港区女子「分岐点は25歳」 落ちぶれる“逆ドリーム”はレアケース、よくある「その後」3パターン
「港区女子」と一口で言っても、愛人業やギャラ飲みで生計を立てる“プロ”から、華やかな世界に片足を突っ込みつつ“素人”にも立ち位置を残している人まで様々だという(写真/Getty Images)
港区を拠点に活動する「港区女子」。「男に奢られるのが基本」「パパ活してる」「ギャラ飲み(お金をもらって飲み会に参加)が副業」などSNS上ではマイナス評価も目立つが、その実態はいかに。AERA2023年11月6日号より。
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「港区」とは東京都の都心部で、芝、麻布、赤坂、高輪、芝浦・港南の五つの地域。
「東京でトップ、つまりは日本でトップの土地の高さ。特に“スリーA”と呼ばれる麻布、赤坂、青山は半端なく収入が高くないと住めません。言い換えれば、お金を払って環境を整えたいという人には最高の場所ですね」(住宅ジャーナリストの榊淳司さん)
最近、「港区女子」に注目が集まった。きっかけは、料理研究家リュウジ氏がX(旧Twitter)に投稿した内容。すでに散々報じられているので詳細は割愛するが、港区女子の奢ってもらう問題をめぐって賛否が巻き起こった。これで初めて港区女子なるものを知った人もいるのでは。
みんなヴァンクリ持ち
「29歳の時に参加したビジネス勉強会のことを思い出しました」と話すのは、現在子育て中の既婚女性(30代半ば)。場所は六本木。講師である経営者を交えての飲み会があり、気がつけば参加者が「一生働かずに生きていたい」オーラがギラギラ出ている20代前半女子ばかりになっていた。
「華やかな女子が、華やかな友人女子を連れてくる。経営者の自宅パーティーも頻繁にあり、30人ほど女子が集まるんです。みんなって言っていいほど、ヴァンクリ持ってましたね」
ヴァンクリ(ヴァンクリーフ&アーペル)は、フランスを代表する高級ジュエリーブランド。20代前半女子が気軽に買える値段ではない。
「港区女子って努力家ですよ」と反論するのは、完全審査制マッチングアプリに登録する30代女性。アプリを介し、港区在住男性との交流もある。
「美容と健康への意識が高く、自分磨きに熱心。港区は自費だけど腕がいい美容系クリニックが集まっていますし、オーガニック食材を扱う店もあちこちにあります。すごく過ごしやすいんです。株式や投資信託を購入したり、インフルエンサーになるような人と知り合い、その縁を自分の仕事に生かしている人もいますね」
Xのフォロワー数6万人超の東大卒OLコラムニスト、ジェラシーくるみさんは「港区女子にはグラデーションがあります。愛人業やギャラ飲みで生計を立てる“プロ”もいれば、華やかな世界に片足を突っ込みつつ、“素人”にも立ち位置を残している港区女子もいる」と指摘。
ジェラシーくるみさんは大学生の頃から港区に入り浸っていた。「20歳」「大学生」は一つのブランド。外資系投資銀行、コンサル、商社、テレビ局などに勤める人もいて自分の世界と地続きという点も良かった。
「クラブやパーティーなどで知り合え、別日にOB訪問ができ、将来につながる面がある」
illustration 小迎裕美子
25歳前後が分岐点
ただ、港区女子を謳歌できるのは期限付き。ずば抜けてノリが良い女子、対等に男性と話ができて稼いでいる女子は別にして、25歳前後を境に“若くない側”に回るからだ。“新規補充”された10~20代前半の芸能人やラウンジ嬢、CA、美人OLたちを目の当たりにし、自分がチヤホヤされる側ではなくなったと気づいた。
「自分なりの面白さや魅力を磨かず若さにあぐらをかいて『会計も盛り上げも男の担当でしょ』と考えていると、『あいつはタク代ばかりせびる』となり、出禁になることもあります。そんな“妖怪化”する女性は一部ですが」
港区で活動し、現実を突きつけられ続けてきた分、港区女子は賢い。世間一般で思われているような「就職先にもあぶれ、婚活にも失敗し、ハッピーではなく落ちぶれているんでしょ」的な“逆ドリーム”はレアケース。よくある「その後」は3パターン。昼の仕事に軸足を置きキャリア形成か、夜遊びついでにパートナーを見つけ結婚か、実家が太くて家業の手伝いか。ただ、女として消費され、値踏みされる部分が多いため、その目線が内在化し、不健全で歪んだ価値観が形成される人もいる。
「ホンマもん」の意見
港区女子は「港区在住ではない」が大前提とされている。しかし港区在住の女性も当然ながら港区で活動しているわけで、“ホンマもん港区女子”たちにも意見を聞いてみた。
「港区在住って過剰な印象を与えるので、自分からは言いません。私が住むのは落ち着いた住宅地で、季節の草花、カエル、コウモリ、ハクビシン、サギなどもいて自然に恵まれています。それにしても、娘ともよく話しているんですが、港区在住の女性って綺麗な方が多い」(娘とふたり暮らしの女性)
「独身の頃、合コンで出会った男性に『港区に住んでいる』と言うと『お金がかかる。プライドが高い』と敬遠されがちで、別の区在住と嘘をついていました。今感じているのは、港区女子はまだ全然可愛らしく、港区マダムが厄介で最強ということ。麻布、青山辺りに住むマダムは、私が住む芝浦・港南エリアを港区とみなしていません。『(芝浦・港南エリアは)昔は海だった』とよくマウントされます」(独身時代から22年港区在住の既婚女性)
「50歳の誕生日記念として今年12月、港区六本木でディナーショーを開きます」
こう言うのは、広告制作会社「アレス」代表取締役の駒村利永子さん。女性の悩みに特化したライフスキルのトレーニングプログラムであるLSYを開発し講座を運営する駒村さんは、かつて「港区女子」だった。
「30代で女子というのもおこがましいですが、32歳で上京してから、昼も夜も港区で過ごしていましたね」
日本を代表する“モノづくりのまち”東大阪市から上京し、セレブを相手に億単位の物件を売る不動産ディベロッパーでクローズドのパーティーを運営。その後、広告業界へ転職、仕事で燃え尽きては体を壊し次の職場へ……と転職を繰り返した。仕事場やクライアント先が港区にあったので、活動の場も自然と港区に。勤めていた会社から給料が出なくなり、起業したのが42歳だ。資金は潤沢ではなかったが、信用性を重視し港区にオフィスを構えた。
「転職時代は全財産100円なんていう人生崖っぷちの時もありました。そんな自分が発展していく過程で、一流のものが集まる港区でさまざまなことを吸収できたのは大きい」
自分が一番輝ける場所
派遣社員時代、参加した無料セミナーで聞いたゲストの言葉をメモしたノートは今でも大事に持っている。アート作品があちこちに展示されており、日常的に鑑賞でき精神的な刺激を受けた。野心ある人々との深夜までの会食では、第一線で働くとはどういうことかを目の当たりにできた。駒村さんは言う。
「身を置く場所が変わったら、価値観も変わり、その価値観に自分を近づけていこうと思えるようになる」
「ディナーショー」の会場は、人生最大の極貧時代を過ごした場所のすぐ近く。「人生は自分で創れる」というメッセージを込め、「単なる一般人の私が、やったこともない歌の披露を皆さんの前でやります」。
「自分が一番輝ける場所が、一番合うと実感した」
「鏡学」という独自メソッドでカウンセリングを行う鎌田聖菜さんは、大学卒業後、一時期、芸能界に籍を置いていた。
「いわゆる港区女子の方に誘われることもあったんですが、奢る方もそれが普通、奢られる方もそれが普通という文化に驚愕したのを覚えています」
現在、プライベートの活動の場は中央区。古き良きものがあり、新しいものもあるその場で飲食するようになって、「地域の人と共に飲んでコミュニケーションをするのが好きな自分」を発見したという。
ちなみに記者は、自他ともに認める歌舞伎町女子(=新宿・歌舞伎町が遊びの主戦場)。港区との距離(実際の距離ではなく)を痛感させられた。(ライター・羽根田真智)
※AERA 2023年11月6日号
AERA
2023/11/06 10:30