AERA with Kids+ Woman MONEY aerauniversity NyAERA Books TRAVEL
検索結果4224件中 201 220 件を表示中

「山口もえ」夫・田中裕二と初めての出会いは大学4年生 今でも思い出す “忘れられない一言”とは?
「山口もえ」夫・田中裕二と初めての出会いは大学4年生 今でも思い出す “忘れられない一言”とは? 山口もえさん(撮影/写真映像部・東川哲也)    2015年に爆笑問題の田中裕二さんと結婚し、3人の子どもの母でもある山口もえさん(47)。そのおっとりとした口調と“ゆるふわ”な雰囲気はママになっても健在ですが、実は20代のときは“仕事ざんまい”で精神的な余裕がなく、芸能活動では悩みも多かったといいます。インタビュー【前編】では、「間違えて入った」という芸能界入りの経緯やCMでブレークした20代の生活、後の夫となる田中さんとの出会いなどを聞きました。 *  *  *  山口さんには、田中さんに言われた今でも忘れられない一言がある。  大学4年生のとき、「号外!!爆笑大問題」(日本テレビ系)という番組で爆笑問題と共演したときのこと。田中さんは、高校生時代の山口さんが出演していたCMや番組を見ていたようで、雑談しているなかでこう言われたという。 「〇〇っていう番組に出ていたよね。それを見たときに、この子は売れるって思ったんだよ」  すでに有名なお笑い芸人だった田中さんが、高校生のときの自分のことを知ってくれているとは思いもよらず、「いい人だな」と感じたが、山口さんはまだ大学生。後に田中さんと結婚するとは夢にも思っていなかった。  そんな山口さんが芸能界の門をたたいたのは、高校1年生のとき。子どもの頃からクラシックバレエを習い、プロを目指していたが、思春期も重なり、男性と密着して踊ることに抵抗を感じるようになっていた。1人で踊れる新しいダンス教室を探していたところに、雑誌で「ダンスレッスン無料」という文字が目に飛び込んできた。 クラシックバレエを習っていた頃の山口もえさん(事務所提供)   「雑誌を見て『無料なんだ!』と申し込んで行ったら、ダンス教室ではなくて今の事務所だったんです。『あれ、違った』と思って帰ろうとしたら、たまたまその日は普段いない社長がいて、『芸能界に興味がないんだったら、ダンスレッスンだけ受けてみませんか』と声をかけてくれたんです」  最初は本当にレッスンに通っていただけだったが、一緒にダンスを習う友達が「次はこんなドラマに出るんだ」とか「CMが決まったんだ」と話す内容に興味をひかれ、「私もオーディションを受けたいです」と言って、山口さんの芸能活動が始まった。 山口もえさん(撮影/写真映像部・東川哲也)   夫・田中裕二の第一印象  小さい頃から引っ込み思案で、「幼稚園の頃は母親の後ろに隠れているような子だった」と振り返る山口さん。芸能活動をすると決めたときは周囲に驚かれたという。両親も反対はしなかったが、事務所との契約のときに「大学は卒業まで通うこと」という条件をつけた。 「両親はきっと、やってみても続かないんじゃないかと思っていたと思います。でも最初にやった仕事が、お味噌のCMで。撮影のあとに白だし、赤だし……と抱えきれないぐらいお味噌をいただいたんです。それで両親も、祖父も喜んでくれて、『こんなにみんなが喜ぶ仕事なんだ!』とうれしくなりました。ダンスレッスンも、お味噌も無料でいただいて……私は本当に無料に弱いんですよね(笑)。無料にひかれて行った先が、芸能界だったという感じです」  16歳で仕事を始め、10代のうちはCMがトントンと決まり、順調に活動をスタートしたかに見えた。しかし大学に入り、20歳前後になると、学生としては年長、大人としては若すぎる、という理由でなかなか仕事が決まらない時期が続いた。  だが逆に時間ができたことで大学の勉強に集中でき、3年までに卒業に必要な単位をほとんど取り終えていた。そして大学4年生のときに「マツモトキヨシ」の「なんでも欲しがるマミちゃん」のCMが決まり、山口さんは大ブレーク。そこから一気に忙しくなっていった。  前述のように、現在の夫である田中さんと初めて出会ったのもこの頃だった。「号外!!爆笑大問題」で共演した田中さんの印象は「とにかく優しい人」。相方の太田光さんがちょっかいを出して楽しませ、田中さんが優しくフォローする。切れ味鋭いトークにプロフェッショナルを感じ、学ぶことは多かった。ただ、恋愛感情は一切なく、あくまで「すてきな先輩」の枠にとどまっていた。田中さんは当時、前妻との結婚を予定しており、番組で「結婚式場を下見する」企画に山口さんが出演することになった。 「一緒に結婚式場にロケに行って、私はウェディングドレスを着させられて、タキシードを着た田中さんと歩くという映像が残っているんですけど、当時は『なんでこんなところでウェディングドレスを着なきゃいけないの? 自分が結婚するまで取っておきたいのに』ぐらいに思っていました。それぐらい夫に対しては何も思っていなかったですね」 山口もえさん(撮影/写真映像部・東川哲也)   「芸能界をいつやめるか」ばかり考えていた  ただ、一方の田中さんには冒頭のような発言に加え、こんなエピソードもある。番組の収録が終わるタイミングがバレンタインデーだったため、山口さんは共演者やスタッフにお菓子を作り、メッセージカードを添えて渡したのだが、それを田中さんは結婚するまで大事に取っていたのだ。 「結婚してから『ほら』って見せられてびっくりしました。心のなかで気になっていたのか、単に物持ちがよかったのか……それは聞いたことはないです。でも、物持ちがよかっただけなんだと思いますよ(笑)」  順調に仕事が舞い込んできていた山口さんだったが、20代前半の頃は「芸能界をいつやめるか」ということばかり考えていたのだという。急に仕事が忙しくなったことで自分のペースがついていかず、自分が芸能界に向いているのかもわからなくなっていた。 「事務所の人に『やめたい』と言うと、少しお休みをもらってリフレッシュして、また働いて、ということの繰り返しでした。でもあるとき、『やめて何をやりたいんだ』と言われたんです。私はオードリー・ヘップバーンにあこがれていたので、『私も世のため人のために役立つことがしたいです』と答えました。そうしたら『いま20代のもえが、何かしたい、と手を挙げても誰も賛同してくれないけど、この仕事で頑張って一生懸命働いたら、何かしたいと言ったときに協力してくれるかもしれないよ』と言われて、『なるほど』と。そこからもうちょっと頑張ってみよう、と思えました」  山口さんは30歳で第1子となる長女を出産した。出産前には産休を取得したが、それは社会に出てから仕事しかしていなかった山口さんが立ち止まる、初めてのタイミングだった。時間ができたことで自分を見つめ直すと、ふと「本当に仕事に復帰できるのか」「自分だけ置いていかれてしまうのでは」という不安がこみ上げてきた。 「根本的に自分に自信がなくて、誇れるものや自信をつけられるものがほしい、という思いもあったと思います。それで『私は何が好きかな』と考えたときに野菜が好きだなと気づいて、野菜ソムリエの資格の勉強をしました。立ち止まるきっかけをくれたのも子どもだし、スキルアップしなきゃいけないと気づかせてくれたのも子どもでした。自分より大切な存在ができて……本当に自分が変わったなと思っています」 山口もえさん(撮影/写真映像部・東川哲也)   「欲張っちゃってもいいのかな」  33歳のときには第2子となる長男を出産した。だが、30代のあいだは、ずっと仕事と家庭の両立に悩み続けたと振り返る。子どもを預けて働くことへの罪悪感を覚えることもあったが、親と離れても元気で過ごしている子どもの姿を見て安心することもあった。 「365日、24時間親がそばにいることが、子どもにとっていいわけではないんですよね。何より私が仕事でリフレッシュして帰って、それを見た子どもが『ママ、すごく楽しそうだね』『幸せそうだね』って言ってくれたことがあって。きっとそれは子どもにいい影響を与えますし、母である私が元気で楽しくしているのって子どもにも伝わるんだなと。仕事をしながら子育てをするのはもちろん大変ですけど、欲張っちゃってもいいのかな、と思いました」 (藤井みさ) ●山口もえ(やまぐち・もえ)/1977年、東京都出身。成城大学法学部法律学科卒業。幼少期からクラシックバレエを習う。16歳のときに現在の事務所でダンスレッスンを受け始め、大学在学中に出演したドラッグストア「マツモトキヨシ」のCMで一躍人気者に。以後、バラエティー番組や情報番組、ドラマなどに多数出演。野菜ソムリエプロ、愛玩動物飼養管理士2級、ホリスティックビューティアドバイザーなどの資格も持つ。2015年にお笑いコンビ・爆笑問題の田中裕二さんと結婚。3児の母。
「女の子に学歴は必要ない」と言われた10代 「親」や「目上」からの押しつけは今なお根強く 3月8日は「国際女性デー」【読者アンケート結果発表】
「女の子に学歴は必要ない」と言われた10代 「親」や「目上」からの押しつけは今なお根強く 3月8日は「国際女性デー」【読者アンケート結果発表】      3月8日は「国際女性デー」です。男女平等の度合いを示すジェンダーギャップ指数では「後進国」の日本。性別による「無意識の思い込み」や偏見は日常生活のなかに多く存在し、男女間での不平等、そして個人の生きづらさにつながっています。そんな性別による格差の解消が叫ばれている現在ですが、AERA dot.編集部のアンケートでは、性別に基づく「決めつけ」や「押しつけ」は76%が「ある」と回答。その多くが「親」や「目上の人」などから受けていました。一方、以前と比べて「減った」「なくなった」という回答は約半数。私達の社会は、これから生きやすい場所に変わっていくのでしょうか。 *   *   *  アンケートは2月26日から3月5日まで実施。445人から回答がありました。ご協力いただき、ありがとうございました。        まず、日常生活のなかで、「男性だから◯◯すべきだ」「女性は◯◯をして」という決めつけや押しつけ、男女間での「不平等」や「格差」を感じることがあるか聞いたところ、「よくある」と「時々ある」が同数で最も多い38.0%。対して、「あまりない」は13.7%、「まったくない」は7.4%でした。  その相手がだれかについては、「親や親族から」が最も多い50.9%で、ほぼ同数の「職場の上司、学校の先生など、目上の人から」が50.6%で続きました。続いては「地域での付き合いのなかで」が39.5%、「結婚相手、パートナー」は4番目の29.4%でした。    決めつけ、押しつけの内容としては「『男性らしさ』『女性らしさ』の押しつけ」が59.9%と最も多く、「家庭での家事の負担」が49.7%。「職場での女性役員や管理職の少なさ」「子育て、介護の負担」「給与面など職場の待遇で男女差」が4割弱でほぼ同数でした。     「女の子なんだから勉強なんてできなくていいよ」 「○○ちゃんは大学なんて行かなくていいんだからね。女の子に学歴なんか必要ないよ」  10代の女性は、そんな言葉を言われたことがあると、アンケートにコメントしました。  また、20代の会社員女性は、親からこんなことを言われたそうです。 「本当は理系を専攻したいが、親に女の子だから文系にしろと言われた。仕事内容が技術系だと親に言うと、女の子だから事務職になってほしかったと言われた。女性がいつまでも働いているのはみっともないから、早く結婚して退職しろと親に言われる」   「偏見」「格差」にさらされる社会  そして、家庭の外の社会でも、私達はさまざまな偏見、不平等、格差に直面しています。 「中高女子校だった為、大学に入った時から女性への偏見(特に昭和生まれ昭和育ちの人)の多さに驚いた。会社では、40後半~50代の男性に意見を言うと避けられ、仕事を任せられなくなることが多い。また、管理職は9割男性かつ給料も男性が多い。  明らかに能力不足の男の後輩には仕事を与えるが、結局成果が出せないので、同部署の女性たちから不満がたまる一方の状態。できないことが分かっていても、男かつこれから戦力になると勝手に社長(男)が判断し、部下に『彼にやらせて』と命令する。女性差別が酷すぎて、憤慨しています」(20代、女性、会社員) 「取引先の方で男性社員にしか名刺を渡さない事があるなど仕事で女性軽視を多々感じる」(40代、女性、会社員)  警備会社に勤めているという30代の女性は、こう指摘します。 「男性隊員にはキツイ現場、女性隊員には動きのない現場ばかり配置したりして、仕事が上達しない。トイレの環境などの配慮は有難いが、それ以外の仕事の難易度とか現場のキツさとかはある程度男女平等に配置しないと、やる気のある女性からしてもやりがい感じないし、男性から見ても女性は甘やかされていて面白くないと思う」    男性からも、こんな指摘がありました。 「男性だから力仕事やって当たり前という雰囲気、やっても『ありがとう』もなし」(20代、男性、会社員) 「結婚相談所探しをした際、男性だけ年収記載を求められたり、利用料が高い所があった」(40代、男性、会社員)       格差の解消は進んだのか  性別で扱いが変わるといった「ジェンダー格差」の解消が強く言われている今、以前と比べて状況は改善されたのでしょうか。  アンケートでは、「以前からあったが、かなり減ってきている」が最も多い46.1%。「以前はあったが、全くなくなった」の3.4%とあわせると、“変化”を感じている人が半分近くを占めました。  一方で、「以前からあり、現在も変わっていない」も2番目に多い32.6%。「さらに多くなった」は2.8%あり、問題の根深さがうかがえます。 「公務員としての在職中、昇給、昇任においてかなり前から男女の格差はなくなったと感じました。職員個々人の意識も変わり、お茶は女性が入れるとかいった習慣もすっかりなくなりました」(60代、女性、アルバイト・パート)    しかし、あからさまな格差は縮小していても、個人の意識ではどうでしょうか。 「職場では『細かい事に気付くのは女性社員であるべき』『飲み会では上司のお酌をするべき』的な雰囲気が、いまだにあります。昔と異なるのは、さすがにそれを言葉にして女性には言わない点です。やはり今の風潮は感じているのでしょう。でもあきらかに『感じる』のです。そしてそれを黙って行った方が、職場の雰囲気もスムーズに行く事もわかっています。  これは今の若い子よりは、より私のような昭和の時代を経験済みだからこそ感じるのかもしれません」(50代、女性、アルバイト・パート) 「男性が育休を取ることに大っぴらに文句を言う管理職が少なくなった。ただ、陰では言っている場合が多く、法律で決められているから止むを得ないという消極的なスタンスが多いと思う。また、育休を取る男性に対しても同僚は快く思っていないことが、今でもよく見受けられる」(60代、男性、会社員)       「思い込み」は誰にでも  性別に対する「無意識の思い込み」(アンコンシャス・バイアス)は、本人の自覚がないまま相手を傷つけたり、自分自身の可能性も狭めたりする可能性があります。  そんな男女の違いによる「偏見」や「思い込み」が、回答者自身の心の中にあるかも聞きました。 「多少あると思う」が半分近い49.4%。「かなりあると思う」の16.4%とあわせると65%を占め、「あまりないと思う」「まったくないと思う」の計31.4%の倍以上になりました。 「現在育休中ですが、4月から復職に際し、当たり前のように時短勤務するのは妻(私)です。産後辛い時期もありましたが、働いていないから家事・育児は妻・母である私がやらなければと自分自身で思い込んでしまっていて、自身にもアンコンシャスバイアスがあります」(30代、女性、会社員)    2人の娘が中高一貫の女子校に進学したという50代の自営業女性は、 「保護者の教育意識からはジェンダーギャップをほぼ感じない。建前としては男女差別やセクシャルハラスメントが駄目だということは浸透し、あからさまな差別やセクシャルハラスメントは減った」  と、つづります。 「しかし、人間の内面の差別意識は簡単には変わらないので、潜在化しており、女性の役員・管理職比率が上がらないとか、SNSでの女性への攻撃、性的客体化された女性表象が減らないといった形で現れていると思う」    保育の専門学校で非常勤講師をしている70代以上の男性によると、「ほとんどの学生は、女らしさ男らしさの押しつけには反対」といいます。しかし、保育実習の現場では「男の子だから」「女の子だから」という男女観の押しつけがあり、学生たちは何も言えずに帰ってくるといいます。 「問題は、自分が決めつけの価値観を持っていて、それが他者を傷つけていることや、男女差別の再生産になっていることに気がつかないことです。それが会社での決めつけと違って、幼稚園児や保育園児に刷り込まれていくのです」         幼いときからの「刷り込み」 「男はこうあるべき」「女はこうすべき」といった価値観が、幼いときから刷り込まれていると指摘するコメントは、ほかにも多く見られました。 「成長段階で、男女の別を規範として内面化しすぎていると思う。子どもが女の子だと、お祝いの品の多くがぬいぐるみやおままごとセットなのに対して、男の子だと乗り物系や知育玩具など、大人のふるまいによる影響は0歳から始まっていると思う」  そうコメントを寄せた40代の自営業の女性は、自身の子どもの様子を、このように振り返ります。 「娘はピンクを着たがることはなく、黒などを選ぶ子だったが、『何色が好き?』と聞かれると『ピンク』と答えていた。これは、物心つく前から、ピンクを着ていると、周りが『女の子はピンクが似合う』と盛り上がるのを経験しているからこそだと感じた。  まだ年端がいかない子のうちから、足を広げていると『あら、女の子が』と言われ、男の子が暴れていても『元気ね』と声をかけられることが多い。  物心がついたころにはすでに男女に与えられている規範意識は大きく違うし、日ごろ、とても優しいお友達でも、4歳くらいになると、ふとした瞬間『女のくせに』という言葉をどこからともなく学んで言うようになる。  職業柄、女性の少ない仕事をしており、そこに至るまでに『女性が勉強するなんて嫌な時代になったもんだ』と声をかけられたりしたこともあるが、そこまで露骨なことは減ったとしても、0歳から始まる男女の体験の違いは根深く存在していると感じる」 (AERA dot.編集部)   【こちらも話題】 「また踏み台にされるのか…」就職氷河期世代の嘆きと怒り “初任給30万円”の一方で「置き去り」と感じる中高年層は8割【読者アンケート結果発表】 https://dot.asahi.com/articles/-/251311  
“誰も傷つけないサバサバ発言”に定評の「ホラン千秋」、「Nスタ」卒業後の動きに関心高まる
“誰も傷つけないサバサバ発言”に定評の「ホラン千秋」、「Nスタ」卒業後の動きに関心高まる 3月で「Nスタ」を卒業するホラン千秋  TBSの井上貴博アナウンサーとともにキャスターを務める夕方の帯番組「Nスタ」を、3月いっぱいで卒業するホラン千秋(36)。2月13日放送分で豚骨ラーメンの残り香を「足のにおい」と形容し物議を醸した彼女だが、業界内では「らしくない」との指摘もあるようだ。  同放送のオープニングトークにて、井上アナが同局の蓮見孝之アナウンサーから「においを覚悟して行け」と告げられたと報告。続けて、ホランは「この8年間でこんなにも怒りを覚える不快なにおい」がスタジオに充満していることを明かし、「足の裏のにおいがする! このスタジオ!」と言い放ったのだ。  実は同日放送の朝の帯番組「ラヴィット!」では、北九州市の有名ラーメン店が「33年間継ぎ足している」という特製豚骨スープを持参し、スタジオへ出張。「Nスタ」は同じスタジオで撮影しているため、“残り香”がホランらを苦しめたようだ。  実際、九州の豚骨ラーメンスープには足のにおい成分でもあるイソ吉草酸やイソ酪酸が含まれているため、ネット上では「ホランさんの嗅覚は正確」との声が見られる。一方、「ラーメン店に失礼」とホランに批判的な声も続出し、これにラーメン店をプロデュースする実業家の堀江貴文氏もXで「ほんと失礼」と同調しており、ホランの発言は物議を醸すこととなった。  なお、ホランは翌週の「Nスタ」を連日休んでおり、井上アナは17日の放送で「今年度取得していなかった休暇」であると説明していた。エンタメ誌の編集者が話す。 「『ラヴィット!』に登場したラーメン店の代表は、放送で同店のスープのにおいは『強烈』だと笑って話しており、司会の麒麟・川島明さんも『もうNスタ(においで)終わりましたよ』とホランさんらを慮っていました。ホランさんはこうした“振り”を受けて嫌がる態度を見せたにすぎませんが、『誰も傷つけないサバサバ発言』に定評のある彼女だけに、今回ばかりは“らしくない”という印象を受けます」   「自己防衛の人生でございます」  確かに、ホランがゲスト出演した過去のバラエティー番組を振り返ると、何かに対してネガティブな発言をしたり、自身の失敗談を自虐的に話したりした際には、すかさず「でも大好きなんですけど」「〇〇はいい場所なんですよ」などとフォローする場面が多々見られた。かつてバラエティー番組でライバルの芸能人を問われた際にも、「気になるのはSHELLYさんです」と答えた直後、間髪を入れずに「大好きなんです」と添えていたほどだ。  また、ホランにこれまで異性関係の浮いた話が一切なかったのは、週刊誌などに情報が漏れないよう「彼氏とツーショット写真を撮らない」というマイルールを徹底しているためだと明かしたことも。ホランはこの時、「自己防衛、自己防衛の人生でございます」と語っていただけに、今回の「Nスタ」でも「豚骨ラーメンは好きですけど」と予防線を張りそうなものだが、そうしたリスクヘッジの意識が吹っ飛ぶほどの強烈なにおいだったのかもしれない。  なお、アイルランド人の父と日本人の母を持つホランは、キッズモデルを経て14歳の頃に大手芸能事務所「アミューズ」に所属。その後の経歴について、芸能評論家の三杉武氏が話す。 「ホランさんは中学、高校、大学に通いながら俳優活動を行い、『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』『メイちゃんの執事』などの人気ドラマに出演するもブレークには至りませんでした。青山学院大学に進学後は優秀な成績をおさめて、在学中には米・オレゴン州立大学に留学して演劇を学ぶなどスキルを磨きました。民放キー局5社のアナウンサー試験を受けるもすべて落ちてしまい、大学卒業後は就職せずに地元のスーパーでレジ打ちなどのアルバイト生活を送りつつ芸能活動を続けていきます。そんな中、2011年放送のドラマ『陽はまた昇る』の役作りのためにショートカットにしてから注目を集めるようになり、23歳だった12年4月から『NEWS ZERO』に起用されたのをキッカケにキャスターとしても存在感を放っています」 【こちらも話題】 ホラン千秋「鬼ヤバ弁当」予想外の反響に驚き 飾り気ゼロも「他人に合わせる必要ないと思う」 https://dot.asahi.com/articles/-/5420 「NEWS ZERO」は1年で“クビ”に  なお、キャスターに抜てきされた「NEWS ZERO」(日本テレビ系)はわずか1年で卒業。これについて、ホランは最近「ZEROは突然クビになった」「卒業という名のクビだった」とバラエティー番組でぶっちゃけていたが、今年3月の「Nスタ」卒業は自身の意思で決めたという。前出の編集者が言う。 「ホランさんいわく、8年間キャスターを務めた『Nスタ』を卒業しようと決断したのは『もっと貢献するために力やスキルが必要』と感じたためとのこと。現在、テレビ朝日系『出川一茂ホラン☆フシギの会』『THE 世代感』やフジテレビ系『ザ・共通テン!』などでMCを務める彼女ですが、長らく多忙な日々を駆け抜けてきたため、一度落ち着いて自身の人生設計を見直したいという思いもあるのかもしれません」  そんなホランの評判について、前出の三杉氏は次のように語る。 「元々の性格に加えて、下積み時代の経験などもあってか、とにかく仕事に対するスタンスは真面目でストイック。そのプロ意識の高さは業界内にも広く浸透しています。ニュース番組や選挙特番といった報道色の強いお堅い番組からバラエティーまで幅広い番組に対応できる稀有な存在で、『バイキング』で共演していた坂上忍さんや『出川一茂ホラン☆フシギの会』で共演している長嶋一茂さんなどキャラの立った年上の男性共演者との絶妙な距離感や相性の良さも特筆すべきものがありますよね。他方、これまで熱愛などのスキャンダルはなくプライベートはベールに包まれており、番組での完璧な立ち回りのイメージもあって、『隙がなさすぎる』『人間味に欠ける』なんて声も一部ではありますが、こればかりは仕方のないところですよね。今後、結婚など私生活の変化があった際、そのキャラクターにどのような影響を及ぼすのかは興味深いところです」  20歳の頃には、役者としてステップアップするために1年間留学し、オレゴン州の大学で演劇を学んだというホラン。今度は「スキル」を身につけるために何をしようと考えているのか、気になるところだ。 (小林保子) 【こちらも話題】 ”別人級”の変貌が話題の「戸田恵梨香」、14年前の「SPEC」はなぜ人気が再燃しているのか? https://dot.asahi.com/articles/-/251407
糖尿病の「GLP-1受容体作動薬」認知症や感染症のリスク軽減させる可能性の最新報告への期待 山本佳奈医師
糖尿病の「GLP-1受容体作動薬」認知症や感染症のリスク軽減させる可能性の最新報告への期待 山本佳奈医師 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師  日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「GLP-1受容体作動薬服用後の現状と最新報告」について、鉄医会ナビタスクリニック内科医・NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  これまで2回にわたってお伝えしてきた「GLP-1受容体作動薬」。最後に、服用をやめてからの現状と、認知症や感染症などのリスクを軽減する潜在能力があるかもしれないというGLP-1受容体作動薬に関する最新の報告をお伝えします。  すでにGLP-1受容体作動薬の服用を中止すると、体重が元に戻ってしまう可能性が高いことが報告[※1] されています。私自身、手持ちの薬がなくなったことをきっかけに服薬を中断して2年以上が経ちました。体重は元に戻ってはいないものの、内服をやめる直前の体重からは2キロほど増加しました。  食欲もあるので、食べ過ぎてしまわないよう常に意識していないと、体重がまた増加してもおかしくありません。そこで、体重を維持するためにも、一日1時間ほど時間を確保し、ジムに行くことが日課となっています。ランニングやウォーキングといった有酸素運動に加えて、体を引き締めるべく適度な負荷をかけての筋力トレーニングもやっています。今まで三日坊主で退会してしまっていたジム通いも、3年目に突入しました。   治療後の運動は効果的  実は、GLP-1受容体作動薬による治療終了後の運動は、体重を維持するためには医学的に効果的であるようです。  2018年12月17日から2020年12月17日までの間に、109名を対象にして行った調査[※2] の結果、以前にGLP-1受容体作動薬と運動の併用療法を受けた人は、プラセボまたはGLP-1受容体作動薬(リラグルチド)のみの投与治療を受けていた人と比較して、治療終了後の1年間で、初期体重の少なくとも10 %の体重減少を維持していた人が多かったことがわかりました。 【前回記事はこちら】 減量のため糖尿病治療薬「GLP-1受容体作動薬」を服用した女性医師 投与を断念しそうになるほどの副作用と安全性は? https://dot.asahi.com/articles/-/250694 減量にはやはり運動と食事が大事!?(写真はイメージ/GettyImages)  つまり、GLP-1受容体作動薬の服用中に監督下での運動を追加することで、肥満薬物療法のみだった場合の治療終了後と比較して、治療終了後に健康的な体重を維持することができる人が多かったというのです。筆者らはその理由として、介入後も参加者が自力でより活発に身体活動を続けることができたことを挙げています。  私も、服用後は体重が元に戻ってしまう可能性が高いとわかっているからこそ、「そうなるまい」と運動習慣を維持することができているような気がします。「食べすぎないように」と腹八分目で食事を終えるようにし、大好きだったパンからご飯食に切り替えるなど、食事にも気を使うようになりました。米を食べるようになってから、腹持ちが良くなったような気がします。   最新の報告には認知症や感染症に  最後に、減量や糖尿病として承認されているGLP-1受容体作動薬が、認知症や感染症などのリスクを軽減する潜在能力があるかもしれないという最新の報告をご紹介して今回のお話を終えたいと思います。  2025年1月20日、GLP-1受容体作動薬の利点とリスクについて、包括的に考察された研究結果が報告[※3] されました。2017年10月から2023年12月末までの平均約4年間にわたって、米国退役軍人保健局で治療を受けた糖尿病患者約195.5万人を対象とし、GLP-1 薬を処方された約 21.6万人と、血糖値を下げるために他の 3 種類の薬(スルホニル尿素薬、DPP4阻害薬、およびSGLT2阻害薬)を処方された人、および糖尿病でこの調査に登録したものの治療に変更はなく、すでに処方されていた薬を服用し続けた人 (つまり、この期間中に新しい薬を服用しなかった人) の3郡における175の健康結果を比較したものです。  その結果、GLP-1受容体作動薬を服用した人は、薬物乱用障害、精神病、感染症、心血管代謝障害、アルツハイマー病などの認知症、発作など42の異なる健康結果のリスクが低く、19(GLP-1受容体作動薬の使用に関連する胃腸障害、低血圧、失神、関節炎、腎結石、間質性腎炎、および薬剤誘発性膵炎など)の健康結果のリスクが高かったことがわかったといいます。 【こちらも話題】 1年半で8キロ減 糖尿病治療薬「GLP-1受容体作動薬」をダイエット目的で服用も女性医師の懸念点は? https://dot.asahi.com/articles/-/249250  もちろんリスクを軽減する可能性があることが示されただけであり、さらなる研究が必要なことは間違いありません。しかし、祖母や祖父が認知症を患っている私個人としては、特に認知症のリスクを軽減させる可能性があるというこの報告には、驚きを隠せませんでした。  今後ますます多くの人々が使用することにより、このような予期せぬ副作用による新たな利点やリスクといった全体的な健康に与える変化や影響に関する調査報告がどんどん増えていくに違いありません。認知症を含めた現在適応とはなっていない疾患の治療法としてGLP-1受容体作動薬が追加される日は、そう遠くないのかもしれませんね。  [※1]https://dig.pharmacy.uic.edu/faqs/2023-2/may-2023-faqs/is-weight-loss-sustained-after-discontinuation-of-glucagon-like-peptide-1-receptor-agonists-for-obesity/#:~:text=Individuals%20are%20likely%20to%20regain,RA%20therapy%20on%20obesity%20outcomes.  [※2]https://www.thelancet.com/journals/eclinm/article/PIIS2589-5370(24)00054-3/fulltext  [※3]https://www.nature.com/articles/s41591-024-03412-w
氷河期世代の独身子なし女性49歳「私は透明人間。いてもいなくても変わらない」 孤独の悩みに鈴木涼美の回答は?
氷河期世代の独身子なし女性49歳「私は透明人間。いてもいなくても変わらない」 孤独の悩みに鈴木涼美の回答は? 鈴木涼美さん  作家・鈴木涼美さんの連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」。本日お越しいただいた、悩めるオンナは……。 Q. 【vol.35】安定した仕事や家庭を持たず、虚しい人生に疲れたワタシ(40代女性/ハンドルネーム「romi」)  49歳の女性です。両親が不仲だったせいもあり、昔から結婚願望も子どもを持ちたいと思うこともなく、若い頃から結婚につながらない相手(既婚者や同性など)とばかり付き合ってきました。今は当然独身で子なしです。  就職氷河期世代のあおりを受け、非正規の仕事にしか就けず、収入も不安定です。やりがいのある仕事もなく、安定した家庭もない。今は趣味のピアノに没頭している毎日です。今の人生に後悔はしていないし、自分にはこの人生しかなかったと思います。しかし、先のことを考えると不安になります。正規の仕事に就き、普通の家庭を築いている世間一般の人たちのことを、どうしようもなく羨ましく思ってしまう瞬間があります。  私は透明人間です。私がいてもいなくても何も変わらないし、私を必要としている人もいない。こんな状況で生き続ける意味が分からず、歳を取ればますます生きるのが大変になるのだから、早めに死んだほうがいい、とさえ思います。こうした虚しさを抱えながら生き続けることに疲れました。まとまりのない文章ですみませんが、何かアドバイスをいただければ幸いです。 A. その自由さは思っている以上に尊い  所属する会社や万全な家庭を持っている人は確かに何か大きなものに守られて、この広くて荒唐無稽な世界で安心して生きているように見えるかもしれません。私自身、四十歳の時点で家庭もなく、仕事もフリーランスで寄る辺ない日々を過ごしていたので、その不安定さやそこはかとない孤独感は特に寒い夜などには身に染みていたクチです。  それでは私は、かつて所属していた、ちょっとやそっとでは潰れないしクビにもならないであろう企業に戻りたいかというと二の足を踏んでしまいます。私の家は、両親は不仲ではなく、言ってみれば愛に溢れる家庭で育ったけれど、ずっとそこで両親とともに暮らしたかったかというと、そうではないから十代でとっとと家を出たわけです。  自分をなんとなく社会の荒波から守ってくれる存在というのは自分を縛り付ける存在でもあります。逆に言えば、口うるさい先生のいる学校や、干渉してくる親のいる家庭など、思春期の自分がうざったいなと思ってその束縛から逃れたかった存在は、例外なく自分を守ってくれる存在でもあったわけです。そこから逃れて自由になるということはすなわち、それに伴う孤独の責任を負うということです。 「経験したことのない気楽さ」を感じた一人暮らし、でも…  生まれて初めて一人暮らしをした最初の一年のことをよく覚えています。私はそれまで同居していた親と喧嘩したまま、逃げるように実家を出てしまったので、最初は友人の家に泊まらせてもらっていました。そこでは実家よりはよほど自由がありましたが、それでも人の世話になっているので気ままに生活できるわけではありません。一カ月ほどしてようやく自分だけの部屋を横浜の桜木町の近くに契約しました。  最初の二カ月ほどは本当に自由に、自分が思うような時間に起きて自分の食べたくないものは一つも食べず、買いたいものだけを買って生活できることにかつて経験したことのない気楽さを感じていました。それまでたいして不自由と思っていなかった実家生活や友人との暮らしが、実際は人に気を遣ったり顔色をうかがったり、あるいは一緒にいる人に対してそれなりにきちんとした人間に見られるよう気を張ったりすることの連続で、とても疲れていたのだとその時よくわかりました。  しかし二カ月ほど経ってみると、夜中に変な物音がするたびに不安になったり、間違いで鳴ったチャイムのことが一週間以上気になったり、深夜に帰宅する際に夜道の背後が怖くてなかなか自分の家に入る気が起きなかったりということが増えました。そして家に入っても、この部屋で死んだら誰にも気づかれずに朽ちていくのだろうという変な想像力が冴えてしまい、なかなかリラックスできないので結局もう一回外に飲みに行くなんていうこともしばしばありました。  そういう時は安易な安心を求めるので、たいして好きでもない男を家に連れ込んでとりあえずの孤独や不安を誤魔化したり、何日か泊めてくれる適当な男と付き合ったり、だらしない女友達と数日ずっと一緒に飲み歩いて過ごしたり、という日々が続きました。それも自由な生活といえばそうですが、自由とともに降りかかってきた孤独との付き合い方がまだよく分かっておらず、とにかくシーンとした不安な時間を騒々しい何かで埋めようとしていたのだと思います。 虚しさに疲れた後、気づいてほしいもの  そんな感じで、自由を謳歌する時間と、孤独を紛らわせる時間を交互に経験し、徐々に一人で暮らすことの寂しさと楽しさに慣れていったのが私の十九歳の年のできごとでした。大学院を卒業した最初の一年や、会社をやめた最初の一年も、少し似たような、思いっきり自由を楽しんだかと思いきや急な寂しさに苛まれる、という経験をした気がします。男と一緒に住んだり、別れて一人で住んだり、という時期も似たようなものかもしれません。  だから虚しさを抱えて生きるのに疲れた、と思う時期があっても、個人的にはいいと思います。その疲れが、人生を生きるに値しないものにしてしまうほど大きくないのであれば。そしてその疲れの時期のあとに、両手いっぱいに抱えた自由の尊さに気づく時期が来るのであれば。  たとえば大家族がいて、夫や自分の両親の介護や子育てに追われていたら、今自分にとって最も楽しい時間、たとえば趣味のピアノに思う存分打ち込む時間というのはかなりの確率で失われていると思います。仕事が生きがいと思えるような大層なキャリアであったら、仕事以外の時間を有意義に使える余裕はないかもしれません。  小さい頃、英国で暮らしていた時期があるのですが、英国で当時労働者階級と呼ばれていた人々に憧れたのは、彼らは仕事を力の四割くらいで適当にこなし、余暇をいかに文化的で充実したものにするか、ということに注力しているように見えたからです。ポストオフィスに勤めながらオペラを趣味にしていたり、ミルクを配達しながら週末はDJをしていたり。幼い私には、エリートで立派な家庭を作り、仕事に生きがいを持っていて家族を豊かに養っている人なんかよりも、適当にミルク配達を終えてレコード屋に入り浸る自由の方がなんとなく尊いように見えていたのです。 連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」では、恋愛、夫婦、家族、仕事、友人など、鈴木さんと同世代の30~40代女性を中心に、お悩みを募集しています。ご応募はこちらのフォーム(https://forms.gle/vH3KMGRGBPJb2TE5A)から! ●鈴木さんからのメッセージ 私はずっと地べたにはいつくばって生きている感じなので、こんな風にすれば素敵な人生送れるよ!というアドバイスは何もないですが、ピンチに陥ったり崖っぷちに立ったりすることは多い日々だったので、痛み分けする気分で、気負わずなんでもお便りお待ちしてます。
物価高なのに「制服サブスク」はなぜ広がらないのか 事業者が「ビジネスモデルとして成り立たない」と語る理由
物価高なのに「制服サブスク」はなぜ広がらないのか 事業者が「ビジネスモデルとして成り立たない」と語る理由 物価高の中、制服代は家計の大きな負担となっている(写真はイメージ/gettyimages)  東京都品川区は2026年度以降の新入生を対象に、区立中学校の制服無償化を打ち出した。22年、公正取引委員会が公立中学1200校に対して行った制服価格の調査によると、男子用ブレザーの最高値は5万5000円、女子用セーラー服は7万2000円で、“隠れ教育費”として家計を圧迫する一因になっている。夏服・冬服に加えて予備の制服もそろえれば、出費はさらに膨れ上がる。そんな中、中古の制服を“サブスク”で貸し出したり、破格の値段で販売したりと画期的なサービスを提供する企業もあるが、課題は多いようだ。 *  *  *  あまり知られていないが、北海道十勝地域に暮らす中学生の3人に1人は制服を購入しない。新品の制服を買うと男女ともに1セットあたり約4万~5万円かかるが、地元で学校用品のレンタル事業を営む「ぎゃくし」(帯広市)を利用すれば、1年あたり1万4410円(税込み)で中古品を借りられるのだ。  3年間レンタルし続けると、合計金額は購入した場合と大差ない。しかし最大のメリットは、1年ごとに体の成長に合わせた制服を選べるため、買い替え費用が発生しないことだ。同社社長の瘧師(ぎゃくし)博一さんはこう話す。 「男の子は、中学の3年間で平均15センチ身長が伸びると言われます。中1で買う制服を中3まで使おうとすれば、入学式ではダボダボのオーバーサイズなのに、卒業式ではズボンがお尻に食い込み、スネ毛がはみ出る……という悲しい事態になります。制服レンタルを利用した保護者からは、『子どもがこんなに大きくなるとは思っていなかったので、サイズを変更できて助かる』という感謝の声を数多くいただきます」  同社は5年ほど前、定額借り放題のサブスクリプションサービスを商品化した。最初に4万1690円(税込み)を支払えば、卒業まで何度でもサイズ変更が可能で、かつ通常のレンタル料金よりも割安となる。 レンタル制服がずらりと並ぶ、ぎゃくしの店内(写真は「ぎゃくし」Webサイトから) 制服サブスクは十勝ならではのビジネス?  サブスクの利用者は順調に増えており、保護者・子ども・企業の“三方よし”なサービスに見えるが、不思議なことに、まねをして参入してくる同業他社はほとんどいない。瘧師さんは、「制服サブスクは十勝地域ならではの顧客ニーズから生まれたビジネスなので、全国には広がらないでしょう」と話す。どういうことか。 「レンタルに適した商品には三つの条件があります。必ず必要なもの、はやりに左右されないもの、そしてピンポイントで利用するもの、です。十勝は冬場だと氷点下20度近くになるため、中学校はジャージ通学が一般的です。制服を着る機会は入学式や、終業式、修学旅行など、イベントの時だけ。年に10回程度しか着ないのに、買い替えが必要な新品を買うのは経済的負担が大きいという切実なニーズがあるのです」  ピンポイント利用という条件は、企業側にとっても重要だ。制服を毎日着られてしまうと、商品の摩耗が激しく、とても割に合わない。  また、サブスクを始めるには頻繁なサイズ交換依頼に耐えられる十分な商品在庫が必要で、同社は中学校を卒業した子どもがいる家庭から、“宝の持ち腐れ”状態のきれいな制服を安く買い取ることで在庫を確保している。もし新品を買い集めるとなると、多額の初期投資は免れない。 「制服サブスクは顧客の満足度は高いですが、『普段制服を着ない』という特殊な条件がない限り、ビジネスモデルとしては成立しないでしょう」  一方、子育て世帯の家計を守るため、採算度外視で奮闘する企業もある。  全国に約80店舗を展開する学生服リユースショップ「さくらや」は、幼稚園から高校までの制服の買い取り・販売を行っている。定価2万5000円の男子高校生用ブレザーが1500円~6000円ほどで売られているというから、驚きの安さだ。 体操服を買い取ると、氏名の刺繍を取る作業が発生する。コスト削減のため、裁縫が得意な地域住民に協力を依頼すると、みな喜んで請け負ってくれた(写真は「さくらや」Webサイトから) 品川区の制服無償化には「賛同できない」  家賃や人件費、買い取った制服の修繕費などのコストが見合わず、赤字に陥る店舗もある。創業者の馬場加奈子さんは、「もうけたい気持ちは当然ありますよ」と本音を漏らす。それでも限界ギリギリの値付けにこだわるのは、自身がシングルマザーとして貧困に直面した過去をもつからだ。 「障害のある長女をふくめ3人の子育てに追われる中、『今日は何を食べよう』『明日には路頭に迷うかもしれない』と頭を抱える日々を送っていました。当然、子どもの成長に応じて制服を買い替える余裕なんてなかった。その経験から2010年に高松市でさくらや1号店を立ち上げると、『こういうお店を待っていた!』と、大勢のお母さんたちに喜ばれました」 今もさくらやの店頭に立つ、創業者の馬場さん。高校の制服を買いに来た女の子が、母親から「中古でいいの?」と聞かれ、「春からこの学校に通うための服なんだから、中古でも新品と同じ気持ちで着られる」と胸を張る様子に、いたく感動した(写真は「さくらや」Webサイトから)  さくらやの顧客には、深刻な貧困家庭の人も少なくない。だが近年目立つのは、物価高の中で少しでも家計を切り詰めようと苦心する一般家庭の人たちだ。馬場さんが最近営業に出向いた中学校では、女性の教頭が『トマトが高くて買えない』と嘆いていて、公務員にまで広がる生活苦を痛感したという。  インターネットで〈〇〇高校 制服 中古〉と調べる人が増えたり、「制服を安く買える店がある」と口コミで広がったりして、さくらやを頼る人々は増えるいっぽうだ。だが馬場さんは、品川区が約1億円の予算をかけて行う制服の無償化には賛同できないと話す。 「正直、子育て支援を掲げて闇雲に税金を投入する“パフォーマンス”のようにも見えてしまいます。たとえば、私服通学を認めて制服は着たい人だけが着る運用にすれば、保護者は出費の強要から解放されます。子どもたちにも、『今日は体育があるから動きやすい服にしよう』などとTPOをわきまえる思考力が育つので、選択制の制服を取り入れる学校は既に出てきています。少し工夫すれば、お金をかけずにできる支援策はいくらでもあるんです」  制服の「サブスク」は地域性など特殊な条件が必要で、「リユース」は経営者が赤字覚悟で事業化している実態がある。“隠れ教育費”問題が深刻となる今、民間に頼るばかりでなく、行政も意義ある支援の形を考えるべき時が来ている。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵)
「また踏み台にされるのか…」就職氷河期世代の嘆きと怒り “初任給30万円”の一方で「置き去り」と感じる中高年層は8割【読者アンケート結果発表】
「また踏み台にされるのか…」就職氷河期世代の嘆きと怒り “初任給30万円”の一方で「置き去り」と感じる中高年層は8割【読者アンケート結果発表】   写真はイメージ(GettyImages)    今年の春闘も、昨年に続いて「賃上げ」の流れが続いています。その一方で、職場の若手や新入社員に比べて、賃金の伸びも低いと言われているのが中高年層。AERA dot.編集部のアンケートでは、若手に比べて待遇面で「置き去りになっている」と感じている人の割合が8割近くを占めました。「就職氷河期」に社会に出て、景気が上向かないまま長く過ごしてきた世代。「本当に運が悪かった」「上の世代と下の世代を守ってきたのは我々なのに」……。コメントには、やるせない思いが集まりました。 *   *   *  アンケートは2月19日から26日まで実施。676人から回答がありました。ご回答いただいたみなさま、ご協力ありがとうございました(この記事では、アンケートに寄せられたコメントを紹介していますが、明らかな誤字脱字は修正したり、読みやすくするように適宜改行を加えたりしています)。        回答者のうち、「就職氷河期」と言われる1993年から2005年ごろに就職をしたという方が6割、それ以降が1割弱でした。  新卒当時に7割が正社員として就職。それから「異なる業界に転職した」という方は4割。そのまま同じ会社に勤めているという方は3割、「同じ業界の別の会社に移った」と回答された方は2割でした。  現在の給与についての満足度を聞いたところ、「とても満足している」「まずまず満足している」はあわせて30%、「やや不満だ」「不満だ」は計52.6%でした。  満足度が低めの人の割合は、新卒後に「異なる業界に転職した」という方では60.4%を占め、「同じ業界の別の会社に転職した」という方では55.4%、そのまま現在も「同じ会社等で働いている」方では40.3%でした。   「置き去り」の世代  現在働いている方を対象に、若い世代と比べて、中高年層は待遇面で「置き去り」になっていると感じているかを聞いたところ、「とてもそう思う」が58%と最も多く、「ときどき思う」と合わせると、78.7%を占めました。      さらに、若手社員の給与が上がり、新入社員に高い初任給が出たりすることについて、どう感じているかを選択式(複数回答)で聞きました。  その結果は、「若手の給与増もよいが、上の世代も同時に上げてほしい」が62.9%とダントツのトップ。続いて「自分たちの世代は、今と比べて運が悪かった」が41.4%、「年齢に関係なく、能力や実績などで判断すべきだ」が29.2%となりました。    就職氷河期に就職できず、現在は自営業という50代の男性は、「本来ならば耐え抜いて社会を支えてきた中高年がもらえるお金だと思う」とコメント。  スーパーマーケットに新卒採用されて以降、警備会社などへの転職をしてきたという40代の無職男性は「何も業務知識がないのに、初任給30万~40万貰えるのは羨ましい。就職氷河期世代はそんなに貰ってないので、我々が何が悪かったのかわからない」。  一方で、「人材を確保するためには、仕方がない」「物価高で生活が大変なのは若い世代も同じ」と、会社などが若手の「厚遇」をすることに一定の理解を示すコメントも多くありました。アンケートでも、「若い人材確保のために、給与の引き上げは当然だ」は21%。「若い世代の給与は低いから、生活のためにも引き上げて当然だ」は12.3%でした。 「良いことだと思います。若い方や新卒の方とかは独身が多いでしょうから、その独身者が豊かになれば結婚もいくらかしやすくはなるでしょう」(40代、男性、アルバイト・パート) 「少子化の影響で若手の入職者は貴重な存在となっているので、若者の高水準な給与設定は致し方ないと感じる」(50代、男性、会社員) 「20代前半が本当に苦しかったので、正直今の温室環境に腹だたしくはなるが、自分の子供が恩恵を受けるなら良い」(40代、女性、派遣社員・契約社員) 「若い世代の人口減少、物価上昇があるので、若手の給与が自分たちの頃より上がることは自然な流れであると思うが……」とコメントした50代の会社員男性は、こう続けます。 「自分たち世代の給与の上昇が鈍いことは納得できない」   「運が悪かった」。けど、努力してきた  もうすこし早く生まれていたら、社会に出るころはバブル景気の真っ只中。数年違っていただけで「氷河期」に就職活動をせざるをえなかったことに「運が悪かった」「ついていなかった」とこぼす声は、数多く寄せられました。 「全てが平等な社会は存在しないのは理解する。ただ、我ら世代は本当についていないとしみじみ思う」(40代、男性、会社員)          就職氷河期は、それぞれに夢や目標があったとしても選択肢すらなく、生活するために「入れる会社に入る」しかなかった人も多かった時代でした。  就職氷河期に就職し、派遣社員として転職を経験してきたという女性は、 「『氷河期だからと甘えている』と言う人もいるが、企業の募集もなく、学校を卒業しても働きたくても働けなかった時代が何年も続いたことを知らない人が勝手に言っているだけで、本当に苦労していることを知らなすぎだ。(中略) 『派遣会社』がまだそれほどに数がなかった頃は、もっと資格の有無や経験などがある程度必要であったし、事務職であっても「仕事」のみをしていた。世に言うお茶くみや掃除、電話などは社員しかしなかった。それだけ「派遣社員」は仕事に特化した人材であった。自分で資格を取り、そういう派遣社員として働いた氷河期の人も多い。  苦労して何とか職を見つけて、給料が安くても働いている氷河期の人材を大切にしないと若い人に教える人材がいなくなりますよ。どの職場でもその時代に雇った人が少ないので、ぽっかり穴が空いている世代なのですから」   「インフレの中、給与が上がることは当然だと思います。ただし、働く者すべてに均等に行われるべきではないでしょうか」と指摘摘するのは、大学院の修了後から非正規職員として働き、30代で専門職で公務員になったという女性。 「おそらく私には退職まで到達し得ないだろう給与を1年目で支払われる人達のニュースを見ると、言いようのない気持ちになります。今仕事で使っている技術は一朝一夕では身につくものではありません。長年努力して、ひとつひとつ得てきたものです。この時間を認めてほしい。氷河期世代がこの年になるまで遊んで暮らしていたとでも思っているのか、と申し上げたいです」     世代間格差に、働く意欲は…  職場での世代間で広がる「格差」に、働く意欲を減退させている様子もコメントからはうかがえます。 「私達氷河期世代は、いま、会社のなかでは中心の世代となりましたが、定年延長、若手人材確保など人件費増に会社が費用を捻出するなか、私たちの中間管理職の昇格を絞り、遅らせ、その費用を捻出しており、また踏み台にされる世代かと怒らずにはいれないです。いいかげんに、ふざけるなと声を大きくして言いたい」(40代、男性、会社員) 「これからの時代、新入社員の初任給や若手の給与が上がることは必然だと思うが、会社のいいように扱われてきた氷河期世代にも恩恵が欲しい。でないと報われない」(40代、女性、会社員) 「新卒だけの給与を上げて既存社員を上げなければ不満が出るのは当然。給与が高い新卒社員に給与が低い熟練者が教えることが、モチベーションを下げることは明白である」(40代、男性、会社員) 「若手の給料があがるのはいい、しかし、10数年務めた人間と新卒の給料が数千円しかか変わらない事態になり、働く意欲は全くない」(40代、男性、会社員)    そんな中高年層のやるせない思いは、職場や社会にも向けられています。  これまでに4度の転職を経験したという40代の男性会社員は、雇用する企業側に対して、こう指摘します。 「給料だけで人を集めても、企業自体に魅力がないと、若い人はすぐ転職できてしまうので、その点をちゃんと考えられている企業はすくないと思います。日本の会社の経営者は他の会社の真似ばかりしますが、どうやって人材を確保するかのスタンスがない会社は、初任給だけ上げても人材を確保し続けることが難しくなると思います」      そして、懸念されているのが、これまで十分な収入を得られなかった中高年層が、退職し、高齢者になったとき。年金だけでは生活が難しいという人たちを、社会はどう支えるのか。そのためには今、どんなことが必要なのでしょうか。 「目先の人材不足への対応だけに注力し、能力主義やスキルアップ、キャリア形成、人材流動性などに対する将来的かつ俯瞰的視点が欠けている。また、インフレや経済格差が広がる中で根本的な対策が欠けており、一時的に新卒や若手の給与が上がっても社会全体の景気・消費向上につながっておらず、現役世代はもちろん若者の将来への不安は払拭できていないと感じる」(50代、男性、会社員) 「少子化が進む中、若い方にお金が回ることは良いことだと思う。ただ氷河期世代の人間としては、世代格差を増大させない為にも、若い方のみならず全世代の所得(手取り)を上げていくことも同時に必要だと思う。氷河期世代は非正規雇用も多いままこれから高齢者となり、年金だけで暮らせない方が増えていくので、その対策も急務であると思う」(50代、男性、会社員) 「若手の給与が上がる事は良い事だと思う。ただ、団塊ジュニア、就職氷河期の自分達が犠牲になる事によって上のバブル世代、下のゆとり世代の雇用を守ったという事を、日本国民全員が周知の事実にする事を徹底して欲しい。その上で、団塊ジュニアを中心に、就職氷河期世代の税制優遇、年金の追加、リスキニングの全額負担を国が支給するべきだと思う」(50代、女性) 「社会的に大手の若手給料は上がっている傾向がある反面、追随出来る企業は僅かだと思います。これが続くと更に中小企業は人材確保が厳しくなり、廃棄や倒産するのでは無いかと思います。政府は中小企業への支援が必要だと伝えたいです」(40代、男性、会社員) 「若手の給与が上がるのは売手市場や物価高騰なので致し方ないが、若手だけでなく子育て世代や親の介護をしている世代も働きやすい社会となると良い。また、様々な理由で子供が持てない人や独身者に、制度や規則で不公平感を感じさせない事が、全ての人にとって良い社会だと思う。政治家も定年制度を導入した方が良い。この格差社会をどうにかしないと子供は増えないし、優秀な人はどんどん海外へ移住してしまうと感じている」(50代、女性、会社員) (AERA dot.編集部)     【こちらも話題】 社会人になって資格取得は9割 宅建士、介護の資格、語学力…「スキルアップしたい」「収入確保を」定年後も続く“学び”【読者アンケート結果発表】 https://dot.asahi.com/articles/-/250327  
突きつけられた「謎」を変えていくために「知る」を届けたい 認定NPO法人D-SHiPS32理事長・上原大祐
突きつけられた「謎」を変えていくために「知る」を届けたい 認定NPO法人D-SHiPS32理事長・上原大祐 愛犬「リンゴ」と自宅で。全国を飛び回り忙しい上原だが、自宅にいる時はリンゴと一緒に寝ている(写真/加藤夏子)    認定NPO法人D-SHiPS32船団長(理事長)、上原大祐。二分脊椎で生まれつき歩けない上原大祐は、いつ会っても見事な車いす捌きで颯爽と動き回り、車いすだというのを忘れてしまう。小さいころから、やりたいことがたくさんあった。母はそれに対して「できない」と言わず、上原はやりたいことは全てやってきた。だが世間は「障害者」というだけで、「できない」を突き付ける。もっと自分たちのことを知ってほしいと、上原は日本中を動き回る。 *  *  *  今年1月、長野県東御市の体育館で、パラスポーツ体験会「パラ小学祭」が開かれた。市内五つの小学校に通う5、6年生、約170人が集まり、ボッチャや車いすポートボール、車いすリレーに挑戦。ポートボールの審判として「ナイスパス!」「ナイスディフェンス!」と、ひときわ大きな声を響かせていたのが、元パラアイスホッケー日本代表で、D-SHiPS32理事長の上原大祐(うえはらだいすけ・43)だ。上原は生徒たちと一緒にこのイベントの企画運営を担い、各校を回って体験授業の講師も務めている。子どもたちからは「大ちゃん」と気軽に声を掛けられる。  上原は車いすでコートを走り回り、生徒が得点するたびに「ゴーール!」と叫んで腕を突き上げた。威勢のいい掛け声に生徒たちも盛り上がり、最後のリレーは大歓声に包まれた。  D-SHiPS32とは、2014年に上原が立ち上げたNPO法人だ。上原は二分脊椎という障害があり、生まれつき歩くことができない。車いすでの生活だが、それだけのことで多くの謎にぶつかってきた。なぜ、小学校に入れないのか? なぜシーカヤックの大会に出られないのか? なぜレストランの入店や、住まいの賃貸を断られるのか? 「謎の多くは、障害者を知らないことから生まれる。だから『知る』を届けたい」との思いから、D-SHiPS32を立ち上げた。障害児に野外活動やスポーツの機会を提供するとともに、障害のない人に対しても、パラスポーツ体験会などを実施している。 「これって謎だ、変えてやるという気持ちが、行動の原動力になってきました」(上原)  障害のある子どもの母として、当事者と親の支援に取り組む加藤さくら(43)は、さまざまな場面で上原と協働し、家族ぐるみの付き合いをしている。「大ちゃんを障害者だと思ったことは一度もない。車いすに乗っていろんなことをしている人」と語る。 パラ小学祭は二つの体育館で行われ、新しい方は車いすスポーツ禁止だった。生徒からは「なぜ?」と疑問が上がり、市議会で質問するまでに。子どもの「謎」が、変化の原動力になるかもしれない(写真/加藤夏子)   「できない」と言わない母に 何でも「できる」と思い育つ  上原自身も「仲間と飲みに行くと、たまに障害があることが忘れられて、2階の居酒屋を予約されてしまう」と苦笑する。  上原はそのくらい周囲に障害の存在を感じさせない。それはなぜだと思うかと加藤に聞くと即座に母・鈴子(66)の存在を挙げた。 「生まれ持った資質も多分にあるでしょうが、鈴子さんが彼を『やりたいことができる』人に育てたんだと思います」  長野県に生まれた上原は幼いころから「やりたいことがあふれ出てくる子ども」だった。母の鈴子は上原から「やりたい」と言われて「できない」と答えたことは一度もないという。  3歳の時、3カ月入院することになった上原は、入院中に車いすを借りて初めて自由に移動できるようになる。すると数十メートル離れた院内の幼稚園に「1人で行きたい」と言い出した。鈴子がこっそり後をつけているのに気付くと、くるっと振り返り「ついてこないでって言ったでしょ!」。 「自由に行きたいところに行けるのが嬉しくてたまらない、といった様子でした」と、鈴子は振り返る。  小学校に入るころ「自転車に乗りたい」と言われた時も、歩けないから無理だとは言わず、「ちょっと待っててね」と答えて、偶然テレビで見かけた「手漕(こ)ぎ自転車」を他県まで買いに行った。遊びに行った上原がどんなに泥まみれで帰宅しても、詮索したり叱ったりしなかった。  こうした母のおかげで上原は何でも「できる」のが当たり前だと思って育った。  しかし社会はことあるごとに、親子に「謎」を突き付けた。まず最寄りの保育園に、入園を断られた。その時は別の幼稚園が受け入れてくれたが、小学校入学の際は教育委員会から「地元小学校はエレベーターもないし、障害者を受け入れた前例もないので、進学は99%無理」と言われてしまう。鈴子は「前例がないなら作ればいいじゃないですか」と何度も行政に掛け合い、毎日付き添うという条件でやっと入学を許可された。  入学から2週間後、担任から「お母さん、明日から付き添わなくていいですよ」と言われる。 「大祐君、いろんなことができるしお友達の輪にも入っています。心配ありません」  放課後は友人と一緒に野山を「這(は)いまわり」、小川に入ってカニを捕ったり、木に登ってカブトムシを捕ったり。「ズボンがよく破れるので、アップリケだらけになっていました」(上原)。鈴子も学校行事などのたびに教員と綿密に打ち合わせして「この道は車いすが入れないので車で送迎し、山頂で他の子どもたちと合流する」といった計画を立てた。これによって上原は、水泳も遠足もスケート教室も、友だちと一緒に参加できた。 D-SHiPS32のイベント。「バリアフリー施設は、誰もが使いやすいことが前提」と上原。障害者だけでなく付き添いの友人らも同席し、一緒に楽しめるかといったことも考慮する必要があるという(写真/加藤夏子)    中高も地元の公立に進学し、そのすべてにエレベーターがなかった。各階に車いすを置き、階段は自力で上った。友人たちも、当たり前のように手を貸してくれた。  成長した友人たちが自転車やバイクに乗るようになると、上原は荷台や横につかまって、一緒に移動するようになった。かなりスピードが出るため、車いすの前についている小さなタイヤが小石などを踏んで、壊れてしまうことも。何度も修理を頼むので、車いすの販売代理店の社長からは「こんなに車いすを壊す人は珍しい」とあきれられ、さらにこう言われた。 「やんちゃなところはパラアイスホッケーに向いている。やってみないか」  パラアイスホッケーは「氷上の格闘技」とも称され、体当たりなども認められている激しい競技だ。気にはなったものの、リンクが遠くて自力で行けず、そのままになっていた。 パラアイスホッケーで活躍 銀メダル獲得の立役者に  大学に進み運転免許を取ると、自力で遠方のリンクに通えるようになった。大学2年生の時、パラアイスホッケーの練習を見に行ってスレッジ(そり)に乗せてもらうと「自分はこれが得意だ」と直感する。「教師」だった人生の目標が、一夜にして「金メダル」に変わった。  直感は正しかった。練習を始めると先輩から「俺が3カ月かかったことを、2週間でマスターする」と驚かれるほど、ぐんぐん成長した。子ども時代、這って行動する中で培われた体幹の強さと手首の柔らかさが、プレーヤーとして最大の強みになったのだ。 「這う経験は、体を作るのにとても大事。障害児の親御さんにも子どもは極力這って生活させた方がいい、と伝えています」  2004~06年には、米シカゴの強豪チーム、ブラックホークスに所属。日本代表と親善試合をした時、チームから勧誘されたのがきっかけだった。普段は日本で練習して、国際大会などがあるたびに開催地でチームに合流する。世界トップクラスの選手と一緒にプレーすることで、自分の力が着実に高まっていることが実感できた。時にはプロリーグのNHLのトップ選手が使うリンクで練習する機会にも恵まれ、「本当に楽しかった」と振り返る。  シカゴではもう一つ衝撃を受けたことがある。それはジュニアのパラアイスホッケー大会があり、障害のある子どもたちが楽しそうにホッケーをしていたことだ。子どもも親も楽しそうな姿を見て、自分でもこんな空間を作りたいと考えるようになる。  06年には岡山県で障害児向けのパラアイスホッケー体験会を開いた。いざ会場に来て「やっぱりうちの子は無理です」と言い出す保護者もいたが、「外野の声」が届かないよう、子どもたちをリンクの真ん中に集めた。スレッジに乗るのを怖がる子は、椅子に乗せて氷上を押した。最初泣いていた子も最後には自分から「そりに乗りたい」と言い出すようになった。 「Next Fashion Designer of Tokyo」のワークショップで。上原ら障害当事者が「ジャケットを着たいが、車いすだとタイヤで裾が汚れる」といった服装の悩みを伝え、参加者が解決策を考えた(写真/加藤夏子)    選手としては06年のトリノ、10年のバンクーバーと、相次いでパラリンピックに出場。バンクーバーでは準決勝で決勝ゴールを決め、銀メダル獲得の立役者となった。  12年からは1年間渡米し、一人暮らしをしながらフィラデルフィアのチームに在籍した。住む家も決まらないまま単身、現地に飛び込み、初日にスマホをなくして途方に暮れた。 「その時は困ったなと思っても、不安は全くありませんでした。シカゴチームで一緒にプレーした友人もいたし、何とかなるだろうと」  アプリでリンクを予約して個人練習をするのだが、その場に集まった見ず知らずのメンバーで練習やミニゲームをすることも多かった。NHLを目指す大学生や愛好家のシニアに交じって、パラの上原もプレーをしたが、障害者として区別されることはなかった。 「『分けたがりジャパン』の日本なら障害者は断られたかもしれませんが、米国は『知りたがりUSA』。興味津々で『この装備は何だ』などと質問攻めにされ、かえって仲良くなれました」   東京を離れ長野に帰ったのは、介助犬候補の子犬を育てるパピーウォーカーになりたかったのも一因。リンゴは人懐こすぎて介助犬になれず、上原家の家族に(写真/加藤夏子)   賃貸物件を断られる いたるところにある「謎」  上原は帰国後の13年、一度現役を退く。その翌年にD-SHiPS32を立ち上げた。スポーツはもちろん、キャンプや畑仕事などを通して、障害者と健常者が一緒に時間を過ごし、お互いを知る機会をつくっていく。  「日本で障害児の多くが、運動や屋外活動から遠ざかってしまうのは、教師や福祉関係者、そして保護者に『できない』という思い込みがあるからです」  たとえば上原が特別支援学校を訪れ、「パラリンピックを目指せる子が3人くらいいますね」と言うと、しばしば「いやいや、うちには上原さんのようなアスリートはいませんよ」と返されるという。しかしパラスポーツには、ボッチャのように重い障害があっても、力を発揮できる種目もある。 「大人の知識不足で、子どもの可能性を削(そ)いでしまってはいけない。『知る』を届けることで、子どもたちがいろんなものを見て、いろんな人と関わるチャンスを増やしたい」  D-SHiPS32に設立から関わり、副理事長を務める乙黒義彦(69)は、上原を次のように評する。 「大祐君は10年後、20年後に障害を持つ子どもたちが当たり前に夢を持ち、それをかなえられる世界を作るため、今何をしなければいけないかを考えている。はるか先の景色を見て行動できることが、彼の素晴らしさだと思います」 (文中敬称略)(文・有馬知子) ※記事の続きはAERA 2025年3月3日号でご覧いただけます
元NHK久保純子アナが語る、アメリカの幼稚園教諭として働く理由 「夢がかなってとても幸せ」
元NHK久保純子アナが語る、アメリカの幼稚園教諭として働く理由 「夢がかなってとても幸せ」 久保純子さん  フリーアナウンサーの久保純子さんは、2016年から夫と2人の娘とともにニューヨークで暮らしています。現地での職業は「幼稚園教諭」。2年がかりでモンテッソーリ教師の国際資格を取得し、現在はニューヨークの幼稚園に勤務しています。人気アナウンサーの久保さんが、なぜ幼稚園の先生に? その魅力は? その質問への答えの中には、子育てに役立つヒントがたくさん詰まっていました。※後編<元NHKアナ・久保純子に聞くアメリカでの子育て「16歳の娘は、私が子どもだったころと比べると圧倒的に大人」>へ続く 教師への夢にアラフィフで再び挑戦 ――ニューヨークのモンテッソーリ幼稚園で、先生として働いて4年目になるそうですね。現在はどのように働いているのですか?  これまでは朝8時から夕方4時までのフルタイム勤務で、クラス担任も持っていました。でも最近は日本に住む両親が高齢になり、日本との行き来が頻繁になってきたんです。それで現在はサブ担任として、必要なクラスに入っています。それでも担当するクラスは20クラスあるので、「スーパーサブ」と呼ばれています(笑)。 ――人気アナウンサーの久保さんが、どうして幼稚園の先生に?  母は英語教師だったので、私も教師という仕事にあこがれがありました。大学で英語の教員免許を取得したのですが、当時は自分があまりに未熟に思えて一歩踏み出せなかったんです。そのとき「社会人として人生経験を積んでから、子どもたちの元に戻ろう」と思いました。今、その夢がかなってとても幸せです。 幼稚園の先生として働く久保純子さん「放課後は、教具を消毒したり、補充したり、翌日に子供達が気持ちよく”お仕事”ができるように整えます」 ――モンテッソーリ幼稚園を選んだのはどうしてですか?  長女が8歳のとき、お友だちにいつもハッピーそうな子がいたんです。読書をしていても、おもちゃで遊んでいても、おしゃべりしていても、いつもニコニコ幸せそう。  その子のママに「どんな子育てをしたら、こんなにハッピーな子になるの?」と聞くと「モンテッソーリ幼稚園に通っていたせいかも」と言われました。それでモンテッソーリ教育に興味を持つようになりました。  少しして夫の仕事の都合でカリフォルニアに住むことになったんです。アメリカはモンテッソーリの幼稚園が多いので、当時3歳だった次女を入園させてみました。そしたらもう、目からウロコ! 「これはおもしろいぞ!」と思って、モンテッソーリ教育の学校に通って講義を受けました。そのあと日本の幼稚園で1年間教育実習をして、晴れて幼稚園教諭の国際免許を取得しました。 幼児期に「好き」をとことん深める大切さ ――すごい行動力ですね! ちなみに、モンテッソーリ教育を知って「目からウロコ」だったのはどんな点ですか?  モンテッソーリ教育の根底には「子どもたちは、自分の力で自分自身を育てる」という考えがあります。  ですから先生は「教える」のではなく、彼らが自発的に力を発揮できるような環境を整えたり、安全性を見守ったり、迷ったときに「こちらへどうぞ」と道案内をするような役割なんです。  園では、成長段階に応じた教具を200種類くらい用意します。子どもたちは教室を縦横無尽に歩きまわって、その中から好きな「お仕事」を見つけ出します。パズルをする子もいれば、タオルをたたむ子もいますし、きゅうりを切る子もいます。 ――教具が200種類! その準備も先生たちの仕事なんですね。  そうなんです。朝8時に出勤して教具の準備をするのも先生の役目です。私は日本の「折り紙」も教具に加えました。アメリカでは紙の角を合わせて折る習慣がないので、手先を鍛えるのにちょうどいいんです。アメリカの子たちにも、折り紙は大人気です。 「飛行機の折り方をボードにまとめてみました。これなら、子どもたちも1人で折り紙に取りめます」 「子どもたちは折り紙が大好き! ”Ms.Junko, Can we do Origami?(折り紙やろう!)”と誘われます(笑)」 ――好きなことを自分で選んで遊ぶことが大切なんですね。  好きな「お仕事」に取り組む子どもの集中力って、本当にすごいんです。時間がたつのも忘れて集中しますし、幸せに満たされた顔をしています。その様子を毎日見守りながら、私も毎日感動しているんです。  たとえば靴ひもを通すだけでも、2~3歳の子には大変な挑戦です。「できない、できない、できない」を繰り返して、ようやく「できた!」になる。それは、ものすごい成長です。  子どもの成長って、なだらかな坂道じゃない。三段跳びのように、突然ボーンと飛ぶ。その瞬間まで待つことが、大人の仕事だと日々感じています。 「待つ」って難しい。だからこそ「待つ時間」を作る ――家庭では、なかなか待つことが難しいですよね。つい「貸して! ママがやる」と奪い取ってしまうこともあります。  わかります! 私もそうでした。日常生活をスムーズに送るためには「待てない場面」はたくさんありますよね。それは仕方がないと思います。 子どもたちと一緒に折り紙をする久保純子さん「2歳から5歳のミックスクラスでは、年上の子がお手本となり、年下の子の面倒を見る。年下の子はお姉ちゃんお兄ちゃんのようなお仕事をしたいと張り切ります」  だからこそ、意識して「待てる時間」を作ることが大事なんです。  たとえば夜パジャマに着替えるとか、歯みがきをするとか、そういうときは多少時間に余裕がありますよね。そのときだけでも、待ってあげるといいと思います。 「自分でできた!」っていう達成感は自信と幸せを生み出してくれます。そして「次もがんばろう」という挑戦心を育ててくれるんです。 ――子どもを見守っていると、ついつい手出し口出ししたくなるのですが……。  「見守る」って「じーっと見ている」っていう意味ではないんです(笑)。放っておいていいんですよ。公園など家の外にいるときは見ていなくちゃいけませんが、安全な家の中なら好きにやらせていればいい。それで「ママー! パパ―!」って呼ばれたら、そのときは寄り添って支えてあげてください。  Watch me do it myself !(自分でやるのを見ててね)。ほどよい距離感で見守ることが大切だと思っています。 思春期こそ、信じて見守ることが重要 ――久保さんの2人のお子さんは今16歳と23歳ですが、モンテッソーリ教育は久保さん自身の親子関係にも役立っていますか?  もちろんです。とくに次女は今思春期なので、ホルモンの変化でイライラしたり悲しくなったり、怒りっぽくなったりすることが日常的にあります。でも私自身がモンテッソーリ教育を学んで、認知学・脳科学の観点から、それが次女の成長の過程であると理解できます。  だから次女の感情に振り回されることはないですし、「今は触れない方がいい」と思えばそっとしておきます。そういう見守り方ができるのもモンテッソーリのお陰です。 ――思春期やプレ思春期の子にも、見守りが大切ということですね。  夫婦でも友だちでも「ここから先は踏み込んでほしくない」っていう境界線があると思うんです。それは親子でも同じ。どんなに小さくても、子どもは一人の人間です。その人間力を信じて見守りたいと思っています。 困ったときに相談してもらえる親になる ――本当に困ったことがあって、言い出せないでいる場合もあるかもしれません。上手に聞き出す方法はありますか?  大事なことは、ふだんから楽しいことも悲しいことも話せる土台があるかどうか。  夫婦でもそうですよね。普段何も話さないのに、突然悩みを相談することはできません。  わが家の場合、食事のときには1時間でも1時間半でもおしゃべりしているんです。テレビを消して、向き合って話すように心がけていました。  私は娘が小さいころから「今日、楽しかったことを5つ教えて」と聞いていました。漠然と「今日はどうだった?」と聞くと、「べつに~」と言われちゃうので、具体的に質問することにしたんです。先に「楽しかったこと」を聞き、そのあとで「いやだったこと」を聞きます。 「猫がいて、かわいかった」とか、「忘れ物して叱られた」みたいな話を毎日することで、重いことも話しやすくなるのかもしれないと思っています。 ――親子の会話は、今も続いているのですか?  次女は高校生になって勉強が忙しくなっているので、ゆっくり食事の時間がとれないことも増えました。だから、ときには「話題のパンケーキ屋さんに行こうよ」って誘いだすこともあります。毎日話すのは難しくても、できる限り話す機会を増やさなくちゃ、と思っています。  親子関係は自然に形作られるものではなく、意識して築いていくものですから。 (構成/神 素子) ○久保純子(くぼ・じゅんこ)/1972年東京生まれ。小学校時代をイギリスで、高校時代をアメリカで過ごす。大学卒業後、NHKアナウンサーとして活躍。2004年にフリーとなり、テレビやラジオ、執筆活動や絵本の翻訳も手がける。現在は夫と2人の娘とともにニューヨーク在住。22年よりモンテッソーリ幼稚園の教師として働く。インスタグラムアカウントは@kubojunkony
不登校の期間に、勉強とともに取り組んでおきたい2つのこととは? 不登校専門家庭教師が語る、幸せに生きるための戦略
不登校の期間に、勉強とともに取り組んでおきたい2つのこととは? 不登校専門家庭教師が語る、幸せに生きるための戦略 写真はイメージ 撮影/和仁貢介(写真映像部)      不登校のメカニズムが個性×環境の不一致であると捉えると、一旦立ち止まれたことは大金星――。そう語るのは、 “不登校専門のオンラインプロ家庭教師”、「イエローシードラビー」代表の植木和実さんです。不登校の期間に勉強と一緒に取り組んでおきたいことについて、植木和実さんの著書「これだけで大丈夫! ずっと不登校でも1年で希望の高校に合格する方法」(日本実業出版社)からお届けします。 勉強と一緒に取り組んでおきたい 不登校の心理学  一般的に、不登校は「個性と環境の掛け算」で起こるとされています。  生徒一人ひとりに個性があり、その個性が集まって集団を形成し、環境がつくられるわけですが、持って生まれた個性が、その環境に必ず合うとは限りません。  集団での教育は、より多くのさまざまな個性を持つ生徒たちに適応できるように、「真ん中」に合わせて用意されることが多いです。  どこか多数決の理論で、「真ん中に合わせることが普通、「暗黙の了解」になってしまっているのですが、真ん中から離れた個性を持つ生徒たちは、絶えず「真ん中」に合わせる努力をし続けています。  不登校の要因はさまざまですが、これが不登校の原因になることもあります。  ヒトは、誰ひとり同じではありません。そのご家庭の子どもたち全員の家庭教師をすることも多かったのですが、兄弟でさえ、双子でさえも、得意なことや考え方、性格は全く違います。  私たちは、一人ひとりがそれぞれ異なる遺伝子パターンを担っています。  そして、それらは、環境に適応して調節される機能も持っています。  地球上のどんな環境下でも、どんな状況になっても、その状況に適応する遺伝子パターンを持った誰かが生き残り、そこからまた種が繁栄するように、ヒトは「種として、より多くの種類の遺伝子のパターンを持つ」という生存戦略を選択してきました。それはヒトが誕生してから絶えることなくつながれてきた命のバトンでもあります。  個性に優劣はありません。まして、その子のせいでもご両親のせいでもありません。私たち一人ひとりが、その遺伝子パターンの担い手です。  一方で、学校は社会の縮図。それでも社会は、真ん中に合わせてつくられています。真ん中から離れた個性は本来、それが一番の強みであり、宝物ですが、本人としては生きづらさを感じることもあります。  いますぐその社会を変えることは難しいので、自分のできることを成しながら、だんだんと社会が醸成されることを願いつつ、「幸せに生きるための工夫・戦略」を考える必要があります。  不登校のメカニズムが個性×環境の不一致であると捉えると、一旦立ち止まれたことは大金星、不登校の期間はその子にとっての「その子が社会で幸せに生きるための、その子だけの特別カリキュラム」でもあります。  不登校の期間に、勉強とともに取り組んでおきたいことは、「自分を知ること・自分でいいんだと知ること」です。これができると、幸せに生きるための工夫・戦略を、より立てやすくなります。 自分を知ること・自分でいいんだと知ること いまの自分を知る手がかり「何をして喜ぶか」「何ができたら嬉しいか」  自分を知ることは、実際に大人でもとても難しいですよね。  わからないまま大人になる人も大勢います。  答えはひとつではないし、いろいろな面があり、成長とともに変わったりもします。でも、「幸せに生きるための工夫・戦略」を考えるには、自分を知ることが不可欠です。自分を知らないまま真ん中に合わせ続けると、自分を見失うことになってしまいます。  私にとって、授業をすることは、相手を知るためのコミュニケーションの手段なのですが、その手がかりとして、「何をして喜ぶか」「何ができたら嬉しいか」を指標にすることがあります。  授業中の雑談の中で、直接生徒に聞くと、「ゲームをつくれたら嬉しい」「人の役に立つコミュニケーションロボットがつくりたい」「食べること」「ヘアメイクが好き。もちろん自分にするのも好きだけれど、誰かを輝かせるほうがとても嬉しいことに気づいた」「インテリアが好きだから、IKEA に就職できたら嬉しい」「僕は、憲法は美しいと思う。だから、法に仕えたい」「生き物が好きで、地球が好きだから環境を守りたい」「有名な大学に合格して彼女がほしい」「料理が好きだから、いまは、ミートパイを上手に焼けるようになりたい」「お母さんを安心させたい」……など、いろんな答えが返ってきます。  どれも本当に素敵だなと思うのです。  ひとつでなく、たくさんあっていいし、立派なカッコいい答えじゃなくてもいい。そうやって出てきた一つひとつの「できたら嬉しいこと」がその人をつくるのではないかと思っています。  そうしているうちに、人生の多くの時間をかけて取り組みたいと思うことが見つかるかもしれません。  忙しかったり、心の多くの割合を占めてしまう心配事があったりすると、ついついそれも忘れがちですが、安心できる家でのコミュニケーションの中で、ゆっくり考える時間を持つことはひとつの財産をつくるのと同じです。 「できる工夫を探す」とは?  不登校のうちに、自分を知ることと共にやっておいたほうがいいことは、「できる工夫を探すこと」です。  遺伝子由来の個性は言わばヒトの生存戦略なので、そのひとつの遺伝子パターンを担っている貴重な存在であることに変わりはなく、ましてや本人のせいではないのですが、社会でより自由に幸せに生きていくためには、自分を尊重しつつできるだけ真ん中に合わせる工夫も必要です。  真ん中に合わせる機能的な工夫として、たとえば、視力が弱い生徒がメガネをかけるように、道具を使うことによって補完される・緩和されるものもあります。難読症の生徒には文章の下や横に当てて読みやすくするルーラー、聴覚過敏の生徒にはイヤーマフ、書字障害のある生徒にはPC入力、ADHD(注意欠如・多動症)の生徒向けのハビットトラッカーなど、先輩たちの愛と工夫の結晶とも言えるさまざまな道具があります。  また、心の感覚として真ん中から離れていることがある場合、自分の感覚である自分の尺度と真ん中の尺度の2つを持ち、調整できるようになるととても生きやすくなるようです。  真ん中の尺度とは、社会で集団生活するうえでの共通理解であり、それらは義務教育の学習内容を習得することで、補うことが可能です。  自分の尺度を持っていること、そして、自分の尺度を大切にすることが大前提となるのですが、自分の尺度のほかに、これらの学習によって習得した「真ん中の尺度」を持てるようになると、自分の尺度で迷ったときには真ん中の尺度に照らして調整することができるようになり、指針ができ生きやすくなります。  これらの指針は、社会に出たときには「共通言語」として機能します。 〇植木和実(うえき・かづみ)/1976年生まれ。あたたかく才能を開花させる不登校専門オンラインプロ家庭教師イエローシードラビー代表。東京大学大学院卒、生命科学修士。認定心理士。学生時代からの家庭教師歴は20年以上、小学生から大学受験生まで学年問わず全教科の指導を行ない、時に一緒に戦略を練り、時に本音をこぼしあいながら伴走してきた。ダウン症の愛娘(師匠)に恵まれ、教育の基礎を学ぶ機会を得る。大好きだった企業の研究職を感謝して卒業し、2020年より不登校専門のオンライン家庭教師イエローシードを立ち上げ、ひとりで年間20人の生徒の指導にあたっている。すべての不登校中学生や勉強の遅れで苦しんでいる中学生とそのご家族に、リカバリーは可能であり、あきらめなくていいと伝えたい。絶対に幸せになってほしいと思っている。
不登校の中学生の進路には「いまやたくさんの選択肢がある」 違いや“戦略”を不登校専門家庭教師が解説
不登校の中学生の進路には「いまやたくさんの選択肢がある」 違いや“戦略”を不登校専門家庭教師が解説 (写真はイメージ/GettyImages)  わが子が不登校になった場合、中学卒業後の進路をどうすればいいのか、高校はどのように選べばいいのか、悩ましいものです。中学卒業後の進路の選択肢や内申書について、 “不登校専門のオンラインプロ家庭教師”、「イエローシードラビー」代表の植木和実さんの著書「これだけで大丈夫! ずっと不登校でも1年で希望の高校に合格する方法」(日本実業出版社)からお届けします。  ここでは、実際に受験勉強に入る前に、生徒やご家族から質問の多い、「中学卒業後の進路」について、お話しします。不登校からの高校選びについて、まだまだ情報が少ない、モデルケースが少ないというお声も聞きます。長年、不登校の生徒たち一人ひとりに伴走してきてわかった、卒業後の進路の決め方について、ご紹介します。 中学卒業後の進路の選択肢  中学卒業後の進路には、いまやたくさんの選択肢があります。  教え子たちを見ていても、全日制の高校を選ぶ生徒、自分の体調に合わせて通いやすい時間帯を選択できる定時制高校を選ぶ生徒、通信制高校を選択する生徒、高等専修学校で専門性の高い技術を身につけながら提携先の通信制高校に通う生徒、そもそも高校進学自体を選択せず高等学校卒業程度認定試験(高認)を利用し、専門的な資格を取得しながら大学進学をした生徒、本当にさまざまです。  自分を知り、どう生きていきたいか真剣に考え、戦略を立てて進学先を決定する。一人ひとりが自分の人生を思うように創りながら幸せに生きることが一番の成功。  それを主軸に据えながら、進路を選択していくといいようです。  結論から言うと、どの道を選ぶにしても、中3までの学習範囲を中学卒業までに習得することが最重要事項。その先に進む鍵になります。  高校選びの参考・サポートになるように、フローチャートを作成してみましたので、まずは、自分にはどんな選択肢があり、どのタイプの高校が合うか、チェックしてみてください。勉強は、割となんとかなります。  基本的には、高校の課程には、全日制と定時制、通信制の3つがあり、いずれかを修めると「高校卒業資格」が得られます。  また、中学卒業後の別の進路として、修了時に国立大の2年生への編入制度がある5年制の高等専門学校(高専)、専門的な勉強をいちはやく始めることができる高等専修学校があり、また、「絶対に大学には行く」という鉄の意志のもと、戦略的に高校進学を選択せず高卒認定試験にチャレンジする子もいます。  ※本記事では「全日制高校」と「通信制高校」について詳しくご紹介します。 全日制高校  日本の高校の中で一番生徒数が多いのが普通高校、高校生の90%を占めます。  全日制のメリットは、大学に進学しやすいことです。  上位校と言われる進学校では、指定校推薦と呼ばれる学校推薦(学校で推薦されれば、簡単な小論文面接だけで合格できる。よほどのことがない限り落ちることはない)も豊富、先生たちの受験指導経験も豊かです。  一方で、基本的に毎日(週5日)通学することが求められ、年間2/3以上の出席が進級の条件になります。  地域によって異なりますが、高校入試についてお話ししますと、私立の受験教科は主に英語・数学・国語の3教科で1月から2月に、公立は英語・数学・国語・理科・社会の5教科で2月下旬から3月上旬に行なわれる学校が多いです。  よく「私立と公立、不登校でも受け入れてくれるのはどちらか?」というご質問をいただくのですが、「地域ごと・学校ごとに差が大きく、一概に言えない」というのが現状です。  誤解を恐れずに言えば、15年くらい前までは、公立高校のほうが不登校の受け入れに積極的(というか、入試で点数さえ取れれば出席日数は不問、内申点の割合も低い)というところが多く、私立では出席日数が少ないことが合否に関わる学校も多かったのですが、いまは本当にその学校や地域の方針次第だという印象です。  昨今、公立高校の受験は、地域によってさまざまなローカルルールが適用されています。  学校や市の教育相談センターなどに問い合わせると、その地域のルールを説明してもらえます。  現行、一番多いのは、入試について「内申点30%、当日点70%の合算」というものです。よく、「完全不登校で内申点が最低点に近いので、高校入試はあきらめなければならないのでは」と心配される方もいらっしゃるのですが、その地域の方針や合格点の算出の方法によっては、当日点でより高得点を取ることで合格することも可能です。  一方で私立高校は、高校によって本当に方針がさまざまです。 「入学試験でどんなに点数を取っても、出席日数が規定に達していないと合格は出せません」という立場をとる学校や、「入学試験の点数によって合否が決定する。特に出席日数は問わない」とする学校、「いままで不登校だった生徒たちを、むしろ積極的に受け入れて教育したい」とする学校など、いろいろです。  校長先生の教育方針も大きいという印象があります。各高校の学校説明会や個別相談が設けられていますので、ぜひ事前に参加し、率直にご相談なさってみてください。  いままで教え子が入学した私立高校で、一番歩み寄ってくださった高校は、個別相談のあと、その高校の校長先生自ら生徒の在学中の中学校に連絡をくださり、ぜひうちに入学してほしいと、力になりたいと伝えてくださったそうです。  生徒の学力が高かったことも一因だと思いますが、校長先生の温かさに私も感動しました。さまざまな学校があり、もちろん美談ばかりではない現状も見ておりますが、門戸を叩くことで道が開けることもあります。  また、近年では、たとえば東京都のエンカレッジスクールのように、これまでの学校の学びのスタイルでは力を発揮できない・うまくいかない生徒のやる気を育て、社会生活を送るうえで必要な基礎学力を身につけさせることを目的として運営されている、全日制・学年制・普通科および専門学科の高校もあります。  そうした高校では、発達障害や学習障害があり特別な配慮が必要な生徒の学び直しにも力を入れています。入学試験は学力試験がなく、調査書と小論文、面接で合否が決まります。このような取り組みは各地にあり、ぜひ、お住まいの地域についても調べてみてください。 通信制高校  通信制高校は、通信による教育を行なうことを目的とした高校です。  決められた単位数の取得と、36カ月以上の在籍期間(転入の場合には、その前の在籍校の在籍期間が認定されることがあります)、50時間以上の特別活動への参加で、卒業資格を得ることができます。  カリキュラムも学校によってさまざまで、スクーリング期間(年間10日ほど)をのぞき、必ずしも登校は必要ありませんが、「週5クラス」「週3クラス」など、独自のカリキュラムを設置している高校もあります。  昨今、少子化の影響もあり、全日制・定時制高校の生徒数は減少傾向にありますが、2023年度の文部科学省の学校基本調査によれば、通信制高校の在籍生徒数は26万4974人、前年に比べて2万6530人増えており、高校生の9・1%(12人に1人)が通信制高校の生徒です。  近年、大学受験に特化したところや、高等専修学校と連携し在学中に種々の資格を取得できるところなど、さまざまな特色を持つ私立の通信制高校が増加しています。スクーリングの場所も、近場の教室から北海道、屋久島、九州などさまざまです。  時間の自由度が高いので、体調を優先したい生徒、スポーツや美術、起業など、特化してがんばりたいことがある生徒にも、高校卒業資格を得るために有効な選択肢であると言えます。  一方で、大学進学を志望する場合には、通信制高校の授業と大学入試には難易度の開きが大きいため、多くの場合、受験勉強について別のサポートが必要になります。 内申書について知っておきたいこと  高校受験の出願時に、在籍中学校から「内申書」というものが受験校に提出されます。内申書は、日頃の生活態度や部活動、委員会活動や行事への参加、取得した資格、出席日数など、日頃の様子などを伝える文章と、内申点と呼ばれる「各教科の通知表の合計点」が書かれています。この内申点と入試当日の点数の合計で、合否が決まる高校が多いです。内申点の計算の仕方や、入試における内申点の占める割合は、地域ごと・学校ごとに異なるルールで運用されています。  一般に、内申点は、「中1の2学期から中3の2学期までの、通知表の各教科の合計点に、一定の割合をかけたもの」が採用されることが多いようです。  不登校の生徒においては、1日も登校しない完全不登校で、テストも受験せず、提出物の提出もしなければ、おそらく全教科「1」という結果になります。  しかし、登校が難しくても、宿題や課題を自宅でやって提出させてもらう、テストだけ保健室などの別室受験をさせてもらう、といった工夫をすると、その1が3になることもあります。  さまざまな高校がさまざまな判断基準を持つ中で、一概には言えないのですが、たとえ内申点がすべて1でも、当日の試験得点が高ければ、それらをカバーし合格することも可能です。 〇植木和実(うえき かづみ)/1976年生まれ。あたたかく才能を開花させる不登校専門オンラインプロ家庭教師イエローシードラビー代表。東京大学大学院卒、生命科学修士。認定心理士。学生時代からの家庭教師歴は20年以上、小学生から大学受験生まで学年問わず全教科の指導を行ない、時に一緒に戦略を練り、時に本音をこぼしあいながら伴走してきた。ダウン症の愛娘(師匠)に恵まれ、教育の基礎を学ぶ機会を得る。大好きだった企業の研究職を感謝して卒業し、2020年より不登校専門のオンライン家庭教師イエローシードを立ち上げ、ひとりで年間20人の生徒の指導にあたっている。すべての不登校中学生や勉強の遅れで苦しんでいる中学生とそのご家族に、リカバリーは可能であり、あきらめなくていいと伝えたい。絶対に幸せになってほしいと思っている。
足が不自由な息子と医ケア児の長女を置いて「きょうだい児」の次女と二人旅 ケアを気にせずビールが飲めた
足が不自由な息子と医ケア児の長女を置いて「きょうだい児」の次女と二人旅 ケアを気にせずビールが飲めた 身体が不自由な人が座ったままプールに入ることができる装置です。ハワイでは障害があっても海もプールに入ることができる設備がたくさんあります(写真/江利川さん提供)   「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。 * * *  2月上旬、5年ぶりにハワイに行ってきました。今回は次女との二人旅でした。コロナ禍を経て、現地はどんな風に変わったのだろうと思っていたのですが、結論から言うと何も変わらず、私が知っている景色のままでした。  今回はハワイ旅行のことを書いてみようと思います。 5年間の息子の成長を実感  前回ハワイを訪れたのは2020年 1月末でした。日本では新型コロナウイルスのニュースが出始めた頃でしたが、ハワイではマスクをしている人をまったく見かけず、現地ニュースは秋のアメリカ大統領選挙に向けた討論会ばかりでした。ところが、私が帰国した2月5日に横浜港にコロナの集団感染が確認されたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」が入港すると状況は一変してしまいました。海外はとても遠い国になってしまい、いつの間にか毎朝チェックしていたUSドルのレートも見なくなり、大好きな「旅行」というものをすっかり忘れた数年間でした。  でもそれから5年が経ち、12月に次女が進学する大学が決まったタイミングで「高校卒業前にハワイに行こう!」ということになりました。夫は仕事のため留守番です。2月は入試休みがあり息子も連休になるので一緒に行くつもりでしたが、次女が中学入試のお手伝い(生徒会活動に関わってきた彼女にとって最後の委員会)がしたいと言い出し、飛行機が苦手な息子は「行かなくても良いなら行かない」と言ったため、入試休み期間ではない高3の自由登校時期に、夫と息子は残り次女と二人で行くことになりました。夜は夫が帰るとはいえ、これまでは足が不自由な息子を置いていくという選択肢はありませんでした。息子自身も自分だけ残ると考えたことも無かったと思います。5年の間にすっかり自立し大人になったことを実感しました。医療的ケアが必要な長女は、大学病院のレスパイト入院(介護者の休息や休養を目的とした短期入院)を利用しました。次女の受験が長引いた場合に備え、12月からこの時期の予約をしていたので安心して出かけることができました。 “おとな二人旅”のラクさに驚き  出発当日。今までは医療的ケア児の長女か足が不自由な息子が一緒だったので、出入国の手続きは優先レーンがありとてもスムーズでしたが、次女と二人なので当然ながらすべて列に並びます。でも、次女は手がかからないどころか、私の方が行動が遅いので手伝ってくれることもあり、新婚旅行以来の“おとな二人旅”のラクさに驚きました。普段は医療的ケア児の長女のケアのために機内でのビールも控えめにしますが、そんなことを気にする必要もなくガンガン飲めます。そしておそらく、幼稚園時代からハワイに行き来するたびに姉や弟を気にしていたきょうだい児の次女も、今回初めて自分のことだけを考えて過ごせた旅になったように思います。  高3の次女は、もう海やプールでバシャバシャと泳ぐ年齢ではありません。写真を撮ってInstagramに載せたり買い物をしたりと、5年前とはまったく違う滞在の仕方でした。バスを待たずに歩いて移動したり、食事の時間を気にせず食べたい時に食べたいものを食べたり、ショッピングモールの端から端まで何往復もしたり、近道をしてエレベーターではなく階段を上がったりと、大半の人にとってはごく当然のことを次女と一緒にできたことにも大きな喜びがありました。 日本にもこの優しい雰囲気を  ハワイの街は私たちが生活していた頃のままでした。年齢に関係なく杖(つえ)をついて歩く人がいたり、ものすごく派手な色の帽子をかぶったりミニスカートをはいたご高齢の方がいたり……と、もしかすると日本では振り返って見られてしまうような状況でも、ハワイでは通りすぎる人は誰も気にしません。おそらくご本人も、誰の目も気にせず自由に生活をされているのだと思います。  そして車いすユーザーへの配慮も多く、海やプールには座ったまま入れる設備が完備されていますし、街中では一見とても怖そうな人も立ち止まって道を譲り笑顔で話しかけています。「文化の違い」と言ってしまえばそうなのですが、どうすれば日本にもこの優しい雰囲気が浸透するのかぁと何度も思いました。 ※AERAオンライン限定記事
いくらまでの物件なら買ってもOK? 子育て世帯の住宅購入「知っておきたい」注意点とは FPに聞く
いくらまでの物件なら買ってもOK? 子育て世帯の住宅購入「知っておきたい」注意点とは FPに聞く (写真はイメージ/GettyImages)  住居費は、家計に占める割合が大きく、毎月最優先で支払わなければならない費目です。賃貸で家賃を払い続けるのか、マイホームを買って住宅ローンを払っていくのか、買う場合にもどのタイミングでどんな家を買うのか悩んでいる読者も多いでしょう。ファイナンシャルプランナーの西原憲一さんに、住宅購入のコツを聞きました。子育て情報誌「AERA with Kids2024冬号」(朝日新聞出版)から紹介します。 不動産価格は高騰 なかなか買えない現状  今は都市部を中心に不動産価格が高騰しており、なかなか購入できる金額ではなくなっています。そこで、わが家の場合はいくらくらいのマイホームが買えるのかや、購入の際の注意点などについて考えてみましょう。  まず、持ち家と賃貸の違いを押さえておきます。持ち家のメリットは、ローン返済が終われば家賃が不要になり、資産になること、リフォームの自由度が高いこと、家賃の値上げや退去の心配がないこと。デメリットは、購入時の初期費用が高額なこと、住宅ローンの返済リスクがあること、毎年固定資産税・都市計画税がかかること、気軽に引っ越せなくなることなど。  賃貸のメリットは、引っ越しがしやすいこと、初期費用が比較的少ないこと、修繕費が不要なこと。デメリットは、ずっと家賃を払い続ける必要があり、資産にならないこと、家賃の値上げや退去のリスクがあること、自由にリフォームできない場合が多いことなど。それぞれに一長一短です。自分のライフステージにおいて、今はどちらを選ぶのがいいのか判断していきましょう。 家計に占める住居費は手取り月収の25~30%以内で!  住宅を購入する場合、いくらまでの物件なら買ってもいいと判断できるのでしょうか。「銀行が貸してくれるから」というような短絡的な理由では、この先、長期間にわたって住宅ローンを払い続けることができなくなるかもしれません。家計全体のバランスを考慮し、長期的に無理のない返済計画を立てられる予算であることが重要です。 首都圏の新築分譲マンションの平均価格は2023年まで5年連続上昇し、最高値を大幅更新した。10年前の価格と比べると上昇率の高さがわかる。特に東京23区は平均価格が1億円超え! 24年の平均価格は首都圏が7820万円、東京23区が1億1181万円、東京都下が5890万円、神奈川県が6432万円、埼玉県が5542万円、千葉県が5689万円となった。(出典:株式会社不動産経済研究所)  総予算の目安は、手取り年収の5~7倍が一般的。例えば、年収600万円の家庭の場合は、3000万~4200万円が適正な範囲です。住宅ローンの月々の返済額は、手取り月収の25~30%を推奨します。住宅ローンの返済が家計を圧迫せず、教育費、生活費、将来のための貯蓄を確保しながら暮らしていくためには、このくらいに抑えておく必要があるのです。 ローンでの住宅購入は自己責任で行うもの  購入時には、20%の頭金を用意しておくのが理想です。登記費用や引っ越し費用などの初期費用が物件価格の10%程度かかることを考慮すると、物件価格の30%は自己資金を準備しておきたいところです。最近は、頭金ゼロでも全額フルローンが組めるようになりましたが、頭金を入れることによってローンの借入額を減らせます。そしてそれは、月々の返済額を減らすことになり、住宅ローン返済の負担を軽減できます。  住宅価格が高騰している今、そんな予算では買えないと思うかもしれませんが、ローンを組めたからといって、返せる保証はありませんし、銀行も不動産業者も責任をとってくれません。ローンを借りて住宅を購入するのは自己責任で行うことだと肝に銘じましょう。  共働き家庭の場合は、夫婦それぞれに住宅ローンを組み、連帯債務とすることでより高い物件を購入することができます。しかしこの先、妻が妊娠・出産で仕事を休む時期があるかもしれないし、夫婦ともに今の収入を確保し続けられる保証もありません。無理をして夫婦で住宅ローンを組んで住宅を買ってしまうと、何か家計に変化があったときにうまく対処できなくなる可能性もあります。 身の丈に合った物件を選び、無理をしない  子どもがいる世帯の場合、小さいうちはそれほど教育費はかかりませんが、大きくなるにつれてたくさんかかってきます。また、マイホームを買った後は、頭金などを出して貯蓄が減っています。いざというときや老後資金のために、住宅ローンを返済しながらも手取り収入の10%以上は貯蓄できる家計を維持していきましょう。返済で手いっぱいで貯蓄もできないような状況では、将来が心配です。  住宅を購入するときは、その時点で買えるかどうかで判断しがちですが、住宅ローンは長期間にわたって返し続けていくもの。長期の目線を持つことが大事です。  若干のゆとりを持たせて住宅ローンを組むこと、背伸びしないで身の丈に合った物件を選ぶこと、さらにはちょっとしゃがむくらいの慎重さで進めるのがちょうどいいんじゃないかと思います。 (取材・文/生島典子) (西原憲一さん) 〇西原憲一/ファイナンシャルプランナー、税理士、株式会社UFPF代表取締役。大阪府出身。個人や法人のお金の悩みを親身に聞き、アドバイスしている。
湊かなえ「子どもは親の人生の“上巻”を知らない」 介護は親の物語を知るきっかけに
湊かなえ「子どもは親の人生の“上巻”を知らない」 介護は親の物語を知るきっかけに みなと・かなえ/1973年生まれ。2007年、第29回小説推理新人賞を「聖職者」で受賞。08年、『告白』を刊行。同作が第6回本屋大賞を受賞。12年、「望郷、海の星」で第65回日本推理作家協会賞短編部門、16年、『ユートピア』で第29回山本周五郎賞を受賞(撮影/写真映像部・東川哲也)    主人公・美佐が叔母の介護をきっかけに、叔母の“上巻”の人生を知っていく──。湊かなえさんの新作『C線上のアリア』は、生きてきたことの価値を知り、生きていくことの幸せを感じられるあたたかいミステリーだ。AERA 2025年2月24日号より。 *  *  * 「この小説は私が団塊の世代の子ども、つまり第2次ベビーブームの生まれで、これから起こり得る介護などの問題に対して当事者として見えることがあるからこそ書けたと思います」  湊かなえさんは、新作『C線上のアリア』についてそう語った。  今年はいわゆる“2025年問題”の年で、団塊の世代が75歳以上となり、超高齢化社会を迎えることで、さまざまな問題が持ち上がるとされる。中でも医療や介護に関しては、その世代にとって大きな課題であり、他人事ではなくなる。介護と一言でいうが、直面している人にとっては心身ともに大きな負担になる。だからこそ湊さんは自分の親が元気なうちに小説として書いておこうと思ったとも話した。  そもそも介護に関するお話を書こうと思ったのはどういう経緯があったのか。 「読者のリクエストに応えることがよくあるのですが、私と同世代の読者の方から介護に関するお話を読みたいという要望がありました。介護は私を含めて誰もが通る道なので、思い切って書いてみようと決めました」 介護に直面すると…  物語は中学生の時に両親を亡くし叔母・弥生に育てられた美佐に、弥生と共に暮らしたまちの役場から一本の電話がかかってくるところから始まる。叔母・弥生に認知症の症状が見られるので対応してほしいと。  かつては美しく丁寧に暮らしていた弥生の家は、当時の見る影もなく“ごみ屋敷”と化していた。あまりの落差に心を痛めながら片付けを進めていくと、鍵がかかった金庫が見つかった。  また、懐かしいそのまちで元恋人の邦彦とも再会。邦彦の母親・菊枝も生活の問題があり、介護は邦彦の妻・菜穂に任され菜穂は精神的に追い詰められていた。  美佐は弥生の家を片付けていくうちに弥生と菊枝、彼女らの家族をめぐる複雑な関係と、彼女らに秘められた物語を知っていくことになる。 きちんとした人だから  小説にはごみ屋敷と化した弥生の家を美佐が片付ける場面があるが、あまりにもリアルで、経験した人にとっては、うちと同じでその通りだと身につまされる思いになるかもしれない。  認知症になり、ごみ屋敷化していくことはよくある。昔はきれいに片付けられていた人の家が、どうしてこうなってしまうのかと思うかもしれない。 「弥生もそうですが、きちんとした人はごみを分別しようという意識が高いので体が言うことを聞かなくなって集積場にもっていけなくなり、溜まってしまうこともよくあると思うのです。ごみ屋敷になってしまうのは、その人がだらしないからというだけではないはずです」  ごみを片付けようとすると、「それはごみじゃない!」と叱責されてしまうこともよくある。 「私は現在はリサイクルセンターに資源になるものを車で持って行っていますが、それができなくなるとどうなるだろうと不安になりました。SDGsを強調し過ぎず、体力や運ぶ手段がない人のことも考えないといけないですね」と湊さんはこれからの超高齢社会への課題も提示した。 子は親を実は知らない  介護をする美佐と、される弥生は叔母と姪の関係で直接の親子ではない。ワンステップ置くことで見えてくるものがあるのではないかと考えたとも話す。 「少子化で一人っ子が増えていくと、自分の親だけでなく、おじやおばの対応をする必要が出てくるのかもしれないと考えたところもあります」  直接の親の場合、子どもはかつての元気な姿から弱ってしまった親の状態を見るのがつらいことや、嫌なことを言われたという記憶もあり、感情を含めて割りきれない面もある。  だが、他人なら、客観的に見え、やさしく接することができることもある。  ただ、子どもは親のことが見えているようで、実は見えていないとも湊さんは強調した。 「以前、妹と仮に両親が亡くなって葬儀をする時にどんな音楽をかけるのがいいかと相談をして、私たちが考えていた曲の話をすると、全然違っていました。二人とも若い時に好きだった曲がいいとのことでした」  父は生まれた時からお父さんではなく、母もお母さんになる前の人生があったことを改めて認識したという。 「親という見方だけでなく、一人の名前を持った個人として捉えることができるといいですね。人の人生も大きな物語のようで、上巻と下巻があり、今が親の物語のどの辺りなのかという見方もできますし、子どもである自分が生まれた時が下巻の始まりであれば、子どもは親の上巻を知りません。それなら親の上巻を知ることで、もっと深く個人としての親が理解できますし、そうなればいいなという思いもあります」  親をよく知ることでやさしく接することもできるはずと湊さんは続けた。 『C線上のアリア』朝日新聞出版/定価:1870円(税込み)。朝日新聞連載中から注目を集めた小説を単行本化    ちなみに湊さんは進学した際に親元を離れ、父親も単身赴任をしていたので、ほどよい距離感があり、親子であるが個人として接している部分も多いそうだ。  湊さんの子どもも就職を機に独り立ちをしたことで距離ができた。 「うちはいい意味で個人に戻っています。上巻下巻と言いましたが、まだまだ新しいことは始まるし、新しい関係が生まれることも生きている限りは続いていきます」 それでも生きていく 『C線上のアリア』の登場人物で「みどり屋敷」に住む弥生にもこれまでの人生があり、これからの人生もある。  美佐は弥生の家を片付けていくにつれ、弥生の人生の“上巻”や秘密を知っていく。同時に美佐の若かりし頃の思い出も弥生の人生に重なり合うように蘇ってくる。  それぞれの人生が森の中の木々のように枝を伸ばし、互いが影響しあい、独自のみどり色を放っている。 「このお話にも出てきますが、みどり色といっても薄いものから濃いものまであり、一人ひとりが思うみどり色は違います。みんなが同じことを思うわけではありません。それを知ることも相手を知ることだと思います」  また、みどりは信号では進めを意味する。みどり色は前を向いてまた新たな人生を進める意味もあるのかもしれない。  弥生、美佐、邦彦、そして菊枝らの間でかつて起こった出来事は何だったのか、金庫から見つかったものとの関係は何か。美佐と邦彦はこの先どうなるのか、そして菜穂と美佐、邦彦の関係はどうなるのか……。 「介護をする、介護を受けることは誰でも可能性があります。でも、介護は相手を深く知るきっかけにもなると思います。この物語が家族との接し方、まわりとの接し方、自分のあり方を考えるきっかけになればいいですね。  介護となると人生の後半戦と思いつつも、まだまだこれから新しい人生がスタートするかもしれませんしね。私の小説はイヤミスって言われますが、今回はそうなっていないと思いますよ」 (ライター・鮎川哲也) ※AERA 2025年2月24日号  
「1日10秒、猫の写真を見つめなさい」 スポーツ医学の権威が教える「自律神経」1ステップ改善法とは
「1日10秒、猫の写真を見つめなさい」 スポーツ医学の権威が教える「自律神経」1ステップ改善法とは 2月22日は猫の日。猫の写真や動画を見るとポジティブな効果があるという(写真はイメージ/gettyimages)    昼休みに、眠る前に、猫画像や猫動画でホッとひと息つこうと思った人へ、それは大正解だ。猫の写真や動画やそして実物には、我々の自律神経に驚くべきポジティブな効果があるという。 *   *  * 猫が人の自律神経にもたらすモノ  ――かわいい。たまらん。なでまわしたい。  猫を見て、もしあなたがそう思ったなら、その瞬間にあなたの自律神経は整っている。  医学博士の小林弘幸教授(順天堂大学医学部)は、猫が人の自律神経にもたらすおそるべきポジティブな影響を、こう解説する。 「通常、人間の自律神経は睡眠や食事など生活習慣を整えることで改善しますが、乱れを改善するには手間がかかります。猫がすごいのは、たった1ステップで自律神経を整えてくれるところ。猫の写真を見て、深く呼吸するだけでもいいのです」  自律神経とは、呼吸や血液循環などの機能をコントロールする神経のこと。活動しているときに優位になる「交感神経」と、リラックスしているときに優位になる「副交感神経」の2種類がある。2つの神経がどう作用するかによって、心身のコンディションが変わる。 オキシトシンで深い呼吸に  忙しい現代人は、ともするとエンドレスで交感神経が優位になりがちだ。  たとえば、ストレスがかかると、人の呼吸は乱れ、ともすれば止まりがちになる。そんなときこそ、「猫の写真を見るべき」と小林さんは言う。 「かわいいですよね。かわいいと思えば、幸福ホルモン『オキシトシン』が分泌されます。すると無意識のうちにゆっくりとした、深い呼吸になる。すると、ホッとすると思います。その瞬間に、呼吸できている自分に気づくはずです」  深い呼吸は副交感神経を刺激して、全身に血液をめぐらせてくれる。血流が安定すれば、体調もよくなっていくという。  猫動画を見るのも効果的だ。たとえば、猫が活発に遊んでいるところを見ると、前頭前野が活性化して末梢の交感神経も高まる。つまり、猫は交感神経も副交感神経も整えてくれる。 安眠効果抜群?(gettyimages)   触るのならば、もっといい  見るだけでなく、猫に触るならば、もっといい。  猫の被毛は柔らかく、体は温かい。自分の手のひらと猫の体が触れ合うことで、オキシトシンの分泌は「さらに増える」という。  なるほど、納得である。より幸福感を高める猫との触れ合い方はあるのだろうか。 「猫はご存じのとおり、自由気ままなところがあります。無理強いはせず、猫に任せつつ、こちらも自然体で触れ合うのが一番いいと思います。人が構えると、猫も構えてしまいますから」 なでてく?(写真はイメージ/gettymages)   子猫の凄まじいインパクト  小林さんと猫との出合いは、高校生のときだという。  親戚の家に遊びに行くと、茶白の子猫が室内で歩き回っていた。  子猫はなぜかポテポテと小林さんの足元に寄ってきた。そして、後ろ脚で立ち、おねだりするように前脚を上下に動かしながら、小林さんを見つめてきた。  それはすさまじいインパクトだった。 「現代社会とは離れた空間にいるような心持ちがしました。つまり、癒やされたんですね」 どんなときも自我があり、我が道を行く  だが、甘えた顔を見せてくれたのは一瞬。子猫はあっという間に小林さんの元から離れ、パタパタと違う方向へ走っていった。  自由に動きまわる猫を見た小林さんは、自分の境遇を振り返って、胸が苦しくなったという。 「当時、根をつめて受験勉強をしていました。切羽詰まって悩んでいる自分がばからしくなって」  猫を見てほしい。フードをもらうときは真っすぐに甘えてきて、食べ終わったら「そんなことあったっけ?」とばかり、すっとどこかへ行ってしまう。 「猫にはどんなときも自我があり、我が道を行っているように見えます。現代社会で、われわれが失いかけているものを、猫は持っているのではないか。猫の生きざまが、ストレス社会に生きる私たちに必要なのではないかと思います」 こばやし・ひろゆき/1960年生まれ。日本スポーツ協会公認スポーツドクター。著書に『にゃんこと整える。』など多数   猫の写真を10秒見る  社会にはさまざまな立場や考え方や感じ方の人がいる。自分は自分と頭ではわかってはいるけれど、会社で、家庭で、気づけば周囲の行動や心情に気を配っている。それでもなかなか思うようにはいかない。だから一日の終わりには、つい息苦しさからため息が出るという人もいるのではないか。 「そんな夜は、猫の写真や動画を10秒間見てください。さまざまなしがらみから離れて、本来の自分に戻れるのではないでしょうか」   2月22日は猫の日。眠る前に10秒の「猫時間」を設けて、自分をいたわってはどうだろうか。 (編集部・井上有紀子)
「たった1カ所のミス」で約20万円の大損…国税OB税理士が説く「確定申告」で絶対に間違えてはいけない記入項目
「たった1カ所のミス」で約20万円の大損…国税OB税理士が説く「確定申告」で絶対に間違えてはいけない記入項目 ※写真はイメージです(gettyimages)    令和7年(2025年)の確定申告は2月17日からはじまる。国税OB税理士の飯田真弓さんは「会社員でも確定申告で取り戻せるお金があるので制度を知ることが大切だ。例えば、住宅ローン控除の令和6年分の『改正点』には気をつけたほうがいい」という――。 会社員でも申請を忘れると大損…  今年も確定申告の時期がやってきた。  筆者はかつて26年間、所轄の税務署で勤務していた。確定申告では、いろいろな人の申告納税相談を担当した。  いわゆる“反社”の人が筆者の相談ブースに座り、 「ねぇちゃん、確定申告って、なんぼ税金払ろたらええんか教えたってくれるかぁ⁈」 と、凄まれたこともある(詳しくは、拙著『税務署はやっぱり見ている。』、日本経済新聞出版)。  会社員の場合は、勤務先で年末調整をしている人が多い。しかし、確定申告は「自分には関係ない」と思っていると、気づかぬ間に大損しているかもしれない。  例えば、住宅取得等特別控除(以下、住宅ローン控除)を申告する1年目の人(2年目以降は年末調整で申告可)は年末調整の対象外となり、自分で確定申告をする必要がある。 なぜA氏は、住宅ローン控除を受けられなかったのか  住宅ローン控除の還付申告では、こんなエピソードがある。  会社員のA氏は住宅ローン控除を受けるため、1日会社を休んで税務署の申告会場にやってきた。申告は昼までに終わるだろうし、久しぶりに家族でちょっと豪華なランチでもしようと家族全員を連れて出かけた。  しかし、会場は予想に反して混んでいた。A氏は妻と子どもたちを駐車場に停めた車の中で待たせていたが、準備が回ってきた時はとうに正午を過ぎていた。  A氏は担当の筆者の前に座ると、必要書類が入った封筒を机に叩きつけるように置いた。イライラがマックスの様子だった。  「それでは確認をさせていただきます」  筆者は、できるだけ平静を装いながら封筒の中から書類を出し、内容の確認を始めた。  数分後……。 【飯田】あの~、申し訳ないんですけど、こちらの申告書、受付することができないようです。 【A氏】えっ、なんでや? 【飯田】今、登記事項証明書を確認させていただいたんですが、床面積の要件を満たしていないんです。 【A氏】はぁ、何、言うてんねん。建売業者の担当のやつは住宅ローン控除できるって言うてたぞ! 【飯田】そう言われましても……。この欄に49m2と記載されているので……。 【A氏】自分、どれ見てんねん。それと違うがな。こっちやろ。この書類に50m2って書いてるやないか。ちゃんと確認しろ! 【飯田】大変申し訳ありません。こちらの書類は売買契約書ですよね。床面積については、登記事項証明書で確認することになってるんです。 【A氏】登記⁇ なんやそれ? あかん! お前では話にならん。上のモン呼んで来い! おい、署長だせ、署長‼  A氏が、声を荒げたので、受付業務を行っていた上司が駆けつけた。 骨折り損のくたびれもうけに…  筆者が状況を説明すると、上司は、一枚の小さな紙片を手に取り、A氏に見せた。 【上司】説明が至らなくて、申し訳ありません。今、こちらの源泉徴収票を確認させていただいたところ、源泉徴収税額が0円なので確定申告書を提出されたとしても還付金は0円ということになります。 【A氏】……。  上司が続ける。 【上司】それから、来年以降、源泉徴収税額に金額が発生することがありましても、先ほど、飯田(筆者)が申した通り、床面積の要件を満たしておりませんので、住宅ローン控除には該当しないということになります。長い時間、待っていただいたのに申し訳ありませんが、ご理解いただき、お引き取り願えますでしょうか。  A氏は、返す言葉を失い、机に広げた書類を鷲掴みにすると会場を出ていった。  A氏は、還付金額を確認し午後からは、家族と一緒に楽しい時間を過ごすつもりが、骨折り損のくたびれもうけになってしまった。 「居住の用に供した日」とは、いつなのか  A氏のエピソードは30年前の話だが、床面積は今も登記事項証明書で確認することになっている。床面積基準は変わらず、原則50m2以上だ。売買契約書にも床面積は記載されているだろうが、売買契約書で確認すべき事項は建物の価格や取得年月日なのだ。  住宅ローン控除に添付書類が、たくさん掲げられているのは、それぞれに確認すべき事項があるからだ。  住民票では建物を取得して6カ月以内に居住の用に供しているかを確認する。住宅ローン控除は真に“住むための家”を取得することに困っている人を救済するための税額控除であり、セカンドハウスや、他に住むことができる家を持っている人には、ローンを組んでいたとしても控除を受けることがないように設計されているのだ。 「居住の用に供している」という表現。耳慣れない表現だと思われたのではないだろうか。  住宅ローン控除は、入居した年分によって要件が違ってくる。住民票が添付書類になっているので、「入居した日=住民票の異動日」と思いがちだが、「居住の用に供した日」とは、住民票の異動日ではなく実際に住んだ日を指す。 令和6年分の住宅ローン控除で注意すべき「改正」とは  先に床面積は原則50m2と書いた。原則があれば例外がある。令和6年分の住宅ローン控除は床面積の改正があったのだ。  一定の条件を満たしていれば、40m2以上50m2未満の床面積であれば、住宅ローン控除に該当するというものだ。  その条件というのは、合計所得金額が1000万円以下の場合だ。  B子は今年40歳の会社員。管理職になり責任も重くなったが、それなりに仕事は楽しく、このまま定年まで働き続けたいと思っている。B子はネットニュースや人の噂話に興味がない。給湯室で長々と無駄話をしている女性社員をいつも横目に見ていた。年収はもう少しで1000万円に手が届くというところ。合計所得金額にすると、800万円になる。いつまでも家賃を払って賃貸マンションに住んでいるより、“自分の城”を手に入れたいと考え物件を探していた。令和5年10月、B子は念願叶って、2LDK(40m2)の新築マンションを3000万円で購入した。  自己資金100万円、住宅ローン2900万円を30年間で返済する予定だ。 会社員B子(40)は、お金を取り戻せるのか?  令和5年の年末、B子は数年ぶりに実家に帰った。年が明けてすぐに新居で生活できるように、引っ越し業者に荷物を運んでもらったのは令和5年12月29日だった。  令和6年の初出勤が1月4日だったB子は、その前日である令和6年1月3日から新居で住みはじめた。  役所に行って転入手続きに行ったのは令和6年1月5日。  届出用紙には、異動年月日と届出年月日を記入する欄があった。  B子はその時、深く考えることなく、異動年月日に令和5年12月29日と記入し、届出年月日の欄には令和6年1月5日と書いた。  さて、ここで問題を出そう。  B子は、住宅ローン控除を受けることができるのだろうか?  住宅ローン控除は引っ越しが年をまたぐ場合、注意が必要だ。  B子の場合、居住の用に供した日を令和5年12月29日だとすると、令和5年分の床面積基準は50m2以上なので住宅ローン控除は受けられない。  一方で居住の用に供した日を令和6年1月3日だとすると、令和6年分改正の床面積基準40m2以上50m2未満に該当し、合計所得金額が1000万円以下という条件も満たしているので、住宅ローン控除を受けることができる。 これを証明できれば、B子は控除を受けられる  正解は、B子は、実施に入居した日が令和6年になってからということを証明できれば、令和6年分で住宅ローン控除を受けられることになる。  税務行政の中で「社会通念上」や「総合勘案」という言葉があるのだが、B子の場合、この判断に委ねることになる。流れから、「令和6年居住の用に供した」と言えるだろう。  居住の用に供した日を証明するものとしてはガスの開栓証明や公共料金の支払いなどで証明すればよい。  令和6年中に50万円返済し、借入残高が2850万円の場合、  2850万円×0.7%=19万9500円  B子の令和6年分の所得税の源泉徴収税額が19万9500円以上あれば、令和6年分は19万9500円還付されることになるのだ。  住宅ローン控除は租税特別措置法であるため、これまで何度も改正されてきている。  改正が多過ぎで理解が追いつかないという意見もあるだろうが、社会の移り変わりに応じた税務行政を執行するという点では評価すべきことだと思う。  居住の用に供した年分ごとに扱いが異なる住宅ローン控除について、少ない紙面ですべてを説明することは不可能だ。しかし、住宅を購入しローンを組んだが住宅ローン控除を受けていないという方は、もしかすると、B子のように、控除を受けられる場合があるかもしれない。 国税OB税理士が解説「申告書作成の手順」  送信までできなくてもとりあえず申告書を作成したいと思っているのに、スマートフォンだと申告書の作成の入り口で止まってしまったという人が多いようだ。パソコンならマイナンバーカードがなくても申告書を作成することができる。  令和6年分だけではなく、過去の年分についても申告書の作成ができるので、申告しそびれたかも、という人はやってみるといいかもしれない。  以下、簡単に手順を示してみよう。 「共通トップ 国税庁 確定申告書等作成コーナー」を検索 ↓ 「国税庁 確定申告書等作成コーナー 令和6年分 作成コーナートップ」が表示される ↓ 「申告書等を作成する」の項目で黄色字に緑の文字の「作成開始」をクリック ↓ 「税務署への提出方法の選択」のページが表示される ↓ 「提出方法に関する質問」 〈・マイナンバーカードをお持ちですか。〉の項目で 「いいえ」をクリック ↓ 「提出方法の選択」が表示される ↓ 「書面」をクリック ↓ 「確認」のボックスが表示されるが「このまま進む」をクリック ↓ 「~書面申告を選択された方へ~」のページが表示される ①年齢 ②職業 ③確定申告は初めてですか? ④書面提出を選択した理由を次の中からお選びください すべてに回答し、 「このまま進む」をクリック ↓ 「確認のボックスが表示されるが「このまま進む」をクリック ↓ 「申告書等印刷を行う前の確認」が表示される ↓ 「利用規約に同意して次へ」をクリック ↓ 「作成する申告書等の選択」のページが表示される ↓ 「国税庁 確定申告書等作成コーナー」より    このページまでたどり着くことができれば、還付申告をしたいと思う年分の源泉徴収票を片手に入力しながら、実際に自分が確定申告して還付金が得られるのかどうかを検証することができるはずだ。あちこち見なくてもその年分のことだけが説明してあるので、わかりやすいと思う。  ただし、サイトの仕様が変更になってしまったら使えなくなるかもしれないので、その際はご容赦願いたい。 調べてもわからなければ、税務署に問い合わせる 【令和6年分住宅借入金等特別控除のチェック表】では、令和6年分の住宅ローン控除について一通りの内容が説明されている。この用紙を見ながら、わからない用語について検索すると、令和6年分については理解しやすいと思う。  もっと詳しく知りたいという人は塚本和美『令和7年3月申告用 住宅ローン控除・住宅取得資金贈与のトクする確定申告ガイド』(清文社)がわかりやすいので、一読されるとよいかもしれない。  インターネットの普及により、居ながらにしてさまざまな情報を得ることが可能になった。  確定申告についてもいろいろな情報が発信されている。  あれこれネットで検索しても、同じような話で「その先が知りたいのに!」ともどかしく感じることもあるだろう。  国税庁のHPは、最近はかなり見やすくなってきている。  あちこちに、リンクが飛んで知りたい情報に辿り着くまで時間がかかるかもしれないが、国税のことは国税庁のHPで確認し、わからなければ税務署に問い合わせるのが賢明だろう。 確定申告書は、期限を過ぎても受け付けてくれる?  さて、あなたは、住宅ローン控除で確定申告をする場合、e-Taxで行うだろうか。書類に不備があったら困るから、目の前でチェックしてもらうために税務署に持参したい派だろうか。今年も休日特設会場が設置されるようだが各会場、相当混雑すると思われる。  期限内申告にこだわらないのであれば、3月18日以降に提出するのもアリだろう。4月に入ってからであれば、各税務署は通常の落ち着きを取り戻し、ゆったりと相談できるかもしれない。  予約を要する税務署もあるようなので、相談に行こうと思う税務署に問い合わせてみるとよいだろう。  B子のオフィスの給湯室からこんな声が聞こえてきた。 【C子】住宅ローン控除って、去年入居した人は、床面積が40m2以上50m2未満でも受けられるんやって! 【D子とE子】へ~、そうなんやぁ……? 【C子】んっ、まぁ、知らんけど……(笑) 「知らんけど」と適当な会話で終わらせず、 「ほら、この記事にちゃんと書いてるよ!」 と、C子がこの記事の情報を正確に伝えるように話をしてくれれば、まわりまわってB子の耳にもこの記事の内容が届くかもしれない。  住宅ローン控除の立法趣旨や今までの流れ、現状、これからについての流れを知ることは、今後、住宅を購入する際に有効な情報となるだろう。  オフィスの給湯室の無駄話に終わることなく、多くの方の役に立つ情報としてこの記事が拡散され、B子が無事、令和6年分の住宅ローン控除の申告を済ませ、19万9500円得することを願うばかりだ。
「空腹こそ最強のクスリ」という結論に至った医師に聞く 「16時間断食」のメリットと注意点
「空腹こそ最強のクスリ」という結論に至った医師に聞く 「16時間断食」のメリットと注意点 「やすらぎの里」では滞在中はヨガ、散歩、マッサージなどの施術、講座など多彩なプログラムに参加し、それ以外の時間ではハイキング、温泉三昧、美術館巡りと各人が自由に過ごす(写真:やすらぎの里提供)    健康を意識するなら、「1日3食規則正しい食事」をイメージしがちだが、食べすぎの現代人にとっては健康のために空腹の時間を作ることも必要だという。「16時間断食」を実践する医師に、話を聞いた。AERA 2025年2月17日号より。 *  *  *  あおき内科・さいたま糖尿病クリニックの青木厚院長(55)は2010年、40歳のとき舌がんが見つかった。それを機に国内外の論文を読み漁り、「空腹こそ最強のクスリ」という結論に至った。中でも着目したのが、オートファジーだ。 16時間断食の注意点  オートファジーは空腹状態で働くシステムで、諸説あるが、最後にものを食べてから16時間ほど経過しなければ活性化しないとも言われている。そのため、青木院長は「16時間断食」を日々の生活に取り入れている。 「16時間は長く感じるかもしれませんが、睡眠時間と合わせて16時間にすれば無理なく実現できます」(青木院長)  たとえば24時就寝、7時起床、勤務先で昼食時間が12~13時と決まっている人なら、朝食は抜き、12時に1食目を取り、20時に食事を終わらせればいい。 「重要なのは継続すること。週1回でも月1回でもできる範囲で構いません。最初は12時間の空腹を目標とし、徐々に16時間へと延長していく形でもいいですよ」(青木院長)  食事ができる8時間は何をどれだけ食べてもいい。16時間断食を始めたばかりの頃は、いわゆる“どか食い”になってしまうかもしれない。しかし自然と一般的な食事量に落ち着く。 「『8時間の間は3食にすべきか、2食か』とよく聞かれます。16時間断食の臨床研究では、比較群との条件を同じにするため3食としていますが、食べられる回数でいい。8時間で3食はなかなか厳しいので、みなさん、だいたい2食です」  空腹期間中におなかが空いて我慢できなくなった場合は、素焼き味付けなしのナッツ類を。ナッツ類は抗酸化作用、心臓保護作用などさまざまな健康効果が実証されている。生野菜やチーズ、ヨーグルト、お茶や炭酸水などゼロカロリーの飲み物でもいい。  16時間断食の注意点やデメリットは? 「糖尿病で薬物治療を受けている人は低血糖の恐れがあります。まずは主治医へ相談を。デメリットとしては、一つは脂肪と共に筋肉が落ちてしまう点。私はエレベーターではなく階段を使うなどして、筋肉を鍛えるようにしています。二つめは、食後血糖値が上昇しやすく、胆石の発生が高まる点です。メリットがデメリットを上回ると判断されるなら、16時間断食を実践してみてください」 断食施設の利用も  日常生活には誘惑が多くて──。そんな人は、断食施設の利用という選択肢がある。 「『おなかを空かせてみたら、食事ってこんなにおいしいんだと身をもって分かった』といった感想をよく聞きます」と言うのは、伊豆高原で3店舗の断食施設を展開する「やすらぎの里」代表の大沢剛さん。 「食も刺激の一つ。ネオンの光もない静かな山の中で、食を含めたさまざまな刺激から離れ、心身を労り、整える時間を作れる。自分へのご褒美として来られる人も多いです」  具なし味噌汁、フレッシュスムージー、生姜紅茶などを取り入れながらの断食だ。最長コースでは6泊7日で断食を行うが、「意外とおなかが空かない」「全然平気な自分に驚いた」という声が上がる。館内ではWi-Fiを自由に使えるものの、せっかくの非日常を味わえる機会だからと、パソコンやスマホはバッグにしまったまま。就寝時間は決まっていないが、大抵の人は「普段ならまだまだ寝られない」といった時間からベッドに入り熟睡する。  大沢さんが言う。 「食べないことが強いストレスになるなら逆効果。食べない時間をリラックスに変えてほしいのです。日常生活でも、ちょっと疲れが取れないと思ったら夕食を食べないで、その空いた時間を普段できない自分へのケアに使ってください。おすすめはお風呂屋さん。銭湯でもサウナでもいいのですが、お風呂に浸かっている間やサウナの間はスマホも見られませんよね。体も温まり、心身が休まり、夜ぐっすり眠れます」  明日への活力のために、あなたのそばに「空腹」を。(ライター・羽根田真智) ※AERA 2025年2月17日号より抜粋  
健康の秘訣は空腹にあり? 70代医師が40年近く実践する「1日1食」“つらくない断食”
健康の秘訣は空腹にあり? 70代医師が40年近く実践する「1日1食」“つらくない断食” 写真はイメージです(写真:Getty Images)    仕事帰り、用事もないのにコンビニに寄り、目を引く食べ物をつい購入。明らかに食べ過ぎの現代人にとっては、むしろ空腹の方が贅沢な経験かも? “つらくない断食”を実践する医師に、話を聞いた。AERA 2025年2月17日号より。 *  *  *  東日本在住の50代夫婦はコロナ禍から始まったテレワークで「1日1食」がすっかり定着した。日中はニンジンジュースや黒糖入り生姜紅茶で過ごし、夕食ではビール、日本酒、ワインをお供に好きなものを好きなだけ食べる。1日1食とはいえ、空腹時にはチョコレートやナッツをつまんだりとフレキシブルに対応している。  食べること飲むことが大好き。1日1食がいいのは、夕食をよりおいしく感じられること。以前はカロリーを気にし、炭水化物や揚げ物、甘味は避けていたが、今は何の制限もしていない。それでも夫婦ともに体脂肪率は50代の平均値を下回っている。体調はすこぶる良く、妻は「肌がピカピカしている」とよく褒められるという。  この夫婦が「1日1食」の手本としたのが、イシハラクリニック・石原結實院長の食生活だ。断食やファスティングという言葉がメジャーになる前から、ニンジンジュースや黒糖入り生姜紅茶を飲みながら行う“つらくない断食”を提唱し、書籍も多数出版している。1985年には伊豆に温泉付きの断食施設「ヒポクラティック・サナトリウム」を開設。石原院長自身も40年近く「週1日断食、週6日1日1食」を実践する。その内容を紹介すると……。 【月曜日】 朝昼夕でニンジンジュース(リンゴ入り)計6杯、黒糖入り生姜紅茶計2~3杯 【火曜日から日曜日】 朝:ニンジンジュース2杯 昼:黒糖入り生姜紅茶1~2杯 夜:好きなものを好きなだけ。アルコールも無制限 夕食は制限なく食べる  ある日の夕食はイタリアンレストランで編集者やライターと、前菜盛り合わせ、ポテトフライ、ピザ、パスタ、魚介類のメイン、ビールと白ワインを制限なく。極端な偏食で、肉、魚、卵、牛乳、バター、マヨネーズは食べられない。動物性食品で食べられるのはエビ、カニ、イカ、タコ、貝などの魚介類とチーズのみだ。 「今年77歳、健康診断の結果はオールAの病気知らず」と言う石原院長がこう続ける。 「伊豆と東京での診療、講演会、執筆や取材対応と365日休みはゼロですが、体は軽く、疲れを感じません。週4日は10キロのジョギング、週2回は50~100キロのバーベルを使ったウェートトレーニングも難なくこなしています」  石原院長は「健康長寿のカギは空腹にある」と断言。実際、複数の研究結果が空腹の健康効果を示している。2000年には米マサチューセッツ工科大学のレオナルド・ガレンテ博士らが「空腹の時間を長く保つとサーチュイン遺伝子(長寿遺伝子)が活性化し長生きする」と発表。オートファジーにも注目が集まっている。細胞が自らの一部を分解し再利用する、つまり細胞を若返らせる働きのことで、空腹時に活性化する。2016年には、東京工業大学(現・東京科学大学)の大隅良典栄誉教授がオートファジーの研究でノーベル生理学・医学賞を受賞した。  さらに2019年、ジョンズ・ホプキンス大学のマーク・マトソン教授らは過去の研究の検証から、「毎日16~18時間の断食」「週2日、摂取量を500~700キロカロリー以下に制限」といういずれかの方法で、血圧低下や体重減少の健康効果が得られ、寿命を延ばす効果が期待できるという内容を米医学誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンで報告している。 「人類の歴史の大半は飢餓であり、私たちの体は飢餓に適応できるように作られているのです。『1日3食規則正しい食事を』と言われますが、生活習慣病の患者数は増加し、発症年齢も若年化しています。長寿であっても、健康長寿ではない。現代人は明らかに食べ過ぎで、健康のためには自ら意識して空腹の時間を作ることが必要なのです」(石原院長) (ライター・羽根田真智) ※AERA 2025年2月17日号より抜粋  
“クズ芸人”「ガッポリ建設」小堀敏夫 「ザ・ノンフィクション」大反響も「婚活は200人に申し込んでフラれた」
“クズ芸人”「ガッポリ建設」小堀敏夫 「ザ・ノンフィクション」大反響も「婚活は200人に申し込んでフラれた」 撮影/横関一浩   「こんなクズはなかなかいない」――。SNS上で大きな反響が寄せられているのが、1月放送のドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション クズ芸人の生きる道 ~57歳 婚活始めます~」(フジテレビ系)に出演したお笑いコンビ「ガッポリ建設」の小堀敏夫さん(57)だ。Xでは「クズ芸人」がトレンド入り。TVer・FODの見逃し配信再生数は、番組史上2番目を記録した。そのクズっぷりはSNSや各メディアでいまなお話題だ。  番組の内容は想像を超えていた。パチスロとギャラ飲み(お金をもらって経営者などとの飲み会に参加)で生計を立てる小堀さんは、父親の死をきっかけに自身の収入が不安定なことから資産家の女性との結婚を目指し、結婚相談所に入会。だが、失言などで女性との交際に発展せず、会費未払いで5カ月後に退会に。焼き肉店を経営する後輩芸人の魔法使い太郎ちゃんに10万円を借り、結婚相談所に支払う。ラーメン店を開くため、相方の室田稔さん(54)に土下座して100万円の借金を頼んだが、修業先のラーメン店で初日に遅刻して話が白紙に。激怒した室田さんに殴られると、頭を丸めて「出家する」と宣言。室田さんに寺を紹介してもらって出家体験したが、2日目に脱走して放送が終了した。  小堀さんに直撃すると、放送後の反響、番組内で放送されていないエピソード、現在も婚活を続けていることが明かされた。 明るい時間帯に逃げて ――出家体験の2日目で脱走した経緯を教えてください。  これは声を大にして言いたいけど、おれだから1泊2日までできたんだよ。文句言っている奴が多いけど3時間が限界だよ。それぐらい厳しい。夜にたばこも吸えない。なにもできない生活だから。脱出は初日の夜にも考えたんだよ。でも山奥で動物が走っているのがわかる。狼とかだったら嫌でしょ(笑)。だから、翌日の(空が)明るい時間帯に逃げて。1泊2日分の徳を積んだから十分だよ。よくよく考えたら、ラーメン店の1度しか遅刻していないのに、なんで出家するんだろうと思ってさ。 小堀さん提供     撮影/横関一浩   ――相方の室田さんは「金返せ クズ」とXで怒りを露わにしていました。  ナイツの塙(宣之)にも言われたんだよ。「室田さんに謝ったほうがいいですよ」って。だから謝りに行ったよ。まあ、許してもらったけど、そこまで不義理はしてない。会社に10年勤めたら20回ぐらい遅刻するでしょ? おれはラーメン店の初日にたまたまそれが出ちゃった。 ――ラーメン店に遅刻して現れた小堀さんは、心底落ち込んでいるように見えました。  いや、だって店主があんないい人だと思わなかったもん。名札を用意してもらったのを見てグッときて。これだけ期待してくれたんだって……。あの後も客として店に行ってるんだよ。「芸人続けたほうがいいよ」って声を掛けてもらってさ。「お寺に謝りに行ったほうがいい」とも言われた。遠いから行ってないんだよ。相棒(室田)が謝りに行って、和尚さんが許してくれて。みんな懐が深いんだよ。これだけ周りから恩恵を受けながら、おれは懐が狭い。弟子にすごい怒るしね。 おれのテクニックだね ――ラーメン店は本気で開業しようと思ったんですか?  本気も本気よ。弟子の太郎(魔法使い太郎ちゃん)が焼き肉店を経営できるなら、おれも大好きなラーメン店で勝負できる自信があった。結婚相談所に10万円を払わなきゃいけなかったときも、最初は太郎に「20万円を貸してくれ」って交渉しているんだよ。これは書いてほしい。クズの奴らに対するアドバイスだけど、20万円で交渉して10万円を借りると、貸すほうは10万円を得した気分になる。おれのテクニックだね。 小堀さん提供     撮影/横関一浩   ――現在の暮らしぶりはどうですか? 婚活は続けていますか?  今は結婚相談所を休会しているんだけど、婚活はまたやるよ。会費はまた5カ月ぐらい滞納しても大丈夫だろ。女性の写真を見てバンバン送ったけど、30代のかわいい子は全部フラれた。申し込んだ数は200人を超えたよ。お見合いは11回やったけど11敗だね。60代の女性と2回デートして、3回目以降は真剣交際だと結婚の確率が8割ぐらいに高まるって(結婚相談所に)言われたけど、フラれてさ。3回目はなかった。 女性は笑ってなかったな…… ――2回目のデートでフラれてしまった原因は何だったんですかね。  食の好みを聞かれて、「焼きそば、どん兵衛、シーフードヌードル」って素直に言ったのがダメだったみたい。(婚活アドバイザーに)「悪い答えではないけど、女性は同じものを食べたいんですよ」って言われてさ。あと、放送されていないけど青山のイタリアンに行ったときの行動も良くなかったかも。支払いでキャッシュレスのみって言われて、消費者金融のカードを出したら、「いや、それサラ金のカードですから」って店員に笑われて。もちろんギャグだよ。でも、女性は笑ってなかったな……。 ――笑えないかもしれません……。改めて、どのような人と結婚したいかを教えてください。 経済力のある人が最大の条件だね。別にそこまで多くを望まない。3食を食べられてパチスロに行くお金があればいい。月に70万、80万円を渡してくれたら十分。代わりにたくさんの幸せをあげますよ。 撮影/横関一浩     撮影/横関一浩   ――放送後、「ギャラ飲み」のオファーは増えましたか?  うん、一気に増えたね。前回のザ・ノンフィクションの放送(2020年4月)で取り上げてもらったときも1カ月で60万円近く入ったけど、それに近いかな。「楽をして金を稼ぐな」って言われるんだけど、大変さをわかってないんだよ。1回のギャラ飲みの相場は2万円なんだけど、こっちが2時間半ずっとしゃべって、お客さんをヨイショしなきゃいけない。集中力と話術が必要だし、誰にでもできることじゃないから。 借りた金は必ず返す ――活字で伝えるのが非常に難しいですが、小堀さんは直接話すと根が悪い人でないように感じます。  そう! そうなんだよ。おれの良いエピソードが一つも出てこない。番組スタッフはどんな編集をしたんだって。後輩に子供ができたとき、ご祝儀をあげたんだよ。中身が1000円しか入っていないけど。そこらへんも全部カットされている。あと、おれは借りた金は必ず返す。今、消費者金融や友人からの借金が全部で150万円ぐらいあるけど、落語家時代の後輩の隅田川馬石には15万円を借りて25年後に返したから。競馬で60万円ぐらい当たったときがあって、利子で3万円もつけてね。銀行だってそんなに利子をつけない。時間はかかるけど、しっかり恩返しはするんだよ。 (聞き手・平尾類) こぼり・としお/1967年7月10日生まれ。群馬県出身。高校卒業後に法律系の専門学校を経て、商社に就職したが2年で退職。92年に3代目三遊亭圓丈に入門し、「三遊亭ぐん丈」の高座名で活動した。97年に「ガッポリ建設」を結成。2003年からWAHAHA本舗内の新セクション・WAHAHA商店に参加した。「エンタの神様」「あらびき団」「水曜日のダウンタウン」など人気バラエティー番組に出演したほか、俳優として「ショムニ」「電車男」などで活躍。19年末にWAHAHA本舗からマネジメント契約を解除されて以降はフリーで活動している。
道路陥没事故から見えた“トロッコ問題” 人手不足になる前に社会全体で真摯に向き合うべき 田内学
道路陥没事故から見えた“トロッコ問題” 人手不足になる前に社会全体で真摯に向き合うべき 田内学 AERA 2025年2月17日号より    物価高や円安、金利など、刻々と変わる私たちの経済環境。この連載では、お金に縛られすぎず、日々の暮らしの“味方”になれるような、経済の新たな“見方”を示します。 AERA 2025年2月17日号より。 *  *  *  先日、埼玉県八潮市で起きた道路の陥没事故では、1週間以上たった2月5日時点でも復旧のめどはたっていない。周辺では光回線のインターネットや固定電話が使えなくなるなどの影響も出た。  国内で年に3千件も道路陥没が報告されていると聞けば、もはや他人事とは思えない。こうした陥没の多くは、下水管や雨水管の老朽化・破損が原因だそうだ。わずかな漏水が地中の砂を流し、見えない空洞をつくっては、ある日突然、道路が崩れてしまう。  道路や橋、水道管といったインフラの老朽化問題は、以前から深刻化している。特に人口が減りつつある地方では、同規模のインフラを維持するのはほぼ不可能に近い。予算の確保がままならず、改修工事や安全対策を後回しにせざるを得ない状況が各地で起きている。  本来、こうした維持コストは見えにくいが、水道事業だけは料金の値上げという形で住民に迫ってきた。たとえば、新潟市では1月から水道料金が29%も値上げされた。人口減で水道事業の収入は落ち込む一方、管や浄水施設をすぐに縮小できるわけでもない。結果的に一人ひとりの負担が増す。外資系コンサルのEY Japanなどの研究グループによれば、2046年までに全国の事業者の約96%が水道料金を引き上げる可能性があるそうだ。  こうした問題への解として、昔から唱えられてきたのが「コンパクトシティー」だ。居住地や公共施設を一定範囲に集約すれば、広範囲に延びたインフラを整理でき、水道管や道路の更新費、人材を大幅に削減できるはずだ。ところが、住まいは個人の自由にかかわる話であり、「このエリアに住んでください」と強制するのは難しい。行政が移住支援や公共交通の整備で誘導を試みても、住民の納得を得るのは容易ではない。結果として、老朽化した広域インフラをズルズル抱え込む現実がある。 たうち・まなぶ◆1978年生まれ。ゴールドマン・サックス証券を経て社会的金融教育家として講演や執筆活動を行う。著書に『きみのお金は誰のため』、高校の社会科教科書『公共』(共著)など    問題はさらに根が深い。朝日新聞取材班の『8がけ社会─消える労働者 朽ちるインフラ』によると、なんとか予算を確保しても人手不足から工事を請け負う業者が見つからず、工事が進まない例が増えてきたそうだ。また、この本で、東京大学の金井利之教授が指摘するように、公共サービスやインフラを縮小する際の合意形成は、新たに整備するときよりはるかに困難だ。  しかし今回の事故が示すように、この問題はまるで“トロッコ問題”の様相を呈している。トロッコ問題とは、倫理学の思考実験の一つで、暴走するトロッコの軌道上にいる人を助けるために、特定の人を犠牲にしてもよいのかという問題のこと。今回の場合、放置すれば道路の崩落が起き、尊い命が失われるかもしれない。しかし、インフラを縮小しろと言えば、住民には生活様式を変える負担がのしかかる。その狭間で意思決定を先送りにしてしまっているのではないだろうか。  では、インフラをどう再編し、誰がどこに住み、どの範囲を維持していくのか。『8がけ社会』が示唆するように、2040年には生産年齢人口が現在の8割にまで減る見込みで、人手不足が本格化する前に真剣な議論が必要だろう。道路陥没が鳴らした“警鐘”を、一時的な事故として片付けるのではなく、社会全体で向き合うときが来ているのではないだろうか。 ※AERA 2025年2月17日号  

カテゴリから探す