AERA with Kids+ Woman MONEY aerauniversity NyAERA Books TRAVEL
検索結果3488件中 761 780 件を表示中

ヘンリーさんは一人末席で酎ハイをチビチビ 春風亭一之輔が創作する「チャールズ国王の戴冠式」
ヘンリーさんは一人末席で酎ハイをチビチビ 春風亭一之輔が創作する「チャールズ国王の戴冠式」 春風亭一之輔・落語家    落語家・春風亭一之輔さんが連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今回のお題は「メーガン妃」。  AERA dot.編集長いわく、「メーガン妃」のことを書くと閲覧数が増えるらしい。なぜ? そんなにみんなメーガンさんに興味あるの? 私に「数字のためにメーガン妃について書け」と言うのか。さもしい。心が荒んでいる。編集長は片っぽの翼が折れてます(ドラマ「ピュア」より)。いや、言われれば書くよ。そもそも「担当者からのむちゃぶりに応える」というコンセプトなのだから。分からなくても書く。今までそうやってきた。ならば書く。書かねば。  でもなー、メーガン妃か。私が知ってるメーガン情報としては……。一、イギリス王室の次男(でももう王室を離れているらしい)のお嫁さん。二、よその国の生まれ、イギリスの人じゃないらしい。三、かなりべっぴんさん。四、おとっつぁんの戴冠式に来なかった……それぐらいか。  よく分かんねぇな……とりあえずメーガン妃は置いとくとして、王様になったチャールズさんはあの戴冠式以来元気かしら。王様ライフは満喫されてるのだろうか。裸になって街を闊歩したり、ロバの耳を気にしてみたり、土曜の午前中にブランチしてみたり、直訳ロックをシャウトしたり、荒川コーチと一本足打法の特訓に汗を流したりしてるかな。とにかくあの戴冠式は大変でした。王様、お疲れ様。  私にも招待状が来たので行ってみたのです、戴冠式。往復ハガキにエアメールがあるとは思わなんだ。このご時世にハガキで出欠をとるイギリス王室の古風なかんじ、好きです。「出席」に◯をして投函したのは良いものの、さて御祝儀などはどうしたものか? 英国大使館に電話してみると「『東京の結婚式』くらいの感覚でいいんじゃないすか?」とのこと。軽いなぁ。3ですか。いや、やっぱり落語界代表としては5ですか。少ないですか? ま、その辺でごまかして、正装の黒紋付き袴を支度して旅立ちます。  当日、アパホテル ロンドン橋前店をシングル一泊朝食付きで予約して、そこで着替えてウェストミンスター寺院に向かいます。子供たちが「サムラーイ! ニンジャー! ハラキーリッ!」と寄ってくるのを「うるせえクソガキ! あっち行け、このチムチムチェリーどもっ!」と愛敬を振りまきながら、戴冠式会場へ。「三代目 チャールズ 英連邦王国 国王襲名披露宴会場」と墨黒々と記された大看板を横目に寺院内へ。ロビーは男性は岡田真澄さん、女性はデヴィ夫人みたいな人たちでいっぱい。気後れしながら「寄席関係者受付」で御祝儀を渡し記帳していると、落語協会会長の柳亭市馬師匠とバッタリ。「お疲れ様です」「余興で『俵星玄蕃』やってくれって頼まれてな」「凄いですねー」「王室から頼まれちゃなぁ、しょうがねえ(笑)」。日本からの落語家は私だけじゃなくてホッとしました。師匠の歌声がこだますると、割れんばかりの拍手と指笛。ウェストミンスター寺院はさながら雪降る本所松坂町の趣。国王のお祝いに華を添えておりました。  肝心の戴冠式は、ランニングにトレパン姿でバッキンガム宮殿をスタートしたチャールズさんが、沿道の観客に手を振りながらわずか2.3キロの距離にあるウェストミンスター寺院を23時間45分かけて目指します。ダレきった会場内に「まもなくチャールズ到着!」の知らせが入り、なにわ男子と芦田愛菜さんと徳光和夫さんと加山雄三さんと欽ちゃんがステージ上に勢揃い。ここでカンタベリー大主教の音頭で「負けないで」の大合唱。テープを切ると「国王、おめでとう!!!」の歓声とともに黒柳徹子さんから王冠の授与。国王の「コレカラモ、ガンバリマース! ハンシンファンハ、イチバンヤー!」の一声からの「サライ」©️弾厚作で一次会はお開きとなりました。  「二次会参加する方はお声がけくださーい!」とウィリアム皇太子の仕切りで17〜18人が会場に残ります。国費を無駄にするな!の批判もあり、二次会会場はロンドン北コミュニティセンターの和室でごく質素に。長テーブルに缶ビール、ハイボール、ノンアル、2リットル入りの大五郎、ハイサワーが並び、紙コップで乾杯。王室のお母さん方やお姉さん方が割烹着姿で乾き物やおつまみを運んだり、お酌をしたり忙しい。台所では「あら、おっきくなったわねー!〇〇ちゃん!」「どこ就職したの? まぁ、お父さんも安心だわ! 親孝行ねー! うちのはまだフラフラしてんのよー、どっかにいい人いたら教えてちょうだい!」みたいな話で盛り上がっています(英語なのでよく分からないけど)。   スコットランドのオジサン(と皆から呼ばれてる)はだいぶメートルが上がってきた模様。でっぷり太った赤ら顔のチョビヒゲに、頭にほどいたタキシードのネクタイを巻いて大声で「いんや、いんや、今日はまっことにめでてぇ、めでてぇ! オラがいとこのツァールズがやっとこさ王冠をもらえて、こんなぬ、めでてぇことはねぇなぁ、はぁ。ここはひとつ、オラが十八番の『エジンバラ慕情』を口バグパイプでご披露させていただきやすっ!」とよく分からない余興も飛び出します。正面のステージ脇にDAMのカラオケセットもあったので、エルトン・ジョンやらワム!やらスパイス・ガールズやらモーターヘッドやらジャミロクワイやらの大合唱で大盛り上がりなんですが、一人末席でポツンと檸檬堂の酎ハイをチビチビやってたのが次男坊のヘンリーさん。  「おーい! おめもこっち来て歌えー! なー『サタデエ・ナイト』、オジサン入れたからぁ!ヘンリーも一緒に歌うべっ!」。一瞬、「余計なことするなよ、オジサン」という空気が流れます。「ほら、デュエットすべ! な! ホレ!……どうすたんだよぅ? めでてぇ親父さんのテエカンシキだぞ! そったら浮かねえ顔して!  ったくまぁ、まだ反抗期かえ? 聞いたぞ、こねぇだ本書いて随分儲かったんだってぇ?(笑) 羨ましいなー、金入ったんならオジサンとこの裏山買ってくんねえかな? 相続税高くつくからどっかやっちまおうと思ってなぁ。オジサンもこの年だから終活ってやつだなぁ」。イヤな緊張感、もうオジサンやめてくれ。  「なんだよー、機嫌ワリイのか? ホラ、歌うべな。『サタデエ・ナイト』! ……ところで、べっぴんのカミさんどうした? まだオジサン会ってねぇからなー、会いたかったなぁー。だよなぁ、ツァールズぅ! 親父さんの代替わりのめでてえ時に嫁さん来ねぇてなー、こら一大事だよぅ!」。もう勘弁してくれ、オジサン。「ホレ!『M・E・G・H・A! G・H・A! Nっ!! M・E・G・H・A! G・H・A! Nっ!!(サタデー・ナイトの節で)』」  周りの親族から羽交締めにされ、無理やりステージから引きずり下ろされるスコットランドのオジサン。「やめろって! なんすんだよぅ! オラぁお祝いに来てこんな目にあわすなんてヒデェぞ! ダイ◯ナさんがいたらこんなことさせねえべ! ったくまぁ! よせって! やめろって!……オラまだ帰らねえよ! もう一軒いこ! もう一軒! オラのコレ(小指)にやらせてるスナックがあるからぁ! みんなで、ほら、あー、誰だ、タクシー呼んだの!? 乗らねえよ! おい、いてててて! 押し込むなよ! あ!! 引き出物、忘れた! 持って帰らねえと母ちゃんに怒られっから! あー、分かった分かった! もう帰っからぁ!」  ウィリアム皇太子が引き出物の入った紙袋をタクシーに放り込む。「行き先は?」「ロンドンのアパ! アパ行って!」とオジサンが叫び、タクシーは走り去っていった。どうやら私と同じ宿のようだ。静まりかえった和室に戻ったウィリアムが「お前もなんか言ったらどうなんだ?」と言うとヘンリーは「へへ」と鼻先で笑い氷結に手を伸ばす。「大変お騒がせしました。もう、お開きです。みなさん。今日は父のためにありがとうございました」。ウィリアムが頭を下げる。チャールズ国王とカミラさんは先に帰ったようだ。ヘンリーは氷結を2本カバンに忍ばせた。国王は酔っ払って王冠を忘れていったのか、親戚の子供たちがかわりばんこに被ってると「コラッ!」とどこかのオバサンに叱られていた。  私もタクシーを呼んでもらいアパホテルに着くと、フロントでさっきのオジサンが揉めている。「だからぁ! ロンドンのアパって、ここだべ!?」「いや、こちらはロンドン橋前店でして……駅前に北口店と南口店、ロンドン塔店、大聖堂前店……ロンドンだけであと8店舗ありまして……」「すらねぇよ! そんなこと! ほら! これやっから姉ちゃん! これツァールズの引き出物!」。なんとか泊めてもらおうとオジサンは紙袋から引き出物を取り出した。戴冠式の引き出物は「寿 三代目」と書かれたデッカい鯛のカタチのカマボコだった。  最近見ない引き出物だ。私も部屋に帰り冷蔵庫に入れた。白昼夢のような戴冠式に出席し、いいネタが出来たから御祝儀なんて安いもんだと思いながら帰国。うちに帰って鯛のカタチの引き出物の封を開けると、中はカマボコではなく白砂糖の塊だった。  紅茶によく合う、美味しい砂糖だった。  作り話とともに、イギリス王室とヘンリー御夫妻のお幸せを祈ります。  こんなんじゃ、数字は伸びまい、編集長。 春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。この連載をまとめたエッセー集の第1弾『いちのすけのまくら』(朝日文庫、850円)が絶賛発売中。ぜひ!
オジサンたちが求める会社に代わる“自分の居場所” 自治体も危惧、イオンも場所を提供
オジサンたちが求める会社に代わる“自分の居場所” 自治体も危惧、イオンも場所を提供 イオン葛西店の4階の通路はシニア層向けのウォーキングコースになっており、シニア層が集まる    定年退職し、人間関係が希薄になった人々が自らの居場所を求めている。心地よい居場所をもつにはどうしたらいいのか、心理学者の榎本博明氏がアドバイスを送る。新著『60歳からめきめき元気になる人 「退職不安」を吹き飛ばす秘訣』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、紹介する。 *  *  * 居場所の有無によって生きがい感が違ってくる  居場所があるかどうかで健康度や幸福度が違ってきて、それが生きがい感にも影響するというのは、生活者として実感するところではあるが、心理学的研究等によっても明らかになっている。その場合は、かかわる人がいるかどうかで居場所の有無が測定されている。  日頃からかかわる人がいるということは、その人と一緒にいる場が心の居場所になっていることを意味する。物理的に家があっても、家族との間に温かい心の交流がなければ心地よい居場所にはならない。  居場所を求めて競輪の場外車券売り場にほぼ毎日通うという74歳の男性がいる。5年ほど前から風邪のときや腰が痛いとき以外は、ゴールデンウィークもお盆もほぼ毎日、年間350日は通っているという。妻を亡くし、長年勤めた会社も辞めて年金生活に入った頃、家に閉じこもるのはいけないと思い、わずかな小遣いで日中を過ごす場所を探し、たどり着いたのが車券売り場だった(朝日新聞 2019年12月4日夕刊)。  ある車券売り場の運営会社によれば、会員数5400人の平均年齢は70歳を超え、ほとんどが年金生活者だという。一日の平均来場者数は700人ほどだが、偶数月の15日の後に増える。年金支給日が来ると増えるというのは、まさに60代以上の人たちの居場所になっていることの証拠と言える(同紙)。  ある自治体では、公民館や図書館で一日中新聞などを読んでいる定年後の男性たちがいることから、「男の居場所」の会が発足した。会員の平均年齢は80歳で、毎週1回の定例会のほかに、分科会やスポーツサークルが14もあり、自由に参加できる。分科会には、ヨーガやハイキング、歴史散歩、城めぐりなどがある。会長によれば、みんな地域に友だちができたと喜んでいる、前職については何も言わないのがルールなので上下関係がなく心地よいのだという(朝日新聞 2022年7月2日朝刊)。  イオンは、全国9店で早朝のラジオ体操向けの場などを提供している。東京の葛西店では、1周180メートルのウォーキングコースを設置し、無料で利用できるようにしているが、毎日100人以上が集まるという(同紙)。やはり高齢者の居場所になっているのだろう。  店内の人工的なコースを歩くだけでは物足りない、それなら街中や川辺などを散歩する方が気持ちいいという人もいるだろう。それももっともなことだが、人工的なウォーキングコースに集まる人たちは、仲間との交流を求めているのではないか。  カルチャーセンターや大学等の社会人向けの講座に通う人たちもいる。学期ごとに興味のある講座を探し、教室に通うだけでも良い刺激になる。通う場があるというだけでも居場所感が得られるが、そこで受講している人たちとの交流が生まれれば、ますますその感が高まる。  大学の社会人向け講座に7年間通っているという60代後半の男性は、退職した後、ただ家でのんびりするという気にはなれず、座学だけでなく実習もある農業系の講座に通っている。実習で土に触れるのは気持ちよく、そこでの学びを活かして、家の庭で農作物をつくるようになったという。  さらには、受講生の中には何年も前から通い続けている人たちもいて、そういう人が音頭を取って交流が盛んに行われるため、授業後も仲間たちとの賑やかなおしゃべりや気持ちのふれあいがあり、会社に代わる格好の居場所になっているという。 自分の居場所はどこにあるのかと考え込んでしまうとき  居場所をもつことが大切なのだとわかり、何とか居場所づくりをしたいと思っても、具体的にどうしたらよいのかわからないという人も少なくない。  会社勤めをしていた頃は居場所づくりなど意識したことがなかったが、今改めて考えてみると、勤めていた頃は自然に居場所ができていたのだと気づいたという人もいる。勤めていた頃は、職場の仲間と一緒に昼食を取りながらおしゃべりしたり、ときには仕事帰りに一緒に飲みに行ったりしていた。退職した途端にそうした日常が消え失せてしまった。自然に顔を合わせてしゃべるという機会がないし、ましてや自然に連れ立って食事に行く機会もない。わざわざ電話やメールで誘いかけない限り、会って話すこともないし、一緒に食事したり飲みに行ったりすることもない。組織を去っていった者に向こうから声をかけることもなかなかないだろうし、こっちから誘って忙しいなか無理してつきあってもらうのも心苦しいし、結局誘うのもためらわれ、勤めていた部署の仲間たちとはまったくつきあいがなくなってしまった。職場がなくなったことで仲間との交流もなくなり、改めて振り返ると、今の自分には居場所がないことに気づいた。そのように淋しい胸の内を語る人も少なくない。  元々職場の人と個人的に食事に行ったり飲みに行ったりすることはなかったという人も、退職してみると、職場が居場所になっていたのだと気づいたという。とくに個人的につきあうことがなくても、毎日顔を合わせていれば挨拶だけでなくちょっとした言葉を交わすこともあった。どうでもいいような雑談をしながら笑うくらいでも気が紛れるし、そんな相手がいる職場は自分にとって心地よい居場所だったのだ。ところが、退職して職場を失ってからは、雑談どころか挨拶する相手もいない。これはちょっとまずいのではないかと思い始めたという。  それでも家庭で配偶者と親しく話したり、一緒に仲良く出かけたりするようなら良いのだが、先述のように家庭にも気持ちよく言葉を交わす相手がいないようだと、どこにも居場所がなくなってしまう。そのことを意識したとき、自分がこの世界から疎外されているかのような感覚に襲われるのではないだろうか。  そんなときは、つまり職場もなく家庭も居場所になっていないときは、地域に居場所をつくるようにするといいなどと言われる。だが、これまで家を出たら通勤するだけで、近所で過ごすことなどなかったのに、これからは地域に根を張るようになどと急に言われても、それはなかなか難しい。  勤めていた頃から近所づきあいがあった人はよいが、そのような人は圧倒的な少数派だろう。そうでない人は、しゃべったこともない近所の人に突然声をかけても、おかしな人だと警戒されかねないし、どうすべきか戸惑ってしまうのではないか。  とくに自分から話しかけるのが苦手で、いつも人から声をかけられるのを待つタイプは、いきなり地域に居場所をつくるというのは難しいだろう。  何が何でも新たな人間関係を築かなければならないというわけではない。べつに人とかかわらなくても、家の中に自分の空間をつくったり、行きつけの喫茶店や図書館などを居場所にしたり、美術館・博物館やギャラリーめぐりを楽しんだりして、心地よい居場所とするのもよいだろう。心地よい居場所をもつには、肩の力を抜くことも必要だ。 榎本博明 えのもと・ひろあき  1955年東京都生まれ。心理学博士。東京大学教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授等を経て、MP人間科学研究所代表。『「上から目線」の構造』(日経BPマーケティング)『〈自分らしさ〉って何だろう?』 (ちくまプリマー新書)『50歳からのむなしさの心理学』(朝日新書)『自己肯定感という呪縛』(青春新書)など著書多数。  
愛子さまティアラ3度目の辞退報道 「ご両親もいつかは新調されたいのでは」皇室番組放送作家
愛子さまティアラ3度目の辞退報道 「ご両親もいつかは新調されたいのでは」皇室番組放送作家 2021年12月ティアラを着用したロングドレス姿で成年の行事に臨む天皇、皇后両陛下の長女愛子さま   愛子さまがティアラの製作を来年度も見送ることが報じられたが、女性皇族たちのティアラをさかのぼると、どれも「らしさ」が垣間見えるようで個性的。ぜひ、愛子さまならではの控えめながらも品と格を感じさせるティアラも拝見したいものだ。秋篠宮家の長女・小室眞子さん、次女の佳子さま、そして、黒田清子さんからお借りしている愛子さまのティアラを振り返る。   *  * * 愛子さま 叔母・黒田清子さんからお借りした可憐なティアラ    8月1日、テレ東BIZが〈【独自】物価高で愛子さまティアラ制作せず 宮内庁が来年度予算概算要求見送り〉というニュースを報じた。女性皇族が20歳になると慣例としてつくられるティアラだが、2021年愛子さまは成年皇族の仲間入りをした際、製作を見送られていた。コロナ禍での国民の気持ちを考えてのことだった。    その気持ちは変わらず、「3度目の固辞」となった今回の理由を宮内庁は「物価高の中での国民感情と両陛下のお気持ちを考慮した」と説明。しばらくは、父の妹である黒田清子さん(紀宮さま)からお借りしたティアラを身につけることになると思われる。    ティアラは近年、皇室の公的な予算にあたる「宮廷費」で製作されているため、結婚で皇室を離れるときは宮内庁へ返却される。最近では、21年10月に結婚した小室眞子さんのティアラも返却されている。    黒田清子さんのティアラは、紀宮さまが成人された当時(1989年4月)昭和天皇崩御後の服喪期間中を考慮し、天皇家の私的経費である「内廷費」で製作された。つまり、一般的な家庭で例えれば、おうちのお金で用意した婚礼用品のひとつなので、黒田清子さんが現在も所有されている。 朝見の儀での紀宮さま(当時/黒田清子さん)(写真左)のティアラをお借りする愛子さま    黒田清子さんから時を経て愛子さまが身につけられたティアラに関して、愛子さまがお生まれになったころから皇室番組に携わる放送作家のつげのり子さんはこう話す。   「黒田清子さんのティアラは正面から見ると真ん中の部分が高くなっている『プリンセス型』です。遠目で見ると花をモチーフにしたように見えますが、細かく見ると月や星、蝶などのモチーフが施されているように見えます。それは、まるでティアラの中に自然界の営みをまとめたような世界観で、お借りしている愛子さまの優しい柔らかな感じにもとてもお似合いです」 よく見るとそれぞれのモチーフがまるで自然界を表すようなティアラ    愛子さまにもお似合いで、優しさの中にも圧倒的な品格を感じさせる。学習院の先輩・後輩でもある黒田清子さんと愛子さま、たしかにどことなく共通した世界観があるようにも思われる。   小室眞子さん 「和光」で製作された存在感のある逸品    11年に成年皇族の仲間入りをされた眞子さま(当時/現在=小室眞子さん)のティアラは、和光によるもの。全周に渡って同じ高さで、清楚ながらも存在感のあるデザイン。ティアラとネックレスなど5点の総製作予算は2856万円とされている。   「整然と並ぶ楕円のリングの中に小さな花が美しくデザインされていて存在感もありますよね。上皇ご夫妻にとって初孫であり、秋篠宮家の長女でいらっしゃるので、エレガントで清楚なデザインにされたのではないかと思います」(つげさん)    21年10月に結婚された小室眞子さんのティアラは宮内庁に返却され、眞子さんのティアラも含めて、現在8個のティアラが保管されているという。   佳子さま 姉とは好対照でクラシックなのにモダンな強さ    佳子さまのティアラはクラシックなフォルムの中にも、どことなくモダンな強さを感じさせる。佳子さまにお似合いだ。    佳子さまのティアラの製作先は初めて公募で行われ、ミキモト(MIKIMOTO)が入札した。ティアラ、ネックレスなど5点セットの総製作予算は2892万円と言われている。   「佳子さまのティアラは、つる草の曲線が規則的にならぶ、いわゆる『轡(くつわ)唐草』が印象的です。この文様は平安時代から高貴な身分の方に広く使われていたもの。ティアラの形は頭上から開いた感じになっていて、それが開放的な印象で古風なのに斬新なところが佳子さまらしいですね」(つげさん)    ティアラを初めてつけてお出ましの佳子さまは、現在とは異なりメイクの変遷が見られるが、佳子さまらしいティアラはいまもお似合いだ。    こうしてみてくると、それぞれの「らしさ」が光る。3度目の辞退となったものの、愛子さまがお選びになるティアラも見てみたいという国民の声は絶えない。愛子さまがティアラを新調なさるとしたら「愛子さまらしい優しい雰囲気が出るもの」を期待しているというつげさんはこう話す。   「コロナ禍の新年祝賀の儀ではティアラの着用を控えていましたが、コロナが明けた現在は愛子さまにとってもティアラを身に着けなければならない皇室行事も出てくるものと思います。愛子さまが成年皇族の仲間入りをされたときはコロナ禍で、さらに大学生で学業を優先されていたので黒田清子さんのティアラをお借りする選択をされたかと思いますが、学業を修められたときには、日本国民もぜひ製作していただきたいと願っているのではないでしょうか。ご両親である天皇・皇后両陛下も、愛子さまが学業を終えて公務に専念するときがきたら一人前の証として、作って差し上げたいと思っていらっしゃるのではないでしょうか」(つげさん)    いつか、愛子さまのティアラ姿が私たちの心を明るく照らしてくれる日を待つことにしたい。 (AERAdot. 編集部・太田裕子) つげのり子/放送作家、ノンフィクション作家。2001年の愛子さまご誕生以来皇室番組に携わり、テレビ東京・BSテレ東で放送中の「皇室の窓」で構成を担当。皇室研究をライフワークとしている。日本放送作家協会、日本脚本家連盟会員。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)がある。
夫の「帰宅恐怖症候群」に妻の「主人在宅ストレス症候群」 互いの存在に苦しむ関係を避けるには
夫の「帰宅恐怖症候群」に妻の「主人在宅ストレス症候群」 互いの存在に苦しむ関係を避けるには ※写真はイメージです(Getty Images)    家庭に自分の居場所がない。そんな現実に見て見ぬふりをしている男性も少なくない。なぜそんな状況になってしまうのか。心理学者の榎本博明氏が、中高年夫婦の深刻なコミュニケーション問題に言及。新著『60歳からめきめき元気になる人 「退職不安」を吹き飛ばす秘訣』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、紹介する。 *  *  * 妻は夫よりも友人との交流を楽しむ  退職したら、会社でなく家が自分の居場所になるし、家で妻と一緒に楽しく過ごそう、これまでは仕事で忙しくて妻と過ごす時間があまりもてなかったけど、これからは一緒に趣味を楽しんだり、旅行したりして、妻との老後を楽しもう。そんなふうにのんきに考えていたのに、いざ退職して家にいるようになると、そのような期待は見事に裏切られるといったケースが少なくないようだ。  妻を外食に誘っても、散歩や買い物に誘っても、「私、いいわ、行くなら一人で行って」と断られる。旅行に行こうと誘っても、同じく断られる。そこで初めて自分が拒否されていることに気づく。  心理学の調査などでは、新婚時には夫の愛情と妻の愛情に差はないのだが、時の経過とともに夫の愛情度はそれほど低下しないのに妻の愛情度は低下し続け、定年退職時には大きな差がついているというデータが示されている。  配偶者が生きがいの対象だとする高齢者の比率は、妻は夫の半分以下だというデータもある。妻は夫よりも家族以外の友人との交流を楽しむ傾向が強いようである。それには、夫の場合、仕事に追われ職場の人間関係中心に生きてきたため、プライベートな友人関係が妻よりも薄いということが関係しているのだろう。実際、「女子旅」などといって年輩の女性同士が旅行する姿はよく見るが、「男子旅」はあまり見かけない。  仕事が生きがいだった夫の場合は、たとえ「亭主元気で留守がいい」などといった扱いを受けていても、仕事に没頭しているときは、自分がそうした扱いを受けていることに気づかないことが多い。 自宅に居場所がなくなってゆく  ところが、定年退職して、昼間も家にいるようになり、ようやく自分が疎外された存在であることに気づいて愕然とするのである。しかも、一生懸命に働いて家族を養ってきたつもりなのに、粗大ゴミとか産業廃棄物とか濡れ落ち葉などと言われる立場に自分が置かれているわけである。やるせない気持ちになるのも当然だろう。  定年よりも前に、そうした兆候に気づく人もいる。それは、早めに覚悟を決めて対処することができるチャンスでもあるのだが、嫌な現実を直視できずに逃避してしまう人も少なくないようだ。  たとえば、働き盛りの時期を過ぎ、残業やつきあいも少なくなり、早く家に帰るようになったときに、そうした兆候に気づく。帰宅してもよそよそしい空気があり、妻からも、まだ同居している子どもたちからも、歓迎されていないのを感じる。何だか邪魔者扱いされているように感じたり、一緒に食事しても会話が途切れがちで気まずい感じになる。  家に帰ってからの息苦しさ、居場所のない淋しさ、妻や子どもたちと顔を合わせたときの気まずさ、無視される腹立たしさ。そんなことを思い出すと、とても帰る気がしない。  それで、とくに急を要する仕事がなくても会社に残ることになる。自発的残業をしたり、自ら望んで休日出勤をしたりして、家庭にいるときに襲われる疎外感を紛らすためにひたすら仕事に向かう。だが、そのように職場を居場所にしている限り、家庭に居場所をつくることはできない。  仕事帰りに道草的な寄り道をする人もいる。帰宅した後の家での居場所のなさを考えると、家に帰る勇気が挫け、行きつけの店で一杯やって時間を潰してから帰る。これは職場や家庭以外の第3の空間を居場所にしようとの試みと言える。  このような事例が多いことから、夫の帰宅恐怖症候群などと言われたことがあったが、未だにそうした疎外状況が改善されているとも思えない。家庭に自分の居場所がないと感じる場合は、しっかりと現実を見つめ、何とか対処法を考える必要がある。その際に、踏まえておきたいのが、配偶者の心理状況である。 「主人在宅ストレス症候群」  配偶者といるときの居心地の悪さに苦しんでいるのは、じつは夫だけではないのだ。原因不明のめまいや胃痛、手足のしびれ、動悸、不眠、耳鳴り。病院でいくら検査をしても異常はみつからない。問診をしていくと、そうした症状の原因が夫にあることがわかってくる。そんなケースが増えているという。  思い当たる原因を振り返ってもらうと、「そういえば、主人が定年退職して家にいるようになってから眠れなくなりました」「主人が何か言うたびに心臓がキュッと痛みます」などといった話が出てくる。そのため、夫が家に居続けることによるストレスで妻が病気になるのかもしれないと思い至った医学博士黒川順夫は、この病気を「主人在宅ストレス症候群」と名づけた。  最近では、早期退職や失業などで40代から50代でも家にいる男性が増えたため、夫の定年退職後に限らず、このような症状に苦しむ妻が増えているという。  夫の帰宅恐怖症候群といい、妻の主人在宅ストレス症候群といい、中高年の夫婦は深刻なコミュニケーションの問題を抱えていることが少なくない。目の前のやらないといけないことに追われているうちに、深刻なコミュニケーション・ギャップが生じ、お互いに相手の気持ちがわからなくなっている。話すたびにすれ違いを感じ、話すのが面倒になってしまう。  これでは家庭が心地よい居場所になるわけがない。  明治安田生命が2021年に実施した「いい夫婦の日」に関するアンケート調査によれば、夫婦円満な人では61.7%が夫婦共通の趣味があると答えているが、夫婦円満でない人では13.0%しか夫婦共通の趣味をもっていない。ここから夫婦で共通の趣味をもつようにすることが、家庭を心地よい居場所にする秘訣と言えそうである。だが、定年後に行動を共にしようとすると妻に拒否される夫が多いという実態があるわけで、定年前からの関係性のケアが大切と言える。  ちなみに、同調査によれば、夫婦間の年間のプレゼント予算はこうなっている。  夫婦円満な人は3万9568円、夫婦円満でない人は1万8533円であり、2倍以上の開きがみられる。  配偶者の誕生日にプレゼントをするのは、夫婦円満な人では60.9%なのに対して、夫婦円満でない人では26.5%と、これまた2倍以上の開きがみられる。  結婚記念日に配偶者にプレゼントをするのは、夫婦円満な人では29.5%であるのに対して、夫婦円満でない人では4.9%と、6倍もの開きがみられる。こうしてみると日頃の気持ちの交換の蓄積も大きいと言えそうである。 榎本博明 えのもと・ひろあき  1955年東京都生まれ。心理学博士。東京大学教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授等を経て、MP人間科学研究所代表。『「上から目線」の構造』(日経BPマーケティング)『〈自分らしさ〉って何だろう?』 (ちくまプリマー新書)『50歳からのむなしさの心理学』(朝日新書)『自己肯定感という呪縛』(青春新書)など著書多数。
今のインドを語る上で欠かせない「教育」 「インド人」=“優秀”の裏に親の教育熱心さ
今のインドを語る上で欠かせない「教育」 「インド人」=“優秀”の裏に親の教育熱心さ AERA 2023年8月7日号より    急速な経済発展を続けるインド。世界的な企業のトップにはインド出身者の名を連ねる。そんな優秀な彼らを生み出した土壌に注目が集まっている。今のインドを語る上で、欠かせないキーワードのひとつが「教育」だという。AERA 2023年8月7日号の記事を紹介する。 *  *  *  教育現場に専門性の高い人材を紹介するマッチングサービス「複業先生」を運営するLX DESIGN(東京都)の金谷智社長(33)は25日早朝、羽田空港からインド便に乗り込んだ。初のインド上陸を前に金谷社長は期待を込めて、こう話す。 「人口が多いということは、子どもが多くて、学校が多くて、常に新しい先生を必要としているということ。オンラインで世界中をつなぎ、良い先生から学ぶ複業先生は受け入れてもらえるのではないか」  インドに拠点ができれば、ヨーロッパ、アジア、アフリカに近い立地を生かし、さらにサービス範囲を拡大したいという。  ニューデリーで金谷社長を出迎えるのは、同社メンバーで「複業先生」でもある見上真生さん(45)だ。もともと設備メーカーの駐在員として16年に渡印したが、のびしろいっぱいのインドの可能性を体感し、退社。妻と2人の娘とともにインドにとどまる道を選んだ。 「インドは『3割スタート』をさせてくれる国。とりあえず学校で導入してもらい、良さを伝えていきたい」(見上さん) AERA 2023年8月7日号より    金谷社長らが狙う「教育」も、今のインドを語る上で欠かせないキーワードのひとつだろう。グーグルやマイクロソフト、スターバックスなど、世界的な企業の最高経営責任者(CEO)には今、インド出身者がずらりと並ぶ。「インド人」イコール“優秀”という認識が定着するにつれて、彼らを生み出す土壌に注目が集まる。 「どの親も、子どもの教育に非常に熱心で厳格です」  と話すのは、ベンガルール市内で1歳から6歳までを対象にしたプリスクール「Papagoya」を経営するヘレン・イサールさん(38)。大学卒業後にノルウェーで4年半、マーケティングの仕事をした後、インドに戻り、長女(8)を出産。働き続けたかったが、当時は幼い子どもを長時間預かってくれる場所がなかったという。「だったら自分で創ろう」と16年にPapagoyaを立ち上げた。現在、市内2カ所の校舎に計100人の子どもたちが通っている。保護者の9割が共働きだ。ヘレンさんは、 「女性が働き続けることが、インドでも当たり前になりつつあることを感じています。机に座っての勉強ではなく、好奇心を持って自由に日々を楽しむことを大切にしています。良い学びは、将来の良い仕事につながることをみんなわかっています」  と熱心に語って、最後に付け加えた。 「インドは複雑な経済階級の国です。だから、全員が同じ教育を受けられるわけではなく、私の話がインドを代表するものでもありません。20人に聞いたら、20人が違うことを言う。それがインドです」  多様性と混沌を抱えながら発展していくインド。その実態も魅力もひとことでは伝えきれない超大国であることは間違いない。(編集部・古田真梨子) ※AERA 2023年8月7日号より抜粋
“札幌遺体切断事件”の衝撃 家庭内で噴出する猟奇的で残虐な事件、日本の「家族」に何が? 北原みのり
“札幌遺体切断事件”の衝撃 家庭内で噴出する猟奇的で残虐な事件、日本の「家族」に何が? 北原みのり 札幌遺体切断事件の容疑者親子の自宅  作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、家庭で起きる猟奇的な「家族の事件」について。  女友だちが青ざめてこんな話をしてくれた。  元カレの妻、という人からある日LINEにメッセージが入っていた。元カレのアカウントからである。 「○○の妻です。あなたのことは○○から聞いてます」  あまりに怖くてすぐにブロックしたそうだが、それでも不安が募っているという。彼女がその男と恋愛関係にあったのはもう何年も前、男が結婚する前のことだ。ところが男が半年前に結婚してから、週に数度のペースで男からLINEが送られてくるようになった。内容はほぼ全て、妻にフライパンで殴られている、後頭部を蹴られている、ナイフを突きつけられている、炎天下のベランダに出されている、食事を与えられない……という虐待の記録である。1度はナイフを突きつける妻の手を払ったところ「骨が折れた」と大騒ぎになり(折れていなかった)、警察に通報されたこともあったという。  どこまでが本当のことかは分からないが、朗らかで誰にも優しく(そしてとても優柔不断)、人気者の男だったはずが突然会社を辞めたり、昔からの人間関係を次々に切ったりするなど、悪い方向に変化して結婚生活に問題があるのは明らかだった。もちろん彼女は友人として「結婚を終わらせるしかない」とアドバイスをし続けたのだが、その度に彼は「彼女は間違っていない。彼女は可哀想なんだ。お前みたいな強い女には分からない。彼女は1人では生きられない。可哀想なんだ」とだいぶ失礼な方法で妻をかばい、「それは虐待だよ、逃げるしかないんだよ」とこちらが言い立てるほど、妻からの洗脳が深まり固定化していく……というような状況だったという。 「友だちとも家族とも縁が切れてる状態だから、何年後とかに、○○区の民家で白骨死体が発見とかいうニュースにならないか、心配なんですよね」  いつか生死に関わる事件に発展してしまうのではないかと不安だが、何もできることもないですよね……と彼女は言った。  事件の多くは家庭内で起きている。  性暴力の多くも家庭内で起きている。  家族というのは、底なしに暴力的になれるものだということを私たちは様々な事件から知ってはいるはずだが、それにしても、最近の日本で起きている「家族の事件」というものは、もはや乱世の世、羅生門ばりの凄まじさを見せているようにすら思う。  6歳の子を母親や叔父ら家族4人が殺し、スーツケースで遺棄したとされる神戸の事件は、加害者の残虐性が際立っていて言葉を失うあまりだったが、感想を述べることすらためらわれるレベルで想像の限界を超える猟奇・残虐・暴力性の高い事件が家庭内で噴出している。  また今年3月には、大津地裁で、57歳の女性が同居中の25歳男性に食事を与えず、大やけどを負わせるなどして死亡させた事件の判決があった。共犯者は21歳の彼女自身の息子で、殺されたのは女性のボーイフレンドだったという。彼女には他にも別の3人の同居男性に対する傷害罪もある。口に食パンを詰め込み窒息させるなどして、脳に障害が残ったという記録もある。私はこの事件が気になって、加害者の実家があった広島まで行くなど個人的に調べていたのだけれど、これほどの猟奇的な事件ですらワイドショーや全国紙が深く掘り下げないほど、今の日本はこんな猟奇的で残虐な家族内事件に溢れているということなのかもしれない。  歌舞伎役者の猿之助被告の両親に対する自殺幇助罪についても事件の解明が待たれる……と、一応「定型」の言葉を使ってみるが、「事件の解明が待たれる」などということなどあるのだろうか……とどこかで諦めるしかないのが、家族内事件である。家族関係があるからこそ、日常を共にする家族だからこそ加速化される暴力。狂気を含み、猟奇的ともいえるあまりに内省的な思考は、なぜ家族内で熟成されてしまうのだろうか……ということを社会が思考しなければ、このような家庭内の事件はなくなることはないのかもしれない。  家族内事件、その極めつきが、今、世間をにぎわしている「木原事件」と「札幌首狩り家族事件」だろう。どちらも「週刊文春」のタイトルから取ったものだけれど、文春の身も蓋もないタイトルには目が離せない。「首狩り家族」の文字を見たときは目を疑ったが、殺人の送り迎えをするような父親、切った首を自宅に持ち帰ったことを認識していたという母親など、いったいここに至るまでにどのような会話が、どのようになされていたのか想像を絶するものがある。ただこの事件、単純な「猟奇」というよりは、男性から暴行を受けたという話が一部報じられている。もし事実だとするならば、精神科医であり、患者から信頼されていたという父親が、医療にも法にも頼らず、つまり一切の公助を頼らず、家族だけで、つまり究極の自助で解決をしようとした点が、時代を象徴するようにも感じられる。なぜそこまで絶望できたのか、極端の選択を選ぶまでに何があったのか。  また木原官房副長官の妻の前夫の死にまつわる事件=文春によれば「木原事件」は、週を重ねるごとに、記者自身も想定していた域を超えた凄まじい内容になっている。自殺として処理された前夫の事件に「事件性がある」と再調査が行われた際、妻が重要参考人として警察に呼ばれたこと、結果的に「事件性がない」と警察庁長官が発表したが、そのことに「自殺を示す証拠はない」「事件性がある」と真っ向から反論をはじめた元捜査員の登場など、目が離せない状況だ。現職の官房副長官が「巻き込まれた」事件が今後どのように発展するのか分からないが、これも結局は家族の話である。家族の話であり、男女の話であり、合理的な判断や理屈を超えた「家族の事件」である。  すごい時代を生きていると思う。結婚は愛の象徴のように語られ、家族愛こそが正義・善であるかのようにうたわれ、敵は家族の外にあるかのように喧伝される社会で、家族の中で起きる殺意、暴行、虐待はエスカレートしているようだ。何年に1度起きるか起きないか、日本中が注目するレベルの衝撃度の高い猟奇的な事件がここまで続くと、これはもう「日本社会」の問題でしかない。日本の家族に何が起きているのか。それこそ、「真相の解明が待たれる」。
ニューヨークで「専業主夫」になった物理学者の子育てが話題 「哺乳瓶の洗浄で超伝導空洞を思い出す」ってなに?
ニューヨークで「専業主夫」になった物理学者の子育てが話題 「哺乳瓶の洗浄で超伝導空洞を思い出す」ってなに?   仕事のお昼休み中の妻と合流し、3人でランチを食べる久保さんファミリー(写真=本人提供)  日本加速器学会の学会誌で、「育児休業のすすめ:ニューヨークで専業主夫になった物理学者」という育休エッセーを発表し、ひそかに話題を呼んだ研究者がいる。高エネルギー加速器研究機構(高エネ研)に所属し、現在2歳半の娘を育てる久保毅幸さん。妻のニューヨーク(NY)勤務を機に、3年近くの育休をとり、家族で渡米した。NYでの過酷な育児の様子などを語った、異色の物理学者のインタビューを、ユーモアたっぷりなエッセーを抜粋(本文《 》の囲み)しながらお届けする。 *  *  * ――学会誌「加速器」に育休エッセーを寄稿した経緯を教えてください。 「加速器」の編集員の方から、「育児休業中の経験について書いてほしい」と話が来たんです。学会誌ってカタいものではなく、国内外の研究を解説する記事やイベント報告などが載る、いわば情報交換の場。育休は、そんなに驚くようなテーマではないんですよ。  どうせならほかの業界の人が見てもためになる……とは言わないまでも、読もうかなって思うような内容を目指したんですけど、エッセーをきっかけに5社以上の出版社さんから原稿の執筆依頼を頂いて、驚きました。今まで文才があるなんて言われたことはなかったのに。本は年に5冊読めばいいほうだし、日本語で何か書くというと、物理の解説記事か、科研費(研究への助成金である「科学研究費」)の申請書くらい。だからエッセーの文体は、科研費口調に近いと思います(笑)。 《高エネ研の上司・同僚は一切の躊躇なく私の(育休取得の)決断を支持してくれた。一般的に、職場で何かしらの決断をした際、それを同僚が支持してくれるか否かは、諸賢の日々の働きぶりにかかっていると言っても過言ではないだろう。本件で私が同僚達から快いサポートを得られたのも、私が長年にわたり築き上げてきた職場内での評価、すなわち「居ても居なくても同じ人」という評価のおかげである。》 雨の日に街を散歩する久保さん親子(写真=本人提供) ――3年近い育休を取るうえで、仕事上の懸念や不安は一切なかったのですか?  僕は、〝国際リニアコライダー〟という、宇宙誕生の瞬間を再現できる粒子加速器を開発するプロジェクトに携わっているんですけど、僕自身の仕事に限れば、チームでの実験よりも、一人で理論研究を進めるほうに重点を置いているので、周囲に迷惑をかける心配が少なくて。僕がいなくなって困ることって、実験関連の当番のシフトがちょっと早く回ってくるくらいです。  まあ、3年も離れていたら、世界中でいろんな研究が進んで完全に置いていかれちゃうだろうなとは思いました。でも、僕は天才ではないので、育休を取っても取らなくても、大発見やノーベル賞を逃すようなことはない。凡人でよかったです(笑)。 《晴れて専業主夫になりニューヨークへとやって来たのは、子の誕生から数か月が経った2021年5月のことである。~中略~(街では)危険な眼つきの男がすれ違う人々に罵声を浴びせながら歩いている様子などは最低でも1 日1 回は見る。人糞には要注意である。歩道を横切るように流れる黄色い液体は尿であるから踏んではいけない。地下鉄へと繋がるエレベーターの中は尿まみれで足の踏み場はない。踏むしかない。ここは地獄であろうか。否、ニューヨークである。東京に帰りたいと一日に何度も願うが、それは叶わぬ夢である。こうして私のニューヨーク専業主夫生活が幕を開けた。》 ――NYは育児向きの環境ではないのでしょうか?  インフラに関しては、日本と比べて圧倒的に不便です。駅にエレベーターがないし、あったとしても、中に尿とか便とか……。すごい臭いです。しかも夜になると、注射器で薬物を打っている人がいるから、頑張ってベビーカーを持ち上げて階段を登るしかない。  実際、僕自身は駅の改札で知らない人に背中を殴られたこともあるし、公園の子ども専用エリア以外はなかなか娘を歩かせられないですね。外では、必ずベビーカーに乗せています。スターバックスの入り口とかでベビーカーの方向転換をしていると、中からお客さんが走ってきてドアを開けてくれたりと、子ども連れに寛容なムードはありがたいんですけど……。 セントラルパークで蟻の観察をしている久保さん親子   《アメリカ人に、私が2 年半以上の育児休業を取っていると話すと驚かれる。「アメリカはこの点で本当に遅れている。日本は進んでいるんだなぁ」と感心されるのだ。私が日本人男性の評判を押し上げているのは間違いない。》 ――アメリカでパパ仲間をつくるのは難しそうですね。  平日公園に行くと、パパはもちろんママの姿さえもほとんどないです。アメリカは公的な育休制度があまり整っていなくて、基本的には両親共働きでベビーシッターさんが子どもの面倒を見ている。男性だけで子どもを連れている姿なんてほぼ見ないので、「なんだあのアジア人は?」って変な目で見られているかもしれないです。 《私の料理の腕前は酷いものだが、幸い、子どもはまだ味が分からない上、文句も言わないから簡単である。2 歳にもなれば、だいたい何でも食べさせて良い。しかし、どういうわけか逆に何も食べなくなる。味に厳格になり、不味いものは食べなくなるのだ。これは妻のせいである。時々私に代わって妻が美味しい夕飯を作るからだ。》 ――物理学者としての経験が、家事に役立ったことはありますか?  哺乳瓶を熱湯や蒸気で殺菌するときにいつも思い出していたのは、自分がこの業界に来て最初にやっていた、「超伝導空洞」という装置の洗浄です。ミクロのごみも許されない作業でした。哺乳瓶の殺菌状態を保つためには、絶対にタオルで拭いたり触ったりせず、自然乾燥すること。そのせいかは分かりませんが、うちの娘は生まれてから一度も熱を出したことがありません。 《私には短いながらも某省の官僚としてサラリーマンをやっていた時期があるが、少なくとも私にとっては、サラリーマン時代よりも今の主夫生活の方が圧倒的に気楽である。朝から晩まで、上司や同僚のプレッシャーもないなか、愛する子どもの世話をしていれば良いのだ。ただし、晩には上司が帰って来ることを忘れてはいけない。》 ――久保さんにとって、育児の喜びとは?  たとえば公園で遊ぶ娘が、階段から地面にピョンって飛ぼうとするとき、最初は足がほぼ浮いてなくてその場で屈伸するだけだったのに、今では当たり前のようにジャンプして下りてくる。新しいことができるようになる姿を見るのはうれしいですね。  夕方に台所で大根を切っているときとか、僕の母親やおばあちゃんのことを思い出して、自分を重ねるんです。ああ、きっと二人とも、こういう感じで子どものころの僕を見ていたんだなって。で、娘もきっと、今の僕の姿を覚えていてくれるのかなって思うと、なんだかあったかい気持ちになります。 《兎にも角にも、これから子を持つ読者諸賢には、育児休業の取得を強くお勧めする。可能なら2~3 年の育児休業を追求すべきである。特に、私の仕事を奪いそうな優秀な若手研究者は3 年と言わず30年休むとよい。》 ――育休期間もあと半年ほどで終わりますが、今後の予定は?  妻は仕事があってたぶん日本に帰らないので、子どもはNYに残るのか、僕と日本に帰るのかはまだわかりません。今はボケ防止を兼ねて、できるときに自分のペースで研究を進めていますけど、復帰するとシフトに入ったりミーティングに出たり面倒なことも増えるので、ちょっと憂鬱(ゆううつ)です。夏休みが終わる前、8月15日くらいの小学生の気分ですね(笑)。 (聞き手・構成/AERA dot.編集部・大谷百合絵)
「ウソの政治」が横行する日本 「憲政史に残る汚点」によって歪められた民主主義の根幹
「ウソの政治」が横行する日本 「憲政史に残る汚点」によって歪められた民主主義の根幹 2019年の桜を見る会で挨拶する安倍晋三首相(当時)    安倍晋三元首相による数々の虚偽答弁が発覚した「桜を見る会」問題。2020年12月24日には記者会見が行われたが、まるで「苦し紛れの弁明」が繰り返され、責任を取ることなく流されたままに……。“物言う弁護士”郷原信郎氏は、「政治に『最低限の信頼』を取り戻すためには、『虚偽答弁』の動機と経過を明らかにしていくことが不可欠だった」と振り返る。朝日新書『「単純化」という病 安倍政治が日本に残したもの』から一部抜粋、再編集し、解説する。 *  *  * 政治資金と個人資金の一体化  安倍氏の説明は、前夜祭をめぐる費用補填について何とかして追及をすり抜けようと腐心したのであろうが、その結果、安倍氏に関連する政治資金の処理に関する重大な問題を自ら明らかにすることになった。  安倍事務所では、安倍氏の個人預金から一定金額を預かって、安倍夫妻の個人的な支出の支払いをしていたと説明していた。それは事務所で扱う政治資金と個人の資金とが一体化し、最終的に、政治資金としての支出と個人の支出とに振り分けるというやり方がとられていたということだ。  そのようなやり方によって、前夜祭の費用補填については、合計800万円もの費用を、後援会として費用負担すべきところを、資金の拠出者の安倍氏が認識しないまま、個人資金で負担していたということなのである。  安倍氏については、政治資金と個人の資金の区別すらついておらず、どんぶり勘定になっていたということであり、逆に、政治資金が個人的用途に使われる可能性も十分にあることになる。これは、「昭和の時代」の政治家の政治資金処理であり、政治資金の透明化が強く求められる21世紀においては、全くあり得ないことだ。  前夜祭の費用負担に関連する安倍氏の説明は、ひたすら、自らの犯罪・違法行為の疑いをすり抜けようと、なりふり構わず、巧妙に組み立てたのであろうが、それが、かえって、安倍氏という政治家の政治資金処理に関する根本的な問題を露呈することになった。  議院内閣制は、総理大臣を中心とする内閣が、国会で真摯に誠実に答弁することが前提とされている。その総理大臣が、自らの政治上の責任に関わる重要な事項について説明不能の状況に陥ったのであれば、職を辞することになるのが当然だ。ところが、安倍氏は国会でも、記者会見でも「説明にならない説明」を繰り返した。そのため、「全国の法律家による告発」という形で公選法違反等の犯罪の嫌疑が司法の場に持ち込まれ、東京地検特捜部の「最低限の捜査」で虚偽答弁が明らかになった。  安倍氏の首相在任中に検察捜査の動きが表面化することがなかったことについては、当時、「官邸の守護神」とも言われていた黒川弘務・東京高検検事長の存在との関係も取り沙汰された。  もともと安倍氏の説明は、検察捜査によらずとも、国会の国政調査権でホテルニューオータニから明細書や領収書を提出させれば容易に判明していたはずの明白な「虚偽」だった。ところが、国会では、そのような「最低限の事実確認」すら行われず、検察も安倍首相辞任後になってようやく捜査に動き出した。その結果、「虚偽答弁」が明らかになるのに1年近くを要したのである。 弁明での「虚偽」の疑い  虚偽答弁が明らかになった後の安倍氏の「説明」についても、疑問点・問題点が多数残った。  安倍氏が説明未了の重要な点は、私がYahoo!ニュース個人の《「ホテル主催夕食会」なら、安倍首相・事務所関係者の会費は支払われたのか》と題する記事などで繰り返し指摘してきた「ホテルとの契約の主体」の問題だった。  安倍氏は、国会答弁で、「安倍晋三後援会は夕食会を主催したが、契約主体は個々の参加者だった」と説明していた。それについて、私は2019年11月当時から、「『桜を見る会』前夜祭に関して、安倍首相が『説明不能』の状態に陥った」と指摘していた。  虚偽答弁についての2020年12月の国会での説明後、野党の「総理主催『桜を見る会』追及本部」の質問状に対して、安倍事務所は、上記の契約主体に関する答弁を「事実と異なる答弁」の一つとして2021年1月5日付けで回答した。  問題は「契約主体が個々の参加者だなどという『荒唐無稽な説明』を、誰が考えたのか」という点だ。その説明に関しては、安倍氏も、「秘書から事実に反する説明を受けた」とは言っていない。公選法違反・政治資金規正法違反を免れる「言い訳」として、「契約主体は個々の参加者」という苦し紛れの説明を作り出したのは、安倍氏自身なのだろうか、それとも、そのデタラメな説明を敢えて進言した「知恵者」が誰かほかにいたのだろうか。  いずれにせよ、ホテルとの契約主体についての虚偽答弁について、安倍氏を問い質せば、「意図的な虚偽答弁」であったことが否定できなくなることは確実だった。  前夜祭の費用の補填を繰り返し否定していたのに、実際には多額の補填が行われていたことについて、安倍氏は、「費用補填を認識していなかった」と説明し、そのように認識していた理由について、野党の追及が始まった後の2019年11月に、自分の執務室から東京の安倍事務所の責任者に電話をかけて「5000円の会費で全てまかなっていたんだね」と確認し、その後「会場代も含めてだね」と確認した、と説明した。  しかし、前夜祭の問題について、国会での追及が始まった後に、安倍氏から、電話でそのように言われて、「同意」を求められた秘書が、「そうではありません。5000円以外に別に支払いをしています」と答えることなどできるはずもない。安倍氏の聞き方は、どのような費用がかかったのか、収支は発生したのかなどについて「事実を聞き出す」ものではない。「すべての費用は参加者の自己負担」と決めつけ、秘書側が、それに反する事実を説明できないよう抑え込んだだけだ。秘書としては権力者の安倍氏の意向に従うしかなかった。  それは、森友学園問題などでも繰り返されてきた「忖度の構図」と全く変わらない。  森友学園問題では、「私や妻は一切関わっていない。関係していたということになれば、総理大臣も国会議員も辞める」という国会答弁を行ったことが起点となって、佐川宣寿・元財務省理財局長以下が、その首相答弁が事実であることを前提に動かざるを得なくなった。その結果、近畿財務局では、決裁文書の改ざんまで行われ、職員の赤木俊夫氏の自殺という痛ましい出来事にまで至った。  安倍氏の説明のとおりだとすれば、それと同じ構図が、今回の安倍氏と秘書の関係において生じていたということなのである。  このように、安倍氏の説明には多くの疑問があり、桜を見る会問題でのウソが発覚した後も、さらにウソを重ねている疑いが濃厚だった。しかし、国会で、この問題について、「前首相」を徹底追及する場は、その後全くなかった。 「ウソの構図」が放置されたまま、安倍氏やその支配下、影響下にある政治家が日本の政治を動かすことは決して許してはならなかった。政治に「最低限の信頼」を取り戻すためには、安倍氏側や関係先に説明と資料提出を求め、ウソの中身をすべて明らかにするとともに、首相の「虚偽答弁」の動機と経過を詳細に明らかにしていくことが不可欠だった。  安倍氏は、記者への「弁明会」と国会で、凡そ説明にならない説明を終えた後、「次の選挙で信を問いたい」などと語った。  安倍氏が言っていることは、要するに、「『説明責任』など糞くらえだ。地元の有権者は、そんなこととは関係なく、無条件に自分を支持してくれる。だから、首相在任中の選挙はすべて圧勝してきた」ということだった。  安倍氏が、首相の国会での虚偽答弁という「憲政史に残る汚点」について、納得できる説明も行わないまま次の選挙で再び勝利することで禊が済まされるというのであれば、「虚偽答弁」の背景にある、日本の政治を支配してきた「ウソの構図」が放置されたまま、それ以降も、「説明責任を果たさないウソの政治」が横行することになる。  それは、弁解の余地のない首相の不祥事であった桜を見る会問題を、さらに「単純化」し、矮小化し、日本の民主主義の根幹を歪めるものだった。 郷原信郎 ごうはら・のぶお 1955年生まれ。弁護士(郷原総合コンプライアンス法律事務所代表)。東京大学理学部卒業後、民間会社を経て、1983年検事任官。東京地検、長崎地検次席検事、法務総合研究所総括研究官等を経て、2006年退官。「法令遵守」からの脱却、「社会的要請への適応」としてのコンプライアンスの視点から、様々な分野の問題に斬り込む。名城大学教授・コンプライアンス研究センター長、総務省顧問・コンプライアンス室長、関西大学特任教授、横浜市コンプライアンス顧問などを歴任。近著に『“歪んだ法"に壊される日本 事件・事故の裏側にある「闇」』(KADOKAWA)がある。
46歳で獲得した初タイトルを藤井聡太に奪われた木村一基 藤井の印象は「よく考える人」
46歳で獲得した初タイトルを藤井聡太に奪われた木村一基 藤井の印象は「よく考える人」 きむら・かずき/1973年6月23日生まれ、取材当時48歳。「千駄ケ谷の受け師」と呼ばれる受けの達人。2019年、史上最年長の46歳で初タイトル王位を獲得。現在NHK「将棋フォーカス」で講師担当中(2021年8月撮影/加藤夏子)  6月に史上最年少で名人位を獲得した将棋の藤井聡太七冠は、先日も棋聖戦を4連覇し、前人未到の八冠にまた一歩近づきました。AERAに連載した棋士たちへのインタビューをまとめた『棋承転結 24の物語 棋士たちはいま』(松本博文著、朝日新聞出版)では、渡辺明九段をはじめ多くの棋士が、藤井七冠との対局の印象を語っていて、小学生だった頃やルーキー時代からタイトルを獲得していった現在まで、藤井七冠の軌跡が感じられます。2021年9月27日号に掲載された木村一基九段のインタビューでは、史上最年長タイトル獲得者である木村九段が史上最年少タイトル獲得者の藤井七冠を「よく考える人」と評します。(本文中の年齢・肩書はAERA掲載当時のままです) *  *  *  2019年。木村一基は豊島将之王位に挑戦。最終戦を会心の一局で締め、七番勝負を4勝3敗で制した。 「『ああ、終わった』という感じでしたね。勝ったらついてくるようなものは、対局中には考えていません。こうやったら詰むとか詰まないとか、そういうことだけです」  局後のインタビュー。涙もろい木村は泣かないように気をつけていた。しかし家族のことを聞かれてダメだった。 「妻が朝、弁当を作っている光景を思い出してしまって……。人はとっさに何が思い浮かぶのか、わからないですね。そのときに妻や娘たちが私を置いてトルコ旅行に行ったことを思い出せば泣かなかった。王位挑戦を想定していないから重なっちゃって、『やめるともったいないから行ってくれば?』って言ったら、本当に行っちゃった」  46歳での初タイトル獲得は、従来の史上最年長記録を大幅更新。木村の快挙は多くのファンから祝福された。しかし木村自身は、そう自慢にはならないという。 「取る、取らないとでいえば、取れたことはうれしい。でも取った中では劣等生ですかね。次のタイトル争いにもからめませんでしたし」  20年。木村に挑戦してきたのは、将棋界の主たる最年少記録を次々と更新している藤井聡太(七番勝負開幕時点で17歳)だった。 「自分が若いときに比べても、よく考える人だな、と思いました」  抜群の才能を持つ藤井は、要所では集中力を発揮して読み抜いていく。木村は4連敗で王位を失い、史上最年少二冠を許した。  ほどなくNHK杯という注目される舞台で両者は再戦。そちらでは木村が勝利した。 「負け続けだったので、一局勝ててほっとしました。藤井さんは将棋界の主役でしょう。対局の完成度とかを見ても、今後も彼を中心に回っていく感じがします。私は藤井さんと当たることだけを特別に意識しているわけではありません。何人もいる相手のうちの一人ですから。誰との対戦でも、どれだけ自分なりの準備ができ、どれだけの手が指せるかにかかっているので」  現在の将棋界は、ハイスペックなコンピューター、最新のソフトを用いての研究が必須。木村も若手に負けず、その競争についていく。 「やっぱりそういったところは持ち続けないと。私なんか一生懸命やっても現状維持がせいいっぱいだから。それをなくしたら、グラフがこうですよ」(指をガクッと下げるしぐさ)  木村は現在、超早指しのABEMAトーナメントでも大活躍している。自身抜群の成績をあげ、率いるチームは決勝に進出した。ベテランにとって不利とも思えるルールで、なぜここまで勝てるのか。 「我慢しなくてもいいことが大きいのかと思います。普通の持ち時間が長い対局だと、形勢が不利なときは我慢して相手のミスや、ややこしくなるのを待っているのがいいんです。でも年老いるにしたがって我慢が足りなくて負けることが増える。それが早指しだと目立たず、かえってうまくいったりすることもあって」 (文/松本博文) ※松本博文著『棋承転結 24の物語 棋士たちのいま』(朝日新聞出版)から一部抜粋/AERA2021年9月27日号初出
雅子さまが皇居で愛しむ蚕「この子はちゃんと食べられるかしら」 愛子さまも飼育歴10年以上
雅子さまが皇居で愛しむ蚕「この子はちゃんと食べられるかしら」 愛子さまも飼育歴10年以上 養蚕の作業をする天皇、皇后両陛下と長女愛子さま=5月30日、皇居内の紅葉山御養蚕所、宮内庁提供    皇后雅子さまは今月19日、皇居で「御養蚕納の儀」に臨み、今年の養蚕の作業を終えた。皇后による養蚕は明治時代に始まり、大正の貞明皇后、昭和の香淳皇后、平成の皇后美智子さまと、約150年にわたって継承。令和に入ってからは、天皇陛下と長女の愛子さまも一緒に作業する光景が馴染み深いものとなった。いまでは世間で馴染みのない養蚕だが、実は小さくない役割を担っている。 *   *   * 「この子はちゃんと食べられるかしら」  皇居にある「紅葉山御養蚕所」。仲間と離れてしまった1頭の蚕を見つけた雅子さまは、こう言葉をかけてほほえんだ。  明治時代の日本の輸出産業の柱だった製糸業。明治天皇の妻である昭憲皇太后は、奨励のために養蚕を自ら行った。戦後に養蚕業は衰退したが、皇室では大切な伝統行事として歴代の皇后が守ってきた。  紅葉山御養蚕所で皇后は、専門の職員と毎年5月から7月まで養蚕の作業にあたる。  天蚕(てんさん)の種を和紙に貼り付けたものをクヌギの枝につける「山つけ」や、蚕を蔟(まぶし)という器具に移す「上蔟(じょうぞく)」、器具から繭を外す「繭掻き(まゆかき)」、繭の両端を切って成虫が繭から出やすくする「繭切り(まゆきり)」まで、雅子さまは天皇陛下や愛子さまとほぼ一緒に、一連の作業をこなしてきた。    平成の時代も、上皇さまが美智子さまと一緒に繭を収穫することはあった。しかし、令和に入ると、生き物好きで知られる天皇陛下のご家族がそろって作業する機会が増えた。  なかでも愛子さまは学習院初等科の3年生のときからお住まいで蚕を飼い始め、10年以上にわたって毎年、卵からふ化させているのだ。 正倉院宝物の復元にも  7月19日の「御養蚕納の儀」では、雅子さまが収穫した純国産種の「小石丸」など3種の繭から紡いだ生糸を神前に供えた。この小石丸の保存に力を入れたのが、上皇后の美智子さまだ。 愛子さまが育てている蚕からとれた繭=2022年6月16日、皇居・御所、宮内庁提供    小石丸は外国産の繭よりひと回り小さく生産性が低かったために、外国産の繭に押されて一般では生産されなくなった。しかし、美智子さまは小さく愛らしい日本の繭が姿を消すことを惜しみ、紅葉山御養蚕所で大切に育ててきたという。    一方で小石丸は、重要な役目を果たしている。その一つが、皇居でつくられたこの絹を使った、正倉院の宝物の古代絹織物の復元事業だ。  聖武天皇の遺愛品である「螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)」の弦や、奈良時代の舞楽装束「笛吹襪(ふえふきのしとうず)」を復元する材料として、小石丸の絹糸が用いられたという。 育てた蚕は愛子さまの装束に  さらに小石丸は、身位の高い内廷皇族の衣装にも使われている。  愛子さまが数えで5歳を迎えた年の元日。愛子さまは「御地赤(おじあか)」の着物を身に着けた。  着物を作った「染の聚楽」代表の高橋泰三さんが、こう話す。 「御地赤とは、天皇陛下の直系の女性皇族である内親王方が成人になるまで、元日など節目となる日に身につける宮中の伝統的な着物です。上品な朱赤の絹地に、松や梅などおめでたい柄の刺繍が金糸で施されています」  御地赤を依頼したのは、当時皇后だった美智子さま。仕立てる絹の生地は、宮内庁から届いた。小石丸からつくられた生地だった。  さらに2006年11月、愛子さまは一般の七五三に当たる「着袴(ちゃっこ)の儀」に臨んだ。上皇ご夫妻から贈られた袴にも、この小石丸が使われたという。  泰三さんは、過去に秋篠宮家の長女小室眞子さんと次女の佳子さまの御地赤もつくったが、小石丸の生地が渡されたのは愛子さまの御地赤のみという。 「同じ内親王でも、内廷皇族である愛子さまの御地赤は別格の扱いでした」 皇后の祈りの参拝服にも  小石丸の繭で紡がれた絹は、皇后の参拝服にも用いられる。  上皇さまと美智子さまは2014年、式年遷宮があった伊勢神宮(三重県伊勢市)を参拝した。20年ぶりに剣と璽(まが玉)が皇居から持ち出され、伊勢神宮に置かれた鏡と合わせて、皇位継承の象徴である三種の神器がそろう日でもあった。  この日、美智子さまが身につけていた白い帽子とドレスは、小石丸の絹織物だった。女性皇族の参拝服は絹織物で仕立てられるが、なかでも皇后の参拝服は別格なのだ。 「皇后さまは、昔に仕立てたドレスやスーツなども大切にお召しになるので、新しくおつくりする機会があまりございません。ただ、小石丸でおつくりした参拝服は、一着はお持ちのはずです」  皇室の事情に詳しい人物は、そう話す。  雅子さまが、天皇陛下と愛子さまと一緒に慈しんで育てている小石丸。小さな蚕が、日本の歴史と伝統を支える一つになっている。 (AERA dot.編集部・永井貴子)
「同じ1分でも藤井君は読める量が違う」 渡辺明が脱帽した藤井の強さとは
「同じ1分でも藤井君は読める量が違う」 渡辺明が脱帽した藤井の強さとは わたなべ・あきら/1984年4月23日生まれ、取材当時36歳。タイトル三冠を保持し「現役最強棋士」の呼び声も高い。趣味は競馬、カーリングなど多彩。妻のめぐみさんが渡辺家の日常を描く漫画『将棋の渡辺くん』も好評(2021年3月撮影/写真映像部・東川哲也)  6月に史上最年少で名人位を獲得した将棋の藤井聡太七冠は、先日も棋聖戦を4連覇し、前人未到の八冠にまた一歩近づきました。AERAに連載した棋士たちへのインタビューをまとめた『棋承転結 24の物語 棋士たちはいま』(松本博文著、朝日新聞出版)では、渡辺明九段や谷川浩司十七世名人をはじめ多くの棋士が、藤井七冠との対局の印象を語っていて、小学生だった頃やルーキー時代からタイトルを獲得していった現在まで、藤井七冠の軌跡が感じられます。2021年4月19日号に掲載された渡辺明九段のインタビューでは、21年2月に藤井七冠に負けた敗因について語りました。(本文中の年齢・肩書はAERA掲載当時のままです) *  *  *  2021年2月の朝日杯準決勝。渡辺明名人は藤井聡太二冠を相手に途中まで完璧な試合運びで優位に立った。しかし秒読みの終盤で追い込まれて逆転負け。最後、藤井玉には難解な詰みがあったが、渡辺は気づかず、藤井は気づいていた。 「同じ1分でも藤井君は読める量が違う。最後、僕があの詰みを読めていれば勝ちだけど、それはもう僕の勝ちパターンじゃないんですよ。自分の勝ちパターンで勝てない時点でもう追い込まれている。それ以前の段階で決めるのが僕の勝ちパターンなんで」  渡辺棋聖に藤井七段(肩書はいずれも当時)が挑戦した棋聖戦五番勝負。第1局は20年度を代表する名局となった。藤井は最終盤、渡辺に対して信じられないような踏み込みを見せて勝ちきった。 「他の人は『無理だ』と思ってああいう筋には踏み込んでこないです。普通はもうちょっと息長く、安全にいく。それをいきなりバーンといって。勝ち切れなければ暴発です。勝てると思ってきてるわけですから、そこはやっぱり、藤井君はちょっと他の棋士とは違いますよね」  17年度、渡辺は生涯初の負け越しを経験。それを機にAIでの研究を採り入れ、以後も変わらず頂点に立ち続けている。 「5年ぐらい前は、序盤はある意味適当でした。序盤のセンスというのが自分としては苦手分野だったんです。いきなり変化球投げられてちょっと対応できない、とか。AIを使って序盤の研究をして、色んなプランを立てるやり方を採り入れたことで、名人にまでなることができた。そういう将棋が向いていたんでしょう。ただ、どんなスポーツでも一つのチームがいい状態を保てるのはだいたい3年ぐらい。自分もAI研究を採り入れて3年経ったので、変化を付けなければいけないという気持ちはある。そんなに大きく変えるわけじゃなく、自分にしかわからないちょっとした日々の行動の意識などですね。棋士人生は長いんで、飽きがこないようにやるのも大事と思います」 (文/松本博文) ※松本博文著『棋承転結 24の物語 棋士たちのいま』(朝日新聞出版)から一部抜粋/AERA2021年4月19日号初出
デヴィ夫人がジャニー氏擁護で炎上 権力者の“成り上がり”の背後で性被害者の声は踏みにじられてきた 北原みのり
デヴィ夫人がジャニー氏擁護で炎上 権力者の“成り上がり”の背後で性被害者の声は踏みにじられてきた 北原みのり デヴィ夫人(写真:Pasya/アフロ) 作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、デヴィ夫人のツイートについて。 *   *  *  もう20年以上も前の話。某テレビ番組で一緒になったデヴィ夫人に「あなたはブスではない」と言われたことがあります……と、デヴィ夫人が炎上している今日この頃ふと思い出しました。  ミスコンの是非について討論する番組でした。テレビの恐ろしさを知らずうかつに「ミスコンに反対するフェミニスト」として出演し、私はこんな話をしたのでした。 「電車で隣に座った男が股を大きく広げたので注意したら『ブス!』と言われたんです。驚いてその男の顔を見たところ、とても不細工だった。なぜ、男は男というだけで、女の顔を評価する立場にあると思えるのでしょうか! 皆さん! この問題について考えましょう!」 「ルッキズム」という言葉をもたない2000年代ジャパンで、私はジェンダーが深く関わる美醜問題に鋭く切り込んでいったのである……と言いたいところですが、実際には、「ブスと言われたんです」と言いかけたタイミングでデヴィ夫人が「でも、あなたはブスではない」とズバッと割り込んできて私の話は強制終了させられたのでした。その瞬間、え? と戸惑う私の顔がテレビでアップになったのだと思う。テレビ放送後、「見ちゃったよ……」と申し訳なさそうに私の顔を見る(または見られない)友人の深い同情の目に私はどれだけ傷ついたことか……ああーッ。当然、私や他の出演フェミニストたちの「美醜で女を差別するな」の“正しさ”は嘲笑されただけという結果。ああいうテレビの世界でやっていけた田嶋陽子先生はやはり化け物級の強さがあり、そしてデヴィ夫人の底知れぬスター性にしみじみ圧倒されたものです。  今、デヴィ夫人がジャニー喜多川氏の性加害問題について持論を述べたツイートが話題になっています。デヴィ夫人は、ジャニー氏の功績を称え、被害を告発する被害者や、被害者擁護に立つ人を「非礼極まる」と一刀両断し、権力者に寵愛されることも一つの豊かな人間関係……と、ざっくり言えばそのようなことをツイッターで発信したのでした(例に24歳年の離れたジャン・コクトーとジャン・マレーの関係を出していたけれど、マレーはコクトーに出会ったとき既に成人)。  1931年生まれのジャニー氏と、1940年生まれの後のデヴィ夫人となる根本七保子さん。どちらも敗戦後の日本の発展と歩調を合わせるように、自らの人生を頂点までかけあがらせ財産と地位を一代で得た人。強烈な貧しさの中にあった日本が、世界一の豊かさを手に入れるまでの時代をドラマチックに生き抜いたという意味では、広い意味での同世代の人と言えるのかもしれません。とはいえ、やはり男のジャニー氏のかけあがり方と、女のデヴィ夫人の上昇方法は、全く違うものであったことでしょう。  今回のデヴィ夫人の容赦ない被害者へのムチ打ち発言からは、この人自身も被害者だったのだろうな……と想起させるもののように私には読めました。過酷な性被害を受けながらも性被害を性被害と思わずに強く生きてきたプライドを持つ人が、性被害を訴える声を憎み封じることはよくある話だからです。  デヴィ夫人の『選ばれる女におなりなさい デヴィ夫人の婚活論』を読みました。アマゾンで数百以上も高い評価がついているベストセラー。女にとって結婚とは「男に選ばれる」こと、そしてその結婚によって人生を大きく踏み出す一歩となるという持論のもと、デヴィ夫人は自らの人生を振り返りながら、「男からの選ばれ方」を婚活世代に向けて説きます。そこには結婚によって自分の「階級」をあげようと思う女性たちを鼓舞する、たとえばこんな言葉に溢れています。 「貧しさは神から与えられたギフトであり、イデオロギーであり、パワーの源なのです」  そう。貧しかったからこそデヴィ夫人は学業を諦め、17歳でその美と若さを力に男たちが集うクラブで働きはじめます。当時のデヴィ夫人の写真が本の表紙になっていますが、文字通り、息をのむほどの美しい18歳のデヴィ夫人がいます。俳優としての才能があれば、どれほどの熱狂をまきおこしたことでしょう。  時代は1950年代後半。朝鮮戦争後の日本は急速な右肩あがりの好景気のただ中にいました。そういうなか、日本の敗戦処理として、インドネシアへの戦後賠償の事業を担っていた商社の男性に根本七保子さんは39歳年上のスカルノ大統領を紹介されます。賠償金額は当時のお金で2億2300万ドルで、その賠償金をめぐって日本の商社が熾烈な争いをしていました。スカルノ大統領に対して、若い美人を“差し出す”取引があったことは、当時から言われていました。19歳の根本七保子さんも、そういう女性の中の1人だったのでしょう。それでも、超美人の若い女が「商品」になる男の世界でしか起きえないドラマチックな展開に、根本七保子さんは全くひるみません。いやむしろ積極的に立ち向かうのです。実際、根本七保子は何人かの女性たちの中からスカルノ大統領に「選ばれます」。デヴィ夫人は当時のことをこう記しています。 「わたくしは“選ばれた”のです。選ばれた以上、それにこたえるのはわたくしの役目ではないでしょうか」  選ばれたのだから主導権は女の私にあった……というふうにデヴィ夫人は婚活論をすすめます。とはいえ、その種の主導権のもろさを一番知っているのはデヴィ夫人でもあります。スカルノ大統領が浮気をしたことも率直に書きながら「男は浮気するもの」と、むやみに傷つくな、男とはそういうもの、選ばれるためには目をつむるのが女のマナーとして今の時代の女たちに「婚活論」を説くのです。  日本のテレビ界は、デヴィ夫人を大物の男に選ばれた成功者のようにして迎え入れ、そしてデヴィ夫人もその役目を果たしてきました。曰く、「日本人でただ一人、海外の国家元首の妻になったわたくし」としての役目です。でも、そもそもでは、なぜデヴィ夫人はそれまで行ったこともない国の元首と、ほとんど初対面で「結婚」することになったのか。しかも19歳の決断で。それは誰の欲望だったのか。という物語こそ、実は私たちが目を伏せていたものなのかもしれないと、今回のデヴィ夫人の発言で改めて気がつかされる思いになります。なぜ、私たちは「その物語」を直視してこようとせず、「一国の元首となった妻としての成功物語」だけを消費してきたのか、と。  ジャニー氏の性加害が明らかになってから、私はジャニー氏が朝鮮戦争に軍属として関わり、韓国で子供たちに英語を教えていたことを初めて知りました。先日、服部吉次氏が70年前の被害を告発しましたが、ちょうど朝鮮戦争からもどってきた頃のジャニー氏からの被害でした。と考えれば、もしかしたら韓国にも被害者がいるのではないかというのは、全く方向違いの予想ではないでしょう。  ジャニー氏の性加害の実態が、被害者の声によって明らかになってきました。#MeTooの声はとどまる気配がありません。長期にわたり、私たちの想像を絶する頻度で、無数の子供たちが被害にあっていたことがうかがえます。そしてその事実を多くの人は「知りながら」、誰も正面から見つめようとはしなかった。敗戦後の日本の成長と歩調を合わせるように歩んだジャニー氏にひれ伏しはしても、誰もとがめなかった。なぜなら、成功は正義だから。でも、そういった「成り上がり」の背後で、私たちが踏みにじってきたもの、踏みにじられてきたものの声が、ようやく今、姿を現してきたのかもしれません。まだまだ私たちは敗戦処理を終わらせていないのかもしれない。私たちは焼け野原の東京の延長にいる。そこは見て見ぬふりをしてきた暴力の世界です。  ジャニー喜多川氏の性加害事件がこの社会に見せたものは、私たちが考えている以上に大きいのかもしれません。
【下山進=2050年のメディア第4回】チェスとナチス 自殺直前に投函したユダヤ人作家の小説は
【下山進=2050年のメディア第4回】チェスとナチス 自殺直前に投函したユダヤ人作家の小説は 『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』より。ドイツ映画。シネマート新宿他で公開中。(c)2021 WALKER+WORM FILM, DOR FILM, STUDIOCANAL FILM, ARD DEGETO, BAYERISCHER RUNDFUNK 「その手は駄目だ。敵は罠をしかけた。g8からh7へキングを移せ」  豪華客船のバーで、チェスの世界チャンピオンが13面指しだろうか、大勢の相手とチェスをしている。チャンピオンは次々に盤面の向こう側の相手をくだしていき、最後の一人がある手を指そうとしたとき、後ろから思わず声をかけた中年の紳士がいた。  指し手はその船のオーナーだったが、この中年の紳士の言うとおりにそれ以降の手をうっていき、なんとその世界チャンピオンとの勝負を引き分けに持ち込む。  オーナーは信じられないというようにその紳士の素性を訊ねる。さぞかし高名な指し手であろう、と。ところが紳士はこう言うのだ。 「本当に駒に触れたのは人生で今日が初めてだ」  チェスの話が好きだ。  天才的チェスプレイヤーとしてソ連のボリス・スパスキーを世界選手権で破って冷戦のヒーローとして名を馳せたにもかかわらず、その後ぷつりと消息を絶ったボビー・フィッシャーについては、出版社にいた時代にノンフィクションをひとつつくっているし(『完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』)、8月末に文庫版が出る『アルツハイマー征服』の中で重要な役割をはたす天才科学者も、チェスの名手だ。  その天才科学者に、新宿のパークハイアットホテルの朝食に招かれたが、静かなラウンジにつくと、彼がポケットチェスを出して朝陽さすテーブルで一人チェスをしているのを見て痺れたこともある。  ということもあって、先週金曜日(21日)に公開の始まった「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」という映画を観た。冒頭は、その映画からの一シーンである。  この映画は、オーストリアからの亡命ユダヤ人作家だったシュテファン・ツヴァイクの最後の作品『チェス奇譚』(杉山有紀子訳)を原作にしている。  ツヴァイクは、ナチスが台頭するオーストリアを1934年に逃れブラジルに滞在していた。リオデジャネイロでこの『チェス奇譚』の原稿を書き上げるとそのタイプ原稿を一通は、ニューヨークの出版社、一通はユダヤ系出版社、そして一通をリオの翻訳者宛に投函し、その夜、妻と一緒に服毒自殺をとげている。  日本ではみすず書房が全集を出していたが、忘れられた作家と言っていい。私も、実はまったく知らなかった。今回、映画をみて、初めて幻戯書房から出た新訳を読んだが衝撃をうけた。  70代以上には有名な作家だったらしい。月刊『Hanada』編集長の花田紀凱は文春の若手編集者だったころ、故田中健五から「面白いから読んでみろ」と言われて、やみつきになり、全集をそろえたと言っていたし、故児玉清の愛した作家でもあった。  本来は伝記作家として有名だが、この『チェス奇譚』は、ユダヤ人として故国を逃れた自身が投影された短編だ。豪華客船のなかの試合で世界チャンピオンと引き分けに持ち込んだ紳士は、オーストリアから亡命をしたユダヤ人という設定である。  公証人として他のユダヤ人の巨万の富を管理していたその紳士は、オーストリアがドイツに併合されたその夜逮捕され、ホテル・メトロポールというナチスが接収したホテルに時計をとりあげられ軟禁をされる。402号室には、何も読むものがない。話す人もいない。一日に一回、ドイツ兵がスープとパンを運んでくるが、彼は一言も言葉を発しない。  時折、排気口を伝わって悲鳴が遠く聞こえてくる。他の部屋で軟禁されている者が、拷問をうけているのだろうか。  威厳に満ちた公証人だった彼は、時間をとりあげられ、読むものをとりあげられ、次第に狂っていく。ころあいをみて、秘密警察のベームが執務室に呼び出し、スイスの銀行にあずけた富豪たちの秘密口座の暗証番号を教えるよう、うながす。話せば、外に出られる、と。  時折あるその呼び出しは、意味もなく控室で2時間も3時間も待たされる。それがまた彼の神経を苛むのだが、そこで彼は、監視の隙をついて、本を一冊くすねることに成功するのだ。  独房とも言える402号室に帰ったとき、その本をいさんでとりだし読もうとするが、それはチェスの過去の世界戦の棋譜がただ収録されたものだった。  心底うちのめされるのだが、それからチェスを知らない彼は、一つ一つルールを咀嚼しつつ、過去の世界戦を、頭の中で何度も何度も繰り返すのだ。  窓は防火壁で塞がれ昼も夜もわからない。その部屋でひとり白と黒にわかれて無限のゲームを繰り返す。  ツヴァイクが描くユダヤ人公証人の内面の心理は、実は作家という仕事そのものの内面を描いているかのようだ。特にフィクションの作家は、自分の頭の中で、白と黒のふたつの人格にわかれて、無限のゲームを戦っている。それをどんな抑圧下にも負けない精神の自由と表現することもできるだろう。が、ツヴァイクが、『チェス奇譚』の中で描くように、狂気と紙一重でもある。  ツヴァイクは、反ファシズムの運動には関わらなかった。というのは、ツヴァイクは、1920年代にソ連に招かれ旅行をしていたが、そのときの経験から、マルキシズムに対してもナチズムと似た冥(くら)さを感じていたからだ。ツヴァイクはイデオロギーから常に独立していようとしたが、それが文壇での孤立にもつながり、マルキシズム全盛の戦後には、作品が「通俗的」として遠ざけられる要因にもなった。  言葉も通じない異国での孤独のなかで、ドイツ軍の快進撃のみならず、日本の真珠湾攻撃や、シンガポール陥落のニュースを知る。世界は日独のものになるという暗い予感から1942年2月22日深夜、妻ロッテとともに死を選んだのである。  そのわずか4カ月後には、ミッドウェイ海戦で、日本が大敗し、翌年正月には、東部戦線でもドイツの後退が始まるとは、夢にも思わずに。  ところで映画と原作には当然のことながら違いがある。そのうちの大きなひとつは、世界チャンピオンとの船上での再戦の帰結だ。原作では、公証人は、世界チャンピオンに敗北をきっすることになる。ヒートした脳細胞は、いつしか、盤面の試合ではなく、過去の世界戦を公証人が戦っているという錯乱で終わっている。  映画は、これを見事に脚色し、この再戦と、秘密警察の最後の尋問を交互に描く。公証人はついに口をわり、秘密警察側は必死にそのメモをとるが、そのアルファベットと数字の羅列は口座番号でも暗号でもなく、チェスの棋譜だった。  映画では、チェスの再戦自体も勝利に終わっている。つまり、原作は、全体主義に対する敗北を描いているとも言えるし、映画は勝利を描いているとも言えるのだ。   下山進(しもやま・すすむ)/ノンフィクション作家・上智大学新聞学科非常勤講師。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた。主な著書に『2050年のメディア』(文春文庫)など。 ※AERA 2023年7月31日号
男が安心してニヤニヤし女が娯楽の対象となる文化 日本全国どこに行っても逃れられない 北原みのり
男が安心してニヤニヤし女が娯楽の対象となる文化 日本全国どこに行っても逃れられない 北原みのり 写真はイメージです(Getty Images) 作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、男のニヤニヤ文化について。 *   *  *  連休中、旅先で出会った日本の男たちの話です。  漁港の町で。地元の人が教えてくれた寿司屋のカウンター。ホヤ、イカ、鰹、サバ……どれも美味しくうっとりしていたところ、寿司職人(60歳ぐらい?)の男性の背後にあった酒のメニューに箸の手が止まった。「チンチンボー○○円 マンコー○○円 クリコー○○円 ペニ黒○○円」手書きのメニューである。それぞれの名前の下には()付きで正式な日本酒やウイスキーの名前が記されていた。  同時に “それ”に気が付いた友人が「これ、どういう意味?」と聞くと、カウンターに並ぶ常連客が、「冗談、冗談」と笑い、寿司職人もニヤニヤとするのであった。その瞬間、口の中のトロがゴムになった。それ以降、何も口に入らなくなってしまった。イクラが残っていたけれど無理だった。  というと、まるで繊細な規律委員みたいに思われるかもしれないが、忘れないでほしい、私はバイブ屋である。気持ち悪いのは性器の名ではなく、男のニヤニヤだ。下ネタで男たちが安心して笑える空間は、結局のところ、女性の反応を男たちが楽しむためのものだ。なかには過剰順応して、マンコーください! と大声で注文するような女もいるだろう。でもそれすらも、結局は男の娯楽。ただフツーに食事を楽しみたい場所ですら、男の空間として女が娯楽の対象となるのが、日本全国の日常の景色になってしまっているのだろうか。  翌日、気を取り直して朝市に出かけた。朝5時から開かれる漁港の朝市にはずらりと、あげられたばかりの魚介だけでなく、野菜や、自宅でつくった総菜や、庭で採れた花を売っているおばあさんもいる。その場で挽いたコーヒーを飲み、その場で焼かれたパンを食べ歩きしながら潮の香りを感じ、ああ幸せ~! な思いでいたところ、キュイーーーーーーーーン! と耳をつんざく爆音が響き、女性たちの甲高い声で○◇##△$¥$%#!“!”$#$&&”! と全く聞き取れない歌が始まった。声のするほうに行くと女子高校生風の制服姿の若い女の子たち数人が、元気になろうー! みたいなことを歌い、踊っていて、その周りをオジサンたちが取り囲んでいた。とたんに、キラキラしていた朝市が秋葉原と同じ景色になる。所構わず、時を選ばず、「制服姿の女の子」を必要とするのはいったい誰の欲望なのか。ここでも規律委員みたいな顔を私はしていたのかもしれないが、「若い女の子が踊っているのを見るのがイヤ」なのではなく、日本全国どこに行っても「制服姿の若い女に癒やされるのを当たり前と思う男たちのニヤニヤ」がイヤなのである。  そんな朝市を去る前に、最後にブルーベリーでも買って帰ろうと財布の中の小銭をがちゃがちゃ探し、女友だちと朝食代の細かな精算を100円単位でしていたら、「女勘定だね~」と地元の人に笑われた。細かな精算をチマチマすることを「女勘定」とここらあたりでは言うらしい。日常で使われる言葉一つひとつに、「女」が貶められているんだなぁとしみじみしながら、「はい、女はしっかり計算するので」と笑いながら返せるくらいには私も年を取ったのだと思う。  田舎だから、というのではなく、こういう日常は都心でもあることだ。日本全国どこに行っても逃れられない性差別をベースにした男のエロと男の癒やしの文化が、この国のスタンダードになっていたりするのだろうか。だとしたら旅をするにも覚悟が必要になるよね……という話を3連休後に友人にしたら、彼女が行った旅先の「私が出会った男たち」の話をしてくれた。こんな話だ。  まず空港に降り立ち1人でタクシー待ちをしていたところすぐに中年男性にナンパされた。無視すると、彼女の前に並んでいた女性に声をかけはじめた。迷惑しているのがわかるので背後から「やめてください」と注意すると、「はぁ?」といった調子で絡んできたという。彼女の背後には入れ墨の入った若い男がいたのだが、何かあったら助けてくれるかと思いきや、終始ニヤニヤと彼女と男のやりとりを見ていたそうだ。その後、友人と合流して高級割烹へ。そこで、地元の金持ちらしき40代半ばぐらいの男たちがずーっと風俗の話をしているのを聞かされたという。男たちは、「喧嘩と女、どっちが楽しいかな」とニヤニヤしながら盛りあがっていたそうだ。期待していた高級割烹で、そんな会話が耳に入ってしまう確率が高いのが、ジャパン2023なのか……と、ふらふらになりながらホテルに着いてフロントのソファに身を沈めていると、若い子連れ夫婦がやってきたのだが、驚いたことに男が迷いなく、ズドンとソファに座り(彼女のお尻が浮くほど勢いよく)、妻が赤ん坊を抱いたまま立っている。え? と思った彼女が妻のほうに「こちらどうぞ」と席を立つと、男が「いいんで!」と制したという。事情があるのかもしれないが、意味がわからない。そもそもなぜお前が口を出してくる? と東京に帰ってきた後もずーっとモヤモヤしているのだという。  ちなみに彼女の旅先は九州で、私は東北だが、この国が、全国くまなく男が安心してニヤニヤしていられる文化を維持し続けていることは間違いない。女を数段も下に見ながらも、世話をしてもらうために、癒やされるために、男が男であるために、男の友情を深めるために……男は女を必要とする社会だ。情報が発達し、いくら社会が便利になったとしても、「ほっておけば人権が向上する社会」などはなく、あっという間に社会は退行し、衰退し、滅びることもある。今の日本は、私が生きてきた50年の中で、一番、ニヤニヤしているんじゃないか。そんな気がしてる。
17ヘクタールの温泉にWAGYU!? 日本文化が浸透するオーストラリア
17ヘクタールの温泉にWAGYU!? 日本文化が浸透するオーストラリア 澄んだ空気のもと、朝から温泉を楽しむ。癒やし効果は抜群だろう。日本と比べて、お湯の温度はやや低め。湧出量は毎日60万リットル(撮影/渡邊美穂 取材協力/オーストラリア大使館)  広大なオーストラリアの地に日本文化が輸入されている。その経済的にも精神的にも豊かな生活にじわじわと食い込むは、温泉、WAGYU……!? AERA 2023年7月17日号より紹介する。 *  *  *  500万人超の人口を抱えるメルボルンは、シドニーに次ぐオーストラリア第2の都市。その郊外のモーニントン半島に、日本の温泉に刺激を受けて開業したスパがあり、市民はもちろんのこと、世界各国から観光客が訪れているという。  どんなものかひと風呂あびてみようではないかと、市内から車を走らせること1時間半。現地に近づくと、道端におなじみのマークが! 温泉だ。 「ジャパニーズ・オンセン・マークです。私は日本のオンセンが、大好きです。特にクサツがいいですね」  そう笑いながら迎えてくれたのは、「ペニンシュラ・ホット・スプリングス」オーナーのチャールズ・ディヴィッドソンさんと日本人妻のユキさん。 ■「クサツ」が生んだ温泉  チャールズさんは日本を訪れた折に、温泉の魅力に取りつかれ、「温泉による癒やしを、オーストラリアの人にも体験してほしい」と、国内に施設を造ろうと決意。お湯が出る可能性があるという土地を1997年に購入し、地下600メートルまで掘って源泉の存在を確認。ヨーロッパ各国など世界30カ国のスパを視察し、8年ほどの歳月をかけて2005年にオープンした。その後も拡張を続け、今では17ヘクタール(東京ドーム3.64個分)もの広大な敷地に、湯船(プールと呼ぶ)や癒やし施設が70も用意されている。  私が到着したのは、土曜日の午前8時50分。にもかかわらず駐車場には多くの車が止まっており、既にかなりの人数が湯船に入っていた。  日本とは違い水着着用による男女混浴で、風呂に入るというよりも温水プールでくつろぐ感覚だが、実際に入ってみるとほのかな硫黄の香りが。  高台の頂上には、360度の眺望を満喫できる湯船がある。 「クサツの山(本白根山=18年の噴火以降、入山禁止)のようでしょう」(チャールズさん)  本白根山の頂上は360度パノラマを楽しめる絶景ポイントだが、当然のことながら湯船はない。それを自分のスパで実現したということか。  また、チャールズさんが日本を訪れたときに感銘を受けた洞窟風呂を再現した湯船もある。 グラスフェッドを売り物にしているステーキハウスで。室温2~3℃に保たれた2階の乾燥室で熟成させた肉を、豪快な火で焼き上げる(撮影/渡邊美穂 取材協力/オーストラリア大使館)  とはいえ、湯船から見下ろす形でステージが設けられ、お湯につかりながらパフォーマンスを見て楽しんだり、ステージ上で行われるヨガ指導に合わせて湯船の中や展望テラスで実践したりするなど、日本では考えられない楽しみ方も提供されている。建設のきっかけは日本の温泉だったが、オーストラリアで進化させたということだろう。 ■和牛もグラスフェッド  このスパのあるモーニントン半島では、シャルドネやピノノワールを用いた良質のワインが生産されている。  ワイナリーが経営しているレストラン「ローラ」で昼食を取ることになった。米大統領時代にオバマ夫妻が訪れたこともあるという有名店だが、またまたオーストラリアと日本の関係に気づかされることに。  メインとして出てきたのはステーキだが、メニューを見ると「wagyu」の文字が。 「最後の段階で穀物を食べさせますが、それまではずっと牧草で育ったワギュウです」  とマダムが説明するのを聞いて、シドニーのステーキハウス「ロック・プール バー&グリル シドニー」で、日本の高級肉と違い、サシの部分が少ない赤身肉の濃厚な旨味を堪能した後、スーシェフのルーク・バークさんがオーストラリア牛について饒舌に話してくれたことを思い出した。 「グラスフェッド、つまり牧草を食べて生育した牛の肉です。タスマニアで生産された牛のレベルは、まさに最高峰です」  オーストラリア大陸の南東約300キロにあるタスマニア島には、島全体の2割ほどが世界遺産に指定されているほど手つかずの自然が広がる。同地の空気は、強い偏西風と南極からの風のおかげで世界で一番澄んでいると言われ、当然のことながら、雨水もきれい。そんな環境で育つ牧草を食べ、歩き回って育つ牛の肉である。  日本国内で生産されるブランド牛といえば、麦やトウモロコシや大豆などで育つ。酪農家によってはビールを飲ませるなどして、サシの量を競い合っているのとは対象的だ。  ついつい「この年になると、サシがいっぱい入っている和牛よりもタスマニアの赤身肉の方がいいね」とつぶやいたところ、バークさんは不思議そうに「ワギュウには敬意を持っています。オーストラリアではワギュウを他の牛とは分けたうえで牧草で育て、高級牛肉として流通しているんですよ」と語った。  実は1990年代、オーストラリアの酪農家が北海道の畜産農家から和牛遺伝子を譲り受け、当地に持ち込んで育てた。その子孫たちは「ワギュウ」と呼ばれ、高級牛肉の代名詞となっているという。  そのことを事前に知っていればワギュウを頼んだのに、とシドニーで後悔したが、「オバマの店」で味わえたわけだ。非常に柔らかいうえ、肉肉しいおいしさが後を引いた。  このあと訪れたカフェやブリュワリーでは、メルボルン市民の好きなコーヒーやビールにまで、日本文化が深く浸透していることを実感させられることになる。(ライター・菊地武顕) >>【移民文化に寛容なオーストラリアで日本テイストが人気に アニメ・漫画だけが“クール”ではない】へ続く ※AERA 2023年7月17日号より抜粋
山里亮太が実践してきた「ネガティブ」を武器に変える方法 「妬み嫉みはガソリンです」
山里亮太が実践してきた「ネガティブ」を武器に変える方法 「妬み嫉みはガソリンです」 山里亮太(やまさと・りょうた)/1977年生まれ、千葉県出身。2人兄弟の弟。お笑いコンビ「南海キャンディーズ」のツッコミ担当。著書『天才はあきらめた』が原案となり今春ドラマ化した(撮影/写真映像部・松永卓也)  数多くのバラエティー番組に引っ張りだこの南海キャンディーズの山里亮太さん。今年4月には、朝の情報番組「DayDay.」(日本テレビ系)のMCに抜てきされ、活躍の場を広げている。そんな山里さんの原動力を探ると、芸事と人間としての二つの「ネガティブ」が見えてきた。AERA 2023年7月17日号の記事を紹介する。 *  *  *  自分より「何か」ができるヤツを見かけるたびに、妬(ねた)み嫉(そね)みの感情が全身を駆け巡る。誰かと比べては、自分にないものをすぐに口にする。 「物心ついたときから、ネガティブだった」  お笑いコンビ「南海キャンディーズ」の山里亮太さんは、自身のことをそう分析する。  ネガティブというと、じめっとした印象を持つかもしれない。書店にはポジティブになるためのノウハウ本があふれているし、インターネットで「ネガティブ」の5文字を検索すれば、「ネガティブ思考を断ち切る方法」を書いた記事が無限に出てくる。  ポジティブこそ善。ちまたには、そんな風潮すらある。 ■妬み嫉みはガソリン  だが山里さんは、そんな流れを物ともしない。 「ポジティブなのは、それはそれでいい。でも、人に強要するものでもない。“ポジティブ教”の人たちに『明るくいこうぜ』なんて言われても、その後ろでいるほうが気持ちいい人だっていますよね」  山里さんには、芸事としてのネガティブと人間としてのネガティブの二つのネガティブがある。自身のそんな性格に息苦しさを感じたことは、一度や二度ではない。それでも、人生をリスタートするとしても、今のネガティブな性格でありたいという。 「ネガティブの先に何か見つけられる人もいるし、僕にとって妬み嫉みはガソリン。ポジティブなエネルギーでは、僕のエンジンは動かないんです」  昔から、自分にはゼロからイチを生み出すことができないというコンプレックスがあった。相方のしずちゃんこと山崎静代さんは、天真らんまんに天性のボケを発揮する。同期の芸人を見渡しても、先輩を見上げても、呼吸するように面白いことを言う“バケモン”たちがいる。 「自分はそれを打ち返すことしかできない。誰かが用意したことにカウンターを当てることでしか、この世界に存在を見いだせていない。自分には芯がないという劣等感が強かった」  面白いツッコミで番組の空気をさらう共演者への妬み。邪険な扱いをしてきたスタッフへの恨み。ネガティブ感情を「反省ノート」に書きつづっては、気持ちを燃やしてきた。 「妬み嫉みもなく何も考えずに生きていたほうがもっとラクだっただろうし、楽しいこともいっぱいあったと思います。でも、その息苦しさのおかげで頑張れていることのほうが多い」  ネガティブの先に見つけたのは、「受け」のポジション。どんなにとっぴな言動をする相手であっても、その人の魅力を最大限に引き出す存在。それが、持ち味の一つになっている。 AERA 2023年7月17日号より ■頭にこびりついた不安  2003年のコンビ結成翌年、お笑い界最大の賞レース「M-1グランプリ」で準優勝した。以来、テレビはもちろん、舞台やラジオなどさまざまなフィールドで引っ張りだこになった。  浮き沈みの激しい芸能界で、20年間活躍を続けられているのは、「人間としてのネガティブ」があったから。  何をやっても満足できず、その先にある不安が頭にこびりついて離れない性格。M-1準優勝時には、周りがちやほやしてくれるほどに「てんぐになってはいけない」と自分に言い聞かせた。こんな勢いは長くは続かない。どうせすぐに見放される。活躍の裏側で不安に駆られ、努力し続けた。  その後、相方と10年口をきかない「不仲時代」も経験する。それを乗り越え、19年にその相方のおかげで出会った俳優・蒼井優さんと結婚。昨夏、父親になった。この春には朝の情報番組のMCにも抜てきされた。  だが、「ここからが一番しんどい時期」だと言われている。忠告の主は、M-1準優勝時に「山ちゃんの50歳までのプラン」を描いた初代マネジャーの片山勝三さん。山里さんの才能に惚れ込み、「いずれ政治経済も語れる位置を目指せる」と今の活躍を予見した人物でもある。 山里亮太(やまさと・りょうた)/1977年生まれ、千葉県出身。2人兄弟の弟。お笑いコンビ「南海キャンディーズ」のツッコミ担当。著書『天才はあきらめた』が原案となり今春ドラマ化した(撮影/写真映像部・松永卓也) 「片山さんに言われたのが、周りの人から『上がりだな』って言われるのが一番危険な状態だということ。ゴールを迎えて、ウィニングランみたいになると全力で走れなくなるじゃないですか。てんぐになると努力しないでいい理由の数が尋常じゃなく増えて、受ける傷も浅くなる」  家に帰れば人気俳優の妻とかわいい子どもがいる。周りからは、上り詰めた人気芸人と評価される。 「みんなに絶対そう言われるんです。でも、運の上にしか成り立っていない。自信がないとは違うんです。いつでも崩れ落ちるって不安もあります」 ■芸人としての“突然死”  実際、朝の番組でも反省の繰り返しだという。日々目まぐるしく起きるニュースには、楽しいものもあればつらいものもある。番組でのコメントが数十分もすれば、ネットニュースで報じられる時代。一度口に出した言葉はもう取り戻せない。 「後悔は山ほどあります。感情だけが先走っちゃったな、ダメだったなって。そういうときは、どうしてダメだったのかを考え尽くす。この本を読んでおけばよかった、誰かに聞いておけばよかったって反省は、次に同じシチュエーションがきたときにホームランを打つまで癒えない傷なんです。でも、ただぐじぐじ考える時間はもったいないけど、次への対策に入っているとしたら、そのミスをすごくポジティブにとらえられる。努力して、自分を一気に成長させてくれる時間をつくれたのは、今日ミスした自分のおかげですから」  元来、サボりの人間を自認する。放っておけば、すぐ努力しなくなる。今日読むべき本を後回しにして、時間を浪費してしまう。そうするうちにレギュラー番組が減っていき、芸人としての“突然死”が訪れる。想像するだけで、恐怖でゾッとする。 「『こうすると死ぬ』って、めちゃくちゃネガティブに聞こえるじゃないですか。でも、それさえしなきゃ死なないんで。してはいけないことが誰よりも明確にわかっているんです。努力賞を取り続ければ死ぬことはないっていう、僕のような凡人にはありがたい道の設定だなって思います」  ネガティブすぎて行動できない人が一歩を踏み出すには、どうすればいいのだろうか。 「最悪の事態を想像して身動きがとれないのは、思いやりの象徴だと思う。まずは自分よりも人のことを考えられている自分はすごいんだと認めてあげる。もう一歩進化させて、『これをしたら嫌じゃないかな』を『それが嫌な人って、どうされたらいいのかな』とクエスチョンを投げて、その答えを探すために時間を使う。それを重ねていけば、『あなたのおかげで』っていう人が出てくるんじゃないかな、と繊細な人を見ていていつも思うんです」  その言葉には、ネガティブを武器にした人の優しさがある。(編集部・福井しほ) ※AERA 2023年7月17日号
企画・立案は私で、調査・計画は夫 妻の願望を実現することで、自分の世界を広げられて楽しい
企画・立案は私で、調査・計画は夫 妻の願望を実現することで、自分の世界を広げられて楽しい 竹中唯さんと竹中亮太さん(篠塚ようこ)  AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2023年7月17日号では、フリーランスライターの竹中唯さん、精密機器製造メーカーで人材成長支援施策の企画推進に携わる竹中亮太さん夫婦について取り上げました。 *  *  * 2016年、夫30歳、妻27歳で結婚。 【出会いは?】2014年、共通の知人の紹介で出会う。 【結婚までの道のりは?】出会った後2人で数回会い、会話のテンポや笑いのツボが合って意気投合し、2カ月後に交際スタート。「ずっと一緒に居続けられるんだろうなぁ」という夫の予感どおり、2年5カ月後に結婚。 【家事や家計の分担は?】妻は料理と買い出し、掃除、片付けを、夫は洗い物と車の運転、通信環境の整備、IT機器の設定を担当。財布は一緒で、家計簿アプリですべての費用を見える化している。 妻 竹中唯[35]フリーランスライター たけなか・ゆい◆1988年、長野県松本市出身。国立大学卒業後、団体職員として働く。結婚後、事務職に就き、副業でライターを始める。2019年に独立してフリーランスライターになり、主に企業紹介、採用活動、観光などの取材・執筆を行う  会社員時代に副業でライターを始めたきっかけは、インスタグラムでした。会社の仕事が少なくて、このまま何もしないで年を取るのは嫌だと思っていたころです。  ライターを本業にしたら、自分をどこまで伸ばせるんだろうと想像しつつ、会社員という安定収入を手放す勇気はなかなかわかず……。そんな私の背中を押してくれたのが夫でした。夫曰く、本当にしたいことをしたほうが我が家にとってもハッピーだ、と。家計をメインで支えてくれるおかげで、私は自分が貢献したいと思う分野を選んで取材と執筆にあたれています。  私は、あれこれしたいと思うものの、一人だと行動に結びつかないタイプなんです。実際夫と出会う前の休日は、何もしないまま過ぎていました。それが一変して、願望が実現するようになったのも夫のおかげです。言うならば、企画・立案は私で、調査・計画は夫という感じでしょうか(笑)。いくつになっても、一緒に楽しくいろんな経験を重ねられますように。 竹中唯さんと竹中亮太さん(篠塚ようこ) 夫 竹中亮太[37]精密機器製造メーカー 人材成長支援施策 企画推進 たけなか・りょうた◆1985年、京都府京都市出身。国立大学大学院修了後、長野県で精密機器製造メーカーに入社。主力製品の開発・設計を経て、現在は人材成長支援施策の企画推進にあたる。今後、人材戦略の立案と実施にも関わる予定  5年前に過労で心身の調子を崩して、1カ月休職したことがありました。それがワーク・ライフ・バランスを見直すきっかけで、なんのために働くのかを自問自答しました。  仕事は収入を得て幸せになるための手段なのに、日々自分をすり減らし、おいしいご飯を作ってくれる妻に不機嫌を振りまいて一体何をしているんだ、と。それで仕事第一主義を卒業して、無理をしないで自分をケアするようになりました。  体を動かすのが好きなので、トレーニングを日課にし冬には趣味のスキーに興じるように。おかげで調子を崩さなくなり、妻の「○○に行きたい」「××をしたい」を叶える楽しみが増しました。  僕は受け身の人間で、自発的にしたいことがあまりありません。だから妻の願望を実現することで、一人だったらやらないことがたくさんでき、自分の世界を広げられて楽しいんです。新婚旅行で行った中欧には2度行ってますが、また行きたいねって話しています。 (構成・茅島奈緒深) ※AERA 2023年7月17日号
ryuchellさんが残した唯一の本に刻まれた言葉 担当編集者に「言いたいことは言えた」
ryuchellさんが残した唯一の本に刻まれた言葉 担当編集者に「言いたいことは言えた」 ryuchellさん  7月12日、タレント・ryuchellさん(享年27)の訃報は、大きな波紋となって日本中に広がった。社会の枠組みにとらわれない発言でたびたび話題を呼んだryuchellさんだが、生前、1冊だけ著書を残していた。思いの丈を綴った本の名は、『こんな世の中で生きていくしかないなら』(朝日新聞出版)。完成した本を前に、「言いたいことは言えた」と満足げだったというryuchellさん。一体どんな言葉を残していたのか。担当編集者の松尾信吾さんに話を聞いた。 *   *   *  松尾さんが、ryuchellさんに「本を出しませんか?」と持ちかけたのは、2020年の冬だった。  元々“明るく元気なおバカキャラ”で人気者だったryuchellさんが、少しずつ「SDGs」や「自己肯定感」などをテーマに社会的、哲学的な発言をするようになったのを見て、そのギャップに魅かれたのだという。  オファーを快諾したryuchellさんは「実は、今まで数十社から本の出版依頼を頂いたんですけど、ずっとお断りしていたんです」と明かした。出版社から提案される企画は、どれもryuchellさんのハッピーで、キラキラな雰囲気を押し出したものばかり。そんななか、「『自分らしさ』『他者との共生』といった社会的なメッセージを綴ってほしい」という松尾さんの提案に、「こういう本なら書いてみたい」という気持ちになったのだという。  いつでも、誰に対しても、弾ける笑顔と幸せオーラを振りまくryuchellさん。だが本を作る過程では、それとは違った一面が垣間見える発言が、次々に飛び出した。  松尾さんが最も印象に残ったのが、本のタイトルにとった、この言葉だ。 「こんな世の中で生きていくしかないなら」  ryuchellさんは、熱を込めてこう続けた。 「僕は、いくつかの武器を身につけた。それは、諦めること、割り切ること、逃げること、戦わないこと。そして、期待しないこと。これらの武器を身につけたことで、僕はこんな世の中でも幸せを感じられるようになった。自分や大事な人を守っていく自信も持てるようになった」 ryuchellさんが残した唯一の著書『こんな世の中で生きていくしかないなら』(朝日新聞出版) ■本に込めた「エール」  本は、「『自分らしさ』って、そもそも必要なのかな?」「何が『正しい』かなんて、誰がわかるの?」「誰にでも、本当の『居場所』が必ずあるから。」など、社会への叫びや、生きづらさを抱える人へのエールといった30のメッセージで章立てした。完成した本を見たryuchellさんは、「言いたいことは言えた」と、とてもうれしそうだったという。  2021年10月。本が発売されると、若者世代はもちろん、50代や60代の読者からも、「ryuchellの言葉を聞いてハッとした」「こういうふうに生きていいんだ」という声が数多く届いた。  松尾さんは、こう受け止める。 「ryuchellさんは、『人とちがって何がいけないの?』『男らしさとか女らしさって意味があるの?』と、世の中の当たり前をいつも疑っていました。私たちは、誰が作ったのかよく分からない常識に縛られている。『言われてみればたしかに……』という納得や共感が、世代を越えて広がったのだと思います」 ■残された、貴重な言葉  訃報は、突然だった。 「こんな世の中で生きていく武器を身につけたと言っていたのに」 「本に綴った言葉は、自らを鼓舞するための言葉だったのだろうか」 「自分は、まだryuchellさんの表の顔しか知らなかったのか」  松尾さんの頭の中には、いくつもの「なぜ?」が浮かんでは、消える。  松尾さんが最後にryuchellさんに会ったのは、昨年12月。近況を尋ねると、「ここ数カ月は落ち込んでいたんですけど、ようやく元気になってきました!」と返ってきた。去年8月に妻のpecoさんとの離婚を発表して以降、SNS上を中心に激しい誹謗中傷にさらされていたのだ。 「最近のryuchellさんは、容姿も以前とは別人のようになって、ようやくなりたい自分になろうと吹っ切れたのかなと思っていたのに。本当に、残念としか言いようがないです……」 本に収録されている写真は、ryuchellさんの希望により、生まれ故郷の沖縄で撮影した。予算の都合上、移動はロケバスではなくタクシー、昼食はファストフードの〝貧乏ロケ〟だったが、嫌な顔一つしなかったという。写真は、ryuchellさんが一番気に入っていた一枚。撮影:喜瀨守昭  悔しさ、悲しさ、寂しさ、戸惑い、そのすべてがないまぜになった顔をして、20秒ほど遠くを見つめた松尾さん。最後に、静かに口を開いた。 「今の時代って、自分の論を相手に押しつけたり、誰かを敵とみなして排除したりする流れが加速していますよね。だからこそ、自分と違うものも認め、受け入れようとするryuchellさんの言葉は貴重だった。これから、もっともっと必要とされるはずでした」  27歳という短すぎる生涯を通じて、ryuchellさんが残したのは、自分と他者を愛するための言葉だった。きっとそれは、人々の心の中で何度も思い出され、咀嚼され、「こんな世の中」で生き続ける。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵) 
「51歳、妊活始めました」鈴木おさむ 精子凍結7万円 ちょっと高いけど背に腹は代えられない
「51歳、妊活始めました」鈴木おさむ 精子凍結7万円 ちょっと高いけど背に腹は代えられない 放送作家の鈴木おさむさん  鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、男性の妊活について。  * * *  先日、久しぶりの精液検査に行ってきました。なぜ、行ったかと言うと私、51歳ですが、妻と話して妊活を始めています。頑張りたいなと。  妊活は女性だけの問題になりがちですが、男性とともにするのが妊活だと強く思います。  自分は関係ない。自分のせいじゃないと思いがちな男性も多いんです。  現に僕の知人で20代の男性が、結婚してからなかなか子供が出来ないと言っていたので「精子の検査した?」と聞いたところ「してないです」と。彼が病院で検査したら、自分の精子の数がかなり少ないことがわかり、20代ですが、妊活を始めて顕微授精をして子供を授かることが出来ました。  彼は、僕に言われた時に「まさか自分が」と思ったらしいですが、早く気づけて良かったと感謝されました。  妊活に関しては、男性がいかに前向きに勉強するかが大事だと思ってます。  僕は笑福を授かる前に、初めて精液検査にいき、自分の精子に問題があることがわかりました。量が少なく、運動率が悪いと。  笑福の時には、運よく人工授精で授かることが出来ました。  が、今回は人工授精では難しいようです。  今回の精液検査では、やはり量の少なさと運動率の低さを指摘されまして。そして、真っすぐ精子、直進性別精子数ってやつが、0.9以上0%と出ていて。  0.8以上、0.7以上がともに0%。0.6になると1.7%で、0.5以上は4.3と出ました。  僕はこの春からダイエットを始めました。高血圧が理由ですが、理由の一つに妊活がありました。105キロ近くあった体重を減らして、食生活も大きく変える。そうすることにより、精子もよくなるんじゃないかと。  3か月で体重は10キロ以上減りまして、体調もかなり良い。人間ドックの結果も、様々な数値がかなり良く。ダイエットの効果を確認できました。 (本人インスタグラムから)  その中での精液検査だったのですが。結果は、あんまり芳しくなく。  先生からは顕微授精を進められたので、僕はそれをお願いしました。  仕事のスケジュール的にも妻のタイミングに合わせて一緒に行ける可能性が高くなかったので、精子の凍結をお願いしました。僕の精子を見て、二回分出来ると。  お会計になり、検査代は3000円。精子の凍結に関しては7万円ちょっと。やっぱり高いなと。とはいえ背に腹は代えられない。  男性も年齢を重ねていくと、精子運動率や精子正常形態率は低下すると報告されています。 過去の報告のまとめでは、30歳代と比較すると50歳代では精液量は3~22%、精子運動率は3~37%、精子正常形態率は4~18%低下するというデータもあったりして。  こういう情報を知らない男性も多数です。  改めて妊活について、男性がもっと様々な情報を目の当たりにするタイミングが増えて、自分事になっていくといいなと強く感じています。  そして、自分の精子について弱点を理解し、その上で妊活に進む妻はもちろん、病院の方々にも感謝をしなきゃいけないなと。  このエッセイを読んでいる方の中で、妊活をしている人がいたら。一緒に頑張っていきましょう。 ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)、長編小説『僕の種がない』(幻冬舎)が好評発売中。漫画原作も多数で、ラブホラー漫画「お化けと風鈴」は、毎週金曜更新で自身のインスタグラムで公開、またLINE漫画でも連載中。「インフル怨サー。 ~顔を焼かれた私が復讐を誓った日~」は各種主要電子書店で販売中。コミック「ティラノ部長」(マガジンマウス)が発売中。
死別した妻への本音を言える相手をアプリでしか探せない人も マッチング・アプリ症候群の葛藤
死別した妻への本音を言える相手をアプリでしか探せない人も マッチング・アプリ症候群の葛藤 ※写真はイメージです(Getty Images) 『マッチング・アプリ症候群 婚活沼に棲む人々』(朝日新書)を、ジャーナリスト・速水由紀子氏が上梓した。速水氏は同書でマッチング・アプリをやめられない人たちの実態をつづり、彼ら・彼女らを「マッチング・アプリ症候群」と名付けている。「病んでいるかどうかは人それぞれだが、彼らがみんなあるジレンマを抱えていることは確かだ」という速水氏。同書から一部を抜粋、再編集し、マッチング・アプリ症候群の実態を紹介する。 *  *  *  マッチング・アプリ症候群の定義をここで確認しておく。 1 アプリで真剣に結婚相手、もしくは結婚を前提にした恋人を見つけたいと思っている。 2 登録してから最低1年以上、常時アプリをやっている。 3 次々にマッチングすること、またはそれを期待することが通常運転で生活の一部となっている。マッチングがないと自分に自信が持てず不安になる。 4 今までに15人以上とマッチングして付き合ったがうまくいかず3ヶ月以内に別れてはまた付き合うことを繰り返している。 5 短期の交際と別れを繰り返すのは、自分と相性のいい相手に出会えないからだと思っている。例えば性格や価値観、ライフスタイルなど。 6 「いいね!」をもらうと、その瞬間だけは自己肯定感を得られる。そのために足跡づけを必要以上にがんばる。 7 常時、複数進行が当たり前になる。 8 マッチングがないと物足りなくなり、注目させるためにプロフィールを常時あれこれいじったり、参加コミュニティをどんどん増やしてしまう。  5つ以上の項目に当てはまる人は、程度の差こそあれマッチング・アプリ症候群と言える。一言で言えば目的と手段が少しずつ入れ替わっており、結婚よりアプリで自己肯定感を得ることのほうが重要な目的になっている、ということだ。  そしてこの8つのうち、誰もが1は揺るぎないものだと考えている。  しかし、マッチング・アプリ症候群の人たちが抱えるジレンマとは、実はこの「自分は結婚したい。結婚を前提にした恋人を見つけたい」という前提条件の部分にもある。そんなバカなと思うかもしれないが、人は過去に傷ついた経験があると心の奥底にある恋愛・結婚への本音をなかなか正視できないものだ。  8番目にマッチングした52歳のカイさんも、そんなジレンマを抱えていた1人だ。  建設現場の工事監督をしている彼は、地味だがプロフィールから誠実で優しい雰囲気がにじみ出ている。アプリの流動的な人間関係に疲れきっていた私はそのほっこりした笑顔に癒されて、もらった「いいね!」をつけ返した。  ただプロフィールの「結婚歴」に「死別」と書いてあるのが気になる。マッチングした人で何人かパートナーが病気や事故で亡くなったという人がいたが、みんな性格や価値観の不一致による離婚に比べると遥かに深く過去を引きずっていた。当たり前の話だが亡くなった方には絶対に勝てないし記憶の書き換えもできないから、せいぜい思い出話を聞いてあげることぐらいしかできない。でもそれがあまりに近い過去の場合は、こちらも苦しくなるので躊躇してしまう。  カイさんとは過去の話を聞くチャンスもないままメッセージを重ねていき、おたがいに水族館好きだと判明したので、週末、品川のアクアパークで会った。  その日、魚を見ながら雑談を始めて間もなく、私はカイさんに聞くべき質問をぶつけることにした。妻と死別したのはいつ頃だったのか。  亡くなったのが3年以内なら、こちらとしても心が痛むのであまり突っ込むのはやめようと思っていた。が、聞きにくい。さんざん回り道をしたあげく、ようやくこう聞くことができた。 「もし話すのが辛かったらスルーしてもらって構わないんですけど、プロフィールに書いてあった死別っていうのはいつ頃……?」 「逝ったのは4年前。もともと持病があったんですけど、いろいろな事情で離れて生活していて。で、予想以上に進行していて看取れないままに……」  それからカイさんは事情を詳しく話してくれた。亡くなった妻はベトナム人だった。カイさんが仕事でホーチミンに6年間住んでいた時に出会い、付き合って結婚したのだ。が、カイさんの仕事が終わって日本に帰国する時、彼女は体調を崩して入院していた。そばについていてあげたかったが、入院費と生活費を稼ぐには、ベトナムより日本のほうがずっと効率がいい。仕方なく彼女を家族に託して帰国し、必死に働いている時に状態が悪化して亡くなった。 「葬儀には行けたんですけど、ビザの滞在期間の問題で埋葬までいられなくて……その後はコロナ禍でベトナムと行き来ができなくなってしまった。でも墓参りにだけはどうしても行かなくちゃと決意しています。今、2つの仕事を掛け持ちしているのも、その費用を工面するためなんです」  聞いているうちにカイさんの亡くなった奥さんへの気持ちが溢れてきて、アプリなんてやっている場合じゃないのでは?という気持ちになる。余計なお節介と思いつつ、思わず、「そんなに奥さんの供養をしたいと願っているのに、アプリに登録するのはおかしい。何より墓参りを優先させるべきでは? 今のままでは前に進めないと思う」とはっきり言ってしまった。  カイさんは言葉に詰まりながら、ベトナム暮らしの間に日本の友人とも疎遠になり、誰も話せる相手がいなかったため、心の支えが欲しかったと答える。だが、私の言葉を聞いてモヤモヤしていた自分の気持ちに踏ん切りがついたという。 「今まではそういうことを言ってくれる友人さえ近くにいなかった。ようやく自分が今すべきことがわかりました。ありがとう」  アプリでしか本音を言える相手を探せない、というのはかなり辛い状況だ。だが現実にはそういう人たちはたくさんいる。たまたま私のような仕事をしている人間だったからカイさんの本音を指摘できたのだろうが、他人が付き合う相手をどんなふうに探すかに口を挟むなんて、余計なお世話以外の何ものでもないのだ。  今までなら仲間内や職場での飲み会、昼食時のちょっとした近況報告や無駄話で知ることができた相手の個人的な境遇が、人間関係やコロナによる変化でどんどん減ってしまったのだと実感した。  カイさんは「結婚相手を探している。結婚を前提とした恋人との出会いを求めている」という心境に到達していなかった。なのにプロフィールには「2人で温かい家庭を築きたい。なんでも話し合える関係が理想」などと書かれている。  つくづく人の心の矛盾を感じてしまう。1週間後、そのアプリの「メッセージのやりとり」ページで確認すると、カイさんはすでに退会していた。きっと私の言ったことを考えて素直に受け止めてくれたのだろう。  ひとつの出会いの後ろには、ひとつの別れや弔いがある。  そんなシンプルなことさえわからなくなってしまうのは、アプリでしか繋がれない時代のせいなのかもしれない。 ●速水由紀子(はやみ・ゆきこ)大学卒業後、新聞社記者を経てフリー・ジャーナリストとなる。「AERA」他紙誌での取材・執筆活動等で活躍。女性や若者の意識、家族、セクシャリティ、少年少女犯罪などをテーマとする。映像世界にも造詣が深い。著書に『あなたはもう幻想の女しか抱けない』(筑摩書房)『家族卒業』(朝日文庫)『働く私に究極の花道はあるか?』(小学館)『恋愛できない男たち』(大和書房)『ワン婚─犬を飼うように、男と暮らしたい』(メタローグ)『「つながり」という危ない快楽─格差のドアが閉じていく』(筑摩書房)、共著に『サイファ覚醒せよ!─世界の新解読バイブル』(筑摩書房)『不純異性交遊マニュアル』(筑摩書房)などがある。

カテゴリから探す