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「夕飯の時間だから早く帰ってこい!」…婚活で母親からの「親ブロック」に苦しむ女性たちの実像
「夕飯の時間だから早く帰ってこい!」…婚活で母親からの「親ブロック」に苦しむ女性たちの実像 婚活で「親ブロック」にあった菜摘さん    子どもが希望する就職先に親が反対する「親ブロック」があることは有名だが、実は婚活市場においても「親ブロック」は存在する。特に母親が娘に対して過剰に干渉し、せっかくの良縁が破談になってしまうケースもあり、専門家に悩みを相談しに来る女性も少なくないという。現場の婚活コンサルトが見てきた実態とは――。 *  *  *  親が結婚に口を出してくること自体は昔から存在していたが、現在の「親ブロック」はマッチングサービスを使って婚活するわが子の「交際相手の選別・否認」する点に特徴がある。特に、子が30代、40代になっても親の理想像を押しつけてくることから、本来であればうまくいった可能性の高い婚活が、親によって阻害されているケースが少なくない。  明治安田生活福祉研究所が2016年に行った「親子の関係についての意識と実態」によると、「子どもの婚活に関与したいか」という質問に対し、47.7%の親が子どもの婚活に関与したいと回答している。特に母親のほうが関与したいという意向が大きく、娘と息子ならば娘に関与したがっている。同調査によれば、娘を持つ母親のうち56.1%が関与したい意向を持っている。  親の干渉があっても、自分の意思を貫けばよいと考える人も多いだろうが、同調査によると、子ども(高校生、専門学校生、大学生、社会人等)のうち、男性42.6%、女性35.6%が反抗期と思える時期がなかったと回答している。親世代で反抗期がないと回答しているのは男性28.1%、女性26.4%なので、反抗期がない子も大きく増えているのだ(いずれも明治安田生活福祉研究所 「親子の関係についての意識と実態」親1万人・子ども6千人調査)。   紹介したデータは2016年少の調査なので少々古いが、私のところに恋愛相談に来られる方や、同業者から見聞きする「親ブロック」も母から娘に対するものが圧倒的に多い。  現在婚活中の美香さん(30代前半)もそんな1人だった。美香さんの家庭は、専業主婦の母親と会社員の父親、そして兄の4人家族というごく普通の家庭だった。美香さん自身、話していると自分の意思をしっかりと持つ女性だったのだが、こと婚活においては「親が気に入るかどうか」を相手選びの判断基準としていた点が気にかかっていた。 「家族に離婚歴があるのはちょっと……」  美香さんは就職を機に実家を離れ、地方で1人暮らしをしていたが、地元企業への転職を契機に実家へ戻った。ささいなことから親子げんがに発展した際、思わぬ言葉を母親から投げかけられた。 「どうせ結婚相手も親の言うことなんか聞かないで勝手に決めるんでしょう!」  けんかの内容とは関係ないのに、突然結婚相手に話題が飛んだことに、美香さんは戸惑った。と同時に、母親は以前から、「親が反対する人と結婚したらうまくいかない」と繰り返し口にしていたことを思い出した。この言葉をきっかけにして、そうした母親の思いが美香さんに重くのしかかり、結婚相手を見る際に、常に「母親ならどう思うか」を気にするようになった。  あるとき、婚活で出会った男性との2回目のデートで、彼から「姉は離婚歴のあるシングルマザー」と打ち明けられた。他にも気になる点がいくつかあったものの、美香さんはもう一度会うべきか迷い、母親に相談した。すると母親は「家族に離婚歴があるのはちょっと……」と難色を示した。その一言が決定打となり、美香さんは男性との交際をやめた。  当時のことについて、美香さんは「断る正当な理由を探していたのかもしれない」と振り返る。自分の一存で決断すれば、「高望みしすぎではないか」という罪悪感を抱いたり、後悔するのではないかという不安が生じたりすることもあるが、母の一言があったことで、安心して断ることができたと私に語った。  一方で「親ブロック」を乗り越えて結婚した女性もいる。  関東在住の菜摘さん(30代後半)は両親が早くに離婚し、祖父母の実家で母親と弟と育った。母親は公立保育園に勤務する保育士で、公務員信仰が強く、菜摘さんにも同様の道に進むことを願っていた。就活の際、菜摘さんは民間企業にも関心があったが、母親の反対を受けて断念し公務員試験を受けた。市役所の正規職員には不採用となったが、非常勤職員として採用されると、母親は満足した様子だったという。 大学生になっても門限は「夕方」  弟は市役所勤務で20代半ばに職場結婚し、母親は弟の結婚後に菜摘さんに婚活を促すようになる。そして菜摘さんが20代後になると、母親に結婚相談所に連れていかれた。  仲人から希望条件を聞かれ、菜摘さんは「フィーリングが合う人」と答えたが、母親が「公務員で長男以外」と割って入った。この出来事に強い違和感を持った菜摘さんは、一度婚活を中断。30代になると、「このままでは人生を親に握られる」と感じ、こっそり1人暮らしの準備を進めた。物件契約後に母親に報告すると、母親から「1人暮らしをするような不良娘を誰も結婚相手に選ばない」と強く反対されたが、実家を離れた。  その後、1人暮らしと転職を経て、菜摘さんはマッチングアプリで現在の夫と出会った。母親の反対を避けるため、先に彼の両親と会い、外堀を埋めた上で紹介する段取りを整えた。 「紹介したい相手がいることを電話で告げた際に『真っ先に公務員?』と聞かれ、会社員だと答えるとため息が聞こえました。『長男じゃないよね?』には『一人っ子の長男だよ』と答えたら、落胆が伝わりました。母親はこれまでも大げさな態度で罪悪感を与え、私の決断を止めてきました。しかし今回は、母親とは離れて暮らしてしばらく時間が経っていたため、母の気分に振り回されることはありませんでした。私は自分が無意識のうちに親の許可を必要としていると思い込んでいたのですが、そこから自由でいいのだとやっと気づいたんです」  そもそも、婚活で「親ブロック」が存在するといっても、当の本人は気がつかないことも多い。その根底には親の愛情があるはずだと思ってしまうからだ。  菜摘さんが最初に違和感を持ったのも大学生になってからだった。門限が日没だったことを友人から「小学生みたい」と指摘されたことがきっかけだった。彼氏とのドライブデート中に母親から何度も電話がかかってきたこともあり、あまりの着信の多さに電話に出ると「夕飯の時間だから早く帰ってこい!」と言われ、恋人が引いてしまった経験もある。こうした出来事が重なった結果、「自分の親は普通でないのでは」と感じるようになったという。 婚活「親ブロック」の8つのサイン 「親ブロック」のサインとしては以下のようなものが挙げられる。 1. 成人後でも転職、1人暮らし、結婚などに親の許可が必要という思い込みがある。 2. 親が気に入りそうかどうかを常に気にして相手を選んでいる。 3.実家暮らしを続けていて、日常的に親が意見を言ってくる。 4. 親からのLINEや電話が同年代の友人よりも多い。 5.子どもの前で大げさに悲しそうな顔やため息をつき、プレッシャーをかけて傷つけ、罪悪感を抱かせる。 6.「あなたのためを思って」「みっともない」が口癖である。 7.服装や髪形に口出しされる。 8.成人後も旅行禁止や門限があるなど、制約が多い。  このような親子関係であれば、婚活中には「この人どう思う?」と相談するのではなく、「結婚することになったから」と事後報告をするのが望ましい。相手探しの段階での相談は友人や婚活の専門家に任せたほうがいい。特に実家暮らしで門限があったり行動が制限される場合は、実家を出るなど物理的に距離を取ることも効果的だ。  親よりも長く過ごすパートナーを選ぶためには、まず何よりも自分の意向を大切にしてほしい。 (婚活コンサルタント・菊乃)
大学の演劇部も営業現場でも「みんな楽しく」の役 住友生命保険・橋本雅博会長
大学の演劇部も営業現場でも「みんな楽しく」の役 住友生命保険・橋本雅博会長 社会人になってから、上司に「こうしろ」と言われたことはない。初の営業現場だった町田支社の3年余り、上司におうかがいを立てたこともない(写真:山中蔵人)    日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年5月19日号では、前号に引き続き住友生命保険・橋本雅博会長が登場し、「源流」である関西学院中学部などを訪れた。 *  *  *  記憶は、そのまま触れずにしておけば、正確さはかなり保たれるようだ。でも、何度か「思い出」の棚から引き出したり戻したりすると「いいこと」だけが残りがちで、ときに「美化」もされていく。だが、ひとたび、その「思い出」の地に立つと、「嫌なこと」「辛かったこと」も甦ってくることがある。  それでも、過ぎた歳月が物事を静かに受け止めることを身に付けさせてくれて、心の痛みや苦みは湧いてこない。忘れていた「大事なこと」に気づき、「そうか」と頷き、気持ちを新たに明日へ向かうこともできる。  企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。  3月下旬、兵庫県西宮市の阪急電鉄仁川駅から近い関西学院中学部を、連載の企画で一緒に訪ねた。ここから、橋本雅博さんがビジネスパーソンとしての『源流』とする「他人の言う通りにするのではなく、自分で考えて決める」という歩みが、始まった。 のんびりした校風に自分で選んだ中学校校舎はそのままだ  春休みで出入りする生徒は少なく、校内は静かだった。1956年2月に西宮市の西宮北口駅近くで生まれ、父が建設会社を辞めて会社をつくったのを機に、家族で同県宝塚市の逆瀬川駅近くへ転居。近くの市立小学校へ通った。  小学校の学区内に大企業の社宅がいくつもあり、児童たちの両親は高学歴で、子どもを中学校は進学校へ進ませる傾向があった。その一つに自分も受験を勧められたが、学校見学に回ると、関西学院ののんびりした雰囲気にひかれた。高校から大学まであって親が受験の心配をしないで済むのも、選んだ理由だ。  卒業したのは71年春。半世紀余りぶりの再訪だ。校舎はモダンな造りで、驚くほど変わっていない。近くにある「考える人」のような像も、記憶の棚にある。自由な校風で、責任をわきまえれば信じる道を進んでいい、と感じていた。 妻と国内外の美術館へいくのが好きで、常務や専務のときも1週間くらい休んで、仏ルーブル美術館に一日いたこともある。社長時代も同様だ。もし時間ができたら、一度いったところへ再訪して深掘りする(写真:山中蔵人)    ただ、せっかく高校へ受験しなくても済む中学校へ入ったのに、県立神戸高校を受けて進んだ。関学の雰囲気は好きだったが、何か物足りなさもあった。「他人の言う通りにするのではなく、自分で考えて決める」という『源流』が、流れ始める。  大学は同期生の多くが受ける京大を受けて落ち、浪人した。珍しく「自分で決める」の気持ちが薄かったときだ。半年近くして東大の入試問題をみたら、暗記力よりも論考する力が必要なようで、自分に向いていると思って東大向けの勉強へ変えた。「自分で決める」が、甦る。  75年4月に東大文科II類へ入学。ここで『源流』からの流れに、新しい水流が加わった。みんなが楽しくなる場をつくる役だ。東大駒場キャンパスで入った演劇研究会が、その水源となる。『源流Again』で西宮市と別の日、駒場キャンパスの稽古場の跡を訪ねた。校内食堂の空いたところに、パイプを組んで舞台をつくった。その後に国の予算が付いて「駒場小空間」という劇場になっている。  俳優をやるつもりはなく、出演は2度だけ。せりふはあったが、通行人程度の役でも「下手だな」と実感。1年生の秋から劇団に欠かせない資金繰りや会計、上演の運営や会場の確保など、裏方を受け持つ。演劇は照明や音楽、大道具と小道具など、多くの作業が一体となって進む。そんな、みんなが楽しめる場づくりは、すでに「マネジメント志向」だった。  住友生命へ79年4月に入社し、東京・西新宿の住友ビルにあった東京総局の契約奉仕課へ配属された。電話で解約を希望してくる保険契約者に「解約は損ですよ」などと説明する役を3カ月やって、保険料の給料天引きの手配をするグループへ移る。 初めての営業現場着任の日に緊張で陸橋上で足が震えた  89年1月、東京都町田市の町田支社の営業担当課長になる。『源流Again』で駒場キャンパスを訪ねた後、小田急線町田駅近くの支社があったビルも再訪した。  初めての営業現場で、実は初日に途中の陸橋の上で緊張から足が震えて、帰ろうかと思った。現地へ立つと、そんなことも蘇る。傘下の支部が20くらいあり、営業職員は合わせて約400人。年上ばかりで難しい面もあったが、1カ月で慣れた。保険契約の応援へいっていたら、支社長に「支部長を一度やってみろ」と言われ、研修で不在となった支部長の代理に出た。  これが、会社生活で一番楽しかったときだ。女性の営業職員15人ほどと1人ずつ食事へいき、どんな会社を訪ねてどんな客がいるのか聞いた。すると、彼女たちが「いままでの支部長と違う、本気だ」とみてくれたようで、みんなと一体感が生まれていく。  バブル経済下で保険商品も飛ぶように売れ、成績は伸びるし、営業職員の給与も上がる。みんな、忙しくても仕事を楽しんだ。時代が追い風だったからで、いまは参考にならない体験だ。でも、劇団と同じで、目標へ向かって「みんなが楽しめる場」をつくる大切さは、仕事でも変わらない。そう思ったことを、支社が入っていたビルを見上げながら、口にした。  そんな経験も基に、2006年4月からの執行役員・勤労部長時代に、営業職員の給与や資格の制度を見直す。新規契約の件数を争うだけの時代は終わっていたのに、制度はバブル期のまま。そこで満期がきた契約をどれだけ更新してもらったかの「継続率」と、後輩の営業職員がどれだけ退社せずに残ってくれているかの「育成率」を、二つの評価指標として、それを「品質経営」と呼ぶ。  旧来の手法を離さない社内には抵抗が強かったが、社長が「どうしてもやりたい」と言うので、荒療治を断行。悪口も言われても、平気で受け流す。「他人の言う通りにするのではなく、自分で考えて決める」という『源流』からの流れが、勢いを増す。  2014年4月、社長に就任。在任7年で一番口にしたのが「お客様第一」だ。これは、会長になっても、変わらない。ただ、多様性を尊重する時代、様々な価値観ややり方があっても、否定する気はない。自分も『源流』が流れ始めた中学生時代から「あなたがそう思うのは自由だが、自分はこうやるよ」という姿勢を、貫いてきた。その流れは、これからも続く。 (ジャーナリスト・街風隆雄) ※AERA 2025年5月19日号
「どうしたらいい? ゴールデンウィーク明けに『休み疲れ』という矛盾」ジェーン・スー
「どうしたらいい? ゴールデンウィーク明けに『休み疲れ』という矛盾」ジェーン・スー イラスト:サヲリブラウン    作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんによるAERA連載「ジェーン・スーの先日、お目に掛かりまして」をお届けします。 *  *  *  ゴールデンウィーク、いかがお過ごしでしたか? 私は当然の如く仕事でした。最長の方は11連休だったそうですね。新卒で働き始めてからカレンダー通りに休める仕事にほとんど従事してこなかった私ですから、11日も休んだら社会復帰できなくなりそう!  5月も相変わらずバタついております。誰だってそうでしょう。バタついてない月なんて、ほとんどないのではないでしょうか。バタつかない週くらいだったら、年に何度かはあるかもしれないけれど。  そうなると、短時間での気分転換やエナジーチャージの休息が必要になります。しかし、疲れているときほどスマホでどうでもいい動画を延々と見てしまう。この非生産性に多くの大人が悩まされている。ご多分に漏れず、私もそうです。  ゴールデンウィーク明け、休み疲れという矛盾に悩まされている人も、少なからずいらっしゃると思います。いったいどうしたらいいの?と頭を抱えているのではないでしょうか。 イラスト:サヲリブラウン    先日、私がパーソナリティーを務めるラジオ番組「ジェーン・スー 生活は踊る」に医学博士の片野秀樹さんがゲストでいらっしゃいました。短い時間ながら休養とはなんぞやという話を端的にしてくれまして、曰く、休養には「生理的休養」「心理的休養」「社会的休養」の3種類があると。わかる!  生理的休養は、栄養、睡眠、運動による疲労回復。心理的休養は、人や動物や自然とのふれあい、娯楽による気分転換など。そして社会的休養は、肩書を外して初めて得られる癒やし。「部長」や「課長」といった会社の肩書だけではありません。「母」や「妻」、「長女」や「長男」といった役割もそうでしょう。  ですから、ゴールデンウィーク明けに疲れを感じるのは当然なのですよ。役職付きの仕事からは離れられても、妻や母としての役割をガッツリ担うことになれば、そりゃそっちで疲れますよ。  お若い方を中心に、何者でもない自分を愁う声がたくさん聞こえてきます。しかし、何者でもない自分こそが真の自由を持つ者だとも私は思うのです。何者かになるって、世の中から期待される役割をしっかり背負わされるってことだもの。  何者でもない時代は、社会的休養がしっかりとれる時代とも言えます。その自由を満喫してほしいですよね。 じぇーん・すー◆1973年、東京生まれ。日本人。コラムニスト、ラジオパーソナリティー。著書多数。最新刊は『へこたれてなんかいられない』(中央公論新社)。 ※AERA 2025年5月19日号
「プライベートがポンコツな中間管理職おじさん」と付き合う20代女性に、鈴木涼美は「男のギャップとしてはマシ」
「プライベートがポンコツな中間管理職おじさん」と付き合う20代女性に、鈴木涼美は「男のギャップとしてはマシ」 鈴木涼美さん  作家・鈴木涼美さんの連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」。本日お越しいただいた、悩めるオンナは……。 Q. 【vol.40】「プライベートがだらしない彼」の理解に苦しむワタシ(20代女性/ハンドルネーム「わらわらねぇちゃん」)  彼氏のことで悩みというか疑問があり、相談させて下さい。私の彼氏はずばり、仕事はできるのにプライベートがポンコツすぎる男です。職場での彼は明るく頭脳も明晰、ユーモアあふれる素敵な中間管理職おじさんです。下から慕われ、上司からも一目置かれ、同期生で最も早く出世もしているので、職場では評価されています。  一方、プライベートはというと、先のことを何も考えておらず、やるべきことや面倒ごとは後回し。家族から怒られたり自分の体裁が悪くなったりと窮地に追い込まれるまで行動しません。注意すると素直にごめんと謝ってくれますが、根本的なだらしなさは変わらず、同じことを繰り返しています。  几帳面なタイプの私とは相性がいいのかもしれませんが、仕事ではできる自己管理能力や論理的思考、準備したり説明したりする行動力が呆れるほどに欠如するのは一体なぜなのか、理解できず悩んでいます。プライベートでのだらしなさを除いては性格も体の相性も最高にいいので、変えられずとも何とか理解したいです。アドバイスをお願いします。 A. 安らぎの存在となりたいかどうか  SM風俗で働いていた友人は、女王様役ができるようになった途端、とんでもなくVIPなお客が増えたと言っていました。大病院の偉いお医者さん、誰でも知っているような企業の創業社長、米大統領と会ったことのある弁護士など。よく言われることですが、日常生活で常に責任を負い、人の上に立って指示や決断をしなくてはいけない立場の人たちの中には、非日常で女王様の靴を舐め、命令されたり踏んづけられたりしたいと思う人が結構な数いるようです。風俗勤務が長い子は、普段大変尊敬されている人が非日常のひととき、どんな面白い姿になるかをよく見ているのでとても面白い話が聞けます。  対して仕事で常にへこへこ頭を下げ、上司の言いなりに動いたりお客の機嫌ばかりとったりしている人で、めちゃくちゃ内弁慶で家では威張り腐っている人というのも思い当たります。あるいは授業やテレビで非常にリベラルで立派なことを言いながら、家の敷居をまたいだ瞬間に家父長制の権化となって靴下ひとつたたまない人とか。 「関白宣言男」ができあがる背景  もちろん仕事とプライベートのキャラが違うのは男性でも女性でもよくあることですが、女性のギャップが「しっかり者でパキッと仕事をするイイ女なのに、家ではふにゃふにゃ甘えるかわいい猫」的な、ちょっと萌え要素があるものが想起されるのに対して、男性の場合は「仕事でのストレスを家庭で発散する関白宣言男」のようなイメージが湧きやすい。そういえば私の担当編集者の一人にも、誰よりも早く出世した仕事のできる一面と、家がごっちゃごちゃに汚部屋になってしまうだらしない一面と両方ある女性がいました。  一概には言えないけれど、男性のほうが社会的な生き物である度合いが高く、出世街道から外れるわけにいかないというプレッシャーや、この会社で落ちこぼれたら死ぬという危機感が大きいのかもしれません。女性で、仕事で非常にへこへこしていて家庭で夫や子供に威張り腐るというタイプの人は、外で稼ぐ女性が圧倒的多数になった今でも相対的に少ない気がします。  さて、お便りの中に登場する彼氏さんは、外面が良い内弁慶でも、普段威張っているM男でも、仕事でへこへこしているDV関白宣言でもなく、どちらかというと「しっかり者でパキッと仕事をするイイ女なのに、家ではふにゃふにゃ甘えるかわいい猫」に近いものを感じます。男性特有っぽい、社会で役割を演じる代わりに家で本性が出てしまうとか、社会でプレッシャーにさらされるが故に変な性癖で発散するとかいうタイプというよりも、男女ともに多くいると思われる、外で張り詰めている気が、家で思いっきり緩むタイプの、比較的好感度の高いギャップ男なのではないでしょうか。 「私にだけ見せる弛緩しきった顔」を愛せるか  もちろん、外でへこへこ、家でDVよりはずっといい。彼にとってオンである仕事に対してオフである恋人との時間は心が安らぎ、気を抜ける時間と思えば、「私にだけ見せる弛緩しきった顔」を愛しいと思えるかもしれません。そういうのを愛しいと思える人はおそらく男にも女にもいて、かつて私に「みんなは強いと思っている君の弱々しい側面を僕は受けれたい」とかキモイことを言って包容力をアピールしていた男を筆頭に、社会的なイメージとは違う素顔を見られる自分は特権的な立場だと思えるのでしょう。  もしあなたがそういうタイプなのであればこのお便りは発生していないと思うので、おそらく、仕事の顔とプライベートが多少違ってもいいけれど、ちゃんとプライベートでもいいところを見せてほしいしかっこいいところを見たい、と思うタイプなのではないでしょうか。私もそうです。バンドマンやホストなど、表に出る際にビジュアルを気にする職業の人と付き合っていた際、家でジャージにヒゲを生やした姿ばかり見せられると、ファンの人たちはこの人のかっこいい姿を見られて、何で私は日々こんなに汚いもんを見なきゃいけないのか、と思っていました。表舞台では面白くてプライベートが無口で暗い芸人さんなんかとも付き合いたいと思えません。  さて、おそらく彼はあなたの前では気を抜いて、普段なら気づくようなことも気づけず、仕事よりずっと腰が重くなり、判断力も瞬発力も鈍くなるのでしょう。そしてそうさせてくれる恋人の存在をありがたがっているのでしょう。そういうタイプの人は仕事や外で多少なりとも無理をしている側面があるわけだから、安らぎの場所は絶対に必要です。そして安らぐことと弛緩しきってポンコツになることは実に紙一重で、おそらく彼が、ほどよく安らいで、しかし仕事時の有能さは生きている、みたいな状態になるのは難しい気がします。 恋人兼“仕事のパートナー”になってみる  だからもしこれが耐えられないという相談内容だとしたら提示すべき選択肢は、彼に、「私との時間は安らぐ時間ではありません」とアナウンスして仕事と同じようにちゃんと努力と投資がなくては恋人も失うと理解させるか、別れて「仕事のできる彼の緩んだ顔」を心から愛しいと思える彼女を探してもらうか、なのだと思います。ただ、お便りの内容を読むと、耐えられないからどうにかしたいというより、どうしてこんなことになるのか知りたいということみたいですので、そんな極端な選択をしなくとも、「仕事とプライベートにギャップがある男のなかでは割とマシなほうのギャップだ」くらいに思ってやりすごすのもアリだとは思います。  ただ、個人的にはそういう人はきっと今後もプライベートが引き締まることはなく、彼の有能さを味わえるのは仕事仲間だけで、プライベートを押し付けられる恋人や妻としては彼の無能な部分だけと付き合っている気分になるとも思うのです。なんか損した気分になるので、一緒の事業を始めるなど、恋人だけではなく仕事のパートナーにもなるっていうのはどうでしょう。そうすれば彼のパキッと仕事ができる有能っぷりも堪能できるだろうし。 連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」では、恋愛、夫婦、家族、仕事、友人など、鈴木さんと同世代の30~40代女性を中心に、お悩みを募集しています。ご応募はこちらのフォーム(https://forms.gle/vH3KMGRGBPJb2TE5A)から! ●鈴木さんからのメッセージ 私はずっと地べたにはいつくばって生きている感じなので、こんな風にすれば素敵な人生送れるよ!というアドバイスは何もないですが、ピンチに陥ったり崖っぷちに立ったりすることは多い日々だったので、痛み分けする気分で、気負わずなんでもお便りお待ちしてます。
孤立死の4人に1人が働く現役世代の衝撃 「死に際に誰かしらそばにいたら…」高齢者より切実な声
孤立死の4人に1人が働く現役世代の衝撃 「死に際に誰かしらそばにいたら…」高齢者より切実な声   見守りサービスを受ける羽中田真弓さん。撮影/写真映像部・佐藤創紀     朝10時、手元のスマホのLINEにメッセージが届く。 「お元気ですか?」  メッセージの下に表示された「OK」をタップする。  東京都内で暮らす羽中田(はちゅうだ) 真弓さん(38)が利用しているのはNPO法人「エンリッチ」(東京都江戸川区)が無料で提供する「見守りサービス」。LINEで定期的に安否確認のメッセージを受け取り、「OK」をタップし無事を報告する。反応がなければ、利用者本人に直接電話が来たり、親族らに通知が届いたりする。孤独死をなくすためのサービスだ。  羽中田さんは、高校卒業後からコンビニでアルバイトとして働く。現在の月収は手取りで約23万円。年上の彼もいて、特に生活に困っているわけではない。健康状態も良好だ。  それなのに、ふとした瞬間、孤独死が頭をよぎる。 「想像すると、どうにもならない悲しい気持ちがこみ上げてきて、苦しくて、泣きそうになってしまいます」(羽中田さん) 明日はわが身  心の居場所がない、いわゆる「機能不全家族」に育った。幼い頃に両親が離婚した。離婚後の母は荒れ、1日おきに飲みに行っていた。「どこにも行かないでね」と泣きながら引き留めると、母は「行かないよ」と答えるが、結局、羽中田さんを置いて出かけた。母親を捜して、夜の街をさまよった。孤独は日常の延長線上にあった。  28歳で親元を離れ、一人暮らしを始めた。そんな時、同年代の男性が熱中症で孤独死した記事をネットで読んだ。 「明日はわが身かも」(同)  孤独死すると、遺体が腐敗して部屋が汚れる、周囲に迷惑をかけるのは最小限にしたい。ネットで「見守りサービス」を見つけ、登録した。元気なうちに後見人を指定して契約を交わしておく「任意後見制度」についても勉強をした。  けれど、どれだけ準備を整えても、孤独死の不安は拭えないという。 「死に際に、誰かしらそばにいて看取ってくれたら、とても幸せだろうと感じます。でも、私にはそういうことはないと思います」(同) エンリッチが無料で提供する「見守りサービス」。撮影/写真映像部・佐藤創紀   孤独死の不安は拭えないと話す羽中田さん。撮影/写真映像部・佐藤創紀      孤立死の4人に1人が現役世代――。孤立死・孤独死といえば高齢者のイメージが強いが、働く世代にとっても切実な問題であることが、内閣府が公表したデータから浮き彫りになった。  4月、内閣府の有識者会議は、「孤立死」に関する初の推計を発表した。自宅で誰にも看取られず亡くなり、死後8日以上経過して発見され、生前、社会的に孤立していたとみられる人を「孤立死」した人と位置づけた。  発表によると、昨年1年間に孤立死した人は2万1856人。年齢別では65歳以上の高齢者が1万5630人で全体の約72%を占めた。ただ、一方で、生産年齢人口(15~64歳)の「現役世代」も全体の3割近くを占めた。年齢別では50代が最も多く2740人(約13%)、続いて、40代の755人(約3.5%)、30代は189人(約0.9%)、20代は99人(0.5%)などとなった。 「現役世代は独身で未婚、地域とのつながりが希薄で、孤独死や孤立死への不安を抱いている、いわゆる『孤独死予備軍』の人が多数います」 アルコール依存症  こう話すのは、見守りサービスを提供する、エンリッチ代表理事の紺野功さん(65)だ。自身、弟を孤独死で亡くした。2015年2月、4歳年下の弟が都内のマンションの自室で死亡しているのが見つかった。弟はフリーのシステムエンジニアとして自宅で仕事をしていた。しかし、連絡が取れないのを心配した取引先の人が弟の自宅を訪ね、遺体を発見した。  警察から直接の死因は「低体温症」で、死後10日ほど経過していると伝えられた。51歳。独身で、一人暮らしだった。後日、紺野さんが荷物の整理のため弟の自宅を訪ねると、部屋はゴミ屋敷だった。趣味や仕事に関する書類やパソコン機器などで埋め尽くされ、4リットルの焼酎のペットボトルが飲みかけで2本置いてあった。ベッドに寝た形跡はなく、浴槽に水をためたり、シャワーを使ったりした様子もない。生活に困っていたわけではないが、暖房設備もエアコンもなかった。アルコール依存症で、セルフネグレクト(自己放任)状態だったと考えられるという。 「弟とは疎遠で、外部とのつながりもほとんどなかったと思います。誰かとつながっていれば、助かったかもしれません」(紺野さん)  弟の最期を目の当たりにした紺野さんは、弟のような人を一人でも減らすため、勤めていた会社を退職し18年9月にエンリッチを立ち上げ、同11月にサービスを始めた。  登録者は、これまでの約6年半で2万人を超えた。男女比は男性4割、女性6割。年代別では60代以上が約35%を占める一方で、10~30代は約20%、40代は約20%、50代も約26%いる。 紺野さんは「守りたいのは人間の尊厳」だと言う。 「死後、長期間放置された遺体は腐敗しますが、そんな状態で見つかるのは人の最期のあり方として、望ましいものではありません。少しでも早く発見することで、人としての尊厳を守りたい」  孤独死が問題とされるのは、前出の羽中田さんが心配するように、遺体の処理や清掃に費用がかかり、住宅の資産価値が低下すること。また、身寄りがない場合には、残された財産の整理などで社会的なコストがかかるからなどといわれる。 誰からも気づかれない  だが、日本福祉大学教授の斉藤雅茂さん(社会福祉学)は、「孤独死の発生に伴う社会的なコストは事実だが、そうした観点からこの問題を強調すると、一部の人びとの社会的な排除につながりかねない」と指摘する。 「かつて、ハンセン病の人たちを人里離れた山中や島などに強制隔離したように、孤独死の危険性が高い社会的に弱い立場に置かれた人たちを地域社会から排除すべきだという発想になりかねません」  斉藤さんは「高齢世代よりも現役世代のほうが孤独死に至るリスクは高い可能性がある」と言う。高齢者はケアマネジャーやヘルパーなどが身近にいる人が少なくなく、ある程度、孤独死を防ぐことができる。だが、現役世代は、独身で社会とのつながりが薄い場合、2週間ほど音信不通でも誰からも気づかれないこともある。 エンリッチ代表理事の紺野功さん提供。孤独死した弟の部屋。      そうした孤立した人は、自ら「SOS」を発することが重要になる。「受援力」と呼び、福祉的な支援を受ける力だ。しかし、現役世代は自らSOSを出す人はあまりいない。助けを求めるのは意外と易しいことではない。斉藤さんは言う。 「なくすべきは、孤独死ではなく生前の社会的な孤立です」  斉藤さんたち研究グループは10年からの7年間、日本の高齢者約4万6千人を追跡調査した。その結果、7年間で自殺者は55人。一人で食事をする「孤食」の状態にある人は、自殺リスクが約2.8倍も高いことが分かった。 「家族やコミュニティーとほとんど接触のない社会的孤立は、その人の健康や生き方に大きな影響を与えます。現役世代も孤独死や孤立死と無縁ではありません」(斉藤さん) 今より心地良い社会に  孤立を減らすためには、みんなでつながれる社会をつくることが重要と言う。 「『ポピュレーション戦略』といいますが、孤独死のリスクが高い人への支援だけでなく、ターゲットを広げることも重要です。人々が出歩きたくなる街をつくれれば、いろいろな人がつながって孤立しにくい地域になることが期待できます。地域全体でSOSを受け入れる力を高めていくことも、孤独死の対策になります」(同)  エンリッチの紺野さんも、「社会が変わらなければ孤独死をめぐる状況は変わらない」と語る。 「私たちNPOの力だけでは限界があります。自治体が旗振り役となって対策を進めていくことが必要です」  エンリッチでは、もしもを誰かに知らせる「安否通知サービス」、地域の単身者同士が互いに見守る「つながりサービス」のいずれも行政向けに「安否通知システム」として提供している。LINEを使ったサービスで、個人情報不要で登録できる。これらを通し、今より心地良い社会になってほしいと思い活動していると紺野さんは言う。 「昔は隣近所の付き合いがあり、必ず近所に世話焼きのおばさんがいました。しかし、今は人間関係が希薄になり、その裏返しに『孤独死』があると思います。他人に干渉されない生き方は自由で心地良いですが、その半面、とても寂しいこと。ただ、昔のような人のつながりをつくるのは難しいので、デジタル時代の新たな人間関係をつくれば、孤独の中に埋もれてしまう命を少しでも減らせるはずです」  誰もがいつかは、人生の終わりを迎える。その時をどのように迎えるかは、私たちの社会のあり方にかかっている。 (編集部・野村昌二)  
習い事も塾も「これをやれば完璧な子が育つ」という正解はない 佐藤ママが語る「親が待つ」姿勢の大切さとは
習い事も塾も「これをやれば完璧な子が育つ」という正解はない 佐藤ママが語る「親が待つ」姿勢の大切さとは (写真はイメージ/GettyImages)  親が子どもの習い事に「成果を出さねば」と気合を入れすぎてしまうと、子どもがプレッシャーを感じて楽しめなくなるのではないか――。4人の子ども全員を東大理三に合格させた「佐藤ママ」こと佐藤亮子さんはこう語ります。佐藤さんと中学受験専門カウンセラー・安浪京子さんの共著『中学受験の意義 私たちはこう考えた』から、佐藤さんの習い事や受験の考え方についてお届けします。 まずは「とりあえずやってみる」  わが家は浜学園に入るまえに、いろいろな習い事をしています。バイオリン、水泳、公文などです。習い事や幼児教室、塾など今はいろいろな選択肢がありますから、いつ、何を始めればいいか親御さんたちが迷う気持ちはよくわかります。講演会でも「何がいいですか」というのはよく聞かれます。  でも、習い事にしろ、塾にしろ、「これをやれば完璧な子が育つ」「ここに通わせておけば大丈夫」という正解はないのです。  だったら、子どもが興味を持ちそうなら「とりあえずやってみる」ぐらいの気持ちで一歩を踏み出してもいいんじゃないかと思います。  もちろん、習い事も塾もお金がかかりますから、そんなに気楽に決められない、ということはあるでしょう。わが家の場合、4人子どもがいたので、一人一人の希望を聞く余裕はなく、全員同じ習い事をし(長女だけはピアノもやりましたが)、全員浜学園に通いましたが、もし子どもが暗い顔をしたり、嫌がるようならやめてもいいと思っていました。  それに、親が「せっかく始めたんだから成果を出さねば」と気合を入れすぎてしまうと、子どもがプレッシャーを感じて楽しめなくなるのではないかと思います。 成果が出るまでに、親ができること・できないこと  新しいことを始める時は、軌道に乗るまでには時間がかかります。だから子どもが嫌と言ったらすぐやめる、というのはいい方法だとは思いません。何事もいっぺんにできるようにはなりませんから、少しずつやり、親が待つ姿勢も大事。 佐藤亮子さん  それで思い出すのは、三男が3歳でスイミングスクールに通い始めた頃のことです。わが家の子どもたちは4人ともスイミングスクールに通いましたが、三男だけは水が苦手だったようで、プールに入るまでに時間がかかりました。  いつもプールサイドで一人泣いているのです。上の観覧席からその様子を見ていて、私も最初は可哀想で胸が締め付けられる思いでした。ほとんど濡れずに戻ってくる三男を見て、「水が怖いの?」「次は入れそうかな?」と聞きたくなる気持ちをグッとこらえ、「お疲れさま!」と笑顔で迎えていました。 「どうして?」と聞いたところで自分でもなぜできないのかわからないだろうし、まして親が𠮟ってしまったらプールそのものが「嫌な場所」になってしまうと思ったからです。いつかは自分で入れるようになるまで待ってみよう、と腹を括りました。その上でどうしても入れなかったら「それでもいっか」と思ったんですね。  毎週、他のお母さんと一緒に「今日も泣いているね」と言いながら見守り続け、結果、プールにポチャンと入れるようになったのは、4か月経った時。それからはぐんぐん上達していきました。  塾も通い始めてから生活の一部になるまでには数か月かかるでしょう。  ただし、三男のプールが塾とわけが違うところは、三男は当時まだ3歳だったので「そんなに急いで泳げるようにならなくてもいいか」という余裕が私の中にあったこと。もう一つはプールは親がサポートはできない、ということです。  塾は親が待っているだけでは子どもが自然に勉強するようにはなりません。  どんどんカリキュラムは進んでいきますし、何しろ授業の内容がわからなかったら子どもは楽しく通えないでしょう。楽しく通えないと「もう嫌だ」と投げ出したくなります。  だからといって、「なぜできないの!」と𠮟ったところで子どもはできるようになりません(これはプールと一緒ですね)。 わが家の“塾通いリレー”  わが家の場合、幸いだったのが、長男は浜学園の勉強をすごく面白い、と言っていたことです。公文に通っていて、勉強をやる習慣もついていたので、比較的すんなり塾の生活に慣れることができました。  長男が塾の勉強が面白い、と言うので、1歳半離れた次男も当然のように「僕も行きたい」となり、三男もそれに続きました。長女は長男が浜学園に通いだした時はまだ幼稚園生だったので、説明会などに一緒に連れて行きました。余った席でお絵描きなどをしながら待っていることもよくあり、まさに小さい頃から馴染みの場所だったんですね。小3で通い始めた時は「私もやっと通うことができる」と喜んでいました。  きょうだい間で「塾の勉強って楽しいよね」という文化が継承されたのはとてもありがたいことでした。とはいっても、全員が同じように勉強ができたわけではなく、性格もバラバラでしたから、やり方は変える必要がありました。  今思うと、長男の時は、塾に通わせるのもとても慎重だったような気がします。とにかく子どもを潰しちゃいけないと思っていたので、下3人がまだ遊んでいる中でこんなに勉強させて大丈夫だろうか、などいろいろ思うこともあり、小4の時は最高レベル特訓(通称「最レ」)にも通わせませんでした。  後に長男が6年生になり、大阪や兵庫で行われる浜学園の模擬試験について行った時、他の子どもたちが実に真剣で、その姿に感動しました。次第に中学受験に対して持っていた偏見が消え、「子どもたちが一生懸命勉強する中学受験っていいなあ」と改めて思ったものです。 子どもとの勉強は意外と楽しい!  中学受験をすると、親のサポートがいろいろ必要になることを面倒だな、と思う人もいるかもしれませんが、18年間子どもが手元にいる中で、子どもが迎える受験って平均して2回ぐらいでしょう。大学付属などに入れば1回かもしれません。  その中で、親が最も関われるのが中学受験です。高校受験になると年齢的に親が介入するのを嫌がるでしょうし、大学受験になれば親ができることは資料整理ぐらいです。中学受験であれば、4年生ぐらいまでなら親が教えられることも多いですし、特に理科や社会は親子で一緒に勉強するのにぴったりです。  わが家の子どもたちも、理科で星座の勉強をしている時に家族で玄関を出て星空を見たり、『るるぶ』を見ながら都道府県の農産物を覚えたりしたのは楽しかった、と今でも言っています。  親が歳をとった時、自分の子育てを振り返ってみて、「あの時は大変だったけれど、子どもと一緒に学べて楽しかったな」と思える思い出がたくさん作れるのが中学受験です。 中学受験で見えてくる子どもの個性  私が子ども4人の中学受験を通してもう一つ感じたことは、子どもの性格を見極めるのにちょうどいい時期だったな、ということです。もちろん普段の生活の中でも子どもの個性や性格を見極めることはできますが、中学受験という真剣に勉強に取り組む機会の中で、4人それぞれの個性を改めて知ることができました。  長男は正統派の解法が好き、次男は難しい問題を力ずくで解いていく、三男は自分の独自の解法にこだわる、長女は3人の様子を観察し一番無駄のないやり方を選択する、という感じで、そばで見ていて性格がよく表れていて面白かったです。  よく、親御さんのご相談できょうだいの性格の差について質問を受けることがあります。「上の子はすぐに何でも暗記できるのに、下の子は苦手」とか、「弟は好奇心旺盛で中学受験向きだと思うのですが、お姉ちゃんは何事もゆっくりなので中学受験はやめたほうがいいでしょうか」など。  同じきょうだいでも性格が違うのは当然です。  物覚えが早く、真面目な子のほうが親としては嬉しいかもしれませんが、中学受験をする小学生はまだ小さいので、ゆっくりしている子どもには、時間をかけて丁寧に教えてあげればいいだけのことです。子どもはどんどん大きくなって変わっていくので、今の状態で全てを決めつけないようにしてください。それぞれの性格に対応して、小学校の学習内容を学ばせることが大事です。  私も、子どもをありのままに受け止めて、その状態に合わせて育てることが大事だ、と中学受験を通じて改めて感じました。 ※「中学受験の意義」(佐藤亮子・安浪京子著)から一部編集 『中学受験の意義 私たちはこう考えた』(佐藤亮子・安浪京子 著/朝日新聞出版)では、中学受験にまつわる多様なテーマについて、専門家目線、親目線の両面から語られた対談を多数収録。中学受験を通して、親は子どもとどう向き合えばよいのか。受験をする・しないにかかわらず、ご家庭での選択を考えるうえで、きっとヒントとなる一冊です。
「ごほうび」だったオーバードーズ 痛みを知っているからこそ差し出せる、支援スタッフの温かい手
「ごほうび」だったオーバードーズ 痛みを知っているからこそ差し出せる、支援スタッフの温かい手   写真はイメージです(写真/Getty Images)    いろはさん(29、仮名)は、新興宗教にのめりこむ親の代わりにきょうだいを守っていた。だが、その心労に耐え兼ね、オーバードーズに走った。そんな耐え難い苦しみを味わったいろはさんも現在はNPO法人「BONDプロジェクト」のスタッフとして、若年女性の支援に取り組んでいる。  若者が直面する生きづらさを取材し続けてきた朝日新聞記者、川野由起さんの著書『オーバードーズ くるしい日々を生きのびて』(朝日新書)では、いろはさんを含む、支援者たちの切実な願いも紹介している。オーバードーズを経験した、いろはさんだからこそ伝えたいこととは? 本作から一部抜粋・再編集して掲載する(※年齢は取材時のものです)。 *   *   * 虐待だったんだ  お金がないので、高校卒業後は就職した方がいいと思っていた。でも、そう主張したら、親はお盆を投げ、何度も蹴ってきて「絶対に保育の資格をとれ」と言って聞かなかった。自宅から通学することになるのもいやで、バイト先の先輩の家に思い切って家出をしたが、親が警察を呼んでしまい連れ戻された。根負けし、奨学金を借りながら数時間かけて短大に通うことになった。  市販薬のオーバードーズを始めたのは、短大でのある授業がきっかけだった。子どもが身近な大人に愛着を持って成長していく過程や、「食事を与えてもらえない」など「虐待」にあたる行為についての説明を授業で耳にした。自分の家がおかしいとは思っていなかったが、「自分が受けていたのは虐待なんだ」と初めて気づいた。  一気に「消えたい」「苦しい」という気持ちがわいてきた。しばらく止まっていたリストカットが始まり、過食嘔吐もさらにひどくなった。このまま実家にはいられない。奨学金を追加で借りて、大学の近くでひとり暮らしを始めた。2年生になったころだ。つらい気持ちなどをつぶやくアカウント「病み垢」をXで検索して、似たような気持ちで自傷行為をしている人のつぶやきを眺めた。  そこで知ったのが、市販のせき止め薬のオーバードーズでつらさをまぎらわす方法だ。リストカットを最初にやったころのように、初めはこわさが勝った。値段も高い。Xには、薬の種類や飲んだ量、時刻、どんな気分になったかなどを、詳細に記録し報告しているものがたくさんある。それを熟読し、昔実家にあって見覚えがあったせき止めシロップを、最初は1瓶の3分の1ほど飲んだ。「ふわふわできて、ちょっと現実と違う。脳がすごい快感だなって感じで、最初からマッチしちゃったなみたいな」  自分にとっては「高級品」で、最初は数カ月に1回だった。家に1本置いておくと安心できた。「至福なもの、快楽、ごほうびみたいな感じですね」。「今週金曜日はごほうび」など、自分の予定にオーバードーズの予定も組みこんでいた。苦しいときは、錠剤を1瓶まるごと飲んだり、何十錠かずつ追加しながら飲む「追い焚(だ)き」をしたりするようになった。 明るい自分を見てほしい  デリヘルの仕事を始め、稼いだお金を薬代にあてた。親に「車の保険代ちょうだい」「きょうだいの学費が必要。カンパちょうだい」などと言われ、学費のための奨学金を10万円ほど振り込むこともあった。  短大を卒業すると、繁華街のライブハウスなどでライブをする「地下アイドル」のグループに入った。アイドルは小さいころからの憧れだったが、生活は困窮した。1回のライブで、リハーサルや本番、物販と半日がかりで拘束される。チケットやグッズが売れても、手元には数千円しか残らない。交通費や食費、レッスン代を考えれば、お金は出ていくだけだった。それでも「明るい自分を見てほしい」という一心で続けた。親が東京までライブを見に来てくれたこともある。親が自分を応援して、認めてくれた。「愛してくれてるんだ」。うれしくて、余計がんばった。  お金は足りず、地下アイドルと掛け持ちでデリヘルのバイトも続けた。心身ともにへとへとだった。知人から紹介してもらった男性と意気投合し一緒に暮らし始めたが、殴られる、生活を全て管理されるなどのDVを受けた。このままでは殺されてしまうかもしれない。男性の紹介で働かされていた職場から、ドレス姿のまま逃げた。  疲れ切って命からがら戻った実家では、かつてと変わらず親からきょうだいの世話を頼まれ、男性から殴られたあざもあるのに、「そんなお金持ってるいい人と会えたのに、もったいないよ」と言われた。一日中寝てばかりで過ごし、自傷する気力も残っていなかった。それでもここにいたらいけないと、ひとり暮らしをしていたアパートに戻った。 自分の気持ち、伝えて大丈夫  過食嘔吐が止まらず、コンビニに買いに行って食べては吐くを繰り返し、1日1万円ほどを使った。家賃も払えない、何のために生きているかよくわからない。どうにもならなくなったときに思い出したのは、大学の授業で相談先として出ていたBONDの存在だった。「面談希望」とメールを出し、BONDのスタッフと面談したのをきっかけに、シェルターでの生活が始まった。  最初は誰も信じられず、「この人も私のこと叩たたくかも」と思うと怖かった。それでもスタッフは、自傷行為やオーバードーズがやめられない自分を「大丈夫だよ」と否定せず、心配してくれた。これまではずっときょうだいのことが優先で、自分のことは後回しだった。自分のことだけを見て心配してくれる人に出会えて、「自分の気持ちを話してもいいんだって思えるようになった」。初めて「人との関係を切らない」ことを教えてくれたのが、スタッフだったと思う。  スタッフとしても働き始め、繁華街をまわって声かけをし、自分と似た境遇の若い子たちからの相談を受けることも増えた。彼女たちのリストカットやオーバードーズを「どうしたら止められるんだろうね」と一緒に考えることで、リストカットやオーバードーズをしていた自分自身の気持ちにも向き合うことができる。  それでも、すぐにオーバードーズは止められない。安倍晋三元首相の銃撃事件を機に、さまざまな新興宗教の被害にあったという声が日夜ニュースになった。そのころ、体調も落ち着きひとり暮らしをしていたが、ニュースを見て、大学で初めて虐待について知ったときと同じような状況に陥った。 「自分の家でお経をあげてたのって普通じゃないんだ」。高額献金をしたことはないけれど、宗教にのめり込む親の姿は、ニュースで知る宗教で身を滅ぼしていく人たちと重なって見えた。次々に記事を読むうちに、これまで信じていたものがぐらりとゆらぐ感じがした。今はなるべく宗教に関連する報道を見ないようにしたり、相談を受けるなかで宗教に関する相談があったときには別の人にお願いしたりするなど、工夫をして過ごすようにしている。 早くつながって  長く続けてきた地下アイドルの活動をやめた。お客さんがライブに来て元気に帰っていく姿が見られなくなったのがさびしく、新しい生き方を探さなければならないと不安を感じ、再びオーバードーズをしてしまった。ただ、「追い焚き」をすると心臓の拍動が弱まって、息がうまくできなくなってしまい、深刻な体への影響を感じた。「このままだと本当に死んでしまうかもしれない」。ニュースでも、オーバードーズによる死亡事例をたびたび目にするようになり、危険性を肌で感じるようになった。  支援者として「誰かを支えたい」。でも当事者として色々なことがうまくできないように感じると、「どうにでもなれ」と自分を傷つけて、周りにも迷惑をかけ、また苦しくなってしまう。どちらの気持ちも抱えてきた。それでも、BONDで活動を始めてから「いろはさんみたいになりたい」と言ってくれる、自分より若い子たちの気持ちに応えたいという思いがある。  オーバードーズをしていると、「オーバードーズのことしか見えなくなる」。ひとりでいるとその思考から抜け出せない。でもその葛藤を話せる人たちがいれば、居場所になり、自分ひとりの考えにのめり込まないで済む。そうした居場所につながれるのは、「早ければ早いほどいい」と思う。実家と学校を往復し、苦しかった10代のころの自分が知っていたら違っていただろうか。だから歌舞伎町などの繁華街に行って、声かけを続けている。「それが生きがいなんです」 「死にたい」と思うことがあっても、その気持ちを否定せず、自分の感情のひとつとして持っていても大丈夫。生きてさえいれば、環境が変わって、少しずつ生きやすくなっていくこともあるから、生きていてほしい。自分のように誰かと出会って助けてもらった力で、誰かのために生きることもできるんだよ。そう伝えたい。
親が子に意図的に「やらせたこと」は探究に結びつきにくい 買い物やキッチンでの学びをゲーム化するアイデア5選
親が子に意図的に「やらせたこと」は探究に結びつきにくい 買い物やキッチンでの学びをゲーム化するアイデア5選 モデル/早川茉莉花さん、遥真さん親子 写真/和仁貢介 撮影協力/ASAHI KIDS.アフタースクール港北綱島校  お買い物、キッチン、食事中、お風呂、リビング……日常シーンは学びの宝庫。とはいえ、勉強と結びつけずに学びをゲーム化できたら……! 探究学習を究めるa.school(エイスクール)代表の岩田拓真さんに親子で楽しめる日常のなかでの学びアイデアを教えてもらいました。子育て情報誌「AERA with Kids2024冬号」(朝日新聞出版)より「お買い物編」「キッチン編」をご紹介します。 日常の遊びと学びの境界線をなくそう  子どもの「知りたい」「学びたい」という知識欲を高めるために、親ができることはなんでしょうか。  探究学習塾を経営する岩田拓真さんは「遊びと学びの境界線をなくし、日常のちょっとした体験を楽しもうとする家族コミュニケーションが、学び欲の土台になります」と話します。  岩田さんが提案するのは、食事やお風呂など日常シーンに生まれる学びを「ゲーム」にして楽しむアイデア。買い物のときに値段あてクイズをしたり、理科実験のように料理をしたり。教科の学びになることも、ゲーム性を少し取り入れるだけで、子どもは自ら試行錯誤し、主体的に考えるようになるそう。  ただ、親の心構えとして、注意も必要です。 「親御さんが意図的に『やらせたこと』は探究に結びつきにくく、子ども自身が『やりたい!』と思うことが重要です。子どもにとってはあくまで『遊び』の感覚でいながら、結果的に『学び』になることを意識してみてください」  岩田さんは、家庭だからこそできることがあると言います。 「学校では知識を身につけるインプットの時間が多いため、家では創作や実験など、何かを生み出すアウトプットの機会を増やすといいと思います。インプットとアウトプットを交互に繰り返す学びが探究心を深めるコツです」  日常でできる「学び×ゲーム」のアイデアを紹介。ぜひ、新しいゲームも親子で一緒につくってみてください。 学び×ゲームのアイデア シーンA. お買い物 ◎ゲーム1  ぴったり計算レジ(計算力・暗算力・金銭感覚) 「かごに入れた商品の合計金額を予想しよう!」  現金を見る機会が減った今、日常で計算したり、物の相場を知ったりする学習機会も失われがち。一緒に買い物に行くときは、数字や値段を意識するチャンス。カゴの中の商品の値段を足し算して合計金額を発表し、レジで答え合わせを! 最初は買い物点数2、3点から始めてみてください。 【学びPOINT】  暗算が難しいときは紙とペンを用意。「ぴったり1000円買い物」など、引き算を使うゲームもおすすめです。 ◎ゲーム2  産地収集マッピング(社会・地理) 「食材の産地をチェックして、白地図にシールを貼ろう!」  ふだん、家で食べる食材や加工品が「どこで作られているのか」を知ることは、自分の住む地域だけでなく都道府県への興味関心につながります。買い物から帰ってきたら産地をチェックして、白地図にシールを貼ると盛り上がるはず。埋まらない地域が出てくると、探したくなります。 【学びPOINT】  野菜は赤、魚は青、果物は黄色など食材ごとに色の違うシールを貼ると、気候や風土による特産品の違いにも気づきます。 学び×ゲームのアイデア シーンB.キッチン ◎ゲーム3  浮くor浮かない?野菜クイズ(浮力・密度) 「大人でも意外と難しい野菜の密度を体感せよ!」  野菜が水に浮くか沈むかは、「重さ」ではなく「密度」が関係しています。野菜を洗うとき、「どっちだと思う?」と予想をたててみて。一般的に「土の上にできる野菜は浮きやすく、土の下にできる野菜は沈みやすい」そう。タマネギが浮く理由は、タマネギ畑を見るとわかるかも? 【学びPOINT】  例外の一つは、トマト。糖度が高いと密度も高くなって沈むそう。実際に食べ比べて、甘さの違いを確認してみて! ◎ゲーム4  野菜の切り口予想クイズ(空間図形・植物) 「どんな形? どんな色? 野菜を切る前に当てよう」  野菜の中身を予想して切るだけでも、子どもにとってはゲーム。切る位置や角度で断面が変わるので、空間図形の特徴を認識する力がつきます。切り口を撮影して図鑑を作ったり、色を塗ってスタンプにしたりするのもオススメ。 【学びPOINT】 「種はある?」「どこから水を吸い上げるのかな」と野菜の特徴にも注目すると、植物への興味につながります。 ◎ゲーム5  最高の目玉焼き実験(比較実験) 「自分にとって最高のおいしい目玉焼きとは?」  予想をたて、実験して観察する、まさに理科体験をできるのが「料理」。特に目玉焼きは、時間や火力、水やふたの使用など条件で出来上がりが変わるので、比較実験におすすめです。有名シェフの目玉焼きレシピを比べても楽しそう。 【学びPOINT】  時間や火力など条件と結果を記録すると、理解が深まります。手順を教えるだけでなく、子ども自身が考える時間が重要! (取材・文/AERA with Kids編集部) 岩田拓真さん 〇岩田拓真/a.school(エイスクール)代表 探究学習塾「エイスクール」の運営や、さまざまな企業・行政と協働した教材・プログラムの開発を行う。著書『「勉強しなさい」より「一緒にゲームしない?」』(主婦と生活社、1650円)では、子どもの「学び欲」を育てる親子ゲーム30を紹介する。
にわかに浮上「プラチナNISA」は分配金に紛れる「タコ配」に要注意 毎月分配型投信の落とし穴
にわかに浮上「プラチナNISA」は分配金に紛れる「タコ配」に要注意 毎月分配型投信の落とし穴 写真はイメージ(写真映像部 佐藤創紀)    にわかに浮上した高齢者を対象とした「プラチナNISA」構想。毎月分配型の投資信託を選べるのが特徴だが、中には「タコ配」と呼ばれる投資信託もあり、専門家が注意を呼びかけている。 * * *  自民党の資産運用立国議員連盟が「資産運用立国2.0に向けた提言」を石破茂首相に提出したのを機に、にわかに浮上した「プラチナNISA」という新制度の創設構想。65歳以上の日本在住者を対象とし、公的年金だけでは足りない分を運用資産から少しずつ取り崩していきたいというニーズに応えるべく、現行のNISAでは除外されている毎月分配型の投資信託も選択肢に加える方針だという。  岸田文雄前首相が会長を務める資産運用立国議連は2026年度の税制改正にこの新制度の創設を盛り込むことを金融庁に要求。金融庁も検討に入ったと報じられている。毎月分配型は運用益を分配金として毎月受け取る仕組みだが、運用益を再投資に回して利益が新たな利益をもたらす“複利効果”が得られない。そればかりか、相対的に手数料も高めで、これまで金融庁はNISAの選択肢として相応しくないとの見解を示してきた。    他にも毎月分配型には注意すべきポイントが存在しており、NISAの活用法に詳しいファイナンシャルプランナーの菱田雅生さんはこう述べる。 「年率換算で5%台などといった高い分配実績を残してきた毎月分配型は、配当利回りの高い株式や、低格付け(信用力が低い)の半面として高利率になっている債券、あるいは国内外のリート(不動産投資信託)を投資対象としているケースが多いです。つまり、高格付けの債券で運用している投資信託などと比べてリスクが高く、そういったものをシニア層に推奨することには疑問を感じます」 「タコ配」も紛れている毎月分配型  相対的にリスクの高い投資対象であっても、これまで安定的に高い利回りの分配金を支払い続けてきた毎月分配型も存在している。しかしながら、あくまで過去の実績で今後もそれが約束されたものではないうえ、必ずしも好調な運用が維持されてきたから分配金が安定していたわけではない。実際には運用に浮き沈みがあっても、「タコ配」によって同額の分配金を維持しているケースも紛れているのだ。   「投資対象のリスクがさほど高くないにもかかわらず、身の丈に合わない高い分配金を支払っている毎月分配型も、『タコ配』になっている可能性が高いと言えます」(菱田さん) 「タコ配」とは、運用益でなく投資元本の一部を分配金の支払いに充てることを意味する。餌にありつけないタコが自らの足を食べて飢えを凌ぐという説になぞらえた表現で、「タコ配」を繰り返せば投資元本は減っていくばかりで、まさにジリ貧の状況だ。  上の図は「タコ配」のカラクリについて説明したもの。運用益が得られていないどころか、損失が発生している状況でそれまでと同額の分配金を維持しようとすれば、投資元本には「損失分+タコ配」の目減りが発生してしまう。 「タコ配」によって支払われた分配金は、運用益から支払われた通常の分配金(普通分配金)と区別し、特別分配金(元本払戻金)と呼ばれている。もともと特別分配金は毎月分配型がNISAの対象外であっても非課税扱いとなってきたが、利益ではなく投資元本を払い戻している行為なのだから、それは当然のことだ。  こうしたことから、資産運用立国議連の提言をほぼ全面的に反映した内容の「プラチナNISA」が誕生したとしても、安直に毎月分配型を選ぶのは避けたほうが賢明だろう。少なくとも、特別分配金を連発しているようなものに手を出すのは禁物だ。 「シニア層でも、現役世代と同様に手数料が低い投資信託を選ぶのが基本です。リスクは承知で高めのインカムゲイン(利子や配当金による収入)を求めるなら、配当利回りの高い個別株に投資するのも一考です」(菱田さん) スイッチングはほぼ全面的に解禁すべき  一方、資産運用立国議連は「プラチナNISA」において、それまで投資対象に選んできたものから別の投資信託へ乗り換える「スイッチング」を解禁することも提案している。NISAには非課税措置の対象となる年間の投資上限額が定められている(つみたて投資枠が120万円、成長投資枠が240万円)。上限までフルに投資していた場合、同じ年の途中で一部を換金しても、その分だけ非課税枠が復活することはない。  短期で利益を確定させる行為を防ぎ、長期的な視点での資産運用を定着させようというのがその狙いである。その点、シニア層の間では年金生活への移行を機に運用に対するスタンスにも変化が生じうるため、スイッチングを解禁すべきとの結論に至ったようだ。  だが、現実にはシニア層以外でも投資対象の見直しが必要になるケースは出てくる。新NISAのスタートを機に初めて投資に取り組んだものの、運用先を熟慮せず選んで後悔しているという人は少なくないはずだ。別の投資信託に乗り換えたうえで長期投資を続けるという意向であっても、換金した分の非課税枠が翌年にならないと復活しない現行の制度では売ってから買うまでのタイムラグが発生してしまう。  つまり、シニア層専用の「プラチナNISA」に限らず、現行のNISAについてもスイッチングの可否について検討すべき余地があるのだ。短期売買に走らせないための規制は最低限必要だろうが、必要に応じて軌道修正を行える制度が求められているのが実情だと言えよう。  ここまでは「プラチナNISA」構想について述べてきたが、続報ではもう一つの目玉である「こども支援NISA」にスポットを当てることにする。 (金融ジャーナリスト 大西洋平)
母は7階から身を投げ、父はDV  女性が「地獄」を抜け出すきっかけは「東日本大震災」だった
母は7階から身を投げ、父はDV  女性が「地獄」を抜け出すきっかけは「東日本大震災」だった 女性は壮絶な半生を語ってくれた(撮影/インベカヲリ)  現代日本に生きる女性たちは、いま、何を考え、感じ、何と向き合っているのか――。インベカヲリ☆さんが出会った女性たちの近況とホンネに迫ります。 *   *   *    駅前で待っていると、杏さん(30代前半/仮名)は軽やかな表情でやってきた。腰まで伸びた艶やかな黒髪に、透き通るような白い肌。穏やかで牧歌的な雰囲気から、幸せな家庭で育った印象を受ける。  そんな杏さんから、まさか過酷な半生を聞くことになるとは思いもしなかった。 「連載を読むと、悩みを話されている方が多いじゃないですか。私は何だろうって考えると、やっぱりあるんですよ」  喫茶店で落ち着くと、杏さんは深刻そうな顔でそう言った。 本当は誰かに聞いてほしかった 「誰にも話したことがないし、普段は隠している部分なんです。でも、本当は誰かに聞いてほしかったんですよね。だから今、すごく震えています……」  テーブルの上にホットココアが運ばれてくると、杏さんはそれに手をつけないまま、まずは家族の話から始めた。   「これが両親の若いころの写真です。父は呉服屋さんの店長で、母は宝石店の店長をしていたらしいです」  スマホの画像を見せてもらうと、そこにはバブル期真っただ中といった雰囲気の、角刈りにひげを生やしたスーツ姿の男性と、赤い口紅でモード系のキリッとした女性が映っていた。ほんわかした見た目の杏さんからは、想像がつかないほどいかつい2人だ。 「ひどい言い方をすると、サルとサルが出会って、サルコミュニティーを作ったぐらいなものです。だから私もサルなんだと思って生きています」 罵倒し合う両親  杏さんは宮城県出身で、上京して14年になる。幼いころは、両親の壮絶な喧嘩を目の当たりにして育った。 「私が生まれたら、父は勝手に仕事を辞めて、母から私を取り上げるようにして子育てを始めたらしいです。手を出すと怒鳴られるから、母は私に近づけなかったみたい」  娘が可愛いとはいえ、父親としては珍しいタイプだろう。働かない父の代わりに、母はいくつもアルバイトを掛け持ちしていたという。 「両親は、お互い罵倒しあっていて、喧嘩のたびに『子どもが見てるだろ』『怖がってるだろ』って私を引き合いに出すんです。私は家族のためにできることはやろうと思って、期待に応えるようにしてウェ~ンって泣いていました。当時は、『お父さんお母さん、喧嘩やめて!』って言う私と、『バカだな』って冷静に見ている私と、2人の自分がいましたね。早くこんな世界から抜け出して、まともなところに行きたいって思っていました」 自身の半生について丁寧に語ってくれた杏さん(撮影/インベカヲリ☆) 母は7階から身を投げた  母は、そんな父との生活が限界だったらしい。杏さんが幼稚園生のころ、建物の7階から身を投げてしまう。命はとりとめたものの、全身骨折の重傷を負った。そのような状態の母を見ても、父は何も思わない様子だったという。 「父には、家庭を作る気持ちなんてゼロだったんだと思います。感情的になると話が通じないし、DVをしている自覚もない」  小学校4年生のとき、両親は離婚。母親は東京へ行き、杏さんと父親の2人暮らしが始まった。父は相変わらず仕事をせず、料理、洗濯、掃除などの家事をしており、杏さんが手伝うことも嫌がった。 「雪が降って寒い日は、布団に湯たんぽを入れてくれたり、私を先に寝かせてくれたりして、優しいところもあったんです。それを思い出すと私もウルッとくるんですよ」 父は日に3時間怒鳴ってダメ出し  だが、その愛情はひどく歪んでいたようだ。 「毎日3時間ぐらい、がっちり怒鳴られていたんです。小学生のころから高校卒業まで、毎日。理由は、帰ってくるときに連絡がないとか、髪の毛が一本落ちているとか、本当にどうでもいいこと」  長い説教が終わると、入浴してすぐに就寝となる。杏さんは勉強をする時間も与えられなかった。 「たぶん、父はそのために生きていたんだと思います。毎日、ダメ出しする材料を探していました。仕事をしないから暇だし、身近に弱い者がいて、上に立つには私はちょうどいい存在だったんでしょうね。私は、父の言葉をまともに受けると気が狂ってしまいそうだったから、頭に入れないようにしていました」 裸で姿勢の指導  さらに、父親から性的な視線も感じ取っていたという。 「直接何かされたことはないんですけど、裸で姿勢の指導をされたり、触られたりとかはあったので。私は女性として見られないように、女の子が必要な下着とかも極力必要ないフリをしたり、胸を目立たなくするために猫背にしたりして、何とか耐えしのいでいました。父から怒られないことと、被害に遭わないことばかり考えて生活していたんです」    高校卒業後の進路は、父から逃げるようにして東京の専門学校への進学を決めた。ところが、上京1カ月前に東日本大震災が発生する。住まいは内陸だったため津波の被害はなかったが、揺れは激しく、停電は1週間続いた。    もっとも、このときの杏さんの心境は、意外なものだった。 ヤバい、変わる、変わる 「全部が壊れてなくなって、私はこの世界から抜け出せるっていう予感があったんです。今の苦しみから解き放たれる、何かが変わるって」  地獄のような生活を送ってきた杏さんにとって、世界がひっくり返るような出来事は、転機を感じるものだったのだ。 「上京することは決まっていたけど、直前で父に阻止されるんじゃないかっていう不安があったんです。でも、震災が起きて、『絶対に大丈夫』っていう確信に変わった。私は暗闇で毛布にくるまりながら、『ヤバい、変わる、変わる』って、高ぶる気持ちを抑えていました。もちろん、近所には津波の被害で避難してきた人もいましたし、そんなふうに思っているなんて絶対に表には出せなかったですけどね」 学費の支払いがストップ  こうして無事に上京した杏さんは、専門学校へ入学し、学生寮で暮らし始める。しかし、この学校生活は、父親が原因で1年も経たずに終わってしまう。 「父と母が、学費を半分ずつ払ってくれていたんですけど、父がパソコンを買ったという理由で支払いがストップしたんです。学校から電話がかかってきて、『2学期から難しいです』と言われたとき、私はパニックになって『辞めます』って言ってしまったんですね」  憔悴しきった杏さんの元に、今度は父のきょうだいから「18年間の生活費を返してほしい」と電話がかかってくる。杏さんは、このとき初めて、自分たちの生活費の出所を知った。 「専門学校を辞めた日に、叔母から言われたんですよ。『月2万円でいいから返して』って。そういうことを言えてしまう大人にも驚いたし、私は心が壊れそうでした」 〉〉【続きはコチラ】アルコール依存症の母に包丁で刺されそうに…30代女性「私はコメディとホラーの中間を生きている」 (構成/ライター・インベカヲリ☆)
証券会社の口座「乗っ取り」被害が増加中 補償が難しいネット証券 2段階認証など「自衛策」を 横川楓
証券会社の口座「乗っ取り」被害が増加中 補償が難しいネット証券 2段階認証など「自衛策」を 横川楓   横川楓さん    株式投資をめぐって「困っている」という話題が続いています。ひとつは、アメリカの「トランプ関税」の影響で持っていた銘柄が下落し、利益がマイナスになってしまったというもの。もう一つが、投資に使っている証券口座の「乗っ取り」です。 *   *   *  私の周りで投資をしている人の間で最近、話題にあがっているのが、証券口座の乗っ取り被害について。投資に使っている証券口座を何者かに乗っ取られてしまい、持っていた銘柄を勝手に売られてしまったり、買われてしまったりして損をしてしまった……なんていう話が、SNSなどでも増えてきています。   「証券口座『乗っ取り』急増、2カ月半で1454件 金融庁が注意喚起」(4月18日配信、朝日新聞デジタル) 証券口座を乗っ取られ、勝手に中国企業株などを購入される被害が急増している。不正取引は2月~4月中旬で1454件に上り、金融庁が注意を呼びかけている。    記事によると、楽天、SBI、野村、SMBC日興、マネックス、松井の証券6社から、被害の報告が金融庁にあったそうです。  被害の内容としては、何者かが盗んだパスワードを使って他人の証券口座にログインし、保有していた投資商品を勝手に売却したり、ほかの株式など買い付けたりすることで、大きな損失を与えているというもの。  通常であれば、利益が出るタイミングを考えて株式などを売却するわけですが、それを無視して売られてしまうので、せっかく手に入れた銘柄で利益を得ることができなくなります。  また、まったく買う気のなかった銘柄を買われてしまえば、それが大して価値のないものであれば、二重に損をしてしまうわけです。   証券会社の対応は  ネットバンキングであれば通常、不正利用された被害者に過失がないならば、銀行側が原則、被害額を全額補償することになっています。      被害者に過失があった場合などでは補償の範囲が変わり、取り戻せる金額が減ってしまう可能性はありますが、とはいえ被害にあったときの補償があるのはありがたいことですよね。  一方で、ネットの証券業界は原則、補償はありません。会社側に過失がない場合は個人に対しての責任を負わないとされています(利用規約にそのように明記されている場合もあります)。  多くの人がネット証券で投資をしていると思いますが、何かがあった時の補償がないというのは怖いところです。    そして、この「乗っ取り」の被害の広がりを受けて、証券各社では被害を補償する動きがあると伝えられています。 「証券口座乗っ取り、顧客へ被害補償を検討 日証協が証券各社と調整」(5月1日配信、朝日新聞) 証券口座が不正アクセスで乗っ取られ、勝手に株式などの売買が行われている問題で、証券各社が顧客に被害を補償する方向で検討していることがわかった。日本証券業協会は、業界として一定の補償基準を示すため、各社と意見調整を進めている。基準づくりでは、顧客の過失の有無や程度に応じた補償の範囲などが焦点になる。  利用者の過失の有無や程度に応じて、補償の範囲がどうなるか……今後の動きが注目されます。   個人でどんな対策をすれば  証券口座にログインするには、パスワードが必要です。まずは、パスワードをわかりにくいものにすること。たとえば、名前などから連想できるものではなく、アルファベットや数字、記号を無意味に並べたものなどです。  そして、パソコンでログインするときに別のスマホに表示させたアクセスコードを必須にするといった2段階認証です。  万が一、パスワードを盗まれたとしても、簡単にはログインさせないことが重要です。      また、取引をしたときに自分にメールが届くように通知設定をしておけば、自分の知らないうちに取引が行われたとしても、その通知で「乗っ取り」に気づくことができるかもしれません。    最近では、メールなどから本物のウェブサイトとそっくりな偽サイトに誘導して、IDやパスワードを盗まれるケースが多くなっています。偽サイトは本当に見た目が似ていて、ぱっと見ではなかなか見分けがつかないほど巧妙です。  メールで案内が届いたら、メールに載っているリンクをそのままクリックせず、本当に正しいURLかどうか確かめるようにしましょう。    証券会社の対策や被害の補償についての動きも気になりますが。まずは自分にできる対策を講じておきしょう。 (横川楓)   横川楓(よこかわ・かえで)/1990年生まれ。経営学修士(MBA)、ファイナンシャルプランナー(AFP)などを取得し、「やさしいお金の専門家/金融・経済アナリスト」として活動。一般社団法人日本金融教育推進協会代表理事。「誰よりも等身大の目線でわかりやすく」をモットーにお金の知識を啓発、金融教育の普及に取り組んでいる。著書に『ミレニアル世代のお金のリアル』(フォレスト出版)、『お金の不安と真剣に向き合ったら人生のモヤモヤがはれました!』(オーバーラップ)。   【こちらも話題】 身をもって体験した、「お金」と「知識」と「推し」で変わる生活 私が「お金の専門家」になった理由 横川楓 https://dot.asahi.com/articles/-/216230          
「いつかゴキブリを食べてみたい」 ゴキブリへの興味をどんどん広げる小6娘と、戸惑う母に話を聞いた
「いつかゴキブリを食べてみたい」 ゴキブリへの興味をどんどん広げる小6娘と、戸惑う母に話を聞いた ゴキブリ愛が止まらない娘の瑠香さん(小6)と、サポートする母・ルミ子さん  ある日、小学生の娘から「ゴキブリを飼いたい」といわれ、大いに戸惑いながらもサポートするのは、認定NPO法人REALs(リアルズ)理事長の瀬谷ルミ子さん。念願の飼育をスタートし、ますますゴキブリ愛を深める娘の瑠香さんは、最近では「ゴキブリを食べること」にも関心を持ち始めています。今回は芽生えた「好き」をどのように広げていったのかについて、瀬谷さんと瑠香さんに話を聞きました。※前編<ある日、子どもに「ゴキブリ飼いたい!」と言われたら? ゴキブリ嫌いの母が娘の興味に寄り添い、飼育をサポートするまで>から続く スマホの待ち受け画面も、やっぱりアレ 「先日娘と一緒に出かけたときに、娘がスマホを落としてしまって、ちょっと大変だったんです」と瀬谷さん。どうやら、拾われたスマホを受け取るときに少し困ったことが起こったようです。 「本人確認で『待ち受け画面は何ですか?』って聞かれたんです。もちろん娘のスマホの待ち受けは、“例のアレ”なので、つい答えるのをためらってしまって(笑)。そうしたら『本当に本人なのか?』と少し怪しまれてしまいました……」と苦笑いで振り返ります。  ちなみに瑠香さんの例のアレとは、一番の推しである「クロゴキブリ」。画面いっぱいに拡大されたその画像はインパクト抜群です。  学校でも、瑠香さんはゴキブリ好きを公言しています。英語の授業で、憧れの人や友達になってみたい人を紹介する課題が出たときも、その相手はなんと「cockroach(ゴキブリ)」。先生やクラスメイトはそんな瑠香さんの個性を温かく見守っているとのことです。  図工でも、クラス会の飾りつけも、もちろんモチーフはゴキブリ。ビーズなどを使い可愛らしく仕上げた作品もあります。5年生の自由研究ではゴキブリについて調べ、標本まで作成しました。毎週の自主学習ノートは、手描きでゴキブリ図鑑やゴキブリの体のしくみ、ゴキブリのルーツや天敵などを説明しています。 学校で制作したゴキブリをモチーフとした作品の数々 最近の自主学習ノート。先生からは「リアルすぎませんか」「すごい‼」などのコメントも  「同級生にとっては私がゴキブリ好きだということは常識で、『どうせまたゴキブリのことだろう』って思われてます。でも反応は気にならない」と瑠香さん。人と違うことを気にせず、自分の「好き」を貫く姿は、堂々としていて眩しく映ります。  瀬谷さんも「私自身が、人と同じことをするのもいいけど、人と違うことをするのにも大きな価値があると考えていて、普段から『人と違っていいんだよ』という話はよくしています。その影響もあるのかもしれません」と語ってくれました。 新たなゴキブリの飼育にも挑戦!  初めて育てたヒメマルゴキブリから時を経て、現在は2種類のゴキブリを育てているという瑠香さん。今回はどんな種類を選んだのでしょうか。 「今飼っているのは、ルリゴキブリとオオゴキブリです。オオゴキブリは飛ぶのも壁を登るのも得意ではないので、脱走の心配が少ないんです。」と瑠香さん。  ルリゴキブリは、瑠香さんの“師匠“でもあるゴキブリ研究者・柳澤静磨さんらが発見した新種「アカボシルリゴキブリ」などの仲間です。羽が自分の名前の由来でもある瑠璃色に輝く美しい姿をしていて、瑠香さんは以前から気になっていた種類だったそうです。  飼育ケースには腐葉土やミズゴケ、朽ち木を砕いたマットなどを混ぜ合わせ、それぞれのゴキブリに適した環境を作り、熱心に世話をしている瑠香さん。 現在、飼育中のオオゴキブリ(左)とルリゴキブリ(右) どんどん広がる興味「ゴキブリを食べてみたい」  瑠香さんは、最近では昆虫食にも関心を持っています。 「孫世代まで自分で繁殖すれば、人間にとって有害なものがあっても消えていると思うので、孫世代の数が増えたら、食べてみようと思っています」と語ってくれました。  実際、ゴキブリは食べられるのでしょうか。  ゴキブリ研究者の柳澤さんによれば、脚などを取り除いて素揚げにすれば食べることは可能なのだそう。ただし、柳澤さん自身が過去に調理して食べた際には、アレルギー反応によって体調を崩してしまった経験もあるそうです。  柳澤さんは、「日常的に虫を食べることをすすめているわけではありませんが、味を知ることで、その生き物に対する理解が深まることもあります。見た目が似ていても、種によってまったく味が違うこともあるようです。そういった気づきが探究心の入り口になるかもしれませんね」と言います。  以前、瑠香さんが柳澤さんに「ゴキブリを食べてみたい」と相談したところ、「ゴキブリアレルギーが出てからだと食べられなくなるから、食べるなら早いうちがいいよ」とアドバイスされたといいます。  「私は『食べるのはやめといたほうがいい』という話になるのかなと思ったのですが、いつ食べるかの話になっていて、娘も『善は急げということだ』となっていました」と瀬谷さん。 「さすがに、家のキッチンでゴキブリの素揚げをしてもらいたくないので、もし本当にやるとなったら、処分予定の古いフライパンを使って、カセットコンロを使ってもらうつもりです」と、苦笑い。 「食べてみたい半面、自分で命を奪うことには葛藤があるようです。自分で答えを見つけてもらいたいですね」 親の価値観を押し付けすぎないように  瀬谷さんは娘の進路や将来について、どのように考えているのでしょうか。 「私自身は田舎育ちで、親から進路について言われることもなく、自分で考え判断することが当たり前な育ち方をして、専門家がほとんどいない紛争解決の仕事をするようになりました。親の関わり方の影響って、思っている以上に大きいと思うんです。だからこそ、自分の価値観や意見を押しつけすぎないように日ごろから気を付けるようにしています。  たとえば私が海外の紛争地で働いているからといって、子どもたちに無理にその分野に興味を持たせようとしたり、影響を与えすぎたりはしないように心がけています。もちろん、自然に家族の会話や日常生活で仕事に関係することは出てくるし、その中で自然に興味を持つのならいいし、娘が実際におこづかいで私の団体に寄付をしてくれたこともあります。でも、他の分野や進路含めて『これが正しい』『こうあってほしい』とレールを敷くようなことはなるべくしないようにしています」。 「ゴキブリは必要な生きもの」多くの人に知ってほしい  ところで、瑠香さんがこれからやってみたいことは何でしょうか。  「南米などの海外に行って、オーロラゴキブリやミドリバナナゴキブリを採集してみたいです」と明るい表情で語ります。    一方、ゴキブリを駆除することについての考えも尋ねてみました。 「飲食店で出たら損害になってしまうし、駆除されるのは悲しいけれど仕方ない部分もあるとは思います。でもゴキブリは落ち葉や動物のフンを分解する働きもあって、森林や環境には必要な生きものです。家に出る種類だけじゃなくて、もっと様々な見た目や役割をしているゴキブリもいるんだって知ってもらえたら嬉しいです」と語ってくれました。  日ごろからニュースを見たり本や新聞を読んだりするのも好きで、世界や日本の動きにも関心があるという瑠香さん。最近は経済やお金にも興味を持ち、子どもでも100円からできる「ミニ株」にも挑戦。お気に入りのファミリーレストランの株を購入し、動きを見ているそうです。  ゴキブリから経済まで、幅広い興味を持つ瑠香さん、これからどのような道を進んでいくのか、とても楽しみです。 自由研究では、飼育しているゴキブリの様子や、毎日小学生新聞に掲載された瑠香さんのレポート原稿などをまとめた 本が大好きな瑠香さん。大人向けの子育て本、経済に関する本なども好んで読んでいる (取材・文/柳澤聖子) 〇瀬谷ルミ子(せや・るみこ) 認定NPO法人REALs(リアルズ:Rearch Alternatives)理事長。現在は、ガザ、シリア、アフガニスタン、南スーダンなどで争い予防や紛争解決、緊急支援に携わる。国連PKOや外務省で武装解除を担当。2022年The New York Times「世界に足跡を残す10人の女性」に選出。著書に『職業は武装解除』(朝日新聞出版)がある。現在、シリアの平和構築のためのクラウドファンディングを実施中。 ⇒ https://readyfor.jp/projects/reals2025  
なぜ運動会で組体操「ピラミッド」はつぶれたのか… 「順位」「勝ち負け」のない運動会に7割が「反対」【読者アンケート結果発表】 
なぜ運動会で組体操「ピラミッド」はつぶれたのか… 「順位」「勝ち負け」のない運動会に7割が「反対」【読者アンケート結果発表】    親世代からイメージが変わってきている運動会(写真はイメージ=GettyImges)    運動会と言えば「秋」の風物詩でしたが、最近は5月の開催も珍しくないようです。秋晴れの青空と万国旗の下、紅組と白組に分かれて子どもたちが競い合い、足の速い子がヒーローとなり、お昼は家族と一緒に弁当を囲み……最近はそんなイメージから大きく様変わりしているようです。AERA編集部が、最近の運動会の印象についてアンケートを実施したところ、順位や勝敗を決めない種目が増えていることについては「非常に反対」「やや反対」が7割超を占めました。 *   *   *  今回の読者アンケートのテーマは「小学校の運動会」。4月23日から30日にかけて実施し、694人から回答がありました。    まず、秋ではなく5月に運動会が実施されることについての意見を聞きました。 「非常に賛成」「おおむね賛成」はあわせて40.6%、逆に「非常に反対」「やや反対」は計30.5%。そして「どちらでもない」が29.0%で、意見がおおまか三分される形となりました。  賛成する理由として多かったのが「秋よりも熱中症のリスクが低い」こと。反対の理由として目立ったのは「新学期になって、子供がまだ学校、学級に慣れていない」ことでした。   「運動会はクラス学年、学校の土台が定まり、子どもたち落ち着いてから行うべき大きな行事です。練習時にはどうしても時間に追われ、廊下を走ったり、教師も手不足で目が行き届かなくなったりします。1年生などは学校の仕組みも分からないままに振り回されます。百害あって一利なしと感じます」(60代、女性) 「練習時間が少ないので、演技の完成度が下がる。クラス替えをして間も無くなので、子供の結束力が弱い」(40代、女性) 「団体競技のダンスなどの練習期間が短すぎて完成度が低く残念でした」(30代、女性)          子ども同士の「慣れ」や「一体感」については逆に、「学級が始まって間もないが、これを機にクラスが一体化できるという考え方もある」(50代、女性)との意見もありました。  また、熱中症のリスクについては地域性もあると思われ、九州の方からは「5月も熱中症のリスクが高い」という意見もありました。   運動会に「勝敗」がなければ…  そんな小学校の運動会では近年、順位や勝ち負けがつく種目を減らしたり、なくしたりする学校もあるようです。みなさんに意見を聞くと、「非常に反対」「やや反対」が71.9%と優勢。「賛成」「おおむね賛成」は12.6%にとどまりました。  反対の理由としては「勝ち負けがつく経験は必要だ」が突出して多く、続いて多かったのが「競争がないと盛り上がらない」。賛成の理由としては、「運動会は競争ではない」が最多でした。  この設問には、長文のコメントが多く集まりました。いくつか紹介します。 「全校みんなでダンスというのがあったが、見ていて特に何も感じず、つまらなかった。リレーで団の代表者をみんなで応援することは、一致団結の気持ちを体感できてよいのではないかと思う。オリンピックや世界選手権も同じです。自分ができないことを代表者に託し、まわりは一生懸命応援するというのも意義があると思います」(40代、女性) 「順位をつけないなら運動会である必要がない。楽しめるようにというのであれば、運動が苦手とか嫌いとかっていう児童のために運動だけではないお楽しみ会にして、自由参加にすれば良い。現実的にはそれは難しいということは解ると思うし、本来学校行事は社会性を身に着ける手段の1つと考えれば、順位や勝敗の必要性も教えるべきことで、その上で敗者に対するフォローやリスペクトの気持ちを教える場にすれば良いと思う」(50代、男性)     「どの子も輝ける場とするなら、運動の得意な子が輝ける場を保証するという意味でも勝ち負けはあった方がいいと思う。ただ、勝つためにはどうやったら勝てるか?など仲間と相談したり協力し合ったりする過程が大切なのであって、勝敗そのものが大事なわけではないので、そこを指導者がおさえて指導、啓発していけばよいと思うから」(50代、女性) 「運動が苦手な児童には憂鬱なイベントになるかもしれませんが、苦手なものをずっと排除はできないので、苦手な中でも楽しめることや自分でも得意なものを見つけること等、前向きになることも必要ではないでしょうか。走るのが苦手でもダンスを覚えるのは早いとか、競技リーダーや応援団で誰よりもチームを統率する力を培うとか。また、勝ち負けがつくからこそ喜びも悔しさも学べます。悔しさや挫折を知らないから、直ぐに心が折れたり、逃げたり、ゲームをリセットするように全てを投げ出してしまう人が増えているのではないかと思います。」(50代、女性)   運動会に順位は必要なのか?  逆に順位や勝敗をつけない運動会に、賛成の声も集まりました。 「勝ちと負けの勝敗の差が明らかに離れすぎると、『もう追いつけないよ』『頑張るの無駄じゃね」と最後までやり遂げる行為ができなくなる。運動をすることを目的とした行事が勝敗を決めることを目的とした行事に変わってしまう」(20代、女性) 「運動会は競争ではなく、楽しめる場(楽しむ場)であって欲しいと思います。私(50歳です)の時と比べても、小学生は既にたくさんの『競争』に晒されているので、学校生活くらいは楽しみ、クラスの仲間や友達と過ごす学ぶ場であって欲しいと個人的には感じています」(50代、男性)     「大した練習もせず身体能力の個人差が大きい子供時代に勝敗をつける意味を感じないから。授業のテスト(能力)でも順位をつけないのと同じで、体力だけ順位をつける(得意な人を目立たせる)ことに教育上有意義な意味があるとは思えない」(40代、女性) 「勝ち負けの結果がでることは悪いことではない。むしろいろいろなタイプの人間が存在するので、児童を含め多様な基準設定のアイデアを校内で募って、様々な基準で勝敗を付けるのも良いと思う」(60代、男性)     運動会の「大技」は復活してほしい?  ほかにも小学校の運動会は、学校によって様々なところで変わっているようです。回答者自身の小学生時代と比べて、どんなところが「変わった」と感じたのか、複数回答で聞きました。  最も多かったのが「午前中に終わる」の71.6%でした。そして、「家族といっしょに昼食が食べない」(63.6%)のほか、「保護者と一緒に参加する種目がない」(34.0%)、「平日に実施する」(23.3%)など。  そのほか、「朝に花火が上がらなくなった」(22.9%)や「露店がなくなった」(16.9%)などは地域性もありそうです。  そして、順位を競う種目のほかに騎馬戦や、子どもが上に乗っていく「ピラミッド」などの組体操などは、子どもが怪我をするリスクが高いとして、すっかり運動会で見なくなりました。  そんな変わりゆく運動会のなかで、「実施してほしい」と思う種目は何でしょうか。一番人気だったのは、子どもたちも応援席も盛り上がりそうな「チーム(学級など)対抗リレー」で、最多の64.6%。そして「徒競走」が48.3%でした。      さらに「綱引き」が48.1%、「玉入れ競争」の39.3%、「騎馬戦」の38.6%と続き、組体操(ピラミッド、タワーなどの大技)は30.5%などとなりました。  運動会の「大技」をめぐる思い出も、コメントに寄せられました。 「組体操はやらなくなり残念。組体操のピラミッドの1番上に立った経験があり、とても良い思い出だった。ただ練習で上から何度も落ちて危険は感じていたので、今はもうさせてもらえないのに納得している…」(30代、女性) 「組体操は危ないと思う。私(50代)自身、背が高いのでピラミッドの1番下でつぶれる練習で怪我していました。その当時は、裸足でやっていたので膝を怪我したり、当たり前でやってました。それもブルマーで。今なら膝パットとかハーフパンツ。当時からなんで?最後につぶれなくちゃいけないのか疑問でした。  騎馬戦も背が高いので下の中央で支える役目で重くて…それも我慢して、やってました。支えきれなくて先生には怒られたり…。組体操と騎馬戦はいらないと思います」(50代、女性) (AERA編集部)       【こちらも話題】 大阪・関西万博で「大阪方面の旅行はやめた」「GWは京都には近寄らない」 物価高や円安が旅行計画に影響【読者アンケート結果発表】 https://dot.asahi.com/articles/-/255207  
富士山噴火で東京に「火山灰」4.9億㎥の戦慄 2時間で都市機能はマヒ、必要な備蓄は「大地震」以上と識者
富士山噴火で東京に「火山灰」4.9億㎥の戦慄 2時間で都市機能はマヒ、必要な備蓄は「大地震」以上と識者   雄大な富士山は日本人の心象風景のひとつでもある。富士山噴火に備える動きが進んでいる(撮影/米倉昭仁)  富士山が噴火すると、各地の被害はどれほどか。被害を最小限にするためにはどうすればよいのか。今年3月、内閣府は富士山噴火の「降灰」に関するガイドラインを公表した。首都圏に暮らす人も内容を知り、備えておくことが肝要だ。 *   *   * 富士山噴火で「火山灰警報」  富士山で大規模な噴火が発生すると、いったい何が起こるのか。  気象庁の有識者検討会は4月25日、3月に公表された「首都圏における広域降灰対策ガイドライン」に基づき、「火山灰警報」の導入を提言した。  富士山が噴火しても、首都圏ならばそこまでの影響はないだろう。そう考えているかもしれない層に、同検討会座長で、内閣府の「首都圏における広域降灰対策検討会」の座長も務めた藤井敏嗣東京大学名誉教授はこう警鐘を鳴らす。 「確かに溶岩流や火砕流は、東京には到達しないと予想されています。けれども、安心できるわけではまったくありません」 噴火後1、2時間で東京の空は暗くなる  藤井名誉教授によると、富士山が爆発的に噴火して上空8000メートル以上に達した噴煙は、ジェット気流によって非常に速い速度で東へ移動するという。 「噴火後、わずか1、2時間で東京の空は夕方のように暗くなり、火山灰が降り注ぐでしょう。都市機能はまひします」(藤井名誉教授)  藤井名誉教授が強調するのは、「火山灰」の恐ろしさだ。  火山灰が降り積もると、首都圏でも甚大な被害が出ると予想される。 鉄道は停止、道路も渋滞  まず、影響が出るのは市民の足である鉄道だ。 「0.5ミリ程度積もっただけで地上路線の運行は停止せざるを得ないでしょう」(同)  火山灰がレールを伝わる電気信号を遮断し、信号機や踏切を制御する装置に誤作動を起こす恐れがあるためだ。  火山灰が降っている間は見通しがきかず、車の運転も困難になる。たとえ、降灰が止まっても道路に火山灰が1ミリ以上積もった場合、車が出せる速度は30キロ程度。視界不良やスリップの危険性から渋滞が発生する。  車の運転も困難になる。道路に火山灰が1ミリ以上積もった場合、車が出せる速度は30キロ程度。視界不良やスリップの危険性から渋滞が発生する。 帰宅困難者が大量に  電車が止まり、バスもタクシーも使えなくなれば、日中であれば、都心は帰宅困難者であふれるだろう。  再開までの道のりも、遠そうだ。 「鉄道の運行を再開するにはレールに積もった灰を人海戦術で除去するほかない。しかし、公共交通機関が止まった状態で首都圏の鉄道網を維持できる人員を集められるのか、疑問です」(同)  さらに心配されるのが、帰宅困難者たちの状況だ。 インバウンド客にも大人気の富士山(撮影/米倉昭仁) マスクやゴーグルが必須  交通の手段がなくなり、徒歩で帰宅しようとする人々は、降り注ぐ火山灰にまみれることになる。火山灰は鼻やのど、気管支、肺などを刺激し、呼吸がしづらくなる。特にぜんそくなどの呼吸器疾患を持つ人は、発作を起こす恐れがある。  火山灰には「火山ガラス」の破片が多く含まれており、目に入れば、角膜を傷つける恐れがある。鹿児島出身で降灰を経験したことのある男性は、「目がチクチク痛かった。ゴーグルで目を覆わないと防げない」と話す。 「マスクは必須ですし、コンタクトレンズを入れているなら、外したほうがいい。目を守るためのゴーグルは事前に準備しておかないと、対応は難しいですし、マスクは品切れになってしまうことも予想されます」(藤井名誉教授、以下同) 断水に水道局も対策、広域停電のリスク  降灰地域では、「断水」の恐れもある。火山灰にはフッ化水素、塩化水素、二酸化硫黄などの「火山ガス」成分が付着している。浄水場に降り注げば水質は悪化する。浄水場の処理能力を超えれば、飲用が難しくなる。東京都水道局では、浄水場のプールのような施設に「ふた」をする対策を進めているという。  ライフラインを維持するうえで、藤井名誉教授が最も心配するのは「広域停電」だ。  送電線には電線から鉄塔や電柱に電気が流れないようにするため、「がいし」と呼ばれる陶磁器製の絶縁器具が使われている。がいしに火山灰が付着して雨に濡れると、絶縁性能が低下し、停電してしまう。 「東京湾岸には火力発電所が集中していますが、その吸気フィルターが火山灰で目詰まりしてしまう。フィルターの交換が追いつかない場合も停電する恐れがある」 停電すれば病院機能の停止も  停電すれば、鉄道や携帯電話の基地局、水やガスを送り出すポンプも止まる。病院の医療機器も使えなくなる。非常用電源があっても、通常は3日が限度だ。 「高齢者や病人など、火山灰の間接的な被害で命の危険にさらされる人もいます。電気の確保は重要な課題です」  たとえば病院の機能が停止すれば、患者は医療を受けられる地域に避難しなければならない。スムーズな移動を実現するうえで、カギになるのが道路の確保だ。 「緊急輸送路」は噴火から4日目の朝  3月の「ガイドライン」は、噴火から4日目の朝に「緊急輸送道路」の火山灰の除去が終了する、とした。しかし、この想定には人員や資機材の確保・配置、燃料の補給体制、事故・放置車両の撤去などが考慮されていないため、実際の除去作業にはさらに時間がかかるだろう。 まずは「自宅で避難生活」が基本  そんな火山灰まみれの首都圏から遠方に避難したいと考える人も多いかもしれない。しかし、人口が密集する首都圏から一斉に避難するのは、交通の点からも避難所確保の点からも現実的ではない。火山灰の重みによって木造家屋が倒壊する恐れのある地域以外は、「できる限り自宅などで生活を継続することが基本」になる。 「首都直下地震対策では1週間分の水や食料などの備蓄が推奨されていますが、降灰対策ではそれ以上の備蓄が望ましい。噴火が長引く可能性もあるためです」  水や食料、防塵マスクや防塵ゴーグルのほか、スコップなど清掃用具もあったほうがよいという。 東日本大震災「災害廃棄物」の10倍の火山灰  富士山の大規模噴火で予想される火山灰の量は驚異的だ。  たとえば、2021年8月、小笠原諸島の海底火山「福徳岡ノ場」は、国内で戦後最大級となる噴火を起こした。大量の火山灰のほか、軽石を噴出し、南西諸島に漂着した。  だが、富士山の大規模噴火となると、この規模をはるかに上回る。「ガイドライン」が想定したのは、江戸時代の「宝永噴火」(1707年)と同規模の噴火だが、桁が違うのだ。 「21年の福徳岡ノ場の噴火の噴出量はせいぜい1億立方メートルだと推測しますが、富士山の宝永噴火はその20倍近い、17億立方メートルです」  最悪の場合、噴火発生から約2週間後に神奈川県などで30センチ以上、都心でも10センチ程度、火山灰が積もると予測されている。  処分が必要と想定される火山灰の量は約4.9億立方メートルで、東日本大震災で発生した災害廃棄物の約10倍にあたるという。 噴火の数時間から数日前に兆候  いまのところ、富士山に噴火の兆候はない。Xデーはいつ来るのか。  藤井名誉教授は言う。 「噴火の数時間から数日前には何らかの兆候がまず間違いなくとらえられると思います」  だが、それ以前は「普段と違うことが起こっても、それが噴火につながるのかはわからない」という。  さらに、最悪のケースについても知っておきたい。宝永噴火を超える、超大噴火の可能性だ。有史以前には宝永噴火より大きな噴火が何回も起こった。 「噴火はいつ起こるかわかりませんが、噴火すれば、その影響は広い地域ですぐに表れる。平時からの備えが重要です」 (AERA編集部・米倉昭仁)
ChatGPTよりずっとすごい…孫正義氏が「10年以内に生活がガラッと変わる」と言い切った"次にくるAI"の正体
ChatGPTよりずっとすごい…孫正義氏が「10年以内に生活がガラッと変わる」と言い切った"次にくるAI"の正体 ※写真はイメージです(gettyimages)    AIはこれからどう進化していくのか。サイエンス作家の竹内薫さんは「人間の喜怒哀楽を自ら学習して理解する汎用人工知能AGIが注目されている。ソフトバンクの孫正義さんは『AGIは10年以内に実現する』と予言している」という――。 ※本稿は、竹内薫『スーパーAIが人間を超える日 汎用人工知能AGI時代の生き方』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。 人間の感情を理解するスーパーAI  近年、AI(人工知能)はこれまでにはない急激なスピードで進化し、私たちの暮らしやビジネスにおいて身近なものになりました。  さらなる進化が期待されるAIの中でも、いま特に注目を集めているのが「AGI(汎用人工知能)」です。  AGIとは「Artificial General Intelligence」の略称で、人間のような高度で幅広い知能を持つ、極めて汎用性の高いAIです。  AGIが従来のAIと大きく異なるのは、まるで人間のように思考し、なおかつ人間の感情を理解する能力を持っていること。本来人間が持つ「喜怒哀楽」といった特有の感情を学習しながら自ら進化できる。まさに、万能型の「スーパーAI」とでもいうべき存在がAGIなのです。  例えば、仕事をしているあなたの顔色や声のトーンから疲労度を察知してコーヒーを淹れてくれたり、肩が凝ったなという表情や動作を察知してマッサージをしてくれたりするヒューマノイド型AIを想像したら、何だかワクワクしてきませんか。  あるいは、今日は子どもの誕生日だから残業せずに早く家に帰りたいといったときに、  「今日はお子さんの誕生日ですね。あとの仕事はお任せください」とその日のうちに片づけなければならないタスクをAIが引き受けてくれたら、「なんて気配りができるAIだ!」と、最高のビジネスパートナーとして迎え入れるのではないでしょうか。  AGIはある特定のタスクをこなす従来の特化型AIとは異なり、ありとあらゆる知的活動をこなすことができるため、その応用範囲は計り知れないといわれています。このような能力をビジネスや日々の生活に応用すれば、AGIは私たちが生きるこの世界に大きな革命をもたらす可能性があるのです。 AGIで私たちの未来はどう変わるのか?  「コーヒーを淹れてくれるだけのAIなら、あまり役に立たないのでは?」  そんな声も聞こえてきそうですね。では、AGIがいったいどのようにビジネスで役立つのかについて、もう少し深く切り込んでみましょう。  人間のような高度で幅広い知能を持ちながら感情を理解する能力を持っているAIと聞いて、まず思いつくのがコミュニケーションの領域です。AGIが実現すると、より人間に近いコミュニケーションが可能となります。  AIによるコミュニケーションと聞いて、皆さんが真っ先に頭に浮かべるのは、「ChatGPT」ではないでしょうか。  もはや説明は不要かもしれませんが、ChatGPTはアメリカのオープンAI(OpenAI)が開発・提供している対話型のAIサービスです。2025年2月時点で全世界のユーザー数はおよそ4億人を超えたと推計されています。  皆さんのなかにも、「ChatGPTを使ったことがある」という方も多いと思いますが、ChatGPTはあくまでも人間からの質問に対して答えを導き出しているAIに過ぎません。いわゆる「生成AI」というものです。  一方で、AGIは人間と変わらない対話が可能になると期待されています。  わかりやすい例でいえば、カスタマーサポートやコールセンターです。従来のAIでは、顧客のクレームなどに対して極めてマニュアル的な対応しかできず、ときに火に油を注いでしまうケースも少なくありませんでした。  ところが、AGIは顧客のクレームに対して顧客の感情を読み取るので、最適なソリューションを提供することが可能になります。顧客の気持ちを瞬時に酌み取ることができる、いわば「忖度できる」AIがAGIなのです。 高度な意思決定も可能に  AGIのビジネス活用はまだまだあります。  そのひとつが意思決定です。AGIは、自主的で高度な意思決定も可能となります。例えば、あなたがビジネスにおける重要な意思決定に迫られたとしましょう。  あなたが何かしらの意思決定を行うとき、これまで蓄積してきた知識や過去の経験、あるいは直感を頼りにするでしょう。  でも、ひとりの人間が一生のうちに蓄積できる知識量や経験数には限界があり、直感を頼りにしても時に誤った意思決定をしてしまうこともあるはずです。  そんな時、AGIを活用することで、膨大な学習データから導き出した最適な意思決定のサポートをしてくれるのです。  さらには、クリエイティブな領域にもAGIは強力なサポートを発揮してくれます。これまで、「クリエイティブな分野は人間ならではの仕事」と考えられていましたが、AGIの登場によって、斬新なアイデアを生み出すのが容易になることは間違いありません。  AGIは膨大な学習データを持っているだけではなく、人間の持つ欲望や満足感といった感情を考慮したアイデアを生み出すことができるため、人間には到底思いつかないようなアイデアを創造できるようになるのです。それによって文学から音楽、イラストや映像の生成といったクリエイティブな活動に大きな革新をもたらすでしょう。  詳しくは後述していきますが、ほかにもAGIがビジネスにどれほどの恩恵をもたらすのか、実にさまざまな仮説を立てることができます。AGIの登場により、新たなビジネスモデルやサービスが生まれ、新たな市場が形成されることは想像に難くありません。  もちろん、ビジネスの分野だけではなく、教育や医療、科学技術などあらゆる分野でAGIは大きな可能性を秘めているのです。 AGIは、いつごろ実現するのか  では、万能型AIと呼ばれるこのAGIは、いつごろ実現するのでしょうか。実は、近年驚くべき発展を遂げているAI分野においても、AGIは未だ実現していないのが実情です。  現在、世界のありとあらゆる企業や研究機関がAGIの研究と開発に積極的に取り組んでいます。世界最先端のAGI研究開発に取り組んでいるのが「ChatGPT」を世に送り出したOpenAI、さらにはGoogleやMicrosoftなどが、AGIの実現に向けて日夜研究開発に勤しんでいるのです。  2025年の3月末時点でのAGIに向けた進展を眺めてみましょう。  24年9月にはOpenAIが、ChatGPTのモデルo1(オーワン)において、数学オリンピックの予選問題の正答率が8割に達したと発表しました。これは私にとってはかなりの衝撃でした。なぜなら、ChatGPTが初めて公表された際には、「100かける100かける100はいくつ?」という問いかけに対して、「100万」と答える一方で、「もう一度聞くよ? 100かける100かける100はいくつ?」と再考を促すと「10億」などと頓珍漢な答えが返ってきていたからです。  仕方ないので、かなり長い間、私はChatGPTが苦手な数学関連の話題を扱うときは、数学に特化したWolfram GPTを使っていました。それが、いまや、ChatGPT単体で、数学が得意になってしまったのです。  ええ? これって、生成AIがより万能になった……つまり、汎用AIに大きく一歩近づいた、ということなのでしょうか。  この本(『スーパーAIが人間を超える日』)を書き始めた時から1年も経っていないのに、こうやって、「はじめに」で最新の状況を追記しないといけないほど、AIの進化速度は驚異的です。 AIが自分を開発した人間よりも上になった  ところが、この状況は、24年の12月にさらに変化しました。モデルo3(オースリー)が発表され、数学オリンピック予選の問題の正答率は9割をはるかに超え、さらには「ChatGPTを開発しているオープンAI社のプログラマーのうち、プログラミング技能においてo3に勝てるのは二人しかいない」という驚くべき状況になったのです。これはつまり、自分を開発してくれた人間たちよりも、生成AIの方がプログラミング技能において互角もしくは上になった、ということです!  たとえば将棋や囲碁において、かつて起きたことを振り返ってみれば、最初は「プロに初めてAIが勝ちました」という状況から始まり、あっという間に、「もう人間のプロはAIに勝てなくなりました」となったのです。プログラミング技能においても、おそらく、将棋や囲碁と同じパターンで、近い将来、「人間のプログラマーは完全にAIに勝てなくなりました」という結果になるのでしょう。  よくテクノロジーの世界で「日進月歩」という言葉が使われますが、AIの進化は、ますます加速しているような気がします。AIはどんどん常識を塗り替えていきます。  しかし残念ながら、人間の側は、そんなにすぐにはこれまでの生活習慣を変えることができません。AIが数カ月で大幅に進歩したからと言って、人間が仕事のやり方をガラリと変えて、AIをうまく取り入れるのは難しいのです。となると、「バージョンアップが来た!」という瞬間から動き始めても、とうてい間に合いません。  日頃から、AI関連の最新ニュースに注目し、少しでも進化の予兆を掴むようにして、いざ大きな革新が来たときには、職場の配置転換を行ったり、AIで一気に業務効率を上げたりしていかないと、取り残されてしまいます。  AI先進国というと、すぐにアメリカの名が頭に浮かびますが、24年度のノーベル物理学賞がカナダ・トロント大学のジェフリー・ヒントンさんらに与えられたことからもわかるように、アメリカの隣国カナダも捨てたもんじゃありません。北米は世界のAI開発の中心です。 「AGIの世界が10年以内にやってくる」  でも、ここにきて、北米から遠く離れた中国発のディープシーク(DeepSeek)が彗星のごとく現れ、開発期間が短期で開発費用も安価だったのに非常に高性能であることがわかり、世界中に衝撃が走っています。  すると、「DeepSeekは、ChatGPTを先生役として開発された疑いがある(いわゆる「蒸留」と呼ばれ、使用規約に違反)」「国家情報法により、DeepSeekに登録した個人情報は中国政府が収集する可能性がある」「DeepSeekは、特定の政治的な事件について答えない問題がある」などという指摘がアメリカを中心に噴出し、なにやら、北米V.S.中国のAI戦争の様相を呈してきました。  当然ですが、今後、中国企業はAGI開発に注力するでしょうから、どの国や企業が、AGIの主戦場で勝利を収めるのか、先が読めない状況になっているのです。  AGI実現の可能性については、専門家によっても意見が分かれています。  ソフトバンクの孫正義さんは、2023年10月4日に開催された「SoftBank World2023」の特別講演で、AGIについて以下のような見解を述べ、大きな反響を呼びました。  冒頭、「AGIが何か知っていますか」と会場に問いかけたところ、ほとんど手が上がらない状況を見た孫さんは「まず、ヤバイということを知ってください」と警鐘を鳴らし、続けてこう力説したのです。  「AGIは、人類叡智総和の10倍です。(中略)AIがほぼすべての分野で人間の叡智を追い抜いてしまう、これがAGIのコンセプトです。このAGIの世界が今後10年以内にやってきます。そして、AGIの世界では全ての産業が変わります。教育も変わる、人生観も変わる、生きざまも変わる、社会のあり方、人間関係も変わるんです」  いかがでしょうか。AI技術における日本のキーパーソンともいえる孫さんがこうおっしゃるということは、AGIの実現も夢物語から現実へと着々と進んでいると考えて間違いないでしょう。  ただ、その一方で、AGIの実現は単にAIの恩恵を受けるだけでなく、深刻な社会的、経済的、倫理的な問題などを引き起こすリスクについても考えてみなければなりません。私たちがAGIの実現に向けてやるべきこととは何か、そのことを今から考えておく必要があります。  今後AGIが実現すれば、私たちの働き方や生き方さえも大きく変化するでしょう。その変化にしっかり対応していくためにも、AGIについて少しでも学んでおくことが肝要です。AGIについて理解を深めておき、実現したときにはすぐさま活用できるように準備しておく。今まさにそのような時期に差し掛かっているといっても過言ではありません。 (サイエンスライター:竹内 薫)
夫と二人でゆっくり過ごすために片づけたら毎月のカードの支払いが半分になった
夫と二人でゆっくり過ごすために片づけたら毎月のカードの支払いが半分になった 広さはあるのにモノでごちゃごちゃしているキッチン/ビフォー    5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 case.94 片づけも仕事も大切なのは「今すぐやること」  夫と二人暮らし/エクステリア関連  家が散らかる原因の一つに「家が狭くて収納スペースがない」ということを挙げる人がいます。たしかに、たくさんモノがある家の場合、収納スペースが少ないとあふれてしまいます。  でも、「家が広くてモノを置ける場所がいくらでもある」というのも、家が散らかる原因になります。モノの置き場所をちゃんと決めず、とりあえず目についたスペースに置くのでごちゃごちゃしてしまうのです。  今回ご紹介するみさとさんは、後者でした。 「私が住んでいるエリアは広い家が多くて、モノを置く場所はいくらでもあるんです。荷物とか買ったモノとか、ついそこらへんに置いてしまって……」  みさとさんは、夫と二人暮らし。子どもたちは独り立ちをして、家を出ています。もともと家族で住んでいた家のほかにもう一つ家があり、みさとさんはそちらで主に暮らしています。夫が住む元の家には週の半分くらい行くという、近所ながら2拠点生活。 「今、夫が住んでいる家では義父母と一緒に住んでいたんです。古くなってきたし、私が住んでいるこの家に引っ越す予定だったんですが、仕事や介護などの都合で延期になりました。そうこうしているうちに、この家の中がどんどん散らかっていき、夫を迎え入れる状態でもなくなってしまいました」  在宅の仕事が増えてからはみさとさんの仕事場にもなり、プライベートと仕事の区別がつきにくくなってダイニングに書類などが散乱。介護も重なると二つの家を行き来する時間もかかり、片づける時間もあまり取れません。  介護が終わってからは、多趣味のみさとさんの荷物がどんどん増えていきました。 スッキリと使いやすくなって料理の時間も短縮できるようになりました/アフター   「私、小さな頃からアウトドアが好きなんです。海もあって自然豊かな場所なので、今でもジェットスキーとかスノーボードをやるんですよ。でも、キャンプにハマったら大きな道具が必要になって、一気に家の中のモノが増えました」  散らかっていると家にいるだけで疲れてしまい、ますます逃げるように外に出かけることが多くなりました。  ある日、みさとさんはふと考えました。 「年上の夫と、あと何年一緒に過ごせるだろう。早く二人で暮らせるように、家を片づけなきゃ」  そのタイミングで家庭力アッププロジェクト®の存在を知ると、すぐに参加を決めました。片づけ始めて改めて思い知らされたのは、やはりモノの多さ。 「特に多かったのは、洋服。流行に左右されないデザインなど、いつでも着られると思っていたモノがなかなか手放せなかったです。でも、実際に着てみるとシルエットが変わっていたりして、結局大量に処分しました」  そして、片づけていくうちに書類をためこむクセがあることにも気づきました。クレジットカードの明細書などを確認してから処分しようと思いつつ、後回しにしてずっと放置していました。 「書類がどんどん山積みになっていくのも嫌なので、今ではレシート関係はできる限りデータにするようにして、紙を家に入れないようにしています」  これまでみさとさんは着ない洋服や使わないモノを収納スペースに入れていて、今使っているモノや必要なモノを目につきやすい空きスペースに置いていました。不要なモノを減らして必要なモノの定位置を収納スペースの中に作り、すぐに戻すようにするといつもきれいな家をキープできるように。  片づけが終わると、モノの多さに懲りた経験から、買い物をするときには慎重になりました。 「買う前に、『本当に必要?』『どこに置ける?』と考えるようになりましたね。クレジットカードの決済金額が、片づけ前の半分くらいになったんですよ! 今までは気に入ったモノはあまり考えずに買っていたんですね。夫もモノを買わなくなった私にビックリしていました」 洗濯した洋服や布団などをズラリとかけていた廊下/ビフォー    プロジェクトが終わってからも、非常時の備蓄品を見えない収納スペースに移動したり、好きな観葉植物を飾ったり、家の中のブラッシュアップを続けています。 「今は、家が散らかっていたストレスから解放されました! 仕事関係の人たちを気軽に家に呼べるようになったし、バーベキューをしたりとコミュニケーションもよくなっていますね」  みさとさんは、「今やらなきゃ、ずっとしない!」と自分に言い聞かせ、出したモノはすぐに戻す癖をつけました。さらに、片づけ以外でも気づいたことにすぐに対応するようにしたら、仕事も効率的に進められるようになったと言います。 お気に入りの大きなモンステラを置いて空間を演出/アフター   「私、なんでもずっと後回しにしてきたんですよね。そうすると、やることがたまって『あれもこれもやらなきゃ』というストレスもすごい。そう思いながらも、面倒に感じてやらない自分も嫌いになってしまって……。すぐに動くことの大切さを、今回の片づけから学びました」  かつては散らかった家よりも外で過ごすことが多かったみさとさん。今では、家でゆっくりとリラックスできるようになったと笑顔で話してくれました。きれいな家で、夫とゆっくり過ごしたいというみさとさんの未来も、確実に近づいてきていますね。 人生が変わる片づけの習慣 片づけられなかった36人のビフォーアフター 商品価格¥1,650 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。
杉村太蔵、人生の最大のラッキーは「外資系証券会社に勤められたこと」 “人脈は金脈”と語る理由
杉村太蔵、人生の最大のラッキーは「外資系証券会社に勤められたこと」 “人脈は金脈”と語る理由 撮影/岡田晃奈    著名人に「お金」に対する思いや考え方を聞く不定期シリーズ「私とお金」。第2回は杉村太蔵さん(45)。2005年、26歳で当時史上最年少の国会議員に。議員になる前は、時給800円のビルの清掃バイト中にスカウトされた外資系証券会社に入社し、金融の知識を身につけたという異色のキャリアも持つ。現在は地方の商店街活性化にも取り組んでいるそうです。明るく前向きな杉村さんに、【後編】では、地方創生事業、投資に必要なことなどについて、ずばり聞きました。 【前編】節約のプロを自認する「杉村太蔵」 なぜ「専用冷凍庫」を勧めるのか 「投資と資産形成は全然違う」から続く * * * ――現在取り組んでいる地方創生事業とはどのようなものでしょうか。  新規事業の立ち上げを中心に商店街の活性化に取り組んでいます。今は北海道旭川市と山口県下関市の2カ所の商店街で行っています。今はまだ2カ所だけですが、可能性にあふれる日本の地方都市を底上げしていきたいと思っています。地方の魅力をもっと広め、人々の雇用を増やしたい。 ろくな投資家がいなかった  商店街の出店には、敷金も礼金も保証金も一切不要で、厨房機器も標準装備。いつやめても違約金がかかりません。出店のハードルを下げて意欲ある出店者を募っています。最初の半年間は売上金に対して20%の施設使用料だけ頂くことにしています。こういう条件であれば「思い切ってやってみよう」という気持ちになると思います。こんなチャンスを地方にたくさんつくるというのが投資家の役割だと僕は考えたんです。社会をよくするためにお金を使うということです。だから私は胸を張って投資家だと言えるわけです。本来投資家はそうあるべきで、日本がなぜにこの30年間成長しなかったかというと、日本にろくな投資家がいなかったからなんです。みんな自分のリスク回避と自分の利益ばかりを考えて投資をしてきた。だから失われた30年だったんです。 旭川平和通商店街振興組合理事長とともに(ここはれて提供)     ――お金が貯まりにくい人とはどのような人でしょうか。  私が強く申し上げたいのは、もっともお金が貯まりにくい人の典型は「東京で賃貸物件で一人暮らしの人」です。とにかく家賃が高い。これからもどんどん厳しくなるでしょう。40代で年収400万円未満で、もし田舎にご実家がある方であれば、東京で高い家賃を払ってお暮らしになるより、ふるさとに帰って生活するほうがいいと思います。地方だと家賃も食材コストも安く抑えられ豊かな生活ができると思います。  体力もある20代の若いうちは都市部で挑戦してもいいと思います。東京には優秀な人がいっぱいいます。体力もあり頭も良くて、性格もいい。そんな人はごろごろいて、そういう人に仕事が集まっていきます。東京で勝負をしたい、生き残っていきたいと思ったら専門性を身につけて磨いていくことです。自分の強みを見つけて、自分にしかできないことを伸ばしていくことです。40歳を過ぎたら、自分の得意とする1つの分野で90分間話せること、またはそのテーマで3万6千文字の論文を書けなかったら東京で暮らすのは厳しいですよ。自分に武器がないということですから。 「教えていただける」 ――資産形成や投資に必要なこととは?  僕はとにかく恵まれていたと思います。いまだに小泉純一郎さんや武部勤さんから声をかけていただいたり、かわいがってもらったり。分からないことがあったら、教えてもらえる人が近くにいて、気軽に相談できる人もいます。「教えていただける」というのは、資産形成においても投資においても非常に大切なこと。「お前には話したくない」なんて思われるような生き方をしている人はどんどん人脈が減っていきます。そういう人は金脈が細っていると思います。人脈は金脈ですから。  僕はただただ自分を助けてくださる全ての方に感謝をしながら敬意を示して生きてきました。僕の人生の最大のラッキーは、清掃員時代にスカウトされて、そのビルの中にある外資系証券会社に勤められたことです。 撮影/岡田晃奈        僕の土台になっているものは、すべてあの会社で叩き込まれました。清掃の仕事からいきなり外資系証券会社に就職ですから、もちろん任されたのは底辺中の底辺のような仕事。アナリストの下にいるジュニアアナリストのアシスタント業務です。でも僕は嬉しかった。その部署の全員の雑用を日々こなしていたおかげで、ほぼすべてのアナリストと繋がることができました。みなさんにすごくかわいがっていただいたし、知識もいっぱいつけることができました。  あれから20年ほど経った今でも彼らとの交流は続き、今やっている地方創生事業も彼らと考えて事業化しました。彼らの存在は僕の財産です。巡りあわせに本当に感謝しかありません。 ――明るく素直なキャラクターが生きているのかもしれません。  妻は結婚する時に「この人と結婚したら食いっぱぐれることはない」と思ったそう(笑)。確かに僕は前向きだし、意欲的だと思います。人にも恵まれ、人を大事にしています。資産形成に重要な「心の健康」をキープするために人間ドックと並行して、定期的に心療内科で医師に診てもらって、心の健康もチェックをしています。自覚はなくても見えないところで心にストレスがかかる仕事です。どんな時も笑顔で元気で生活できるように心がけています。 (構成/ 編集部・大崎百紀) 杉村太蔵(すぎむら・たいぞう)/1979年8月13日、北海道旭川市生まれ。2005年9月、第44回衆議院議員総選挙で最年少当選(当時)を果たし国会議員に。労働問題を専門に、特にニート・フリーター問題など若年者雇用の環境改善に尽力する。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科後期博士課程所定単位取得退学。TBS系「サンデージャポン」の準レギュラーコメンテーター、フジテレビ系「サン!シャイン」木曜日のスペシャルキャスター。テレビ出演などメディアで活躍するかたわら、(株)ここはれての代表取締役社長として新規創業支援を中心とした新しいまちづくりを提唱し、2022年7月には北海道旭川市に「旭川はれて屋台村」を、2024年1月には山口県下関市に「唐戸はれて横丁」を開業した。趣味はテニスと釣り。3児の父。  
節約のプロを自認する「杉村太蔵」 なぜ「専用冷凍庫」を勧めるのか 「投資と資産形成は全然違う」
節約のプロを自認する「杉村太蔵」 なぜ「専用冷凍庫」を勧めるのか 「投資と資産形成は全然違う」 撮影/岡田晃奈    著名人に「お金」に対する思いや考え方を聞く不定期シリーズ「私とお金」。第2回は杉村太蔵さん(45)。2005年、26歳で当時史上最年少の国会議員に。議員になる前は、時給800円のビルの清掃バイト中にスカウトされた外資系証券会社に入社し、金融の知識を身につけたという異色のキャリアも持つ。現在は地方の商店街活性化にも取り組んでいるそうです。明るく前向きな杉村さんに、【前編】では、お金に対する意識、投資の経緯などについて、ずばり聞きました。 * * * ――現在に至るまで、お金に対する意識はどのように変わられましたか。  実はめちゃくちゃ節約のプロなんです(笑)。いつもどうやったらお金を使わないで生活できるかということを意識しています。現金をほとんど使わず、スマホ決済が中心。買い物は必要な分をまとめて大量に買います。IC決済だと履歴管理もできるし、ポイントも貯まる。節約あってこその資産形成です。 面倒がらずに一度やってみる  みなさんにお勧めしたいのは専用冷凍庫を買うこと。初期コストは2万~3万円ぐらいかかると思いますが、今後10年間を考えると強烈な設備投資になると思います。食費が高い今だからこそ、こういう投資は大事です。食材は安い時に大量に買ってストックする。浮いたお金を新NISAのつみたて投資枠や成長投資枠にまわせばいい。1カ月30万円消費していた人が3万円削ることができたら、年間36万円ですよ。これは大きい。  まずは家庭内の支出の見直しをすることです。たぶん10%は削れるはず。1つの項目で削るのではなく、通信費や娯楽費などすべての項目からまんべんなくカットする。無駄な有料アプリを使っていないか、電気代の契約プランはこれでいいのか……。面倒がらずに一度やってみることをお勧めします。 撮影/岡田晃奈 ――小さなことに向き合うことが、大きな成果を生むんですね。  エンゲル係数ってありますよね。消費支出のうち食費の占める割合のことです。清掃バイトをしていた時は、おそらく40%ぐらい。それぐらい食べるために生きていた。あの頃の生活があるから、今の僕がある。今の我が家のエンゲル係数は5%以下ぐらい。生活にも心にも余裕が生まれたから、社会にどう貢献するかということも考えられるようになりました。 ――生活が苦しいからと投資をする人もいます。  将来の生活資金を備えるために株式投資をするというのは本質的に間違っていると思います。結果的に、投資で潤ったお金を生活資金にまわすことができたということはあるかもしれません。だけど、本来投資は社会のため、資産形成は自分のために行うものです。投資と資産形成は全然違うということを、みなさんに正しく認識していただきたいです。資産形成の基本は「節約」と「貯金」なんです。日々の出費を見直すことが大切なんです。 万博に行きましょう!  自分の買った銘柄の株価が少なくとも5倍、いや10倍にならないと投資とは言えません。時価総額50億円だった会社が500億円に、100億円だった会社が1000億円に。こういうポテンシャルの高い会社を早期に見つけて大きくなるまで見守ることに意義がある。お金を投じるだけでなく、株主総会にも出席して、会社の発展や成長のために提言する。S&P500やオルカン(全世界株式)の動きだけを見て「うわぁ、トランプ関税でこんなに下がった!」と騒いでいる人は投資家ではなく、投資信託で資産形成をしているだけに過ぎない。今後成長していく企業や、自分が応援したい企業は、東証グロース市場から探す方法もありますが、今月開幕した大阪・関西万博に足を運ぶのもいいと思います。世の中の変化のヒントやニーズは万博にあるはず。投資家のみなさん、万博に行きましょう! ――投資を始めるまでのいきさつを教えてください。  議員落選後は本当にひもじい生活をしていました。時々テレビに出させていただき、節約しながら貯金をしていました。2012年に野田佳彦さんと安倍晋三さんの党首討論で野田さんが異例の解散表明をした。僕はそこで「これから株価が一気に上がる」と考え、家中のお金をかき集めて、時価総額の大きな3~4銘柄に数百万円投資しました。それが始まりです。そこから大きく株価が上昇し、その後、数千万円の利益が出ました。  このまま株を持ち続けてももちろん上がり続けるという確信がありましたが、一方で不動産も上がるなと思った。どちらが自分にとっていいか考えた時に、住宅ローン減税もあり、住み続けるだけで資産価値が上がる可能性がある不動産投資のほうがいいと思った。それでマンションを購入したんです。その物件を売却した時は億単位のお金が入りました。そして今、そのお金で自分の事業をやっていこうと、地方創生事業に投資しています。 (構成/編集部・大崎百紀) 【後編】杉村太蔵、人生の最大のラッキーは「外資系証券会社に勤められたこと」 “人脈は金脈”と語る理由 に続く 杉村太蔵(すぎむら・たいぞう)/1979年8月13日、北海道旭川市生まれ。2005年9月、第44回衆議院議員総選挙で最年少当選(当時)を果たし国会議員に。労働問題を専門に、特にニート・フリーター問題など若年者雇用の環境改善に尽力する。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科後期博士課程所定単位取得退学。TBS系「サンデージャポン」の準レギュラーコメンテーター、フジテレビ系「サン!シャイン」木曜日のスペシャルキャスター。テレビ出演などメディアで活躍するかたわら、(株)ここはれての代表取締役社長として新規創業支援を中心とした新しいまちづくりを提唱し、2022年7月には北海道旭川市に「旭川はれて屋台村」を、2024年1月には山口県下関市に「唐戸はれて横丁」を開業した。趣味はテニスと釣り。3児の父。
「1株1円で会社を売却」からフジ・メディア・ホールディングスの大株主へ レオス・キャピタルワークス代表取締役社長・藤野英人
「1株1円で会社を売却」からフジ・メディア・ホールディングスの大株主へ レオス・キャピタルワークス代表取締役社長・藤野英人 創業前から構想していた未上場株投資のコンセプトを絵に。感性に訴えるコミュニケーションを大切にしてきた(撮影:松永卓也)    レオス・キャピタルワークス代表取締役社長、藤野英人。2月にフジ・メディア・ホールディングスの大株主となり、大きな注目を集めているレオス・キャピタルワークス。その創業者であり社長が藤野英人だ。藤野は数字よりも、社会をどうしたいかをずっと追ってきた。リーマンショックでは、1株1円で会社を売却。そこから再び立ち上がり、プロセスを大事に、うるおいのある世界を目指す。 *  *  * 「土の香りがする投資家」──。ある人は、そんな表現で彼を語った。  資産運用会社レオス・キャピタルワークスの社長兼シニア・ファンドマネジャーとして、投資の最前線に立つ藤野英人(ふじのひでと・58)。創業以来22年、一貫して長期積み立て投資の有用性を前面に打ち出し、現役世代の個人投資家の支持を集めてきた。  現在の総運用額は1兆円を超え、2月には経営危機に揺れ動くフジ・メディア・ホールディングスの大株主になったことでも注目を集めた。12年前に出版した『投資家が「お金」よりも大切にしていること』(星海社新書)は32刷11万部のベストセラーに。近年は、将棋の叡王戦の特別協賛企業となり、またYouTubeの自社チャンネルでの発信も強化するなど存在感を強めている。 「投資家」に対して、株価を追いかけ売却益を貪欲に求めるギラギラとしたイメージがあるとしたら、会った瞬間に裏切られるだろう。藤野は自分を語るとき、数字の話はほとんどしない。「最近、こんな面白い人がいて」「不思議な出来事があったんですよ」と情味たっぷりにエピソードを語る。本人によればそれは「正統な専門教育を受けた“純正の投資家”ではないから」だという。  生まれは富山のサラリーマン家庭。厳格で教育熱心な父と下着販売員として働く母のもとに育った。小学校を卒業するまでに国内外の文学全集を数度完読し、文章を書くのも好きだったことから小説家や編集者に憧れたが、成績優秀だった藤野少年に親族は別の期待を寄せた。「満州の高等裁判官だった祖父の才を継いで、法曹界に進みなさい」と言い聞かされ、早稲田大学法学部へ。卒業後は、司法試験に合格するまでの“つなぎ”として野村投資顧問に入社。時代はバブル期で「効率的に稼げる業界」という認識で入ったに過ぎなかったが、ここでの出会いが藤野の人生をガラリと変えた。 叡王戦に特別協賛をする縁で、将棋会館で収録が行われたYouTubeチャンネル「お金のまなびば!」。写真右が叡王の伊藤匠。中央はレオスのコミュニケーション・センター部長の水野宏樹(撮影:松永卓也)   日本の将来を明るくする 理想的な投資信託をつくる  配属された日本中小型株運用部門で、先輩に並んで商談の席に座った藤野に衝撃を与えたのは、ベンチャー経営者たちであった。「スタートアップ」や「IT」といったスマートな表現はまだなかった頃の「地方の零細企業の社長」というほうが正しい。水道の栓やペットボトルのラベルなど、それまで気にも留めなかった製品について「うちの技術がどれほど素晴らしく、世の中を変える力があるか」と口角泡を飛ばして熱く語る姿にはじめは戸惑い、しかし徐々に引き込まれていった。 銅メダルを受賞したショパンコンクール in ASIAで弾いたのは「マズルカ ハ短調作品56-3」。指導する木米真理恵(右)は、ポーランドの国立ショパン音楽大学院を首席で卒業し、第一線で活躍する(撮影:松永卓也)   「世の中がカラフルに見えるようになったんです。身の回りにあるモノのすべてに、誰かの思いが乗っているのだと。そして夢中になって働く人の姿は輝いて見えた。いつしか、自分も“向こう側”に行ってみたいと憧れが芽生えてしまった」  その後、外資系投資顧問に移籍し、ファンドマネジャーとして頭角を現す中、突如、藤野は大きな選択を迫られることになる。世界市場がITに沸いていた2000年、著名なベンチャーキャピタリスト、ジョージ・コズメツキーから内弟子の誘いを受けたのだ。  YESと答えていれば、後にGAFAMと呼ばれる巨大企業の初期投資に携わり、数年で億万長者になっていたかもしれない。しかし、藤野は丁重に断る決断をした。運用会社で働きながら年々募らせていた思い──「日本の将来を明るくする、理想的な国民的な投資信託をつくりたい」を、夢ではなく現実にすると心を決めたからだ。  従来の運用会社の販売手数料で稼ぐビジネスモデルでは、将来の成長を見込める優良企業を長期で応援することは不可能だと、限界を感じていた。「ある所からない所へお金を動かし、パワーの流れを変えるのが金融の本質」。3年後、藤野は思いを共にする3人で独立系資産運用会社、レオス・キャピタルワークスを立ち上げた。レオスとはギリシャ語で「流れ」という意味だ。  藤野が選んだ道は険しいものだった。NISAの追い風で市民権を得た今と違って、長期運用を前提にして月1万円などの小口で参加できる「積み立て投資」はマイナーだった時代だ。08年に満を持して「ひふみ投信」をリリースするも、大手の販売会社は軒並み渋い反応だった。  渋る理由は明快で、シニア層をターゲットにまとまった退職金を一括で預かるほうが、一度に高額の手数料が入るからだ。また、長期運用で利益を出したとて、異動のある職場では評価につながりにくいので販売の動機にならない。そんな構造的問題を突破するために、藤野はまず個人投資家に直販する営業スタイルで挑んだ。それも現役の勤労世代をターゲットにした。 「投資は過去にはできない。未来にしかできないのが投資なんです。投資の定義を聞かれたら、『未来を信じる力』なのだと答えています」  自分や家族の人生、そして社会を明るくするエネルギーとしてお金を使う。「未来はあるが、まとまったお金はない」若い世代と積み立て投資は相性がいい。シニア層を狙う大手が顧客獲得のために「資産運用セミナー」を開く平日昼間には運用業務に集中し、現役世代が仕事帰りに参加できる夜間や週末にセミナーを開催する、というスタイルは今も変わらない。だから大手と競合せず、生き延びたとも言える。「僕たちはずっと“業界のヘリ”で営業をしてきたんですよ」 顧客向けセミナー「ひふみアカデミー」が始まる前、軽食を取りながらのミーティング風景。藤野(右から2人目)の左にいるのは創業メンバーで副社長の湯浅光裕。日ごろから、社員の私生活や家族の健康状態についても聞くコミュニケーションを大切にしている(撮影:松永卓也)    志を共にしたコモンズ投信会長・渋澤健とセゾン投信社長(当時)・中野晴啓と「草食投資隊」を結成して始めたのが、長期投資の魅力を伝えるキャラバン。2年かけて47都道府県を回った。初見で職業を当てる評判の人物から「あなたたち、NPOの人たちでしょう」と言われ、「投資家なのに金の匂いがしないのか」と笑い合ったときはまだ多少の余裕があった。短期の売買益を目的とした“肉食系投資”と対照的な、じっくりと育てる長期投資の価値はきっと多くの人々に響くと信じていたが、反応はあまりにも厳しいものだった。 リーマンショック直撃 1株1円で全株式を売却  地元紙で3度広告まで打って3人の講師で臨んだ愛媛の会場に来たのはたった4人。その次の名古屋でのセミナーに集まったのもわずか4人だった。数カ月後に広島で開催した際には30人ほど集まり、「いい話を聞けた。すぐに問い合わせて口座を開きたい」と握手を求められ喜ぶも、結果は資料請求すらゼロ。何度も心が折れかけた。 「あんなに盛り上がったはずなのになぜ」と思い詰めた藤野を救ったのは、保険業界に風穴を開けたライフネット生命の創業者、出口治明の「5度塗り、6度塗りなんですわ」という言葉だった。 「人は日常に忙しい。新たな行動を起こしてもらうには、繰り返し接点をつくる必要がある。諦めずに伝え続けよという教えに奮起しました」  地道に発信を続けていった結果、口座開設の数は徐々に伸びた。決定的だったのは藤野のバラエティ番組出演だったが、セミナーで訪れた地域の申し込みが多かったことからも、「5度塗り」の効果は明らかだった。今では平日夜のセミナーにオンラインを含め数百人を集める。「一人ひとり、一つひとつを大切に、コツコツ続ける」という藤野の仕事哲学はこのときに確立したのだろう。そして、その姿勢は長期投資そのものとも重なる。  現在の飛躍につながる地道な5度塗りの物語には、壮大な前章がある。 「ひふみ投信」を世に出したのは08年。その翌年、不運にもリーマンショックの直撃を受けた。業績は悪化し、創業7年目にして藤野は全株式を1株1円で売却せざるを得ない状況へと追い込まれた。 「銀行窓口で売却金を受け取った後、オフィスに戻る気にもなれず、ふらふらと品川の水族館に寄ったんです。イルカショーを観ながら、『あんなふうに無邪気に跳ぶイルカになれたら楽なのに』とぼんやり思ったりして。周りの観客席を見渡したら、暗い顔をしたおじさんが数人座っている。ああ、お仲間だなと虚しさが募りましたね」  誘いの声はいくつかあり、会社を去るという選択もちらついた。失意の藤野を踏み止まらせたのは、準創業メンバーである白水美樹の訴えだった。「藤野さんが目指した『理想の投資信託』はできたんですか? 本当に最後までやり切ったと言えるんですか?」。頬を伝う一筋の涙にハッとした。  仲間と共に一平社員として、売却後の新たなオフィスで出直した。全国行脚を始めたのはこの頃だ。営業担当として藤野と辛苦を分け合ってきた五十嵐毅(62)は「私の向かいの席に座っていたあの頃の彼の、覚悟を決めたような表情は忘れられない」とふり返る。トランプ政権下にマーケットが乱高下する中でも「泰然自若の人」という印象を与える藤野だが、それは荒波を乗り越えた上の凪なのだ。(文中敬称略) (文・宮本恵理子) 1株1円、計3240円で会社を売却したときに手にした現金をそのまま額に入れて、「初心を忘れないために」社長室に保管している。疲弊していた当時と比べて「ずいぶん若返った」と周りからよく言われる(撮影:松永卓也)   ※記事の続きはAERA 2025年4月28日号でご覧いただけます
「クマ出没」どころではない…野生のゾウ・トラが出るインドの「ポツンと一軒家」で暮らす日本人女性の来歴
「クマ出没」どころではない…野生のゾウ・トラが出るインドの「ポツンと一軒家」で暮らす日本人女性の来歴 サヒヤンデ劇場の3階にて(写真提供=鶴留さん)    インド南西部ケーララ州の山奥で暮らす日本人女性がいる。演劇制作者の鶴留聡子さんは、インド人の演出家である夫と自宅兼劇場を造り、暮らしている。日本語も英語も通じない。文字を持たない先住民族もいる。野生のゾウやトラが出没する。そんな場所で、なぜ鶴留さんは暮らすようになったのか。フリーライター・ざこうじるいさんが、鶴留さんの素顔に迫る――。 日本人女性が暮らす「ポツンと一軒家」  1月末、インド南部の空港で私は冷や汗をかいていた。入国審査で「なぜ日本人がこんな場所に来る必要があるのか」としつこく怪しまれたのだ。「サトコという日本人に会いに行く」と伝えると、ようやく入国が許可され、ほっと胸を撫でおろした。  空港から都市部を通り過ぎてくねくねとした山道を進むこと3時間。道中のレストランでもお店でも、確かに日本人は他に見当たらない。  広大なバナナ畑を通り過ぎて車から降り、急斜面の山道を登っていくと、鬱蒼とした森の中に突如としてガラス張りの現代的な建物が現れる。扇型のユニークなつくりをしたこの建物は、民間劇場「サヒヤンデ劇場」だ。  ここに10年ほど前から暮らしている日本人女性が「サトコ」こと、鶴留聡子さん(45)である。夫で演出家のシャンカル・ヴェンカテーシュワランさんとともにこの劇場をつくった人物だ。  ふたりが住むのは、インド南西部、ケーララ州の山奥、アタパディ。日本人はおろか、外国人は他に見当たらず、英語も通じない。野生のゾウやトラ、オオカミも出没するという。  「ゾウが出るのは夜だけなんですけどね。ちょうど先週も、劇場に続く橋のあたりにゾウの家族がいてシャンカルが帰ってこれない、ということがありました。時期や場所にもよるけど、うちには年に4、5回来るかなあ。フルーツがなる季節になると降りてくるようです」  ゾウは草食動物ではあるが、人間に出くわすと警戒して攻撃的になることもあるという。東京動物園協会によると、通常インドゾウの重さは3トンから5トン。サトコさんは、自家用車をゾウにつぶされたこともあるそうだ。 家畜や飼い犬がトラに次々に襲われる  サトコさんらが飼っていた犬のブラウニーは、5年ほど前、トラに襲われて亡くなった。  「夜中に『キャイン』って声がして、見に来たときにはもういなくなっていて……一瞬でした。トラの姿は見ていないんですけど、地元の人に聞くと『それはトラだ』っていうんです。オオカミもだけど、トラは犬が大好物なんだそうです」  ブラウニーがいなくなった数日後、ブラウニーの子どものパシュが裏山から獣に食べられた後の頭蓋骨を持って帰ってきたという。よく見ると頭蓋骨の欠けている前歯は、確かにブラウニーのものだった。  それから2カ月もたたないうちに、今度はパシュのきょうだい犬も同じようにトラに襲われて亡くなった。  それ以来、サトコさんはパシュを夜外に出さないようにしてきた。それでも数年前、一瞬の隙をついて同じように襲われたことがある。  「キャイン」という声がしたと同時にサトコさんは一目散に駆けつけ、パシュは九死に一生を得た。その時の記憶があるのだろう、パシュは今でも警戒心が強く、野生動物の気配に敏感だ。  「つい先日も、近所の人が飼っているヤギが40匹くらい、一晩で全滅しちゃったんです。有刺鉄線も張ってたんですけど、停電した少しのタイミングを狙って襲われたみたいです」  トラは人間の前に姿を現さず、まさに“虎視眈々”と状況を伺い、獲物を襲う機会を狙っている。人間も夜出歩くときは2人以上で歩くのが地元の常識だ。  日本では考えられない危険が潜むが、サトコさんは淡々と語る。 ジャングルの中に忽然と現れる扇形の現代的な建物がサヒヤンデ劇場だ(撮影=Roshan P. Joseph) 薪を運び、川で洗濯をする村  アタパディには、入植者と呼ばれる外から移住した人たちと、3つの異なる先住民族、合わせて7万人ほどが暮らし、共同体ごとにそれぞれ独自の言語をもつ。人口の半分ほどが、文字を読み書きしない先住民族だ。  選挙の宣伝は紙で配られ、災害時の避難連絡など行政からの知らせは、拡声器を持った職員が村を練り歩く。  劇場の近くではスプリンクラーが完備された広大なバナナ畑や、ヤギや牛を引いて歩く人々をあちこちで見かけた。私が出会った村の女性たちは、昼間は薪を集める仕事をしていた。夕方になると川で洗濯をし、ついでに自分の髪や体も洗う。  ウーバーなどの配車サービスはなく、山のふもとのエリアまではバスが通るが、他に公共交通機関はない。サトコさんが買い物をするときは、車で10分ほど山を下った先にある小さな商店に出かける。  「野菜、米、塩、砂糖、必要なものはだいたいそこで手に入ります。買い物は週に1、2回かな。牛乳は、地元の人が絞った牛乳を集める生協みたいな場所があって、そこにボトルをもっていくと、1日に朝夕2回、決まった時間に直接牛乳を買うことができます」 村人が慕う「サトコ」  日常的に買い物をするという商店の近くで、オートリキシャーと呼ばれる3輪自動車の運転手にサトコさんとシャンカルさんの名前を伝えると、詳しい説明をしなくても山の上のサヒヤンデ劇場まで連れて行ってくれた。  さらに、私が滞在したホテルで支払いコードをうまく読み込めずに困り果てていたときのことだ。サトコさんが手配してくれた運転手のお兄さんが、見かねて自分のスマホで支払いを済ませてくれた。もちろん彼にとって私はその日出会ったばかりの赤の他人だ。  ありがたいけれど、どうしたものだろう……持ち合わせの現金がなく、言葉も通じないため私がオロオロしていると、彼は笑顔で「サトコ」と伝えてきた。どうやら「後で『サトコ』からお金を受け取るから、日本人のあなたは『サトコ』に支払いをすればいいよ」ということのようだ。運転手の彼にとって「サトコ」はそれだけ信頼できる人物なのだということが伝わってくる。  サトコさんは、この場所の人々といったいどんな関係を築いてきたのだろう。 パートナーを追いかけてインドへ  東京生まれのサトコさんがアタパディに住み始めたのはおよそ10年前。それ以前は、同じインド国内でも都市部で演劇活動をしていた。  とはいえもともと演劇を専門に勉強したわけではない。ごく一般的な家庭に生まれ育ち、英語が得意だった母親の影響で外国語に興味を持った。  「日本語で日本人と会話すると、近すぎると感じることがあります。別の言語を使うことによって、ワンクッション置かれるというか。コミュニケーションに余白が生まれる気がするんです。それが私には心地がいいなって感じました」  教科書で読んだマザーテレサをきっかけに、東京外国語大学でヒンディー語を専攻したことが、サトコさんに運命の出会いをもたらす。  2001年2月、大学3年生の終わりに、インドからくる劇団の楽屋裏バイトを2週間ほど経験した。その劇団こそ、後にサトコさんのパートナーとなるシャンカルさんが所属する学生劇団だったのだ。  当時カリカット大学の演劇学部に在籍していたシャンカルさんは、サトコさんと同い年。授業の一環で作品づくり全般に関わり、舞台上ではミュージシャンとして南インドの太鼓を演奏していた。  いつも楽しそうに前を向いている印象のシャンカルさんとコミュニケーションをとるうちに「今この瞬間をこの人と共にしたい」と直感したサトコさん。4年生になると休学し、その直感を追いかけるように、当時シャンカルさんが住んでいたケーララ州のトリシュールに向かった。 先住民族の人たちの手を借りて作ったバンブーツリーハウス(写真提供=鶴留さん)   消費される芸術への違和感  それからビザが切れるまでの6カ月間、既に人生をかけて演劇をやっていくことを明確に決めていたシャンカルさんの近くで過ごし、日本に帰国する。  「この先ふたりで演劇をして生きていくことを思い描いた時、インドやシャンカルの前に、まず自分がどう演劇と関わっていきたいのか、糸口をみつけてからにしようと考えました」  大学卒業後は赤坂の国際交流基金アジアセンターで舞台芸術専門員のアシスタントとして働きながら、舞踏カンパニー『山海塾』のプロデューサーの元で制作も学んだ。  2年後、今度は国際交流基金ニューデリー事務所の専門員として採用され、ニューデリーに移り住む。  一方シャンカルさんは、大学卒業後に留学したシンガポールの演劇学校を終えて、2006年にサトコさんのいるニューデリーで演出家としてスタートを切った。  2007年、ふたりは「劇団シアター・ルーツ&ウィングス」を立ち上げる。劇団で最初に作った作品は、断片的な51の場面から構成され、解釈が観客それぞれに委ねられるというもの。この実験的な演出が「これまでのインド現代演劇にはなかった」と評判になり、シャンカルさんは注目の若手演出家としてメディアに取り上げられた。  しかし次第に、ニューデリーで一部の限られた人に消費される芸術のあり方に違和感が募った――。  「私たちは一体誰のために演劇をやっているのだろう……」 暮らしに根付いた演劇ができる場所へ  「もっと別の演劇のあり方を探りたい」と考えたふたりは、2008年、ケーララ州トリシュールに拠点を移す。ケーララ州では演劇作品が政治を動かした歴史があり、階層を問わず幅広い層が演劇を楽しむ文化が醸成されていた。  そこで制作した2つの舞台作品『山脈の子:エレファント・プロジェクト』と、日本の劇作家・太田省吾の沈黙劇『水の駅』は、どこで公演をしてもチケットが完売し、追加公演を組むほど話題になった。インド各地を巡回した「劇団シアター・ルーツ&ウィングス」はインドの演劇界で全国的に名前を知られるようになる。  ところが今度は、30万人以上が住むトリシュールの喧騒やスピード感と、演劇の創作活動が「噛み合わない」と感じるようになっていく。  「暮らしと結びつく場所で作品を作っていくための基盤を持ちたい」と考えたふたりが選んだ地が、同じケーララ州でも人里離れた山間地域であるアタパディだ。『山脈の子』の創作のため野生のゾウのリサーチで2008年にアタパディを訪れ、すぐにこの場所が気に入った。  「一番いいなと思ったのは、自然の中で暮らす人たちとの顔の見える関係性でした。この場所なら、自然やコミュニティと共にある、暮らしに根付いた演劇ができるのではないかと感じました」 ヤギ小屋と間違えられるツリーハウスで暮らす  2010年、土地を購入し、俳優でもある建築家の友人に劇場兼自宅のデザイン設計を依頼した。ガラス張りのデザインは、自然あふれる情景を活かした空間にしたかったことはもちろん、地域の人たちに開かれた劇場にするためでもある。  120キロ離れたトリシュールの自宅からアタパディに通いながら、ふたりは公演や演出の仕事で収入が入るたびに、生活費を除いた分を工事費に充てた。コスト削減のため、建築資材の手配も業者に依頼せずに自分たちでおこなう。  仕事の依頼はそれまでに築いた実績を元に、各地から声がかかった。一つひとつ時間をかけて取り組む新作の創作は、多くても年に1、2本が限度だ。その他に、過去につくった作品の再演を各地でおこなう。報酬はプロジェクトごとにさまざまだが、やりたいと思えるかどうかや縁を大切にしているという。  気長に工事を進めていた2015年、青天の霹靂が――。  トリシュールの借家の大家から「庭の手入れを怠った」という理由で突如退去を命じられたのだ。しかたなく、ふたりはアタパディでの暮らしを前倒ししてスタート。とはいえ劇場兼自宅の工事はいまだ基礎工事すら終わっていなかった。  そこで、地元の先住民族に手伝ってもらいながら、ココナッツの葉を屋根にしたバンブーツリーハウスを敷地内に建てて住み始めた。  バンブーツリーハウスは、かつて先住民族が住居としてつくっていたもので、現在ではヤギ小屋として利用している人が多い。サトコさんたちが住み始めると「ヤギがいるのかと思って近づいたら人間が住んでいた」と地元の人たちに珍しがられたという。  幸い電気は通っていたけれど水道はなく、敷地の裏にある小川から水を汲んで使う毎日。まともな道もなかった。 劇場でいただいた豆カレーはさらっとしていてたくさん食べられる(写真:ざこうじ るい)   読み書きしない先住民族に受け入れられる  ある日ツリーハウスで昼寝をしていると、血みどろのネズミを絞めつけた巨大なパイソン(ニシキヘビ)が布団の上に落ちてきた。  「これは……」とさすがに言葉を失ったサトコさん。この頃には、ツリーハウスの「ツリー」が伸びて「ハウス」の部分が歪んでしまっていたという事情も重なり、工事中の劇場に住まいを移すことに決めた。  まだ壁はなかったものの屋根はあったので、ツリーハウスより幾分かマシだった。地元の人たちの助けを借りて小川の水を引き、道も整備した。  実際に暮らし始めてみると、先住民族が入植者に搾取され、飲料水を得ることすらできない現状を知った。そこでふたりは、先住民族の人々も飲料水が手に入るように動き出す。  「なんでもそうだと思うんですけど、演劇も含めて文化は人間の暮らしの一部でもあるから、政治的な事も無視することはできないんです」 「よそ者」だからこそできたこと  「いったいどうやって?」という問いの答えは、驚くほど簡単だ。  「言葉を持つっていうのはすごく力のあることなんですよ。言葉を読み書きしない先住民族の人たちは今の社会制度の中ではどうしても立場が弱い。私たちは言葉をつかって行政と交渉しただけなんです」  サトコさんによると、ケーララ州では無償で学校教育が保証されているが、先住民族の人たちは家庭で読み書きをする慣習がないため、学んでも定着しない人が多いという。  ふたりは“演劇をやりにきたよそ者”という、利害関係のないフラットな立場を利用して交渉に臨み、先住民族の飲料水を獲得した。  地元のどんな立場の人たちとも良い関係を築くことは、サトコさんらが劇場を運営していく上で最も大切にしているポイントだ。飲料水プロジェクトを経て、徐々に民族や立場を超えた人々から信頼されるようになっていった。 たくさんの人に助けられて完成した自宅兼劇場  ほとんど屋外のような状態で住み始め、少しずつ劇場をつくりながら10年。  デザインを形にするための建築エンジニアは、バイク事故で重症を負ったシャンカルさんを病院まで運んでくれた命の恩人だ。窓やドアをつくるのは、近所の人にも手伝ってもらった。  劇場の照明機材は、公演に行くたびに「使わなくなった中古の照明機材を譲ってほしい」とよびかけて集めた。その結果、ドイツやノルウェー、京都など、世界各地からさまざまな機材が集まっている。  8年ほど前、災害級の大雨が降り続き、建物スレスレの場所で土砂崩れが起こったこともある。「ゴゴゴゴ……」というものすごい音に「逃げるしかない」と観念して山を下り、3日間ほど降り続いた雨がやんでから戻ると、劇場の中は大量の泥であふれていた。この時も、知り合いや近所の人の手を借りて泥をかきだし、生活を持ち直したという。  「ご縁があってたくさんの人に助けられて実現したとしか言いようがないんです。この劇場が一つの作品だな、と思います」  サトコさんはしみじみと語る。 演劇を無料で上演しつづける  アタパディには、料金を払って演劇を見に来る文化はない。1年に数回不定期で地域に向けて上演する演劇は、すべて無料だ。自分たちで企画制作をおこなうこともあれば、アーティストを呼んで上演することもある。  文化事業の助成金などを受けながら、劇場の維持管理費や設備費は、滞在制作に訪れるアーティストや劇団に貸し出したレンタル料で賄う。  「10ルピー(≒17円)でもお金をとることで地元の人が見に来なくなってしまうんだったら、お金は取りたくないと思っています。そもそも私たちは、日々の暮らしのなかで地元の人とのいろんなやり取りを通じて生活が成り立っています。苗や収穫物を分けてもらったり、家に蛇が出た時には捕獲を助けてもらったり、お金ではないものをたくさん受け取っているんです。それを私たちは演劇というかたちでお返ししたいと考えています」  このためサヒヤンデ劇場には、特権階級の人もそうでない人も、同じように観劇にやってくる。  インドの身分制度「カースト」は、1950年にそれに基づく差別が禁止されたものの、その影響は根強く、階級が違う者同士が空間を共にする機会は普通、ほとんどない。まして先住民族の人たちはカーストの中にすらカウントされない、いわば周縁の人だ。  身分や宗教を超えて多様な人々が共に観劇するサヒヤンデ劇場の光景は、とてもめずらしい。 「ここで演劇をやって良かったと思うのが、考えや階級が違う他者同士が一同に集まり、肩を並べて時間と場所を共有することを可能にする、ということです。その体験が、対話や発見を生み出すきかっけになり得ると感じています」 「誰に頼まれたわけでもなく、住みたくて住んでいる」  それでもサトコさんは「そんなきれいごとでいいのかな」と自問する。  「何か新しい流れを生み出すきっかけがあるといいな、ぐらいで、大層なことはしていないんです。誰かに頼まれたわけではなく、自分が住みたくて住んでいるわけだし、暮らしがあっての演劇なので、この場所で居心地のいい生活を送るっていうこともとても大事なんですよ」  毎朝起きると、サトコさんはまず2時間ほどヨガと瞑想をしてからオートミールとナッツの朝ご飯を食べる。午前中はできるだけ野良仕事をしたり掃除をしたりと体を動かし、午後は仕事のメールをしたり本を読んだり。敷地内でスパイスを栽培し、コロナ禍以降は、養蜂も始めた。 自分のペースで暮らせる幸せ  シャンカルさんはベジタリアンのため、食事は基本豆カレーだ。飽きることはないのだろうか。 「豆の種類もいろいろあるし、例えばマンゴーの季節にはマンゴーのカレーをつくったり、収穫したココナッツでココナッツベースにしたり。もともと魚が好きなので、たまに魚が食べたくなると、山を下って食堂から魚料理を買ってきて食べたりもします」  アタパディは年間を通して25~30度前後と暖かい場所だ。敷地内にはコーヒーの木が実をつけ、野生のいちじくやジャックフルーツがたわわに実っていた。日本に帰国するときに、蕎麦の乾麺やめんつゆを買ってきて、時々食べることもあるのだという。  「小さいころから自分のペースで理解したり考えたりしたい気持ちが強かったんです。この場所にいると、それが許される感じがありますよね」  もちろん、公演や演劇制作の仕事が入ると、生活は一変する。アーティストの宿泊を受け入れ、チームを調整したり、衣装を準備したりと大忙しだ。  シャンカルさんは演出家、サトコさんは制作者として仕事をして生活費を稼ぎながら、ゆくゆくはスパイスの栽培や養蜂が継続的な劇場運営につながれば、という構想もある。 屋外劇場にあつまった観客(撮影=AJ Joji)   観る人が一つになれる舞台を目指す  2月はじめ、日本の地方劇場である「犀の角」と共同制作した舞台『羽衣』がサヒヤンデ劇場で上演された。ないと天に帰れないという羽衣を地上に忘れた天女。その天女を好きになってしまった漁師が、羽衣を隠してしまう――という日本の『羽衣伝説』をもとにした舞台である。  日印の劇場は、両者と関わりのあるダンサーの山田せつ子さんを通じて2020年に出会い、観客が一体となれる舞台を目指してきた。  上演の日に劇場を訪れると、開始時刻が近づくにつれて地元の人が集まり、庭で振る舞われるチャイを片手にそれぞれ談笑していた。真っ赤なドレスを着た女の子、ポマードで髪をなでつけて誇らしげにする男の子。インドの伝統衣装・サリーを美しく着こなす母娘や、ドーティと呼ばれるスカートをはいた先住民族らしい男性もいた。  ポイン、ポインポイン……。  舞台が始まると、イダッキャというインドの打楽器のユーモラスな音が聞こえてきた。漁師役のインド人俳優・カピラ・ヴェヌさんはケーララの古典舞踊の踊り手でもある。天女に扮した日本人俳優・美加理さんの動きは、歌舞伎や相撲を思わせた。インド人の歌い手・ビンドゥマリニさんの透き通る歌声は伸びやかに響き渡り、遠くで獣の声と混じり合った。 「わからなさ」があるから、わかり合おうとする  上演した3日間で訪れた観客はおよそ230人。8割は地元の人だ。インド人同士でもそれぞれ異なる言語を母語とする創作メンバーと、日本人。小さな子どもからお年寄りまで、私を含めたさまざまな背景の制作陣と観客が、文化的、政治的な差異を超えて、目の前の舞台に釘付けになった。  公演が終わって数日後のことだ。早朝に物音がして起きると、台所に先住民族の男性が突っ立っていたという。サトコさんが驚いていると、男性は「(公演が)最高だったよ」とおみやげを手渡してくれたそうだ。 「先住民族の人の言葉がわかるんですか?」と尋ねると、「込み入った話はわからないんですけどね」と前置きして続ける。  「言葉がわからないところにずっと身を置いていると、なんとなく分かるようになるんです。お互いにどうにか分かり合おうとしてるところもあると思います」  わからなさが前提にあることで、わかり合おうと努力する。距離があるからこそ生まれるその姿勢に、サトコさんは魅力を感じているのだろう。 自分と異なる存在に助けられて生きている  日本でシャンカルさんに出会ってからおよそ25年。中年にさしかかった今、サトコさんはシャンカルさんとの距離感についても見つめ直しているという。  「シャンカルと共に歩んできた演劇人生について考えると、これは『誰の』夢なんだろう、とドキッとすることがあります。でも劇場を拠点とする暮らしの中で、シャンカルという存在をきっかけとして、自分の生き方を模索してきたのだと考えられるようになりました」  他者との関係性をはかることで、サトコさんは自分の存在を確かめているのかもしれない。眼の前で起こることを誰のフィルターでもなく、自分のフィルターを通して見たいのだ。  インタビューの最後に、幼い頃、「いい風がふいたらそれを逃さないように」と母に言われたことを教えてくれた。その言葉どおり、サトコさんは縁や出会いを大切にして、インドの山奥にたどりついた。  「生まれ育ったところではない土地で暮らす経験や、自分と違う人たちとの関係性が、自分自身を開き、柔軟にしてくれます。自分と異なる存在から持ち込まれるあらゆることに助けられているんです」  その生きざまはまるで、鶴留聡子という演劇作品をつくっているかのようだ。 (フリーライター:ざこうじ るい)    

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