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「首つりのあった部屋」に住む男性、謎の音はするけど「気にしない」 “事故物件”はアリかナシか
「首つりのあった部屋」に住む男性、謎の音はするけど「気にしない」 “事故物件”はアリかナシか 事故物件の注目度が上がっている(写真はイメージ/gettyimages)    ここ数年、事故物件の注目度が上がっている。市場価格が最大で5割減と安いため、心理的に抵抗がなければ、「お買い得」といえるからだ。心理的瑕疵物件専門の不動産業者も増えてきた。 *   *   * 安い物件を探したら… 「首つりと聞いています。詳しい場所は聞いていないけれど、やるなら、ここ(ロフト)かな」  こう話す男性(26)は、現在、前の入居者が首つり自殺をした部屋で「快適に」暮らしている。  3年前の春、当時24歳だった男性は、住まい探しに訪れた不動産会社でこう話した。 「なるべく安いところをお願いします」  条件は都内、駅近、バス・トイレ別で、家賃は5万円以下だ。  入居したのは私鉄の最寄り駅から徒歩5分。東京都内の住宅街にある築浅アパート。4.5畳のロフトがついた10畳のワンルームは、最上階の角部屋で日当たりも良好だ。 「内見時、『どこで首つりを?』と聞くと、案内してくれた担当者が言葉を濁し、『察してくれ』という感じでちらりとロフトに目をやったのを覚えています。紐をかけられるし」  相場では家賃9万円相当の部屋だが、なんと半値以下の4万円だった。1回の更新を経て、今年から6万円に値上がりしたものの、3割以上の値引きだ。  平然と語る男性だが、家探しのはじめから事故物件を狙っていたわけではない。たまたま担当者から「抵抗がなければ家賃は安いので、おすすめです」と紹介された。  本当に怖さは感じないのか。 「まったくないですね。住んでみて別に何も問題はないし、むしろ住み心地がいい。次に引っ越すとしたら、また事故物件を狙おうかなと思っています」  事故物件とは、自死や他殺、孤独死など過去に何らかの事件や事故が発生した物件のこと。抵抗を感じる入居者も多いため、業界では「心理的瑕疵物件」という。心理的瑕疵物件の場合、物件概要欄に「告知事項あり」と記される。  故人宛ての荷物が届く  男性はフリーターで、「目に見えないものは信じていないし、むしろ出てくるなら見てみたい」と余裕だ。  これまでに何回か故人宛てと思しき荷物が届いたことがあるが、「気にしていない」。 リフォーム前の物件/マークスライフ提供   「ただ、うちに泊まりにきた友人のほぼ全員が、『天井から音が聞こえる』と言うんです。まぁ確かに言われてみれば上のほうから、昼夜問わずタップダンスを踊っているような音が聞こえてくる感じはします。他の部屋の音が響いて上から聞こえているのだと思っています」 事故物件、何が嫌なのかわからない 「人が亡くなった不動産に対する嫌悪感が減り、気にしない人が増えてきた気がします」  こう話すのは、事故物件の買い取りや販売業だけでなく、不動産の再生を目的としたリノベーションも行うマークスライフ株式会社の花原浩二さんだ。  自死、他殺、孤独死などの「ワケあり物件」を買い取り、必要に応じた清掃を行い、付加価値をつけた施工で販売をする「成仏不動産」を運営している。 「月数回講演に出ていますが、その場でいつも質問をしています。『事故物件を気にしない方、いらっしゃいますか?』と。すると大体毎回2割の方は挙手されます。学生でも同じぐらい。時には4~5割ほどの方が該当することもあります。聞くと『まったく気にならない』と言う」  花原さんはこう話す。 「事故物件への歪んだ偏見がある人の視点からすれば、驚きなのかもしれませんが、『なぜ嫌なのかがわからない』という人は、一定数いらっしゃいます」  こうした人にとって事故物件とは、<魅力的な物件>だ。  マークスライフは、事故物件所有者からの相談を受け、可能な限り高額で買い取り、必要な人に向けて販売をしている。  花原さんは言う。 「私の感覚では、事故物件について注目度が上がっている気がします。その背景には不動産価格の高騰があると思います。コロナ禍を経て、皆さんの住まいに対する考え方は変わりました。生活スタイルが変わり、広さを求めるようになってきた。この2、3年ほどは特に注目されている印象です」  どのぐらい価格が下がるのか。  花原さんによると、「エリアや物件価格帯によっても異なるが、孤独死があった物件で約1割、自死で2割、殺人事件で半額程度の割安」という。 「最近の傾向として、殺人事件があった物件に、民泊目的での購入希望が増えています。投資家の購入も増えてきたと感じます」 国のガイドラインは「気になったら聞いてください」  2021年10月、国土交通省が「宅地建物取引業者による人の死の告知に関するガイドライン」を公表した。事故物件を取り扱う不動産業者に向け、告知義務や判断基準を定めた。 「簡単に言えば、『売買は原則告知が必要。賃貸の場合は特例を除き瑕疵発生から3年間は、告知しましょう』という内容です。告げなくて良いとされた場合でも、事件性や周知性が特に高い事案は告げる必要があるとされています。このガイドラインができる前は、不動産業者によってまちまちで、10年経っても告知しているところもあれば、1人入居すれば告知義務がなくなるという勝手なルールも広がっていました」   リフォーム前の物件/マークスライフ提供   ガイドラインによって、賃貸の場合は「3年経ったら告知不要。聞かれたら答える」となった。 「借りる側が『気になったら聞いてください』ということです」(同)  つまり、賃貸を契約する側が自分から聞かないと、知らないうちに事故物件に入居する可能性もあるということだ。  床下から遺体が出てきた家でも  物価高騰、住宅高騰が続くなか、民間の賃貸住宅への需要は高まるばかりだ。年金暮らしの高齢者や収入の高くない人々にとっては、相場より安く借りられる事故物件は選択肢になりうる。  投資家にとっても、事故物件は魅力的だ。リノベーションして再生し、たとえば生活保護受給者向けに貸し出せば、国や自治体が家賃の支払いを支える仕組みがあるため、長期にわたって安定した収入源となる可能性も高い。  ある家族で起きた凄惨な殺人事件の現場となった一軒家が、埼玉県にある。  床下からは1人の遺体が発見され、殺害した1人は刑務所へ。唯一残された1人は遠方に引っ越して、家だけが残った。  近隣住民の誰もが知る事件で、家の買い手は見つかりそうになかったが、家族から成仏不動産に売却相談が入った。「依頼は原則断らない」がモットーのため、その家を買い取った。  ハウスクリーニングをかけて売り出したところ、すぐに購入者が決まった。20代のサラリーマン投資家で売買価格は100万円ほどだったという 「今は生活保護の方に賃貸で出されていると聞いています」(同)  事故物件を再生することは社会貢献でもある。空き家対策にもなる。  人間はいつか死ぬ。昨年だけでも国内で150万人以上が亡くなっている。人生を終える場所が住まいであることは、珍しい話ではないだろう。「事故物件」の忌避感情の正体を、いま一度見つめ直してみるのもいいかもしれない。 (AERA dot.編集部・大崎百紀)
なぜか「だれからも好かれる人」がSNSのフォローを0人にしている納得の理由
なぜか「だれからも好かれる人」がSNSのフォローを0人にしている納得の理由 ※写真はイメージです(gettyimages)   「タイトルに共感した」「優しく包んでくれるような本」「どんどん読み進めていけました」など、読者からの共感の声が続々届いているベストセラー『人生は「気分」が10割 最高の一日が一生続く106の習慣』(著:キム・ダスル、訳:岡崎暢子)は日韓累計35万部を突破した。本書では、「気分」をコントロールし、毎日を機嫌よくすごすために必要なことが軽やかな語り口で書かれている。本稿では、『機嫌のデザイン まわりに左右されないシンプルな考え方』の著者であり、プロダクトデザイナーの秋田道夫氏に、SNSとの上手な付き合い方を伺った。(取材・文 宮本恵理子、構成 ダイヤモンド社書籍編集局) SNSでも「舞台から降りない」 ――秋田さんのX(旧Twitter)アカウントを見ると、フォロワー数が10万人前後なのに、秋田さんがフォローしている人の数は0人。これにはどんな理由があるのでしょうか? 秋田道夫(以下、秋田) 簡単です。誰か一人をフォローしたら、知り合い全員をフォローしなければならなくなるでしょう。 「秋田さん、わたしをフォローしてくれない。さみしいな」と思わせていないかと気になってしまうから、いっそのこと誰もフォローをしないと決めたんです。  同じ理由で、わたしの投稿には知人友人に関する内容は一切ありません。ふと思いよぎった言葉、何度でも伝えたい大切な言葉、街の風景やお気に入りのチョコレート、画家の名作についてのつぶやきを毎日大量に投稿していますが、「今日、誰それに会いました」「○○さんの作品は素敵です」といった、特定の知人に関わることは書かないようにしているんですよ。 ――無意識に誰かをモヤモヤさせてしまうことがないように、という気遣いなのですね。SNSはとかく「炎上」が起きる場でもありますが、炎上とは無縁の空気が漂っています。何か心がけていることはありますか? 秋田 まず、思ったままをダイレクトに書いて投稿するということはしないようにしています。SNSの投稿というのは公共の場に放つようなものですから、モラルとユーモアが大切です。  そして、断定しないこと。まじめな話をストレートに書くときには、お説教のように受け取られないよう、「なんちゃって」のニュアンスを語尾に添えたりするんです。  かといって、妙にすり寄ることもしません。日常生活や家族の話題は無用に書かない。日記ではないのですから、あくまで“秋田道夫”という人物を表明するコミュニケーションであることを忘れない。  イメージとしては「舞台から降りない」という姿勢です。SNSは見られるに徹するようにしています。だから『あなたはどう感じましたか?』と投げかけるようなポストは20年間続けたブログも含めて一度もした事がありません。 「100年前の人の話しか信じない」 ――SNSとの付き合い方に関しては「いろんな人のいろんな意見に振り回されて、自分を見失いそうになる」と悩む人も少なくありません。 秋田 そもそも、わたしも含めて人がどれだけ世のためになる事を成したかという評価は、10年、20年の単位では定まりません。  ずいぶん前になりますが、あるウェブサイトで書評を頼まれたことがあったんです。私はデザイナーなので、「デザイン分野の本のレビューをお願いします」というリクエストでした。  依頼を受けてからしばらくは、現役で活躍しているクリエイターの新刊を中心に紹介しようとしていたのですが、「この人の仕事が30年後にも評価されているかどうかは分からないなぁ」という疑問がぬぐえなくて、さっさとやめてしまいました。  死んで何十年も経ってなお評価される作家や画家の作品には説得力がありますよね。わたしが好きな作家の一人、夏目漱石も生きていた時代にはもっとポピュラーな作家がいたそうです。 「100年前の人の話しか信じない」と決めたら、今を生きる人たちのいろんな意見に振り回されなくなりますよ。 ――近視眼的に短期の評価だけに一喜一憂していると、本質を見誤る可能性があるということですね。 秋田 はい。ただし、他人のことを一切気にしないでいい、とは思いませんよ。  私たちが生きる日常というのは、高速道路を走っているようなもので、周りの車と速度を合わせなければ事故を起こしてしまいますからね。お互いの動きを気にしつつ、適度に車間距離をとりながら安全運転でいきましょう。 秋田道夫(あきた・みちお) 1953年大阪生まれ。愛知県立芸術大学卒業。ケンウッド、ソニーで製品デザインを担当。1988年よりフリーランスとして活動を続ける。代表作に、省力型フードレスLED車両灯器、LED薄型歩行者灯器、六本木ヒルズ・虎ノ門ヒルズセキュリティゲート、交通系ICカードのチャージ機、一本用ワインセラー、サーモマグコーヒーメーカー、土鍋「do-nabe240」など。2020年には現在世界一受賞が難しいと言われるGerman Design AwardのGold(最優秀賞)を獲得するなど、受賞多数。2021年3月よりX(@kotobakatachi)で「自分の思ったことや感じたこと」の発信を開始。2022年7月からフォロワーが急増し、10万人を超える。著書に『機嫌のデザイン まわりに左右されないシンプルな考え方』(ダイヤモンド社)、『かたちには理由がある』(早川書房)がある。
郷ひろみが元日から始めた「1年完全禁酒」 2001年の新年の話題は 週刊朝日で振り返る「あのとき」「あの話題」【2001年1月19日号②】
郷ひろみが元日から始めた「1年完全禁酒」 2001年の新年の話題は 週刊朝日で振り返る「あのとき」「あの話題」【2001年1月19日号②】   2001年1月19日号の表紙    あんな人がいた、こんなことが起きていた……。週刊朝日で振り返る「あのとき」。この記事では、2001年1月19日号に掲載された記事の一部を紹介します。     *   *   *   【目次】   2001年1月19日号の目次     ①脱皮せよ、しつこくなれ… 2001年巳年、ヘビ流処世術に学べ ②引っ越し目前、幸せ一家4人を襲った惨劇 東京・世田谷     心と体が得する話 ①「ファストフードを捨て町場の食堂へ」福田和也 ①日記の達人が明かす、脱・三日坊主の秘策 ①隠せない、いや隠せる、素人風俗体験の刻印 ②時間がかかりすぎる離婚裁判への素朴な疑問 ②妄想と遊び、楽しむ山折哲雄流「座禅」術 ②郷ひろみがおすすめする40代で1年完全禁酒 ③8000年でカネ返すバブル崩壊王の助言 ③コンビニ店長も迷う「いい弁当、悪い弁当」 ③あなたの私立校信仰はだから間違っている ③朗報! 糖尿病に効くゴルフ練習の仕方 (このページでは、②の記事を掲載しています)     引っ越し目前、幸せ一家4人を襲った惨劇 東京・世田谷  東京都世田谷区上祖師谷三丁目、会社員・宮澤みきおさん(44)宅で一家四人が殺された事件は、幸せな家族像と犯行の残忍さとのギャップが謎を深めている。刃物で何度も切りつけ、二人の幼い子供の命まで奪った手口には、いったいどんな動機が潜んでいるのか。    「宮澤さん一家はまもなく、あの家を引き払う予定だったんですよ。引っ越し先は数百メートル先の、にいなちゃんが通っている区立千歳小学校のすぐそば。引っ越しを済ませていれば、こんな事件は起きなかったかもしれない」(近くに住む男性)  実際、宮澤さんの妻・泰子さん(41)は昨年夏から、たびたび引っ越し予定地の下見に来ていた。  「昨年十月か十一月には、二人の子供と、隣に住んでいるお母さんと一緒に、あいさつに来られました。奥さんは『母と一緒にこちらに来ます』と話していました。感じのいい人だからよかったと、家族で話していたのですが……」(予定地隣の主婦)  宮澤さん宅は、広大な敷地の都立祖師谷公園と仙川にはさまれた一角にある。周辺は都立公園予定地に組み込まれ、ここ数年の間に立ち退きが相次いだ。そのため、高級住宅街の成城学園に近い住宅地にありながら、三軒だけがポツンと取り残されていた。  宮澤さん一家も東京都が用意した代替地に引っ越す予定で、この一月にも正式に代替地の売買契約が結ばれる予定だったという。  宮澤みきおさんと泰子さんは一九八六年に結婚した。九〇年、中古住宅を購入して、この地に移り住んだ。  東大農学部在学中にアニメサークルに所属していたみきおさんは、人形アニメの研究に熱中していたようだ。七九年には人形芸術家の川本喜八郎さんの助手として、人形アニメ「火宅」の撮影を手伝っている。  群馬県水上町が「ふるさと創生一億円」でつくったシンボルマーク作製にもかかわった。  九六年には『インターネットでわかったこと・できたこと』という共著も著しているなど、マルチな才能で活躍している。  現在は外資系の経営コンサルティング会社に勤務。宮澤さんが勤めている会社(千代田区)によると、宮澤さんは企業イメージ作成のアドバイスをするチームのリーダー。顧客の信頼は厚く、事件後、お悔やみの電話が多数寄せられている。同僚は言う。  「非常に家族思いで、有給休暇もきっちり取って、子供の授業参観などに欠かさず参加していました」  妻の泰子さんは大学卒業後、資生堂に入社。宣伝部勤務などを経て、結婚後の八八年に退社、現在は自宅で公文式の学習塾を開いていた。「明るくて感じのいい人」と評判も上々だった。  引っ越しも決まり、新たな年を迎える直前の十二月三十日夜、事件は起きた。  宮澤さん方は一階が泰子さんが開いている公文教室、二階が住まいで、二階からはしごで上がった屋根裏部屋が夫婦の寝室になっている。四人が倒れていた状況は上図のとおりだ。  「礼君以外の三人は、顔や首、胸を十数カ所も刺されていた。夫婦はかなり抵抗した様子で、腕や手にもたくさん切りつけられていて、骨が出ていたそうです」(警察関係者)  礼君に首を絞められた跡や外傷はなく、犯人は礼君の鼻と口を覆って窒息死させたらしい。屋根裏部屋にも血痕があり、犯人は最初に礼君を殺したあと、屋根裏部屋で寝ていた泰子さんとにいなちゃんを刺殺、帰宅した宮澤さんを刺殺したという見方が出ている。  二階の台所に折れ曲がった二本の包丁が残され、二階居間には、犯人が捨てていった血のついたトレーナーが残されていた。  警察の調べでは、このトレーナーは、木村拓哉さんがテレビドラマで着ていたものと同タイプで、人気をあてこんだ衣料業者が中国に約二千二百枚を発注、昨年九月に都内では世田谷区と杉並区で二百~三百枚販売し、完売しているという。このうち遺留品の「Lサイズ」は、十~二十枚だった。両腕は紫色で胴の部分は薄いグレーだったが、残されたトレーナーは洗濯を何度も繰り返したようで、ほとんど色あせていた。  室内はひどく物色され、書類が散乱していた。床の上に放置された財布から現金が抜き取られていることから、強盗殺人目的の可能性もあるが、まだ謎は多い。  まず、玄関のカギ。  窓には侵入した跡はないし、玄関のドアをこじ開けたような跡もなかった。宮澤さん宅は、隣に泰子さんの母親(71)が住んでいて行き来していたことから、日ごろ、玄関には鍵をかけていなかったらしく、犯人は玄関から入って四人を殺害後、カギを閉めて出ていったとの見方が有力だ。すると犯人は玄関にカギがかかっていないことを知っていた可能性がある。  犬の散歩でよく近くを通っていた近所の人によると、「宮澤さん宅の駐車場に犬が入ったりして追いかけていくと、センサーがあるのか、ものすごく強力なサーチライトが照らされる。防犯用だと思うけど、普通の家とは違うなと思っていた」  といい、犯人がどうやって侵入したのか疑問だ。  さらに警察も、複数犯なのか単独犯なのか特定できずにいるふしがある。犯行前後に、タクシーで乗りつけた男が宮澤さん宅をうかがうようにうろついていたという複数の目撃証言があるが、現場に残された運動靴の足跡は一人分しかなかったためだ。  最大の謎が、動機だ。警察関係者が言う。  「子供まで刺して一家皆殺しなんて、ただの強盗では異常すぎる。盗み以外の目的があったと考えるのが普通だろう」  捜査員は現場近くの家から出たゴミを調べたり、「ひきこもりはいないか」などと尋ねているほか、夫婦の交友関係や仕事上のトラブルなどを調べている。  事件から六日で一週間。埼玉県に住むみきおさんの父親は、  「犯人がまだ捕まっていないので、お話しするのは勘弁してください」と言葉少なに語った。       時間がかかりすぎる離婚裁判への素朴な疑問 心と体が得する話  一九九九年の全国の離婚件数は、約二十五万件。前年より七千件以上増えて過去最高となった。当事者同士の話し合いで離婚が決まるケースは九〇%ある。  だが離婚に合意していても、親権や慰謝料などが折り合わず、調停・裁判に持ち込まれた場合、裁判所の都合でよけいに時間がかかることもある。  慰謝料でもめ、裁判まで進んだ都内の女性は、離婚まで四年かかった。  「その間、夫から生活費ももらえず、弁護士費用も不安でした。離婚までは児童福祉手当ももらえません。夫の扶養家族のままだったので、働いても控除や手当も受けられませんでした。二カ月以上も調停の間があいたこともあります。ますます不安になりましたね」  また、都内のある三十代の男性会社員も言う。  「離婚さえ成立すれば面会権を主張できるが、係争中では子供に会えず、つらい思いをしました。それに、離婚するまで妻の生活費も払わないといけない。経済的にも厳しかった」  円より子参議院議員が代表の「現代家族問題研究所」にも、  「調停や裁判が長引くストレスから、つい子供につらく当たってしまう」  といった相談が多く寄せられている。  家裁での調停委員を交えた調停も長引けば二年以上、それも不調で裁判まで進むと、さらに一、二年。最高裁までもつれ、五年以上かかる例もあった。  「お互いの頭を冷やす期間も大切なので、早く終わるのがいいとは言い切れない。だが、まず調停を申請しても、期日がなかなか決まらないのが、長引かせる大きな原因です。川崎支部で三カ月も待たされたケースもありました」  と、離婚問題を多く手がける田中早苗弁護士。  なぜ、そんなに時間がかかるのか。横浜家裁川崎支部の場合、調停室が九つある。しかし、多い日だと三十件もある調停をこなさなくてはならず、空いている会議室や法廷を使うこともしばしば。調停委員は六十五人。弁護士や国から任命された民間人だが、国が定数を決めており、増やすことはできない。  「川崎支部で決着した離婚調停は昨年度、五百五十二件。十年前より五割以上も増えた。これで精いっぱいです」  と横浜家裁は説明する。  田中弁護士は言う。  「調停には裁判所が指定する担当裁判官がつくけれど、担当の曜日が決まっており、その日にしか期日を組めない。その条件で双方の都合をつけるので、長引くのは当然。担当の曜日制をやめて、毎日全員の裁判官に来てもらえたらと思います。一日のなかで時間を決めて担当してくれたら、曜日の問題はなくなる」  だが、調停室や委員、裁判官の数が、増加する件数に追いつかない現状がある。最高裁広報課は、  「庁舎の増改築では、十分な調停室を確保できるよう努めています。期日の入れ方の工夫だけで調停、裁判が早まるとは思えません。当事者や弁護士の都合で延びることも多いんです」       妄想と遊び、楽しむ山折哲雄流「座禅」術 心と体が得する話  座禅、瞑想。  と聞くと、雑念からいっさい自由になった無念無想の世界を想像する人が多いだろう。ときには頭を空にして仕事や家庭のストレスから逃れたいけれど、自分にはそんな境地は無理だ、と考えるのが普通。  だが、それなら自分にもできるかも、と思う座禅を、宗教学者で京都造形芸術大学大学院長の山折哲雄さんが二十年近く、毎朝続けている。むしろ頭の邪念とたわむれる、「妄想型の座禅」なのだという。  「まあ、いうなればデカルト的瞑想ですね」  ――はあ?  「永平寺行きがきっかけで座禅を始めたので、最初は道元のような無念無想をめざしていました。ところが、いつまでたっても頭から邪念が払えない。カネのこと、女のこと、食べ物のこと、憎たらしいやつのこと、とそんなことばかり考えてしまう。それで二十年たって、諦めました。凡人には無心は無理だって。そう吹っ切れると楽になった。少なくとも妄想に遊ぶ自分を楽しんでいることは確かで、哲学者のデカルトの言葉のように『われ思う、ゆえにわれあり』の気分になってきた。自分の中で道元とデカルトが重なったんです」  毎朝、四時、五時に起きて、一本の線香が燃え尽きるまでの五十分の座禅で、心身の状態がコントロールできるという。  アカデミズムの世界に安住できなかった山折さんは三十、四十代を、辞書を編纂する民間研究所や出版社などで働き、妻子を養いながら、大学時代からの自分の研究課題を家で書き続ける生活をした。  「この年齢は『地獄の世代』ですよね。会社では搾り取られるように働かされ、家では子供を育てる。私の場合、生活基盤や将来への不安もあって、なおさらでした。そんななかで、なお自分の好きな仕事を続けるには、朝しかない。で、四十代に入ったころから、酒を多少控え、早寝早起きをして、朝に一人だけの特別な時間をつくるようになりました。そのあと、永平寺に行き、朝の時間の始まりの儀式として座禅を始めるようになったのです」  ――夜は楽しいことが多くて、なかなか切り捨てにくいと思いますが。「たしかに、ね。でも、何かをやろうとすれば、何かを犠牲にしなければいけないんです」  山折さんは朝の座禅のときのような、自分だけの特別な輝きの時間を「林住期の時間」と呼んでいる。  古代インドの人生観には、師について学ぶ禁欲的な「学生期」、結婚して子供を作り、職業に専念する「家住期」のあとに、家長が一時的に放浪・冒険し、仕事や家から自由になる「林住期」というライフステージがある。それを一日の時間にも当てはめ、「林住期の時間」と呼ぶ。  「朝の座禅は一人でするからこそ、輝くのです。一人というのは孤立していて、孤独で、寂しく、反俗的なものです。こうした時間を持つことで心の中も自由になれるのです」     郷ひろみがおすすめする40代で1年完全禁酒 心と体が得する話  四十代は働き盛り――と言われてきた。  しかし、現実はどうか。それまでのキャリアをてこに、主体的に働いて新境地を切り開きたいところだが、合理化・効率化に拍車がかかるなか、社会の中核としての責任や使命より、自分がなんとか生き残ることに躍起にならざるをえない。これでは「働かされ盛り」でしかない。  ほんと、やってられないよと、今夜も酒をあおってしまいそうなあなた。グラスに口をつける前に、いま日本でいちばん元気な四十代のあの人の、人生で再度ブレークするコツに耳を傾けてほしい。  そう、「アッチッチ」で紅白の瞬間最高視聴率を取り、「ハレルヤ!」と気をはいて、離婚という人生の危機を「なかったコトにして」しまった郷ひろみさん(45)である。  危機を好機に転じた郷さんだが、離婚(九八年)による喪失感は並大抵のものではなかった。最新著『若気の至り』(角川書店)で、こう打ち明けている。  「家族がいた頃に感じることのできた安心感、生活の安堵感はいったいどこへ消えてしまったのだろう。ボクの心の中には、もうああいった心の安寧が戻ってくることはないんだろうか」  毎晩のように周りの人たちと食事をしたり、飲みに行ったり。やがて、そんな自分に嫌気がさした。  「このまま終わっていくんではなくて、今までとは違った自分をつくりあげたい、何かを始めなきゃと思ったわけです。そのためには、今までしていた何かをやめなければ時間が捻出されない。ムダと思えることを探してみた」  そして、一九九九年元日から実行したのが、「とりあえず一年、酒をやめること」。  夕食のときは必ず飲んでいた。好きだったのはボルドーの赤ワイン。深酒するほどではなかったが、飲めば夜はそのまま寝てしまったし、次の日まで酒が残り、午前中使いものにならないこともあった。  だが、酒をやめてからは、朝起きてすぐに頭も体も全開状態に。一日をフルに活用できるようになった。  新たな時間で自分を見つめ直し、新しいことに挑戦するうち、二十代でアメリカにダンスや歌の修業に行ったころの情熱、モチベーションがわいてきたという。  実は郷さんの選択、医学的にも理にかなっている。  「男性の場合、日本酒換算で一日五合飲み続けると、約二十年でアルコールへの依存が形成されます。ですから、社会人になり、酒を飲み始めて二十年たった四十代で、一度、徹底的に酒を抜いてみるのは、アルコール依存症を回避するうえで有効な手段です」(榎本クリニック・榎本稔院長)  郷さんは言う。  「自分との約束はだれも知らないわけだから、守るのは大変なこと。意志や勇気が必要です。でも、自分がこうなりたいという目標があれば、年齢に関係なく、限界を打ち破っていける。未来は簡単に手に入るものじゃなくて、毎日の積み重ねが形作るものだからね」    
お節に飽きたら試したい!耐熱ポリ袋を使った「災害料理」コツとレシピ
お節に飽きたら試したい!耐熱ポリ袋を使った「災害料理」コツとレシピ  近年、災害ラッシュのような状況に見舞われている日本。1995年の阪神・淡路大震災、2000年の三宅島噴火、2004年の新潟県中越地震、2011年の東日本大震災、2014年の広島市土砂災害、2016年の熊本地震、2021年の伊豆山土砂災害、2024年の能登半島地震――。これらが実際に起きた災害の「ごく一部」だという事実が、いつ、どこで、誰が災害に遭遇してもおかしくないということを示している。  発売されたばかりの『今さら聞けない 防災の超基本』を監修したNPO法人プラス・アーツ理事長で防災プロデューサーの永田宏和氏は、この本の「はじめに」でこう書いている。 「私たちは世界で一、二を争う災害大国に暮らしていますが、一方で、世界で一番充実した防災の取り組みを実現できる国民なのです。だからこそ、度重なるさまざまな種類の自然災害に対して、最新最善の防災の『防災』の取り組みをしっかり行い、自然災害によるダメージを可能な限り回避し、軽減してもらいたいと思っています」  だとすれば、できることから取り組みたい。最大で9連休が見込めるこの年末年始に何か一つ、災害への備えを実行に移してみてはどうだろう。家族がそろうこの時期に勧めたいのは「災害料理」の試作と試食だ。 『防災の超基本』は、災害時に使える調理テクニックや具体的なレシピも掲載している。引用する形で紹介したい。 ***  災害時はライフラインが限られているため、水と熱源をいつも通りに使う料理が作れません。また、衛生的な環境での調理も難しくなります。  近年では、水や熱源を節約しつつ、衛生的で、おいしい料理を作る方法が開発されています。お湯を入れるだけで完成するフリーズドライや食品に使える耐熱ポリ袋も定着し、食事の幅が広がりました。手間をかけずに時短になるレシピが多いので、平時でも練習を兼ねて作ってみましょう。  まず、災害に備えた食品ストックから。災害直後に支給される食べ物はパンやおにぎりなど炭水化物が多くなりがち。以下を参考に、日持ちのする野菜や乾物も含めて備蓄しておきましょう。    次に、ポリ袋を使った「パッククッキング」と呼ばれる調理テクニック。食材と調味料を入れた耐熱性のポリ袋を湯せんして、料理を作ります。調理に大量の水を必要とせず、洗い物が減らせるうえ、混ぜる、味付けする、という一連の作業をすべてポリ袋の中でできるので、食材に触れる時間が短くなって衛生面でも安心です。  例えば、ポリ袋一つでできる「スパニッシュオムレツ」はいかがでしょう。材料とレシピはこんな感じです。 【材料(1人分)】 卵1個/ポテトチップス5枚/コーン缶(ホール)大さじ3/コーン缶の汁大さじ1/ベーコンスライス2枚/玉ねぎ1/4個 【作り方】 ① 卵を耐熱ポリ袋にわり入れ、よくもんでからコーンの汁を加え、さらに軽くもむ ② 玉ねぎはみじん切り、ベーコンは1センチ角に切る。ポテトチップスは砕いておく ③ ①のポリ袋に材料を全部入れる。よくもんで、空気を抜きながら袋の上のほうを結ぶ ④ 鍋底に耐熱容器を敷いてから水を張り、加熱する。沸騰したらポリ袋を入れて、ふつふつと沸き立つ程度の火加減で15分煮る ⑤ 15分経ったら、鍋からトングで取り出す  ベーコンやコーンの汁、ポテトチップスの塩味があるので、味付け不要で調味料いらず。味が薄ければ、ケチャップを付けて食べてみてください。冒頭の写真や下の動画の「スパニッシュオムレツ」は、家にあった材料で作ったのでレシピとはやや異なりますが、本当にポリ袋でスパニッシュオムレツができました!やや火の通りが悪かったようですが、平時に食べる分には問題ない程度でした。  耐熱ポリ袋で、ごはんも炊けます。1人分なら、無洗米100グラムと水110~120ミリリットルをポリ袋に入れ、15分ほど浸します。そこからはスパニッシュオムレツの時と同様、空気を抜いて上のほうを結び、鍋底に耐熱容器を敷いて水を張り、加熱して沸騰したところにポリ袋を入れ、ふつふつと沸き立つ程度の火加減で25~30分。トングで取り出し、ポリ袋のまま10分蒸らしたら、食べられます。  この、耐熱ポリ袋を使った調理の利点は、出来上がりを袋のまま食べることで洗い物が減り、湯せんのお湯は繰り返し使えるので、とにかく水を節約できること。一つのお鍋にいくつかのポリ袋を入れば、複数の調理を同時に作ることもできます。  スーパーやドラッグストアに行けば「湯せん可能」「食品用」などと書かれた耐熱ポリ袋を購入できるので、おせち料理に飽きたころにぜひ試してみてください。 (構成 生活・文化編集部 上原千穂)
小学生のお年玉、どう管理する? 平均総額2万円以上! 子どもの金銭感覚を養う上手な方法とは
小学生のお年玉、どう管理する? 平均総額2万円以上! 子どもの金銭感覚を養う上手な方法とは (写真はイメージ/GettyImages)  いよいよ2025年が始まりました。子どもにとっては、お年玉をもらうことも新年の大きな楽しみの一つですが、親としては子どもが無駄遣いしないか、うまく管理できるのかなど、気になる点も多々あります。何に気をつければよいのか、ファイナンシャルプランナーであり、親子向けのマネー教育講座「キッズ・マネー・ステーション」を運営する八木陽子さんにお話を聞きました。 お年玉の一部は、子どもに預けて ――合計するとけっこう高額になることも多いお年玉。どのように管理するのがよいでしょうか?  祖父母や親戚の数によって変わりますが、全国平均では小学生でもお年玉の総額は2万円以上になります。お年玉の全額を子どもに任せるのは抵抗がある、という親御さんは当然多いでしょう。とはいえ、子どもには「自分がもらった」という意識があるので、親が全額を管理するのでは子どもとしても面白くありません(笑)。  そこで、小学校低学年なら1000~2000円、中学年なら3000円など、数千円を目安に年齢に合わせてお年玉の一部を子どもにハンドリングさせるというのがよい方法だと考えます。それ以外は、親が預かって子どもの教育費として貯める、あるいはご家庭によっては一部を生活費に回すなど、親が管理するというやり方でよいのではないでしょうか。 使い道は最低限のルールだけを決めて口出ししない ――子どもに一部とはいえお年玉を管理させると、無駄遣いをしそうで心配です。 「自由に使っていいよ」と渡したお金の分は、子どもにお任せするスタイルでいいと思います。子どもを見ていると、何回もガチャガチャをやってしまうなど、普段のおこづかいでも「なぜそれに使ったの?」ということはけっこうありますよね。でも、失敗をすることでお金の使い方を学ぶ部分もありますから。そもそも、大人だって買い物で失敗することはよくあるでしょう。  ただし、本当に買ってはいけないもの、やってはいけないこと、行ってはいけない場所など、ご家庭ごとに最低限のお金の使い方のルールは決めたほうがいいです。それ以外に関しては、口出しせずに子どもがどのようにお年玉を使うのか、そっと見守っていくのがよいと思います。 お年玉をきっかけに、親子で一歩進んだマネー教育を ――お年玉をきっかけに、子どもにお金について考えてほしいと思っているのですが、何かよい方法はありますか?  小学校高学年以上、早くて中学年くらいであれば、一歩進んだマネー教育として、子ども名義の銀行口座を作ってお年玉を預けることをお勧めしています。  先ほどは、お年玉の一部を子どもに渡して残りは親が管理するというやり方についてお話しました。ただ、学年が上がってくると、お年玉のほとんどを親に渡すことに対していろいろ不満を持つようになる子もいます。であれば、お年玉の中から自由に使えるお金とは別に、数千円~1万円程度、将来的に何か必要になったときのためのお金として銀行口座に預けて自分で管理させるのも一つの手です。  例えば、全部で3万円のお年玉のうち、1000円は自由に使えるお金として子どもの手元に置いておき、5000円は子どもの銀行口座、残りは親が管理するという形です。  銀行口座の開設は、銀行の仕組みを親子で話す機会にもなります。「家に5000円を置いていても増えないけれど、銀行に預けておくとほんの少しだけ“利息”というものが付く。その理由はね……」といった話ですね。自分の口座を作ってお年玉の一部を毎年貯めるようになると貯金が増えていくのが楽しみになりますし、自分のお金を自分で管理する「自己責任」も学べます。  銀行口座はインターネット経由でも開設できますが、可能であれば一緒に銀行に行って口座開設の手続きをするのがお勧めです。銀行がどんなところか、銀行員はどんな風に働いているのか、そんな様子を見ることも教育的効果があると思うからです。普段忙しい親御さんでも、年末年始であれば多少は時間が取れるのではないでしょうか。 現金でもキャッシュレスでも感謝の気持ちを伝えることが大事 ――最近は、お年玉をキャッシュレスでもらうことも増えています。  「お年玉がキャッシュレス」という話は、徐々に増えてきていますね。渡す側がキャッシュレスを希望すれば、それは仕方ないと思います。わざわざピン札やポチ袋を用意する必要がなく、渡す側にとってはキャッシュレスのほうが便利ですから。この流れは、今後も続いていくだろうと思います。  ただ、もらう側としてはキャッシュレスでも現金でもやるべきことに変わりはありません。もっとも大切なのは、お年玉をもらったら「ありがとう」という感謝の気持ちをきちんと伝えることです。  現金で渡されれば、お年玉を受け取ったタイミングはもちろん、袋から出して実際に使うときなどにも「これはお年玉でもらったお金だ」と子どもは意識します。でも、キャッシュレスだと、残高が増えているだけなので、誰からもらったお金なのか忘れてしまいがちです。受け取った際に「ありがとう」とLINEなどで返信して、それっきり忘れてしまうかもしれません。  また、お年玉が現金であっても、両家の祖父母4人や親戚からたくさんもらえると、お年玉のありがたみがなかなか伝わらないという親御さんの悩みを聞いたこともあります。キャッシュレスでも現金でも、大人が働いて手に入れた大事なお金をもらっているわけですから、そのありがたみがわからないというのは怖いと思います。  我が家では、子どもたちが小学生の頃には、お年玉をもらったらお礼状を書かせるようにしていました。口頭だけよりも感謝の気持ちが伝わりますし、書くことでお金のありがたみについて考える機会にもなります。それに、祖父母も喜んでくれます。お年玉がキャッシュレスになっていくなら、あえてお礼状くらいはアナログで書いて送るのもよいのではないでしょうか。お年玉をもらったらお礼状を書く。これも、大事なマネー教育の一つだと思います。 (取材・文/肥後紀子) 〇八木陽子/イー・カンパニー代表 ファイナンシャルプランナー・キャリアカウンセラー。上智大学外国語学部卒業。出版社で女性情報誌の編集部勤務をへて独立。ファイナンシャルプランナーやキャリアカウンセラーとしての10年以上の仕事実績と消費者の視点から、分かりやすく「お金」「経済」「キャリア」を伝える。親子向けマネー教育講座「キッズ・マネー・ステーション」も運営。
【ゲッターズ飯田】2025年に「裏の才能や個性が輝く人」とは? 「銀の時計座」の開運3か条
【ゲッターズ飯田】2025年に「裏の才能や個性が輝く人」とは? 「銀の時計座」の開運3か条  最高に大当たりの年になるかも。  20年以上にわたり7.5万人以上を無償で占い続け、「芸能界最強占い師」として知られているゲッターズ飯田さん。「銀の時計座」のあなたは、今年はあらゆることが裏目に出る一方で、あなたの裏の才能や個性を輝かせることもできる特殊な運気だといいます。朝日新聞出版『ゲッターズ飯田の五星三心占い2025 銀の時計座』から一部を抜粋して紹介します。【あなたが何座かは公式サイトで→https://www.asahi-getters.com/2025/】 *   *   * 芸能界最強占い師・ゲッターズ飯田さん。タイプ診断は特設サイトから→https://www.asahi-getters.com/2025/   「銀の時計座」2025年の開運3か条 ・意外な人脈を楽しむ ・ネガティブに思ったときほどポジティブな言葉を使う ・ひとりで楽しめる趣味をつくる   「銀の時計座」2025年の総合運 「裏運気の年」は、あらゆることが裏目に出る一方で、あなたの裏の才能や個性を輝かせることもできる特殊な運気。  最高に大当たりの年になる人もいれば、大外れな年になる人もいるという、結果が極端に分かれる年です。  すでに2024年の「乱気の年」が最悪で、つらい別れがあった、体調を崩した、裏切られた、環境が変わった、といった大変な思いをした人は、2025年はそこまで大きな問題は起きないでしょう。  逆に2024 年をなんの問題もなく無事に過ごせた人は、今年は予想外の出来事が多くなるため、何ごとにも慎重な判断と行動が必要です。とくに人間関係は、想像以上に乱れたり、頼りにしていた人との縁が切れることもあるでしょう。  しかし、「裏運気の年」だからこそ出会える予想外の縁もあるので、すべてを恐れる必要はありません。寂しがり屋で人に執着する「銀の時計座」ですが、この1年が過ぎれば、ひとりでいるのが平気になったり、人との距離感も変わってくるでしょう。 「銀の時計座」2025年の恋愛運 「裏運気の年」は、恋人のいる人は失恋しやすく、長年恋人ができなかった人は、予想外の人と交際がスタートすることがある運気です。  順調だと思っていた恋愛ほど崩れやすく、逆に半ば諦めていた人ほど突然モテたり出会いが増えたりするでしょう。  恋人のいる人は、互いに雑なところが見えたり短所が目につく運気なので、そこを受け入れる愛があるかを試されるときでもあります。  長所を好きになるのは簡単ですが、短所やマイナス面、合わない部分を上手に受け流せるか、気にせずにいられるかは難しいところ。それを互いに問われ、求められると思っておきましょう。  長年恋人のいなかった人ほど「裏運気の年」は縁がつながりやすくなるため、臆病な人やタイミングを逃し続けてきた人は期待できそうです。外見や年齢、性格などは、理想と違ったタイプとの恋になりますが、それを楽しんでみるといいでしょう。 『ゲッターズ飯田の五星三心占い2025』タイプ診断は特設サイトから→https://www.asahi-getters.com/2025/   「銀の時計座」2025年の仕事運  すでに2024年の「乱気の年」に、これまで経験してこなかった仕事やポジションに就いている人もいるかもしれませんが、2025年は予想外の仕事に取り組むことになったり、ポジションが一気に上がりリーダーとして周囲を引っ張っていかねばならなくなったりと、想像していたのとは違う状況が訪れそうです。  ほかの人からは「出世していいですね」と言われても、あなたには荷が重かったり、仲間と距離があいてしまったりして、苦労が増えたと思ってしまうでしょう。とくに、競争心や闘争心が必要な仕事を任されたり、ひとりで担当する仕事が増えて、職場で寂しさを感じる場面が多くなりそうです。  ほかにも、信頼していた上司や先輩が異動になったり、突然転職するなど、仲のよかった人が身近にいなくなってしまうこともあるでしょう。  頼れる人がいなくて苦しく感じることもありますが、そもそも職場はサークル活動の場ではありません。仕事は仕事と割り切り、これまで頼りになる人がいたことに感謝し、今年は自分が「周囲に頼られる人間」になることを目指してみましょう。  不慣れなことや苦手なこと、弱点、欠点を鍛えていくなかでいろいろと学べることがあり、自分の向き不向きもわかってきます。ときには、単に好き嫌いだけで避けていたと気づける場合もあるでしょう。  仕事自体への不満もたまりやすい年ですが、離職や転職に走るとその後の人生が苦しくなるので、今年は自分に実力がないことを認め、降りかかる苦労を受け止め、しっかり成長しましょう。 「銀の時計座」2025年の金運&買い物運  お金に対する執着が薄く、「生活できればいい」と考える「銀の時計座」は、お金がなくてもそれなりに生活を送れるタイプです。  ふだんはお金の出入りが少ないですが、2024年の「乱気の年」と2025 年の「裏運気の年」は、急にお金の出入りが激しくなる運気。  すでに昨年から出費が増えている人もいれば、反対に急に収入が増えてよろこんでいる人もいると思いますが、今年はその激しさが増してくるでしょう。  交友関係が変わって付き合いが増え余計な出費が重なることや、体調を崩し医療費の出費が増えるケースもありそうです。あなたではなく実家の親が体調を崩し、お見舞いでの出費が増えたり、友人の結婚式が多く、ご祝儀でお金がドンドンなくなってしまう場合もあるでしょう。  一方で、仕事でポジションが変わり、激務になって収入は上がったものの、「割に合わない」と感じる人もいそうです。 (気をつけるべき時期や、やっておきたい開運アクションなど、より詳細なアドバイスは、発売中の書籍『ゲッターズ飯田の五星三心占い2025 銀の時計座』に掲載しています。) ★★3年連続No.1! オリコン年間BOOKランキング 作家別(※1) ★★5か月連続1~10位独占! トーハン月間ランキング(趣味実用書)(※2) ★★発売3か月で異例の「175万部」突破!! 7.5万人以上を無償で占い、20年以上「開運」を極め続けた「芸能界最強占い師」ゲッターズ飯田がおくる最新刊『ゲッターズ飯田の五星三心占い2025』全12タイプ大好評発売中! ※1 年間BOOKランキング 作家別 2021~2023年(オリコン調べ) ※2『ゲッターズ飯田の五星三心占い2024』2023年9月~2024年1月期(トーハン調べ)   2025年、「銀の時計座」は「裏運気の年」。   2036年まで、未来の運気が「ひとめ」でわかる! まずは大きな視点で、今年の「立ち位置」を確認。   2025年12月まで、毎月の運気がよくわかる! 総合運、恋愛&結婚運、仕事運、金運&買い物運、美容&健康運……どの本よりも超・詳しく占えます。   365日の「運気カレンダー」で、毎日の運気がわかる! こんなに細かく!? 毎日の開運アドバイスで、もう困らない!     相関図で、周囲の人との相性がまるわかり! 家族、恋人、友達、同僚、推し……人間関係のヒントが満載です。   ★タイプ診断はこちらから(生年月日を入れるだけ!)★ 『ゲッターズ飯田の五星三心占い2025』特設サイト https://www.asahi-getters.com/2025/  
【ゲッターズ飯田】2025年に「肩の荷が下りて、楽になりそうな人」とは? 「金の時計座」の開運3か条
【ゲッターズ飯田】2025年に「肩の荷が下りて、楽になりそうな人」とは? 「金の時計座」の開運3か条  長年のモヤモヤにもひと区切り。  20年以上にわたり7.5万人以上を無償で占い続け、「芸能界最強占い師」として知られているゲッターズ飯田さん。「金の時計座」のあなたは、今年は考え方や生き方、人間関係などが大きく変わる年だといいます。朝日新聞出版『ゲッターズ飯田の五星三心占い2025 金の時計座』から一部を抜粋して紹介します。【あなたが何座かは公式サイトで→https://www.asahi-getters.com/2025/ *   *   * 芸能界最強占い師・ゲッターズ飯田さん。タイプ診断は特設サイトから→https://www.asahi-getters.com/2025/   「金の時計座」2025年の開運3か条 ・大掃除をして不要な物を処分する ・人との別れを覚悟する ・下半期は視野を広げる   「金の時計座」2025年の総合運 「整理の年」は、考え方や生き方、人間関係などが大きく変わる年。  長年モヤモヤしていたことやズルズルと解決できずにいた問題も、2025年で良くも悪くもひと区切りつくでしょう。  人との別れの決断が苦手な「金の時計座」にとって、心がギュッとなるような出来事もあるかもしれませんが、覚悟しておけば激しく落ち込まずに済みそうです。肩の荷が下りて、気持ちが楽になることもあるでしょう。  目標が決まらずフラフラしていた人は、やっとやる気になれることを見つけられそうです。 「金の時計座」は時代の先を読めるタイプなので、「これは流行る!」と直感が働いたものがあれば、情報を集めたり試してみるといいでしょう。そこから、進むべき道も見えてくるはずです。  これからいろいろなことがはじまりますが、はじめるためには終わらせなくてはならないこともあります。新たな山を登るためには、不要な荷物を下ろし、無駄な体力を消費しないようにする必要があるのです。今年は冷静に身の回りの整理をしていきましょう。 「金の時計座」2025年の恋愛運  2025年は、良くも悪くも区切りのつく年。長い間片思いをしていた人は、今年で関係がハッキリし、恋人がいる人は、結婚か別れかの選択を迫られるような流れになりそうです。  失恋をする可能性もかなり高い運気ですが、年齢を重ねて好みのタイプが変わってきていることに気づける場合もあるでしょう。  恋愛相手として楽しく過ごせる人を大切にするのはいいですが、今後のためには「この人との未来は本当に明るいか」という視点で考えることも必要です。 「金の時計座」は、経済面や世間体を気にせず恋に突っ走れるタイプですが、友人知人の意見やアドバイス、家族から言われることをよく聞き、しっかり先を見据えて、関係を続けるべきかを判断しましょう。  雑な扱いをしてくる人や大事にしてくれない人なら、自ら縁を切るように。とくに、不倫やセフレなどの関係は今年で終わりにして、将来を考えられるやさしい人を探しましょう。寂しいからという理由だけで関係を深めていた相手とは、お別れするタイミングです。   『ゲッターズ飯田の五星三心占い2025』タイプ診断は特設サイトから→https://www.asahi-getters.com/2025/ 「金の時計座」2025年の仕事運  ここ数年、苦労が多かったり人に振り回されたりして、辞めたいと思いながら働いてきた人も多いことでしょう。  2025年は、いまの職場で「もう限界」となるか「ひとつ山を越えた」と思うか、どちらかにハッキリ分かれる年です。  2023年の「乱気の年」や2024年の「裏運気の年」に、これまでとは違う仕事や不慣れなポジションを任された人は、思った以上に大変な状況が続いたかもしれません。  しかしそのぶん新しい人脈や経験ができて、苦しくも成長できたはずです。自分の至らない点がたくさん見えて、今後の課題もわかったと思うので、頑張って自分を鍛える、頼れる人を見つける、素直に頭を下げて能力のある人にお願いするなど、その課題に対してのいろいろな解決法をこれから考えていきましょう。  面倒な人間関係は、年末が近づくにつれて急に縁が切れたり関わる距離感が変わってきたりと、昨年までのつらさはなくなってくるでしょう。苦手な人とも、今年で縁が切れると思っておいてよさそうです。 「金の時計座」2025年の金運&買い物運  ほかのタイプと比べて、お金に対する執着が薄いのが「金の時計座」です。  極端な贅沢は望まず、食べていけるくらいの生活で十分だと思っているので、お金に困って大変な状況になることは少ないでしょう。  ただし「整理の年」は、余計な出費が増える、油断してお金をだましとられる、もらえるはずのお金が未払いのまま逃げられるといったおそれがあるため、気を引き締めておくように。  とくに「金の時計座」は面倒見がよくやさしいので、後輩や友人に「どうしても契約してほしい」などと頼まれて、保険を契約したり欲しくもない物を買ってしまう場合があります。多額の支払いはよく考え、生きるために必要でないなら、ハッキリ断りましょう。  推し活のハマりすぎにも要注意。地方公演のチケット代や旅費、グッズの購入などで大出費してしまうことがありそうです。ネットでの投げ銭などもほどほどにしましょう。 (気をつけるべき時期や、やっておきたい開運アクションなど、より詳細なアドバイスは、発売中の書籍『ゲッターズ飯田の五星三心占い2025 金の時計座』 に掲載しています。) ★★3年連続No.1! オリコン年間BOOKランキング 作家別(※1) ★★5か月連続1~10位独占! トーハン月間ランキング(趣味実用書)(※2) ★★発売3か月で異例の「175万部」突破!! 7.5万人以上を無償で占い、20年以上「開運」を極め続けた「芸能界最強占い師」ゲッターズ飯田がおくる最新刊『ゲッターズ飯田の五星三心占い2025』全12タイプ大好評発売中! ※1 年間BOOKランキング 作家別 2021~2023年(オリコン調べ) ※2『ゲッターズ飯田の五星三心占い2024』2023年9月~2024年1月期(トーハン調べ)   2025年、「金の時計座」は「整理の年」。   2036年まで、未来の運気が「ひとめ」でわかる! まずは大きな視点で、今年の「立ち位置」を確認。   2025年12月まで、毎月の運気がよくわかる! 総合運、恋愛&結婚運、仕事運、金運&買い物運、美容&健康運……どの本よりも超・詳しく占えます。   365日の「運気カレンダー」で、毎日の運気がわかる! こんなに細かく!? 毎日の開運アドバイスで、もう困らない!   相関図で、周囲の人との相性がまるわかり! 家族、恋人、友達、同僚、推し……人間関係のヒントが満載です。 ★タイプ診断はこちらから(生年月日を入れるだけ!)★ 『ゲッターズ飯田の五星三心占い2025』特設サイト https://www.asahi-getters.com/2025/  
「高齢者はやせた人のほうが肥満の人より死亡率が高い」90歳医師が訴える低栄養の怖さ
「高齢者はやせた人のほうが肥満の人より死亡率が高い」90歳医師が訴える低栄養の怖さ ※写真はイメージです(写真/Getty Images)    90歳を迎えた今も現役医師として週4日高齢者施設で働いている折茂肇医師。近年、高齢者の低栄養が問題となっており、折茂医師は「高齢者は栄養バランスよく食べる以前に、欠乏しがちなエネルギーやたんぱく質を意識的にとるようにしなければならない」と語る。  折茂医師は、東京大学医学部老年病学教室の元教授で、日本老年医学会理事長を務めていた老年医学の第一人者。自立した高齢者として日々を生き生きと過ごすための一助になればと、自身の経験を交えながら快く老いる方法を紹介した著書『90歳現役医師が実践する ほったらかし快老術』(朝日新書)を発刊した。同書から一部抜粋してお届けする(第7回)。 *  *  *  長らく高齢者医療に携わり、私自身も超高齢者となってたどり着いた答えとして大きく3つがある。健やかに老いていくためには「病気と仲良くすること」、「食べること(体の維持)」、「役に立つ意識(生きがい)」が大切ということだ。  ここでは「食べること(体の維持)」について述べよう。多くの人が健康のために気をつけることの一つが食生活であり、世の中には「これを食べると健康にいい」「これを食べると病気になりやすい」といった情報が出回っている。教科書通りに言えば「栄養バランスの良い食生活を送りましょう」ということになる。  しかし、高齢者で問題になっているのは「低栄養」だ。 「低栄養」とは、エネルギーとたんぱく質が欠乏し、健康な体を維持するために必要な栄養素が足りない状態をいう。高齢になると、ものをうまく食べられなくなったり、消化機能が落ちたりすることで、栄養や水分を十分にとれなくなる。先に述べたような喪失体験の影響による食欲低下や食事摂取量の減少に起因することもある。 知らず知らずのうちに低栄養状態に  厚生労働省が発表した「令和元年国民健康・栄養調査結果の概要」によると、65歳以上の低栄養傾向の者(BMI≦20kg/㎡)は、男性12・4%、女性20・7%となっている。また、85歳以上では、男性17・2%、女性27・9%。年齢が上がっていくにつれ、知らず知らずのうちに低栄養状態に陥ってしまうのだ。 【第1~6回の記事はこちら】 1)90歳現役医師「老いの心境がわかるようになったのは還暦過ぎ」 過去の患者への申し訳なさ https://dot.asahi.com/articles/-/241832 2)「ほったらかし快老術」著者の元東大教授 90歳でも週4日医師として働く理由とは? https://dot.asahi.com/articles/-/241908 3)東大元教授・90歳現役医師「高齢者診療で最初にやることは減薬」 家族に説明が難しい多剤処方 https://dot.asahi.com/articles/-/241913 4)「老年病は治せるものばかりではない」90歳現役医師がパーキンソン病患者に毎回伝えた言葉とは https://dot.asahi.com/articles/-/242179 5)「オシャレは老化予防の最大の秘訣」90歳現役医師は毎日自分で服を選び脳も活性化 https://dot.asahi.com/articles/-/244145 6)同窓会に毎回出席の高齢者は脳が老化? 90歳現役医師「落ち目同士で群れない」が若さの秘訣 https://dot.asahi.com/articles/-/244147  厚生労働省の「健康日本21(第三次)」では、低栄養傾向の高齢者は要介護リスクや総死亡リスクが統計学的にみて有意に高くなるとして、低栄養傾向の高齢者の減少を目標に掲げている。  なお別の研究では、やせた人のほうが肥満の人より死亡率が高い傾向にあることも報告されている(*)。 折茂肇(おりも・はじめ)医師/東京大学医学部老年病学教室・元教授、公益財団法人骨粗鬆症財団理事長、東京都健康長寿医療センター名誉院長(撮影/写真映像部・松永卓也)    高齢になると、若いころより体の筋肉や水分が減ってくるため、低栄養になると、次に示したような症状が起こりやすくなる。   認知機能低下 気力がなくなる 免疫力や体力の低下 病気にかかりやすい 筋肉量や筋力の低下 骨量減少 骨折の危険増   高齢者は消化機能が落ちていて栄養を十分に吸収できない  筋肉量や筋力の低下は、サルコペニア、フレイルといった病名で知られる通り、要介護などにつながる問題になっている。骨量減少は、筋肉量や筋力の低下から転倒しやすくなり、骨折の危険が増す。また、サルコペニア、フレイルは、活動度や消費エネルギーの減少、食欲低下をもたらす。それでさらに食べる量が減り、低栄養状態を促進させるという悪循環に陥るのだ。  高齢者にとっては、栄養バランスよく食べる以前に、欠乏しがちなエネルギーやたんぱく質を意識的にとるようにするほうが大事なのだ。  しかし、これがなかなか難しい。高齢者になると、食が細くなる。消費エネルギーが少ないと食欲もわかない。これはあとで述べる「生きがい」が食欲に関わってくると思っている。  また、それなりに量を食べられたとしても、高齢者は消化機能が落ちていて栄養を十分に吸収できない。若いころは食べる量を減らしたり、食欲を抑えたりすることに注力していた人も多いと思うが、高齢者は逆に意識して食べなければいけない。人間も動物なので、食べられなくなったら終わりなのだ。  サルコペニアなどの筋肉の研究の進歩により、わかってきたことは、高齢者では高たんぱくの食事をとらなければ、筋肉が減る一方であるということ。そして、肉が最も効率的にたんぱく質を摂取できるということだ。  一昔前までは、「高齢者は食べられるだけで十分である。肉はあまり食べないほうがいい」といわれていたが、現在は肉を食べることが推奨されている。   * 中年期男女におけるBMIと死亡率との関連、2002、国立がん研究センターによる多目的コホート研究   折茂肇医師が週4日働く高齢者施設での回診の様子とインタビュー動画はこちら       ※『90歳現役医師が実践する ほったらかし快老術』(朝日新書)から一部抜粋   ≪著者プロフィール≫ 折茂肇(おりも・はじめ) 公益財団法人骨粗鬆症財団理事長、東京都健康長寿医療センター名誉院長。1935年1月生まれ。東京大学医学部卒業後、86年東大医学部老年病学教室教授に就任。老年医学、とくにカルシウム代謝や骨粗鬆症を専門に研究と教育に携わり、日本老年医学会理事長(95~2001年)も務めた。東大退官後は、東京都老人医療センター院長や健康科学大学学長を務め、現在は医師として高齢者施設に週4日勤務する。  
【2024年11月に読まれた記事③】「五星三心占い」で2025年の運勢丸わかり! ゲッターズ飯田が来年の運気を徹底解説
【2024年11月に読まれた記事③】「五星三心占い」で2025年の運勢丸わかり! ゲッターズ飯田が来年の運気を徹底解説 げったーず・いいだ/これまでに7万5千人を超える人を、20年以上にわたり無償で占い続ける。その占いの勉強と実践のなかから「五星三心占い」を編み出す(写真:Gオフィス提供)  暮れゆく2024年を、AERA dot.の記事で振り返ります。11月は「『五星三心占い』で2025年の運勢丸わかり! ゲッターズ飯田が来年の運気を徹底解説」の記事が特に読まれました(※年齢、肩書等は当時のものです)。 *  *  *  ゲッターズ飯田がこれまでの占いの勉強と実践のなかから編み出した占術「五星三心(ごせいさんしん)占い」。六つのタイプがあり、羅針盤座、インディアン座、鳳凰座、時計座、カメレオン座、イルカ座と、実際の星座に由来して名づけている。それぞれに 「金」「銀」があり、さらに、もっている欲望をかけ合わせた、全120タイプで細かく性格を分析し、運命を読み解く。AERA 2024年11月18日号より。   【探し方】 (1)表1で生まれた年と月の交差する位置の数字を調べる (2)(1)で調べた数字に自分の生まれた日を足す。61以上になった場合はその数字から60を引く (3)表2で自分の数字が当てはまったものがあなたのタイプ [例]1965年1月25日生まれの場合、表1で導かれる数字は51。それに25を足して76。数字が61以上になるので、 76から60を引いて16。西暦で奇数年生まれなので、銀のインディアン座 奇数・偶数年は西暦で判断する AERA 2024年11月18日号より AERA 2024年11月18日号より   金の羅針盤座(撮影/写真映像部・上田泰世)   金の羅針盤座「しっかり遊んで人生を楽しもう」 [開運3か条] 真面目に遊ぶ 不運を「この程度でよかった」と言う ドジや失敗は話のネタにする  正義感があり上品な人。礼儀正しく真面目で、規律やルールをきっちり守る。ただし好きなこと以外では抜けが多く、サボり魔な一面も。指導者や組む相手によって人生が変わる。ネガティブなので、楽観的な発言と行動を意識するといい。  25年は〈準備の年〉。しっかり遊んで人生を楽しむことで、ドンドン運気がよくなる。旅行や音楽ライブ、舞台などに行くのもおすすめ。ただ、思わぬミスをしやすくなるため、事前準備はしっかりと行い、事故や怪我にも要注意。  25年はミスが増えるが、隙を見せることでかえってかわいがられる場合もあるので、失敗談で笑いをとるくらい気楽に過ごそう。また、ふだん行かない場所へ行き視野を広げることも大切。お店ではあえて定番を外し、新しいものを選んで。 ラッキーカラー:ピンク、ブルー ラッキースポット:お笑いライブ、テーマパーク 銀の羅針盤座(撮影/写真映像部・上田泰世)   銀の羅針盤座「最高の運気がスタートする」 [開運3か条] 特技や好きなことをアピールする 運気がいい年だと信じて行動する 周囲の人の個性をほめる  生真面目でていねいな、品のある人。完璧主義者だが、言われないとやらないところも。ネガティブな情報に振り回されやすく、甘えん坊なのに人は苦手。好きなことが見つかると探究心や追求心に火がつき、スペシャリストになれる。  25年は、魅力と才能が注目される〈解放の年〉。運が味方する5年間が始まるので、積極的に行動しよう。また、人生を左右することになる先生や指導者も現れるとき。遠慮せずにいろいろな人に会い、学んでみたいことにチャレンジを。  25年をなんとなく過ごすと、翌年以降の運気の流れにうまく乗れなくなるため、大きな目標と小さな目標を掲げよう。運がいいからこそ縁が切れる人もいるが、別れることでやる気が出る場合も。過去を引きずらず、前へ進むことが大事。 ラッキーカラー:イエロー、朱色 ラッキースポット:おいしいお店、美術館 金のインディアン座(撮影/写真映像部・上田泰世)   金のインディアン座「12年に1度のもっとも輝ける年」 [開運3か条] 挨拶やお礼は自ら笑顔でする 新しい出会いと買い物を楽しむ 早寝早起きをする  明るく陽気な楽観主義者。好奇心旺盛で、心は中学2、3年生のまま。おしゃべりだが、ベースがアホなので言ったことをすぐ忘れる。自由を好み、ベッタリした関係は苦手。知り合いを増やすことで人生が好転していくタイプ。  25年は運を味方につけられる〈開運の年〉。積み重ねてきたことの結果が出て輝けるとき。チャンスも巡ってくるので、つかめば大きな幸せが手に入る。もしこの年いい結果が出ない場合は、環境を変えるなどして気持ちを新たに挑戦を。  25年は、スタートを切るにも最高の年。習い事を始めたら、なんとなく続けられるペースで4年以上は継続を。4~5月は、12年に1度だけもっとも運気のいい「開運の月」が続く。次の12年に向けて目標と人生設計を考えよう。 ラッキーカラー:オレンジ、黄緑 ラッキースポット:デパート、水族館 銀のインディアン座(撮影/写真映像部・上田泰世)   銀のインディアン座「期待に応え調子に乗ろう」 [開運3か条] 調子に乗る 評価は素直に受け止める 付き合いの長い人を信じて行動する 「人は人、自分は自分」と、超マイペース。心は永遠に中学生のままで、妄想や空想が好き。三つのことを同時進行できるマルチタスクの星をもつ。社会に出てから本領を発揮し、仕事が楽しくなると人生が急激におもしろくなってくる。  25年は〈幸運の年〉。頑張ってきて良かったと思える出来事が次々と起こり、仕事で重要なポジションを任されることもある。周囲の期待に応えられるよう努めることで、道がひらける。一方、努力をしてきていないと厳しい結果が出る場合が。満足できないなら、生き方や考え方を変えていこう。  25年は過去の縁がつながるとき。懐かしい人に会ってみると、話が盛り上がり新たな展開も期待できる。ここから3年間は絶好調の運気なので、調子に乗れるだけ乗ってみよう。 ラッキーカラー:濃いレッド、ピンク ラッキースポット:牧場、温泉 金の鳳凰座(撮影/写真映像部・上田泰世)   金の鳳凰座「注意が必要な守りの一年」 [開運3か条] 現状維持をする マイナス面を見るよりプラス面を探す 体力があると過信しない  忍耐力があり、意志が強い人。じっくりゆっくり考えてから行動し、決めたことは貫き通す。情熱的なぶん、執着もしやすい。ひとりでいる時間が多く、口下手な面も。思い込みが激しいため、「運がいい」と思い込むとうまくいく。  25年は、12年中もっとも注意が必要な〈乱気の年〉。自分の不慣れなことや苦手なこと、弱点や欠点が見えてくるので、人生の課題だと思ってゆっくり克服していこう。また、体にも気をつけること。体力はあるが、過信しないように。  25年は、23~24年の流れをできるだけ変えないことが大切。ただし、人から任されたことは引き受け、流れに逆らわないように。予想外のトラブルが起きやすくなるが、いろいろと予想しておくことで回避できる場合も多い。 ラッキーカラー:モスグリーン、グレー ラッキースポット:森林浴、展望台 銀の鳳凰座(撮影/写真映像部・上田泰世)   銀の鳳凰座「上半期は攻め下半期は守る」 [開運3か条] 上半期は行動し、下半期は現状を守る 計算しながら買い物をする これまで支えてくれた人に感謝する  自分の意志を貫き通し、人の言うことを聞かない超頑固者。慎重で簡単には動かないが、道が決まると習得に時間がかかる技術でも身につけられる。交友関係は狭く、集団のなかではサポート役として活躍し、信頼を得るタイプ。  25年は〈ブレーキの年〉。考え方やこれまでの努力など、すべてのことに答えが出る。年末まで全力で取り組めば、最高の1年に。とくに上半期は攻めの姿勢で行動を。結婚や引っ越し、転職、投資、高額な買い物などもこの時期に。  下半期になると、運気にゆっくりブレーキがかかりはじめるため、徐々に守りに入ろう。人間ドックを受けるなど、健康にも気を使うこと。これまでの頑張りが買われ出世の話がきたら、不慣れなポジションでも素直に引き受けて。 ラッキーカラー:ライトブルー、ライトオレンジ ラッキースポット:海、博物館 金の時計座(撮影/写真映像部・上田泰世)   金の時計座「次へ進むための区切りがつく」 [開運3か条] 大掃除をして不要な物を処分する 人との別れを覚悟する 上半期は視野を広げる  人にやさしく、人間関係を築くのが上手。相手を喜ばせることに幸せを感じる庶民派。誰とでも対等かつ平等に接することが正しいと信じており、権力を振りかざすような人は嫌い。気配りができるが、そのぶんストレスをためやすい。  25年は〈整理の年〉。考え方や生き方、人間関係などが大きく変わり、良くも悪くもひと区切りつく。現実を受け止め、ときには諦めることも肝心。直感的に「流行る!」と思うものの情報を集めてみると、進むべき道が見えてくるはず。  26年からは、新たな山登りが始まるような運気なので、25年は不要な荷物を下ろすとき。「執着しない」をテーマに、過去の栄光も、嫌な出来事も、ここで手放そう。もう使わない物は処分し、悪い癖や悪習慣も断ち切るように。 ラッキーカラー:ラベンダー、イエロー ラッキースポット:草原、おしゃれなカフェ 銀の時計座(撮影/写真映像部・上田泰世)   銀の時計座「不慣れや苦手を乗り越える」 [開運3か条] 意外な人脈を楽しむ ポジティブな言葉を使う ひとりで楽しめる趣味をつくる  人との関わりが好きな博愛主義者。世話好きでお人好しだが、根は甘えん坊。人の意見に振り回されやすい面も。サポート役についたり、対等なパートナーがいると能力を発揮する。運気のいいときと下降気味のときで心の振れ幅が大きい。  25年は、これまで積み重ねてこなかったことが表に出てくる〈裏運気の年〉。不慣れなことや苦手なことを、ひとつずつ乗り越えていくとき。他人の雑なところも見えてくるため、人間観察をする一年にしてみよう。注意したいのが健康面。食生活を改善し、体に異変を感じたら早めに病院へ。  一方で、25年は隠れた裏の個性や才能を輝かせることができ、縁のなかったような人に出会える運気。宝くじや馬券が当たる可能性もあるが、この年だけの特殊なことだと思おう。 ラッキーカラー:パープル、グリーン ラッキースポット:植物園、プラネタリウム 金のカメレオン座(撮影/写真映像部・上田泰世)   金のカメレオン座「経験を増やし人脈を広げよう」 [開運3か条] 考える前に行動する 初対面の人にたくさん会う 変化を楽しむ  学習能力が高く、コツコツ努力できる人。現実的で、大人の心をもっている。カメレオンのように真似がうまく、周囲の人に似てくるため、輝いている人のそばにいると自然と輝ける。新たなことを取り入れるのは苦手で、考え方はやや古い。  25年は〈チャレンジの年〉の2年目。とにかく動いて、体験や経験を増やそう。自分に必要な人に出会える時期でもあるので、フットワークを軽くして人脈を広げるように。 「変化」の流れが必ずやってくる25年は、これまでと似たような生活を送らないよう意識し、変化を楽しんでみよう。転職や引っ越し、イメチェンをするにもいい運気。真似のうまさを生かして習い事を始めても。好奇心に従って挑戦を繰り返すことで、自分の進みたい道が見えてくるはず。 ラッキーカラー:ダークオレンジ、グレー ラッキースポット:果樹園、博物館 銀のカメレオン座(撮影/写真映像部・上田泰世)   銀のカメレオン座「新たに変化していく年」 [開運3か条] 「新しい」に注目して生活する とりあえずやってみる いろいろな人に会う  要領よく立ち回ることができ、几帳面で器用。周囲の人の影響を受けやすいため、人脈や交友関係によって人生が変わってくる。肝心なときに優柔不断になりやすく、家族に甘えすぎるところも。目標が定まるとすごい底力を発揮する。  25年は〈チャレンジの年〉の1年目。視野が広がり、経験が増えるとき。少しでも興味がわくことがあれば行動に移そう。交友関係も変化するため、昔の友人知人に執着せず、何かを極めている人や向上心のある人の近くにいるように。  25年からの3年間は、坂道を駆け上がるような運気。「新しい」に注目し、店では新商品や新メニューを選んでみよう。一流の先生のもとで習い事を始めるのもおすすめ。たとえうまくいかなくても、そこから学ぶことが大切。 ラッキーカラー:紺色、ベージュ ラッキースポット:動物園、博物館 金のイルカ座(撮影/写真映像部・上田泰世)   金のイルカ座「きちんと休み心身にゆとりを」 [開運3か条] しっかり仕事をしてしっかり休む 負けは素直に認める 睡眠時間は8時間以上とる  負けず嫌いの頑張り屋。仲間意識が強く、明るく話し上手だが、本当は好き嫌いが激しい。目立つポジションについてこそ輝けるタイプ。雑用や苦手なこと、面倒を避けるところがあるが、頑張っている人をライバルに設定すると燃える。  25年は〈リフレッシュの年〉。22年頃から新しい挑戦をしたり環境が変わって頑張ってきた人ほど、疲れて限界を感じてしまうことがあるので、無理をせず調子を整えよう。負けず嫌いな性格だが、25年は勝ちを譲ってしっかり休むこと。  体調を崩しやすい25年は、用事を詰め込まず、あえて何もしない時間をつくるのもいい。睡眠時間をできるだけ増やし、人間関係での争いや面倒なことは気にしないように。運気が良くなる26年に備え、心身にゆとりをもっておこう。 ラッキーカラー:明るいレッド、パープル ラッキースポット:森林、美術館 銀のイルカ座(撮影/写真映像部・上田泰世)   銀のイルカ座「今後の6年間が決まるとき」 [開運3か条] 覚悟を決めて動き出す 得意を見つける 異文化に触れ、価値観の違う人と話す  華やかで遊び心があり、自然と人を引き寄せる人気者。話がうまく、教養を身につけると才能が開花する。人間関係に運命を左右されるため、いろいろな人に会うことが大事。場を盛り上げて目立つのはいいが、挨拶やお礼を忘れずに。  25年は〈健康管理の年〉。運気を登山に例えると、中腹にさしかかったあたり。ここでの頑張りや取り組み方、覚悟によって今後6年間が決まる。自分の向き不向き、得意・不得意を分析し、現実的で具体的な目標をしっかり掲げよう。また、体の変化には敏感になり、生活リズムも整えること。  遊びの延長で物事を極められるので、25年に先のことを決めるときほど、「正しい」よりも「楽しい」を選ぼう。自分も周囲も笑顔になる方法を探すと、運を味方につけられる。 ラッキーカラー:エメラルドグリーン、紺色 ラッキースポット:テーマパーク、劇場 (編集協力/吉田真緒) ※AERA 2024年11月18日号  
子どもに片づけをどうやって教える? 「片づけなさい」がダメなわけ
子どもに片づけをどうやって教える? 「片づけなさい」がダメなわけ 子どもが片づけをするようになるには、命令やダメだしはNG(写真/gettyimages)  片づけられないと悩む人は多い。そんな片づけを習慣化することで部屋がきれいになるだけではなく、人生までも変わる――。大人気のお片づけ習慣化コンサルタント、西崎彩智さんはそう提唱する。今回は子どもの片づけについて西崎さんの最新刊『人生が変わる片づけの習慣 片づけられなかった36人のビフォーアフター』(朝日新聞出版)から紹介する。 *  *  *  多くの親が子どもに対して「片づけができるようになってほしい」と思っています。でも片づけって、「大きくなれば自然にできるようになる」というものでもないんですね。やはり片づけって親の背中を見て学ぶことが大きいです。  いつも部屋の中がぐちゃぐちゃの中で育ったのであれば片づけ方は学べないし、モノの置き場所がきちんと決められていない家であれば「片づけなさい」と言われてもどう片づけていいのかわかりません。  しかも、中学生、高校生になり親からの自立が進むと、一緒にいる時間が減る上に、思春期は日常のコミュニケーションも難しくなります。「もっと小さい頃に片づけを教えるべきだった」というのは多くの親御さんがおっしゃいます。  でも、お子さんが今何歳であっても諦めるのは早いです! 今日が子どもにとって一番若い年齢ですし(もちろん、私たちもですが)、もし今親御さんが片づけに真剣に向き合おうとしているなら、その姿にお子さんは刺激を受けるはずです。  片づけを学ぶことで“自律した生活”を送れる力が身につきます。時間通りに起きられない、自分の荷物も片づけられない、家のことも何もできないという大人では、たとえ立派な大学や会社に入っても生活や仕事をしていく上で困ることが多くなります。ですから一日でも早く、子どもたち自身に片づけることの重要性、メリットを伝え、実践していくことが大事だと思っています。 忘れ物をしない整理整頓された部屋を維持する力 受験勉強するときに自分でプリントやノートを整理する力 部活などで忙しくても勉強する気になる環境をつくる力 やりたいことをやるための時間管理能力  これらの力も、“自律した生活”で身につきます。  私は中高生に「片づけ」のワークショップをやることもあるのですが、最初は生徒たちは「片づけは苦手」「片づけをする時間がない」と言います。そこで、実際に生徒たちに1日の時間の使い方を書き出してもらうこともあります。そうすると結構スキマ時間やムダに過ごしている時間があることがわかります。その時間を活用すれば、さっと片づけもできるし、効率的に時間が使えることがわかるんですね。  片づけはモノをしまうだけでなく、必要なモノをすぐに取り出せて生活や勉強がしやすい環境をつくることが大事であること、片づけは時間管理と密接に関係があることを話すと、みな納得した顔になります。今まで「片づけ=叱られながら嫌々やるもの」と思っていた子たちも、片づけのメリットがリアルにわかるようになると、がぜん興味が湧くようです。  ここで気をつけたいのは、片づけをしてほしいことを子どもに伝えるときは夫と同様、「期待」でなく「希望」で伝えること。「いつまでに〇〇を片づけてね!」と「期待」を押しつけてしまう親御さんは多いと思いますが、どんな小さな子どもでも自分の意思があります。自分が「やる」と選択するまで待つことも大事。そこを待てなくてどんどん親が片づけてしまうと、いつになっても子どもの片づける力はつきません。  また、子どもなりに一生懸命片づけをしたのに、「なんでこんなにぐちゃぐちゃなの?」「なんでこんなに捨てるの?」とダメだしをしてしまう親御さんも要注意。  子どもが自分の基準で片づけたものにダメだしをしてしまうと、子どもは自分自身の判断に自信がなくなってしまいます。親御さん自身の価値観とは違ってもそこは目を瞑り、できないことにフォーカスをするのではなく、できたことを見つけてほめるのが鉄則です。  また、学校に行っているお子さんなら、学期ごとに片づけの習慣をつけるといいでしょう。学期末に持って帰ってきたモノを親子で点検し、手放すモノと取っておくモノに分類し、取っておくモノは置く場所をきちんと決める。生活の区切りに持ち物を見直すことは、片づけの習慣化になります。 ※西崎彩智著『人生が変わる片づけの習慣 片づけられなかった36人のビフォーアフター』より抜粋 【こちらも話題】 モノに感情が乗ってしまうと捨てられない!? プレゼントは気持ちだけしっかり受け取れば大丈夫! https://dot.asahi.com/articles/-/241854
同窓会に毎回出席の高齢者は脳が老化? 90歳現役医師「落ち目同士で群れない」が若さの秘訣
同窓会に毎回出席の高齢者は脳が老化? 90歳現役医師「落ち目同士で群れない」が若さの秘訣 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)      折茂医師は、東京大学医学部老年病学教室の元教授で、日本老年医学会理事長を務めていた老年医学の第一人者。自立した高齢者として日々を生き生きと過ごすための一助になればと、自身の経験を交えながら快く老いる方法を紹介した著書『90歳現役医師が実践する ほったらかし快老術』(朝日新書)を発刊した。同書から一部抜粋してお届けする(第6回)。 *  *  * ② 落ち目同士で群れず、異文化と付き合う  自然なことなのかもしれないが、年齢が上がるほど、小学校、中学校、高等学校、大学などから同窓会の案内が届くようになる。落ち目となり、なんとなく寂しくなると、同類と慰め合いたいという気持ちがふくらむのは理解できる。ただ、同窓会に毎回出席するという現象は、脳の老化の進んだ人によくみられるようで、何事もほどほどにしたほうがいいと思っている。同窓会の案内が届いて予定が空いていたとしても、ときどき欠席するくらいがちょうどいい。そのほうが参加したときのありがたみが増すというものだ。 『90歳現役医師が実践する ほったらかし快老術』(朝日新書)より    異文化と付き合うことは、落ち目の防止策として極めて重要と考えている。言い方はよくないが、「同じ穴のムジナ」と付き合っていても、いつも同じ発想でしか話が進まないため、新たな発展が生まれないのだ。  右脳と左脳の働きの違いを前の章で述べたが、右脳は総合的な判断力をつかさどり、その働きは年をとってからも経験や学習によって高まることが期待できる。異文化と付き合うということは、これまでの経験や論理では割り切れない新たなものと向き合うということ。つまりは、それまで以上に総合的な判断力を求められることになる。その結果、より右脳の働きが鍛えられることから、脳の若さを保つために有用と考えられるのだ。  異文化と付き合うことの良さを示すデータではないが、同居以外の他者との交流が週1回未満では、健康上のリスクとなる可能性があることがわかっている。 【第1~5回の記事はこちら】 1)90歳現役医師「老いの心境がわかるようになったのは還暦過ぎ」 過去の患者への申し訳なさ https://dot.asahi.com/articles/-/241832 2)「ほったらかし快老術」著者の元東大教授 90歳でも週4日医師として働く理由とは? https://dot.asahi.com/articles/-/241908 3)東大元教授・90歳現役医師「高齢者診療で最初にやることは減薬」 家族に説明が難しい多剤処方 https://dot.asahi.com/articles/-/241913 4)「老年病は治せるものばかりではない」90歳現役医師がパーキンソン病患者に毎回伝えた言葉とは https://dot.asahi.com/articles/-/242179 5)「オシャレは老化予防の最大の秘訣」90歳現役医師は毎日自分で服を選び脳も活性化 https://dot.asahi.com/articles/-/244145  JAGES(Japan Gerontological Evaluation Study、日本老年学的評価研究)プロジェクトの研究調査で、2003年10月に愛知県の65歳以上の歩行・入浴・排泄が自立している高齢者1万2085人を対象として、同居以外の他者との交流の頻度別に、約10年間の要介護状態への移行と認知症の発症、死亡状況を追跡した。  毎日頻繁に交流がある人を1とした場合の、交流頻度別の要介護2以上の認定、認知症の発症、死亡のリスクをみると、月1〜週1回未満の頻度では、要介護2以上の認定となるリスクが1・4倍となり、認知症を発症するリスクが1・39倍になる。さらに、月1回未満の頻度では、早期死亡が1・34倍みられやすいことが報告されている(*)。 常に新しいことにチャレンジすることをモットー  私自身、常に新しいことにチャレンジすることをモットーとして生きてきた。そのためには同じ穴のムジナと付き合っていてはダメで、異文化と交流し、目からウロコが落ちる経験が必要なのだ。なぜなら、いわゆる「専門家」と称する人種には、必ずといっていいほど「盲点」があるから。盲点とは、いってみれば「目に張り付いたウロコ」のようなものだ。異文化と接して目のウロコがはがれ落ちて初めて、盲点に気づく。そして新たな発想が生まれ、新しいことにチャレンジする心構えができるのだ。 折茂肇(おりも・はじめ)医師/東京大学医学部老年病学教室・元教授、公益財団法人骨粗鬆症財団理事長、東京都健康長寿医療センター名誉院長(撮影/写真映像部・松永卓也)    実際に私の研究生活を振り返ってみても、そのことは証明されている。私はカルシウム代謝の研究をしてきたなかで、ウナギカルシトニンというホルモンの発見がきっかけとなり、それを骨粗鬆症の治療薬として活用する道を開いた。きっかけは、東大老年病学教室に入って2年目にノースカロライナ大学に留学したことだった。  ちょうどその時期に同大学でサイロカルシトニンという新たなホルモンがネズミの甲状腺から見つかり、のちにカナダで同じホルモンがサケに存在することが発見され、カルシトニンと呼ばれるようになった。このホルモンに大変興味を持った私は、帰国後、企業と共同研究を始めたが、サケにあるならほかの魚にもあるのではと考え、湯島の行きつけの天ぷら屋さんに頼んでウナギ、コイ、アユ、ヒラメなどを魚河岸で買ってきてもらった。  サケは海に棲むが産卵時には川に上がる。そこから、海水と淡水の両方に棲める魚でカルシトニンの活性が高いのではという発想がひらめき、ふだんは川に棲み産卵時に海に行くウナギを調べたところ、「ビンゴ!」であった。このひらめきが、将来的に骨粗鬆症の治療薬の開発につながっていくのであるが、こうした発想も研究の成果も、臨床医である私とは異文化である動物学者、生化学者、薬理学者、製薬会社との共同研究だったからこそ得られた賜物だ。異文化との付き合いなしにはなし得なかったことである。  年をとればとるほど、長年の思い込みや凝り固まった意識で、目にウロコが張り付きやすくなる。でも、異文化と付き合うことは何歳になってもできる。恐れずに、これまでの自分が知らなかった世界に一歩を踏み出すことをおすすめしたい。目からウロコが落ちたとき、その世界がどう見えるか。わくわくするだろう。   * 斉藤雅茂ほか:日本公衛誌62:95-105 2015   折茂肇医師が週4日働く高齢者施設での回診の様子とインタビュー動画はこちら   ※『90歳現役医師が実践する ほったらかし快老術』(朝日新書)から一部抜粋   ≪著者プロフィール≫ 折茂肇(おりも・はじめ) 公益財団法人骨粗鬆症財団理事長、東京都健康長寿医療センター名誉院長。1935年1月生まれ。東京大学医学部卒業後、86年東大医学部老年病学教室教授に就任。老年医学、とくにカルシウム代謝や骨粗鬆症を専門に研究と教育に携わり、日本老年医学会理事長(95~2001年)も務めた。東大退官後は、東京都老人医療センター院長や健康科学大学学長を務め、現在は医師として高齢者施設に週4日勤務する。
娘2人が私立中高一貫校で、子どもにかかる費用が月20万円 将来の教育費が心配な母に、お金のプロが「家計診断」
娘2人が私立中高一貫校で、子どもにかかる費用が月20万円 将来の教育費が心配な母に、お金のプロが「家計診断」 イラスト/香川尚子  ファイナンシャルプランナーの関口博美さんが、子育て世代の「消費・浪費・投資」を見直して、お金の使い道をアドバイス! 読者のお金に関する悩みに答えてくれました。子育て情報誌「AERA with Kids」(朝日新聞出版)からお届けします。 【お悩み】 娘2人が私立中高一貫校へ。大学進学を考えると教育費のため方が気になります。 DATA  Hさん一家の場合 東京都在住 夫、妻、長女(高1)、次女(中1) 世帯年収(手取り) 1032万円 ボーナス      86万円 貯金        860万円 <毎月の収支> 月収(手取り)/86万円(夫80万円 妻6万円) 住宅費/12.2万円 保険料/8万円 食費/6万円  子ども費/20.4万円 支出合計/69万9000円 覚悟はしていたけれど、想像以上にかかる教育費  今春、下のお子さんの中学受験も終わり、親子ともどもほっと一息ついている東京在住のHさん一家。今気になるのは、お子さんたちの大学進学までにどのように教育費をためていけばいいのか。 Hさん「今春、次女が私立の中高一貫校に進学し、長女(高1)も私立の中高一貫校に通っています。2人分だと覚悟はしていたものの、引き落とされた授業料にびっくり。しかも年3回授業料の引き落としってあるんですよね……」 関口さん「家計簿の子ども費の20万4千円は、ほぼ学費ということなんですね。うちは子どもが6人いるのですが、その経験からもお話しすると学費がダブルでかかるというのは思っている以上に負担が大きいですよね」 Hさん「今は2人とも習い事もピアノぐらいしかしていませんが、長女は大学受験のためにいずれ塾に通い始めると思いますし、大学は理系に進学する可能性があります。今は定期的な貯金などはしておらず、今後の教育費のため方について相談したいです」 関口さん「上のお子さんの受験が始まるまでに、貯金がもっと増えるように家計診断してみましょう」 診断1 来春の住宅ローンの 完済後、貯蓄の増やし方は?  来春住宅ローンを完済しますが、その分のお金はどこにスライドさせたらいいでしょうか? 教育費はもちろん、老後の資金作りも気になります。今現在、クレジットや学費などいきなりどかんと引き落とされるのが怖くて、貯蓄口座にお金を入れることができません。できても月5万円ぐらいかなと思っています。いくらためればいいのかもよくわかりません。 お金を三つに分ける  まずお金を「つかう」→「ためる」→「ふやす」 の三つに分けて考えましょう。「つかう」は 生活費の口座です。Hさんの場合は生活費が約70万円なので、それの約1.5倍の約105 万円。「ためる」の口座はもしものときの生活防衛資金です。生活費の約6カ月分なので約420万円です。H家は現在貯金が860万円あるので、「つかう」と「ためる」は問題ありません。来春から住宅ローンの支払い分は「ふやす」口座にためていきたいですね。 教育費や老後の資金になります。 診断2 クレジットや電子決済 で収支が混乱してます  最低限わかる範囲の支出は約70万円。手取り額が86万円なので差額の約16万円ですが、現状ほとんど手元に残っていません。買い物はほぼクレジットカードか電子決済です。クレジットカードは家族カードで夫の会社の経費もそこから引き落とされています。このあたりの支出がちゃんと把握できていない分が差額分だと思います。どうやって把握したらいいでしょう。 家計簿アプリを試してみましょう  クレジットなどはひと固まりで請求が来てしまうので、把握しづらいですよね。もし抵抗がなければ家計簿アプリを使われると、自動的に家計簿アプリに支出がA電子決済、B電子決済、Cクレジットカード……というように吸い上げられ、食費や交際費などカテゴリー ごとに仕分けしてくれます。支出だけをみる手段として大雑把な把握にはとても便利だと思います。 【Answer】 3カ月ぐらい家計を見直すと減らすところがわかってきます。  もう一度ご家庭の支出全体を把握していくようにしましょう。H家が大事にしているものは最優先にしつつ、支出の内容がだんだん見えてきて、「これはどうして買ったんだろう」というものはやめていきましょう。本来H家はもっとためられる家計です。できれば月収の2割ほどは毎月貯蓄に回したいところです。まずは3カ月がんばって家計を見直してみましょう。  また今後は新NISAなどの投資で教育費や老後資金をためていくのもおすすめです。投資に興味があれば、新NISAはお金が必要になったときに引き出せるので気軽に始めることができますよ。  診断を終えて 見直すべき点がわかりました。 Hさん やっと下の子の入学金などを払い終えて収支がはっきりしてくるこの時期に、先生に相談できてよかったです。教育費について気になっていましたが、今はまずは家計の支出の把握が優先だなと感じています。支出分をもう少し把握し、貯蓄口座にお金を回せる体質に家計を変えていきたいです。貯金に回せる額が増えること=教育費も増えるので、がんばります。 (取材・文/編集部) 関口博美さん 〇関口博美(せきぐち・ひろみ)/公的・私的年金制度、教育費などを得意とする。株式会社マイエフピー代表の横山光昭さんの妻で、社会人を筆頭に5女1男の母。
テイエムオペラオーに「死角」は? 2000年の年の瀬の話題は 週刊朝日で振り返る「あのとき」「あの話題」【2000年12月29日号③】
テイエムオペラオーに「死角」は? 2000年の年の瀬の話題は 週刊朝日で振り返る「あのとき」「あの話題」【2000年12月29日号③】   週刊朝日2000年12月29日号の表紙      あんな人がいた、こんなことが起きていた……。週刊朝日で振り返る「あのとき」。この記事では、2000年12月29日号に掲載されていた記事の一部を紹介します。     *   *   *   【目次】 週刊朝日2000年12月29日号の目次   ①ホンダとソニーの“人型ロボット”戦争、一騎打ち ②なんでやねん、新庄剛志の米大リーグ・メッツ入り 徹底追求 ③テイエムオペラオーに「死角」あり? 競馬・有馬記念を大予想 ③BSデジタルは「買い」か 高価、品薄のナゾ     20世紀の21人 聞けなかった遺言 ①クビでも奢ってくれた、横山やすし 宮川花子 ①渥美清、俳号は「風天」 永六輔 ①深紅の薔薇を抱えて現れた三島由紀夫 美輪明宏 ①向田邦子、さらば昭和のいい女 久世光彦  ②開けてびっくり、どこにも手塚治虫 赤塚不二夫 ②ジャイアント馬場の控室の技 スタン・ハンセン ②松田優作、たった一度の褒め言葉 原田美枝子 ②昭和天皇の撮影秘話 吉岡専造 ③夏目雅子が語った恋とチマチョゴリ 篠田正浩 ③「お母さんみたいなお父さん」淀川長治 おすぎ (このページでは、③の記事を掲載しています)     テイエムオペラオーに「死角」あり? 競馬・有馬記念を大予想  今年も有馬記念(十二月二十四日、中山、芝二五〇〇メートル)の季節がやってきました。この一年、楽しいことも辛いこともあったと思います。が、ここは気持ちを新たに二十世紀最後の「大勝負」――。一足早く各界の競馬ファンに占ってもらいました。    まずは競馬に詳しくない方のために有馬記念のおさらいをしておこう。中央競馬のフィナーレを飾る年末恒例の大レースで、出走馬はファン投票上位が中心。プロ野球の日本シリーズとオールスターゲームを足して二で割ったと思えばいい。ファンの関心も高く、一九九〇年、オグリキャップの「ラストラン」、九三年、トウカイテイオーの「奇跡の復活」は一般紙の社会面を飾った。  四十五回目となる今年はといえば、現役最強馬の呼び声が高く、断然一番人気確実のテイエムオペラオー(牡5歳)に注目が集まっている。  どれだけ強いかといえば、オペラオーは昨年、三冠初戦の皐月賞を制覇。有馬記念では、歴史的大接戦の末、グラスワンダー、スペシャルウィークに次ぐ三着に終わったが、今年は二月の京都記念から怒濤の重賞七連勝中。天皇賞春、宝塚記念、天皇賞秋、ジャパンカップ(JC)と、今年G1を四勝もしたとんでもない馬なのだ。  格闘家の小川直也さんがオペラオーを本命に推す理由がふるっている。  「いま、プロレス界のアントニオ猪木、音楽界のサザンオールスターズのようなヒーローが競馬界にいる?業界を盛り上げるため、とにかくオペラオーを推さなくちゃ」  前走JCで軽い外傷を負ったが、回復は順調。評論家で馬主としても有名な舛添要一さんも、  「やっぱり本命はオペラオー。体形を見ていると、そんなに走る気がしないんだけど、JCは本当に強い勝ち方だった。どんな展開になっても自分から動けるから、鬼に金棒だね」  競馬評論家の井崎脩五郎さんも舛添さん同様、「オペラオーに死角なし」との見立て。  「皐月賞を勝つような早熟因子を持つ馬が、古馬(五歳以上)になって天皇賞春の三二〇〇メートルを克服した。もうシンボリルドルフ級といってもいい。二十世紀最後に有馬で八連勝を飾り、二十一世紀の目標になってほしいなあ~」  今回の予想陣で紅一点、キャスターの浜尾朱美さんも本命はオペラオー。陣営は「来年も国内で現役続行」を表明しているが、浜尾さんは言う。  「エルコンドルパサーのように海外挑戦してほしい」  う~ん「オペラオー盤石」という話ばかり聞いていると、本当に死角はないように思えてくるが、井崎さんが気がかりな話を……。  「史上最強の現六歳世代の代表格であるエルコンドル、スペシャル、グラスなどと、古馬になってからほとんど対戦していない。恵まれているんだよね。宝塚では骨折したグラスに勝ったけれど……」  そこで井崎さんが「出走馬で今年G1を勝っているのはオペラオーとこの馬だけ」と言って挙げるのがキングヘイロー(牡6歳)だ。  「強力な逃げ馬がいないので中盤はペースが緩み、二五〇〇メートルが実質マイル戦になる。これなら何とか距離ももつのでは。それに母がグッバイヘイローだから、二十世紀にグッバイの今回は……」  「でも井崎さん、根拠が薄いのでは?  競馬歴三十年以上になる自民党代議士の園田博之さんは、オペラオーの強さは認めながらも、昨年の菊花賞馬ナリタトップロード(牡5歳)を本命に推す。しかし、オペラオーを外した理由は、  「オペラオーだって一年を通じて好調を維持できるものではない。小回りの中山ならば、展開の綾でオペラオーとの逆転もあり得る」  というちょっと心もとない「死角」だった。   ■穴馬に出番なし 格ある馬が勝つ  確かにトップロードには今回、大きな援軍がある。グラスで有馬を連覇した「いぶし銀」的場均騎手を鞍上に迎えるのだ。自称「競馬の達人」の本誌M記者は、「まもなく調教師に転向する的場が『マーク屋』の本領を発揮し、有馬ラストランを飾る」  と予言するのだが……。  オペラオー派の小川さん、浜尾さんの対抗はメイショウドトウ(牡5歳)。宝塚、天皇賞秋、JCと三戦連続でオペラオーに続く二着だが、安定感は抜群だ。舛添さんは「潜在能力が高い」マチカネキンノホシ(牡5歳)が対抗。メイショウ同様、外国産馬だ。M記者は「忘れたころにG1で二着に好走する」ステイゴールド(牡7歳)を挙げる。  さて問題は、ここまで名前の挙がっていない馬の中に、九一年のダイユウサク、九二年のメジロパーマーのように大波乱を起こす大穴馬は本当にいないのか、だ。舛添さんは「キングヘイロー。でもちょっと力がね」。園田さんは「出走できればロサード(牡5歳)の末脚は要チェック」と言うが、だれも自信は?だ。小川さんに至っては「わかんね~よ」。井崎さんはこうコメントした。  「ホットシークレット(5歳)の逃げ粘りがあるかなあという気もするが、ダイユウサクのような勢いはないなあ~」  どうやら舛添さんが言うように「格のある馬が勝つ」有馬になりそうだが、最後に筆者の予想。やはり本命は「強い馬は強い」を信じてオペラオー。そして今年を象徴する「金」が馬名に入っているマチカネキンノホシとステイゴールド、そして十五日に亡くなった三冠馬ミスターシービーをしのんで、シービーを母の父に持つゴーイングスズカ(牡8歳)に流します。     BSデジタルは「買い」か 高価、品薄のナゾ  BSデジタルの本放送が始まった。テレビ界では、「テレビが白黒からカラーに変わって以来の革命」といわれているのだが、さっぱり盛り上がってこない。というのも、必要な機器をそろえるのに何十万円もかかってしまうのだ。いったいだれが見るんだ。    ある研究所の放送アナリストが不満顔で言った。  「仕事柄、必要なので、BSデジタル放送のチューナー内蔵型テレビを買ったんですが、なんだかんだで五十万円もかかって……。高すぎますよ。ほかのアナリスト仲間なんか、買いたくないものだから、秋葉原で見せてもらって、それで取材のコメントをしていたりするんですから」  東京・秋葉原の電器店の責任者が閑散とした「BSデジタルコーナー」で嘆く。  「高い、の一語。内蔵型テレビは、まったく売れない日もあります。いまは標準のアナログテレビでも七、八万円も出せば、きれいな画面が見られますから」  新宿の家電店の販売担当者も、  「アナログの倍の値段です。32型の標準のワイドだと、十五万円前後の商品がいま売れているんですが、これがチューナー内蔵だと三十五万円ぐらいします。もう“破格値”ですよ」  売り場で品定めしていた会社員(44)は苦笑い。  「うーん、ちょっと手が出ませんね。世界の秘境ものみたいな番組を見たいんですけれど、テレビを買いたいなんて言っても、カミさんには軽く一蹴されるでしょうね」  さて、NHK、民放キー局系五社、WOWOW、スター・チャンネルの八局によって鳴り物入りで始まったこのBSデジタル放送だが、番組を見るために必要な機器をまず確認しておこう(ケーブルテレビの加入者は、個々のケーブル会社にご確認を)。  (1)チューナー内蔵型のテレビを買う  (2)デジタル対応型のテレビ+BSデジタル用のチューナーを買う  (3)チューナーだけを買う  いずれにしてもBSアンテナを取り付けることが必要だ(BSのアンテナをすでに設置しているなら、それでOK)。  さて、機器の値段だが、  (1)の場合は、ディスカウントしている家電小売店でも、36型で四十万円台半ば、32型で三十万円台半ばが相場。しかも、横と縦の比率が四対三の標準型テレビと違って十六対九と横長のため、家庭によっては、新たにサイズに合ったテレビ台を買う必要が出てくる。台の値段が、テレビのほぼ一割。BSアンテナを設置していなければ、取り付け工事も頼むと二万円はかかる。  (2)でも、テレビがほぼ二十万円台、チューナーが十万円前後するから、三十万円は軽くかかる。  いちばんお安い(3)は、チューナー代だけで済むものの、標準のテレビに接続している限り、画質は「標準」のまま。  さらに、番組を録画しようにも、ハイビジョンのきれいな画質で見るには、一般的に、専用のD-VHSという録画機が必要で、安い店でもこれが十一万円以上、さらに対応するビデオテープも、二時間録画用で一本八百円はする。  なんとか機器をそろえても、局地的な天気予報が得られる番組や買い物ができる「データ放送」「双方向サービス」など、使い方によっては電話回線代もかかる。前出のアナリストの知人は、「バンキング」で自分の口座の残高照会をしているうちに、機器の使い方に不慣れなうえ、画面の切り替わりが遅く、回線代が二百円もかかった。残高照会をしているうちに、残高が減ってしまったわけだ。   ■出せるお金は五万円がやっと  テレビの買い替えが盛んな五輪が終わったこの時期、消費者の財布の紐は固い。この九月、BSデジタル放送について博報堂が首都圏在住者六百人を対象に実施した調査では、この放送にかける出費は「五万円が限度」が七五%にものぼり、「十万円が限度」という層は三〇%、「二十万円以上かけてもいい」という層になると、わずか〇・九%にすぎなかった。  三割いる「十万円」の層だが、確かに、ちょうどその値段に近いチューナーだけは売れていて、  「四十人ぐらいが入荷待ち」(新宿の家電店)  「来年二月まで入ってきません」(秋葉原の電器店)  チューナーだけ品薄になったのは、こんなワケらしい。  「お客さまの希望の読み違えでした。ただ、増産したくても、各電化製品でデジタル化が進んだこともあって、業界全体が半導体不足で増産できないんです」(ソニー広報部)  要は、チューナーだけ買って、画質はふつうでいいから番組だけ見られればいい、というお客さんが多かったというわけだ。  「視聴者はそれほど画質にこだわらなくなった。デジタル放送ならではの紀行ものなどの番組ならともかく、ふつうのバラエティーを、いい画像で見てもしょうがないし、討論番組なんか、政治家や評論家のアップを鮮やかな大画面で見たりすると気持ち悪くなりますからね」(映像音響評論家の河村正行氏)  それにしても、こうも値段が高いのはなぜなのか。  まずは出荷台数の少なさだ。この六月から十月末までの五カ月間で、チューナーは各社合わせて約七万八千台、チューナー内蔵型テレビは約三万八千台にすぎない(電子情報技術産業協会による)。この十二月に入っても、  「ラインを増やしてフル稼働する」(松下電器広報部)  という社もあるが、月産五万台程度という社が多く、ふつうのテレビが毎年ほぼ一千万台売れているのに、  「テレビが白黒からカラーに変わって以来の革命」というには寂しい。  「どうせ、そんなに売れませんから、増産の予定はない」(メーカー関係者)  というわけで、量産効果が期待できないなか、  「高い→売れない→価格が下がらない→売れない、の悪循環に陥っている」(さくら総合研究所の西正メディア調査室長)  もうちょっと安くならないものか。西氏は、  「データ放送で、データ読み込みに時間がかかってすぐには画面が出てこないなど、チューナーはまだ未完成品。そうした面を改善しながらだから、価格が下がるペースは緩やかになる」  実際、各メーカーにたずねても、  「徐々に下げなくては、と思っていますが……」(松下電器広報部)  と歯切れが悪いのはまだマシなほうで、  「チューナーの機能を改良しながらの段階で、値段を下げるのは無理」(あるメーカーの広報担当者)  と断言する会社もある。  デジタルメディア評論家の麻倉怜士氏の見通しは、  「内蔵の36型で四十万円を切るかどうか、デジタル対応型で十万円台後半、チューナーもせいぜい七、八万円までにしかならないでしょう」   ■清水の舞台から飛び降りたら…  どうせ大して安くならないなら、もっと機能性のアップした「新商品」を待つか。注目は、新しい通信衛星の打ち上げによって来年夏にも発売と期待された「BS・CS兼用チューナー」だ。しかし、  「いま開発中の兼用チューナーでは、BSとCSの番組を切り替えようとすると一分もかかる」(放送関係者)  などといった技術的な問題が解決していないという。そのため、新通信衛星による放送開始も、「大幅にずれこみそう」(郵政省放送行政局衛星放送課)とかで、再来年になるともいわれる。  そもそも、前出の西氏が言うように、テレビに「買い時」というのはないのかもしれない。  「携帯電話やパソコンと同じように、テレビも、画質や音質が向上したり、双方向性が増していったりと、次々と進化していく。待っていたらいつまでも使えないから、どこかで見切るしかない。どうしてもBSデジタル放送を見たいなら、安くなるめどが立たなくても、エイヤッと『清水の舞台』から飛び降りるしかないでしょう」  ただし、番組編成の充実も、機器の機能もまだこれから。西氏は付け加えた。「いま飛び降りたら骨折するかもしれませんが」     夏目雅子さん     夏目雅子が語った恋とチマチョゴリ 篠田正浩 聞けなかった遺言  玉音放送が校庭に流れ、夏目雅子がしゃがみこんで泣きだす。グレン・ミラーの「イン・ザ・ムード」が流れる「瀬戸内少年野球団」(八四年)。篠田正浩監督は一年間のロケを通し、夏目雅子ととことんつきあった。撮影が終わる前夜、夏目雅子が監督の部屋を訪ねてきた。    「私、結婚するんです」  と彼女は言いました。僕は全然知りませんでした。お相手は伊集院静さん。  「でも結婚生活にあまり夢を持たないほうがいいよ」  と言うと、  「監督だって続いているじゃないですか」  と笑われました。その後、まじめな顔になった。  「ふたつお願いがあるんです。まず、この在日の小説家に未来があるかどうか、見てほしいんです」  タイトルは「三年坂」。  在日の作家の友人もいる、読みますよと言うと、  「これを書いたのは伊集院なんです」  彼の初期の作品だったと思います。それからしばらく伊集院さんの話でした。山口県の防府高校の野球部から、長嶋茂雄にあこがれて立教大学に進んだと話すから、なんだ、そうだったのかと思いましたね。  夏目君は撮影当時、ピッチングフォームがなってなかったんで、「勉強してこい」と怒鳴ったんです。いつのまにか良くなったんですが、そばに優秀なコーチがいたわけです。  「もうひとつのお願いですけど、結婚式はチマチョゴリを着たいんです。東京で披露宴なんかできないけど、それでもいいですか」  僕は夏目君の亡くなったお父さんと同い年。父親のように思ってくれていたようですね。  「僕はお父さんじゃないから、良いも悪いも言う立場にはないけれど、それはとてもいいことだと思うよ」  そう言ったら彼女、  「サンキュー」  と言って部屋を飛び出していきました。きっと伊集院さんに電話をかけに行ったんでしょう。僕はそのときの彼女の、弾むように消えていった姿を今でもよく覚えています。  「瀬戸内少年野球団」が封切られると、夏目君は渋谷の映画館に行っては、電話をかけてきました。  「監督、入ってる、入ってるよ。母に言われたの。『ヌードにならなくてもお客が呼べるじゃない』って」  気品があって、清楚で、色っぽい。日本の女優にはいないタイプでした。  結局、「瀬戸内少年野球団」が彼女の遺作となったんですが、公開直後に、  「また撮ってくださいね」  と言われました。  僕は谷崎の作品を考えていたんです。彼女なら残酷で、しかも美しい物語ができると思っていました。  白血病で入院中、雨が降ると喜んでたそうです。  「今日はこれでだれもロケができないや」  って。かわいい人。そしてあっという間に駆け抜けていきました。本当に存在していたんだろうかと思うことがあります。(談)   しのだ・まさひろ 1931年生まれ。現在はゾルゲ事件をテーマにした作品に取り組んでいる なつめ・まさこ(1957-85) 「鬼龍院花子の生涯」「時代屋の女房」「瀬戸内少年野球団」など。結婚の翌年、27歳で白血病に倒れた     「お母さんみたいなお父さん」淀川長治 おすぎ 聞けなかった遺言  私と淀川さんがお話するようになったのは、私とピーコが海のものとも山のものともつかない、三十何年前ね。たまたまユニバーサル映画の試写室で、淀川さんの隣に座ったんです。映画が始まったら、私の口の中にチョコレートを入れてくださるの。ビックリしちゃって、見た映画も、その後のお話も全然覚えてない。それから私は直弟子のようになりました。  私は「淀川の母」って呼んでたんです。私が「母」って言うと、「こんな汚い娘を持った覚えはない」とか言うのよ(笑い)。でも風邪をひけば、「お弁当持ってきて」って電話があって、淀川さんの好きなうなぎ入りのお弁当を作りました。ちゃんと専用の鎌倉彫のお弁当箱を用意しておいてね。  淀川さんは、すごくいい人だと思われてるけど、私にはイジワルでケチでした(笑い)。映画見るときは厳しくて、私なんかいつも、「ばかだね、お嬢ちゃんだね」って言われてた。  だいたい、つきあってから一度もおごってもらったことない。弟子におごらせるのが趣味なのね。  でも、本質的にはすごくいい人なんですよ。ピーコが目の病気で眼球を取らなきゃいけなくなって、淀川さんに報告したら、「かわいそう、かわいそう。僕がなんでもしてあげる」って言って、ホント~にケチだった人が五万円包んでくれたの。で、ピーコは三カ月で復帰した。そしたら今度は、「困ったね」の連発なのよ。「なんでもしてあげるって言っちゃった」って。だからピーコが「そんなのいいのよ」って言ったら、「だったらこないだの五万円も返して」って。あれ、半分本気よ。(笑い)  私が淀川さんに特別かわいがってもらったのは、私たちはカミングアウトしてたでしょ?私やピーコを見て、ああこの子たちがこんなふうに生きていく時代になったのか、ってうれしかったんじゃないかな。でも私は淀川さんの好みじゃなかった(笑い)。淀川さんはおデブちゃんが好き。もう、太った人見ると「何キロ?」って聞くんだから。  淀川さんがいなくなって、映画評論をやめようかと思った時期もありました。でも、淀川さんの最後の言葉は「もっと映画を見なさい」だったの。本心は「もっと映画が見たい」だったと私は思う。その言葉を聞いて、淀川さんのように一生、映画館の勧誘員になろうと思い直しました。私は褒めるよりけなすことのほうが多いんですけどね。(談) おすぎ 1945年生まれ、映画評論家、タレント。執筆、コメンテーターとして活躍中 よどがわ・ながはる(1909-98) 「日曜洋画劇場」で30年以上映画解説を続けた    
二本足で歩いた「アシモ」の本田とソニーの“ロボット戦争” 2000年の年の瀬の話題は 週刊朝日で振り返る「あのとき」「あの話題」【2000年12月29日号①】
二本足で歩いた「アシモ」の本田とソニーの“ロボット戦争” 2000年の年の瀬の話題は 週刊朝日で振り返る「あのとき」「あの話題」【2000年12月29日号①】   週刊朝日2000年12月29日号の表紙      あんな人がいた、こんなことが起きていた……。週刊朝日で振り返る「あのとき」。この記事では、2000年12月29日号に掲載されていた記事の一部を紹介します。     *   *   *   【目次】 週刊朝日2000年12月29日号の目次   ①ホンダとソニーの“人型ロボット”戦争、一騎打ち ②なんでやねん、新庄剛志の米大リーグ・メッツ入り 徹底追求 ③テイエムオペラオーに「死角」あり? 競馬・有馬記念を大予想 ③BSデジタルは「買い」か 高価、品薄のナゾ     20世紀の21人 聞けなかった遺言 ①クビでも奢ってくれた、横山やすし 宮川花子 ①渥美清、俳号は「風天」 永六輔 ①深紅の薔薇を抱えて現れた三島由紀夫 美輪明宏 ①向田邦子、さらば昭和のいい女 久世光彦  ②開けてびっくり、どこにも手塚治虫 赤塚不二夫 ②ジャイアント馬場の控室の技 スタン・ハンセン ②松田優作、たった一度の褒め言葉 原田美枝子 ②昭和天皇の撮影秘話 吉岡専造 ③夏目雅子が語った恋とチマチョゴリ 篠田正浩 ③「お母さんみたいなお父さん」淀川長治 おすぎ (このページでは、①の記事を掲載しています)     アシモの滑らかな動きに、集まった子供たちは驚いていた=2001年3月、三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキット     ホンダとソニーの“人型ロボット”戦争、一騎打ち  鉄腕アトム、ドラえもん……日本人は、有名ロボットを数多く「輩出」してきた。世界でもっともロボットに対するあこがれが強い国民性だからだという。  そんな期待を背負って、本田技研工業とソニーがロボット開発で火花を散らす。    「雇ってくれませんか」  横浜市内で十一月下旬に開かれたロボット博覧会「ロボデックス2000」で、履歴書を持った日本とドイツの学生が本田技研工業の展示ブースを訪れた。  「ロボット技術を研究したいんです」  応対した本田の社員は、  「うちに開発者として入社するのは、“スピード好き”がほとんど。ロボット技術専攻の学生が目指す会社になったのかと驚きました」  と話す。  博覧会では、本田とソニーがそれぞれ二本の足で歩く人間の形のロボット「アシモ」、「SDR-3X」を出展し、人気を博した。  両社のロボット研究は、ともに独自の歴史がある。  本田でロボット研究が始まったのは一九八六年。自動車とロボットに共通技術が多いことから、経営陣が、  「鉄腕アトムをつくれ」  と命じたのが発端だったという。本田にロボットとは意外な取り合わせだが、ある幹部は、こう言う。  「べつに奇異には感じませんでした。もともと、モーターで動くものなら何でもやる、という伝統があり、芝刈り機を真剣に研究したこともあったからです」  九六年、世界で初めて、二本足で滑らかに歩くロボットを発表し、世界中の研究者に衝撃を与えた。二年後には、階段を上り下りし、転がってくるボールを足で止めるなどの機能を追加した「進化型」を公開した。   ■日本の歩行技術、海外を引き離す  博覧会直前に発表されたアシモは、これまで足踏みが必要だった方向転換がスムーズになったほか、「身長」一二〇センチ、「体重」四三キロと、軽量・小型化して人間の子供並みに小さくなった。  気になる発売時期と価格だが、吉野浩行社長は、  「商品化について、まだ決めていない。あえて値段をつけるとすれば、乗用車三台分ぐらい」  と、手の内を明かさない。  ソニーはアシモ発表の翌日にSDR-3Xを発表した。昨年六月以来、二十五万円という高価な愛玩用の犬型ロボット「アイボ」を四万五千台、百億円以上売り上げ、ブームを巻き起こした実績がある。  ソニー幹部によれば、最近、ロボット事業の部署は周囲からうらやましがられる花形になったという。  「開発担当者は一様に、『楽しい』と言います。テレビでもビデオでも、そんなことはなかった」  SDR-3Xは、方向転換はぎこちないが、屈伸や仰向け・うつぶせの姿勢から起き上がる動作や、約二十種類の音声認識ができる。五〇センチ、五キロと、アシモに比べてかなり小型だ。  土井利忠・上席常務は、商品化の見通しについて、  「なるべく早く、なるべく安くと思っていますが、まだ何も決まっていない」  と慎重だが、価格の話題になると、  「このまま商品化すれば、大衆車一台分ぐらい。サイズを小さくしたのも、安くつくれるからです」  と、本田を意識したかのような発言をする。  技術的な違いはわかりにくいが、通産省機械技術研究所の梶田秀司・主任研究官は、こう評価する。  「本田の二足歩行技術は世界トップクラス。ソニーは少し見劣りがしますが、それでも世界で二番目といっていいでしょう。日本の二足歩行研究は海外の追随を許さない高レベルです」  本田とソニーが世界最高水準の技術を引っさげ、人型ロボットを舞台に一騎打ちをするのだろうか。  だが、両社は、  「用途がまったく違う」  と、言下に否定する。  本田によれば、経営陣が目標に掲げた「鉄腕アトム」は、原作での活躍よろしく「人の役に立つロボット」の意味だという。  「一二〇センチという身長は、テーブルの高さ、照明スイッチの位置などを考えると、作業ロボットとしては最小。五〇センチでは、階段を上り下りするのも難しいでしょう」(広報部)  また、車輪で移動するロボットにしなかったのは、  「家の中など人間の生活空間を移動するには、家具を避け障害物をまたげる二足歩行がベスト。人間が操作する『道具』として、いきなり家庭は無理でも、まずは社会のどこかで役立つものを目指しています」(同)  その「対極」に位置するのがソニーだ。  土井上席常務は、「生活は不便になっても心が豊かになるものをつくる」と言い続け、自ら「アイボの三原則」として、「ときに反抗的な態度をとることも許される」「憎まれ口をきくことも許される」などと定めている。アイボには感情があり、人間の思いどおりにならないことも多い。  土井上席常務のもとには、  「盲導犬、聴導犬のアイボを開発してくれないか」  といった声が多数寄せられているというが、  「障害物をよけるとか、周囲の状況を察知して適切に判断することなど、いまの技術水準では難しい。娯楽用なら、誤りを犯してもご愛敬ですむが、介護用は命にかかわる。あと何年かかっても、お仕事中心のロボットは出せないだろう」  日本ロボット工業会の矢内重章・総務部次長によれば、二〇一〇年の個人用ロボット市場は「国内で一兆円規模の潜在力」があるが、「用途は、高齢者などの衰えた運動機能を補う実用ロボットと、独身者を中心にいやしを与える娯楽用に特化していくでしょう」  前者は本田、後者はソニーが目指しているものだ。  本田の開発者は、ソニーのSDR-3Xを見て、  「ライバルが出てきたほうが張り合いがある」  と言う。両社の技術競争はさらに激しくなりそうだが、東大大学院情報学環の前田太郎講師は、こう提言する。  「人型は無駄が多く、製造費も高くて敬遠するメーカーが多いのですが、夢がある。まずは普及させて、使い方は後から考えるぐらいでなければならない」  人型ロボットの将来は、本田とソニーにかかっているのだ。       クビでも奢ってくれた、横山やすし 宮川花子 聞けなかった遺言  大助・花子は、昔、東京でやすし師匠の付け売りで仕事さしてもらってたんです。怖いってイメージが強いかもしれんけど、この世界、礼儀や芸に厳しいのは当たり前。そのへんをしっかりやっとったら優しい人でした。そもそも女性にはみんな優しかった。ウチの大助君なんかは、よう泣かされてましたけどね。「舞台には銭が落ちとる。札束が落ちとんのに小銭ばっかり拾いやがってこのドアホが!」言うてね。(笑い)  漫才コンテストがあるときは「絶対勝たなあかん!」言うて、分析してくれました。競艇で予想するのと同じやね。要領で何点、しゃべり何点、ルックス何点、人気何点。「相手のことを調べ上げ、相手にないもので総合点を上げて戦うんや」って。だから、やすし師匠は天才やなくて、努力の人やったと私は思う。あの破天荒さも、芸人・横山やすしの形としての計算やったんやないかなぁと思うんです。でも、あるときから計算と時代がズレすぎたんでしょう。  吉本を解雇されてからは、やっぱり元気がなくなった。ウチは家も近所やし、その後も師匠とおつきあいがあったけど、見てると寂しかったです。普通の人になってしまったから。  それでも会うと、現役時代と同じようにごちそうしてくれるんです。借金とかいろいろあって、大変なときやのにね。私も自分でお金出せる状態になってましたよ。でも、それはよう言わんかった。いつも「師匠ごちそうさま、いただきます」。師匠もそれがええねん。最後までそういう人でした。  「お前ら、上方漫才大賞とってから文句言え!」ってよく言うてはったんです。九〇年にホンマにとると、師匠、イヤリングをプレゼントしてくれました。喜んでくれたやろうけど、ダマーってた。どういう気持ちやったんかな。  私ね、師匠のお通夜の翌日、舞台で泣いたんです。お客さんはまだ知らんときで、大助君が慌てて「いや実は横山さんが亡くなって、嫁ハンかわいがられてたから……」って言うたんやけど、そういうことじゃないねん。自分が言うたことにお客さんが笑ってくれる、この笑いが師匠は欲しかった。そう思ったらたまらんなったんです。  でもね、師匠は寂しがりやったから、こういうふうに話題になることを喜んでると思います。死にながら生きている状態っていうかね。それが師匠の生きた人生の続きでしょう。(談)   みやがわ・はなこ 1955年生まれ。夫婦漫才「大助・花子」で活躍中 よこやま・やすし(1944-96) 爆発的な人気だったが、トラブルが絶えず、89年、吉本興業を解雇       渥美清、俳号は「風天」 永六輔 聞けなかった遺言  先日、在日の評論家、辛淑玉さんと一緒に仕事をしたときに、こんなことを言われました。  「永さん、『男はつらいよ』の寅さんは在日じゃないかと思ったりするんです。楽しい人だし、急に怒ったり感情の起伏が激しいじゃないですか。私はずっと同胞だと思っていましたが、そんな話を聞いたことはありませんか」  渥美清ふんする車寅次郎。映画は四十八作も作られましたが、生い立ちはあまり明らかにされていない。僕は渥美ちゃんに一度、  「車寅次郎の名前の由来は何なんだろうね」  と聞いたことがあるんです。そうしたら彼が、  「車は浅草にそういう親分がいて、その浅草にトラジ(寅次)という朝鮮半島の花の名がついた在日のやくざがいたけど」  と言ったのを思い出します。解答は山田洋次監督の頭の中にしかないんでしょうけど、渥美ちゃんが亡くなって四年以上たっても、こういう話題で盛り上がるほど寅さんは国民の中に浸透しているんですね。  しかし、僕は晩年の「男はつらいよ」は見ていてなんともつらかった。渥美ちゃんの体調が悪くなって、山田監督や寅さん一家は、演出したり共演したりというより、手厚く介護したホスピスでしたね。そのいたわりが見えすぎて。寅さんと渥美清は本来まったく違うのに、弱気な渥美清が映画に出ていた。  もともと、僕と彼の出会いは焼け跡の不良少年だったころだから、五十年以上前のことです。本名は田所康雄。菊屋橋の交番にひっぱられて、  「お前みたいな一度見たら忘れない顔は泥棒じゃなくて役者向きだ」  と言われて、浅草のフランス座でストリップのつなぎにコントを演じた。僕は学生服姿で田所ちゃんの応援によく行った。  NHKの「夢であいましょう」での再会も楽しかったけど、仲間との句会も忘れられない。彼は山頭火が大好きで、山頭火が歩いた道をたどったりした。俳号は「風天」。楼蘭(黒柳徹子)から、  「オニイチャン、風天にしなさいよ」  と言われたからだ。寅さん人気が絶頂だったころ、僕は渥美ちゃんに、  「いつまで寅さんやるの」  と聞いたら、彼は言った。  「ボクサーはいいよな。セコンドがタオルを投げてくれて。役者はだれもタオルを投げてくれない」  彼は役者として劇場、試写室にいつも一人で通うことが多かった。田所康雄、渥美清、車寅次郎と三つの顔をいつも演じ分けていた。僕なんか不器用だからそんなことはできないけれど、彼は仮面を付け替えるのをおもしろがってやっていたのかもしれない。(談)   えい・ろくすけ 1933年生まれ、随筆家、作家。渥美氏とは50年来の友人 あつみ・きよし(1928-96)。「男はつらいよ」は27年にわたる長寿シリーズで、国民映画と称された     深紅の薔薇を抱えて現れた三島由紀夫 美輪明宏 聞けなかった遺言  三島さんについて言えることは、あれほどの天才でも少年時代に受けた教育のトラウマからは一歩も逃れることができなかったということね。彼は非常に鋭利で理論派だから、一見、論理的に自己分析をしているように見えていたのね。私もそう思っていた。でもやっぱり、渦巻きには、渦巻き自身の姿は見えなかったんだなと思います。どう流れていっているのかがね。  私と三島さんとの親交は一九五一年、小説「禁色」の舞台にもなり、当時私がアルバイトをしていた銀座のバーで出会ってから。それから、シャンソン喫茶「銀巴里」のステージを見に来てくださったり、六八年には大ヒットした三島さん脚本の舞台「黒蜥蜴」に私が主演するなど、彼が死ぬまで続きましたね。  三島さんと待ち合わせをすると、私がどんなに早く行っても、必ず彼が先にいるわけですよ。つまり、人を待たせるというのが嫌でね、待っているほうがいいという人だった。まったく、第二次世界大戦前の「日本少年」や「少年倶楽部」などの少年雑誌に出てくるような人だった。儒教じゃないけれど、君に忠、親に孝というような模範的で道徳的な、心優しくすがすがしくというような、少年のいちばんいいころの心を持っていた。男が社会的ないろいろな手あかがつく以前の、少年の心をあの年になるまで持ち続けていた人なんですよ。  彼には文壇向きの、営業用の「顔」というのがありましたね。尊大ぶらなきゃいけないとか、作家ぶらなきゃいけないとか。そうしないと、なめられちゃうんですよ、出版社などの人たちに。そういう駆け引きなんかはおできでしたね。そうした人たちが帰った後では、おどけちゃって、首をすくめて、ぴょんと舌を出したりして。まったく子供みたいでしたよ。  「自分は文学界には友達はいない」  とおっしゃっていました。  三島さんと最後に会ったのは、自決する一週間ほど前、あの人が大好きだった日劇の楽屋でした。珍しくたった一人で、正装で現れたんです。抱えきれないほどの深紅の薔薇を抱えて。メーキャップをしていたら、鏡越しに暖簾の向こうにズボンとエナメルの靴が見えたんです。「だれ?」と叫ぶと、「三島です」とゆっくり入ってきた。珍しくプライベートなことを話しました。きっと、これから自殺することを気づいてほしかったんだと思います。あのとき気づいていれば。  そしてあの日、知人から舞台寸前の私に電話が入ったんです。テレビをつけると、三島さんがバルコニーで演説している最中だった。とうとうやったかと思いましたね。  いま、三島さんは生きていなくてよかったと思いますよ。こんな時代を見なくてすんだから。  「文豪は年を取ってから世紀の傑作ができるときもある」  と言ったら、彼は、  「自分は嫌だ」  と言いました。  「床柱を背にして、紬の着物を着てふんぞり返っているようなのは、俺には似合わない」  とね。(談)   みわ・あきひろ 1935年生まれ、歌手、俳優、タレントなどマルチに活躍 みしま・ゆきお(1925-70) 写真下は三島(右)にシャンソンの振り付けをする美輪氏     向田邦子、さらば昭和のいい女 久世光彦 聞けなかった遺言  去年の二月に死んだ私の母は、もし元気でいれば、来年の四月に百一歳になるはずだった。つまり十九世紀の最後の年に生まれて、二十一世紀の到来を見るところだった。母自身も、足かけ三世紀を生きるのだと豪語していたのを思い出す。たったあと二年のことだっただけに、残念なことをしたと思う。――という人ならともかく、私にはあまり〈世紀感覚〉といったものがない。私の〈時代の区切り〉は、どうしても年号になってしまう。もちろんそのころ生きていたわけではないが、明治には明治の色や匂いが、大正には大正の音や空気が、見えたり聞こえたりするように思うのだ。昭和と平成は、自分で体験している。そうした年号の変わり目を目処に、私はこの国の姿の移り変わりを見る。  私たちの国は、世界でも数少ない、年号を持った国である。戦前使っていた〈紀元〉というのもピンとこなかったが、異国の神の生誕を基にした勘定の仕方にも、私はずっと馴染めないまま今日まできた。たとえば、芥川が自死したのは一九二七年だと言われても、彼の炯々と光る目や、額にかかる長い髪が浮かんでこないが、昭和二年夏というと、軒の低い東京下町の町並みが見えたり、大川から吹き寄せる、ちょっと生臭い川風が感じられたりするのだ――私は年号の生きている国に生まれて、幸福だったと思っている。  向田邦子は〈昭和の女〉だった。昭和に生まれて、昭和に死んだ、私にとっては、二十世紀とは無縁の人である。東京・世田谷に生まれたのは、昭和四年――第一次大戦と太平洋戦争の狭間の、ほんのひととき、風の凪いでいた時代だった。東京について言えば、関東大震災と東京大空襲という、二つの災厄の間の、文化のバランスが奇妙にいい按配だった時代に、向田邦子は幼少時代を過ごしている。戦争が終わった年、十六歳だったことや、その後の混乱期が彼女の青春期だったことなどを考え併せると、典型的な〈昭和の東京人〉ということができる。だから向田邦子が書き遺した様々な風景や、人々の風貌や表情は、みんな昭和のものだった。そんな人は他にいくらもいるだろうが、向田邦子は昭和の最中に在って、すでに昭和を哀惜しつづけたという点で、稀有な人だった。はじめてのエッセー集である『父の詫び状』からして、単純なノスタルジーではなく、昭和への追悼だったように思われるのだ。たった一冊の小説集だった『思い出トランプ』もまた、その時代と、そこに生きていた人々への惜別の辞であり、全編の底にうっすらと淀んでいたのは、女の喪失感だった。  年号に拘りながら、世紀の変わり目をきっかけにするのは可笑しなことだが、もうそろそろ昭和と離れる潮時かもしれない。〈昭和〉という女にいつまでも恋着していると、別れ辛くもなるし、次のきっかけを見つける自信もなくなる。私にしてみれば、昭和ということは、向田邦子ということでもある。だから、新春に毎年放送していた〈向田ドラマ〉も、新世紀を機に幕を引く。――母親と三人の姉妹がいて、茶の間の卓袱台を囲んで――暗い時代のはずなのに、みんな笑っていた。傍らには火鉢の鉄瓶が白い湯気を上げている。――〈昭和〉は、いい女だった。   くぜ・てるひこ 1935年生まれ、演出家、作家。向田作品を多数手がける むこうだ・くにこ(1929-81) 放送作家、小説家。台湾旅行中に飛行機事故で急死    
「オシャレは老化予防の最大の秘訣」90歳現役医師は毎日自分で服を選び脳も活性化
「オシャレは老化予防の最大の秘訣」90歳現役医師は毎日自分で服を選び脳も活性化 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)  90歳を迎えた今も現役医師として週4日高齢者施設で働いている折茂肇医師。その若さと健康を保つための秘訣は何か?折茂医師が考える10の秘訣のうち、今回は1つ目の「手抜きをしないでオシャレをする」について語ってもらう。  折茂医師は、東京大学医学部老年病学教室の元教授で、日本老年医学会理事長を務めていた老年医学の第一人者。自立した高齢者として日々を生き生きと過ごすための一助になればと、自身の経験を交えながら快く老いる方法を紹介した著書『90歳現役医師が実践する ほったらかし快老術』(朝日新書)を発刊した。同書から一部抜粋してお届けする(第5回)。 *  *  *  私なりの「若さと健康を保つための10の秘訣」を挙げてみたいと思う。100歳まで、というと大げさかもしれないが、超高齢者にとってはいずれも有益な内容だと考えている。   若さと健康を保つための10の秘訣 ① 手抜きしないでオシャレをする ② 落ち目同士で群れず、異文化と付き合う ③ 適当に仕事をする ④ エスカレーターやエレベーターは間違っても使わない ⑤ 落ち目になったことを自覚する余裕を持つ ⑥ 他人の話を聞き、広い視野で物事を考える ⑦ 上手に気分転換して嫌なことはすぐ忘れる ⑧ いくつになっても好奇心旺盛でいる ⑨ インプットだけでなくアウトプットもする ⑩ 適度な運動をして自立した高齢者でいる   ① 手抜きしないでオシャレをする  オシャレとは老化予防の最大の秘訣であると考えている。そもそも、オシャレとは何か。『広辞苑』によると「みなりや化粧を気のきいたものにしようとつとめること。また、そうする人」と定義されている。しかし、私自身が考えるオシャレとは、その人の人柄や生活環境、生き方、人生観などが複合的に反映された、極めて格調高い概念である。オシャレは個性の一面であり、その人を最も魅力的に見せる手段の一つでもあるだろう。  とくに重要なことは、オシャレというものの背景には、「心のゆとり」や「遊び心」、そして、その基盤となる「ある程度の経済的な余裕」が必要であることといえるのではないだろうか。 【第1~4回の記事はこちら】 1)90歳現役医師「老いの心境がわかるようになったのは還暦過ぎ」 過去の患者への申し訳なさ https://dot.asahi.com/articles/-/241832 2)「ほったらかし快老術」著者の元東大教授 90歳でも週4日医師として働く理由とは? https://dot.asahi.com/articles/-/241908 3)東大元教授・90歳現役医師「高齢者診療で最初にやることは減薬」 家族に説明が難しい多剤処方 https://dot.asahi.com/articles/-/241913 4)「老年病は治せるものばかりではない」90歳現役医師がパーキンソン病患者に毎回伝えた言葉とは https://dot.asahi.com/articles/-/242179  日本には昔から「粋」という概念がある。この「粋」の対極にあるのが「野暮」である。いわゆる「野暮ったい」の野暮であり、洗練されていないこと、ダサいことを意味する。哲学者、九鬼周造氏は『「いき」の構造』(岩波書店)で、「粋」といわれるには、ただその時代の流行をセンスよくとり入れるだけではダメで、一定の年季と教養が必要であると述べている。そして、粋とは異性に認めてもらいたいオシャレのことだとも言及している。 『人は見た目が9割』(竹内一郎著、新潮社)という著書が売れた時代もあった。人はなぜオシャレをするのか? 例えば男性であれば、「若く見られたい」「素敵と思われたい」という気持ちから外見が気になるようになり、クジャクのオスが色鮮やかな羽を広げてメスの歓心を得ようとするように、オシャレをしたくなるのではないだろうか。 折茂肇(おりも・はじめ)医師/東京大学医学部老年病学教室・元教授、公益財団法人骨粗鬆症財団理事長、東京都健康長寿医療センター名誉院長(撮影/写真映像部・松永卓也)    作家の渡辺淳一氏はその著書『熟年革命』(講談社)の中でこう述べている。「異性の視線を意識することがオシャレのきっかけとなり、最も手っ取り早い方法は恋をすることである」と。また出版プロデューサーであり生活経済評論家でもある川北義則氏は『男の品格』(PHP研究所)で「異性との付き合いが若々しさを保つ秘訣である」と述べている。異性と付き合うことでお互いに緊張するから立ち居振る舞いにも気をつけるようになり、オシャレにも気を配る。そんな神経の使い方がいつまでも若々しさを保つことにつながると言及している。  老年医学者として私も彼らの意見には賛同する。高齢期を迎えた男性にとって、オシャレとは「心と体の身だしなみ」と心得、無理せず自然に身に着けるべきものと考えている。異性との駆け引きや恋愛との関わりを抜きにしても、オシャレは楽しく、若さを保つために有用なものと考える。  日本には、「見た目より内面が大事」という考え方が根付いているが、私はこの考え方は古いと思う。確かに内面は大事だが、それと同じくらい、いや、それ以上に外見も大事である。「馬子にも衣装」ということわざがあり、それには「見た目が悪い人でも外見を飾れば立派に見える」という、あまりよくない印象を与える響きがあるが、発想を転換すれば「外見を若々しく整えれば心もおのずと若々しくなる」ということではないか。若々しく整えるというのは、何も無理をして若作りするということではない。  自分がどういうファッションが好きで、どんな色を好み、どんなものを身に着けたいか。自分に似合うもの、自分を少しでも素敵に演出できるファッションを考えることは楽しくもあり、脳への刺激にもなる。トータルコーディネートして外出すれば気分も明るく、足取りも軽くなるはずだ。これが脳の若さを保つのに、役立たないわけがないだろう。 気がつけば私自身もこの秘訣を実践していた  医師として高齢者施設に入所する人を見ていても、それは実感する。施設は共同生活の場でもあるので、食堂などの共同フロアに行けば、ほかの入所者と顔を合わせる。ある女性は装飾品が大好きで、毎日共同フロアに出てくるときは必ず異なる装飾品を身に着けてきた。それを自慢したかったのだろうし、そのように着飾った自分を認めてもらいたかったのだ。施設という多くの人が入所する場とはいえ、慣れ親しんでしまうとなかなかそこまでできないはずだが、それがその女性の生きがいであり、健康を保つ秘訣だったように思う。  私自身も気づかぬうちにこの秘訣を実践していた。ただし、くたくたのズボンははかない、ワイシャツは一日で取り替える、ネクタイの緩みは許さないなどということは、私にとっては身だしなみの範疇であり、オシャレというほどのものではない。  私は若いころから学会などで海外に出張する機会が多かったため、身の回りのことは自分でする習慣ができている。毎日、背広に合ったワイシャツとネクタイを自分で選ぶという生活をしており、妻に選んでもらったことはない。  毎朝起きると、今日はどの服にしようかと考えるのが楽しみだ。服が決まれば、後は全身のバランスを考え、シャツ、ネクタイ、カフスボタンや時計などの小物類を選ぶ。  鏡の中でトータルコーディネートが完成すると、背筋がシャンとする。この習慣により脳も活性化され、若さを保つにも役立っていると思う。 自分に似合うもの、自分の好きな服を身に着けよう  私の好みは緑と茶で、その色の衣類を身に着けることが多い。とくに緑が好きだ。日本人は、なぜか紺やグレーの背広を着ている人が多い気がする。その理由は、みんなと同じ色を着て、なるべく目立たないようにという発想からではないだろうか。こんな現象は日本でしかみられない。日本には、自己に目覚めていない人が多いのではないだろうかと思ってしまう。あるいは、自分の好きな色を着ることを恥ずかしいと思っているのか、自分に似合う色がわからないのか……。  他人に不快感を与えない限り、もっと自由に自己表現し、自分の好きな色の服を堂々と身に着ければいいのに、と思うのである。私は自分の好きな色の服、自分に似合うだろうと思う服を着る。今でもときどきは行きつけの仕立て屋さんを訪れ、生地から選んで自分の好きな服を作ることを楽しみにしている。昔に比べればずいぶん減ったが……。  洋服はたくさん持っている。そろそろ少しずつ整理して、着ないものは処分していかなければ……とも考えている。でも、やはり服が好きだから、新しいものも欲しくなってしまうんだよな。オシャレも私が元気でいる秘訣の一つだ。 折茂肇医師が週4日働く高齢者施設での回診の様子とインタビュー動画はこちら   ※『90歳現役医師が実践する ほったらかし快老術』(朝日新書)から一部抜粋   ≪著者プロフィール≫ 折茂肇(おりも・はじめ) 公益財団法人骨粗鬆症財団理事長、東京都健康長寿医療センター名誉院長。1935年1月生まれ。東京大学医学部卒業後、86年東大医学部老年病学教室教授に就任。老年医学、とくにカルシウム代謝や骨粗鬆症を専門に研究と教育に携わり、日本老年医学会理事長(95~2001年)も務めた。東大退官後は、東京都老人医療センター院長や健康科学大学学長を務め、現在は医師として高齢者施設に週4日勤務する。
横澤夏子に聞く3姉妹ドタバタ育児 ミキティに教えてもらった「子どもが食べないとき」の“作戦”とは?
横澤夏子に聞く3姉妹ドタバタ育児 ミキティに教えてもらった「子どもが食べないとき」の“作戦”とは? 横澤 夏子さん  現在4歳、3歳、1歳の三姉妹の子育てに四苦八苦する姿をSNSでありのまま投稿し、大きな共感を呼んでいる横澤夏子さん。11月に初めての育児本『ドタバタ子育て大作戦 三姉妹のれんらくちょう』(オレンジページ)を刊行しました。ごはん、寝かしつけ、姉妹げんかなど、子育ての悩みができるたびに、保育園の先生やママ友に相談し、作戦を立ててきたそう。最近見つけたいい作戦や、三姉妹との日々を聞きました。※後編<横澤夏子が語る芸人を目指したワケ「高校3年の進路相談の日の朝、出勤前の父に『芸人になるって言うから!』と告げ」>へ続く 保育園に預けるということは、わが子の専門家が増えるってこと ――インスタグラムでたびたび保育園の連絡帳を投稿している横澤さん。イヤイヤ期の子どもたちを「活きのいいシャケと大マグロ」と表現して先生に報告するなど、楽しい園生活が伝わります。横澤さんにとって、保育園とはどんな存在ですか。  じつは、長女の時は保育園に預けるのに抵抗があったんです。子どもの成長を見逃してしまう、とか、自分の仕事のためであって、この子のためになってない、とか思い詰めてしまって。そんなとき、お仕事でお会いした教育学者の汐見稔幸先生に「保育園や幼稚園には、親以外の人からかわいがってもらう練習をしに行ってるんですよ」と教えて頂きました。そうやって考えてみれば、子どもを親側からだけじゃなく、プロである先生の側から見てもらえるのは、とてもいいことだと思えました。  実際、お友だちとのやりとりや、集団でのマナーなど、保育園で学んでくることはとても多くて、本当に感謝しています。子どもたちも保育園が大好きで、お迎えに行くと「えー、もう来たの?」って言われるんですよ。  先生に育児相談できるのもすごくありがたい。私だったら頭ごなしに叱っちゃうところを、「プリンセス~、すてきですわ!」とうまく子どもの気持ちを乗せたりとか、先生から取り入れた〈作戦〉がいっぱいあります。保育園に預けるということは、わが子の専門家が増えるってことだといまは思います。 横澤夏子さんが保育園の連絡帳に記したもの『ドタバタ子育て大作戦 三姉妹のれんらくちょう』(オレンジページ)から ミキティに教えてもらった子育ての作戦とは? ――寝かしつけや食事、イヤイヤ期など、横澤さんが日々やっている子育て作戦で、おすすめはありますか。  もともとチャイルドマインダーの資格やリトミックの先生の資格をとったり、子育てについて学ぶのが大好き。保育園の先生からはもちろん、一緒に「夫が寝たあとに」という番組をやっているミキティ(藤本美貴)さんやpecoちゃんからもたくさん作戦を教えてもらいました。人に委ねるのが苦手だった私が、素直に周りに甘えられるようになったのは、子育ての賜物です。  この間ミキティさんに教えてもらったのは、子どもが食べないときの作戦。子どもの胃がまるで見えているかのように指さして、「ここ、まだ空いてるよ~」と言うと、「え、ママ、見えるの?」って驚いて、おなかを見せながら食べてくれるんですって。そう言えば私もトイレトレーニングのときに、おなかのあたりを指差しながら「今おしっこがここにきて、ここにきて、ほ~らもうすぐ出てくるよ……」とイメージさせてうまくいったことがありました。 ――逆に作戦が失敗することも?  もう失敗だらけ。昨日まで通用していた作戦が今日はもう通用しない。トライ&エラーの毎日です。  たとえば、公園に行くとき、「帰るって言ったらー?」「帰るー!」というように、注意事項をコール&レスポンスさせてから連れて行くのですが、先日、次女のクラスのみんなで遊ぶイベントがあって。 「お友だちと仲良くー?」「するー!」「お母さんの言うことをー?」「きくー!」と何度も念押ししたら、それがプレッシャーになっちゃったようで、いざ公園に着いたらずっと私にしがみついてるんです。ああ、この作戦、マイペースな長女には効くけど、緊張しぃの次女にはやりすぎちゃダメだったのか、と反省しました。子どもの性格や年齢、その時の気分によっても全然対処が変わってきて、毎回応用問題ばかり。受験勉強のように傾向と対策を練っています。 ――同じ親に育てられているはずなのに、きょうだいって、性格が全然違いますよね。  そうですね。先日、親が変装してこっそり子どもの保育園での様子を見学できる保護者参観がありました。私は青い三角巾に伊逹めがね、先生のエプロンを身に着けて、園庭で遊ぶ子どもたちを見ていたのですが、さすがに長女にはバレるかなと思ったら、全然気づいてくれなくて、ちょっと切なかったです。長女は鉄棒の上に座って「ヤッホー!」と叫んだり、とにかくマイペース。次女は30分以上、黙々とどんぐりケーキを作っていて、集中力がすごい。一番驚いたのが三女で、めちゃめちゃ喋っていたんです。おもちゃを抱えて「じぶんの!」って、はっきり意思を伝えていました。上の二人から学んだんでしょうね。三者三様、園で楽しく過ごしているんだなと改めて感動しました。 3姉妹のケンカはどうしている? ――姉妹ゲンカはいつもどう仲裁されていますか?  本当にしょっちゅうけんかしているので、「はなれて!」が一番言う四文字です。こちらに余裕があるときは、双方の言い分を「どんな気持ちだったの?」と聞けますが、ほとんどの場合、「もうこのおもちゃはお母さんの!」とけんかの種自体を取り上げます。いちいち“裁判官”していられないほど頻発するので……。 ――きょうだい育児は、上の子ばかりつい我慢させてしまうなど、平等に接するのが難しいという声もよく聞きますが、横澤さんはどう気を付けていますか。  私もつい、長女には「これぐらいできるでしょ」って厳しくしてしまうことがあります。先日、外出先で夫と長女が手をつないでこっちへ歩いてくるのを見て、「え、まだあんなにちっちゃかったの!?」って驚き、そうだよね、家の中では一番お姉さんだけど、まだ4歳だもんね、と反省しました。  普段はどうしても三女中心になるので時々、「長女の日」、「次女の日」とそれぞれに特別扱いする日を作っています。といっても、予防接種のあとにいっしょにシェイクとアップルパイを食べたり、電車でスーパー銭湯に行ったりするレベルのささやかなことですけど。今朝、長女が「あの二つ電車のって行った温泉、また行きたいね~」としみじみ言っていて、ああ、楽しんでくれたんだなと嬉しくなりました。 子育ての悩みは、子どもの「食事」 ――最近、子育てで悩んでいるのはどんなことですか。  食事です。立ち歩いたり、遊びだしたりもそうですし、とにかく完食させるのがむずかしい。以前は栄養バランスを考えて、全部食べさせるのに躍起になっていたんですが、今は私のニコニコを優先させて「あと三口でいいよ」と譲歩するようになりました。ずっと怒っていたら食事の時間が楽しくなくなるので、妥協も必要だと考えています。  最近、食事の後片付けを全部夫に任せることにしたんです。せっかく色々考えて作った料理が食べ残されるのを見るのも捨てるのも、すごく悲しくて。自分の目に入らないようにしたことで、イライラが減りました。私がニコニコでいることが、子どもたちの笑顔にもつながるので、ストレスを溜めないようにしています。 ――今後の教育方針は?  礼儀はしっかりと身に付けさせたいと思っています。長女と次女が通っている公文でも、先生の言うことをしっかり聞く、挨拶する、など礼儀が肝心!公文に行く前もコール&レスポンスを欠かさずやっています。私は高卒で芸人としてデビューしましたが、親からも吉本興業からも礼儀を厳しく教えてもらったことが後々、仕事に役立ちました。礼儀は人間関係の基本。あとは子どもたちそれぞれの良いところを見つけてのばしてあげたいなと思います。 (取材・文/清繭子) ※後編<横澤夏子が語る芸人を目指したワケ「高校3年の進路相談の日の朝、出勤前の父に『芸人になるって言うから!』と告げ」>へ続く 〇横澤夏子/1990年、新潟県糸魚川市生まれ。高校卒業後、吉本興業のお笑い養成所NSC東京校に入学、19歳でデビュー。「R-1ぐらんぷり」では、2016年から2年連続で決勝に進出。2020年、2021年、2023年に出産、3姉妹の母。ベビーシッター、チャイルドマインダー、リトミックの資格も取得。Instagramで紹介する「保育園の連絡帳」が多くの人の共感を呼んでいる。最新刊に『ドタバタ子育て大作戦 三姉妹のれんらくちょう』(オレンジページ)。
愛子さまはなぜ、能登半島地震の被災地でテニス大会に立ち寄る予定だったのか 「天皇の娘」は、まだ皇室が足を運んでいない土地へ
愛子さまはなぜ、能登半島地震の被災地でテニス大会に立ち寄る予定だったのか 「天皇の娘」は、まだ皇室が足を運んでいない土地へ 宮内庁は、愛子さまがの23歳の誕生日にあたり1年を振り返った。愛子さまは「被災された方々に安心して暮らせる日が一日も早く訪れることを心から願っておられる」と伝えた=2024年11月22日、皇居、宮内庁提供    天皇、皇后両陛下は12月17日、1月に能登半島地震、そして9月に豪雨被害を受けた石川県輪島市を訪問された。おふたりが能登を訪れたのは3回目だ。一方で、両陛下の長女、愛子さまは、同県七尾市や志賀町への訪問を予定していたが、直前の豪雨災害で取りやめになったままだ。当時、愛子さまが立ち寄る予定だった復興支援のためのテニス大会で実行委員長を務めた元プロテニス選手の佐藤直子さんは、愛子さまが現地に足を運ぼうとしてくれたことに感謝している。 *   *   *  1月に能登半島地震、9月には豪雨によって相次いで被害を受けた能登地方。  30世帯が避難生活を送る輪島市の輪島中学校を訪ねた天皇陛下と皇后雅子さまは、高齢の被災者たちの前で腰をかがめて目線を合わせ、その言葉に耳を傾けていた。  これまでにおふたりは能登地方に2度訪問し、秋篠宮ご夫妻も被災地を訪れている。  そして両陛下の長女愛子さまも、9月28日と29日に七尾市、志賀町を訪れる予定だったが、直前の豪雨災害で中止になった。 「天皇陛下と皇后雅子さまも、愛子さまが初めておひとりで臨む予定であった被災地訪問については、いろいろと気にかけておられたようです」  皇室の事情を知る人物は、そう語る。   テニス大会の会場となった七尾市和倉温泉運動公園のテニスコートも、能登半島地震でコートがはがれたり、地面が隆起したりするなどの被害を受けた=「能登半島地震復興支援!能登和倉国際女子オープンテニス READYFOR」のウェブサイトより   皇室が訪問できなかった被災地  愛子さまは当初、復興支援の一環として9月29日に七尾市で開かれた「能登和倉国際女子オープンテニス2024復興支援大会」の決勝戦を観戦する予定だった。 「愛子さまのお立ち寄りが決まったと県から知らされたときは、七尾市役所もわれわれ大会の運営サイドも驚きました」  そう語るのは、大会の実行委員長を務めた元プロテニス選手の佐藤直子さんだ。   24年4月に、石川県の穴水町と能登町を訪れた両陛下は犠牲者が出た場所に向かって深く頭を垂れ、祈りを捧げた=2024年4月12日、石川県、東川哲也撮影(朝日新聞出版/JMPA)    一般的に、行事などに皇族方が臨席する場合は、主催者や自治体から宮内庁に「お出まし」をお願いして実現するケースが少なくない。  佐藤さんら大会実行委は大会が開かれるこの地に、愛子さまに足を運んでいただけないかと考えた。 「七尾市、特に和倉温泉は、この地域の経済の中心であるにもかかわらず、インフラの復旧が他の地域よりも遅れていたことも影響し、まだ皇室の被災地訪問が実現していない場所でした」(佐藤さん)  もし愛子さまが訪れてくれたら地元の励みになる。そう考えた実行委は、いったんは「お出まし」の申請を準備し始めたが、最終的には「かえってご負担になってはいけない」と思い直し、申請を見送ることにしていた。  にもかかわらず、愛子さまが大会を観戦するという連絡があったため、驚いたのだ。 「自治体や宮内庁の配慮だったのか、それとも愛子さまサイドが見つけてくださったのかはわかりません。しかし、内親王の訪問は土地の人たちをどれほど勇気づけることかとありがたかった」(佐藤さん)   佐藤直子さんら能登和倉国際女子テニス大会の実行委は、クラウドファンディングで開催資金を募った。会場近くの道路も地震で地盤が崩れている=「能登半島地震復興支援!能登和倉国際女子オープンテニス READYFOR」のウェブサイトより   「こんなときにテニス大会なんて…」  災害関連死もふくめ、約500人の死者を出した能登半島地震。七尾市の和倉温泉も大きな被害を受け、温泉街を代表する老舗旅館「加賀屋」をはじめとする22軒の宿泊施設が全て休業に追い込まれた。  毎年秋に開催されていた「能登和倉国際女子オープンテニス」大会は、会場となっていた七尾市和倉温泉運動公園の半数のテニスコートに被害があったものの、大会で使う予定だった6面のコートは無事だった。 「そうはいっても、能登半島が大変な時にテニスの大会を開いていいのだろうか。私も大会を運営するメンバーも迷っていました」  佐藤さんは、3月からボランティアとして被災地に入り、4月には大会のアンバサダーを務める女優の南野陽子さんと一緒に避難所となっている体育館などを回った。  そして、大会実行委のメンバーたちと、開催すべきかどうか話し合う場が持たれた。   24年1月の能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県への2度目の訪問で、穴水町と能登町を訪れた両陛下。「陛下と雅子さまは、大きくはないがゆっくりと聞き取りやすい口調で話しかけてくださった」と、両陛下と言葉を交わした被災地の店主の女性は話す=2024年4月12日、石川県、JMPA    自宅が損壊した地元メンバーもおり、佐藤さんは中止を覚悟していた。  しかし、話し合いのなかで、実行委員のひとりがポツリとこう漏らした。 「僕たちは、テニスボールを打ち始めたのだけれども……実は、とても楽しかった。周りからは『こんな大変なときにテニスなんて』と変な目で見られた。でも、僕はテニスのおかげで前を向くことが出来たから……。僕は今年の大会は開いてほしいと思う」    地震発生からまだ3カ月。市内ではようやく4月に水道が復旧したばかりで、下水道は応急工事すら始まっていない場所がほとんどだった。  こんな状況でテニス大会の準備などをすれば、非難されるかもしれない。そんな不安を抱えながらも、実行委のメンバーや選手たちは大会開催を願っていた。  佐藤さんは覚悟を決めて、こう声をかけた。 「できる範囲内で、今年もやりましょう」   大会には多額の資金が必要  テニスの大会は、運営費のほかにお金がかかる。海外から審判員を呼べば、日当と交通費はもちろん宿泊費や食事代もかかる。優勝したプロのテニス選手には賞金も準備しなければならない。  一方で、被災地の復興支援のための大会だけに、以前のように地元企業へ協賛金をお願いするわけにもいかない。大会事務局の若いメンバーらの提案を受けて、クラウドファンディングで資金を募ることもした。  そして9月に入り、愛子さまが観戦に訪れることが決まった。  もっとも、内々に知らされたのは数人の関係者のみで、9月20日に愛子さまの被災地訪問がニュースで報じられると大会関係者も驚いたという。  ところが、その翌日の21日から、能登地方を記録的な豪雨が襲ったのだった。   クラウドファンディングで資金を募り目標額を上回る360万円が集まった=「能登半島地震復興支援!能登和倉国際女子オープンテニス READYFOR」のウェブサイトより   被災地への「お出まし」がもたらす力  豪雨によって各地で河川の氾濫や土砂崩れが起き、15人が亡くなった。  佐藤さんも、当時の様子をこう振り返る。 「私も豪雨の日は、大会の準備のために和倉温泉入りしていました。夜中には殴りつけるような雨になり、ホテルのガラスが割れるのではないかと思うほどひどい状況でした」   宮内庁によれば、愛子さまは「被災された方々に安心して暮らせる日が一日も早く訪れることを心から願っておられる」という=24年11月22日、皇居、宮内庁提供    愛子さまの訪問は、この豪雨災害を受けて中止になった。  しかし、テニス大会は予定通り開催された。  会場ではアンバサダーの南野陽子さんと佐藤さんのトークショーや、被災者を励ますためのチャリティーイベント「七尾の夕べ」が開かれた。大会の参加選手は被災した人たちと一緒になり、『上を向いて歩こう』を一緒に歌ったという。    天皇陛下や皇族方が被災地に足を運び、被災者の言葉に耳を傾けてくれる。今回は愛子さまの訪問はならなかったが、「お出まし」になるというだけでも、被害に遭った人たちや復興に向けて頑張っている人たちの力になると、佐藤さんは感じている。  和倉温泉に21軒あった旅館のなかで、営業を再開したのはまだ4軒にとどまっている。以前のような姿を取り戻すまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。 「愛子さまが近いうちに、能登地域に足を運んでくださる機会があれば嬉しい。地元のひとたちも、きっと励まされると思います」(佐藤さん) (AERA dot.編集部・永井貴子) 9月に行われた「能登和倉国際女子オープンテニス2024復興支援大会」の試合の様子     【こちらも話題】 愛子さま 佳子さまよりも先に、能登半島地震の被災地訪問が予定されていた理由とは? https://dot.asahi.com/articles/-/235091    
【2024年9月に読まれた記事②】子ども4人の忙しい毎日 散らかった家から目を背けていた「ダメな私」が片づけたら人生が変わり始めた
【2024年9月に読まれた記事②】子ども4人の忙しい毎日 散らかった家から目を背けていた「ダメな私」が片づけたら人生が変わり始めた 散らかっているので仕事から帰っても安らげなかったリビング/ビフォー    暮れゆく2024年を、AERA dot.の記事で振り返ります。9月は「子ども4人の忙しい毎日 散らかった家から目を背けていた『ダメな私』が片づけたら人生が変わり始めた」の記事が特に読まれました(※年齢、肩書等は当時のものです)。 *  *  *  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 case.80 家も頭もパンパンだった環境が一変  夫・子ども4人/パートタイム  ライフステージが変わるときは、わかりやすい形の扉を開けて一歩を踏み出すとは限りません。ゆるやかな道を進む途中で、ふと周りを見渡したときに以前いた場所とは変わっている景色に初めて気づくということもあります。  そのタイミングで、生活の基盤でもある家の中を見直して片づけると、各段に暮らしやすくなります。ところが、忙しい毎日の中で周りを見渡す余裕もなくなり、ライフステージが進んだことに気づかないと、今の生活には必要のないモノが家の中に残って散らかるようになってしまいます。  中には、ライフステージが進んだことに気づいても、見ないふりをする人もいます。 「今までなんとなく流されて生活をしてきて、本質的なことと向き合っていなかった気がします。表面だけ取り繕ってきたというか……」  こう話してくれる裕理さんは、4人の子どもがいるママ。育児と仕事に精一杯で、モノが散乱している家をどうにかしようという気力も残っていなかったと言います。  夫婦で片づけが苦手。裕理さんは子どもの頃から3人きょうだいの中で1人だけ片づけられないというコンプレックスを持っていました。 「部屋の中だけじゃなくて、頭の中もやらなきゃいけないことがいっぱいでした。一旦、立ち止まりたいと思って、仕事の閑散期に合わせて2カ月お休みをもらったんです」  休暇を有意義なものにするために何かしたいと思っていた裕理さんは、たまたま家庭力アッププロジェクト®の存在を知りました。 「家のことも見直してみようかなと思っていたので、軽い気持ちで見てみたら45日間で片づけられるというのに惹かれて。2カ月も休みが取れることなんてこの先ないかもしれないので、ちょうどいいタイミングだなと運命を感じましたね」  いつもなら、1日6時間ほどの仕事を終えると食事の準備や子どもたちの習い事の送迎に忙しくて時間の余裕はありません。「今やらないと後悔する」と思った裕理さんは、参加することを決めます。  裕理さんが強く片づけようと思ったのには、二つのきっかけがありました。 家族がくつろげる広々空間に。きれいな状態も毎日キープ/アフター    一つは、子どもから「僕は友だちの家に呼んでもらっているのに、自分の家には呼べない」と言われたこと。もう一つは、幼稚園からの手紙を整理できていなくて子どもの写真を注文する期限に間に合わなかったことです。 「私はなんでこんなにダメなんだろう」  子どもの頃から自己肯定感が低いタイプ。せめて“片づけられない”“捜し物が多い”という自分を変えたいと思いました。  片づけは、家族6人分の希望や意見を聞きながら大がかりなものになりました。  一番大変だったのは、1階のリビングに近いところにあった長男の部屋を2階に移動したこと。思春期で受験も近づいてくる長男に、落ち着ける空間を作ることができました。もともと長男が使っていた部屋は、昼間は下の2人の子どもたちが遊べる場所に、夜は夫の書斎に変身。 「多目的な部屋になりましたが、限りある部屋数でなるべくみんなの意見を取り入れました」  夫は忙しい仕事の合間に机や本棚を移動するなど、かなり協力的に。裕理さんが頑張って片づけているので、散らかった家に無頓着だった夫も変わり始めたのです。家がきれいになった後は、「会社から帰ってきても疲れないね」とうれしそうに言ってくれました。  子どもたちの成長に伴い、裕理さん家族のライフステージは少しずつ変わっていました。でも、忙しい毎日の中で現実から目をそらし、子どもたちが小さな頃のままの環境で過ごしてきたことにより、暮らしにくさをみんなが感じていたのです。  でも片づけを通して今の生活ときちんと向き合い、家族みんなが納得しながら片づけたので、今はとても快適に過ごせるようになりました。  大きな変化は裕理さん自身にも起こっていました。 「家族にガミガミ言うことがなくなりました。たまに片づけてもすぐに散らかるので、『なんで私ばっかり片づけて……』って当たり散らしていたんだと思います。今は家族がどこに何があるかわかってすぐに戻すので、散らかりません。怒らなくてよくなったんですね」  さらに、片づけは家事の効率化にも役立ちました。 モノが多くて動きにくかったキッチン/ビフォー   「これまでは料理をするためにキッチンを片づけるという、マイナスをゼロにすることから始めないといけなかったんです。それがなくなって、すごく楽になりました」  頭の中がいっぱいだった状況も、改善されています。 「優先順位が付けられるようになりました。急ぎのことや重要なことがわかるので、パッと行動に移せます。子どもが4人いるのでやることは多いですが、回せるようになってきたかな」  優先順位を意識できるようになった裕理さんは、プロジェクトが終わった後に転職をしました。以前の職場は通勤に片道30分以上。往復1時間も通勤にかけるのがもったいないと気づきました。 「タイパを考えて、今の職場は玄関を出て3分くらいの場所にあります。少しでも家族や自分のために時間を使いたいと思って。仕事内容も、今の方がやりがいを感じられて自分に合っているみたい」 床置きのモノがなくなり、作業スペースも広がりました/アフター    片づけは自分にとって必要なモノだけを残して不要なモノを手放します。裕理さんは頭の中でもそれができるようになったみたいですね。 不要なモノを手放せるようになった裕理さんは、必要なモノだけに囲まれた家の中で、家族と自分の大切な時間を過ごせるようになりました。次のライフステージでも、きっと過ごしやすい環境を整えられますね。 「もっと早く片づければよかった! 悩んでいた時間がもったいなかったです」  裕理さんのこの言葉は、片づけを後回しにしている人の背中を押してくれるかもしれません。まずは身近なところを一カ所だけ、片づけてみませんか? 【PR by 暮らしとモノ班】 ・片づかない家が“片づく家”に!ママお助けのリビング、メイク、おもちゃ…を整理するグッズ20選 ・女性でも簡単!インテリア好きに大人気「ディアウォール」「ラブリコ」で賃貸でも理想のお部屋を実現♪
加藤夏希が語る「1ミリも想像していなかった」4人の子育て 「最後の赤ちゃん育児、成長のすべてをかみしめています」
加藤夏希が語る「1ミリも想像していなかった」4人の子育て 「最後の赤ちゃん育児、成長のすべてをかみしめています」 加藤夏希さん  2024年5月に次女を出産し、4児の母となった女優・タレントの加藤夏希さん。「自分に4人も子どもがいることを、今でも不思議に感じることがある」という加藤さんですが、8歳の長女、5歳と3歳の息子、0歳の次女との日々について語る言葉からは、自然体で育児に取り組む母としての余裕が感じられます。4回目の育児についての思いや、加藤さんが実践しているというユニークな教育方法について聞きました。※後編<4児の母・加藤夏希が悩んだ産後の“落ち込み” 「出産を経験し、疎遠に感じていた父の気持ちがわかった」>を読む 昔は子どもが苦手だった ――5月に4人目のお子さんを出産されました。お子さんが4人になり、いかがですか?  正直、自分が4人の子どもを持つことになるなんて、1ミリも想像していませんでした。そもそも私はずっと「子どもは産まない」と思っていましたし、母にもそう宣言していたんです。母が保育士をしていて、小学校高学年から中学生のころ、夏休みの職業体験のような感じでお手伝いに行っていたんですが、いつも全力でこちらに向かってくる子どもたちに圧倒されて「私、子ども苦手かも」って思っていました。でも、結婚するころには、気持ちが変わっていたんですよね。 ――そうなんですね。4人目を考えたきっかけは?  結婚前に夫と「子どもは3人くらいほしいね」という話はしていたので、3人目までは予定通りでしたが、3人目が産まれたら、もう1人ほしいね、ということになって(笑)。ベビー用品も、3人目の新生児期が終わったときに、すべて処分してしまっていたので、「沐浴のときに温度計って必要?」「爪切りって、どんなの使うんだっけ?」って、3年前の記憶をたどりながら、ベビーカーもバウンサーも全部買い直しました。仲良くさせてもらっている市井紗耶香さんが4人のお子さんのママで、よく「3人も4人も変わらないよ」と聞いてはいたものの「私には無理だな」と思っていたので、自分でもびっくりです(笑)。 「子どもは3人」と話していたという加藤さん。第4子が生まれる前(提供) ――4人目の育児はどうですか?  今回が最後の出産・育児だと思うので、赤ちゃんの成長のすべてをかみしめながら過ごしています。昨日も初めて寝返りをしたんですが、「早く、動画撮らなきゃ!」って。2人目、3人目のときは何気なく見過ごしていたことも、もう2度とみられないと思うとテンションが上がりますね(笑)。  子どもが4人いる生活も、意外と大丈夫でした。寝かしつけにしても、子どもが1人とか2人のときのほうが、大変だったかもしれません。今は9時前になると、8歳の長女が5歳と3歳の弟2人を連れて寝室に行って、子どもたちだけで寝てくれるので、助かります。 第4子が産まれ、6人家族となった加藤さん一家(提供) しっかり者の娘とマイペースな息子たち ――お子さんたちはどのように成長していますか?  子どもたちはそれぞれ違う世界を持っていて、面白いですよ。8歳の長女はすごく面倒見がいい性格で、弟たちや赤ちゃんのお世話も率先してやってくれます。女同士で共感できるところもたくさんあるのですが、私が長女くらいの年齢のころはもっと自分勝手に生きていたので、ときどき心配になることも。周りに気を遣っているんじゃないかな、とか、心の中に色々な気持ちをためこんじゃっているんじゃないかな、って。私は兄と2人きょうだいの下の子で、娘は4人きょうだいの一番上という違いも関係あるかもしれませんね。 下の子たちのめんどうをよく見るという長女(右)(提供) ――5歳と3歳の息子さんたちはどのような性格ですか?  長男と次男は、どちらもマイペースです。長男は自分自身のこだわりがたくさんあって、その中で生きている感じ。3人の中では一番私に似ているかもしれません。好みがはっきりしていて、自分が好きな色のペンを弟に取られて使えなくなると「もうイヤだ、いらない!」って、せっかく上手に出来た塗り絵を破いちゃうんです。私も小さいころはそういうタイプだったので、すごく気持ちがわかりますね。  次男も面白いですよ。この前夕飯に何を食べたいか聞いたら、「ママが買って来たピザが食べたい!」って(笑)。上の子たちは「ママが作ったきんぴらが食べたい」とか「お肉とお芋の煮物が食べたい」とかリクエストしてくれたんですけどね。「仕事の帰りに買って来たピザ、おいしかったよね! ママが買って来たからおいしかったんだよね!」って答えておきました(笑)。 きょうだい仲良し!(提供) ――4人のお子さんを育てるときに、意識していることはありますか?  長女に対する言葉がけです。弟たちのお世話など、私が8歳のときはできなかったことをサラッとこなす長女は、わが子ながら本当にすごいと思うので、いつも感謝の気持ちは伝えているのですが「さすがお姉ちゃんだね」とか「お姉ちゃんはすごいね」という言い方はしないように気をつけています。 ――そのようなことを意識するようになったのは、なぜでしょうか?  長男の妊娠中に、母に子育てについてよく相談していたんです。母は性別や性格が違う兄と私をどうやって育てていたのか聞いてみたいな、と思って。  その時に母から聞いたのが、兄がよく「夏希は何をやっても怒られない。なんで俺だけ怒られるんだ」と両親に文句を言っていたということです。私も叱られてはいたんですよ。でも、兄は叱られると言うことを聞くのに、私は何を言われても聞かないから不公平に感じたんだと思います。母は当時のことを、「何かにつけ『お兄ちゃんだから』と言っていたのが良くなかったのかもしれない」と話していて、なるほど、そういうこともあるのかな、と。じゃあ私は2人目が生まれたら、気をつけてみようと思うようになりました。 長女(当時2歳)と加藤さん(提供) 子どもを瞬時に変える「コール&レスポンス」 ――お子さんたちの教育に「コール&レスポンス」も取り入れているとお聞きしました。どんな感じなのでしょうか?  コール&レスポンス制度、やってます(笑)。例えば、私が「ご飯中は?」って聞くと、子どもたちは反射的に「遊ばな〜い!」って答えるようなやりとりです。先日、長男の入学前検診のときは、長男が椅子の上に立ってしまったので「椅子の上には?」って言ったら「立たな〜い!」って言って、降りてくれました。周りにいたお母さんたちから「この前テレビ番組で話してたアレですね。観てましたよ!」って言われて、恥ずかしかったです(笑)。 ――何がきっかけでそんな方法を思いついたんでしょうか?  強く叱ると、子どもって泣いたり、反動でもっと悪いことしたりしますよね。食事中に遊んでいたり椅子に立ったりした場合、それを瞬時に止める方法ってなんだろうと考えたときに、「定型文を決めて、子どもたちに言ってもらえばいいんじゃないか」って思ったんです。試してみたら、うちの子たちにはいい感じに根付いてくれました。 【写真】かわいい!加藤さんお手製のキャラ弁はこちら(全4枚) 産まれたばかりの第4子と加藤さん(提供) 「失敗したら叱られる」と思わないでほしい ――叱らずにわかってくれるなら、そのほうがいいですね。  もちろん、時には本気で叱ることも大切ですが、叱ってばかりいると、子どもたちは「失敗したら叱られる」と思って萎縮しますよね。私はそれが嫌なんです。食卓でお味噌汁をこぼしたときも、いきなり「何やってんの!」ではなく、まずは「お味噌汁ってこぼれやすいんだよね。わかるよ」と声をかけてから「こういうとき、なんて言うんだっけ? ごめんなさいだよね」と言えば、子どもには十分伝わります。3人の子どもたちが何かするたびに全力で叱っていたら私も疲れてしまいますから、こういう工夫をすることは、私自身のためにもなっているんです。 (構成/木下昌子) ◯加藤夏希/1985年、秋田県出身。12歳の時にゲーム会社のイメージガールに選ばれ、デビュー。以後、映画やドラマに出演するほか、ファッション誌のモデルとしても活躍する。2014年、オンラインゲームを通じて知り合った男性と結婚し、2016年に長女、2018年に長男、2020年に次男、2024年に次女を出産。自身のYouTubeチャンネルでは、ゲーム、コスプレ、キャンプなど自身の趣味に関する動画のほか、妊娠・出産、子育てに関する視聴者からの質問に答える動画なども配信中。2025年1月には、自身の初プロデュース作品となる舞台「鬼の背参り」が公演予定。 ★加藤夏希さん初プロデュース舞台『鬼背参り』 加藤夏希×鈴村展弘共同プロデュース企画 夢枕獏原作 舞台『鬼背参り』 日程:2025年1月29日~2025年2月2日 劇場:シアターサンモール(新宿) 出演者:萩野崇 加藤夏希 山崎真実 林剛史 柳家小平太 他 演出:鈴村展弘 詳しくはこちら⇒https://www.oninosemairi.com/
大規模災害では避難所が不足!大掃除のついでに進めたい「自宅の避難所化」3つのポイント
大規模災害では避難所が不足!大掃除のついでに進めたい「自宅の避難所化」3つのポイント  大規模災害が多発している状況を踏まえ、避難所の数は年々増加していいるが、特に都市部において、ひとつの避難所あたりの収容人数が多い傾向や、指定避難所の不足が指摘されている。例えば、東京都国分寺市の一部地区では、立川断層帯地震(首都直下地震のひとつ。想定マグニチュード7・4)の際、避難してくる人の半分以上が避難所に入れない可能性があると試算している。  人が密集した空間での共同生活は感染症の危険があるため、国や自治体では「分散避難」を推奨し、避難所以外で生活する被災者支援の取り組みを強化している。  多くの人にとって第一の候補となるのが「在宅避難」だが、実際に自宅で避難生活を続けるには日頃からの準備が不可欠だ。発売されたばかりの『今さら聞けない 防災の超基本』(監修はNPO法人プラス・アーツ理事長で防災プロデューサーの永田宏和氏)では、上に掲げたフローチャートを含め、自分や家族にベストな避難先を選ぶためのポイントから、在宅避難のメリット・デメリット、在宅非難を可能にするるための備えまで、必要な情報を網羅している。  ここでは、在宅避難にまつわるノウハウを、本から引用する形で紹介したい。 ***  国や自治体が推奨する「分散避難」とは、避難所以外に自宅や親戚・知人宅、ホテルなどの宿泊施設、車中やテント、水害では自宅やマンションのより高い階にある共用部分や空き部屋など、避難先を分散させることをいいます。  ベストな避難先は、被災の状況によって変わります。まずは冒頭のフローチャートで適切な避難先を決めましょう。在宅避難ができるかどうかを見極めるポイントは、「自宅に被害があるか」「二次災害の危険がありそうか」「自力で生活できるか」。  最初の二つについてはその時になってみないとわかりませんが、「地力で生活できるか」については平時からに備えにかかっています。なかでも重要なのは、以下の3つです。 ① 家の中を安全な環境にしておく ② ライフラインが止まったときの準備をしておく ③ 食料品や日用品を備えておく  それぞれについて、説明しましょう。 家の中を安全な環境にしておく  1995年阪神・淡路大震災では、判明している死因の約7割が家屋の倒壊や家具の転倒による窒息・圧迫死でした。負傷者のケガの原因も、家具の転倒が多くなっていました。このように、大災害が起こったとき、対策が不十分な住まいは「凶器」になり得ます。室内を安全な空間にすることは、命を守る基本なのです。 まずするべきは、室内の物の配置を安全なものにすること、そして窓ガラスの飛散を防ぐことです。ベッドに家具が倒れてくる配置がダメなのはもちろん、家具が動いてドアをふさぎ、外に出られなくなる配置もNG。窓ガラスは、飛散防止フィルムを貼るなど、割れても室内に散乱させない対策が必要です。 イラスト みずの紘 ライフラインが止まったときの準備をしておく  過去の災害では、ライフラインのなかで水道の復旧に最も時間がかかっています。その原因として、水源の状態の回復に時間がかかること、水道管の被害確認と修繕に回る人員が不足することなどが挙げられます。東日本大震災では、津波で水源に海水が流れこみ、塩水になったため元に戻すのに時間がかかった自治体が多くありました。また、公共の水道管から各家に引きこむルートの水道管が壊れている場合、個人で修理する必要がありますが、破損に気がつかない場合や、修理業者の予約待ちですぐに直せない場合などがあり、復旧が遅れることも多くなっています。  農林水産省は、飲料用と調理用だけで1人あたり1日リットルの水が必要だとしています。生活用水もできる限り準備したいところです。手指や体の衛生、トイレ(水が流せる場合)、洗濯(洗濯機以外)などで、1人あたり1日10〜20リットルが必要だとされていますが、エコキュートの貯留水、お風呂にためた水、雨水をためるタンクの水も、生活用水としてなら使えます。  カセットコンロとカセットボンベ、ヘッドライトやLEDランタンなどの照明も必需品。テントやシートなどのアウトドア用品も、あれば便利に使えるでしょう。新聞紙でお皿やスリッパを作ったり、ペットボトルでランタンをつくったり、ゴミ袋でポンチョをつくったりする方法も、一度試しておくといざというときに助けになります。 食料品や日用品を備えておく  備蓄は最低1週間分必要です。特に発災後72時間は何よりも人命救助が優先されるため、その間は支援物資をあてにできず、備蓄で生活する必要があります。また、一般的に1週間は最低限のライフライン復旧が見込めない期間であり、買い物をしなくてもよいように備蓄します。  普段の食事でも使える保存性の高い食品は、被災後もカセットコンロや、電気が復旧したら使える電気調理器で調理可能です。すでによく知られた方法ですが、食品に限らず日用品も少し多めに買い、使った分を買い足す「ローリングストック」を習慣にすると、いつもの買い物が備蓄にもなり、被災中も食べなれた味で安心できます。  具体的な備蓄品のリストは本をご覧いただくか、家族構成やペットの有無などを選択すると1週間分の備蓄リストを表示してくれる東京都のウェブサイト「東京備蓄ナビ」が便利です。重要なのは、必要なものをストックしたうえで、家族全員が「どこに何があるか」を把握すること、味になじみのある物を揃えて調理方法を家族全員が理解しておくこと、賞味期限がひとめでわかるように油性ペンなどで大きく書いておくこと。  最大で9連休が見込めるこの年末年始、「自宅を避難所化」する準備を始めてみてはいかがでしょうか。 (構成 生活・文化編集部 上原千穂)

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