検索結果2072件中 201 220 件を表示中

母親としての責任を社会から押し付けられ、内面化 日本の女性たちが抱える母の不自由さ
大川恵実 大川恵実
母親としての責任を社会から押し付けられ、内面化 日本の女性たちが抱える母の不自由さ
母のしんどさは、社会問題と地続きだ。非正規雇用問題、長時間労働、男女の格差、政治への関心の低さ。あきらめずに、声を上げ続けなくてはならない(撮影/写真映像部・高野楓菜)    共働きであっても、女性にばかり育児の責任や負担が押し付けられる現状は変わらない。母としての責任感が強い女性たちは、母でいることにしんどさを抱えている。その根底には何があるのか。AERA 2024年1月1-8日合併号より。 *  *  *  仕事と育児の間で生まれるしんどさに加え、「母であれ」という社会的な圧力と、知らずにそれを自分でも内面化してしまっているしんどさを、取材では多くの女性から聞いた。  都内で働く戸田郁子さん(仮名・42)は、37歳で長女を出産後、急激に自分が母親にシフトさせられたと感じた。仕事が好きで、お酒を飲むのも大好き。ダンスの勉強も20年していた。妊娠すると「こんな自分が母で無事に生まれるのか」と不安にさいなまれた。出産後、一人で歩いていると「子どもは?」と、必ず聞かれる。夫にはかけられない言葉。出産したとたんに、女性に多くの責任や役割が押し付けられていると感じ、不自由さを感じた。 「長女の誕生を家族みんなが喜ぶのを見て、私が人生でこれ以上人を喜ばせることはないなと思ったんです。多分私が、会社の営業成績で1位を取っても、ここまで喜ばない。私の最大の役割は子どもを産むことだったんだなと、軽く失望しました」 「2人目を」という期待も感じるが、あの不安をもう一度味わうのかと思うと、とても産む気にはなれない。早く身体的に産めない年齢になってほしいと、どこかで願う自分がいる。 ネイルやマツエクは子どもを預けてまでは…  不妊治療の末に41歳で念願の娘を授かった山口菜々子さん(仮名・44)は、子どもが生まれる前は、「育てる喜びが一番だから、私が一人で全部やり遂げる」と思っていた。しかし現実は想像以上に大変で、夫の手は必要不可欠だった。夜泣きで寝られない日もあり、離乳食作りも手がかかる。市販の離乳食も考えるのだが、娘のことを思うと手が抜けない。夫も手伝ってはくれるが、海外出張などが入ると大げんか。働いていたときの自分がうらやましく思え、友達に愚痴をこぼすと怒られた。「好きな人と結婚して、望んで子どもを産んで、何もかも手に入れようと思うのはぜいたくすぎる」と。  金沢未来さん(仮名・45)の息子が通う私立の幼稚園は、親が子どもの手を握って送り迎えをすることが基本。持ち物には刺しゅうで名前を、園から配られるプリントには手書きでコメントを入れなくてはならない。すべて専業主婦の母が担う前提で、延長保育はなく、子どもは昼すぎには帰ってくる。 「自分のことにかける時間がなくなりました。歯医者に行くのも、開院と同時に駆け込んだり。独身時代はファッションが好きで、表参道に行ったりしてましたが、今はもう無理です。美容院に行くのが精いっぱいで、ネイルやマツエクは実家に預けてまですることじゃないでしょう、という感じです」  子ども家庭福祉に詳しい目白大学教授の姜恩和(カンウナ)さんは、1995年に韓国から日本に来て、「なぜこんなに母子一体型なのか」と不思議に思ったという。父親の顔が見えず、母親の規範性が強い社会だと感じた。 「母親への社会的支援は、産前から産後まで多岐にわたりますが、たとえば母乳のケアや子育て支援など、母親としての視点の支援が多く、これまでは女性が自立して生きていく、生活そのものの観点が弱かったように思います。母親の中には、経済的な困窮や、孤立している方もいて、医療面だけでなく福祉との連携が欠かせません」  また、母親としての責任感も強く、自己責任として自分を責める女性も多く見てきた。 「望まない妊娠をした女性ですら、妊娠を自分の責任として、男性の話が出てこない。自分一人のことじゃないのに。母親としての責任を社会から押し付けられてもいるし、内面化してしまっているとも思います。日本はもっと『迷惑』という概念から解き放たれるべきではないでしょうか」  今村優莉さん(41)は、2018年に0歳と1歳の子どもを連れ、セブ島へ母子留学した。ある日、ベビーカーに子どもをのせ、ママ友たちと一緒に水着を買いに行くと、「子どもたちは見ているから、ゆっくり試着して」と、店員たちが勢ぞろいで子どもをあやしてくれた。子どもが泣いたとしても母親に戻すことはなかったという。 「すごく楽しくて、久々に独身時代を思い出しました。社会で育てるというのは、こういうことなんだ、と」 「母」という顔は、一人の女性の一部に過ぎない。社会制度を整えるのは重要だが、個人としての生き方が尊重される視点がなければ、母親のしんどさはなくならない。(編集部・大川恵実) ※AERA 2024年1月1-8日合併号より抜粋
AERA 2024/01/08 16:00
【能登半島地震ルポ】20歳の自衛官に彼女から「生きてる?」LINEが届いた 被災者も支える人も必死で前を向く
大谷百合絵 大谷百合絵
【能登半島地震ルポ】20歳の自衛官に彼女から「生きてる?」LINEが届いた 被災者も支える人も必死で前を向く
輪島市の「朝市通り」があった火災現場。空襲にでもあったかのような惨状が広がる。鼻の奥を刺すような刺激臭が漂ってくる    2024年元日に起きた能登半島地震の被災地取材のため、記者は2日に羽田空港から石川県に飛び、レンタカーで金沢市内から約100キロ離れた輪島市を目指した。北上するにつれ、道路には亀裂や隆起が目立ち、山間部では崖崩れの土砂が流れ込んでいた。大渋滞のなか、3日午後3時、輪島市中心部に到着した。金沢市を出てから実に8時間半が経っていた。最初の地震発生直後の輪島市で何が起きていたのかリポートする。 【金沢から輪島に向かう道中をリポートした「前編」はこちら】 *  *  *  輪島市の中心部に入ると、消防車や救急車のサイレンや、低空飛行で旋回しているヘリコプターの音が大音量で鳴り響いていた。  輪島市役所の横に車を止めた。そこから、海側に向かって歩くと、かつて街があったと想像するのも困難なくらい、完膚(かんぷ)なきまでに破壊された景色が広がっていた。輪島市に来るまでに通ってきたどの場所より、被害が大きいのは一目瞭然だった。  家という家は、1階部分がぺしゃんこにつぶれ、2階部分が地面にめり込んだように見える。その上に電柱が倒れかかり、頭上には切れた電線が垂れ下がっている。道路の表面はあちこちがひび割れ、せり上がったコンクリートの上には、腹を持ち上げられた格好でタイヤが宙に浮いた車が置き去りにされている。 朝市通りは黒こげに  とりわけ、火災によって約4千平方メートルが焼失した「輪島朝市通り」周辺は、目を覆いたくなるほどの惨状だった。  輪島朝市は、約360メートルの通りに八百屋や魚屋、土産物屋など200以上の店がならぶ「日本三大朝市」の一つだ。千年の歴史をもつ観光名所だが、今や、見渡す限りのすべてが、黒焦げになって朽ちていた。小雨が降っていたが、まだくすぶった状態が続いているのか、あちこちから白い煙があがり、空に昇っていく。  地面には、瓦やガラス、金属片などのがれきが厚く敷き詰められ、歩くたびにパキパキと何かが割れる音がする。木造の建物はほぼ炭と化し、鉄筋コンクリートのビルは骨組みだけになってかろうじて立っている。自動車は、ドアが吹き飛びシートが溶け、中の部品がむき出しになっている。 【あわせて読みたい】 能登半島地震でPayPay寄付詐欺「引っ越してきたばかりで娘が震えて…」被害男性が信じたSNS https://dot.asahi.com/articles/-/210703?page=1 火災現場では、何台もの車が焼け焦げていた。いたるところで白い煙があがり、消防隊員が残火処理にあたっていた    木材、金属、プラスチックと、あらゆるものが燃えたことで、数歩歩くごとに違うにおいが漂ってくる。線香花火のようなツンとする刺激臭や、ポップコーンのような香ばしい臭い、そして何が燃えたのか、甘い香りもあった。  ぽつりぽつりと人影が見えた。  傘を差し、同級生と立ち話をしていた男性(62)は、火災現場から離れた市内に住んでいるが、友人や知り合いの家が心配で様子を見に来たのだという。 「LINEしとるんですけど、返事が返ってこん友達がいっぱいおるんで。家は跡形もなかったです。ほんと、涙出ます。なんでこんなことなるのかな」  そうつぶやいて遠くを見つめた。  父親(89)と一緒に歩いていた男性(59)は、父が約90年暮らしてきた実家の焼け跡を訪れた帰りだという。 「おやじが大事にしていた焼き物が一つだけ残ってたもんで、掘り出してきました。でも、最近生まれたひ孫の写真も、僕が子どものときの写真も全部なくなっちゃって。もう焼け野原で、ひどいもんですね。戦時中のことは知らないけど、こんなんだったのかな」  日が落ちてあたりが暗くなってからは、避難所になっている市役所の取材に切り替えた。 エントランスの地面が大きくゆがんだ、輪島市役所庁舎。「ビスケット」と書かれた段ボールを持ってきた男性たちに、女性が笑顔で駆け寄る   トイレもほしいです  市役所は、本館で避難者を受け入れ、新館で職員が業務にあたっていた。4階建ての本館は、エントランス、会議室、廊下など所狭しと毛布や布団が敷かれ、その上で約400人が身を寄せあっていた。  高齢者の姿が多いが、赤ちゃんのいる家族連れや、犬と一緒に避難している人もいた。避難者たちによると、まだ救援物資は受け取れておらず、水も食料も毛布も持参のものでやりくりしているという。  娘を真ん中に、妻と3人横並びで壁際に座っていた中口英明さん(59)は、「ぜいたくですみません」と前置きしつつ、「あったかいものが食べたい」と話した。 「食パンやドーナツはあるんですけど、具がなくてもいいからみそ汁とか……。あとは、口に入れたものは外に出るのだから、トイレもほしいです」 市役所庁舎で、ご近所さんたちと身を寄せ合う女性たち。「お願いだから持って行って。気持ちだから」と、記者の手にバウムクーヘンやパンを握らせてくれた   【こちらもおすすめ】 能登半島地震・志賀原発 避難ルート「のと里山海道」は一時全面通行止め 避難計画は“絵空事”だった https://dot.asahi.com/articles/-/210705?page=1 1階部分から折れた輪島塗の「五島屋」本社ビル。3日夜、下敷きになっていた女性が救出されたが、死亡が確認された    庁舎のトイレは、断水によって水が流れないため、便器がことごとく排泄(はいせつ)物であふれ、使用済みのトイレットペーパーでパンパンになったゴミ袋がいくつも置いてあった。  衛生的にも精神的にもかなり厳しい環境だが、会社の同僚と避難してきた30代の女性は、家に帰れるめどはまったく立っておらず、当面は避難所で過ごすという。 「今家に入るのは危ないし、余震も怖いし、ここにいるしかない」  そう話しているそばから、突然ガタガタと音をたてて庁舎が大きく揺れ始めた。緊急地震速報のアラームが一斉に鳴り、女性はとっさに記者の腕にしがみついた。震度4だった。 震度4~5クラスが毎晩  この3日間は毎晩、震度4~5クラスの揺れに見舞われているといい、先ほど口にしていた「余震の恐怖」の深刻さを痛感する。女性は「寝られないし全身が痛いです」と疲労をにじませていた。  隣に座っていた同僚の40代女性は、インターネットが思うように使えず、市役所のテレビもBSしか映らない状況を受け、「とにかく正確な情報がほしい」と訴える。 「いつまでこの避難所にいられるのか、なんで物資が届かないのか、道路はどうなっているのか、何も分からなくて困っています」  市の広報担当者に話を聞くと、行政側もあらゆる情報の集約が追いつかず、混乱しているようだ。救援物資も、何がどれだけの量、どの避難所に配られているのか把握できておらず、「まったく足りていないことだけは確か」だという。  年末年始で市外から大勢帰省していたため、市民用に備蓄していた物資ではとうてい足りず、しかも震災の日から2日間は市内へ通じる道路が完全に遮断されていた。3日になってようやく県道が一部開通したものの、「まずは物資の配布よりも、生き埋めになっている方々の救助活動を最優先に動いています」(市担当者)。  市役所での取材を終え、車に戻った。今晩は車中泊だ。道路の側溝を洗面所代わりに、夜空の下で歯を磨いていると、スマホに視線を落とした自衛官が近くに立っていた。休憩時間なのかと思い、話しかけてみると、同僚たちの帰りを待っているところだという。 ぺしゃんこにつぶれた民家。近隣住民によると、この家に一人で住んでいた65歳くらいの女性と連絡がとれないという 【あわせて読みたい】 地震保険はやはり必要か 都道府県別の世帯加入率トップは宮城県、最下位は?【能登半島地震で見直す備え】 https://dot.asahi.com/articles/-/210700?page=1 火災現場近くの墓地。火の手はまぬがれたものの揺れによる損傷が激しく、墓石が倒れて中が見えていたり、地蔵の頭がとれて転がったりしていた    関西地方から派遣されたという彼は20歳。元日に親戚で集まり、すしを食べようとした瞬間に震災が起き、そのまま招集された。初めての災害派遣の現場では、輪島市と外部をつなぐ交通路を確保する業務にあたっているという。  午前4時起床で2時間しか眠れない日々が続き、彼女からは「生きてる?」と不安でたまらない様子のLINEが頻繁に届く。保存食の米は、「古いと消しゴムを食べているよう」だというが、「誰かを助ける仕事がしたくて自衛官になったので、つらくはないです」。  そして午後10時ごろ、同僚と合流すると、再び仕事へと戻っていった。  危険と隣り合わせの被災地で、記者も神経が高ぶっていたせいだろうか。なかなか寝つけず、こま切れの睡眠をかろうじて3時間ほどとった翌朝7時。車の外に出ると、焦げくさいにおいが混じった南風が、頬に吹きつけた。  街の様子を見に、再び朝市通りのほうへと歩く。重苦しい雲が立ち込めていた前日とは打って変わった青空は、その下の壊滅的な光景とあまりにも不釣り合いに感じた。 「もうダメです」  朝市通り周辺の焼失エリアからわずか数百メートル手前で、ヘルメットをかぶって自宅前にたたずむ男性と出会った。 「家の片付けをしとる」と話してくれたのは池高精一さん(75)。前日は、壁がはがれ落ちた1階部分に木の板を打ちつけたので、この日は散らかった室内を少しでも片付けようと、避難所からやって来たという。  池高さんは、仏壇や仏具などを手がける漆塗り職人。1階が住居、2階が工房だった自宅は、周囲の家の大半が倒壊しているのにもかかわらず、しっかり原形をとどめている。 「この家は俺が小学生のころにできたから65年くらい経ってるけど、おやじがいい材料を使ってくれたんだろうね。でも、中にあるもんは全部落ちて、2階は壁も落ちて、もうダメです」  家の中を見せてもらうと、障子やタンスが倒れ、押し入れの中のものが飛び出し、足の踏み場もなかった。2階では崩れ落ちた壁が床の上で粉々になっており、塗られる前の「経机(きょうづくえ)」と呼ばれる仏具も壊れて散乱していた。 池高精一さんの自宅。2階の工房は損傷が激しく、漆器を乾かすための収納庫「塗師風呂(ぬしぶろ)」がある部屋の戸は開かなくなっていた   【こちらも読まれています】 「被災者自身でのブルーシート張りは極力避けて」 被災地域にいる人に災害支援の専門家が伝えたいこと https://dot.asahi.com/articles/-/210667?page=1 「中ではとても暮らせないけど、避難所生活もいつまで続くか。避難所のトイレ、小は少しできるけど大のほうができないから、なるべくものを食べないように飲まないようにしていて。水は1日にコップ1杯。金沢に住んでる娘が『家においでよ』って言ってくれとるけど、厄介になるのもね……」  だからこそ家の修理や片づけを進めているのかと思いきや、池高さんは「どんなもんやろ」と吐き捨てるようにつぶやいた。 「余震もでかいやつが続いとるし、直す価値があるか……。家がまっすぐ建っとるからこそ、直すかつぶすか悩んでしまう。これからじっくり考えようと思う」 伝統工芸である輪島塗の店も、数多く被災した。朝市通りにある「涛華堂 八井浄漆器本店」は、営業再開の目途は立っていないという    池高さんの家の隣にある仕出し料理店「作治」も、同じように倒壊をまぬがれていた。中で片づけをしていた店主の田腰弘治さん(80)は、1階部分の太い梁(はり)を指さし、「これが支えてくれるから、畳の上で柔道してもつぶれんようになっとる」と胸を張る。 「こんな天災、苦にならん」 「今は、奥の部屋をきれいに片付けて、中で寝泊まりしとる。水道はきてないけど、顔を洗ったり飲み水にしたりできるよう、きれいな雪をもってきて溶かしとるし。生活の知恵ね」  田腰さんは元々、フランス料理のシェフとして兵庫県のホテルなどで腕を振るい、40年ほど前にこの店を建てた。しかし、震災を機に店をたたむという。 「予約はいっぱい入っとったし、震災がなかったらまだ続けるつもりやったけど、もうせん。でも、どこも行かんよ。わしが建てた家に住み続ける。今まで宝塚とか姫路とか転々としたけど、やっぱりここが一番やね」  そして田腰さんはおもむろに、「俺は幸せや!」と口にした。 「今のロシアとかウクライナなんて、食べるもんも住むところもない人がいっぱいおりますわ。そう思ったら悲しんではおられん。ほうでしょう? こんな天災なんて苦にならん。全っ然苦にならん!」  にらみつけるようなまなざしと、突然強くなった語気。必死に自分に言い聞かせ、奮い立たせているように見えた。 仕出し料理店「作治」の前に立つ、店主の田腰弘治さん。「天災は何十年かにいっぺん起こるし、作った物はいつか壊れる。当然や。壊れたら、また一から作ればいい!」   【こちらもおすすめ】 「地滑りが発生しやすい」「海岸線ギリギリの家屋」 地震被害が大きくなりやすい能登半島ならではの特徴とは https://dot.asahi.com/articles/-/210678?page=1 アスファルトの道路がまるで海のように波打ち、いたるところで車が乗り捨てられていた 倒れた電柱によって電線が大きくたわんでいる。街を歩いていると、ちぎれた電線の切れ端が頭に触れそうになり、恐怖を感じた    破壊の限りが尽くされた光景を前にすると、はたして輪島が復興する日はやって来るのか、正直不安をおぼえる。前出の火災現場で出会った男性(62)は、「以前から人口がどんどん減り、高齢化も進んでいたのに、もう一度輪島に家を建てようと思う人はどれくらいいるのだろう」と嘆いていた。 日常の姿も  だが、街の様子に目をこらすと、日常を取り戻そうとする人々の“営み”もあった。  大きな段差ができて徐行運転でしか進めなかった道路は、作業員が夜通し工事したのか、翌日には砂利でならされ、スムーズに走れるようになっていた。  朝、川沿いの亀裂だらけの土手には、非常時でもいつもどおり犬の散歩をして、フンを片付けている市民の姿があった。  市役所の庁舎では、近くの避難者に「よかったら食べますか?」とおせんべいを差し出したり、カップ麺にむせた高齢女性の背中をトントンとさすったり、みなで助けあう様子が印象的だった(市役所庁舎の避難所機能は5日までで終了し、避難していた人々は既に別の避難所に移っている)。  震災直後から、自分にできることをやり、少しでも前を向こうとする人々がいた。その「人間の強さ」が、今後被害の全貌が明らかになり、厳しい現実に向き合うことになるかもしれない輪島市の希望になることを、信じたいと思った。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵) 【あわせて読みたい】 能登半島地震発生からの2日間 余震続きで270人の避難所は満杯 津波で避難も火災に涙 https://dot.asahi.com/articles/-/210499?page=1
能登半島地震輪島
dot. 2024/01/08 12:33
サンクチュアリ主演・一ノ瀬ワタルの本当の強さ「格闘技より芝居のほうが自分に合ってる」
サンクチュアリ主演・一ノ瀬ワタルの本当の強さ「格闘技より芝居のほうが自分に合ってる」
元プロキックボクサー。強くなるため、2年間タイでも修業した。東京都渋谷区の「CHOMPOO」で(撮影/写真映像部・高野楓菜)    俳優、一ノ瀬ワタル。間違いなく、2023年の顔だ。Netflixドラマ「サンクチュアリ-聖域-」で力士・猿桜(えんおう)を演じて大きな話題となった。元キックボクサーということもあり、強面の迫力のある演技が強烈な印象を残す。だが、素顔はピュアで優しくて、ウサギ好き。強い男性に憧れる。けれども、戦うことは好きではない。一ノ瀬の生き方は、本当の強さとは何かを考えさせられる。 *  *  *  レッドカーペットに黒いスーツ姿の一ノ瀬(いちのせ)ワタル(38)が登場すると、歓声と拍手がわき起こった。観客からのサインと撮影のリクエストに応えながら、ゆっくりと歩いていく。Netflix映画「REBEL MOON」の日本語吹き替えを担当した一ノ瀬は、この日の先行上映イベントで、俳優のソフィア・ブテラ、ぺ・ドゥナ、声優の神谷浩史らと共にステージに上がり、満面の笑みでフラッシュを浴びていた。  2023年5月にNetflixのドラマ「サンクチュアリ-聖域-」が配信されてから、一ノ瀬の生活は一変した。「サンクチュアリ」は一ノ瀬が初めて主演を務めたドラマだ。北九州のヤンキーが相撲部屋に入門し、先輩力士とぶつかりながら、のし上がっていく姿を全8回で描く。Netflixで世界配信後、すぐに合計視聴時間を基準としたランキングで国内1位を記録、グローバル記録でも6位となった。BTSのメンバーのVのように、海外にも熱心な一ノ瀬ファンが生まれた。  一ノ瀬はテレビのバラエティー番組に頻繁に呼ばれるようになり、ドラマ、映画ではより大きな役を任される。次々に仕事が入り、息をつく暇もない。 「ありがたいっすなー。『サンクチュアリ』を一緒にやった俳優とスタッフとは戦友みたいになって、別の現場で会うと、苦労が報われてよかったなって話になるんすよ」  そもそも、無名の俳優だった彼がなぜ主役に選ばれたのか。監督の江口カンはオーディションに来た大柄な一ノ瀬を見て、すぐに候補外と判断した。当初、主人公は小柄な力士という設定だったからだ。ただ、いきなり帰すわけにもいかないので、いくつかの場面を演じてもらった。江口はこう振り返る。 「若い俳優さんはヤクザとか不良の役をやりたがるんですけど、オーディションをすると、みんな同じような芝居をするんですよ。どこかで見たような誰かの真似(まね)ばかりで辟易(へきえき)していました」 2023年秋、舞台「ひげよ、さらば」で中島裕翔、柄本時生らと共演。佐賀から母、姉、甥を東京に招待した。姉は「舞台に心を動かされました。弟を誇りに思いました」(撮影/写真映像部・高野楓菜)   泣きながら四股を踏んだ 「サンクチュアリ」の稽古  ところが、一ノ瀬の演じるヤンキー像は違っていた。 「土着の感じがあって、見た瞬間、逃れられなくなりました。僕は福岡出身でワタルは隣の佐賀の出身です。中学の時はヤンキーブームが吹き荒れていて学校の緊張感が半端なかった。年代は違うけど、同じ風景を見てきた人だなと思ったんです」  彼に決め、大柄な主人公の話に脚本を作り直した。無名の俳優で大作ドラマを撮るのは江口にとっても冒険だ。居酒屋に誘い、「きみと心中する覚悟でやろうと思う。厳しくするけど最後まで信じてついてきてほしい」と話した。  江口は見かけだけのアクションではなく、体と体がぶつかり合う本物の相撲を撮ろうとしていた。出演者に厳しい相撲の稽古を課し、さらに一ノ瀬にはスマホで演技を自撮りしてLINEで送るように指示した。「間が足りない」「声が口の中でこもっている」「笑いを取ろうとするな」と細かくダメ出しをして、時には突き返す。一つのシーンを何十回も演じさせた。一ノ瀬は言う。 「相撲の稽古も大変やったけど、これがいちばんつらかった。俺を主演に選んで勝負してくれてる監督をがっかりさせるのがすごく嫌で。『このままの芝居では、俺がやめるか、おまえがやめるかどっちかだ』と返信が来た時は泣いたっすな。稽古で泣きながら四股を踏んでたら、周りの人に心配されました」  そして迎えた撮影初日は、入門した主人公の猿桜(えんおう)が土俵で“かわいがり”を受けるハードなシーンだった。初主演の喜びは一瞬で吹っ飛び、必死に相撲と監督にくらいついていった。  猿桜は眼光鋭く、怒りの塊のような男だ。江口は素直でやさしい一ノ瀬とのギャップを感じていた。 「最初に居酒屋で話した時、怒る時はどんな感じなの?とワタルにきいたら、人に対して怒ったことがないと言うんです。自分は怒られてばっかりだと。これは猿桜を演じるうえで致命的だと思いました。それで、僕を憎んで怒らせるように仕向けたんです」  猿桜を憑依させるには一ノ瀬のキャラクターを一回封じなくてはならないと考えた。楽しそうに共演者と談笑する彼に声を荒らげて注意したこともある。  過酷な稽古と撮影に、一ノ瀬は肉体的にも精神的にもギリギリまで追い詰められていった。その果てに、頭では撮影している、演じているとわかっていても、心の中では自分なのか猿桜なのか、わからなくなる境地に達していた。 「他人の人生を生きるとは、これかと思ったっすな。それまでは役者の本当のおもしろみがわかっていなかった。こんな没入感を味わったのは初めてだった」  そこに現れたのは、江口の想定を超える猿桜だった。 毎週火曜日の深夜に放送されるドラマ「恋愛のすゝめ」(TBSテレビ)では名門進学校の生徒役。学ランを着る役は多いが、カラーが入った真面目な学生服はほぼ初めて。控室では共演者の話を盛り上げるムードメーカーだった(撮影/小山幸佑)   タイのジャングルで 鳥やカエルで腹を満たす  一ノ瀬の成功を誇らしく思い、人一倍喜んでいるのが俳優の桐谷健太(43)だ。今から10年前、桐谷がドラマで刑事役を演じた時、犯人役のエキストラで来ていた一ノ瀬と初めて出会った。スキンヘッドに黒のタンクトップ、ガタイのいい強面(こわもて)で、雑談がおもしろかった。焼き肉に誘うと、「やったー!」と跳び上がって喜んだ。それから食事と銭湯の付き合いが始まった。 「驚いた時のリアクションがデカ過ぎて最高だし、いつも別れ際にハグをほしがるし、俺が見えなくなるまで見送ってくれるやさしさがある。とにかく素直で、もらったチャンスに全力で向かっていく。それが芝居にも出ています」  一ノ瀬にとっては頼れる俳優の先輩だ。売れない時期にもう俳優をやめようかと相談して、引き留めてもらったこともある。桐谷は言う。 「ワタルと出会って10年近く見ていますが、心の透明度がずっと高い。それは本当に素晴らしいし、尊敬するところでもあります」  一ノ瀬が育った佐賀県嬉野(うれしの)市は、小高い山が連なり、そのふもとに田畑が広がる田園地帯だ。家は兼業農家で、父親は趣味で土佐犬を飼い、休日には闘犬の試合に出かけていた。クリクリした目がかわいかった一ノ瀬は、みんなを笑わせるのが好きな、ひょうきんな子どもだった。  彼が5歳のとき、父親が病気で亡くなる。兄と姉はまだ小学生だった。3人の子どもを育てていけるのか、母親の江頭友紀乃(70)は不安でいっぱいだった。ある時、子どもたちと海を見に行った。下の二人は無邪気に遊んでいる。兄が隣に来て言った。「父ちゃんのところに行きたかったら、いつでもいいよ」。心を見透かすような言葉にハッとさせられ、前を向いて必死で3人を育てた。  一ノ瀬と三つ上の姉の辻真理(41)はヤクルトの配達で小遣いを稼いだ。人見知りだった真理は、弟が自分の前に立って客に対応してくれたことを覚えている。  小学校3、4年の時に一ノ瀬は柔道を始め、中学でも柔道部に入った。スポーツ特待生として高校に進学し、レスリング部に所属するが、1学期で自ら退学する。K-1が人気を集め、ピーター・アーツ、マイク・ベルナルドらが活躍していた。自分もあの花道を歩きたい。キックボクサーになってK-1に出場する夢を描いたが、部活の顧問の教師は、将来は新日本プロレスに入れてやると言う。断るとボコボコに殴られた。  今と違い、当時はまだ荒っぽい人が多かった。周りの大人も教師も厳しかった。一ノ瀬は大人の男で殴らない人はいないと思っていた。     「俺が人が不快にならないように気を遣うのも、荒っぽい人たちを見てきたからだと思う。そういう経験によって役者としての引き出しが培われて、悪役の俺を作ってくれてるところがあるっすな」  高校をやめるとアルバイトで資金を貯め、東京のキックボクシングジムに入った。  東京に行くことを母親が知らされたのは当日の朝だった。仕事に出かけようとすると、ボストンバッグを持った一ノ瀬が久留米まで車に乗せてほしいと言う。 「どこに行くのときいたら東京と言うから、えっと驚きましたが、引き留めませんでした。自分の人生は悔いなく好きなように生きてほしいから。行ってくるね!と明るかったですよ。夢いっぱいじゃなかっとかな」  困ったときは電話するようにと言い聞かせ、1万円札を渡して見送った。  東京では高田馬場の風呂なしアパートに住み、塗装の仕事をしながらボクサー修業をした。しかし、東京の生活は誘惑が多く、仕事もきつくてボクシングに集中できない。このままではダメだと思い、2年後、沖縄県浦添市の「真樹ジムオキナワ」の内弟子となる。遊ばないように外出は禁止。ジムに寝泊まりして練習に集中し、プロのライセンスを取得した。 「俺のばあちゃんがいつも、若い時の苦労は買ってでもしろと言ってたんすよ。今、苦労できてるから、この先にきっと栄光があると思ってた」  21歳の時にはタイに渡り、ジャングルの中にあるムエタイのジムに所属した。ジムといっても屋根と柱があるだけで壁はない。夜はリングに蚊帳をつって5、6人で雑魚寝した。食事は一日2回、会長がおかずを持ってくる。足りないのでジャングルで鳥やカエルを捕まえて煮て食べた。試合に出れば賞金はもらえるものの、金額はわずかで、ビーチサンダルを買う余裕すらなかった。 試合に勝つと罪悪感 芝居の道へ進む決意  2年で帰国して真樹ジムに戻るが、なかなか勝てない。ジムの館長からは、「練習では強いのに、試合になると相手のガードを殴ってるぞ」と怒られた。相手が予期しないところにパンチを入れないといけないのに、なぜか反応できるところに打ってしまう。一ノ瀬は誰かを相手に戦うことが苦手だった。 Netflix映画「REBEL MOON:パート1炎の子」では吹き替え版の声優に初挑戦。12月11日、東京・新宿での先行上映イベントに参加。ステージ上では韓国の俳優ぺ・ドゥナに話しかけられ談笑していた(撮影/写真映像部・高野楓菜)   「デビュー戦の相手と計量の時に会ったら、めちゃくちゃいいやつで、そのあと俺に負けてすごくへこんでたんですよ。それを見た俺は、勝ったうれしさより罪悪感の方が強かったんですよね」  自分の名を上げるための試合なのに楽しくない。教えている時や練習の方が楽しかった。  そんな時、ジムのつてで三池崇史が監督を務める映画「クローズZERO II」にエキストラとして参加する。髪と眉を剃(そ)って東京の撮影所に向かった。三池は駅まで迎えに来てくれた。学生服を着て殴るというワンカットのみの出演だったが、楽しかった。 「完成した映画を観たら、スクリーンに俺がいる。俺の格闘技は強い男への憧れから始まってるんです。ジャッキー・チェン、ジェット・リーみたいな勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の映画の中の人に憧れてた。そのスクリーンに自分がいたんですよ」  自分には格闘家しかないと思い込んでいたが、他の道もあることに気づいた。もしこの世界で生きていけるなら、俺はこっちかもしれない。  その後、東京でエキストラの仕事を始め、26歳でキックボクサーを引退する。自分が憧れていた映画のような勧善懲悪の世界とは違っていたし、殴り合うことは好きになれなかった。  エキストラの仕事で一ノ瀬はすぐに頭角を現した。当時、彼は自分が出合った名言をノートに集めていた。頭の中にあったのは、「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」という、阪急阪神東宝グループ創業者の小林一三の言葉だった。 「じゃあ、俺は日本一のエキストラになってやると思ったんすよね。ヤンキーの役が多かったから、指示がなくてもケンカしたり、突き飛ばしたりして、後ろでこんなことやってたらおもしろいでしょ、どうです、監督?みたいな感じで勝手に考えてやってた。役者を食っちゃう時もあったから、俳優さんには嫌われていたと思いますけど」  ときどき役をもらえるようになり、指名されて現場を掛け持ちすることもあった。スーパーエキストラだったと自らを振り返る。勧められて事務所に所属し、俳優として新たなスタートを切った。  エキストラ時代からの友人が、ユーチューブチャンネル「ドキドキ(ハート)ハートビート」のディレクター牧野千尋(30)だ。  何でも話し合える間柄だが、今まで一ノ瀬から愚痴や人の悪口を聞いたことがない。一ノ瀬の話を聞いた牧野が、「それは、あり得ないでしょう」と彼の受けた仕打ちに怒ると、初めてこれは怒ることなのだと一ノ瀬が認識することもある。 正面奥のウサギがたっちん。一ノ瀬が使うスマホに嫉妬してかじるほどなついている。現在は8羽を派閥ごとに時間交代で部屋に放し飼いにしている。健康診断も欠かさない(撮影/写真映像部・高野楓菜)   ウサギのために引っ越し アスレチック広場を作る 「私だったら絶対に言い返すと思うんですけど、彼はそのまま受け取ってしまうんです。私から見ると心配しなくてもいいことで落ち込んでいる時があって、大丈夫だと思うよ、と言うと、そっか、元気出た、と立ち直ってくれる。すごく繊細でピュアな人だと思います」  怖くてエゴサーチができない一ノ瀬の代わりに、国内外の「サンクチュアリ」の反響を伝えてあげることもある。  一ノ瀬のやさしさはペットのウサギにも惜しみなく注がれている。5年前にドラマ「獣になれない私たち」で共演したウサギ、たっちんを引き取った。それをきっかけに、現在は8羽のホーランドロップと暮らす。特にたっちんには、つらい時、苦しい時に助けられてきた。 「たっちんが死ぬことを考えただけで夜な夜な泣いてたんで、このままじゃ俺、後追いすると思ったんすよね。一緒に看取ってくれるウサギの家族がいれば俺の心も救われるから、たっちんに似た奥さんを迎えて、子どもを増やしたんです」  前世では自分と彼らは特攻隊の仲間だったと妄想している。みんなで苦労したから、うちに来たからには最大限の幸せを与えてあげたい。自分よりウサギのほうが上だと思っているので、枕におしっこをされても「きょうもちゃんと出てよかったっすな」と気にならない。 「サンクチュアリ」以降、仕事が増えて収入は上がったが、まだまだ贅沢(ぜいたく)するのは怖くて、暮らしはほとんど変わっていない。ただ、ウサギの生活レベルだけが上がっている。えさとケージをグレードアップし、アスレチック広場を作るために広い家に引っ越した。  仕事ではドラマ、映画の出演が続く。芝居のやり方は「サンクチュアリ」以前とは大きく変わった。以前は、俺の出るシーンは絶対におもしろくしてやる、という感覚だった。今は監督の言葉をよく聞き、自分のことより観る人がどう楽しむかを優先して考えるようになった。 「今がいちばん楽しいっすな。格闘技より芝居のほうが自分に合ってる。競い合うより、いい作品を作るという一つの目標にみんなで向かっていくほうが好きっすな」  険しかった道のりは、一ノ瀬を本当の「強い男」に鍛え上げた。目の前に開けた新しい地平を、今がむしゃらに進んでいる。 敬語になると語尾に「すな」がつくのは方言ではなく、一ノ瀬独特の言葉。中学時代に始まったが理由はわからない。場の雰囲気を丸くする個性になっている(撮影/写真映像部・高野楓菜)   (文中敬称略)(文・仲宇佐ゆり) ※AERA 2024年1月1-8日合併号
現代の肖像
AERA 2024/01/05 18:00
42年間パイロットを務めた元機長「機体が近づいてきて何度かヒヤッとしたことも…」【羽田JAL機海保機衝突事故】
板垣聡旨 板垣聡旨
42年間パイロットを務めた元機長「機体が近づいてきて何度かヒヤッとしたことも…」【羽田JAL機海保機衝突事故】
炎をあげて燃えるJAL機    東京・羽田空港の滑走路で日本航空(JAL)の旅客機と海上保安庁の航空機(以下、海保機)が2日、衝突、炎上し、5人が亡くなった。なぜ事故は起きたのか。 「通常業務では起こり得ないこと。一体どうして……」  海上保安庁の関係者はそう肩を落とす。  2日午後6時ごろ、東京都大田区の羽田空港C滑走路でJALの旅客機が滑走路に着陸した直後、海上保安庁の航空機と衝突し炎上する事故が起きた。  炎上したのは新千歳空港を出発した516便で、乗客乗員計379人のうち十数人が打撲などの怪我や体調不良を起こしたものの、命に別状はないという。  一方で、海保機に乗っていた乗組員6人のうち、5人が死亡し、機長が大けがをした。海保機は1日に起きた震度7の能登半島地震の対応で、支援物資の搬送のため新潟に向かう予定だったという。  前出の海保関係者が言う。 「大災害が起きれば、我々は被災地の支援に尽力する使命がある。ただ、仲間がこうなってしまったのはショックで言葉がでない。なぜ起きたのか。事態の原因解明を徹底的にすべき」  国土交通省は3日、事故直前の空港管制官と両機との交信記録を公表した。JAL機には滑走路への進入を許可していたものの、海保機に進入を許可した記録はなかった。  一方、海保機の機長は事故直後に「滑走路への進入許可を得た上で侵入した」という報告をしていたという。国交省は「交信記録を見る限り海保機に対しては、滑走路への進入許可は出ていない」とした。 事故から一夜明けたJAL機    42年間パイロットを務めた元JAL機長で航空評論家の小林宏之さんは「何らかの意思疎通のミスがあったことが考えられる」と指摘する。 「管制塔とパイロットは、言葉だけのやり取りで離着陸を行う。私も現役のとき、着陸の際に、待機している他の機体が近づいてきて何度かヒヤッとしたことがある。とはいえ、パイロットは管制塔の指示をオウム返しで復唱することなどを徹底している。海外の一部の空港では、滑走路に離着陸の指示をする信号機のようなものが設置されており、今後言葉だけのやりとりの見直しが検討される可能性もある。管制官によっては英語の抑揚や発音に癖があったり、無線の電波状況が悪かったりなどで、やり取りが聞き取りずらいこともある」 日本航空のカウンターには振り替え便に乗り込む人らの列ができた    旅客機と海保機では機体差が約3倍もある。JAL機516便は全長約69m、海保機は全長26m。 「飛行機は着陸の際、時速約250キロメートルのスピードが出ている。海保機は衝突によって爆発した可能性がある。大やけどとはいえ、機長はよく助かったと思う」(小林さん)  事件に詳しい捜査関係者によれば、機長は集中治療室で治療を受けているものの、会話は可能な状態だという。  羽田空港の発着便には、現在も欠航が相次いでおり、Uターン客を直撃している。  島根に帰省する30代男性はこうため息を漏らす。 「4日から仕事だったが、いつ帰れるかいまだにわからない。このままだと、三連休明けに帰ることになりそう」 (AERA dot.編集部・板垣聡旨)  
羽田空港事故日本航空海上保安庁
dot. 2024/01/05 06:00
peco、マスコミの殺到に「ありがたい」と感謝 〝良い人〟評価には「私だって口を開けば愚痴を言う」
peco peco
peco、マスコミの殺到に「ありがたい」と感謝 〝良い人〟評価には「私だって口を開けば愚痴を言う」
   AERA dot.ポッドキャストの新春特別企画にpecoさんが登場。人生のパートナーであるryuchellさんが亡くなったその後、ご自身の気持ちや5歳の息子の様子などを振り返ってもらいました。さらに2024年はどういった年にしたいのか、pecoさんの心境に迫ります。【後編】 ※この記事はAERA dot.ポッドキャストの一部内容を編集・構成したものです。 ▼前編はコチラ pecoが語る現在の心境 「息子の涙を見て、10秒でもいいからryuchellと会えないかと思ってしまう」 *   *   * ――息子さんがryuchellさんの優しさを受け継がれているということですが、どういったところでそう感じますか。 peco 本当に一緒だと思った出来事がありました。昔、私たちが付き合い始めてすぐ、二人で電車に乗っていたことがあったんですが、私たちが座っている前に立っていたお兄さんが、いっぱい飲まされた帰りだったのか、吐いちゃったんです。  正直、私は「うわっ」て思ったし、避けちゃう感じになって、周りの人もそういう感じだったんですが、ryuchellだけがサッと自分のバッグからティッシュか何かを出して「大丈夫ですか?」って拭いてあげたりして、助けていました。  私はそんなryuchellを見て、「えっ」って驚きました。「ホンマにおるん、こんな人」って。ryuchellに「まじで優しいね」って話をしたんですよ。  そのエピソードがずっと忘れられなかったんですが、去年だったか、息子と息子のお友だちと、そのママと4人で、うちの車に乗ってお台場に向かっていたとき、そのお友だちが車で酔って吐いちゃったんです。  お友だちのママは「本当にごめんなさい、ごめんね、ごめんね」と言ってくれたんですが、私が「大丈夫」って言う前から息子が「ぜーんぜん大丈夫だよ」って言って。「全然大丈夫、もともと車汚いからさ」とか。  私、それを聞いて本当に泣きそうになって。いくら大好きなお友だちとはいえ、まだ4歳、5歳で、正直な気持ちのほうが出ちゃうことのほうが当たり前だと思うのに、そんなことを言えるのって本当にびっくりしました。     pecoさん(左奥)と編集部員    そのあともお友達のママが「本当にごめんね」「匂いとかもすると思う」と言っていたんですが、「全然しないよ、しない、しない」「全然大丈夫だよ、むしろいい匂いだよ」とか言って。そこは完全にryuchellの優しさを受け継いでくれているんだなと思いました。 ――将来はいい人に育ちそうですね。 peco 私にも言ってくれるのは、例えば、私が「ごめん、今日は怒りすぎちゃったよね」とか「ごめんね、ママまた忘れ物した」とかいうと、「大丈夫、大丈夫、全然いいよ」といつも言ってくれるんです。  私はryuchellが忘れ物したときに、「は? なにしてるんほんまに」とか「またぁ?」とか言っていたんですが、ryuchellは私が忘れ物したときに「全然大丈夫、大丈夫」と言ってくれていました。本当にいいところをもらったなと思っています。 ――pecoさんの愚痴みたいなのを聞いてみたいのですが、ryuchellさんが亡くなられた直後に、大変な状況のなかで、マスコミが自宅などにも殺到していました。マスコミに対してはどう思っていましたか。 peco 愚痴を期待していただいたのに申し訳ないですが(笑)、ここまで言うとすごい私が良い人みたいになって嫌なんですが、本当に素直な気持ちで、「ありがたい」と思いました。  だって、そんなふうにしてもらって、興味をもってもらえるって、言い方があっているかわかりませんが、別に関心がなければ放っておけるわけじゃないですか。でも、ニュースにしていただけるって、このお仕事をさせてもらっているうえで、めちゃくちゃありがたいことだし、そうしてくださることは、本当にありがたいなと思いました。  ただ、私に対しては本当に何でもいいんですよ。私にどんな言葉をかけてもらおうと、どこまでカメラを持ってついてきていただこうと、私は本当に構わないです。このお仕事をさせてもらっているわけだし、私はむしろありがたいという思いがベースにあるんですが、ただ、やっぱり息子は関係ない。   【こちらも話題】 pecoが打ち明けるファミリーリングへの思い「この指輪を見ると、ryuchellを思い出す」 https://dot.asahi.com/articles/-/209746 pecoさんとryuchellさん    息子を守らないといけないという思いがあったので、お家の周りに来てくださっていた方には、自分からその方たちのところまで行かせてもらって、「本当にありがたいんですけど、息子も怖がっているので、これっきりにしていただけると嬉しいです」ということはお伝えさせていただきました。  でも、ryuchellのことをあれだけニュースで取り上げてくださったこともそうだし、私のもとに来てくださることもそうだし、ありがたい思いがあります。 ――本当にいい人ですね。 peco こういうことを言うと、「本当にめっちゃいい人」みたいに思われるのが、本当に嫌で。「ちゃうねん、ほんまに」と声を大にしていいたいです。 ――「ちゃうねん」というのは別に声を大にしなくてもいいんじゃないですか(笑)? peco いやいや(笑)、なんか、絶対、めちゃくちゃ良きフィルターを通してみてもらっているなとすごく思うので。そんなことないんですよ。 ――「こういうダメなことがある」みたいなのはありますか。 peco 私だって口を開けば愚痴を言いますよ。心を許している人にはですけど。愚痴ばっかり。愚痴っていうと、優しく聞こえちゃうから、ハッキリ言うと、悪口(笑)。愚痴を言っているときが一番イキイキしていると思う。そのくらい思ったことなんでも言いますよ。 ――話は変わって、2024年どういう年にしたい、こういうことしたいとか。夢、抱負などありましたら教えてください。 peco 私、本当に夢とか抱負とかを語るのが苦手で。全然たいしたことが言えなくて申し訳ないんですが、ただただ健康に私も息子もワンちゃんのアリソンも、早いけど2024年を終えられたらなというのが一番ですね(笑)。健康というのは、体だけじゃなく心もです。それが一番ですね。それに勝るものはないです。 ――普段意識していることはあるんですか。 peco 我慢をしないというのがメチャクチャあります。食べたくなったら食べる。「マジで今日は疲れた」と思ったら、家のことを全部放ったらかして寝る。そういうのは自分に甘えてめっちゃしています。   【こちらも話題】 pecoが明かすryuchellが残した七五三への思い「沖縄で撮った写真、お父さんとの写真をとても大事にしていた」 https://dot.asahi.com/articles/-/207338  あと、過去の自分と未来の自分に「ありがとう」をすごく言うようにしています。例えば、ちょっと元気がある日に明日の朝のためにお弁当を仕込んでおいたりすると、その時点で「明日の朝の私、感謝しーや」と思ってやるんです。それで次の日の朝起きたら昨日の夜の自分に「マジでありがとう」って思う。  そういうふうにしていると、気持ちもハッピーになるというか。「自分ありがとう」って日々思っているのは、すごい自分でいいことだと思うので、それは24年も日々やりたいなと思っています。 ――自分で自分をご機嫌にするというか、前向きを維持する方法を確立されているんですね。 peco 自分ではまったく思っていなかったんですが、すごく仲良しのぺえ(タレント)にも言われました。「あんたは自分を奮い立たせることが、自分をご機嫌にすることが本当に上手だね」って。「確かにそうかも」って思いました。 ――お正月のご予定は。 peco 息子とワンちゃんのアリソンと一緒に大阪の実家に帰ろうと思っています。アリソンが大きく17キロもあって、新幹線に乗れないんですよ。飛行機だと乗れるんですが、ワンちゃんを飛行機に乗せる勇気がなくて、車で東京から大阪に行きます。 ――大変そうですね。ご実家に帰られたら、どのように過ごしますか。 peco 実家に私のお姉ちゃん家族が同居しているんですが、甥っ子、姪っ子が合計4人います。5人目をお姉ちゃんが妊娠していて、大家族なんです。息子は一秒たりとも暇をしないで遊びまわれるんです。本当にめちゃくちゃ助かります。私、本当に何にもしないんですよ。実家に行ったら、息子と一切遊ばない、ずっと勝手に遊んでてくれるから。だから、本当に助かります。  みんなでどこかで一泊できたらいいね、という話はしています。 ――今後、テレビのお仕事などで決まっていることはありますか。 peco いまはとにかくさせていただける仕事はありがたくさせていただきたいと思っています。   【こちらも話題】 【独自】pecoが明かすryuchellと最後のやり取り「私は救われました」 家族にだけ見せていた姿とは https://dot.asahi.com/articles/-/202653  これからもしいろんなお仕事をさせていただくことが増えても、自分のSNSだけは大切にやっていきたいと思っています。 ――最後にお伝えしたいことがあればお願いします。 peco 私がデザイン、プロデュースしているブランド「Tostalgic Clothing」(トスタルジック・クロージング)というのを昨年から始めました。  名前の由来は、私が80年代のアメリカンカルチャーが好きなんですが、昔懐かしいという意味の「nostalgic」(ノスタルジック)という言葉の頭文字Nを私の本名の哲子のTに変えた造語です。  とてもカワイイものが多いので、よかったら覗いてみてください。 (構成/AERA dot.編集部・吉崎洋夫) ▼前編はコチラ pecoが語る現在の心境 「息子の涙を見て、10秒でもいいからryuchellと会えないかと思ってしまう」     【こちらも話題】 【独自】pecoが語る ryuchell急逝後の心境「息子の強さで一緒に乗り越えていける」 https://dot.asahi.com/articles/-/202662  
pecoryuchell
dot. 2024/01/03 17:00
「パソコンをうまく使える人が勝つ」という天体写真はおかしい 写真家・北山輝泰が追い求める「星景写真」
米倉昭仁 米倉昭仁
「パソコンをうまく使える人が勝つ」という天体写真はおかしい 写真家・北山輝泰が追い求める「星景写真」
撮影:北山輝泰   北山輝泰さんの作品に写る小さな丸いドーム屋根。福島県南部の鮫川村、標高700メートルの丘にある鹿角平(かのつのだいら)天文台だ。その上には満天の星空が広がり、冬の代表的な星座、オリオン座が見える。かすかな星の輝きが連なる天の川も写っている。 「鮫川村の夜はちょっと怖いくらい暗いので、夏の天の川に比べて淡い冬の天の川もよく写ります」と、北山さんは言う。 東京・新宿で生まれ育った北山さんは2008年、この場所で初めて星空を見上げたときの衝撃を今も鮮明に覚えている。 「すごく感動したというか、もう理解できなかったですね。いったい、この星の数はなんなんだ、と思いました」 撮影:北山輝泰   天体写真への違和感 当時、日本大学芸術学部で写真を学んでいた北山さんは恩師の原正人さんともにたびたび鮫川村を訪れた。 きっかけは大学4年生のとき、「サイエンスフォト」のゼミで月面を写したことだった。その手ほどきをしてくれたのが原先生だった。 「それまで天体望遠鏡にカメラが取り付けられるなんて、知らなかったし、月のクレーターを撮影したのも初めてだった。これは結構面白いな、と思いました」 熱烈な天文愛好家だった原先生は鮫川村の隣、棚倉村の出身で、天体観測に最適な鹿角平に天文台を建てようと尽力した一人だった。 授業で天体撮影に興味を持った北山さんは原先生から口径8センチの天体望遠鏡を譲り受け、オリオン大星雲やすばるなどの撮影にのめり込んだ。 ところが、1年ほどで熱は冷めてしまう。「どこで撮っても写る絵は基本的に同じだから、飽きてしまった」。天体写真のあり方に違和感を覚えたことも理由だった。 特に星雲や星団の写真の場合、他の人の作品と差が出るポイントはパソコンで写真を仕上げる際の画像処理だという。 「それにはいいパソコンやソフトウエアが必要で、貧乏学生には無理でしたね。それに、パソコンをうまく使える人が勝つ、みたいな感じがして面白くなかった。これは自分がやりたいものとは違うな、と思った」 撮影:北山輝泰   草刈りをしながら星を撮影 北山さんが撮りたかったのは星空のある風景写真、「星景写真」だった。もともと自然風景を撮るのが好きで、大学時代は海や山に足を運んだ。 そんな北山さんは09年、大学卒業と同時に「緑のふるさと協力隊」の一員として鮫川村に移住。1年間の任期で、自然豊かな村の魅力を県外に発信した。 「例えば春、桜の名所をまわって、写真を撮り、開花状況を伝えました。でも、メインの仕事は草刈りとか、村のおじいちゃんやおばあちゃんのお手伝いでしたね」 夜になると、天文インストラクターとして観光客に天文台の望遠鏡を使って星々を紹介した。 「お客さんがいないときは、星空を撮影しました。あわよくば、作品をたくさん撮影して、世の中に発表していこう、みたいなことを考えていました」 副業が本業を越えて独立 鮫川村での任期が終わると、望遠鏡メーカーのビクセン(埼玉県所沢市)に転職。営業マンとして北海道から沖縄県まで全国の得意先を訪ねた。 「ビクセンに勤めながら星景写真を撮り続けました。結構、出張したときにも撮影しました。もちろん、業務時間外に、仕事のノルマを達成した上でです」 ビクセンに在籍した7年間の後半は星景写真家としてカメラメーカー主催のセミナーで講師を務めるまでになった。 やがて副業はビクセンの仕事と両立できないほど増え、17年、星景写真家として独立した。 撮影:北山輝泰   星空を手持ちで撮影 北山さんの作品の特徴の一つは、積極的に手持ち撮影に挑戦し、情感あふれる星空のある風景を写してきたことだ。 作品には、ゆるやかな起伏の草原で星空を見上げる女性の姿が写っている。その向こうには東シナ海が見える。長崎県・五島列島、福江島の絶景ポイント、鬼岳で撮影したものだという。 「この場所を訪れた人が星空を見上げる風景は一瞬、一瞬で変わっていきます。手持ち撮影のフットワークでシャッターを切らないと間に合いません」 長野県・志賀高原で写した作品には画面奥に伸びる木道の上に夏の銀河が広がっている。こちらは極端に低い位置から撮影したため、三脚を使えず、手持ちで写したという。露出時間は10秒。これほど長い時間、カメラを構えてもブレずに撮れるとは驚きだ。 「最近のカメラの手ブレ補正機能は本当にすごいですよ」 撮影:北山輝泰   次のチャンスは200年後 もう一つの北山さんのこだわりは、星座の中での位置を変えていく惑星や月を画面に入れ、そのときしか見られない夜空と地上の風景を組み合わせて撮影することだという。 神奈川県・真鶴半島沖にあるごつごつとした岩の間から月が昇り、その上には火星と金星が写っている。その右には天の川が浮かび上がる。 「この場所で、この瞬間でないと撮れない写真です。しかも、水平線上に少しでも雲があればアウトですから、月が昇るのを待つ間はドキドキでした。次に同じような写真が撮れるチャンスは200年後です」 撮影には入念な準備が必要で、まずパソコンのシミュレーションソフトを使って、星や惑星、月の位置を表示する。 「その画面を見ると、撮影したい風景がパッと思い浮かぶんです。例えば、4月だったら、桜が咲いている場面とか。それを元にロケーションを探します」 撮影する方向に桜があり、邪魔なものが写り込まない場所をインターネットで見つける。その上で夜、現地を訪れ、ロケハンを行う。風景と星空との位置関係を正確につかむため、あらかじめその場所で撮影しておく。 「事前に写した写真を使って厳密なシミュレーションを行うことで、撮影位置と時間が少しでもズレたら撮れない特別な星空の風景が写せます」   富士山を拠点に撮影 さらに、北山さんは星景写真と平行して、ロケットの打ち上げも撮影している。 その多くは種子島宇宙センター(鹿児島県)付近から写したものだが、そこから150キロほど離れた鹿児島市の北で写した作品もある。ロケットから噴射された炎でオレンジ色に輝く錦江湾と桜島のシルエットが印象的だ。 「いつも種子島で撮影しているので、たまには別な場所に行ってみるか、と訪れたんですが、こんなに離れているのに、これほどロケットが明るく写るとは、びっくりしました」 創意工夫で夜空の絶景を写してきた北山さんは4年前、結婚を機に、山梨県都留市に拠点を移した。富士山が大きく見える場所まで15分ほどで行けるすばらしい場所だという。 (アサヒカメラ・米倉昭仁) 【MEMO】北山輝泰写真展「星を巡る」 OM SYSTEM GALLERY 1月4日~1月15日
アサヒカメラ北山輝泰天体写真
dot. 2024/01/03 17:00
ハリセンボン吉本退社 スーパーエリート芸人のふたりに今後期待することとは?
ラリー遠田 ラリー遠田
ハリセンボン吉本退社 スーパーエリート芸人のふたりに今後期待することとは?
吉本興業を退社することが分かったハリセンボン  お笑いコンビ・ハリセンボンが今年いっぱいで所属事務所の吉本興業を退社することがわかった。これまで箕輪はるかはマネジメント契約、近藤春菜は専属エージェント契約を結んでいたが、来年1月1日からはベッキー、森カンナ、友田オレらが在籍するGATE株式会社に所属することになる。    ハリセンボンは、若くしてテレビの世界で成功を収めたスーパーエリート芸人だった。2003年に吉本興業のお笑い養成所「NSC東京」で出会ってコンビを結成した彼女たちは、2005年にTBSの若手芸人発掘番組『ゲンセキ』に出演した。    そこから深夜のコント番組『10カラット』のレギュラーに抜擢され、ハリセンボンの快進撃が始まった。2007年には『M-1グランプリ』の決勝に進み、4位という結果に終わった。これは女性コンビとしては歴代最高記録である。その後、2009年にも再び決勝に進んでいる。 徐々に近藤春菜だけが  リアクションが良くて親しみやすいキャラクターの近藤と、おとなしいが鋭いセンスを持っている箕輪は、実にバランスの良いコンビだった。最初はコンビとしての活動が目立っていたが、徐々に近藤だけがテレビに出る機会も増えてきた。 【こちらも話題】 きれいさっぱり引退 「ブルゾンちえみ」とはいったい何だったのか? https://dot.asahi.com/articles/-/92024  その大きなきっかけとなったのは、近藤が「角野卓造じゃねえよ!」という決めフレーズを編み出したことだ。これが生まれたきっかけは『ロンドンハーツ』だった。司会の田村淳に「角野卓造さんですよね?」などと何度も振られて、近藤はその度に全力で「角野卓造じゃねえよ!」と言い返した。    これが面白がられて、角野卓造以外にもさまざまなものにたとえられるようになり、近藤がそれにツッコむというお約束の流れができた。このフレーズが名刺代わりになり、近藤はますます仕事を増やしていった。 ふたりは紛れもない実力者  それぞれが見た目も特徴的で、強い個性を持っているため、そういう部分ばかりが評価されがちだが、彼女たちは『M-1』で決勝進出していることからもわかる通り、紛れもない実力者である。    最近でも、2022年放送の『まっちゃんねる』の中で行われた「IPPON女子グランプリ」という大喜利企画で、箕輪が優勝を果たしている。    ハリセンボンの2人が世に出た頃は、テレビで活躍する女性芸人の数がそれほど多くなかった。彼女たちが数多くのバラエティ番組やネタ番組に出演して、その力を見せつけたことで、あとに続く女性芸人が続々と出てきて、市場が活性化していった。 【こちらも話題】 近藤春菜「スッキリ」卒業後に注目 キャスティングしたい芸人1位 https://dot.asahi.com/articles/-/74975  大げさに言えば、彼女たちがいなければ女性芸人がここまで数多くテレビに出ることはなかっただろうし、『女芸人No.1決定戦 THE W』のような女性芸人限定のお笑いコンテストが開催されるまでにはならなかっただろう。女性芸人の先駆者としてのハリセンボンの功績は大きい。    個人的には、2016年に近藤が朝の情報番組『スッキリ!』のサブ司会に就任したあたりから、この手のタレント業が増えてきて、純粋な芸人としての仕事が減っていることに一抹の寂しさを感じていた。その後、近藤だけがエージェント契約になったことで、コンビとしての足並みが揃わなくなっているようにも見えた。    今回の事務所移籍は、彼女たちが心機一転して新しいことを始めるための良い機会となるだろう。女性芸人の歴史に名を刻んだレジェンドコンビの今後に期待したい。(お笑い評論家・ラリー遠田) 【こちらも話題】 やす子、ゆりやんレトリィバァらが決勝進出女芸人コンテスト「THE W」の独特な存在意義 https://dot.asahi.com/articles/-/207281
ハリセンボン吉本興業
dot. 2023/12/30 11:00
佳子さま29歳に 目標に向かって努力する姿は「スポ根ヒロイン」と皇室番組放送作家
太田裕子 太田裕子
佳子さま29歳に 目標に向かって努力する姿は「スポ根ヒロイン」と皇室番組放送作家
「第22回東京都障害者ダンス大会ドレミファダンスコンサート」を鑑賞する佳子さま=23年7月17日  秋篠宮家の次女、佳子さまが12月29日に29歳になられた。姉の小室眞子さんの婚約内定が報じられたのは25歳、婚姻届を出したのは30歳になったばかりのときだった。皇室番組の放送作家のつげのり子さんによると、最近、佳子さまのご友人が結婚されたという。佳子さまはどのような道を歩まれるのだろうか。 *   *   * 「私が存じ上げている佳子さまのご友人が結婚されました。同年代の周囲は、結婚される方も徐々に増えてきているのではないでしょうか」  そう話すのは、2001年から皇室番組の放送作家の仕事に携わるつげのり子さん。 「いまの時代、何歳になったら結婚とか、あるいは結婚するのは当然、という価値観ではないですよね。人生は人それぞれ」としたうえで、こう推測する。 「佳子さまは12月29日に29歳になられました。佳子さまは、将来的に結婚は望んでいらっしゃるのではないかと思います。  なぜなら、皇室にお生まれになった佳子さまは、姉の小室眞子さんと同じように、皇室を出たいと考えるならば、結婚して一般人になる方法が現実的です。佳子さまにも当然、結婚して自由になりたいというお考えはあるかと思います」 【こちらも話題】 “ほほ笑みのプリンセス”佳子さま29歳に 「公務にまい進、存在感あふれる一年」写真で振り返る https://dot.asahi.com/articles/-/210337    また、佳子さまの人となりについてもこう話す。 振り袖姿で赤坂御用地内を散策する秋篠宮家の次女佳子さま。29日に29歳の誕生日を迎えた=宮内庁提供   佳子さまはスポ根ヒロイン!? 「佳子さまはおっとりされているというイメージを持っている方もいるかもしれませんが、佳子さまに会った方から聞いた話では、おっとりされているように見えても、実は芯の強い方のようです。  ひと言で表すなら、『スポ根ドラマのヒロイン』のように、目的に向かってがむしゃらに努力する精神力をお持ちだと思っています」 “スポ根ドラマのヒロイン”と表現した理由を、つげさんはこう話す。 「例えば、幼少の頃は、フィギュアスケートに取り組まれ、昇級テストに向けて熱心にレッスンを受けられていました。  国際基督教大学(ICU)時代に所属していたダンスサークルも、週5日の練習があるということで有名な体育会系だったそうです。練習はもちろんハードで、夜7時から2時間はたっぷり練習して、終わるのは夜9時半ごろ。その後も残られて、自主練習をされていたそうです。  こうしたことをやり通せるというところからも、佳子さまは何事にも負けない強い意思をお持ちでいらっしゃるのだと思います」  そんな佳子さまだからこそ、つげさんは、「目標に向かってまっしぐらで、おそらく、理想の将来像をお持ちではないか」と話す。 【こちらも話題】 なぜ佳子さまに激しいバッシング? 「生まれながらの特権と、不満のはけ口に」名大河西准教授 https://dot.asahi.com/articles/-/206601 「私の推測ですが、いまは公務を精一杯やり、佳子さま自身がここまでやりきったという達成感を持って、お相手と巡り合い、結婚したら皇室を離れるというのが、思い描かれている理想的なかたちなのではないでしょうか」   佳子さまは理想を大切にしそう  つげさんは、一番のテーマはそうした相手に「巡り合えるか」では、と話す。 「佳子さまに関する著書をまとめたときに思ったのですが、佳子さまが公務でお会いになるのはわりと高齢の方々が多いようです。同じライフステージにいる年代に出会う機会はそこまで多くないと思います。  佳子さまは理想を大切にするタイプにお見受けするので、理想にかなう方に出会うのも大変ではないでしょうか。もし、佳子さまに現在お相手がいらっしゃるのであれば、悠仁さまが成年になられるのを見届けてから、といった配慮もされるのではないかと思います」  ちなみに19年のICU卒業にあたって、「お相手がいるか」という質問に対し、佳子さまはきっぱりとこう回答されている。 「相手がいるかについてですが、このような事柄に関する質問は、今後も含めお答えするつもりはございません」  とはいえ、成年皇族の結婚は国民の関心ごとではある。  秋篠宮さまはお誕生日前、23年11月27日に行われた記者会見で、佳子さまの結婚についてこう答えている。 「結婚については、もし、いずれ、娘が結婚のことについて話をしてきた時には、彼女の考えをよく聞いて、そしてまた、こちらの思うところも伝える、というような感じで話し合っていければと思っています」  また、母である紀子さまも自身のお誕生日のときに秋篠宮さまとほぼ同じことを話されている。 「結婚については、もしそのような話がありましたら、佳子の気持ちや考えに耳を傾けて、こちらの思いや考えを伝えていくことができればと思います」 21年10月26日、眞子さまの結婚の日の朝、秋篠宮邸前で抱き合って別れを惜しむ眞子さま(当時)と佳子さま 代表撮影  秋篠宮さま、紀子さまの言葉は、姉の小室眞子さんの結婚までの経緯ゆえだろう。婚約内定報道が出て以降、数年にわたる混乱やバッシングは、記憶に新しい。  つげさんは言う。 「小室眞子さんの結婚は、結果として国民が驚いたり、戸惑ったりする形になってしまった。それ以降、秋篠宮家への国民の目も厳しくなってしまいました。佳子さまはそうしたことを全て見てきたわけですから、国民に祝福されるような相手をお選びになるとは思います」 (AERA dot.編集部・太田裕子) 〇つげのり子/放送作家、ノンフィクション作家。2001年の愛子さまご誕生以来皇室番組に携わり、テレビ東京・BSテレ東で放送中の「皇室の窓」で構成を担当。皇室研究をライフワークとしている。日本放送作家協会、日本脚本家連盟会員。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)がある。担当する番組「新春皇室の窓スペシャル」(テレビ東京)が2024年1月1日(月)午前5時〜に放送される。
佳子さま皇室秋篠宮家
dot. 2023/12/30 08:00
【2023年10月に読まれた記事②】大学生に蔓延する「バ畜」 学業も私生活もすべて犠牲にして“アルバイト漬け”になる若者たちの心理
大谷百合絵 大谷百合絵
【2023年10月に読まれた記事②】大学生に蔓延する「バ畜」 学業も私生活もすべて犠牲にして“アルバイト漬け”になる若者たちの心理
アルバイトにすべてを搾取される“バ畜”というワードが大学生の間で広がっている。写真はイメージ(GettyImages)  まもなく暮れる2023年を、AERA dot.で読まれた記事で振り返ります。10月は、将棋の藤井聡太氏が「八冠」を達成。大リーグの大谷翔平選手は、アジア人として初の本塁打王に輝きました。また、イスラエルではハマスが奇襲攻撃し、現在も戦闘は続いています。AERA dot.では、大学生らが家畜のようにバイトで働かされる「バ畜」について取材した記事「大学生に蔓延する『バ畜』 学業も私生活もすべて犠牲にして“アルバイト漬け”になる若者たちの心理」が読まれました(肩書や年齢等は配信時のまま)。 *   *   *  “バ畜”という言葉を聞いたことがあるだろうか? 会社のためにまるで家畜のようにがむしゃらに働かされている人を意味する“社畜”という言葉があるが、“バ畜”はそのアルバイト版。これが最近大学生たちの間で広まっているという。学業やプライベートをなげうってまでバイト漬けの日々を送る“バ畜”になってしまう事情と、その背景を取材した。   「僕はバ畜だと思います」  大手家電量販店の携帯電話売り場でアルバイトをしている、大学3年生のユウタさん(仮名)は、力なくそう笑った。  ユウタさんはもともと、飲食店でのバイトを渡り歩いてきたが、どの店でも「給料が安いわりに仕事がハード」であることに嫌気が差していた。個人経営の居酒屋では、店長の代わりに1日中店番をするだけでなく、仕入れや売り上げの管理、ほかのバイトたちのシフト作成、クレーム対応までやらされた。 「責任を負うことが多くて、肉体的にも精神的にもきつかった。時給は1000~1100円なのに、なんでこんなことまでしないといけんのじゃって思ってました」  しかし、お金は稼がなければならない。ユウタさんは認知症の祖母の介護をしながら大学に通っており、生活費は全額、学費も半分は自分でまかなっている。プロを目指して音楽活動にも打ち込んでいるため、その費用もかかる。そこで、1500円の時給に魅かれて、今年7月から家電量販店でのバイトを始めた。   【こちらも話題】 東大合格を蹴ったのは9人 「史上最優秀の入学辞退者」はどこに進学したのか? アクセンチュア、東大・早慶以外でも採用者数増 23卒の就活は早期化「DX人材の争奪戦」に 人気企業が採用したい大学 会社と戦うのは労力がいる  だが、待っていたのは、こんなはずでは……という労働環境だった。  わずか1週間の研修を受けただけで“独り立ち”認定され、店頭で電話回線の契約や機種変更の対応に駆り出された。知識不足ゆえに失敗すると、耳元のインカムから「そうじゃねえから!」と叱責が飛んでくる。  一番困っているのは、なかなか休憩がとれないことだ。社員がおらずバイト2人だけで回す日は、次々やってくる客の対応に追われて現場を離れられず、朝9時から夜7時まで10時間ぶっとおしで働くことも。にもかかわらず、勤務記録上は1時間の休憩をとったことになっており、そのぶんの時給は出ないというから、労働基準法的に完全にアウトだ。 「職場は、一言でいえば“ブラック”に尽きますね。求人サイトではすごくホワイトそうに見えたのに、あとで調べたら、どの店舗でも求人を出していたっていう……。慢性的な人手不足の証拠ですよね。深く調べてから行動しないと痛い目を見るなって反省しました」  今は、シフトを詰めこまれそうになったら、予定があるとうそをつくようにしているが、それでも週4日は入らざるをえないという。 「最近はインフルエンサーがSNSで法律の知識を紹介したり、『会社を追及すれば勝てる!』と発信したりしていて、感化されている若い人もいるけど、社会の実情とはギャップがあると思うんです。会社と戦うのはすごく労力がいるし、法律の知識がすべて通用するかというと、そんなに甘くない」   【こちらも話題】 新入社員の「電話番号はありません」に、上司驚愕の理由! 常見陽平氏(本人提供) バイトがやめない方法をマニュアル化  しかし、理不尽な職場に疑問を抱きつつも、耐えしのんで出勤し続けてきた。ユウタさんの周りにもバ畜のごとき働き方をしている友人たちがいるが、「文句を言う子はあまりいない」という。 「みんな、『それが普通だし、お店も大変そうだし』って言うんです。お店に同情するなよ! と思いつつ、でも気持ちはわかるんですよね。僕もバイトを辞める理由を探すけど、ひどいパワハラがあるわけでもないし、待遇を理由に辞めるのもなーと思っちゃう。本当はお店が悪いのにそう思えなかったり、そもそも気づかなかったりして、労働力が搾取(さくしゅ)されているんだろうなと感じます」  こうした“搾取”は、なぜ起こるのか。働き方評論家で千葉商科大学准教授の常見陽平氏は、日本社会の二つの問題を指摘する。  一つめは、「バイトがいないと成立しないビジネスモデルを作り上げてしまった」ことだという。  安い給料で社員なみのパフォーマンスをあげてもらえれば、企業としては非常に“おいしい”。しかし、少子化で若者が減り、コロナ禍を機に退職したスタッフの穴埋めが間に合わない店も多い今、人手不足は深刻だ。  そこで、大手チェーン店などでは、バイトを辞めさせないためのマネジメント法がマニュアル化されているという。名前は「さん」付けで呼ぶ、敬語で接する、「お客さんから君の接客をほめられたよ」などと積極的にほめて承認欲求を満たす、といった具合だ。   【こちらも話題】 中卒でソニー会長に「働きたい」と言ったら…意外な返事 雇用主から「店の将来が君にかかっているんだ」などと言われ、辞められなくなるケースもあるという。画像はイメージ(GettyImages) 巧妙化するブラックバイトの手口 「ブラックバイトは巧妙化しています。『お前働けー!』と怒鳴られるより、『店の将来が君にかかっているんだ』なんて言われるほうが、真面目で素直で無批判な学生たちはコロリとやられる。結果見事に飼いならされて、自ら進んでバイトありきの大学生活を送ってしまうわけです。本人にバ畜の認識がないことが根深い問題です」(常見氏)  もうひとつの背景は、格差社会だ。経済事情は二極化し、働かなければ大学に通えない学生も一定数いる。常見氏はこう話す。 「先日、物理学専攻で大学院進学を目指しているソープ嬢二人組と出会いました。“よく学びよく遊ぶ”という学生らしい時間を確保できるのは、家が裕福な人か、一線を越えたバイトをしている人か、という皮肉な現実がある。お酒や車、旅行をはじめ『若者の○○離れ』などとよく言われますけど、実態は『金と時間の若者離れ』ですよ」  ユウタさんに、「最近、何をして遊びましたか?」とたずねると、しばらく考えこんだのち、「友だちとお茶をしました」と返ってきた。遊びたい盛りの男子大学生の答えが「お茶」とは……。少々面食らった。  物価がどんどん上がる今、生活を維持するには、どうしてもバイト中心の毎日になるのだという。私生活だけでなく学校生活にも支障が出ていて、授業で出た課題に取り組む時間がとれず、他の授業中に内職することもあるそうだ。   【こちらも話題】 スーパーでまさかの枕営業…人生をも支配する「全人格労働」 好きなことならつらくても我慢できる 「働けばお金はもらえるけど、それ以上に、何かを奪われている気がしていて。未来を担う学生にとって、もうちょっと優しいシステムがあるといいなと思うんですよね」  ユウタさんは10月いっぱいで家電量販店のバイトを辞めて、「もっとかしこい働き方」を模索するという。 「自分の好きなことなら多少つらくても我慢できると思うので、音楽関係のバイトをしようかなと。ミュージシャンとして有名になってやるっていう意気込みだけはあるので、そのときは是非また取材をしてください」  若者を食いつぶす社会に、未来はない。ユウタさんが願う“もうちょっと優しいシステム”をつくることは、大人たちの喫緊の責務だろう。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵)   【こちらも話題】 アクセンチュア、東大・早慶以外でも採用者数増 23卒の就活は早期化「DX人材の争奪戦」に 人気企業が採用したい大学
バ畜大学生アルバイト社畜やりがい搾取2023年に読まれた記事
dot. 2023/12/29 11:02
Z世代には新鮮だった? 50歳でも“プンプン”続ける「さとう珠緒」が露出増のナゾ
丸山ひろし 丸山ひろし
Z世代には新鮮だった? 50歳でも“プンプン”続ける「さとう珠緒」が露出増のナゾ
さとう珠緒(2002年)    12月6日に放送された「上田と女が吠える夜」(日本テレビ系)に出演した、タレントのさとう珠緒(50)。番組では「おひとり様上等な女」というテーマでトークを展開。さとうは一人でいるもの好きで、家にはAIスピーカーが全部で4台あると告白。「池上彰さんが4人いるみたい。全然寂しくないんです」と笑いを誘っていたが、SNS上では「容姿もしゃべりもいまだに可愛い」「全然変わんねーな」と、その衰えないルックスも話題になっていた。  さとうといえば、両拳を額の上にのせて怒る「プンプン!」というフレーズをはじめ、「平成のぶりっ子キャラ」として1990年代後半から2000年代にかけて大ブレーク。また、「週刊文春」の名物企画「女が嫌いな女」で2004年から2年連続で1位を獲得するなど、アンチも多いという一面も合わせて引っ張りだこだった。その後、テレビで見かけなくなった時期もあったが、このところバラエティー番組での露出が増えてきた印象がある。 「変わらないビジュアルだけでなく、50歳となった今でも“ぶりっ子キャラ”を貫いています。本番前は楽屋の鏡の前で“プンプン”の練習をして手の角度や表情を確認していると、3月に放送されたバラエティー番組でマネージャーから明かされていました。これに対して、さとうは『最高のプンプンを提供したいので練習は絶対します』と主張していました。5月に放送された『ぽかぽか』では、オープニングから“プンプン”ポーズを決め、キャラ全開で登場しました。視聴者のSNSでの反応を見ると、特にZ世代は、90年代の天然ぶりっ子キャラに新鮮さを感じているようです。一方で、全盛期を知っている視聴者は、彼女のブレない姿勢に好感を覚えている。露出増の要因はこのあたりにあるのでは」(テレビ雑誌編集者) さとう珠緒(写真:アフロ)   田代まさし氏にも感謝される  前出の「ぽかぽか」(フジテレビ系)では、番組中にMCのハライチ・岩井勇気から、「あざとい」と「ぶりっ子」の違いを聞かれ、「ぶりっ子は天然で、あざといは養殖」と返答したさとう。ぶりっ子キャラも矜持を持ってやっているようだ。  また、ぶりっ子キャラは他人を攻撃することがなく、安心して見ていられるという一面もある。薬物による逮捕経験がある元タレントの田代まさし氏が9月26日に更新した自身のインスタグラムでは、さとうと何十年ぶりに再会したことを報告。「珠緒ちゃんに『今度やったらプンプンだぞ』と言われてしまいました(笑)」とつづり、「珠緒ちゃん、昔と変わらず接してくれてありがとう」と、感謝の気持ちを述べていた。そんな優しい性格ゆえ、ぶりっ子キャラもどこか憎めず、むしろ好感につながっているのかもしれない。 「ああ見えて、実は恋愛観もまともなんです。昨年6月に放送されたトーク番組で、さとうは独身の友だちが婚活を始めているのが寂しいとしつつ、結婚相手の条件を告白。年齢は下すぎず上すぎず、買い物のときに“3割引き”と言われたらすぐに値段が言えるくらい計算が得意な人がいいそうです。また、毎日仕事をしている人とも言い、『朝起きて仕事に行く人、みんなかっこよく見えるんです』とも明かしていました。キャラはぶりっ子ですが、言っていることは至って普通で、そんな無理をしていない自然体な感じも見ていて安心感があるのでしょう」(同) 「ぷんぷん」ポーズをするさとう珠緒   結婚への焦りはなかった  ぶりっこ&独身ながら、悲壮感が一切ないところもポイントだ。女性週刊誌の芸能担当記者は言う。 「家での過ごし方について『めちゃめちゃ充実しています』と、昨年インタビューで話していました。お店で売っているお灸を買って自分でやったり、1年ぶりにチワワを飼い始め、散歩やドッグカフェに行ったりしているそうです。また、『結婚や出産への焦りはあった?』という質問には『そうでもなかったですね』と言い、自然な流れで結婚、出産ということになればそれでも良かったが、『そうはならなかったというだけ』とキッパリ。そんな、充実したおひとり様生活を送っているからこそ、50歳のぶりっ子キャラでも悲壮感がないのでしょう。若いころからテレビでぶりっ子をしていた人がキャラぶれせず、そのまま50代になったことで、全盛期にいたアンチも消え、幅広い世代が好感を持つようになってきているのだと思います」  芸能評論家の三杉武氏はさとうについてこう述べる。 「さとうさんというとスーパー戦隊シリーズ『超力戦隊オーレンジャー』のオーピンク役で注目を集めて、その後に『出動!ミニスカポリス』の初代ポリスとして活躍しました。バラエティー番組や雑誌グラビア、競馬の中継番組などに出演し、『ミニスカポリス』以降は主に男性ファンから支持を集めていました。一方で、おなじみのぶりっ子キャラが一部の女性からは煙たがられたりもしていましたが、徹底して自身のスタイルを貫くプロ意識、頭の回転の速さはバラエティーの現場を中心に業界内でも高く評価されていました。最近では、歳を重ねても変わらぬ美貌も含めて再評価の兆しがありますが、美容方面などでもさらなる活躍が期待できるのではないでしょうか」  50歳になってもぶりっ子キャラに徹し、独自の道を行くさとうは、今後も根強い需要がありそうだ。 (丸山ひろし)
さとう珠緒
dot. 2023/12/27 11:00
初滑りを楽しもう!福島・宮城・岩手のスキー場【2023 東北】
初滑りを楽しもう!福島・宮城・岩手のスキー場【2023 東北】
東北に雪遊びシーズンがやってきました! 今回は福島・宮城・岩手にある4つのスキー場をご紹介します。極上の雪質はもちろん、グルメや温泉など周辺の魅力もいっぱい。白い世界に出かけて初滑りを楽しんでみてはいかがでしょうか?リストアップ・お出かけには『tenki.jp スキー場・天気積雪情報』『tenki.jp お出かけスポット天気』の情報も、ぜひお役立てください。※お出かけの際は、各施設、イベントの公式ホームページで最新の情報をご確認ください。星野リゾート ネコマ マウンテン(福島県耶麻郡)/超ビッグ♪2つのスキー場が連結福島県にある2つの人気スキー場がリフトで連結した、ビッグゲレンデです。雄大な磐梯山と猪苗代湖を望む、開放感いっぱいの南エリア(旧アルツ磐梯)。標高が高く、北向きの斜面でロングシーズン楽しめる北エリア(旧猫魔スキー場)。「ミクロファインスノー」と呼ばれる軽く細やかなパウダースノーは、多くの雪愛好家たちを虜にしています。広大なゲレンデには緩やかな初心者向けコースから、ロングコース、圧雪バーン、パウダースノー、急斜面、コブなど個性豊かな全33コースが。どんなレベルの人も楽しめるパークも魅力。懐の深いゲレンデで思いきり遊べますよ。星野リゾート ネコマ マウンテン ■所在地:福島県耶麻郡磐梯町大字更科清水平6838-68 ※アクセス・周辺情報はこちら■問い合わせ:0242-74-5000■営業期間:2023年12月2日~2024年5月6日 予定※施設・料金等の詳細は公式サイトをご参照ください福島県のスキー場・天気積雪情報※写真はイメージですスプリングバレー仙台泉(宮城県仙台市)/シティゲレンデ♪ナイターにも気軽に行ける仙台市街から車で約40分で行けるシティゲレンデです。新型の人工降雪機による安定したコンディションが魅力です。初級コース、コブコース、スノーパークなど多彩な12コースがそろい、小さいお子さんからエキスパートまで思いきり雪とのふれあいを楽しめます。山頂エリアからはきれいな雪景色、そして夜には満天の星! 人気のナイターは毎日開催。翌朝5時まで楽しめるオールナイト営業日もあり、お仕事や学校が終わってからでもたっぷり滑れますよ。思い立ったら気軽に雪の世界に出かけてみてはいかがでしょうか。スプリングバレー仙台泉■所在地:宮城県仙台市泉区福岡字岳山14-2 ※アクセス・周辺情報はこちら■問い合わせ:022-379-3755■営業期間:2023年12月22日~2024年4月日 予定※施設・料金等の詳細は公式サイトをご参照ください宮城県のスキー場・天気積雪情報※写真はイメージです安比高原スキー場(岩手県八幡平市)/アスピリンスノー♪変化に富んだロングコース 北緯40度に位置し、日本でも有数の規模を誇るスキー場です。例年5月上旬まで約半年間にわたってスキーが楽しめます。「アスピリンスノー」と呼ばれるさらさらした雪質が大人気! 圧雪バーンから深雪バーンまで、変化に富んだ全21コースが用意されています。極上パウダーを味わえるバックカントリーツアーや、スノーシューで安比・八幡平の秘境を巡るガイドツアーなど、アクティビティも豊富ですよ。大人もこどももスノーリゾートを満喫できる施設です。安比高原スキー場 ■所在地:岩手県八幡平市安比高原 ※アクセス・周辺情報はこちら■問い合わせ:0195-73-5111■営業期間:2023年12月2日~2024年5月6日 予定※施設・料金等の詳細は公式サイトをご参照ください岩手県のスキー場・天気積雪情報※写真はイメージです八幡平リゾート(岩手県八幡平市)/ 雪見露天風呂も♪タイプの異なる2つのスキー場岩手県八幡平市にあるリゾート施設です。レベルに合わせて楽しめる2つのスキー場があります。ワイドでフラットな『パノラマスキー場』は、ゲレンデデビューするお子さんにも安心。スキーやスノーボードをしない人も、スノーチュービングやバナナボートなどさまざまな雪遊びが楽しめます。アフタースキーには「松川温泉」で雪見露天風呂などいかがでしょう。また『下倉スキー場』は、極上のパウダースノーが降り積もるテクニカルなコースが魅力です。4つのツリーランエリアで思う存分ふわふわのパウダースノーが楽しめますよ。八幡平リゾート パノラマスキー場&下倉スキー場 ■所在地:岩手県八幡平市松尾寄木1-509-1 ※アクセス・周辺情報はこちら■問い合わせ:0195-78-2577(パノラマスキー場)/ 0195-78-3456(下倉スキー場)■営業期間:パノラマスキー場:2023年12月23日~2024年3月20日/下倉スキー場:2023年12月23日~2024年3月24日 予定※施設・料金等の詳細は公式サイトをご参照ください岩手県のスキー場・天気積雪情報積雪状況などにより営業期間が変更となる場合もあります。ゲレンデの状況や、施設の営業日時・料金・イベント等の詳細は、公式サイトなどで最新の情報を必ずご確認のうえお出かけください。※写真はイメージです
tenki.jp 2023/12/26 20:30
【2023年1月に読まれた記事①】「戦場カメラマン」横田徹がウクライナで感じたロシア兵の不気味さと日本人義勇兵の評判
米倉昭仁 米倉昭仁
【2023年1月に読まれた記事①】「戦場カメラマン」横田徹がウクライナで感じたロシア兵の不気味さと日本人義勇兵の評判
戦場カメラマンの横田徹さん  まもなく暮れる2023年を、AERA dot.で読まれた記事で振り返ります。1月は、大雪のためにJR東海道線で複数の列車が立ち往生し、多くの乗客が閉じ込められる事案が発生。また、元YMOの高橋幸宏さん、ギタリストのジェフ・ベックさんが死去しました。AERA dot.では、ロシアのウクライナ侵攻に触れたこの記事「『戦場カメラマン』横田徹がウクライナで感じたロシア兵の不気味さと日本人義勇兵の評判」が読まれました(肩書や年齢等は配信時のまま)。 *   *   *  世界を震撼させたロシア軍のウクライナ侵攻からもうすぐ1年が経つ。当初、電撃的に首都キーウ制圧を目指したロシア軍の動きはウクライナ軍によって阻まれた。その後、ウクライナ軍はロシア軍による占領地域の約4割を奪還した。ただ、戦場での情報を厳しく統制するウクライナ軍は前線への取材をほとんど許しておらず、戦闘の様子を目にした報道関係者、特に日本人は極めて少ない。その一人、ベテラン「戦場カメラマン」の横田徹さんに話を聞いた。    横田さんと会ったのは1月11日。ウクライナに出発する前夜だった。昨年5月と9月に続く、3度目のウクライナ取材だという。  まず、横田さんが語ったのは、昨年の大晦日にロシア軍のミサイル攻撃で朝日新聞の関田航記者が足を負傷したことだった。 「関田さんが滞在していたキーウのホテルの写真を見るとかなり大きく壊れている。軽傷で本当によかったと思います」  横田さんは1997年のカンボジア内戦取材以来、東ティモール、コソボ、アフガニスタン、イラク、シリアなどに足を運んできた。そんな戦争取材のベテランが口にしたのは、ウクライナには安全な場所がない、ということだった。 「ウクライナは、どこにいてもミサイルが飛んでくる。だったら、本当に危ないところに行って、パッと帰ってくる。取材はほどほどにしますよ」  そう言って、ときおり笑みを見せながら話す様子は気負いをまったく感じさせない。 「今、ウクライナ東部は暖かくても氷点下という世界です。そういう過酷な状況のほうが絵になる映像や写真が撮れる」と、今回の取材のねらいを説明する。  むろん、ロシア軍侵攻から1年になる2月24日に向けて増える報道需要も想定している。 「戦争取材にはお金がかかります。ぼくは状況次第ではアメリカの大手テレビ局なみに、1日20万円くらいコーディネーター料を支払います。それをどう回収するか、というのはこの仕事では大切なことです」  淡々と、そう話す。   写真/横田徹 ロシア軍の支配地域へ  今回の戦争ではNATO諸国がミサイルや大砲などの兵器をウクライナに供与するほか、さまざまな国の義勇兵がロシア軍と戦っている。横田さんはこの義勇兵に焦点を当てた。  昨年5月、キーウの基地を訪れた際、横田さんを出迎えてくれたのは国際義勇軍の中核を担うジョージア人部隊の司令官、マムカ・マムラシュビリ氏だった。  黒海の東岸にあたる旧ソ連の構成国ジョージアは、2008年、ロシアに侵攻された。そんなジョージアの人々は、ウクライナに対して強い親近感を抱いている。  横田さんはウクライナ東部の前線から数十キロのところにあるジョージア人部隊の後方基地に案内された。 「行ってみたら、兵士たちはもうびっくりするような装備を身に着けていて、完全に特殊部隊じゃないか、と思いました。キーウ近郊の国際空港の奪還にも関わった部隊でした」  横田さんが同行したのはロシア軍支配地域への偵察任務だった。兵士を乗せた車は舗装されていない道を全速力で前線に向けて突き進んでいく。 「スピードを出さないとやられてしまうんです。前線の近くまで行って、パッと車を降りて移動する。頭上を飛ぶロシア軍のドローンから逃げながら(笑)」  ロシア軍の陣地が見えるところまで近寄ると、小型ドローンを飛ばす。上空から敵の陣地を撮影し、それをもとに攻撃のプランを立てるという。  しかし、目の前にロシア軍の陣地が見えるということは、相手からも横田さんらが見えるのではないのか? 「そのとおりです。だから、砲弾を撃ち込まれて、背後に着弾しました。ロシア軍はわれわれの位置を上からドローンでつかんでいるので、かなり正確に弾が落ちてきます」 信頼の厚い日本人義勇兵  ドローンが飛んでいると、ブーンと、独特の回転翼の音がする。しかし、音がしない場合もあるという。 「だから、どこへ行っても空を見上げている。もしくは建物の中に隠れる。地雷が埋まっているかも、と足元ばかりを気にしていると、上からやられてしまう」 写真/横田徹  国際義勇軍の傘下にはジョージア人部隊のほか、日本人が加わっている部隊もある。 「戦闘訓練を受けたことがあるなしに関わらず、戦場を体験して、すぐにウクライナを離れる人がとても多いので、出入りが激しいのですが、平均すると常時10人弱の日本人義勇兵がさまざまな部隊で活動しています」  その多くは元自衛官で、アメリカ人やイギリス人の義勇兵よりも信頼されているという。 「アメリカ人は、ウクライナの戦闘に参加することで寄付金を集める、いわば金稼ぎを目的にした義勇兵が多い。アメリカ人やイギリス人は使えないのが多いんだけど、日本人はよくやっていると、ジョージア人部隊の広報官は日本人義勇兵のまじめな戦いぶりと生活態度を高く評価していました。日本人の気質からしてわかる気がしますね」 ロシア軍陣地で目にしたもの  一方、ロシア兵の戦いぶりはどうだろうか? 「広大な畑の中に幅20~30メートルの防風林があったんです。そこにロシア軍は陣地を設けていた。でも、周囲から見れば、そこに身を隠していることは誰の目にも明らかだった。案の定、ウクライナ軍にミサイルを撃ち込まれて、ロシア兵はみんなやられてしまった。穴の中で待ち構えていた戦車がひっくり返っていた。なぜロシア軍はこんな素人のような戦い方をするのか。優秀な指揮官が本当に不足しているんでしょうね」  昨年9月の取材では、砲撃を続けながら敗走するロシア軍を追いかけるように、抜け殻となった陣地を次々に訪れた。そこで目にしたのはたくさんの兵器や弾薬だった。 「まだ洗濯物が干されて、食べかけの食料がそのまま残されているようなロシア軍陣地に足を踏み入れると、弾薬箱が放置され、中にはミサイルや砲弾が奇麗に詰められていた。それをウクライナ軍が全部回収して使う。戦車もそうです。修理するため、戦車をけん引していくシーンをあちこちで目にしました」  ウクライナの民間人がロシア軍陣地から兵器をくすねてくる話も山ほど聞いた。 写真/横田徹 「大きなトラクターで戦車を引っ張って盗んできたとか、そういう話はどこにでもあります。最初は信じられなかったけど、本当なんですね。ロシア軍の塹壕(ざんごう)に行ったら携帯ミサイルが2本立てかけてあったので、かっぱらってきたって、写真を見せてくれた人もいました。ミサイルを担いでくるときにロシア兵と間違われてウクライナ兵に発砲されたそうです。ロシア軍の兵器の管理はどれだけずさんなんだよ、って感じです」 ロシア兵の劣悪な環境  兵器だけでなく、ロシア軍の兵士の扱いの劣悪さにも驚かされた。 「どこの陣地もひどい環境で、いくらなんでもこれでは戦意を保てないだろうと感じました。食料は全部缶詰で、野菜などは食べていないでしょう。戦場での唯一の楽しみである食事がとても貧しいうえ、泥だらけの塹壕の中でおびえながら何カ月もいたら、さすがに戦うのが嫌になるはずです」  一方、ウクライナ兵は一定期間、前線で任務につけば休暇をもらえるという。休暇中はレストランで食事をしたり、インターネットで外の世界とつながったりすることもできる。 「食事については快適で、どこに行っても困らないどころか、おいしい肉やチーズを堪能しました。結構田舎でも寿司が食べられたりする。この差は大きいと思いますね」  豊かな自分たちの国を守ろうと戦っているウクライナ軍の兵士と、無理やり劣悪な環境に送り込まれて戦っているロシア軍の兵士では、士気に大きな差があるのは当然だと感じた。 相手がロシア兵は危なすぎる  しかし、だからといって、ロシア軍が弱いとは横田さんはまったく思わない。むしろロシア軍に感じるのは西側の常識がまったく通用しない、不気味さだ。 「今、激戦が行われているバフムートなんか、ロシア軍は1人のウクライナ兵を倒すために、10人のロシア兵をおとりにおびき出して攻撃する。それが成功したら、また別の10人を送り出す。いったい、いつの時代の戦いだよ、と思うような戦い方をしている」  ロシア軍は伝統的に兵士の命を粗末に扱ってきた。それがウクライナの戦場でもまったく変わっていないことを実感した。  横田さんは以前、シベリアの奥地を訪ねた際、ロシア人の文豪ドストエフスキーがシベリア流刑を経て描いた不条理な世界が現代にも脈々と受け継がれていることを目の当たりにして衝撃を受けた。 「あれを見たことは大きいですね。だから、今回の戦争が始まったとき、ウクライナへ取材に行くのは嫌だった。相手がロシア兵では危なすぎると思いました。ものすごく怖かった」  横田さんは戦争取材の際、前線に足を運ぶことが多く、しばしば周囲から「無謀だ」と言われてきた。 「でも本当は、ぼくはすごくビビりなんです。逃げられないところには絶対に行きたくない。ここは無理だ、と思う場所には行かないようにしています」  昨年5月からウクライナを取材するようになった理由は、戦いの焦点にあったキーウがロシア軍に包囲される可能性がなくなり、退路が確保されたことと、取材費の援助が得られたことが大きいという。 地面が凍っている2月に動き  今回、このタイミングでウクライナに入るのは冒頭に書いた報道需要もあるが、2月になれば、何が起こるかわからない恐ろしさがあるからだという。 「雪が解けると、ウクライナの土は本当にぐちゃぐちゃになります。昨年9月にもぬけの殻となったロシア軍陣地まで畑の中を歩いて行ったとき、足にまとわりつくような泥を体験しました。この状態で戦うのは無理だな、と感じました。なので、戦況に大きな動きがあるとすれば、地面がまだ凍っている2月だろうと、いろいろな人が言っています。危ないときに行くのは嫌なので、2月の前に行って、帰ってくる」  別れ際、横田さんは近所の保育園にウクライナ避難民の子どもが通っていることを口にした。 「言葉はできないし、大丈夫かな、と思っていたら、すぐにうちの娘と仲良くなった。ぼくはウクライナ人と関わりがあるし、娘もウクライナ人の友だちができた。すごい時代になったなあ、と思いますね」  数日後、横田さんからメールが届いた。 <キーウに着き早々、ミサイルの洗礼を受けました。危ないので早く前線へ向かいます> (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
2023年に読まれた記事ウクライナ侵攻戦争戦場カメラマン
dot. 2023/12/25 07:00
来春「大奥」出演の栗山千明 イメージ覆す“大酒飲み&アニメオタク”の私生活で好感度アップ
高梨歩 高梨歩
来春「大奥」出演の栗山千明 イメージ覆す“大酒飲み&アニメオタク”の私生活で好感度アップ
ひときわ目立つルックスの栗山千明(写真:Pasya/アフロ)    来年1月スタートのドラマ「大奥」(フジテレビ系)に出演する、女優の栗山千明(39)。演じるのは、大奥の女性たちを束ねる大奥総取締役・松嶋の局(まつしまのつぼね)。フジテレビの編成担当者は「栗山さんが持つクールなビジュアルは牢獄である大奥の厳しさと恐ろしさを体現する松島の局のイメージと合致します」と起用理由をリリースで述べている。一方、栗山も「(視聴者に)嫌われる覚悟で精一杯務めたいと思います」と意気込みを語っていた。 「栗山さんと言えば、黒い長髪がトレードマークでしたが、今年10月に放送された主演ドラマの役作りのために25㎝ほどバッサリとカットし話題になりました。5歳くらいから、髪を短くしたことがなく、自分でも新鮮だとドラマの記者会見時に話していました。SNSでも『ショートへアも似合う』『イメージが変わってイイネ』とおおむね、肯定的に受け止められていましたね。10代でデビューした頃からロング黒髪・前髪ぱっつんのいでたちだったため、その姿をずっと引きずる視聴者も多く、アラフォーなのにまだ少女イメージを抱く人もいるほどでした」(テレビ情報誌の編集者)  栗山といえばクールビューティーのイメージが強いが、それは世間が勝手に作り上げたもの。インタビューで彼女は、10~20代はそれが「強み」だったが、「30代になって無理をしなくなってきたので自然と素が出るようになってきた」と心境の変化があったことを語っている(「ORICON NEWS」21年4月2日)。 栗山千明(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)   ガチのアニメファンとしても有名  30代に入って以降、栗山の“素”がバラエティー番組などで明らかになることも増えてきた。まず有名なのが酒豪エピソードだろう。 「ドラマ『晩酌の流儀』シリーズでは、お酒をおいしく飲むことを徹底的に探究する主人公を好演しましたが、実は自身もひとりで飲みに行くほど、大のお酒好き。バラエティー番組で飲酒量について聞かれたとき、芋焼酎の四合瓶1本は飲むと答えていたことも。また、最高でどのくらいの量を飲んだことがあるのかを尋ねられると、時間で言うと18時間と明かし、『だいぶ若いころですが、夜から飲み始めて翌日の昼くらい』と回顧していました。また別番組で好きな飲み方を聞かれると『ロック』と答えていたのですが、『水で割ったらもったいない』という理由でしたね」(同)  ドラマの取材会では、日々の癒やしを聞かれると「晩酌」と迷わず笑顔で回答したこともある栗山だが、お酒だけでなく、大のアニメ好きとしても有名だ。バラエティー番組の事前アンケートで「好きなアニメは?」という質問に、ふつうは4~5タイトルを挙げる人が多いところ、80タイトルも列挙したという(「今夜くらべてみました」日本テレビ・22年1月26日)。同番組でVTR出演した山田孝之はアニメの話になると栗山は「スイッチが入ってきて、目が動かなくなって、早口になって」と彼女のオタクぶりを披露。そんな栗山には、SNSでアニメファンから歓喜の声が多くあがった。 故・安倍晋三元首相とのツーショット(写真:AP/アフロ)   「タグ」を偏愛する趣味も 「栗山さんにはもうひとつ、変な趣味があるようで、洋服などの端についている『タグ』を偏愛し、触っていると落ち着くと各所で話しています。どのタグでもいいわけではなく、パリッとした硬めのものがお気に入りで、アメリカ製が比較的好みの手触りのものが多いと言っていました。新幹線や車の移動中、ホッとしたいときによく触っており、移動中でも触りたいがあまり、持ち運べるように、髪を結ぶゴムなどにくっつけて、腕に巻いたりしているそうです。クールに見える栗山さんですが、そんなかわいらしい一面もあるなんて、かなりギャップを感じますよね」(同)  従来のイメージを覆すエピソードが知られるようになった結果、演じる役の幅が広がったのかもしれない。一方、20年には長年所属した事務所から独立。WEBメディア「Real Sound」(22年6月26日)のインタビューで、「ひとつひとつのお仕事に取り組むときの向き合い方が、より濃くなった気がします」と仕事への姿勢に変化があったことを明かした。 スタイルも抜群の栗山千明(写真:アフロ)   ミステリアスでエキセントリック  ドラマウォッチャーの中村裕一氏は栗山の魅力と今後についてこう分析する。 「彼女はやはりドラマ『六番目の小夜子』の津村沙世子、映画『バトル・ロワイアル』の千草貴子、映画『キル・ビル』のGOGO夕張といった、ミステリアスでエキセントリックなキャラのイメージが強いですが、そのキャリアは実にバラエティーに富んでいます。11年ほど前にインタビューをしたことがありますが、『昔は妖怪・お化け・殺し屋という人間ばなれした役が多く、最近だんだん人間らしい役をやらせてもらえるようになりましたが、バラエティーに富んだ役を演じることは決して嫌いではありません』と語っていました。その言葉通り、現代劇から時代劇まで、作品世界の中でしっかり息づくことのできる、貴重な存在の俳優の一人だと思います」  30代最後のラストスパートをかける栗山が、「大奥」でどんな芝居をみせてくれるのか目が離せない。 (高梨歩)
栗山千明大奥
dot. 2023/12/24 11:00
ヴィム・ヴェンダース監督「役所さんの演技にカメラマンが泣いてハラハラ」 「PERFECT DAYS」の舞台裏
中村千晶 中村千晶
ヴィム・ヴェンダース監督「役所さんの演技にカメラマンが泣いてハラハラ」 「PERFECT DAYS」の舞台裏
長年の盟友のような雰囲気の二人。「穏やかさ、謙虚さ、大きな心。役所さんは平山そのものになった」と監督は言う(撮影/篠塚ようこ)    第76回カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞した「PERFECT DAYS」。東京の公共トイレ清掃員のささやかな日常が、世界の人々の心を動かした。ヴィム・ヴェンダース監督と主演の役所広司の対談が実現。AERA 2023年12月25日号より。 *  *  * ヴェンダース:この映画を手がけた理由ですか? もちろん役所さんとお仕事ができるチャンスだったからです! 役所:いやいや(照れ)。まさか自分の俳優人生でヴィム・ヴェンダース作品に参加する日が来るとは夢にも思っていませんでした。しかも監督がトイレの映画を作るとは(笑)。 ──世界的な監督と日本を代表する俳優のタッグが美しい物語を生み出した。舞台は東京。スカイツリーを望む下町のアパートに暮らす平山(役所)の日常は判を押したように正確だ。早朝に目覚め、歯を磨き、着替えをする。アパートを出るとき、必ず空を見上げてやさしく微笑む。車で音楽を聴きながら仕事場に向かう。彼の仕事は公共トイレの清掃員だ。 過去を捨てた主人公 ヴェンダース:2021年の年末に「THE TOKYO TOILET」を企画・プロデュースする柳井康治さんからお手紙をもらいました。「東京・渋谷で『誰もが使ってみたくなる公共トイレ』を作るプロジェクトをしているので、見に来ていただけませんか」と。私が東京と建築が大好きなことを知っていて声をかけてくださったんです。22年の5月に来日したとき、建築家やアーティストによる美しいトイレが12作品完成していました(現在は17作品)。最初は短編ドキュメンタリーの予定でしたが、それを見てフィクションの長編映画にしないかと提案したのです。 ──映画には鍵をかけると不透明になるガラスで作られた坂茂の「ザ トウメイ トウキョウ トイレット」など個性的なトイレが登場する。そんなトイレを平山は黙々と丁寧に清掃する。一日の終わりに銭湯に行き、飲み屋で晩酌し、本を読みながら眠りにつく。彼にどんな過去があるのか、あるいは誰かを亡くしているのか……そのバックグラウンドはあえて描かれない。 ヴェンダース:みなさんの想像にお任せしますが、平山さんが何かを失くしているとすればそれは自尊心かもしれません。彼は意識的に前の人生を捨てて、新しい生き方をしているのです。 役所:おそらく過去に何かがあったのだろうという雰囲気は台本からも伝わりましたが、監督が平山についてのメモをくださって、それが参考になりました。 清掃員・平山のささやかな日常を描く「PERFECT DAYS」。12月22日から全国公開(c) 2023 MASTER MIND Ltd.   空を見上げて笑う ヴェンダース:僕が印象に残っているのはクランクインの前日です。美術部が作ってくれた平山さんのアパートは、装飾が少し多かった。そこで役所さんに「必要じゃないと思うものは全部外してください」とお願いした。テーブルも椅子も半分以上のものを外して撮影に入りました。まさに平山さんが「清掃」してくれたおかげで、彼を反映する部屋になったと思います。 役所:僕が印象的だったのは毎朝、平山がアパートを出るときに空を見上げて笑うシーン。監督が「ちょっと笑って」とおっしゃるんですが、台本には「笑う」「怒る」などが一切書かれていないんです。「どう笑うんだろう?」と思ったのですが、メモを見て初めて「ちょっと笑う」の感覚が理解できました。 ヴェンダース:僕は感情を脚本に書いてしまうのが怖いんです。それは役者がその場で作り上げるもの。事前に書いてしまうと処方箋を書いてしまうような感じがして。今回、脚本の最初にニーナ・シモンの曲の歌詞を書いたんです。 《It’s a new dawn/It’s a new day/It’s a new life For me/And I’m feeling good》(新しい夜明けだ、新しい一日だ。僕にとって新しい人生だ。僕はいい気分だ) これこそが平山さんのエッセンスです。役所さんはそれを完璧に理解して終盤にこの曲が流れるシーンで素晴らしい演技をしてくださった。あのシーンでは撮影中にカメラマンが泣いていたんです。僕も感極まりながら「ちょっとカメラは止めないでよ?」とハラハラしていました(笑)。 役所:実際に運転しながらの演技だったので、けっこう難しいシーンでした。平山が運転するときに流れる曲は常に現場で実際に流れていて、演技の助けになりました。 小津安二郎の影響 ──戦争やパンデミックなど暗いニュースが多いなか、平山の穏やかさや謙虚さは世界をやさしく照らすようだ。いまなぜ、こうした物語を描いたのだろう? ヴェンダース:パンデミックを経て新しい時代の始まりを感じ、それにふさわしい作品を作りたいと思っていました。そんなとき東京に来て、日本の方々が公園など公共の施設を大切にし続けていることに心を打たれたんです。ヨーロッパではパンデミック後、公共の場でよい振る舞いをしようという心が失われてしまったんです。そのときに平山さんという人物を思いつきました。こういう方が本当に存在するかはわかりません。でも役所さんが演じてくださったおかげで、僕はいま平山さんが絶対にいると信じている。たぶんみなさんもそう思ってくださると思います。 役所:実際には公共の場を汚す日本人もいるので耳が痛くはありますが(苦笑)、でも監督や世界の人たちが日本人をそう思ってくれているのはやはり嬉しいですよね。 ヴェンダース:たしかにちょっと理想化しすぎているかな、と思うところもありますが、これは敬愛する小津安二郎監督の影響が大きいかもしれません。平山という名前は「東京物語」での笠智衆さんの役名なんです。それだけでなく小津の遺作「秋刀魚の味」での役名も平山です。ある種、彼らのレガシーを引き継ぐ思いも込めました。 日本という国の高潔さ ──ヴェンダース監督は1983年に来日し、小津を探す旅を記録した「東京画」(85年)で笠智衆さんにインタビューしている。「夢の涯てまでも」(91年)では役者として起用した。 役所:僕は俳優になりたての頃、「笠智衆さんのような俳優になりたい」と言い続けていたんです。平山という人物はたしかに笠智衆さんを彷彿とさせます。どこか清潔さを感じさせるというか、ある種、日本人を代表するキャラクターなのかもしれません。 ヴェンダース:日本という国の高潔さ、みたいなものを体現していると感じます。 ──ところで17作品のトイレのなかで、どれがお気に入りだったのだろう? ヴェンダース:選ぶのは難しいですが安藤忠雄さんの「あまやどり」、コンクリートの扱い方が素晴らしい片山正通さん(Wonderwall(R))の恵比寿公園トイレ。そしてやっぱり楽しいのは坂茂さんの透明なトイレかな。ちょっと勇気がいるかもしれませんが信頼すれば、安心して光に包まれるような体験ができるんです。用を足さなくてもちょっと考え事をするのに最適だと思います。実際、僕もそこに座って次のカットについて考えたりしました。 財布が返ってくる国 役所:僕は赤が印象的な「TRIANGLE」。実は作者の田村奈穂さんを子どもの頃から知っているんです。巨匠たちのなかで一番若手でもあり、今後が楽しみな作家だと思います。 ──映画には昭和の雰囲気漂う飲み屋やアナログレコード店など、どこか懐かしい風景も映る。監督にとって久しぶりの東京は変化していたのだろうか? ヴェンダース:憶えている風景を見つけることは難しかったです。スカイツリーの建築中を全く見てなかったので「え? こんなのなかったよ? いつの間に!?」と思ったり(笑)。東京は変化し続ける街です。同時にとても人が住みやすい都市だと思います。街の中で安心して浮遊するように移動できる。パリやローマ、ベルリンではそんなことはあり得ません。常にポケットに気をつけていなければならない。特にローマは危ない。バイクが横を通ったらもうバッグがなくなります。東京は本当に驚くほど安全を感じます。 役所:たしかに財布を落として返ってくる国は日本以外にあまりないかもしれませんね。まあ、すべては返ってこないかもしれないけれど。 ヴェンダース:でも奇跡はいろんなところで起こるものです。東京は奇跡の数が多い街だと僕は思っています。 役所:世界にそう思っていただけるように、我々もより良いところを目指さないといけないですね。 (構成/フリーランス記者・中村千晶) ※AERA 2023年12月25日号
役所広司
AERA 2023/12/23 16:00
「deleteC」や「注文をまちがえる料理店」の仕掛け人・小国士朗の企画の立て方
「deleteC」や「注文をまちがえる料理店」の仕掛け人・小国士朗の企画の立て方
小国の「deleteC」は世界的に注目されており、11月には韓国の国際婦人科癌学会に招かれ基調講演をおこなった(撮影/伊ケ崎忍)    もし「がんを治せる病気にしたい」と持ち掛けられたら。「高齢者とサッカーをかけあわせたい」と相談されたら。小国士朗はそんな相談を持ち掛けられた時、斜め方向から企画を立ち上げる。人の営みが感じられる、温かいアイディアばかりだ。世の中の役に立つと分かっていても、人は簡単には動けない。でも、人が動きたくなる仕掛けがあれば、社会は変わっていく。 *  *  * 千人を超える聴衆を前に、小国士朗(おぐにしろう・44)は、自身の活動「deleteC(デリートシー)」について、語り始めた。11月5日、韓国・ソウルの大ホールには、約120カ国から国際婦人科癌学会に所属する医師たちが集まっていた。  小国を推薦したのは、現学会長で婦人科系がんの専門医として名高い藤原恵一。藤原は「deleteCの話を世界中の医師や研究者に聞かせたい。その話はきっと彼らの希望になるはずだから」と、躊躇(ちゅうちょ)する小国を舞台へと引っ張り出した。  小国はまず、自身の団体の説明から始めた。 「deleteCは『みんなの力で、がんを治せる病気にする』ことをミッションに掲げ、2019年に発足しました。deleteCの『C』は『Cancer』(がん)の頭文字。その『C』を消す=deleteする、様々なアクションを通じて、がん治療研究を応援しようという活動をしています」  壇上の大画面にはサントリーの「C.C.レモン」のペットボトルの画像が映し出される。CCの文字が斜線で消されたボトルデザインになっている。 「ご覧の通り『C』がデリートされています。もちろん普段は『C』は消されずに売られてます。これは、企業が期間限定、数量限定でつくってくれた特別なパッケージです」  そして、小国はこう続けた。 「『C』のつく商品や企業名からCを消した特別な商品を製造販売してもらい、消費者がそれを買うと、売り上げの一部ががん治療研究の寄付につながるという仕組みです」  企業がCを消した商品を販売するだけでなく、Cの入った商品を購入し、Cの文字を消した写真をスマホで撮り、「#deleteC大作戦」とハッシュタグをつけてSNSに投稿すると、1投稿あたり100円の寄付が連携企業から支払われるという仕組みも披露。「このアクションは毎年9月に行われ、1カ月間に数万人が参加し、1500万円以上の寄付が集まるまでになっている」と小国は補足した。 国際婦人科癌学会での基調講演。前年度の講演者はモデルナのCEO。NPOの代表が講演するのは異例中の異例だった。講演終了後、出席していた医師たちから、質問攻めにあった(撮影/伊ケ崎忍)   一枚の名刺を見た瞬間「deleteC」を思いつく  小国はこの国際会議をこう振り返る。 「医療者は、市民を巻き込んで、自分たちのやっていることを伝え、理解をしてもらい、広げたいと思っているけれど、なかなかそれができないという悩みを抱えている。そんなときに日本でCを消して子どもからお年寄りまで参加しているアクションがある。しかも、がんと関係ない人、企業が巻き込まれてやっているということで僕は呼ばれたんだと思う。Cを消すというシンプルなアクションだったから人々が動きだしてくれた、軽やかな一歩が大切だと伝えました」  きっかけは2018年、がんを患う友人の中島ナオからこう相談されたことだった。 「小国さん、私はがんを治せる病気にしたい。何かアイディアを考えてほしい」──。  しかし、医療の素人である小国に簡単にはアイディアは降ってこない。  そんなある日、中島が昨日こんな先生と会ってきたと一枚の名刺を小国に差し出した。 「MD Anderson Cancer Center」に勤務する日本人医師の名刺だった。  その名刺を見た瞬間、小国は「ナオちゃん、これだよ!」と叫んでいた。  名刺の「Cancer」の部分だけが赤い線で消されデザインされていたのだ。  小国は、ああ、Cという文字を消せばいいんだ、と思うと同時に、商品名や企業名が次々と浮かんできていた。「deleteC」誕生の瞬間だった。  テレビディレクターからキャリアをスタートさせた小国だが、実は大学3年のとき、知人とインターネットテレビの会社を立ち上げる準備をしていた。現在のユーチューブのようなメディアで、仙台のストリートミュージシャンたちのプラットフォームをつくろうとしたのだ。 「その頃、僕は引きこもりに近く、日がな一日部屋でゲームをやっているような感じで、親指には、コントローラーのくぼみ痕ができるほどだった。生きてはいるけど、社会的には死んでいる状態。このまま無表情にゲームをやり続けていちゃダメだと突然スイッチをバンと入れたんです」  小国は一気に全力を投じ始める。 「当時、仙台にはストリートミュージシャンがめっちゃいたんです。素晴らしいけど、でも知られてない。その若い人たちの短い動画をつくってインターネットにあげたら、面白いんじゃないかと思ったんです」 サミットストア122店舗で展開した「deleteC」大作戦。日清食品やサントリーなど6メーカーが参加した。写真は店舗をあげて売り場を作り込んだ「篠崎ツインプレイス店」店長・杉浦剛と(撮影/伊ケ崎忍)   起業した仲間が持ち逃げ 急遽NHKの門を叩く  しかし、ある日、共同代表の相方が金を持ち逃げし、計画は瓦解(がかい)。小国の手もとには、1200万円の借金だけが残った。  起業して暮らしていこうと考えていた小国は、急遽(きゅうきょ)就職活動に打って出る。だが、すでに就活は終盤で、小国は唯一まだ可能だったNHKの門を叩(たた)いた。起業に失敗したエピソードを面接で話し、それも奏功したのか、小国は狭き門を突破した。  小国は新人ディレクターとして山形放送局に配属され、最初に「3分企画」と呼ばれるローカルリポートを任された。企画から編集までを自ら行う番組だった。  入局して3本目に撮ったのは、地方競馬を扱ったリポートだった。  小国は当初、あと2勝すれば日本最多勝となるセントアトラスという馬を主題に据えていた。しかしその後、馬が所属する山形の上山競馬場そのものがなくなる、という話を耳にした小国は、「地方競馬のなくなる日」というテーマに切り替えて、厩務(きゅうむ)員一家の最後の一日を追うこととする。  しかし、思い通りにはいかない。取材当日になって、「ごめん、母ちゃんにダメって言われた」と対象者から拒まれてしまうのだ。必死に説得しても覆らない。残りあと6レースとなって、雨も激しく降り出してくる。もはや自分にはどうにもならないと判断した小国は、デスクに電話を入れ、状況を説明した。  説明を一通り聞いたデスクから返ってきた言葉は、思いもしないものだった。たった一言、「で?」と返してきたのだ。  小国が振り返る。 「自分としては、デスクから、『わかった、じゃあ、この企画は飛ばそう』と言ってほしかった。3本目で経験もないし、十分苦労はしたし、もう飛ばしてほしいと思っていたんですね」 「別を当たります」と電話を切った小国は、全厩(きゅうしゃ)舎を回って、新たな取材対象者を探しにかかる。すると、事情を聴いた若い厩務員が引き受けようと手を挙げてくれた。その直後、その厩務員の大切にしている馬がレースに出ることになっていることがわかり、小国はあわててカメラスタッフに指示して、そのシーンを収めることができた。 サントリーウエルネスでの会議。Jリーグの4チームでスタートした「Be supporters!」は、同社推進のもと広がり続けている(撮影/伊ケ崎忍)    以来、小国は、勝手にストッパーを利かせようとした場面では、いつも、この“で?”を自身につきつけるようになる。  山形放送局に着任してほどなく、小国は、倉庫にあった「クローズアップ現代」や「NHKスペシャル」など過去のドキュメンタリー映像を毎日片っ端から見ていった。ただ見るだけでなく、カット割りを書き写し、ナレーションを書き出し、自分の心が動いたところにマーキングする。酒も飲まず、仲間ともつるまず、温泉にも行かず、ひたすら毎夜倉庫のビデオを憑(つ)かれたように精査した。ドキュメンタリーの醍醐味(だいごみ)にいったん気づいてしまった小国はただ突き進むだけだった。 心臓病でドクターストップ PRの仕事で高い評価  5年半後、東京に異動となった小国が最初に担当したのは、「クローズアップ現代」。続いて小国は、人物ドキュメンタリー「プロフェッショナル 仕事の流儀」のチームへと移っていく。  4年半の「プロフェッショナル」担当中、制作したのは6本。その中の1本に「介護福祉士 和田行男の仕事 闘う介護、覚悟の現場」がある。  和田行男は、できることは利用者が自分でやれるよう支援し、その人の気持ちや能力を引きだしながら手だてをとる福祉施設をつくってきた。  そんな和田の施設に小国が飛び込んできたのは、2012年のことだった。  1カ月半、小国は和田と利用者に密着し、その言葉を拾い続けた。和田が言う。 「『僕は和田さんともっと早くに出会って介護を知ってたら、こっちへ来てたかもしれない』と言うから、『何でだ』って聞いたら、『いやあ、介護はクリエイティブですね』と。多彩、多様であることが僕にとっての“面白い”の基準なんだけど、小国さんはたくさんの色を持っていた。アイデンティティーもあるし、世の中で何が大事かを見抜いていく力もあるとそのとき感じました」  その後も、小国は全力で番組制作に没入し続けるが、和田と会った翌年の春、突然、ディレクター業に終止符が打たれる。心臓病を発症したのだ。 「ロケに行って、編集やって、自分としてはやりがいのある、めっちゃ楽しい作業だったんですけど、ドクターストップがかかってしまった」 小国の名刺には肩書がない。「名刺交換をして、ディレクターとかエグゼクティブなんとかと書かれていると、なんとなくわかった雰囲気になっちゃう。それが嫌だな、気持ち悪いな、自分が独立するときには肩書を入れるのはやめようと思った」(撮影/伊ケ崎忍)    身体に負担のかかる現場から外れたディレクターの人生は、急カーブを描いて新たなベクトルへと向かっていく。吐き出すアイディアが次々とユニークな形となって社会に放たれていくのだ。  ちょうどその頃、電通PR局との間で社員の交換研修が行われることになり、小国は自ら手をあげる。そこから生まれたのが、「北島三郎づくしの36(さぶろう)パターンPR動画」だった。“電通の小国”がNHKに営業をかけてとってきた案件である。最後の紅白歌合戦を終えた北島三郎の番組をPRするというものだ。ロケは1日だけ。5カットを撮るのが精一杯だったが、その5カットにイラストを入れたりして、実に36パターンの映像をつくりあげたのだ。これが高く評価された。  NHKに戻り、最初に依頼されたのは、「プロフェッショナル」の10周年に際してのPRだった。  小国が出してきた答えは、「プロフェッショナル 私の流儀」というアプリだった。アプリに自身で撮った映像を入れれば、スガシカオのテーマ曲とともに、誰でも簡単にプロフェッショナルと同じフォーマットで主人公になれるという仕組みだ。が、これに対しては本当に成功するのかなど、局内からの抵抗が強かった。 「『じゃあ、何万ダウンロードされたら成功って言ってくれるんですか』と聞いたら、番組関連のアプリで過去最高が10万だから、15万と言われた。そしたら、3日で15万、1カ月で100万ダウンロードを突破した。心の中でガッツポーズをしてました」  予算もなく、人もおらず、アイディアだけで勝負するというスタイルは、この後も変わらない。 認知症の人々が働く「注文をまちがえる料理店」  小国の存在が一気に知られるようになるのは、「注文をまちがえる料理店」を開いてからだ。先の和田の施設で昼食時に起きたハプニングがきっかけだった。施設では、入居者たちが自ら食材を買い、調理する。取材で訪れていた小国たちは、その御相伴にあずかったわけだが、献立はハンバーグだったのに、出てきた料理は餃子(ギョーザ)だったのだ。ひき肉を使うところが一緒なだけ。しかし、その場にいる全員が何も言わず平然と食べている。 「『餃子やないか!』と誰かがつっこむだろうなと思っていたら、みんな黙って美味しそうに穏やかににこにこと食べている。衝撃的でした。でも、本当にいい風景だなあと思ったんです」  小国の頭からはこのときの原風景が消えず、のちに認知症の人々がホールスタッフとして働く「注文をまちがえる料理店」を実際に立ち上げてしまう。「その場にいる人すべてが間違いを受け入れれば、間違いってなくなる。社会にとってはそのほうが幸せなこともあるのではないか」と気づいたからだ。このユニークな料理店の情報はまたたく間に世界150カ国以上に発信され、いまでも問い合わせが途絶えない。 (文中敬称略)(文・一志治夫) ※記事の続きはAERA 2023年12月25日号でご覧いただけます。
現代の肖像
AERA 2023/12/22 18:00
ストレス過多時代を生き抜くために。日常習慣に取り入れたいGABA(ギャバ)成分を知る
【PR】ストレス過多時代を生き抜くために。日常習慣に取り入れたいGABA(ギャバ)成分を知る
 日本はストレス大国といわれ、特に働き盛りの「現役世代」にとってストレスは付いてまわるもの。職種によっては強いストレスと向き合う人たちもいる。江崎グリコが全国の20代から60代の働く男女500人に、ストレスとの向き合い方について調査(※1)した結果、見えてきたものとは。ストレスに未然に備える有効な方法はあるのだろうか? ストレスとうまく付き合えていると自覚する人は半数しかいない  人がストレスを感じる大きな要因として、人間関係が挙げられることが多い。働く人の悩みを数多く取り上げてきた雑誌『AERA』でも、人間関係にまつわるストレスについてはしばしば登場する。ストレスにまつわる過去数年の主な見出しをまずは見てみよう。 『私のことはスルーして 仲間内SNSで“リアクション待ち”されるストレス(2023年4月17日)』、『管理職は“つらいよ” 「なりたくない6割」時代(2023年3月27日)』、『「理不尽」には負けない カスタマーハラスメントの「現状」と分析(2022年8月29日)』、『募るイライラ、距離と理解を 子育て・孫育て、両親と祖父母の関係(2022年8月29日)』、『憩いの時間を奪わないで! 「会話クラッシャー」にご用心(2022年7月25日)』。  内容を見てみると、対人関係、中でも特に仕事におけるプレッシャーが強く、日々ストレスを抱え、悩む現代人の姿が浮かび上がってきた。  実際、江崎グリコ株式会社が2022年に行った「ストレスとの向き合い方実態調査」で、20代から60代の働く男女500人を対象としたストレスとの向き合い方に関する調査の結果、4人に3人が「ストレスを感じる」と答えており、ストレス要因TOP3は「仕事」、次いで「お金」「感染リスク」だった。半数以上がストレスの要因として「仕事」をあげているが、ストレスを感じるエピソードを聞くと、仕事での理不尽な要求がストレスの要因となることが多く、業種や職種ならではの苦労も垣間見えてくる(図参照)。  ストレスを感じている人に、実際にストレスとうまく付き合えているかと訊くと、「付き合えている」と答えたのは56.6%にとどまった。ストレスを未然に防ぎたいかと訊くと、85.2%が「未然に防ぎたい」と答えたものの、ストレスを未然に防ぐ行動が「できている」のはおよそ3人に1人という結果になった。未然に防ぐ行動ができている人のストレス対策は「睡眠」「運動・筋トレ・ストレッチ」「旅行やドライブ」の順となった。  またこの調査で「仕事を進める上で、ある程度のストレスや緊張感は必要だと思う」と約7割が答えており、適度なストレスは必要だが、過度なストレスをためないように、ストレスとうまく付き合うことが求められているといえる。  ストレスとうまく付き合っていくために注目してほしいのがGABA成分だ。カカオや野菜(トマトやケール、パプリカなど)、果物(メロンやブドウ、バナナなど)、乳酸菌発酵製品(漬物やヨーグルトなど)などに含まれている成分で、「名前だけは知っている」という人も多いだろう。江崎グリコで長年研究している松川広輝さんに話を聞いた。 教えて!江崎グリコの研究員さん! 「GABA成分とは、γ-アミノ酪酸(Gamma Amino Butyric Acid)の略称で、アミノ酸の一種です。主な働きは、興奮状態を抑えて精神を安定させるといった神経の抑制です。成分自体は昔からあるもので、自然界に広く存在しています。例えばカカオやトマトをはじめとした野菜や漬物などにも含まれているんですよ」  名前からは人工的なイメージもあるGABA成分だが、天然に存在する成分なのだ。 「GABA成分は血液脳関門を通らないことは分かっていますが、小腸から吸収されて血流に乗り、自律神経の末端に作用し、自律神経のバランスを整えるよう働きかけると考えられています。ご存じの方もいるかもしれませんが、人間の体は交感神経が優位になると身体の活動が活発になったりします。反対に、副交感神経が優位になると、心身がリラックス状態に。それがストレス低減につながるといわれる理由です」 江崎グリコ株式会社 研究員の松川広輝さん  また、GABA成分の摂取がストレス低減につながる理由には、ストレスと睡眠の関係もあるという。 「そもそも、人の体は夕方から徐々に副交感神経が優位になっていき、リラックスした状態で眠りにつきます。しかし、残業で遅くまで仕事をしていたりすると、なかなか自律神経のスイッチが切り替わらず、夜更かしをしてしまいます」  その結果、翌朝はシャキッと目覚めにくく、頭も体もスッキリしない状態で出社することになる。すると、仕事が思うようにはかどらない、イージーミスが増えるなどが起き、ストレスへとつながるのだという。 「江崎グリコに限らず、これまでに様々な企業や機関で行われてきた研究からも、副交感神経が優位になってリラックス状態になると、質の高い睡眠がとれることが分かっています。当社で行った『睡眠の質とGABA成分』の関係を調べた研究からも、GABA成分を摂取することで、副交感神経の働きを高めることが分かっています。ほかにも、GABA成分は認知記憶力、ワーキングメモリにもプラスの影響を与えるといわれていますし、正常な範囲内での血圧低下にも期待されています」 「交感神経が優位だと体が興奮状態になりやすく、イライラなどから仕事や勉強に集中しにくくなる傾向があります。また、興奮状態では血圧も上がりやすい。反対に、副交感神経が優位になって心身がリラックスすると、集中力が高まって仕事や勉強がはかどり、血圧も落ち着きます」 研究結果から分かったGABA成分の効果  睡眠とGABA成分との関係以外の実証実験の事例もある。 「人が吊り橋を渡るときに、GABA成分を摂取していたらストレス値は変わるのかを測定する調査では(※2)、20代から50代の男女12人に、GABA成分を摂るチームと摂らないチームとに分かれて、奈良県十津川村にある“谷瀬の吊り橋”(長さ297m、高さ54m)を渡ってもらう実験です」  実験方法は、吊り橋の出発前・中間地点・到着後の3つのタイミングで唾液を採取し、唾液中のクロモグラニンA(ストレスマーカー)の量を計測して、ストレス度合いを調べるというもの。  GABA成分を摂らなかったチームは、もっとも橋が揺れる中間地点で強いストレスを感じ、GABA成分を摂ったチームは、落ち着いた状態で橋を渡り切った。この調査から「GABA成分を摂取すると、ストレスから来る神経の高ぶりを抑えられることが分かります」と話す。 「個人差はありますが、GABA成分は摂取後30~120分で神経のバランスに働きかけるといわれてます。大事な仕事の前などには28mg、夜ぐっすり眠りたい時は100 mg摂取することが推奨されています」 「現在でも様々な角度からGABA成分は研究されています。次はどんな研究結果が出てくるのかと、毎回楽しみにしています」 (松川さん)  充実した毎日を送るには、GABA成分をうまく摂ることを習慣にしたいと松川さん。 「GABA成分は、非常にポテンシャルの高い成分です。江崎グリコの研究所では、ストレスを未然に防ぐ一助になるとも考えています。今後もGABA成分の研究開発を進め、忙しい現代人をサポートし続けていきたいですね」  まさにGABA成分は、ストレスを低減したい現代のビジネスパーソンの味方。仕事や勉強で高いパフォーマンスを発揮したい人はもちろん、毎日スッキリとした気分で過ごしたい人は、ぜひGABA成分に注目してみよう。   松川広輝さん 江崎グリコ株式会社 栄養菓子・補食事業部 商品開発部 「GABA成分は現代人を支える優秀な成分なので、ぜひ日常に取り入れていただいて、充実した毎日を送っていただきたいですね」   ※1「ストレスとの向き合い方実態調査」 調査概要 ●調査時期:2022年8月8日(月)〜8月9日(火) ●調査手法:インターネット調査 ●調査対象:全国の 20 代〜60 代の働く男女 500 人 ●実査委託先:楽天インサイト ※2 GABAストレス研究センターによる「吊り橋を渡るときのストレスを、現代社会において避けることのできないストレスに見立て、GABAのストレス緩和効果について検証」を行った実験結果より ●調査時期:2016年 ●調査手法:奈良県吉野郡十津川村・谷瀬の吊り橋(長さ297m、高さ54m)で実施 ●調査対象:20代から50代の男女12人
2023/12/22 12:49
【2023年下半期ランキングエンタメ編1位】<独自>pecoが明かすryuchellと最後のやり取り「私は救われました」 家族にだけ見せていた姿とは
吉崎洋夫 吉崎洋夫
【2023年下半期ランキングエンタメ編1位】<独自>pecoが明かすryuchellと最後のやり取り「私は救われました」 家族にだけ見せていた姿とは
pecoさん(撮影/写真映像部・東川哲也)  2023年も年の瀬に迫った。そこで、AERA dot.上で下半期に読まれた記事を振り返る。エンタメ編の1位は「【独自】pecoが明かすryuchellと最後のやり取り『私は救われました』 家族にだけ見せていた姿とは」(9月30日配信)だった。(※肩書年齢等は配信時のまま) *  *  *  AERA dot.で「peco & ryuchellの子育て日記 新しい家族のかたち」を連載してきたryuchellさんが7月12日に亡くなってから、約2か月半が過ぎた。四十九日を終え、pecoさんがAERAdot.編集部のインタビューに応じてくれた。深い悲しみが残るなか、一つの区切りをつけ、これから仕事も再開していくという。AERA dot.での連載も10月から再スタートする予定だ。  本格的な活動再開を前に、ryuchellさんへの心境や、5歳になった息子の受け止め、ryuchellさんとの最後のやり取りなどについて語った。〈前編〉 ――ryuchellさんが亡くなる直前の様子はどうだったのでしょうか。  私と息子は7月からサマースクールでグアムにいました。11日が息子の誕生日で、数日前にryuchellも日本から来てくれました。前日の10日は息子も学校をお休みして、3人で一緒にお出かけして遊んで、お祝いしたんです。  11日は息子を学校に送り出してから二人で朝ご飯を食べに行って、本当にいつもと変わらないような時間を過ごしました。  このとき息子の話とか、くだらない話とかたくさんしたんですが、ryuchellはこれからのことも語っていました。「心理学の勉強をしたい」って。  実はryuchellは去年の8月にカミングアウトをしてから、「心理学を学びたい」と言っていたんです。「自分と同じように悩んでいる人を助けたい」と言っていました。  ただ、具体的に調べたら、大学に行く必要があったりして、「時間もないし、資格をとるのは難しい」となって、話が止まっていたんです。     pecoさん      だけど、私のママ友が「小学校を作って、校長先生になる」と言っていたという話をしたら、刺激を受けたみたいで、「一回諦めたけど、心理学を勉強したい」「勉強の仕方を考える」って言っていたんです。私も「いいやん!」と後押ししました。  そのあと空港までryuchellを見送りました。ryuchellは本当にフランクに「じゃあね、バイバーイ」という感じで、あっさりと帰って行きました。私と息子はあと10日ほどグアムにいる予定だったので、「しばらく会えないんだから、もっと別れを惜しみーや」って思うくらいな感じでした。  空港に送って1時間後くらいに、ryuchellから電話がかかってきて、そのときも普通に話したんです。ryuchellに振り込め詐欺の電話がかかってきたということでした。  ネットで調べると同じ手口があって、明らかに詐欺だったので私が「もう電話に出ないでいいよ」と言って、ryuchellも「なんでこんな電話かかってくるの、ヤダー」みたいな感じでした。「しつこく電話がくるようなら、警察にいこうか」なんて話していました。電話で話したのは、これが最後でした。  その日の夜中にも私にLINEでメッセージがきて、「起きてる?」って。私も「起きてるよ。どうしたん?」って返しました。そしたら「グアム楽しかった。ありがとう。○○(息子の名前)大丈夫?」って来ました。「りゅうちぇるも来てくれてとっても喜んでいたよ。私たちをグアムに行かしてくれてありがとう」と返しました。ryuchellから「楽しんでね。おやすみ」と来て、私も「おやすみ」と返しました。  ryuchellが亡くなったのは、この後です。 pecoさん(撮影/写真映像部・東川哲也)    あとからわかったことですが、ryuchellが最後に連絡をしてくれていたのが私でした。最後に私たち、息子のことを心配し、連絡をくれたんです。この事実に私は救われました。この事実があるから、私は最後にryuchellに対して「ありがとう」と言えたと思います。いまこうやってお話することもできたと思います。  ryuchellがグアムに来たのは「これを最後にしよう」と思ってきたわけではないと私は自信をもって思えます。「心理学をやりたい」と言っていたのも本音だったし、空港で「バイバーイ」とお別れしたのも、普通でした。私にかかってきた最後の電話も、いつものryuchellでした。  気づくことができませんでしたが、最後のLINEはryuchell的には最後だと思って、連絡して来たのだと思います。  遺書はありませんでした。その瞬間、ryuchellがどういう心境だったのか、何を考えていたのか、なぜその選択をしたのか、私たちにはわかりません。 ――昨年8月に婚姻解消をした際、インタビューで「ryuchellが壊れかけていた」という話もありました。その後はどういう様子だったのでしょうか。ryuchellさんに対して批判の声がありましたが、思い悩んでいるようなことはあったのでしょうか。  どちらかというと、私は強い人間ですが、ryuchellは傷つきやすいというか、繊細な人間だったと思います。  ryuchellは自分のセクシャリティの問題を発表して、すっきりしたところもあったと思います。ありがたい応援のお声もたくさん届いていました。 ryuchellさん      この半年間のryuchellはとても解放されて、私から見ても変化がすごかったです。見た目が変わって、とてもキレイでカワイイ女の子という感じでした。  私もそれを見ていてとても嬉しかったし、ryuchellもなりたい自分になれて、褒めてくれる人がたくさんいて、とても幸せだっただろうなと思います。  ただ、その裏では思い悩んでいるryuchellの姿もありました。この1、2年は感情の起伏が激しいときがありました。  だけど、息子の前ではそういった姿を見せず、しっかりとした”ダダ“(パパ)でいてくれました。感情を爆発させるにしても、それは私と二人きりのときで、息子の前ではそういった姿を見せることはありませんでした。  声を大にして言いたいのは、ryuchellはしっかりと親をやっていたということです。「ryuchellが育児放棄をしている」などという声がありましたが、私はすごく悔しかったです。私は反論したかったですが、ryuchellに「何も言わないでほしい」と止められました。  確かにryuchellはこの半年間、本当に女の子になっていました。以前は私の代わりに退治してくれていた虫を退治できないくらいに。だけど、息子から「肩車してほしい」と頼まれたら、いつも喜んでしていました。あの可愛くいたい女の子のryuchellなら「できない」って言いたかったと思うけど、一回もそうは言わなかったです。  それは息子の前では親としてやっていくという覚悟だったんだと思います。息子の中では最後まで「楽しいダダ」「大好きなダダ」でした。グアムで息子の誕生日会をして3人で撮った最後の写真をいま自宅で飾っていますが、息子はそれを見て「最後にお誕生日会ができて良かった」と言っていました。それはryuchellが最後まで親として振る舞った結果なんだと思います。 グアムで息子くんの誕生日を祝うpecoさんとryuchellさん   息子くん(左)と愛犬アリソンとryuchellさん   ――ryuchellさんに対して、どういったお気持ちをもっていますか。  12日の夕方にマネージャーさんからこのことについて連絡を受けました。そのときは、「なにしてんねん、ばかやろう」という強い感情が湧きましたが、最初だけでした。その後はどちらかというと冷静でした。  冷静になれたのは、グアムで出会った家族の方のお蔭です。夕方に連絡がきて、私もひどいショックを受けましたが、その方たちが朝まで私に付き添ってくれて。「いまが一番頑張るとき」と励ましてくれたのが本当にありがたかったです。「息子を守ることだけを考えよう」と思えました。  朝ご飯におにぎりをつくってくれて、飛行機も手配してくれて、空港まで送ってくれて、すぐに息子と日本に戻ることができました。私ひとりではここまでできなかったと思います。  ryuchellに対して「アホやなぁ」とは思いますが、責めるような思いはないです。私はこれまで本当の愛をくれたryuchellに感謝しています。息子に出会わせてくれたことに感謝しています。(後編に続く) (構成/AERA dot.編集部・吉崎洋夫) 【後編はこちら】 【独自】pecoが語る ryuchell急逝後の心境「息子の強さで一緒に乗り越えていける」 https://dot.asahi.com/articles/-/202662 【ryuchellさんの遺稿を公表します】 ryuchell遺稿「多様な価値観を互いに認められる社会になってくれれば」最後に連載で伝えたかったこと https://dot.asahi.com/articles/-/202685    
ryuchellpeco2023下半期ランキング
dot. 2023/12/22 11:00
【2023年下半期ランキングライフ編3位】「なぜか家に帰るとイライラする……」 そんな私を救ったのは“片づけ”だった
西崎彩智 西崎彩智
【2023年下半期ランキングライフ編3位】「なぜか家に帰るとイライラする……」 そんな私を救ったのは“片づけ”だった
散らかってはいないけれど落ち着かないリビング/ビフォー  2023年も年の瀬に迫った。そこで、AERA dot.上で下半期に読まれた記事を振り返る。ライフ編の3位は「『なぜか家に帰るとイライラする……』 そんな私を救ったのは“片づけ”だった」(10月11日配信)だった。(※肩書年齢等は配信時のまま)  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 case.53  家と向き合うことは自分や家族と向き合うこと 夫+子ども1人/看護師 「家の中がモノであふれて落ち着かない」「散らかっているから、探しものばかりでいつもイヤな気分になる」  家庭力アッププロジェクト®に参加される方の大半は、このようなお悩みを持っていらっしゃいます。  でも、今回ご紹介する女性は少し違いました。  片づけ前の家の様子を見ても、リビングやダイニングの床にモノがない。使うモノがきちんと収納スペースに収まって、スッキリしている。何が彼女を悩ませているのでしょうか? 「昨年、娘が受験のときにすごくイライラしていたんです。今とは人格が違うみたいに、娘に大きな声で怒鳴ったりしていました」  もともと家が散らかっていると落ち着かない彼女は、家の中をなるべくきれいに保っていました。でも、娘が塾から持ち帰る大量の資料やプリントにうんざり。やっと受験が終わったと思っても、イライラが止まりません。 「娘もあまり片づけが得意ではないので、私が仕事から帰ってくると、ゴミや教科書が置きっぱなしなんです。それを見て、『ただいま』と言う前に『片づけなさい!』と怒っていました」  片づけが終わってから「学校はどうだった?」と話しかけても、娘は「別に」とそっけない返事。それがまた彼女をいらだたせます。娘からすると、「おかえり」も言ってないのに怒られたのですから、しかたないことかもしれません。 「4月から夫が仕事で不在にすることが多くなり、娘と2人きりの時間が増えました。そうすると、どんどん娘との関係が悪化するのではないかと怖くなって……」 ソファを部屋の中心にゆったりくつろげる空間に変身/アフター    彼女は、家がだんだん散らかっていると自分の心に余裕がなくなってしまうことはわかっていました。でも、本当の問題はそれだけではない気もしています。悩んでいたある日、家庭力アッププロジェクト®の存在を知りました。 「これだ!と思ったんです。当時はモノが多くて部屋がごちゃごちゃしていたので、片づけを通して私のモヤモヤも晴れると思って参加を決めました」  あまり散らかっていない家でも、彼女がずっと「いつか片づけないと」と気にかけていた場所があります。「いる・いらない」の判断を後回しにしたモノをなんでも放り込んでいた納戸です。  納戸を片づけていると、昔の同僚やお世話になった人からもらった手紙と写真が出てきました。そこに書かれていた「いつもあなたの笑顔に救われました」という言葉を見て、彼女はハッとしました。 「私、どんな顔をして笑っていたのか思い出せなかったんです。当時の写真を見ながら、鏡の前で同じ顔をしようとしてもできなくて、涙が止まらなくなって……」  娘と笑顔で写っている写真を、リビングに飾りました。すると、娘はその写真を見るなり、「そう!ママってこういうイメージだったよ!」と。彼女は、この頃の笑顔を取り戻そうと誓いました。  さらに、片づけのおかげで自分のイライラの原因が判明します。  プロジェクトでは、自分の片づけたい気持ちを家族に強要しないということを学びます。同じ家を使う家族であっても、片づけに関して同じ気持ちだとは限りません。家族の気持ちを尊重することの大切さを感じたとき、彼女は気づきました。 「片づけ始めたら、私はずっと娘をコントロールしようとしていたんだとわかりました。『こうしたらいいのに』『なんでこうしてくれないの』と、娘に求める気持ちが強かったんです」  娘には娘の気持ちがある。自分がコントロールしようとしてはいけない。このことに気づくと、彼女の心は軽くなっていきました。  そして、娘にリビングはどんな空間にしたいのか尋ねると、「ママと一緒にテレビを見ながら、おやつパーティーをしたい」という答えが返ってきました。 家の中で唯一散らかっている場所でモノを押し込んでいた納戸/ビフォー 「娘の答えを聞いて、そういう時間をしっかり取れるようにしようと、片づけのゴールを決めました。それまでは、家に帰ると立ちっぱなしで家事をして、娘と話す時間がなかったので」  リビングの家具の配置換えもして、片づけが完了しました。今では、夜に娘とゆっくり過ごす時間を作れています。  納戸も含めて、家中のモノの定位置を決めたので、散らかってもすぐに片づけられます。イライラすることもありません。娘も定期的に学校のファイルやロッカーを片づけるようになり、「整理すると気分がいい!」と言うほどになりました。 「片づけって、自分で考えて、自分で行動して、自分で答えを出すんですね。くり返しているうちに自分の気持ちも整理できたし、達成感もあって自信を持てるようになりました。このプロジェクトに参加して、自分の未熟な部分をたくさん知ることができて、成長した45日間でした」 棚の中を整理して床置きもなくなりスッキリ/アフター   「本当は娘の受験の前にこのプロジェクトを知りたかった!」と笑いながら話してくれる彼女が、怒鳴っていた自分に戻ることはもうないでしょう。  片づけることで得られる結果は、家がきれいになることだけではないのです。彼女は家の散らかり具合と自分の感情の起伏がつながっていることを自覚できたので、片づけという手段を選べました。でも、そのような自覚がなく、家もきれいなのに、なぜか毎日イライラしている人はたくさんいると思います。  自分や家族と向き合う手段の一つとして「片づけ」があるということを、もっと多くの方に知っていただきたいです。 ●西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・家族間コミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト?」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。NHKカルチャー講師。「片づけを教育に」と学校、塾等で講演・授業を展開中。テレビ、ラジオ出演ほか、メディア掲載多数。
AERAオンライン限定片付け
AERA 2023/12/20 17:00
【2023年下半期ランキングエンタメ編3位】伊原六花「ブギウギ」ハマり役でブレーク必至 元“バブリーダンス女子高生”が一気に売れたワケ
高梨歩 高梨歩
【2023年下半期ランキングエンタメ編3位】伊原六花「ブギウギ」ハマり役でブレーク必至 元“バブリーダンス女子高生”が一気に売れたワケ
伊原六花(写真:Pasya/アフロ)  2023年も年の瀬に迫った。そこで、AERA dot.上で下半期に読まれた記事を振り返る。エンタメ編の3位は「伊原六花『ブギウギ』ハマり役でブレーク必至 元“バブリーダンス女子高生”が一気に売れたワケ」(11月10日配信)だった。(※肩書年齢等は配信時のまま) *  *  *  NHK連続テレビ小説「ブギウギ」がスタートして約1カ月。物語の舞台は大阪から東京へと移ったが、前週の大阪時代に“二本柱”として、主人公・スズ子と梅丸少女歌劇団を盛り上げる秋山美月を演じた伊原六花(24)に注目が集まっている。タップダンスの名手としてキレのある踊りを披露し、凛とした男役を演じて芸達者な一面を見せつけた。SNSでも「タップダンスかっけー」「目線、姿勢、指先、ちゃんと男役だった」など、賛辞の声が多く上がっていた。  同作で男役の先輩・橘アオイ役として出演しているOSK日本歌劇団の翼和希も伊原の実力を高く買っている一人。情報番組で「私らは普段、お稽古を何年もやって舞台に立つんですけど、(伊原は)数カ月で仕上げてきはって。根性が素晴らしいと思います」(カンテレ「よ~いドン!」10月25日放送)と絶賛。「ホンマに自分らも見習わなアカンなと思いました」と刺激を受けていることを明かしていた。 「ドラマの制作統括者はインタビューで『お芝居もステキですし、度胸もあるので舞台でも映えるなと思いました』と起用理由を話していました。ドラマ公式のインスタグラムでは、舞台シーンの撮影時、舞台に足を踏み入れる前に立ち止まって、一礼していたというエピソードも。俳優としてのプロ意識がとても高く、まだ24歳とは思えません。これからドラマは東京に舞台が移りますが、新たなステージシーンもあるようなので、今まで以上に輝く秋山を楽しみにしている視聴者も多いのでは」(テレビ情報誌の編集者) 【こちらも話題】 菊地凛子「ブギウギ」ライバル役も好評 本格再始動で“悪役”の第一人者に躍り出るか https://dot.asahi.com/articles/-/205577 高校野球について語る伊原六花   小悪魔の女子大生役も好演  朝ドラで一気に名を上げた伊原だが、実は10月にスタートしたドラマ「マイ・セカンド・アオハル」(TBS)にも出演中だ。こちらの作品では、朝ドラとは真逆で、小悪魔的な女子大学生を演じている。放送後はドラマの関連ワードがX(旧Twitter)の世界トレンド1位になるなど、注目度が高い作品で存在感のある演技を披露している。 「『マイ・セカンド~』では、なにわ男子・道枝駿佑さん演じる主人公との近すぎる距離感や彼を翻弄する演技に、広瀬アリスさん演じるヒロインだけでなく、視聴者もドギマギさせられます。今までの役柄と違った伊原さんの演技はとても新鮮で、こんな役もできるんだと驚きました。髪をショートにしてから、大人っぽさも増してさらに役の幅が広がった気もします。伊原さんは10月公開のホラー映画『リゾートバイト』にも主演しているのですが、劇中のエビ反りシーンで見せた身体能力の高さが絶賛され、『CGだと思った』と共演者もうなったそうです」(同)   俳優の伊原六花=2021年6月、大阪市福島区    それもそのはず。実は伊原は全国優勝の実績があるダンスの強豪校・大阪府立登美丘高校ダンス部の元キャプテンなのだ。2017年「日本高校ダンス部選手権」で披露した、バブル時代を想起させる衣装とメークで、ヒット曲「ダンシング・ヒーロー」にのせて踊る“バブリーダンス”が社会現象になったことは記憶に新しい。これをきっかけに、出演オファーが舞い込み、同年末には、郷ひろみとの共演という形で紅白歌合戦にまで出場した。その後、大学進学を考えていたが、高校在学中に芸能事務所にスカウトされ芸能界の道へ進むこととなった。 【あわせて読みたい】 CM起用快進撃の今田美桜 人気のワケは「ちょうどいい」普通さ https://dot.asahi.com/articles/-/87841 和服姿もさまになる伊原六花(写真:つのだよしお/アフロ)   ゆくゆくは紅白の司会に!? 「伊原さんは実は子役出身。4歳からバレエを習い始め、子供ミュージカルにも出演していました。場慣れしているのはその影響もありそうですが、やはり高校時代の努力が生きているように思います。彼女が高2のとき、大会の出場メンバーに選ばれず、『初めて死ぬほど悔しい気持ちになった』とインタビューで回想していました。それから、1人でもひたすら練習をして、死ぬほど努力をしたと話していました。悔しさをバネに努力を惜しまなかったからこそ、今は芝居やダンスなどで豊かな表現力を発揮できているのだと思います」(週刊誌の芸能担当記者)  努力家で才能も確かな伊原だが、映画やドラマ以外でも需要が高まっているようだ。 「最近ではバラエティーでの活躍も目立ちますね。『ラヴィット!』では芸人顔負けの体を張ったロケにも挑戦して、『好感度上がった』という意見も多くありました。先日、『櫻井・有吉THE夜会』に出演した際も、キレキレのバブリーダンスを披露し、スタジオを盛り上げていました。大阪出身でノリもよく、すでにバラエティー班からも重宝される存在になっていますね。一方、10月末にNHKの歌番組『わが心の大阪メロディー』の司会を今田耕司さんとやっていたのですが、場回しが堂々としていたのも印象的でした。SNSでは『紅白の司会いけるんやないか』との声もあったほどです。昭和のアイドルのような顔立ちで、愛嬌(あいきょう)もあるので、年配層からの好感度が高いところもポイントです」(同) 芯にあるのは「体育会系」の強さ  伊原にインタビューをした経験のあるドラマウォッチャーの中村裕一氏は、彼女の魅力についてこう分析する。 伊原六花さん=2022年10月、東京都   「現在出演中の『ブギウギ』は、得意のダンスを生かせる、うってつけの役柄とあって、本人もかなり気合が入っているのではないでしょうか。主人公のスズ子の明るさとは対照的に、情熱を内に秘めたクールな表情がとても印象的です。また、かつて本木雅弘主演で大ヒットした映画の続編としてDisney+で配信中のドラマ『シコふんじゃった!』では相撲部の主将を演じ、元気でハツラツとした演技を見せています。3年ほど前の取材では、『ローストビーフ丼と親子丼が好き』と屈託のない笑顔で話してくれましたが、笑顔の中にも元キャプテンならではの凛とした芯の強さを感じました。ダンス部は一見、華やかに見えますが、たゆまぬ努力と積み重ねが求められる世界。彼女もそんな体育会系の雰囲気の中で、実直さや堅実さを身につけていったのでしょう。俳優としてまだまだ大きく飛躍する可能性を秘めていることは間違いありません」   持ち前のガッツと仕事に対するひたむきさで、24年は伊原の“おったまげー”な躍進が期待できそうだ。 (高梨歩) 【こちらも話題】 “行先不明”だった朝ドラ「ブギウギ」 蒼井優さんで見えてきた“笠置シヅ子”への道 https://dot.asahi.com/articles/-/203855
伊原六花ブギウギ2023下半期ランキング
dot. 2023/12/20 11:00
子どもの部活は全力サポート 「研究者っぽくない」女性金属学者(53)の世界初の成果とは
高橋真理子 高橋真理子
子どもの部活は全力サポート 「研究者っぽくない」女性金属学者(53)の世界初の成果とは
  梅津理恵さん。奥にあるのは本多光太郎博士の胸像=仙台市の東北大学  大正時代に世界最強(当時)の永久磁石をつくった本多光太郎博士(1870-1954)が創設した東北大学金属材料研究所(金研)。その副所長に今年4月に就いたのが梅津理恵教授(53)だ。翌月には「日本女性科学者の会」会長にも就任した。  奈良女子大学物理学科の修士課程を終えたときは、就職に踏ん切りがつかず、悩みつつ臨床心理学の勉強を始めた。まもなく、母のがんがわかり郷里の仙台に戻る。母を見送り、東北大学の博士課程へ。博士論文の審査前に妊娠するという「想定外」を経て、今は保育園事業を展開する夫との間に3人の子に恵まれた。子どもたちのスポーツ活動を夫婦そろって全力で支援し、末っ子から「研究者っぽくない」と言われる、類例を見ない女性研究者である。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子) 女性から評価され嬉しかった ――日本女性科学者の会は、平塚らいてうさんや湯川秀樹博士らの支援のもとに1958年に設立された由緒ある団体です。その会長になったんですね。  任期は2年です。立候補しませんか、と言ってくださる方がいて、もっとキャリアを積んだ方がなるイメージを持っていたんですけど、立候補しました。会員300人弱のこぢんまりした会なので、会長といっても、事務かたの一員みたいな感じです。 ――いつから会員に?  この会が出す奨励賞があるんですが、応募するには会員であることが条件なんです。それで博士号をとって間もないころ会員になった。そのときは選に漏れたんですけど、日本金属学会や財団などから賞をいくつかいただいた後にまた応募したらいただけた。2014年の第19回です。女性同士の厳しい目でも評価されたとちょっと嬉しかったですね。 ――女性同士のほうが厳しいんですかね?  材料ってすごく女性が少ない分野で、しかも分野自体が地味なんですよ。医学系や生物系は華やかなイメージで女性も多いし、そういう分野と対抗できるのかしらって思っていましたね。  賞をとってすぐ理事になりました。会長になる前の2年間は広報担当理事として古めかしかったホームページを一新しました。若手専用のページも作った。若手会員を増やして、若手にとっても役に立つ活動をしていきたいと、会長としても思っています。 「喉から手が出るくらい」 ――優れた女性研究者に贈られる「猿橋賞」を受賞したのは2019年ですね。  実は、私、猿橋賞のことをよく知らなかったんですよ。学会の委員会か何かのときに先輩がたが「猿橋賞は誰にとっても喉から手が出るくらい欲しい賞だけど、なかなかもらえない」というような話をしていて、「そうなのか」と思った。だったら、私もそれに応募するのを目標にしようと思った。  猿橋賞は50歳未満が対象で、ふと気がつけばぎりぎりのタイミングになっていたので、自分としてはまだ基準に見合っていないような気がするけれど、応募書類を出しました。なんか、出したことすら忘れたころに受賞の知らせが来た。2019年5月に贈呈式があって、翌年2月に教授に昇任しました。 ――俗にいう「猿橋効果」ですね。 猿橋賞贈呈式での梅津理恵さんと夫の哲也さん=2019年5月、東京、梅津さん提供    はい、そうでしょうね。金研創立以来103年で初めての女性教授だと聞きました。 ――ご専門の「ハーフメタル」って、説明が難しいですよね。「半分金属」というわけではない。  違います。磁石にくっつくような磁性体の中で、その電子の状態が半分は金属で半分は半導体的、という物質なんです。研究室にあるような装置で調べても、パッとすぐにはわからない。  ちょっと専門的になりますけれど、電子には電荷のほかにスピンという性質もある。スピンには向きがあって、固体中の特定の電子の向きがそろっていると磁気モーメントというものを発生し、さらにその配列によって磁石(強磁性体)になったりする。スピンと電荷の両方をうまく操りたいというのが「スピントロニクス」という分野で、優れた電子部品を作りだすために盛んに研究されています。ハーフメタル型磁性体はどちらかの向きのスピンのみが電気的性質を担うことになるので、「スピンと電荷をうまく操る」のに大いに役立つはずで、私はとくに基礎的な性質を知るための実験に力を入れています。 ――やっぱり難しい、と読者はきっと思ったと思います。とにかく、優れた電子部品を作るための材料科学の最先端で、基礎的な研究に取り組んでおられるわけですね。最初から研究者を目指していたわけではないと聞きました。 女性だからこその仕事を  はい、私は物理が好きで地元の東北大に行きたかったんですが、受からなかったので奈良女子大の物理学科に行きました。修士を出て就職するつもりでしたけど、その割には就職活動をあまりしなくて、模索していたというか。親からは「博士課程に行ったら?」と優しい言葉をかけてもらったんですけど、就活がうまくいかないから博士課程に行くっていうのはちょっと違うな、と思って。同級生はどんどん就職が決まっていって、ちょっと焦りはありましたね。  会社説明会に行くと、男子ばかりの中にだいたい女子が1人ポツンといる。そういうのを何回か経験して、突然、女性だからこそ得意な仕事、有利な仕事をしたほうがいいのかなと思い始めて、それで臨床心理学を勉強しようと奈良県立医科大学の研修生になった。  ところが、1年たたないうちに母にがんが見つかった。5歳上の姉は看護師として働いていましたし、病状が深刻で先はもう短いと聞いて、居ても立ってもいられなくなって仙台に帰りました。母は56歳で発症して57歳で亡くなりました。 ――お若かったですね……。  ええ、私もその年に近づいてきました。母は11月に亡くなって、さてどうしようと考えたとき、大学でまた勉強できたらいいなとふっと思ったんです。私は修士まで行くのが当然だと思っていたけれど、世の中を見れば修士まで出た人はそんなに多くない。もともと東北大に入りたかったわけだし、奈良女子大の恩師に相談したら「理学部より工学部のほうが向いているんじゃないか」とアドバイスをもらえた。 ――修士課程ではどんな研究を? いつも使う実験装置について説明する梅津理恵さん  物質には、ある温度を境にガラッと構造を変えるものがある。それがなぜ起こるのかを研究しました。茨城県東海村の原子炉施設に行って中性子を使う実験をして。小さい大学の割には、すごくアカデミックなことをやらせてもらっていました。  東北大工学部の研究室をいくつか見学して、4月には間に合わなかったんですけど、10月に工学研究科の博士課程に編入しました。このときには、研究者になろうと覚悟を決めたというか、大学に残れるものなら残りたいと思っていましたね。どうすれば残れるのかのイメージは全くありませんでしたが。 女子高・女子大は悪くない ――物理が好きになったのは?  高校からです。よくある話ですが、高校の物理の先生がすごく良かった。高校は県立の女子高で、当時、県立なのに男女別学にしている県がいくつかあって、宮城県がまさにそれだった。母校はいまはもう共学化されて、しかも中高一貫校に変わったんですけど。  でも、理系の女子を増やすという意味で、女子高・女子大は案外悪くないんですよ。女子高・女子大だと、何も気にしないで、何の偏見もなく好きな教科を自分の意思で決められる。あと、学校が「あなたたちは女性だけれど、当然、社会に出て先輩がたのように活躍するんですよ」と言ってくれる。これは共学ではなかなか言ってもらえないですよね。東北大の女子学生を見ていても、いっぱいいる男子の後をそーっとついていくような子が多いように思います。 ――女子大だとロールモデルになる立派な女性の先生が何人もいらっしゃいますしね。  いるし、男の先生でも女子教育に理解がある。ただ、私自身はあまり勉強しない、不真面目な学生でした。中学からテニス部で、大学でも体育会のテニス部に入ってテニスばかりしていた。 テニススクールのコーチも ――へえ、どのくらい上手だったんですか?  え~と、バイトコーチをするぐらいですね。大学2年生から大学院卒業まで、近くにあったテニススクールでコーチをしていました。最初は習いにいったんですけど、コーチをやってと言われて。  主人と知り合ったのも、テニスが縁です。仙台でテニスの社会人サークルを立ち上げた人で、当時は医療機器を販売する会社の営業マンでした。一緒にテニスの合宿に行ったり、試合に出たり、ワイワイ週末を楽しく過ごしている社会人サークルなので、仕事は何をしているかはお互い興味もない。私は「年を取った女子大生らしいよ」(笑)とかって言われてました。  私、結婚相手はなんとな~く「同業者はイヤだなあ」って思っていたんです(笑)。主人とテニスを通して仲良くなったので、卒業したら結婚と思っていたら、卒業前の夏ごろに妊娠しているのがわかった。博士論文の審査は10月、12月、1月と3回あり、最初が一番大事な審査なんです。それが無事に終わってから指導教官に「妊娠しています」って打ち明けた。審査のたびにちょっとずつおなかが大きくなって(笑)、5月に出産しました。  3月の学位授与式のとき隣に座ったのは女子留学生だったんですけど、びっくりされた(笑)。生まれたのは女の子で、その後、ほぼ2年半おきに女、男と産みました。 左から長女、長男、次女=2022年12月、梅津さん提供   ――ポスドク(博士号取得後研究員)時代に3人産んじゃったわけですね。すごい。   考える間もなく、っていう感じですかね。姉のところも3人子どもがいるし、2人より3人いたほうがいいかなというのは夫婦で一致していました。私が1人目を産んだあと、主人は転勤を命じられて「だったら辞める」と同業他社に転職し、2人目を産んだあとにその会社でも東京転勤と言われて辞めた。東京へ行くのは栄転だと思うんですけど、彼の意思は固かった。もともと「営業は一生続ける仕事ではない」って言ってはいました。 夫は保育園を立ち上げた  うちは、両親とも愛媛県出身で、父は修士から東北大に来て金研に就職した研究者、母は私が生まれる前は小学校や中学校で英語の先生をしていて、公務員一家なんですが、主人のほうは北海道出身で、おじいちゃんはお酒をつくっていましたとか、いとこはプロゴルファーを目指していましたとか、絵描きさんがいますとか、歯医者でクリニック経営していますとか、なんか自分でことを起こすのを厭わない人たちなんです。それで、二つ目の会社を辞めたあと、保育園を始めました。 ――え、保育園?!  私も驚きましたけど、主人はコンサルタントからいろいろアドバイスも受けて、仕事として始めた。最初は個人事業主として街なかのビルの一角を借りて、やがて2カ所の経営をするようになり、今から5年くらい前にNPO法人にして、3年前に社会福祉法人にしました。社会福祉法人になってから、思い切って90人から100人規模の保育園を二つつくりました。 ――へえ、すごいですね。  最初は本当に休みなく働いていました。頼まれれば、夜でも休日でも子どもを預かって。だから、家事育児は今の言葉でいえば完全にワンオペだったんですけど、主人の保育園は割と近かったので、私が子どもを保育園に迎えにいった帰りに主人のところに寄って様子を見て、「先に家に帰って寝てるね」みたいな感じ。すごくがんばっているのはわかっていたし、かえって一家団結するっていうか。結局、自営だったので、しょっちゅう子どもを連れて出入りできましたから、私が1人で育児をしているという感じはなかったですね。  そばで見ていて、経営がだんだん良くなっていくのがわかるんです。ちょっと保育園の話になっちゃいますけど、保育園というのは親からの保育料だけではやっていけないんですよ。行政からの支援があって初めて成り立つ。だけど、支援を受けるには実績が必要だから、助成金を受けるために要る条件をそろえておいて、まず1年間実績を積む。そこで申請すると、1年ぐらいの審査期間を経て3年目ぐらいから助成金をもらえる。  それがわかっていたので、最初の2年は耐え忍んでがんばった。私も夜遅い子の食事をちょっと作りにいくとか、土日はうちの子どもも連れていって一緒に散歩するとか、手伝いました。 梅津理恵さん=東北大学金属材料研究所 ハーフメタルの原理究明を ――そんな忙しい生活をしていたころに、日本金属学会から論文賞をもらっているんですね。東北大の中の多元物質科学研究所に移ってからポンポンポンと賞を受けた。  あ~、いま思えば、指導教官によく指導していただきました。「論文数で負けるな」と言われて、学生のころから書くように仕向けられた。研究室全体がそういう雰囲気でした。 ――金研に移ったのは2010年ですね。  6年間のプロジェクトの専任研究員のような形で入りました。その間に、科学技術振興機構(JST)のさきがけ研究者になれたことで、自分のやりたい研究ができた。さきがけというのは若い人に自由な発想で自由に研究させるという趣旨のプログラムです。  私が採択された領域の総括は非常に有名なすごい先生で、チョー怖くて(笑)。すごい怒られるんです。「もっと自分の独自性を出せ」とか「もっと将来に向かったことに挑戦せい」とか。それで私は放射光(特殊な光を出す大型施設)実験をやろうと思った。いい試料をつくって、放射光実験を始めましたっていうところでさきがけの期間の3年は終わっちゃったんですけど、その後も実験を続けて、ある手法でハーフメタルの電子状態を直接観測するという世界初の成果を上げることができた。  それに、上が厳しかったおかげで、さきがけのメンバーはすごく結束が固くなって仲良くなった(笑)。私は3期生でしたけど、2期生、1期生を含めて、いま思えばすごい人が集まっていた。その後、それぞれの分野を引っ張っているような人たちがたくさんいます。 ――実験は、兵庫県にある大型放射光施設「スプリング8(SPring-8)」でやったんですね。東北大にも最新の放射光施設「ナノテラス(Nano Terasu)」ができるところですね。  はい、ここで実験できるのがすごく楽しみです。ハーフメタルをはじめとする機能性材料が、なぜそういう性質を持ちえたのかの原理をそこで証明したいと思っています。 長男は「研究者になりたい」 ――いま、お子さんたちは?  上の2人は看護師を目指しています。長く続けられる仕事がいいんじゃないと言ったら、手に職をと思ったらしくて。高校生男子は、とりあえずサッカー選手は諦めたみたいで(笑)。いまは「研究者になりたい」って言ってますね。何でって聞いたら、「一番身近に研究者っぽくない人がいる」って。 ――え、どういうこと?   インドネシアのバリで開かれた国際会議に娘2人を同行したとき空港で=2023年8月、梅津さん提供   子どもの部活をがんばった  研究者ってずっと一日中研究に向かっているかと思えば、うちのお母さんは全くそんなことはない、とか言って。私は赤ちゃん時代の子育てはそんなにがんばってないんですけど、子どもの部活や活動にはすごくかかわった。それこそテニスが好きなんで、子どものテニス部の練習場所を確保したり、コーチから合宿を企画してほしいと言われたら企画したり、送り迎えももちろんしますし、親の会をつくって運営するとか、自分で言うのもなんですけどがんばったんです。  土日はすごく忙しかったですよ。子ども全員が今日試合とかね。主人とどっちが誰を送るか、迎えにいくか相談して。子どものテニスとサッカーの試合の大部分はビデオを撮ってますね。 ――へええ。お嬢さんは2人ともテニス?  そうです。息子はサッカーを結構がんばって県で招集されるぐらいにはなったんです。4歳から18歳までずっとサッカーをしていて、出張のとき以外ほとんどの試合を主人と一緒に観にいっていました。  私の父がそうだったんですよ。テニスで国体に出場するくらいのスポーツマンで、よく一緒にテニスやスキーに連れていってくれた。私のために練習場所を確保してくれたし、試合にはすべて来てくれたし。結局、親がしてくれたことを子どもにしただけです。 ――息子さんはどういう分野の研究をしたいんですか?  生命科学に興味があるって言っています。スポーツをやってきたから、どういう仕組みで細胞や筋肉が動いて結果的にパフォーマンスを上げられるのかとか、そういうのに興味があるらしい。 ――保育園のほうの後継ぎは?  それは誰も考えていないです。うちの主人は自分の代だけでいいってはっきり言っているし。旦那のほうの家系って、継ぐっていう発想がないんじゃないかな。 ――ご自身は今年副所長になって、このあともさらに重い役職が回ってきそうですね。 「副所長に」と所長から言われたときは驚いて、自分にはやれる気がしないし、そぐわないって思いましたけど、基本、仕事は断っちゃいけないんでね。まあ、自分が思ってもいなかった仕事もやらないと伸びないっていうか、成長しないっていうか。やるしかないですよね。  東北大学金属材料研究所の入り口に立つ梅津理恵さん 梅津理恵(うめつ・りえ)/1970年仙台市生まれ。奈良女子大学理学部物理学科卒、同大学院修士課程修了。2000年東北大学大学院工学研究科材料物性学専攻博士課程修了、工学博士。日本学術振興会特別研究員(ポスドク)などを経て2007年東北大学多元物質科学研究所助教、2010年東北大学金属材料研究所助教、2013年同特任准教授、2016年同准教授、2020年~同教授。2023年~同副所長。
dot. 2023/12/19 17:00
更年期をチャンスに

更年期をチャンスに

女性は、月経や妊娠出産の不調、婦人系がん、不妊治療、更年期など特有の健康課題を抱えています。仕事のパフォーマンスが落ちてしまい、休職や離職を選ぶ人も少なくありません。その経済損失は年間3.4兆円ともいわれます。10月7日号のAERAでは、女性ホルモンに左右されない人生を送るには、本人や周囲はどうしたらいいのかを考えました。男性もぜひ読んでいただきたい特集です!

更年期がつらい
学校現場の大問題

学校現場の大問題

クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

学校の大問題
働く価値観格差

働く価値観格差

職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

職場の価値観格差
カテゴリから探す
ニュース
〈地方に赴く皇族方〉佳子さま、キリリとした表情で公務に励む 精力的な姿に辛酸なめ子さんが感じた「決意」とは
〈地方に赴く皇族方〉佳子さま、キリリとした表情で公務に励む 精力的な姿に辛酸なめ子さんが感じた「決意」とは
佳子さま
dot. 4時間前
教育
女性の更年期「急激な骨量低下」警戒を 産婦人科医が説く40代からの「骨活」の重要性
女性の更年期「急激な骨量低下」警戒を 産婦人科医が説く40代からの「骨活」の重要性
更年期がつらい
AERA 4時間前
エンタメ
【ゲッターズ飯田】10月の開運のつぶやき「聞き上手の伝え上手は、運をつかむのも上手」金の時計座
【ゲッターズ飯田】10月の開運のつぶやき「聞き上手の伝え上手は、運をつかむのも上手」金の時計座
ゲッターズ飯田
dot. 3時間前
スポーツ
“一軍出場ゼロ”の選手も…第2回現役ドラフトは「成功例」多い?  移籍した男たちの明暗
“一軍出場ゼロ”の選手も…第2回現役ドラフトは「成功例」多い? 移籍した男たちの明暗
プロ野球
dot. 21時間前
ヘルス
美輪明宏「つらい出来事の後には、必ずうれしいことが訪れる。70年の芸能生活もまさに『正と負』の繰り返し」
美輪明宏「つらい出来事の後には、必ずうれしいことが訪れる。70年の芸能生活もまさに『正と負』の繰り返し」
美輪明宏
dot. 6時間前
ビジネス
肉乃小路ニクヨの新NISA「目いっぱい」投資 「お金を貯めるのは使うため」「自分株式会社」設立のススメ
肉乃小路ニクヨの新NISA「目いっぱい」投資 「お金を貯めるのは使うため」「自分株式会社」設立のススメ
dot. 10/3