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医師としてがん患者の治療に携わり、国立がんセンター総長を経て、公益財団法人 日本対がん協会会長を務める垣添忠生さんは、80代にして東日本大震災の被災地を歩いてめぐる旅に出た。被災地への思いや同協会の活動について、木村恵子本誌編集長が聞いた。
文/音部美穂 写真/吉場正和 デザイン/スープアップデザインズ
制作/朝日新聞出版メディアプロデュース部ブランドスタジオ 企画/AERA dot. AD セクション
木村 このたび垣添さんが上梓された『Dr. カキゾエ 歩く処方箋』は、青森県から福島県までの太平洋沿岸約1000㎞を歩く「みちのく潮風トレイル」の旅について綴った本だそうですね。この旅のきっかけは何だったのでしょうか。
垣添 もともと私は歩くのが好きで、全国がんセンター協議会に加盟している32施設を九州から北海道まで何度かかけて徒歩でめぐったこともあります。今回の旅は2年前、ドキュメンタリー監督の野澤和之さんから「垣添さんの生き方に共鳴しており、映画を作りたい。できれば歩いてほしい」と連絡を受けたことを機に始まりました。
木村 東日本大震災の被災地である「みちのく潮風トレイル」を選んだのは、なぜでしょうか。
垣添 震災発生の翌月、被災地を訪れ、変わり果てた景色に衝撃を受けました。その後、復興を遂げた姿をこの目で見たいとずっと思っていたんです。また東北の沿岸部は、50年前に妻と旅した思い出深い地でもあります。80歳を超えた身ですから体力的な不安はありましたが、トレーニングを積んで臨みました。
北上川河口部の防潮堤を歩く垣添さん。みちのく潮風トレイル踏破の様子は新著『Dr.カキゾエ 歩く処方箋』に綴られている
Tadao Kakizoe
垣添 忠生
公益財団法人 日本対がん協会 会長
1967年、東京大学医学部卒業。国立がんセンター(現・国立がん研究センター)で、手術部長、中央病院長、総長などを歴任。2007年から現職。がん患者や家族を取り巻く課題解決や、啓発活動に尽力。自身もがん患者、がん患者遺族となった経験を持つ。
木村 旅先ではがんサバイバーの方との出会いがあったそうですね。
垣添 なかでも印象的だったのは、岩手県で出会った山下千夏さんです。トリプルネガティブという悪性なタイプの乳がんで、両側の乳房を切除。リンパ節転移もあって現在も化学療法を受けているのですが、とにかく明るい方でした。
木村 被災者の方々から震災時の体験については、お聞きになったのでしょうか。
垣添 何人もの方が話してくださったのですが、同県大槌町の吉祥寺の住職・高橋英悟さんのお話が特に心に残っています。高橋さんは、震災発生から毎日、たくさんのご遺体と対面し祈りを捧げてきた。そんな状況下でどのようにご自身の心を保ったのかと聞いたら、座禅を組むことで心を空っぽにしていたそうです。一方で、震災時に高校生だったという女性は「お母さんに急かされて慌てて逃げたので助かった」と話していました。その女性は今、結婚して幼いお子さんと一緒に散歩していたんですよ。
木村 お母さんが守ってくれた命が新しい命へとつながっているのですね。
垣添 「なぜこんなつらい目に遭うのか」という苦しみと最愛の人を失った悲しみは、永遠に消えることはないでしょう。でも被災者の方々は苦しみや悲しみを抱きながらも必死に生きているうちに、わずかな希望を見つけ、生きる力を得たのではないでしょうか。私自身も深い喪失感から立ち直った経験があるからこそ、そう感じました。
木村 それはどのようなご経験ですか。
垣添 私は妻を小細胞肺がんで喪っているんです。最期は妻の希望を叶えたくて在宅で看取りました。医師として多くの患者さんの治療に携わってきましたが、この時は本当に苦しかったですね。妻が愛用していた服や靴が目に入るたびに喪失感に襲われて……。寂しさを紛らわせようとお酒に溺れた時期もありました。
木村 そこからどのように立ち直ったのでしょうか。
垣添 百カ日法要を迎える頃、これではいけないと思い始め、お酒を控え体調を整えることを心掛けました。そして妻の闘病を綴った『妻を看取る日』という本を書き、苦しみと向き合うことで気持ちが落ち着いていったのだと思います。この本の読者の方から、自分も同じ経験をしたという感想をいただき、グリーフケアの重要性についてもあらためて認識しました。
木村 そういったご経験も日本対がん協会での活動につながっているのでしょうか。
垣添 そうですね。私たちの協会では、「がんで苦しむ人や悲しむ人をなくしたい」というスローガンのもと、がん予防・検診の推進や、がんサバイバーや闘病中の患者さん、家族への支援、正しい知識の普及啓発など多岐にわたる活動を行っています。
木村 垣添さんご自身も2度、がんを経験されているそうですね。
垣添 1度目は国立がんセンター中央病院長だった50代の頃。職員検診で大腸にポリープが見つかり、切除したところ、その一部ががんだったんです。2度目は60代半ば。がんセンター総長として、がん検診に関する研究を行う「がん予防・検診研究センター」の設立に携わっていた頃、研究の一環として私自身も検診を受けたら、超早期の腎臓がんが見つかり、部分切除。すぐに仕事復帰できました。
Keiko Kimura
木村 恵子
AERA 編集長
木村 早期発見により、これまでと変わらない生活を送ることができたのですね。
垣添 がんは、自覚症状が出て病院に行く頃には進行しているケースが多い。だからこそ検診での早期発見が重要です。特に胃がん、大腸がん、肺がん、女性の子宮頸がん、乳がんは検診により早期発見ができ、国が科学的根拠に基づき、国民のがん死亡率の低減に有効だと認めていますが※、検診受診率は決して高くない。また子宮頸がんは、世界各国ではワクチン接種が進み罹患率が下がっていますが、日本では、ワクチン接種後の多様な症状の報道などにより厚生労働省が定期接種の積極的勧奨を取りやめたため、接種率は低いまま。2年前に積極的勧奨が再開されましたが、接種率の低さは憂慮すべき問題です。
木村 がん患者さんや家族が直面している課題にはどのようなことがありますか。
垣添 医療の進歩により、現在は治療を続けながら働いている方はたくさんいらっしゃいます。しかし、そういった理解がなく「働けないのでは」と左遷されたり、仕事を辞めたりせざるを得ないような状況に追い込まれるケースもいまだにある。また、検診を受けられない理由として「時間がない」ことを挙げる方も多い。誰もが関係のあることだからこそ、検診の際に気兼ねなく仕事を休めるようにするなど、がんを取り巻く諸事情に寛容な社会になってほしいですね。
木村 一人ひとりががんを自分ごとと捉え、知識をアップデートしていくことが大事ですね。ありがとうございました。
※出典:国立がん研究センター がん対策研究所
木村恵子の編集後記
自身の努力ではどうしようもできない事態に直面した時、どのように生きていけばよいのか。「希望」というキーワードから垣添さんの哲学が伝わってきました。私も定期的にがん検診を受けており、がんは他人事ではないと感じています。医学の進歩によって治る病気になっているからこそ、がんと共生する社会づくりが求められていると感じました。
お問い合わせ
公益財団法人 日本対がん協会
東京都中央区築地5-3-3 ☎ 03-3541-4771
提供:公益財団法人 日本対がん協会