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アキラ100%が語る4歳娘の子育て「お盆芸はまだ見せたことがない。だけど気づくのは時間の問題です」
アキラ100%が語る4歳娘の子育て「お盆芸はまだ見せたことがない。だけど気づくのは時間の問題です」 着衣のアキラ100%さん(提供)  4歳の女の子のパパであり社会科の教員免許の資格も持つピン芸人のアキラ100%さん。「物事の良し悪しの判断が自分でできる子に育ってもらいたい」と、たくさんの経験を積ませているそうです。そんな自身の子育て評価は100%ではなく70%!?「娘の前ではまだお盆芸を披露したことはない」という心配も。ご自身の“子育て論”を語ってもらいました。※前編〈ピン芸人・アキラ100%は45歳でパパになって健康的に!娘のたかいたかーいは「最高の筋トレです」〉から続く 「これが好き」という認識は大人が教えてあげるものではない ――芸人としてのスキルや社会科教員の資格を子育てに生かしていることはありますか。  まだ4歳なので勉強というよりも子どもが遊びたいように遊ばせて、僕はその世界観に乗ってあげることを大事にしています。子どもが変わったことをやったら、「そうじゃないよ」と言うのではなく、「お!それいいね」「そんなことできるの?」と返す。芸人がどんどんボケを引き出す感覚に近いかもしれません。  例えばおもちゃを買うと、おもちゃそのものより箱に興味を持つことってありますよね。箱を何かに見立てたり大きな段ボールを車にしたり。子どもの想像力ってすごいです。そういう時は「こっちのおもちゃで遊びな」と言うのではなく、その遊びに乗ってあげます。「これは空飛ぶ車だよ」と言われたら、箱ごと持ち上げて空飛ぶじゅうたんのように飛ばしてあげます。かなりの筋力と体力が必要なんですが(笑)。 ――休みの日はいろいろなところへお出かけするそうですね。  行ける時には車で遠出します。動物と触れ合える場所に行ったり魚釣りをしたり。娘は物怖じせず平気で動物に近づきますし、魚も好きで20センチくらいのマスもぎゅっとつかんじゃう子なんです。水たまりがあればダイブします。実家(埼玉県秩父市)の庭の畑で収穫を手伝うこともあります。どろんこになっても服が汚れても問題なし! 専用石鹸で洗えばきれいになりますからね。 ベビーカーでお散歩!(本人提供)  子育てって、こうした子どものときのさまざまな経験がとても大事だと思っています。自分の好き嫌いは、いろんなものに触れれば触れるほど自分で分かってくるものだと思います。自分はこれが好き、これが得意だという認識は、大人が教えてあげるものではない。そういう意味でいろいろな機会を与えてあげたいなと思っています。 ――そう考えるようになったきっかけはありましたか。  自分が芸人としてひょんなことで売れたので(笑)。僕はずっとあの芸をやっていたわけではなく、たまたま宴会芸縛りのオーディションがあって、お盆の芸をしたらブレイクしました。人生何が当たるか分かりません。いろんな芸人さんを見ていても感じますが、世の中的にはちょっとダメなことでも、そのダメなところがフューチャーされてブレイクするということが本当にあります。  自分もそうやって世に出させてもらったので、何がいいか悪いかの価値判断は変わっていくものだと感じています。もちろん危ないことはダメと言いますけど、それ以外のことは子ども自身で良し悪しを判断できる人間になってほしいです。だから遊びに関しても子どもの自由な想像力に任せて、僕はそばで驚きながら楽しんでいます。といっても、心配性なのでつい「危ない危ない」って言っちゃいますけどね(笑)。 娘には見せたことがないお盆芸…今から心配なことも ――お子さんにお盆芸を披露したことはありますか。  実は娘には見せたことがなくて。娘の前でいざやるとなったら緊張するでしょうね。でも最近、パパの仕事に気づき始めているんです。丸いものを持ってきて「パパこれお仕事で使うでしょ」って言ってくるんですよ(笑)。もう時間の問題です。  でも仕事を隠しているわけでもないんです。家族でネタ番組を一緒に見て「パパだー」って言っていることもあるので。僕がスマホで自分のお盆芸のSNS動画を確認していると、娘が横から覗いて「なにやってるのパパ〜」「隠してるじゃ〜ん」って言ってくるんですよ。 お盆芸姿のアキラ100%さん(提供)    子どもってこういうネタが面白くなってくるじゃないですか。役者の仕事もしているので、「パパはテレビの中で仕事をしている」っていうのはなんとなく分かっているようです。自然な流れの中で知っていく感じですかね。 ――お子さんが成長してやがて思春期を迎えます。芸風について今から悩んでいることはありますか。  こういうネタって子どものころはめちゃくちゃ楽しく思えて、男女共に思春期になると「うっ」となる時期があると思うんです。思春期を越えちゃえばまた面白くなってくるんですけどね。10代後半から20代前半の特に女子が「うーん」となるかもしれないですね。  今は大丈夫ですけど、学校へ行くようになったら、友だちから何か言われないかが心配です。そういうときは、逆に僕をネタにして、子ども同士が仲良くなれるツールの一つになれればいいなと思っています。チャンスがあったら、小学校でも中学校でも、僕に何かできることがあったらぜひやらせてもらいたいと思っています。娘が許可してくれたらですけど(笑)。 パパとしては「アキラ70%」…小道具の断捨離をがんばりたい ――看護師の奥さまにとって、アキラ100%さんの芸は癒やしになっているそうですね。  そうですね。僕は仕事で失敗しても失敗すら笑いにできる仕事です。でも医療の仕事に失敗は許されません。僕とは全く違う職業ですごく緊張感のある仕事ですから、僕の芸を見てバカバカしいなって笑ってくれるんでしょうね。妻は元々お笑いが好きなので応援してくれています。新しいネタを考えていたときは、見えるか見えないかのチェックもしてくれました。テレビに出始めたときはめちゃくちゃ喜んでくれましたね。 ――2024年で50歳という節目を迎えられますが、どんな目標がありますか。  仕事では海外に行くチャンスがあれば挑戦してみたいです。何度か仕事で海外へ行きましたけど、海外の方もだいたい笑ってくれるんです。お盆芸に言葉はいらないですが、見てくださった方が何を言っているのか分からないのが惜しいので、英会話は勉強したいなと考えています。  プライベートなことでは、家族でいろいろなところへ行きたいです。ロケ番組をしていると、日本にも知らないところがまだまだたくさんあって、いいものがいっぱいあるなと気づかされることがすごく多い。現地へ行って触れて、子どもが面白いと思えるものを一つでも増やしてあげたいです。 ――パパとしては、アキラ何%でしょう。  いやぁどうでしょう! 自分ではやっているつもりなんですが、この“つもり”が怖いですからね。希望としては「アキラ70%」はいっていてほしいですね。あとの足りない30%は圧倒的に片付けです。妻は仕事柄きれい好きできちっとしています。冷蔵庫も洗濯物もピシッと整っている。でも僕はゆるいんですよ。お盆1枚から始まった小道具もどんどん増えてきちゃって。子どもの遊びスペースを広げるためにも断捨離をがんばりたいです。 (取材・文/大楽眞衣子) 〇アキラ100%/1974年、埼玉県秩父市生まれ。2010年からピン芸人として活動し、17年にはR-1ぐらんぷり優勝。俳優としてもドラマ、映画などで活躍。主な出演作に、「アキラとあきら」(22)、「翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜」(23)、日曜劇場「ラストマン-全盲の捜査官-」(TBS)、「らんまん」(NHK)。1女の父。
ダブル不倫から復帰「広末涼子」が主演したドラマ「できちゃった結婚」の“リアリティー”と超豪華キャストの今
ダブル不倫から復帰「広末涼子」が主演したドラマ「できちゃった結婚」の“リアリティー”と超豪華キャストの今 広末涼子    4月17日に東京・有明の東京ビッグサイトで行われたイベントに出席した女優の広末涼子(43)。昨年6月に人気シェフ・鳥羽周作氏とのダブル不倫が報じられて以降、約11カ月ぶりの表舞台となり、白いシャツにデニム地のパンツといういでたちで爽やかな姿を見せた。  今年2月に26年間所属した芸能事務所を退社し、個人事務所を設立した広末。スキャンダルの影響もくすぶるなか、今後、女優としてどんな作品に出演するのか気になっている人も多いだろう。  広末といえば、透明感あふれる美少女アイドルとして1990年代後半に一世を風靡した。全盛期の出演作も、反町隆史と竹野内豊のダブル主演ドラマ「ビーチボーイズ」(フジテレビ系、97年)や、明石家さんまと親子役を演じた「世界で一番パパが好き」(フジテレビ系、98年)など、キャストの顔ぶれは、それは豪華なものだった。  なかでも、2001年放送の「できちゃった結婚」(フジテレビ系)に出演していた俳優たちの“その後”の活躍ぶりは目覚ましい。本作は、広末と竹野内のダブル主演ドラマで、その名の通り、お互いのことをよく知らないうちに“できちゃった”カップルの出産や結婚を巡る騒動を描いたヒューマンコメディー。広末と竹野内がそのカップルを演じていたが、23年に発覚した広末の不倫騒動などもあり、今振り返ると、妙な「リアリティー」も感じる作品でもある。そこで今回は、そんな広末全盛期の主演ドラマ「できちゃった結婚」のキャストたちの現在を紹介しよう。 竹野内豊   竹野内豊  竹野内豊は広末演じるヒロインを妊娠させてしまう若手CMディレクター役で主演。当時から数々の連続ドラマで主演を務める人気者だった。一方、最近も主演ドラマ「イチケイのカラス」(フジテレビ系、21年)が放送され、穏やかな口調ながら自由奔放なクセ者裁判官役を演じてハマり役と評判になるなど、アラフィフとなっても安定した活躍を見せている。また、21年に26年間所属した芸能事務所を退社し、翌年からフリーランスとなったことも話題を集めた。 阿部寛   阿部寛  竹野内演じる主人公の大学時代の先輩役を演じたのが阿部寛。その後、「結婚できない男」(06年、フジテレビ系)で、偏屈かつ皮肉屋で結婚に縁はないが憎めない独身の主人公を演じ、ドラマもヒット。さらに「下町ロケット」(15、18年)や「ドラゴン桜」(21年)など、5回もTBS系「日曜劇場」で主演を務め、昨年、同枠で放送され社会現象となった「VIVANT」では、テロ組織を追いかける刑事役を好演。一方、私生活では08年に結婚し、11年6月に第1子、12年11月に第2子が誕生した。また、自身のホームページが1990年代のようなレトロなデザインのまま存続していることでも知られている。 妻夫木聡   妻夫木聡  本作での妻夫木聡の役は、竹野内演じる主人公の後輩。連続ドラマ初主演を果たしたのが2003年放送の「ブラックジャックによろしく」(TBS系)で、矛盾に立ち向かう純粋で情熱を持った若手医師役を演じ、一躍人気者に。09年には「天地人」で、NHK大河ドラマ初主演を飾った。最近の連続ドラマも孤高の天才執刀医役を演じた「Get Ready!」(TBS系、23年)など、主演作が多い。また、プライベートでは16年に女優のマイコと結婚し、19年12月に第1子、22年9月に第2子の誕生を発表している。 沢村一樹   沢村一樹  そして、産婦人科の医師役を演じたのが沢村一樹。その後、スーパードクター役を演じた主演ドラマ「DOCTORS~最強の名医~」(テレビ朝日系、11年)が人気を集め、シリーズ化。NHKのコントバラエティー「サラリーマンNEO」で、07年から演じたセクスィー部長も評判を呼び、下ネタ好きということも相まって“エロ男爵”としてもブレークした。直近では、4月から放送されているドラマ「ミス・ターゲット」(テレビ朝日系)に、キーパーソン役で出演中。また、00年に結婚して3児が誕生し現在、長男がモデル、次男が俳優として活動している。  そんな、今思えばその後に主役級として息の長い活躍を見せる俳優が4人も出演していた本作だが、脇を固める女優も個性的だ。 石田ゆり子   石田ゆり子  広末演じるヒロインの姉役で出演していたのが石田ゆり子。当時は手堅い脇役という印象だったが、16年に放送され大ヒットしたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS系)で演じた、独身バリキャリながらかわいらしい伯母役で視聴者を魅了。変わらぬ美貌も注目され“奇跡の40代”と大ブレークし、ますますドラマに欠かせない存在になった。現在放送中のNHK連続テレビ小説「虎に翼」で朝ドラ初出演を果たし、ヒロインの母親役を好演中だ。また、愛犬、愛猫と暮らす動物好きとしても知られる石田。21年には、インスタグラムに投稿してきた愛猫との日常を全3巻にわたりまとめた書籍『ハニオ日記』(扶桑社)を発売し、ベストセラーとなった。 片瀬那奈   片瀬那奈  ヒロインの友人役を演じたのは片瀬那奈。その後、数々のドラマに出演し、近年では「恋はつづくよどこまでも」(TBS系、20年)など話題作に登場。また、11~21年には日曜朝の情報番組「シューイチ」(日本テレビ系)の総合司会も務めた。一方、21年に同棲相手がコカインを所持したとして麻薬取締法違反容疑で逮捕され、片瀬自身も尿検査を受けて陰性反応だったことを「週刊文春」が報道。さらに親友の沢尻エリカも同容疑で逮捕された際、クラブで2人が踊る動画がネット上に流出し、片瀬も薬物使用を疑われた。こうした騒動もあり、徐々に表舞台から消え、所属事務所を退社。22年に靴・ファッションの通販サイト「ロコンド」の正社員になると発表され、話題になった。  さらに、本作はあの人気イケメン俳優の父親も登場している。 千葉真一   千葉真一  千葉真一はヒロインの父親役で出演。千葉といえば、日本を代表するアクションスターとして活躍。世界で通用するアクションスター・スタントマンを育成する「ジャパン・アクション・クラブ」を創設し、真田広之や堤真一らが輩出したが、21年に新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった。また、近年は俳優の新田真剣佑と眞栄田郷敦の父親という印象もあり、真剣佑は昨年ハリウッド映画初主演を果たし、郷敦は4月から放送中のドラマ「366日」(フジテレビ系)で主人公の恋人役を演じるなど、2人とも大活躍中。  振り返ると、今では広末以上の存在感を見せている俳優たちが数多く出演していた本作。彼らの現在の活躍ぶりをふまえながら改めて鑑賞してみると、新たな発見があるかもしれない。 (丸山ひろし)
嘉門タツオがライブで宇崎竜童に叱られたわけ 妻との死別、飲酒運転逮捕……猛省からの活動再開 
嘉門タツオがライブで宇崎竜童に叱られたわけ 妻との死別、飲酒運転逮捕……猛省からの活動再開  嘉門タツオさん(撮影・國府田英之)    一昨年9月に妻の鳥飼こづえさん(享年57)を亡くしたシンガー・ソングライターの嘉門タツオさん(65)。その後の取材では「妻が生きたことも亡くなったことも、ちゃんと意味を持たせたい」と涙ながらに話していたが、年が明けた2023年の1月に飲酒運転で逮捕され、活動を自粛するはめになった。猛省の日々を経て、この3月に活動を再開した嘉門さん。自ら“暗転”させてしまった死別その後の人生と、この今に何を思うのか。  嘉門さんとの交際前に、悪性脳腫瘍(しゅよう)を患っていたこづえさん。眼科とアンチエイジングの医師だったが、結婚後、病気の影響で右半身が徐々に不自由になり、医師の仕事をあきらめた。嘉門さんと一緒に曲作りをするようになり、ライブなど全国の仕事場に夫婦で連れ立つようになった。 死別からわずか2カ月  妻であり、仕事のパートナーでもあり、息がぴったりの2人。だが2022年の春、こづえさんのがんが再発。嘉門さんは病状が悪化していくこづえさんを介護し、一時は自らが体調を崩して入院しながらも、最後は自宅で旅立ちを見送った。14年間の夫婦生活だった。  嘉門さんに、こづえさんへの思いを取材したのは死別からわずか2カ月のころ。  筆者は、嘉門さんより2年4カ月前に妻を悪性脳腫瘍で亡くしている。  嘉門さんは取材中、18歳年下の筆者のことを何度か冗談めかして「先輩」と呼んだ。当事者同士で「死別後年齢」は筆者が上とあって、気持ちを吐き出しやすかったのかもしれない。   こづえさんと過ごした日々を振り返り、思いを言葉にしながら、何度も涙をぬぐった。  「妻が生きたことも、亡くなったことも、ちゃんと意味を持たせたい思っています」   こづえさんとの日々を、何か形にしたいという誓いを口にしていた。  だが……。   昨年1月の中旬、自宅の近所のすし屋で酒を飲み、車で帰宅途中に接触事故を起こして道路交通法違反(酒気帯び運転)の疑いで現行犯逮捕された。  警察署に留置され、番号で呼ばれ、手錠をかけられてバスで検察庁へと移送された。  【あわせて読みたい】 嘉門タツオが初めて語る“最愛の妻”との14年 がん末期の妻に用意した「花道」とその後も続く物語 https://dot.asahi.com/articles/-/13962?page=1 嘉門タツオさんと、こづえさん    親交のある宇崎竜童さんからは、 「つらくて飲みたくなるのは分かるけど、飲んだら運転するな」  と叱られたというが、宇崎さんが言うまでもなく、飲酒運転は人の命を奪いかねない犯罪である。死別の悲嘆は、飲酒運転の言い訳にはならない。   デビューから40周年の節目の年に、自ら人生を暗転させてしまった嘉門さん。  被害者への償いをするとともに、活動を自粛。猛省の日々を過ごし、65歳の誕生日でもあるこの今年3月25日に、活動再開となるライブを行った。当日、楽屋を訪ねると宇崎竜童さんが寄り添っていて、ライブで共演し、客の前で嘉門さんを叱った。   4月中旬に嘉門さんと会うと、活動再開のライブを終えた余韻はなかった。  「先日のライブに来てくれたお客さんは、僕がしっかり反省をしているかを確かめに来ることと、僕の歌で笑うために来る、という2つの意思があったはずです。どうやって応えたらいいのか、これまでにないプレッシャーを感じていましたが、何とか乗り切ることができました」  と神妙に本音を漏らした。  あの日だけなぜ飲んでしまったのか  なぜ、近所のすし屋で飲酒したのか。家に帰れば、酒はすぐに飲める。   逮捕の数日前に開催した名古屋でのライブ。   こづえさんの葬儀で、彼女にささげた曲を歌っている途中で、声を詰まらせる場面があったと、嘉門さんのスタッフから聞いてもいた。  重ねて言うが、飲酒運転をしていい理由は存在しない。  それでも、「飲まないと耐えられないくらい、つらくなったのですか」と筆者は率直に尋ねた。   だが、嘉門さんはこづえさんを理由にはしなかった。  「妻のことは一切関係ありません。いつもはノンアルコールを飲むんですが、あの日だけなぜかお酒を頼んでしまったんです。日本酒一合より、ちょっと多いくらいの量でした。なぜ飲んでしまったのか、今振り返っても分かりませんが、人間として甘かった、ということに尽きると思います。天国の妻も怒ったでしょうね」   そう話し、ファンや、たくさんの関係者に迷惑をかけてしまったことへの謝罪を口にした。 インタビューに答える嘉門タツオさん   【こちらもおすすめ】 嘉門タツオ62歳、初めて語る「母との別れ」 今だからこそ思う「歌う意義」 https://dot.asahi.com/articles/-/62840?page=1    車の運転はやめ、免許の更新もしないと決めた。酒はしばらくやめたが、最近、また飲むようになった。ただ、自宅でたしなむ程度に量をセーブしている。  配偶者やパートナーとの死別は「人生最大のストレス」とも言われる。  嘉門さんも死別後、しばらくの期間は家でひとり泣いた。 「号泣するわけではありませんが、こみ上げてきましたよね」   眠れない日もあった。   最近も、1970年に開かれた大阪万博で、テーマ館の一部として建てられた万博記念公園の「太陽の塔」に行く機会があったが、昔、夫婦で訪れた記憶がよみがえり、涙をにじませながら周辺を歩いた。   こづえさんを支えるためにやっていた数々の役目がすべてなくなり、手持ち無沙汰に感じた時期もあった。  新たな発展や気づき  ただ、喪失感が消えることはないが、時間の経過とともに、一人でのライフスタイルが自然とできあがっていったという。日常生活の中で、新たな発見があったり、気づきを得たりすることができるようになった。  「移動中、妻との会話がなくなった代わりに、スマホで音楽を聴くようになったんですが、たまに耳にしていた洋楽が何という名前の歌手の歌だったのかとか、こんなにいい歌があったんだとか。今が人生で一番、音楽を聴いて学んでいると思います」   久しぶりに電車での移動をするようになり、大江戸線の構内の深さに驚いたり、仏壇に飾るために、ほとんど行ったことがなかった花屋に通ううちに、店ごとの個性の違いが分かるようになったり。   ささやかなことだが、“おひとり様”ならではの生き方や楽しみ方を見つけつつある。  死別から1年半が過ぎた。 「時間とともに、鳥飼こづえという女性の輪郭が、よりくっきりと感じられるようになったんです」  と、嘉門さんは独特の言い回しで今の思いを表現する。  こづえさんは、口にこそしなかったが、自分の命が長くは続かない可能性を悟っていた。嘉門さんは、死別後にそんな確信を得た。  【こちらもおすすめ】 嘉門タツオさんがYouTubeで訴える 「看護の現場」が話題 きっかけは名看護婦の伯母の言葉 https://dot.asahi.com/articles/-/77617?page=1    こづえさんが残した写真のなかに、嘉門さんが一人でその写真を見たときに、メッセージが伝わってくるものがあることに気が付いたという。   嘉門さんは、 「彼女は、人生のゴールを分かっていたんですよね。そんな女性だったからこそ、健康な夫婦よりも密度の濃い、かけがえのない14年間を過ごせたと思います。夫婦生活に悔いは一切ありません。僕にしかない経験と感情を、これからの歌に込めていくことができますから」  と話し、こう続けた。 「彼女は、本当に格好良かったと思います」  やってしまったことは、消せない。再始動を応援してくれるファンがいる一方で、もう嘉門さんの歌は聞きたくない、などという厳しい声があることも承知している。 「どうやったら人を笑顔にできるか、幸せにできるか。迷惑をかけてしまった人たちのためにも、今後の人生では自分の過ちを見つめながら、そのテーマを追求していきたいと思っています」  65歳。大反省を続けながらの、人生のやり直し。  これからの生き様を、天国のこづえさんも見ている。 (國府田英之)
“闇名簿”ブローカー「これ以上の話は命の危険がある」 “ルフィ一”一派に流れた名簿とは
“闇名簿”ブローカー「これ以上の話は命の危険がある」 “ルフィ一”一派に流れた名簿とは 名簿リストの中には、高額預金者のリストまで存在していた。預金額が漏洩していることにつながる  個人情報が蓄積された“闇名簿”なるものが存在し、犯罪グループはそれを基に強盗や詐欺の狙い先を決めているという。名簿には、個人の氏名、住所、家族構成や、どんな通販商品を買ったのか、資産はどのくらいあるのか、といった情報が書き込まれている。なぜそんな詳細なデータを大量に集めることが可能なのか。取材を進めると、「ルフィ事件」でも使われたとみられる闇名簿について、詳細を知る男性に接触ができた。 ※【前編/“闇名簿”で選ぶ強盗の狙い先 家族構成、預貯金額……小遣い稼ぎに漏らされる企業の個人情報】では強盗の被害者や闇バイトに手を出した当時の高校生、特殊詐欺の元リーダー格の話から、犯行時の生々しい様子や闇バイトの募集手口、闇名簿の入手方法を明らかにした。 「これが闇名簿です」  企業から情報漏洩(ろうえい)されたデータなど大量の個人データを含んだ闇名簿を売っているという30代後半のブローカーB氏が、名簿の一部を見せてくれた。 「まずはリスト。お客さんにわかりやすくするため、僕がどんな情報を持っているのかをまとめた、いわゆる闇名簿の“メニュー”みたいなものです」  そう言って目の前に出してくれた名簿には、ネットショップでの化粧品購入者やネット通信の契約者、競馬の馬券購入者、サプリ購入者……など、名簿の属性が書かれたリストが967件並んでいた。それぞれ、氏名、住所、電話番号などが書かれているか、いないかを、「○」「×」で記している。 3都県の住民票が  きわめつきは住民票だ。東京都、神奈川県、埼玉県で、それぞれ三十数万件以上ある。家族構成、職業、預貯金の有無、これまでに特殊詐欺の被害に遭ったかどうかの「○」「×」など。 上から、埼玉県、東京都、首都圏以外、千葉県、神奈川県といった住民票データが記載されており、その総件数は176万225件に上る。また、各名簿には氏名や住所のほか、電話番号、生年月日も記載されている  リストのすべての件数を合わせると、延べ数千万件分という信じられないような数字になる。  そのうちの一つをじっくりと見させてもらった。 「これは、とある商材を購入したリスト。氏名や住所、電話番号のみ。うちなら、その家の資産額がわかるリストもありますよ。個人情報がダダ漏れですから、こんなリストを作るのは簡単ですよ。売れる金額はケースバイケースですが、1人あたりのクレジットカード情報だけで数千円で売れることもあります。闇名簿でもうけた金で高い時計や芸術品を買って、また転売して金を増やしています」  B氏は、屈託もてらいもなく、さらっとそう話した。  実際、個人情報が流出したというニュースは頻発しているといっていい。 【あわせて読みたい】 “ルフィ”の連続強盗事件は「政治案件」になっていた? フィリピンのマルコス大統領来日の裏 https://dot.asahi.com/articles/-/13239?page=1 有料放送を視聴している会員リストは5万件の個人情報を含んでいるという    直近に起きた規模が大きな例でいえば、NTT西日本の子会社の元派遣社員が約928万件の顧客情報を不正流出させていたことを、昨年10月、NTT西日本社が公表した。流出したのは、氏名や住所、電話番号などだ。また、被害に遭った顧客69企業・団体のうち、少なくとも29は自治体だった。      この事件をめぐって、岡山県警が今年1月31日、山田養蜂場(岡山県鏡野町)の顧客情報を名簿業者に渡したとして、不正競争防止法違反(営業秘密領得、開示)の疑いで、兵庫県芦屋市の63歳の男を逮捕した。逮捕容疑は、NTT西日本の子会社に勤務時、山田養蜂場の顧客の氏名や住所、電話番号など約3万2800人分の個人データをノートパソコンにダウンロードし、東京都内の名簿販売業者にメールで送信したというもの。一部報道によると、それらのデータの売却額は約2万円だったという。 特殊詐欺に関与した消防士の自宅から……  また、LINEヤフーは今月、第三者による不正アクセスで、同社やグループ会社の従業員らの個人情報が13万件以上流出したことがあると明らかにした。同社は昨年11月にLINEアプリの利用者情報など計約44万件の個人情報が外部に流出した恐れがあると発表している。その後の調査のなかで、新たに不正アクセスによる漏えいが発覚し、計約50万件以上に広がった。11月当時で流出したのは、利用者の年代や性別、通話の利用頻度など20項目を超える情報だった。  2022年12月には、特殊詐欺に関与したとして逮捕された20代の消防士の自宅から、消防署が保管する高齢者名簿のコピーが押収されていたことを東京消防庁が明らかにした。流出したのは、東京都中野区に居住する70歳以上の高齢者約1万6千世帯分の名簿で、その一部のコピーが警視庁の家宅捜索で見つかった。  過去の大量の個人情報流出といえば、2014年に通信教育大手のベネッセコーポレーション(岡山市)で、外部会社の元派遣社員が約3500万件分の個人情報を名簿業者3社へ売却していたことが明らかになった。 【こちらも読まれています】 闇バイトは「朝7時半に朝礼」「拠点は日本食が出る食堂つき」 詐欺の「かけ子」が語る「ルフィ」の手口 https://dot.asahi.com/articles/-/13275?page=1 カードに関する個人情報は3万件を超えていた    政府の個人情報保護委員会が2018年に公表した、名簿の販売業者などに関する実態調査では、不正に入手した個人情報が複数の「名簿屋」に転売され、そうした個人情報の売買が犯罪行為を誘発する原因として問題があるとしている。    一方で、ニュースには出ない隠れた部分で行われている小規模な売買も怖い。 「行政関係者が流してしまうケースもあるけど、民間ではネット通販会社の人や不動産営業マン、あとは新聞販売所に勤めていた人とかかな。とくに金融関係なんて『ザル』に近いです。いわゆる不良社員が、お金欲しさに顧客の預貯金額などが書いてある名簿を平気で売ってくる。そういうのは、そこらへんのチンピラでも簡単に掲示板で買える」  と話すB氏。さらに、こう続けた。 「あと、実際にその闇名簿が使えるものかどうかも、チェックすることがある。例えば、“たたき(強盗)”に入るとき、受け子や出し子に実際にその家に行かせて、人の出入りを確認させる。警察官を装って自宅へ行かせて、防犯のため、と言って話を聞く。そこで、実際に名簿の人物がいるのか、在宅の時間やタンス貯金の話も聞き出す」 信用金庫職員「名簿が流れている」と告白  昨年12月下旬。ある信用金庫に勤める20代の男性と接触した。その男性は信用金庫の内情をこう説明した。 「ほんとはダメなんですけど、営業をするときに信用金庫のデータベースからお客様リストを紙に印刷して持ち出すんです。本来、上司の判子は必要だけど、別に判子なしで持ち出しても何も言われないし、上司も見て見ぬふりです。もちろんそのリストには、氏名や住所のほか、預貯金額が書かれています」  そして、そのリストを悪用してしまう人がいると話した。 「営業成績があまり良くないと、不動産営業の人とこのリストを共有してしまう人がいるんですよ。不動産営業をかけたあと、信用金庫の職員が行くとローンの商談がうまく進んでしまうケースもあって。不動産営業側にとってみれば不動産の成約にもつながるから、両者ともおいしい思いができるんです」 【あわせて読みたい】 「逮捕されて安堵した」 懲役5年4カ月を受けた“闇バイト”主犯が語る罪悪感と恐怖心 https://dot.asahi.com/articles/-/1076?page=1  そして、 「その不動産営業の人が、受け取った信用金庫のお客様リストをどうしているかについては、僕たちはわかりません」  と語った。  金融機関による個人情報の外部への流出もたびたび、事件化している。  2020年9月、野村証券の元社員が元部下だった社員に働きかけ、法人の顧客情報275社分を外部の証券会社へ流したことが明らかになった。2009年には、三菱UFJ証券の元社員が顧客情報約148万人分を流出させたことが明らかになった。当時の裁判資料などによると、元社員は借金の返済目的で4社の名簿販売業者へ顧客情報を13万円で売却した。流出した顧客情報は90社以上に転売されたという。 「ルフィ事件」で闇名簿を流したのは?  さらに取材を続けていくと、「ルフィ事件に使用された名簿」について話を聞くことができた。事件にはかかわっていないが、逮捕された事件関係者と面識があるという男性だ。  男性は、一連の広域強盗事件でどのような形で闇名簿がルフィ側に渡ったのかについて語った。 「ルフィ一派に闇名簿を流したのは、『JPドラゴン』というフィリピンで暗躍する組織です。日本人の元暴力団や半グレなどで構成されていて、現地で賭博行為などの仕切りをしていました。もともと、特殊詐欺のリストがあって、そこには保有財産が書かれていましたから。それを強盗に使えないかと考え、今回の犯行に至ったのです」  男性の話によれば、ルフィ事件で逮捕された下部の一人である今村磨人(きよと)被告=強盗致死傷罪などで起訴=がフィリピンで収容されていたビクタン収容所に、JPドラゴンのメンバーが訪れて何度も面会していたという。そうして接触を重ねながら、JPドラゴン側がルフィ側とリストを共有し、犯罪の手助けを行っていたというのだ。 フィリピンから成田空港に到着した今村磨人被告(当時は容疑者)=2023年2月7日    このリストはどうやって名寄せされ、誰から購入したものなのか。  質問すると、 「これ以上の話はできない。命の危険がある」  と言われ、それ以上の証言を得ることはできなかった。 【こちらもおすすめ】 妻の手紙から「大好きだよ」の言葉がなくなった 特殊詐欺の主犯格だった42歳男性の後悔 https://dot.asahi.com/articles/-/1077?page=1  警視庁組織犯罪対策部の関係者は、 「JPドラゴンの存在は認知している。ただ、人の入れ替わりが激しい面があり、具体的な実態把握ができていない面もある」  と話した。  ダダ漏れしていく個人情報。私たちはどうすれば、被害を防げるのか。  警視庁で20年以上、セキュリティー対策に関連する仕事をしてきた防犯コンサルタントの松丸俊彦さんは、 「情報化社会のこの時代、個人情報の流出は絶対に避けられない」  と言い切る。 「私たちの個人情報はどこかで必ず流出しています。それを悪用し、チンピラまでもが強盗を行ってしまうのが現実です。その認識を持つことが大切で、なにか家に不審な人が訪れたり、または不審な電話やメールがきたりしたら疑うことが大切です。電話での企業アンケートとかももちろん危険です。相談できる人がいないときは、『警察相談ダイヤル #9110』へ電話をかけるのも一つの手でしょう」  闇バイトの背景にある個人情報流出。それを悪用する反社会的組織。自分や身内の情報が、あの闇名簿のどこかにあるかもしれない、と考えると、ぞっとした。 個人名、住所が書かれた名簿が闇の世界で売買されている   (AERA dot.編集部・板垣聡旨) まつまる・としひこ 警視庁に計23年在籍した。うち、3年間は領事として在南アフリカ日本大使館に勤務。その後、警視庁に復帰し、防諜対策(カウンターインテリジェンス)及び在京大使館のセキュリティアドバイザーを担当した
“闇名簿”で選ぶ強盗の狙い先 家族構成、預貯金額……小遣い稼ぎに漏らされる企業の個人情報
“闇名簿”で選ぶ強盗の狙い先 家族構成、預貯金額……小遣い稼ぎに漏らされる企業の個人情報 ネットの掲示板に出ていた闇バイトの募集。「回収」は受け子として現金などを取りにいくことだという    闇バイトで集められた集団による強盗や特殊詐欺などの事件が後を絶たない。その背景には、大量の個人情報が蓄積された“闇名簿”なるものが存在し、犯罪グループはそれを基に狙い先を決めているのだという。強盗の被害者や闇バイトに手を出した高校生、特殊詐欺の元リーダー格の話から、犯行時の生々しい様子や闇バイトの募集手口、闇名簿の入手方法を聞いた。【後編】では、個人情報がどういう流れで流出し、どのような過程で闇名簿が出来上がっていくのかを、名簿を作って売買するブローカーに聞いた。 「なぜ私の家が狙われたのかわからない」  昨年1月、連続強盗事件の被害にあった関東地方に住む70代の男性はそう話し、当時の様子を振り返った――。  午前0時過ぎ、男性は1階の寝室で妻と寝ていた。突然、寝室のガラスが割れる音が聞こえ、ほぼ同時に妻が悲鳴を上げた。1人が押し入ってきたが、暗くてはっきり見えず、両肩を押さえつけられると口を粘着テープでふさがれた。男は力強く、体格は大きいと感じた。妻は口のほか、手足も粘着テープで縛られていた。  男に、 「静かにしろ! 大声を出すな、カネを出せ」   と言われ、財布のある洗面所に案内した。 手足を粘着テープで  電気をつけると、男はマスクをして、手に金づちをもっていた。強盗に襲われた、ということを実感し、恐怖感がおそってきた。  数万円の紙幣を財布から取り出して手渡した際、「これだけか?」と言われ、「これしかない」と答えたときに包丁を手に持った男が洗面所に現れた。男性の印象では、2人とも似たような格好だった気がするが、細かい着衣は覚えていない。  その後、妻がいる部屋に連れていかれ、手足を粘着テープで縛られた。そこで、男が3人いることを確認した。金庫の場所とカギのありかを聞かれ、場所を伝えた。男の気配がなくなったと感じたときに、自分で粘着テープをはがし、スマホから110番通報した。固定電話の線は切られていた。 【あわせて読みたい】 「ルフィ」らも利用した? 特殊詐欺グループの犯行支える「道具屋」とは 闇バイトで名義貸しも https://dot.asahi.com/articles/-/194726?page=1 ネットの掲示板に出ていた闇バイトの募集。“バイト”する場所や時間などが書かれている。応募する人は、この後、秘匿性の高いテレグラムで連絡を取り合うという(写真は一部加工しています)    時計を見ると午前2時48分。金庫の中を確かめると、現金はなく、入れてあった預金通帳は残っていた。現金数万円が取られたが、不幸中の幸いで、妻ともにけがはなかった。  事件から約半年後の7月、茨城県警はいずれも19歳の無職の男3人を強盗致傷と住居侵入の疑いで逮捕した。  男性の自宅は2階建てのごく一般的な一軒家だ。周囲は畑で住宅はまばら。  男性は、 「うちは資産家というわけではありません。私も一般的な勤め人でしたし、狙われる理由がわかりません。T字路の角で逃げやすい家に見えたからか……」  ただ、気になることと言えば、事件が起きる数日前から、若い男女が乗る見慣れない車両が何度も家の前を通っていたことだ。事件後は一切見なくなったという。  なぜ狙われたかについては「心当たりがない」と繰り返した。  栃木県足利市でも昨年1月に強盗事件が発生した。50代の男性が被害に遭い、現金300万円などが奪われた。  被害男性の関係者は事件の詳細をこう語る。 「実はね、その日だけ大金が置いてあったの。冠婚葬祭の支払いがあったから。だから犯人は家に大金が置いてあったことを知っていたのでは」  2022年10月~23年1月に連続強盗事件が全国で起きた。警視庁の発表によれば、指示役は「ルフィ」「キム」などと名乗り、SNS上などで闇バイトとして実行役を募り、強盗や窃盗、詐欺などの指示をしていた。  強盗事件は悪質で、栃木や埼玉、広島、山口など14都道府県で確認されているほか、1月に東京都狛江市で起きた強盗事件では90歳の女性が実行犯によって殺害されている。  こうした闇バイトに手を染めるのは、元々の“ワル”だけではない。 高校生が闇バイトで 「まさか闇バイトとは思わなかったんです」  そう話すのは、闇バイトに応募し、強盗の現場に行ったという18歳の男性だ。  2022年夏ごろ、ツイッター(現、X)で「#即日日払い #高額」で検索し、募集先に何の疑いもなく気軽に連絡した。相手からは秘匿性の高い通信手段のテレグラムでやりとりするよう伝えられた。 【こちらもおすすめ】 闇バイトで「テレグラムはお持ちですか」 証拠の復元が進むもiPhone初期化が捜査の壁 https://dot.asahi.com/articles/-/12934?page=1 「身分証、住所の詳細、家族構成を送るように言われ、自宅の前でバイクの免許証を自撮りして送りました」  持ち物としてサングラス、マスク、ハンマーを持ってある駅に行くように言われ、バイト内容を聞いていくと強盗であることが想像できた。 「ヤバイと思ったので、やめます、と伝えたけど、『今さら抜けられると思うなよ』『自宅がわかっている。責任取ってもらうぞ』などと脅されて後にひけなくなりました。『たれ込んだらどうなるかわかっているよな』とも言われて、警察に相談するのも怖くてできませんでした。自分が捕まる可能性もあるかもしれないと思うとなおさら……」  言われた日時に指定された駅に行った。午後10時を過ぎていた。集まったのは計4人。1人が白のバンで来た。そこから現場に向い、指示された通りに強盗の犯行に及んだ。5万円の報酬をその日に手に入れた。 「その2週間後の早朝、警察が自宅に来て逮捕されました」  男性はいわゆる普通の家庭に育ち、普通科の高校に通う生徒だった。グレているわけではなく、ゲームで遊ぶための金が欲しかったという理由で、すぐに現金を手に入れられる闇バイトに手を出してしまった。約1年、少年院で過ごしたという。   闇バイトに申し込んだ相手に特性を尋ねる文面が送られてくる “バイト”内容を示す文面   闇バイト募集に テレグラムを使ってコンタクトを取ると、提出書類などが送られてきた。自宅前自撮りなどを撮らせて、後で逃げようとしても「素性が割れている」と脅し、闇バイトから逃れなくする   闇バイト募集の掲示板からアクセスし、テレグラムでコンタクトを取ると、提出書類などが送られてくる。持ち物チェックリスト   闇名簿流出の背景、ぞんざいに扱われる個人情報の実態  昨年12月、記者は新宿・歌舞伎町のあるバーで、闇バイトに詳しい人物と会った。  40代男性のA氏。これまで特殊詐欺のリーダー格として2~3年稼働し、2千万円以上を手にしたという。2015年に詐欺容疑で逮捕され、実刑判決を受けた。その後は「足を洗った」と話す。  A氏によると、一連の強盗事件の背景には闇名簿が存在するという。  A氏は、 「その名簿であらかじめ襲う先を定めて、闇バイトを発注する」  と説明した。 「闇名簿には氏名、年齢、住所、職業のほか、家族構成から電話番号までが入力され、なかには貯金額まで書いてある」  闇名簿は、それを専門に扱うブローカーから買うのだという。自分たちでさらに詳しい情報を付け加えた名簿を作るケースもあるという。  なぜそこまで詳細な名簿をつくることが可能なのか。 【あわせて読みたい】 「普通の主婦」がなぜ特殊詐欺の“受け子”になってしまうのか 専門家が語る「自分をだます」心の動きとは https://dot.asahi.com/articles/-/41016?page=1  A氏が詳細を話した。 「名寄せをしているから。例えば、その辺にある名簿屋から名前と都道府県しか書かれていない名簿を入手したら、それをより詳しいものにするため、ほかで手に入れた名簿の個人情報と合わせてアップデートしていくんです」 「その辺にある名簿屋」というのは、国から認定を受けた正式な名簿屋で、違法なことをしているわけではない。高校の同窓会名簿などのように、団体、組織が正式に作ったものを扱っている。 「そういう人がいるから案外簡単なものです」  A氏は個人情報を手に入れる方法について、 「企業から情報漏洩されたデータを闇サイトで購入したり、会社員が小遣い稼ぎに、会社保有の個人情報をブローカーに売ったものを買ったり。そういう人がいるから案外簡単なものです」  と話した。  取材を進めていくと、実際に闇名簿を売っているブローカーにたどりつくことができた。30代後半のB氏。見せてもらった名簿には、驚くほどの莫大な人数と、詳細な個人情報が記されたリストがあった。B氏は、それらがどうやって作られていくのか、どのように広まっていくのか……など、実態について語った。 カードに関する個人情報は3万件を超えていた   (AERA dot.編集部・板垣聡旨) (後編/“闇名簿”ブローカー「これ以上の話は命の危険がある」 “ルフィ一”一派に流れた名簿とはに続く)  
大谷翔平の「メンタルが強すぎる」 “色んな事”が起きても動揺なし、結果を残す凄さ
大谷翔平の「メンタルが強すぎる」 “色んな事”が起きても動揺なし、結果を残す凄さ 開幕から好調を維持しているドジャースの大谷翔平(ロイター/アフロ)  ドジャースの大谷翔平は昨シーズン終了後から私生活を含め様々なことが起きているが、全く動じることなく素晴らしいパフォーマンスを見せている。  昨オフにはドジャースとメジャー史上最高額となる10年総額7億ドル(約1079億3000万円)の大型契約を結び、シーズン開幕前の2月下旬には元バスケットボール選手だった田中真美子さんとの結婚を発表。さらに、韓国での開幕シリーズ中にはメジャー移籍後に“相棒”として知られていた通訳・水原一平氏の賭博事件で自身のお金を窃盗されていたことが発覚するなど、日本全体を巻き込むような出来事が立て続けに起きた。  特に水原氏は大谷のメジャーでの成功を支えた人物として有名だっただけに、メンタルの部分に影響を及ぼし、成績が落ちる要因になってしまうのではとも懸念されていた。 「1番心配したのは水原氏の件。誰よりも一緒にいて信頼していた人からの裏切り。2人を昔から知る日本ハムCBO栗山英樹氏ですら相当、落ち込んでいた。心の中では怒りや失望、悲しみなど様々な感情が生まれたはず」(日本ハム関係者)  だが、ふたを開けてみれば現地5月5日終了時点で打率.364、10本塁打、OPS1.111はいずれもメジャートップの成績。打点こそナ・リーグ6位タイの25打点と他の成績と比べると見劣りするが、ここまでの数字をみれば三冠王も狙えるほどの素晴らしいパフォーマンスとなっている。超大型契約で人気チームに入団し、相当なプレッシャーも本来ならあるはずだが、そんなことはみじんも感じさせていない。 「人生を左右するような出来事が立て続けに起こった。野球に集中できるのか心配したが翔平は凄い。こういう時に結果を残せる選手は本当のスターだと思う」(日本ハムOB) 「様々な部分で吹っ切れたのだろう。水原氏の件も被害額は相当なものだが、今までの功労も込みの手切れ金と考えたのかもしれない。裏切られたショックもあるだろうが、前に進み始めているのは間違いない」(在米スポーツライター)  また、昨年9月に右肘の手術を受けたことで、今季はDHのみで試合に出場する“打撃専門”となった。メジャーリーグ公式サイトの『MLB.com』は二刀流としてプレーできないことが成績に悪影響を与える可能性もあると指摘していたが、全くその気配もない。既に来シーズン以降の二刀流でのプレーを見据えて動き始めており、DHだけの出場でも野球への集中の度合いは変わらない。 「再び二刀流でのプレーを目指すという環境にあるのも良かった。日本ハム時代から『二刀流には時間が足りな過ぎる』と発言して野球のみに専念していた。手術からの二刀流復活のために集中することで外野の声をシャットアウトできているのかもしれない」(日本ハム関係者)  普通の人間であれば普段の生活にも影響しそうなことが連続して起こったが大谷は平然とプレーしている印象を受ける。メジャーでの成功以来大きく取り上げられることとなった「目標設定シート」の中でのメンタルというエリアには「一喜一憂しない」「雰囲気に流されない」「波をつくらない」ということが書かれており、まさにこれを実行しているといった感じだ。  エンゼルス時代の昨シーズン8月に右肘のじん帯損傷が判明した際にもペリー・ミナシアンGMは「彼はプロ。(ケガを知った時も)動揺していなかった。精神的に強い」と大谷のメンタルの凄さに感服するコメントを残している。  水原氏の一件でも大きな損害を被ったが、むしろ大谷は“前向き”にとらえているのではないかという意見も多い。 「翔平はお金に関して無知、無頓着だったのを露呈してしまった。背番号を譲ってくれた選手の妻にポルシェを送ったりした件も美談にされるが、普通なら考えられない。高い授業料になったが今後の長い人生に向けては良かった」(日本ハムOB) 「捜査が進むまで(水原氏に)着服された金額もわからなかった。世間知らずと言われても仕方ない。しかしハワイの別荘購入など変化も見られる。資産管理、運用も含め、お金にも興味を持つようになったのではないか」(在京テレビ局スポーツ担当者)  結婚も「公表までは情報漏れを防ぐのにも大変な労力があったはず。一方で、真美子夫人と生活をともにできることのメリットは大きい」(在米スポーツライター)という意見もあるように、伴侶を得たことも一連の出来事を乗り越えることができた要因となったはずだ。 「色々と思うところもあるだろうが今まで通り野球に集中すれば良い。結果を出せば盗まれた金額分はすぐに取り戻せる。常にマイペースを崩さなかった翔平なら大丈夫」(日本ハムOB)  時間の経過とともに水原氏の事件を取り上げるマスコミも少なくなってきている。大谷自身がグラウンド上で素晴らしいパフォーマンスを当たり前のように披露しているのも理由の一つだろう。心の傷も当然あっただろうが、それを感じさせずプレーする姿は素晴らしいの一言。大谷翔平がスーパースターであり誰もが注目する所以なのかもしれない。  
キャリアのために「早く産む」という選択 晩産化傾向ストップした日本社会の変化とは
キャリアのために「早く産む」という選択 晩産化傾向ストップした日本社会の変化とは 2023年に国内で生まれた日本人の子どもは、過去最少の72万6千人(推計)。少子化が加速する中、働きながらも産み育てたいと願う女性は多い(撮影/写真映像部・東川哲也)    2023年に国内で生まれた日本人の子どもは過去最少の72万6千人(推計)。少子化が加速する中、晩産化傾向には歯止めがかかっているという。AERA 2024年4月29日-5月6日合併号より。 *  *  *  バリバリ働いて、キャリアを積んでから、いつか子どもを産む。そんなイメージが変わりつつある。 「キャリアを積んでからの出産ではなく、早く子どもを作ったほうがいいんだなと思った」  そう振り返ったのは、東京都内の情報通信系企業で働く女性(38)。現在7歳と1歳の2人の子どもの子育て中だ。  女性は、本社勤務だった20代半ばの頃、あまりの激務で自分のことで精いっぱいだった。「子育てと仕事の両立なんて無理」と感じていたし、少し上の世代の先輩たちはキャリアを積んでから30代後半以降で出産しているイメージだったので、自分もそうなると思っていたという。  だが、ある時、10歳上の女性の先輩が、不妊治療をしていると知った。忙しい中、治療を続けているが、なかなか子どもに恵まれない様子だった。  その頃、男女ともに加齢によって妊娠する力が低下すること、特に女性の場合は35歳前後から低下し始めることが、テレビなどで報じられていた。28歳で結婚した直後、支社に異動になり、忙しさも落ち着いた。35歳までに子どもを2人産みたいと考えていたが、すぐには子どもに恵まれなかったので、不妊治療を経て31歳で第1子を出産した。  厚生労働省の人口動態統計によると、第1子出産年齢の平均は、1975年の25.7歳から、右肩上がりとなり2015年に30.7歳まで上昇したものの、以降は横ばいが続く。22年は微増したが30.9歳だ。働く女性の増加に比例して続いていた晩産化傾向に歯止めがかかっているのだ。 AERA 2024年4月29日ー5月6日合併号より   第1子は30代前半で  AERAが今年4月にインターネット上で実施したアンケートでも「望ましい第1子の出産年齢」は30代前半という回答が最多で、20代後半という声も目立った。その理由のほとんどが、体力面や妊娠できるリミットを考えたというものだ。 「最初の妊娠は29歳でしたが、結局出産にこぎつけたのは33歳。30代では体力が追い付かない。できれば20代後半には第1子を産めたほうが余裕があると思います。特に私は夜泣きがひどい子どもを連続で2人育てたため、2人目が幼稚園に入園するころまで、6、7年毎晩起こされていました。これはきつかった」(東京都・教育学習支援契約社員・30代)  自分の身体と向き合い、早い段階から出産の時期について考えることは、働く女性こそ必要なことかもしれない。AERAアンケートには、50代を中心に「タイミングを逃した」という意見があった。 「子どもを持ちたいと思った時には年齢が高すぎた。個人事業主は自分のペースで働けるからこそ、健康であればあるほど『卵子老化』になかなか注意がいかない」(東京都・個人事業主・55歳)  今の50代は、1970年代前半に生まれた団塊ジュニア世代だ。少子化問題に詳しい日本総研・上席主任研究員の藤波匠さんは、時代背景をこう説明する。 「当時は大学への進学率が上がって、社会に出るのが遅くなった一方で、社会に出る頃にはバブルが崩壊して、希望の仕事に就けなかった人が多い世代です。そのため、結婚、出産が後ろ倒しになった人も多くいます」 子育て支援策の成果  第1子の出産年齢が横ばいになった起点は15年。政府が高齢者向けだった消費税の使い道を少子化対策にも広げ、「子ども・子育て支援新制度」がスタートした年だ。同制度は、子どもの年齢や親の就労状況などに応じた多様な支援を用意することを掲げたもので、保育の量の拡充と質の向上に向けた動きが加速した。  日本総研の藤波さんは言う。 「晩産化の歯止めになった要因として、妊娠の年齢的なリミットについての認知度向上のほか、社会的な子育て支援策の成果があったと思います」 育休など両立支援制度の広がりで、出産後も働き続ける女性は多い。子どもの急な体調不良など、綱渡りの日々が続く(写真:gettyimages)    藤波さんによると、約10年前までは、保育所が足りず待機児童が社会問題となった。結局、賃金が安くて、定期昇進の可能性の低い妻の方が仕事を休んだり辞めたりすることがよくあったという。保育所に預けられず、復職できない問題もあった。16年には、保育園の抽選に落ちた親のブログ「保育園落ちた日本死ね!!!」が話題になった。  AERAアンケートにも、約10年前に出産した女性のこんな声が寄せられた。 「出産のために仕事をやめた。働きたくても保育所は入れず、小学校に上がるタイミングまで就活できなかった」(大阪府・医療契約社員・47歳)  この10年で、企業も変わってきた。育休や時短勤務などの両立支援制度が拡充。ワーママは珍しい存在ではなくなり、待機児童は23年、5年連続で過去最少になった。 「出産育児を経ても働くことを『頑張っている』とみてくれる」(東京都・教育学習支援・46歳) 「上司もしっかり育休をとり子育てしながら仕事を続けているので、不利に感じる事は少ない」(千葉県・正社員・34歳) 30代で昇進のチャンス  AERAアンケートでもポジティブな変化が浮かび上がった。冒頭の38歳女性も、働きやすくなったと感じているという。 「在宅勤務はもともとありましたが、使えるのは子育て等の事情がある人という雰囲気でした。子どもが病気になった時など、やむをえない事情の時だけ使っていたのが、コロナ禍で誰もが在宅勤務となり、それがスタンダードになったことが大きかったです。罪悪感なく働けるようになりました」  藤波さんは、こう解説する。 「今は時短勤務が制度化されましたし、男性育休も整ってきて、預けながら働くことが無理なくできるような環境になってきています」  そんな環境の変化は、かつての「キャリアを積んで、30代後半以降で出産」の価値観にも影響を与えているようだ。AERAアンケートには、こんな意見が届いている。 「30代に入ると昇進のチャンスが巡ってくると感じるので、それまでに子どもがある程度の年齢になっている方がよいと思うから」(大阪府・製造業・56歳)  年齢と身体のことはもちろん、キャリアのことも考え、早く産んだほうがいいという価値観は確実に広がりつつあるようだ。  とはいえ、働きながら産み育てることは、そう簡単ではない。今年、株価は最高値を更新したが、足元の経済は厳しいまま。非正規雇用で収入が少なく、育休などの両立支援制度を使えない女性は数多くいるのだ。企業による格差も依然として大きい。 「低所得層の賃金が上がってこないと、少子化は改善しないと思います」(藤波さん) 理想と現実に大差  国立社会保障・人口問題研究所の21年の「出生動向基本調査」によると、独身女性が実際になりそうだと考えるライフコースは、「結婚せず仕事を続ける」が33.3%となり、前回から10ポイント以上も急増してトップになった。一方、理想のライフコースのトップは「結婚し、子どもを持つが、仕事も続ける両立コース」で34%。「結婚せず仕事を続ける」は12.2%で、理想と現実に大きく差が開いている。 「結婚相手の女性に経済力を要望する男性が増えている。女性の賃金が安いと、結婚のハードルが高くなると考えられる。日本では、既婚女性が出産するケースが大半。つまり出産のハードルも高くなる」(藤波さん)  晩産化傾向に歯止めをかけた社会の良い変化。一方で、働きながら産み、育てることが難しい現実もある。仕事と出産のどちらも望む女性たちの葛藤はまだまだ続きそうだ。(編集部・井上有紀子) ※AERA 2024年4月29日-5月6日合併号
コウケンテツ 妻に「料理も掃除も洗濯も頑張りすぎ」と言われても「居心地のいい家を作りたい」理由とは
コウケンテツ 妻に「料理も掃除も洗濯も頑張りすぎ」と言われても「居心地のいい家を作りたい」理由とは コウケンテツさん(写真提供)  仕事に家事に3人の子育てにと奮闘するコウケンテツさん。今でこそ、料理研究家として広く知られていますが、実は「料理を仕事にするつもりはなかった」とも。運命に導かれるように料理の道へ入ったきっかけ、そして家族への思いとは? ※前編<3児の父・コウケンテツが語る家事育児 「主婦にも休みは必要。毎日手作りごはんでなくてもいい」>から続く テニスのプロを目指して高校を中退するも… ――思春期はテニスに打ち込んでいたそうですね。  僕は中学3年生からテニスを始めて、夢中になりました。けっこう、激しい考え方をするほうで。「プロになりたい」と思ったときに、高校に行っている場合じゃないから、「高校をやめてテニスに専念したい」と親に相談しました。 ――わぁ、親御さんはなんと?  もちろん、大反対ですよ。親も親戚もみんなが、考え直すよう毎日のように説得しに来ました(苦笑)。結局、テニスがダメだったら、当時の「大学入学資格検定」(現在は「高等学校卒業程度認定試験」)を受けて大学に進む、ということで許可してもらい、高校を中退して、テニスに打ち込む毎日でした。  でも……テニスの腕は、まったく上がらず。ジュニアチームの小学生にも負けてしまうくらいで(苦笑)。しかも、20歳のときに椎間板ヘルニアになってしまって、断念するしかなくなりました。親や親戚に啖呵を切って高校をやめたのに、あっけなく夢が破れてしまって、ものすごく落ち込みましたね……。 挫折を経て開かれた、料理の道 ――それはつらかったですね。テニスをやめてからは?  2年ほどは治療に専念して、抜け殻のように絶望していました。そこから、少しずつ、家計を助けるためにもアルバイトをするようになって。料理は好きだったので、いろいろな飲食店を掛け持ちしました。早朝のパン屋さんから、カフェ、夜はイタリアンのホールなど、いろいろやりましたね。不思議なことに、テニスの腕は上がらないのに料理の腕だけはメキメキ上達していったのですよ。 お子さんと仲睦まじい食事風景(写真提供) ――それで料理研究家を目指すことに?  母(注:料理家、李映林さん)のアシスタントをしていたころ、撮影でお世話になっていた雑誌『オレンジページ』の担当の編集さんから、料理連載のオファーをいただいたことがきっかけです。今思い返してみても、信じられないくらいの大抜擢で、本当に感謝しています。 ――料理の道は、自然に開けていったのですね。  それまで僕は、自分の意思や希望を通すことに必要以上に固執していました。でも、そうすればするほど、失敗を重ねることになったのです。   それが、考え方を変えて、人からいただいたアドバイスを真摯に受け止めて、それを素直に実行するようになってからは道が開けて、人生がまるで変わりました。 次女がまだ小さいころ。長女と一緒に料理を楽しむ姿も(写真提供) ――お子さんたちにどんなふうに育ってほしいですか。  道を自分自身で切り開くことができる人と、そうではない人。一般的には前者のほうが優れた生き方とされるかもしれませんが、僕の場合は違いました。ある意味、受け身的な生き方ですから。でもやっぱり適性は人それぞれなんだと感じています。  なので、僕が子どもたちや、若い世代に助言できることなんてあまりないと思っています。今の子どもたちは、生まれながらにインターネットがあるデジタル世代。彼らが、大きくなったときの社会がどんなものか、僕には想像なんてまったくつかないですし。僕にできることは、子どもたちを信じて、ただ見守って応援することだけなのかな、と。 ――料理も掃除も洗濯もできるお父さんの姿は素敵です。  いやいや、そんなことないです。だけど、僕はちょっとやりすぎなところもあるらしくて。毎日夜ごはんを作り終えると、へとへとになってしまいます……。  妻は、「そこまで完璧に頑張らなくていいんじゃない?」「時には、子どもたちに役割としてやらせてあげることも大事だよ」って言ってくれるし、そうだな、とも思うのですが……。 抱っこしながらキッチンに立つコウケンテツさん(写真提供) ――家事を完璧にしようというモチベーションはどこに?  僕も深く考えてなかったのですが、改めて思うと、やっぱり僕自身が「居心地のいい家にいる」ことが好きで、自分で整えるのが好きなんでしょうね。掃除や片づけも、全然苦じゃないし、子どもたちが帰宅したときに、居心地のいい家でホッとしてほしいという気持ちが強くあるからなのかもしれません。 ――きっとお子さんもご家族もうれしいでしょうね。   そう思ってくれるとうれしいですが。ただ、僕は能力的に自分にできることは、本当に基本的なことだけだと思っています。税金をきっちり払って、教育費や医療費もきっちり払う。そして住まいを整えて、おいしいごはんを作る。あ! あとは送り迎え(笑)。  子どもたちはこれからどんどん自分の世界を広げていって、当然、親と疎遠になる時期もくるはず。それでもたまに帰ってくる日があったなら、安心できる居場所を作ってあげられたらいいな、と。そのための努力は、僕にもできることだから。 ――大事なことですよね。  ありがとうございます。当たり前といえば当たり前のことなのですが。僕自身、やりたいことを勝手に決めて、自分の意思を貫き通せば通すほど、失敗を繰り返して、みんなに迷惑をかけて、という思春期を過ごしました。それでも、ホッとできる家があることは、ありがたかったですから。 (取材・文/玉居子泰子) ※前編<3児の父・コウケンテツが語る家事育児 「主婦にも休みは必要。毎日手作りごはんでなくてもいい」>から続く コウケンテツさん(写真提供) コウケンテツさん(写真提供) 〇コウケンテツ/大阪府出身。韓国料理を中心に、アジア、ヨーロッパ、日本など世界各地の味を生かしたレシピが人気。手軽でおいしい家庭料理を紹介するYouTube「Koh Kentetsu Kitchen」は登録者数202万人の人気チャンネル。1男2女の父。著書に『本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ』(ぴあ)、『コウケンテツのおやつめし』(クレヨンハウス)ほか多数。
3児の父・コウケンテツが語る家事育児 「主婦にも休みは必要。毎日手作りごはんでなくてもいい」
3児の父・コウケンテツが語る家事育児 「主婦にも休みは必要。毎日手作りごはんでなくてもいい」 コウケンテツさん(提供)  簡単でさっと作れて、家族の「おいしい!」を引き出せるレシピが人気の料理研究家・コウケンテツさん。中3、小6、小1の1男2女を育てる忙しい毎日ですが、子どもの成長とともに、自身の役割も変化してきているといいます。※後編<コウケンテツ 妻に「料理も掃除も洗濯も頑張りすぎ」と言われても「居心地のいい家を作りたい」理由とは>に続く 子離れの始まり!? うれしくも寂しい春 ——今年、末っ子の娘さんが小学生に。おめでとうございます。  ありがとうございます。長男、長女、次女と、10年近い保育園の送り迎え時代がようやく終わりを迎えました。感慨深いですね……。同時に、朝8時には、子どもたちが自分で登校して、家に誰もいなくなってしまうことに、寂しさも感じているところです。 ——ご自宅でのお仕事や料理撮影も多いようですが、家事の分担はどのように?  数年前までは、僕がロケやイベントで家を留守にすることも多かったのですが、確かに、コロナ禍以降は在宅での仕事や撮影が増えましたね。ふたりとも家で仕事をしているので、家事も夫婦で完全分担しています。  と言っても、うちは役割を細かく分けているわけではなくて、状況を見て判断しながら、お互いができることをやるというスタイルです。例えば、妻が洗濯をしてくれていたら、僕は掃除を。ごはんは作れるほうが作るというふうにフレキシブルに対応できるようにしています。 ——理想的ですね!  いえいえ、正直、子育てが始まって以来、二人とも常にキャパオーバーでしたよ。親の数より子どもの数のほうが多いですから。それでもなんとかやってこられたのは、夫婦でその都度話し合い、うまく軌道修正できたからかもしれません。 お子さんとの仲睦まじい食事風景(写真提供) 子の成長とともに親の役割も変化 ——お子さんたちと一緒に料理を楽しんだりも?  子どもたちが幼いころは、家族みんなでごはんを作って楽しむ時間を大切にしていたんですが、成長とともに子どもたちの学校や塾なども忙しくなってきて……。スケジュール管理や、子どもへの向き合い方など、「これからはいかに柔軟に対応できるかが、大切だね」と、先日も妻と話し合ったところです。 次女がまだ小さいころ。長女と一緒に料理を楽しむ姿も(写真提供)  ただ、今でも週末の晩ごはんは子どもたちと一緒に作ったりもします。長男と長女は自分で朝ごはんを作ってくれるし、長女は一人でスイーツを作ってくれることも。次女も朝ごはんに自分でスクランブルエッグを作って、ケチャップでかわいい顔を描くのが日課です。3人とも驚くくらい上手に作ってくれますよ。 ——ご夫婦でよく話し合いをされるのですか?  夫婦で現状認識の「ずれ」がないように、毎日数分だけでも話し合うようにしています。今はふたりとも在宅業務が多いので、話し合いがしやすい環境でもあることは、家族にとってプラスだと思っています。仕事や学校のことから進路のことまで、子どもたちの状況については、できるだけ夫婦で共有するようにしています。 ——上のふたりは中学生と小学校高学年。思春期に入ったお子さんとの関係は?  う〜ん、やっぱり成長して子どもの世界が広がると同時に、親に求められる役割も変わるものだな、と実感していますね。  一緒にアスレチックやプールに行ったり、公園で走り回ったり、家でレゴブロックで遊んだりといった、僕にとっての子育ての得意分野が、上の二人にはもう通用しなくなりました(苦笑)。ふたりの年齢的に、親に求められるのはまさに受験対応や今後の進路のこと! ところが、それが僕はまったく得意じゃなくて……。今、一緒に遊んで喜んでくれるのは、小1の次女くらいです(笑)。  逆に妻は、そういったことにも的確に対応できる人なので、ふたりからとても頼りにされています。 ——得意分野がご夫婦ではっきり分かれているんですね。  子どもたちも、学校や塾のことは、ママに相談したほうがいいってわかっているし、僕がうっかり口を出すと、返り討ちに遭う。僕自身の経歴や考え方が少し変わっているせいか、「パパの意見は参考にならない」って言われます(苦笑)。  僕の役割は、車での送り迎えにお弁当&ごはん作り。まさに「飯炊き送迎オヤジ」です。あとは、「家族のストレスの緩和剤」と言われたこともあります。「なんじゃそりゃ!」って思いますが(笑)。 抱っこしながらキッチンに立つコウケンテツさん(写真提供) 手作りごはんより大切なことがある ——3人のお子さんを育てるなかで、気づいたことはありますか?  僕は10年近くの保育園の送り迎えを通して、時代が変わったのだと実感しています。まず、送り迎えをするお父さんたちの数が、圧倒的に増えたこと。次女の卒園遠足では、約半数のお父さんがお弁当を作っていました。しかも楽しそうに! 長男の保育園時代には、そんな方はほとんどいませんでしたからね。 ——若い世代は特に、夫婦で一緒に家事育児ができている人が増えていますよね。  やっぱりまだ、日本ではお母さんのワンオペ率は高いけど、だんだん変わってきていることは確か。すごくいいことだと思いますし、それがもっと当たり前になってほしいですね。 ——料理も、いつも決まった人がしなくてもいいですよね。  その通りです! さらに言うなら、毎日手作りのごはんじゃなくても、お財布や家族と相談しながら、お総菜や冷凍食品を買ってくる日、出前をとる日、外食の日があってもいいですよね。特に、日本で主婦をされている方は、365日営業で休めない人も、いまだに多いですよね。  でも、誰にとっても絶対に「休む日」は必要です。家族の誰かが全部を背負ってひとりで頑張るのではなく、みんながお互いの納得感を持って協力できる、そういう環境作りが大事! それを夫婦や家族で相談しながら築いていければ素敵ですよね。 (取材・文/玉居子泰子) ※後編<コウケンテツ 妻に「料理も掃除も洗濯も頑張りすぎ」と言われても「居心地のいい家を作りたい」理由とは>に続く コウケンテツさん(写真提供) コウケンテツさん(写真提供) 〇コウケンテツ/大阪府出身。韓国料理を中心に、アジア、ヨーロッパ、日本など世界各地の味を生かしたレシピが人気。手軽でおいしい家庭料理を紹介するYouTube「Koh Kentetsu Kitchen」は登録者数202万人の人気チャンネル。1男2女の父。著書に『本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ』(ぴあ)、『コウケンテツのおやつめし』(クレヨンハウス)ほか多数。
〈1月~4月に読まれた記事ピックアップ〉やはり美しい愛子さまと佳子さまのティアラ 紀子さまの宝冠がひときわ大きくなった理由
〈1月~4月に読まれた記事ピックアップ〉やはり美しい愛子さまと佳子さまのティアラ 紀子さまの宝冠がひときわ大きくなった理由   上皇ご夫妻へのあいさつを終え、皇居に戻る天皇ご一家の長女愛子さま=2024年1月1日、読者の阿部満幹さん提供  大型連休の真っ最中。今年1月~4月末までに多く読まれた記事を紹介します。見逃していた記事も「こんなことがあった」という話題も、ぜひご覧ください(この記事は「AERA dot.」で2024年1月23日に配信した内容の再配信です。肩書や情報などは当時のもの)。  *      *   *  皇居・宮殿で元日に執り行われた「新年祝賀の儀」では、女性皇族が4年ぶりにティアラを着用して臨んだ。ティアラは、女性皇族方の正礼装の装身具である宝冠のため、着用する機会は限られる。そんな貴重な女性皇族の美しいティアラ姿を振り返ってみる。  女性皇族の顔の上で光り輝くティアラ。「ハレの日」の正礼装であるため、見ることができる日は限られる。  新年、元日に執り行われた「新年祝賀の儀」では、4年ぶりにローブデコルテのドレスに身を包んだ女性皇族がティアラをつけた。    1月1日の早朝、東京・皇居の半蔵門や赤坂御用地の周辺には、新年のあいさつのために出入りする皇族の姿を見ようという人たちの姿があった。  特にお目当てなのは、貴重なティアラ姿の女性皇族だ。  半蔵門前で早朝から待っていたという女性は、天皇、皇后両陛下の長女の愛子さまの姿を見ることができ、上気した表情で話した。 「愛子さまは昨年、儀式でお召しのローブデコルテから袖のあるモンタントに着替えて、両陛下と仙洞御所へごあいさつのために訪問されました。今年はなぜか、愛子さまおひとりでしたが、ティアラとローブデコルテ姿のままでしたので、皇族方の正礼装を見ることができて、感激です」   「新年祝賀の儀」に臨む天皇、皇后両陛下と皇族方。女性皇族方は、4年ぶりにティアラを着用した=1月1日、皇居・宮殿   ティアラは誰の所有物か  愛子さまが着用していたのは、叔母の黒田清子さんから借りたティアラ。清子さんが内親王としての成年を迎えるにあたり、私的なお金であるお手元金で制作したものだ。  明治以降の近代皇室においては、天皇家も宮家も相応の財産を持っていたこともあり、宝冠など装身具は私的な費用で賄っていた。清子さんのティアラも私費でつくったものだ。   【こちらも話題】 愛子さまのティアラ姿はオーラがすごい!雅子さまと「山あり谷あり」20年に追っかけ主婦が感涙 https://dot.asahi.com/articles/-/62153   「新年祝賀の儀」で、初めてティアラを着用した両陛下の長女愛子さま。おばの黒田清子さんのティアラを借りており、新調のタイミングが注目される=1月1日、皇居・宮殿    生活費として公費が支払われている皇族は、個人の所有物かそうでないか線引きがあいまいなところがあった。そうした背景も影響したのか、平成に入って三笠宮家の彬子さまが成年を迎えたあたりから、ティアラは宮内庁の予算として公金で制作されるようになった。  愛子さまのティアラがいつ新調されるのか、毎年注目されているが、宮内庁の2024年度の概算要求でも予算が計上されなかった。物価高など社会情勢を鑑みて、新調を控えているのだという。   ひときわ大きな紀子さまのティアラ  今年の新年祝賀の儀では、皇后雅子さま、秋篠宮妃の紀子さまと次女の佳子さま、高円宮妃の久子さまと長女の承子さま、三笠宮家の彬子さま、瑶子さまも、それぞれ美しいティアラを着用した。 「新年祝賀の儀」に臨む秋篠宮家の次女佳子さま。髪の結い上げ方もこれまでよりアレンジされ、ティアラとともに優雅な雰囲気=1月1日、皇居・宮殿    宮内庁の資料などによると、内親王だった秋篠宮家の長女、小室眞子さんのティアラと宝飾品は「和光」で2856万円、次女の佳子さまは「ミキモト」で2793万円をかけて制作された。大正天皇のひ孫にあたる三笠宮家や高円宮家の女王方の場合は1500万円前後だった。  なお、結婚した眞子さんのティアラは現在、宮内庁に預けられている。   即位の礼「祝賀御列の儀」で雅子さまの顔の上に輝くのは「皇后の第一ティアラ」。沿道の人びとを見つめ、目頭をおさえる姿は話題になった=2019年、東京都    皇后である雅子さまが着用したのは、明治以降の歴代皇后に受け継がれてきたティアラだ。  ティアラはもともと天皇の「由緒物」。それを明治天皇以降、歴代天皇が皇后に「お貸し下げ」してきた。  皇后が着用するティアラは複数あり、即位の儀や今年の新年祝賀の儀で雅子さまは、通称「第一ティアラ」と呼ばれる宝冠を着用した。     ひときわ大きく輝く「皇太子妃の第一ティアラ」と宝飾のネックレスを身に着ける、皇嗣妃の紀子さま=1月1日、読者の阿部満幹さん提供    紀子さまのティアラも変わった。平成の時代は、ご結婚の際に新調したティアラをつけていたが、4年ぶりに女性皇族がティアラをつけて臨んだ今年の新年祝賀の儀では、紀子さまの顔の上のティアラがひときわ大きく輝いているのがわかる。  これは通称「皇太子妃の第一ティアラ」と呼ばれるティアラで、代替わりに伴って秋篠宮さまが皇嗣、紀子さまも皇嗣妃という立場になったことを受けて、雅子さまの元から移ったものだ。  元日に皇居周辺で皇族方を見ようと待っていた女性は「紀子さまのティアラが大きく立派で驚きました」と感想を漏らした。   「新年祝賀の儀」を終えた高円宮妃の久子さまと長女の承子さま。品のあるティアラがよくお似合い=1月1日、読者の阿部満幹さん提供    元日に発生した能登半島地震を受けて、2日の新年一般参賀が中止となるなど、皇室は慎みの姿勢を見せた。  ティアラなどの宝飾品はぜいたく品ではなく、正礼装の装身具だ。宮殿行事や外国の賓客を接遇する晩さん会など、正礼装で迎えることが礼儀である場では着用が求められる。  しかし、人びととともに歩むのが令和皇室だ。皇族の女性方が華やかなティアラ姿で人びとの前に出る機会は、もうすこし先になるかもしれない。 (AERA dot.編集部・永井貴子)   【こちらも話題】 愛子さまが借りるティアラ、清子さんからの理由は「格」の違い 秋篠宮家へは逆風やまず【2021年下半期ベスト20】 https://dot.asahi.com/articles/-/61363  
チャンカワイが語る子育て 「娘を褒めてあげたい気持ちが“マグマ”のように高まるんです」
チャンカワイが語る子育て 「娘を褒めてあげたい気持ちが“マグマ”のように高まるんです」 「Wエンジン」チャンカワイさん(提供)    お笑い芸人のチャンカワイさんは、夫妻と国立小学校に通う長女、幼稚園年長の次女の4人家族です。ロケが多い仕事柄、自宅に帰れるのは月に半分ほどという日々の中、チャンさんはどのように子育てに関わっているのでしょうか。夫婦間における「役割分担」や芸人パパ友の話、娘さんたちの将来について思うことなどを聞きました。※<前編>チャンカワイ、長女が「IQ139」とわかった“偶然”のきっかけとは 「言われてみればパズルがめっちゃ好きやった」から続く   留守が多いから帰宅後のほめ言葉は効果絶大 ――ご夫婦で決めている子育てのルールはありますか?  わが家では、夫婦の役割分担をはっきり決めています。例えば、ここぞ!という場面で子どもをほめるのは僕の役割。奥さんも毎日の生活の中で子どもたちをほめますが、ずっと一緒にいるママの言葉よりも、普段あまり家にいない僕の言葉のほうがインパクトがあるみたいです。  奥さんもそのことがわかっているので、子どもたちには「パパが帰ってくるまでにできるようになって、たくさんほめてもらおうね」なんて声かけをしてくれるし、ロケ先にいる僕には、子どもたちの動画をたくさん送ってくれます。娘が一生懸命逆上がりの練習をしている動画なんかを見ると、「早く会ってほめてあげたい!」という気持ちがマグマのように高まるわけですよ(笑)。思いを募らせて家に帰るから、帰宅して娘たちの顔を見ると「逆上がり、できたん? すごいやん!」って感情が爆発するし、娘も喜んでくれます。 夫婦2人で同時に叱らない ――なかなか会えないパパの言葉だから、重みがあるんですね。    これは子どもを叱るときも同じで、「帰ってきたらパパに叱ってもらおうね」という一言も、効き目があるようです。叱ることに関しては、「叱る人」と「話を聞く人」という役割分担もあって、奥さんか僕のどちらかが叱ったら、後からもう1人がじっくり話を聞く。2人同時に叱ることは、しません。夜、寝かしつけのときに「さっき怒られてたけど、何があったの?」というように切り出すと、子どもも自分の気持ちを話してくれるので、あとから夫婦で情報を共有するんです。叱る人は僕が担当することが多いですけど、時々奥さんとポジションを交代しています。 家族で高尾山へ(提供)   叱るのはもちろん、イヤですよ。でも、叱るからには、何がどう悪いのか、しっかり言葉で伝えます。例えばおもちゃの取り合いをした場合、長女には「なんで妹のおもちゃを取るの? それは良くないよね」、次女には「人をたたくのは一番いけないよ。たたかれたらイヤな気持ちになるよね?」って。で、最後は「はい、じゃあ抱き合って仲直りしよ!」っていうのが、いつものパターンです。 ――子育ての中で、難しいと感じていることはありますか?  長女はもう2年生ですし、学校で何かイヤなことがあっても、話さなくなってきました。小学生なら友だち同士のちょっとしたケンカや言い合いはあって当然だと思いますし、話さないことにも娘なりの理由があるんですよ。もめた相手のお友だちのことをパパに悪く思ってほしくないとか、自分にも非があるとわかっているとか。だから親に話さない娘の気持ちも、そんなことを考えられるようになった成長も受け入れたい。それでも「なんで話してくれんの?」と思ってしまう自分もいるんです。  こういうとき、親としてどう対応すればいいのか、この辺りはまだ奥さんと話し合い中です。ほんと、激ムズですよ。思春期になれば子どもとの関わり方はもっと難しくなって、僕はきっと、奥歯を噛み締めながら娘を見守るんでしょうね……あー心配です(笑)。 芸人パパ共通の悩みとは? ――子育ての情報交換をするパパ友はいらっしゃいますか?  コロナ禍もあったので、学校のお父さん方の付き合いは、今のところあまりありません。芸人仲間だと、先輩のビビる大木さんとは子ども同士の年齢が近いこともあり、よく子育ての話をします。  芸人パパ同士でよく話題になるのが、子どものお友だちとの接し方です。幼稚園や学校に行けば「あ、チャンが来てる!」と気づく子もいます。テレビに出ている以上そうなるのは当然のことで、問題はそうなったときに僕がどう行動するか。自分から「おー、こんにちは!」って子どもたちに声をかけるっていう先輩もいるんですが、僕はそんなふうに一気に距離を詰めることはできません。徐々に様子を見ながら、ですね。長女が小学校に入学して初めて学校に行ったときも、緊張しましたよ。 過酷なバラエティー番組でも「わが家だけは応援してくれます」と、チャンカワイさん(提供)   ――子育てをしながら、ご自身とご両親の関係を思い出すこともありますか?  僕は三重県名張市の出身です。娘たちとはまったく違う子ども時代を過ごしましたが、今の自分があるのは、あの豊かな自然の中で育ててもらったからだと思っています。  30歳になったころ、父から「バラエティー番組で爆弾を背負っているあなたを見ても、息子とは思わないことにする」っていう手紙をもらいました。僕は視聴者のみなさんに楽しんでほしくて結構むちゃなこともやっていましたが、両親は心配していたんですね。家族ってそういうものです。「マツコ&有吉 かりそめ天国」(テレビ朝日系)で毎年やらせていただくファイヤーショーも、マツコさんと有吉さん、そして視聴者のみなさんを笑わせるためにやっているのですが、わが家だけは「パパ、がんばれ‼」って、真剣に応援してくれています。 長女が語る三つの夢 子どもたちを全力でサポートしたい ――娘さんたちの将来について、望むことはありますか?  親に心配をかけた僕が言うのもなんですが、娘には安心できる範囲で夢をかなえてほしいです(笑)。幼稚園の卒園式で聞いた長女の夢は、オリンピック選手とロケットのパイロットと博士でした。どんだけ夢あんねん!と言いつつ、よくぞ言ってくれた、すごいなぁとも感心するし、全力でサポートしたいとも思います。   今年小学校受験を控えた次女も、今一生懸命がんばっています。物語の音声を聞いて問いに答える練習とか、半年前と比べるとものすごく進歩しているんです。もう記憶力では、抜かれてしまいました(笑)。「アーティスティックスイミングをやってみたい」という一言を聞けば、奥さんがすぐにいろいろ調べて、僕も一緒にプールまで行ってみる。できること、興味のあることはまず体験させて、その上で本人がやりたいと言うなら、やらせてあげたいと思っています。 ――芸人になるという夢をかなえたチャンさんなら、娘さんが将来について考えるときにもパパとしていいアドバイスができそうですね。  確かに「このテレビ番組に出たい!」って言われたら、これはこういう事務所に入って、こういうオーディションを受けて、受かったら出られるんだよ、とかそういうノウハウはアドバイスできそうですね(笑)。  でも、特に芸人だからいいことが言える、とは思いません。どんな仕事をしている方でも、難しい目標を達成したり、誰かとポジションを争ったり、つらい時期を努力で乗り越えているはず。いつか子どもが必要とするときがきたら、どこのパパもそういう経験を話すんだと思いますよ。僕も娘たちの成長を楽しみにしながら、まだまだがんばります。 (取材・文/木下昌子)   ※<前編>チャンカワイ、長女が「IQ139」とわかった“偶然”のきっかけとは 「言われてみればパズルがめっちゃ好きやった」から続く   〇チャンカワイ/1980年、三重県生まれ。2000年、えとう窓口とともにお笑いコンビ「Wエンジン」を結成。以来、テレビのバラエティー番組を中心に活躍。2015年に結婚した妻の妊娠をきっかけに、ベビーマッサージインストラクター、ベビーヨガインストラクターなど、子どもに関するさまざまな資格を取得。2女の父。  
雅子さま、子猫は「愛子のお友達に差し上げて」…ふつうの家のハッピーに影さす皇室の大問題
雅子さま、子猫は「愛子のお友達に差し上げて」…ふつうの家のハッピーに影さす皇室の大問題 春の園遊会での天皇、皇后両陛下=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA)  テレ東BIZの「皇室ちょっといい話」をお気に入り登録している。「音声がない皇室映像。宮内庁担当記者がどんなやり取りがあったか解説・再現する」がコンセプトで、取材映像をそのまま見せてくれるからだ。天皇、皇后両陛下が主催し、4月23日に開かれた春の園遊会の様子も「皇室ちょっといい話」(145)で見た。  雅楽の生演奏を背景に赤坂御苑の藤棚の映像から始まり、両陛下を待つ招待客はまず国会議員、次が役人・政府関係者が並ぶと教えてくれる。「さてこの後、俳優の北大路欣也さんから始まる5人はマイクが付いていて、クリアに音声が聞こえます」とアナウンサーの声。そこでのやりとりは後述するとして、その映像の後は両陛下を映す無音の映像になる。 「初参列の愛子さまがよく見えません」とアナウンサーの声が入る。「愛子さま専用のカメラ」に切り替えると宮内庁担当記者。切り替わって愛子さま、その後ろを歩く佳子さまがぐっと近くなった。でも声は聞こえない。宮内庁が音声収録を認めた場所が限定的だからだと記者が語り、「どんな会話があったか、知りたかったです」とアナウンサーが反応する。  愛子さまの「初参列」に注目が集まっているのだから、やりとりを一部だけでもオープンにすればいいのに。と、誰もが思うはず。そうはさせない宮内庁への不満をきちんと伝えるテレ東BIZ。パソコン越しに小さく拍手する。ここで「皇室ちょっといい話」の魅力の一端を。ある無音のところで、これから来る皇族方をスマホで撮影しようとしている男性が映った。彼のスマホがばっちり映り、画面には「さくら色コーデ」とメディアが伝えた愛子さま。そうですよね、大人気の愛子さま、撮りたいですよね。生の映像ゆえ、本音みたいなものが映る。  という話はさておき、「マイクが付いていて、クリアに音声が聞こえ」る5人とのやりとりの話をする。トップバッターの北大路欣也さんは、2009年に公開された映画「HACHI 約束の犬」を話題にした。「ハチ公物語」のリメイク映画で、北大路さんは主演のリチャード・ギアの吹き替えを担当、「親子チャリティー試写会」で両陛下(当時は皇太子ご夫妻)と愛子さまと一緒に見たという。 春の園遊会に招待された北大路欣也さん=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA)   「今日は愛子さまにもその話をさせていただこうかと。覚えていらっしゃるかな」と語る北大路さんに対し、「もう懐かしく、昨日もその話をして。大好きでございます」と雅子さま。愛子さまの卒業と就職も祝った北大路さんには、「仕事ではとても良い方に囲まれて、とても楽しく、先輩方が優しく楽しく教えてくださって」と雅子さま。  一区切りついたところで陛下が、「北大路さん、ドラマで『おおヒバリ!』ってありましたですねえ」と発言、北大路さんが「えっ、ご覧になった」と驚いていた。調べると1977年からTBS系列で放送された学園ドラマだった。園遊会では皇族方が出席者の情報を事前に調べ、覚えるのだと聞く。が、「おおヒバリ!」は「調べました」ではなく陛下の「話したいです」という感じが伝わってきた。きっと高校時代、すごく楽しみにしていたドラマだったんだろうなと頬が緩む。  3人目、美術家の横尾忠則さんは2023年に文化功労者に選ばれている。「この前お会いして、大変うれしく感じました」と、その話から始めた。陛下が「ご本をありがとうございました」と応えると、雅子さまが「お便りとご本、ありがとうございます」と続けた。どうやら横尾さんは最近、愛猫を描いた画集『タマ、帰っておいで』をお二人に送ったようだ。「あの猫はもう死にまして、今はおでんっていう猫がいるんです」と横尾さん。そこから画集の話が続く。横尾さんはお二人の声が聞きづらそうで、「耳のほうが不十分で、集音器を用意したんですけど」と申し訳なさそうだ。  雅子さまが身を乗り出し、それまでの人よりずっと大きな声で語りかける。それだけでなく、写真を取り出し横尾さんに見せた。猫が写っているようで、野良だった猫を飼い始めたのが「12年ほど前、愛子が3年生くらいの時に」と説明する雅子さま。横尾さんが「これ、昔いたタマによく似ています。こんな感じの猫で」と言うと、「わたくしも絵を拝見して、もしかしたらちょっと似ているかしらと思って」と雅子さま。横尾さんの耳がよくないことを以前に会って知っていたお二人が、会話をスムーズにするために写真を用意したのだろう。 春の園遊会での愛子さま=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA)    横尾さんは緊張しているというか、耳がよくないことに恐縮しているように見えた。でも最後のほうには、「今日はこんなお写真見せていただけると思ってなかった。大変うれしく思いました。今日は猫談議ですね」と安心したように語った。そこで終わりにしてもよい流れだったが、お二人は横尾さんが5歳の時に描いた絵、描き続けているY字路の絵と話題を振っていた。横尾さんも感動したに違いないと、こちらまで感動する。  というわけで、宮内庁はもっとどんどんお二人の「音声」を公開すべきだと思う。「皇室ちょっといい話」(144)は、お二人の2度目の能登半島地震被災地訪問を取り上げていた。石川県穴水町の避難所では、お二人が腰をかがめて避難者に語りかけている様子が映った。そこで「ここはなかなかやりとりが聞き取りづらかったです」と担当記者の解説が入る。地元消防団長や医療関係者をねぎらう場面では、雅子さまが涙をこらえているようだったりぱっと笑みを浮かべたりという感情の移り変わりが見てとれた。が、やりとりはほとんどわからない。音声を拾うにはマイクが必要で、そういう場面にはそぐわないという判断かもしれないが、何か方法がないだろうか。具体に勝る決め手はないことは、園遊会が示しているのだから。  という広報のあり方への提言で終わってもいいのだが、少し続ける。園遊会では両陛下の優しさを感じると同時に、「天皇家も普通の家なのだ」という当たり前のことも思った。北大路さんとのやりとりから、前日に映画「HACHI」の思い出を語り合うお二人と愛子さまの様子が浮かんだ。横尾さんとのやりとりでは、最初に飼った元野良猫が4匹の子猫を産んだと雅子さまが語っていた。「この子が子どもの1頭で、あとの3頭は愛子のお友達に差し上げて」という雅子さまの声に、愛子さまの楽しい学校生活も浮かぶ。家に帰り、愛子さまは「もらってくれる友人が見つかった」と元気に報告したに違いない。 春の園遊会での愛子さま=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA)    なんてハッピーなご一家だろう――で終わらないところがつらいところだ。なぜかというなら、皇室のもっと大きな問題がある。ハッピーが増すと、余計にそのことに目をつぶっているという思いが募る。例えば園遊会の4日前(4月19日)、自民党が安定的な皇位継承の確保に関する懇談会を開いた。政府の有識者会議が2021年末にまとめた皇族数の確保策、「女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する」「旧宮家の男系男子が養子として皇族復帰する」の2案を「妥当」とした。そのうえで最終的な対応は、懇談会の会長である麻生太郎副総裁に一任することでまとまった――そう報じられていた。  これ、なかなかつらい報道だと思う。有識者会議から2年以上経ち、今頃やっと「妥当」というゆっくりさ加減。そもそも「皇室における人手不足対策」という設定が、天皇制の最大の危機から目をそらすためのように思える。皇室の次代を担う男性が悠仁さまだけという現実がある。それを「熟慮」した2年超でなく、「放置」の2年超だったのではないか。そう思ってしまう。  天皇制は憲法に定められた制度ではあるが、構成する一人ひとりは普通に「家庭」に暮らす生身の人間だ。そのことを春の園遊会で目の当たりにしているから、ますますつらさが増す。愛子さまは「皇族の身分を保持」される女性皇族としてこれから生きていく。仮にそうだとして、「男系男子」でつなぐ天皇制にあって「男系女子」が結婚しても生涯「皇族の身分」でいることは幸せなのか。生身の人間が構成する制度がどうあるべきか。そこが一顧だにされていない気がして、つらい。  園遊会の4日後(4月27日)、共同通信社が皇室に関する世論調査の結果を公表した。天皇陛下の即位5年を前にした全国郵送調査で、皇位継承の安定性について「危機感を感じる」が「ある程度」を含め72%に上ったという。女性天皇を認めることは計90%が賛同したそうで、賛成の理由は「天皇の役割に男女は関係ない」が最も多く50%、反対理由は「男性が皇位を継承するのが日本の文化にかなっている」が45%で最多だという。  こういうところを考えてほしいんですけど、自民党、っていうか麻生さん。と呼びかけても届かない。そんな気がしてしまい、つらい。 (コラムニスト・矢部万紀子)
食品も衣料品も足りない 経済制裁が市民を直撃
食品も衣料品も足りない 経済制裁が市民を直撃 客の「ツケ」を記録した白い紙  長年にわたる米国による経済制裁はイランの人々の生活にどれほどの影響を与えているのか?2020年4月から2023年1月まで朝日新聞テヘラン支局長を務めた飯島健太氏は、著書『「悪の枢軸」イランの正体』のなかで、経済制裁による生 活苦の実態について言及している。貧窮にあえぐイラン国民のリアルな声を『「悪の枢軸」イランの正体』から一部を抜粋して解説する。 おびただしい数の白い紙  米国による経済制裁がイランにどのような影響を及ぼしているかという問題は、私が在任中、継続して取り組んだ取材テーマである。2020年11月、首都テヘラン北部の住宅街にある青果店を訪れた。どこの街角にもあるふつうの店だ。  店主の男性(38)は暗い顔をしていた。 「1日あたり300人は来ていたお客さんはいまや半分、いや、100人も来ない日があるかもしれないなあ」  値段はこの1年の間に2〜4倍以上になったという。店主に値上げの構図を聞いた。  農家が畑で使う肥料の価格、野菜や果物を収穫したあとに詰めるプラスチック製のパックの代金、畑から市場へ、市場から店頭へ運ぶ運送費といったあらゆるコストが上がっている。しかも、肥料やパックは輸入に頼っていることが多いという。  そもそも経済制裁の影響によって全体の輸入量そのものが減り、モノが不足している。それに伴って幅広い商品やサービスといった価格を全体的に押し上げているのだ。さらに、対米ドルの為替レート(実勢)の暴落が追い打ちをかける。私が在任中に1ドルは15万リアル程度が40万リアルまで下がった。  レジの真横にある陳列棚を囲う金属板には、20〜30枚の白い紙がゴム製のクリップで留められていた。紙はレジで打ち出したレシートで、客の「ツケ」の金額が記録されていた。常連客のなかには給料が大きく減ったり、支給が止まったりするケースが増えているという。  家計の負担が重くなる一方なのは私も実感していた。自宅から徒歩5分の所にスーパー「デイ・マート」がある。日常で必要なものは何でもそろう便利な店だ。ナンと呼ばれる平たいパンを私は朝食用に買っていた。しかし、これも現地で生活している間に3倍に値上がりした。また、鶏肉や牛肉、卵、牛乳やバター、ヨーグルト、チーズといった食卓に欠かせないものも例外なく値段が上がった。  果汁100%のジュースやコーヒー豆、ピスタチオ、ドライフルーツといった品はもはや「贅沢品」になり、買い控えるようになっていった。 奪われる生活の楽しみ  地元の人たちの物価の高騰に対する怒りや不満が相当に高まってきていると感じたのは、貧困層が多く暮らすテヘラン南部の住宅街を訪れた時だ。細長い道路が伸びる路地裏の一角にある工房から、焼きたてのパンの香りが漂ってきた。ラバーシュと呼ばれる薄い生地のパンで、イランでは食卓やホテルの朝食によく出る。 パン工房  しかし、こうした日常の食べ物も例外なく値段が上がっている。原料である小麦そのものの価格が急騰しているのだ。ロシアがウクライナに侵略をはじめたあとに小麦の供給量が世界的に減ったことも影響しているとみられる。イラン政府はこれまで、小麦の輸入業者やパン製造業者に補助金を割り当てていたが、2022年4月下旬にいきなり打ち切ると発表した。      政府は理由について、補助金によって割安になった小麦が密輸出され、不当な利益を得ている業者がいるためだと説明したが、実際は制裁の影響による財政難が原因だと多くの国民は見抜いていた。補助金が削られると、パンやパスタの店頭価格は一気に3倍へ跳ね上がった。  パン工房から歩道に出てきた主婦サウアズ・ヘイリ(28)は、8歳の長男と5歳の長女を連れていた。 「節約してどうにかやりくりしています。状況がこれ以上悪くなれば、生活は必ず行き詰まります。子どもたちの将来が心配です」  食費を確保するため、外食や家族旅行といった楽しみを我慢し、子ども服の買い替えを控えているという。生活の楽しみを奪われ、子どもの未来も安心できない様子だった。 欠品だらけの医薬品  我慢や節約で済まない状況があると思い知らされたのは、私の家族が病気になった時である。新型コロナウイルスの流行がやや落ち着いた2022年3月27日、私は妻と7歳になる長女、1歳7カ月を過ぎた長男をテヘランに呼び寄せた。  ところが、長男は地元の保育園へ通園をはじめてから3日目の夜に発熱し、39.5度まで上がった。翌日以降、長男は空腹を訴えている割におかゆやスープを作ってもほとんど口にせず、下痢もするようになった。私と妻の心配は限界を超えた。発熱から4日目の朝、総合病院のデイ・ホスピタルに連れて行った。薄暗い廊下の壁に沿って置かれた長いすでは、高齢者のほか、保護者に抱かれた赤ちゃんがずらりと待っている。 デイ・ホスピタル    ようやく案内された診療室で問診を受けるも、英語でうまくやり取りできず、長男の様子は医師に正しく伝わらなかった。触診では、ベッドに横にさせた長男の腹部を数秒なでた程度だった。医師は「一般的な風邪ですね」と診断し、計3種類の解熱剤と整腸剤を処方すると説明した。机の上にあったメモ用紙を手に取り、ボールペンで薬の種類を書いてスタンプを押す。「こんな簡単なメモが処方箋か」とげんなりしつつ、その紙切れを院内の薬局に出した。  落ち込んでいた気分は絶望感に変わる。シロップの整腸剤は在庫がなかったのだ。病院の外に出て別の薬局を探す。目に付いた店舗に入ってみるが、どこも在庫を置いていない。ようやく4軒目で処方薬を見つけられた。  後日、改めて薬局を取材で訪れると、販売員のカーベ・エスラムドスト(27)が言った。 「薬不足は常態化し、在庫が切れてもすぐに補充できません。やはり制裁の影響が大きいです」  本来、医薬品は人道上の観点から制裁の対象外ではある。ただ、外国の製薬会社は制裁を科されるリスクを極力避けようとするため、イランと取引するのを控える傾向が強いようだ。一方、国産の薬はあるものの、原材料の多くを輸入に頼っている。制裁のあおりを受けて国内の製薬会社も手元資金が少ないうえ、為替レートで通貨リアルの暴落もあり、原材料の入手が滞っていると聞いた。  病院を受診してから2〜3日が経ち、長男の体調は戻ったが、そのあとも、長男をはじめ、長女もたびたび、咳や下痢、発熱、体の発疹に悩まされることになった。  処方箋を出された時はそのたびに、薬局を2〜3軒まわってどうにか薬を手にできた。在庫がなく、処方薬とは異なる別の薬を渡されたこともあり、薬を得られないかもしれない不安や恐怖は常に消えなかった。
貸し渋られる「高齢者」をターゲットに利益を出す大家は何が違うのか 「高齢者リスクはほぼ外部サービスで解決できる」
貸し渋られる「高齢者」をターゲットに利益を出す大家は何が違うのか 「高齢者リスクはほぼ外部サービスで解決できる」 高齢者への住宅賃貸はリスク…という認識は変わっていくかもしれない。画像はイメージ(GettyImages)    近年、社会問題となっているのが、高齢者が賃貸住宅への入居を拒否される「貸し渋り」だ。貸主の大家が、孤独死や家賃滞納のリスクを懸念して嫌がるケースが目立つ。だがその反面、高齢者を積極的に受け入れ、利益もあげている大家もいる。そうした大家に実態を聞くと、高齢者へのさまざまな懸念は、ただの思い込みという側面も見えてくる。  *  *  *  総務省によると、65歳以上の1人暮らしの高齢者は、2040年には約900万人に増えるとされる。  また、国立社会保障・人口問題研究所が今月公表した推計によると、2050年には、国内の全世帯に占める1人暮らしの割合が44.3%となり、このうち65歳以上の高齢者が半数近くに達する。身寄りのない独居の高齢者が急増する見通しだ。   年を取れば体力は衰える。持ち家が広すぎて持て余すなど、より暮らしやすい物件に住みたいと考え、賃貸住宅を探す高齢者はどんどん増えることが予想される。   だが、65歳以上の顧客を専門にする不動産会社「R65」がこのほど、全国の賃貸オーナー500人に対して行った調査では、「高齢者を積極的に受け入れている」と答えたオーナーは19%にとどまり、「受け入れていない」が40パーセントを超えた。 ただ一方で、高齢者を積極的に受け入れている貸主もいる。  「高齢者だとリスクがある、問題が起きる、というのは、勝手なイメージだと思います」   そう話すのは、関西で父親の跡を継いで大家業をしている神吉(かんき)優美さんだ。 家賃の滞納はめったに起きない   神吉さんの家族は複数の集合住宅を所有しているが、入居者の半数以上が65歳以上の高齢者だという。ずっと住み続けて高齢になった人もいるが、毎年十数人の高齢の新規入居者を受け入れてきたという。  「結婚して子どもを育て、その子どもが独立して家を出て、その後、夫や妻と死別してひとりになったという方もいますし、入居する時点ですでに高齢の方もいます。新規入居の方で最高齢は89歳の男性でした」(神吉さん、以下同)   神吉さんは、高齢者を受け入れるにあたって、どのような工夫をしているのか。   まずは家賃滞納への備えだが、神吉さんは入居する条件として、家賃滞納があった際に、それをカバーしてくれる保証会社との契約を必須にしている。   と言っても、高齢者の滞納が目立つからではない。逆に高齢者は年金暮らしで収入が安定しており、身の丈にあった生活をしているため、滞納はめったに起きないという。認知症になって支払いができなくなったときのリスクを回避するためだ。  「家賃滞納に関しては、高齢者より、リストラや仕事をやめたりして収入が一気に減る可能性のある若い世代の方が、リスクがあると感じています。保証会社の方と話しても、滞納は若い世代の方が目立つと聞きますね」  そして、大家が最も懸念するのは孤独死だろう。特に発見が遅れた場合、大家にも心理的負担が生じるし、特殊清掃に大きなお金がかかるためだ。 唯一の懸念は「認知症」   ただ、神吉さんはそのリスクにも懐疑的だ。見守りサービスの利用や、清掃費をカバーしてくれる保険が販売されており、事前に取れる対策はある。   そもそも、高齢者は日中、家にいるため、大家や管理人は接点を持ちやすいというメリットがある。介護サービスを利用している人も多く、人との「つながり」によって、万が一の時にも早期発見につなげることができる。  「高齢者だから発見が遅れる、というのは事実ではないと思います。ただ、人とのつながりがなく、介護サービスも受けずにずっと家にいる1人暮らしの高齢者は、発見が遅れるリスクがあります。自分は大丈夫だと思わず、介護サービスは積極的に受けてほしいです」   入居者が亡くなった際には「残置物」の処分をどうするかという問題もある。だがこれも、処置の手続きや費用を保証してくれるサービスがある。残置物を円滑に処分できる「モデル契約条項」も国土交通省と法務省が示しており、備えさえしておけば大家の負担は少ない。   神吉さんが唯一、強く懸念するのは入居者が認知症になった場合だ。「大家だけでは限界があります。地域包括支援センターと大家が協力して対策を取っていくことが重要で、その体制を充実させていく必要があると考えています」   神吉さんが高齢者を受け入れるのは単なる「善意」ではない。利益もしっかり確保している。高齢者は次の物件探しが難しいため、長期の入居を望む。滞納や“夜逃げ”もなく、安定した賃貸経営につなげやすいのだという。 大家との関係性が「見守り」につながる   安定的な経営のためには、高齢者との関係づくりも重要になる。神吉さんは管理している物件に出向き、入居者たちとの交流に努めている。旅先で大量に土産を買ってみんなに配ったり、世間話をしたり、その関係性が「見守り」につながる。   さらに、高齢者たちの社会参加や生きがいづくりにも取り組んでいる。物件の近所の清掃活動をはじめ、特定の入居者に、ごみ集積場で分別をチェックする役割を任せたりもしている。いずれもボランティアではなく、働いてもらっただけの賃金をちゃんと支払う形だ。役割があることで、高齢者が生き生きすることを実感している。  「現代における、下町的な人間関係をつくっていきたいと思っています」   さまざまな人間が暮らす集合住宅。問題が発生することもある。   それでも、神吉さんはこう思いを語る。  「認知症を除けば、高齢ゆえのリスクは少ないと感じています。人間、誰もが年を取りますよね。勝手なイメージを作って、それを理由に高齢者の排除を続けるのは良いことではないと思います」   親や自分が老いて一人になったとき、賃貸に移り住むという選択肢があった方が、暮らしやすい老後につながることは間違いないだろう。 (國府田英之)
雅子さま園遊会で見せた「皇后の品格」の装い デビューの愛子さまとリンクコーデは?
雅子さま園遊会で見せた「皇后の品格」の装い デビューの愛子さまとリンクコーデは? 春の園遊会での天皇、皇后両陛下=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA)  天皇、皇后両陛下主催の「春の園遊会」が23日、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれた。今回が「園遊会デビュー」となった長女愛子さまを見守る母・雅子さまの装いについて、皇室の装いに詳しい専門家は「皇后の品格」があったと称賛する。そして、雅子さまと愛子さまがおそろいの場となれば、おふたりで装いを合わせる「リンクコーデ」も注目された。今回の園遊会では? *   *   *  園遊会での愛子さまの装いは、淡いピンク。園遊会デビューらしさがあふれる、フレッシュな気品があった。 園遊会デビューの天皇、皇后両陛下の長女愛子さま。淡いピンクのスーツにフレッシュな気品が=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、JMPA  一方、愛子さまの母親である皇后・雅子さまの装いについて、皇室の装いに詳しい歴史文化学研究者の青木淳子氏は「皇后の品格がありながらもスタイリッシュ」と称賛する。 「雅子さまは、遠目には白にも見える淡いペパーミントグリーンのスーツでした。光沢のある生地で、薄曇りのお天気でも、周囲をパッと明るく照らす効果があったと思います。襟の後ろは首元に沿い、前部分はヘチマカラーのように、自然に開いた形で、お顔が引き立ちます。襟先が尖っており、シャープさがあります。丈は短めで、スカートはほぼまっすぐな、タイトスカート。皇后の品格がありながらも、雅子さまらしいスタイリッシュな装いです」 雅子さまのスーツはいつもスタイリッシュ! 颯爽とした中に上品さもある=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA)  雅子さまは、こうしたスタイリッシュなスーツが本当によくお似合いだ。  青木氏が思い出したのは、2023年6月、即位後初となる国際親善のためにインドネシアを公式訪問されたときの雅子さまのスーツだった。 「今回のスーツは、インドネシアのボゴール植物園を訪問された時にお召しになっていたものと、よく似ていますね」 【愛子さまの園遊会での装いの解説はこちら】 愛子さまの園遊会デビューは「遊び心」パール 清楚でフレッシュな気品にあった装い https://dot.asahi.com/articles/-/220686  スタイリッシュとはいえ、帽子や装飾品によって、とても上品にまとまっているという。 「雅子さまの帽子は、上が平たくカプリーヌ型のつばの狭いデザインです。目深に被っていらっしゃるので、スマートな印象です。また、イヤリングとネックレスは、定番の大ぶりのパールのネックレス。優雅に、かつ上品にまとまっています」 スタイリッシュでありながら上品にまとまっている雅子さまの園遊会でのスーツスタイル=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、JMPA  フレッシュで端正な気品の愛子さま、スタイリッシュで優雅な上品さの雅子さま、どちらも素敵だ。 雅子さまと愛子さまにリンクは?  雅子さまと愛子さまがお揃いのときは、装いの色味やフォルムに似たところがあり、「リンクコーデ」などと称される。今回の園遊会では、何かあったのだろうか。 春の園遊会で赤坂御苑の三笠山に並んだ天皇、皇后両陛下、秋篠宮ご夫妻、愛子さま=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA) 「今回の雅子さまと愛子さまの装い、デザインなどの細部を見ると、特にリンクする部分はありませんが、雅子さまのペパーミントグリーンと愛子さまのピンク色の相性が良く、おふたりとも同じように淡いトーンを選択されたところに、調和と親和性を感じました。  そして、おふたりに共通していたのが、お話をする相手を見つめる真摯なお姿と笑顔。相づちされたり、お辞儀されたりする様子もうかがえました。お招きされた方々も、おふたりの明るく気品ある装いと、相手を大切にする自然な動作と笑顔に、魅了されたのではないでしょうか」 愛子さまの園遊会デビューは笑顔であふれていた=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、JMPA  雅子さまと愛子さまの笑顔のリンク。愛子さまの園遊会デビューは笑顔に包まれていた。その笑顔がまた私たちを笑顔にしてくれるのだろう。(AERA dot.編集部・太田裕子) 〇青木淳子/歴史文化学研究者、学際情報学博士(東京大学)。元大東文化大学特任准教授(2020年3月任期満了にて退職)、現在、大東文化大学・フェリス女学院大学・実践女子大学・学習院女子大学非常勤講師。日本フォーマル協会特別講師。著書に『パリの皇族モダニズム』(KADOKAWA)、『近代皇族妃のファション』(中央公論新社)など。大学卒業後婦人画報社(当時)にて、『美しいキモノ』特集号、『結婚の事典』の編集を担当。
愛子さま初めての園遊会 「とてもいい方に恵まれて」雅子さまが明かした近況と北大路欣也さんとの思い出話
愛子さま初めての園遊会 「とてもいい方に恵まれて」雅子さまが明かした近況と北大路欣也さんとの思い出話 春の園遊会に出席した天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA)    23日、東京・元赤坂の赤坂御苑で天皇、皇后両陛下主催の「春の園遊会」が開かれた。愛子さまは初めての出席で大いに注目を集めた。招待者の北大路欣也さんとの歓談の中で、雅子さまは愛子さまの近況を明かされた。   *   *   *    今回、園遊会に招待されたのは、文化功労者に選ばれた俳優の北大路欣也さん(81)、マンガ家の里中満智子さん(76)、現代美術家の横尾忠則さん(87)や、Jリーグ創設などに尽力し文化勲章を受章した元日本サッカー協会会長の川淵三郎さん(87)など、各界の功労者とその配偶者で、およそ1400人が出席した。    招待者の中でピンマイクをつけたトップバッターは北大路欣也さん。天皇陛下と皇后・雅子さまとの歓談は、スタートから大いに盛り上がった。 春の園遊会で俳優の北大路欣也さんと話す天皇、皇后両陛下=4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA)    ひげをたくわえた北大路さんは「役のうえでのひげですので……」と失礼をお詫びするように話しかけると、天皇陛下も雅子さまも笑顔に。   「今日も愛子さまとは、その話をしようと」と北大路さんがいう「その話」とは映画『HACHI 約束の犬』のことだ。    2009年7月31日、愛子さまは、忠犬ハチ公を題材にした不朽の名作『ハチ公物語』(1987年)をハリウッドでリメイクした『HACHI 約束の犬』のチャリティー試写会をご一家で鑑賞された。   愛子さま初めての映画の思い出    愛子さまにとって、映画館で映画を鑑賞されるはこのときが初めて。    ドキドキワクワクの愛子さまの様子を北大路さんは、「秋田犬が感情を表現する場面で、何度も何度も前に顔を乗り出してご覧になっていました。時々、妃殿下(当時)がご説明をなさっていて、それにうなずきながら観ておられました」と、のちに語っていた。雅子さまは映画の後半では涙ぐまれる姿が見受けられたそうだ。愛子さまにとってはもちろん、ご一家にとっても思い出の作品だろう。 【こちらも話題】 「お一人で」「初めて」の愛子さまに魅入られるのはなぜ? マナーのプロが感嘆したお辞儀と「はい」 https://dot.asahi.com/articles/-/220230 映画「HACHI 約束の犬」親子チャリティー試写会に出席する(当時)皇太子ご夫妻、愛子さま=2009年7月、東京・有楽町 代表撮影    愛子さまと北大路さんとは15年ぶりの再会。雅子さまはすかさず「懐かしく、昨日もその話をしていました」と北大路さんに話しかけた。    歓談の最後に、北大路さんが「愛子さま、ご卒業、就職、おめでとうございます」と改めて天皇陛下と雅子さまに伝えると、天皇陛下が「ありがとうございます」というのに続けて、雅子さまは心をほぐしたように「ありがとうございます」と。 春の園遊会に出席した天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA)   「本当に大変だと思いますけど、頑張っていただきたい」と北大路さんが続けると、雅子さまが、愛子さまの近況を明かした。   「仕事では、周りの方にとてもいい方に恵まれて。楽しく、優しく教えていただいています」    と、雅子さまは“母の顔”を見せた。北大路さんは柔らかな表情で「そういう出会いは一番大切ですね」と何度も頷いて、語りかけた。    園遊会はピンマイクを付けた招待者と天皇陛下、雅子さまの会話が編集なしで聞ける貴重な機会だ。北大路さん夫妻と天皇陛下、雅子さまの会話は、15年前の愛子さまを思い出しながら、その成長を共に喜ぶような心が温まるものだった。    北大路さんが語りかけた「出会いの大切さ」といえば、愛子さまは2日に「日本赤十字社御就職に際しての文書回答」にこうつづられている。   「心を動かされる出会いというと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私にとっては、これまでの出会い全てが心を豊かにしてくれたかけがえのない宝物であり、深く感謝しております。これからも様々な出会いに喜びを感じつつ、一つ一つの出会いを大切にしていきたいと思います」    初めての園遊会に出席された愛子さま。今回もきっと、ひとつひとつの出会いを大切に胸に刻まれたことだろう。(AERA dot.編集部・太田裕子)   【雅子さまの着物姿が話題になった昨春の園遊会はこちら】 【写真特集】雅子さま、佳子さまの「美の競演」に魅入る…5年ぶり開催の2023年春の園遊会 https://dot.asahi.com/articles/-/219942   【こちらも話題】 愛子さま「休日」を満喫! サーモンピンクのスカートでスマホを片手に、青春の学習院キャンパスで「女子トーク」 https://dot.asahi.com/articles/-/220350
「精子提供」で人生は激変、男性(33)は仕事を辞めた 「子どもの出自を知る権利」とどう向き合うか
「精子提供」で人生は激変、男性(33)は仕事を辞めた 「子どもの出自を知る権利」とどう向き合うか 2022年12月、自身の提供精子で生まれた5歳と3歳の女の子と。ドナーとして道義的責任を果たしたいという(オーストラリア、キャンベラ/ディランさん提供)  大学時代の精子提供で、子どもが100人近くいることがわかった男性(33)がいる。9カ月前、ディラン・ストーン=ミラー(以下、敬称略)はソフトウェアエンジニアの仕事を辞めた。自分の精子で生まれた子どもたちに会うために、バンに乗り、アメリカ全土を3カ月旅した。 *  *  * 【中編から続く】 33歳白人男性「私の精子でぼろ儲けしたのです」 子ども97人、彼の精子はなぜ「大人気」だったのか https://dot.asahi.com/articles/-/220250 【前編から読む】 【独占告白】「私の精子から97人子どもが生まれた」 米国人男性(33)が告発する精子バンクの実態 https://dot.asahi.com/articles/-/220249 「父親」という存在の重要性  ディランが「父親」として責任を果たそうとするのには、子育てをした経験も関係している。 「私には前妻がいますが、彼女が前の結婚でできた男の子を連れてきました。その子どもが2歳から7歳になるまで5年間一緒に育てた経験があります」  この5年間が、ディランに父親の存在の重要性を教えてくれた。  だが、1人の男性から100人近い子どもが誕生している現状を、どう捉えればいいのか。 91%の子どもが望むこと  ディランが実際に直接会った母親たちに聞くと、ほとんどの人が「1人の男性から誕生する子どもは10人である」と精子バンクから教えられていた。  ディランは当時2021年3月の時点で77人の子どもがいたが、その事実を母親たちに伝えたのはディランだ。今も、最新の人数を伝え続けている。 「生まれた子どもの母親の半分以上は連絡してきませんが、子どもが18歳になって、精子バンクに連絡すると私の個人情報がわかるようになっています。子どもの出自を知る権利はすこぶる重要です。提供精子や卵子で生まれてきたいわゆるdonor conceivedの人の91%はドナーと何らかの関係を持ちたいという研究結果があります」  つまり8~10年も経てば、子どもたちの多くが18歳になるので、ディランに会おうとする子どもや母親がさらに増えるということだ。 「子どもの人生に私を含めるかどうか。含めるとしたらどのように含めるかは母親次第です」  母親がそう選択した場合、子どもはディランのことをどう呼ぶのか。 「家族によって呼び方が異なります。最も多いのはDonor Dylanで、その次がファーストネームのDylanです。私をDadと呼びたい子どもが増えています。その理由のひとつは、父の日に学校で父親に渡すカードを作るからです」 2023年5月、2歳の男の子と(ジョージア州アトランタ/ディランさん提供) ドナーとしての道義的責任  ディランは、各母親と相談し、子どもに直接会う頻度や電話やビデオコールする頻度を決めている限り、自分を子どもの好きなように呼ばせることは問題ないと思っている。  しかし、これだけの数の子どもがいると、「それぞれの期待に応じること」がフルタイムの仕事になってしまう。実際、彼は仕事を辞めた。 「アメリカでは毎年ドナーが介入して生まれる子どもは3万~6万人います。その家族とつながり、子どものニーズをできるだけ満たすことは、私のドナーとしての道義的責任だと考えています。感情的責任でもあります。精子提供で生まれた子どもが遺伝上の父親に会えないような社会は、許されるべきではない」  だが、ディランは自分の精子で生まれた子どもの家族との関係を、どう位置づけるべきかで呻吟(しんぎん)した。セラピストにも相談したし、精子バンクの社内カウンセラーにも相談したが、いいアドバイスはもらえなかった。 スプレッドシートで管理 「これだけ、遺伝子上の自分の子どもがいると、精神状態を維持するのは極めて難しい。私の心は子どもの数と同じだけの数の方向にただただ引っ張られている状態です。フェイスブックを見ると、あの子は今病気だとか、腕の骨を折ったとか、わかります。それぞれの子どもに愛情を感じているので、子どもの状況を知るたび、精神的に消耗してしまう」  ディランはスプレッドシートを作って、各家族からの要求や期待を記入している。 「スプレッドシートにはそれぞれの家族とのコミュニケーションの頻度、どう呼ばれているか、何を期待されているかなどを細かく記入しています。でないとうっかり間違った表現を使って子どもを傷つけることが起こるかもしれない。それは許されないことで、考えるだけで精神的に疲れます」 ディランさんが作っているデータベース(https://www.dcpdata.org/)。ここからわずかだが収入も得ているという インターナショナルデータベースをつくる  子どもが妥当な数であれば、こうしたやりとりは「純粋に心を豊かにする充実した経験になることは間違いない」とディランは考えている。子どもの数が多すぎる今は、子どもにアンフェアであると感じる。子どもに接する時間が非常に限られるからだ。  子どもの多くは毎週ディランと電話で話したいと思っているという。 「もし私が一人一人の子どもと毎週電話で話すとしたら、文字通り毎週46時間を費やすことになってしまいます」  現在、自分のプログラミング能力を使って、donor conceivedの子どものためのインターナショナルデータベースを構築する会社を作ろうとしているところだ。 普通の生活が困難になった 「子どものことが気になりすぎて、ソフトウェアエンジニアの仕事に集中できなくなりました。素晴らしい仕事でしたが、常に多くの子どもが脳の片隅で走り回っている状態で、普通の生活をするのが困難になったんです」  精子提供を始める前に、「子どもがたくさんできることがどれほど大変なことになるのかを精子バンクに説明してほしかった」と怒りを込めて話す。  学生時代の彼は、学費のため、精子バンクに言われた「人助けになる」という理由だけで、「軽々しい気持ちで提供していた」からだ。 年齢を25歳に引き上げるべき  ディランは、すべての精子バンクに、「提供できる年齢を最低25歳に引き上げること」を提案したいという。その年齢であれば、学生に比べて金銭が動機になりにくい。また、ドナーのスクリーニングももっと厳格にすべきだという。  精子提供をすることがどれほど重大で、大きな覚悟が必要か。「自分の子どもがどんどん増えていくことがどういうことか、十分理解していなければ精子提供をすべきではない」とディランは言う。 「精子バンクの存在や精子提供に反対しているわけでは決してありません。でも提供者が20歳では若すぎて、事の大きさを理解することはかなり難しいと思います」 ディランさんは日本の生殖補助医療の状況を疑問視する(撮影/大野和基) 日本の生殖補助医療の状況を疑問視  日本では今、超党派議員連盟「生殖補助医療の在り方を考える議員連盟」で、精子提供に関わる新たな法整備についての議論が進められている。だが、子どもの出自を知る権利を完全に保障することは認められず、さらにレズビアンカップルやシングル女性が日本国内の医療機関で提供精子を使った生殖補助医療を受けることが禁止される見通しといわれている。  ディランは日本の状況について、「家族観は近年大きく変わり、どのような形で家族をつくるかを法律で制限すべきではない」と疑問視する。筆者もディランの考えに大賛成だ。 「結婚は続かないことが往々にしてありますが、親であることは終わることはありません。いかなる形であれ、親が子どもを持つ権利を法律で禁止するのはおかしいです」 1人の精子から生まれる人数に制限を  第二、第三のディランはすでにいる可能性があるし、これからも現れる可能性がある。ザイテックスでドナーのリクルーターを担当するローレイン・オケリー氏は、こう明かす。 「我々の精子バンクのドナーの73%は〈オープンID〉を選んでおり、昔と比べてかなり増えました。2つの理由があると思います。ひとつは〈オープンID〉を選んだほうが1回の提供でもらえる金額が大きいこと。もうひとつは遺伝子検査が安価でできるため、Donor-conceived children(AIDで生まれた子ども)が、自分と(育ての)父親が遺伝上つながっていないことが簡単にわかる可能性が高いことです」  ディランは強い口調で言う。 「『1人の男性の精子から生まれてくる子どもの数のリミットをもうけよ』と精子バンクに何回も言いましたが、聞く耳をもってくれませんでした。精子は精子バンクの商品であり、一度提供した精子は精子バンクのもので、私の権利はないと言われたのです」  新しい生命が生まれることの重大さを、精子バンクは軽視しているのではないか。ディランの人生と子どもたちの人生がどうなるのかこそ、重視すべきではないのだろうか。 (ジャーナリスト・大野和基)  
「お一人で」「初めて」の愛子さまに魅入られるのはなぜ? マナーのプロが感嘆したお辞儀と「はい」
「お一人で」「初めて」の愛子さまに魅入られるのはなぜ? マナーのプロが感嘆したお辞儀と「はい」 4月10日、愛子さまが「初めて」明治神宮を参拝された。このときも堂々として気品にあふれていた=2024年4月10日、東京・明治神宮、代表撮影  最近、「お一人で」「初めて」というワードとともにニュースになることが多い天皇、皇后両陛下の長女愛子さま。しかし、伊勢神宮や明治神宮の参拝などでは堂々として、かつ気品にあふれた姿を見せ、注目が集まった。愛子さまの姿や所作からは深い心配りが感じ取られ、マナーのプロも感嘆するものだったという。 *   *   *  愛子さまは10日、明治天皇の皇后、昭憲皇太后が亡くなってから11日で110年となるのを前に、東京・渋谷区の明治神宮を参拝された。  ゆっくりと本殿に向かう愛子さまの姿は、堂々としていながら、品格があり、柔らかさもまとった落ち着いたものだった。  そんな愛子さまの姿に対して、大手企業のマナーコンサルティングやNHK大河ドラマ、映画などでのマナー指導も手掛けるマナーコンサルタントの西出ひろ子氏は「全ては内面がにじみ出ている」と称賛する。 伊勢神宮内宮に参拝する天皇、皇后両陛下の長女愛子さま。「お一人で」は初めての参拝だった=2024年3月26日、三重県伊勢市、代表撮影 「愛子さまは伊勢神宮参拝のときも今回も、姿勢が頭頂から腰までを真っすぐにしていらっしゃいます。その姿勢は自然でありながら、軸が本当にしっかりしていらっしゃいます。  マナーの観点から頭頂から腰までが真っすぐである姿勢は基本ですが、その姿勢を保つにはおへその下あたりに意識を持っていくことが大事なことだといわれています。そうあろうとする気持ちがないとよい姿勢を保ち続けることは難しいことです。伊勢神宮ご参拝のときもそう思いましたが、愛子さまの姿勢は内面からの表れと感じます」   所作だけを取り繕うのではなく  その内面から出てくるものが、私たちの心にも響くのだろう。 「愛子さまからは、所作だけを覚えたとか、形だけを取り繕っているという印象を受けません。相手の立場に立ち、相手を思いやる心があるというマナーの基本が徹底されている印象です」 【こちらも話題】 愛子さま伊勢神宮で見せた「本物の笑顔」 天皇陛下と雅子さまから受け継ぐ「内面からのオーラ」とは https://dot.asahi.com/articles/-/218350  それがよく表れていたのが、明治神宮参拝での愛子さまの「はい」という返事とお辞儀だという。 「愛子さまが奉迎車から降りられて、宮司などの関係者に挨拶をなさり、お話の途中で『はい』と返事をされていらっしゃるのが映像からわかりました。音声は聞こえなくても、笑顔でそれがはっきりと伝わるほどの対応は、愛子さまの素直さであったり、相手を立ててきちんと従う気持ちの表れからでしょう」  そして、明治神宮の参拝で最も驚いたのが、愛子さまの完璧なお辞儀だったと話す。 「私たちも知っている二礼二拍手一礼という参拝の作法がありますが、こちらは、二拝二拍手一拝とも言われます。『神社祭式同行事作法解説』(神社本庁刊)に書かれております敬礼の区別として、『拝』は上体を90度前傾する深いお辞儀のことです。愛子さまは、本殿で『拝』のお辞儀をなさり、御玉串を玉串立に立てて奉られました。  マナーの研修で、この90度の深いお辞儀の練習もするのですが、みなさん膝裏が痛いというほどの姿勢です。愛子さまは、背をまっすぐになさった本当に美しい90度の拝礼をなさっていらっしゃいました」 ケニアのルト大統領夫妻との午餐(ごさん)に臨む皇后さまと天皇、皇后両陛下の長女愛子さま。午餐に参加するのもこのときが「初めて」。宮殿の部屋に入られるときも、配慮のある心を込めた会釈をされていた=2024年2月9日、皇居・宮殿「連翠」、代表撮影   愛子さまの配慮あるお辞儀  この深いお辞儀以外にも、愛子さまの配慮あるお辞儀が何度も見られたと、西出氏は指摘する。 「90度前傾する深いお辞儀以外にも、一般的にいわれる会釈は上体を15度ほど傾けるとされています。明治神宮参拝でも愛子さまが会釈をなさる場面は何度もありました。  お辞儀はその状況などに応じて種類があり、それぞれに前傾する角度が異なります。そしてお辞儀も相手への敬意からなる所作ですから、その気持ちを表現するためには、同じ会釈でも相手よりも深くお辞儀をしようとする心理がはたらきます。愛子さまは自身が深くお辞儀をしてしまうと、相手はそれ以上に前傾しなければならないことに配慮され、お辞儀の角度も考えられていらしたとお見受けいたしました。  だからといって、形だけ浅くお辞儀すればいいというものではなく、一回一回のお辞儀をどなたに対してもとても丁寧におこなっていらっしゃいますから、深くお辞儀をなさっていると感じます。このような点も愛子さまはさすがでいらっしゃり、常に気持ちを込めてひとつひとつの動作を日頃からおこなっていらっしゃることをうかがい知ることができます。今回、愛子さまのお姿を拝見して、相手を敬う気持ちからお辞儀をする大切さをあらためて感じました」  ニュース映像などで伝えられる愛子さまの堂々とした姿に驚かされる理由は、その内面にあるのかもしれない。(AERA dot.編集部・太田裕子) 【こちらも話題】 愛子さまが明治神宮に参拝 ご愛用の「11粒の真珠のブローチ」と清廉な白のドレスで捧げた祈り https://dot.asahi.com/articles/-/219586  
交際期間18年、仕事も一緒 結婚にこだわっていなかった2人が結婚した理由とは
交際期間18年、仕事も一緒 結婚にこだわっていなかった2人が結婚した理由とは 北川剛之さん(右)と豊島愛さん(撮影/写真映像部・東川哲也)    AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2024年4月22日号では、デザイナー・イラストレーターとして夫婦でユニットを組む北川剛之さんと豊島愛さん夫婦について取り上げました。 *  *  * 夫38歳、妻39歳で結婚、2人暮らし。 【出会いは?】大学に通うかたわら学んでいたデザイン学校夜間部の同級生。 【結婚までの道のりは?】交際期間は18年。約10年の同棲期間を経て結婚。 【家事や家計の分担は?】食事作りは基本的に週替わりの担当制。洗濯は各々。掃除はお互いが気づいたときにしていて、床はルンバが担当。生活費は折半し、自分が欲しいものは各々のお財布から。 夫 北川剛之[49]キットデザイン株式会社 代表取締役/デザイナー・イラストレーター きたがわ・たけし◆1975年、大阪府生まれ。97年、追手門学院大学、大阪デザイナー専門学校卒業。フリーランスでイラストレーターとして活動後、愛さんとユニットを組み、同時にデザインの仕事も開始する。2013年、キットデザイン株式会社を設立。業務は経営の他にグラフィックデザイン全般の制作  妻は裏表がほとんどなくて、この人は何を考えているのかわからないみたいなことがありません。そういう意味では、喜怒哀楽がダイレクトに伝わって付き合いやすい。それが悪い方向に出て、どうしたらいいのかなという時もありましたが、それを何回も繰り返しているうちに、こういう時はこうすればいいっていうのが分かってきて年々お互いの関係が穏やかになっています。  一緒に暮らして仕事もしていますから、そこで険悪になるとプライベートにも響きます。そうならないために仕事部屋を別にしたことが良かったと思います。一緒の空間にいるけれども常に一定の距離感があるので、お互いに干渉しなくなりました。そもそも仕事以外でケンカすることがないので、それがなくなっただけで険悪になることはだいぶ減りましたね。  今までお互いに仕事、仕事という感じでした。今後は少しペースを落として、お互いが楽しめるようなものを2人で見つけていければいいですね。 【あわせて読みたい】 大谷妻「真美子さん」のロールモデルに? 夫・長友を支える「平愛梨」の“メンタルモンスター妻”っぷり https://dot.asahi.com/articles/-/220007?page=1 撮影/写真映像部・東川哲也   妻 豊島愛[50]キットデザイン株式会社/デザイナー・イラストレーター とよしま・あい◆1973年、奈良県生まれ。97年、立命館大学、大阪デザイナー専門学校卒業後、デザイン系会社に就職。独立後、剛之さんとユニットを組んで活動開始。2013年、キットデザイン株式会社を設立。グラフィックデザインやイラストだけでなく、自治体や会社などのキャラクターデザインも手掛ける 交際期間は18年。同棲もして一緒に仕事をしていましたから、特に結婚にこだわってはいなかったんです。なぜ結婚したかというと、ちょっとケンカしたときに別れようかと思う時がある。でも本心では別れるわけないと思っているわけです。それがいちいちめんどくさくて、結婚したら簡単に別れようなんて思わなくなるだろうから、結婚しようかと(笑)。  私は卒業後に一度会社員になりましたが、夫はいきなりフリーになりました。マスコミ電話帳を見て片っ端から電話して持ち込みするなど、とても行動力がある。私とは違うなとは思ったけれども否定的な感じはまったくなくて。当時は、それでやっていけるのかという不安も多少はあったけど、私も若かったから能天気だったかもしれません。  出会ったときからずっと、笑いの感覚が合って、いつまでも楽しく話していられる人なんです。野球好きなのも同じです。どうか、健康で長生きしてください。私も健康でいられるように頑張ります。 (構成/編集部・三島恵美子) ※AERA 2024年4月22日号
ソウルとは一味違う韓国グルメを釜山で満喫! 伝統や地元文化を超えた食の多様性を楽しめる港町
ソウルとは一味違う韓国グルメを釜山で満喫! 伝統や地元文化を超えた食の多様性を楽しめる港町 韓国第2の都市である釜山には、デジクッパを始めとした名物も、釜山の食材を生かした各国の料理の名店もある(写真:ミシュラン提供)    韓国最大の港町・釜山。海の幸も豊富で名物料理もたくさんある韓国グルメの台所だ。今年初めてミシュランガイドの対象都市にもなった釜山で食を堪能した。AERA 2024年4月22日号より。 *  *  *  韓国グルメやコスメを求めてソウルに行ったことは何度かあった。だが、ソウル以外の都市には行ったことがない。そこで、新鮮な魚介類が手に入る港町であり、韓国料理のおいしいグルメ都市・釜山に飛んだ。  釜山は韓国の南部にあり、ソウルから高速鉄道で約3時間。福岡からも高速船で3時間40分、成田空港からは飛行機で2時間ちょっとで行ける。人口は約330万人でソウルに次ぐ韓国第2の都市。ガイドのイ・ドヨンさんは、大阪と似ているところがあるという。 「方言もありますし、釜山の人はソウルの人と比べて目立つタイプで面白いですよ」  しゃべりに勢いがあって、早口。そういうところに“大阪感”があるという。 「日本でいう京都のような歴史的な街にもアクセスしやすいのも特徴です」  釜山からバスで50分、特急だと30分で、慶州という世界文化遺産に登録されている寺院が立ち並ぶ古都にも行ける点も大阪と似ている。 そば粉100%の冷麺  韓国といえば冷麺。レストラン「Buda Myeonoak」(ブダミョンオク)で食べたのは、平壌(ピョンヤン)冷麺だ。日本でよく見る冷麺は、白くモチモチした麺だが、この店は茶色の麺で食べ応えがある。なんとそば粉100%なのだという。でも、日本のそばとは違う。かむと香ばしいナッツの香りがする。韓国牛のすね肉がベースのスープは、透き通ってまろやか。見た目だけではなく、味まで透明感があるような気がする。どうやってうまみを出しているのか、店主のイ・スハクさんに聞くと、こうコメントが返ってきた。 「韓牛は香ばしくコクがあります。肉の量を多めに入れて煮込み、時間をかけて冷やした肉のスープですが、さっぱりとしたうまみのために、野菜もたくさん入れて煮込んでいます」  匠のこだわりを感じさせる。麺の上に乗っていた牛肉のスライスは、さっぱりとしていながら、味がしっかり染みていた。赤いソースのビビン冷麺は甘辛で、コチュジャンのうまみを感じた。またリピートしたい! Buda Myeonoak/そば粉100%の平壌冷麺。日本で見る韓国冷麺とも、日本のそばとも違う。よくかむと香ばしいナッツの香りがする(写真:ミシュラン提供)   朝鮮戦争の歴史も影響  釜山の料理がおいしい理由をイさんはこう教えてくれた。 「釜山の特徴は、海、山、川、街が調和し、現在と過去、都市と漁村、農村が共存するところです。また、朝鮮戦争当時、臨時首都となり、韓国全域から多くの避難民が釜山に集まり、大都市に発展して、複雑で多様な文化と食べ物の歴史がつくられました。冷麺だけでなく、ミルミョン(小麦麺)、デジクッパなど釜山の郷土料理もこの時代の影響を受けました。ぜひ釜山にお越しになり、ダイナミックな釜山の文化と味をお楽しみください」  釜山名物の一つである、デジクッパも食べてみたい。デジクッパとは豚肉のクッパのこと。朝鮮戦争から避難した北部の人たちが伝えた料理だと言われている。韓国で一般的なクッパは牛肉で作る。豚肉のクッパは、ソウルでは味わえない釜山ならではの名物だ。レストラン「Anmok」(アンモク)は、デジクッパをアレンジした名店だ。店を訪れたが、閉店時間前にすでに売り切れ。店主のキム・クワンミンさんが後日、メールでコメントを寄せてくれた。同店では、前肢肉、すね肉から、食感も味もいい豚の頭の肉まで使って、36時間も煮込むという。 「当店の肉汁は、赤身がたくさん付いている前肢骨で作ることで、肉の出汁(だし)のさっぱりとした味と骨汁の淡泊さを同時に感じることができます」  スープにのせるソースは、タマネギ、ニンニクなど様々な野菜や海産物などうまみのある材料と焼き塩、韓国の汁しょうゆ(薄口しょうゆ)を煮込んで味を出しているそう。 混ぜて煮込むのが特徴  街を歩くと、チャガルチ市場という伝統的な魚市場があった。路上で、生のタコ、魚が机やザルの上で売られていた。都心ではなかなか見られない懐かしい雰囲気のある市場だ。  街の屋台では、海の幸が豊かな釜山ならではの名物「釜山おでん」があった。スープの味は、日本のおでんに近い。有名なのは、オムクと呼ばれる串に刺さった練り物。一口食べると、思ったよりジューシーで、コシがある。薄切りのさつま揚げのようなイメージで、蛇腹状に折りたたまれて串に刺さっていた。食べ応え十分だ。 Anmok/釜山名物の豚肉のクッパをアレンジした新しいクッパ。豚の頭の肉まで使って、36時間も煮込む。肉の食感を大事にしているという(写真:Anmok提供)    日本で見かける食べ物は他にもあった。屋台では、たいやきが売られていた。中身はあんこだが、型はフナだという。  そもそも日本と韓国の食文化の違いは何だろう。日本に32年間も住んだ経験のあるミシュラン韓国社長のジェローム・ヴァンソンさんはこう語る。 「日本食は素材、生を大切にしますが、韓国料理は調理して、混ぜて、煮込むのが特徴です。出汁が相まって、まろやかで、深い味わいになります」  韓国グルメの台所ともいわれる釜山。世界各都市の優れたレストランなどを紹介する「ミシュランガイド」でも、2月にリリースされたガイドアプリで初めて対象都市となり、43軒のレストランが選ばれた。同ガイドのインターナショナル・ディレクターのグウェンダル・プレネックさんは釜山の食文化のポテンシャルについて、こう話す。 「釜山は文化が混ざり合っています。ソウルの韓国料理に比べて、釜山料理はさらに多様性があります。釜山は、伝統や地元文化を超えて、世界に対してとてもオープンマインドです」 palate/現代的なフランス料理店。床から天井まであるガラス窓からは釜山の港湾の眺望を楽しめる(写真:ミシュラン提供)   韓国食材で会席料理  釜山の食材を生かした日本やイタリア、フランス料理の店もあるという。  訪れたのは現代的なフランス料理を提供するpalate(パレット)。床から天井まであるガラス窓からは、広々とした釜山の港湾を望める。  酸味が特徴的なパン「サワードウブレッド」の付け合わせは海藻のクリームで、釜山らしさがある。桜のような花びらの形のフランス菓子「クルスタッド」は、油でカリカリに揚げた生地の中にチキンクリームときのこパウダーが入ってスパイシー。花びらがあしらわれたラディッシュタルトは、幾重にも重なる軽い層と、玉ねぎと大根の甘みを感じて絶品だった。  今回は訪ねることはできなかったが、釜山に日本の会席料理店があると聞きつけて、シェフに話を聞いた。「日本料理 森」は日本で修業をしたキム・ワンギュさん(38)と妻の森美月さん(34)が2人で店を営んでいる。先ほどのpalateとともに、ミシュランガイド一つ星を獲得した。 「韓国の食材で日本の会席料理を作っています。魚は釜山の新鮮なサバ、のどぐろ、ハモなどを使っています。日本の海とは餌が違うのか、脂が乗っています」(キムさん)  基本的に韓国の食材だけで会席料理を作っていて、常に韓国全土で食材を探しているという。 Yulling/最高水準の韓牛を楽しめるダイニング。海雲台のビーチ沿いを歩いて店に入ると、オーシャンビューを楽しむことができた(写真:ミシュラン提供)   リゾート気分に浸って  釜山の街中で、寿司、ラーメン、焼き鳥の看板をたびたび見かけた。日本を代表する輸出品の一つでもある日本食だが、韓国では新たな局面を迎えている。 「日本料理といえばお寿司屋さんだと浸透していましたが、会席料理はここ2、3年で釜山でもようやく2、3店舗出てきた感じなんです」(森さん)  韓国ではみんなで大皿に盛られた料理を食べる食習慣のため、小さい器に盛りつけられた料理を一人ずつ食べるのは、あまりなじまないという。森さんは言う。 「また、会席料理は食材の味を引き立てる優しい味付けなので、韓国の唐辛子やニンニクを使ったパンチのある味と違って物足りないなど、理解されなかったと聞いていましたが、お店を始めて3年、来てくれたお客さまは、おいしいと言ってくれますし、日本に旅行に行く人が増えたことによって、会席というスタイルを好む人も増えてきたように思います」  海外の人が受け入れる日本食の幅は、確実に広がっていた。  釜山には、海雲台(ヘウンデ)という1.5キロ続くビーチもあり、リゾート気分に浸れそう。海東龍宮寺(ヘドンヨングンサ)という寺院は、海沿いにあって風が気持ちいい。 「買い物をするソウルに対して、ゆっくり落ち着きたい人は釜山がおすすめですよ」(森さん)  連休や夏の旅行先に釜山はいかが?(編集部・井上有紀子) ※AERA 2024年4月22日号

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