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「私も摘まれた若い芽でした」 いまは心にエア煉獄さん 『鬼滅の刃』が持つ言葉の力
井上有紀子 井上有紀子 河嶌太郎 河嶌太郎
「私も摘まれた若い芽でした」 いまは心にエア煉獄さん 『鬼滅の刃』が持つ言葉の力
福島県会津若松市の大川荘は、「鬼滅の刃」に登場する無限城に似ていると話題だ。この日、歓迎の三味線演奏を見ていた親子連れは県内から来たという。きっかけは「鬼滅」。上の女の子が「禰豆子が好き」と教えてくれた(撮影/植田真紗美)  市松模様の柄をよく見るようになった。「全集中の呼吸」「心を燃やせ」、そんな言葉もよく聞くようになった。主題歌「紅蓮華」や「炎」は耳にすっかりなじんだ。多くの人を巻き込み、社会現象ともいえるヒットが起こる背景には、何があるのか。AERA 2021年12月6日号から。 *  *  *  現実社会は、鬼の世界だ。  北海道の会社員女性(30)は、上司を漫画『鬼滅の刃』の敵キャラクターに例えた。 「鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)はうちの会社の社長だと思います」  女性の職場では、社長が社員数人と面談をする。主に社長の自慢話が多いが、ある日、こんな事件が起きた。 「ある社員が『業務が忙しくて寝られない』と訴えたところ、社長は急に機嫌を悪くして、『じゃあ寝なきゃいいんじゃない』と言ったのです。社員は死ねと言われているようなものです」  女性は、『鬼滅の刃』漫画6巻、アニメ1期26話で描かれた通称「パワハラ会議」を思い出したという。  作中の敵方である「鬼」の頭領・鬼舞辻無惨が、鬼の幹部たちを次々と粛清していく場面だ。無惨の思うような成果を上げられない部下に対し、「何故(なにゆえ)にそれ程まで弱いのか」と迫る。肯定すれば処分を受け入れることになり、否定すれば「お前は私が言うことを否定するのか」と殺される。発言すれば、「貴様共のくだらぬ意思で物を言うな、私に聞かれた事にのみ答えよ」と遮られ、提案しようとすると「お前は私に指図した、死に値する」と殺されてしまう。 社員は手駒でしかない  女性は言う。 「私が参加した面談でも、社長は『君たちの部署は将来ないから、次の仕事を考えた方がいい』と平然と言い放っていました。社員を手駒としか思っていない」  無茶な仕事を振られることもしばしば。こんな会社にはいたくないと、女性は鬼のいる会社から抜け出す計画を練っている。 『鬼滅の刃』は吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)さんによる漫画で、週刊少年ジャンプで2016年2月から20年5月にかけて連載された。主人公の少年・竈門炭治郎(かまどたんじろう)が、鬼になった妹を人間に戻すため、鬼殺隊の一員となり、鬼と戦う物語だ。全23巻の単行本の累計発行部数は1億5千万部を突破。19年4月から9月にかけて放送されたアニメも話題になり、人気をさらに押し上げた。昨年10月に公開された劇場版「鬼滅の刃 無限列車編」は、それまで興行収入歴代1位だった「千と千尋の神隠し」を抜き、日本映画史上最高の400億円を達成した。今年10月からは、アニメ2期が放送されている。  作品の大ヒットは、社会現象も巻き起こした。飲料メーカーのダイドーは20年10月、「鬼滅の刃」のキャラクターをデザインした缶コーヒーを発売。3週間弱で5千万本を売り上げた。また、菓子メーカーのロッテも、チョコレート菓子「ビックリマン」とコラボした「鬼滅の刃マンチョコ」を同年11月に発売し、またたく間に品薄になった。 宝満宮竈門神社(福岡県太宰府市)にファンが奉納した数々の絵馬。キャラクターのイラストも描かれている(撮影/河嶌太郎) ファン主導の聖地巡礼  観光業への影響も大きい。JR九州は20年11月から12月にかけて「SL鬼滅の刃」を運行した。劇場版に登場する蒸気機関車のモデルとされる列車が、大正時代に製造され、現存する日本最古の蒸気機関車「国鉄8620形蒸気機関車」と似ていることから始まった企画だ。指定席券が発売開始と同時に秒で完売し、熊本~博多駅間で840円(税込み)の指定席券が、4万円以上で転売される出来事まで起こっている。  作品の縁の土地をまわる「聖地巡礼」も、ファン主導で起こっている。九州各地にある「竈門神社」には、主人公の竈門炭治郎と名前が重なることから、ファンが参拝に訪れる。境内には鬼滅の絵が描かれた絵馬が数多く奉納されている。 「パワハラ会議」の舞台となった無限城にそっくりと話題になったのは、福島県会津若松市芦ノ牧温泉にある「大川荘」だ。大きな吹き抜けが1階から地下1階にかけて広がっている。その間は階段で結ばれており、正方形の浮き舞台が途中に突き出ている。大川荘の広報を担当する山崎和さんは、「昨年の2月ごろから『鬼滅』に関する問い合わせが増え、秋には満室になる日も多かった」と振り返る。また、利用者も「年配者が中心でしたが、家族連れや20~30代の女性グループが増えた」。「鬼滅」ファンとみられる利用者には、リピーターになる人も少なくないという。 言葉のインパクト  ただし、大ヒット作品とはいえ、人気は推移もしている。国際大学GLOCOM講師の菊地映輝さん(34)はこう指摘する。 「Googleトレンドによる検索件数の推移をみると、1期アニメの放送中から指数関数的に伸びています。その後、増減を伴いつつ、劇場版公開直後の20年10月末にピークを迎え、以降は波を繰り返しながら少しずつ落ち着きを見せている」  北海道大学でアニメについて研究する、アニメコラムニストの小新井涼さん(32)は、「『鬼滅』人気はアニメ化以降、ツイッターなどSNSを中心として口コミ的な人気の広がりを見せた」と分析する。  アニメ1期「鬼滅の刃」の放送は19年4月から9月にかけてで、Googleトレンドのピークとなった20年10月とは約1年の開きがあるが、「機動戦士ガンダム」(1979年)や「新世紀エヴァンゲリオン」(95年)も、放送終了から数年の時間をかけて人気に火がついた作品だ。 「確かに『鬼滅』も、大枠では『ガンダム』や『エヴァ』と同じように、放送が終わってからも人気は広がり続けた。ただし、これが1年足らずという時間で社会現象になったのは、SNSの影響が大きいと思います」(小新井さん) 久留米駅(福岡県久留米市)に停車中の「SL鬼滅の刃」。指定席券は発売直後に完売した(撮影/河嶌太郎)  実際、11月21日夜もアニメ2期6話のテレビ放送が始まると、ツイッターも盛り上がり、トレンドワードには「鬼滅の刃無限列車編」と「煉獄さん」が入った。煉獄杏寿郎と上弦の鬼・猗窩座(あかざ)の戦いが始まると、「煉獄さんかっこいい」「テレビでも迫力がある」とのツイートが飛び交った。28日放送予定の最終話のタイトル「心を燃やせ」が画面に出ると、「次回は絶対泣いてしまう」「もうつらい」と胸いっぱいのようだ。  なぜ、そこまで人気なのか。AERAは11月中旬、「鬼滅の刃」についてのアンケートを実施した。その回答を見ると、年代を問わず、なぜここまで人の心をとらえたのかが見えてくる。それは、登場人物が紡いだ言葉のインパクトだ。 「私も摘まれた若い芽でした」  そう語ったのは、近畿地方在住の30代の女性だ。 「新卒で警察官になったのですが、上司は仕事を教えてくれず、ただただ『使えない』と罵倒するだけ。それでも、人を守る使命感に燃えていて、仕事は好きでした。2年半、粘りました」  結婚を機に退職、職場から「逃げた」。だが、子どもを産んでからも自問自答と葛藤が続いた。そんな女性が心を整理できたのは、『鬼滅の刃』の登場人物、煉獄杏寿郎のおかげだ。 脳内にエア煉獄さん 「『君が足を止めて 蹲(うずくま)っても時間の流れは止まってくれない』。じゃあ、いまは子育てを頑張ろうと思えるようになったんです」  女性の脳内にはエア煉獄さんが住んでいて、「頑張ってて、えらいぞ」「今は休むがいい」と自分を肯定してくれるという。  アンケートにはほかにも「胸を張って生きろ」「人は心が原動力だから」「考えても仕方がないことは考えるな」など、作中で心に刺さった言葉があふれた。「人生哲学が詰まっている」(50歳・会社員・女性)、「どん底だった頃に出会って、元気と勇気をもらった」(25歳・公務員・男性)などの声もあった。  子どもが主人公のようにきょうだいに優しくするようになったという声も寄せられた。  いっぽうで、鬼に感情移入する人もいる。前出の「パワハラ会議」について、「無惨様のせりふをハッキリと言えたら気持ち良いだろうなと思います。大した働きもせず、サボることを覚え、権利を主張し、仕事をしてもらおうとするとできないと言う。嫌ならさっさと辞めてくれと思います」(39歳・専門職・女性)。「鼓の鬼、響凱は私自身だと思った」(61歳・大学教授・女性)という声もあった。(ジャーナリスト・河嶌太郎、編集部・井上有紀子)※AERA 2021年12月6日号より抜粋
鬼滅の刃
AERA 2021/11/30 11:30
ポールが涙目で口にした「ビートルズ解散」と最後の挨拶
ポールが涙目で口にした「ビートルズ解散」と最後の挨拶
デビュー時(奥)と、1969年5月(手前)の4人。どちらもロンドンのEMI本社で撮影されたものだ。ドキュメンタリー作品「ザ・ビートルズ:Get Back」はディズニープラスにて全3話を独占配信中。加入すればいつでも好きな時間に視聴できる (c)2021 Disney (c)2020 Apple Corps Ltd.  ドキュメンタリー作品「ザ・ビートルズ:Get Back」3部作の配信が、11月25日からディズニープラスで始まった。一足先に視聴したビートルズファン歴45年のライターが、レビューする。 *  *  *  50年前の出来事を、当時撮影した映像を編集してよみがえらせた計3部、8時間の大長編が、こんなにスリリングなドキュメンタリーになるなんて、やはりザ・ビートルズのマジックなのだろうか。  ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター。英リバプール出身の若者4人で結成され、1962年にレコードデビュー、自作自演の斬新な楽曲と言動でポピュラー音楽の歴史を変えた奇跡のバンド。70年4月に解散したが、半世紀たつ今も、怪物的な人気を持つ。  ことの始まりは、妻のシンシアと別れヨーコ・オノと愛し合うようになったジョンのソロ活動がバンドの枠を越え、「解散説」が飛び交うほど活発化、それにポールが危機感を持ったことだった。「ヘイ・ジュード」のプロモーションビデオを制作したマイケル・リンゼイ=ホッグ監督と組み、69年1月18日にビートルズが新曲を披露するテレビショーを企画、新曲を練り上げる様子も盛り込むことにし、撮影班がスタジオでメンバーに密着することになった。  セッションは69年1月2日に始まり、テレビショーはジョージの大反対で中止されたものの、撮影は最終日の31日まで続けられた。「ゲット・バック」「レット・イット・ビー」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」などのリハーサルやレコーディングを撮影した映像は57時間、音源は150時間。これを素材にリンゼイ=ホッグ監督がつくったのが70年5月公開の映画「レット・イット・ビー」(80分)だ。 「ロード・オブ・ザ・リング」で米アカデミー賞を受賞した、筋金入りのビートルズファンであるピーター・ジャクソン監督が、この膨大な映像と音源を使って新たに編集したのが今回の「ザ・ビートルズ:Get Back」である。前の映画「レット・イット・ビー」の映像はほとんど使われていないようだ。 撮影は、1969年1月2~31日のうち、休日やセッションの中断を除く22日間に及んだ (c)2021 Apple Corps Ltd. All Rights Reserved.  前書きが長くなったが、ビートルズものの本や映像をあさってきた長年のファンとしては、「こんな宝の山が残されていたのか」と驚きだ。  順調にスタートしたかに見えたセッションだったが、映画撮影用のスタジオで朝から新曲に取り組むことになったジョンやジョージは不満を募らせる。セッション3日目の4日、ギターの弾き方を指示するポールにジョージが激怒、「君が弾けというようにやるさ、弾くなというならプレイしない」と怒りをぶつけた。10日には、自分の曲がまともに取り上げられないことなど積年の不満が爆発、スタジオを飛び出してしまう。  ジョンは「ジョージが戻らないならエリック・クラプトンを後釜に入れようぜ」と皮肉るが、4人がそろってこそのビートルズ。だが週末にジョージの家で行われた話し合いもうまくいかなかった。  ジョンとポールの心のうちが赤裸々に描かれる。  13日、ポールはジョン不在のスタジオで、リンゴや恋人リンダ(2カ月後に結婚)、リンゼイ=ホッグや親しいスタッフらに疲れた様子で語りだす。グループそっちのけで、スタジオでも片時も離れないジョンとヨーコのことだ。 「ジョンはヨーコとずっと一緒にいたいんだ。ヨーコとビートルズのどちらを取るかと迫ればジョンは彼女を選ぶだろう」  ツアーでいつも一緒だった時代はジョンと曲を熱心に共作していたが、ツアーをやめて離れて暮らすようになると、親密さが失われたとポールは言う。 「ジョンとヨーコはやりすぎだが、もともとジョンは極端だろ。分別を取り戻せと言っても無駄さ。口をはさむことじゃない。たぶん僕らには(規律を正してくれる)父親のようなまとめ役が必要なんだ」  テレビショーは延期したいというポールは、ショーの新たなアイデアとして、ビートルズの曲の合間に最新のニュースを放送することにし、最後に「ビートルズ解散」を速報で流すのはどうかと言って笑った。  ポールは目を潤ませていた。  ジョンが電話に出ているというので、ポールは席を立った。 かつて見たことのない、半世紀ぶりによみがえる4人の姿に心が震える (c)1969 Paul McCartney. Photo by Linda McCartney.  その日(1月13日)の昼食時、スタジオに遅れて来たジョンは、食堂でポールと二人だけで話す。映像はないが、花瓶に録音マイクが仕掛けられていた。  ジョンが舌鋒鋭く言う。 「ジョージは(ビートルズでは)満足感が得られないと言っている。僕らが彼の傷が膿むのに任せ、さらに傷つけたからだ」 「君は僕にも指示する。後悔してるのは、君が曲を違う方向にもっていくのを許したりしたことだ」  それに対しポールは、 「そこが問題なんだ。君は自分の曲で指示できる時も何も言わない」  と反論。  ジョン「君の提案を断る自由をくれ。いい提案は頂くから。曲のアレンジもそうだ。嫌なんだ。うまく言えないが」「君はポール様だからな。正しいときもあるが、間違える時もあった。みんなも同様だ。もうビートルズはただの仕事になっちまった」  ポール「僕はジョージが戻ってくると思う。もし戻らなければ新たな問題発生だ。年を取れば、みんなで歌えるさ」  2人はまたジョージと話し合うことにし、15日に会合を持った。ジョージはテレビショーの中止とアルバム制作を復帰の条件に挙げ、他のメンバーはそれを受け入れた。  このころ、ジョンがひどいヘロイン依存になっていたことが、今では知られている。ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンらロック史に残る多くの面々が薬物で命を落とした。薬物が原因かはわからないが、ジョンがカメラの前でおかしな言動(「マスターベーションをやれば近視になる」などと口走る)を見せ、ポールがハラハラした様子で「君はまともじゃないぞ」とささやく場面も。  もともとビートルズの実質的なリーダーはジョンだった。ジョンはポールより二つ、ジョージより三つ年上(最年長のリンゴはデビュー直前に加入)で、10代半ばのジョンのバンドにまずポールが、次にジョージが入り、バンドとして整っていく。ビートルズと名付けたのもジョン。下積み時代、 「俺たちはどこまで行くんだ?」  とジョンが叫ぶと、 「トップのトップだよ、ジョニー」 とポールやジョージが応じて励まし合った。何と言ってもジョンは頼れる兄貴分だったのだ。デビュー初期はジョン主導で作られた曲や、ロック歌手として抜群の力を見せつけた曲が多かった。  ところが中期になると弟分のポールが才能を開花させ、一方でジョンは曲作りに苦しむようになる。後期のシングルの大半はポールの曲で、69年1月のこの映像でも、スタジオに来たポールが毎日のように新しい珠玉の楽曲の数々をピアノで披露している。この時期、彼は質量ともに恐ろしいほどの、創作力の絶頂にあったのだ。 伝説として名高いアップルビル屋上でのライブ。ビートルズ最後のライブ・パフォーマンス (c)2021 Apple Corps Ltd. All Rights Reserved.  何より音楽が好きなキュートな仕事師と、その思うようにやりたがる傾向を押しつけがましいと感じるようになったカリスマ的兄貴分。二人の関係は強いきずなで結ばれつつも、微妙で難しい水位に達していたのだ。  20日、ビートルズはだだっ広くて寒そうだった映画撮影スタジオを離れ、本拠地アップルビルの地下スタジオに移り、レコーディングに着手する。バンドは一気に活気づき、ジョンのはつらつぶりは見違えるようだ。メンバー個人が作ってきた曲がスタジオに持ち込まれ、みんなでやりとりしながら歌詞やメロディーを仕上げていく。見ているだけで心躍る光景だ。  自分の意見を通して復帰したジョージも積極的に関わる。28日、自身の代名詞となる名曲「サムシング」を披露。思いつかなくて半年も苦労しているという歌詞の一部をジョンとポールに相談した。29日にはジョンに、 「曲がたくさんできたので、ソロアルバムを出したい。ビートルズとしての活動も、その方がやりやすくなる」  と意欲を伝えた。ソングライターとして大きく開花しようとしていたジョージ。ジョンとポールの弟分に甘んじることは難しかったようにも思える。  グループ解散に決定的な影響を及ぼす人物の影を、ピーター・ジャクソンの編集は忘れない。ニューヨークのビジネスマン、アラン・クライン。22日夜に会い、深夜まで語り合ったジョンはクラインにほれこみ、28日、「本当にすごい男だ」とジョージに伝える。「これからクラインが来るぞ」とジョンはワクワクしている。  29日、現場でセッションを仕切った一人、グリン・ジョンズがジョンとヨーコに「クラインは頭がいいが変わった男」なので警戒するようアドバイスするが、ジョンは沈黙。後にセッションの音源を素材にジョンズがつくったアルバム「ゲット・バック」が2度にわたり棚上げされたのも、このときのことが影響したのではないかとの説もある。  クラインは5月、ビートルズのビジネス管理を担う契約を結び、ビートルズの会社アップルの経営を事実上握る。ただ一人拒否したポールは孤立し、グループは修復困難な内紛に突入していくのだ。  8時間のドキュメンタリーは、1月30日のアップルビル屋上でのライブ演奏でクライマックスに達する。42分間、ノーカットで4人の姿を見ることができる。それまでの不和や対立、争いの数々も、すべて洗い流したような(そんなことはないだろうが)圧倒的なパフォーマンス。年季の入ったビートルズファンなら、 「生きててよかった」  と思わずにはいられまい。目と目を見合わせ、ニヤッとうなずき合うジョンとポール。見ているこっちもうれしくなってくる。  ドキュメンタリーの終わり、ジョンが「おやすみ、ポール」と声をかけると、ポールが「おやすみ、ジョン」と返す。別なカットを組み合わせて構成されたこのシーン、不世出の奇跡のバンドをけん引した二人への敬意と愛情を、ピーター・ジャクソンが表しているかのようだ。  ワイングラスを手に微笑むジョージの映像も。ジョンとジョージはもうこの世にいない。(ライター・小北清人) ※AERAオンライン限定記事
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AERA 2021/11/30 11:00
動線を見直しながら片付けたら、娘の部屋の床から洋服が消えた
西崎彩智 西崎彩智
動線を見直しながら片付けたら、娘の部屋の床から洋服が消えた
動線を見直す前はテーブルへのアクセスが悪く、家族全員のストレスになっていました/Before  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 *  *  * case.13 家族関係は動線を意識するとうまくいく(夫+子ども2人/教育関係) 「夫には笑いながらですけど『結婚詐欺やな』と言われていました。ふだんの私とイライラが爆発した私が違いすぎて、もっと穏やかな女性がよかったって。そうは言うけど自分はこういう人間やし、ほんまに仕方ないと思っていたんです」  関西の若い夫婦らしい冗談まじりのやりとりをテンポよく話す彼女は、2人の子どものお母さん。若い学生に専門技術を教える仕事熱心な女性です。  家を片づける前をこう振り返ります。 「コロナで撮影や資料づくりといった家での仕事が増えました。リビングに小さい机を出して仕事をしはじめたらますます散らかりました」折しも外出が制限され、大型の不用品や洋服を売りに行くこともままならず、家に不要な物や資料がたまっていきました。  家族との関係はどんなだったか聞くと、 「夫は家事と子育てに協力的で最高です。ただ多少の散らかりは気にしない人。高校生の娘は散らかしの天才。仲は悪くないけど反抗期なので片づけをめぐる衝突もよくありました」 家族も片づけが苦手。だから結局は自分が片づける。片づけたところでリバウンド。そのループから抜けられず、心中はつねに穏やかではなかったそうです。 「家族で楽しく会話していても、仕事や用事を思い出すと切羽詰まってくるんです。イライラしたあげく『部屋が汚い!』って当たり散らしてました。急に雰囲気が悪くなってみんながリビングから散って終了。リビングにあるのはほとんど私の物なんですけどね」  裏には、あれもこれもやらねばと追われながら、行動できないジレンマがありました。何もしていないのに「やっている感」だけ出す罪悪感も。家族が起きている時間はなぜか仕事に手がつかず、深夜から動き、寝不足で翌朝仕事へ行く日もあったとか。 使いやすく、仕事もしやすくなったダイニング。テーブルに着くと家族が笑顔になります/After  行動が遅いのもイライラも自分の性格のせい。諦めかけていた折、家庭力アッププロジェクトが目に留まったのでした。  プロジェクトではまず家全体の物を整理し、課題のひとつとして家族の家での動線を観察してもらいます。この「動線検証」が片づけをあと押ししました。 「引っ越して10年、家具はそこにあるものだと思っていました。動かすとか捨てる感覚もなくて。でも動線を意識したら『ここに置いたらスムーズに動けるんちゃう?』ってアイデアが降りてきたんです。固定観念から外れて考えられたとき、片づけがめちゃくちゃ楽しくなりました」ダイニングテーブルの向きを変え、棚とともに移動すると人の流れができた。すると不思議とイライラが減ったのだとか。  いきおいでキッチンも仕上げていきました。料理をする夫にもヒアリングしながら進めました。 「これまで家族の意見はぜんぶ却下。はじめて夫に相談したらびびってましたね。夫はふりかけが大好きで見える所にたくさん置くけど、私はどうも嫌。聞くと夫はお弁当づくりにはここがいいと言う、じゃあどうしようか。細かい問題から一緒に考えました」  妻とふつうに相談ができる。“鬼嫁”の変化を一番喜んだのは夫でした。キッチンの“コックピット化”を目指して二人三脚で収納の型をつくりました。  娘の意見も聞きました。娘は部活やバイトへ行くとき靴下を履き替えたいけど忘れ、玄関と部屋をバタバタ往復することがありました。 「靴下どこに置きたい?って聞いたら玄関と言うんです。玄関の収納がうまく使えていなかったので思い切って靴下をそこへ入れました。すると娘も下の子も出発前のバタバタがなくなりました」  ほかにも、却下していた娘のアイデアを参考に収納をつくると、娘は洋服を元に戻すようになりました。リバウンドさせないコツは家族の言葉にありました。  45日間で家具のレイアウトも収納も見直したら、彼女は家で怒らなくなりました。お母さんの変わりように家族は驚き、笑顔も増えました。 ソファとテーブルの間もちゃんと通れるようにしました。これで、朝のバタバタが激減/After  彼女の中でどんな変化があったのでしょうか。 「家事も仕事もすぐやる習慣が身につきました。時間通りにやれるからゆっくりする時間の罪悪感がなくなりました。先にやる気持ちよさがわかったので継続できています」  小さい机はやめて、落ち着くダイニングで仕事。集中できて、「夜行性だと思っていた」日々は一変。早く寝る生活が訪れたのです。「1日が48時間やったらええのに」が口癖だったのが今は、時間が増えたように感じるそうです。  変わったのは彼女だけではありません。娘にも、奇跡が起きました。 「どれだけ床に物を置くなと言っても翌朝には脱ぎ散らかして学校へ行き、脱ぎ散らかして部活へ行き、脱ぎ散らかして寝ていたんです。それが今は、荷物、靴下、ペットボトル、娘の部屋の床には何もないんです」  娘はプロジェクト中にお母さんと自室を片づけました。ビフォーアフターの写真を見たとき娘は何かを感じたみたい。 「これまで朝はギリギリに起きて、ぶすーっとして朝食を食べて、聞こえるか聞こえないかの声で『いってきます』とつぶやいて家を出るのが日課でした。それがある朝、『行ってきまーす!』って大きな声で家を出たんです」  その日娘から来たメッセージには「もう脱ぎ散らかさない 変わろうと思う」とありました。娘は片づけられた自分が誇らしかったのです。難しいはずの思春期、母と娘の関係は今が一番良いそうです。  正体不明のイライラを乗り越えた彼女は、新しい自分に出会えたと言います。 「あかんと思うけどイライラの時代は、夫が『腰が痛い』と言うときに、大丈夫?って言えなかったんです。大丈夫で治ったら病院なんかいらんと。でもある時ふつうに大丈夫?って言葉が出て自分が一番驚きました」 “鬼嫁”は本当の自分じゃなかった。脱皮できたと言う彼女は、これからが楽しみだと感謝の気持ち伝えてくれました。 ◯西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・夫婦間のコミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト®」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。ラジオ大阪「西崎彩智の家庭力アッププロジェクト」(第1・3土曜日夕方)が2021年5月1日からスタート。フジテレビ「ノンストップ」などのメディアにも出演 ※AERAオンライン限定記事
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AERA 2021/11/29 07:00
「かなりぶっ飛んでいますね…」 ドラマ「日本沈没」プロデューサーが脱帽した香川照之の存在感
福井しほ 福井しほ
「かなりぶっ飛んでいますね…」 ドラマ「日本沈没」プロデューサーが脱帽した香川照之の存在感
日曜劇場「日本沈没―希望のひと―」から。田所博士が予言した「スロースリップ」と呼ばれる断層すべりにより東京が沈没したシーンは、あまりの迫力にSNSでも大きな話題に(TBS提供)  地球温暖化の影響で海面が上昇。不安定だったプレートに負荷がかかる。そこで生じたひずみをシミュレーターに入れると、沈没区域を示す真っ赤な色で日本地図が染まり上がる……。日曜劇場「日本沈没-希望のひと-」のワンシーンだ。  48年前に書かれた小松左京氏の原作「日本沈没」の根幹にあったのは、高度経済成長の終わりとプレートテクトニクスやマントル対流。一方で、現在放送されているドラマでは、作品の肝となる地震学者の田所雄介博士の設定はそのままに、物語の根っこに地球温暖化を置いている。  なぜ、テーマを大きく変えたのか。プロデューサーの東仲恵吾さんは言う。 「今の時代に即して作るなら、地球環境をどう守るかをテーマに置きたいと思ったんです。人口減少やインフラの老朽化、地球温暖化などを懸念した2050年問題は世界的な命題。設定を作るなかで、海面上昇が沈没を導引するという設定で物語を作れないかと考えました」  地震学の監修をした火山学者の山岡耕春氏は、原作への愛着を持つ読者の一人。温暖化と沈没を結びつけるという設定には「非常に困った」と吐露している。東仲さんはこう説明する。 「山岡先生とは、実際に起きている環境の変化が日本沈没という現象にどう影響するかを議論しました。地殻への大きなストレスや海面上昇が地殻変動に移行する可能性はありますか?という話からはじめて、『1万年という時を経たら起こり得る現象』といった答えを重ねていく。それをドラマというフィクションに合わせて、一週間とか一カ月という期間に集約しました。原作の設定を大幅に変えていくという点で、おそらく戸惑いがあったのだと思います」 予想外の「コロナ禍」に  ドラマの構想が始まったのは、2019年。東日本大震災から10年となる今年、一つの節目として描きたいという思いからだった。当時の状況はもちろん、政府が立てている関東大震災のシミュレーションなども目を通した。  だが、予想外のことが起きた。 「2021年は東京オリンピックが終わった翌年で、日本が経済的にも成長して上を向いている状況での放送を想定していました。視聴者の方の心にも余裕があって、改めて環境のことを考えられるようにと思っていたんです。それが、コロナ禍で大きく情勢が変わりました」 日曜劇場「日本沈没―希望のひと―」プロデュース 東仲恵吾(ひがしなか・けいご)/1984年生まれ。プロデューサーとして、ドラマ「99.9-刑事専門弁護士」「おカネの切れ目が恋のはじまり」などを手掛ける(TBS提供)  日々の生活が苦しい人がいるなかで、ドラマのせいで鬱屈とした気持ちになってほしくない。そんな思いがよぎったが、そのたびに当初の思いに立ち返った。 「何回もリメイクされてきた作品を今この時代にやる意味は何かをスタッフも出演者も一緒になって議論してきました。2050年問題という現実が迫るなかでも、一人ひとりにできることがある。年配の方から小さい子どもまで、その思いを感じ取っていただきたい、というのが私たちの結論でした。ストーリー作りや演技で迷ったときも、このテーマを胸に秘めて乗り切ってきました」  物語の舞台を少し先の2023年にしたのは、「まだ変えられる」と希望を持てるようにしたかったから。初回放送直前の10月7日夜、関東地方では最大震度5強の地震が発生したときには、不安をあおらないよう、打ち出し方を考え直した。現実に起きている問題と向き合うからこそ、リアルとフィクションのバランス感覚を欠かさないようにした。  それ以上に大変だったのは、エンターテインメントの要素をどこまで許容するかだった。 「制作する側が言うのもなんですが、なかなか爽快な話ではないんです。日曜の夜って憂鬱じゃないですか。明日から仕事が始まるし、見終わった後にスッキリして頑張ろうと思っていただけるような作品を届けるのが日曜劇場の本質にあります。だから、これまでの日曜劇場よりは爽快感は薄れてしまうかもしれないと思っていました」  ここ数年の日曜劇場は、物語の面白さに加え、出演者たちの想像以上に力がこもった芝居も評判だった。だが、「日本沈没」ではそうした演出も難しい。小栗旬演じる環境省の天海啓示が政府を動かす様子にスカッとすることもあるが、その一方で常に不安が横たわる。 田所博士がどれだけ弾けるか  そんなドラマで唯一独自の路線を貫き、物語をエンタメに昇華したのが、香川照之演じる田所博士の存在だった。 「撮影を終えて振り返ってみると、田所博士がどれくらい弾けるかということがこのドラマの生命線になっていたと気づいたんです。田所博士は原作でも破天荒なキャラクターですが、見た目や芝居の雰囲気、ぶっ飛び具合も香川さんがすべてご自身でハンドリングしています。一番恐ろしいことを言う人物であり、唯一ハネられる役でもある。現場では監督と『かなりぶっ飛んでいますね……』と話していたのですが、ドラマとしてつなげていくとものすごい力学を持っていらっしゃる。絵力も迫力がありますが、自分が演じる役が作品にどう影響するかを計算されている方です。監督陣含め、脱帽しました」  リアルとフィクション、そしてエンタメが混ざりあった「日本沈没」は視聴者の反応も大きい。放送のたびに、Twitterでは「#日本沈没」がトレンド入り。作品への感想や考察が飛び交っている。 「堅苦しいと思われるかもしれませんが、身の回りのものを変えようといった環境を意識する声も思った以上に多く、伝えたいことが伝わったと感じられてうれしいです。山岡先生も話していましたが、日本沈没は「非現実的」で、現実には起こり得ないと思います。でも、海面上昇が起きていて、地殻には日々大きなストレスがかかっているのは本当です。スタッフ、出演者ともに『こんなことは起きてほしくない』というアラートのつもりで作品と向き合っています」  ドラマの後半では、国土を失うことの意味や、世界へ移民を受け入れてもらうためにどう動くかが描かれている。沈没までの限られた時間のなかで、どんな答えが導かれるのだろうか。(編集部・福井しほ) ※AERA 2021年11月29日号掲載に加筆
日本沈没
AERA 2021/11/28 11:30
家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔
松岡かすみ 松岡かすみ
家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔
写真はイメージです(GettyImages)  晩婚化に伴い、マイホーム購入の平均年齢が上がっている。金融機関が貸してくれる時代とはいえ、ローンは早めに完済したほうがベターだ。それでも人生は予期せぬことが起こりうるもの。リアルな事例や最近の不動産事情を探った連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。今回は、20代で計画的に購入した夫婦の事例から、戸建てを検討する際にどんなことを考慮すべきなのか。専門家に聞いた。 *      *  *「家を買うのが早すぎたのかもしれない……」  神奈川県で夫と2人で住んでいるAさん(37)は、10年前に家を建てたことを悔やみ始めている。  Aさんは「若い頃から将来設計をしっかり立てておきたいタイプだった」というように、25歳での結婚を機に、ファイナルシャルプランナーに収入に応じたライフプランを相談。「住宅ローンのことを考えても、家を買うなら早いに越したことはない」というアドバイスのもと、27歳で新築一戸建てを購入した。  夫婦ともに地方出身で、広々とした戸建で育ってきたことから、マンションは選択肢になかったという。カフェ風のお洒落なインテリアを実現したいとの思いから、注文住宅でそのこだわりを実現した。 「これから子どもを産んで家族も増えるはず」  広めの子ども部屋も構え、期待で胸を膨らませながらマイホームでの暮らしを満喫していた。  ところが翌年、Aさんにがんが発覚。幸い大事には至らずに済んだが、手術を経て子どもができづらい体になってしまった。気づけば、高校や大学の同級生らは出産ラッシュ。 「今、子ども部屋を見ると、何とも言えず悲しい気持ちになります」(Aさん)  戸建てへのこだわりを優先した分、交通の便は犠牲にしていた。共働きで、満員電車に揺られ、片道約1時間半かけて都心へ通う日々。駅から家まで徒歩25分と距離が遠く、家から駅までは自転車が欠かせない。退院後に長時間通勤は正直、つらかった。  昨年からのコロナ禍で「戸建てでよかった」と思い直したかというと、そうでもない。確かに、残業が多く深夜帰宅が当たり前だった日常は、コロナの影響で一変した。夫婦ともにテレワークが基本となり、出社は月1~2回。感染状況が比較的落ち着いている今もテレワーク中心であることは変わらず、以前に比べて格段に自由な時間が増えた。  プライベートを充実させようと、海辺に引っ越した同僚もいるという。Aさん夫婦が家を建てたのは住宅街。特段、緑の多いエリアでもない。 「今の家は、都心への通勤を考えて、自分たちが無理ない範囲で戸建が持てるエリアということで決めた場所。都心へのアクセスも周辺の環境も、言ってみれば中途半端な郊外の住宅地です。こんな状況になるなら、もっと自然豊かな場所に住むか、仕事中心のライフスタイルに合わせて都心のマンションという選択肢でも良かった」(Aさん) ◆ 商業施設が撤退する地域は値段に響く  人生、いつ何が起きるか分からないのは万人に共通すること。専門家にも相談し、長い目で見て良かれと判断し、早めに行動したAさんのような人でも、予測できない事態に後悔することがある。どんなことに留意すべきなのか。Aさんのケースを検証しながら、ポイントを整理していこう。 「家を買う時には、『もし自分がそこで住めなくなったら』という仮定をして考えてみることが大事です」   不動産コンサルタントの午堂登紀雄さんは、Aさんの例についてこう指摘する。想定外のことが起こり、もし自分がそこで住めなくなった場合は、人に「売る」か「貸す」か、どちらかの選択肢しかない。 「だからこそ、何かあったら『売れる』、もしくは『貸せる』物件を選ぶ視点が必要です」(同) 写真はイメージです(GettyImages)  ここで改めてAさんの家の立地について整理しよう。Aさんの家は、最寄り駅から徒歩25分。晴れた日は自転車で駅まで向かい、駅に隣接する駐輪場に駐車する。雨の日はバスを利用するか、急いでいる時はタクシーを呼んで駅まで向かうこともあった。最寄り駅から都心のターミナル駅までは、乗り換え1回を挟み、1時間超かかる。通勤時間帯には郊外から通勤する乗客がひしめき、特に朝のラッシュ時間の満員電車は過酷な状況だった。  午堂さんは言う。 「駅から徒歩15分を超えた立地や、バスを利用しなくてはいけない立地など、アクセスの悪さは想像以上に売る時の値段に響いてきます。また郊外のニュータウンなどの高齢化が進む地域や、周辺の商業施設が撤退するなど衰退が進む地域も要注意。いざという時に売りにくくなり、資産価値が低下しやすい」 ◆ 実は「建売住宅」のほうが次に売りやすい  主に都市部で売れる物件の条件については、前回の記事に詳述しているが、Aさんの場合はマンションでなく戸建であることもポイントだ。戸建には思わぬリスクもあるという。 「一般的に戸建は、建物が木造であることが多いため、鉄筋コンクリート造であるマンションに比べ、価格が下落するスピードが早い。また、木造住宅の価値は、築20~24年前後でほぼゼロと評価されることから、土地だけの価格になってしまうことが多いのです」(午堂さん) 写真はイメージです(GettyImages)  その土地代も、手放したいと考えるときには価値が下がってしまうこともある。例えば郊外の新築一戸建を買って数十年が経過した後、売却したいと考え、土地部分の価格のみで売りに出す。しかしなかなか買い手が現れないために土地部分の価格も下げることを余儀なくされ、結果的に大幅に資産価値を下落させてしまうケースもよく見られるという。  さらに、こだわりを実現するための「注文住宅」という点にも、意外な落とし穴が潜んでいる。実は一戸建の場合、一見ぜいたくなほど細部にこだわった注文住宅より、建売業者が建てたよくある間取りの建売住宅の方が売りやすい場合も多いという。これまで6千件を超える不動産取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは言う。 「なぜなら建売業者は、建物を建てる前に、そのエリアの需要の傾向や価格相場などのマーケット調査をし、それを基に万人に受けるであろう外観デザインや間取り、建具、設備、内装などにしていることが多いからです。自分仕様にこだわって建てた注文住宅が、リセール時の買い手に気に入ってもらえれば良いのですが、その個性が逆に買い手を狭めてしまい、結果的に売りにくくなってしまうことがあります。住宅においてはある意味、“個性のなさ”が買い手を限定させず、売りやすさを高めるとも言えます」 (松岡かすみ) >>【後編:マイホームは「子ども部屋なし」がトレンド?! 勉強部屋に風呂なしアパートを借りる賢い選択】に続く
それでも夫婦は東京に家を買う子ども部屋戸建て
dot. 2021/11/28 10:00
都心タワマン新築1億円を共働き夫婦が「買える」理由 パワーカップルの意外な金銭感覚
松岡かすみ 松岡かすみ
都心タワマン新築1億円を共働き夫婦が「買える」理由 パワーカップルの意外な金銭感覚
写真はイメージです(Getty Images)  コロナ禍で田舎暮らしへの憧れはあるものの、都心で働く夫婦が家と買うとなればやはり首都圏の物件が現実ではないだろうか。共働き夫婦のリアルな事例事情や最近の不動産動向を探った短期集中連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。一回目のテーマはパワーカップルとタワマン。首都圏の新築マンションの価格は高騰し、タワーマンションならば1億円超えの「億ション」も珍しくなくなった。資産家の投資用かと思いきや、普通の会社員夫婦が購入して住んでいるのだという。共働きで稼ぐ、いわゆるパワーカップルだ。 *   *  *東京都中央区、最寄り駅から徒歩5分、33階建ての新築タワーマンションの一部屋。窓からはいかにも東京らしい都心のビル群や湾岸エリアが一望できる。ここを約8千万円で昨年購入したのは会社員男性のAさん(41)だ。  「夫婦ともに定年まで辞めるつもりはないので、払えると踏んで購入しました」  都内の大手商社に務めるAさんは、広告代理店勤務の妻(40)と夫婦二人暮らし。共働きのAさん夫婦の世帯年収は、約1600万だ。頭金1千万円を夫婦の貯金で支払い、残りの7千万は35年の住宅ローンを組んだ。月々の返済額は、管理費と合わせて22万円程度。夫婦の手取り月収は合わせて78万円前後なので、毎月約28%の収入がローン返済に充てられることになる。かなり高額な買い物だが、会社の同僚には1億円超えの物件を購入した人もいるという。  Aさんの背中を押したのは、「駅近で都心までのアクセスも良く、活気あるエリアの物件で、今後も一定の資産価値を維持できるだろう」という不動産屋の言葉。購入時と同じ8千万円の価格か、それ以上に価値が上がる可能性もあると期待している。一生住むつもりで買った物件だが、「何かあれば買った金額で手放せるはず」ということが、安心感に繋がっているという。 「言ってみれば、貯蓄効果もある買い方。もちろん高い買い物ではあるけれど、値段が下がりづらい物件を買うことは、資産防衛術とも言えると思う」(Aさん)  コロナ禍で景気低迷ばかりが取り沙汰される現在だが、実は首都圏を中心に、高額の新築マンションを買う人が増えている。主な購入層は、「パワーカップル」とも呼ばれるAさん夫妻のような高収入の共働き世帯だ。首都圏のマンション価格は年々高騰しており、不動産経済研究所の2021年度上半期(4~9月)の新築マンションの一戸当たり平均価格は、首都圏(1都3県)で前年同期比10.1%増の6702万円。1973年の調査開始以来、上半期としてバブル期を超える最高値を記録し、高額の東京都心の物件を中心に人気が集まっている。 写真はイメージです(Getty Images)  都心のタワーマンションといえば、不動産業界でも、以前は限られた富裕層のみが買う「特殊住戸」と呼ばれていた。一定の収入がないと買えない物件であることは今も変わりないが、その敷居は以前に比べると下がっており、積極的な購入層は世帯年収1千万~2千万円前後の会社員だという。Aさんはその典型例だろう。  なぜ、会社員夫婦がこうした物件の購入ができるようになったのだろうか。  まず、背景にあるのが、超低金利という今の時代だ。頭金をそれほど用意せずとも、長期のローンを組むことで、年収の高い会社員であれば6000~7000万円程度は容易に借り入れすることができる。夫婦ともに稼ぐ共働き世帯ともなれば、2人で1億円を超えるローンも組むことができる時代だ。大手銀行の借り入れ限度額は1億円が主流だが、ここ数年で高額物件用の借り入れ需要が増している背景から、新興金融機関では上限2億円超えまで対応しているところも多い。こうして夫婦両輪で多額のペアローンを組み、新築の億ションを共有名義で買っている世帯が増えているという。  「一昔前まで住宅ローンの返済額の目安とされていた『世帯収入の20~25%が上限』というセオリーが崩れ、過大なローンを組む人が増えている」  こう指摘するのは、大手デベロッパー出身の不動産コンサルタント、長谷川高さん(長谷川不動産経済社代表)。初めて家を購入する平均年齢は、40歳前後の現在。働き盛りで管理職などになり、それなりの収入を得られていると実感しやすい年齢だ。また、共働きが当たり前の時代になったことも大きい。 「少し前までは、夫婦共働きであっても、どちらか一方の収入を元にローンを組むことが一般的でした。ですが今は、夫婦両輪の“大車輪”のごとく、多額のペアローンを組む例が珍しくない」(長谷川さん)  ローン完済年齢も上がってきている。人生100年時代、60歳以降も働くのが当然という意識を持つ人は多い。「10年ほど前までは、60歳以降は働かない前提で考える人が多かったのが、ここ最近は70歳まで働くことを見据えてローンを考える人が増えている」とは、首都圏を中心とした住宅購入における相談実績も多いファイナンシャルプランナーの飯田敏さん(FPフローリスト)。 写真はイメージです(Getty   Images)  Aさん夫妻も、仕事が生活の中心というライフスタイルを変えるつもりはなく、今後子どもを持つ計画もない。ともに働き盛りの40代。仕事は多忙を極め、帰宅は連日深夜がお決まりだ。終電を逃してタクシーで帰宅することも多く、会社のある都心に近いことは必須条件だった。40歳から35年のローンとなると、完済時の年齢は75歳。だが、繰り上げ返済を計画的に行うことで、60~65歳のローン完済を目指している。 「今の社会の流れを見ると、自分たちの頃には70歳まで働くことが当たり前の時代になっているのでは。年金には期待できないけれど、長く働くことで一定の収入は得られるはず」(Aさん)  こうした時代の流れに加えて、タワマンを購入するパワーカップルは「意外と生活は堅実」という点も特徴かもしれない。冒頭のAさん夫妻も高収入ではあるが、ブランド物を買ったり、頻繁に贅沢な食事をしたりするわけでもなく、夫婦一緒に毎月コツコツと貯金を続けている。頭金として1千万円を用意できたのも、浪費をせず、計画的に貯金してきたからこそだ。つまり、ぜいたくな暮らしをしたいからタワマンを購入したわけではないのだ。タワーマンションなどいわゆる高級マンションに住む理由は、ステイタスやブランド意識からではなく、Aさん夫妻のように「資産価値が優れていて、価格が下がりづらい」という背景から選ぶ人も多いという。  不動産コンサルタントの後藤一仁さんは言う。 「確かに都心のタワーマンションはよく売れていて、積極的に買おうとする動きが活発です。ただ、こうした物件を購入する会社員夫婦は、資産を持て余しているから買うのとは少し違います。自分たちの収入の中で買える範囲で、なるべく資産価値を維持できる住宅を求めており、“稼いだお金を減らしたくない”と考える人が多い」  すなわち、現金という流動資産を一旦「タワーマンション」という固定資産に変え、十分に利用したら、またほぼ同じ金額の流動資産や他の固定資産、金融資産などに変えるという作業を計画的に行うという流れだ。 「つまり1億円で買ったマンションが、10年間住んだ後も1億円で売れる可能性が高い、という理由からタワーマンションを選ぶ人も少なくない。タワーマンションは、街の再開発とセットで建てられるケースも多く、一般的に駅近であればなお価値が下がりにくいと言えます」(後藤さん)  Aさんもこんなことを言っていた。 「いざとなれば、買った時と変わらない金額で手放せる物件。この新築タワーマンションは、その条件に当てはまると思いました」  なるほど、今、タワマンを買うのは意外と堅実な選択肢なのかもしれない。しかし、大きな買い物には、ときに意外な落とし穴が潜んでいるもの。次は、長い目で見たときの不動産リスクについて説明しよう。(松岡かすみ) >>【後編:新築マンション高騰の裏で設備がチープ化?ローンを返せない共働き夫婦も 超低金利時代の落とし穴】に続く
タワマンパワーカップルローン不動産
dot. 2021/11/26 08:00
外見差別と戦った同志の死 「バケモノ」と罵倒された過去
外見差別と戦った同志の死 「バケモノ」と罵倒された過去
藤井輝明さん  今年5月、ひとりの男性が亡くなりました。藤井輝明さん、享年64歳。顔に大きな紫色のコブがあり、幼少期にいじめられた自らの経験を全国2500の学校で語ってきました。そんな藤井さんの死に「生前に再会を果たせず、深く後悔した」と語るのが、生まれつき顔にアザがある石井政之さん(56)です。二人はかつて、外見に症状がある人たちの差別の解決に取り組む活動を一緒にしていました。「藤井さんが笑顔を絶やさなかった意味は何だったのか」。石井さんが藤井さんを知る人たちに話を聞きながら、振り返ります。 ツイッターで知った同志の死  今年5月、Twitterを通し、藤井さんの死を知った。  藤井さんは医学博士として、熊本大や鳥取大などで後進の指導にあたるなど、その生涯を看護教育に捧げた人物だ。  彼の業績は、それだけではない。顔面に海綿状血管腫と呼ばれる紫色のコブがあった。顔にアザやキズなどの目立つ症状のある「ユニークフェイス」の当事者だ。彼は、幼少期にいじめられた体験を、約2500の学校で語ってきたユニークフェイスの講演者でもあった。  私もまた藤井さんと同様、顔面に単純性血管腫と呼ばれる赤アザがある。彼とともに、外見差別をなくすために活動をした時期がある。ここ20年ほど連絡を絶っていたが、彼の存在はいつも気になっていた。本稿は、一人の当事者が送った人生と、その功績について振り返るものだ。  藤井さんの最後の職場は、岐阜聖徳学園大学だった。老年看護学を教える特任教授として昨年9月に赴任していた。死の状況について、同大学事務局がこう教えてくれた。 「藤井さんは岐阜市内にアパートを借りて暮らしていました。5月4日深夜、大学近くの用水路で倒れていたのが発見されました。死因は急性心不全。自転車を運転中に誤って転落して心不全となったのか、心不全になって水路に転落したのかは不明です」  それは、周囲にとっても本人にとっても、突然の死だった。 丁寧な態度で振る舞う大柄の男性  私と藤井さんの出会いは、30年前にさかのぼる。  当時、私は20代半ば。フリーライターとして、顔面にアザのある当事者として、同じ境遇にある人たちの取材を進めていた。  1990年代、インターネットが普及していない時期である。私は自分の顔のアザを指し示しながら、「同じようにアザのある当事者がいたら紹介して欲しい」と友人知人に声をかけていた。その中に、筑波の学生に顔に大きなコブがある人がいる、という情報があった。  その人とは名古屋で会うことができた。それが藤井さんだ。筑波から名古屋大学大学院に来たばかりだった。  藤井さんは大柄の身体を揺すって席を立ち、「お忙しいところ、わざわざありがとうございます」と深く頭を垂れた。女性的な高いトーンで話す人だ、という印象を持った。  私の質問に対し、藤井さんはこう語った。 「地域でも学校でも、いじめにあったことがないんです。暴力をふるわれたこともありません」  それは、意外な答えだった。 46歳で語り始めたいじめ体験  しかし、その後、藤井さんは自著『運命の顔』(‎草思社)などで、幼少期に壮絶ないじめにあった、と書いた。 学校の行き帰りには、いつもいじめっ子たちが待ち伏せされて囲まれたなあ。「バケモノ」っていわれたのは、そうだ、小学校の入学式からだ。人にジロジロ見られ出したのは、幼稚園のときからだったような気がする。『運命の顔』(8ページ)  この記述を読んだときに「藤井さん、やっと本当のことを語り出したな」と思った。『運命の顔』が刊行されたのは2003年。藤井さんは当時46歳だった。  藤井さんが「嘘をついた」とは思っていない。私と会うまで、自分の体験を第三者に取材される経験がなかったのだろう。だから様子をみたのだ。  藤井さんをはじめとして、数多くの当事者にインタビューしてわかったことがある。そのひどい差別体験を周りが信じないので、分かってくれない、と諦めて、心を閉ざす当事者が多い。当事者が真実を話すまで時間がかかるのだ。 採用担当者が一言「化け物みたいな顔」 『運命の顔』によると、藤井さんが海綿状血管腫を発病したのは2歳のころだ。  父親は東京都の職員。母親は助産師と看護師の資格をもっていた。当時の医学では治すことができなかった。右目の近くに血管腫があったため、腫瘍の切除をすると右目が失明するリスクもあった。両親は、医学の進歩を信じて、病状を静観する決断をした。  勉学に励み、中央大学経済学部を主席で卒業。しかし、就職試験にことごとく落ちてしまう。容貌(ようぼう)を理由とする就職差別だった。大学の教授が「君の成績なら絶対に採用される」という銀行、金融会社からも不採用通知が来た。その数、約50社。  ある大手企業で採用を担当する幹部は、藤井さんにこう言った。 「うちはサービス業だ。キミの化け物みたいな顔では、フロントに置いていくわけにいかない。成績もよいし申し分ないんだけれど・・・それより公務員試験を受けたらどうですか」『顔面漂流記―アザをもつジャーナリスト』(石井政之著 かもがわ出版・90ページ)  失意のときに、たまたま聴講した医療講演会で、ひとりの形成外科医と出会う。藤井さんの血管腫をみて「治療させて欲しい」と提案しただけでなく「うちの病院で働かないか」と励ました。運命の出会いである。医療の世界に飛び込んでいった。  就職先の病院で、約10時間の手術を受けた。大きくなっていた血管腫を切除した。右目の失明を避けるため、すべての血管腫を取り除くことはできなかった。しかし、容貌は大きく改善された。  新しい顔を手に入れて、藤井さんは、医療事務の仕事から、医療現場に行きたいと願うようになった。仕事をしながら看護学校に通って看護師資格を取得。それに満足せず名古屋大学大学院で医学研究をスタートした。 自らのことを語らなかった藤井さん  私は、自らの差別体験や藤井さんら当事者から聞いた話をまとめた著書『顔面漂流記』を1999年に発表した。  同時に、自助グループ「ユニークフェイス」(2002年NPO法人化)を旗揚げした。そのときには岐阜の短期大学に赴任していた藤井さんに、名古屋支部のまとめ役をお願いした。しかし、運営の進め方で意見の違いが出てきて、藤井さんがNPOから離れていった。  その後、藤井さんは当事者の呼称として「容貌障害」を提唱し、全国の学校を巡り自らの体験を語り出した。  その活躍を遠くから見つめながら、「いつかまた、一緒に当事者支援活動ができたらよいな」と思っていた。だが、再会を果たせぬまま、20年の歳月が流れていた。 「何とかして連絡を取りたい」。そんな思いが強くなっていたときだった、彼の死を知ったのは。信じられず、会っておかなかったことを猛烈に後悔した。  そして、私の中にある彼との思い出をたどるうちに、ふと思った。藤井さんはどういう人間だったのだろうか、と。私は彼と何度も会って話をしてきたが、彼の人物像を説明しにくい。いつも笑顔の人だった。一方で、自己主張は控えめで、私の前では自らのことは語らない人だった。 友に「笑顔で生きると決めたんだ」  SNSを通し、生前の藤井さんとの交流のある人たちに取材協力を求めた。すると、藤井さんと30年以上のつきあいのある、山口秀樹さん(60)から連絡を頂いた。山口さんも、京都府立中丹支援学校副校長を務めるなどした教育者だ。  山口さんが20代のころ、2人は松下政経塾で出会ったという。  藤井さんは当時、「福祉入浴」の支援に取り組んでいた。福祉入浴とは、地域の銭湯を、高齢者のために無料で開放し、ボランティアが、その背中の汗を流す、という地域活動である。  藤井さんに誘われ、山口さんも福祉入浴に参加した。ある日、藤井さんはさらっとした様子で、「僕の顔にアザがあるのを気にされる利用者の方もいるのですよ」と語ったという。 「その言葉に、彼の心の琴線に触れた気がしました」と山口さん。彼の怒りの感情にも触れたことがあるとという。 「いつもニコニコ笑っている。しかし、あるとき、藤井さんが『友人のYさんが、アザのことで僕のことをバカにしている』と怒ったことがあった。ああ、藤井さんも普通の人なんだと思いました。笑顔は、彼なりのカモフラージュだったのかもしれない。『笑顔で生きると決めたんだ』と僕に言ってくれたことがありました」 子どもたちにコブを触ってもらう  藤井さんと同じ中央大学の卒業生である、北村信治さん(51)からも連絡を頂いた。 「藤井先輩には今年の1月、中央大学学員会(卒業生組織)の新春講演会に講師として登壇いただきました」  それ以来、藤井さんを自宅に招いて家族ぐるみの交流をしていたという。  北村さんの子ども2人は、藤井さんの講演「ふれあいタッチ授業」を学校で聴講したことがある。  3年前の小学3年生のときに、授業を聴いた長女は 「(顔を見て)最初はこわいイメージだったけど、話をきいてみると優しい先生だった」。授業の最後に、藤井さんのコブを触らせてもらった。「ハダ(肌)!!  って感じだった」と笑顔で思い出してくれた。  北村さんの長男は8年前に聴講している。「やさしくて穏やかな人でした。顔にできものがあるけど、それをマイナスに考えずに生きている、という授業でした」と言う。 「とてもピュアで優しい人だった」と北村さん。「藤井さんは顔のアザをマイナスにとらえるのではなく、『こういう人が世の中で生きている。ひとつの個性として生きているんだ』と子どもたちに伝えていた」と振り返った。 笑顔は差別から身を守るための盾だったのでは  藤井さんが晩年に勤めた岐阜聖徳学園大学の看護学部長、中尾治子氏にも話を聴くことができた。中尾氏は、藤井さんの最初の赴任地である、長野県の飯田女子短期大学の同僚でもあった。 「飯田にいる頃、藤井先生の顔にある血管腫を見て、学生ははじめは驚いていましたね。でも、藤井先生のおだやかな物腰と、学生に真摯に向き合う姿勢が学生につたわって、学生は藤井先生の容貌を気にしなくなっていったと思います」  コブのある顔について学生にも話をしていたこともあり、「藤井さんは顔の悩みを乗り越えたのだ」と中尾さんは思っていた。だが、岐阜聖徳学園大学で再び一緒に働くようになり、そうではないかもしれないと感じたという。 「仕事場で珈琲をいれたときにお誘いすると、必ず、お菓子などのお土産をもってくる。学内の会議でもお菓子をもってくる。『そんなことしなくてよいのに』と言っても、気遣いを怠らない。そのうちに、この気遣いは、自分を守るためじゃないか、と」  藤井さんが絶やさなかった笑顔についても、中尾さんはこう推測する。 「藤井先生は幼少期に受けた差別体験から、自分を守るために笑顔を絶やさないようにしたのでは。態度が大きいとやられてしまうから。だから、藤井先生はいつも卑屈なくらいに低姿勢だった、と思うのです」  中尾さんの見方に、私も同意する。大学教授になれるだけの知性と実績、そして笑顔と低姿勢、それがユニークフェイス当事者である藤井さんのサバイバル戦略だったのだ。 当事者として選んだサバイバル戦略  私たち当事者は、まわりからジロジロみられたり、侮辱や差別を受けた体験を共通して持っている。ジロジロ見られたとき、どのように対処するか。当事者が集まると、それが話題になる。  NPO法人ユニークフェイスでもその議論があった。藤井さんは、ジロジロみられたら、「ニコニコ笑って、お世話になっております、と声をかけてお辞儀をするようにしています」と満面の笑顔で説明した。それに対して、私は「相手は私たちを差別をしている、そんなことは絶対にしたくない」と応じた。  藤井さんは笑顔で私を見つめてきた。「偽善的な笑顔だな」と思った。藤井さんの目を凝視した。海綿状血管腫で囲まれた右目の、その奥底をのぞき込むような勢いで。藤井さんの右目から悲しみ、苦痛を感じたとき、「この人の笑顔は、差別から身を守るための盾なのだな」と感じた。  議論はやめた。サバイバルにはさまざまな方法がある。藤井さんは笑顔を選んだ。私は文筆でサバイバルしてきた。 「畏怖から親愛へ」を実現した偉業  藤井輝明とはどういう人物だったのだろうか。  40代で当事者としてその差別体験をカミングアウト。その後、ひとりで始めた「ふれあいタッチ授業」は好評で、全国で約2500の学校、団体で講演した。  ひとつの学校で仮に200人の生徒が受講するとして約50万人になる。彼は声高に差別を語らず、差別した人間を糾弾しなかった。笑顔で丁寧に子どもたちに、その体験を語っていった。偉業である。これほどの数の講演をした当事者は藤井さんが初めてだろう。ほんとうの意味のパイオニアだった。  私は、彼のふれあいタッチ授業を聴講したことはない。しかし、ある小学校で、彼の授業のやり方をマネしたことがある。授業の最後に血管腫を子どもたちに触ってもらったのだ。  授業の前には、私の顔を見て「気持ちが悪い」と言っていた子どもたちが、私の体験を聴き、最後に血管腫をさわったとき、「あたたかい、ふわふわしている」と歓声を上げた。 「これが藤井さんが見ていた風景なのだ」と思った。それは「風景の逆転」である。気持ち悪いと忌避している子どもたちが、私たち当事者の生の声を聴き、その肌にタッチすることで、「同じ人間なのだ、化け物ではない」と五感で感じ取る。  子どもたちの表情が「畏怖から親愛の情に逆転する」。それは驚くべき体験だった。藤井さんはこの体験を、数え切れないほどの子どもたちと共有してきたのである。  藤井さんは感動したに違いない。ふれあいタッチ授業は、子どもたちへの啓発活動であるだけでなく、彼自身の魂の救済だったのではないか。  藤井輝明とは教育者だった。差別する感情を、親愛の感情に逆転させる、希有な才能をもった人だった。容貌障害の差別をなくすために笑顔を武器に戦った。教室でたったひとりで差別に怯えていた少年から、大逆転の人生を成し遂げた。  心から尊敬する。  さようなら。外見差別と戦い抜いた同志よ。 (石井政之 ライター・ユニークフェイス研究所、共同編集記者:岩井建樹 神戸郁人)
dot. 2021/11/25 14:54
【兵庫2児放火殺害】逮捕された同居の伯父は「コロナ失業」で自暴自棄に?卑劣すぎる犯行
今西憲之 今西憲之
【兵庫2児放火殺害】逮捕された同居の伯父は「コロナ失業」で自暴自棄に?卑劣すぎる犯行
放火され、焼け落ちた松尾さんの家(筆者提供)  兵庫県稲美町の民家が放火され全焼し、焼け跡から2人の子供の遺体が発見された事件が大きく動いた。兵庫県警は24日、民家に同居していた松尾留与容疑者(54)を現住建造物等放火と殺人の疑いで逮捕した。    事件は19日深夜の午後11時35分ごろ、住んでいた自宅に火を放ち、同居していた小学生の兄弟・松尾侑城くん(12)と真輝くん(7)を殺害した容疑だ。  松尾さん一家は、侑城くんと真輝くん、50代の父、40代の母、そして松尾容疑者の5人暮らし。松尾容疑者は母の兄で、亡くなった兄弟にとって伯父にあたる。1、2年前に実家に舞い戻ってきたという。 「情報があり、24日午後1時ごろ、大阪市北区の扇町公園に捜査員を派遣。ベンチに座っている留与容疑者と似た人物がいたので声をかけたところ、本人だと認めた。車に乗せ、捜査本部がある加古川署へ任意同行。放火と殺人について認めたので、逮捕となった。取り調べにも素直に応じている」(捜査関係者)   所持金は数千円しかなく、逃走したり抵抗したりすることもなかったという。甥たちを殺害した松尾容疑者はどんな人物なのか。  「兄の留与容疑者もここが実家ですね。実家は両親が亡くなった後、妹一家が住んでいたが、留与容疑者は『長男なので家を相続した』と語っていた。地元の中学校を卒業して、神戸の方の会社に就職した。そして、大阪市の会社に転職したと聞いた。卒業後も、お正月とかには帰ってきたみたいです。道で会ったら『久しぶりやね』とか挨拶したことがあった。ですが、半年ほど前か、たまたま留与容疑者を見かけてどうしたのかと聞くと、『いろいろあってね』というばかり。断片的な会話からわかったのはコロナが影響して、仕事がなくなってしまい実家に帰ってきたそうです」(前出・近所の人)   松尾さん夫妻は近所の人に、「(兄は)コロナでどうしようもなくなり、戻ってきた」と話していたという。   放火された日、兄弟の父親は、深夜まで続く母親のスーパーマーケットの仕事が終わる時間に車で迎えに行った。そのすきを狙った留与容疑者の卑劣な犯行だった。  亡くなった兄弟(SNSより) 「入手先などはわからないが、油をまいて火を放ったことも認めている。恨みがあるなど、犯行動機はまだ供述していないが、どうも自暴自棄になっていた感じのことを口にしている」(捜査関係者)  亡くなった2人の兄弟は、松尾さん夫妻にとっては自慢だった。 <息子の成長と家族の日記>というタイトルでSNSに侑城くんと真輝くんの日々の様子の写真を掲載している。2人が好きな野球をしている様子や、キャンプなどアウトドアが趣味で、笑顔いっぱいの2人が写っている。事件の約1カ月前が、侑城くん12歳の誕生日だった模様で、ケーキとプレゼントを前に2人が嬉しそうな表情を見せている。  まさか、これが侑城くんの最後の誕生日になるとは、想像できなかったであろう。2人の小学校の友達は話す 「侑城くんと真輝くんは左打ちで、ようお父さんに野球を指導してもらっていた。『2人とも中学では野球部に入るねん』『左やから1番打ちたいな。阪神の近本みたいに』と侑城くんは言っていた。2人とも阪神が好きで、いつも帽子をかぶっていた。外に遊びに行くときは、いつもグローブを持っていくほど野球が好きやった」   SNSを見ても、侑城くんが阪神タイガースの帽子をかぶっている写真が数多くアップされている。留与容疑者が逮捕された日の夕方、近所の人によれば放火現場近くに松尾さん夫妻が来ていたという。 「旦那さんは子煩悩、奥さんは愛想のいい人ですよ。花を手にして沈痛な表情で声もかけれんかった。松尾さんのところは大きな田んぼを持っていて、春になると、2人の子供も手伝って田植えされていました。アットホームなご家庭でしたよ」  SNSに母親は、<心を和らげ笑顔でいれば 幸も福もたくさん たくさん>という詩をシェア投稿していた。子供たちにも、そう教えていたのだろう。2019年7月に父親が書き込んだSNSは以下の通り。  <末っ子真輝5歳の誕生日おめでとう。幼稚園にも慣れ園長先生や担任のお気に入り皆にも好かれる優しい子供に成長しています。今は侑城と熱烈な阪神タイガースのファンです>  前出の捜査関係者はこう話す。 「放火した時間帯は、両親が家を不在していた30分ほどのタイミング。そこに可燃性がある油をまいて、放火している。留与容疑者からみれば亡くなった兄弟はかわいい甥っ子。なぜ、計画性、恨みがうかがえる犯行となったのか、今後、解明しなければならない」 (AERAdot.編集部 今西憲之)
dot. 2021/11/25 12:14
内田樹「地方移住の課題は情報不足 雇用やビジネスチャンスつなぐ支援を」
内田樹 内田樹
内田樹「地方移住の課題は情報不足 雇用やビジネスチャンスつなぐ支援を」
 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。哲学者 内田樹 *  *  *  瀬戸内海に牛窓という古くからの港町がある。そこに映画監督の想田和弘さんと柏木規与子さんご夫妻をお訪ねした。ニューヨークに拠点を置くお二人は以前から柏木さんの母方の故郷であるこの町で長い休暇を過ごしていた。「牡蠣工場(かきこうば)」と「港町」という二つのドキュメンタリーの傑作もここで撮影された。  コロナで日米の行き来が不自由になったことをきっかけに、ご夫妻は長く暮らしたニューヨークを離れて、牛窓に定住することを決めた。世界で最も活動的な都市を離れて、老人と猫ばかりが目立つ過疎の港町で暮らすことにしたのはどうしてなのか、それに興味があった。  目の前がすぐ海という部屋で話し込んでいるうちに、日が傾き、海に沈み、空が紅に染まり、やがて群青色の夜空に星が輝き始めた。部屋の灯(あか)りを点(つ)けずに、月明かりと星明かりの下で話し続けた。贅沢(ぜいたく)な時間だと思った。  ここでは時間の流れは時計で計測されるものではなく、五感に直接触れてくる。日々、スケジュールに追われながらあくせくと暮らしている私に比べて、ここの人たちはなんと豊かな時間を享受しているのか。羨(うらや)ましくなって、「時間富豪ですね」と嘆息してしまった。  われわれの話の主題は「地方移住」だった。牛窓にも移住者が増えている。古い町屋を改造してカフェやパン屋や工房や画廊を営んでいる。家賃が都市の5分の1ほどだから、あくせく働く必要がない。「いい店なんですけれど、なかなか開けてくれないんです」と想田さんが笑っていた。  都市で低賃金・非正規労働で心身をすり減らすよりも、こんな静かな町で暮らす方がはるかに豊かな生活が送れるのに、なぜそういう選択を試みないのだろう。最大の理由は情報が足りないことだ。地方にどんな雇用やビジネスチャンスがあるのか、都市の労働者には知る手立てがない。「喉(のど)から手が出るほど人が欲しい」地方の求人の事業体と都市の求職者をつなぐ就職情報システムが存在しないのだ。キーボードを叩(たた)くだけで仕事がみつかるシステムの構築こそ「地方創生」の急務のはずなのだが政府も自治体も動く気配がない。いったいなぜなのか。 内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数※AERA 2021年11月29日号
内田樹
AERA 2021/11/24 07:00
木下都議は“小池劇場”に利用された? 辞任会見の「私の口から話していけないことがある」の真意
上田耕司 上田耕司
木下都議は“小池劇場”に利用された? 辞任会見の「私の口から話していけないことがある」の真意
辞任会見で頭を下げる木下富美子都議  22日夜、木下富美子都議(55)は東京都庁で緊急会見し、議員辞職を表明した。会見は数々の疑問も残る結果となったが、現役都議からは「木下さんは小池劇場に利用されただけ」という声も聞かれた。 *  *  * 辞任会見のなかで、木下氏は小池百合子都知事とのやりとりについてこう話した。 「10月半ばに小池都知事からご心配のご連絡をいただきました。『大丈夫、心配しているよ』ということでした。その時点では、議員を続けたい気持ちであることもお伝えをしつつ、この間、進退についてはご相談を申し上げて参りました。(中略)昨日より(小池氏が)公務復帰というタイミングで、知事室に来るようにという話を頂きまして、かねてより相談していた流れの中で、本日(辞職を)決断した旨、ご報告させて頂きました」  電話で「議員を続けたい」という木下氏に対して、小池氏は何と返答したかについて問われると、 「それは私の口からは……本日、やはりお話していいこと、いけないこと、ございますので、知事の方にもし、可能であれば聞いて頂くなり、知事がご判断になればお話になると思います」  と明言を避けた。  木下氏は7月の再選後、4カ月間議会を欠席し続けたが、7月以降に受給した3カ月分の議員報酬約190万円は、すでにNPO法人などに寄付したとしている。だが、11月15日には11月分の新たな議員報酬が支払われた。その分や冬のボーナス120万円も寄付するのかを問われると、曖昧な受け答えに終始した。 「仕事をしたくて出てきたということも踏まえ、何度も実は申し上げたいこととしては、議員の仕事は議会に出ることだけではございません。議会へ出てくるためのさまざまな準備も含めまして、それは進めておったこともあります」  記者から「つまり既に支払われている11月の報酬についてはそのまま受け取るということか」と突っ込まれると、「そこは検討したいということでございます。現段階では(受け取らないという決断は)しておりません。受け取らないことも踏まえて、どの形がよいのかそこは丁寧に考えていきたいと思っております」と言葉をにごした。さらに「ボーナスも受け取らないのか」と聞かれると「そこまでのことはまだ申し上げておりません」と述べた。 東京都議会議長に辞職願を手渡す木下都議  木下氏の選挙区である板橋区選出の宮瀬英治都議(立憲民主党)は会見についてこう語った。 「辞めてくれて、正直ホッとしました。無免許運転事故が起きたのは7月ですから、もっと早く決断して頂きたかった。その間、都議会もずいぶん時間を使いましたし、議会局にも5000件近くのクレームが殺到しました。何より、板橋区議会が全会一致で”非難決議”をするなど、板橋区民のみなさんが早く辞めてほしいと言っていた」  会見では、木下氏の“うそ”も露呈した。7月2日に事故を起こした際、支援した板橋区議に対して「今回の事故で免許が停止になった」と説明していたことの真偽を問われると、虚偽だったことを認めた。 「そのことについては区議の方を含めまして選対の方に申し訳ない説明になってしまった。その点についてはうそになっていたと思います。そのことも含めまして本当に申し訳なかった。私の至らぬところ。そのときは混乱していたとしか言いようがなく申し訳ありません」  事情を知る議員はこう話す。 「(ウソを認めたのは)もう逃げれないと思ったんじゃないですか。相手がいて、そうだと言っている以上、否定できないですからね。一番の被害者は都民であり、区民であり、それを応援していた区議ですよ。都民ファーストだって、被害者みたいに『知らなかった』では済まされないと思います」  木下氏は都民ファの創設者である小池氏を「政治の師」とあおぐ。会見当日も、午後2時から知事室で小池氏と面会している。 「(会っていた時間は)20分くらいだったんじゃないか。本当にご体調が回復に至ったばかりで、私のような者に時間を取っていただき、叱責も含めお叱りもしっかりとお受けさせて頂きましたけれども、親身になって考えてくださることは本当にありがたいと思いました」(木下氏)  過度の疲労などで療養していた小池氏は21日、約4週間ぶりに登庁し公務に復帰した。木下氏については「彼女は今の状況を理解できない人ではない。出処進退を自ら決すると確信している」と語っていた。 7月の都議選では小池百合子知事も応援に駆け付け、木下氏の当選を後押しした  小池氏とともに都民ファを結成したメンバーで、その後、小池氏とたもとを分かち、現在は地域政党「自由を守る会」代表の上田令子都議はこう話す。 「小池さんが長らく休んだことで政治的空白が生まれましたが、(小池氏に)批判が集中しないように、この件をうまく使ってかわしたのではないかとも思えます。小池さんが前の日に『(木下都議は)辞める』と言ったら、翌日に木下さんが出てきて本当に辞めた。彼女も小池劇場に利用されているように見えました」(上田都議)  木下氏が小池氏と連絡を取っていたと明かしたことについてはこう話す。 「私はこれまで何度も、文書質問などで、木下さんについて小池さんに質問してきました。その時、小池さんは木下さんとコンタクトしているとは答えなかった。でも、実際はちゃんとコンタクトを取っていた。小池さんは真実を言わず、都議である私に不誠実な答弁を繰り返していた。(木下都議は)ひたすら小池劇場のストーリーに沿って動いていた可能性は高いと思います」(同)  一方、自民党のある都連関係者はこんな見方をする。 「木下都議の会見にはどこか違和感があった。小池氏が引導を渡したようの形を作ったけれど、水面下ではもっといろいろなことがあったのではないか」  今月30日には都議会第4回定例会が開かれ、小池氏は所信表明することになっている。12月8日に代表質問、9日に一般質問が予定されている。一連の木下氏の問題に対して、どのような質問が出るのか注目される。 「会派にもよるでしょうが、小池知事の責任を問う声も上がるかもしれません」(上田都議)  問題の余波は、まだ続きそうだ。(AERAdot.編集部・上田耕司)
小池百合子木下富美子都民ファーストの会
dot. 2021/11/23 13:56
「先に死にたい」夫は約80%、一方妻は50% 一人残され苦労しないために
「先に死にたい」夫は約80%、一方妻は50% 一人残され苦労しないために
※写真はイメージです (GettyImages)  結婚式で「死が二人を分かつまで……」と誓いを立てるが、離婚しなければ、いずれはどちらかが先に亡くなることになる。もしも自分が配偶者に先立たれたとしたら、どうなるかを考えたことがあるだろうか?  日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団が、20~70代の既婚者の男女計694人に、自分で死の時期を決められるとしたら、配偶者より「先に死にたい」か、「後に死にたい」かを尋ねたところ、「先に死にたい」を選んだ男性は78.3%なのに対して、女性は約半数の49.9%だった。 (週刊朝日2021年11月26日号より)  女性は50代までは男性同様に「自分が先に」が多かったが、60代以上で逆転。「自分が後に」が多くなり、70代では67%を占めている。 「50代以下が男女とも『先に死にたい』を選んでいるのは、配偶者が早く亡くなった後、自分が一人取り残される恐怖が強いから。でも、残された人生はその後も続いていきます」  そう話すのは、シニア生活文化研究所代表理事の小谷みどりさん(52)。自身も10年前に夫(当時42)を突然死で失った。 「朝、起きている気配のない夫に近づくと、すでに死んでいました。私は第一生命経済研究所で、お葬式や死の迎え方など、死の前後にまつわるテーマで研究をしていました。でも、夫を亡くしてはじめて、配偶者と死別した人はその後、一人でどう生きていくかという問題をなおざりにしていたことに気づきました」(小谷さん)  死別して3日後、50歳以上を対象とした立教セカンドステージ大学で、死に関する講義を担当することになった。そこで夫と死別したことを受講生に話したのがきっかけで、同じく配偶者を亡くした受講生同士で「没イチ会」を結成。現在は約25人が参加し、親交を深めている。 「この会は『死んだ配偶者の分も、2倍人生を楽しむ使命を帯びた人の会にしよう』というもの。雑談ばかりの飲み会で、身の上話をしたい人はすればいいし、したくなければ聞き役に回ってもいいんです」(同)  同会の目的は、小谷さんの願いでもある。 「夫を亡くした時、『かわいそうに』と声をかけられました。夫は突然死で、私よりも死んだ本人がかわいそうなのに!と腹立たしく思ってしまったんです」(同)  また、「死別して間がないのだから、楽しそうにしないほうがいい。後ろ指をさされるから」と言われたこともある。 「市川海老蔵さんが、妻の麻央さんが亡くなった直後にディズニーランドに行って、『不謹慎だ』とネットで炎上したことがありましたが、何が悪かったのでしょうか。配偶者を亡くしたら、一生喪に服さなきゃいけないような社会の圧力みたいなものはあります。残された人も生きていかなくてはならないのに、生きている人のことはないがしろにされがちだと感じました」(同) ◆配偶者頼りは苦労することに  残された人は、配偶者の死という受け入れ難い事実を背負うだけでなく、日常生活でも困難に直面することが多い。家事を妻に任せきりだった男性は、妻亡き後、身の回りのことができずに困り、女性は経済的に不安定になることがある。 「特に男性は根拠なく『自分が先に死ぬ』と思っている人が多く、妻に先立たれて何もできないことがよくあります。男女ともに一人で生きていけるだけの生活力や経済力を身に付けておくことは本当に大事です」(同) 「没イチ会」メンバーの一人である岡庭正行さん(66)は、59歳の時に妻を突然死で失った。 「妻が亡くなる前日の夜、二人で東北旅行を計画して、『ホテル取れたよ』と話したのが最後。妻は朝、台所で倒れていました。私は単身赴任が多く、身の回りのことはできたのですが、家にいる時間が短くて妻に任せていた分、家の中のどこに何があるか全くわからず、お金の管理にも無頓着で、今は無駄な出費が多いかもしれません」(岡庭さん)  妻を亡くした1カ月後に会社から中国赴任を打診され、悲しむ間もなかったという。 「赴任後は月に1回帰国していたのですが、飛行機の待ち時間などで少しずつ妻のことを思い返すようになりました。旅行が好きで、コンサートや美術館によく行きました。妻はいつも楽しそうにしていました」(同)  1年間の中国赴任を終え、定年退職した岡庭さん。仕事が忙しかった分、地域ボランティアや神社の氏子など、やれることを何でもやっているという。大学で学びなおしたいという気持ちもあり、立教セカンドステージ大学に入学し、没イチ会に出合った。 「妻が亡くなった時のことは、経験したことがない人の前では言えないし、言う気もありませんでした。だから『没イチ会』は傷をなめ合うような会かもと思っていました。でも同じ境遇の人と話してみたかったので参加したら、みんな明るくて楽しかったんです。没イチのことも、それ以外のことも話しているうちに気持ちのひっかかりがとれてきた気がします」(同)  地域活動や大学での学びは、妻を失う前からやろうと考えていたことだが、妻がいたら思う存分活動できなかったかも、と思う時があるという。 「妻が亡くなってできなくなったこともあれば、できるようになったこともある。プラス面に目を向けてみるのも大事ではないでしょうか」(同)  妻に対する心残りはあるが、それよりも今できることをやりたいというのが岡庭さんの考えだ。 「妻とは生前、時間をつくっては旅行や美術館、コンサートに行くなど、仲良くいろんなことをやっていたから、今もいい思い出が頭の中に残っています。失って初めてわかることも多いので、いまパートナーがいる人は、今のうちにいろんなことを楽しんだほうがいいと思います」(同) (ライター・吉川明子)※週刊朝日  2021年11月26日号より抜粋
夫婦
週刊朝日 2021/11/22 11:30
介護の救世主に? 排せつ支援や見守りに広がる「すごい」センサー
池田正史 池田正史
介護の救世主に? 排せつ支援や見守りに広がる「すごい」センサー
善光会が採用した卓上型ロボット  人手不足に悩まされる介護分野で、救世主として期待されている技術の一つがセンサーだ。人の目や耳、手の代わりとなり仕事や暮らしを助けてくれる。見守りから排せつのサポート、危険の察知まで、介護の現場で進化する技術を紹介しよう。 *  *  *  年を重ねるにつれ、悩まされることが多い排尿や排便のトラブル。何度もトイレに行ったり、間に合わずに漏れてしまったりすることを恐れ、外出や仕事をするのをためらう原因にもなる。  ところが、「まだ大丈夫」「そろそろ」「出たかも」などと、排尿のタイミングを教えてくれる「排せつ予測機器」がある。ベンチャー企業「トリプル・ダブリュー・ジャパン」(東京都港区)が開発し、4年前から販売する「DFree(ディー・フリー)」だ。 「DFree(ディー・フリー)」 (トリプル・ダブリュー・ジャパン提供)  500円玉よりひと回りほど大きい装置を、専用の装着シートで下腹部に貼り付けておくと、スマホなどを通じ、尿がどのくらいたまっているかを10段階で教える。鍵を握るのが、装置内の四つの超音波センサー。上下4方向からそれぞれ超音波を発し、その跳ね返り具合から、ぼうこうの膨らみ具合を測る。ぼうこうは水風船のように伸び縮みする。その大きさや位置を調べることで、たまった尿の量がわかる。  代表取締役の中西敦士さん(38)は言う。 「ヒントになったのは、超音波で胎児の状態を調べる装置。体に害はないし、仕組みも比較的シンプル。ただし、体格や姿勢、ぼうこうのサイズは人によってさまざま。その違いを、いかに調整して尿の量を測れるかがポイントになります」  こだわったのは装着のしやすさだという。中西さんは続ける。 「7月に発売した最新版の重さは26グラムで単3電池1本ほど。精度を高める一方、違和感なく装着するには軽量化が必須で、センサーの数を最小限に抑えなければなりません。外部のメーカーと相談して相当な数のセンサーを試したり、配置の仕方を工夫したりと試行錯誤を重ねています」  同社の開業は2015年。ディー・フリーは発売以来、改良を重ね、最新版は4代目にあたる。これまで排せつの介助や自立支援に取り組む介護施設や、頻尿や尿漏れなどに悩む高齢者向けに5千台を出荷した。  価格は、法人向けが管理システムの構築などを含めた「スタンダードプラン」(3年契約)で、1台あたり税込み33万円。個人向けは、買い取りで同4万9500円(装着用シート5枚や超音波用ジェルなどを含む)。  中西さんは言う。 「介護施設で導入事例を調べると、入居者がトイレで排尿する割合は上がり、失禁の頻度も減りました。おむつの消費量やスタッフの負担が減るだけでなく、入居者本人の自信や尊厳を高めることにつながります。個人の利用者もトイレへの不安が減れば、外出を敬遠するケースを少なくできる」  今後はセンサーの性能をより高め、排便タイミングを知らせる装置や、心臓など、ほかの臓器の健康状態をモニタリングする装置の開発にも取り組んでいきたいという。  そもそもセンサーとは、音や光、温度といった物理的な現象や、モノの化学的な性質や変化を検知する装置を指す。検知した情報を電気信号などに変え、ほかの機械や装置に伝えたりする役目もある。調べる対象や用途、仕組みによってタイプはさまざまで、幅広い分野で使われている。  介護分野では、寝ている人の状態を調べられるセンサーもある。医療・介護用ベッド大手パラマウントベッドの「眠りSCAN(スキャン)」だ。マットレスの下に置いたセンサーが体動を感知し、眠っているのか起き上がっているのか、といった状況のほか、心拍数や呼吸数までわかる。デジタル事業開発部部長の伊藤秀明さんは言う。 パラマウントベッドの床ずれ防止マットレス(パラマウントベッド提供) 「伝わる振動の強さやリズムで、心拍によるものか呼吸なのか、体の動きなのかを判別します。ベッドに向かって、うちわや手であおいだ風さえ感知できるほど敏感です」  検出データは携帯端末やパソコンのモニターで表示し、離れていてもリアルタイムで状態を把握できる。呼吸や心拍数のデータを「睡眠日誌」として見ることができ、睡眠状況や生活習慣、体調の変化を長期的に把握できる。呼吸や心拍の異常があれば通知やアラートを送り、カメラと連動させて室内を映したり、ワイヤレスインカムを通じて音声で伝えたりする機能を加えることもできる。 「例えば介護施設で、夜に入居者が起きたタイミングで声をかけ、おむつ交換ができます。眠っている方をわざわざ起こして確認することがなくなれば、介助の質も上がりますし、スタッフの負担も減ります」(伊藤さん)  09年の発売以降、3900施設以上が採用し、販売台数は3月末時点で累計8万2千台以上に上るという。法人向けは1セットあたり税込み約8万~10万円。別途、個人向けの商品もある。価格は同5万5千円で、東京・京橋のショールームやネットを通じて買える。  同社はほかにも、硬さを自動的に調節することで体位を変えたり、姿勢を維持したりできる床ずれ防止マットレスを昨年、発売した。広報部次長の鈴木了平さんは言う。 「マットレス内に設置した圧力を感知するセンサーが、クッションの沈み具合を計測し、利用者の寝位置や背中の曲がり具合を検知する業界初の技術を採用しています」  介護分野の人手不足は深刻だ。介護が必要な人が増える一方、負担が大きい割に給料が少なく、人が集まりにくい。厚生労働省の推計では、19年度の介護職員数をベースとした場合、25年度に全国で32万人が不足する。センサーをはじめ、人工知能(AI)やITを使った効率化は急務だ。  約160人が入居する特別養護老人ホーム「フロース東糀谷」などを運営する社会福祉法人善光会(東京都大田区)は、先端機器の導入に積極的だ。先述のディー・フリーや眠りSCANのほか、近赤外線カメラとドップラーセンサーを使って入居者の状況を把握できるシステムなどを活用。AIの第一人者、東京大の松尾豊研究室と組み、AIで入居者の行動を分析し、車いすからの落下などを予知する仕組みの開発にも取り組む。  同会のシンクタンク「サンタフェ総合研究所」研究員でフロース東糀谷の副施設長の谷口尚洋さんは、導入に熱心な理由をこう話す。 「経験に頼ることが多かった介護の現場をもっと定量的に把握・管理できるようになれば、今まで以上に科学的根拠にもとづいてサービスの質の向上に取り組めるようになります。現場で改善できることは少なくない」  さらなる技術の進歩に期待したい。(本誌・池田正史)※週刊朝日  2021年11月26日号
介護を考える
週刊朝日 2021/11/21 16:00
「30歳になったら死のう」人生に絶望したひきこもり男性の再起 清掃会社で3年働き「心はもう大丈夫」と母親
「30歳になったら死のう」人生に絶望したひきこもり男性の再起 清掃会社で3年働き「心はもう大丈夫」と母親
写真はイメージです(Getty Images)  若い世代のひきこもりは54万人に上る。近年はひきこもり状態の長期化傾向があり、その社会復帰が大きな課題となっている。本人や家族が袋小路にはまってしまったとき、実は、救いとなるのが第三者の存在だ。地域で暮らす第三者が偶然手を差し伸べ、その手を逃さず掴んだことで、人生がうまく回り出した元ひきこもりの男性とその家族を取材した。 *  *  * 甲斐成幸さん(仮名)は現在、29歳。3年前から清掃会社で非正規社員として働いている。  仕事は地域のゴミ収集だ。月曜から土曜まで、朝7時に家を出て職場に行き、ゴミ収集車に乗り込む。収集を終えた後も車の掃除などの作業があり、仕事を終えるのは17時。体力のいる仕事だ。夏は暑さで汗びっしょりになるし、雨や雪などどんな悪天候でも休むことはできない。  今の仕事に就く前の成幸さんは、「ひきこもり」だった。不登校を機に中学時代からひきこもりを繰り返していた。  成幸さんに、ひきこもりを脱するまでの話を聞かせてほしいとお願いしたところ、「お父さんと一緒なら」という返事があった。日曜日の午後、チェーン店のコーヒーショップで待ち合わせた。  父親と一緒に現れた成幸さんは、体格のいい健康そうな若者だった。ふだんあまりこういう場所に来ることはないのか、店内を珍しそうに見まわしていた。質問すると、声は小さいが、こちらの目を見てちゃんと答えてくれた。今でこそ、ごく普通の親子にみえるが、本人にも家族にとっても出口が全く見えない時期を経験していた。  ◆「行きたくない」 突然、学校でバットを振り回した  成幸さんは、4人きょうだいの一番上だ。小学生までは、人見知りの面はあったが普通の活発な子どもだった。中学に入ってからも、勉強はあまり好きでなかったが、柔道部に入って頑張っていた。それが中学1年生の途中で、不登校になった。  成幸さんが学校に行かなくなった日のことを、母親はよく覚えている。  「ある日突然、行きたくないと言い出したんです」  母親は嫌がる彼を車に乗せて、学校に連れて行った。学校に着き、車の後部座席から降りる息子を見て母親は驚いた。野球のバットを手に持っていたからだ。ふだんの息子とは別人のような、怒りでゆがんだ顔をしている。  「ムカつく!」「殺す!」と言いながらバットを振り回し、花壇の花に当たり散らし始めた。「どうしたの!」ときいても、黙っているだけでわけがわからない。そのうち教師たちが出てきて、大騒ぎになった。  その日から、成幸さんは学校に行かなくなった。  両親は「何があったのか」「なぜ学校に行きたくないのか」と問い詰めたが、成幸さんは黙り込むだけで、頑として理由を話そうとはしなかったという。 ◆「今考えたらかわいそうなことをした」と父親  フリースクールなどに通ったあと、「高校は出ておかないと」という親の勧めで、定時制の高校に通った。卒業後は、母の知り合いの会社で2年間働いたが、辞めて3年間ひきこもった。また別の会社で2~3カ月働いたが、辞めて2年間ひきこもり。そんなことをくり返した。  ひきこもっている間は、昼夜逆転の生活。部屋でひたすらゲームをしていた。 写真はイメージです(Getty Images)  内閣府が平成27年度に実施した満15歳から満39歳までの人を対象とした「生活状況に関する調査」では、人口の1.57%に当たる54.1万人がひきこもり状態にあると推計されている。また、平成30年度の調査と比較するとひきこもりの長期化傾向がみてとれるという。調査結果によると、ひきこもりの状態になってからの期間は7年以上の者の割合が5割近くを占めている。読者も自分の住んでいる地域を見渡せば、成幸さんのような悩みを抱えた人がいるかもしれない。  成幸さんがひきこもり状態になると、生活バランスだけでなく家族との関係性も崩れ始めた。  父親は働き者で、昔気質の厳しい人だ。成幸さんをきつく叱り、ときには口だけでなく手も出した。 「子どもの気持ちがわからなくてね。世間体も気になったし。今考えたら、かわいそうなことをしたと思います」(父親)  最初のころは、成幸さんは父に殴られても、「ごめんなさい」と言うだけだったが、そのうちに反抗的な態度をとるようになった。はずみで父親を突き飛ばし、肋骨を折ってしまったこともある。  父とやり合った後は、怒りのあまり、家の中で包丁を振り回すこともあった。「やめなさい!」と必死で止める母を振り切って、テーブルに包丁を突き立てた。 「殺す!」   翌日テーブルの傷を見た父親が「これは何だ」と訊くと、成幸さんは「知らない」とうそぶいた。 「本気でやるつもりはないんです。止めてほしいんだなってわかりました」(母親)  下の兄弟たちは、次第に怖がって兄に近づかなくなった。  さらには、成幸さん自身の心身にもひきこもりの影響が表れ始めた。体を動かさないため、どんどん体重が増えた。外に出ないので肌は真っ白。ふさぎこむばかりで、表情も乏しくなった。 「30歳になったら、死のうと思っていました」  成幸さんは言う。  実は、成幸さんのようにひきこもり状態で、当事者が一人で悩んでいるというケースは多い。先の内閣府の調査(平成30年度「生活状況に関する調査」)によれば、ふだん悩みを誰に相談するかという問いに対して、ひきこもり状態にある場合「誰にも相談しない」と回答した者の割合が約45%だった。 写真はイメージです(Getty Images)  はりつめた心が爆発することもあった。あるとき父親に厳しく叱られた成幸さんは、布団を車に詰め込んで出ていこうとした。慌てた母親が「どこに行くの!」というと、「東尋坊!」という答えが返ってきた。自殺の名所だ。 「思っていることをお父さんに言いなさい!」 「言わない! 今までも言わなかったから」  暴れる息子をどうやって説得して家に入れたのか、母親は覚えていないという。  一方、父親のほうも、思いつめていた。  「あいつを殺して自分も死のうか」  頭の中で、ゴルフクラブを息子の頭に振り下ろす自分をイメージしたこともある。対して、母親の心の中を父親はこう推し量った。 「あれはのんきな性格なんですよ。必ず立ち直ると信じて、黙って見守っていましたね」(父親)。  実際はどうだったのか。母親にも話を聞くことができた。 「内心では不安でしたよ。自分たちが生きている間はいいけれど、ずっとこのままだったらどうしようって。でも、怒る人が家の中に二人もいてもしょうがないし、なるようになるかなって。とにかくあまりにも毎日忙しくて、考える余裕がなかったんです」  と笑う。いちばんきつかった頃は、成幸さん以外にも小学生から高校生まで3人の子育てをしていて、同居する夫の親の世話もあった。朝起きるとご飯を5合炊いて、家族の弁当をつくり、仕事に出かける。夕方、買い物して帰ると、また5合のご飯を炊いて、食事の支度だ。夫は仕事が忙しいので、料理も、買い物も、家事はほぼひとりで担っていた。  あまりの重労働に、体調を崩して入院したこともある。  唯一ひとりになれる時間は、買い物の行き帰りの車の中だ。ときには買い物帰りにちょっと遠回りをして、大好きなB‘sの曲を流しながら大声で歌うのが、ストレス発散になっていたという。自分の母親(成幸さんの祖母)の言葉も、救いになった。「大丈夫、30歳くらいまでに就職できれば、なんとかなるよ」といつも励ましてくれた。  息子を責めることもなく、ひたすら家族のためにせいいっぱい働き続けてきた。この母親の明るさが、成幸さんを支えていたのではないだろうか。 ◆一台の軽トラが止まり、「うちで働いてくれないか」  いつまでこのような生活が続くのか家族の誰も見通しが立たない中、転機はふいに訪れた。成幸さんが今の仕事に就くきっかけは、偶然だった。  運動不足で痛風になってしまったため、医師に勧められて散歩をしていたときのことだ。成幸さんの隣に、一台の軽トラが止まった。 「甲斐さんところの息子さんだろ」  運転席の男性が成幸さんに話しかけてきた。それが、今の清掃会社の社長だった。父親の昔からの知り合いで、成幸さんの事情も知ってくれていた。 「うちには若い人がいないから、探していた。よかったらうちで働いてくれないか」  成幸さんは、思い切ってそこで働くことにした。 「たまたまそのとき、パソコンが壊れて新しいのが買いたかったので、お金が欲しかったんです」  それから3年。「朝早い仕事だし、きつい」と母親に愚痴を言うこともあるが、なんとか辞めずに続けることができている。ときには「辞めたい」という息子を、母親はいつも明るく励ます。 「仕事したら、好きなもの買えるでしょ。私だってこの歳でまだ働いてるんだから、あんたも頑張ってよ」  成幸さんの父親は言う。「今の仕事をするようになってから、息子は明らかに変わりました。笑顔が出るようになったし、体重が、20キロも減ったんですよ。もう、大丈夫だと思います」  ひきこもり経験者の集まりで話される事例の中で、脱出のきっかけになったのは、「第三者との出会い」と答える人は多いという。  成幸さんがひきこもりを脱出できたのは、間違いなく今の会社の社長が声をかけてくれたのがきっかけだ。自分から手を伸ばすことはできなくても、差し出された手につかまることはできたのだ。今よりもっと、差し出される手が増えていけば、誰もが生きやすい社会になるのではないだろうか。 ◆不登校のきっかけ 15年後の真実  ところで、成幸さんが中学1年生のときに不登校のきっかけになった「バット事件」だが、いったい何が原因だったのか。  質問しようとした私に、成幸さんは自分から話し始めてくれた。  それは英語のテストの最中のクラスメートと教師の会話だった。なかなか鉛筆が進まない成幸さん。その様子を見た教師が、成幸さんの隣に座っていた生徒に、「できないやつは問題も理解できないから、どうしようもないな」と話しかけた。するとその生徒が、「母親がダメだと、子どももダメになる」と、ニヤニヤしながら言ったのだという。  成幸さんは、腸が煮えくり返るほど悔しかった。その場ではぐっと抑えたが、時間がたつほどにだんだん怒りが募ってきた。  「学校にバットを持って行ったのは、そいつを殴ろうと思ったからです」  自分のことはまだしも、母親のことを悪く言われたのが我慢できなかったのだ。友達も、教師の顔も二度と見たくないと思い、心を閉ざした。  父親に殴られても口にしなかった本当の理由を、15年以上たった今、ようやく話すことができた。それは、成幸さんの心の成長を表しているような気がした。  後日、私は成幸さんの母親にその話をした。母親は、「そうですか」と納得した表情で、驚いた様子はなかった。 「あの子は、家族の中でいちばんやさしいんですよ」 写真はイメージです(Getty Images)  成幸さんは今の仕事を始めて、毎月、給料の中から3万円を家に入れてくれるようになった。母の日には、カーネーションのフラワーアレンジメントをプレゼントしてくれたという。といっても自分で思いついたわけではない。社長に、「隣町のこの店に行って、こういうのを買いなさい」と言われ、そのとおりに買ってきたのだ。  父親とは、晩酌を楽しむようになった。ときには昔話をして一緒に笑うこともある。今ではきょうだいたちとの仲もよく、久しぶりに皆そろっての家族旅行も実現した。  母親は言う。 「一番つらい時期は乗り越えたんだから、きついだろうけど、一歩一歩頑張っていってほしいです。成幸にとって楽しい青春ではなかったでしょうが、長い人生においてはいい経験をしたと思いますよ。本人はそう思ってないかもしれないけど、いつか気づくんじゃないですかね」 (取材・文/臼井美伸)  ■臼井美伸(うすい・みのぶ)/1965年長崎県佐世保市出身、鳥栖市在住。出版社にて生活情報誌の編集を経験したのち、独立。実用書の編集や執筆を手掛けるかたわら、ライフワークとして、家族関係や女性の生き方についての取材を続けている。ペンギン企画室代表。http://40s-style-magazine.com『「大人の引きこもり」見えない子どもと暮らす母親たち』(育鵬社)https://www.amazon.co.jp/dp/4594085687/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_fJ-iFbNRFF3CW
ひきこもり社会復帰
dot. 2021/11/18 09:00
歯科医院で働く「歯科衛生士」って何をする人? どんな理由で目指したのか聞いてみた
若林健史 若林健史
歯科医院で働く「歯科衛生士」って何をする人? どんな理由で目指したのか聞いてみた
 歯科医院に欠かせない歯科衛生士。歯石やプラークの除去などでお世話になった人は多いことでしょう。超高齢社会の中で、今後、ますます必要とされる仕事だといわれています。しかし、一般の人にはまだその重要性は認知されていないかもしれません。そんななか、歯科衛生士を目指すのはどのような人なのか、志望動機は何だったのか、歯科医師の若林健史先生に、自身のクリニックで働くスタッフのケースを聞きました。 *  *  *  私の歯科医院(東京・恵比寿)には26歳から56歳まで、合わせて6人の歯科衛生士がいます。なお、6人すべてが女性です。なぜうちのクリニックに限らず、この仕事に女性が多いのかというと、歯科衛生士法で長い間、歯科衛生士は女子の仕事、と記載されていたことがあります(実際には男性の資格取得も可能でした)。また、歯科衛生士の養成学校の多くが女子のみの募集でした。現在は法律も変わり、大学でも資格を取得できるところが増えたことから、男性もこの仕事に就きやすくなっています。  話を元に戻しましょう。6人のスタッフのうち最も長くやってくれているのは50代の女性です。新卒(21歳)で当院に就職し、現在まで30年以上、働いています。  彼女は中学時代、勉強を頑張り、都内でも有名な進学校に入りました。しかし、受験勉強に疲れたこともあり、高校卒業後は大学に行かずに、「何か手に職をつける仕事がしたい」と考えるようになったといいます。手先が器用だったこともあったようです。  最初はテレビで見た「染色職人」に憧れましたが、 「修業期間が長く、一人前になるまでには大変だ」と親に反対されます。 「何かほかにいい職業はあるだろうか」  と考えていたときに、ふと、小学校のときに通っていた歯医者の記憶が思い起こされました。  むし歯が多く、毎年、学校健診で歯医者に行くように学校から手紙を渡されました。それを持って夏休みに歯科医院に通っていたのです。そこで働く女性(歯科衛生士)が生き生きとしていて、とても楽しそうに見えたことが、現在の仕事を選ぶきっかけになりました。 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)  もう一人の50代のスタッフは、20代前半にうちに来た後、結婚・出産を経て、戻ってきてくれまし。  彼女が歯科衛生士を目指すきっかけは、お母さんからの助言だったそうです。  早い時期から、 「将来は女性も男性も関係なく、一生できる仕事に就きなさい」  と言われてきました。  高校生になると、さらに「歯科衛生士という仕事がいいのではないか?」とすすめられました。彼女は言います。 「私は『人と接することが好き』でした。母親はそのことを知っていたので、患者さんとじかに接することができる歯科衛生士をすすめたのだと思います。実際、自分にはこの仕事が向いていました。母親に感謝ですね」  おもしろいことに、2人ともに共通していたのは、高校時代、「理系科目が苦手」ということでした。多くの医療系の仕事が受験で理系科目を必要とするのに対し、歯科衛生士の養成学校は文系科目で受けられるところが多かったのです。今でもその傾向は変わっていないようです。 「医療系の仕事に就きたいけれど、理科や数学は苦手」  という人にはすすめられる仕事かもしれません。  歯科衛生士に必要なことは主に手を使った細かな技術の習得です。例えば歯周病予防の基本はプラークと歯石の除去。少しでも取り残しがあるとそこから歯周病が再発する可能性があります。ていねいに、かつ正確に、さらに患者さんの苦痛がないように処置をしなければなりません。  もう一つ大事なのがコミュニケーション能力です。処置の内容によっては、患者さんは歯科医師よりも歯科衛生士に接する時間が長くなります。また、歯科衛生士を担当制にしている歯科医院では、患者さんと何十年ものつきあいになるケースもあるからです。  こうした点から、歯科衛生士をやりたいという意欲があり、かつ、人と接するのが好きな人にこそ向いている仕事なのではないでしょうか。  前出の2人は、まさにこの条件にぴったりだったのでしょう。 「とてもやりがいのある仕事」  と言っていました。  なお、今から5~6年ほど前までは、歯科衛生士は「寿退社」が当たり前でした。しかし、最近は結婚や出産後も働き続けるのが一般的です(このため、歯科衛生士が若い女性ばかり、という歯科医院は減ってきているはずです)。  いったん、仕事をやめてしまった場合も、関連学会がさまざまな復職支援をしているので、現場に復帰しやすいこともあります。  私は個人的に、結婚、出産はこの仕事にプラスに働くと考えています。離婚も例外ではありません。歯科医院には年齢も職業も違う、さまざまな人がやってきます。人生経験が豊富であるほど、患者さんを理解し、深く接することに生かせると思うのです。  歯科衛生士になるには短期大学や専門学校などの養成所で3年間、学ぶ必要があります。  最近は4年制大学で学べるところも増えてきました。また、働きながら夜間で学べる学校もあり、さまざまなルートから歯科衛生士になる道が開かれています。  歯科衛生士の仕事は近年、介護施設や一般の病院などまで、さまざまな場で必要とされています。このため、まだ数は不足しています。超高齢社会の日本で、今後ますますその役割が期待されていることは間違いありません。  ただ、子どものころに歯科医院に通った経験が少なければ、歯科衛生士という職業に接する機会が少ないのも事実です。  関連学会では仕事紹介のDVDを作製し、高校に配布するなどして、その職業の魅力を伝えようとしています(当院も協力しました)。多くの若者にぜひ、歯科衛生士の仕事に興味を持ってほしいと思います。
歯科医病院
dot. 2021/11/15 07:00
小室夫妻は100人以上の報道陣と目もあわさず、無言で出発「ニューヨーカーは誰も気にしていない」と現地
上田耕司 上田耕司
小室夫妻は100人以上の報道陣と目もあわさず、無言で出発「ニューヨーカーは誰も気にしていない」と現地
羽田空港に現れた小室夫妻(写真部・松永卓也)  10月に結婚した秋篠宮家の長女、小室眞子さん(30)と夫の小室圭さん(30)は11月14日午前、羽田空港から米ニューヨーク州に旅立った。  羽田空港の国際線の出発ゲート付近には早朝から100人以上の報道陣が集まり、夫妻の門出を見送った。夫妻が姿を現したのは出発ギリギリの午前10時8分で、マスクをした眞子さんは赤いパスポートを手に紺色のニット姿、圭さんはセーターとコーデュロイのパンツとカジュアルな格好だった。報道陣が「眞子さま」と声をかけると、眞子さまは軽く会釈。圭さんは目もほとんどあわせず、無言で足早に通路を通り過ぎた。 機内へチェックする際、マスクを下した小室眞子さんと圭さん(写真部・松永卓也)  一般人となった眞子さんは機内へのチェックインの際、マスクをさげてパスポートを職員に見せていた。圭さんも顎の下へマスクを下げるしぐさをみせ、機内へと移動した。アチコチでテレビ中継が行われるなど空港は騒然とした雰囲気だった。   当初は圭さんだけがひと足先にニューヨークに戻るとも見られたが、夫婦そろって晴れて渡米することになった。ニューヨークでの新生活はどんなものになるのか。最新情報をニューヨークで旅行会社を営む経営者や皇室ジャーナリストに聞いた。  ニューヨーク在住の旅行会社を経営するA氏は、マンハッタン暮らしをこう話した。  「マンハッタンはお金がないと住めないし、遊べないところ。世界的に見て、物価は断トツに高いですから、それなりの高収入が必要です」  ニューヨークはハドソン川下流の島であり、中心街であるマンハッタンの法律事務所で、圭さんは「Law Clerk」(弁護士の助手)として働く。事務所が入居している高層ビルには日系企業も入っている。  そんなところで暮らすには、年収は一体どのくらい必要なのか。 「マンハッタンのミッドタウンに住んでいる人の平均所得は2000万円ぐらいだと思います。警察官とか郵便局員の初任給が800万円くらい。3年務めたら1000万円を超えます」(A氏) ◆小室さんの年収600万円は低所得者層  世界経済の中心と言われるだけあって、給与水準は高いという。ただし、小室さんの年収は600万円前後とされる。 「600万円以下は低所得者層に入ると思います。おそらく、法律事務員なので、ライセンスなしでもでき、書類を裁判所に持って行ったり、事務所に持ち帰ったりという仕事、弁護士の資料集めの手伝いなどと思います」(同前) 空港内の通路を無言で通り過ぎる小室夫妻(写真部・松永卓也)  小室夫妻のニューヨークでの住居は既に決まっていると伝えられる。A氏は家賃についてこう解説する。 「小室さんの勤務先のあるマンハッタンの中心部だと、月の家賃は1 LDK で大体40万から70万円。たぶん、2人で住むんだから2 LDK だと、50万円から90万円くらいにはなるでしょう。高級な住まいは100万円を超えます」  高いといわれる物価はどうなのか。 「日本より物価は相当高いですね。ニューヨークにはラーメン屋さんが結構あるんです。私の知っているところはチャーシューラーメン1杯を注文すると、約35ドル(約4000円)くらいになりますね」(同前)  ニューヨークでも日本のようにSPがつくのかどうか……。眞子さんは一人で買い物に出かけても大丈夫なのか……。気になる治安はどうか。 「この間、ニューヨーク州にある刑務所を6つ閉鎖すると報じられていました。理由は犯罪の件数が悪かった頃に比べて半減しているからです。マンハッタンはニューヨークの中でも非常に安全なエリア。ニューヨーク州では銃を所持することは法律で禁じられています。銃規制は州ごとの法律ですから」(同前)  現地のコロナの状況についてA氏はこう話す。 「マスクしている人はほぼいないですね。ミュージカルも毎晩満席ですし、ホテルも埋まってます。ヨーロッパからも観光客が入って来るようになりました。カナダとの往来も復活し、アメリカに入ってくる人が殺到し、国境付近では車が渋滞したりしています」 ◆どうなる就労ビザ申請  小室夫妻はこれからアメリカで働くための就労ビザを申請するのではないかとではと見られている。 「小室さんのビザは、OPTという大学に就学している学生が専攻している学問と関連のある職種で企業研修を行うものではないかと聞きます。小室さんがフォーダム大を卒業したのが今年5月。1年たつと切れるものなので、来年5月にビザが切れるのでは? それまでに就労ビザを申請しないといけないんですが、弁護士事務所がスポンサーになってくれないと取得は大変難しい。来年2月の弁護士試験に合格しなければいけない。ビザなしになる可能性もありますね」 空港に殺到した報道陣(撮影・上田耕司)  一方、眞子さんはICU(国際キリスト教大学)在学中に学芸員の資格を取得。東京・丸の内の博物館に5年半勤めた。資格を活かして、マンハッタンにある世界最大級のメトロポリタン美術館に就職する可能性がある、と報じられた。 「メトロポリタン美術館には、バスで乗り継ぎになると思いますが、30分もあれば着くと思いますよ。眞子さんは配偶者ビザを取ったとも報じられていますが、バックパワーがあるから、これから別のビザも取れるんじゃないですか。日本とアメリカの関係ですから。圭さんは自分のビザが切れても、眞子さんの配偶者ビザでやっていくということは、この先ありうることだと思います」(同前)  ニューヨークにはお笑いコンビ「ピース」の綾部祐二やタレントの渡辺直美らが活動の拠点としている。ニューヨークでも2人はメディア、パパラッチに追いかけられるのだろうか。 「こっちは眞子さまの結婚は誰も気にしていないし、ほとんどテレビのニュースにもなっていない。日本ではなぜ、そんなに気にしているのか、2人の好きにさせてあげればいいのにと思います。今はコロナの時代ですから、日本から一般観光客が来るのは先なので、しばらくは自由を満喫できるのでは。おそらく、来年になって日本からの観光客が増えたら、街中を歩いていても、見つかるかもしれません」 ◆スピード渡米の理由は「日本嫌い?」  結婚したのは10月26日。仮住まい先のマンションには19日間滞在しただけの”スピード渡米”となった。11月4日には、秋篠宮妃紀子さまの父で、眞子さんの祖父・川嶋辰彦さんが81歳で亡くなった。小室夫妻が急いでニューヨークに行く理由について、皇室ジャーナリストの神田秀一氏はこう見る。 「まだ祖父の川嶋さんの喪もあけていないうちに、こんなに急いだのは、仮住まいのマンションにいても、外も出歩けませんし、SPに監視されていますからね。それに、圭さんが司法試験に落ちただけで騒がれる。もう、日本にいるのが嫌になってしまっているんでしょう」 機内へ乗り込む小室夫妻(写真部・松永卓也)  圭さんは来年2月には再度、司法試験を受けるのではないかとみられている。 「合格率63%、初めて受験した人の合格率は78%というのはあくまでネイティブの人たちを入れての合格率ですからね。日本人が合格するためには、相当の英語力を習得することが必要。圭さんは仕事にも復帰しないといけないし、アメリカにいた方が英語力が磨かれるというメリットもある。1日も無駄にできない。眞子さんも、2人がバラバラに生活するよりも、一緒に向こうへ行きたいと思ったのではないでしょうか」(神田さん)  圭さんは12日夜、母親の元婚約者と面会し、懸案の小室家の金銭トラブルに双方が解決することで合意した。眞子さんも渡米前日の13日、赤坂御用地を訪れた。 「出国前に家族に別れのあいさつをしたんでしょうね。2人とも、まだ就職先も不安定な状態で飛び出していくんだから、茨の道だと思う。だけど、努力していけばそれが平坦になるかもしれない。圭さんは会見で『愛しています』と言ったんだから、眞子さんを本当に大事にして欲しいね」(同前) (AERAdot.編集部 上田耕司)
小室圭さん小室眞子さん皇室秋篠宮さま
dot. 2021/11/14 11:12
アラフィフで“魔性”に磨き「顔も変わった」宮沢りえ…セカンド女優人生
高梨歩 高梨歩
アラフィフで“魔性”に磨き「顔も変わった」宮沢りえ…セカンド女優人生
宮沢りえ  日本テレビで放送中のドラマ「真犯人フラグ」は、回を追うごとに謎が深まり、SNSでの反響も大きくなっている。ドラマの公式サイトで真犯人を推理する企画が進行していることもあり、視聴者による真犯人予想も盛り上がっている。  本作は、2019年放送のドラマ「あなたの番です」(日本テレビ)の原案を手掛けた秋元康ら同作スタッフが制作を手がけるミステリードラマ。愛する妻子が失踪してしまった悲劇の主人公・相良凌介(西島秀俊)が、日本中から疑惑の目を向けられながらも、真実を探る闘いを描く。本作で注目を浴びているのが、主人公の妻で、ある日突然子どもとともに姿を消してしまう真帆を演じる宮沢りえ(48)だ。民放連続ドラマへの出演は2004年の「一番大切な人は誰ですか?」(日本テレビ系)以来、なんと17年ぶりとなる。 「宮沢さん演じる真帆は、第3話の後の真犯人予想ランキングで1位となるほど、物語のキーパーソンとなっています。彼女の変わらない透明感と美貌にも驚きの声が多く出ていますが、一方で『宮沢りえ、顔変わった!』『誰だかわからなかった』などの声も上がっていました。久しぶりの連ドラ出演だったことや、3年ほど前にトレードマークであったホクロを除去したことで、印象が変わったことも関係しているのでしょう。最近の出演CMでも、肌つやが劇的に良くなったことを指摘する声があがっています」(テレビ情報誌の編集者)  宮沢の存在感はアラフィフになっても衰えておらず、今年に入ってからCMにも引っ張りだこだ。6月には「三井のリハウス」のテレビCMに34年ぶりに、母親となった白鳥麗子として出演し、話題を呼んだ。しかし、娘役で出演した新人タレントよりも目立ってしまったため「不憫」「娘の人がんばれ!」という声もSNSで聞かれたほど。またシリーズ化したポッキーのCMも同様で、宮沢の圧倒的なオーラを前に若手女優の存在感がかすんでしまう事態になっている。 「2021年は宮沢さんにとって再ブレークへの出発点と言っていいでしょう。ドラマやCMを始め、12月には18年ぶりの上演で注目されている唐十郎氏の舞台『泥人形』への主演も決まっています。さらに年末には、2夜連続放送の山崎豊子氏原作のスペシャルドラマ『女系家族』で寺島しのぶさんとのW主演も控えています。来年も、窪田正孝さんとのW主演映画『決戦は日曜日』の公開もあり、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも出演予定。正直、50歳を前に宮沢さんの露出がここまで増えるとは予想できませんでした。プライベートでも夫の森田剛さんとの関係が良く、子育ても落ち着いて仕事に集中できるようになったのかもしれません」(同) ■森田剛のプロデューサーに!?  宮沢と森田は2018年に結婚。写真週刊誌では、2人が仲むつまじく旅行や買い物をしている姿がたびたび紹介され、芸能界の「ラブラブ夫婦」として有名だ。女性週刊誌の芸能担当記者は言う。 「ともに若い頃は俳優や女優、アスリートと浮名を流しましたが、今は歳を重ねて最良の伴侶を得たことから、2人ともすごくリラックスした表情を浮かべています。公私ともに、まさに充実期を迎えているのではないでしょうか。2016年の舞台共演をキッカケに交際に発展したそうですが、森田さんがジャニーズ事務所を離れて一緒に新事務所を設立したことで、今後はCMやドラマ、映画でも夫婦共演が期待されます。知名度、好感度とも高い夫婦だけにCMオファーは間違いなく来るでしょう」  11月1日にV6が解散し、森田はジャニーズ事務所を退所。その翌日に宮沢と森田は新事務所「MOSS」を設立した。「女性自身」電子版(11月2日配信)によれば、宮沢と森田は仕事のオファーがあれば、企画書や台本を互いにチェックし、オファーを受けるかどうかを相談しているという。同じ事務所になったことで、ふたりの密度と、仕事選びの自由度はさらに高まったのだろう。  芸能評論家の三杉武氏は宮沢りえについてこう評価する。 「90年代に美少女アイドルとして活躍した宮沢さんは、2000年代に入ると本格女優として素質を開花させます。日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞を受賞した映画『たそがれ清兵衛』『湯を沸かすほどの熱い愛』をはじめ、数多くの映画やドラマ、舞台でその演技力が高く評価されてきました。浮き沈みの激しい芸能界でこれだけ長い間最前線で活躍し続けるのは並大抵のことではありません。加えて、昨今のタレントのように好感度や親近感をアピールすることもないので、芸能界でも少なくなったスター性やオーラを感じさせる稀有な存在になっています。今後は女優としてはもちろん、夫の俳優活動をサポートするプロデューサーとしての手腕にも注目が集まっています」  最愛のパートナーと新たな道を歩みはじめた宮沢りえ。第2章ともいえる彼女の女優人生の幕開けに期待が高まる。(高梨歩)
宮沢りえ真犯人フラグ
dot. 2021/11/13 11:30
視力低下を防ぐスマホやPCの使い方も 眼科医も実践「目を守る八つの習慣」
視力低下を防ぐスマホやPCの使い方も 眼科医も実践「目を守る八つの習慣」
AERA 2021年11月15日号より  スマホやゲームなど近視になりやすい状況が増えているいま、少しでも視力を維持したいところ。AERA 2021年11月15日号は、眼科医が実践する対策を聞いた。 *  *  *  仕事柄目を酷使する二本松眼科病院(東京都江戸川区)の平松類副院長も実践している方法で、特に日常に採り入れてほしいのが次の八つ。 (1)ベッドでスマホを見ない  暗い所では、できるだけ多くの光を取り入れるために、目の瞳孔が開く。そのタイミングでスマホが発するブルーライトを間近で見ると、大量の光が目に入り、大きなダメージを受ける。さらに「夜のスマホ」は自律神経を乱す上、入眠ホルモンであるメラトニンの分泌を不十分にし、睡眠の質を低下させる。  理想は、夜はスマホを一切見ない。やむを得ず見るなら、明るい部屋で、画面の明るさを抑え、目から離して、短時間に。最低でも絶対に守りたいのは、ベッドにスマホを持ち込まない、ということだ。 (2)屋外でちょこちょこ過ごす  米国の研究で、屋外で1日2時間以上過ごす子どもは近視が少ないという結果が出ている。近視には遺伝因子も関係しているが、この研究では、両親とも近視の子どもも近視になりにくいとの結果だった。 ■屋外で過ごすこと意識  大人の場合、2時間も屋外で過ごすのは難しいが、起きたら朝日を浴びる、昼休みに散歩する、ランチに外に出るなど、ちょこちょこ屋外に出るよう心掛けるだけでも随分違う。朝日を浴びると、入眠ホルモン(メラトニン)の原料となるセロトニンの分泌がよくなるので、睡眠の質も高まる。 (3)定期的に遠くを見る  パソコンやスマホの連続使用で近くを見続けると、ピントを調整する毛様体筋が凝り固まり、遠くにピントを合わせられなくなる。これが近視だ。 「近視対策には、遠くを見る時間を意識的に設けることが重要。30センチ未満の距離でものを見ている人と、30センチ以上で見ている人とでは、前者の方が2.5倍近視になりやすいという研究結果も報告されています」(平松副院長) AERA 2021年11月15日号より  世界中の近視研究者に衝撃を与えた台湾の試みがある。台湾では、20歳以下の約8割が近視。そこで政府は近視予防のため、小学校の体育の授業を屋外で週150分行うことを義務化。理科の授業では屋外観察を推奨した。すると7年間で視力0.8未満の小学生の割合が50%から44.3%になり、毎年増加し続けていた視力不良の生徒の数が大幅に減少。前述の「屋外で過ごす」に加え、屋外で遠くを見ることも効果的だったと考えられる。 「1時間ごとに遠くを見る時間を作れればベスト。その際、漠然と見るのではなく、何か遠くのものにピントを合わせるようにしてください」(同) (4)体を動かす 「全身の血流が良くなり、無数の血管が通っている目に酸素や栄養を十分に与えられます」(同)  目安は、30分の有酸素運動を週3回。ただし、運動初心者は、三日坊主にならないことが肝心。スクワット10回や階段の上り下りなど、自分ができることから始め、少しずつ強度を上げていくといい。 ■湿度や食べ物にも注意 (5)姿勢を良くする 「猫背の人は、パソコンやスマホと顔の距離が近づきがち。視力のために、姿勢を正すことをお勧めします」(同)  猫背の一因は、背筋の弱さ。代表的な背筋を鍛えるトレーニングがある。10回を1セットとし、目安は1日1セット。 (6)仕事環境を整える  目に優しいデスクワークのコツは、「明るい場所」「パソコンの画面と目の距離が40~70センチ」「目線は画面と水平~15度下になる角度」の三つ。湿度にも気を配りたい。 「乾燥した部屋では目の水分が失われ、ドライアイをひどくします。秋、冬は加湿器を用い、湿度を40~70%に調整しましょう」(同) (7)抗酸化物質を取る  呼吸で体内に取り込まれた酸素の一部は、「活性酸素」という物質に作り替えられる。これは体の生命維持機能に不可欠だが、過剰に発生すると細胞を傷つけ、老化を促進する。年を取ると活性酸素を適宜除去する機能が低下し、ストレスが多いと活性酸素が過剰に発生しやすい。そこで取りたいのが、抗酸化物質だ。活性酸素の発生や働きの抑制、除去に役立つ。ビタミンA・C・E、DHA、EPA、ルテイン、アントシアニンなどがよく知られる。野菜や果物、ウナギ、鶏・豚・牛レバー、ナッツ類、魚介類、油脂類を食べると良い。 「とりわけ目にいいことが数々の研究で明らかにされているのがルテインです。ホウレンソウやゴーヤといった濃い緑色の野菜に豊富です。DHA、EPAは抗酸化作用のほか、まぶたのマイボーム腺から分泌される油の質を高め、ドライアイにも効果的とされています」(同)  抗酸化物質は体の健康維持のために必須。当然ながら、体の一部である目の健康維持にも欠かせないのだ。 ■脳の作用で視力回復 (8)ガボール・アイ  ガボール・アイとは、脳を使った視力回復法だ。物理学者デニス・ガボールが作成した縞(しま)模様のガボール・パッチを見て、制限時間内に同じ模様を探し出す。この模様は視覚をつかさどる脳領域、視覚野に作用しやすく、当初は心理学的研究に用いられていたが、視力回復ツールとしても研究されてきた。 「目の機能を上げるのではなく、視覚野に働きかけ、より鮮明に画像を処理できるようにしようというもの。臨床データが多数報告されています」(同)  脳の処理能力の向上が目的なので、ぼーっと見ていては効果がない。どういう模様かをしっかり把握することが大事だ。それができれば、同じ模様を見つけ出せなくても問題ない。  八つの方法を紹介したが、これらは目の定期的な検査を受けていることが大前提だ。40歳以上は、緑内障をはじめとする目の病気のリスクが高くなる。老眼が始まる年代でもある。特に自覚症状がなくても、目の機能が正常か、眼科で確認を。ましてや「最近、見えづらい」と思っているなら、できる限り早めに眼科を受診すべきだ。(ライター・羽根田真智)※AERA 2021年11月15日号より抜粋
AERA 2021/11/13 10:00
“住まいは人権” 生活困窮者への居住支援に取り組む 一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事・稲葉剛
“住まいは人権” 生活困窮者への居住支援に取り組む 一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事・稲葉剛
戦争や貧困という理不尽な理由で人の命が奪われることに立ち向かう。支援活動は平和運動の一環だ(撮影/横関一浩)  一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事、稲葉剛。学生時代から、稲葉剛は平和運動をはじめとして、路上生活者や生活に困った人への支援活動をしてきた。新宿ダンボール村の火事をきっかけに、路上から脱出して、安心して暮らせる住まいを確保することが大事だと考え方を変えていく。「住まいは人権」であると、低所得者への居住支援にも力を入れる。誰もが人間らしく生きられるように、仲間と共に走り続ける。 *  *  *  東京・有楽町の五つ星ホテル、ザ・ペニンシュラ東京の上空に十五夜の満月がぽっかりと浮かぶ。9月下旬、道路を隔てた日比谷公園で、稲葉剛(いなばつよし)(52)は認定NPO法人ビッグイシュー基金のスタッフたちと「夜回り」をしていた。  シャッターが閉まった売店の横の暗がりに男性が横たわっている。「こんばんは。ボランティアです。おやすみのところごめんなさい。お弁当と飲み物です。よかったらどうぞ」と稲葉が声をかける。「ああ、すみません。助かります」。男性は身を起こした。「この小冊子も」と『路上脱出・生活SOSガイド』を手渡す。稲葉が路上生活者の支援に携わって27年、少なくとも1600回は夜回りをしている。  ときには、「帰れ!! 二度と来るな」と追い返される。貧困ビジネスの営業マンと勘違いされるのかもしれない。民間の宿泊施設のなかには、職員が夜昼なく路上生活者に声をかけ、生活保護の利用を条件に1部屋十数人の不衛生な大部屋に入れるところもある。毎月、支給された保護費から宿泊費、食費、光熱費などを差し引き、本人の手元に残るのはわずか1万~2万円だったりする。  この夜は日比谷公園で12人に弁当を手渡せた。五つ星ホテルの窓辺で、誰かが月を眺めている。公園にはリーンリーンと虫の音だけが響き渡る。あまりに近くて遠い現実に私は言葉を失った。コロナ禍で路上生活寸前の困窮者が激増している。 「食料支援団体の炊き出しや配食に、ベビーカーを押す母親、若者、中高年、外国人、世代も性別も国籍も多様な人たちが並ぶ。いままでに見たことのない光景です。国は、生活困窮者に最大200万円まで特例貸し付けをしていますが、仕事を失って、食事にも困る人に借金を背負わせてはダメです。貸し付けではなく給付を、とずっと言ってきた。何とか最大30万円、期間限定の生活困窮者自立支援金の給付が始まりましたが、原則として特例貸し付けで200万円まで借り切った人しか使えません。とても奇妙な仕組みです。やはり最後のセーフティーネットの生活保護をもっと使いやすくしなくてはいけません」と稲葉は語る。 生活保護を申請して劣悪な無料低額宿泊所(無低)に入れられ、過密な環境に慣れず、路上に舞い戻る人も多い。精神科医・森川すいめいらの2008~09年調査では東京・池袋の路上生活者の4~6割に精神疾患があった。医療的ケアが必要だ(撮影/横関一浩) コロナで居場所を失う人悲壮なSOSが舞い込む  新型コロナ感染症のパンデミックは、医療、福祉、経済……あらゆる分野の制度的矛盾を突く。前例主義の行政は対応が遅れ、現場でコロナに立ち向かう人との間で軋轢(あつれき)が生じた。稲葉もまた、彼が代表理事を務める「つくろい東京ファンド(以下、つくろい)」のスタッフ、連携する諸団体の仲間とともにコロナで「住まい」を失いそうな人を支え、現場のニーズを行政にぶつけて施策を変えさせている。「ネットカフェ難民」への対応もその一つだった。  2020年4月7日、最初の緊急事態宣言が発出されると、東京都はインターネットカフェを「3密」空間とみなし、休業要請を出した。知事の小池百合子は、「ステイホーム、お家にいて」としきりにアナウンスする。だが、事情があって都内のネットカフェに寝泊まりする人が推計で約4千人いた。彼らが一斉に居場所を失う恐れがある。  稲葉らは、空き家・空き室を借り上げて、シェルターとして低所得者に貸し出す<つくろい>の業容を拡大する傍ら、事前に「(ホームレスの人にホテルを借り上げて提供する)諸外国を見習い、(感染リスクを抑えるためにも)ホテルや住宅などの個室提供」を行うよう都に緊急支援の要望書を出していた(『貧困パンデミック 寝ている「公助」を叩き起こす』稲葉剛著参照)。宣言発出前日、小池は、記者会見で12億円の予算を充て、居場所を失う人が「滞在できる場所を確保する」と明言した。稲葉は、やった! 混乱を回避できる、と思わずガッツポーズをしそうになった。  ところが、都はホテル提供の広報をしない。4月9日に500室を確保して受け付けを始めるが、部屋数が足りない。おまけに緊急支援の対象を「都内に6カ月以上いる人」と絞った。「6カ月未満の人」は以前の居所がある自治体が支援するという。他県からの流入を恐れ、短期滞在者を排除したと思われる。<つくろい>のメール相談窓口には「人生詰んだ」「死んだほうがいい」「もうおしまい」と悲壮なSOSが舞い込む。ネットカフェを追われた男性が区役所で生活保護を申請すると、相部屋の民間施設に連れていかれた。マスクをしない高齢者がゲホゲホと咳込む横で眠れない夜を過ごし、食事も喉を通らず、「いますぐここから出たい」とメールで助けを求めてくる。  稲葉は東京都の担当課長に電話を入れた。「既存の制度の運用」とくり返す相手に「あなた、自分だったら、相部屋の施設に入れますか!」と迫り、やや対応が軟化する。4月16日、反貧困ネットワークの呼びかけで<つくろい>を含む20以上の団体が集まって結成した「新型コロナ災害緊急アクション」が、中央省庁との初交渉に臨んだ。翌日、厚生労働省は「個室利用」「衛生管理体制が整った居所」への配慮をお願いしたい、と全国の自治体に事務連絡を出す。東京都も「原則、個室対応」に改め、22日には「6カ月未満の人」も都の窓口で対応すると表明した。緊急事態宣言から2週間も経っている。<つくろい>のスタッフは、「所持金が数十円」「何日もごはんを食べていない」人たちのために居場所確保に奔走した。  しかしコロナ禍でも自治体の生活保護申請の窓口では、相部屋の施設への誘導や、あれこれ理由をつけて申請自体を拒む「水際作戦」が展開される。厚労省が「生活保護の申請は国民の権利です」とサイトに大きく掲げているにもかかわらずだ。 (文・山岡淳一郎) ※記事の続きはAERA 2021年11月15日号でご覧いただけます
現代の肖像
AERA 2021/11/12 18:00
「男の子のことを好きになったほうが」と語るりゅうちぇるさんにひろゆきさんは……
「男の子のことを好きになったほうが」と語るりゅうちぇるさんにひろゆきさんは……
オンラインでの対談が実現したryuchellさんとひろゆきさん(photo 写真部・松永卓也 haie&make up megu)  タレント・ryuchell(りゅうちぇる)さん初の著書『こんな世の中で生きていくしかないなら』(朝日新聞出版)が、大反響につき即重版が決定! 発売を記念して実現した「りゅうちぇる×ひろゆき」対談は、興奮も冷めやらぬまま50分以上も続き……。 「報われない世の中に関してどう感じている?」「その能力はどこで手に入れたの?」……第4話はひろゆきさんからryuchellさんへの質問が炸裂! 人前で肌を出すのが恥ずかしいというひろゆきさん……敢えて20代のときに下着モデルになった理由とは―ー。【対談の前編はこちら】 ■下着モデルになってわかった「本当に嫌なんだ」という感情(ひろゆき)  ひろゆき:人前で肌を出すべきじゃない、それは恥ずかしいものという認識ですよね。でも、周りに海があると水着が許される、その理屈がわからない。わからないからこそ、自分自身に問いたくて。滅茶苦茶、嫌なんですけど、だからこそ「やってみたらどれくらい嫌なのか」がわかると思い、20代のときに下着モデルとしてファッションショーに出ました。結果「本当に嫌なんだ」という感情がわいて、納得しましたけど。  ryuchell:僕は最初、SNSがきっかけでテレビに出たんですけど。テレビに出たばっかりなのに忙しくさせてもらえた。だからテレビ出演に力を入れたんですよね、みんなに知ってもらわないといけないし。その後に、Youtubeなどをスタートしたら、今の方が僕、充実しているんですよ。「テレビに出るとき」「Youtubeで自分を出すとき」みたいな。いい言葉が見つからなくて失礼かもしれないんですけど、ひろゆきさんは「時代にやわらかい」ですよね。若い子の感性とか今の世の中の流れというものをとてもキャッチしていて、すごいと思います。  ひろゆき:観察するのが好きなだけです。逆に、ryuchellさんに質問してもいいですか? 愛について、報われないことのほうが多いじゃないですか。世の中には、もっとこうしたほうがいいのにとか、こうしたほうが社会はもっとよくなるのにとか、いろんなものが目につく。でもどこかで諦める。仕方がないよね、社会はこういうものだし。困っている人がいても全員を助けられるわけじゃないし、とか。僕、ryuchellさんは「それをしたくない人」だと思っているんですけど、どうやって割り切っています? ひろゆきさん(撮影:鈴木芳果) ■自分の意見を伝えるときには「強要しない」(ryuchell) ryuchel:世の中には、いろんな背景がありますよね、もちろん人間にも。価値観もそれぞれですし。僕は愛をテーマに生きているけど、愛がテーマなんてありえないって思っている人もいて当たり前。自分の意見を伝えるときに気を付けているのが、「強要しない」ということなんです。例えば僕って「派手な人を個性と思っている」と勘違いされやすいんですね。別に僕は、今日のひろゆきさんの洋服(グレーのボーダー)もいいと思うんです。 ひろゆき:すみません。普段着で、すみません。 ryuchell:それは、個性です。逆に言うと、僕にはがんばってもなれない個性なんですね。質問の答えを話すと、報われない人、幸せじゃない人、何が愛かわからない人、同じ失敗をしている人、お金がない人……人それぞれにいろんな悩みがあったとして、その人たちすべてに愛を伝えようというふうに僕は、がんばっているわけではないかもしれない。 ひろゆき:ほぉぉぉ。 ryuchell:『こんな世の中で生きていくしかないから』という本を出版しましたが、僕、世の中が変わるなんて一ミリも思っていないんですね。人様の考えとか価値観を変えようといった押し付けは、持っていないし強要もしたくない。人間って、磁石のように自然と、同じ価値観・似た者同士が集まるのかなって思っている。僕の発言を気になった人がSNSをフォローしてくれたりとか、本当に今、僕を必要としてくれる人が僕のことを見てくれたらいいかなっていう意識はある。僕の意見を認めてもらいたいという風には思わないようにして、強要もしないでおこう。いろんな生き方があるから、という風に考えるようにしています。 ひろゆき:悩みがあるような人の話を聞くと、何とかして共感してあげたいとか思っちゃうじゃないですか。で、困っている人って、どんどんいっぱい寄って来るじゃないですか。それ、辛くないですか? ■きちんと抱きしめたあと、ふわふわした言葉で伝える(ryuchell) ryuchell:わかります。だから、まずは肯定する。「わかるよ」「そういうときもあるよね」という風に接して、きちんと抱きしめたあとに必ず自分の言葉で伝えるんです。「何々だと思うなぁ」「僕だったら、こうするな」って。言葉を決めつけるわけではなく、ふわふわしたような言葉で話す。人の人生が変わるきっかけを、ちゃんとした言葉で言うよりも選択肢を与えられるような人間でいたいんです。 満面の笑みだけでなく、雰囲気のある表情も素敵なryuchellさん。(photo 写真部・松永卓也 hair&&make up megu) ひろゆき:それって、テレビに出た最初のころからそんな感じですよね? ryuchell:最初は、食レポをしていても「これ、全然美味しくない」とか言っていたし、人にも「ええ?ダサい、キモイ」と言っていたし。「バラエティー番組のいい子」でいようというのがすごく強かった。でも、ただのいい子じゃテレビに出続けられないから、その当時は年上の人にもタメ口で話すとか……そう思いこんでいたんですよね。今のバラエティーと、5~6年前のバラエティーは全然違うんです。ドッキリとかの騙され方も、前はひどかった。だから仮面をかぶらないとやっていけないと思っていた。 ひろゆき:なるほどね。 ryuchell:今は、人を表面だけで決めつけずに、ちゃんと背景までしっかり考えてあげることを意識しています。例えば、会社の上下関係の相談が来た時に、満員電車に揺られて、会社に来た人のイライラのボルテージと、クーラーのきいた送迎車で出社する社長のイライラボルテージはまったく違う。「何であの人、朝からあんなに怒っているの?」って言うのは簡単だけれど、その人のバックグラウンドを考えてみる。今朝、誰かに「行っていらっしゃい」って言われたかな?とかね。 ■望まれていることにすぐ反応して演出できるという「特殊能力」(ひろゆき) ひろゆき:相手の生き方や、朝どうだったかも含めての想像だったりとか、バラエティーに出たときに「こうしたほうが受けるよね」みたいな、周りの情報を手に入れたりする感度が、めっちゃ高いじゃないですか! それって、いつからですか? バラエティーで売れたい人って、世の中に何万人もいる。で、売れたいと思っても売れなかった人のほうが多いわけで……。「こういうことを望まれているんだな」「じゃあやろう」と、すぐ反応してそれを演出してできたという2つの能力って、特殊だと思うんですけど。それは、どこから手に入れた能力なんですか? ryuchell:僕自身では気づいていないんですけど、「人の感情、読み取れるよね」「空気、読めるよね」って褒めてもらったことは何回かありました。割と僕、少数派というか、昔から可愛いものが大好きで。でも、相手の性別でいうと女の子が好きで……だから、いろいろとからかわれた時期がありました。「もしかしたら僕、男の子のことを好きになったほうが、みんなからしたら分かりやすかったかなぁ」とか。「嘘ついているように見られているのかな」とか。自分の、生まれもった性格で悩んだこともあったんです。でもそのおかげか、すごく「人の目を見る子ども」でしたね。「この人にはこうしないと、嫌われるかも」とか「この学校ではありのままでいたら嫌われるかも」とか。 ひろゆきさん(撮影:鈴木芳果) ひろゆき:なるほど。 ■バラエティータレントって、繊細な人が多いと思う(ryuchell) ryuchell:高校生でアルバイトをし始めたとき、アンケートに「あの子、女の子っぽくて何なの?」「気持ち悪い」とか書かれたことがあって。それですごい傷ついて……人を見て自分を「出すか」「出さないか」「どこまで出すか」みたいなことをすごく考えたりして。そういう「人の目を気にしすぎる」というところは昔からありました。もちろん、たまに疲れちゃうときもあるし、気を使いすぎて嫌になることもある。でも、結果として仕事になることもたくさんあったし、そのおかげで助けられた。だから僕が思うに、バラエティータレントって、実は「陽キャ」に見えて「陰キャ」じゃないけれど、人の目を見たり相手の気持ちを先に考えてしまったりするような、繊細な人が多いと思う。 ひろゆき:それって、沖縄出身だからっていうことがありますか? 東京の人と、一緒なんですか? ryuchell:全然、違う! 極端な話、東京は生きる術を身につけたら生きていけると思うんです。そして、人との距離感が大切で、壁を作ったほうがうまくいったりとか。沖縄は、人と壁を作ったら嫌われるし、生き方が上手な人……八方美人があまり好かれない傾向がありますよね。文化の違いもあると思うんですけど。 ひろゆき:沖縄に住んでいたときは壁を作らないで生きてきたのに、東京に来たら壁を作ったほうがうまくいくっていうことは……壁の作り方を自然と覚えるんですか? ryuchell:テレビに出たら自然と壁ができますよ。正直、18歳でバラエティーに出て、MCさんとか中堅の芸人さんとかが前室の奥で集っていたりする。そこで壁を作らず、「そうっすよね~」って行く勇気もなくて。 ひろゆき:えっ、なんか、行っていそうな感じなのに! ryuchell:できない。できるのは、ふわちゃんだけです(笑)。当時は、裏で「すみません、よろしくお願いいたします」「ありがとうございました。お疲れさまです」という感じだったんですよ。だから、壁を作ったほうがうまくいくじゃないけど、そう思っていましたね。あのころは特に、壁を作らないと吸われてしまいそうな感じ……わかります? このニュアンス。 ■「僕は所詮、商品」と勝手に寂しくなった(ryuchell) ひろゆき:吸われてしまう……。 ryuchell:「このスタッフさんに本当の自分を見せたら仕事がやりづらくなるな」って思ったりと、気を吸われる感じがしたりして。仕事の自分だけを見せていたほうがうまくいきそうな気がする……そんなことばかりでした。 ひろゆき:へええ、そこまで考えるんだ。 ryuchell:だから毎日毎日、夜はすごく疲れました。今はちょっとずつ素が出せるようになったり、芸能人のお友達も何人かできたりもしています。10代からメディアに出ると「あああ僕、使われているな」とか「僕は所詮、商品なんだな」とか、勝手に寂しくなったりもしました。 ひろゆき:人によってどこまで出していくかを毎回決めていくのって、すごく面倒くさいですよね。この人はここまで出すとか覚えていなきゃいけないじゃないですか。それって、すごく記憶力を使いません? 誰と何をしゃべったかとか、覚えていたりするんですか? ryuchell:覚えています、僕。名前はちゃんと覚えていないかもしれないけれど、忙しかった割には、一緒に仕事をしたスタッフさんに対して「この人にはこういう態度で接していたな」ってセットで覚えちゃっているから。 ひろゆき:すげえ。 ryuchell:すごくないです。この人にはこうやったほうが好かれるなとか……だから自信があるように見えて、本当は自信がないかもしれないですね。 ひろゆき:記憶力がそんなにいいんですね、すごいっすね。 ryuchell:あははは~(笑)。今日はいっぱいお話しができて嬉しかったです。ありがとうございます。 ひろゆき:こちらこそ、面白かったです。ryuchellさんって、そんなにいないタイプの人じゃないですか。だから質問をしてみると変わった答えが返ってくるんで、面白かったです。 ryuche:では、生で会える日を楽しみに。 ◎ryuchell(りゅうちぇる)/1995年、沖縄県生まれ。タレント。2016年にモデル・タレントのpecoと結婚。1児の父となった現在、育児などについて積極的に発信している ◎ひろゆき/1976年、神奈川県生まれ。実業家、著作家。インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」開設者。2015年から英語圏最大の匿名掲示板「4chan」管理人 (構成・文/宣伝プロモーション部・長谷川拓美)
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dot. 2021/11/10 11:30
大人こそ「絵本」を読もう オススメは「超現代っ子的絵本」と「昭和感絵本」
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村上春樹ライブラリーでは、海外で翻訳された膨大な数の村上作品を手に取ることができる。各国の装丁の違いを見るのも楽しい(撮影/写真部・東川哲也)  本好きな人たちは、読書をどうとらえ何を読でいるのか。AERA 2021年11月8日号の記事では、それぞれのテーマで両極にあると感じる「両極本」を含む、オススメ本5冊を紹介しよう *  *  * ■松岡宗嗣さん(27)/「fair」代表理事 松岡宗嗣さん(27)/「fair」代表理事 規範を疑い、敏感であるために  性的マイノリティーに関する情報を発信する「fair」で活動しています。私自身が、ゲイの当事者でもあります。  ジェンダーやセクシュアリティーに関する生きづらさを感じるのは、ずっと「自分のせい」だと思っていました。そうではなく、社会から「自分のせい」だと思い込まされていたのだと気づけたのは本との出合いが大きかったと思います。私自身も情報発信の中で、誰かを周縁に追いやっていないか、怖さを感じています。規範を疑い、敏感であるためにも、本は必要です。 『しあわせなおうじ』は、個人や社会にとっての「幸せ」とは何か、描かれる「美しさ」に心動かされつつも疑い、自分自身の特権性、支援や分配のあり方を考えさせられる物語です。『差別はたいてい悪意のない人がする』は、差別の問題に「見えない」「気づかない」で済む特権という視点から自分自身の認識を疑い、どう公正な社会を目指せるかを考えるための一冊です。 私の両極本(AERA11月8号から) 【私の両極本】 物語から疑う 『しあわせなおうじ』オスカー・ワイルド原作/フレーベル館 理論から疑う 『差別はたいてい悪意のない人がする─見えない排除に気づくための10章』キム・ジヘ著/大月書店 『LGBTを読みとく―クィア・スタディーズ入門』森山至貴著/ちくま新書 『海をあげる』上間陽子著/筑摩書房 『誰のために法は生まれた』木庭顕/朝日出版社 ■吉田大助さん(44)/書評家・ライター 吉田大助さん(44)/書評家・ライター ベターな人生のために不可欠な営み  人間は言葉によってできていると思います。自己を構成している言葉を再検証して適度に入れ替えたり、他者や世界を把握する際に当てはめる新たな言葉を手に入れたりすることは、よりベターな人生を送るために不可欠な営みなのではないかな、と。単に言葉を仕入れるだけでなく、その言葉の使い方を取り入れるには、物理的な文字によって構成された本を読むことが一番効果的だと思っています。  山本文緒著『ばにらさま』は、「あなたは他者の内面の広がりを、あまりに低く見積もっていないか?」と突きつけられる短編集。遺作となった本書、特に第三編「菓子苑」からは一生忘れられない衝撃を得ました。  一方、津村記久子著『ディス・イズ・ザ・デイ』は、「あなたは自分の内面の広がりを、あまりに低く見積もっていないか?」と突きつけられる連作短編集。まだ知らない自分に出会うスイッチはきっと、そこら中にあるんです。 私の両極本(AERA11月8号から) 【私の両極本】 「他者」に出会う 『ばにらさま』山本文緒著/文藝春秋 「自分」に出会う 『ディス・イズ・ザ・デイ』津村記久子著/朝日文庫 『君の顔では泣けない』君嶋彼方著/KADOKAWA 『ペッパーズ・ゴースト』伊坂幸太郎著/朝日新聞出版 『正欲』朝井リョウ著/新潮社 ■マシュー・チョジックさん(40)/タレント、俳優、出版社経営 マシュー・チョジックさん(40)/タレント、俳優、出版社経営 おかげで僕は読書ざんまい!  本は僕にとっては酸素かな。自分と違う人生を経験してきている人々の内面や意識、発想を追体験できる「何よりもすごいもの」。しかも安い! 自分のラッキーな人生は本当に本のおかげです。  小説も大好きだけど、最近はビジネスや経済学系の本の気分だったから、こういう5冊になりました。僕は英語のほうが速く読めるから原書で読んだけど、和訳が出ているので読んでみてくださいね。 『ご冗談でしょう、ファインマンさん』はノーベル物理学賞を受賞した博士のユーモラスなエッセイ集。ストレートには書かれてないけれど、「“好奇心”こそがこの世でもっとも大切である」ことを、楽しく教えてくれます。四六時中、仕事と向き合って人生をエンジョイするファインマン博士とは真逆で、『「週4時間」だけ働く。』は21世紀型の究極のワーク・ライフ・バランス。アドバイスで仕事の効率が劇的に上がる。おかげで僕は読書ざんまい! 私の両極本(AERA11月8号から) 【私の両極本】 四六時中仕事と向き合う 『ご冗談でしょう、ファインマンさん』リチャード P. ファインマン著/岩波書店 究極のワーク・ライフ・バランス 『「週4時間」だけ働く。』ティモシー・フェリス著/青志社 『反脆弱性:不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』ナシーム・ニコラス・タレブ著/ダイヤモンド社 『資本主義リアリズム』マーク・フィッシャー著/堀之内出版 『不滅』ミラン・クンデラ著/集英社 ■植木恭世さん(40)/「絵本のある親子のまなびや」主宰 植木恭世さん(40)/「絵本のある親子のまなびや」主宰 絵本は大人こそ読んでほしい 「つまんなーい」「ヒマだー」と簡単にいう人がいます。それは子どもも大人も。『つまんない つまんない』は、いつだって自分の頭を動かしていれば、「つまんない」ことなんてないんだ、と気づかされる絵本。『まほうの夏』は、ゲームなんてなくたって、こんなにもワクワクすることがあふれていた!と思い出させてくれます。ほかの3冊も、「愛」や「師」など人生の奥深さを教えてくれます。  私はよく本をプレゼントしたり、してもらったりするのですが、そうすることで、その本とその人がセットになって記憶にとどまります。絵本はプレゼントにもピッタリ。ここにオススメした絵本は、どれも大人にこそ読んでもらいたいです。 私の両極本(AERA11月8号から) 【私の両極本】 超現代っ子的絵本 『つまんない つまんない』ヨシタケシンスケ著/白泉社 昭和感絵本 『まほうの夏』藤原一枝・はたこうしろう作、はたこうしろう絵/岩崎書店 『おおきな木』シェル・シルヴァスタイン著、村上春樹訳/あすなろ書房 『てん』ピーター・レイノルズ著、谷川俊太郎訳/あすなろ書房 『漂流物』デイヴィッド・ウィーズナー著/BL出版 ■高橋有紀(40)/本誌記者 頑張れる日も頑張らない日も 両極本は、頑張れる日・頑張らない日、それぞれの方向にパワーをくれます。生物学系の本は「僕らはみんな生きている」みたいなことを思い出させてくれる大事な存在。 【私の両極本】 よし頑張るぞ 『マイ・ストーリー』ミシェル・オバマ著/集英社 もう頑張らない 『はたらかないで、たらふく食べたい』栗原康著/ちくま文庫 『愛しのオクトパス──海の賢者が誘う意識と生命の神秘の世界』サイ・モンゴメリー著/亜紀書房 『生態学者の目のツケドコロ──生きものと環境の関係を、一歩引いたところから考えてみた』伊勢武史著/ベレ出版 『聖なるズー』濱野ちひろ著/集英社 ■藤井直樹 (43)/本誌記者 自分の現在地教えてくれる どんなジャンルであれ、書き手の個人的かつ切実な思いが詰まっている本を読むことが好きです。そんな本との無言の対話は、自分の現在地を教えてくれる気がします。 【私の両極本】 世界を巨視的に見る 『ハイパーハードボイルドグルメリポート』上出遼平著/朝日新聞出版 世界を微視的に見る 『僕の種がない』鈴木おさむ著/幻冬舎 『夜が明ける』西加奈子著/新潮社 『いまだ、おしまいの地』こだま著/太田出版 『ルックバック』藤本タツキ著/集英社 ※回答は書面インタビューによる。 私の両極本【左】高橋有紀(40)/本誌記者、【右】藤井直樹 (43)/本誌記者(AERA11月8号から) (編集部・高橋有紀、藤井直樹、木村恵子)※AERA 2021年11月8日号
AERA 2021/11/08 18:00
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