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「小1の壁」ひらがなや計算よりやるべきことがあった… 入学前にやっておけばよかった“4つのこと”を、小学生ワーママに聞く
「小1の壁」ひらがなや計算よりやるべきことがあった… 入学前にやっておけばよかった“4つのこと”を、小学生ワーママに聞く 写真はイメージ 撮影/和仁貢介(写真映像部)  3年前、息子が保育園から小学校に上がり、働きながら小学1年生の学校生活をサポートする大変さを痛感したという、うなぎママさん。インスタグラムを通じて知り合った先輩ママや小学校の先生をしているフォロワーさんから、たくさんのアドバイスや共感をもらって救われたそう。フォロワーさんとのやりとりを通じて小学生ワーママがつまずくことの共通点と対策、ノウハウを著書『これ一冊でOK! 「小1の壁」完全ガイド』にまとめられました。これから小学生ママ・パパになる人に、ひらがなや計算以外に「これだけはやっておいて」ということを教えてもらいました。 ※後編<名札の安全ピンを止める、ぞうきんをしぼる… 「小1の壁」にぶつかったワーママが実践する“6つの自立の準備”とは>に続く 「なんか、思ったよりもすごく大変!」 ――まず息子さんが小学校に入学したときは、どんなギャップがあったのでしょうか?  最初に感じたのが、他の保護者や先生と顔を合わせる機会がなくて、わからないことを聞きにくいことでした。例えば、持ち物に「図工で使う空き箱を持ってきてください」と書いてあるけど、大きさは? とか、空き箱にも色々あるけど、何でもいいの? とか、詳細がわからなくて、忙しい平日の夜に困った!となるんです。わが家は子どもに聞いてもわからなかったので、知り合いのママにLINEで聞いたり、学童のお迎えの時に同じクラスの子のママや高学年のお子さんがいる先輩ママに聞いたりして、何とかやっていました。実は、今日も子どもに突然「明日軍手がいる」と言われて……。子ども用の軍手ってあまり売っていないので、100均などで買ってストックしています。  また、学校の持ち物は子どもが自分で連絡帳に書いてくるんですが、字が汚くて読めない、持ち物がわからないよ!ということもありました。中には、書くこと自体を忘れてしまう子もいるようです。なので、同じクラスに一人くらいはLINEできるママ友がいると安心だと思います。小学校からのプリントも、大事なことが数枚に分かれて書かれていたり、小さく書いてあったりしてわかりにくいことがあるので、「これで合ってる?」と誰かに相談したくなるので。  入学前は、インスタのフォロワーさんや会社の先輩から「こうしたほうがいいよ」「ここは気をつけて」といろいろ情報をもらっていたものの、断片的な情報なので具体的なイメージがわかなくて。いざふたを開けてみたら、「なんか、思ったよりもすごく大変!」と思いましたね。ひらがなや簡単な計算など、学習の予習はやっていましたが、もっとやったほうがいいことがあったなと感じました。  息子自身も、保育園での遊び中心の生活から小学校での勉強中心の生活に変わり、ギャップを感じたようでした。遊べる時間といえば最初のうちは中休みの20分くらいなので、「全然遊べない!」と不満そうでした。自由な時間がグンと減って、子どもにとっても大きな変化だったと思います。 小1保護者の大変さを職場に伝えておいた ――入学直後はタスクが多くて大変だったと思いますが、仕事とどう両立をされたのでしょうか。  保育園時代と違って、4月は「入学式」や「保護者会」「面談」などの学校行事が平日の日中に入ってくるとフォロワーさんから聞きました。実際に年間の予定表をもらって確認すると、平日に保護者が参加するものがいろいろと載っていて保育園との違いに驚きました。そこで、会社の上司にあらかじめ「こういう時期なのでお休みする日が多くなります」と伝えていました。事前に伝えておくことで休みやすかったですし、職場にも「1年生の親って学校の用事も多くて意外と大変なんだな」と理解してもらうことは大事だなと思いました。しばらくは朝の登校に付き添ったり、学童に早めにお迎えに行ったり。有給や半休、リモートワークを活用してなんとか乗り切りましたね。4月以降も登下校を見守る「旗当番」がある地域もあるので、その場合は可能ならパパと交代にするといいかもしれません。   また、平日の夕方は、やっぱりめちゃくちゃ忙しくなりました。宿題の見守り、丸つけ(親がやる場合もある)に加え、翌日の準備もサポートが必要でした。わが家は学童に通わせていたので、宿題は学童でやってくれるのですが、お迎えに行って帰宅後に丸付けして、間違えた箇所の見直しをさせようとしても、子どもが疲れてぐずってできなかったりして。それで翌朝の時間も活用するようになりましたね。あと、地味に手間なのが現金の集金や書類の記入。急におたよりが来るので気が抜けないんです。  突発的なトラブルへの対応が必要になることもありました。子どもが「今日は学校行きたくない」と言い出したり、他の子とけんかして先生から電話がかかってきたり……。そういう時は、夜、時間をかけて子どもの話をじっくり聞くということも何度かありました。そういうトラブルって子どもだけでなく親のメンタルにもダメージがありますよね。この時期はいろいろな意味で、物理的にも精神的にも余裕があったほうがいいので、可能なら6月ごろまでは仕事をセーブできるといいかもしれません。 入学までにやっておきたい 4つの準備 ――下の娘さんがこの春小1になられます。息子さんの経験を踏まえて対策していることはありますか。  はい、長男のときに「やっておけばよかった」と思う場面があったので、長女には4つのことをさせています。 <うなぎママさんが、この春小1になる娘とやっている4つの準備> 親や先生以外の大人と話す練習をする 通学路の帰り道や家の周辺の道を歩いて、迷っても帰れるようにしておく 交通ルールを守れるようにしておく 防犯・性教育について知り「防犯意識」を持つ  小学校に入ると子どもが1人になるシーンが増えるので、娘には少しずつ「自分で考えて行動する練習」をさせています。小学校の先生からは「困った時に自分から誰かに言える力」が大事だと聞きます。授業中にトイレに行きたいとか、忘れ物をしてしまったとか。そこで、わが家は外食の際に、子どもが店員さんに話しかけて注文するなど、大人に話しかける練習をしています。  それと、一番やってほしいのが、学校への行き方だけでなく、帰り方の練習もしておくこと! 友達と話しているうちにいつもと違う道に出てしまい、自分の家への帰り道がわからなくなって先生や親が捜索に出るなんてことが「1年生あるある」だそうです。そうならないように、通学路はもちろん、家の近所の道も覚えておくと安心だと思います。  同時に、防犯意識を持つことも必要だと思います。知らない人についていかないのはもちろん、わが家は性教育についての絵本を一緒に読んでいます。例えば、知らない人から「写真を撮らせて」と言われても、それが断るべきことだと知らなかったら、無邪気に撮られてしまうかも。いざという時に子どもが自分で自分を守れるように、他人にされてはいけないことをしっかり教えておきたいなと思っています。 (構成/布施奈央子) ※後編<名札の安全ピンを止める、ぞうきんをしぼる… 「小1の壁」にぶつかったワーママが実践する“6つの自立の準備”とは>に続く ○うなぎママ/小3男子と年長女子を子育て中のワ―ママ。自身が「小1の壁」にぶつかった経験から、インスタグラムで10万人以上のフォロワーの声を集め、ワーママの「小1の壁」攻略法について約4年間にわたって発信している。著書『これ一冊でOK! 「小1の壁」完全ガイド』(講談社)。インスタアカウント@unagi.mama
教員生活の中で心が疲弊してしまったと話す、小学校担任の34歳男性に鴻上尚史が伝えた「人を育てる努力は、結果と比例しない」という言葉の意味とは
教員生活の中で心が疲弊してしまったと話す、小学校担任の34歳男性に鴻上尚史が伝えた「人を育てる努力は、結果と比例しない」という言葉の意味とは 鴻上尚史さん(撮影/写真映像部・小山幸佑)  教員生活の中で心が疲弊してしまったと話す、小学校担任の34歳男性。トラブルに対する責任が重く、これまで生徒たちと築き上げてきたものがすべてなくなってしまうように感じて仕事に対する自信を無くしてしまったという。そんな男性に鴻上尚史が伝えた「人を育てる努力は、結果と比例しない」という言葉の意味とは。 *   *   * 【相談250】  教員生活で心が疲弊し、学級担任として仕事をする自信を無くしてしまいました(34歳 男性 奮闘中)  小学校で5年生の担任をしています。教員生活も10年目。子どもたちの成長を間近で感じることができる楽しさを感じる一方で、授業準備、保護者への対応、トラブル対応などの多さに、心が疲弊していることも感じております。先日、クラス内で物隠しがありました。担任をしていると、よくあることと言ってはいけませんが、これまでもそのようなことはありました。  もちろんこのようなことが起きないように普段から安定した学級経営を心掛けております。今年度も残り僅か。大きなトラブルもあったなか、なんとか乗り越え、子どもたちも成長し、誰1 人かけることなく新年度を迎えようとしていた矢先のことでした。起きてしまったことは仕方ありません。すぐに管理職、学年の先生たちに報告し対策を考え行動に移しました。その日のうちに、物を隠した児童が判明し、保護者にも連絡。盗まれた児童、保護者にも連絡し、その日のうちに謝罪をしていただきました。取られた児童の1 人は、謝罪を受け入れたのですが、もう1 人の児童はあまりのショックに謝罪は受け入れられませんでした。もちろん、無理に謝罪を受け入れる必要はありません。  それほど犯した罪は大きく、謝って許される問題ではないからです。取られた児童への心のケアを大事にし、そばに寄り添い、励まし、なんとか次の日に学校に来れることを願い、その児童とはさよならをしました。もともと、欠席がちな児童でしたが、その児童とは1年間で関係を築き、ことあるごとに、来年も先生がいいな。今年は初めて学校が楽しい!と言ってくれていた児童でした。そのため、今回の出来事はあまりにもショックが大きく、明日から登校を渋ることになってしまうのではないかという不安がありました。その不安は的中し、翌日以降、登校できなくなりました。児童は、加害児童はもちろん、担任の私にも会いたくないと話し、学校に来なくなりました。築き上げた関係が一瞬で崩壊し、自分が防げなかったことに後悔と苛立ちを日々感じております。加害児童もまた、登校できなくなりました。家庭環境が複雑で、保護者とも密に連絡をとり、関係を築き上げてきたなかで、被害児童、加害児童の2 人が登校できなくなってしまいました。  もちろん、このことは他の保護者にも子ども経由で伝わっています。なにがあったんですか?本当ですか?そんな連絡が毎日のようにあります。責められるのは仕方ありません。全て担任の責任です。しかし、これまでやってきたことがこんなにも一瞬で崩壊してしまうのかと思うと、怖くなり、出勤することが日々億劫になっております。私は、先生としてどうすれば良いのか。このようなトラブルを防げない私は先生という職業を辞めた方がいいのではないか。  そんなことを毎日考えてしまっています。鴻上先生。私はこれから教師という職業を続けてもよいのでしょうか。この職業はしんどいこともたくさんありますが、私は嫌いではありません。でも、担任として続けていくことへの自信がなくなってしまっています。こんな状況で、続けてしまってもよろしいのでしょうか。アドバイスいただければ嬉しいです。お忙しいところ、長文、失礼しました。   本連載の書籍化第6弾!『鴻上尚史の具体的で実行可能なほがらか人生相談』(朝日新聞出版) 【鴻上さんの答え】  奮闘中さん。つらいですね。そして、頑張っていますね。奮闘中さんの文章を読んで、自分のことのようだと深くうなづいている先生達が全国にたくさんいると思います。  奮闘中さんの相談に答える前に、少し、僕の話を聞いてください。  僕は演劇の演出家をもう45年近くやっています。そのほとんどを劇団の主宰者として、運営してきました。  劇団の主宰者としての目的は、いくつかあります。劇団に多くのお客さんが来て欲しいとか、所属の俳優が売れて欲しいとか、スタッフが育って欲しい、とかです。  所属の俳優が売れるためには、「魅力的な俳優」になることです。  でも、「俳優の魅力」なんていう曖昧なものを追求するのは簡単ではありません。「演技力」とか「センス」とか「生き方」とか、いろんなものによって構成されるだろうと思います。  22歳で「第三舞台」という劇団を旗揚げして以来、「どんなアドバイスをすればいいのか」「どんな演出をすれば演技は上達するのか」「どんな本や映画・演劇を薦めれば、俳優の幅は広がるのか」なんてことをずっと考えてきました。  新人の俳優が入団してきたら、話し込み、相手を理解しようとし、役を書き、演出し、舞台以外のさまざまなアドバイスをし、俳優として育って欲しいと願いました。  3年とか5年、そうやって、濃密な時間を過ごしたある日、その俳優は、突然、「劇団を辞めます」と言ったりします。劇団を辞めるだけではなく、俳優も辞めるなんてことを言う場合もあります。 「虚構の劇団」という別な劇団を49歳の時に旗揚げしました。若者だけを集めた集団でした。  10年つきあって、もうすぐ売れる、もうすぐ俳優業だけで十分な生活ができるようになる、という直前に、「俳優を辞める」と言われたこともあります。  その俳優に注いだエネルギーと時間は膨大なものでしたから、その瞬間、共に過ごした日々が、まさに走馬灯のように頭の中で駆け巡りました。  そういう時、あまりのショックで、「もう俳優を育てるのはやめよう」なんて考えてしまいます。    奮闘中さん。  僕が言いたいのはここからです。 【こちらも話題】 ”起業したけど無気力”な夫との生活に辟易しているという48歳の女性に、鴻上尚史が指摘した、夫の「とんでもない勘違い」とは https://dot.asahi.com/articles/-/250569 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません(gettyimages)  奮闘中さんは、「全て担任の責任です」と書かれていますが、本当に「全て」なのでしょうか。  僕は、22歳から、俳優が「辞めます」と言うたびに、心が折れそうになり、その後、「いったい、僕の何が悪かったんだろう」と考えました。 「演出が強引だったんだろうか」「演出が甘すぎたんだろうか」「舞台以外のアドバイスが過剰だったんだろうか」「僕自身の人間の器が小さすぎて、人間的にダメだったからだろうか」  自分だけで考えても分からないので、「劇団を辞める」「俳優を辞める」という俳優ととことん話し合いました。事情を教えてくれ、いったい僕の何が悪かったのか正直に言って欲しい、僕の演出のどこがおかしいと感じたのか言って欲しいと頼みました。  同時に、自分の演出を知るために、他の演出家さんの現場をできる限り見ました。演出の仕方、所属の劇団員との接し方、日常の言葉使い。  22歳で劇団を作ってからの数年間は、あたふたして、混乱して、なかなか事態は見極められませんでしたが、やがて、ゆっくりと、いろんなことが見えてきました。  結論として、俳優が辞めたいという場合、「全て演出の責任です」という言葉でまとめられないし、まとめてはいけないと思うようになりました。  もちろん、これは「危険な判断」です。「全て演出家の責任」なのにそれを認めないということを続ければ、間違いなく、辞める俳優が続出して、組織は崩壊するでしょう。崩壊しないまでも、集団はギスギスして、笑顔が見れらない人達の集まりになるでしょう。  でも、僕が「全ては演出家の責任」だとは断定できないと思ったのは、その当時、劇団がちゃんと運営されていると感じていたからです。辞めていく俳優より入団希望者の方がはるかに多く、楽しく演劇を作っているという「実感」がありました。  俳優が辞めていく理由が「全て演出家の責任」である劇団が、崩壊もせず、続くはずはないと思ったのです。  もちろん、演出家の責任が0だと言っているのではありません。話し会うことで、「劇団を辞める」「俳優を辞める」にはいろんな理由があると気づきました。  本人のさまざまな事情、実家の事情だったり、未来への不安だったり、パートナーの要請だったり、経済的な問題だったり、さまざまですが、それは「全て演出家の責任」とは言えないケースです。言ってはいけないケースだとも思います。  そう言ってしまったら、演出家は、まるで全能の立場で、相手の家庭の事情とかパートナーとの関係までコントロールできるという前提になってしまうからです。   【こちらも話題】 国際スポーツ大会での異様な盛り上がり方が嫌いだという50歳女性に、鴻上尚史が「あなたの感覚はとてもまっとうなもの」と伝えた理由とは https://dot.asahi.com/articles/-/249839    奮闘中さん。  22歳から、何度かそういう体験をするうちに気づいたのは、「人を育てる努力は、結果と比例しない」ということでした。  ある技術を習得すること、産業とかスポーツとか芸術とかの分野は、努力と結果は比例すると思います。もちろん、人によって、上達の速度や到達するレベルは違いますが、努力すればするだけ、ある結果を生みます。  ただ、「人間を育てる」ということは、どんなに努力しても結果につながらないことがあるんだと、僕は気づいたのです。  Aという俳優には、1000時間演出した。Bという俳優は、5時間しか演出しなかった。だから、AはBよりうまくなったし、売れたーーというなら、とても分かりやすい世界です。  でも、現実は、Aが、突然、俳優を辞めると言ったりするのです。 「人を育てる努力は、結果と比例しない」という思いは、はっきり言えば、諦めでもあります。諦めですが、「だからもうやらない」ということではありません。人を育てようとしながら、どこかで、「これは結果につながらないかもしれない」と思いながら、なおかつ、努力を続けるという認識です。 「全てがコントロールできるのなら、全ての責任は自分にある。でも、相手は人間だから、全てをコントロールできないし、コントロールしようとしてはいけない」ということです。  奮闘中さんは、10年、教師を続けられているのですね。その間に、尊敬できる教師、見習いたい教師に出会いましたか?そして、それを取り入れようとしましたか?  そして、奮闘中さんの今の教師としての実力はどれぐらいですか?  奮闘中さんが「全ては担任の責任」ということを、管理職や口うるさい保護者向けに言っているのではなく、本心からそう思っているのだとしたら、ぜひ、周りの信用できる教師仲間に問いかけてみることをお勧めします。 【こちらも話題】 夫の死を受け止められていないと話す59歳の女性に、鴻上尚史が伝えた「喪の仕事に身を任せ続けていい」の真意とは https://dot.asahi.com/articles/-/249056  本当に「全ては担任であるあなたの責任だ」と言うのかどうか。  教師であることを誠実に悩み、これから先のことを僕に相談してくる奮闘中さんが、「教師失格」だとは僕には決して思えませんが、ぜひ、周りの信頼できる教師仲間に確認してみるのがいいと思います。  突然、劇団を辞めるという俳優を前に、心折れながら、それでも、40年も劇団を続けられたのは、成長していく俳優がいたからです。辞めた俳優もいたけれど、(何人かは今でも僕は頭の中で「どうして辞めたんだ」と問いかけ続けています)、同時に成長して、多くの人に知られて、立派な仕事をしている俳優が生まれたからです。 「こんな状況で、続けてしまってもよろしいのでしょうか」と奮闘中さんは書きますが、トラブルを誠実に受け止め、なんとかしようと苦悩し、努力している奮闘中さんのような人こそ、教師を続けて欲しいと思います。  ゆっくり休む時間がないことが一番の問題ですよね。忙しすぎることが、心の柔軟性を奪い、回復力を弱めてしまいます。それが日本の教師の一番の問題で、文部科学省レベルの決断で、職場環境を変えることが急務です。  奮闘中さん。どうか、思い詰めず、なんとか休みを取りながら、よく寝て、美味しいものを食べて、元気に子供達と接する日々がまた来ることを願います。 【鴻上さんへの相談、募集中!】あらゆる人間関係、組織のなかで、相談者の身に起きている困ったこと、身動きのとれない境遇、逃げ出したい状況など、すべての悩める事態に鴻上尚史さんが答えます。ぜひ、あなたの悩みをこちらからご投稿ください。※投稿に当たっては、注意事項を必ずお読みください。  
国際女性デーに考える 私たちの健康アクション
【PR】国際女性デーに考える 私たちの健康アクション 国際女性デーとは▶▶▶毎年3月8日を女性の権利と国際平和を祝う日として、1977年に国連が制定。女性をエンパワーメントすると共に、ジェンダー平等の推進アクションが世界中で呼びかけられ、関連イベントが開催されている。 日々健やかに暮らすために、生活習慣と共に見直したいのが病気の早期発見につながるアクションです。日本人の国民病とも言われるがんは、生まれ持った遺伝子をもとに、発症リスクを調べることができます。女性の自己実現を応援する3月8日の「国際女性デー」を記念して、フリーアナウンサーの西尾由佳理さんが遺伝医療を専門とする植木有紗先生と対談。遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC※1)と、その治療を取り巻く状況について尋ねました。 生まれ持った遺伝子でがんのリスクがわかる フリーアナウンサー 西尾由佳理さん:にしお・ゆかり/2001年に日本テレビ入社。アナウンサーとして数々の人気番組を担当し、11年退社。フリーアナウンサーに転身後も、テレビやラジオへの出演、ナレーション、イベント司会など幅広く活動。2児の母 西尾:がんの発症には遺伝子が関係しているそうですね。どういったメカニズムなのでしょう。 植木:細胞分裂を司り「体の設計図」とも言われる遺伝子に、何らかの要因で傷がつくことがあります。その傷が積み重なり、役割を果たせない細胞の生成が進むと、がんが発生します。 西尾:なるほど。では「通常のがん」と「遺伝性のがん※2」が区別されているのはなぜですか。 植木:前提として、がん細胞自体は遺伝しません。遺伝性のがんは、発症しやすい傾向が遺伝して生じるものと考えてください。がんに限らず、この「特定の病気に影響しやすい遺伝子の変化」を病的バリアントと呼びます。 公益財団法人がん研究会有明病院 臨床遺伝医療部 部長 植木有紗先生:うえき・ありさ/2004年慶應義塾大学医学部卒業。慶應義塾大学病院産婦人科学教室や関連病院を経て、19年に慶應義塾大学病院臨床遺伝学センター・腫瘍センターへ。21年から現職。遺伝医療の観点から女性の疾患や健康管理についての情報発信に取り組む臨床遺伝専門医・指導医。産婦人科専門医・指導医、遺伝性腫瘍専門医・指導医でもある 西尾:がんに関係する病的バリアントの受け継がれ方がカギなのですね。 植木:人間は父母から一つずつ遺伝子を受け継ぎます。設計図が2冊ある状態です。そこに記された約2万の遺伝子には「がんになりやすい体質に関わるもの」がいくつかあり、遺伝性のがんを疑う時の遺伝子検査では、それらの遺伝子に病的バリアントがあるかを調べます。病気を発症しやすい臓器・器官、年代などは遺伝子によって異なり、遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)に関係する遺伝子は、BRCA1とBRCA2の2種です。これらに病的バリアントの保持が認められると、がんの発症・未発症は区別せずHBOCと診断されます。HBOCと診断された人が生涯で乳がんを発症するリスクは70%ほどで、一部のがん患者さんでこれを原因とする可能性が高い場合の治療には保険が適用されます。 西尾:この遺伝子検査はどういう人が受けるべきですか。 植木:対象となるのは、主に特定のがんを発症した人(図1)、その中でも特に「第3度近親者以内の血縁者が乳がんや卵巣がんを患った人」です。父方母方の双方で乳がんの人がいるかは聞いておくのがいいと思います。18歳以上で自身が未発症の場合はチェックシート(サイト情報参照)を試してください。可能性が高いとわかったら、自費にはなりますが医療機関での検査を検討してみるといいでしょう。 西尾:両親の傾向が受け継がれるとすれば、父方からの遺伝もあり得ると。 植木:その通りです。発症リスクも女性だけとは限らず、男性の乳がんもあります。もちろん、女性と同様に保険適用の検査や治療が可能です。また男性の場合は前立腺がんのリスクも高まると考えられ、発症しやすい臓器・器官は性別によって少し異なります。 西尾:検査を受ける理由や受けた人がHBOCと診断される割合は。 植木:すでにがんを発症している人はその後の治療や家族のために受けています。詳しく調べるのは、先の2種の遺伝子に対して効果が高い薬剤があるからです。その際の検査は保険適用となります。未発症の人は血縁者にHBOCと診断された人がいた場合が多いですね。検査に関連して、遺伝子検査は大変有用ではあるものの、生涯発症しない可能性もあることをお伝えしたいと思います。未発症のまま過ごせるのは、二つの遺伝子のうち片方がきちんと機能しているからです(図2)。ただ、発症リスク自体はありますから、リスクに応じて定期的かつ継続的ながん検診を勧めています。検査でHBOCと判明するのは10%ほどです。 西尾:約70%が発症と聞くと、低くないリスクですし、検査に意義を感じます。 植木:そんな背景もあって、日本では発症後の治療はもちろん、発症予防を目的とする切除や再建の手術にも一部保険が適用されます。海外の事例ですが、以前HBOCと診断された女性ハリウッドスターが妊娠出産を経てリスク低減手術をしたことを公表し、話題になりました。 西尾:報道したのでよく覚えています。 植木:両乳房を切除・再建し、卵巣と卵管を切除されました。未発症の段階で検査と手術に踏み切ったのは、血縁者を乳がんや卵巣がんで亡くされたからだそうです。 遺伝情報を未来に生かすジーンアウェアネス 西尾:検査は費用面も気になります。 植木:保険で数万円、自費であれば十数万円ほどです。1カ月かからずに結果が出ます。技術革新で費用が抑えられ、検査スピードも速まってきました。 西尾:いつ受けても結果は同じですか。 植木:ええ。生まれ持った遺伝子の検査なので、新生児でも高齢者でも同一人物であれば同じ結果が出ます。HBOCの検査なら、検査時期の目安は成人後です。 西尾:いざHBOCの保持が判明したら、発症・未発症に関わらず不安に思う人もいるかもしれません。 植木:その場合は遺伝カウンセリングを利用するといいですね。医療機関に遺伝診療部門があれば、遺伝カウンセラーなどに今後の対策を相談できます。他にも出生前の染色体検査のような、遺伝にまつわる様々なことが何でも話せる場です。少し前まで、遺伝の話をすることはためらわれてきたかもしれません。しかし日々診察していても「遺伝的背景を知ることが怖いから検査を回避したい」という人は少ないです。今私たちは、生まれ持った遺伝子の変化に目を向け、それらの情報を治療や予防のために前向きに活用する「ジーンアウェアネス」を提唱しています。患者個人にも医療者にも、遺伝情報が今後ますます身近なものになることを期待しています。 西尾:今は過渡期にあるのですね。 植木:遺伝子の変化は、誰しも何かしらは保持しているものです。HBOCの遺伝子検査を検討する人も、この体質だと判明した人も「知っておけばより健康への関心が高められる」というメリットに目を向けてほしいと思います。治療中であれば、健康管理については医師とのコミュニケーションの中で詳しく確認できるでしょう。また、未発症の人は頑張って働いている自分の遺伝子の後押しになるよう、生活の中で負荷を抑えていけます。特段の問題を抱えていなくても、定期的にがん検診を受けつつ、生活習慣の見直しなどで健康を守っていくイメージですね。 自分や大切な人の幸せは健康が土台と胸に留めて 西尾:チェックシートを使うにあたり、私個人の課題としては「血縁者の病歴の確認と整理」が必要だと思います。普段顔を合わせていないと、なかなか詳しいところまでは尋ねられなくて。 植木:「相手の健康状態まで踏み込んで聞きにくい」あるいは「手術や治療について心配をかけまいと伏せてきた」という話をよく聞きます。家系全体の健康維持につながりますから、水を向けることも大切だと思います。 西尾:今回は国際女性デー記念対談ということで、先生が日本女性のがんにおいて気にしていることはありますか。 植木:近年さらに乳がんの発生頻度が高まっていること、がん検診の受診率が低いことなどですね。 西尾:理由はどうお考えですか。 植木:乳がん患者の増加は欧米型の食生活などがエビデンスの一つとしてあります。がん検診に関しては、二つの要因を気にしています。まずは自分の体に関心を持ちづらくなっていること。卵巣がんが進行すると腹囲が増えることがあり、その変化を「太ったからだと思っていた」というケースがあって。 西尾:加齢などによる見た目の変化と考え、違和感を見過ごしてしまったと。 植木:そうです。そしてもう一つは多忙ですね。社会人・妻・母・娘など、どの役割も完璧を目指そうとして自分をないがしろにしている人が多いように感じます。診察中に「早く検査を受けたい気持ちはあるけれど、この日は仕事で……」と話す人もいます。健康が自分や大切な人の幸せを生み出すことは、どうか胸に留めておいてほしいです。 西尾:国際女性デーは長きにわたる女性たちのアクションをたたえる日ですが、「健康であれば、より声を上げるパワーは増す」のだと感じます。検診や遺伝子検査は自分と周囲をいたわり、尊重する手段ですね。私も上手に活用したいです。今日はありがとうございました。 ※1 Hereditary Breast and Ovarian Cancerの略。 ※2全てのがんに占める 「遺伝性のがん」の割合は5〜10%ほど。乳がんでは5〜10%、卵巣がんで15〜25%とされる。
鼻の穴にティッシュを詰めていても引かないで… 花粉症「周囲が理解・配慮してくれている」は5割 花粉症ではない人に伝えたいこと【読者アンケート結果発表】
鼻の穴にティッシュを詰めていても引かないで… 花粉症「周囲が理解・配慮してくれている」は5割 花粉症ではない人に伝えたいこと【読者アンケート結果発表】   花粉症の人が、花粉症ではない人に訴えたいことは…(写真はイメージ=GettyImages)    花粉症のシーズンです。くしゃみ、鼻水、鼻詰まりなどに苦しむ人は数知れず、AERA dot.編集部のアンケートでは、花粉症によって仕事や勉強のパフォーマンスが「半分以下」に低下するという人は約6割に上りました。しかし、周囲の人たちは、その辛さを理解し、症状が悪化しないように配慮してくれているのか。花粉症の人のなかで「十分に」「それなりに」理解・配慮があると感じている割合は51%。一方で、花粉症ではない人の7割が「気を使っている」と答え、認識のギャップがうかがえました。では、花粉症の人が、花粉症ではない人に伝えたいこととは――。 *   *   *  花粉症についてのアンケートは、3月5日から12日まで実施。409人から回答がありました。このうち花粉症、または花粉症と認識している人が約85%でした。        それぞれがしている花粉症対策として、突出して多かったものが二つあり、最も多かったのが「マスク」(88.2%)。次いで「花粉症の薬を飲んでいる」が68.3%でした。  続いてほぼ同数で多かったのが、「手洗い、うがいをする」(48.0%)、「窓をあまり開けない」(45.8%)、「洗濯物は室内干しにする」(44.9%)でした。  そのほか、選択肢以外では「(無糖の)ヨーグルトを食べる」「鼻にワセリンを塗る」「外に出ないですむように、薬はオンライン診療で」というものが目立ちました。        花粉症のために毎月かかる出費としては、「2001円~5000円」が最も多い38.3%。続いて「2000円以内」が34.6%でした。 「5001円以上」かかっている人は9%で、逆に「お金をかけていない」が18.1%でした。         花粉症で苦しい…周囲の理解・配慮は  くしゃみ、鼻水、鼻詰まり、目のかゆみなどの症状が出てくると、なかなか集中力を維持することができなくなります。症状がひどいとき、仕事や勉強のパフォーマンスにどれぐらいの影響があるか聞きました。 「まったく動けない、頭が働かない」という人が7.2%いたほか、「かなり落ちる」が34.1%、「半分ほどになる」が15.2%。「やや落ちる」まであわせると、パフォーマンスの低下がある人の割合は9割を超えました。    そんな花粉症の辛い症状を、家族や友人、職場の同僚といった周囲の人たちは理解し、症状が悪化しないような配慮をしてくれているのでしょうか。 「十分に理解、配慮してくれている」と回答したのは10.1%、「それなりに理解、配慮してくれている」が40.8%を占めました。花粉症の人の半数が、周囲の気遣いを“認識”しているという結果になりました。  逆に「あまり理解、配慮してもらえていない」は17.3%、「まったく理解、配慮してもらえていない」は5.2%でした。       花粉症ではない人も「気を使っている」  では、花粉症の人は、周囲にどんなことをしてほしいのでしょうか。 「だるそうなときは、そっとしておいてほしい」が37.0%と最も多く、「部屋に入るとき、服をはらってほしい」「洗濯物や布団を、外に干さないでほしい」「窓を開けないでほしい」がほぼ同数、3割弱で並びました。 「仕事や勉強のパフォーマンスが落ちても、大目に見てほしい」は20.7%でした。    一方で、花粉症でない人は、花粉症の人たちにどのように接しているのでしょうか。            症状が悪くならないように「かなり気を使っている」は19.2%、「まあまあ気を使っている」が32.9%を占めました。さらに「症状に影響すると気づいたときに、気を使う程度」は16.4%で、花粉症の人になんらかの配慮をしている人の割合を合計すると、68.5%という結果でした。  一方で、「花粉症の人に気を使おうと思っていない」は6.8%にとどまり、また、「何が影響するかわからないので、特に何もしていない」は19.9%でした。    花粉症ではない人の7割が「花粉症の人に気を使っている」と答えているのに対し、「周囲が理解、配慮してくれている」と感じている花粉症の人は5割という結果になり、双方のあいだでに温度差があることがうかがえました。   花粉症ではないあなたに…  花粉症の人と、そうでない人の間にある「ギャップ」。今回のアンケートでは、花粉症の人から花粉症ではない人に「お願いしたいこと」「伝えたいこと」を聞きました。 「服をはらってほしい」「窓を開けないでほしい」といったお願いのほか、生活上のサポートを求める声もありました。 「保湿機の水を補充してほしい(寝るときなどに口呼吸になり喉が痛い)」(10代、男性) 「2割ほどいつもより多く動いてくれると助かる」(40代、女性) 「お酒の誘いを減らしてほしい」(60代、男性) 「人付き合いは悪くなるが、そこは大目に見てほしい」(60代、男性)    また、花粉症の症状が出ているときに向けられる「視線」も、当事者にとっては辛いもののようです。 「哀れみの目だけはやめて欲しい」(50代、女性) 「鼻水をティッシュで押さえて凌いでいる時はそっとしておいてほしい」(60代、女性) 「鼻の穴にティッシュ詰めていても引かないでほしい」(40代、女性) 「またくしゃみしてるとか言わないで!」(50代、女性)    そして、「国民病」と言われる花粉症。いまは花粉症でない人、いつなんどき、症状が出始めるかわからないのです。 「一定量を超えると誰でも花粉症になるというから、心配。気を付けてほしい」(50代、女性) 「花粉症じゃなくてよかったね。幸せだと思って欲しい」(50代、女性) (AERA dot.編集部)     【こちらも話題】 「女の子に学歴は必要ない」と言われた10代 「親」や「目上」からの押しつけは今なお根強く 3月8日は「国際女性デー」【読者アンケート結果発表】 https://dot.asahi.com/articles/-/251676    
漢方診療30年超の医師「メンタル不調の患者を診る機会が増えてきた」 心と体は一つという考え方
漢方診療30年超の医師「メンタル不調の患者を診る機会が増えてきた」 心と体は一つという考え方 ※写真はイメージです(写真/Getty Images) 30年超にわたり漢方診療をおこなう元慶應義塾大学教授・修琴堂大塚医院院長の渡辺賢治医師は「最近特にメンタル不調の患者さんを診る機会が増えてきました」と話します。漢方というと慢性的なからだの不調に効くというイメージが強いですが、メンタル不調にもよく効くといいます。三世紀に書かれた漢方医学のバイブルである『金匱要略(きんきようりゃく)』にも、メンタル不調の治療法が書かれているそうです。  渡辺医師は著書『メンタル漢方 体にやさしい心の治し方』(朝日新聞出版)を発刊しました。同書の「はじめに」から、前編後編に分けてお届けします。 *  *  *  漢方の診療を日々おこなっていますが、最近特にメンタル不調の患者さんを診る機会が増えてきました。直近のことでいうと、新型コロナウイルス感染症の影響が大きいかもしれません。コロナ禍の3年間ほとんどマスクの生活で、部活動も制限されて、青春の貴重な一時期を友人もできずに過ごした子どもたちもたくさんいました。  われわれ大人たちも、さまざまな行動制限の中で、人との交流が制限され、仲間と楽しく過ごす飲み会もなくなり、在宅で時間の管理も難しい状態で仕事をこなす日々を送ったり、または、事業が落ち込んで、追い詰められていった人たちなど、コロナの影響は非常に大きかったと思います。  もう少し長い目で見ると、物質的に豊かになり、技術の進歩で、生活の利便性も増しているにもかかわらず幸福度はむしろ下がっているように思います。こうしたことを振り返ると、こころの豊かさというのは、物質の豊かさや利便性とは無関係のように見えます。  渡辺京二著『逝きし世の面影』は、江戸末期から明治初期の日本人の生き方を当時日本を訪れた外国人の視点から書いています。それを読んで驚いたのは、日本人が非常に楽天的で毎日を楽しむ術を心得ていたことです。江戸では火事が日常茶飯事でしたから、火事で自分の家が焼けてもへっちゃら。まだ燃え残りがあるのに家を建て始めてまた燃えてしまったなど、本当に現代の日本人と同じ遺伝子を持っていたのかと思うくらい違う人たちに見えます。物の豊かさを求めることもなく、京都の龍安寺のつくばいにある「吾(われ)唯(ただ)足(た)ることを知る」の精神でしょうか。  日本人が悲観的な遺伝子を持っているわけではないことは明らかです。高度成長時代に物の豊かさを求め、それが達成された後、精神面の成熟度を追い求めるべき時期に、高度成長の残像を追いかけて、物質的豊かさを幸せの基準にしてきたひずみが、今出てきているのかもしれません。  私自身は、一医師として日々、修琴堂大塚医院で漢方の診療をする身です。漢方というと慢性的なからだの不調に効くというイメージが強いと思いますが、新型コロナ感染症のような急性疾患にも効果がありますし、メンタル不調にもよく効きます。三世紀に書かれた漢方医学のバイブルである『金匱要略(きんきようりゃく)』にも、メンタル不調の治療法が書かれています。人間生きていれば必ずからだの不調とともにメンタル不調を経験するものです。そんなとき、漢方も役に立つ、ということはあまり知られていませんが、実際には多くの患者さんが訪れ、漢方治療に感謝していただいています。  漢方の言葉の一つに「心身一如(しんしんいちにょ)」があります。仏教では「身心一如」といったりもしますが、こころとからだは一つ、という意味です。西洋医学では、こころとからだの二元論はデカルトに始まったとされています。デカルトも晩年考えを少し変えたようですが、東洋思想にはこころとからだは一つとする考え方が脈々と受け継がれています。  メンタル不調がからだの症状を呈する例としてストレス性胃炎が挙げられます。これはストレスがたまって実際に胃炎になってしまう例です。実はその逆もあって、過敏性腸症候群(IBS)で電車に乗るのが不安になってパニック障害になる、などこころとからだは相互に影響し合っています。  漢方医学では、今目の前に表れている症状には必ず原因があると考えます。推理小説のように、遡って原因を読み解いて、どこにアプローチするかを決定します。こうした漢方医学の特長があるので、初診の問診が長くなってしまいますが、最初に原因を紐解いていく過程で医師と患者さんが同じ方向を見て治療を進めることができます。原因を突き止められるとそれだけで不安が取り除かれるので、半分治ったようなものです。  笑い話のようですが、一生懸命一緒に時系列を遡りながら、これが原因ではないでしょうか、という点に行き当たっただけで、患者さんは「漢方の治療は必要ありません」と言って、初診なのに薬なしで帰られる方もいらっしゃいます。それはそれで医師冥利に尽きる、といいますか、本来薬は飲まないに越したことはないので、最初から飲まずに済めばそれもありです。 (後編に続く) 【後編はこちら】 なぜメンタル不調が漢方で治るのか? 3つのメリットを『メンタル漢方』著者の医師が解説 https://dot.asahi.com/articles/-/251870   『メンタル漢方 体にやさしい心の治し方』(朝日新聞出版) ※『メンタル漢方 体にやさしい心の治し方』(朝日新聞出版)から一部抜粋   渡辺賢治■わたなべ・けんじ 修琴堂大塚医院院長/横浜薬科大学学長補佐 慶應義塾大学医学部卒業。同大学医学部内科学教室に入局。米国スタンフォード大学遺伝学教室で免疫学を学び、帰国後、漢方を大塚恭男に学ぶ。慶應義塾大学医学部漢方医学センター長、慶應義塾大学教授を歴任。2019年より漢方専門『修琴堂大塚医院』院長に就任。横浜薬科大学学長補佐・特別招聘教授を兼務。WHO医学科学諮問委員、神奈川県顧問を務める。著書に『漢方医学 「同病異治」の哲学』、『病院にも薬にも頼らないカラダをつくる「未病」図鑑』『漢方で感染症からカラダを守る!』など。
「インフレ税」なし崩し的に国民に強いる負担 進む「お金持ち優遇」のいびつな政策運営
「インフレ税」なし崩し的に国民に強いる負担 進む「お金持ち優遇」のいびつな政策運営 インフレ税は「見えない増税」ともいわれる(撮影/写真映像部 佐藤創紀)    収入が増えず、物価上昇が続いている。インフレが定着する中で家計から企業へ、企業から政府へと所得の移転が進んでいる。家計から見れば、可処分所得が減り、その一部が政府債務の返済に充てられる構図だ。「見えない増税」ともいえる「インフレ税」の実態に迫った。AERA 2025年3月17日号より。 *  *  *  インフレ税による財政再建については様々な見方がある。 「純債務残高の名目GDP比率はインフレの分だけ分母のGDPがかさ上げされますから、確かに見かけ上の財政状況は改善されています。しかし、そのことのみをもって財政再建が進んでいると捉えるのは早計です」  こう唱えるのは、日本総合研究所の河村小百合主席研究員だ。  財政運営の継続性を左右するのは、新規と借り換え分の国債発行を続けられるかどうか、だと河村さんは強調する。いま懸念されているのは、インフレで金利が上昇して国債の利払い費が増えると、財政が圧迫されて市場の信頼を失い、国債の買い手がつかなくなりかねない事態だ。  財務省によると、普通国債残高は24年度末に1104兆円に上ると見込まれている。ただ日本の場合、現状ではこれを十分カバーできる2179兆円もの国内金融資産を保有している。これは何を意味するのか。 過去には預金封鎖も 「万一、国の財政運営が行き詰まっても、09年以降のギリシャの財政危機の時のようにIMF(国際通貨基金)の融資をすぐに受ける流れになるとは考えられません。まずは国内にある資金を充当する形で既に発行した国債の満期到来分の元本償還のめどを立てる『大規模な国内債務調整』を断行せざるを得なくなるでしょう」(河村さん)  日本人は「大規模な国内債務調整」を第2次大戦の敗戦時に経験している。このとき政府は預金封鎖や切り捨て、家計が保有する金融資産や不動産を召し上げる財産税、戦時補償特別措置法といった政策を、施行時期をずらして断行した。 AERA 2025年3月17日号より    一方、インフレで金利が上昇して国債の利払い費が増えても、税収も増えるため財政運営は問題ないとの見方もある。「インフレ税」による財政再建説だ。これについて河村さんは「逆進的で公平な負担とは到底言えないそのシナリオが仮に実現した場合、問題の解決ではなく回避」だと切り捨てる。  河村さんは23年度の決算ベースの税収額をもとに、4パターンのシナリオで税収がどの程度伸びるのか試算した。それによると、33年度の税収は「デフレ逆戻りシナリオ」では約76兆円止まりなのに対し、「高インフレシナリオ」(日銀が高インフレ進行を抑え切れなくなるケースとして5%のインフレを想定)では約123兆円に達する。税収がこれだけ高い伸びを示せば、国債の利払い費の増加分もカバーできるのでは、との印象もぬぐえない。しかし、と河村さんはこう続けた。 「ここで決して忘れてはならないのは、税収が高インフレ要因で伸びる場合、大部分の歳出も高インフレに応じて金額を上げないと、政府からの支出や給付を受け取る側の企業や国民生活はとてもじゃないが回らなくなるということです」  財政規律を無視して補助金をばらまけ、というのではない。例えば、高齢者向けの年金や公務員の給与、公共事業の入札の予定価格などは物価上昇分を適宜上乗せしていかなければ国民や企業がないがしろにされる、と河村さんは説く。実際、人件費や資材調達費の高騰を受け、全国各地で公共工事の入札不調が相次いでいる。 負担できる人が負担  永田町の政治家や日銀、霞が関の官僚の中には、インフレ税の形でなし崩し的に国民に負担を強いることになっても、歳出効率化や増税といった正面からの財政再建に向き合わないで済ませられるならそれでかまわない、と考えている人が一定数いるのではないか、と河村さんは憤る。 「インフレが進行しても痛くもかゆくもない層が日本にはいます。いまなし崩し的に進んでいるのは、こうしたお金持ち優遇のいびつな政策運営です。インフレで厳しい生活を強いられている国民が声を上げない限り、お金持ちにおもねった政策が今後も続けられるでしょう」  日本人はこの先、負担から逃れられる方法はない。であれば、負担できる人にしっかり負担してもらうよりほかにない、というのが河村さんの持論だ。 「日本はお金がないから財政再建できない国ではありません。お金がある人に対する負担の合意を得る努力を怠ってきた結果が、世界最悪の財政事情を招いたとも言えます。負担を後世に押し付けて逃げ切ることは許されません」  インフレで生活困難者が増える中、日本では富裕層が増加を続けている。  野村総合研究所の推計によると、23年の純金融資産保有額が1億円以上5億円未満の「富裕層」、および同5億円以上の「超富裕層」を合わせると165.3万世帯で、21年の148.5万世帯から11.3%増加している。内訳は、富裕層が153.5万世帯、超富裕層が11.8万世帯。23年の富裕層・超富裕層の合計世帯数は、この推計を開始した05年以降増加しており、富裕層・超富裕層それぞれの世帯数も、13年以降は一貫して増加傾向にある。  河村さんの試算結果では、高インフレ下でも税収だけでは利払い費とインフレ見合いの一般歳出を到底賄いきれないことも明らかになっている。河村さんはこう強調した。 「財政運営の安定的な継続のためには、国の債務残高を減額に転じさせるべく、財政収支の均衡・黒字化を達成して新規国債の発行をほぼなくし、それを長期間維持する必要があります。そのための計画策定が日本の財政運営上の喫緊の課題です」  少子高齢化による社会保障費の増大に加え、政府は防衛費の大幅増額も打ち出している。さらに、首都直下地震や南海トラフ巨大地震など壊滅的影響が予想される自然災害がいつ起きてもおかしくない日本で、「財政破綻は起きない」と高をくくっている余裕などない。(編集部・渡辺豪) ※AERA 2025年3月17日号より抜粋  
作家・小川糸はなぜ「再生の物語」を描き続けるのか
作家・小川糸はなぜ「再生の物語」を描き続けるのか 八ケ岳の家では保存食作り。南麓の別宅では野良仕事。「やりたいことだらけ。一生東京に行かないかも(笑)」(写真/今村拓馬)    作家、小川糸。食べることは、生きること──。深い眼差しで「生」を見つめる小川糸が辿り着いたのは、標高1600メートルの森。自身を苦しめてきた母を看取り、20年以上連れ添った夫と別れ、一時は作品を書けないほどのスランプにも陥った。見つけた安住の地で、森に癒やされながら、小川もまた再生の道を歩み始めた。命の愛しさを物語に昇華させる。 *  *  *  カラマツの木目が美しい山荘は、標高1600メートルの森に佇(たたず)む。小雪舞う12月初旬に訪ねると、庭先の木に吊(つ)るされた鳥の餌箱(えさばこ)から、黒い影が飛び出す。種をくわえた子リスだった。  続いて玄関扉が開き、作家の小川糸(おがわいと・51)が「いらっしゃい」と出迎える。厚手のカシミヤのセーターにミナ ペルホネンのデニムを纏(まと)った彼女は、すっかり山の人の佇まいだ。  鳥のために置いていた向日葵(ひまわり)の種に、リスもお相伴(しょうばん)にあずかるようになったと、小川は楽しそうに打ち明ける。2階の大窓から、そんな小動物の営みを眺めるのも日課のうちだという。  彼女が八ケ岳中腹に居を構えたのは、2022年の秋。拠点にしていた東京を離れ、土地を入手し、建築家に頼んで完成させた。新たな自宅となったこの山荘を、愛着を込め「山小屋」と呼ぶ。 「彼女がいない生活は考えられない」というほど可愛がる、愛犬の百合音(ゆりね)。約10年前、小川が40歳の時に迎え、ベルリンでの生活をともにした。八ケ岳の山小屋で執筆する時さえ片時も離れない(写真/今村拓馬)    素朴な白磁の茶器にゆるやかに茶を注ぎつつ、森の大自然と一体になった暮らしの実感を語る。 「日の出を待って、大窓から朝の光を見る。光の色も森の表情も毎日違う。それを見たら、空気に混じり気がない朝のうちに執筆をして、午後は書かずに庭仕事。今の家はノーストレスですね」  デビュー作となった『食堂かたつむり』(2008年)は、売上累計が90万部を超え、映画化もされた。11年にイタリアの文学賞であるバンカレッラ賞の料理部門賞、13年に優れた料理本から選定されるフランスのウジェニー・ブラジエ小説賞をそれぞれ受賞。小川はフランスで「癒やし系」にあたる《Romans feel-good》と呼ばれるジャンルの代表格に数えられる。 強権的な母との生活 幼い頃から悲しみ抱えた  この作品の絶妙さは、主人公・倫子が営む不思議な食堂と親子の人物設定にある。恋人の裏切りで声を失った倫子が故郷の山の中で始めた食堂で、迎える客は一日たった一組。倫子は静かな闘志を燃やし、毎回一度限りの料理に献身する。料理を介した交流から絆を深め、確執があった母への愛を取り戻し、自らの声も蘇らせていく。  編集を担当したポプラ社の吉田元子(54)は、小川作品が世界で共感を呼ぶ理由をこう語る。 「読者の五感に訴える料理描写の鮮やかさは、今も変わらない小川さんの魅力なのですが、内外を問わず読者を捉えているのは、心の描写の細やかさです。難しい母娘関係などをかいくぐってきた小川さん自身の体験に裏打ちされた説得力がある」   小川は素材の味を引き出すのが上手い。「彼女の料理はシンプルで美味しい。目分量で入れる調味料の塩梅がすっごく上手なんです」とプロの料理人で長年の友人、オカズデザインの吉岡知子は太鼓判を押す(写真/今村拓馬)    昨秋刊行の最新作『小鳥とリムジン』も再生の物語だ。主人公の小鳥は、性依存症の母の行為を目撃し、母の恋人から暴力を受けるという過酷な過去を持つが、弁当屋の店主・理夢人(リムジン)との出会いを通して愛のある性を学び直し、力を取り戻す。  私は読み始めから息をのんだ。小鳥に次から次へと過酷な現実が押し寄せる。けれども小鳥はかけがえのない人との関係性を結び、人生の階段を駆け上る。どん底からはい上がる展開に、唸(うな)った。  小川が読者に手渡したいのは、どんな人にも必ず備わっているという、立ち直る力だ。森に癒やされる自身になぞらえ、「自然治癒力」と呼ぶ。  これが、「山小屋」で書き上げた第一作となる。小川が身をもって体験した再生への歩みが本作にも投影されている。しかし、この山小屋に移住する前は、小川は「もう、次の作品は書けないんじゃないかと思った」というほどスランプに陥る。  小川は窓の外に目をやり、静かに振り返る。 「私は大自然に助けられた。だから森から受け取ったものを、今度は物語という形で世の中に届けているんです」  彼女はデビュー作から一貫して「心の再生」を描いてきた。  なぜ、「再生」の物語を描き続けるのか。  幼い頃から、生まれてきたことへの深い悲しみを抱き、「この家族との生活は過酷すぎる」と感じていた。母との関係が悪かった。 八ケ岳に移住前、免許証を取得。日常的に運転をするようになった。最近はどんどんワイルドになり、薪ストーブにくべる薪の準備や庭に敷く木製の枕木を加工するのも慣れてきた。小型のチェーンソーも使いこなす(写真/今村拓馬)    母は決して裕福ではない家の長女で、公務員となってからは家族をずっと支えてきた。母はますます強権的となり、婿養子に入った父は存在感が薄かった。  母は、「愛より信頼できるのはお金」と言い、子へ贈るクリスマスプレゼントでさえ、のし袋入りの1万円札で済ませた。仕事に明け暮れた母がいない空白は、母方の祖母が埋めた。思い出すのは、祖母が出汁(だし)を染み込ませて作る、ふきのきんぴらの優しい味だ。  母は教育に異常なほど執着し、幼稚園児の小川に小学生のドリルを与えた。間違えると怒り出し、逃げても追いかけて叩いた。  小学校中学年の頃、家で飼っていたインコが死んだ。お墓に入れてあげたい小川の希望を聞いた母が、「職場近くにあるペット供養の施設にお願いする」と言い、インコの亡骸(なきがら)を紙袋に入れて出勤した。ところが、学校から帰宅した小川がごみ箱のふたを開けると、インコの亡骸を入れたまま、その紙袋が無残に捨てられていた。  もう、母の言葉は信じないと、心に誓った。   昨年11月に東京で開かれた『小鳥とリムジン』刊行記念のトークイベント。「『小川さんの本を読んで私が抱えていた傷が癒えました』と言葉を寄せてくださる方もいて、本当に書いてよかったと思いました」(小川)(写真/今村拓馬)   10年に及ぶ下積み期間 料理が心の支えだった  小川が通ったのは、地元・山形市にある国立大学の附属小学校だ。3人姉妹をこの学校に入れるのが母のたっての望みで、姉2人は合格。だが、受験の希望数が超過し抽選が行われ、小川は当初、入学を阻まれた。受験勉強を続け、小2の編入試験で合格を果たす。  その小学校では毎日日記を書く課題が出された。家族の情愛が感じられない日常を正直に書くのははばかられ、詩や散文のような創作文を書いて提出していた。母は、自分が思うような家族像が描かれないことに文句をつけた。ただ、小川としては学校の先生に「面白いね」と褒められるのが救いになった。 「心が荒む日常をなんとか生きるために、あの頃の私には架空の物語を自由に書く時間が必要でした。『私は、いていいんだ』という存在証明のような時間になっていたと思う」  高校は地元の進学校に進んだが、作家になりたい気持ちが芽生えていた。黙々と受験勉強に打ち込むのが性に合わず、自己推薦入試の枠がある学校を選んで受験。東京の清泉女子大学に入学する。  就職氷河期に社会に出た小川は、小さな編集プロダクションで働いていたが、看板雑誌が休刊に追い込まれ、失職。大学時代に出会った恋人の音楽プロデューサー・水谷公生のアパートに段ボール一つの荷物で転がり込む。小川は27歳の時、26歳年の離れた水谷と結婚する。 「結婚は、流れと勢いでした。山形に帰るつもりはさらさらなかったですし。今思えば、母から早く逃れたい思いもありましたね」 「行ってみないと見えない景色がある」と小川。「何かを体験すれば、また新しい私が出てくる。本質がむき出しになった自分ってどんなかなって、興味はある」(写真/今村拓馬)    人に雇われて働くリスクを経験し、心に温めていた作家の夢を見つめ直した。そこで、20代後半から小説を書き始めたが、雑誌に3編の短編小説が掲載されてからは、なしのつぶて。「読まれるアテのない小説」(小川)を延々と書くつらさを味わう。その期間を持ちこたえられたのは、料理のおかげだと振り返る。 「音楽業界の人など客人が多く、何より、料理に没頭している時だけは息抜きができました」  06年に転機が訪れる。 (文中敬称略)(文・古川雅子) ※記事の続きはAERA 2025年3月17日号でご覧いただけます
声をかけるだけで物を運ぶAI搭載ロボット 開発者の夢は「エジソンのような会社」
声をかけるだけで物を運ぶAI搭載ロボット 開発者の夢は「エジソンのような会社」 【Preferred Robotics】CTO:寺田耕志(てらだ・こうじ)/1979年生まれ。2008年東京大学情報理工学系研究科知能機械情報学専攻博士課程修了後、トヨタ自動車に入社。パートナーロボット部で生活支援ロボットの開発に携わる。19年Preferred Networksに転職し、ロボット実用化の開発を続け現職(撮影/写真映像部・上田泰世)    全国各地のそれぞれの職場にいる、優れた技能やノウハウを持つ人が登場する連載「職場の神様」。様々な分野で活躍する人たちの神業と仕事の極意を紹介する。AERA2025年3月17日号にはPreferred Robotics CTO 寺田耕志さんが登場した。 *  *  *  Preferred Roboticsが開発した自律搬送ロボット「カチャカ」は、2024年第11回ロボット大賞総務大臣賞を受賞。企画、開発のリーダーとして研究を進め、商品化にこぎつけた。  カチャカは、最新AI(人工知能)を搭載した、物を運んでくれるロボットだ。専用の棚に必要な物を入れておけば、声をかけるだけで事前に設定した場所に届けてくれる。  例えば、赤ちゃんを育てている家庭の場合、「おむつをソファに持ってきて」と話しかけると、おむつが収納された棚を載せて、持ってきてくれる。おむつを替えている最中に、ゴミ箱をお願いすると、ゴミ箱がある別の棚に載せ替えて、運んできてくれる。  1人でマルチタスクがこなせる利便性と手の届く価格帯で、工場、飲食店、病院など幅広い業種でも利用されている。  小学生の時からロボットをつくり始め、人の役に立つ実用化ロボットを開発できる仕事に就いた。いまの会社に転職した当時は、メイドのようにあらゆる家事をこなす、腕が付いたロボットを開発していた。しかし思ったように進まず、完成したとしても高額になることも悩みだった。  ある日突然、腕がなくても物を運んでくれるだけで人の助けになるのではと思い、3カ月余りで基礎技術を構築。2年半かけて商品化した。  コロナ禍に自宅での開発を強いられたことも功を奏した。家庭環境の違いで生じる障害は多様だ。段差がある、猫が乗っかってくる、床に油が落ちているなど、実験室にこもっていては分からなかったことだらけだった。 「実際に使う人、使われる現場を見ながら開発することを徹底しています」  大勢が行き交う病院では、急な飛び出しなどの障害物を検知、回避しながら、100メートル先の病室に物を届け、職員の移動時間の削減に。物流倉庫では、1機で何台もの台車を管理し、幅5・5センチの動線でも安全に走行し、運搬の負担を減らせる。  高齢者でも簡単に操作ができるよう、スマホと連携させ、ソフトも常に改善している。  競争が激しいAI市場だが、ロボットまで作れる企業はまだ少ないという。夢は誰もが使えるAIを導入した実用化ロボットで世界トップランナーとして走り続け、エジソンのような会社にすることだ。(ライター・米澤伸子) ※AERA 2025年3月17日号
AI時代で高まる貿易赤字と円安リスク 利便性の裏側で起きうることに目を向けるべき 田内学
AI時代で高まる貿易赤字と円安リスク 利便性の裏側で起きうることに目を向けるべき 田内学 AERA 2025年3月10日号より    物価高や円安、金利など、刻々と変わる私たちの経済環境。この連載では、お金に縛られすぎず、日々の暮らしの“味方”になれるような、経済の新たな“見方”を示します。 AERA 2025年3月10日号より。 *  *  *  ChatGPTを使い始めて、1年が経った。当初は月額20ドルにすら「高いな……」と躊躇していたのに、今では月200ドルのプランを迷わず契約している自分がいる。もし将来2千ドルになったとしても、「人を雇うより安いかも」と自分に言い聞かせて使い続ける気がする。それほどAI(人工知能)の便利さにとりつかれてしまっている。  ただ、気になるのは日本がAIの開発でアメリカに大きく後れをとっていることだ。これからAIがさまざまな分野で活用されれば、その分だけ海外企業に利用料を支払う事態が増える。  実際、2024年の国際収支を見てみると、デジタル分野の赤字が6.6兆円と過去最大を更新し続けている。検索サービスや動画配信、クラウドなど、すでに多くのデジタルサービスを海外に依存しているが、これからはChatGPTのようなAIサービスへの依存も高まっていくことだろう。  日本では人手不足が深刻化しているため、今後ますますAIに頼らざるを得なくなるだろう。だが、このまま海外勢にリードされ続ければ、利用料がある日突然、2千ドルに値上がりしても黙って受け入れるしかない。  先日、ソフトバンクグループがChatGPTを開発している米OpenAIとの合弁会社を設立することを発表した。出資比率は50%ずつになるそうだ。こうした国内企業の資本が入ることは、デジタル赤字の拡大を食い止める点でも重要なことだ。  一方、イーロン・マスク氏がOpenAIを買収し完全非営利な団体に戻そうとしているという話もある。もし仮に、日本企業がそのAI技術を無償で使えるようになったらどうなるか。  そこで浮上するのが電気代の問題だ。ChatGPTのような大規模AIの運用には膨大なサーバーを動かす電力が不可欠とされる。実際、ユーザーからの課金の多くが電気代に充てられているともいわれている。 たうち・まなぶ◆1978年生まれ。ゴールドマン・サックス証券を経て社会的金融教育家として講演や執筆活動を行う。著書に『きみのお金は誰のため』、高校の社会科教科書『公共』(共著)など    仮に日本企業がアメリカ並みのAIサービスを提供できるようになったとしても、その運用には大量の電力を必要とする。日本はエネルギー自給率が低く、化石燃料やLNG(液化天然ガス)を海外から買い続けるしかない。  つまり、米国製AIを利用すればデジタル赤字が拡大し、日本発のAIを利用しても輸入エネルギーへの依存で支払いが増す──結局、海外への支出が避けられない構造は変わらなさそうだ。  そう考えると、AIが普及して利便性が高まるほど、貿易赤字や円安リスクが大きくなる懸念がある。物価高がさらに進めば、私たちの生活への打撃も無視できない。  これらを解消するには、エネルギー自給率の向上が不可欠だろう。再生可能エネルギーの拡充などに本腰を入れて取り組まないと、AI利用の拡大がそのまま経済的な負担増につながりかねない。  AIの進化は、人手不足にあえぐ日本にとって大きな救いのように見える。だが、便利なサービスをただ享受するだけではなく、その裏で起きている電力問題や国際収支のリスクにも、目を向ける時期に来ているのではないだろうか。  これからの日本が、AI時代を迎える上で避けて通れない課題だと強く感じる。 ※AERA 2025年3月10日号
“産むか、産まないか”凍結保存で長引く葛藤 年齢を重ねても保管「どうしても捨てられない」声も
“産むか、産まないか”凍結保存で長引く葛藤 年齢を重ねても保管「どうしても捨てられない」声も 卵子凍結や体外受精で使用される注射器。卵子を体外に取り出す採卵手術の約2週間前から排卵誘発剤を投与し、卵胞を育てる(写真:松岡かすみ)    女性たちの間で関心が高まっている生殖医療の“凍結保存”。将来に妊娠・出産の可能性を残せる一方、新たな葛藤も生まれている。AERA 2025年3月10日号より。 *  *  *  不妊治療の広がりによって増えている受精卵凍結にも、葛藤が垣間見える。現在、体外受精の過程では、複数の受精卵を作って凍結保存する受精卵凍結が普及している。受精卵凍結は主に、パートナーが決まっている不妊治療の中で行われるもので、将来的に出産を望む夫婦あるいは事実婚のカップルが、加齢などによる生殖機能の衰えに備え、先に受精卵を作って凍結しておくものだ。卵子凍結は受精「前」に凍結するのに対し、受精卵凍結は精子と卵子を受精「後」、細胞分裂を繰り返して子宮に移植できる「胚」という状態になったものを凍結する。 受精卵は我が子と同じ  この受精卵凍結の普及とともに広がる葛藤が、「凍結した受精卵をいつまで保存するのか」。凍結受精卵の保管延長は、原則的に、女性が閉経するまで認められている。受精卵は、母体に移植したら、そのまま我が子として育つかもしれないだけに、愛着もひとしおな存在になりがちだ。筆者も取材の中で、「受精卵の“お迎え”に行く」「大事な大事なタマゴちゃんが待ってるから」と、受精卵について愛情たっぷりに話す女性たちの姿を見てきた。「受精卵を捨てるなんて、我が子を殺すのと同じ」と語った人もいる。  それゆえに、年齢を重ねて「今から受精卵を子宮に戻して妊娠・出産することは現実的じゃなくても、どうしても捨てられない」という声も少なくない。2人目を望んで不妊治療をしていたある女性は、45歳を超えても諦めきれず、凍結受精卵を保管し続けていた。その後、47歳で子宮の病気が見つかったのを機に、「これでやっと、保管し続けている受精卵から解放されると思った」と打ち明ける。 ルール不在の中の進歩  何十年も状態を変えずに保存し続けられる技術というのは、裏を返せば、“産むか、産まないか”という葛藤が長引くのと同義とも言える。「50歳まで凍結卵子を保管し続けられる環境がある=50歳まで産むかどうか悩むことと同じ」という声もあった。こうした動きを鑑みると、技術の普及とともに、“(凍結している受精卵や卵子を)手放すための支援”も、今後必要になってくるように思える。 採卵手術に伴い、自分で打つ注射の一例。写真上から、排卵誘発剤の注射、排卵を促す「hCG注射」、副作用を抑える注射(写真:松岡かすみ)    同様の葛藤は、実は医療現場からも聞かれている。例えば、凍結した卵子を、何歳まで治療で使って良いのかという点。卵子凍結の場合、原則的には45歳か50歳までを保管期限=治療で使う年齢の上限とする医療機関が多いが、法的な規制が存在しないため、例えば50歳を超えても保管自体はできてしまうし、物理的には凍結卵子を使用することもできる。不妊治療も然りで、いくら確率が低いとはいえ、本人が「治療をやめる」と言わない限りは、例えば50歳を超えても治療を続けられる環境があるのが今の日本の実態だ。長年、不妊治療に携わってきた医師は言う。 「今、卵子凍結を含む生殖医療に関連する法律や制度などのルールが不在ゆえに、あらゆる判断が各医療機関に委ねられています。患者さんの気持ちも大切にしたい一方で、どこまで本人の希望を聞いて良いものなのか悩ましいのです」  無論、医療技術の進歩は喜ばしいことだ。だが産むのを先延ばしにできる技術は、必ずしも喜ばしいことばかりとは言えない。早産、流産、障害のある子どもが生まれる確率が高まるなど高齢出産のリスクそのものは変わらないし、仕事上での責任ある立場と子育てとの両立、親の介護と育児の時期が重なるなど、高齢出産からの子育てが自分を苦しめるリスクにもなりうる。凍結卵子を使って40歳で出産した女性は、「“まだ産めるはず”と期待し、凍結していることに安心しきって無為に時を過ごさないで」とも訴える。不妊治療や卵子凍結が、身体的にも精神的にも、そして金銭的にも負担がかかりがちという側面も見逃せない。  こうしたリスクや負担を知った上で、何を選ぶかは個人の自由だ。産む選択肢もあれば、もちろん産まない選択肢だってある。後者についての心の内を明かすのが、結婚して今年で7年になる37歳の女性だ。 「これだけ少子化対策が叫ばれるようになると、子どもを産まないでいることに、肩身の狭さや生きづらさを感じてしまう」 産まない選択も認めて  夫婦ともに仕事で忙しい生活を送る中、特に「子どもがほしい」という気持ちを実感することがないまま30代後半を迎えた。二人のペースで過ごせる暮らしに満足しているのもあって、「子どもはいなくても良いかな」と思っていたという。  しかし、昨今の少子化対策の動きを見ていると、「本当に子どもを産まなくて良いのだろうか」というモヤモヤが募るとこぼす。例えば女性が暮らす東京都は、18歳以下の子どもに対し、児童手当とは別に月額5千円を支給するなど、全国的にも突出した子育て支援策の充実ぶりで知られる。全国に先駆けて卵子凍結の助成金をスタートしたのも然り、今年からは無痛分娩(ぶんべん)にも助成する方針を打ち出し、注目を集めた。女性は言う。 「国も“異次元の少子化対策”などと力を入れて、自治体でも税金が少子化対策や子育て支援にどんどん投入される。それが悪いこととは言わないけれど、そっちばかりが手厚くなって、夫婦だけの世帯や独身世帯にとっては、肩身が狭い社会になってきているなと感じます。まるで社会から、産むことを押し付けられているような気持ちになる時もある。産まない選択も、もっと認められるような社会になってほしいと思います」  生き方や価値観が多様化する今の時代、産む・産まない、子どもを持つ・持たないということに対し、悩んでいる人はたくさんいる。しかし、こうしたテーマはなぜか、言葉にするのがためらわれがちだ。それゆえになかなか本音が表に出づらく、相手の抱える葛藤や苦しさが見えづらい部分もある。筆者も3月21日に発売予定の新刊『-196℃の願い~卵子凍結を選んだ女性たち~』で現代女性の“卵子にまつわる選択”に迫り、こうした葛藤や思いを掘り下げた。一人でも多くの読者に届いてほしいと願うばかりだ。(フリーランス記者・松岡かすみ) ※AERA 2025年3月10日号より抜粋  
【早大を突破!合格者の素顔】「情熱を注げるテーマ設定が大事」女性の立ち位置を研究 宝仙学園・神田さん
【早大を突破!合格者の素顔】「情熱を注げるテーマ設定が大事」女性の立ち位置を研究 宝仙学園・神田さん かんだ・あさき/姉と同じくテレビっ子で、趣味は「テレビを見ることしかない」と笑う。ドキュメンタリーや歴史番組を好んで鑑賞し、SNSでの流行などには疎いという  今年、東京大学や京都大学など難関大学を突破した合格者たち。栄光をつかんだ生徒の素顔とともに、熾烈な受験競争を支えた親たちの献身から合格の秘訣をひもといてみる。 神田麻綺さん 宝仙学園高校→早稲田大学 文化構想学部  神田さんが総合型選抜での大学進学を意識し始めたのは中学3年生の時だ。 「総合型に必要な資料作りに役立つ提出書類作成指導を早稲田塾で受けたんです。そのときにプレゼンする楽しさを感じ、考え抜いて自分なりの答えを導くというところも私に向いていると思ったんです」 早稲田大学の国際日本文化論プログラム入学試験(JCulP・日本学生)でアピールした研究は「江戸時代と明治時代の女性の立ち位置」。 「元々ジェンダーについて関心があったわけではなかったんですが、早稲田塾で竹中平蔵さんが先生としてさまざまなテーマで教えてくださる『世界塾』で、男女にはまだ差があるというお話があったんです。そこで関心を持ちました」  江戸、明治期を選んだのは、NHK連続テレビ小説「あさが来た」が好きだったから。日本社会が大きく変わる転換期として関心を持ち、まずは離婚制度について調べ始めた。 「江戸時代は離婚がしやすかったとされていて、明治時代に合って憲法が制定されたことによって離婚しにくくなりました。つまり憲法によって女性の立ち位置が低くなったと結論付けました」  研究の際には米国での例も調べ、東西で男女差があり、その原因は工業化にあったということも学んだ。 「日本では憲法によって差が生まれたとしましたが、もしかしたら工業化なのか、西洋化なのか、あるいは戦争に強くなるためなのかと答えがはっきりとはつかめていなかったんです。それを知りたくて早稲田大学に入りたいんだと面接では話しました」  当初は、研究は総合型のためと始めたが、続けていくうちに習慣となり、物事を多角的に考える癖もついた。 「最初は、受かりやすいとされている『翻訳』をテーマに研究していたんですが、私自身は関心のないテーマで、本当につまらなくて。自分が好きなジャンル、方向性、時代でテーマを決めたらものすごくはかどったので、情熱を注げるテーマ設定がものすごく大事だと思います」  JCulPは英語能力が重視される。女性の立ち位置についての論文もすべて英語で書き上げた。 神田麻綺さん   神田さんは米国人の父と日本人の母の間に生まれた。姉二人含め家族全員が語学好きで、中でも母親はフランス語、ドイツ語など多くの言語を学ぶ語学マニアだ。 「私は生まれも育ちも日本ですが、母からは語学力、特に英語は頑張ってほしいと常々言われていて、私自身、英語を学ぶのは好きでした」  家では両親は英語で会話し、映画鑑賞は吹き替え版禁止など、自然とリスニングが鍛えられた。神田さんは帰国子女ではないが、「なんかかっこいい」という理由から高校1年時に編入試験を受け、帰国子女クラスであるグローバルコースに編入。学校史上、過去に前例のないケースだったという。 語学好きになる理由は家族でのイベントにも理由があった。 「海外旅行に毎年行っています。多いときは1年に6回くらい。これまで20か国以上は訪れていると思います。体験を大事にする家族の方針で旅行の優先順位は高く、学校も休んでいくことが多いです」  父親は外資系企業に勤め、海外に赴任することもある。海外で求められる人材のレベルは高く、大学での学びも重視されると家族間でよく話題に出る。神田さんは海外での活躍も視野に、学びを続けるうえで大事にしたいのは、研究でも実践した「好きを追求する」ことだ。 「一番上の姉は医者になりたいという夢をかなえるためにものすごく勉強をしていましたし、2番目の姉は農学部出身なんですが、テレビが好きだからとテレビ局に入社しました。父親は仕事大好き、母親は語学大好きと、好きを追求している家族なんです」  尊敬する偉人はココ・シャネル。小学生の時に伝記を読み、その力強い生き様、グローバルな活躍に魅了された。 「大学では女性の立ち位置の研究を継続しながら、培ってきたプレゼン能力を生かしてイベント運営などもしてみたい。そして、よりシビアに評価される海外に挑戦できるように英語の多様性や国際教養など、さまざまに学び続けていきたいです」  神田さんは力強くそう締めくくった。好きを原動力に大学生活を満喫するつもりだ。
「山口もえ」夫・田中裕二と初めての出会いは大学4年生 今でも思い出す “忘れられない一言”とは?
「山口もえ」夫・田中裕二と初めての出会いは大学4年生 今でも思い出す “忘れられない一言”とは? 山口もえさん(撮影/写真映像部・東川哲也)    2015年に爆笑問題の田中裕二さんと結婚し、3人の子どもの母でもある山口もえさん(47)。そのおっとりとした口調と“ゆるふわ”な雰囲気はママになっても健在ですが、実は20代のときは“仕事ざんまい”で精神的な余裕がなく、芸能活動では悩みも多かったといいます。インタビュー【前編】では、「間違えて入った」という芸能界入りの経緯やCMでブレークした20代の生活、後の夫となる田中さんとの出会いなどを聞きました。 *  *  *  山口さんには、田中さんに言われた今でも忘れられない一言がある。  大学4年生のとき、「号外!!爆笑大問題」(日本テレビ系)という番組で爆笑問題と共演したときのこと。田中さんは、高校生時代の山口さんが出演していたCMや番組を見ていたようで、雑談しているなかでこう言われたという。 「〇〇っていう番組に出ていたよね。それを見たときに、この子は売れるって思ったんだよ」  すでに有名なお笑い芸人だった田中さんが、高校生のときの自分のことを知ってくれているとは思いもよらず、「いい人だな」と感じたが、山口さんはまだ大学生。後に田中さんと結婚するとは夢にも思っていなかった。  そんな山口さんが芸能界の門をたたいたのは、高校1年生のとき。子どもの頃からクラシックバレエを習い、プロを目指していたが、思春期も重なり、男性と密着して踊ることに抵抗を感じるようになっていた。1人で踊れる新しいダンス教室を探していたところに、雑誌で「ダンスレッスン無料」という文字が目に飛び込んできた。 クラシックバレエを習っていた頃の山口もえさん(事務所提供)   「雑誌を見て『無料なんだ!』と申し込んで行ったら、ダンス教室ではなくて今の事務所だったんです。『あれ、違った』と思って帰ろうとしたら、たまたまその日は普段いない社長がいて、『芸能界に興味がないんだったら、ダンスレッスンだけ受けてみませんか』と声をかけてくれたんです」  最初は本当にレッスンに通っていただけだったが、一緒にダンスを習う友達が「次はこんなドラマに出るんだ」とか「CMが決まったんだ」と話す内容に興味をひかれ、「私もオーディションを受けたいです」と言って、山口さんの芸能活動が始まった。 山口もえさん(撮影/写真映像部・東川哲也)   夫・田中裕二の第一印象  小さい頃から引っ込み思案で、「幼稚園の頃は母親の後ろに隠れているような子だった」と振り返る山口さん。芸能活動をすると決めたときは周囲に驚かれたという。両親も反対はしなかったが、事務所との契約のときに「大学は卒業まで通うこと」という条件をつけた。 「両親はきっと、やってみても続かないんじゃないかと思っていたと思います。でも最初にやった仕事が、お味噌のCMで。撮影のあとに白だし、赤だし……と抱えきれないぐらいお味噌をいただいたんです。それで両親も、祖父も喜んでくれて、『こんなにみんなが喜ぶ仕事なんだ!』とうれしくなりました。ダンスレッスンも、お味噌も無料でいただいて……私は本当に無料に弱いんですよね(笑)。無料にひかれて行った先が、芸能界だったという感じです」  16歳で仕事を始め、10代のうちはCMがトントンと決まり、順調に活動をスタートしたかに見えた。しかし大学に入り、20歳前後になると、学生としては年長、大人としては若すぎる、という理由でなかなか仕事が決まらない時期が続いた。  だが逆に時間ができたことで大学の勉強に集中でき、3年までに卒業に必要な単位をほとんど取り終えていた。そして大学4年生のときに「マツモトキヨシ」の「なんでも欲しがるマミちゃん」のCMが決まり、山口さんは大ブレーク。そこから一気に忙しくなっていった。  前述のように、現在の夫である田中さんと初めて出会ったのもこの頃だった。「号外!!爆笑大問題」で共演した田中さんの印象は「とにかく優しい人」。相方の太田光さんがちょっかいを出して楽しませ、田中さんが優しくフォローする。切れ味鋭いトークにプロフェッショナルを感じ、学ぶことは多かった。ただ、恋愛感情は一切なく、あくまで「すてきな先輩」の枠にとどまっていた。田中さんは当時、前妻との結婚を予定しており、番組で「結婚式場を下見する」企画に山口さんが出演することになった。 「一緒に結婚式場にロケに行って、私はウェディングドレスを着させられて、タキシードを着た田中さんと歩くという映像が残っているんですけど、当時は『なんでこんなところでウェディングドレスを着なきゃいけないの? 自分が結婚するまで取っておきたいのに』ぐらいに思っていました。それぐらい夫に対しては何も思っていなかったですね」 山口もえさん(撮影/写真映像部・東川哲也)   「芸能界をいつやめるか」ばかり考えていた  ただ、一方の田中さんには冒頭のような発言に加え、こんなエピソードもある。番組の収録が終わるタイミングがバレンタインデーだったため、山口さんは共演者やスタッフにお菓子を作り、メッセージカードを添えて渡したのだが、それを田中さんは結婚するまで大事に取っていたのだ。 「結婚してから『ほら』って見せられてびっくりしました。心のなかで気になっていたのか、単に物持ちがよかったのか……それは聞いたことはないです。でも、物持ちがよかっただけなんだと思いますよ(笑)」  順調に仕事が舞い込んできていた山口さんだったが、20代前半の頃は「芸能界をいつやめるか」ということばかり考えていたのだという。急に仕事が忙しくなったことで自分のペースがついていかず、自分が芸能界に向いているのかもわからなくなっていた。 「事務所の人に『やめたい』と言うと、少しお休みをもらってリフレッシュして、また働いて、ということの繰り返しでした。でもあるとき、『やめて何をやりたいんだ』と言われたんです。私はオードリー・ヘップバーンにあこがれていたので、『私も世のため人のために役立つことがしたいです』と答えました。そうしたら『いま20代のもえが、何かしたい、と手を挙げても誰も賛同してくれないけど、この仕事で頑張って一生懸命働いたら、何かしたいと言ったときに協力してくれるかもしれないよ』と言われて、『なるほど』と。そこからもうちょっと頑張ってみよう、と思えました」  山口さんは30歳で第1子となる長女を出産した。出産前には産休を取得したが、それは社会に出てから仕事しかしていなかった山口さんが立ち止まる、初めてのタイミングだった。時間ができたことで自分を見つめ直すと、ふと「本当に仕事に復帰できるのか」「自分だけ置いていかれてしまうのでは」という不安がこみ上げてきた。 「根本的に自分に自信がなくて、誇れるものや自信をつけられるものがほしい、という思いもあったと思います。それで『私は何が好きかな』と考えたときに野菜が好きだなと気づいて、野菜ソムリエの資格の勉強をしました。立ち止まるきっかけをくれたのも子どもだし、スキルアップしなきゃいけないと気づかせてくれたのも子どもでした。自分より大切な存在ができて……本当に自分が変わったなと思っています」 山口もえさん(撮影/写真映像部・東川哲也)   「欲張っちゃってもいいのかな」  33歳のときには第2子となる長男を出産した。だが、30代のあいだは、ずっと仕事と家庭の両立に悩み続けたと振り返る。子どもを預けて働くことへの罪悪感を覚えることもあったが、親と離れても元気で過ごしている子どもの姿を見て安心することもあった。 「365日、24時間親がそばにいることが、子どもにとっていいわけではないんですよね。何より私が仕事でリフレッシュして帰って、それを見た子どもが『ママ、すごく楽しそうだね』『幸せそうだね』って言ってくれたことがあって。きっとそれは子どもにいい影響を与えますし、母である私が元気で楽しくしているのって子どもにも伝わるんだなと。仕事をしながら子育てをするのはもちろん大変ですけど、欲張っちゃってもいいのかな、と思いました」 (藤井みさ) ●山口もえ(やまぐち・もえ)/1977年、東京都出身。成城大学法学部法律学科卒業。幼少期からクラシックバレエを習う。16歳のときに現在の事務所でダンスレッスンを受け始め、大学在学中に出演したドラッグストア「マツモトキヨシ」のCMで一躍人気者に。以後、バラエティー番組や情報番組、ドラマなどに多数出演。野菜ソムリエプロ、愛玩動物飼養管理士2級、ホリスティックビューティアドバイザーなどの資格も持つ。2015年にお笑いコンビ・爆笑問題の田中裕二さんと結婚。3児の母。
「女の子に学歴は必要ない」と言われた10代 「親」や「目上」からの押しつけは今なお根強く 3月8日は「国際女性デー」【読者アンケート結果発表】
「女の子に学歴は必要ない」と言われた10代 「親」や「目上」からの押しつけは今なお根強く 3月8日は「国際女性デー」【読者アンケート結果発表】      3月8日は「国際女性デー」です。男女平等の度合いを示すジェンダーギャップ指数では「後進国」の日本。性別による「無意識の思い込み」や偏見は日常生活のなかに多く存在し、男女間での不平等、そして個人の生きづらさにつながっています。そんな性別による格差の解消が叫ばれている現在ですが、AERA dot.編集部のアンケートでは、性別に基づく「決めつけ」や「押しつけ」は76%が「ある」と回答。その多くが「親」や「目上の人」などから受けていました。一方、以前と比べて「減った」「なくなった」という回答は約半数。私達の社会は、これから生きやすい場所に変わっていくのでしょうか。 *   *   *  アンケートは2月26日から3月5日まで実施。445人から回答がありました。ご協力いただき、ありがとうございました。        まず、日常生活のなかで、「男性だから◯◯すべきだ」「女性は◯◯をして」という決めつけや押しつけ、男女間での「不平等」や「格差」を感じることがあるか聞いたところ、「よくある」と「時々ある」が同数で最も多い38.0%。対して、「あまりない」は13.7%、「まったくない」は7.4%でした。  その相手がだれかについては、「親や親族から」が最も多い50.9%で、ほぼ同数の「職場の上司、学校の先生など、目上の人から」が50.6%で続きました。続いては「地域での付き合いのなかで」が39.5%、「結婚相手、パートナー」は4番目の29.4%でした。    決めつけ、押しつけの内容としては「『男性らしさ』『女性らしさ』の押しつけ」が59.9%と最も多く、「家庭での家事の負担」が49.7%。「職場での女性役員や管理職の少なさ」「子育て、介護の負担」「給与面など職場の待遇で男女差」が4割弱でほぼ同数でした。     「女の子なんだから勉強なんてできなくていいよ」 「○○ちゃんは大学なんて行かなくていいんだからね。女の子に学歴なんか必要ないよ」  10代の女性は、そんな言葉を言われたことがあると、アンケートにコメントしました。  また、20代の会社員女性は、親からこんなことを言われたそうです。 「本当は理系を専攻したいが、親に女の子だから文系にしろと言われた。仕事内容が技術系だと親に言うと、女の子だから事務職になってほしかったと言われた。女性がいつまでも働いているのはみっともないから、早く結婚して退職しろと親に言われる」   「偏見」「格差」にさらされる社会  そして、家庭の外の社会でも、私達はさまざまな偏見、不平等、格差に直面しています。 「中高女子校だった為、大学に入った時から女性への偏見(特に昭和生まれ昭和育ちの人)の多さに驚いた。会社では、40後半~50代の男性に意見を言うと避けられ、仕事を任せられなくなることが多い。また、管理職は9割男性かつ給料も男性が多い。  明らかに能力不足の男の後輩には仕事を与えるが、結局成果が出せないので、同部署の女性たちから不満がたまる一方の状態。できないことが分かっていても、男かつこれから戦力になると勝手に社長(男)が判断し、部下に『彼にやらせて』と命令する。女性差別が酷すぎて、憤慨しています」(20代、女性、会社員) 「取引先の方で男性社員にしか名刺を渡さない事があるなど仕事で女性軽視を多々感じる」(40代、女性、会社員)  警備会社に勤めているという30代の女性は、こう指摘します。 「男性隊員にはキツイ現場、女性隊員には動きのない現場ばかり配置したりして、仕事が上達しない。トイレの環境などの配慮は有難いが、それ以外の仕事の難易度とか現場のキツさとかはある程度男女平等に配置しないと、やる気のある女性からしてもやりがい感じないし、男性から見ても女性は甘やかされていて面白くないと思う」    男性からも、こんな指摘がありました。 「男性だから力仕事やって当たり前という雰囲気、やっても『ありがとう』もなし」(20代、男性、会社員) 「結婚相談所探しをした際、男性だけ年収記載を求められたり、利用料が高い所があった」(40代、男性、会社員)       格差の解消は進んだのか  性別で扱いが変わるといった「ジェンダー格差」の解消が強く言われている今、以前と比べて状況は改善されたのでしょうか。  アンケートでは、「以前からあったが、かなり減ってきている」が最も多い46.1%。「以前はあったが、全くなくなった」の3.4%とあわせると、“変化”を感じている人が半分近くを占めました。  一方で、「以前からあり、現在も変わっていない」も2番目に多い32.6%。「さらに多くなった」は2.8%あり、問題の根深さがうかがえます。 「公務員としての在職中、昇給、昇任においてかなり前から男女の格差はなくなったと感じました。職員個々人の意識も変わり、お茶は女性が入れるとかいった習慣もすっかりなくなりました」(60代、女性、アルバイト・パート)    しかし、あからさまな格差は縮小していても、個人の意識ではどうでしょうか。 「職場では『細かい事に気付くのは女性社員であるべき』『飲み会では上司のお酌をするべき』的な雰囲気が、いまだにあります。昔と異なるのは、さすがにそれを言葉にして女性には言わない点です。やはり今の風潮は感じているのでしょう。でもあきらかに『感じる』のです。そしてそれを黙って行った方が、職場の雰囲気もスムーズに行く事もわかっています。  これは今の若い子よりは、より私のような昭和の時代を経験済みだからこそ感じるのかもしれません」(50代、女性、アルバイト・パート) 「男性が育休を取ることに大っぴらに文句を言う管理職が少なくなった。ただ、陰では言っている場合が多く、法律で決められているから止むを得ないという消極的なスタンスが多いと思う。また、育休を取る男性に対しても同僚は快く思っていないことが、今でもよく見受けられる」(60代、男性、会社員)       「思い込み」は誰にでも  性別に対する「無意識の思い込み」(アンコンシャス・バイアス)は、本人の自覚がないまま相手を傷つけたり、自分自身の可能性も狭めたりする可能性があります。  そんな男女の違いによる「偏見」や「思い込み」が、回答者自身の心の中にあるかも聞きました。 「多少あると思う」が半分近い49.4%。「かなりあると思う」の16.4%とあわせると65%を占め、「あまりないと思う」「まったくないと思う」の計31.4%の倍以上になりました。 「現在育休中ですが、4月から復職に際し、当たり前のように時短勤務するのは妻(私)です。産後辛い時期もありましたが、働いていないから家事・育児は妻・母である私がやらなければと自分自身で思い込んでしまっていて、自身にもアンコンシャスバイアスがあります」(30代、女性、会社員)    2人の娘が中高一貫の女子校に進学したという50代の自営業女性は、 「保護者の教育意識からはジェンダーギャップをほぼ感じない。建前としては男女差別やセクシャルハラスメントが駄目だということは浸透し、あからさまな差別やセクシャルハラスメントは減った」  と、つづります。 「しかし、人間の内面の差別意識は簡単には変わらないので、潜在化しており、女性の役員・管理職比率が上がらないとか、SNSでの女性への攻撃、性的客体化された女性表象が減らないといった形で現れていると思う」    保育の専門学校で非常勤講師をしている70代以上の男性によると、「ほとんどの学生は、女らしさ男らしさの押しつけには反対」といいます。しかし、保育実習の現場では「男の子だから」「女の子だから」という男女観の押しつけがあり、学生たちは何も言えずに帰ってくるといいます。 「問題は、自分が決めつけの価値観を持っていて、それが他者を傷つけていることや、男女差別の再生産になっていることに気がつかないことです。それが会社での決めつけと違って、幼稚園児や保育園児に刷り込まれていくのです」         幼いときからの「刷り込み」 「男はこうあるべき」「女はこうすべき」といった価値観が、幼いときから刷り込まれていると指摘するコメントは、ほかにも多く見られました。 「成長段階で、男女の別を規範として内面化しすぎていると思う。子どもが女の子だと、お祝いの品の多くがぬいぐるみやおままごとセットなのに対して、男の子だと乗り物系や知育玩具など、大人のふるまいによる影響は0歳から始まっていると思う」  そうコメントを寄せた40代の自営業の女性は、自身の子どもの様子を、このように振り返ります。 「娘はピンクを着たがることはなく、黒などを選ぶ子だったが、『何色が好き?』と聞かれると『ピンク』と答えていた。これは、物心つく前から、ピンクを着ていると、周りが『女の子はピンクが似合う』と盛り上がるのを経験しているからこそだと感じた。  まだ年端がいかない子のうちから、足を広げていると『あら、女の子が』と言われ、男の子が暴れていても『元気ね』と声をかけられることが多い。  物心がついたころにはすでに男女に与えられている規範意識は大きく違うし、日ごろ、とても優しいお友達でも、4歳くらいになると、ふとした瞬間『女のくせに』という言葉をどこからともなく学んで言うようになる。  職業柄、女性の少ない仕事をしており、そこに至るまでに『女性が勉強するなんて嫌な時代になったもんだ』と声をかけられたりしたこともあるが、そこまで露骨なことは減ったとしても、0歳から始まる男女の体験の違いは根深く存在していると感じる」 (AERA dot.編集部)   【こちらも話題】 「また踏み台にされるのか…」就職氷河期世代の嘆きと怒り “初任給30万円”の一方で「置き去り」と感じる中高年層は8割【読者アンケート結果発表】 https://dot.asahi.com/articles/-/251311  
“誰も傷つけないサバサバ発言”に定評の「ホラン千秋」、「Nスタ」卒業後の動きに関心高まる
“誰も傷つけないサバサバ発言”に定評の「ホラン千秋」、「Nスタ」卒業後の動きに関心高まる 3月で「Nスタ」を卒業するホラン千秋  TBSの井上貴博アナウンサーとともにキャスターを務める夕方の帯番組「Nスタ」を、3月いっぱいで卒業するホラン千秋(36)。2月13日放送分で豚骨ラーメンの残り香を「足のにおい」と形容し物議を醸した彼女だが、業界内では「らしくない」との指摘もあるようだ。  同放送のオープニングトークにて、井上アナが同局の蓮見孝之アナウンサーから「においを覚悟して行け」と告げられたと報告。続けて、ホランは「この8年間でこんなにも怒りを覚える不快なにおい」がスタジオに充満していることを明かし、「足の裏のにおいがする! このスタジオ!」と言い放ったのだ。  実は同日放送の朝の帯番組「ラヴィット!」では、北九州市の有名ラーメン店が「33年間継ぎ足している」という特製豚骨スープを持参し、スタジオへ出張。「Nスタ」は同じスタジオで撮影しているため、“残り香”がホランらを苦しめたようだ。  実際、九州の豚骨ラーメンスープには足のにおい成分でもあるイソ吉草酸やイソ酪酸が含まれているため、ネット上では「ホランさんの嗅覚は正確」との声が見られる。一方、「ラーメン店に失礼」とホランに批判的な声も続出し、これにラーメン店をプロデュースする実業家の堀江貴文氏もXで「ほんと失礼」と同調しており、ホランの発言は物議を醸すこととなった。  なお、ホランは翌週の「Nスタ」を連日休んでおり、井上アナは17日の放送で「今年度取得していなかった休暇」であると説明していた。エンタメ誌の編集者が話す。 「『ラヴィット!』に登場したラーメン店の代表は、放送で同店のスープのにおいは『強烈』だと笑って話しており、司会の麒麟・川島明さんも『もうNスタ(においで)終わりましたよ』とホランさんらを慮っていました。ホランさんはこうした“振り”を受けて嫌がる態度を見せたにすぎませんが、『誰も傷つけないサバサバ発言』に定評のある彼女だけに、今回ばかりは“らしくない”という印象を受けます」   「自己防衛の人生でございます」  確かに、ホランがゲスト出演した過去のバラエティー番組を振り返ると、何かに対してネガティブな発言をしたり、自身の失敗談を自虐的に話したりした際には、すかさず「でも大好きなんですけど」「〇〇はいい場所なんですよ」などとフォローする場面が多々見られた。かつてバラエティー番組でライバルの芸能人を問われた際にも、「気になるのはSHELLYさんです」と答えた直後、間髪を入れずに「大好きなんです」と添えていたほどだ。  また、ホランにこれまで異性関係の浮いた話が一切なかったのは、週刊誌などに情報が漏れないよう「彼氏とツーショット写真を撮らない」というマイルールを徹底しているためだと明かしたことも。ホランはこの時、「自己防衛、自己防衛の人生でございます」と語っていただけに、今回の「Nスタ」でも「豚骨ラーメンは好きですけど」と予防線を張りそうなものだが、そうしたリスクヘッジの意識が吹っ飛ぶほどの強烈なにおいだったのかもしれない。  なお、アイルランド人の父と日本人の母を持つホランは、キッズモデルを経て14歳の頃に大手芸能事務所「アミューズ」に所属。その後の経歴について、芸能評論家の三杉武氏が話す。 「ホランさんは中学、高校、大学に通いながら俳優活動を行い、『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』『メイちゃんの執事』などの人気ドラマに出演するもブレークには至りませんでした。青山学院大学に進学後は優秀な成績をおさめて、在学中には米・オレゴン州立大学に留学して演劇を学ぶなどスキルを磨きました。民放キー局5社のアナウンサー試験を受けるもすべて落ちてしまい、大学卒業後は就職せずに地元のスーパーでレジ打ちなどのアルバイト生活を送りつつ芸能活動を続けていきます。そんな中、2011年放送のドラマ『陽はまた昇る』の役作りのためにショートカットにしてから注目を集めるようになり、23歳だった12年4月から『NEWS ZERO』に起用されたのをキッカケにキャスターとしても存在感を放っています」 【こちらも話題】 ホラン千秋「鬼ヤバ弁当」予想外の反響に驚き 飾り気ゼロも「他人に合わせる必要ないと思う」 https://dot.asahi.com/articles/-/5420 「NEWS ZERO」は1年で“クビ”に  なお、キャスターに抜てきされた「NEWS ZERO」(日本テレビ系)はわずか1年で卒業。これについて、ホランは最近「ZEROは突然クビになった」「卒業という名のクビだった」とバラエティー番組でぶっちゃけていたが、今年3月の「Nスタ」卒業は自身の意思で決めたという。前出の編集者が言う。 「ホランさんいわく、8年間キャスターを務めた『Nスタ』を卒業しようと決断したのは『もっと貢献するために力やスキルが必要』と感じたためとのこと。現在、テレビ朝日系『出川一茂ホラン☆フシギの会』『THE 世代感』やフジテレビ系『ザ・共通テン!』などでMCを務める彼女ですが、長らく多忙な日々を駆け抜けてきたため、一度落ち着いて自身の人生設計を見直したいという思いもあるのかもしれません」  そんなホランの評判について、前出の三杉氏は次のように語る。 「元々の性格に加えて、下積み時代の経験などもあってか、とにかく仕事に対するスタンスは真面目でストイック。そのプロ意識の高さは業界内にも広く浸透しています。ニュース番組や選挙特番といった報道色の強いお堅い番組からバラエティーまで幅広い番組に対応できる稀有な存在で、『バイキング』で共演していた坂上忍さんや『出川一茂ホラン☆フシギの会』で共演している長嶋一茂さんなどキャラの立った年上の男性共演者との絶妙な距離感や相性の良さも特筆すべきものがありますよね。他方、これまで熱愛などのスキャンダルはなくプライベートはベールに包まれており、番組での完璧な立ち回りのイメージもあって、『隙がなさすぎる』『人間味に欠ける』なんて声も一部ではありますが、こればかりは仕方のないところですよね。今後、結婚など私生活の変化があった際、そのキャラクターにどのような影響を及ぼすのかは興味深いところです」  20歳の頃には、役者としてステップアップするために1年間留学し、オレゴン州の大学で演劇を学んだというホラン。今度は「スキル」を身につけるために何をしようと考えているのか、気になるところだ。 (小林保子) 【こちらも話題】 ”別人級”の変貌が話題の「戸田恵梨香」、14年前の「SPEC」はなぜ人気が再燃しているのか? https://dot.asahi.com/articles/-/251407
糖尿病の「GLP-1受容体作動薬」認知症や感染症のリスク軽減させる可能性の最新報告への期待 山本佳奈医師
糖尿病の「GLP-1受容体作動薬」認知症や感染症のリスク軽減させる可能性の最新報告への期待 山本佳奈医師 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師  日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「GLP-1受容体作動薬服用後の現状と最新報告」について、鉄医会ナビタスクリニック内科医・NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  これまで2回にわたってお伝えしてきた「GLP-1受容体作動薬」。最後に、服用をやめてからの現状と、認知症や感染症などのリスクを軽減する潜在能力があるかもしれないというGLP-1受容体作動薬に関する最新の報告をお伝えします。  すでにGLP-1受容体作動薬の服用を中止すると、体重が元に戻ってしまう可能性が高いことが報告[※1] されています。私自身、手持ちの薬がなくなったことをきっかけに服薬を中断して2年以上が経ちました。体重は元に戻ってはいないものの、内服をやめる直前の体重からは2キロほど増加しました。  食欲もあるので、食べ過ぎてしまわないよう常に意識していないと、体重がまた増加してもおかしくありません。そこで、体重を維持するためにも、一日1時間ほど時間を確保し、ジムに行くことが日課となっています。ランニングやウォーキングといった有酸素運動に加えて、体を引き締めるべく適度な負荷をかけての筋力トレーニングもやっています。今まで三日坊主で退会してしまっていたジム通いも、3年目に突入しました。   治療後の運動は効果的  実は、GLP-1受容体作動薬による治療終了後の運動は、体重を維持するためには医学的に効果的であるようです。  2018年12月17日から2020年12月17日までの間に、109名を対象にして行った調査[※2] の結果、以前にGLP-1受容体作動薬と運動の併用療法を受けた人は、プラセボまたはGLP-1受容体作動薬(リラグルチド)のみの投与治療を受けていた人と比較して、治療終了後の1年間で、初期体重の少なくとも10 %の体重減少を維持していた人が多かったことがわかりました。 【前回記事はこちら】 減量のため糖尿病治療薬「GLP-1受容体作動薬」を服用した女性医師 投与を断念しそうになるほどの副作用と安全性は? https://dot.asahi.com/articles/-/250694 減量にはやはり運動と食事が大事!?(写真はイメージ/GettyImages)  つまり、GLP-1受容体作動薬の服用中に監督下での運動を追加することで、肥満薬物療法のみだった場合の治療終了後と比較して、治療終了後に健康的な体重を維持することができる人が多かったというのです。筆者らはその理由として、介入後も参加者が自力でより活発に身体活動を続けることができたことを挙げています。  私も、服用後は体重が元に戻ってしまう可能性が高いとわかっているからこそ、「そうなるまい」と運動習慣を維持することができているような気がします。「食べすぎないように」と腹八分目で食事を終えるようにし、大好きだったパンからご飯食に切り替えるなど、食事にも気を使うようになりました。米を食べるようになってから、腹持ちが良くなったような気がします。   最新の報告には認知症や感染症に  最後に、減量や糖尿病として承認されているGLP-1受容体作動薬が、認知症や感染症などのリスクを軽減する潜在能力があるかもしれないという最新の報告をご紹介して今回のお話を終えたいと思います。  2025年1月20日、GLP-1受容体作動薬の利点とリスクについて、包括的に考察された研究結果が報告[※3] されました。2017年10月から2023年12月末までの平均約4年間にわたって、米国退役軍人保健局で治療を受けた糖尿病患者約195.5万人を対象とし、GLP-1 薬を処方された約 21.6万人と、血糖値を下げるために他の 3 種類の薬(スルホニル尿素薬、DPP4阻害薬、およびSGLT2阻害薬)を処方された人、および糖尿病でこの調査に登録したものの治療に変更はなく、すでに処方されていた薬を服用し続けた人 (つまり、この期間中に新しい薬を服用しなかった人) の3郡における175の健康結果を比較したものです。  その結果、GLP-1受容体作動薬を服用した人は、薬物乱用障害、精神病、感染症、心血管代謝障害、アルツハイマー病などの認知症、発作など42の異なる健康結果のリスクが低く、19(GLP-1受容体作動薬の使用に関連する胃腸障害、低血圧、失神、関節炎、腎結石、間質性腎炎、および薬剤誘発性膵炎など)の健康結果のリスクが高かったことがわかったといいます。 【こちらも話題】 1年半で8キロ減 糖尿病治療薬「GLP-1受容体作動薬」をダイエット目的で服用も女性医師の懸念点は? https://dot.asahi.com/articles/-/249250  もちろんリスクを軽減する可能性があることが示されただけであり、さらなる研究が必要なことは間違いありません。しかし、祖母や祖父が認知症を患っている私個人としては、特に認知症のリスクを軽減させる可能性があるというこの報告には、驚きを隠せませんでした。  今後ますます多くの人々が使用することにより、このような予期せぬ副作用による新たな利点やリスクといった全体的な健康に与える変化や影響に関する調査報告がどんどん増えていくに違いありません。認知症を含めた現在適応とはなっていない疾患の治療法としてGLP-1受容体作動薬が追加される日は、そう遠くないのかもしれませんね。  [※1]https://dig.pharmacy.uic.edu/faqs/2023-2/may-2023-faqs/is-weight-loss-sustained-after-discontinuation-of-glucagon-like-peptide-1-receptor-agonists-for-obesity/#:~:text=Individuals%20are%20likely%20to%20regain,RA%20therapy%20on%20obesity%20outcomes.  [※2]https://www.thelancet.com/journals/eclinm/article/PIIS2589-5370(24)00054-3/fulltext  [※3]https://www.nature.com/articles/s41591-024-03412-w
氷河期世代の独身子なし女性49歳「私は透明人間。いてもいなくても変わらない」 孤独の悩みに鈴木涼美の回答は?
氷河期世代の独身子なし女性49歳「私は透明人間。いてもいなくても変わらない」 孤独の悩みに鈴木涼美の回答は? 鈴木涼美さん  作家・鈴木涼美さんの連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」。本日お越しいただいた、悩めるオンナは……。 Q. 【vol.35】安定した仕事や家庭を持たず、虚しい人生に疲れたワタシ(40代女性/ハンドルネーム「romi」)  49歳の女性です。両親が不仲だったせいもあり、昔から結婚願望も子どもを持ちたいと思うこともなく、若い頃から結婚につながらない相手(既婚者や同性など)とばかり付き合ってきました。今は当然独身で子なしです。  就職氷河期世代のあおりを受け、非正規の仕事にしか就けず、収入も不安定です。やりがいのある仕事もなく、安定した家庭もない。今は趣味のピアノに没頭している毎日です。今の人生に後悔はしていないし、自分にはこの人生しかなかったと思います。しかし、先のことを考えると不安になります。正規の仕事に就き、普通の家庭を築いている世間一般の人たちのことを、どうしようもなく羨ましく思ってしまう瞬間があります。  私は透明人間です。私がいてもいなくても何も変わらないし、私を必要としている人もいない。こんな状況で生き続ける意味が分からず、歳を取ればますます生きるのが大変になるのだから、早めに死んだほうがいい、とさえ思います。こうした虚しさを抱えながら生き続けることに疲れました。まとまりのない文章ですみませんが、何かアドバイスをいただければ幸いです。 A. その自由さは思っている以上に尊い  所属する会社や万全な家庭を持っている人は確かに何か大きなものに守られて、この広くて荒唐無稽な世界で安心して生きているように見えるかもしれません。私自身、四十歳の時点で家庭もなく、仕事もフリーランスで寄る辺ない日々を過ごしていたので、その不安定さやそこはかとない孤独感は特に寒い夜などには身に染みていたクチです。  それでは私は、かつて所属していた、ちょっとやそっとでは潰れないしクビにもならないであろう企業に戻りたいかというと二の足を踏んでしまいます。私の家は、両親は不仲ではなく、言ってみれば愛に溢れる家庭で育ったけれど、ずっとそこで両親とともに暮らしたかったかというと、そうではないから十代でとっとと家を出たわけです。  自分をなんとなく社会の荒波から守ってくれる存在というのは自分を縛り付ける存在でもあります。逆に言えば、口うるさい先生のいる学校や、干渉してくる親のいる家庭など、思春期の自分がうざったいなと思ってその束縛から逃れたかった存在は、例外なく自分を守ってくれる存在でもあったわけです。そこから逃れて自由になるということはすなわち、それに伴う孤独の責任を負うということです。 「経験したことのない気楽さ」を感じた一人暮らし、でも…  生まれて初めて一人暮らしをした最初の一年のことをよく覚えています。私はそれまで同居していた親と喧嘩したまま、逃げるように実家を出てしまったので、最初は友人の家に泊まらせてもらっていました。そこでは実家よりはよほど自由がありましたが、それでも人の世話になっているので気ままに生活できるわけではありません。一カ月ほどしてようやく自分だけの部屋を横浜の桜木町の近くに契約しました。  最初の二カ月ほどは本当に自由に、自分が思うような時間に起きて自分の食べたくないものは一つも食べず、買いたいものだけを買って生活できることにかつて経験したことのない気楽さを感じていました。それまでたいして不自由と思っていなかった実家生活や友人との暮らしが、実際は人に気を遣ったり顔色をうかがったり、あるいは一緒にいる人に対してそれなりにきちんとした人間に見られるよう気を張ったりすることの連続で、とても疲れていたのだとその時よくわかりました。  しかし二カ月ほど経ってみると、夜中に変な物音がするたびに不安になったり、間違いで鳴ったチャイムのことが一週間以上気になったり、深夜に帰宅する際に夜道の背後が怖くてなかなか自分の家に入る気が起きなかったりということが増えました。そして家に入っても、この部屋で死んだら誰にも気づかれずに朽ちていくのだろうという変な想像力が冴えてしまい、なかなかリラックスできないので結局もう一回外に飲みに行くなんていうこともしばしばありました。  そういう時は安易な安心を求めるので、たいして好きでもない男を家に連れ込んでとりあえずの孤独や不安を誤魔化したり、何日か泊めてくれる適当な男と付き合ったり、だらしない女友達と数日ずっと一緒に飲み歩いて過ごしたり、という日々が続きました。それも自由な生活といえばそうですが、自由とともに降りかかってきた孤独との付き合い方がまだよく分かっておらず、とにかくシーンとした不安な時間を騒々しい何かで埋めようとしていたのだと思います。 虚しさに疲れた後、気づいてほしいもの  そんな感じで、自由を謳歌する時間と、孤独を紛らわせる時間を交互に経験し、徐々に一人で暮らすことの寂しさと楽しさに慣れていったのが私の十九歳の年のできごとでした。大学院を卒業した最初の一年や、会社をやめた最初の一年も、少し似たような、思いっきり自由を楽しんだかと思いきや急な寂しさに苛まれる、という経験をした気がします。男と一緒に住んだり、別れて一人で住んだり、という時期も似たようなものかもしれません。  だから虚しさを抱えて生きるのに疲れた、と思う時期があっても、個人的にはいいと思います。その疲れが、人生を生きるに値しないものにしてしまうほど大きくないのであれば。そしてその疲れの時期のあとに、両手いっぱいに抱えた自由の尊さに気づく時期が来るのであれば。  たとえば大家族がいて、夫や自分の両親の介護や子育てに追われていたら、今自分にとって最も楽しい時間、たとえば趣味のピアノに思う存分打ち込む時間というのはかなりの確率で失われていると思います。仕事が生きがいと思えるような大層なキャリアであったら、仕事以外の時間を有意義に使える余裕はないかもしれません。  小さい頃、英国で暮らしていた時期があるのですが、英国で当時労働者階級と呼ばれていた人々に憧れたのは、彼らは仕事を力の四割くらいで適当にこなし、余暇をいかに文化的で充実したものにするか、ということに注力しているように見えたからです。ポストオフィスに勤めながらオペラを趣味にしていたり、ミルクを配達しながら週末はDJをしていたり。幼い私には、エリートで立派な家庭を作り、仕事に生きがいを持っていて家族を豊かに養っている人なんかよりも、適当にミルク配達を終えてレコード屋に入り浸る自由の方がなんとなく尊いように見えていたのです。 連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」では、恋愛、夫婦、家族、仕事、友人など、鈴木さんと同世代の30~40代女性を中心に、お悩みを募集しています。ご応募はこちらのフォーム(https://forms.gle/vH3KMGRGBPJb2TE5A)から! ●鈴木さんからのメッセージ 私はずっと地べたにはいつくばって生きている感じなので、こんな風にすれば素敵な人生送れるよ!というアドバイスは何もないですが、ピンチに陥ったり崖っぷちに立ったりすることは多い日々だったので、痛み分けする気分で、気負わずなんでもお便りお待ちしてます。
物価高なのに「制服サブスク」はなぜ広がらないのか 事業者が「ビジネスモデルとして成り立たない」と語る理由
物価高なのに「制服サブスク」はなぜ広がらないのか 事業者が「ビジネスモデルとして成り立たない」と語る理由 物価高の中、制服代は家計の大きな負担となっている(写真はイメージ/gettyimages)  東京都品川区は2026年度以降の新入生を対象に、区立中学校の制服無償化を打ち出した。22年、公正取引委員会が公立中学1200校に対して行った制服価格の調査によると、男子用ブレザーの最高値は5万5000円、女子用セーラー服は7万2000円で、“隠れ教育費”として家計を圧迫する一因になっている。夏服・冬服に加えて予備の制服もそろえれば、出費はさらに膨れ上がる。そんな中、中古の制服を“サブスク”で貸し出したり、破格の値段で販売したりと画期的なサービスを提供する企業もあるが、課題は多いようだ。 *  *  *  あまり知られていないが、北海道十勝地域に暮らす中学生の3人に1人は制服を購入しない。新品の制服を買うと男女ともに1セットあたり約4万~5万円かかるが、地元で学校用品のレンタル事業を営む「ぎゃくし」(帯広市)を利用すれば、1年あたり1万4410円(税込み)で中古品を借りられるのだ。  3年間レンタルし続けると、合計金額は購入した場合と大差ない。しかし最大のメリットは、1年ごとに体の成長に合わせた制服を選べるため、買い替え費用が発生しないことだ。同社社長の瘧師(ぎゃくし)博一さんはこう話す。 「男の子は、中学の3年間で平均15センチ身長が伸びると言われます。中1で買う制服を中3まで使おうとすれば、入学式ではダボダボのオーバーサイズなのに、卒業式ではズボンがお尻に食い込み、スネ毛がはみ出る……という悲しい事態になります。制服レンタルを利用した保護者からは、『子どもがこんなに大きくなるとは思っていなかったので、サイズを変更できて助かる』という感謝の声を数多くいただきます」  同社は5年ほど前、定額借り放題のサブスクリプションサービスを商品化した。最初に4万1690円(税込み)を支払えば、卒業まで何度でもサイズ変更が可能で、かつ通常のレンタル料金よりも割安となる。 レンタル制服がずらりと並ぶ、ぎゃくしの店内(写真は「ぎゃくし」Webサイトから) 制服サブスクは十勝ならではのビジネス?  サブスクの利用者は順調に増えており、保護者・子ども・企業の“三方よし”なサービスに見えるが、不思議なことに、まねをして参入してくる同業他社はほとんどいない。瘧師さんは、「制服サブスクは十勝地域ならではの顧客ニーズから生まれたビジネスなので、全国には広がらないでしょう」と話す。どういうことか。 「レンタルに適した商品には三つの条件があります。必ず必要なもの、はやりに左右されないもの、そしてピンポイントで利用するもの、です。十勝は冬場だと氷点下20度近くになるため、中学校はジャージ通学が一般的です。制服を着る機会は入学式や、終業式、修学旅行など、イベントの時だけ。年に10回程度しか着ないのに、買い替えが必要な新品を買うのは経済的負担が大きいという切実なニーズがあるのです」  ピンポイント利用という条件は、企業側にとっても重要だ。制服を毎日着られてしまうと、商品の摩耗が激しく、とても割に合わない。  また、サブスクを始めるには頻繁なサイズ交換依頼に耐えられる十分な商品在庫が必要で、同社は中学校を卒業した子どもがいる家庭から、“宝の持ち腐れ”状態のきれいな制服を安く買い取ることで在庫を確保している。もし新品を買い集めるとなると、多額の初期投資は免れない。 「制服サブスクは顧客の満足度は高いですが、『普段制服を着ない』という特殊な条件がない限り、ビジネスモデルとしては成立しないでしょう」  一方、子育て世帯の家計を守るため、採算度外視で奮闘する企業もある。  全国に約80店舗を展開する学生服リユースショップ「さくらや」は、幼稚園から高校までの制服の買い取り・販売を行っている。定価2万5000円の男子高校生用ブレザーが1500円~6000円ほどで売られているというから、驚きの安さだ。 体操服を買い取ると、氏名の刺繍を取る作業が発生する。コスト削減のため、裁縫が得意な地域住民に協力を依頼すると、みな喜んで請け負ってくれた(写真は「さくらや」Webサイトから) 品川区の制服無償化には「賛同できない」  家賃や人件費、買い取った制服の修繕費などのコストが見合わず、赤字に陥る店舗もある。創業者の馬場加奈子さんは、「もうけたい気持ちは当然ありますよ」と本音を漏らす。それでも限界ギリギリの値付けにこだわるのは、自身がシングルマザーとして貧困に直面した過去をもつからだ。 「障害のある長女をふくめ3人の子育てに追われる中、『今日は何を食べよう』『明日には路頭に迷うかもしれない』と頭を抱える日々を送っていました。当然、子どもの成長に応じて制服を買い替える余裕なんてなかった。その経験から2010年に高松市でさくらや1号店を立ち上げると、『こういうお店を待っていた!』と、大勢のお母さんたちに喜ばれました」 今もさくらやの店頭に立つ、創業者の馬場さん。高校の制服を買いに来た女の子が、母親から「中古でいいの?」と聞かれ、「春からこの学校に通うための服なんだから、中古でも新品と同じ気持ちで着られる」と胸を張る様子に、いたく感動した(写真は「さくらや」Webサイトから)  さくらやの顧客には、深刻な貧困家庭の人も少なくない。だが近年目立つのは、物価高の中で少しでも家計を切り詰めようと苦心する一般家庭の人たちだ。馬場さんが最近営業に出向いた中学校では、女性の教頭が『トマトが高くて買えない』と嘆いていて、公務員にまで広がる生活苦を痛感したという。  インターネットで〈〇〇高校 制服 中古〉と調べる人が増えたり、「制服を安く買える店がある」と口コミで広がったりして、さくらやを頼る人々は増えるいっぽうだ。だが馬場さんは、品川区が約1億円の予算をかけて行う制服の無償化には賛同できないと話す。 「正直、子育て支援を掲げて闇雲に税金を投入する“パフォーマンス”のようにも見えてしまいます。たとえば、私服通学を認めて制服は着たい人だけが着る運用にすれば、保護者は出費の強要から解放されます。子どもたちにも、『今日は体育があるから動きやすい服にしよう』などとTPOをわきまえる思考力が育つので、選択制の制服を取り入れる学校は既に出てきています。少し工夫すれば、お金をかけずにできる支援策はいくらでもあるんです」  制服の「サブスク」は地域性など特殊な条件が必要で、「リユース」は経営者が赤字覚悟で事業化している実態がある。“隠れ教育費”問題が深刻となる今、民間に頼るばかりでなく、行政も意義ある支援の形を考えるべき時が来ている。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵)
「また踏み台にされるのか…」就職氷河期世代の嘆きと怒り “初任給30万円”の一方で「置き去り」と感じる中高年層は8割【読者アンケート結果発表】
「また踏み台にされるのか…」就職氷河期世代の嘆きと怒り “初任給30万円”の一方で「置き去り」と感じる中高年層は8割【読者アンケート結果発表】   写真はイメージ(GettyImages)    今年の春闘も、昨年に続いて「賃上げ」の流れが続いています。その一方で、職場の若手や新入社員に比べて、賃金の伸びも低いと言われているのが中高年層。AERA dot.編集部のアンケートでは、若手に比べて待遇面で「置き去りになっている」と感じている人の割合が8割近くを占めました。「就職氷河期」に社会に出て、景気が上向かないまま長く過ごしてきた世代。「本当に運が悪かった」「上の世代と下の世代を守ってきたのは我々なのに」……。コメントには、やるせない思いが集まりました。 *   *   *  アンケートは2月19日から26日まで実施。676人から回答がありました。ご回答いただいたみなさま、ご協力ありがとうございました(この記事では、アンケートに寄せられたコメントを紹介していますが、明らかな誤字脱字は修正したり、読みやすくするように適宜改行を加えたりしています)。        回答者のうち、「就職氷河期」と言われる1993年から2005年ごろに就職をしたという方が6割、それ以降が1割弱でした。  新卒当時に7割が正社員として就職。それから「異なる業界に転職した」という方は4割。そのまま同じ会社に勤めているという方は3割、「同じ業界の別の会社に移った」と回答された方は2割でした。  現在の給与についての満足度を聞いたところ、「とても満足している」「まずまず満足している」はあわせて30%、「やや不満だ」「不満だ」は計52.6%でした。  満足度が低めの人の割合は、新卒後に「異なる業界に転職した」という方では60.4%を占め、「同じ業界の別の会社に転職した」という方では55.4%、そのまま現在も「同じ会社等で働いている」方では40.3%でした。   「置き去り」の世代  現在働いている方を対象に、若い世代と比べて、中高年層は待遇面で「置き去り」になっていると感じているかを聞いたところ、「とてもそう思う」が58%と最も多く、「ときどき思う」と合わせると、78.7%を占めました。      さらに、若手社員の給与が上がり、新入社員に高い初任給が出たりすることについて、どう感じているかを選択式(複数回答)で聞きました。  その結果は、「若手の給与増もよいが、上の世代も同時に上げてほしい」が62.9%とダントツのトップ。続いて「自分たちの世代は、今と比べて運が悪かった」が41.4%、「年齢に関係なく、能力や実績などで判断すべきだ」が29.2%となりました。    就職氷河期に就職できず、現在は自営業という50代の男性は、「本来ならば耐え抜いて社会を支えてきた中高年がもらえるお金だと思う」とコメント。  スーパーマーケットに新卒採用されて以降、警備会社などへの転職をしてきたという40代の無職男性は「何も業務知識がないのに、初任給30万~40万貰えるのは羨ましい。就職氷河期世代はそんなに貰ってないので、我々が何が悪かったのかわからない」。  一方で、「人材を確保するためには、仕方がない」「物価高で生活が大変なのは若い世代も同じ」と、会社などが若手の「厚遇」をすることに一定の理解を示すコメントも多くありました。アンケートでも、「若い人材確保のために、給与の引き上げは当然だ」は21%。「若い世代の給与は低いから、生活のためにも引き上げて当然だ」は12.3%でした。 「良いことだと思います。若い方や新卒の方とかは独身が多いでしょうから、その独身者が豊かになれば結婚もいくらかしやすくはなるでしょう」(40代、男性、アルバイト・パート) 「少子化の影響で若手の入職者は貴重な存在となっているので、若者の高水準な給与設定は致し方ないと感じる」(50代、男性、会社員) 「20代前半が本当に苦しかったので、正直今の温室環境に腹だたしくはなるが、自分の子供が恩恵を受けるなら良い」(40代、女性、派遣社員・契約社員) 「若い世代の人口減少、物価上昇があるので、若手の給与が自分たちの頃より上がることは自然な流れであると思うが……」とコメントした50代の会社員男性は、こう続けます。 「自分たち世代の給与の上昇が鈍いことは納得できない」   「運が悪かった」。けど、努力してきた  もうすこし早く生まれていたら、社会に出るころはバブル景気の真っ只中。数年違っていただけで「氷河期」に就職活動をせざるをえなかったことに「運が悪かった」「ついていなかった」とこぼす声は、数多く寄せられました。 「全てが平等な社会は存在しないのは理解する。ただ、我ら世代は本当についていないとしみじみ思う」(40代、男性、会社員)          就職氷河期は、それぞれに夢や目標があったとしても選択肢すらなく、生活するために「入れる会社に入る」しかなかった人も多かった時代でした。  就職氷河期に就職し、派遣社員として転職を経験してきたという女性は、 「『氷河期だからと甘えている』と言う人もいるが、企業の募集もなく、学校を卒業しても働きたくても働けなかった時代が何年も続いたことを知らない人が勝手に言っているだけで、本当に苦労していることを知らなすぎだ。(中略) 『派遣会社』がまだそれほどに数がなかった頃は、もっと資格の有無や経験などがある程度必要であったし、事務職であっても「仕事」のみをしていた。世に言うお茶くみや掃除、電話などは社員しかしなかった。それだけ「派遣社員」は仕事に特化した人材であった。自分で資格を取り、そういう派遣社員として働いた氷河期の人も多い。  苦労して何とか職を見つけて、給料が安くても働いている氷河期の人材を大切にしないと若い人に教える人材がいなくなりますよ。どの職場でもその時代に雇った人が少ないので、ぽっかり穴が空いている世代なのですから」   「インフレの中、給与が上がることは当然だと思います。ただし、働く者すべてに均等に行われるべきではないでしょうか」と指摘摘するのは、大学院の修了後から非正規職員として働き、30代で専門職で公務員になったという女性。 「おそらく私には退職まで到達し得ないだろう給与を1年目で支払われる人達のニュースを見ると、言いようのない気持ちになります。今仕事で使っている技術は一朝一夕では身につくものではありません。長年努力して、ひとつひとつ得てきたものです。この時間を認めてほしい。氷河期世代がこの年になるまで遊んで暮らしていたとでも思っているのか、と申し上げたいです」     世代間格差に、働く意欲は…  職場での世代間で広がる「格差」に、働く意欲を減退させている様子もコメントからはうかがえます。 「私達氷河期世代は、いま、会社のなかでは中心の世代となりましたが、定年延長、若手人材確保など人件費増に会社が費用を捻出するなか、私たちの中間管理職の昇格を絞り、遅らせ、その費用を捻出しており、また踏み台にされる世代かと怒らずにはいれないです。いいかげんに、ふざけるなと声を大きくして言いたい」(40代、男性、会社員) 「これからの時代、新入社員の初任給や若手の給与が上がることは必然だと思うが、会社のいいように扱われてきた氷河期世代にも恩恵が欲しい。でないと報われない」(40代、女性、会社員) 「新卒だけの給与を上げて既存社員を上げなければ不満が出るのは当然。給与が高い新卒社員に給与が低い熟練者が教えることが、モチベーションを下げることは明白である」(40代、男性、会社員) 「若手の給料があがるのはいい、しかし、10数年務めた人間と新卒の給料が数千円しかか変わらない事態になり、働く意欲は全くない」(40代、男性、会社員)    そんな中高年層のやるせない思いは、職場や社会にも向けられています。  これまでに4度の転職を経験したという40代の男性会社員は、雇用する企業側に対して、こう指摘します。 「給料だけで人を集めても、企業自体に魅力がないと、若い人はすぐ転職できてしまうので、その点をちゃんと考えられている企業はすくないと思います。日本の会社の経営者は他の会社の真似ばかりしますが、どうやって人材を確保するかのスタンスがない会社は、初任給だけ上げても人材を確保し続けることが難しくなると思います」      そして、懸念されているのが、これまで十分な収入を得られなかった中高年層が、退職し、高齢者になったとき。年金だけでは生活が難しいという人たちを、社会はどう支えるのか。そのためには今、どんなことが必要なのでしょうか。 「目先の人材不足への対応だけに注力し、能力主義やスキルアップ、キャリア形成、人材流動性などに対する将来的かつ俯瞰的視点が欠けている。また、インフレや経済格差が広がる中で根本的な対策が欠けており、一時的に新卒や若手の給与が上がっても社会全体の景気・消費向上につながっておらず、現役世代はもちろん若者の将来への不安は払拭できていないと感じる」(50代、男性、会社員) 「少子化が進む中、若い方にお金が回ることは良いことだと思う。ただ氷河期世代の人間としては、世代格差を増大させない為にも、若い方のみならず全世代の所得(手取り)を上げていくことも同時に必要だと思う。氷河期世代は非正規雇用も多いままこれから高齢者となり、年金だけで暮らせない方が増えていくので、その対策も急務であると思う」(50代、男性、会社員) 「若手の給与が上がる事は良い事だと思う。ただ、団塊ジュニア、就職氷河期の自分達が犠牲になる事によって上のバブル世代、下のゆとり世代の雇用を守ったという事を、日本国民全員が周知の事実にする事を徹底して欲しい。その上で、団塊ジュニアを中心に、就職氷河期世代の税制優遇、年金の追加、リスキニングの全額負担を国が支給するべきだと思う」(50代、女性) 「社会的に大手の若手給料は上がっている傾向がある反面、追随出来る企業は僅かだと思います。これが続くと更に中小企業は人材確保が厳しくなり、廃棄や倒産するのでは無いかと思います。政府は中小企業への支援が必要だと伝えたいです」(40代、男性、会社員) 「若手の給与が上がるのは売手市場や物価高騰なので致し方ないが、若手だけでなく子育て世代や親の介護をしている世代も働きやすい社会となると良い。また、様々な理由で子供が持てない人や独身者に、制度や規則で不公平感を感じさせない事が、全ての人にとって良い社会だと思う。政治家も定年制度を導入した方が良い。この格差社会をどうにかしないと子供は増えないし、優秀な人はどんどん海外へ移住してしまうと感じている」(50代、女性、会社員) (AERA dot.編集部)     【こちらも話題】 社会人になって資格取得は9割 宅建士、介護の資格、語学力…「スキルアップしたい」「収入確保を」定年後も続く“学び”【読者アンケート結果発表】 https://dot.asahi.com/articles/-/250327  
突きつけられた「謎」を変えていくために「知る」を届けたい 認定NPO法人D-SHiPS32理事長・上原大祐
突きつけられた「謎」を変えていくために「知る」を届けたい 認定NPO法人D-SHiPS32理事長・上原大祐 愛犬「リンゴ」と自宅で。全国を飛び回り忙しい上原だが、自宅にいる時はリンゴと一緒に寝ている(写真/加藤夏子)    認定NPO法人D-SHiPS32船団長(理事長)、上原大祐。二分脊椎で生まれつき歩けない上原大祐は、いつ会っても見事な車いす捌きで颯爽と動き回り、車いすだというのを忘れてしまう。小さいころから、やりたいことがたくさんあった。母はそれに対して「できない」と言わず、上原はやりたいことは全てやってきた。だが世間は「障害者」というだけで、「できない」を突き付ける。もっと自分たちのことを知ってほしいと、上原は日本中を動き回る。 *  *  *  今年1月、長野県東御市の体育館で、パラスポーツ体験会「パラ小学祭」が開かれた。市内五つの小学校に通う5、6年生、約170人が集まり、ボッチャや車いすポートボール、車いすリレーに挑戦。ポートボールの審判として「ナイスパス!」「ナイスディフェンス!」と、ひときわ大きな声を響かせていたのが、元パラアイスホッケー日本代表で、D-SHiPS32理事長の上原大祐(うえはらだいすけ・43)だ。上原は生徒たちと一緒にこのイベントの企画運営を担い、各校を回って体験授業の講師も務めている。子どもたちからは「大ちゃん」と気軽に声を掛けられる。  上原は車いすでコートを走り回り、生徒が得点するたびに「ゴーール!」と叫んで腕を突き上げた。威勢のいい掛け声に生徒たちも盛り上がり、最後のリレーは大歓声に包まれた。  D-SHiPS32とは、2014年に上原が立ち上げたNPO法人だ。上原は二分脊椎という障害があり、生まれつき歩くことができない。車いすでの生活だが、それだけのことで多くの謎にぶつかってきた。なぜ、小学校に入れないのか? なぜシーカヤックの大会に出られないのか? なぜレストランの入店や、住まいの賃貸を断られるのか? 「謎の多くは、障害者を知らないことから生まれる。だから『知る』を届けたい」との思いから、D-SHiPS32を立ち上げた。障害児に野外活動やスポーツの機会を提供するとともに、障害のない人に対しても、パラスポーツ体験会などを実施している。 「これって謎だ、変えてやるという気持ちが、行動の原動力になってきました」(上原)  障害のある子どもの母として、当事者と親の支援に取り組む加藤さくら(43)は、さまざまな場面で上原と協働し、家族ぐるみの付き合いをしている。「大ちゃんを障害者だと思ったことは一度もない。車いすに乗っていろんなことをしている人」と語る。 パラ小学祭は二つの体育館で行われ、新しい方は車いすスポーツ禁止だった。生徒からは「なぜ?」と疑問が上がり、市議会で質問するまでに。子どもの「謎」が、変化の原動力になるかもしれない(写真/加藤夏子)   「できない」と言わない母に 何でも「できる」と思い育つ  上原自身も「仲間と飲みに行くと、たまに障害があることが忘れられて、2階の居酒屋を予約されてしまう」と苦笑する。  上原はそのくらい周囲に障害の存在を感じさせない。それはなぜだと思うかと加藤に聞くと即座に母・鈴子(66)の存在を挙げた。 「生まれ持った資質も多分にあるでしょうが、鈴子さんが彼を『やりたいことができる』人に育てたんだと思います」  長野県に生まれた上原は幼いころから「やりたいことがあふれ出てくる子ども」だった。母の鈴子は上原から「やりたい」と言われて「できない」と答えたことは一度もないという。  3歳の時、3カ月入院することになった上原は、入院中に車いすを借りて初めて自由に移動できるようになる。すると数十メートル離れた院内の幼稚園に「1人で行きたい」と言い出した。鈴子がこっそり後をつけているのに気付くと、くるっと振り返り「ついてこないでって言ったでしょ!」。 「自由に行きたいところに行けるのが嬉しくてたまらない、といった様子でした」と、鈴子は振り返る。  小学校に入るころ「自転車に乗りたい」と言われた時も、歩けないから無理だとは言わず、「ちょっと待っててね」と答えて、偶然テレビで見かけた「手漕(こ)ぎ自転車」を他県まで買いに行った。遊びに行った上原がどんなに泥まみれで帰宅しても、詮索したり叱ったりしなかった。  こうした母のおかげで上原は何でも「できる」のが当たり前だと思って育った。  しかし社会はことあるごとに、親子に「謎」を突き付けた。まず最寄りの保育園に、入園を断られた。その時は別の幼稚園が受け入れてくれたが、小学校入学の際は教育委員会から「地元小学校はエレベーターもないし、障害者を受け入れた前例もないので、進学は99%無理」と言われてしまう。鈴子は「前例がないなら作ればいいじゃないですか」と何度も行政に掛け合い、毎日付き添うという条件でやっと入学を許可された。  入学から2週間後、担任から「お母さん、明日から付き添わなくていいですよ」と言われる。 「大祐君、いろんなことができるしお友達の輪にも入っています。心配ありません」  放課後は友人と一緒に野山を「這(は)いまわり」、小川に入ってカニを捕ったり、木に登ってカブトムシを捕ったり。「ズボンがよく破れるので、アップリケだらけになっていました」(上原)。鈴子も学校行事などのたびに教員と綿密に打ち合わせして「この道は車いすが入れないので車で送迎し、山頂で他の子どもたちと合流する」といった計画を立てた。これによって上原は、水泳も遠足もスケート教室も、友だちと一緒に参加できた。 D-SHiPS32のイベント。「バリアフリー施設は、誰もが使いやすいことが前提」と上原。障害者だけでなく付き添いの友人らも同席し、一緒に楽しめるかといったことも考慮する必要があるという(写真/加藤夏子)    中高も地元の公立に進学し、そのすべてにエレベーターがなかった。各階に車いすを置き、階段は自力で上った。友人たちも、当たり前のように手を貸してくれた。  成長した友人たちが自転車やバイクに乗るようになると、上原は荷台や横につかまって、一緒に移動するようになった。かなりスピードが出るため、車いすの前についている小さなタイヤが小石などを踏んで、壊れてしまうことも。何度も修理を頼むので、車いすの販売代理店の社長からは「こんなに車いすを壊す人は珍しい」とあきれられ、さらにこう言われた。 「やんちゃなところはパラアイスホッケーに向いている。やってみないか」  パラアイスホッケーは「氷上の格闘技」とも称され、体当たりなども認められている激しい競技だ。気にはなったものの、リンクが遠くて自力で行けず、そのままになっていた。 パラアイスホッケーで活躍 銀メダル獲得の立役者に  大学に進み運転免許を取ると、自力で遠方のリンクに通えるようになった。大学2年生の時、パラアイスホッケーの練習を見に行ってスレッジ(そり)に乗せてもらうと「自分はこれが得意だ」と直感する。「教師」だった人生の目標が、一夜にして「金メダル」に変わった。  直感は正しかった。練習を始めると先輩から「俺が3カ月かかったことを、2週間でマスターする」と驚かれるほど、ぐんぐん成長した。子ども時代、這って行動する中で培われた体幹の強さと手首の柔らかさが、プレーヤーとして最大の強みになったのだ。 「這う経験は、体を作るのにとても大事。障害児の親御さんにも子どもは極力這って生活させた方がいい、と伝えています」  2004~06年には、米シカゴの強豪チーム、ブラックホークスに所属。日本代表と親善試合をした時、チームから勧誘されたのがきっかけだった。普段は日本で練習して、国際大会などがあるたびに開催地でチームに合流する。世界トップクラスの選手と一緒にプレーすることで、自分の力が着実に高まっていることが実感できた。時にはプロリーグのNHLのトップ選手が使うリンクで練習する機会にも恵まれ、「本当に楽しかった」と振り返る。  シカゴではもう一つ衝撃を受けたことがある。それはジュニアのパラアイスホッケー大会があり、障害のある子どもたちが楽しそうにホッケーをしていたことだ。子どもも親も楽しそうな姿を見て、自分でもこんな空間を作りたいと考えるようになる。  06年には岡山県で障害児向けのパラアイスホッケー体験会を開いた。いざ会場に来て「やっぱりうちの子は無理です」と言い出す保護者もいたが、「外野の声」が届かないよう、子どもたちをリンクの真ん中に集めた。スレッジに乗るのを怖がる子は、椅子に乗せて氷上を押した。最初泣いていた子も最後には自分から「そりに乗りたい」と言い出すようになった。 「Next Fashion Designer of Tokyo」のワークショップで。上原ら障害当事者が「ジャケットを着たいが、車いすだとタイヤで裾が汚れる」といった服装の悩みを伝え、参加者が解決策を考えた(写真/加藤夏子)    選手としては06年のトリノ、10年のバンクーバーと、相次いでパラリンピックに出場。バンクーバーでは準決勝で決勝ゴールを決め、銀メダル獲得の立役者となった。  12年からは1年間渡米し、一人暮らしをしながらフィラデルフィアのチームに在籍した。住む家も決まらないまま単身、現地に飛び込み、初日にスマホをなくして途方に暮れた。 「その時は困ったなと思っても、不安は全くありませんでした。シカゴチームで一緒にプレーした友人もいたし、何とかなるだろうと」  アプリでリンクを予約して個人練習をするのだが、その場に集まった見ず知らずのメンバーで練習やミニゲームをすることも多かった。NHLを目指す大学生や愛好家のシニアに交じって、パラの上原もプレーをしたが、障害者として区別されることはなかった。 「『分けたがりジャパン』の日本なら障害者は断られたかもしれませんが、米国は『知りたがりUSA』。興味津々で『この装備は何だ』などと質問攻めにされ、かえって仲良くなれました」   東京を離れ長野に帰ったのは、介助犬候補の子犬を育てるパピーウォーカーになりたかったのも一因。リンゴは人懐こすぎて介助犬になれず、上原家の家族に(写真/加藤夏子)   賃貸物件を断られる いたるところにある「謎」  上原は帰国後の13年、一度現役を退く。その翌年にD-SHiPS32を立ち上げた。スポーツはもちろん、キャンプや畑仕事などを通して、障害者と健常者が一緒に時間を過ごし、お互いを知る機会をつくっていく。  「日本で障害児の多くが、運動や屋外活動から遠ざかってしまうのは、教師や福祉関係者、そして保護者に『できない』という思い込みがあるからです」  たとえば上原が特別支援学校を訪れ、「パラリンピックを目指せる子が3人くらいいますね」と言うと、しばしば「いやいや、うちには上原さんのようなアスリートはいませんよ」と返されるという。しかしパラスポーツには、ボッチャのように重い障害があっても、力を発揮できる種目もある。 「大人の知識不足で、子どもの可能性を削(そ)いでしまってはいけない。『知る』を届けることで、子どもたちがいろんなものを見て、いろんな人と関わるチャンスを増やしたい」  D-SHiPS32に設立から関わり、副理事長を務める乙黒義彦(69)は、上原を次のように評する。 「大祐君は10年後、20年後に障害を持つ子どもたちが当たり前に夢を持ち、それをかなえられる世界を作るため、今何をしなければいけないかを考えている。はるか先の景色を見て行動できることが、彼の素晴らしさだと思います」 (文中敬称略)(文・有馬知子) ※記事の続きはAERA 2025年3月3日号でご覧いただけます
元NHK久保純子アナが語る、アメリカの幼稚園教諭として働く理由 「夢がかなってとても幸せ」
元NHK久保純子アナが語る、アメリカの幼稚園教諭として働く理由 「夢がかなってとても幸せ」 久保純子さん  フリーアナウンサーの久保純子さんは、2016年から夫と2人の娘とともにニューヨークで暮らしています。現地での職業は「幼稚園教諭」。2年がかりでモンテッソーリ教師の国際資格を取得し、現在はニューヨークの幼稚園に勤務しています。人気アナウンサーの久保さんが、なぜ幼稚園の先生に? その魅力は? その質問への答えの中には、子育てに役立つヒントがたくさん詰まっていました。※後編<元NHKアナ・久保純子に聞くアメリカでの子育て「16歳の娘は、私が子どもだったころと比べると圧倒的に大人」>へ続く 教師への夢にアラフィフで再び挑戦 ――ニューヨークのモンテッソーリ幼稚園で、先生として働いて4年目になるそうですね。現在はどのように働いているのですか?  これまでは朝8時から夕方4時までのフルタイム勤務で、クラス担任も持っていました。でも最近は日本に住む両親が高齢になり、日本との行き来が頻繁になってきたんです。それで現在はサブ担任として、必要なクラスに入っています。それでも担当するクラスは20クラスあるので、「スーパーサブ」と呼ばれています(笑)。 ――人気アナウンサーの久保さんが、どうして幼稚園の先生に?  母は英語教師だったので、私も教師という仕事にあこがれがありました。大学で英語の教員免許を取得したのですが、当時は自分があまりに未熟に思えて一歩踏み出せなかったんです。そのとき「社会人として人生経験を積んでから、子どもたちの元に戻ろう」と思いました。今、その夢がかなってとても幸せです。 幼稚園の先生として働く久保純子さん「放課後は、教具を消毒したり、補充したり、翌日に子供達が気持ちよく”お仕事”ができるように整えます」 ――モンテッソーリ幼稚園を選んだのはどうしてですか?  長女が8歳のとき、お友だちにいつもハッピーそうな子がいたんです。読書をしていても、おもちゃで遊んでいても、おしゃべりしていても、いつもニコニコ幸せそう。  その子のママに「どんな子育てをしたら、こんなにハッピーな子になるの?」と聞くと「モンテッソーリ幼稚園に通っていたせいかも」と言われました。それでモンテッソーリ教育に興味を持つようになりました。  少しして夫の仕事の都合でカリフォルニアに住むことになったんです。アメリカはモンテッソーリの幼稚園が多いので、当時3歳だった次女を入園させてみました。そしたらもう、目からウロコ! 「これはおもしろいぞ!」と思って、モンテッソーリ教育の学校に通って講義を受けました。そのあと日本の幼稚園で1年間教育実習をして、晴れて幼稚園教諭の国際免許を取得しました。 幼児期に「好き」をとことん深める大切さ ――すごい行動力ですね! ちなみに、モンテッソーリ教育を知って「目からウロコ」だったのはどんな点ですか?  モンテッソーリ教育の根底には「子どもたちは、自分の力で自分自身を育てる」という考えがあります。  ですから先生は「教える」のではなく、彼らが自発的に力を発揮できるような環境を整えたり、安全性を見守ったり、迷ったときに「こちらへどうぞ」と道案内をするような役割なんです。  園では、成長段階に応じた教具を200種類くらい用意します。子どもたちは教室を縦横無尽に歩きまわって、その中から好きな「お仕事」を見つけ出します。パズルをする子もいれば、タオルをたたむ子もいますし、きゅうりを切る子もいます。 ――教具が200種類! その準備も先生たちの仕事なんですね。  そうなんです。朝8時に出勤して教具の準備をするのも先生の役目です。私は日本の「折り紙」も教具に加えました。アメリカでは紙の角を合わせて折る習慣がないので、手先を鍛えるのにちょうどいいんです。アメリカの子たちにも、折り紙は大人気です。 「飛行機の折り方をボードにまとめてみました。これなら、子どもたちも1人で折り紙に取りめます」 「子どもたちは折り紙が大好き! ”Ms.Junko, Can we do Origami?(折り紙やろう!)”と誘われます(笑)」 ――好きなことを自分で選んで遊ぶことが大切なんですね。  好きな「お仕事」に取り組む子どもの集中力って、本当にすごいんです。時間がたつのも忘れて集中しますし、幸せに満たされた顔をしています。その様子を毎日見守りながら、私も毎日感動しているんです。  たとえば靴ひもを通すだけでも、2~3歳の子には大変な挑戦です。「できない、できない、できない」を繰り返して、ようやく「できた!」になる。それは、ものすごい成長です。  子どもの成長って、なだらかな坂道じゃない。三段跳びのように、突然ボーンと飛ぶ。その瞬間まで待つことが、大人の仕事だと日々感じています。 「待つ」って難しい。だからこそ「待つ時間」を作る ――家庭では、なかなか待つことが難しいですよね。つい「貸して! ママがやる」と奪い取ってしまうこともあります。  わかります! 私もそうでした。日常生活をスムーズに送るためには「待てない場面」はたくさんありますよね。それは仕方がないと思います。 子どもたちと一緒に折り紙をする久保純子さん「2歳から5歳のミックスクラスでは、年上の子がお手本となり、年下の子の面倒を見る。年下の子はお姉ちゃんお兄ちゃんのようなお仕事をしたいと張り切ります」  だからこそ、意識して「待てる時間」を作ることが大事なんです。  たとえば夜パジャマに着替えるとか、歯みがきをするとか、そういうときは多少時間に余裕がありますよね。そのときだけでも、待ってあげるといいと思います。 「自分でできた!」っていう達成感は自信と幸せを生み出してくれます。そして「次もがんばろう」という挑戦心を育ててくれるんです。 ――子どもを見守っていると、ついつい手出し口出ししたくなるのですが……。  「見守る」って「じーっと見ている」っていう意味ではないんです(笑)。放っておいていいんですよ。公園など家の外にいるときは見ていなくちゃいけませんが、安全な家の中なら好きにやらせていればいい。それで「ママー! パパ―!」って呼ばれたら、そのときは寄り添って支えてあげてください。  Watch me do it myself !(自分でやるのを見ててね)。ほどよい距離感で見守ることが大切だと思っています。 思春期こそ、信じて見守ることが重要 ――久保さんの2人のお子さんは今16歳と23歳ですが、モンテッソーリ教育は久保さん自身の親子関係にも役立っていますか?  もちろんです。とくに次女は今思春期なので、ホルモンの変化でイライラしたり悲しくなったり、怒りっぽくなったりすることが日常的にあります。でも私自身がモンテッソーリ教育を学んで、認知学・脳科学の観点から、それが次女の成長の過程であると理解できます。  だから次女の感情に振り回されることはないですし、「今は触れない方がいい」と思えばそっとしておきます。そういう見守り方ができるのもモンテッソーリのお陰です。 ――思春期やプレ思春期の子にも、見守りが大切ということですね。  夫婦でも友だちでも「ここから先は踏み込んでほしくない」っていう境界線があると思うんです。それは親子でも同じ。どんなに小さくても、子どもは一人の人間です。その人間力を信じて見守りたいと思っています。 困ったときに相談してもらえる親になる ――本当に困ったことがあって、言い出せないでいる場合もあるかもしれません。上手に聞き出す方法はありますか?  大事なことは、ふだんから楽しいことも悲しいことも話せる土台があるかどうか。  夫婦でもそうですよね。普段何も話さないのに、突然悩みを相談することはできません。  わが家の場合、食事のときには1時間でも1時間半でもおしゃべりしているんです。テレビを消して、向き合って話すように心がけていました。  私は娘が小さいころから「今日、楽しかったことを5つ教えて」と聞いていました。漠然と「今日はどうだった?」と聞くと、「べつに~」と言われちゃうので、具体的に質問することにしたんです。先に「楽しかったこと」を聞き、そのあとで「いやだったこと」を聞きます。 「猫がいて、かわいかった」とか、「忘れ物して叱られた」みたいな話を毎日することで、重いことも話しやすくなるのかもしれないと思っています。 ――親子の会話は、今も続いているのですか?  次女は高校生になって勉強が忙しくなっているので、ゆっくり食事の時間がとれないことも増えました。だから、ときには「話題のパンケーキ屋さんに行こうよ」って誘いだすこともあります。毎日話すのは難しくても、できる限り話す機会を増やさなくちゃ、と思っています。  親子関係は自然に形作られるものではなく、意識して築いていくものですから。 (構成/神 素子) ○久保純子(くぼ・じゅんこ)/1972年東京生まれ。小学校時代をイギリスで、高校時代をアメリカで過ごす。大学卒業後、NHKアナウンサーとして活躍。2004年にフリーとなり、テレビやラジオ、執筆活動や絵本の翻訳も手がける。現在は夫と2人の娘とともにニューヨーク在住。22年よりモンテッソーリ幼稚園の教師として働く。インスタグラムアカウントは@kubojunkony

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