井上有紀子
河嶌太郎
「私も摘まれた若い芽でした」 いまは心にエア煉獄さん 『鬼滅の刃』が持つ言葉の力
福島県会津若松市の大川荘は、「鬼滅の刃」に登場する無限城に似ていると話題だ。この日、歓迎の三味線演奏を見ていた親子連れは県内から来たという。きっかけは「鬼滅」。上の女の子が「禰豆子が好き」と教えてくれた(撮影/植田真紗美)
市松模様の柄をよく見るようになった。「全集中の呼吸」「心を燃やせ」、そんな言葉もよく聞くようになった。主題歌「紅蓮華」や「炎」は耳にすっかりなじんだ。多くの人を巻き込み、社会現象ともいえるヒットが起こる背景には、何があるのか。AERA 2021年12月6日号から。
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現実社会は、鬼の世界だ。
北海道の会社員女性(30)は、上司を漫画『鬼滅の刃』の敵キャラクターに例えた。
「鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)はうちの会社の社長だと思います」
女性の職場では、社長が社員数人と面談をする。主に社長の自慢話が多いが、ある日、こんな事件が起きた。
「ある社員が『業務が忙しくて寝られない』と訴えたところ、社長は急に機嫌を悪くして、『じゃあ寝なきゃいいんじゃない』と言ったのです。社員は死ねと言われているようなものです」
女性は、『鬼滅の刃』漫画6巻、アニメ1期26話で描かれた通称「パワハラ会議」を思い出したという。
作中の敵方である「鬼」の頭領・鬼舞辻無惨が、鬼の幹部たちを次々と粛清していく場面だ。無惨の思うような成果を上げられない部下に対し、「何故(なにゆえ)にそれ程まで弱いのか」と迫る。肯定すれば処分を受け入れることになり、否定すれば「お前は私が言うことを否定するのか」と殺される。発言すれば、「貴様共のくだらぬ意思で物を言うな、私に聞かれた事にのみ答えよ」と遮られ、提案しようとすると「お前は私に指図した、死に値する」と殺されてしまう。
社員は手駒でしかない
女性は言う。
「私が参加した面談でも、社長は『君たちの部署は将来ないから、次の仕事を考えた方がいい』と平然と言い放っていました。社員を手駒としか思っていない」
無茶な仕事を振られることもしばしば。こんな会社にはいたくないと、女性は鬼のいる会社から抜け出す計画を練っている。
『鬼滅の刃』は吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)さんによる漫画で、週刊少年ジャンプで2016年2月から20年5月にかけて連載された。主人公の少年・竈門炭治郎(かまどたんじろう)が、鬼になった妹を人間に戻すため、鬼殺隊の一員となり、鬼と戦う物語だ。全23巻の単行本の累計発行部数は1億5千万部を突破。19年4月から9月にかけて放送されたアニメも話題になり、人気をさらに押し上げた。昨年10月に公開された劇場版「鬼滅の刃 無限列車編」は、それまで興行収入歴代1位だった「千と千尋の神隠し」を抜き、日本映画史上最高の400億円を達成した。今年10月からは、アニメ2期が放送されている。
作品の大ヒットは、社会現象も巻き起こした。飲料メーカーのダイドーは20年10月、「鬼滅の刃」のキャラクターをデザインした缶コーヒーを発売。3週間弱で5千万本を売り上げた。また、菓子メーカーのロッテも、チョコレート菓子「ビックリマン」とコラボした「鬼滅の刃マンチョコ」を同年11月に発売し、またたく間に品薄になった。
宝満宮竈門神社(福岡県太宰府市)にファンが奉納した数々の絵馬。キャラクターのイラストも描かれている(撮影/河嶌太郎)
ファン主導の聖地巡礼
観光業への影響も大きい。JR九州は20年11月から12月にかけて「SL鬼滅の刃」を運行した。劇場版に登場する蒸気機関車のモデルとされる列車が、大正時代に製造され、現存する日本最古の蒸気機関車「国鉄8620形蒸気機関車」と似ていることから始まった企画だ。指定席券が発売開始と同時に秒で完売し、熊本~博多駅間で840円(税込み)の指定席券が、4万円以上で転売される出来事まで起こっている。
作品の縁の土地をまわる「聖地巡礼」も、ファン主導で起こっている。九州各地にある「竈門神社」には、主人公の竈門炭治郎と名前が重なることから、ファンが参拝に訪れる。境内には鬼滅の絵が描かれた絵馬が数多く奉納されている。
「パワハラ会議」の舞台となった無限城にそっくりと話題になったのは、福島県会津若松市芦ノ牧温泉にある「大川荘」だ。大きな吹き抜けが1階から地下1階にかけて広がっている。その間は階段で結ばれており、正方形の浮き舞台が途中に突き出ている。大川荘の広報を担当する山崎和さんは、「昨年の2月ごろから『鬼滅』に関する問い合わせが増え、秋には満室になる日も多かった」と振り返る。また、利用者も「年配者が中心でしたが、家族連れや20~30代の女性グループが増えた」。「鬼滅」ファンとみられる利用者には、リピーターになる人も少なくないという。
言葉のインパクト
ただし、大ヒット作品とはいえ、人気は推移もしている。国際大学GLOCOM講師の菊地映輝さん(34)はこう指摘する。
「Googleトレンドによる検索件数の推移をみると、1期アニメの放送中から指数関数的に伸びています。その後、増減を伴いつつ、劇場版公開直後の20年10月末にピークを迎え、以降は波を繰り返しながら少しずつ落ち着きを見せている」
北海道大学でアニメについて研究する、アニメコラムニストの小新井涼さん(32)は、「『鬼滅』人気はアニメ化以降、ツイッターなどSNSを中心として口コミ的な人気の広がりを見せた」と分析する。
アニメ1期「鬼滅の刃」の放送は19年4月から9月にかけてで、Googleトレンドのピークとなった20年10月とは約1年の開きがあるが、「機動戦士ガンダム」(1979年)や「新世紀エヴァンゲリオン」(95年)も、放送終了から数年の時間をかけて人気に火がついた作品だ。
「確かに『鬼滅』も、大枠では『ガンダム』や『エヴァ』と同じように、放送が終わってからも人気は広がり続けた。ただし、これが1年足らずという時間で社会現象になったのは、SNSの影響が大きいと思います」(小新井さん)
久留米駅(福岡県久留米市)に停車中の「SL鬼滅の刃」。指定席券は発売直後に完売した(撮影/河嶌太郎)
実際、11月21日夜もアニメ2期6話のテレビ放送が始まると、ツイッターも盛り上がり、トレンドワードには「鬼滅の刃無限列車編」と「煉獄さん」が入った。煉獄杏寿郎と上弦の鬼・猗窩座(あかざ)の戦いが始まると、「煉獄さんかっこいい」「テレビでも迫力がある」とのツイートが飛び交った。28日放送予定の最終話のタイトル「心を燃やせ」が画面に出ると、「次回は絶対泣いてしまう」「もうつらい」と胸いっぱいのようだ。
なぜ、そこまで人気なのか。AERAは11月中旬、「鬼滅の刃」についてのアンケートを実施した。その回答を見ると、年代を問わず、なぜここまで人の心をとらえたのかが見えてくる。それは、登場人物が紡いだ言葉のインパクトだ。
「私も摘まれた若い芽でした」
そう語ったのは、近畿地方在住の30代の女性だ。
「新卒で警察官になったのですが、上司は仕事を教えてくれず、ただただ『使えない』と罵倒するだけ。それでも、人を守る使命感に燃えていて、仕事は好きでした。2年半、粘りました」
結婚を機に退職、職場から「逃げた」。だが、子どもを産んでからも自問自答と葛藤が続いた。そんな女性が心を整理できたのは、『鬼滅の刃』の登場人物、煉獄杏寿郎のおかげだ。
脳内にエア煉獄さん
「『君が足を止めて 蹲(うずくま)っても時間の流れは止まってくれない』。じゃあ、いまは子育てを頑張ろうと思えるようになったんです」
女性の脳内にはエア煉獄さんが住んでいて、「頑張ってて、えらいぞ」「今は休むがいい」と自分を肯定してくれるという。
アンケートにはほかにも「胸を張って生きろ」「人は心が原動力だから」「考えても仕方がないことは考えるな」など、作中で心に刺さった言葉があふれた。「人生哲学が詰まっている」(50歳・会社員・女性)、「どん底だった頃に出会って、元気と勇気をもらった」(25歳・公務員・男性)などの声もあった。
子どもが主人公のようにきょうだいに優しくするようになったという声も寄せられた。
いっぽうで、鬼に感情移入する人もいる。前出の「パワハラ会議」について、「無惨様のせりふをハッキリと言えたら気持ち良いだろうなと思います。大した働きもせず、サボることを覚え、権利を主張し、仕事をしてもらおうとするとできないと言う。嫌ならさっさと辞めてくれと思います」(39歳・専門職・女性)。「鼓の鬼、響凱は私自身だと思った」(61歳・大学教授・女性)という声もあった。(ジャーナリスト・河嶌太郎、編集部・井上有紀子)※AERA 2021年12月6日号より抜粋
AERA
2021/11/30 11:30