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元おニャン子・新田恵利さん 母親の介護を支えた夫の気づき 助言より「黙って聞く」
元おニャン子・新田恵利さん 母親の介護を支えた夫の気づき 助言より「黙って聞く」
結婚25周年の新田恵利さん夫婦=撮影/加藤夏子  親の介護をするとき、夫婦はどんな形が望ましいのか。自身の母親の介護を6年半続けたタレントの新田恵利さん(53)は、介護中の悩みや怒り、つらさ、悲しみなどを乗り越えられたのは、「夫の存在が大きかった」と言います。新田さんの地元、神奈川県の逗子海岸で、新田さんと夫の長山雅之さん(52)が、そろって介護の時の様子について語ってくれました。 ―1年前の新田さんへの取材では、「母が旅立った時、後悔しないように、そう思ってやっている」とおっしゃっていました。終わってみてどうですか? 新田恵利(以下、新田):はい。最後に温泉に連れて行ってあげたかったな、とか重箱の隅をつつくように振り返れば小さな悔いは出てきますが、でも「悔いはありません」。そう言い切れます。17歳の時、父が急死したので、それからずっと母を大切にしよう、母を守ろう、母が亡くなるその瞬間まで大切にしようと、そう生きてきました。 ―夫婦で旅行する時はいつもお母様がご一緒だったのですよね。 新田:母に「来る?」と聞くと、元気なときは100%「うん」でしたからね。母は夫のことが大好きで、夫も母を大好き。日々の生活も旅行も、いつも私たちは一緒でした。夫と付き合っている時から、「私と結婚したらもれなく母とワンコがついてくるよ」と彼には伝えていましたし(笑)、それを理解した上で私を受け入れ、母も私も大切にしてくれました。 長山雅之(以下、長山):(新田さんとお母さんの関係は)もう別物でしたからねー。私の母は実業家で恵利のお母さんとはタイプが違う。早くに離婚して、必死でした。私は家政婦に育てられたような感じです。ですから、いわゆる家庭のお母さんの愛情というのを、義母からいっぱい注いでもらった感じです。まだそばにいるような気がして、不思議な気持ちです。恵利と買い物に行っても「お母さんの分は?」というのがなくなってしまった今、とても寂しいです。 新田:母と夫は食の好みも一緒でした。母は彼をすごく信頼していて、私の話よりも素直に聞くんです。だいぶ前になりますが、彼が入院した時は、私の代わりに「枕をもっていってあげたい」とお見舞いに行って、戻ってから家で泣いていました。かわいそう、かわいそうって。母も不安だったんでしょうね。 ―そんな長山さんは、お母さまの旅立ちまで、恵利さんの介護に寄り添われました。 新田:私たち夫婦と兄、母は同じ一軒家に暮らしていました。1階に母と兄、2階が私たち夫婦です。母のために「顔出して」と言うと、夫はいつだって、「お母さん、どう?」とすぐに下りてくれました。それだけで母のテンションが上がったんです。 ―長山さんは、2年前までテレビ局にお勤めでしたね。 長山:はい。いまは独立してフリーの水中VRカメラマンです。 新田:夫は会社員時代も、仕事がある日でも、母の通院に付き添ってくれて、私が話を聞いて欲しい時は、翌朝が仕事で早い日も、私が「明日でいい、大丈夫」と言っても、「いいよいいよ。今話を聞くよ」と夜遅くまで聞いてくれました。私が大変な時は一番近くで見ているからわかるんでしょうね。何よりも優先してくれました。私も甘えて、何でも話していました。私のストレスのはけ口が夫でした(笑)。 長山:我慢したり苦しんだりする姿を見たくなかったからです。結婚したばかりの頃の恵利はすごく我慢をしていて、夜中の就寝中に「ざっけんじゃねーよ」なんて、昼間のうっぷんが寝言で出てきていたこともありました(笑)。それがその後は、「あなた間違ってる! 聞くだけでいいの。黙って聞いてて」て言うようになりましたからね~。 新田:解決策とか求めていないから、ただ聞いてくれるだけでよかったの。 ―長山さんはあえて何も言わずに聞いていたんですね。 長山:最初のうちは、どうしたらいいんだろうと、解決策ばかりを考えて聞いていましたが、だんだんそれよりも、「ちゃんと聞く」に集中する方がよっぽどいいと気づきました。 新田:そうそう。 長山:今日3回目の「くそばばあ」かな、て思いながら聞いていました(笑)。 新田:「(母を)泣かせてきた!」と言っても、驚きもせず笑顔で聞いてくれたよね。 長山:はい。聞きましたよ。 新田:たとえ私が悪かったとしても私の味方をしてくれるのがありがたくて。おかげで介護に煮詰まらず、やり遂げました。介護は大変です。一人で抱え込んでしまったら続かない。近くに理解者や、愚痴を言える相手をキープして、日々の悩みや苦しみをため込まないことが大切です。適切なアドバイスは、ケアマネジャーさんだったり、介護従事者の方だったりがしてくれます。日々の悩みは夫や家族などに、聞いてもらうのが一番だと思います。 長山:黙って聞く、だよね。 新田:はい。そうです。 長山:人を変えようとすべきではない。過去と人は変えられない。ならば今できることをやろう。そうやって生きるべきだと思っています。 ―長山さんは、恵利さんの介護から学ばれたことはありますか? 長山:恵利のやり切っている感じを見て、自分の方が悔いが残るな、と思いました。自分の母親(87)は、今は赤坂で一人暮らしをしています。義母を見送った体験を生かして、悔いのないようにしたいと思いました。恵利のおかげで、遠かった母親との距離が縮まり、隔週で赤坂に行くようになり、25年続いています。家族の愛を知り、人生の理想的な終わり方や見送り方を知り、大切な人との切ないながらも愛のある別れを体験しました。 新田:夫にも親を大事にしてほしい、と私が提案しました。それだけは強く言いました。これはすべての人に伝えたいのですが、介護でつながる絆があるということ、介護を通して見えるものがたくさんあるということ。これに気づいてほしいと思っています。 ―「おニャン子クラブ」のメンバーたちも介護の問題がふりかかる年頃ですね。 新田:私がぶっちぎりで早くに体験しましたが、みんなそろそろですね。私たち、そんな年になったんですよね。昔は10代だったファンの方も今は介護世代。楽しく「介護トーク」をしていますよ。これからもみんなで明るく楽しく年を重ね、介護を乗り越えていきたいですね。 ―6年半をふり返り、このほど出版された「悔いなし介護」(主婦の友社)には、「新田恵利流」の悔いなし介護の心得が詰まっていますね。  新田:「悔いなし介護」は、母が生きている時にほぼ書き終わっていて、見届けた話を最後に加えてまとめました。在宅でのみとりの魅力とか、見送った後のことは、これから発信していきたいと思っています。オフィシャルブログ「E-AREA」でも介護相談に乗っています。コロナが落ち着いたら少しずつ介護に絡めた講演活動も復活させていく予定です。 (聞き手/本誌・大崎百紀) >>【関連記事/ドレスで旅立った母 新田恵利が在宅介護で6年半、頑張れた理由】はこちら *週刊朝日オンライン限定記事
おニャン子介護新田恵利
週刊朝日 2021/10/17 11:30
社内恋愛が推奨される職場で結ばれた夫婦 社員200人の前で社長が結婚を祝福
社内恋愛が推奨される職場で結ばれた夫婦 社員200人の前で社長が結婚を祝福
 AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2021年10月18日号では、DYMで人材事業部主査代理を務める前畠宏美さん、同じくDYMで人材事業部課長代理を務める島袋太輔さん夫婦について取り上げました。 *  *  * 夫24歳、妻27歳で結婚。長男(2)、長女(1)と4人家族。 【出会いは?】妻が会社の先輩で、夫は2年後輩。部署は違ったが、社内の飲み会で初めて話した。 【結婚までの道のりは?】妻が熱を出したとき、夫が自宅に食料品を届けた。ほどなくして付き合うようになった。 【家事や家計の分担は?】朝はそれぞれが身支度をしながら、子どもの保育園に行く準備をする。夜は夫が遅くまで仕事をすることが多く、家事は基本的に妻が担当している。家計は、妻が管理する。夫はお小遣い制。 妻 前畠宏美[30]DYM 人材事業部主査代理 まえはた・ひろみ◆1991年、千葉県市川市生まれ。東洋大学卒業。2014年にDYMに就職。子ども2人の出産を経て、現在は求職者への就職斡旋を担当している  弊社では社内恋愛が推奨されています。交際宣言をすると、カップル手当が3万円支給される制度があります。ただし申請は1回までですが。私たちは、カップル手当はもらわなかったのですが、結婚するときは、30万円のお祝い金をもらいました。会社が恋愛や結婚をお祝いするのは、珍しいですよね。引っ越し費用に充てました。  長男の妊娠がわかって結婚することになり、社長にも伝えました。そうしたら、なんと数日後にあった社内の表彰式で、社長が発表してくださったんです。3カ月に1度の社内行事です。ステージに呼ばれて、そのとき集まっていた200人くらいの社員から「おめでとう」と言ってもらいました。うれしい気持ちしかなかったですね。安定期に入って、上司にやっと報告ができたばかりでした。みんなに知ってもらえて、すごくすっきりしました。  結婚すると、家庭もあって忙しくなります。そんななかで夫婦の頑張りを認めてくれる制度だなと思います。 夫 島袋太輔[28]DYM 人材事業部課長代理 しまぶくろ・だいすけ◆1993年、沖縄県浦添市生まれ。立教大学卒業。学生時代はバスケットボール漬け。2016年にDYMに入社。人材事業部で事業推進室のマネージャーとして勤務する  新型コロナウイルスが流行する前は、会社の人との飲み会の頻度が高く、平日の仕事後よく行っていました。飲みの場で、「後輩力があるね」とよく言われました。  学生時代、高級な飲み屋でバイトをしていました。そこで厳しく指導されたので、お酒をつぐタイミングとか、店員さんを呼んだり、テーブルを拭いたりとか、そういうことが得意になったんです。  中学、高校、大学とバスケットボールをしていましたから、上下関係はなおさら鍛えられたのかもしれません。僕の周りは強豪選手もいましたし、ゴリゴリでやんちゃな体育会系ばかりです。ですが、妻はいままで会ったことのないタイプだったので、ギャップを感じました。新入社員だった頃、先輩だった妻がすごく優しくしてくれました。結婚式で妻の友達を見たときも、穏やかでなんて心の澄んだ人たちなのだろうと思いました。僕の友達のカラーとは違っていて、学生時代だったら、仲良くなれなかったかもしれません(笑)。 (構成/編集部・井上有紀子)※AERA 2021年10月18日号
はたらく夫婦カンケイ夫婦結婚
AERA 2021/10/15 16:00
カツ丼誕生100周年!? 100年前に早稲田で生まれ、地方にも拡大
菊地武顕 菊地武顕
カツ丼誕生100周年!? 100年前に早稲田で生まれ、地方にも拡大
※写真はイメージです (GettyImages)  目新しい食品がいくらブームになろうと、気が付くと食べたくなる日本人のソウルフード、カツ丼。その誕生は100年前の大正時代に遡る。そこから各地で独自の進化を遂げ、数々の“ローカルカツ丼”文化が花開いた。知られざる個性派カツ丼たちの「秘史」を探る──。 *  *  *  2018年夏、東京・早稲田の老舗そば屋が暖簾を下ろした。その店について朝日新聞は、「早稲田 細る学生街の老舗食堂」と題した記事の冒頭でこう紹介した。 <早稲田大学のすぐそばで学生らに愛されてきた一軒のそば屋が7月、静かに店じまいした。1906年創業の「三朝庵」。カツ丼やカレー南蛮を考案したとされる。5代目の加藤浩志さん(57)は「従業員が高齢化し、バイトも集まらない。後を継ぐ人もおらず、閉店を決めた」(後略)>(18年12月7日付夕刊)  同店がカツ丼の提供を始めたのは今から100年前、大正10(1921)年ごろだという。  筆者は以前、別の媒体で加藤浩志さんにカツ丼誕生秘話を聞いたことがある。誕生100年を祝し、当時の取材メモに基づき改めて紹介する。  カツ丼やカレー南蛮を考案した背景にあったのは洋食ブーム。「三朝庵」はもともと「三河屋」の屋号で江戸時代に創業した。江戸っ子はそばが大好き。その時代は良かった。しかし明治の後半から食の洋風化が進んだ。  危機感を抱いた当時の店主・加藤朝治郎氏は新メニューとして、人気急上昇中のカレーを、そばやうどんにかけることを思いつき、明治37(1904)年にカレー南蛮を出したという。その2年後には屋号も変えた。  三朝庵の近くには近衛騎兵連隊の兵舎があり、連隊はよく夜に宴会を開いていた。料理の中に肉屋が揚げたトンカツを仕入れて出したところ、好評だったという。  しかし宴会では予約した人数が来ないことが多かった。余ったカツをどうすべきか。朝治郎氏は学生の意見も取り入れ、翌日に親子丼の要領で卵でとじて出した。 ヨーロッパ軒総本店(福井)のソースカツ丼  余り肉の有効活用として始まった新メニュー。これこそがカツ丼初めて物語のはずだが……。  実はこれに先立つ大正2(1913)年。ソースにくぐらせたカツをご飯の上にのせたソースカツ丼が世に出ていた。  提供したのは、当時やはり早稲田にあった「ヨーロッパ軒」。ドイツから帰国した初代店主の高畠増太郎氏が、ウスターソースのおいしさを知ってもらうために考案した料理だという。  現在は福井市で営業を続ける同店の3代目・高畠範行さんが説明する。 「祖父の増太郎は18歳のときから、ドイツにあった日本人倶楽部という日本人向けレストランで、和食職人として働きました。どこまで正確な話かわかりませんが、後に総理になる加藤高明が外交官としてイギリスに行くとき、船のコックとして一緒に渡英。外務省の縁でドイツの仕事を紹介してもらったそうです。それから6年。見合いのための一時帰国中、明治天皇が亡くなりました。喪に服せと渡航自粛させられたため日本にとどまり、大正2年に開かれた料理発表会に参加したときに披露したんです」  それが好評を博したので、同年11月にソースカツ丼を看板とする料理店を早稲田に開いた。 「進取の気性に富んだ学生さん相手がいいと思ったようです。でも夏休みの間は商売にならないので、その間だけ葉山に店を出して営業しました。その後、1年を通じて同じ店で商売をしたいと考え、大正6年に横須賀に移転しました」  店は6年後に起きた関東大震災で倒壊。増太郎氏は郷里の福井に帰り、繁華街に出店した。 「開業当初は仔牛のカツレツを使っていました。豚肉を使うようになったのは福井に移ってからです。非常に細かいパン粉を使用することでカツに余分な油を含まず、肉とソースのうまさを堪能できるようにしています」  市内には追随する店が相次いだ。そのため福井県ではカツ丼といえばソースカツ丼なのである。 ◆醤油できるなら味噌でもできる  卵とじではない、独特のローカルカツ丼はほかにもある。新潟市や群馬県の一部では、カツを醤油ベースのタレにくぐらせてご飯にのせる。 とんかつ太郎(新潟)のタレカツ丼 「初代の小松道太郎が考案して、昭和6(1931)年の創業当時から出しています。グルメ漫画の『クッキングパパ』で紹介されたことで、全国的になりました」  と語るのは、新潟のタレカツ丼発祥店「とんかつ太郎」3代目の小松寿雄さんだ。誕生の経緯を聞いてみたが、「いいタレができたからでしょう」とサラリ。タレの秘訣を聞いても「新潟のおいしい水です」とかわされてしまった。  醤油があれば、味噌もあるのは当然か。名古屋ではカツ丼に八丁味噌が使われる。 味処 叶(名古屋)の味噌カツ丼  これは発祥店「味処 叶」の初代・杉本利資さんの地元愛によって生まれた。2代目の杉本徳雄さんが語る。 「父は浅草のそば屋の子で、小さいころから手伝いをして醤油タレ作りを覚えました。終戦とともに祖父と祖父の故郷の名古屋に移り、『醤油でできるなら味噌でもできる』とカツ丼のタレを開発。昭和24(1949)年の開業当初から、醤油と味噌の両方のカツ丼を出しました。最初はお客さんの99%が醤油を頼みましたが、父は常連さんに味噌を食べてほしいとお願いしたそうです。食べたら美味いということで、主流になりました」 カツ丼野村(岡山)のドミグラスソースカツ丼  一方、フレンチとカツ丼のマリアージュを果たしたのは、岡山県。カツの上にドミグラスソースをかけるのだ。「カツ丼野村」3代目店主夫人の野村好子さんが語る。 「初代の野村佐一郎は、東京で帝国ホテルのシェフからドミグラスソースの作り方を教えていただきました。岡山に戻ってそれを白いご飯に合わせたいと考え、試行錯誤の末に完成させたんです。ソースと合うように、ご飯とカツの間のキャベツは茹でています」  昭和6年開業の「野村食堂」のメニューのひとつにすぎなかったが、これが大人気に。 「私の夫のときに、カツ丼専門店にしました。ソースは一子相伝。私もレシピはわかりません。夫は肺がんで2007年に50歳で亡くなりました。がんは47のときにわかったので高校2年生だった息子の大希に伝え、息子は学校から帰ると店を手伝うようになりました。夫が病院から最後に家に帰ってきたとき、息子がカツ丼を作ったんです。夫は弱った体なのに一粒も残さずに食べて『おいしかった』と。息子の味を認めた瞬間でした」  岡山に行った折には、ぜひとも秘伝のドミグラスソースで味わいたい。  このようにローカルカツ丼のほとんどはタレ(ソース)が独創的なわけだが、カツに独自のトッピングをして供する地域がある。沖縄だ。  醤油味のカツの上(カツとご飯の間の店もある)にのるのは、野菜炒め。 ハイウェイドライブイン(沖縄)のカツ丼はカツが見えない  今回の取材では、いつどの店が始めたのかはわからなかった。そこで、野菜の具が多いと評判の沖縄市「ハイウェイドライブイン」2代目の仲宗根朝一さんに聞いてみた。 「うちは父の朝助が、復帰の年(1972年)に開店しました。ご飯の上に本土と同じ甘辛い味付けのカツをのせ、その上にタマネギ、キャベツ、ニンジン、白菜、ピーマン、小松菜、モヤシの野菜炒めを卵でとじたものをのせています。開店当時からこのスタイル。父は『おいしくて健康的な食事を労働者にたくさん食べてもらい、経済発展してほしい』と具だくさんの料理を出していました」  野菜たっぷりカツ丼は、沖縄の発展を支えてきたに違いない。  誕生から今年で100年。カツ丼は日本人の食欲を満たし全国の人を笑顔にしてきた。蛇足だが本誌「週刊朝日」は来年創刊100年を迎える。カツ丼のように末永く、人々の知識欲を満たし続けていきたいものだ。(本誌・菊地武顕)※週刊朝日  2021年10月22日号
グルメ
週刊朝日 2021/10/15 11:30
御朱印ならぬ「御船印」が人気 40社集めると「船長」の称号も
渡辺豪 渡辺豪
御朱印ならぬ「御船印」が人気 40社集めると「船長」の称号も
御船印は船会社の船舶が発着するターミナルや船内売店で頒布される(地球の歩き方編集部提供)  お寺や神社でもらえる「御朱印」に船バージョンが登場した。その名も「御船印」。地球の歩き方編集部が手掛ける公式ガイドブックでは御船印のバリエーションや参加社マップのほか、船の種類や地域別の船旅の楽しみ方などを徹底紹介しているという。AERA 2021年10月18日号では、新たな船旅のスタイルを関係者に取材した。 *  *  *  各地の船会社が船や航路ごとに独自に発行する「御船印」。一般社団法人日本旅客船協会の公認事業として4月にスタートした。船の印を集めるための旅を「御船印めぐり」と名付けたのは、同協会の船旅アンバサダー・小林希さん(38)だ。 「船に乗ることを目的に旅先を決める。そんな旅行をする人たちが出てきてもいいんじゃないかなと思いました」  小林さんは大の旅好き。学生時代は沢木耕太郎の『深夜特急』や藤原新也の『印度(インド)放浪』を読み、海外を漂泊した。旅の魅力を伝える本づくりをしたくて、就職先のサイバーエージェントでは出版事業の立ち上げにも関わった。仕事にやりがいを感じたが、忙しくて自分が旅に出る時間がない。渇望が抑えられなくなった29歳の時。退社した日の夜、愛用の一眼レフを手に世界放浪の旅に出た。 ■船旅の見送りに感動  約1年間でアジアやヨーロッパ、北アフリカを回った。現地の人と仲良くなり、自宅にしばらく住まわせてもらったことも。帰国後、旅の体験をつづった著作を刊行。執筆中も南米大陸を3カ月間めぐった。  放浪中に猫の写真を撮り続けていたという小林さん。国内も旅するようになり、「猫と出会えそうな場所」として浮かんだのが島だった。「海外でも猫がたくさんいる所って人もやさしく、穏やかな印象があったので行きたいなと思いました」  讃岐広島という瀬戸内海の島を訪ねたのが2014年。島の人たちが過疎化や高齢化と向き合っているのを知り「何とかしたい」と考えた。古民家を宿として再生するプロジェクトを有志で立ち上げ、毎月、島に通って交流を深めた。船と密接に関わる島の文化や歴史も学んだ。 蛇腹式の公式船印帳(1980円)も販売している。オリジナルの印帳を発行している船会社も(地球の歩き方編集部提供)  一番感動したのは、フェリーで島に到着するときと帰路に就くとき。島の人たちが港に迎えに来てくれ、帰りは船が見えなくなるまで見送ってくれた。その姿は、世界を放浪していたときの感動に勝るものがあった。  日本旅客船協会と日本政府観光局の事業で、日本の離島を海外に紹介する取材をしたのがきっかけで、19年11月に協会のアンバサダーに就任した。離島をめぐって「御朱印」を集める人、航海や海上安全を祈願する神社が多いことに気づき「御船印」のアイデアを思いついた。「船バージョンの御朱印があればそれが旅の目的になり、乗船者が増えれば航路の存続にも寄与できると考えました」  御船印の参加社は、北海道の利尻・礼文島から沖縄の八重山諸島の船会社まで59社(9月時点)。コロナ禍で船舶業界も一層厳しい状況に置かれている。 ■40社集めると「船長」に  地球の歩き方編集部が手掛ける公式ガイドブック『御船印でめぐる全国の魅力的な船旅』(学研プラス刊・1650円)も8月に発刊された。担当の日隈理絵さん(38)は御船印のバリエーションをアピールする。 「それぞれの土地や船の個性を凝縮したこだわりのデザインが御船印の魅力です。船旅といえば豪華客船みたいなイメージがあると思いますが、生活航路や遊覧船などいろんな種類があることも紹介しています」 公式ガイドブック(1650円)で御船印のバリエーションや参加社マップ、船の種類や地域別の船旅の楽しみ方などを徹底紹介  御船印は、ターミナルのチケット窓口や船内で買える。300円から。20社分をめぐると「一等航海士」、さらに40社分集めると「船長」の称号が得られる。4カ月間で約1万3千枚の御船印を販売した。「船旅をしてみると、知らなかった景色や人に出会える再発見があると思います。最近は船内にプラネタリウムや露天風呂がある客船も。船自体も楽しんで」(小林さん) (編集部・渡辺豪)※AERA 2021年10月18日号
AERA 2021/10/13 16:00
【独自】眞子さまの「儀式行わない」意向も、天皇陛下は「朝見の儀」を望んでいた
【独自】眞子さまの「儀式行わない」意向も、天皇陛下は「朝見の儀」を望んでいた
婚約が内定し、記者会見する眞子さまと小室圭さん=2017年9月3日 (c)朝日新聞社  婚約内定発表から4年、秋篠宮家の長女・眞子さま(29)の結婚が正式に発表された。結婚一時金を受け取らず、関連儀式は行わないとされる。そうした中、天皇陛下は、単に挨拶だけではない理由で儀式を望んでいたという。ジャーナリスト・友納尚子氏が綴る。 *  *  *  小室圭さん(30)との結婚を控えた眞子さまは、宮内庁による正式発表(10月1日)以降、皇族としての最後の務めを粛々となさっていた。  12日には、昭和天皇が眠る武蔵野陵と香淳皇后が眠る武蔵野東陵を参拝。曽祖父母への結婚のご挨拶をされた眞子さまは、今後、上皇、上皇后両陛下、天皇、皇后両陛下、皇族方と順番に私的な挨拶をなさる予定だという。高橋美佐男上皇侍従次長は、8日の会見で眞子さまについて、「上皇后陛下にとって、眞子さまはより近いところにいた。(結婚なさる)幸せを願われないはずがない。健康を害していらっしゃるということは驚かれたと思うし、ご心配されている」と述べた。  眞子さまの結婚騒動で、的確な判断をなさる美智子上皇后(86)が沈黙されているのは、気になるところだったが、上皇侍従次長は、「眞子さまの内心の問題、心の問題であり、自分で考えを深めるためには、周囲からの雑音が無いように見守ることが大事と当初からのお考えなので、一切自分たちは何も言わないし、尋ねることもしないという姿勢を貫いていらっしゃいます」と語る。  上皇、上皇后へのご挨拶の日程は決まっていないというが、眞子さまも初孫として可愛がっていただいてきたお礼をお伝えしたいと願われているといわれる。  同日、眞子さまに、日本人移住110周年にあたる2018年に訪問されたブラジル政府から、日本と両国を繋ぐ深い敬意、友情、親近感の証しとして、「リオ・ブランコ勲章大十字型賞」が贈呈された。同年のブラジル訪問は、眞子さまの公務の中でも、思い出深いものの一つだとされる。11日間に五つの州と14の都市を回り、各地での記念行事に臨席され、2国間の友好親善に貢献された。  眞子さまは、皇族としてこれまで何年にもわたって公務に尽くされてきた。過密なスケジュール、長期滞在の外国訪問、厳しい気候の中での長時間のご臨席などもあった。やがて皇室を離れる女性皇族には、単発的な公務が多くなりがちだといわれるが、その分、集中力が問われることも多かった。  今回、眞子さまは結婚一時金を受け取らないと言われたが、これまで伝えられていなかった貢献ぶりや決して自由とは言えない生活を強いられてきたことを考えれば、受け取られても良かったのではないかと思う。  実際の皇族の仕事というのは決して楽なものではないということを、取材を通じて実感する。  眞子さまは17日、最後の祭祀にご出席。後日、宮中三殿に結婚報告をなさるという。結婚会見の当日は、小室さんとお二人で出席。気になるのは小室さんの髪形の変化ではなく、4年前の婚約内定会見時のように、一連の騒動を吹き飛ばしてしまうお二人の仲睦まじい姿が見られるかどうかだ。そうであって欲しいと、待ち望んでいる国民もいる。 秋篠宮ご夫妻の近影(宮内庁提供)  このところの赤坂御用地内にある秋篠宮邸では、夜遅くまで灯りがついているという。眞子さまが引っ越しの荷物をまとめられたり、小室さんとやり取りをなさったりされているためだ。新居となる米ニューヨーク州のマンションに荷物を送られるのは、26日の婚姻届提出後だが、必要最低限のもの以外は引っ越し先で揃えるので、荷物は意外に少ないといわれる。  秋篠宮家の次女の佳子さま(26)は、荷物が積まれた部屋の外から眞子さまのご様子を、そっとうかがっていることが多くなったそうだ。仲が良い姉妹は、これまで学校のことやおしゃれのこと、友人のことなどたくさんの話をしてこられた。佳子さまにとって眞子さまは、よき理解者であり、頼りになる存在だった。希望を胸に旅立つ眞子さまの姿はうれしくもあるが、少しお寂しい気持ちもあるのではないだろうか。 「長らくお会いできなくなることへの実感が、日を追うごとに迫ってきておられるのではないでしょうか」と秋篠宮家関係者は語った。 9月27日、米国から帰国した小室圭さん(中央) (c)朝日新聞社  眞子さまのご結婚についての正式発表は、慶事とは思えない後味の悪さがあったが、宮内庁関係者は、いまだその話題となると色よい対応をしない。結婚一時金を受け取らず、儀式は行わないという妥協点で、事態を収めようとしているかのようにも見える。  結婚に関する儀式は、「国民からの理解」の有無を問わず行っていただきたかったと思う。眞子さまのご意思や両陛下、秋篠宮皇嗣同妃両殿下のお気持ちがあるのはもちろんだ。しかし、厳粛な儀式に臨まれるお二人の姿を国民が見られれば、一連の騒動を払拭できた可能性もあったかもしれない。  儀式とは、簡単に立ち入ることができない厳かなものであり、喧しい俗世の声を静粛に導く力があるからだ。 「人格否定発言」のあった会見時の皇太子(現天皇、2004年)(代表撮影) (c)朝日新聞社  天皇陛下(61)も当初は「朝見の儀」を望まれていたという。「朝見の儀」とは、眞子さまが天皇、皇后両陛下にこれまでのお礼とお別れの挨拶をされて、陛下からお言葉を頂く儀式で、皇族方もそろって参列される。陛下が執行に心を寄せられたのは、挨拶の重要さだけではなく、正式な儀式を経たほうが、いつか眞子さまが皇室に連なる仕事に携わる時に、戻りやすいのではないかとのご配慮だったとされる。  皇室関連の行事や執務を担う皇族の人数は圧倒的に少ない。天皇の妹で眞子さまが「ねえね」と呼ぶ元皇族の黒田清子さん(52)は、都庁職員の黒田慶樹さん(56)と正式な儀式を経て挙式し、結婚後も伊勢神宮祭主として活動されている。  秋篠宮家の「儀式を行わない」という意思は固かったといわれる。さらに眞子さまが精神疾患だということも、天皇陛下のご意思の方針転換に繋がったようだった。陛下は同様の精神疾患の雅子皇后(57)と歩まれてきただけに、眞子さまに無理はさせたくないとのお気持ちも強かったのかもしれない。(ジャーナリスト・友納尚子) >>【後編/美智子さま、雅子さま、眞子さま…繰り返される皇室女性の悲劇「宮内庁は変わるべきだ」の声】へ続く※週刊朝日  2021年10月22日号
小室圭さん皇室眞子さま
週刊朝日 2021/10/13 08:00
「もう人並みの生活は営めない」コロナ禍で男性も心病む 深夜まで鳴り続ける相談電話
「もう人並みの生活は営めない」コロナ禍で男性も心病む 深夜まで鳴り続ける相談電話
写真はイメージです(Getty Images)  2020年に全国の自殺者が11年ぶりに増加した。コロナの影響により生活が一変し、経済的に厳しくなり、先が見えず、将来への不安が増して、苦しい思いを抱える人は少なくない。認定NPO国際ビフレンダーズ東京自殺防止センターは、電話相談でさまざまな悩みを抱えた人に心を寄せ、その思いを受け止めている。相談員でもある村明子理事にコロナ禍での相談業務について聞いた。 ◆開始時間と同時に一斉に電話が鳴る  トゥルル、トゥルル……。相談開始の午後8時になると、センターの電話が一斉に鳴り出す。これから、午前2時30分までほとんど途切れることなくかかってくる電話の対応が始まる。  相談内容はさまざまだ。もちろん、電話をかけてくる人の性別、年齢も違う。しかし、程度の差こそあれ、「つらい」、「死にたい」という気持ちを皆一様に抱えている。  センターの相談はコロナ禍でどのように変わったのか。コロナ以前は午後8時から翌朝の5時30分までだったが、コロナにより、相談時間を午前2時30分までに短縮せざるを得なくなり、相談件数も例年の約1万1000件から約6000件に減ったという。 「緊急事態宣言が出たこともあり、昨年の3月末から約1カ月、活動を休止しました。コロナ禍だからこそ、休止したくなかったのですが、相談員たちの健康や生活を考えると、やむを得ませんでした。休止期間中に相談室が密にならないようにするなど再開後の態勢を整え、5月から週に1回活動を再開し、7月からは通常の活動に戻っています」  相談内容や電話をかけてくる人の事情も変化した。特に昨年は孤独感や生きていたくないという厭世的な内容、人生についての相談が多かった。また、コロナ以前は電話をかけてくるのは何らかの精神的サポートを必要とする人が圧倒的に多く、全体の7~8割ほどだったのが、コロナ禍の現在はそうではない人からの電話も目立ってきている。また、コロナ以降は性別の内訳にも変化がみられるという。 写真はイメージです(Getty Images) 「以前は7対3ぐらいで女性の電話が多かったのですが、一昨年ぐらいから男性の相談が増えてきました。コロナをきっかけに失業や仕事が上手くいかないなど経済的な相談も多いです。また自殺せずとも『死にたい』という気持ちを抱えている人はこの何倍もいると思います」  警視庁と厚生労働省のデータによると、2020年の全国の自殺者数は2万1081人(前年比4・5%増)。うち男性の自殺者は1万4055人。2021年の8月末までは1万4207人でうち男性は9510人で、いずれも女性の約2倍だ。 ◆高校生や大学生は将来の遠望を描けず…  長引くコロナ禍で時間の経過とともに、変化したこともある。実は昨年春の感染拡大直後はコロナについての相談は少なかった。それが、コロナが生活に入り込むともにコロナと直接関係のある悩みの相談が増えてきたという。  たとえば、職場や家庭で自分が感染を広めてしまい、「自分は死ななければならないんじゃないか」と思い詰めた人からの相談だ。また実際に会社を辞めざるを得なくなった人からの相談も増加している。  一方、コロナに感染し、本当に治ったのかどうか疑心暗鬼になり、「ほかの人に感染させたらどうしよう」と考えすぎて会社に行けなくなったという人や必要以上に感染を恐れ、生活行動の幅が極端に狭くなり、息苦しく、「何のために生きていいるのかわからない」と訴える人も徐々に出てきている。  年齢も以前は30代以上が多かったが、昨年の夏頃から高校生や大学生など若い人からの相談が増えたという。 「学校に行けない、家族全員が常にイライラしている状態で息抜きができず、家庭に居場所がないとう人も増えたような気がします」  大学生は就活の悩み相談が目立ってきた。さらに内容も以前とは変化。 写真はイメージです(Getty Images) 「今までなら、『就活に失敗してどうしたらいいのかわからない』というものが多かったのですが、今は『将来像が見えず、精神的に不安定になって就活に臨めない』など就活前から大きな不安を訴える人が増えてきました」 ◆長引くコロナ禍で経済的な悩みが発展  ほかにも夫からのモラハラや、離婚して頼る人が誰もいなくて死にたいなど孤立感を抱える深刻な相談や失業中の人からの相談も増加した。 「コロナで職を失い、再就職もうまくいかず、経済的にひっ迫し、生活が立ちゆかず、苦しいという相談もかなりあります」  それまでは、なんとかもちこたえていたが、コロナの終息が見えないなか、いよいよそれが困難になり、死にたい気持ちが増幅されているのではないかともいう。 「一時的に生活保護に頼ってみるのも方法のひとつだと思いますが、一度そういう制度に頼ると、『自分がもう人並の生活が営めなくなってどんどん堕ちていってしまうのではないか』、『社会から必要とされていなのではないか』と思うと頼れないという人が多いのです」 ◆今まで「死」を考えたことがない人でも  コロナが流行する前には死を考えたことがなかったが、コロナによって死を考えるようなったというケースも多い。コロナ禍の昨年と今年はメンタルの不調を訴える人が例年以上に多くなり、新たに精神科を受診する人が増えたといわれている。 「特に今年に入ってから、眠れない、食べられないなど体にはっきりと不調が出てきて精神科に通院したという人や通院したいけど、診療まで2カ月ぐらい待たされ、つらいという相談がずいぶん増えました」  心身ともに健康な人でも現在のように人を会うことや移動が制限されているのはしんどいこと。ましてや心身に不調をきたしている人にとっては、こうした状況は圧迫感があり、生きにくいと想像がつく。 ◆「電話すればいいんだ」心のよりどころでありたい  コロナが終息しても、「つらい」「死にたい」気持ちを抱えている人がゼロになるわけではないだろう。むしろ増加するかもしれない。そんなときこそ、自分の心のうちを話せる場所が必要だ。  センターの相談時間は制限があるわけではなく、長いと1時間以上になるケースもあるというが、平均は30分ぐらいだそう。 「悩んでいる人は24時間そのことを考えているわけで、20~30分話したくらいで解決するわけがありません。以前、きょうだいの中で自分だけが母親から、虐待まがいの仕打ちを受けていて、今でもそれがトラウマになって死にたいという相談を受けたことがありました。話の中で私が疑問に思ったことを聞いてみたら、『そんなこと今まで考えたこともなかった。驚いた』という返答だったんです。相談員の何気ない一言でいつも同じ方向に向いているベクトルや視点が変わり、気持ちが少し整理できるのだと思います。そして考え方に少し幅が出て、ラクになる、それが話すことの意味なのかもしれません」  耳を傾け、じっくりと話を聴く相談員は一定の研修を積んだ20~80歳のボランティアだ。団体名の「ビフレンダー」は自殺を考えている人、苦しみの状態にある人の友だち(friend)になる(be)になるというのが由来だ。 「電話をかけてくる人の問題を解決することはできませんが、それでも、『死にたくなったら、あそこに電話すればいいんだ』そんな心のよりどころであり続けたいと思っています。そして自殺を思いとどまってくれる人が一人でもいればいいなと思いながら活動しています。もちろん、このような相談場所が必要のない世の中が理想ですけどね」 (スローマリッジ取材班 須藤桃子) ■東京自殺防止センター電話番号 03-5286-9090相談時間 午後8時~深夜2時30分まで(月曜日は午後10時30分~、火曜日は午後5時~) 年中無休※岩手、あいち、大阪、宮崎、熊野にもある(ただし、熊野は現在活動休止)相談時間・曜日は東京自殺防止センターのホームページ参照https://www.befrienders-jpn.org/
新型コロナウイルス生活苦自殺予防電話相談
dot. 2021/10/12 10:00
美ボディ披露の倉科カナ 女性から「キレイ」と絶賛でファン急増中!?
丸山ひろし 丸山ひろし
美ボディ披露の倉科カナ 女性から「キレイ」と絶賛でファン急増中!?
倉科カナ(C)朝日新聞社  10月19日から放送が開始される清野菜名主演のドラマ「婚姻届に判を捺しただけですが」(TBS 系)にメインキャストとして出演する女優の倉科カナ(33)。10月15日からは、科捜研の美女を演じるドラマ「らせんの迷宮~DNA科学捜査~」(テレビ東京系)もスタート。また、刑事役としてレギュラー出演しているドラマ「刑事7人 シーズン7」(テレビ朝日系)も9月まで放送されており、このところドラマでの活躍が目立っている。  一方、9月22日に発売された雑誌「anan」(マガジンハウス)の「美乳特集」で、表紙と巻頭グラビアを飾ったことでも話題に。デニムのボトムとニットグローブだけという姿で胸元を披露し、SNS上でも「この人、わりと最強だよね」「旦那が好きだから、これ見たらさらに好きになりそう」と、反響を呼んだ。かわいらしい顔立ちと抜群のプロポーションの持ち主で、男性ウケ抜群な女優という印象もあるが、「そんなイメージとは裏腹に肝が据わったところもある」と言うのはテレビ情報誌の編集者だ。 「泣いていた子どもを見かけ、虐待を疑った倉科が『家の中を見せて下さい』と家に上がり込んだと、以前テレビ番組で明かしたことがあります。子どもは深夜にマンションの前で泣いていて、そこに母親らしき女性が現れるも、子どもは女性に懐いていない様子だったとか。その女性は『親戚の子どもなんですよ』と説明するも、倉科は不審に思って家を訪問したというもの。結果、何の問題はなかったそうですが、トラブルに巻き込まれるかもしれないのに行動力がすごいですよね。また、他の番組では1人焼き肉や1人カラオケなど、1人で行動することも多いと話してました。1人でハワイを旅行したこともあるそうです」  泣いていた子どもへの虐待を疑う正義感があり、1人でハワイも旅行する倉科。精神的な強さがうかがえるが、若い頃は苦労したこともあったようだ。「誰だって波瀾爆笑」(日本テレビ系、2020年2月9日放送)では、17歳の頃はアルバイトを3つも掛け持ちしていたと公表。両親の離婚がきっかけで家計が苦しくなり、「家計の助けになればいいな」と牛丼店、懐石料理店、ファミリーレストランでアルバイトを始めたという。また、倉科は5人きょうだいの長女で、「下の子たちを高校には行かせたい」という気持ちもあったそうだ。 「仕事に対する姿勢もしっかりしています。6月公開の映画『女たち』で共演した主演の篠原ゆき子から飲みに誘われたそうなんですが、映画では倉科は篠原に心を閉ざす役で、『篠原さんすごくいい人だから、ご飯とか行ったら仲良くなっちゃいそう』と思い、丁寧にお断りしたとラジオで話してました。また6月、WEBマガジンのインタビューで『主演でなければ』というタイプではなく、面白い作品だったら1シーンだけの出演でも喜んで受けると話していました。その一方、そればかりを求めるのは逃げなんじゃないかと思うようにもなり、真ん中も張っていけるようにならないといけないと意気込んでいました」(前出の編集者) ■年齢にキャラが追いついてきた  倉科といえば、一昔前まで男性人気が先行しており、「あざとい女優」というレッテルが貼られていた時期もある。最近はどうなのか。女性週刊誌の芸能担当記者は言う。 「2~3年前までは、女性のアンチも多かったように思います。とくに2018年に俳優の竹野内豊との破局が報じられた頃がピークでした。当時、バラエティー番組などでも活躍していましたが『計算高い』『チャラチャラしすぎ』という声がありました。今、30代半ばにさしかかり、彼女のキャラクターに年齢が追いついてきたのでしょう。あまりそういう声も聞かなくなりました。『anan』の“腕ブラ”も女性たちから『自然体な感じがしてキレイ』と好評です。倉科の場合、肝が据わったかっこいい一面も徐々に知られてきているので、より女性からの支持が高まっているのかもかもしれません」  ドラマウオッチャーの中村裕一氏は彼女の魅力と今後をこう語る。 「昨年放送されたドラマ『ルパンの娘』では、視聴者に正体を明かさないまま塚本高史とともに声だけの出演を続け、第8話になって2人そろってサプライズ出演しネットを大いに沸かせました。シリーズものとして根強い人気を誇る『刑事7人』にはシーズン1からレギュラー出演し、東山紀之や吉田鋼太郎といったクセのあるメンバーの中でも存在感を発揮しています。紅一点的なポジションの役どころが似合うイメージですが、たとえば2時間サスペンスやミステリードラマの主人公などを演じたら、かなり映えるのではないでしょうか。役に対しても真摯な姿勢がうかがえますし、本人は海外進出についても口にしているので、ワールドワイドな活躍も視野に入れつつ、息の長い活躍を続けて欲しいですね」  女性からも憧れられる存在となれば、30代でのブレークもありそうだ。(丸山ひろし)
anan倉科カナ
dot. 2021/10/10 11:30
アップル製品に「芸術的な美しさ」を求めたジョブズ 日本の経営者にも求められるアートへの「理解」
アップル製品に「芸術的な美しさ」を求めたジョブズ 日本の経営者にも求められるアートへの「理解」
2010年、iPhone4発売時のスティーブ・ジョブズ。膨大な議論を経て形にするだけに製品への思い入れは人一倍深いのを感じさせた(写真/林信行)  米アップル社を創業したスティーブ・ジョブズが2011年10月5日に亡くなって10年が経った。映像制作において海藻の不自然な動きを指摘したり、製品開発中はたとえ夜中でも電話をかけたりしたというジョブズ。彼が求める製品はいかにして生まれたのか。そのヒントは「アート」にあるようだ。前編「スティーブ・ジョブズ没後10年」に続き、ここではAERA 2021年10月11日号の特集記事から後編をお届けする。 *  *  *  ディテールにまでこだわるほど製品に愛情を注ぐジョブズだけに、彼がCEO時代のアップルで製品開発を担当することは地獄のような試練だったという。会社に何日も泊まるのは当たり前で、今の日本の基準ではブラック企業認定、間違いなしだ。しかし、それだからこそ得ることができた高い品質や大きな脚光に喜びを感じる社員も多かった。  仕事への真剣さも違いを生み出す大事な要素だが、そもそも何を目指すかのまなざしの時点でジョブズは他の多くの経営者と異なっている。彼はテクノロジー製品をヒットさせて富を得ようと奮闘したわけではなく、自分の発明品で人類が一段上の高みにあがることを期待した。 米カリフォルニア州クパティーノ「Apple Park」のスティーブ・ジョブズ・シアター」(gettyimages)  アップルの転換点ともなったThink different.という有名な広告。枠におさまらず大きな目標にチャレンジをしては世界を鼓舞してきたクレイジーな人たちのために、アップルは道具をつくる、というCMだ。そのコピーの大半は広告会社の人間が考えたが、ジョブズ自身が書いた文が一節だけある。「彼ら(クレイジーな天才たち)は人類を前進させた」というものだ。  ヒッピーだった形跡も感じる全地球視点の一節こそが、アップルの製品に無視できない違いを生み出している。 ■妥協のない「美しさ」  スティーブ・ジョブズは製品をどのようにつくるのか。  ジョブズの有名な言葉に、「ソクラテスと一緒に午後を過ごせるなら、私が持っているテクノロジーのすべてをそれと引き換えにしてもいい」というものがある。ソクラテスといえば「単に生きるのではなく、よく生きる」ことを説いた人物の一人。「吟味と対話によって一枚ずつ皮を剥ぐように明らかにしていくことのできる動的実体」も説いている。優れた解決方法は、究極にシンプルでエレガントな答えに辿り着くまで、たまねぎの皮を剥ぐようにして議論を重ねることが大事としたジョブズの考えと重なる部分が多いが、彼はこうした真剣な生き方や議論こそが人類を前進させると考えていたのではないか。  いや、議論だけではない、彼は技を磨くことも重要だと考えていた。アップルの開発者たちには世の中に作品を送り出すアーティストたちのような心持ちで、自らの技を磨きながら、妥協することなく美しさを追求することを求めた。 スティーブ・ジョブズ(写真/小平尚典)  そのためのインスピレーションは惜しみなく与えた。初代Mac開発チームには、ベーゼンドルファー社製のピアノ、他にもコレクションしていた日本の新版画や学生時代に学んだ美しきタイポグラフィーの世界観を惜しみなく語り与えており、どちらも開発に生かされている。特にタイポグラフィーの知見は、後にDTP(電子出版)という市場を生み、世界の出版業界を一変させるきっかけをつくった。  一度は追い出されたジョブズ。こうした姿勢は1996年の同社復帰後も変わらず、製品開発のチームにピカソの「雄牛」という作品の習作を見せ、シンプル化の手本とさせていた。  多くのテクノロジー企業が、自らのテクノロジーで、これまでにない新しい世界を生み出そうとしている。だが、ジョブズは人類がこれまでに築いてきた伝統や文化を否定するのではなく、むしろ、その礎の上に新しい高みを積み上げることを目指していたように思う。 スティーブ・ジョブズ(写真/小平尚典)  そんな彼だからこそ、歴史や哲学、アートに対しての理解も深いし、だからこそ、人を自立させ自由にするリベラルアーツとテクノロジーを融合しようとするアップル独自の企業姿勢を生み出せた。  クックCEOは、そうしたジョブズの姿勢や価値観を間近で見てきた一人として敬意を払い守っているとは思う。ただ、本人が持つ文化的素養や奥深さでは、やはりジョブズと比べると影がさすことが多い。 ■跋扈する表層的な思考  他社の経営者となると、なおさらだ。特に日本の経営者にはこうした文化芸術の価値を知る機会が学生の時分から少ない上に、一度本格的に仕事を始めてしまうと完全に切り離されてしまう人も多い。  最近になってようやく、成功した経営者の間では現代アートを買うことが流行り始めてはいるが、それはややファッションや、名声獲得、投機的な理由であることが多く、そこから得たインスピレーションを自らの血肉にできている人は少ない(一方で日本や中国の戦国史に興味を持つ経営者は多いので、もしかしたらそこを入り口にして茶道から世界を広げるのは良い方法かもしれない)。 スティーブ・ジョブズ(写真/小平尚典)  ジョブズが逝去してからの10年、世の中ではソーシャルメディアの勢いが増し、人々の対話はどんどんインスタントかつ表層的になった。あまりにも多い浅薄な情報に埋もれて、物事の裏にある深い考えや歴史的背景が見つけにくくなってしまった。ジョブズはちゃんとした報道組織やその論説が重要と説いた上で、「我々がブログの民に堕ちていくのを見たくない」と語っていたが、残念ながら昨今の言論空間はまさにその方向に堕ちていっている。  悪いのはソーシャルメディアだけではない。商業的になりすぎたビジネス書の世界でも、これを真似すれば簡単にジョブズになれる、と表層だけをすくって紹介するものが溢れている。  だが、もし本当にジョブズのように人類規模に影響を与える偉業を成し遂げたいなら、まずは経営者である前に一人の人間として多くの経験を積み、自問自答を重ね自分を深める時間が必要だ。  そういう意味では、今、我々が迎えているコロナ禍という状況は、これまでの時間の流れを断ち切って、これを深める特別な時間にもなりえる。もしかしたら今、このコロナ禍が、人類史の次の偉人を生み出す土壌を醸成しているのかもしれない。ジョブズの記憶が褪せる前に、そんな次代の偉人が登場することを期待したい。(ITジャーナリスト・林信行) ※AERA 2021年10月11日号より抜粋 
AERA 2021/10/09 11:02
60億円赤字でも「まいったねぇ」と怒らず DMM亀山会長「やせ我慢」する理由
福井しほ 福井しほ
60億円赤字でも「まいったねぇ」と怒らず DMM亀山会長「やせ我慢」する理由
合同会社DMM.comの亀山敬司会長。素顔は非公表。「亀っち」の愛称でも親しまれている(同社提供)  領域を問わず幅広い事業を展開するDMM。成功の裏には失敗を恐れない企業文化があった。AERA 2021年10月11日号は、同社の亀山敬司会長に取材した。 *  *  * 「辞表を書くしかない……」  合同会社DMM.comの電子書籍事業部の細山田智部長は、深夜に一人で頭を抱えた。  今年3月、電子書籍サービス「DMMブックス」で初回購入者が100冊まで70%オフで書籍を購入できる大型キャンペーンを実施したときのこと。これが大きな失敗につながった。  当初はそれほど話題にもならなかったが、あるユーザーのツイートをきっかけに話題が拡散。上限ギリギリまで購入する会員が続出した。気づけば予算を上回るほどの大反響。たくさんの会員を得られた一方で、60億円の赤字が残った。  想定外の事態に、青ざめた顔で報告にきた細山田さんを前に、同社の亀山敬司会長(60)がやんわりとした口調で言った。 「まいったねぇ」  亀山会長といえば、若くして起業家人生をスタートし、その名を上げたことで知る人もいるだろう。同社では会長として、動画配信、オンラインゲーム、オンライン英会話、3Dプリンターなど多岐にわたる事業を展開してきた。  それだけに失敗はつきものだ。 「ミスを責めるとみんな怖がって行動しなくなる。仕事をやっていれば、成功も失敗もあるよ。失敗しちゃったものは戻らないから、反省しているやつを怒ってもしょうがない。正直60億円の損害は痛いけど、日頃『失敗を恐れるな』と言っている手前、やせ我慢するしかないよね」(亀山会長) ■報告できる空気を作る  登録した会員をがっかりさせないために今後も必要ならキャンペーンをするよう、細山田さんに伝えた。一時は辞めるしかないと腹をくくった細山田さんだが、目下、奮闘中だ。  DMMにも、失敗を肯定する文化が根付いている。  肯定の理由は、二つある。一つは、失敗をごまかさずに報告できる空気を作るため。亀山会長は言う。 「人って良いことは報告にくるけど、悪いことは言いにくいもの。前向きな失敗を感情にまかせて怒ったら、みんな隠すようになってしまう。でもそれは会社が腐ってしまうからダメ」  もう一つは、社員に臆せず挑戦してもらうため。 「最近、入社した新卒や中途採用は、空気を読みながら失敗しない教育を受けている人が多い。言われたことに従順に応えるだけじゃなく、違うと思うことは言って、失敗を恐れず自分で問題を作れるようになってほしい」 オフィス設計はフロアごとに社員が手掛けた。投資先の一つ「チームラボ」とコラボした空間では、デジタルアートの動物たちが壁を駆け回る(同社提供)  同社が手掛けた新規事業は数え切れないほどある。すぐに結果が出たものもあれば、アニメ制作や太陽光発電のように時間をかけなければ結果が出ないものもある。オンライン英会話や3Dプリンター事業などは5年ほど赤字が続いたという。 「市場規模が広がると思ったものは赤字でも長い目で見るけど、根本のビジネスモデルが違うと思えばすぐ撤退する。半年も経たずにやめたものは毎年10個以上はあるよ」(同) ■モチベーション「維持」  サービスがつまずけば、新規事業に参加した社員らのモチベーションは下がらないのだろうか。亀山会長は、それを否定しない。 「ゼロから事業をはじめて、失敗してサービスを閉じるのはスタートアップとしては普通のこと。むしろ、会社は潰れるものなんだということを疑似体験できると考えてほしい。少しくらいは落ち込んだほうがいいけど、失敗しても減給はされないし失業もしない。つぎの事業で活躍すればいいだけ。チャンスはあるけどリスクはないんだから、やらない手はないよね」(同)  昨年オープンしたDMMかりゆし水族館は、コロナの煽りを受けて赤字経営が続くが、DMMはその後も、救急車製造事業やオンライン展示会など新規事業の手を緩めない。 「結局のところ、多くの失敗の中からしか成功は生まれない。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるかな。最悪10個に1個当たればいい。9個が1年間赤字で撤退しても、1個が10年間以上稼いでくれればプラスだからね。今、会社の多くが、稼いだお金をため込んだまま緩やかに衰退しているけど、リスクを取らないのもリスクだよ。チャレンジしたい人材が失敗を恐れずに新しいことができる会社。そのほうが不確定で変化の激しい現代を生き残りやすいと思うし、なにより楽しいよ」 (編集部・福井しほ) ※AERA 2021年10月11日号より抜粋
企業
AERA 2021/10/08 08:00
瀬戸内寂聴の「流行りの病気に感染した」は嘘だった 秘書が明かす
瀬戸内寂聴の「流行りの病気に感染した」は嘘だった 秘書が明かす
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。単行本「往復書簡 老親友のナイショ文」(朝日新聞出版、税込み1760円)が発売中。  半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供) ◆横尾忠則「絵を描くことは地獄を見ることなんです」  セトウチさん  東京都現代美術館での「GENKYO 横尾忠則」展の開催後、初めて一般客に混じって見ました。入口入るなりいきなり150号の作品が20点ばかり並んでいる。画家に転向した45歳の処女作だ。リハーサルなしのいきなり本番の絵画作品です。僕はせっかちな性格なので、じっくりリハーサルをして本番に臨むなんてまどろっこしいことをするのが大嫌いです。画家転向以前はグラフィックデザイナーだったので、野球に例えればソフトボールのピッチャーが、いきなりプロ野球のマウンドに立つようなものです。  そんな画家の処女作を今回見られた世田谷美術館の酒井忠康館長は、「初期作品がちっとも古く感じない」とおっしゃった。成長がないということかなとも思ったが、久々に僕も現物を見て、近作とそう変わらないなあ、とも思った。この前も書いたように人間って変化はするけれど進歩しないもんだとも思った。展示された600点の作品をこの展覧会のキュレーターの南雄介さんと、質問を受けたり、説明しながら2時間半かけて廻った。この2時間はアッという間で、演劇や映画でもこんなに長い時間と対峙できないが、絵は与えられた時間ではなく、自分で作っていく時間だから、肉体の消耗にもかかわらず、そんなに長くかからない。観客の中でも4時間かかったという人もいるくらいで、絵は見る人の時間を止める何かがありそうだ。  僕の2時間半は駆け足だったと思う。自作と対峙しながら、当時のことを回想するのだが、作品が語りかける内容は一点一点がダンテの「神曲」の煉獄体験のように思えた。そうか、絵を描くことは地獄を見ることなんだ。絵を描くことが愉しいという人にとっては天国かも知れないが、僕にとっては業火で肌を焼くようなものであった。そして、創造とは「神曲」の往復運動でもあることを今になって追体験しているのである。描く時と、時間を経て再び見るという反復行為によって作品は自分の中で完結するのかも知れない。  2時間半後に、重い身体をドサッと椅子に沈めて、肉体と精神の脱水症状を妙な快感を伴いながら、過去、現在、未来の時間をシェークして、疲れた魂を地球の成層圏外へ飛ばしながら、しばらくボンヤリと、戦士の休息を気取った。大渋滞の帰りの車窓から見る人のシルエットは、明日描くだろうという絵の人物画のモデルのようにゆらゆらと泳いでいるように見えた。  絵を描くという目的のない行為は、それ自体が目的である。何かの大義名分のために描くわけではない。絵のために描くだけのことである。未完で生まれてきて、未完のまま生きて、未完の作品のために未完を続け、そして未完のまま死んでいく。それでいい。いつの日か魂が浄化されて、不退の土に赴くならば、その時、未完は完成する。そんな妄想をこのところ毎夜、ベッドの中にもぐると、エッシャーの絵のように、または遺伝子の二重螺旋(らせん)のようにねじれて上昇していくビジョンに不思議な永遠性を感じながら仮の死に旅立つのです。  先週のセトウチさんのお話に対して、もう少し補足した話を近々書いてみます。僕の養子という境遇についてのお話です。書きにくい話でもありますが。 ◆瀬戸内寂聴「寂庵はコロナ禍でも緩やかで穏やかな日々です」  横尾先生、ご無沙汰しております。瀬戸内の秘書の瀬尾まなほです。  東京都現代美術館で開催中の展覧会の取材やテレビの出演など、お忙しくお過ごしかと存じます。瀬戸内も、「行くのが最後になるだろうから、今回は東京へ見に行きたい」と何度も言うのですが、横尾先生が御止めになったように、コロナ感染の不安もある中、なかなか実現できそうにありません。  夏に寂庵のスタッフがコロナに感染し、大変なことになりましたが、なぜか瀬戸内はここで、「流行りの病気に感染した」とコロナに感染したかのようなことを書き、ネットで騒ぎになりました。知り合いからも電話がきました。瀬戸内のPCR検査結果は陰性でした。 「先生が、嘘を書くので大変だったんですよ!」と私が言うと、「え? そんなこと書いた?」と瀬戸内。でました、都合の悪いことは覚えていないふり……。勝手に事実をエイッと変えてしまう。  嘘を書くのが小説家だと常々私に言いますが、エッセイもそうなのでしょうか。  私たちは書かれても「違いますよ!」と反論する場がないので、あきらめるしかありません。でも実際は、話を盛って書かれていたり、事実と違っていても、読むと面白いので、流石だなぁと感心してしまうのです。「面白ければいいのよ」という瀬戸内の言葉通りかもしれません。  私が今回書いている理由は、瀬戸内が風邪をひいてしまい、寝込んでいるからです。季節の変わり目なので体調も崩しやすいのでしょう。  こちら、コロナ禍で静寂が続く寂庵は、緩やかで穏やかな日々です。  週に2度のリハビリは続けています。廊下を歩いたり、外を散歩したり、「歩く」ということは基本的に、「イヤ」と言って拒否。それなので、寝ながら出来る脚の運動をしてもらっています。目と鼻の先のお堂もコロナになってからは行っていません。  食欲は本人もよく言うようにございます。お酒も毎晩呑みます。  最近私が通勤途中にあるパン屋さんで、焼きたてパンを買ってきて朝食に出します。 「おいしい」と言いながら食べ、食べ終わったら、「私パン好きじゃないのよね」と、ごちそうさまの代わりに言います。いつもパンは嫌いと言いながら全部食べるのです。不思議!  執筆の仕事がないときは、横になって寝ていたり、本を読んでいたり。週刊誌が軽くて寝ながら読むにはもってこいのようです。なので、よくそのまま眠ってしまい、顔の上に雑誌がおおいかぶさっています。  瀬戸内と私の会話は専らもうすぐ2歳になる息子のことです。瀬戸内がこんなに母性が溢れる人だということは知りませんでした。どんなときでも「チビは元気?」と気にしてくれます。二人を見ていると私はとても幸せな気持ちになりつつ、「いつまでこの子を見られるかなぁ」という瀬戸内の一言に切なくなったりします。  100歳前の瀬戸内には風邪も油断なりません。医師に診てもらいながらゆっくり休んでもらいます。  横尾先生もくれぐれもお体ご自愛ください。まなほより※週刊朝日  2021年10月15日号
週刊朝日 2021/10/07 11:30
体がつらいのは“朝バテ”が原因かも!?「睡眠の質(※1)の向上」と「起床時の疲労感の軽減」の両方からアプローチできるサプリメントが登場!
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 よく寝たはずなのに、「朝から疲労感を覚えている……」と思ったことはないだろうか。そんな“朝バテ”している人のために、ファンケルが、「睡眠の質の向上」と「起床時の疲労感の軽減」両方にアプローチするサプリメント「睡眠&疲労感ケア」を新発売。商品についてモニター満足度や声なども含めて紹介しよう。 ※1 長く眠った感覚 ■ビジネスパーソンから主婦まで、さまざまな疲労感を抱える現代人  仕事や家事などで日々忙しい現代人。24時間つながるネット環境、在宅ワークといった労働環境の変化、仕事と介護の両立、育児と家事の両立など、あらゆるストレスと疲労感を抱えて一日を終える人は多い。仕事や家事などから解放された夜、睡眠は心身ともに疲れた体を癒やす大切な疲労回復法だ。  そんな中、翌日に目が覚めたときから「疲労感が取れていない」「体がだるい・重い」といったことを訴える人は少なくない。朝起きた瞬間から疲労感を覚える“朝バテ”をしている人が多いというのだ。 ■朝起きたときに疲労感が取れないのはなぜ?  本来、疲労感は十分な睡眠がとれていれば回復する。しかし、日々のストレスなどが原因で、睡眠の質に影響を及ぼすことがある。睡眠の質が、疲労感の軽減には大きく関与している。そのため、睡眠時間だけでなく、睡眠の質が低いと朝バテを引き起こす要因となり、朝からスッキリした気分で一日のスタートを迎えることができないのだ。 ■約8割が日常生活で疲労感を実感。起床時に感じる人は半数以上  ファンケルは、全国の20~50代の有識者男女1000人を対象に、朝の疲労感と睡眠の質に関する意識調査(※2)を実施した。その結果、77.6%が「日常生活で疲労感がある」と回答した。疲労感があるタイミングでは、57.6%が「朝起きた瞬間」と答え、起床時から疲労感を感じている「朝バテ」の人が半数以上いることが判明した。  また「朝の疲労感を感じる頻度」については、56.8%が「ほぼ毎日」朝から疲労感を覚えているという実態が浮き彫りになっている。注目すべきは「睡眠の質」に関する質問だ。日常生活で疲労感を感じている人に「睡眠の質の満足度」を聞いたところ、朝バテしている人の81.7%は睡眠の質に満足していなかったのに対し、朝バテしていない人は、63.2%だった。朝バテしている人は、朝バテしていない人と比べて睡眠の質に対する満足度が低いのだ。  このような調査からも、睡眠の質と起床時の疲労感は、大きく関係していることが分かる。朝バテ対策には、睡眠の質の向上と、起床時の疲労感の軽減の両方からアプローチすることが大切だ。市場には、睡眠ケア商品や疲労感ケア商品がたくさんあるため、それぞれで対策をした人はいるかもしれない。両方の対策がひとつの商品でできたら、手軽で朝バテに悩む人には朗報だろう。 ■朝バテを意識しながらも、対処法が分からない人に  そこで、ファンケルが開発したサプリメントが「睡眠&疲労感ケア」だ。起床時から自分本来のパフォーマンスで一日を過ごすためには、睡眠対策と疲労感対策の両方からのアプローチが効果的という視点から生まれた画期的商品。「睡眠の質の向上」と「起床時の疲労感の軽減」の両方から、より良い目覚めと疲労感の軽減につなげる。朝バテを意識しながらも、自分に合った対処法に出合えていない人に対する新しい選択肢となるだろう。 「睡眠&疲労感ケア」は、睡眠の質を高める「L‐オルニチン一塩酸塩(イチエンサンエン)」と、起床時の疲労感を軽減させる「クロセチン」が配合されていることが大きな特徴だ。 ■L-オルニチン一塩酸塩とクロセチンのW配合で気持ちの良い朝を 「L-オルニチン一塩酸塩」は、睡眠の質に影響を与えるストレスホルモンの分泌を抑えると考えられており、このことから睡眠の質が向上する。  また、起床時の疲労感の軽減には、深く眠ることが重要。睡眠中に目が覚めるのは、脳内の神経伝達物質であるヒスタミン(覚醒物質)がヒスタミン受容体に結合してしまうことが原因の一つだ。そこでファンケルは、クチナシの果実などに含まれるカロテノイドの一種である「クロセチン」に着目した。「クロセチン」はヒスタミン受容体と結合することで、ヒスタミンの結合を抑制すると考えられている。そのため、よく眠れる状態へと導き、起床時の疲労感を軽減できるのだ。ほかにも、ビタミンB1・B2・B6といったビタミンB群もバランスよく配合されている。 ■満足度は8割以上。多くの人が「今後も摂取したい」  ファンケルでは、30~50代の男女161人を対象に、「睡眠&疲労感ケア」に関するモニター調査を行った。全体的な評価が高い中でも、特に40代からは多くの支持を得られ、「満足度」が83%、「継続したい」が85%という結果(※3)となっている。 具体的なモニターの声を紹介しよう(※4)。 「目覚めたあとの疲労感が少なく、スッキリと起きれた」(40代男性) 「小粒ですごく飲みやすかった。体の疲労感を軽減してくれる実感があった。飲んでいて効果が出た気がした」(40代男性) 「寝起きにだるさを感じず、活動的な一日のスタートをきることができた」(40代女性) 「朝起きたときからスッキリで、やりたいことをやれる元気が出る」(30代女性) 「朝は眠いけど、ちゃんと睡眠がとれているせいか、起きてしまえば気分はスッキリで、集中力が上がった気がする」(30代女性) 「目覚めが良くなっている感じがあったのと、週明け月曜日の良い目覚めが実感できた」(40代女性) ■ファンケルの通信販売、直営店舗で新発売 「睡眠&疲労感ケア」は、機能性表示食品だ。機能性表示食品とは、体にうれしい食品の機能性を事業者の責任により、科学的根拠に基づき表示できる食品で、消費者庁に届け出されたもの。詳細は、消費者庁のwebサイトやファンケルのホームページに開示されている。  10月20日から、ファンケルの通信販売、直営店舗で発売。「睡眠の質の向上」と「起床時の疲労感の軽減」の両方にアプローチし、より良い気分の目覚めへと導く。スムーズに習慣化できるように飲みやすい小粒の丸型タブレットに設計されており、1日4粒(目安量)を飲むだけだ。まずは1カ月間試してみては。睡眠の変化と疲労感の軽減を、朝の目覚めで実感できるだろう。 詳しくはこちら ※2 2021年9月実施(5日間)「朝の疲労感と睡眠の質に関する調査」ファンケル調べ n=1000人 ※3 2020年11月実施/40代男女モニター調査 n=68人 「とても満足」「満足」「やや満足」と回答した方の場合が83%、「必ず摂取したい」「摂取したい」「やや摂取したい」と回答した方の割合が85% ※4 2020年11月実施「疲れ対策サプリHUT(14日間)」n=161人 提供:株式会社ファンケル
2021/10/07 00:00
秋の洗濯で乾きやすい時間帯は?おすすめの干すタイミングを解説
秋の洗濯で乾きやすい時間帯は?おすすめの干すタイミングを解説
秋は夏に比べて湿度が低く、からっと晴れる日が多くなる一方、日が差す時間は短くなります。夏と同じ感覚で洗濯物を干すと、生乾きのまま取り込むことになりかねません。洗濯物をしっかり乾かせるよう、干す時間帯や効率の良い干し方をあらかじめチェックしておきましょう。 今回は、秋の洗濯で知っておきたい乾きやすい時間帯やおすすめの干し方について解説します。 洗濯物を干すおすすめの時間帯はある? 洗濯物の乾きやすさには「気温」「湿度」「風」の3つが大きく影響しており、気温は高く、湿度は低く、そして風があるほど洗濯物は乾きやすくなります。秋は夏に比べて湿度は低くなりますが、同時に気温も徐々に低下してくるので、気温が高いうちに洗濯物を干すのがポイントです。 洗濯物を効率よく乾かす時間帯を把握する では、一日のうちで気温が高くなる時間帯はいつ頃なのでしょうか?一般的に、気温は日が高くなってくる午前9時から、日が落ち始める前の午後3時頃にかけて高くなる傾向にあります。この時間帯に合わせて洗濯物を干すと、効率よく乾かすことができるでしょう。 もちろん、日によって天気や気温は異なるので、午前9時~午後3時にかけて洗濯物を干していれば必ず乾くとは限りません。特に、途中で日が陰ったりすると、午後3時前でも気温が下がり、洗濯物が乾きにくくなることがあります。そのため、洗濯物を乾かすときは、事前に一日通しての天気や気温の変化をチェックし、必要に応じて途中から部屋干しに切り替えるなどして、工夫しましょう。 秋に洗濯物を取り込む際の注意点 秋の洗濯物は午前9時~午後3時までの時間帯に干すのがおすすめと説明しましたが、干した洗濯物を取り込むタイミングはややシビアです。洗濯物は長く乾かすほど良いというわけではなく、日が落ちたら、たとえ生乾きでも部屋干しに移行するのがおすすめです。 空気は気温が高いほどたくさんの水分を含むことができるため、気温が下がると日中含んでいた水分が徐々に空気中に放出されてしまいます。そのため、気温が下がった後も引き続き洗濯物を干していると、空気中の水分の影響で湿気をたくさん含んでしまいます。特に秋は日中と朝晩の寒暖差が大きく、昼間は涼しいくらいの気温でも、日が落ちると急激に気温が下がり始めます。午後3時を過ぎたら、洗濯物が乾いている・いないにかかわらず、なるべく早めに洗濯物を取り込みましょう。 ベストな時間帯に洗濯物を干せないときの対処法 一日中自宅にいれば、午前9時に洗濯物を干して、午後3時に取り込むことが可能ですが、仕事や用事などで出かける場合、ベストな時間帯に洗濯物を干すことができないこともあります。そんなときは、以下2つの方法で対処しましょう。 ■1. 午後3時に取り込めない場合は部屋干しする 仕事などで帰宅時間が午後3時を大幅に過ぎる場合は、最初から洗濯物を部屋干しするのがおすすめです。朝起きたときに天気がいいと、部屋干しするのはもったいないように思えますが、前述した通り、午後3時以降も洗濯物を干していると、衣類が湿気を含んで生乾きの状態になってしまいます。室内であれば、屋外よりは昼夜の気温差が大きくないので、午後3時以降に洗濯物を干していても湿気を含む心配がなくなります。 ■2. 部屋干しするときは便利アイテムをフル活用する 日が落ちた後も屋外で洗濯物を干し続けるなら、最初から部屋干しにした方がよいと説明しましたが、室内は日差しや風の恩恵を受けられないため、そのまま干すだけでは洗濯物をしっかり乾かすことができません。そんなときは、エアコンやサーキュレーター、除湿器などの便利アイテムをフル活用しましょう。部屋の中の空気を人工的に動かせば、風と同じ効果を得ることができます。洗濯物を室内に干していると湿気がたまりやすくなりますので、エアコンやサーキュレーターを稼働させつつ、除湿器で湿気を取り除くのがポイントです。 気温・湿度・風の条件がそろっているときの外干しに比べると、やや時間はかかってしまいますが、上手に活用すれば帰宅する頃には洗濯物をしっかり乾かすことができます。薄手のものなら日中の早い時間帯に乾かすこともできますので、電気代が気になる方は、エアコンやサーキュレーター、除湿器のタイマーをそれぞれセットしておきましょう。 秋の洗濯は時間帯と気温に気をつけよう 秋は夏に比べて湿度が低いので、比較的洗濯物が乾きやすい時期といえますが、日が短くなるぶん、気温が下がるのも早くなります。気温が下がると空気中の水蒸気量が増え、衣類が湿気を含んでしまいますので、秋に洗濯物を干すのなら、気温が上がり始める午前9時から、気温が下がり始める午後3時までの時間帯に絞るのがベストです。ベストな時間帯に洗濯物を干せない場合は、エアコンや除湿器、サーキュレーターなどを上手に活用して、最初から部屋干ししておくことをおすすめします。 天気予報専門メディア「tenki.jp」では、その日の洗濯物の乾きやすさを表す「洗濯指数」を毎日公開しています。外干しするか、部屋干しするか迷っているときは、ぜひ参考にしてください。
tenki.jp 2021/10/06 00:00
家一軒まるごと片づけたら「モラハラ夫」を克服できた
西崎彩智 西崎彩智
家一軒まるごと片づけたら「モラハラ夫」を克服できた
ダイニングは生活感丸出し/Before  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 *  *  * case.9 丸ごと一軒片付けて自信と居場所を手に入れた(夫+子ども2人/会社員)  夫婦関係が何かの理由でこわれ、パートナーとの生活にわだかまりができ、土台となる家を大切にできなくなった人を少なからず見てきました。思えば離婚前の私もそうでした。  2人のお子さんがいる理枝さんは、12年ほど前に夫のある行いが原因で関係が損なわれたときからずっと、家に居場所がないと感じていました。  夫婦仲が最悪だったときに建てた家は、義理の両親との2世帯住宅。夫一人が内装から間取りまで決めた家は、理枝さんにとっては「よその家」でした。そんな感覚を抱きながら、家族経営の会社で夫と両親とともに働き、夜はスポーツ選手を目指す子どもの練習に遅くまでつきあう生活を続けていました。  家族につくすことは、「良い妻」「良い母」を理想としてきた理枝さんの生きがいです。とはいえモラハラ気味の“王様夫”との関係は、望んだかたちではありませんでした。夫は自分の行いを正当化するように、理枝さんだけに冷たい言葉をかけ、気に入らないときはものに当たったりすることもありました。 片づいたらモノトーンの家具が映えた/After  離婚はつねに頭にありました。別れる選択をしなかったのは、子ども時代に実父が離婚・再婚・離婚をくりかえし、つらい経験をしたから。自分の子どもには安心できる場所でのびのびと育ってほしい。理枝さんは、子どもと夫が仲良くできるように配慮し、自分は夫の地雷を踏まないように、息を潜めて暮らしていました。  片づけられないのは苦手で忙しいだけでなく、「よその家」に入りこめなかったから。もちろん、あきらめていたわけではありません。片づけ本を読んで「お皿は立てて収納する」「種類別にしまう」などのノウハウを学んでは、ああしたい、こうしたいと考えていたのです。  夫とも、できれば仲良くしたい。けれど散らかった部屋のせいでいつも下に見られている気がして。離婚したとしても、「あの嫁、最後まで片づけられなかったよね」なんて言われたくない。自分のスペースを完璧に片づけて、ドヤ顔で夫を見返したい。そう思っていました。  わかっているけどできなくて、一人ぐるぐると考えていたとき、「片づけ」と「家庭力アップ」にピンときてプロジェクトへの参加を決めました。  プロジェクトがはじまると理枝さんは最初の2週間、「Facebookグループへの1日1投稿」「15分の整理・掃除」「シンクをキレイにして寝る」を目標にしました。  動ける時間は週末と、家族が寝静まった後、集中できる夜中だけ。子どもたち同様に理枝さんもアスリート気質です。やり出したら火がつき、頭の中で「カーン」とゴングが鳴って朝方まで片づける日もありました。 「やり方は知っているけどやっていない」というところから、「やっている」が普通になると、「自分は片づけができる人だ」という自信がわいてきました。  本を読んで妄想していたキッチンがイメージ通りになると、ウキウキが止まりません。家中に片づいていない場所があって「夫になにか言われるんじゃないか」といつも不安だったけど、きれいにしたらビクビクする生活とサヨナラできる!と思えるようになりました。 コンロ下収納は鍋が取り出しにくくて最悪/Before  毎日の習慣が、理枝さんを変えていきます。2週間前の自分との約束を守ることができると、不思議なことに、夫を見る目も変わっていきました。  家族経営だから、平日に仕事を休んだのはインフルエンザにかかったとき、それも1日だけ、という理枝さん。プロジェクトの4回の講座も週末に参加していましたが、どうしても予定があわず、平日の講座に変更したい、ということがありました。王様夫におそるおそる相談してみたところ、思いのほかあっさりと、「行って来れば?」。夫は応援してくれている。そう感じました。  こんなこともありました。夫が午前中に自宅へ戻ったきり、仕事場に帰ってこない。のぞきに行くと、黙々と自分のスペースを片づけていました。前の晩、娘と相談しながら片づける理枝さんに触発されたのでしょうか。「自分だけやって仕事中に片づけるなんてムカつく」と思いながら、夫の変化をうれしく思えました。  子どもに対しても「練習頑張って」と言えるようになりました。  45日間でキッチンやダイニングは本来のシックな雰囲気と輝きを取り戻しました。  理枝さんは家を丸ごと片づけて気づいたことがあったと言います。 「もっと自信を持ちなよと言われるとき、そもそも自信ってなに?と思っていたんです。それがわかった気がします。自分を信じると、相手を信じることも怖くなくなるんですね」  前は夫と会話がないことにビクビクしていたけど、いまは一日中、夫が無言でも平気。返事がないときはどうやら「考えている」とわかったから。プロジェクトで教わった通り、相手を理解したらラクになったと理枝さんは言います。 「家に居場所はあったんです。家の中をさわっても大丈夫だったし、夫の言葉も受け流せるようになりました」  片づけても、王様夫からねぎらいの言葉はありませんでした。でも、その夫が初めて言ったんです。「スポーツの仲間を家に呼んでいい?」と。理枝さんはその日の夕方から1時間ほどでサクッと準備。すっきりと片づいた家に、お客さまを「どうぞ」と迎え入れることができたのでした。  仕事でも、それまでは内勤だったのが外勤の営業も任され、理枝さんの活躍に期待しているみたい。夫も妻の見方が変わった?と思えた出来事でした。 ピタッと収納。ウキウキが止まらない/After  義母も「片づけてよかったね」と言ってくれたし、自分も周りの人も楽しいWin-Winの関係を築こうと思えるようになりました。離婚なんて、もうどうでもいいことになっていました。  プロジェクト中に中学受験した下の子は、スポーツの強豪校に合格。最近は、理枝さんの夢でもあった全国大会への出場が決まり、片づけでできたゆとりをすべて子どものサポートに使う予定だそうです。  いまの理枝さんはこんな気分。 「10年先がどうなるかはわかりません。わかっていることは、片づけも子どもへの関わりも、今日を全力でやれば、思った方向へ進んでいったということ。いまを出し切れば、数年先も大丈夫だと思えるようになりました」 ◯西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・夫婦間のコミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト®」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。ラジオ大阪「西崎彩智の家庭力アッププロジェクト」(第1・3土曜日夕方)が2021年5月1日からスタート。フジテレビ「ノンストップ」などのメディアにも出演 ※AERAオンライン限定記事
AERAオンライン限定汚部屋
AERA 2021/10/04 07:00
50年前と変わらぬハンバーグ…延江浩、南こうせつと高円寺を歩く
延江浩 延江浩
50年前と変わらぬハンバーグ…延江浩、南こうせつと高円寺を歩く
延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)  TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は南こうせつさんと高円寺を歩いて…。 *  *  *  南こうせつさんと中央線高円寺駅で待ち合わせた。「50年ぶりだよ」と感慨深げなこうせつさん。 「最初に住んだのが2階建てアパートの1階で、若いのにいつも目をとろんとさせ、ぼーっとしている隣人がいてね」。1970年前後、高円寺から東へすぐの新宿にはシンナー中毒のフーテンがうろうろしていた。「あなた、こういう生活はいけないよ、体に悪い。だからやめなさいと一晩飲んで、とことん話した」  北口を歩きながらそんな思い出話をしてくれた。シンナーでラリっている若者を自分の部屋に招き入れる。そんなこと、東京人にできるだろうか。  こうせつさんはラジオ・パーソナリティでもある。ラジオマンは当事者意識が高い。傍観せず、人の心にすっと入っていく。 「高円寺は変わんないなぁ。学生運動が収束しかかり、新宿西口地下広場も警察に追われて、若いやつはみんなこのあたりをふらふらしていた。草履に髭を蓄えてね、下町っぽくて自由で個性的」  デニムジャケットに紺色の帽子、丸眼鏡のこうせつさんが颯爽と歩く。おそらく半世紀前と変わらぬ足取りで。 「お腹空いたね。あの店はまだやっているのかな?」。あったあったと入ったのがハンバーグレストラン。「メニューも変わっていない」と目玉焼きをのせたハンバーグを注文する。 高円寺のレストラン、ニューバーグにて  その時、「ひょっとして、南こうせつさんですか?」と声をかけられ、「うん!」と答える声に他の客がこちらを向く。 「この店、森本レオさんもよくいらしているんですよ」「そうなんだ。よろしく言っておいて!」  古着屋、雑貨屋、居酒屋、ライブハウス……。高円寺には多くのミュージシャンが住んだ。「正やん(伊勢正三)も僕もアパートだったけど、(吉田)拓郎さんは立派な秀和レジデンスのマンション。成功したらあそこに住もう。そんなことを思ったりしたなあ」  中・高時代、僕がグループ交際をしていた女友達が高円寺のミッションスクールに通っていた。夕方の下校時、駅のホームでこうせつさんをよく見かけたという。 「こうせつさんはベルボトムのジーンズにロンドンブーツ。大きなベースを抱えた山田パンダさんが一緒の時もあった。これからお仕事ですかって聞くと、そうだよーって。ホームには青い三角定規やガロが電車を待っている時もあった」  仕事とはラジオの深夜放送のこと。フォークシンガーとリスナーをつなぐ深夜放送は切っても切れない仲になり、新しい文化を生んだ。 「(TBS)パック・イン・ミュージックは(ザ・フォーク・クルセダーズの)きたやまおさむさんの代演から。きたやまさんから番組をのっとられたなんて言われたけど(笑)」  深夜放送を終えて早朝に帰宅、「朝8時頃だった。ドンドンとドアを叩いて荷物が届いていますよ!って、女の子の声に起こされて。こっちはパンツ一枚にむさくるしい長髪。それが今の奥さんです(笑)。隣の隣に住んでいたんだ」  深夜放送で火が付いたのはアルバムB面の曲だった。「リスナーがヒットさせてくれたんです。リクエスト葉書が段ボール2箱も届いてね。それが『神田川』です」 (次号へ続く) 延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞※週刊朝日  2021年10月8日号
延江浩
週刊朝日 2021/10/03 16:00
自殺するつもりが“喜劇”に…中村メイコ「死のうと思っても溺れないの(笑)」
自殺するつもりが“喜劇”に…中村メイコ「死のうと思っても溺れないの(笑)」
中村メイコ (撮影/張溢文)  子役として1930年代から活躍し、1957年に作曲家、神津善行さんと結婚した中村メイコさん。作家・林真理子さんとの対談で、最近の夫婦二人での暮らしを明かし…。 【黒柳徹子から「胆石? 私にちょうだい」と言われ…中村メイコの思い出話】より続く *  *  * 林:メイコさんは「七色の声」と言われて、私、子どものころ「パパ行ってらっしゃい」(朝のラジオドラマ)を聴いてました。小沢昭一さんがパパで、メイコさんはママとか子どもとかいろんな声を一人でなさって。 中村:7役ぐらいやってました。 林:少し大人になって、今度は「私のロストラブ」っていう深夜番組を、ドキドキしながら親に隠れて聴いてました。初体験をすませた女性に、「それで?」とか「どんな気持ちだったの?」とか穏やかにやさしく聞くんですよね。結婚前にそういうことをしちゃいけない時代で、あれはラジオ史に残るいい番組だったなと思って。 中村:いい番組でしたね。 林:私、びっくりしたんですけど、仕事に疲れて海に入って死のうと思ったこともあるんですって? 中村:はい。19歳ぐらいだったかな。テレビが出始めのころは4、5日寝ないなんてザラでね。疲れて何もかもイヤになっちゃって、「もう死んじゃいたい」と思って、湘南の海へ入っていったの。でも、そこからが喜劇なんですよ。私、泳ぎがうまいもんで、いくら死のうと思っても溺れないの(笑)。それで疲れ果てて、波打ちぎわで寝ちゃったんです。 林:そのあと、神津さんに連絡したんだとか。 中村:海から出てきたはいいけど、誰に連絡しても大騒ぎになっちゃうから、どうしよう、と思ったんですよ。そうしたら、そのとき着ていた紺のブレザーのポケットに、たまたま「僕の連絡先はここです」って書いた名刺みたいなものが入っていて。 林:やっぱり結ばれる運命にあったんですね。神津さんが飛んできて、みんなに知られないようにテキパキと処理してくれて、それで結婚ってことになったんですね。 中村メイコさん(右)と林真理子さん (撮影/張溢文) 中村:それから2年半ぐらいたってからですけどね。 林:結婚なさってもう50年以上でしょう? こんなに続いてらっしゃるご夫婦って……。 中村:芸能界ではあまりいないですね。でも私、神津善行さんという人、そんなに好きじゃないの。 林:え~っ?(笑) 中村:会話もなんか小難しいし、いまだに仲良くもないですよ。両方とも面倒くさがり屋なんです。別れて記者会見とかいろいろやって、また新たに人を好きになるとかって、面倒くさいですもん。 林:そんな夢をこわすようなこと言わないでくださいよ(笑)。大事なものも全部捨てて、最後に残ったのは夫だけ、小さなおうちで二人仲良く寄り添って暮らしているというのが、この『大事なものから捨てなさい』という本の結末だと思ってるんですから(笑)。今は、お料理はどなたが? 中村:私、2年前にケガしてから脚が不自由になったので、このごろはおとうさん(神津さん)。 林:お掃除はどなたが? 中村:おとうさん。 林:お風呂に入るときも、ご主人が手伝ってくれるんですか。 中村:「お風呂入ります」って言うと、お風呂場まで連れていってくれて、「脱衣所のドアは半分開けておきなさい。出るときは『出ました!』って言ってよ。すぐ迎えに行くから」とか言われて。 林:なんだ、ラブラブじゃないですか(笑)。 中村:フフフッ。 林:メイコさん、おうちでお酒も飲まれるんですか。 中村:はい、安いスコッチを。林さん、お酒飲むんですか? 林:すごく飲みます。 中村:今度プライベートで飲みましょうよ。そのときは今日しゃべっちゃいけなかったことも全部しゃべっちゃう(笑)。 林:わっ、それはすごい楽しみ! (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 中村メイコ(なかむら・めいこ)/1934年、東京都生まれ。父は作家の中村正常、母は女優チエコ。2歳8カ月のとき、映画「江戸っ子健ちゃん」のフクちゃん役でデビュー、天才子役と呼ばれ、テレビの草創期から活躍。NHK紅白歌合戦の第10回から3年連続で紅組司会を務めたほか、ラジオ、舞台など出演多数。57年に作曲家、神津善行と結婚。長女は作家のカンナ、次女は女優のはづき、長男は画家の善之介。自身がトラック7台分のものを手放した経験を書いた『大事なものから捨てなさい』(講談社)が発売中。※週刊朝日  2021年10月8日号より抜粋
林真理子
週刊朝日 2021/10/03 11:30
「世界自然遺産」登録が決まった奄美、沖縄の鮮やかな自然風景 写真家・三好和義
米倉昭仁 米倉昭仁
「世界自然遺産」登録が決まった奄美、沖縄の鮮やかな自然風景 写真家・三好和義
撮影:三好和義  写真家・三好和義さんの作品展「世界の楽園・奄美 沖縄」が10月1日から東京・丸の内のエプサイトギャラリーで開催される。三好さんに聞いた。 *   *   * 今年7月、ユネスコ世界遺産委員会は「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」を世界自然遺産に登録すると決定した。  今回の写真展はこれに合わせたもので、三好さんが長年撮り続けてきた奄美、沖縄地方の自然風景の作品を展示する。  会場で目を引くのは、天井から吊り下げられた大きな2枚の布。つやと透明感のある布には亜熱帯の不思議な植物がプリントされている。 「それが窓際の薄いカーテンのようにゆらゆらと揺れる。写った葉っぱが揺れているような、風が感じられるような展示にしたい」と、三好さんは説明する。  一つは「板根(ばんこん)」と呼ばれる迫力のある曲がりくねった板状の根で、「沖縄県北部、やんばるの森に近い場所にある、サキシマスオウノキです」。  もうひとつは奄美大島の金作原(きんさくばる)原生林。霧の流れるジャングルに高さ10メートル以上もある巨大な木生シダ、ヒカゲヘゴが群生している。「これだけ奥行きのある大きなヘゴの森はなかなかない」。 撮影:三好和義 ■ヤシの木の下で遊んだ少年時代  これまで世界各地を旅してきた三好さん。鮮やかな自然風景をライフワークの「楽園」シリーズとして写してきた。  その原点となるのが沖縄県・宮古島だ。中学時代に初めてこの島を訪れてから半世紀になる。 「ぼくが写真を仕事にしたいと思うようになったのは、『カメラマンになったら海や南国に行けるんだ!』という夢から。ぼくの頭の中には確かな『楽園』のイメージがあった」  三好さんの故郷、四国・徳島の駅前には南国のシンボル、ヤシの木がたくさん植えられている。 「ぼくはこの駅前で生まれ育った。幼いころからヤシの木の下で遊び、昼寝をした。小学校時代、うちはバナナの輸入業を営んでいたので、南国の香りにあふれていた。やがて、バナナの倉庫はぼくの暗室になった」  中学生のとき、見習いの先生が宮古島の写真館の出身で、先生を訪ねて島に通った。高校時代、撮りためた写真を「沖縄・先島」にまとめ、銀座ニコンサロンで発表した。 撮影:三好和義  当時の作品はモノクロだったが、南国の鮮やかなイメージがあったという。 「特に空の、暗いほど濃い青は、徳島名産の阿波藍(あわあい)の色と重なって、身に染みついている」 ■甘い香りがするアダンの実  会場に入ると、目に飛び込んでくるのがまさに藍色の夕闇迫る海辺の風景。凪(な)いだ湖面のような海を背景に、曲がりくねった細い枝に鋭くとがった葉のついたアダンの木が写っている。  やわらかな朝日に照らされたアダンの浜辺の作品もある。 「このアダンは奄美大島の自然を描いた画家、田中一村のイメージで写しました。でも、アダンの林に分け入って撮るのは、けっこう危ない。気をつけないと、背中とかに葉が刺さります」  アダンの実は小ぶりのパイナップルのよう。ストロボの光で写した実は鮮やかなオレンジ色をしていて、なかなかインパクトがある。 「すごく甘い香りがするんですよ。この実はヤシガニの好物で、高校や大学生のころ、よく島のにいちゃんたちといっしょにヤシガニ捕りに行きました。捕ったのをゆでて食べる」  奄美、沖縄の海岸にはサンゴが化石化した琉球石灰岩が広く分布している。それが波や雨に削られ、独特のごつごつとした岩場の風景を生み出している。 「これは徳之島のめがね岩」。昨年、撮影したという岩にはぽっかりと2つの穴が開いている。 「穴の直径は5メートルくらい。ここまでスケールの大きな地形は珍しい。以前からどんなところか行ってみたいな、と思っていたんですけれど、想像以上に岩に開いた穴が大きくて、自然の造形に驚いた」  穴の奥には白波の立つ海が見え、空にはダイナミックな雲が流れている。 撮影:三好和義 ■釣り人と似た意識  荒々しい岩場の海岸とは対照的なのが、湿地帯のような石垣島の海辺の写真。タコの足のような根を持つマングローブが密集している。 「歩いて行けるような場所ではないので、カヌーをこいで撮りに行きました。距離にしたら1、2キロ。しかも、大潮で潮が満ちたときじゃないとここまで行けない。で、パパっと撮る。潮が引いたら、もう帰れない」  撮影場所で満潮となるように、朝、暗いうちに出発し、日が少し昇ったところでシャッターを切った。画面からはすがすがしい朝の空気感が伝わってくる。 「でも、木々の間から太陽がちょろっと出たくらいのときに撮っているので、実際にはかなり暗いんです。浅い水の中に三脚を立て、葉の間からにじんだ光が画面いっぱいにあふれるイメージで、スローシャッターで写しました」 撮影:三好和義  マングローブの海辺に限らず、海岸を撮る際は、潮の満ち引きによって、その形が変わってくる。 「そんなことを考えながら撮影のスケジュールを組んでいくのが面白い。だから、釣り人と似ているとも言われる。島の人にとっては潮の動きをつかむのは、当たり前のことですけど、都会にいると、そういうことを忘れてしまう」 ■足元にハブが  マングローブの生い茂る西表島の川をさかのぼると、そこには滝がある。  ひときわ大きな写真はナーラの滝。落差約25メートル。周囲にはシダやこけむした岩があり、なかなかワイルドな雰囲気だ。 「途中までボートに乗って行って、そこから数時間歩いてたどり着いた、いわば『楽園の入り口』。この上には未知の、もっとすごい世界があるんだろうな、というイメージで撮りました」  白い霧が湧き上がる熱帯のジャングルのような写真はやんばるの森。「撮影していると、カエルや鳥の鳴き声が聞こえてきた。その響き方から、森がずーっと奥まで続いていることが感じられた。恐竜が出てきそうな原始の雰囲気だった」 撮影:三好和義  写真は林道の橋の上から写したものだが、この場所を選んだのは見通しのよさだけでなく、もうひとつ、理由がある。森のなかには牙に毒を持つハブがいるのだ。 「それでも夜に撮ったとき、道端にハブがいましたよ。ヒメハブ。ホンハブに比べれば毒が弱いとはいいますけれど……」  沖縄の森は1年中、深い緑をたたえているが、春先になると明るい新緑が加わる。豊かな緑のグラデーションが現れ、森の立体感が急に増したように感じられる。 「このやんばるの森は4月初旬に写したんですけど、沖縄の新緑はこんなに早いんだ、と思いましたね」  そのころになるとホタルも舞う。 「昨年1月、西表島に行ったら、チョー暑かった。その後、ホタルも撮りたいな、と思って、場所も調べていたんですけれど、コロナで行けなくなってしまった。沖縄にはもう、ずいぶん通っていますけど、まだまだ、いろいろありますよ。だから、あれも撮りたい、これも撮りたいな、と」 (アサヒカメラ・米倉昭仁) 【MEMO】三好和義写真展「世界の楽園・奄美 沖縄」エプサイトギャラリー 10月1日~10月27日
アサヒカメラエプサイト三好和義写真家写真展奄美楽園沖縄
dot. 2021/09/30 17:00
「ハコヅメ」後枠ドラマ主演で期待大…なぜ杉咲花を見たくなるのか
丸山ひろし 丸山ひろし
「ハコヅメ」後枠ドラマ主演で期待大…なぜ杉咲花を見たくなるのか
杉咲花(C)朝日新聞社  10月スタートのドラマ「恋です! ~ヤンキー君と白杖ガール~」(日本テレビ系)で主演に抜擢された女優の杉咲花(23)。ドラマは、杉咲演じる気は強いが恋に臆病な盲学校高等部3年生・赤座ユキコと、杉野遥亮演じる根は純粋な不良少年・黒川森生が繰り広げるラブコメディー。杉咲はヒロインを務めたNHK連続テレビ小説「おちょやん」以来の主演ドラマとなる。  本作は日テレ水曜夜10時放送のドラマで、戸田恵梨香と永野芽郁のW主演で大ヒットしたドラマ「ハコヅメ~たたかう!交番女子~」の後枠にあたる。何かと比較されそうだが、SNS上では「ハコヅメ終わって悲しいけど、次が杉咲花のドラマだからうれしい」「次クールの杉咲花が楽しみすぎ!」と、杉咲に対する好意的な声が目立っている。「前評判が良いのは、杉咲の演技への信頼感からでしょう。実際、杉咲の意識も高い。2018年10月から放送されている自身のラジオ番組『杉咲花のFlower TOKYO』(TOKYO FM)が9月で終了したのですが、『何よりも良い作品を届けたいという思いが自分の中では強い』と、芝居に集中するために終了することを決心したと語っていました。『おちょやん』は関西が舞台でしたが、方言指導の先生に教えてもらうため、クランクインする1年も前から毎週大阪に通い3泊程度していたとか。また、時代設定が戦前から昭和初期で、その所作になじむために、自粛期間中は毎日、着物を着て家で過ごしていたとインタビューで話していたのも印象的でした」(テレビ情報誌の編集者) 東京出身の杉咲だが、「おちょやん」では演技だけでなく、流暢で聴きやすい関西弁が「完璧」と話題になっていた。そんな高評価も役作りに惜しみなく力を注いだからこそなのだろう。 他にも、人気マンガを実写化した映画「無限の住人」(2017年公開)でヒロインを務めた際は、監督の「原作をリスペクトしたい」という言葉を受け、原作の表情などをコピーして切り抜いていたと明かしたこともある。また、「VOGUE GIRL」(6月30日配信)のインタビューでは、日常で激しい感情は出さないよう心がけているが、仕事ではそれを掘り起こすことを必要とされるときがあると発言。そのため、普段そんな感情に出会ったときは「この気持ちを忘れないぞ」と自分に言い聞かせたり、時々日記につづったりもしているという。 「杉咲は『憑依型女優』という一面もあります。2016年公開の映画『湯を沸かすほどの熱い愛』で、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞しましたが、当時の撮影について『ずっと現場にいたいって思うくらい、役として過ごす時間の方が楽しかった』『家に帰ってからも役の気持ちが切れなくて。そうやって過ごした方が楽だった』と、バラエティー番組で話していたことも。暗い役や重い役を演じたときは、家でもイライラしてしまい母親に迷惑をかけていたこともあるそうで、今では仕事と私生活の切り替えを意識するようになったそうです」(同) ■高畑充希や多部未華子のような存在へ  こうした気質がある杉咲にとって、女優という職業は天職なのかもしれない。民放ドラマ制作スタッフはこう言う。「杉咲さんは、みんなで一つのものを作っていることに喜びを感じ、撮影現場に立つ時がまさにそんな瞬間だと話していました。そんな身も心も女優業にささげる姿勢が演じる役柄の魅力を発揮することに繋がり、視聴者も杉咲さんの演技にどんどんハマっていくのでしょう。また、演技力が高く、華やかさよりも現実感のあるルックスなので、朝ドラのヒロイン経験者でいうと高畑充希さんや多部未華子さんのような路線で活躍していくかもしれません」(同) ドラマウオッチャーの中村裕一氏は、彼女の今後をこう分析する。「『恋です!~』では盲学校に通う弱視の主人公を演じるとあって、かなりハイレベルな芝居が要求されると思いますが、彼女の演技力、表現力なら難なくクリアするでしょう。童顔のため実年齢よりも幼く見られがちですが、目には秘めた意志の強さがあり、どんな役でも違和感なく自然と作品世界に溶け込んでしまう。見ている側は、いつの間にか彼女の一挙手一投足に見入ってしまう不思議な魅力があります。まだ23歳と将来性は無限大。女優以外の時間も大切にしながら、じっくりキャリアを積み重ねていってほしいです」 期待のドラマ枠で難しい役どころとなるが、杉咲がどんな演技を見せるのか注目したい。(丸山ひろし)
恋です!憑依型女優杉咲花
dot. 2021/09/30 11:30
中山優馬「昭和ってなんてアナーキーな世界なんだ!」 最新主演作で描く、激動の時代の熱気
中山優馬「昭和ってなんてアナーキーな世界なんだ!」 最新主演作で描く、激動の時代の熱気
 近年、ジャニーズ事務所所属の中山優馬は俳優業を軸に活動している。中でも主戦場としているのが舞台だという。最新主演作では1970~80年代という激動の時代にのみ込まれながらも、理想の音楽と愛を追い求める不器用なバンドマンを演じる。AERA 2021年9月27日号では、日々の演技に向き合う中山優馬を取材した。 *  *  * ——最新主演舞台「ザ・パンデモニアム・ロック・ショー」は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する昭和の音楽業界を舞台に、夢や恋に揺れ動くバンドマンたちの生き様を描いた物語。作・作詞・楽曲プロデュースに森雪之丞、演出に河原雅彦、音楽には亀田誠治というビッグネームが名を連ねる、ノスタルジックな音楽と熱気があふれる“ロックオペラ”だ。  中山は本作への出演オファーに二つ返事で「ぜひ」と答えたものの、「タイトルの意味は正直よくわからなかった」と笑う。  パンデモニアム=伏魔殿らしいんですけど、そう聞いてもまだピンとこなくて(笑)。でも、台本の中に「悪事や陰謀に張り巡らされた、この世界の比喩」という台詞(せりふ)があって、そこでようやく理解できました。雪之丞さん自身の青春時代が盛り込まれた自叙伝的な内容なんですけど、裏切りや嫉妬など、もうやりたい放題なんです(笑)。 ■昭和ってアナーキー ——物語は1966年、ザ・ビートルズの来日から始まる。中学生だった楠瀬涼(中山)はロックと出合い、やがて仲間とともにバンドを結成する。青春を謳歌(おうか)し、夢を追い求めていくが、80年にジョン・レノンが射殺されたことを契機に、悪夢と現実のはざまをさまよい始める。  稽古していて、昭和の時代って魅力的だなあと改めて思いました。今みたいにスマホでなんでも調べられる時代じゃないから、例えばギターの練習一つとってもそれなりの労力が必要になる。だからその分、情熱がすごいんですよ。あと、どこでもたばこを吸っていたりとか、「昭和って、なんてアナーキーな世界なんだろう!」って(笑)。 ——「夜のヒットスタジオ」や「大橋巨泉」「YMO」など、作中には70~80年代のカルチャーを彩った固有名詞がいたるところにちりばめられている。94年生まれの中山にとって、それらは縁遠いものかと思いきや、意外な答えが返ってきた。  中学生ぐらいの頃、周りの友だちはみんなORANGE RANGEとかを聴いていたけど、僕はさだまさしさんや小田和正さんが好きでした。特に大好きだったのは、さださんの「償い」という曲。今も大事な一曲です。暗いんですけどね(笑)。  あと、実家が“オールディーズ”っていう名前の喫茶店をやっていて、店内にずっと50~60年代の洋楽がかかっていた。そんなこともあって、音楽の原体験がリアルタイムよりもずっと前のものだったんです。 ——本作の見どころは、20曲以上に及ぶオリジナルの楽曲だ。すべての作曲を担当した亀田についてこう話す。  あんなにすごい方なのに気さくで。音楽のことで質問すると、小学生がセミの捕り方を教えてくれるような感じで一生懸命教えてくださる(笑)。いろんなジャンルの音楽があるんですけど、どれも昭和の時代の空気をよみがえらせるナンバーになっていて素晴らしいです。 ■自分の命を削ること ——中山がエンターテインメントの世界に足を踏み入れたのは12歳の時。オーディションを経てジャニーズ事務所に入所した。当時は夏休みと冬休みにしか仕事がなく、遊び感覚だったという。転機は15歳の頃だ。  街中で気づかれるようになって、そこで初めて「やばい、もう戻れない!」と腹をくくりました。ちょうど「自分はお芝居がしたい」と思い始めていたので、いろんな人の芝居を見て気づいたことをノートに書き出したり。でもお芝居の仕事なんて全然ない。じゃあどうしようかとなった時、「ないなら勝手にやっちゃえ!」と仲間内でビデオを回して映画を作ったんです。  だから、ビートルズに衝撃を受けて音楽に目覚めていく主人公は、僕自身でもあります。 ——近年、俳優業を軸に精力的に活動を続けている中山。その中心には舞台がある。プロのエンターテイナーに必要なことは?という問いに、先達の名前を挙げながらこう答えた。  僕、昔からプライベートがクソつまらない人間なんです。今もずっと家にいて、一人でお酒を飲んだり、ちょっとおつまみを作ったりぐらいしかやってない。ファッションにも車にもブランド物にも興味がない。でも、お芝居をやらせてもらう時だけは本気になれるから、それでいいんじゃないかなと思っていて。  たくさんの先輩の背中を見て学んできましたけど、特に滝沢(秀明)君が舞台に臨む姿には刺激を受けました。考え抜いて、いろんな演出を試して、自分が一番しんどい選択をする。お客さんのお金と時間をいただくって、自分の命を削ることなんだと教わりました。それをやる人が、プロのエンターテイナーなんじゃないかなと思います。  それから、仕事が終わって泣いている人に、ジャニーさんはよく怒っていたんですよ。「泣いている暇なんてない」と。すぐに次の何かを見つけなければいけないんだよって。だから舞台の千秋楽とかでも絶対に泣かないように心がけてきました。  大事なのは、刹那(せつな)的に情熱を燃やすことだと思うんです。一瞬一瞬、何に情熱を向けるか。たとえ悲しい出来事があったとしても、稽古に行ったら稽古にすべての情熱を向けて、悲しさを一気に忘れ去るというか。そういうのも含めて教えてくれた気がしますね。 ■下の世代に伝えたい ——コロナ禍の今だからこそ、この作品を多くの人に届けたいと話す。  今って人と会えないじゃないですか? 仲間と何かに打ち込んだり、恋したりするのが難しい。でもそれってすごく大切なことなんだっていうのを、声を大にして言わないとダメだと思うんです。この作品はその一つの比喩。こういう時代があって、音楽や恋に夢中になった人たちがいた。だから僕らの世代やもっと下の世代も、何かに夢中になって、好きなものを好きって言っていいんだっていう。そんなことが伝えられたらいいなと思います。 (構成/編集部・藤井直樹)※AERA 2021年9月27日号
AERA 2021/09/26 11:30
交通事故を起こす確率が2~3倍に! 自分で気づけない睡眠時無呼吸症候群の恐怖
交通事故を起こす確率が2~3倍に! 自分で気づけない睡眠時無呼吸症候群の恐怖
※写真はイメージです(写真/Getty Images) 睡眠時無呼吸症候群データ  睡眠中に呼吸が止まる「睡眠時無呼吸症候群」。この病気の怖さは眠気やいびきだけでなく、高血圧や心臓病など、さまざまな病気につながるリスクだ。睡眠時無呼吸症候群の背後に潜む病気や早期発見の重要性を専門医に聞いた。 *  *  *  睡眠時無呼吸症候群(SAS)とは、眠っている間に呼吸が止まることをくり返す病気だ。「大きないびき」を連想するこの病気には、さまざまなリスクが潜む。  まず、無呼吸をくり返すことによるからだへのダメージと、仕事や生活への影響が挙げられる。呼吸が止まると全身に十分な酸素が送られず、「低酸素状態」になる。本人は自覚がなくても一晩に何十回も無呼吸をくり返すと、からだは深刻な呼吸困難の状態に陥る。  それにより交感神経が過剰に刺激され、からだがずっと緊張にさらされ深い睡眠がとれなくなるため、寝ても疲れがとれず、睡眠をとるほど疲労が蓄積されていく。RESM新横浜睡眠・呼吸メディカルケアクリニック院長の白濱龍太郎医師は「からだへの負担は想像以上に大きい」と話す。  睡眠不足や疲労の蓄積により集中力や注意力が低下すれば、仕事の効率が下がる。さらに、居眠り運転や機械の操作ミスなどによる重大な事故につながる危険もある。 ■重大な事故に加え病気のリスクも 「アメリカの研究ではSASのドライバーは交通事故を起こす確率が2~3倍高くなるという報告も。ドライバーに限らず、例えば銀行マンでも不注意から取引でミスをし、何億円もの損失を出す可能性もあり、仕事や生活でのさまざまなトラブルにつながるリスクが考えられます」(白濱医師)  多くの病気を発症・悪化させるリスクもある。SASと病気の関係については多くの研究がおこなわれており、高血圧や糖尿病、心臓や脳の病気などを合併するリスクが高いことがわかっている。 「英国の医学誌では、SASを放置すると数年後に高血圧症を発症するリスクが3倍になると報告されています。また、日本循環器学会による睡眠呼吸障害のガイドラインには、心筋梗塞や不整脈など循環器の病気とSASの合併は偶然起こるものではなく、明らかな因果関係があると記載されています」(同)  無呼吸になり、低酸素の状態が続くと血管内の細胞が炎症を起こし、血管がダメージを受けて動脈硬化が進行する。心臓は低酸素の状態を改善するために心拍数を上げて十分な酸素を供給しようとするため、血圧が上がる。さらに、一晩のうちに何度も無呼吸が起こると、急激な血圧変動がくり返される。このような血管へのダメージや血圧の上昇、心臓への負担などにより、高血圧症や心血管疾患(心筋梗塞、狭心症、心不全など)、脳血管疾患(脳梗塞や脳出血など)が起こりやすくなると考えられる。  心血管疾患を合併すると突然死を引き起こすリスクも高まり、さらに認知症やうつ病との関係も指摘されている。これでは、「単にいびきがうるさいだけの病気」とは考えられなくなるだろう。  SASの最大の症状は「いびき」だが、本人は気づかず周囲から指摘されることが多い。患者が自覚できる症状には、眠気、頭痛、疲労感などがあるが、いずれもSAS特有のものではなく、それだけで受診につながる症状とはいえない。虎の門病院睡眠呼吸器科医長の富田康弘医師は「症状からSASを自覚することは困難」と話す。 「例えば、夜間の頻尿が気になって泌尿器科を受診するなど、最初は別の病気を疑って受診し、調べてみたらSASだったということも珍しくありません」(富田医師)  SASでは、無呼吸をくり返すことで、尿の量を調整するホルモンに影響があり、頻尿になることがあるのだ。 ■気になる症状があれば受診を 「眠気も主観的なものなので、『眠気を感じることはない。仕事中の居眠りもない』という人が通勤電車の中で眠っていることもありますし、昼食後には誰もが眠くなるからそれは自然なことと考える人もいます。生理的な眠気と病気による眠気を自身で見分けることは難しいでしょう」(同)  そのため、SASの診断には医療機関での専門的な検査が欠かせないが、SASであることに気づかず、あるいは自覚があってもたいしたことと捉えず受診しない患者は多い。SASの潜在患者数は400万~500万人と推定されるが、代表的な治療法とされるCPAP療法(経鼻的持続陽圧呼吸療法)を受けている患者数は約56万人と、10分の1程度だ。では、早期発見のためにはどうすればいいのか。  両医師は、(1)大きないびきや睡眠中に呼吸が止まっていることを指摘される(2)日中に強い眠気を感じる(3)ある程度の睡眠時間を確保しているのに疲れがとれないと感じている(4)起床時に頭痛や倦怠感がある(5)太っている(BMI25以上)(6)高血圧や糖尿病などの生活習慣病を患っている、という人は一度医療機関を受診してほしいと話す。  近年では、睡眠中のいびきを記録できるスマートフォンのアプリも登場している。 「早期発見のためには、日ごろから自分の眠りを意識することが大切。眠いと感じたら睡眠時間を気にしてみる、アプリを使っていびきをチェックしてみるなど、睡眠に目を向けてもらいたいと思います」(同)  SASの診療は、内科、呼吸器科、循環器科、耳鼻咽喉科などでおこなわれるが、専門的な検査や治療が受けられる病院は多くない。日本睡眠学会のホームページに、学会が認定する専門医療機関の一覧が掲載されているため、参考にしたい。 (文・出村真理子) ※週刊朝日2021年9月24日号より
病気病院睡眠時無呼吸症候群
dot. 2021/09/20 09:00
「離婚しかない」を「ずっと一緒に」に変えた片づけ
西崎彩智 西崎彩智
「離婚しかない」を「ずっと一緒に」に変えた片づけ
収納BOXに蓋をするかたちで書類が置かれた棚。細かい物が多く苦戦していました/Before  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 *  *  * case.8  LINEが既読にもならなかった夫婦関係に変化(夫+子ども4人/会社員)  同じ家で同じ家族に囲まれているのに、部屋を片づける前と後では別次元の人生を歩んでいるような方がいます。 「あれ?私、捨てるの大変って言ってましたっけ?ぽんぽんゴミ袋に要らないもの入れられますよ」なんて、ちょっと前の自分も忘れて別人みたいになるんですね。今回ご紹介する女性がまさにそのタイプ。  プロジェクト参加前、彼女の頭の中は「もう離婚しかない」。そのことばかりでした。でも最近の彼女は全然違うのです。「子どもたちが巣立ったらずっと夫と一緒にいたい」と、明るい顔で大好きな夫との未来を描いています。一体何があったのでしょうか。  その女性は4人の子どもの母親です。家を片づける前は、メインの仕事と3つのパートを掛け持ちして働いていました。毎朝5時に起きて短時間のパートをこなし、子どもたちに朝食を食べさせて学校へ送り出し、家事を終えたら次のパート。昼食を取ったら午後はメインの仕事へ行き、終わったら帰宅して夕食作り。夜はまた別のパートに出るという隙間のない日々でした。  夫のことを詳しく聞くと、もともと口数が少なく、お世辞にもコミュニケーション上手とは言えない感じ。忙しい夫婦はいつの間にかすれ違うようになりました。  私が女性に出会った頃がもっともピンチの時。夫にLINEメッセージを送っても既読はつかず、夫婦は子どもを介さないと会話ができないくらい関係をこじらせていました。  女性は彼のことが分からなくなって、辛くて、大事な相談事も一人で溜め込むように……。夫の単身赴任で溝はさらに深まり、彼女は離婚しかないと思い詰めるようになったのです。  一日中仕事を詰め込んでいたのも、子どもたちを一人で養っていく覚悟を決めていたから。もともと人一倍責任感が強く、自立のため、子どものために働くのはまったく苦にならない。そんな性格もあって、身を粉にして働いていたのでした。  ただ、離婚を現実的に考えはじめて“離婚コンサル”を受けたとき。離婚後の生活について考える中で彼女は、「なんか違う。離婚したいんじゃないかも」と気づいたのです。  では、どうしたいのか。これまで、子育てから人間関係までさまざまな講座に参加する度に、「今、何にもとらわれず、何の制限もないとしたら何をしたいですか?」と聞かれ、必ず「家を片づけて、心地よい空間にしたい」と答えていたことを思い出しました。 「やっぱり片づけなきゃ、結局何も回らないじゃん」と思った折に、家庭力アッププロジェクトが目に留まったのでした。  プロジェクトがはじまると、彼女は自分を追い込みました。6人家族の家財の片づけは、なかなか手ごわいものです。4人の子どもの個人情報が書かれた捨てにくい書類、大きなお鍋、使わなくなった電子オルガン。物をあえてベッドの上に広げ、「片づけるまでは寝られない作戦」も使って進めました。 中身を全部出して仕分け。部屋がもっとも散らかるこの段階が、実は一番つらいんです/Before  それでも回らなかったので、彼女は夜の仕事を半分にして、時間と体力を確保しました。以前なら仕事を最優先していたところですが、勇気を出して本当にやりたいことを選択したのです。彼女の中では大きな一歩でした。  そして45日間で見事に片づけきります。単身赴任から帰ってきた夫を、片づいた部屋で迎えることができました。  3カ月ほどたち、彼女からメッセージがありました。すると夫のLINEが既読になり、返信も来るようになり、必要な会話ができるまでになったと教えてくれました。夫は子どもの学費や将来も考えていて、離婚なんて頭になかったとわかったんですって。 「LINEは、了解、とか一言だけなんですけどね」と言う彼女はうれしそう。夫の同級生に聞いても「あいつはそういうやつでしょ」って言うし、「自分が相手に求めすぎていたのかも」と、夫のペースを尊重できるようになりました。 「夫は片づけ前と後で、何も変わってないんです」  これまでも、彼女の帰りが遅い日は夕飯を作ってくれていました。でも、「ありがとう」と言っても「うん」としか返事がなく、なぜか怒られているような気分になってたんです。以前の彼女は「できない=自分には価値がない」という思い込みが強く、周りに頼ることがきずにいました。「夫は料理をするのは女だと思っているのに、仕方なくやっているんだ」と思い込んで、罪悪感を感じていたのです。  それが今は、人を頼れない自分は相手を信じていなかったのかも……と思うようになり、感謝して家族に任せるようにしたら信頼関係が生まれた、と言います。子どもたちも、火を使う、サラダを作るなどの担当に分かれて、ママがいなくても家族が補い合いながら料理をするようになりました。 「もっと自分を大事にして、人に頼っていいんだ、と気づいたんです」と彼女は言います。  好きでやっていたPTA会長の仕事も一人で抱えがちでしたが、人を頼ることを意識したら、できる人ができるときに関わるかたちで回せるようになったとか。スケジュールには必ず空白を入れて、大好きな子どもとの時間を確保するのが習慣になりました。 「70%収納」を目指して中身を整理。余裕ある状態をキープできています/After  人間関係が悩みだったメインの職場は、もめごとや家庭のことが重なり退職しました。すると2カ月もしないうちに、以前働いていた保険関係の職場から戻ってこないかと連絡があり、希望通りの部署で働けることになりました。仕事は一つにして、今はすべての人間関係において気持ちよく過ごせていると言います。  手狭に感じ、引っ越しを考えていた家について聞くと、「家族と顔を合わさずには過ごせない今の家もいいかなって、思えるようになったんです」。  彼女の笑顔は明るく、周りをハッピーにするパワーにあふれていました。 ◯西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・夫婦間のコミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト®」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。ラジオ大阪「西崎彩智の家庭力アッププロジェクト」(第1・3土曜日夕方)が2021年5月1日からスタート。フジテレビ「ノンストップ」などのメディアにも出演 ※AERAオンライン限定記事
AERAオンライン限定
AERA 2021/09/20 07:00
更年期をチャンスに

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女性は、月経や妊娠出産の不調、婦人系がん、不妊治療、更年期など特有の健康課題を抱えています。仕事のパフォーマンスが落ちてしまい、休職や離職を選ぶ人も少なくありません。その経済損失は年間3.4兆円ともいわれます。10月7日号のAERAでは、女性ホルモンに左右されない人生を送るには、本人や周囲はどうしたらいいのかを考えました。男性もぜひ読んでいただきたい特集です!

更年期がつらい
学校現場の大問題

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クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

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働く価値観格差

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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高嶋ちさ子“カラス天狗化”で露見した「ボトックス」のリスク 町医者の副業、自己注射まで…美容外科医が警鐘
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高嶋ちさ子
dot. 14時間前
ビジネス
家事・育児は重要な経済活動 なのに評価は置き去り 紙幣経済のみを“経済”と呼ぶようになった弊害
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田内学の経済のミカタ
AERA 10/5