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時代が求めているのは「スーパーヒロイン」より「シスターフッド」 朝ドラ「虎に翼」のヒロイン・寅子の魅力とは
矢部万紀子 矢部万紀子
時代が求めているのは「スーパーヒロイン」より「シスターフッド」 朝ドラ「虎に翼」のヒロイン・寅子の魅力とは
入学式の日、家族で記念写真を撮る。母にまるで頭が上がらない父(岡部たかし)は、寅子への限りない楽観の持ち主だ(写真:NHK提供)    女性に弁護士資格が認められていなかった時代に法曹の世界を志すヒロイン・寅子が活躍するNHK連続テレビ小説「虎に翼」。率直な言動に心つかまれる一方、ヒロインにはいまの時代が求めている女性像が投影されているという。AERA 2024年月5月13日号より。 *  *  *  RCサクセションの歌で何が一番好きかと聞かれたら、迷わず「いい事ばかりはありゃしない」(1980年)をあげる。大学生だった私は、忌野清志郎さんの優しい声で「人生とはそういうものだ」と心に刻み、以後の艱難辛苦を乗り越えてきた。  それから44年、毎朝、大学生に励まされている。猪爪寅子(いのつめともこ)という大学生に。彼女は明律大学女子部法科に入学したその日、こう言って家を出た。 「では地獄へ行って参ります」  地獄を選んだ誇りと喜び。いいぞ、寅子。人生は所詮「いい事ばかりはありゃしない」、どっちにしたって小さな地獄だ。それなら自分の好きな、楽しい地獄を歩こうじゃないか。寅子を見るたび、そう思う。  というわけで、朝ドラ「虎に翼」だ。寅子(伊藤沙莉)のモデルは、日本初の女性裁判所長になる三淵嘉子さん。1914(大正3)年生まれのヒロインに、心をわしづかみにされている。 お見合いはしたくない  まずは、「地獄」の話から。女学校卒業直前の寅子と、母・はる(石田ゆり子)との会話から飛び出した言葉だ。31(昭和6)年末か32年初頭、とにかく冬、寅子は春から明律大学に進学したく、出願も済ませている。母は女学校卒業までに娘の嫁ぎ先を決めると、お見合いに情熱を捧げている。実施済みの3度のお見合いは、すべて相手から断られた──そういう状況で進路について語る展開になった。  法科へ行きたいのは、お見合いから逃げるためだと母が言う。寅子がこう答える。「そうだよ、だって私、やっぱりお見合いはしたくない。婚姻制度について調べれば調べるほど、心躍るどころか心がしぼんでいく」  そこからいくつかの会話を経て、母親はこう言う。あなたは優秀だから法律家になれるかもしれない。だが、なれなかったら? なれてもうまくいかなかったら? 親の世話になり、嫁の貰い手もなく、それがどんなに惨めなことかわかっているか。そう説いて、こう言う。「今、行こうとしている道であなたが心から笑えると、お母さんは到底思えないの。どう進んだって、地獄じゃない」 寅子の同級生。男装のよねの他に華族の跡取り娘、朝鮮半島からの留学生、弁護士の妻で男子3人の母と気になる背景の持ち主が並ぶ(写真:NHK提供)    地獄論争の始まりだ。母は「頭のいい女が幸せになるには、頭の悪い女のふりをするしかない」「だからあなたは、できるだけあなたに見合った素敵な殿方と」見合いすべしと激推しする。寅子は「愛してくれてありがとう」と言ってから、こう返した。 「でも私には、お母さんがいう幸せも、地獄にしか思えない」  今からほぼ90年前に寅子が語った〈結婚=地獄〉説。よく言ったと拍手したくなる。分析するなら「女性の立場は変わっていないと、再認識させられる」だろう。が、それより何より「寅子は私だ」と思う。「カーネーション」以来の感覚だ。 「私たち」で平等目指す 「カーネーション」とは2011年度後期に放送された朝ドラ。ヒロイン・糸子のモデルは、三淵さんの一つ年上の小篠綾子さん。大阪・岸和田の呉服屋の長女に生まれ、洋装店を起こし、コシノ3姉妹を育てた人だ。  この2作品の共通点は、ヒロインが現状(つまり圧倒的な男性社会)に甘んじていないところだ。ただし流れている空気はかなり違う。小学生の時から年上の男子相手に取っ組み合いの喧嘩をし、五分以上の戦いをする糸子。帝都銀行に勤める父のもと、お茶の水にある女学校で2番の成績を収める寅子。全く違うヒロインだから、当たり前ではある。が、同時に「カーネーション」から今日までの13年という歳月も思う。  糸子はとにかくパワフルで、一人ぐんぐんと時代を切り開いていくスーパーヒロインだった。寅子も「日本初の女性裁判所長」になる人だ、パワフルでないはずがない。が、糸子よりずっと抑制的に、突出した存在というより女性同士の連携の中心にいる、そんな人物に描かれている。  13年間で女性を取り巻く環境が好転しているとは、全く思わない。だが時代が求めているのは「スーパーヒロイン」よりも「シスターフッド」なのだと思う。「私たち」でジェンダー平等を目指す。そんな認識が寅子像に反映されているように見える。  寅子と母の話をもう少し。甘味処で寅子は、明律大学の先生(正しくは裁判官。演じているのは松山ケンイチ)がいることに気づく。寅子は名乗り、出会った日の礼を言う。そして「母に進学を反対されている、先生ならどう説得するか」と相談する。礼儀正しく、誰にもまっすぐなのが寅子だ。 寅子の母・猪爪はる(石田ゆり子、左)と猪爪寅子(伊藤沙莉)。NHK連続テレビ小説「虎に翼」より(写真:NHK提供)   何者かになろうとする  彼は、女性が法律の世界に入るのは時期尚早だと言う。当時女性に司法試験の受験資格がなかったから、突飛な意見ではない。そして「母親一人説得できないようでは話にならない」と続ける。この先、優秀な男と肩を並べて戦わなければならないのだから、と。  寅子は「あのー」と言ってから、一気に語る。母はとても優秀だ、想像していらっしゃるよりずっと頭がよく、記憶力も誰よりもすぐれている、と。「何を言っているんだ、君は」と言われ、こう返す。「ですから、母を説得できないことと、私が優秀な殿方と肩を並べられないことは全く別問題か、と」  私が朝ドラを好きなのは、ヒロインが何者かになろうとする姿が描かれているからだ。そのための一歩に母という存在があるから、ヒロインと母親は違うタイプで描かれることが多い。糸子の母・千代(麻生祐未)もそうで、お嬢様育ちのホワホワと一見頼りなさそうな女性に描かれていた。 NHK連続テレビ小説「虎に翼」より(写真:NHK提供)    だから〈母=優秀〉説を唱える寅子が新鮮だった。フラットに母を観察し、「優秀」と判断する。そんな感じがした。フラットはシスターフッドへの道。寅子を見ているとそう思う。明律大学の同級生・山田よね(土居志央梨)との関係もそうだ。  よねは農家の次女として生まれ、女郎屋に売られそうになって逃げてきた。上野のカフェで給仕の仕事をしながら大学に通っている。男社会を憎んでいて、男性を「殿方」と呼ぶ寅子とは相当に距離がある。  それを埋めたのは「生理痛」だった。自分は一日も授業を休まず、必死にくらいついている。そう語るよねに、生理の時はどうしているのかと寅子が尋ねた。どうということはないとの答えに、生理痛がひどい寅子は、「いいなあ」と言う。よねの背景もあれこれ考えていた。が、「生理痛」でヒョイと飛び越える。シスターフッドの人だと思う。  ところで「虎に翼」は「カーネーション」を意識させる仕掛け満載だ。(1)ナレーションが糸子役の尾野真千子。〈母=優秀〉のシーン、甘味処にはるが登場、「お黙りなさい」と先生を一喝し、寅子の進学賛成へと急展開する。そこに尾野。「こうして最後の敵を倒した寅子は無事、地獄への切符を手に入れたのでした」。楽しい地獄が見えてくる。 山田よね(土居志央梨、左)と猪爪寅子(伊藤沙莉)。NHK連続テレビ小説「虎に翼」より(写真:NHK提供)    (2)寅子の恩師=糸子の父=小林薫。気が弱いくせに殴る蹴るの暴君から一転、進歩的かつ穏やかな法学者に。(1)と(2)だけで、「カーネーション」ファンは頬が緩んでしまうのだ。 しんどそうな女性たち  最後に一つ、「虎に翼」で気になっていることを書く。通りを歩いている女性たちが明るくないのだ。  例えば甘味処(よく出てくる)への道の途中、セーラー服の小学生らしい女子が歩いている。後ろから詰め襟の男子2人が走ってきて、その子をからかう。別の日、その女子が泣きながら歩いている。お茶の水あたりの橋もよく出てくるが、そこを歩く女性のしんどそう率が高い。  寅子は法律という道を見つけたお嬢さんだ。恵まれている。そうでない女性がたくさんいる。そのことを通りすがりの女性たちが表している。勝手にそう解釈し、将来の寅子への期待を一層ふくらませている。(コラムニスト・矢部万紀子) ※AERA 2024年5月13日号
AERA 2024/05/12 16:00
「虎に翼」寅子のモデルに指導を受けた女性弁護士が語る 「辞めないで」の言葉に勇気づけられた
今西憲之 今西憲之
「虎に翼」寅子のモデルに指導を受けた女性弁護士が語る 「辞めないで」の言葉に勇気づけられた
「虎に翼」で弁護士を目指す寅子役の伊藤沙莉    この春から放送が始まったNHK連続テレビ小説「虎に翼」。女性が弁護士や裁判官になる道がまだ閉ざされていた時代に、法律家を目指した猪爪寅子(伊藤沙莉)が主人公だ。寅子のモデルとなった女性法律家の思い出を、直接指導を受けたことがある女性弁護士に聞いた。 「ドラマを見ていて、先生にご指導をいただいた思い出がよみがえってきました」  こう話すのは、弁護士の犀川千代子さん、87歳。「先生」というのは、寅子のモデルで、日本で女性として初めて弁護士となり、その後、判事、裁判所長にもなった三淵嘉子(1914~1984)のことだ。  三淵はまだ女性が弁護士になれなかった時代に明治大学専門部女子部法科に入学し、明治大学法学部に進んだ。現在の司法試験にあたる「司法科試験」に1938(昭和13)年に合格し、女性初の弁護士の一人となった。戦後は自ら志願して女性初の判事となり、女性初の家庭裁判所長にもなっている。  犀川さんは1955年に早稲田大学法学部に入学。1962年に同大学法学部卒業の女性としては初めて司法試験に合格し、弁護士の道を歩んだ。当時(1960年代前半)、日本の弁護士のうち女性は1%ほどに過ぎなかった。  三淵は名古屋地方裁判所で判事となってから、10年近く東京家庭裁判所で少年事件を手がけたが、犀川さんが三淵から指導を受けたのはその間だった。  犀川さんは1963年4月から司法修習をしたが、裁判所での実務修習の中で、東京家庭裁判所研修が2週間ほどあった。うち1週間が少年部の研修で、担当した部長判事が三淵だったという。犀川さんが振り返る。 「もちろん三淵さんが我が国初めての女性裁判官ということは知っていました。当時はまだ戦後の混乱期で、少年事件がけっこうな数、あったようです。実務修習としてかかわった事件は、少年の窃盗、暴行だったと思います。判事の三淵さんの横に座るように言われ、審問に立ち会いました。しかし、少年は頑なな様子で口を開こうとはしません。三淵さんが粘り強く、優しく語りかけていくと、少年は少しずつ話すようになり、心を開くようになりました。私は指導を受けたというより、今後司法に携わる者として、傍聴させていただき、心構え、その重要さを教えていただいたという感じでした」 「三淵さんの言葉に勇気づけられ、長く続けることができた」と語る犀川さん 「不安なときに声をかけていただいた」  審問が終わった後のこと。三淵さんから、 「審問の立ち会いはいかがでしたか」  と尋ねられた。 「三淵さんは超有名人でおられた方でしたので、私はすごく緊張していました。なんとか、『盗まれたものの価値も大事ですが、少年の未来の価値もとても重要であると思いました。司法の役割がそこにあるのではないかと思いました』と答えたところ、三淵さんは『その通りですね』とお声がけくださり、とても嬉しかったように記憶しております」(犀川さん)  犀川さんの司法修習生時代も、まだ女性の司法試験合格者は少なく、犀川さんは実務修習のグループでただ一人の女性だった。「虎に翼」では、司法の道を目指す女性が数少ない時代で、寅子が何度も壁にぶつかる様子が描かれている。 「NHKのドラマにもありますが、裁判で判決を出すのは男性、求刑を決める検事は男性という風潮がまだまだありました。私は東京地裁、地検でも実務修習をしたのですが、とても官僚的な雰囲気でした。そして私は判事や検事に任官希望しておらず、弁護士を目指していたので、たった一人の女性でもあり、ポツンと取り残され、無視されるような場面もありました。ドラマでも女性が弁護士、司法の世界を目指すというだけで社会情勢が厳しい様子を描いていることに共感しております」  犀川さんも司法修習では、壁にぶつかるようなことが何度もあったそうだ。  三淵はそういう空気を察したのか、犀川さんの家庭裁判所での実務修習の最後の日に、 「辞めないでくださいね」  と話しかけてきたという。 「私が不安に思っている時に、三淵さんの修習を受け、声をかけていただいたことで、私はまだ女性弁護士が少ない中、勇気づけられ、長く続けることができたのではないかと思います」(犀川さん)       寅子のモデルとなった三淵嘉子 三淵さんに教わった「常に寄り添うこと」  犀川さんは、60年あまりの弁護士人生で、消費者問題や少年事件などを数多く手がけた。  ダイヤモンドの「買い戻し商法」で破産したココ山岡事件では、被害者救済弁護団の代表を務め、信販会社へ支払ったクレジット代金59億円のうち25億円を取り返した。抵当証券を販売して1100億円あまりを集めて経営破たんし、日本で2番目に被害金額が大きいとされる「大和都市管財」グループの巨額詐欺事件でも、被害者救済のために奔走。大和都市管財の抵当証券業の登録更新を続けた国の責任を国家賠償請求訴訟で認めさせた。また、家庭裁判所の調停委員を10年間務めてもいる。 「三淵さんは、アメリカの司法制度を視察されて、日本で家庭裁判所の創設にご尽力されました。少年や家事事件に寄り添う『愛の裁判所』とご自身で表明されています。私も少年事件や消費者救済に携わる中で常に寄り添うことをモットーとしたのは、三淵さんから教わったこと、ご指導に影響を受けたところがあると思います」 (AERA dot.編集部・今西憲之)
虎に翼woman三淵嘉子
dot. 2024/05/11 09:00
「人の話を聞かず、自分のことばかりしゃべってしまう」 発達特性のある子育ての悩み、専門家はどう答える?
「人の話を聞かず、自分のことばかりしゃべってしまう」 発達特性のある子育ての悩み、専門家はどう答える?
写真はイメージ/GettyImages      発達に特性のある子との生活に、悩みや心配はつきもの。埼玉学園大学教授で公立小中学校の現場を見てきた藤枝静暁先生、臨床発達心理士の吉野加容子さんが読者の悩みに答えてくれました。子育て情報誌「AERA with Kids」から紹介します。 思ったことをすぐ口に出す  友人との会話にスムーズに入っていけず、言葉のキャッチボールが苦手。人の話を聞くより自分のことばかりしゃべってしまいます。(小2女子の母)  おしゃべりで誰とでも親しげに接する息子。家では困ることはないのですが、学校では授業中でも思ったことをすぐに口に出してしまうので、どうしても「迷惑な子」になってしまいます。(小2男子の母) 親は制止したりせずに子どもの話の中身をよく聞いて  親は子どもの「話し方」が気になりがちですが、「今はお友達が話しているでしょ」などと制止してもあまり効果がありません。まずは家庭で子どもが話す内容そのものに耳を傾けてみましょう。あまりにたくさん話しかけてくるので、スマホを手に聞き流したりしていませんか?  ポイントは「それどういうこと?」「もっと教えて」など短い間に質問を挟んで「会話のキャッチボール」の練習をすることと、子ども自身に話した満足感を与えること。家庭で1対1の会話ができれば、学校で1対複数でもできるようになっていきます。(吉野さん) 他人の気持ちがわかるようになるのはこれから。モラルは教えてあげて  相手が嫌な思いをするようであれば、注意しましょう。でも、思ったことを口に出してしまう、小2男子にはよくあることです(笑)。この年齢の発達段階でいえば、まだ相手の気持ちがわからない子もいます。表情が描かれたイラストを用いて、気持ちを読む練習方法もありますよ。  ただ、「あの人太ってるね」などと容姿に反応して、相手の傷つくことを言ってしまうのは別。モラルは発達障害の有無に関係なく、親が教えたほうがいいですね。「人前で言ってはいけないんだな」と認識するようになります。(藤枝先生) かんしゃくが激しい  0か100の考え方で、自分の希望が通らないとすぐにかんしゃくを起こします。家庭での対応に困ります。(年長男子の母)  以前よりも気持ちのコントロールができるようになり、怒っても「うー」と言うだけで済むことが増えました。その分、一回の爆発力がすごいのですが、今のままで大丈夫なのでしょうか?(小2男子の母) 「話を聞いてほしい=かんしゃく」とならないよう思考のクセを変えていく  子どもがかんしゃくを起こすと、親はかんしゃくを問題視して、「しっかり対応しなくては」となりますが、逆効果。落ち着いているときの関わりが少ないと、子どもはかんしゃくを起こせば話を聞いてもらえると思ってしまう。かんしゃく後の対応こそ大切です。落ち着いて話せたら「今の話はわかりやすかったよ。嫌なことがあったらお話ししてね」などと好ましい行動をほめましょう。  うれしい気持ちは持続しやすく、次の行動につながります。「うー」と抑え込んでいるのも本人は納得していないので、「さっきはどんな気持ちだった?」と聞いてみてください。(吉野さん) 情緒のコントロールが難しい年齢 怒りをおさめる方法も伝えていく  6歳ごろだと、認知や思考の発達段階からいって、見通しが立たず、希望が通らないときに他の選択肢が浮かびにくいものです。高学年ごろには自分をコントロールする力や社会性が身につき、次第と落ち着いてきます。「うー」と言っているのは怒りをおさめている証し。  思春期が近づくと爆発力も高まります。子どもが中高学年になってきたら、怒りが爆発しそうなときに「好きなスポーツ選手の名前を6人思い浮かべる」「その場から離れてクールダウンする」などアンガーコントロールの術を身につけられるといいですね。(藤枝先生) (取材・文/AERA with Kids編集部) 藤枝静暁先生 〇藤枝静暁/埼玉学園大学人間学部心理学科 教授。博士(心理学)、公認心理師、臨床心理士、学校心理士。専門は教育心理学、発達心理学。公立小中学校、適応指導教室などの教育現場を経験。幼稚園での子育て相談にものっている。近著に『心理学でよくわかる友だち関係 あの子のきもち わたしのきもち』(高橋書店)ほか著書多数。 吉野加容子さん 〇吉野加容子/臨床発達心理士。発達科学コミュニケーション代表。発達支援プログラム「発達科学コミュニケーション」を開発。発達に悩む多くの親子を支援。著書に『発達障害・グレーゾーンの育てにくい子が3ヶ月で変わる 非常識なおうち発達支援』(パステル出版)や『【発達障害とグレーゾーン】子どもの未来を変えるお母さんの教室』(青春出版社)など。
発達障がいかんしゃくAERAwithKids
AERA with Kids+ 2024/05/08 16:00
【ランキング】松田聖子の好きな曲第1位は…聖子本人を戸惑わせた「アイドルっぽくない」名曲
太田裕子 太田裕子
【ランキング】松田聖子の好きな曲第1位は…聖子本人を戸惑わせた「アイドルっぽくない」名曲
「第65回NHK紅白歌合戦」で大トリを務めた松田聖子。紅白でのトリは初めてで「あなたに逢いたくて~Missing You~」を歌唱した=2014年12月31日 東京・渋谷のNHKホール    日本を代表する女性アイドル松田聖子(62)。3月には、中央大学法学部通信教育課程を卒業したことが報じられたが、6月からは2024年のツアー「Pre45th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2024 "lollipop"」がスタートする。そこでコンサートを前に、AERA dot.では、松田聖子の曲の中で最も好きな曲について緊急アンケートを実施。【前編】の10位~6位に続き、今回は5位~1位をお届けする!(アンケートは4月2日~22日、AERA dot.の記事や公式SNSアカウントで実施。579人が回答した) *  *  * 5位 瑠璃色の地球 32票 「瑠璃色の地球」が収められているアルバム「SUPREME」 撮影/写真映像部・大野洋介 レコードジャケット/「歌謡曲BAR スポットライト 新橋」所蔵    13枚目のアルバム「SUPREME」(1986年6月1日リリース)の最後の曲として収められていたのが「瑠璃色の地球」(作詞:松本隆/作曲:平井夏美)。  松田聖子が妊娠中にレコーディングをし、産休中に発売され、86年10月1日に神田沙也加さんが生まれた。母となる松田聖子の全てを包み込むような世界観に魅了されるファンの声は多い。 「歌っている時の聖子さんがあまりにも素敵すぎるし、沙也加ちゃんとの思い出の曲だから」(50代・女性) 「どの曲も大好きなのですが、この曲は歌詞も曲も深くて聞くたびに涙が出そうになるからです」(50代・女性)「聖子さんの透明感のある歌声と歌詞がマッチして壮大ながら清々しい曲だから」(40代・女性)  そして、この曲に「勇気づけられる」(50代・男性)など、勇気や元気をもらったなどの声も多い。 「夜明けの来ない夜はないさ……辛い時、この歌い出しの言葉に助けられ、辛い時も必ず抜けられると思い頑張れました」(50代・男性)  シングルカットされていない「瑠璃色の地球」が、ここまで上位に食い込むのも松田聖子の素晴らしさだ。 【こちらも話題】 松田聖子は「私たち女子の神様です!」 バックダンサー経験もある森口博子が語る https://dot.asahi.com/articles/-/6056 5位 蒼いフォトグラフ 32票 「瞳はダイヤモンド/蒼いフォトグラフ」 撮影/写真映像部・大野洋介 レコードジャケット/「歌謡曲BAR スポットライト 新橋」所蔵    「瑠璃色の地球」と同票で5位となったのは、「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」(1983年10月28日リリース/作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆)。松田聖子の15枚目のシングルで、もともとは「瞳はダイヤモンド」が単独A面だったが、再プレスのときから両A面扱いになった。  ドラマ「青が散る」(1983年、TBS系)の主題歌だったために心に刻まれているファンも多い。 「TVドラマ『青が散る』の主題歌で、ドラマの世界観とともにこの歌にハマったから」(60代・男性) 「子どもの頃に見ていたドラマで使われていて、その頃に素敵な曲だなと思っていましたが、何十年という時を過ぎても昔と変わらない素敵な曲だと感じるため」(50代・女性)  この曲を好きな理由に「爽やかな青春を感じる」(50代・女性)など、「青春」という言葉がたくさん並んでいるのも特徴的だった。 「ノスタルジックであり、青春の甘さと切なさのバランス、匙加減が絶妙。松田聖子×松本隆×呉田軽穂の最高傑作!」(50代・女性) 「蒼いフォトグラフ」の人気もあり、人気音楽番組「ザ・ベストテン」(TBS系)では、「瞳はダイヤモンド」が、松田聖子最長となる8週連続1位を記録している。 3位 瞳はダイアモンド 38票  「蒼いフォトグラフ」に続いてランクインは、やはり「瞳はダイアモンド」だった。 「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」は、両曲とも、松田聖子初めての本格的な失恋もの。それだけに歌詞がしみいる。 「詞が素敵。風景が浮かぶ」(50代・女性) 「情景が目に浮かぶ切ない歌詞と、とても美しいメロディラインが好きです。それを歌う聖子さんもとても綺麗でした」(50代・女性) 「歌詞が文学のようで秀逸」(50代・男性) 「“映画色の街”というフレーズがとても好き」(50代・男性)  改めて、歌詞の文字だけを読んでみると、ファンが思い浮かべる景色が見えてくるようだ。 【こちらも話題】 還暦の松田聖子がティーカップからピンクの衣装で登場! ツアーファイナルで見せる偉大さ https://dot.asahi.com/articles/-/14722 2位 赤いスイートピー 41票 「赤いスイートピー」撮影/写真映像部・大野洋介 レコードジャケット/「歌謡曲BAR スポットライト 新橋」所蔵    いよいよ、第2位は「赤いスイートピー」(1982年1月21日リリース/作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆)。松任谷由実が呉田軽穂のペンネームで、松田聖子に楽曲を提供した初めての曲で、ここから一気に女性の人気を獲得したともいわれている。このアンケートでも女性からの声がたくさん集まった。 「やはり聖子ちゃんと言えば、この歌ですね」(50代・女性) 「歌を聴くと、情景が浮かび若かりし頃の気持ちがよみがえってきます」(50代・女性) 「詩も曲も編曲も三拍子そろって素敵だけれど、聖子さんの声が更に映画の様な情景を描いてくれます。時が経てば経つほど価値を感じます」(50代・女性) 「歌詞の“何故 あなたが 時計を……”の部分が恋をしていた自分とダブります。今もこの部分を聞くと涙ぐみます」(60代・女性)  ピュアな恋心にいまでもキュンキュンしているのがわかる。松田聖子自身も好きな楽曲だそうで、いまでもコンサートでは必ず歌われる。 「コンサートでは必ず赤いスイートピーをみんなで振るのが楽しく盛り上がれる曲で好きです」(60代・男性)と、コンサートの客席は赤いスイートピーが満開になる。いまでも愛されている名曲である。 1位 チェリーブラッサム 44票 「チェリーブラッサム」 撮影/写真映像部・大野洋介 レコードジャケット/「歌謡曲BAR スポットライト 新橋」所蔵    栄えある第1位は「チェリーブラッサム」(1981年1月21日リリース/作詞:三浦徳子/作曲:財津和夫/編曲:大村雅朗)。 「裸足の季節」「青い珊瑚礁」「風は秋色/Eighteen」の前3作から、作曲家が財津和夫氏に代わって、転機となった1曲。当時、ニューミュージックに馴染みのなかった松田聖子が戸惑った曲だったそうだが、その挑戦が、結果的にいまも心に残る曲となっている。 「アイドルっぽく無い曲調なのに聖子ちゃんが歌うとアイドル曲になるから」(50代・女性) 「メロディラインが、印象的で、疾走感があるから」(50代・女性) 「曲の始まりから意志の強さが感じられる歌。ノリも良くて好き」(40代・女性) 【こちらも話題】 平成生まれの若者に「明菜推し」「聖子推し」が続出 22歳女子大生シンガーが語る「80年代アイドルの魅力」 https://dot.asahi.com/articles/-/42424 松田聖子2002年全国ツアーでもオープニングからアイドル全開している! 2024年ツアーも期待が高まる=2002年7月15日 大阪城ホール 「寒い季節から、すべての生き物が今か、今かと勢いよく勢力溢れるメロディラインであり、歌詞自体にも、そういった希望溢れる感じを受け、何十年と経った今でも、ごく自然に、新鮮に聴き入れられるから」(50代・男性)  2021年のアルバム「SEIKO MATSUDA 2021」には、セルフカバーの「チェリーブラッサム2021」(野崎洋一編曲)が収録されているが、コンサートでエレキギター片手にこの曲を歌う松田聖子がこれまたカッコいい! 「どの曲も大好きなので、一曲だけを選ぶのはすごく悩みました。その中でチェリーブラッサムを選んだのは、2022年のコンサートでギターを弾いて登場して歌ってくれたのをみて、凄い感動の夢の中に連れて行ってくれたからです。40年ぶりの聖子ちゃんのコンサートでした。やっと会えた感じでした」(50代・女性)  18歳でデビューした松田聖子は、62歳となった今も進化を止めていない。 (AERAdot.編集部・太田裕子) 【前編はこちら】 【ランキング】松田聖子の好きな曲 6位には「イントロから盛り上がれる」「夏っぽい」名曲 https://dot.asahi.com/articles/-/221409
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平尾類 平尾類
元女子バレー日本代表「木村沙織」ずっと夢だったカフェは「やりきった」 家族が増えて挑戦したい“次のステージ”
木村沙織さん(撮影/写真映像部・上田泰世)    高校2年生で女子バレーボールの日本代表に選出され、史上初の4大会連続で五輪に出場するなど絶対的なエースとして活躍した木村沙織さん(37)。2012年のロンドン五輪では28年ぶりの銅メダル獲得に大きく貢献した。【前編】では36歳で出産する前に経験した“妊活”について語ってもらったが、【後編】では当時の歴史的偉業を振り返ってもらうとともに、10代からスター選手として注目され続けたバレーボール人生、カフェ経営など今後の夢について語ってくれた。 ※【前編】<「木村沙織」35歳で長男を妊娠するまでに起きた“予想外のアクシデント” あまりの激痛に「意識が飛べばいいのに…」>より続く *  *  * ――木村さんが日本代表で初のスタメン出場を飾ったのが、2004年のアテネ五輪最終予選でした。このときの活躍で「スーパー女子高生」と注目度が一気に上がりましたね。  スーパー女子高生! 懐かしいなあ(笑)。私は周りを気にしない性格なので、注目されているという意識は全然なかったですね。ただバレーボールを好きでやっていて、日本代表に選んでもらって練習をして、試合を頑張って、みんなで目標を達成したいという思いだけでした。高校も普通に通っていました。帰ってテレビのニュースで取り上げられている映像を見ることもあったけど、次の試合の準備があるし、目の前のことに一生懸命でした。ありがたい環境でやらせてもらったと感じたのは引退後ですね。メディアに取り上げていただいてバレーの会場がお客さんでいっぱいになって、たくさんの人に応援してもらって幸せだったんだなあって。 2016年のバレー女子五輪世界最終予選でスパイクを放つ木村沙織さん   ロンドン五輪で「死闘」となった中国戦 ――ロンドン五輪の準々決勝・中国戦はフルセットですべて2点差の死闘でした。木村さんは引退会見の際に最も印象に残る試合として挙げていました。  当時の眞鍋(政義)監督が大会前から、「中国と準々決勝で当たる」と言い続けていたんですよ。実際は準々決勝前のくじ引きで対戦相手が決まるので分からないんですけど、「準々決勝で中国と当たる。中国を倒さないとメダルを取れない」って選手たちがイメージを共有していました。当時は、ロンドン五輪前の世界選手権で銅メダルを取ったり、ワールドグランプリでブラジルに勝ったり、それまで歯が立たなかった強豪国に勝ったことも、自信につながっていました。それまでは取材で「五輪でメダルを取れるように頑張ります」と言いながら、正直、「無理だよな、今は。世界で通用していないよ」と感じることもありましたが、あのときは「絶対にメダルを取る」という思いがチーム全員にありました。 試合後に笑顔を見せる木村沙織さん(2017年3月)   ――中国戦で木村さんは33得点をマークし、過去の五輪で1セットも取ったことがない中国を撃破しました。  小学校2年生でバレーを始めてから、あんな試合は経験したことがなかったですね。ゾーンに入っている感じだったのかなあ。「自分にボールを集めてこい」と思っていました。全セットが2点差でどちらに傾いてもおかしくない試合。メンバーが一人でもひるんだら一気にガタガタくるんですけど、誰の目を見ても力強かったし、全員が塊になってすごかった。みんなの気持ちが一つになって大きなパワーになっていました。日本の強みはチームワークで、まとまるとすごい力を発揮する。本当に楽しかったですね、あのチームは。 木村沙織さん(撮影/写真映像部・上田泰世)   指導者としての未来は? ――3位決定戦で韓国にストレート勝ちし、銅メダルを獲得しました。  ホッとしましたね。韓国にはOQT(五輪世界最終予選)で負けていて、何度も試合をしていたので、選手たちの名前、プレー、戦術などお互いに手の内を全部知り尽くしていました。でも、あのときは絶対に勝つだろうなという確信みたいなものがありました。中国戦を乗り越えて勝ったから、どこが相手でも負けないと中国戦よりリラックスしていました。あっ、今思い出したんですけど、あの試合の前日に男子サッカーを応援していたら、3位決定戦で韓国に負けてしまったんですよね。嫌な予感? それは全然考えなかったです(笑)。 ――将来は、指導者としてコートに戻ってきたい思いはありますか。  考えたことがないなあ。私はバレーボールをするのが好きだけど、説明するのが下手なので(笑)。だから解説もできません。でも、昨年に「全日本バレーボール小学生大会アンバサダー」に就任させていただき、小学生の試合を間近で見たときはすごく感動しました。試合後に勝ったチームの選手たち、負けたチームの選手たち、親御さんがみんな泣いていたんです。一生懸命にバレーに取り組んで、周りの方々もサポートしているので、その思いがあふれ出ていました。バレーをやっていたので選手の気持ちが分かるし、子どもの親という立場でも理解できるので、その光景を見て鳥肌が立ちました。スポーツっていいなあって。子どもたちと一緒にバレーボールをするのは楽しそうだなあと思っています。 ――時代が移り変わり、スポーツの指導方法も変わってきています。子どもたちを怒鳴る指導が問題視されることもありますが、どう感じますか?  バレーに限らず、スポーツや習い事って楽しいから続くと思うんです。自分の成長が楽しくて次にいこうと思える。でも理不尽に怒られるとその可能性が失われてしまいます。私は怒られてもあまり気にしないタイプでしたが、怒られると手が震えてサーブが入らなくなる友達を見てきました。状況にもよると思いますが、怒鳴られ続けると萎縮してしまいます。子どもたちの長所を伸ばすような接し方をしたいですね。 木村沙織さん(撮影/写真映像部・上田泰世)   頑張っている人のサポートをしたい ――今後やりたいこと、夢はありますか。  ありがたいことに、バレーを引退してからいろんな仕事をさせていただきました。今は自分のやりたいことってあまり浮かばないんですよね。カフェをやりたい夢を大阪でかなえられましたので、今は息子だったり、頑張っている人のサポートをしたい気持ちが強いかな。バレーボール女子日本代表をサポートする「アントラージュ」の活動がありますし、少しでも役に立てたらうれしいですね。 ――19年から23年まで大阪でカフェ「SUNNY Thirty Two Club」を開いていましたが、出産後は子育てとの両立は大変ではなかったですか。  つわりがなかったので出産前日までお店で働いていたのですが、産んでからはすぐに出られないのでお店を1カ月閉めました。その後に旦那さんが1人でお店を切り盛りして、私は子どもの寝ている時間にお菓子の仕込みをしていましたが、今振り返るとハードでしたね(笑)。出産前はコロナの期間があって、お酒を扱えなくなり、お店を何カ月か閉めなきゃいけなくなりました。その時期も大変でしたね。家賃を払い続けないといけないし、いろいろと苦労もしたけれど、お店でできた人間関係はありがたかったですし、久々に顔を見せてくれた人と楽しい時間を過ごしたり、幸せなこともたくさんありました。 ――もう一度カフェを開きたい思いはありますか。  子育ての関係で関東に引っ越して環境が変わったのですが、カフェに関しては大阪で「やりきった」という思いもあります。ただ、子どもが大きくなって、またきっかけがあったら、やりたい気持ちは頭の片隅にあります。都心じゃなくて足を延ばして来てくれるような場所で、コーヒーとお菓子をメインにしたお店を開きたいですね。 (聞き手/構成 平尾類) ●木村沙織(きむら・さおり)/1986年8月19日生まれ。東京都出身。小2からバレーボールを始め、成徳学園中学で全日本中学校バレーボール選手権大会優勝。成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)に進学すると、2003年(高2)の春高バレーで大会連覇に貢献する。同年に日本代表に選出され、04年のアテネ五輪に出場。東レ時代はエースとして活躍し、12~14年は世界最高峰のトルコのクラブでプレーした。女子バレーボールで史上初の4大会連続五輪出場。12年のロンドン五輪で28年ぶりの銅メダル獲得の立役者になった。16年に元バレーボール選手の日高裕次郎さんと結婚し、昨年2月に長男・煌太郎くんを出産した。
木村沙織女子バレーインタビュー
dot. 2024/05/07 11:00
「木村沙織」35歳で長男を妊娠するまでに起きた“予想外のアクシデント” あまりの激痛に「意識が飛べばいいのに…」
平尾類 平尾類
「木村沙織」35歳で長男を妊娠するまでに起きた“予想外のアクシデント” あまりの激痛に「意識が飛べばいいのに…」
木村沙織さん(撮影/写真映像部・上田泰世)    女子バレーボール史上初となる4大会連続の五輪出場、さらに世界選手権に3度、ワールドカップに4度出場を果たした、元日本代表のエース・木村沙織さん(37)。2017年に現役を引退した後は、大阪市内にカフェ「SUNNY Thirty Two Club」をオープンしたことでも話題になった。昨年2月に長男・煌太郎くんを出産し、現在は子育てと仕事の両立のため関東に拠点を置いて生活を送っている。【前編】では不妊治療の末に授かった長男への思い、現役時代に世界最高峰のトルコリーグで挑戦した際に衝撃を受けたという子育て環境などについて語ってもらった。 *  *  * ――煌太郎くんを出産して1年2カ月がたちました。  毎日成長して、日々できることが増える姿を見るのが楽しいですね。赤ちゃんのときにはちょっと夜泣きがありましたけど、私が寝不足になるほどではなかったですし、育てやすい子だと思います。まだ会話はできないですが、もうバタバタと走ったりはしているので、成長は順調なほうなのかな。生まれたときは3316グラムだったんですが、この前、予防接種のために病院に行ったときに、体重を計ってもらったのですが、新生児用の12キロまで計れる体重計でエラー表示が出たので「12キロ以上はあるから、2~3歳児ぐらいの大きさかな」と言われました(笑)。すでに足がしっかりしているので、動くことが好きな感じはします。 木村沙織さん(撮影/写真映像部・上田泰世)   今まで味わったことのない激痛 ――それは将来有望ですね。バレーボール選手になってほしい思いはありますか。  全然ないです(笑)。ただ、もちろん、バレーをやりたいなら「どうぞ、どうぞ」っていう感じですが。旦那さん(日高裕次郎さん)も私もしてきたことですし、チームスポーツで人間のつながり、思いやりなどプレー以外にも集団行動で学んだこともたくさんありますから。でも、バレーをやってほしいと誘導はしたくないし、自分の興味を持ったものをやってほしいですね。 ――木村さんは36歳のときに出産されました。出産を振り返ってみていかがでしたか。  昔から子どもは望んでいました。いろいろな情報をネットで見たり、不妊治療している人のブログを読んだりしていましたが、なかなかできない期間が長くて……。不妊治療をしていることはあえて言う必要がないかなと思っていました。というのも、子どもを望んでいる方がいれば、そうでない方もいる。生き方はそれぞれですし、今はインタビューで聞かれればお答えしていますが、出産当時は自分から発信はしませんでした。 ――子宮内膜症の一種である「チョコレート嚢胞(のうほう)」で緊急入院した時期もありました。  妊娠を望んでいたことをきっかけに行った病院でチョコレート嚢胞が見つかりました。そこで薬を服用することになり、手術する日も決まっていたんですけど、急に破裂してしまいました。その日は大阪で開いていたカフェのオープン当日だったのですが、今まで味わったことがない激痛でした。現役時代もケガとかいろいろありましたけど、経験したことがない痛みで、救急車で運ばれるときも「意識が飛べばいいのに。意識がなくなってくれ」と思っていたくらいです。 トルコリーグへの移籍を発表したときの木村沙織さん(2012年7月)   トルコで感じたバレーと子育ての両立 ――想像を絶しますね……。手術後はいかがだったでしょうか。  専門医の先生に「おなかの中がきれいになったから妊娠しやすくなるよ」と言われたんですけど、その後もなかなかできなかったです。妊活の専門的な病院に通って、年齢的にも欲しいなあと思ったときに妊娠しましたが、体調はずっと安定しませんでした。先生からは「もしかしたら最悪のパターンも考えてね」と言われていたので、安心することはありませんでした。 ――そのぶん、出産したときの喜びは大きかったかと思います。  そうですね……感激しましたね。この世に生まれてくれてありがとうという思いになりましたし、生まれてきてくれた息子に感謝しています。出産は普通分娩だったんですが、こんなに大変なんだという思いとやっと終わったという感情が入り混じって不思議な感じでした。旦那さんは喜びを無言でかみしめていたので、私が話しかけたら「幸せかみしめたいから黙って」と言われました(笑)。驚いたのは赤ちゃんが男の子だったことですね。私も旦那さんも妹がいて、めいっ子もいて女の子ばかりなので、私の子どもも勝手に女の子と思っていました。だから、女の子の名前しか考えていなくて(笑)、義理の祖父が第1希望で考えてくれた煌太郎に決めました。 大津で引退報告をした木村沙織さん(2017年12月)   ――高校、東レの先輩で日本代表でも共にプレーした荒木絵里香さんは2014年1月に女児を出産後、当時は異例の現役復帰を決断して、21年までプレーしました。女性アスリートの出産を取り巻く環境も変わってきていると感じますか。  少し前までは、子どもが欲しいならバレーをやめるという選択が主流でしたが、今はいろいろな生き方が尊重される世の中になっているように感じます。岩崎こよみ選手(埼玉上尾メディックス)が出産後に復帰して今年も日本代表に選ばれていますし、赤ちゃんを望む人がバレーを続けられる選択肢は広がっているのかなと。  私は現役時代にトルコで2シーズンプレーしたのですが、バレーだけでなく、一人の女性の人生を尊重してくれる文化でした。「妊娠したから休むよ」っていなくなって、「子どもが生まれたから復帰するね」ってフランクに戻ってくる。びっくりしました。日本だったら「この時期にいなくなるの?」って一大事になるけど、トルコでは選手が出産して現役復帰するのが日常の光景でした。練習中も体育館で子どもが遊んでいて、練習試合でコートに入ってきて中断したりしたこともありました(笑)。子どもと一緒にいられる環境が自然にありましたね。 木村沙織さん(撮影/写真映像部・上田泰世)   女性アスリートの体調への理解 ――近年は日本でも女性アスリートのコンディションを理解する動きが高まっています。  現役でプレーしていたときは女性の体調がフォーカスされることが少なかったし、むしろ隠すことが多かったので良いことだと思います。私は生理痛がひどすぎて、コンディションが上がらない時期がありました。試合のパフォーマンスも良くなくてチームに迷惑を掛けていたので、ドクターと相談してピルを飲むようになりました。当時は自己管理で何とも思わなかったけど、現役引退後も人生は続きます。アスリートは体に大きな負担がかかりますし、生理痛や子育てへの理解がもっと広がればいいと思っています。 ――アスリートの前に女性として幸せを感じる環境づくり、社会の理解の重要性を痛感します。  そうですね。出産後に現役復帰する選手が増えていますが、子育てとバレーを両立させる環境が重要です。子どもを預ける場所やシッターの普及など、サポートする体制がさらに充実してほしいですね。もちろん、日本も良い部分はたくさんあります。時間にきっちりしているし、急に試合がなくなったりしない。トルコでは遠征が急になくなったり、練習だと思ったら試合に変更になったりして、「ユニホームないんだけど」みたいな(笑)。そういうことが日常茶飯事なので、海外での生活を経験してちょっとしたことでは動じなくなりましたね。 ※【後編】<元女子バレー日本代表「木村沙織」ずっと夢だったカフェは「やりきった」 家族が増えて挑戦したい“次のステージ”>に続く (聞き手/構成 平尾類) ●木村沙織(きむら・さおり)/1986年8月19日生まれ。東京都出身。小2からバレーボールを始め、成徳学園中学で全日本中学校バレーボール選手権大会優勝。成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)に進学すると、2003年(高2)の春高バレーで大会連覇に貢献する。同年に日本代表に選出され、04年のアテネ五輪に出場。東レ時代はエースとして活躍し、12~14年は世界最高峰のトルコのクラブでプレーした。女子バレーボールで史上初の4大会連続五輪出場。12年のロンドン五輪で28年ぶりの銅メダル獲得の立役者になった。16年に元バレーボール選手の日高裕次郎さんと結婚し、昨年2月に長男・煌太郎くんを出産した。
木村沙織女子バレーインタビュー
dot. 2024/05/07 11:00
〈1月~4月に読まれた記事ピックアップ〉偏差値68で医者の娘で天才肌…「不適切にもほどがある!」で大ブレークの「河合優実」とは何者なのか
藤原三星 藤原三星
〈1月~4月に読まれた記事ピックアップ〉偏差値68で医者の娘で天才肌…「不適切にもほどがある!」で大ブレークの「河合優実」とは何者なのか
河合優実(写真:アフロ)  大型連休の真っ最中。今年1月~4月末までに多く読まれた記事を紹介します。見逃していた記事も「こんなことがあった」という話題も、ぜひご覧ください(この記事は「AERA dot.」で2024年3月14日に配信した内容の再配信です。肩書や情報などは当時のもの)。  *     *   *  今期ドラマで、視聴率以上に世間をにぎわせているのは「不適切にもほどがある!」(TBS系)だろう。不適切発言連発の主人公が昭和から令和にタイムスリップするという荒唐無稽な物語を、ヒットメーカーの宮藤官九郎氏が軽妙なセリフと巧妙なストーリで構築。ネットフリックスなど配信系でも見られるとあって、SNSでは毎話終了後はお祭り状態になっている。  そんな話題作でひと際存在感を見せつけているのが女優の河合優実(23)だ。80年代アイドル風のヘアスタイルや、セーラー服の上からスタジャンを羽織る昭和の女子高生ぶりがハマりすぎていて人気沸騰。その顔立ちから“令和の山口百恵”との異名まで生まれている。  それにしても、なぜ今、河合にここまで注目が集まっているのか。民放ドラマ制作スタッフはこう語る。 「宮藤さんの脚本ではパワーワードが多く、セリフが面白いので芝居をやりすぎてしまいがちなのですが、彼女はその空気感を見事に咀嚼し、コメディエンヌとしての瞬発力を発揮しています。第1話冒頭で『起きろブス、盛りのついたメスゴリラ!』と主人公によって不適切な言葉で起こされるところから物語は始まるのですが、その受けの演技から素晴らしい。レトロな顔立ちでアンニュイな演技なので、不適切なワードを浴びせられても決して視聴者を引かせない。そのうえ、凛としたリアクションと口汚く応戦する芝居が本当にうまい。まだ23歳で平成生まれなのに、他の演者よりも昭和な雰囲気がジャストフィットしており、所作も含めて天性の才能すら感じます。今までは知る人ぞ知る存在でしたが、これからは間違いなく無視できない女優になっていくでしょう」 河合優実(写真:2022 TIFF/アフロ)   学生時代から「大人計画」に心酔  バラエティーやトーク番組にほとんど出演しないため、プライベートはあまり知られていないが、過去のインタビューなどによると、2000年に東京・練馬区で生まれた河合は、3姉妹の長女。父は医師、母は看護師という家庭で育った。  週刊誌の芸能担当記者は言う。 「小学生時代からダンススクールに通い、高校は偏差値68の進学校に通っていたそうです。周囲から『山口百恵に似てる』と言われ、完コピして文化祭のステージに立ったこともあるとか。宮藤官九郎さんが所属する劇団大人計画の舞台に魅了され、大学は宮藤さんと同じ日大芸術学部に進学。18歳の時にドラマで女優デビューを果たし、日芸の演劇学科で学びながらさまざまな作品に出演し続けていました」  転機となったのは、20年に大人計画の主宰である松尾スズキが作演出を務めたミュージカル『フリムンシスターズ』。長澤まさみ、阿部サダヲら大物俳優が出演する中で、河合は小さい役ながら、キャリア2年目でメジャー作品に抜擢された。 「大人計画に魅了されて芝居の世界に飛び込んだ彼女が、デビュー後まもなく松尾さんや宮藤さんの作品に常連女優として呼ばれたというのは、演技の実力はさることながら、作品を引き寄せる強運を持っているからでしょう」(同)  現在は、オダギリジョーや光石研ら個性派俳優が多数所属する芸能事務所に名を連ねる。そんな河合について「すべてを兼ね備えている」と絶賛するのは映画ライターだ。 河合優実(写真:つのだよしお/アフロ)   演劇界でもブレーク必至 「大役だけでなく、ワンポイントで存在感を示せる稀有な女優なので、今後も映画界で引く手あまたなのは間違いない。今回、『不適切~』でコメディエンヌとしての才能も見せつけたことで、連ドラのヒロイン役やサブスクのドラマでも需要が高まるはずです。今後はどのタイミングで自分の代表作に巡り合えるか。事務所の先輩には串田和美さん、岩松了さん、長塚圭史さんら演劇界の重鎮も所属しているので、演劇界でもブレークするでしょう。大女優になる条件を兼ね備えているので、数年以内に彼女の時代が来るのはもはや決定事項と言っていいと思います」  エンターテインメントジャーナリストの中村裕一氏は、彼女の魅力をこう分析する。 「彼女の連ドラ初主演作『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』は個人的に23年のベスト1ドラマでした。同作品では、不器用かつ時には悩みながらも目の前の家族を精いっぱい受け止め、愛し続ける主人公を好演。原作者の岸田奈美さんを投影した七実というキャラクターに、さらなる魅力と生命を吹き込んでいました。ほかにも『17歳の帝国』や『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』シーズン2など、出演するドラマで爪痕を残していますが、今回これだけ注目されるとさまざまなオファーが舞い込んでくる、いや、すでにもう殺到していると思います。飾らないナチュラルなたたずまいが持ち味だと思うので、時代性や流行とは適切に距離を取りつつ、自分を見失わず着実にキャリアを積み重ねてほしいですね」  業界人がそろって絶賛する河合の演技と将来性。これからどんな女優に成長するのか楽しみだ。 (藤原三星)
河合優実不適切にもほどがある!
dot. 2024/05/04 12:41
【独占告白】「頂き女子りりちゃん」被害男性 相次ぐ誹謗中傷に「なぜ自己責任論で追い詰めるのか…」と憤り
板垣聡旨 板垣聡旨
【独占告白】「頂き女子りりちゃん」被害男性 相次ぐ誹謗中傷に「なぜ自己責任論で追い詰めるのか…」と憤り
「頂き女子りりちゃん」こと渡辺真衣被告。画像はYouTubeチャンネルより   「頂き女子りりちゃん」として“パパ活マニュアル”などをネット販売したうえ、男性3人から計約1億5000万円をだまし取ったとして詐欺などの罪に問われた渡辺真衣被告(25)。4月22日、名古屋地裁は、懲役9年・罰金800万円の判決を言い渡したが、渡辺被告はこの判決を不服として1日に控訴した。懲役9年という量刑や渡辺被告の言い分について、被害男性は何を思うのか。今の気持ちを聞いた。 *  *  * 「どこまで被害者の心を踏みにじれば気が済むんですか……」 渡辺被告に約3800万円をだまし取られた50代の男性・Aさんは、泣きながらこう語った。 「生命保険や医療保険なども解約してしまって、今後、もし自分に何かあっても何の保障もありません。そうなったら、私は首でもつるしかありません……」  渡辺被告は2023年4月から8月までの間、この男性に、(1)親と縁を切るための手切れ金、(2)結婚するために借金を返済する費用、(3)携帯料金の未納分の支払い、などとうそを言ってAさんに数回に渡って現金を振り込ませた。  なかでも、Aさんにとっては(2)の被害が最も大きく、だまし取られた額は約2700万円にのぼる。渡辺被告は、池田なる架空の人物をでっちあげ、アパレル会社を作るために池田から現金を借りているとうそをつき、Aさんから現金をだまし取った。その過程では、借用書まで偽造していたという。 偽造された借用書。池田という人物も存在しなかった。画像を一部加工しています(Aさん提供)    渡辺被告はだまし取った金の大半を通っているホストクラブにつぎ込んでいた。 【こちらも話題】 ロマンス詐欺で300万円失った40代の女性「頼りにした弁護士からも100万円取られ」 https://dot.asahi.com/articles/-/215660 渡辺被告の初公判が開かれた名古屋地裁   懲役9年は「短すぎる」  初公判で言い渡されたのは懲役9年――この量刑をAさんはどう受け止めたのか。 「正直、9年では短すぎると思っています。約1億5000万円をだまし取ったとして、詐欺グループの主犯格に懲役20年の判決が出たケースもあります。被害金額が変わらないのに、どうしてこうも軽いのかと思いました」  だまし取られた現金は、Aさんの元には1万円しか戻ってきていない。Aさんは「少しでもいいのでお金が返ってきてほしい」と語ったうえで、こう訴える。 「今、生活するだけで精いっぱいなんです。なんでこんな目に遭わなければいけないんですか」  渡辺被告は今回、詐欺罪のほかにも、だまし取った金の一部(1億1000万円)を申告せずに脱税したとして、所得税法違反の罪でも起訴されている。だが、Aさんはこれにも納得できないという。 「犯罪行為でだまし取った金になぜ税金がかかるのか。そもそも正当に得たお金ではないのだから、まず財産を差し押さえてから、そのお金を被害者への弁済に充てるべきではないでしょうか」  もっとも、違法に得た収入でも所得税はかかる。所得税法第36条には、収入金額とすべき金額は、その収入の基因となった行為が適法か否かを問わないと明記されている。 【こちらも話題】 「勤め先や親に言うぞ」悪質ロードサービス激増 パンク修理22万円、レッカー移動15万円「レスキュー商法」の闇 https://dot.asahi.com/articles/-/221398 渡辺被告とAさんのLINEのやり取り。渡辺被告がAさんの恋愛感情を利用していたことがわかる(画像=Aさん提供)   「マジで付き合えてると思ってるの?」  一方で、Aさんには被害者であるにもかかわらず、SNSなどで「自己責任だろ」など非難する声が上がっている。  実際にX(旧Twitter)では、 「リリちゃんなりに努力して得たお金なのに それがうそだと判明した途端に犯罪とかになるなら うそついただけで犯罪にするべきなんぢゃないの 世の中おかしい。まあ自分がパパ活やってるの周りに見せびらかしたりしたのクソバカだなと思う」 「わたし今年40やけど、20下の男の子から『好みです!かわいいです!ご飯行きましょう!』とか言われてん? 既に犯罪の匂いしかせんやん? それをマッチングアプリで知り合った30下の女の子とマジで付き合えてると思ってるのすごいやん。流石リリちゃんのお眼鏡にかなった選抜メンバーやん」  30歳も年下の渡辺被告に恋愛感情を抱いたこと自体がおかしいという主張だが、そんな心ない言葉はAさんをさらに苦しめている。 「今は生きていくのにも精いっぱいの状況で、こういう言葉が私をさらに追い込んでいます。たしかにだまされた側にも責任はあるかもしれない。だけど、誰が初めからだまそうとして接触してきたなどとわかるんですか。アプリで見ていいなと思って、『いいね』ボタンを押して、結婚も本気で考えていた……。彼女のために何かしてあげたいと心から思っただけなのに、それが全部うそで裏切られていたんです。なぜそれを自己責任論で追い詰められ、被害者が踏みつけられなければいけないのでしょうか」  Aさんはいま、テレビで渡辺被告の顔が映るだけで、「心がどん底に落ちる」という。渡辺被告からの謝罪は、まだ一度もない。 (AERA dot.編集部・板垣聡旨)
頂き女子りりちゃん詐欺マッチングアプリ
dot. 2024/05/04 11:00
雅子さま、子猫は「愛子のお友達に差し上げて」…ふつうの家のハッピーに影さす皇室の大問題
矢部万紀子 矢部万紀子
雅子さま、子猫は「愛子のお友達に差し上げて」…ふつうの家のハッピーに影さす皇室の大問題
春の園遊会での天皇、皇后両陛下=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA)  テレ東BIZの「皇室ちょっといい話」をお気に入り登録している。「音声がない皇室映像。宮内庁担当記者がどんなやり取りがあったか解説・再現する」がコンセプトで、取材映像をそのまま見せてくれるからだ。天皇、皇后両陛下が主催し、4月23日に開かれた春の園遊会の様子も「皇室ちょっといい話」(145)で見た。  雅楽の生演奏を背景に赤坂御苑の藤棚の映像から始まり、両陛下を待つ招待客はまず国会議員、次が役人・政府関係者が並ぶと教えてくれる。「さてこの後、俳優の北大路欣也さんから始まる5人はマイクが付いていて、クリアに音声が聞こえます」とアナウンサーの声。そこでのやりとりは後述するとして、その映像の後は両陛下を映す無音の映像になる。 「初参列の愛子さまがよく見えません」とアナウンサーの声が入る。「愛子さま専用のカメラ」に切り替えると宮内庁担当記者。切り替わって愛子さま、その後ろを歩く佳子さまがぐっと近くなった。でも声は聞こえない。宮内庁が音声収録を認めた場所が限定的だからだと記者が語り、「どんな会話があったか、知りたかったです」とアナウンサーが反応する。  愛子さまの「初参列」に注目が集まっているのだから、やりとりを一部だけでもオープンにすればいいのに。と、誰もが思うはず。そうはさせない宮内庁への不満をきちんと伝えるテレ東BIZ。パソコン越しに小さく拍手する。ここで「皇室ちょっといい話」の魅力の一端を。ある無音のところで、これから来る皇族方をスマホで撮影しようとしている男性が映った。彼のスマホがばっちり映り、画面には「さくら色コーデ」とメディアが伝えた愛子さま。そうですよね、大人気の愛子さま、撮りたいですよね。生の映像ゆえ、本音みたいなものが映る。  という話はさておき、「マイクが付いていて、クリアに音声が聞こえ」る5人とのやりとりの話をする。トップバッターの北大路欣也さんは、2009年に公開された映画「HACHI 約束の犬」を話題にした。「ハチ公物語」のリメイク映画で、北大路さんは主演のリチャード・ギアの吹き替えを担当、「親子チャリティー試写会」で両陛下(当時は皇太子ご夫妻)と愛子さまと一緒に見たという。 春の園遊会に招待された北大路欣也さん=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA)   「今日は愛子さまにもその話をさせていただこうかと。覚えていらっしゃるかな」と語る北大路さんに対し、「もう懐かしく、昨日もその話をして。大好きでございます」と雅子さま。愛子さまの卒業と就職も祝った北大路さんには、「仕事ではとても良い方に囲まれて、とても楽しく、先輩方が優しく楽しく教えてくださって」と雅子さま。  一区切りついたところで陛下が、「北大路さん、ドラマで『おおヒバリ!』ってありましたですねえ」と発言、北大路さんが「えっ、ご覧になった」と驚いていた。調べると1977年からTBS系列で放送された学園ドラマだった。園遊会では皇族方が出席者の情報を事前に調べ、覚えるのだと聞く。が、「おおヒバリ!」は「調べました」ではなく陛下の「話したいです」という感じが伝わってきた。きっと高校時代、すごく楽しみにしていたドラマだったんだろうなと頬が緩む。  3人目、美術家の横尾忠則さんは2023年に文化功労者に選ばれている。「この前お会いして、大変うれしく感じました」と、その話から始めた。陛下が「ご本をありがとうございました」と応えると、雅子さまが「お便りとご本、ありがとうございます」と続けた。どうやら横尾さんは最近、愛猫を描いた画集『タマ、帰っておいで』をお二人に送ったようだ。「あの猫はもう死にまして、今はおでんっていう猫がいるんです」と横尾さん。そこから画集の話が続く。横尾さんはお二人の声が聞きづらそうで、「耳のほうが不十分で、集音器を用意したんですけど」と申し訳なさそうだ。  雅子さまが身を乗り出し、それまでの人よりずっと大きな声で語りかける。それだけでなく、写真を取り出し横尾さんに見せた。猫が写っているようで、野良だった猫を飼い始めたのが「12年ほど前、愛子が3年生くらいの時に」と説明する雅子さま。横尾さんが「これ、昔いたタマによく似ています。こんな感じの猫で」と言うと、「わたくしも絵を拝見して、もしかしたらちょっと似ているかしらと思って」と雅子さま。横尾さんの耳がよくないことを以前に会って知っていたお二人が、会話をスムーズにするために写真を用意したのだろう。 春の園遊会での愛子さま=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA)    横尾さんは緊張しているというか、耳がよくないことに恐縮しているように見えた。でも最後のほうには、「今日はこんなお写真見せていただけると思ってなかった。大変うれしく思いました。今日は猫談議ですね」と安心したように語った。そこで終わりにしてもよい流れだったが、お二人は横尾さんが5歳の時に描いた絵、描き続けているY字路の絵と話題を振っていた。横尾さんも感動したに違いないと、こちらまで感動する。  というわけで、宮内庁はもっとどんどんお二人の「音声」を公開すべきだと思う。「皇室ちょっといい話」(144)は、お二人の2度目の能登半島地震被災地訪問を取り上げていた。石川県穴水町の避難所では、お二人が腰をかがめて避難者に語りかけている様子が映った。そこで「ここはなかなかやりとりが聞き取りづらかったです」と担当記者の解説が入る。地元消防団長や医療関係者をねぎらう場面では、雅子さまが涙をこらえているようだったりぱっと笑みを浮かべたりという感情の移り変わりが見てとれた。が、やりとりはほとんどわからない。音声を拾うにはマイクが必要で、そういう場面にはそぐわないという判断かもしれないが、何か方法がないだろうか。具体に勝る決め手はないことは、園遊会が示しているのだから。  という広報のあり方への提言で終わってもいいのだが、少し続ける。園遊会では両陛下の優しさを感じると同時に、「天皇家も普通の家なのだ」という当たり前のことも思った。北大路さんとのやりとりから、前日に映画「HACHI」の思い出を語り合うお二人と愛子さまの様子が浮かんだ。横尾さんとのやりとりでは、最初に飼った元野良猫が4匹の子猫を産んだと雅子さまが語っていた。「この子が子どもの1頭で、あとの3頭は愛子のお友達に差し上げて」という雅子さまの声に、愛子さまの楽しい学校生活も浮かぶ。家に帰り、愛子さまは「もらってくれる友人が見つかった」と元気に報告したに違いない。 春の園遊会での愛子さま=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA)    なんてハッピーなご一家だろう――で終わらないところがつらいところだ。なぜかというなら、皇室のもっと大きな問題がある。ハッピーが増すと、余計にそのことに目をつぶっているという思いが募る。例えば園遊会の4日前(4月19日)、自民党が安定的な皇位継承の確保に関する懇談会を開いた。政府の有識者会議が2021年末にまとめた皇族数の確保策、「女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する」「旧宮家の男系男子が養子として皇族復帰する」の2案を「妥当」とした。そのうえで最終的な対応は、懇談会の会長である麻生太郎副総裁に一任することでまとまった――そう報じられていた。  これ、なかなかつらい報道だと思う。有識者会議から2年以上経ち、今頃やっと「妥当」というゆっくりさ加減。そもそも「皇室における人手不足対策」という設定が、天皇制の最大の危機から目をそらすためのように思える。皇室の次代を担う男性が悠仁さまだけという現実がある。それを「熟慮」した2年超でなく、「放置」の2年超だったのではないか。そう思ってしまう。  天皇制は憲法に定められた制度ではあるが、構成する一人ひとりは普通に「家庭」に暮らす生身の人間だ。そのことを春の園遊会で目の当たりにしているから、ますますつらさが増す。愛子さまは「皇族の身分を保持」される女性皇族としてこれから生きていく。仮にそうだとして、「男系男子」でつなぐ天皇制にあって「男系女子」が結婚しても生涯「皇族の身分」でいることは幸せなのか。生身の人間が構成する制度がどうあるべきか。そこが一顧だにされていない気がして、つらい。  園遊会の4日後(4月27日)、共同通信社が皇室に関する世論調査の結果を公表した。天皇陛下の即位5年を前にした全国郵送調査で、皇位継承の安定性について「危機感を感じる」が「ある程度」を含め72%に上ったという。女性天皇を認めることは計90%が賛同したそうで、賛成の理由は「天皇の役割に男女は関係ない」が最も多く50%、反対理由は「男性が皇位を継承するのが日本の文化にかなっている」が45%で最多だという。  こういうところを考えてほしいんですけど、自民党、っていうか麻生さん。と呼びかけても届かない。そんな気がしてしまい、つらい。 (コラムニスト・矢部万紀子)
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dot. 2024/05/02 10:00
ギャル曽根が語る子ども時代「『大食い』と初めて気づいたのは高校生。2キロのカレーを15分で完食し『あれ?』と」
ギャル曽根が語る子ども時代「『大食い』と初めて気づいたのは高校生。2キロのカレーを15分で完食し『あれ?』と」
撮影/写真映像部・上田泰世 ヘアメイク/星野智子 スタイリング/akane  よく食べ、よく笑い、ハッピーオーラ全開のギャル曽根さん。家庭では11歳の長男くん(小6)、8歳の長女ちゃん(小3)、そして生後5カ月の次女ちゃんの3児のママでもあります。ご自身も3人きょうだいの真ん中っ子だったという曽根さん。今回は「食べることが大好きだった!」という曽根さんが、「ギャル曽根」になる以前の「食」にまつわる思い出を聞きました。 「私って大食いだったんだ!」初めて気づいたのは高校生  実を言えば私、自分が人よりたくさん食べる子だってことにずっと気づいていませんでした。外食はほとんどしたことがなかったし、姉弟も私と同じくらい食べていたので、「みんなこんなものだろう」と何となく思っていたんです。  ところが、高校生のときに気づいてしまいました。  近所のカレー屋さんで「2キロのカレーを30分以内に食べたら無料」という企画があって、男子3人女子3人で「面白いから挑戦しよう」と行ってみたんです。そのカレーがめっちゃくちゃおいしくて、「これ全部、1人で食べていいんだ! やったー!」ってうれしくなりました。  私は15分で完食しましたが、全部食べられたのは私だけ。男の子でさえ、食べきることができなかったんです。「すごいね!」ってみんなに驚かれて、「あれ、私って人よりいっぱい食べられるんだ……」と初めて自覚したのです。  当時は「大食いチャレンジ」みたいなものがはやっていた時期でした。調理の専門学校に通うために姫路市(兵庫県)に出てきたら、いろんなお店で「チャレンジメニュー」があって、「やった! こんなに食べられる!」って大喜びしていました。次々に挑戦していたら、ちまたで「よく食べる子」として有名になってしまいました(笑)。  それである日、就職先の鶏料理屋の店長さんが勝手に申し込んでいた大食い大会が、たまたまテレビの大食い番組で、そこから人生が大きく変わっていったのです。 食べることが大好きになった原点は、母の味です  でも、私が本当にしたいことは、制限時間内で相手よりどれだけ多く食べられるかを競う「フードファイト」とは少し違いました。    もちろん私は人よりかなりたくさん食べるのですが、おいしいからたくさん食べたいし、おいしいものをおいしく食べたいのです。パンの大食い対決なのに、食べた量に含まれないジャムを1キロおかわりして味わって食べ、負けてしまいました。周りがアスリートみたいに早く無駄なく食べていくなかで、私はただおいしいものを食べに来たギャルでした(笑)。  いつごろから食べるのが好きになったの? とよく聞かれますが、生まれた直後から好きだったみたいです。「母乳だけだと全然足りなくて、ミルクを足し続けた」「哺乳瓶の吸い口を切ってダイレクトに飲めるようにしていた」と母から聞きました。  少し成長してからは、1歳年上の姉と競うようにしてごはんを食べていました。  でもそれは「大食い」というより、母のごはんが本当においしかったから。今でも実家に帰ると「これ作って!」とリクエストします。ハンバーグ、餃子、カレー、あとは母の串カツも大好きです。母の味は特別で、どうしても真似ができないんです。サラダも何種類もあって、「今日はお母さんの大根サラダが食べたい」「いやぁ、やっぱりキャベツのサラダ……小松菜のサラダもいいなぁ」と迷ってしまいます。  そうそう、母の定番ハンバーグは、トマト味の煮込みハンバーグ。それがもうおいしくて、おいしくて。今思えば、子ども3人があまりによく食べるので、表面だけ焼いて煮込むだけの煮込みハンバーグがラクだったんでしょうね。  それに母の両親、つまり私の祖父母が畑でお米や野菜を作っていて、しょっちゅう送ってくれていました。その野菜もごはんもまたおいしくて……。わが家では毎食1升ごはんを炊いていたんですが、ペロリとたいらげてしまっていました。  母は小学校の先生だったので、ものすごく忙しかったと思うんです。しかも私が小学生のときに両親が離婚し、父は失踪。母は仕事も料理も子育ても一人で抱えていたわけです。  お金のこともかなり苦労していたとは思うのですが、いつも笑顔で明るくて、大変さなんて少しも見せなかった。本当にすごいなぁって、今はつくづく思います。 13歳のころのギャル曽根さん(左)。お姉さんとともにマラソン大会で入賞!(写真/本人提供) 自分の食いぶちは自分で稼ぐ? “市民マラソン荒らし”の曽根姉妹  中学生になると、私はますます食べるようになりました。陸上部に入ったこともあって、とにかくおなかがすくんです。姉も陸上部だったし、弟も育ちざかり。曽根家のエンゲル係数はすごいものだったと思います。  そんなとき、姉が市民マラソン大会に出場して賞品をもらってきました。「お、これはいいな」と思って、姉妹で近隣の町のマラソン大会に出場するようになりました。  当時はマラソン大会の情報が載っている雑誌があったので、それを買って開催日時や場所、そして上位入賞者がもらえる賞品をチェックしました。もちろんエントリーするのは「おいしそうな賞品」がもらえる大会です。  出場した大会は、ほぼ確実に入賞しました。だいたい姉が1位、私が2位。  賞品もお米、ブランド牛、高級メロン……うれしかったですねぇ(笑)。走っている途中の給水所には、バナナやかき氷が置いてあったりして、それを食べるのも楽しみでした。  高校生になってアルバイトを始めましたが、バイトは必ず「まかない付き」を選びました。チェーン店より個人店の方が、まかない付きが多かったし、いろいろおいしいものを出してくれたので、そういうお店を探していました。いまでも「あのお店の焼きそば、おいしかったな」とまかないごはんを思い出します。  こうやって振り返ると、食べることに恵まれた人生だと思います。これからもずっと、おいしいものを「おいしい!」と思いながら生きていきたいですね。  そして絶対に忘れたくないのは、食べ物への感謝です。料理を作ってくれた人に感謝するのはもちろんのこと、目には見えない生産者さん、販売店さん、流通の方々、そして食べ物そのものの命にも感謝して、残さず食べたいと思っています。それは子どもたちにもしっかりと伝えています。 本日もおいしく! ギャル曽根のワンポイントアドバイス ★ケイジャンスパイスにハマっています  ジャンバラヤに使われるケイジャンスパイスを知っていますか? 私、この味が大好きなんです。チャーハンやピラフに使うとジャンバラヤ風に仕上がるし、鶏肉を炒めるときに振りかけたり、肉そぼろの味つけに使ったりしてもおいしい。「いつも同じ味つけになりがち」と思ったときにおすすめのスパイスです。 (構成/神 素子) 〇ギャル曽根/1985年京都府生まれ。11歳の長男、8歳の長女、0歳の次女の母。2005年「元祖!大食い王決定戦」でデビューし、おおらかな食べっぷりで人気を博す。タレントとして活躍する一方、「食のプロ」としてレシピ本の出版などをおこなう。調理師免許や野菜ソムリエの資格をもつ。公式YouTubeチャンネル「ごはんは残さず食べましょう」
ギャル曽根子育て食育
AERA with Kids+ 2024/04/25 11:00
元プロゴルファー「古閑美保」が明かす“離婚”と”再婚願望” 「恋愛のゴールは結婚じゃないんだなって」
唐澤俊介 唐澤俊介
元プロゴルファー「古閑美保」が明かす“離婚”と”再婚願望” 「恋愛のゴールは結婚じゃないんだなって」
元プロゴルファーの古閑美保さん(撮影/写真映像部・上田泰世)    ゴルフの実力もさることながら、バラエティー番組でも歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで人気を博したプロゴルファーの古閑美保さん(41)。【前編】では、引退直後に始めた趣味探しや、ゴルフから距離を取ったことで考えたことなどを語ってもらった。【後編】では、現在まで続く女子プロゴルフ人気に関して思うことや、離婚を経験したことで変化した結婚観などについて聞いた。 【前編】<元賞金女王「古閑美保」が語る“引退を決意した日”と“ゴルフから離れたかった2年間”>より続く *  *  *  古閑さんは「ビジュアル系ゴルファーの元祖」といわれている。へそ出しファッション、派手な化粧、ネイルにピアスなど、その外見でも世間の話題をさらっていた。  ゴルフは紳士淑女のスポーツ。派手なファッションでプレーする古閑さんに対して、当然批判もあったという。 「Tシャツでゴルフするのはどうの、ピアスやネイルがこうのみたいなお叱りの声がよく届いていました。けど、全く気にしませんでしたね。私、そういったことにめげないタイプなんです」  何事もなかったかのようにさらりと言ってのける。むしろこういった声が古閑さんの反骨心を刺激した。 「ツアーの最終日に、わざとTシャツを着て、目立つピアスやネイルを付けていました。どれも違反じゃないんですよ。Tシャツはゴルフメーカーが出しているものでしたし、ネイルを付けてはいけないとか、大きいピアスはダメなんて決まりはないです。だから『なんでやめなきゃいけないの?』って思っていました。人に言われたからやめるっていう考えはなかったですね。全部私がやりたいからやっていることなので」 19歳ごろ、プロ入り後の古閑さん(本人提供)   あえて「ネイル」をしていた理由  ネイルは、そもそも爪が割れてしまうのを防ぐという目的でつけていたものだった。また、化粧にも古閑さんのこだわりがあったのだという。 「私、ゴルフのときはメイクを普段と変えてるんです。やっぱり勝負事のときは、アイラインをしっかり引いて、眉毛も太くして、マスカラもばっちりしていました。強く見せたかったので。ゴルフ場に入ったら、普段の私とは違う『プロゴルファー・古閑美保』っていう別人をつくり上げたかったんです」  19歳で古閑さんがプロ入りしたとき、ゴルフ界を引っ張っていたのは30代半ばのゴルファーだったという。 「賞金ランキングのトップ10には、不動(裕理)さんを除いて、20代はほとんどいませんでした」  それから数年後、宮里藍や横峯さくら、上田桃子らが活躍を始め、女子プロゴルフ人気が高まっていく。競技者としてその渦中にいた古閑さんは、当時をこう振り返る。 「私がプロ入りしたとき、女子プロの人気はそんなに高くなかったんです。でも、2~3年してから状況が変わってきた感じがありました。私やその下の宮里、横峯、上田たちが、“絶対女王”の不動さんに挑んでいくっていう構図ができてきたんです。そこから、女子プロの人気が出てきたと感じています。大会の賞金額や試合数が増えたり、これまでの大企業とは違ったIT企業が大会の主催者になったり。テレビの視聴率も上がっていって、人気の高まりを肌で感じていました」 結婚観が変わったと語る古閑さん(撮影/写真映像部・上田泰世)   「離婚」で変わった結婚観  現在でも渋野日向子、山下美夢有、小祝さくら、稲見萌寧ら人気と実力を兼ね備えたゴルファーが続々と出てきており、女子プロゴルフも百花繚乱(りょうらん)の時代を迎えている。 「私がプロになったころと違って、今は20代の若手がたくさんいて、優勝したのに次の年にはシード落ちしてるとか、入れ替わりも激しい。競争率は高くなっていますけど、チャンスもたくさんあるので、すごくいい時代だと思っています」  ゴルフの技術のみならず、テレビ番組での“ぶっちゃけトーク”も古閑さんの魅力だ。恋愛話はたびたびお茶の間の話題になった。 「正直にしゃべりすぎちゃうんですよね(笑)。恋愛しているときは、好きな人のことが頭から離れなくなりますよ。やっぱり恋愛って心を揺さぶられるものじゃないですか。でも、それとゴルフは別物で。メンタルが落ちているときも全く成績に響かなかったです(笑)。結局、練習しているかしてないかが全てですから」  古閑さんは一昨年、離婚も経験した。そのことで価値観にも変化があったという。 「当時は、結婚をすっごくしたいと思っていて、恋愛と結婚というものが結びついていたんです。でも離婚して、それまで持っていた結婚観も変わりました。恋愛のゴールは必ずしも結婚じゃないんだなって。再婚ですか? 全然考えてないです。でも私、言ってることがコロコロ変わるからな(笑)。少なくとも今はそう思っています」 笑顔がチャーミングな古閑さん(撮影/写真映像部・上田泰世)   今は甥っ子を溺愛  最後に、古閑さんにとって「忘れられない一日」を聞くと、「甥っ子の大和が生まれたときかな」と返ってきた。 「私、親に溺愛されて育っているんです。それもあってパパっ子ですし、ゴルフをやっていたのも父の喜ぶ顔が見たいっていうのがモチベーションでした。それなのに、父の愛情が全部大和に行っちゃったんですよ(笑)。家族の関係性を変えたのが彼なんです」  とはいえ、古閑さんも甥っ子を溺愛しているのだという。 「彼が生まれてから、妹に『ちょうだい』ってずっと言ってます。今度15歳になるんですけど、本当に可愛いいんですよ。イケメンになってきて、声変わりもしてきて」  彼はアマチュアボクサーとして活躍している。 「古閑家は、やっぱり『プロ志向』なんですよね。初めて見に行った試合が、山中慎介対ルイス・ネリの世界王者のタイトルマッチですから。古閑家って世界一を見せるんですよ。だから、大和も世界チャンピオンが夢って言ってます。今年の5月にある井上尚弥対ネリの試合も見に行きたいねって話してます」  ただ、そんな甥っ子の活躍を、古閑さんは手放しには喜べない面もあるのだとか。 「本人が楽しくやっているのはいいんですけど、見てるこっちとしては、ケガをしている姿とか、負けて泣いている様子はね……。でもやめるように促すことはできないですから」  取材中、常に自信に満ちた雰囲気をまとっていた古閑さんが、唯一いじらしい表情を浮かべた瞬間だった。 (AERA dot.編集部・唐澤俊介) ●古閑美保(こが・みほ)/1982年、熊本県生まれ。10歳からゴルフを始め、中学2年時には日本ジュニア、世界ジュニアで優勝。2001年1月から元日本女子プロゴルフ協会会長の清元登子に弟子入りし、同年8月、19歳でプロテストに合格。03年、ヨネックスレディスで初優勝。08年には賞金女王を獲得。11年、ケガが理由で引退した。その後は、テレビ番組やYouTube、講演会などに出演し、ゴルフの魅力を発信している。
古閑美保離婚女子プロゴルファーインタビュー
dot. 2024/04/20 11:00
元賞金女王「古閑美保」が語る“引退を決意した日”と“ゴルフから離れたかった2年間”
唐澤俊介 唐澤俊介
元賞金女王「古閑美保」が語る“引退を決意した日”と“ゴルフから離れたかった2年間”
元プロゴルファーの古閑美保さん(撮影/写真映像部・上田泰世)    ゴルフの実力もさることながら、バラエティー番組でも歯に衣(きぬ)着せぬ物言いでお茶の間の人気者となったプロゴルファーの古閑美保さん(41)。現役を退いた今は、講演会やトークショー、YouTubeなどでゴルフの魅力を発信している。しかし、引退直後はゴルフを拒絶していた時期もあったという。プロゴルファーをやめてからの日々を聞いた。 *  *  * 「引退してから2年くらいは、普通の生活ができませんでしたね」  聞きなじみのあるハスキーな声で、古閑さんは言う。 「朝も遅い時間まで寝ていられなかったですし、家でのんびりするとか、ゴロゴロするとかもできなかったんです」  幼いころから競技スポーツの世界で生きてきた古閑さんは、プロゴルフという“戦場”から退いたあと、「日々の過ごし方がわからなかった」のだという。 「古閑家は『プロ志向』が強くて、10歳でゴルフを始めたころから、トッププロを目指して、日々なにかとずっと勝負してきたんです。気を張っていることが日常で、自分がプレッシャーを受け続けてきたということに、引退してからやっと気づくほどでした。現役時代は1日20時間ぐらいゴルフをやっている感覚で、練習だけじゃなくて、やっぱり体づくりも大事ですし、食事とかの時間も全部ゴルフに費やしていたので、『24時間じゃ足りない!』って思っていました。けど、引退した瞬間、私から何もなくなって、そうすると逆に24時間が長すぎて長すぎて……」 古閑美保さん(撮影/写真映像部・上田泰世)   ゴルフ関連の仕事はすべて断っていた  古閑さんは、この24時間を“埋める”べく、趣味を持とうといろいろ試したのだという。 「ボウリング、卓球、ビリヤード、テニス、キックボクシング、ベリーダンス、それに社交ダンスとかペン字もやりました。それから、楽器もやりましたね。三味線やったり、ギターやったり。温泉とかに旅行も行って楽しかったんですけど、一方で『私、これ何のためにやってるんだろう』って目的がないことに我慢できなくて」  そんな古閑さんを救ったのは、やはりゴルフだった。実は引退してからゴルフをすることを極端に避けていたのだという。その理由にも、古閑さんの強い「プロ意識」がにじむ。 「プロゴルファーたるもの、試合で稼ぐものっていう気持ちが強くて。なので、引退してプライベートでゴルフをやっている自分のことなんて到底想像できなかったんです。プロアマ(プロとアマチュアが一緒にラウンドを回る形式)に出るとか、ゴルフを続ける方法はありましたけど、そういった試合に出るのに抵抗感があったんです。やっぱりトーナメントで技術を競って、そこで勝ち取った賞金の額が自分の価値だっていう考えが強かったので」  引退してからゴルフ関連の仕事の依頼も多くきたというが、全て断っていたそうだ。  しかし、2年ほどすると意識が変化し始めた。きっかけは、年に1、2回行われるスポンサーとのゴルフだったという。 「引退して1年目はまだ良かったんですけど、2年目にすっごく下手になってたんです。小さいころからずっとうまかったので、そんな経験したことなくて。プロの世界でも賞金女王を取っているから、周りの人たちもそういう目で見てくるわけですよ。でも実際はすごく下手で、そのことが本当に恥ずかしかったんです」 3歳ごろに野球をやり始めたころの古閑さん(本人提供)   夢は両親に「お城を建てる」こと  これを機にゴルフを再開したのだという。 「友だちにラウンドに付き合ってもらうと、すぐに感覚が戻ってきました。引退直後には考えられなかったんですけど、ゴルフをするのが楽しくなってきたんです。そこで、やっとゴルフを趣味だって言えるようになりました」  ゴルフ漬けの人生を歩んできた古閑さんだが、「別にゴルフが好きだから始めたわけではないです」と話す。古閑さんの夢は「パパとママにお城を建てること」だった。ゴルフはそのための手段でしかなかったのだという。 「それが私のベースにあるんです。ゴルフの前は野球をやっていましたが、それも目的は同じです。だから、テニスに出合っていたらテニスをしています。稼げるスポーツしか選んでない」  古閑さんがゴルフを始めるきっかけになったのは、プロゴルファーの坂田信弘氏が熊本県に「坂田塾」を開校したことだった。  それまで父と二人三脚で野球に熱中していた古閑さんは、クラブを握ったことすらなかったという。ゴルフを始めることを父親と古閑さんは拒んだが、親戚の説得により、塾に応募することに。そして、見事選考を突破し、入塾した。  坂田塾でメキメキと頭角を現した古閑さんは、中学2年生で世界ジュニアも制し、その後、元日本女子プロゴルフ協会会長の清元登子氏に弟子入り。19歳でプロテストに一発で合格した。  期待の新星としてプロの世界に足を踏み入れた古閑さんだが、ずっと持ち続けた「プロ意識」の高さは、清元氏の影響もあるという。 14~15歳ごろの古閑さん(右)(本人提供)   自分に負けることが嫌だった 「師匠は厳しい人で、自分の腕で稼ぐのがプロだから、腕を磨きなさいとよく言っていて、勝つことへの執着はとても強かった。だから、私も誰よりも強くならないと納得できなかったんですよね。当時は人気のほうが先行してたんで、早く実力をつけなきゃと常に思っていました。現役時代に意識していた人ですか? 特にいなかったんですよ。誰に、っていうよりも自分が負けることが嫌だったんで」  2008年、ついに古閑さんは賞金女王を獲得し、日本の頂点に立った。しかし、その3年後、左手首のケガを理由に、29歳という若さで引退した。 「ケガをした翌年の10年には優勝したんですけど、そのときに勝ったは勝ったけど、これは自分のゴルフではないなと思ったんです。なので、優勝した直後にはゴルフをやめる決意をしていました。迷いはありませんでしたね」  その後は、冒頭のように、内にたまったエネルギーの発散方法がわからぬまま、悶々とした日々を2年ほど過ごした。しかし、この2年間、ゴルフから離れていたことが自身に変化を与えてくれたという。 「心血を注いできたゴルフを自分から引き剝がして、自分探しじゃないですけど、ゴルフ以外のことをして生きていこうと思ったわけですよ、引退直後は。今10年以上たって、思い返してみると、あの2年間は本当につまらなかったなって思います。ゴルフをやっていない自分はつまんないなって。ゴルフをしないということを経験したからこそ、頭のなかが結構変わりましたね。今すごくいいバランスで生きられている気がします」 ※【後編】<元プロゴルファー「古閑美保」が明かす“離婚”と”再婚願望” 「恋愛のゴールは結婚じゃないんだなって」>に続く (AERA dot.編集部・唐澤俊介) ●古閑美保(こが・みほ)/1982年、熊本県生まれ。10歳からゴルフを始め、中学2年時には日本ジュニア、世界ジュニアで優勝。2001年1月から元日本女子プロゴルフ協会会長の清元登子に弟子入りし、同年8月、19歳でプロテストに合格。03年、ヨネックスレディスで初優勝。08年には賞金女王を獲得。11年、ケガが理由で引退した。その後は、テレビ番組やYouTube、講演会などに出演し、ゴルフの魅力を発信している。
古閑美保賞金女王女子プロゴルファーインタビュー
dot. 2024/04/20 11:00
わが子がIQ70以上85未満の「境界知能」かもしれないと思ったらどうすればいい? 児童精神科医に聞く
わが子がIQ70以上85未満の「境界知能」かもしれないと思ったらどうすればいい? 児童精神科医に聞く
写真はイメージ(iStock)  IQ70以上85未満の「境界知能」の子どもたちのために認知機能強化トレーニング「コグトレ」を考案、『ケーキの切れない非行少年たち』の著者でもある児童精神科医で医学博士の宮口幸治先生。花まる学習会代表・高濱正伸先生との対談を、子育て情報誌「AERA with Kids 2023年冬号」(朝日新聞出版)からお届けします。※前編<IQ70以上85未満の「境界知能」を持つ子が生きづらい理由とは 『ケーキの切れない非行少年たち』の著者に聞く>から続く わが子が「境界知能かもしれない」と思ったら 高濱:うちの子が境界知能かもしれないと思ったら、どうすればいいのでしょう。 宮口:まずは知能検査です。発達相談の窓口に相談して検査を受けるのが第一歩。親の気持ちで判断せず、専門家に相談にのってもらうのが、支援の始まりです。 高濱:なるほど。早く検査して正しく支援してもらうことで、対応を誤るリスクも低くなるし、将来の可能性も広がるんですね。 宮口:はい。IQは一生変わらないものではなく、環境によって変化することも少なくありません。境界知能に関しては専門家でもまだまだわからないことが多いです。ただ、少しでも早めに対処して、基礎的なトレーニングをしたほうがいいでしょう。 高濱:そのままだとコンプレックスや生きづらさのかたまりになってしまうものを、できるだけ早く見つけてトレーニングすれば、それが自信に変わる。先生が考案された「コグトレ」ですね。 宮口:コグトレは認知機能に着目したトレーニングの略で、医療少年院で少年たちの持つ弱いところを何とかしてあげたいという思いのもと、5年かけて開発されました。生きるために必要な認知機能の五つの要素を鍛えるべく考えられました。 高濱:素晴らしいです! 少年院での更生トレーニングとしてだけでなく、教育界全体にも影響を与えると思います。 宮口:問題はシンプルですが、学習の土台となる力がつけられるよう考えられています。点をつないで見本の絵を同じようにうつす、与えられた情報から目に見えないものを想像する……などなど。今は、小学校の朝の会で5分で取り入れているところも多いんですよ。 高濱:コグトレは、うちの「なぞぺー」にすごく似ています。勉強がすすむと、多くの子どもたちがある種の知的な壁にぶちあたります。10歳くらいが多いんですが。そのときに、たんに正解を教えるのではなく「どこで困っているか」に気づいて引き上げてあげる。これはどんな子にも通じる話ですね。 宮口:そうですね。コグトレもつまずきがちな箇所を可視化できるようになっています。境界知能の子は自分でもよくわからないままじわじわと傷ついている。傷つく気持ちにIQの高低はありません。だから、かわいそうという気持ちで接してはダメで、一人の人間として尊重すると心を開いてくれます。  自分の居場所と自己肯定感 それがあって初めて学力が構築される 高濱:わかります! 子どもに一番大切なのは自己肯定感ですよね。 宮口:少年院の少年たちは自己肯定感が低い子が多く、投げやりだったり、妙に素直だったりしますが、接しているうちにガラリと変わる瞬間があることを目の当たりにしてきました。いくつかあるのですが、勉強がわかるようになったとき、大切な役割を任されたとき、信用できる人に会ったとき、集団生活の中で自分の姿に気づいたとき、などがあげられます。これらに共通するのは「自己への気づき」と「自己評価の向上」。自己肯定感が生まれると、その子は変わり、生き生きとしてきます。 高濱:ものすごく共感します。僕はこれまで学力には二つある、ひとつは読み書き計算という認知能力をベースとした基礎的な学力、もうひとつが、そのうえで思考力などの非認知能力を磨いて自分の得意なことを伸ばしていく学力、と言ってきたのですが、その一番下に、自己肯定感と、ここにいていいんだという自分の居場所、生きるための基盤がなくてはいけない。これは、学びだけでなく、生きていくうえでの大原則です。今日の対談でその思いをさらに強くしました。 学力は、読み書き計算のような基本の力を土台として身につけたうえで、個々の興味と得意分野に応じた思考力をつけることが大切だが、土台の下の基盤というべきものに、愛情に培われた自己肯定感がなくてはいけない。(高濱先生のお話をもとに編集部で作成) 宮口:少年たちも、自己評価が上がると勉強を熱心にするようになって考える力もついてくる。すると、自分のことを表現することもできるようになるんです。 高濱:子どもに自信をなくさせないことが何より大切ですね。先生のおかげで、子どものしんどさや大人の役割について再確認することができました。どんな子にも不安はあるし、ときには絶望もあるかもしれない。でもそれを希望に変えるスタート地点は同じなんだと。 (構成/篠原麻子) ※前編<IQ70以上85未満の「境界知能」を持つ子が生きづらい理由とは 『ケーキの切れない非行少年たち』の著者に聞く>から続く 宮口幸治先生 ○児童精神科医、医学博士:宮口 幸治(みやぐち こうじ)/京都大学工学部卒業。建設コンサルタント会社に勤務後、神戸大学医学部に再入学し精神科医となる。医療少年院、女子少年院に児童精神科医として勤務した後、認知機能強化トレーニング「コグトレ」を考案、2019年『ケーキの切れない非行少年たち』を上梓し、話題となる。現在は立命館大学教授、一般社団法人日本COG-TR学会代表理事。 高濱正伸先生 ○花まる学習会代表:高濱 正伸(たかはま まさのぶ)/1959年熊本県生まれ。東京大学大学院農学系研究科修士課程修了。武蔵野美術大学客員教授。環太平洋大学特任教授。算数オリンピック作問委員。93年に「メシが食える大人に育てる」の理念のもと、「作文」「読書」「思考力」「野外体験」を軸にした「花まる学習会」を設立。会員数は2023年で2万人を超えた。
発達障がい境界知能宮口幸治高濱正伸AERAwithKids
AERA with Kids+ 2024/04/20 11:00
おじさん1人ディズニーはアリ? ぬいぐるみやビールとつまみを片手に非日常的な空間を自由に満喫
渡辺豪 渡辺豪
おじさん1人ディズニーはアリ? ぬいぐるみやビールとつまみを片手に非日常的な空間を自由に満喫
競輪の八日市屋浩之選手が娘のために買い求めたダッフィーシリーズのグッズ。シーズンごとに発売されるため年々増え続けている(写真:八日市屋さん提供)    遊園地はカップルやグループ、家族で行くところ、という常識を打ち破る動きが起きている。東京ディズニーリゾートでは、おじさんの「お1人様」も珍しくはないのだ。AERA2024年4月22日号より。 *  *  *  競輪の八日市屋浩之選手(48)=石川県=に取材中、思わず息をのんだ。 「趣味は」との質問に、麻雀やクレー射撃を挙げた八日市屋さんが、少し間をおいて「そういえば」と口にしたのが、「1人ディズニー」だったのだ。麻雀は好きだけど、人づきあいの面もある。クレー射撃も好きだけど、動体視力の鍛錬が競輪に役立つという意図もある。けれど、と八日市屋さんはこう続けた。 「純粋に息抜きしている瞬間は、1人でディズニーリゾートにいるときですね」 きっかけはダッフィー  椅子から転げ落ちそうになった。八日市屋さんはれっきとしたプロアスリート。しかも、高校生の娘もいるアラフィフの既婚者だ。 「あそこは夢の国というだけあって、僕のようなごりごりのおじさんがダッフィーのぬいぐるみを抱えて1人で歩いていても受け入れてもらえるんです」  一瞬、聞かなかったことにしようかと思ったが、好奇心がまさり、気づけば「どんな経緯で?」と身を乗り出していた。 「きっかけは十数年前に娘を初めてディズニーシーに連れて行った時です」  その日は、ディズニーシーの人気キャラクター「ダッフィー」のぬいぐるみの発売日だった。八日市屋さんは人ごみが苦手で、列に並ぶのも大嫌いだった。しかし、娘のために2時間半並んで買い与えると、娘は「とんでもない素敵な笑顔」で迎えてくれた。こんなに喜んでくれるなら、と八日市屋さんはシーズンごとに発売されるダッフィーシリーズのグッズを購入するため、関東近辺のレースが終わった翌日に東京ディズニーリゾートに立ち寄るようになった。 「最初の頃は買ってすぐに退場していたんですが、1万円近い入場料を払ってすぐに出るのはもったいないと思うようになり、どれだけ楽しめるかなと。そこで持ち前の向上心がわいてきたんです」 楽しい「コース取り」  パレードやショーは一切見ない。アトラクションの乗り物に乗ったり、他の客を観察したりするのがたまらなく面白い。歩くのは好きではなかったが、ディズニーリゾートではワクワク楽しみながらまる一日、10キロ近く歩く。スタッフがおじさん1人でも温かく迎えてくれるのが、またうれしい。 「限られた時間でいかに効率よく回れるか、『コース取り』を考えるのが今は楽しいです」  そう話す八日市屋さんに、家族とは行かないのか、と尋ねるとこんな答えが返ってきた。 「やっぱり平日で適度に空いているから楽しめるのだと思います。娘はいま受験勉強で忙しいし、学校も休ませられない。その分、グッズを買ってあげて、行った気持ちになってほしいと思っています」  ネットで「1人ディズニー」で検索すると、「楽しみ方」や攻略法を説く情報とともに「そういう人、普通にいます」「全くおかしくないですよ」と背中を押す意見であふれていた。実態はどうなのか。『ひとりディズニー50の楽しみ方』(サンクチュアリ出版)の著者、みっこさんによると、1人客は以前から多く見られたが、コロナ禍以降に一気に増えた印象だという。  家族やグループで行く人はSNSなどでアピールしがちだが、1人で行って楽しみたい人は他人に自慢するのが目的ではないため、表に出にくいものの、「決して珍しくはない」という。 「女子大学生もいれば70歳を超えた男性も、普通に1人で来られているのを見かけます」  では、なぜ1人で行くのか。理由の一つに「行動しやすさ」があるという。ショーやパレードを見学する際は推しのキャラクターやダンサーの近くを陣取りたい。自分の好きなアトラクションだけを楽しみたい。食事のタイミングや何を食べるのかもすべて自分の好みで決めたい。こういう人が1人で行くメリットを感じている、とみっこさんは言う。 「グループで行くと必ず好みが分かれます。2人で行けば2倍になり、3人で行けば3倍の要望が出てきます。その点、1人だと見たいもの、食べたいもの、買いたいものが全て自分の裁量で決められます。それが楽というか、楽しくてはまる人が多いのだと思います」  家族やグループで訪れた際に消化不良を感じた経験のある人が、「次は1人で」となるというのだ。  中年男性の1人客によく見られるのが、ビールとつまみを片手に、水辺の静かなベンチでたたずむ姿だという。みっこさんは自身の体験も踏まえ、「1人ディズニー」の醍醐味をこう説く。 「誰にも邪魔されずにゆったり落ち着いて、非日常的な空間に身を浸すことができるのは至福の時間なのだと思います」  行ってみたい気もする。だが、知り合いと鉢合わせしたら何と言おうか。そんな体裁ばかりを気にする自分はまだまだなのだ、きっと。(編集部・渡辺豪) ※AERA 2024年4月22日号
AERA 2024/04/20 06:30
日本女子フィギュアは「坂本花織の時代」続く予感 今季発揮した“勝ち切る強さ”
日本女子フィギュアは「坂本花織の時代」続く予感 今季発揮した“勝ち切る強さ”
今季も“強さ”を見せ世界選手権3連覇を達成した坂本花織  3月、カナダ・モントリオールで行われた世界選手権。フリー『Wild is the Wind/Feeling Good』を滑り終えた坂本花織は、感極まった表情で天を仰いだ。 「一昨日のショートでは4位で、本当に焦りとか緊張とかいろいろあったんですけど……それでも今日はいい緊張感の中で一つひとつ集中してできたので、それが結果につながってすごく嬉しいです」  どんな状況でも勝ち切る強さをみせて果たした、女子シングルでは56年ぶりとなる世界選手権3連覇だった。フィギュアスケートのカテゴリーの中でも最も選手寿命が短い女子シングルで、23歳(当時、現在は24歳)の坂本が達成した偉業の意味は大きい。  今季の坂本は、国際大会で全勝と安定した戦いぶりをみせた。スロースターターの印象があったが、今季はシーズン前半のGPシリーズから好調で、スケートカナダ(昨年10月)、フィンランド大会(昨年11月)ともに優勝。昨季は5位だったGPファイナル(昨年12月、中国・北京)でも、初優勝を果たした。  首位に立ったファイナル・ショート後の記者会見で、坂本は「メンタルに関しては、今シーズンは結構序盤から気持ちは上がっていたので、落ち切ることなくファイナルに挑めているなという感じがあって」と語っている。 「去年はファイナルまでは気持ちがどうしても上がり切らなかったり、オリンピックの後で、気持ち的に『次は何に向かって頑張ればいいんだろう』という期間だったので。去年その経験があってすごく悔しい思いをしたので、今年はこうやって明るい気持ちで今までの試合に挑めている。それはやっぱり去年までとは全然違うし、今この状況はすごくいい方向に向かっているなと感じています」  ファイナルから帰国後に胃腸の不調があり、調子を落として迎えた全日本選手権(昨年12月)でも優勝。世界選手権代表会見では、「今年も全日本で優勝して世界選手権(出場を)決めることができたので、すごく嬉しいです。世界選手権も、パーフェクトな演技で自分らしく滑れたら」と意気込みを語った。 「世界選手権3連覇というのは、今シーズンずっと言ってきた目標。やっぱりどうしても達成したい目標なので。全日本もショートは良かったんですけど、フリーは細かいミスが本当に多かったので、しっかり修正して。世界選手権でベストの、もっといいパフォーマンスができるように頑張ります」  盤石の態勢で臨んだと思われた世界選手権だったが、ショートではミスが出た。3回転ルッツの着氷が乱れ、軽度のエッジエラーもとられたのだ。4位と出遅れたが、坂本の表情は明るいままだった。 「フリーはこの悔しさをバネに、しっかりシーズン最後いい締めくくりができるように、頑張りたいなと思っています」  前を向いて臨んだフリー、坂本は大きなミスなく滑り切る。表現面での挑戦だった「ミステリアスな女性」というテーマを、貫禄を漂わせて大人の雰囲気たっぷりに演じた。積んできた練習に支えられた強さを感じさせる演技で、自身の言葉通り充実の今季を締めくくった。 「本当に今シーズン、わりと初戦からいいスタートが切れていたので。このまま世界選手権までいきたいという気持ちでずっと今シーズンやってきて、それが達成できて。一つまた自分も強くなれたんじゃないかなというのを今年感じられたので、すごく来シーズン・再来シーズンに向けて、経験値が上がったかなと思います」  彼女にしかない強さを磨きつつ、坂本花織は加速していく。(文・沢田聡子) 沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」
フギュアスケート坂本花織
dot. 2024/04/18 17:30
中学受験時は「精神的に幼かった」子が、進学後に成長し難関大へ 受験塾長が語る、男子生徒の“その後”
中学受験時は「精神的に幼かった」子が、進学後に成長し難関大へ 受験塾長が語る、男子生徒の“その後”
茂山起龍さん(撮影/高野楓菜)  中学受験をするのは、その多くがわずか12歳の小学生です。都内で中学受験塾「應修会」を主宰する茂山起龍(きりゅう)さんは、受験後も教え子たちと交流を続けるなかで、中学受験生たちの“その後”を見つめ続けています。AERA with Kids+の連載「中学受験、その先に」。今回は、中学受験の段階では精神的に幼かったものの、その後に飛躍した生徒のエピソードから、成長度合いに合った学校を選ぶ大切さについて考えます。 目標が持てないなかでの中学受験 ――多くの子どもは12歳で中学受験に臨みます。成熟度や成長の度合いにまだまだ差がある年齢です。受験勉強中は精神的に幼い生徒もいますね。  記憶に残っているのが、小学5年になっても、「右」と「左」の漢字を「どう書くんだっけ?」と悩んでしまうような、勉強面でも精神的にも幼いと感じた男子生徒です。受験勉強は、ご両親の意向で始めたものの、気持ちが勉強に向かないから成績も伸びていきませんでした。  小学生の時に、友達にイジられ嫌な思いをしたことから地元の中学には進みたくないという気持ちはあったようですが、「この学校に行きたい」という明確な目標もなかった。ポジティブな目標がないなかでの受験でした。 ――目標を持てないなか、最終的にどのように進学先を選んだのですか。  チャレンジ校として、持ち偏差値よりもかなりポイントの高い付属の中学を目指していましたが、1月の前受け校でも合格を手にできなかったので、その段階で厳しいな、と。実際、第1志望の付属の中学からは合格をもらえず、次に志望していた進学校も不合格。最終的に進むことになった学校に合格した際は、「不合格ではありませんでした」と僕に電話しながら泣いていたので、彼なりにホッとしたのだと思います。  進学先については、「校風に合っているから、頑張って通ってみるといい」と伝えたことを覚えています。 ――進学先はどんな学校だったのでしょう。  おおらかでゆったりとした校風を持つ、面倒見のいい中堅の男子校です。  彼は競争心が強いわけではなく、どちらかというと穏やかな優しい子で、似た雰囲気を持つ生徒が多く通っている印象です。そして教員も物腰の柔らかい方が多く、精神的に幼い子であっても見守り育てていこう、という姿勢がある。本人も、「自分の性格に合っていたし、通えて本当に良かった」と後に語ってくれました。 中学入学後、学年上位に!その後も好成績を維持 ――入学後の成績はどうでしたか?  実は、中学1年の時点でいきなり学年9位となり、その後も大きく順位を落とすことはありませんでした。彼は中学受験時から、与えられた宿題は必ずやってきたし、コツコツ努力ができるタイプでした。中学受験は精神的に成熟している子のほうが有利で、当日に能力を発揮できるだけの強さや、ひらめきも必要です。  一方、彼はコツコツ型なので、定期試験など、日々の努力が身を結ぶタイプの試験のほうが向いていたのかもしれません。そのうえ、学力レベルの近い仲間たちと切磋琢磨するなかで、「頑張ったらもっと上に行けるかもしれない」という自己肯定感も芽生えたのだと思います。  結果的に6年間、上位の成績をキープしたまま 、指定校推薦で早稲田大学の理工系学部に進み、「右」と「左」の漢字で悩んでいた中学受験の時からは想像もできないくらい大きく成長しました。 ――この飛躍の理由は何だったのでしょう。  一つは、学校が彼の精神的な成長の度合いに合っていたこと。特に男子生徒によく見られるパターンですが、12歳の中学受験をするタイミングでは精神が幼くて未熟で、中学に入ってから徐々に成長していく。そこを焦らず、見守り育ててくれた校風が合っていたのだと思います。  もう一つは、中学受験では「自分はあまり勉強ができない」と思っていたけれど、進学後に、「実はそうではないかもしれない」と自信を得られたことでしょうか。そして、中学受験で希望する学校に入れなかったことで、入学後、早い段階で「悔しい。見返したい」という気持ちが芽生えたことも彼を大きく成長させた理由だと思います。 「世間のイメージ」とは違う学校の一面を見つけて ――性格に合った学校を選ぶことは、偏差値で上を目指す以上に大切なことなのかもしれません。  通う生徒たちが醸し出す雰囲気や校風は、学校ごとに異なります。だからこそ、「体育会系で男くさい男子校」「おとなしい子が集まる女子校」などといった世間のイメージだけで選択肢から外してしまうのはもったいない。  親御さんは、説明会で学校のPRを聞いて終わりにするのではなく、個別相談会などでたくさん質問をして、子どもの性格と合っているか見極めてほしいなと思いますし、長年、学校や生徒たちの様子を見ている塾の先生にも意見を求めてほしいと思います。「世間のイメージとは違う学校の一面」を積極的に見つけにいってください。 ――第1志望校の不合格という現実も、前向きな意味で成長の「糧」になったのでしょうか。 「中途半端に物事に取り組んでも、身を結ぶことはない」と小学生ながらに学んだのでしょう。中学受験の時は、「ここを受けたい」「何がなんでも受かりたい」という強い気持ちがなかったから第1志望校に受からなかった、ということに早い段階で気づけた。「なりたい自分」を思い描けず、「次はそうはなりたくない」という気持ちにつながったのだと思います。  生徒のなかには、第3、第4志望に進学し、残念な気持ちを引きずったまま前向きになれずにいる子もいますが、現実を受け入れ、次へ向かう姿勢こそが大切だと思います。  彼は、中高一貫校での6年間で「この学校で働く先生たちのような仕事をしたい」と教師を目指した時期もあれば、周囲の環境から医師を目指していた時期もありました。日々前向きに過ごしていたからこそ、その時々に「なりたい自分」を見つけることができた。いま自分がいる場所で、楽しむ努力をしている子どもは伸びていく、と生徒たちを見ていて感じます。  この男子生徒はこの春大学を卒業し、さらに大きな夢を見つけ、アメリカの大学院への進学に挑戦しています。夢を追いかける彼を、今後も応援していきたいと思っています。 (聞き手/古谷ゆう子) 〇しげやま・きりゅう/1986年生まれ。中学受験を経験し、大学附属校に入学。大学在学中から個別指導塾、大手進学塾などで中学受験指導に携わる。会社経営の傍ら、2011年、東京・西葛西に中学受験指導塾「應修会」を開校。自らも教壇に立って指導を行う。中学2年、小学6年の男子の父。X(旧Twitter)での中学受験についての発信も人気で、フォロワーは1万人を超える。
茂山起龍中学受験
AERA with Kids+ 2024/04/18 16:00
大谷妻「真美子さん」のロールモデルに? 夫・長友を支える「平愛梨」の“メンタルモンスター妻”っぷり
雛里美和 雛里美和
大谷妻「真美子さん」のロールモデルに? 夫・長友を支える「平愛梨」の“メンタルモンスター妻”っぷり
平愛梨(写真:アフロ)    ドジャースの大谷翔平選手の結婚でにわかに注目が集まった“海外駐在妻”。海外で活躍する日本人スポーツ選手の妻と言えば、自己プロデュースが上手な元女子アナが多いイメージだが、タレントやスポーツ選手、はたまた幼なじみなど、その顔触れはさまざま。中でも個性を放っているのが、日本代表復帰で話題のサッカー選手・長友佑都と2017年に結婚し、4児の子育て中の平愛梨(39)だろう。  タレント時代の平について、週刊誌の芸能担当記者はこう語る。 「平さんは女優として浦沢直樹の人気漫画を実写化した映画『20世紀少年』でヒロインのカンナを演じるなどして評価を得た一方、バラエティーでは超ド天然な性格をさらけ出して、たびたび話題を振りまいてきました。所ジョージさんのバラエティー番組『笑ってコラえて!』に出演した際は『ロケに行きたくない』と大号泣、現場を混乱に陥れ、『仕事なめてる』などSNSで集中砲火を浴びたこともありました。芸能界の内部でも平の奔放ぶりは有名だったらしく、『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』で、不安を理由に家族をロケに連れてきたり、収録中にもかかわらず小さい虫が気にして視線を宙にさまよわせていたというエピソードを岡村さんが明かしてたこともありました」 婚約発表の会見後、フォトセッションに応じる長友佑都と平愛梨   長友も認める「メンタルモンスター」  2017年に長友選手と結婚した後は芸能活動を休止し、移籍続きの夫に随行して長らく海外暮らしを送ることになった平。21年に長友選手がFC東京に復帰するまで、5年半の海外駐在生活を送った。 「イタリア、トルコ、フランスと長友の移籍により複数の国で暮らした平さんは、言葉もわからない異国の地で妊娠・出産しました。子どもたちのことをSNSでつづる際は、それぞれの誕生国での『赤ちゃん』を意味する言葉を使用しているのは有名な話です。出産の際も言葉が分からないので、陣痛の痛みに耐えながらスマホの翻訳アプリを駆使して医療者とコミュニケーションを取っていたと語っていたこともありました」(前出の記者)  家族がいないとロケにも行けなかった天然ぶりはどこへやら……。海外生活をへてたくましい女性へと成長をみせたようだ。 「長友も平のポジティブぶりを“メンタルモンスター”と呼ぶほど。キャリアに陰りを見せていた時期にも、妻のポジティブさに感化されたと語っています。36歳という日本代表最年長、かつ最多出場となる4大会W杯出場という偉業を成し遂げたことについても、長友は過去に『愛梨がいなければ、このW杯に行けなかった』と語っています」(スポーツ紙の記者) 子どもと一緒に観戦する平愛梨(写真:Abaca/アフロ)   辻希美と共通する「炎上上等」  平がそんな強心臓ぶりを発揮するようになったのは、長い芸能生活の影響があったようだ。 「平は14歳でデビューしてから23歳で『20世紀少年』のカンナ役を射止めるまで、10年近くも下積み生活を送ってきました。芸能界引退をかけて決死で挑んだ同作品のオーディションで評価は一変。その後、バラエティー番組で活躍し、長友との結婚とポジティブさを売りにして道を切り開いてきました。その裏には、『誰からも相手にされないのが一番悲しい』というマネージャーの教えがあるようです。プロとしてやっていくにはどんなベクトルでも関心を持たれることが重要だと、夫婦でテレビで出演したときに語っていました」(前出の週刊誌記者)  一方、公開プロポーズに始まり、結婚後もSNSなどを通して私生活を公開してきた平・長友夫妻には、「さすがに痛い」「承認欲求の塊」などの批判が集まることもあった。 「系統としては、辻希美さんに似ていますね。辻さんもイケメンの夫を捕まえて、アツアツの生活を頻繁にブログやSNSで披露してたたかれまくりました。結婚当初はすぐ離婚するのではという見方もありましたが、誹謗(ひぼう)中傷などどこ吹く風で、アンチからもらったアクセス数でタレントパワーを稼ぎ、家庭は円満、子どもたちも立派に育ち、今ではすっかり“すてきなママタレ”になっています。10代から芸能界で培われたタフさが持ち前という点でも平さんと共通しています。“注目されてナンボ“という意識の強い平さんにとっては、夫婦のラブラブアピールも、セレブ感たっぷりの投稿も、注目されるためのツール。大きな反応が得られるのであれば、内容が批判であれ何であれ、大歓迎という感じなのでしょう」(同) 独身時代の平愛梨(写真:アフロ)   デビュー当初はアーティスト志向  芸能評論家の三杉武氏は平についてこう述べる。 「平さんはもともと、安室奈美恵さんに憧れてオーディション番組に応募し、グランプリに輝いて芸能界デビューを果たしています。デビュー当初はアーティストへの憧れもあったようです。バラエティーではキュートなルックスやお嬢様らしいおっとりとした語り口と、とっぴな言動とのギャップが受け、番組を盛り上げていました。結婚当初は、長友選手が好感度が高い人気アスリートである一方、平さんは“天然キャラ”のイメージがあり、2人の結婚生活を不安視する声もありましたが、今ではおしどり夫婦として広く認知されています。バラエティーの現場などでは柔らかい雰囲気で天真らんまんさが際立っていましたが、そうした明るさが夫である長友さんの活躍を支えているのかもしれません」  大谷選手の妻である真美子夫人も常に注目の的となり、異国の地で大変な思いもあるだろう。いずれは、平のように“メンタルモンスター”ぶりを発揮して、大谷選手の活躍をしっかり支えてくれると期待したい。 (雛里美和)
平愛梨大谷翔平長友佑都
dot. 2024/04/18 11:00
女医が考える中絶に関する権利 アリゾナでは160年前の法律が有効になることへの衝撃
山本佳奈 山本佳奈
女医が考える中絶に関する権利 アリゾナでは160年前の法律が有効になることへの衝撃
山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師    日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「人口妊娠中絶に関するアメリカと日本の現況」について、鉄医会ナビタスクリニック内科医・NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。   *  *  *    ちょうど1週間前の4月10日、私には衝撃的なニュース(※1)が飛び込んできました。アメリカの西部アリゾナ州の最高裁判所は、「人工妊娠中絶をほぼ全て禁ずる1864年制定の法律の効力を再び認める判断を下した」というではありませんか。    アリゾナ州が州になる前の、南北戦争時代の1864年に制定されたこの法律は、妊娠中の人の命を「救うために必要な」場合を除き、中絶提供者には2年から5年の懲役刑が科せられるというもの。    ことの発端は、連邦最高裁判所が2022年6月、中絶を憲法上の権利と認めた1973年の「ロー対ウェイド判決」を覆したことに遡ります。この決定により、州政府は中絶を厳しく禁じる法律の導入が可能になり、アリゾナ州では、妊娠15週以降の中絶を禁ずる州法が成立。これにより、160年前の法律は事実上無効化されたのか、はたまた休眠状態にあった160年前の法律が有効なのか、何カ月も議論されることになったといいます。    アリゾナ州最高裁は、1864年制定の法律の施行は14日後(4月23日)からであるとし、この法律がどのように施行されるか、また、妊娠中の人の命を救うために中絶を認める例外規定によって、どれほど小さな枠が残されるのかなど、詳細はまだ明らかになっていません。   女性の身体に対する影響は?    アリゾナ大学の臨床法学教授であるスージー・サーモン氏は、「この法律の施行により、医師は、例えば女性の生殖能力を維持するため、女性の健康を維持するため、女性が永久的な障害を負う可能性を防ぐためなど、治療が必要であると判断される場合に、治療を差し控えなければならないという耐えがたい立場に置かれることになる」といいます。 【前回の記事はこちら】 不眠症の女医「寝坊できない」の不安 質の高い睡眠のために改善したこととは? https://dot.asahi.com/articles/-/218661 写真はイメージ(GettyImages)    「アメリカで、160年も前の法律が有効になるなんて」と驚いた方も多いのではないでしょうか。では、「人工妊娠中絶」に関する日本の現状はどうなのでしょうか。    日本では、明治時代(1907年)から続く堕胎罪(刑法212−216条)によって堕胎は禁止されていますが、母体保護法により、ある一定の条件を満たせば人工妊娠中絶が認められています。    人工妊娠中絶が認められる一定の条件とは、①身体的・経済的理由により母体の健康を損なう場合(原則として配偶者の同意が必要)、②暴行や脅迫によるレイプによって妊娠した場合であり、人工妊娠中絶ができる期間は、妊娠22週未満となっています。   配偶者の同意が必要なのは11カ国  実は、日本のように、人工妊娠中絶の際に配偶者の同意を必要とする国は、世界では、日本、台湾、インドネシア、トルコ、サウジアラビア、シリア、イエメン、クウェート、モロッコ、アラブ首長国連邦、赤道ギニア共和国の、たった11か国・地域のみ。G7(先進7カ国首脳会議)では、日本のみが配偶者の同意を必要としており、実は、日本は人工妊娠中絶において、もっとも厳しい制約を設けている国なのです。    駒沢女子大学の杵淵恵美子教授(※2)はインタビューの中で、堕胎法が作られた明治時代の日本について、「明治時代の日本は家父長制で、男性が了解しないことを女性が行ってはいけない、という考え方で法律が作られていました。」「これ(堕胎法)は、現代にはもう合わないので、国連からも是正が必要だと勧告されていますが、なかなか改正されません。」といいます。    産むか産まないかを決める権利は「女性の基本的人権」であるという「Sexual and reproductive health and rights(性と生殖に関するに関する健康と権利)」(※3)は、1994年の国際人口開発会議で提唱された概念です。    The World’s Abortion Lawsによると、世界192カ国では、人工妊娠中絶の際に配偶者の同意は必要としていません。2016年、国連女性差別撤廃委員会は、配偶者の同意要件そのものの撤廃を日本政府に勧告したようですが、杵淵教授が指摘しているように、配偶者の同意が必要な日本の状況は、残念ながら変わってはいません。 【こちらも話題】 「息子が子宮頸がんワクチンを接種するの」女医が話しかけられ考えた日本の接種率の低さ https://dot.asahi.com/articles/-/214867    妊娠することは相手があってのことですが、「産む」のは女性です。しかし、日本では、女性が「自分の体の中に起こっていることを、自分で決めることができない」のです。    こうしたアメリカと日本の「中絶」をめぐる状況を探るにつれ、160年も前の法律が有効になったアメリカはアリゾナ州での出来事に衝撃を受けた一方で、明治時代に制定された法律が改正されることなく続いている日本の現状を初めて知り、一人の女性として動揺せざるを得ませんでした。    35歳を目前にした今、「そろそろ真剣に子どもを持つことについて真剣に向き合わないと、タイムリミットがやってきてしまう」と思っていた矢先のことだったからです。    アメリカでは、中絶が禁止されている州(※4)がある一方で、中絶が合法である州、中絶に関して曖昧な州もあり、一概に議論することはできません。中絶をめぐる闘いは、州議会や裁判所で進行中であり、この中絶に関する権利は、今年の11月に行われる大統領選挙で争点となるとみられています。一人の女性として、今後妊娠を考える女性の一人として、この問題を注視していきたいと思います。  【参照URL】 (※1)https://www.bbc.com/japanese/articles/c296g8y8050o (※2)https://cocreco.kodansha.co.jp/cocreco/general/birth/fuBBr  (※3)https://www.ohchr.org/en/women/sexual-and-reproductive-health-and-rights (※4)https://www.cnn.com/us/abortion-access-restrictions-bans-us-dg
dot. 2024/04/17 06:30
ももクロ、亀岡市に笑顔を届ける【春の一大事2024】完遂 最新AL『イドラ』から新曲「Heroes」を披露
ももクロ、亀岡市に笑顔を届ける【春の一大事2024】完遂 最新AL『イドラ』から新曲「Heroes」を披露
ももクロ、亀岡市に笑顔を届ける【春の一大事2024】完遂 最新AL『イドラ』から新曲「Heroes」を披露  ももいろクローバーZが2024年4月13日、14日と2日間にわたり、京都府・亀岡運動公園にて【ももクロ春の一大事2024 in 亀岡市 ~笑顔のチカラ つなげるオモイ~】を開催。2日間で約3万人のモノノフ(ももいろクローバーZのファンの総称)が訪れた本公演の公式レポートが到着した。 【夏のバカ騒ぎ】、【ももいろクリスマス】に並ぶ、ももクロ3大ライブの一つである【春の一大事】。通称“春一”と呼ばれるこのライブは、2011年にスタートし、2017年以降は全国の自治体からオファーを募り、“笑顔のチカラ つなげるオモイ”をテーマに地方都市とタッグを組む形で開催するようになり、本公演で計6回目の開催に至った。春一は、普段は遠方に住んでいてライブ参戦できないモノノフや年々多くなっているファミリー層、初めてももクロを観る方、開催地域に住む地元民も楽しめる、ももクロらしい温かな雰囲気のある演出や、地域の特色に合わせたセットリストで構成されたライブとなっている。埼玉県・富士見市、滋賀県・東近江市、富山県・黒部市、福島県・楢葉町、広野町、浪江町、広島県・福山市とつないできた“笑顔のバトン”は、今回、戦国武将・明智光秀が礎を築いた丹波地方の1つである京都府・亀岡市へ。ライブ会場の外には「京都やかんランド」と称した外周パークが設けられ、浪江女子発組合やTEAM SHACHIなどといったアイドルグループがパフォーマンスし、また明智光秀とのコラボしたグッズ販売や地元グルメを楽しめるフードコーナーなど1日を通して楽しめる要素が満載であった。DAY1には、昨年開催した広島県から福山市市長が駆けつけ、“笑顔のバトン”を京都府・亀岡市市長へと渡す引き継ぎ式も行われた。 今回の本公演は、DAY1<時は今>、DAY2<真・英雄たん>といったサブテーマが掲げられ、亀岡の礎を築いた明智光秀を中心に構成された。DAY1は、明智光秀が起こす“本能寺の変”の5日前に読まれた一句の中の<ときは今>がサブタイトルに使用されており、明智光秀の決意から本懐を果たすまでを描いている。DAY2では、DAY1で本懐を果たした明智光秀が、真に望んだであろう天下太平の世の中を表現している。亀岡市の人々にとって英雄である明智光秀の姿を、世の中に伝えたいという想いも込められた演出となった。本レポートは、2日目の公演の模様をお届けする。 スターダストプラネットのメンバーによる日本郵政コラボプロジェクトで生まれた「あたらしい体操」で準備体操を終えると、亀岡市市長の開会宣言でライブの幕が開ける。「overture ~ももいろクローバーZ参上!!~」が会場に響き渡り、モノノフの気持ちが昂っていく。パラグライダーが盛んに行われ、プラスチックごみゼロ宣言を掲げる亀岡市での開催ということもあり、役目を終えたパラグライダーの生地を再利用して制作された衣装を着たメンバーがステージに登場。ギターリフが特徴的な「夢の浮世に咲いてみな」、ギターサウンドが軽快なロックチューン「Re:volution」、「仮想ディストピア」の3曲で、最高のスタートダッシュを切った。続けて、春ソング「行く春来る春」で春の風を吹かせると、続けて「ツヨクツヨク」ではタオルを回すパフォーマンスもあり、会場に一体感を生んだ。 5曲連続での歌唱後、本公演初のMCでは、この日の気温の高さに驚きつつも、ABEMAの生配信を見ているファンと客席に「盛り上がって行きましょう!」と投げかけた。ももクロお馴染みの自己紹介を終えると次の曲へ。頑張る人たちの背中を押してくれる人気曲「PUSH」、【春の一大事】で定番となりつつあるももくろちゃんZの「HERO」で勇気やエールを送り届けると、続けて「笑―笑 ~シャオイーシャオ!~」では笑顔の連鎖を生み出し、未来への決意を描いた「誓い未来」で前半パートを終えた。 メンバーがステージを去ると、鉄砲や幟旗を持った武者や太鼓隊が登場し、毎年5月3日開催される亀岡市内最大規模の春まつりである“亀岡光秀まつり”の一部をステージの上で圧巻のパフォーマンス。光秀公の勇壮な武者行列を見事に再現し、明智光秀の掛け声により鉄砲隊の空砲でラストを飾った。 その後、亀岡市立曽我部小学校・吉川小学校・稗田野小学校の生徒90名とダウンタウンももクロバンドのバンドマスター・宗本康兵のピアノ伴奏による、「にじいろ」の合唱を披露。会場に暖かな優しい風を運ぶと、京都・保津川の川下りをイメージした鮮やかな水色の衣装を纏ったメンバーが登場。ピアノの前奏に合わせて、「キミノアト」を生徒たちの合唱と合わせたスペシャルバージョンで届け、会場を和やかにした。明智光秀のレガシーでもある、“子供たちのはつらつとした笑顔”が表現されたパートとなった。 生徒たちがステージを去り、汽笛の音で始まる「宙飛ぶ!お座敷列車」、日本を一周する「ももクロの令和ニッポン万歳!」を続けて披露。途中で開催日当日に集められた、子供たちが描いた「かめまるくんとももクロちゃん」のイラストが貼られたトロッコに乗り込み、ファンの近くに行くと、手を振ったり、指ハートを送るなどの交流を楽しむシーンも見られた。会場中盤でトロッコから降りると、客席中に作られた特設ステージでペンライトを振りながら「走れ!」をパフォーマンス。この日一番のファンとの距離の近さに、モノノフも熱い声援を送った。再びトロッコに乗り込むと、「スターダストセレナーデ」、「ロマンティックこんがらがってる」ではファンと亀岡の景色に囲まれながらメインステージに戻り、続けて「青春賦」を繊細に歌い上げた。 このMCでは、メンバーそれぞれから重大発表が行われた。佐々木彩夏が今年9月から愛知県・大阪府・東京都の3市でソロツアーコンサート【AYAKA NATION Special Edition「VIP ROOM A+」】を開催、高城れにが10月25日にZepp Yokohamaで【まるっと10年まるごとれにちゃん ポジティブがすぎるツアー】のファイナル公演を開催、玉井詩織が6月5日・6日に大阪府・フェスティバルホールで、ソロコンサート【いろいろ】の追加公演を開催、百田夏菜子が7月15日に東京都・TOKYO GARDEN THEATERでバースデーライブ【百田夏菜子30th BIRTHDAY LIVE】を開催することが発表された。4人がそれぞれソロでのライブを開催することが発表され、モノノフからも歓声が上がった。各ソロライブについては詳細をチェックしよう。 高城からの曲振りで、7thアルバム『イドラ』にも収録される「Brand New Day」を歌詞に合わせた振り付けや、4人揃って左右に動くダンスなど、爽やかにパフォーマンス。配信されて以降、本ライブが初披露となり、モノノフからも待望の歓声が上がった。次に「Chai Maxx」で、ファンにはお馴染みの特徴的な振り付けで、会場に一体感をもたらすと、本編最後の曲「上球物語 -Carpe diem-」へ。亀岡光秀まつりで大活躍だった、明智光秀と武者が再び登場。曲のラストでは、明智光秀がいきなり踊り始め、4人との息の合ったダンスを披露し、会場を沸かせたまま本編最後を締めくくった。明智光秀の思い描いた天下太平の世界を思う存分に表現したセットリストで駆け抜けた。 モノノフによる割れんばかりのアンコールに応え、5月8日にリリースされる7th アルバム『イドラ』のアーティスト写真で着用された、神々しい新衣装を着たメンバーがステージに舞い降りる。百田のソロから始まる、4月12日に先行配信された新曲「Heroes」を披露。本楽曲は、R&B調なビートをベースに、民族的なケルティッシュ音楽の要素を取り入れた、冒険の始まりと希望を予感させる賑やかなポップソング。等身大に寄り添いながらも、英雄として手を差し伸べるような勇気を与える振り付けや、曲調に合わせた民族的なダンスも取り入れられたパフォーマンスとなった。ももいろクローバーZ公式YouTubeチャンネルにて公開されたミュージックビデオもぜひチェックしよう。 アンコールへの感謝を述べると、次曲でライブが終わってしまうことへの寂しさも露わにした。ピアノ演奏のため宗本康兵をステージに呼び、心からのお礼の気持ちを込めて「バイバイでさようなら」でアンコールパートを終えた。 最後のMCでは、2日間ライブを盛り上げた明智光秀の正体が、元タカラジェンヌ・彩羽真矢だったことが明かされ、会場は再び盛り上がりを見せた。 高城は「“笑顔のチカラ つなげるオモイ”というテーマがぴったりの【春の一大事】は、春らしさはもちろん、地域の皆さんと仲良くなれた気もしますし、モノノフさんと春を一緒に過ごせて、とても幸せに思います!」と話し、佐々木は「外周パークも含めて【春の一大事】のライブや、京都・亀岡市を存分に楽しんで帰るぞ、というパワーが本当に素敵だなと思いました!」と想いを伝えた。 玉井は「今日は明るい時間のライブだったので、より皆さんが笑顔で私たちのライブを楽しんでくれているのが見えました。いろんな世代の方が同じ空間で、1つのことを楽しめることはすごく大事にしていきたいし、私たちにとっても宝物です。」と語り、百田が「元々は自分たちにとっての一大事だった『春の一大事』が年月を経て、皆さんと温かい気持ちで1つになれるライブを毎年作り出せていることが、とても嬉しいことだなと思います。“つなげるオモイ”ということで、皆さんが亀岡市のことや今日のことを思い出す、そんな時間が増えたら嬉しいなと思います!」と締めくくり、モノノフ・地方自治体・亀岡市民への感謝の気持ちを伝えた。 明智光秀が築いた亀岡の地で開催された【ももクロ春の一大事2024 in 亀岡市 ~笑顔のチカラ つなげるオモイ~】は明智光秀の意思をももクロなりに表現した心温まるストーリーを描きつつ、受け継がれてきた笑顔のチカラをしっかりと繋ぎ、大団円で幕を閉じた。 なお、5月6日18時からABEMA PPV ONLINE LIVEにて本公演DAY2の完全版が独占配信される予定だ。Photos:上飯坂一、高田真希子※稗田野小学校の1文字目は稗に草冠が正式表記◎公演情報【ももクロ春の一大事2024 in 亀岡市 ~笑顔のチカラ つなげるオモイ~】2024年4月13日(土)・14日(日)京都・亀岡運動公園<DAY2 セットリスト>overture ~ももいろクローバーZ参上!!~01. 夢の浮世に咲いてみな02. Re:volution03. 仮想ディストピア04. 行く春来る春05. ツヨクツヨク06. PUSH07. HERO08. 笑ー笑 ~シャオイーシャオ!~09. 誓い未来10. キミノアト11. 宙飛ぶ!お座敷列車12. ももクロの令和ニッポン万歳!13. 走れ! -ZZ ver.-14. スターダストセレナーデ15. ロマンティックこんがらがってる16. 青春賦17. Brand New Day18. Chai Maxx19. 上球物語 -Carpe diem-<ENCORE>20. Heroes(新曲)21. バイバイでさようなら
billboardnews 2024/04/15 18:34
小阪由佳、芸能界引退後に保育園で勤務 「心が壊れた私を子どもたちが救ってくれた」
平尾類 平尾類
小阪由佳、芸能界引退後に保育園で勤務 「心が壊れた私を子どもたちが救ってくれた」
芸能界引退後、保育園で働いていた小阪さん(提供写真)    15年ぶりに芸能界に復帰した小阪由佳さん(38)。18歳でデビューし、グラビアアイドル、タレントとして多忙な日々を送っていたが、わずか5年で芸能界を去った。心のバランスを崩して対人恐怖症、人間不信になり将来への不安を抱えるなかで、救いの手を差し伸べてくれたのが子どもたちだった。【後編】では、保育園で働き、新たな園の設立、コンサル業に精力を注いだ。保育事業への感謝の思い、携わって感じた問題点……。芸能事務所「cheer lead」の社長として、タレント育成のビジョンについても語ってもらった。 ※【前編】<うつ病で電撃引退した「小阪由佳」、15年ぶりに芸能界復帰も「正直凄く怖かった」>より続く 子どもたちが救ってくた ――23歳で芸能界を電撃引退した時は、大きな反響を呼びました。その後に保育園で働くことになった経緯を教えてください。  人間関係の悩みや将来への不安で心が病んでしまい、芸能界をやめた時は人間不信、対人恐怖症になっていました。当時は「自分が売れていた」というプライドがあって。太ってしまった自分が世間に見つかり、落ちぶれたと言われる恐怖があったんです。社会に復帰するイメージがわかないなかで、子どもたちが心の壊れた私を救ってくれました。もともと子どもが好きというのがあって保育園で働くことを決めたのですが、子どもは「売れた小阪由佳」「落ちぶれた小阪由佳」という色眼鏡で見ないし、否定もしない。何の先入観もなく純粋に接してくれるので、人間らしい感情を取り戻せました。今振り返っても、ほかの仕事だったら社会復帰できなかったと思います。落ちていく自覚を抱えながら生きていく自信がなかった。本当に感謝しています。 「自分が売れていた」というプライドがあったという(提供写真)   ――新たな世界で大変なことはありましたか。  大事なお子さまを預かるので、もちろん責任は重大です。朝の9時から夜の6時まで、午前7時入りだったら午後4時半までフルタイムで働いていましたが、業務と違う部分で苦労しましたね。芸能界から転職という変わった経歴で身元を隠して働いていましたが、バレてしまう。「なんでこの人はここで働いているの?」「変な人が来たらどう責任を取るんだ」と親御さんから言われて働けなくなり、保育園を転々とした時期がありました。 ――保育園で3年ほどアルバイト経験を積んだ後、千葉県市原市にウィズママ保育園を立ち上げ、都内の保育園のコンサル業にも携わりました。  忙しすぎて体調を崩したので今は保育事業をやめてしまったのですが、現場で働き、運営に関わったことは貴重な経験になりました。保育士の待遇に関しては給料が少ないとずっと感じています。給料を上げるために補助金や助成金を支給する自治体がありますが、補助金はいつ打ち切られるかわかりません。基本給が低いのでそこが上がらないと、保育士は将来への不安を持ち続けながら働くことになる。国や自治体が改善に取り組んでほしい思いはあります。 子どもの食事はデリケート ――ほかに感じた問題点はありますか。  保育園や幼稚園で子どもに対する虐待は絶対に許されないことです。でも、「子どもが給食を無理やり口に入れさせられた」というニュースが流れた時、保育士の研修で「子どもに無理に食べさせないようにしましょう」と国の研修を受けたりした時は、リスクヘッジしすぎじゃないかと感じました。もちろん、子どもが嫌がっているのに無理に食べさせてはいけないですけど、子どもの「ご飯、いらない」という言葉にはいろいろな意味があります。10%食べたくないレベルで少し気が変われば食べるのに、「わかった、無理に食べなくていいよ。下げるね」と子どもの感情を読み取らずに対応したら、自由保育でなくただの無関心です。「いらないの? おいしいよ」とコミュニケーションを取ることで、本当に食べたくないのか本心が見えてくる。自分の言ったことがすべて通るようになったら、子どもに生まれてくるものは孤独です。「無理して食べさせないでください」って言うほうが楽ですが、子どもの食事はデリケートです。今も保育事業の動きについては確認していますし、子どもの支援活動にもう一度取り組みたい思いは持っています。 保育園を転々とした時期があったという(提供写真)   ――タレントの育成で心掛けていることはありますか  私は以前の芸能活動で周りに本音をさらけ出せず、孤独を感じて心が壊れてしまいましたが(前編参照)、今の若い子たちの孤独を理解できる部分があります。SNSで本音を発信している人は一握りだと思います。時代は違いますが、今の孤独感は昔の孤独感と本質は変わらないと思います。誰もがSNSで発信することが可能になり、表舞台に出る自分をプロデュースできる。でも、常に誰かとつながっている一方で心が満たされない。この時代だからこそ、本音を話せる場所が大事です。どういう自分になりたいのか、そのイメージを共有して個々のタレントが輝ける環境づくりをサポートしたいです。 ブラッシュアップ ――小阪さんはメンタルコーチという肩書もあります。  「米国アドラー大学院修士号」を取得した平本あきお先生が恩師で、いろいろ学ばせていただき、平本先生が認定した資格はほぼ取りました。私のいまのメンタルコーチは「本当は何がしたいの?」と見つける作業がメインになります。例えば、タレントで有名になりたいからといって、SNSでバズったりメディアに注目されて売れたりするのが、必ずしも幸せになることだとは限りません。「まずは売れることが大事」という考えは一理ありますが、港区女子じゃない子が港区女子で売れたらそれが需要になる。「これは私のやりたいことじゃない。180度違うことをやりたい」と方針転換したら、ブラッシュアップしないとファンはついてこない。「スタート地点を間違えたらダメだよ」と伝えています。 メンタルコーチという肩書も(撮影/高野楓菜)   ――今後の目標を教えてください。  芸能事務所の在り方は今後変わっていくと思っています。(自分以外にも)タレントが所属していますが武器を見つめ直して戦略を一緒に考えて、支えていくことが重要です。ただ、こちらにできることには限界がある。結局、その子の人生なので本人が変わらないと。私がタレントとして芸能活動をしている姿がそのきっかけになればうれしいですし、人は1日で変わると思っています。その1日をどう生み出すかを、常に考えていきたいですね。 小阪由佳(こさか・ゆか)/1985年6月27日生まれ。神奈川県出身。2004年に「ミスマガジン2004」でグランプリを受賞。グラビアアイドルで絶大な人気を誇り、多数のバラエティー番組、CMに出演したほか、映画、ドラマに起用されるなど幅広く活動していたが、心のバランスを崩して09年に電撃引退。その後は保育事業、美容に携わる仕事を経て、芸能事務所「cheer lead」を起業。昨年11月に芸能界に復帰することを自身のYouTubeチャンネルで発表した。 (平尾類)
小坂由佳インタビュー
dot. 2024/04/13 11:00
学校現場の大問題

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クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

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働く価値観格差

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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ロシアから見える世界

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プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

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