空機が離着陸した回数は1万5483回(うち外来機が3126回)に上り、調査を開始した17年度以降、2番目の多さとなった。騒音被害は増加し、航空機の部品落下事故も相次いでいる。04年に宜野湾市の沖縄国際大学の構内に米軍ヘリが墜落したが、同じ事態がいつ起きてもおかしくない状況だ。何と佐喜眞さんは事故が起きることも想定し、美術館を建てていた。 「ヘリが落ちてくるかもしれないから、私は墜落事故が起きても美術館は壊れないような建物にしてほしいと、設計者にお願いしたんです。この美術館は橋をつくるような鉄骨が入っているから、ヘリは壊れても美術館は平然としているそうです」 (ジャーナリスト・亀井洋志) 沖縄国際大学(沖縄県宜野湾市)の構内に米軍ヘリが墜落した現場(2004年) ※AERA オンライン限定記事  
沖縄AERAオンライン限定
AERA 2023/08/31 15:00
地震予知に光ファイバーが活躍 「リニア中央新幹線のトンネルに沿って張ったら面白い」地震予知連絡会・山岡耕春会長
添田孝史 添田孝史
地震予知に光ファイバーが活躍 「リニア中央新幹線のトンネルに沿って張ったら面白い」地震予知連絡会・山岡耕春会長
帰宅困難者に地下鉄の被災など、首都直下地震では都市部ならではの課題が浮き彫りに(撮影/写真映像部・高野楓菜)    いつ起こるかわからない大地震。その発生を予知するために日夜研究に励む研究者たちがいる。地震予知連絡会・山岡耕春会長もその一人だ。地震研究の実情とこれからについて、山岡会長に聞いた。AERA 2023年8月28日号より。 *  *  *  南海トラフ地震は100年以内に確実にやってきます。しかし100年後でも、「数時間以内に発生」といった形で予測することは難しいでしょう。首都直下地震のような内陸地震は、さらに困難です。  地震の世界は、現象が発生する頻度がとても低く、実験も難しい。そこが他の科学の対象と違うところです。起きるのを待つしかない。日本列島は地震が多いとはいえ、100年観測しても足りないことはたくさんあります。しかし被害を受ける人たちが多く住んでいるわけですから、一生懸命研究して、完璧な予測ができない段階でも、成果を社会と共有していくしかないと思います。  南海トラフ沿いで異常な現象が観測された場合などに、気象庁から「調査中」「巨大地震注意」などのキーワードをつけた「南海トラフ地震臨時情報」が出されるようになりました。どういうものか多くの人はまだ理解していないと思います。わかりにくいという声も聞いています。それは仕方なくて、実際に臨時情報が目の前に出された時に、多くの人は「これは何だ」と初めて考えるわけです。臨時情報が出された、でも地震は起きなかった、という「空振り」を何回かみんなで体験することで、考えて、努力して上手な情報の使い方を理解していくしかないと考えています。  地下に歪(ひず)みが刻々とたまっていく様子は、だいぶ観測できるようになってきました。GPSのような全地球航法衛星システムが1980年代から発展してきた成果です。 「デジタルツイン」進む  しかし、どこまで歪みがたまったら地震が起きるか、そこがよくわかっていません。地震を起こしやすくする現象にどんなものがあり、どのぐらい地震を発生しやすくするのか、そんな研究も途上です。 やまおか・こうしゅん/名古屋大大学院教授。地震予知連絡会会長、前日本地震学会会長、南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会委員(撮影/添田孝史)    例えば、プレート境界の断層がゆっくり動くスロースリップと呼ばれる現象が知られるようになりました。それが発生したときに、引き続いて巨大地震になる確率はどのくらいなのか、よくわかっていないのです。  リアルな観測と、コンピューター上に構築したモデルを比較して、観測された出来事を解釈したり、進展を予測したりする「デジタルツイン」という手法が地震研究の分野でも進んでいます。これを使って、地震学者が自分の経験や知見で「心配だ」「何かおかしい」と判断したことが、どのくらい地震発生につながるか確率で表現し、その精度を上げていく研究が、今後の一つの柱になると思います。コンピューターそのものの進歩もあるし、機械学習やAIの発展もそれを支えてくれるでしょう。  関東大震災が起きたころは、宇宙から人工衛星を使って地震の研究をすることは全く考えられていませんでしたが、それは大きな力となりました。次の100年は、地下に直接触って、測れるようにしたいですね。 光ファイバーが面白い  長さ何キロもある光ファイバーを岩盤に固定すると、どこが伸び縮みしているか測れるような技術が開発されています。ボーリング技術も画期的に進めて、日本列島の地下10キロぐらいのところに、毛細血管のように光ファイバーを張り巡らせることができれば、地下の様子をつかまえる精度は格段に向上するでしょう。今は宇宙から地表の変化を観測して、そこから地下の変化を間接的に計算で求めているのと比べ、地下の光ファイバーなら直接確かめることができるわけです。 AERA 2023年8月28日号より    まずリニア中央新幹線のトンネルに沿って光ファイバーを張らせてもらえると面白いでしょうね。南アルプスや中央アルプスにどんな力が加わって、どう歪んでいるか、リアルタイムで測れるようになります。  前兆を探して予知する研究、特に電磁気的な方法は、観測にお金がかからないので、いろんな人が参入してきた歴史があります。「地震の前にこんな現象があった」と注目される。しかし検証してみると偶然と比較して大きな差がない、あるいは前兆がない場合もあるとわかって、消えていく。今後もそんなことが繰り返されることでしょう。しかし地道にデジタルツインを進めていく路線のほかに、そういうとんでもないことを手がける人たちがいてもいい。  研究者は基本的に楽観的で、失敗に強くないとだめです。大学は、失敗するのが仕事だとも思っています。100失敗する中で、一つぐらいすごいのが出てくる。そんな環境を作ることも大学では重要だと思っています。 (ジャーナリスト・添田孝史) ※AERA 2023年8月28日号
地震
AERA 2023/08/28 07:30
片づけたら、自分が大事にしたいことの優先順位がわかった
西崎彩智 西崎彩智
片づけたら、自分が大事にしたいことの優先順位がわかった
ごちゃごちゃしたダイニングとリビングスペース/ビフォー  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。     case.50  「やること」だけじゃなく、「やらないこと」も決める 夫+子ども2人/会社員 兼 自営業 「私、なんでもやりたいって思って、始めてしまうんです。スケジュールも詰め込むタイプで、育休中に時間があるときは友だちとのランチとかお茶の予定をいっぱい入れていました」  こう話してくれるゆかりさんは、フルタイムで会社員をしながら平日の夜や週末に自営業もしている、とてもパワフルな女性。さらに4歳と1歳の子どものママとして、育児もこなします。  そして、なんでも完璧にやりたがる“完璧主義者”でもあるというゆかりさん。予定を詰め込んだり、完璧主義者だったり、実はこれは片づけられない人の特徴でもあるのです。 「子どもの頃から片づけは嫌いでした。私の部屋が散らかると、母親が私のいない間に紙袋にバーッと詰め込むので、どこに何があるのかわからなくなり、嫌な思いをしていました。今思うと、結局は母親も片づけができなかった。とりあえず目の前からなくすことだけされて、片づけ方は教わっていなかったんです。」  それでも、片づける時間を集中的にとってやる気を出せばきれいにできたので、特に困ってはいなかったそう。  その状況が、結婚して第2子が生まれてから変わり始めます。 「第1子まではなんとかできていましたが、子どもがもう1人増えたらモノの量も増えるし、家事も増える。今まできたことができなくなってきました」  夫は部屋が散らかっていても、生活リズムが乱れても、特に気にする様子はありません。生活を整えたいと思いつつも仕事と家事と育児で手一杯のゆかりさんは、1人でモヤモヤする毎日。夫はゆかりさんがお願いすることだけはやってくれますが、家族のキャパは超えていました。   反対側から撮影。少し模様替えもしてスッキリしました/アフター  インターネットで片づけのことを検索していると、家庭力アッププロジェクト®のことを知り、興味を持ちます。  片づけられない人は、片づけ方を知らないだけ。教われば、できるようになる。  家庭力アッププロジェクト®の最初に聞いたこの言葉を信じて、ゆかりさんは参加を決意しました。  モノの「いる・いらない」の判断ができない。さらに、あまり考えずに「安いからとりあえず」なんでも買ってしまう。ゆかりさんの場合、これが片づけられない主な原因でした。  「いる・いらない」の判断をプロジェクトの中で学び、一緒に片づけをする仲間の行動も参考にすると、家の中のモノを次々と手放すことができるように。近くのリサイクルショップやフリマサイトもたくさん活用しました。  ある日、とても気に入っていたけれど数回しか着ていないワンピースをフリマサイトで売ったときに、大きな気づきがありました。 「買ってくれた人が『ちょっとサイズが小さいけれど、かわいかったので買いました』という内容のコメントをくれたんです。そのとき、『あれ、またタンスの肥やしになっちゃうのかも』と悲しくなっちゃって。最初にタンスの肥やしにしていたのは私なんですけど……」  このワンピースだって、着てもらうためにデザインされて縫製されたのに、いつまでも着てもらえない。それなら、着るかどうかわからない自分が買うのではなく、最初からたくさん着てくれる人が買うべきだった。 「モノはちゃんと使って、使い切ってから手放す。これが正しいモノの使い方だと気づきました」  買う前に本当に必要か、本当に使うのかを考えるようになり、思いつきでなんでも買ってしまうことをやめました。すると、片づけが終わる頃には家の中のモノが適量になり、定位置が決まって、どこに何があるか把握できるようになりました。  余計なモノを買わなくなったゆかりさんは、余計なことをしないようにもなりました。 「プロジェクト中の45日間はずっと片づけが中心の生活だったので、人と会う時間もありませんでした。でも、そのおかげで自分の中の優先順位がはっきりしてきたんです。人と会うのって、日程調整やお店を決めたりするのも意外と時間と手間がかかりますよね。それはそれで楽しいけれど、今の私はそれよりも家族や家のことの方が優先度が高いんだなぁって」     多目的スペースとして物置きのようになっていた部屋/ビフォー  ゆかりさんの変化は、これからの働き方を考えるきっかけにもなりました。会社員と自営業の2つを6年以上兼業してきましたが、家族の時間を優先するために少しセーブすることを検討していると言います。今まで気持ちの思うままにやりたいことを詰め込んできましたが、やらないことを決めたことで生まれる余裕を楽しめるようになりました。 「育休明けで会社員を復職したら、向いている仕事や役割を任され、かなり楽しいんです。自営業の方も楽しいし、全部自分がやりたいことだからとやってきましたが、ちょっとキャパオーバーでした。すべて思うようにやりきれないストレスを抱え、家庭に不和が産まれるなら本末転倒ですよね。何が優先かでいうと今は会社員の仕事と家庭かなと。」 子ども部屋に変わって子どもたちも大喜び/アフター  片づけのとき、モノの「いる・いらない」は、今の自分に必要かどうかを考えて判断します。それはモノだけに限らず、生活や仕事でも同じような基準があてはめられます。きっとゆかりさんはこれからも自分のよいタイミングでよい選択ができることでしょう。  単にやりたいことと、今本当にやらなければいけないこと。その区別がつくようになったのですから。 「問題があって、どうにかしたいと思ったら、一歩踏み出すしかないですよね。片づけも、やり始めたらけっこう楽しかったです。やりきった達成感もありましたね」  45日間の家庭力アッププロジェクト®を走り切ったゆかりさんは、充実した笑顔を見せてくれました。 ●西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・家族間コミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト?」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。NHKカルチャー講師。「片づけを教育に」と学校、塾等で講演・授業を展開中。テレビ、ラジオ出演ほか、メディア掲載多数。
AERA 2023/08/28 07:00
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大谷百合絵 大谷百合絵
新幹線「ワゴン販売」はなぜ終わってしまうのか 1日50万を売り上げた“伝説の販売員”が思うこと 
車内販売員時代の茂木久美子さん。1日50万円を売り上げたときは、「意識が飛ぶくらい」の盛況ぶりで、ワゴンに載せる余裕すらなく、段ボールのまま配ったそう(画像=本人提供)  JR東海は10月末で、東海道新幹線「のぞみ」「ひかり」車内でのワゴン販売を中止する。利用者の減少や、静粛な車内環境を求める声などが背景にあり、今後はグリーン車利用者を対象に、モバイル端末で注文するシステムに変える。だが、利用者の中にはワゴン販売中止を惜しむ声も少なくない。茂木(もき)久美子さんは、かつて1日50万円(平均の5倍以上)を売り上げた“伝説の車内販売員”だった過去を持つ。茂木さんは、この時代の流れをどう受け止めるのか。販売員の仕事の裏側や、当時の華やかなエピソードを語ってもらった。 *  *  * ――茂木さんが車内販売員になったきっかけは何だったのでしょうか。  もともとはCAに憧れていたんですけど、英語ができなかったので諦めました(笑)。そんななか、たまたま山形新幹線の車内販売員を募集する広告を見つけて。「翼がない私は陸で!」と切り替えて、アルバイトから始めました。 ――販売員の1日の仕事の流れを教えてください。  発車の1時間前に出勤して、3時間乗車して東京に着いたら、駅で荷物を補充して、今度は下りの新幹線に乗って山形に帰ってきます。朝は早いと5時半出勤、帰りは24時過ぎになることもあります。1日に3回乗車して東京に泊まるシフトもありました。 【あわせて読みたい】 「現役CAの超人気Youtuber」が航空会社を辞めたワケ 激震する航空業界を赤裸々告白  お給料が歩合制だったころは特に、みんな必死でしたね。少しでも多く売ろうと、発車前から売りはじめていました。新幹線にある販売員用の部屋は、冷蔵庫と冷凍庫だけが置かれた、畳1畳もないようなスペース。椅子はなくて、立ちっぱなし歩きっぱなしの重労働だけど、当時はすごく人気の職業で活気があったんですよ。 車内販売員時代の茂木久美子さん。家族へのお土産にできたての駅弁を買うのが一般的だった時代には、米沢名物の牛肉弁当が飛ぶように売れた(画像=本人提供)   ――接客や売り方には、マニュアルがあるのですか?  いえ、どの商品を積み込むか、どうワゴンにディスプレイするかは、販売員が自分で考えます。まずは、ワゴンにいかに多くの商品を詰め込むかがポイント。新幹線って長ひょろいので、商品を切らすと取りに行くのが大変で、時間のロスになります。  あとは、お客さまの様子を観察することも大切ですね。今日は週末で家族連れが多いから、子どもの目線にお土産のグッズを置こうとか。電車が停車駅に着いたときは、ホームの状況を横目で追って、「サラリーマンの方がたくさん乗車されるから、今のうちに冷たいビールと牛タンを補充しよう!」なんて、臨機応変に動くこともあります。 ――茂木さんが、販売員として心がけていたことは?  お客さまに、「この新幹線に乗ってよかった」っていう思い出を提供したいなと。お金なんてかけなくても、雑談一つでいいんです。「窓の外を見ててくださいね、あ、あそこ、うちのお父さんの畑ですー!」とか(笑)。そんな他愛のないおしゃべりでも、みなさん「えー!」って爆笑してくださいました。  私、その号車にいるお客さま全員が、元から知り合いだったかのような雰囲気にしちゃうのが得意でした。たとえば、お客さまがたくさん立っていてワゴンが通れないとき、自作の注文票を一番後ろの席の方に渡して、前に回してもらうんですよ。すると、だんだん車内に一体感が生まれて、「弁当3個だって!」「こっちはバナナ2本!」なんて、商品やお金も全部リレー形式で回してくださって。不思議なことに、クレームが来るどころかみんなニコニコして、最後は「俺、手伝ってやったぜ」みたいな、いい顔をして降りていく。まさかの参加型の新幹線です(笑)。 【あわせて読みたい】 元ギャルの「SNSコンサルタント」に熱視線 テレビ局から地方自治体まで仕事が殺到しているワケ 茂木久美子さん(画像=本人提供)   ――特に印象的だった、お客さんとのエピソードは?  えー、いっぱいあるなあ。ある夜、最終列車の発車待ちの東京駅のホームに、ぶちゅぶちゅ(※キスやハグ)しているカップルがいたんです。映画の「私をスキーに連れてって」みたいなきれいなシーンだったんだけど、本当に別れがつらそうで。男性が山形に行く人で、女性は東京の人だったの。  で、プルルルルって発車ベルが鳴ったとき、その女性に「宇都宮までだったら1時間半くらいで戻ってこれますよ」って声をかけたら、ドアが閉まる直前に飛び乗ったんです。ロマンチックでしたねー。結局その彼女、山形まで来ちゃって、その後二人は仲良くゴールインしたそうです。要は、私っておせっかいなんですけど、この件についてはキューピッドと言ってほしい(笑)。 ――2012年に、15年間続けた販売員の仕事を辞め、講演・研修講師として独立したのはなぜですか?  きっかけは、東日本大震災でした。当時、山形新幹線には、被災した家族や友人を探しに仙台に行く方がたくさん乗車されたんです。こちらも販売する商品が入ってこなかったんですけど、「私たちがいれば、お客さまは安心してくれるはず」と、体一つで乗車していました。  でもお客さまの様子を見れば、接客の仕方は変わりますよね。誰かの写真を見ながら乗っている方や、デッキで電話をかけまくっている方。とても楽しませるなんていう状況ではなかったので、少しでもみなさんの近くに行って、話を聞こうと思いました。 「どちらまで行かれるんですか?」って声をかけると、「実はね」って張り裂けそうな胸の内を話してくださる方が大勢いました。少しでも心の荷を下ろしたかったんだと思います。ある若いお客さんは、「友達の身元確認で呼ばれたんです」と教えてくれました。その子とは帰りの新幹線でも一緒になって、「どうだった?」って聞いたら、「姿が全然別人だった」って。  震災を機に、「販売員はただモノを売るだけの仕事じゃない」というポリシーが固まりました。そして、次のキャリアとして、新幹線の外に出て、より多くの人に販売という仕事の意義を伝えたいと思ったんです。 ――JR東海が車内ワゴン販売を中止するニュースを知ったとき、何を思いましたか?  さびしいなーって。それしかなかったです。でも、私も現役のころから感じていましたが、時代の流れなのでしょうね。  まず列車のスピードが速くなって、乗車時間が短くなったのは大きいと思います。新幹線が、お土産を買ったり駅弁を食べたりする“楽しみ”の場から、ただの移動手段になってしまった。パソコンやスマホが普及すると、車内で仕事をしたり、イヤホンをつけて動画を見たりしているお客さまが増えて、販売員が声をかけづらいムードになってしまいました。そして、コロナ禍です。車内の雰囲気が一気に静かになって、販売員の仕事の厳しさには拍車がかかったと思います。 ――デジタル技術の進歩に伴い、新幹線に限らず、販売員という職業は失われるのでしょうか?  というより、スキルを磨いた人とそうでない人の二極化が進んで、機械にとって代わられない販売員だけが生き残ると思います。それには、仕事を上手にこなす能力はもちろん、「あなたにお願いしたい」と応援してもらえる魅力も必要になるでしょう。  コロナ禍にあっても、お客さんといい付き合いをしていたからつぶれなかったお店がありますよね。モノだけじゃなくて、お店の人のやる気とか愛情みたいなものも買えたから、人が離れなかった。やっぱりどんな仕事でも、これからは、「自分という人間がやるからこその価値」をどこまで出せるかが、勝負になるのかもしれません。 (聞き手・構成/AERA dot.編集部・大谷百合絵) 【こちらもおすすめ】 性欲ムキ出し、痛い若作り…「職場の迷惑おじさん」たち 葬式で「ご愁傷様です」と言われたら、なんと返せばいいのか…「ありがとうございます」を避けるべき理
のぞみ車内販売ひかり
dot. 2023/08/27 10:00
山田まりやが“朝生”で田原総一朗にも噛みついたワケ 若者の未来と少子化問題に抱く「危機感」
平尾類 平尾類
山田まりやが“朝生”で田原総一朗にも噛みついたワケ 若者の未来と少子化問題に抱く「危機感」
山田まりや(撮影/篠塚ようこ)    7月28日深夜に放送された討論番組「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)でひと際目立っていた女性がいる。ピンクのワンピースに白いジャケットを合わせ、金髪姿で登場した山田まりや(43)だ。当日は少子化問題について議論が交わされ、山田は「子どもたちが将来の希望を持てない。安心感がないと子育てや結婚したいという願望がわかない」と指摘すると、司会の田原総一朗氏が「そんなことはない! 子どもたちが将来の希望を持ってないなんてない」と反論。山田が「ありますよ」と返すと、田原は「この国は希望がいっぱいあります!」と続けたが、山田は一歩も引かず、「どこに?」と疑問を呈した。これには、SNSで「忖度せず世の中の思いを代弁してくれた言葉がすごく響いた」など称賛する声が寄せられた。  かつてはグラドルとしてお茶の間で人気だった山田だが、今は一般社団法人「MwM Japan(ムゥム ジャパン)」の代表理事を務め、母子支援活動にも力を入れている。本人に少子化や日本の子育て問題についての思いを聞いた。 *  *  * ――「朝まで生テレビ!」の出演が話題になりました。  私はエゴサーチはしないので、ママ友や知り合いが教えてくれるまで気づかなくて(笑)。取り上げてくれたメディアや拡散してくれた方たちのおかげです。ありがたいコメントもたくさんいただけてうれしかったです。 山田まりや(撮影/篠塚ようこ)   ――田原総一朗さんと激しい議論を交わしていました。  田原さん、実は、本当に優しい方なんです。20年以上前に選挙特番で共演したのですが、今回、番組前にごあいさつさせて頂いた時に「久しぶりだね」って覚えてくださっていて。私の方がびっくりして、感動してしまいました。討論中もずっと目を見て話してくださるし、気をつかっていただきました。(激論の場面は)自然に言葉が出てしまった感じです。昨年の1年間で、小中高生合わせて514人が自ら命を絶っているんですよ。こんな悲しい事実があるなかで、将来の希望が持てるとは言えません。だから、「そんなわけない」と思って発言しました。 ――現在は芸能活動のほかに、母子支援活動も積極的にされています。ご自身が歩んだ人生も影響しているのでしょうか。  もちろん、私の経験値でしか語れないものがあるとは思っています。幼少期は、父親が酒を飲むと暴れるのでビクビクしていました。両親が離婚してからは、私が15歳から28歳まで、母と弟を養う形で生活してきました。今となっては、父と母がなぜああなったのか整理がつくけれど、当時は現状を打破したいと必死でした。たまたまスカウトしてもらってグラビアアイドルになりましたが、自分のことをかわいいとは思えなかったし、自信もありませんでした。学校ではいじめを受けて通えない時期もあって。でも、そこで救われた言葉があるんです。職員室に助け求めた時、ある先生に「そいつらとは今だけで、一生付き合わなきゃいけないんじゃないんだから」と言われ、「そうだよな」と妙に納得できたんです。 山田まりや(撮影/篠塚ようこ)    私は、いじめられた時に、「いじめのセオリー」みたいなものを自分の中で見つけたんです。「自分を弱い人間だとわかっているから自分より下の人間をつくりたいんだ」と。だったら私は10歳年下の弟を守るためにそんな人間よりも強くなってやる!と気持ちがガラッと変わり、新しい自分で学校へ通えるようになりました。 ――つらい思いをされた子ども時代から20年以上がたち、少子化が進んでいる今の日本をどのように感じていますか。  当時と違って、今はSNSでがんじがらめになっているように思います。発言する自由、多様性など言う割に、嫌がらせのようなコメントがあふれていて息苦しい。人の意見を受け入れる器が「おちょこ」レベルの人が多いなと感じます。自分がSNSで吐いた言葉をその人がどう受け取るか、どういう感情を抱き、ショックを受けるか想像もできない。発言に責任も持たないので、言葉を投げ捨てる。あまりにも無責任で、私から見たら道端に落ちている犬のフンと一緒に感じています。でも、それでも若い人には発言することを怖がってほしくないんです。自分軸でどう柔軟に対応し笑ってやり過ごせるかを考え、常に気持ちをニュートラルに保つ事が生きていく上で大事だと思います。 山田まりや(撮影/篠塚ようこ)   ――多様性の時代と言いながら、異論に対しては同調圧力が働いているのかもしれません。  閉塞感を感じる世の中は、少子化の問題につながっていると思います。金銭面で結婚に踏み切れない、女性はキャリアの途中で出産の選択を迫られる、仕事で脂がのっている時期には両親の介護をしないといけない、などいろいろとあります。それ以前に、自分に自信が持てず結婚の前に恋愛に至らないなど(少子化の背景には)さまざまな事情がある。結婚というシステムを呪縛に感じてしまう人も少なくありません。若い子たちに聞くと、「結婚しても続ける自信がない」って言う人が多いんですね。結婚はしたくないけど、子どもは欲しいという人もいます。ひと口に少子化問題と言っても、事情は複雑です。この現実を受け止め、いろいろな支援策、サポートが必要だと思います。 ――将来に希望を持てなくなっている社会を変えるために、どのようなことが必要だと感じていますか。  一人一人の人生への満足度、幸福度を増やしていくことが大事だと思います。今の世の中は、一流の会社に入っても急につぶれるかもしれない。給与が良くても、人間関係で大きな問題を抱えるかもしれない。どこにも頼れない時代だと思います。国や自治体の支援、民間企業のサポートはもちろん大事ですが、些細なことでも「支え」があると自分自身の人生が全く違ってくると思うんです。私はB T Sで初めてファンクラブに入って「A R M Y」になり、“推しのいる生活”の楽しみを知り新たな扉が開き至福の日々なんですが(笑)。幸せに感じることを1つでも多く見つけられるかが大切だと思います。生きている上で救いになりますから。 ――山田さん自身が子育てをしてみて、気づかされたことはありますか?  息子に言われてハッとさせられたことがあって。5歳の時に電車の通勤ラッシュの映像を見て、「なんで大人は不機嫌を巻き散らかすの?」って聞いてきたんです。「ママもイライラしている時に、『怒ってます』って態度を出すよね」って言われて。確かにその通りだし、面白いなあって。子どもの感性は本当に鋭いんです。良いものも悪いものもスポンジみたいに吸収する。子どもは親や周りの大人の表情、しぐさをしっかり見ている。親が幸せを感じないと、子どもも幸せを実感しにくいと思います。 ――心のゆとりの重要性を感じさせられますね。  幸せの形は人それぞれだし、子育てもいろいろな方法があります。イソップ寓話(ぐうわ)の「北風と太陽」がいい例ですけど、感受性は人それぞれです。お互いを認め合った上で、万人に受けなくていい。自分を俯瞰して見られるようになったら、気持ちが少し楽になると思います。将来に希望を持てる社会になることを誰よりも願っていきますし、母子支援活動を含めて今後もさまざまなサポート活動を続けていきたいです。 (平尾類) ※【後編】<15歳から母と弟を養った「山田まりや」が感じる子どもの生きづらさ 「『子ども居酒屋』をつくればいい」の真意は?>に続く ●山田まりや/1980年生まれ。愛知県出身。16歳でスカウトされデビュー。1996年に「第1回ミスヤングマガジングランプリ」を受賞するなど、グラビアアイドルとして人気を博す。また、高いトークスキルが評価され、バラエティー番組やラジオでも活躍。同時に映画や舞台で女優に挑戦するなどマルチな活躍をみせた。27歳で結婚し、一児の母となると、スーパーフードマイスターや薬膳インストラクター、マクロビオティックセラピストなどの資格を取得。現在は母子支援活動にも力を入れ、一般社団法人「MwM Japan(ムゥム ジャパン)」の代表理事を務めている。
山田まりや田原総一朗少子化
dot. 2023/08/26 11:00
小沢一郎氏が岸田首相にSNSで噛みつき久々に“拍手喝采” 影が薄くなった「剛腕」の現在
井荻稔 井荻稔
小沢一郎氏が岸田首相にSNSで噛みつき久々に“拍手喝采” 影が薄くなった「剛腕」の現在
立憲民主党の小沢一郎衆院議員    立憲民主党の小沢一郎衆議院議員が、X(旧ツイッター)で岸田文雄首相を痛烈に批判したことが話題を集めている。かつては「剛腕」と呼ばれていた小沢氏だが、近年は存在感が薄れつつあっただけに、SNSでも驚きの声が上がった。  8月18日、小沢氏は自身のXアカウントで日本経済新聞の記事「子育て世帯、22年に初の1000万割れ 経済不安が障壁に」を引用し、以下のように岸田首相を批判した。 《岸田総理は嘘と自慢でなく、もうだいぶ経つのだから、いい加減まともに仕事をすべき。ろくに仕事もせずに、宴会と外遊ばかりやって、ボロが出る前に自分の保身のために解散総選挙なんて許されない》 《とにかく外遊に次ぐ外遊。全国行脚はどうなったのか?総理に国民の生活は見えているか?ガソリン価格は異様に上昇。マイナカードはトラブルの嵐。聞かない力。国民の側も、自民党の言うことを聞く必要はない》  この投稿をネットニュース「よろず〜」が記事にまとめ、YAHOO!ニュースで配信されたところ、コメント数は1931件(8月23日時点)にも上り、「小沢は好きじゃないけど、このコメントは評価に値する」「小沢一郎の言う事が確かに正解だ。岸田は国民が生きて行く先の目標をつぶしている」など称賛される書き込みが相次いだ。 【あわせて読みたい】 「壊し屋」小沢一郎氏の狙いは泉健太代表への牽制だけか 関係者がいぶかしがる今後の離党の可能性  時事通信が8月10日に発表した世論調査によると、岸田内閣の支持率はわずか26・2%。小沢氏の苦言は国民の気持ちを代弁した格好となり、それがSNS上で“拍手喝采”となったのだろう。  久しぶりの“小沢フィーバー”について、政治アナリストの伊藤惇夫氏はこう語る。 「小沢さんの投稿は、まさに正論です。腑に落ちる人も多かったはずで、だからこそネット上で歓迎されたのでしょう。とはいえ、発言の主は、あの小沢さんです。小沢さんは本当に特異な政治家であり、今回の投稿の真意を考えるには、やはり彼が何をしてきたのかを振り返る必要があると思います」  1989年、47歳の若さで自民党の幹事長の就任した小沢氏は、その後も権力の中枢で政局を操っていく。  93年6月に自民党を離党して新生党を作ると、7月の衆院選で自民党は単独過半数割れに陥った。非自民・非共産の連立政権が誕生し、細川護熙氏が首相の座に就いた。  そして、2009年7月には民主党が政権交代を果たす。小沢氏は衆院選の陣頭指揮を執り、新人候補は「小沢チルドレン」「小沢ガールズ」などと呼ばれた。 【あわせて読みたい】 民主党政権“主役”は常に小沢一郎だった 田原総一朗が当時を振り返る 「小沢さんの本質は、政局の人です。ところが不思議なことに、政局を自在に操り、“敵”に対して勝利を収めそうになると、必ず致命的なミスを犯してしまう。相撲で例えれば、相手力士を土俵際まで追い詰めておきながら、なぜか『蹴手繰り(けたぐり)』を仕掛けて空振りしてしまい、形勢逆転して敗れてきました。民主党政権が失敗した“戦犯”の1人でもあります。2009年、政権交代前夜というタイミングで西松建設疑惑が発覚。公設秘書が逮捕され、小沢さんは党代表を辞任しました。後継を決める代表選で岡田克也さんと鳩山由紀夫さんが立候補。小沢さんは鳩山さんを選びました。なぜなら、岡田さんだと自分がコントロールできないからです。この判断が民主党政権にとって致命的だったことは、多くの人が今もご記憶でしょう」(伊藤氏)  一方、小沢氏に批判された岸田首相は、支持率の低迷にあえいでいる。伊藤氏は「小沢さんの批判がネット上で評価された理由の1つに、岸田首相の子育て支援を批判したことが挙げられます」と指摘する。 「岸田首相の少子化対策は根本的な錯誤があるのですが、少子化の原因は“小母化”です。結婚して子をなしたいという男女は多いにもかかわらず、彼らの年収が伸びないため諦めているのです。つまり岸田政権は結婚を希望している男女の収入を伸ばす施策を実行しなければなりません。ところが現実には単なる子育て支援に終始しています。子育て支援も重要な政策ですが、少子化を抜本的に解決するものではありません。岸田さんの政策は、一事が万事トンチンカンで、それを国民の多くが気づいているのです」  かなり逆風が吹いてきた岸田政権だが、それでも首相の座が揺らぐことはない、と伊藤氏はみる。 「安倍晋三元首相の時代、自民党の議員は首相に歯向かうと大変な目に遭うことを骨身に染みました。そのため沈黙を守っています。野党でも、維新は馬場伸幸代表が自党を『第2自民党』と表現するなど、与党と戦う意思は全く感じられません。小沢さんは野党統一候補の実現を求めて積極的に動いていますが、彼の神通力は12年に民主党を離党し、国民の生活が第一を結党した時点で終わりました。まさに与野党共に緊張感が欠如した政治状況が、岸田内閣の延命に寄与していると言えます」  結局のところ、政治家人生の重要局面で失敗を重ね、没落した小沢氏が、トップの器ではない岸田首相に噛みついた、という構図に過ぎないようだ。どっちもどっち、というところだろう。 「中選挙区制を賛美するつもりもありませんが、かつての政治家は奇人変人でも当選する可能性がありました。党ではなく派閥が中心で、自民党ではあちこちで激しい政策議論が交わされていたものです。ところが今は小選挙区制のため、議員の誰もが党本部の公認を得ることにきゅうきゅうとしています。上の方ばかり見ており、自民党議員のサラリーマン化が進んでいる。その“大先輩”が小沢さんと岸田首相です。2人に深い政策ビジョンなどはなく、やはり『どっちもどっち』という感想になってしまいます」(伊藤氏)  本当の意味で「国民の生活が第一」と考える政治家にこそ、政権を担ってもらいたいものだ。 (井荻稔)
小沢一郎岸田内閣支持率
dot. 2023/08/26 08:00
稲盛和夫の熱気にカメラマンは圧倒された「これは動けない!」
小長光哲郎 小長光哲郎
稲盛和夫の熱気にカメラマンは圧倒された「これは動けない!」
  1992年5月26日号のアエラ「現代の肖像」に掲載された稲盛さん(右)。写真家の太田順一さんが撮影した  京セラとKDDIを立ち上げ、日本航空(JAL)の経営再建にも尽力した稲盛和夫さんが90歳で亡くなって、8月24日で1年になる。  日本を代表する企業の経営に注力するかたわら、1983年にはボランティアで中小企業経営者に経営のあり方を教える「盛和塾」を設立した稲盛さん。全世界の塾生は1万人を優に超えた。生前に稲盛さんが著した書籍は73冊(自著55冊、共著18冊)に及び、計19言語に翻訳され、全世界の累計発行部数は2500万部を突破している。 稲盛さんの主な歩み  1992年5月26日号のアエラ「現代の肖像」には、京セラ会長と第二電電(現・KDDI)会長を兼務する当時60歳の稲盛さんが登場している。 《稲盛は、日本一の集積回路(IC)パッケージメーカーにのし上がった京セラ会長と、巨像NTT(日本電信電話)に挑む第二電電会長を兼務、東京と京都を激しく往復している》  このとき稲盛さんの撮影を担当した写真家の太田順一さん(72)がこう振り返る。 「ざっくばらんで、朗らか。時代の寵児にありがちな尊大さなどみじんもない方でした。取材後に東京に行かれると聞いて、京都駅での撮影を急にお願いしたのですが、快く応じていただきました」  しかし、別の顔も目にすることになる。 「会議中の撮影もお願いしたのですが、社員の方たちを叱咤(しった)する稲盛さんの激しさには圧倒されました。経営者たるもの、こういうものかと」  過密スケジュールを縫って稲盛さんが情熱を注いでいたのが、若手経営者の勉強会「盛和会(せいわかい)」だった。盛和塾は1983年春、京都で生まれた。盛和塾の結成に至った経緯について、稲盛さんは記事の中でこのように語っている。 《「若い経営者たちから、経営のイロハを教えてくれと何回も頼まれ、西も東もわからんのに京都に出てきて今日になったので、地元への恩返しの気持ちもあって、夜ならと引き受けることにした」》  「現代の肖像」の撮影で太田さんが最も印象深いのが、京都の料亭で行われた盛和塾の光景だ。 太田さんがその雰囲気に圧倒された盛和塾の風景。92年5月26日号の「現代の肖像」に掲載された。経営者の卵たちが身を乗り出すようにして稲盛さんの話に聴き入った  「会場に集まった塾生の方々が、畳敷きにあぐらをかき、前のめりになって稲盛さんの言葉に耳を傾けている。緊張の糸が張り詰めたような熱意を感じて、私は『これは動けない』と。1、2カットしか撮れなかったのを覚えています。稲盛さんはただの経営者ではなく、精神性を持っている人だと強く感じました」  この記事を遠く離れたブラジルで目にしたのが、アマゾンの木材を扱う貿易会社を現地で創業した中井成夫さん(81)だった。移住して15年ほど。そのころの中井さんは、国内情勢の変化でブラジルが「世界で随一の借金国」になったことで仕事に行き詰まり、自殺を考えるほど。そんなとき偶然目にした、稲盛さんの「肖像」を、何度も読み返した。「この人なら自分たちの苦難をわかってくれる」。思いを抑えられず、稲盛さん宛てに直筆で思いの丈を書いた。  ブラジルにも稲盛塾を設立したい、ぜひブラジルに来てほしい――。手紙は編集部を通じて稲盛さんの元へ届き、投函から半年後、盛和塾ブラジルの初開催につながった。  稲盛さんの生前、盛和塾の海外支部は48に及んだが、初めての海外支部となった盛和塾ブラジルは、こうして誕生したのだった。(編集部・小長光哲郎) ※AERA 2023年8月28日号より抜粋、一部加筆  
稲盛和夫盛和塾現代の肖像
AERA 2023/08/24 15:00
神聖かまってちゃん、ACAね参加「フロントメモリー」MVプレミア公開 結成15周年記念ベストALリリースへ
神聖かまってちゃん、ACAね参加「フロントメモリー」MVプレミア公開 結成15周年記念ベストALリリースへ
神聖かまってちゃん、ACAね参加「フロントメモリー」MVプレミア公開 結成15周年記念ベストALリリースへ  神聖かまってちゃんが、楽曲「フロントメモリー feat. ACAね(ずっと真夜中でいいのに。)」のミュージックビデオを、2023年8月23日22時にYouTubeプレミア公開する。 楽曲「フロントメモリー」は、神聖かまってちゃん史上初めてのフィーチャリング・ボーカルとして川本真琴を招き、2014年4月9日にシングルCDとして4,946枚限定発売した楽曲。結成15周年を記念して、新たにレコーディングされた「フロントメモリー feat. ACAね(ずっと真夜中でいいのに。)」は、8月23日に配信リリースされた。MV監督はKazma Kobayashi(UUWorks / Bearwear)が務め、真綾が出演している。 また、同曲も収録となる結成15周年記念ベストアルバム『聖なる交差点』が、11月15日にリリースされることも決定した。初回限定盤は、今年5月24日に行われた下北沢シェルターでのライブが完全収録されたDVDとCDの2枚組仕様。ライブ映像は、神聖かまってちゃんをデビュー前から撮影している映像作家・竹内道宏(たけうちんぐ)が手掛けた。来月にはベストアルバムからの先行配信第2弾リリースも予定されている。◎ACAね(ずっと真夜中でいいのに。)コメント ずっとフロントメモリーがだいすきで弾き語りしたりライブで歌ったり、心根にフロントメモリー居座りながら音楽生活してきてたので…今回お声いただきすごい嬉しくて…この想いはrecした夕方の中に閉じこめました 是非きいてほしいです◎真綾 コメント 15周年おめでとうございます。記念すべき作品に出演できたこと感激です。まっ正面の入道雲へと夢中で自転車を走らせて、友達の顔も思い返せない学生時代に神聖かまってちゃんを口ずさんで励ましていた通学風景が流れてゆきます。あの夏の情景をMVと共に思い浮かべてもらえたら幸いです。◎Kazma Kobayashi監督 コメント フロントメモリーは夏の風景を焼き付けた記録媒体のような曲。僕の仕事である映像も変わりゆく景色を形に残す媒体、この主人公は学生時代の夏の感触を忘れないようにと日記に描き残そうとしています。記憶を完璧に保存しておくことなどできないですが、この先もずっと色んな人がこの曲に夏休みの断片を閉じ込めていくんだと思います。◎映像情報 YouTube『神聖かまってちゃん「フロントメモリー feat. ACAね(ずっと真夜中でいいのに。)」ミュージックビデオ』 2023年8月23日(水)22:00~プレミア公開 https://youtu.be/46n6dTrDJh4◎リリース情報 シングル「フロントメモリー feat. ACAね(ずっと真夜中でいいのに。)」 2023/8/23 DIGITAL RELEASE https://kamattechan.lnk.to/FMFAPuベストアルバム『聖なる交差点』 2023/11/15 RELEASE <初回盤(CD+DVD)> WPZL-32102-3 / 6,600円(tax in.) <通常盤(CD)> WPCL-13521 / 3,500円(tax in.)
billboardnews 2023/08/23 14:16
片づけたら、毎日感じていたモヤモヤが消えた
西崎彩智 西崎彩智
片づけたら、毎日感じていたモヤモヤが消えた
ソファの上にモノがあふれてリラックスできないリビングとカウンター/ビフォー    5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 case.51  夫婦で目標を決めてやり遂げた45日間 夫+犬1匹/学校関係  散らかっている家にいると、人は知らないうちにストレスを感じています。モノが多くて雑然とする景色を見ると、目に入る情報量が多いために脳が疲れてしまうことが原因の1つ。  ほかにも、「片づけなきゃいけない」と思ってしまうことも大きな原因です。「きれいな家で暮らしたい」と思っている理想があるにも関わらず、現実はそうなっていないから。  今回ご紹介するミオさんも、このようなストレスを抱えていました。実家もいつもモノにあふれていたので、小さな頃から片づけは苦手。5年前に今の家に夫と引っ越し、収納スペースはたくさんあるものの、どんどん散らかっていきました。  フルタイムで働く仕事の忙しさに加え、苦手意識があるから片づけはいつも後回し。料理や洗濯、2年前に迎えた犬のお世話などを優先すると、時間は残りません。 「週末になったら片づけようと思って始めても、集中できずに結局片づけられないんです。で、日曜日の夜に『またできなかった』と後悔することのくり返しでしたね」  夫も片づけが得意ではなく、同じようにストレスを抱えている様子でした。夫も犬も自分も、過ごしやすい家にしたい。そう思うけれど、ミオさんは自分だけではどうすればいいのかわかりません。  ある日SNSを見ていると、家庭力アッププロジェクト®の広告が偶然目に飛び込んできました。これなら45日間で片づけられない自分が変わるかもしれないと思ったミオさんは、参加を決めます。 カウンターに夫婦並んで食事ができるようになりました/アフター  ミオさんはモノのストックがあると安心するので、買い物のときについ多めに買ってしまいます。これが、家が散らかっている大きな要因でもありました。プロジェクトの中で学んだことをもとに、次に買う目安の残量を決めたり、買うまでに時間をおいて検討したり、家の中のモノの量を減らすことを徹底しました。  また、収納スペースにデッドスペースがあると押し込むように入れていましたが、そうすると取り出しにくくて戻しにくい。これも散らかることにつながります。デッドスペースはそのまま空いた状態にすることに。  すると、収納スペースには空きがあるのに、モノの全体の量が減って家の中もスッキリするようになりました。 「余白ができると、気持ちにもゆとりができたように感じます。1ヶ所ずつ片づけが終わるごとに、ずっと心にあったモヤモヤが減っていきました」  夫とは、犬も交えて「どんな家にしたいか」ということをじっくりと話し合いました。みんな共通の想いは「お掃除ロボットと犬が走り回れる家にする」ということ。ゴールが決まると、そこに向けて団結して進めます。そして、自然とモノの「いる・いらない」も判断しやすくなりました。  例えば、リビングにあった大きなソファは走り回る面積を狭めてしまう上に、一時的な物置きとして使ってしまいがちなので手放すことに。さらに足の踏み場もなかった部屋にあるモノも整理して、犬用の部屋として使うことにしました。 「一度、犬が丸まったラップを飲み込んだことがあったんです。私たちが仕事で留守のときは、リビング以外にも安心できる快適な部屋を用意してあげたくて」  夫婦と1匹の犬でがんばってきた片づけでしたが、終盤に夫が入院するという予期せぬ事態が起こりました。ミオさんは夫を心配しながらも犬と一緒に片づけをやりきり、退院した夫は生まれ変わった家を見てとても驚いていたそう。 「帰ってきた瞬間、地響きのような声を出していましたね(笑)。『がんばってくれてありがとう』とも言ってくれました」 何でもしまい込む物置きとして使っていた部屋/ビフォー  ミオさんは、片づけが進むにつれて自分に自信が持てるようになったとも話してくれました。 「今日はここを片づけよう、と思ってできると達成感がありますね。1つ1つ完了していくというか。それが自信にもつながったのだと思います。いつも何かに追われているような感じがあったんですけど、それがなくなりましたね」  片づけができない自分への劣等感や、「片づけないと」と思う焦燥感から解放されたミオさん。今後は、片づけの経験を仕事にも活かしていきたいとのこと。 「職場で接する生徒の中には、家庭でモヤモヤを感じている生徒もいます。片づけられなかった頃の私と同じように、理由は違えど気持ちの整理ができていないんじゃないかな、と。方法は検討が必要ですけど、生徒たちのモヤモヤも解決してあげたいです」  さらに、「実家の片づけもやらないと。あと、まだ自分の家もブラッシュアップしていきたい」と、明るい将来に向けて話が尽きません。 「これから片づけをがんばりたいという人がいらっしゃるなら、私が45日後に目にすることができた、このキラキラした景色を共有できたらうれしいですね」 スッキリ片づけて犬用の部屋に変わりました/アフター  ミオさんのこの言葉を聞いて、今後も片づけに悩む女性を1人でも多くサポートしていこうという決意を新たにできました。  45日間で家を丸ごと片づけるのは、簡単なことではありません。でも、片づけられない自分から「変わりたい」という決意を持って取り組めば、誰でもできることです。ミオさんのがんばりは、そのことを証明してくれました。 AERAオンライン限定記事 ●西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・家族間コミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト?」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。NHKカルチャー講師。「片づけを教育に」と学校、塾等で講演・授業を展開中。テレビ、ラジオ出演ほか、メディア掲載多数。
AERAオンライン限定片づけ汚部屋
AERA 2023/08/14 18:00
現役東大大学院生・磯貝初奈アナの勉強法 中学受験は「効率」より「興味」優先
現役東大大学院生・磯貝初奈アナの勉強法 中学受験は「効率」より「興味」優先
優先したのは「効率」より「興味」。 正解した問題も、納得いくまで考え抜くことだったと語る磯貝初奈さん(撮影/写真映像部・東川哲也、スタイリング/青柳裕〈Azzurro〉、ヘアメイク/かんだゆうこ)  フリーアナウンサーの磯貝初奈さんは、桜蔭中学校高等学校の出身。現在は仕事を継続しながら、東京大学の大学院に通っています。AERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2024』(朝日新聞出版)では、「勉強が楽しい、大好き」と語る磯貝さんに、中学受験の思い出について、語ってもらいました。 * * * 「興味あることを調べ、疑問を解決するのが大好き」 今年4月、自身の母校である東京大学の公共政策大学院に進学した、フリーアナウンサーの磯貝初奈さん。現在は7年ぶりの学生生活を送りながらクイズ番組やトーク番組に出演するなど、多忙な日々を送っている。  中高時代を過ごした桜蔭学園は、東京大学合格者数ランキングの上位に毎年名を連ねる名門女子校だ。 磯貝初奈さん(撮影/写真映像部・東川哲也、スタイリング/青柳裕〈Azzurro〉、ヘアメイク/かんだゆうこ)   「私の母も桜蔭の出身です。卒業後、年月を経ても当時の同級生と仲良くしている母の様子を見て、楽しそうだなぁと感じたことが、中学受験をしたいと思ったきっかけです」 「帰宅が遅くなると十分な睡眠が取れない」との心配から通塾を反対する母を説得し、受験塾に通い始めたのは小学5年生の秋だ。幼少期から「何かに夢中になると、周りが見えなくなる」性格。塾に通い始めてからは、鉄棒の練習や『ハリー・ポッター』に夢中になったのと同じ集中力で、勉強に取り組んだ。 母の方針で夜9時就寝 勉強方法は人それぞれ  興味を持ったこと、疑問に感じたことは、とことん追求するのが磯貝さんの学習スタイル。正解した算数の問題も、なぜその解法で正答が出るのかがわからなければ、納得いくまで考え、質問した。新しい知識を得ること、断片的な知識がつながり、大きな流れとして理解できるようになることの楽しさは、受験勉強にも感じることができた。  その一方で、塾に通い始めてからも母の方針は変わらず、塾のない日は夜9時に就寝する生活を継続した。 「たくさん問題を解くことで力を伸ばせる人もいれば、基本問題を5問完璧に理解して、そこから応用力を身に付ける方法が合っている人もいる。私は間違いなく後者。あのとき睡眠時間を削って無理をしていたら、勉強が嫌いになっていたかもしれません」 「中高時代の友人こそ受験で得た最高の財産」と語る磯貝初奈さん(撮影/写真映像部・東川哲也、スタイリング/青柳裕〈Azzurro〉、ヘアメイク/かんだゆうこ)   前日に押し寄せた不安。塾の仲間に救われた  志望校は桜蔭と、文化祭を見て気に入った共学校の2校に決めた。成績は合格ラインを上回っていたが、桜蔭の入試前日、弟から「初奈ちゃん、明日大丈夫なの?」と聞かれた途端、なぜか一気に不安が押し寄せた。そんな磯貝さんを救ったのは、一緒に桜蔭を受験した塾の友人と、受験生を励ますために桜蔭の校門前で待っていた塾の先生だった。みんなで円陣を組み声を掛け合うと、いつしか気持ちは前向きに。無事に入試を終え、出願した2校ともに合格を果たすことができた。 「私は興味を抱いたことを調べ、疑問を解決する作業が大好きなんだと、中学受験で改めて実感しました。途中、学習意欲が下がった時期もありましたが、楽しさより苦しさが上回る受験勉強にはならなかったと思います」  さまざまな情報をわかりやすく伝えるアナウンサーの仕事に興味を抱いたのは、中学生のころだ。「将来アナウンサーになったときの強みにしたい」と、1日10時間の猛勉強の末、高1の夏休みには気象予報士試験に合格。そのことが、大学在学中に抜擢されたお天気キャスターの仕事や、後のキャリアにつながった。 中高時代の友人こそ受験で得た最高の財産  中学では英語劇部、高校では料理部に所属。自由登校となる受験直前期も学校に通い詰め「一番、学校生活を満喫した生徒かも」と笑う。 磯貝初奈さん(撮影/写真映像部・東川哲也、スタイリング/青柳裕〈Azzurro〉、ヘアメイク/かんだゆうこ)   「今も同級生と会えば、話は尽きません。今後の人生でもずっと仲良くできるであろう友人と出会えたことが、中学受験で得た一番の財産です」  わからないことは徹底的に調べる性格は、今も変わらない。大学は理系専攻だったが、政治学、経済学といった文系科目を学ぶ大学院に進学したのは「ニュースとして報道される出来事の背景を理解できるようになりたかったから」と語る。目標は「百知った上で、一を語れる」ニュースキャスター。磯貝さんの学びの日々は、続く。 (文=木下昌子) ※AERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2024』より いそがい・はな/フリーアナウンサー。中学受験で桜蔭学園に進学。15歳で気象予報士試験に合格(当時の女子最年少記録)。東京大学理科一類在学中にニュース番組のお天気キャスターを務め、大学卒業後、中京テレビを経てフリーに。現在は「サンデーLIVE!!」(テレビ朝日系列)に出演するほか、今年4月から東京大学公共政策大学院在学中。
中学受験中高一貫校選び磯貝初奈
AERA with Kids+ 2023/08/14 11:30
苦手だった「勉強」を楽しみに変えるコツは、成果にこだわらず学ぶことを楽しむこと
苦手だった「勉強」を楽しみに変えるコツは、成果にこだわらず学ぶことを楽しむこと
※写真はイメージです(Getty Images)    大人になって新たなことに挑戦するのはハードルが高い。年を取れば取るほど、なおさらだ。しかし、人生を豊かにするには遊びにしろ、勉強にしろ、意欲的に取り組むことが大切だと心理学者の榎本博明氏は説く。新著『60歳からめきめき元気になる人 「退職不安」を吹き飛ばす秘訣』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、解説する。 *  *  * とりあえず気になることを試してみる  何か気になるものがあっても、「これはほんとうに自分に向いてるだろうか?」「自分にもうまくできるだろうか?」「続くだろうか?」などと考えて、結局、躊躇してしまうといったことになりがちだ。  だが、職選びではなく趣味や遊びなのだから、そんなに慎重になる必要はないだろう。やってみて自分に向いていないと思えばやめればいい。べつに続かないとダメというわけではない。興味のままに動けばいい。  スポーツ観戦が好きで、よく休日にテレビで見ていたなら、もう翌週のために体力を温存する必要はないのだから、実際に競技場に出かけて生観戦を楽しむのもよいだろう。  演劇が好きで、深夜によくテレビで見ていたなら、やはり実際に劇場に出かけて生で楽しんでみるのもよいだろう。  落語にしても、歌舞伎や能・狂言など伝統芸能にしても、コンサートにしても、よくテレビで見て楽しんでいた人に限らず、ちょっとでも気になるのであれば、どんなものか試してみようという感じで出かけてみればいい。  日本の歴史についてのテレビ番組を見て、特定の戦国武将やどこかの時代に興味が湧いたら、時間はたっぷりあるのだから、図書館に通って調べてみればいい。  美術についてのテレビ番組を楽しみに見ており、何かで絵画の実践講座のパンフレットが気になったら、絵なんて学校の授業でしか描いてないけれど大丈夫かなとか、続くかなとか考えずに、とりあえず興味のままに飛びつけばいい。  数学者広中平祐との対談において、哲学者梅原猛は、好奇心をもつことの大切さを指摘している。 「今の哲学の研究者たちは、カントの哲学、ヘーゲルの哲学についての研究をしているんで、哲学そのものをやっていない。哲学についての哲学が今のアカデミズムの主流です。  私はもうそんな窮屈なこと考えないで、哲学というのは無限な好奇心だと思う。限界を知らざる好奇心。プラトンの言うエロスというのは、面白いことがあるとどこへでもくぐっていくことなんです。これは自然科学でも人文科学でも、歴史でも文学でもいい。そういう具体的なものとの関わりなしに、エロスはあり得ないのでね。エロスは必ずそういうところに溢れてくるんです。」(広中平祐著 『私の生き方論』潮文庫)  もう組織とか職務による縛りはないし、暇はいくらでもあるのだから、好奇心に任せて気になることを試してみればいい。 今からでも学ぶ楽しみを存分に味わおう  勉強するということに対してアレルギー反応を示す人が少なくない。それは学校の勉強があまり面白くなかったからかもしれないが、職業生活を通じて仕事に必要なことをたくさん学んできたはずだし、今なら勉強を楽しめるのではないか。  なぜ学校の勉強があまり面白くなかったのか。それは手段としての勉強だったからだ。良い成績を取るための勉強、受験を突破するための勉強の場合は、結果がすべてであり、点数ばかりを意識して勉強することになる。  そうなると、「ここは重要だから試験に出そうだ」という箇所を中心に学ぶことになり、「ここは面白そうだから詳しく調べてみよう」といった学び方は許されない。そんな学び方をしていたら成果につながらない。だから学校の勉強は面白くなかったのだ。  これに関しては、興味深い実験がある。  心理学者のデシは、面白いパズルをたくさん用意して、パズルの好きな大学生に自由に解かせるという3日間にわたる実験を行った。  その際、A・Bの2グループが設定された。1日目は、両グループともただ好奇心のおもむくままにいろんなパズルを解く。だが、2日目は、Aグループのみ、パズルが1つ解けるたびに金銭報酬が与えられた。Bグループは、前日同様ただ解いて楽しむだけだった。そして3日目は、両グループとも1日目と同じく、ただ好奇心のままに解いて楽しむだけだった。  つまり、Bグループに割り当てられた人は、3日間とも好奇心のおもむくままにパズルを解いて楽しんだわけだが、Aグループに割り当てられた人は、2日目のみパズルが解けるたびにお金をもらえるという経験をしたのである。  3日間とも、合間に休憩時間を取り、その間は何をしていてもよいと告げて、実験者は席を外した。実は、この自由時間に自発的にパズルを解き続けるかどうかを調べることが、この実験の目的なのであった。  その結果、Aグループにおいてのみ、3日目にパズル解きへの意欲の低下がみられた。  元々はみんなパズルが好きで、パズルを解くこと自体を目的として楽しんでいた。ところが、パズルを解けたらお金をもらえるという経験をすることによって、パズルを解くのはお金をもらうための手段となってしまったのだ。  こうしてパズルを解くことは、金銭報酬をもらうことによって、内発的に動機づけられた行動から外発的に動機づけられた行動へと変質したと考えられる。その証拠に、お金がもらえないときには自発的にパズルを解くことが少なくなったのである。これは、外的報酬がないためにモチベーションが低下したことを意味する。  かみ砕いて言えば、パズルを解くことそのものが目的だったときはパズルを楽しめたのに、報酬をもらうためにパズルを解くようになると、パズル解きは報酬をもらうという目的のための単なる手段となってしまい、パズル解きそのものを楽しめなくなったのである。  これで学校の勉強をあまり楽しめなかった理由がわかったと思う。点数や成績という報酬を得るための手段として学んでいたから、あまり楽しくなかったのだ。  若い頃はつまらなかった勉強が、定年退職後に改めて取り組んでみると面白くなったという人がいるのは、もう成果にこだわる必要がなく、学ぶこと自体を楽しめるからだ。わからないことがわかるようになる。知らなかったことを知ることができる。それはワクワクすることのはずだ。  学校時代に歴史の勉強が好きでもなかった人が定年退職後に戦国時代の歴史や郷土史の勉強を楽しんでいたり、国語の勉強が苦手だった人が定年退職後に古典文学にはまったりしているのも、成績と関係ない純粋な学びになっているからである。  生産性や効率を重視する世界から解放されたのだから、何かに役立てるための手段としての勉強ではなく、実用的価値のない遊びとしての勉強をしてみれば、ワクワク感を楽しみながら心の世界をどこまでも広げていけるだろう。  ここでわかるのは、暇つぶしとしての勉強が最も純粋な学びであり、最も楽しい学びだということである。暇つぶしとして気になることをいろいろ調べながら学んでいくと、意外に面白いテーマが見つかり、楽しい学びになっていくはずである。 榎本博明 えのもと・ひろあき  1955年東京都生まれ。心理学博士。東京大学教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授等を経て、MP人間科学研究所代表。『「上から目線」の構造』(日経BPマーケティング)『〈自分らしさ〉って何だろう?』 (ちくまプリマー新書)『50歳からのむなしさの心理学』(朝日新書)『自己肯定感という呪縛』(青春新書)など著書多数。
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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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