30歳でひきこもり脱却の男性の生きづらさ ドラッグストア品出し早朝バイトは「もっと早くやっておけば」
写真はイメージです(Getty Images)
中高年のひきこもりが社会問題となっている。長いひきこもり期間を経験しても、周りのサポートなどにより、再び外で働き始めることができるケースはある。就労は大きな一歩だが、それがゴールというわけではない。問題は、それを継続できるかどうか。社会生活に復帰して数カ月がたち、不安や悩みを抱えながら日々を送る吉野亮介さん(仮名、31歳)を取材した。
* * * 夜明け前、亮介さんは寝ている家族を起こさないようにそっと身支度をして、台所でバナナを一本食べて家を出た。外はまだ暗い。自転車にまたがると、ペダルを無心でこぐ。暑い日は汗が噴き出ることもあるが、人気のない道を走るのは快適だ。
亮介さんは朝3時に起き、4時には家を出るのが日課だ。アルバイト先のドラッグストアには自転車で片道約1時間。始発前だから仕方のない移動手段ともいえるが、電車に乗ることに不安がある亮介さんにとっては、自転車通勤も苦にならない。仕事は、朝5時すぎから10時までの「品出し」。働き始めてもうすぐ4カ月になる。これまで、遅刻や欠勤は一日もないという。早朝の通勤も含めて楽ではない仕事だ。
「たいしたことじゃないですよ。これくらいのことだったら、もっと早くやっておけばよかった。逆に後悔の気持ちが止まらなくて、キツイときもあります」
亮介さんは、「ひきこもり経験者」だ。
◆ 30歳を機に「いよいよ何とかしなくては」
亮介さんは、小さいときからおとなしく、「暗い」「何を考えているかわからない」と言われる子だった。ときどき、人の話を理解できないことがあり、自分の気持ちを話すのも苦手。何か少しでも「失敗した」と思うと、頭が真っ白になってしまう。唯一、緊張せず話せる相手は母親だけで、「大丈夫、亮介は普通だよ」という言葉が心の支えだったという。
高校1年のときから不登校ぎみになり、家にひきこもることが多くなった。その後専門学校に入学したが、やはり途中で通えなくなった。だんだんと友人に会うこともなくなり、外に出かけることも少なくなった。何度かアルバイトをしたこともあるが、突然パニックになったり、言われたことがうまくできなかったりして、どれも続かなかったという。
30歳になるのを機に、「いよいよ何とかしなくては」と焦るようになった。ネットで、就労の困難な若者を支援している団体を探し、勇気を出して自ら連絡をした。
亮介さんが頼ったのは、「一般社団法人福岡わかもの就労支援プロジェクト」だ。「コーチ」と呼ばれる支援者との面談や、就労訓練を経て、2か月半後に就職活動を開始。面接では今までひきこもっていたことも正直に話し、「とにかく仕事がしたい」と伝えた。ほどなく、今の職場にアルバイトとして採用になった。
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亮介さんが担当する品出しは、基本的に開店前の仕事なので、接客をすることはほとんどない。コミュニケーションをとるのは職場の人たちだけだ。人との会話に自信のない亮介さんだが、幸い、理解のある優しい上司や同僚に恵まれて、今のところはなんとかやれているという。
「職場は60代くらいの人が多いので、安心感があります。自分から話しかけることはできないけれど、ときどき、『言い方がキツイ人もいるけど、気にしないで』『早く就職が決まるといいね』などと話しかけてくれるのがうれしいです」(亮介さん)
初めて給料をもらった日は、家族にプレゼントを買って帰った。父親には茶わん、母親には箸、姉には本の栞を。ふだんは寡黙な父親が、「もったいなくて使えないね」と言って微笑んでくれた。
◆「今も、生きているのはつらいです」
端からみると順調に社会復帰を果たしているように見える亮介さんだが、本人は決してそうは思っていない。
失敗をして怒られたり、うまく会話ができなかったりと、自分のふがいなさに落ち込むこともしばしばだ。体力には自信があったのに、帰宅後はぐったりして何もできなくなることもある。
「毎日、自分のやるべきことをこなすだけで精いっぱい。周りから『次は正社員』といわれても、自信はないし、新しいことに挑戦したり、やりたいことを考える余裕は全くないです」(亮介さん)
亮介さんが自信を持てない大きな理由のひとつは、「強迫行為」と思われる自身の行動に若いときから悩まされてきたことも大きい。強迫行為とは、無意味で不合理であると自覚しながらも、意志に反して、一定の行為を繰り返してしまうことをいう。亮介さんの場合は、スマホのスクロールなどを延々と続けてしまうことがよくある。ひたすら歩くことがやめられなくなったり、電車で降りる駅に着いてもまた引き返してしまい、乗り続けてしまったりすることもあるという。
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もうひとつの悩みは、子どものころから、授業の内容が頭に入らなかったり、人から何か言われても「流れてしまって」理解できなかったりすることだ。テレビを観ていても、言葉が頭に入らないので楽しめない。
お店で品出ししているときにも、たまに客から突然話しかけられると焦ってしまう。「こういう商品が欲しい」と言われても、あまり内容を理解できないので、すぐに担当者を呼びに走る。
友達はいない。子どものころ仲良くしていた友達にも、「こんな自分と話しても楽しくないだろうと思って」連絡できずにいる。
思い切って心療内科を受診してみたこともある。医師に、「一度ちゃんと検査をしてみては」と勧められたが断った。もし「発達障害」などが検査によって明らかになれば、障害者枠での就職の可能性や公的な支援があることもわかっているが、自分がその事実と向き合うことができるのか、よくわからない。
「今も、生きているのはつらいです」と亮介さんは言う。
実は、社会生活へ踏み出すことができても、亮介さんのように「生きづらさ」を抱えるひきこもり経験者は実は少なくない。
たとえば、今年6月に刊行された「ひきこもり白書2021」(一般社団法人ひきこもりUX会議)で紹介されている調査結果。2019年秋に実施した調査で、6歳~85歳、北海道から沖縄まで全都道府県から1,686名ものひきこもりや生きづらさを抱える人々が回答している。「あなたは生きづらさを感じたことがありますか」という設問に対して、「過去にひきこもりだったことがあり、現在はひきこもりではない人」のうち、「現在生きづらさを感じる」と答えている人は80.7%にのぼっている。
◆ 人が、居場所になる
社会生活を送るうえで、不安や悩みは相変わらずある。けれど、亮介さんは少しずつ確実に前進しているようだ。取材でも、回を重ねるごとに表情が豊かになり、会話がスムーズになってきたのを感じた。
何よりも、亮介さんにはいくつもの「居場所」がある。
亮介さんのたったひとつの趣味は、18歳のときに始めたボクシングだ。週1回汗を流すのは気分転換になるという。途中休んだ時期もあったが、同じジムに通い続けて10年以上。今でもジムのスタッフや生徒たちの会話には入っていけないし、話しかけられてもうまく返すことができない。だから、あいさつ以外に言葉を交わすことはほとんどない。しかし、たとえ会話がなくても、ボクシングジムに行けば一緒に汗を流せる仲間がいることは大きい。
何よりいつも穏やかに見守ってくれる家族がいる。毎日仕事が終わるころには、母から「おつかれさま」のLINEスタンプが届く。家に帰ると、食卓にはおにぎりが置いてある。シャワーを浴びてからおにぎりを食べるのは、ホッとするひとときだ。
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最近飼い始めた猫も、心を癒してくれる存在だ。あるとき道路の真ん中に倒れているのを、父が見つけて病院に連れていったのがきっかけだ。猫は毎朝3時ちょうどに部屋にやってきて、亮介さんを起こしてくれるのだという。
職場の人たちも、毎朝亮介さんを待っている。「一般社団法人福岡わかもの就労支援プロジェクト」での定期的な面談は終了したけれど、「困ったことがあったら、いつでも来なさい」と言ってくれるコーチとはラインでつながっている。
私も亮介さんの居場所のひとつになりたくて、ライン友達になってもらった。亮介さんから初めての返信には、こんな言葉があった。
「朝の自転車通勤中に見上げる夜空の星は、いつもきれいです」
(取材・文/臼井美伸)
臼井美伸(うすい・みのぶ)/1965年長崎県佐世保市出身、鳥栖市在住。出版社にて生活情報誌の編集を経験したのち、独立。実用書の編集や執筆を手掛けるかたわら、ライフワークとして、家族関係や女性の生き方についての取材を続けている。ペンギン企画室代表。http://40s-style-magazine.com『「大人の引きこもり」見えない子どもと暮らす母親たち』(育鵬社)https://www.amazon.co.jp/dp/4594085687/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_fJ-iFbNRFF3CW
dot.
2021/10/21 10:00