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悠仁さま17歳に 紀子さまの優しい母の眼差しから父子で初の地方公務まで【写真で振り返る】
悠仁さま17歳に 紀子さまの優しい母の眼差しから父子で初の地方公務まで【写真で振り返る】
9月6日17歳になられた秋篠宮家の長男悠仁さま   秋篠宮家の長男悠仁さまが9月6日で17歳になられた。一年前に宮内庁ホームページに掲載された「悠仁親王殿下16歳のお誕生日に当たり」によれば、筑波大付属高校ではバドミントン部で積極的に活動されているそうだ。部活や学業に励みながら、夏には秋篠宮さまと初の地方公務も経験された。そんな悠仁さまの誕生からこれまでを写真で振り返る。   *  *  * 【おくるみにくるまれた悠仁さま】 2006年9月15日、秋篠宮さまに付き添われ、愛育病院を退院する紀子さまと悠仁さま 代表撮影   2006(平成18)年9月6日 午前8時27分に悠仁さまが誕生。出生時の身長は48.8センチ、体重は2558グラムだった。   皇族の男子の誕生は父である秋篠宮さま以来、40年9カ月ぶり。実に約41年ぶりの男の子の誕生に日本中は大いに沸いた。   9月15日に愛育病院(港区)を母子で退院し、おくるみにくるまれた悠仁さまが初お目見えとなった。紀子さまが選ばれた産院は愛育病院で、皇室において、天皇一族の出産で皇居内産殿、宮内庁病院ではない場所が使用されるのは史上初めてだった。         【1歳の悠仁さまはお姉さまたちと】 2007年秋篠宮邸で眞子さま、佳子さまと遊ぶ悠仁さま 宮内庁提供   07年、悠仁さまは姉の秋篠宮家の長女眞子さま、次女佳子さまの見守る中、ちょこんとお座りをしてかわいい笑顔を見せる。   お誕生日に際して、宮内庁が発表する悠仁さまのご近影には、このときのようにお姉さまたちとの写真が定番。   【皇室の人気記事はこちら】 雅子さまご静養先でも別格のコミュニケーション能力 「テントは?」 天皇陛下へひと言アシスト https://dot.asahi.com/articles/-/200116   【ピカピカの1年生の悠仁さま】 2013年4月7日、悠仁さま入学式で校歌が刻まれた石碑の前で記念撮影におさまる秋篠宮ご夫妻と悠仁さま 代表撮影   悠仁さまはお茶の水女子大学附属幼稚園を卒園後、13年4月にお茶の水女子大学附属小学校へ入学された。現行の皇室典範の下で皇族が学習院初等科以外の小学校に入学するのは初めてのことだった。   ちょっぴり大き目に見える制服が初々しくかわいらしいピカピカの1年生だ。秋篠宮ご夫妻にも笑顔があふれる。   【悠仁さまの最新記事はこちら】 まもなく17歳の悠仁さま ちぎり絵から精巧な模型づくりへ、成長が伝わる「文化祭」の作品 https://dot.asahi.com/articles/-/198542     【初の海外訪問はブータンへ。和服姿で】 2019年8月、ブータンのワンチュク国王を表敬訪問するため、タシチョゾンに入る秋篠宮ご夫妻と長男の悠仁さま 代表撮影   19年8月16日から8月25日までブータンを秋篠宮ご夫妻とともに私的旅行という形で訪問された。もうすぐ13歳になられる中学1年生の悠仁さまにとって初の海外訪問だった。   秋篠宮ご夫妻とともにブータンのワンチュク国王を表敬訪問された悠仁さまは、羽織袴姿がりりしい。いまでは珍しい和装ショットだ。   【筑波大付属高校入学、抱負を語る】 2022年4月9日、筑波大付属高校の入学式を前に、新生活への抱負を語る秋篠宮家の長男悠仁さま 代表撮影   お茶の水女子大学付属中学校を経て、筑波大付属高校に進学。22年4月9日、入学式に臨む前に、記者たちの前で新生活の抱負を語られた。   ちょうど1年前の9月6日に宮内庁ホームページに掲載された「悠仁親王殿下16歳のお誕生日に当たり」によれば、悠仁さまは「高校生活をのびやかに楽しんでおられる」そうだ。   部活はバドミントン部で、先輩やコーチのアドバイスのもと基礎トレに励み、学校以外では、トンボの研究、野菜や稲の栽培をしているそうだ。 【併せて読みたい】 佳子さまの海外公式訪問が「ペルー側にとって喜ばしい」理由 小室眞子さんと経由地で会う可能性は?https://dot.asahi.com/articles/-/199664 【初めての地方公務は父子で】 2023年7月、秋篠宮さまと鹿児島県立曽於高校を訪問した悠仁さま 代表撮影   悠仁さまは、この夏7月29日から1泊2日の日程で、鹿児島県を訪問された。秋篠宮さまと一緒に全国高校総合文化祭の総合開会式に出席するのが目的で、初めての地方公務になった。   初めは緊張からか、父である秋篠宮さまの様子をちらりと見ることもあったが、同年代の高校生との交流もあり、父子で地方公務を楽しまれた。   この夏は父の地方公務を間近で見られ、そして17歳になり、心もからだもさらに大きく成長したのではないだろうか。   (AERAdot.編集部 太田裕子)  
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dot. 2023/09/06 07:00
女子学院で「人と違うことは素晴らしい」 東大3年で「確率論に感動」 女性数学者を導いた出会い
高橋真理子 高橋真理子
女子学院で「人と違うことは素晴らしい」 東大3年で「確率論に感動」 女性数学者を導いた出会い
佐々田槙子さん=東京大学駒場キャンパス  東京大学大学院数理科学研究科准教授の佐々田槙子さん(38)は、「数理女子」というウェブページ(http://www.suri-joshi.jp/)で女子生徒やその親たちに数学の魅力を発信しつつ、数学界にいる人たちがジェンダーや社会の問題についてもっと気楽に語り合えるようにと働きかけてきた。専門は確率論、統計力学。小学生と保育園児を銀行勤務の夫とともに育てながら、1人の時間が取れたときに「ワーッと」数学を考える日々。「女性数学者があまりに少ない」という日本の現状をなんとか変えたいと自然体で突き進む。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子) >>【前編:女性数学者38歳が東大数理科学研究科にもたらした変化 「数学の魅力をたくさんの女子へ」】からの続き *  *  * ――2015年に東大数理科学研究科に准教授として着任し、周囲を巻き込みながら、誰もが研究しやすい環境へと一つずつ変えてこられたんですね。着任の前年に第一子誕生ということでしたが、ご結婚はいつ?  2013年4月です。夫は修士のときの同級生で、テニスや旅行をよくしていた10人ぐらいの仲良しグループの1人です。彼は修士を終えて銀行に就職しました。仲良しグループは数学以外の人もいたんですが、みんな就職して、そのまま博士課程に進んだのは私1人でしたね。2年後に私が慶応大学に就職してから、結婚を考えるようになった。それからなんだかんだ準備に時間がかかって、結婚式が2013年4月でした。  彼は就職してから博士号を取り、2019年1月から2年間、ニューヨーク勤務でした。それで私もむこうで仕事をしようと子どもを連れて4月から行きました。東大には、若手研究者が海外で長期研究するのを支援するプロジェクトがあるんです。それに応募したら採択された。ニューヨークには素晴らしい研究者がいっぱいいるので、よい刺激をもらい、すごく研究が進みました。 ハロウィーンの日に、そろって仮装した一家。米国暮らし時代の「思い出の一枚」=2020年10月、米国ニューヨーク滞在時の自宅  米国で2人目を産みました。コロナのパンデミックの真っ最中で、妊婦健診もオンラインでした。仕事も在宅になって、育休は取る必要がなかった。2021年1月に家族4人で帰国しました。 我が家は夫が料理を100%やります ――夫さんは子育てに全面協力ですか?  協力っていうより、自分の子どもなんだから自分で育てるってちゃんと思ってるんじゃないかな。我が家は夫が料理を100%やります。大学入学から結婚するまで一人暮らしだったので、苦にならないみたいです。それでも、洗濯とか掃除とか小学校や保育園のこととか、いろいろやることは腐るほどあるので、何度もケンカはしています。  彼は会社の同僚と比べたら自分はすごくやっているというんですけど、でも、あなたの気づいていないところにこういう仕事があるでしょって一つ一つ説明すると、なるほどって。たぶん、気がつかないだけなんですね。「女だからこれをやって」みたいなことは全然思っていないことはわかります。結婚前はそういう人かどうか、そんなに見極めて選んだわけじゃないんですけど。 ――では、どこで選んだんですか?  話をしていて楽しいから、ですかね。ああ、あんまり周りの空気を読まないところはいいと思いました。周りがどう言うか、は気にしない人です。だから、会社から早く帰ってくる。たぶん、ほかの人たちはあんなに早く帰っていないと思います。最近は、保育園のお迎えは夫で、朝の送りが私です。 ――ところで、数学者になりたいと思い始めたのはいつごろなんでしょう?  数学を使う仕事ができたらいいなみたいなことは子どものころから思っていました。算数やパズルが好きだったので。どういう仕事があるかはあまりよくわかっていなかったですけど。 ――へえ。子どものころから当然仕事をすると思っていたんですね。  母が翻訳を仕事にしていて、フルタイムの会社勤めをしていたんです。働いている母を格好いいと思っていました。だから、自分も当然働く、と。父は物理の研究者で、私は一人っ子です。  私の保育園の送り迎えは母が全部やってくれていた。今になって、本当に大変だったろうなと思います。ただ、父も結構料理を作ってくれて、私のお弁当は全部父が作りました。それに、夜は7時とか7時半とかに帰ってきて、夜ご飯を毎日一緒に食べていた。周りの友達のお父さんはもっと遅くまで働いていたので、研究者っていうのは早く帰れる仕事なんだって思っていました。ちょっと勘違いでしたけど(笑)。いや、でも一応帰ることはできるから、合っているのかな。  女子学院で良かったのは「人と違うことは素晴らしい」っていう教育をしてもらったことです。数学好きがあまりいなかったのは残念なところですけれど、数学好きでも「変な奴」とは思われないで、「人と違って、いいね」って思われた。それはすごく感謝しています。 YouTuberなんて呼ばれることもある(笑) ――現役で東大に?  はい、理Ⅰに入りました。数学科に進むか、物理に進むかは結構迷いました。実験があまり好きじゃなかったので、やりたいことをやってみるかっていう感じで数学にしました。女子は私1人だったので、最初のころはきつかったですね。周りと馴染めないというか。2年の後期から専門の授業が始まって、新しいことをたくさん勉強しなくちゃならない。今思うと、友達がいなかったから勉強ばかりできた。あのときの勉強は、本当に糧になっていると思います。  学部の3年生のときに、確率論に出会って感激したんですよ。確率って日常生活でも馴染みのあるものですけど、難しい概念じゃないですか。ところが、数学だと綺麗に表現できる。確率の前に測度論っていうのがあるんです。測るっていうことをすごく抽象化したような理論で、次の学期の授業で「確率も測るという行為の一つにすぎない」と習って、すごく衝撃を受けた。確率も面積も一緒なんだって、私の人生で一番感動したところなんです。  5年ぐらい前に東大理学部が広報のために動画を撮るっていうんで、私が一番感動した「確率は面積だ」を話したんです。これがYouTubeで配信されて、100万回以上再生してもらっている。それ以外に2本ぐらいしか出ていないんですけど、YouTuberなんて呼ばれることもある(笑)。 ――大学3年で感動してから、研究者に向けて一直線だったのですか?  いや、研究者としてやっていけるのかは、大学院に入ってからも全然自信がなかった。自分にはまったくわからないものをスラスラ解く同級生もいっぱいいたので。あ、一つ大きかったのは、ちょうど自分が読んでいた教科書を書いたマーク・ヨールさんというフランスの数学者が東大に来たんです。  私は成田エクスプレスを手配したり、迎えに行ったりして、そのとき「研究っていうのは面白くて人生をかける価値のあるものだから絶対やったほうがいい」とすごく熱く語ってくれた。私みたいなペーペーにもこうやって情熱を伝えてくれるのは格好いい、こんなふうな研究者になれたらいいなと思いましたね。 ステファノ・オラさんとパートナーの方とともに=2023年2月、東京  修士2年の2月に英語で初めての発表を京都でしました。そのとき知り合ったステファノ・オラさんというパリ在住の数学者に「フランスで勉強しないか」と誘われて、博士課程はフランスと日本を行ったり来たりになりました。その前に、ドクターに入ってすぐの5月に1カ月、スイスのチューリヒを研究訪問しました。指導教員の舟木先生から「向こうの先生に頼んでおいたから」と言われ、私はどんな感じか想像もつかないまま行った。それまでずっと実家暮らしで、いきなり1人で海外に行って、すごいカルチャーショックを受けました。向こうだと人種とかファッションとか言語とかも本当にいろんな人がいて、デフォルトっぽい人がいない。過ごしやすいなというのが印象に残っています。海外に行ったのはすごく良かったですね。 ――ポルトガルで開かれた国際会議から先週、お帰りになったんですね。  はい、「確率過程とその応用」という国際会議で基調講演をしました。これまでの人生で一番大きな会場での講演でした。毎年開かれる国際会議で、ほかの人の話も面白かった。体感として、少なくとも3割は女性でした。日本に帰ってくると、本当にギャップが大きい。国内の研究集会だと、女性は私1人みたいなことがいまだにある。 国際会議の夕食会場となったレストランの屋上で=2023年8月、ポルトガル・リスボン ――それにしても、子育てをし、数学界を変えていく活動もするなかで、数学の研究をやる時間はどうやってひねり出しているんですか?  それが大問題なんです! 共同研究が多いので、共同研究者と会う時間をどんどん予定に入れるようにはしています。海外に行くと、飛行機の中とか1人の時間が取れるので、そういうときにワーッと考える。でも、海外で新しい人に出会うと、また面白そうな問題が出てくるんですよ。すでにやりたい問題がこ~んなに溜まっているのに。あとは論文を書くだけというものもあるし、新たに解きたい問題もいっぱいある。どれを先にやるか、バランスが難しい。正直困っているんです。 【前編から読む】 女性数学者38歳が東大数理科学研究科にもたらした変化 「数学の魅力をたくさんの女子へ」https://dot.asahi.com/articles/-/200383 佐々田槙子(ささだ・まきこ)/1985年、米国生まれ。1歳になる前に帰国。2011年東京大学大学院数理科学研究科博士課程修了。博士(数理科学)。2011~2014年慶応大学理工学部数理科学科助教、2015年4月~東京大学大学院数理科学研究科准教授。2021年、輝く女性研究者賞(ジュン アシダ賞)
dot. 2023/09/05 17:00
女性数学者38歳が東大数理科学研究科にもたらした変化 「数学の魅力をたくさんの女子へ」
高橋真理子 高橋真理子
女性数学者38歳が東大数理科学研究科にもたらした変化 「数学の魅力をたくさんの女子へ」
  研究室の黒板の前に立つ佐々田槙子さん=2023年8月、東京大学駒場キャンパスにある数理科学研究科 「数理女子」というウェブページ(http://www.suri-joshi.jp/)がある。副題は「数学の魅力をたくさんの女子へ」。その生みの親・育ての親の一人が東京大学大学院数理科学研究科准教授の佐々田槙子さん(38)だ。数学界にいる人たちがジェンダーや社会の問題について気軽に語れるオンライン談話会の世話人もしている。「日本のほとんどの数学者って、数学の話以外、誰がどこの大学に移ったっていうような話しかしない」と以前感じ、できるところから働きかけを始めた。東大数学科卒、既婚、2児あり。日本を変えるチャレンジを果敢に続ける佐々田さんに聞いた。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子) * * * ――「おいでMath談話会」という名前のオンライン談話会を月に1度開催しているそうですね。  研究者だけでなく、大学院生や学部生も大歓迎の会です。前半は、数学者が自分の専門分野の面白さを他分野の院生にもわかるように話します。後半は同じ講演者に広い意味でのダイバーシティー(多様性)やインクルージョン(包摂、すべての人が個性を尊重され能力を発揮できること)に関連する個人的な経験を話してもらい、そのあと少人数に分かれてディスカッションしてもらう。2年ぐらい前から月1回やっています。 ――ご自身が発案されたんですか?  沖縄科学技術大学院大学(OIST)のある女性数学者の方が、米国で経験した談話会は話が専門外の人にもわかりやすく、学生たちもいっぱい集まってすごく盛り上がっていたのに、日本に来たらそうした場があまりないと感じられたことがきっかけでした。ちょうどコロナの時期だったので、全国規模で談話会をオンライン開催しようということになり、私は企画の途中で誘ってもらって5人の世話人のうちの1人になりました。  実はそのちょっと前に、仲間と一緒に企画した研究集会の中で、1時間だけ「数学分野のジェンダーギャップ解消のために何ができるか」とか「子育てと研究のバランス」とか「インクルージョンを実現するために研究集会運営において何ができるか」など5つのテーマを立てて、好きなところに入って議論するというのをはさんだら、すごく評判が良かったんです。「男女共同参画のイベント」だったら来なかった人たちが研究集会の中の1時間だったので出てくれて、「お互いにどう考えているかが聞けて良かった」「初めて同じ分野の研究者とこうした話ができた」「またこのような機会がほしい」といった感想をもらいました。それで、数学の話とダイバーシティーなどの話を一緒にやる談話会を提案したら、ほかの世話人もいいねと言ってくれて、「おいでMath談話会」が始まりました。 「おいでMath談話会」のウェブページ  世話人のミーティングは毎回すごく中身が濃くて、刺激を受けます。数学とはまた違う面白さというか、勉強になる。でも、世話人が固定してしまうと、講演者や話題も限られてしまいがちなので、どんどんバトンタッチしていくことにしています。私もそろそろ交代の時期だと思っているところです。 ――「数理女子」はおしゃれなデザインがとても印象的なウェブページですが、これはどのように始まったのですか?  私は博士課程を2年で出て、慶応大学の助教になりました。 ――え、2年で博士論文が書けちゃったということですか?  そうです。 ――すごいですねえ。  いや、私の知る限り、数学ではそれほど珍しくない。東大では毎年1人か2人は博士課程を2年で修了していると思います。数学って、実験とかと違って、できるときはパッとできちゃうし、逆に何年かけても何の進展もないこともよくあります。  慶応にすぐ就職できたのはびっくりしましたけど。 ――公募があったんですか?  はい。指導教員だった舟木直久(ふなき・ただひさ)先生から「出してみませんか」と言われました。就職直後は、さっきまで学生だったのに、いきなり教室の前に立つことになって「何をすればいいんでしょう」みたいな感じだったんですけど、前任の先生がすごく親切で、いろいろ教えてくださったので何とかなりました。 女子生徒に情報が届くように発信したら ――それで、「数理女子」は?  ああ、そうそう、慶応で出会った坂内健一(ばんない・けんいち)さんと2013年ぐらいにおしゃべりをしていて、坂内さんも数学分野の女性が少ないと感じていて、私に「どういうことができると思いますか」と聞いてくれた。私は女子学院というキリスト教系の女子校出身なのですが、数学好きはあまりいなかった。数楽班っていう、ほかの学校でいえば数学研究会みたいな部活に入ったんですけど、ほとんどおしゃべりしている集まりでした。大学に入って男の子たちを見ていたら、中学高校時代から数学好きの仲間がいて、こういう本が面白いとか、数学科ってこんなところ、といった情報がいっぱい入ってきていたんだろうなという感じがして、女子生徒にもそういう情報が届くように発信したらいいんじゃないかなと伝えました。親御さんが数学科への進学を心配するということも聞いていたので、親御さんへの情報発信という意図もありました。  そうしたら、次の日に坂内さんが「作りました」って。 ――え!  後から聞いたら、どんな案がきてもいいようにいろいろと準備をしてくださっていたそうです。三角と丸だけでできた、こびとさんみたいな愛らしいキャラクターはいたのですが、ウェブページとしては簡易的な、本当にリンク集みたいな感じでした。名前は全然深く考えずに「数理女子」とつけました。  だいぶ長いことその姿のままだったんですけれど、高校時代の友達に見せたら「これのどこが女子向けなの?」って(笑)。でも、こっちもデザインのプロでもないし、時間もないしと思っていた。それで東大に移った最初の年に、自由に使わせてもらえる資金があったんです。正直、数学って物はそんなに買わない。それでふと、「数理女子」のページをちゃんとプロに作ってもらったらいいと思いついた。当時の研究科長に相談したらOKが出たので、プロのデザイナーにお願いして、コンセプトなど時間をかけて話し合って、今のウェブページができました。  ただ、「数理女子」という名前はその後もいろいろ議論がありました。「リケジョ」という言葉が流行りだしてから、自分たちのことを「数理女子」って呼ばれたくないよねっていう声も多くて、実際私もそう思っていて、名前を変えようかという話し合いも何度もしました。結局、これはお店の名前みたいな扱いとして使い、人をカテゴライズする言葉としては使わないようにしよう、ということで落ち着いています。「数理女子の皆さん!」みたいな呼びかけはダメということです。 「数理女子」のウェブページ ――新しい情報をどんどん入れていくのは大変でしょう?  責任者は私と坂内さんの2人ですが、今は奈良女子大学の嶽村智子(たけむら・ともこ)さんと琉球大学の加藤本子(かとう・もとこ)さんにも編集者に加わってもらっています。数学の魅力を体験してもらうワークショップも開いていて、その企画・実施にはまた別の人たちにも入ってもらって。事務局を担当してくださる方がとても頼りになるので、続いています。 ――佐々田さんが教員として来てから、東大数理科学研究科がずいぶん変わったと聞きました。  たまたまタイミングかなと思います。私、東大の公募に出している途中で妊娠がわかったんです。「このままだと育休中に異動になるんですけど、大丈夫ですか」と聞いたら「全然大丈夫」って言われてびっくりしたんですよね。  慶応の最後の年は6月前半まで授業をして、産休・育休に入ってそのまま異動になりました。東大には、最初は学生もいないから、ゆっくりのペースでやってくださいと言われて。保育園に入れるには仕事をしていたほうがいいので、育休は3月までで終えました。  研究科の定例会議は、着任した年は午後4時50分開始で、7時とか8時までかかることもあった。保育園のお迎えに間に合わないと途中で抜けていたのですが、次の年から3時開始になった。たぶん、私が来る前から開始時刻を早めようと議論があったんだと思います。さらに今年から1時半開始になりました。 「数理なんでも相談コーナー」を始めたきっかけ ――それは素晴らしい。  私が数学科に進学したとき、同級生45人のうち女子は私1人で、上下の学年は女子ゼロでした。やっぱり超少数派の女性として居心地が悪いと思うことはありましたし、教員になったあと女子学生から気になる話を聞くことも何度もあった。それで、問題があると思うことはその時々の研究科長に話してきました。  例えば院生室は男女一緒なんですけれど、男子はそこで平気で着替えをする。私自身、院生のときに困って、トイレで着替えたりしていた。女性特有の体調不良とかもありますし、当時の研究科長に言ったら鍵がかかる女性の部屋をすぐに作ってくれました。  教員公募の書類に「有期雇用のポストでも産休・育休がとれる」「産休・育休の期間があることは評価の際に考慮される」などを明記することを提案したら、それはすぐに書いてもらえました。  あとは、私個人としてということではなく、研究科全体でいろいろな議論があって、2020年に「ハラスメントのない数理、数学科を」という宣言文ができました。どのセミナー室にも貼ってあります。「属性にかかわらず、個人として尊重されることは基本的価値」とし、ハラスメントは「この基本的価値を損なうもの」と位置付け、それを防ぐための対策を講じます、と宣言するものです。  それで、具体的に何ができるか、ということを皆さんで話し合って、「数理なんでも相談コーナー」というのも始めました。大学全体の学生相談所はもちろんあるんですけれど、学生としては数理科学研究科の先生に聞いてほしいという思いもあると思うので、ウェブ上で匿名でも相談を申し込めるフォームを作りました。教員5人が担当しています。 >>【後編:女子学院で「人と違うことは素晴らしい」 東大3年で「確率論に感動」 女性数学者を導いた出会い】に続く 佐々田槙子(ささだ・まきこ)/1985年、米国生まれ。1歳になる前に帰国。2011年東京大学大学院数理科学研究科博士課程修了。博士(数理科学)。2011~2014年慶応大学理工学部数理科学科助教、2015年4月~東京大学大学院数理科学研究科准教授。2021年、輝く女性研究者賞(ジュン アシダ賞)
数学者女性科学者東大
dot. 2023/09/05 17:00
「AERA with Kids 2023秋号」9月5日発売!巻頭特集は「子どもが自分から動く!時間感覚を身につける」
「AERA with Kids 2023秋号」9月5日発売!巻頭特集は「子どもが自分から動く!時間感覚を身につける」
 小学生や未就学児を持つママ・パパたちに子育て情報を届ける「AERA with Kids 2023年秋号」が9月5日(火)、発売になりました。今号は、「子どもが自分から動く!一生モノの『時間感覚』を身につける」を大特集。このほか「おうち英語チャレンジ」「学べるマンガ53冊」「2学期のユウウツ図鑑」「中学受験と自走」などの記事を掲載しています。巻頭インタビューは、3人のお子さんを育てるタレント・歌手の藤本美貴さんが登場しています。    巻頭特集は「子どもが自分から動く!一生モノの時間感覚を身につける」。時間を守ることや上手に使うことは、大人になってからも必要なスキル。とはいえ、「あと何分」を意識して行動したり、スケジュールを立てて実行したりすることは、とくに子どもには難しいものです。そこで、小学生が自分でできる時間管理の方法や、心がけるといいことを集めました。  まず、子どもが感じる「時間」と大人が感じる「時間」の違いを図解。そのうえで、「時間にあわせて動けない」「のんびりして宿題になかなかとりかからない」「寝る時間を早くしたい」といった具体的なお悩み別の対策や、子ども自身が時間を意識できるようになる工夫、中学受験生のスケジュール術などを紹介。さらに、読者の皆さんに、日頃実践しているワザや、使っているグッズなどを聞きました。  第2特集は、「英語が苦手な親でも大丈夫!小学生時代に力をつける『おうち英語』チャレンジ」。子どもに英語力をつけたい、と思っても、小学生時代に何をどこまでやるべきか、悩まれている方も多いと思います。そこで、小学生に必要な英語力と、それを実現するための環境づくりについて、「聞く」「読む」「話す」などの方法別に詳しくアドバイスしています。さらに、子ども向けオンライン英会話の選び方や、中学入学後に英語でつまずかないためのポイントも掘り下げます。  ブックインブックは「2学期のユウウツ図鑑」。学校、学童、からだ、と場面別に子どもたちが感じやすいユウウツをまとめ、子どもの悩みに寄り添うヒントを紹介しています。さらに「社会も理科も人生も!学べるマンガ53冊」という特集では、人生を豊かにするマンガ、知識が広がるマンガなどを、あらゆるジャンルの専門家が選書。このほか「かけっこ、逆上がり、ボール投げ」の苦手克服法や、親子で対策する「子どもの姿勢と目の守り方」も掲載しています。また、中学受験を経験した先輩ママたちが語る受験のリアルや、中学受験で「自走」するにはどうしたらいいかなども紹介しました。  インタビューは、タレントの藤本美貴さん。11歳、7歳、3歳の3人のお子さんを育てる藤本さんに、夫・庄司智春さんや子どもたちとの日常や、仕事と育児に多忙ななかで毎日を楽しむための秘訣を聞きました。表紙には、映画・ドラマで人気の子役、柊木陽太くんが登場しています。 【Special Interview】 藤本美貴さん 【第1特集】 自分で考える、管理する! 一生モノの「時間感覚」を身につける ●Part1 これを知ってるとイライラしない! そもそも、大人と全然違う。「子ども時間」のしくみ ●Part2  親子で作戦をたてよう! 「しくみ」が変われば行動は変わる!自分から考えて動くコツ ●Part3 時間を管理してみよう 大人になっても役立つ「時間の使い方」の基本 ●Part4 中学受験生必見! 「学習の振り返り」から予定を立てる「勉強が軌道に乗る」テク ●Part5 声かけやグッズ活用術を聞きました 時間管理の「わが家流」 【第2特集】 英語が苦手な親でも大丈夫! 小学生時代に力をつける おうち英語チャレンジ ●どんな英語力をつけたらいい?/●おうち英語の進め方/ ●Listening<聞く>/●Reading<読む>/●Speaking<話す>/●Writing<書く>/ ●中学英語でつまずかないよう上手にスライドするには 【第3特集】 親子で対策しよう!子どもの姿勢と目の守り方 [姿勢編]「子どもロコモ」チェック/姿勢が変わる体操  [目の健康編]近視の進行を遅らせるには?/“デジタル眼精疲労”の予防法 【第4特集】 学習×エンタメの一石二鳥!! 学びにつながるマンガ ・人生を豊かにするマンガ おすすめベスト10/スポーツ・アート ・知識が広がるマンガ 歴史・地理・社会/算数・理科 ・探究学舎の4人に聞く 好奇心と人間力を育てる一冊 【Book in Book】 子どもの気持ちがわかる 2学期のユウウツ図鑑 SCENE1 学校/SCENE2 学童/SCENE3 からだ ・中学生の先輩たちに聞きました。 教えて!小学校時代のユウウツ ・いろいろな角度からユウウツを考えてみよう 哲学的対話のすすめ 【そのほかの特集・連載】 ●苦手を克服! 親子でトライ!かけっこ/逆上がり/ボール投げ ●グローバルな子が育つ中高一貫校 昭和女子大学附属昭和中学校・高等学校/二松学舎大学附属柏中学校・高等学校/ 花園中学高等学校/武蔵野大学中学校・高等学校 ●[新連載]世界に羽ばたくスーパーキッズの育て方 9歳の天才画家Sayaさんの母 Mayaさん ●花まる学習会代表 高濱正伸のもっと花まるTALK 株式会社COTEN代表取締役CEO 深井龍之介さん ●シリーズ・中学受験を考える 中学受験で「自走」するには?/プロ家庭教師・長谷川智也さん ●学校最前線 つくば市立みどりの学園義務教育学校 ●きょうこ先生と中学受験のぞき見! 先輩ママたちが語る中学受験のリアル/安浪京子さん ●みんな一緒にTalking! 夫婦で子育て&家事どうしている? ●FP関口さんが伝授! 読者の家計診断 ●YouTube「AERA with Kidsチャンネル」開設 ●AERA with Kidsアンバサダー Pick up!「ママのパーソナルタイム」 ●表紙の人インタビュー 柊木陽太くん ●イラストレーターtomekkoの脱・カンペキ親修行 ●一色清さんの親子で語るニュースのキーワード ほか AERA with Kids 2023年 秋号 定価:998円(本体907円+税10%) 発売日:2023年9月5日(火曜日)
AERA 2023/09/05 11:51
「私は日本人以上に日本人の秘めた能力を理解している」 バスケ男子日本代表HCトム・ホーバスが語っていた指導論
吉井妙子 吉井妙子
「私は日本人以上に日本人の秘めた能力を理解している」 バスケ男子日本代表HCトム・ホーバスが語っていた指導論
魂のこもった激しい言葉で選手の能力を引き出し、「日本語のマジシャン」とも言われる(撮影/大野洋介)    バスケットボールのW杯で、アジア最上位に輝き48年ぶりに自力での五輪出場を決めるなど快進撃をみせた男子日本代表。そのチームを率いたのが、トム・ホーバスだ。23歳のときに来日し、トヨタで仕事をしながら選手としてプレーをし、2年前には、東京五輪で女子日本代表を銀メダルに導いた。本人や関係者を取材し、人物像に迫ったAERA2022年2月28日号の現代の肖像の全文を掲載する。(肩書や年齢は掲載当時のまま) * * *  スーツに身を包んだ長身のアメリカ人男性が、失望感が漂う観客席に流暢な日本語で叫んだ。 「スタートはよくなかったけど、みんな我慢してください」  一呼吸を置き、さらに語気を強める。 「間違いなく上手くなります。23年のワールドカップでは、もっといいバスケをお見せします」  2021年11月末、男子バスケットボールW杯アジア1次予選が仙台で行われ、日本代表はアジアの強豪・中国に63-79、73-106と大差で敗れた。コートサイドで日本を指揮していたのが、東京五輪で女子バスケ日本代表を銀メダルに導き、世界を驚かせたトム・ホーバス(55)。初陣を飾れなかった指揮官はファンに向かって詫びた。  急ごしらえのチームだった。プロバスケットボールBリーグが開幕中でメンバーが揃わず、合宿期間も実質1週間しかなかった。ホーバスが指導する細かな戦術を理解するには、あまりにも時間が足りなかった。  代表キャプテンで、日本人初の1億円プレーヤーでもある富樫勇樹(28=千葉ジェッツ)は、合宿期間中ホーバスの戦術の緻密さに驚いた。 「短期間にいくつもの戦術を覚えなければならなかった。こんな経験は初めて。選手全員がこんなに覚えるの!とびっくりしていました」  だがホーバスは「まだちょっとだけ」で、女子の半分も教えていないという。中国戦の敗因は「うちのファイティングスピリットが足りなかった」。  女子を銀メダルに導いた名将が、男子代表のHC(ヘッドコーチ=監督)に就任すると発表されたのは、五輪1カ月後の9月下旬。この発表に多くの人が驚いた。女子バスケの監督が、同じ国の男子にスライドするのは世界的にも稀。男子と女子では同じ競技とは言え、戦い方はまるで違う。この起用を決断した日本バスケットボール協会の技術委員長・東野智弥(51)は、男子代表の底上げができるのはホーバスしかいないと踏んだ。 【こちらもチェック!】 エース・渡辺雄太「最後まで諦めないのがうちのバスケ」 相次ぐドラマチックな勝利に沸いたW杯  ■自信を吹き込めば世界トップに辿り着く 「東京五輪の経験で一番大きかったのは、選手が私を信じ尊敬してくれ、私も選手を尊敬し信じたこと。男子とのリレーションシップはこれから合宿を重ねながら作る。ステップ・バイ・ステップです」と語る〈写真=(C)JBA〉    23年のW杯は日本、インドネシア、フィリピンの共催。ビッグイベントを成功させるには男子のテコ入れが急務だった。活躍が読める女子と違い、男子は世界の大舞台でほぼ勝ったことがない。東京五輪は開催国枠で出場したものの、1勝もできずに終わった。世界ランキングは現在32位、アジア・オセアニアで6位だ。低空飛行を続ける男子代表をジャンプアップさせるには、ホーバスの力がどうしても必要だったと東野は言う。 「彼は日本のバスケを知り、日本の文化を知っている。世界に勝つための戦略設定もあり、ストラテジー(戦略)の天才でもある」  そんな能力がいかんなく発揮されたのが、女子を率いた東京五輪だった。それまで、身長差が如実に表れる競技と言われるバスケットで、日本女子が銀メダルを取るとは誰もが考えていなかった。だが17年に監督に就任すると、こう宣言した。 「東京の決勝でアメリカと戦い、金を取ります」  ホーバスが当時を思い起こす。 「あの時、誰も僕のことを信じていなかったね。クレージーだって」  しかしホーバスには確信があった。アシスタントコーチとして関わったリオ五輪で日本は8位。その時の経験から、足りない身長を戦術や戦略、技術でカバーすれば、世界NO.1のアメリカとも互角に戦えると考えた。そして、日本に最も欠けていたのが「自信」。自信を吹き込めば、間違いなく世界トップに辿り着けると踏んだ。  リオ五輪に出場し、東京五輪の主将を務めた高田真希(32=デンソーアイリス)は、ホーバスの金メダル発言を聞き、「マジか!」と思ったという。  監督は高い目標を掲げがちだ。だが、ホーバスの性格をよく知る高田は、「本気だ」と感じ取った。 「そのためにこれからどんな厳しい練習が待っているか想像できた。覚悟しましたね」  選手に自信を持たせるためには、ハードワークが必要だった。勝つための万全な準備と言ってもいい。しかし、ただ単に長時間練習をすればいいというものではない。ホーバスは、日本の学校の部活で行われている「根性練習」の弊害を感じていた。長時間練習の環境にいると、選手たちは本能的に体力を温存し、配分しようとする。そのため選手らは自分の限界を低い地点で設定してしまっていた。日本スポーツ界の弊害でもあった。  ホーバスはまず、長年培われた選手の本能を取り払う必要があると考えた。なぜこの技術を身につけなければならないのか、それはどの場面で生きてくるのか、練習の中で常に考えさせた。  ホーバスは日本人以上に日本人の心を察知し、選手が気づいていない個々のアドバンテージを引き出した。我慢、気遣い、思いやり、誠実さ、緻密さなど一見勝負の世界ではマイナスになりそうなメンタリティーを巧みに結合させ、強固なチーム力として結晶させた。 「私は日本語があまり分からなかった。だから、相手の表情やしぐさなどを観察して理解しようとしてきた。その分、その人の“本当”が見えるのかもしれない。そして私は日本人以上に日本人の秘めた能力を理解していると思います」  ■トヨタで仕事をしながら4年連続得点王になる 日本に単身赴任して10年。25歳の息子ドミニクはグリーンベレー(米陸軍特殊部隊)、23歳の娘マリッサはサンフランシスコにIT系の会社を起業し独立(撮影/大野洋介)    1967年、アメリカのコロラド州にある小さな町デュランゴで生まれた。姉1人、兄3人の末っ子。父は軍人だったこともあり、厳格に育てられた。兄たちの影響で5歳からバスケを始める。  高校で州のチャンピオン。ペンシルベニア州立大学に進みNBA入りを目指した。コーチはバスケの戦術にたけ、確かな技術も教えてくれたが、厳しいばかりで選手の戦意を下げることもあった。 「この時に、コーチは戦術戦略にどんなにたけていても、選手のモチベーション維持に失敗したら、結果は得られないことを知った」  大学卒業と同時にNBAヒューストン・ロケッツのトライアウトを受けた。だが最終選考に残れず、プロの道を求めポルトガルに渡った。その1年後、トヨタ自動車のトライアウトを受ける。当時日本バスケは実業団リーグで、仕事をした上でバスケをやるというシステム。ビジネスにも興味があったホーバスには好都合だった。  90年に23歳で来日。言葉は通じなかったが、厳格な家庭で育ったせいか日本の水が妙に合った。 「例えば、会議が8時スタートだと7時50分には全員が揃う。海外ではそんなことありえない。規則正しく誠実で律儀なところが、僕のメンタリティーにぴったりだった」  海外マーケティング部に配属され、海外の社員4万人向けの英語版社内報の編集を担当した。 「日本の文化や伝統、日常を紹介する『ライフ・イン・ジャパン』というコラムを担当し、企画、取材、ライティングも一人でこなした。この仕事のお陰で日本を深く知ることができた」  ホーバスが日本語の先生だったと語る現トヨタカローラ愛媛社長の松田卓恵(52)とは、互いに辞書を片手に会話を重ねた。その松田が、ホーバスはとにかく真面目で研究熱心だったと語る。 「分からないことをそのままにしない。必ず“なぜ”“どうして”と聞いてくる。頭の中にグレーゾーンがあるのが嫌なんだと思う。今の彼の指揮を見ていてもわかる。問題は必ずクリアにする」  入社3年目には、海外の社員が東京本社で研修を受ける際の講師も任された。独特のカンバン方式、効率を徹底したトヨタ方式などのビジネスカルチャーを伝えるには深い知識が求められたが、「私は勉強の人」と自任するホーバスには刺激的な環境だった。  その一方、バスケでも大活躍、4年連続得点王に輝いた。仕事とバスケを高いレベルで両立させるのはなかなか難儀だが、当時コーチだった長谷川聖児(62)は、目標を立てたら必ずやり遂げるのがホーバス、という。 「仕事やバスケはもちろんのこと、自分の体にも意識が高かった。腰痛で医者から手術を求められていたのに、自分で完治させる目標を立てた。医学書などを読みあさり、自ら編み出したエクササイズで治し医者に驚かれていました。目標を立てたら必ず遂行する。今の彼そのもの」  ■アトランタ・ホークスで夢のNBA選手になる  この頃は多忙を極めた。朝、社宅がある東京都調布市から満員電車に乗り、飯田橋の東京本社へ。午後4時まで仕事をこなし、体育館がある国立に向かう。練習を終え帰宅するのが午後9時から9時半。それでも忙中閑あり。休日だったある日、息抜きに行った東京・六本木の外国人に人気のバーで日本人女性に一目惚れした。妻の英子だ。 「語学に堪能で独立心旺盛な彼女に興味を持ち、ナンパしました。でも初めは相手にされず、何度もトライしました」  トヨタ入社4年目に大きな転機が訪れた。4年連続得点王に輝いたこともあり、再度NBAに挑戦したい気持ちが抑えきれなくなった。  27歳でトヨタを退社し、アトランタ・ホークスのトライアウトを受けた。4カ月のテスト期間中、試合をこなしながら篩(ふるい)にかけられ、50人いた選手が15人に減り、3カ月後には5人になった。  合格は2人。最終発表日、自分のロッカーに戻ると、ロッカーの名前がスタッフの名前に取り換えられていた。終わった……と思った瞬間、ベテラン選手が「お前のロッカーはこっちだよ」と教えてくれた。 「あの時の喜びは一生忘れない。子どものころから夢見ていたNBA選手になれた。興奮しました」  だが、2試合に出場しただけで再契約されず、1年後にトヨタに復帰。その年、5年の交際を経た英子と結婚。トヨタでプロ選手として活躍する傍ら、コーチの面白さにも目覚めた。当時のアメリカ人コーチに選手の起用や戦術の助言を求められ、アドバイスしたことが面白いように機能した。  33歳で引退。家族とカリフォルニア州サンディエゴに住み、IT企業に就職。息子と娘にも恵まれ、3年後に副社長に昇進したものの、バスケへの思いは断ちがたく、子どもたちのチームのコーチをして紛らわせた。  すると10年、女子のJXサンフラワーズ(現ENEOSサンフラワーズ)からアシスタントコーチのオファーが届く。当初は日本から離れて10年も経ち、しかも女子チームということに気乗りはしなかったが、練習や試合を見学するとレベルの高さに驚き、快諾した。 ホーバスのバスケスタイルはPGが要。複雑なフォーメーションを単に覚えるのではなく、各ポジションの動きを頭に入れ、先の先まで読んで指示を出す(写真=朝日新聞社)    ホーバスは通訳をつけなかった。通訳に頼ると細かいニュアンスが伝わらなくなる。たとえ片言の日本語でも自分で伝えることが大事だと考えた。 「私は熱い人です。通訳がいると選手に思いが伝わらないし、選手は通訳の方を向く。私の目を見てほしい。日本人女性は心になくても“はい”という。だから本当の気持ちを確かめるために、必ず“私の目を見て話して”と言います」  戸惑うこともあった。ある選手を褒めると急に泣き出した。言葉を間違えたとドキリとしたが表情は嬉しそう。その時に、日本人選手は指導者に叱られるばかりで褒められた経験が少ないと察知、選手の能力を伸ばすには褒め言葉が必要と考えた。  コーチは刀鍛冶の工程に似ていると語る。 「職人は鉄を熱し、叩き、冷まし、それを何度も繰り返し名刀を作る。コーチも同じです」  トヨタで日本文化や日本人を知り、大学やNBAでバスケの戦術を学び、ENEOSで女子選手の生態を理解し、そして妻から日本人女性の真の強さをしこたま見せつけられた。  そんなホーバスの経験と知恵が女子日本代表HCに就任し、開花した。無意識に設定した選手の限界を突破させるため、「頭を使っているの!」「何やっているんですか!」と激しい言葉をぶつけ、ギリギリまで追い込んだ。ENEOS時代から指導を仰ぎ、長い付き合いの宮澤夕貴(28=富士通レッドウェーブ)は、ホーバスが自分たち以上に信じてくれたことが力になったという。 「トムさんの指導は厳しいけど、全部理にかなったものばかり。だからみな、この人についていけば、本当に金メダルが取れると思っていました。でも時々変な日本語で檄を飛ばすので笑いを堪えていると、“何? 変なこと言いましたか”って」  ■五輪直前にエースが怪我、5アウトに戦術を変更 女子バスケの銀メダルは海外でも話題に。ESPNの名物コメンテーター、ザック・ロウに「日本女子バスケはNBAのウォリアーズとロケッツから生まれた子どものようだ」と称され、最高の褒め言葉と捉えた(撮影/大野洋介)    覚醒した女子代表は17年、19年のアジアカップを連覇。ところが五輪直前になって暗雲が立ち込めた。エースの渡嘉敷来夢が膝の十字靱帯を損傷、主力選手の怪我も相次ぐ。これまで渡嘉敷を中心にした戦術を組み立てていただけに、チームのレベルダウンが心配された。しかしホーバスは揺るがなかった。「ないものねだりしてもしょうがない。今の戦力で最善を尽くす」と戦術を変更。  全員がアウトサイドプレーヤーとして攻める5アウトを選択。この戦術を成功させるためには全員が3P(スリーポイント)シュートを決める必要がある。そして攻撃のフォーメーションの種類を200近くに増やした。これまで数十ピースで埋めていたジグソーパズルをいきなり200ピースに替えたようなもの。だが指揮官は、彼女たちなら短期間でもマスターできると信じた。 「女子はそれまで90年代の力に頼るバスケをしていた。でも、日本人は細かいことが得意なはず。トヨタにいた時、ドアの音やハンドルの握り具合など、こんなに細部に拘るのかと驚いたことがある。でも、スポーツになぜその緻密さを生かさないのか不思議だった」  攻守でフォーメーションの指示を出すのはPG(ポイントガード)。多彩な指示とアシストで攻撃陣に3ポイントを量産させたPGの町田瑠唯(28=富士通レッドウェーブ)は、準決勝のフランス戦で18アシストの五輪新記録を樹立し、五輪ベスト5にも選ばれた。町田が五輪記録を作った理由を語る。 「20分で交代したナイジェリア戦での15アシストは、五輪タイでした。それを知ったトムさんが、もっとコートに立たせたら新記録を作れたかも、って本当に申し訳なさそうに謝るんです。だからトムさんにそんな思いをさせちゃいけないと、フランス戦で頑張りました」  深い信頼関係で結ばれ、一分の隙も無く結束した監督と選手の旅路の終わりは、銀色に輝く世界だった。  今季から男子代表の指揮を執るホーバスには大きな困難が待ち受ける。Bリーグのリーグ戦が長く、代表の合宿がなかなか組めない上、八村塁や渡辺雄太などのNBA組は大きな大会の直前にならなければ招集が難しい。加えて、女性ならホーバスの厳しい指導に耐えられても男子は厳しいと指摘する人もいる。  そんな声は当然、ホーバスに届いている。しかしホーバスは動じない。 「バスケはバスケだし、コーチングとは人間との関係性を築いていくことで、女子と変わらない」  ただ目標はまだ口にできないという。 「うちのチームの旅はまだ始まったばかり。もう少し我慢してください」  ホーバスは男子をパリまで導けるのか。2月末、W杯アジア地区予選大会1次予選の台湾戦とオーストラリア戦が沖縄で行われる。(文中敬称略)(文/ジャーナリスト・吉井妙子) ※AERA2022年2月28日号
バスケットボールW杯
AERA 2023/09/05 11:30
ボブヘアになった愛子さまの普通の女の子の語り口に思う 「安定的皇位継承」の切ない不確かさ
矢部万紀子 矢部万紀子
ボブヘアになった愛子さまの普通の女の子の語り口に思う 「安定的皇位継承」の切ない不確かさ
那須御用邸を散策する天皇、皇后両陛下と長女愛子さま(代表撮影) 4年ぶりの天皇一家のご静養が話題を集めている。ひときわ目を引いたのが愛子さまの様子。長い髪をカットされ、ボブヘアに。記者とのやりとりも大学生らしいほほえましいものだったという。卒業まで半年ほど。一般の大学生ならば進路が決まっている時期だ。コラムニストの矢部万紀子さんが、愛子さまの置かれた微妙な立場に思いを馳せた。 *  *  *  8月21日、天皇陛下と雅子さま、そして愛子さまが4年ぶりに那須御用邸での静養に入った。愛子さまは髪を短く切っていた。肩あたりまでの長さになったのは私の知る限り、2年4カ月ぶり、3回目のことだ。  最初は2018年7月、学習院女子高等科2年の時。イギリスのイートン校に3週間の夏期研修に向かう羽田空港、赤いスーツケースを押した愛子さまは、切り揃えた髪まで張り切っているようだった。次は2021年4月、学習院大学2年の時。ご一家で改修工事中の皇居・旧吹上仙洞御所を視察に向かう車内、愛子さまは毛先をふんわり内巻きにしていた。そして今回は、サイドを編み込みにしたスタイル。那須御用邸での宮内記者会とのやりとりでも話題になったという。 オンレコードが終わってからのやりとり 「涼やかになられましたね?」と声をかけたのは、宮内記者会の幹事社として質問をしたフジテレビの宮崎千歳記者。愛子さまはまず「気づいていただけましたか」と答え、「35、6センチくらい切りました。軽いです。切った時はもう、首が据わらないって感じになりました。シャンプーも楽で」と述べたそうだ。FNNプライムオンライン(8月28日配信)が伝えていた。  オンレコードの取材が終わってからのやりとりだったそうで、映像も音声もない。陛下と雅子さまも笑っていたというから、愛子さまはきっと楽しげだったのだろう。ユーモラスな表現に、聡明さと可愛らしさがよく表れている。そして「愛子さまも“普通の女の子”なのだ」という感想が浮かび、浮かんだ途端に愛子さまの“普通”でない立場を思い出す。そう、勝手に複雑になってしまうのだ。 雅子さまと愛子さま、母娘の「ヘアスタイル史」 2003年8月、那須御用邸付属邸に滞在するため、JR那須塩原駅に到着し、歓迎に応える皇太子さま(当時)と、愛子さまを抱いて手を振る雅子さま  雅子さまと愛子さま、母娘の「ヘアスタイル史」があるからだ。雅子さまは今でこそ長い髪をひとつにまとめるスタイルが定番だが、幼い頃、外務省勤務時代、結婚後のある時期まで、ショートカットだった。愛子さまの生まれた2001年からしばらくは耳が見えるくらいのショートで、子育てと公務の両立のための選択だったのだろう。  そんな雅子さまがロングヘアになったのは2007年、愛子さまの影響だった。そう言い切ったのは、雅子さまの誕生日(12月9日)に公表される「ご近影」を追いかけてのことだ。宮内庁ホームページには1993年の結婚以来、誕生日ごとに雅子さまが臨んだ会見や発表した文書回答がすべてある。愛子さまが生まれた翌年の2002年12月からは、ご一家3人の写真も公表されるようになった。だが、2003年12月、雅子さまは帯状疱疹で入院、この年は会見も文書や写真の公表もされなかった。  雅子さまは長期療養に入り、「適応障害」と発表された2004年には短い文書が公表されたが、写真はなし。写真と文書の両方が復活したのは2006年のことだった。紅葉を背に、皇太子さま(当時)と雅子さまは、真ん中にお二人と両手をつなぐ愛子さま。雅子さまの髪はあごの辺りまで、愛子さまの髪は肩下10センチくらいまであった。翌2007年、公表された写真の雅子さま、髪が伸びて肩下10センチほどにまでなっていた。1年かけて、愛子さま好みのロングヘアに追いついたのだ。 2007年11月、赤坂御用地を散策する皇太子ご一家(宮内庁提供)  この時、雅子さまは前髪もあげておでこを見せるスタイルで、隣に立つ愛子さまもおでこを見せていた。この時以来、お二人はそっくりの髪形になる。途中から愛子さまは前髪をつくったが、お二人とも「かなり長めのロングヘア」を守った。母と娘、手に手をとって皇室という世界に立ち向かう、その証しがロングヘアのように見えたのは、お二人ともに苦しみの歴史があるからだ。 2012年8月、静岡県下田市の伊豆急下田駅に到着した皇太子さま(当時)と雅子さまと愛子さま(代表撮影)  皇室に嫁ぎ、適応しようとして障害を起こした雅子さま。学習院初等科2年時に「不登校」が明らかになった愛子さま。雅子さまの付き添い登校は、批判も招いた。以後も愛子さまは学校を休みがちで、40日を超す欠席が報じられたのは中等科3年の2016年。同年12月、雅子さまの誕生日に公表されたご一家の写真、愛子さまは激しくやせていた。  尋常でない細さに、愛子さまはなんて生きづらそうな少女なのだと痛感した。ご一家の服装はベージュが基調になっていて、今では「リンクコーデ」としてすっかり定番になっているが、当時はただただ愛子さまを励ますファッションのように感じたことを覚えている。  冒頭に戻るなら、愛子さまが最初にショートヘアになったのはこの2年後のことだ。顔もふっくらとして、元気そうだったことに安心した。ショート2度目の2021年は令和になっていたから、愛子さまの「自立の証し」だと思った。皇后になり、確かな歩みを見せる母。大学生になった娘。二人してそっくりな髪形で立ち向かわずとも、それぞれが皇室に居場所を得た。その証しだと思った。 ことの本質は愛子さまの微妙な立ち位置  さて、ここからがやっと本題だ。自分で書いておきながら、「証し」ってどうだろうと思う。愛子さまは一人の大学生だ。前回のショートは、すぐに伸ばした。2年後の夏にまた短くしたのは気分転換か、あまりに暑い夏を乗り切る対策か。いずれにせよ、たかが髪形なのだ。  なのに意味を感じてしまう理由は、縷々書いた。が、結局のところ、ことの本質は愛子さまの微妙な立ち位置なのだと思う。愛子さまを「生きづらそうな少女」と思ったと先述した。「すごく繊細なんだな」と思っていたのだが、その根本を見ていなかった。何かというと、愛子さまは生まれた時から「男の子でない」という現実だ。愛子さま誕生の5年後、秋篠宮家に悠仁さまが生まれたが、それでも皇室最大の課題は「安定的皇位継承の確保」にある。  なぜ確保できないか、その答えは皇位継承者を「男系男子」に限定しているから。私の中ではすっきりとしていて、それさえ変えればいいのにと思う。が、それだけは変えてはならないと考える人たちがいて、国会議員に大きな影響を与えている。 2019年8月、愛犬の「由莉」とともに、那須御用邸の敷地内を散策する天皇、皇后両陛下と愛子さま(代表撮影)  愛子さまは、ずっと「安定的皇位継承が確保できない」現状と共に育ったのだ。これを思うと、切なくなる。成人した愛子さまが立派な振る舞いをしているのは、本当に素晴らしい。そこに至るまでにどれだけのことを呑み込み、克服してきたのだろうと想像すると、勝手に苦しくなる。愛子さまも雅子さまも、自由に髪を切ったり伸ばしたりする。それだけですむ世界になってほしいと、私は願っているのだ。 皇室は「寿退社」しか決まりのない会社   ところで、愛子さまは来春、大学を卒業する。いずれ留学するのだろう、と思っている国民は多いはずだ。私もその一人だが、愛子さまにはそれが「盛大なモラトリアム」なのだと思うと、心がちょっと痛くなる。  陛下も雅子さまも英国への留学経験があるが、お二人とも目的がはっきりしていた。陛下なら「天皇」、雅子さまなら「外交官」、歩んでいく道があり、その幅を広げるための留学だった。だが、愛子さまはどこに歩んでいくか、明確ではないのだ。何度も書いているが、皇室典範は女性皇族について「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」としか規定していない。「寿退社」しか決まりのない会社。皇室のことを、何度もそう書いている。  小室眞子さんが、国際基督教大学の留学説明会で出会ったのが夫の圭さんだった。その瞬間、眞子さんの曖昧だった人生設計が像を結んだ。勝手にそう想像している。結婚にあたっての記者会見で眞子さんは、婚約発表後の圭さんの留学について、「圭さんが将来計画していた留学を前倒しして、海外に拠点を作ってほしいと私がお願いしました」と語った。「海外の拠点作り」を眞子さんは人生の道しるべにし、自身の留学の意味も明確になったはずだ。 「天皇家の長女」愛子さま 小室眞子さんとは違う  那須御用邸に話を戻すと、愛子さまはカメラを前に「那須は本当に自然が豊かで空気もとてもきれいなので、豊かな自然に触れながら、リフレッシュできればな、と」と言っていた。そして「大学、残り半年、残り半分、いろいろなことに取り組んでいけたらと思っております」と続けた。「半年」の語尾を上げ、疑問系のように言い、「半分」と言い直す。“普通の女の子”の語り口だった。だが、愛子さまは「天皇家の長女」であり、「天皇家の次男の長女」だった眞子さんとは違う。それを思うと、また少し切なくなる。  安定的皇位継承のあり方については2021年12月、政府の有識者会議が「女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する」「旧宮家の男系男子が養子として皇族復帰する」の2案をまとめている。が、それを受けて国会が何かを検討しているという話は全く聞かない。事態を止めているのが「男系男子」を絶対視する人たちの存在なのだとすれば、愛子さまの切なさを救えるのは国民だけだ。そこを忘れてはいけないと、個人的には思っている。 【こちらもおススメ】 愛子さまと眞子さん、2人の長女とそれぞれの父。違いと共通点と根底にあるもの https://dot.asahi.com/articles/-/13677
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dot. 2023/09/03 09:00
西武池袋本店「スト閉館」に訪れた人は何を思うのか 女子中学生は「いつまでも高嶺の花でいてほしかった」
上田耕司 上田耕司
西武池袋本店「スト閉館」に訪れた人は何を思うのか 女子中学生は「いつまでも高嶺の花でいてほしかった」
労組によるデモを見つめていた40代女性は「会社の昼休みを抜けて来た」と語った(撮影/上田耕司)    8月31日、西武池袋本店は、いつもとは違う異様な雰囲気に包まれていた。従業員によるストライキで全館臨時閉館となり、そごう・西武労組は午前中に池袋で街頭デモを決行。その後、高級ブランド「ルイ・ヴィトン」の横の出入り口で労組の幹部がマイクを持ち、「ただいまストライキ行為を行っております」と通行人に呼びかけた。 【あわせて読みたい】 「ヨドバシ出店反対」への批判に高野豊島区長が“反論” 「低層階でなければ来ていただきたい」     現場ではそごう・西武労組がストライキをアピールしていた(撮影/上田耕司)    この騒然とした現場に居合わせた人たちの思いもさまざまだった。  セーラー服を着た女子中学生4人組は、同店のシャッターに張られた「臨時閉館のお知らせ」を見つけて、スマホで写真を撮り合っていた。学校帰りの中学1年生だという4人に今回のストライキついて感想を聞くと、4人は口々にこう話した。 「毎日、学校帰りに通るから普段からみんなで立ち寄っています。制服屋さんがあるから制服を取りに来たり、洋服を買いに来たり。変わってほしくないです。今までの西武百貨店のままでいてほしい」  4人組の中のポニーテールの女子中学生は、 「ヨドバシカメラには変わってほしくない。お手頃なお店になっちゃうのはイヤです。私たちにとって、西武百貨店は、高嶺の花じゃないけど、いつまでも、ちょっと手の届かない感じの高級感がある店であってほしかった。『ルイ・ヴィトン』『ティファニー』『シャネル』とか高級ブランドがあるから、お店の前を通っても“オーッ”てなる」 【あわせて読みたい】 西武池袋「ヨドバシ」出店 元社長が語る“三つのハードル”「ありえないと思う」 普段とは雰囲気が違う西武池袋本店(撮影/上田耕司)    西武百貨店に「変わってほしくない」と願うのは、若者ばかりではない。80歳だという婦人は、埼玉県川口市から買い物にやって来たという。 「敬老の日が近いから、そのための洋服を買いに来たんだけど、ストライキで閉まっているなんて知らなかった。(池袋西口にある)東武百貨店ではダメなんですよ。いつも買う売り場でないと」  同じく、今日はストで閉館していることを知らなかったと話すのは、千葉県出身で新宿から来たという40代の女性。 「今日は地下の食料品売り場で買い物をしようと思って来たんですが、閉まってたんですね。西武百貨店はいつも使っていて、お正月でもやっているのに、『うわーー』って感じです。西武は大学生のころから花見のおかずや、親の誕生日プレゼントなども買いました。(反対側にある)東武百貨店は広くて自分にとっては買い物がしづらいんですが、ここは慣れているし、行ったら店員さんが顔を覚えていてくれるのもうれしい」 「歴史的なストを見に来た」と語るフランス人男性(撮影/上田耕司)    池袋に職場があるという別の40代女性は、昼休み時間を利用して、ストを見に来たという。その理由をこう話す。 「出身がこの近くなので、洋服、デパ地下の食料品、上階のレストランなど、家族や友達との思い出が一杯あります。池袋のシンボルなので、それがなくなっちゃうとしたら、さびしいですね。池袋駅東口からはすでに三越もなくなってしまいました。東口で目立つのは、ヤマダ電機、ビックカメラ、LAVI、そして西武百貨店の建物の中にヨドバシカメラができるとなると、本当に家電量販店ばかりになってしまう。景観が全然違ってくるし、池袋のいいところがなくなっちゃうような気がします」  女性は西武池袋本店でアルバイトをしたこともあるという。 「学生時代にお中元売り場やイベントの催事場で働いていました。だから、もし縮小してでも、西武百貨店は残してほしいんです」  現場には外国人の姿もあった。2週間前に来日したというフランス人男性(31)はこう話す。 「きょうはシャッターが下りているスペシャルデーになっていたので、写真を撮っていました。毎日、この辺を歩いています。61年ぶりの百貨店のストライキとは驚きです。時によって、ストライキという方法はとても大事だと思います。フランスでもあちこちでやっているよ。経営側に対して労働側がトライする方法だからね」  自分だけが持つ西武百貨店への思いを重ね、訪れた人たちは歴史的なストを見つめていた。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
池袋西武本店ストライキ
dot. 2023/09/01 06:30
雅子さまの英語は「知的で滑らか」 愛子さまもよどみなくスピーチ 語学力が高い皇室メンバーは?
永井貴子 永井貴子
雅子さまの英語は「知的で滑らか」 愛子さまもよどみなくスピーチ 語学力が高い皇室メンバーは?
ヨーロッパ3カ国訪問中、ベルギー国王の別荘シエルニョン城でアルベール国王とパオラ王妃夫妻(左端)と週末を過ごす天皇、皇后両陛下と紀宮さま(いずれも当時)=1993年9月、ベルギー    皇室として、語学の重要性を意識していたのが上皇さまだ。息子である天皇陛下の英語教育に力を注ぎ、ご自身も海外への正確な情報発信に取り組んだ。そして今、皇室のメンバーそれぞれが、外国語を駆使した活躍を見せている。 *   *   *  皇室が海外に向けて情報発信する重要性に気づき、熱心に推し進めたのが上皇さまだ。  上皇さまは、19歳のときに英国のエリザベス女王(当時)の戴冠式にあわせて海外諸国を歴訪。このときに苦労した体験などから、「浩宮には若いうちにぜひ英国での留学を」と強く望んだという。  平成の天皇に侍従として仕え、『外交官の「うな重方式」英語勉強法』の著者でもある中京大学の多賀敏行・客員教授は、こう振り返る。 「当時の天皇であった上皇さまは、天皇の外国訪問前の記者会見の内容が正しい英語に翻訳され、早く発表されることを希望されていた。逆に言えば、英語で発信しなければ、現地のメディアに取り上げられないとの現実があった」  外国訪問時や、国内で要人を迎えての晩さん会などでの天皇のスピーチは、宮内庁の式部職が外務省と協議して大筋を作成する。しかし、外国訪問前の記者会見は違ったという。 「上皇さまがご自身の言葉と表現で原稿を完成させて、長女の黒田清子さんがワープロで打ち込むこともありました」(多賀さん)  そして記者会見が終わると同時に、外務省出身の多賀さんはアイルランド人の御用掛と陛下の会見の翻訳作業にあたった。作業は深夜に及ぶこともあったという。   【こちらもおすすめ】 愛子さまの手にトンボがとまった瞬間、愛犬の由莉ものぞき込んだ 静養先の天皇ご一家 https://dot.asahi.com/articles/-/199535   ベアトリックス女王(左)とアレキサンダー皇太子(右)ご一家の案内で王室馬車庫を見学する皇太子(当時)ご一家=2006年8月、オランダ、代表撮影    翻訳作業は任せていても、上皇さま自身の語学力は相当に高いものだった。英語はもちろん、昭和の時代に上皇ご夫妻は東大教授の故・前田陽一氏のもとで仏語も磨いていた。  多賀さんが、外国の賓客の通訳を務めたことがあった。多賀さんが日本語に訳し終えると、上皇さまはご自身で英語を聞き取っている様子だった。そこで、詳細な通訳は必要ないだろうと判断して次は簡単に訳したところ、上皇さまから、 「(日本語訳が)簡単すぎる。きちんと訳してください」   と「クレーム」がついたという。 「やはり、ほぼ完璧に聞き取っておられるのだと確信しました」  多賀さんは、上皇さまとの思い出を懐かしむように笑った。   教育パパ、ママだった上皇ご夫妻  ほかの皇室メンバーも、英語に堪能な方ばかりだ。 「格調が高い英国英語であるQueen's English(クイーンズイングリッシュ)をお使いになる方」と多賀さんが話すのが、上皇后美智子さまだ。  美智子さまが皇太子妃時代から、詩や和歌の英訳や、英語での朗読を続けていたのは有名な話だ。美しい日本語で知られる詩人、まど・みちおの作品の英訳も評価が高い。  接遇の場面などでは、海外の詩の一節などを原文で、ごく当たり前のように口にされることもあったと多賀さんは話す。   【こちらもおすすめ】 愛子さまの休日 カツ丼とお団子をペロリ 高円宮家の絢子様とバッタリ鉢合わせ https://dot.asahi.com/articles/-/199226    秋篠宮さまは、長年の親交があるジャーナリストの江森敬治さんに、英語は両親から教わったと話している。  上皇さまは秋篠宮さまに、英語は母音と子音を組み合わせて発音することを教えた。秋篠宮さまは英語の発音を聞いて、英語のスペルを書く練習をしたという。美智子さまの発音もとてもきれいで、秋篠宮さまは江森さんに「英単語は小さなころから読めました」と話していたそうだ。  1975年にエリザベス女王が来日した際には、6歳の清子さんが恥ずかしがることなく庭に咲いていた花を女王に贈り、秋篠宮さまも女王と会話をしている。    天皇陛下や雅子さまも、長女の愛子さまの外国語教育に熱心だ。  天皇陛下は英語のほかに仏語やスペイン語も学んでいるが、「愛子には、英語より先にスペイン語に触れさせたい」と、陛下のスペイン語教師を6歳の愛子さまにつけて、スペイン語のレッスンをスタートさせた。  また、学習院初等科の4年生のときから英語の授業があったが、愛子さまは夏休みなどに学習院女子大学でのイングリッシュ・セミナーに参加。とある体験施設で、よどみない英語でのスピーチを披露したこともあったという。    秋篠宮妃の紀子さまも、動物の生態を描いた「ちきゅうのなかまたち」という外国の絵本のシリーズの翻訳を2007年から手がけている。式典では英語でのスピーチもさらりとこなす。  紀子さまは手話にも精通しており、日本語のほかに英語、インドネシア語の手話もマスターしているという。長女の小室眞子さんと次女の佳子さまも、英語教育に定評のある国際基督教大学(ICU)で学び、それぞれ英国留学を経験。佳子さまは2月、世界各地の青年と交流するイベントでも、参加者と英語で懇談する姿を見せた。   【こちらもおすすめ】 すっかり「パパ」と「ママ」の陛下と雅子さま 運動会で望遠レンズの先には成長した愛子さま https://dot.asahi.com/articles/-/198782   IOC総会で、東京の最終プレゼンテーションの壇上で話す高円宮妃久子さま=2013年9月、アルゼンチン・ブエノスアイレス   外務省から評価の高いおふたり  多賀さんによれば、外務省関係者の間で英語の評価が抜群に高いのは、雅子さまと高円宮妃の久子さまなのだという。  雅子さまは米国での暮らしが長く、外務省時代には英オックスフォード大学への留学経験もある。1991年に米ベーカー国務長官が来日した際は、外務省北米2課に所属していた雅子さまが通訳を務めた。英語での基調講演を聞く際に、同時通訳は必要ないという。 「雅子さまの英語はさすがといいますか、知的で発音が滑らか。きれいな英語です。英語での接遇場面がほとんど公表されないのが、もったいないと感じます」(多賀さん)    久子さまの高い語学力が広く認識されたのが、2013年にアルゼンチン・ブエノスアイレスで開催された国際オリンピック委員会(IOC)の総会の場だった。  久子さまは流暢な仏語と英語で東京の魅力を発信し、東京への五輪招致を強力に後押しした。皇族が招致活動にかかわることに宮内庁は苦言を呈したものの、その確かな語学力が絶賛された。  久子さまは英国の高校を経て、ケンブリッジ大学ガートン・コレッジを卒業。英語の著書も出している。3人の娘たちに聞かせていた話をまとめ、自身が英文で書き下ろした『夢の国のちびっこバク』は、絵本界の巨匠ブライアン・ワイルドスミスの絵で1996年に英国で出版、続けて日本語版も発売された。98年には『氷山ルリの大航海』を日本語版、英語版で同時出版している。    いずれも高い語学力を誇る、皇室の方々。多賀さんは言う。 「これほど高いレベルの外国語の能力を保持する『組織』は、皇室以外にはないと昔から言われていました。皆さま、素晴らしい語学力をお持ちなのですから、もっと積極的に公表していただきたい」 (AERA dot.編集部・永井貴子)
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dot. 2023/08/29 11:41
ビリー・アイリッシュ、3rdアルバムの制作状況について語る
ビリー・アイリッシュ、3rdアルバムの制作状況について語る
ビリー・アイリッシュ、3rdアルバムの制作状況について語る  ラナ・デル・レイがいなければ、ビリー・アイリッシュは存在していなかっただろう。21歳のビリーは、デュア・リパの英BBCポッドキャスト『At Your Service』の最新エピソードで、いかにラナと彼女の2012年のアルバム『ボーン・トゥ・ダイ』が自身の音楽観を変えたかについて語った。 「あのアルバムは音楽を変えたと思う」とビリーはラナの2ndアルバムについてデュアに話し、「特に女子のための音楽、何が可能かという面で革新的だった」と説明した。 【グラミー賞】を7度受賞しているビリーはまた、ジャスティン・ビーバーの『ビリーヴ』(2012年)と『ジャーナルズ』(2013年)について「ほんとお気に入りだよ」と語り、チャイルディッシュ・ガンビーノの『ビコーズ・ザ・インターネット』(2013年)、元恋人のジェシー・ラザフォードが所属するザ・ネイバーフッドの『Wiped Out!』(2015年)とともに彼女の人生に大きな影響を与えたと話している。 ビリーとデュアは、それぞれグレタ・ガーウィグ監督の大ヒット映画『バービー』のサウンドトラックに参加しており、ビリーの「What Was I Made For?」とデュアの「Dance The Night」は今週頭に全英1位の座をかけて争っていることが報じされていた。2人はまた、デュアによるポッドキャストで、世間の注目を浴びながら成長し、アーティストとして進化していくことについて話した。ビリーは、年齢を重ねるにつれて、新しい音楽への取り組み方が変わり、よりチャレンジになっていることを“受け入れるのが難しい”と述べている。 「何もかもが違う」と明かしたビリーは、「最近は、違うやり方に慣れてきたから、比較するようにしてる。“これでいいんだ。私は大丈夫。自分にはまだこれができる、まだ能力がある”という感じで」と続けた。「18歳から21歳の間には大きな成長がある。精神的にも肉体的にも、そして現実的にも。まったく違うんだよね」と彼女は話した。 そして、ビリーは3rdアルバムの制作状況について、「フィニアスと私は、言いたくないけど、次のアルバムに向けて本調子を出し始めたばかり。でも、いい感じ。正直、心配はしていない。心地いいと感じているし、自信に満ちていて、ワクワクしている」と明かした。
billboardnews 2023/08/25 17:11
行動遺伝子学から考える未婚・既婚での“女性の自由度”の差 環境で異なる遺伝の影響
行動遺伝子学から考える未婚・既婚での“女性の自由度”の差 環境で異なる遺伝の影響
※写真はイメージです(Getty Images)    1960年代にアメリカで行われた17歳のふたご900組弱を対象としたアルコールや薬物依存と問題行動と住む環境ついての研究では、女子に関してのみ、遺伝の影響については都会の方が大きく(都会44%、田舎2%)、共有環境は都会より田舎の方が大きい(都会9%、田舎62%)という傾向にあった。このような女性の住環境の自由度の違いに対して、結婚しているか、していないかの角度から見た研究がある。行動遺伝学者の安藤寿康氏の新著『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して紹介し、行動遺伝学の視点からみた“女性の自由度”について紹介する。 *  *  * 【『教育は遺伝に勝てるか』の内容を読む】 #1 ジェットコースターと肝試し、怖がる“遺伝子”は別 #2 子の成長は遺伝で決まる 「親の育て方しだいではない」 #3 人間は「教育」がなければ生きられない #4 学力への影響は「遺伝」が50%、「環境」が30% #5 ふたごを調べて分かった、学力にかかわる4つの項目 #6 遺伝的素質を発揮できない子どもたちに経済的サポートを #7 子どもの問題行動と親の厳しさの因果関係 #8 「非行」は環境の影響「犯罪」は遺伝が関わる #9 どんな子も教育環境から遺伝的才能を開花させる #10 “テスト”は百害あって一利なし #11 都会と田舎、家庭の裕福さは自由さに関係するか? #12 行動遺伝子学から考える未婚・既婚での“女性の自由度”の差  女性の環境の自由度の違いに対して、住んでいる地域とは別の角度からの研究があります。それは結婚しているか、していないかの違いです。女性は既婚者と未婚者でどちらの方が自由度が高いでしょうか。  結婚する前は自由にお酒を飲みたければ飲めるし、飲みたくなければ飲まなくてもよいけれど、結婚すると夫の世話や子育てで飲みたくても飲めない、あるいは夫に付き合って好きでもないお酒を飲まねばならない。だから結婚前の方が自由だと考える人はいるでしょう。 宗教性の高さが喫煙に及ぼす遺伝と環境の影響の割合(作成・師田吉郎)    しかし逆に結婚する前は付き合っている仲間や友達に合わせなければならないので自分の自由にならないけれど、結婚してしまえば、多少のわがままも聞いてもらえるので飲みたければ飲む、飲みたくなければ飲まない自由が増えると考えるかもしれません。  約1700組の成人のふたごの女性を対象に行われた調査では、アルコール消費量の遺伝率は、30歳以下の場合、既婚女性ではわずか31%であるのに対して、未婚女性では60%でした。また31歳以上では既婚女性の遺伝率は46%から59%であるのに対して未婚女性では76%でした。どうやら飲酒に関する自由度は未婚女性の方が高く、また年齢が上がるにつれて高くなるようです。  また環境の自由度は、欧米では宗教の影響も受けるようです。キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンズー教など、いろいろな宗教がありますが、一般に宗教は、生活のさまざまな面について慎み深さを求め、感情に流されたり欲に溺れる行いを戒めるものです。国民の多くが無宗教である日本は、むしろ特別で、多くの国は生活の中に宗教によって生活を律する環境が、形式的にせよ作られていますし、無宗教な日本ですら、お盆やお彼岸にはお墓参りに行ったり、お坊さんを呼んで先祖にお経をあげてもらう習慣は残っている家庭も多いでしょう。そうした宗教的な活動にかかわって、その経典を読んだり、儀式に参加してお坊さんや神父さんの説教を聞く機会が多いか少ないかが、行動の自制を促す傾向に差を生むようです。  アメリカのコロラド州で行われた研究では、約550組のふたごのほかに800組近いきょうだいや片方の親だけが同じきょうだいのような血縁者約1000組のデータを合わせて、たばこを吸い始めたかどうかへの遺伝の影響を調べました。すると案の定、何らかの宗教の活動(たとえば聖書を読む会に出席するなど)に参加する程度によって、遺伝と環境の割合が異なってくることがわかりました。宗教に参加する程度が多いほど遺伝によるばらつきは小さくなり、代わって共有環境と非共有環境により大きくなるというものでした。  これはそもそもその人がどのくらい宗教行事にかかわるかを指標として見ていますので、単に環境の問題だけでなく、その人自身の宗教にかかわろうという心理的な傾向もかかわっているともいえます。 【『教育は遺伝に勝てるか』の内容を読む】 #1 ジェットコースターと肝試し、怖がる“遺伝子”は別 #2 子の成長は遺伝で決まる 「親の育て方しだいではない」 #3 人間は「教育」がなければ生きられない #4 学力への影響は「遺伝」が50%、「環境」が30% #5 ふたごを調べて分かった、学力にかかわる4つの項目 #6 遺伝的素質を発揮できない子どもたちに経済的サポートを #7 子どもの問題行動と親の厳しさの因果関係 #8 「非行」は環境の影響「犯罪」は遺伝が関わる #9 どんな子も教育環境から遺伝的才能を開花させる #10 “テスト”は百害あって一利なし #11 都会と田舎、家庭の裕福さは自由さに関係するか? #12 行動遺伝子学から考える未婚・既婚での“女性の自由度”の差   安藤 寿康 あんどう・じゅこう  1958年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学名誉教授。教育学博士。専門は行動遺伝学、教育心理学、進化教育学。日本における双生児法による研究の第一人者。この方法により、遺伝と環境が認知能力やパーソナリティ、学業成績などに及ぼす影響について研究を続けている。『遺伝子の不都合な真実─すべての能力は遺伝である』(ちくま新書)、『日本人の9割が知らない遺伝の真実』『生まれが9割の世界をどう生きるか─遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋』(いずれもSB新書)、『心はどのように遺伝するか─双生児が語る新しい遺伝観』(講談社ブルーバックス)、『なぜヒトは学ぶのか─教育を生物学的に考える』(講談社現代新書)、『教育の起源を探る─進化と文化の視点から』(ちとせプレス)など多数の著書がある。
朝日新聞出版の本遺伝教育教育は遺伝に勝てるか?
dot. 2023/08/19 07:00
すっかり「パパ」と「ママ」の陛下と雅子さま 運動会で望遠レンズの先には成長した愛子さま
永井貴子 永井貴子
すっかり「パパ」と「ママ」の陛下と雅子さま 運動会で望遠レンズの先には成長した愛子さま
学習院幼稚園に通っていた愛子さまの運動会。雅子さまのやわらかな笑顔が印象的だ=2006年、代表撮影/JMPA    我が子が参加する運動会。親はグラウンドに立つ子どもをカメラで追いかけてシャッターを切り、動画を撮る。そうした家族の姿は、皇室でも変わらない。そんな「子育て」真っ盛りの天皇陛下と雅子さまの姿を振り返る。 *   *   *   愛子さま初等科4年生の運動会。カメラ好きの陛下は、望遠レンズを装着した一眼レフカメラでベストショットを狙う=2011年、代表撮影/JMPA    2011年秋に開催された、学習院初等科の運動会。黒いキャップ帽で日差しを避けながら、望遠レンズを装着したキヤノンのデジタル一眼レフカメラを手にシャッターチャンスを逃すまいと構えていたのは、皇太子時代の天皇陛下だ。  若いころからカメラ好きで知られる陛下。レンズの先にいるのは、もちろん愛子さまだ。    4年生の愛子さまは、白いハチマキをしめて「十字綱引き」に参加。午後には、「初等科ソーラン節」、そしてクラス代表として「学年対抗リレー」にも出場した。  陛下が、まな娘の姿を夢中で追うのも無理はない。  学習院初等科の運動会は、皇太子の重要な公務である八大行啓のひとつと日程が重なることが多い。初等科1年生のときには欠席。6年生の運動会も、愛子さまが1位でゴールをした午前の障害物競争には間に合わなかった。それでも、愛子さまの最後の演技である組体操には駆け付けたのだ。  運動場のまな娘の姿に、すっかり「パパ」と「ママ」の表情になっていた陛下と雅子さま。 「夢中になりすぎたのか、よろしくないタイミングでカメラを構えてしまい、隣の雅子さまが、やんわりと注意なさっていたこともありました」(保護者のひとり)   【こちらもおすすめ!】 愛子さまの工作「ぶたちゃん」に陛下と雅子さまの「仔猫たち」 宮内庁の文化祭とは? https://dot.asahi.com/articles/-/198525   幼稚園生の愛子さま。「おおたま」が応援席に飛び込んだ後、再びゴールへ=2006年、代表撮影/JMPA 幼稚園の運動会で走る愛子さま=2006年、代表撮影/JMPA    愛子さまが初めて運動会に出場したのは2006年、学習院幼稚園に入園した年だ。  4歳の愛子さまは、男の子とペアを組んで「おおたまころがし」に挑戦。愛子さまの背丈ほどの大きな「おおたま」が、勢いあまって陛下と雅子さまのいた応援席に飛び込んでしまうハプニングもあった。     【こちらもおすすめ!】 雅子さま「喜びも悲しみも分かち合い」強くなった夫婦の絆 ご成婚30年写真で振り返る https://dot.asahi.com/articles/-/194959   初等科6年生の運動会。愛子さまの成長に、雅子さまは目を潤ませていた=2013年、代表撮影/JMPA    2013年、初等科最後となる6年生の運動会。公務を終えた陛下と雅子さまは、午後から駆けつけた。陛下は2台のカメラを使い分けて、愛子さまをレンズで追った。  というのも、愛子さまが挑戦するのは6年生による「感動」の組体操だからだ。  5年生からバスケットボール部で活動を続ける愛子さまは、背も伸びて、体格もしっかりと成長。愛子さまは、2人組で行う「サボテン」では同級生をひざに乗せ、「倒立」では同級生を支える役を務めた。最後を飾った7段の大ピラミッドでは一番下で支えた。  120人の子どもたちによる演技に、保護者らからは歓声と大きな拍手がわいた。雅子さまは目を潤ませながら、愛子さまの演技を見守っていた。    報道公開はされなかったが、学習院女子中・高等部の運動会では、愛子さまはバスケットの経験を生かしたドリブル競技やクラス対抗種目などで活躍した。陛下と雅子さまもカメラを手に、成長したまな娘を見守った。    2021年12月、雅子さまは58歳の誕生日を迎えた。雅子さまは感想をつづった文書のなかで、20歳を迎えた愛子さまについて、 「あの幼かった愛子がもう成年かと思いますと、信じられないような気持ちもいたします」  と振り返った。 「おおたま」を応援席に飛び込ませてしまった幼い愛子さまの姿も、懐かしく思い出されたのかもしれない。 (AERA dot.編集部・永井貴子)
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dot. 2023/08/17 11:00
現役東大大学院生・磯貝初奈アナの勉強法 中学受験は「効率」より「興味」優先
現役東大大学院生・磯貝初奈アナの勉強法 中学受験は「効率」より「興味」優先
優先したのは「効率」より「興味」。 正解した問題も、納得いくまで考え抜くことだったと語る磯貝初奈さん(撮影/写真映像部・東川哲也、スタイリング/青柳裕〈Azzurro〉、ヘアメイク/かんだゆうこ)  フリーアナウンサーの磯貝初奈さんは、桜蔭中学校高等学校の出身。現在は仕事を継続しながら、東京大学の大学院に通っています。AERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2024』(朝日新聞出版)では、「勉強が楽しい、大好き」と語る磯貝さんに、中学受験の思い出について、語ってもらいました。 * * * 「興味あることを調べ、疑問を解決するのが大好き」 今年4月、自身の母校である東京大学の公共政策大学院に進学した、フリーアナウンサーの磯貝初奈さん。現在は7年ぶりの学生生活を送りながらクイズ番組やトーク番組に出演するなど、多忙な日々を送っている。  中高時代を過ごした桜蔭学園は、東京大学合格者数ランキングの上位に毎年名を連ねる名門女子校だ。 磯貝初奈さん(撮影/写真映像部・東川哲也、スタイリング/青柳裕〈Azzurro〉、ヘアメイク/かんだゆうこ)   「私の母も桜蔭の出身です。卒業後、年月を経ても当時の同級生と仲良くしている母の様子を見て、楽しそうだなぁと感じたことが、中学受験をしたいと思ったきっかけです」 「帰宅が遅くなると十分な睡眠が取れない」との心配から通塾を反対する母を説得し、受験塾に通い始めたのは小学5年生の秋だ。幼少期から「何かに夢中になると、周りが見えなくなる」性格。塾に通い始めてからは、鉄棒の練習や『ハリー・ポッター』に夢中になったのと同じ集中力で、勉強に取り組んだ。 母の方針で夜9時就寝 勉強方法は人それぞれ  興味を持ったこと、疑問に感じたことは、とことん追求するのが磯貝さんの学習スタイル。正解した算数の問題も、なぜその解法で正答が出るのかがわからなければ、納得いくまで考え、質問した。新しい知識を得ること、断片的な知識がつながり、大きな流れとして理解できるようになることの楽しさは、受験勉強にも感じることができた。  その一方で、塾に通い始めてからも母の方針は変わらず、塾のない日は夜9時に就寝する生活を継続した。 「たくさん問題を解くことで力を伸ばせる人もいれば、基本問題を5問完璧に理解して、そこから応用力を身に付ける方法が合っている人もいる。私は間違いなく後者。あのとき睡眠時間を削って無理をしていたら、勉強が嫌いになっていたかもしれません」 「中高時代の友人こそ受験で得た最高の財産」と語る磯貝初奈さん(撮影/写真映像部・東川哲也、スタイリング/青柳裕〈Azzurro〉、ヘアメイク/かんだゆうこ)   前日に押し寄せた不安。塾の仲間に救われた  志望校は桜蔭と、文化祭を見て気に入った共学校の2校に決めた。成績は合格ラインを上回っていたが、桜蔭の入試前日、弟から「初奈ちゃん、明日大丈夫なの?」と聞かれた途端、なぜか一気に不安が押し寄せた。そんな磯貝さんを救ったのは、一緒に桜蔭を受験した塾の友人と、受験生を励ますために桜蔭の校門前で待っていた塾の先生だった。みんなで円陣を組み声を掛け合うと、いつしか気持ちは前向きに。無事に入試を終え、出願した2校ともに合格を果たすことができた。 「私は興味を抱いたことを調べ、疑問を解決する作業が大好きなんだと、中学受験で改めて実感しました。途中、学習意欲が下がった時期もありましたが、楽しさより苦しさが上回る受験勉強にはならなかったと思います」  さまざまな情報をわかりやすく伝えるアナウンサーの仕事に興味を抱いたのは、中学生のころだ。「将来アナウンサーになったときの強みにしたい」と、1日10時間の猛勉強の末、高1の夏休みには気象予報士試験に合格。そのことが、大学在学中に抜擢されたお天気キャスターの仕事や、後のキャリアにつながった。 中高時代の友人こそ受験で得た最高の財産  中学では英語劇部、高校では料理部に所属。自由登校となる受験直前期も学校に通い詰め「一番、学校生活を満喫した生徒かも」と笑う。 磯貝初奈さん(撮影/写真映像部・東川哲也、スタイリング/青柳裕〈Azzurro〉、ヘアメイク/かんだゆうこ)   「今も同級生と会えば、話は尽きません。今後の人生でもずっと仲良くできるであろう友人と出会えたことが、中学受験で得た一番の財産です」  わからないことは徹底的に調べる性格は、今も変わらない。大学は理系専攻だったが、政治学、経済学といった文系科目を学ぶ大学院に進学したのは「ニュースとして報道される出来事の背景を理解できるようになりたかったから」と語る。目標は「百知った上で、一を語れる」ニュースキャスター。磯貝さんの学びの日々は、続く。 (文=木下昌子) ※AERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2024』より いそがい・はな/フリーアナウンサー。中学受験で桜蔭学園に進学。15歳で気象予報士試験に合格(当時の女子最年少記録)。東京大学理科一類在学中にニュース番組のお天気キャスターを務め、大学卒業後、中京テレビを経てフリーに。現在は「サンデーLIVE!!」(テレビ朝日系列)に出演するほか、今年4月から東京大学公共政策大学院在学中。
中学受験中高一貫校選び磯貝初奈
AERA with Kids+ 2023/08/14 11:30
まもなく17歳の悠仁さま ちぎり絵から精巧な模型づくりへ、成長が伝わる「文化祭」の作品
永井貴子 永井貴子
まもなく17歳の悠仁さま ちぎり絵から精巧な模型づくりへ、成長が伝わる「文化祭」の作品
「2023かごしま総文」のパレードを見学する秋篠宮の長男の悠仁さま=7月29日、鹿児島市  秋篠宮さまとともに7月、鹿児島県で開催された「全国高校総合文化祭」に出席された秋篠宮家の長男・悠仁さま。研究発表をした生徒たちに「トンボにすごく興味がある」「トウキョウサンショウウオを見てみたい」などと話しかけたという。生き物好きで、木登りが大好き――。小さなころのそんなイメージが強い悠仁さまだが、宮内庁が開催する「文化祭」に出展している作品からは、生き物にとどまらず興味や関心を広げていく様子がうかがえる。皇室の「あのとき」を振り返る。 *   *   *  天皇陛下をはじめ皇族方は、いずれも研究熱心な方ばかりだ。  上皇さまはハゼの研究者であり、天皇陛下は水問題の研究で知られる。秋篠宮さまは家禽類の研究で皇族初の博士号を取得している。故・寛仁殿下の長女・彬子さまは、中国の春秋戦国時代を舞台にした人気漫画「キングダム」の筋金入りのファンだが、日本美術の研究者だ。  そして悠仁さまにも、その「片鱗」がうかがえる。その場が、皇居にある宮内庁内で開催される「文化祭」だ。正式には「宮内庁職員組合文化祭美術展」。職員のための行事だが、皇室メンバーの作品も特別出品される。  これまでに制作された作品からは、悠仁さまの成長の様子が見て取れる。   4歳の悠仁さまが作った植物のちぎり絵=2010年、代表撮影/JMPA    お茶の水女子大学付属幼稚園に入園した2010年、昆虫や植物に興味を持ち始めた4歳の悠仁さまが作ったのは、和紙のちぎり絵だった。庭のヘチマやムベ、アケビを表現した「みのりの秋」という作品だ。  この年、秋篠宮さまは誕生日の会見で、悠仁さまが秋篠宮邸の庭にある柿の木やヘチマにも興味を持つようになったと話している。 「実というのでしょうか、木になる実など植物になっているもの、また、お芋のようなものに随分興味が出てきたようです。(略)私と一緒に見に行っては長さを測ったりすることを楽しみにしておりました」  この年の紀子さまの作品は、翌年の干支にちなんだウサギを和紙と粘土で作った「雪うさぎ」。雪の日にご一家で雪うさぎを作ったことをイメージしたという。   【こちらもおすすめ!】 愛子さまの工作「ぶたちゃん」に陛下と雅子さまの「仔猫たち」 宮内庁の文化祭とは? https://dot.asahi.com/articles/-/198525 トンボやチョウの標本「夏の思い出」。現在もトンボに関心があるという=2013、代表撮影/JMPA    悠仁さまは小学生のころから現在まで、トンボの成育環境の調査を続けている。  お茶の水女子大学付属小1年生だった13年には、皇居や赤坂御用地などで採集したトンボやセミ、アゲハチョウの標本を、「夏の思い出」と題して出品している。  標本のタイトルは、「日本のヤンマ」「日本のアゲハチョウ」「日本のセミ 日本には35種セミがいます」。それぞれの個体の下には、「ウチワヤンマ」「Sinictinogomphus clavatus」というように和名と学名で書かれたラベルもある。  悠仁さまは、チョウの羽の鱗粉(りんぷん)が落ちないよう、丁寧に作業したという。   16歳になった悠仁さま=2022年、宮内庁提供    悠仁さまの「こだわり」ぶりが注目を集めたのは、同小3年生だったときの「文化祭」で制作した、実物大の信号機の模型だ。  発泡スチロールの板や電球を使った「車両用電球信号灯の模型」は、高さ3.3メートル、横2.4メートル。スイッチを押すと信号が点灯する力作だった。さらに翌年にも粘土と針金で制作した「片面角形信号機」と「歩行者用信号機」の模型が出品された。  この16年には、日本家屋のミニチュア模型「昔の暮らし」も出展。図鑑で調べながら間取りを自ら考え、富士山の絵が描かれた和室のふすま、台所には包丁やしゃもじ、水がめといった小物まである精巧さだった。 「昔の暮らし」は翌年にも制作され、家屋の周囲には水田や畑、秋篠宮さまが研究する鶏小屋も作られた。ご家族や職員も協力したという。 【こちらもおすすめ!】 愛子さまの工作「ぶたちゃん」に陛下と雅子さまの「仔猫たち」 宮内庁の文化祭とは? https://dot.asahi.com/articles/-/198525   右は秋篠宮さまが出展した、赤坂御用地の四季を撮影した作品を出展。悠仁さまは折り紙で「5つの多面体」という作品を制作した=2011年、代表撮影/JMPA   「文化祭」は代替わりやコロナ禍などもあって、19年から開催されていない。その間に悠仁さまは中学を卒業し、筑波大学付属高校に入学。現在は高校2年生で、9月には17歳の誕生日を迎える。現在は秋篠宮ご夫婦や次女の佳子さまとは別に、「ひとり」で地方を訪れる機会も出てきた。  成長とともに、興味や関心を身近な生き物から、さらに生き物と人との関わりへと広げていく様子が、作品から垣間見えてくる。 (AERA dot.編集部・永井貴子) 【こちらもおすすめ】 【写真】佳子さまの装いが激変した時!真っ白ダウンにミニスカコーデはこちら https://dot.asahi.com/articles/photo/40444?pn=4
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dot. 2023/08/13 11:00
ジェニーちゃん人形が「復活」で親世代が狂喜乱舞 大人の女性にもファンが多い理由
市川綾子 市川綾子
ジェニーちゃん人形が「復活」で親世代が狂喜乱舞 大人の女性にもファンが多い理由
新生「#ジェニー」(写真:タカラトミー提供)  1980年代にデビューし、充電期間を経て2010年にリニューアル登場した「ジェニー」が、パワーアップして戻ってきた。タカラトミーが8月5日からの販売開始を明らかにすると、SNSではかつてのファンらが歓喜の声を上げた。「リカちゃん」が憧れる存在というジェニーは、17歳の女子高生になったリカちゃん「#Licca(ハッシュタグ・リカ)」とともに、よりスタイリッシュに「進化」していた。 *   *   *  ジェニーの登場は、今の子どもたちにとってはリカちゃんの新しいフレンドのお目見えとなるが、その親世代にとっては懐かしさをもっての「再会」となる。  ジェニーの歴史は「バービー」にさかのぼる。  バービーを世界的に展開している米マテル社とのライセンス契約で、1982年に日本のタカラ(現・タカラトミーの前身)が和製バービーを発売。その契約終了に伴い、86年にバービーは「ジェニー」に名称を変えて販売してきた経緯がある。その洗練されたファッショナブルさがブームを巻き起こし、2000年以前はリカちゃん人気に勝る勢いもあった。  近年は新シリーズの発売はなく、ジェニーが入手困難な状況になると、オークションサイトで高値で売り買いされる状況が続いてきた  そして2023年に再び姿を現したジェニー。  米ロサンゼルス出身の17歳という設定は「初代」のままだが、モデルという当時の設定から「世界で活躍するスーパーモデル」へとパワーアップした。  身長はリカちゃんより5cm高い27cmと変わらないものの、高いヒールがさらに脚を長く見せる。流行の透ける素材のブラウスに千鳥格子のミニタイトスカート、カチューシャや胸元にはビジューが光るという大人っぽいファッションだ。さらに青いインナーカラーを施したヘアースタイルがこれまでにないクールな印象で、直線的な長い髪の毛がスタイルの良さを際立たせる。  ジェニーの「進化」は、リカちゃんとも関係している。 1986年初代「ジェニー」(タカラトミー提供)  定番のリカちゃんは発売から56周年、世代を超えて親しまれているが、2020年に新たな動きがあった。より幅広い世代のファンに楽しんでもらえるようにと、ファッション性を高めた「#Licca(ハッシュタグ・リカ)」シリーズを発売したのだ。  11才の小学5年生から17歳の現役 SJK(高校2年生)へとちょっぴり大人になったリカちゃんは、雑誌の読者モデルという設定で、身長も22cmから27cmに「成長」。定番の「リカちゃん」シリー ズよりも、さらにトレンドを意識したファッションやライフスタイルを打ち出し、遊ぶ子どもたちが成長するにつれて「#Licca」へと流れていけるようにした。  ファッションも、これまでのワンピース風の服から上下別の服にすることで組み合わせのバリエーションを楽しめたり、流行の透ける前髪や持ち物にリップがあったりと、憧れのお姉さんの存在へ。定番のリカちゃんとともに人気だという。  そして新しいジェニーは、その「#Licca」が憧れるモデル、という設定でもある。「#Licca」と同じデザイナーが担当し、ファッショナブルさをより際立たせた。 40代を中心に復活を切望する声  かつてジェニーに熱狂した世代にとって、新しいジェニーの登場は、待ち焦がれていた瞬間だ。  SNSでは「ジェニーが復活‼」「ありがとう!タカラトミー!」などと喜びの声があがっている。発売前から反響があり、タカラトミーの公式オンラインマーケットでの予約数は、同時期に発売された別のドールの約5倍になったという。  同社広報課の柳寺薫乃さんは言う。 「最近、80年代のシティポップカルチャーやバブル時代ファッションが再燃している背景があります。ジェニーも80年代に生まれ一世を風靡しましたから、当時を懐かしむ流れがあります。また、子どものころにジェニーちゃんに遊び親しんだ40代を中心に、復活を望む多くの声が常に届いているんです。熱烈なお手紙をいただくこともありました。  そういった動きを受けて、ジェニーの誕生月にあたる8月に新たなシリーズの発売が決まりました」 ブランドとのコラボ「ジェニー」はファッショナブルな衣装が目を引く。ヒロミチナカノ(左・中央)、ピエールカルダン(右)(撮影/写真映像部・高野楓菜)  よりスタイリッシュになったジェニーに対しては、「今っぽい!」という声とともに、「昔のジェニーちゃんのほうが好みだ」という意見もあがっている。  しかし、好みは様々に分かれるなか、いつの時代も「今」を反映させてきたと、同社マーケティング課の松本志保さんは話す。 「ジェニーは発売当初から“ファッションドール”という位置づけなんです。そこがリカちゃんと違うところです。  リカちゃんは5歳児をメインターゲットに人形を使ったごっこ遊びを想定していますが、ジェニーはファッションを楽しむ着せ替えの要素が強く、常に時代の流行を取り入れてきました。お子さんだけでなく、大人の方にもファンが多い理由でもあります」  振り返ればジェニーには、DCブランドが流行った80年代にはヒロミチナカノ、ピエールカルダン、ハナエモリなど名だたるブランドとコラボしたシリーズがあり、どれも目を引く衣装ばかり。  また、アイドルの影響で大ブームとなったローラースケートを履いたモデルやジュリ扇にボディコンのバブル時代のスタイル、小麦色肌のギャル風、エクステや付けまつ毛が施せるお姉さん系など、ジェニーの展開を通して当時の流行が垣間見えてくる。 ボディコンスタイルの「ジェニー」(撮影/写真映像部・高野楓菜) 小麦色肌のギャル風「ジェニー」(撮影/写真映像部・高野楓菜) SNS時代のドール遊びも後押し  そんな新しいジェニーの完成までには、サンプルを何パターンも作ったという。 「ファンの方にとって、髪やメイクは大事な要素です。自分でアレンジしたりできる服や小物と違って、大きく変えられませんので。親しんでもらえるよう、製作にはこだわります。お子さんたちを集めて人気調査をしたり、大人の方を含む顧客アンケートを行ったりします」(松本さん)  ジェニーは「初代」の発売以来、瞳に星を入れたり、たれ目にしたりと、顔のつくりもマイナーチェンジを遂げてきたが、今回は過去のジェニーを踏襲しつつも、今風のメイクを施した。  名前は伏せて歴代ドールの顔写真を並べ、どのドールの顔が好きか子どもたちにアンケートしたところ、今回採用されたジェニーの顔に一番人気が集まったという。「かわいいからという声に、今の子たちにも受け入れられるという確信を得ました」と松本さん。 歴代「ジェニー」の一部。各時代の流行が反映されている(撮影/写真映像部・高野楓菜)  ここ数年はコロナ禍のために家で過ごす時間が増えたこともあり、新たなドール遊びが目立つという。同社広報課の村山麻衣子さんは話す。 「2020年あたりから、ドールの洋服や小物を自分で作って、色々なシーンで撮影し、インスタにアップすることを楽しむ方がさらに増えています。いかにオリジナルなおしゃれをさせて、自分だけの1体に仕上げるか、大人の遊びといえます。最近感心したのは、ペットボトルのキャップでバッグを作っている方がいらして、クオリティがとても高かったですね。昔のジェニーの投稿があるなか、新しいジェニーの盛り上がりも楽しみです」  ジェニーブームは再来するか。存在感強めの#Liccaのフレンドドールとして、新たなドール史に名前を刻むことになりそうだ。 (AERA dot.編集部 市川綾子)
ジェニーリカちゃんドール
dot. 2023/08/12 09:30
「マウンティング癖がある子ども」親の行動に1つの共通点
「マウンティング癖がある子ども」親の行動に1つの共通点
写真はイメージ(Gettyimages)   2023年の首都圏中学入試の受験者総数は過去最高を記録した。開成、麻布、桜蔭、雙葉、筑駒、渋幕、武蔵、海城……東京・吉祥寺を中心に都内に展開する進学塾VAMOSは、「入塾テストなし・先着順」で生徒を選抜しないが、「普通の子ども」を有名難関校に続々と合格させると話題の塾だ。子どもの特徴を最大限に生かして学力を伸ばす「ロジカルで科学的な学習法」が、圧倒的な支持を集めている。本稿では、VAMOSの代表である富永雄輔氏の最新刊『ひとりっ子の学力の伸ばし方』(ダイヤモンド社)から、特別に一部を抜粋して紹介する。   女の子は「競争疲れ」させないように    VAMOSを「首席卒業」しているのは、ここ数年ずっと女の子です。    女の子が優秀になってきたことに加え、親の意識も変わっているからでしょう。    女性の社会進出が進んだこともあり、女の子に対して「おしとやかであればいい」などと考える親は少なくなりました。    逆に、世界で通用する子に育てようと、男の子の120パーセントくらいの努力をさせている傾向にあります。    そのため、女の子は向上心も強く、常に競争を意識しています。    とはいえ、まだ12歳にもなりませんから、「負けるが勝ち」という概念はなく、引くことなく突き進みます。    戦って、戦って、戦っているのです。    しかし、ずっとそれをやっていると競争疲れしてしまいます。    ひとりっ子の女の子に対しては、少し、競争心を抑えめにしてあげるくらいでいいでしょう。   マウンティングがクセになっていませんか?    また、親も競争のスイッチが入っている場合があるので注意が必要です。    マウンティングがクセになっているような女の子も多いのですが、そうしたケースの9割は、母親もマウンティングがクセになっています。    でも、母娘揃って「○○ちゃんに勝った」をやっていれば、いつかマウンティング疲れするのは目に見えています。    それに、マウンティングを続けていると、自分ではなく他人に焦点を合わせるようになってしまいます。    その他人が実は学力が低ければ、自分のレベルまで下がっていきます。    子どもの競争心について、親は客観的な目で育ててあげることが必須です。    競争は大事だけれど、マウンティングはやめましょう。マウンティングは百害あって一利なしです。 ひとりっ子は可能性に満ちている  現在、子どもがいる家庭のうち、ひとりっ子家庭の割合は約20%です。2005年頃から、ひとりっ子が増え始め、今もその傾向が続いています。    そうした中にあって、ひとりっ子の育て方、学力の伸ばし方についての関心が高まっています。実際に、ひとりっ子は「非常に可能性に満ちた存在」なのです。    私は、東京・吉祥寺に本部を置く学習塾「VAMOS(バモス)」の経営者として、自ら子どもたちの指導にあたるほか、コンサルタントとしても様々な保護者と面談をして多数の家庭を見ていますが、その現場でも、こちらが驚くほど「大化けするひとりっ子」が続出しています。    VAMOSでは入塾テストは一切行わず、先着順に生徒を受け入れています。    難関校への高い合格率を誇り、中学受験では、渋幕、筑駒、開成、麻布、武蔵、桜蔭、雙葉、豊島岡女子学園、洗足学園、高校受験では日比谷、西といった有名校に多くの生徒を送り出しています。    そして、そこにおける「ひとりっ子の割合」が高いのです。   「ひとりっ子の特徴」を最大限に生かして学力を伸ばす  選抜もせずに先着順で入塾してきた子どもたちを、次々と難関校に送り出すために必要なのは、ひとえに「ロジック」です。    子どもの学力について、多くの人は、持って生まれたセンスや能力が大きく左右すると考えています。しかし、最初から高いセンスや能力を持っている子など、ごく一握りしかいません。    中学から超難関校に入ったり、東大や京大に進学したり、海外でも通用するような優秀な人間に育つのは、ほとんどが「普通の子ども」です。    そして、そういう普通の子ども(ときには困った子ども)の「学力を伸ばす明確なロジック」があり、私はその「メカニズム」にしたがって指導しているだけです。    ただ、そうしたメカニズムは、一般的にはブラックボックス化しています。小学校の教師ですら、どうしたら子どもたちの学力が伸びるか、どうしたら子どもたちが「わかる」ようになるかについて、理解できていません。    となれば、親が子どもの教育について悩んでしまうのは当たり前のことです。ましてや、兄や姉という存在がいないひとりっ子の場合、親は経験値がないのですからなおさら不安になるでしょう。    著書では、どんな子でも必ず伸ばしてきた「再現性のある学習メソッド」をお伝えします。ひとりっ子の素晴らしい可能性をともに探っていきましょう。  
ダイヤモンド・オンライン 2023/08/10 07:00
旅立った先代猫からの贈り物? おっとりキャラの“ふくふく”雄猫がわが家にもたらした笑顔と癒し
水野マルコ 水野マルコ
旅立った先代猫からの贈り物? おっとりキャラの“ふくふく”雄猫がわが家にもたらした笑顔と癒し
おっとりキャラの「大ちゃん」(提供写真) 飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。今回は、30代の動物病院受付の由貴さんのお話です。独身時代から一緒にいた“初めての雌猫”が旅立ち、ひどく落ちこんだ後に、ビビりだけど甘えん坊の雄猫と会い、家に迎えます。その猫は、由貴さんだけでなく2匹の先住猫にもよき影響を及ぼしたそうです。 *  *  *  私の家には今、3匹の猫がいます。10歳の姉妹猫「みこ」と「こまこ」。三毛の「みこ」は気が強くTHE女子!という感じ。サビ柄の「こまこ」はビビりの甘えん坊。そして推定2、3歳の「大福」(通称「大ちゃん」)は、末っ子気質で、文字通りモチモチな抱き心地の雄猫です。  名を呼ぶとにゃあ(はーい)とお返事する、可愛い「大ちゃん」が我が家にもたらしたことについてお伝えしたいです。 白とグレーの2色がきれいな「大ちゃん」(提供写真)  白とグレーのブチ模様の「大ちゃん」は、元々お外にいた子。ある時、足をケガした状態でとつぜん保護主さんの前に現れたそうです。その方の家で飼えなかったので、動物病院で過ごした後、昨年5月に愛護団体に引き取られました。地名に「大」のつく場所で保護されたので、「大ちゃん」と呼ばれていました。  そんな「大ちゃん」が我が家に来たのは、昨年12月。夫婦で猫を「求めて」いて、出会ったのです。  姉妹2匹がいるのに猫を求めていたの?と思われるかもしれませんが、じつは私の心は1年半くらい、ぽっかり穴が開いたままでした……。 ■家族以上の存在が急にいなくなって  私は2021年3月に、初めて共に暮らした「ヒメ」という猫を亡くしました。高校生の時に家に来た子です。私は家族とあまり仲がよくなかったのですが、楽しい時も寂しい時も常に側にいてくれたのがヒメちゃんでした。家族以上の家族と言ってもいいくらいの存在。 「ヒメ」と共に一人暮らしをした後は、仕事が忙しくかまってあげられない時期も多かったんですが、拗ねたり悪さをしたりすることもなく、帰りを待っていてくれた。本当にお利口さんでした。 先代の「ヒメ」(提供写真) 「ヒメ」が9歳の頃に、知人のところで生まれた「みこ」と「こまこ」を迎えたのですが、「ヒメ」は愛情深く、お母さんように2匹の世話をしました。その3匹を連れて、私は結婚したのです。主人も動物好きで、猫たちをすごく可愛がってくれました。  でも「ヒメ」が16歳の秋に腎臓病になり、旅立ってしまった。もう少しゆっくり病が進むと思ったのに、急激に悪くなって別れもあまりに急だったので、後悔しかなく、私は泣いてばかりになりました……。  落ちこむ私を励まそうとしたのか、「こまこ」はそれまでしなかったのに、オモチャを投げると持ってきてくれたり。でもどうしようもなく寂しくつらい日が続きました。  つらさを助長したのは「みこ」と「こまこ」の関係の悪化。子猫の時は仲が良かったのですが、なぜかその後、姉妹であることを忘れたように不仲になり、とくに「ヒメ」がいなくなってからは、毎日ヒステリックにウギャー、シャー。毛も飛び散るほどの喧嘩に心を痛めました。  そんな折に、「新しい子を迎えてみようか」という話が出たのです。「みこ」と「こまこ」は当時9歳。その昔「ヒメ」が「みこ」たちを迎えたのも9歳でした。最初は子猫をと思ったのですが、大人の猫も可愛いよねと話していた時、主人が保護猫の里親募集サイトで「この子、可愛いね」と、一匹の猫を見つけました。それが「大ちゃん」です。 ■ビビりのはずが、体を触らせてくれた  11月末に愛護団体のシェルターに会いに行った時、「大ちゃん」は一匹でぽつんとケージに入っていました。ビビりのせいか保護主さんにもなつかなかったそうで、「触れないかも」とスタッフに言われました。ところがすぐに体に触らせてくれたのです。心が動きました!  12月初めにトライアルを始め、2週間後にうちの子になり「大福」と名付けました。  最初はケージに入れて布を被せていたのですが、「みこ」と「こまこ」は、中を覗いてはシャーっと怒っていました。まるで、「誰なのよ」とでもいうように。「大ちゃん」は初日はとにかく怯え、猫たちだけでなく私たちがちょっとケージに近づいただけでも、シャーと猫パンチを飛ばしてきました。 最初はケージで過ごした(提供写真) ソファの隙間から顔をのぞかせて(提供写真)  少しふっくらしていて、保護団体の方に「大ちゃんは慣れるまでごはんは食べないと思いますが、ダイエットになってちょうどいいのであまり気にしないで。」と言われました。でも食いしん坊のせいか、初日からごはんだけはしっかり食べました(笑)。3、4日するとケージから出て、一週間でだいぶ室内に慣れ、正式に飼うのを決めた頃には、お姉ちゃんたちのお尻の匂いをかぐまでに……。  そのうちに「大ちゃん」は、「こまこ」にべったりになりました。寝る時も抱きついたりして。気が弱い同士、気があったのかもしれません。でも、大ちゃんが遊ぶ時にしつこくするので「こまこ」が怒るようになり、「じゃあ、みこちゃんでいいや」という感じで(笑)、「みこ」にもくっつくようになりました。 「こまこ」(上)の近くで(提供写真) ■女同士のバトルに目をぱちくり! 「みこ」と「こまこ」は、先代「ヒメ」がそうしたように、「大ちゃん」に色々なことを教えました。それで、爪とぎも、お昼寝をする場所も、何でもお姉ちゃんたちの真似をしました。  迎えたのが寒い時期だったこともあり、「大ちゃん」はお姉ちゃんたちと一緒に“猫団子”で寝はじめました。クリスマスもお正月もそんな嬉しい光景を見ることができ、気づけば私や主人の膝にも乗ってきて、「ヒメ」を亡くした寂しさはどんどん薄まり、心の穴も塞がっていきました。 「大ちゃん」は体格が「ヒメ」と似て大きく、体をぎゅっとした時の感じも似ていて安心感がありました。抱きながら「ああ、ヒメちゃんみたい」なんて思ったりして……。  じつは、「みこ」と「こまこ」の関係にも変化がありました。 「大ちゃん」が来てからも、しばらくの間は姉妹喧嘩をしていたんです。だいたい気の弱い「こまこ」が先に「みこ」手を出したり唸ったり、それに対し「みこ」が怒り、バトルが勃発。ウギャー、シャーという声が聞こえると、大ちゃんが慌てて見にいってくれるのですが、お姉ちゃんたちを止めることもできず、目をぱちくりして、オロオロ! 「みこ」(右)とタワーで遊ぶ(提供写真) お餅みたいに“ふくふく”な「大ちゃん」(提供写真)  でも、3匹になって1、2か月もすると、喧嘩の激しさが和らぎ、回数も減ったのです。まさにその存在が、姉妹の不仲を中和した感じ。  もともと「ヒメ」と3匹だったし、3匹というバランスがよかったのかもしれません。でも何より「大ちゃん」のおっとりしたキャラがはまった気がします。  遊びたくてお姉ちゃんたちのところにいき、しつこいとパンチをくらうことがあります。そうすると「大ちゃん」もやり返すけど、あくまでも優しく。絶対に2匹にシャーもしない。その優しさが2匹を癒し、とげとげした関係性まで変えたのではないかと……。  今も姉妹で小競り合いはするけど、ハラハラするほどではありません。すごいぞ「大ちゃん」!と思います。 3匹でいることも多くなった(提供写真) ■ふくふくな大福ちゃんを迎えてよかった  男子猫と暮らすのは初めてでしたが、大ちゃんはお姉ちゃんたちよりも主張が強いです。  朝、私に起きてほしくて、一生懸命スリスリ。ごはんが欲しいだけですが(笑)。かまってほしいと、パソコンやスマホの邪魔をして、顔をグリグリと擦りつけてくることもあります。  気になることと言えば、まだ若いのに口内炎がひどいこと。歯肉に炎症が起きて前歯も抜けてしまった箇所があり、定期的に通院をしています。とにかく食べることが大好きなので、痛くて食べられなくなると可哀想なので、元気にモリモリ食べられる状態を維持してあげたいと思っています。  ふだん、どちらかのお姉ちゃんと一緒に病院に行くのですが、自分のキャリーバッグがあるのに、診察後はそそくさとお姉ちゃんのいるバッグに入ったりして。先生も「猫の詰め合わせだー」と笑っておられましたが、とにかく「大ちゃん」、やることが可愛い。 バッグに無理矢理入り込む「大ちゃん」(提供写真)  この前の冬は、「みこ」と一緒に主人の布団の足元で寝ていたけど、今年の冬は私の布団で一緒に寝てくれるかなぁ……。なんて、これから先も楽しみなことがたくさん。 「ヒメ」が亡くなった時は本当に悲しくて、こんな思いはもうしたくない、猫を飼うなんて無理……と思っていたけれど、「大ちゃん」をお迎えしてよかったと、7か月経った今、心から思います。“ふくふく”とした「大福ちゃん」のお陰で、家が明るくなり、笑顔も増えて。主人と「ヒメちゃんからの贈り物かもね」と話すこともあります。  大ちゃん、うちに来てくれてありがとう。これからもずっとずっとよろしくね。
猫をたずねて三千里
dot. 2023/08/05 14:00
デジタル性被害「優しく言われて送った」が約3割  背景に子どもが抱える孤独感
野村昌二 野村昌二
デジタル性被害「優しく言われて送った」が約3割  背景に子どもが抱える孤独感
小学校でもタブレットを使い授業を行う時代になり、SNSを利用する層の低年齢化は進む。それにあわせ、デジタル性被害に巻き込まれる子どもたちが増えている(写真:gettyimages)    ネットに裸の画像をさらされる、小型カメラで盗撮される──。デジタル機器を利用した「デジタル性被害」に巻き込まれる人が増えている。処罰する法律の枠組みはできたが、課題は残る。防ぐにはどうすればいいか。AERA 2023年8月7日号から。 *  *  *  タブレットには、小学6年のころの娘の裸の写真が入っていた。  この写真は何!?──。  首都圏に住む娘の50代の母親は言葉をなくした。  いま19歳になった娘が、中学1年の時のことだ。風呂場や家で一人になれる場所でタブレットを使っているのが気になった。娘が寝ている間にタブレットを見ると、娘の裸の写真が入っていた。  驚いて娘に聞くと、ゲームのチャット機能で知り合った20代の男から、「身体の部分的な写真を送って」と言われ、「いいね」を増やし注目され有名になりたいため送信したと話した。娘は二度と同じようなことはしないと母親に約束した。だが、その後も別の複数の男に性的画像を送信し、そこで知り合った複数の男と直接会い、性的被害を受けていたこともわかった。  子どもの時に受けた性暴力被害は、心に深い傷を刻み込む。  娘は複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)になり、うつやフラッシュバックに苦しめられている。しかも、一度ネットにアップされた画像を完全に削除するのはほぼ不可能だ。  裸の画像は、今もアダルトサイトなどに出回っている。日本から出ていきたい、私のことを知らない社会で生きたいと話しているという。母親は言う。 「ネットの危険性は子どもに教えてきて、本人も知っているはずでした。まさか私の子が、という思いです」  性的な画像や動画がSNSを通じネット上に拡散される「デジタル性被害」が深刻化している。  警察庁の統計によれば、2022年に「自画撮り被害に遭った児童」は577人と過去2番目に高い値となり、12年(207人)と比べ約2.8倍に増加した。  デジタル性被害の被害者を支援する「性暴力被害者の会」代表の郡司真子さんは、若年層にデジタル性被害が増えた背景には「スマホによって承認欲求と自己肯定感を簡単に得られることが大きいと思います」と指摘する。 送信相手はネット上の見知らぬ人が約半数 「加害者側からは、若いうちにしかできないなどと言われグルーミングされるため、裸体を自分の価値だと勘違いしやすくなります」  グルーミングとは、わいせつ目的を隠し子どもに接近し手なずける行為で、性的被害に遭う恐れがある。郡司さんによれば、子どもの時に性的被害を受けると回復が難しいという。 AERA 2023年8月7日号より   「性的虐待を受けた子どもは、周りの大人の期待や要請に合わせようとするなどして、再被害に遭いやすくなることもあります。しかし、そうした脆弱な子どもの回復を手助けできる医療機関は少なく、社会も守ってくれないため、多くは家族が守らなければいけないのが現状です」  犯罪心理学者で、警察庁犯罪被害者支援室で臨床心理士を務めた経歴を持つ追手門学院大学の櫻井鼓(つつみ)准教授は、「SNSでの性的画像のやり取りは若年層の間で潜在化している」と指摘する。  21年度、櫻井准教授は「SNSを介した子どもの性被害の実態調査」をオンラインで実施した。全国の20歳から25歳の若年層を対象に、「18歳未満での性的な自画撮り画像の送信経験」の有無を問うた。1万8564人からの回答があり、そのうち男性の3.0%、女性の2.3%が「過去に性的画像を送った経験がある」と回答した。櫻井准教授は言う。 「私の臨床経験から、実際の相談件数と比較して多いことに驚きました。SNSという特質から、潜在化している若年層の被害は相当数に上ると推測されます。男性の割合が高かった点にも注目する必要があります。男性は女性以上に、被害を受けていること自体が恥ずかしいと感じ、親に打ち明けられないケースは多い可能性があります」  送信相手は、ネット上だけで知り合いの「見知らぬ人」が男性は約48%、女性は約53%に及んだ。  なぜ、「見知らぬ人」に性的な自撮り画像を送るのか。  櫻井准教授は、背景に「子どもが抱える孤独感がある」と指摘する。 「分析の結果わかったのは、友人関係がうまくいかなかったり、家庭内での逆境体験などから孤独感を抱いていたりする子どもほど、送信行動を取りがちだということです」  孤独を抱えていると、例えば承認欲求からほめられるとうれしくなり、送信してしまう。加害者から自身の家庭がうまくいっていないなどの相談を持ちかけられると、傷ついた加害者に同情し要求に応じることもある──。  こうしたSNSを使った「オンライングルーミング」は、加害者が複数の子どもをターゲットにしているのが特徴だ。海外の研究では、加害者は複数人にアプローチし、反応のある子どもをグルーミングしていくという。  櫻井准教授の調査では、自画撮り画像を送信するにあたり「強要された」と答えたのは1割にも満たなかった。対して、「優しく言われた」「普段と同じ気軽な調子で言われた」場合に送ったのは約3割に上った。 疑似的な関係性でオンライングルーミング 「つまり、子どもは、恐怖心から送信してしまうというわけではなさそうです。オンライングルーミングは、被害者と加害者の間で、疑似的な関係性が生じている中で起きることに問題の本質があると思っています。関係性の土台をつくって送らせているため、子どもは被害者意識を持つことが難しくなっています」(櫻井准教授)  一方、デジタル機器を使った「盗撮」も深刻だ。  7月下旬、国土交通省職員の男(31)が、東京・霞が関の合同庁舎内の女子トイレに侵入し、スマホで盗撮しようとしたとして書類送検された。男は容疑を認めているというが、盗撮事件は連日のように報道されている。  警察庁によれば、全国の警察が逮捕・書類送検した盗撮件数は年々増え、22年は5737件と過去最多を更新した。増加の背景には、スマホや高性能の小型カメラの普及があるといわれる。5737件のうち、スマホと小型カメラによる盗撮は計約93%になった。  長年、性犯罪加害者の再犯防止教育にあたってきた精神保健福祉士・社会福祉士で『男尊女卑依存症社会』の著書もある斉藤章佳さんは、「盗撮は性依存症である」と指摘する。 「依存症になるかどうかは、その人が置かれている環境的要因や遺伝的要因、心理社会学的要因などによって決まります。盗撮をするのは圧倒的に若年層の男性で、スマホを使いこなしSNSとの親和性も非常に高いからです。これは、SNSで裸の自画撮り画像を送らせ拡散する加害者も同じです」  依存症を自力で直すのは難しい。  斉藤さんが勤務する大船榎本クリニック(神奈川県鎌倉市)では、エビデンスに基づく再発防止のための認知行動療法を行っている。それは、「やめ方を学ぶ心理教育」だと言う。 「性犯罪加害者の中には、加害行為が生活習慣の一部のようになっていてやめられない人がいます。つまり、行動や衝動を制御するためのブレーキが壊れている状態で、条件反射的に盗撮をしています。そこで、治療では新しい条件反射の回路を作っていきます」 周囲で気づいた人が声を上げることが効果的  さらに、性犯罪加害者は「女なら男の性欲を受け入れて当然」など、本人にとって都合良く解釈する「認知の歪み」があることが多い。治療はこの「歪み」を自覚させ、再犯防止のために何が必要かを一緒に考えていく。期間は、初犯や犯罪傾向が進んでいない「ローリスク」の人は半年から1年、暴力的な性犯罪を繰り返す「ハイリスク」の人は最大3年で、再犯リスクがかなり抑えられるという。性犯罪加害者への治療が必要なのは、「第一に被害者を出さないため」と斉藤さんは強調する。 「被害に遭った女性は自尊心を奪われ、安全な生活も失います。そして加害者自身も、これ以上立ち直りに必要な人間関係を失わないためにも治療は必要です。盗撮の加害者のほとんどには家族がいます。家族との関係性を再構築していくことも大切な課題です」  7月13日、改正刑法の施行にあわせ、面会や性的画像の送信を要求する「面会要求罪」や性的部位や下着の盗撮などを罰する「撮影罪」など、デジタル性被害に対応する法律も新設された。違反すれば前者は1年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金、後者は3年以下の拘禁刑または300万円以下の罰金が科せられる。枠組みができた意義は大きいが、場所を提供しているプロバイダーや回線事業者の責任は問われないなど課題も残る。 “魂の殺人”と言われる性犯罪をなくすのは、社会が背負う重要な課題でもある。デジタル性被害は誰にでも起こりうる。防ぐにはどうすればいいか。  先の櫻井准教授は、SNSを使った性犯罪は子どもの孤独感が利用されることから、「子どもの居場所づくりと、保護者や教員を対象とした予防教育の取り組みが必要」と説く。 「まっとうな支援者とグルーミングを行う人は、どちらも優しい言葉をかけてきます。しかし、海外の研究では、会話の中に性的な内容が含まれていたり、『他の人に言うな』などと口止めされたりした時は危険であることがわかっています。こうした安全のための具体的な指標を教育で教え、性被害を防いでいくとともに、私たち大人が子どもの心に思いを寄せることを忘れてはなりません」  この取り組みは、横浜思春期問題研究所(横浜市)で行われているという。  前出の斉藤さんは、デジタル性被害を防ぐには「第三者の目」が鍵になると話す。 「沈黙する第三者が行動を起こすことを、『アクティブ・バイスタンダー』と言いますが、盗撮は、周りにいて盗撮に気がついた人が声を上げることが極めて効果的です。SNSを使った性犯罪では、第三者である親が子どもとの関係を密にして、子どもがスマホやタブレットで何をしているのかある程度知っておくことが大切です」  法務総合研究所の統計(15年)によれば、性犯罪加害者の99.8%は「男性」だ。斉藤さんは、根っこに「日本社会における男尊女卑の価値観がある」と指摘する。女性をモノ化したり、下に見たりすることで自身の優位性を確認する価値観だ、と。ちなみに、内閣府が20歳以上の男女を対象に行った調査(20年度)では、女性の6.9%、男性の1%が「無理やり性交などをされた経験がある」と答えた。女性の14人に1人、男性の100人に1人に被害経験がある計算となる。 「男尊女卑的な価値観は、いつの間にか私たちに刷り込まれ内面化することで認知の歪みの温床になっていきます。特に男性は、自分にも男尊女卑的な価値観があり誰かを傷つけてきた可能性があると捉え直すことが求められます」(斉藤さん)  デジタル性被害は、デジタル社会がもたらした「影の部分」だ。その行為は、ときに被害者の人生を破壊し、終わりのない苦しみを与える。その認識を社会全体で共有し、根絶を目指さなければいけない。(編集部・野村昌二) ※AERA 2023年8月7日号
性被害性犯罪
AERA 2023/08/02 11:00
美輪明宏と藤澤五月が「激変」した猛暑 ミッツ・マングローブ
ミッツ・マングローブ ミッツ・マングローブ
美輪明宏と藤澤五月が「激変」した猛暑 ミッツ・マングローブ
ミッツ・マングローブ  ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの連載が、「今週のお務め」とリニューアルして始まりました。7回目のテーマは「『激変』した美輪明宏さんと藤澤五月さん」について。 *   *   *  なんでも、美輪明宏御大が「痩せた」とニュースになっているようです。連日酷暑が続く夏の盛り。御年88歳にもなる後期高齢者の体形変異としては、ごく自然なことかと思いますが、やはりそこは万物の概念を超越してきた感のある美輪さん故に、近所の年寄りが痩せるのとは話が違うというのも理解できます。  それにしても、「ビジュアル激変」だの「容姿のギャップに心配の声」だのと、やたらとエキセントリックな見出しを付けようと必死の様子ですが、いかんせん相手はあらゆる常識を覆し続けてきた先駆者中の先駆者です。今さら「激変」「ギャップ」なんてワードを用いたところで、書いているほうがむなしくなるだけかと。  どこかの記事に、「美輪といえば、金色のロングヘアーに艶やかなメイクを施した中性的な風貌が有名」と書いてありました。自ら散る覚悟で立ち向かい、見事に玉砕した潔さすら感じる文章です。それっぽい言葉や表現を並べたところで、その限界値をはるかに上回っているのが美輪明宏という人間であり、現代のメディアでそれを言葉化できる国語力を備えている人は、ほとんどいないのかもしれません。  ただ、美輪さんの髪は「金色」ではなく「黄色」です。他人様のラッキーカラーをみだりに間違えたりするなど言語道断。かつて「黄色は金運をもたらす色だ」と知った美輪さんは、自身の髪を染めるだけでなく、家の中に黄色い布を吊るし、ピカチュウの人形を飾っていたほど、黄色への帰依が格別深いことぐらい、少し調べれば分かるはずです。  さらには、「艶やか」「中性的」という言葉。これらから漂う安易さと陳腐さは、私たちの日本語に対する思考停止の象徴とも言えます。御大に限らず、異形な人間が地上に姿を現した時、世間はこれ見よがしに「艶やか」という表現でお茶を濁しがちです。  以前、美輪さんの舞台を観に行き、終演後に楽屋へあいさつに伺った際、口に出そうとする言葉が何もかも安っぽく嘘っぽく思え、ついには無言のまま立ち尽くしてしまった経験があります。御大から「突っ立ってないで、何かおっしゃいよ」と言われましたが、口が裂けても「艶やか」「華やか」なんてワードでごまかしてはならないと焦ったものです。  ちなみに今週は、カーリング日本代表の藤澤五月さんが、突然ムキムキバキバキのボディビルダーになった姿も話題となりましたが、「激変」「ギャップ」という点では、ここ10年でもっとも度肝を抜かれた出来事でした。  以前、彼女を「合コンにいたらモテるタイプの最大公約数」と表したことがあります(「オカマの性も揺るがす『そだねーJAPAN』最強女子力」)。解ったような口を叩いてドヤ顔していた私こそ、誰よりも浅はかで安直で、何も見抜けていない人間なのだと思い知った次第です。  この暑さにまかせて、美輪さんに「艶やか!」と言えるような素直さを身に付けるべきなのかもしれません。  ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する  
ミッツ・マングローブ
dot. 2023/07/28 16:00
「丸山桂里奈」出産で天然&下品キャラは返上? ママ界隈で“カリスマ化”のきざし
高梨歩 高梨歩
「丸山桂里奈」出産で天然&下品キャラは返上? ママ界隈で“カリスマ化”のきざし
丸山桂里奈  元女子サッカー日本代表でタレントの丸山桂里奈(40)の“怒りの反論”が話題を呼んでいる。  きっかけはタレントのホラン千秋とのお出かけを報告した、7月17日のSNS投稿。これに対し批判的な声があったことをうけ、翌日「いちいち、文句とか言ってくる人てなんなんだろう」「遊びに行ったり、出かけたり、お母さんだからだめなの?」と心情を吐露。「時間作ってもらえる環境だからこそ、気持ちよく送り出してくれる母と本並さんがいます。好きな友達に会うのも文句言われるてどんななの?」(原文ママ)と連続投稿で思いをつづった。  これを見た女性週刊誌の芸能担当記者は、最近の丸山についてこう話す。 「丸山さんは妊娠中や出産後も、キラキラした日常ではない、ママとしてのリアルな意見をSNSで発信してきており、『育児を体験してみて思うのは、想像以上に大変です』『いくら育児に時間をかけても私は絶対慣れない』など本音がつづられています。今回の件でも『子育ても全力だし、お仕事も全力だし、遊ぶのも全力だし! それの何が悪い?』という言葉が印象的でした。ママ層からは『その声を待っていた』などの声も多く、評価が爆上がりしています。アンチに対しても毅然とした態度で返しており、それを見てスカッとする部分もあって、彼女にエールを送る声が多数上がっています」  結婚前はぶっちゃけ&天然キャラの印象が強かった丸山。元サッカー選手でありながら、PKを“パーソナルキック”の略だと勘違いしていたり、オフサイドをよく理解してなかったと明かしたこともある。 「元彼との性交渉や、経験人数など生々しいことを臆することなく答えるなど、独身時代はちょっと下品な“ぶっちゃけキャラ”として、バラエティーで重宝される存在でしたが、それに苦手意識を持つ視聴者もいました。『女子メンタル』という番組で、ゆりやんレトリィバァの水着を来て、回転する自転車のタイヤを尻で止めるギャグを披露したこともあるのですが、まるでお笑い芸人かと思うほどの体の張り方でした。当時の丸山さんの芸風に、サッカーファンからは『(アスリートとして)カッコよかった丸山とのギャップがつらい』『国民栄誉賞に傷がつく』などSNSでは苦言がよく見受けられました」(同) ■育児雑誌の表紙を飾る存在に  しかし、元プロサッカー選手の本並健治さんとの結婚後は、キャラが一変。結婚当時、丸山が37歳、本並が56歳だったこともあり、積極的に妊活に関する考えをメディアやSNSで発信し始めたのだ。 「彼女の発する言葉に勇気づけられた人も多く、丸山自身も妊娠中の不安なときに同世代の妊婦さんや先輩ママにたくさん助けてもらったとインタビューで謝意を述べています。今や、子育て界隈でもっとも信頼できるママタレになっており、妊活雑誌の表紙を飾るまでになりました。今後はCMのオファーも増えそうです。結婚相手が同じ元プロサッカー選手で、19歳も年上だという点も好感度の高さにつながっていそう。夫婦で番組出演することも多いのですが、見ていて安心感があります」(テレビ情報誌の編集者)  現在は0歳5カ月の長女の育児に奮闘する丸山。SNSには夫や家族への感謝の気持ちをつづったり、ノンアルコールビールとチーズで寝かしつけ後のひとり時間を楽しむ様子をアップしたりするなど、飾らないありのままの日常を発信し続けている。「協力してもらってる実母と衝突する」「授乳しながらごはん」など、ママたちの、“あるある”には多くの共感の声が寄せられている。  芸能評論家の三杉武氏は丸山についてこう語る。 「丸山さんはアスリートを引退後、まさに仕事も子育ても全力投球している印象で、いつも番組を盛り上げてきました。独身時代は自身の恋愛に関する過激なトークや芸人顔負けの体当たりなアクションが目立っていましたが、それも何事にも全力で取り組む彼女のスタイルなのでしょう。共演者やスタッフに大好きな駄菓子と直筆のメッセージを差し入れするというエピソードをよくネタにされていますが、多くの人気芸能人たちから話題にされている時点でその人柄の良さがうかがえます。SNSでの発言やコメントを見ても気取りのなさが伝わってきますし、知名度や好感度に加えて、ママタレントにとって必要な要素である親近感を兼ね備えている点において、今後もさらなる活躍が期待されます」  サッカー選手の次はママタレとして“トップ”に立つ日も近いかもしれない。 (高梨歩)
丸山桂里奈
dot. 2023/07/24 11:00
マッチングアプリ疲れ?オンラインゲームで真剣交際に発展の理由 「夢中になると素が出やすい」
今川秀悟 今川秀悟
マッチングアプリ疲れ?オンラインゲームで真剣交際に発展の理由 「夢中になると素が出やすい」
写真はイメージです。(Gettyimages) 「外見も大事だけど、内面が通じ合わないと恋愛に発展しない。オンラインゲームをしていると、相手の性格が分かってくる。もちろんその人の全てが分かるわけではないけど、ゲームがうまくいかない時に態度が悪くなる人は『人間関係もこうなんだな』とか、ゲームをするって約束したのに来ない人は『私生活で時間にルーズなんだな』って、何となく察しが付く」   千葉県在住の28歳女性は、オンラインゲームでの出会いについてこう話す。  「付き合っている彼はゲームの中のチャット機能でやり取りを重ねていくうちに、謙虚で穏やかなので安心感があった。その時点では恋心までいかなかったけど、会ったらイメージした通りの男性で。凄いカッコいいわけではないけど、一緒にいて落ち着く。内面から入れたのが大きかったと思います。恋愛目的でオンラインゲームをやったわけではなかったけど、彼と出会えてよかったです」   女性は、病院に勤務しているが、職場は既婚者の男性が多く出会いが皆無に近いという。友人に勧められてマッチングアプリを利用した時期もあった。アプリに登録した男女は自分の顔写真を掲載することがルールとなっており、お互いが「いいね!」を押した時はカップル成立となる。その後はチャット機能でやり取りを重ね、波長が合った時は直接会う。交際に発展し、結婚するカップルも。  昨年11月に明治安田生命が発表したアンケート結果によると、同社が全国の20~70代の既婚者1620人にインターネット調査で聞いたところ、昨年に結婚した人の出会いは、マッチングアプリがトップの22.6%で、「職場の同僚・先輩・後輩」と「学校の同級生・先輩・後輩」が同率の20.8%。22年に結婚した5人に1人以上の出会いのきっかけがマッチングアプリだった。マッチングアプリがきっかけの結婚は10~14年が2.4%、15~19年は6.6%。国内で新型コロナウイルス感染が広がった20年は17.9%と急激に増えている。   冒頭の女性も写真やプロフィールを見て、魅力的に感じた複数の男性と直接会ったが、イメージと違うことが多かったという。  「男性だけでなく女性にも言えることだと思いますが、写真はいくらでも加工できる。実際に会ったら写真と全く違う別人みたいな人がいて……。かっこいい人もいましたが遊び慣れている感じで本気で交際相手を探していなかった。私の見る目がなかったのもあると思いますが、このままアプリを続けても良い出会いがないなと、途中でやめてしまいました」   良縁に結ばれるカップルが続々誕生する一方で、「マッチングアプリ疲れ」で離れるケースが少なくない。「会うとガッカリするパターンが多い。会っている時間が無駄に感じた」(32歳女性)、「友人がマッチングアプリで出会った男性と結婚したので、自分も出会いを見つけようと必死だったけどプロフィールの経歴が全部ウソだった男性と会って、もうマッチングアプリは無理と思った」(27歳女性)などの声が。不満の声は女性だけではない。「おごってもらうのが当たり前と思っている女性が多い。高級な店に連れていかれてごちそうしたけどお礼もしない」(32歳男性)、「写真と別人で会った瞬間に冷めた。すぐに帰ろうとしたら、『女性に対して失礼』と怒られて。もうアプリはやらないです」(35歳男性)などの嘆きが聞かれた。   マッチングアプリを通じた出会いを否定しているわけではない。オンラインゲームを通じてやり取りすることはリスクもある。男性がオンラインゲームで知り合った女性に送らせた上半身裸の写真をSNS上で拡散すると脅迫したとして、逮捕されたケースもあった。安易に個人情報を伝えたり写真を送ることは避けるべきだ。   ゲームが大好きという34歳の男性はこう語る。  「オンラインゲームも色々な人がいます。ゲームが好きなわけではなく、遊んでくれる女性を探している男性もいる。自分を偽ることができるのもマッチングアプリと同じです。ただ、ゲームに夢中になると『素の部分』が出やすいので、互いの性格を知る上で参考になるというのが、大きなメリットだと思います。僕が今付き合っている女性は取引先で知り合いましたが、趣味のオンラインゲームが同じだったので一緒にプレーすることで距離を縮められました」   俳優の山田裕貴と元乃木坂46で女優の西野七瀬の熱愛が7月20日号の女性セブンで報じられたことは、大きな反響を呼んだ。2人は21年のNHKコント番組「LIFE!」で出演したことをきっかけに知り合い、同年の日本テレビ系刑事ドラマ「ハコヅメ~たたかう!交番女子~」でも共演。同誌によると、共通の趣味であるオンラインゲームで距離を縮め、今年に入って交際が始まったという。山田は10日に自身がパーソナリティーを務めるニッポン放送ラジオ「山田裕貴のオールナイトニッポンX」で、西野との真剣交際が報道された件について言及。「ただ、ただ、ただ一つ僕が言えることは両者温かく、そっと見守ってくれると、うれしいです。もう本当にこれに尽きます」と堂々と認めている。   SNSの普及で出会いの在り方や、男女の距離の縮め方も多様化している。前述の女性は、出会いが目的ではなかった。仲間と協力して敵を倒すロールプレイングゲームが楽しく、気づいたら交際男性と協力して一緒にプレーする時間が長くなっていたという。  「彼も女性との出会いが目的でなく、ゲームが純粋に楽しかったからやっていたと言っていました。お互い恋愛にガツガツしていなかったのが良かったのかもしれません。今も一緒にゲームしていますよ。お互いインドアなので、どこか行こうと無理しなくていい。結婚の話もしています。親には彼とオンラインゲームで知り合ったことを伝えています。隠すことではないですしね。顔が分からないオンラインゲームで知り合った人と会うことに危険があるという意見は理解できます。危険な目に合わないように注意する必要はあると思いますが、色々な出会い方があっていいと思います」   一昔前は、マッチングアプリやオンラインゲームで知り合った異性と交際することに抵抗がある風潮だったが、その価値観は時代の流れとともに変わりつつある。少子化が進む中、この現実を注視する必要があるだろう。  (今川秀悟)
dot. 2023/07/17 11:00
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クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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ロシアから見える世界

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プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

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