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タレント清水国明氏「給料はいらない!“年金知事”で」 離婚3回結婚4回、73歳で都知事選に出馬表明の理由
タレント清水国明氏「給料はいらない!“年金知事”で」 離婚3回結婚4回、73歳で都知事選に出馬表明の理由 清水国明氏    TBS系の情報番組「噂の! 東京マガジン」で、1989年の番組開始から出演してきたタレントで実業家の清水国明氏(73)が、都知事選への立候補を表明した。タレントとしての側面が目立つが、経営者としての手腕も相当のようだ。持ち前の発想力と行動力で、IT関連からアウトドア、災害対策など幅広く手掛けている。そして、プライベートでも3回の離婚、4回の結婚と“濃い”人生を送っている。 「(『噂の! 東京マガジン』総合司会の)森本毅郎さんに、都知事選に立候補したい、と伝えると、『おもしろい、よし、頑張ってこい。もっと若かったら俺がやっていたよ。もう番組に戻らないつもりで突っ走れ』と背中を押されました」   各地で起きているトラブルなどを取材する同番組の人気企画「噂の現場」では、リポーターとして取材に行った現場は延べ約1700カ所にのぼるという。  「『噂の現場』というのはタレコミ、口コミで寄せられた情報から動いて、いろんな問題を見聞きしてきました。それを今度は政治の世界で解決したい」  都知事選への出馬を考え始めたのは、昨年の暮れあたりという。  一番時間を使ってきたのが災害支援 「周りから『都知事選へ出てみないか。可能性あると思うよ』という話があったんです。迷ってもんもんとしていました。最終的に決めたのは今年の元旦、1月1日です」    正月、清水氏は自身が所有する瀬戸内海の無人島で、のんびり海釣りを楽しみながら今後のことを考えていたという。すると突然,能登半島で大地震が起きたというニュースが飛び込んできた。  すぐに釣り道具を片づけて本島へ向かい、そこから車で計30時間かけて東京へ戻った。清水氏が経営する会社で販売していたキャンプ用のテントとシュラフを車のバンに積み込み、能登半島に向かった。その道中で、都知事選に立候補したいとの思いが強まったという。 「これはご先祖様がやれと言っているのかなと。災害ボランティアとか支援については、自分の人生の中で一番、時間を使っているんです。だから、自分のキャリア、知見を生かしたいと思いました。それをせずにこのままフェードアウトしてしまうのは“罪”だなと」  【あわせて読みたい】 ドン小西が認める小池百合子氏のミニスカファッション 蓮舫氏の襟立ては「20年前の女子アナ!」 https://dot.asahi.com/articles/-/225317?page=1    清水氏は、首都直下型地震を強く意識しているという。 「備えあれば憂いなしなのに、現状では備えが全くと言っていいほどできていない。東京で直下型地震が起きたとき、東京の街がどうなるかというのは予測ができるわけです。東京というのは耐震化、不燃化とかいいながらまだ何もしていない建物も多い」  もし都知事になったら、具体的にはどのような防災に取り組むのだろうか。 「近隣の県や市町村ともっと連携してはどうかと思う。東京の郊外でもちょっと出たら自然がいっぱいでいい場所がある。そういう地域に避難所やキャンプ場を造る」 トイレも風呂もプライバシーもある  避難所といっても、よくある体育館のような施設ではないという。  「東京の周辺地域にトレーラーハウスを20万戸設置したいです。災害が起きたとき、被災地にとどまるのではなく、郊外のトレーラーハウスへ一斉に行けば、安全で快適に過ごせます。トイレも風呂もプライバシーもある。建物の基礎もいらないし、地面に置いておくだけ。大型車でトレーラーハウスを引っ張って移動することができる」  自身が力を入れてきた災害関連以外で、もう一つ、注力してきたアウトドアから発想を得たという。 「平時は自然豊かな場所で、魚釣り、山登り、バーベキューができる。そうした場所を提供しておけば、平時から自然と災害に耐えうる力がついていくわけです。都の予算で造っておいて、県や市町村などの自治体にも収益が落ちるような形にしておけば、東京の疎開先がいっぱいできるわけですよ。1泊2500円くらいで泊まれるように設定したいですね」  日常で楽しめるトレーラーハウスを平時は「楽しみ」として運用し、災害発生時には避難場所につなげるという考えだ。ただ、 トレーラーハウスは1台500万円くらいかかるというが、予算は大丈夫だろうか。 「20万台ですから1兆円くらいかかるんです。だけど、東京都の予算は19兆円もあるんだから可能なんですよ。いっぺんに全部準備しなくても、毎年少しずつ増やしていけばいいんです。こうしたトレーラーハウスの災害時の利活用は私が全国初で提唱したんですが、今になって内閣も検討するようになりました」 【こちらもおすすめ】 「維新? ないないない、絶対ない」石丸伸二氏は記者直撃を笑い飛ばし…維新の都知事選「不戦敗」舞台裏 https://dot.asahi.com/articles/-/225398?page=1 清水国明氏(本人SNSから)    清水さんは、福井県大野郡和泉村(現、大野市)の出身。高校卒業後、京都産業大学に進学し、同じ大学の後輩の原田伸郎、笑福亭鶴瓶らと音楽活動を始め、1973年に原田とフォークデュオ「あのねのね」で芸能界デビュー。デビュー曲はコミックソングの「赤とんぼの歌」でこれが大ヒットとなり、その後も音楽やラジオ、テレビなど、現在まで長く活動を続けている。  その清水氏、冒頭でも触れた「噂の! 東京マガジン」のリポーターとしての顔が最も知られているかもしれないが、タレント業と同時に会社経営者としての顔も持つ。現在は6社を経営し、2社の取締役をしているという。  たとえば、山口県周防大島町で廃校になった小学校を改修し、5G通信基地局を設置。ワーケーション向けのオフィスを整備し、全国から先端企業やIT人材を誘致する「ワーケーションビレッジ」の代表を務める。同町の無人島を購入して「ありが島」という名前をつけた。この島を所有する「ありが島リゾート」社も清水氏が経営している。ここでキャンプ場も開いている。清水氏プロデュースによる日本最大級の人工砂浜「タチヒビーチ」は、立川(東京)、相模原(神奈川)、奈良で展開中。 他には投資会社の経営も。 「『タヒチビーチ』は年間数億円の収益を上げています。でっかい砂場だから、子供たちがペットボトルに詰めて持って帰ることもある。海のないところに人工砂浜を作ったんです。僕の周りには『おもろい』と言ってお金を出してくれる人達がいるんで、選挙戦もおもしろい発想で戦いたい」   こうした経験や発想が、そのまま都知事としての仕事にも生かせると主張する。 3回離婚で4回の結婚  プライベートでは、清水氏は3回離婚し、4回結婚している。そして、驚くことに元妻とは別れた後も「関係はいいです。今でも付き合いがあります」という。  最初の結婚はタレントの清水クーコさん。1976年に結婚した当時、話題となった。 「クーコとの出会いは仕事場でした。ものすごい明るい子で、みんなに好かれていて、こんな子と付き合ってみたいなと思ってアプローチしました。ところが、結婚生活はうまくいかなかったんです」 【こちらもおすすめ】 小池百合子氏の「排除します」発言を引き出した横田一氏が見た都政 「厳しい質問する人を差別する姿勢が顕著」 https://dot.asahi.com/articles/-/225401?page=1  1982年には離婚した2人だったが、その後も清水氏がクーコさんの新曲やイベントをプロデュースしたという。 清水氏が再婚すると、クーコさんはイギリスに。しかし、帰国した際にがんが見つかり、38歳の若さで亡くなった。清水氏が喪主を務めたという。   2人目の妻はバイク好きだったという。その影響で清水氏はレースの世界に入り、10年間、本格的にレーサーとして活動した。国際A級ライセンスも取得し、国際レースにも出ていたという。 「その間に13カ所骨折しました。最高速度285キロのオートバイですから」 鈴鹿8耐(鈴鹿8時間耐久ロードレース)に出場したときの清水氏(事務所提供)    2人目の妻との間には3人の女の子が生まれたが、約12~13年の結婚生活を経て別れた。それでも、 「今も付き合いは続けています。僕のコンサートがあると、子供たちが孫を引き連れて、声援に来てくれます(笑)」  3度目の結婚で男の子が生まれたが、これまた離婚へ。 妻4人、子供計5人、孫も5人「少子化対策はお任せを」 「妻はヒップホップダンサーだったんですけど、40歳になったときに『ダンスのためにフランスに行きたい』って。私は『40歳になって俺と子供を置いて、フランスに行くってどういうことよ』と聞いたら、彼女は『あなたを見習ったのよ』って言うんですよ。そういえば俺は40歳のときにメチャクチャしていたなと。俺はチャレンジするけど、妻は主婦をやれっていうのもフェアじゃないなと思って、『よし、じゃあ子供の面倒は俺が見るから』っていうことで、彼女がフランス滞在中に離婚しました」  そして2018年3月に25歳年下の一般女性と4度目の結婚をし、男児が誕生した。現在は家族3人で暮らしているという。4度の結婚で、 「妻は4人、子供は女子3人、男子2人の計5人。孫も5人います。少子化対策は任せておいてください(笑)」  清水氏は、小池氏が知事給与を半額にしている点についても触れ、  「私が都知事になったら給料はいりません。年金がもらえるから、“年金知事”でいいです」  とのこと。そしてこう続けた。 「人生でのラストチャンスだと思っています。もう、テレビやメディアの世界に戻ることは考えていません。背水の陣で挑みます 」 (AERA dot.編集部・上田耕司)  
『虎に翼』好演のミステリアス女優「平岩紙」 夫は有名ミュージシャンで一児の母も謎多き私生活
『虎に翼』好演のミステリアス女優「平岩紙」 夫は有名ミュージシャンで一児の母も謎多き私生活 「虎に翼」での演技が話題を呼んでいる平岩紙    連続テレビ小説「虎に翼」(NHK)で、ヒロイン佐田寅子(伊藤沙莉)の大学時代のクラスメート・大庭梅子役を演じる平岩紙(44)。弁護士の夫と3人の子どもを持つ一番年上の同級生という役どころで、落ち着いた物腰ながら、おちゃめな面もある梅子を平岩は存在感たっぷりに演じている。舞台が戦後に移り、物語からはフェードアウトしているが(6月17日時点)、先日の新キャスト発表で、梅子のしゅうとめ役として鷲尾真知子の登場が明かされると、「梅子さん再登場あるんだ!」とSNSではファンが色めき立った。 「学校におにぎりを毎日のように作ってきてくれるなど、みんなのお姉さん的存在だった梅子さんは結婚後、すぐに長男を出産したものの、夫同様に傲慢(ごうまん)な人間に育ってしまい悔いていることを第18話(4月24日放送)で明かしました。『夫と離婚するために、私は法を学んでいる』と話し、次男・三男の親権がほしいと寅子に打ち明けると、涙した視聴者も多く、SNSでも『たった15分でボロ泣きした』など感動の声が多く上がっていました。同時に『平岩紙氏に母心を語らせると説得力がハンパない』と平岩さんの演技力をほめたたえるコメントも多かったですね。司法試験当日に夫から離婚届を突き付けられ、結局試験を受けることができずに彼女の話は終わったんですが、その後どうなったのか、どんな形で再登場するのか、視聴者の間では推理合戦が始まっています」(テレビ情報誌の編集者) きめ細かな肌の白さは女性誌でも取り上げられるほど   芸名「紙」の由来は肌の白さ  朝ドラで注目を集める平岩だが、同じく4月にスタートした山下智久主演のドラマ「ブルーモーメント」(フジテレビ系)でも主要キャストのひとりで山下の上司役を演じている。第7話(6月5日放送)では、土砂崩れから晴原(山下)を救おうとして身代わりとなり、翌週に彼女が亡くなったことが明かされると、SNSでは視聴者から悲しみの声が多く上がった。 「平岩さんといえば、物語の脇を固める名バイプレーヤーとして数々の作品で存在感を発揮しています。俳優になろうと思ったのは、三者面談を翌日に控えた高校3年生のときだったそう。ふと役者をやってみようかなと思い、母親に相談したところと背中を押してくれたそうです。高校卒業後は俳優を養成する専門学校へ。そこでは、周りの目を気にせずどんな役でもできるようになるため、恥をさらすという授業が多かったそうですが、それを結構楽しめたと取材で話していました。もともとは極度の恥ずかしがり屋で人前に出るのが苦手だったといい、『卒業して間を空けたら二度と芝居なんてできないと思い、恥ずかしさに慣れているうちに俳優の仕事を始めようと考えました』と意外な事実をインタビューで明かしていたこともあります」(同)  その後、劇団「大人計画」のオーディションを受けることになった平岩。なんと、遊園地の景品でもらったヒョウのかぶりものとサングラス姿で、ホルンを吹いたというから驚きだ。これはウケ狙いではなく、自分を覆って目を隠せば審査員の視線を意識しなくて済み、緊張感が多少緩和されると思ってのことだったという(「マイナビ転職」2020年3月20日配信)。結果、見事合格したのだが、のちに劇団主宰の松尾スズキ氏は彼女の採用理由について「ちゃんと恥ずかしさを持っていたから」と話したという。 「実は平岩さんの『紙』という名前の名づけ親も松尾スズキさんです。平岩さんの肌が紙のように白かったことに由来しているそうです。平岩さんは数々のドラマや映画、舞台に出演してきましたが、お茶の間の認知度が上がったのは12年から出演したファブリーズのCMではないでしょうか。夫役の松岡修造さんと3人の息子たちとのコミカルなやりとりで妻&母親役を好演していました。ドラマ出演作品は『木更津キャッツアイ』『とと姉ちゃん』『これは経費で落ちません!』など、正直何をあげればよいかわからないほど、多くの作品で印象的な役柄を演じています。業界内では、彼女の出演する作品は“当たり”が多いともいわれています」(民放ドラマ制作スタッフ) ミステリアスな雰囲気が魅力の平岩紙   40代になってからは「鏡を見ない」  一方、プライベートでは2020年にロックバンド・フジファブリックの山内総一郎と結婚。出会いのきっかけは松尾スズキが作・演出を手掛けた番組『松尾スズキアワー「恋は、アナタのおそば」』(NHK・2016年)だったという。平岩は「純粋なものと共鳴できる綺麗な方だと思っております」と山内についてコメントし、一方の山内は「世代や生まれ育った場所も近く、同じ表現者としてとても尊敬しています」とそれぞれコメントしていた。また、出産時期や性別については発表していないが、2023年6月3日、第1子出産が報じられており、平岩は1児の母でもある。  現在、44歳の平岩だが、彼女の芸名の由来となった透き通るような美肌は女性誌でも注目されている。「美的GRAND」(2024春号)のインタビューによれば、プライベートでは眉を描く程度で、ほぼノーメイク。日焼け止めもほとんど使ってこなかったほど、美容には無頓着というから驚きだ。「肌を気にしすぎないことが私にはいいのかもしれないと気づきまして、40代になると、鏡を見る時間がグッと減りました(笑)」と同誌で本音を明かしていた。ただ、舞台でバックヌードになることもあるため、体を引き締めようと始めたキックボクシングは8年も続けているという。   【こちらも話題】 朝ドラ「虎に翼」好調のヒミツは寅子の「はて?」 キャッチ―すぎる決めゼリフの威力とは https://dot.asahi.com/articles/-/219392   秘めた意志を感じさせる  エンターテイメントジャーナリストの中村裕一氏は平岩の魅力についてこう分析する。 「確かな演技力に支えられた存在感があり、おとなしい雰囲気の中に潜む芯の強さ、秘めた意志の輝きを感じさせる演技には目を見はります。『大人計画』出身なので芝居の基礎はもちろん、表現力も折り紙付き。個人的には清原果耶主演のドラマ『透明なゆりかご』で演じた、糖尿病を患い両目の視力を失いながらも妊娠を継続する妊婦の役が印象に残っています。また、『恋はつづくよどこまでも』『心の傷を癒すということ』など医療ドラマへの出演が目立つことから、主張しすぎないその透明感が医療の現場に似合うのかもしれません。プライベートが謎めいているところもイマジネーションをかき立てられ、興味をひかれます。年齢も含め、良い時間の重ねかたをしていると思うので、このまま俳優として息の長い活躍を続けてほしいですね」  唯一無二の存在感を放ち、人々を魅了している平岩。梅子さんの再登場とともに、平岩の今後の出演作品にも注目したい。 (高梨歩)   【こちらも話題】 「全裸監督」だけじゃない! 朝ドラ「虎に翼」で話題の憑依型女優「森田望智」とは何者なのか? https://dot.asahi.com/articles/-/221301  
物価高の今こそ家計簿 収支「見える化」で老後の不安解消 過度な節約控え生活の質も落とさない
物価高の今こそ家計簿 収支「見える化」で老後の不安解消 過度な節約控え生活の質も落とさない 多くの出版社から出ている家計簿。「書いて記録することでより意識できる」と選ぶ人も(写真:写真映像部・山本二葉)    物価高騰の中、「うちの家計は大丈夫?」と、漠然とした不安を抱えている人は多いはず。そんなときは家計簿をつけて収支を「見える化」してみてはどうだろう。AERA 2024年6月24日号より。 *  *  * 「四つある銀行口座の一つから数十万円消えていても、絶対に気が付かない自信がある」  都内在住の女性Aさん(39)は節約よりも、ひたすら稼ぐことを意識してきた。子どもは産まないつもりで、キャリアアップのために転職。今が3社目だ。5年以上、一緒に暮らすパートナーも同じシステムエンジニア。年収は「2人合算で1500万円ほど」だったが、実際のところ、彼の今の収入はよく知らない。同棲を機に固定費、食費など、共通の支出担当は相談したものの、お互いの収支にはその後ノータッチだ。 「カードの明細は見ますが、残高不足だったことはない。保険も含めた資産もある」と、現状に不満はない。それでも「一生、健康か。老後の生活は大丈夫か」と思うと、お金が増えていっても、不安は消えない。  夫と同じ医療機器メーカー勤務の女性Bさんは「60歳の退職まで、ついに10年を切った」というこの時期、お金まわりをなんとかしたいと考えている。 家計は管理したいけど  長女が独立して、川崎市にある持ち家のマンションに夫と二人暮らしになったばかり。これまでは生活全般は夫、塾など子ども関係のお金は自分が支払うことで分担。家のローンの返済など、大きな出費は、話し合って決めてきた。教育費の負担はなくなったが、家計の軸の部分は、まだ夫まかせだ。 「育児が一番大変だった20年前、マンションの駐車場に突然、大型バイクが納車されたことがあって。マイカーを手放した後、夫が勝手に購入したんです」  このときBさんは欲しいものを買えるほどの蓄えが、家計全体であるかどうかさえ知らなかった。  昨年、同期入社の夫が子会社に出向。収入は夫を超えた。今こそ家計を管理したいが「子育てにかかっていたお金を、趣味や投資にと考えたり、電気代やガス代、物価も上がるから貯めなければと焦ったり。何かしなければと思いながら、手付かずです」と、Bさんは言う。 AERA 2024年6月24日号より   「まずは家計簿で、収支を把握してみてください。生活にいくらかかっているかが分かると、漠然とした不安が消えて、必要以上に行動が制限されなくなる。すると旅行や留学など目標ができて、希望が持てます」  そう話すのは、婦人之友社の徳永光子さん。同社は創業者・羽仁もと子氏の家計簿創案から、今年で120年を迎える老舗。徳永さんも数えきれないほどの家計簿の中身を見てきたスペシャリストだ。 「1年間記帳できたら、その収支を元に予算を立てる。予算内の出費なら、安心して払えます。過度な節約で生活の質を落とすのではなく、要るものを不安なく買えるはずです」 アプリで出費を記録  実際に家計簿アプリで、細かく記録している千葉県在住の男性Cさん(47)に、話を聞いた。 「前職も教育関係で、年収は600万円でした。当時の同僚が、将来のお金が不安で、夜眠れなくなると言っていた。僕はそこまでではなくても、子どもの教育費が心配で、365日、常にぜいたくは控えていた」  ところが数年前から、妻と一緒にアプリで出費の費目を細かく記録。以前はエクセルで収支のみつけていたが「総じて生活の中身が見えてなかった。今は調味料費を削って、いい食材を選ぶ。暮らしのお金が可視化されて、家計の不安はゼロに。余裕ができた」と効果を実感する。  今回の取材で家計簿に意欲的だったのは、一人暮らしになった学生や新社会人。そして定年後の暮らしを、リアルに感じるBさんのタイプだ。ただし50代は、家計簿挫折経験があり、再スタートを躊躇している人が多かった。 (ライター・三宮千賀子) ※AERA 2024年6月24日号より抜粋  
子どもが49人いた天皇も 平安の「一夫多妻制」の裏にあった苦しみや人間的な葛藤
子どもが49人いた天皇も 平安の「一夫多妻制」の裏にあった苦しみや人間的な葛藤 紫式部日記絵巻(模本)、出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-8375?locale=ja)  多くの妻を娶り、ハーレムのようにも思える平安時代の天皇。しかし、その内情は気楽なものではなかったそう。平安文学研究者・山本淳子氏の著書『平安人の心で「源氏物語」を読む』(朝日選書)から一部を抜粋、再編集し、紹介する。 *  *  * 後宮(こうきゅう)における天皇、きさきたちの愛し方  平安時代の天皇は一夫多妻制である。これを私たちは「英雄色を好む」と受け取りやすい。権力があるから次々ときさきたちを娶って、よりどりみどりで相手をさせているのだろうと。確かに平安時代、特にその初頭には、きさきの数は非常に多かった。例えば大同四(八〇九)年から弘仁十四(八二三)年にかけて天皇の位にあり、譲位後は嵯峨野(さがの)で高雅な上皇生活を送った嵯峨(さが)天皇(七八六~八四二)には、名前が判明するだけで二十九人ものきさきがいた。これを聞くと「平安時代の天皇になってみたい」と、ひそかに思う男性もいるかもしれない。しかし、それは思い違いだ。平安時代の天皇の結婚は、欲望を満たすのが目的ではない。確実に跡継ぎを残すこと、一夫多妻制はそのための制度だった。嵯峨天皇もさすがに子だくさんで、男子二十二人女子二十七人を数える。子どもの名前が覚えきれたのだろうかと、冗談のような心配さえ浮かんでしまう。  だが、子だくさんなだけでは天皇として不合格だ。跡継ぎとは次代の天皇になる存在なのだから、どんなきさきの子でもよいというわけではない。即位の暁には貴族たちの合意を得て円滑に政治を執り行うことができる、そんな子どもをつくらなくてはならない。それはどんな子か。一言で言えば、貴族の中に強力な後見を持つ子どもである。ならば天皇は、第一にそうした跡継ぎをつくれる女性を重んじなくてはならない。個人的な愛情よりも、きさきの実家の権力を優先させることが、当時の天皇の常識だった。  こうなると、天皇が「よりどりみどり」という訳にもいかないことも、推測がつくだろう。貴族たちは、天皇がしかるべき子どもをつくることを期待している。それはしかるべき家から送り込まれた、しかるべききさきと、しかるべき度合いで夜を過ごすことを期待し、見守っているということだ。摂政(せっしょう)・関白(かんぱく)、大臣、大納言(だいなごん)。天皇はきさきの実家を頭に浮かべ、その地位の順に尊重しなければならない。つまり、その順で愛さなくてはならない。天皇にとって愛や性は天皇個人のものではなかった。最も大切な政治的行為だったのだ。  こうした当時の常識に照らせば、桐壺帝(きりつぼてい)が「いとやむごとなき際にはあらぬ」更衣(こうい)に没頭したことは、掟破りともいうべき許しがたい事件だった。皇子誕生は政界の権力構造に係わる。実家の繁栄を賭けて入内(じゅだい)したきさきたちが怒るのは当然のこと、「上達部(かんだちめ)、上人(うへびと)」など政官界の上層部が動揺したのも、これが自分たちの権力を揺るがしかねない政治問題だったからだ。  さて、『源氏物語』が書かれる直前、時の一条(いちじょう)天皇(九八〇~一〇一一)には心から愛する中宮定子(ちゅうぐうていし)がいた。『枕草子』の作者・清少納言が仕えた、明るく知的な中宮である。だがその家は没落していた。そこに入内してきたのが、時の最高権力者・藤原道長の娘で、やがては紫式部が仕えることになる彰子(しょうし)である。定子は二十三歳、天皇は二十歳、そして彰子自身はまだ十二歳。年の差もあって気が進まない天皇だが、道長や貴族たちの手前、定子よりも彰子を重く扱わなくてはならない。その苦しい胸の内は貴族たちの日記や『栄華物語』『枕草子』などから知ることができる。結局定子は翌年、皇子を遺して亡くなった。辞世は「知る人もなき別れ路に今はとて心細くも急ぎたつかな(知る人もいない世界への旅立ち。この世と別れて今はもう、心細いけれど急いで行かなくてはなりません)」。一条天皇は悲しみにくれた。 『源氏物語』の執筆が開始されたのは、この出来事のわずか数年後だ。いうまでもなく、桐壺帝は一条天皇に、桐壺更衣は定子に酷似している。更衣の辞世「限りとて別るる路の悲しきにほしきは命なりけり(もうおしまい。悲しいけれど、この世と別れて旅立たなくてはなりません。私が行きたいのはこんな死出の道ではない、生きたいのは命なのに)」は定子の辞世と言葉が通う。また遺児の光源氏を天皇が溺愛し後継にしたいと願ったことも、定子の遺した息子・敦康親王(あつやすしんのう)に対して一条天皇が抱いていた願いと同じだ。  紫式部は面白さを狙っただけではない。一条天皇の苦しみは、一人の男性として抱く愛情と、天皇として守るべき立場とに挟まれての人間的葛藤だった。紫式部の描く桐壺帝も、実に人間的だ。人間を見据え、天皇という存在までもリアルに描く。それが『源氏物語』だといえるだろう。  こうした『源氏物語』は、定子を悼み天皇の心を癒やす力をも持っていた。当の一条天皇がやがて『源氏物語』の愛読者となったこと、これは紫式部自身が『紫式部日記』に記している。
『南くんが恋人!?』出演の「武田真治」 フェミ男でブレークも暗黒期に…どん底からはい上がれたワケ
『南くんが恋人!?』出演の「武田真治」 フェミ男でブレークも暗黒期に…どん底からはい上がれたワケ 30年ぶりに「南くん」に出演する武田真治    7月16日から放送される飯沼愛主演ドラマ「南くんが恋人!?」(テレビ朝日系)に俳優の武田真治(51)が出演することが発表され、話題となっている。本作は過去に何度もドラマ化された内田春菊氏の漫画「南くんの恋人」の男女逆転版で、武田は小さくなってしまった恋人の南くんと暮らす主人公・ちよみの父親役を演じる。  実は武田は1994年に放送された同名ドラマで、高橋由美子演じる小さくなってしまった「ちよみ」の世話をする心優しい南くんを演じている。今回のドラマ化に際して、SNSでは「初代南くんの武田真治さん父親役なの胸熱過ぎ」など、30年の時をへて父親役で出演することを感慨深く思うファンもいるようだ。  1989年、高校在学中に「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」のグランプリを受賞し、翌年俳優デビューした武田。その後、中性的な雰囲気から“フェミ男”と言われ、90年代に一気にブレーク。「南くんの恋人」の他、「NIGHT HEAD」(フジテレビ系、92年放送)、「若者のすべて」(同、94年放送)など、俳優として数々の話題作に出演し、96年から「めちゃ×2イケてるッ!」(同)でレギュラーを務めるなど、バラエティー番組にも数多く出演した。さらに、サックス奏者としてアルバムをリリースするなど、90年代はドラマやバラエティー、音楽とマルチに活躍していた。 「NIGHT HEAD」に出演していた頃の武田真治   うつ状態になり実家に「引きこもり」  近年では2018年に放送された「みんなで筋肉体操」(NHK Eテレ)で見せた肉体美が注目を集めたことから、筋肉キャラという印象がある人も多いだろう。私生活では20年に22歳年下の女性と結婚。昨年50歳でパパとなったことでも話題になるなど、公私ともに順調のようだ。 「現在の活躍ぶりを見ると順風満帆そうにも思えますが、実は90年代のブレーク以降、決して平坦ではない道のりを歩んでいます。20年に放送された『しくじり先生 俺みたいになるな!!』で過去にうつ状態に陥った経験を告白していました。『めちゃイケ』で次第に存在感が発揮できなくなり、さらに顎(がく)関節症になって得意のサックスの演奏ができなくなってしまい、これがキッカケで自信を失いうつ状態になったそうです。その後、芸能界引退を申し出たそうなんですが、怪しい集団セラピーで高額を請求され、事務所に借金をつくって辞められなくなったとか。そこで武田は、わざと“干される”ような行動を現場で取り始めたが、異変を感じ取った事務所は『めちゃイケ』以外の仕事を全てキャンセル。武田は実家に引きこもり、そこから同番組の撮影に通うこともあったと語っています」(テレビ情報誌の編集者)  しかし、落ち込んでいた時期に歌手の忌野清志郎さんにサックスの腕前を評価されてレコーディングやライブにも誘われるようになり、引きこもりから抜け出すことができたという。 筋肉キャラになった武田真治   筋トレは「ラクした人生」を埋める作業  また、「ORICON NEWS」(20年9月6日配信)では、「マスに認知してもらえなかった時期に、何もしていなかったわけじゃない」と告白。俳優業では、30代は舞台やミュージカルに取り組み、市村正親や大竹しのぶなど、有名な役者や演出家たちと出会い、とても刺激的な経験で充実した時間だったと振り返っていた。一時期テレビからは消えたが、その間コツコツと続けてきたことが今につながっているのだろう。 「そうした時代をへて、現在は個性的なバイプレーヤーとしても活躍しています。例えば、21年に放送された『青天を衝け』で10年ぶりに大河ドラマに出演し、江戸幕府の勘定奉行・小栗忠順役を好演。翌年放送のドラマ『カナカナ』では、人の心が読める不思議な力がある少女の能力を利用しようと考えているギャンブル狂という役で、鋭い目つきで悪役も熱演しています。また、昨年放送されたドラマ『自由な女神 ―バックステージ・イン・ニューヨーク―』で、伝説のドラァグクイーンという役どころも演じ、正月休みを返上してダンス練習に取り組んだそうです。演じられる役の幅も広いので、今後さらなるハマり役に巡り合える予感もあります」(同)  歳を重ね、20代のブレーク時のことも本人は冷静に捉えているようだ。女性週刊誌の記者は言う。 「20代のブレークは『実力以上の高下駄を大人に履かせてもらっていた』と、以前インタビューで振り返っていたのが印象的です。筋トレは精神向上のためにと思って続けていたが、20代前半で大人に担いでもらっていた人生と、実際の人生との間に差がつきすぎていて、ラクをした分を埋めなくてはならず、その作業が筋トレだった、と自己分析していました。自分を客観視する力があるからこそ、停滞期があっても、その後に筋肉キャラや俳優として注目を浴びているのかもしれません。50代に入り、これからも安定した活躍が続くと思いますよ」 武田真治   すべてをさらけ出さないミステリアスさ  エンターテイメントジャーナリストの中村裕一氏は、武田の魅力についてこのように分析する。 「『NIGHT NEAD』や『南くんの恋人』で見せたナイーブさを漂わせたキャラクターの印象が強い人も多いかもしれませんが、菅野美穂とダブル主演を務めたスペシャルドラマ『君の手がささやいている』(1997年~2001年)では、聴覚に障害がある妻と一緒に人生を歩んでいく夫の役を演じ、作品はATP賞や橋田賞を受賞するなど高い評価を受けました。また、『凪のお暇』(19年)で演じたスナックのママ役として、『妻、小学生になる。』(22年)でもカメオ出演(短時間で強い印象を与える登場方法)するなど、スタッフの遊び心にもしっかり対応する能力は『めちゃイケ』で培われたものではないでしょうか。それでもまだすべてをさらけ出してないミステリアスさを持っているというか、もう一皮むけるような下地はある気がするので、これまでとはまた違うキャラや仕事ぶりでの再々ブレークに期待したいですね」  アラフィフとなり独自のポジションを築き上げた武田の第2ステージが楽しみだ。 (丸山ひろし)
愛子さま 黒のベールが美しく風にゆれた瞬間「にっこり」 レディの品格と落ち着きが備わった理由
愛子さま 黒のベールが美しく風にゆれた瞬間「にっこり」 レディの品格と落ち着きが備わった理由 桂宮宜仁さまの十年式年祭の墓所祭に向かう愛子さま。一瞬、ちゅうちょしながらも笑顔を見せてくれた=2024年6月8日、読者の阿部満幹さん提供  今春から社会人となり、公務に出席する機会が増えた天皇、皇后両陛下の長女愛子さま。沿道で奉迎する人びとからも「おきれいになった」との声が聞かれるように、その姿や立ち振る舞いはさらに洗練されてきた。愛らしかった小さな愛子さまの写真を振り返りながら、そのご成長を追ってみた。 *   *   *  上皇さまのいとこにあたる桂宮宜仁さまが亡くなって、10年の命日にあたる6月8日、東京都文京区の豊島岡墓地で「十年式年祭 墓所祭」が営まれた。  桂宮さまのめいの彬子さまが当主代理として、玉串を捧げて拝礼。上皇ご夫妻や両陛下は、慣例により出席せずに使者を送り、秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さま、愛子さまが参列した。  皇居・乾門や豊島岡墓地の門の外は、初参加となる愛子さまの姿をひと目見ようという人が集まっていた。  十年式年祭という厳粛な祭祀の場であったためか、他の皇族方は集まった人たちに気づきはしたものの、ほとんど目を合わせることはなかったという。    一方で、皇居・乾門から式年祭に向かう愛子さまは、すこし様子が違った。  沿道にいた奉迎者の男性は、こう話す。 「愛子さまへの歓声が耳に入って、一瞬ちゅうちょしたようなご様子でしたが、窓を開けて笑顔でお手振りをしてくださった。私もあまり、明るい空気でお待ちしては不謹慎かと迷いましたが、帽子についた黒のベールが風になびいたご様子がまた美しく、にっこりとほほ笑んでくださって、こちらもあたたかな気持ちになりました」     【こちらも話題】 【写真特集】雅子さまや愛子さまの小物使いは、優美なロイヤルの「お手本」 モードなアイテムをダイナミックに着こなす女性皇族とは? https://dot.asahi.com/articles/-/224550     那須でのご静養に、ご両親と一緒に向かう愛子さま=2008年8月、JMPA   大人可愛い「モコモコ」と「コロン」  幼い頃から人前に出る機会はたくさんあった愛子さまだが、公務で外出する機会が増えてきて、さらにその立ち振る舞いが洗練されてきたようだ。  ファッションジャーナリストの宮田理江さんは、たとえば、外出時のバッグの持ち方から変わってきたと指摘する。  小さい頃の愛子さまのお出かけの定番スタイルは、水色や白といった上品なワンピースに、ご愛用のバッグを片手に持つのが常だった。夏はざっくりと編まれた涼しげなバッグや籠、冬はモコモコしたポンポンやファー飾りのコロンとした愛らしいバッグを手に提げていた。 「幼い時期は、本来の役割である、物を運ぶ入れ物としてお持ちでしたから、トートやかごなどのカジュアルな形状です。お子さまですから、ひじや指先に提げるといった持ちやすい恰好でいらっしゃる」  宮田さんが感心しているのは、幼い頃から小物を持つ姿勢が、大きく崩れていないことだ。    御料牧場に向かうご一家。愛子さまが腕に提げるポンポン飾りのついた白いバッグが可愛らしい=2010年11月、JMPA    子どもであればどうしても、バッグを身体から離すように大きく振って歩きがちだ。しかし、愛子さまは車を乗り降りするときや歩いているときに、バッグを身体に添わせるように持っているため、見ている側は上品な印象を受けるという。    さらに大学生になって、ご両親と観劇や演奏会の公務に同伴する機会も増えた。 「この時期の愛子さまは、花のモチーフやチュール、リボンやふわふわ飾りといった、ディテールに凝ったバッグを、ファッション全体のスタイリングに組み込んだ『装い』として楽しんでいるようにお見受けします」     【こちらも話題】 愛子さまの水色のワイドパンツは「ハロー!ブルー」 美しい色に込められた「新しい時代を笑顔で歓迎」というメッセージ https://dot.asahi.com/articles/-/221980   園遊会に初めて参加した愛子さま。クラッチバッグを両手で手袋と挟み持ちをしながら歩く愛子さまからは、レディとしての品格と落ち着きがにじむ=2024年5月、JMPA 十六葉八重表菊の菊紋が両袖に入った格式の高い三つ紋の本振袖をお召しの愛子さま。バッグは品よく体の正面に=2024年3月20日、東京都豊島区の学習院大、代表撮影/JMPA   「楽しむ」から「皇族」の装いへ  大学を卒業し、社会人となった今は、園遊会といった大型の公務も増え、ショルダーバッグやクラッチバッグ、ワンハンドルといった大人の装いのハンドバッグもよくお使いだ。 「社会人となられてからの愛子さまは、これまでの『楽しむ装い』から、レディ(淑女)としての品格と落ち着きが備わり、皇族としての立場にふさわしい装いを選んでいらっしゃることがよく伝わります。バッグを持つ所作も、学生時代のすこしカジュアルな持ち方から、両手をお使いになり正面で品よく支えるなど、大きくお変わりになっています」(宮田さん)    ご成長とともに、内親王としての立場にふさわしい立ち振る舞いを身につけた愛子さま。その一方で、愛子さまらしい部分も垣間見えると、宮田さんは話す。 「お召しものは、淡くやわらかい色合いを基調に、バッグと靴で色や雰囲気をそろえるバランスがとてもお上手な方です。公務の場でもコロンとした愛らしい形状のバッグをお持ちで『大人可愛い』の装いがお好みでいらっしゃるようにお見受けします」    厳粛な祭祀に向かう途中であっても、沿道の人びとの歓声が耳に届けば、にっこりとほほ笑んでくれる。装いと所作ににじむ「おだやかな可愛らしさ」こそが、愛子さまが愛される理由なのかもしれない。 (AERA dot.編集部・永井貴子)   【こちらも話題】 【写真特集】社会人として歩き出した愛子さまの春 天皇陛下と雅子さまが「抱きしめ」続けた愛子さまの成長が感慨深い https://dot.asahi.com/articles/-/221400
日本人の同性カップル、カナダで難民認定までの歩み 「母娘」と偽っての暮らし「耐えられなかった」
日本人の同性カップル、カナダで難民認定までの歩み 「母娘」と偽っての暮らし「耐えられなかった」 難民受け入れに対する状況は国によって大きく異なる。2023年、現政権が積極的なカナダは約3万7千人を認定したが、日本は303人だ(写真:本人提供)    カナダで昨秋、日本人の女性カップルが難民と認められた。日本で生まれ育った2人はなぜ日本から逃れなければならなかったのか。G7で唯一、同性カップルに法的保障を認めていない日本に重い課題が突きつけられている。AERA 2024年6月17日号より。 *  *  *  1951年に国連で採択された難民条約は、難民を「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために」、国籍国外にいて「国籍国の保護を受けることができない者」または「そのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」と定義する。  2023年9月、難民としてカナダでの永住が認められたのはハナさんとエリさん。カナダ移民難民委員会は「日本での迫害に対して十分根拠がある恐怖を抱いているが、日本では十分な保護が受けられない」と認めた。  2人にどのような迫害があったと認定し、なぜ日本では十分な保護が受けられないと判断したのか。2人の歩んできた時間を振り返ってみたい。  50代のハナさんは関西地方で生まれた。「跡継ぎ」を望んだ祖父はハナさんが女性であったことに落胆。ハナさんは期待に応えたい思いから、祖父が亡くなるまで男の子のようにふるまった。20代になると親族からは見合い結婚をするよう求められた。男性と結婚することは想像できない。でも性的指向を打ち明ければ、保守的な考えを持つ親族や周囲はがっかりするのではないか。孤立し、精神のバランスが崩れていった。  30歳になる直前、レズビアンの友人から近々男性と結婚すると打ち明けられた。理由を尋ねると「養ってくれる人が親から夫に代わるだけ」という。自分も結婚するしかないのか。プレッシャーから逃れるように上京して就職したが、職場では「なぜ彼氏がいないのか」「いつ結婚するのか」と聞かれるなど、複数のセクハラを受けた。  日本は今も男女の賃金格差が大きく、非正規として働く女性も多い。「もしレズビアンであることが知られたら、異性愛者の女性より先に、まず自分が仕事を失うのではないか」。常にそんな不安がつきまとった。さらに日本のLGBTQ当事者団体ともつながったが、違和感を持つ出来事もあり、09年には自殺をはかった。 ハナさんとエリさんの結婚式のブーケ。「女性の社会的地位が低い日本では、女性のLGBTQは、とても弱い立場におかれている。当事者の思いを知ってほしい」と話す(写真:本人提供)    エリさんは30代。大学卒業後に薬剤師の資格を得て、関西地方の公的機関で働いていた。 カミングアウトしたら退職 「母娘」と偽っての暮らし  2人は14年に出会い、交際を始めた。「出会ってすぐに人生のパートナーになりたいと思った」とエリさんは言う。  だが、エリさんは職場で同性のパートナーがいることをカミングアウトしたことをきっかけに退職に追い込まれた。退職後は、薬剤師の資格を生かして、関西の薬局に契約職員として勤務したが、上司から正規職員になるよう誘われた際、薬局側に妻がいるため配偶者としての福利厚生を適用してほしいと求めると「準備が整っていないのでできない」と断られた。  19年4月、同性婚が認められていて、外国人の旅行者であっても結婚できるカナダを旅行で訪れ、結婚した。ささやかな人前結婚式だったが、通りがかった見ず知らずの人たちが、立ち止まって式の様子を見守り、祝福の言葉をかけてくれた。「2人の関係をオープンにする夢も叶った。うれしさで涙が止まらなかった」(ハナさん)  だが帰国すると、再び差別にさらされた。19年7月に居住市のパートナーシップ制度を利用し、証明書を取得。市内で「ふうふ」で暮らす家を借りようと思ったが、不動産業者からは「同性カップルが借りられる家は少ない」と言われ、「融通の利く大家さんだから」と紹介された家は、駅から遠く、老朽化で雨もりがした。ハナさんは言う。 「希望の条件で検索すると、数十件近く物件が出てくる。異性カップルなら新築の2LDKにも住めるのに。屈辱的だったし、パートナーシップ制度で得られるものは何もないことを痛感した」  UR都市機構にも親族として入居できないかと問い合わせたが「民法上の親族であることが入居条件。同性カップルは親族とはみなせない」と言われた。 「カナダでは法的に家族として暮らしていたので、日本で『家族じゃない』と言われることが耐えがたかった」(ハナさん)  その後、東海地方に移ったが、周囲の人からどういう関係かを聞かれると、その都度「母娘だ」と偽って暮らさざるをえなかったという。 AERA 2024年6月17日号より    これ以上、日本で暮らすことはできない。コロナが落ち着いた21年3月、ハナさんは学生ビザを取得、エリさんはその配偶者としてカナダに入国。大学の語学学校に通っている時、カナダ政府がLGBTQ難民を適切に受け入れていることを知った。 同性婚の法整備ない日本でLGBTQの迫害と差別  カナダは17年、性的少数者である難民認定申請者を審査する際に、当事者が抱える困難を見逃したり、保護すべき申請者を不認定にしたりすることがないよう、最新の知見や注意点をまとめた指針「ガイドライン9」をつくっている。難民認定審査をするカナダ移民難民委員会の職員向けに作成されたもので、「性自認や性的指向、ジェンダー表現や性的特徴を隠すことが強要されることは基本的人権の重大な侵害で、迫害に相当しうることは法律上確立されている」と明記されている。  さらに認定の際には、人種や宗教、年齢、社会的階級などの交差的要因を考慮することや、性的少数者が家庭内暴力、住宅、雇用、教育に関する差別などさらなるリスクに直面することがあることなども書かれている。 「それまで難民は同性愛者に刑罰を科すような国の人たちを対象にしていると思っていたが『ガイドライン9』を読んで、私たちも当てはまるのではと思った」とエリさん。  自国で差別を受けた性的少数者の難民申請を支援する現地のNPO団体「Rainbow Refugee」に支援を求め、22年11月に難民申請の手続きを始めた。2人をサポートした同団体創設者のクリス・モリッシーさんは2人から相談を受けた当初の思いをこう話す。 「驚いたし、難しい挑戦になると思った。カナダにおいて日本は先進国だと認識されており、同性婚を認めていないとは思わなかった」  経歴書、日本での経験をつづったレポート、日本の法整備の現状などを証明する証拠などあわせて200ページを超える資料を提出。担当者との面接や公聴会などを経た23年9月、カナダ移民難民委員会から難民として認める決定通知が送られてきた。  決定通知は「日本は主要7カ国(G7)の中で唯一同性婚や同等の法整備がなく、自治体で同性パートナーシップ宣誓をしても、異性婚夫婦と同じ利益を受けられない」と法制度の不備を指摘。さらに「家父長制的な観念が根強く残る」「職場には女性に対する複合的な形態の差別が存在する」「LGBTQの迫害につながる差別が日本全体にあり、国内の別の地域に移住しても逃れられない」と、女性や性的少数者の人権が十分に守られない日本の状況を判断理由として挙げている。(朝日新聞記者・大貫聡子、花房吾早子) ※AERA 2024年6月17日号より抜粋  
クマと市街地で出合ったら? 専門家が「後ずさり」より推奨する「アーバンベア」からの防衛術
クマと市街地で出合ったら? 専門家が「後ずさり」より推奨する「アーバンベア」からの防衛術 クマは倒木の上や土が露出したところで眠りたがる=米田一彦さん提供  クマによる人身被害は、昨年度、過去最多の219人になった。今年度も全国各地で被害が相次いでいる。国や自治体がもっと適切に、クマに遭遇したらとるべき行動をマニュアル化していたら、「被害を軽減できた」と専門家は訴える。懸念するのは、攻撃的な「アーバンベア」の増加だ。   *   *   * クマはヒトの頭を狙う  昨年度、全国で最もクマによる人身被害が多かったのは、秋田県だ。死者こそ出なかったものの、70人が負傷した。  クマに襲われると、首から上を損傷することが非常に多い。「命に別条はない」と報道されても、顔貌が大きく変わるほどに重大なけがであることが少なくない。  昨年、クマに襲われて秋田大学医学部付属病院に搬送された重傷者20人中18人が顔を負傷していた。このうち失明は3人、顔面骨折は9人。秋田赤十字病院に2009年から昨年10月までに搬送されて入院したケースでは、31人のうち29人が頭や首を負傷していた。  NPO日本ツキノワグマ研究所の米田一彦所長は、クマの生息する府県で発生した事故を明治中期の1897年から2016年まで調査した(狩猟中の事故などを除く)。全1993件、2255人の被害者の損傷部位の割合は、頭部44%、手腕部25%、足部12%。昨年度に限っても、頭部44%、手腕部34%、足部7%と、過去の傾向と大きな違いはなく、クマは「主に人の頭を攻撃するとみてよい」という。 クマに襲われて顔面が破壊された男性のCT画像=秋田大学医学部付属病院提供 「死んだふり」の姿勢は有効  米田さんは10年ほど前から、こう訴え続けてきた。 「クマに遭遇した場合、立った状態で攻撃を受けるのが最も危険です。ただちにうつぶせになり、両腕で頭部を覆ってください。致命的なダメージを防ぐことが重要なのです」  この体勢は、いわゆる「死んだふり」とほぼ同じで、クマに襲われた際の最後の防御手段として、古くから山間部の住民が行ってきたものだという。3年前に改訂された環境省の「クマ類の出没対応マニュアル」にも、うつぶせになって頭部を守れ、と記述されるようになった。  だが、このマニュアルには「まだ改善の余地がある」と、米田さんは指摘する。特に問題視するのは、最近増加する人里での人身被害に対応できていないことだ。 見晴らしのよい場所から大きな危険なクマがいないか周囲をうかがう若いクマ=米田一彦さん提供   広島県の山間にある米田一彦さんの自宅にたびたびやってきたクマ。あらかじめ用意しておいたカメラで米田さんの妻が撮影=本人提供 「山中のクマ」と「アーバンベア」は別モノ  30年ほど前から中山間地の人口減少と高齢化が進み、耕作放棄地が増えた。それをすみかとするクマと住民との距離が近くなった。作物などを求め人里を訪れるクマはかつては「集落依存型のクマ」と呼ばれたが、近年増加している市街地に出没するクマは「アーバンベア」と呼ばれる。  環境省によると、昨年9~12月に全国で人身被害が発生した場所は、約3~6割が人家の周辺だった。特に秋田県では人の生活圏での人身被害が多かった。  米田さんは、自然の山の中に生息するクマと、市街地に現れたクマは「まったく別モノ」だと言う。そのため、遭遇した際の対応も異なる。 「本来、クマは森林の動物ですから、森の中にいるときは実に穏やかな顔をしているんですよ」と言い、目を細めた。  見せてくれた写真には、夏の小川のせせらぎのなかで仰向けになり、気持ちよさそうに昼寝をするクマの姿や、森の中に座ってのんびりと毛づくろいする様子が写っており、確かになんともほほえましい。  クマは本来、臆病な動物で、人間の存在を察知すると、そっと逃げていくという。  これまで米田さんは、そんなクマに数千回も出合ってきた。多くの場合は無視されるが、約2割のクマは「こちらに気がつかないで近寄ってきた」。そんなときは、「ほいっ」と、短く声をかけて気づかせると、反転して逃げたという。 林間のつたを渡っていて足を踏み外したクマ。落下を恐れて戻ろうと20分ほど苦闘した=米田一彦さん提供 「後ずさり」するより動かないこと  現行の環境省の対応マニュアルには、「クマと遭遇した際、背中を見せて逃げると襲われるので、ゆっくりと後ずさりして距離をとること」という内容がある。そして、それは基本的に正しいと米田さんは言う。 「走って逃げるのが一番ダメです。けれども、山の中で後ずさりすると、たいてい足をとられて転倒し、襲われてしまう。動かずに、静かに立ち尽くすほうがいい」(米田さん)  通常、人と出合ったクマが強く反応するのは、母子クマや採食中、繁殖期、至近距離で突発的に遭遇してしまったときなどだ。米田さんは、殺人的な攻撃を受けたことも9回ある。「捕獲の際、麻酔で失敗したとか、越冬穴に入ったら襲ってきたとか」。襲われた場合は、催涙スプレーの一種「クマ撃退スプレー」を使ってきた。 「これまで何回もクマスプレーに助けられました。メーカーによると、北米での使用例では98%の撃退実績があるそうです」(以下、同)   森の中で座って20分も毛づくろいをしていたクマ。その動きは黒い毛皮を着た人のようだ=米田一彦さん提供  スプレーがなければ、うつぶせになり、「死んだふり」で防御姿勢をとり、最悪の事態を避けるべきだという。 「昭和時代は、ナタなどを使ってクマと戦う人が少なくありませんでした。でも、最近は山に入ってクマに遭遇する人の多くは高齢者ですから、戦うのは現実的ではありません」  山菜やきのこ採りで入山する場合は2人以上で行動し、襲われた際はスマホで救助を求めることが重要だという。 「高速通信、高速搬送、高度医療の『3高』に頼れば、命が助かる可能性が高まります」  ただし、この方法が有用なのは山中のクマに限った話だ。 街でクマと出合ったら  昨今増えている「アーバンベア」の場合、行動パターンが全く異なる。アーバンベアは、隠れる場所を探しながら速足で移動し、公園や神社仏閣、屋敷森、河川敷など、木々のあるところを目指す。移動中に人と遭遇すると、排除しようと攻撃する。  山中のクマとは違い、アーバンベアは出合った人を襲う可能性が高い。そのため、複数の被害が出ることが珍しくない。  ところが、環境省のマニュアルには、アーバンベアへの対処方法が書かれていない。 「瞬時に車内や建物内に逃げ込めるのならいいですが、そうでない場合に後ずさりして逃げようとすると、クマに発見される可能性が高い。なので身近な物陰に隠れることです」  電信柱や木立のような、全身は隠れないものでも効果があるという。 身を隠すことが肝要 「クマは実は目が悪い。頭と胴、手足があること、つまり五体あることで、相手が人間だと認識します。じっとしていることが肝要で、手足をばたつかせては意味がありません」  襲ってきたら、地面に伏せ、頭を両手で守ることは、山中でクマに遭遇した場合と同じだ。  対策を優先順位をつけて説明すると、街中で速足で移動するクマを見つけたら、①屋内に逃げ込む②物陰に隠れる➂何も遮蔽物がなければ地面にうつぶせになって身を守る、となる。 石川県加賀市では2020年10月、駅前の商業施設のバックヤードに体長130センチのツキノワグマが侵入。捜索に12時間以上かかった   クマに襲われた新聞販売所従業員の男性は、右耳や右肩、脇腹に傷を負った=2021年9月 被害が多かった原因は?  市街地にクマが現れた場合、米田さんは人身被害を地図上で時系列に追っていく。すると、侵入経路や、向かっている場所の予測がつき、被害の発生を食い止めることにつながるという。足跡の追跡は、数時間単位のときがあれば、数日単位の場合もある。  2023年10月17日午前10時ごろ、秋田県大館市できのこ採りをしていた80歳の女性がクマに襲われ、頭と腕にけがをした。午後4時には2キロほど離れた会社の敷地内を歩いていた40代の男性従業員が、クマに襲われて背中を引っかかれた。 「このときは、クマの移動速度と方向から市街地のクリ林を目指して移動していると判断し、同日夕方、関係者に注意をうながしました」  近年、これまでは目撃例がなかった場所にもクマが出没するようになり、クマに慣れない自治体を慌てさせている。対応が後手にまわれば、人身被害が拡大する恐れがある。 「なぜ昨年度はクマによる人身被害がこれほど多かったのか。単に『クマの出没が増えたから』で終わらせるのではなく、検証が必要です」 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)  
「どの程度の下駄か、誰もわからないでしょう?」 キヤノン初の女性取締役・前消費者庁長官の伊藤明子さんが本音で語る女性活躍
「どの程度の下駄か、誰もわからないでしょう?」 キヤノン初の女性取締役・前消費者庁長官の伊藤明子さんが本音で語る女性活躍 前消費者庁長官で、キヤノンで女性初の取締役として注目された伊藤明子さん(撮影/写真映像部・松永卓也)  今の時代にフィットした生き方や働き方の先にある女性リーダー像って? そんなテーマを掲げてAERAdot.編集長の鎌田倫子が女性リーダーにインタビューする連載。1回目は前消費者庁長官の伊藤明子さんにご登場いただいた。                 ◇  伊藤さんは今年、キヤノン初の女性取締役に就任したことでも注目された。1985年の男女雇用機会均等法より前に建設省(当時)に入省し、80人ほどいた同期の中で女性は一人だけだったという。伊藤さんのキャリアを振り返るとき、「女性初」という言葉が常についてまわった。伊藤さん自身は、それをどのように感じてきたのだろうか。まずは社会の「女性登用」「女性活躍推進」についての本音をきいていきたい。 ――キヤノンには女性取締役がおらず、伊藤さんの起用を「おじさん企業に女性役員」と紹介した経済記事もあったほどです。昨年の株主総会では、女性の取締役がいないことに対して米国の議決権行使助言会社が反対を推奨し、取締役選任の賛成率が低下しました。こうした経緯があって、女性初の取締役の打診をどのように受け止めましたか。 伊藤明子さん(伊藤):実は最近、その手の質問を女性からよく受けます。  でも、「初めての女性」についてどう思われますかと聞かれても、女性を代表しているわけではないので答えにくいですよね。  ある勉強会では、「女性だからという理由で選ばれるなら断った方がよいのでは」とまで言われましたよ(笑)。 ――女性だから選ばれたと指摘されているようなもの。あなたは、それには怒るべきだと。 伊藤:そうですね。まず、打診してくださった方は「女性だからあなたに頼みました」とはおっしゃっていませんけど。ただ怒るべきと言われたとき、瞬時に二つ答えました。  一つ目の答えは、入り口はどうであれ、結果「この人に頼んで良かった」と思われればいいんじゃないですか、と。  女性だからというのではなく、私自身が心掛けているのは、入り口で「これは私の仕事ではない」とできるだけシャットダウンしないこと。直接関係ないことがあとで役に立ったりするので。情報を得たり、体験したりすることを躊躇しないほうがいいかなあ、と思っています。  二つ目は、女性という取っ掛かりや枠もなく、「伊藤明子がいい」と言ってもらえるほどの実力があるとは思っていない、という答えです。個人的にはそれは大変残念ですけれども、そこまで能力が図抜けているとは自分自身は思っていない。女性だから機会を得たのだと思う。 前消費者庁長官で、キヤノン初の女性取締役の伊藤明子さん(撮影/写真映像部・松永卓也) ――そんな答えが返ってくるとは思ってもみませんでした。確かに、先に女性という「きっかけ」があるのは、今の女性活躍の現実なのかもしれません。しかし、それをはっきりと口にするのは憚られませんか。実力ではなく、性別で選ばれて、いい気はしません。 伊藤:はっきり口にしない、否定すべきと考えている人は、「(性別は関係なく)自分だから選ばれた、評価された」と思いたいのでしょうね。でもね、その人のいろんな背景も含めて仕事で評価されるわけじゃないですか。たとえ「下駄を履かせてもらっている」としても、どの程度の下駄なのか、わからないでしょう? 下駄を本当に履いているのかも。   男であれ、女であれ、実力や能力とその人の背景を切り分けるのは大変難しいと思います。例えば、私が消費者庁長官に就いたとき、政府の幹部にやっぱり女性がいた方がいいとの判断がなかったわけではないですよね。  ならば、入り口のところで肩肘張る必要はないんじゃないのかな。それが自分にとって面白そうなチャンスなら、気にする必要はないんじゃないのかな。 「私は白いカラス」 周囲の見方と自分の意識にギャップ ――若い時からいまのように自然体でしたか? 伊藤さんは1985年の均等法前の入省です。 伊藤:私は工学部出身なので、学生時代からわりと周りが男性ばかりという環境にいました。入省してからも、自分自身は男性の中に女性が一人の状況には違和感はなかったです。   自分では自分の姿は見えませんから、入省時に「どう思いますか?」と聞かれて、「私は白いカラスなので、気にされているのは皆さんのほうじゃないですか?」と答えたこともあります。そう思うのは私の問題ではなく、周りの問題でしょう。今思うと生意気ですけど。 ――55歳で就任した国土交通省住宅局長も女性初でした。新聞記者は「初めて」ならば記事にします。伊藤さんも取材を受けたと思います。 伊藤:そういうとき、マスコミの皆さんは「後に続く後輩のためにも頑張ります」といった答えを期待されているのかもしれませんが……。私は目の前の仕事と向き合ってきただけなのです。女性のために局長になっているのではなく、仕事をするなかで局長してもらっただけ。   そもそも世の女性たちを引っ張っていくなんて私が言うのはおこがましいですよね。 正直、ゆとりもなかったので、当時は「女性のために」という答えは思いつかなかったです。 育休をめぐって「大変迷惑です」と後輩に本気で怒られた ――建設省(のちに国交省)で伊藤さんの前にキャリアを築いた女性がいなかったので、パイオニアとして、「男性に負けずに働いた」姿をつい想像してしまいます。36歳で第一子を産んだときも、38歳で第二子を産んだときも、育児休暇を取らなかったそうですね。伊藤さんの実際の意識はどうだったのでしょうか。 伊藤:育休を取らなかったのは確かです。そこだけ切り取られると女性活躍に反する人のようなのでが、体調も含めて、休まず働くことを自分で選択できる恵まれた環境にあったということです。   特に2人目は出産を挟んで、2000年の高齢者住まい法(高齢者の居住の安定確保に関する法律)の改正に携わりました。ちょうど介護保険制度ができて、高齢者の住まいについて大きく議論がされていた時期です。私も、人の暮らし、一生を考える上で住まいは大切だと思っていました。子どものころ、祖父母と同居していたことも影響しているのかもしれません。  上司から「法案をやらないか」といわれて、「やりたい」と即答しました。その数カ月後に妊娠がわかったのです。それでもやりたいワケですよ。何とか、育児と両方できないかとあがきました。 伊藤明子さん(手前)にインタビューする編集長の鎌田倫子(撮影/写真映像部・松永卓也) ――懐に温めていたテーマだったのですか? 伊藤さんの仕事への情熱の原点はどこにあるのでしょう。 伊藤:学生時代からこんなふうに思っていたのです。列車の窓から、夜に街を眺めると、たくさんの窓に明かりがついている。光の中に一人の一人の生活が詰まっている。それを想像すると、いとおしいなあと。暮らしや住まいに関わる仕事をしたいとずっと思ってきたのです。  2000年の改正を経て、サービス付き高齢者向け住宅を創設した2011年の法改正にもかかわりました。そのころには立場も課長補佐から課長になっていて。ちょうど民主党政権下でしたね。高齢者の施策を考えるとき、ハード面の国土交通省と生活サービスという厚生労働省の両方の視点が必要で、そういう境界領域に取り組めたのは良かったと思っています。 ――とはいえ、今なら会社や上司から「休みなさい」と言われるでしょうね。 伊藤:育児は1年で終わるワケではないですし、何とか受け入れてくれる保育園があったことも含めて、私の判断を尊重してもらったのは恵まれていました。もちろん、休みたい、休まざるを得ないのに休めないのは論外です。  しかし、後輩からは真剣に怒られましたよ。「あなたがそんなことをするから……大変迷惑なモデルになるんです!」と。ごめんなさい、ごめんなさいと平謝りました。 「いまは過渡期」と話す前消費者庁長官の伊藤明子さん(撮影/写真映像部・松永卓也)  まだまだ日本社会は過渡期にあるのだと思います。休むか休まないか選択できる、自由に休んでいいといわれても、やはりそこは自由じゃない。世の中の空気がまだ偏っているから、今は強制に近いかたちで休むことを推奨しないと、本当に必要なときに必要な人が休めない。「休まないとダメって言われているから」と言わないと休みにくいのだと思います。休むのが、一般的になれば逆に「選択できる」ようになるのではないでしょうか。 「女性活躍」がなくなるのが究極の目標 ――ジェンダーギャップについても過渡期かもしれません。例えば、プライム市場の上場企業の女性役員比率など女性活躍の数値目標が掲げられています。 伊藤:私の直後の均等法世代と呼ばれる年齢の女性は、せっかく企業や省庁に入れても辞めた人も多いのです。採用の門戸は開かれたけれども、その後の環境が整っていなくて。  そもそも組織の中にいるその世代の女性の割合はかなり少ないんですよ。起業したり、国家資格を取って活躍する人が多いように思います。 ――組織の中で女性が増えると、景色だけでなく人の意識も変わってきますよね。今の20代の女性と話していると、感覚が自分と違うと思うことが度々あります。ジェンダー平等が浸透している世代です。 伊藤:これからどんどん変わっていきますね。大学卒が必ずしも必要だとは思いませんが、男女格差の例でいうと、大学の進学率も私の頃は男性4割弱に対して女性は1割強で、その差は大きかった。それが今は男女ともに5割程度です。  時間が経てば、女性の幹部は増えていくでしょう。ただ、スピードアップのためには現状の男女の差を考慮して、公平な機会が提供されるようにする数値目標などの施策が必要なんですね。  もう一つ。地方創生という視点から気になるのは、東京圏外出身者の女性は「自分の地域は、夫は外で働き妻は家庭を守るべきという意識が強い」と思っている人が多いこと。地元はアンコンシャスバイアスが強いと思う女性が東京に出てきて、戻らない現状があります。意識が変わるためにも、社会全体で頑張る必要があります。  今は大きな変化のための過渡期。バリアが取りのぞかれて、全員が公平な機会を最初から得られている状態があるべき姿なのです。女性活躍という言葉がなくなるのが究極の目標でしょうか。  その頃には、私の話なんておばあさんの繰り言になっちゃいますね。 ※【後編】女性の「私なんて」は実は楽? 「風に当たっても自分決めたい」前消費者庁長官伊藤明子さんが管理職を選んだ理由 に続く。 いとう・あきこ 1962年島根県出身。1984年京都大学工学部卒業。同年建設省入省。2015年国土交通省住宅局長、2019年消費者庁長官。22年退職。23年まち・ひと・しごと研究所 代表取締役、伊藤忠商事社外取締役、24年キヤノン社外取締役。
離婚後に際立つ「篠田麻里子」のスピリチュアル 月が大好き、ストレス解消法は神社参拝…目指すは「藤原紀香」か
離婚後に際立つ「篠田麻里子」のスピリチュアル 月が大好き、ストレス解消法は神社参拝…目指すは「藤原紀香」か 篠田麻里子(撮影/写真映像部・東川哲也)    タレントで俳優の篠田麻里子(38)が5月23日、自身のインスタグラムで生配信を実施。ファンから寄せられた質問に答えるなかで、“ストレス解消法”を明かす場面があった。  序盤から自信なさげに「私、本当、人前に出るのが苦手なんですよ……」と苦笑いを浮かべていた篠田。そんな言葉とは裏腹に、約50分間にわたって美容やワンオペ育児の苦労などを軽快に語り、ファンを喜ばせた。  2022年からの別居・離婚騒動により、一時休業状態となっていた篠田だが、今年1月期の連続ドラマ「離婚しない男―サレ夫と悪嫁の騙し愛―」(テレビ朝日系)で俳優復帰。同作では小池徹平演じる芸能マネジャーとの濡れ場を体当たりで演じ、AKB48時代の“高飛車”なイメージを一変させた。 「篠田が自由な形式で生配信を行うのは騒動後初とあって、コメント欄が荒れる可能性もありました。そのためか本人も相当緊張していたようで、配信では『3日前は、インスタライブ(のプレッシャー)に追い詰められて、泣いていて……』と精神的に追い込まれていたことを明かしていました」(テレビ情報誌の編集者)  だが、いざ配信が始まると、荒れるどころか「まりちゃん大好き」「かわいい」といった好意的な書き込みがずらりと並んでいた。 篠田麻里子   ワンオペ育児の悩みも吐露  エンタメ誌の記者は、現在の篠田についてこう話す。 「離婚騒動が時間とともに沈静化したのも大きいですが、『離婚しない男』で見せた本気の演技で俳優としてステップアップしたことも、世間の雑音を黙らせた一因でしょう。なお、篠田は騒動をへて思うところがあったのか、『去年、もうちょっと楽に生きよう』と心に決めたそう。それもあってか、配信では『(4歳の娘が)毎日“うんち”しか言わない』『“いってきますうんち”とか(笑)』と悩みを打ち明けるなど、以前よりも気取らず親しみやすい印象でした」  また、同配信では、篠田のスピリチュアルな面が垣間見える一幕もあった。  篠田は視聴者に向かって「今日、満月なので、本当ならインスタライブ見ないで満月見てほしい(笑)」と冗談交じりに呼び掛けていたほか、「満月と新月だけは欠かさず見てて、新月の時に願い事を書いて、満月の時に(書いた)願い事をチェックするみたいなことをやってるんですよ」と月にまつわる習慣について告白。実際、新月の日につづった目標が、満月の日に「かなってた」と思うことがよくあるといい、「ぜひやってみてください」と視聴者に勧めていた。  加えて、「ストレス解消法」を問われた際には、「神社行きます、参拝」と即答し、おすすめの神社に関して力説。こうした篠田の一面は、同じ事務所に所属し、「離婚しない男」でも共演した先輩俳優・藤原紀香を彷彿とさせる。 「かねて占いや月が好きだと公言してきた篠田ですが、藤原もブログで月の画像やそのパワーについてたびたびつづっていました。そんな2人はこれまで舞台やテレビで共演する機会もあり、仲の良い姉妹のように互いを慕っている様子。藤原のマインドに篠田も少なからず共鳴しているようです」(前出・エンタメ誌記者) 篠田麻里子   世間の風向きが好転したワケ  スピリチュアルな習慣が奏功しているのか、精神面も安定してきたようだ。  約1年前から「まりこの楽しい活動」を意味する「マリ活」というワードをSNSで用い、「Everything's gonna be alright(すべてうまくいく)」といったポジティブな言葉や、地球環境の問題についての投稿も増加。そんな篠田の考え方は多くのファンから共感を呼んでいるようだ。  篠田について、芸能評論家の三杉武氏はこう振り返る。 「騒動前、篠田さんは21年に『ベストマザー賞』を受賞するなど、ママタレントとしても存在感を放っていました。アイドル時代から長身を生かして女性ファッション誌のモデルを務め、同性ファンが多かったことも追い風になっていたでしょう。それゆえ、一部で不倫疑惑が取り沙汰された際には、一気に激しい逆風に見舞われました。もっとも、最終的には円満離婚という形で決着はつきましたし、『離婚しない男』での迫真の演技は視聴者からも高い評価を受けました。逆風の中で、幼い子どもがいながらも必死に再起を目指し奮闘する姿には、『いろいろあったけどママとして頑張っているよね』と世間の風向きも好転した印象です」  先輩の藤原紀香も一時はアンチが多くいたが、梨園の妻となってからはその評価が一変した。篠田の俳優人生もこれからが真骨頂だろう。 (小林保子)
宇宙から届いた「声」と「映像」子ども心に夢を育む NEC・遠藤信博特別顧問
宇宙から届いた「声」と「映像」子ども心に夢を育む NEC・遠藤信博特別顧問 端的な言葉で伝えるとずっと心がけてきた。事業部長時代に考えた「Flexible Mind」は多様性の受け入れだ。いろいろな場で使え、社長時代も口にした(写真:狩野喜彦)    日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年 6月10日号より。 *  *  *  1993年6月5日、ロンドンの国際海事衛星機構(インマルサット=現・国際移動通信衛星機構)で、持ち運びができる移動体通信の基地局「インマルサットM」が型式認定を受け、供給が始まった。独自技術で、世界で初めて開発した。マイクロ波衛星通信事業部のアンテナ開発部で担当課長のときだ。自然災害の被災地や国際紛争の地域における停戦交渉などの場で、重要な役割を果たした、携帯衛星通信の第1世代だ。  求められた規格に合致しているか、最終確認にインマルサットが持つ衛星回線を借りて、1カ月泊まり込んでゴールした。「M」の容量は20リットルで、重さは13キロ。20リットルは縦40センチ、横50センチ、厚さ10センチの箱に相当する。電池で通話やファクシミリが60分連続でできて、緊急通信用に各国で大使館などが利用した。 示した「強い意志」でアンテナ開発からプロジェクト担当へ  インマルサットは船舶の安全な航行に太平洋、インド洋、大西洋の上空に静止衛星を配置。装置が小さくなるにつれ、サービス対象が陸上の移動体や航空機へ広がり、北極と南極の付近を除く世界で使われている。  入社以来、大学院で学んだ電磁波論を基にアンテナの開発を中心に手がけたが、それだけでは物足りず、希望職種を出す文書に「システム全体をみる仕事がしたい」と強い意志を書く。読んだ上司が「インマルサットM」の開発プロジェクトを任せてくれた。メンバーには無線畑だけでなく、システムや装置の開発部隊も入れる。製造や検査の部門からも集め、幅広い集団にした。「M」の利用場面を様々に想定し、運びやすさや静止衛星の位置をたやすく捉える方法を考えるとともに、製品にして売る役まで果たすためだ。  この経験で仕事の領域が広がっただけでなく、プロジェクトマネージャーが持つべき要点も身に付いた。「意志」は、やはり、強く示したほうがいい。実は、ここに『源流』からの流れが注ぎ、勢いを増していた。 自立もたらした迷子体験(写真:狩野喜彦)   『源流』は、少年時代に育まれた科学技術への関心。流れ始めたのは、故郷の神奈川県大磯町だ。1953年11月に生まれ、両親と姉の4人家族。父は戦前、中国の南満州鉄道に勤め、大磯町出身の母と結婚する。戦後、生まれてまもない姉と3人で帰国し、東京・神田の交通博物館で副館長を務めた。NECに入社して多忙になるまで、大学院時代に学校から近い東京・大岡山に部屋を借りた以外は、大磯から通った。温暖な地で、おおらかな性格が形成される。  幼稚園のとき、園長が人工衛星が上空を通過する時間を調べて、園児を相模湾に面した砂浜へ連れていってみせてくれた。はるか高く、白く光る粒が動いたのを、いまも覚えている。科学技術への関心が湧き、『源流』の水源が生まれた瞬間だ。 米大統領の暗殺をリアルタイムで観て科学技術の力に頷く  大磯小学校4年生の63年11月23日、日米間で初の衛星によるテレビ中継があった。観ていたら、ケネディ米大統領が暗殺され、衝撃を受ける。同時に、海の向こうで起きたことを電波でリアルタイムに報じた衛星通信に、驚いた。「科学技術はすごい」と頷き、水源から湧き出た『源流』が流れ始める。  小学校から算数が好きで、大磯中学校でも県立平塚江南高校でも数学に打ち込み、進路は東京工業大学工学部の電子工学科を選ぶ。大学院の修士課程、博士課程へと進み、電磁波の研究で工学博士の学位を取得。ただ、研究生活に残るつもりはなく、学んだ無線の世界で就職先を考えて81年4月、日本電気(NEC)へ入社した。  配属先は、横浜事業場のマイクロ波衛星通信事業部。地上マイクロ波の中継や衛星通信用アンテナの開発に参加し、以後20年余り、衛星通信や携帯電話の基地局などを手がけた。「インマルサットM」の開発に成功した後、課長から担当部長へ昇格し、さらに小さいA4判サイズの「インマルサットミニM」の開発も指揮をする。  2003年4月、横浜事業場でモバイルワイヤレス事業部長になった。ここで、無線装置の品質を上げるため、自らに言い聞かせたのは「トップは部下たちに『ぶれている』と思われては絶対にいけない」だ。毎日、通勤電車でつり革につかまりながら、部下たちにどう言えば思いがきちんと伝わるか、考えた。短いフレーズで、言えば誰もが「あれだな」と分かるのがいい。選んだのが「Strong Will」だ。  中学生になるころ、7歳上の姉に「あなたは意志が弱い。意志をもっと強く持たないと、事はできない」と注意され、「Where there’s a will,there’s a way.」という文言を教わった。「意志あるところに道あり」との意味だ。その「Will」という言葉が、脳裏に残っていた。 事を成すために部下たちに説いたWillとMind  ただ、事業部で「Will」を説いても、部下たちは「当たり前」と思うことがなかなかできない。「意志だけでは足りない。人の話を聞いて素直に受け取る能力がないと、いい答えはつくれない」と思い、半年後にひと言加えて「Strong Will and Flexible Mind」とした。強い意志と柔らかな心──事の成就には、成功を願う強い思いと他人の話を素直に聞いて歩む道を是正する心の余裕が必要だ、と繰り返したメッセージだ。  2010年4月に社長就任。残っていたリーマンショックの影響を処理した後、「これから先を、どうみなければいけないか?」という社内議論の場を設け、会社のロゴに新しい方向感を加えることを決めた。ロゴに入れる文言に「Orchestrating a brighter world」を選ぶ。 「Orchestrating」は望ましい成果を得るための結集を指し、音楽では編曲などを表す。情報通信技術の世界でもよく使われ、ここは「より輝く世界をつくろう」との思いを込めた。デザインに音楽のオーケストラから得て、指揮者の指揮棒の線を使った。文言の横に指揮棒を立て、23.4度に傾けた。23.4度は地軸の傾きで、「我々は世界に貢献している」と示したかった。  音楽は、小さいときに姉がバイオリン教室へいくのについていき、好きになった。自宅に父が姉のために置いたレコードも聴き、クラシック音楽ファンとなる。これも、『源流』を生んだ故郷・大磯町で溜まった水源の一つ、と言えそうだ。妻と一緒に年に4、5回、コンサートを楽しんでいる。  いま、強い思いを寄せるのは少年少女期の教育の在り方だ。人工衛星をみせてくれ、科学技術への関心を育んでくれた幼稚園の園長先生。小学校6年生から始まった歴史の授業で「歴史を覚えるよりも、その積み重ねで今日があると知るのが好き」となり、「自分は記憶力で勝負するよりも、物を考えて価値をつくる道が合っている」との思いを育んだ学校。  現在の教育は「教える」に力や関心が集まり、「育む」が置き去りにされている、と思う。だから、少年少女期の教育に、何か関わりたい。『源流』からの流れは、次にどこへどう向かうのか。目が離せない。(ジャーナリスト・街風隆雄) ※AERA 2024年6月10日号
「1日100円で弁当作れ」妻が「モンスター化」のケースも 男性のDV被害相談が増加
「1日100円で弁当作れ」妻が「モンスター化」のケースも 男性のDV被害相談が増加 (写真:Getty Images)    パートナーからのDV被害を訴える男性が増えている。警察庁によると、警察に相談や通報をした男性は2023年に2万6175人で全体の約3割。13年に3281人(6.6%)だった男性被害者は、18年には1万5964人(20.6%)と増加傾向にある。背景には何があるのか。AERA 2024年6月10日号より。 *  *  *  改正DV防止法が4月に施行された。身体的暴力以外に、言葉や態度で追い詰める「精神的な暴力」も保護命令の対象に含まれる。 「男性も身体的暴力をふるう人はかなり減りました。いま目立つのが男女ともに言葉による暴力です。精神的な暴力も保護命令の対象になったことで、互いの言動により慎重になってくれればと思うのですが……」  こう話すのは、DV加害者の更生プログラムと被害者の支援を実施しているNPO法人「ステップ」の栗原加代美理事長だ。 「男性がDV被害の相談に来るケースは増えています。一方で、加害者の更生プログラムに参加する女性も増えています」 背景に女性の社会進出  更生プログラムは男性加害者が8割、女性加害者が1割、加害者と被害者のカップルでの参加が1割という。栗原理事長は男性被害者が増えている背景に「女性の社会進出」を挙げる。 「DV加害者は体力的にも経済的にも強者である男性にかつては限定されていましたが、女性も外で働くようになり、男女の力関係が大きく変化しました。暴言を吐くし、叩くし、ものを投げるんです」  共稼ぎカップルが多くなって増えたのが、女性が男性に文句を言い募るケースだという。女性の方が収入が多い場合、「男のくせになんでもっと稼げないの」と馬鹿にする。あるいは、「なんで家事を手伝わないの。私だけにやらせて」と繰り返しなじる。男性は我慢を重ねて従うものの、ついに切れて「うるせえな」と言い返した瞬間、DV加害者に仕立てられることも。 「仕事に就かない」「不倫をした」「借金をした」といった夫のマイナス要素に直面したことがきっかけとなり、妻が「モンスター化」していくケースもある。 AERA 2024年6月10日号より    夫の不倫が判明した後、いっさいの家事を夫にやらせることにした妻は「1日100円で弁当を作れ」と無茶を命じたり、風呂場に少しでも汚れが残っていたりすると、殴る蹴るの暴力を夫にふるっていた。  優柔不断でなんでも妻に相談しないと決められない夫がターゲットになるケースもある。妻は常にイライラし、「あんた、能無しよね」ととことん夫を見下していく。「ビール買ってきて」と言ったのに、間違えて日本酒を買ってきた夫に「なんで私の言うことを聞いてないのよ。買いなおしてきなさい!」とお酒の瓶を夫の顔に投げつけた。額が切れて出血した夫が救急車で搬送され、DVが判明するケースもあったという。 「女性は体力面では男性に負けるという自衛本能があるため、とことん言葉で責め続けるんです」(栗原理事長) 女性加害者の多くが、幼少期に両親の夫婦げんかを見てきたか、虐待を受けてきた人だという。一方で一見、妻が加害者に見えるケースでも、妻とコミュニケーションをとろうとしない夫の「サイレントDV」が引き金になっていることも少なくないという。 「ステップ」では、米国の精神科医が生み出し、画期的な成果を収めている「選択理論」に基づくDV更生プログラムを15年前から導入している。 「怒りをセルフコントロールできるようになるので、怒鳴ったり叩いたり、否定したりする『怒り行動』が出なくなります。治療後はカップルの関係が修復され、再び同居する方々もたくさんいます」(栗原理事長)  1年間にわたって、「過去と相手は変えられない」ことを認知していく更生プログラムについて栗原理事長はこう解説する。 「認知行動療法と似ている点はありますが、選択理論はさらに論理的に、その認知がなぜ必要なのか、という根っこの思考を深める訓練に力点をおいています。理論的な手法なので男女ともに高い教育を受けた人ほど腑に落ち、効果が出やすいのが特徴です」 (編集部・渡辺豪) ※AERA 2024年6月10日号より抜粋
「ああ、あの高いラーメン屋さんね」 地元客に「高い」と噂されたラーメン店が10年経っても愛され続ける理由
「ああ、あの高いラーメン屋さんね」 地元客に「高い」と噂されたラーメン店が10年経っても愛され続ける理由 「中華そば 輝羅」の濃厚鶏そば(塩)は一杯950円。具材は鶏チャーシュー、穂先メンマ、刻み紫タマネギ、カイワレ。麺は細めストレートだ(筆者撮影)  日本に数多くあるラーメン店のなかでも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、その店主が愛する一杯を紹介する本連載。今回は埼玉で唯一無二の油そばを提供する名店「Handicraft Works(ハンディクラフト ワークス)」の店主・鶴岡祐介さんの愛する名店「中華そば 輝羅」をご紹介する。  埼玉県久喜市菖蒲町。県道12号川越栗橋線沿いに一軒の人気ラーメン店がある。「中華そば 輝羅」である。濃厚な鶏ラーメンが大人気の店で、埼玉の鶏白湯ラーメンの代表店としても知られる。 「中華そば 輝羅」/埼玉県久喜市菖蒲町下栢間2032-2/昼11時30分~14時30分(土日祝11時30分~15時)、夜18時~21時※材料無くなり次第終了、月曜夜と木曜終日定休)筆者撮影  店主の渋谷修一さんは埼玉県桶川市の出身。高校時代は横浜に住んでいて、横浜家系ラーメンにハマった。当時はラーメンブームのど真ん中で、「六角家」が特に好きだったという。  20歳で地元・埼玉に帰ってきてからも、引き続きラーメンの食べ歩きをしていた。大和田にあった「支那そば 天風」(現在は東鷲宮で「煮干そば とみ田」として営業)や上福岡の「麺屋 一鶴」(現在は富山県に移転)によく通っていた。  その後就職をし、工場で勤務をしていたが、リーマンショックの影響で会社が傾き、将来が不安になる。26歳の頃、妻と2人で店をやろうかと話し合ったという。  大好きなラーメンで独立をしたいと、上尾市にある人気店「麺処 慶」で修行させてもらうことにした。札幌味噌ラーメンの横綱「純連」の出身店で、濃厚な味噌ラーメンを提供していた。ここで一年間基本をみっちり教えてもらった。 「中華そば 輝羅」店主の渋谷修一さん(筆者撮影)  ここから渋谷さんは、独立するなら「鶏白湯」の店にしたいと考えるようになった。千葉県成田市にある「鶏の骨」のラーメンに衝撃を受け、鶏白湯に魅せられたのだ。 「鶏白湯の独特なクリーミーさは豚骨にはないものです。初めて鶏白湯を食べたときの衝撃は大きく、『これもラーメンなんだ!』と驚きました。単純に自分の好きなラーメンを極めてお店を作りたいと考えるようになり、鶏白湯の名店で修行をすることにしました」(渋谷さん) 「濃厚鶏そば(塩)」。鶏チャーシューも厚みがある(筆者撮影) ■「骨の量」に衝撃…スープを何度も何度も濾し続けた  その後渋谷さんは鶏白湯のラーメンを集中して学んでいく。まず驚いたのはその骨の量だ。大量の鶏の骨をペースト状になるまで6時間しっかりと炊き、それを搾ってスープにしていく。 「鶏白湯は“濾す”という作業がとにかく大変です。濾して搾ってはスープを取っていくんですが、一回だと濾しきれず、ザラつきがなくなるまで何度でも濾していくんです。うま味だけを抽出するために何度も何度も濾す作業が鶏白湯を美味しくするポイントです」(渋谷さん)  雑に扱うとそれがそのままスープに現れてしまうので、少しでも手を抜くと綺麗なスープは作れない。渋谷さんは修行しながら自分の納得のいく鶏白湯を追求し続けた。中華料理店でも修業し、2013年ついに独立の日がやってきた。 鶏そばのほか、つけ麺やチャーシュー丼、麻婆鶏丼などのメニューが並ぶ(筆者撮影)    地元から近い久喜市の新築の物件を借りた。最寄り駅はなく、決してアクセスが良いわけではないが、大道り沿いにあり、車通りも多い場所だった。夜にお客さんが来るかは心配だったが、最悪の場合、夜は居酒屋にするつもりでいたという。こうして「中華そば 輝羅」はオープンした。  当初は昼のみ営業だったが、地元客を中心にたくさんの人が来てくれた。しかし、その反応は渋谷さんの思い描いていたものではなかった。 「はじめはとにかく『高い』というクチコミばかりでした。当時780円で提供していましたが、それでもギリギリでした。ですが、口々に『高い』と言われ、地元の集まりに行って挨拶をすると『ああ、あの高いラーメン屋さんね』と言われる始末でした」(渋谷さん) 「輝羅」のラーメンは鶏白湯100%。何度も濾してスープを作るため、濾すたびにどんどんかさが減ってしまうのだ。思っていた以上にコスパが悪く、とても低価格で提供できるラーメンではなかったのである。 「高い」という噂とともに地元客は次第に離れていった。しかし逆にその後、「輝羅」のラーメンのクオリティに気づいたラーメンファンたちが来店し話題になっていく。おいしいラーメンはしっかりと広がっていくのである。 材料費は年々高騰している。そうしたなかでも「お客さんに向き合いながら、この味とこの店を守っていきたい」と渋谷さんは語る(筆者撮影) 「スープにどれだけ食材を入れたとしても、それはただの自己満足だと思います。それをどうお客さんに伝えられるかが重要です。お客さんにしっかりおいしいと感じてもらえるものを出さないと、どれだけこだわっていても意味がないんだということに気づきました」(渋谷さん) ■ブームは「鶏清湯」になったが…  その後、ラーメン界にはあっさり系の「鶏清湯」のブームが訪れた。「輝羅」でも鶏清湯のラーメンをラインナップしたが、ブームとは関係なく鶏白湯のラーメンがいつまでも売上No.1だった。「輝羅」は鶏白湯のおいしい店として認識されたのである。ラーメンの口コミサイト「ラーメンデータベース」では埼玉の鶏白湯部門で「輝羅」は1位となっている(2024年5月13日現在)。 「鶏白湯は豚骨のように熟成などのバリエーションをつけることが難しく、他店と違いをつけづらい特徴があります。そしてクセがない分、単調な味で飽きやすいので、鶏ガラだけでスープを取るのではなく、肉を入れてふくよかさを出すなど工夫しています。鶏は扱いやすいという利点はありますが、個性をどう出すかはお店の手腕にかかっていると思います」(渋谷さん)  大人気の「輝羅」だが、今後の課題として人手不足というのがある。現在の作り方では体力的な問題もあり、加えて、こだわりが強すぎて従業員に任せることもなかなか想像できないのが現実だ。 「『生まれ変わってもう一度この店をやるか』と聞かれたら、『同じことはやらない』と答えると思います。肉の値上げが止まらないことと、コスパがものすごく悪く手間もかかることを考えると、なかなかこれを続けることは厳しいというのが現実です。その中でお客さんに向き合いながら、この味とこの店を守っていければと思っています」(渋谷さん) 筆者撮影    おいしい一杯を残すために、店は本当に苦労している。渋谷さんは極めに極め尽くした自身の鶏白湯を守り続けるためにこれからも努力を重ねていく。(ラーメンライター・井手隊長) ※AERAオンライン限定記事
天皇陛下と雅子さまの31回目の結婚記念日 「全力でお守り」を貫き通す雅子さまへの深い愛
天皇陛下と雅子さまの31回目の結婚記念日 「全力でお守り」を貫き通す雅子さまへの深い愛 第74回全国植樹祭で拍手をしながら言葉を交わす天皇、皇后両陛下。雅子さまに話しかける天皇陛下の表情が優しく、柔らかい=2024年5月26日、岡山市北区、JMPA  1993年6月9日、当時皇太子だった天皇陛下と、皇后雅子さまの結婚の儀が、宮中賢所で執り行われた。それから31年の年月を、皇室番組の放送作家のつげのり子氏は「プロポーズの言葉を貫き通した31年」と話す。雅子さまへの深い愛情と夫婦の絆を天皇陛下の言葉から振り返る。 *   *   * 「皇室に入られるには、いろいろな不安や心配がおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生、全力でお守りしますから」  おふたりの婚約内定の記者会見で明かされた、皇太子さま(当時)から雅子さまへのプロポーズの言葉だ。  そして、ご成婚から31年の時を経ても、天皇陛下の皇后雅子さまへの愛情は変わらぬままだ。    天皇陛下は毎年2月、誕生日にあたって記者会見に臨んでいる。そのときの陛下のお言葉で、つげ氏の印象に残っているのは2000年の会見でのものだ。  その年の1月の歌会始の儀で、雅子さまは「七年(ななとせ)を みちびきたまふ 我が君と 語らひの時 重ねつつ来ぬ」と、陛下への深い愛情が伝わる歌を詠まれている。  その歌に関して会見で記者から質問され、陛下はこう回答されている。   「本人に見せてもらうまでは、あのような歌を詠んでいるということは私も知りませんでした。歌会始の当日は、少し恥ずかしいような気もいたしましたけれども、あのような気持ちを歌に詠んでくれたことを、大変うれしく思っています。  結婚して7年になりますけれども、この間、よき妻として、そして、よきパートナーとして、私を支えてくれていることを大変うれしく思っています。  数年後に歌を詠んだ時には、重ねてきた語らいが小言の言い合いになっていないようにしなければいけませんね」 (「平成12年皇太子殿下お誕生日に際し」から抜粋)   天皇陛下のユーモア  つげ氏は「重ねてきた語らいが小言の言い合い」という表現から、夫婦の「仲むつまじさ」が伝わってきたと同時に、天皇陛下のユーモアに感嘆したという 「この言葉の当時は結婚から7年間、仲良く暮らしてきた日常の中にはどこの夫婦でもそうであるように、ちょっとした意見の相違だったりとかが、天皇陛下と雅子さまにもきっとあったと思います。  夫婦の日常を明るく笑いに変えられた天皇陛下のユーモアのセンスが伝わってきた言葉ですよね。雅子さまも過去に記者会見(1998年)で、犬を飼っていることを話しながら『夫婦喧嘩は犬も食わぬ、と申しますけれども,喧嘩の種は割とよく拾って食べてくれるような気がいたします』と語られたこともあります」     【こちらも話題】 天皇陛下の声のボリュームをグッと上げて“お人柄”を伝える 「皇室番組」の舞台裏 https://dot.asahi.com/articles/-/210369   ご成婚祝賀パレードで沿道に集まった人々に手をふる皇太子さま(当時)と雅子さま=1993年6月9日  垣間見える「夫婦」の日常に、ほほえましさを感じる。しかし、この後、抜群のセンスのユーモアで語られることはなくなってしまった。体調不良のために、雅子さまが公務ができなくなったのだ。  つげ氏は、その状況をこう話す。 「療養に入られてから雅子さまにストレスがかからないようにおもんぱかって、記者会見での言葉に気を遣われる状況になったと推察されます。  雅子さまがご病気になられてからの天皇陛下の記者会見のお言葉を見ていても、陛下がご夫婦の関係性をユーモアを交えて語られることが一切なくなってしまいました。いま、振り返って、ユーモアにあふれた言葉を読み返すと、微笑ましくもあり、このときの言葉は貴重なものだったなと切なくも感じてしまいます」   天皇陛下が16回も使うフレーズ  雅子さまが適応障害と診断されたことが発表になった2004年以降、誕生日に際しての記者会見のムードは変わっていった。  そして、陛下が何度も口にする言葉があった。  つげ氏によると、天皇陛下は雅子さまに関して、「国民の皆さんには回復を温かく見守っていただければ』という趣旨の言葉を16回使っている。そして、「雅子をしっかりと支えていきたい」「できる限り力になって支えていきたい」という言葉も11回、話されていた。  つげ氏はそこに、天皇陛下の雅子さまに対する深い愛情を感じるという。 「これほど、何度も記者会見で話されているのは、陛下が強く心に決めていらっしゃったからだと感じます。また、陛下と雅子さまの絆の深さも伝わってきます。この回数が物語っていますよね。まさに、プロポーズの言葉『全力でお守りします』を貫き通してきた31年間だったと思います」    そして今年の2月の誕生日に際して、天皇陛下は雅子さまに関して、こう話している。 「雅子と結婚してから、二人で一緒に多くのことを経験し、お互いに助け合い、喜びや悲しみなどを分かち合いながら歩んでまいりました。  雅子は、娘の愛子の成長を見守りつつ、私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であるとともに、公私にわたり良き相談相手になってくれています。本当によくやってくれていると思い、助けられることも多いです。私も、今後ともできる限り力になり、支えていきたいと思っています。  30年を共に過ごし、雅子には、私からこれまでの感謝の気持ちを伝えたいと思うとともに、この先の人生も引き続きよろしく、と伝えたいと思います」 (「令和6年天皇陛下お誕生日に際して」から抜粋) 【こちらも話題】 「はい、チーズ」と聞こえてきそう! 雅子さまが天皇陛下をパチリと撮影した瞬間 https://dot.asahi.com/articles/-/199014   最高で最良のパートナー 「『この先の人生も』という言葉が、すごくいい」  つげ氏は、そう強調する。 「30年以上も一緒に過ごし、天皇陛下皇后陛下というお立場になられたわけですが、そうした公の関係性とは別次元で、どんな状況やお立場になったとしても、その役目を離れるときがきたとしても『いいパートナーでいましょうね』という意味を込められたのだと思います」  つげ氏によると、令和になってから毎年出てくる言葉もあり、雅子さまのことを「私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であるとともに、公私にわたり良き相談相手」とも口にしている。 「陛下と雅子さまは公私にわたり、最高で最良のパートナーでいらっしゃって、運命の人だったのだと改めて思います。そういう陛下のお気持ちを一番近くにいる雅子さまもわかっていらっしゃると思います」    最高で最良のおふたりであることは、言葉を振り返るだけでも伝わってくるが、つげ氏はさらに期待することがあると言う。 「2000年の言葉は結婚7年で、ざっくばらんなお話をされていました。その後、雅子さまのご体調に配慮され、言葉を選ばれているような気がしましたが、そういうものを乗り越えて、今では愛子さまも加わり、夫婦としてだけでなく家族の絆も深まっているので、いつの日か、天皇陛下から雅子さまとの日常に関して再びユーモアを交えてお話ししてくださるのではないかと期待しています」  31回目の結婚記念日も、天皇陛下と雅子さま、そして愛子さまとお祝いされたことだろう。 (AERA dot.編集部・太田裕子) ◎つげのり子/放送作家、ノンフィクション作家。2001年の愛子さまご誕生以来皇室番組に携わり、テレビ東京・BSテレ東で放送中の「皇室の窓」で構成を担当。皇室研究をライフワークとしている。日本放送作家協会、日本脚本家連盟会員。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)がある。
「自分が着くまで生きていて」 病気の元同僚のために800キロ離れたホスピスを目指し歩き始めた高齢男性
「自分が着くまで生きていて」 病気の元同僚のために800キロ離れたホスピスを目指し歩き始めた高齢男性 (c)Pilgrimage Films Limited and The British Film Institute 2022    ハロルド・フライ(ジム・ブロードベント)は元同僚の女性から余命幾ばくもない、という手紙を受け取る。ハロルドは返事を書き、妻(ペネロープ・ウィルトン)に声をかけて郵便ポストへ向かう。だがそのまま800キロ離れたホスピスまで歩き出し──。累計600万部のベストセラー小説の映像化である「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」。原作者であり監督も務めたレイチェル・ジョイスさんに本作の見どころを聞いた。 *  *  * (c)Pilgrimage Films Limited and The British Film Institute 2022 (c)Pilgrimage Films Limited and The British Film Institute 2022 (c)Pilgrimage Films Limited and The British Film Institute 2022    原作を書いたきっかけは夫から「病気に向き合う人々のためにウォーキングをしている人がいる」と聞いたことです。私の父が末期がんで闘病中で、父を失うことと向き合う意味もあったと思います。  ハロルドは元同僚の病を知り「自分が着くまで生きていて」と800キロの道のりを歩き始めます。彼はなぜ歩くのか? おそらくそれは「気づき」だと思います。彼は神を信じているわけではない。でも自分の足と体ですべてを体感しながら歩くことで何かが起こるかもしれない。未知の領域に踏み出さなければいけないという思いが彼を歩かせたのです。  本作で小説と映画は違う体験だと改めて感じました。小説では風景や人物を読者がそれぞれに想像してもらえるように描き、ある意味で自由度が高い。でも映画ではより世界をしっかり構築しないと信憑性が出ない。実際、本を書いている時、ハロルドの旅はすべて天気のよいイメージだったんです。でも撮影を観に行ったら「人生でこんなにずぶ濡れになったことはない!」というほどの悪天候でした。自分も英国人なのに何を考えていたんだ?って(笑)。そんななかで作品に力を注いでくれる俳優やスタッフに感動しましたし、このことは本作のテーマを忠実に再現していたと思います。歩く行為は自分ではコントロールできないものを受け入れることですから。 レイチェル・ジョイス(原作・脚本)Rachel Joyce/1962年、イギリス生まれ。俳優、ラジオドラマ作家を経て本作の原作『ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅』で小説家デビュー。7日から全国で公開    ハロルドは旅でさまざまな人に出会います。故郷で医師だったのにいまは清掃の仕事にしか就けない移民女性、ドラッグをやめられない若者──彼らは現代のイギリスを表しています。ハロルドは新聞記事で読むだけだったら彼らを理解できなかったかもしれない。実際に会ったからこそ彼らを理解できた。それが私がこの物語で伝えたいことのひとつでもあるのです。 (取材/文・中村千晶) ※AERA 2024年6月10日号
顔面「グーパンチ」殴られるのは逃げ場のないホテルや車内 DV被害の相談3割が男性 
顔面「グーパンチ」殴られるのは逃げ場のないホテルや車内 DV被害の相談3割が男性  (写真:Getty Images)    配偶者らパートナーからのDV被害を訴える男性が増加している。昨年、警察に相談や通報をした男性は全体の約3割だった。AERA 2024年6月10日号より。 *  *  * 「人に殴られるという滅多にない経験を、好きだった人にされたのは死ぬまで忘れられないと思います」  こう打ち明ける東京都の20代の会社員男性は、昨年夏まで約半年間交際した20代女性に繰り返し暴力を受けていた。  付き合い始めて数カ月後。「アルバイト先から給与が支払われない」と言う彼女のために家賃やサブスクの費用を肩代わりするようになった。その額は数カ月で数十万円に。女性は「お金がない」と言いながら整形手術をするなど浪費癖があった。男性が「もう少し出費を抑えたほうがいいんじゃない」と諭すと、女性は急に不機嫌になり、「グーパンチ」でいきなり顔面を殴ってきた。腕で顔を覆ってパンチを防ごうとすると、爪で引っかかれた。  殴られるのは逃げ場のないホテルや車内。さすがに無抵抗の相手を殴り続けるのは心が痛んで途中でやめるはずだと考え、「そんなに怒りが抑えられないんだったら、殴りたいだけ殴ってみろ」と言ったこともある。すると、全く容赦なく30発以上殴られ続けた。「この人は暴力をふるうことに全く良心の呵責がないんだ」。そう思い知り、金銭の問題も含めてこれ以上付き合うのは無理と悟った。別れ話を切り出すと女性は逆上し、「殺す」と言ってのしかかり、腕で首を絞めてきた。女性は華奢だが長身で腕をふりほどくのも、やっとの思いだった。身の危険を感じる局面でも、男性は一度も女性に暴力をふるわなかったという。正当防衛だと主張しても、やり返すとこちらがDV加害者に仕立てられかねない、と考えたからだ。しかし、身体的な痛みよりもつらかったのは、精神的ショックだったという。 「私自身、人を殴ったことはありません。人を殴る、という行為にはしる気持ちがそもそも理解できません。殴られている時は、どう受け止めていいのか分からない混乱状態に見舞われていました」  余程のことがなければ人は人を殴ったりしないはずだ。彼女を激高させるほどの落ち度が自分の側にあったのか。こうなる前に、なぜ自分は何とかできなかったのか。男性は殴られながら自問を繰り返したという。 AERA 2024年6月10日号より    周囲の反応も男性を苦しめた。「相手がヒステリックになっただけでしょ」「男なんだから、少し殴られたぐらい平気でしょ」。親身になってくれる人はいなかった。 「男の側が被害を受けたと言っても、大したことじゃないと思われるんです。友人からは、『結果的に別れられたからよかったじゃん』とも言われました。そういうことじゃないんだけどなって……」 言葉の暴力もあったが、ほとんどが身体的な暴力だった。女性は親と仲が悪く、つかみ合いのけんかをしたこともある、と語っていた。「沸点に達した感情を表す手段として、暴力が体内にインプットされてしまった人」。そんな印象が強く残ったという。 男性は彼女と別れた今も、殴られたシーンが不意によみがえることがある。 相談できぬ男性なお 「転職して東京で暮らすようになったのも、彼女の近くにいたいと思ったからでした。仕事の調子が悪い時、自分はなぜいま東京にいるんだろう、あんな暴力をふるう人間のためにかけがえのない人生の進路を変えられてしまった、もしかすると人生を棒に振ったんじゃないかと、とことん悪い方向に考えてしまうことがあります」  警察庁によると、パートナーからDV被害を受け、警察に相談や通報をした男性は2023年に2万6175人で全体の29.5%。女性の方が多い状況だが、13年に3281人(6.6%)だった男性被害者は18年には1万5964人(20.6%)と増加傾向にある。男性が被害を訴えやすい環境に変化しつつあるものの、「男だから」というジェンダー意識も相まって、DV被害を周囲に相談できない男性は依然として多いとみられている。  一方、加害の記憶に苦しむ女性もいる。東日本在住の看護師の50代女性は、アエラのアンケートにこんな言葉で始まる回答を寄せた。 「元夫が働かず、クズのような人でした」  修羅場は約10年前。2人の息子は当時、高校生と大学生。教育費がピークにさしかかっていた。住宅ローンも抱え、お金が最も必要な時期に「働かない夫」のために家計は突如、火の車になった。女性は2カ所の病院を掛け持ち勤務し、その合間に、入院した義父の世話もした。 働かぬ夫に怒り 「その時の気持ちはこっちが正義で、夫が悪。悪なんだから(夫は)懲らしめられて当然という感覚でした」 気づけば、日常的に夫を罵倒し、殴る蹴るの暴力を止められなくなっていた。  「夫がひきこもりにならず、働き続けてさえいてくれれば、私も夫もDVにかかわるような人生を送ることがない人間だったと思います」 虐待などのトラウマ経験のない女性がなぜ、DVの加害者になってしまったのか。事情を尋ねると、女性は罪悪感と後悔を口にしながら経緯を吐露した。  夫は新卒で大企業の研究職に就職。海外勤務も経験したエリート社員だった。感情をあまり表に出さず、まじめでおとなしいタイプ。喜怒哀楽がはっきりしていて感情の起伏が激しい女性とは対照的な性格だという。難点は「転職癖」。52歳までに官公庁を含め転職を7回繰り返した。理由はさまざまだった。 「上司と合わない」「仕事のレベルが低すぎる」「忙しい割に待遇が悪い」  どれも腑に落ちなかった。転職先が決まる前に辞職する場当たり的な行動も解せなかった。しかし女性は、正面から夫を問いただすことはしなかったという。 「若い頃は転職を繰り返すことがチャレンジ精神のようにも見えたし、高給を維持できる研究職の転職先がスムーズに見つかっていたこともあって目をつむることができました」 でも、と女性はこう続けた。「今思うと、夫に対する怒りや不信をずっと抱えていたのだと思います。DVをするようになって、私は許していなかったんだ、と自覚しました」 「動物以下じゃん」 「堪忍袋の緒が切れた」のは夫が52歳の時。「その年齢だと絶対に次の職場を確保できない」と諭す妻子の制止を振り切って辞職した夫は案の定、転職先を見つけられなかった。 「それ見たことかと。ぜいたくなんて言ってられない状況なのに、夫は『まともな仕事がない』と、そのままずるずると働かなくなり、自宅にひきこもるようになりました」  これを機に女性のDVが始まる。一方的に夫を怒鳴る日々が1年余り続いた。  ハローワークで仕事を探すよう促しても、「ろくな仕事はない」と拒む夫の背中を拳骨で叩きながら、「なに言ってんの!」と声を上げた。自宅にいてもほとんど家事をしない夫に「せめて買い物ぐらいして」と訴えると、「平日の昼間に外をぶらぶらしていると無職だと近所の人にばれる」とメンツを気にする夫にさらに苛立ちが募り、「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」と蹴飛ばした。  そして、「鳥や獣だって、巣立ちするまで子どもの世話をするのに、こうやって働かなくなったあんたは動物以下じゃん」と罵った。職場から帰宅し、「あー疲れた」とつぶやく女性に、「そんなに疲れるなら仕事やめて、みんなで生活保護を受ければ楽だよ」と返す夫にカチンときて、「ふざけんじゃないよ!」と罵声を浴びせた。 「言い返されると、怒りが増幅するんです」  別の部屋で寝ている夫のいびきも許せない。 「こっちが眠れないほど家計のことで苦しんでいるのに、いびきなんかかきやがって」 寝ている夫の枕元に詰め寄り、「うるさい! なに、いびきかいてんだよ。こっちは明日も仕事があんのに!」と怒鳴りつけたこともある。  夫は何を言われても、ただ黙っていた。蹴られても叩かれてもやり返さず、時折、「やめて」と言うぐらい。その反応も女性には気に食わない。 「やめてほしかったら働け!」  長男は大学院進学を断念して就職。東大受験を予定していた次男には「下宿代を捻出できない」と説得し、自宅から通える国立大学に志望先を変更してもらった。女性は息子たちとともに、夫に「出てけ!」と繰り返すようになった。夫は強く拒んだが、実家に追い出す形で別居。3年後に離婚が成立した。 「夫は今も実家でひきこもりの生活をしていると思います」 そう話した後、女性は少ししんみりしてこう言った。 「私と息子の3人が経済苦の状況で、夫が実家に出ていくのが合理的だと思っていました。でも今思うと、ちょっと気の毒だったかな。殴られたり罵られたりしても苦でないという人は世の中にいませんから」  冷静に振り返られるようになったのは、離婚から時間が経ち、夫との関係について距離をおいて考えられるようになったからだ。 「夫は社会人になるまでアルバイトをした経験もなく、バブル期に就職したので就職の大変さも全く味わっていません。常に居心地のいいところにいないと気が済まない、ずっと陽の当たるところを歩いてきた人が、52歳になって足もとが揺らぐ体験に初めて見舞われてショックだったんだと思います」 そしてこう続けた。 「夫はまじめで、趣味や息抜きできることがないから、仕事が気に入らないとそこにだけ意識が向いてしまったのかもしれません」 なぜDVを止められなかったと思うか問うと、女性は「相談できる人や場がなかった」ことを一因に挙げた。 「私にも心を許して話せる友人が周囲にいなかった。両親に相談しても仕方がないという気持ちもありました。人をケアする職業に就いているのに、家に帰ってくると怒りのスイッチが入ってしまう。自分自身も精神が壊れていく、という自覚がありました。ですから、DVをしていた時から相談できる人や場所がほしかったんです」 女性はDV被害者の相談窓口にしかアクセスできず、そこでは精神科や心療内科の受診を勧められたという。 「医師はカウンセリングをするわけではなく、抗不安薬や睡眠薬を処方するだけ、というのは職業上、知っていましたから、その時点で諦めました。今からでもカウンセリングを受けられるなら受けてみたいです」 罪悪感を払拭したい、と吐露する女性に同情しつつ、疑問もぬぐえなかった。アンケートの回答欄に元夫を「クズのような人」と表現した人物とは乖離があるように感じられたからだ。その点を問うと、女性は「反省する気持ちと憎む気持ちが同居」する複雑な心情を明かした。 「自分が逆の立場だったら、あんな言われ方をされたら居たたまれないだろうなと客観的に考えられるようになって、反省の気持ちがわきました。でも一方で、クズみたいな人だったから私はDVをやってしまった、という気持ちもあります。その両方の心情が振り子のように行ったり来たりしているのが正直な思いです」(編集部・渡辺豪) ※AERA 2024年6月10日号より抜粋
おじさん対応に疲弊 「自分のキャリアが潰される」と管理職を降りた女性たち
おじさん対応に疲弊 「自分のキャリアが潰される」と管理職を降りた女性たち ※写真はイメージ(gettyimages)    仕事に意欲がある女性が管理職になっても、会社を去るケースは少なくない。なぜ女性たちは辞めるのか。退職を防ぐにはどうしたらいいのか。AERA 2024年6月10日号より。 *  *  *  政府は、2030年までに女性役員比率を30%以上に増やすという目標を掲げている。ただ、男女共同参画白書(令和5年版)によると、22年の管理的職業従事者に占める女性の割合は12.9%にとどまる。就業者に占める女性の割合は45.0%と半数近いが、役職が上がるにつれて女性は少なくなるのが現状だ。一方、就業者に占める女性の割合が40~45%前後のスウェーデンや米国、シンガポールでは管理的職業従事者に占める女性の割合は30~40%台だ。  編著『なぜ女性管理職は少ないのか』がある大沢真知子・日本女子大学名誉教授は、こう指摘する。 「女性は『管理職になりたがらない』と言われがちだが、問題は日本の組織が(性別役割分担を前提にした)男性優先の昇進の仕組みを作っていることだ。その仕組みが残ったまま女性管理職を誕生させようとしても、現状が大幅に変わることはない」 キャリアを潰される  日本では、男性は家事や育児を妻に任せて仕事を優先させるのが当然とする考え方が長らく続いてきた。 「組織を優先させる人を高く評価すると、それができない人は組織に居づらくなる。組織優先の考え方は偏見ということを理解しないと、女性管理職が実力を発揮できる環境を作れない。子育て中の女性管理職の中には、理解されない中で孤独を感じながら状況を受け入れる人もいるが、『いまは子どもが大切』と退職していく人がいるのは当然だろう」(大沢名誉教授)  マスコミで管理職を経験後に退職した40代の女性も「男性ばかりの縦社会」に違和感を覚えた一人だ。  周囲の管理職は男性が多く、男性のコミュニティーの中だけで情報がめぐっているように感じたという。働き方や仕事のルールなどについての変更を男性上司に提案すると、「分かっているけど、変えるのは大変なんだよね」という言葉で終わってしまい、議論が進まないことも何度かあった。 AERA 2024年6月10日号より    中間管理職だったので権限は小さいのに、勤務時間は長い。自分の時間とエネルギーが吸い取られるような「不毛な忙しさ」が続き、「おじさんたちのアップデートをしているうちに自分のキャリアが潰されていく」と思うように。もっと役職が上がればその状況を変えられたのかもしれないが、社内を見回しても昇進していく女性は少なく、会社の方針を決める重要ポストに女性はほぼいない。「それまで心がもたない」と感じ、悩んだ末に退職を決めたという。女性は当時をこう振り返る。 「都合が良いところに『わきまえている』女性を置き、大事なところはボーイズクラブで固める。この先も変わらないんだろうな、と思った」 「わきまえる女性」  AERAが昨年12月にインターネット上で「女性管理職のホンネ」と題して行ったアンケートでも「男性社会」で苦労する女性管理職の姿が浮かび上がった。 「前職の管理職は全員男性で、奥さんは専業主婦。ハードに働いている人だけが管理職になっていた印象があり、その価値観の男性管理職と評価を比較されてしまうというプレッシャーはあったかと思います」(情報サービス、課長級、43歳) 「ビジネスの現場が、男性主体で時間の制約なく、会社のために人生を捧げることができる価値観で形成されてきて、制度や仕組みもそれをベースにしたものになっている」(教育・学習支援、部長級、52歳) 「女性が管理職になるには、男性が管理職になるよりもさらに周りへの気配り、コミュニケーション能力が求められます。ガラスの天井とはよく言ったもんで、会議などで男性の役職たちに疎まれず、めんどくさいやつだと思われず、でも役立たずとも思われないよう、的確な発言をするのに毎回とても緊張しています」(運輸、係長級、52歳)  なぜ、こんなにも女性たちは苦悩するのか。  21年2月には、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長(当時)、森喜朗氏が同委員会の女性たちについて「みなさん、わきまえておられて」と発言して問題になったが「日本では『意見を言う女性は女性らしくない』という価値観が家庭や学校など社会全体で作られてきた」(大沢名誉教授)からなのだろう。  そんな状態では、意欲のある女性たちが管理職を降りたくなるのも当然だ。  管理職になった女性たちの退職を防ぐには、どうしたらいいのか。 女性同士の連携が重要  大沢名誉教授によると、いま重視されているのは「女性同士の連携」だ。人数が増えると多様な意見が言いやすくなるので、数値目標を達成するまではとにかく女性管理職の数を増やしていく必要がある。つまり、辞めない環境づくりが何より大切なのだ。 「組織がダメなら、辞めるという選択肢はもちろんあっていいのです。でも、女性が辞めざるをえない状況を変えるためには、女性が意見を言いやすい職場にしていかなくてはいけない。そして、女性管理職が辞めた場合には本人にヒアリングをして退職理由を明らかにしたほうがいい。そして、職場の雰囲気や男性管理職の意識が変わらないことがいかに会社の競争力を下げているのか議論をすべきです」(大沢名誉教授) (フリーランス記者・山本奈朱香) ※AERA 2024年6月10日号より抜粋
「虎に翼」が「働く女性あるある」すぎる “非正規”よねは生きて弁護士になると信じる理由
「虎に翼」が「働く女性あるある」すぎる “非正規”よねは生きて弁護士になると信じる理由   「虎に翼」には働く女性の「今」が詰まっている/NHKの番組公式サイトから    朝ドラ「虎に翼」が前半を終えた。1914(大正3)年生まれの三淵嘉子がモデルなのにすべてが「今」だから、全く目が離せない。コシノ3姉妹の母(1913年生まれ)がヒロイン・糸子のモデルだった「カーネーション」(2011年度後期)以来だと思う。  「虎に翼」はシスターフッドの物語だ。シスターフッドに弱い私は、しょっちゅう泣いている。「カーネーション」にもシスターフッドは描かれた(泣いた)。だが、二つのシスターフッドはかなり違う。「カーネーション」のそれがヒロインの度量を表すものだったのに対し、「虎に翼」のそれは怒りとセットだ。女性の不平等すぎる現実への怒り。それでも前へ進むためのシスターフッド。それがこれでもかとばかり描かれている。  糸子は今日的な表現をするなら起業家(洋装店店主)だった。寅子(伊藤沙莉)は既存の組織に挑む人だ。挑んだ法曹界も、それ以前に法律も「男性がえらいです。以上終わり」の世界だ。己の度量だけではどうにもならない理不尽さ、それへの怒りがベースにあるから、「虎に翼」のシスターフッドは迫力がある。これはおまえの話なのだと、迫ってくる。  ここからは、よね(土居志央梨)と寅子の話をする。明律大学女子部法科の同級生だが、まるで違う。寅子は帝都銀行勤務の父のもと、お茶の水にある女学校を2番の成績で卒業、男性を「殿方」と呼ぶ。よねは農家の次女で、女郎屋に売られそうになり逃げてきてカフェで働く。「私は女はやめた」と「ボーイ」になった。そんな2人をつなげたものは法律で、寅子とよねは無二の親友になる――というのは嘘で、「虎に翼」はそれほど単純でない。 5月31日の放送回で寅子は司法省の門を叩いた。戦争が終わり、日本国憲法が公布される。国民の「法の下の平等」が明記された第14条に励まされ、人事課長を訪ねるのだ。名前、そして「昭和13年度高等試験司法科合格」を告げ、「私を裁判官として採用してください」と言う。6月から寅子は、三淵がたどった「日本初の女性裁判所長」への道を歩む、その号砲だった。 (C)NHK    一方、よねは消息不明だ。働いていたカフェは上野にある。1945年3月の東京大空襲で、カフェから逃げようとしていた。が、逃げたのか、とどまったのかは描かれていない。終戦後、疎開先から上野駅に着いた寅子がカフェの横を通った。「そこの店の人なら、空襲で亡くなったそうですよ」と教えてくれる人がいて、よねの情報はこれ以降ない。  それ以前だが、よねは高等試験に受かっていない。常にジャケットにズボンという服装をしているよねに、2次の試験官が「弁護士になってもそのトンチキな格好をするのか」と聞く。「トンチキはどっちだ」と言い返したと寅子に語り、「口述は完璧だった」と言う。それでも「自分を曲げない」と続け、「いつかかならず合格する」と宣言する。寅子の合格祝賀会は「悪いが行けない」と言った後、「遅くなったが、おめでとう」と言う。よねは正々堂々の人だ。  2人の縁はこの後も続く。修習を終え、1940年に弁護士となった寅子が就職した弁護士事務所でよねが働くことになるのだ。そこから寅子の苦戦が始まる。依頼主に断られ続け、法廷に立てない。よねは「別な方を」と言う依頼主を見て、「何が別な方だ、女が嫌だって言え、アホ!」と憤慨する。「私が頼りなさそうに見えたのよ」と応じていた寅子だが、その状況が1年以上も続き、結婚という選択をする。  まずは両親に見合いの設定を求める。心底くだらないが、結婚で信頼度を測る人が非常に多い、だから信頼度を上げ、立派な弁護士になるために結婚がしたい、と。「27歳の弁護士」に見合い相手は見つからず、実家の書生だった優三(仲野太賀)と結婚する。よねはこう言う。「逃げ道を手に入れると、人間、弱くなるもんだぞ」  弱くなる、という言葉が効いてくるのはずっと後だ。まずは「結婚=信頼」を得て、寅子に仕事が入るようになる。過去の判例からは難しい「妻からの離婚申し立て」案件を引き受けた時、寅子はよねにこう語る。「もしかしたら世の中の動きが変わる、小さな一歩になるかもしれない」。寅子の心境は、ナレーションが代わりに語ってくれた。「自分が先頭に立つ」「社会を変えていく」。トップランナーの使命感だった。 (C)NHK    よねは粛々と働いていた。寅子の案件も事務所の案件も。が、あくまでも補助的業務だ。どんな気持ちだろうと見続けた。よねは無口だし、ナレーションも補ってくれない。どうしても、今の自分の基準で考えることになる。すると、「大学同期が正規雇用でがんがん働いている職場にいる非正規雇用」という構図が浮かぶ。悔しくないだろうかと思ってしまう。  よねの心情を推し量るのは、自分を見つめる作業だった。63歳だというのに、活躍する同世代女性を見るともやもやする。嫉妬心と決別できないから、よねに肩入れする。自分の小ささを再認識する日々だったが、それだけで終わらせないのが「虎に翼」だ。寅子の、あえていうなら「勝者」の苦しさを感じる展開となった。きっかけは妊娠だった。  ある日、寅子は共に女性初の司法試験合格者となった明律の先輩と会う。法廷で活躍していたが、夫の故郷に行くことにしたという。彼女がこう言う。「婦人弁護士なんて物珍しいだけで誰も望んでなかった。結婚しなければ半人前、結婚すれば弁護士の仕事も家のことも満点を求められる。絶対に満点なんて取れないのに」。なんて今なんだ。「虎に翼」はうまい。  この時の寅子、妊娠しているが家族以外には告げていないという状況だった。そしてこれ以降、ますます仕事を増やす。よねは「これ以上、忙しくしてどうする」と言った。寅子は「しかたないじゃない、私がやるしかないんだもの」と返す。使命感が寅子を支えていた。  寅子が折れるに至る道も、実に今だった。母校での講演会を引き受ける。が、会場で倒れてしまう。医務室で恩師・穂高(小林薫)に妊娠していると話したのは、事情説明のつもりだったろう。が、ここから穂高の反応が「良き母になれ」一点張りとなる。驚き、「自分がここで止まったら、女性が法曹界に入る道が途絶えてしまう」と寅子は語る。世の中を変えるという使命感も語るが、穂高には全く届かない。「世の中はそう簡単に変わらない」「次世代が変えてくれる」。寅子は「はっ」と笑い、「なんじゃそりゃ」と吐き捨てた、ごく小さく。そして「家族が心配してますから、失礼します」と穂高のもとを去る。  ここから続く場面は、のどかな日常だった。よね、そして明律同期の弁護士・轟(戸塚純貴)がいつものように昼に弁当を食べている。轟が「赤紙が来た、故郷に帰る」と明かし、「おまえの仕事が増えていくぞ」と寅子に言う。男性が出征するからそうなるという話で、「ええ、そうね」と寅子。彼が去った。よねが言った。「なあ、私もやれるだけのことはするから。おまえは1人じゃない」 「1人だ」と寅子はずっと思っていた。これは時代を超えた「働く女性あるある」だと思う。自分にも思い当たる節がある。職場での「悪手」だったと悟ったのはだいぶ後だ。そこを「1人じゃない」と言ってくれたよね。立場の違いを気にすることはなかっただろうか。いや、よねは正々堂々の人。友人を思う気持ち、自分への信頼を背に、思いをまっすぐ口にしたのだろう。  だが、寅子がよねの言葉を咀嚼する前に、2人の関係は暗転する。事務所に戻ると穂高がいて、寅子の妊娠をみなに知らせていた。初めて知るよねは顔を硬直させる。所長らから休養を激しくすすめられた寅子は、力なく「そうですか、ありがとうございます」と返す。寅子に代わってのナレーション。「先頭に立ってすべてを抱えなくてもいいのか。寅子は去っていくよねを見ることができませんでした」 「虎に翼」は余白が多い。ナレーションが補ってくれるが、それにしても心情の解説が少なめなのだ。昼食での「1人じゃない」を寅子はどうとらえたのか。わからないまま寅子がカフェを訪ねる場面になった。「無責任だと言いたいんでしょ」と寅子。「自分1人が背負ってやってるって顔して、ちょっと男どもに優しくされたらホッとした顔しやがって」とよね。それならどうすればよかったのかと聞く寅子には、「知るか」。そして、「女の弁護士は必ずまた生まれる。だからこの道には二度と戻ってくるな」と言う。「言われなくてもそのつもりよ」と寅子。よねが映る。泣いていた。  寅子の心が折れる過程は、すごく納得ができた。でも、この日の会話の真意ははっきりしない。寅子はこの日を境に弁護士をやめ、出産。夫が出征、戦病死がわかったのは戦後だった。それから寅子が新しい道を歩き出したことは先述した通りだ。  よねは死んでない。寅子とよねの最後の会話の真意を、「虎に翼」ならきっと明かしてくれると思うから。そのためによねは生きていなくてはならない。新憲法下なら「トンチキな格好」でも合格できる。よねは生きて、弁護士になる。信じているのは、私だけではないはずだ。 (コラムニスト 矢部万紀子)  
経済効果わずか0.19% 4万円定額減税、遅きに失した? 6月スタート、仕組みも複雑
経済効果わずか0.19% 4万円定額減税、遅きに失した? 6月スタート、仕組みも複雑 5月22日の参院予算委で、立憲民主党の辻元清美氏(右下)の質問に答弁する岸田文雄首相。定額減税の質問もあった    6月から実施される定額減税。減税額は1人4万円とされているが、その仕組みは複雑だ。効果を実感し、政権の思惑通りに景気は上向くのか、疑う声もある。AERA 2024年6月10日号より。 *  *  *  岸田政権が命運をかけた「デフレ完全脱却のための総合経済対策」の一環として、所得税と個人住民税の定額減税が6月から実施される。納税者本人、生計を一にする配偶者、扶養親族に対し、各々1人当たり年間で所得税3万円、住民税1万円が減額されるというものだ。  たとえば、夫と妻、3人の子ども(扶養親族)という家族構成なら、合計で年間20万円の税負担軽減となる。ただし、所得制限が設けられており、2024年の合計所得額が1805万円(給与収入のみの場合は2千万円)以下であることが前提に。この所得制限を超えてしまった場合は、来年の確定申告で精算を行わなければならない。  今回の減税は、物価の上昇を踏まえての措置だ。コロナ禍を抜けて世界的に経済活動が再開されると、需要の急拡大でエネルギー資源や原材料の価格が高騰。円安も進んだことで、輸入物価が跳ね上がった。 脱「増税メガネ」?  政府の要請もあり大手企業は賃上げに踏み切ったものの、中小企業にはまだ浸透していないのが現実。物価上昇で生活が圧迫される世帯が急増し、税収の一部を国民に還元することになったわけだ。もっとも、この救いの手は遅きに失するものだったとファイナンシャルプランナーの深野康彦さんは指摘する。 「今年1〜3月期の実質GDP(国内総生産)は、前期比でマイナスに陥りました。これは、リーマン・ショックの前後以来15年ぶりに個人消費が4四半期連続で落ち込んだことが主因です。物価上昇が深刻化した昨年の時点で速やかに手を打っていれば、個人消費がここまで落ち込まなかったかもしれません」  後手に回ってしまったのは、減税という形式を選択したことが影響しているようだ。コロナ禍で実施したように、給付金として広く国民に分配する策のほうが明らかに手っ取り早い。ところが、岸田文雄首相は「増税メガネ」と揶揄されたことをよほど根に持っているのか、減税という手段に固執した。 AERA 2024年6月10日号より    しかも、減税なら消費税率の一時的な引き下げのほうが国民に歓迎されやすいうえ、システム的な対応も比較的容易。だが、財務省を口説き落とすのは無理だと判断したのか、岸田政権は時限措置の定額減税という手を選んだ。事務処理にも特別な対応が求められ、実施までに半年もの歳月を要するハメになった。  さらに始末が悪いことに、政府は6月1日に改正省令を施行し、事業者(給与所得者にとっては勤務先)に対して減税額の給与明細への明記を義務づけることにした。首相いわく、「給与や賞与の支払い時に減税の恩恵を国民に実感いただくことが重要」とのことだ。果たして、今回の減税はどこまで実感できるものなのか? 具体的な減税方法について、説明しておこう。 多少は手取りが増える  会社員はもとより、配偶者の扶養に入っていないパート勤務者やアルバイトも含めた給与所得者は、所得税が今年の6月から、住民税が今年の7月から減税されることになる。6月の給与から源泉徴収される所得税から3万円が差し引かれ、引ききれない場合は翌月以降の源泉徴収分から残額が減税される。  たとえば東京都在住の30歳会社員で月給の額面が38万円(年収456万円)だった場合、月々の源泉徴収される所得税は本来なら9千円だ。定額減税の実施によって6〜8月の所得税負担はゼロで、9月は9千円から残る3千円が差し引かれた6千円になる(ボーナスは考慮せず)。4カ月間の期間限定ではあるものの、多少なりとも手取りが増えることは確かだ。  住民税については、本来の納税額から1万円の減税分を差し引く。そして、その金額を11分割した金額を今年7月〜来年5月まで納付する。所得税のパターンとは違い、こちらはあまり税負担が軽くなった印象を抱きにくいというのが実情だろう。  残念ながらフリーランスや自営業者などの事業所得者は、減税の恩恵を受けるのが先の話になりそうだ。来年の2月17日〜3月17日に所得税(24年分)の確定申告を行った際、3万円の特別控除が適用される。ただし、予定納税を行っている事業所得者については、今年の7月徴収分から減税を受けられる。 AERA 2024年6月10日号より    一方、所得税や住民税が非課税となっている世帯については、定額減税とは別に給付金支給制度が設けられる。住民税の非課税世帯は昨年に「電力・ガス・食料品等価格高騰重点支援地方交付金」として3万円が給付されていたが、新たに7万円が追加される見通しだ。 コスパの低い政策  これに対し、所得税が非課税で住民税の均等割のみ課税だった世帯は、前述した3万円の給付を受けていなかった。しかし、今回の定額減税を踏まえて、そういった世帯にも10万円が給付されることに。さらに、所得税・住民税が非課税の世帯、住民税の均等割のみ課税の世帯で18歳以下の子どもがいる場合は、1人につき5万円が追加される。  大半の国民を対象とした定額減税と給付金には、当然ながら膨大な予算がかかっている。問題は、そのコストパフォーマンスだ。野村総合研究所エグゼクティブ・エコノミストの木内登英さんは次のような見解を示す。 「今回の合計5兆1080億円の減税および給付の経済効果を試算すると、1年間で実質GDPを+0.19%押し上げることになる。結局は国民負担となる5兆円という巨額の資金を使いながら、1年間の景気浮揚効果は+0.19%と限定的であり、費用対効果の低い政策と映る」  GDPの押し上げ効果がここまで低いのは、今年のみの実施という時限措置だからだ。恒久化や延長を求める声も出ており、自民党の木原誠二幹事長代理はテレビ番組に出演した際、「またデフレに戻る可能性があるなら、来年も考えなければいけない」と発言。減税を継続する可能性について言及した。  しかしながら、すぐさま林芳正官房長官は慎重な姿勢を表明。鈴木俊一財務相も記者会見で、1回限りとする従来の政府方針を強調している。景況感がさらに悪化するなど、政府が危機感を強めない限り、減税は今年限りのものとなりそうだ。 将来の国民負担増へ  経済政策としての効果はさほど期待できないことだけでなく、「結局は国民負担となる」との木内さんの指摘も気に留めておくべきだろう。目先では年間4万円の減税を受けられるが、その予算には税金が投じられているうえ、いずれは国民からその分が回収されるのが必至だろう。 AERA 2024年6月10日号より   「非課税枠を拡充した新NISA(少額投資非課税制度)に定額減税、さらにiDeCo(個人型確定拠出年金)の拠出限度額見直しなど、このところ国民はアメをしゃぶらされ続けています。どこかのタイミングで、増税(ムチ)が待ち受けていることは覚悟すべきかも。国民のフロー(収入)はなかなか増えないので、ストック(保有している金融資産)への課税強化も考えられます」(深野さん)  実際のところ、反対を押し切って昨年10月から導入されたインボイス制度も、紛れもなく課税強化策である。また、厚生労働省は医療・介護保険の保険料算定に、勤労所得水準だけでなく、金融所得も反映させることを検討し始めている。  こちらも国民負担増に結びつくものであるし、先送りされた防衛増税にしても、いずれは実施されることになるはずだ。先々のことも見据えると、今回の減税は手放しで喜べるものではない。  なお、最後に余談だが、定額減税によって、ふるさと納税の控除額上限を計算する際に用いる「所得割額」が減ってしまうことを危惧している人が少なくない。だが、控除額上限は定額減税実施前の「所得割額」で計算されるため、ふるさと納税への影響はないのでご安心を! (金融ジャーナリスト・大西洋平) ※AERA 2024年6月10日号
闘病中のキャサリン妃に「英国民の深い愛情」 チャールズ国王「奇跡的な回復」の影にカミラ王妃
闘病中のキャサリン妃に「英国民の深い愛情」 チャールズ国王「奇跡的な回復」の影にカミラ王妃  英王室はいま、シニアロイヤルのうち2人ががんに罹患するという異常な状態にある。その2人とは、チャールズ国王(75)とキャサリン皇太子妃(42)。それぞれ、現在はどんな様子なのだろうか。 チャールズ国王が選んだのは、ピンク地の恐竜柄ネクタイ 2024年4月30日、ロンドンのがん専門病院を訪問し、集まった人たちに手を振るチャールズ国王とカミラ王妃 。チャールズ国王のネクタイに注目が集まった(photo AP/アフロ)  チャールズ国王ががんを公表したのは、今年2月のことだ。治療を続けた結果、4月30日には宮殿外での対面公務に復帰。カミラ王妃(76)と一緒にがん専門病院などを訪問し、専門家や患者と親しく話した。  この日、目を引いたのがチャールズ国王のネクタイだ。ピンク地に無数の恐竜(ティラノサウルス)が並ぶかわいらしいデザイン。気づいた人々には笑顔が広がり、「国王はがんに立ち向かう覚悟や勇気をユーモアに包んで示した」と報じられた。すると今度は、動物や自然現象をテーマにしたロンドンの自然史博物館が、展示中のティラノサウルスの骨格標本に国王がプリントされたネクタイをつけた。博物館による粋な公務復帰のお祝いだった。  5月8日、チャールズ国王はバッキンガム宮殿で、約8千人のゲストを招いたガーデンパーティーを開催した。会場で国王は、できるだけ多くの人と接しようと歩き回り、ジョークを連発。医師からは、時間の短縮と握手する人数の制限を求められたが、耳を貸さなかったという。その後も、スナク首相との会談など48時間のうちに5つもの大きなイベントをこなし、メディアは「奇跡的な回復」と書き立てた。  チャールズ国王は、外国訪問も予定している。6月6日には、フランスのノルマンディー地方をカミラ王妃と公式訪問する。第二次世界大戦中の1944年、ノルマンディー上陸作戦が行われてから今年で80年。チャールズ国王とカミラ王妃は各国の首脳が集まる記念追悼式典に参加する予定だ。  6月15日にある国王の「公式誕生日」にも出席を決めている。公式誕生日は「トゥルーピング・ザ・カラー」と呼ばれ、兵士たちによるパレードなどが行われる。2度目の公式誕生日となるチャールズ国王だが、今回は騎乗ではなく馬車に乗ることにするという。エリザベス女王が晩年に騎乗から馬車に切り替えたことを踏襲したものだ。 カミラ王妃の人気じわじわ上昇中 結婚から3年後にそろって来日したチャールズ国王夫妻。天皇陛下が羽田空港で出迎えた。チャールズ国王も天皇陛下も当時はともに皇太子だった=2008年10 月27日(代表撮影)  がん療養を経て精力的に活動するチャールズ国王。その傍らで国王を支えるカミラ王妃の人気がじわじわと上昇中だ。  かつてチャールズ皇太子(当時)とダイアナ妃(故人)の結婚を壊した悪女として、国内外から嫌われたカミラ王妃。ダイアナ妃の死後8年経った2005年に国王と再婚。以降はロイヤルファミリーの中で常に控えめにふるまってきた。今回の国王の療養中は、愚痴ひとつこぼさず君主代理として公務に励み、王室を支えた。英国内では「76歳でヒールのある靴で国民の前に立つだけで大変。努力家だと思う」と評価する声があがった。  昨年5月の戴冠式から一年経つのを機に行われたロイヤル好感度調査では、カミラ王妃は昨年と比べ5%上昇して43%になり、過去最高となった。再婚から約20年間を経て、英国民に受け入れられつつある。  この好感度調査で69%の支持を集めて1位だったキャサリン妃は、今年3月にがんの罹患を公表してから、公に顔を見せることはない。ウィリアム皇太子(41)は公務の際にキャサリン妃の様子を聞かれると、「順調に回復していますよ」と短く答えているが、その動向を知りたいと願う人は多い。 絶大な人気を誇るキャサリン妃。がんを患っていることを公表する前の2023年12月5日、ロンドンのバッキンガム宮殿で行われた外交団員向けのレセプションで来賓と面会した(写真:代表撮影/AFP/アフロ)  キャサリン妃は年内は公けに顔を見せる予定はないという情報が流れた一方で、先日、外出する姿が見られたという。写真がないために詳細はわからないが、人々は、これを機に妃が公務復帰するのではないかと色めき立った。しかし、英王室は以前より「医師の許可が出るまでは復帰しない」と発表していて、その文言に変化はない。それほどキャサリン妃への英国民の愛情が深いということだろう。  チャールズ国王とキャサリン妃。2人がそろってバッキンガム宮殿のバルコニーに姿を見せる日が待たれる。 (ジャーナリスト 多賀幹子) *AERAオンライン限定記事

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