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SNSに「美女とデート」の文言と写真を投稿する先輩 女性「キモいな」と思っても断れなかったわけ
福井しほ 福井しほ
SNSに「美女とデート」の文言と写真を投稿する先輩 女性「キモいな」と思っても断れなかったわけ
今年3月、「痴漢撲滅に向けた政策パッケージ」が初めてとりまとめられた。内閣府の調査では、16歳から24歳の女性の10人に1人が痴漢被害に遭っているという(撮影/写真映像部・高野楓菜)    個人によるSNSの投稿、企業の広告やキャンペーンなど、過度に性的な表現が目につく。性的な搾取の背景には何があるのか。AERA 2023年10月30日号より。 *  *  *  バイト先の先輩と食事をしたとき、ふいにこう聞かれた。 「写真撮らせて」  これか、と思った。ここ1カ月ほど、その男性のSNSに女性の手もとや胸もとを強調した写真とともに「美女とデート」という文言が並ぶようになった。顔は写っていないが、服装や時計から同じバイト先の同僚だと想像できた。「いいね」をつけた人を確認すると、知り合いのアカウントがいくつも並んだ。 「キモいなと思ったけど、そういうものだとみんな受け入れているし、断って『ノリが悪い』と思われるのも嫌でした。今も時々思い出しては、言うべきだったのかなと悶々(もんもん)としています」  都内に住む20代の会社員女性は、学生時代の体験をそう振り返る。撮られる時間はほんの一瞬だったが、体がこわばったことを、今でもはっきりと覚えている。  触られたわけでも、性的な言葉を投げかけられたわけでもない。ただ写真を一枚撮られただけ。そう思ってやり過ごそうとしたが、自分の大切な何かを傷つけられたような気がした。 罪悪感抱かせない言葉 「ネットに性的なコンテンツが上げられるとき、そこには罪悪感を抱かせないために消費者を喜ばせる言葉を付随させることが多いんです。それを見続けることで、『女の子はこういうふうに扱われることを喜ぶものだ』という認識が繰り返し刷り込まれていく現状があります」   【こちらも話題】 教員や塾講師の10人に1人は小児性愛者の可能性も 「日本版DBS」への期待と、法のすきまへの懸念 https://dot.asahi.com/articles/-/200808 AERA 2023年10月30日号より    そう説明するのは、デジタル性暴力の被害者支援に取り組むNPO法人「ぱっぷす」支援員の内田絵梨さんだ。「スタイルがいい」「魅力的だよ」「かわいいね」といった評価が自分の価値であると錯覚させる。そうして、性的に搾取していることにも、されていることにも気づきにくい構造が作られていくという。  性的な搾取の構造は、「女の子はこうあるべき」という偏見も刷り込む。それは、個人が投稿するコンテンツにとどまらない。公共の空間に掲示されるポスターや、不特定多数の人が目にする広告、企業のコラボキャンペーンなどでも、過度に性的な表現が幾度となく指摘されてきた。 AERA 2023年10月30日号より    ここ数年でも、2019年には、胸を強調するポーズの漫画キャラクターを使用した日本赤十字社の献血啓発ポスターが論争を呼び、20年には環境省の温暖化対策の取り組みのための女子高生キャラクターが炎上。また同年には、玩具メーカーのタカラトミーが自社の看板商品であるリカちゃん人形を宣伝する際に、女児への性犯罪を想起させる文言をSNSに投稿し、謝罪した。  特に問題なのは子どもや未成年者を性の対象として扱うことを容認してきた空気だ。旧ジャニーズ事務所(SMILE-UP.)の創業者、故・ジャニー喜多川氏による性加害の被害者の多くも10代だったが、03年の東京高裁判決で喜多川氏の性加害が認定されても見過ごされ、その後も被害が続いた。(編集部・福井しほ) ※AERA 2023年10月30日号より抜粋   【こちらも話題】 「お父さんが布団に入ってくる」12歳少女は泣きながら訴えた 性虐待、逆転有罪判決がもたらす光 https://dot.asahi.com/articles/-/79633
性犯罪
AERA 2023/10/25 10:30
女性の3割が経験する“更年期障害” 自分では気付きにくく我慢してしまう理由
高尾美穂 高尾美穂
女性の3割が経験する“更年期障害” 自分では気付きにくく我慢してしまう理由
※写真はイメージです(Getty Images)    女性が閉経を迎える年齢は、日本人では平均50.5歳。閉経の前後5年が“更年期”とされているので、45~55歳あたりが日本人の“更年期”の平均と言えるが、つまり、閉経を迎えてみないといつからが更年期だったのかはわからないのだ。そのため、自分では気付きづらく対策しづらい。「更年期の波を穏やかに乗り越えていくためには、自分が更年期について理解するだけでなく、家族のメンバーにも、更年期とはどういうものかを知ってもらうことが大事。」と、医学博士で産婦人科専門医の高尾美穂氏は語る。同氏の新著『娘と話す、からだ・こころ・性のこと』(朝日新聞出版)から一部を抜粋、再編集し、“更年期”にまつわる大切なことについて紹介する。 *  *  *   【連載を一気に読む】 #1 女性の思春期と更年期が重なる「小学生のいる家庭」 #2 女性ホルモンは恋をすると増える?自分で増やせる? #3 女性の3割が経験する更年期障害を我慢してしまう理由 #4 男性より2倍うつになりやすい 女性特有の“こころの不調” #5 欧米では使用率70% タンポンを日本人が使わないわけ #6 2.6倍“子宮内膜症になりやすい”現代の女性 #7 娘の生理にまつわる不調から目をそらすデメリット #8 娘の「もっとかわいく産んでほしかった」をどう受け止める #9 “妊活”に苦しむ前に知ってておきたい、自然妊娠にまつわる3つのこと #10 女性だけが悩まされるライフイベントとキャリア   「イマイチな状態」、我慢しないで  更年期というと、なんとなくからだの調子もこころの調子もよくなくて、「イマイチな状態」が続く時期というイメージがあると思います。  私たちが更年期を迎える前に、更年期について学ぶ機会はほとんどありません。自分でわざわざ調べたり、なんらかの理由で婦人科にかかったときにたまたま聞いたりしなければ、それとは気づかないまま、この時期に突入していきます。 高尾美穂さん 写真:東川哲也(朝日新聞出版写真映像部)   【こちらも話題】 男性より2倍うつになりやすい 生理前や産後、更年期におこる女性特有の“こころの不調” https://dot.asahi.com/articles/-/204302  問題がなければそれでもいいのかもしれませんが、「転ばぬ先の知恵」として、できれば前もって知っておいていただくことが望ましい。何か困ったことが起きてから対応するよりも、起こりうることをあらかじめ知り、対処法を持っておくほうが、将来の困りごとを減らせるからです。  更年期にある女性が経験するさまざまな不調を「更年期症状」と呼びます。大量の汗をかく、ほてる、手足が冷える、肩がこる、眠れないなど、多種多様な症状が見られます。しかし、すべての更年期女性が不調を経験するわけではないことがわかっています。  こういった症状を経験する女性の割合は約6割。残りの4割は、生理がバラついてきたとか、生理がこなくなったという月経周期の変化以外には、特に困ることもなくすごせるわけです。  また、治療をしないとつらいなど、生活に支障が出る状態を「更年期障害」といい、更年期世代の女性の3割弱が相当します。 「更年期」「更年期症状」「更年期障害」は、それぞれ別々のことがらを指します。「更年期」は、その時期を指すにすぎません。にもかかわらず、私たちは「更年期」という言葉で「更年期障害」をイメージして、「更年期は怖い」と感じているのではないでしょうか。 【こちらも話題】 女性ホルモンは恋をすると増える? 自分で増やせる? 産婦人科医・高尾美穂が疑問に回答 https://dot.asahi.com/articles/-/203019  更年期には、更年期症状や更年期障害といったわかりやすいサインがなくても、目に見えないところで、女性のからだにとってより本質的な変化が起こり始めています。それは、この時期を境に、エストロゲンがほとんどない状態が続くという点です。  更年期を迎える前でも、30代後半ぐらいから、女性ホルモンの分泌量は徐々に減り始めています。その後も、直線的に減っていくのではなく、アップダウンを繰り返しながら、だんだんと減っていきます。実際には、なだらかに減っていくわけではないと知っていただくと、からだとこころの揺らぎの原因となるもののイメージが湧きやすいかと思います。  さて、エストロゲンというホルモンが減る、ほとんどない状態は、どんな問題を引き起こすのでしょうか。それは、このホルモンが、私たちが気づかないうちに担ってくれていた役割─肌のハリやうるおいを保つ、血管の弾力性を保つ、骨を強く保つ、関節のすべりをよくするなど─ができなくなってしまうことです。いってみれば、更年期症状や更年期障害は、からだがエストロゲンのない状態に慣れていく過程で生じる不調ととらえることができるのかもしれません。  では、更年期に、生理にまつわる不調や、心身の変化を感じたときは、どうすればいいのでしょう。 【こちらも話題】 女性の3割が経験する“更年期障害” 自分では気付きにくく我慢してしまう理由 https://dot.asahi.com/articles/-/204296  更年期症状や更年期障害に対しての医療的な対処法は、この10年で十分に確立されています。例えば、ホルモン補充療法のような婦人科における治療法が代表ですし、そのほかにも、エストロゲンに似た作用を期待できるエクオールというサプリメントをとるとか、漢方薬をチョイスするといった方法があげられます。運動や睡眠時間の確保、肥満の改善などの生活習慣の改善も大切です。  ただ、産婦人科医として「もったいないな」と感じるのは、多くの女性が、困っている状態をそのままにしてしまっていることです。更年期がすぎればなんとかなるだろうという思いから、我慢しているケースが少なくありません。  あるいは、自分のからだに起きている変化や不調の原因が、ホルモンの変動によるものなのかも、とは思いつかないこともあるでしょう。そのために、できるはずの対策をとらないままになってしまうのは、本当にもったいないと感じます。  なんらかの改善策を探すというアクションを起こすためには、困っていることを「解決すべき課題」だと認識することが、非常に大事なのです。  みなさんに知っておいていただきたいのは、閉経後、40年間も生きられる時代に私たちは生きている、ということです。40年といえば、生理がある年数とほぼ同じです。更年期をむやみに怖がるのではなく、「どうしたら、閉経後もいいかたちで年齢を重ねていけるかな」と考えるほうが、前向きにすごせる気がしませんか?   (構成/長瀬千雅、ブックデザイン/鈴木千佳子)   【連載を一気に読む】 #1 女性の思春期と更年期が重なる「小学生のいる家庭」 #2 女性ホルモンは恋をすると増える?自分で増やせる? #3 女性の3割が経験する更年期障害を我慢してしまう理由 #4 男性より2倍うつになりやすい 女性特有の“こころの不調” #5 欧米では使用率70% タンポンを日本人が使わないわけ #6 2.6倍“子宮内膜症になりやすい”現代の女性 #7 娘の生理にまつわる不調から目をそらすデメリット #8 娘の「もっとかわいく産んでほしかった」をどう受け止める #9 “妊活”に苦しむ前に知ってておきたい、自然妊娠にまつわる3つのこと #10 女性だけが悩まされるライフイベントとキャリア   ●高尾美穂(たかお・みほ) 医学博士・産婦人科専門医。日本スポーツ協会公認スポーツドクター。日本医師会認定産業医。イーク表参道副院長。ヨガ指導者。婦人科の診療を通して、さまざまな世代の女性の健康をサポートし、ライフステージに沿った治療法を提案。その過程で、患者の悩みや困りごと、さらには娘の心身についての悩みの相談を聞くことも。テレビや雑誌などメディアへの出演、連載、SNSでの発信のほか、アプリstand.fmで、再生回数1100 万回を超える人気音声番組『高尾美穂からのリアルボイス』を毎日配信中。とくに、更年期の専門家として、女性たちの支持は非常に高い。著書は『いちばん親切な更年期の教科書─閉経完全マニュアル』(世界文化社)、『心が揺れがちな時代に「私は私」で生きるには』(日経BP)、『大丈夫だよ 女性ホルモンと人生のお話111』(講談社)、オトナ女子をラクにする心とからだの本』『人生たいていのことはどうにかなる─あなたをご機嫌にする78 の言葉』(以上、扶桑社)など多数。
朝日新聞出版の本娘と話す
dot. 2023/10/23 06:30
女子サッカーも“ガチで強い”  なでしこジャパン、パリ五輪で「金」射程圏内 新戦力の台頭も
三和直樹 三和直樹
女子サッカーも“ガチで強い”  なでしこジャパン、パリ五輪で「金」射程圏内 新戦力の台頭も
なでしこジャパンの清水梨紗  今夏に行われた女子サッカーW杯で、女子日本代表“なでしこジャパン”はベスト8敗退となった。次なる戦いは、2024年夏のパリ五輪(7月26日~8月11日)。果たして上位進出、そして優勝の可能性はあるのか。  改めて女子W杯オーストラリア&ニュージーランド大会を振り返る。グループリーグ初戦でザンビアを5対0、第2戦でコスタリカに2対0で勝利して勢いに乗ると、第3戦では最終的に大会を制したスペインを相手に鮮やかなカウンターが炸裂して4対0の快勝。大会1週間前まで日本での放送が決まらないなど、チームに対する注目度、期待度ともに高いとは言えなかった状況を、ピッチ上での魅力的なサッカーと3試合11得点無失点という圧倒的な結果で一変させてみせた。  続く決勝トーナメント1回戦では、ノルウェーを3対1で下してベスト8進出。だが、2011年ドイツ大会以来の優勝への期待感が高まった矢先の準々決勝で、当時FIFAランク3位(日本は11位)の強敵スウェーデンに1対2の惜敗。日本が苦手とする高さとパワーに後手を踏む形で2ゴールを許すと、終盤に反撃するも1点どまり。結果的に“昔見た景色”を再び見ることはできなかった。だが、大会を終えた後、ファンの心を残ったのは「希望」だろう。もちろん「悔しさ」や「落胆」といった感情はあったが、それ以上にチームの今後の成長と可能性を多くの者が感じたはずだ。  何より、若い。今大会の招集メンバー23名中、30代は主将のDF熊谷紗希(33歳、ローマ)のみ。さらに、中盤でコンビを組んだ長谷川唯(26歳、マンチェスター・シティ)、長野風花(24歳、リバプール)の2人に、DFラインの南萌華(24歳、ローマ)、右サイドの清水梨紗(27歳、ウェストハム)らが、人気実力ともに急上昇した欧州女子サッカーリーグでプレーしており、大会後には宮澤ひなた(23歳、マンチェスター・ユナイテッド)もW杯得点王の実績を引っ提げて海を渡った。男子サッカー同様、海外組の増加は、世界大会で必要な球際の強さ、精神面も含めたタフさの向上につながり、代表チームを間違いなく強くする。  選手層のアップも見込まれる。W杯直後の9月から10月にかけて行われたアジア大会には、21人中20人がW杯不出場の“2軍”メンバーで臨んだが、結果は他国に力を見せつけての優勝。そこからパリ五輪予選のメンバーに追加招集されたMF中嶋淑乃(24歳、サンフレッチェ広島)に加え、MF谷川萌々子(18歳、JFAアカデミー福島)、DF古賀塔子(17歳、JFAアカデミー福島)の2人が注目の人材。谷川と古賀の2人は、今夏のW杯にトレーニングパートナーとして参加してレギュラーメンバーを唸らせるプレーを連発したことでも知られており、チームの雰囲気を知っている。アジア大会で傑出した働きを見せたことで、早期の“飛び級”でのなでしこジャパン入りも現実味を帯びてきたと言える。  2021年10月からチームを指揮する池田太監督の評価も高く、戦術面だけでなく、一体感を感じさせるチーム作りは好感が持てる。W杯終了後のアルゼンチンとの親善試合で熊谷を中盤アンカーに置いた4-1-2-3の新システムを採用して8-0の大勝を収めるなど、チームを停滞させることなく進化させていく手腕も持っている。W杯で自信を掴んだ上で、主力選手たちの個々のレベルアップ、若い新戦力の台頭が見込まれることで、パリ五輪に臨む際には、間違いなくW杯の時以上の強さを身に付けているはずだ。  ライバル国を見ると、長く女子サッカー界のトップを走ってきたアメリカ、ドイツが今夏のW杯で早期敗退(ドイツはグループリーグ敗退)し、日本が屈したスウェーデンは、準決勝でスペインに1-2で敗れた。そして決勝戦は、スペインが1-0でイングランドに勝利。この結果を見ると、例えグループリーグであろうともスペインを4-0で下した日本にも、間違いなく力とチャンスとあったと言える。そして、この「優勝」の可能性は、来夏のパリ五輪ではさらに高まっているはずだ。(文・三和直樹)
なでしこジャパン女子サッカー
dot. 2023/10/19 17:30
「クリトリス」解禁、女性器の全体図「大映し」 松本人志のNHK性番組の緊迫感と到達点 北原みのり
北原みのり 北原みのり
「クリトリス」解禁、女性器の全体図「大映し」 松本人志のNHK性番組の緊迫感と到達点 北原みのり
写真はイメージです(gettyimages)  作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、NHKで放映された「松本人志と世界LOVEジャーナル」の緊迫感と到達点について。 *   *  *  30年近く性に関係する仕事をしているなかで、たくさんの女性の話を聞いてきた。私はたぶん、日本で一番、女にバイブを売った女ということになるのではないかと思う。それでも未だに、性の話は難しいと感じている。1対1の関係でお客さんと話したり、友だちどうしで話すことはできても、未だに公共の電波で性の話をどのようにするか……というのは、まだまだ手探りの状況なのではないか。  少し前のことだけれど、ラジオ番組でクリトリスの説明をしたら、「クリトリスはNG」と言われた。法律で決まってるわけじゃない。ただ、公共の電波の現場では、性に関して「ここまではアリ?」と手探りの状況で、他社をうかがいながら恐る恐る発信している空気がある。  そういうなか、NHK総合で、海外の性事情から最新の大人のオモチャまで扱う性の番組「松本人志と世界LOVEジャーナル」が放送された。これはかなり思い切ったことだろう。もちろんEテレには性教育番組があり、障害がある女性たちが性やプレジャーについて語った「バリバラ」など画期的な取り組みもある。が、NHK総合で、誰もが知るお笑い芸人の名を冠にして行う性の番組は、「ここまで語ってOKよ」とでもいう、今の日本のある種の基準をつくるようなものでもある。制作はかなり慎重に行われてきたのではないかと察する。  一方、番組情報が公開されるとすぐに、松本さんの過去の買春容認発言などが指摘され、放送中止を求める抗議の声がSNSであがった。また、私は知らない人だったが、出演者の一人の男性がフェミニスト嫌いのようで、番組への抗議がはじまると「アホのフェミニストが騒いでる」と挑発し、「フェミニズムとフェミニストは金とばい菌ぐらい違う」(←意味わかりません)など迷言を繰り広げたりした。彼は数カ月前に、男子高校生が女子のお風呂をのぞくことをちゃかし肯定するような投稿をしたりなど、性に関しては男根中心思想のよう。慎重なはずのNHKがまさかのこの人選……いったいどんな番組になるのか……と見てみた。   【こちらも話題】 エロの底、完全にぬけた 新ジャンル「わからせ」は加害欲をむき出しにした性暴力だ https://dot.asahi.com/articles/-/14228  感想を一言で言えば……「緊迫感ありすぎ!」である。性を真面目に面白く語る番組を! という意気込みはあるが、性を真面目に語ることが最も苦手な人たちが、性を面白く語りたいと思ってもそれがあまり許されない空気のなかで、自分を発揮できないでつらそう……というのを、視聴者に感じさせてしまうものであった。先のフェミニスト嫌いの男性も、どんな過激な人なのかと思って構えていたが、カメラの前ではシュンとし、おとなしい雰囲気の人だった。番組序盤、一言も喋らなすぎて松本さんに心配されていたほどである。  内容はいたってふつう、真面目、革新的でもあった。取材協力は性教育の第一人者の村瀬幸浩先生。私は大学時代に村瀬先生の性教育を受けたことがあるが、長年にわたりこの道一筋でやってこられた方である。村瀬先生もいたからか、男性が床にペニスをこすりつけてマスターベーションすることの弊害や、女性の顔に射精することがいかに危険行為であるかなどがテロップで流れるなど、様々な配慮もされていた。また、3人の女性出演者が堂々と自分の言葉で語っているのは清々しいものだった。だからこそ、余計に残念なのが、多分、番組制作者の方々が「サービス」「お笑いパート」として採り入れた男のエロトークである。10代の頃にペニスを見せ合った話や、男子クラスで先生にオナニーするときは右手でばかりするとペニスが曲がるよと言われた話とか……こういう話、居酒屋で隣の男性集団が酔っぱらってガハハハと話すようなものではないのか。性の話というと露悪的な暴露話か、自分のペニスの話しかないのかよ……とうんざりするのである。また、「子どもと性についてどう語るか」、というコーナーでは、8歳の娘がいるという先の男性出演者が、家でスマホでエロ画像を見ているときに娘がのぞきこんできて「変態!」と言われた話をしていた。家の中で娘と同じスペースで性的画像を見るのは虐待と言われてもしかない行為だということは指摘しておきたい。   【こちらも話題】 「立ちんぼ」がカジュアルに使われる今 なぜ売る女だけが常にリスクにさらされ男は安全なのか 北原みのり https://dot.asahi.com/articles/-/199985  また、松本さんが、周りを伺いながらかなり控えめに性を語り(というか語れず)、「初潮のときはお赤飯を炊くとか・・・」とか、かなりずれたおじいさんのような話をする姿も、「性の話を男が真面目に語ること」の難しさをリアルに気が付かせてくれた。  それにしても、海外の性事情は面白かった。海外のテレビ番組を紹介するコーナーだが、モザイクのかかったペニスが大量にでてきた。海外で放送されるときにはモザイクを入れないものに何故モザイクを入れるのかについても葛藤も含めた調子で、NHKらしく真面目に説明していた。  その流れのなかで、オランダで子ども向けの性教育の本が紹介された。開くと紙の男性器の図が立体で浮かび上がるつくりだったのだが、サーヤさんが「女性のは?」と指摘したのは良かった。もしかしたら女性器は見せる予定はなかったのではないかと想像する。画面が切り替わり開かれた女性器の全体像。正面からハッキリと映されてはいなかったけれど、あれは、女性器正面が画面いっぱいに映った日本で初めてのことではないか。  その前の映像で、オランダの学校での性教育の授業で使われているクリトリスの図解や、女性器の正面図が映っていたことも、日本の放送では初めてではないだろうか。  そして、私は、この耳ではっきりと聞いたのである。「クリトリス」。NHKで、音声で、明確に、流れたのである。  男のどうでもいい暴露トークなどにたよらなくたって、セックスはきっと面白く、楽しく語ることができるのだと思う。私たちには知らないことがたくさんある。語り方がわからないこともたくさんあるのだ。番組終了後、ラジオディレクターに「クリトリスって、NHKで言ってた」と連絡すると、「じゃ、解禁にしましょう」と返事がきた。そういう世界だ。発すること、一歩前に進むことで、より良い方向を探りながらいくしかない。性の世界とはまだまだこの国で、そんなところである。   【こちらも話題】 「日本ヘンですね」ドイツから来た女性がアダルトショップに衝撃 “加害欲”にあふれた日本の性文化 https://dot.asahi.com/articles/-/14796
dot. 2023/10/19 16:00
城田優、神戸市外国語大学で講演会 学生たちと多様性、平和、ジェンダー平等などについて考える
城田優、神戸市外国語大学で講演会 学生たちと多様性、平和、ジェンダー平等などについて考える
城田優、神戸市外国語大学で講演会 学生たちと多様性、平和、ジェンダー平等などについて考える  SNOOPYのオーケストラコンサート【Magical Christmas Night】で出演・演出を務める城田優が、10月16日に神戸市外国語大学で開催された【QUE SERA, SERA ~城田優さんと考えるSDGs~】に登壇した。 本講演会には350人の学生が参加し、SDGsについて城田と共に考え、その考えを共有することで、多様性、平和、ジェンダー平等などについて学びを深めた。 スペイン系日本人として日本で育ち、そのルーツから様々な困難や苦労を乗り越え、現在俳優や演出家として活躍している城田自身の経験から、多様性について学生たちに語った。 参加した学生たちからは、「将来の夢で悩んでいたが、城田さんの講演で背中を押された」、「心に刺さる言葉をたくさん聞くことが出来た」、「城田さんの多様性への考え方に共感した」といった感想が聞かれ、SDGsや多様性について改めて向き合い、学生にとっては非常に意義のある機会となった。 講演会では、他者への想像力を持ち、多様性を意識することが人生を豊かにすると語った中で、自身が演出するコンサート【Magical Christmas Night】の上演曲についても触れた。その中の1曲、『真夏の果実』(サザンオールスターズ)では、我々が住んでいる日本から視野を広げて南半球のクリスマスを想像してもらい、真夏の曲をクリスマス風にアレンジするという意外性を楽しんでほしいと語った。 なお、本講演会の模様は、神戸市外国語大学の公式YouTubeチャンネルにて11月6日より公開される。 ◎城田優コメント 大学生に向けてSDGsや多様性といったテーマで講演することは、私にとって初めての取り組みでした。不安はありましたが、神戸市外大の学生の皆さんは真剣な眼差しで聞いてくれてとてもうれしく思いました。 講演会では、普段なかなか関わる機会の少ない学生のみなさんと直接話すことができ、フレッシュなエネルギーをもらうことが出来ました。今まさに人生の分岐点にいて今後社会に出る学生の皆さんの悩みを解決する手助けに少しでもなることが出来ていたらいいなと思っています。また、私の話をきっかけに、学生の皆さんそれぞれが持つ可能性を広げ、未来をより明るいものにすることが出来たのなら大変幸せです。 未来のある学生の皆さんに、激励の言葉をかけることができる機会があったことは非常に喜ばしく思いますし、今後も機会があればこのような取り組みをしていきたいと思っています。◎講演会に参加した学生の感想・両親が外国出身ですが、私は日本に生まれたことで幼い頃からマイノリティに属しているなと感じていましたが、城田さんのお話を聞く中で、小さい頃に自分の存在意義やアイデンティティで悩んでいたことがフラッシュバックしました。そして城田さんの考え方にはとても共感しましたし、真っ直ぐで温かい城田さんの言葉で、私も夢に向かってやりたいことをやろう、頑張ろうと思えました。・講演会では普段伺うことが出来ない城田さんの多様性や共生への考えを知ることができ、非常に貴重な機会となりました。多文化共生について勉強している自分にとって、城田さんの幼少期のお話やオーディション時のご自身の容姿に関するお話などは大きな学びになりました。・講演を聞き、とても励まされました。私自身、難病を患っており、これまで何かをあきらめかけた経験がたくさんありました。境遇は違いますが、今回の経験で城田優さんの言葉に共感できる部分がたくさんあり、もう少し頑張ろうと勇気がでました。・貴重なお時間とお話をありがとうございました!私自身、進路や自分の人生をどう切り開いていくかということにすごく悩んだ半年を過ごし、ようやくその答えが見つかり始めており、城田さんのお話一つ一つが自分に向けられた話のように感じられ、すごく刺さりました。“やらない後悔よりやる後悔”は私も大切にしているので、今後も自分の大事な信念の一つとして持ち続けたいと思います!◎講演会の開催概要【QUE SERA, SERA ~城田優さんと考えるSDGs~】2023年10月16日(月)神戸市外国語大学 ◎講演映像の後日配信について本講演会は後日、本学の公式YouTubeチャンネルにて公開https://www.youtube.com/@kobe_cufs・公開日 :2023年11月6日(月)◎公演情報【SNOOPY『Magical Christmas Night』】【兵庫】2023年12月3日(日)兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール 開場18:00 開演19:00【東京】2023年12月24日(日)昭和女子大学 人見記念講堂 開場18:00 開演19:00出演等:城田優(出演)Crystal Kay(ゲストボーカル/兵庫)清水美依紗(ゲストボーカル/東京)栗田博文(指揮)宮本貴奈(ピアノ・音楽監修)ジーン・ジャクソン(ドラムス)パット・グリン(ベース)日本センチュリー交響楽団(管弦楽/兵庫)東京フィルハーモニー交響楽団(管弦楽/東京)スヌーピー(出演)チケット一般発売中S席一般 12,000円S席パートナーシート 21,000円A席一般 9,000円A席パートナーシート 16,000円U-18(18歳未満) 5,000円※全席指定、未就学児入場不可※パートナーシートは、2名分の連番席。またエリアは各一般席の後方にあり。公演に関するお問合せ【兵庫】キョードーインフォメーション 0570-200-888(11:00~18:00/日・祝休業)【東京】キョードー東京 0570-550-799(平日11:00~18:00/土日祝10:00~18:00)
billboardnews 2023/10/18 14:24
女性ホルモンは恋をすると増える? 自分で増やせる? 産婦人科医・高尾美穂が疑問に回答
高尾美穂 高尾美穂
女性ホルモンは恋をすると増える? 自分で増やせる? 産婦人科医・高尾美穂が疑問に回答
※写真はイメージです(Getty Images)    女性にとって生理がくるのは、12歳~50歳ぐらいまでの約40年間。はじめての生理から数年間は思春期にあたり、閉経に向かう数年間は更年期と重なる。また、妊娠出産というライフイベントもある。これらの人生全体の大きな波と、1カ月ごとの生理という細かな波の中で、女性ホルモンの値は刻々と変化する。「昨日と今日で気分が違っていたり、気持ちの浮き沈みがあったりすることは、全然おかしくない」と医学博士・産婦人科専門医で自身の音声番組「高尾美穂からのリアルボイス」でさまざまな年代の女性特有の悩みに触れてきた高尾美穂氏はいう。同氏の新著『娘と話す、からだ・こころ・性のこと』(朝日新聞出版)では高尾氏が女性ホルモンについての疑問に答えていく。一部を抜粋、再編集し、紹介する。 *  *  *   【連載を一気に読む】 #1 女性の思春期と更年期が重なる「小学生のいる家庭」 #2 女性ホルモンは恋をすると増える?自分で増やせる? #3 女性の3割が経験する更年期障害を我慢してしまう理由 #4 男性より2倍うつになりやすい 女性特有の“こころの不調” #5 欧米では使用率70% タンポンを日本人が使わないわけ #6 2.6倍“子宮内膜症になりやすい”現代の女性 #7 娘の生理にまつわる不調から目をそらすデメリット #8 娘の「もっとかわいく産んでほしかった」をどう受け止める #9 “妊活”に苦しむ前に知ってておきたい、自然妊娠にまつわる3つのこと #10 女性だけが悩まされるライフイベントとキャリア   みんなが気になる女性ホルモンの疑問  女性ホルモンについてよく聞かれる質問があるので、ここでちょっと考えてみましょう。 Q.恋をすると女性ホルモンがアップするというのは本当ですか?  これは、女性ホルモンをいわゆるフェロモンのようなものと勘違いされているのかもしれませんね。  女性ホルモンであるエストロゲンの分泌は、残念ながら恋愛感情にはまったく左右されません。恋をしていようがしていなかろうが、卵巣からエストロゲンが分泌されて排卵が起き、妊娠しなければ生理がくるというサイクルは粛々とまわっていきます。  ちなみに、ハグしたり人と触れ合ったりすることで、脳の下垂体から分泌されるオキシトシンというホルモンが増えることが知られています。こちらは「愛情ホルモン」と呼ばれるように、安心感を感じさせてくれるホルモンです。 高尾美穂さん 写真:東川哲也(朝日新聞出版写真映像部) 【こちらも話題】 女性の思春期と更年期が重なる「小学生のいる家庭」 女性が幸せな人生を感じるカギとは https://dot.asahi.com/articles/-/203014 Q.女性ホルモンは自分で増やすことができますか?  サプリメントや食品などで「女性ホルモンをアップさせる」とうたうものがあるために、こういった疑問が出てくるのかなと思います。  そもそもエストロゲンは主に卵巣から分泌されています。ですから、卵巣の機能を高めなければホルモンの分泌量は増えないわけです。  では卵巣の機能を高めるにはどうしたらいいかというと、残念ながら私たちは、いくら努力しても卵巣機能を高めることはできません。卵巣は、私たちの意志とは無関係に脳の視床下部の命令を受け取って、エストロゲンの分泌量を増やしたり減らしたりしているからです。  何かを足すことによって女性ホルモンを増やすことができるとしたら、合成エストロゲンと呼ばれるような、お薬としてのエストロゲン製剤です。これは婦人科などで処方される薬剤です。  それ以外ですと、エストロゲンに似た作用をするものとして大豆イソフラボンからつくられるエクオールがあります。しかし、これらはあくまでも補助的なものです。  逆に、卵巣機能を下げる原因は、喫煙習慣、極端な食生活、運動不足があげられます。また、強いストレスも卵巣機能を下げる理由になりえます。視床下部はストレスに反応しますから、一時的だとしてもものすごく強いストレスがかかったり、慢性的にストレスが続いたりすることが、女性のからだのサイクルにとって望ましくないのは間違いありません。   【連載を一気に読む】 #1 女性の思春期と更年期が重なる「小学生のいる家庭」 #2 女性ホルモンは恋をすると増える?自分で増やせる? #3 女性の3割が経験する更年期障害を我慢してしまう理由 #4 男性より2倍うつになりやすい 女性特有の“こころの不調” #5 欧米では使用率70% タンポンを日本人が使わないわけ #6 2.6倍“子宮内膜症になりやすい”現代の女性 #7 娘の生理にまつわる不調から目をそらすデメリット #8 娘の「もっとかわいく産んでほしかった」をどう受け止める #9 “妊活”に苦しむ前に知ってておきたい、自然妊娠にまつわる3つのこと #10 女性だけが悩まされるライフイベントとキャリア   ●高尾美穂(たかお・みほ) 医学博士・産婦人科専門医。日本スポーツ協会公認スポーツドクター。日本医師会認定産業医。イーク表参道副院長。ヨガ指導者。婦人科の診療を通して、さまざまな世代の女性の健康をサポートし、ライフステージに沿った治療法を提案。その過程で、患者の悩みや困りごと、さらには娘の心身についての悩みの相談を聞くことも。テレビや雑誌などメディアへの出演、連載、SNSでの発信のほか、アプリstand.fmで、再生回数1100 万回を超える人気音声番組『高尾美穂からのリアルボイス』を毎日配信中。とくに、更年期の専門家として、女性たちの支持は非常に高い。著書は『いちばん親切な更年期の教科書─閉経完全マニュアル』(世界文化社)、『心が揺れがちな時代に「私は私」で生きるには』(日経BP)、『大丈夫だよ 女性ホルモンと人生のお話111』(講談社)、オトナ女子をラクにする心とからだの本』『人生たいていのことはどうにかなる─あなたをご機嫌にする78 の言葉』(以上、扶桑社)など多数。  
朝日新聞出版の本娘と話す、からだ・こころ・性のこと
dot. 2023/10/16 06:31
女性の思春期と更年期が重なる「小学生のいる家庭」 女性が幸せな人生を感じるカギとは
高尾美穂 高尾美穂
女性の思春期と更年期が重なる「小学生のいる家庭」 女性が幸せな人生を感じるカギとは
※写真はイメージです(Getty Images)    男性がこころの不調に陥るとき、その理由は身体的な疾患、経済的な課題、職場などにおける人間関係が多いとされているが、女性の場合は、仕事の悩みはもちろん、義両親やパートナー・子どもとの関係性、そこにかかわる経済的な課題、繋がりの問題、それぞれの健康問題、そして自身の健康課題など、男性が女性にほぼ一任してきた日常生活に近い課題が多く挙げられる。医学博士・産婦人科専門医の高尾美穂氏は、自身の音声番組「高尾美穂からのリアルボイス」で、診察室では受け止めきれない多くの女性のリアルな悩みに触れてきた。同氏の新著『娘と話す、からだ・こころ・性のこと』(朝日新聞出版)から一部を抜粋、再編集し、揺らぎが大きい女性のからだとこころについて紹介する。 *  *  *   【連載を一気に読む】 #1 女性の思春期と更年期が重なる「小学生のいる家庭」 #2 女性ホルモンは恋をすると増える?自分で増やせる? #3 女性の3割が経験する更年期障害を我慢してしまう理由 #4 男性より2倍うつになりやすい 女性特有の“こころの不調” #5 欧米では使用率70% タンポンを日本人が使わないわけ #6 2.6倍“子宮内膜症になりやすい”現代の女性 #7 娘の生理にまつわる不調から目をそらすデメリット #8 娘の「もっとかわいく産んでほしかった」をどう受け止める #9 “妊活”に苦しむ前に知ってておきたい、自然妊娠にまつわる3つのこと #10 女性だけが悩まされるライフイベントとキャリア   子どもの思春期と母の更年期、重なる家庭が増えています  産婦人科には、さまざまな女性がいらっしゃいます。私はこれまで、10代から閉経後の方まで、もちろん妊婦さんも含め、女性のあらゆるライフステージに医療の側面からかかわってきました。  この数十年で、女性のライフコースは大きく変化しました。一番大きな変化は出産年齢です。  以前、小学校のPTAの講演中に気づいたことがありました。小学生のお母さんといえば、すごく若い方だというイメージを持っていたのですが、最近はアラフォーで出産する方もめずらしくありません。仮に35歳で産んだとすると、子どもが小学校高学年になるころ、お母さんは40代後半なんですよね。 【こちらも話題】 男性より2倍うつになりやすい 生理前や産後、更年期におこる女性特有の“こころの不調” https://dot.asahi.com/articles/-/204302 高尾美穂さん 写真:東川哲也(朝日新聞出版写真映像部)  小学校高学年といえば思春期を迎えるころです。一方、40代後半は更年期に差し掛かる年代であり、どちらも、女性としてのからだが変化して、こころも大きく揺さぶられる時期です。  つまり、「『小学生の子どものいる家庭』とは、『家庭の中に不安定なこころを抱えた人が少なくとも二人いる状態』かもしれない」と、いえるわけです。  しかも、お母さん世代が成長期、思春期だったころと今とでは、世の中は大きく様変わりしています。  女性の性や生殖に関する医療は格段に進化しました。出産年齢の高齢化も、進化した医療技術に支えられているといえます。それと並行するように、女性だって家庭を「守る」役割に縛られることなく、自分のやりたいことを実現させたり、家庭の外で働き、社会とかかわりながら生きていく道を選んだりと、かつての社会が決めた「女性はこうあるべき」という枠組みにとらわれる必要はない、という考えが一般的になってきています。  とはいえ、社会にはいまだジェンダー格差が存在していて、平等や公平を目指していくべきだとか、セクシュアリティーは多様なもので、お互いに尊重し合うことが大切だという考え方が、日本でも広く知られるようになりました。 【こちらも話題】 女性ホルモンは恋をすると増える? 自分で増やせる? 産婦人科医・高尾美穂が疑問に回答 https://dot.asahi.com/articles/-/203019  現在の思春期の子どもは、そうした最新の医療や、ジェンダーやセクシュアリティーにまつわるさまざまな価値観が当たり前にある時代を生きていくわけです。  女性たちは、母であり妻であり、働く人であり、自分の親との関係では娘であったりと、いくつもの立場をかけ持ちしながら、せわしなく日々を送っています。思春期世代だって、家族との関係や学校での人間関係、部活動やそのほかのさまざまな活動を通して、十分に社会とかかわりながら生きています。その意味では、男性だから、女性だから、と違いを口にすることはナンセンスになるかもしれません。  一方で、一生を通して、女性のからだは男性よりも揺らぎが大きく、大きな波と小さな波が繰り返しやってきます。その大きな波の代表が、思春期と更年期なのです。  女性のからだとこころの変化は複雑に見えるかもしれませんが、難しくはありません。意外なほどシンプルだったりします。    年代を問わず一番大事なのは、「自分の人生だから、自分で決める」こと。  ただ、これが簡単にはいかないのも、また真実なんですよね。  一つ確実にいえることは、いろんな悩みがあったとしても、「自分なりに幸せな人生を送れている」と感じられるかどうかには、家族やまわりの人たちとの関係性がとても重要だということです。  大きな波はときにからだとこころを揺さぶって、私たちをピンチに出合わせますが、うまく乗りこなすことはできるはず。そのためのヒントを一緒に考えていきましょう。   【ほかの回もあわせて】 #1 女性の思春期と更年期が重なる「小学生のいる家庭」 #2 女性ホルモンは恋をすると増える?自分で増やせる? #3 女性の3割が経験する更年期障害を我慢してしまう理由 #4 男性より2倍うつになりやすい 女性特有の“こころの不調” #5 欧米では使用率70% タンポンを日本人が使わないわけ #6 2.6倍“子宮内膜症になりやすい”現代の女性 #7 娘の生理にまつわる不調から目をそらすデメリット #8 娘の「もっとかわいく産んでほしかった」をどう受け止める #9 “妊活”に苦しむ前に知ってておきたい、自然妊娠にまつわる3つのこと #10 女性だけが悩まされるライフイベントとキャリア   ●高尾美穂(たかお・みほ) 医学博士・産婦人科専門医。日本スポーツ協会公認スポーツドクター。日本医師会認定産業医。イーク表参道副院長。ヨガ指導者。婦人科の診療を通して、さまざまな世代の女性の健康をサポートし、ライフステージに沿った治療法を提案。その過程で、患者の悩みや困りごと、さらには娘の心身についての悩みの相談を聞くことも。テレビや雑誌などメディアへの出演、連載、SNSでの発信のほか、アプリstand.fmで、再生回数1100 万回を超える人気音声番組『高尾美穂からのリアルボイス』を毎日配信中。とくに、更年期の専門家として、女性たちの支持は非常に高い。著書は『いちばん親切な更年期の教科書─閉経完全マニュアル』(世界文化社)、『心が揺れがちな時代に「私は私」で生きるには』(日経BP)、『大丈夫だよ 女性ホルモンと人生のお話111』(講談社)、オトナ女子をラクにする心とからだの本』『人生たいていのことはどうにかなる─あなたをご機嫌にする78 の言葉』(以上、扶桑社)など多数。
朝日新聞出版の本娘と話す
dot. 2023/10/16 06:30
強くなった日本スポーツ「代表ブーム」と「国際化」が原動力 平成期にまいた種が開花
川口穣 川口穣
強くなった日本スポーツ「代表ブーム」と「国際化」が原動力 平成期にまいた種が開花
2011年、サッカー女子W杯。準々決勝で当時2連覇中だったドイツ、決勝ではPK戦の末アメリカを破り、初優勝した    近年、日本スポーツの躍進が目立つ。かつては世界と対峙できなかった競技でもトップレベルの力をつけてきている。その背景を探った。AERA 2023年10月16日号より。 *  *  *  1989年12月29日、東京証券取引所は万雷の拍手に包まれた。年内最後の取引日「大納会」のこの日、日経平均株価の終値は史上最高値となる3万8915円87銭を付けた。バブルのただなかにあった日本経済が絶頂を迎えた瞬間だった。  空前の株高に沸いたその日、錦織圭は東京の狂騒から遠く離れた島根県松江市で生まれた。姉が一人いるごく平均的な家庭だった。5歳でテニスをはじめメキメキ頭角を現すと、13歳でテニス留学のため渡米、17歳でプロに転向する。沈みゆく日本経済とは対照的に、錦織は己が力で道を切り開き、世界のトップへと上り詰めていった。 14年、全米オープン決勝を戦う錦織圭。4大大会のシングルスで決勝に進出するのは男女通して日本人初だった(写真:AP/アフロ)    錦織以前、世界と戦える日本の男子テニス選手はほとんどいなかった。男子シングルスの世界ランキング最高位は松岡修造が92年に記録した46位、戦後の4大大会では同じ松岡の95年ウィンブルドン8強が最高記録。だが、錦織はあっという間にその記録を塗り替えていく。18歳でツアー初優勝を果たし、21歳で松岡のランキング記録を超えると、2014年に全米オープンで準優勝。翌15年には世界ランキング4位につけた。世界の超一流選手の証しであるランキング10位以内には、計212週にわたって在位した。 平成期にまいた種開花  朝日新聞のスポーツ担当編集委員で、錦織を長く取材してきた稲垣康介さんはこう語る。 「錦織圭はバブル経済が最高潮だった日、逆に言うと日本の凋落が始まった日に生まれ、バブル後の停滞感・閉塞感とは関係なしにアメリカへ飛び立って、コーチらの助けを得ながら独力であそこまで上り詰めた。平成から令和にかけて強くなった日本スポーツを象徴する人物です」  近年、日本スポーツの躍進が目立つ。サッカー、ラグビー、バスケットボールなどのワールドカップ(W杯)が日本代表の活躍で盛り上がり、21年の夏季東京五輪、22年の冬季北京五輪ではいずれも過去最多のメダルを得た。 93年、Jリーグが開幕。ジーコ、リネカー、リトバルスキーら世界的な名選手も参戦し、レベルアップに一役買った    スポーツジャーナリストの二宮清純さんは「平成期にまいた種が開花した」として、原動力を二つ挙げる。一つはJリーグの誕生と代表ブーム、もう一つが国際化だ。  91年秋、日本初のサッカーのプロリーグであるJリーグが設立される。93年5月に開幕すると、大ブームを巻き起こした。 「Jリーグが優れていたのは地域密着に加え、アンダーカテゴリーを持つことを義務付けた点です。それまで日本のスポーツは強化一辺倒でした。一方、サッカーはJリーグを頂点に下部組織を整備し、普及・育成に力を入れたんです。いわば底辺拡大で、大きな底辺を持つピラミッドだからこそ頂点も高くなる。Jリーグの成功以降、各競技がそれを参考に普及・育成に力を入れるようになりました」  Jリーグへの注目は日本代表ブームにもつながった。93年秋、サッカー日本代表はW杯初出場をかけたアジア最終予選を戦った。Jリーグで活躍する選手たちの檜舞台として盛り上がりは高まった。土壇場で本戦出場を逃した「ドーハの悲劇」のイラク戦は、深夜帯にもかかわらず平均48.1%、瞬間最大58.4%という驚異的な視聴率を叩き出す。二宮さんは続ける。 「この代表ブームは各競技にも波及しました。それまで『全日本』とか『ジャパン』と呼ばれることが多かったナショナルチームが『日本代表』の呼称に統一されていき、代表の価値を高めました。注目度は上がり、選手たちもそれまで以上に代表入り、代表での活躍を本気で目指すようになったんです」  もうひとつは国際化だ。象徴的な出来事は95年。野茂英雄が渡米、ロサンゼルス・ドジャース入りし、日本人2人目のメジャーリーガーとなった。 95年にドジャース入りした野茂英雄は同年、オールスターにも出場。トルネード投法で日米にブームを巻き起こした   「プロ野球という日本最大のスポーツ産業のなかで十分に稼いでいたトップ選手が、何の保証もない大リーグへ飛び込んだインパクトは大きかった。そして、『通用しない』という声をはねのけてあれだけの活躍をし、連日のように報道されました。後に続いた日本選手の活躍は言わずもがなですし、野球以外のスポーツでも若くから海外に出るのが当然になりました。他競技の選手が野茂に直接影響されたわけではありませんが、野茂が日本スポーツの鎖国を解いたとは言えるでしょう」 海外からの指導者の力  例えばサッカーでは、W杯初出場を果たした98年は代表全員が国内組だったが、前回22年大会では代表26人のうち19人が海外チームの所属だった。 リオ五輪バドミントン女子ダブルスで高橋礼華(右)・松友美佐紀組が優勝。後方の朴柱奉は04年以来代表ヘッドコーチを務める    国際化といえば、海外から来た指導者の力も大きかった。ラグビーでは、12年にオーストラリア出身のエディ・ジョーンズが代表ヘッドコーチに就任。15年W杯で強豪・南アフリカを破る大金星を挙げ、後任のジェイミー・ジョセフは19年大会で日本代表を初の8強に導いた。バスケットボールではトム・ホーバスが女子代表を率いて東京五輪銀メダル、21年からは男子代表のヘッドコーチに。今年のW杯では3勝を挙げ、48年ぶりの自力での五輪切符を獲得した。3人は就任以前に日本でのプレーやコーチ経験があり、日本に何が必要かわかっていた。前出の稲垣さんはこう話す。 「ラグビーでもバスケットでも、世界のレベルを肌で知るコーチが世界で勝つために必要なものを明確な戦術として授け、相当タフなトレーニングを課しました。選手も必死に食らいついた。また、フェンシングでは03年に日本協会の招きで来日したウクライナのオレグ・マツェイチュクコーチ、バドミントンでは04年に来日した韓国の朴柱奉(パクジュボン)コーチが日本代表を世界と戦えるレベルにまで引き上げています」 (編集部・川口穣) ※AERA 2023年10月16日号より抜粋
AERA 2023/10/15 10:30
旭川いじめ事件「黒塗りのない調査報告書が流出」のミステリー 元刑事が指摘する「犯人の動機」
井荻稔 井荻稔
旭川いじめ事件「黒塗りのない調査報告書が流出」のミステリー 元刑事が指摘する「犯人の動機」
市議に配布された「黒塗り」の報告書    旭川市の公式サイトには「いじめの重大事態に係る調査報告書について」というページがある。  2021年3月、中学2年生の女子生徒が凍死する痛ましい事件が起きた。当初、女子生徒が凍死した理由は不明だったが、同年4月、文春オンラインが「女子生徒はいじめを受けていた」と明らかにした。  そのいじめの内容は筆舌に尽くしがたく、文春の調査報道によって悲惨な被害状況が明らかになったことから、市は同年6月に第三者委員会に調査を諮問。翌22年9月に調査の最終報告書が公表された。  公式サイトには「御遺族の意向も確認しながら(略)非公開とすべき部分に黒塗りを施しております」との記述がある。リンクされているPDFを閲覧すると、164枚に及ぶ調査報告書を見ることができるが、かなりの範囲が黒塗りになっていることがわかる。  ところが今年10月6~7日にかけて、「黒塗りなしの報告書」が流出していたことがメディアで報じられた。一体、何が起こったのか。週刊誌記者はこう話す。 「そもそも9月末ごろから、『黒塗りのない調査報告書が出回っている』という情報が流れていたことを、朝日新聞の北海道版が報じています。そして10月3日、市議の一人がSNSに『黒塗りではない報告書が、差出人名などがない封筒に入れられて郵便受けに届いていた』という内容を投稿。さらに5日、別の市議も『黒塗りのない報告書を見た』と市議会の委員会で発言しました。黒塗りのない報告書は原本を市の教育委員会が保管し、複写ですら市長など限られた関係者しか持っていません」 【あわせて読みたい】 23年前に国会で「ジャニーズ性加害事件」を取り上げた国会議員がいた 息子が語った「父の思い」とは https://dot.asahi.com/articles/-/203626 女子生徒の遺体が見つかった公園の管理事務所入り口には、多くの市民が冥福を祈って花や似顔絵などが飾られた(22年3月)   記者の質問から逃げた委員長  黒塗りの部分には、凍死した女子生徒のプライバシーに関わる部分も含まれているという。遺族の弁護士は流出が被害者の尊厳を傷つけ、遺族に耐えがたい屈辱を与えるものと指摘。「断じて容認できない」と強く非難し、市教委に刑事訴追を求める要望書を提出した。  元神奈川県警刑事で犯罪ジャーナリストの小川泰平氏は、凍死事件の発覚時から精力的に取材を続けてきた。小川氏はまず、これまでの経緯をこう振り返る。 「21年4月に旭川市の教育委員会が第三者委員会による調査を表明し、第三者委は22年4月に中間報告を公表しました。ところが、この時点でご遺族側は事実認定の一部を不満とする所見を提出しました。第三者委は9月20日に最終報告書を公表し、24日に記者会見を開きましたが、ご遺族だけでなく、出席した記者からも非常に問題のある内容との指摘が相次いだのです」  小川氏によると、会見に出席した第三者委員会の委員長は、いじめを認定した理由として「心身の苦痛を感じている」点を重視したが、記者は「ツイッターや遺族の聞き取りによって認定したのか」と追及。すると、委員長は「認定した理由は説明できない」などと答えをはぐらかしたという。小川氏は「記者の質問から逃げている態度が、第三者委の問題点の全てを象徴していた」と批判する。 市議会で最終報告の概要を説明する元市教育委員会教育長の黒蕨真一氏。22年9月に教育長を引責辞任した   報告書流出は遺族に対する嫌がらせ?  第三者委員会については地元紙も問題視した。北海道新聞は22年4月16日に「旭川中2いじめ 遺族『尊厳傷ついた』 聞き取り1度『気持ち軽視』」との記事を掲載。同記事によると、第三者委員会が被害者の母親に行った調査は1回だけであり、時間も休憩を除いて合計1時間半だったという。さらに職業や生活習慣などいじめの事実と関係のない内容を質問され、遺族側関係者が「家庭環境に問題があるという先入観があるのでは」と疑問視していると伝えている。  最終報告書が「死亡は自殺で、いじめとの因果関係は不明」としたことに、当然ながら、遺族は再調査を要望。今津寛介市長は22年9月22日、再調査委員会を設置する方針を表明した。今年8月に開かれた再調査委員会の会見では、生徒や教員らの聞き取りは終了したと回答。ただ調査の終了時期については「急ぐより納得できるもののほうが重要」とし、メディアは「来年度にまたぐ見通し」と報じていた。  このような状況のなか、黒塗りなしの報告書が流出したわけだ。市教委の保管状態が問題視されているのは当然だが、X(旧ツイッター)などでは「遺族に対する嫌がらせを意図したのではないか」という推察も散見される。だが、小川氏の見解は全く異なる。 「同じテツは踏まぬようにしてほしい」 「流出は、当時14歳だった被害少女の尊厳を傷つけ、遺族の心情を踏みにじる行為です。しかし第三者委の調査報告書で黒塗りされた箇所は、加害者に配慮した部分もあります。加害者は高校生や有職少年などの未成年です。流出という行為は非常に問題ですが、第三者委の報告書がどれだけ問題の多いものか、改めて告発しようとしたのではないでしょうか。その手段として、市議に黒塗りなしの報告書を送ったのかもしれません。残念なことに、事件の風化も進んでいます。再調査委員会に『第三者委と同じテツは踏まぬようにしてほしい』というメッセージを伝えるためにも、あえて流出という乱暴な手段に訴えた可能性があるとも考えています」  真相解明に向けて、再調査委員会には徹底した調査を期待したい。 (井荻稔) 【あわせて読みたい】 13歳から7年間、実父から性的虐待… 彼女はなぜ全てを告白したのか? https://dot.asahi.com/articles/-/96620
旭川女子中学生凍死調査報告書
dot. 2023/10/13 15:51
〈八冠の偉業への道〉藤井聡太や羽生善治ら「天才集団」の人間力 難しいとされた「将棋」と「学業」両立に変化の波
松本博文 松本博文
〈八冠の偉業への道〉藤井聡太や羽生善治ら「天才集団」の人間力 難しいとされた「将棋」と「学業」両立に変化の波
藤井聡太竜王(写真左)も羽生善治九段も、その立ち振る舞いや謙虚な姿勢に老若男女が魅了される/2018年1月、記者会見で  かねて棋界では、「将棋」と「学業」の両立は難しいといわれてきた。だが、時代の移ろいとともに、棋士たちの個性の幅が広がりつつある。天才たちをひもとくと、人生に子育てに効く「学び」がある。AERA 2022年4月18日号では、将棋に学ぶ「天才の育て方」を特集。そのなかから、ここでは中村太地七段と谷合廣紀四段のインタビューを紹介する。(こちらは22年4月14日の記事の再配信で、本文中の年齢・肩書はAERA掲載当時のままです。) *  *  *  将棋界はよく「天才集団」だといわれる。  たとえば「将棋史上最強」と称えられる羽生善治九段。19歳で初タイトル竜王位を獲得し、25歳でタイトル七冠同時制覇を達成。「永世七冠」など数々の偉業を成し遂げ国民栄誉賞まで受賞した。  そして現代のスーパースター、藤井聡太竜王。14歳でプロ四段、19歳でタイトル五冠と、将棋界のほとんどの史上最年少記録を塗り替えつつある。  羽生、藤井の両者ともに「天才」というほか、どう形容していいのかわからないほどの、優れた頭脳の持ち主だ。  将棋界で「天才」の名を挙げていけば、それこそキリがない。その中で近年、注目を集めるのは、学業にも優れた棋士だ。代表的な例として挙げられるのは、中村太地七段(33)や谷合廣紀四段(28)などであろう。 完璧なロールモデル  中村は中高一貫の早稲田実業出身。同級生には野球で全国大会優勝を成し遂げた斎藤佑樹投手がいた。中村は高校在学中、17歳のときに四段としてプロデビュー。早稲田大学政治経済学部に進学し、論文「無党派層の政党好感度 政策と業績評価からのアプローチ」がコンクールで評価され、奨学金を与えられた。  以前、藤井の進学について母親に取材したとき「中村先生はすごい」という言葉を聞いた。世間の親御さんから見て中村は、わが子がこう育ってほしいと願うロールモデルとして完璧に近いだろう。  大学を優秀な成績で卒業したあと、2011年度は歴代2位の高勝率(0.851)をマーク。この記録は藤井にも抜かれていない。17年には羽生から王座を奪取し、初タイトルを獲得。NHKの情報番組でキャスターを務めるなど、将棋界を代表してコメントする機会も多い。温厚な人柄であり、「将来の将棋連盟会長」の呼び声も高い。 中村太地七段/1988年生まれ。東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。2006年、高3でプロ入り。17年、第65期王座戦で初タイトルを獲得  一方の谷合は、棋士養成機関・奨励会在籍中、東京大学理科1類(工学・理学系)に進学。工学部では電子情報学を専攻した。卒業後は大学院に進み、修士課程在籍中の18年には『Pythonで理解する統計解析の基礎』というプログラミングの専門書も執筆。19年には自動車技術会主催の「自動運転AIチャレンジ」という競技会で優秀賞を受賞。博士課程在籍中の20年に奨励会を抜けて四段昇段を果たした。21年には日本取引所グループ(JPX)の株価を予測するコンペティションで上位に入賞した。棋士の他に一流の研究者、エンジニアの顔を持つ万能の天才タイプである。  中村の師匠は、日本将棋連盟会長も務めた名棋士の米長邦雄永世棋聖(故人)。その米長が言ったと伝えられる有名な言葉がある。 「兄たちは馬鹿だから東大に行った。自分は頭がいいから棋士になった」  将棋界の優秀さを端的に示すとして、何度も繰り返し引用されてきたフレーズだ。それは米長の先輩の創作であると米長自身は述べているが、趣旨については否定するものでもないらしい。現在、棋士になれるのは原則として年間4人。難易度という点において、年に3千人合格する東大とは比較にはならない。とはいえ、その両立など、かつては考えられなかった。  しかし現在は谷合のように、どちらにも進む人物も現れた。そうした意味で棋士にも「多様性」が見られるようになったのは、時代の変化を表すものだろう。将棋が強く、のちに棋士に成長した少年時代には、いくつもの共通点がある。彼らの言葉から探っていきたい。 言語の習得に似ている  まず挙げられるのは、スタートの早さだ。  藤井聡太は5歳。羽生善治は6歳。多くの棋士は小学校入学前後で将棋を始めている。もちろんみんな、最初から強かったわけではない。しかし、早く始めることのアドバンテージは大きい。  中村は4歳のときに父から教わった。 中村:言語の習得に似ていると思います。子どものときの方が吸収力が高い。いろんなものを吸収し「どれがいい」というのが自分の中で感覚的にわかる気がしますね。 谷合廣紀四段/1994年生まれ。2020年、四段昇段。棋風は振り飛車党。現在は東大大学院博士課程に在籍中。著書に『Pythonで理解する統計解析の基礎』(撮影/写真映像部・東川哲也)  谷合が覚えたのは6歳ぐらいで小学校に入る直前だった。 谷合:アマチュア四段ぐらいの祖父に習いました。祖父の家に遊びに行くと、将棋ばっかりやってました。  とはいえ、みんな最初から将棋ばかり、ではない。 中村:水泳や英語の教室に通って、ピアノも少しだけ。サッカーも好きで、自分から進んでやっていました。自分がやりたいと言ったことを、両親は応援してくれる感じでした。 探究心と負けず嫌い  谷合は自宅にピアノがあって、早くから触れた。小学校はお茶の水女子大学附属で音楽関係者の子弟が多く、学校でアンサンブルできた。 谷合:いまでもピアノは続けていて、即興で弾くのが好きです。小学校のときには公文式もやっていました。進んでる人は会報誌の全国ランキングに載るので、それもモチベーションとして頑張って。小6の頃には高校生ぐらいの課程まで進んでいました。  いまは鬼のように強い藤井も、幼い頃には無敵というわけではなかった。地元では、負けるとよく泣く少年として知られていた。棋士の多くにはそうした、負けず嫌いに関するエピソードがある。  将棋を始めたばかりの中村少年は、親戚の子に負けて泣いた。 中村:5歳上のいとこは、ルールを知ってるぐらいでした。自分はちょっと父親と遊んだぐらいなんですけど、自分が勝つと思ってやったんです。それでも年の差があったためか、負けてしまって。それが悔しくて、もっと強くなりたいと。  中村は小2から八王子将棋クラブに通うようになった。中村が尊敬する羽生も育った名門で、多くの有望な子が集っていた。 中村:やっぱり同世代の人たちがいっぱいいたのは大きくて、楽しく将棋を続けられました。同学年ぐらいの自分より強い子、ライバル的な存在の子がいると「もっと頑張らなきゃ、強くなりたいな」という気持ちが起こります。負けず嫌いか、あとは探究心がものすごく強いか。どちらかが大切だと思いますね。  将棋では必ずいろいろな発見があります。それをもっと知りたいと思う探究心。あるいは、この目の前の相手に負けたくないから強くならなきゃいけないとがんばる。どちらも行き着く先は、将棋をいろんな方向から勉強する、ということになると思うんです。 少し距離をとって子どもたちの対局を見つめる藤井聡太竜王。ブームを巻き起こした本人は、いたって冷静だ/3月12日、島根県で  棋士には勝負師、研究者、芸術家、三つの顔があるとよくいわれる。谷合は先にも述べたその経歴から、研究者のようにも見える。しかし実は負けず嫌いで、かなりの勝負師タイプだ。 谷合:なんでも、やるからには勝ちたいと思いました。自分が向いてないゲームは早々にやめて、勝てそうなゲームだけ続けました(笑)。  谷合は小学生の頃、将棋連盟の道場によく通った。それ以来の知り合いなのは、香川愛生女流四段(元女流王将)や渡辺和史五段。渡辺は21年度、藤井をも上回る20連勝を達成して、連勝1位を達成した。  優秀な同世代と早くから切磋琢磨することによって、自然と鍛えられていく。  学業も将棋も優秀だった谷合は、中高一貫の都立校・白鴎(東京都台東区)で、将棋に秀でた生徒の特別枠入試を受験した。余裕で合格しておかしくなさそうだが、「私と香川さんは落ちました」と苦笑いする。そのとき、受かったのが伊藤沙恵・現女流名人と三枚堂達也・現七段だったという。  谷合は中高一貫の私立男子校・獨協(東京都文京区)に進学し、そこから東大を受験する。 谷合:大学受験のときも全国模試のランキングとか出てて、少しでも上に行くためにっていうのも結構、モチベーションの一つだったので。何ごとに対してもけっこう、勝負を見いだしている気がします。 (ライター・松本博文) ※AERA 2022年4月18日号の将棋特集より抜粋
藤井聡太八冠将棋
AERA 2023/10/12 07:00
女性外科医の体験談 20代で妊娠報告に「専門医取得前に妊娠した前例はない」と言われ‥ 変わり始めた働き方
女性外科医の体験談 20代で妊娠報告に「専門医取得前に妊娠した前例はない」と言われ‥ 変わり始めた働き方
金沢大学附属病院消化管外科所属の林沙貴医師。1985年、富山県高岡市生まれ。小学4年生と1年生の息子2人を育てながら、消化器外科医として診療や手術に携わる 写真/高野楓菜(写真映像部) 女性医師の割合は増えていて、女性外科医の割合も増えてきています。しかし育児とキャリア形成との両立には、いまだ多くの高い壁があるのも事実です。好評発売中の週刊朝日ムック『医学部に入る2024』では、ハードワークで知られる消化器外科を選び、28歳で第1子を出産。2人の小学生を子育てしながら働く林沙貴医師(金沢大学附属病院 消化管外科)の体験談を伺いました。同ムックの記事をお届けします。 「日本の外科医の男性と女性の手術経験格差」のレポート記事も併せてご覧ください。 *  *  * 「医学部の学生だったときには、外科医になるなんて考えもしなかったんです。『手術なんてしない科に入りたい』とまで思っていたほどです(笑)」  林沙貴医師からはそんな意外な答えが返ってきた。外科医になりたいと思ったのは、医学部5年生の病院実習のときだったそうだ。 繊細な技術が求められる消化器外科にみせられて 「外科の先生たちがイキイキ働いていてすてきだったんです。手術で人の命を救える仕事ってすばらしいなぁと素直に思えました」  林医師が医師を志した背景には、小学6年生のときに祖父を肺がんで亡くした経験がある。手術をして「これで治る」と喜んだ1年後に他界してしまった。 「だからこそ、手術で命が救われる人を増やしたいと思うようになったのかもしれません」  外科医のハードさは耳にしていたが、先輩の男性医師に相談すると「女性でも育児をしながら働いている外科医はいるよ、大丈夫!」と励まされた。 「ただ、働いている女性外科医の先輩の多くは乳腺外科医です」と林医師は振り返る。  乳がんなどの手術と治療を担う乳腺外科は、女性医師の比率が高い科だ。比較的手術時間が短く、患者の急変も少ないため、子育て中の女性医師も多い。患者と同じ女性であることが有利に働くこともある。林医師も出産育児後は乳腺外科専門医を目指したが、配属された病院の都合で、乳腺診療もしつつ胃や大腸など消化器の手術も担当。いつしか消化器手術のおもしろさに目覚めていた。 「胃や腸の手術はとても繊細で、膜一枚一枚の構造を考えながら手術する必要があります。切除したあとの再建にも高い技術が求められます。大ベテランの先生方がいくつになっても研鑽(けんさん)を積む姿にも感銘を受けました。私もこの世界で一生チャレンジし続けたいと思うようになったのです」 前例がないから何をしてあげていいかわからない  一方で、消化器外科のハードさも身に染みて知っていた。 「術後が不安定で合併症も起こりやすい。救急の疾患もありますし、病院に駆けつけることも多く、女性が子育てしながら働くにはハードルが高いのです」  医師になって2年後、同僚でもある外科医の夫と結婚した。第1子を出産したのはその翌年で、医師になってまだ4年。前例がないと周囲に驚かれたそうだ。 「外科医の場合、医師になって6年目くらいで外科専門医の資格を取得し、その後数年かけてサブスペシャリティー(消化器外科や乳腺外科などの専門医)を取得するのが一般的です。私の場合、外科専門医の取得もまだでした。妊娠を報告したとき『外科専門医取得前に妊娠した前例は医局にはない。どうしてあげたらいいかわからない』と言われました」  それまで林医師は、医師として働くなかで、女性として差別を受けたと感じたことは一度もなかったそうだ。しかしこのときはっきりと「自分はマイノリティーだ」と自覚したという。 「それでも20代で出産しようと決めたのは自分だったので、やむを得ないと思いました」  早く子どもを産もうと思ったのには理由があった。 「年齢が上がれば妊娠・出産のリスクが高まります。キャリアは多少遅れてもなんとかなるけれど、生物学的な部分は変えられない。妊娠、出産、子育てというライフイベントをあきらめずに外科医を続ける道はあるはずだと思いました。逆に、それをあきらめなければなれない仕事だとすれば、そのほうがおかしい」    林医師は妊娠後、医局関連の比較的小規模の病院へ異動し、その後出産した。半年の育休後に同じ病院に戻り、3年後には第2子を出産。その後、前勤務先の総合病院へ異動した。子育て中も朝から夕方までフルタイムで、夕方5時以降の呼び出しや夜間の当直だけ免除される働き方を続けてきた。 「育児中でもこれまでの指導医は一人の外科医として指導してくださり手術や診察の経験を積むことができました。手術時間が長引くと『保育園のお迎えは大丈夫?』と誰かが声をかけてくれるような理解のある職場でした」 家事育児は女性がやるべき一番そう思っていたのは自分  それでも2人の子どもを育てる負担は大きい。発熱などで保育園を休むときには、実家の母や他県に住む義母を頼った。 「私は周囲の理解もあって自分のペースで仕事ができる。だから家事育児は私の担当なのだと思いこんでいました。夫の病院は手術も多く、あまりに多忙。『休んでほしい』とは言えませんでした」  次男が生まれてしばらくしたころ、夫がどんどんキャリアアップする姿を目の当たりにした。心がざわめくのを抑えられなかった。 「同じ外科医で同世代で子どもがいるのも同じ。なのになぜ性別が違うだけで差がつくのか、なぜ私ばかり当然のように家事・育児を背負うのか……。すごく悔しかった。でもその原因は『女性が家事・育児を担うべきだ』と無意識に考えていた自分のせいだったのかもしれないと気づきました」  もっと働きたい、もっと手術がしたい、その思いを少しずつ夫に伝えていった。 「以前私が外科医をやめようか悩んでいたときに、『やめるのはもったいない』と引き留めてくれたのは夫でした。ちゃんと伝えたことで夫からのサポートは自然に増えていきました」 37歳で大学院へ 医師の道は1本じゃない  夫婦の意識が大きく変わったのは、前出の河野恵美子医師らが主催する「AEGIS-Women」のセミナーに夫婦で参加したことだったと振り返る。 「4年ほど前ですが、託児所付きで手術手技を練習するセミナーに夫婦で参加したんです。参加者同士のディスカッションの時間もあって、子育てしながら消化器外科医として働く女性医師は私たちのまわりには全然いなかったので刺激を受けました。夫も女性医師の現状を知り、私も『子育てしながらも消化器外科医としてキャリアを積めるかもしれない』と前向きに思えるようになりました」  夫は多忙ななか、子どもの送り迎えや食事の準備をできるだけ分担してくれている。林医師は昨年、念願だったサブスペシャリティー、消化器外科専門医を取得した。今年から母校である金沢大学の大学院に入り、診療を続けながら学位取得を目指している。遅れていたキャリアは加速し始めた。 「私が大学にいることで、医学部生や研修医、若手外科医の一つのロールモデルになれるとよいなと思います」    2人の息子は小学生になった。 「育児と仕事の両立は日々やることが多いので、仕事においても時間管理はうまくなったと思います(笑)。彼らの成長を見ていると『自分ももっと成長しよう』と思えるんです」  インタビューの間、林医師は何度も「周囲の人に感謝しています」と繰り返した。 「女性だからといってあきらかな差別を受けたことは一度もありませんし、これまでの女性外科医の先輩方のご尽力もあり外科全体の働き方の意識も変わっています。それでも女子学生にはよく『子育てしている女性の消化器外科医もいるんですね!』と驚かれるんです。学生の意識は、私が医師になったころと変わらないんですね。だからこそ私は『大丈夫だよ』と伝えます。迷うことなく自分のやりたいことを目指して!って」 (文/神 素子) 【こちらも話題】 出産・育児だけが理由ではなかった外科医のジェンダー格差 手術経験数の男女比研究 「所属長の意向」も要因 https://dot.asahi.com/articles/-/202627 ※週刊朝日ムック『医学部に入る2024』から
dot. 2023/10/06 16:30
iPS細胞初移植の女性医師が50歳で目覚めた“4次元”の重要性 医療システム改革を大胆提言
高橋真理子 高橋真理子
iPS細胞初移植の女性医師が50歳で目覚めた“4次元”の重要性 医療システム改革を大胆提言
眼科医・ビジョンケア社長 高橋政代さん(62)  世界初のiPS細胞を使った眼科手術を主導した高橋政代さんは、再生医療をはじめ費用が高い最先端治療の普及には医療制度の変革が必要だとアピールしている。日本の医療には、保険診療と自由診療があり、自由診療はお金がかかるほか、医療の質が担保されていないという課題がある。そこに学会が関与する形で民間保険を入れて、自由診療の枠組みを利用して高額な先進的医療を多くの人が受けられるようにすべき、というのだ。「国民皆保険」という世界に誇る制度をこれで守れると位置づける。未来を見据えて大胆に進み続ける高橋さん。ここまで、どんな道を歩んできたのだろう。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子) >>【前編】「ブルドーザーに乗ったサッチャー」と呼ばれて 「そんなん無理」を超えてきた女性眼科医(62)の歩み *  *  * ――お生まれは大阪ですね。  はい、父は普通のサラリーマン、母は専業主婦で、一人っ子です。地元の小学校から、大阪教育大学附属池田中学校へ。近所のおばちゃんが「この子わりと賢いから挑戦してみたら」って言ったらしいんです。母はそんな意識がなくて、塾も行ったことがなかった。 ――それで受かったんですか。  あのころの中学受験では、塾に行かない人も半分ぐらいいたと思いますよ。家で過去問はやりました。電話帳みたいに厚いやつ。大学受験のときも予備校には行かなかった。夏期講習だけは行って、有名な物理の先生の授業を聴いたら、物理の点数が途端に上がりました。あ~、わかった~っていう感じで。これにはびっくりしました。 「絶対嫌や」と反抗した ――お母さまが医学部受験を勧めたとか。  そうです。親戚には歯医者が多かったんですけど、母は「戦争になっても食いっぱぐれがない」とか言って、医者を勧めた。母親はわりと勝気だったんだけど、昔だから、女学校しか行かせてもらえなかったとか、専業主婦で我慢しなあかんかったとか、あったんだと思うんです。で、自分で生活できるようにしたほうがいいと私に言っていた。 ――そう言われて、何の疑問もなく?  いや、もう絶対嫌やって反抗してました。血を見るのは嫌だ、とか言って。でも、そのころは本当に嫌だと思っていましたけど、別に慣れるんですね。だから、みんなに言いたい。そう思って医学部の受験をやめる女の子はいっぱいいると思いますけど、そんなのはどうもない(笑)。  結局、反抗したけれど、じゃあ、何をやりたいのか、何学部に行きたいのかというのがなかった。あちこちで言ってますけど、30代半ばで米国に留学するまでは、自分でやりたいことというのは何もなかったんです。自分の意見というのもなくて、誰の意見にも合わせるから、「合わせの小池」って、あ、私の旧姓は小池っていうんですけど、そう呼ばれていた。聞いているばっかりで、自分でしゃべることってあんまりなかったですね。 ――今と大違いですね。  そうなんです。同級生は「あんなに可愛かったのに、どうしてこうなった」と言います(笑)。35歳でやりたいことに出会ってから、言いたいことがどんどん出てきて。今は人が言っている最中にかぶせて話してしまう。これはまずいから自重しないと、と思っているところです(笑)。 テニスなのに泥だらけ ――ちょっと時間を戻すと、京大の医学部に入って、卒業と同時に結婚。お相手は同級生でいま京大iPS細胞研究所長の高橋淳先生でした。  彼の専門は脳外科ですけど、テニス部で一緒だったんです。彼のテニスは高校野球みたいなんですよ。 ――え? 一生懸命ということですか?  そう、何故かテニスなのに泥だらけになる。それぐらい、どんな無理と思われるボールでもくらいついていく。それと、女子と男子で練習するとき、女子にはみんな容赦するのに、彼は容赦しなかった。それが良かったですね。いま思い出しました。  私は母親にかなり洗脳されて、ちゃんと手に職をつけて、結婚して子育てもするんだと思い込んでいた。だから、子育てをしやすい科として眼科を選びました。卒業直後の研修医時代は手に職をつけるためしっかり勉強しないといけないので、「その間は子どもを産みません」と姑さんに手紙を書いた。あのころはすぐに「子どもはまだ?」って聞かれるから、先制攻撃です。 ――すごいな、それは。  2年の研修医が終わって大学院に行っている間に1人目を産み、2人目は大学院を修了して京大付属病院で助手をしているときに産みました。小さい子が2人いる生活はしんどかったですね。脳外科の旦那は睡眠3時間で働いていて、家にいない。0歳と2歳の子をお風呂に入れるのは大変で、自分の顔を洗うとか髪を洗うとかできなかった。 ――あ~、乳幼児のお風呂は大人が2人いないと無理です。  今から考えてもよくやったと思います。あのころは当直免除とかもなかったですし。それでも、眼科はリベラルで、女性だからといって蔑視されることはなかった。すごく優秀な女性の上司がいましたし、私と同年代で子持ちの女性教員が3人いた。教授が心の広い人だったというか、何も考えていないというか、とにかくラッキーでした。他の科なんか、妊娠したら大学病院を辞めるという不文律がありましたから。 ――え~、産婦人科や小児科にとっては妊娠を経験した女性医師は千人力でしょうに。  本当にそうですよ。今は時代が変わりましたけど、当時の京大病院で眼科以外に女性教員がいる科はほとんどなかったですね。眼科の女性教員の同僚はみな豪傑で、私も含め仕事に穴は開けないし、夜の9時10時まで手術をしていた。でも通常は保育園のお迎えがあるから7時に帰る。そこで仕事を切り上げないといけないことにすごくストレスを感じていましたね。 それをやるのは私だ ――運命の分かれ道となる米国留学に行かれたのが1995年ですね。  夫が脳の神経幹細胞を研究するために米国ソーク研究所に留学したので、子ども2人を連れてついて行きました。それまで自分はあまり研究に向いていないと思っていたんですけど、ここで幹細胞の研究を始めたら、すごく面白い。臨床医をしてきた私は幹細胞の価値がすぐわかった。幹細胞を使って網膜を再生できれば、失明した人に光を取り戻すことができる。それをやるのは私だと思った。 留学時代の記念写真。左端に座るのが高橋政代さん、その奥にいるのが夫の高橋淳さん= 1995年、米国ソーク研究所(高橋政代さん提供)  それで、日本に帰ってからも幹細胞の研究を続けました。当時はES(胚性幹)細胞を使って研究し、2004年には霊長類のES細胞を使った動物実験で治療ができるという世界初の論文を出した。京大の助教授時代です。世界はヒトへの臨床応用に向かってどんどん動いていきましたが、日本では倫理的に慎重さを要求された。ES細胞はヒトの受精卵から作るからです。そこに、皮膚細胞から作れるiPS細胞が出てきたわけです。 ――新聞でも、iPS細胞はES細胞と違って倫理的問題がない、と盛んに書きました。それに、患者本人の細胞を使って作れば、拒絶反応が起こる心配もない。  ES細胞には枕詞のように「倫理的問題のある」という説明がつきましたが、これはおかしいと当時から思っていました。カトリックでは「生命の誕生は受精のとき」と教義にありますから問題視するのはわかりますが、日本では中絶が行われている。にもかかわらずES細胞を問題視するのはダブルスタンダードです。それよりも拒絶反応のことが問題でした。対象疾患の一つ、加齢黄斑変性は高齢になって発症する。高齢者に免疫抑制剤を使用したくなかった。  マウスでiPS細胞ができたと論文発表されたのが2006年で、その年に私は京大から神戸市の理研に移りました。翌年にはヒトでiPS細胞ができたと論文発表された。私は山中先生に「5年で臨床試験をします」と宣言したんです。国も再生医療の特質に合わせた法律、制度づくりを進めてくれて、再生医療については世界最先端の法律ができた。それもあって、異例のスピードで第1例の手術にこぎつけました。 ――米国から帰ってきてから全速力で駆け抜けてきた感じですね。ところが、1例目の手術をしたころは泣き暮らしていたとおっしゃったのには本当に驚きました。そこから不死鳥のように立ち上がったのも素晴らしい。帰国してからの子育てはどうされていたのですか? 米国から一時帰国したときの一家4人=1996年、関西空港(高橋政代さん提供)  米国では臨床医として働く必要はなくて研究だけできたので、本当に解放されて、楽しかった。上の子は6歳になって、小学校の前の段階のプレスクールに入ったんですけど、あらゆることが「お母さんは働いている」という前提で進むから、すごく楽だった。アフタースクールが充実していて、民間の会社が何社も入って、スポーツをやる、勉強する、音楽や美術に親しむとか、いろいろ特徴があって、親が選べるんですよ。お金はかかりますけれど、すごくサービスがいい。学校にずらっとバスが並んで、子どもたちはそれに乗って会社の施設まで行って、遊んだり勉強したりしたあと送ってもらう。  日本に帰ってきたら、学童保育は全然違った。楽しくなかったみたいで、子どもが行きたがらなくなって。保育園は7時まで預かってくれたので自分だけでところどころアウトソースして子育てしていましたが、小学校低学年はすごく早く帰ってくる。それで、姑さんに放課後の子どもの面倒を見てもらうことにしたんです。 ――お姑さんはお仕事をされていなかったんですか?  少し前に保育園の副園長を引退したところでした。 ――お~。安心してお任せできますね。  日本の小学校は、母親がPTA役員などをするものという体制で回っているから、米国とはまるで違う。私もPTAの広報委員会に昼間出席したりしましたよ。  男女共同参画に関して日本の一つの問題は、家事や育児のアウトソースを嫌がることですね。お金がかかっても、ちょっと家事を手伝ってもらうだけで、すごい楽なんですよ。アジアの国々では、第一線で働く女性の家にはお手伝いさんがいる。日本も戦前はそうだったんですが、それを手放してから、全部奥さんがやらないかんとなった。今は男女区別なくなってきましたが、アウトソースを抵抗なく活用できるようになるといいですよね。 ――お嬢さんたちは今どうされているのですか?  2人とも就職して、結婚して、働きながら子どもを産みました。それは、私が母親から譲り受けたように、娘たちに「結婚するのよ」「早めに子どもを産んだほうがいいよ」って刷り込んだから。卵子や精子の老化という科学的問題がありますから。子どもってね、反抗するけど、なんか刷り込まれて叶えようとするのかな、と思います。 公的保険以外の財源が必要  私は今、4次元の会社にしようと言っているんです。2次元は薬などのモノをつくる、3次元は手術など含めて医療をつくる。再生医療はこれで、ここまではできた、と。次は社会の仕組みをつくる、それが4次元の会社です。医療のシステムを変えないと再生医療は広がらない。今の医療費抑制の中でイノベーティブな医療を進めるには、公的保険以外の財源が必要で、それには互助的な民間保険を活用するのがいいと私は言っています。そして、エビデンスのある自由診療という高度医療のカテゴリーをつくって、質が確保されたものにする。 ――自由診療というと、医師会が反対するのではないですか? 国民皆保険は世界に誇る制度で、公的保険を使って必要な医療を受けられるようにするのが筋だ、と言っていたと思います。  医師会の方に「皆保険を守るために必要です」と説明したら納得してくれた。これは今、私の中で一番ホットな問題です。自然科学でいくら頑張っても社会科学が進んでいないと社会実装できないとわかったから。50歳で「社会」に目覚めたんです。 研究メンバーと高橋政代さん(ビジョンケア提供) 【お知らせ】11月11日(土)、オンラインセミナー「研究者に聞く仕事と人生-アエラドットの連載から学ぶ」が東京理科大理数教育センター主催で開催されます。  【前編から読む】 「ブルドーザーに乗ったサッチャー」と呼ばれて 「そんなん無理」を超えてきた女性眼科医(62)の歩み https://dot.asahi.com/articles/-/202745 高橋政代(たかはし・まさよ)/1961年大阪市生まれ。1986年京都大学医学部卒業、1992年京大大学院医学研究科博士課程修了、医学博士。1992~2001年京大医学部付属病院眼科助手(途中1995年から2年間米国ソーク研究所研究員)、2001年10月~2006年9月京大医学部付属病院探索医療センター開発部助教授、2006年4月~2012年3月理化学研究所網膜再生医療研究チームチームリーダー、2012年4月~2019年7月理研網膜再生医療研究開発プロジェクトプロジェクトリーダー、2019年8月~株式会社ビジョンケア代表取締役社長、2022年4月~神戸市立神戸アイセンター病院研究センター顧問、立命館大学客員教授・立命館先進研究アカデミー(RARA)フェロー。
dot. 2023/10/03 17:00
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井荻稔 井荻稔
ジャニーズ事務所の賠償額は「懲罰的」な金額に? 米では被害者332人に「740億円」が支払われたケースも
ジャニーズ事務所    最近、ネットニュースなどで「懲罰的損害賠償」という言葉を目にすることが増えた。実際に被った損害の賠償だけでなく、加害者に制裁を加える目的の賠償も認めるという法制度だ。 「主に英米法で用いられており、日本の司法制度には存在しません。日本でも話題になった有名な判例のひとつにマクドナルド・コーヒー事件があります。1992年、ニューメキシコ州に住む79歳の女性がマクドナルドで朝食を購入し、自動車内で食べようとしたところ、コーヒーがこぼれて火傷したという事件です」(司法担当記者)  火傷はひどく、面積は全身の約16パーセントに達したという。1週間の入院が必要だったため、治療費は約1万ドル(約148万円)に達した。女性は治療費の負担などを求めたが、マクドナルドは800ドル(約11万円)を払うとの回答だった。 「納得できない女性がニューメキシコ州連邦地方裁判所でマクドナルドを提訴。法廷で専門家がコーヒーの温度は熱すぎたと指摘したほか、マクドナルドが徹底抗戦の姿勢を示したことで、陪審員の印象が悪化しました。痛々しい火傷の写真が決定打となり、陪審員は16万ドル(約2300万円)を本来の賠償額とした上で、さらに懲罰的損害賠償として270万ドル(約4億円)を認定しました。ただ最終的には双方で和解が成立し、マクドナルドは50万ドル以下(約7400万円)の和解金を支払いました」(同) 【あわせて読みたい】 ジャニーズ事務所「社名変更」「被害者救済策」にBBCプロデューサーが感じている“大いなる違和感” 「法を超えて」被害者を救済する方針を語った東山紀之新社長    ジャニーズ事務所の所属タレントなどが、創業者のジャニー喜多川氏から性被害を受けていた問題で、メディアの一部は早くも賠償金の額について報じ始めている。 「サンスポ電子版が8月31日、『被害者が1000人として、1人あたり100万円としても10億円。1000万円なら100億円』と報じたほか、NEWSポストセブンも9月15日に『被害者1000人に一律300万円の支払いで30億円』と試算しました」(芸能記者)  日本でも懲罰的損害賠償の制度が知られてきたことから、X(旧ツイッター)でも、「ジャニーズ事務所には懲罰的損害賠償が必要だ」「米国で訴訟したなら懲罰的損害賠償で1人10億円もあり得る」などの投稿が散見される。  こうした議論を専門家はどう見ているのか。企業の損害賠償に詳しい山岸純弁護士は、まず「議論の前提」をこう語る。 「そもそも『誰を訴えるのか』という問題があります。性加害を指摘されたジャニー喜多川氏は2019年に他界しています。訴訟を起こすにしても、喜多川氏の遺産相続人を訴えるのか、法人としてのジャニーズ事務所を訴えるのかという点は重要です。さらに消滅時効の問題もあります。再発防止特別チームが発表した調査報告書によると、性加害は『1950年代から2010年代半ばまでの間にほぼ満遍なく存在していた』とのことです。となると、少なからぬ被害事例で消滅時効が成立しているのではないかという懸念が生じます」 【あわせて読みたい】 “違いがわかる男”ネスレ元社長が明かす「ジャニーズタレントを一度も起用しなかった」理由 ジャニー喜多川氏の遺産を相続した藤島ジュリー景子氏    だが、9月7日に開かれた会見で、新社長の東山紀之氏は「今回は法を超えて、救済、補償というものが必要」と発言。同席した木目田裕弁護士も「厳密な証拠を求めて、法的に厳密にするよりは、もう少し緩やかに(略)法を超えてきちんと補償してまいりたいと考えています」と補足した。その点を踏まえて、山岸弁護士はこう続ける。 「東山社長と木目田弁護士の発言から考えると、『誰に損害賠償を請求するのか』『消滅時効が成立しているのではないか』はひとまず考えなくてよさそうです。そのため、もし提訴ということになれば、ジャニー喜多川氏の遺産相続人と、法人としてのジャニーズ事務所の両方を訴える弁護士が多いと考えられます」(同)  再発防止特別チームは被害を詳細に調べており、調査報告書には「1970年代前半から2010年代半ばまでの間、多数のジャニーズJr.に対し、上記のような性加害を長期間にわたり繰り返していたことが認められる」「被害者のヒアリングからは、少なく見積もっても数百人の被害者がいるという複数の証言が得られた」などの記述がある。 「日本で懲罰的損害賠償の法制度が存在しないとはいえ、懲罰的な観点が賠償金額に反映されることはあります。もし提訴が行われたとして、普通なら慰謝料など損害賠償は1人あたり数百万円というところでしょう。しかし今回はジャニーズ側の社会的責任などを重視し、1人あたり1000万円に達しても不思議ではありません。被害者の数だけでも前例のない大事件ですが、仮に300人の被害者に1000万円の賠償金が支払われたとしたら合計額は30億円に達します。金額も前例がないと言えます」(同)  Xで投稿があったように、もしこの件がアメリカで発生したとなると、懲罰的損害賠償が科せられる可能性は十分にあるという。 「アメリカでは『クラスアクション』という訴訟形態があります。日本語では『集合代表訴訟』と訳されることが多いようです。ジャニーズの問題では、被害者は数百人とも数千人とも言われています。被害者が原告となって提訴する際、数人の原告が全員の代表になることができるという制度が『クラスアクション』です。原告全員の同意を取り付ける必要がないので迅速な裁判が可能という利点があります。アメリカでは未成年に対する性加害は厳罰化の傾向が強いため、懲罰的損害賠償が評決される可能性は考えられます」(同)  性加害という犯罪から参考となる判例を挙げてみよう。2018年、アメリカのミシガン州立大学は、大学のスポーツ医だった男性から性的暴行被害を受けた女子体操選手など332人に対し、総額5億ドル(約740億円)を支払うことで合意した。1人あたり約2億2000万円という巨額の賠償金が話題を集めた。  2020年にはアメリカのボーイスカウト連盟が破産を申請した。2010年以降、過去の参加者がリーダーなどの関係者から性的虐待を受けていたとの訴訟が相次いだことが原因だった。ニューヨーク・タイムズは被害件数が約8万2000件、賠償額は24億5000万ドル(約3600億円)に達すると報じた。結局、賠償額が合計10億ドル(約1400億円)を超えた時点で破産が申請された。  今年8月にはテキサス州の地方裁判所で、元交際相手の男性に親密な写真をオンライン上に掲載された女性を「リベンジポルノ」の被害者として認定。女性に精神的苦痛を与えたとして2億ドル(約297億円)、懲罰的損害賠償として10億ドル(約1400億円)の支払いを命じた。  今回の問題でも、アメリカで提訴される可能性が報じられている。東スポWEBは9月5日、「『ジャニーズ性加害』海外でも進む訴訟準備…約3560億円の賠償額を請求された団体も」の記事を配信した。ハワイで被害を受けた元タレントが存在し、アメリカ国内での民事訴訟を検討しているという内容だった。 「ハワイでの被害事例ですが、現地の裁判所に提訴しても『日本で裁判を行いなさい』と言われる場合があります。その場合は日本の裁判所で、ハワイの法律にのっとって裁判が開かれる場合があります。そして日本で判決が下る場合、懲罰的損害賠償は認定されません。また、もしハワイの裁判所で判決が下り、懲罰的損害賠償が認められたとしても、通常の損害額を超えた『懲罰的』な部分の損害額については日本国内のジャニーズの財産に執行することはできません。今回のケースは、あくまで日本で裁判が進むことを前提に、賠償額がどこまで積み上がるのかを考えるべきでしょう」  ジャニーズの財務内容は開示されていないが、芸能界でも屈指の売上高を誇り、年商1000億円と報じたメディアもある。たとえ日本に懲罰的損害賠償の法制度がなくても、「法を超えて」しかるべき賠償額を支払うべきだろう。 (井荻稔)
ジャニーズ事務所損害賠償性加害
dot. 2023/09/27 16:00
ハンディがある19歳の女子大生2人が写真撮影会で経験できた同じ“気づき”とは 
國府田英之 國府田英之
ハンディがある19歳の女子大生2人が写真撮影会で経験できた同じ“気づき”とは 
東京工芸大学の島崎蓮子さん=写真展が開かれている東京工芸大学6号館(東京都中野区)    自閉症などの障害がある子どもたちをモデルにした写真展が、東京工芸大学(東京都中野区)で開かれている。撮影したのは芸術学部の学生たちだが、その中に、障害や複雑な病気とともに生きる2人の女子大生がいた。ハンディがある子どもたちと接し、その姿をカメラで撮影した彼女たちは何を思ったのか。  東京工芸大学の創立100周年を記念し「100の笑顔展」と名付けられた展覧会。  中野区にあるキャンパスを訪れると、無邪気な笑顔だったり、一瞬のまなざしだったり、キッズモデルたちのさまざまな表情をとらえた写真が、撮影した学生の名前とともに展示されていた。みんな、知的障害や発達障害などのハンディがある子どもたちだ。  今年6月に、障害児のモデル(カラフルモデル)事業を展開している企業「華ひらく」の協力を得て、撮影会を開催。芸術学部の主に写真学科の学生たち30人がカメラを構え、うち約100点を9月29日まで展示している。  その学生たちの中には、見た目ではなかなか気づいてもらえない複雑な病気や、障害とともに生きる2人の女子大生がいた。 痛すぎて、トイレで意識を失った  一人は島崎蓮子(はこ)さん(19)。一見して、おしゃれで元気そうな彼女は「過敏性腸症候群」と「起立性低血圧」などの病気があり、高校1年の時からリュックにヘルプマークを付けて過ごしている。  幼いころから、激しい腹痛に悩まされてきた。いつそれが襲ってくるかは自分でも分からない。短時間で収まったり、一日続いたり。 「痛すぎて、トイレで意識を失ったことが何度もありました」  小中学校では、授業を抜け出してトイレにいくことが多く、早退や遅刻を繰り返した。 「いつも、不安でした」  高校で写真部に入り、カメラの魅力にはまると学校に通うのが楽しくなった。だが半年ほど経ったころ、今度は別の症状に悩まされるように。朝、目が覚めても体を起こすことができないのだ。 「学校は楽しいのに、なんでこのタイミングで私はこうなっちゃうんだろうって。出席扱いにしてもらうためにギリギリの時間に学校に行くことが増えていって、学校をやめようかとも考えました」 【こちらも読まれています】 IQ130超「ギフテッド」女性が小学校の担任に嫌われた切ない理由 「人の感情を“データ”で理解しようと…」 https://dot.asahi.com/articles/-/201413  そんな頃、ある大人が島崎さんにこんな一言を発した。   「病気を言い訳にして学校に来ないだけじゃないのか?」    島崎さんを突き落とすような言葉だった。   「自分なりにギリギリの状態のなかでがんばって生きてきたのに、どうしてこんなことを言われなきゃいけないんだろう」    大学に入ってからは、薬の効果もあって症状は以前よりは落ち着き、キャンパスライフを満喫している。だが、あの時の言葉は今も心に刺さったままだ。 特性を知ろうとすることの大切さを知る  今年6月の撮影会。自分と同じではないが、ハンディを持ちながら生きる子どもたちと出会い、触れ合うことで、改めて感じることや気づくことがあった。    追いかけっこや水遊びが好きだったりする一方で、大きな声が苦手だったり、カメラ目線やポーズができなかったり、突然走り回ったり。そんな子どもたちとのコミュニケーションを試みながら、その一瞬一瞬を写すうちに、こんな思いが自然と湧いた。   「みんな、笑顔が素敵だなって。大変なこともたくさんあるのだと思いますが、お子さんが笑うと、一緒に笑顔になるご両親の姿も素敵でした。ハンディがあっても、みんな一生懸命生きているんだなって感じました」 カラフルモデルのあおいさん(7)=カラフルモデルの写真はいずれも「華ひらく」提供    自分の症状を、知ってもらえない辛さを経験した島崎さん。障害の特性を知ろうとすることの大切さも実感した。   「実際に接してみると、ちょっと意思の疎通が苦手だとか、それぞれの違いがあるだけ。もしかしたら、病気も抱えていなくて、常に健康な人が勝手に壁を作ってしまっているだけなのかもしれません」    障害当事者やその家族には、そんな「見えない壁」の存在を感じている人が実際にいる。それが現実だ。 「誰だって、いつ私のように病気になったり、障害を持ったりするか分かりません。ハンディがある人を遠ざけるのではなく、ちゃんとかかわっていけば相手のことを知ることができて、何かいい影響が生まれるんじゃないかと思いました」 【あわせて読みたい】 人生に絶望したIQ130超「ギフテッド」女性が救われた「インド」と「ラジオ」 やっと気づいた「生きる喜び」 https://dot.asahi.com/articles/-/201416 *  *  *  もう一人は、同じキャンパスに通う19歳の「aさん」だ。    aさんは「発達障害のグレーゾーン」にいる。複数の作業を同時並行でやることなど、日常生活で物事を上手にこなせない場面が多くある。   「あれとこれをやって、と同時に言われると、分からなくなっちゃいます」。緊張する場面や、予定がいきなり変わるのも、頭の中が真っ白になってしまうので苦手だ。    「吃音(きつおん)」の発話障害があるため、流暢(りゅうちょう)には話せない。話すときに同じ音を繰り返したり、次の言葉が出るまでに間があいたりすることがある。     筆者の質問にも、言葉をつなぎながら一生懸命に話してくれたaさん。子どものころから、仲間外れにされることが多かったそうだ。  「嫌われていたというか、いい印象では見られていないんだなとは感じていました」    クラスメートの輪に入ろうとすると「aちゃんはちょっとね~」と、遠ざけられてしまう。 差別用語に近い言葉でからかわれ  授業で文章を音読する場面になると、内容がわかっていても頭の中が真っ白になってしまい、言葉が出てきてくれない。    そのうちに、言葉のいじめにもあった。   「漢字が読めないやつ」「気持ち悪い」    差別用語に近い言葉でからかわれたことも覚えている。   「言われたことは、まだ頭に残ってしまっています」    教室にいるのがつらくて、中学生の時は支援学級に遊びに行くようになった。支援学級で遊べない時は、図書館に居場所を求めた。 「うまくできないことばかりで、どうすればいいのかが分からなさすぎて。自分という存在を、どう表現したらいいのかも分かりませんでした」    転機は高校で入った写真部だ。カメラにはまったく興味がなかったが、先輩が誘ってくれたことがうれしかった。    顧問に写真をほめられたり、コンテストで入賞したりすることにやりがいを感じた。前向きな気持ちになれたのは、初めての経験だったかもしれない。大学でも自然に仲間ができ、小中学生のころとは違った生活を送っている。 カラフルモデルのゆずきさん(11)   【あわせて読みたい】 3姉弟のうち唯一の健常児の次女「なんでいつもかわいそうって言われるの?」 きょうだい児の葛藤抱え荒れたことも https://dot.asahi.com/articles/-/190718 ゆう君(2)    aさんは、深い考えがあってキッズモデルたちの撮影会に参加したわけではない。ただ、撮影会の前に、障害やその特性について、自分なりに調べてみたという。   「知ろうとしてから子どもたちとかかわるのと、知らないままかかわるのは全然違うんじゃないかなって。知ろうと努力することで、助けたり、助けられたり、そんな関係ができるのかもしれないって思ったんです」    撮影した男の子とは、会話はできなかった。でも、別の機会に会った時に、aさんの手をずっと握ってくれたそうだ。   「頑張り屋さんだってことも、すごく伝わってきました」    * * *    病気や障害とともに生きる2人。「自分の影みたいなもの」と島崎さんは話すが、その日常はこれからも続いていく。    自分という存在を通じて、同じ境遇にいたり、ハンディに苦しんでいたりする人の助けになれれば。病気や障害を知ってもらうことで、少しずつでも社会が変わっていけば。    まだ19歳の彼女たちは、そんな思いで筆者に話をしてくれた。    なんで自分は「普通」じゃないんだろうー。    そんな生きづらさを感じながら生きてきた島崎さんとaさん。撮影会で何を経験できたかと聞くと、同じ“気づき”を言葉にした。   「人って、それぞれが違ってていいんですよね」 れん君(6)   (AERA dot.編集部・國府田英之) 【あわせて読みたい】 3姉弟のうち唯一の健常児の次女「なんでいつもかわいそうって言われるの?」 きょうだい児の葛藤抱え荒れたことも https://dot.asahi.com/articles/-/190718
発達障害障害児モデル
dot. 2023/09/26 08:00
笑いの力で若者と政治をつなぐ 笑下村塾代表・たかまつなな
吉井妙子 吉井妙子
笑いの力で若者と政治をつなぐ 笑下村塾代表・たかまつなな
主権者教育というかしこまったテーマを、お笑いのパワーで若者たちに分かりやすく届ける(撮影/高野楓菜)    笑下村塾代表、たかまつなな。大学生のときに芸人としてデビュー、NHKの職員になった後に、時事YouTubeになり、今は「笑下村塾」の代表も。肩書はたくさんあるが、一貫してたかまつななは「若者と政治をつなげたい」「日本を良くしたい」という思いで動いてきた。その一つが、「主権者教育」の出前授業。あなたには社会を変える力があるのだと、笑いと共に子どもたちへ熱い思いを届ける。 *  *  *  笑いで世直しを標榜(ひょうぼう)する会社「笑下村塾(しょうかそんじゅく)」代表のたかまつなな(30)は7月上旬、群馬県立高崎商業高校にいた。うだるような暑さの体育館に集合した3年生277人は、テレビで見る芸人らに会えるとあってどこか浮足立っている。その日の授業のゲスト講師はスリムクラブとパーマ大佐(30)。  当初、芸人たちの話に笑い転げていた生徒たちは、パワーポイントを用いた高速パワポ芸で説明される「選挙」や「民主主義」の話に少し表情が引き締まる。次は、1票の重みの積み重ねが大きな力を持つことを実感させる逆転投票シミュレーションゲーム。ゲームをしつつ、投票に行かなければ自分たち若者世代がいかに損をするかを知り、どよめきが生まれた。たかまつが呼びかける。 「芸人が客に合わせネタを選ぶように、政治家もネタを選ぶ。投票に行くのがおじいちゃんが多ければ、どうしたって高齢者向けの政策になるよね」  若者の投票率が低いと自分たちの影響力も弱くなり、高齢者を重視した政策が増える「シルバー民主主義」になりがちと解説する。  さらには、若者は社会を変えられないと信じ込んでいるが、笑下村塾の出前授業を受けた生徒が、実際に行動し社会課題を解決した事例を幾つか挙げ、今自分はどんなことを変えたいと思っているか、そのためにはどんな方法があるかを考えてもらい、発表させた。  校則を変えたい、制服を変えたい、という身近なところから、自転車通学の道が狭いから広くしたい、電車の運賃が高いなど行政や企業に訴える声も。変える手段として署名を集める、SNSに投稿する、メディアに訴え、行政や企業に陳情するなど、具体的な案も出された。 「主権者教育」とは何か 笑いを用いて教える  そして授業の総仕上げとして、5人ずつグループに分かれ、人狼ゲームのような形式で「悪い政治家」を見抜くゲームが始まった。ほんの少し前まで、政治や選挙は他人事と捉えていたような生徒たちが、目を輝かせながら議論し、誰が悪い政治家なのか互いの言葉や態度を観察している。たかまつは、そんな様子を嬉しそうに見つめる。 生徒らに、自分が変えたいと思っていること、そのための方法があるかを書かせ、社会課題の気づき、解決の手段を想定させる。主権者教育の先進国である欧州で現地視察し、多くを学んだ経験を活かす(撮影/高野楓菜)   「人狼ゲームを使うことによって、政治を話す敷居を下げられる。子どもたちに政治を語ることは楽しいと思ってもらえれば成功です」  授業は90分間。しかし話題やテーマの展開が早く、芸人の巧みな話術に乗せられ、時間はあっという間に過ぎた。生徒たちは授業を受ける前と後では、明らかに表情が変わった。自分でも世の中を変えられることに気づいた自信とでもいおうか。生徒たちからはこんな声が聞かれた。 「普段、友達と政治の話はしないけど、ゲーム感覚で楽しくできた」 「社会を変えられるかもしれないと希望が持てた」 「選挙には必ず行こうと決めた」  出前授業の後に、子どもたちが少し大人びた表情を見せる瞬間に出会うことが、たかまつには何より嬉しい。  子どもたちに自らの行動で社会は変えられることを教えたいと、たかまつは「主権者教育」に迸(ほとばし)るような情熱をかけている。政治や選挙の仕組みを得意のお笑い芸で分かりやすく伝え、社会課題を自分事としその解決法を考えさせる出前授業を、全国の学校で行っている。 「笑える!政治教育ショー」と銘打った授業をスタートさせて7年、これまで7万人以上の子どもたちに、主権者としての意識を喚起してきた。  そもそも、主権者教育とは何か。一般的には「国や社会の問題を自分の問題として捉え、自ら考え、自ら判断し、行動していく主権者を育成していくこと」とされ、2016年、選挙権年齢が18歳に引き下げられたのを機に、総務省や文部科学省はその大事さを訴えてはいるものの、教育現場に浸透しているかと言えば、必ずしもそうではない。  文科省が19年度に行った調査によると、授業で主権者教育を行った学校は9割に上るが、では具体的にどんな考えでどんな行動をとるかという実践教育までには踏み込んでいない。そのため、いざ選挙になっても、だれに投票すればいいか判断出来ず、結局選挙に行かない現象が起きる。  OECD主要国の18~24歳の投票率調査でも、8割前後のデンマーク、オーストリア、スウェーデンに比べ、日本は3割程度と極端に低い。また、22年に日本財団が行った18歳の意識調査で、「自分の行動で、国や社会を変えられると思うか」の問いに、中国やインドは7割以上が「はい」と答えたのに対し、日本は3割と調査国中最下位。いかに主権者教育が浸透していないかが分かる。 群馬県立高崎商業高校で。選挙に行く必要性を芸人たちに分かりやすく説明してもらった生徒たちは、納得の表情でゲスト講師らを見送る。講義はゲーム形式で進められるため、ぼんやりする暇がない(撮影/高野楓菜)    そんな現状を変えたいと立ち上がったのが、たかまつだった。慶應義塾大学時代に総合政策を専攻し、大学院1年の16年に、楽しみながら政治を学び、社会を変えられることを若者に伝えたいと、「笑下村塾」を起業。社名を提案したのは大学の恩師でもあるジャーナリストの下村健一(63)。吉田松陰の松下村塾をもじった。 「大学院時代、お嬢様芸人として知られていましたけど、若者と政治を繋(つな)げたいという熱は半端なかった。政治を芸人たちに語らせ、若者の間口を広げるという発想は、彼女ならではと思った」  だが、活動は決して順風満帆ではなかった。地域格差をなくしたいと地方の高校へ無料で出前授業を行っていたため、交通費、芸人へのギャラ、教材費などの費用がかさみ、たかまつのタレント活動や講演の収入では賄いきれず、寄付やクラウドファンディングで調達していた。 小さな成功体験が社会を変える原動力になる  その頃、笑下村塾以外にもNPO法人や教育関連機関が「主権者教育」の課外授業を行っていたが、資金不足で次々に休止に追い込まれ、現在も全国展開している団体は笑下村塾ぐらいだ。  しかし、たかまつの地道な活動に目を付けていた人がいた。群馬県知事の山本一太(65)だ。山本は知事に就任して以降、自らの頭で未来を考え、動き出し、生き抜く力を持った「始動人」の育成を考え、教育イノベーションプロジェクトに取り組んできたが、たまたまたかまつのYouTubeを見て、目指す方向は同じと声をかけた。若者の投票率の低さに頭を抱えていた山本は、22年7月の参議院選挙に向け、「笑える!政治教育ショー」の出前授業を、県内の公私立高校79校で開催することを依頼。そのための予算3千万円もつけた(実際の執行額は2600万円)。  たかまつにも渡りに船だった。お金のストレスなく授業が出来るのはこの上なく有り難かった。芸人48組と手分けしながら、4月から投票期日の7月まで49校、約1万人の高校3年生に出前授業を行った。その結果、県内の10代の投票率は前回より8ポイントも上がり、山本は驚いた。 「コミュニケーションのプロである芸人が伝えることによって、若者がこれほど変わるとは。大きな成果があったので、たかまつさんの会社には今年も引き続き授業をお願いしています」  何より山本が嬉しかったのは、社会課題を提言する高校生が増えたことだという。放課後の自習室がないという声には県庁の一室を開放し、自転車通学路が狭いという指摘には早速整備に着手するなど、高校生の声を大事にしている。 政治家を登場させる一方で、少数意見や社会的な弱者をクローズアップ。ジャニー喜多川からの性被害者もいち早く登場させた。戦争の語り部たちも精力的に取材している(撮影/高野楓菜)    たかまつは、高校生にとって自分の声が社会に届くという体験が何よりの栄養になると語る。 「校則を変えたとか、小さなことでいいんです。小さな成功体験が自信に繋がって、その自信が、社会を変える原動力になる」  笑下村塾の活動は、芸人たちにとっても活力になっている。ギャラは安いが、教育という現場に関わることができ、高校生のナマの声も聞ける。教員免許を持つスリムクラブの真栄田賢(まえだけん・47)は「教えるのが夢だった。生徒たちの反応に自分が却(かえ)ってエネルギーを貰った」といい、すでに10回ほど出前授業をしているパーマ大佐は「民主主義を教えるたびに、その歪(ゆがみ)も理解できるようになった」と自分の成長を口にする。 野口健の環境学校に参加し社会問題に関心を持つ  たかまつが今、協力を要請できる芸人は100人を超えるという。クセ強めの芸人もいるが、教育現場に出向く以上、個人の主義・主張は避けるよう研修も行っている。  群馬県での成功モデルをいずれ、他の自治体にも広げたいとたかまつは意気込む。  横浜市に生まれた。会社員の父、専業主婦の母、2歳上の姉の4人家族。子どもの頃から足が速く、小学4年から横浜F・マリノスの女子チームでプレーし、将来はサッカー選手を目指すが、両親の反対であえなく頓挫。その一方で、現在の活動の原点にもなる出会いがあった。小4の時に、アルピニスト野口健の環境学校に参加、富士山のごみ拾いをきっかけに社会問題に関心を持つようになった。 「バスやトラック、注射器などが捨てられていることに衝撃を受けました。片付けるには税金が必要。税金の使い道を決める政治に興味を抱いた」  フェリス女学院中学校に入ってすぐ、読売新聞の子ども記者になった。環境問題について記事にしたかった。だが反響は薄い。そんな時、たまたま手にした太田光と中沢新一の共著『憲法九条を世界遺産に』を読み感銘を受けた。家ではNHKニュースしか見たことがなかったため太田を知らず、「誰、この説得力の凄い人?」と調べてみると、爆笑問題というコンビを組む芸人であることが判明。お笑いの力を知った気がした。  自分の考えを発信する手段は笑いと決め、学校内で腕を磨く。実際、苦手な英語のスピーチコンテストで余興をしたところ、生徒が大いに盛り上がり「これがお笑いの力だ」と確信。中3の時に「ちびっこ漫才グランプリ」で決勝進出を果たす。  高1でワタナベコメディスクールに特待生として合格。だが、父に猛反対され入学は見送った。 「ただ、このまま腐るのは避けたかった。サッカーを反対されたときは不貞腐れていたけど、そんな自分はダサいって。親に援助を仰ぐのではなく、自分でスクールの入学資金を貯めようと」  しかし、たかまつは筋金入りの箱入り娘。しかもフェリス女学院はアルバイト禁止だ。そこで思いついたのが、論文や懸賞で賞金を稼ぐ方法だった。 (文中敬称略)(文・吉井妙子) ※記事の続きはAERA 2023年9月25日号でご覧いただけます
現代の肖像
AERA 2023/09/22 18:00
韓国女子アイドル第4世代は170㎝以上が主流? “ワナビーボディ”が女性ファンを獲得
韓国女子アイドル第4世代は170㎝以上が主流? “ワナビーボディ”が女性ファンを獲得
長身女子アイドルと呼ばれるチャン·ウォニョンが所属している「IVE(アイヴ)」。現在韓国で人気トップのガールズグループだ =IVEのSNSから    韓国の女子アイドル界では最近、身長170センチ以上の「長身系」が注目されている。以前は、背は高くても160センチ前半程度で、「年下感」とか「かわいらしい」といったワードが“定番”だったが、変化が出ているようだ。人気の女子アイドルグループを例に、最近のトレンドを追った。  いま、韓国の音楽番組やバラエティーなどで最も多く目にする女性アイドルグループは「IVE(アイヴ)」だろう。「完璧」とも言われるビジュアルとパフォーマンスで、女子アイドル人気の上位にランクされている。昨年10月に日本デビューも果たし、これまでに3枚のアルバムを発売した。 チャン・ウォニョンはモデルとしても活躍  メンバーの中で、ビジュアル人気の代表格のチャン・ウォニョンは、アイドルとしてテレビ番組に出演するだけではない。有名ファッションブランドやジュエリー、大手通信会社などのモデルとしても活躍している。「テレビとユーチューブをつければ1日に1度は必ずチャン・ウォニョンを見る」とすら言われるほどだ。  日韓合作のガールグループ「IZ*ONE(アイズワン)」のメンバーとしてデビューし、着実に認知度を高めてきた彼女は、いつのまにか「IVE」のセンターに立っていた。173センチの長身で、リーダーのアン・ユジンとともにグループで最も身長が高い。  彼女は「IZ*ONE」で活動していた頃から18歳の現在もまだ背が伸びているという。ハイヒールを履くと180センチを超え、一般的な韓国人男性より高くなる。「IVE」は彼女以外にも長身のメンバーを集めている。日本人のREI(レイ)は169センチあるが、メンバー6人の中では4番目の高さだ。 チャン·ウォニョンは長い足と高い身長で男性だけでなく女性にも「ワナビーボディ」と評価されている。テレビ番組で高い身長がかえって心配でストレスといった告白も =MBC「ラジオスター」ユーチューブ映像キャプチャー   【あわせて読みたい】 IVE Z世代「ワナビー」の素顔 “ラブ マイセルフ”で自分のよさは堂々と見せる https://dot.asahi.com/articles/-/661  日本でも認知度の高い「LE SSERAFIM(ルセラフィム)」も、長身のガールズグループだ。5人のメンバーのうち3人が170センチ以上。163センチの宮脇咲良がチームの中で一番背が低い。日本女性の平均身長が158センチ、韓国女性が161センチだから、一般的には宮脇は決して低いほうではない。  JYPエンターテインメント所属の人気ガールズグループ「ITZY(イッツィー)」で、最も若くて売れているYuna(ユナ)も、170センチ以上だ。ユナは「ガールズグループの中で一番きれいな顔」とも呼ばれ、長い脚と高い身長で人気を得ている。  現在活動中のアイドルはいわゆる「第4世代」と呼ばれている。1990年代末から2000年代序盤までが第1世代で、ガールズグループの中では日本でもアルバム発売と放送活動をした「S.E.S」が代表格とされる。 「KARA」「少女時代」など第2世代も  メンバー全員の身長が160センチ前後で、「かわいらしい彼女」のイメージで多数の男性ファンを獲得した。「S.E.S」のコンセプトは同じSMエンターテインメント所属の後輩歌手「BoA(ボア)」にも続き、当時韓国の女性アイドルは「小さな少女のようなタイプ」が主流だった。 1990年代後半から2000年代にかけて低身長と少女のイメージで人気を博したS.E.S.=S.E.SのSNSから    2000年代半ばから活動してきた第2世代の身長も、第1世代と比べて変化はない。日本でも人気を得た「KARA」はメンバー全員が165センチ前後。「少女時代」も最も売れたメンバーの一人であるテヨンは160センチ弱の“可愛い系”アイドルだった。 【こちらもお薦め】 7年ぶりのKARA 5人そろい「さらに大きな力」に https://dot.asahi.com/articles/-/1249  長身系のガールズグループが台頭してきたのは、第2世代中盤から第3世代に移るころだ。170センチ以上のメンバーがセンターに立った「AFTERSCHOOL(アフタースクール)」、平均身長172センチで名前を知らせた「Nine Muses(ナイン・ミュージス)」など。 長身女子アイドルグループのはじまりともいえる「アフタースクール」=アフター スクールSNSから    だが、メンバーのソロやユニットの活動が増えて人気は続かず、グループでの活動は終わってしまった。ガールズグループなのに背が高く、そのうえ歌とダンスも激しいイメージで、かわいい感じはしない……。それが当時の男性ファンが遠のいていった一因といわれている。 「TWICE」と「BLACKPINK」で空気が一変  しかし、「TWICE」(2015年)と「BLACKPINK」(2016年)がそれぞれデビューすると、その空気が一変する。ビジュアルと歌、パフォーマンスでの競争がさらに激烈になる。第3世代のアイドルは、平均身長が高くなり、背の高いメンバーがグループのセンターに立つようになった。  第2世代までは、ガールズグループの長身メンバーは男性ファンが敬遠する存在だったが、現在の第4世代アイドルのガールズグループは、むしろセンターと人気のきっかけは、「長身」になっている。ガールズグループは、男性ファンだけでなく多数の女性ファンを確保したからだ。脚が長いほうがパフォーマンスも“ステキ”に見え、これが多数の女性ファンにとって「ワナビーボディ」(なりたい体形)となった。  最近では、男性よりも背が高くて強いイメージが好まれる。チャン・ウォニョンの人気を見ると、第4世代アイドルからは長身がガールズグループにとって売りになる予感さえする。 【関連記事】 K-POPアイドルは第4世代に突入 音楽授賞式MAMAに見る独特な世界観と、最新技術使った舞台演出 https://dot.asahi.com/articles/-/144  ただ、マイナス面もある。舞台上でのパフォーマンスは華やかになるから女性ファンが増えるだろうが、ドラマや映画などではそうはいかない。ハイヒールを履いたときに男性より身長が高くなってしまうと、男優もそれと同等か、背の高い俳優が必要になるからだ。 「ニュージーンズ」「(G)I-DLE」も人気に衰えなし  そのせいか、長身の人気が高い現在も、かわいらしくて少女のようなイメージのガールズグループは、男性ファンからの根強い人気を維持している。実際、身長が170センチ以下のガールズグループ「ニュージーンズ」、「(G)I-DLE」も人気に衰えは見えない。親しみやすくきれいでかわいいコンセプトは生き延びている。  ある芸能関係者は、身長170センチ限界説を語る。 「チャン・ウォニョンは3年前、『IZ*ONE』で活動していたとき、バラエティー番組に出演し、身長がまた伸びたことでストレスを受けていると語っていた。背の高いガールズグループが今は売れている。が、170センチ前半からさらに高くなれば男性ファンを確保できなくなるだろう」 「一長一短」とはよくいったものだ。  (ノ・ミンハ/現地ジャーナリスト) 【関連記事】 BTSの次はBLACKPINK TWICEは海外シフト? 韓国アイドルグループ戦国時代 「7年賞味期限」の壁とは https://dot.asahi.com/articles/-/194898  
韓国アイドル韓国芸能界
dot. 2023/09/21 11:30
「研究に没頭する女性教授がいてもいい」 新発見を重ねる女性植物科学者(73)を支えた父の教え 
高橋真理子 高橋真理子
「研究に没頭する女性教授がいてもいい」 新発見を重ねる女性植物科学者(73)を支えた父の教え 
西村いくこさん 「研究生」として学費を払って研究をする生活を12年続けたあと、41歳で国立研究所の助手となり、助教授を経て49歳で京都大学教授となった西村いくこさんは、植物学の世界で新発見をいくつも成し遂げてきた。どんなふうに家庭と両立させてきたのだろう。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子) >>【前編:始まりはカボチャの種 「女の人は無理だよ」と言われ教員に落ち続けた女性研究者が京大教授になるまで】からの続き ――ご両親が動物学者だったから、学者以外の道は考えなかったということですか?  考えなかった。父は「何をやってもいいけれど、プロになれ」と言っていました。また、「研究者は自分の好きなことをして給料をもらえる。贅沢だ」なんていうようなこともよく言っていました。 ――大阪大学に入学されたのはなぜ?  近いから(笑)。もう一つはねえ、京大から阪大に移籍した父が「旧態依然としていた京大の生物学とは異なった生物学科が阪大に誕生した」ということをよく話していたからですね。私が入学する当時、阪大は生化学の中心地と言われていたんです。当時の生物学は観察が中心でしたが、阪大はそうではなかった。生物学が、観察から分子を見る科学に変わりつつあった時代です。  それで私はカボチャの種の研究をしたわけですが、もともと研究したいのは生物だったので、学位を取得したあとは動物の研究に宗旨変えしようと、岡山大学の臨海実験所に行って研究生になったんです。でも、そこは2カ月で辞めて阪大に戻って、しばらく技術補佐員を務めました。名古屋大学農学部の助手をしていた西村と知り合ったからです。 第一印象は「優秀な人やなあ」 ――どういうきっかけで?  双方の指導教官が知り合いだった。当時ですら時代錯誤でしたが、見合いに近い形で、名古屋で開催された研究会で紹介されました。 ――へえ、どんな第一印象でしたか? 「なかなか優秀な人やなあ」と(笑)。それで、博士号を取った翌年に結婚して、4月から名大の研究生になりました。阪大でのカボチャの研究は生化学でしたが、夫は「細胞生物学がいい」とアドバイスしてくれた。モノを見るのではなく、モノが働いている現場を見る。まさに生物らしい研究です。農学部だから圃場を使えたのが良かった。しかも、研究生は、ポスドクとは違って、学費を払っている身分ですから(笑)、好きなことができるわけです。   フランスの国立科学研究所で研究する西村いくこさん=1985年、パリ  1981年に長男、84年に長女が生まれたときも、研究生だから、誰に迷惑をかけることもなく自由に休めた。夫がオーストラリアとフランスに留学したときは、私も子連れで一緒に行きました。フランスには0歳児と3歳児を連れて半年滞在した。フランスの国立科学研究所は私も研究員として雇ってくれました。それで日本で保母さんを雇い、同行してもらった。パリとグルノーブルの2カ所に滞在して、思う存分研究もでき、楽しい半年間でした。   ひな祭りで一家4人の記念写真=1985年、パリ  日本に帰れば、私は研究生で、子どもたちは保育所です。そこで、夫は父親教育されたと思います。奥さんの尻に敷かれているように思われるのは好まなかったと思うのですが、保育所でほかのお父さんたちからダメ出しをされたりして、当時の保育所は、親も育ててくれましたね。  毎週のように土日は、保育所仲間の誰かの家に集まって一緒にごはんを食べた。私が保育所に子どもを迎えに行けないときは、誰かがうちの子を連れて帰ってきてくれて、私もよその子を連れて帰ることもある。保育所の資金集めのために廃品回収や古本・古着販売などもして、本当に家族ぐるみの付き合いでした。  ただ、学童保育はなかったので、小学校に上がったあとは「かぎっ子」になりました。下の娘が中3の秋から私は京都に行ってしまい、そのときは上の息子も大学受験の時期でしたし、子どもたちにもう少しやってやればよかったという後悔は自分の中にありますね。 ――京都に行くときは、お子さんたちに説明されたんですか?  記憶は定かではありませんが、子どもたちが反対することはなかった。保育所育ちの子なんで、「いつも一緒にいることが普通」という感覚ではなかったのかも。  私は京都行きが決まってからすぐに運転免許を取って、毎週末、京都から岡崎に帰りました。でも、ウィークデーは夫にお任せです。もともと朝ごはんは夫が作っていたのですが、それに加えて、晩ごはんも、娘のお弁当も作った。高校生の女の子は、父親と距離を取りたがる時期だと思うのですが、仲良くやってくれたのはありがたかった。   ――京大を定年退職されたあとは、日本学術振興会(学振)の学術システム研究センター副所長を務められたんですね。  ちょうど科学研究費制度の大改革があったときで、まず勉強から始まりましたけれど、やりがいがありました。前年から、神戸市の甲南大の理工学部教授も務めていたので、月曜から水曜は神戸市の甲南大に行き、木曜と金曜は東京の学振に行くという生活が3年ほど続きました。その間、母の介護もありました。 現在は動物学者の妹と研究  西村は基生研を退職したあと、甲南大学でペルオキシソームという細胞内小器官の研究を続けています。昨年も面白い論文を出したところです。およそ20年の岡崎との2拠点生活も終わって、京都で一緒に暮らしています。子どもたちはそれぞれ独立しました。  奈良女子大学と奈良教育大学が2022年4月に法人統合して奈良国立大学機構ができましたが、その教育・研究担当の理事にというお誘いは、本当に思いがけないことでした。お引き受けした動機の一つが、妹との共同研究です。妹は動物学者で、味覚や嗅覚の研究をしていて、神戸大学を定年退職してから奈良女子大で研究スペースを借りて仕事をしていました。その場所が、奈良国立大学機構の本部棟の隣だったんです。私たちはいまもそこで一緒に研究しています。  これが面白くて、実はシロイヌナズナはワサビの仲間なんです。ワサビの匂いで私たちは食欲を増すじゃないですか。でも、ハエは食欲をなくす(笑)。本当に面白い。いま論文を書きつつあります。 ――研究が心底お好きなんですね。  私は、会議で皆さんの意見をまとめるようなことは苦手なんです。だから、実は教授になりたいと思ったことはなかった。京大に行ってからも役職はやりたくないと、最初は何もやらなかった。でも、60歳を過ぎたころから、学生や若者のためになることならやってみようと思い始めました。  いま、女性をもっと意思決定の場に、とよく言われます。確かに女性教員の割合が低いので、底上げももちろん大事ですが、研究が好きで、ずっと研究に没頭していたいという女性教授がいてもええんちゃうかな、と思うんですよ。女の人自身が選べるのがいいですね。 西村いくこ(にしむら・いくこ)/1950年京都市生まれ。大阪大学理学部生物学科卒、同大学院博士課程修了、理学博士。1980年以降、名古屋大学、神戸大学の研究生。1985年2~7月フランス国立科学研究所研究員。1991年11月~1997年10月岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所助手、1997年10月~1999年9月同助教授、1999年10月~2016年3月京都大学大学院理学研究科教授。2016年4月同名誉教授。2016年4月~2019年3月甲南大学理工学部教授、2019年4月~2021年3月同特別客員教授、2022年4月同名誉教授。2017年4月~2021年3月日本学術振興会学術システム研究センター副所長、2022年4月~奈良国立大学機構理事(非常勤)、2023年4月~奈良先端科学技術大学院大学理事(非常勤)。2014年11月紫綬褒章。
dot. 2023/09/19 17:00
始まりはカボチャの種 「女の人は無理だよ」と言われ教員に落ち続けた女性研究者が京大教授になるまで
高橋真理子 高橋真理子
始まりはカボチャの種 「女の人は無理だよ」と言われ教員に落ち続けた女性研究者が京大教授になるまで
西村いくこさん 「女の人が博士号を取っても職はないよ」と言われていた時代に、大阪大学理学部生物学科でカボチャの種の研究を始め、博士号を取った。学費を払って研究する「研究生」を夫のそばで続けること12年、愛知県岡崎市にある国立研究所で助手という「職」を得たのは41歳のときだった。49歳で京都大学大学院理学研究科教授に。「反省すべきは、受験生だった子ども2人を放ったらかして京都に来ちゃったこと」という西村いくこさんに聞いた。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子) * * * ――京大に行かれる前は、岡崎国立共同研究機構(現・自然科学研究機構)基礎生物学研究所(基生研)の助教授でした。夫で植物細胞生物学者の西村幹夫さんが教授を務める研究室の助教授だったんですね?  そうです。博士号を取ってから、私はいろんな教員公募に応募したんです。「女の人は無理だよ」と言われながらも女子大や外国語大などにも応募し続け、落ち続けた。38歳になって、もう助手に応募する年齢でもないなと思ってから、教員公募への応募はやめた。  でも、この間も研究はずっと続けていて、12年間、名古屋大学や神戸大学の研究生でした。学費を払ったのは夫の西村です。西村が神戸大の助教授から基生研の教授になり、私は41歳のときに同じ研究室で助手になりました。助手になって感動したのは、科学研究費補助金のグループ研究(重点領域研究)に参加できたことです。違う生物種を専門にする研究者たちと議論できることが本当に楽しかった。  助手を6年やって、基生研で初めての女性の助教授に就きました。同じ研究室で夫婦が教授と助教授という体制は、望ましいことではないと思っていたので、意識して夫とは違うテーマを進めるようにしてきました。 ――具体的にはどういう研究を?  阪大理学部4回生のときに入ったのは、たんぱく質化学を専門とする研究室でした。指導教授はサントリーの研究所から赴任されたばかりで、同級生には光合成の電子伝達系を研究するように言ったのですが、私にはカボチャの種を渡して「面白そうなたんぱく質があるから、何かやってみて」と。 ――それは女性だから、ですか?  そこはわからないですね。電子伝達系の研究のほうがスマートだと思いましたけど。とにかく大学院の5年間は、カボチャの種子に大量に含まれる貯蔵たんぱく質を結晶化し、それを酵素化学的に解析する研究に取り組みました。試行錯誤の連続でしたけど、いま振り返れば、カボチャの研究からいろんな発見が生まれたので、先生からは良い贈り物をいただいたと思っています。  その後に結婚し、夫が所属する名古屋大学農学部生化学制御研究施設に移籍してからは、動的な細胞生物学に目覚めました。7月から8月には、農学部の圃場で栽培してもらったカボチャを研究室に運んでは、未熟な種子の細胞の中のどこで貯蔵たんぱく質が作られて、どうやって運ばれるかを調べた。終着点は「液胞」と呼ばれるところです。液胞は細胞社会のゴミ捨て場で、当時は、あまり注目されていなかった。競争を好まない私としては格好の研究対象でした。 研究に没頭する日々  カボチャの種って結構大きいので、扱いやすいんですよ。毎年の季節労働で、たんぱく質を液胞に運ぶのに欠かせない「選別輸送レセプター(VSR)」を見つけることができた。また、液胞に運ばれたあとにたんぱく質は成熟型に変化するんですが、オフシーズンには、そこで働く酵素の単離・精製に没頭した。やっと正体を明かすことができた酵素を「液胞プロセシング酵素(VPE)」と命名しました。岡崎に行ってからも液胞の研究を続け、研究成果の発表を聴いてくださった京大の先生が植物学教室の教授公募への応募を勧めてくださった。 ――京大教授になったのが1999年ですね。  就任できたのは幸運だと思いますが、さらなる幸運は赴任した研究室にウイルスの専門家が助教授としておられたことです。一緒に研究したら、ウイルスが植物に感染すると液胞の膜が破れて、中に入っていた分解酵素が細胞中に放出されてウイルスをやっつけるという仕組みを発見したんです。植物の細胞がウイルスを巻き込んで心中するということです。 ――へえ、面白い仕組みですね。  液胞は、細胞内のゴミ、つまり不要成分を壊すための分解酵素はたっぷり持っている。ただ、これの膜が破れるだけでは細胞の外で増殖する細菌には届かない。細菌に感染した植物細胞は、液胞内と細胞外を繋ぐトンネルを作って、分解酵素などを細菌に振りまくことも見つけました。 京大の研究室での西村いくこさん=2005年 ――ほう、細胞の中で増殖するウイルスと細胞の外で増殖する細菌のそれぞれに合わせて液胞が身を挺して戦っているわけですね。  そうなんですよ。私たちがウイルスや細菌に感染したら、免疫細胞が働いてくれますが、植物は免疫細胞を持たない。ゴミ捨て場である「液胞」がウイルスや細菌に対する防御を担っているとは驚きでした。 ゲノム解析で世界が激変 ――本当に、生物のすごさ、巧妙さを感じますね。  ヒトゲノムのドラフト解読が宣言されたのは私が京大に移って間もないころで、植物学の世界ではシロイヌナズナのゲノムが最初に全解読され、世界中で盛んに研究されるようになった。まさに大激変です。それでシロイヌナズナのゲノムから、小さいたんぱく質(ペプチド)に注目して、ホルモン作用のあるものを探しました。そうしたら、気孔を増やすホルモンが見つかった。気孔は「ストマ」、それに、生み出すという意味の「ジェネレーション」を合わせて、「ストマジェン」と名付けました。  植物ホルモンのほとんどは有機化合物でしたが、ストマジェンは、45個のアミノ酸が結合したペプチドでした。その後も、ほかの研究室、特に日本の研究室から様々なペプチド性の植物ホルモンが報告された。ゲノム情報が整備された「モデル植物」から新しいホルモンが次々に見つかっていく。まさに生物学がゲノム時代に入ったことを実感しました。  細胞の中が流れるように動く「原形質流動」の研究にも、ノーベル賞を受けた下村脩先生が発見された緑色蛍光たんぱく質(GFP)を使って取り組みましたよ。原形質流動が発見されたのは250年前ですが、なぜ起こるのか、その原動力は謎だった。これは本当に不思議な現象で、私は阪大時代の学生実習で映像を見てからずっと忘れられないでいた。GFPは見事に、この細胞内運動の仕組みに迫ることを可能にしてくれました。     ――京大に行って次々と成果を出されたわけですね。そもそも、どうして植物の研究を目指したんですか?  私自身は、植物をとくに研究したいと思ったわけではなく、生物の研究をしたいと思っていたんですよ。  私の両親は動物学者なんです。父は京大で学位を取ったのちに、新設された阪大の生物学科に教授とともに移り、その後、奈良県立医科大学を経て阪大の教授になりました。視物質のレチノクロームの発見者です。母は京都の女子大学で生物学を学び、京大で仕事をしていたときに父と出会い、結婚しました。昔気質の女性で、一歩下がって、ずっと父と一緒に同じ研究室の教官として研究していた。父は、生前、実験室でレチノクロームを最初に見つけたのは母だったと話していました。 ――へえ~、でも、お母さまは表には出てこなかった。  そうですね。それを不満とは考えていなかったんでしょう。一緒に仕事ができていれば満足で、表に出ることは望んでいなかったと思います。母の父、私の祖父にあたる人は、政治学者でしたが、戦前の日本の思想統制で自死しています。34歳の若さでした。最近、祖父について書かれた新聞連載記事「たたかいのともし火」(1969年)を読み返して、このような統制は決してあってはならないと強く思いました。今の世界情勢を見て、その思いは強くなるばかりですね。おそらく母は、政治とはまったく無関係の理学、その中の生物学を選んだのだと思います。 両親と出かけた初詣=1988年、兵庫県川西市の多田神社 ――そうすると、お母さまはふだん家にいなかったんですね?  そうです。母親の母が同居していて、私と妹はおばあちゃんに育てられました。家は兵庫県宝塚市にあり、地元の小中学校に通い、大阪教育大学附属高校へ。そこで素晴らしい先生に出会い、当時は数学に魅せられていました。 >>【後編:「研究に没頭する女性教授がいてもいい」 新発見を重ねる女性植物科学者(73)を支えた父の教え】に続く                         西村いくこ(にしむら・いくこ)/1950年京都市生まれ。大阪大学理学部生物学科卒、同大学院博士課程修了、理学博士。1980年以降、名古屋大学、神戸大学の研究生。1985年2~7月フランス国立科学研究所研究員。1991年11月~1997年10月岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所助手、1997年10月~1999年9月同助教授、1999年10月~2016年3月京都大学大学院理学研究科教授。2016年4月同名誉教授。2016年4月~2019年3月甲南大学理工学部教授、2019年4月~2021年3月同特別客員教授、2022年4月同名誉教授。2017年4月~2021年3月日本学術振興会学術システム研究センター副所長、2022年4月~奈良国立大学機構理事(非常勤)、2023年4月~奈良先端科学技術大学院大学理事(非常勤)。2014年11月紫綬褒章。
dot. 2023/09/19 17:00
「もっといい人いるはず」 アプリ婚活でパートナーを見つけるハードルは格段に上がった
古田真梨子 古田真梨子
「もっといい人いるはず」 アプリ婚活でパートナーを見つけるハードルは格段に上がった
※写真はイメージ(gettyimages)    マッチングアプリや婚活サイトを活用して結婚に至るカップルが増えている一方で、婚姻数は減っている。なかなか条件に合う人と出会えず、結婚に至らない人が陥りやすい思考とは。AERA 2023年9月11日号より。 *  *  *  婚活サービスを利用して求める条件に合う恋人ができた、結婚した人が年々増えている。  だが、厚生労働省が8月に発表した人口動態統計(速報)によると、23年1~6月の婚姻数は前年同期比でマイナス7.3%。20年から始まったコロナ禍の影響もあり、急減している。政府は「異次元の少子化対策」を打ち出しているが、既婚女性が出産するケースが大半である日本において、婚姻数の減少は出生率の低下に直結する。国立社会保障・人口問題研究所の21年の調査によると、「いずれ結婚するつもり」と考えている未婚者(18~34歳)は男性81.4%、女性84.3%で8割を超えているのに、なぜ、婚姻数は伸びないのか。結婚問題に詳しい戦略コンサルタントで著書に『普通のダンナがなぜ見つからない?』がある西口敦さんは、 「婚活サービスの普及で、条件ありきの出会いが広がっているが、見た目も年収も学歴も『普通でいい』と考えていても、全て満たす人は1%を切る。本人に高望みしているつもりはなくても、なかなか結婚に至らないケースは多い」  西口さんが同書を発表したのは、12年前のことだ。 「当時より、パートナーを見つけることが格段に難しくなっていると感じます。共働きが一般化し、経済状況の変化で女性にも学歴と収入が求められるようになり、男性には家事・育児能力が求める条件に加わりました。条件が増えるほどに、相手は見つからなくなる」(西口さん)  その指摘に苦笑いするのは、都内の会社員女性(44)だ。30代半ばで、マッチングアプリに登録。相手の条件は、年収500万円以上、大卒以上、都内近郊在住で、身長は自分より高い方がいいから170センチ以上。ひとつでも当てはまらない人とは、会ったことはないという。 「私の条件、普通ですよね? むしろ年収は自分より低く設定しているので、間口を広げている方だと思います。私も働いているので、家計も家事も一緒に支え合いたい」(女性) AERA 2023年9月11日号より   もっといい人いるはず  これまでアプリで出会い、交際した人も数人いるが、まだ結婚には至っていない。女性は、 「ネガティブチェックするクセがついてしまって。年齢を重ね、選ばれにくくなっていることを実感しているのに、最近もLINEの絵文字の使い方が、女子高生みたいで気に入らなくて、連絡を取るのをやめてしまった」と話す。スマホの画面の向こう側に、もっといい人がいるはずだ、と期待して、今日もアプリにログインするのだという。  そんな独身者を多く見てきた世代・トレンド評論家の牛窪恵さんは、「行動経済学の原理でも、選択肢が多いと人は迷います」とした上で、こう断言する。 「いまや婚活している男性の多くは、女性にも一定の経済力を求め、一方の女性は男性に家事・育児能力を求める時代です。ところが、目の前の相手には従来の『恋愛力』を求めてしまうから、うまくいかない」  恋愛力とは例えば、「壁ドン」やエスコートができるバイタリティーや、「趣味は料理です」とほほ笑むしぐさなどのことだ。  牛窪さんは、近く発表する著書『恋愛結婚の終焉』の中で、「恋愛と結婚を切り離し、結婚相手に『恋愛力』を求めることをやめよう」と説く。 「『草食系(男子)』の存在に気づいたのは15年以上前で、その世代がいま30代後半。その後、恋愛を面倒だと感じる若者にも数多く取材しました。奨学金の返済に追われるなど、恋愛する余裕のない人も多い。だからこそ、恋愛ではなく、結婚に必要な条件だけに集中することが重要です」  婚姻率の上昇は、その先だ。(編集部・古田真梨子) ※AERA 2023年9月11日号より抜粋
AERA 2023/09/10 17:00
熱中症で救急搬送、65歳以上が約6割 「高齢者の室内熱中症リスクが顕在化」と専門家
小長光哲郎 小長光哲郎
熱中症で救急搬送、65歳以上が約6割 「高齢者の室内熱中症リスクが顕在化」と専門家
連日の暑さに行き交う人も疲れ気味。全国の平均気温は6月が歴代2位、7月が1位の高さ。8月も最高気温35度以上の猛暑日が続いた(撮影/写真映像部・上田泰世)    連日の酷暑から熱中症になる人が後を絶たない。特に高齢者が救急搬送される割合が高く、室内での熱中症にも警戒が必要だ。AERA 2023年9月11日号より。 *  *  * 「歴代と比較して圧倒的に高い。夏全体で見ても異常だった」  8月28日に行われた気象庁の「異常気象分析検討会」。会長の中村尚・東京大学教授はこの夏の気温についてこう話した。  とにかく、暑い。「異常」との評価には、誰もが納得するのではないか。検討会によると、7月16日から8月23日の日中の最高気温は、全国915観測地点のうち106地点で観測史上1位を記録。また、6月から8月の日本の平均気温が、これまで最高だった2010年を上回り、1898年以降で最も高くなる見込みも明らかにした。  最近の夏が、昔よりどれほど暑いのか。別のデータもある。  気候変動を研究している東京大学大気海洋研究所准教授の今田由紀子さんは、猛暑で有名な埼玉県熊谷市と鳩山町、群馬県館林市の3地点における「1900~49年」「50~99年」「2000~22年」の、7月と8月の月最高気温を分析した。  その結果、1900~49年ではその3地点で「50年に一度」の猛暑は38度前後だったが、2000年以降だと38度という気温は「3年に一度」よりも頻繁に起きているものだという。 「100年ほど前なら『猛暑』だった気温が、もはや珍しくなくなっていると言えます。ちなみに2000年以降で『50年に一度の猛暑』と言えば、40度前後の暑さです」(今田さん) 室内熱中症が顕在化  異常に高い気温は、私たちの体にも大きな危険をもたらす。7月28日に最高気温35.5度を記録した山形県米沢市で、部活帰りの中学1年の女子生徒が熱中症の疑いで亡くなるなど、熱中症になる人が後を絶たない。  総務省消防庁によると、今年7月に熱中症が原因で救急搬送されたのは全国で3万6549人。これは統計を取り始めた08年以来、2番目に多い数。搬送された初診時に死亡したのは44人だった。 「最も顕在化しているリスクは、高齢者の室内熱中症です」 AERA 2023年9月11日号より    こう話すのは、岡山大学教授(公衆衛生学)の伊藤武彦さん。総務省の発表でも、救急搬送された人のうち65歳以上の高齢者が約57%を占める。 「死に至る例もありますが、日々暑い環境で過ごすことによる脱水で血が固まりやすくなり、血栓が脳に飛んで脳梗塞を起こすといった例も多いです。この猛暑で室内を適切な温度に下げるのはエアコンがないと難しいですが、一人暮らしだったり、認知機能が低下したりでエアコンを正しく使えず、リスクが増すケースも少なくありません」 生活保護に夏季加算を  高齢者の熱中症では、別の課題も出てきている。生活困窮者支援に取り組むNPO法人「ほっとプラス」理事の藤田孝典さんは、年金暮らしの高齢者世帯について、「まさに毎日のように『エアコンどうしようか問題』が頻発する現場だ」と話す。 「少ない年金で生活をしている人の中には、電気代や物価高を気にしてエアコンのスイッチを入れなかったり、壊れたまま修理していなかったりという人が多い。『熱中症で搬送された』という家族などからの相談が6月末から9月は頻繁にあります」  厚生労働省は一定の条件を満たす生活保護世帯に対し、上限6万2千円までエアコン購入費の支給を認めている。しかし、支給を認めるかどうかの実務を担う自治体の判断にはばらつきもあると藤田さんは言う。 「生活保護世帯の人たちは受給に対し控えめで、申し訳ない気持ちがある。救急搬送されてやっと、『じゃあ申請を』となりがち。さらなる周知が必要です。また、生活保護制度では暖房費の必要性から冬場に『冬季加算』がありますが、現状で夏場のエアコンを控える人に使用を促す意味で、『夏季加算』も絶対に必要だと思います」  この夏の異常な暑さは、もはや社会の仕組みを変えないと「命が守れない時代」が来ていることを突き付けている。(編集部・小長光哲郎) ※AERA 2023年9月11日号より抜粋
AERA 2023/09/07 07:30
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