矢部万紀子
時代が求めているのは「スーパーヒロイン」より「シスターフッド」 朝ドラ「虎に翼」のヒロイン・寅子の魅力とは
入学式の日、家族で記念写真を撮る。母にまるで頭が上がらない父(岡部たかし)は、寅子への限りない楽観の持ち主だ(写真:NHK提供)
女性に弁護士資格が認められていなかった時代に法曹の世界を志すヒロイン・寅子が活躍するNHK連続テレビ小説「虎に翼」。率直な言動に心つかまれる一方、ヒロインにはいまの時代が求めている女性像が投影されているという。AERA 2024年月5月13日号より。
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RCサクセションの歌で何が一番好きかと聞かれたら、迷わず「いい事ばかりはありゃしない」(1980年)をあげる。大学生だった私は、忌野清志郎さんの優しい声で「人生とはそういうものだ」と心に刻み、以後の艱難辛苦を乗り越えてきた。
それから44年、毎朝、大学生に励まされている。猪爪寅子(いのつめともこ)という大学生に。彼女は明律大学女子部法科に入学したその日、こう言って家を出た。
「では地獄へ行って参ります」
地獄を選んだ誇りと喜び。いいぞ、寅子。人生は所詮「いい事ばかりはありゃしない」、どっちにしたって小さな地獄だ。それなら自分の好きな、楽しい地獄を歩こうじゃないか。寅子を見るたび、そう思う。
というわけで、朝ドラ「虎に翼」だ。寅子(伊藤沙莉)のモデルは、日本初の女性裁判所長になる三淵嘉子さん。1914(大正3)年生まれのヒロインに、心をわしづかみにされている。
お見合いはしたくない
まずは、「地獄」の話から。女学校卒業直前の寅子と、母・はる(石田ゆり子)との会話から飛び出した言葉だ。31(昭和6)年末か32年初頭、とにかく冬、寅子は春から明律大学に進学したく、出願も済ませている。母は女学校卒業までに娘の嫁ぎ先を決めると、お見合いに情熱を捧げている。実施済みの3度のお見合いは、すべて相手から断られた──そういう状況で進路について語る展開になった。
法科へ行きたいのは、お見合いから逃げるためだと母が言う。寅子がこう答える。「そうだよ、だって私、やっぱりお見合いはしたくない。婚姻制度について調べれば調べるほど、心躍るどころか心がしぼんでいく」
そこからいくつかの会話を経て、母親はこう言う。あなたは優秀だから法律家になれるかもしれない。だが、なれなかったら? なれてもうまくいかなかったら? 親の世話になり、嫁の貰い手もなく、それがどんなに惨めなことかわかっているか。そう説いて、こう言う。「今、行こうとしている道であなたが心から笑えると、お母さんは到底思えないの。どう進んだって、地獄じゃない」
寅子の同級生。男装のよねの他に華族の跡取り娘、朝鮮半島からの留学生、弁護士の妻で男子3人の母と気になる背景の持ち主が並ぶ(写真:NHK提供)
地獄論争の始まりだ。母は「頭のいい女が幸せになるには、頭の悪い女のふりをするしかない」「だからあなたは、できるだけあなたに見合った素敵な殿方と」見合いすべしと激推しする。寅子は「愛してくれてありがとう」と言ってから、こう返した。
「でも私には、お母さんがいう幸せも、地獄にしか思えない」
今からほぼ90年前に寅子が語った〈結婚=地獄〉説。よく言ったと拍手したくなる。分析するなら「女性の立場は変わっていないと、再認識させられる」だろう。が、それより何より「寅子は私だ」と思う。「カーネーション」以来の感覚だ。
「私たち」で平等目指す
「カーネーション」とは2011年度後期に放送された朝ドラ。ヒロイン・糸子のモデルは、三淵さんの一つ年上の小篠綾子さん。大阪・岸和田の呉服屋の長女に生まれ、洋装店を起こし、コシノ3姉妹を育てた人だ。
この2作品の共通点は、ヒロインが現状(つまり圧倒的な男性社会)に甘んじていないところだ。ただし流れている空気はかなり違う。小学生の時から年上の男子相手に取っ組み合いの喧嘩をし、五分以上の戦いをする糸子。帝都銀行に勤める父のもと、お茶の水にある女学校で2番の成績を収める寅子。全く違うヒロインだから、当たり前ではある。が、同時に「カーネーション」から今日までの13年という歳月も思う。
糸子はとにかくパワフルで、一人ぐんぐんと時代を切り開いていくスーパーヒロインだった。寅子も「日本初の女性裁判所長」になる人だ、パワフルでないはずがない。が、糸子よりずっと抑制的に、突出した存在というより女性同士の連携の中心にいる、そんな人物に描かれている。
13年間で女性を取り巻く環境が好転しているとは、全く思わない。だが時代が求めているのは「スーパーヒロイン」よりも「シスターフッド」なのだと思う。「私たち」でジェンダー平等を目指す。そんな認識が寅子像に反映されているように見える。
寅子と母の話をもう少し。甘味処で寅子は、明律大学の先生(正しくは裁判官。演じているのは松山ケンイチ)がいることに気づく。寅子は名乗り、出会った日の礼を言う。そして「母に進学を反対されている、先生ならどう説得するか」と相談する。礼儀正しく、誰にもまっすぐなのが寅子だ。
寅子の母・猪爪はる(石田ゆり子、左)と猪爪寅子(伊藤沙莉)。NHK連続テレビ小説「虎に翼」より(写真:NHK提供)
何者かになろうとする
彼は、女性が法律の世界に入るのは時期尚早だと言う。当時女性に司法試験の受験資格がなかったから、突飛な意見ではない。そして「母親一人説得できないようでは話にならない」と続ける。この先、優秀な男と肩を並べて戦わなければならないのだから、と。
寅子は「あのー」と言ってから、一気に語る。母はとても優秀だ、想像していらっしゃるよりずっと頭がよく、記憶力も誰よりもすぐれている、と。「何を言っているんだ、君は」と言われ、こう返す。「ですから、母を説得できないことと、私が優秀な殿方と肩を並べられないことは全く別問題か、と」
私が朝ドラを好きなのは、ヒロインが何者かになろうとする姿が描かれているからだ。そのための一歩に母という存在があるから、ヒロインと母親は違うタイプで描かれることが多い。糸子の母・千代(麻生祐未)もそうで、お嬢様育ちのホワホワと一見頼りなさそうな女性に描かれていた。
NHK連続テレビ小説「虎に翼」より(写真:NHK提供)
だから〈母=優秀〉説を唱える寅子が新鮮だった。フラットに母を観察し、「優秀」と判断する。そんな感じがした。フラットはシスターフッドへの道。寅子を見ているとそう思う。明律大学の同級生・山田よね(土居志央梨)との関係もそうだ。
よねは農家の次女として生まれ、女郎屋に売られそうになって逃げてきた。上野のカフェで給仕の仕事をしながら大学に通っている。男社会を憎んでいて、男性を「殿方」と呼ぶ寅子とは相当に距離がある。
それを埋めたのは「生理痛」だった。自分は一日も授業を休まず、必死にくらいついている。そう語るよねに、生理の時はどうしているのかと寅子が尋ねた。どうということはないとの答えに、生理痛がひどい寅子は、「いいなあ」と言う。よねの背景もあれこれ考えていた。が、「生理痛」でヒョイと飛び越える。シスターフッドの人だと思う。
ところで「虎に翼」は「カーネーション」を意識させる仕掛け満載だ。(1)ナレーションが糸子役の尾野真千子。〈母=優秀〉のシーン、甘味処にはるが登場、「お黙りなさい」と先生を一喝し、寅子の進学賛成へと急展開する。そこに尾野。「こうして最後の敵を倒した寅子は無事、地獄への切符を手に入れたのでした」。楽しい地獄が見えてくる。
山田よね(土居志央梨、左)と猪爪寅子(伊藤沙莉)。NHK連続テレビ小説「虎に翼」より(写真:NHK提供)
(2)寅子の恩師=糸子の父=小林薫。気が弱いくせに殴る蹴るの暴君から一転、進歩的かつ穏やかな法学者に。(1)と(2)だけで、「カーネーション」ファンは頬が緩んでしまうのだ。
しんどそうな女性たち
最後に一つ、「虎に翼」で気になっていることを書く。通りを歩いている女性たちが明るくないのだ。
例えば甘味処(よく出てくる)への道の途中、セーラー服の小学生らしい女子が歩いている。後ろから詰め襟の男子2人が走ってきて、その子をからかう。別の日、その女子が泣きながら歩いている。お茶の水あたりの橋もよく出てくるが、そこを歩く女性のしんどそう率が高い。
寅子は法律という道を見つけたお嬢さんだ。恵まれている。そうでない女性がたくさんいる。そのことを通りすがりの女性たちが表している。勝手にそう解釈し、将来の寅子への期待を一層ふくらませている。(コラムニスト・矢部万紀子)
※AERA 2024年5月13日号
AERA
2024/05/12 16:00