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紀州の「ドン・ファン」元妻が詐欺事件公判で持論展開 「男の人は性欲がからむとバカになる」「カネを払わせる自信はあった」
紀州の「ドン・ファン」元妻が詐欺事件公判で持論展開 「男の人は性欲がからむとバカになる」「カネを払わせる自信はあった」 須藤早貴被告と野崎幸助さん    和歌山県田辺市の「紀州のドン・ファン」と呼ばれた和歌山県田辺市の資産家、野崎幸助さん(当時77)が2018年に急性覚醒剤中毒で死亡した事件で、殺人罪で起訴された元妻の須藤早貴被告(28)は、北海道の別の男性、Mさんから3000万円近い現金をだまし取ったとする詐欺罪にも問われている。この詐欺事件の公判が5月27日、和歌山地裁であり、被告人質問で須藤被告は容疑を否認。「男の人は性欲がからむとバカになる」などと持論を展開した。  検察側の冒頭陳述などによると、須藤被告は札幌市内の美容専門学校に通いながら、ススキノのキャバクラでアルバイトをしていた2014年10月ごろ、客として来店したMさんと知り合った。須藤被告はアルバイトをやめたが、その後15年3月から16年1月にかけて、 「美容専門学校の機械を練習中に壊したので300万円を弁償しないといけない」 「美容専門学校のコンテストで、腕を認められ海外留学ができる。留学準備金が1500万円、手数料が7万円で合計1507万円が必要」 「東京で美容コンテストがあり、出場したモデルの女の子の髪を傷めたり、やけどさせたりした。慰謝料等の合計が1174万6560円になった」  などと3回にわたって嘘をつき、合計約2980万円をだましとったとされる。  5月27日の公判では、須藤被告はそれまでつけていた白いマスクを外して顔をあらわにし、「パパ活」についての持論を語った。  Mさんと親しくなったきっかけについては、 「キャバクラでお酒を入れてもらわないといけないので、20歳と言っていた。けどMさんがしつこいので、18歳で美容の専門学校に通っている、親がお金を出してくれないので、キャバクラでバイトしている苦学生だと説明したらMさんは食いついてきた。胸がEカップというとさらにです」  キャバクラのアルバイトを辞めた理由は、 「(Mさんから)キャバクラのバイト代と同じ金額をお手当で払うのでやめてほしいと言われました。2014年12月にはやめて、愛人関係になった」。 【PR by 暮らしとモノ班】 今がシーズン♪ 親子で楽しめる潮干狩りグッズおすすめ8選 https://dot.asahi.com/articles/-/222384 2021年4月、捜査員に連行される須藤被告(中央)。このあと野崎さんの事件で逮捕された 「お手当」と「お小遣い」は総額650万円  その後、毎月、Mさんから 「お手当をもらっていた。月20万円です。会うのは週一で、カラオケに行きます。そこで、Mさんから体のあちこちを触られます。あった時は10万円を別にお小遣いでくれました」  と話した。「愛人関係」にあったという約1年1カ月で、Mさんからの「お手当」「お小遣い」は総額650万円相当にのぼるという。こちらは詐欺事件として立件されていない。  須藤被告が「学校の機械を壊した」と300万円をだましとったとされる15年の春、須藤被告は専門学校にもススキノにも近い札幌市内のタワーマンションに引っ越した。 「2LDKで、家賃は10万円超。ジェットバスがついていて、学生では借りれないタワマンでした。1人暮らしでしたが、1部屋は衣裳部屋にして、シャンデリアなどもつけて、家具なども買ったら300万円ほどかかった。美容学校は春休みだったので、機械を壊したと言ってないはず。引っ越し代かもしれないが、はっきりしない。けど(Mさんから)300万円と引っ越し代100万円、合計400万円をもらった」 「私は未成年で契約できないと不動産屋から言われた。そこで、Mが契約して私は孫ということで、住むことができた。けど、Mは部屋に入れませんでした。週一にカラオケで会うと、だんだん体を触るのがエスカレートしてきたので、何されるかわからなかったから」  留学準備金として1500万円余をだまし取ったとされるのはタワマンに住み始めて3カ月ほどした15年7月ごろ。 「留学のことは前にもMに言った。時間かかるが、と言いながら出してくれた」  1500万円が須藤被告の口座に入金された後のこと。 「カラオケで体を触られたのですが、前戯のように体を愛撫され、一番ひどかった。『Mちゃんやめてよ』と私が立ち上がったら、Mはプライドが傷つけられたのかやめてくれました。それでも1500万円払ったからなのか、『これでホテル行けるよね』などと言い始めた。それまでMは、未成年の体を触りまくることが好きな変態かと思っていたが、ガチでしたいんだとわかった。そのころ、お金でセックスするなんてことは全然頭になかった」  その後も、須藤被告はMさんから「お手当」と「小遣い」を受け取り続けた。  1100万円余りを詐取したとされることについては、「ダメ元」だったと言う。 「SNSで募ったモデルさんと美容学校のコンテストでトラブルになったのは事実。ただ、Mに1100万円をダメ元で頼んだのは、2万5000円ほど私が弁償して、トラブル解決後でした」 「Mは私が未成年で、巨乳であることを気に入っていた。けど、成人式が近くなりエッチもできそうにないし、切られるだろうと思い始めていた。Mは成人する前の私の体を狙うようなメールも送って来ていた。そのころもカラオケで会っていたが、じゃれあいながら『もうちょっとでやれる』『今日はこのくらい』とちょっとずつ触らせて、1100万円出せばやれるんじゃないかと思わせようと、ボーダーラインを作っていた」  1100万円余りが入金されたことについては、 「男の人は、性欲がからむとバカになるというか、IQというか低くなる。Mの好みはわかっていたので、カネを払わせる自信はあった」  と言った。 「キャバクラは嘘ありきの世界」  そして、詐欺ではないと主張する理由についてはこう主張した。 「キャバ嬢と遊ぶにはカネがかかる。Mは銀行勤めから退職し、何億円もあるとかいう資産家らしいので1000万円くらいもらっても大丈夫と思った。銀行勤めでお金のことに詳しいので私が嘘言っていたことはわかっていたはず。それに嘘を言ってお金をもらったのは事実ですが、留学もカットモデルも、現実にはあった話。それをふくらませているだけ。キャバクラは嘘ありきの世界で、Mもわかっている」  資産家からは、お金をだましとってもいいというような理屈に聞こえる。  Mさんへの弁済の意思を聞かれると、 「逮捕され拘置所とかいるときは、ちょっとくらいならと考えた。けど、Mは法廷で嘘ばかりいうので、そういう気持ちになれない」  と述べた後、裁判所に訴えるようにこう話した。 「(だまし取ったとされる)お金は体を触る対価と(Mさんの家族などへの)口止め料です。私が詐欺師と言われるなら、Mは嫌がる私にお金を渡して体を触る性犯罪者。Mは全面的に私の言い分を信じて騙しとられたのではない」 Mさんのお金で旅行し、1年後には野崎さんと結婚  Mさんから受け取ったカネの使い道は、 「海外旅行と国内旅行、そしてブランド品に使いました」  と語った。  検察の冒頭陳述によると、須藤被告はMさんから16年1月に1100万円余りをだまし取った後、同年6月からの韓国旅行や、同年12月から17年1月にかけてのフランス旅行の代金を支払っていた。  須藤被告が和歌山県の資産家、野崎さんと結婚したのは18年2月。野崎さんの自伝には、須藤被告が「羽田空港で転んだ私を優しく助けてくれた」のが出会いで、「ファッションモデルとして海外も飛び回っている」とも記されていた。  須藤被告が殺人罪などに問われている野崎さんの事件の裁判は、まだ始まるめどがたっていない。須藤被告がどんな主張をするのかも現時点では不明だ。 (AERA dot.編集部・今西憲之) 〈おことわり〉 須藤被告は詐欺事件の当時は未成年でしたが、殺人という重大事件の被告となっていることなどを考慮し、実名で報じました。
中村哲医師と共に命を落とした5人のアフガニスタン人 心臓の弱い娘を残し死亡した護衛も
中村哲医師と共に命を落とした5人のアフガニスタン人 心臓の弱い娘を残し死亡した護衛も 死亡した護衛マンドザイの妻ナフィサ(右端)が、中村医師のNGOや日本大使館へのメールに添付した写真。残された子ども6人への支援を訴えている(写真:ナフィサさん提供)    2019年12月、アフガニスタンで医療活動や人道支援に尽力した中村哲医師が殺害された。あれから4年半。実行犯や襲撃の背景は徐々に明らかになる一方、共に亡くなった5人のアフガニスタン人のことはほとんど語られてこなかった。彼らはどんな人物だったのか。AERA 2024年6月3日号より。 *  *  *  2019年12月4日午前8時ごろ、中村哲医師の一行はアフガニスタン東部ナンガルハル州の定宿から灌漑の事業地に車で向かっているところを待ち伏せされ、銃撃された。車は防弾仕様ではなく、中村医師の隣でハンドルを握っていた運転手のザイヌラ(34)と、後部座席や後続車両で銃を構えていた護衛4人は即死。中村医師は、上半身を撃たれて重体に陥り、病院に運ばれた。意識がもうろうとする中、声を絞り出すように「ザイヌラたちは無事か?」と医療スタッフに聞いたのが、最後の言葉になった。  干ばつに見舞われたアフガニスタンで多くの井戸を掘り、用水路を建設して緑をよみがえらせた中村医師。医師の役割を超えた功績は現地の人にも広く知られ、尊敬を集めてきた。その死の一報は、日本や現地はもちろんのこと世界中に衝撃を与えた。  だが、中村医師と共に命を落とした5人についての情報は、当時も今もほとんど公になっていない。2016~21年に朝日新聞アフガニスタン担当特派員だった私は、彼らがどんな人物だったのか気になり、事件直後から取材を続けてきた。現場で目の当たりにしたのは、彼らが残した妻子25人の悲痛な想いだ。妻子は事件直後に中村医師のNGOと現地政府(当時)から一時金を受け取ったが、収入を絶たれて生活は困窮。日本政府から救いの手は差し伸べられていないのが現状だ。  死亡した運転手のザイヌラは、中村医師が最も信頼していた現地スタッフの一人だった。中村医師が笑顔で写っている写真には、ザイヌラが隣にいるものが多い。弟ルドゥフラ(29)によると、ザイヌラは中村医師から「私の横にいて仕事を覚えるように」と言ってもらえたことを何より誇りに感じ、長女ムスカらに「ドクター・ナカムラのような人になるんだよ」と言い聞かせていた。 AERA 2024年6月3日号より   遠方から単身赴任で護衛、心臓の弱い娘を残して死亡  護衛4人は、遠くから派遣された警察官たちだった。警備4年目の護衛ジュマ・グル(32)は、カブールの自宅を離れ、単身赴任で中村医師を守っていた。生まれつき心臓が弱い娘マルワ(3)の薬代は月2500アフガニ(約3500円)。ジュマ・グルの月給1万8400アフガニ(約2万6千円)が支えだった。事件後、現地政府は遺族支援として1家族あたり10万アフガニ(約14万円)を支給したが、半年もすれば底をつくと妻ビルキス(22)は嘆いていた。  最年少の護衛のサイード・ラヒム(26)は、妻子7人を残して亡くなった。ナンガルハル州の貧しい山村に生まれ、警察官だった兄も爆発事件で殉職しているという。教育を受けることができなかったサイード・ラヒムは、命の危険と引き換えに給料をもらうしかない一家の境遇を悔やみ、せめて「子どもたちは学校に通わせたい」と父親に話していたという。同じ山村出身の護衛アブドゥル・クドゥス(27)は一家の唯一の稼ぎ手だったが、溺愛する娘ナスリン(1)を残して死亡した。  カブール出身のマンドザイ(36)は、護衛のリーダーだった。本来であれば事務所に詰めて遠隔で指示する役回りだったが「座っていてはドクター・ナカムラを守れない」と現場に出ていた。妻ナフィサ(34)に電話で「子どもを頼む」と告げた翌朝、事件は起きた。(文中一部敬称略)(朝日新聞記者・乗京真知) ※AERA 2024年6月3日号より抜粋  
鈴木涼美が問う、「その不倫は本当に愛のため?」 安易な自信が欲しいなら、「整形でも散財でも」別の方法で
鈴木涼美が問う、「その不倫は本当に愛のため?」 安易な自信が欲しいなら、「整形でも散財でも」別の方法で 鈴木涼美さん  作家・鈴木涼美さんの連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」。本日お越しいただいた、悩めるオンナは……。 Q. 【vol.15】不倫相手をどんどん好きになってしまうワタシ(30代女性/ハンドルネーム「りいさ」)  現在不倫中の30代独身女です。同じ職場の男性とひょんなことからホテルに行き、そのまま意のなすままに関係を持ちました。相手は元同級生の既婚男性。駄目なことだとは分かっていても、何度も関係を持ってしまいます。奥様にも不倫はバレており、一度は関係を清算したにもかかわらず、私から連絡してしまい、時間を見つけてはコソコソ会い、どんどん好きになっていきます。もうどうしたらいいか分かりません。  思い返せば学生時代はたいした恋愛はしておらず、いつも片想いのまま終わっていました。可愛いね、なんて、素敵な言葉をかけてもらったことはありません。大人になり、初めてできた彼は既婚男性(現在の方とは違う)で、不倫関係をつづけていましたが、私に好きな人ができ、破局。その後も恋愛はうまくいかず、やっと叶った恋はまたもや不倫。楽しい・うれしい半面、つらい・苦しい思いもあり、悩んでいます。私は、今後どうするべきなのでしょうか? A. 欲しいのは愛? それともインスタントな自己肯定感?  自分にどれくらいの価値があるのか、それはどんな価値なのか、知りたくて仕方ない。何か実感を伴う手掛かりが欲しい。そんなまだ若くて不安定な女が安易に頼ってしまいがちな“仮初めの価値を実感できる手段”というのがいくつかあり、不倫や売春はその典型例だと個人的には思います。 【こちらも話題】 セールスを断るたびに友人を失う女性の嘆きに、鈴木涼美が思う「不倫中の女友達を更生させようとした友人」への違和感 https://dot.asahi.com/articles/-/219650   沖縄・北谷の海をバックに笑顔はじける39歳の鈴木さん  若かった私が吸い込まれるように夜の歓楽街へ入り、知らぬ間に裸になってまでそこに居続けたのは、そういう場所には自分の価値を実感しやすい安易な仕掛けがたくさんあったからなのだとなんとなく思います。自分に値段がつけられてそれが実際に支払われることも、男が自分に興奮するところを目の当たりにできることも、若い私が自己肯定感を高めるには重要な仕掛けでした。簡単に手に入るそれらがどんなにチャチな価値であっても、まだ自分の形の定まらない女にとっては、輪郭を与えてくれるような気がしてしまうものなのです。 “ちやほや”の裏の罪悪感  既婚者との恋愛やセックスもまた、モテへのコンプレックスや自己評価の低さと格闘するまだ若い女にとっては自分の女としての価値みたいなものを実感する契機になりがちです。まず、未婚女性と遊びたい既婚男性は、結婚を最終的な目標に置いて恋愛する女性たちの眼中に入らないので、女性側としては競合相手が相対的に少なくなります。男性側も、既婚男性でもOKと言ってくれる都合の良い女が貴重だということは分かっているので、一度見つけたら手放さないようちやほやしてくれます。  男に小さな罪悪感や後ろめたさがあるため、財布の紐や女性のわがままに対する牽制も緩みがち。安定した家庭はすでに手に持っているため、それとは別の刺激や楽しさのみを目的とした恋愛やセックスは面倒ごとと無縁で煌めきやすいわけです。  一対一の関係を求めているわけではなく、あくまで人生のサイドディッシュなので、相手への要求もそんなに高くありません。普通の男が感じがちな自分の恋人の将来への責任感などを放棄している分、何かしら別のことでその罪の意識を帳消しにしようとする。そういう男の心理が、目の前の浮気相手に甘く、普通の恋愛よりハードルの低い「幸福」みたいなものを提供するわけです。 【こちらも話題】 キラキラインスタ女子をうらやんでいい! 鈴木涼美が説く、「選ばなかったキラキラへの未練」を噛みしめて生きる“味わい” https://dot.asahi.com/articles/-/222098  私は相談者さんの相手である既婚男性が、実際に家庭に不満を持ち、あなたとの将来も考えているような不倫男なのか、あるいは盤石な家庭にあぐらをかいてちょっとした刺激を婚姻外のセックスに求めているタイプなのかは分かりません。でも、日本に住む、不倫経験のある男性のかなり多くが後者であるというのは経験から学びました。 男と女の“浮気タイプ”の違い  既婚女性も浮気をしている人はたくさんいますし、その中には結婚を壊そうなんて一ミリも思っていない人だっているとは思います。しかし傾向として、女性は結婚が壊れてでも浮気相手との燃えるような恋を大切にしたいとか、結婚に不満があって外に補填を求めているとかいうタイプの浮気が多いのに対して、男のほうが本命・本妻への気持ちが盤石で、生活が壊れることには一切の覚悟がない場合が多いような気はします。  まぁ他人の気持ちなんて傾向や割合で推測したところで実は何も分からないものです。もしかしたらあなたの相手は浮気相手に尋常ならざる責任感を持っていて、一生大切にする気満々かもしれないし、結婚なんて壊れてもいいと思っているかもしれないし、一夫一妻制度に異議申し立てをするつもりで新しい男女の関係を模索しているのかもしれない。それは分かりません。あなたが色々推測したところで当たっているかは神のみぞ知る、というところです。あなたに分かるのは、あなたの気持ちだけだと思います。  自分の気持ちというのも存外、日常生活ではあまり意識していないものです。私が若い時のことを今上記のように回想するのは、時間が経って、なおかつ自分の過去を振り返ることが職業柄とても多いからであって、その当時は別に自分が自己承認を求めているとか、自分がどんな形であるか触れてみたいとか、そんなことは意識していませんでした。そういうことは機会を設けてゆっくり向き合ってみないと分からないような気がします。 【こちらも話題】 50代で結婚できるか不安な男性に、鈴木涼美が問う 「金目当て」なんていうくだらない毛嫌いをせずに女を愛せるか? https://dot.asahi.com/articles/-/220992  どうですか、あなたが求めているのは彼との燃えるような愛の時間なのか、あるいは既婚男性とのハードル低めの恋愛で得られる安易な自信みたいなものなのか、思い当たる節はありますか。 不倫には二種類ある  もし本当に彼があなたにとって運命の愛すべき相手で、タイミング的に愛し合ったのは彼が結婚した後だったけれども、今後もその愛を貫き通したいほど愛し尊敬する対象であるならば、それを貫いてもいいとは思います。不倫中というのは私からすると二種類あります。自分が既婚であるか、未婚であるか。前者は結婚という制度に自ら乗っかっておきながらそれをふいにするわけですからやや矛盾していますが、後者ははなから結婚制度を是としないという人もいるわけだから、倫理的にはそんなに罪が重いと個人的には思いません。  ただ、もしあなたがその恋愛で得たいものが自分自身の価値を実感する契機のようなものであるなら、それをわざわざ誰かしらの身体と時間を使い、誰かしらが非常に不快になる行為を通して得るというのはあまりスマートなやり方ではないのではないでしょうか。整形でも散財でもスキルアップでも風俗バイトでもインスタグラマーでも、自分に自信を持つ行為というのはその人のコンプレックスや自尊心の在り方によって色々ありますから、不倫以外にその機会を設けたほうがいい気がします。  今の恋愛であなたが少し自分に自信が持てたり、孤独を紛らわせたり、ちょっと自分の価値が上がる気がしたりしている間に、ただでさえ家庭を持って幸福なはずの男が、余暇をより充実した刺激的なものにして超お得に楽しみを得ているとしたら、それはそれで気に食わないというか、なんか腹が立つじゃないですか。 【こちらも話題】 理不尽にフラれても、守るべき女のプライド 鈴木涼美が説く「退会できないヤバい定期購入サービスにはなるな!」の極意 https://dot.asahi.com/articles/-/218220 【鈴木涼美さんへのお悩みを募集中!】 連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」では、恋愛、夫婦、家族、仕事、友人など、鈴木さんと同世代の30~40代女性を中心に、お悩みを募集しています。ご応募はこちらのフォーム(https://forms.gle/vH3KMGRGBPJb2TE5A)から! ●鈴木さんからのメッセージ 私はずっと地べたにはいつくばって生きている感じなので、こんな風にすれば素敵な人生送れるよ!というアドバイスは何もないですが、ピンチに陥ったり崖っぷちに立ったりすることは多い日々だったので、痛み分けする気分で、気負わずなんでもお便りお待ちしてます。
【下山進=2050年のメディア第27回】昔、昔、ニューヨークで。熱いタブロイド紙を彩った二人のコラムニスト
【下山進=2050年のメディア第27回】昔、昔、ニューヨークで。熱いタブロイド紙を彩った二人のコラムニスト ジム・ドワイヤーのニューヨーク・ニューズデイのコラムを集めた『サブウェイ・ライブス』は1991年刊行。カバー袖の写真はCatherine Dwyerが撮影。   〈二〇二〇年八月に夫がいなくなってから二年を過ぎる頃まで、何を見ても彼を思い出す日々が続いた〉  という文章で始まるノンフィクション作家青木冨貴子の『アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして』(新潮社)はそれまで硬質のノンフィクションを書いてきた青木さんの筆致とはうってかわって、柔らかく優しい筆致で最後まで読者をひっぱる。  ピート・ハミルは、短編「黄色いハンカチ(原題はGoing Home)」が山田洋次監督で映画化された(「幸福の黄色いハンカチ」)ことで、日本でも1980年代に一気に有名になった作家だ。青木さんは、来日したピート・ハミルをインタビューしたことが縁で、1987年5月にニューヨークで結婚をし、「死が二人を分かつまで」一緒だった。いや死は二人を分かつことはなかった、ということがしみじみとわかるエッセイだ。  この本に関する多くの著者インタビューや書評が夫婦二人の物語のアングルでまとめたものになるだろう。  が、私は、この本の隠れテーマについて書いてみたい。  それは、郷愁をさそうニューヨークのタブロイド紙の世界だ。  ピート・ハミルはタブロイド紙の申し子だった。ニューヨーク・ポスト紙やニューヨーク・デイリー・ニューズ紙にコラムを持ち、短期間だが、90年代に、この二紙の編集長もつとめている。そしてそもそも「黄色いハンカチ」はニューヨーク・ポスト紙に掲載された短編小説なのだ。  高校をドロップアウトしたピートが、1958年、当時のポスト紙に夜勤の記者として採用されるときの裏話。93年ポスト紙が新しいオーナーに買われて、ピートを含むほとんどのスタッフを首にすると宣言したとき、社屋を追い出されても近くのダイナーに陣取って新聞の編集発行をつづけたことや、97年にデイリー・ニューズの編集長に不動産王から請われて就任したが、8カ月で首になったこと等々。  一緒に暮らした青木さんが覗き見たタブロイド紙の世界が活写されている。 よりささやかな物語に惹かれた者たち  私がニューヨークのタブロイド紙に思い入れがあるのには理由がある。 青木冨貴子とピート・ハミル。写真はDeirdre Hamill    勤めていた出版社を休職して、コロンビア大学のジャーナリズムスクールにいた92年から93年にかけて、私の指導教授が、当時マンハッタンでしのぎをけずっていたタブロイド紙三紙のうちのひとつニューヨーク・ニューズデイの記者だったこともあったが、このニューヨーク・ニューズデイが、95年に廃刊になった時、正月休みを利用して渡米、「なぜニューヨーク・ニューズデイ紙は廃刊したのか」を取材し、その中で知り合った記者ジム・ドワイヤーに惚れてしまったことが大きい。  タブロイド紙は、日本の週刊誌のような存在と考えるとわかりやすい。たとえば、私がコロンビア大学にいた92年から93年にかけてタブロイド紙にとっての大きなニュースは、17歳の少女エイミー・フィッシャーが不倫相手の妻の顔面を銃で撃った事件だったりした。  これをフロントページにでかでかと載せる。誤解を恐れずに言えば、スキャンダリズムを信条とするイエロー・ペーパーだ。  が、一方で、タブロイド紙には、ニューヨーク・タイムズ紙にはない珠玉のコラムが才能溢れるコラムニストたちの手によって毎日掲載されていた。  ピート・ハミルは、デイリー・ニューズの日曜版に掲載した彼のコラムを『ニューヨーク・スケッチブック』(原題はThe Invisible City: A New York Sketchbook)にまとめているが、その前書きにこんなことを書いている。 〈私は戦争やリチャード・ニクソンに対して棍棒をふるうかたわら、よりささやかな物語をも書きはじめた〉 〈マーティン・ルーサー・キングが虫の息でモーテルのバルコニーに倒れていたとき、同じメンフィスには、日なたで車を洗いながら妻の浮気に心を痛めていた男もいたのである。ニューアークのビルの屋上から銃弾が発射されていたとき、同じ街の向こう側では若い娘が中年の男と恋に陥っていたのだ〉  硬派のニュースではこぼれ落ちてしまう、人々の生活の中にある喜びや哀しみを描くそんなコラムがタブロイド紙には掲載されていた。 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ニューヨーク  ジム・ドワイヤーも「地下鉄の中で」というコラムをニューヨーク・ニューズデイ紙に連載していた人物だった。何回か電話で取材をしたあと、96年の7月11日にニューヨークのセントラルパークの南端に位置するパークレーン・ホテルで会ったが、才能あふれるだけでなく、思いやりに溢れる未来志向の男だった。  シドニー・シャンバーグという映画「キリング・フィールド」の主人公のモデルになった元ニューヨーク・タイムズの記者が、廃刊の内幕物を発表していたが、読んでいて気持ちのいいものではなかった。いかに組織が無能で記者が敗北感に満ちていたかを強調するものだったが、そのシャンバーグの記事について聞くと、ドワイヤーはこう言ったのだった。 「シャンバーグの記事は僕も読んだ。どうしても納得できない点があった。廃刊が発表された日、記者たちは哀しみにくれて酔いつぶれていたという記述だ。これは事実と違う。自分はまだテニスで言うステイインザポイントにいると思った。まだ新聞を救う手がある。こう皆に言って投資銀行家に電話をし、政治家に連絡をし、この素晴らしい新聞を救ってもらえるようすぐに活動を始めた。その時シドニーはどこにいたか、何百マイルも離れたところにいたじゃないか」  青木さんの本の中でも、ピート・ハミルが、〈後輩が読んでくれといってきたものには必ず目を通し、(中略)新人記者が署名原稿を初めて書くと、それがどれほど後ろのページで小さなものであっても必ず読んで「おめでとう!」〉と連絡をいれていた話が出てくる。  ちなみにピート・ハミルの人の良さは私の勤めていた前の会社でも有名で、自分の息子がアメリカの大学に入学したいからと推薦文を青木さんを通じて頼んでいた編集者もいた。  その青年のことも知らずに推薦文などかけるわけないと直接の担当者は憤慨したが、ピート・ハミルは黙って推薦文を書いた。  ピートもジムもアイルランド系だからそんな底抜けの人の良さがあるのだろうか?  こうした性格は、エスタブリッシュメントではないタブロイド紙の記者だったから形成されたものなのだろうか?  ジム・ドワイヤーは、2001年にワールドトレードセンターが崩壊して多くの犠牲者を出す4カ月前にデイリー・ニューズからニューヨーク・タイムズに移り、この悲劇について精力的に報道、本を書き、07年からはタイムズでもコラムを書くようになった。  今回、青木さんは「ジム・ドワイヤーも亡くなって本当に寂しくなりました」とメールで書いてきたが、ジム・ドワイヤーは、2020年に肺がんで亡くなっていた。不覚にもそのことを私は知らなかった。  私がニューヨークにいた1990年代当時、デイリー・ニューズの部数は80万部。それが今では4万5730部。あのタブロイド紙の世界は消え去ろうとしている。  しかし、かつてはあったのだ。  ピート・ハミルやジム・ドワイヤーが、怒り泣きそして笑った熱いタブロイド紙の世界が──。 ※AERA 2024年6月3日号
“ほうれい線マッサージ”が話題の「MEGUMI」 カリスマミュージシャンとの離婚で覚醒した“美意識”
“ほうれい線マッサージ”が話題の「MEGUMI」 カリスマミュージシャンとの離婚で覚醒した“美意識” MEGUMI    美容本がベストセラーとなっているタレントのMEGUMI(42)が、5月12日放送のバラエティー番組「日曜日の初耳学」(TBS系)に「いま、もっとも影響力のある美容家」として登場。彼女が紹介した“ほうれい線”を薄くするためのストレッチが、ネット上で大反響を呼んでいる。  同番組の人気企画「熱血授業」に先生役でMEGUMIが登場すると、生徒役で出演していた芸人の横澤夏子は「私、MEGUMIさんの信者なんで」と告白。さらに、現在のMEGUMIが20代の頃より「圧倒的にきれいになった」と紹介されると、MCの林修氏は「ご自身が結果を出してるから、こちらも話を聞こうって(思う)。話に説得力が増しますよね」と納得していた。  また、生徒役の芸人・キンタロー。が「ほうれい線に悩んでいる」と打ち明けると、MEGUMIは「時間はかかるけど、必ず消えてなくなるから」と励ましたうえで、ほうれい線に効くという首・肩まわりのストレッチを披露した。  MEGUMIは番組の中で、「自分を幸せにするのは、もう自分しかいないんですよ」と断言し、「深いところでの幸福度っていうのは、自分でしか与えてあげられない。そして美容がそれを一番強く手っ取り早く与えてくれるもの。なので私はここまで美容をやっている」と熱弁した。 【PR by 暮らしとモノ班】 焚き火を眺め贅沢なひと時に癒やされる。ソロキャンプのお供はコレ! 仕事に疲れた心を癒やす、そんなひと時を求めて。 https://dot.asahi.com/articles/-/222385 出版した美容本は大ベストセラーになっている   離婚後「より美しくなった」  タレントというより、もはや「美容家」といえるMEGUMIだが、昨年4月に発売した美容本『キレイはこれでつくれます』の発行部数が50万部を突破。今月12日に発売された『心に効く美容』も好調で、5月15日時点でこの2冊がAmazonの「本」総合ランキングで1位&2位を独占した。  ファッション誌の編集者は、最近のMEGUMIについて次のように話す。 「『美のカリスマ』としての地位を確立したMEGUMIさんですが、美容の知識について語る際、昔の自分への自虐や人生訓のような名言を織り交ぜるのが特徴で、これが多くの女性の心に刺さっているようです。先月には『バンタン渋谷美容学院大学部』の名誉学院長に就任。教育者という肩書が増えたことで、彼女の言葉はより説得力を増すと思います」  一方、私生活では、2008年にDragon Ashの降谷建志と結婚し、翌年に長男が誕生。だが、昨年9月に「文春オンライン」によって降谷と一般女性の不倫関係が報じられた。結局、MEGUMIは夫婦関係を再構築することは選ばず、同年12月に降谷との離婚成立を発表した。前出の編集者は「離婚がいい方向に作用した」と語る。 「MEGUMIさんは離婚により“降谷建志の妻”というイメージから解放されたことで、自立した女性としての“すごみ”が増した印象です。それが女性としての魅力となり、業界内では『離婚して、より美しくなった』と評判です。少し前までは、バラエティータレントのイメージが強かった彼女ですが、美容関係の活動を重点的に続けたことで “華麗なるキャラ変”を遂げたといえます」 美容でもネガティブを隠さない  芸能評論家の三杉武氏は、MEGUMIの人気について次のように述べる。 「MEGUMIさんはタレントや美容家としての活動のほか、金沢市にあるカフェも経営したりとマルチな活躍を見せています。芸能界入りした当初はスタイルを武器にグラビアアイドルとして活躍し、男性人気が先行していましたが、今では同性からも高い支持を集めています。昔からバラエティー番組では、ウィットに富んだ発言で番組を盛り上げ、トーク力や頭の回転の速さを感じさせていました。こうしたタレントスキルに長けているのはもちろん、さっぱりとした口調で裏表がなく、芯が強そうなイメージも同性ウケする要因でしょう。美容に関してもウィークポイントやネガティブな部分も包み隠すことなくオープンにしたうえで、自らの経験や実践に裏打ちされた知識を伝えているところに、共感や憧れを抱く人も多いのだと思います」  離婚後、メディア露出が増加しているMEGUMI。「美容家」という新たな肩書を武器に、今後も芸能界で長く活躍しそうだ。 (小林保子)
ダイアナ元妃、キャサリン妃、メーガンさん……英国王室の結婚も多様性の時代に 今後は「同性婚」の可能性も
ダイアナ元妃、キャサリン妃、メーガンさん……英国王室の結婚も多様性の時代に 今後は「同性婚」の可能性も ヘンリー王子とメーガンさん(写真:ロイター/アフロ)    王族の結婚のあり方も時代とともに変わってきた。英国王室の結婚を見ると、変化の様相がよくわかる。AERA 2024年5月27日号より。 *  *  *  一般人の結婚と違うのが王族の結婚。かつては他国の王族との結婚により同盟関係を作り戦争を回避するといった「政略結婚」が行われていた。日本の戦国時代もそうだ。  世界の王室に詳しい関東学院大学の君塚直隆教授はこう言う。 「英国に限らず、欧州の王室の結婚で長らく重要視されていたのは『釣り合い』です。王位継承権の問題があるので、王位継承者の結婚相手は、君主である王家の子どもでなくてはならず、身分違いの結婚は許されませんでした。ただ、“いとこ同士の戦争”とも呼ばれる第1次世界大戦で王室の結婚が変わりました。ドイツと対立したイギリス・ロシアの3人の君主はいとこ同士。王家同士の結婚がかえって混乱を招き、それ以降、王位継承者の結婚は王家同士のものではなくなりました」  王位継承権についても、男女同権意識の高まりと安定的な王位継承のために、日本の皇室と違い、多くの欧州の王室で男子優先から長子優先に変わった。 「欧州で最初に王位継承法が男女平等になったスウェーデンでは、王位継承順位1位のビクトリア王女が元スポーツトレーナーのダニエルさんと結婚しています。当初、国王は大反対、国民も批判的でしたが、理由は『庶民だから』ではなく『女王の夫にふさわしい教養がないから』。ダニエルさんは必死に歴史や法律、語学などを勉強し、7年かけて国王に認められました。王室の結婚は、庶民の結婚以上に強い愛と覚悟が必要と言えるかもしれません」(君塚教授) 王室の存続をかける  英国王室関連の著書が多数あるジャーナリストの多賀幹子さんは「結婚は王室の存続をかけた最も大事な仕掛け」と指摘。「だから結婚に求めるハードルは高かった。チャールズ皇太子(当時)の場合、カミラ夫人(同)との結婚に反対し、若く美しく健康的で、男性関係の噂がないダイアナさんとの結婚をお膳立てした。名門貴族の出身で、王室の伝統やルールにすんなり馴染んでくれるだろうという期待もあった」(多賀さん) ウィリアム皇太子とキャサリン妃(写真:AP/アフロ)    しかし想定と違い、ダイアナさんには「強さ」があった。結婚式では、伝統の誓いの言葉「(夫に)従います」を省略。初めての外遊の際は、王室のルールを破り生後9カ月のウィリアム王子(当時)を連れていった。それ以降も公務に幼い子どもを帯同。これらは、ウィリアム王子と結婚したキャサリン妃に受け継がれた。  ダイアナさんの行動は、「王室を変える」という強い意志より、結婚前から続くチャールズ皇太子とカミラ夫人の関係への反発から、という説もある。チャールズ皇太子とカミラ夫人の不倫は続き、最終的にダイアナさんとの離婚、そして事故死という悲劇を招いた。この時のエリザベス女王の対応に国民の王室への非難は高まり、その後も支持率が急落。チャールズ皇太子への風当たりが強まった。 「この一件で、王室の基準で相手を選び恋愛結婚のように体裁を整えてもうまくいかない、と反省したのでしょう。名門貴族出身ではないキャサリンさんを『ウィリアム王子が選んだ人なら』と受け入れた。結果的に、王室の伝統を尊重してくれるキャサリン妃は大当たりでした」(多賀さん) 結婚も多様性の時代  一方、ヘンリー王子の妻メーガンさんは、離婚歴があり年上、黒人系で両親が離婚している。かつて王室の結婚の障害となったものが多様性の進む時代のなか、どんどん認められていくようになった。今後は同性婚もありうる。ウィリアム王子は2019年、長男のジョージ王子がLGBTQでも「全く問題ない」と発言。なおオランダでは2021年、王や女王も同性と結婚できると首相が言明している。 「王室は究極のセレブであると同時に、親しみやすい人間味と憧れの的としての理想的な人間像の体現を求められます。エリザベス女王、ダイアナ元妃、キャサリン妃、メーガンさんの四つの結婚のあり方を見ると、変化の激しさを実感します。個人の自由・個性尊重、価値観の多様化などが進む社会と、英国王室は今後もしたたかに折り合いをつけ、生き抜いていくでしょう」(多賀さん) (ライター・羽根田真智) ※AERA 2024年5月27日号より抜粋  
「妻がPTA役員に選ばれて愚痴ばかり。そんなに大変なの?」とギモンな夫に、論語パパがズバリ一言
「妻がPTA役員に選ばれて愚痴ばかり。そんなに大変なの?」とギモンな夫に、論語パパがズバリ一言 (写真はイメージ/GettyImages)  幼稚園に通う5歳の息子を持つ40代共働き家庭の父親。幼稚園のPTA役員に選ばれた妻が疲弊する様子をみて「そんなに大変? 退会するか、もっと適当にやったら?」とアドバイスしたところ、「他人事(ひとごと)のように言わないで!」と叱責されました。「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、「論語」から格言を選んで現代の親の悩みに答える本連載。今回の父親へのアドバイスはいかに。   【相談者:5歳の息子を持つ40代の父親】  私立幼稚園に通う5歳の息子を持つ40代の父親です。この春、わが家はPTA役員に選ばれました。息子の幼稚園はもともとPTA活動が盛んで、一人っ子のわが家は、これまでの役員決めでも候補にあがっていたのですが、ついに選ばれてしまいました。私は管理職で多忙なため、PTA活動はパートタイムの妻に任せることになってしまいます。妻は「子どものためなら」と引き受けたものの、いざ活動が始まると、時間を奪われ、人間関係に悩まされ、おまけに無報酬とあって、すぐ疲弊していきました。  愚痴ばかりの妻を見かねて、「PTAってそんなに大変? 退会するか、ほかの人に任せて適当にやったら?」とアドバイスしたところ、妻から「他人事のように言わないで!」と泣いて叱責されました。できない活動はほかの役員に任せるなり、縮小するなり、もっとうまくやればいいと思ったのですが……。PTA任期終了まで10カ月以上、このまま妻の不機嫌が続くと思うと憂鬱です。 【論語パパが選んだ言葉は?】 ・「子曰(しいわ)く、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」(子路第十三) ・「孺悲(じゅひ)、孔子に見えんと欲す。孔子、辞するに疾(やま)いを以(も)ってす。命を将(おこな)う者、戸を出(い)づ。瑟(しつ)を取りて歌い、之(こ)れをして之(こ)れを聞かしむ」(陽貨第十七) 【現代語訳】 ・立派な人はそれぞれに主体性を持ちつつ、人々と調和してものごとに対処できるが、つまらない人はその逆である。 ・孺悲という人が、孔子に面会をもとめたが、孔子は病気だといって会わなかった。取次の人が断りを伝えるためにドアを出ていくと、すぐ瑟(しつ=琴のような楽器)を引き寄せ、歌声がきこえるように歌をうたって、孺悲の耳に入るようにした。   【解説】  お答えします。PTAって、めんどうくさいものです。大変です。ぼくもやっていました。嫌で嫌でたまりませんでした。わが子のためと思うから、一生懸命やろうと思ったのですが、忖度と責任のなすりつけ合いと、ほかの親御さんたちからのイジメ、嫉妬など。フェイスブックやホームページなどで私個人の情報を探し出してはアラ探しされ、うわさに尾ひれがついて、勝手にどんどん増幅していくのですから、身も心もボロボロになりました。  なんのためのPTAなの?と思います。相談者さんは、仕事とPTA活動を両立している妻をもっとねぎらうべきです!   PTAは「Parent-Teacher Association」、在学している子どもの保護者と、先生が協力して、学校、家庭、地域社会を結ぶ子どもの教育環境をよくしようとするための任意団体です。これは、みなさんもよくご存じでしょう。強制ではありませんから、やめようと思えばやめられますが、相談者さんの妻は、「やめるとさらなる外圧が待っているのでは?」と不安になっているのかもしれませんね。  日本のPTAは、戦後まもなく始まり、すでに80年近く、同じような問題を抱えています。保護者同士の輪を円滑にすることを標榜(ひょうぼう)しつつも、熱心に参加する人と、そうでない人がいて、逆に人間関係の対立を生みトラブルが多いという側面があるのです。  2500年前の思想家・孔子が、人としてのあるべき姿を説いた『論語』にこんな言葉があります。 「子曰(しいわ)く、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」(子路第十三) この言葉は、「付和雷同」つまり「まったく自分の意見や主義などもなく、安易に他人の顔を見て賛成する」という四字熟語のもとになった有名な言葉です。   PTAの問題の根底には、日本人の自信のなさがあると、私は思います。「間違っていてもいい、人と違う意見でもいい、しっかりとした自分の考えで発言できる、行動できるという自信がなさすぎなのです。  孔子は、後世、聖人と言われるようになりますが、「嫌なことは嫌」「ダメなものはダメ」と、強く自分を主張する人でした。『論語』には、こんな話も載っています。  「孺悲(じゅひ)、孔子に見えんと欲す。孔子、辞するに疾(やま)いを以(も)ってす。命を将(おこな)う者、戸を出(い)づ。瑟(しつ)を取りて歌い、之(こ)れをして之(こ)れを聞かしむ」(陽貨第十七) 「孺悲という人が、孔子に面会をもとめたが、孔子は病気だといって会わなかった。取次の人が断りを伝えるためにドアを出ていくと、すぐ瑟(しつ=琴のような楽器)を引き寄せ、歌声がきこえるように歌をうたって、孺悲の耳に入るようにした」という意味です。  孺悲という人がどのような人か分かっていません。でも直接、孔子を訪ねてきた人だったので、相当の身分の人だったのでしょう。一説では、魯(ろ)の国王・哀公の依頼で、孔子から冠婚葬祭の礼儀作法を学んだ人とも言われています。この人物があるとき、孔子に面会を希望したが、孔子は彼に会いたくなかった。それで病気だといって断ります。でも実際は病気ではないことを知らせ、「会いたくないのは拒絶させる原因が孺悲のほうにある」と婉曲に知らせて追い払ったのです。  忖度、同調圧力、無責任主義……日本の集団は息苦しいものです。自分の意見や行動基準を保つ訓練をしていないと、集団のものの見方にすぐ感染してしまいます。どうぞ、相談者さんと妻は、周りに影響を受けないでください。PTA役員を引き受けたのだとしたら、自分たちにもっと自信を持って、忖度や付和雷同はやめて、思っていることを言えるよう、できない仕事はNOと断れるようにしましょう。そうすれば、道は必ず、明るく開けるはずです。 【まとめ】  社会を変えて、よりよい社会を創るために必要なのは、「和して同ぜず」という力   山口謠司さん 山口謠司(やまぐち・ようじ)/文献学者・中国学者。平成国際大学新学部設置準備室学術顧問。大東文化大学名誉教授。中国山東大学客員教授。1963年、長崎県生まれ。大東文化大学大学院、英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。NHK番組「チコちゃんに叱られる!」やラジオ番組での簡潔かつユーモラスな解説が人気を集める。2017年、著書『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞。著書・監修に『ステップアップ0歳音読』(さくら舎)『眠れなくなるほど面白い 図解論語』(日本文芸社)『チコちゃんと学ぶ チコっと論語』(河出書房新社)など。フランス人の妻と息子の3人家族。
妻のアイデアで会社の立て直しに成功 社内の雰囲気を変えたユニークなアイデアとは
妻のアイデアで会社の立て直しに成功 社内の雰囲気を変えたユニークなアイデアとは 松本直樹さん(右)と松本めぐみさん(撮影/写真映像部・上田泰世)    AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2024年5月27日号では、松本興産代表取締役の松本直樹さんとStar Compass代表取締役で松本興産取締役の松本めぐみさん夫婦について取り上げました。 *  *  * 2012年、夫40歳、妻28歳で結婚。現在、長男(9歳)、長女(5歳)、次男(3歳)と5人暮らし。 【出会いは?】結婚相談所のクリスマスパーティー。 【結婚までの道のりは?】出会いから3カ月後に2人きりで会う。妻は、夫が仕事の話を熱く語りながらコーラをグビグビ飲む姿を見て飾らなくていいと思い、夫は妻の心地よい会話のテンポや的を射たリアクションに好感を抱く。出会いから半年後に結婚。 【家事や家計の分担は?】料理は妻が担当し、定期的に料理代行サービスも利用する。洗濯は毎晩夫が行い、掃除はときどき掃除業者に頼む。財布は別々。 夫 松本直樹[52]松本興産 代表取締役 まつもと・なおき◆1971年、埼玉県生まれ。東京電機大学卒業後、自動車関連の専門商社に3年、シチズンに2年勤務。97年に父親が創業した松本興産に入社し、2007年から現職。家電・通信関連部品から自動車部品の製造にシフトし、12年タイにMKKタイランドを、17年にM&AでMKK神川を設立  もし妻が自社の立て直しを一緒にやってくれなかったら、社内はどんよりと暗いまま、どこにでもあるような中小企業だったと思います。  35歳で父から会社を受け継ぎ、受注が減っていた通信・家電関係から、伸びしろがある自動車部品の製造にシフトしました。狙い通り売り上げを伸ばすことができ、海外進出も果たしましたが、私のやり方を気に食わない幹部社員がいました。いくら話し合っても理解を得られず、結果、幹部が5人同時に退職。その影響で辞める社員が続出し、会社の戦力は70%減に。残った社員と一緒に生産と納期を守り抜き、倒産の危機は免れたものの、社内の雰囲気はなかなか改善しませんでした。 (撮影/写真映像部・上田泰世)    それを変えてくれたのが妻です。しかも、数字を使ったユニークなやり方で!  妻の能力の高さは出会ったときから知っていましたが、この改革で現実を変えるパワーの持ち主であることも知りました。今後も、限界を設けない妻の活躍を楽しみにしています。 妻 松本めぐみ[40]Star Compass 代表取締役/松本興産 取締役 まつもと・めぐみ◆1983年、福岡県生まれ。北九州工業高等専門学校卒業後、半導体製造メーカーに勤務。2010年スイスのIMIに留学してMBA取得。15年、松本興産取締役に就任し、総務と経理を統括。22年には独自考案の「風船会計メソッド」で特許を取得し、Star Compassを設立。会計セミナーも行う 松本興産という会社を一緒に育てられていること。これが、3人の子宝に恵まれたことに次いで、夫と結婚して幸せだと思うことです。  私が入社したのは結婚して3年後。当時社内では人事トラブルや派閥争いが起きていました。どうしたら争いが起きなくなるのか。来る日も来る日も泥臭く考え続け、社員の意識統一を図るには、会社の全てが数値化された決算書を読めるようになってもらう必要があると思い至りました。  そして、独学で学んだ心理学や脳科学を取り入れた会計メソッドを考案。社員教育に取り入れると興味深く受け入れられ、数年後には全社員が決算書を解読できるように。みんなが経営者マインドを持つようになり、売り上げの向上と幸せに働ける環境の両立が実現しました。  今後も松本興産がどんなふうに育っていくのか、楽しみでなりません。全く新しい形にトランスフォームするのもアリ! そのためにも、社長である夫には自分自身を生きてほしいと願っています。 (構成・茅島奈緒深) ※AERA 2024年5月27日号
飲食店を仲睦まじく経営するご夫婦。2人の食事代は経費になるの? 税理士が疑問に答える③
飲食店を仲睦まじく経営するご夫婦。2人の食事代は経費になるの? 税理士が疑問に答える③ 保育料は経費? イラスト/福田玲子  確定申告の時期になると、レシートの整理に追われる人が多いのではないでしょうか。そこでよく直面するのが「この領収書は経費になるのか」という疑問。税理士・廣岡実さんの著書「お金と税金のことが90分でわかる本」(アスコム刊)から、経費になるもの、ならないものについて解説します。 *  *  *   【この連載を読む】 会社員とフリーランスの違い 注意すべきポイントは? 税理士が疑問に答える① https://dot.asahi.com/articles/-/222270 「無駄な経費をバンバン使って節税する」これって得策? 税理士が疑問に答える② https://dot.asahi.com/articles/-/222271 飲食店を仲睦まじく経営するご夫婦。2人の食事代は経費? 税理士が疑問に答える③ https://dot.asahi.com/articles/-/222275    飲食店の夫婦の食事代は経費にできるのか?  夫がシェフで妻が経理を担当しているご夫婦です。仕事の後に2人で食事に行った場合、この食事代は経費にできるのでしょうか?公私にわたるパートナーだから、会話の内容には子どもの将来のこととか、ご近所とのお付き合いの話、日常生活のいろいろな話題が上がってくるでしょう。  でも、一緒に仕事をしているのだから当然、仕事の話題も全体の何割かは占めるに違いありません。だとすれば理論上、2人の食事代のうち何割かを経費とすることができるはず。  これを会計用語で支出した金額を「按分」するといいます。  実務的に考えて、食事代が1万円だったとすれば、このうち5000円を経費として処理し、残りの5000円は社長への貸付金として処理をします(帳簿上は「事業主貸」となります)。  ひとりランチや保育料は経費にできるのか?  経費にはそもそも売上に貢献するとしても「社会通念上」認められないものもあります。例えば、お昼に食べた牛丼だって、スーパーで買った食材だって、食べないと仕事にならないから売上に貢献している、と言い張ることもできそうですが、これは「社会通念上」経費と認められないのです。  普通に考えてそれは経費でなく「生活費」ですよね、ということです。  仕事をするために子どもを保育園に預けた場合の保育料はどうでしょうか。現在の税法の中では保育料は「家事費」と判断されるため、経費に入れることはできません。   人間ドックは経費になるのか?  よく「人間ドックの費用は経費になりますか?」という質問を受けますが、確かに事業主や社長の健康維持のための検査は、広い意味では売上の獲得に貢献するかもしれませんが、これは必ずしも「利益獲得に結びつくもの」とみなされません。あくまで自分の健康管理のための行為とされるため、残念ながら経費にはできません。  しかし、もし再検査が必要になって、治療が必要な病気が見つかった場合は最初に受けた人間ドックの費用もすべて「医療費控除」の対象になります。  また、会社の代表者や幹部を含めてすべての従業員に同じメニューの人間ドックを行うのであれば、それは「福利厚生費」となり経費になります。ただし、社長だけ2日間のスペシャルな人間ドックをやったとしても、それはプライベートな利用になるので経費になりません。  パソコン代は経費になるのか?  パソコンなど、10万円以上の支出は「一時の経費」でなく、「固定資産」として「減価償却の方法で経費化」をしなければいけません。減価償却の対象となるものは一定額以上の建物や設備類、車両、工具、家具、電化製品、事務機器などで、耐用年数で割って各年の経費として計上します。  そもそも、なぜ「減価償却の方法で経費化」しなければならないのでしょうか?固定資産も、他の経費と同じように「売上に貢献する」ものです。ただ、固定資産は数年間にわたって利用して売上獲得に貢献するわけですから、他の、例えば交通費などのように、代金を支払った時に一度に費用にするのは不合理といえます。  200万円の自動車を経費にする場合は?  例えば新車の営業車を買ったとします。価格は200万円。この車を営業に使って売上獲得に貢献するのは1年だけでしょうか? そんなことはありません。数年から10年は貢献することになります。だったら、200万円の営業車を10年間にわたって使用することによって売上を獲得できたことになります。  つまり会計上は、200万円すべてを購入した年の経費にするのではなく、10年間にわたって「売上獲得に貢献する」から、その期間にわたって経費として処理するのです。  ただし、同じ営業車でも、4年でダメになることもあれば10年もつことだってあります。国税庁からすれば、それぞれが勝手に処理してもらっては困るのです。コンセプトは「公平性」なので、一律にその計算方法を決めたのです。  耐用年数についても国が「法定耐用年数」というものを定めて、同じ条件で減価償却費の計算をすることを義務付けたのです。つまり、新車の営業車は6年と決められており、6年間にわたって売上獲得に貢献すると想定してその期間にわたって「減価償却費」として経費にしてよいと規定しているわけです。  「この 領収書が経費になるか?」の判断基準  確定申告の書類作成時期になると毎年こんなことをよく聞かれます。 「いくらまで経費を使っていいですか?」 「この領収書、経費として認められますか?」  税理士は税務の専門家だから聞けば即座に答えてくれると思っているのかもしれません。でも、何が経費になるかというのは、税理士にしても簡単に答えることはできないのです。その内容と目的によって決まるのです。  私はクライアントから確定申告の相談を受ける時に、「経費とは何だと思いますか?」と必ず尋ねることにしています。ほとんどの人はこの質問に正確に答えることができません。でも、これからフリーランスになったり、起業して事業を営んでいこうという人にとって、この定義を知っておくことは大切かつ必要不可欠なことです。  経費とは「売上を獲得するための支出」を指します。  大事なのはこの支出は、単なる「消費」ではなく、「売上を獲得するために貢献する」ものでないといけないのです。逆にいえば、「売上獲得に貢献しない支出(など)は経費ではない」ということになるのです。  つまり、何が経費になるのかは税理士でなく、基本的にはこの判断基準であなた自身が決めることです。あなたがその支出が売上に貢献すると判断できれば経費にすればいいのです。  そしてその領収書が経費になるかどうかも、「それがあなたの事業の売上に貢献しているなら経費」ということになり、これもあなた自身しかわからないことです。   【この連載を読む】 会社員とフリーランスの違い 注意すべきポイントは? 税理士が疑問に答える① https://dot.asahi.com/articles/-/222270 「無駄な経費をバンバン使って節税する」これって得策? 税理士が疑問に答える② https://dot.asahi.com/articles/-/222271 飲食店を仲睦まじく経営するご夫婦。2人の食事代は経費? 税理士が疑問に答える③ https://dot.asahi.com/articles/-/222275  
もっと働きたくても夫はパチンコに飲み会…母親が引く“貧乏くじ”、どうすれば妻の本気は伝わる?
もっと働きたくても夫はパチンコに飲み会…母親が引く“貧乏くじ”、どうすれば妻の本気は伝わる? ※写真はイメージです(写真:gettyimages)    結婚・出産後も働く女性が増える中、キャリアの両立で課題となる家事育児の負担。夫婦でやるものとして認識を合わせるために必要なことは。AERA 2024年5月20日号より。 *  *  *  自然体で家事をこなす夫が確実に増える一方で、「家事・育児は女の仕事」という意識を残す人々もまだまだ大勢を占めている。  総務省が実施した2021年の「社会生活基本調査」によると、6歳未満の子どもを持つ世帯で、夫の家事や育児などの時間は16年の前回調査に比べて1日あたり31分増えて1時間54分だった。これは1976年の調査開始以来、最も長かったが、一方の妻はその4倍近い7時間28分(16年より6分減)。その差は調査開始以来ほとんど変わらず、共働き世帯に限ってみると、夫婦の差は1日あたり4時間38分で15年前と全く同じだった。  その背景には、男性はもちろんのこと、女性たち自身が「家事・育児の責任は自分にある」という価値観に縛られてきた過去がある。  大学の研究室で長年秘書や事務の仕事を続けてきた愛知県の女性(53)は、30年前に社内結婚して、「自然な流れ」で退職。上の子が幼稚園に入園後に今の仕事を始め、共働きとなったが、家事も育児も1人でこなしてきた。夫は掃除が好きで子煩悩なタイプだったが、自分の親も夫の親も「家事・育児は母親がやるのが当たり前」と考えていたし、自分でもそうしなければならないと思い込んでいたという。  その後、夫の単身赴任が決まり、そのまま9年が経過。子どもたちが巣立つ頃、ようやく帰任が決まったが、再び一緒に暮らす気にはなれなかったという。離婚は円満だった。 「夫とは真剣な話をあまりできなかったんです。今思うと、夫婦でもっとコミュニケーションをとれていたら、私も今とは違うキャリアがあったかも。転職や資格の取得だって考えられたんじゃないかな」  女性は一瞬遠くを見るような目をして、あったかもしれない未来を口にした。 AERA 2024年5月20日号より   母親ばかり貧乏くじ  AERAが今年4月に行ったアンケートでも、家事・育児の負担が大きく、仕事にしわ寄せがきたという女性たちの声が寄せられた。  茨城県で期間雇用の公務員として働く女性(54)は、96年に出産。当時はまだ珍しかった育休制度があり、復職したがワンオペ状態に。当時を振り返って、こう話す。 「心身ともに疲れ果てている姿を見ても夫は全く気にせずパチンコや飲み会に明け暮れていて、義父母も『嫁がやって当たり前』という姿勢。やむなく離職しました。仕事も育児もやっていこうと強い心を持っていたのに女性だったばかりに多くのものを失くしました」  子育て現役世代からも同様のメッセージが届いた。教育・学習支援系企業で契約社員として働く東京都の女性(33)は、 「子どもが急に発熱し、どうしても預け先が見つからず、結局仕事に穴を開けてしまった。どうして母親ばかりこんな貧乏くじを引かされるのか。思うように仕事時間が取れないため、収入が少なく、結果、家事を負担するのは仕方ないのかと思ってしまっている」  その言葉に「もっと働きたい」という想いと、不公平感と向き合ってきた悔しさがにじむ。  働く女性がどんどん増える昨今。「家事・育児をする夫やパートナー」が“マウントの種”にならないほど普通の存在になることが重要だと改めて感じるが、どうすれば、そんな関係が築けるのか。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院の治部れんげ准教授は、こう指摘する。 「これまでの夫婦は、妻が何も言わずにあきらめているパターンが多かった」 妻の本気を伝える  妻は十分伝えているはずなのに、夫になぜか伝わっていないケースについては、 「夫婦間の交渉で『妻の本気』が突きつけられていないところがあったのでは」(治部さん)  なるほど。妻の本気が伝わるか否かがカギなのか。  東京都内のコンサルティング会社で働く女性(43)の目標は、3年後に管理職になることだ。夫は家事・育児に積極的だが、昨秋昇格して10人の部下を抱える立場となり、家ではぐったりしていたり、ピリピリしたりすることが増えたという。 「私も一緒にピリピリしていましたが、夫への接し方を変えました。『この人も大変なんだ』という気持ちで労るようにしたら、うまく回り始めました」  キャリアを諦めないために“本気”を伝える奮闘が続いている。(ライター・大塚玲子) ※AERA 2024年5月20日号より抜粋
メ―ガンさんのナイジェリア「ロイヤルツアー“ごっこ”」に批判が殺到 果たして母親業を優先できるのか
メ―ガンさんのナイジェリア「ロイヤルツアー“ごっこ”」に批判が殺到 果たして母親業を優先できるのか 2024年5月12日、ナイジェリア・ラゴスの官邸に到着時に手を繋ぐヘンリー王子とメーガンさん(photo AP/アフロ)  ヘンリー王子(39)とメ―ガンさん(42)がそろってナイジェリアを訪問した。インヴィクタス・ゲームのプロモーションを兼ねたツアーだったが、現地での2人の言動に批判が集まり、「ロイヤルツアー“ごっこ」”と揶揄される結末となってしまった。新ビジネスで多忙を極めるメ―ガンさんの母親ぶりにも不安の声があがっている。 「イギリスに足を踏み入れたくない」はずが…    5月7日、ヘンリ―王子(39)は翌日に控えたインヴィクタス・ゲーム10周年の記念礼拝に参加するため、ロンドンのヒースロー空港に到着した。同ゲームはヘンリー王子が自ら立ち上げた負傷した軍人や退役軍人たちによる国際的なスポーツ大会で、会場はかつて父のチャールズ国王(75)とダイアナ元妃の結婚式が行われたセントポール大聖堂。ヘンリー王子は思い入れのある会場で関係者らとの再会を喜んだものの、兄のウィリアム皇太子(41)はじめ、英王室ファミリーは誰も姿を見せないという、やや寂しいイベントとなった。  その時、メ―ガンさん(42)は何をしていたのだろうか。  以前から「イギリスには一切足を踏み入れたくない」と言い切っていたメ―ガンさんだが、実はヒ―スロー空港には到着していた。ただ、ロンドンの街を歩くことはなく、空港内のVIPルーム「ウィンザースイート」で待機していたという。ここはウィリアム皇太子とキャサリン妃(42)が使用したこともある、世界の王侯やセレブ向けの特別室だ。記念礼拝を終えたヘンリー王子が合流し、9日夜、2人そろって英国航空のファーストクラスに搭乗して、ナイジェリアに向かったのだ。  これは、昨年ドイツ・デュセルドルフで開催されたインヴィクタス・ゲームで、「メーガンさんは遺伝子検査の結果、46%ナイジェリア人である」と知ったナイジェリア国防省からの招待によるものという。同ゲームのプロモ―ションを兼ねての3泊4日のツアーだったが、現地での言動をめぐり、ヘンリー王子とメ―ガンさんは批判を浴びることになる。  何があったのか。  ヘンリー王子は王室離脱時に、軍関係の称号をエリザベス女王からすべてはく奪されている。そのため、英連邦に加盟するナイジェリアの軍関係のイベントに関わる権限を持っていない。それなのに、ヘンリー王子がナイジェリア軍を視察する場面があったことが関係者の怒りに触れてしまったのだ。  メ―ガンさんはまず服装が問題視された。背中が大きく開いたブラレスのドレスで、引きずるほど長いスカートでインパクトを与えたが、そのブランド名は英王室の名前である「ウィンザー」。さらにイヤリングとネックレスが、ダイアナ元妃が1990年にナイジェリアを訪問した際に付けたものとそっくりだったこともあり、「自分をロイヤルに見せたいのか」と驚きが広がった。 夫への愛を語ったメ―ガンさん 2024年5月11日、ナイジェリアのアブジャで開催された各業界の女性リーダーが集うイベントに出席したメ―ガンさん。ナイジェリア出身の世界貿易機関(WTO)のヌゴジ・オコンジョイウェアラ事務局長(左)らと会談した (photo   AP/アフロ)  だが、そんな批判は2人の耳には届かなかったようだ。首都アブジャで、2人が2020年に設立した「アーチウェル財団」が一部支援するライトウェー・アカデミー校を揃って訪ねると、メ―ガンさんは生徒の前で堂々と夫への愛を強調したという。  マイクを握ったメ―ガンさんは「私がなぜヘンリー王子と結婚したかわかりますか?」と問いかけ、こう続けた。「夫は賢くて、本当のことしか言わないからです。だからいつも刺激を受けます」。そんな妻の傍らに立っていたヘンリー王子について、各メディアは「イギリスでは過小評価されていると不満気だが、ナイジェリアでは自信を取り戻したようだ」と皮肉って報じている。  その翌日、メ―ガンさんはWTO(世界貿易機関)のヌゴジ・オコンジョイウェアラ事務局長(69)と「女性のリーダーシップ」をテーマに会談する機会を持った。事務局長はナイジェリア出身。ハーバード大学卒業後、ナイジェリアの外務大臣や財務大臣を歴任、WTO初の女性・アフリカ出身の事務局長だ。多忙なスケジュールを縫って、時間を作ってくれていたわけだが、メーガンさんは約1時間会場に遅れて到着。周囲を慌てさせた。  そんな状況で始まった会談だったが、雰囲気はとても穏やかだったという。けれど、メ―ガンさんは事務局長の優れたキャリアについて積極的に質問することはなく、代わりに自分の家族の話をたくさんしたという。アーチー王子(5)とリリベット王女(2)について「2人はおしゃべりが好きな優しい子どもたちです。12 日の母の日に一緒にいられないことが悲しい」と語り、仕事と育児の両立について聞かれると、「もちろん母親を優先させます。母親になることは私の夢でしたから。母親であることが楽しくて仕方ありません」と答えている。 多忙なメ―ガンさんの母親業は? 「ロイヤルツアー“ごっこ”」と揶揄されたナイジェリアツアーを終えてアメリカに戻ったメ―ガンさんは、自身が立ち上げたブランド「アメリカン・リビエラ・オーチャード」のジャムのビン詰め50個をインフルエンサーなどに発送。だが、その反応は期待通りではなく苛立ちを覚えているという。  また、デイリーエクスプレス(オンライン)は、ネットフリックスでの料理番組の制作に加え、最近は自分の回想録の出版を目指し、忙しく動いていると伝えている。この回想録は、新ブランドとの相乗効果を狙っているもので、ヘンリ―王子が23年1月に出版した暴露本「スペア」のような世界的なベストセラーになる可能性もある。  どんどん忙しくなるメ―ガンさん。その状況で果たして、ヌゴジ・オコンジョイウェアラ事務局長に語ったように、母親業を優先できるのだろうか。  (ジャーナリスト・多賀幹子) *AERAオンライン限定記事  
家事・育児をする夫は“自慢のマウントの種”? 女性負担が大きい共働き夫婦の現状
家事・育児をする夫は“自慢のマウントの種”? 女性負担が大きい共働き夫婦の現状 夕方、子どものお迎えに行き、一緒に帰宅する母親。父親の姿を見かけることも増えてはいるが、女性側の負担が大きい現状が続く(写真:写真映像部)    結婚したら女性はキャリアをあきらめるのが主流だった日本の社会が変化する中、共働き夫婦の家事・育児の分担は実際どうなっているのか。AERA 2024年5月20日号より。 *  *  * 「いいな、最近の若いご夫婦は」  出産したら女性は会社を去るのがまだ主流だった世代の筆者(52)からすると、夫婦で家事・育児を分担してキャリアを積む令和の30~40代は、まばゆい。もちろん今でも一方がキャリアをあきらめるケースはあるが、取材をしていると確実に夫婦のスタンダードが変化してきたことを感じている。  東京都内のコンサルティング会社で働く女性(43)は38歳の時、大手メーカーに勤める5歳下の夫(38)と結婚。翌年、出産した。当時は派遣社員として働いており、出産に伴い雇用契約は終了することに。派遣元で産休・育休を取得した後、夫のアドバイスや理解ある上司のサポートもあり、契約社員として元の勤務先に復職。翌20年には正社員となり、昨秋は係長に昇格もした。慌ただしい日々だが、女性はこう話す。 「うちは夫が料理を全部やってくれるんです。作るだけでなく今週はCO-OPに何を発注して何を作るかまで考えてくれるので、すごくありがたい」  女性の夫は今の30代後半の男性の中でも特に「やるほう」だが、同じように自然体で家事をこなす夫は確実に増えている。 「この20年ほどで男性の意識が相当変わった」  と解説するのは、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院の治部れんげ准教授だ。男性も育児休暇が取りやすくなるなど企業の制度が整ってきたことに加え、女性側の意識が変わってきた影響も考えられるという。 「夫にどこまで家事をやってほしいかという妻側の期待値も以前と比べて明らかに上がっている。妻に収入がある場合、夫は『やらないと離婚される』というリアルなプレッシャーを感じるため一生懸命やる、というケースもあります」(治部さん) AERA 2024年5月20日号より   「夫自慢のマウント」  冒頭の夫婦の場合、料理以外の家事と育児は、基本的には妻である女性の担当だが、夫が先に手を出し、「俺ばかりやるのは不公平だ」と爆発されることがあるという。女性はその度に謝ってはいるが、「そこまで頼んでいないのに……」というのが本音だ。だが、同世代もしくは年上の男性と結婚した友人たちから、ここまで家事をする夫の話は聞いたことがない。「夫自慢のマウント」ととられかねないため、女性は友人の前ではあまり夫の話はしないように気を付けているという。女性は実感を込めて話す。 「私や夫の世代がちょうど端境期なんだと思います。私ももっと早く結婚して子どもを産んでいたら体力的にはラクだったかもしれないけれど、遅くなったおかげで、『家事は一緒にするのが当たり前』という夫と結婚できました。晩婚で夫が年下、かつ高齢出産だったことがいい方向に働きました」  家事・育児を上手にシェアする夫婦は、働き方も柔軟だ。  東京都に住む広報製作業に携わる妻(47)と、福祉関係の仕事をする8歳年下の夫(39)。小中学生3人の子どもを育てているが、夫はこれまで数回、職種や職場を変えている。夫は、その理由を、 「育児と両立できる仕事を求めて転職を繰り返した」  と気負いなく話す。筆者が10年ほど前に取材した1960年代生まれの女性が、自身より収入の低い夫の「メンツ」を常に気にしていたのとは好対照だ。(ライター・大塚玲子) ※AERA 2024年5月20日号より抜粋
「お互いに仕事での自己実現を応援し合う」 平日はそれぞれの拠点で生活する起業家夫婦
「お互いに仕事での自己実現を応援し合う」 平日はそれぞれの拠点で生活する起業家夫婦 星裕方さん(右)と加納千裕さん(撮影/写真映像部・和仁貢介)    AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2024年5月20日号では、地域おこし協力隊で株式会社里山パブリックリレーションズの代表でもある星裕方さんとASTRA FOOD PLAN代表の加納千裕さん夫婦について取り上げました。 *  *  * 妻35歳、夫29歳で結婚。妻は埼玉県、夫は新潟県でそれぞれ仕事をしながら暮らす。 【出会いは?】マッチングアプリで知り合い、初対面は東京・代官山のフレンチのお店。 【結婚までの道のりは?】初対面で意気投合して、次に会う時は旅行しようということに。1カ月後に新潟県十日町市松代(現在の夫の拠点)へ車で旅行に行き、交際がスタート。その1年3カ月後に結婚。 【家事や家計の分担は?】平日はそれぞれの拠点で生活。一緒にいるときは、料理はほぼ妻、食器の洗い物は夫。そのほかは、できる方ができるときにやっている。家計は基本的には別々。共通で使う口座に毎月一定額振り込んでおり、日用品や外食などで使う。 夫 星裕方[30]十日町市地域おこし協力隊/株式会社里山パブリックリレーションズ 代表取締役 ほし・ひろのり◆1993年、東京都世田谷区生まれ。2017年、慶應義塾大学経済学部卒業。23年4月に着任し、「棚田のPRと関係人口創出」をミッションに活動している  結婚と新潟への単身移住。どちらも譲りたくなかった自分との結婚を妻はよく承諾してくれたと思います。移住を強引に推し進めて不安にさせてしまった分、できる限り妻の仕事を応援したいです。  お互いに仕事で自己実現をしたい気持ちが非常に強く、どちらかが妥協するのは望ましくないと考えています。今は二人とも自分自身の生産性を上げ、チームでフォローできるような組織を作ることがテーマです。  結婚して本当に良かったと思います。のんびり屋な自分とは違い、妻は頭の回転も速く、戦国時代の豪将のような人です。離れていても仕事の様子を聞いたり、メディアで報道されているのを見かけたりすると、一人の仕事人として尊敬します。  最近は起業家の先輩としても良きメンター、助言者となってもらっています。お互いの自己実現を応援し合う関係がお互いをパワーアップさせていると思います。子どもができたら、それがもっと強まる気もしていて、楽しみです。 (撮影/写真映像部・和仁貢介)   妻 加納千裕[36]ASTRA FOOD PLAN 代表取締役 かのう・ちひろ◆1987年生まれ、埼玉県出身。2010年に女子栄養大学を卒業。20年に創業し、スタートアップ企業を経営。食品乾燥・殺菌装置を開発し、食品残渣(ざんさ)や規格外農作物などを粉末化して新たな食品原料にアップサイクルする取り組みをしている プロポーズをしておいて、その後に「新潟に移住したい、することに決めている」と言われた時は、本当に驚きました。埼玉で経営者をしている私が一緒に移住できるわけありませんから。  結婚するかしないか、ものすごく悩みました。でも彼と積み上げた思い出を振り返った時、ほかの誰ともこんな体験はできないだろうなと思いました。夫に心底やりたいことがあって、その場所が新潟なんだということも理解できました。時間はかかったけど、今は応援しています。  週末にお互いの拠点を行き来しています。新潟では山菜摘みや集落の行事に参加するなど地域の人たちとのつきあいを楽しんでいて、充実した休日を過ごしています。  私自身の仕事はかなり多忙ですが、妊娠、出産を見据えて、早く仕事を軌道に乗せたいと考えています。  いずれにしてもお互いが相手に寛容だからいい関係でいられると思います。こんな妻、なかなかいないので、大事にしてくださいね。 (構成・浴野朝香) ※AERA 2024年5月20日号
武田真一アナ 「いまだに空しくて悲しくて」東日本大震災の津波実況に罪悪感を抱え悩み続けた
武田真一アナ 「いまだに空しくて悲しくて」東日本大震災の津波実況に罪悪感を抱え悩み続けた 宮城県名取市閖上。後方の慰霊碑は、この高さ(8.4メートル)まで津波が押し寄せたことを伝える(撮影/高野楓菜)    アナウンサー、武田真一。2011年3月11日、街をのみ込んでいく津波を実況しながら、無力感に襲われていた。自分の言葉は必要な人に届かない──。あの日、リアルタイムで切迫感を伝えきれなかった罪悪感や悲しみから、報道マニュアルの改訂にも尽力した。NHKを退局して1年余り経ったいま、日々勉強し、現場に飛んで声を聞く。喜怒哀楽を豊かに向き合い、自分の声で伝えていく。 *  *  *  早春の朝、乗り込んだバスの行き先は「震災遺構仙台市立荒浜小学校前」という長い名前だった。終点でバスを降り、武田真一(たけたしんいち・56)と妻・陽子(56)と合流する。平日の番組を終え、仙台入りした武田は、チャイムの鳴ることのない校舎を見上げた。  荒浜地区は、仙台市中心部から東に約10キロ離れた太平洋沿岸にある。1873年創立の荒浜小学校は、海から1キロ足らずの場所にあり、東日本大震災当時91人の児童が通っていた。2011年3月11日、津波は多くの命を奪った一方、屋上に避難した児童や教職員、住民ら320人は全員救助された。遺構の校舎内に入り、武田は神妙な面持ちで語る。 「前年のチリ地震津波を経て、避難場所を体育館から屋上に変え、備蓄品も3階に移していたんですね。毛布が体育館にあるままだったら……」  屋上に上がると、粉雪の混じる強風にさらされた。太平洋が鈍色の光を放つ。かつて眼下に広がっていた荒浜の町はない。屋上に避難した人たちは、こんな寒風の下、町を見下ろしていたのか。  武田の運転するレンタカーに同乗し、名取川を越える。宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区。ここは、武田にとって運命の場所だ。あの日の午後3時50分すぎ。それまでは釜石や気仙沼などの港の映像を流していたNHKの緊急報道の画面が、武田が放送席に入った時、仙台空港を発(た)ったヘリからの映像に変わった。ヘリは名取川を遡(さかのぼ)る津波をとらえ、まさに閖上の街をのみ込んでいく様子を映した。 「黒い波が今、住宅や畑をのみ込んでいきます」 「海岸や河口付近にいる方々は、どうぞ安全なところに避難してください」  実況で訴えながら、無力感が襲った。ここで今、何を語っても、そこにいる人には届かない。 「それが、このあたりなんです。それからずっと、取材に来られなかった。地元の人に会うのが怖くて、申し訳なくて」 震災遺構仙台市立荒浜小学校で。津波は校舎2階まで到達。屋上に避難した児童・教職員らは救助されたが、地区では190人以上が亡くなった。体育館にあった時計の針は、津波到達時刻の午後3時55分を伝える(撮影/高野楓菜)   津波を実況した閖上の地 罪悪感を抱え悩み続けた  あの瞬間から、武田いわく「声を枯らしながら」震災の報道は続いた。情報は瞬時に伝えた。太平洋沿岸の港に設置されたカメラも正常に作動していた。でも、2万人以上が犠牲となった事実。地震発生から津波到達までの時間に、自分たちがやれることがあったのではないか。彼は苦悩し、そして罪悪感を抱えていた。 「自分が放送席に座って最初に実況した映像が、ここでした。そこからずっと、NHKはすべての番組を飛ばし、僕も日中担当したんですけど、あんまり覚えていないんです。空(むな)しくて、悲しくて。いまだに(その思いが)あります」  妻の陽子も当時を振り返る。陽子はあの日、外出しており、彼の津波の実況を直接は観ていない。 「あの実況をしたと知り、『本当にあれをやったのか』って。すごくつらくて。彼自身、声も喉も痛めたし、それ以上に心を病んだと思います。眠れないし、でも使命感でやってきて。臨時態勢の時からずっと、『もっとやることがあったんじゃないか』『僕ら、できていないんじゃないか』って、悩み続けていたようです」  2018年2月、現地の取材を続けるプロデューサーに促され、武田は初めて閖上の地を訪れた。亡くなった閖上中学校の生徒を悼む慰霊碑の社務所としてつくられた、津波復興祈念資料館「閖上の記憶」へ。この時から武田は頻繁にこの場所を訪れるようになり、家族を亡くした語り部たちと、あの日のことについて語るようになった。 「何でしょうね、この時期になると、ここに来たくなるんですよ」  逃げ場として来ているわけではない。東京にいると「自分は何もしていない。何も役立っていない」と、今でも自らを責める気持ちが湧き上がる。そんな気持ちを抱えながら閖上に来ると、むしろ「逃げてはいけない」と、原点に立ち返る思いになる。閖上の語り部は、こんな言葉を一人ひとりにかける。 「悲しみによって繋(つな)がる人たちがいてもいい」 切迫性をどう表現するか 今伝えるべき言葉を考える  2024年1月1日、午後4時10分。能登半島地震。その数分後、「大津波警報」が発令された瞬間、NHKアナウンサーの声は、およそ聞いたことのない厳しい口調に変わった。 「今すぐ可能な限り、高いところへ逃げること!」 「決して、立ち止まったり引き返したりしないこと!」  これは、NHK在局時の武田が中心となってつくった、報道マニュアルにそったものだ。 宮城県名取市の津波復興祈念資料館・閖上の記憶で話を聞く。かつて5千人以上が暮らした街は更地に。約750人が亡くなり35人以上が行方不明だ。津波のむごさ、命の尊さを語り部が伝える(撮影/高野楓菜)   「未曽有(みぞう)の災害のグレード感って言っていましたけど、とんでもないことが起きたというニュアンスを、3・11ではリアルタイムで伝えきれなかった。ことの切迫性を表現しきれなかった」(武田)  ハザードマップは、過去の知見をもとに人間が引いた線にすぎず、自然はそれを軽々と越えてくる。より遠く、高いところへ。避難の妨げとなる正常性バイアスを打ち破り、心に訴えかけていく。これまでにない強い表現を含んだ改訂を、武田らは局内で調整していった。その初めての実践例が、今年の元日の、あの報道となった。  武田自身、能登には1月6日に入った。日本テレビ系の情報番組「DayDay.」でMCを務める彼は、金沢から早朝、七尾に向かい、その先の穴水や輪島へ。取材し、今、何を伝えるべきか、優先させるべきか、スタッフと議論していった。 「避難所で足りないもの、自宅や車で過ごしていらっしゃる方の実情を取材する。輪島の漁師さんに話を聞き、漁業の話をする。現場で見つけていきました」  武田の印象に強く残ったのは、「現状を伝えて」と切望する人の多さだった。食べるもの、着るもの、暖をとるもの。水、トイレ。それがないと1日も生きていけないようなものが何日も不足している。武田が入ったのは発災後1週間近くも経っていたのに、行き渡っていない。この惨状を伝えてほしい。彼はその言葉を受け取った。  武田といえば、忘れられない場面がある。  それは2016年4月16日放送の「NHKスペシャル緊急報告・熊本地震」。番組終盤、彼はこう語りかけた。 「熊本県は私のふるさとです。家族や親せき、たくさんの友人がいます。(中略)被災地の皆さん、そして私と同じように、ふるさとの人たちを思っている全国の皆さん、不安だと思いますけれども、力を合わせて、この夜を乗り切りましょう。この災害を乗り越えましょう」  2度目の地震があった日の夜の放送で、彼の温かみが伝わって、筆者は感銘を受けた。そう伝えると、武田は静かに首を横に振った。 「私の個人的な思いは、もちろん故郷ですからありますけれども、そうではなく、皆で議論して考えていたことです。私も、熊本を思う全国の人たちも、今は何もできず取材も十分届かないけれど、被災者に心を寄せ、苦境を乗り切るためにできることを考えます、と宣言する番組にしようと」  発災直後の命を守るフェーズ。難は逃れたが災害関連死のリスクがあるような命を繋ぐフェーズ。その後、暮らしを立て直し、復興に向かうフェーズ。それぞれ訴えるべきこと、伝えていくべきことがあるはずだ。その原点は、阪神・淡路大震災の時、武田の大先輩のアナウンサー、佐藤誠が避難所で一人ひとりに、同じ目の位置で膝をつき、関西ことばで語りかけた場面。あるいは東日本大震災の時、杉尾宗紀がラジオで「間もなく夜明けです。皆で力を合わせて乗り越えましょう」と語った場面。今、伝えるべき言葉を考え続けてきた歴史が、武田たちにはある。 日本テレビ系列の情報番組「DayDay.」(月~木曜・午前9時~11時10分、金曜・午前9時~10時25分の生放送)。不測の事態が生じた際にMC自ら情報収集できるよう、武田は傍らにiPadを携えて席に立つ(撮影/高野楓菜)   「議論があって、ああなった、ってことなんです。これはぜひお伝えしておきたいです」  ここで時計の針を戻し、少年時代の武田に会いに行く。彼は地元・熊本で、何かを表現することを模索し続けていた。県立熊本高校で級友となった児成剛(57)は、武田と共にバンドを組んだ。 「1年の秋の文化祭で、先輩がRCサクセションのコピーバンドをやっているのを見て、『かっこいいな、やるか!』って」(児成) 縦ノリのラインナップ 文化祭本番は舞台で弾けた  翌年の文化祭に向け、武田、児成を含む4人は、パンクロックバンドを結成。部活後、近所の貸しスタジオで練習に明け暮れた。児成は振り返る。 「僕はボーカルで、武田君がギター。4人で激しい音楽をやって、ちょっと脚光を浴びたいなという安直な考えがあったと思うんです」 「ザ・クラッシュ」「ザ・スターリン」「セックス・ピストルズ」。縦ノリのラインナップだ。 「武田君は『お前たちが決めた曲でいいから』って。おとなしくて、一歩引いた感じ。ただ楽しそうにしていましたよ。『ついていきます』って」  そんな児成が驚いたのは、文化祭本番だった。おとなしいと思っていた武田は、舞台で弾けていた。武田のギターと、アンプを繋ぐケーブルが短すぎて、前に出すぎた武田が思わずアンプ装置を倒してしまった。これに腹を立てたPA業者が、電源を切ってしまい、音が出なくなってしまった。 「武田君も僕も『なんで電源がこないんだ!』。マイクが使えなくなっちゃったので、僕は黄色いメガホンを使って歌っていました」(児成)  筑波大へ進み、卒業が近づく頃、武田は広告代理店を第1希望に見すえ、就職活動を始めた。 「糸井重里さんなど、コピーライターという職業が生まれていた。クリエイティブになれるかなと」  絵が描けるわけでも、音楽が飛びぬけて上手なわけでもない。でも、言葉ならいけるかも。そんな折、NHKを受験する友人に誘われ、試しにディレクター職希望の書類を出した。そうしたら、アナウンサーで内定が出た。意外な展開に驚いた。 「言葉で表現する、って意味ではコピーライターと同じ。自分の肉体で表現できる」   武田アナウンサー誕生の瞬間だった。  熊本、松山放送局で実績を積み、東京アナウンス室へ。駆け出しの頃は失敗ばかりだったと苦笑するが、東京での彼にドジキャラの印象はない。 「一所懸命、間違いのないように読んでいました。石橋を叩(たた)くように。間違えずに伝えていく」  正午のニュース担当に武田が抜擢された。当時の日々のことを妻・陽子は鮮明に覚えている。 「どんどん責任が重くなり、プレッシャーが大きくなって。私は赤ちゃんの夜泣きで寝られないときで、彼はカバーする範囲が広い昼のニュースを担当。世界中で何が起きても全部やるから、ピリピリしていました」 沖縄勤務以来、家族ぐるみで親交を深める大西正子(94)と。大西は一家の多くが沖縄戦の犠牲に。逃げる際に艦砲射撃に遭い、自身も足を負傷。戦後長年、その経験を修学旅行生に伝えてきた(撮影/高野楓菜)   「私たち」でなく「私」で語る 苦しいけれど楽しい日々  ある休みの日、東京郊外の昭和記念公園にドライブしたことがある。その帰り、車内のNHKラジオで新潟県中越地震の速報が流れた。 「その途端、ワーッて車を飛ばして、家の前に着いたら、もう飛び出て、すぐに局に行くんです。私と子どもを車に置いたまま」  いつも家族一緒で、子煩悩な彼からは想像もつかないエピソードだ。とにかく当時は間違いのないように。迅速かつ一歩一歩。武田は振り返る。 「それでも間違えるんですけどね。積み重ねていって、いざという時『武田に任せよう』って言ってもらえるように。そう思って続けていました」  NHK番組「NHKスペシャル」「クローズアップ現代+(プラス)(当時。『クロ現』)」を担うように。 「『クロ現』の番組を統括する中村直文君から、たくさん学びました。彼からは『一人称で語ってください』って繰り返し言われた。『私たち』ではなく、『私』と言ってください、と。そうすればそれは武田さんが感じたこと。ファクトになる。それが一番強い」  現在も両番組を統括するNHKメディア総局、NHKスペシャル事務局の中村直文(54)は当時を回想する。 「武田さんに『クロ現』を担当していただく前、国谷裕子(ひろこ)さんが長年キャスターを務めていましたが、突然、キャスターが交代する事態が生じ、現場は混乱。番組自体が存続の危機にありました。武田さんに背負ってもらいたいことは山ほどありました。手探りで、本当にイチから一緒に立ち上げました。おこがましいですけど、戦友みたいな関係だと思っています」  トランプ大統領誕生の米国、地震1年後の熊本、復帰45年の沖縄。武田は常に、現場で伝えた。 「政界を揺るがした森友・加計問題も、『クロ現』は積極的に取り上げました。ちゃんと向き合わないと、我々の仕事は終わってしまう」(中村)  番組として取り上げることが難しいテーマもあった。だが、中村は言う。 「武田さんは前向きに勝負してくれる人。厭わずにやっていただいた。国谷さんもそうですが、武田さんは自分が関わる番組に対し、取材マインドや、つくる過程への関心が強い方だと思います」  NHK看板アナが退局! その一報に驚いたのは記憶に新しい。2023年2月末、武田は組織を飛び出した。それは直前の2年間、大阪放送局へ赴任した経験が影響していると武田は明かす。 「地域の社会起業家を紹介する企画があったんです。仕事やNPO活動を通じ、身近な社会を良くしていく。そんな人が大勢いることを知りました」  自分のできる範囲で確実に社会を変えていく姿が眩(まぶ)しかった。もっと自分にできることが見つかるはずだ。こうして武田は、民放の世界へ。山里亮太とツートップMCを務める「DayDay.」が始まった。番組の総合演出を担う日本テレビコンテンツ制作局専門部次長の大橋邦世は、こう語る。 「2人の関係が絶妙です。武田さんが信頼感と安心感をもって構えてくださっているので、山ちゃんがあちこち動ける。お互いリスペクトしているようです」 1月20日、沖縄気象台の防災気象講演会に登壇。過去の自身の経験や、能登半島地震の最新リポート、住民が自ら命を守るための情報を集めることの重要性などについて伝えた(撮影/高野楓菜)    大橋が日々驚くことがある。武田の勉強姿勢だ。 「たとえば最近話題になった『マルハラ』問題を番組で取り上げた際、句読点に関する国語学者の本を読んで臨んでくださった。オンエアにすぐ反映されるわけでなくても、番組として安心感をもって臨んでいける。また、エンターテイナーな側面も垣間見え、今後の展開が楽しみです」  武田は語る。 「番組を日々、どう良くし、自分がどうあるべきか考えています。勉強は苦しいんですけど、じつは、人生の一番良き時代を過ごしていることが最近、わかってきました。この先、成功するかわからない。でも楽しいんですよ。苦しいですけど」  かつてバンドで共にシャウトした児成も、「クロ現」で切磋琢磨(せっさたくま)した中村も、そして妻・陽子も、「今が一番、本来の彼らしい」と評する。現場にかけつけ、ひざを突き合わせて声を聞く。喜怒哀楽を豊かに多彩なジャンルと向き合い、日々を存分に楽しんでいく。  閖上での取材日の夕暮れ、あんなに強かった風はいつの間にかやんでいた。取材の最後、凪(な)いだ海を眺めながら、武田はつぶやいた。 「この風景が、すごく好きなんです」  この先も、この地に、きっと来る。伝える、繋がることを命題として、あれこれ手を拡げずに、できることから彼は始めていく。 (文中敬称略)(文・加賀直樹) ※AERA 2024年5月20日号
安倍元首相が「機密費」から候補者に100万円報道 元「安倍派」議員に直撃して聞いた“選挙とカネ”の実態
安倍元首相が「機密費」から候補者に100万円報道 元「安倍派」議員に直撃して聞いた“選挙とカネ”の実態 候補者に機密費から選挙資金100万円を渡した疑惑が報じられた安倍晋三元首相    5月9日、中国新聞は2013年7月の参院選で当時首相だった安倍晋三氏が、東日本の選挙区で党内の公認候補の応援に入ったときに、現金100万円を渡していた疑いがあると報じた。同紙は複数の元政権幹部への取材として、その金は内閣官房機密費(機密費)から支出されている可能性も示唆した。昨年末に発覚したパーティー券による裏金事件に続き、またしても自民党による「政治とカネ」の問題。これまでもずっと機密費や自民党の選挙資金に流用されてきたのか、また、選挙応援を受けてきた当事者らはどう考えているのか。当人に取材した。 *  *  *  機密費とは、政府の施策の円滑な遂行を目的として認められる経費のことで、官房長官が管理する。毎年の予算額は約12億円で、そのうち領収書不要で官房長官の判断で使うことができる「政策推進費」は約11億円もある。「赤旗」などの報道によると、第2次安倍内閣が発足した2012年12月から岸田政権下の23年6月まで、ほぼ全額を使い切っており、公金の“私物化”も問題視されてきた。  中国新聞の取材に対して、元内閣官房副長官が匿名で語ったところによると、「機密費を選挙に使うことがあると思う」とし、「国政選挙の陣中見舞いとして100万円を渡すことがあった」と答えている。  政治評論家の有馬晴海氏は今回の報道に関してこう話す。 「100万円なんて氷山の一角でしょう。選挙には事務所代、会場費、電話料金など、とにかく金がかかる。それだけでも数百万円は軽く超えます。候補者は自分にどれくらいの票が入るかわからない状態で選挙活動をしているので、何か施策を打って票を獲得できるのであれば、どんどん金を注ぎ込みます。だから、あればあるだけ金を使うのが実態であり、『いくらあれば足りるか』という話にはならないのです。3億円あっても足りないと話す議員もいます」 公職選挙法違反(加重買収)で実刑判決を受けた河合克行元衆院議員と妻の案里氏   「総理2800、すがっち500」と書かれたメモ  有馬氏によれば、その金の出どころは、主に、党から議員に支給される「政策活動費」だという。 「候補者が、大臣や総理を選挙応援に呼ぶということは、基本的には『お金を持ってきてほしい』という意味です。議員がポケットマネーから出すわけではなく、出どころは、領収書がいらず使途も明らかにしなくていい政策活動費です。しかし、今回の報道のように機密費も支出されているという疑惑はずっと残っています。自民党議員は政治討論番組などで、機密費を『選挙目的、党目的で使うことはない』と断言しているが、ただ否定するだけではなく、なんからの根拠を出すべきだと思います」  元法務相の河井克行氏は2019年、参院選の広島選挙区で妻の案里氏を当選させようとして、地方議員など100人に選挙運動報酬として現金計約2871万円を配布したとして、公職選挙法違反(加重買収など)で、懲役3年の実刑判決が言い渡されている。検察は当時、克行氏の自宅を捜査した際に「総理2800、すがっち500」などと書かれた手書きのメモを押収している。検察は当時、その一部は機密費から支出されたと見ていたという報道もあった。  では、選挙に大臣や首相を呼んで選挙を戦ってきた自民党議員はどう答えるのか。 「安倍派」に所属していた宮澤博行元衆院議員(撮影/板垣聡旨)   元安倍派議員は「わからない」を繰り返した  2021年に行われた衆院選の静岡3区で比例当選した元「安倍派」の宮澤博行元衆院議員は、選挙当時、安倍元首相や高市早苗元政調会長などが応援に駆けつけた。  宮澤氏は「お金を受け取ったことも、渡されたこともない」と否定する。自民党では党の幹部が候補者に現金を渡す習慣があるのかと問うと「知らない人のことはわからない」とし、「わからない」を二度三度繰り返した。また、「機密費についてもわからない。話も聞いたことがない」と述べた。  中国新聞の機密費報道を受け、自民党内でも反応は二分しているという。全国紙政治部記者によると、このままでは総選挙に勝てないという危機感を持つグループと、選挙に金がかかるのは当たり前と開き直るグループで“分断”が起こっているようだ。 「パーティー券の裏金問題も尾を引いていることから、これまで自民党が行ってきたとされる選挙で金をばらまいて勝つような古い方法は変えるべきだという議員はいます。一方で、これまで選挙で金をつぎ込んできた議員の中には『どうせあいつが新聞にタレこんだんだ。自民を売りやがって』と恨み節を言う人もいる。主に古参の議員が多いですが、彼らは一連の報道について『なにを今更バカなこと言っているんだ』とまったく危機感は持っていないようです」  今国会で焦点となっている政治資金規正法改正についても消極的な姿勢が目立つ自民党。「政治とカネ」における自浄作用は期待できそうもない。 (AERA dot.編集部・板垣聡旨)
「お疲れ気味…」の佳子さま 硬い表情から「復活」して見せた白い歯のパーフェクトスマイル
「お疲れ気味…」の佳子さま 硬い表情から「復活」して見せた白い歯のパーフェクトスマイル 第33回森と花の祭典「みどりの感謝祭」の式典に先立つ懇談の場。佳子さまは子どもたちの緊張をほぐすように、身体をかがめて目線を合わせながら優しく話を聞いていた=2024年5月11日、東京都千代田区    秋篠宮ご夫妻の次女佳子さまは11日、都内で開かれた「みどりの感謝祭」に名誉総裁として出席した。5月のギリシャ訪問も控え、公務で多忙な佳子さま。お疲れの様子が見られたが、子どもたちと交流した後はいつもの「ほほ笑みのプリンセス」へと戻っていた。 *   *   * 「どんな活動をしているの?」  姉の小室眞子さんから譲られた青味がかった緑色のワンピース姿の佳子さまは、子どもたちの顔の高さまでぐっとかがみ、その目をのぞきこむようにしながら笑顔で話しかけた。  森林の保全などを呼びかける「みどりの感謝祭」に出席した佳子さまは、式典に先立ち、緑化活動に取り組んできた人たちを表彰する「みどりの文化賞」の受賞者や緑化活動に取り組む小学生らと懇談した。  ガールスカウトに所属する小学6年生の女の子は、佳子さまに話しかけられて緊張でガチガチに。しかし、佳子さまはほほ笑みながら、女の子が答えるまでゆっくり待っていた。 「緑の羽根の募金や赤い羽根の募金や、キャンプなどをしています」  佳子さまに無事に説明することができた女の子は、うれしさでいっぱいだったという。子どもたちに付き添っていた女性も、 「佳子さまは、子どもたちの緊張をほぐしてお話するのが上手でいらっしゃる」  と振り返った。     【こちらも話題】 【写真特集】息をのむ「美の競演」 皇后雅子さまと愛子さま、佳子さま方の頭上で輝くティアラ https://dot.asahi.com/articles/-/221349 【PR by 暮らしとモノ班】 日焼け止めのトレンドは「手が汚れない」!人気のロールタイプやスプレータイプを一挙紹介 https://dot.asahi.com/articles/-/222357   第33回森と花の祭典「みどりの感謝祭」の会場で表彰者との懇談にのぞむ佳子さま。お疲れ気味の様子ではあったが、人びとや子どもらと交流をする場面では、いつものほほ笑みのプリンスの表情に=2024年5月11日、東京都千代田区    佳子さまが務めている「みどりの感謝祭」の名誉総裁職は、秋篠宮さま、そして姉の眞子さんを経て、第31回の祭典から佳子さまに引き継がれたものだ。  佳子さまは今回の式典で、 「これまで人びとが植え、守り育ててきた人工林がこれからも重要な役割を果たしていくためには、木を使うことによって他の木や苗木などが太陽の光を浴びて成長できるようにすることも必要だと伺いました」  と、あいさつを述べられた。  林野庁の担当者によると、林野庁長官による事前説明が4月にあり、佳子さまは積極的に質問。この日のあいさつにも、長官とのやりとりでの内容が盛り込まれていたという。   「いつもと違う」佳子さま  高齢化が進む皇族のなかで、若い世代の成年皇族である佳子さまが担う公務は多岐にわたり、その数も多い。特に最近は5月のギリシャ公式訪問に向けて、4月にあった春の園遊会前から相次いで予定が入っている状況だ。 「みどりの感謝祭」の式典会場に向かう佳子さま。「いつもより笑顔が硬く、お疲れの気味の様子でした」(会場近くにいた奉迎者)=2024年5月11日、読者提供    そんな連日の公務で、疲れが蓄積していたのだろうか。「みどりの感謝祭」の会場に向かう車中の佳子さまを見かけた奉迎者は、こう話した。 「ほほ笑みが出たのは、ほんの一瞬。あとは表情が硬く、いつもとは明らかに違うなという、お疲れ気味の笑顔でした」  ところが、式典を終えて帰路に着いた佳子さまは、1時間ほど前とは一転し、「パーフェクトスマイル」を見せてくれたという。 「佳子さまを待っていた奉迎者は、みんなカメラやスマホを構えて両手がふさがっていたため、誰も手を振ることはできなかったのですが、白い歯を見せての完璧なスマイルとお手振りでした。“ほほ笑みのプリンセス”が復活して安心しました」(前出の奉迎者)   「みどりの感謝祭」の式典会場に向かう佳子さま。「いつもより笑顔が少なく、表情もお疲れのようで心配です」(会場近くにいた奉迎者)=2024年5月11日、読者提供    お疲れ気味だった佳子さまは、会場で交流した子どもたちから、元気をもらったのかもしれない。私たちを惹きつける佳子さまの「パーフェクトスマイル」は、人々との触れ合いから生まれるものと言えそうだ。 (AERA dot.編集部・永井貴子)   【こちらも話題】 【写真特集】「ほほ笑みのプリンセス」と海外で絶賛された佳子さま 斜め45度のロイヤルスマイルは「優美で完璧」  https://dot.asahi.com/articles/-/221437    
宝島夫妻の友人が明かす 1店の焼肉店から「宝島ロード」ができるまで 2人は「シンボル的存在」
宝島夫妻の友人が明かす 1店の焼肉店から「宝島ロード」ができるまで 2人は「シンボル的存在」 宝島夫妻の原点でもある店舗「焼肉ホルモン番長」(撮影/上田耕司)  東京・上野を中心に飲食店を経営していた宝島龍太郎さん(55)と妻の幸子さん(56)の焼損した遺体が、栃木県那須町の河川敷で見つかった事件。警視庁は、死体損壊容疑で逮捕した6人が共謀し、夫妻を殺害した疑いがあるとみて、このうちの仲介役の25歳の男を11日に殺人容疑で再逮捕した。事件を首謀したとみられる夫妻の長女の内縁の夫、関根誠端容疑者(32)らについても立件に向け、捜査を進めている。こうしたなか、宝島さんの友人の韓国人経営者が、夫妻や関根容疑者らについて語った。  「宝島さん夫妻は週1回くらい、うちの店でご飯を食べてましたね。2人は仲が良かったですよ。どこへ行くのもいつも2人だった。夫妻の日課は、いつも午後8時から9時ごろ、上野駅前(東京都台東区)にある、自身が経営する焼き肉店から出発し、10数店舗ある店をぐるぐる巡回していたんです。いつも私の店の前を通って行くものだから、うちの店にも寄ってくれるようになったんです。お酒は強かったです」  アメリカで事業失敗、日本で会社設立  そう話すのは、上野で居酒屋を経営する韓国人男性。宝島さんとは同年代で、気心が通じていた。韓国人男性は宝島さんのことを中国名の「ドン(東)さん」と呼び、会話はいつも韓国語だったという。  「ドンさんは、自分のことを朝鮮民族系の中国人だと説明していました。韓国語もペラペラでした。中国語も日本語も話せました。妻の幸子さんも中国の人で、2人は中国で結婚したと聞きました。ドンさんは『妻と娘も連れて一家でアメリカへ渡って事業をしたことがあったが失敗し、日本にやってきた』と話してました」   宝島さんが代表を務める「サンエイ商事」が設立されたのは約15年前。 「ドンさんは、上野のアメ横にやって来て、最初に経営した店が『焼肉ホルモン番長』だと言ってました」   そう聞き、店に行ってみた。 【あわせて読みたい】 用意周到なのに頭部は浴室に置きっぱなし… 札幌遺体切断事件の親子3人の気になる精神状態 https://dot.asahi.com/articles/-/197373?page=1 アメ横では最大級のホルモン専門店(撮影/上田耕司)    ビルの1階から3階までが店舗で、アメ横最大級のホルモン専門店だった。ただ、店は閉まっており、「ランチタイム ウーロン茶1杯サービス ライスお替り自由」の貼り紙がなんとも虚しく見えた。  宝島さんは、この「焼肉ホルモン番長」から店を増やし、大きくしていった。  「この辺りの飲食店は1軒だけではそれほど儲からない。仮に1店舗で月50万円以上儲けがでるなら、4店舗、6店舗あれば200万~300万円以上になるじゃないですか。ドンさんはコロナ禍のときも24時間営業していましたよ。他店がみんな閉まっているので客が集まった。給付金もらうよりも、逆に儲かったようです」   飲食店が潰れ、テナントに空きが出ると、宝島さんがそこに出店し、店舗を拡大したという。 バイトから始まった関根容疑者 「商売がうまかった。最初は『焼肉ホルモン番長』だけだったのに、一気に5店舗、6店舗となって現在の状態になっている。『宝島ロード』と呼ばれるくらい、ドンさんの物件だらけのストリートができた。一生懸命やっていた。夫妻で命懸けでがんばっていた」  宝島さんの経営する「サンエイ商事」のホームページでは、上野のアメ横周辺で経営する14店舗が紹介されている。それ以外にも店舗があり、3店舗程度を関根容疑者が任されていたという。  韓国人経営者がこう続ける。 「うちの店が終わってから1時半ごろに『宝島ロード』を通ると、ドンさん夫妻はいつもイタリアンの店の辺りにいました。関根容疑者と長女がよく働いていた店です。店のテーブルに座ってビールを飲んでいました。関根容疑者は夜中でもサングラスをして、ジャージーとかカジュアルな服を着てよく歩いていました。刺青もあちこちにしていて“チンピラ”みたいな雰囲気でしたよ」  台東区出身の関根容疑者は最初、アルバイトとして宝島さんの店で働き始めた。夫妻の長女とは学生時代からの知り合いで、2人は内縁関係になったという。その後、関根容疑者はマネジャーとなり、店舗拡大に協力していった。 【こちらもおすすめ】 「父娘でコスプレ姿も」札幌・遺体切断事件で逮捕の親子3容疑者 自宅は「ゴミ屋敷のよう」 https://dot.asahi.com/articles/-/197181?page=1 栃木県那須町で焼損した遺体で見つかった宝島龍太郎さん(右)と、死体損壊容疑で逮捕された関根誠端容疑者(左) 「宝島さんの店が一気に増えたことで、宝島さんの周辺ではトラブルも多かったようです。強引なやり方で近隣のライバル店舗を撤退させることもあったらしい。そこでもめたときに、ドンさんが前に出るわけにはいかないから、関根容疑者を使ったんじゃないかな」(前出の韓国人経営者)  そんな関根容疑者のまわりで変化が出たのは、今年1月に入ってから。「サンエイ商事」の取締役だった長女に代わり、次女が取締役に就いたのだ。  約1カ月前、パスタ、ピザなどのメニューの豊富なイタリアン料理店を開店し、長女と関根容疑者が店を切り盛りしていたようだが、求人情報を見ると、連絡先は宝島夫妻の会社になっていた。  前出の韓国人経営者によると、夫妻と関根容疑者、長女との間には微妙なあつれきが生じていたようだといい、 「関根容疑者は長女と一緒に住んでいる。いつまでも『内縁の夫』というのがおかしい。親に結婚を反対されたんでしょう」  と話した。 空き家付近に関根容疑者がいたことも確認  特に幸子さんが関根容疑者を嫌っていたという話も多く出ており、経営を巡ってもトラブルにもなっていったようだ。  そんななか、4月16日に宝島さん夫妻の焼損した遺体が栃木県那須町で見つかった。 「事件が明るみに出てから関根容疑者は自宅からはほとんど出なかったようですね」  報道などによると、宝島さん夫妻は事件前日の15日夜に、新たに出店するための物件を見るために、上野から品川区へ移動し、物件を見た後に同区内の空き家を訪れた。そこで暴行を受けた可能性があるといい、関根容疑者もそのころ、空き家付近にいたことが確認されているという。  前出の韓国人経営者によると、宝島さんの店では、ベトナム人、ネパール人、インド人らが多く働いていたという。 「うちも海外の従業員を使っていて、ドンさんの店の従業員たちとみんな友達ですから、うちの従業員を通じて話が入ってくる。宝島さんが亡くなって、2日間くらいはお店を休んでましたが、3日目くらいから開店しました」    いったん開店した店も、関根容疑者が死体損壊容疑で5月6日に逮捕された翌日から閉店したという。  アメ横から少し離れた、スナックや風俗店が集まる通りにある韓国人や中国人、日本人の女性が働く、あるスナックに宝島さんが来たことがあるという。  店の女性たちはこう話す。 「ドンさんは知り合いに連れられて来ました。腰が低くて、やさしい感じでした。たまに道で見かけるときは、いつも奥さんが一緒でした」 「頑張らなければやっていけなくなるだけ」  宝島さんと同じ朝鮮民族系の中国人で居酒屋を経営する男性は、 「同じ民族だから後輩みたいにかわいがってくれて、店にもときどき顔を出してくれていました。亡くなったのを知ってとてもびっくりして、言葉がない。一緒に共同で店を出そうという話もあったのに……」  アメ横で力強く生き抜こうとする韓国人や中国人たちの姿が印象に残った。  前出の韓国人経営者がこう話した。 「私たちにとっては、ここは外国だから自分が頑張らなければやっていけなくなるだけ」  彼らにとっては、成功をおさめ高級タワーマンションに住んでいた「シンボリックな経営者」が宝島さん夫妻だった。  宝島さんの店のガラス戸には、こんな貼り紙がしてあった。 「今後は経営体制を一新し、新たな取り組みやサービスを通じて、より良い飲食体験を提供できるよう努めてまいります」 (AERA dot.編集部・上田耕司)  
アキラ100%が語る4歳娘の子育て「お盆芸はまだ見せたことがない。だけど気づくのは時間の問題です」
アキラ100%が語る4歳娘の子育て「お盆芸はまだ見せたことがない。だけど気づくのは時間の問題です」 着衣のアキラ100%さん(提供)  4歳の女の子のパパであり社会科の教員免許の資格も持つピン芸人のアキラ100%さん。「物事の良し悪しの判断が自分でできる子に育ってもらいたい」と、たくさんの経験を積ませているそうです。そんな自身の子育て評価は100%ではなく70%!?「娘の前ではまだお盆芸を披露したことはない」という心配も。ご自身の“子育て論”を語ってもらいました。※前編〈ピン芸人・アキラ100%は45歳でパパになって健康的に!娘のたかいたかーいは「最高の筋トレです」〉から続く 「これが好き」という認識は大人が教えてあげるものではない ――芸人としてのスキルや社会科教員の資格を子育てに生かしていることはありますか。  まだ4歳なので勉強というよりも子どもが遊びたいように遊ばせて、僕はその世界観に乗ってあげることを大事にしています。子どもが変わったことをやったら、「そうじゃないよ」と言うのではなく、「お!それいいね」「そんなことできるの?」と返す。芸人がどんどんボケを引き出す感覚に近いかもしれません。  例えばおもちゃを買うと、おもちゃそのものより箱に興味を持つことってありますよね。箱を何かに見立てたり大きな段ボールを車にしたり。子どもの想像力ってすごいです。そういう時は「こっちのおもちゃで遊びな」と言うのではなく、その遊びに乗ってあげます。「これは空飛ぶ車だよ」と言われたら、箱ごと持ち上げて空飛ぶじゅうたんのように飛ばしてあげます。かなりの筋力と体力が必要なんですが(笑)。 ――休みの日はいろいろなところへお出かけするそうですね。  行ける時には車で遠出します。動物と触れ合える場所に行ったり魚釣りをしたり。娘は物怖じせず平気で動物に近づきますし、魚も好きで20センチくらいのマスもぎゅっとつかんじゃう子なんです。水たまりがあればダイブします。実家(埼玉県秩父市)の庭の畑で収穫を手伝うこともあります。どろんこになっても服が汚れても問題なし! 専用石鹸で洗えばきれいになりますからね。 ベビーカーでお散歩!(本人提供)  子育てって、こうした子どものときのさまざまな経験がとても大事だと思っています。自分の好き嫌いは、いろんなものに触れれば触れるほど自分で分かってくるものだと思います。自分はこれが好き、これが得意だという認識は、大人が教えてあげるものではない。そういう意味でいろいろな機会を与えてあげたいなと思っています。 ――そう考えるようになったきっかけはありましたか。  自分が芸人としてひょんなことで売れたので(笑)。僕はずっとあの芸をやっていたわけではなく、たまたま宴会芸縛りのオーディションがあって、お盆の芸をしたらブレイクしました。人生何が当たるか分かりません。いろんな芸人さんを見ていても感じますが、世の中的にはちょっとダメなことでも、そのダメなところがフューチャーされてブレイクするということが本当にあります。  自分もそうやって世に出させてもらったので、何がいいか悪いかの価値判断は変わっていくものだと感じています。もちろん危ないことはダメと言いますけど、それ以外のことは子ども自身で良し悪しを判断できる人間になってほしいです。だから遊びに関しても子どもの自由な想像力に任せて、僕はそばで驚きながら楽しんでいます。といっても、心配性なのでつい「危ない危ない」って言っちゃいますけどね(笑)。 娘には見せたことがないお盆芸…今から心配なことも ――お子さんにお盆芸を披露したことはありますか。  実は娘には見せたことがなくて。娘の前でいざやるとなったら緊張するでしょうね。でも最近、パパの仕事に気づき始めているんです。丸いものを持ってきて「パパこれお仕事で使うでしょ」って言ってくるんですよ(笑)。もう時間の問題です。  でも仕事を隠しているわけでもないんです。家族でネタ番組を一緒に見て「パパだー」って言っていることもあるので。僕がスマホで自分のお盆芸のSNS動画を確認していると、娘が横から覗いて「なにやってるのパパ〜」「隠してるじゃ〜ん」って言ってくるんですよ。 お盆芸姿のアキラ100%さん(提供)    子どもってこういうネタが面白くなってくるじゃないですか。役者の仕事もしているので、「パパはテレビの中で仕事をしている」っていうのはなんとなく分かっているようです。自然な流れの中で知っていく感じですかね。 ――お子さんが成長してやがて思春期を迎えます。芸風について今から悩んでいることはありますか。  こういうネタって子どものころはめちゃくちゃ楽しく思えて、男女共に思春期になると「うっ」となる時期があると思うんです。思春期を越えちゃえばまた面白くなってくるんですけどね。10代後半から20代前半の特に女子が「うーん」となるかもしれないですね。  今は大丈夫ですけど、学校へ行くようになったら、友だちから何か言われないかが心配です。そういうときは、逆に僕をネタにして、子ども同士が仲良くなれるツールの一つになれればいいなと思っています。チャンスがあったら、小学校でも中学校でも、僕に何かできることがあったらぜひやらせてもらいたいと思っています。娘が許可してくれたらですけど(笑)。 パパとしては「アキラ70%」…小道具の断捨離をがんばりたい ――看護師の奥さまにとって、アキラ100%さんの芸は癒やしになっているそうですね。  そうですね。僕は仕事で失敗しても失敗すら笑いにできる仕事です。でも医療の仕事に失敗は許されません。僕とは全く違う職業ですごく緊張感のある仕事ですから、僕の芸を見てバカバカしいなって笑ってくれるんでしょうね。妻は元々お笑いが好きなので応援してくれています。新しいネタを考えていたときは、見えるか見えないかのチェックもしてくれました。テレビに出始めたときはめちゃくちゃ喜んでくれましたね。 ――2024年で50歳という節目を迎えられますが、どんな目標がありますか。  仕事では海外に行くチャンスがあれば挑戦してみたいです。何度か仕事で海外へ行きましたけど、海外の方もだいたい笑ってくれるんです。お盆芸に言葉はいらないですが、見てくださった方が何を言っているのか分からないのが惜しいので、英会話は勉強したいなと考えています。  プライベートなことでは、家族でいろいろなところへ行きたいです。ロケ番組をしていると、日本にも知らないところがまだまだたくさんあって、いいものがいっぱいあるなと気づかされることがすごく多い。現地へ行って触れて、子どもが面白いと思えるものを一つでも増やしてあげたいです。 ――パパとしては、アキラ何%でしょう。  いやぁどうでしょう! 自分ではやっているつもりなんですが、この“つもり”が怖いですからね。希望としては「アキラ70%」はいっていてほしいですね。あとの足りない30%は圧倒的に片付けです。妻は仕事柄きれい好きできちっとしています。冷蔵庫も洗濯物もピシッと整っている。でも僕はゆるいんですよ。お盆1枚から始まった小道具もどんどん増えてきちゃって。子どもの遊びスペースを広げるためにも断捨離をがんばりたいです。 (取材・文/大楽眞衣子) 〇アキラ100%/1974年、埼玉県秩父市生まれ。2010年からピン芸人として活動し、17年にはR-1ぐらんぷり優勝。俳優としてもドラマ、映画などで活躍。主な出演作に、「アキラとあきら」(22)、「翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜」(23)、日曜劇場「ラストマン-全盲の捜査官-」(TBS)、「らんまん」(NHK)。1女の父。
ダブル不倫から復帰「広末涼子」が主演したドラマ「できちゃった結婚」の“リアリティー”と超豪華キャストの今
ダブル不倫から復帰「広末涼子」が主演したドラマ「できちゃった結婚」の“リアリティー”と超豪華キャストの今 広末涼子    4月17日に東京・有明の東京ビッグサイトで行われたイベントに出席した女優の広末涼子(43)。昨年6月に人気シェフ・鳥羽周作氏とのダブル不倫が報じられて以降、約11カ月ぶりの表舞台となり、白いシャツにデニム地のパンツといういでたちで爽やかな姿を見せた。  今年2月に26年間所属した芸能事務所を退社し、個人事務所を設立した広末。スキャンダルの影響もくすぶるなか、今後、女優としてどんな作品に出演するのか気になっている人も多いだろう。  広末といえば、透明感あふれる美少女アイドルとして1990年代後半に一世を風靡した。全盛期の出演作も、反町隆史と竹野内豊のダブル主演ドラマ「ビーチボーイズ」(フジテレビ系、97年)や、明石家さんまと親子役を演じた「世界で一番パパが好き」(フジテレビ系、98年)など、キャストの顔ぶれは、それは豪華なものだった。  なかでも、2001年放送の「できちゃった結婚」(フジテレビ系)に出演していた俳優たちの“その後”の活躍ぶりは目覚ましい。本作は、広末と竹野内のダブル主演ドラマで、その名の通り、お互いのことをよく知らないうちに“できちゃった”カップルの出産や結婚を巡る騒動を描いたヒューマンコメディー。広末と竹野内がそのカップルを演じていたが、23年に発覚した広末の不倫騒動などもあり、今振り返ると、妙な「リアリティー」も感じる作品でもある。そこで今回は、そんな広末全盛期の主演ドラマ「できちゃった結婚」のキャストたちの現在を紹介しよう。 竹野内豊   竹野内豊  竹野内豊は広末演じるヒロインを妊娠させてしまう若手CMディレクター役で主演。当時から数々の連続ドラマで主演を務める人気者だった。一方、最近も主演ドラマ「イチケイのカラス」(フジテレビ系、21年)が放送され、穏やかな口調ながら自由奔放なクセ者裁判官役を演じてハマり役と評判になるなど、アラフィフとなっても安定した活躍を見せている。また、21年に26年間所属した芸能事務所を退社し、翌年からフリーランスとなったことも話題を集めた。 阿部寛   阿部寛  竹野内演じる主人公の大学時代の先輩役を演じたのが阿部寛。その後、「結婚できない男」(06年、フジテレビ系)で、偏屈かつ皮肉屋で結婚に縁はないが憎めない独身の主人公を演じ、ドラマもヒット。さらに「下町ロケット」(15、18年)や「ドラゴン桜」(21年)など、5回もTBS系「日曜劇場」で主演を務め、昨年、同枠で放送され社会現象となった「VIVANT」では、テロ組織を追いかける刑事役を好演。一方、私生活では08年に結婚し、11年6月に第1子、12年11月に第2子が誕生した。また、自身のホームページが1990年代のようなレトロなデザインのまま存続していることでも知られている。 妻夫木聡   妻夫木聡  本作での妻夫木聡の役は、竹野内演じる主人公の後輩。連続ドラマ初主演を果たしたのが2003年放送の「ブラックジャックによろしく」(TBS系)で、矛盾に立ち向かう純粋で情熱を持った若手医師役を演じ、一躍人気者に。09年には「天地人」で、NHK大河ドラマ初主演を飾った。最近の連続ドラマも孤高の天才執刀医役を演じた「Get Ready!」(TBS系、23年)など、主演作が多い。また、プライベートでは16年に女優のマイコと結婚し、19年12月に第1子、22年9月に第2子の誕生を発表している。 沢村一樹   沢村一樹  そして、産婦人科の医師役を演じたのが沢村一樹。その後、スーパードクター役を演じた主演ドラマ「DOCTORS~最強の名医~」(テレビ朝日系、11年)が人気を集め、シリーズ化。NHKのコントバラエティー「サラリーマンNEO」で、07年から演じたセクスィー部長も評判を呼び、下ネタ好きということも相まって“エロ男爵”としてもブレークした。直近では、4月から放送されているドラマ「ミス・ターゲット」(テレビ朝日系)に、キーパーソン役で出演中。また、00年に結婚して3児が誕生し現在、長男がモデル、次男が俳優として活動している。  そんな、今思えばその後に主役級として息の長い活躍を見せる俳優が4人も出演していた本作だが、脇を固める女優も個性的だ。 石田ゆり子   石田ゆり子  広末演じるヒロインの姉役で出演していたのが石田ゆり子。当時は手堅い脇役という印象だったが、16年に放送され大ヒットしたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS系)で演じた、独身バリキャリながらかわいらしい伯母役で視聴者を魅了。変わらぬ美貌も注目され“奇跡の40代”と大ブレークし、ますますドラマに欠かせない存在になった。現在放送中のNHK連続テレビ小説「虎に翼」で朝ドラ初出演を果たし、ヒロインの母親役を好演中だ。また、愛犬、愛猫と暮らす動物好きとしても知られる石田。21年には、インスタグラムに投稿してきた愛猫との日常を全3巻にわたりまとめた書籍『ハニオ日記』(扶桑社)を発売し、ベストセラーとなった。 片瀬那奈   片瀬那奈  ヒロインの友人役を演じたのは片瀬那奈。その後、数々のドラマに出演し、近年では「恋はつづくよどこまでも」(TBS系、20年)など話題作に登場。また、11~21年には日曜朝の情報番組「シューイチ」(日本テレビ系)の総合司会も務めた。一方、21年に同棲相手がコカインを所持したとして麻薬取締法違反容疑で逮捕され、片瀬自身も尿検査を受けて陰性反応だったことを「週刊文春」が報道。さらに親友の沢尻エリカも同容疑で逮捕された際、クラブで2人が踊る動画がネット上に流出し、片瀬も薬物使用を疑われた。こうした騒動もあり、徐々に表舞台から消え、所属事務所を退社。22年に靴・ファッションの通販サイト「ロコンド」の正社員になると発表され、話題になった。  さらに、本作はあの人気イケメン俳優の父親も登場している。 千葉真一   千葉真一  千葉真一はヒロインの父親役で出演。千葉といえば、日本を代表するアクションスターとして活躍。世界で通用するアクションスター・スタントマンを育成する「ジャパン・アクション・クラブ」を創設し、真田広之や堤真一らが輩出したが、21年に新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった。また、近年は俳優の新田真剣佑と眞栄田郷敦の父親という印象もあり、真剣佑は昨年ハリウッド映画初主演を果たし、郷敦は4月から放送中のドラマ「366日」(フジテレビ系)で主人公の恋人役を演じるなど、2人とも大活躍中。  振り返ると、今では広末以上の存在感を見せている俳優たちが数多く出演していた本作。彼らの現在の活躍ぶりをふまえながら改めて鑑賞してみると、新たな発見があるかもしれない。 (丸山ひろし)
嘉門タツオがライブで宇崎竜童に叱られたわけ 妻との死別、飲酒運転逮捕……猛省からの活動再開 
嘉門タツオがライブで宇崎竜童に叱られたわけ 妻との死別、飲酒運転逮捕……猛省からの活動再開  嘉門タツオさん(撮影・國府田英之)    一昨年9月に妻の鳥飼こづえさん(享年57)を亡くしたシンガー・ソングライターの嘉門タツオさん(65)。その後の取材では「妻が生きたことも亡くなったことも、ちゃんと意味を持たせたい」と涙ながらに話していたが、年が明けた2023年の1月に飲酒運転で逮捕され、活動を自粛するはめになった。猛省の日々を経て、この3月に活動を再開した嘉門さん。自ら“暗転”させてしまった死別その後の人生と、この今に何を思うのか。  嘉門さんとの交際前に、悪性脳腫瘍(しゅよう)を患っていたこづえさん。眼科とアンチエイジングの医師だったが、結婚後、病気の影響で右半身が徐々に不自由になり、医師の仕事をあきらめた。嘉門さんと一緒に曲作りをするようになり、ライブなど全国の仕事場に夫婦で連れ立つようになった。 死別からわずか2カ月  妻であり、仕事のパートナーでもあり、息がぴったりの2人。だが2022年の春、こづえさんのがんが再発。嘉門さんは病状が悪化していくこづえさんを介護し、一時は自らが体調を崩して入院しながらも、最後は自宅で旅立ちを見送った。14年間の夫婦生活だった。  嘉門さんに、こづえさんへの思いを取材したのは死別からわずか2カ月のころ。  筆者は、嘉門さんより2年4カ月前に妻を悪性脳腫瘍で亡くしている。  嘉門さんは取材中、18歳年下の筆者のことを何度か冗談めかして「先輩」と呼んだ。当事者同士で「死別後年齢」は筆者が上とあって、気持ちを吐き出しやすかったのかもしれない。   こづえさんと過ごした日々を振り返り、思いを言葉にしながら、何度も涙をぬぐった。  「妻が生きたことも、亡くなったことも、ちゃんと意味を持たせたい思っています」   こづえさんとの日々を、何か形にしたいという誓いを口にしていた。  だが……。   昨年1月の中旬、自宅の近所のすし屋で酒を飲み、車で帰宅途中に接触事故を起こして道路交通法違反(酒気帯び運転)の疑いで現行犯逮捕された。  警察署に留置され、番号で呼ばれ、手錠をかけられてバスで検察庁へと移送された。  【あわせて読みたい】 嘉門タツオが初めて語る“最愛の妻”との14年 がん末期の妻に用意した「花道」とその後も続く物語 https://dot.asahi.com/articles/-/13962?page=1 嘉門タツオさんと、こづえさん    親交のある宇崎竜童さんからは、 「つらくて飲みたくなるのは分かるけど、飲んだら運転するな」  と叱られたというが、宇崎さんが言うまでもなく、飲酒運転は人の命を奪いかねない犯罪である。死別の悲嘆は、飲酒運転の言い訳にはならない。   デビューから40周年の節目の年に、自ら人生を暗転させてしまった嘉門さん。  被害者への償いをするとともに、活動を自粛。猛省の日々を過ごし、65歳の誕生日でもあるこの今年3月25日に、活動再開となるライブを行った。当日、楽屋を訪ねると宇崎竜童さんが寄り添っていて、ライブで共演し、客の前で嘉門さんを叱った。   4月中旬に嘉門さんと会うと、活動再開のライブを終えた余韻はなかった。  「先日のライブに来てくれたお客さんは、僕がしっかり反省をしているかを確かめに来ることと、僕の歌で笑うために来る、という2つの意思があったはずです。どうやって応えたらいいのか、これまでにないプレッシャーを感じていましたが、何とか乗り切ることができました」  と神妙に本音を漏らした。  あの日だけなぜ飲んでしまったのか  なぜ、近所のすし屋で飲酒したのか。家に帰れば、酒はすぐに飲める。   逮捕の数日前に開催した名古屋でのライブ。   こづえさんの葬儀で、彼女にささげた曲を歌っている途中で、声を詰まらせる場面があったと、嘉門さんのスタッフから聞いてもいた。  重ねて言うが、飲酒運転をしていい理由は存在しない。  それでも、「飲まないと耐えられないくらい、つらくなったのですか」と筆者は率直に尋ねた。   だが、嘉門さんはこづえさんを理由にはしなかった。  「妻のことは一切関係ありません。いつもはノンアルコールを飲むんですが、あの日だけなぜかお酒を頼んでしまったんです。日本酒一合より、ちょっと多いくらいの量でした。なぜ飲んでしまったのか、今振り返っても分かりませんが、人間として甘かった、ということに尽きると思います。天国の妻も怒ったでしょうね」   そう話し、ファンや、たくさんの関係者に迷惑をかけてしまったことへの謝罪を口にした。 インタビューに答える嘉門タツオさん   【こちらもおすすめ】 嘉門タツオ62歳、初めて語る「母との別れ」 今だからこそ思う「歌う意義」 https://dot.asahi.com/articles/-/62840?page=1    車の運転はやめ、免許の更新もしないと決めた。酒はしばらくやめたが、最近、また飲むようになった。ただ、自宅でたしなむ程度に量をセーブしている。  配偶者やパートナーとの死別は「人生最大のストレス」とも言われる。  嘉門さんも死別後、しばらくの期間は家でひとり泣いた。 「号泣するわけではありませんが、こみ上げてきましたよね」   眠れない日もあった。   最近も、1970年に開かれた大阪万博で、テーマ館の一部として建てられた万博記念公園の「太陽の塔」に行く機会があったが、昔、夫婦で訪れた記憶がよみがえり、涙をにじませながら周辺を歩いた。   こづえさんを支えるためにやっていた数々の役目がすべてなくなり、手持ち無沙汰に感じた時期もあった。  新たな発展や気づき  ただ、喪失感が消えることはないが、時間の経過とともに、一人でのライフスタイルが自然とできあがっていったという。日常生活の中で、新たな発見があったり、気づきを得たりすることができるようになった。  「移動中、妻との会話がなくなった代わりに、スマホで音楽を聴くようになったんですが、たまに耳にしていた洋楽が何という名前の歌手の歌だったのかとか、こんなにいい歌があったんだとか。今が人生で一番、音楽を聴いて学んでいると思います」   久しぶりに電車での移動をするようになり、大江戸線の構内の深さに驚いたり、仏壇に飾るために、ほとんど行ったことがなかった花屋に通ううちに、店ごとの個性の違いが分かるようになったり。   ささやかなことだが、“おひとり様”ならではの生き方や楽しみ方を見つけつつある。  死別から1年半が過ぎた。 「時間とともに、鳥飼こづえという女性の輪郭が、よりくっきりと感じられるようになったんです」  と、嘉門さんは独特の言い回しで今の思いを表現する。  こづえさんは、口にこそしなかったが、自分の命が長くは続かない可能性を悟っていた。嘉門さんは、死別後にそんな確信を得た。  【こちらもおすすめ】 嘉門タツオさんがYouTubeで訴える 「看護の現場」が話題 きっかけは名看護婦の伯母の言葉 https://dot.asahi.com/articles/-/77617?page=1    こづえさんが残した写真のなかに、嘉門さんが一人でその写真を見たときに、メッセージが伝わってくるものがあることに気が付いたという。   嘉門さんは、 「彼女は、人生のゴールを分かっていたんですよね。そんな女性だったからこそ、健康な夫婦よりも密度の濃い、かけがえのない14年間を過ごせたと思います。夫婦生活に悔いは一切ありません。僕にしかない経験と感情を、これからの歌に込めていくことができますから」  と話し、こう続けた。 「彼女は、本当に格好良かったと思います」  やってしまったことは、消せない。再始動を応援してくれるファンがいる一方で、もう嘉門さんの歌は聞きたくない、などという厳しい声があることも承知している。 「どうやったら人を笑顔にできるか、幸せにできるか。迷惑をかけてしまった人たちのためにも、今後の人生では自分の過ちを見つめながら、そのテーマを追求していきたいと思っています」  65歳。大反省を続けながらの、人生のやり直し。  これからの生き様を、天国のこづえさんも見ている。 (國府田英之)

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