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「なぜこんなものが…」海外の富裕層が日本で欲しがる「10円以下のお土産」とは?
「なぜこんなものが…」海外の富裕層が日本で欲しがる「10円以下のお土産」とは? ※写真はイメージです(gettyimages)   コロナ禍が収束し、海外から日本を訪れる観光客が増加している。日本は、富裕層にとっても人気の旅先の一つ。海外の富裕層は、何に魅力を感じて日本を選んでいるのか。グローバル企業トップやハリウッド関係者などVIPのアテンドを行う筆者が見た、富裕層が今日本に来たがる理由とは。(ライター・通訳案内士 矢吹紘子) 海外の富裕層が日本で感動した 意外な光景とは?  コロナ禍を経て、日本への入国制限が撤廃されてから2年。日本政府観光局(JNTO)によると、2025年2月の訪日外国人旅行者数は、前年比16.9%増の325万8100人に上りました。こんな話をすると「そりゃ円安だからね」という声が聞こえてきそうですが、実はコトはそんなにシンプルではありません。  とりわけ私のクライアントは誰もが知るグローバル企業のトップやハリウッド関係者、国を代表する富豪一家のメンバーといった超富裕層揃い。たとえ今真逆の円高だったとしても、とるに足らないのは容易に想像がつくし、その気になれば世界中のどこへでも簡単に飛ぶことができます。  そんな彼らが今、名だたる観光地を差し置いて日本を選ぶこと。そして「やっと来られてうれしい」「友人や親戚も、皆が来たがっている」と口々に話すこと。その理由を考えた時、人の温かさ、懐かしい光景、そして秩序だった安全な社会という3つの要素が絡んでいるように思えるのです。 京都を訪れた富裕層ファミリーは 「家のあるもの」に興味津々  京都でプライベート通訳をしていると、お茶や金継ぎ、陶芸などのアクティビティーに同席する機会が多々あります。  そういった体験モノではたいていお寺や京町家の一室などをお借りするのですが、先日某大手証券会社で働く夫婦と10代の子どもたちをお連れした会場は、代々続く老舗商店の京町家でした。  アクティビティーの終了後、お家も見学させてもらうことに。そこで、一家が最も興味を示したのは、趣のある日本庭園でも、歴史を感じさせる茶室でもなく、居間の片隅に控えめに鎮座していた仏壇でした。中でも、年季の入った過去帳(故人の名前や命日が記載されている蛇腹式の手帖)に釘付けで、明らかに体験したアクティビティー以上の前のめり具合だったという(笑)。  宗教的には、私のゲストのほとんどがキリスト教かユダヤ教です。ユダヤ教徒は民族間のコミュニティーを大切にしますし、何よりも富裕層は家族や親族の絆が深い。  仏教徒でありながら八百万の神を敬うという私たちの宗教観は驚きの対象ではあるのですが、先祖を祀り、仏壇という目に見える形で継承する日本人の感覚に、温かみと親近感を覚えるようです。  加えて家という日常の場に、先祖代々の名前が書かれた、古くていわくありげなノートが、さも当然のように保管されている。そんな“日常の中の非日常”が心に響いたのでしょう。手書きの毛筆や、その墨の掠れ具合がZ世代にとってはビジュアル的にも「クール」だという側面もあります。 現金文化はもはやエンタメ 日本はノスタルジーを感じる場所に  仏壇のエピソードに限らず、富裕層の旅行者は日本の日常生活を、私たちとは全く異なるアングルと解像度で見ていると感じることが多々あります。  買い物のシーンを思い浮かべてみてください。昨今、日本でも現金以外の決済の選択肢が増えてきていますが、「CASH ONLY」を掲げる店もまだまだ多い。一方、欧米の先進国では貨幣の廃止論が上がっている国もあるほど、現金を使う機会はほぼ皆無です。  そのため店の店員がお釣りを丁寧に数え、一円の間違いもないよう几帳面に確認しながら手渡しする様は、崇高な儀式のようにも、エンターテイメント的にも感じられるのだといいます。同時に、少し前まで現金を使っていた世代にとっては、懐かしさを誘うのも事実。  もちろんこれは、彼らが日本の現金主義を喜ばしく思っているということでは決してありません。インバウンド客を呼び込みたいならキャッシュレスが必須条件であることは間違いないですし、何事もクイックさを最重要視するので、選択肢がある場合は迷わずクレジットカードのタッチ決済一択です。  でも、どんな品物も欲しいとなったら迷いなくゲットする富裕層にとって、紙幣や硬貨を自ら手にして買い物をするという行為は、母国での生活においては忘れられがちなお金の有り難みを実感させてくれるという、思いもよらぬ副産物も生み出しているようです。  少し前まで訪日観光客にとって日本は最新のテクノロジーを享受する場でもあったのですが、その立場は逆転。昭和ブームが海外旅行者にまで広がっていることにも共通するのですが、良くも悪くもそのレトロさやアナログさが、今の日本の魅力にもなっているのです。  ちなみに硬貨で最も人気があるのは、真ん中に穴が空いた5円玉と50円玉。海外土産に困ったらぜひ。 百貨店での感動ポイントとは? ラッピングが神道の学びとなる  百貨店やショップでしばしば見られるラッピングにも、富裕層が感動するポイントが隠されています。まず、あの箱や商品に四隅をピッタリと添わせて、指先を使って手早く折り目をつける技術はもはやアートとの呼び声が高いです。確かに、思い返せば海外では買ったモノを、時に乱雑に袋に入れて終わりというパターンが多いですよね。  しかし心に残るのは、テクニックの素晴らしさだけではありません。  有名ファッションデザイナーの妻で、自身もプロダクトデザインに携わる女性は、「全ての動作にIntention(意図)があって、Pride(プライド)をもって扱ってくれる。だから日本にはBeauty(美)が溢れている」と話していました。改めて考えるとこれは、茶道や生花などの伝統文化にもピッタリと当てはまります。  こういった場合に私は、全てのものに神が宿るという神道の根本的な考え方を説明するようにしています。すると、有難いけれど謎だった日本人の丁寧さについて点と点が繋がるよう。「私の国にも神道が必要」と口にしたゲストは、実は一人や二人ではありません。 保育園児が秩序のバロメーター!? “治安の良さ”を感じる意外な場面  欧米では小学生以下の子どもの学校への登下校などには家族の同伴が必須です。それゆえ、日本で公共のバスや電車に子どもたちが自分たちだけで乗り降りする姿を目にすると心底驚くとともに、この国がいかに安全か身をもって実感するのです。  保育園児や幼稚園児がおとなしくカートに乗せられて散歩するという、私たちにはお馴染みであろうあの光景も大人気。「日本の子どもは世界一可愛い」とは私のゲストがよく口にする言葉ですが、彼らが魅力を感じる背景には、子どもたちが幼い頃から秩序正しく、ルールを守って行動しているモラルの高さがあるといえるでしょう。  ドラッグストアなどの商店が表に商品を陳列する様子も、驚嘆の的となっています。なぜならアメリカなどの都市部では万引きや窃盗が日常化していて、屋外に商品を出すことは、まずあり得ないからです。  軒先に観葉植物や盆栽などを並べる民家も同様で、「パリだったら一晩のうちに全部なくなる」と、フランス人政治ジャーナリストは言っていました。物騒な事件が増えている昨今ですが、こういった光景が日常的に見られる日本は、彼らにとってまさに理想郷なのです。 (矢吹紘子:ライター・通訳案内士)  
特別なスキルも専門性もなかった発達障害の僕が、天職を見つけた方法
特別なスキルも専門性もなかった発達障害の僕が、天職を見つけた方法 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)    新著『会社員を2度クビになった僕が、月100万円を稼げるようになった方法』を執筆した坂口康司さんは、「発達障害であっても、周りからの特別な配慮なしでも、自分の力でより良い生活を勝ち取れる」と言い切ります。一方で、会社員を辞めたときには特別なスキルも専門性もなかったとも言います。では、辞職後の仕事をどのようにして見つけたのでしょうか。坂口さんに解説してもらいました。 *  *  * 発達障害の僕には、クライアントワークしかなかった  私は発達障害を抱えていますので、会社員時代は仕事で全く成果を出せず、仕事の専門性もなく、コミュニケーション能力が低いため、プライベートで遊べる友達も少なく、そこまで給料が高くなかったため、大した貯金もありませんでした。  つまり、会社員を辞めた時は、何も持っていない状態の人間でした。  このようにスキルもお金もない人間が、会社を辞めて、お金を稼いで生きていくためにできることは、1つしかないと思います。  それは、クライアントワークをすることです。  クライアントワークとは、お客様から仕事の依頼を受けて、成果物を提供することで、対価としてお金を得る仕事のことです。  例えば、カメラマンであれば、写真を撮影して、写真データを納品することの対価としてお金を得ることになります。ライターであれば、文章を書くことで対価を得ることがクライアントワークということになります。  もし貯金がたくさんあれば、貯金を株式や不動産に投資することで、お金を得ることができるかもしれません。  もしくは、何かしらの専門性があったり、マネジメントスキルがあったりするのであれば、人を雇って何かしらの事業をできたかもしれませんが、いきなり人を雇用して事業を始められる人はそんなに多くないと思います。  会社をクビのような形で辞めた私には絶対に無理でした。  また、アルバイトをすることでも生活する上で必要なお金を得ることができるため、一時的には良いですが、一生アルバイトをして生活し続ける未来は現実的ではないでしょう。  そうなると、やはり過去の私のように何も持たない人間は、何かしらの価値を提供することでお金を得るクライアントワークをするしかないのです。  身近なところに会社勤めの人しかいなくて、クライアントワークという働き方のイメージが湧かず、心配になるかもしれません。でも、そのような働き方をしている人はたくさんいます。実際に、会社員時代の私も会社勤め以外の働き方があるとは知りませんでしたが、独立してからは、ひとり社長や個人事業主として働く人が意外にも多いことに驚かされました。 特別なスキルがなかったからこそ見つけられた天職  では、クライアントワークをする時は、何が必要でしょうか?  それは、提供する物とお客様です。  ただ、提供する物と言っても、「特別なスキルや専門性がないから」と不安に思っている方も少なくないと思います。  実際に、私は4年ほど会社員として働きましたが、あまり活躍できず、誰でもできるような単純作業ばかりしていましたので、特別なスキルも専門性も全くありませんでした。  唯一身につけたものといったら、ビジネスマナーくらいです。  しかし、今は自分の天職を見つけられ、自分の強みを最大限活かして働けています。100万円という月収がそれを物語っています。  どうしてこうなれたのかを考えてみると、発達障害で特別なスキルがなかったからだと感じています。  矛盾しているように思われるかもしれませんが、現時点で特別なスキルを持っていないからこそ、今あるスキルに惑わされず、フラットな立場で天職を見つけやすいと考えています。 天職を見つける「ネット検索」の仕方  では、どうやって適職を見つけるのでしょうか?  天職を探すのにオススメしたいのが、「ネット検索」です。肩透かしを食らったような感じがするかもしれませんが、大真面目です。  実際に私自身も、ネットで「発達障害 天職」と検索して、カメラマンという職業にたどり着きました。学生の頃から写真を撮るのは好きでしたし、検索結果の中にカメラマンについて記載がたくさんあったことが、カメラマンという選択を後押ししてくれました。  発達障害に関しては、優秀で一流の学者や研究者の方々が様々な研究をしてくれていて、その研究結果を噛み砕いて書いた分かりやすい記事はネット上に数多くあります。  もちろん、発達障害の特性は人によってバラバラですので、全てを参考にできるとは限りませんが、自分の強み弱みや天職を探す時に有益な情報は世の中に多くあります。  例えば、下記のような検索キーワードで調べてみてください。 「発達障害 天職」 「発達障害 向いている 職業」 「発達障害 強み」 「アスペルガー 天職」 「アスペルガー 適職」 「ASD 天職」 「ASD 適職」 「ADHD 天職」 「ADHD 適職」  もちろん、ネット上の記事は無限にありますし、その中には正しくない情報もたくさんありますので、大きな会社が運営しているメディアだったり、専門家の監修が付いていたりするサイトを見るのがオススメです。 坂口康司『会社員を2度クビになった僕が、月100万円を稼げるようになった方法』>>書籍の詳細はこちら 発達障害の人に向いている職業  それらの記事を読むと、一般的に、アスペルガー症候群やADHDの方は、これらの職種が向いているとされていることが分かります。 【アスペルガー症候群の人が向いている職業】 ・研究者 ・デザイナー ・エンジニア ・プログラマー ・カメラマン ・ライター ・病理医 【ADHDの人が向いている職業】 ・デザイナー ・営業職 ・カメラマン ・エンジニア ・経営者  一般的に、アスペルガー症候群の方は、規則性がありパターン化できる仕事や、自分のこだわりを活かせる仕事が向いていて、ADHDの方は、興味の対象が変わりやすいことを強みにできて、行動力を求められる仕事が向いているとされています。  もちろん、研究者や病理医といった職業は中でも高い専門性が求められますから、相応の学歴が必要になります。ですので、現実的ではないかもしれませんが、これらの天職候補の職業を見ていると、一人だけで完結できて、そして副業としても取り組める仕事が多くあることに気がつくと思います。  例えば、デザイナーやエンジニア、カメラマン、ライター、営業職などです。  これらの中で興味があったり、直感的に「自分に向いてそう!」と感じた職業を、試しに勉強してみたり、副業として取り組んでみることをオススメします。  デザイナーが向いていそうだと思うのであれば、イラストを描いてみたり、名刺のデザインを作ってみたり、カメラマンが向いていそうだと思うのであれば、実際にカメラ片手に出かけて写真を撮ってみたり、ライターであれば、何かの紹介記事を書いてみる、などです。 初期投資を慌ててする必要はない  ここで注意していただきたいのが、この時点で投資をしすぎない、ということです。  例えば、「自分はカメラマンが向いているかもしれないから、撮影について勉強してみよう!」と志して、高いカメラを買い、実際に撮影をしてみても、興味を持てず、断念する可能性があります。  そうなると、せっかく高いカメラを買ったのに、虎の子の貯金が減ってしまったり、ローンしか残らなかったり、という事態になってしまうかもしれません。  デザイナーの方もいきなり高い道具を買ったりするのは避けた方が良いでしょう。  今のタイミングでは、できる限りお金がかからない範囲で試してみるのがオススメです。  私がカメラマンを選んだ理由は、「発達障害 天職」と調べて、「カメラマン」と書かれた記事が多かったことに加え、学生の頃からカメラが趣味で、一眼レフカメラを持っていたからです。  昔から好きだったし、追加投資なく取り組める、という単純な理由で、カメラマンという職業を選んだところ、紆余曲折がありましたが、結果としては大当たりでした。  カメラひとつで月収100万円を稼げるようになりましたし、上場している会社を含めて色々な会社でセミナー登壇したり、メディアに載ったりすることもできています。  また、面白いことに、メインはカメラマンですが、発達障害の人が向いているとされる、ライターやデザイナーとしても活動していて、幸運にもそれらでも評価していただいています。  カメラマンとしてインテリアのある空間を撮影する機会が多いため、インテリアに関する知識が増えたことで、今では売上が高まるインテリアについてコンサルティングをするまでになっています。インテリアデザイナーみたいな仕事をすることもあります。  そのような未来は自分では全く想像していなかったのですが、「発達障害 天職」と検索してみて、出てきた職業は、やはり自分に合っていたのだと感じています。  坂口 康司(さかぐち・こうじ)  株式会社トータルクリエイツ代表取締役、株式会社ネクストクリエイツ代表取締役。  法政大学経済学部を卒業後、東証プライム上場のITベンチャーに就職するも適応できず、鬱のような状態に。精神科を受診したことで初めて、自分に発達障害があることを知る。入社後2年ほどで退社することになり、発達障害に向いていると言われるカメラマンとして生きることを決意。知人が起業した会社でカメラマンとして働き始めるが、約2年で再び退社することに。会社員には向いていないと痛感し、今後は「ひとり社長(個人事業主)」として生きる決意を固める。写真の見栄えが売上を左右する業界(レンタルスペース、宿泊施設など)の写真撮影に特化することに活路を見出し、2年半ほどで月収100万円を達成。現在は複数の会社を立ち上げ、民泊事業なども展開している。著書に『レンタルスペース投資の教科書』『カメラマンになっていきなり月収を100万円にする方法』(ともに自由国民社)がある。
発達障害の人には「ひとり社長」が向いていると言える2つの理由
発達障害の人には「ひとり社長」が向いていると言える2つの理由 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)    新著『会社員を2度クビになった僕が、月100万円を稼げるようになった方法』を執筆した坂口康司さんは、「発達障害であっても、周りからの特別な配慮なしでも、自分の力でより良い生活を勝ち取れる」と言い切ります。自らの実体験をふまえて、「発達障害の人には『ひとり社長』が向いている」という坂口さんに、その理由を解説してもらいました。 *  *  * 発達障害のある自分が力を最大限発揮できる働き方  私は会社員を2度もクビになりました。  一般的に、会社をクビになることはそう度々あることではないにもかかわらず、それを2度も繰り返しているのは、めずらしい経験と言えるかもしれません。  この2度の経験から、私には会社員として働くことが向いていないと痛感し、会社員以外の働き方を模索しなくては、と思い、ひとり社長としての道を志しました。  会社の庇護の下から外れて、社会の荒波の中、自分一人の力で生きるようになって、結果的に、仕事を円滑に進めるためのコミュニケーション術などを身につけられましたので、今であれば会社員としてある程度の活躍をすることもできるかもしれません。  しかし、今さら会社員に戻りたいとは思いませんし、発達障害のある自分が力を最大限発揮できるのは、ひとり社長という働き方だと考えています。  これから、ひとり社長として働くことが発達障害の人に向いている理由を挙げていきますので、ご自身の適性をイメージしながら読み進めてみてください。  ただし、ここでご注意いただきたいのが、あくまでも会社員とひとり社長とを比べると、ひとり社長の方が向いているということであって、工夫さえすれば会社員としても活躍できるということです。 坂口康司『会社員を2度クビになった僕が、月100万円を稼げるようになった方法』>>書籍の詳細はこちら ひとり社長なら、自由なライフスタイルで働ける   発達障害は、先天的にできることとできないことの差が激しいです。  例えば、私は何か特定の作業にのめり込んで、24時間中18時間くらいぶっ続けでやり切ることができます。その一方で、ADHDの私は気が散りやすいです。知り合いがいる環境ですと、知り合いに気が向いてしまい、全く集中できません。  会社勤めをしていた時は、同じフロア内に、知っている人たちが多くいて、動いたり会話をしたりしていました。急に大きな音で電話が鳴ったり、誰かが自分の後ろを歩いたりもします。なので、会社のオフィスで集中して働くことが極めて困難でした。  しかし、会社勤めをする場合は、他の人が多く働いていたり、ルールや伝統などもありますので、あなただけに配慮して、あなたにとって最適な労働環境や働き方にすることは難しいと思います。  その点、ひとり社長であれば、あなたが決裁者ですので、全てあなたの自由です。カフェで働くのも良いですし、始業時間はお昼の12時からでも、ランチ後に1時間のお昼寝休憩を設けても良いのです。  ひとり社長になった私は、視覚と聴覚への刺激が多すぎると集中できないので、大きなパーテーションで視覚情報を減らすことができ、聴覚情報を減らすためにイヤホンをつけて働いてOKなコワーキングスペースを仕事場として選択しました。  そうしたら、目の前の仕事に集中できるようになりましたので、これだけでもだいぶ仕事のパフォーマンスが高まりました。  しかも、それだけでなく、副次的な効果もありました。  例えば、仕事中にアスペルガー症候群の特徴でもある「過集中」(過度に集中した状態)に入ってしまい、2時間ほどのめり込んで何かの仕事に取り組み、その後は体力を使い切って、何かをする元気がなくなってしまうことが多々あります。  今はそんな時は、スマホのゲームをしたり、昼寝をしたり、SNSを流し見するなどして30分〜1時間くらい、仕事をしない時間を作ってリフレッシュしています。  このような行為は「サボり」と思われかねない行動でしたので、会社勤めの時は絶対にできませんでした。しかし、ひとり社長だからこそ、できています。  他にも私は朝が苦手で、睡眠時間が足りていないと、注意力や記憶力がさらに低下してしまいます。  その対策として、打ち合わせなどの予定がない時は、目覚ましをかけず十分な睡眠を取ってから、仕事場に行くようにしています。その結果、普段の頭の回転、記憶力、社交性がだいぶ高まったと感じています。  働き方が自由になったことで得られたメリットを挙げたらキリがありませんが、このように、発達障害は凸凹が多いものの、ひとり社長になれば、自分の特性にあったライフスタイルで働けるようになって、それだけでも仕事の質を高めることができます。 ひとり社長なら、人付き合いのストレスが少ない  会社勤めをしていた時に、一番苦労したのはコミュニケーションでした。  ちょっとした雑談が苦手、ということはどうでも良くて、人として相性が良くない上司や同僚ともうまくやっていく必要があるということに大いに悩みました。  私の上司は「バカ!」「そんなことも分からないのか!」「ふざけるな!」などという、それまでの人生で言われたことのない強い言葉を使う人でした。一方で、仕事の進め方やマナーなど、社会人として大切なことを丁寧に教育してくれたので、今の自分があるのはその上司のおかげだと感謝をしていますが、その上司の元で働いている時は、恐怖の日々でした。  上司からの指示を正確に把握して、イメージ通りもしくはイメージ以上の成果物を提出する必要がありますが、発達障害が原因で意図せず、上司のイメージと異なる成果物を提出してしまうことが多々ありました。そのため、「また大声で怒鳴られるのでは?」とビクビクしていました。  そんな精神状態では、萎縮してしまって、良い仕事をできるはずがありません。恐怖から萎縮をしてしまったり、頭が真っ白になってしまうことで仕事の質が低下し、ミスが増え、さらに怒鳴られて萎縮をして……という悪循環でした。  しかし、ひとり社長になった今は、一緒に働く人やお客様を自分で選ぶことができます。  人に対して敬意を払わない人と働くと、私は全く頑張れなくて、仕事のパフォーマンスが低くなってしまいます。ですから、そういった取引先やお客様からの依頼は受けないようにしています。  一方で、相手の求めることを正確に理解して、イメージ通り、もしくはイメージ以上の成果物を提供することは、ひとり社長として仕事をする上でとても大切なポイントです。  坂口 康司(さかぐち・こうじ)  株式会社トータルクリエイツ代表取締役、株式会社ネクストクリエイツ代表取締役。  法政大学経済学部を卒業後、東証プライム上場のITベンチャーに就職するも適応できず、鬱のような状態に。精神科を受診したことで初めて、自分に発達障害があることを知る。入社後2年ほどで退社することになり、発達障害に向いていると言われるカメラマンとして生きることを決意。知人が起業した会社でカメラマンとして働き始めるが、約2年で再び退社することに。会社員には向いていないと痛感し、今後は「ひとり社長(個人事業主)」として生きる決意を固める。写真の見栄えが売上を左右する業界(レンタルスペース、宿泊施設など)の写真撮影に特化することに活路を見出し、2年半ほどで月収100万円を達成。現在は複数の会社を立ち上げ、民泊事業なども展開している。著書に『レンタルスペース投資の教科書』『カメラマンになっていきなり月収を100万円にする方法』(ともに自由国民社)がある。
品川区が所得制限ナシで全区立中の“制服無償化”に踏み切ったのはなぜ? 区長に聞く背景
品川区が所得制限ナシで全区立中の“制服無償化”に踏み切ったのはなぜ? 区長に聞く背景 森澤恭子区長  東京都品川区は今年2月、23区で初めて区立中学校の制服を所得制限なく無償化することを発表しました。ほかにも小学生の朝の居場所確保や朝食提供、中学校修学旅行費の無償化など、子育て世帯への支援を充実させています。制服無償化のねらいや子育て支援に対する理念について、森澤恭子区長に聞きました。 制服と修学旅行費を所得制限なく無償化、予算は2億円以上  品川区の区立中学校は、全部で15校。制服は中学校によって異なり、標準服1式3万3000~5万2000円かかる。無償化の対象となるのは、区立中学新1年生と区内在住の特別支援学校中学部新1年生で、2026年度以降の新入生から実施される。対象者は1900人程度の見込みで、予算額は約1億円にのぼる。自身も小学生と中学生を育てる森澤区長は無償化に踏み切った理由を次のように話す。 「義務教育は無償とする、という憲法の趣旨も踏まえ、品川区はこれまでも給食費や学用品の無償化を実現してきました。また、区民の皆様から同じように納めていただいた税金なのに“分断があってはならない”という考えから、所得制限は設けていません。入学時の制服購入については、民間の調査で保護者の負担が非常に大きいという結果が出ていることもあり、無償化に取り組むことになりました」  制服無償化については、以前から検討されてきたが、近年の物価高などの背景を踏まえて実現に踏み切ったという。品川区はさらに、予算額約1億3000万円をかけて、区立中学校の修学旅行費も所得制限なく無償化する。こうした支援策により、義務教育でかかる主な費用はすべて区が負担することになるが、なぜ子育て支援にここまで大きな予算をかけられるのか。 「品川区は区民のウェルビーイング実現のため、区政の全669事業におけるさまざまな施策の検証や見直し、アップデートを行ってきました。区有施設のデジタルサイネージを廃止したり紙媒体の各種情報紙を電子化したりするなど事業の削減に取り組んだ結果、約20億円を捻出しています。品川区では、23年度から区立学校の給食費の無償化を実施していますが、24年度からは東京都が費用の半分を負担することになり、ほかの区でも給食費無償化の動きが広まっています。先駆的な取り組みによって一石を投じることで、子育て支援が日本全体で充実していくことを目指しています」(森澤区長) 制服は必要か?議論のきっかけに  中学校の制服については、費用の問題だけではなく、LGBTQの生徒に対する配慮などから、そもそも必要なものなのか、制服のあり方そのものを見直す動きもある。 「現時点での子育て世帯の負担を軽減することを優先して、無償化を決めています。これを機に、制服は必要か不要か、自治体ごとに統一すべきか、といった議論が社会全体で広まっていくといいのではないでしょうか」(森澤区長)  品川区民の声はどうか。小学生から中学生まで3人の子を育てる女性は「中学生になると部活や塾、交際費などで小学生のころより費用がかかる。制服が無償になるというニュースを聞いて、率直にありがたいと思った」と支持する。一方、小学生と私立に通う中学生を育てる女性は「一律の助成金という形でもらえるとうれしい。制服代は学校や性別によって差があるし、もっと言えば区立、私立などの区別なく、支援してほしい。私立に行かせるからといって生活に余裕があるわけではない」と話す。 “朝の小1の壁”を解消  品川区では25年度から小学生の朝の居場所確保や朝食支援にも取り組む。まず3校の区立小学校で試行的に導入し、その後すべての区立小での実施を目指す。導入にあたっては、区独自の学童である「すまいるスクール」(学校内にある放課後の居場所)の全登録者約1万1500人を対象に、「朝の児童の居場所」についてアンケートを実施。回答者の約半分が利用を希望したという。 「“朝の小1の壁”と言われるように、朝早く仕事に向かう保護者と一緒に家を出て、校門で待っていなければならない、あるいは児童が留守番をして1人で家を出なければならないといった声が議会などでも上がっていました。都からの財政支援もあり、導入を決めました」  朝の居場所確保については、ほかにも導入する自治体が増えている。豊島区は2校での試行実施がすみ、今年4月からすべての区立小で本格的に実施される。杉並区や江戸川区も25年度中の導入を予定している。  品川区の場合は朝7時半から利用可能で、場所は体育館や空き教室などを利用し、区が委託する業者のスタッフが見守りを行う。さらに、国の調査で朝食を欠食する児童が7%いるという現状を考慮し、今後はパンやおにぎりの提供も無償で行っていくという。  森澤区長は「子育てにおける経済的負担の軽減については全国で等しく施策を行っていくべきで、自治体間格差が起きないほうがいい」と話す。 「少子化の問題、共働き世帯や核家族世帯の増加などをふまえると、社会全体で子育てをしていくことが必要です。今後の日本を支える子どもたちを支援すること、その子どもたちを育てる家庭を支援することは、社会の責任であり、品川区が投じる一石が他の自治体、ひいては日本全体に広がっていけばいいと考えています」 (構成/中寺暁子)
タワマン文学は「妬み」「いじめ」「コンプレックス」オンパレードでも「人間賛歌」 現代人をトリコにする理由
タワマン文学は「妬み」「いじめ」「コンプレックス」オンパレードでも「人間賛歌」 現代人をトリコにする理由 タワマンといえば現代日本においてはある意味「成功」の象徴だが…(写真はイメージ/gettyimages)    住民たちの嫉妬心や劣等感を赤裸々に描いた、タワマン文学が人気だ。露悪的な表現に辟易してしまいそうなものだが、なぜ人々の心に刺さるのか。 *   *   * 「勝ち組」タワマン住民のハズが… 〈子供には子供らしく健康的に育って欲しいと願いながらも、良かれと思って過酷な受験戦争に送り出し、偏差値という無機質な数字で一喜一憂してしまう。東京というすべてが狂った異常な街で、息が詰まるようなこの場所で、私たちは何を追い求めて消耗しているのだろうか〉  これは「窓際三等兵」こと外山薫さんの小説『息が詰まるようなこの場所で』(KADOKAWA)の登場人物のひとり、平田さやかの独白だ。  埼玉県出身のさやかは、大手銀行の一般職として働き、誰もが羨む湾岸のタワーマンション(以下、タワマン)に暮らしている。だが、日々募らせているのは、「不満」だ。  小学生の息子の中学受験で消耗。会社では同じタワマンに住むキャリア組の女性と自身を比べては落ち込み、無理やり入れられたPTAでは上層階に住むママ友・綾子に劣等感を抱く……。  高級タワマンを舞台に、そこに住まう“勝ち組”たちが直面する格差、嫉妬、劣等感などを描いた作品群は「タワマン文学」と呼ばれる。 ネガティブなテーマがてんこ盛り  タワマン文学は、2021年ごろ、Twitter(現・X)のツリー投稿から誕生した。その後、書籍化され、世間の注目を集めるようになった。  2022年には、麻布競馬場さんが投稿した『3年4組のみんなへ』というショートストーリーが14万6千の「いいね」を獲得し、同作を含む20作品を収録した書籍『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(集英社)は3万部を記録している。  誰もが羨むような学歴や職業、生活を手にしながらも、人生に虚無感を抱く者たちの「ひとり語り」で進む物語には、学歴コンプレックス、ママ友カースト、親子関係、受験戦争といった、現代社会のネガティブなテーマがひっきりなしに登場する。  タワマンに縁がない筆者も憂鬱な気分になるが、なぜかページをめくる手が止まらない。  なぜ、タワマン文学は人の心に刺さるのだろうか? タワマンの眺望は「特権」の象徴 「タワーマンションは従来のマンションと比べてステータス性が極めて高く、現代人の羨望の的。階が高くなるほど価格が上がり、高層階から得られる抜群の眺望は“特権”を象徴しています」  そう語るのは、戦後日本の「家づくり」文化史を専門とする愛知産業大学准教授の竹内孝治さん。  タワマンに住むには財産が必要であり、医者や弁護士、あるいは誰もが知る有名企業に勤める高給取りでなければ、ローン審査すら通らない。  そして、「選ばれし者」として入居したとしても、タワマン内では上層階と下層階で「タワマンカースト」と呼ばれる新たな格差社会が待ち受けている。 「建築物の上層と下層という構図が、視覚的にも明確な“格差”を示しています。羨望と嫉妬は表裏一体であり、現代社会の寓話としてタワマンは最適な舞台なのかもしれません」(竹内さん)  そもそも、タワマンという存在自体が、現代人にとっては妬みの対象だ。  2019年、台風19号の豪雨によって神奈川県の武蔵小杉駅周辺が浸水した際、一部のタワマンも電気や水道が停止し、被害を受けた。SNSは「タワマン住民のトイレから汚水が逆流するなんてザマァ」といった嘲笑的な書き込みで沸いた。 そこから「落ちてしまう」という恐怖  書評家の杉江松恋さんは、「タワマン文学」をこう読み解く。 「格差社会における階級差・階層差への嫉妬、“そこに居続けなければ落ちてしまう”という恐怖は、米国の郊外の住宅地を舞台にした『サバービア(suburbia)文学』ですでに描かれていました。住環境の違いが若者の意識に影響を与えるというテーマも普遍的で、『団地小説』というジャンルもあります」  2012年に村田沙耶香さんが発表した三島由紀夫賞受賞作『しろいろの街の、その骨の体温の』(朝日新聞出版)は、団地とそれ以外の地域に住む子どもたちの視点から描かれている。 「そうした流れを踏まえると、タワマン文学はこれまでの小説ジャンルの“継ぎはぎ”とも言えます。一方で、タワマンをシンボルに『意識高い系』への自己批判や揶揄、あるいは“上級国民”という陰謀論的な妬みを象徴的に描き、内と外の視点を明確に設定した点は新しいと思います」(杉江さん) タワマン文学とは都市居住者への賛歌  タワマン文学は妬みや嫉みが満載だ。   なぜ、人はそんな物語に惹かれてしまうのか? 「人の不幸は蜜の味」とは言うが、延々と続く負の物語に、人は疲れはしないのか。  前出の杉江さんはこう語る。 「たとえばスクールカーストやいじめを扱った作品を読むと、自分の学生時代を思い出して、『確かにそんなことがあったな』と共感する人が多いんです。他人が立っている場所の“歪み”や“不安定さ”を目の当たりにすると、読者自身も自分の立ち位置を考えるきっかけになります」  階層を描く作品にふれることで、読者は自身の価値観や経験を再確認する機会を得るということだ。前出の竹内さんは、このジャンルを「都市居住者への賛歌」と表現する。 「都市で一定以上の生活を実現しようとすれば、住む場所も、キャリアも、育児の方針も、老後の資産形成も、結果的にタワマン文学の登場人物たちのような生き方にならざるを得ません。彼らの姿は、ときに鼻につくものの、少しでも上を目指してあがく泥臭い努力は否定できない。読者には皮肉交じりに揶揄したい気持ちもあるが、同時に評価したい思いもある。その両義性が“賛歌”として立ち上がってくるのだと思います」  文学は社会を映す鏡だ。タワマン文学のなかに、私たち自身が感じている現代日本の「息苦しさ」を見いだしているのかもしれない。 (編集部・古寺雄大)
2児の父となった「加藤晴彦」が“失礼な保護者”に怒り心頭 小学校の運動会で体験した「非常識な父親」の振る舞いとは
2児の父となった「加藤晴彦」が“失礼な保護者”に怒り心頭 小学校の運動会で体験した「非常識な父親」の振る舞いとは 加藤晴彦さん(撮影/写真映像部・和仁貢介)    4月から放送される日曜劇場「キャスター」(TBS系)で7年ぶりのドラマ出演を果たす加藤晴彦さん(49)。インタビュー【前編】では「キャスター」への出演が決まるまでの経緯や、寝る間もないほど多忙だったという20~30代の芸能生活などについて聞きました。【後編】では、38歳で結婚した際のなれそめや結婚生活について、また、俳優以外でこれから取り組みたい活動についてうかがいました。 ※【前編】<「加藤晴彦」が日曜劇場で7年ぶりにドラマ出演 「僕は芸能人ではなく『人間・加藤晴彦』として生きたい」>より続く *  *  *  自分がどんどん壊れていってるんじゃないか――ヘリコプターで仕事現場へ移動するなど超多忙な生活を送るなかで、加藤さんはそんな不安を抱くようになり、30代前半から徐々に芸能の仕事をセーブ。心身を整える生活にシフトしていくなか、私生活で大きな変化がおとずれる。 20代でブレイクしていた頃の加藤晴彦さん(事務所提供)    2014年、39歳のときに一般女性と結婚した。  生まれ育った名古屋のことが大好きで、どんなに忙しくても1日でも休みがあればすぐに帰るほど、地元愛は強かった。 「昔から、家庭を持って住むなら絶対に名古屋だ、と思っていました。名古屋といえば赤みそなんですけど、『赤だしのみそ汁が上手に作れる子と結婚したい』なんてことも言っていました」  キューピッドになってくれたのは、名古屋の中京テレビで働く黒宮英作さんだ。 「妻も名古屋の別のテレビ局に勤めていた社員で、黒宮さんが『なんか2人は合うんじゃないかと思った』と言って引き合わせてくれたのがきっかけです。本当に恩人というか、人生を変えてくれた人だと思っています」  結婚から10年がたち、2人の子どもにも恵まれたが、妻との関係は「本当に仲が良いです」という。 「家にいると、ずーーーっと話しています。些細なことを共有しあうのはもちろん、絵にかいたようにボケたり突っ込んだり、冗談を言い合ったりとか、会話を止める方が難しいくらいです。妻は『芸能人のあなたと結婚したわけじゃない』と言ってくれていて、それも合っているんだと思います」と話す。 加藤晴彦さん(撮影/写真映像部・和仁貢介)   2児の父となり「世界が変わった」  子育てに積極的に参加することで、見える世界がガラリと変わった。 「子どもが生まれて物理的に変わったという事ではなくて、視野が広がりました。例えば遊びに行く場所ひとつとっても、子どもにとってどうなのか? 便利さや楽しさだけではない『学びがあるのか?』を考えています。子どもが成長し、進学する上でも考えさせられることも多いです。幸いなことに我が子の幼児期の園生活はとても恵まれていました。しかし、小学校では教育現場の違和感や混乱を目の当たりにしました。そのため、教育にもとても興味が湧いてきました」  教育に関心を持ったことで、必然的に教育現場との接点が増えた。保護者会役員から始まり、現在は、保護者会とは別の学校法人の理事にも就任している。  さらに加藤さんが今参加しているのが、NPO法人の立ち上げだ。教員の働き方改革などで部活動が減少する中、子どもたちにさまざまな競技との出会いと、体を動かす機会を提供するスポーツ組織「AOZORA」の立ち上げに参画している。メンバーは現役の教師や校長・アスリートなどさまざまで、心から子どもたちの未来を考える人たちが集まっている。 「実際に動き始めてみると、場所の確保や人の確保なども含めて、想像を絶するほど大変だと感じています。最初からいきなり完璧を目指すのではなくて、子どもたちに楽しんでもらうところから始めていこうと思っています。」  この活動を通して、加藤さんは子どもたちに「人間として成長してほしい」と願っている。その根底には、一部の大人たちが悪びれもせずに身勝手な振る舞いをすることへの“怒り”がある。 「僕は自分が偉いとは一切思ってないですけど、最近は30代~50代のいい大人でも本当に自分勝手な人が多いなと感じているんです。それぞれの個人や家庭で、その人なりの物差しがあるのは当然です。でも一歩外に出たら、社会の物差しに合わせて行動することも必要です。なのに、最近は自分の物差しを家の外でも振りかざしている人が多い。悪いことをしたらまず謝るべきなのに、相手を責める人もいます。トラブルになると先に騒いだ人が勝ちのようになって、結局、正しい行動をしている人がコトを荒立てないように口をつぐむことも少なくありません。直接話したこともない人を陰で悪く言う保護者などなど、言い出したらキリがありません。見えない所から石を投げるような……そういう非常識や理不尽さが許せないんですよ」 加藤晴彦さん(撮影/写真映像部・和仁貢介)   近所にいた「昭和のオヤジ」みたい  そうした大人たちに怒りを覚えるのは、加藤さん自身が実際に“被害”に遭ったこともあるからだ。 「小学校の運動会での出来事ですが、下駄箱で靴を履いていると突然『あれ! 晴彦君、元気?』と言われて見上げると、立っていたのは全く知らない誰かのお父さんでした。初対面なのにいきなりタメ口で声をかけられ、あとは知らんぷりされて、その場を去っていきました。あまりにクレイジーな行動に一瞬ぽかんとしてしまいましたが、非礼な行いをする人間には、必ずしっぺ返しがくると思っています」  礼儀やあいさつを大事だと強く感じてずっと生きてきた加藤さんだからこそ、今の時代の子どもたちにもそういった社会性をしっかり学んでもらいたいと考えている。 「自分の娘と息子には、『もし怒られるようなことをしたときは、まず自分の側になにかあったんじゃないか考えろ』と徹底して言っています。昔はまず社会や地域のルールがあり、その上で自分や家族の考え方やルールがあったが、今はその線引きがなくなってきてしまっていると感じています」  そして、「あいさつはされるものではなく、するものです!」と語る加藤さん。自身が幼稚園にお迎えに行ったときは、子ども、先生、保護者へ大きな声であいさつをする。あいさつを返してくれた子には「偉いね!」「気持ちがいいね」と褒める一方で、あいさつをしない子どもがいたら、顔を覗き込んでもっと大きな声であいさつをすることにしている。 「僕って近所にいた昭和のオヤジみたいな感じなんです。でも、あいさつから始まるコミュニケーションで地域は作られていて、その地域全体が子どもたちを育てていたと思うんです。今は過保護どころか過干渉な親が多くて、自分の子どもの顔色をうかがっているような状況でしょう。他人の子どもに注意をしてくれる人なんていないんです。そもそも礼儀について注意するのって、そこに愛があるからなんです。だからこの時代でも、ちゃんと愛を持って言えば伝わるんです。今の子どもたちは愛を受けることも知らないし、愛をかける人もいないからおかしくなっちゃうと思うんです。それを少しでも変えていきたいなって思います」  そう語る言葉には、「人間・加藤晴彦」を貫いてきた加藤さんだからこその“熱”がこもっていた。 (藤井みさ) ●加藤晴彦(かとう・はるひこ) 1975年生まれ、愛知県出身。中学2年のときにNHK『中学生日記』で俳優デビュー。高校3年で『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』審査員特別賞を受賞し上京。TBS系『アリよさらば』、朝ドラ『走らんか!』など数々の映画・ドラマ、『アルペン』などのCMにも出演し、『あいのり』『どうぶつ奇想天外!』などバラエティでも活躍。2014年に結婚し、現在は2児の父。
オンラインカジノが違法ならパチンコやFXは? 違法性が浸透しない理由と改善策を考える 田内学
オンラインカジノが違法ならパチンコやFXは? 違法性が浸透しない理由と改善策を考える 田内学 AERA 2025年3月31日号より    物価高や円安、金利など、刻々と変わる私たちの経済環境。この連載では、お金に縛られすぎず、日々の暮らしの“味方”になれるような、経済の新たな“見方”を示します。 AERA 2025年3月31日号より。 *  *  *  最近、芸人がオンラインカジノへの参加が原因で活動を自粛するケースが増えているが、初めてニュースを見たときに「オンラインカジノって違法だったの?」と驚いた人も多いのではないだろうか。実際、当事者の芸人たち自身も「違法だとは知らなかった」と語っている。もちろん、知らなかったで済む話ではないが、「知らないほうが悪い」と単純に切り捨てていいのだろうか。  警察庁が昨年7月〜今年1月に実施した調査によれば、日本国内でオンラインカジノを利用したことがある人は約337万人にのぼるという。驚くべきことに、全体の約44%がオンラインカジノを「違法だとは思っていなかった」と回答した。芸人だけの問題ではなく、多くの一般人が違法性を意識することなく気軽にオンラインギャンブルを楽しんでいる現実がある。  しかし、こうした認識不足には理由もある。日本では、公営ギャンブルだけが合法とされる一方で、実際にはギャンブル的な行為が広く許容されているからだ。例えばパチンコは「換金していない」という建前で事実上黙認されており、警察関係者が賭け麻雀をしていた際も「図書券を景品にしていただけ」ということで、法的処分を受けなかったこともある。自粛を余儀なくされた芸人たちでさえ、思わず「ギャンブルやないか」とツッコミたくなる状況だ。 たうち・まなぶ◆1978年生まれ。ゴールドマン・サックス証券を経て社会的金融教育家として講演や執筆活動を行う。著書に『きみのお金は誰のため』、高校の社会科教科書『公共』(共著)など    さらに最近では、暗号資産やFX(外国為替証拠金取引)といった取引も盛んだ。これらは法律上「投資」として認められているが、その実態は非常にギャンブル性が高い。特にFXは最大25倍のレバレッジをかけられ(以前の500倍に比べれば改善されたが)、短期間で大きな利益や損失を生むことがある。実際、FXの年間取引額は推計で1京円を超え、オンラインカジノの年間賭け額(約1兆2423億円)の約1万倍にもなる。この巨大な取引市場の中で、刺激やスリルを求めて依存症に陥る人も少なくない。依存症患者が増えれば、その社会的コストも当然高くなる。  国内にギャンブル性の強い取引が合法的に存在している以上、オンラインカジノの違法性が浸透しないことはある意味自然だとも言える。現在の法的な曖昧さを解消するには、ギャンブルという行為を明確に定義し直す必要があるだろう。  しかしながら、一大ビジネスになってしまったパチンコやFX取引を違法にはできないだろうから、一定範囲のギャンブル性を認めた上でその収益を社会福祉や教育へ還元する仕組みを作って、社会的コストを負担してもらうのが現実的だろうか。  こうしたギャンブル的な取引が社会に浸透している背景には、経済の停滞や社会格差の拡大といった構造的な問題がある。真面目に働いても報われない、多少報われたとしても、すでに開いた格差を埋められないなら、一攫千金のロマンを追いたいと思ってしまうのも無理はない。  資産所得倍増計画も悪くないが、それ以上に大切なのは「真面目に働いている人が報われる」という当たり前でシンプルな社会なのではないだろうか。この連載でも何度か指摘しているが、いろんな場面で生活インフラが崩れつつある。生活を支える人が報われれば、社会全体がもっと明るくなるはずだ。 ※AERA 2025年3月31日号
[京都橘大学 スペシャルクロストーク]文化交響−文化の創造と伝統の継承。次世代のクリエイターへ
【PR】[京都橘大学 スペシャルクロストーク]文化交響−文化の創造と伝統の継承。次世代のクリエイターへ  テクノロジーが著しい進化を遂げる中、ITやAIなどの技術を駆使した創造的な活動は、社会にどんな価値を生み出せるのだろうか。伝統と未来が交わる清⽔寺を舞台に、識者が語り合った。 *本記事は、2024年12月14日に開催されたイベント当日のクロストークの内容を編集して掲載しています。  音楽革命を巻き起こした「初音ミク」の生みの親・伊藤博之さん、1200年以上に亘って人々の心に寄り添い続ける「清水寺」の歴史と文化の語り部・森清顕さん、AI研究のパイオニア・松原仁さん、人と技術をつなぐ教育工学の旗手・大場みち子さん、好奇心の翼で世界を駆け巡る春香クリスティーンさん。異彩を放つ5人が世界遺産・清水寺の経堂(重要文化財)に集い、文化の創造と伝統の継承をテーマに語り合った。多様な文化を尊重しながら「伝統」と「未来」を交差させ、発展し続ける技術と共に、新しい価値を創造していく楽しさとは。 春香クリスティーンさん:まず伊藤さんにお伺いします。ボーカロイド・初音ミクがアニメやゲームなどと並ぶ、日本発の新たな文化として世界中から注目されています。そのアイデアはどのように生まれたのでしょうか。 伊藤博之さん(クリプトン・フューチャー・メディア株式会社):我々は音楽制作のソフトウェアを扱う企業として、人の歌声のソフトウェアも作りたいと思ったのが、初音ミク開発のきっかけです。歌声合成ソフトウェアにキャラクターという姿を付けることで人々の想像が膨らみ、より多くの創作が生まれるのではと考えました。初音ミクを使った創作の連鎖は、インターネットで繰り広げられ、国内はもとより海外にも広がりました。 春香:初音ミクを題材とした2次創作についてもライセンス方式によって許諾され、多くのクリエイターによる創造力溢れる作品が広がっていますね。 伊藤:はい、個人クリエイターによる個性豊かな創作がインターネットを介して広がりました。また、歌舞伎やアートなど異分野とも積極的にコラボレーションしてきました。このように創作の連鎖を積極的に認めることで、初音ミクが文化とも言えるようになってきました。 春香:大場さんは初音ミクが巻き起こした音楽革命をどう受け止めていますか?  大場みち子さん(京都橘大学):今まで物作りを遠い世界のことだと思っていた一般の人に、クリエイターになるハードルを下げ、共感・創造の連鎖につながるきっかけを与えてくれました。素晴らしいのは、著作権、使用料などの問題をクリアしたプラットフォームが確立されているので、安心して利用でき、ビジネスにもつながっていることです。 春香:松原さんはAIとさまざまな分野を掛け合わせた新しいプロジェクトに挑戦されています。そのエネルギーの源はどこにあるのでしょうか。 松原仁さん(京都橘大学):幼稚園児の時に「鉄腕アトム」のアニメを見て、天馬博士に憧れました。将来、私も鉄腕アトムのようなロボットを作りたいと思ったのが、AI研究者を志したきっかけです。AIと何かを掛け合わせるとき、私の場合は漫画、将棋、ゲーム、スポーツ、観光などの分野を渡り歩いてきました。この「何か」は自分が好きなこと、面白いと思うことを選ぶのが大事だと思います。 春香:時代が移り変わる中で、森さんは、仏教の歴史や文化の伝え方と、今のデジタル技術の発展との関わりをどう捉えていますか。 森清顕さん(清水寺):以前、「清水寺本堂の舞台は15年に1回ほど張り替えなどの修復を行う必要がある」と海外の方に話したら、「鉄筋コンクリートに変えたら?」と言われたことがありました。その方が合理的だとは思うのですが、清水寺の建物は先人が高い崖に柱をかけて大事に作ったものです。  数年前に、「レガシー」という言葉が流行りましたが、「遺産」というのは、感動の記憶でもあります。清水寺の建物を見て、「昔の人は、ここで何をしはったんやろうなあ」と想像を巡らせる。ここから見える西山に沈む夕陽は、「1000年前に清少納言も同じように見ていたのだな」と感動する。そうしたことが「この美しい情景を表現したい」と人の心を動かし、AIなどの最新技術を使った創造と表現につながるのではないでしょうか。  3人のお話とも共通していますが、クリエイティビティーには自分の体験や興味、人間の五感がますます重要になると思います。 AIの進歩で湧き上がる「人間とは、自分とは何だろう」 春香:技術の発展は止めどなく、私たちの生活を大きく変え、その先にはロボットと共生する社会が考えられます。それは楽しそうだと思う半面、人間の仕事を奪ってしまうのではないか、という心配も出てきます。 大場:部分的には、AIやロボットに置き換わる職業も出てきます。ただ、ロボットか人間かという二者択一ではなく、AI・ロボットと共生することで人のQOL(クオリティー・オブ・ライフ=生活の質)が上がっていくことを目指したいですね。例えば、介護ロボットは力が必要なお世話をサポートし、人間である介護者は相手の心に寄り添う、会話の相手になるなど、そうしたコラボレーションができれば、より良い世界につながっていくと思います。 春香:ロボットが人間のように心を持つことは可能なのでしょうか? 松原:私が子どもの頃に印象的だった鉄腕アトムのエピソードがあります。自分はロボットだから、人間が景色を見て「美しい」と思う気持ちがわからない、と鉄腕アトムが寂しそうに語る場面です。人間が美しいと思うことはわかっても、美しいと感じ取ることはできない。今のところ、ロボットも心を持てるとすればこの程度です。  1950年代の作品でこんなことを表現していたなんて手塚治虫さんはやはり天才だと思うわけですが。そこで湧いてくるのは「人間の心とは何だろう」という疑問です。「自分には心がある」と皆さん思っています。でもいくら親しい家族でも、他人の心は見えません。自分が思う「美しい」が、相手が言う「美しい」と同じかは永久にわからない。人の心は想像するしかないですよね。AIを突き詰めることは人間を追究することだと思っています。 「AIやロボティクスの楽しさ」を求めて松原教授がさまざまな事にチャレンジ!「ヒトシの部屋」  詳しくはこちら (外部リンク)→ 春香:「人間とは何か」を理解した技術開発が必要なのですね。 森:最近よく思うのは、今の世情が人間に対してAIのような完璧なものを求めている違和感です。そもそも、人は間違ったことをしますが、AIは間違ったプログラムでない限り、365日24時間正確に悪いことをせず働きます。人間は、不確実で失敗もするし、良いことも悪いこともする。でも、それら含めて人間ですよね。それを皆が了承した時点で、AIと人間の違いが明らかになる。今後、AI技術がもっと発展していく中で、人間は不確実な人間に何を求めるのか。それが面白いテーマになるのではないでしょうか。 車は足、電話は耳、そしてAIは脳を拡張させる 伊藤:人間は技術なくして生きられません。例えば、裸では寒い冬は越えられない。つまり繊維織物の技術は、生命維持のために必要です。体を保護するために肌を覆う衣料があるように、車は足の、電話は耳の延長です。そうなるとAIは脳の拡張といえます。今、人間社会は車なしでは生活できないのと同様、AIもそうなる日が訪れるでしょう。人間の一部として溶け込み、私たちは人間を拡張するためにAIを活用していくのではないかと思います。 春香:AIは、実際に人間の脳に似せて作られていると聞きました。 松原:約70年前、コンピューターを“賢く”するためにAI研究は始まりました。賢さの目標を人間とし、膨大な神経細胞が活動している人間の脳のようなネットワークをコンピューターにも搭載したらいいのでは、という素朴な発想から生まれたのがAIです。そこからディープラーニング(深層学習)へ成長しました。 春香:AIの最終目標は人間のようになることですか? 松原:すでに人間の能力を超えるものも出ています。ただ、生物か、そうでないかの違いは大きいです。AIには、人間が持つような欲求や目的がありません。また、人間がおいしいと喜ぶことは知っていても、おいしさを味わうことはできません。そうしたことに人間との違いがあり、AIが進歩するほど、その差が広がってくるのではと思います。 大場:私の場合は、生成AIで仕事量を2倍こなせるようになりました。とはいえ、依存してしまうのは怖いので、本を毎日読むようにしています。それも、AIによる音声読み上げを活用したオーディオブック。おかげで、1日に2、3冊読めるようになりました。聞きながら、電子書籍でテキストを辿ると、難しい内容でもスムーズに理解できます。新しい技術が読書を進化させ、その読書が新しいアイデアの創出につながると私は信じています。 「草木にも魂が宿る」日本流AI研究の強み 春香:次々と生まれる技術は、自発的に使ってみて、思い切り楽しむことが大事ですね。 伊藤:生成AIの登場でクリエイターの立場が弱くなるかもしれないと言われますが、私はそうは思っていません。例えば、コンピューターミュージックのクリエイターには男性が多いのが実情です。  しかし、生成AIのような簡便なツールがたくさん出てくると、老若男女を問わず、より多くの人々が使えるようになり、多様性が出て可能性が広がると思っています。AIに取って代わられるのではという危機感が先行しがちですが、価値を生み、活用していくことをおおらかに楽しめると、新しい未来が待っているのではないかと思います。 森:2024年6月にイタリアで開かれた先進7カ国首脳会議で、ローマ法王がAIをテーマにスピーチを行いました。その中で、AIの軍事利用に懸念を示されました。それを聞いて思ったのは、西洋でのAIは、あくまで人間が使う「道具」として扱われていますが、多神教の考えが根づいている日本では、ロボットは「友だち」であり、「人間のよき仲間」として受け入れられていることです。鉄腕アトムだけでなく、ドラえもんに代表されるようにロボットを主役にした漫画やアニメがたくさんあります。  AIは単なる道具で、ともすれば人間を脅かす存在なのか、そうではなく人間に寄り添う友だちのような存在なのか。今後、そうした議論が出てくるかもしれないと思います。 松原:日本のAI研究者として、森さんのお話に納得しました。確かに、西洋の名作映画の中には、AIやロボットが人間と敵対する物語の作品をよく見かけます。日本を含めた東洋では「草木にも魂が宿る」という考え方があり、これはAI研究者には心強い概念です。だったらロボットにも心があっていいじゃないか、と。  日本のアニメはロボットと仲が良いですが、そこには「人間だけが特別じゃない」という思想があります。AIやロボットを仲間として柔軟に受け入れ、自分の世界を広げるために使おうという姿勢が、今後、日本の研究の強みになると思います。 自由で寛容な社会のために「自分を軸にして考える」 春香:新しい文化を生み出せるクリエイターになるためには、どんな学びが必要なのでしょうか?  大場:私の専門はITですが、好奇心がクリエイションの出発点です。新しい物作りは一人だと時間がかかるし、くじけやすいので、よきアドバイザーを得て、仲間と一緒に歩んでいけるといいと思います。大学教員として、これからの未来を作る若い人たちが活躍できるようにサポートして道標を示していきたいです。 松原:40年間、AIに携わる中で、研究は失敗の連続でした。目標の鉄腕アトムもまだできていません。でも、くじけない、成功するまでやめない。それができることが大学の強みです。みんな好奇心を持っていると思うので、「これは勉強だから、仕事だから」ではなく、自分の興味があることを生かしてほしいです。  AIだけですごい小説が書けるとは思いませんが、クリエイションのハードルが低くなって書きやすくなるのは事実です。若い人が最新技術をうまく使って、新しいアイデアをどんどん出すことで、より良い未来を築いていけると思います。 春香:伊藤さん、森さんは大学の教育に何を期待しますか。 伊藤:生成AIなど、情報技術は非常に進歩が速く、人間を超える機能にまで発展しているものもあります。一方、深刻な犯罪がサイバー上で起きて、その使い方が問われています。この先、映像や写真を含め、デジタルの世界はフェイクだらけになる可能性があります。専門分野だけでなく、宗教、芸術、音楽、自然科学、文学、歴史、哲学など、一般教養も幅広く学んで知識や思考の引き出しを増やし、本物と偽物を見極める目を養ってほしいです。そのためにも、大学には教養教育も充実させてほしいと思います。 森:クリエイションとは生きている人間の五感、経験をカタチにすることです。これは仏教の教えにもある「自分を軸にして考える」ということに通じます。例えば、華道の作品などではない、道端に咲いている花を一輪取って、グラスに飾ったものを美しいと思うのは、自分自身の価値観です。それは、日常の生活における経験、友だちとの飲み会も失恋も、ありとあらゆることを積み重ねて築かれます。  幸い京都の大学は、近くに神社仏閣がたくさんあったり、お花やお茶の家元が集まったりしているので、感性を磨き、知識を深められる場が身近にあります。その利点を使って、人とのつながりを大事に、自由にのびのびと大学という安全な場所で「自分を軸」に色々な経験をしてほしいです。それが、いいアルゴリズムを作る力にもつながると思います。 クロストークの動画はこちら! https://www.tachibana-u.ac.jp/culturesymphony   *  *  * 世界で人気を誇る日本のゲームやアニメ、音楽といったメディアコンテンツ。これらをさらにシンカ(進化・深化)させるには、どんな学びが必要なのか? 新設予定のデジタルメディア学部同学科※長就任予定の吉田俊介教授に聞いた。 ●新学部・学科誕生へ! 詳しくはこちら → 現在は、インターネットに代表されるデジタルな社会基盤を通じて、世界中の人との交流、買い物などが日常的に行われています。この中で、現実(リアル)とデジタルの世界とが融合した、新しい社会の血液にあたるものがデジタルメディアです。 興味関心に合わせて自由に掛け合わせる学び  作り上げたコンテンツをデジタルな社会基盤で販売・流通させる時、重要になるのは、人に「どう伝えるか」をデザインする力=クリエイション。もちろん、工学的な技術=エンジニアリングも伴わなければ、ユニークなアイデアを形にできません。  デジタルメディア学部※では、エンジニア系領域とクリエイション系領域の両方を学べるカリキュラムを準備しています。1回生は、全員が情報技術とデザインの基礎を学習。その後は、卒業後の進路を見据えてAI、CG、VRなどの専門技術を習得し、クリエイションも磨きます。リアル向け、VR向け、あるいは両方が融合したものなど、リアルとデジタルの世界を行き来しながらモノづくりができる、自由で挑戦的な学びの環境をつくりたいと思います。 数学で挑む「ボス戦」をゲーム感覚で楽しもう  発展し続ける情報技術(IT)は、今後より日常的で不可欠になり、それを駆使した創造的な活動は、未来をもっと豊かに楽しくできるはずです。それには、確かな基盤技術を習得し、それを軸にさまざまな応用技術を理解できる力が求められます。  コンテンツ制作の裏側には数学の要素も登場しますが、今、苦手意識がある人も心配無用です。高校生の時は、まだ数学という「武器」で素振りをしている「レベル上げ」段階。「ボス戦」といえる大学の学びの場では、三角関数でCGを自由自在に動かす「奥義」などが次々と目に見える形で展開します。「武器」の真価を実感する学びは、大いに楽しめるはずです。 AI・ITは新しい創造の選択肢 AI・ITと共に発展するこれからの社会は、新しい希望と夢に溢れた未来です。デジタル技術で自分が何をしたいのか、社会をどのように描いていくのか、皆さんの楽しむ力を思い切り発揮してください。 ※すべて仮称。2026年4月開設予定(設置構想中)。計画内容は予定であり、変更することがあります。 *  *  * ●新学部・学科誕生へ! 詳しくはこちら → ●新しい共通教育がスタート! 詳しくはこちら → ●「ACADEMICTERRACE(仮称)*」誕生!!  詳しくはこちら → ●「ヒトシの部屋」 詳しくはこちら → ※1 すべて仮称。2026年4月開設予定(設置構想中)。計画内容は予定であり、変更することがあります。  ※2 近畿圏大学 医療系(保健・看護系統)学部の入学定員数 (出典:旺文社「2023年度用 大学の真の実力情報公開BOOK」)
タワマン高層階に住む“世帯年収3千万円”の30代夫婦の悲哀 「貯蓄ができない」順風満帆なはずなのに…
タワマン高層階に住む“世帯年収3千万円”の30代夫婦の悲哀 「貯蓄ができない」順風満帆なはずなのに… 年収が高くてもお金の使い方には注意が必要だ(写真映像部 和仁貢介)   「長く住み続ける場所だから、マイホームだけは金銭的にも妥協せずに本当に欲しいものを買おうと妻とも話し合っていました。そして、マイホーム以外にはお金をかけるつもりはまったくなかったのですが……」  ため息交じりにこう語るのは、都内のIT企業で役職に就く河島俊介さん(仮名・36歳)だ。某外資系企業に勤める妻の恵梨香さん(仮名・34歳)の給与と合わせると年収が約3千万円に達しており、いわゆる典型的なパワーカップルだ。  さすがに都心の超高額物件には手が届かないが、環状7号線の外側で環状8号線の内側にあるエリアで約1億5千万円の新築マンションを見つけ出し、モデルルームを見学した二人はほぼ即決で契約を結んだ。二人がともに憧れていたタワーマンション(タワマン)の高層階にある物件である。 欲しくもない外車を購入 ふだんの買い物も高級スーパー  ほぼ全額の貯蓄を取り崩して2千万円の頭金を投じ、残りの資金は夫婦それぞれが融資を受ける形式のペアローンで調達した。月々の返済額は合計約36万円に達するが、二人の収入とそれまでの月々の出費を踏まえれば、家計が赤字に陥るリスクは極めて低いと考えられた。  ところが、新居に引っ越してみると、待ち受けていたのは想定外の家計悪化だった。以前よりもはるかに出費が増え、ローンの返済に窮するまでには至っていないものの、貯蓄に回すお金がまったく残らないのだ。  もっぱら至近距離にある高級スーパーを利用することになったことで食費をはじめとする生活費の負担が驚くほど増加しただけでなく、引っ越し前はほとんど発生していなかった交際費(ご近所付き合いのランチ代やお茶代)も軽視できない出費となった。  より深刻なのは、本人たちが望んで贅沢な暮らしを始めたわけではないことだ。 「親しくなった同じマンションの居住者たちと日帰りでドライブ旅行に出かけたのですが、国産車に乗っていたのは私たち夫婦だけで、他の方々はいずれも高級外車。肩身が狭い思いをしたので、我が家も外車に買い替えました」(俊介さん)  妻の恵梨香さんも次のように述べる。 「高級スーパーにしても、好き好んで利用しているわけではありません。私が庶民的な店で買い物をしている姿を目撃されたら、『河島さんのお宅、どうしちゃったのかしら?』と陰口を叩かれかねない雰囲気なんです。私自身、マンションの奥様方がその場に居合わせていない人に関するよからぬ噂話を耳にしたことがありますから」  さらに、恵梨香さんはうんざりとした表情で嘆く。 教育関連費も少なくない負担だ(写真映像部 和仁貢介)   「それに、ウチのマンションでは子どもを有名私立に通わせているケースも多く、そういった家庭の奥様方は私に対して口々にプレッシャーをかけてきます。『河島さんのお宅も、そろそろお子さんが欲しくはないの? 生まれたら、どこの学校に通わせるつもり?』って。悪気はないのでしょうが、少なくとも小学校までは公立で十分だと思っている私の本心なんて、とても口に出せる状況ではありません」 安直に高額ローンを組むと後悔しかねない  河島さん夫婦の苦悩ぶりについて伝えると、家計の見直し相談センター代表でファイナンシャルプランナーの藤川太さんはこう指摘する。 「住む場所によって生活が大きく変わりうるということは、住み替えを決める前からあらかじめ認識しておいたほうがいいでしょう。それまでとは異なるコミュニティーの中で暮らすことになれば、おのずと自分たちの生活スタイルにも影響が生じるものです。いったん贅沢な暮らしを始めてしまうと、家計が多少苦しい程度で生活水準を落とすことは容易ではありません」  河島さん夫婦の場合、ローンの返済自体には困っておらず、「なかなか貯蓄ができない」といった程度の危機感にとどまっているだけに、従来の生活スタイルに戻すのは難しそうだ。そもそも、安直に高額な住宅ローンを組んでしまうこと自体も考えものだと藤川さんは説く。 「二人の収入が現状のまま続いていくことを前提にした金額の融資を受けているわけですから、出産・育児のようなイベントが発生すると、家計が大きく圧迫されかねません。実際に私がお客様から相談を受けた際にも、高収入が続く前提でローンを組むのはやめたほうがいいと忠告したことが多々あります」  先述したように、恵梨香さんは先々に子どもが生まれた場合、その子の進路が「小中高私立」の一択になりそうなことについて危惧していた。だが、河島さん夫婦に対しては酷な言及になってしまうが、実は高額な住宅ローンを組んでしまった以上、子どもを生むことにも慎重にならざるをえないのが現実である。 お金の使い方を身の丈に合わせることが重要だ(写真映像部 和仁貢介)    勤務先によって異なるが、概して産休・育休中の収入はそれまでの3分の2程度に減ってしまう。一方で妻の社会保険料負担が免除され、出産育児一時金や出産手当金、育児休業給付金が支給されるものの、それでも出産前と比べれば手取りは2割程度も少なくなる。しかも、たとえ育休を終えて職場に復帰しても、子どもが幼いうちは時短勤務を余儀なくされるケースが少なくない。 タワマン低層階に引っ越し、余剰資金を投資へ  下手をすれば、タワマン高層階というコミュニティーの暮らしぶりに自分たちを合わせたままでいる限り、産休・育休中にローンの返済も苦しくなる恐れもあるのだ。では、こうした状況を打開するにはどうすればいいのか? 「昔の親がよく口にしていたように、『他所は他所、ウチはウチ』と割り切って、自分たちの家計の状況に合った暮らしぶりに戻すしか術はありません。それができないなら、環境(住む場所)を変えざるをえないでしょう」(藤川さん)  幸い、タワマンは中古住宅市場でも人気が過熱しており、特に高層階なら手放す決断をしても有利に売却できる可能性が高い。ただ、次もタワマンを希望するなら、低層階を選ぶのが無難だと藤川さんは忠告する。 「低層階のほうが地震などの自然災害が発生した際の避難に苦労するリスクも低いと言えますし、販売価格も高層階と比べて安くなるので、そちらのコミュニティーのほうが無理をせず付き合えるのではないでしょうか? 私が相談を受けたお客様の一人も、家業の承継を機に高級住宅地から郊外に引っ越し、移住して本当によかったとおっしゃっていました。以前は近所の手前もあって外車に乗り、特に好きでもないブランド品を身にまとっていたそうです。逆に郊外ではそのように派手な暮らしぶりをしていると後ろ指をさされかねず、妙な見栄を張らずに気楽に過ごせると笑っていました」  プライバシーの問題もあり、今回は河島さん夫婦が近所付き合いをしている方々のバックグラウンド(職業や年収・資産の状況)までは調査を行っていない。したがって、あくまで推測にすぎないのだが、もしも彼らが河島さん夫婦のような悩みとは無縁で当たり前のように優雅な暮らしを送っていたとしたら、それは本当の富裕層だからだろう。  厚生労働省の「2023年国民生活基礎調査の概況」によると、世帯年収が1千万円を超えているのは11%、1500万円以上は3%ほどだ。一方、野村総合研究所が今年2月に公表した調査によると、23年時点で純金融資産(金融資産の合計から負債を引いた額)を1億円以上保有する「富裕層」と、5億円以上保有する「超富裕層」は計165万世帯いる。  世帯年収が1500万円を超えて一般世帯よりかなり高くても、豊富な資産を持っているかどうかは別の話だ。ここでは世帯年収は高いが、資産は多くたまっていない世帯を「プチ富裕層」と呼ぶ。  あくまで河島さん夫婦は、「プチ富裕層」の域を脱していない。推測通りに河島さん夫婦が仲間入りしてしまったコミュニティーが富裕層によって構成されているなら、今の場所で暮らすのは時期尚早だったと言えそうだ。 富裕層向けに資産運用コンサルティングサービスを提供しているウェルス・パートナー代表取締役の世古口俊介さんは喝破する。 「結局、プチ富裕層にとどまっている人たちはフローリッチ(高収入)ではあるものの、キャッシュリッチ(資産家)ではないということです。資産を築きたいなら、清貧な生活を心掛けて手元にお金が残るようにしたうえで、①ノーリスクの預貯金にこつこつと蓄えていくか、②リスクを取ってNISAを通じて株に投資するかの二者択一ですね」  また、前出の藤川さんもこう語る。 「際立って高収入ではなくとも、40代にして億の財を築き上げている人は実在します。マイホームも購入し、子どもの教育費にもきちんとお金をかけたうえで、蓄財に成功しているのです。そういった人たちに概ね共通しているのは、普段は質素な生活を心掛けながらもリスクを取って資産を運用し、その成果として億超えを達成していることです」  肝心なのは、収入の多い少ないにかかわらず、つねに家計の収支をプラスにしたうえで、残った資金を着実に運用に回し、せっせと資産を増やしてくことだ。
原田龍二  「友達いなくても寂しいと思わない」 人生観揺さぶられた「ベネズエラのジャングルの出来事」とは
原田龍二  「友達いなくても寂しいと思わない」 人生観揺さぶられた「ベネズエラのジャングルの出来事」とは 撮影/岡田晃奈    俳優の原田龍二さん(54)はドラマ、映画、舞台、バラエティー番組、YouTubeと幅広いジャンルで活躍している。物腰が柔らかく、周囲に愛される生き方の原点は何だろうか。インタビュー【後編】では、共演して衝撃を受けた俳優、人生観が変わった海外での出来事、SNSとの向き合い方などについて語ってくれた。 〈前編〉不倫騒動から6年…原田龍二が明かす“家族の中で生じた不和” 「今は妻と同じ歩調で一緒に歩いている感じがします」 から ――「水戸黄門」や「相棒」など名作のドラマに出演されている原田さんですが、特に印象に残っている俳優はいますか。  たくさんいらっしゃいますよ。初めて出演した映画「河童」でご一緒させていただいた藤竜也さんは独特のオーラがあり、見ているだけで「この人はどういう人生を歩んできたんだろう」と惹かれました。里見浩太朗さんは時代劇、水谷豊さんは現代劇の主役を長年やられていたので、重圧を乗り越えた方だけが持つ圧倒的な存在感がありました。お2人にいろいろな思い出話を聞かせてもらいましたし、遠い雲の上の方なんですけど、自分のような若輩者と同じ立ち位置に降りてくださる。偉ぶらず親しみやすくて、懐が深い。人間的に尊敬しています。 待ち伏せしました(笑) ――同世代で衝撃を受けた俳優の中ではいかがですか。  山本太郎ですね。私が21歳の時に「キライじゃないぜ」というドラマに初出演したんですが、その時に出会って衝撃を受けました。年齢は彼が4つ下なんですけど、当時はまだ17年しか生きていないのに堂々としていて自我が確立されている。話せば話すほど面白くて、ドラマでは敵対する役でしたが現場でずっと一緒にいました。その十数年後に時代劇で共演したんですけど、その時も芯の強さが変わっていない。最後に会ったのは2年前ですね。渋谷で妻と買い物をしている時に、れいわ新選組の街頭演説があると聞いて、待ち伏せしました(笑)。彼の性格を考えると、政治家はいきつくべくしてたどりついた場所なんじゃないかなと思います。   昨年11月に舞台『水戸黄門』に助さん役として出演(ブログから)   ――旅番組にも出演されていますが、思い出深い出来事はありますか。  「世界ウルルン滞在記」(TBS系紀行番組)でモンゴルやアジアの奥地、アフリカなどいろいろな場所に行ってきましたが、中京テレビの特番で行かせていただいたベネズエラのジャングルでのヤノマミ族との出会いは、僕が会いたかった思いを叶えられたので強く印象に残っています。褌(ふんどし)一つを身に着けて、弓矢で獲物を取って生活している。物を買うことがないから、遊びも自分たちで道具を作って楽しむ。面白い出来事があったらみんなで笑って、つらい出来事は共有することで悲しみを分散させる。シンプルなんですけど、人生観が揺さぶられました。「この人たち、幸せだな」って。彼らと一緒にいるだけで縛られるものがなくなり、自由になる感覚がありました。日本にいると周りの目があるから規律が保たれているんですけど、帰国してしばらくすると体が重くなるんですよね。どちらの環境が本当に自由なのか、幸せなのか。比べるものではないですが、いろいろ考えさせられました。 僕は昔から自信がない ――確かに日本の生活が便利に感じますが、それも勝手な思い込みかもしれません。SNSの普及でいつでも誰とでもつながれますが、いじめや精神的に疲弊している人が多いように感じます。  SNSで救われた方もいると思います。私もSNSをやっているので全否定はしませんが、幸せにならないなら手放したほうがいいと思います。例えば、加工した写真や普段食べないものを発信して何が楽しいのかなって。友達がやっているからやめられないかもしれないですけど、傷つくならやる必要はまったくない。承認欲求を得て自信を得たいのかもしれないですけど、自信がなくていいんですよ。僕は昔から自信がないし、友達もいないですから。 撮影/岡田晃奈   ――自信もないし、友達もいない……意外に感じますね。  自信ないですよ。臆病ですからいつも緊張しています。今もそうです。でも、虚勢を張る必要はないと思っていて。準備を大事にして仕事に臨みますけど、ありのままを出すしかないですから。友達も全然いないです。10代のころから集団行動が苦手で、1人行動が基本でした。飲み会には全然行きません。先輩や知り合いに誘われても行かないから、誰にも誘われなくなって(笑)。家族や仕事先のスタッフ以外にプライベートで外食に誰かと出掛けるのは、1年間で数えるほどです。でも寂しいとまったく思わない。1人行動、楽しいですよ。 ――俳優の方たちとプライベートでも交流があると思っていました。  現場で話しますし、興味があることを質問する時はありますけど、一緒にお酒を飲みに出掛ける機会は全然ないですね。ドラマや映画の打ち上げの食事会もあまり好きじゃないんです。その場では盛り上がるけど、最後の宴みたいな感覚で寂しくなる。でも、皆さんもそうだと思うんですよ。職場の人と仕事の場では力を合わせるけど、プライベートも一緒にいたいかと言ったら、1人でいるほうが気楽な人もいると思います。僕は友達がいないことをマイナスと捉えていません。人間関係のしがらみがないし楽ですから。でも、娘がこの性格を受け継いじゃって(笑)。1人行動が多いんですよ。 心がつながった感覚 ――「友達が必要」という考えが無意識に刷り込まれているのかもしれませんね。  そうですね、もちろん1人で生きていくことはできないし、家族や支えてもらう方たちを大切にしないといけません。ただ、自分に無理して友達付き合いするのが幸せかというとそうじゃないなと。自然に無理をせず生きることで、大切なことに気づくような気がします。先程お話ししたヤノマミ族は言葉が通じなかったけど、一緒に生活して「村に残ってほしい」と言われた時に本当にうれしかったし、心がつながった感覚がありました。あの時に出会った村の首長や子供たちのことを思い出す時があるし、また会いたい。一度しか会っていないし、遠く離れているけど、旅先で出会った人たちはかけがえのない存在ですね。 はらだ・りゅうじ/1970年10月26日生まれ。東京都出身。1990年に渋谷で芸能事務所からスカウトされ、同年の「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で準グランプリを受賞。92年 に ドラマ「キライじゃないぜ」(TBS系)で芸能界デビューする。94年に 「河童」で映画初出演。02年 に NHKの大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」に石田三成の役で大河ドラマ初出演を果たした。その後も「水戸黄門」(TBS系)、「相棒」(テレビ朝日系)など人気ドラマ、映画に出演。俳優以外にも旅番組、バラエティー、情報番組に出演するなど多角的に活動し、視聴者参加型カラオケ番組「カラオケ大賞」(チバテレビ)のMCを務めている。また、自身のYouTubeチャンネル「原田龍二の『ニンゲンTV』」で日本各地の心霊スポットを精力的に巡っている。 (聞き手・平尾類)
早稲田大卒・ハナコ岡部大に聞く子ども時代「親から勉強しなさいと言われたことはない。反抗期もなかったんです」
早稲田大卒・ハナコ岡部大に聞く子ども時代「親から勉強しなさいと言われたことはない。反抗期もなかったんです」 岡部大さん 『キングオブコント2018』王者であり、『新しいカギ』(フジテレビ系)などバラエティ番組でも大活躍のお笑いトリオ・ハナコの岡部大さん。小学生のころからバスケに熱中する一方、秋田県随一の進学校を経て早稲田大学に進学し、文武両道を実現しています。どんな子ども時代を過ごしてきたのか、お話をうかがいました。※後編<ハナコ岡部大、秋田高校300番台から早稲田大へ 高3の夏に始めた「現役合格」のための“猛追作戦”とは?>へ続く 小4から高校生までバスケ漬けの日々 ――岡部さんは秋田県ご出身ですが、小学生くらいのときはどんなお子さんでしたか?  田んぼのど真ん中にあるような小学校で、学校が終わると近くの小川に行ってみんなでおたまじゃくしを探すとか、自然の中でめっちゃ遊んでいました。あとは木の棒ばっかり集めていましたね。手に持ったときに振り回しやすいようなやつがお気に入りで、見つけると家に持ち帰って、傘立てに入れていました。 ――傘立てに? 親御さんに処分されなかったですか。  そうですね。でも小3くらいになって親に「そろそろ木の棒やめないか?」って言われて(笑)。戦隊モノも好きで、オリジナルの剣とかを考えて、自由帳によく書いていましたね。あとは生き物、特に陸の動物が好きで図鑑をよく見ていました。 ――バスケを始めたのはいつ頃ですか?  小4のときにスポーツ少年団のミニバスチームに入りました。隣の家のお兄ちゃんがバスケ部で、家の前でバスケットボールで遊んでいるのを見ていて、いいなと思っていたんです。僕らの代は人数が多かったからどんどん強くなって、小学校最後の年には市や地区大会で優勝できて、結果もついてきたから、ずっと楽しくやれていました。 食事のマナーだけは厳しかった両親 ――小学生のころ、勉強面はどうでしたか?  塾には行っていなかったんですが、何となくクラスの中ではできるほうで。2学年上に姉がいて、小さいころから姉が勉強しているのを横でのぞいたりしていたからですかね。  両親から「勉強しなさい」とは一回も言われたことはないです。宿題は基本やらないタイプだったので、やっていないことがバレたときには「やりなさいよ」とは言われましたけど(笑)。でも、ごはんの食べ方はやたらと厳しかったですね。残さずきれいに食べること、箸の使い方、魚のきれいな食べ方とか、食事のマナーについてはうるさく言われました。そのほかは、怒られたことはほとんどないんです。高校生のときにEXILEのATSUSHIさんみたいに坊主頭にラインを入れたら、父に「まだ早い」って怒られたくらい(笑) 幼少期の岡部大さん。元気いっぱい!(提供) ――怒られないのは、岡部さんがいい子だったのか、ご両親がやさしいのか……。  僕は反抗期もなかったんです。姉が思春期に入って親とバチバチにケンカして、典型的な反抗期をやっているのを見て「僕は反抗期、やらなくていいかな」って。母とは特に仲良しで、小6まで同じ布団で寝ていました。「そろそろ1人で寝なさい」って言われても、枕を持って母の布団に入っていましたね。中学生になっても一緒に買いものに行っていましたし、距離をおくことはなかったです。 ――お母さんっ子だったんですね。どんなお母さんですか?  友だちが家にくると「大ちゃんのお母さんっておもしろいよね」ってよく言われていました。基本は真面目なんですが、明るくて、ふざけるときはふざけるみたいな。お笑いが大好きで、『爆笑オンエアバトル』(※)を寝る前に布団の中で一緒に見ていた記憶があります。 ※NHKで1999年から2009年まで放送。若手お笑いタレントたちが審査員の前で芸を披露する番組。 中3の夏からの勉強で県内随一の進学校へ ――中学もバスケ部に入部、小学生時代よりも練習や指導は厳しかったのではないですか?  週に6日練習があって、さらにバスケ漬けの毎日になりましたけど、楽しいというのは変わらなかったですね。わりと体育会系の厳しさは大丈夫なタイプで。2年生になったら試合にも出られるようになって、よりのめり込んでいきました。 ――頑張ることは苦ではないという感じですか?  そうですね。わりと我慢することが得意なんです。長距離走も得意だったんですけど、長距離って我慢が必要ですよね。テレビに出られるようになったころに大食い企画によく呼んでいただきましたが、たくさん食べられる体質なわけではなくて、我慢できるから食べられるだけなんです。だからちゃんと太ります(笑)。 ――高校は県立トップの秋田高校に進学されています。受験勉強はいつごろから?  部活を引退した中学3年生の7月の終わりくらいです。周りの子たちが一気に塾に通いだしたので、僕もそこから通い始めました。母が知り合いから聞いてきた塾で、個人経営のスパルタな塾でしたね。宿題の量が多くて、間違えるとちゃんと怒られるみたいな。部活でそういった厳しさへの耐性はついていましたし、耐えるのが得意な僕には合っていたかもしれないですね。 幼少期の岡部大さん(提供) ――高校に合格したときの心境は?  親や祖母たちが喜んでくれたのが、何より嬉しかったです。地元の人たちにとって秋田高校に入るというのは、大きなこと。僕自身は初めての受験で、すごく達成感がありました。 高校最後の試合で能代工に大敗 ――入学してからの高校生活はどうでしたか?  めちゃくちゃ頭がいい人ばっかりで。成績がすぐに320人くらい中300番台になってしまいました。でもバスケ部に入って、勉強していなかったので、「まぁ、仕方ないよな」って。勉強している子はすごくしているから差がつくのは当たり前だと思っていたので、成績が悪くても心が折れるということもなかったです。試合にすぐに使ってもらえたので「今はバスケをやりたい」という思いが強く、テストで赤点を取らなければいいや、くらいに思っていました。 ――バスケ部ではキャプテンだったそうですね。目標は?  能代工業高校(現在は能代科学技術高等学校)に勝つことです。全国大会で何度も優勝していて、当時本当に強くて。高3の県大会の準決勝でぶつかって「このためにやってきたんだ」という思いで頑張ったんですけど、180対50で負けました。 ――どんな気持ちでしたか?  試合中何が起こっているのかわからなくなるくらい、レベルが違いました。でかいし、速いし、シュート入るし。そのまま能代工は全国大会で優勝して、めちゃくちゃ強い代だったんです。試合後、あまりの大差にほかの部員たちは誰も泣いていなかったんですけど、僕だけは2時間くらい泣き続けました。高校最後の試合で、チームメイトが1人ずつ順番に挨拶に来てくれたんですけど、全員済んでもまだ泣いているから、挨拶2周目が始まったくらい(笑)。僕はやっぱり悔しかったんです。 小学生時代の岡部大さん(提供) (構成/中寺暁子) 〇ハナコ 岡部大(おかべ・だい)/1989年生まれ、秋田県出身。ワタナベエンターテインメント所属。秋山寛貴、菊田竜大とともに2014年にお笑いトリオ・ハナコを結成。2018年に「キングオブコント2018」優勝。NTV『有吉の壁』『THE突破ファイル』、CX『新しいカギ』『なりゆき街道旅』などにレギュラー出演中。俳優としても活躍し、NHK連続テレビ小説『エール』、TBS系『私の家政婦ナギサさん』、NHK大河『どうする家康』、フジテレビ系『ブルーモーメント』などの出演作がある。
里親になって苦しんだ母の姿が原点に 里親支援の仕組みを作ったNPO法人キーアセット代表・渡邊守
里親になって苦しんだ母の姿が原点に 里親支援の仕組みを作ったNPO法人キーアセット代表・渡邊守 講演を前に。冷え込む朝だったが「北海道生まれなので寒さには強いんです」と笑った(写真:上田泰世)    NPO法人キーアセット代表、渡邊守。親元で暮らせない子どもを里親とつなぎ、里親の研修や支援活動をしているキーアセット。渡邊守が代表をつとめる。渡邊の母は里親として命を削るように子どもを育てた。渡邊自身もまた、里親になった。実感したのは、里親の孤独だった。孤立する里親を支援し、もっと里親を増やしたいと、持てる力を尽くす。 *  *  *  この国には現在、親元で暮らせない子どもが約4万2千人いる。広く知られるようになった虐待だけでなく、親の病気や家出、離婚など理由は様々だ。日本ではこの子どもたちの8割が乳児院や児童養護施設などの施設で暮らすが、一部は一般の家庭に迎え入れられて養育されている。里親養育と呼ばれる形だ。子どもたちがより家庭に近い環境で暮らせることが必要だとして、国は現在、里親委託を進めている。  渡邊守(わたなべまもる・53)が母親から「里親になろうと思うんだけど、どう思う?」と聞かれたのは大学に入学する直前だった。「我が子でもこんなんなのに」と強く反対した。母みよは愛情深い人ではあったが、「感覚として『この人は里親をやったらあかん』と感じた」。しかしみよは息子の反対を押し切って里親になり、渡邊はのちに苦しむ母の姿を目にすることになる。自身も里親の世界に深く関わるきっかけになった出来事だった。  渡邊が代表を務める「特定非営利活動法人キーアセット」(東大阪市)が行っているのは里親のリクルートや研修、そして実際に里親として登録した人を支援する活動だ。事務所は大阪や東京、福岡など全国6カ所にあり、2024年度は複数自治体から事業を受託したほか、一部事業には日本財団から助成金を受けた。講師として招かれることも多い。昨年12月、名古屋市で開かれた里親支援に関わる人材育成講座に登壇した渡邊は受講生たちに語りかけた。 「星の数ほどある生き方のひとつとして、里親という生き方を選んでもらう仕掛けを作らないといけない」 フォーラムに登壇した際、冒頭で「健やかな育ちの経験を得られなかった子ども」へのお詫びと「孤立しながらも養育を担ってこられた里親とその実子」への感謝の言葉を述べてから話を始めた(写真:上田泰世)   病でも「この子を離さない」 身を削り里親続けた母  1971年、北海道で生まれた。父親は牧師で、教団から派遣されて各地を転々とする生活だった。2歳で静岡に引っ越し、その後は千葉、沖縄へ。母もクリスチャンで、両親はDV被害を受けた女性を教会でシェルターのように受け入れていたこともあった。  千葉にいた時にひどいいじめを受け、どうしたら周囲に受け入れられるかを常に考えるようになった。姉2人の観察を通して叱られない行動も身につけた。「すごくひねくれた子どもで、『大人なんて朝飯前や』と思っていた」。心の中にはどろどろしたものを抱えているのに、外から見たら「良い子」。そんな息子を母は溺愛した。だからこそ、母が里親になることには反対だった。母のもとでは「良い子」を強いられるのではないかと感じたからだ。 一緒に留学した妻は「最初は私のほうが上のクラスにいたのに、どんどん伸びて抜かされた。必死さが違ったし、勉強量がすごかった」。家庭でも社会課題についてよく話し合う(写真:上田泰世)    渡邊は実家を離れて日本福祉大(愛知)へ進学。福祉に関心があったわけではなく、学力に合うところを選んだだけだったものの、授業を受ける中で「いつか海外でソーシャルワークを学びたい」という気持ちが芽生えた。しかし大学から始めたアメリカンフットボールに熱中し、「今しかできないことをしよう」とアメフトの実業団を持つ電気設備メーカーに就職。5年ほどすると福祉関係の物品を売る営業職に転職した。その間に大学の後輩だった妻(51)と結婚。介護職に就いた妻には「いつかアルツハイマー専門のケアを学びに留学したい」という夢があった。妻に引っ張られるようにして2002年、会社を辞めて2人でオーストラリアへ渡った。  当時31歳。大学院進学を目標にしたものの、英語力は「This is a penのレベル」。語学学校では6段階のうち一番下のクラスになり、買い物や物件の交渉は中級クラスに入った妻がしてくれた。どうしたら大学院というゴールにたどりつけるのかがまったく分からず、後悔や不安に苛まれて時々日本の転職サイトをのぞいた。  そんなある日、学校に残って勉強していると教師から留学の目的を尋ねられた。このレベルで大学院に行きたいなんて恥ずかしくて口にできない。なんとか「大学に行けたらいいなと思っている」と伝えた。日本の感覚では「無理だ」と言われると思っていた。でもその教師は真剣な顔で「このクラスから大学に行った子はいないけど、幸運を」と言ってくれた。背中を押され、渡豪から10カ月後にモナッシュ大学大学院へ進学した。専攻は児童福祉。文献を読みあさったところ、「日本の高齢者福祉や障害者福祉の水準はそんなに低くない。圧倒的に遅れているのが児童福祉だ」と感じたからだ。1年半後に修士号を取得。最先端の知見を得て「薔薇(ばら)色の人生」を期待して帰国した。だが、なかなか仕事が見つからない。妻がフルタイムの仕事に就いたのを横目に、児童福祉関連機関の嘱託職員やNPOでのアルバイトを掛け持ちする日々だった。  この頃、仕事以上に頭を悩ませたのが母のことだった。3歳の頃から養育していたユウタ(仮名)が荒れ始め、高校生の頃には「1分1秒でも早く、この家から出ていきたい」と言うようになったのだ。母は病気が発覚したにもかかわらず「私の命に代えてでもこの子を育てる」と譲らなかった。  渡邊はみよの様子を見て「養育にエネルギーを注ぐことは難しいだろう」と感じた。「なべちゃん(渡邊)が里親になったらいいやん」という妻の助言を受け、児童相談所にも相談して、渡邊が里親となってユウタを引き取ることにした。  「母は『この子を離さない』と言っていたから、私は人さらい扱い。顔も見ず、口もきいてくれなかった」 全乳協前会長の長井晶子(右)らと年に2度ほど集まって飲む。この日は東京・新橋の居酒屋で。長井は「彼は危なっかしいからまわりが支えるんじゃないですかね」と笑う(写真:上田泰世)    渡邊家に来たユウタは落ち着きを取り戻して大学へ進学。3カ月後、みよは入院先で亡くなった。身を削るようにして里親を続けた母を見送り、渡邊は思った。「命をかけてでも養育しろ、なんて誰も思っていない。誰かが悪いのではなく、何かが欠けているから起きた悲劇」だと。 里親として未熟さを痛感 相談する人がいない孤独  里親として登録していたため、ユウタを送り出すと別の子どもの委託依頼があった。それが高校1年生だったミカ(仮名)だ。現在33歳になったミカは穏やかな印象だが、当時は「何を言われてもうっとうしくて、キーッとなっていた」と笑う。虐待する親から別の里親宅に引き取られたものの、年配だった夫妻は反抗的なミカを持て余し、彼女の目の前で「こんな子は無理」と児童相談所に電話をかけたという。そのような経緯もあり、ミカは「なんやねん、と大荒れで行った。何に対してもツノが立っているというか……。顔つきも相当悪かったと思います」。渡邊夫妻は当時30代後半。優しそうな人たちだとは思ったものの「若いし、大丈夫なのかな」と感じたという。 「小さなことを忠実にできない者に誰も大きなことを任せない」「他人がやりたがらないことを笑顔でやりなさい」という母の教えがいまも胸にある(写真:上田泰世)    渡邊はミカに「うちにはルールは一個しかない」と伝えた。「生きている以上、人は傷つけあってしまうけど、自分も他人もわざと傷つけるのはやめよう」と。だがミカは感情を言葉にして伝えるのが苦手。イライラを吐き出せないから「人に当たるよりも自分に当たっていた」。自傷行為が見つかると話し合いの場が設けられた。カーペットの上に座り、向かい合う。黙っていると「いつまでも待つから」と声をかけられた。ミカは振り返る。 「脳内で時計がチッチッて鳴るんですよ。いつ終わるんやろって」  仕方なく、ぽつりぽつりと話すとようやく自室に戻れた。 「うざかったし、面倒くさかった。でも、それだけ待てるのはすごいな、と思っていました」  19歳で家を出たが、今も毎年、正月は渡邊家で過ごす。「なべちゃんはすごく信頼できる人。今となっては『ありがたい』の一択です」と話すが、一方の渡邊は反省ばかりだという。 「話してくれるまで一晩中でも待つよ、という方法しか当時は思いつかなかった。でも『いつまでも待つ』というなら明日でも1年後でもいいよ、と言えばよかった。本当に申し訳ないことをした」  里親としての未熟さを痛感し、相談できる人がいない孤独さを感じた。そして思った。母も孤立していたのではないか。 (文中敬称略)(文・山本奈朱香) ※記事の続きはAERA 2025年3月31日号でご覧いただけます  
中日、ヤクルトは新人に期待! 開幕一軍ならずも…今季チームの“カギ”になり得る選手たち
中日、ヤクルトは新人に期待! 開幕一軍ならずも…今季チームの“カギ”になり得る選手たち ヤクルト・中村優斗※画像は2024年3月に侍ジャパン選出時のもの  いよいよ開幕となった今年のプロ野球。各チーム、開幕に一軍登録される選手は固まったが、中には主力として期待されながら出遅れている選手がいることも確かだ。今回はそんな開幕メンバーからは外れたものの、今シーズンのキーマンとなりそうな選手を探ってみたいと思う。  セ・リーグでまず名前を挙げたいのが中日のドラフト1位ルーキー、金丸夢斗だ。関西大ではリーグ戦で18連勝、72イニング連続自責点0、通算20勝3敗など圧倒的な成績を残しており、昨年のドラフトでも4球団が1位で競合している。ただ昨年春のリーグ戦で痛めた腰の影響を考慮してキャンプからスロー調整が続き、現時点でもまだ実戦登板を果たしていない(28日の二軍戦でプロ初登板の予定も雨で中止に)。  それでもブルペンでの投球を見た評論家や球界OBもその実力を高く評価しており、首脳陣としても無理はさせずに万全の状態で実戦デビューを迎えるという方針を貫いている。チームとしては先発の柱だった小笠原慎之介(ナショナルズ)の抜けた穴を埋めることが大きな課題となるだけに、金丸にかかる期待ももちろん大きい。仮に一軍デビューが5月、6月にずれ込んだとしても、本来の力を発揮できれば十分に新人王争いに加わる可能性は高いだろう。  セ・リーグのルーキーでもう1人挙げたいのが中村優斗(ヤクルト1位)だ。愛知工業大時代は金丸ほどの成績を残すことはできなかったが、それでも4年時には最速160キロをマークし、コンスタントに150キロ台中盤をマークするスピードはプロでも上位に入る。即戦力としての期待は大きかったものの、合同自主トレ中に上半身の違和感を訴えて別メニュー調整が続いている状況だ。  チームは先発もリリーフも投手陣は手薄な状況であり、昨季5位からの巻き返しを図るには若い選手の底上げが必要不可欠である。金丸と同様に無理は禁物だが、持ち味のスピードボールでプロの打者を圧倒するようなピッチングを見せてくれることを期待したい。  セ・リーグではルーキーの2人を挙げたが、実績のある選手でも故障やチーム事情で開幕一軍から外れた選手も存在している。パ・リーグ連覇を狙うソフトバンクでキーマンとなりそうなのが嶺井博希だ。昨年まで不動の正捕手だった甲斐拓也がフリーエージェント(FA)で巨人に移籍しており、キャッチャーは大きな課題となっている。  現時点では昨年甲斐に次いで出場試合数が多かった海野隆司が一番手と見られており、他の捕手では渡辺陸、谷川原健太の2人が開幕一軍メンバーに名を連ねているが、経験という部分では心もとないのが現状である。嶺井はソフトバンク移籍後は出場試合数こそ少ないものの、DeNA時代からリード面には定評があり、一軍での実績はトップであることは間違いない。近年は配球などはデータ面に頼るところが多いが、それでもその場での捕手の判断や洞察力がモノを言うことはまだまだ多いだけに、シーズン中に嶺井の力が必要な場面が出てくる可能性は高いだろう。  パ・リーグで最下位からの巻き返しを狙う西武では昨年の新人王である武内夏暉の名前が挙がる。ルーキーイヤーはデビューから5連勝を飾るなど、低迷するチームにあって数少ない希望の星となり、21試合に登板して10勝をマーク。防御率2.17はモイネロ(ソフトバンク)に次ぐパ・リーグ2位の数字であり、その安定感は新人離れしたものがあった。  2年目の今年はさらなる飛躍が期待されたが、1月の自主トレ中に左肘を痛め、キャンプではリハビリ生活を余儀なくされていた。それでも手術は回避し、26日には実戦形式の打撃練習に登板して最速145キロをマークするなど順調な回復ぶりを見せている。西武は打線が大きな課題で、投手陣の強さを前面に出して戦う必要があるため、武内の復帰時期と状態によってチーム成績も大きく変わってくることになりそうだ。  今回はセ・リーグ、パ・リーグ2人ずつの名前を挙げたが、他にも一軍昇格が待たれる選手は少なくない。開幕一軍メンバーはどうしても注目が集まるものの、シーズンは長いだけに、ここから巻き返しを見せてくれる選手が多く出てくることを期待したい。(文・西尾典文) 西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。  
ウォーキングも豪華な朝食も必要ない…「攻めのリハビリ医」64歳が認知症予防に「毎朝10分間」やっていること
ウォーキングも豪華な朝食も必要ない…「攻めのリハビリ医」64歳が認知症予防に「毎朝10分間」やっていること ※写真はイメージです(gettyimages)    いつまでも若々しく過ごすために、認知症の予防は欠かせない。どんなふうに生活習慣を変えるといいのか。「攻めのリハビリテーション」を掲げるねりま健育会病院の酒向正春院長に、ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが聞いた――。 なぜ認知症の患者数は増加し続けるのか  2022年から23年にかけて九州大学が発表した研究結果がある。「認知症及び軽度認知障害(MCI)の有病率調査並びに将来推計に関する研究」という長い題名のものだ。  題名は長いけれど、結論は短い。つまり、「認知症の患者は想像以上に多く、今後も増えていく一方」というものだ。高齢になると、誰もが認知症になるリスクがあるわけだ。  研究によれば2022年における認知症の高齢者数は443.2万人(有病率12.3%)、また、MCI(軽度認知障害)の高齢者数は558.5万人(有病率15.5%)と推計されている。そして、この調査から得られた性年齢階級別の認知症及びMCIの有病率が2025年以降も一定とすると、2040年には、それぞれ584.2万人(有病率14.9%)、612.8万人(有病率15.6%)になると推計される。  有病率とは65歳以上の高齢者数(3627万人、2022年)に対する認知症になった人の割合だ。高齢になると、認知症は避けて通ることのできない病気ということである。  そこで、できるだけ認知症にならずに生きていたいわたしは「酒向先生に話を聞くしかない」と判断した。それで連絡して会いに行ったのである。 「私一人ではない」チーム医療を実践する名医  まずはお世辞からである。  「酒向先生は日本一のリハビリ医ですね」  そう言ったら、ねりま健育会病院の院長、酒向正春は首を振った。  「やめてください。私はチームで診療しています。私ひとりではできません。ただ、チームは日本一だと自負しています」  わたしはとたんに謝罪した。  「わかりました。浅はかでした。すみません、それはそれとして、認知症にならないための生活の仕方を教えてください」  酒向先生は微笑する。  「最初からそう言ってください」  現在、酒向先生は練馬区大泉学園にある医療法人社団健育会 ねりま健育会病院院長を務めている。2階が病院で、3階にある老健施設もまた彼が管轄している。著書も多い人だ。NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」第200回にも取り上げられている。  プロフィールは次の通りだ。  酒向先生は1961年生まれ。地元の愛媛大学医学部を卒業して脳神経外科医となった。その後、脳リハビリテーション科に転身し、医師、看護師、リハビリスタッフなどと一緒に「チームねりま」を作り、チームとして障害者や認知症の患者、家族のために働いてきた。 朝5時に目覚めたらすぐにやること  酒向先生に教えてもらったのは「認知症にならないようにするには高齢になる前から、どういった生活を送ればいいか」だ。  具体的には一日の過ごし方だ。加えて食事の内容、酒タバコなどの嗜好品との付き合い方、ウォーキングなどの運動、入浴、睡眠など、対人関係、ペットとの関係……。生活のあらゆる面で認知症にならないためのアドバイスをもらった。  まず、酒向先生に仕事と生活の時間割を訊ねた。 なるほど彼は「これなら健康そのもの」という生活を送っている。  毎朝、起きるのは午前5時だ。そして、起きたらすぐ風呂に入る。  「妻は夜に入りますが、私は朝風呂です。湯の温度は36度くらいです。そして、追い炊きを10分。湯の温度を42度にあげます。至福の時です。湯上りには妻がヘアアイロンで髪の毛を整えてくれます」  風呂に入る時は必ず入浴剤を入れる。肌が弱いため保湿が必要なのだ。水道水で肌がかゆくなる人は入浴剤を使ったほうがいいと先生は言う。 パートナーとの会話が脳を活性化させる  湯上りに髪の毛を整えてもらいながら、妻と会話する。これも重要だ。認知症にならないためには夫婦、パートナーとの親愛のコミュニケーションが不可欠なのである。夫婦、パートナーが冷え切った関係になってしまうと、ストレスがたまる。それはよくない。  入浴の後、麦茶、ブラックコーヒー、加えて少量のブラッドオレンジと牛乳をとる。朝はそれだけで固形物は食べない。  酒向先生は16時間の糖分の断食によるケトジェニックダイエットで体内の脂肪を燃焼させている。  午前6時30分に自宅を出て、徒歩、電車、バスを利用し、7時30分にねりまの病院に到着する。  そのまま仕事に突入だ。老健、および病院の回診から始めて、午前中は15分の病院運営会議を終え、新患外来の診療で忙しい。  正午には検食。病院で出している昼食を食べる。おいしい。しかし、ご飯をお代わりすることはない。  12時45分から15分間は入院判定会議を行う。入院判定会議とは、月に60~70件ある患者の紹介案件のうち、誰を受け入れるかを判断する会議だ。 飲酒は月1回、運動は欠かさない  午後1時から5時30分までは診療、人材の育成、医療安全などがある。その後、午後8時まで、臨床研究、社会貢献活動、講演準備、執筆、学会準備、医師会、地域貢献に関係する仕事をする。  月に一度は会食が入るので、その時は午後5時30分には病院を出る。  帰宅すると、8時30分だ。  愛する妻が作った食事をふたりで食べる。基本的に酒は飲まない。飲むのは会食時のお付き合いで、月1回程度。1回に飲む量はスパーリングワイン1杯と赤ワイン1杯。もしくは、生ビール1杯程度にしておく。  眠るのは午後10時から11時。テレビやスマホはニュースだけ。ショート動画を見ることはない。ただし、趣味の競馬中継とスポーツライブは見ることにしている。  運動は週に1回、スポーツジムに通う。加えて、週に2回は病院か自宅で筋トレとストレッチをやる。疲労がたまると、2カ月に1回は60分のマッサージを利用する。 95歳を迎えるころは8割が認知症に  酒向先生は言う。  「認知症の人の分布ですが、年齢では80代の人で20%くらい、85歳では40%、90代で60%くらいで、95歳になると80%は認知症になると思ってください。ただし、同じ年齢なら女性の割合が高いです。そして、認知症になるには遺伝的な要因と環境的な要因があります。遺伝的な要因がある人はなりやすい。  しかし、生活環境を整えればリスクを減らすことはできます。特に、認知症予防の啓蒙が始まって以来、世界の先進国では、運動と新しい学習や人との交流を楽しく続けることで、90歳までは認知症の発症率が低下するエビデンスが出てきました」  酒向先生のように、早寝早起きして、適度な運動と仕事をしていれば認知症のリスクを減らすことができる。  逆に認知症になりやすい人とはどういった生活を送っている人なのか。これもまた教えてくれた。  「絶対にやってはいけないのはタバコを吸うこと。加えて、糖尿病、高血圧、肥満、鬱の人は認知症になりやすい。なりたくなければ高血圧、肥満にならないよう生活し、鬱にならないよう気をつけることです」 朝風呂で得られる4つの効果とは何か  酒向先生が毎日、朝風呂に入り、16時間の断食とケトジェニックダイエットをしているのは糖尿病、高血圧、肥満、ストレスを防いで気持ちよくなるためで、ひいては認知症になるのを防ぐためである。  そして、先生は朝風呂を推奨する。それは「温熱、清潔、静水圧、浮力」という4つの効果があるからだ。ここにある「静水圧」とは静止した水(お湯)のなかに働く圧力で、水の深さが深くなるほど、静水圧は大きくなる。  先生は朝風呂の4つの効果について、詳しく説明してくれた。認知症になりたくないわたしはメモしながら聴いた。  「まず、温熱効果で深部体温を上げることで、代謝が活発になります。寝起きでなかなか開かないまぶたが覚醒しますし、筋肉のコリや緊張がほぐれます。深部体温を上げるにはゆっくり浸かってください。私は15分は入っています。深部体温とは体の中心部の体温のことです。内臓などの体温で、皮膚表面の温度よりも高い。人間の深部体温は37度前後になります」  次は清潔にすることの効果だ。  「汗や皮膚表面のよごれを落とし、朝一番から清潔ですっきりと、快適な気持ちよさを獲得できます」 シャワーより湯船、そして正しいマッサージを  そして、静水圧効果である。シャワーを浴びて出勤する人は多いと思われるが、シャワーでは静水圧効果がない。そこで、酒向先生はシャワーよりも湯船につかることをすすめる。  「静水圧効果は重要ですよ。横隔膜があがり、呼吸数が増加し、覚醒します。また、下半身の血液が心臓に戻りやすくなり、血液循環が良好になることで、脚のむくみが解消します」  最後が浮力の効果だ。  「浮力効果で、重力の影響が低下するため、筋肉の緊張がほぐれます。腰痛がある時は、浮遊感を利用して、湯船のなかで腰椎の屈曲と伸展運動が簡単にできます。これを10回繰り返します。さらに、膝を屈曲して、左右に回旋する運動も簡単にできます。10回繰り返すことで、腰痛は驚くほど改善します」  屈曲と伸展のほか、酒向先生は「リンパマッサージもいい」と言う。リンパマッサージは体の先端から心臓に向かってマッサージすること。足であればふくらはぎから鼠径部に向かって手で揉んでいく。手のひらから腕の付け根を経て首筋まで揉む。  簡単なマッサージだし、湯船のなかでできる。  そして、もうひとつ、教わった。水道水で風呂に入っているのであれば「入浴剤は必須」ということだ。 ジムやウォーキングよりも気持ちいい  先生は言った。  「私は皮膚が弱いので、入浴剤を使わないと、皮膚がぱさぱさ、かゆかゆになり、とてもつらいです。ですから毎朝、入浴剤を湯船に入れます。入浴剤の効果は、温浴効果と洗浄効果ですが、保湿効果もあると思います」  入浴剤は市販のものでいい。値段も高いものでなくていい。皮膚が「ぱさぱさで、かゆかゆ」になると、ストレスになるので、使うのだという。  朝風呂、入浴剤、湯船での腰痛体操やマッサージはすぐに真似できる。ジムに行ったり、ウォーキングしたりといった手間とお金もかからない。認知症の予防にはまずここから始めるといいだろう。また、風呂は夕方でも夜でもいいが、翌朝も湯船に浸かることを勧める。要はリラックスすることだ。  次回は食事の内容を見直して肥満を防ぐ話である。ひいては認知症のリスクが減少すると思われる。 (野地 秩嘉:ノンフィクション作家)
カバンの中身でわかる認知症になりやすい人の特徴
カバンの中身でわかる認知症になりやすい人の特徴 ※写真はイメージです(gettyimages)   「頭の回転が速くなる」「誰でも脳の機能が向上しそう」「脳の老化防止に使える」「ゲーム感覚で小学生でも楽しめる」「たとえるなら、脳のストレッチ」「集中力や記憶力が伸びた」などの声が届いた、くり返し楽しんで使える『1分間瞬読ドリル』は、何歳からでも6つの力が飛躍的に伸びます。間違ってもOK。1分間で与えられた課題を見ていくだけで、「記憶力」「思考力」「判断力」「読解力」「集中力」「発想力」が抜群にあがります。 子どもには、これから必要とされる「考える力」や勉強脳が磨かれ、覚えに不安があるシニアはボケ防止に使える、そして、大人は脳機能を高めていくことができるのです。10歳から100歳まで、誰でも簡単に続けられる『1分間瞬読ドリル』で、脳をよくしていきましょう! 認知症になりやすい人のカバンの中身、共通点はコレ!  ふとした時に自分のカバンの中を見て「ごちゃごちゃしてるな」と感じたことはありませんか?  レシートや使わないポイントカード、いつから入れっぱなしかわからない飴やティッシュ……。そして、いざ何かを取り出したいときに、「あれ? どこに入れたっけ?」と探してしまう。  この“カバンのごちゃつき”は、単なる整理整頓の問題ではなく、脳の状態や、日々の思考グセとも深く関わっています。私たちの脳は、日常の行動や癖に大きく影響を受けます。 「まぁいっか」「後でやろう」が積み重なると、知らないうちに脳もだんだん怠けグセがついてしまう。その結果、記憶力や判断力が低下しやすくなり、認知機能の衰えにもつながることがあると言われています。 「まだ若いし大丈夫」なんて思わないでくださいね。認知症の予防は、40代・50代から始めるのが理想です。なぜなら、脳の変化は表面に現れるずっと前から、じわじわと進行しているのです。  では、「認知症になりやすい人のカバンの中身」とは、どんな特徴でしょうか? 1. 何が入っているか把握できていない 「どこに入れたっけ?」とカバンの中をガサゴソ探すことが日常になっている人。これは、物忘れや注意力の低下だけでなく、脳が“整理整頓”できていないサインかもしれません。日常生活で整理する習慣がない人は、脳内も情報が散らかりやすくなります。 2. 不要なレシートや古い紙類がたくさん 「もしかしたら必要かも」と思って、つい捨てられない。それが積もり積もると、カバンは不要物の山に。脳も同じで、古い情報や使わない知識を整理できないと、思考が鈍くなっていきます。 3. 「いつか使うもの」で埋まっている  買い物袋、古いクーポン、ずっと使っていないペンやリップ。「いつか使う」の“いつか”は、なかなかやってきません。頭の中も同じで、「いつかやろう」が積み重なる人は、判断力や行動力が低下していく傾向があります。  認知症予防は、「カバンの整理」から始めましょう。カバンの中をスッキリさせることは、脳内を整えるトレーニングにも繋がります。必要なものだけを選び、不要なものは手放す。シンプルな行動ですが、これが脳を活性化する第一歩です。  すぐ散らかってしまう人には、脳の整理整頓力を高めるトレーニングがおすすめです。おすすめしたいのが、『1分間瞬読ドリル』。毎日たった1分で脳に負荷をかけ、集中力・記憶力・判断力を同時に鍛えることができます。脳を刺激する習慣を持つと、生活全体が整理されていく感覚を感じるはずです。 参考資料:認知症になりやすい人の生活習慣3選 *本記事は、『1分間瞬読ドリル』の著者による書き下ろしです。
「ドイツ人は断捨離をしない」それでも家が片付いているのは、日本人とは物に対する考え方がまったく違うから
「ドイツ人は断捨離をしない」それでも家が片付いているのは、日本人とは物に対する考え方がまったく違うから ※写真はイメージです(gettyimages)   多くのドイツ人の家がすっきり片付いているのは、日本人と物に対する考え方がまったく違うからのようです。それはプレゼントやお土産物の渡し方にも表れています。本稿では、『ドイツ人は飾らず・悩まず・さらりと老いる』より一部抜粋のうえ、日本人が参考になるドイツの習慣をご紹介します。 物を捨てる以前に物を買わない  ドイツ人の家を訪れた日本人から「何故あんなに片付いているのですか?」と聞かれることがあります。確かに私がお邪魔するドイツ人の家も、モデルルームみたいにきれいで、日本のように「人をもてなす応接間やリビングだけをきれいにして、残りの部屋は物であふれている」という家は滅多にありません。  これにはドイツと日本の「住宅事情」も関係しています。ドイツの住宅は平均して日本よりも広めです。さらに一軒家には地下室(ケラー Keller)があるので、「普段使わない物を目につくスペースに置かなくて済む」という点は大きいと思います。集合住宅の場合も、全体の地下室に、日本で言うトランクルームのスペースが設けられています。  さらにドイツでは「人を家にあげ、“お家ツアー”をする文化」があります。来客に「これが書斎で、これが子ども部屋で、これが寝室で」と部屋を一つずつ案内するのが礼儀であり、昔からの習慣なのです。したがって必然的に「きれいな家」が保たれるというわけです。 プレゼントは「消え物以外、お断り」  「80代のうちの母は『スッキリした生活』に関するこだわりが徹底しているわよ」  そう教えてくれたのは50代のドイツ人女性で、彼女の母親は子どもや孫たちに「消え物以外のプレゼントを禁止している」のだとか。プラリネ(チョコレート菓子)やお花などをあげると喜ぶそうですが、それ以外は基本的に「物が増えるから」という理由で却下。消え物以外で喜ばれる唯一の例外は「孫の写真」とのことです。  「母は昔からとても現実的で、地に足がついた人。いわゆるセンチメンタルな感情とは無縁で、物を捨てる時も悩まずにサッと決断するから、高齢者には珍しいタイプかもしれない。母が亡くなったとしても、物が少ないので片付けには苦労しないと思うわ」  ドイツ人は誕生日やクリスマスにプレゼント交換をしますが、最近はこれもどんどんシンプルになっています。商品券だったり、その人が好きそうなテーマの本を選び、ラッピングはリボンだけということも。日々の生活の中で「環境保護」という意識が常に頭の中にある人も多く、「包装なしでリボンだけ」がデフォルトになりつつあります。  また最近は、現金をプレゼントすることもタブーではなくなりつつあります。ドイツのデパートや文房具店では現金を入れるための可愛いカード(ゲルトゲシェンクカルテ Geldgeschenkkarte)を見かけるようになりました。  ちなみにドイツには日本のような「旅先から職場の仲間や友達にお土産を買ってくる」という習慣もありません。もらうだけで使わない、いわゆる「ばらまき土産」のやり取りもないので、ますます家がスッキリしているのかもしれません。  ドイツではかつて、メモなどをファイルせずにそのままにしておくことはツェッテルヴィルトシャフト(Zettelwirtschaft)と言われ、揶揄と軽蔑の対象でした。ツェッテル(Zettel)とはメモなどを書いた紙キレのことであり、紙キレが机や部屋に置かれたままでどんどん増えていくカオスな有り様を指します。  昔のドイツでは、女性は花嫁修業も兼ねて家政学を学ぶことが多かったのですが、そこでも「ファイルできない紙キレは即ゴミ箱へ」と教育されていたほどです。 日本にいると紙が増える?  「日本にいると箱とか紙がとにかく増える!」  こう言って笑うのは、かつて日本に住んでいた私の友人、30代のダグマール(Dagmar)さんです。  「ちょっと買い物に行くとビニールや紙袋に入れるでしょ。お土産やプレゼントを買うと、ものすごい紙を持ち帰ることになる」  最近は改善されてきたものの、確かに日本はまだまだ過剰包装が多いと私も感じます。物が捨てられない「もったいない精神」が少しでもあると……家の中に紙袋やら箱やらが増えていくことになります。  現在はドイツに住み、日本語からドイツ語への翻訳の仕事をしているダグマールさんは、「何日までに返送してください」という書類が出版社から届くと、送られてきた封筒の住所の部分だけ貼り替えて、同じ封筒で返送をするのだそうです。  「サイズもぴったりだし、新しい封筒を買う必要もないし、合理的でしょ。メモ用紙には裏紙を使い、かわいい包装紙は取っておいて、また何かの時に使うようにしているの」  物を捨てる「断捨離」を考える前に、まず物を買わない、増やさない。これが節約好きなドイツ人の「片付けの基本」と言えそうです。 (サンドラ・ヘフェリン コラムニスト)
元フジテレビ「渡邊渚」90分インタビューで語った「ウソをつきたくない」という言葉の真意
元フジテレビ「渡邊渚」90分インタビューで語った「ウソをつきたくない」という言葉の真意 渡邊渚さん(撮影/小山幸佑)    今年2月に出版したフォトエッセーが大ヒットとなった、フリーの渡邊渚アナウンサー(27)。フジテレビアナウンサー時代にPTSDに苦しみ、会社をやめざるを得なくなった苦しい経験を前向きなメッセージに変え、多くの人の共感を得た。ネットニュースにも頻繁に取り上げられる「時の人」となったが、本人は今の状況をどう感じているのか。本音を語ってもらった。 *  *  *  インタビューを行ったのは、3月には珍しく雪が降った日だった。 「早めに家を出たら、ちょっと早めに着いちゃいました」  1人で待ち合わせ場所にやってきた元フジテレビアナウンサーの渡邉渚さんは明るい声で笑った。その笑顔から、渡邊さんの「心」は少しずつ回復している様子が見て取れた。   今年2月に出版された初の著書「透明を満たす」(講談社)は、アマゾンのカスタマーレビューが1548個(3月25日現在)にのぼり、大きな反響を呼んでいる。売り上げも好調だと聞くが、実際はどうなのか。 「書籍のほうは1月中旬から、予約注文が跳ね上がりました。1月末に書店に搬入発売したのですが、予約の段階で、すでに3刷りの発売前重版をかけていました。そして、2月に入って4刷りになりました。累計部数も業界的にみれば上々なのですが、Kindleが書籍の部数を圧倒的に上回って売れています。売れ方も含めて異例と言っていいと思います」(講談社関係者)  渡邊さんはSNSの投稿がすぐネットニュースになるなど、その発言が最も注目される女性の1人になった。一躍、「時の人」となった今の状況を渡邊さんはどう感じているのか。 「びっくりしています。エッセーを書き始めた頃は、こんなに読んでくださる人がいるとは思っていなかったんです。だから、アマゾンのレビューを読むと、すごく励まされます。私が伝わってほしいなと思っていたことが、ちゃんと届いているんだって。私には『自分がこうなっていてほしい』という未来があるのですが、その1歩が踏み出せたかなと思っています」 渡邊渚さん(撮影/小山幸佑)   地球上のどこかに味方はいる  フォトエッセーの中には「夢を持つこと──たとえ持っていなくても」という項目がある。筆者がそのフレーズがとても印象的だったと伝えると、渡邊さんはこう答えた。 「本の中では一番短いトピックなのですが、これは絶対に入れようと思っていたんです。私は、自分が抱いていた夢や目標が、ある日突然、壊れて、それを失うという経験をしました。どうやって生きていったらいいかわからくなって、自分の存在意義がなくなったように感じた時期もありました。だから、夢はあるだけで素晴らしいもので、自分が頑張れるエネルギーになるものだと今夢を追いかけている人の背中を押したかった。また、もしそれがなかったり、なくなったりしても、大丈夫だよと。夢や目標がなくても焦らなくていい、ないことを引け目に感じる必要はないと伝えたかったんです。本の中でもここは特にメッセージを込めた箇所です」  2023年6月、渡邊さんは後に大きなトラウマとなる出来事を体験する。それにより体調を崩し、同年7月に都内病院の消化器内科に入院した。心身に不調をきたし、食べ物も喉を通らなくなった。  「コロナの時期でもあったので、基本、面会はできませんでした。それでも(芸人の)キャイーンの天野ひろゆきさんは連絡をくださったことは本当に感謝しています」  自身が予期せぬ出来事で傷つけられ、精神科での入院生活を余儀なくされた日々についてこう振り返った。 「精神科にかかるということがイコール、心が弱い人と受け取られる風潮は間違っていると思います。私は精神科の担当医からPTSDと診断されましたが、それは心が弱いからじゃなく、脳にダメージを受けている状態なんです。わかりやすく言えば、脳の損傷なんです。だから、心の不調というよりも、脳の病気として理解していただけたらうれしいです」  だからこそ、今悩んでいる人たちにはこう伝えたいという。 「もちろん病院にかかるのが一番簡単ですが、医師だけが病気を治すわけではありません。周りにいる人たちの言葉で救われることもあるんです。自分には友達なんていないと思っている人もいるかもしれませんが、実は大切に思ってくれている人がいることもあります。私自身もあまり友達はいない方だと思っていたんですけど、それは私が周りを見てなかっただけだと気づきました。ちゃんと向き合ってみたら、大切に思ってくれる人はいるんですよね。地球上のどこかに絶対に自分の味方はいる。そう信じてほしいなって思います」 渡邊渚さん(撮影/小山幸佑)   元フジのスタッフとも交流はある  フジテレビアナウンサー時代は「めざましテレビ」の情報キャスターやバラエティー番組の進行など責任のある仕事を任され、分刻みで時間に追われていたという渡邊さん。食レポの仕事を大量にこなしていた時期もあった。  「週に3日、食レポのお仕事をしていた時期もあります。1日にラーメン6杯とか食べた日もありました。だから、必然的に太っちゃいますよね(笑)。お店の人の手前、残すわけにもいかないですし。私は食レポでもウソをつきたくなかったので、おいしくないときは『おいしい』とは言わなかったです。食感や具材の特徴を見つけてそれを表現するだけに留めていました。おいしくないものを『おいしい』と言うのは、やっぱり視聴者を裏切ることになると思っています。食レポに限らず、事件、事故の現場レポートでも、ディレクターやカメラマンから『いい絵がほしい』と注文されても、ウソをつかないことは徹底していました」   渡邊さんはフジテレビをやめた後も、かつての同僚たちとつながっているという。 「最初は会社をやめたら、もうフジテレビの人とは誰とも交流がなくなるんだろうなと思っていたんですけど、意外と交流は続いていますし、今でも仲良くしています。私の場合はアナウンサーよりも、番組スタッフさんと仲が良くて、食レポを一緒にやっていたスタッフさんたちとは今でも会いますし、カメラマンや技術さんとも、ご飯を食べに行ったりしているんですよ」  渡邊さんは今、新しい試みを始めている。今年2月から有料の公式メンバーシップ「Lighthouse」を開設した。会員になると「会員限定エッセー」「会員限定Instagramアカウントへの招待」「イベントチケット・限定グッズの先行/優待販売」「会員限定お悩み相談」の特典が受けられるというものだが、開設の経緯をこう語る。 「最初はインスタのサブスクを始めたんですが、会員がどんどん増えてしまい、コメントの数も多すぎて読めず、コミュニケーションが取りづらくなってしまいました。そのため、メンバーシップにしてきちんと対応したいと思ったんです。メンバーシップに入ってくださっている人の中には、うつ病などメンタルに関わる病気を抱えている方もいて、そこでお悩み相談を受けることもあります。さまざまな生きづらさと向き合っている方のお話を聞くことで、これから自分がどんな活動をするべきなのか、ヒントにもなっています。私は医療従事者ではないし、病気の詳しいことはわからないけれど、どうしたらちょっとでも心が楽に生きていけるかということは、自分の体験から言うことはできます。正解はないと思いますが、メンバーシップはファミリーみたいな温かい空間になっています」 渡邊渚さん(撮影/小山幸佑)   イケメンのマネジャーなんていません(笑)  こうした新しい試みが話題になることも多い渡邊さんに対して、誰かがバックについてコントロールしているのでは、と見る向きもある。だが、それに対してはきっぱりと反論する。 「本当にいろいろ言われるんですよ、黒幕がいるんだろうとか。この前は、イケメン敏腕マネジャーがいるとか書かれましたが、イケメンも、マネジャーもいないです(苦笑)。全部自分でやっています。だから、今日も1人でやって来ましたよね」  「ウソが嫌い」と語る渡邊さんはまっすぐな目でそう話す。心身ともに大変な日々を乗り越えた今は、毎日、少しでも楽しいことを見つけながら暮らしているという。 「好きなアニメを見ながら『しゃりもに』(ブルボン)というグミを食べたり、スーパーで両手にたくさんのグミを買っている時が一番テンションが上がります(笑)。私は生活費にはあまりお金を使わないタイプなので、月々の電気代は1980円と基本料金並みです。お金をかけて買うのは、アクセサリーくらいです。女友達と2人でアクセサリーショップ回りをしているときは楽しいです。仕事をがんばった自分へのプレゼントに今度は何を買おうかなとか。これは渋谷で買った2900円のイヤリングなんですよ。落としてもいいように(笑)」  そう楽しそうに話す渡邊さんの笑顔は、やはり誰かを救う力を持っていると思わせる魅力があった。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
さらば、明治の「瓶入り牛乳」 科学が証明した「おいしさ」にメーカーが今も「命をかける」ワケ
さらば、明治の「瓶入り牛乳」 科学が証明した「おいしさ」にメーカーが今も「命をかける」ワケ 3月末で販売が終了する瓶入りの「明治牛乳」。銭湯で風呂上りの瓶牛乳を楽しみにしていた人も多いはずだ=米倉昭仁撮影    乳業大手の明治が瓶入りの牛乳やコーヒー飲料の販売を3月末で終了する。近年、大手乳業メーカーが相次いで瓶入り牛乳の販売を終了するなか、「瓶」にこだわり続けるメーカーや自治体がある。 *   *   *  湯上がりにぐいっと飲む瓶入り牛乳は、銭湯の醍醐味だろう。東京・高円寺の老舗銭湯「小杉湯」は、長年、明治の瓶入り牛乳を販売してきた。1本180円。 「50年前から通っています。銭湯に来ると瓶入り牛乳を飲むことが多い。ひんやりした瓶を口につける感触は家では味わえませんから」  風呂上がりの男性(60)は話す。  父親と小杉湯に来ていた8歳の男の子は、コーヒー牛乳を飲むのが楽しみだという。風呂上がりのコーヒー牛乳の味を聞くと、瓶を片手に指でGOODサインを見せてくれた。 銭湯で飲むコーヒー牛乳が好きだという男の子=米倉昭仁撮影  だが、ここ数年、瓶入り牛乳の取り扱いをやめる大手乳業メーカーが相次いでいる。小岩井乳業は2021年、森永乳業は24年にそれぞれ販売を終了した。1928(昭和3)年の発売以来100年近く親しまれてきた瓶入り「明治牛乳」の販売もまもなく終了する。  牛乳瓶を手に取り、スマホで写真を撮っている女性(30代)もいた。 「明治の瓶入り牛乳がなくなると聞いて、世田谷から来たんです。『銭湯といったら瓶入り牛乳』という感じなので、寂しいです」  小杉湯を営む平松佑介さんは、こう語る。 「うちは昭和30(1955)年ごろからずっと明治の瓶入り牛乳を販売してきました。そもそも、瓶入り牛乳を大々的に売り出したのが銭湯なんですよ」  昭和30年代、冷蔵庫は高級品で、一般家庭にはそれほど普及していなかった。瓶入り牛乳の宅配販売は行われていたが、常温では腐敗しやすく、消費量は伸び悩んだ。そこで乳業メーカーが注目したのが「銭湯」だったと。 「当時、東京には銭湯が2000軒以上ありました。地域の人々が集まる銭湯に冷蔵庫を置き、瓶入り牛乳を飲んでもらったのです」(平松さん) 瓶入り牛乳のおいしさは格別だ。だが、大手乳業メーカーの撤退が相次いでいる=米倉昭仁撮影   科学が証明した「瓶入り」のおいしさ 「瓶入り牛乳」の販売終了が相次ぐ背景には、いくつかの理由があるという。  最大の課題は「供給コスト」だ。瓶は洗えば繰り返し使えるが、洗浄や殺菌に費用がかかる。重さから運送費もかさむ。 「大手乳業メーカーは、『食のインフラ』を支えるという使命感から、瓶入り牛乳の供給コストを価格に転嫁しづらかったのでは」と語るのは、三重県伊勢市の山村乳業の山村卓也さんだ。  山村乳業は1919(大正8)年の創業以来、「おいしい牛乳には瓶が欠かせない」というこだわりを持ってきた。現在、日本最多の14品目47種類の瓶入り乳製品を製造する(自社調べ)。 「うちは瓶入り牛乳に命をかけています」(山村さん)  大手乳業メーカーでは、生乳を120~130度で2~3秒間加熱して殺菌する「超高温瞬間殺菌」が一般的だ。 「短時間で大量の牛乳を製造でき、コストダウンにつながりますが、高温加熱により『牛乳独特のにおい』が生まれてしまう面もあります」(同)  山村乳業は85度の低温で15分間かくはんしながら殺菌する「パスチャライズ殺菌」を採用している。 「手間とコストはかかりますが、たんぱく質や乳脂肪が熱変性することが少なく、牛乳本来の風味を味わうことができます」(同)  その牛乳本来の味をさらに引き立てるのが「瓶」だという。  明治食品開発研究所と金沢工業大学の研究によると、瓶入り牛乳は、牛乳とふたの間の空間「ヘッドスペース」に香りが凝縮し、ふたを開けた瞬間に濃厚な香りが広がる。コップよりも瓶で牛乳を飲むほうが、香りは約3倍強い。瓶の飲み口がくちびるに接触する面積はコップの1.4倍あり、心地よいひんやり感を生み出す。そのため、瓶で飲む牛乳はおいしく感じられるという。  前出の小杉湯の平松さんは、昨年4月、東京・原宿の商業施設「ハラカド」の地下1階に「小杉湯原宿」をオープンした。そこで提供しているのが山村乳業の瓶入り牛乳だ。1本300円。 「牛乳に詳しい知人から、『瓶入り牛乳なら山村乳業』と教えられた。飲んでみておいしさに驚いた」(平松さん) 牛乳本来の味わいを大切にしてきた山村乳業の瓶入り牛乳=米倉昭仁撮影   子どもたちには「瓶入り」が必要  瓶入り牛乳の学校給食にこだわる自治体もある。東京都日野市もその一つだ。 「子どもたちの評判もいいです。紙パックよりも瓶の牛乳のほうがおいしいし、飲みやすい、という声を聞きます」と、日野市教育委員会の担当者は言う。  同市では2005年春、大手乳業メーカーの工場改修にともない、一度は容器が瓶から紙パックに切り替わった。 「子どもたちの食育を進めるうえで、瓶入り牛乳のほうが優れている。保護者や栄養士会から『瓶入り牛乳に戻してほしい』という声が上がった」(日野市教育委員会の担当者)  瓶入り牛乳には、さまざまなメリットがあるという。①容器のにおいが牛乳にうつることなく、五感で牛乳本来のおいしさを味わえる。残食や「牛乳嫌い」が減る。②中身が見えるので、かたまりや異物がないか、目視で確認できる。③児童が飲んだ量を把握できるので教員が喫食の指導をしやすい。④紙パックだと、リサイクルするために切り開いて洗浄する際、周囲の牛乳アレルギーを持つ子どもに影響が出ないようにしなければならない――。  ただし、学校給食の牛乳は、都道府県ごとに設立されている学校給食会を通じて供給されるため、各自治体が業者を決めることができない。独自に瓶入り牛乳メーカーと契約を結ぶには、学校給食会から離脱しなければならず、国からの牛乳代の補助金も受け取ることができなくなる。  当時、周辺自治体の国立市や小平市では独自契約に踏み切り、子どもたちに瓶入り牛乳の提供を継続していた。瓶入り牛乳を求める声はさらに高まった。 「(日野)市は学校給食会から抜けることを了承してくれました。国庫補助がなくなったぶん、市の予算で『牛乳代補助』をつけていただきました」(同)  06年度、同市の学校給食に瓶入り牛乳が復活した。こうした動きは広がり、現在、都内では9市が瓶入り牛乳を小中学校の給食に提供している。そのすべてが郊外の乳業メーカーが製造するパスチャライズ殺菌の牛乳だ。 販売が終了する明治の瓶入り牛乳をスマホで撮影する女性=米倉昭仁撮影   おいしい「瓶入り」が果たす役割  骨と健康について研究してきた女子栄養大学の上西一弘教授は、「牛乳は比較的手軽にカルシウムが取れる、とてもよい食品。学校給食の牛乳が子どもの成長を担う役割は非常に大きい」と言う。  小学生から中学生にかけては「発育スパート」と呼ばれる時期で、十分なカルシウムを摂取できないと、骨が大きく、丈夫に成長できない。そのツケは高齢になったとき、骨粗しょう症や骨折となって表れる恐れがある。 「若いときにどれだけカルシウムを骨に『貯金』できるかが、老後の生活の安心につながります」(上西教授)  おいしい瓶入り牛乳が果たす役割は思いのほか大きいのだ。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
東大推薦入試に合格した息子の母が語る、子ども時代の“種まき”「スケジュールを詰め込んだり間違えても怒ったりはしなかった」
東大推薦入試に合格した息子の母が語る、子ども時代の“種まき”「スケジュールを詰め込んだり間違えても怒ったりはしなかった」 タエさんと息子のキリさん(撮影/横関一浩)  『お金・学歴・海外経験 3ナイ主婦が息子を小6で英検1級に合格させた話』(朝日新聞出版)が話題を呼んだタエさん。息子のキリさんは英語をやる一方で、小学生時代から算数の先取り学習をし、小学校卒業時には高校「数学Ⅰ」まで終えたといいます。その後高校では国際物理オリンピックの代表に選ばれるなど、理数方面の学びへの興味を深めて東大推薦入試に合格しました。英語力という土台を持ちながら自分の学びの方向を決めたきっかけや、当時の思いについて、母親のタエさんと20歳を超えて大人になった息子キリさんにうかがいました。 ※前編<小6で英検1級、推薦で東大合格した息子が語る、母の“英語子育て”「勉強させられていると感じたことは一切なかった」>から続く 「数字で遊ぶのが楽しい」という感覚があった ――3歳になる前から始めた英語は「言葉という道具」と思っていたタエさん。英語以外に力を入れていたのが算数でした。幼稚園年長から学習漫画やネット上の無料のプリント、市販のドリルなどを活用しながら先取り学習を進めてきました。 タエ:幼児期は日常生活の中でも算数の思考を刺激する声かけや遊びをけっこうしていたんです。友だちが来ておやつを分けるときに「2つずつ渡していくね。いくついるかな? 3人いるから1、2、……6個だね」とか。 キリ:生活の中で数に興味をもって遊ぶことはあったと思うけど、記憶に残っているのは『数の悪魔』という本です。数字で遊ぶのが楽しいという感覚をより強めたのはあの本だった。 タエ:だからといって「算数がズバ抜けてできる」というわけではなかった。パズルを解くのはそんなに得意でもないし。 キリ:うん、自分の考えに沿ったロジックでしかできない。面白いっていう漠然とした感覚って、別に自分が得意なジャンルじゃなくてもあるじゃないですか。そういうのに近い感覚でした。 タエ:算数の先取りは小1から順番にやって終わったら次……と進めてまして。小5のときに中学の数学が終わり、高校の「数学Ⅰ」の青チャート(『チャート式基礎からの数学』)を始めたんです。もちろん全部がスムーズということはなくて、苦手な単元があれば他の教材も与えてましたね。「数学Ⅰ」の青チャートも小学生には難しくて一旦やめたんですけど「なんでできないんだろう」と思ったときに、これまで簡単な中学レベルの問題しかやっていなかったからだと気づいて。だから、少しだけ難しい中学生向けの問題集を買ってきて、それをやってから再び青チャートに取り組むようにしました。 キリさんが幼少期に親しんだ英語の本(タエさん提供) ――先取り学習と聞くと、ストイックに問題を解き続けているイメージがありますが、タエさんの手法はほんの少しの問題を毎日コツコツ続けること。そのために一番気をつけていたのは、スケジュールを無理に詰め込んだり間違えても怒ったりせず、息子さんがスッと取り組めるタイミングに合わせる配慮だったそう。 タエ:まず覚えたものは忘れるから「一切覚えなくていい」って言ってました。小さいうちに一生懸命やって覚えたって、忘れてしまうのはしかたないじゃないですか。公式だって絶対忘れるから覚える必要はないし、教えることもなかったです。公式を暗記して解くより、考え方やしくみを理解するほうが大事だと考えていました。 キリ:とにかくできなくて怒られるとか、勉強しなきゃいけない、みたいな圧はまったくなかったし、勉強していると思ってなかった。 タエ:性格もあると思いますが、普通に歯磨きしているのと同じような感じで取り組めたのはよかったと思いますね。英語は言葉だから日常にとけ込むんですよ。算数もとけ込ませたかったけど座ってやらないといけないから、英語のようにはできなかったです。もう一つは「どう取り組ませるか」ですね。例えば算数のテキストを買ってくると、ずっと机に置いたままにして息子が座ったら2秒ですぐ始められるよう、文房具を置いてページを開いておいて。帰ってきたらまず風呂に入れて、出てきたらすぐにご飯を食べさせて、取り組むまでのロスをどれだけなくすかを考えてました。算数をやらせるために頑張っていたというより、「算数をやるための時間を作る」ほうに力を注いでたんです。もちろんやりたくない日もあって、そのときはこちらもまた翌日、と思って強制は一切していませんでした。 物理も数学も同じトーンで続けていた ――理数方面の学びに興味を持ってくれたらとせっせと種まきをしてきたタエさん。化学や鉱物の本を渡したこともありましたが、息子さんは興味を持たずに断念。その後、知人の息子さんが国際化学オリンピックの日本代表に選ばれたことで、数学オリンピック以外にも科学系のオリンピックがあることを知りました。調べると物理の国際オリンピックもあり、大会に出場する日本代表選手の選抜を行っている「全国物理コンテスト 物理チャレンジ!」から116枚もの問題をダウンロード。プリントしてキリさんに手渡すと興味を示して解き始め、ここから物理分野の扉が開き始めます。 国際物理オリンピックの解答用紙(コピー)、物理チャレンジ過去問ファイルなど(タエさん提供) タエ:小学校で算数や数学の先取りをしていたときに、小学生なら誰でも予選から参加できる算数オリンピックに出場していたんですけど、「できる子たちのすごさは違う」と感じて。算数以外にないかなと思っていたら、物理のオリンピックがあることがわかり、中3のときに「全国物理コンテスト 物理チャレンジ!」の問題集を印刷したんです。息子に渡したら、「お! やるんやん」と。 キリ:物理の問題もいつものように「お、次これか」くらいな感じでした。母はたくさん問題をプリントしてくれて大変だったと思いますが、自分は目の前の問題に向き合ってただけなので、そこは感謝しています。 タエ:こっちはあまりやらせすぎないように気をつけてましたね。量が増えるとしんどくなって嫌になるから調整をしたり、時間がない時はあきらめたり。 キリ:自分としては物理も数学も同じトーンで続けていたのですが、「全国物理コンテスト 物理チャレンジ!」では高1の夏に予選通過して、高2で再度チャレンジしたときは国際物理オリンピックの日本代表になりました。数か月間レポート提出もあったのですが、代表になれて大会で銀メダルをもらえたときはうれしかったですね。 ――各国代表の高校生らが物理学の知識を競う「国際物理オリンピック」で銀賞をとった功績がきっかけとなり、東大推薦入試を受験しようと考えたキリさん。日本全国から選りすぐりの優秀な高校生が受験し、英語力だけでなく研究分野におけるコンクールの入賞、論文掲載や課外活動の実績が評価対象になる東大の推薦入試では、キリさんのこれまでの活動がアドバンテージになったといいます。 キリ:当時は正直、大学っていうものがどういうものなのかよくわかってなくて、行ったほうがいいかな、くらいでした。ただ、物理の世界に興味はあって。英検1級と物理オリンピックで推薦が通るかもしれないという話を聞いて、受けられるならと東大の推薦入試を選びました。とはいえ一般入試の場合はセンター試験を受験しなければならず、東大模試(予備校が実施する東京大学入学を想定した模試)は受けていましたね。 国際物理オリンピックの銀メダルや賞状など(撮影/朝日新聞出版写真映像部) タエ:「英語と物理オリンピック」は作戦済みだったんですけどね。推薦で行けたらラッキーじゃないですか。東大模試ではA判定が取れていたので、ほっとしましたね。 キリ:うん、「自分が勉強したな」と思うのは、東大模試のときと、定期テストの歴史くらい(笑)。 母は「俺のことが世界一好きな人」 ――中学時代は首席、高校でもトップクラスの成績で6年間学費を免除されたキリさん。「どんな子どもにでも、その子に秘められた特別な力があるから、親はそれを信じて種まきをして、サポートをするだけ」とタエさんは話します。そんな親子関係があるからこそ、常に自然と学びに向き合えたのかもしれません。 キリ:母は「俺のことが世界一好きな人」だと思います。自分が何を選んでも受け入れてくれますし。他の人と比べたりしないとか、あまり物事を気にしないのは、お互いに信頼しているという絶対的な基盤があるから。性格も自分と母は似てるんちゃうかな。 タエ:似てると思う。 キリ:自分は楽天的で考えることが好きで、鉛筆と紙があれば一生楽しんで生きていける。 タエ:自己肯定感も高いよね。 キリ:「自分が愛されている」という実感があるから、自分を愛せている気がします。とにかく毎日楽しく過ごしています。それは完璧に言えることですね。 タエ:いちばん守りたかったところが育っていてうれしい。 キリ:やりたいことは全力でやらせてくれているので、そこは揺らがないですね。 (構成/久次律子) ※前編<小6で英検1級、推薦で東大合格した息子が語る、母の“英語子育て”「勉強させられていると感じたことは一切なかった」>から続く
小6で英検1級、推薦で東大合格した息子が語る、母の“英語子育て”「勉強させられていると感じたことは一切なかった」
小6で英検1級、推薦で東大合格した息子が語る、母の“英語子育て”「勉強させられていると感じたことは一切なかった」 タエさん(撮影/横関一浩)  お金、学歴、海外経験がないなかで独自の手法でおうち英語を実践し、『お金・学歴・海外経験 3ナイ主婦が息子を小6で英検1級に合格させた話』(朝日新聞出版)も出版したタエさん。息子のキリさんは、2歳10カ月で英語を始めて小6で英検1級に合格、高校では国際物理オリンピックで銀メダルを獲得し、東大推薦入試に合格しました。タエさんの英語子育てについてどう思っていたのでしょうか。20歳を過ぎて大人になったキリさんと、現在は幼児教室「ベビーパーク」の英語育児部門で顧問を務めるタエさんの親子対談をお届けします。 ※後編<東大推薦入試に合格した息子の母が語る、子ども時代の“種まき”「スケジュールを詰め込んだり間違えても怒ったりはしなかった」>に続く 何語でしゃべっていたかはまったく意識していなかった ――大阪に住む専業主婦だったタエさん。自身は大学には行っておらず、特別に英語ができるわけでもありませんでしたが、「子どもの将来を考えたときに英語ができたら可能性が広がる」と思い、おうち英語をスタート。高額な教材やスクール、留学などにかけられるお金がないなか、タエさんの独自のアイデアで試行錯誤を重ねました。息子・キリさんの英語習得のコツは幼児期に「日本語を身につけるのと同じように英語も自然に身につける」ことにあったといいます。英語で語りかけをし、英語のBGMのかけ流し、英語のアニメなど、たくさんの英語に触れる環境を作りながら5歳で日常会話ができるまでになったそうです。 キリ:実は小学校に入る前のことは、正直全然覚えてなくて。日本語をいつからどうしゃべったのかってあまり意識しないのと同じで、小さいころ英語をどんなふうにしゃべっていたかも記憶がないんです。 タエ:言葉だけではなくて小さいころは全体的に記憶がおぼろげだよね。英語でしゃべっているときは、「何語かを考えずに普通に会話しているだけ」と思っていたんじゃない? とにかく日本語と同じように自然に言葉として覚えてほしかったから。 キリさんが幼少期に読んだ英語の本(タエさん提供) キリ:うん、たぶん何語でしゃべっていたかはまったく意識していなかったと思う。英語をしゃべろうとして話していたのではなくて、何かの拍子に勝手に切り替わる感じで不意に出ていたんじゃないかな。 タエ:英語をいかに生活になじませるか、は、いろいろやりましたね。まず日本語がいちばん大事だから日本語でたくさん語りかけて、日本語を獲得したな、と思ってから2歳10カ月で英語を始めて。当時はまだ「日本語と同じくらい英語の量を与えることが大事」という観点の情報は少なくて。CDのかけ流しをしたり英語の絵本を読んだり、自分は英語ができないのに生活に必要なフレーズを覚えて言ったりして。多くの人は「それだけ?」と思うかもしれませんが、「日本語と同じ量をインプットする環境を英語でも作る」と考えると、けっこうな英語量です。日常的に英語で語りかけながら、親子で英語の絵本を読んだり絵日記を書いたり、毎日の生活に「当たり前」にあるように工夫していました。 お母さんはもっと英語ができると思ってた ――5歳で英検を受け始めると、幼稚園卒園前に準2級を、小6で1級を取得したキリさん。幼児期には「朝・昼・晩」に英語のCDのかけ流しをし、1日2分のフラッシュカード、夕方に英語のアニメタイム、夜に英語の絵本の読み聞かせをすることで、なるべくネイティブの子どもと同じ英語環境で暮らしながら少しずつ資格試験の実績を作っていったといいます。 タエ:幼少期はいろいろ取り組んでいました。現在、英語関係の仕事をしていていろんな親御さんを見ていて思うのは、自分の英語の「語りかけのしかたがよかったのかもしれない」というのがあります。私は「英語ができないこと」にあまりにも躊躇(ちゅうちょ)がないというか、少しくらい間違った英語でもめっちゃ自信満々で語りかけていたんです。これがなかなか難しい。正しい英語を使わなければとしり込みしてしまう方が多い気がします。「Brush your teeth(歯磨きしてね)」「Wash your hands(手を洗って)」など簡単な英語でいいから自分にできることを、さもアメリカ人の親が子どもに言うように話しかけていましたね。 国際物理オリンピックの解答用紙(コピー)、物理チャレンジ過去問ファイルなど(タエさん提供)  あと「勉強として頑張らせない」のも大事。英語を教えようとして「This is a desk」みたいに学ばせようとすることが多いと思うんです。「まず単語から語りかけたほうがいいですか?」と聞かれたときも「なんでそんなことを思うんやろ」と感じたりして。でも普通に言いたいことをなるべく英語で言う、ということなんです。なるべくと言っても全然言えないんですけど、自分が言えることは言うと。小学校3、4年のころ、息子に「お母さん、もっと英語ができると思ってた」って言われましたね(笑)。 キリ:そんなこと言ったんだ。全然覚えてない。 タエ:そう。それで「すごいやろ、できへんのやで」って答えて(笑)。 キリ:とにかく自分は無意識に言葉を使っていて、英語について何か勉強させられていると感じたことは一切なかったです。言葉に好きも嫌いもないし、そもそも言葉って意識の下にあるような感じじゃないですか。日本語と英語、どっちで話していたかを考えることが少し不思議なくらい。 ――絵本を読めるようになってからは好きな本を少しずつ広げながら多読もしていたキリさん。タエさんは通販サイトや中古書店で購入していました。 タエ:赤い大きな犬の「クリフォード」の絵本やアニメは好きでよく見てたよね。私は本の語数を数えて「今月は10万語超えた!」って喜んでたんです。簡単な本から少しずつ読む力を実感してね。小学生時代は『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』(静山社)をよく読んでたね。 キリ:それは覚えてる。『パーシー・ジャクソン』はギリシャ神話がからんだ話なんですけど、神様のとらえ方が日本神話とちょっと似ているところがあって好きだったな。 タエ:よかった、覚えてることがあって(笑)。本人が気に入ったら同じ作者の本を買って、を繰り返しながら英語の本を読んでいましたね。 英語はあくまで道具 ――英語以外に算数にも力を入れたというタエさん。「算数ができれば将来の勉強で困ることはない」という思いで続けた学びは、算数や数学の先取り学習、中学生で物理の世界への興味につながっていきます。英語という土台を持ちながら好きな分野を英語で学ぶ面白さを実感しながら、高校では世界各国の高校生らが物理学の知識を競う「国際物理オリンピック」にも出場しました。 国際物理オリンピックの銀メダルや賞状など(撮影/朝日新聞出版写真映像部) タエ:高2で国際物理オリンピックに出場したときは開催地で英語が役に立ったんじゃない? キリ:他の国の人とコミュニケーションをとるときは英語ができて楽しめましたね。問題文は基本的に全部翻訳されるので、解くときは英語ができたことで有利になることはなかったです。でも翻訳されたものと原文の両方をもらえるので、自分は基本原文で解いていたような……。あと、大学3、4年になって授業が英語になったことや、いろいろな国から留学生が来て英語が公用語のような感じになっていたので、英語ができて楽だったというのはあります。 ――自宅学習が中心で、中学受験や大学受験の際にも塾通いや通信教育は一切しなかったキリさん。その裏側では「どんな子にでも、その子に秘められた特別な力があるはず」と信じて、お金をなるべく使わずに親の知恵と工夫で子育てをしてきたタエさんの、学習サポートに対する強い思いがあります。 タエ:実は、英語を習得しているからといって、息子が「英語の道に進みたい」と望んだらいやだなと思っていたんです。自分が始めた英語が息子の人生を決定してしまったら、それはそれで複雑な心境になるのではないかと。でも息子は自分なりに好きな分野を見つけて進路を選んでくれて。物理学という分野に興味をもって国際オリンピックに参加したりその後の進路を決めたりしたときはうれしかったですね。 キリ:英語はあくまで道具なので、どういう方向に進むかはまったく別の話ですね。母は自分がやってみたいことを全然否定しないし、すべてを受け入れてくれたので、とてもありがたかったです。 (構成/久次律子) ※後編<東大推薦入試に合格した息子の母が語る、子ども時代の“種まき”「スケジュールを詰め込んだり間違えても怒ったりはしなかった」>に続く

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