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FM802の6月度ヘビロにTeleとリア・ケイトが決定
FM802の6月度ヘビロにTeleとリア・ケイトが決定
FM802の6月度ヘビロにTeleとリア・ケイトが決定  FM802が、2022年6月の邦楽・洋楽ヘビーローテーション楽曲を発表した。1か月にわたって、各ワイド番組などで毎日オンエアされる。 ◎邦楽「comedy」/Tele  谷口喜多朗によるソロプロジェクト「Tele」。2022年1月1日「バースデイ」より始動。世界を全身で感じ、冷静に見つめる感受性。まるで小説の様に紡ぐ言葉が織りなす、文学的な歌詞世界。 孤独と愛情が同居する声を持つ、作詞作曲編曲全てを担当する谷口喜多朗。 まだまだ未成熟で初々しいポテンシャルだが、既に圧倒的な存在感とスケールを示す。「僕の悲しみに名前をつけるな!」という焦燥と「全て喜劇に変わるはずなんだ。」という葛藤を、沸騰する純度で閉じ込めた歌「comedy」がヘビーローテーション楽曲。才能爆発前夜、令和新時代に生まれた革命的歌詩人「Tele」、ここに現る。 ◎洋楽「10 Things I Hate About You~あなたが嫌いな10の理由~」/リア・ケイト  ラジオ局で働く父と、オペラ歌手の祖父、2人の叔母はシンガー・ソングライターという家庭に育つ。アヴリル・ラヴィーン等を聴いて育ち、13歳の頃に作詞作曲に取り掛かるが、プロになる道は険しかった。1992年生まれのリアは、ある日仕事を解雇されてから楽曲制作に没頭し、音楽業界に連絡を取り続け、やっとのことでTikTokに投稿していた楽曲が、2020年にSNSサイトRedditの創設者に発掘される。その後、過去の苦い恋愛関係の実体験を歌詞にした「10 Things I Hate About You」を投稿すると、爆発的な反応があり、公式リリースから1週間半で再生回数が2,000万を越えた。 ◎リリース情報 Tele /『NEW BORN GHOST』 6/1(水)Release 2,500円(tax in.)
billboardnews 2022/06/01 00:00
慢性痛患者は痛みを気にしすぎ? VRで改善も…痛みの最新事情
慢性痛患者は痛みを気にしすぎ? VRで改善も…痛みの最新事情
慢性痛の治療に使われるVR療法の装置(Parafeed提供)  けがが治ってずいぶんたつのに痛みがなくならない。画像検査で異常がないのに痛みが治まらない。けがと関係ない部位に痛みが広がっていく……。治療が難しいとされてきた、慢性痛のメカニズムと対策がわかってきた。 *  *  *  痛みには大きく分けてけがをしたときなどに起こる「急性痛」と、3カ月以上続く、あるいは再発を繰り返す「慢性痛」がある。慢性痛はがんの治療による痛みや帯状疱疹後神経痛など、慢性疾患によるものもあるが、原因がよくわからないものも多い。持続する痛みによって心を病んだり、仕事を失ったりするケースも報告されている。  このやっかいな慢性痛の正体が近年、明らかになってきた。東京慈恵会医科大学医学部の痛み脳科学センター長、加藤総夫教授によれば、 「原因不明の慢性痛は、脳の神経回路の変化によって起こることがわかってきています。この変化は痛みへの恐怖や不安、怒りやストレスといった社会心理的な要因によっても起こります」  神経回路を変化させる部位の一つとして考えられるのが、「扁桃体」だ。からだや環境に対する警戒や警告をつかさどる部位で、痛みやストレスによって生じる苦しさやせつなさなどにも関係する。  慢性痛の患者の脳では、扁桃体の活動が痛みのない人よりも高まっていることが報告されている。加藤教授らが、顔に炎症があり扁桃体の働きが活性化しているラットの行動を観察すると、顔から遠く離れた足などに軽く触れただけで、すばやく足を引っ込める動きをとった。こうした症状は慢性痛の患者にしばしば起こるという。 「タンスの角に小指をぶつけるとものすごく痛いですよね。後日、そのときのことを想像すると、ぶつけたときの痛みを思い出して嫌な気分になったり、実際に痛みを感じることもあります。あれは痛みの不快感を扁桃体が記憶し、それに反応して警告信号が出ているから。慢性痛の患者さんは痛みを気にしすぎることで、この反応が普通の人よりも過剰に起こっていると考えられます」(加藤教授)  こうした痛みのメカニズムを知ってもらい、「痛みに対する認識を変えること」が改善の第一歩だと加藤教授は話す。この考え方は「認知行動療法」という形で行われている。奈良学園大学保健医療学部の柴田政彦教授は、「痛みが危険なものではないことを知ってもらい、痛みとの付き合い方を見直す方法」と言う。  柴田教授は2015年から、千里山病院集学的痛みセンターで難治性の慢性痛患者を対象に、認知行動療法を取り入れた3週間の入院プログラムを実施している。患者は理学療法士や作業療法士らの指導を受けながら、運動や日常生活に取り組む。痛みのメカニズムを学ぶ講座もある。 「入院では『痛くてもできる』体験をたくさんしていただきます。慢性痛の患者さんは痛みに対して恐怖を持ち、動くことを過剰に避けている人が多く、これが痛みの回復をさらに遅らせることになることがわかっているからです」(柴田教授) 「段階的曝露」で使われる恐怖階層表(柴田教授提供) 「段階的曝露(ばくろ)」という方法は、患者にとって恐怖の対象になる動作をあえてしてもらう。例えば腰痛で「床の物を拾う動作が腰に悪い」と感じている人は、その動きにチャレンジする。想像よりも楽にできることがわかると恐怖心がやわらぎ、少しずつ動けるようになっていくと言う。 週刊朝日 2022年6月3日号より 「欧米の研究では軽度の慢性痛(腰痛)を持つ人に対し、認知行動療法の一種であるPRTという療法を電話で週2回、1時間ずつ4週間実施し、多くのケースで痛みがほぼゼロになったという結果が報告されました。権威ある医学雑誌に掲載されたことで注目されています」(同)  VR(バーチャルリアリティー)を使った治療も試みられている。VRはコンピューターによって作り出された仮想空間を現実のように知覚させる技術だ。  都内在住の青木悟さん(仮名・72歳)は、30代のときから坐骨神経痛の症状に悩まされていた。数秒に1回、「失神する一歩手前の激痛」に襲われる。当時、整形外科では原因不明と言われたが、59歳のときにMRIを受け、腰の仙骨に神経鞘腫(しょうしゅ)という良性腫瘍があることが判明。これが慢性痛の原因とわかった。  しかし、腫瘍は膀胱や神経のすぐ近くにあり、手術で取り除くことが難しい。そこで痛みの専門医を求め、順天堂大学医学部附属順天堂医院の麻酔科・ペインクリニック外来を受診。井関雅子教授のもとで治療を始めた。 ■叫び声をあげる回数が減った  この種の強い痛みに効果がある薬を服用し始めると、かなり改善した。しかし、夕方から夜にかけての耐え難い痛みはよくならない。がんの痛みにも使われるオピオイド系鎮痛薬の服用を始め、増量もしたが夜間痛は続いた。そこで提案されたのがVR療法だった。 「海外では幻肢痛(事故などで手足を失った人が失った部位に強い痛みを感じること)に効果が出ていると聞き、興味を持ちました。『このつらい痛みがよくなるなら何でもやりたい』という気持ちでした」(青木さん) 慢性痛の治療に使われるVR療法の画面(Parafeed提供)  VRでは端末を頭部に装着し、手でコントローラーを操作する。青木さんは上から落ちてきた「ゴムまり」を破裂させるなどのシューティングゲームを1日1回、20分程度行った。最初に効果に気づいたのは、妻の美幸さん(仮名)だったと言う。 「週に1、2回、家内の運転で出かけるのですが、座ると数分で激痛が起こり、ものすごい叫び声をあげるのが常でした。それが治療から半年たったある日、『最近、悲鳴をあげなくなったね』と言われたのです」(同) 慢性痛の治療に使われるVR療法の画面(Parafeed提供)  痛みを評価するNRS(Numerical Rating Scale)というレベル表では、11段階のうち想像できる最大の痛みを10とし、現在の痛みがどの程度かを示してもらう。青木さんは治療前にレベル6~7だったものが3までに半減。薬の量も減らせた。治療を始めて3年たった現在も、この状態を維持できている。  井関教授はこれまで10人程度の患者に試験的に使い、多くのケースで効果が得られているという。 「好きなことに集中すると、脳の痛みを感じる経路のネットワークが減弱することで、痛みの感じ方が弱まります。VRもこれと同じようなメカニズムで痛みが改善されるのではないか、そして痛みを抑制する物質が産生されるのではないかと考えています」(井関教授)  米国ではVR療法を使った慢性腰痛治療が昨年、FDA(米食品医薬品局)に認可された。痛みに悩む人には希望を持ってほしい。(狩生聖子)※週刊朝日  2022年6月3日号
週刊朝日 2022/05/30 10:00
瀬戸内寂聴の晩年17年に密着した中村裕監督が撮影日記につづる「青春時代の断片のような交流」
瀬戸内寂聴の晩年17年に密着した中村裕監督が撮影日記につづる「青春時代の断片のような交流」
『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』から  国民的作家、瀬戸内寂聴さん(1922~2021)の晩年を追ったドキュメンタリー映画「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」(中村裕監督)が27日から公開されるのに合わせ、映画と同名の書籍が刊行された。初公開される中村監督の「撮影日記」をはじめ、美術家の横尾忠則さん、作家井上荒野さん、俳優南果歩さんへのインタビューなどを収録。寂聴さんの含蓄深い言葉の数々や年表も加え、充実した内容になっている。  映画は寂聴さんの晩年17年間の歩みを記録する。映画化は2009年ごろから構想され、撮りためた約400時間の映像を凝縮させた形だ。原稿の執筆、法話、デモへの参加、健啖家らしい食卓などの場面が描かれる。語り、笑い、憂え、そして泣く寂聴さんの表情は瑞々しい。  その背後で綴られた「撮影日記」(一部抜粋)を含む同名の書籍は、映画のパンフレットとして制作された。  中村監督は言う。 「試写会で映画を見たある女性は『この映画は寂聴先生への恋文ね』とおっしゃっていました」  映画の内容に基本的には沿っている「撮影日記」は、まさに「恋文」なのかもしれない。寂聴さんの最晩年の観察記であり、映画制作のためのノートであり、親子とも、男と女とも、友人同士ともいかようにも捉えることができ、いかなる関係とも言い切り難い2人の関係の記録でもある。  その一方で、映画では登場しないエピソードも少なからず記されている。  寂聴さんが絵を描くことに取り組もうとして横尾忠則さんに警戒されたり、寂聴さん自らが日記をつける決心をしたりするくだり、大学時代の友人の話、新型コロナウイルス感染症に対する所感……。少し弱気になったりそれでも最後は前向きに自らを鼓舞したり、寂聴さんの心の綾を綴って、起伏に富んでいる。  中村監督が「撮影日記」をつけ始めたのは、2019年8月15日だったという。今回の書籍には2020年8月15日から、寂聴さんが亡くなった2021年11月9日をはさんで2022年2月13日までの19日分が収録されている。監督によると、2019年8月14日以前、命日とその前後なども加筆修正できる状態という。 『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』から 「話し始めたのは、自らの『最期のとき』についてのことだった。『最近、<終末>という言葉がよく頭に浮かぶようになった。でも別に暗い感じではないの。明るいけどこれが終わりなのかなという感じ』」(2021年1月1日の項、本書より)  映画でも出てくるが、100歳近い作家の終末観だ。 「自然と先生が、しゃべりだしたことなんです。あのころ、『死んだら無だ』というかと思えば、翌日には『死んだら何かあるような気がする』とおっしゃっていた。揺れていたのでしょうが、その揺れがリアルだと思うんですね。頭の中に想念として浮かぶことが揺れるというところに、リアルを感じます。しかも、意識がしっかりした揺れですから、すごさも感じました」  2021年6月8日の項では、新聞の連載エッセーに書いた清滝のホタルの話が紹介されている。監督とおぼしき男性との交流の一端を描いた一文で、秘した恋情の漂うような小景でもある。 「あの文章はすごいと思った。弱々しいけれど、光を持って輝いている。ホタルはそういう象徴的なもの。100歳近いのに現役の作家として、こういう文章を書くのか、と心底驚きました。ホタルがふわふわ舞うのが、先生の命の灯がついたり消えたりするようにも思われ、そこに僕のような存在もいる。私小説ですよね。虚構と現実がないまぜになっているし、時空間も飛び越えている。不思議な世界観なのですが、作家としてどこかに到達したというような迫力を感じました」 「映画の最後に、この文章をもってくるというのは編集の初期段階で考えていたんですよね。これはこれで終われるな、先生の到達点としてこれがベストだなと思った。文学者を描いた映画なのに、文章の引用はあそこだけなんです」  寂聴さんは、恋愛関係にあった男性を小説に描いてきた。中村監督もその男性の1人になったのだろうか。 「そんな大それた意識はないんですけど。何がしか、お役に立てた側面はあるかもしれません。その点はよかったと思っています。フランスの作家マルグリット・デュラスは晩年、年の若いパートナーと過ごしましたが、先生は『それをイメージしていた』というようなこともおっしゃっていました」  デュラスといえば、最後の愛人ヤン・アンドレアの著書『デュラス あなたは僕を(本当に)愛していたのですか』を原作とする名優ジャンヌ・モロー主演の仏映画「デユラス 愛の最終章」(2001年)がある。16年間の愛の軌跡を描いた作品だ。 「でも、『あなたは文学はど素人だし、そういうことは望まないんだけど』と先生はおっしゃって、勝手にきれいなイメージを妄想されていたのかもしれません。先生は、51歳で出家されて性愛の部分を封印された時に、翼を得て、もっと自由に解き放たれて、恋愛を描けるようになったのかもしれません。それが最後の方に存分に発揮され、先生の中に失われていない感情が実を結んだという感じはしますね」 「朝の9時11分、寂庵の馬場さんからショートメールが届いた。『今朝お亡くなりになられました。残念』」(2021年11月9日の項、本書より)  寂聴さんが亡くなった日の記述。淡々とした文面が、かえって、深い惻隠の情をにじませる。中村監督は11月9日には京都に駆けつけなかったという。 「東京で番組制作をしていたからです。知らせを聞き、わかりました、ということで、哀しみに浸る間もなく、仕事が現在進行形で続いていたので、あとは仕事をしていました。やっぱり、これが先生だったからかなあ。先生は、仕事が一番大事という人だったから。仕事を休んで具合の悪い母親を介護していたという友人に対して幻滅したともおっしゃっていたんですよね。男は、親の死に目に会えなくても仕事をしなくちゃだめだろうって。先生だったら同じことがあっても仕事をしていたのではないかと思います。目の前にあることをちゃんと仕上げてから、お通夜、告別式に行く、と淡々と考えていましたね」  2022年2月13日の項ではこんな場面も出てくる。 「それは映画制作について、ぼくを強く叱咤(しった)する言葉だった。『裕さんは私をもっと撮ってお金にする気はないの? 臨終が撮りたいなら撮れるように言っておくよ。私はもう死んでしまうんだから平気よ』」 「臨終の場面は撮っていませんし、撮る気もなかった。今、撮影しなくてよかったな、と思っています。そういう映像は残ったら非常に厄介なものになっていたでしょうね。簡単に消せないし、僕だけのものではないという気もする」 「撮影を許されても、正視できなかったかもしれない。亡くなったことを表現するのに、先生の臨終の瞬間は必要なのかどうかっていうことを考えると、議論の余地がある。映像の記録というのは、一つの言語的な意味もあるわけで、ご家族や親しいスタッフ越しに撮るのか、彼らを差し置いて一番手前で撮るのか。本当に美しいと感じられる映像になるのか。カメラの位置をどこにするのかというだけで意味が変わってくる。世の中には撮ってはいけない映像や残してはいけない記録というのがあると思う」  寂聴さんが亡くなったという事実と向き合うことをあえて避けたようにも見える。その人は生き続けている、と思いなすことができるからだ。 「それはあるかもしれません。カメラを持たずにお通夜に行った時、居間に遺体が寝かされていて棺の中に、近づいていくけれど、僕は近づいてみなかった。近づきたくなかった。見に行く理由、必要性が僕にはないというか、認めたくないというのもどこかにあったかもしれないですが、そんなロマンチックなものではなく、単純に見るのがいやだった。アップで亡きがらも見ていない。棺を送り出すときも、色とりどりの赤や黄色の薔薇の花を敷き詰めて、最後に先生が作った『白道』というお酒を花の上からかけて、『裕さんもかけて』といわれたんですけど、『そんなにかけたら燃えすぎちゃいますよ、棺桶が』といなして、しなかったんです」 「いまだに『先生から今日は電話がかかってこないな』という風になるのは、先生が亡くなったという事実を自分で認めるような、頭に焼き付くような行為をしていないからかもしれません」 「撮影日記」からも、映画自体からも、中村監督の立ち位置はまさに「当事者」だ。 「作家の沢木耕太郎さんが言うように『同じ馬車に乗ってしばらく走って、やがて降りる』という、同乗させてもらう感じがありました。今回はドキュメンタリーとしては異端かもしれませんが、僕はドキュメンタリーも基本的には主観の立場で撮るものだと思う。見やすくなり、説得力を増すのであれば、監督が自らカメラの前に出て行ってもいいんじゃないかな。今回は、寂聴先生だから、ああいう風にしか関われなかったですね。僕自身の私小説的な内容になりました」  監督自身の経歴も、住んでいる部屋もぐっと前面に出てきている。 「恥ずかしいですけど、僕自身、中学2年生くらいの気持ちを持ち続けています。先生も女学生みたいでしたから、青春時代の断片のような交流です。少年少女のファンタジーの一面のようなものも映画にはあります。還暦を過ぎた男が、すごく高名な作家であり、僧侶である人とずっと過ごした記録ですが、いろんな見方ができるんだろうなと思うと、ちょっと楽しいですね」 (米原範彦) ※週刊朝日オンライン限定記事                        書籍『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』(発行:2022「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」製作委員会、発売:朝日新聞出版)は1,500円(税込み)。「撮影日記」、巻頭の写真集、「書斎の変遷」「忘れがたいことば」「年表」なども収める。映画の上映館をはじめ、全国の書店、ASA(朝日新聞販売所)で販売中 ◇朝日新聞出版
週刊朝日 2022/05/29 11:30
「いま何時?」で妻をナンパ 「手の届く注文住宅」がモットーの工務店を経営する夫婦
「いま何時?」で妻をナンパ 「手の届く注文住宅」がモットーの工務店を経営する夫婦
 AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2022年5月30日号では、大阪府豊中市のひかり工務店で経理を担当する清水美穂さん、ひかり工務店代表取締役の清水洋人さん夫婦について取り上げました。 *  *  *  夫23歳、妻23歳で結婚。長男(26)、長女(24)は独立し、現在は次男(15)、三男(11)と4人暮らし。 【出会いは?】広島のディスコで、大学生だった夫が「いま何時?」と妻をナンパし、交際がスタート。 【結婚までの道のりは?】大学卒業後に大阪で就職した夫と広島在住の妻は遠距離恋愛に。月に2回しか会えず電話代もかさむ状態を1年半続け「もう結婚しよう」と決めた。 【家事や家計の分担は?】家事はほぼ妻の担当。夫は食器洗いが好きで、長女に「アライグマみたい」と言われるほど熱心に洗う。夫婦の財布は基本一緒。 妻 清水美穂[51]ひかり工務店 経理担当 しみず・みほ◆1971年、広島県生まれ。高校卒業後、会社員として事務職を経験。結婚後は夫の実家の喫茶店を手伝い、2003年からひかり工務店を支える。いまでは社員38人に増え、大阪府豊中市で人気の工務店に成長した  ディスコで夫にナンパされたときは「大阪弁のあやしい人だな」と思いましたが(笑)、それから彼の人生の紆余(うよ)曲折を隣で見てきました。  夫は不動産会社への就職直前にバブルがはじけて内定を取り消され、鉄筋工をしながら建築士の勉強をし、建築の面白さに目覚めたようです。思いがけず早く独立することになったけれど、私は不安を感じませんでした。彼の人となりから「大丈夫だろう」と思えた。だから「やってみたら」と背中を押しました。  私自身も結婚前は仕事を義務感でやっていたけれど、自営をはじめてから働くことに前向きに、やる気になったと思います。「生活がかかっているんだから!」と二人でなんでもやりました。義父母の介護と子育てと仕事を抱えていた時期が一番大変で、上の二人には寂しい思いをさせてしまったと思います。でもいま長男が現場監督として、長女は広報として一緒に働いてくれています。親の背中を見てくれていたのかな、と思うとちょっとうれしいです。 夫 清水洋人[51]ひかり工務店 代表取締役 しみず・ひろと◆1971年、大阪府生まれ。近畿大学工学部卒業後、工務店勤務を経て、2003年にひかり工務店を設立。「手の届く注文住宅」をモットーに設計、施工、リノベーション、アフターメンテナンスをすべて自社で行う  自分が作りたい家を考えたら「冬温かくて夏涼しい家」だったんです。通年温度が一定になるように設計すると意外と電気代が高くならない。デザイン性も高め「手の届く注文住宅」として好評をいただいています。でも平坦(へいたん)な道のりではありませんでした。  32歳で独立した当初は3カ月間、電話が一度も鳴らなかった。妻の手作りのチラシを二人で折り、子どもたちにも手伝ってもらいポスティングしました。建築現場の土を撤去するため深夜までスコップを持って格闘したことも。妻も泥まみれで一緒にやってくれました。  方向性が大きく決まったのは6年前。ホームページをスタイリッシュにリニューアルしたら問い合わせがグンと増えた。センスのいい設計士が入社してくれたこともあります。僕は人に恵まれている。もちろん筆頭は妻です。  年1回の夫婦旅行が趣味。妻には行き先しか教えず、すべて僕が決めます。「絶対、これ喜ぶ!」を想像して計画するのが楽しいんです。 (構成・中村千晶) ※AERA 2022年5月30日号
はたらく夫婦カンケイ
AERA 2022/05/27 18:00
4299万円の“スピード確保”の裏側 インターネットカジノ事情と田口容疑者の狙い 誤入金問題
今西憲之 今西憲之
4299万円の“スピード確保”の裏側 インターネットカジノ事情と田口容疑者の狙い 誤入金問題
写真はイメージです(GettyImages) 「全額をインターネットカジノに使った」わけではなかった。山口県阿武町の4630万円誤入金問題。5月24日、町は4299万円を確保したと発表した。急展開で返金のめどがついた背景に何があったのか? ネットカジノとの関係は? それぞれ探った。 「このニュースを聞いてやっぱりだと思った。4630万円も一気にネットカジノに使うだけの度胸はないですよ」  そう話すのは、電子計算機使用詐欺容疑で逮捕された無職田口翔容疑者(24)の幼なじみだ。  当初、田口容疑者は「すべて海外のネットカジノで使った」と弁護士らに説明していた。  しかし、この日、花田憲彦町長とともに記者会見した町側の代理人、中山修身弁護士は、 「田口容疑者が送金した決済代行業者3社に対し、国税徴収法に基づいて差し押さえなどの手続きを進めました。具体的には5月19日に東京にある3社に書面を直接手渡したところ、直後に阿武町の銀行口座に送金してきたようです。それを阿武町が確認したのが23日。まだ他の手続きが完了していないので、返金というより確保という言葉になります」  と説明した。  田口容疑者がネットカジノに使うために送金したとみられる決済代行業者。ネットカジノとどういう関係があるのだろうか。  関西地方でネットカジノ関連の仕事をしているある男性に話を聞くと、仕組みはこうだ。  ネットカジノは、サーバーが海外にあり、いったん決済代行業者にカネを預けてポイントに交換し、それを使ってカジノで賭けることができる。 「決済代行業者は、初回の客などにはポイントを多くつけて、囲いこもうとする。例えば、100万円を業者に預けると通常なら100ポイントのところ、150ポイントくらい、つまり50%上乗せして交換する。業者も競争なので、ポイントをどれくらいつけるかはそれぞれ」  業者は損はしないのだろうか。 「決済代行業者は、サーバーのあるフィリピンなどの、胴元となるネットカジノ業者に登録しており、ポイントを数億円、それ以上の単位で大量に買い付ける。そういう単位で取引し、信用ができれば、相当多くのポイントを上乗せして交換してもらえるようになる。例えば1億円を胴元に払うと、5億ポイントもらえるという感じ。だから、客にポイントを50%程度還元してももうかる仕組みになっている」 山口県阿武町の誤入金問題をめぐる記者会見で説明をする町側の弁護士と花田憲彦町長(左)  客がゲームを終えて勝った場合は、 「基本は登録口座にポイント還元という形になる。もちろん、現金という人もいる。その場合、銀行口座に振り込むと賭博罪で立件されかねないので、こっそりと現金を手渡しする」  とのこと。ネットとはいえ、賭博となれば犯罪行為とも思われるが、 「サーバーが海外にあるという理由で、法的には、賭博罪などには該当しないという解釈になっている」との説明だった。  ネットカジノと決済代行業者については、これまでもマネーロンダリングの可能性も指摘されてきた。  2016年にはネットカジノの決済代行業者が、千葉県警に逮捕され、有罪になった事件もある。  そこで、「インターネットカジノ」「決済代行業者」でネット検索してみたが、業者の具体的な名前は出てこなかった。田口容疑者は、決済代行業者にどうやってたどりついたのか。 「(カジノに関係する)決済代行業者の背後には暴力団関係者が多いので、地方都市でも口コミで簡単に見つかります。東京や大阪の繁華街では、深夜にチラシを配って客集めしている店もあります」(前出のネットカジノ関係者)  田口容疑者が全額使ったと説明していたことについてはこう推測する。 「決済代行業者を使ってネットカジノで使ったふりをして、ほとぼりが冷めたらカネを引き出そうという、『マネーロンダリング』を最初から考えていたのではないか。大々的に報道されたことで、決済代行業者もプレッシャーを感じて、早めに返金したほうがいいと判断したと思う」  田口容疑者は逮捕前、山口県警の任意の事情聴取に応じた際にスマートフォンの提出を求められ、応じたという。 「田口容疑者がスマートフォンを出した時に当然、さまざまなデータをとっている。社会的な関心も高く、スピードある被害回復が必要だ。そのデータが早急な逮捕のきっかけとなった」(捜査関係者)  現時点で4299万円が阿武町に戻るめどがついたようだが、まだ300万円あまりが残っている。今後はどうなるのか。 {!-- pager_title[町側の責任問題は今後] --}  元東京地検の落合洋司弁護士は、 「田口容疑者の逮捕容疑、電子計算機使用詐欺という罪名自体が成立するのかと考えていた。おそらく、警察、検察は罪名より逮捕でプレッシャーをかけ、返金を最優先したのではないか」  とみる。そして、大半が返金されることを踏まえ、 「起訴前に4630万円に近い返金があれば、田口容疑者は起訴されずに処分保留で釈放されるかもしれない。財産犯なので、金銭的な被害が回復されることが最も優先される。起訴後に返金があった場合でも、裁判では執行猶予が付いて、刑務所に入らなくてもよいという判決になるのではないか。この事件は、田口容疑者が金を盗んだのではなく、阿武町の誤入金が端緒なので、裁判になるとかなり量刑には考慮されます。もし、今の電子計算機使用詐欺という罪名のまま検察が起訴すると、裁判では無罪になる可能性が十分にある」  と話す。  花田町長は、4630万円の9割ほどが「確保」できたことで、 「大半のお金が確保でき、若干、安心しています。しかし、すべて回収できていないので、今後も努力します。(4630万円が)どう流れ、使われたかは、できるだけ解明したい。警察が一定程度やると思うので、町民には説明をしたい」と記者会見で心境を明かした。  しかし、花田町長ら阿武町は、安心できる状況ではなさそうだ。 「役場には、誤入金したこと自体に責任があるという内容の電話がたくさんきています。今後、住民監査請求や訴訟などになると、ますます厳しい状況になります。もう被害者という言い訳が通じなくなる。職員が被害弁済を求められる可能性もあり、花田町長の責任問題で辞職にも発展しかねない。すでに、次の町長が誰か、7月の参院選と同日のダブル選挙にして新しい町長を選ぶべきだとの声も上がっています」(阿武町議会関係者)  カネが戻ってきたとしても、それでおしまいというわけにはいかないようだ。 (AERA dot.編集部・今西憲之)
dot. 2022/05/25 11:30
元・テレ東、佐久間宣行の仕事術「守るべきは仕事よりもメンタル 給料分働けば十分『プロ』」
元・テレ東、佐久間宣行の仕事術「守るべきは仕事よりもメンタル 給料分働けば十分『プロ』」
佐久間宣行(さくま・のぶゆき)/1975年、福島県生まれ。テレビプロデューサー、演出家、作家、ラジオパーソナリティー。「ゴッドタン」「あちこちオードリー」「ピラメキーノ」「ウレロ☆シリーズ」などを手掛ける(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃)  テレビで、ラジオで、ウェブで。あらゆるメディアで話題を振りまいている、フリーランスのテレビプロデューサーとして活動する佐久間宣行さん。フリー転身後初となる著書のテーマは、自身の経験をもとにした仕事術だ。AERA 2022年5月30日号の記事を紹介する。 *  *  * ──昨年3月にテレビ東京を退社して以降、フリーランスのテレビプロデューサーとして活動する佐久間宣行さん(46)。 「ゴッドタン」「あちこちオードリー」などの人気番組を継続して担当するかたわら、昨夏に開設したYouTubeチャンネル「佐久間宣行のNOBROCK TV」が登録者数45万人を突破、今春にはバラエティーとドラマが融合したNetflix発の新感覚コンテンツ「トークサバイバー!」を手掛けるなど、その一挙一動にますます注目が集まっている。  そんな中、フリー転身後初となる著書『佐久間宣行のずるい仕事術』を上梓した。仕事への向き合い方について綴った、ド直球のビジネス書だ。この意外ともいえる一手に「僕自身、ビジネス書を書くなんて少し前までは想像もできなかった」とはにかむ。 佐久間:ここ数年、インスタグラムに仕事に関する悩み相談のDMが届くようになって。みんなやりたいことはあるけど、人間関係で身動きが取れなくなっていたり、仕事の面白みにたどり着く前に潰されちゃったりしているんですよね。  それで、少しでも役に立ちたいなと僕なりの考えを返信していたんですけど、「オールナイトニッポン0」を始めたあたりからDMの数が増え過ぎちゃって。これはまずいぞと思っていた時に出版のオファーをいただいたので、本にまとめることにしたんです。 ■62のサバイバル術 ──仕事術、人間関係、チーム、マネジメント、企画術、メンタルの全6章からなる本書。「僕はこうして会社で消耗せずにやりたいことをやってきた」という副題のとおり、佐久間さんがテレビ東京の中で22年間にわたって実践してきた62のサバイバル術が克明に語られる。 佐久間:読んでくださった方たちの感想を見ると、年代や立場によって刺さる部分が違うんです。20代は「人間関係のところを読んで頭の中が整理できた」、30代は「メンタルの話にグッときた」という声が多い。マネジメントのところは僕と同じ40代、あるいはもっと上の世代の方が「すごく参考になる」とおっしゃってくれます。  あと、心を病んで休職されている方から「もう復帰できないかもしれないと思っていたけど、この本を読んで戻れる気がしてきました」とDMをいただいたりもしました。うれしかったですね。 AERA 2022年5月30日号より ──佐久間流仕事術の特徴は、徹底して“戦わない”ことだ。相手に勝つ方法ではなく、ストレスなく自分の仕事ができる環境を確保するためにどうすべきかを常に考える。それは、社会人1年目の時に抱いた、ある強烈な違和感からきているのだという。 佐久間:今とは違って、僕が入社した2000年代のテレビ業界ってめちゃくちゃハードだったんです。毎晩のように明け方まで先輩に飲みに連れ回されたり、理不尽な指示に対してちょっとでも疑問を口にすると大声で怒鳴られたり。当時のテレビ業界に必要だったのは、マッチョな世界でもやっていける従順な兵隊でした。  そんな状況だったので、「嫌われてもいいから自分で自分の心を守ろう」というのが僕の仕事術の原点です。  会社にとって都合がいいだけの存在にはならず、作戦を立てて“ずるく”働く。仕事に対する向き合い方を根本的に変えました。 ■とにかく楽しそうに ──佐久間さんがまず実践したのは「とにかく楽しそうに働く」ということだった。とくに26歳の時に初めて深夜番組の総合演出を任された際は、周囲に向けて意識的にアピールした。 佐久間:楽しそうにしていると、周りの上司に「こいつはやりたい仕事をやらせると、こんなに輝くんだな」と思ってもらえて、どんどん仕事を任せてもらえるようになるんです。なぜなら、「自分はこの仕事がやりたかった」という意思表示になるし、機会をくれた上司に対して「この仕事をさせてくれてありがとう」と感謝を伝えることにもなるからです。  逆に言い訳ばかりしたり、つまらなさそうにしたりすると、次の仕事がなかなか回ってこなくなる。不機嫌でいるメリットなんて一つもないんです。 ■キレる理由の8割は ──仕事が増え、人間関係も広がっていく中で、いつも肝に銘じてきたのは「相手のメンツを潰さない」。誰とも戦わずにいるためには、“敵”を作らないことが大事だからだ。 佐久間:組織で働くうえで忘れてはいけないのは、人はメンツで動いているということ。相手を軽んじていると思われないよう、あらゆる局面で“メンツ地雷”だけは踏まないように動かないといけない。  具体的に言えば、細かいことほどきちんと伝えておくことです。人がキレる理由の8割くらいは「そんなこと聞いてない!」なので。  どんなに自分を嫌う上司や同僚がいても、相手のメンツを立てさえすれば、自分を攻撃してくるリスクは低くなる。そうやって社内を注意深く歩いてきたからこそ、僕はテレビ東京を円満退社することができたんだと思います(笑)。 ──やがてチームを率いるようになると、自分の目の届かないところで誰かがミスをしてしまうこともあるだろう。  そんな時は、犯人を明らかにすることよりも、トラブルに至った“仕組み”を見極め、それを解決することに注力すべきだという。 佐久間:何かトラブルが発生すると、みんなすぐに犯人を特定しようとしますよね。でも、ミスの原因を個人の能力に求めると、その人の成長を待たなければいけなくなる。  それよりも、例えば業務分担の問題とか、チェック体制の問題とか、チームの仕組みを見直せば短期間で解決できる問題ってたくさんあるんです。  そもそも僕は、自分にも他人にも過度な期待はしていなくて。飛び抜けた天才が出てきてくれたらうれしいですけど、「人は失敗するもんだ」と思ってベースを作っているから、失敗しても怒らない。  それは自分に対してもそうです。自分の失敗も必要以上にへこまないというか、「俺をこうさせた仕組みが悪い」と思うようにしています(笑)。それって、やりたいことを実現するプロセスにおいて、すごく大事なことなんですよ。 ──常に多くの番組を抱え、1年先まで仕事の予定が埋まっているという佐久間さん。仕事人間のように見えるが、本書で繰り返し語るのは「守るべきは仕事よりもメンタル」ということだ。 佐久間:実を言うと僕自身、ギリギリまで頑張った結果、心が折れてしばらく引きこもったことがあって。だからこそ、メンタルマネジメントを自分の一番に置くことを貫いてきました。  たかが仕事、たかが会社。嫌なものや苦手なものはできるだけ避けて、“戦わずして”自分のできることをやっていく。それが最も大事なことだと思うんです。  それでも悩んでしまう時は、「給料分働けば十分だ」と思うようにしてください。  仕事に熱狂して、自分のすべてを懸ける人もいますけど、それは絶対的な正義ではなく、あくまでも性格や生き方の問題。仕事に対してハングリーじゃなくても、やるべきことをやり、給料分働けば、それで十分「プロ」ですから。 (編集部・藤井直樹) ※AERA 2022年5月30日号
AERA 2022/05/24 11:00
「在宅勤務からフル出社」で寝つきが悪化 “出社圧”に悩む人へ心身の健康を保つ3つの方法
「在宅勤務からフル出社」で寝つきが悪化 “出社圧”に悩む人へ心身の健康を保つ3つの方法
在宅勤務が長期間に及び、全面的に出社に切り替わるという人は、日常が変わるストレスから心身の調子を崩しやすいため、注意が必要だ(撮影/写真映像部・加藤夏子)  大型連休が3年ぶりに「行動制限なし」となるなど日常が再開される中、各職場でもフル出社再開などコロナ前の勤務形態に戻り始めている。心身の健康を崩さないためにはどうしたらいいのか。AERA 2022年5月23日号より紹介する。 *  *  * 「超健康的な生活が一変した」  こう嘆くのは、東京都内のPR会社に勤務する20代の女性だ。  2020年4月7日の最初の緊急事態宣言直後、仕事は月曜日と木曜日だけが出社、それ以外は在宅勤務となった。  はじめは戸惑ったが、在宅の方が仕事に集中できる。食生活も豊かになった。通勤時はお弁当持参で持っていける料理が限られたが、在宅ならランチに大好物のパスタを熱々のうちに食べられ、野菜もたくさんとれる。21年2月には、以前から住んでみたかった田園都市線エリアへ引っ越した。勤務後は品数の多いバランスの取れた夕食を堪能。早朝ジョギングも始めた。体重は落ち、体調が良くなった。 通勤ラッシュにも苦悩  在宅勤務が解除され、フル出社となったのは昨年11月。「以前から住みたかったエリア」は通勤が大変で会社まで片道1時間かかる。朝の通勤ラッシュはすさまじく、毎朝車両の人混みの中に体を押し込む感じだ。久しぶりのヒールで足も痛い。  帰宅はだいたい午後10時。そんな時間から夕食を作る気力はなく、食事を楽しむという気持ちはなくなった。  土日は部屋の掃除、洗濯、宅配便の受け取りがあり、在宅勤務時と比べて自由度ははるかに減った。なんとか月に1度、野菜づくりのために千葉に借りている畑に行けるよう日程調整をしている。女性はこう嘆く。 「在宅勤務の快適さを知ってしまったから、フル出社がよりこたえます」  ゴールデンウィークも明けるといよいよ出社再開が本格化した企業もあり、“フル出社圧”に悩む人も少なくない。長期間に及んだ在宅勤務中心の生活から、出社中心の生活に戻す際に、心身の調子を崩してしまう人もいる。  関東に住む50歳の女性も、出社再開で不健康な生活に戻ってしまった一人だ。  女性は2年前、通っていたスポーツジムをコロナで休会。代わりに自宅で腕立て伏せやスクワット、腹筋などの「宅トレ」を始めたら、ハマった。 AERA 2022年5月23日号より  在宅勤務の前後に各40分宅トレ。昼食はささっと食べ、30分間ジョギング。汗をかいて気分がスッキリし、夜は熟睡できる。開始3カ月目にはおなかの縦、横にラインが入り、人生初の「割れたおなか」を手に入れた。その体形を維持し1年半。「いつでもビキニ姿になれる体」になったと喜んでいたのだが……。 「昨年11月から元の勤務形態に戻り、しかも異動して、自分で予定を立てられなくなり、宅トレとジョグの時間が取れなくなってしまいました」(女性) 「筋肉は裏切らない」とよく言われるが、その逆も然り。おなかの「割れ」は消えていった。 心身の健康保つ生活を  眠りの質も低下した。寝つきが悪く、夜中に目が覚める。昼は眠く、ブラックコーヒーを何杯も飲むため、それがまた寝つきの悪さにつながっている。  公認心理師の潮英子さんのもとには、出社が再開されて「会社の人間関係が嫌、仕事が合わないと改めて痛感するようになった」といった相談が寄せられているという。潮さんは言う。 「そういう人に、特にお勧めしている三つの方法があります」  まず、体と心はつながっているので、心身の健康を保つ生活を送ること。夜更かしは避ける。睡眠を促すホルモン、メラトニンの原料で、幸せホルモンの別名を持つ神経伝達物質セロトニンの分泌が抑制され、睡眠の質が悪くなり、疲労感が蓄積し、体と心の不調を招きかねない。 “在宅時差ボケ”状態に  次に「リフレーミング」。物事を見る枠組みを変えて違う視点で捉え、前向きに解釈するコミュニケーション心理学の概念だ。 「人間関係が嫌、会社が合わないとマイナスに捉えるのではなく、それに気づけてよかった、新しい仕事に挑戦するチャンスだなどと捉えるのです」(潮さん)  そして「書き出し」。勤務形態が変わって何がプラスになり、何がマイナスになったかを紙に書き出す。例えば、「コロナで飲み会が減り、実は飲み会が好きじゃない、アルコールがそもそも好きじゃないと気づいた」のであれば、今後飲み会に極力参加しない。プラスを増やし、マイナスを減らしていくのだ。 オフィスへの出社を再開する会社も増えてきて、駅や電車も混雑し始めた。ホームは人であふれ、駅前では多くの人が行き交っている(撮影/写真映像部・加藤夏子) 「カウンセリングでよく聞くのが『もやもや』という言葉。書き出すことでプラス、マイナスが可視化され、それならああしよう、こうしようと未来志向で考えられます」(潮さん)  出社への切り替えで起床時刻を早めなければいけない人もいるだろう。複数の企業の産業医を務める「産業保健メンタルヘルス研究会」代表理事の鈴木安名さんはこう指摘する。 「体のさまざまな生体リズムを調整する体内時計は、1日25時間周期で動いていて、朝の太陽の強い光を浴びることで24時間にリセットされますが、在宅勤務中に夜更かしし、起床時間が遅かった人は、体内時計が乱れ、海外旅行の時差ボケのような状態、つまり“在宅時差ボケ”が生じている可能性があります」  すると疲労感、倦怠感(けんたいかん)、やる気の喪失、集中力の低下など、うつ病やうつ状態の入り口と見分けがつきづらい症状が出る。対策としては、仕事があろうとなかろうと朝は一定の時間に起き、大きく伸びをし、カーテンを開けて太陽の光を浴びること。「今後、在宅勤務が解除予定」という人は、その2週間ほど前から準備すべきだという。 うつ対策には筋トレ  さらに鈴木さんが「うつ対策で外せない」と挙げるのが、運動だ。有酸素運動に関してはうつの予防・治療に役立つことを報告する研究が数多くある。筋トレに関しても、うつの症状を改善する効果があると示した研究結果が発表されている。 「筋トレがいいのは、目に見えて結果が出るところ。腕立て伏せが5回しかできなかった人が、1カ月後には20回できるようになる。見た目も変わる。自信がつき、自己肯定感が高まります」(鈴木さん)  心身の不調は、労働生産性を低下させる。会社側としては、どういった対策が有効なのか。  日本産業カウンセラー協会常務理事・シニア産業カウンセラーの中川智子さんはこう話す。 「在宅勤務が長期間にわたり、それを前提とした日常が確立されています。変化はストレスになる。以前の労働形態へ移行するなら、ウォーミングアップ期間を設けたい」  時差通勤やフレックスタイム制など各人が最もパフォーマンスを上げられるような労働環境を整える。一方、仕事内容によって、それらがままならない場合もある。一律に「出社」とするのではなく、部署、または社員ごとに、なぜ出社が求められるのか、丁寧に説明をする。 「新入社員の中には、入社以来ほぼ在宅勤務という人もいるでしょう。人間関係が確立されていない中での出社は、よりストレスに感じるかもしれません。上司の側から積極的にコミュニケーションを取るよう心がけてください。また、いきなりマックスの成果を求めるのではなく、無理なく仕事に入っていけるような配慮も必要です」  とはいえ、「飲みに行くぞ!」と無理に誘うのはアルハラになりかねないのでご注意を。(ライター・羽根田真智) ※AERA 2022年5月23日号
ウィズコロナ
AERA 2022/05/23 08:00
「アラサーちゃん」作者・峰なゆかが描く“ぶっちゃけすぎ妊婦ライフ”
「アラサーちゃん」作者・峰なゆかが描く“ぶっちゃけすぎ妊婦ライフ”
育児漫画『わが子ちゃん』を出版した峰なゆかさん(撮影/松永卓也) ドラマ化もされた人気漫画『アラサーちゃん』の著者である峰なゆかさんが、異色の「育児漫画」を出版した。峰さんの妊婦時代の経験から、誰も書けなかった本音を赤裸々に描いた『わが子ちゃん』(扶桑社)は、これまでの育児漫画とは一線を画した意欲作だ。慈悲と優しさにあふれた「聖母」のような妊婦像を押し付けてくる社会に対して、ウィットに富んだ毒を含む表現を駆使しながらあらがい、本音で生きようとする「妊婦・峰なゆか」の姿は痛快ですらある。著者本人に、数々のエピソードの裏話を聞いた。 *  *  * 取材場所のカフェに現れた峰さんは、トレードマークだった黒髪のロングヘアを鮮やかなピンクアッシュに染めていた。その理由を聞くと、 「小さい子どもがいると、無遠慮に話しかけてくる人が多くて、それがイヤなんですよ。髪を派手にすれば話しかけられないと思って染めたんですけど、効果てきめんでした」  育児中の女性に“あるある”の悩みを吐露しながらも、ユーモラスな返しが、いかにも峰さんらしい。  4月に出版した『わが子ちゃん』(1巻)では、峰さんの妊娠から出産前までが描かれている。世間から押し付けられる妊婦のイメージや“正しい”とされる妊婦マインドをことごとく蹴散らし、独特の表現で女性の「本音」をつづった。  執筆は出産したその日からスタートさせたという。 「みんなが『産んだら(妊娠中の苦労や)痛みを忘れちゃうよ』と言うので、忘れないうちに書かなきゃと思い、産んだ30分後にはiPadを開いてメモしていました。私の場合、妊娠中からつわりがひどくて、これを漫画にしてお金に変えないとやってられないな、と思っていたんです」  作品には妊婦の心の内を赤裸々に描いた場面が数多くあるが、序盤から、表立っては語られづらい「流産」についても触れている。妊娠初期で流産する確率は約15%もあることを踏まえたうえで、これをおなかに銃口を向けられた「ロシアンルーレットと同じ確率」(6分の1)と表現した。 峰なゆかさん(撮影/松永卓也) 「本当に流産した人が見た時にどう思うのかな、などいろいろ考えました。でも、妊娠初期は肉体的なつらさだけではなく、流産するかもしれないという精神的な不安はかなり大きいんです。誰もがそう感じているはずなのに、でも、みんな書かない。だから伝わりやすく描く必要があると思ったんです」  もしも流産した時に自身の心が壊れないように、妊娠初期は胎児に愛情を持たないようにしていたことも描いた。 「中には『母親としての自覚がない』と怒る人がいるかもしれません。でも、読者の方からは『わかる!』という反応が多くて、みんな同じような心境だったことが改めてわかりました」  安定期に入る前は「食べづわり」に悩まされた。街中で路地に隠れておにぎりをほおばったり、カップ麺を作るお湯が沸く時間すら待てずに硬い麺を食べたりしたことも。その姿を見たパートナーの「チャラヒゲ」からは、「妊婦さんは2人分食べなきゃね」と励まされたが、これに峰さんの心はざわつく。 「その時は妊娠7週目で、胎児はまだ1センチほどですよ。なのに2人分食べなきゃね、なんてありえないでしょう。食べたら吐いてしまうつわりは心配されるのに、『食べづわり』は、食欲旺盛で元気なだけ、と思われがちなので、そのつらさが周囲に伝わりにくいことを痛感しました」  そんなつらい日々のなかでも、たまに「食べづわり」がこない日があると、今度は胎児がおなかの中で亡くなっているのではないかという不安に襲われた。 「産婦人科に行って『死んでいるかもしれないので診てください』なんて言うのは気まずいし、先生には言いにくいですよね。不安になってすぐ診てもらいたいというときでも、病院に行くのも時間がかかるし、予約が埋まっていれば診てもらえるかもわからないし。将来的には、エコーの機械が自動販売機みたいに街中に設置してあって、500円入れたら、すぐに胎児の心音が聞けるような世の中になったらいいのにと思います」 峰なゆかさん(撮影/松永卓也)  育児雑誌や自治体のパンフレットに掲載されている“常識”も、峰さんとっては違和感だらけだった。たとえば「授乳はママにしかできません」「パパはできることを手伝いましょう」などの記述は、当然のように母親と父親の役割を決めつけるものだと感じていた。作品では、「チャラヒゲ」に育児雑誌の記事を読ませて不適切な箇所を添削させる、という場面が出てくるが、このエピソードは読者からとても反響が大きかったという。 「母乳の生産はできなくても、(搾乳をしたり、粉ミルクを用意したりすれば)授乳自体は父親にもできます。本当に間違った情報がたくさん載っているんですが、今でもそれを目にする度に赤ペンで直したくなります(笑)」 「アラサーちゃん」を執筆していた時は、昼夜逆転の生活だったというが、“わが子ちゃん”が産まれてからは、夜9時には寝るのが習慣になった。 「わが子ちゃん(現在2歳)が、保育園に行っている間しか仕事ができない状況になってからは、その時間で集中して書くようになりました。独身時代は1日1時間半くらいしか書いていなかったので、逆に仕事する時間は長くなりましたね(笑)」 「わが子ちゃん」には、妊婦体験をした男性の安易な共感への批判や、妊婦がおじさんからいかに「なめられているか」を痛感した体験など、他では読めないエピソードが満載だ。女性が共感できるのはもちろん、男性は女性の本音を探る参考書としても使えるかもしれない。(AERA dot.編集部 岩下明日香)
わが子ちゃんアラサーちゃん妊婦峰なゆか
dot. 2022/05/22 11:30
天龍さんが語る“普段の暮らし” この土日は競馬に相撲テレビ観戦と忙しい 本日開催のオークスを予想!
天龍源一郎 天龍源一郎
天龍さんが語る“普段の暮らし” この土日は競馬に相撲テレビ観戦と忙しい 本日開催のオークスを予想!
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)  50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、2019年の小脳梗塞に続き、今度はうっ血性心不全の大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「普段の暮らし」をテーマに、つれづれに明るく飄々と語ってもらいました。 * * *  最近は天龍プロジェクトの大会やトークバトルがある日や他の仕事があるときは、もちろん外に出かけているが、やっぱり家で過ごすことが多くなったね。それに仕事に行くといっても、現役時代と違って、コスチュームやリングシューズを用意したり、試合に向けて気持ちを高めたり、いろいろ考えなくていいから気が楽だよ。  家にいるときはいつも朝6時~7時には起きて、身支度をしてコーヒーをいれて、家族が起きてくるのを待っている。嶋田家では結婚当初から女房が低血圧だからという理由で、早起きは苦手だから、朝食は決まってプロテインやシリアルだ。娘が子どもの頃もそうで、俺が作ったプロテインを飲んでから学校に行っていたよ(笑)。  朝食をプロテインで済ませるようになったのは、アメリカ修業時代に習慣づけられたんだ。とにかく朝はあわただしいから“クイックエナジー”で済ますようになって、その習慣が引退後、70歳を過ぎても続いていて、俺だけじゃなくて家族にも定着している。  仕事がない日は、バランスボールに乗ったり、自動で筋肉をブルブル刺激してくれるマシンで運動した気になっているよ。本当は外に出て歩いた方がいいんだけど、杖をついて歩くのに、最近は支える肘や肩が痛くなってきておっくうになってしまってね。現役時代に人の顔面を殴ったりして憂さ晴らししていたツケが、数十年経った今になって我が身に降りかかってきたようだ(笑)。神様はちゃんと見ているね。心当たりがあるヤツは努々(ゆめゆめ)油断するなよ! ビールはもちろんアサヒスーパードライ!(公式インスタグラム@tenryu_genichiroより)■新シリーズ『WRESTLE AND ROMANCE』vol.3/2022年6月15日(水)OPEN18:30/GONG19:00/東京・新木場1stRING (東京都江東区新木場1-6-24)/前売りチケット※当日券は500円UP▽特別リングサイド6,500円・指定席5,500円/天龍project…https://www.tenryuproject.jp/product/531 配信はhttps://tenryuproject.zaiko.io/item/347261  夜になったら晩酌をしながら飯だ。これまでビールはアサヒスーパードライ一本やりだったが、最近は娘が買ってくる珍しいビールを飲むのも楽しみになっている。ずっとスーパードライしか飲んでいなかったから、最近はいろいろなビールがあって驚いているよ。宝酒造がビールを出していたり、地域限定ビールがあったり、それぞれテイストが違うし、数十年前にスーパードライを初めて飲んで衝撃を受けたのと同じくらい、新しいビールや海外のビールに衝撃を受けている。  もちろん、アサヒスーパードライが一番好きなことは変わらないが、老い先が短いからか、いつものまったり安心感のあるビールが少し物足りなくなってきたようだ。これまで波乱万丈の人生だったのに、ここにきてまったりかよ! と思って、ビールで刺激的なチャレンジをしているわけだ。体が言うことをきかないから、食べ物や飲み物でチャレンジだね。  現役時代は食べることが無かったコンビニの弁当も食べるようになったけど、すごくレベルが上がったよね! 以前は食卓に上がろうものならテーブルをひっくり返す勢いだったのに、この間食べたコンビニのカレーがうまくて、家族に「毎日これでもいいぞ!」と言ったほどだ。まぁ「塩分が高すぎるから毎日はダメ」と却下されたが……。  それでも、現役時代は体に気を遣って脂っこいものを避けたり、体に良さそうなものを食べるようにしていたけど、今はそんなことはなく、「何が食べたい?」と聞かれると、春巻、ケンタッキー、ハンバーグのローテーションだ(笑)。食生活がすっかり変わったよ。  飯を食ったらテレビを見たりもするけど、最近はドキュメンタリーばかりだね。俺があまりテレビを見ていないから知らないだけかもしれないが、最近はバラエティー番組に番組に出ている人も小粒になってきたよね。昔は一家言(いっかげん)持っている人や重鎮が多くいたが、今じゃあ、みんな当たり障りのない、おばちゃんやおじちゃんの井戸端会議みたいなことを言う人ばかりだ。  だからドキュメンタリーでいろいろな考えを巡らせたり、例えば「ブラタモリ」を見て、相撲やプロレスの巡業で行った土地のことを思い出したり、その土地の歴史を知ったりして楽しんでいるよ。知っている土地の歴史を知ることと懐かしさがリンクして、最近の楽しみのひとつになっている。  プロレスはあまり見なくなったが、日テレジータスで小橋(健太)が番組を持っていて、会ったときに「お前、活舌が悪いぞ」と注意するためにチェックしているよ。小橋は「勘弁してくださいよ~」なんて如才ないことを返してくるが、周りの人からしたらお互い何を言ってるか分からないんだと!   他のプロレスの試合は天龍源一郎選手が出ないから面白くないね! あまりに面白くないから、昔の天龍源一郎対ジャンボ鶴田の試合を見たりするんだが、そうすると気持ちが高ぶって眠れなくなるんだよね(笑)。職業病だ。俺のようなジジイは夜にプロレスを見ると眠れなくなって徘徊しちゃうから、プロレスは昼間に見るべきだね。  平日はそんな感じでゆるく過ごしている。一方、土日は基本的にオフなんだけど、結構忙しいんだ。競馬があるからね。それに相撲の場所が始まると、4時頃まで競馬中継にかじりついて、それが終わったらすぐに相撲中継だ。  現役時代は大きな大会や相撲の場所で季節や1年の移ろいを感じていたが、最近はすっかり競馬のレースで季節を感じるようになってしまった。「桜花賞のときはプロレスでこんな試合をしたなぁ」「有馬記念はあの大会を思い出すなぁ」なんてね。競馬は俺だけじゃなく、女房も娘も、娘婿も馬券を買って、一家で中継を見ているよ。まあ、娘婿は俺がああだこうだ言ってるもんだから、付き合って買わざるを得ないんだが(笑)。  そして、このコラムの配信日の今日(※5/22(日))はオークスだろう。俺は福永祐一騎手と川田将雅騎手が乗っている馬を買うね。エリカヴィータ(福永)とアートハウス(川田)か。いい人気だね。一流の騎手を選んだということは、馬主も勝ちたいという気持ちが強いから、いい騎手の馬は強いはず。いい馬の実力を引き出す騎手はとても重要だ。  そうじゃなきゃ、わざわざ海外からM.デムーロやルメールという騎手たちを呼んだりしないよ。日本の騎手に海外のうまい騎乗を見せようというJRAの気概を感じるね。そして、その海外の名騎手をあえて外して買うのが、なにか夜中にこっそりラーメンを食うような、盗み酒をしているような、背徳感のある気分だね(笑)。  福永騎手はお父さんの福永洋一さんも騎手で、俺が若い頃は「福永洋一を買っておけば間違いない」と言われていた名騎手だ。落馬事故で引退をしたが、そのお父さんの事故があっても息子が騎手になって、お父さんの仕事の残りを全うしようという気持ちがいいよね。だから俺も応援している。川田騎手もすごく勉強をしている騎手だし、3着以内に入る複勝率が高いからね。ただ、どちらも4着以下になったら文句は言うぞ。ファンってそんなもんだろう(笑)。  オークスの結論を言えば、福永騎手、川田騎手を軸に若手をはめ込む。意外と堅実だろう。競馬予想の番組に出ても「天龍さん、堅いですね」と言われるほどだ。昔は配当が多い穴狙いだったが、世の中の条理を考えたときに、配当が高いということは来る確率が低いということに、ここ20年で気づいたんだ。  ただ、娘は大穴狙いで、必ず高配当の馬券を買っている。俺の血を受け継いでいるよ。まだ、配当が多い馬は来る確率が低いことに気づいてないのかもしれないな(笑)。これで勝てば、娘が350ミリリットル缶で800円以上もする海外の高いビールを買ってくれるんだ。俺の晩酌のためにも、福永騎手、川田騎手、がんばれ! (構成・高橋ダイスケ) 天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。
プロレス天龍源一郎相撲
dot. 2022/05/22 07:00
ナイツ・塙宣之が語る 「細野晴臣さんは神」であり「YMOが“ヤホー漫才”の原点」
森朋之 森朋之
ナイツ・塙宣之が語る 「細野晴臣さんは神」であり「YMOが“ヤホー漫才”の原点」
ナイツの塙宣之さん(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃) 「“ヤホー漫才”の原点はYMO」「自分にとっての神は、細野晴臣さん」と公言しているナイツの塙宣之さん。今年3月には『細野晴臣 夢十夜』(細野氏が見た夢を題材に、朝吹真理子、リリー・フランキー、塙が書いた短篇小説集)で小説家デビューも果たした塙さんに、細野さんの魅力を語ってもらった。 *  * *  1978年生まれの塙宣之さんが音楽家・細野晴臣を知ったのは、中学生の頃。実兄で芸人のはなわさんとともに、深夜ラジオ『電気グルーヴのオールナイトニッポン』(1991年~1994年)にハマったのがきっかけだった。 「ラジオもハチャメチャで面白かったんですけど、そのうち(テクノグループの)電気グルーヴの曲を聴くようになって、その流れでYMOを知って。特に細野さんが作るフックのあるテクノに惹かれたんですよね。リズムが一定で、いきなり音階が変わったり、転調するのがとにかく気持ち良くて。もともとファミコンのピコピコした音が好きだったし、自分の体質に合ってたんでしょうね」 ■ヤホー漫才のスタイルはテクノ音楽から発想した  高校時代はファミレスのバイトで貯めたお金でYMOのCDを買い揃え、はっぴいえんど(細野氏が70年代に参加していた伝説のロックバンド)や細野氏のソロ作品も聴くようになったという塙さん。 「佐賀に住んでいたので、1993年に東京ドームで行われたYMO再結成ライブには行けなかったのですが、ずっと細野さんの音楽を聴いてました。はっぴいえんどや、ソロの作品はYMOとはぜんぜん違うし、その後に細野さんがやりはじめたアンビエント(テクノと環境音楽を融合させた音楽)なんてわけがわからなかったけど(笑)、聴いてる時の気持良さは一緒でした」  2000年に相方の土屋伸之さんとナイツを結成。しばらくは売れない時期が続いたが、2007年頃から一気に注目を集めるようになった。そのきっかけは、現在のスタイルである“ヤホー漫才”を確立したこと。一定の会話のテンポをキープしながら、“塙が固有名詞を言い間違え、土屋がツッコミを入れる”スタイルは、細野のテクノ音楽から発想を得たという。 「この世でいちばん好きな人は細野晴臣さん」と語る塙さん(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃) 「ちょうどその頃にYMOを聴き直して、やっぱりいいなと。その時に、『テクノみたいに一定のテンポでボケとツッコミを繰り返すのはどうだろう?』と思い付いたんです。ヤホー漫才でいきなり下ネタを入れたり、急にテンションを下げるのは、細野さんの特徴であるメロディの展開や転調の影響かな(笑)。その前にやってた漫才はロック音楽に近いというか、柄にもなく叫んだりしてたんですけど、今考えると自分たちに合ってなかった気がして。ほら、細野さんもぜんぜんテンションが高くないでしょ。僕も目に力がないし(笑)、淡々としゃべったほうが面白いのかなと。とにかく気持ちよく聴いてもらえるのがいちばんだと思うので。それで僕らのYMO……、あ、ヤホー漫才オーケストラが誕生したんです(笑)」 ■細野晴臣さんのコンサートに出演も  ヤホー漫才で頭角を現し、瞬く間に人気コンビとなったナイツ。塙さんがとある媒体のインタビュー記事で、「この世でいちばん好きな人は細野晴臣さん」と公言したことをきっかけに両者の交流が生まれ、2017年11月にはなんと細野氏のコンサートにナイツとして出演した。  筆者はその公演を会場で観たのだが、「1969年にバンド“ほっぴいえんど”を結成し……」「“はっぴいえんど”ね。ホッピー飲み切ったみたいになってるから」「日本酒ロックの礎を築きました」「日本語ロック! 日本酒ロック、飲みづらいわ」という漫才は大ウケだった。  尊敬する細野氏の前で“細野ネタ”で披露するのはかなり緊張したはず……と思いきや、プロの矜持を感じられるこんな答えが返ってきた。 「漫才は仕事なので、そこは切り替えて、“ウケたい”という気持ちでやってましたね。会場のお客さんはみんな細野さんのファンで、ネタの背景についての説明が必要ないので、テレビや劇場でやる漫才よりもむしろやりやすかったです。東京ドームで巨人のネタをやればウケるのと同じですね(笑)」 「細野晴臣さんらしいポーズをしてください」と伝えたら、この表情に。「細野さんっていつも自然体でこんな感じなんですよ」と塙さん(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃) ■細野さんとの仕事でなければ断ってた  この春に刊行された書籍『細野晴臣 夢十夜』(KADOKAWA刊)は、細野氏が自身の見た夢を記した夢日記37篇と、その夢をモチーフに朝吹真理子、リリー・フランキー、塙の3氏が書き下ろした短篇小説9篇を収めたもの。塙さんは“もしも大谷翔平が〇〇〇だったら”をテーマにした「PLAYBALL」、師匠の内海桂子さんとの思い出を題材にした「うるせえ! くそジジイ!」、細野氏の夢に出てきた架空の沖縄の歌手を“ヤホー漫才”のネタにした「さとう龍平」の3篇を寄稿している。 「ここ何年かの仕事で、いちばん大変でしたね。夢ってツッコミようがないから、漫才のネタにもなりづらいし、何をどう書けばわからなくて。細野さんの仕事じゃなかったら、引き受けてないですね(笑)」  また現在開催されている細野晴臣デビュー50周年記念展「細野観光1969-2021」(埼玉県所沢市「ところざわサクラタウン」にて6/26まで開催予定)では、星野源さん、高橋幸宏さん、水原希子さんとともに塙さんも音声ガイドを担当するなど、両者の交流はさらに深まっている。  漫才、ラジオパーソナリティのほか、テレビドラマに出演したり、自ら主宰する劇団やYouTubeチャンネルを立ち上げるなど、精力的な活動を続ける塙さん。表現の幅を広げるのも、細野さんの影響だとか。 「細野さんは時期によってやってることが全然違うんですけど、ただずっと好きなことをやってるだけなんだろうなと思っていて。YMOは大ヒットしたけど、売れるかどうかは関係なく、他にやりたいことができたら、すぐにそっちにいっちゃう(笑)。それは理想だし、羨ましいですね。自分もまだ40代。“浅草の漫才師”というイメージがあるからこそ、自由にいろんなことをやってみたいですね。細野さんとも、もっと仲良くなりたいです(笑)」 (森 朋之) 塙宣之(はなわ・のぶゆき)/漫才師。漫才コンビ・ナイツでボケを担当。1978年千葉県生まれ。佐賀県育ち。2001年ツッコミ担当の土屋伸之とコンビを結成。03年の漫才新人大賞受賞をはじめとして数々の賞を得ている。08~10年に「M−1グランプリ」決勝進出、11年「THE MANZAI 2011」準優勝。2007年には史上最年少で漫才協会の理事に就任し、15年からは副会長をつとめている。多くのテレビ、ラジオ、舞台で活躍中。近著に「細野晴臣 夢十夜」(細野氏が見た夢を題材に、朝吹真理子、リリー・フランキー、塙が書いた短篇小説集)。現在、埼玉県所沢市の「ところざわサクラタウン」にて開催中の展覧会『細野観光1969-2021』では音声ガイドも担当している。 ■細野晴臣デビュー50周年記念展「細野観光1969‐2021」in ところざわサクラタウン https://tokorozawa-sakuratown.com/event/hosonokankou.html
お笑い芸人森 朋之
dot. 2022/05/20 16:00
「男女雇用機会均等法」世代が語る“壁” 女性活躍社会の実現は無理なのか
「男女雇用機会均等法」世代が語る“壁” 女性活躍社会の実現は無理なのか
「均等法元年」の大手百貨店の入社式  男女雇用機会均等法が施行されたのは1986年。この年に新卒で入社した女性は、今年58歳前後。そろそろ「定年」を迎える年代になる。そんな均等法世代の女性たちに、建前上は「平等」だった社会人生活を振り返ってもらうと……。 *  *  * 「安倍さんが首相時代に女性活躍を打ち出したでしょ。あれがすべてを象徴していると思う。要するに、女性が活躍できていなかったから、あんなことを言いだしたのよ」  そう語るのは都内の食品メーカーで中間管理職を務めるキヨミさん(仮名=58)。1浪して大学に入学しているので、入社は87年。“均等法2期生”に当たる世代だ。時代はバブル真っただ中で、総合職として入社したキヨミさんは残業もいとわず働き、よく遊び、恋愛もしたという。 「やっぱり同期の男性社員に負けてなるものかっていう意識はあった。一般職の女性社員は定時になると着飾って夜の街に出ていったけど、私たち総合職の女性社員はみんな残業。仕事が終わったら先輩社員たちと飲みに行って、帰りはいつもシンデレラタイムだった。体はきつかったけど、やりがいもあって、必死に働いたなぁ。当時付き合っていたカレシに“仕事と俺とどっちが大切なんだ”なんて聞かれたときは、心の中では“仕事に決まってるじゃない”なんて思ってたわよ」  入社4年目には希望どおり広報関連の部署に異動。仕事を任されることも増えていく。早くも「主任」やら「チーフ」などに抜擢される同期社員が現れたのは20代後半のころ。 「大学の同級生たちの中には結婚して退社したという人も出てきていたけど、私は仕事がしたかった。同期に負けずに昇進もしたかった。でも、昇進していくのは男性社員ばかり。私のほうが働いているのになんて歯ぎしりするような思いをした」  キヨミさんは33歳で結婚、翌年に出産。育児休暇を取り、半年後に職場復帰した。 「妊娠がわかって最初に考えたのが、仕事をどうしようということでした。でも生まれてみるとやはり子供が大切になる。半年休んで子育てしたら、このまま育児に専念してもいいなと思ったくらい。でも時短勤務が認められる勤務形態で復帰しました。男性同様に働けなくなったわけで、そのときはもう出世なんて頭の隅にもありませんでした」  内閣府男女共同参画局の2018年のレポートでは、キヨミさんの出産時は、妊娠前に退職する事例が約33%、第1子出産退職が約39%、出産後も就業を継続する割合は約24%。それが最新の10~14年データでは、それぞれ24%、34%、38%になっている。出産後も仕事を継続する割合は高くなったが、第1子出産を機に退職する割合はほぼ変わらず高いままだ。 「雇用機会は均等だったかもしれないけど、継続勤務機会は均等ではなかったということ。女性活躍社会と言ったって、そこが変わらない限り実現は難しいと思う」  そう話すキヨミさんが係長に昇進したのは50代になってから。子供が高校に入学し、子育てから解放された後だった。定年後のことは深く考えてはいないが、再雇用制度を利用して勤め続けるつもりだという。  子育てという女性の就業継続を困難にする“壁”を越えたのは中部地方の設備メーカーで取締役を務めているキョウコさん(仮名=61)だ。学生時代に中国に留学し中国語を習得し、就職後は上海支社に赴任した。20代から30代にかけてのころは失敗や挫折の連続だったが、上司に励まされてグローバル企業との契約を勝ち取るなどして会社に貢献した。ハードワークを続けてきたキョウコさんだが、働きながらしっかり子育ても終えた。 「上海では女性が働くのは当然で、当社ではトップマネジャーの4割が女性です。それができるのは女性が働く環境が整っているから。育児は両親や夫がサポートしてくれる文化があるし、家事はワーカーさんを手軽にアプリで雇うことができる。お金は多少かかりますが、退職して子育て後に非正規で働く場合よりも、働いていたほうが生涯収入はずっと多い。日本で働いている友人たちの話を聞くと、こうした環境が整っていない日本の女性はかわいそうだと思います」 1985年、求人票をチェックする女子大生 ■転職は不自由でセクハラも日常  キョウコさんは、定年後には日本の女性を支援する子ども食堂のようなことをやりたいと計画を立て、資金まで準備したがコロナ禍で延期。監査役として会社に残ることを選択した。それでも女性活躍のための活動は継続する予定で、「女性も定年まで働けるため、私にできることをこれからも続けていきたい」と言う。  とはいえ、均等法世代の女性が働き続けるための課題は子育てだけではない。来年中に定年を迎える、上場企業に勤めるナホコさん(仮名=59)は、40代のころにキャリアを生かして転職を考えたが実現できなかった。 「出世がしたいわけではなく、もっとキャリアを生かせる仕事をと考えて転職市場にアクセスしてみたのですが、女性の転職、しかも40代となるとほとんどありませんでした。担当してくれたリクルーターの方も、女性の転職案件はほぼないと言っていました。そんななかでも1社だけ紹介してもらい、面接まで行ったのですが、これなら今のままのほうがいいと考えて諦めました」  ナホコさんが入社した当時は女性社員の数そのものが少なかった。 「最初の10年くらいは職場に女性の先輩がいなくて、モデルになる女性もいなくて苦労しました。私は抵抗なかったですが、お茶くみもしました。職場で男性社員たちが平気で猥談をしている姿も見ました。今はお茶も給湯器ですし、猥談はもってのほか。女性の転職もだいぶ門戸が開けてきたと思います」  定年後は収入の不安があるので引退せず、雇用延長して働くつもりだとナホコさんは話す。 「制度としては70歳でも働ける会社なので、65歳以降も体力的に可能ならバイトみたいなスタイルでペースダウンしてでも働きたいです。まさか自分が定年まで働き続けるなんて、若いころは思ってさえもいませんでしたけどね(笑)」  花も嵐も踏み越えて定年まで働く女性たち。タフさでは間違いなく男性を上回っているようだ。(本誌・鈴木裕也)※週刊朝日  2022年5月27日号
週刊朝日 2022/05/20 11:30
優秀な「外交官」に大学中退者が多いのはなぜ? 国家公務員合格者の出身大学ランキング
小林哲夫 小林哲夫
優秀な「外交官」に大学中退者が多いのはなぜ? 国家公務員合格者の出身大学ランキング
国家公務員総合職トップの東京大学  国家公務員総合職は「キャリア」「エリート官僚」といわれ、難関大学の学生から人気が高い。彼らは国の重要な政策立案を担う、中央省庁の将来の幹部候補だ。国会議員が答弁する際、後方から助言する姿をよく見かける。国会の答弁でも、官僚は重要な役割を果たす。  国家公務員総合職試験合格者数(2021年)のベスト5は、東京大362人、京都大142人、早稲田大98人、北海道大82人、岡山大78人だった。 国家公務員総合職試験合格者数ランキン位グ 1~15位 国家公務員総合職試験合格者数ランキング 16~35位 ■東京大に陰りが見えはじめた  なぜ、東京大はそれほど強いのか、それは大学の成り立ちと関係がある。東京大の前身である帝国大の役割は「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ……」(帝国大学令)とある。「須要」とは、「なくてはならないこと」、つまり、国家に必要なことに応えるための専門分野を教え、もっと平たく言えば政策を考える専門家を養成、ということになる。  こうして東京大は戦後も半世紀以上にわたってトップの座に君臨してきた。そして多くの官僚を生んだ。  しかし、2010年代半ばから陰りが見えはじめた。  東京大からの合格者数は2015年459人→16年433人→17年372人→18年329人→19年307人→20年249人と右肩下がりを示している。21年は362人と100人以上増やして持ち直した。だが、2000年代までは500人を超えていたので、いまはかなりの低水準にあるといえるだろう。  これには、さまざまな理由が取りざたされている。  国会答弁作成などで徹夜仕事の連続を強いられても、それに見合う給料をもらっていないこと。20代、30代のうちに働きがいがないと感じること。中央官庁で不祥事が続き、国会で対応する官僚のしどろもどろな様子や、国民の疑問に答えようとしない様子が報じられること、などだ。  とくに「森友・加計学園」をめぐる問題での財務省担当者の対応が、官僚志望の学生を失望させたことは想像に難くない。  では、これまで国家公務員総合職試験を受けていた層はどこへいったのだろうか。東京大関係者によれば、外資系銀行やコンサルティング企業に流れたといわれている。一部上場企業より大きな仕事を任される、20代のうちから自分の力を発揮できる、そして待遇が良い、といわれるからだ。  国家公務員総合職試験合格者数で前年より合格者数が増えた大学に、地方国立大学もいくつか見られた。4位北海道大(69人→82人)、5位岡山大(56人→78人)、9位千葉大(24人→59人)、9位九州大(47人→59人)など。  一方、国家公務員一般職試験合格者は省庁内で「ノンキャリア」と呼ばれている。彼らは特定分野で専門知識を持ち、経験も豊富ゆえ、「○○の神様」「○○の天皇」と尊敬される人たちもいる。出身校は広島大、岡山大、山口大など地方の国立大学のほか、早稲田大、明治大、中央大、法政大、日本大など、大規模私立大学が多い。 国家公務員一般職試験合格者数ランキング 1~15位 国家公務員一般職試験合格者数ランキング 16~29位  こうした私立大学では、公務員対策講座が充実している。  明治大の行政研究所では公務員試験対策講座を開いている。国家公務員総合職、一般職、地方公務員の採用試験向けだ。大学の正規授業ではない。課外の特別講座として各学年で平日夕方1時間の講義を行い、大学の授業料とは別に受講料として年間6万6000円(3年次は13万2000円)かかる。  安いとまではいえないが、公務員予備校に比べれば半額以下だ。学内にダブルスクールが設置されたといっていい。中央大にも同様な課外有料講座がある。 ■外交官に「大学中退者」が多い理由は?  国家公務員の採用では、これらの総合職、一般職とは別に、外務省専門職員の採用試験がある。高い語学力を生かし、関連する地域の社会、文化、歴史などに通じた地域の専門家を登用する試験だ。一方、国家公務員総合職試験に合格して外務省に入り、順調に出世すれば、将来、同省幹部そして海外での日本国特命全権大使になることが約束されている。「外務省キャリア官僚」と呼ばれる。 外務省総合職ランキング  外務省に勤務すれば家族が海外で生活する機会が増え、子どもは外国語を習得する環境に置かれる。外国人との交流で「国際感覚」を身につけることもあろう。親子2代続けて外交官というケースはめずらしくない。最も有名なのは小和田恒さん、小和田雅子さん(現・皇后)親子であり、いずれも東京大出身だ。  外務省総合職試験の合格者を大学別にみると、毎年東京大が10~20人、他大学は1~4人だ。したがって同省事務次官、審議官、欧米主要国の大使は東京大出身者がズラリと並ぶ。私立大学はかなり少数派だ。  こうしたなか2010年代、外務省事務次官、駐米大使を歴任した杉山晋輔氏は早稲田大出身である。なお、卒業はしていない。その昔、外務省の採用試験は国家公務員試験とは別に行われており、大学3年で合格すれば卒業資格を必要とされず入省できたため、優秀な外交官には「中退」がたくさんいる。  ほかには、飯村豊氏、齋藤泰雄氏が東京大、小松一郎氏(以上、駐仏大使など)が一橋大、藤崎一郎氏(駐米大使など)が慶應義塾大、薮中三十二氏(事務次官、シカゴ総領事など)が大阪大を中退している。  現在、外務省採用は国家公務員総合職試験に統合されたため、大学卒の資格が必要となり、大学中退で外務省キャリア官僚が生まれることはない。 外務省専門職員ランキング  外務省専門職員試験合格者は東京外国語大のほか、大阪大、上智大など外国語学部がある大学が多い。  2007年、大阪大は大阪外国語大と統合したことで、大阪大外国語学部からの外交官がいっきに増えている。  創価大は2008年から21年までの14年間で11人の合格者を出している(08、12、19年は合格者なし)。同大学は2014年法学部に「国際平和・外交コース」をスタートさせ、こう鼓舞している。 「外交官をはじめ、国際機関、グローバル企業など、グローバル・キャリアの養成に一層力を入れていきます。あなたも法学部で外交官を目指し、世界に羽ばたきませんか!!」(創価大ウェブサイト2016年9月21日)  なお、外務省専門職員試験合格者のなかでもっとも有名な言論人がいる。作家で同省主任分析官をつとめた佐藤優さんで、同志社大出身である。  (教育ジャーナリスト・小林哲夫)
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dot. 2022/05/20 09:00
二十四節気は「小満」へ、精気はみなぎり命が育まれていく音が聞こえてきます
二十四節気は「小満」へ、精気はみなぎり命が育まれていく音が聞こえてきます
『暦便覧』に「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」と記されているのが「小満」です。「小」と表現されていますが、満ちてくる勢いは「盈」あふれるほどと解説されています。立春から立夏を越え、日々変わる気温の変化に敏感に反応して姿を変えていく木々や大地の草花から、それぞれが満ち溢れていく「盈」を実感してきました。これって「小」かしら? と首を傾げたくなりませんか。さて『歳時記』はどんなことが書いてあるのでしょう。確かめにいきましょう。 先ずは食欲から! 食べて、食べて、食べまくります! 「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」が初候です。蚕の孵化が行われるのは桑の新芽が伸び始める5月。生まれたての蚕は昼も夜もなくひたすら旺盛な食欲で桑の葉を食べ続けます。真っ白な糸を吐き出し繭を作っていく「蚕」の生きざまを記したものが初候といえるでしょう。 「蚕」の語源は「飼い蚕(かいこ)」といわれています。実は、人間に何千年もの間飼育されてきたことで習性が変わり、自力で生きる力を失ってしまった昆虫なのです。生きものとして何かとても憐れな感じもしますが、習性を変えられてしまったとはいえ、大地の精気がみなぎる時に合わせて生まれ、繭を作るために新緑の桑の葉を食べて命をつなぐ一生。『歳時記』に記された「蚕起食桑」には、作り出される美しい絹糸の不思議とともに「蚕」の生き方に込められた尊厳を感じませんか。 かつては蚕を身近に生活する人たちが多くいた時代がありました。蚕との生活は桑の葉を食べる音を聞きながら、あっという間に無くなる桑の葉を絶え間なく与え続けるのが大変な仕事だと聞いたことがあります。 「伸び上がる蚕の貌の尖り来し」 吉村ひさ志 「やはらかきいのち犇めく春蚕かな」 檜紀代 蚕を飼う大変さの中でも向けられる温かな眼差しは、命を育む喜びでもあるのでしょう。桑の葉を食べる蚕たち 時は今、紅い花が華やかに咲き誇ります 次候は「紅花栄(べにばなさかう)」です。「紅花」といえば唇を彩る「紅」が思い出されます。うすいピンク色から濃い紅まで、染め重ねる回数によってさまざまな紅色を表現できるのが「紅花」です。また大変高価な染料としても知られています。じつはこの「紅花」の花は紅ではなく、奥にオレンジ色を持った鮮やかな黄色。そして実際に花をつけるのはもう少し遅い7月頃なのです。旧暦を考えても今の5月では少し早いかな、と思われます。 そのようなことを考えながらまわりを見れば、今の時季はサツキや牡丹、石楠花(シャクナゲ)、バラといった紅い色を持った花がたくさん咲いてきます。それならば『歳時記』に記された「紅花栄」は、文字通り染料となる「紅花」ばかりでなく「紅い色の花」をあれこれと考えても楽しい、と思いませんか。 紅い花は見る人の心を明るくしたり、時には奮い立たせたりと何らかの刺激を与えてくれるようです。木々が若葉や青葉でゆたかにそよぐ時、紅い花の美しさはいっそう輝きを増すように感じられます。「紅花栄」はそんな花の美しさを表しているのかもしれません。 さあ、黄金色に畑を満たすのはなに? 末候は「麦秋至(むぎのときいたる)」です。春なのに秋? と不思議に感じるかもしれませんが、秋とは稔りの時を表します。今迎えるのは「麦」の秋です。お米の稔る「秋」を麦の稔りにも使っているところに、麦の収穫に対する喜びがいっそう感じられます。「むぎのあき」また「バクシュウ」と読みますが、表している情景にはなにか微妙な違いがあるように感じられます。それは黄金色に稔った麦から立ちあがる光だったり、すっくと伸びる麦の穂に立つ禾(のぎ)の堅さだったり、吹く風に揺らぐ麦畑の表情にはどこか力強さを感じます。 麦といえば代表的なのは「大麦」と「小麦」です。 「大麦」といえば長い禾(のぎ)が特徴です。こちらは味噌や醤油を仕込む時の麹に、麦芽はビールなどの原料に、またご飯に混ぜたり、煎れば夏におなじみの麦茶となります。夏といえば麦藁帽子やバッグが涼しさと軽やかさで人気です。艶があり丈夫だということで大麦の藁が使われているそうです。 「小麦」はおなじみ「粉もの」をつくる原材料です。うどんやパスタといった麺類に毎日欠かせないパンやお菓子に利用されています。 お米に負けないくらい大活躍の麦ですが、実は江戸時代まで米を年貢に納めていた農民は、稲の収穫が終わると自分達の食料として麦を植えていたということです。「麦秋至」は本当に喜びの稔りだったに違いありません。 二十四節気「小満」は決して小さいものではなく、輝く命に溢れています。もし本当の「満」を秋の稔りと考えるならば、今はまだ途中の過程なんですよ、という意味で「小」となっているのかしらとも思われます。『歳時記』は季節を感じながら想像を広げていくと、なかなか楽しいものですね。 参考: 『日本国語大辞典』小学館
tenki.jp 2022/05/20 00:00
64歳で弁護士になった元新聞記者 60代での就活、30カ所で「門前払い」
64歳で弁護士になった元新聞記者 60代での就活、30カ所で「門前払い」
弁護士としての抱負を語る上治さん(撮影・高橋奈緒〈写真映像部〉)  昨年1月に4度目の挑戦で司法試験に合格した元朝日新聞記者の上治信悟さん(64)が今春、弁護士になった。50代で法律の勉強を始め、9年かかって難関試験をパスした上治さんを待っていたのは、厳しい就職活動と知力と体力を振り絞る「卒業試験」だった。昨年7月9日号で紹介した司法試験合格記に続き、新人弁護士として踏み出すまでの歩みをつづってもらった。 *  *  *  私は昨年3月30日、1980年以来40年以上勤めた朝日新聞社を辞め、翌日から74期の司法修習生になった。修習を始める前から気になっていたのは、弁護士事務所に就職できるかということと、修習の終わりに実施され卒業試験にあたる国家試験「司法修習生考試」(通称「二回試験」)に合格できるか、だった。  60歳を超え、若い人と一緒に就職活動をしなければならなかった。一方、司法試験に合格したとはいえ、成績は1450人中1424位とぎりぎりだった。仕事先も見つからず、修習にもついていけずに二回試験に落第して弁護士になれないのではないか。そんな不安で合格の喜びにゆっくり浸る時間はなかった。  修習は埼玉県和光市にある司法研修所(研修所)での修習と裁判所、検察庁、弁護士事務所での分野別実務修習(実務修習)、選択型実務修習に分かれる。  私が属した74期A班はまず研修所で約1カ月間、導入修習をした。その後、指定の修習地で約7カ月間、実務修習をした後、研修所に戻って、二回試験のリハーサルのような論文試験や模擬裁判などで構成される約1カ月半の集合修習を受けた(新型コロナウイルスのため、研修所での修習は原則リモートになった)。  集合修習が終わった後は、実務修習地などで自分が選んだテーマを学ぶ約1カ月半の選択型実務修習に進み、最後に二回試験を受けた。私は東京が実務修習地となり、東京地検、東京地裁民事部、都内の弁護士事務所、東京地裁刑事部の順に実務修習をした。  選択型実務修習では実務修習の弁護士事務所をホームグラウンドとしながら、東京地裁民事部で再び修習をした。  実務修習と選択型実務修習では被疑者の取り調べをしたり、事件の記録を読んで有罪無罪、勝訴敗訴を検討するレポートや起訴状を起案したり、事件を傍聴したりした。  起案は何日もかかり、夜遅くまで残業することもあったが、指導役の裁判官や検察官、弁護士らから生の事件について指導を受け議論することは楽しく、実務家に近づいているというワクワクした気分になった。 司法修習の終了証書と弁護士バッジ(撮影・高橋奈緒〈写真映像部〉)  しかし、就職先が見つからなければ始まらない。63歳での就活である。受験で世話になった恩師は「(60歳を超えた人間を)喜んで採用してくれるところはないかも」と教えてくれた。高名な弁護士からは、「自分(一人)で事務所を開設する他ない」と率直に指摘された。  年齢を変えることはできない。修習が終わってすぐに一人で事務所を開設することを「即独」というが、そんな自信も全くなかった。何とかして見つけなければと、司法修習に入る前の昨年2月から就職活動を始めた。  しかし、春が過ぎ、夏になっても就活は終わらなかった。朝日新聞で53歳から8年間弱経験した著作権の仕事を生かそうと、日本弁護士連合会の求人情報サイトなどを手がかりに知的財産権を扱う都内の弁護士事務所、約30カ所に応募したが、ほとんど相手にされなかった。 「残念ながら、ご期待に沿えません。ご活躍をお祈り申し上げます」といった返事をくれる事務所さえ多くはなく、無視され続けた。  応募先を探す中で、20代を大量に採用する大手弁護士事務所にエントリーしてみようかと思った。ホームページ(HP)を開き、生年の欄にチェックを入れようとしたら、私の生年の「1957」はなかった。端から相手にされていないと感じた。テレビで宣伝している弁護士事務所など相手にしてくれるところもわずかにあったが、著作権の仕事ができそうになかったり、面接で落とされたりした。  約20年前に始まった司法制度改革で、多彩なバックグラウンドを有する人材を多数法曹に受け入れることがうたわれた。しかし、バックグラウンドがあっても年を取っていたらお呼びでないのかと思った。  そんな苦戦の最中、著作権を主要な業務の一つとしている「虎ノ門総合法律事務所」のHPを見つけた。 ■「覚悟」を求める事務所にトライ  弁護士の仕事は「きつい」「厳しい」「きりがない」という意味で「『3Kである』と断言します。この覚悟のない者には、そもそも我が事務所の門を叩く資格がありません」と書いてあった。事務所の雰囲気の良さや、遅くまで仕事をすることはないというような優しく甘いメッセージのHPが目につく中で、異彩だった。  ただ、先輩の弁護士や同期の修習生に聞くと、弁護士の仕事は忙しい。夜遅くまで仕事をするのは当たり前で、週末も仕事をする人が多い。3Kと断言するのはむしろ、正直だ。だいたい、楽ちんな仕事で成長できたり、喜びを味わったりすることはできないだろう。  当方、隠居仕事で弁護士を始めるつもりはない。そう考えた私はこの事務所に応募することを決め、修習の合間に1週間かけて応募書類を書き上げ、送った。  同事務所のHPには、毎年200人以上が新人採用に応募し採用は1人か2人とあった。今度もダメかなと思っていたら、代表から面接するという連絡が来て、神谷町にある事務所に出かけた。  最初は、型通りに志望動機を話した。そのうちに朝日新聞や日本新聞協会でやってきた著作権の仕事に代表も詳しく、仕事を通じた共通の知人もいることがわかり、志望動機よりも双方が知っている話に花が咲き、あっという間に90分くらいが経ってしまった。  面接自体は楽しかったものの、これで良かったのかと感じたが、1カ月後に2次面接に呼ばれた。代表、ベテラン、若手の弁護士の3人と面接し、またまた、90分くらい同じような話をした。それからさらに1カ月以上が過ぎ、採用が決まった。  運が良かったのは間違いない。ただ、編集出身の私が2010年、当時の定年まであと7年だった53歳で縁もゆかりもない知的財産部門に異動し落胆した時、腐らなくて良かったと思う。  そもそも私は60歳を過ぎてもできる限り働きたいと考えていた。著作権の仕事をしているうちに面白くなり、会社を辞めた後もできる仕事として弁護士を目指し法律の勉強を始めた。仕事にも熱が入り、社外に知己が増えた。なぜ、採用してくれたのかはわからないが、仕事を通じて得た知識、経験、人脈が役立ったのではないだろうか。人間万事塞翁が馬とはよく言ったものだ。  就職先が決まった後は、二回試験に合格することが最大の目標になった。不合格でも後の修習期の二回試験を2回受けることができるが、今さら、そんなことはご免だった。  二回試験は、ざっくりいって99%が合格するといわれる。しかし、司法試験では合格者の98%強が私よりも成績が上だった。若くて機敏で優秀な修習生に囲まれ、修習中の成績も大したことなかった私は「ひょっとして落ちるかも」と心配で、懸命に勉強した。司法試験に合格した後もこんなに勉強しなければならないとは思わなかった。  合格のため特に大事といわれたのが、昨年12月から今年1月にかけて行われた集合修習中の論文試験(10回)の復習である。就職先の先輩弁護士から「同じ問題は出ないが、同じ考え方の問題が出る」と助言されたこともあり、集中的に復習した。集合修習の論文試験の解説授業は録画されていたので見ながら復習できたが、授業で表示された教材は原則ダウンロード不可だった。 20人近い弁護士が所属する事務所で一番の新人だ (撮影・高橋奈緒〈写真映像部〉) ■根を詰めすぎて体はふらふらに  そこで、1科目200分から300分の解説授業の教材を1科目丸2、3日かけてノートにほぼ書き写した。これで根を詰めすぎたのか、ストレスのせいか体調が悪くなり、二回試験前日の今年3月22日に軽いふらふら状態になった。  翌日から土日を挟んで5日間5科目(検察、民事弁護、民事裁判、刑事弁護、刑事裁判の順)の試験が始まる。  1科目は午前10時20分から午後5時45分までの7時間25分である。合計37時間5分。司法試験の4日間19時間55分よりずっと長い。二回試験では、長いもので約100ページある記録を読んで答案構成をし、論文を書き上げなければならない。  ふらふらで思考力、体力が持つか心配になって病院に行ったら、点滴をしてくれた。そのおかげか体調はかなり回復し、翌日司法研修所に乗り込むことができ、1科目が終わるたびに疲れて家路についたものの、薬を飲みながら長丁場を乗り切った。  結果発表は4月19日の夕方だった。最高裁判所のHPに不合格者の番号が発表された。恐る恐るアクセスしたら、私の番号はなかった。「これで、弁護士になれる」。ほっとし、うれしさが湧いてきた。  私は4月21日に東京弁護士会に登録し、同日から虎ノ門総合法律事務所で働いている。これからは著作権やジャーナリズムに関する仕事をすることになると思う。  ただ、修習では一般民事と呼ばれるお金や土地、相続などに関する事件や、離婚や別れた子との面会交流といった家事事件、刑事弁護など幅広く修習した。一つひとつの事件にその人の人生がかかっていると思うことが多かった。  幸い、就職した事務所は著作権以外にも多彩な事件を扱っているので、私もいろいろ取り組みたい──。就職前、こう考えていたら、勤務初日、早速、家事事件の担当になった。「姉弁」である先輩弁護士の指導を受けながら依頼者のために働いている。  10年かかってたどりついた弁護士である。64歳から新しいキャリアを始める幸せを噛み締めながら、歩んでいきたい。※週刊朝日  2022年5月27日号
週刊朝日 2022/05/19 11:00
沖縄出身者「自分のアイデンティティーを誇れる時代になった」 先人達の苦労の結晶がつくった未来
渡辺豪 渡辺豪
沖縄出身者「自分のアイデンティティーを誇れる時代になった」 先人達の苦労の結晶がつくった未来
横浜市鶴見区など各地にある「沖縄タウン」。沖縄から働き口を求めて移り住んだ人たちが差別に耐えながら身を寄せ合うようにコミュニティーができた(撮影/写真映像部・東川哲也)  全国各地にある沖縄タウン。働き口を求めて移住した沖縄出身者が助け合って生きてきた。街を歩くと、沖縄の差別の歴史や経済事情も見えてくる。AERA 2022年5月16日号の記事を紹介する。 *  *  *  バスを降りた瞬間、潮の匂いがした。水平にのびる舗装道路の向こうに、巨大なガントリークレーンが陽炎のように並び立つ。高度経済成長を支えた京浜工業地帯のど真ん中、横浜市鶴見区の一角にある「沖縄タウン」。ここは4月に始まったNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」の舞台の一つでもある。  メインストリートの仲通商店街を歩くと、軽やかな三線の音が耳に飛び込んできた。沖縄民謡が流れる「おきなわ物産センター」の店内は沖縄一色。泡盛、島らっきょう、ゴーヤー……。約千点の商品のほとんどを沖縄から仕入れている。高校卒業まで那覇市で過ごした下里優太社長(41)はこう振り返った。 「子どもの頃は、沖縄は日本の枠の外みたいなイメージがあったので、早く沖縄を出たい、と思っていました。でも、私が内地に来た2000年頃は安室奈美恵さんらが活躍していて、沖縄出身でよかったと思えるようになりました」  鶴見区には大正前期から昭和初期にかけて、多くの沖縄出身者が仕事を求めて集まり、戦後間もなく「横浜・鶴見沖縄県人会」が発足した。3階建ての県人会館の1階テナントに入居する同店は1986年、沖縄でスーパーを経営していた下里さんの父が鶴見に移住して創業。2016年に経営を継いだ下里さんは鶴見の魅力をこう語る。 「私たちのように沖縄から来たよそ者や、南米出身の人たちも受け入れてくれる度量と人情味のある街です」 ■支え合って生きてきた  このエリアは90年代以降、「南米沖縄タウン」と呼ばれるほど、多くの南米出身者が暮らしている。下里さんが事務局長を務める県人会青年部も約60人のメンバーの8割が南米系。ほとんどが戦前に沖縄から南米に移住した祖先を持つウチナーンチュだ。 金城京一(きんじょう・きょういち)/1949年、今帰仁村古宇利島生まれ。一般財団法人おきつる協会理事長。横浜・鶴見沖縄県人会会長(撮影/写真映像部・東川哲也)  沖縄では今も県外に出て短期の仕事を請け負う「キセツ」という働き方がある。沖縄の不安定な雇用や給与水準の低さも背景にはあるが、下里さんは「キセツ」で働く今の若者たちと、鶴見に根を下ろしたかつての沖縄出身者の違いをこう指摘する。 「かつては二度と戻れない覚悟で沖縄を離れ、みんなで支え合って生きてきた、と聞いています。すぐに沖縄に戻るのが前提の現在の『キセツ』とは別次元のように感じます」  先人たちの苦労の結晶が県人会館だ。戦後の混乱期に取得した土地の権利や会館建設をめぐって、多くの沖縄出身者が協力を惜しまなかった。県人会館を運営する一般財団法人の理事長で、県人会長も兼務する金城京一さん(73)は沖縄本島北部の今帰仁村の古宇利島出身だ。 「島で食べるのはイモばかり。幼少時代は腹をすかしていた思い出しかありません」  金城さんは大学進学を志し、20歳で米軍統治下の沖縄を離れた。いとこが経営する神奈川県川崎市内の会社で仕事に追われ、結局進学を断念。沖縄が日本に復帰したときの記憶もほとんどない。 「無一文で出てきて、生活するのは大変でした。こっちでおいしいものを食べると、両親やきょうだいはどんな食事をしているだろうか、といつも頭をよぎっていました」(金城さん)  復帰前後の頃はアパートを借りる際、「沖縄の人には貸したくない」と言われたことも。当時は生活困窮や習慣の違いから生じるストレスもあり、沖縄出身者が集まって深夜まで騒ぐことも多かった。だから、貸主の反応も仕方がないと思った、と金城さんは言う。 ■客のほぼ全員沖縄出身  30代半ばで独立。鶴見区内で配管設備会社を約40年間経営し、昨年廃業した。沖縄の日本復帰からの歳月は、がむしゃらに働いてきた金城さんの本土での暮らしの50年と重なる。 「復帰前の米軍統治下に比べると沖縄は経済的によくなりましたが、基地の弊害はまだまだ残っています。沖縄の人たちが声を上げても国と国との話だから、と聞き入れてもらえない。でも、宙(ちゅう)ぶらりんでいるよりは復帰してよかったと思っています」 金城京一さんが20歳で復帰前の沖縄を出る際に携帯していたパスポート「日本渡航証明書」。琉球列島米国民政府が1969年に発行。(撮影/写真映像部・東川哲也)  昼どきの商店街で行列を目撃した。1955年創業の沖縄そば店「ヤージ小」の客だ。慌ただしく働く社長の雪山秀人さん(59)は「おばあちゃんから引き継いだ店です」と明かした。  創業者は沖縄市泡瀬出身で06年生まれの祖母、屋宜ナベさん。夫を亡くし、幼い娘2人とともに沖縄を離れたナベさんは兵庫県尼崎市で終戦を迎え、戦後の混乱期に鶴見に移った。「ヤージ小(グヮー)」は旧姓の「屋宜」が由来。「グヮー」は沖縄の言葉で、「~ちゃん」といった愛称のニュアンスがある。雪山さんはこの店名を大事に守り続けている。  ナベさんは93歳で他界。小学生の頃から店を手伝っていた雪山さんは、ナベさんの記憶を濃厚に焼き付けている。 「とにかく豪快な人。男とか女とかを超越していましたね」  当時は客のほぼ全員が沖縄出身者。泡盛を飲んで盛り上がり、三線を手に沖縄民謡を歌い始めると、ナベさんも上機嫌になった。苦労した分、普段はお金に厳しいナベさんが「お代はいらないよ」と大盤振る舞い。そんなナベさんの気性に惚(ほ)れこむ常連客が絶えなかった。  店の運転資金は仲間どうしで融通する「模合(もあい)」で調達していた。銀行からお金を借りることはなく、預金通帳の名もなぜか、「キヨ」だった。読み書きができなかったナベさんの胸中を、雪山さんはこう推し量る。 「もとの名は正確には、『ナビー』だったはずですが、『ー』の部分を口でどう伝えていいのかわからず、『ナベイ』や『ナベ』と名乗るようになったのだと思います。銀行の窓口で名前を伝えて怪訝(けげん)に思われるのも面倒だから、とっさに『キヨ』と名乗ったんじゃないですかね」  店を継いで30年超。コロナ禍もリピート客が絶えず、売り上げは落ちなかった。雪山さんは「店の行列をおばあちゃんに見せてあげたい」と話す。 「沖縄の人が自分のアイデンティティーを誇れる時代になったよ。隠すことは何もないよ。世の中はこんなに変わったんだよって言ってあげたい」 (編集部・渡辺豪)※AERA 2022年5月16日号より抜粋
AERA 2022/05/14 08:00
2023年大河ドラマの主役・徳川家康 130社ほどある東照宮で秀吉と信長と共に祀られる社はどこ?
鈴子 鈴子
2023年大河ドラマの主役・徳川家康 130社ほどある東照宮で秀吉と信長と共に祀られる社はどこ?
日光東照宮  毎年5月17・18日は東照宮の総本宮とされる日光東照宮の例大祭が行われてきたが、今年も残念ながら「百物揃千人武者行列」も「流鏑馬」も中止となってしまった。  これは久能山から日光山へ家康が改葬された時の行列を再現したもので、東照宮の行事の中でも最も盛大なものである。日本全国、神社仏閣の祭事はいまだ元にもどらないものも多いが、令和4年は運気の高まる寅年。中でも五黄の寅年の今年、お祭りなどは暗さを吹き飛ばして復活してほしいと切に願う。 ●寅年寅の日寅の刻生まれの家康  さて寅年は、徳川家康にとっても意味のある年である。これは家康が生まれたのが寅年寅の日寅の刻と言われ、寅は家康の象徴として扱われているからだ。現在の暦を使うとかなり誤差が出るのだが、江戸初期まで使用されていた宣明暦は、以前の稿でもご紹介したように800年以上修正されることなく使用されてきたものだけに、不正確な部分もあるだろう。ましてや時刻に関しては、現在のような固定ではなかったのだから(日の出日の入り時刻に左右される)、当時の資料によるしかない。 ●薬師如来と徳川家康  改めて紹介しておくまでもないだろうが、日本全国にある「東照宮」は、徳川家康を神として祀った神社である。当時は約500社、現在でも130社ほどの東照宮が残っている。東照宮の名の由縁は、徳川家康が得た「東照大権現」という神号からのものであり、「東に照る如来(東方薬師瑠璃光)が権(か)りに現れた神」という薬師如来(正式名は薬師瑠璃光如来)からきた名である。ちなみに家康は薬師如来の申し子とも言われている。 ●寅の守護神の化身?  これは父(松平広忠)と母(於大/伝通院)が、子授けを薬師如来を本尊とする鳳来寺に祈願したところ、無事、家康を授かったことから、以後薬師如来を大事にしてきたという。鳳来寺には、薬師如来の脇仏である十二神将(子から亥までの十二支を守護する夜叉)のうち、寅の守護神・真達羅大将が家康の誕生とともに姿を消し、家康の死去とともにいつのまにか戻っていたとの不思議な逸話も伝わっている。これらの話を聞いた三代将軍・徳川家光は、鳳来寺に新たな東照宮を建立している。 久能山東照宮 ●日光東照宮と久能山東照宮の関係は  全国にある東照宮を簡単にご紹介しておこう。先に紹介した日光の東照宮は、徳川家康の霊廟としてまた江戸城の北辰守護として、二代将軍・徳川秀忠と参謀・天海によって建立された。祭神には家康のほか、豊臣秀吉と源頼朝が祀られている。  久能山東照宮(静岡県)は、家康が死去した後に埋葬された場所である。埋葬から1年後に日光の東照宮へと改葬された。ただし、近年の研究では家康の亡きがらはこの地に残されたままだったのではないかともされている。家康は死してなお、徳川幕府安泰のために働いていたのではないかと考えられているのだ。こちらには相殿として秀吉と織田信長が祀られている。日光山も久能山も、飛鳥・奈良時代にまで遡ることのできるお寺がすでに開かれており、戦国武将などの厚い帰依も受けていた土地である。 ●東京には2つの東照宮  芝の東照宮は増上寺(徳川家菩提寺)に由縁するもので、60歳を迎えた徳川家康寿像がご神体となっている。上野の東照宮は、現在寛永寺と隣接していることから関係があるようにも見えるが、家康の側近であった藤堂高虎が自らの屋敷に家康を祀り創建した社である。上記の四社が四大東照宮と呼ばれることは多いが、家康以外に相殿として祀られている祭神はまちまちである。 ●有名どころの全国の東照宮は  このほか、天海が川越に建立した仙波東照宮、水戸藩の祖で家康の子・頼房が建立した水戸東照宮、家光が父の生誕地にと建立した滝山東照宮、尾張初代藩主徳川義直が父の三回忌に建立した名古屋東照宮、徳川頼宣(家康10男)が紀州藩主となるとすぐに紀州東照宮が造られた。天海と対立していた宰相・金地院に関係した金地院東照宮などもあり、東照宮の建立は次第に徳川家に対する忠誠心を試されるものとして利用されはじめていたのかもしれない。  それでも、日光東照宮に代表されるように絢爛豪華な社殿は全国でも比類なく美しく、多くの東照宮は訪れる人たちの歓心を得る。また、家康の立身出世や緻密な仕事ぶりにあやかりたいと祈願に訪れる人も多い。  来年のNHK大河ドラマ「どうする家康」で、久しぶりに主人公として登場する家康の人生は75年と当時としても長生きであるが、没した後も神として大きな力を持ち続けていたといえよう。本当のカリスマは死んだ後に力を発揮できるかどうかでわかるのではないだろうか。寅年生まれが強運という神話は、家康ひとりによるところが大きいような気がする。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)
dot. 2022/05/14 07:00
転職の成功のカギは「自分はいくらで売れるか」の視点 具体的なポイントは3つ
松岡かすみ 松岡かすみ
転職の成功のカギは「自分はいくらで売れるか」の視点 具体的なポイントは3つ
写真はイメージ(GettyImages)  これからの「働く」をAERAdot.と一緒に考える短期集中連載「30代、40代の#転職活動」。最終回のテーマは、転職を成功させるためのノウハウ。その前編では、毎年欠かさないルーティンが転職活動という38歳会社員の実例から“転職強者”の思考と行動を紹介した。転職を成功させる“転職強者”へのポイントを7社の転職経験を持ち、転職メディア「転職アンテナ」などを運営する戸塚俊介さん(moto代表取締役・35)に聞いた。 【前編を読む】デキる会社員こそ転職活動をし続ける理由 市場価値を上げた「転職強者」に共通の思考とは *  *  *  転職を成功させる“市場価値の高い人材”になるためには、具体的にどんなポイントが必要なのか。戸塚さんによれば、どんな業種や職種でも共通する、前提となる要素は下記の3つだという。 1. 自分の「値段」を把握する  転職活動をする際には、自分を「商品」として捉える視点を持つこと。「転職というマーケットで、自分はいくらで売れるのか」という考えのもと、自分の価値を確かめる。具体的には、前編の38歳会社員のAさんのように、転職を考えていないときでも、定期的に職務経歴書を更新し、転職エージェントと面談することで自分の“値段”を把握。それを確かめる方法として手っ取り早いのが、転職エージェントに会った時の態度と、その後の対応を見ることだという。  転職エージェントは、自分が「売れる人材」であれば前のめりに求人を出してくれるが、売りにくい人材には「今はあまり求人がない」「また求人が出たらご連絡します」といった“塩対応”になり、その後の連絡もない。人を商品として企業に売りに行く転職エージェントの対応ひとつ取っても、自分の価値を知ることができるというわけだ。なお、大量の求人を扱う大手エージェントになると、業務の効率化をはかるため、企業と求職者とのマッチングにAI機能が用いられることも珍しくない。 「実際の求人情報を前にすることは、自分がどんな条件を重視しているのか改めて確認できる。 “自分は福利厚生を重視するタイプと思っていたけど、実は自分が気になった求人に共通しているのは、今よりも高い年収だったなど、自分でも気づいてなかったポイントを発見することもあります」(戸塚さん) 2.たくさん求人を見て、必要とされるスキルを読み解く  転職活動は、自分を売り込む営業活動でもある。転職サイトなどでこまめに求人をチェックし、企業が抱える課題解決のために貢献できるスキルを把握したり、自分が目標とする年収や職種に必要な能力を把握して、今の自分の仕事との共通点を探す。つまり、相手が求めていることの中から、自分にできることを探して営業することのが転職活動というわけだ。たくさんの求人を見ることで、世の中で必要とされているスキルを把握し、自分にできることを探していくことが必要だ。 「求人を検索して情報を集めるにはコツがあります。その時に自分が興味を持った業界や、同業種の求人に絞るのではなく、例えば“年収800万円以上の全企業”といった、今より高年収の求人を包括的に見る。そのうちに、どんなスキルを持った人がどの業界で求められているのか、その求人の年収やスキルと今の自分にはどれくらいの差があるのかなど、転職に生かせる気づきがあるはずです」(同) 3.自分の「仕事の意味」を理解する  自分の市場評価を上げるには、会社の売上と利益を伸ばすことに貢献することが必要だ。会社の売上と利益を伸ばすには、業界全体の状況→会社の課題→部署の役割→自分のミッションと、俯瞰した視点を踏まえた上で自分の仕事を理解することが必要となる。業界や会社全体の課題を把握し、その解決策を考えて実行する。年収が高くなるにつれて、この能力が求められるようになる傾向が強い。 写真はイメージ(GettyImages) 「市場価値の低い人に共通するのが、“同じ給料なら無駄に働かないほうがいい”という考え方。この考え方は長期的な視点でみると、仕事に対する姿勢が受け身になり、得られる経験値も低くなりがちです。自分の価値を上げるにはある程度の努力が必要です」  また良い転職エージェントに出会えば、自分の良いところだけでなく、良くないところや伸ばすべきポイントも教えてくれる。エージェントは人によるため、当たり外れもあるが、「自分を鞭打ってくれるアドバイザーと出会えたら、直近の転職成功だけでなく、次のキャリアまで見据えた提案をしてくれます」(同)  さらに、求職者にとって最も気になるポイントが、「年収交渉」と「実際の労働環境はどのようなものか」という点だろう。多くの場合、内定後に条件が提示され、具体的な交渉に入っていく。年収や働きやすさといった点について、「こんなことを聞くと印象が悪くなるのでは」と不安になる人も多いが、後から「こんなはずじゃなかった」とならないためには、事前の交渉が欠かせない。 「“採用する側”と“される側”という構図では、大事なことが聞きづらいという声もよく聞かれますが、求職者も企業と対等という意識を持つべき。自分が譲れないポイントは、相手にきちんと伝えておくことが必要です」(同)  まずは、年収交渉。転職の度に年収を上げてきた戸塚さんは、転職エージェントとの面談や企業との面接で、「最も大切な転職の軸は何ですか?」と聞かれた時に、「年収です」と言い切ってきた。年収重視していることを明確に伝えておくことで、互いに無駄に時間を割くこともなく、交渉できる状況を作ってしまえるわけだ。その際、転職先の給与体系を知っておくことも大切になる。給与体系を知っておくことで、自分のオファー年収がどのあたりなのかを把握できるからだ。また、年収を優先させる代わりに自分が諦めているポイントもセットで伝えることも大切だ。 写真はイメージ(GettyImages) 「年収重視であれば、“最後の決め手は年収です”と宣言して問題ないと思います。その代わり、自分が譲れる条件も伝えてください。自分に明確な軸があったほうが、ふわふわと転職活動している人よりも印象がいいと思います」(同)  年収交渉とセットで考えるべきなのが、「自分が会社から何を期待されているのか」という点だ。高い年収をもらうための交渉をしても、結果を出せる環境でなければ、入社後に期待に答えられないことになりかねない。だから自分に期待されている成果や、与えられる裁量権など、入社して自分がどんな動きをするのかということは、なるべく具体的に聞いておく。 「自分がどういう役割や成果を期待されて、具体的にどういう仕事をするのか。そして会社の方向性はどういったものか。この2つは、転職エージェントが間に入っている場合であっても、なるべく求職者が直接、企業側に確認したほうがいい」とは、リクルートエージェントのキャリアアドバイザーだ。企業側が、求職者は自分の会社で活躍できそうかを見ているように、求職者側も「この会社で自分は活躍できそうか」をしっかりイメージする。そのためには、面接の中でいろいろと質問をすることが必要だ。 「質問することは決してネガティブなことではなく、会社について知ろうとしている姿勢は、むしろポジティブに捉えられるはず。自分がその会社で働く姿をイメージできるように、疑問に感じたことはどんどん聞いたほうがいい」(キャリアアドバイザー) 写真はイメージ(GettyImages)  残業の有無や休暇の取りやすさなど、実際の労働環境も気になるところ。企業が表向きに発信していることと、実際のそれとが異なることは往々にしてある。中には実際の残業時間がどれくらいかを確認するために、身元を伏せた上で、深夜の会社に電話して人がいるかを確認する求職者もいる。もっと正攻法で、入社後のギャップをなくすための方法はあるのだろうか。 「実際の働く環境について知りたいなら、今働いている人から話を聞くのが一番」と戸塚さん。入社の意向を伝える前に、人事担当に「入社前に現場で働いているメンバーに会いたい」と話し、ランチや座談会をセッティングしてもらえないか交渉するのも一つの手だという。その際、出てきてもらう社員は、なるべく現場の生の声を聞くために、「採用に関わっていない人」で「役職のない人」が望ましい。企業が自分を必要としている状態になれば、ある程度、こうした要望も前向きに聞いてもらえることが多いという。 「労働環境を知ろうとして、転職の口コミサイトなどを参考にする人も多いですが、多くの場合、辞めた人が口コミを書いているので、どうしてもネガティブな情報が集積しやすい。今働いている人からの生の声を聞いたほうが、よっぽど参考になる面が大きいはずです」(戸塚さん)  それでも、年収や給与体系、労働環境などは、企業側に直接踏み込んで聞きづらいという人も多い。転職エージェントが入っている場合には、年収や労働環境についての交渉事は「7~8割はエージェントが間に入ってのやり取りになることが多い」(リクルートエージェント)という。直接交渉しづらい場合には、エージェントに入ってもらって交渉を進めてもいい。 「転職エージェントに依頼する大きなメリットに、落ちた場合に理由が聞ける、ということがあります。見送りの理由は、次に生かせるポイントになる。そうやって経験を重ねる中で、納得できる転職先が見つかっていくはず」(戸塚さん)  転職活動とは、奥深い世界である。その活動実態は個々によって大きく異なり、他人の体験談が表になることはあまりない。転職における過程の話は、多くの場合、ベールに包まれているのだ。それゆえに、交渉一つとっても、個々の力量や経験が大きく問われることになる。無論、大切なのは小手先のテクニックではなく、その人自身が持つ力だ。  あなたなら今、転職に何を求めますか?(松岡かすみ) 【前編を読む】デキる会社員こそ転職活動をし続ける理由 市場価値を上げた「転職強者」に共通の思考とは
30代、40代の#転職活動転職転職強者転職活動
dot. 2022/05/13 08:00
初夏の西の夜空は、怪獣たちの棲むところ?
初夏の西の夜空は、怪獣たちの棲むところ?
さわやかな新緑の季節です。地上ではスイカズラやタチバナ、ジャスミンなどが鮮烈に薫りを放つ中、東の空は既に夏の装いに様変わりし、さそり座のアンタレスの赤い妖光も現れ始めています。 かたや沈みゆく側にある南から西の空は、春の大曲線の波形に押されるように、春の星座の主役たちが名残の輝きを見せています。それらは、神話では英雄ヘラクレスと激突し、屠られた太古の怪獣たちに見立てられているようです。全天最大のモンスター星座・うみへび座。5月の宵の口はその全体像が見られます 英雄ヘラクレスと死闘を繰り広げた魔獣たち。初夏の空で見頃です 黄道(太陽が天球上を一年かけて移動する軌跡)は、春では日没頃がもっとも高度が高くなります。ですから、宵の口の早めの時間に空を見ますと、沈みゆくふたご座を先頭に、かに座、しし座、おとめ座、てんびん座の描く弧が、西から南、東へと高く連なっているのを見ることができます。そして、この黄道十二星座に寄り添うように長大な星座域を見せ、全天一の大きさ(空に占める割合の広い)を誇るモンスター星座・うみへび座の全容を観察できるのは、ちょうど今の時季の午後8時頃です。 かに座としし座、そしてうみへび座には、古代の英雄で天帝ゼウスの血を引くヘラクレスと戦い敗れて空に上げられた、という共通の神話があります。 ミュケナイ王の姫として生まれたアルクメーネー。天帝ゼウスは、出征中のアルクメーネーの夫に化けて一夜をともにしました。身ごもったアルクメーネーは神の血を受け継ぐアルカイオス(のちのヘラクレス)を出産しました。しかし、ギリシャ神話のお約束で、ゼウスの正妻・ヘーラーの嫉妬を受けて、このゼウスの落とし子の人生は苦難の連続となってしまいます。 18歳のときには牛殺しの獅子を素手で倒すなどの武勇を示したアルカイオスは、ミニュアース人との戦の後、ヘーラーの呪詛により正気を失い、二人の妻との間に設けた子供たちを火中に投げ入れて殺してしまいます。アルカイオスは、自らに追放の罪を課し、デルポイ(聖域または神託所)のピュートーの巫女によって「エウリュステウスに十二年間奉仕し、命ぜられる10の仕事を行いなさい。功業を成し遂げた後、貴方は不死となる」という預言とともにヘラクレス(Ηρακλής Hēraklēs ヘーラーの栄光の意)の名を授かり、ミュケナイ王エウリュステウスに遣えることになります。彼は、ヘラクレスが本来ゼウスにより約束されていたミュケナイ王の地位を、ヘーラーの奸計により代わりに与えられた因縁の人物です。ヘラクレスはエウリュステウスに命ぜられるまま、人間業では到底不可能な10の難行(このうち2つの功業を無効だと断ぜられて、最終的に12となり、『ヘラクレス12の功業』として伝わることとなります)を次々に行っていきます。 最初に命じられたミッションこそ、「ネメアーの獅子の皮を取ってくること」でした。ネメアーの獅子はスフィンクスの兄弟とも伝わり、いかなる攻撃にも傷つかない無敵の毛皮を持つとされ、ヘラクレスの繰り出す武器による打撃では効果がありませんでしたが、ヘラクレスは組みついて三日三晩首を絞め続け、ついに倒しました。 二番目に命ぜられたのが「レルネーの水蛇(ヒュドラ)を殺すこと」でした。ヒュドラは九つの頭を持ち、真ん中の頭は不死という化け物です。ヘラクレスは火矢を放ってヒュドラを水から誘い出し、こん棒で次々と頭を砕きますが、打ったそばから再生するために苦戦します。このとき、ヘーラーの命で水の中から一匹の巨大な蟹が現れてヒュドラに加勢して、ヘラクレスの足を挟みつけました。 大ピンチとなったヘラクレスは双子の兄弟イオラーオスに助けを求め、イオラーオスは森に火をつけてその燃え木でヒュドラの首の付け根を次々に焼いたので再生が止まり、ヘラクレスは足を挟んでいる蟹を踏み砕き、ヒュドラの不死の頭は切り取って土に埋め、重石を置いて封印しました。英雄ヘラクレスと死闘を繰り広げた怪獣たちが春の空に集結! 新緑の初夏、西へと駆け去ってゆく無敵の獅子 かくして、このヘラクレスの第一と第二のミッションで登場した無敵の獅子、不死のヒュドラ、巨大蟹という三頭の怪物は、それぞれ空に上げられて星座となった、とされています。筆者は子供のころから、正義のヒーローよりも、何をしたわけでもないのに攻撃されてやられてしまう怪獣たちに共感してしまい、彼らが一群のようにかたまっている空の一角を格別な思いで見上げてしまいます。 では、それぞれ見ていきましょう。 しし座(Leo)はトレミーの48星座の一つであり、十二獣帯の一宮としても有名な、春の星座の王様です。形としては、すっくと上がった頭、跳ね上げている前脚、力強く伸びた後ろ脚、ほれぼれするような端正な図像をなす名星座と言っていいでしょう。 α星レグルスは、全天21の一等星の一つとして、爽やかな青白い輝きを放ち、β星デネボラは、うしかい座アルクトゥルス、おとめ座スピカとともに「春の大三角」を形成します。 また、獅子の前脚の付け根(レグルス)から頭にかけての逆ハテナマークのような形は、古来「獅子の大鎌」の別名もあり親しまれてきました。日本では、この大鎌を「といかけ星」と呼んできました。「問いかけ」の意味ではなく、雨どいを支える止め金(フック)=樋掛けの形になぞらえたもの。日本の星座名は、こんな風なささやかなものが多いのですが、生活に密着していて味わい深く親しみを感じさせます。「といかけ星」もまた、軒ごしに、星座を見上げていたであろう昔の風景がありありと浮かびます。ネメアーの獅子退治が有名ですが、古来この美しい星座はライオンと重ねられてきました 神秘のかに座と雄大なうみへび座。親友同士は今も空で寄り添っています かに座(Cancer)は、しし座のすぐ右(西)隣に位置し、しし座とともに十二獣帯の一宮ですが、もっとも明るい星でも3等星で、空の透明度が低い都市部ではほぼ見ることができません。しし座のレグルス、反対側のふたご座のポルックスとカストル、こいぬ座のプロキオンといった周囲の目立つ星に囲まれた空間に、ぼんやりとした小さな台形と、そこから伸びる三本の足で形成される星座です。中心の台形の内側に、600近い星が集まる散開星団「プレセペ(Praesepe)星団」が存在し、見えるか見えないかほどのそのぼんやりとした雲のような天体を、中国では積尸気(ししき)といい、死者の魂が昇り集積する場とされました。そしてかに座に当たる付近を、二十八宿では「鬼宿」と呼びました。明るい星が周辺にある中、この暗い領域は確かに沼底のように見え、そこに大きな蟹が潜んでいるというイマジネーションは神秘性を感じさせます。 そのかに座のすぐ左下から始まって東へと伸びるうみへび座(Hydra)は、頭の先から尻尾の末端まで、102°もの長さで横たわる大星座です。ですから、頭は冬の大三角をなすプロキオンをα星とするこいぬ座に、尻尾はてんびん座、ケンタウルス座、さそり座といった夏の星座たちと隣接しています。頭が空の上に出始めてから尻尾まで出現するのに6時間もかかるという、なんとも雄大な星空の大怪獣です。 ギリシャ神話におけるヒュドラは、そのまま日本神話のヤマタノオロチとほぼ同じなのですから、和名を「大蛇(おろち)座」にしたらよかったのにと思うのですが、なぜ「うみへび」になったのかは不明です。あるいは、日本神話を海外の神話にあてはめるのはよろしくない、という考えがあったのかもしれません。大蛇の心臓ともされる、うみへび座でもっとも明るい2等星アルファルド(Alphard)は、アラビア語で「孤独な者」の意。橙色に輝く変光星で、まさに心臓の鼓動のようにも見えます。 「孤独な者」と言われながらも、頭付近には、親友だったとも伝わる巨大蟹のかに座が、今も蛇を守ろうとするかのように目立たず控えているのが、何ともいじらしくも見えます。ヘラクレスによる奇妙なヒュドラ・巨大蟹退治の物語にも、あるいは大昔の名もない民族が、力のある集団に蹂躙された歴史が隠されているのかもしれません。箱形の星に囲われたかに座プレセペ星団。プレセペとは「飼い葉おけ」を意味します (参考・参照) 星空図鑑 藤井旭 ポプラ社 ギリシア神話 アポロドーロス 高津春繁訳 岩波書店ヘラクレスに「退治」された怪物たちが星座に…星の神話とは敗者への慰霊?
tenki.jp 2022/05/13 00:00
“イライラ”の原因は人や事象ではない 真っ先にすべき正しい対処法を自衛隊メンタル教官に聞いた
“イライラ”の原因は人や事象ではない 真っ先にすべき正しい対処法を自衛隊メンタル教官に聞いた
蓄積疲労は3段階で進行する。イライラしがちな人は「疲労の2段階」にいると自覚してほしい(本書『イライラ・怒りをとる技術』より)  理由はハッキリとわからないが、なぜかイライラしている。配偶者や子どもの言動がいちいち、気に障る。上司の何気ない一言に、瞬間的にムカッとくる……。「イライラ」を感じたときに真っ先にするべきことがある、と語るのは元自衛隊メンタル教官の下園壮太さん。『自衛隊メンタル教官が教える イライラ・怒りをとる技術』を最近、刊行した下園さんに正しいイライラ対処法を教わった。 *  *  * ■現代人を「スーツを着た原始人」と考えてみると  最近、何だか理由はわからないけど、イライラするなあ、と思うことはないでしょうか。毎日、何かしらイライラとして、心穏やかに過ごせない。そんな自分自身や生活に嫌気が差した経験は誰にでもあるのではないでしょうか。 「イライラ」とは小さな怒りです。怒りは、自分の土地・食料・所有物、愛、自由、立場、居場所、価値観などが侵されないように警戒する感情です。こうした領域に不法侵入の気配があるとき、「イライラ」が発動します。  私は人間を理解しようとするとき、現代人を「スーツを着た原始人」と捉えて考えます。人類の歴史は、400万年とも言われていますが、人類の歴史を1月1日から始まる1年に例えると、人類最古の土器が使われた1万6500年前が、12月31日の夜の9時過ぎごろの話になります。四大文明が生まれた5000年前は夜11時、電気が発明され夜も活発に活動できるようになったのは、夜11時30分。インターネットが発明されたのは、年が変わる20秒前のことです。  つまり、私たちの無意識には、このように長い原始時代を生き延びるためのプログラムがしっかり刻み込まれており、それは、ほんの短い現代社会という環境ではまだ修正されていないのです。  原始人的には、エネルギーのレベルが下がった状態は、襲撃されたら戦えない、逃げ遅れるかもしれないことを意味します。そのため、他者との交流を考えただけで“殺されるかもしれない”というレベルの被害妄想的な反応になってしまうのです。現実に自分に痛みや苦しみ、これ以上の労働を強いる兆候がある場合には、怒りの発動はさらに早くなります。 下園壮太著『自衛隊メンタル教官が教える イライラ・怒りをとる技術』(朝日新書)※Amazonで本の詳細を見る  現代に生きる私たちにも、その警戒心は働きます。疲れが溜まっているときは、他人のちょっとした言動が気になります。例えば、同じチームに、何かと人の足を引っ張り、ポカミスも多いメンバーがいるとしましょう。疲れが溜まってくると、彼が仲間と談笑しているのを見かけただけで、イライラしてしまうようになります。 「仕事は適当なのに、遊びのことだけは熱心だ」などと考えてしまいます。のんきなそのメンバーがするかもしれないミスを、自分がフォローしなければならないし、自分の評価にも悪影響が及ぶと感じるからです。 ■イライラの原因は「相手」ではなく「自分」にある  この場合、「このメンバーこそが私のイライラの原因だ」と考えてしまう人も多いと思います。「ミスをしてもヘラヘラした態度だから、私はムカついてしまうんだ」と考え、上司に相談したり、彼を呼び出して直接指導したりするなど、なんとか対処しようとするかもしれません。  しかし、実際の原因は自分自身の「疲労」であることのほうが多いのです。「イライラ」は、疲れのバロメーターと考えたほうがいいのです。疲れて弱っている自分を守るために、イライラという怒りを発動させて、これ以上、自分に余計な負担がかからないように警戒している状態です。ヤマアラシが体の毛を逆立てて、周りの人に対して威嚇しているようなイメージでしょうか。  イライラを感じたら原因をあれこれ探すよりも、とりあえず、しっかり休養することで解決することはよくあることです。  イライラ事象があった日は、「疲れている」と自分に言い聞かせてください。嫌なことを忘れようと、楽しいストレス解消法をやる手もあるのですが、もしあなたに疲れが溜まっている場合は、そのストレス解消法をやること自体で、疲労を深めることになってしまう場合があります。  気分は変えられても、疲労が深まっていますから、夜寝るときには、また今日の怒りがふつふつと思い出されてしまいます。  では、どうすればいいのか。 ■アルコールは怒りを誘発するので要注意  それは、とにかく休むことです。逆に言うと、エネルギーを使う作業を避けること。具体的には、こまめに小休憩をとる、昼寝をする、仕事を先延ばしにする、家事をサボる、人と会うのをキャンセルする、いつもより早く眠る、いつもより1時間長く寝るようにする、などの対処をしてください。  人と会って酒を交えながら、愚痴を言いたいのは自然な流れですが、楽しいストレス解消法と同様、人と会うこと、お酒を飲むことは、実は案外エネルギーを使う作業です。  また、アルコールは、反応速度を鈍くし、瞬発力のあるイライラの発動を我慢の力で押さえられなくなってしまいがちです。お酒が入ると怒る人は本当に多いのです。そしてお酒が入った席でのトラブルや失敗も多いものです。また、そうでなくても、お酒で睡眠の質が阻害され、疲労の回復が遅れます。友人と愚痴を言い合うのは、イライラ事象のすぐ後ではなく、一晩寝てからにすると良いでしょう。  そうすることで翌日にはエネルギーが戻り、案外、「それほどこだわることではないか。ま、いっか」と相手や自分を許せてしまうことも多いものです。 「イライラは疲れのサイン」ということを理解して、最近なんだからイライラしてるなと思ったら、とにかく休息をとるように心がけてください。それを心がけるだけで、原因不明のイライラがぐっと楽になる人は大勢います。ぜひ、実践してください。
下園壮太書籍朝日新聞出版の本自衛隊メンタル教官読書
dot. 2022/05/12 16:00
業務時間外も“即レスしなきゃ”になりがち エンドレスワークを避けるための4つのコツ
古田真梨子 古田真梨子
業務時間外も“即レスしなきゃ”になりがち エンドレスワークを避けるための4つのコツ
AERA 2022年5月16日号より  通勤や出張の時間がなくなり、家族との時間も持てる。導入時はメリットに感じる声が多かったテレワーク。「自宅=いつでも仕事ができる」ことで、仕事が生活に浸食しエンドレスワークに陥る人も。AERA2022年5月16日号の記事を紹介する。 *  *  *  エンドレスワークに陥る、もうひとつの大きな要因はメールやメッセンジャー、SNSといったありとあらゆるITツールが、仕事上の連絡手段として定着したことだろう。 「大事なことは電話もしくは、社のアドレスからのメールにしなければ、相手に失礼にあたるという感覚がなくなりつつある。コロナ禍になったこの2年間で一気に加速したと感じています」  と話すのは、広報関連のコンサルタント会社を経営する栗田朋一さん(50)。自身も、仕事にメッセンジャーを多用している。 「アポイント時間の変更や契約内容に関わることなど重要なやりとりもメッセンジャーが基本です。電話が鳴ると本当にびっくりするようになりました」  栗田さんは、大小さまざまな企業の広報担当者の広報スキル向上や、マスコミ人脈の構築をサポートしている。欠かせないのが記者たちとの付き合いだ。以前は、アポや会食を気楽に設けていたが、コロナでできなくなった。だから、記者から連絡が来ると、「会えなくなった分、今を逃してはいけない!」と、深夜であっても瞬間的に反応するようになったという。 「もともと時間や曜日に関係なく、何かあれば対応するという広報気質があることもあり、余計にエンドレスワークになるのでしょうね」(栗田さん)  一方で、自分も相手に無理をさせている、と反省も口にする。 「深夜や休日であっても、メールをしている自分がいる。それはつまり即レスを期待し、場合によっては強制していることになり、良くないなとは思います」  大阪府の自宅で完全テレワーク生活を続ける女性(31)の勤務先の所在地は東京。人材採用に関連するカスタマーサポートが主な業務だ。 「全てがオンラインだからこそ、届くメールの時間帯などから、相手が朝型か夜型か、など生活パターンなどを読んで『今なら仕事の話が進む!』と思えば、どんな時間でも連絡しがちです」 在宅勤務が広がり、家事や育児との両立がしやすくなった面もあるが、定時以降もメールに即レスなど延々と仕事をしてしまう人も少なくない(撮影/写真映像部・馬場岳人) ■自動応答の設定も有効 “働いてますアピール”をするような時代ではなく、互いに配慮しあうことが大切だと思うようになり、最近は「忘れないように」という理由で時間問わずにメールを送ることをやめた。メールやビジネスチャット「Slack(スラック)」の送信予約機能も使っているという。  働き方評論家で千葉商科大准教授の常見陽平さんはこう話す。 「24時間いつでも連絡がつく状態は良くないとは思うが、悩ましいのは、完全に『悪』だとも言い切れないこと。隙間時間で仕事の下準備ができたり、即レスすることで、相手が次の仕事に進むことができたりといったメリットも大きい。だからこそ、個人と管理職によるマネジメントがとても大切になってくる」  常見さんは、「つながらない宣言」を提唱し、私生活の時間を明確に確保するために、普段から自分の予定を周囲に伝えておくことや、「休暇をいただいております」「いま電話に出られません」などといった自動応答の設定が有効だとする。  インターネット環境から意識的に離れる時間をつくることも、休むことにつながる。 「僕は、ニュースやトレンドは新聞や雑誌など紙媒体から得るようにしている。意識的にウェブメディアから離れる習慣をつくっている」(常見さん)  コロナによるテレワークや、SNSの広がりによる常時接続社会がもたらしているエンドレスワーク。常見さんは、 「自分自身や周囲は長時間労働になっていないか、誰かにしわ寄せがいっていないか。思いやりを忘れず、自分の感覚は『普通』なのかを疑い続けることが大切です」 (編集部・古田真梨子)※AERA 2022年5月16日号より抜粋
仕事
AERA 2022/05/12 10:00
更年期をチャンスに

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女性は、月経や妊娠出産の不調、婦人系がん、不妊治療、更年期など特有の健康課題を抱えています。仕事のパフォーマンスが落ちてしまい、休職や離職を選ぶ人も少なくありません。その経済損失は年間3.4兆円ともいわれます。10月7日号のAERAでは、女性ホルモンに左右されない人生を送るには、本人や周囲はどうしたらいいのかを考えました。男性もぜひ読んでいただきたい特集です!

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学校現場の大問題

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クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

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働く価値観格差

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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