『キングオブコント2018』王者であり、『新しいカギ』(フジテレビ系)などバラエティ番組でも大活躍のお笑いトリオ・ハナコの岡部大さん。小学生のころからバスケに熱中する一方、秋田県随一の進学校を経て早稲田大学に進学し、文武両道を実現しています。どんな子ども時代を過ごしてきたのか、お話をうかがいました。※後編<ハナコ岡部大、秋田高校300番台から早稲田大へ 高3の夏に始めた「現役合格」のための“猛追作戦”とは?>へ続く

MENU 小4から高校生までバスケ漬けの日々 食事のマナーだけは厳しかった両親 中3の夏からの勉強で県内随一の進学校へ 高校最後の試合で能代工に大敗

小4から高校生までバスケ漬けの日々

――岡部さんは秋田県ご出身ですが、小学生くらいのときはどんなお子さんでしたか?

 田んぼのど真ん中にあるような小学校で、学校が終わると近くの小川に行ってみんなでおたまじゃくしを探すとか、自然の中でめっちゃ遊んでいました。あとは木の棒ばっかり集めていましたね。手に持ったときに振り回しやすいようなやつがお気に入りで、見つけると家に持ち帰って、傘立てに入れていました。

――傘立てに? 親御さんに処分されなかったですか。

 そうですね。でも小3くらいになって親に「そろそろ木の棒やめないか?」って言われて(笑)。戦隊モノも好きで、オリジナルの剣とかを考えて、自由帳によく書いていましたね。あとは生き物、特に陸の動物が好きで図鑑をよく見ていました。

――バスケを始めたのはいつ頃ですか?

 小4のときにスポーツ少年団のミニバスチームに入りました。隣の家のお兄ちゃんがバスケ部で、家の前でバスケットボールで遊んでいるのを見ていて、いいなと思っていたんです。僕らの代は人数が多かったからどんどん強くなって、小学校最後の年には市や地区大会で優勝できて、結果もついてきたから、ずっと楽しくやれていました。

食事のマナーだけは厳しかった両親

――小学生のころ、勉強面はどうでしたか?

 塾には行っていなかったんですが、何となくクラスの中ではできるほうで。2学年上に姉がいて、小さいころから姉が勉強しているのを横でのぞいたりしていたからですかね。

 両親から「勉強しなさい」とは一回も言われたことはないです。宿題は基本やらないタイプだったので、やっていないことがバレたときには「やりなさいよ」とは言われましたけど(笑)。でも、ごはんの食べ方はやたらと厳しかったですね。残さずきれいに食べること、箸の使い方、魚のきれいな食べ方とか、食事のマナーについてはうるさく言われました。そのほかは、怒られたことはほとんどないんです。高校生のときにEXILEのATSUSHIさんみたいに坊主頭にラインを入れたら、父に「まだ早い」って怒られたくらい(笑)

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中寺暁子
ライター 中寺暁子

健康情報誌編集部などを経て、2000年からフリーに。医療・健康・教育のテーマを中心に取材・執筆活動を行う。

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