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AI俳優に仕事を奪われる 全米脚本家組合と全米映画俳優組合の共同ストに1千人以上参加
AI俳優に仕事を奪われる 全米脚本家組合と全米映画俳優組合の共同ストに1千人以上参加 8月9日、「ニューヨークは組合の街だ!」とのコールに、付近を走るトラックやタクシーの運転手らがクラクションを鳴らし、支援を送った(撮影/津山恵子)    米国の俳優組合と脚本家組合は、63年ぶりに共同ストに突入。映画・ドラマの製作者側は、人工知能(AI)による「AI俳優」などを活用しており、死活問題に浮上している。AERA2023年8月28日号より。 *  *  * 「出てもいないCMに、あなたが映っている、と友人が連絡をくれた」  と、俳優のジージー・カサノバさんは、呆然とした表情を浮かべる。ニューヨーク市内のネットフリックス社屋前で連日続くピケの現場で話を聞いた際だ。 「私の顔はちょっと調整してあって、服も着せ替えているけど、間違いなく私だった。でも撮影した記憶がない」 「さらに怖いのは、誰が私をスキャンして、そのCMに入れたのかも分からない。でも私に報酬があるべきでしょう」 63年ぶり共同スト  全米脚本家組合(WGA、組合員1万1500人)は今年5月から、全米映画俳優組合(SAG-AFTRA、16万人)は7月からストライキを始めた。両組合が同時にスト入りするのは、1960年以来だ。両組合の要求の焦点は、賃上げのほかに、生成AIなどを使った映画・テレビ番組製作に対する権利の保護と報酬だ。  WGAのストは8月9日、100日目になり、ネットフリックス社前を1千人以上の脚本家と俳優らが歩いた。「企業の拝金主義は許せない」「AIが書いたジョークは笑えない」などとシュプレヒコールをあげた。  特に、俳優のほとんどを占めるエキストラやスタントは、AIの打撃をすでに受け始めている。通行人やレストラン客、群衆のほか、主演俳優に代わって危険な演技をするスタントが次々にコンピューター・グラフィックス(CG)やAIで作成され始めているためだ。エキストラ歴が長いジョゼフ・アダムさんはこう証言する。 「僕の場合は2年前、ネットフリックスなどに知らないうちにスキャンされていたのが最近になって分かった。病欠の際に使うと言われたけど、実際には同意なしにAIの僕が使われていて、つまり、僕たちはもうAIに取って代わられてしまっている」 「AIは平凡でつまらない。私が持つこのエネルギーなんかない。上手く使えるはずがない」とカサノバさん。8月8日のピケで(撮影/津山恵子)    幼児2人と妻を連れて連日ピケに来るアダムさんは、俳優以外の仕事を探している。  同じくエキストラのサマンサ・エヴェレットさんは、SAG組合員の7割以上はエキストラという。 「例えばカフェのシーンで主演俳優の周りで、声を出さずに会話をしているかのように演技するなど、エキストラはスターらが演技しやすい環境を作っている。エキストラが演技していない人工的に作られた背景は、素人が見ても『おかしい』と感じるはず」  と、エキストラの重要性を強調する。現在は、ハリウッドなどで撮影する三つの映画製作が延期になったままだという。 人間性守る闘い  ハリウッドのベテラン女優サマンサ・マティスさんは、製作会社側の全米映画テレビ製作者協会(AMPTP)と交渉する委員会の一員だ。交渉は7月12日から決裂した状態だという。AMPTPは、AI俳優を使用する場合、日当の半分を支払う提案をしており、再使用料についてはふれていない。しかし、組合側は「AI俳優」使用の際、(1)俳優の同意を得る(2)作品契約ごとではなく、使用回数で「再使用料」を支払う、ことを要求しているという。再使用料の金額は、この2点で合意した上で検討する。 「AI利用は、モラルの問題であり、人間性を守る闘い。人類が簡単にAIに置き換えられてもいいのか、という点で製作者側に何の思慮もない。恐ろしい世界だ」と厳しい表情だ。  交渉の見通しは、全く不透明だ。AMPTPに属さない独立系映画や海外で撮影される映画に出るため、オーディションに通う俳優も多い。前出のカサノバさんは、友人らとビデオ製作に取り掛かっている。  両組合のストで、テレビの新番組製作は2シーズン、期間にしてほぼ2年にわたって行われない見通しだ。テレビ局の経営への打撃も大きい。  また、カメラマンや技術陣、ヘア・メイクアップアーティスト、スタジオ周辺のレストランなどのビジネスまでがストの犠牲になっている。AIが奪っているものは計り知れない。(ジャーナリスト・津山恵子(ニューヨーク)) ※AERA 2023年8月28日号
「女性は地図が読めない」「男性は話を聞かない」に根拠なし それ、性差ではなく個体差です
「女性は地図が読めない」「男性は話を聞かない」に根拠なし それ、性差ではなく個体差です ※写真はイメージ(gettyimages)    女性は地図が読めず、男性は話を聞かない──。いまだ根強い男性脳・女性脳言説だが、科学的根拠は実はない。意識をアップデートする時が来ている。AERA 2023年8月28日号から。 *  *  *  夫と妻が言い争っている。裁縫がうまくできず妻に押し付けようとする夫、それをとがめる妻。すると、夫はこう言い放つ。 「男と女じゃなあ、(中略)脳の構造が違うてぇんだ、べらんめえ!」  夫はその後、男女の脳の違いを確かめに医者を訪ねる──。  アマチュア落語家・千金亭値千金(阪本真一)さんが披露する創作落語「男脳・女脳」の一場面だ。値千金さんは埼玉県鶴ケ島市の元職員で、男女共同参画を担当した際に創作落語を始めた。「育児休業」「男女共学」「夫婦別姓」などをテーマに、これまで16本の創作落語をつくってきた。「男脳・女脳」はその最新作だ。  落語では、脳の違いを確かめるべく訪ねてきた夫に対し、医者は夫自身の脳と他人の脳を入れ替えてみることを勧める。さまざまな脳を試しているうちに、「手先が器用で察しがいい、説明が下手で地図が読めない」という「典型的な女性らしい脳」を見つけるが、実はこの脳は男性のものだったというオチだ。 「男女共同参画は『男女の分け隔てなく機会が与えられるべき』という考え方です。しかし、『脳が違うから男性は(女性は)〇〇が苦手』という言説は性別役割分担を補強してしまう。仮に脳に男女差があったとしても、個人の生き方を左右すべきものではないと思い、この落語をつくりました」(値千金さん) 「神経神話」に注意  こうした男性脳・女性脳を巡る言説、つまり、脳には性別によって違いがあり、それぞれの得意分野が異なるとの主張を、誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。「男性は空間認識能力が高く、論理的思考に優れる。一方、マルチタスクは苦手であり、過程より結果を大切にする。女性は共感性が高く、成果よりもプロセスに意識が向く。地図を読むのが得意なのは男性、顔認識が得意なのは女性」といったあたりが「定番」だろうか。  こうした言説が勢いを持ったのは2000年前後からのようだ。日本では2000年に出版された『話を聞かない男、地図が読めない女』は瞬く間に世界各国で話題を呼び、日本だけで200万部、世界で600万部を売り上げたといわれる。 「ブーム」は今も続き、男性脳・女性脳をテーマにした本も毎年のように出版されている。  だが、実はこうした言説は、神経科学の世界では既にほぼ否定されているという。経済協力開発機構(OECD)は07年、「脳を理解する」と題したレポートで「右脳人間・左脳人間」や「睡眠学習」と並び、「男性脳・女性脳」を「神経神話」と呼んで科学的根拠に乏しいと注意喚起した。 教育や社会環境による  東京大学の四本裕子教授(認知神経科学)はこう解説する。 「『男女の脳には構造上の違いがあり、得意分野が異なる』という説のほとんどは、科学的根拠に欠けるもので誤りです。これにはふたつの視点があります。まず、統計的な平均値の差を大きく上回る個人差があるということ、そして、その平均値の差も生まれ持った男女の脳の違いによるものではなく、教育や社会の環境が作り出したものだと考えられることです」  まず、「平均値を上回る個人差」について。男女の脳や能力・思考には、まったく差がないわけではない。平均値を見ると多少の傾向的な違いは存在する。ただ、それと比較にならない大きな個人差があるという。四本教授は続ける。 「例えば、男女の身長は個人差によって逆転するケースも珍しくないですが、傾向的には男性の方が大きいことは明らかです。一方、脳にこうしたわかりやすい違いはありません。男女の平均に数ポイントの差があったとしても、男性同士、あるいは女性同士の中でその何倍もの個人差があるんです。わずかな平均の差を持ち出して『男性はこう』『女性はこう』と断じるのは誤りです。また、人間の脳や性質はモザイク的で、ある指標が平均値でいう『男性より』であったとしても、別の指標が『女性より』だったりするのです」  そしてもうひとつ忘れてはならないのが、わずかな平均の差が、生まれ持った性差とは言えない可能性が高いことだ。 脳は日々変化する 「脳は日々変化します。学習や環境、加齢など様々な要因で少しずつ変わっていくのです。つまり、脳の差は行動や環境の結果ともいえます。そして、社会の中には大きな性差があります。能力の平均値の男女差は生まれ持ったものではなく、社会的につくられたものだと考える方が自然でしょう」(四本教授)  例えば、代表的な男性脳・女性脳言説に、「男性の方が空間的理解に優れ、地図読みが得意」というものがある。だが、ユニバーシティー・カレッジ・ロンドンの研究者らが中心となって各国の250万人を対象に研究を行い、2018年に発表された論文では、ジェンダーギャップ指数の順位が高いノルウェーやフィンランドでは男女の空間認知能力に大きな差がなく、女性の社会進出が遅れている国ほど男女差が大きい傾向にあることを明らかにした。また、京都大学を含む29カ国の研究チームが今年5月に発表した論文によると、男女間の不平等が大きい国ほど大脳皮質の厚さに男女差があり、女性の方が薄い傾向にあることがわかったという。 「注意しなければならないのは、これらもまた傾向的な平均を調べたものであって、個人の性質を言い当てられるものではないということです。それでも、脳の男女差が社会的な性差によってつくられることを示唆する、非常に興味深い研究です」(同) (編集部・川口穣) ※AERA 2023年8月28日号より抜粋
木原誠二官房副長官が“文春砲”でやつれ顔も訪米前には笑顔のわけ 注目の内閣改造は
木原誠二官房副長官が“文春砲”でやつれ顔も訪米前には笑顔のわけ 注目の内閣改造は   内閣改造で初入閣はあるのか。木原誠二官房副長官    お盆も過ぎ、永田町の興味は9月の内閣改造と自民党役員人事だ。注目は「影の首相」とも呼ばれる岸田文雄首相の右腕、木原誠二官房副長官の処遇だろう。何事もなければ入閣が濃厚だったが、週刊文春のスクープ記事で一気に状況が変わってしまった。8月17日、木原氏が岸田首相の訪米に同行すると、様々な臆測を呼んだ。  今回、岸田首相に木原氏が同行したことについて、自民党幹部がこう話す。 「ぎりぎりまで木原氏が同行するのかハッキリとは聞かされていなかったが、たぶん今回もキャンセルではないかと思っていた。それがテレビで岸田首相の隣に木原氏がいるのを見て驚いたよ」  大手メディアも驚いたのか、 「岸田首相の訪米に木原氏同行」  と速報を出していた。 当たり前の同行なのに速報 「首相の外国訪問の際は、官房副長官が同行して官房長官が官邸を守る。木原氏が同行するのは当たり前で、何も特別なことはない。それが速報されるというのは、問題をスクープした『文春砲』の影響がいかに大きいかの証明では。大手メディアもそれを認めたということでしょう」  と話すのは、自民党の政務調査役を長く務めた政治評論家の田村重信氏だ。  週刊文春は7月、木原氏の妻が、元夫の不審死について警視庁の事情聴取を受けたと報道し、その後も続報を出し続けている。  木原氏はこの件について公の場では何も説明しておらず、弁護士からの文春に対する抗議文と「文春側を刑事告訴した」との動きが伝えられただけだ。 【あわせて読みたい】 同じ刑事は“木原事件”取調官の会見をどう見たのか 「私も犯人は“女”ではないと思いました」 松川るい氏の「エッフェル塔」が内閣支持率に直撃 次の炎上案件は“ブライダル利権”の森雅子氏  いずれにしても、文春の記事の影響で、岸田首相がヨーロッパ、アフリカに外遊した際に、木原氏は同行しなかった。  ある官邸関係者は、 「7月のヨーロッパ、アフリカ訪問は木原氏が同行の担当でしたが、文春の記事が影響したのか、木原氏は『妻の元を離れられない』と岸田首相に直談判して、磯崎仁彦官房副長官が代わりに同行しました。木原氏は見るからにやつれ、人がいないところでよく携帯電話でしゃべっていました。打ち合わせをしても、上の空のような感じでしたね。今回の訪米については、木原氏もこらえきれずに岸田首相への同行を決断したようです」  と打ち明けた。 政府専用機で、ワシントン郊外の空軍基地に到着し、出迎えを受ける岸田文雄首相(中央)と木原誠二官房副長官(右)=8月17日   文春砲で水の泡?  また岸田派の国会議員は、 「木原氏の次の初入閣は確実だとみられていました。それも経済産業相や厚生労働相など、岸田首相が抱える大きな課題を扱う重要ポストではないかと。それが『文春砲』で水の泡ともささやかれている。ここで岸田首相の訪米に同行しなければ、政治生命すら危うくなりかねない、というほど追い込まれていたようで、今回の訪米にかけたようでした」  と話す。  一方、岸田首相は訪問先のアメリカで記者団に対し、内閣改造と自民党役員人事について、 「適材適所で判断する。スケジュールについては現時点では決まってない」  などと述べた。  木原氏のスキャンダルが浮上して以降、岸田政権の支持率はジリジリと低下し、各社の世論調査の数字を見ると30%を割り込むような内容もみられる。 【こちらもおすすめ】 「捜査は慎重になりハードルは上がった」 木原誠二官房副長官の妻を取り調べた刑事が語る捜査打ち切りの真相 岸田首相は解散しなかったことを後悔? 「往生際が悪い」松川るい問題で迫られる方向転換 「どの社も共通して言えるのは、文春の報道以降、女性からの支持が落ちている。これは、木原氏のスキャンダルの影響ではないのか」(前出・自民党幹部)  次の内閣改造、党人事では、人気の高い河野太郎デジタル相や高市早苗安全保障相らが閣外に去る可能性が高いとの見方も出ており、「木原氏の初入閣が目玉になるはずだった」(岸田派の国会議員)  それが一転して木原氏は「無役」ともなりかねない状況だが、前出の田村氏は、 「木原氏の処遇は一番の注目となるでしょう。とはいえ、岸田首相もさすがに木原氏の入閣には二の足を踏むはず。入閣で支持率が落ちれば解散も打てなくなる。木原氏もまだ若いので、一度、党本部の無難なポストに戻って様子を見た方が得策ではないのだろうか」  との見方を示す。 エッフェル、ブライダル……収拾できず渦中に  一方、前出の官邸関係者は、 「落ちこんでいた木原氏でしたが、訪米前はすっかり上機嫌でしたよ。官邸内でも内閣改造はもちろん話題になります。木原氏に期待したいというスタッフもいて、そういう話が出るとうれしそうに顔をほころばせています」  と話しており、スキャンダルもどこ吹く風だ。  岸田政権は、秋本真利議員(自民党離党)の「贈収賄疑惑」、松川るい議員の「エッフェル塔大炎上」、森雅子議員の「ブライダル献金」といった大きなマイナス要因が続いており、その収拾をするはずの官房副長官の木原氏が「渦中」にいて何もできなかった。  岸田首相は大きな決断を迫られている。 (AERA dot.編集部・今西憲之) 【こちらもおすすめ】 岸田首相の“右腕”木原誠二官房副長官は次の内閣改造で「外すべき」との党内の声 ドル・円の今年最安値を招いたのは「誰」か 「国民の暮らしを軽視」と岸田政権への批判も
雅子さまに市民が手渡した「冊子」 天皇陛下や皇族にプレゼントを渡してもいいの?
雅子さまに市民が手渡した「冊子」 天皇陛下や皇族にプレゼントを渡してもいいの? JR那須塩原駅に到着した天皇、皇后両陛下と長女愛子さま=8月21日、栃木県那須塩原市、代表撮影    天皇、皇后両陛下と長女愛子さまは21日、静養のために栃木県那須町の那須御用邸付属邸に入った。2019年8月以来4年ぶりの滞在で、長い髪をカットして大人びた雰囲気になった愛子さまや、出迎えの市民との交流の様子が話題になった。ところが翌日、軽井沢へ向けて上皇さまが出発したJR東京駅は、警察の規制が強まった「厳戒」モードに。雰囲気を一変させたのは、那須塩原駅での雅子さまと市民との「交流」だった。 *   *   * 「もっと、下がってください」 「プレゼントはできません」 「物を渡したりしないでください」 「手を振るのとカメラだけにして」  8月22日のJR東京駅で、警察官らが声を張り上げていた。その相手は、軽井沢へご静養に向かう上皇さまと上皇后美智子さまをお見送りしようと集まった人たち。混雑の整理というよりも、これまでになくピリピリとした雰囲気が漂っていた。  東京駅で奉迎をしていた女性は、驚いた様子でこう話す。 「警察官に『あと(タイル)何マス分、下がって』と、ずいぶん後ろまで移動するように規制されました。つまり、上皇ご夫妻に手を伸ばしてもプレゼントを渡すことができない距離まで、という意味だと思います。こんなことは初めてで、驚いています」  「厳戒」の理由は前日に起きた、あるハプニングにあった。     【こちらもおすすめ】 愛子さま夏のご静養先でのハプニング 大きすぎる愛犬を抱っこする姿に思わず歓声が https://dot.asahi.com/articles/-/199219   JR那須塩原駅に到着し、集まった人たちと交流する天皇、皇后両陛下と長女愛子さま=8月21日、栃木県那須塩原市、代表撮影   丁重に受け取った雅子さま  栃木県の那須御用邸に滞在するため、JR那須塩原駅に到着した天皇ご一家。県知事らから出迎えを受けた後、駅に集まった人々の近くに歩み寄り、「夏休みですか」「勉強は?」などと声をかけた。  そのなかに、自身で撮影した写真で作ったカレンダーを、雅子さまに手渡す人がいた。雅子さまは丁寧に受け取るとページをめくり、天皇陛下もカレンダーをのぞき込むしぐさをみせて、相手への感謝を示した。雅子さまは車に乗って出発するまで、しっかりと手に持っていた。    皇室と人々とのあたたかな交流が伝わる場面である。  しかし、翌日の上皇ご夫妻がご静養へ出発されるときには、警察官がピリピリした空気を醸し出し、「プレゼントはできません」と何度も呼びかけていた。さらに、 「あの場面の映像がテレビやYouTubeでも流れてしまっていますので、大変です……」  そう苦笑いしていたという。  どういうことなのか。     【こちらもおすすめ】 「はい、チーズ」と聞こえてきそう! 雅子さまが天皇陛下をパチリと撮影した瞬間 https://dot.asahi.com/articles/-/199014   善意ならば問題ないのか  元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんは、 「天皇ご一家と国民との心あたたまる触れ合いの光景と捉えることはできますが、取材陣もいる公衆の場で天皇や皇族が物を受け取るのは、好ましいことではありません」  と首を横に振る。  天皇および皇族に対して、物を贈る行為は禁止されているのだろうか。皇室経済法には、一定額までであれば、天皇と皇族は国会の決議なしに財産の賜与や譲受もできるとある。もちろん、日常生活のなかでの贈り物のやりとりや物品の購入などは、その範囲ではない。  では、奉迎者らが善意から贈り物を渡しても、問題ないのだろうか。 「原則として皇室の方々は、一般の奉送迎者や行事などでお会いになった人から物を受け取ることは避けるべきです」(山下さん)  仮に贈り物を渡したいと準備する人がいても、おそらく花束など高価ではない品。動機も、純粋な善意によるものだろう。 「今回は、皇后陛下が品を受け取られた場面の映像がテレビで流れ、YouTubeにも残っています。その事実を受けて、『次は自分もなにか贈り物を用意しよう』『これを受け取ってもらいたい』と行動に移す人も出てくるでしょう」(山下さん)    天皇や皇族が公衆の場で贈り物を受け取ることが常態化すれば、爆発物や毒物を紛れ込ませるなど、テロにつながる危険も出てくる。  世間がすべて善意の人ばかりではない。つい先日も、「宮内庁関係者」を自称する男が、皇室に献上すると持ちかけて福島市内の農家から桃をだまし取ろうとした詐欺容疑で逮捕されたばかり。  たとえば自分の著書やアート作品、自社の製品などを「贈り物」として天皇や皇族に手渡した人が、「これは皇室への献上品です」と宣伝に利用する恐れもある、と山下さんは警鐘を鳴らす。もちろん、今回カレンダーを手渡した人にはそういった意図はないだろう。   お返しするのは側近の役目  一方で、こうした皇室に対する距離感を理解している人は、そう多くはないはずだ。山下さんは、こう提案する。 「一般の奉送迎者に注意喚起する必要はないとまでは言いませんが、重要なことは、宮内庁が『贈り物は受け取れません』という姿勢をはっきりと示すことです。  今回の件でも、皇后陛下が直接受け取りを拒否するのは難しかったでしょう。こういった場面では、側近職員がいったん受け取り、ご一家がその場を離れられたのち、渡した人に事情を説明してお返しすればいいと思います」    時代の移り変わりとともに、皇室をとりまく慣習もずいぶん変化した。それでも、皇室の安全を確保するために、守らねばならない「お作法」もあるようだ。  (AERA dot.編集部・永井貴子)
松川るい氏の「エッフェル塔」が内閣支持率に直撃 次の炎上案件は“ブライダル利権”の森雅子氏  
松川るい氏の「エッフェル塔」が内閣支持率に直撃 次の炎上案件は“ブライダル利権”の森雅子氏   エッフェル塔ポーズをとる松川るい氏(中央)。本人のSNSより、現在は削除されている    岸田内閣の支持率が続落している。朝日新聞の世論調査(8月19日・20日実施)では、支持率は33%で先月よりも4ポイント低下し、3カ月連続で下落。専門家からは「岸田内閣はすでに危険水域に入っている」と指摘する。岸田首相としては9月にも内閣改造に着手し、支持率の回復を図りたい構えだが、SNSでは「エッフェル松川」「ブライダル雅子」といったワードが飛び交い、いまだに炎上が続いている。 *  *  *  8月22日、自民党女性局長の松川るい参院議員は、SNSに投稿した写真が大炎上したことの責任をとって、局長を辞任した。茂木敏充幹事長は同日の記者会見で、SNSの写真について「国民、党員の信頼を損なうもの」としたうえで、「信頼回復に努めたい」と述べた。  今回の騒動について元国会議員秘書で政治評論家の尾藤克之さんは「国民の意識と乖離(かいり)している今の自民党をよく表している」と見る。今回の経緯を簡単に振り返っておこう。  自民党女性局(局長・松川議員)の国会議員、地方議員らが研修旅行として7月下旬にフランス・パリを訪問。エッフェル塔を背景に塔のまねをしたポーズで写真を撮影し、その写真をSNSに投稿した。おちゃらけて見えるポーズに、SNSでは〈旅行のようで楽しそうですね〉、〈重税で苦しむ国民に税金でフランスに行って笑顔みせられても悲しい〉と大炎上した。 【こちらもおすすめ】松川るい議員らは「税金への感覚が欠落」 泉房穂氏がバッサリ、“家族旅行”フランス研修の釈明 新たに炎上した森雅子参院議員    松川議員はその後、写真を削除し「誤解を招いた」として謝罪の弁も述べたが、「真面目な研修」「記念撮影が問題だとは思っていない」と主張。研修に同行していた今井絵理子参院議員も「無駄な外遊ではありません」などと反論をSNSに投稿した。  その後、自民党幹部が松川議員に厳重注意の処分としたが、松川議員の子どもも研修旅行に同行していたことが発覚し、SNSでは炎上し続ける事態となった。  今回の朝日新聞の世論調査でも世論の反発が色濃く出た。研修の際にエッフェル塔の前でポーズをとった写真をSNSで公開したことについて「問題だ」と答えたのが62%。「問題ではない」は36%にとどまった。  結局は、松川議員が局長を辞任するに至ったが、尾藤氏はこう指摘する。 「記念撮影自体は問題ないが、あのような浮かれたポーズで撮った写真をSNSに投稿したら、生活が苦しくなっている国民の目にどう映るかを想像ができていないのが致命的でした。松川氏も今井氏も客観的視点が欠落しています。自民党としては松川氏が辞任することで今回の問題を風化させようとしているのでしょうが、これは国民の疑問を無視した対応です。まずはフランス研修がどういった内容で、成果が何なのか松川氏らから国民に報告させるべきだ。そこで説明ができなければ、研修名目で子ども連れで旅行したと批判され続けることになると思います」 「ブライダル利権」と批判の声殺到  岸田内閣の支持率低下につながりかねない火種はまだある。秋本真利衆院議員(5日に自民党を離党)が洋上風力発電事業を巡る贈収賄疑惑で捜査を受けているほか、木原誠二官房副長官の妻の元夫が不審死し、妻が警視庁から事情聴取を受けていたという週刊文春の記事も続いている。  そして新たに炎上しているのが、森雅子参院議員の発言だ。12日に自身のSNSで、森議員が会長を務める「自民党少子化対策議連」の取り組みとしてブライダル業界に対する補助金事業「ブライダル補助金」が順調に進んでいることを報告した。  これに対してSNSでは〈少子化対策というより、ただの企業支援〉、〈少子化対策になっていない〉、〈『ブライダル利権』そのもの〉などと批判の声が殺到した。 【あわせて読みたい】松川るいに我慢ならない! 地盤からは支部長更迭の申し入れ、自民党内は「当面、解散は打てない」  さらに状況を悪くしたのは、森議員とブライダル企業とのつながりだ。森議員が代表を務める自民党福島県参院選挙区第四支部の政治資金収支報告書(2021年分)に、業界大手のA社から100万円の寄付があったことが発覚した。これに対し、補助金事業は〈寄付金の見返りではないか〉などと改めて不満の声が噴出した。  尾藤さんはこの補助金については「ブライダル業界を支援することで少子化が改善するようなエビデンスはない。業界が喜ぶだけの施策」と切り捨てる。そして今回の騒動に関して「以前からブライダル業界と森氏との関係が深いことが指摘されています」という。  実は21年8月のブライダル業界紙で、森議員とA社の会長が対談で登場している。21年4月に3回目の緊急事態宣言が発出される際、結婚式が営業自粛対象にならないよう政治家に働きかけたのがA社の会長であり、その意を受けて政府に働きかけたのが森議員だと紹介されている。会長は「森議員がいなかったら、確実に営業自粛になっていた」と振り返っている。 「善悪の区別がついていない」  3回目の緊急事態宣言の期間は4月25日から5月11日まで。A社からの寄付は4月30日にあった。尾藤さんはこう指摘する。 「緊急事態宣言の際、当初は式場などのブライダル業界も自粛対象に入っていましたが、森氏が政府に働きかけて撤回させたことは有名な話です。結果的にその後、100万円の寄付がなされています。業界に便宜を図ったことをメディアで堂々と語り、その後当事者から100万もの寄付金を受け取る姿を見ると、善悪の区別がつかなくなっているようにも見えます」  国民の感覚からすれば、強い疑問を抱く言動が繰り返されている状況だ。尾藤さんは最後にこう付け加えた。 「内閣支持率と政党支持率を足して50%を切ると政権にとっては危険水域と言われていますが、世論調査によっては岸田政権はすでに危険水域に入っています。岸田首相や自民党議員らのズレた対応を見ていると、今後も五月雨式に問題が起き、支持率は下がり続けるでしょう。2009年の政権交代のときほどではないですが、『自民党にはもう一度お灸を据えたほうが良い』という空気が高まっているように感じます」  岸田首相に国民の声を「聞く力」は残っているのだろうか。 (AERA dot.編集部・吉崎洋夫)
天皇陛下は、体をクルリと向けて遺族の言葉に耳を澄ませた 戦争を知らない皇室の「祈り」の今後
天皇陛下は、体をクルリと向けて遺族の言葉に耳を澄ませた 戦争を知らない皇室の「祈り」の今後 全国戦没者追悼式で「おことば」を述べた天皇陛下、皇后さま=8月15日、東京都千代田区の日本武道館    終戦から78年となった8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式が、東京都の日本武道館で開かれた。天皇陛下の「おことば」は、社会の情勢の変化を反映させつつ、これまでと変わらぬ平和への祈りと不戦の誓いが込められた。しかし、天皇陛下や皇后雅子さまもふくめ、皇室でも戦争を体験していない世代が増えている。上皇ご夫妻が始めた「慰霊の旅」、そして皇室の「祈り」の今後は――。 *   *   *  天皇陛下の「おことば」では、2020年からあったコロナ禍に触れた表現がなくなり、「将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていく」と、「平和」と「幸せ」という言葉の順番が入れ替わった。昨年の「おことば」では、「人々の幸せと平和を希求し続けていく」という文章だった。 「『平和』の言葉を前に持ってきた。こまかな変化ですが、天皇陛下からのメッセージでは」  そう話すのは、象徴天皇制を研究する名古屋大の河西秀哉准教授だ。ロシアによるウクライナ侵攻など、世界情勢が落ち着いていない状況を指しているのだろうと分析する。   【こちらもおすすめ!】 佳子さまの本質はファッションではない 実は、皇室の「祈り」に向き合う存在 https://dot.asahi.com/articles/-/195016    式典における天皇と皇后の滞在時間は、30分程度と長くはない。「おことば」も毎年ほぼ同じだが、社会情勢などを鑑みて、表現にわずかな変化が出る。  全国戦没者追悼式は政府が主催し、戦後7年の1952年に初めて、昭和天皇と香淳皇后を迎えて新宿御苑で開かれた。このときの昭和天皇による「おことば」は、戦争でもたらされた苦しみや悲しみの渦中に人々がまだいることが伝わるものだった。   「今次の相つぐ戦乱のため、戦陣に死し、職域に殉じ、また非命にたおれたものは、挙げて数うべくもない。衷心その人々を悼み、その遺族を想うて、常に憂心やくが如きものがある。本日この式に臨み、これを思い彼を想うて、哀傷の念新たなるを覚え、ここに厚く追悼の意を表する」    59年に2回目、63年の3回目以降、定期的に開催される国の行事となった。  1980年、天皇の「おことば」に変化が起きた。さまざまな式典などで述べられる天皇の「おことば」のうち、全国戦没者追悼式だけが唯一「である」調のままだったが、「です」「ます」調に変わったのだ。 「威圧的だ」という声の一方で「威厳がある」との意見もあり、宮内庁としても議論の末の決断だった。  そして平成へと移った89年の式典でも、「おことば」に変化が起きた。  昭和天皇が「終戦以来すでに41年、この間、国民の努力により国運の進展……」としていた表現が、「終戦以来すでに44年、国民のたゆみない努力によって築きあげられた今日の平和と繁栄」と改められた。また、昭和天皇が「今もなお、胸がいたみます」としていた表現が、人々に寄り添う「深い悲しみを新たにいたします」という言葉になった。   パラオを訪問したときの上皇さま、上皇后さま=2015年4月、JMPA   「サイパンならばどうか」と上皇さま  小さく見えた変化は、上皇さまの強い決意の表れであり、戦争の犠牲者のために祈り、平和を希求する「慰霊の旅」を実現させる布石だった。  戦後50年にあたる95年、上皇ご夫妻の「慰霊の旅」が始まった。  おふたりは、長崎、広島、沖縄、東京大空襲の慰霊施設を訪問。さらに上皇さまは、激戦地のマーシャル諸島やミクロネシア連邦、パラオへの訪問を希望していると、当時の渡辺允侍従長へ伝えた。  交通手段や宿泊施設の問題から断念することになったが、それでも「慰霊の旅」への思いは強かった。 「では、サイパンならばどうか」  戦後60年の節目である2005年にサイパン、さらに10年を経て15年のパラオ訪問へとつながった。   パラオを訪問したときの上皇さま、上皇后さま=2015年4月、東川哲也撮影(写真映像部)    太平洋戦争では1944年7月にサイパン、8月にグアムの守備隊が玉砕すると、米軍の攻撃目標はパラオ本島から南へ40キロに位置するペリリュー島へ。日米両軍の戦死者は1万2千人以上に及んだという。  ペリリュー島を訪れた上皇ご夫妻は、戦没者の碑に日本から持ってきた菊の花を捧げた。そして、海に浮かぶもう一つの激戦地、アンガウル島のほうへ歩を進めた。 「あそこね」  上皇さまが美智子さまに声をかける。静かに顔を見合わせ、島へ一礼した。  このときの情景を、上皇さまは和歌に詠んでいる。   《戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ》   フィリピンを訪問した際の上皇さま、上皇后さま=2016年1月、代表取材    翌2016年の「慰霊の旅」は、フィリピンへ。フィリピン側の死者は110万人以上、日本側は50万人以上にのぼり、いまだ帰らぬ遺骨は30万人以上に及ぶ。  皇室医務主管を務めた故・金沢一郎氏は、かつて筆者にこう語った。 「昭和の惨劇で、命を落とした人々への鎮魂は、両陛下にとって生涯を通じた仕事なのでしょう」   佳子さまが引き継いだ「祈り」  19年に令和の天皇陛下へと代替わりが行われた。皇室も高齢化が進み、式典で祈りを捧げる役目は、戦争を体験していない世代に引き継がれた。 千鳥ケ淵戦没者墓苑拝礼式に参列した秋篠宮家の次女佳子さま=5月29日、東京都千代田区    先の大戦中に戦地で亡くなった身元不明の戦没者らを慰霊する千鳥ケ淵戦没者墓苑での秋季慰霊祭や拝礼式などは秋篠宮ご夫妻が引き継ぎ、今年は初めて次女・佳子さまが5月の拝礼式へ参列した。  出席した遺族からは、佳子さまが「祈り」を引き継ぐことに「嬉しい」といった感想が漏れた。一方で献花もなく、黙礼をして10分ほどで退場する流れに、さみしさを感じた遺族もいた。  そして8月15日の「終戦の日」の全国戦没者追悼式に出席した天皇陛下と皇后雅子さまも、戦争の実体験がない世代だ。  式典で、父親がソロモン諸島で戦死した尾辻秀久参議院議長は「参議院議長として、遺族の一人として、ここに立たせていただく」と前置きして、 「私たちは焼け野原の中、おなかを空かせて大きくなりました。一度でいいからおなかいっぱいご飯を食べたいと思っていました」 「私たちは、生きるか死ぬかという中を肩を寄せ合って生き抜いて参りました」  そう、自身の体験を交えながら追悼の辞を読み上げた。  中国で父親が戦死した遺族代表の横田輝雄さんは、ロシアによるウクライナ侵攻に触れ、こう訴えた。 「現地の惨状を目の当たりにするにつけ、かつての戦争を思い出さずにはいられません」  遺族たちが標柱の前に立つたびに、天皇陛下はクルリと体を向けて、追悼の辞に耳を傾けた。雅子さまも標柱と遺族らを見つめていた。この日、愛子さまも御所で黙とうを捧げていた。   「慰霊の旅」は終わっていない  2年後には、戦後80年の節目を迎える。戦争の悲惨さを知る世代が表舞台から去り、次世代への歴史の継承は大きな課題となっている。  先の河西准教授は、皇室の「慰霊の旅」はまだ終わっていない、と話す。 「戦争を肌で知らない皇室の方々が、慰霊に向き合うのは難しいことです。戦争の犠牲者の魂と平和の希求のために祈りを捧げるとき、それが『儀式をなぞる作業になっていないだろうか』『内実を伴うものになっているだろうか』と、常に自問をする覚悟が必要だと思います。  戦争を知らない天皇、そして皇后、皇族方が慰霊を行う意味とは何か。それは、皇室自身、そして私たちが考えなければならない課題ではないでしょうか」 (AERA dot.編集部・永井貴子)
「契約結婚」はなぜ令和ドラマの一大潮流になったのか 「結婚=ゴール」というラブストーリーの終焉
「契約結婚」はなぜ令和ドラマの一大潮流になったのか 「結婚=ゴール」というラブストーリーの終焉 7月クールのドラマ「ウソ婚」のヒロインを務める長濱ねる    今、テレビドラマで注目のテーマといえば、「新しい結婚のカタチ」だろう。今年は4月クールに「王様に捧ぐ薬指」(TBS系)が放送され、7月クールでも「ウソ婚」(フジテレビ系)が現在放送中、そして10月クールで「18歳、新妻、不倫します。」(テレビ朝日系)がスタート予定だ。 「王様~」では、それぞれの打算によって結ばれたウェディングプランナー(橋本環奈)と御曹司(山田涼介)による、愛は一切ナシの“メリット婚”の行方が描かれた。一方の「ウソ婚」はタイトルの通り、超モテ敏腕建築士(菊池風磨)が幼なじみ(長濱ねる)に半年限定で“ウソの結婚相手”のアルバイトを依頼することから物語が展開。第2話の見逃し配信再生数が210万回を突破したことでも話題になった。  そして「18歳~」は、藤井流星演じる主人公の営業マン兼ボディーガードとお嬢様が恋愛=不倫OKの“偽装結婚”をするというストーリーだ。 また、昨年は旅行代理店で働く男女が偽装結婚を企てる佐藤寛太と葵わかな主演の「結婚するって、本当ですか」がAmazon Prime Videoで配信。さらに清野菜名と坂口健太郎が「結婚」という肩書のためだけに一緒になるというドラマ「婚姻届に判を捺しただけですが」(TBS系、2021年)も記憶に新しい。 【関連記事】「はあちゅう」が離婚後に明かした“しみけんとの結婚生活”と“別居を決めた出来事”  このように、ここ1~2年で「契約結婚」をはじめとする、さまざまなバリエーションの“結婚”が描かれている。  近年のドラマの中で「契約結婚」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、やはり「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS系、16年)だろう。森山みくり(新垣結衣)と津崎平匡(星野源)による男女関係の新しいカタチを提示し、なおかつ視聴者からの大きな支持を獲得した。いまだ語り継がれる大ヒットドラマだ。また同年、韓国ドラマでは「結婚契約」という作品が人気を博したという。 【関連記事】ガッキー&星野源「逃げ恥」、みくりの名言「愛情の搾取」に大反響…結婚や夫婦関係に一石投じる 平成ドラマが描いたドラマチックな結婚  その昔からテレビドラマにおいて「結婚」は、ドラマを盛り上げる重要なテーマとして機能してきた。  さえない中年男(武田鉄矢)と美人チェロ奏者(浅野温子)が結ばれるまでをとことんドラマチックに描いた「101回目のプロポーズ」(フジテレビ系、91年)をはじめ、松たか子とユースケ・サンタマリアの「お見合い結婚」(フジテレビ系、00年)、竹野内豊と広末涼子の「できちゃった結婚」(フジテレビ系、01年)など、それぞれの名シーンと共に記憶に残っている人も多いことだろう。  こうしてみると、総じて20年ほど前、だいたい平成の半ばくらいまでは、まだ「結婚」は純然たるゴールでありつつ、時にはぶつかり合うも互いに認め合い、相手の価値観を受け入れようと努める男女の姿が主題として、また尊いものとして描かれていたように感じる。  ただ、これらの作品を令和の世に振り返ってみると、「そんなに『結婚』というものに執着しなくてもいいのでは?」と、ふと疑問が生じてしまう。少なくとも00年代の初めまではドラマにおいて「結婚=ハッピーエンド」という考えがほぼ多数を占めていたのだろう。ましてやそれ以前の時代なら「結婚」がさらに絶対的な価値として認められていたことが想像できる。 20年で約4割も減った婚姻件数との関連  しかし、かつてはその名もズバリの「契約結婚」(フジテレビ系、05年)という雛形あきこ主演の昼ドラも存在し、ドラマにとって「契約結婚」は決して新しいテーマではない。  では、なぜ最近になってドラマで契約結婚がクローズアップされるようになったのか。  実社会に目を向けると、婚姻件数の減少傾向が続いている。00年に1年間で約80万組だった婚姻件数は、20年には約50万組と大幅に減っている。一方で、「事実婚」や「通い婚」など、必ずしも婚姻届を出さない、一緒に暮らさないカップルが増えてきている。もはや「結婚すればすべてうまくいく」という価値観は、現代社会において時代遅れと言ってもよいだろう。時代や社会を映し出す鏡であるテレビドラマにおいても、そこで描かれる男女の関係がアップデートされ、多様化、細分化されてきていることは間違いない。 “失われた30年”という言葉に象徴されるように、私たちを取り巻く社会環境および労働環境はこの数十年で大きく変容した。それは「恋愛」の主役とも言える若者たちにおいても同じである。人が出会い、そこに「恋愛」が生まれ、「結婚」へと進み、「子ども」をもうけ、「家族」として育てていく――そんな未来がなかなかリアルに思い描けず、感情移入もしづらくなってきた。そんななか、ドラマ作りにおいても従来の「結婚」をメインとしたストーリー展開を踏襲するのではなく、「契約」としての結婚にスポットを当てていくことはごく自然だと言えるだろう。  また、テレビドラマはSNSが誕生するはるか前から視聴者の「共感」あってこそのコンテンツだった。私たちは少しでも現実の自分と重なるセリフや役どころ、シチュエーション、ストーリーにハマり、その行く末がどうなるのかを想像し、最終回に向け盛り上がっていく。「家族」が核家族化したことで、いわゆる典型的な「ホームドラマ」や、それに付随するシチュエーションがほぼ消滅したように、大きな柱としての「結婚」が共感を得にくい以上、「結婚ドラマ」もそのカタチを変えざるを得なくなったのだ。  近年、契約結婚ドラマが目立つように感じるのは、そういったドラマが増えたことはもちろんだが、なにより「結婚」というものに対する私たち視聴者の意識が確実に変化したことが大きい。もはやドラマにおいても結婚はゴールでもなくステータスでもない。今後もカタチにこだわらない「新しい結婚」を描く作品はさらなる広がりを見せ、増えていくのではないだろうか。 (中村裕一)
「U-18侍ジャパンのメンバー」を予想してみた “夏の甲子園組”以外で呼びたい選手は
「U-18侍ジャパンのメンバー」を予想してみた “夏の甲子園組”以外で呼びたい選手は 履正社・森田大翔  夏の甲子園も後半戦に入ったが、大会後には「第31回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ」に出場するU-18侍ジャパンの代表選手も発表される。首脳陣は昨年と同様で、世界一を目指すことになるが、果たしてどんなメンバーになるのか。予想してみたいと思う。  まず過去に選ばれたメンバーを見ても分かるように、大半はこの夏の甲子園に出場した選手になる可能性が高い。昨年も夏の甲子園出場を逃しながら選ばれたのは光弘帆高(履正社→明治大)と内海優太(広陵→明治大)の2人だけだった。これは選手の調整が難しいことからの配慮と考えられる。  もう一つ優先される要素があるとすれば、4月に行われた代表候補合宿に招集された選手だ。2019年も佐々木朗希(大船渡→ロッテ)、浅田将汰(有明→元DeNA)、西純矢(創志学園→阪神)、宮城大弥(興南→オリックス)、石川昂弥(東邦→中日)、熊田任洋(東邦→早稲田大)、森敬斗(桐蔭学園→DeNA)の7人がその年の4月の代表候補合宿に招集されており、3年夏の甲子園出場を逃しながら代表に選ばれている。ちなみに昨年は4月の合宿は行われておらず、そのこともあってより夏の甲子園に出場したメンバーが中心となった。  もう一つポイントになりそうなのが指揮官である馬淵史郎監督(明徳義塾)の目指す野球だ。明徳義塾でも手堅い守備が大きな強みとなっているだけに、守備力の高さは選ばれるうえで重要な要素となるはずだ。また投手もスピードよりもコントロールが重視されることが考えられ、昨年も技巧派の香西一希(九州国際大付→早稲田大)や吉村優聖歩(明徳義塾→巨人)が選ばれている。 【写真】かつて“高校野球史上最高の投手”といわれたレジェンドとは  以上のことから今年のU-18侍ジャパン20人を以下のように予想した。 【投手】 湯田統真(仙台育英) 安田虎汰郎(日大三) 森煌誠(徳島商) 東恩納蒼(沖縄尚学) 木村優人(霞ヶ浦) 増田壮(履正社) 武田陸玖(山形中央) 杉山遥希(横浜) 【捕手】 尾形樹人(仙台育英) 新妻恭介(浜松開誠館) 堀柊那(報徳学園) 【こちらもおすすめ】 甲子園で「マナー悪い」と異例の厳重注意も…“高校生らしくなかった”球児たちの話 https://dot.asahi.com/articles/-/68316 【内野手】 高橋海翔(山梨学院) 真鍋慧(広陵) 高中一樹(聖光学院)     森田大翔(履正社) 山田脩也(仙台育英) 緒方漣(横浜) 【外野手】 喜屋武夢咲(浦和学院) 田上夏衣(広陵) 知花慎之助(沖縄尚学)  まず右投手は5人。湯田、安田、森、東恩納の4人は夏の甲子園で見事なピッチングを見せており、いずれも制球力の高さを備えている。湯田は横のスライダー、安田はチェンジアップ、森はスプリット、東恩納は縦のスライダーとそれぞれ決め球になる変化球があるのも強みだ。5人目の右投手は悩んだが甲子園出場経験がなく、代表候補合宿にも選ばれていない木村を選んだ。同じ右投手では代表候補合宿にも選ばれた坂井陽翔(滝川二)もいるが、コントロールでは木村の方が上という印象を受ける。また、代表チームの岩井隆ヘッドコーチ(花咲徳栄監督)をオフに取材した時には、甲子園出場の有無などは関係なく、広く選手を集めたいと話しており、花咲徳栄と霞ヶ浦は練習試合も行っている。毎年1人程度、実績に関係なく選ばれる選手もおり、それが今年は木村と考えた。  左投手は夏の甲子園で快投を見せた増田と、4月の代表候補合宿に選ばれている武田、杉山の合計3人。実績的には前田悠伍(大阪桐蔭)も当然可能性はあるが、夏の大阪大会前は長期間実戦から遠ざかっており、状態に不安が残る。また前田と同じくドラフトでは上位候補と見られている東松快征(享栄)も代表候補合宿には選ばれているが、制球面で少し不安が残る点からメンバーから外した。 【写真】かつて“高校野球史上最高の投手”といわれたレジェンドとは  捕手は夏の甲子園で活躍した尾形、新妻とセンバツで活躍した堀の3人。実績では下級生の頃から評判の尾形、堀が上回るが、この夏のプレーぶりでは新妻も決して負けていない。新妻は貴重な長打力のある右打者、堀は脚力も備えているというのも強みだ。  内野は佐々木麟太郎(花巻東)を選ぶかが最大の注目ポイントだが、プレーの面というよりもコンディション面の不安を考慮して選外とした。限られた人数の中で試合に出場できない故障者が出ることが最も怖いことである。3回戦以降にホームランを連発すれば世論的に選ぶことももちろん考えられるが、2回戦終了時点では真鍋を優先することになりそうだ。 【こちらもおすすめ】 イチローがもらえるMLBの年金額が凄い! 満額支給の日本人選手4人とは https://dot.asahi.com/articles/-/99329  真鍋の守備力は少し不安があることから、ファーストもサードもこなせる高橋を選出。夏の甲子園で大活躍を見せている森田とともに、貴重な右の強打者となる。二遊間は守備力を重視して高中、山田、緒方の3人を選んだ。基本的には高中がセカンド、山田がショートで緒方がバックアップとなりそうだ。  外野は喜屋武、田上、知花の3人。揃って高い脚力を備えており、外野の守備範囲の広さと正確なスローイングも光る。夏の甲子園で好調の橋本航河(仙台育英)も当然考えたが、他のポジションでも多く仙台育英から選んでおり、全体のバランスを考慮し、選出はないと考えた。この夏は知花が少し調子を崩していたが、甲子園では復調の兆しを見せており、外野では唯一の右打者というのもポイントが高い。また投打二刀流の武田も外野、または指名打者で野手としての戦力として期待できるだろう。  あくまで過去の傾向と、現在の首脳陣が重視するポイントから選んだメンバーであり、そういった制約がなければまたベストメンバーの考え方も変わってくる。全世代の代表チームが侍ジャパンという名称で統一され、選手の中にも代表に選ばれたいという意識が高くなっているのは喜ばしいことである。甲子園大会と国際大会の日程など難しい面もあるが、代表候補合宿を地区ごとで分けて行い、首脳陣が多くの選手を視察する機会を設けるなど、よりレベルの高いチームを編成できるような取り組みが増えていくことを期待したい。(文・西尾典文) ●プロフィール 西尾典文 1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。   【こちらもおすすめ】 【写真】“驚くほど美しい妻”と米で話題になったマー君の奥様はこちら https://dot.asahi.com/articles/photo/37007?pn=1
ジュン氏が「謝罪がない」と激怒した鳥羽氏の振る舞い レストラン周辺住民からも上がっていた「本当の評判」【2023年上半期ベスト10】
ジュン氏が「謝罪がない」と激怒した鳥羽氏の振る舞い レストラン周辺住民からも上がっていた「本当の評判」【2023年上半期ベスト10】 鳥羽周作氏(写真:REX/アフロ)  2023年夏も半分ほどが過ぎた。AERA dot.では、猛暑の中でも読みたい「上半期で読まれた記事ベスト10」を紹介する。1位は「ジュン氏が「謝罪がない」と激怒した鳥羽氏の振る舞い レストラン周辺住民からも上がっていた「本当の評判」」(6月19日配信)だった。(※肩書年齢等は配信時のまま) *  *  *  7月18日に緊急記者会見を開いたキャンドル・ジュン氏(49)は、妻で女優の広末涼子(42)について謝罪するとともに、これまで夫婦にあった出来事を赤裸々に語った。さらに、広末の不倫相手である有名フレンチレストラン「sio」のオーナーシェフ・鳥羽周作氏(45)について怒りをあらわにする場面もあった。ジュン氏が経営するショップ「ELDNACS」と鳥羽氏の「sio」は、ともに小田急線の代々木上原駅が最寄りで、両店はわずか100メートルほどしか離れていない。地元商店街などを取材すると、鳥羽氏が日常で見せる“素”の顔がみえてきた。 *  *  * 「彼の謝罪文を見た時に怒りしか浮かんでこなかったです」  記者会見の中で、ジュン氏は鳥羽氏に対して、こう怒りを表現した。 広末の不倫報道後、ジュン氏は鳥羽氏と直接話をしようと、アポイントを取ることを試みたという。しかし、ジュン氏の電話に対して鳥羽氏の事務所スタッフは「どういったご用件ですか? 代表(鳥羽氏)はリモートですから」と取り付く島もなく、連絡をくれるように言付けをしても、鳥羽氏から折り返しはなかった。こうしたやりとりが2回続いた後、最終的には、鳥羽氏から「このたびは申し訳ありませんでした」というメールが届いたが、アポについて「今日は他に用事があるので」と断られたという。  そんな状況のなかで、14日、広末と鳥羽氏は同時に謝罪文を発表。鳥羽氏の謝罪文に「今後は、改めてゼロから料理に向き合いたいと思います」と書かれていたことについて、「なんとも言えない気持ちになりました」と胸中を語ったうえで、冒頭のように怒りをあらわにしたのだ。  ジュン氏は記者会見のなかで、鳥羽氏に対して、「文書1枚」で済ませるのではなく、大人として責任ある対応をすべきだということを強調していた。  記者会見前、AERA dot.は鳥羽氏のレストラン「sio」がある代々木上原駅周辺を取材していた。「sio」はミシュラン一つ星の有名レストランだけあって、地元の人たちにも広く知られていた。地元商店街で話を聞くと、鳥羽夫妻を知る女性店主がこう話した。 【あわせて読みたい】 広末涼子 「第3子妊娠」でわかった本当の“夫婦仲” https://dot.asahi.com/articles/-/94421 「2023年上半期ベスト10」一覧はこちら   会見前、直接取材を申し込んだときのジュン氏。「ノーコメントです」とのことだった(撮影/上田耕司) 「鳥羽さんの奥さんはキレイで、すごくいい人ですよ。奥さんは会計みたいなことをしているのかな、商店街の会費をもらいに行くと、『はい、はーい』と言って払ってくれて、すごく感じよく接してくれます。だから今回の広末さんとのことでは、みんな『奥さんがかわいそうだよね』って言っています。だって、ジュンさんの店とこんなに近いのに不倫だなんて、もう(商店街の人からは)総スカンですよ」 「sio」へ行ってみると、店には看板がかかっていなかったが、営業はしていた。地元店の店主はこう話す。 「店の看板がないのは“今どき”なのかもしれませんね。ただ、こちらとしては『sioはどこですか』と道をたずねられることが多いので、ちょっと時間が取られますね」  鳥羽氏の知らないところで、商店街からは助けられているのだ。  そうしたことに鳥羽氏は意識が向かないのか、かんばしくない評判も少なくない。  別の店の商店主は「鳥羽シェフはすごく感じ悪い」と顔をしかめ、その理由をこう明かす。 「店の前を通りかかると、店先で鳥羽シェフがお客さんと、『マジですか』『そうっすね』『いいっすか』などと、大声で話しているのをよく見かけます。お客さんやファンにはとても愛想がいい、面白い人なんでしょうけど、地元の私たちには無愛想で、あいさつひとつしない。『こんにちは』と言っても、ブスッとして、ナマ返事しかしない。オレに話しかけるな、みたいなオーラを発しているんです」  鳥羽氏が「sio」をオープンしたのは2018年7月だが、それ以前には同じ場所にフレンチレストラン「Gris(グリ)」があり、16年から鳥羽氏はそこでシェフとして働いていた。18年にオーナーから「Gris」を引き継ぎ、今度はオーナーシェフとして「sio」をオープンさせた。  オープンしたてのころは、商店街の人たちと付き合いもあったという。地元の「上原銀座商店街」の理事長がこう話す。 【写真】三度の不倫報道でも芸能界を「干されなかった」人気女優はこの人 【こちらもおすすめ】 不徳も徳の内。広末涼子の穢れに夢見てきた男どもの腰抜けっぷり ミッツ・マングローブ https://dot.asahi.com/articles/-/191399   「『sio』がオープンしたころは、毎年9月にある地元のお祭りにも積極的に関わってくれました。その後は、『sio』とご自身の他のビジネスに忙しくなったのか、あまり商店街の会合や催しには参加してくれなくなりました。でも、現在も会費を収めていただいているので、会員ではあります。『sio』はミシュランの一つ星ですし、いつも繁盛している店なので、やり手の経営者なのだと思います」  ただ、商店街の中には鳥羽氏に不満を持つ会員もいるようだ。 「『sio』が開店した当時、地元のお祭りの打ち上げに、(商店街の費用から)1万円を出して料理を提供してもらいました。でも、出てきたのは空揚げが2皿くらい……それも『これで1万円もするの?』というくらい分量が少なかった。一流のシェフはいい値段を取るんだなと感じました」  ある居酒屋の店主は「地元商店街で仲のいい人は少ないだろう」と話す。 「鳥羽さんは、定期的に開かれている商店街の会合にも出てきませんからね。その会合では、店のオーナーがみんなに近況を報告するんですが、そういう場にもいないから、そもそもどんな人だかわからない。地元では孤立していますよ」  一方で、やはりお客さん相手には愛想がいいようだ。かつて「sio」の店先で行われたケーキの無料配布に並んだ地元の主婦はこう話す。 「たしかチョコレートケーキだったかな、1人1個限定で配布していて、ウチも子どもと並んだんです。ファンの方たちが鳥羽さんに『一緒に写真を撮っていいですか』と言っていて、鳥羽さんはニコニコして応じていました」  では、ジュン氏についてはどうか。「ELDNACS」の近くの居酒屋へ行くと、店の客はこう話した。 「以前は、広末さんとジュンさんが店の前を仲良さそうに一緒に歩いているのをよくお見かけしましたよ。代々木上原のそんなに高級ではない店でも、広末さんが食事をしているのを見かけました。このへんは有名人が多いのでそんなに驚かなかったですが、夫婦ともに人柄はよさそうな人でしたよ」  地元では仲のよい夫妻の姿が目撃された時期もあったようだ。  だが、ジュン氏が会見で語ったところによると、現在、広末は子ども3人と家を出て、ジュン氏も自宅とは別の場所で寝泊まりしているという。  これからは弁護士を入れて今後の話し合いを進めるというジュン氏。家族の未来は、まだまだ先が見えそうにない。 (AERA dot.編集部・上田耕司) 【あわせて読みたい】 広末涼子 「第3子妊娠」でわかった本当の“夫婦仲” https://dot.asahi.com/articles/-/94421 【こちらもおすすめ】 瀬戸内寂聴が「あんなに男運のない人はいないね」という女優とは https://dot.asahi.com/articles/-/111352
岸田首相は解散しなかったことを後悔? 「往生際が悪い」松川るい問題で迫られる方向転換
岸田首相は解散しなかったことを後悔? 「往生際が悪い」松川るい問題で迫られる方向転換 首相官邸に入る岸田文雄首相=2023年8月15日    今になって岸田文雄首相は、「あの時、衆議院を解散していれば良かった」と悔やんでいるに違いない。「あの時」というのは6月13日、少子化対策の強化に向けて「こども未来戦略方針」を閣議決定し、それを披露するために首相会見を開いた時だ。だが自民党内では麻生太郎副総裁をはじめ、「4年の任期の半分も過ぎていない」と衆議院の解散に対して反対意見が多かった。もとより「こども未来戦略方針」の中身についても、党内外の評価は低かった。必ずしも頑強とはいえない岸田首相の党内基盤。総裁派閥である宏池会は、党内第4勢力にすぎないのだ。  そして「あの時」から内閣支持率は下降し続けている。8月9日に公表された時事通信の世論調査では、内閣支持率は前月から4.2ポイント減の26.6%と、30%を割っている。自民党支持率も21.1%と前月から2.5ポイント減少し、「内閣支持率と与党第1党の政党支持率を足して50を割ると政権運営が厳しくなる」といわれる「青木率」は47.7で、いよいよ赤ランプが点滅し始めた。このままでは衆院選どころか、来年の総裁選も危うくなりかねない。  しかも身内からの相次ぐスキャンダルや不祥事が発生した。まずは岸田首相が最も信頼を寄せているといわれる木原誠二官房副長官だ。週刊文春は6月15日発売号で木原氏の“愛人と隠し子問題”を報じた後、妻の元夫の“不審死問題”を立て続けに報道中だ。木原氏は「家族のケアのため」と称して恒例の記者レクを休止したが、文春の追撃はやむ気配はない。 【あわせて読みたい】 「家事育児、私が全部抱えるのは嫌」 松川るい自民党女性局長が第2子を産むことに踏み切った夫との確約 https://dot.asahi.com/articles/-/13031 菅前首相を「政界の親父」と呼んでた “木原問題”がじわじわと「岸田政権」にダメージを与える一方で、「自民党」にとって大きな衝撃となったのが、洋上風力発電事業をめぐる秋本真利前外務政務官の問題だろう。東京地検特捜部は8月4日、風力発電会社から3000万円を収受した容疑で秋本氏の国会事務所と地元事務所を家宅捜索した。  秋本氏は党内きっての反原発議員で、同じく脱原発派の河野太郎デジタル大臣に近いことで知られる。そもそも秋本氏が国政入りしたのは、秋本氏が富里市議時代に母校の法政大学の大学院で授業を受けた河野氏の勧めによるものだった。また法政大学を介して、秋本氏は同窓の菅義偉前首相とも近く、「偉駄天の会」や「ガネーシャの会」に所属。菅前首相を「政界の親父」と呼んで憚らない。  東京地検特捜部の家宅捜索を受けた4日の午後、秋本氏は外務政務官を辞任し、翌5日には自民党に離党届を提出した。騒動を鎮静化させようとする“意図”が働いたのは明らかだ。  フェードアウトを狙った秋本氏に対し、「往生際が悪い」のが松川るい参院議員だ。松川氏は7月24日から28日まで行われた自民党女性局の“フランス研修”に参加。その際に同行の地方議員とともにエッフェル塔の前でおどけて写真を撮影し、それをSNSに晒して大炎上させた。 エッフェル塔ポーズ 【関連記事】競馬に詳しすぎる贈収賄疑惑の秋本真利議員 調教師が「プロ並み」と驚いたその知識とは  当初は支援者に「炎上中の松川です」と挨拶するなど、楽観していた松川氏だが、写真週刊誌が「令和5年女性局フランス研修」の研修ノートを公開し、「3泊5日で6時間の研修」や「子どもの同行」といった事実を暴露すると、所属の自民党大阪府連に苦情や抗議が殺到した。同党枚方市支部は松川氏の選挙区支部長の更迭を求め、4月の府議選で落選した花谷充愉元府議はフェイスブックに、松川氏は議員辞職すべきだと書き入れた。 茂木幹事長に宛てた松川るい議員の更迭を求める自民党枚方市支部の申し入れ 【関連記事】23歳セクシーモデルの「処女」が3億円! 落札した「東京の政治家」とは?  大阪では自民党が一昨年の衆院選で日本維新の会に大敗し小選挙区で全敗したが、茂木敏充幹事長が本部長を務める「自民党大阪刷新本部」主導で再建を目指し、8月2日に公募していた府下の衆院10選挙区のうち、8選挙区の新支部長を発表したばかり。そして前回の衆院選で比例復活もかなわず、現執行部から遠いとされる清和会の中山泰秀氏(4区)と志帥会の岡下昌平氏(17区)の支部長決定は見送られた。その選定に松川氏が関わっていたことも、「昨年の参院選で応援してもらった仲間を斬り捨てるのか」と批判の原因となっている。 “松川問題”について大阪府連は8月10日に役員連絡会、17日に総務委員連絡協議会を開く予定だったが、直前に党本部から圧力がかかり、開催中止を余儀なくされた。責任を問われる松川氏が茂木幹事長に泣きついたからとされているが、松川氏が衆院への転身を狙うとともに、清和会から茂木氏が会長を務める平成研への移籍を計画していたと、数度にわたって怪文書が暴露した。「刷新」とは「弊害を除去して新しくする」という意味だが、自民党大阪府連は大阪刷新本部によって、党幹部による“草刈場”と化されていたのだ。  岸田首相はそれを黙認してきたが、菅前首相の台頭を抑える“秋本問題”はともかく、“松川問題”は想定外だったに違いない。それはとりもなおさず、日本維新の会の躍進に繋がりうる危機になる。まずは岸田政権を永らえるために来年の総裁選に焦点を当ててきた岸田首相だが、衆院選重視へ方向転換が迫られつつある。  それでは相次ぐ不祥事で衆院選は遠ざかったのか。いやとんでもない。自民党の生き残りのために、岸田首相にはいよいよ決断の時期が迫られている。 (政治ジャーナリスト・安積明子) ■あづみ・あきこ 兵庫県出身。慶應義塾大学経済学部卒。国会議員政策担当秘書資格試験に合格し、政策担当秘書として勤務。その後テレビなど出演の他、著書多数。「『新聞記者』という欺瞞|『国民の代表』発言の意味をあらためて問う」(ワニブックス)などで咢堂ブックオブイヤー大賞(メディア部門)を3連続受賞。近著に「眞子内親王の危険な選択」(ビジネス社)。趣味は宝塚観劇。 【あわせて読みたい】 出生数80万人割れの衝撃 自民党女性局長・松川るい「児童手当の年収1200万円所得制限は引き上げるべき」 https://dot.asahi.com/articles/-/13030
競馬に詳しすぎる贈収賄疑惑の秋本真利議員 調教師が「プロ並み」と驚いたその知識とは
競馬に詳しすぎる贈収賄疑惑の秋本真利議員 調教師が「プロ並み」と驚いたその知識とは 秋本真利衆院議員の地元事務所の家宅捜索。段ボール箱を運び出す東京地検の係官ら=2023年8月4日、千葉県佐倉市  前外務政務官の秋本真利衆院議員(48)=比例南関東、当選4回=が「日本風力開発」(東京都千代田区)の塚脇正幸社長(64)から約3千万円を受け取ったとされる贈収賄疑惑。そのうち約1千万円については、秋本氏が塚脇社長に対し、「馬を買いたいから出してほしい」といった要求をしていたとみられている。秋本氏の“競馬好き”は有名で、その知識は調教師もうなるほどだったという。  東京地検特捜部は8月4日、秋本氏の議員会館の事務所や千葉県の自宅などを収賄容疑で家宅捜索し、翌5日には日本風力開発の東京本社と塚脇社長の自宅などを贈賄容疑で捜索した。秋本氏は外務政務官を辞任し、自民党を離党した。  特捜部は、塚脇社長が、国の洋上風力発電事業で日本風力開発が東北地方の区域などに参画できるよう、秋本氏に便宜を図ってもらい、国会質問や評価基準の見直しなどに対する謝礼の意味があったとみているようだ。この事業は、国が海域を決め、事業者を公募する仕組みで、塚脇社長は自民党の「再生可能エネルギー普及拡大議員連盟」事務局長も務める秋本氏に対し、陳情を繰り返していたという。  一方、秋本氏と塚脇社長は馬主仲間で、2021年秋に競走馬を保有する馬主組合「パープルパッチレーシング」を設立していた。出資比率は秋本氏と塚脇氏がともに45%ずつ、残り10%は秋本氏の知人が出資しているという。 【関連記事】23歳セクシーモデルの「処女」が3億円! 落札した「東京の政治家」とは?  馬主組合は法務局などに登記できるものではなく、JRA(日本中央競馬会)や地方競馬に登録して認められる。実態を知ることができるのは、JRAや地方競馬、競走馬を預かる調教師らに限られている。元検事の落合洋司弁護士は、 「馬主組合という匿名性が高く、秘密が漏れにくいところを舞台にカネを出させるというのは、非常に珍しい。つまりカネの流れもわかりにくいので賄賂を渡しやすいと特捜部は見ているのではないか」  と話す。  そして秋本氏の馬好きは、相当だったという。秋本氏と親しい自民党の国会議員は、 「彼は国会議員でトップクラスの競馬通じゃないか。何年前かの日本ダービーでは『こういう展開では、この馬が1着にきて』とか話し出すと止まらなかった。めちゃくちゃ詳しい」  と話す。 とにかく競馬に詳しかったという秋本真利氏    秋本氏はSNSでたびたび、競馬の話題を投稿している。  2017年8月16日には厩舎(きゅうしゃ)の写真を入れて、 <日本中央競馬会の美浦トレーニングセンターを視察。現在トレセンでは厩舎施設を順次更新中でA厩舎とB厩舎にお邪魔して新旧の厩舎施設を比較させて頂きました。また、B調教師にはG1馬だけが使用出来る紫色の調教用ゼッケンを見せて頂きました。ロゴタイプはG1を3勝しているので星3つ>(厩舎名と調教師名はアルファベットに変えています)  とマニアックな内容だ。 【関連記事】一瞬で100億円超が紙くず、1レースで800億円の売り上げも「悲喜こもごも馬券伝説」  パープルパッチレーシングは、これまで約60頭ほどの競走馬を所有し、現在も17~18頭が地方競馬を舞台に現役で走っているようだ。  塚脇氏は20年ほど前から馬を所有しているといい、馬主としては秋本氏よりもはるかにキャリアがある。今年7月26日には、川崎競馬でパープルパッチレーシング所有の競走馬が1着となり、賞金120万円を獲得。7月31日にも、盛岡競馬で3着に入り、13万円を稼いだ。  秋本氏と塚脇氏を知るある調教師は、 「塚脇さんが『先生、先生』というので何の先生かわからなかった。とにかく競馬については非常に詳しく、血統には特に明るい。名馬の父となる馬がどれで母馬は、とすらすら出てくる。あるとき塚脇さんに『あの人はどうしてあんなに競馬に詳しいのか』と聞いたところ『趣味だ』という。プロ並みだと話したら、『国会議員の先生』と聞いてビックリしました」  と話す。塚脇氏は秋本氏の競馬の知識を頼りにしていたといい、 「組合所有はもちろん、牧場名義などの競走馬も大半のマネジメントを秋本氏に任せていたようです。買い付けの際も秋本氏が血統のアドバイスをしたり、競り市の情報をチェックしたりして、北海道まで見に行って写真を撮って送っていました。真冬でも北海道の牧場に足を運ぶほど熱心でした。秋本氏の血統の見立てなどは、私のような調教師でも耳を傾けたくなるほど詳しくて、まさにプロですよ」  と続けた。 【関連記事】芸人・じゃいが競馬で9千万円超を当てたのを妻に隠した結果、起きたこととは  秋本氏は、疑惑が出てからは沈黙を守ったままだ。一方の塚脇社長側は当初、 「馬主組合に出したもので、国会議員の職務権限にかかるものではなく、贈収賄ではありません」  と否定していたが、一転、弁護士を通じて贈賄を認める意向を示した。  方針を変えたのは「会社の事業継続のため」としている。また、2019年に秋本氏がJRAの馬主登録をする際、条件である「保有資産7500万円」をクリアするために、塚脇氏が3千万円を提供していたこともわかった。数カ月後、秋本氏から全額返済されたという。  前出の落合弁護士は、馬主組合を通じての“賄賂提供”というやり方について、 「馬主組合の出資割合にあわせてカネを互いに出し合っているのかどうかはポイントになる。競走馬が稼ぐ賞金も、出資割合で分配されていればいいが、そうでなければ秋本氏への賄賂となりかねない」  とした上で、 「特捜部も議員会館まで家宅捜索をするのだから、かなりのところまで詰めて捜査しているはず。動きは早いのではないでしょうか」  との考えを示した。  支持率低下が著しい岸田政権。秋本氏の「Xデー」となれば政局にも大きく影響しそうだ。  (AERA dot.編集部 今西憲之) 【関連記事】秋本議員の汚職事件は自民特有の利権争奪戦の一コマ ただのスキャンダルで終わらせるな 古賀茂明
中高一貫校は500~700万円必要 お金のプロがアドバイスする教育費のやりくりとは?
中高一貫校は500~700万円必要 お金のプロがアドバイスする教育費のやりくりとは? 写真はイメージ(Gettyimages) 中学受験をすると決めたら、真っ先に気になるのがお金の話。子どもにいい教育を与えたいという親心だけでは、お金の問題は解決できません。教育費について、ともにファイナンシャルプランナーで6人の子を育てる横山光昭さん、関口博美さん夫婦がアドバイス。AERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2024』(朝日新聞出版)より抜粋して紹介します。 * * * 「教育費の相談を受けることは多いですね。よく雑誌で『私立はこれだけかかる』なんて特集記事があり、相談者に、『こんなにかかるんですか? 煽り記事じゃないんですか?』って驚かれますけど、本当にかかります!」  そう話すのは、ファイナンシャルプランナーの横山光昭さん。自身も6人の子どもの父親で、妻でファイナンシャルプランナーの関口博美さんとともに、教育費のやりくりに苦労してきた経験がある。 「中高一貫校でかかる費用を算出してみると、私立なら6 年間で500 万〜700 万円は必要。公立は、中学の授業料はかかりませんが、教材費などは発生します。私立は短期海外留学などを実施しているところが多いです。学費から積み立ててくれるところもありますが、そうではない学校だと、またお金がかかることになります」(関口さん) 中高一貫校でかかる費用  これは無事合格して、入学してからの話。小学生のころは塾代などの出費もかさむことになる。横山さんは、「教育費は手取りの15〜20%」とアドバイスしている。 「教育費は『いくらかかるか』ではなく、『いくらかけるか』。年収が額面で600 万円、ボーナスが3カ月分だとすると、月々の教育費は4万8千〜6万4千円くらいになります。これを全部、塾代や学費に回せるわけではなく、今後の教育費としてとっておかなくてはならないので、意外と少ないもの」(横山さん)  中学合格後も塾に通わせるケースもあるだろう。 「私立の中には、放課後に校内塾を設けているところがあります。実際の塾だったり、卒業生が教えてくれたりとさまざまですが、安価で学校の授業を補えます。中学生のころが、何かとお金がかかってきついので、この厳しい期間を乗り越えるためにも、こうしたものもぜひ活用を」(関口さん) 大学でかかる費用 教育費をかけすぎると老後資金が不足する!  子どもの教育費を最優先にして忘れがちだが、老後資金も確保しておく必要がある。 「今は晩婚、晩産、少子化があり、親の経済力が上がっていくカーブと、子どもの教育費が増えるカーブにズレが生じています。これからお金がかかるという時に、父親が役職定年で収入減、ということもありうるんです」(横山さん)  老後資金まで視野に入れた家計設計を考えるには、まずは「家計のキャッシュフロー表」を作るべき、と横山さん。「何年後にどれくらいのお金が必要か、そのためにはいくら必要かということを洗い出しておくのです。これをしておかないと、後で『老後資金がない!』と焦ることになります」(横山さん)  家計設計で重要なのは、「収入」「支出」「運用」の三つ。  収入が足りないという見通しが明らかになったら、妻も働く、貯金の一部を投資信託に回すなど、キャッシュフロー表を作る時期が早ければ早いほど、手の打ちようはある。 「教育費と老後資金はシーソーのような関係性で、子どもにお金をかけすぎると、老後の不安が増します。子どもからすれば、いい教育を受けることができても、将来親の老後を支えるために負担がかかっては本末転倒」(横山さん)  それでは、教育費をどう確保すればいいのか? まずは、住居費や携帯電話代、保険料などの、固定費の見直しからだ。次に横山さんが勧めるのは、「色をつけないお金」をためておくということ。 「日本人は、『これは教育費』と色をつけたほうが安心するようですが、子どもの教育費があまりかからないうちに、とにかくお金をためておくこと。教育費に限らず、出費がかさんだ時に使えるお金があると安心できます。そして、このお金を使う時は上限額を決めておくこと。足りないからとどんどん使うと、後で困ることになります」(横山さん) 教育費捻出5カ条  とはいえ、貯金だけですべての教育費を賄うのも決して容易ではない。そこで横山さんは、「貯金と資産運用の併用」を勧めている。 「貯蓄していても全然増えないですし、色のつかないお金を、つみたてNISAの低コストなインデックスファンドに回しておいて、いざ教育費がかかるころには増えている、となると安心」(横山さん)  教育費の準備といえば、学資保険が定番だが、横山さんはおすすめしない派。 「昔は予定利率が高かったけど、今はお得感なし。何十年も積み立てて満期にならないと受け取れないというのも使い勝手が悪いです。『他のことに使ってしまうので、確実に積み立てたい』という人以外は不要です」(横山さん) 周りに流されず、親子で納得できる教育を  子どもの将来を心配するあまり、「いい学校に入れなくては」「周りがみんなやっているから」と焦るのは禁物だ。 「子どものために教育費をかけること自体は素晴らしく、そのために頑張るのもいいこと。ただ、後先考えずにお金を使うことが問題なだけ。長期的に計画した上で、工夫しながらやりくりして、なんとかしようという気構えが大切。周りに流されず、あまり背伸びしすぎないこと。マネープランがきちんとできて、子どもにも納得のできる教育ができれば、親としては成功なのだと思います」(横山さん) 横山光昭さん:株式会社マイエフピー代表。「現場屋」を自認し、2万人以上の赤字家計を再生。6人の子の父で、昨年末には孫も誕生。 関口博美さん:看護師を経て、ファイナンシャルプランナーに。確定拠出年金などが得意。横山さんの妻として、6人分の教育費に奮闘。 ※AERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2024』より (文・構成=𠮷川明子)  
仕事は面白さを知って楽しむ 鎌倉で得た秘訣 野村総合研究所・此本臣吾会長兼社長
仕事は面白さを知って楽しむ 鎌倉で得た秘訣 野村総合研究所・此本臣吾会長兼社長 研究本部が転居してもう30年余りたつ。鎌倉市へ寄付したが、4階建ての横長のまま緑の中に残っている。自分がいた「機械部屋」もどこかすぐに分かる(撮影/山中蔵人)    日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年8月14-21日合併号の記事を紹介する。 *  *  *  1980年代の終わり、入社して配属されていた神奈川県鎌倉市の鎌倉研究本部で、静岡県西部の住宅メーカーの営業強化策の調査・分析を受け持った。20代が終わるころ、当時は親会社だった野村証券の浜松支店に紹介された案件だ。  住宅メーカーは、地域の大きな課題である東海地震や東南海地震への備えを重視し、大学の研究室と組んで手がけていた耐震構造に特徴があった。展示場へきた客たちを、バスで建築現場へ連れていき、梁の工事などをみせて「こんなに丁寧にやっています」と紹介。その後で契約して本格的な設計に入る、という営業手法だった。でも、成約数に、満足していなかった。 住宅商談の客がどこで外れるか展示場で分析  依頼を受け、契約までの過程を10段階に分けて、展示場にきた客で計測した。結果を、客が100人きたら第1段階で何人が商談から外れ、第2段階でこれだけ減っているという具合に示すと、住宅メーカーの社長は「営業は、こういうふうに分析するのか」と感心してくれた。次いで「ここで大きく減っているので、どうやれば増やせるかを考えましょう」と提案する。  会社のバッジを付けて展示場で客の対応をさせてもらうと、どこかで客の本音が出る。「現地・現物」の重視で、後輩と2人でバス見学にもいって、客の感想などから「このへんで、商談から離れる理由が出てしまうのか」と分かってきた。  一方で、営業担当者の販売戸数を調べると、1人の月平均は6、7戸なのに、15戸も売っているエース級がいる。その違いを、行動分析した。それぞれ、離れる客が多い段階で何をやっているか。エース級の人は、客の心をつかむ工夫をしていた。そのノウハウをまとめ、何が足りないかの仮説によって「皆さん、こうやってみましょう。そうすれば、ここで離れている客がつかめますよ」と説明する。  調査・分析でも、いま主力業務の一つになっているコンサルタントでも、キーワードは「仮説」だ。どこに問題があるかがピンとくる直感も大事だが、仮説を立てる力も要る。現場の調査から組み上げて結論が出るのではなく、始めに結論として仮説を持ち、調査はそれを検証する手段だ、という発想だ。 台北で始めた「赤ペン先生」(写真:本人提供)    住宅メーカーの調査・分析を約2年やり、営業担当者に仮説通り動いてもらい、検証を重ねた。そうした作業の成果が出てくると、面白くなる。「仕事は頑張るのではなく、面白さを知って楽しむ」。此本臣吾さんが鎌倉時代に体得した、ビジネスパーソンとしての『源流』だ。 10年後に後輩の手本になった自分のリポート  会社は88年、同じ野村証券グループの野村コンピュータシステムと合併し、システム構築とコンサルが2大業務になっていく。住宅メーカーへ出したリポートは、10年後に後輩から「バイブルになっているのを、知っていますか」と言われた。一緒に仕事をした人が「此本流の段階分析をやると、客がすごく満足してくれる」と言って、残したようだ。『源流』からの流れは、知らないうちに広がっていた。  1960年2月生まれ。母が埼玉県の実家へ帰って出産したが、暮らした出身地は父が家を構えていた東京都文京区で、3歳で練馬区へ引っ越す。父は大分県で税務署に勤めたのちに税理士となり、専業主婦の母と5学年下の妹の4人家族。  小学校4年生のとき、東京駅で寝台特急に乗り、父の実家があった別府へ1人でいった。これで鉄道が好きになり、中学校時代も時刻表を眺めてはコースを決め、いろいろなところを巡り、大学院を修了するまで続けた。みんなでワイワイやるよりも、単独で行動するのが好き。人見知りで、会ってすぐ友だちになるほうではなかった。  都立西高校から東大理科I類へ進んで機械工学科を専攻、大学院の工学系研究科も修了した。鉄道好きだから国鉄(現・JRグループ)に就職しようかと思ったが、入社試験は国鉄が11月なのに対し、一般企業は10月に解禁。9月下旬に友だちに誘われて何となく鎌倉の野村総研へいくと、いきなり面接となり、その日のうちに内定の連絡がきた。入るつもりはなかったが、面接をした研究所の3人がユニークで「こんな人たちと一緒に仕事ができたら面白いだろう」と、入社を決めた。 仕事の面白さと伴侶もみつけた「機械部屋」  だが、大きな勘違いがあった。85年4月に入社し、鎌倉研究本部の産業経済研究部へ配属。社名に「研究所」とあるので、大学院でやったような研究が仕事と思っていたら、違った。あちこちの企業などに面談の予約を取り、初めての人と会って話を聞き、リポートにまとめる。最も向いていない、と思う。  気が滅入り、夏には「もう辞めよう」と決めた。そんなとき、何も話していなかった指導役の先輩が「辞めようと思っているね」と言って、自宅へ呼んでくれた。現地・現物や仮説の大切さ、仕事の面白さなどを聞き、その後で一緒に仕事もやって、1年目を乗り切った。  担当した産業は、自動車や建機などの機械分野。研究本部は4階建てで、横長に大学の研究室のような部屋が並び、総勢は約150人。「機械部屋」と呼ばれた自分たちの部屋は研究員が7人、一般職の女性が2人いた。どの部屋も人間関係が家族のように濃厚で、人見知りの身にすぐには入っていけない。でも、誰かの誕生日祝いや仕事の節目に同僚と北鎌倉の蕎麦割烹の店などへいくようになり、一匹狼の風情も薄れていく。  そんななか、同期入社の女性とデートを始め、冒頭の住宅メーカーの営業強化策を担当していたときに結婚する。妻の実家は鎌倉から近い茅ケ崎市で、結婚して茅ケ崎に住んだ。  鎌倉研究本部からアジア事業開発部へ異動し、34歳で台北事務所長に就任。翌年、支店に衣替え。以降は、コンサルの部長や本部長など管理職が続き、調査や分析の現場から離れた。もちろん、部下に付き添って客のところへいき、自分なりの視点やヒントを出すことは社長になっても続けてはいるが、現地・現物に直に触れることがないのが寂しい。  執行役員時代の09年4月、旧野村コンピュータシステムの事業を継承し、売上高の多くを占めるシステムコンサルティング事業本部の副本部長になる。旧野村総研の調査部門とは合併した後も人事交流が乏しかったが、双方の架け橋役を担った。  ちょうど時代に合っていた。それまではコンサルとシステム構築の二つを持つことが会社の強みで、両者が連携しなくても客は困らない。「経営戦略を考えて下さい」と「ITをつくって下さい」は別だった。でも、デジタル化の進展が状況を大きく変え、客は「ITを使ってビジネスモデルを変えなければならない」と両者の融合を求めてきた。数年前まで、描いたこともない光景だった。面白い。やってみて、そう思う。「面白さを知って、楽しむ」という『源流』の先に待っていた世界だ。  2016年4月、社長に就任。2019年6月に会長も兼務したが、まだ63歳。自らの進路にも、いろいろな仮説を考えているようだ。(ジャーナリスト・街風隆雄) ※AERA 2023年8月14-21日合併号
紀子さま 戴冠式での着物姿、なぜ「たるみ」と「よれ」が気になったのか【2023年上半期ベスト10】
紀子さま 戴冠式での着物姿、なぜ「たるみ」と「よれ」が気になったのか【2023年上半期ベスト10】 チャールズ英国王の戴冠式の会場に到着された秋篠宮ご夫妻=5月6日、ロンドン(ロイター=共同)   2023年夏も半分ほどが過ぎた。AERA dot.では、猛暑の中でも読みたい「上半期で読まれた記事ベスト10」を紹介する。2位は「紀子さま 戴冠式での着物姿、なぜ「たるみ」と「よれ」が気になったのか」(5月12日配信)だった。(※肩書年齢等は配信時のまま) *  *  *  英ロンドンのウェストミンスター寺院で執り行われた、チャールズ国王の戴冠式。長引くインフレや失業率の高さなどに配慮して、これまでより簡略化された式典となった。参列者のドレスコードも緩やかになり、各国の王妃や皇太子妃らがひざ丈のドレスなどで臨むなか、松竹梅の柄の着物をお召しになって参列した秋篠宮家の紀子さま。和装を世界にアピールする場にもなったが、親子2代にわたって皇室に着物を納めてきた関係者はため息をつく。 *   *   *  1億ポンド(約170億円)規模と報道されたチャールズ新国王の戴冠式。これまでより参列者の数も絞られ、かつてのような豪華な夕食会も開かれなかった。  参列者のドレスコードも緩やかになった。  2013年のオランダ国王の即位式では、東宮であった天皇陛下と雅子さまが参列した。雅子さまは、日中の正装であるローブモンタント(長袖ロングドレス)をお召しだった。  一方、チャールズ新国王の戴冠式では、ひざ丈のドレスやナショナルドレス(民族衣装)の装いで出席した各国のロイヤルメンバーもすくなくなかった。  宮内庁関係者がこう明かす。 「英国側からドレスコードについて何度か連絡があり、その度に基準が緩やかになったと聞いています。最後は、ナショナルドレスでも構わないということになり、紀子さまも着物を選ばれたそうです」 「一体どうされた?」  戴冠式が執り行われるウェストミンスター寺院に向かう秋篠宮ご夫妻。にこやかに微笑むおふたりの写真は、世界に配信された。  モーニング姿の秋篠宮さまの隣で歩を進める紀子さまが選んだ着物は、吉祥文様である松竹梅や小花や波柄、そして金彩がほどこされた淡い色の訪問着。七宝文様の袋帯には、慶事に合わせる白金の帯締と帯揚げ、金銀の祝扇をさしている。金色のバッグも明るさを添えている。  紀子さまの帯は、18年にオランダ・ハーグ市を訪問しマルグリート王女と歓談した際や、19年の都内での公務でもお召しであった品だ。新調せずに、馴染んだ和装を選ぶ紀子さまに、不況が続く国内外への配慮がうかがえる。 【あわせて読みたい】 「さすが」の雅子さま 令和初の園遊会でマナーのプロが感嘆した別格のコミュニケーション力【2023年上半期ベスト10】 https://dot.asahi.com/articles/-/197183 「2023年上半期ベスト10」一覧はこちら オランダ国王の即位式に臨む雅子さま=2013年4月、オランダ・アムステルダム  目を引くのは、背と両袖に秋篠宮家の家紋を入れた、三つ紋の訪問着である点だ。  天皇と皇族方は、それぞれの家紋を持っている。  天皇ご一家である内廷皇族は、十六葉八重表菊(じゅうろくようやえおもてぎく)。他の皇族は、十四葉一重裏菊(じゅうよんようひとえうらぎく)を用いる。  各宮家は、創設にあたり紋章(家紋)をつくる。  皇嗣家である秋篠宮家は、中心に十四弁の菊の花を置き、周りに横向きの菊花と秋篠宮さまのお印である栂(つが)の枝葉を四つずつ円形に連ねた意匠。  ご夫妻で相談しながら選んだという。  紀子さまらしい、華やかながら控えめな和装である。  だが、「染の聚楽」代表の高橋泰三さんは、ため息をつきながら戴冠式の様子を見ていた。今回の着物は、泰三さんが納めたものではないが、「染の聚楽」は、昭和の時代から皇室に着物をつくり納めていたこともある。 「日本の伝統文化を世界にアピールするよい機会ですから、和装をお召しと知り、楽しみにニュースを拝見したのです。お召しの着物は、手の込んだ刺繍はなく、染で細かな意匠を描いた訪問着でした。むしろ色無地の方が帯を引き立たせたかもしれません」  一方で泰三さんは、紀子さまの映像や写真を目にして驚いたという。 「着物業界の人間も同じ思いを抱いたようで、私のもとに何件も『紀子さまのお着物は、一体どうされたのか』と問い合わせがありました」 着物を着こなす紀子さま  具体的に、どのあたりに違和感を持ったのか。 「真っ先に目についたのは、紀子さまの着物のたるみとよれ具合です。日本の新聞やテレビでよく使用された写真を見ると、歩く紀子さまの裾が妙にたるんで、よれています。裾も大きく崩れ、後ろがめくれています。和装の顔ともいえる袋帯も内側の袋の部分がぐんにゃりと生地がヘタっているようにも見えます」  紀子さまは、普段からよく着物をお召しで和装には慣れている。今回のように、歩くだけで足元が大きく乱れることはない、と泰三さんは首をひねる。 第8回太平洋・島サミットに出席する各国首脳らとお茶会に臨む紀子さま=2018年5月、皇居・宮殿 「質の良い正絹は、幾重にも絹糸を重ねて密度が濃く織り上げられます。そのため昔は、目方つまり重量で正絹の価値を測っていました。良い正絹は生地自体の重みがあるため、身体にきれいに沿う。逆に、正絹の織の密度が粗い場合は、ペラペラと薄い着物になります。生地も軽いため、歩いていても着物の裾にたるみやよれが出たり、めくれやすくなったりします。紀子さまの着物にこれほどたるみとよれが出てしまったのは、薄い生地であったためかもしれませんね」  天皇や皇族方は、国内外の要人の接遇を行い、厳粛な式典にも出席する。装いは、接遇の相手やそこに集まる人々に敬意を示す手段でもある。  装いが注目される皇后や女性皇族は、360度どの角度から写真や映像を撮影されても困らないような、気遣いと立ち居振る舞いを常に求められる。   和装では着くずれやしわを防ぐため、公務の際に車で移動するときもシートに背中をもたれないよう配慮している。さらにシルエットを整えるために帯板を何枚か重ねるなど、工夫を重ねるケースもあるという。 「紀子さまは、普段の公務では美しく着物を着こなす方です。それなのに、たくさんの『しわ』が寄ったような和装の写真が世界中で用いられてしまったのは、残念です。ともあれ、戴冠式は各国の王族が集まり、世界中に映像や写真が配信される場です。日本の伝統文化と技術をアピールできる和装を選んでいただいたのは嬉しいことです」  天皇の名代として、戴冠式への参列と国際親善の役目をとどこおりなく果たした秋篠宮ご夫妻。  皇嗣家として重責を担うご一家には、ますますの活躍が求められそうだ。 (AERA dot.編集部・永井貴子) 【こちらもおすすめ】 【写真】佳子さまの装いが激変した時!真っ白ダウンにミニスカコーデはこちら https://dot.asahi.com/articles/photo/40444?pn=4
「さすが」の雅子さま 令和初の園遊会でマナーのプロが感嘆した別格のコミュニケーション力【2023年上半期ベスト10】
「さすが」の雅子さま 令和初の園遊会でマナーのプロが感嘆した別格のコミュニケーション力【2023年上半期ベスト10】 東京・元赤坂の赤坂御苑で行われた「春の園遊会」での天皇、皇后両陛下(代表撮影/JMPA)   2023年夏も半分ほどが過ぎた。AERA dot.では、猛暑の中でも読みたい「上半期で読まれた記事ベスト10」を紹介する。4位は「「さすが」の雅子さま 令和初の園遊会でマナーのプロが感嘆した別格のコミュニケーション力」(5月13日配信)だった。(※肩書年齢等は配信時のまま) *  *  *  5月11日、東京・元赤坂の赤坂御苑で天皇、皇后両陛下主催の「春の園遊会」が開かれた。園遊会が開かれるのは2018年秋以来およそ4年半ぶり、令和になってからは初。車いすテニスの第一人者で国民栄誉賞を受賞した国枝慎吾さんや、ノーベル化学賞を受賞した吉野彰さん、歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さん、東京五輪卓球金メダリストの伊藤美誠選手ら各界の功労者1000人余りが出席した。あいにくの雨の中だったが、天皇、皇后両陛下は大幅に時間を超えて懇談された。そんな中で、マナーの専門家は雅子さまのとっさのひとことに感嘆したという。 *  *  *  令和初ということもあり、注目を集めていた園遊会であったが、あいにくの雨となってしまった。 「例年なら14時10分ごろには両陛下はじめ皇族方々が中池の丘の上にお出ましになりますが、時間になってもなかなか出てこられなかった。次第に雨が強くなったのに、14時21分、雨が一旦ぴたりと止みました。それからしばらくして14時27分ごろ、普段より15分程遅れての両陛下のお出ましになりました」(皇室記者)  天皇陛下、雅子さまに続き秋篠宮ご夫妻と初めて参加される秋篠宮の次女・佳子さまと皇族の方々が順に出てこられ、丘の上に横一列に並ばれた。雅子さまは、落ち着いた水色にアヤメかショウブと思われる文様がほどこされた着物をお召しになっていた。大手企業のマナーコンサルティングやNHK大河ドラマ、映画などのマナー指導も務めるマナーコンサルタントの西出ひろ子さんは、園遊会での雅子さまの着物の色味に着目する。 令和初の園遊会での雅子さまの着物(代表撮影/JMPA) 「女性皇族のほとんどがイエロー系の暖色の着物をお召しになっていた中、雅子さまは寒色の薄いブルー系でいらっしゃいました。落ち着きのある品格がにじみ出て、まさに皇后さまらしいともいえる本当に素敵な色合いでした。いままで以上にといいますか、ますます皇后さまらしさに磨きがかかっていらっしゃると感じました」(西出氏)  令和初の園遊会での雅子さまでマナーの専門家が「さすが」と感嘆したのはコミュニケーション能力の高さだという。まずは、その表情。 【こちらもおすすめ!】 【写真】ズラリ並ぶとよくわかる!愛子さまと雅子さまの立ち姿が際立って美しい https://dot.asahi.com/articles/photo/13111?pn=3 「2023年上半期ベスト10」一覧はこちら 園遊会での雅子さまの微笑み(代表撮影/JMPA) 「ここ最近、お出ましになるとき雅子さまの表情はとてもにこやかでいらっしゃいます。今回も園遊会に招待された方々との会話を心から楽しまれ、ほほ笑まれている表情が瞳の輝きから伝わってきました。マスクで顔の半分が隠れているにもかかわらず、お優しい表情が見て取れました」(西出氏)  そんな表情とともに雅子さまのコミュニケーション能力の高さを感じたのは、片岡仁左衛門さんとの会話の瞬間だという。 「雅子さまが『後進の育成は』という質問を発したときに、土砂降りになってきた雨音のせいかマスク越しの会話のためか片岡仁左衛門さんが聞き取れなかったようでした。とっさに、雅子さまは『若い方の~』と言い換えられました。この言い換えには、さすがでいらっしゃると感嘆しました。現在、私は新入社員に対してビジネスマナーの講習をしている時期でもありますが、そういった研修で伝えているのは、相手が分かりやすい言葉に言い換えること。雅子さまが、状況に応じて『後進の育成』を瞬時に『若い方の~』と言い換えられたのは、雅子さまが相手の様子をしっかり受け止め、臨機応変に振る舞われることができるコミュニケーション力、マナー力、人間力が備わっていらっしゃると感じた瞬間でした。雅子さまならば、それくらいのことはできて当たり前だと思われるかもしれませんが、とっさのひとことは、なかなか簡単に対応できるものではありません。1000人以上もの招待客に対して、セリフがきちんと書かれた台本があるわけではないと思いますので、本当に素晴らしいなと感じました」(西出氏)  雅子さまのコミュニケーション能力が発揮される理由を西出氏は指摘する。 「園遊会は、明治13年に国際親善のために外国の方々を招いたことから始まった秋の観菊会が前身です。現在、招待客は国内の方々が主ですが、雅子さまはご結婚前は外交官でいらしたので、園遊会はまさに雅子さまがご活躍される場所のおひとつであることを今回のお姿を拝見して改めて思いました。自然に色々な話題を振り、会話をつないでいき、気さくな雰囲気の中にも堂々とされていて、世界のどこにお出ましになっても素晴らしい、本当に私たちが誇れる皇后さまだと思いましたね」(西出氏) 【こちらもおすすめ!】 【写真】「あわや尻もち」の雅子さまを陛下がナイスアシストした瞬間はコチラ https://dot.asahi.com/articles/photo/36927?pn=3 赤坂御苑の中池の丘の上にお出ましになられた天皇、皇后両陛下(代表撮影/JMPA)  招待客との会話が途切れなかったためか、例年よりも時間が大幅に超えた園遊会となった。お付きの人から時間を告げるお声がけもあったそうだが、丁寧に会話を続けられたという。 「雅子さまは、卓球の伊藤美誠選手とお母さまが作られたおにぎりの話をなさっていらっしゃいましたが、そのあと、伊藤選手の前に既に話を終えている高木美帆選手にもお話を振られ一緒に会話をなさいました。一度、目の前を通り過ぎた人との会話は終わりではなく、共通の話題であれば『一緒にお話しいたしましょう』という思いやりの場をその場で作られました。コミュニケーションをみんなで取りましょうという心配りと優しさ、その思いやりに強く感動いたしました。一般的にもたくさんの方が集まる会合などでは特にですが、誰とも会話せずにポツンと立っている瞬間は寂しいものですよね。私の職業柄からそういう視点から拝見していましたが、雅子さまのコミュニケーション能力、思いやりの真心からのマナーは本当に素晴らしかったです」(西出氏)  今回の園遊会の時間が大幅に超えたのも、さすが雅子さまと思える瞬間がたくさん詰まっていたからかもしれない。(AERAdot. 編集部・太田裕子) ◯西出ひろ子/マナーコンサルタント、マナー評論家、マナー解説者。大学卒業後、参議院議員秘書職を経て、マナー講師として独立。31歳で渡英。オックスフォード大学大学院遺伝子学研究者(当時)と英国にて起業。帰国後、企業のコンサルティングをはじめ、大河ドラマや映画、CMなどのマナー指導など多方面で活躍中。
天龍さんが語る“過酷な状況” 誰よりもピンチを乗り越えたのは「妻・嶋田まき代」だ!
天龍さんが語る“過酷な状況” 誰よりもピンチを乗り越えたのは「妻・嶋田まき代」だ! 天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子) 「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、長らく入院生活を送っていた天龍さん。6月22日に退院すると、すぐにイベントに出演するなど、精力的に活動を再開。今回は天龍さんに“過酷な状況”にまつわる思い出を語ってもらいました。   * * *  過酷な状況で思い浮かぶのは、やっぱり13歳で入った相撲での下済み時代だ。兄弟子に夜中の1時に起こされて「うどん買って来い」って、何かと命令されるのが日常茶飯事。俺たち下っ端は寝る暇もない。    兄弟子から掃除を言いつけられて掃除をしていると、もう一人からは「おう、今すぐあれ買って来い」と言いつけられて、「掃除しているので買いに行けません」なんて言おうものなら、叩かれるからね。掃除もお使いも、両方そつなくこなすことが求められるんだ。滅茶苦茶で理不尽この上ない世界だったよ。    今でも思い出すのが、北海道の夏巡業でのことだ。大鵬さんはいつも双眼鏡を持って歩いていて、釧路で兄弟子が俺ともう一人のやつに「大鵬さんの双眼鏡を持って来いよ」と言われたのをすっかり忘れてしまったことがある。    根室に移動した後、「おい、双眼鏡はどうした?」と兄弟子に詰められて、忘れたことがバレると「明日はかわいがりだ!」と。それで翌日になって、相撲会場の野球場に着いたら、グラウンドの隅の石がゴロゴロしてるような場所に俺ともう一人が呼び出されて、そこで稽古をさせられてね。    勝っても竹の棒でケツを叩かれ、負けたらバットでケツを叩かれるし、転がったら石がゴロゴロしてて痛いしで、大変な目に遭った。そしたら、もう一人が「双眼鏡を忘れたくらいでこんなことをされるなんてやってられない。俺は辞める。お前も一緒に辞めよう」って言い出したんだ。 妻・まき代さんの写真と親子3ショット!天龍源一郎オフィシャルInstagram(@tenryu_genichiro)より/大会情報『STILL REVOLUTION』【開催日時】2023年8月16日(水)18:30OPEN/19:00GONG【会場】東京・新木場1stRING (東京都江東区新木場1-6-24)【チケット料金】(前売りチケット)※当日券は500円UP▽特別リングサイド…6,500円(東西南1列目、2列目) ※残席わずか▽指定席…5,500円(南側ひな壇) ※残席わずかソーシャルディスタンス仕様(状況により変更となる場合がございます)【チケット販売所】▼天龍プロジェクトオフィシャルショップhttps://www.tenryuproject.jp/product/649  俺は「こんなところで辞めるわけにいかない」と思いとどまったけど、そいつは翌日にどっかにふけちゃった。今でも根室と聞くと、そのかわいがりと、その後に行った銭湯で熱い湯船に入ったら血の巡りがよくなって、ケツが痛くて痛くて、まともに風呂に入れなかったことを思い出すよ(笑)。    かわいがりは十両に上がるまで、何かにつけてやられたもんだけど、なにより稽古が厳しかったのも辛かったね。俺は入門時の13歳で身長182センチ、体重82キロだったので親方にも目をかけられていた。    それで、俺の少し後に入った吉沢(後の金剛)だけがいつも稽古が終わった後、親方から「嶋田と吉沢、今からぶつかり稽古だ」と言われるんだ。これがキツかった。横綱の大鵬さんの稽古も終わって、一度土俵を掃除して清めてから、俺と吉沢の稽古がまた始まるんだ。大鵬さんもこの方式で強くなったから、親方も将来部屋を背負って立たせたい俺たちにも同様の稽古をさせたんだね。    俺たちがぶつかり稽古している周りでは、大鵬さんや大麒麟さん、十両以上の力士が見ていて、励ましているつもりか「この野郎、力抜きやがって!」って怒声を浴びせてくるし……。それが嫌で、稽古が終わる20分前に何食わぬ顔で部屋を抜け出して、浜町公園まで逃げたりね。    それで「嶋田はどこに行った!?」って騒ぎになって、若衆頭なんかが探しに来るんだ。まわし一丁の裸足で逃げだしたら、車で通りかかった出羽ノ海親方に見つかって「お前、どこの部屋だ! そんな恰好で町中歩きやがって! 相撲取りなんだから、ちゃんとした恰好しろ!」と怒られたこともある(笑)。そんな恰好で逃げ出すほど嫌だったんだよ。    金剛は俺より後に入門したけど、2歳上でからだも大きくて強くてね。なにより嫌だったのは、俺たちが特別扱いされることで、ほかの兄弟子が嫉妬心からより厳しく当たることなんだ。普通に扱ってくれたらどれだけ楽だったか。でも、きつく当たってくる兄弟子も、ぶつかり稽古でやり返してスッキリすることも多かったけど(笑)。15歳になるころには、同じ三段目の兄弟子には負けなかったからね。  この金剛のことは、後に「押尾川騒動」があって、俺は終生許さないと思っていた。ただ、後になって、俺がプロレスに転向して、レボリューションをやっていた頃に、同郷の大徹(現在・湊川)から「親方になった金剛が『俺が若いころ、天龍といつも三番稽古をやってキツかったんだよ』って話を若い衆に自慢している」と聞いて、なんだか妙に嬉しかったことを覚えている。    金剛もキツくて、俺と同じような思いだったんだなと分かると、終生許さないと思っていたヤツだけど、そのときはちょっと許してもいいかなと思った俺もいる。あの当時の金剛は相撲協会の事業部長かなんかの役職についていて、その金剛が俺のことで自慢しているってことが、俺には妙に嬉しかったんだ。    さて、兄弟子からの無茶な雑用も、十両に上がると一切なくなる。番付がモノを言う世界だからね。雑用が無くなって、昼寝もできるようになると、余裕が出てきて、このころにようやく体重が100キロを超えた。    それまでは92キロくらいで、昼寝をしたり、ゆっくり飯を食ったりする余裕がないと、体重を増やすこともできないんだ。同期の貴ノ花もやっぱり十両に上がるまでは90キロくらいで、十両に上がってから一気に大きくなったからね。勝つために体重を増やさなきゃいけないけど、体重を増やすためには勝って番付を上げなければならない、まさにサバイバルだ。    相撲は厳しいこともあったけど、13歳で相撲の世界に入って、相撲協会という器のデカいところに入れたと喜んでいたのが正直なところだ。総理大臣の秘書は秘書自身も偉いと思ってしまうのと同じだね。相撲協会にいる俺はすごいって(笑)。    それに、あのころは相撲取りだっていうだけで、いろいろと世間も寛容でね。10代のうちからおネエちゃんのいる店に連れていかれて、女性の口説き方を教えられたりね。時代というより、相撲界が特殊だったのかもね。    そんな相撲界からプロレスに転向したときも過酷だったよ。アメリカ修業時代は金がないから節約、節約で、ホットドッグを食うのにもこっちより、あっちの店の方が20セント安いからって、わざわざ車で買いに行ってたんだから。ガソリン代の方が高いだろうって(笑)。  当時で一試合50~70ドルのギャラをもらうために、レスラー数人で一台の車に乗り込んで、7、8時間かけて試合会場に行くなんてザラ。ガソリン代払ったり、途中で飯を食ったりで、ほとんど稼げない。それでも行かないと二度とブッキングしてもらえなくなるから、俺らはどんなに遠くても行くしかないんだよね。    アメリカ時代はジリ貧で大変だったよ。なんせ、相撲時代は金に不自由しなかったからね。アメリカではとにかく金がないし、全日本プロレスは一切援助してくれなかった。全日に入団するときもジャイアント馬場さんから「天龍、悪いけど、支度金は出せない。大学から入団したジャンボ鶴田にも出していないから」と言われていて、それには俺も納得していたし、相撲を辞めるときにいろいろな人からもらった餞別でなんとか食いつないでいたもんだ。    相撲協会を辞めるときも退職金が数百万円出たんだけど、プロレスに転向することを許さなかった親父に、金を見せれば納得すると思って全額預けたんだよね。今思えば銀行に預けて自分で管理すればよかったんだが。親父はその金をもらったもんだと思って、派手に使ってね……。    さらに後になって知ったんだけど、馬場さんが実家まで足を運んで、俺のプロレス転向を認めてくれるように頼んでいて、親父は馬場さんからも数百万円引っ張っていたらしいんだ。その金も車や遊びにずいぶん使っていたようだが……。当時馬場さんはそんなこと一言も言わなかったし、ずいぶん後になって話してくれたんだけど、そりゃあ、そんだけ金を使っていたら、俺への支度金もアメリカの援助もないわけだ(苦笑)。    アメリカでの修行も終わって日本に戻って来て、それでもプロレスで大変だったのは、お客さんやほかのレスラーにナメられないように「いかに天龍はすごいか」を見せつけることだ。下積みなしで、エリートとして入団したからには下手なことはできないというプレッシャーもあった。だから、人一倍トレーニングして、人一倍攻めたし、人一倍攻撃を受けたという自負はある。  ほかのレスラーに対しても「お前ら、これだけやれるのか!」という気持ちがあったね。相撲でも、プロレスに転向したときと同じくらいの熱量で稽古をしていたら、もっと上の番付にいけたんだろうなって今でも思うことはあるよ。過酷な相撲界を生き抜いてきた俺でも、それだけプロレスではハードなトレーニングと試合をしたという自信があるんだ。    そのハードワークのせいもあって、これまで多くのダメージを負ってしまったけど、今は娘夫婦が労わってくれるから、生きていける。女房が亡くなって、もしも、娘夫婦にないがしろにされて、「あなたの人生を知っている」って慰めてくれる人がこの世にひとりもいないと、生きていけないよ。    そういえば、その娘と女房が昔、安室奈美恵のコンサートに行く前日のこと。俺と女房がケンカして、意地になって一人でホテルに泊まりに行ったことがあったっけ。    コンサートが終わってから、そんな俺を女房が「そろそろ帰りませんか」って、ホテルに迎えに来たりして、彼女にもずいぶんくだらないことまで体験をさせてしまったなと思うよ。それでも、いつも女房は感情的にならずに、どうしたらいいかを考えて、実行して、団体のマネジメントとか新日本プロレスとの交渉とかをよくやってくれたよ。永島勝司さんに「タフネゴシエーター」と呼ばれるほどだったんだからすごいよ。    我が嶋田家もピンチで過酷な状況がいっぱいあったけど、女房がうまく差配してやりくりしてくれたおかげで今があると思う。一番過酷な状況を乗り越えてきたのは、俺よりも妻・嶋田まき代だったのかもね! (構成・高橋ダイスケ) 天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。
秋篠宮家はなぜ学習院を避けるのか 「道徳観が見えない」OGが抱き続ける世間とのずれ
秋篠宮家はなぜ学習院を避けるのか 「道徳観が見えない」OGが抱き続ける世間とのずれ 英国戴冠式へ出発する秋篠宮ご夫妻を見送ったときの次女の佳子さまと長男の悠仁さま   秋篠宮家の長男、悠仁さまの進路について注目が集まっている。高校2年の夏ならば、具体的な進学先を視野に入れて将来を検討し始める時期。長女の小室眞子さんと佳子さまは、最終的に学習院大学を選ばなかった。こうした秋篠宮家の教育方針について疑問を抱く人も少なからずいる。『学習院女子と皇室』(新潮新書)を最近刊行した著者で、親子4代に渡り学習院出身の藤澤志穂子さんに話を聞いた。   *  *  * 「曾祖父は学習院中等科から士官学校などを経て軍人になり、祖母は戦前の学習院女子、そして、母、私、その他の親戚にも学習院出身が多いのですが、そのためか私の元に秋篠宮家の様々な問題に関して、特に『眞子さまの結婚はなんなの!?』という批判の言葉が多く飛び込んできました」    と話すのは、曾祖父、祖母、母と4代に渡り学習院出身で『学習院女子と皇室』の著者の藤澤志穂子氏だ。「直接、秋篠宮家にお話しくださればいいのに……」と思いながら、批判が集中してしまう理由を掘り下げたときにたどり着いたのは「ノブレス・オブリージュ」だ。   「ノブレス・オブリージュ」とは、フランス語でnoblesse oblige。財産や権力、地位など恵まれた境遇を持つ、あるいは身分の高い者が果たす責任と義務を示す言葉で、主に欧米社会で浸透する道徳観を示す。   「学習院で得ることのできる学びの素晴らしさについては、著書に書きつくしましたが、ただのお嬢様学校ではなく、卒業生には学業を終えた後、社会に貢献していきたいと思っている方が大勢います。たとえ、家庭に入ったとしても何かしら社会につながっていようとされる方もいる。それに対して、眞子さんはどうですか? 何をしようとされているのか全く見えてこない」    学習院OGとして藤澤氏が秋篠宮家に対して抱く印象は「権利ばかりを主張して、求められる義務を果たしていない」ように見えることだ。   「私の2歳上に秋篠宮さま(当時、礼宮さま)、1歳上に紀子さま(当時、川嶋紀子さん)、2歳下に紀宮さま(現在、黒田清子さん)が学習院に在学していました。そんな世代の学習院の同級生は眞子さんと同じくらいの年齢の子どもがいる場合もあるので、よく話題になるのは『もし、眞子さんが学習院大学に行っていれば……』ということ。眞子さんの結婚のお相手が学習院の中で見つかっていたら、学習院OGOBネットワークで『あの人はこんな感じ』という情報も入ってきます」 2010年、眞子さま(当時)佳子さま、そろって学習院女子高等科・中等科卒業式  また、秋篠宮家がなぜここまで学習院を避けるのかも疑問に感じているという。   「最近はAO入試も盛んなため学習院女子高等科を卒業しても学習院大学への進学率は半分くらいという現実もあります。だから、眞子さんが国際基督教大学(ICU)に挑戦して、進学したのは、わからなくもない。しかし、佳子さまは、学習院大学に進学しておきながら、2年でICUに入り直しました。仮面浪人で学習院大学に籍を置いていたということ。一般のご家庭でしたら『浪人してICUに行けば!?』ですよね。さらに、佳子さまが入られたのは当時、学習院大学の新設学科(文学部教育学科)で一期生として期待をかけられていたと思います。それをICUに入り直すって、そもそも学費はどこから支出されているのかという点からも、ちょっと違うのではと思ってしまいます」    秋篠宮家でいえば、長男の悠仁さまは現在、筑波大付属高校に通われている。   「悠仁さまは東京大学への進学を希望しているなどの報道はありますが、一般のご家庭のお子さんたちだって東大に行きたい人はたくさんいます。もし、皇族だからといって、特別なルートで東大に入れることができたとしたら、ノブレス・オブリージュの価値観とは全く逆。少なくともそういう世論があるのに、周囲の皆さまは秋篠宮家に伝えていないのか、伝えていたとしたらなぜ理解しないのか」               藤澤氏は秋篠宮家が学習院を避けているのを肌で感じることがあるという。   「学習院には幼稚園から大学院まで全ての卒業生が入る『桜友会』、学習院女子大学には『草上会』、学習院女子高等科は『常磐会』があります。明治時代の1895(明治28)年に創設された『常磐会』は会報誌『ふかみどり』を5年に1回発行していて、創刊は1910(明治43)年です。皇族の方々もこの会報誌に自身の動向や御歌、寄稿をされます。最近の寄稿では、三笠宮彬子さま、高円宮承子さまの職場での近況報告がありました。しかし、秋篠宮家からは眞子さん、佳子さまからの寄稿はこれまで一切ありません」  藤澤氏の著書の中には、会報誌「ふかみどり」に寄稿された内容がたくさん紹介されているが、「例えば眞子さんの『ニューヨークだより』などという寄稿は読んでみたいですね」と話す。その理由をこう説明する。   「なにがしかの社会貢献をされておられ、その様子を自ら寄稿されるのであれば、国民からみるイメージもぐっと変わってくるはずです。秋篠宮家の皆さまは、そうしたことにすら、お気づきになられていないのかもしれませんね。もちろん、こうした皇族方・元皇族方の寄稿があるのならば、宮内庁はもっと積極的に発信すべきだとも思います」  2021年10月26日に婚姻届けを出してから、あと少しで丸2年となる眞子さん。ここ最近、理由はよくわからないが、「小室眞子さん」は、AERAdot.の中で際立つほど検索されている。聞こえてこない「小室眞子さん」の動向は、やはり検索されるだけのことはあるのだろう。 (AERAdot.編集部・太田裕子)   藤澤志穂子(ふじさわ・しほこ)昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。学習院大学法学部卒、早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻修士課程中退。1992年産経新聞社入社、経済本部、米コロンビア・ビジネススクール客員研究員を経て2019年退社。著書に『出世と肩書』(新潮新書)、『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(世界文化社)、『学習院女子と皇室』(新潮新書)。
「政治家と仲良くなってはいけない」 追悼「現場派」総長・土肥孝治元検事総長が「現場」に寄せていたメッセージ
「政治家と仲良くなってはいけない」 追悼「現場派」総長・土肥孝治元検事総長が「現場」に寄せていたメッセージ 検事総長時代の土肥孝治さん=1996年   ​ 元検事総長の土肥孝治氏が8月1日、心不全のため亡くなった。90歳だった。記者は2020年5月、土肥氏にインタビューをしている。黒川弘務・元東京高検検事長が、「賭けマージャン」問題で辞任に追い込まれたときだった。 「今、黒川君が目の前にいれば『立場をわきまえろ』と大声で言ってやりたい」  土肥氏は怒り心頭だった。  問題を起こした黒川氏は法務省事務次官を5年経験するなど、法務官僚としての手腕を買われて出世してきた「赤レンガ派」だった。当時の安倍政権に近い人物とされ、「官邸の守護神」と言われることもあった。20年1月、検察庁法で決められた検察官の定年を超えられるよう、安倍政権は閣議決定で黒川氏の定年を延長した。黒川氏を検事総長に就任させようともくろみ、官邸が強引な法解釈で押し通したのだった。  だが、週刊文春の報道で、黒川氏が新聞記者らと「賭けマージャン」を楽しみ、ハイヤーの代金を新聞社に負担させていたことが発覚。黒川氏は辞任に追い込まれ、懲戒処分も受けた。検察や安倍政権へも大きな批判が渦巻いた。  そんな渦中に、記者は土肥氏を訪ねたのだった。 戦後最大といわれた経済事件を指揮  土肥氏は京大卒業後の1958年、検事に任官。大阪地検特捜部など捜査現場で多くの大型事件や汚職事件を手がけた。大阪地検検事正時代には、戦後最大の経済事件といわれるイトマン事件の捜査を指揮した。大阪高検検事長、東京高検検事長を経て、96年1月から2年半、検事総長を務めた。40年に及ぶ検事キャリアのうち、大半を関西で過ごし、「関西検察」の中心的存在であり、黒川氏とは対照的な「現場派」だった。  黒川氏の問題について、メディアの取材に元検事総長や検察幹部らが実名で、黒川氏や検察に「モノ言う」ことはほとんどなかった。そこで、土肥氏を直撃して、「モノ申してもらおう」と思ったのだ。  土肥氏もインタビュー当初は、 「黒川君は全然、知らんねん。悪いな」  と慎重な口ぶりだった。しかし、次第に検察幹部としての黒川氏のありようには怒りが抑えられなくなったようで、冒頭のような発言が出てきた。 「検察の独立、これハッキリさせないとあかん。黒川は脇甘い、自覚が足りん。東京高検の検事長、次に検事総長という立場にいながら賭けマージャンやから、なおさらやな」  土肥氏は政治家との距離の取り方には腐心してきたという。 「検事から法務省に出る、現場で頑張る検事、どちらも心の持ち方。検事としては、政治と近づきすぎてはいけない。政治家と特別仲良くなってはいけない。そういうことが評判になることも避けなければいけないのが検事の鉄則だ。定年延長を迎え、検事総長になることが濃厚になり、黒川は結果的に官邸側、政治に寄っていった気がする」 仲良くなると何か頼まれたりすると断りにくい  土肥氏が検事総長時代、検事総長と法務大臣の部屋は同じフロアにあったという。 「検事総長になって間もなく、『そっちには行かないでください』と事務方から言われた。なぜかと聞くと、『仕切りの向こうに法務大臣の部屋がありますので、それを超えないように』とぴしゃり。検事総長をとりまく検事や事務方も、それくらい政治との距離、関係について神経をとがらせていた。会合などで法務大臣と一緒になるときもあったが、挨拶程度しかしなかった。仲良くなると、万が一、何か頼まれたりすると断りにくい。法務大臣から頼まれるということは、指揮権発動にもつながりかねない」  土肥氏は同じ現場派の吉永祐介氏の後を受けて検事総長に就任した。とはいえ、歴代の検事総長は赤レンガ派が多くを占めていただけに、やりにくさもあったという。 「政治家と親しくなり、いろいろ相談されると法務省や検察に一言、言いたくなるもの。それが捜査などに悪影響、予断、忖度を与えてはいけません。だから、政治とは距離をおかねばならない。私は検事総長になってからは、会食があっても2次会には絶対に出席しませんでした。どこで誰が見ているかわかりませんし、政治家と鉢合わせすることも考えられますから」  このインタビューの記事は、2020年6月17日にAERA dot.で配信した。このときは書かなかったが、土肥氏は検事総長時代のこんな話も明かしてくれていた。 「あることで事務方が、『〇〇先生が極秘で会いたいと言っています』と言うてきたんや。当時、ある事件をやっていたからすぐにピンときた。事務方に『うまく断ってくれ』と言うたが、渋い顔で『法務大臣の耳にも入っているそうです』と言う。〇〇先生と大学のツテで懇意の先輩に、怒りを買わないようにうまくまるめてくれとお願いしたことがあった。〇〇先生も、それっきり何も言わなかった。その後、検事総長退任の直前かな、たまたま外出先で鉢合わせしたのが〇〇先生。こちらは冷静を装うも、向こうはニヤリとしていたな。さすが大臣を何度もやった大物や」 忖度はあかん  土肥氏には、それまでも先輩記者のT氏とともに何度か話を聞いたことがあったが、土肥氏は検察内部の話は避けることが多かった。T氏が、 「検察のことをこんな長くしゃべるのは珍しいでんな」  と言うと土肥氏は、 「そうやな、もうそんな話して通じる相手が少ないから。けど、黒川くんにはちょっと、言いたかったんや」  と、ぼやくように話した。  インタビュー当時、河井克行・元法相と妻の案里・元参院議員の公職選挙法違反事件の捜査を東京地検特捜部が進めていた。後輩へのメッセージを求めると、こう話した。 「検察とは何か、政治との関係はどうあるべきか。信頼回復には、もう一度、検察の原点に立ち返ることが、最も大切だ。忖度はあかん、それが自然とわかるはず」  土肥氏の応接室には、大ファンだという阪神タイガースのグッズや写真が山盛りに飾ってあった。T氏が私を土肥氏に紹介してくれたのは、阪神ファンという共通点があったからだった。  土肥氏は近年、体調がすぐれず、事務所も閉じられていた。まだまだ聞きたい話はあったが、インタビュー中に阪神の話で盛り上がりすぎて聞けなかったことがたくさんあった。ご冥福をお祈り申し上げます。 (AERA dot.編集部 今西憲之)
若村麻由美パッとしない朝ドラ女優から30年 代役が大バズリで本格ブレイクの予感
若村麻由美パッとしない朝ドラ女優から30年 代役が大バズリで本格ブレイクの予感 木10ドラマ「この素晴らしき世界」の主演を務める若村麻由美  7月スタートの「この素晴らしき世界」(フジテレビ系)で“20年ぶりのドラマ主演”が注目を集めている女優・若村麻由美(56)。ほかにも現在、NHK BSやテレビ東京の深夜ドラマにも出演中で、快進撃が止まらない。朝ドラ主演で輝かしい女優キャリアの始まりを飾ったにもかかわらず、なぜか地味な印象が付きまとってきた若村。デビュー37年、56歳にして大輪の花を咲かせようとしている。   「80年なかば高校卒業後に『無名塾』に入り、養成期間中にもかかわらずNHK連続テレビ小説『はっさい先生』でヒロインに抜擢され、華々しい女優人生をスタートさせました。翌年にはドラマで萩原健一と激しい濡れ場を演じる娼婦を演じ、早々に清純派のイメージを払拭。オトナの女優として華々しいキャリアを歩むはずでした。しかし、その後の活動はいまいちパッとせず、代表作と呼べる作品もないまま、30代の半ばを迎えます」(週刊誌の芸能担当記者)    美貌も衰えず、日本舞踊は名取の腕前、演技力もある……女優としてのスペックは完璧に近いにも関わらず、主演作は数えるほどだった若村。そんな彼女が一躍、時の人として注目を集めるようになった。   「2003年に30代半ばになった若村は突然、14歳も年上で宗教団体の教祖で、しかも体重150キロの超巨漢との結婚を発表したのです。当時、ワイドショーは『若村は洗脳された』などとこの結婚の模様を連日報道していました。その後、教祖が俳優・渡辺謙の当時の妻に4億円もの大金を貸していたことから渡辺元夫妻の離婚裁判に巻き込まれ、若村は元妻に渡辺謙との不倫を告発されるという“流れ弾”を食らうことになりました。これが決定打となり、女優としては開店休業状態に追い込まれていきました」(同)    女優業に復帰したのは、夫である教祖が2007年に肝不全で亡くなり、悲しみも癒えた頃。夫が遺した「あなたには役目があるのだから仕事をやめてはいけない」(「週刊文春」 2023年3月16日号)という言葉に背を押されるように、芸能活動を再開したという。俳優・小栗旬が社長となったことで話題となった、実力派ぞろいの少数精鋭事務所「トライストーン・エンタテイメント」に所属することになる。以降、「科捜研の女」でのレギュラーやNHKの朝ドラや時代劇の脇役など、派手さはないながら着実なキャリアを積み上げてきた。   「今回のドラマ主演は若村にとって、人生最大の転機となりました。同じ朝ドラ出身の大女優・鈴木京香のために脚本が書き下ろしされたと言われているドラマ『この素晴らしき世界』で、当の鈴木がクランクイン当日に体調不良を訴え、急遽降板になったのです。同年代の女優は数多くいますが、ある程度以上の知名度と実力がありながらこのタイミングでスケジュールが抑えられる代役候補となるとなかなかいません。そこで白羽の矢が立ったのが若村さんでした。平凡な主婦と大女優の二役をしっかり演じ分ける若村にSNSでは好意的な評価が多い。業界内での評価も上々で、今後地上波連ドラのオファーは増えていくでしょうね」(民放ドラマ制作スタッフ)   テレ東ドラマで若年層にも浸透    ただし、ドラマ自体の視聴率は初回の世帯視聴率5.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区、以下同)を最高に、4%前後をうろうろ。苦戦しているようにも見えるが……。   「“木10”枠は目黒蓮の大ブレイクのきっかけとなった『Silent』やセックスレスに悩む二組の夫婦を描いて話題となった『あなたがしてくれなくても』など、注目作の続く枠です。毎回数字がいいわけではなく、4~5%台の作品も多い。過去にも2021年に『推しの王子様』で、適応障害で活動休止を発表した主演の深田恭子に代わり、比嘉愛未が代役を務めたケースがあります。このとき平均世帯視聴率は4.9%と高視聴率とはいきませんでしたが、その後、比嘉はフジテレビを救った女優として同局で重宝されるようになりました。今回の若村も、数字はともあれフジに大きな恩を売ることができた。アラ還に向け、フジを主戦場に羽ばたいていくのではないでしょうか」(同)   「この素晴らしき世界」にNHKのBS時代劇「大富豪同心・参」、テレビ東京系ドラマ24「初恋、ざらり」、そして8月から25年目に突入する「科捜研の女」新シリーズなどなど……今夏のドラマシーンはさながら「若村麻由美祭り」の様相を呈している。とくに、知的障害を持つ主人公を女手一つで育て上げた母親役で出演中の漫画原作ドラマ「初恋~」は、深夜30分ドラマにも関わらずTVerの見逃し配信ドラマランキングで8位に食い込んでおり、お気に入り数は38.8万を超える。難しいテーマを扱いながら、若年層に人気があり、これを機に若村に新たな魅力を見出すファンや関係者が増えていくかもしれない。    芸能評論家の三杉武氏は若村麻由美についてこう述べる。   「若村さんというとルックスも良く、『無名塾』出身ということで演技力にも定評があり、実力派女優として年配層からも支持の高いイメージです。いわゆる正統派の美人で華もありながら同性からの評価も高く、演技についてはドラマや映画といった映像作品だけでなく、舞台や海外作品の吹き替え、朗読劇などさまざまな分野でその実力を発揮しています。今回の主演ドラマでは複数の役を演じていますが、卓越した演技力で主役も脇役もできますし、シリアスなものからコメディータッチのものまで作品を選ばず対応できる貴重な存在と言えるでしょう。その実力は業界内外で高く評価されていますし、今後もさらに活躍の場を広げていくでしょう」    中高年女性役や美魔女枠の女優のダークホース的な存在として大きく飛躍するかもしれない。(雛里美和)
ヘンリーさんは一人末席で酎ハイをチビチビ 春風亭一之輔が創作する「チャールズ国王の戴冠式」
ヘンリーさんは一人末席で酎ハイをチビチビ 春風亭一之輔が創作する「チャールズ国王の戴冠式」 春風亭一之輔・落語家    落語家・春風亭一之輔さんが連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今回のお題は「メーガン妃」。  AERA dot.編集長いわく、「メーガン妃」のことを書くと閲覧数が増えるらしい。なぜ? そんなにみんなメーガンさんに興味あるの? 私に「数字のためにメーガン妃について書け」と言うのか。さもしい。心が荒んでいる。編集長は片っぽの翼が折れてます(ドラマ「ピュア」より)。いや、言われれば書くよ。そもそも「担当者からのむちゃぶりに応える」というコンセプトなのだから。分からなくても書く。今までそうやってきた。ならば書く。書かねば。  でもなー、メーガン妃か。私が知ってるメーガン情報としては……。一、イギリス王室の次男(でももう王室を離れているらしい)のお嫁さん。二、よその国の生まれ、イギリスの人じゃないらしい。三、かなりべっぴんさん。四、おとっつぁんの戴冠式に来なかった……それぐらいか。  よく分かんねぇな……とりあえずメーガン妃は置いとくとして、王様になったチャールズさんはあの戴冠式以来元気かしら。王様ライフは満喫されてるのだろうか。裸になって街を闊歩したり、ロバの耳を気にしてみたり、土曜の午前中にブランチしてみたり、直訳ロックをシャウトしたり、荒川コーチと一本足打法の特訓に汗を流したりしてるかな。とにかくあの戴冠式は大変でした。王様、お疲れ様。  私にも招待状が来たので行ってみたのです、戴冠式。往復ハガキにエアメールがあるとは思わなんだ。このご時世にハガキで出欠をとるイギリス王室の古風なかんじ、好きです。「出席」に◯をして投函したのは良いものの、さて御祝儀などはどうしたものか? 英国大使館に電話してみると「『東京の結婚式』くらいの感覚でいいんじゃないすか?」とのこと。軽いなぁ。3ですか。いや、やっぱり落語界代表としては5ですか。少ないですか? ま、その辺でごまかして、正装の黒紋付き袴を支度して旅立ちます。  当日、アパホテル ロンドン橋前店をシングル一泊朝食付きで予約して、そこで着替えてウェストミンスター寺院に向かいます。子供たちが「サムラーイ! ニンジャー! ハラキーリッ!」と寄ってくるのを「うるせえクソガキ! あっち行け、このチムチムチェリーどもっ!」と愛敬を振りまきながら、戴冠式会場へ。「三代目 チャールズ 英連邦王国 国王襲名披露宴会場」と墨黒々と記された大看板を横目に寺院内へ。ロビーは男性は岡田真澄さん、女性はデヴィ夫人みたいな人たちでいっぱい。気後れしながら「寄席関係者受付」で御祝儀を渡し記帳していると、落語協会会長の柳亭市馬師匠とバッタリ。「お疲れ様です」「余興で『俵星玄蕃』やってくれって頼まれてな」「凄いですねー」「王室から頼まれちゃなぁ、しょうがねえ(笑)」。日本からの落語家は私だけじゃなくてホッとしました。師匠の歌声がこだますると、割れんばかりの拍手と指笛。ウェストミンスター寺院はさながら雪降る本所松坂町の趣。国王のお祝いに華を添えておりました。  肝心の戴冠式は、ランニングにトレパン姿でバッキンガム宮殿をスタートしたチャールズさんが、沿道の観客に手を振りながらわずか2.3キロの距離にあるウェストミンスター寺院を23時間45分かけて目指します。ダレきった会場内に「まもなくチャールズ到着!」の知らせが入り、なにわ男子と芦田愛菜さんと徳光和夫さんと加山雄三さんと欽ちゃんがステージ上に勢揃い。ここでカンタベリー大主教の音頭で「負けないで」の大合唱。テープを切ると「国王、おめでとう!!!」の歓声とともに黒柳徹子さんから王冠の授与。国王の「コレカラモ、ガンバリマース! ハンシンファンハ、イチバンヤー!」の一声からの「サライ」©️弾厚作で一次会はお開きとなりました。  「二次会参加する方はお声がけくださーい!」とウィリアム皇太子の仕切りで17〜18人が会場に残ります。国費を無駄にするな!の批判もあり、二次会会場はロンドン北コミュニティセンターの和室でごく質素に。長テーブルに缶ビール、ハイボール、ノンアル、2リットル入りの大五郎、ハイサワーが並び、紙コップで乾杯。王室のお母さん方やお姉さん方が割烹着姿で乾き物やおつまみを運んだり、お酌をしたり忙しい。台所では「あら、おっきくなったわねー!〇〇ちゃん!」「どこ就職したの? まぁ、お父さんも安心だわ! 親孝行ねー! うちのはまだフラフラしてんのよー、どっかにいい人いたら教えてちょうだい!」みたいな話で盛り上がっています(英語なのでよく分からないけど)。   スコットランドのオジサン(と皆から呼ばれてる)はだいぶメートルが上がってきた模様。でっぷり太った赤ら顔のチョビヒゲに、頭にほどいたタキシードのネクタイを巻いて大声で「いんや、いんや、今日はまっことにめでてぇ、めでてぇ! オラがいとこのツァールズがやっとこさ王冠をもらえて、こんなぬ、めでてぇことはねぇなぁ、はぁ。ここはひとつ、オラが十八番の『エジンバラ慕情』を口バグパイプでご披露させていただきやすっ!」とよく分からない余興も飛び出します。正面のステージ脇にDAMのカラオケセットもあったので、エルトン・ジョンやらワム!やらスパイス・ガールズやらモーターヘッドやらジャミロクワイやらの大合唱で大盛り上がりなんですが、一人末席でポツンと檸檬堂の酎ハイをチビチビやってたのが次男坊のヘンリーさん。  「おーい! おめもこっち来て歌えー! なー『サタデエ・ナイト』、オジサン入れたからぁ!ヘンリーも一緒に歌うべっ!」。一瞬、「余計なことするなよ、オジサン」という空気が流れます。「ほら、デュエットすべ! な! ホレ!……どうすたんだよぅ? めでてぇ親父さんのテエカンシキだぞ! そったら浮かねえ顔して!  ったくまぁ、まだ反抗期かえ? 聞いたぞ、こねぇだ本書いて随分儲かったんだってぇ?(笑) 羨ましいなー、金入ったんならオジサンとこの裏山買ってくんねえかな? 相続税高くつくからどっかやっちまおうと思ってなぁ。オジサンもこの年だから終活ってやつだなぁ」。イヤな緊張感、もうオジサンやめてくれ。  「なんだよー、機嫌ワリイのか? ホラ、歌うべな。『サタデエ・ナイト』! ……ところで、べっぴんのカミさんどうした? まだオジサン会ってねぇからなー、会いたかったなぁー。だよなぁ、ツァールズぅ! 親父さんの代替わりのめでてえ時に嫁さん来ねぇてなー、こら一大事だよぅ!」。もう勘弁してくれ、オジサン。「ホレ!『M・E・G・H・A! G・H・A! Nっ!! M・E・G・H・A! G・H・A! Nっ!!(サタデー・ナイトの節で)』」  周りの親族から羽交締めにされ、無理やりステージから引きずり下ろされるスコットランドのオジサン。「やめろって! なんすんだよぅ! オラぁお祝いに来てこんな目にあわすなんてヒデェぞ! ダイ◯ナさんがいたらこんなことさせねえべ! ったくまぁ! よせって! やめろって!……オラまだ帰らねえよ! もう一軒いこ! もう一軒! オラのコレ(小指)にやらせてるスナックがあるからぁ! みんなで、ほら、あー、誰だ、タクシー呼んだの!? 乗らねえよ! おい、いてててて! 押し込むなよ! あ!! 引き出物、忘れた! 持って帰らねえと母ちゃんに怒られっから! あー、分かった分かった! もう帰っからぁ!」  ウィリアム皇太子が引き出物の入った紙袋をタクシーに放り込む。「行き先は?」「ロンドンのアパ! アパ行って!」とオジサンが叫び、タクシーは走り去っていった。どうやら私と同じ宿のようだ。静まりかえった和室に戻ったウィリアムが「お前もなんか言ったらどうなんだ?」と言うとヘンリーは「へへ」と鼻先で笑い氷結に手を伸ばす。「大変お騒がせしました。もう、お開きです。みなさん。今日は父のためにありがとうございました」。ウィリアムが頭を下げる。チャールズ国王とカミラさんは先に帰ったようだ。ヘンリーは氷結を2本カバンに忍ばせた。国王は酔っ払って王冠を忘れていったのか、親戚の子供たちがかわりばんこに被ってると「コラッ!」とどこかのオバサンに叱られていた。  私もタクシーを呼んでもらいアパホテルに着くと、フロントでさっきのオジサンが揉めている。「だからぁ! ロンドンのアパって、ここだべ!?」「いや、こちらはロンドン橋前店でして……駅前に北口店と南口店、ロンドン塔店、大聖堂前店……ロンドンだけであと8店舗ありまして……」「すらねぇよ! そんなこと! ほら! これやっから姉ちゃん! これツァールズの引き出物!」。なんとか泊めてもらおうとオジサンは紙袋から引き出物を取り出した。戴冠式の引き出物は「寿 三代目」と書かれたデッカい鯛のカタチのカマボコだった。  最近見ない引き出物だ。私も部屋に帰り冷蔵庫に入れた。白昼夢のような戴冠式に出席し、いいネタが出来たから御祝儀なんて安いもんだと思いながら帰国。うちに帰って鯛のカタチの引き出物の封を開けると、中はカマボコではなく白砂糖の塊だった。  紅茶によく合う、美味しい砂糖だった。  作り話とともに、イギリス王室とヘンリー御夫妻のお幸せを祈ります。  こんなんじゃ、数字は伸びまい、編集長。 春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。この連載をまとめたエッセー集の第1弾『いちのすけのまくら』(朝日文庫、850円)が絶賛発売中。ぜひ!

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