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天皇陛下64歳 愛子さまに願う「感謝と思いやりの心を持って」愛情あふれるお言葉で振り返る
太田裕子 太田裕子
天皇陛下64歳 愛子さまに願う「感謝と思いやりの心を持って」愛情あふれるお言葉で振り返る
第213回国会の開会式でおことばを述べたときの天皇陛下=2024年1月26日 代表撮影    23日、天皇陛下が64歳のお誕生日を迎えられた。誕生日に先がけ記者会見を行うが、毎年必ずお話しされるのは、妻である雅子さま、愛娘の愛子さまのことだ。愛子さまはこの春、学習院大学を卒業するが、そんな節目の年に、愛子さまについて語られた言葉を振り返ると天皇陛下の深い愛情と大切にしてきたものが見えてくる。   *  *  *    天皇陛下の誕生日の記者会見は、お誕生日の2月23日の前に行われる。天皇、皇后両陛下の長女、愛子さまがお生まれになった2001(平成13)年12月1日の翌年のお誕生日には、命名に当たり、その思いを語られている。    漢文学や国文学の専門の方々から複数の候補があがり「敬宮」「愛子」さまと命名された。   「敬と愛の二文字が入っているのも良いと思いました」と天皇陛下(当時、皇太子殿下)は記者会見で語り、命名への思いを明かされた。   「孟子の言葉にあるように,人を敬い,人からも敬われ,人を愛し,人からも愛される,そのように育ってほしいという私たちの願いが,この名前には込められております」(皇太子殿下お誕生日に際し/平成14年より)    その翌年2003(平成15)年の記者会見では、イクメンぶりも明かしている。 1歳の愛子さまを抱いた皇太子さま(当時)と雅子さま。那須御用邸へ向かうため、JR那須塩原駅に到着し、歓迎する人たちに応える=2002年5月8日 代表撮影 「私自身子供をお風呂に入れたり,散歩に連れて行ったり,あるいは,離乳食をあげることなどを通じて子供との一体感を強く感じます。    国内でも広く母親の育児の負担の軽減についての議論がなされているようですけれども,父親もできるだけ育児に参加することは,母親の育児の負担を軽くすることのみならず,子供との触れ合いを深める上でもとても良いことだと思います」(皇太子殿下お誕生日に際し/平成15年より)    最近では男性の育児休暇の取得など子育ての環境は少しずつ変化していっているが、天皇陛下も母親の育児負担軽減を社会の課題と掲げられ、この頃から自ら実践されていた様子がうかがえる。 【こちらも話題】 愛子さま昼食会デビューの圧倒的オーラの背景に「雅子さまにそっくり!」な所作と心 https://dot.asahi.com/articles/-/214759 栃木県の沼原湿原を散策し、休憩。雅子さまに抱かれた愛子さまが、手を伸ばして皇太子さま(当時)の顔に触れる。皇太子さまが手にしているのは愛子さまを背負うためのベビーキャリー。ご一家の笑顔が弾ける=2002年8月16日 代表撮影  また、「3、4メートル歩けるようになった」ばかりの愛子さまへの感動も明かされた。   「もうその日の夕方には,その3倍ぐらい歩くようになっておりまして,私自身も今お話したように,子供の成長が非常に速いということに改めて驚いております」(皇太子殿下お誕生日に際し/平成15年より)   “その3倍”という表現に、驚きと深い感動が込められている。また、よちよち歩きの愛子さまをずっと見守る天皇陛下の深い愛情が伝わってくる。   「愛子の養育方針」として語ったのは平成17年だった。このとき、愛子さまは3歳。   「3歳という年齢は今後の成長過程でも大切な時期に差し掛かってきていると思います。愛子の名前のとおり,人を愛し,そして人からも愛される人間に育ってほしいと思います。それには,私たちが愛情を込めて育ててあげることが大切です。つい最近,ある詩に出会いました」(皇太子殿下お誕生日に際し/平成17年より) 葉山御用邸近くの海岸・小磯の鼻を散策するご一家。葉山御用邸(後方)近くの海岸・小磯の鼻へ散策に出て、砂遊びの道具を手に、迎えた地元の人たちを見つめる愛子さまと、笑顔で手を振る皇太子さま(当時)と雅子さま=2003年4月13日 代表撮影  天皇陛下がいう詩とは、ドロシー・ロー・ノルトというアメリカの家庭教育学者の作った「子ども」という詩で,スウェーデンの中学校の社会科の教科書に収録されているという。記者会見では「子ども」を朗読している。   『批判ばかりされた 子どもは 非難することを おぼえる   殴られて大きくなった 子どもは 力にたよることを おぼえる   笑いものにされた 子どもは ものを言わずにいることを おぼえる   皮肉にさらされた 子どもは 鈍い良心の もちぬしとなる   しかし,激励をうけた 子どもは 自信を おぼえる   寛容にであった 子どもは 忍耐を おぼえる   賞賛をうけた 子どもは 評価することを おぼえる   フェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる   友情を知る 子どもは 親切を おぼえる   安心を経験した 子どもは 信頼を おぼえる   可愛がられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる』 【こちらも話題】 雅子さま還暦「愛子にはいちばん美しいものを見せたい」一緒に笑い、悩み、「娘」を守り続けた https://dot.asahi.com/articles/-/208531    この詩を読み終え、「家族というコミュニティーの最小の単位の中にあって,このようなことを自然に学んでいけると良いと思っております」としたうえで、まだ3歳の愛子さまの「将来」について語られた。   「愛子が公務を始めるというのではなく,私たちがやっている姿を見せることも大切と考えます。3歳になりましたので,いろいろな意味で社会性を身に付けていくことも大切と思っています。    言葉もかなり自由に出ますので,日常生活でのあいさつや,これはもう前からしておりますが,食事のときの「いただきます」,「ごちそうさま」など,また,何かしてもらったときの「ありがとう」という言葉などは大切と思っています」(皇太子殿下お誕生日に際し/平成17年より)    詩「子ども」を引用しながら天皇陛下が語る愛子さまへの思いは、改めて私たちにも大切なことを示してくれている。    天皇陛下、そして雅子さまからの愛情を注がれて育った愛子さまだが、天皇陛下の記者会見で語られる様子ではなかなかのアクティブな女の子だ。   「5年生から始めたバスケットボールクラブでは,初めての対外試合で他校を訪れ,他校の皆さんと試合を行ったり,初等科での試合の場合には,試合後は交流も行ったり,非常によい経験になっているように思います。    また,この冬休みには,親元を離れて,初めてお友達とスキー合宿に参加するなど,お友達との活動の場も増えてきました。今回のスキーは愛子にとっては,3年近く前の春休み以来の久しぶりのスキーとなりましたが,たくさん練習し,少し上達したようで,本人にとっても,自信が付いたことと思います」(皇太子殿下お誕生日に際し/平成25年) 皇太子(当時)ご夫妻と卒業式に向かう、愛子さまと皇太子ご夫妻=2017年3月22日、東京都新宿区 代表撮影    バスケにスキーの他、学習院女子中等科2年生の愛子さまは水泳も上達された。   「沼津の臨海学校では,約3kmの遠泳を泳ぎ切るなど,水泳は目覚ましく上達したようです」(皇太子殿下お誕生日に際し/平成28年)    この頃から、天皇陛下の愛子さまへの接し方の変化が、記者会見の言葉から垣間見えてくる。 【こちらも話題】 愛子さまは赤いコートのクリスマスカラー 天皇陛下と雅子さまと「お忍び」でたずねたイルミネーションスポットはどこ? https://dot.asahi.com/articles/-/207282   「健やかに成長していくよう,雅子と共に見守っていきたいと思います」(平成25年)から、「将来については,愛子も高校生になり,自分の将来についても思いを巡らす時期になっていると思いますので,雅子も私も,愛子本人の希望をよく聴き,相談に乗っていきたいと思っています」(平成30年)というように、見守るから本人の希望に寄り添うものに移行する。    進路を考える時期に差し掛かり、天皇陛下は「本人の希望を聴き」「相談に乗っていきたい」という言葉を繰り返されている。この気持ちは雅子さまももちろん一緒だ。改めて仲が良いといわれる天皇ご一家の様子が目に浮かぶ、愛子さまを見守る、思いのある言葉だ。    学習院大学への進学が決まった以降、天皇陛下の愛子さまへの言葉の中には、「感謝と思いやりの気持ちを大切にしながら」(令和2年)というフレーズが必ず入ってくる。   「感謝と思いやりの気持ちを持って,一つ一つの務めを大切に果たしていってもらいたいと思います」(天皇陛下お誕生日に際し/令和3年より)    そして、愛子さまが成年皇族の記者会見を行った翌年には天皇陛下はこう語られた。   「愛子が記者会見でも述べたように、自身のこれまでの経験は周りの多くの方の支えや協力があったからであり、これまで様々な形で支えていただいた皆さんに感謝する気持ちを持ってくれていることを、私たちとしてもうれしく思いました」(天皇陛下お誕生日に際し/令和5年) 天皇、皇后両陛下の長女愛子さまは、成年皇族として初めての記者会見に臨んだ=2022年3月17日午後、皇居・御所「大広間」 代表撮影    愛子さまが立派に果たされた成年皇族としての初めての記者会見は、天皇陛下が願い続けてきたことに、愛子さまも応えた瞬間だったのだろう。    愛子さまが生まれた2001年から皇室番組の放送作家を務めるつげのり子氏は、お誕生日の記者会見で天皇陛下が愛子さまに向けて述べられた言葉について感慨深げにこう話す。   「そもそも敬宮愛子さまのお名前には天皇皇后両陛下の思いが本当に込められていますよね。    毎年、お誕生日には愛子さまの成長ぶりをお話しされていますが、印象深いのは平成17年に愛子さまの養育方針について一遍の詩を引用されたときです。    その詩の中に〈可愛がられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる〉という一節があります。その言葉は陛下にとって、子育てにおける大きな指針になられたのではないかと思います。    だからこそ、愛子さまが誰に対しても愛する心を持ち、また愛される人になって、感謝と思いやりの気持ちを持つように成長を見守ってこられたのだと思います。   “感謝と思いやりの気持ちを持って”という言葉は、令和になってから毎年語られています。詩を引用された当時から、その一節を念頭に置かれて愛子さまに接してこられたのだと思います」    記憶に新しい愛子さまの昼食会デビューの素晴らしい姿は、天皇陛下と雅子さまの愛情の結晶だったように思えた。(AERA dot.編集部・太田裕子) ◎つげのり子/放送作家、ノンフィクション作家。2001年の愛子さまご誕生以来皇室番組に携わり、テレビ東京・BSテレ東で放送中の「皇室の窓」で構成を担当。皇室研究をライフワークとしている。日本放送作家協会、日本脚本家連盟会員。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)がある。
天皇陛下愛子さま雅子さま皇室
dot. 2024/02/23 06:30
猫と暮らせば奇跡の連続!  立ち上がって虹色のおもちゃを狙う猫 決定的瞬間が撮れたワケ
熊澤志保 熊澤志保
猫と暮らせば奇跡の連続! 立ち上がって虹色のおもちゃを狙う猫 決定的瞬間が撮れたワケ
「NyAERA2024」の「ウチの子スゴい猫です」で表彰、遊び中にキレイに立ち上がった姫。奇跡の一瞬だ(撮影/蝦名さん)  NyAERA2024を読んでくださった方なら、この写真に見覚えがあるでしょう。読者の愛猫写真コーナー「ウチの子、スゴい猫です」の応募写真から、とにかくスゴい!と写真映像部長の心も打ち抜いた1枚です。撮影した蝦名さんに撮影秘話を聞きました。 *    *  *  柔らかな日差しが差し込む中、真剣なまなざしで猫じゃらしを見つめる猫。立ちあがっている姿は、なんだかかわいい着ぐるみのよう。  おもちゃを狙う茶トラの猫の名前は姫(3歳)。女の子だ。 「子猫時代から、姫はあまりジャンプが得意でなくて、2足で立ち上がっておもちゃを追いがちなんです。キャッチして口元に持っていくまでがセットでした」  華麗な構えは、子猫時代から変わっていないのだという。 見ごとにシンクロする虎(手前)と景(奥)(撮影/蝦名さん)  蝦名さんは写真の姫、そしてやはりNyAERAで紹介した、シンクロぶりが美しい長男の虎(5歳)と次男の景(かげ/4歳)の3にゃんとパートナーとともに暮らしている。  この3にゃん、それぞれにちょっとスゴい。長男の虎は凄まじく賢くてスゴい。虎に育てられた景は天真爛漫でスゴい。姫はお姫さまっぷりがスゴいのだ。  虎がやってきたのは5年ほど前のこと。引っ越し先の物件が、ペット可とわかったのだ。 「忙しい時は難しかったけど、いつか猫と暮らしたいなと思っていました」  かなり昔に一度だけ、猫と暮らしたことがあった。黒猫で蝦名さんの後をついてきて、家に迎え入れた。その子のことが忘れられず、いつかまた猫と暮らす時は、拾うかついてくる猫にしようと決めていた。  そんな折、里親募集サイトで知り合ったのが、虎。お見合いに行き、迎えると決まったときは本当にうれしかったという。というのも、初めて暮らしたあの黒猫に似ていると感じたからだ。 「よく毛皮を変えてくると言うけれど、本当に似ているなって」(蝦名さん)  肩乗りが得意なところ。呼ばれたら返事をするところ。そして、人語を解する(!)ところ。 扉に手をかける幼き日の虎。初見です(撮影/蝦名さん)  虎に話しかける蝦名さんを見て、当初、パートナーはいぶかし気だった。「猫と話しているなんてへんなやつだな」、そう思っている気配すらあった。だが、一週間も経たずに、「ホントだ、ちゃんとわかっている」と同意した。「元は犬派だったので、虎は話もわかるし、トイレは一瞬で覚えるし、家も汚さないし、『なんて暮らしやすいんだ!』と驚いていました」  虎は何を要求しているのかわかる鳴き方をする。見上げる眼差しも聡い。家の扉もノブにぶら下がって自在に開けた。特に驚いたのが、家具を組み立てていた時だ。 「組み立てたばかりの家具の引き出しを、虎が開けたんです」   両手をかけて(撮影/蝦名さん) ほらこのとおり!(撮影/蝦名さん) その時の写真がこちら。こんなあどけない様子の猫が、引き出しを開けるなんて…!  3カ月後、虎の仲間にと保護猫を迎えた。サバトラ柄の子猫で、名前は景。  虎ははじめこそ、猫らしく抵抗し、「しゃあ」と鳴いた。だが、次の日の夜には、母のように行き届いたお世話をはじめた。  常に寄り添い、景が「みゃっ」とでも鳴こうものなら、昼寝を中断してでも駆けつけてぺろぺろ。生後1カ月半ほどだった景はそのお世話ですくすく育ち、すっかり虎の真似をするようになった。 「景はまだ小さかったから、生まれてからずっと虎と一緒だったと思ってるんじゃないかな。本当に完璧なお世話だったので、虎は疲れたかもしれませんね」 しんくろにゃいずする虎と景(撮影/蝦名さん)  頼もしい兄貴がいつも傍にいたからか、景はなんでも虎の真似をする。その結果、「シンクロにゃいず」するようになったのかもしれない。  ただ、少しだけ違いがある。虎は要求があるとき、鳴き方を変えて鳴く。景はただ、真っすぐに鳴いている。何を求めているのか、蝦名さんにもわかりづらい。 「お兄ちゃんが何でも伝えてくれるから、景は困らないんでしょうね。ドアは開けられないけれど、ドアの前でにゃあにゃあ鳴いてます」 幼き日の姫。おもちゃ狙ってます(撮影/蝦名さん)  その1年ほど後、縁があって、保護された茶トラの子猫を迎えた。女の子だった。姫と名付けた。先輩2にゃんはしゃあしゃあ言ったが、姫は我関せず。動じる様子を見せなかった。 「虎はすぐに新入りと察したようでした。私たちのほうを見て『仲良くしたほうがいいんだよね?』と言いたげな顔。ただ、景が完全にシャーシャーシャーになっていて、『ボクはいいけど、景がシャアって言っているからな』という雰囲気が漂っていました」  3日間、景はシャーと言い続けた。3日目の夜、普段は入らない洗面所、洗濯機の上に陣取って3時間ほど眠った。戻ってきた瞬間から心を開き、小さな姫のお世話を始めたという。 「たぶん、虎から『次、きみの番ね』って言われたんだと思います」 次はボクの番だからね。面倒を見る景(撮影/蝦名さん)  虎が景にしてくれたように、景は姫の面倒を見た。虎ほど完璧にはいかず、蝦名さん曰く「少々、雑」だったが、行き届かないところは虎が景の見ていないところでフォローした。虎、本当にできた猫なのだ。  いまでは姫はすっかり大人になり、2にゃんが一緒に眠ることは少なくなった。お世話時代の名残は、姫のお昼寝明けに景がグルーミングするところだろうか。グルーミングされる姫はちょっとうるさそう。姫は、“おじさん”が苦手で、若く物静かなイケメンが好きな女子に成長したのだという。  蝦名さんはそんな個性豊かな猫たちの一瞬一瞬を、写真に収めている。  パートナーが虎と会話している光景も、すっかり日常の一コマになった。いまでは、来客があれば、「猫がどれだけ魅力的で暮らしやすいか」を熱心に説くようになった。2月22日猫の日は、そんなパートナーのお誕生日。  蝦名さんが今日猫たちに願うことは、「とにかく、みんな元気でしあわせに」。  今日は猫の日。皆さんと皆さんの猫も、今日はちょっと幸せでありますように。 ※AERAオンライン限定記事 子猫時代、おもちゃを狙う姫。変わってません(撮影/蝦名さん) かわいい立ち姿、舞姫みたいですね(撮影/蝦名さん)
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AERA 2024/02/22 10:00
「息子が子宮頸がんワクチンを接種するの」女医が話しかけられ考えた日本の接種率の低さ
山本佳奈 山本佳奈
「息子が子宮頸がんワクチンを接種するの」女医が話しかけられ考えた日本の接種率の低さ
  山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師    日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「子宮頸がんワクチン」について、鉄医会ナビタスクリニック内科医・NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。   *  *  *  サンディエゴに住むようになり、はや1年が過ぎました。とあるスクールのクラスで出会った一人が、10年ほど前にフィリピンからやってきたという、5歳の女の子と9歳の男の子の母親でもある女性です。席がたまたま近かったこともあり、よく話すようになりました。    そんな彼女と話していた、ある日のことです。ひょんなことからワクチンの話になりました。「コロナのワクチンを接種したけれど、コロナになったわ」なんて、お互いのことを話していたら、「息子が11歳になったら、HPVワクチンを接種する予定なの」と、彼女の口から、私にとっては、嬉しくもあり思いがけない言葉が飛び出したのでした。   「ワクチン接種で感染を予防できると聞いたの。だから、息子に接種させたいと思っているわ。もちろん娘にもね」と彼女は続けました。    HPVワクチンとは、ヒトパピローマウイルス(HPV)の感染予防に効果のあるワクチンです。100種類以上の型があるHPVの中でも、特にHPV16型と18型の2種類が、子宮頸がんの原因の約7割を占めていること、HPV感染の多くは免疫力によって排除される一方で、持続感染してしまうと前癌病変を経てがんになってしまうことから、日本では、このHPVワクチンは主に「子宮頸がんワクチン」と呼ばれています。   HPVワクチンの有効性    2024年1月、Tim氏(※1)らによって報告されたHPVワクチンの有効性に関する最新の報告があります。    その報告では、英国スコットランドの1988年1月1日から1996年6月5日までに生まれた女性のデータを調べた調査によると、12歳か13歳のときに、2価のヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンを接種した女性において、子宮頸がん(浸潤がん)の発生は、一切認められなかったというのです。 写真はイメージです(GettyImages)    また21年11月には、英国の2価(※2) HPVワクチン予防接種プログラムの導入による結果がMilena氏らによって報告されており、それによると、英国の20歳から30歳未満の女性を対象とした、計1,370万件の追跡調査したデータ解析の結果、12~13歳の時にHPVワクチンを接種するのが最も有効で、接種した女性の子宮頸がんの発現率は非接種の女性に比べて87%低いと推定されたといいます。    こうしたHPVワクチンの有効性について、私自身も大学生の頃にHPVワクチンを接種した経験も添えながら、拙い英語ながらに伝えたところ、「私の考えは間違ってなかったわ。教えてくれてありがとう」と言ってもらえたのでした。   女の子だけでなく男の子も    さて、どうして「私にとっては、嬉しくもあり思いがけない言葉」だったのか。それは、女の子だけでなく、男の子にも、HPVワクチンを接種させることを検討している女性が身近にいたことを知ることができたからです。    現在、日本では、小学校6年から高校1年相当の女子を対象にHPVワクチンの定期接種が行われていますが、アメリカ(※3) では11歳から12歳の女子だけでなく、男子も接種することが推奨されています。    そのことが、広く知れ渡っているのであろうことを実感することができ、女子だけでなく男子にもHPVワクチンの接種が大切だと考える私にとって、嬉しく感じられたのです。    思いがけなかったもう一つの理由は、ワクチンやワクチン接種というプライベートに関わる内容であったにも関わらず、彼女は気さくに話してくれたからです。アメリカに住むようになり、個人的な内容に関する質問は、より一層気をつけるようになっていた私にとって、彼女からワクチンについて話を共有してくれるなんて、思ってもいなかったことだったのです。    厚生労働省が報告している「HPVワクチンの海外での使用状況」によると、22年12月時点で120カ国以上において、公的なHPVワクチンの予防接種が実施されており、カナダ、イギリス、オーストラリアなど接種率が8割を超える国もあるといいます。     アメリカでも、すでに述べたように、公的なHPVワクチン接種が実施されている国の一つであり、11歳から12歳の小児にHPVワクチンの接種が推奨されています。CDCの22年の青少年における全国予防接種調査 によると、アメリカの13歳から17歳において、76.0%が1回以上のHPVワクチン接種を受けたというのですから、接種率が高い国の一つだと言えるでしょう。    一方、日本の現状 はというと、22年4月から定期接種の推奨が再開されることになったものの、10政令市に行ったサンプリング調査 によると22年4〜7月の接種実施率は約16%程度(第1回目の接種を対象)にとどまっていることが報告されています。    13年4月、HPV ワクチンの定期接種(小学校6年生から高校1年生相当の女子が該当)が日本で開始されたものの、その2カ月後には副反応の懸念から「積極的な接種勧奨」は中止。その影響が、いまだに尾を引いていると言えそうです。    日本でも、一人でも多くの男女がHPV ワクチン接種できるような理解や支援体制が、1日も早く広がることを願っています。   【参照URL】 ※1https://academic.oup.com/jnci/advance-article-bstract/doi/10.1093/jnci/djad263/7577291 ※2https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(21)02178-4/abstract ※3https://www.cdc.gov/hpv/parents/vaccine-for-hpv.html
子宮頸がんワクチンHPVワクチン
dot. 2024/02/21 06:30
【下山進=2050年のメディア第19回】「セクシー田中さん」原作者の著作権は何よりも強い
下山進 下山進
【下山進=2050年のメディア第19回】「セクシー田中さん」原作者の著作権は何よりも強い
日本テレビ「セクシー田中さん」のホームページ。「日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております」の声明が弔意の後に掲載されている(撮影/写真映像部・佐藤創紀)   「セクシー田中さん」の漫画家芦原妃名子さんが亡くなった件で、さまざまな議論がおこっています。  今回はその整理の意味での回。  先々週のAERAで、日本脚本家連盟常務理事の〈原作も脚本も、ドラマや映画を作る際の原著作物という意味では、それぞれに著作権、著作者人格権があります〉というコメントがありました。が、ドラマの脚本はあくまで二次著作で、著作権は原作者にあり、同一性保持権といって、著作者には自分の作品を脚本家といえども勝手に改変させえないという権利が認められています。  そのことについて版元もテレビ局も理解したうえで、原作者が手を離して、ドラマ制作者側の翻案を信じる、そして本も売ろうという場合もある、ということなんです。  テレビ局や版元が、「ドラマの著作権も原作者にある」ということについての意識が薄い場合に、えてしてトラブルになります。  今回はその最悪のケースです。 私も経験したドラマ創りの難しさ  私は以前版元にいたので、ドラマ制作の難しさを実際に経験しました。  2011年3月11日に発生した東日本大震災。  東北の地元紙である河北新報が、電気もガスも水道も止まり、道路網もずたずたに分断されているなか、どう取材活動を続け、1号も欠かすことなく新聞を届け続けたか。それを当事者である河北新報社がつづったノンフィクション『河北新報のいちばん長い日』(文藝春秋)の私は担当編集者でした。  この本をいち早くドラマ化したいと申し出てきたのがテレビ東京でした。報道畑の旧知のプロデューサーから連絡があり、他局が「阪神淡路大震災でも、ドラマ化できたのは、15年たってからだった」とぐずぐずしているところを、本の刊行された2011年10月の直後にドラマ化権を取得し、脚本づくりがすぐに始まりました。  私は編集担当だったので、著者である河北新報社の代理人として、この脚本の承認過程にもかかわったのです。  このとき、難しかったのは、くだんの旧知のプロデューサーは、ドラマ局の意向も無視できなかったことです。 「『河北新報のいちばん長い日』。テレビ東京のドラマの決定稿は第8稿だった。脚本は横幕智裕」    ドラマの部署は、ゴールデンタイムに放送するものであるからと、原作の報道色を薄め、震災に遭遇した家族の物語としてこのドラマをつくろうとしていました。実際にあがってきた脚本も、原作にはない家族のホームドラマがメインになったものだったのです。  しかし、当時の河北新報は、震災から半年以上たったとはいえ、社員たちは、新聞を届けるために必死で働いていました。  河北新報社は震災直後の5月に全社員にアンケートを行っていますが、たとえば「辛かったこと」に震災孤児取材をあげていた26歳の記者のこんな声がありました。 〈途中、自分が何を聞いているんだか分からなくなり、頭が真っ白になった。女子中学生は途中で泣きそうになり、怒りだした。自分のやっていることが情けなく思えた。  男子中学生とは安否確認の掲示板(避難者名簿)を一緒に見に行った。載っていない父親の名前をずっと探し、同じ場所を何度も何度も確認していた彼の姿を見てつらかった。取材にあたって自分が彼らにしてあげたことは何ひとつなかった〉  こんな状況だったので、脚本の第一稿はとうてい受けいれられるものではなく、「家族の話は、別に舞台が河北新報社ではなくともできる。この原作は、自ら被災した新聞社が被災した地元を報道しつづけたということに意味がある」と言って、書き直しをお願いしました。  第2稿、第3稿、第4稿……。脚本はなかなかこちらの思うようには、まとまりませんでした。  これでは、河北の人たちに顔がたたないと、自分で脚本の代案を書いて、プロデューサーに提示し、大げんかになったりもしました。  私がそのとき書いた脚本の代案は、尺という長さもわからず、場面展開も要領をえなかったために、脚本としてはまったく不出来なものでした。  しかし、このプロデューサーが偉かったのは、不出来な代案を読んでこちらの意図がよくわかったと、社内の立場が悪くなることを承知で、ドラマの部署を説得したことです。  今回、芦原さんが亡くなった直後に日本テレビが出したコメントは、自分たちに責任はない、ということを前面に押し出しているようで、「組織」しか感じられませんでした。  すぐれた作品は、組織の中の個人が、組織の空気を破って、作品の価値にかけるときにできる。テレビ東京のプロデューサーはそういう人でした。  そして、この時の脚本家が、このコラムの14回で紹介した「#居酒屋新幹線」の脚本家、横幕智裕さんでした。彼のあげてきた第7稿を見たとき、プロというのはこういうものか、と本当に感心しました。  第7稿は、被災した新聞社がいかに被災者に新聞を届けるか、という原作に忠実でありながら、枝葉をかりとり、実名で登場人物が描かれる感動的なドキュドラマにしあがっていました。  原作にもあった26歳の記者のアンケートは、書けなくなってしまった女性記者のモノローグで再現されていました。  河北新報社で社員とその家族を対象におこなわれた試写会では、涙を流しながらみる人も多くいました。  そして、震災一年後に放送されたこのドラマでテレビ東京は、局始まって以来の日本放送文化大賞のグランプリを受賞し、東京ドラマアウォードも受賞することになります。 永遠に失われてしまった芦原さんの新たな創作  2015年には、NHKと講談社の間で争われた辻村深月さんの小説『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』の映像化契約解除の事件での東京地裁の判決が出ました。  この判決で「NHKは、原則として、本件小説に辻村の意向に反するような脚本を制作することは許されない」とされ原作者が合意できない場合は、ドラマ制作の途中でも映像化を白紙にできると確認されたのです。  これは、ドラマの制作を白紙に戻されたNHKが講談社を約6千万円の損害賠償で訴えたものでしたが、請求はすべて棄却されました。  6千万円の損害賠償訴訟を受けてまで、著作者人格権を守ろうとした講談社に比べて、今回の小学館の編集部の声明には唖然としました。 〈原作者である先生にご納得いただけるまで脚本を修正していただき、ご意向が反映された内容で放送されたものがドラマ版『セクシー田中さん』です〉  これは、日本テレビの声明とそっくりです。それではなぜ著者は9話、10話でなれない脚本を自分で書き、あげく自死を選んだのか?  原作の著作権が軽視されれば、そもそも最初の作品を作ろうとする人がいなくなる。  連載途中だった芦原妃名子さんの『セクシー田中さん』の続きも新しい創作も永遠に失われてしまいました。  そのことの意味を私たちは今一度よく考える必要があります。  芦原さん、どうぞ心安らかに。  ご冥福を心よりお祈りもうしあげています。 ※AERA 2024年2月26日号
下山進
AERA 2024/02/20 11:00
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松本博文 松本博文
磯谷祐維女流初段、女性初の快挙まではわずか…「実力は折り紙つき」「将棋界の宝」
磯谷祐維(いそや・ゆい)/2003年1月15日生まれ。21歳。岐阜県各務原市出身。山崎隆之八段門下。23年、女流2級。24年、YAMADA女流チャレンジ杯に優勝し女流初段に昇段。好きな食べ物はしいたけ(撮影/写真映像部・高野楓菜)    AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。34人目は、磯谷祐維女流初段です。AERA 2024年2月19日号に掲載したインタビューのテーマは「印象に残る対局」。 *  *  *  磯谷祐維は女流アマ名人戦で2回、女子アマ王位戦では3回も全国優勝を果たした。 「高校生の頃は、いまほど本気で将棋に取り組めてはいませんでした。女子のアマ大会で負けなくなったのは、2年前ぐらいからです」  2022年。磯谷は女性代表として朝日アマ名人戦の全国大会に出場。2回勝ちベスト8に入ると朝日杯将棋オープン戦で男性棋士と指せる。 「アマとしての目標は女流の方ではない公式戦に出ることで、がんばっていたんですけど。1回戦は勝って、2回戦は大頓死で負けてしまって。悔しかったです(苦笑)」  女性初の快挙まではわずかに及ばなかったが、磯谷が女性アマとしてはすでに傑出した存在なのは明らかだった。2023年2月、磯谷は関東研修会で試験を受け、3月にC1で入会。4月にB2に上がり、8月に規定対局数を満たし、9月に女流2級としてデビューした。磯谷の実力からすれば順当な歩みだ。もちろん目標はまだまだ先にある。 「タイトルを取らないと、女流棋士になった意味がなくなってしまうので」  現在、女流棋士が所属する団体は、日本将棋連盟と日本女子プロ将棋協会(LPSA)の二つがある。磯谷は人数が少ないLPSAを選び、その関係者やファンから大歓迎された。11月に開かれた記念祝賀パーティーで代表理事の中倉宏美女流二段はこう述べた。 髪形が注目される磯谷祐維だが、対局の日の朝、髪のセットなどはしない。代わりに棋譜を並べて研究し、詰将棋を解いて脳のウォーミングアップをはかっている(撮影/写真映像部・高野楓菜)   「祐維ちゃんのような将棋界の宝がLPSAに入会してくれたことは奇跡のように思っていまして、うれしい気持ちでいっぱいです。きっかけとしてはまず田中沙紀さん(女流1級)が祐維さんと交流があって、話をしてくれて。LPSAのことも選択肢として考えてくれてるというふうに聞きました」「島井さん(咲緒里女流二段)や私も『ぜひLPSAに来てほしい』と口説きまして。祐維ちゃんと直接会って、話せば話すほど、将棋に対してのストイックさですとか、努力をとても感じましたし。また一方で20歳らしい、かわいい一面もあって。本当に私にとっても娘のような、妹のような存在になっています」「LPSAのよさは、自由で風通しがよく、一人ひとりが主役になれるところだと思っています。祐維ちゃんの個性を思い切り発揮して、のびのびと活躍してほしいと思っております」  中倉と磯谷は、すっかり親しい間柄になった。 「普段は『将棋がんばろうね』みたいな話をします。あとは『なんかしんどいな、ちょっとつらいかも』ってときに、相談をよくします。宏美さんは話を聞いてくれたあと「大丈夫だよ』って言ってくれて。本当に優しいんです。宏美さんラブです」  磯谷はXで次のようにも投稿している。 「宏美さんと同じ対局日の日は、宏美さんが対局終わるまで待っててお疲れ様でしたってハグするのが最近のトレンド(?)です」  どちらかといえば中倉の方から抱き寄っていくそうだ。LPSAでは2018年、渡部愛(現女流三段)が女流王位を獲得して以来、タイトル保持者は現れていない。磯谷を知る三浦弘行九段はパーティーで次のように語っていた。 「実力はもう折り紙つきですから。こういう心優しい磯谷さんが再びLPSAにタイトルを持ってきてくれるんじゃないかなと2強は強いですけれども磯谷さん、割って入れるような気もしてるので」 (構成/ライター・松本博文) ※AERA 2024年2月19日号
磯谷祐維将棋
AERA 2024/02/19 06:30
お口は40歳が曲がり角――!? 300人の歯科医師が伝える「歯の寿命をのばすための習慣」
お口は40歳が曲がり角――!? 300人の歯科医師が伝える「歯の寿命をのばすための習慣」
『大人女子のためのデンタルケア事典』一般社団法人歯の寿命をのばす会 クロスメディア・パブリッシング(インプレス)  皆さんは今、インプラントや入れ歯ではない「自分の歯」が何本あるでしょうか? 実は日本人は40代で1本目の歯を失うケースが多く、歯周病も40代になってかかりやすくなる人が増えるそうです。80歳になると、オーラルケアの先進国であるスウェーデン人の平均残存歯数が約20本なのに対し、日本人は15本程度。この差には、日本人の歯に対する意識が大きく関係しているといいます。日本の歯科治療の技術はレベルが高く、自己負担も原則3割で済むなど簡単に治療を受けられるため、虫歯や歯周病から自分の歯を守る意識の弱い人が多いようです。 けれど覚えておきたいのは、虫歯で削った歯は修復されませんし、抜いた歯が再び生えることはないということ。歯を失ったときに初めて「もっと早くから大切にしておけばよかった」と後悔する人は非常に多いといいます。そこで、多くの人に歯の寿命を延ばすための知識や習慣をわかりやすく伝えたいとの思いから、300人の歯科医師からなる「一般社団法人 歯の寿命をのばす会」によって作られたのが、書籍『大人女子のためのデンタルケア事典』です。 冒頭でも記したように、歯のトラブルが増える分岐点は40代。「歯が痛くなった時点で歯医者に行く」という人も多いかもしれませんが、痛みが出たときにはすでに歯の状態がかなり悪化していることが多く、神経を失ったり抜歯になったりする確率も高くなるそうです。そこで何より大切になるのが、3カ月に1度程度のメンテナンスを受けること。「メンテナンス状態をチェックして、溜まった歯垢を取ってもらうことで虫歯や歯周病の再発リスクを各段にさげること」(同書より)ができるといいます。 もちろん、自身での日々のデンタルケアも重要です。正しい歯磨きは歯の寿命を延ばす第一歩となりますし、口内環境を清潔に保つ習慣もぜひとも知っておきたいものです。同書には、歯の寿命をのばす会の会員に尋ねた「ハブラシは手用と電動でどちらがおすすめか」「信頼できる歯科医院の見分け方」「お金をかけて設けた方がいい自由診療」などの回答結果も掲載されており、現役歯科医師のリアルな声を聞くことができます。 同書によると、日本で定期的なメンテナンスを受診している人は10%以下だそうです。まずは、「悪くなったら治療を受ける」から「悪くなる前にメンテナンスをする」方向にシフトすること。それこそが、私たち日本人の歯の寿命を延ばす最善策と言えるかもしれません。 人生100年時代と言われるなか、特に女性は妊娠や出産、更年期などによりホルモンバランスが変化することで歯周病のリスクも高まります。しかし地道に歯を守る取り組みをしていけば100歳で20本の歯を残すこともけっして難しいことではないといいます。お口の曲がり角を迎える40代女性の皆さんは、同書を読んで自身のオーラルケアについて見直してみてはいかがでしょうか。オールカラー&イラスト・図解が豊富で、大人女性に限らずあらゆる性別や年代の人にもおすすめできる一冊です。[文・鷺ノ宮やよい]
BOOKSTAND 2024/02/13 18:01
〈受験シーズン〉現役東大大学院生・磯貝初奈アナの勉強法 中学受験は「効率」より「興味」優先
〈受験シーズン〉現役東大大学院生・磯貝初奈アナの勉強法 中学受験は「効率」より「興味」優先
優先したのは「効率」より「興味」。 正解した問題も、納得いくまで考え抜くことだったと語る磯貝初奈さん(撮影/写真映像部・東川哲也、スタイリング/青柳裕〈Azzurro〉、ヘアメイク/かんだゆうこ)  大学受験が本格的なシーズンに突入した。過去に話題となった記事を再配信する。(この記事は、2023年8月14日に配信した内容の再配信です。肩書、情報等は当時) *   *   *  フリーアナウンサーの磯貝初奈さんは、桜蔭中学校高等学校の出身。現在は仕事を継続しながら、東京大学の大学院に通っています。AERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2024』(朝日新聞出版)では、「勉強が楽しい、大好き」と語る磯貝さんに、中学受験の思い出について、語ってもらいました。 「興味あることを調べ、疑問を解決するのが大好き」  今年4月、自身の母校である東京大学の公共政策大学院に進学した、フリーアナウンサーの磯貝初奈さん。現在は7年ぶりの学生生活を送りながらクイズ番組やトーク番組に出演するなど、多忙な日々を送っている。  中高時代を過ごした桜蔭学園は、東京大学合格者数ランキングの上位に毎年名を連ねる名門女子校だ。 磯貝初奈さん(撮影/写真映像部・東川哲也、スタイリング/青柳裕〈Azzurro〉、ヘアメイク/かんだゆうこ)   「私の母も桜蔭の出身です。卒業後、年月を経ても当時の同級生と仲良くしている母の様子を見て、楽しそうだなぁと感じたことが、中学受験をしたいと思ったきっかけです」 「帰宅が遅くなると十分な睡眠が取れない」との心配から通塾を反対する母を説得し、受験塾に通い始めたのは小学5年生の秋だ。幼少期から「何かに夢中になると、周りが見えなくなる」性格。塾に通い始めてからは、鉄棒の練習や『ハリー・ポッター』に夢中になったのと同じ集中力で、勉強に取り組んだ。 母の方針で夜9時就寝 勉強方法は人それぞれ  興味を持ったこと、疑問に感じたことは、とことん追求するのが磯貝さんの学習スタイル。正解した算数の問題も、なぜその解法で正答が出るのかがわからなければ、納得いくまで考え、質問した。新しい知識を得ること、断片的な知識がつながり、大きな流れとして理解できるようになることの楽しさは、受験勉強にも感じることができた。  その一方で、塾に通い始めてからも母の方針は変わらず、塾のない日は夜9時に就寝する生活を継続した。 「たくさん問題を解くことで力を伸ばせる人もいれば、基本問題を5問完璧に理解して、そこから応用力を身に付ける方法が合っている人もいる。私は間違いなく後者。あのとき睡眠時間を削って無理をしていたら、勉強が嫌いになっていたかもしれません」 「中高時代の友人こそ受験で得た最高の財産」と語る磯貝初奈さん(撮影/写真映像部・東川哲也、スタイリング/青柳裕〈Azzurro〉、ヘアメイク/かんだゆうこ)   前日に押し寄せた不安。塾の仲間に救われた  志望校は桜蔭と、文化祭を見て気に入った共学校の2校に決めた。成績は合格ラインを上回っていたが、桜蔭の入試前日、弟から「初奈ちゃん、明日大丈夫なの?」と聞かれた途端、なぜか一気に不安が押し寄せた。そんな磯貝さんを救ったのは、一緒に桜蔭を受験した塾の友人と、受験生を励ますために桜蔭の校門前で待っていた塾の先生だった。みんなで円陣を組み声を掛け合うと、いつしか気持ちは前向きに。無事に入試を終え、出願した2校ともに合格を果たすことができた。 「私は興味を抱いたことを調べ、疑問を解決する作業が大好きなんだと、中学受験で改めて実感しました。途中、学習意欲が下がった時期もありましたが、楽しさより苦しさが上回る受験勉強にはならなかったと思います」  さまざまな情報をわかりやすく伝えるアナウンサーの仕事に興味を抱いたのは、中学生のころだ。「将来アナウンサーになったときの強みにしたい」と、1日10時間の猛勉強の末、高1の夏休みには気象予報士試験に合格。そのことが、大学在学中に抜擢されたお天気キャスターの仕事や、後のキャリアにつながった。 中高時代の友人こそ受験で得た最高の財産  中学では英語劇部、高校では料理部に所属。自由登校となる受験直前期も学校に通い詰め「一番、学校生活を満喫した生徒かも」と笑う。 磯貝初奈さん(撮影/写真映像部・東川哲也、スタイリング/青柳裕〈Azzurro〉、ヘアメイク/かんだゆうこ)   「今も同級生と会えば、話は尽きません。今後の人生でもずっと仲良くできるであろう友人と出会えたことが、中学受験で得た一番の財産です」  わからないことは徹底的に調べる性格は、今も変わらない。大学は理系専攻だったが、政治学、経済学といった文系科目を学ぶ大学院に進学したのは「ニュースとして報道される出来事の背景を理解できるようになりたかったから」と語る。目標は「百知った上で、一を語れる」ニュースキャスター。磯貝さんの学びの日々は、続く。 (文=木下昌子) ※AERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2024』より いそがい・はな/フリーアナウンサー。中学受験で桜蔭学園に進学。15歳で気象予報士試験に合格(当時の女子最年少記録)。東京大学理科一類在学中にニュース番組のお天気キャスターを務め、大学卒業後、中京テレビを経てフリーに。現在は「サンデーLIVE!!」(テレビ朝日系列)に出演するほか、今年4月から東京大学公共政策大学院在学中。
東大磯貝初奈中学受験中高一貫校選び
dot. 2024/02/12 17:00
「私、フェミニズムって大嫌いなんです」 規制に抗いながら「昭和のエロ」を撮り続ける写真家・マキエマキ
米倉昭仁 米倉昭仁
「私、フェミニズムって大嫌いなんです」 規制に抗いながら「昭和のエロ」を撮り続ける写真家・マキエマキ
撮影:マキエマキ    1966年、大阪生まれのマキエマキさんがレトロ感たっぷりの「昭和のエロ」をテーマにセルフポートレートを撮り始めたのは2016年。  翌年、女性がエロスを表現する「第5回 東京女子エロ画祭」のコンテストに大胆なホタテビキニ姿などを写した作品「自撮りカレンダー熟女」で応募した。  公開審査では自分の性と向き合うアカデミックな雰囲気の作品が次々と発表され、マキエさんのプレゼンは最後だった。第一声は「私、フェミニズムって大嫌いなんです」。ユーモアあふれるマキエさんの作品が投影されると会場は笑いに包まれた。そして見事、グランプリとニコ生賞のダブル受賞に輝いた。  実は、その少し前まで病院のパンフレットや製薬会社が発行する専門誌の取材を手がけるほか、学会の記録写真や医者のインタビュー写真などを撮影してきた。そんな「カタい仕事」をしてきたマキエさんは、なぜ「昭和のエロ」を写すようになったのか? 「ちょうど閉経を迎えるころで、老人の体になる前にセルフポートレートを撮影して、残しておこうと思ったんです」  最初は「自宅のソファに座ったり、寝転んだり。白い壁をバックに撮影したり」、普通のセルフポートレートだった。 「でも、面白くなくて。どうせ撮るんだったら面白く撮ったほうがいいなと思って、セーラー服を着て撮影した。じゃあ、昔、拾ったエロ本の感じも試してみようかなと、始めちゃったわけです」 撮影:マキエマキ   自撮りを始めるとクビに  イベントコンパニオンやモデルをしていた20歳のころ、「自販機本(アダルト雑誌)のしょぼいエロの世界にすごく引かれた」と言う。なかでも「なぜかアリス出版の本が好きだった」。 「自宅から自転車でちょっと走ったところに自販機があったんです。男の子が結構買いに行くので、じゃあ私も、みたいな、興味本位で買った。でも、雑木林に本が落ちているので、買ったのは1回だけで、あとは拾っていましたね(笑)」  そのころからマキエさんは写真を撮り始めるのだが、意外なことに、きっかけは自販機本のヌード写真ではなく、「山」だったという。 「新田次郎の小説が好きで、あの世界はどんなところなんだろうと思って、20歳のとき、登山を始めたんです。山の景色に感動して、写真を撮りたくなった。それでカメラを買った」  写真は趣味にとどまらず、専門学校に入学し、本格的に撮影を学んだ。 「いつまでも容姿で食べていく仕事はできないだろうな、と思っていましたから」  卒業後は風景写真家に師事し、27歳のときに独立。旅行系の雑誌をメインに、観光地の風景や飲食店、旅館などを撮影してきた。 「でも、2000年ごろから、もう雑誌はダメなんだろうな、と思って、医療系のPR媒体とか、企業と直接やりとりをする仕事を増やした」  ところが、である。 「自撮りを始めると、その手の仕事は全部、クビになっちゃったんです(笑)」 【こちらも話題】 宮崎美子から始まった表紙の“魔力” 篠山紀信さんを偲ぶ「出会いが無ければ今の私はありません」 https://dot.asahi.com/articles/-/210645 撮影:マキエマキ   「アウト×デラックス」で決断  決まっていた仕事がリスケジュールされたり、キャンセルされ、少しずつ仕事が減っていった。思い切って制作会社の社長に理由を尋ねると――「実はね、マキエさんはNGって言われているんですよ」。 「最初はそんなに多くの人に作品を見られているとは思わなくて、実名で作品を発表したり、インタビューを受けていた。それでたぶん、企業の担当者が私の本名で検索したら、ホタテビキニ姿の写真が出てきて、この人はなんなんだ、と思ったのではないでしょうか」  一方、30年ちかく雑誌や企業からの請負仕事をやってきて、限界を感じていたという。 「自撮りを始めたころ、50歳が見えてきて、60歳になってもこういう仕事しているのかなあ、私の人生、それでいいのだろうかって、疑問を感じていた」  仕事が減る一方、17年から本格的に「昭和のエロ」路線で撮り始めるとTwitter(現・X)のフォロワー数はどんどん増えていった。 「でも、仕事がないと自撮りの作品をつくりに行くお金も出ないですから、細々と請負仕事も平行してやっていた」  そして20年、独特の世界観を持って生きるこだわりの人をスタジオに招いて、マツコ・デラックスさんらと語るバラエティー番組「アウト×デラックス」(フジテレビ系)に出演した。 「テレビにあそこまで出られたらもう使えない、みたいなことを言われて。それまでお付き合いしてくださったところからも完全に切られた。それで、もうマキエマキとしてやっていこう、と決断した」 撮影:マキエマキ   こいつはやばいやつだ  作品のロケーションは旧遊郭や温泉、ラブホテルのなどのほか、街なかや海、山で写したものもある。  なかでも、目が引きつけられたのは雪山をバックに写した作品。ホタテビキニ姿のマキエさんとともに「(北アルプス)西穂高岳 独標」と書かれた標柱が写っている。 「他に登山者が2人くらいいらしたので、『山頂で写真を撮ってもいいですか』と聞いたら、『どうぞ、どうぞ』と。でも、そういう写真だとは思わないですよね(笑)。しかも、あそこは物陰がない。服を脱ぎ出したら、こいつはやばいやつだ、みたいな感じで目をそらされた。でも、こっちは真剣で」  ガタガタと震えながらホタテビキニを身に着けた。寒さで指が動かず、背中のひもは同行した夫に結んでもらった。 「撮影する前、夫に画面に入ってもらい、立ち位置や構図、ピント、ストロボ使ったライティングを調整して、私と入れ替わります。モデルをやっていた経験があるので、ポージングには慣れています」  カメラの連続撮影機能を使い、3秒ごとに50回、シャッターを切る。 撮影:マキエマキ    撮影の細部にこだわるあまり、時間がかかってしまい、警察に通報されたこともある。東京・中野のアーケード商店街「サンモール」で、やはりホタテビキニ姿を撮影していたときだった。 「通常、街なかで撮るときは撮影開始から5分以内に撤収するようにしているんです。ところが早朝、サンモールで撮影していたら、店の看板の明かりが消えたので、撮り直したいなと思って、撮影を続けちゃったんです。そうしたら、通報されてしまった」  太陽の光と看板の光が混ざると、写真の発色が不自然になる。それが嫌だった。 「お巡りさんが来たときは上着を着ていたので、『そのまま帰ってくれるなら何も言わないから、早く帰ってください』と、言われただけですみました」  同様に大阪・通天閣を背景に写した作品もある。しかし、こちらはまったく問題なかったという。 「あそこはそういうことをしても平気な、不思議な場所なんです。ははは。となりは西成なんですが、『他人のことはわれ関せず』みたいな独特な空気があって、変な人がいても周囲は全然気にしない」 撮影:マキエマキ   ネットの規制は大いに結構  最近、ネットの規制が年々厳しくなり、肌の露出の多い作品は表示されづらくなってきているという。  ところが、マキエさんは不平を口にするどころか、むしろ「ネットの規制によって新境地を開いた」と言う。 「作品は、単に女の裸が写っていればいいっていうものじゃない。以前は肌を出すだけで、やったな、という感じがありましたが、衣装をまとうことでさらに先に進めた気がします。どんなキャラクターとして肌を出していくか、に重点がいくようになった。なので、ネットの規制は万々歳です」  さらに、こう続けた。 「私が一番嫌いなのは、何の工夫もない素人のきたない写真なのに、フォロワー数が増えて、勘違いして、これは作品だ、とか言い出す人です。そんな傾向を苦々しく思っていたので、ネットの規制が強化されて、そういう人たちが淘汰(とうた)されていくのは真面目に作品を制作している者としてはありがたいです」 (アサヒカメラ・米倉昭仁) 【MEMO】マキエマキ写真展「マキエの幸」 ギャラリーソラリス(大阪・南船場) 2月13日~2月18日
マキエマキアサヒカメラ
dot. 2024/02/12 17:00
〈朝ドラいよいよ20週〉「ブギウギ」のラスボス? いつの間にか「小雪」が圧倒的な“貫禄”女優になっていた
丸山ひろし 丸山ひろし
〈朝ドラいよいよ20週〉「ブギウギ」のラスボス? いつの間にか「小雪」が圧倒的な“貫禄”女優になっていた
日本中小企業大賞2023に出席したときの小雪(写真:Pasya/アフロ)  朝ドラ「ブギウギ」もいよいよ20週を迎える。さまざまな俳優たちが出演、ドラマを盛り上げてきた。(この記事は「AERA dot.」が2023年12月25日に配信した記事を再編集したものです。肩書年齢等は当時) *  *  *  現在放送中のNHK連続テレビ小説「ブギウギ」の第12週から出演している女優の小雪(47)。主人公・スズ子が思いをはせる愛助の母親かつ、日本有数の興行会社である村山興業の社長という役どころで、12月15日に放送された次週予告で初登場。これに対してSNSでは「小雪のラスボス感に震える」「これは怖い!」と反響を呼んだ。  1998年に放送されたドラマ「恋はあせらず」(フジテレビ系)で女優デビューし、パリ・コレクションにも参加するなど、モデルとしても活躍した小雪。かつては洗練されたクールビューティという印象が強かったが、ときを経て、朝ドラの予告での一瞬の出演でも話題になるほどの“貫禄っぷり”を見せつけた。 「小雪さんは2011年に俳優の松山ケンイチと結婚し、3児をもうけました。女優業に本格復帰したのは最近ですが、他の作品でも母親役を演じています。例えば、昨年11月に公開された12年ぶりの主演映画『桜色の風が咲く』では、9歳で失明し18歳で聴力を失った息子を支え続け自立させていく、たくましい母親役を好演しました。また、5月に配信され、相撲界を描いたNetflixシリーズ『サンクチュアリ -聖域-』では、相撲部屋の女将役で出演。しっかり者で美貌や柔らかさだけでなく、したたかさも兼ね備えたキャラを上手に演じていました」(テレビ情報誌の編集者)   【こちらも話題】 「ブギウギ」傑作朝ドラへの道の命運を握る?  “小夜劇場”が心配すぎる https://dot.asahi.com/articles/-/209132   小雪(写真:アフロ)   「子育てをして体格がよくなった」  最近はこうした人間的な重みを感じさせる役がハマっている印象だが、現在の私生活も影響しているのかもしれない。小雪は19年春ごろから自然環境の厳しい北の地にも住居を構えて、家族で2拠点生活を送っている。彼女が語ったエピソードからはたくましさがうかがえる。 「Precious.jp」(22年12月8日配信)では、田舎暮らしについて、自分たちが知らない生きる基本を自然はたくさん教えてくれると語っており、スーパーへの買い物は週に一度ぐらいで、畑で無農薬の野菜を作り、みそや漬物といった発酵食品なども作っているという。さらに、「もはや長靴しか履いてない。気付くと爪の中にも土が詰まっている暮らし」とも明かしていた。  また、「徹子の部屋」(テレビ朝日系、22年11月1日放送)では、「子育てをして体格が良くなったかな」と笑顔で話していた。田舎暮らしでの生活力が、力強い演技を生み出し、結果的にそれが貫禄につながっているのかもしれない。前出の編集者はこう語る。 「子育てへの向き合い方にも信念を感じます。強い体を作ってくれた自身の母の食事にならい、子どもたちの食事に日本の伝統的な食品を取り入れていると以前にインタビューで明かしていました。子どもたちには朝晩とみそ汁を出し、砂糖の代わりに甘酒を使った煮物や納豆など、発酵食品も毎食1品は入れているとか。また、子どもたちの体にお母さんの常在菌を入れて免疫力を高めてあげたいので、素手で5種類のみそも作っているそうです。一方、夫の松山は、小雪が自分の偏食を心配し、バランスのよい食事を作ってくれているとインタビューで語っていたことも。子どもだけではなく、8歳年下の夫の生活管理もしっかりやっている。小雪は一家にとって家長的な存在で、その雰囲気が貫禄も感じさせるようになったのでは」(同)   【こちらも話題】 松山ケンイチを覚醒させた妻「小雪」と「2拠点生活」 https://dot.asahi.com/articles/-/42478   独身時代の小雪(写真:Splash/AFLO、2008年)   私生活でもあまり怒らない  心境の変化も見逃せない。女性誌のインタビューでは、昔は女優や妻、母としてあるべき姿にとらわれていた時期があったが、自然に触れ、夜はスマホを見ない時間をつくる中で「幸せの価値観は自分で決めればいい」と思えたと明かしている(「美的GRAND」2021秋号)。自然の恵みを享受する生活の中で、生き方も働き方も自由でいいと思えるようになったという。 「3月に放送されたバラエティー番組に夫の松山が出演した際は、小雪について『あまり怒らないんです』と話していたこともあります。慌てず騒がない姿にも威厳というのは表れるもの。さらに小雪の場合、田舎でしっかりとたくましく生活を送っていることや、不自然に若作りをしないビジュアルも相まって、演じる役にも同世代女優にはない風格が出てきているのだと思います。まさに、『ブギウギ』の役どころはそうした一面が発揮され、ハマり役となる可能性は高いでしょう」(同)   【こちらも話題】 柳葉敏郎「ブギウギ」ダメ父親役で再注目 若い世代が知らない“武勇伝”だらけの過去 https://dot.asahi.com/articles/-/208532   スラっとした美脚は健在(写真:アフロ)   母になってから柔らかな雰囲気に  芸能評論家の三杉武氏は小雪についてこう述べる。。 「独身時代の小雪さんはクールで物静かな凛としたイメージもあり、そのカッコ良さやライフスタイルに憧れる同性ファンも多くいました。一方で、プロ意識の高さや裏表がない性格だったこともあり、取っつきにくい印象を持つ人もいたようです。夫の松山さんは結婚会見で、交際を申し込んだ際、『あなたみたいなひよっこに大丈夫なの? と言われた』と明かしていましたが、いかにもな発言だなと思ったものです。ただ、母になってからは取材現場でも、以前よりも柔らかな雰囲気を感じさせるようになった印象があります。もともと、独身時代から演技に対する評価は高く、海外や大きな舞台でも結果を出してきた方ですし、私生活や育児経験なども女優業にプラスに働いているのでしょう」  年を重ね、独自の存在感を放つようになった小雪が「ブギウギ」でどんな演技を見せてくれるのか楽しみだ。 (丸山ひろし)   【こちらも話題】 伊原六花「ブギウギ」ハマり役でブレーク必至 元“バブリーダンス女子高生”が一気に売れたワケ https://dot.asahi.com/articles/-/205994  
小雪ブギウギ
dot. 2024/02/12 08:00
〈朝ドラいよいよ20週〉伊原六花「ブギウギ」ハマり役でブレーク必至 元“バブリーダンス女子高生”が一気に売れたワケ
高梨歩 高梨歩
〈朝ドラいよいよ20週〉伊原六花「ブギウギ」ハマり役でブレーク必至 元“バブリーダンス女子高生”が一気に売れたワケ
伊原六花(写真:Pasya/アフロ)  朝ドラ「ブギウギ」もいよいよ20週を迎える。さまざまな俳優たちが出演、ドラマを盛り上げてきた。(この記事は「AERA dot.」が2023年11月10日に配信した記事を再編集したものです。肩書年齢等は当時のまま) *  *  *  NHK連続テレビ小説「ブギウギ」がスタートして約1カ月。物語の舞台は大阪から東京へと移ったが、前週の大阪時代に“二本柱”として、主人公・スズ子と梅丸少女歌劇団を盛り上げる秋山美月を演じた伊原六花(24)に注目が集まっている。タップダンスの名手としてキレのある踊りを披露し、凛とした男役を演じて芸達者な一面を見せつけた。SNSでも「タップダンスかっけー」「目線、姿勢、指先、ちゃんと男役だった」など、賛辞の声が多く上がっていた。  同作で男役の先輩・橘アオイ役として出演しているOSK日本歌劇団の翼和希も伊原の実力を高く買っている一人。情報番組で「私らは普段、お稽古を何年もやって舞台に立つんですけど、(伊原は)数カ月で仕上げてきはって。根性が素晴らしいと思います」(カンテレ「よ~いドン!」10月25日放送)と絶賛。「ホンマに自分らも見習わなアカンなと思いました」と刺激を受けていることを明かしていた。 「ドラマの制作統括者はインタビューで『お芝居もステキですし、度胸もあるので舞台でも映えるなと思いました』と起用理由を話していました。ドラマ公式のインスタグラムでは、舞台シーンの撮影時、舞台に足を踏み入れる前に立ち止まって、一礼していたというエピソードも。俳優としてのプロ意識がとても高く、まだ24歳とは思えません。これからドラマは東京に舞台が移りますが、新たなステージシーンもあるようなので、今まで以上に輝く秋山を楽しみにしている視聴者も多いのでは」(テレビ情報誌の編集者) 【こちらも話題】 菊地凛子「ブギウギ」ライバル役も好評 本格再始動で“悪役”の第一人者に躍り出るか https://dot.asahi.com/articles/-/205577 高校野球について語る伊原六花   小悪魔の女子大生役も好演  朝ドラで一気に名を上げた伊原だが、実は10月にスタートしたドラマ「マイ・セカンド・アオハル」(TBS)にも出演中だ。こちらの作品では、朝ドラとは真逆で、小悪魔的な女子大学生を演じている。放送後はドラマの関連ワードがX(旧Twitter)の世界トレンド1位になるなど、注目度が高い作品で存在感のある演技を披露している。 「『マイ・セカンド~』では、なにわ男子・道枝駿佑さん演じる主人公との近すぎる距離感や彼を翻弄する演技に、広瀬アリスさん演じるヒロインだけでなく、視聴者もドギマギさせられます。今までの役柄と違った伊原さんの演技はとても新鮮で、こんな役もできるんだと驚きました。髪をショートにしてから、大人っぽさも増してさらに役の幅が広がった気もします。伊原さんは10月公開のホラー映画『リゾートバイト』にも主演しているのですが、劇中のエビ反りシーンで見せた身体能力の高さが絶賛され、『CGだと思った』と共演者もうなったそうです」(同)   俳優の伊原六花=2021年6月、大阪市福島区    それもそのはず。実は伊原は全国優勝の実績があるダンスの強豪校・大阪府立登美丘高校ダンス部の元キャプテンなのだ。2017年「日本高校ダンス部選手権」で披露した、バブル時代を想起させる衣装とメークで、ヒット曲「ダンシング・ヒーロー」にのせて踊る“バブリーダンス”が社会現象になったことは記憶に新しい。これをきっかけに、出演オファーが舞い込み、同年末には、郷ひろみとの共演という形で紅白歌合戦にまで出場した。その後、大学進学を考えていたが、高校在学中に芸能事務所にスカウトされ芸能界の道へ進むこととなった。 【あわせて読みたい】 CM起用快進撃の今田美桜 人気のワケは「ちょうどいい」普通さ https://dot.asahi.com/articles/-/87841 和服姿もさまになる伊原六花(写真:つのだよしお/アフロ)   ゆくゆくは紅白の司会に!? 「伊原さんは実は子役出身。4歳からバレエを習い始め、子供ミュージカルにも出演していました。場慣れしているのはその影響もありそうですが、やはり高校時代の努力が生きているように思います。彼女が高2のとき、大会の出場メンバーに選ばれず、『初めて死ぬほど悔しい気持ちになった』とインタビューで回想していました。それから、1人でもひたすら練習をして、死ぬほど努力をしたと話していました。悔しさをバネに努力を惜しまなかったからこそ、今は芝居やダンスなどで豊かな表現力を発揮できているのだと思います」(週刊誌の芸能担当記者)  努力家で才能も確かな伊原だが、映画やドラマ以外でも需要が高まっているようだ。 「最近ではバラエティーでの活躍も目立ちますね。『ラヴィット!』では芸人顔負けの体を張ったロケにも挑戦して、『好感度上がった』という意見も多くありました。先日、『櫻井・有吉THE夜会』に出演した際も、キレキレのバブリーダンスを披露し、スタジオを盛り上げていました。大阪出身でノリもよく、すでにバラエティー班からも重宝される存在になっていますね。一方、10月末にNHKの歌番組『わが心の大阪メロディー』の司会を今田耕司さんとやっていたのですが、場回しが堂々としていたのも印象的でした。SNSでは『紅白の司会いけるんやないか』との声もあったほどです。昭和のアイドルのような顔立ちで、愛嬌(あいきょう)もあるので、年配層からの好感度が高いところもポイントです」(同) 芯にあるのは「体育会系」の強さ  伊原にインタビューをした経験のあるドラマウォッチャーの中村裕一氏は、彼女の魅力についてこう分析する。 伊原六花さん=2022年10月、東京都   「現在出演中の『ブギウギ』は、得意のダンスを生かせる、うってつけの役柄とあって、本人もかなり気合が入っているのではないでしょうか。主人公のスズ子の明るさとは対照的に、情熱を内に秘めたクールな表情がとても印象的です。また、かつて本木雅弘主演で大ヒットした映画の続編としてDisney+で配信中のドラマ『シコふんじゃった!』では相撲部の主将を演じ、元気でハツラツとした演技を見せています。3年ほど前の取材では、『ローストビーフ丼と親子丼が好き』と屈託のない笑顔で話してくれましたが、笑顔の中にも元キャプテンならではの凛とした芯の強さを感じました。ダンス部は一見、華やかに見えますが、たゆまぬ努力と積み重ねが求められる世界。彼女もそんな体育会系の雰囲気の中で、実直さや堅実さを身につけていったのでしょう。俳優としてまだまだ大きく飛躍する可能性を秘めていることは間違いありません」   持ち前のガッツと仕事に対するひたむきさで、24年は伊原の“おったまげー”な躍進が期待できそうだ。 (高梨歩) 【こちらも話題】 “行先不明”だった朝ドラ「ブギウギ」 蒼井優さんで見えてきた“笠置シヅ子”への道 https://dot.asahi.com/articles/-/203855
伊原六花ブギウギ
dot. 2024/02/12 08:00
〈さよならマエストロきょう第5楽章〉16歳にして達観ぶりがハンパなかった芦田愛菜は「令和の吉永小百合」なのか
丸山ひろし 丸山ひろし
〈さよならマエストロきょう第5楽章〉16歳にして達観ぶりがハンパなかった芦田愛菜は「令和の吉永小百合」なのか
芦田愛菜(C)朝日新聞社  女優の芦田愛菜が、ドラマ「さよならマエストロ〜父と私のアパッシオナート〜」の演技で好評を博している。西島秀俊演じる指揮者の娘役で、ベテラン俳優にも引けを取らない演技の安定さをみせている。芦田といえば、有名大学に在学中で読書家としても知られる。ドラマを機に、その才女ぶりを表す過去のエピソードにも注目が集まっている。(この記事は2020年11月21日に配信した内容の再掲載です。年齢、肩書等は当時) *   *   * “天才子役”として注目された芦田愛菜(16)も現在高校1年生。大人の女優へと成長し、10月から公開されている映画「星の子」で主演を務め、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で主人公・明智光秀(長谷川博己)の娘・たま役として出演中。また、バラエティ番組「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」(テレビ朝日系)では司会を担当。CMにも引っ張りだこで、高校生となっても人気を集めている。  一方、読書好きで知性的な一面もある芦田。9月に行われた「星の子」の完成報告イベントでは、「信じること」に対する持論を熱弁。「揺るがない自分の軸を持つことは難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』と口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなと思いました」と述べ、SNS上では、「アラフォーだけど愛菜ちゃんに教えを乞いたい」「心に刺さりました」「16歳の子に信じることの意味を教えてもらうとは」など、称賛の声が集まっていた。もはや、若干16歳にして人々から尊敬されるという存在になっているが、テレビ情報誌の編集者は「至って普通の16歳というところもある」と話す。 「先日放送されたバラエティ番組では、メイクの練習をしていると明かしていました。色つきのリップクリームを塗ったり、アイメイクに欠かせないビューラーの練習をしているとか。また、イヤホンをシェアするなど、『漫画のこういうシチュエーションいいよね!』的な恋バナもよくしているそうです。9月に放送された番組では、新人アナウンサーが『緊張しないコツ』を質問。芦田も心配性の緊張してしまうタイプだそうで、手のひらに『人』を3回書いて食べるようなおまじないなど、自分に暗示をかけるのが大事なのかなと思うと答えてました」  誰もが一度は試したことがある「手のひらに人を書いて飲む」。そんな古典的な暗示の方法を芦田も活用しているとは意外だが、高校生らしいと言えばらしい。バラエティ番組「日曜はカラフル!!!」(TOKYO MX、10月11日放送)では、テストを受ける時、「このシャーペンとともに頑張ったんだ!」という思いがあり、「その教科を勉強し続けたシャーペンでテストを受けると良い結果になる」という、自分のジンクスを持っていると明かしていた。また、情報番組「ノンストップ!」(フジテレビ系、10月1日放送)に出演した際は、異性に惹かれるポイントについて「腕まくりをする姿」と告白。筋肉がついていたりするとさらによいそうだ。 ■遊園地でそっくりさん認定された  そんな、勉強に関するゲン担ぎや惹かれる男性像も高校生ならではだが、遊園地などに遊びに行った時も結構はしゃぐタイプの“普通の女子高生”だという。 「遊園地に行っても意外と気付かれないそうで、並んでいる時などにそっくりさん認定され、友達が苦笑いしているとバラエティ番組で明かしていました。また、遊園地で傍観されるより、一緒になって『イェーイ』となってくれる男性がタイプだとも。幼い頃から活躍しているゆえ、視聴者は芦田を『親戚のいい子』感覚で見ることが多いと思いますが、一方で芦田自身は無理することなく自然に生きている感じがしますよね。だからこそ、知性があってもさわやかで嫌味がなく、より多くの人を惹きつけるのでしょう」(前出の編集者)  TVウォッチャーの中村裕一氏は、そんな彼女の今後についてこう分析する。 「とても16才とは思えないその落ち着いたたたずまいは、見ているこちらが心を洗われ、癒されるほど。彼女にはまさに『才色兼備』という言葉がぴったりです。数々の発言からも、周囲に流されず、冷静に状況を見つめ、自分というものをしっかり持っていることがうかがえます。そうなると、これから先、無理に女優の道を進まなくても良いような気もしますが(笑)、今後もし女優業を続けていくとしたら『令和の原節子』『令和の吉永小百合』となる品格を十分に備えています。もちろん、たとえ今後、違う道へ進んだとしても、彼女ならきっと成功するでしょう。完全に親か親戚目線で、かつ余計なお世話ですが、自分の気持ちに正直に、二度と戻らない10代というかけがえのない時間を思う存分楽しんで、悔いのない充実した毎日を過ごして欲しいですね」  昨年行われた「天皇陛下ご即位をお祝いする国民祭典」では祝辞を述べた芦田。次世代芸能人の代表という存在で、将来を楽しみにしている人は多いと思うが、芦田自身はサラッと軽やかに人生を歩んでいきそうだ。(丸山ひろし)
芦田愛菜
dot. 2024/02/11 21:00
〈NHK大河「光る君へ」第6話二人の才女〉道長は年上女子の“お眼鏡にかなった”好男子 女性たちのサポートで押し上げられた「運命」
関幸彦 関幸彦
〈NHK大河「光る君へ」第6話二人の才女〉道長は年上女子の“お眼鏡にかなった”好男子 女性たちのサポートで押し上げられた「運命」
栄花物語図屏風(国立博物館所蔵品統合検索システム(https://post.dot.asahi.com/sys/articles/new?copy=211209)    永延元年(九八七)、藤原道長は二十二歳で宇多天皇の孫にあたる源雅信の娘倫子と結婚をしたが、この婚姻の成立には倫子の母の強い後押しがあった。またその翌年には、源高明の娘明子を第二夫人として迎え入れる。この仲立ちを積極的になしたのは道長の姉詮子だった。姉詮子は道長の関白(内覧)就任にも大きく関わっている。関幸彦の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、年上女性に応援される道長の人間性を紹介する(「AERA dot.」2024年1月15日に配信された記事の再掲載です)。 *  *  *    一般に道長以後の家系は「御堂流」と呼ばれる。その御堂流・道長以前、長子たる立場で家督を相続したケースは少なかった。「三平」の一人、忠平は基経の長子ではなかった。続く、師輔・兼家いずれも長子ではない。そして道長も同様だった。道長以前、その母たちの出自を見るとわかるのは、受領の娘が目立つことだ。当の道長の母、すなわち兼家の妻は時姫と通称された女子で、摂津守藤原中正の娘だった。  また、道長には同母兄の道隆・道兼とは別の異母兄道義・道綱もいた。道綱の母は有名な『蜻蛉日記』の作者であり、同様に受領の娘だった。道長以前でいえばルーツの冬嗣─良房─基経と伊尹・兼通・兼家三兄弟─道隆・道兼・道長の三兄弟と五代にわたって受領の娘を母とした(例外は時平・忠平兄弟及び実頼・師輔兄弟で、王女や大臣の娘などが母)。 【こちらも話題】 優雅で、女性にはマメで…光源氏は貴族の「あるべき姿」 虚構の『源氏物語』が伝える真実 https://dot.asahi.com/articles/-/210655  その点からすれば、受領の娘には摂関に繋がる上層公卿との婚姻をなす、機会が用意されたともいい得る。だが、道長以後、天皇との外戚関係の固定化にともない、婚姻圏は限定される傾向が見られる。  そのあたりは道長が迎えた二人の妻と、その両人に誕生した子女たちからも了解されるはずだ。 高松殿倫子の子女たち  嫡妻の源倫子から見ておこう。倫子との結婚は、永延元年(九八七)、道長二十二歳の頃だ。倫子の父雅信は当時左大臣で、宇多天皇の孫にあたる(宇多源氏)、プライドも高かった。道長は当時従三位左少将の駆け出し公卿の地位に過ぎなかった。そのため道長との結婚にさほど積極的ではなかったという。このあたりは『栄花物語』〈さまざまのよろこび〉にもくわしい。  倫子の母は「コノ君、タダナラズ見ユル君ナリ」(なかなかの人物です)と確信し、「ワレニ任セタマヘレカシ」(この話は私にお任せ下さい)と断言し、婚儀がなされたという。つまりは道長は倫子の母に強く信頼され、将来性を見込まれての結婚だった。父雅信の官歴へのこだわりに比べ、母の人物本位の立場が優先されたのだった。道長は兼家の五男の立場であり、強い出世欲にかられる性格でもなかったようで、そうした無欲さがある意味、好ましく映じたのかもしれない。 【こちらも話題】 紫式部が地獄に堕ちた?異色の能の内容とは 貴族の心をつかんだ『源氏物語』 https://dot.asahi.com/articles/-/210132  宇多源氏との血脈上の結合は、道長にとってもアドバンテージとなった。道長は女性を信頼させる気質があったのかもしれない。姉の詮子(東三条院)にも道長は好かれた。道長の第二夫人明子との婚姻の仲立ち役を積極的になしたのも、詮子だった。明子は安和の変で左遷された源高明の娘である。明子との結婚は、嫡妻・倫子を迎えた翌年のことだった。  詮子が、明子との縁を求める道長の兄たちを差し置き、道長へと嫁がせたのも、詮子なりの判断があったからだ。このあたりは永井路子氏の小説『この世をば』の描写の妙はなかなかだ。ともかく道長は女性、それも年上の立場からは、まさしく「貴族道」の風味を多分に有した、好男子と映じる魅力があったようだ。詮子による助力は明子との結婚ばかりではない。関白職の帰趨をめぐる伊周との争いにおいて、母の立場から一条天皇に強く迫り、道長の「内覧」への就任にもかかわった。  倫子・明子の二人の妻の縁のいずれもが、年上の女性たちの“お眼鏡”に適ったことが大きい。それほどに道長への信頼度が群を抜いていた。  話を第二夫人明子にもどすと、その父は醍醐源氏のエース源高明だった。高明は醍醐天皇の第十皇子で、故実書『西宮記』はその著として知られる。村上天皇皇子である為平親王を女婿とした。 【こちらも話題】 貴族政治の頂点に立った道長の対人スキルと、優雅さだけではない時代の風の“つかみ方” https://dot.asahi.com/articles/-/210659  この為平を冷泉の後継としようとしていたとの密告で、高明は大宰府へと配流される。娘の明子が父の不幸に遭遇したのは幼少の五・六歳の時期とされる。叔父の盛明親王に育てられたが、その後、東三条院詮子に迎えられた。  詮子は彼女を厚遇、結婚相手については、相応の人物を考えていたに相違ない。二十歳代前半の道長の二人の妻女(宇多源氏の倫子・醍醐源氏の明子)との出会いは、道長の血筋に異なる世界での婚姻圏を用意した。  嫡妻倫子との間に彰子・頼通・教通・妍子・威子・嬉子が、そして明子との間には頼宗・顕信・能信・長家・寛子・尊子が誕生する。 【こちらも話題】 紫式部の部屋を訪れたのは藤原道長? 『紫式部日記』に描かれた「やり取り」とは https://dot.asahi.com/articles/-/210585 ●関幸彦(せき・ゆきひこ) 日本中世史の歴史学者。1952年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻博士課程修了。学習院大学助手、文部省初等中等教育局教科書調査官、鶴見大学文学部教授を経て、2008年に日本大学文理学部史学科教授就任。23年3月に退任。近著に『その後の鎌倉 抗心の記憶』(山川出版社、2018年)、『敗者たちの中世争乱 年号から読み解く』(吉川弘文館、2020年)、『刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機』(中公新書、2021年)、『奥羽武士団』(吉川弘文館、2022年)などがある。
藤原道長と紫式部関幸彦源氏物語光る君へ大河ドラマ
dot. 2024/02/11 20:00
ソフィア・コッポラの美学を惜しげもなく反映 ロックスターの不安と絶望を浮き彫りにした「プリシラ」
延江浩 延江浩
ソフィア・コッポラの美学を惜しげもなく反映 ロックスターの不安と絶望を浮き彫りにした「プリシラ」
 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、連載「RADIO PAPA」。今回は映画監督、ソフィア・コッポラの新作「プリシラ」について。 結婚式のシーン 「プリシラ」©The Apartment S.r.l All Rights Reserved 2023 *  *  *  青春映画「リアリティ・バイツ」ではラジオ局志望の女子大生が「君は優秀だがセンスがない」と撥ねられる。感情のメディアのラジオはセンスがモノを言う。僕はそれを磨くため音楽を聴き、小説を読む。映画ならソフィア・コッポラ作品をおいて他はない。とにかくセンスが群を抜いている。「ロスト・イン・トランスレーション」公開で来日の折、表参道にあったラウンジ、モントークで一緒になった彼女のガーリーぶりと言ったら! 浴衣にコンバースという粋に舌を巻いた。  ソフィアの最新作「プリシラ」は、ケイリー・スピーニー演じる14歳の少女が時のスーパースター、エルビス・プレスリーと恋に落ちる。フィル・スペクターがプロデュースしたラモーンズ「ベイビー・アイ・ラヴ・ユー」で幕を開け、毛足の長い絨毯を色鮮やかなペディキュアの両足が歩くシーンに目がくらんだ。 行きつけのカフェで 「プリシラ」©The Apartment S.r.l All Rights Reserved 2023  主人公プリシラは何から何までエルビス色に染まっていく。陸軍の兵士で西ドイツに赴任していたエルビスは礼儀正しく彼女の両親に挨拶し、父は戸惑いながらも娘との交際を認める。  パンナムのファーストクラスでアメリカに渡り、メンフィスに身を寄せるプリシラ。エルビスの邸宅「グレースランド」は夢の国だった。クルマ、家具、アクセサリーは当時のアメリカの富を象徴し、取り巻きとのパーティはプールサイド、音楽はジュークボックスから。  ノスタルジックな意匠にはソフィア・コッポラの美学が惜しげもなく反映されているが、彼女の視線はそこだけにとどまらない。いつの間にかレンズは幼妻プリシラの冷静な視線と同化し、刹那を生きるロックスターの不安と絶望を浮き彫りにしていた。  プリシラは「不思議の国」に迷い込んだ「アリス」になり、菓子のような家に住むが、菓子はしょせん菓子。主食ではない。鼻にかかったエルビスの甘い声はケーキにまぶされた白砂糖のようで、その白さは次第にエルビスを破滅に導くドラッグの色を象徴しているかのように思えた。 エルビスの邸宅グレースランドのプールサイドにて 「プリシラ」©The Apartment S.r.l All Rights Reserved 2023  映画監督のジェーン・カンピオンは、プリシラが邸宅で味わった日々をこう評している。 「ソフィアはここで私たちに、それは夢であり、そしてとんでもなく悪夢なのだと教えてくれる」(「ヴァラエティ」2023年12月13日付)  60年代、70年代のゴージャスなファッションと風俗をこの映画は琥珀となり永遠の都市伝説として閉じこめるかのようだった。だが、琥珀からひとり抜け出し、滑稽なジャンプスーツを着てホテルのショーに出演し続ける夫に決別を告げる主人公の自立と新しい時代の到来こそソフィアが描きたかったところと見た。 (ベネチア国際映画祭最優秀女優賞受賞) (文・延江 浩) 「プリシラ」 4月12日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー 配給:ギャガ ©The Apartment S.r.l All Rights Reserved 2023 ※AERAオンライン限定記事
AERA 2024/02/11 16:00
〈ベストセレクション〉「専業主婦になる覚悟がなかった」 最高の名誉を受けた女性数学者72歳が結婚を経て「ものになる」まで
高橋真理子 高橋真理子
〈ベストセレクション〉「専業主婦になる覚悟がなかった」 最高の名誉を受けた女性数学者72歳が結婚を経て「ものになる」まで
数学者の石井志保子さん  科学ジャーナリストの高橋真理子さんが、女性科学者の仕事へのこだわりと熱意を引き出しながら人生に迫った人気連載「科学に魅せられて~女性研究者に聞く仕事と人生」。その道を切り開いた人たちの言葉は多くの読者をひきつけた。中でも反響の大きかった回を大学受験シーズンで学問への関心が高まるいま、ベストセレクションとしてお届けする。今回は数学者の石井志保子さん。(この記事は、2023年1月17日に配信した内容の再掲です。年齢、肩書等は当時) *    *  * 「日本学士院賞」は、日本の研究者にとって最高の名誉とされる賞である。その中からさらに選ばれた人だけに「恩賜賞」が授与される。明治43(1910)年に創設され、翌年に授賞式が始まって以来、初の女性の単独受賞者が誕生したのは2021年、実に111年目のことだった。その栄誉に輝いたのが数学者の石井志保子さんだ。  富山県高岡市の開業医の家に生まれた。地元の小中高を経て東京女子大学に進学、そこで数学に魅せられ、早稲田大学と東京都立大学の大学院で勉強を続けた。東京工業大学、東京大学で数学教授となり、定年退職した現在も東大大学院数理科学研究科特任教授である。  一直線に数学だけを究めてきたと想像されがちだが、実際は、結婚、子育てとライフステージの変化とともに柔軟にやりくりしながらの研究生活だった。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子) ――小学生のころから算数が得意だったのですか?  いえいえ、私は計算が遅くて、算数ができない子でした。数の感覚がすごく鈍いんです。そういう数学者は他にもいらっしゃいますよ。小学校時代はいじめられっ子で、よく泣いていました。学校にいるのが嫌で、早退したり、仮病を使って休んだり。 ――高校生のときに相対性理論に惹かれたとか。  相対論にはローレンツ変換という式が出てきますね。それを見てなんかすごく感動したんです。一つの式ですべてのことが記述できるというところに。たぶん物理の感動とは違うと思いますね。でも、そのころは物理が好きだと思って、物理の偉い人のいる大学に行きたいと、京大志望でした。  ところが、学園紛争で東大の入試がなくなった年で、それで他の入試も難しくなって、結局、志望校を変更して受けたんですけど、国立大はダメでした。東京女子大と津田塾大は受かりました。東京女子大のほうが都心に近くて格好よく見えた(笑)。 ――浪人は考えなかったのですか?  ええ。受験数学はあんまり好きでなかった。 ――どんな大学時代でしたか?  お友達がたくさんできて、楽しかった。クラスが四十何人かいるんですが、みんなと仲良しになって。私自身は空気が読めないほうだったんですが、それをみんなちゃーんと受け入れてくれるような感じ。サークルは、もともとバレエを6年間習っていて踊るのが好きだったので、競技ダンスをやりました。社交ダンスを競技としてするんです。  衝撃を受けたのは、これは男性が主体だとわかったこと。踊りを作るのは男性で、女性はそれに華やかさを加える役割です。上体を大きく反らしたり、猛スピードで走ったり、とてもきついんですが、2年間がんばって学年別戦で3位という成績を取れたので「卒業」しました。 ――女子大には男性がいませんよね?  東大と組むんです。 ――おそらく向こうには彼女探しという魂胆があったのでは。  だとしたら、私が非常に空気が読めないんだとよくわかる(笑)。私はその気は全然なかった。 ――物理より数学のほうがいいと思うようになったのはいつごろですか?  それは大学に入ってすぐ。極限を定義するε-δ(イプシロン・デルタ)論法に触れて感激して、これが本当の数学だと思った。そのあともこれが本当の数学だと思えるような経験がいくつか積み重なって、大学院に行きたいなあと。  ただ、東京女子大の授業は大学院入学を想定していないので、自分で勉強するしかなく、過去問を見たりしたんですが、やはり自分が受けた授業ではカバーしきれないところがありました。3校受けて、かろうじて1校受かり、早稲田大の大学院に進みました。  大学院では代数幾何ばかりやっていました。なんか自分自身が変わっていくのが面白かった。下宿先で朝起きてご飯を食べて研究し始め、それで夜にお風呂の中で朝起きたときの自分と違っているような気がしました。  そういう経験ってそのときだけですね。あとにも先にもない。何か新しいものをすごく貪欲に吸収する時期だったのかなと思います。 ――修士から博士に行くところでちょっと間があいていますね。  実は修士が終わった時点で、ものになるか心配になって、結婚したんです。 ――えーっ、そうなんですか。お相手は同じ富山県出身で、自治省(当時)を経て富山県知事を2004年から4期16年務めた石井隆一さんと承知しています。  私が大学生のときに知人が紹介してくれたんです。でも、そのときは結婚する気がなくて、「大学院に行きたい」と言ったら、「じゃあ、がんばりなさい」という感じでした。  それから2年ぐらいの空白があって。連絡をしてみたらまだ独身でした。そのあと、金沢転勤が決まったというのです。この人を逃したら、もう先はないという気がしてきて、私が追いかける形で金沢に行きました。そこで結婚式を挙げました。 ――そのときはいわゆる専業主婦になろうと?  いえ、その覚悟はできていなかった。あわよくば復帰してやろうと。  それを夫はわかっていたと思う。その証拠に、媒酌人に渡した自分たちの紹介文に、「志保子はこれこれこういう数学の仕事をしていて、できれば博士課程に進みたいと思っている」と書いたんですよ。媒酌人はその通り読み上げて、その後に「もちろんこれは冗談ですが」って(笑)。真面目な方だから、こんな嘘くさいこと言えないって思われたんでしょうね。 息子さんを抱いて(提供) ――新婦が博士課程に進むって、それも数学をやるって、冗談にしか聞こえなかったわけですね。  そうでしょうね。夫も半信半疑だったのでしょう。私が家で英語の論文を読んでいたら、「それ、お前わかるのか?」なんて言っていた。  でも、だんだん協力的になって、金沢から東京に転勤になったときに博士課程に行きたいといったら「いいよ」って。東京都立大の大学院に入ったのは1977年ぐらいかな。在学中に長男が生まれました。当時は博士号を取るには専門誌に掲載された論文が数本必要とされていました。 ――論文は一人で書いたんですか?  もちろんです。若いころは単著(一人で書いた論文のこと)を貫いたんです。女性が男性の先生と共著論文を出したら、「あれは先生が書いた」というような話が、たとえ事実でなくても出てくる。そういう実例を知っていましたから、警戒して、自分は絶対単著でやると決めていました。  あ、ちょっと待ってください。私は最初の論文を金沢にいるときに書いたんです。どこにも所属しておらず、指導教官もいませんから、論文の最後に入れる所属先の欄には金沢市の自宅の住所を書いた(笑)。  最初の論文ですから、英語なんてめちゃくちゃなんですが、名古屋大学の浪川幸彦先生が以前から励ましてくださっていたので、先生に原稿を送りました。そうしたら、指導教官代わりに英語を直してくださったうえにドイツの数学専門誌への投稿を勧めてくださって。投稿したら幸いにも掲載されました。  ああ、私ってなんと恩知らずなんだろう。浪川先生の御恩を忘れてしまって。今まで、この話をしたことはありませんでした。 ――修士を出たあとに家で一人で論文を書いたとは驚きました。数学者としてやっていけると思えるようになったのはいつごろですか?  博士課程で論文をいくつか書いてからですかね。 ――書いた論文がすごく褒められたりしたのですか?  いえ、特には。論文誌に投稿してアクセプト(掲載許可)されると「良かったですね」と言っていただくぐらいで。数学者はそういうことは表に出さない人が多いです。  ただ、博士号を取ってから、なかなか就職できずに苦労しました。アプライ(応募)はもう常にしていました。トータルで三十いくつしたと思うんですけれども、25ぐらいまで数えてあとはわからなくなってしまった。 ――ようやく1988年に九州大に採用されたんですね。  子どもが4歳か5歳のころ、1984年か85年あたりに夫の転勤で北九州市に行きました。2年ぐらい住んで、九大の先生たちとセミナーをやってすごく楽しかった。そのあと、東京に戻ってから、助手を募集するから応募しませんかと連絡が来たんです。  最初は迷いました。「遠いからちょっと無理だよねえ」と夫に言うと、「まず最初のポジションをゲットするのは大事だよ。そのあと異動するということもできるんじゃないか」って言うんです。子どものことは何とかなるみたいなことも言って、でも自分でやるわけじゃないのに、どうしてそんなことを言えたんでしょうね。 富山の日枝神社へ家族で初詣=1985年ぐらい(提供) ――実際にはどうされたんですか? ご実家も遠くて頼れなかったと思います。  結局、私が考え出したんですよ。私が大学院生時代にお世話になっていた下宿の息子さんがそのとき大学生になっていて、彼が泊まりに来てくれて子どもと一緒にご飯を食べてくれて、朝ご飯は夫の分も作ってくれて。家庭教師兼お兄ちゃんみたいな感じで。  毎週、東京と九州を飛行機で行ったり来たり。助手という職階だから、何とかなったんだと思います。それにしても、良く採用していただけたと思います。当時は女性の数学者がいない時代でしたから、数十人の応募者の中から私を選ぶのは簡単ではなかったようです。私を推薦してくださった何人かの先生がたが大変苦労されたと聞きました。九大には1年7カ月いて、そこで東工大の公募があったので、応募したら採用されました。仕事に行ってその日のうちに家に帰れるのが嬉しかったですね。 ――まさに夫の隆一さんのアドバイス通りになったわけですね。  そうですね。ただ、九州から戻ってしばらくしたら夫が静岡に転勤になって、静岡は近いので私も一緒に行きました。今度は静岡から遠距離通勤です。  こどもが6年生になって、静岡の塾に通って中学受験しました。首都圏の私立中学に合格したので、私と息子だけ一足先に東京に帰ってきて、息子は東京から中学高校に通いました。 ――働く母にとって中学受験は大変な難関なのに、お見事ですね。  いや、もうほとんど全滅なんですよ。1校だけ受かった。  ところが、息子は高校でほとんど勉強しなくて、すごく能天気な男だから模擬試験では志望校を堂々と書くのだけれど判定はいつもEでした。3年生の10月からは自由登校で学校に行かなくてよくなって、家で勉強をし始めた。でも「お母さん、英語の勉強って、問題集を買ったほうがいいかな」なんて聞いてきて、もうこの時期に何言ってんの、という感じ。ところが、自分で計画を立てて勉強するのが合っていたみたいで、第1志望に合格しちゃった。  今まで、あれしなさい、これしなさいって言っていたのは何だったんだろうと思いました。私はほとんど自分のことで頭がいっぱいで、ほったらかしていたんですけど、ふと見ると遊んでいるから「勉強しなさい」っていっぱい言った。悪いパターンですよね。 ――息子さん、数学は得意でしたか?  私が苦手意識をつくったかもしれない。息子の言によると、私に数学の質問をすると、私の人格が変わるんだって。自分の子どもだと、いい加減なことをされるとちょっと許せない。「自分の間違いが許せない」の延長線上にあるのでしょう。  やっぱり自分の子どもを教育するのは難しい。 ――夫の隆一さんは子育てにどのくらい関わったのでしょう?  精神的なアシストだけです。  夫の実家はふとん屋さんだったので、女の人が働くのは普通だとは思っていたんでしょうね。とはいえ、価値観は古かったんじゃないかなあ。結婚するときは、僕は自分の目標が妻の目標であってほしい、みたいなことを言っていた。途中から変わってきたんですよね。二心連帯って言うようになった。一心同体ではなく、という意味です。 ――いい表現ですね。  夫がラジオ番組に出たことがあって、それを聴いて私は初めて知ったんですけど、九州に引っ越したときに、自分は用があって外出して戻ってきたら、ダンボールの箱がいっぱい置いてあって、妻がダンボール箱を机にして何か計算していた。それを見て、こんなにひたむきに頑張っているんなら、この人の目標を取り上げてはいけないと思った、と。なんか思い出すと今でも涙が出てきます。  どこでもドアじゃなくて、どこでも机、だった。でも、夫がそんなふうに見ていてくれたんだなと、ジーンときてしまう。  私が何でここまで続けてこられたかというと、サポートしてくれる人に恵まれたということと、自分自身の執着心がかなり強かったということがあると思います。でも、執着心が強すぎるぐらいでないとできないという社会はどうなのでしょうね。才能に応じてその才能が開花できる社会であってほしい。数学は家でも研究ができますから、女性にとってはやりやすくて、一番伸びしろのある分野だと思うんですよ。  それなのに、理系のほかの分野よりも伸び方が少ない。そこが何とかならないかなと思っています。 スウェーデンのミッタク・レフラー研究所での研究集会で講演=2017年(提供) ――最初は単著ばかり書いていたとのことでしたが、恩賜賞の受賞理由に取り上げられている業績の中には共著論文もありますね。1968年に出された「ナッシュ問題」というものを、米国プリンストン大のヤノシュ・コラー教授と一緒に2003年に解決された。4次元以上では成立しないこともあるという結果は世界に衝撃を与えたそうですね。  年を取ってから共著論文を書く楽しさを知りました(笑)。この問題は2次元でばかり研究されていたので、4次元以上では成り立たないこともあるという結果には確かに皆さんが驚いて、大きな反響がありました。国際研究集会に招待される回数も増えましたし、基調講演を任されたこともあります。  国際的な研究の場では、女性であることはあまり気にならないし、気にもされませんね。男性か女性か、あるいはそれ以外なのか、とにかくほとんど関係ありません。日本の女性には、ぜひ数学の世界に飛び込んでみて、と伝えたいです。 石井志保子/1950年、富山県高岡市生まれ。東京女子大学卒。早稲田大学大学院理工学研究科数学専攻修士課程修了、理学博士(東京都立大学)。九州大学助手、東京工業大学助手、助教授、教授を経て2011年から東京大学大学院数理科学研究科教授。現在は同特任教授。2021年に「特異点に関する多角的研究」(※)で恩賜賞・日本学士院賞受賞。 ※特異点とは何か。小学校の算数では必ず「0で割ってはいけない」と習う。その「いけないこと」を無理にやったときに生まれるのが「特異点」――というのが、一番簡単な説明だと思う。この私の説明を石井さんに伝えると、「複素関数の特異点」としては正しいのだが、自分が研究しているのは違う、とのこと。研究対象は「多様体の特異点」で、そちらはx²ーy³=0を満たす(x、y)の集合の原点のように「滑らかでない点」(つまり、とんがっている点)のことだそうです。 特異点が入ったグラフ
石井志保子女性科学者数学者
dot. 2024/02/11 14:00
天龍さんが語る“女傑” ジャイアント馬場夫人VS.ジャンボ鶴田夫人の壮絶バトル!?
天龍源一郎 天龍源一郎
天龍さんが語る“女傑” ジャイアント馬場夫人VS.ジャンボ鶴田夫人の壮絶バトル!?
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)   「環軸椎亜脱臼(かんじくつい・あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」と「敗血症性ショック」で長らく入院生活を続けていた天龍源一郎さん。今回は自宅療養中のところ、これまでに出会った印象的な女性たちについて語ってもらいました。   * * *    俺のお袋は18か19歳で嶋田家へ嫁に来たんだけど、もとは大きな農家の長女で、いいところのお嬢さんだった。嫁いできてからは畑仕事に一生懸命だった。うちの親父は専売公社で葉タバコの栽培の指導をしていて、福井県内だけでなく、石川県まで出向いて仕事をしていたんで、お袋は大切な労働力だったんだよ。    ちなみに、馳浩の実家も葉タバコ農家でうちの親父も指導に行っていたんだ。お袋は親父とそりゃまぁ壮絶なケンカをしていたね。お袋も長女で気が強いから言いたいことを言うし、親父は力任せに投げ飛ばしたり、ちゃぶ台をひっくり返したりして、お袋が耐えかねて裸足で外に逃げていくと、俺もよく一緒に探しに行ったもんだ。    夜空の星を見ながら「俺は絶対この家の子どもじゃない。こんな気性が荒い親から俺が生まれる訳がない」と思っていた。とにかく激しいケンカが絶えなかった二人だが、俺の後に二人の子どもが出来ているのは不思議だね(笑)。まあ、二人とも若かったってことだ。   お袋はよく働く人    お袋はよく働く人で、家の田畑の仕事はもちろん、俺が相撲に入ってからは町工場で働いてずいぶん稼いでいたようだ。福井は織物が盛んで、その工場も景気がよかったのかな。   「あんちゃん(俺のこと)の手が離れて自立できたし、妹と弟が大学に行くまでのお金が稼げてよかった」と言われたことがあるんだけど、親父の稼ぎはどこに行ったんだろう? その辺の真相はよく分からないけど、とにかくよく働いていた。    その一方で、料理はまずかった(笑)。味噌汁なんてお湯が沸いたら味噌を入れておしまい。俺も相撲に行って料理を覚えたから「お袋、味噌汁はちゃんとダシをとって、こうやって作るんだ」って教えても「そうかい」なんて言って、ちっともうまくならない。    実家から離れてみて「これじゃあ、親父も怒るなぁ」って同情したもんだ。カレーだって、俺はちゃんと肉が入っていたもんだと思い込んでいたけど、60歳過ぎてからその話を妹としたら「なに言ってるのよ! ちくわしか入ってなかったわよ!」だって(笑)。 【前回の記事はこちら】 天龍さんが語る“へそ曲がり” 相撲界のへそ曲がり、北尾光司に手を焼いた理由 https://dot.asahi.com/articles/-/212570 2023年2月の誕生日ショットはこちら!(天龍源一郎オフィシャルInstagramより)/■2024年2月19日 『STILL REVOLUTION』Vol.10■天龍源一郎&スタン・ハンセン『龍艦砲』が集う、スペシャルイベント開催決定!/日時:2024年3月11日(月)開場18:30/開始19:00◆大会情報、チケットのお求めは天龍プロジェクト各種SNS、HPなどでご確認いただけます。◆天龍プロジェクト公式Webショップhttps://www.tenryuproject.jp/    そんなお袋は子どもたちには優しくて、親父が付き合いで飲みに行ってるときは、母子で和やかに過ごしたことを覚えている。親父のバイクの音が聞こえると、それまで見ていた民放の番組をパッとNHKに替えてね。親父は民放を見ていると「くだらないものを見やがって!」と怒るんだ。    お袋の料理がまずいと言ったけど、お袋は朝起きたらご飯だけ炊いてすぐに畑に行って、昼はお茶づけで済ませて、すぐに畑に戻って、朝から晩まで働いていたんだからしょうがない。まだお袋のおっぱいを吸っていた頃、乳がうっすら葉タバコの匂いがしたのを覚えている。その記憶があるから、俺はタバコを吸わなかったのかもしれないな。お袋のことは聞くも涙、語るも涙だよ。    俺が田舎から出てきて、最初に出会った女性は二所ノ関部屋の女将さんだ。相撲の世界に来たら、どの部屋の女将さんも女優みたいにきれいだから、相撲取りはいい女房をもらうんだと思った。   女将さんに世話になったのは前借    その女将さんに一番世話になったことといえば、端紙(はがみ)だ。いわゆる、給料の前借で、下っ端の力士は十両に上がるまで給金も少ないし、住む場所と食事は用意されてるとはいえ、「いいわ、いいわ」で使っちゃうから、いつも金欠だ。相撲取りは、先輩から使う金ばかり教えられて余計なことばっかり覚える。錦糸町のクラブに行ったりね。あの頃は錦糸町が大繁華街で、その先の平井や小岩はちょっと田舎だったね。    金が無くなると女将さんのところに行って「端紙お願いします」って3~5万円くらい金を借りるんだよ。その借金は次の給金からしっかり引かれるし、女将さんがそれを忘れたことは一度たりともなかった。しっかりしてるよ(笑)。    給金から引いておかないと返せないだろうし、いついなくなるかもわからないからね。それに、当時は若い衆がたくさんいたから、毎月の端紙の額もバカにならなかっただろう。女将さんはお目付け役として、俺らの生活を見ているから、端紙して「ごっちゃんです」って言うと、なにげなく「使い過ぎてるんじゃない?」ってよく聞かれたもんだよ。    俺は女将さんの女学生時代の友達の伝手で入門したもんだから、女将さんにもずいぶんよくしてもらっていた。雑用をしていると親方と女将さんが食事している部屋に呼ばれて「嶋田君、これ食べなさい」っていろいろ食わせてくれたり。 【こちらも話題】 天龍さんが語る“モテる”大横綱が口説いていた女性を落としたイケメン力士は? https://dot.asahi.com/articles/-/208567  ほかの力士にはしないようなことで、すごく目をかけてくれていたのがわかったよ。親方も俺に期待をしていろいろと稽古をつけてくれたし、親方から俺のことをいろいろ聞いていて、余計によくしてくれたんだと思う。    でも、そんな女将さんとの関係は、大麒麟が謀反を起こした「押尾川騒動」で一気に切れちゃった。女将さんに恨みはないし、本来なら俺を育ててくれた二所ノ関部屋に恩義があるはずなのに、部屋を継ぐときの金剛の言動で義憤に駆られてね。    最後に女将さんに部屋に残ってくれと言われたときも「女将さん、話はそれだけですか」ってずいぶんテンパったことを言ってしまったよ。今になってやっぱりお世話になった女将さんのもとに残るべきだったと思う。あの頃は自惚れて、意固地になって、正義感を出しちゃって、新選組みたいな気持ちだったなあ。    そうやって女将さんとの関係もぷっつり切れてしまったけど、プロレスに転向してなかなか芽が出ない時期に、シンガポールに遠征した帰りの飛行機でばったり女将さんに会ったんだ。「お久しぶりです」って声をかけたら「嶋田君、久しぶりね」って、なんのわだかまりもなく話をしてくれた。    どっちからどうということもなく3時間くらい話し込んだよ。「あのときは生意気なことを言ってすみませんでした」って謝ったら、女将さんも女将さんで「最後に偉そうなこと言って、あの頃はテンパっていたわよね」って(笑)。プロレスに転向して一年くらいの頃で、全然上手くいかなくて、身の程を知ったときだったから、以前と変わらず接してくれた女将さんにはずいぶん救われた思いがしたよ。   ジャイアント馬場さんの妻・元子さん    プロレスに転向してから出会ったすごい女性といえば、やっぱりジャイアント馬場さんの奥さん、元子さんだ。元子さんはいい評判も悪い評判もあるけど、ジャイアント馬場をジャイアント馬場たらしめんとするために、自分が矢面に立って守っていた人だ。    馬場さんを守るために最前線に立って憎まれ役をやっていた。俺も全日本プロレス時代は、元子さんに何か聞いたり、意見したりしても「そんなことはいいの。あなたたちは知らなくても」って感じで。天龍革命のときに本体のバスとは別で移動していたから「レンタカー代を会社で出してくれ」って頼んだら「レンタカーを借りるのに、チケットを何枚売らなきゃいけないと思ってるよ!」って突っぱねられて、頭に来たこともあった。 【こちらも話題】 天龍さんが語る“入院生活” 突然死の宣告で重篤の中「三途の川」を見た体験とは? https://dot.asahi.com/articles/-/203249    でも、それを馬場さんが言うと馬場さんの格が落ちるから、いつもそういう憎まれ役になるのは元子さんだったんだよね。元子さんに言われる分には「この野郎」で終わるけど、馬場さんに言われたら、馬場さんの威厳も無くなってしまうからね。    どこでも「元子の野郎!」っていう文句は聞いていたけど、それも全部全日本プロレスの質を落とさず、馬場さんを高みに持っていくためにやっていたことで、社員でも生意気だと「あなた嫌いよ、明日から来なくていいわ」っていう調子だったからね。    だから、元子さんのことはハッキリして付き合いやすいという人も多かったよ。元子さんは嘘はつかないからね。元子さんはたったひとり、馬場さんにぴったり寄り添って、最後まで馬場さんだけの味方で、ほかの選手に近づいて、美味しいことや調子のいいことを言ったりはしなかった。   馬場さんにとっていい右腕    普通だったら、馬場さんや会社や選手の間に入って、裏で選手の根回しとかするもんだけど、絶対に馬場サイドからしか物を言わないし、根回しもしない人だった。馬場さんにとってはいい右腕だったわけだ。    かといって、ビジネスパートナーというわけでなく、周りに人がいないときは「馬場さん、馬場さん」と甘えるのが上手くて、見ている俺の脇から冷や汗が出るくらいの甘えぶりだったよ。馬場さんにしても信頼しているし、可愛くてしょうがない女性だったからね。    二人は大恋愛で結婚したし、元子さんは50歳になっても可愛らしさを持っていたし、少女みたいな一面があったからね。それが男社会のど真ん中にいて大変だったと思うし、誰に対しても平気で物を言う性格だったけど、うちの女房とはフラットに接してくれていたから馬が合ったのかな。一方で、ジャンボ鶴田の奥さんとはイマイチ合わなかった(笑)。    全日本の選手とその家族で海外に行ったとき、現地の空港スタッフに元子さんが英語で話しかけたら聞き返されて、そこで元スチュワーデスのジャンボの奥さんがペラペラの英語で話したら、元子さんの機嫌が悪くなったこともあったね。    それから、元子さんとうちの女房とジャンボの奥さんの3人でテレビに出るときに、元子さんとジャンボの奥さんの衣装の色がかぶって、俺の女房が間に挟まって大変だったこともあったよ。 【こちらも話題】 天龍さんが語る“ファン” 馬場さんが「うるさい!」とジャンボ鶴田のファンにやきもち!?  https://dot.asahi.com/articles/-/41091    元子さんも負けん気が強いから、よくぶつかっていたよ。エネルギーがあるなって思っていたけど、それで腹が減ってキャピタルホテルでいい飯を食べていたんだろうね(笑)。馬場さんにとっては、アントニオ猪木さんの次に、いいパートナー、コンビだったんじゃないかな。    女子プロレスラーでいえば、長与千種が思い浮かぶね。クラッシュギャルズで一世を風靡していたとき、あるパーティーで俺とジャンボが彼女らを抱っこさせられたりもしたが、当時は「男のプロレスの真似しやがって」という感じで見ていたのが正直なところだ。    それが俺の引退前に6人タッグで一緒に試合をしたときに、タイミングとか間とか、プロレスというものをよく知っているなという印象を受けたんだ。プロレスは妙に節回しとかテンポが合うレスラーがいて、それは練習である程度まではいくけど、それ以上は教えてもできない。持って生まれたセンスであり、ムーブメントが時代とマッチするかしないかという要素もある。    長与のそのセンス、プロレス脳に唸って、試合後も娘相手に長与のことをずっと褒めたことを覚えている。   神取忍もがんばっていると思えた    その長与とタッグを組んだときに、対戦相手にいたのが神取忍だ。彼女は柔道日本一を背負って、よくあそこまでプロレスに同化できたなって感心するよ。そういう看板を背負ってるとプロレスというショービジネスに溶け込めないものだけど、長与の後でがんばっていると思えるのは神取だ。    なんてたって、参議院議員だからね。それでしっかり金を貯めて残したのも偉いね。秘書なんかは次の選挙のために金を使った方がいいとアドバイスしていたらしいけど、次の選挙に出るつもりもなく、しっかり金を残して、堅実で人生設計もしっかりしている。そういえばプロレスも堅実なスタイルだもんね。    女子プロレスラーで印象深いのがもう一人、アメリカのファビュラス・ムーラだ。俺が30歳くらいのときに、アメリカで50代の女子プロレスのチャンピオンだったのが彼女だ。    いまでこそ50歳の女子プロレスラーはいるけど、当時は珍しかったんだ。彼女をトップに20人くらいの女子選手を抱えていて、ムーラはプロモーター兼選手で、試合に女子選手を出したいときは彼女が一手に引き受けていたからね。    なかなかのやり手で、男のレスラーも気を遣っていたりするのを見て、この人は本物なんだと思ったよ。試合も見たけど、もう50代ということもあって、まあ、晩年の天龍みたいなもんだったけど。 【こちらも話題】 日本女子プロレスラー、本場アメリカのWWEで大人気なワケ https://dot.asahi.com/articles/-/102267    そして、最後はやっぱり、俺の人生に一番影響を与えたのは間違いなく女房のまき代だね。俺の三角だった性格を楕円形にしてくれた。人生を教えてくれた人だ。関西人だから話をうまく丸くまとめるのが上手だったよ。    その女房の血を受け継いだ娘も年々似てきて、まだちょっと角があるけど、もう少しすれば女房にそっくりになるよ。こんなジジイの面倒なんかみなくてもいいのに、ちゃんとやってくれているし、たまに衝突することもあるけど、俺のことを理解してくれているという意味でも、本当に感謝している。これもまき代の育て方の賜物だろうと思うよ。これが娘だからうまくやれるのかな? 息子だったらぶつかっていただろうなあ。   最後にあげる女性はやはり女房    振り返ると、今回挙げた人以外に、付き合ってきたおネエちゃんもふくめて、俺は女性でババを引いたことはないなあ。プロレスで名が売れてくるといろいろな女性も寄ってきたけど、そこはちゃんとしていたよ。うまく料理してこその一流だ!    男がちゃんと思いやりを持って付き合っていたら相手も理解してくれるし、結婚してんだったらその先、壁があるのは分かっているだろう。そこはお互い妥協をしなけりゃいけない。ねんごろになって、そこから二進も三進もいかなっくなりそうなとき、ちょうどプロレスのシリーズが始まったり、アメリカ遠征が始まったりで、連絡とれなくなったりして、うまい具合に収支がついたことも大きかったね(笑)。    まあ、女房よりもほかの誰かを選ぶことは絶対になかったよ。最近になって特に思うよ、あんないい女性をうまいこと引き当てたもんだってね。なんで結婚してくれたのか真相はわからないけど、女房はよく「初めてのデートで行ったふぐ屋で、ふぐの毒に当たって惚れちゃったのよ」と言っていたけどね(笑)。 (構成・高橋ダイスケ)
天龍源一郎プロレス相撲
dot. 2024/02/11 07:00
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鈴木涼美 鈴木涼美
二股を隠していた夫と、嫌がらせをしてきた夫の元カノが許せない! 鈴木涼美がそれでも“元カノ”に同情する理由
鈴木涼美さん  作家・鈴木涼美さんの連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」。本日お越しいただいた、悩めるオンナは……。 Q. 【vol.7】夫と、夫の元カノへの恨みが消えないワタシ(20代女性/ハンドルネーム「まつおか」)  旦那とは職場内恋愛でした。付き合って同棲を始めた二週間後、飲み会で、旦那(当時は彼氏)が同じ職場の先輩と付き合っていたことが判明。しかも一年半同棲していて、結婚の話までしていたそう。旦那を問い詰めると、私と仲良くなったことが職場で噂として広がり、彼女の耳にも入り、ブチ切れられて殴られ、置いていた荷物もハサミでほとんど粉々にされて、泥沼の末別れたとのこと。日にちにすると、私と元カノ女性の付き合っていた期間が被っているのは一日二日ですが、もともとは私が浮気相手であったことを考えるとモヤモヤします。  またその女性は、私の17歳上の40歳でかなり先輩だったのですが、私は彼女に無視や陰口、悪意のある噂を流されるなどされたことがきっかけで会社を退職しました。当時は、原因がわからないまま悪意を向けられることが辛かったし悩んでいました。そのことを旦那に相談したりもしていました。それなのに、その女性と付き合っていたことを私に隠していたことや、同棲するのが初めてと嘘をついたことを度々思い出しては腹が立ちます。なんであんな性格が悪い奴と?とも思います。妊娠したことがきっかけで結婚しましたが、許せない気持ちと信用できない気持ちが湧いてきます。どうしたら気持ちに折り合いがつけられるでしょうか? 【鈴木涼美さん出演のポッドキャストはこちら】 恋愛経験ほぼナシで死ぬのが悲しい… 作家・鈴木涼美さんがおくる“オトナ女性の恋の心得”【新連載スタート記念/前編】 https://open.spotify.com/episode/1mrpdCbnF9KA91XGpDf881 「渋谷ストリーム」でアフリカ帰りの友人とお茶をする、35歳の鈴木さん(写真:本人提供) A. 勝負に負けて退場した40歳女に免じて許してあげてほしい。  高校一年生の頃、たまたま遊んでいて知り合った他校の女子が、私と同じクラスの男子の元彼女だということが判明し、私としては「えー偶然!」という気持ちで、翌日その男子に「昨日チカちゃんって子と会ったよー! 中学時代の彼女なんでしょ?」と話しかけたところ、たまたま近くにいたその男子の彼女の耳に入ってしまい、「え? どういう子? かわいいの? どこの高校? 性格は? ギャル? 清楚系? いつからいつまで付き合ったって言ってた? 今も未練ありそうだった? なんでユウタの話になったの? まだ狙ってると思う? また会う予定ある? 今はユウタに彼女いるって知ってるの?」と詰問され、その後もその彼女はとりつかれたように「チカちゃん」について気にするようになり、そのカップルの関係性も悪くなり、結果的に私はなぜかその彼女にも「ユウタ」なる同級生男子にも恨まれたという苦い思い出があります。  全く早熟なタイプではなかった私は、当時ほとんど恋愛未経験に近く、彼女がどうしてすでに別れた「チカちゃん」をそこまで気にするのか、ラブラブだったはずのカップルがどうして元カノの名前が出たという一点で仲が悪くなるのか、皆目見当がつきませんでした。もう別れているわけだし、いつどんな原因で別れたかは知らないけれど、今の彼女と付き合っているならそっちのほうが良かったってことじゃないか、と。  その後、自分自身も人と付き合ったり喧嘩したり別れたりする中で、なんとなくそう単純に消化しきれない気持ちが分かるようになり、今振り返ればあの彼女にもユウタにも悪いことしたなぁと思っています。 【鈴木涼美さん出演のポッドキャストはこちら】 作家・鈴木涼美さんがAERA dot.編集長のお悩みを斬る! 加齢にどこまで抗うべき?【新連載スタート記念/後編】 https://open.spotify.com/episode/1I5bQ2yxL5csqn5lHydHbp  元カノって基本的に存在が腹立たしいものですが、その理由は意外と釈然としません。以前考えてみたことがあるのですが、おそらく我々も誰かしらの「元カノ」である、もしくはなったことがある、からではないかと思うのです。女にとって元カレがいかにどうでもいい存在で、ともすれば都合のいい存在であるかを感覚として知っているから、自分の男が元カノから見くびられているような気がする、ついでに彼を好きな自分まで見くびられているような気がするのではないでしょうか。  男は名前を付けて保存、女は上書き保存、なんてよく言いますが、男がいつまでも昔の恋人に対してそれなりの愛着を持っているのに対して、女は次に好きな人ができると元恋人のことなんてすっかり忘れて、「誰だっけ?」くらいどうでもよくなるというのはある意味真実だと思います。  私も別れた男のことを思い出すのは貸したお金返してもらってないわ……とかそれくらいの機会であって、基本的にどこかで幸福に生きていてくれるのが望ましいが、別に死んでいてもこれといって感想がない、くらいどうでもいい存在になっています。でも男友達なんかの話を聞いていると、この人たちは元カノに助けてと言われたら無駄な親切心と男気を発揮して助けるだろうな、と思うことがあります。  つまりヘテロ女にとって、自分の恋人の元カノというのは、助けてって言ったら助けちゃうくらいは自分の恋人が愛情を持っていて、しかし元カノのほうは自分の恋人のことなどなんとも思っていない、忌まわしい存在に感じられる、ということなのかもしれません。  そもそも恋人というのは大抵肉体的にも濃密な接触をしますから、あの人のかんだガムを拾わされて食べさせられているみたい、という気持ちの悪さもあるでしょうし、彼との復縁を狙っている気がして盗られそうという恐怖心がある場合もなくはないでしょうが、基本的にちょっと見下されている気がする、というあまり大した理由ではないところで引っかかっているのが王道なのだと思います。 【こちらも話題】 デートもセックスも女性から誘うべし? 迷える40代女性に鈴木涼美が示す“カギ”は「お節介な友人」 https://dot.asahi.com/articles/-/210712  元カノがかわいくなかったり性格が悪かったりすると、「どうしてあんな女と? 私も同類ってこと?」というムカつきがプラスされるし、逆に周囲をはらうほどの美女だったりハーバード卒の優秀な弁護士だったりすると、「彼の友人たちはどうせ前の彼女の方がいいって思ってるんだろう。きっと彼も前の彼女のほうが自慢の恋人だと思ってるんだろう」という悔しさがプラスされるかもしれません。  さて、お悩みのもとである旦那さまの元カノですが、その人と同じ年齢の私から見ると、旦那さんへの不信感や恨みと折り合いがつかない、というあなたのモヤモヤした状態よりも、当の元カノさんの状態のほうが幾分か悲惨なような気がします。  子どもができるかどうかギリギリという年齢の時に、男を若い女性にかっさらわれて、自分は自分で別れ際に相当な醜態をさらし、その動揺から恋敵の若い女性に八つ当たりまでしてしまい、ものすごい自己嫌悪と惨めさで打ちのめされているはずです。恋愛から強制退場した気分は完全に敗者でしょうし、今から彼やあなたのことを思い出しても悔しく悲しく寂しい気持ちしかないでしょう。  あなたが彼女のことで悩み、それで旦那さんとうまくいかない夜などがあったりすれば、打ちひしがれている彼女にとってはちょっとした救いになってしまうというか、ざまあみろ的な気分で憂さ晴らしの材料を与えることになります。彼女に嫌がらせをされた恨み、彼が一瞬でも彼女を良いと思ったことへの嫉妬などを晴らすとしたら、彼女の存在を完全に忘れて彼とラブラブしていることです。  そうでなくとも40歳独身はそれなりに孤独と寒さが身に染みるものですし、彼女の孤独に免じて嫌な過去のことは棚上げにして自分の手元にある幸福を噛みしめてほしいと、一人の40歳女として思います。 【鈴木涼美さんへのお悩みを募集中!】 連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」では、恋愛、夫婦、家族、仕事、友人など、鈴木さんと同世代の30~40代女性を中心に、お悩みを募集しています。ご応募はコチラから! ●鈴木さんからのメッセージ 私は結婚もしていないし子供もいないし仕事も不安定で、地べたにはいつくばって生きている感じなので、こんな風にすれば素敵な人生送れるよ!というアドバイスは何もないですが、ピンチに陥ったり崖っぷちに立ったりすることは多い日々だったので、痛み分けする気分で、気負わずなんでもお便りお待ちしてます。 【こちらも話題】 こんばん「わ」が許せない! 狭量さに悩む男性に、鈴木涼美が明かす「死んでもいい」と思わせてくれた男 https://dot.asahi.com/articles/-/211899
鈴木涼美
dot. 2024/02/06 16:00
〈受験シーズン〉東大理三合格者数トップの高校は? 「学校教材のみで合格」に「入学辞退者」“ハンパない”天才列伝
〈受験シーズン〉東大理三合格者数トップの高校は? 「学校教材のみで合格」に「入学辞退者」“ハンパない”天才列伝
東大本郷キャンパスの赤門  大学受験が本格的なシーズンに突入した。過去に話題となった記事を再配信する。(この記事は、2023年3月4日に配信した内容の再配信です。肩書、情報等は当時) *   *   *  日本でもっとも優秀な高校生が入学するといわれる東京大学理科三類。過去60年間で、合格者数トップになった回数が最も多かった高校はどこか。また2022年、初めて1位になった女子校は――。教育ジャーナリストの小林哲夫さんが、理三に合格した「天才」たちのエピソードとともに、過去の合格高校のデータを振り返る。※『改訂版 東大高校合格盛衰史』(光文社新書)から一部抜粋  2022年、東大理三合格者1位は桜蔭だった。同校初、そして初めての女子校トップである。  温故知新。  いまから60年前の1963年はどうだったのだろうか。ランキングを作ってみた。  1位日比谷、2位灘である。同年の東大全体のトップは日比谷で168人、翌年の1964年には193人の合格者を出している。日比谷の全盛期だった。  63年理三合格者92人の出身校は、公立63人、国立10人 私立19人となっている。地方の公立高校が勢いがあった時代である。なお、このとき、いまの理三合格上位常連校の開成、桜蔭が登場していなかった。  2022年、東大理科の合格最低点は理一303点、理二287点、理三348点だった。東大入試では1点のあいだだけで優秀な受験生がひしめいている。同じ東大でも、理三との差が理一で45点、理二で61点だから、これは天文学的な数字のように見えるようだ。東大で他の科類からすれば理三は別世界であり、天才、秀才的な地頭をさらにハンパない努力で鍛えないと受からない、と言われている。実際、駿台予備学校、河合塾の東大模試上位成績者は理三志望者で埋め尽くされる。上位60人ぐらいはそのまま理三合格者となってしまう。  理三に日本でもっとも成績が良い高校生が入る。最先端研究に取り組む、医療現場で命と健康を守るという強い志を持って受験するのが大半だろうが、灘高校の元教員によれば、自分の頭の良さを証明するために理三を受けた。入学後も駿台の東大模試を受けて頭の良さを確かめる者もいたという。   理三は62年から募集を開始した(それ以前は理一、理二から受験して医学部へ進学)。理三合格史60年からエピソードをいくつか紹介しよう。  70年代半ば、宇都宮高校の「進学資料」に理三合格者に記録が残っている。「一年から群を抜いた実力を発揮し、校外模試においても全国の中で常に最上位にあった。一年時から毎日五時間の勉強を確保し、(略)休み中は各教科あわせて十二時間の勉強をした」(『宇都宮高校百年誌』、79年)。87年、大学入試センターは、「共通一次試験のトップは地方の現役の女子高生で792点(800点満点)」と発表した。該当者が1人いた。富山県立富山中部高校の女子生徒Yさんである。彼女は東大理三、京大医学部に合格した(当時はダブル受験が可能)。  02年、山形東から理三合格のKさんは浪人生活が長かった。「僕ほどふざけた人間もいないでしょう。なんせ、7浪ですから。なかなかできることじゃありません」(『天才たちのメッセージ 東大理III 2002』 エール出版)。  04 年、土佐塾高校出身のHさんは現役で理三合格したが入学を辞退。後期試験で京大理学部を受けて合格し入学した。Hさんは中学受験で灘、愛光に受かったが土佐塾へ進む。高校2年、3年の時、数学オリンピックに出場。3年で銀賞(上位4分の1)を獲得する。Hさんはこう話す。「申し訳ないんですが記念受験というやつです。(略)これからは存分に数学の研究をやっていくつもりです。理IIIに合格された人たちも頑張って医学の道を進んでください」(『天才たちのメッセージ 東大理III 2004』)。  08年、盛岡第一から現役で2人が合格した。うち1人、Eさんが語る。「学校がすごく力を入れて指導してくれましたから、ほとんど学校の教材を使って勉強していました」(『天才たちのメッセージ 東大理III 2008』)。東大合格校御用達の鉄緑会もENAもない地方公立高校の理三受験生にとってこれほど勇気づけられることはない。  理三女子二題。13年、豊島岡学園女子出身のAさんが15年に準ミスユニバースに、18年、岡崎高校から入学したWさんがミス日本準グランプリに選ばれた。2000年代以降、理三の女子比率は文一を凌ぐようになる。 改訂版 東大合格高校盛衰史(小林哲夫著)  そして、22年理三合格者高校1位は桜蔭高校だった。13人を数え桜蔭初、女子校で初のトップとなる。同校出身のIさんは鉄緑会で桜蔭OGの教えを受けていた。そのOGも桜蔭に在学中は鉄緑会に通い桜蔭OGに面倒をみてもらったという。こう話す。「桜蔭と鉄緑会、そして理IIIというバトンがそうやって受け継がれているような気がするので、私もそうやって誰かの目標になれれば嬉しいな、と思っています」(『天才たちのメッセージ 東大理III 合格の秘訣◯37』)。桜蔭、鉄緑会、理IIIという黄金のトライアングルは長く続きそうである。中学受験を含めれば、これにSAPIXが加わるはずだ。  62年から22年までの理三合格者の出身校、合格者数の累計は、設置別に国立大附属13校680人、公立284校1325人、私立152校3352人。合格者数累計の上位校は (1)灘798人(13・1人)、(2)開成396人(6.5人)、(3)筑波大附属駒場362人(5.9人)、(4)ラ・サール329人(5.4人)、(5)桜蔭181人(3.0人)だった(カッコ内は1年平均に換算)。公立高校は、(1)日比谷41人、(2)戸山36人、(3)湘南34人、(4)西33人、(5)旭丘33人。  理三合格トップになった回数がもっとも多いのは、灘43回、開成7回、筑駒4回、ラ・サールと麻布3回、日比谷2回。そして、1つの高校から理三に多く合格者を出したのは、13年の灘だった。27人を数える。灘は81、87年にも24人が合格している。一方、地方の公立高校でふだんは東大に多くの合格者を出していないが、理三合格者を出した学校がある(以下、カッコ内は所在地・合格者を出した年)。倶知安(北海道・64年)、熊毛南(山口・71年)、三島(愛媛・94年)、天草と八代(熊本・66年)、臼杵(大分・88年)、錦江湾(鹿児島・84年)などだ。  少子化は理三に人材を送りだした学校も容赦しなかった。自治体の方針で隣接高校との再編で廃校となった理三合格校がある。千歳(東京・63年)と明正(同・66年)は統合して芦花、長後(神奈川・98年)は藤沢北と統合して藤沢総合、日和佐(徳島・97年)は海南と宍喰商業の2校と統合し海部となった。  東大医学部には推薦で入学できる。ただ、当然その要件は厳しい。「高い基礎学力」「自然科学の領域においてきわめて高い能力」あるいは「非常に優れた語学力」が求められる。そのため、国際科学オリンピック(数学、物理学、化学、生物学など)で「顕著な成績を挙げ」たこと、または「きわめて高い英語の語学力(TOEFL iBT100点以上あるいはIELTS 7点以上に相当する英語力)及び豊富な国際経験」を証明する資料を提出しなければならない。  推薦入試に合格した西大和学園高校の生徒は、選考に挑む際の準備について、次にようにふり返る。「志願書は英語力をアピールするために英語で書き、私は理科系オリンピックの受賞歴がないので、英語力と国際経験の方面で出願。英語力はTOEFL iBTで114点を取った証明書、国際経験を示す資料として、シンガポールの生活やワールド・スカラーズ・カップでの経験をまとめました」(『天才たちのメッセージ 東大理III 合格の秘訣35』)。理三(東大医学部)には日本でもっとも優秀な頭脳が揃う。だが、ノーベル賞受賞者は出していない。それゆえ、しばしば記憶力抜群だが創造性に欠ける頭でっかちと冷ややかな評価がなされ、理三の選抜方法、合格者の資質、大学教育のあり方が問われる。そんな批判をはね返す活躍をしてほしい。 (教育ジャーナリスト・小林哲夫) ※『改訂版 東大合格高校盛衰史~1949年~最新ランキング徹底解剖』(光文社新書)から抜粋
東大
dot. 2024/02/02 17:00
能登半島地震で液体ミルクの出荷量2倍 高まるニーズも世田谷区や渋谷区で備蓄していない理由とは
米倉昭仁 米倉昭仁
能登半島地震で液体ミルクの出荷量2倍 高まるニーズも世田谷区や渋谷区で備蓄していない理由とは
明治(左)と江崎グリコの液体ミルク=千葉県船橋市の「アカチャンホンポ ららぽーとTOKYO-BAY店」、米倉昭仁撮影    元日に発生した能登半島地震の後、調乳の必要がなく、赤ちゃんにすぐに飲ませられる乳幼児用液体ミルクへの関心が高まっている。乳業・製菓大手の明治と江崎グリコによると、昨年の同時期と比べて出荷量は2倍超に。被災地以外でも備蓄の需要が伸びていると見ている。国内での販売が始まって5年。自治体での備蓄も広がっている。 *   *   *  粉ミルクは、飲めるようにするのにお湯が必要だが、液体ミルクは常温で保存でき、水で薄める必要がない。哺乳瓶に注げば、すぐに赤ちゃんに飲ませることができ、液体ミルクの容器に吸い口を取り付ける防災用のキットも発売されている。  国内では2016年の熊本地震の際、フィンランドから液体ミルクが提供されたことをきっかけに、液体ミルクの必要性を求める声が一気に高まった。18年に製造・販売が解禁され、翌年3月に江崎グリコと明治がそれぞれ液体ミルクの発売を始めた。 「今回の能登半島地震では、ライフラインが寸断されました。水や電気、ガスがないと、粉ミルクを溶かすための清潔なお湯が手に入らない。そうすると、粉ミルクだけで育てられている赤ちゃんにとっては、本当に命に関わる問題になります」  と、江崎グリコ乳業事業部の横山桃子さんは言う。   「防災備蓄」の意識がネックに  液体ミルクの販売が始まって5年。液体ミルクを備蓄する自治体は、着実に増えている。     東京都墨田区が防災備蓄として保育園に保管している液体ミルク=東京・墨田区立おむらい保育園、米倉昭仁撮影    昨年、明治と日本気象協会が実施した「災害時における授乳環境の整備、および備蓄状況に関する実態調査(全国自治体備蓄状況調査)」によると、液体ミルクを備蓄する全国の自治体は、20年の調査では12.3%だったが、23年は47.5%と大きく増加した。  それでも液体ミルクの使用量は、諸外国と比べると少ないままだ。日本市場における乳児用ミルクの割合は、粉ミルクが98%を占めるのに対して、液体ミルクは2%でしかない(容量ベース、22年のテトラパック調べ)。しかし、フィンランドは液体ミルクが92%、イタリアやベトナムは40%ほどになる。トルコでは28%。モロッコでも16%だ。  たしかに粉ミルクより液体ミルクのほうが製造工程が複雑なうえ、水分の量だけ重量が増して輸送コストがかかる。比較的安価のため、多くの国で粉ミルクが主流ではあるが、日本で使われる液体ミルクの少なさは際立っている。それはなぜなのか。  江崎グリコの横山さんは、 「熊本地震をきっかけに知られた液体ミルクということで、防災備蓄であったり、お出かけのときに使うという認識がお客様に強くて、日常的な育児で使う方がまだまだ少ないという状況です」  と説明する。    昨年、0歳から1歳半の幼児を持つ親1500人を対象にした明治の調査によると、同社のミルクを使っている割合「現在使用率」は粉ミルクが19%、液体ミルクは16%とそれほど大きな差はなかった。ところがメインで使用している割合「主購入率」は粉ミルクが15%、液体ミルクは1%と、大きく異なっていた。 「つまり、液体ミルクを使用されている方はかなり多いのですが、利用される頻度が少ない、というのが今の液体ミルクの実態です」  と明治の乳幼児・フェムニケアマーケティング部の江原秀晃さんは言う。     【こちらも話題】 「1人2個ずつね」とナプキンを配る男性に絶句 「被災地で生理用品はぜいたく」の意識はなぜ変わらないのか https://dot.asahi.com/articles/-/212114      同社の液体ミルクの用途は、「お出かけ」が93%、「防災備蓄」が81%、「日常の利用」が13%、「深夜の授乳」が9%だった。 「ただ、液体ミルクを発売して2年ほどは『備蓄』がトップでしたが、年々、それ以外の用途の数字が上がっています」(江原さん)  普段から液体ミルクを飲み慣れていない赤ちゃんだと、いざ災害が発生した際に嫌がって飲んでくれない可能性があるという。 「そうなってしまうと困るので、例えば1カ月に1回、液体ミルクを飲む機会をつくって練習しておくことが大切だと思います。それによって安心度が増すでしょう」   廃棄ロスをなくす工夫  一方、全国自治体備蓄状況調査によると、液体ミルクを備蓄する自治体は増えているが、まだ半数以上の自治体は備蓄していない。その理由として最も多いのが、「賞味期限などが短く廃棄ロスの懸念がある」(75.2%)だ。  全国でいち早く、19年夏に液体ミルクの備蓄を始めた自治体の一つが東京都文京区。災害時に「妊産婦・乳児救護所」を開設する日本女子大など、4つの大学で保管している。 「さらに区立保育園にも備蓄しています。今、一番賞味期限が長い製品は1年6カ月ですが、それを購入して、期限が近づくと保育園や小中学校の給食用として調理加工して利用し、そのぶんを買い足しています」(文京区危機管理室防災課)  江東区では、液体ミルクの廃棄ロスを解消するめどがついたことから、来月から液体ミルクの備蓄を開始する。 「最初の12カ月間は区で備蓄して、それを過ぎたものは保育園等で活用いたします」(江東区防災課)  内閣府と厚生労働省は、賞味期限が間近になった液体ミルクを防災訓練や啓発活動で、正しい使用方法を説明したうえで活用することも推奨している。     鉄道の高架下に設置された防災備蓄倉庫。温度管理上、液体ミルクの保管は難しいという=東京都墨田区、米倉昭仁撮影   炎天下の防災倉庫では無理  ちなみに現在、都内で液体ミルクを備蓄していないのは、足立区、板橋区、渋谷区、世田谷区、台東区、千代田区だ。  その理由を渋谷区に尋ねると、「やはり、一番大きな理由は賞味期限の短さです。そのため、粉ミルクを優先して備蓄しています」(防災課)。  一方、ほかのすべての区で共通する理由は、「保管場所が確保できない」だった。 「液体ミルクは『液体』なので、『粉』に比べてものすごく場所をとる。備蓄品の優先順位があるなか、そこが一番のネックになっています。スペースが確保できたら、母子等を受け入れる福祉避難所から優先的に液体ミルクを置くなど、検討中です」(世田谷区災害対策課)  さらに保管場所の温度も課題となる。 「理想的には常温(15~25度と規定)、現実的には30度を頻繁に超えない環境で保存をお願いします」(明治の江原さん)  昨年10月から液体ミルクの備蓄を開始した墨田区では「どこに保管すれば大丈夫か、担当者がすごく悩んだ」という。 「東京では昨年、最高気温が35度を超える猛暑日の日数は20日を超えました。備蓄倉庫内は、それ以上の温度になってしまう。公立系保育園の園長会でお話をさせていただいて、液体ミルクを園の冷蔵庫で保管することを了承していただきました」(墨田区防災課)     【こちらも話題】 「1人2個ずつね」とナプキンを配る男性に絶句 「被災地で生理用品はぜいたく」の意識はなぜ変わらないのか https://dot.asahi.com/articles/-/212114      しかし、冷たい液体ミルクを赤ちゃんに飲ませても大丈夫だろうか。 「赤ちゃんに5度の液体を飲ませても、低体温となるようなレベルではないことが論文などで確認されています。ただ、1~2割の赤ちゃんは冷たいと飲まないとか、嫌がるというご意見をいただいております」(明治の江原さん)  避難所などで液体ミルクを湯煎できない場合、同社は「使い捨てカイロ」を液体ミルクの容器に当てて温める方法を推奨している。  液体ミルクそのものは無菌状態だが、使い終わった吸い口やアタッチメントは哺乳瓶と同様に消毒する必要がある。  消毒が困難な状況であれば、清潔な紙コップに液体ミルクを注いで赤ちゃんに与える。この「カップフィーディング」はある程度の慣れが必要なので、日頃から練習しておけば、災害時でも落ち着いてミルクをあげられるだろう。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)   【こちらも話題】 能登半島地震「半島」ゆえの支援の難しさ 普通なら1時間で行けるところに5時間も https://dot.asahi.com/articles/-/211538  
能登半島地震災害防災
dot. 2024/01/28 10:00
愛子さま「社会人としてのお手本は、ティアラをお借りしているサーヤ」 日本赤十字社勤務と研究者への道しるべ
永井貴子 永井貴子
愛子さま「社会人としてのお手本は、ティアラをお借りしているサーヤ」 日本赤十字社勤務と研究者への道しるべ
新年のあいさつのため、ティアラとローブデコルテの正礼装で仙洞御所に入る愛子さま=1月1日、東京都内    天皇、皇后両陛下の長女愛子さまが、学習院大卒業後の4月から、日本赤十字社(東京・港区)に嘱託職員として勤務することが内定したと、宮内庁が発表した。大学院や留学で専門分野を学び続ける皇族が多いなか、古典への学びを深めている愛子さまの「研究」はどうなるのか。しかし、公務とともに学びを続ける皇族方は、これまでも数多くいる。 *   *   * 「当面は、4月からの日赤での勤務に慣れることや、出席される公務の準備等でお忙しいでしょうから、他のことをおやりになる時間はほぼないのではないかと思います」  そう話すのは、元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんだ。  愛子さまは今春に学習院大を卒業し、4月からは嘱託職員として日赤で勤務する。勤務日について日赤本社広報室は、 「ご公務等の状況をみながら対応していくことになろうかと思います」  と答えており、日赤での仕事とあわせ、公務への準備も進んでいるようだ。    一方で、大学院や海外留学などで専門分野の研究を深める女性皇族も増えたことから、愛子さまも留学か大学院への進学を選択するだろうとみられていた。それだけに日赤への就職内定を、世間は驚きをもって見つめた。  そもそも昭和の時代の内親王や女王は、留学はもちろん大学などを卒業して皇族として働くことはほぼなかった。卒業してまもなく結婚していたからだ。  労働の対価として給与を得た初の女性皇族は、「サーヤ」と呼ばれて慕われた、上皇ご夫妻の長女、黒田清子さん(54)だ。  そして女性皇族の海外留学が増えたのは、平成の半ばあたりからだ。     【こちらも話題】 愛子さま「内からにじむ品の良さ」はサーヤと共通 2人の内親王が国民から慕われる理由 https://dot.asahi.com/articles/-/205156     京都産業大で講演し、「やらないで後悔するより、やって後悔するほうがいい」と若者たちに語りかけた故・寛仁親王の長女彬子さま=2017年7月、京都市の京都産業大   初の博士号を取得した女性皇族は彬子さま  海外の大学で本格的な研究に打ち込み、博士号まで取得したのが、三笠宮家の故・寛仁さまの長女の彬子さま(42)だ。  学習院大在学中の2002年に英オックスフォード大に短期留学し、さらに04年から同大で日本美術などを6年間にわたって研究、10年に哲学の博士号を取得した。  論文審査を経て博士号を取得した皇族は、秋篠宮さまに続き2人目で、女性皇族としては初めてのことだった。  帰国後は、関西にも拠点を確保し、日本の伝統文化を伝える一般社団法人「心游舎」の総裁として全国で活動。京都産業大や京都市立芸術大、立命館大、国士館大や国学院大などで客員教授や特別招聘教授、研究員などを務める活躍ぶりだ。     全国高校生手話パフォーマンス甲子園で、手話を交えてあいさつする佳子さま。佳子さまも手話という専門分野を熱心に学んでいる=2022年9月、鳥取県倉吉市    次女の瑶子さま(40)は、学習院女子大を卒業したのち、日赤に嘱託職員として勤務。 「嘱託職員ながら、週5日の常勤と、腰を据えて働いておられたそうです。勉強に熱心なご姉妹であったと聞いています」(元宮内庁職員)  高円宮家の承子さま(37)は、英エディンバラ大での約4年間の留学などを経て、13年から日本ユニセフ協会に就職。いまも勤務を続けており、東ティモールやスイスなどへの出張もこなすベテラン職員だ。  高円宮家の三女の守谷絢子さん(33)も、カナダの大学で留学を経験。城西国際大学大学院で、子どもや高齢者の福祉を学び、同大福祉総合学部研究員として、学生の部活動なども指導してきた。  秋篠宮家の長女小室眞子さん(32)は、英中部レスター大学大学院の博物館学研究科で1年学び、結婚するまでは東京大学総合研究博物館の特任研究員として週3回ほど勤務を続けた。  次女の佳子さま(29)も、英中部のリーズ大で舞台美術などを1年間学んだ。いまは、全日本ろうあ連盟で非常勤嘱託職員として勤務をしながら、多忙な公務をこなす日々だ。     【こちらも話題】 「雅子と訪れたい」と天皇陛下が願う英オックスフォード ランドリールームを泡だらけにした若き日 https://dot.asahi.com/articles/-/194984     「百人一首」の現存する最古の写本を閲覧する愛子さま。宮内庁の書陵部は、こうした貴重な文献を持つ=2023年12月、宮内庁書陵部庁舎、宮内庁提供   参考になるのは、「皇女」であったサーヤ  愛子さまは、新型コロナへの対応や災害救護活動に関心を深めるなかで、「少しでも人々や社会のお役に立つことが出来れば」と日赤で働くことを選択したという。  愛子さまといえば、古典への造詣が深いことで知られている。  大学では平安時代から明治時代の古典や文学、和歌などを学び、愛子さまが昨年12月に提出した卒業論文は、「中世の和歌」についてのものだった。   22歳の誕生日には、「むし双六の和歌」や「百人一首」などに熱心に見入る愛子さまの映像が公開されている。現存する最古の写本である古典籍は、宮内庁書陵部の資料だ。  1月の新年の宮中行事「歌会始の儀」では、中世の和歌が千年の時を経て現代に受け継がれていることへの感銘を和歌に詠んでいる。    幾年(いくとせ)の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ     「ユニセフ・キャラバン・キャンペーン」で、子どもにやさしい空間づくりを目指す研修で進行役を務める高円宮家の長女、承子さま(左から2人目)=2015年5月、和歌山市    就職の後、愛子さまの研究はどうなるのか。  参考になるのは、同じ天皇と皇后の「皇女」であった黒田清子さんのキャリアだろう。愛子さまが清子さんのティアラを借りているのも、ご身位の格が相応しかったためとみられる。  学習院大では、愛子さまと同じ国文学科(現・日本語日本文学科)で古典を学んだ。和歌に高い素養を持ち、大学の卒業論文は「八代集四季の歌における感覚表現について」だった。  ボランティアや自然保護にも取り組み、盲導犬育成など福祉への関心も高かった。しかし、非常勤研究員として就職したのは千葉県にある山階鳥類研究所。結婚後も客員研究員などとして鳥類の研究を続け、17年には、『山階鳥類学雑誌』に「皇居の鳥類相」について足かけ5年分の報告書が掲載された。  玉川大学教育博物館の外来研究員としても研究を続け、19年には、清子さんが企画した鳥類図譜の特別展が東京芸術劇場(豊島区)で開催された際には、上皇ご夫妻を案内するというほほえましい場面もあった。     【こちらも話題】 愛子さま21歳 宮中祭祀と古典文学に関心をお持ちの内親王 期待される黒田清子さん以上の活躍 https://dot.asahi.com/articles/-/13950     黒田慶樹さんとの結婚にあたり、「朝見の儀」に臨む黒田清子さん。このティアラは現在、愛子さまが着用している=2005年11月、皇居・宮殿「松の間」   皇居の内外で研究を続ける皇室メンバー  清子さんのキャリアを見ても、大学院への進学や留学を選択しないからといって、愛子さまの学びや研究が止まるわけではない。  22歳の誕生日映像で、愛子さまが現存する最古の写本である古典籍を読んでいた通り、宮内庁には貴重な文献を持つ書陵部や国宝・重要文化財に指定された美術工芸品を所蔵する三の丸尚蔵館もある。  上皇さまは、皇居内にある生物学研究所に現在も週に2回通ってハゼの研究に取り組み、愛子さまの父である天皇陛下は水問題の研究者として、海外や大学などでも講演をしている。  ニワトリなど家禽(かきん)類の研究に取り組む秋篠宮さまも、山階鳥類研究所をはじめとするさまざまな団体や学者と交流を続けながら、研究を重ねている。  秋篠宮家の長男で、筑波大学附属高校2年生の悠仁さまも、11年間のトンボ類を他の研究者らと共同でまとめた論文、「赤坂御用地のトンボ相」が、国立科学博物館が発行する研究報告誌に掲載されて話題を集めたばかりだ。    先の山下さんはこう話す。 「4月からは日赤の仕事と公務の両立となり、軌道に乗るまでは大変だと思います。関心を持ってこられた古典文学の研究を続けられるのかどうかはわかりませんが、宮内庁には書陵部もありますし環境としては問題ないでしょう。無理は禁物ですが、古典文学の研究も続けていただきたいですね」  また、宮内庁OBのひとりは、清子さんが企画の段階からたずさわった特別展を上皇ご夫妻に案内したように、日赤で働く愛子さまが福祉や災害救助、感染予防といった分野での専門性を高めて、両陛下にご説明や案内をする光景を目にする機会があるかもしれない、とも期待を寄せる。 「いずれにせよ、社会人としてのご経験は、公務や今後のご本人の人生に役に立つでしょう」(山下さん)  愛子さまが、ご自身の意思で踏み出した新たな一歩は、愛子さまにとって実り豊かな人生をもたらしてくれるに違いない。 (AERA dot.編集部・永井貴子)   【こちらも話題】 「愛子さまがご両親を支える」と宮内庁OB 日本赤十字社勤務と公務の両立がいよいよスタート! https://dot.asahi.com/articles/-/212197  
愛子さま佳子さま悠仁さま秋篠宮さま皇室
dot. 2024/01/28 09:00
549人が選んだ「次の首相になってほしい女性政治家」ランキング 1位は高市氏、2位に浮上した“ダークホース”とは?
大谷百合絵 大谷百合絵
549人が選んだ「次の首相になってほしい女性政治家」ランキング 1位は高市氏、2位に浮上した“ダークホース”とは?
アンケートでトップとなった高市早苗氏    最新のANNの世論調査(1月20、21日実施)では、岸田内閣の支持率は20.4%と政権発足以降最低となった。政府・与党は26日にも通常国会を召集する見込みだが、自民党の裏金問題などへの岸田文雄首相の対応には党内からも公然と不満の声が上がっており、首相の求心力は急降下している。AERA dot.が昨年12月に実施した「次の首相にふさわしい政治家ランキング」では石破茂氏がトップとなったが、「女性がトップになって今の政治を一新してほしい」という声も少なくなかった。そこで、今回はアンケートの第2弾として“女性政治家編”を実施。ランキングには意外な“ダークホース”の名前も浮上した。 *  *  *  年末年始(12月26日~1月3日)にAERA dot.がネット上で実施したアンケート「『次の首相』は誰が良い?~女性政治家編~」には、549件(男性357件、女性172件、その他・無回答20件)の回答が寄せられた。設問は2問で、「与野党を問わず、次の首相としてふさわしいと思う女性政治家は誰か」「その政治家を選んだ理由」をそれぞれ記述式でたずねた。    10位の福島瑞穂氏(社民)から5位の辻元清美氏(立憲)までは、主に野党の女性政治家の名前が並んだ。6位には、18日に共産党の新委員長に就任した田村智子氏の名前もある。5位の辻元氏に対しては、「発言に鋭さや明快さとともに温かさも感じる」「汚い事に『ノー』と言える、庶民派です」など、生活者目線のスタンスを支持する声が目立った。   トップ3はすべて「自民系」  4位となったのは、東京都知事の小池百合子氏。最近も1.6兆円規模の少子化対策や、2024年度からの高校や都立大学の授業料実質無償化など、都知事として多くの目玉政策を掲げてきた小池氏には、「コロナ対策でも早い対応をしてくれたし、東京独自の支援対策もしてくれている」「アイデアがある、実現可能な政策を出し現実的だ」「国会議員よりも対応が早い」などと、実績ベースで評価するコメントが多かった。 4位に入った小池百合子東京都知事    一方、トップ3は「政府・自民党系」の政治家で占められた。  3位にランクインしたのは、小泉内閣で外務大臣を務め、「外務省は伏魔殿」など数々の“真紀子節”が注目を集めた田中真紀子氏(元自民党)。80歳となった現在はすでに政治の表舞台からは退いているが、アンケートでは「従来の政治家ではできない構造改革、税金の無駄の削除が可能だと思った」「確信をついたことをストレートに発言する。狡猾な印象がない。世論の支持があれば日本の政治を変えられる予感がする」などと、“変革”を期待するコメントが多数寄せられた。 元外相の田中真紀子氏    現役からは退いた田中氏になぜこれほど期待が寄せられるのか。政治ジャーナリストの安積明子氏は「まさに、今の政治に辟易(へきえき)している時代のムードの表れ」と見る。 「現状を打破してくれる“壊し屋”が待ち望まれているのでしょう。回答した人も、今は議員でもない田中さんが、これから本当に日本の総理大臣になるとは思っていないでしょうが、裏金問題をはじめとした自民党の闇にもズバッと切り込んでくれそうな存在として、真っ先に頭に浮かんだのだと思います」 意外?2位にランクインした上川陽子氏   2位に入った政治家は「鉄の女」の異名  2位に名前があがったのは、63票を集めた現外務大臣の上川陽子氏(自民党)。上川氏といえば、2018年7月、麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚をはじめオウム真理教の元幹部13人の死刑執行を命じたことで知られ、“鉄の女”の異名をとる。  アンケートのコメントには「法務大臣としての実績や、国際会議等で臆せず堂々とされている姿から」「英語に堪能で、胆力があり、世界のリーダーに伍していけそうだ」など、安倍内閣・菅内閣時代に務めた法務大臣、そして現在の外務大臣としての政治能力を高く評価する声が多く上がった。  前出の安積氏は、上川氏について「ハーバードの大学院に留学していただけあって、義理人情を重んじるというよりは、アメリカ的なドライさで職務を淡々とまっとうする政治家」としたうえで、こう語る。 「上川さんは、カトリック系女子中高一貫校の出身。カトリックは死刑反対の立場をとっており、過去には死刑執行命令を拒否した法務大臣もいるなか、(オウム真理教元幹部の死刑執行は)思い切ったなと感じました。ただ、自分の職務を果たす胆力がある一方で、自分の国家観を積極的に発信する姿は、あまり見受けられません。言われたことを忠実にこなすという意味で、どこか官僚的な印象も受けます」  アンケートでも「冷静沈着な判断力がある」「安定していて、理論的」などと堅実ぶりを評価するコメントが多く、政治不信が蔓延している今、“やるやる詐欺”ではない確かな実行力が、稀有な魅力に映るのかもしれない。 高市早苗氏   高市氏はダブルスコアでトップ  そして2位にダブルスコア(121票)をつけてトップとなったのは、経済安保担当大臣の高市早苗氏(自民党)だった。  票を入れた人のコメントを見ると、「強い日本に導いてくれそう」「既得権益軍団と戦ってくれそう。世襲議員にはない厳しさを持っている」「国を想う強さが伝わるからこそ、領土問題について他国と戦える政治家は高市さんしか考えられない」などと、国力・国益を重視する一貫した姿勢や、パワフルな政治手腕を評価する声がずらりと並んだ。  安積氏も、「目先の問題意識だけでなく、50年後、100年後の日本のビジョンを示せる数少ない政治家の一人」と話す。  およそ10年前のことだが、安積氏が高市氏の先見の明を垣間見たというエピソードがある。当時、日本のサイバー防衛体制は世界に後れを取っており、他国からのハッキングなどの脅威に見舞われていた。そんな中、高市氏は「情報セキュリティー問題はライフワークにしたい」と、いち早く問題意識を口にしていたそうだ。  また高市氏は、官僚が作った答弁資料に自ら筆を入れることでも知られており、安積氏は「自分の言葉で説明できる発信力を備えている点でも、首相の器はあると思います」と評価する。   女性議員の背後にいる“オジサン”たち  アンケートでは数多くの女性政治家の名前が上がったが、次の首相として最も現実味がある人物は誰なのか。安積氏は「順当にいけば高市氏」と即答した。 「即戦力という意味では高市さん一択です。ただ、なにせ自民党は“オジサン社会”なので、男性を押しのけて前に出るような女性は足を引っ張られる可能性がある。逆に、上の意向に忠実な上川さんは、同じ岸田派の男性議員たちにとって都合の良い存在。岸田政権がいよいよダメになったら、顔をすげかえて上川政権を擁立するのは、現実的な一手です。ただ、その“顔”の背後には、二人羽織のように、たくさんのオジサンたちが控えて腕を伸ばしている姿が容易に想像できます」  日本初の女性首相が誕生し、リーダーシップを発揮できる日は、一体いつ訪れるのだろうか。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵)
高市早苗女性政治家ポスト岸田
dot. 2024/01/26 07:00
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