
「山口もえ」夫・田中裕二と初めての出会いは大学4年生 今でも思い出す “忘れられない一言”とは?
山口もえさん(撮影/写真映像部・東川哲也)
2015年に爆笑問題の田中裕二さんと結婚し、3人の子どもの母でもある山口もえさん(47)。そのおっとりとした口調と“ゆるふわ”な雰囲気はママになっても健在ですが、実は20代のときは“仕事ざんまい”で精神的な余裕がなく、芸能活動では悩みも多かったといいます。インタビュー【前編】では、「間違えて入った」という芸能界入りの経緯やCMでブレークした20代の生活、後の夫となる田中さんとの出会いなどを聞きました。
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山口さんには、田中さんに言われた今でも忘れられない一言がある。
大学4年生のとき、「号外!!爆笑大問題」(日本テレビ系)という番組で爆笑問題と共演したときのこと。田中さんは、高校生時代の山口さんが出演していたCMや番組を見ていたようで、雑談しているなかでこう言われたという。
「〇〇っていう番組に出ていたよね。それを見たときに、この子は売れるって思ったんだよ」
すでに有名なお笑い芸人だった田中さんが、高校生のときの自分のことを知ってくれているとは思いもよらず、「いい人だな」と感じたが、山口さんはまだ大学生。後に田中さんと結婚するとは夢にも思っていなかった。
そんな山口さんが芸能界の門をたたいたのは、高校1年生のとき。子どもの頃からクラシックバレエを習い、プロを目指していたが、思春期も重なり、男性と密着して踊ることに抵抗を感じるようになっていた。1人で踊れる新しいダンス教室を探していたところに、雑誌で「ダンスレッスン無料」という文字が目に飛び込んできた。
クラシックバレエを習っていた頃の山口もえさん(事務所提供)
「雑誌を見て『無料なんだ!』と申し込んで行ったら、ダンス教室ではなくて今の事務所だったんです。『あれ、違った』と思って帰ろうとしたら、たまたまその日は普段いない社長がいて、『芸能界に興味がないんだったら、ダンスレッスンだけ受けてみませんか』と声をかけてくれたんです」
最初は本当にレッスンに通っていただけだったが、一緒にダンスを習う友達が「次はこんなドラマに出るんだ」とか「CMが決まったんだ」と話す内容に興味をひかれ、「私もオーディションを受けたいです」と言って、山口さんの芸能活動が始まった。
山口もえさん(撮影/写真映像部・東川哲也)
夫・田中裕二の第一印象
小さい頃から引っ込み思案で、「幼稚園の頃は母親の後ろに隠れているような子だった」と振り返る山口さん。芸能活動をすると決めたときは周囲に驚かれたという。両親も反対はしなかったが、事務所との契約のときに「大学は卒業まで通うこと」という条件をつけた。
「両親はきっと、やってみても続かないんじゃないかと思っていたと思います。でも最初にやった仕事が、お味噌のCMで。撮影のあとに白だし、赤だし……と抱えきれないぐらいお味噌をいただいたんです。それで両親も、祖父も喜んでくれて、『こんなにみんなが喜ぶ仕事なんだ!』とうれしくなりました。ダンスレッスンも、お味噌も無料でいただいて……私は本当に無料に弱いんですよね(笑)。無料にひかれて行った先が、芸能界だったという感じです」
16歳で仕事を始め、10代のうちはCMがトントンと決まり、順調に活動をスタートしたかに見えた。しかし大学に入り、20歳前後になると、学生としては年長、大人としては若すぎる、という理由でなかなか仕事が決まらない時期が続いた。
だが逆に時間ができたことで大学の勉強に集中でき、3年までに卒業に必要な単位をほとんど取り終えていた。そして大学4年生のときに「マツモトキヨシ」の「なんでも欲しがるマミちゃん」のCMが決まり、山口さんは大ブレーク。そこから一気に忙しくなっていった。
前述のように、現在の夫である田中さんと初めて出会ったのもこの頃だった。「号外!!爆笑大問題」で共演した田中さんの印象は「とにかく優しい人」。相方の太田光さんがちょっかいを出して楽しませ、田中さんが優しくフォローする。切れ味鋭いトークにプロフェッショナルを感じ、学ぶことは多かった。ただ、恋愛感情は一切なく、あくまで「すてきな先輩」の枠にとどまっていた。田中さんは当時、前妻との結婚を予定しており、番組で「結婚式場を下見する」企画に山口さんが出演することになった。
「一緒に結婚式場にロケに行って、私はウェディングドレスを着させられて、タキシードを着た田中さんと歩くという映像が残っているんですけど、当時は『なんでこんなところでウェディングドレスを着なきゃいけないの? 自分が結婚するまで取っておきたいのに』ぐらいに思っていました。それぐらい夫に対しては何も思っていなかったですね」
山口もえさん(撮影/写真映像部・東川哲也)
「芸能界をいつやめるか」ばかり考えていた
ただ、一方の田中さんには冒頭のような発言に加え、こんなエピソードもある。番組の収録が終わるタイミングがバレンタインデーだったため、山口さんは共演者やスタッフにお菓子を作り、メッセージカードを添えて渡したのだが、それを田中さんは結婚するまで大事に取っていたのだ。
「結婚してから『ほら』って見せられてびっくりしました。心のなかで気になっていたのか、単に物持ちがよかったのか……それは聞いたことはないです。でも、物持ちがよかっただけなんだと思いますよ(笑)」
順調に仕事が舞い込んできていた山口さんだったが、20代前半の頃は「芸能界をいつやめるか」ということばかり考えていたのだという。急に仕事が忙しくなったことで自分のペースがついていかず、自分が芸能界に向いているのかもわからなくなっていた。
「事務所の人に『やめたい』と言うと、少しお休みをもらってリフレッシュして、また働いて、ということの繰り返しでした。でもあるとき、『やめて何をやりたいんだ』と言われたんです。私はオードリー・ヘップバーンにあこがれていたので、『私も世のため人のために役立つことがしたいです』と答えました。そうしたら『いま20代のもえが、何かしたい、と手を挙げても誰も賛同してくれないけど、この仕事で頑張って一生懸命働いたら、何かしたいと言ったときに協力してくれるかもしれないよ』と言われて、『なるほど』と。そこからもうちょっと頑張ってみよう、と思えました」
山口さんは30歳で第1子となる長女を出産した。出産前には産休を取得したが、それは社会に出てから仕事しかしていなかった山口さんが立ち止まる、初めてのタイミングだった。時間ができたことで自分を見つめ直すと、ふと「本当に仕事に復帰できるのか」「自分だけ置いていかれてしまうのでは」という不安がこみ上げてきた。
「根本的に自分に自信がなくて、誇れるものや自信をつけられるものがほしい、という思いもあったと思います。それで『私は何が好きかな』と考えたときに野菜が好きだなと気づいて、野菜ソムリエの資格の勉強をしました。立ち止まるきっかけをくれたのも子どもだし、スキルアップしなきゃいけないと気づかせてくれたのも子どもでした。自分より大切な存在ができて……本当に自分が変わったなと思っています」
山口もえさん(撮影/写真映像部・東川哲也)
「欲張っちゃってもいいのかな」
33歳のときには第2子となる長男を出産した。だが、30代のあいだは、ずっと仕事と家庭の両立に悩み続けたと振り返る。子どもを預けて働くことへの罪悪感を覚えることもあったが、親と離れても元気で過ごしている子どもの姿を見て安心することもあった。
「365日、24時間親がそばにいることが、子どもにとっていいわけではないんですよね。何より私が仕事でリフレッシュして帰って、それを見た子どもが『ママ、すごく楽しそうだね』『幸せそうだね』って言ってくれたことがあって。きっとそれは子どもにいい影響を与えますし、母である私が元気で楽しくしているのって子どもにも伝わるんだなと。仕事をしながら子育てをするのはもちろん大変ですけど、欲張っちゃってもいいのかな、と思いました」
(藤井みさ)
●山口もえ(やまぐち・もえ)/1977年、東京都出身。成城大学法学部法律学科卒業。幼少期からクラシックバレエを習う。16歳のときに現在の事務所でダンスレッスンを受け始め、大学在学中に出演したドラッグストア「マツモトキヨシ」のCMで一躍人気者に。以後、バラエティー番組や情報番組、ドラマなどに多数出演。野菜ソムリエプロ、愛玩動物飼養管理士2級、ホリスティックビューティアドバイザーなどの資格も持つ。2015年にお笑いコンビ・爆笑問題の田中裕二さんと結婚。3児の母。