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半身不随の愛猫はハンデがあってもキャットタワーをすいすい お転婆娘と飼い主が描く将来とは?
半身不随の愛猫はハンデがあってもキャットタワーをすいすい お転婆娘と飼い主が描く将来とは? 足に障害があるピリカ(右)と小町(左)、つや姫(上)の“お米軍団”(提供)  飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。今回ご紹介するのは、東京都在住の40代の北村環奈さんのお話です。2匹の先住犬と暮らしていた北村さんは、動物愛護団体でのボランティア活動を機に、人生で初めて猫を家族に迎えました。同時に3匹、しかも1匹は足に障害のある猫です。日々世話に追われながらも、“無敵の可愛さ”に癒されているといいます。将来の夢も含め、大事な存在について語ってもらいました。 *  *  *  子どもの頃からいろいろな動物と暮らしてきましたが、なぜか、猫と暮らす縁がなかったんです。そんな私のもとに女子猫3匹がやってきたのは、昨年12月24日、クリスマスイブでした。まさに、クリスマスプレゼント、という感じです。  名前は「(ゆめ)ピリカ」(1歳2カ月)、「(秋田)小町」(推定2歳)、「つや姫」(推定3~4歳)。みんなお米の銘柄の名にしたので、“お米軍団”と呼んでいます(笑)。「ピリカ」は、アイヌ語で「美しい」とか「きれい」というような意味ですが、『Pirka』いうタイトルの写真集を以前に見て感銘を受け、そこから名づけた経緯もあります。  お米軍団と初めて会ったのは、昨年8月。体調を崩して仕事を辞めていたのですが、少し時間ができたので動物愛護団体で保護猫のボランティアを始めたんです。トイレ回りの掃除をしたり、ごはんをあげたり、一緒に遊んだり。ミルク猫への哺乳も経験しました。  ボランティアを始めた当初、シェルターには成猫と子猫が30匹以上いました。子どもの頃に野良猫にごはんをあげたことはありますが、シェルターにきて猫ときちんと触れ合い、喉を鳴らすあの音を聞きました。「これがあのグルグルか。猫によって音色や大きさも違うのだな」と新鮮に思ったものです。 ピリカの愛らしい赤ちゃん時代(提供)  ボランティアを続けているうちに、子猫の里親が次々に決まり、卒業していきました。でも1匹、誰よりも可愛くてやんちゃな子猫の家族が決まりません。実は両方の後ろ足がマヒして引きずるように歩き、トイレも人の手を借りないとうまくできないハンディキャップがあり、初めから団体が里親募集をしていなかったのです。それが、「ピリカ」です。 仲良し親子の小町(上)とピリカ(提供) ■普通の幸せを感じてほしい 「ピリカ」は母猫「小町」が“馬小屋”で産んだ子猫で、発見された時にはすでに下半身不随だったそう。馬が蹴ってしまったかわかりませんが、何か事故があったのかもしれません。  兄妹や他の子猫の卒業がどんどん決まるなか、残ってしまった「ピリカ」を見て、私は「この子にも普通の家庭で幸せになってほしい」「うちに来たらいいなあ」と、思うようになりました。背中に大きなハートのある「ピリカ」のことが、会うたび好きになりました。  私には、もう一匹、気になる猫がいました。白黒のくっきりした顔で体に牛のような模様がある「つや姫」です。そもそも成猫はもらわれにくいのですが、スタッフは「強面のお顔だから決まらないのかも」と推測していました。でも「つや姫」はかっこいいのです。  毛色はモダンな着物柄のようで、性格は親分肌。子猫がご飯を食べ終わるまで待っているし、オス猫には強めの猫パンチを浴びせたり、シェルターにいる大型犬に立ち向かったりする。そんな「つや姫」は、「ピリカ」と「小町」親子と気が合うようでした。 親分肌のつや姫(提供)  11月末頃、「小町」を希望する家が見つかり、トライアルに出ることになりました。その間に私は「ピリカ」と「つや姫」を家で預かりたいと思い、団体の代表に話をしました。預かれば、新たな猫をシェルターにいれ、里親に出すチャンスも増えます。そうこうしているうちに、「小町」が「家に慣れない」という理由でトライアル先から戻ってきたので、合流して、結局3匹がイブに家にやってくることになったんです。  もし我が家に慣れたら、預かりでなくいずれうちの子にという思いがあり、団体の方々も背中を押してくれました。そうして今年2月、“正式”に3匹が我が家の猫になりました。 真剣に遊ぶ姿も可愛らしい(提供) ■楽しい毎日には朝晩の圧迫排尿も  2階の夫の部屋を猫部屋にして、階下の犬と生活を分け、ドアの前には脱走防止柵とビデオカメラ、キャットタワーも設置しました。  犬ほどべったり甘えてこないけれど、遠慮がちにすりすり体を付けて、喉を鳴らしてくれる。みんな遊び好きで、猫じゃらしを振ると、一人ずつ順番待ち。たまに我慢できずに割り込む子もいたりして(笑)、全力で遊ぶのが面白く可愛いと思いました。 仲良く遊ぶ3匹、ケンカは一度もない(提供)  3匹の関係は良好で、家に来てからケンカは一度もありません。プロレスはしますけどね。「小町」と「つや姫」がレスリング中、ピリカは参加せずに、物陰からじーっと見ています。  かと思うと、「ピリカ」にはあざといところもあり、私が「小町」と「つや姫」を撫でていると、後ろで“ばたっ”と音がして。ふりむいたら、「ピリカ」が仰向けになっていて。「ここにいるよ」と気を引こうとして、わざと視界に入らない場所で倒れて(笑)。 ごはんも3匹一緒に。ピリカ(中央)の背にはハートマークがある(提供) 「ピリカ」も「小町」も「つや姫」を頼っている面があります。みんなの首輪を作るため、まず「小町」の首を計測しようとしたら、怖かったのか私に初めて「シャー!」。「小町」は言いつけるように「つや姫」のところにいったのですが、「つや姫」は「お母さんに向かって何してんだ」とでも言うように、ぽかんと「小町」の頭を叩いたんです。賢い!と思いましたね。  楽しい反面、大変なこともあります。  階下の犬の世話(腎臓を患って毎食手作りごはんの準備と一日おきに捕液)をしているし、散歩もあるし、そこにピリカの朝晩の圧迫排尿と排便とが加わったのですから。  圧迫排尿は、「ピリカ」にとって命綱のようなもの。しないと尿毒症になって死んでしまいます。水風船のような膀胱を外から探り、絞って尿を出します。私は立て膝をつき、「ピリカ」のお腹に手を当て、優しく均等に包み込むように絞ります。やり方は団体で習ってきましたが、「ここが膀胱ね」と自信を持って排尿させるまで、相当時間がかかりました。そして同じように、腸を押して圧迫排便をします。 ピリカはお転婆さん(提供) 「ピリカ」は布のパンツを履いています。紙のオムツだとかぶれるし、脱げてしまうので、犬の介護用パンツを作っている方に“特注”しました。パンツは8枚あって、手洗いしては干しています。勝負パンツはピンク色です(笑)  こんなふうにやることが増えて、体は前より疲れる。けれど気持ちは充実。無敵の可愛さですから! ■お転婆すぎて足を骨折  子猫だったピリカの成長は目覚ましく、わが家に来て逞しさが増したように思います。前足だけですいすい、すばやく忍者のように進みます。本人はそのハンディキャップをものともせず、ボルダリング選手みたいにキャットタワーを昇るので、肩周りと前足はムキムキ。 まるでアスリートのようにキャットタワーをのぼるピリカ(提供)  でも実は5月に、高所から落ちたのか後ろ足を骨折してしまったんです。本人には痛みの感覚はないのですが、パンツを履かせる時に違和感があり、慌てて動物病院へいきました。すぐに、キャットタワーも解体し、低い部分だけにしました。 澄んだ目がきれいなピリカ(提供)  最初にいった病院では、いずれ何かあれば断脚するという話も出たのですが、団体の代表がセカンドオピニオンで他の病院に連れていってくれて、ギプスを付けることになりました。6月にレントゲン検査をしたら、順調に新しい骨ができてくっついてきているとのこと。一カ月もすればギプスが取れるだろうと言われているので、あと少しです!  猫たちが来て半年以上が経ちましたが、SNSで写真を見た方や団体の方に「猫が楽しそう」「幸せそう」といわれると、我が家に迎えてよかったなと、嬉しくなります。もちろんこれからも、怪我のないよう見守りたいと思います。どうか、お転婆もほどほどに。 ■ペットと描く将来の夢 並んで外をながめる3匹(提供)  今は犬の看病のため休職中の私ですが、じつはもともと看護師として長くリハビリテーション病院で働いていました。その後、ペットと入居できる有料老人ホームに勤め、愛犬を連れて出勤すると、皆さんに喜んでもらえるという経験をしました。  一方で、高齢の飼い主さんが入院や施設入居をすると、行き場をなくしてしまうペットの話を聞いて、どうしたものかと前から気にかかっていました。愛護団体でボランティアを始めると、高齢者からの保護が多い時期があり、その実情を肌で感じるようになりました。残されたペットも、シニアだと引き取り手が減ることも実感したんです。  本当ならば、飼い主とペットがお別れせず最期まで暮らせるのがいちばんの幸せです!(60歳を過ぎたらペットを飼わないでという意見もあるけれど、愛する動物と暮らしているほうが健康寿命が長いという分析もあります。)高齢になっても、安心してペットと暮らし続けられるシステムやサポートがあれば、多くの問題を解決できるはず……。  これは将来の私にも絶対に必要な環境なので、システムなどを自分で作りたいと思うようになり、現在、構想を練っているところです。「ピリカ」たちとの出会いが、私の夢をより明確に、強いものにしてくれたようです。出会えてよかった、心からそう思います。  (水野マルコ) 【猫と飼い主さん募集】「猫をたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年の水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目線で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKです。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらにご連絡ください。nekosanzenri@asahi.com
人口減少が消し去る社会基盤 少子化と高齢化という二重苦で、世界に取り残されるニッポン
人口減少が消し去る社会基盤 少子化と高齢化という二重苦で、世界に取り残されるニッポン 人形村・徳島県三好市名頃集落(写真・伊藤菜々子)  日本にとって喫緊の課題と言われている「人口減少問題」。岸田内閣は異次元の少子化対策を打ち出し、この6月により具体的な「こども未来戦略方針」を正式決定した。しかし、日本社会にはもう一つ、「高齢化」という大きな問題を抱えている。2025年 には団塊の世代が後期高齢者になり、後期高齢者が2200万人に膨れ上がることになる。その先にはどんな悲惨な状況が待ち構えているのか。日本国際交流センター執行理事の毛受敏浩氏の著作『人口亡国 移民で生まれ変わるニッポン』(朝日新書)より一部を抜粋、再編集し、紹介する。 *  *  * ■高齢化の象徴「人形村」  日本の高齢化は世界でも広く知れわたっている。  筆者はアメリカのベテラン・ジャーナリストの日本での取材を支援したことがある。ナショナル・パブリック・ラジオの記者、アイナ・ジャッフィ氏が関心を持ったのが四国の山奥にある「人形村」だった。  それは徳島県三好市の標高800メートルの名頃集落で、100体以上の人間を真似たかかしが村のあちこちに置かれている。かかしは言ってみれば、人がいなくなった村の「バーチャルな村民」と言えるかもしれない。  大阪から故郷の名頃に戻った女性がこつこつと作り始め、数十名の村落の人口をはるかに超えるかかしが限界集落となった村のあちこちに置かれている。一見、シュールともいえるこの光景をアメリカ人の記者は高齢化日本を象徴する場所と考えた。人里離れたこの場所を訪れ、これらの人形を作った女性作家と会った記者は、作家との対談を通して人形村の様子を全米に報じた。  高齢者ばかりが住む場所が増え続ける日本の現実は極めて厳しい。地震、台風に加えて異常気象による洪水や山崩れが多発する日本。一度、災害が起これば若者がいない社会では助かる命が助からない。高齢者同士で助け合うには限界があることは明らかだ。高齢者の村で人形を作って賑わいを演出しても人形が高齢者を助けてくれることはない。  高齢化の進行と終わりのない人口減少を筆者は「見えない大津波」と呼ぶが、人口減少は社会のさまざまな基盤を根こそぎ奪い取っていく。学校、会社、交通インフラ、商店街、村、町が消えていく。  そうした中で増えるのは葬儀会社だ。他の国ではめったに見られない葬儀会社やお墓の宣伝が、テレビやさまざまな広告媒体を通じて繰り返し行われている。今の日本では当たり前でだれも驚かなくなったが、そのこと自体、異常であり、そのことを目にした外国人には異様な光景と映る。彼らは高齢化のもたらす意味を理解し、日本の行く末に不安を感じるだろう。 「見えない大津波」が単に葬儀会社が増えるだけなら、それほど大騒ぎする必要はないのかもしれない。しかし、人口減少によって、従来受けられたサービスが受けられなくなり、人びとの暮らしに大きな影響を与える。  路線バスで見れば、2010年度から2018年度の間に東京からスペインのマドリードの距離に相当する1万788キロが廃止された。全国の鉄道網の廃止と共に人びとの暮らしはますます不便になっていく。  本来、人口維持には欠かせないと思われる病院も同様だ。厚生労働省は人口減少への対応として病院の閉鎖を進めようとしている。2019年9月、市町村などが運営する公立病院と日本赤十字社などが運営する公的病院の25%超にあたる全国424の病院について「再編統合について特に議論が必要」とする分析をまとめ、再編すべき病院名を公表した。  とりわけ深刻なのは介護人材の不足だ。  高齢者が増えると同時に全国で介護施設が急速に増えた。しかしそこで働く人材不足が終わる様子はない。給料を上げれば就業者が増えるという意見もあるが、そもそも若者の数が減少している以上、他の産業とのパイの奪い合いが起こるだけだ。  ロボットを活用しようという意見もある。しかし、命にかかわる分野ですべてロボットが人間に置き換わることは可能だろうか。体調が変わりやすく身体能力の低い高齢者への細かな気配りができ、さまざまなニーズに対応できるのは人間しかいない。  そもそもそれを高齢者自身は望んでいるのだろうか? サービスの一部の支援であればまだしも、人間よりロボットに世話をしてほしいと願う高齢者はいないだろう。高齢者の世話は人手不足だからサービスが行き届かなくても仕方がない、ロボットに代替させればよいという安易な考えは一種の「姥捨て山」の発想ではないか。  では日本の人口減少、高齢化は世界でどう見られているのだろうか。 ■ジャパニフィケーションの罠  日本は残念ながら衰退する国と見られている。それを象徴するのが「ジャパニフィケーション(日本化)」と呼ぶことばだ。  2012年から始まった第二次安倍晋三政権。日本経済の低迷からの脱出を図ろうと大胆な金融緩和、積極的な財政政策、規制改革の「三本の矢」による成長戦略によって日本の再生を行おうとした。これが「アベノミクス」だ。しかし、人口減少が日本の経済の浮上を目指す政府にとって大きな足かせとなっていた。  経済成長率は2013年以降低迷し、日本の消費者物価は目標とする2%に届くこともなかった。こうした日本の行き詰まり状況を世界は「ジャパニフィケーション」という名称を使い、自国も同様の状況に陥るのではとの警戒感を持って見ている。  英国のTHE WEEK誌は「ジャパニフィケーションとは何か?(THE WEEK, What is Japanification?)」の記事の中で、ジャパニフィケーションについて、「2000年前後から日本は低い成長率と低い物価水準から抜け出せなくなり、政府の経済、金融政策を拡大し続けている状態」と説明している。(※1)  筆者はフォーリン・プレスセンターの依頼で、2023年1月、海外メディアに対して「人口減少と移民受入れ」と題する講演を行った。この講演にはニューヨーク・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナル、CNN、AP通信、ル・フィガロ、新華社通信など、日本に支局を置く海外メディア28名の記者が参加を表明し、このテーマに対する関心の高さがうかがえた。この時、私の紹介役となったフォーリン・プレスセンターの幹部が使ったのがジャパニフィケーションということばだった。日本はジャパニフィケーションから抜け出すことができるのか、あるいはできないのか? それは人口問題と大きくかかわると説明した。  では人口問題はどのように日本の低迷につながるのだろうか。  白川方明元日銀総裁は、「当局者が対応すべき問題は、低インフレという現象そのものではなく、生産年齢人口の減少といった構造的な要因であると指摘」する。(※2) 日本経済の長期停滞から脱するカギは単なる金融政策ではなく、労働力の増大こそが重要と言うことだろう。  コロナ禍によって、世界が日本同様にジャパニフィケーションの問題を抱えるのではないかという懸念も見られる。しかし、フィナンシャル・タイムズは「ジャパニフィケーションの拡散の懸念は筋違い(Fears of Japanification spreading are misplaced)」との記事の中で、日本との違いをこう説明する。  同紙は、各国が金融政策による刺激の継続への依存状況に陥り、政府の赤字が拡大する状態に陥っているとしながらも、日本のように高齢化が進み年金依存の生活者が増えることによる個人貯蓄の減少という事態にはなっていないと言う。(※3)  つまり、人口減少だけではなく高齢化によって日本の活力はますますなくなる。ここでも人口減少と高齢化の同時進行が、日本の危機をさらに増幅するという認識だ。  高齢化が進んだ地方都市では2カ月に一度、商店街がにぎわう日があるという。それは偶数月の15日、つまり年金受給が行われる日である。年金依存の高齢者にとってこの日だけがちょっとした贅沢が許される日なのかもしれない。  高齢化が進み年金に依存する人びとが増え続ける日本。若者や家族持ちがいるからこそ経済は回転する。地域経済を発展させようにも人口が減る一方で高齢化がさらに進む状態ではその可能性は少ないと言ってよいだろう。 ※参考文献・資料 ※1 THE WEEK, ‘What is Japanification?’ ※2 REUTERS「主流派経済学の金融政策、有効性に疑問符=白川前日銀総裁」2021年9月9日 ※3 FINANCIAL TIMES ‘Fears of Japanification spreading are misplaced’ ●毛受敏浩(めんじゅ・としひろ)1954年徳島県生まれ。慶應義塾大学法学部卒、米エバグリーン州立大学公共政策大学院修士。兵庫県庁に入職後、日本国際交流センターに勤務し、現在、執行理事。文化庁文化審議会委員。著書に『人口激減─移民は日本に必要である』(新潮新書)、『自治体がひらく日本の移民政策』(明石書店)、『限界国家─人口減少で日本が迫られる最終選択』(朝日新書)など。
“ミニ与沢翼”とマッチングし港区女子気分に…結婚したくてもアプリ沼から抜け出せない人たち
“ミニ与沢翼”とマッチングし港区女子気分に…結婚したくてもアプリ沼から抜け出せない人たち ※写真はイメージです(Getty Images)  マッチング・アプリをやめられない人たちを取材しながら、「マッチング・アプリ症候群」に陥る人々の心理を描く、ジャーナリスト・速水由紀子氏が上梓した『マッチング・アプリ症候群 婚活沼に棲む人々』(朝日新書)。同書から一部を抜粋、再編集し、結婚したいはずが、高所得者とのデートに味をしめ、アプリの海から抜け出せない矛盾が膨らむ女性たちの実態を紹介する。 *  *  *  住宅メーカーの営業部で働くサエコさん(29歳)は去年5月、3つの大手アプリに同時登録した。  とにかく早く結婚して会社を辞めたい。その一心でマッチングした年収800万円以上の男性にはほぼ全員会ってみたという。  サエコさんの会社は売り上げのノルマが厳しいだけでなく、残業も多いし休みも少ない上に上司との人間関係が複雑でストレスフルだ。 「上司の派閥間の冷戦に巻き込まれることが多くてどんどん精神的に疲れて。とにかく辞めるか転職するかしたかった」  サエコさんは杉並区で両親、妹と実家住まいだが、結婚をうるさく勧め過干渉する母との関係もうまくいかず実家を早く出たい。だが、今の給料では会社に通える場所にまともな部屋を借りることもできないし、シーズンごとに欲しい服も買えない。  早く結婚して専業主婦になりたい。美容や服、コスメなどのインスタグラマーもやっているためそのコストは切り詰められないし、子供はどうしてもインターナショナル・スクールに入れたいので、夫の年収は1500万円以上必要だという。 「大学の同級生がアプリ婚活で結婚したと聞いて、自分にも合っているかも、とリサーチして3社を選び登録してみた」  1500万円フィルターにかけると50代以上の経営者や役員ばかり。そこで手が届きそうな1200万にしてみたのだが、それでも結婚相手としての範囲内の年齢となると普通の会社員はほとんどいない。 「最初のマッチングは個人で株の投資をやってる人。新宿のパーク ハイアットのレストランで5万円のコースとシャンパンを御馳走してくれて……。ネットの株売買ならどこに住んでいてもできるから将来はシンガポールかドバイに住みたいと言ってた。イメージとしてはミニ与沢翼」  年収は魅力的だがサエコさんは東京を離れる気持ちはない。それに個人投資家はいつ転落して全財産を失うかもわからないから、怖いという。  だが、2度、3度と会ううちに、彼の連れて行ってくれるあちこちの超一流レストランにすっかり味をしめてしまった。 「別にタワマンに住みたいとか別荘が欲しいとかじゃないけど。彼が連れて行ってくれる店は好きだし港区女子の気持ちがわかる。贅沢を楽しむ時間があると、会社で嫌なことがあっても忘れられるし」  その彼と月に3、4回は食事に行きながら、他のマッチング相手ともランダムに会う日々にすっかり慣れてしまった。でも、一つ気になることがある。彼はいまだにアプリから退会していない。自分以外にも会っている人がいてキープにされているのかも、と薄々感じている。早く専業主婦になりたい、実家を出たいという目的からどんどん遠ざかるのに、アプリの海からは抜け出せない矛盾が膨らむ。  今、都内の一流ホテルの高級レストランは、サエコさんたちのようなマッチングカップル客がどんどん増えているという。港区で高級ワインバーを営む経営者のFさんは、「自分もアプリに登録して何度か会ったことがあるので、アプリのマッチング客はすぐにわかる」という。和やかだがどこか緊張感があって恋人にしては言葉遣いがぎこちないし、おたがいにかなり気を使っている。そして必ず男性のほうが代金を払うという。 「マッチングのカップルさんはワインも料理も高級なものを注文されるので、お店にとってはかなり収益率のいい客。男性は勝負をかけていることもあって、相手にいいところを見せようと必死だから、キャビアとシャンパンのスペシャルメニューもよく出る」  その中の何パーセントが結婚にたどりつくかは謎だが、少なくともマッチング依存が傾いた日本経済を回す一助になっていることは確かだ。  医者と結婚して港区白金のタワマンに住む。27歳の会社員ケイコさんはそんなミッションを果たすために2年前、アプリに入会した。父は金融系の企業を経営していて母は専業主婦。開業医の娘だった母からは、物心ついた時から医者と結婚しなさいと言われ続けてきた。  家が裕福で成人しても両親から月々20万円の生活費をもらっているケイコさんは、生活の心配がまったくない。週末は着付けやネイル、バレエを習い、29歳になるまでに結婚しようと考えていた。 「会社勤めは好きになれないので結婚して子育てが終わったら、趣味のネイルを勉強してネイルの店をやりたい。逆算すると27歳で出産するとちょうどいい。出会いのチャンスが少ないので試しにアプリに登録してみた。母に賛成されない結婚は難しいので、相手を医者だけに絞っている。でも結局決めきれなくて」  アプリでは医者に「いいね!」が200、300近くつくことも珍しくないし、競争率はかなり高い。しかしケイコさんは若い上に芸能事務所にも何度かスカウトされたぐらい容姿端麗で、8割の確率でマッチングできたという。  そこからはランキング制で淘汰していった。  年収が2000万円以上、住所が港区か渋谷区、世田谷区、内科医、出身大学……。条件をクリアした相手とはレストランで会い、性格や将来性を見極める。 「3人ぐらいに絞りたいので、今度のお誕生日を覚えていてくれて、ちゃんとお店を予約して祝ってくれた人を残す。いくら医者でも家事と子育てだけやってくれればいい、みたいな人では一緒にいるのが苦痛だし。それにネイルサロンにも賛成してくれる人がいいので、余裕のある10歳ぐらい年上の方がいいかも」  アプリのコミュニティではコンサバな年下好きの嗜癖コミュが目立つ。「男性が10歳以上年上でもOKな人」「年上男性と年下女性の組み合わせが好きな人」「ついてきてくれるタイプが好き」……。特に医者や弁護士、経営者など社会的地位が高いとみなされる職業の人々は、「自慢できる10歳以上年下の美人妻がいい」というトロフィーワイフ信仰が根強い。  だからケイコさんのような富裕層狙いは、最初にフィルターで候補を数人に絞るほうが、結婚には早道だ。白金住まい、ネイル店を出すことなどへの理解は付き合ってから確認すればいい。  すでにアプリ登録から2年が経過した。ケイコさんは自分がマッチング依存症の泥沼にはまっている自覚はないが、いつの間にか朝起きた時と寝る前にアプリチェックするのがルーティンになってしまったという。 「何人かと付き合ったが、理想通りの人はまだいない。30歳になったら条件を緩和すべきか、今から悩んでいる」 ●速水由紀子(はやみ・ゆきこ)大学卒業後、新聞社記者を経てフリー・ジャーナリストとなる。「AERA」他紙誌での取材・執筆活動等で活躍。女性や若者の意識、家族、セクシャリティ、少年少女犯罪などをテーマとする。映像世界にも造詣が深い。著書に『あなたはもう幻想の女しか抱けない』(筑摩書房)『家族卒業』(朝日文庫)『働く私に究極の花道はあるか?』(小学館)『恋愛できない男たち』(大和書房)『ワン婚─犬を飼うように、男と暮らしたい』(メタローグ)『「つながり」という危ない快楽─格差のドアが閉じていく』(筑摩書房)、共著に『サイファ覚醒せよ!─世界の新解読バイブル』(筑摩書房)『不純異性交遊マニュアル』(筑摩書房)などがある。
糖質制限ダイエットでやせたけど陰で「でも老けたよね」 カロリー30%制限 アンチエイジング研究で有効?
糖質制限ダイエットでやせたけど陰で「でも老けたよね」 カロリー30%制限 アンチエイジング研究で有効? ※写真はイメージです(写真/Getty Images) 本人はやせたと喜んでいても、陰で「でも老けたよね」と言われたのではあまりにも悲しすぎます。そんな「やせたけど老けて見える現象」は、糖質制限ダイエットで起こりやすいと近畿大学医学部皮膚科学教室主任教授の大塚篤司医師は感じているそうです。大塚医師が糖質制限やアンチエイジング研究について語ります。 *  *  *  アンチエイジングの秘訣は、食べる量を減らすことです。カロリー制限をすれば寿命が延び、見た目も若返ります。目安として、一日に接種するカロリーを30%程度制限すれば良いと言われています。カロリー制限を行うことで、健康寿命が延びる可能性もあります。  さて、以上の話を聞いて「よし、明日から糖質制限ダイエットを始めよう」と思った人は、注意が必要です。ぜひ最後まで読んでください。  これまで、カロリー制限によるアンチエイジングの研究の多くは線虫やネズミを使ったものでした。動物実験では研究が進んでおり、カロリー制限がアンチエイジングに有効とのデータが多く報告されています。そのメカニズムも詳細にわかってきており、mTOR(エムトール)という分子の関与が指摘されています。  mTORは、細胞の栄養状態を感知し、蛋白(たんぱく)合成、細胞増殖、血管新生、免疫などのさまざまな細胞機能を制御する分子で、細胞外の栄養状態や細胞内のエネルギー情報を感知し、細胞成長と増殖を促進する役割を果たしています。このmTORをブロックする薬は、抗がん剤の分野ですでに使用されており、mTOR阻害剤であるラパマイシンがアンチエイジングの治療薬として使えるのではないか、と多くの研究者が考えています。  では、線虫やネズミではなく、人などの哺乳類ではどうでしょうか。残念ながら、人においてカロリー制限が、寿命を延ばすかどうかはまだ決着がついていない状況です。  同じ哺乳類のサルでは、1カ月目にカロリーを10%制限、2カ月目に20%制限、3カ月目以降は30%のカロリー制限をした場合に寿命が延びたという研究報告があります(文献1)。このカロリー制限をしたサルは寿命が延びただけでなく、見た目も若返っていました。この、哺乳類でもカロリー制限がアンチエイジングに有効とするデータは世界を驚かせました。  しかし数年後、反対の結果が報告されます。つまり、カロリー制限はサルの寿命を延ばさなかったという論文です(文献2)。これら二つの研究が示すことは、カロリー制限はアンチエイジングに有効かもしれない、ただし、そのやり方には何らかの工夫が必要ということです。なんでもかんでもカロリー制限すればアンチエイジングができるわけではなさそうです。  美容皮膚科の領域でも、アンチエイジングに関する相談を受けることがあります。シミやシワだけでなく、見た目の問題として、中年期以降の太りすぎはやはり老けて見えます。体重が増えれば生活習慣病の合併も多く、当然、健康には良くありません。ですので、若く見えるためには、適正な体重を目指しダイエットをしたほうが良い、というのは、私が言わずともみなさん共通の認識でしょう。  しかし、気をつけてほしい点もあります。ダイエットに夢中になるあまり、不健康にやせすぎてしまう場合です。とくに、年齢とともに、肌のハリがなくなります。やせすぎると、どうしてもシワが目立ち老けて見えます。  この「やせたけど老けて見える現象」は、個人的な意見として、糖質制限ダイエットで起こりやすいと感じています。もう少し言うと、老けて見えるのだけが問題なら良いのですが、過酷な糖質制限ダイエットは健康を損なう危険性があり、医者としては決して推奨できません。糖質制限ダイエットにより、ケトアシドーシスなど体が危険な状態になるリスクがあるからです。  急激なダイエットを行った場合、脂肪は減りますが延びた皮膚はすぐにもとには戻りません。若いうちは目立ちませんが、年をとると、シワやたるみが目立つ肌となります。さらに、肌は乾燥し、カサカサとなるケースをよく見かけます。これだと、「あの人はやせたけれども、老けたよね」と、周りの人の印象がネガティブなものとなります。  ダイエットですぐに結果を出したい気持ちはよくわかります。しかし、中年期以降、急激にやせるのは、かえって老けて見える危険性があることを自覚しておくべきです。「10キロやせた」と本人は喜んでいても、陰で「でも老けたよね」と言われたのではあまりにも悲しすぎます。カロリー制限とアンチエイジングの関係は、まだ謎が多い分野です。それを踏まえたうえで努力するのであれば、少しずつカロリーを制限し、腹八分目もしくは七分目を目指すダイエットが良いでしょう。 文献1:Science. 2009 Jul 10;325(5937):201-4. 文献2:Nature. 2012 Sep 13;489(7415):318-21.
「クロちゃん」朝4時起きでジム通いの“筋トレ”生活 自宅に10万円の器具と専属トレーナーも
「クロちゃん」朝4時起きでジム通いの“筋トレ”生活 自宅に10万円の器具と専属トレーナーも 毎日「筋トレ」をするというクロちゃん。この日は、最近購入した可変式ダンベルでトレーニング(撮影/岡本直也)  安田大サーカスのクロちゃんが、気になるトピックについて"真実"のみを語る連載「死ぬ前に話しておきたい恋の話」。今回のテーマは「筋トレ」。多い時で、週3日、朝4時起きで、ジムに通うというクロちゃん。SNSでは、自身の「筋トレ」の様子を頻繁にアップしている。最近では、自宅で本格的なトレーニングができるようにと、新しい器具も購入したとか。クロちゃんが「筋トレ」のこだわりについて語った。 *  *  *  今回のテーマは、ボクの大好きな「筋トレ」。ボクの筋トレ歴は、実は、けっこう長い。ジムに通い始めたのが大学生のころだから、もうかれこれ25年以上にもなる。当時は、ダイエット目的でなんとなくやりはじめたんだけど、自分の体に筋肉がついていく様がおもしろくて、あっという間にハマってしまった。一時期は、ジムを3つ掛け持ちしていたこともあるし。掛け持ちは、あまり意味はなかったけどね(笑)。  筋トレは、もうボクの生活の一部。ジムに通う日は、多い時で週3日。朝4時起きで、5時からトレーニングを開始する。ジムに行けない日は、短時間ではあるけど、自宅でトレーニングをするから、毎日筋トレしているといってもいいかもしれない。「ウソつくな!」って絶対指摘されると思うけど、ウソじゃないからね!(このくだり、いったい何度目だろうか……)。  以前とは違って、今は、ダイエット目的というより、体力づくりや健康のためにっていう意識のほうが強い。ボクの仕事上、プロレスの試合に出場することになったり、無人島に連れて行かれたり、土の中に一日中埋められたりなどのハードな仕事が、急に降ってきたりするからね。中途半端な体力じゃ、そういう類の仕事はなかなか乗り越えられないし、せっかく、いただいた仕事にNGは出したくない。だから、常に一定の体力は保っておきたいんだよね。  とくに鍛えているのは、胸、腕、背中などの上半身。下半身は、あまり鍛えないのがボクのこだわり。下半身って、がんばってトレーニングしても、結果が、いまいち見た目に反映してくれないから嫌なんだ。それに比べて、上半身は、腕が太くなったり、胸が厚くなったりして、「自分の体が変わってきている」っていうのを実感しやすいから大好き。  ボクが、目指す理想の体は、プロレスラーの棚橋弘至さんやオカダカズチカさん。ああいう体格は、ほんとにかっこいいよね。2人とも女性ファンも多いし。筋トレの目的は、体力づくり、健康のためって、さっきは伝えたけど、やはり「モテたい」っていうのも大きな理由の一つかもしれない(笑)。  もっと自分の体をブラッシュアップさせるために、自宅用に、新しいトレーニング器具も、先日購入した。グリップをカチカチっと回すだけで簡単に重さを調整できる可変式のダンベルとベンチ台で、総額10万円くらい。専属のトレーナーにも「自宅でトレーニングするなら購入したほうがいい」と散々言われていたからね。ボクは、ネットで買い物するやり方が、まったく分からないから、マネージャーにもいろいろと助けてもらって、やっと購入ができた。だから今では、自宅にいても本格的なトレーニングができるようになった。  ちなみに、自宅でトレーニングする時は、専属のトレーナーに毎回きてもらっている。トレーナーの志水さんとは、もう10年くらいのお付き合い。専属になってもらったのは3年くらい前からかな。やっぱり自分一人でトレーニングするのと、トレーナーがいるのとでは、効率が全然違うからね。ほんと助かっている。  購入したばかりの新しい器具も試したいし、仕事の事情でなかなかジムに行けなかったこともあって、ここ最近は、自宅でのトレーニングが一気に増えた。よくよく考えると、ここ2週間くらいは、ほとんど自宅。志水さんにもほぼ毎日きてもらっている。  志水さんは、トレーニングを開始する前と後で、必ず「メンテンナンス」というマッサージをしてくれるんだけど、これが、かなり気持ち良い。正直、これが気持ち良すぎて、最近は、筋トレよりも、メンテナンス重視になっている気さえする(笑)。それを、志水さんにも、最近は、ちょくちょく指摘される。「今日、完全にマッサージ目的で呼びましたよね?」って。志水さん、ほんと、ごめん。筋トレ、もっと頑張るから許して(笑)。  ちなみに、このメンテナンスを、ちゃんとやらないと、筋トレをいくら頑張っても、ひどい肩こりや関節痛につながったりもするから、注意が必要。トレーナーをつけてない人は、めんどくさいかもしれないけど、メンテナンスは、トレーニングの前後に、ちゃんとやったほうがいいよ?  ゆくゆくは、ランニングマシーンや、船をこぐような動作で背中、腕などを鍛えるローイングマシンなども購入したいと思っている。できれば、ジムと同じような設備を、自宅に全部そろえるのが理想。それなら、仕事が忙しくて、ジムに通えない時でも、自宅でほぼ変わらないトレーニングができるからね。  それだけそろえちゃえば、「クロちゃんジム」みたいな名前で、ジムの運営だってできるかもしれない。そうなったら、ギャルを呼んで、一緒にトレーニングができて、最高だよねー。  ボクはアロマコーディネーターの資格も持っているから、女の子がテンションをあげてトレーニングに集中できるように、アロマだってたいちゃう! なんなら、アロマトリートメントもやってあげられるし。すごい良いアイデアじゃない? トレーニングの知識は、今、勉強中。ギャルの、みんな、もう少しだけ、待っててねー(笑)。  そこまで自宅に設備をそろえちゃうと「もう外のジムには通わなくなるでしょ?」なんて思われるかもしれないけど、それとこれとは、話が別。ボクは、「ジムに通う」ってこともけっこう好きなんだ。  基本的には、ジムには徒歩で向かうんだけど、自然と大好きな散歩もできて、気分転換にもなるし、それに何より、「ジムに通っている」ってことだけで、自己満足度が勝手にあがって、自分に自信がもてたりもするんだよね。  それに、さっきも伝えたけど、25年以上もジムに通っていると、もう完全に、生活の一部になっちゃっているから、簡単にはやめられないんだよね。ジムにしばらく通っていないと、イライラ、ソワソワして、なんか落ち着かなかったりもするし。もろもろの事情もあり、ここ2週間くらいは定期的に行けてないから、ぶっちゃけ、けっこうイライラしはじめてきている(笑)。  でも、そんなに、ジムに行きたいくせに、いざ、行くと「ジムに来た」ってことだけで満足しちゃって、筋トレをしないこともたまにあるから、不思議(笑)。筋トレせずに、マットの上で漫画読んだり、爆睡したりね(笑)。結局、その後、自宅でやる羽目に……。  あの不思議な感覚って、何なんだろう。ジムに来るだけで落ち着くって、ボクは、もはや「ジム依存症」なのかもしれないしん(笑)。 (構成/AERA dot.編集部・岡本直也)
最短30分でおにぎりも届く「セブン-イレブンの7NOW」 ネットスーパーと何が違うのか
最短30分でおにぎりも届く「セブン-イレブンの7NOW」 ネットスーパーと何が違うのか 7NOW(セブンナウ)では配達の注文が入るとすぐにピッキング、最短30分で指定の場所へ。品物と一緒に想いも「届ける」(写真:セブン-イレブン提供)  コンビニ最大手のセブン-イレブンが注力する「7NOW」。最短30分で商品を届けてくれる配達サービスだ。コロナ禍以降、“人流に依存しないサービス”としても注目を集めている。そんな7NOWの誕生背景、活用法、そして未来とは──。セブン-イレブンの最新の取り組みを追った。AERA 2023年7月3日号の「コンビニ」特集の記事を紹介する。 *  *  *  全国津々浦々、約2万1千の店舗網を張り巡らせる。コンビニ最大手のセブン-イレブン・ジャパンが創業50周年を迎えた。そのセブン-イレブンが未来に向けて取り組むのが「7NOW(セブンナウ)」だ。 「コンセプトは、『今欲しいが、すぐ届く』です。店舗で取り扱っている商品のほぼすべてが、最短30分でご指定の場所に届くというサービスです」  と、セブン&アイ・ホールディングス広報センター(以下、セブン&アイ広報)は説明する。  利用方法は簡単。スマートフォンで7NOWの注文サイトにアクセスし、近くのセブン-イレブンの店の品揃えを見つつ注文をするだけだ。合計1千円(税抜き)以上の注文から受け付け、1回の利用につき110~550円(税込み)の配送料がかかる。届け先は自宅でも職場でも自由に設定できる。  7NOWの前身「セブン-イレブンネットコンビニ」は、2017年10月に北海道の一部店舗でテストスタートした。セブン&アイ広報によれば、「お客さまの買い物に対するニーズの変化に対応した」という。 「少子高齢化や世帯人数の減少、働く女性の増加など社会環境に変化が起きています。お買い物や家事の時間を節約したいという有職者や、重い物やかさばる物を届けてほしいといった方々のニーズに応えました」  コロナ禍以降、7NOWは、“人流に依存しないサービス”として大きな役割を果たすようになる。多くの人が外出を控えた結果、“外”に出ない人が増え、“人流”は抑制された。7NOWは、自宅や職場などからスマホ一つで注文できるため、まさに“人流に頼らないサービス”。 セブン-イレブン・ジャパンとANAホールディングスでドローンを活用した物流サービスに向け覚書を締結。2025年度に店舗から離島への直接配送を目指す(写真:セブン-イレブン提供) ■「今すぐ欲しい」が届く 「リアルタイム在庫連携」という仕組みにより、セブン-イレブンの店舗の在庫がリアルタイムでスマホに反映される。そのため、店舗に行かなくとも欲しい商品を短時間で買えるようになったのだ。  7NOWと、急拡大するネットスーパーの違いはどこにあるか。セブン&アイ広報は「使われ方、シーンの違い」と話す。 「7NOWは、最短30分というスピードでお客さまの元に商品をお届けするというオンデマンド配送の特性を踏まえ『今すぐ欲しいもの』をご注文いただくのに最適なサービスです」  おにぎりや弁当のみならず、揚げたてのフライヤー商品、おでんなども注文できる。加えて、牛乳やパンといった生活必需品要素の強い商品も短時間で届けられるのが、大きな強みだ。忙しくて食事をつくる時間も買いに行く時間もない、そんな現役世代のニーズにも応えた。  7NOW対応店は、現在約5千店まで拡大(5月時点)。24年2月末までに約1万2千店を目指し、25年2月末までの全国展開に向けアクセルを踏む。  さらに7NOWでは「ドローン配送」や「ロボット配送」の実証実験も行っている。 「将来、実用化すれば、セブン-イレブンの店舗が無い離島にドローンで商品を届けたり、ケガで思うように動けない入院中の方にロボットが商品を届けたりすることができます。このような世界も、実現したいと思っています」(セブン&アイ広報)  必要な商品と共に想いも届ける。7NOW、ドローン配送、ロボット配送のいずれも、セブン-イレブンのあたたかな社風を感じる取り組みといえる。(編集部・野村昌二)※AERA 2023年7月3日号より抜粋
翌日カレーの匂いに違和感…100度で1時間の加熱に耐えうる食中毒の原因菌に注意を 医師が警鐘
翌日カレーの匂いに違和感…100度で1時間の加熱に耐えうる食中毒の原因菌に注意を 医師が警鐘 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師  日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「この時期気をつけたい食中毒」について、NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  日本では、ジメジメした梅雨らしい蒸し暑い日が続いているそうですね。先日、東京に住む友人から「最近、湿度が高い上に、30度を超える日もあって、なかなかクーラーの効いた部屋から出ることができない……」と連絡がありました。  私が今滞在しているSan Diegoは、6月に入り、次第に気温が上がり始めました。「ようやく夏がきたんだな」と感じるようになりました。とはいえ、最高気温は22度から24度、最低気温は15度前後と、日中はカラッとした暑さですが、朝晩には薄手の羽織が必要な気温です。夏の時期は、雨はほとんど降らず、過ごしやすい気温で晴天がずっと続くのがSan Diegoの特徴のようです。「暑いなあ‥」と文句を言いながらも、日本のような湿度も気温の高い夏が好きだった私にとって、梅雨のないカラッとした過ごしやすい気温のSan Diegoの夏は、少し物足りない気もしています。  さて、気温が次第に上がってきた昨今、そろそろ「食中毒」に気をつけないといけないと感じた出来事がありました。6月中旬のある日の夕食にカレーを作ったときのことです。うっかりカレーを作りすぎてしまったので、「残りは翌日に食べよう」と思い、室温で冷ました後、鍋ごと冷蔵庫に入れておくことにしました。翌朝、カレーを温めようと冷蔵庫から取り出し、鍋の蓋をあけたところ、においに違和感を覚えたのです。「これを食べて食中毒になっては良くない……」と判断し、もったいないと分かりながらも、廃棄することにしました。  日本でも、梅雨時期や夏期は気温や湿度が高くなり、食中毒の発生が増える時期として知られています。厚生労働省の「食中毒統計資料」によると、昨年の1年間に全国で発生した食中毒は、6月が128件と最も多かったことが報告されています。まさに、今の時期が最も食中毒が多い時期であり、注意が必要であると言えるでしょう。 (写真はイメージ/Gettyimages)  実は、日本では、年間を通して食中毒は発生しています。例えば、冬の時期は、ノロウイルスをはじめとしたウイルス性の食中毒の発生が多く報告されます。「生牡蠣を食べた2日後ぐらいに、吐き気と腹痛がひどくなり、下痢が止まらなくなりました」と、冬の外来診療では、このような症状で受診する方が多くなります。  食中毒の主な原因は、細菌(カンピロバクターやウェルシュ菌など)、寄生虫(アニサキスなど)、ウイルス(ノロウイルスなど)です。アニサキスを代表とする寄生虫による食中毒は、年間を通して発生していることが報告されていますが。細菌が増えやすくなる気温や湿度が高くなる時期は、細菌性の食中毒が増加傾向になり、冬の時期はノロウイルスをはじめとしたウイルス性食中毒が増加します。つまり、日頃からの食中毒の予防が大切だといえるでしょう。  私が作りすぎてしまったカレーですが、カレーはウェルシュ菌という細菌性の食中毒を引き起こすことで知られています。ウェルシュ菌は、動物の腸管内や土壌など、自然界に広く存在している細菌であり、100度で1時間の加熱にも耐えうる芽胞という殻を作って生き残るという性質を持っています。そのため、カレーやシチュー、肉じゃがなどを調理した後、そのまま常温で保管してしまうと、芽胞となって生き残ったウェルシュ菌が、温度が下がって増殖する上で適温となった食品の中で急増してしまうのです。加熱調理しても生き残るウェルシュ菌を食することで、食中毒を引き起こしてしまうのです。  ウェルシュ菌による食中毒を予防するためには、ウェルシュ菌をいかに増殖させないかがポイントです。一つ目に、翌日に食べるカレーも、ひと味違って美味しいのですが、カレーは食べきれる量を作り、加熱調理後はなるべく早く食べることが大切です。また、農林水産省によると、ウェルシュ菌は12~50度で増殖し、特に43~45度で活発になるようです。やむを得ず保存する場合は、短時間で出来るだけ温度が下がるように小さな容器に小分けするなどし、なるべく早く冷蔵庫で保存することが二つ目の大切なポイントです。三つ目に、一度保存した料理を食べる際には、増殖しやすい環境を作らないよう中心部まで十分に加熱し、早めに食べるようにしましょう。加熱することによってウェルシュ菌を減らすことができます。  湿度の高い暑いこの時期は、どうしても熱中症対策に向きがちですが、食中毒対策もしっかり行なって、梅雨や夏の時期を乗り切ってくださいね。 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師。医学博士。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。2022年東京大学大学院医学系研究科修了。ナビタスクリニック(立川)内科医、よしのぶクリニック(鹿児島)非常勤医師、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書)
0歳児を2人抱えて救急車へ 長女の障害を認められなかった私が「笑ってくれるだけで良い」と思えるようになった理由
0歳児を2人抱えて救急車へ 長女の障害を認められなかった私が「笑ってくれるだけで良い」と思えるようになった理由 絵本が大好きな17歳の長女。感情表現が豊かでとても楽しそうに暮らしている長女を見ていると幸せのかたちはひとつではない、とあらためて思います(撮影/加藤夏子) 「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。 * * *  ここのところ、医療的ケア児の17歳の長女のけいれん発作が安定し、体調の良い日が続いています。私の日々の予定は長女の体調に大きく左右されるため、この安定期はとても貴重です。  今回は、長女との生活を書いてみようと思います。 ■たびたびの救急搬送  長女は双子の次女とともに、出産後にNICU(新生児集中治療室)を経由して退院しました。当時は生後3カ月。早産児が本来の出産予定日だった日を基準に発達をみる「修正月齢」はまだ0カ月でした。  脳性まひと診断されたのは生後2カ月のとき。脳性まひは少しずつ身体に変化が現れるので、この時点での2人には全く差がありませんでした。 「もしかしたら、奇跡的に何も起こらないかもしれない」と思えるほど、退院してしばらくはとても穏やかに過ごしていました。  ところが、生後11カ月の頃に起きた長女のウエスト症候群(難治性てんかん)のけいれん発作によって、その後の我が家の生活は大きく変わりました。  発作に気づき、慌てて病院に電話をすると救急搬送の方が良いと言われ、 初めて119番に連絡をしました。自分で救急車を呼ぶのはこの時が初めてでした。受話器を取って「119」と押すだけで本当に消防につながるのかも、健常の次女も一緒に救急車に乗れるのかも分からず、誰にも助けを求めることができない「大人1人と0歳児2人」という状況がとても心細く、涙が止まらなかったのを覚えています。その後、2~3年の間はたびたび救急搬送がありましたが、救急隊の方は毎回とても優しく、不安な気持ちが和らぎました。 ■いつも気が張っていた  けいれん発作は突然起きるため、普通ならすぐに動くことができない場面でも対応が必要です。長女は入浴中や睡眠が浅い時間帯に大きな発作を起こすことが多かったので、お風呂上がりで自分の髪の毛がぬれた状態だったり、部屋の中がぐちゃぐちゃのまま眠ってしまった翌日の明け方だったり、洗濯物を取り込んでいる途中で発作に気づき、半分以上ベランダに残したまま救急車に乗った時もありました。こうした非日常な状況が続くとメンタルに響きます。この頃の私は、けいれん発作に備えていつも気が張っていたように思います。  その後、成長とともに3歳頃には発作が安定し、常に無表情だった長女が笑顔を見せてくれるようになりました。あんなに長女の障害を認められず知的な遅れを恐れていたはずが、いつの間にか、こうして笑ってくれるだけで良いと思えるようになっていました。 ■リラックス度を計測  以前もこのコラムに書いたことがありましたが、長女は17歳になった今も赤ちゃんのままです。嬉しい時には手足をバタバタさせて喜び、Eテレの「おかあさんといっしょ」の歌が何よりも好きです。今でも「この子に障害がなければ、次女と同じように高校生活を満喫していたのかな」と思うことはあります。でも、長女は長女の世界の中でとても楽しそうに暮らしているので、やはり幸せのかたちはひとつではないのだと私なりに納得しています。  実は今、長女はある大学の作業療法の研究に参加しています。リラックスできる空間で心地よいメロディーやライトなどを使い感覚をやさしく刺激する「スヌーズレン療法」の時と、何もせずに30分間マットに置かれている時の唾液を採取して、その成分の違いからスヌーズレン療法の効果を検証するというものです。長女は言葉を話すことができないので、私たちは表情や声から気持ちをくみ取り、コミュニケーションをとっているのですが、こうして科学的にリラックス度が計れるとはすごい時代ですね。この研究結果は、さまざまな障害のある子どもたちの日中活動のクオリティーの向上につながっていくそうで、結果が届くのが楽しみです。 ※AERAオンライン限定記事
不眠、不安、イライラ…やっかいな男性更年期障害の治療法は「楽しみを探すこと」
不眠、不安、イライラ…やっかいな男性更年期障害の治療法は「楽しみを探すこと」 順天堂大学大学院教授の堀江重郎医師(泌尿器外科学)  倦怠感、イライラ、不眠などに悩まされる更年期障害は女性特有の病気ではなく、男性にも起こることが広く知られるようになった。女性の場合は閉経によって、女性ホルモンの一つであるエストロゲンの分泌量が急激に低下し、さまざまな心身の不調を起こす。  男性も男性ホルモンのテストステロンの減少が引き金になるが、女性の閉経のような大きなきっかけがないため、気づきにくいという問題がある。男性更年期障害の症状や治療法はどんなものか。予防するためにはどんなことに気を付ければいいのか。メンズヘルスの第一人者で、順天堂大学大学院教授の堀江重郎医師(泌尿器外科学)に話を聞いた。 ――そもそもテストステロンにはどのような働きがあるのですか。  テストステロンは男性らしい骨格や筋肉をつくり、生殖能力を向上させるだけではなく、全身に作用して心身の健康を維持する働きがあります。私たちの祖先である古代人は狩猟採集生活を送ってきましたが、このホルモンは外に出て行って獲物を捕るための活力になるのです。ですから、獲物を捕まえた瞬間がテストステロンの値は最も高くなります。持ち帰った獲物を家族や仲間に分け与え、みんなから感謝されることで心身の安定につながっていたのです。  現代社会においては、仕事で自分の目標を達成することで周囲から評価されたり、称賛されたりすることが当てはまります。もちろん、仕事に限ったことではなく、地域社会の中でボランティア活動をしてみんなに喜ばれると、やはりテストステロンは上がります。 ――女性にもテストステロンがあるそうですね。  男性の10分の1ほどですが、女性にもあります。女性は閉経によってエストロゲンが急激に低下しますが、テストステロンの分泌量は変わりません。女性が更年期を終えた後、元気を取り戻すのに重要な働きをしているのです。テストステロンを男性ホルモンと呼んでいるのは、実は日本だけなのです。 男性更年期症状の重症度チェック表(堀江教授提供) ――男性のテストステロンが減少してしまう原因は何でしょうか。  テストステロンの分泌量は30代でピークになりますが、もともと個人差が大きく、加齢が原因で下がるものではありません。男性更年期障害は年齢に関係なく起こるのです。仕事に達成感が感じられず、コミュニティの中でも孤立していると、テストステロンの値は減少します。やはりストレスが大敵で、交感神経が活性化すると、テストステロンは下がります。習慣的な飲酒、喫煙、夜更かししてスマホのゲームをすることも下げる要因になります。  医学上では、テストステロンの低下によって引き起こされる様々な症状をを「LOH症候群(男性の性腺機能低下症)」と呼び、医師の治療を必要とするケースがあります。 ――どんな症状が現れますか。  何をするにも意欲が湧かない、集中力がない、肩や腰が痛い、異常な発汗、頭痛などです。筋肉量が減って中性脂肪やコレステロールの代謝が低下し、内臓脂肪が増え、メタボリックシンドロームになりやすくなります。糖尿病や高血圧など生活習慣病になるリスクも高めます。  また、強い不安感に襲われることもあります。なぜかというと、恐怖や不安といったネガティブな感情に関わっている脳の偏桃体の作用を、普段はテストステロンが抑え込んでいるからです。ですから、テストステロンが下がってくると、うつ病と同じような症状が現れるのです。  うつ病と診断された患者さんのうち、抗うつ薬が効くのは3分の1程度といわれています。精神科や心療内科を受診することも大切ですが、精神医療的なアプローチで効果が見られない場合、泌尿器科に患者さんが送られてくるケースが増えています。例えば、休職しているとか、出勤はしていても能力が発揮できない「プレゼンティズム」の状態になるなど、社会活動ができなくなってくると、治療が必要になります。 ――治療法は?  注射などでテストステロンを補充するのも一つの方法です。職場に行くのがつらい、苦痛だというような場合は、テストステロンを上げることによって、社会に対する視野が広くなり、心にゆとりが生まれます。ただし、最も重要なのはテストステロン補充療法ではなく、患者さんにとって心地いいことは何か、を発掘していくことです。患者さんの話に耳を傾け、例えば職場が楽しくないのであれば、家庭や友人関係、コミュニティの中で楽しみを探すことはできないか、などを相談するのです。  インスリンを足してやれば糖尿病が治るのではないことと同じで、テストステロンを足せば問題が解決するというものではありません。私のところに来る患者さんで、補充療法を行うのは半数程度です。あとは漢方薬などを補足することで回復できます。 ――テストステロンが下がらないようにするための予防法はありますか。  何よりストレスをためないように、自分に心地のいい環境をつくることです。適度な運動も大事ですが、ジムに通ってやりたくもないのにランニングマシンで走ってもテストステロンは上がりません。ゴルフでもテニスでも、自分が楽しいと思えることをすることです。例えば、週末に少年野球のコーチをして保護者の方たちから感謝されているような人は、テストステロンの値が下がりにくいのです。  仲間の存在も大切です。家族でも友人でもでもいいので、フラットで心地よい人間関係を持つことです。どんなに美味しい食事でも一人で食べていたら、テストステロンは上がりません。誰と食べるかが大切です。お子さんやお孫さんたちなど親族が集まって食事をしたり、気の合う仲間と居酒屋で飲んだりすると、テストステロンは上がってきます。  質の良い睡眠も重要です。基本的にはテストステロンの値は朝高く、夕方には低くなってきます。筋肉をたくさん使うと、筋肉がテストステロンを吸収するからです。眠っている間にテストステロンは補充されますから、睡眠の質が悪い人は要注意です。 ――他にも、どんな時に注意が必要ですか。  例えば、ゴルフをやっていた人が、急にやらなくなった場合。これは危険な兆候です。意欲が減退している理由が必ずあるはずです。あるいは、去年より体重が2キロ増えたというのも、危険を知らせるサインです。私たちが普段食べているものは、そんなに変わらないはずなんです。食事に気をつけて適度な運動を、と言いがちですが、その前にテストステロンが下がっていないかを調べるべきです。 ――簡単な測定方法はあるのでしょうか。  通常は血液検査で調べるのですが、テストステロンが下がっていないかチェックしなさい、と言っても、ほとんどの人はなかなか泌尿器科にかかろうとはしないでしょう。私が顧問を務めている「ホルモンテスティング合同会社」(東京都千代田区)では、唾液の中のテストステロンを測定する「HPテスティング」という事業を行っており、同社のホームページから申し込めます。自宅で唾液を採取し、郵送するだけで測定してくれます。その結果によって、病院で受診することも選択肢の一つだと思います。  最近、大変興味深い研究が発表されました。ネズミを使った実験ですが、ネズミもオスのほうがテストステロンの分泌量は多い。これは哺乳類だけではなく、爬虫類も同じです。ところが、ネズミを生まれた時から無菌状態で飼育すると、テストステロンの分泌量は雌雄変わらなくなるというのです。私たちは大腸菌や乳酸菌などさまざまな常在菌と共生しています。つまり、この研究が意味しているのは、テストステロンの分泌には腸内細菌が必要だということなのです。腸内環境を整えて免疫を高めることが大事なのです。 ――日本人と欧米人とでは、テストステロンの分泌量に違いはありますか。  アジア人は基本的にテストステロンの分泌量が欧米人より低い傾向にあります。だから、周囲と協調できるのという説もあります。特に日本人は、空気を読みます。空気とは何かと言ったら、他人の評価であり、それに同調することです。テストステロンが高い人は、概して他人の評価など気にしません。中国の古典『孟子』に書いてある「千万人と雖も我往かん」の精神です。 ――人の視線など気にせず、自由に生きたほうが楽しい、ということですね。  そう。欧米ではいかに自分を表現するか、プレゼンテーション能力を高める教育をしています。けれども、日本では習ったことを反復する教育になってしまっているでしょう。そこは根本的に文化の違いです。  かつては60歳で定年退職、その後は隠居するというのが日本の文化でした。ところが、いま皮肉なことに、少子化の問題もあって若手の補充が追い付かなくなり、人手不足になってきました。海外から若い人材に来てもらう方法もありますが、更年期以降の世代をもう一回、元気にすることが必要なのです。テストステロンをアップすれば、若々しく長生きできます。これが一番大事だと思います。 (本誌・亀井洋志) ※週刊朝日オンライン限定記事
沖縄でコロナ感染急拡大「医療崩壊する」と悲痛な声 再び自粛生活に戻る必要があるのか?
沖縄でコロナ感染急拡大「医療崩壊する」と悲痛な声 再び自粛生活に戻る必要があるのか? 買い物客や観光客などでにぎわう銀座=6月21日、東京  新型コロナの感染者数も落ち着き、マスクをしない人々の姿も定着してきた。繁華街では人が増え、日常生活が戻ってきたように感じるが、沖縄では新型コロナの感染者が再び急増している。専門家からは「もう医療崩壊する」という声があがってきた。なぜ再び医療崩壊の危機に瀕しているのか。再び自粛生活に戻る必要があるのか。 *   *   *「やっと日常が戻ってきたなという感じですね」  東京・銀座で友人とお茶をしていたという60代の女性は、こう話す。  手洗い、うがいはしっかりとやっているが、マスクは高齢の母親と会うときや人ごみが気になるとき以外はつけていない。友人と直接会う機会も増えてきたという。 「新宿や渋谷も人が戻ってきていますね。このままインフルエンザと同じ扱いになっていくのかなと思っています」  一時期は閑散としていた銀座には買い物客や観光客が戻り、多くの人でにぎわっている。 「コロナに対する不安はもうない。周りで感染しているという話も聞かない」「もとの生活が戻ってきて良かった」という声が聞かれ、新型コロナへの不安感はだいぶやわらいでいる様子だった。  5月に新型コロナの感染症法上の位置づけが季節性インフルエンザと同じ5類に移行し、コロナ前と同じような生活が徐々に戻りつつある。しかし、医療現場では再び危機的な状況が迫りつつある。 ■迫る医療崩壊 「夏まで持ちこたえられるかと思ったが、まもなく限界が来そう。そろそろ医療崩壊します」  こう危機感を募らせているのは、厚生労働省参与で、沖縄県立中部病院の感染症内科副部長を務める高山義浩医師だ。医療崩壊とは、本来受けられる医療が受けられなくなる状況を指す。  沖縄県内では再び新型コロナが猛威を振るっている。  県が公表しているデータによると、定点当たりの患者報告数は28.74人(6月12~18日)で、前週の18.41人、前々週の15.80人から右肩上がりに増えている。全国平均は5.60人(同)で、他の都道府県と比べても沖縄県の感染者数は突出している。  入院患者数も増加しており、6月18日時点で重症者9人を含む507人。病床使用率は57.8%に達している。高山医師によると、過去の経験に基づき入院患者数300~500人で「医療ひっ迫」となり、それを超えると「医療崩壊」になるという。  県によると、20日時点で県内27の重点医療機関のうち、3医療機関が一般診療を制限しており、7医療機関が救急診療を制限している状況だ。  高山医師はこう語る。 「沖縄本島中南部の医療現場は、ほぼ災害状態。地域の医療機関で連携して、何とか救急車を受け入れは維持しているが、入院するためのベッドがなくなってきている。これからは必要な入院ができなくなり、手術も緊急性の高いものだけに絞られていく状況になりつつあります」 ■5類移行の影響  沖縄県の医療態勢はどうなっているのか。5類に移行後、県では軽症者の入院対応をクリニックなどの幅広い医療機関に呼び掛けていくとともに、中等症以上の患者のための病床数を最大368から480まで増加させた。にもかかわらず、なぜひっ迫しているのか。県の担当者はこう語る。 「5類になり社会活動が活発になったことで、骨折や交通事故などコロナ以外の入院も増えている。一般患者用の病床とコロナ患者用の病床を、どうバランスを取って確保するのか、現場では苦労していると聞いています。  また、2類相当のときは県がコロナ患者の体調を管理し、入院調整も行っていましたが、5類移行後にそれがなくなり、患者が自分で救急に行くような状況になっている。調整ができなくなった結果、一部の医療機関に負担がかかっている状況もあります」  また、高山医師はこんな課題も指摘する。 「高齢者では症状が軽い人でも、周りで見守る人がいないということで入院し、快復後も周囲への感染性が考えられる10日間は、入院し続けるという『見守り入院』が多い。その間に心身の機能が低下してしまう患者も一定数おり、リハビリのできる病院への転院調整でさらに入院が続くこともあります。こうした患者がスムーズに退院、転院し、救急医療の必要な人に医療が提供できる態勢を行政は早急につくる必要がある」 ■社会活動と感染抑止の両立は  新型コロナが5類に移行した背景には、オミクロン株となって弱毒化したことで致死率が低下したことも背景にある。しかし、改めて感染力の高さが医療をひっ迫させ、脅威となっている状況だ。  いったいどうすればいいか。高山医師はこう指摘する。 「病床は一朝一夕に増やせませんが、個々人が意識することで感染予防はできます。高齢者が感染すると入院が必要になることが多いため、感染しないように特に注意する必要があります。いまの沖縄県の流行状況では、高齢者が集まるようなイベントは延期していただくのがいいと思います。一方で、子どもたちの活動を含めて社会や経済の活動を全般的に止めるべきではありません。症状があるなら学校や仕事を休み、イベントには参加しない。これを徹底いただくことが一番大切です」  これまでの流行の推移を振り返ると、沖縄で感染が先行し、その後、東京や大阪など都市部での感染拡大が繰り返されてきた。現在、全国各地で感染者数は増加傾向にある。沖縄を対岸の火事と見るべきではない。 (AERA dot.編集部・吉崎洋夫)
天龍さんが語る“夜の付き合い” 一触即発の宴席! ナメられたら終わりのプロレス界での処世術
天龍さんが語る“夜の付き合い” 一触即発の宴席! ナメられたら終わりのプロレス界での処世術 天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子) 「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、長らく入院生活を送っていた天龍さん。6月22日に退院し、すでにイベント出演などの予定あり、精力的に活動を再開される。今回は“酒豪”として知られる天龍さんに、相撲時代やプロレス時代の夜の付き合いにまつわる思い出を語ってもらいました。 *  *  *  相撲もプロレスも夜の付き合いは切っても切れないが、振り返ってみると、その形はまったく違うものだったんだなと思うよ。  まず、相撲取りの自慢話は「スポンサーに連れて行かれてどこそこで飲んだ」とか「銀座の旦那のつけで飲んだ」とか「俺にはこういうスポンサーがいる」とか、そういう話ばっかり。「俺は10円あれば朝まで飲める」とか言って、10円でスポンサーに電話して、飲みに連れて行ってもらうんだ。スポンサーにゴマすって飲んでいる力士も多かった。そういう奴は歌ったり、相撲甚句をやったりして、座持ちがいいからよく声がかかるんだ。  だから、スポンサーがいなくて、毎晩相撲部屋で飯を食う俺みたいなやつは若い衆に馬鹿にされる。逆に晩飯時にいない力士はどこかでお座敷にかかっているんだって、若い衆はうらやましがるし、付け人としてお座敷について行ってそのおこぼれにあずかるなんてこともできるからね。  上の力士がいなくなれば、その分、自分たちが食べるいい肉やおかずが回ってくるから、俺がずっといると「また天龍関がいるのかよ……」って嫌がられるんだ(笑)。あの頃は後輩の金剛や麒麟児もよく声がかかっていたけど、俺は本当にスポンサーがいなかったからね……。  俺にスポンサーがいないというのも、ただ人気が無かったからじゃないぞ! 以前にも話したことがあると思うが、若いころに一度、東京・錦糸町で金持ちそうな人から「飲みにいくぞ」と声をかけられて、「おお、これがタニマチ(スポンサー)か」と思って、ついて行ったことがあった。それで一緒に飲んでいたら、そいつが金を持っていなくて飲み逃げしようとしたんだよ。仕方なく俺たちが飲み代を払って、タクシーで帰ろうとしたら「金がないんで、今晩相撲部屋に泊めてください」なんて言ってきた! 退院後、初イベント開催決定!『天龍源一郎 サイン&撮影会』2023年7月17日(月・祝)/▼一部:14:00~14:45の回先着20名様▼二部:15:00~15:45の回先着20名様※本イベントは2部制/※チケット購入時に選択/会場:東京・北沢タウンホール・12階スカイサロン内/チケット料金:4,000円 (サイン会&撮影会参加権付き)チケットはこちらから⇒https://www.tenryuproject.jp/product/647  後から知ったけど、そういう奴が結構いるんだよ。相撲部屋は誰も知らない奴が寝ていたりするのはしょっちゅうなんけど、若い衆は「誰か、関取の知り合いだろう」って思って、何も言えないんだ。そんな体験があって「みっともないことになるから、人を頼って、ご馳走になることはやめよう」と、幕下になってから頑なに誓ったことを覚えているよ。自分の払える範囲で飯を食うことにしていたから、俺の付け人はあんまりいい思いをしてなかったね……。  相撲時代の付け人にはいい思いをさせてやれなかった分、プロレスに転向してすぐ、ギャラが入ったら彼らを呼んで、大盤振る舞いだ! あの当時は、2シリーズ分のギャラ、約60万円が支払われたんだけど、会計のときに「これで払っておけ」と全額渡したら、付け人も「こんなに!」と驚ていたね。俺もプロレスは儲かるってことを示したくて「おう、こんなもんだよ」って、カッコつけて支払わせたんだけど、それ、2カ月分の俺の生活費だったんだよね……いやあ、あのときは大変だったよ(笑)。  プロレスに転向してからは、物事の加減がわかるようになって、適当に柔らかく付き合うことも覚えた。だって、あの気難しいジャイアント馬場さんだって、夜の付き合いもこなしていたんだからね。そりゃあ、俺もできるようにもなるよ。  ただ、馬場さんは見世物みたいにひっぱり回されて「馬場!」とか「馬場ちゃん」なんて呼ばれるのは、アメリカでトップを取ったプライドがよしとさせなかったんだよね。そんな馬場さんの代りを務めていたのがグレート小鹿だ。  プロモーターとかチケットを大量に買ってくれた人とのお付き合いだね。よく俺にも小鹿さんから「源ちゃん、今日ちょっと付き合ってよ」と言われて、そんな席に行ったもんだ。ジャンボ鶴田は自分の分は自分で払う代わりに、人にご馳走になることはなくて、じゃあそういう席に出られるのは天龍ってことになるんだ。ほかにも大熊元司さん、ロッキー羽田とか、面子は相撲上がりのレスラーが多かったよ。  それで、付いて行って一番思ったのが「プロレスはスポンサーの規模が小さいなあ」ということだった。相撲のときはお座敷がかかったら、芸者を呼んで、飲めや歌えやだったけど、プロレスではおネエちゃんがいるクラブに行くとか、それくらいだったからね。「やっぱり相撲界はすごいな」って思い直したくらいだ。  プロレスは興行の世界だから、当時はその筋の人間との付き合いも避けては通れない。筋を通さないと会場に直接来て「誰の許可を得てやっているんだこの野郎!」と、試合をぶち壊されるからね。そういった人たちとの夜の付き合いを引き受けていたのも小鹿さんだ。少しは顔が知れているレスラーが来れば向こうの顔も立つだろうって俺にも声がかかったけど、本当は向こうも馬場さんに来てほかったんだろう。  でも、馬場さんはそんな席に「なんで俺がそんなことしなきゃならないんだよ」って感じだったし、馬場さんがそういう席に行くと、あっちはすぐに上下関係を作りたがるから、馬場さんの葉巻を「1本よこせって」って、馬場さんの頭の上で吸うような世界で、馬場さんも嫌っていたと思う。お互いにナメられたら終わりの世界だからね。一方でアントニオ猪木さんはビシっと着飾って、山本小鉄さんをボディガードにつけて、うまく付き合っていたようだ。猪木さんにはそういう処世術のうまさもあったよね。  俺がいった席ではもちろんその筋の人間もいたけど、分かりやすく毒々しいのはそんなにいなかったね。もちろん、中には分かりやすいのもいたよ(笑)。あの頃は「プロレスなんて八百長だろう」っていうのがやかしましい時代で、そういう奴らもそんなことを言ってくるから面倒くさかったなあ。 「どうせプロレスラーなんか」ってすぐにランク付けしたがるし、俺もカチンときて「なんだてめえ」ってへそ曲げて、一言もしゃべらなかったり。今じゃあほとんどの人が八百長に結びつけないで「プロレスはケガをさせないようにやっている、スポーティーなショー」だと理解してくれているからラクだろうね。  WAR時代も「天龍さん、〇〇さんがチケットを50枚買ってくれました」って言われると「そうか、じゃあちょっと顔を出さないといけないな」って、よく夜の席に顔を出したもんだ。馬場さんくらいの金持ちになると「なんで俺がそんなことをしなきゃならないんだよ」ってなるけど、俺くらいの中途半端な金持ちじゃあそうはいかない(笑)。  それも団体トップの役割だからね。一方、SWSのときはザ・グレート・カブキさんと筋を通しに行ったことが何度かあるくらいで、ほとんどが会社の方で根回しをしてくれていたようだ。大きなスポンサーがついて、大きな興行をやるってなったんで、会社にもその筋がたかってきて大変だったと思うよ……。今はずいぶん大人しくなったよね。筋ものがプロ野球を観戦しに行っただけで逮捕される時代だからね。  プロレスの記者たちともよく飲んだもんだ。彼らも仕事で俺との夜の付き合いをしてくれたし、俺も馬場さんに代って全日本プロレスの記事を書いてくれる記者たちを接待したつもりだ。自分のポケットマネーだったし、足りなくなると若い衆に「馬場さんのところに行って、お米(お金)をもらって来い」と言って、もらってこさせてね。  そんなことがあるから、馬場さんはいつも起きているんだ。そのことについて俺は馬場さんにお礼を言ったことは一度もないし、馬場さんからも「礼ぐらい言え」と言われたことも一度もない。馬場さんに代って、記者をねぎらっていると分かってくれたし、それが必要経費だと考えていたからだろうね。夜の付き合いは嫌いだったけど、必要性は認めている、馬場さんらしい気遣いだったよ。夜の付き合いも今となっては懐かしい思い出だ。いやあ、あの頃は本当によく飲んだね! (構成・高橋ダイスケ) 天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。
繰り返す「口内炎」は体内の不調の現れ 体質別対策チェック 根本から改善する漢方養生法、おすすめ食材
繰り返す「口内炎」は体内の不調の現れ 体質別対策チェック 根本から改善する漢方養生法、おすすめ食材 繰り返し口内炎ができるなら、体質改善で根本から改善しましょう ※写真はイメージです (c)GettyImages  繰り返す症状に悩まされることも多い口内炎。小さな傷やできものなのに、食事がしみて痛むなど、その症状はとても不快なものです。口内炎を繰り返さないためには、体質を見直して根本から改善することが大切。あきらめていた人も、積極的なケアで予防・改善を心がけましょう。この記事では、日本の漢方のルーツである中国の伝統医学「中医学」をもとに、【口内炎の対策】について分かりやすく説明します。 *  *  * ■ 体内の「熱」が口内炎の原因に  口内炎は、口の中の粘膜や唇、舌などに起こる炎症の総称。ウイルスや細菌の感染、食べ物や入れ歯などの物理的刺激、免疫力の低下や栄養不足などが主な原因と考えられていますが、原因がはっきりしないことも少なくありません。  中医学では、口内炎を引き起こす基本的な原因を体内の「熱」と考えます。熱の症状は、大きく2つのタイプに分かれます。  1つは、体内に余分な熱が溜まる「実証(じっしょう)タイプ」。このタイプの口内炎は、主に口の状態と関わりの深い臓器「心(しん)」や「脾胃(ひい)」(胃腸)に過剰な熱が溜まることで現れます。  もう1つは、身体に必要な物質が足りなくなる「虚証(きょしょう)タイプ」。体内の潤い不足で熱を冷ますことができず、身体に熱がこもって口内炎を引き起こします。  また、体内の「気」(エネルギー)が不足している場合は、免疫力が低下して「外邪」(風、熱、乾燥などの邪気)の侵入を受けやすくなることも。こうした邪気が体内に停滞すると、身体に熱がこもって口内炎の原因となります。  普段から口内炎になりやすい人は、症状を抑えるだけでなく、まず自分の体質をきちんと見直すことが肝心。体内の不調を整えて根本から原因を改善し、繰り返しがちな症状を防ぎましょう。 【チェック】“繰り返し”を防ぐ! 体質別「口内炎」対策  口内炎は体内の不調の現れ。体質を整えて根本の原因を改善すれば、再発の予防につながります。症状が重い場合は病気などが隠れていることもあるので、気になる人は早めに医師の診察を受けましょう。 【タイプ1】身体に熱がこもる「実証タイプ」で、「心(しん)」の熱が過剰な人 <気になる症状>赤み・痛みの強い口内炎、舌がヒリヒリする、全身が熱っぽい、顔が赤い、口が渇く、尿の色が濃い、舌の先が紅い、舌の苔が黄色い <改善ポイント>「心(しん)は舌の苗」と言われ、中医学では、舌は「心」の状態から影響を受けると考えます。これは、心の持つ血液循環の働きによるもの。舌には血管が多く集まっているため、心の状態が現れやすいのです。  このタイプの口内炎は、外邪(風、熱、乾燥などの邪気)の侵入、過剰なストレス、辛いものの食べ過ぎなどが原因で、心に熱がこもることで起こります。  食事の気配りやストレスを溜めない工夫を心がけ、過剰な熱を冷ましましょう。 <摂り入れたい食材>身体にこもった熱を冷ます食材を。クチナシの花茶、菊花茶、竹の葉茶、柿の葉茶、緑茶、あけび、苦瓜、ミント、梨、すいか、大根、柿など※油っこい料理や肉類は食べ過ぎに注意! 身体にこもった熱を冷ます食材、スイカ PhotoAC 【タイプ2】身体に熱がこもる「実証タイプ」で、「脾胃」の熱が過剰な人 <気になる症状>腫れや痛み・ただれを伴う口内炎、白い潰瘍ができる口内炎、口臭が強い、歯茎が腫れて痛い、口の渇き、便秘、舌が紅い、舌の苔が黄色い <改善ポイント>「脾胃(ひい)」(胃腸)の状態と口には深い関わりがあり、脾胃に不調があると、特に唇の周りや舌の奥に口内炎の症状が現れやすくなります。  口内炎を引き起こすのは、脾胃に溜まった「湿(しつ)」(余分な水分や汚れ)と「熱」。暴飲暴食、油っこい料理の食べ過ぎ、過度な飲酒といった食の不摂生を続けると、脾胃に湿や熱が溜まって働きが悪くなり、口内炎の症状が現れるのです。  このタイプの人は、まず食生活を見直して、脾胃に負担をかけないよう心がけて。溜まってしまった湿や熱は早めに取り除き、脾胃を健やかに保ちましょう。 <摂り入れたい食材>湿を取り除き、熱を冷ます食材を。どくだみ、はと麦、さんざし、アロエ、しそ、こんにゃく、春雨、寒天、きゅうり、バナナ、いちじくなど※野菜多めのあっさりした食事を基本に! 湿を取り除き、熱を冷ます食材、いちじく PhotoAC 【タイプ3】必要なものが足りない「虚証タイプ」で、「気」が足りない人 <気になる症状>口内炎が治りにくい・繰り返しやすい、疲労感、倦怠感、息切れ、かぜを引きやすい、顔色が白い、食欲不振、軟便、舌の色が淡く腫れぼったい、舌の苔が白い、舌のふちに歯のあとがつく <改善ポイント> 体内の「気」(エネルギー)は、身体の元気や免疫力の基本。気が不足していると、心身の疲労やだるさを感じやすく、免疫力も落ちてしまいます。  このタイプの口内炎は、気の不足で免疫力が低下し、外邪(風、熱、乾燥などの邪気)の侵入を受けやすくなってしまうことが原因。邪気が体内に停滞すると、熱や乾燥の影響で身体を冷やす潤いが不足してしまいます。結果、体内に余分な熱がこもり、口内炎の炎症が起きやすくなるのです。  対策のポイントは、気の源となる「肺」、「脾胃(ひい)」(胃腸)の働きを良くすること。十分に栄養を摂り、しっかり呼吸をして、体内の気を養いましょう。 <摂り入れたい食材>「気」を養い、元気をつける食材を。大豆製品(豆腐、湯葉、納豆など)、いんげん豆、山芋、かぼちゃ、りんご、甘草(かんぞう)など※温かくて消化の良い食事を。生ものは控えめに! 「気」を養い、元気をつける食材、かぼちゃ PhotoAC 【タイプ4】必要なものが足りない「虚証タイプ」で、「潤い」が足りない人 <気になる症状>赤みが少なく微かに痛む口内炎、口内炎を繰り返す・慢性化しやすい、微熱、痩せている、口の乾燥、虫歯になりやすい、便秘気味、舌が少し紅く苔が少ない <改善ポイント> 身体に潤いを与える「津液(しんえき)」や「血(けつ)」が不足していると、体内の熱を冷ますことができず、熱がこもりやすくなってしまいます。この過剰にこもった熱が、口内炎の炎症を引き起こす原因になります。  身体の潤いは加齢とともに失われていくため、特に更年期を迎える40歳以降の人は要注意。また、食べても太らない痩せ型の人にも多いので、こうした体質の人は若い人でも注意が必要です。その他、月経や慢性的な疾患が潤い不足の原因になることもあります。  日頃から、こまめな水分補給、潤いの多い食材選びなどを心がけ、不足しがちな潤いを積極的に養いましょう。 <摂り入れたい食材>潤いを生み、熱を冷ます食材を。はちみつ、干し柿の白い粉、クコの実、レモン、トマト、グレープフルーツ、ぶどう、なし、りんご、卵など※香辛料は、潤いを消耗するので取り過ぎに注意! 潤いを生み、熱を冷ます食材、トマト PhotoAC 【ポイント】暮らしの口内炎対策 ・熱を助長するもの(辛いもの、揚げ物、肉類、酒など)は控えめに。・食事は“新鮮な野菜たっぷり”を心がけて。・タバコなどの刺激はなるべく避けること。・食後のうがいや歯磨きで、口内を清潔に。・虫歯になったら早めの治療を。・便通を良くすることも大切。・できてしまった口内炎には、柿や梅干しを塗るのもおすすめ。 食事は“新鮮な野菜たっぷり”を心がけて PhotoAC 監修:菅沼 栄先生(中医学講師) 監修:菅沼 栄先生(中医学講師)1975年、中国北京中医薬大学卒業。同大学附属病院に勤務。1979年、来日。1980年、神奈川県衛生部勤務。中医学に関する翻訳・通訳を担当。 1982年から、中医学講師として活動。各地の中医薬研究会などで薬局・薬店を対象とした講義を担当し、中医学の普及に務めている。主な著書に『いかに弁証論治するか』『いかに弁証論治するか・続篇』『漢方方剤ハンドブック』(東洋学術出版)、『東洋医学がやさしく教える食養生』(PHP出版)、『入門・実践 温病学』(源草社)など。 本記事は、イスクラ産業株式会社監修の中医学情報サイト「COCOKARA中医学」より、一部改変して転載しました
5分後にすっと心臓が…「大丈夫よ、お母さんが抱っこしてるからね」人生初の猫マメとの出会いと別れ
5分後にすっと心臓が…「大丈夫よ、お母さんが抱っこしてるからね」人生初の猫マメとの出会いと別れ こちらをじっと見つめるマメ(提供) 飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。今回ご紹介するのは、奈良県在住の50代の主婦、杉井直子さんのお話です。昔から犬と暮らしてきた杉井さんは、3年前の夏に初めて猫を迎えました。それまで抱いていた猫のイメージを覆す愛らしさにぞっこん。でも愛猫は思いがけず病気で旅立ってしまい……。募る思いを伺いました。 * * *  子どもの頃から、ずっと犬とばかり暮らしてきました。   子猫を拾ってきても、猫嫌いな母に「捨ててらっしゃい」と言われて。結婚後は近所の野良犬を飼い始めました。主人は猫も好きでしたが、同居した義母がやはり「猫は苦手」なタイプだったので、結局、“犬の切れ目なく、猫とは縁がなく”という生活が続いたのです。  そんな私に、遂に猫と暮らすチャンスが訪れました。名前はマメ。可愛いオスの猫です。 可愛い仕草を見せる(提供)  マメと会ったのは2020年8月。その年の1月に義母が亡くなり、7月にたまたま友だちが子猫を保護し、「里親を探してるんだけど」と連絡が来たんです。うちの犬はみんな貰われてきた子なので、「猫も誰か飼える人を紹介してくれる?」という感じでした。白黒のマメの写真を見て可愛い!と思い、「わかった。里親が見つかるまでの間、預かるね」と言いつつ、心の中はもう「飼いたい」気持ちでいっぱい。  当時、うちには、さくら、むぎ、きなこという3匹のメスの犬がいたのですが、主人は猫が好きなので、「いいね」と言ってくれました。友だちに「引き取り手もなかなか見つからないし、うちで迎えようと思う」と伝えると、喜んでくれました。  子どもたちは「また(動物)増えるの?」と目を丸くしていたけど、こうして、暑い盛りに生後4カ月の子猫が、人生初の猫が、やってきたのです。 犬の中ですくすく育って “猫化”したきなことマメ(提供)  マメは、「もともとうちにおった子かな」と思うくらい、すぐに馴染んでくれました。  野良が生んだ子だけど、人を怖がらず、シャーともせず。犬たちはマメを見て「え、犬ではないの」と違和感があったようですが、まず、ミックス犬のきなこがマメと仲良くなりました。きなこはマメとテーブルの上にお座りしたりと、“猫化”しましたね。 さくらはマメのお母さんのよう(提供)  年長の柴犬さくらは、お母さん的にマメを見守っていました。トイプードルのむぎは「私が一番なのに」と少し迷惑顔でしたが、いつしか無邪気なマメを受け入れました。 むぎはマメを受け入れたよう(提供)  マメは、台所に置いた敷居も軽々と超えたり、エアコンと天井の狭い隙間に入ってみたり、犬にはできない芸当をしました。夜中も犬が寝ている間にひとりで運動会。「猫ってこんなことするんや」と驚くとともに、その行動がすごく面白い。  そうかと思うと犬のような面もあり、私がマッサージ機に寝転がり、「マメちゃん」と呼ぶと、「にゃー(はーい)」といいながら駆け寄ってきて、喉をごろごろ鳴らして甘えました。隠れて悪いこともするので、家族には「デビルマメ」なんていわれていたけれど(笑)。 自分のことを犬と思っていたかもしれない(提供)  犬の中ですくすく育つマメ。可愛くて、それまで持っていた猫のイメージも変わりました。  マメが来た数カ月後、別の方から「里親を探している」という相談を受け、子猫のモチを迎えました。モチはマメと年も近く、兄弟のように仲良しになりました。こうして犬と猫の賑やかな生活がスタート、これがずっと続くんだなとわくわくしました。  ところが……わずか2年で、状況が一転したのです。  仲良しのマメ(左)とモチ(提供) 3つ目の病院でレアな症例だと判明 「あれ?」と思ったのは昨年9月末です。マメに少し変化が起きました。  いつもぺろっとごはんを平らげるマメが、食べ残したのです。しかも、じっとしている。  モチと一緒に遊ぶことが多かったのに、隅にひとりでいたり、ベッドに潜る時間が増えたり。 「おかしいな」と感じて、耳を触ると熱い気がしたので風邪かな?と動物病院に連れていきました。先生は「風邪でしょうね」といい、点滴をしてくれました。それでおさまったと思ったのですが、熱が続きました。ごはんの量も増えずおしっこの状態も気になってきて。膀胱炎を疑い、セカンドオピニオンとして尿路専門の先生のところに連れていきました。  血液検査をすると炎症反応が出て、(膀胱炎でなきにもあらずと)膀胱系の薬をもらったのですが、先生は違う病気も疑ったようです。マメが首をぶるっと振るようにもなり、それを先生に伝えると、細菌が悪さをしているかもしれないと、免疫を上げるインターフェロンを飲むことになりました。 元気で甘えん坊だったマメ(提供)  それでも落ち着かず、10月にはマメの後ろ足が弱り、立てなくなりました。  これはどうみてもおかしい!と思い、今度は大きな動物医療センターに連れていき、全身麻酔をしてCTなどの検査をしました。その結果、脊髄空洞症といわれました。そこにたまった髄液から猫コロナウイルスが検出されたんです。  ふつうは臓器に入り込むウイルスが、マメの場合は脳の方にいってしまい、神経を圧迫して後ろ足が効かなくなってしまったと。「実際に診察したのは始めて。猫では空洞症自体がレアなケースです」と先生がおっしゃいました。なんでマメが?と、茫然としました。  調べると致死率が高く、そのウイルスをたたくための薬は日本では未承認で超高額。そのうえ100%治るとは限らない……。それでも可能性があるならお金をかけても治療しようかと主人とも何回も相談しました。とはいえマメへの体への負担も重たそうで……葛藤しました。  動けなくなったマメは、ごはんの時に寝ころんで、顔を上げて「にゃーん(お母さーん)」と呼ぶ。切ない気持ちで抱っこしながら、前足だけでも動かせるように歩かせてみたり、正座した私の太ももにまたがせて、ごはんを食べさせたりしました。 別れ、そしてマメから学んだこと  その日は突然来ました。後ろ足が立たなくなって約1週間、ちょうど予約していた診察日に別れが訪れたのです。  朝、マメがおやつにむせたので慌てて車で病院に向かい、あとちょっとで病院に到着するところで、マメの息が「うっ」となり、呼吸が止まり、病院についてすぐ人工呼吸をすることに。でも変わりません……。 「あと数分でマッサージを辞めます」と先生に言われ、最後の最後に「がんばれ」と祈るような思いで口にすると、マメが一瞬息を吹き返しました。人工呼吸器をつける選択もありましたが、意識はもう戻らない……。また葛藤したけれど、自然にそのまま、という選択をしました。 「病院でお部屋を用意するのでそこで看取りますか?」と先生が言ってくださったので、マメとふたりだけで過ごせる場所に案内してもらいました。「大丈夫よ、お母さんが抱っこしてるからね」と声をかけて5分くらいしてからのことです。すっと心臓が止まりました。  抱っこして看取れたのが、せめてもの救いでした。 旅立ったマメに別れを告げるモチ(提供) 手にしがみついて甘えることも(提供)  ちょうどマメが亡くなる前、虹が2本出た日があったんです。マメはあの虹を渡るのかなと思いながら、「にじ」という曲をかけて空を見上げたものでした。  マメが亡くなったあと、お母さん代わりだった柴犬のさくらが後を追うように旅立ちました。さくらは老衰だったけど、マメは2歳で元気な盛り。飼育の仕方が悪かったのか、ストレスがあったのか……。台所で家族の食事を作っていてもマメのことを思うと涙が出て、子どもにも「母ちゃんダメだな」といわれるほど。ずいぶん自分を責めた時期もありました。  でもこれは試練というか……、動物たちの寿命はそれぞれで、マメくらい若い子を失くすこともあるんだなと、だんだんと思うようなりました。  みんながみんな老犬老猫の年まで生きて、(飼い主が)納得する形でお別れできるとは限らないんだ。飼う以上はそういうことも起きる。命を迎えるにはそれなりの「覚悟」が必要なのだと、考えさせられました。  治療に関しても、飼い主の最終判断になるけれど、何がその子にとってよい治療なのか、果たしてそれが正しかったのかどうかも結局はわからない。でもそのつらさもいつか“乗り越えないと”いけないんですね。 短くも濃い日々が生き続けていく  マメがいなくなり半年以上が経ちますが、ラインのアイコンもマメのまんま。すぐ身近に感じています。  じつは、マメが亡くなる一週間前に迎えた、ユベシという猫がいます。仲のよい友だちが道端で見つけた白黒の猫で、里親が決まらず、うちでもらうことにしたのです。ユベシが来た時、マメの足は弱くなっていたけれど、まさかその後に急に亡くなるとは思わなかったし、ユベシに会いにいくとすごく私に懐いたので、縁を感じて連れ帰りました。  今はそのユベシが、マメがしたように「にゃーん」と私を呼んで鳴いたり、マッサージ機に寝ころぶと必ずや察知して、お腹の上に来てフミフミしたりします。マメに似ていて不思議です。  まだまださみしく、モチやユベシを呼ぶ時に、とっさにマメ!といってしまうこともあります。猫たちは、いいんだよお母さん、と思ってくれているかな。 マメとの思い出は永遠に(提供)  マメ、うちに来てくれて本当にありがとうね。初めて暮らした猫”がマメでよかった。猫の可愛さも含め本当に色々教わりました。モチやユベシを可愛がれるのも、マメとの出会いがあったからこそ。短くも濃い日々、あたたかな温もりが私の中で生き続けていくでしょう。
「美しい」デザインで社会問題を提起し、解決を目指す デザイナー・社会活動家・幾田桃子
「美しい」デザインで社会問題を提起し、解決を目指す デザイナー・社会活動家・幾田桃子 この社会でみんなが仲良く、楽しく生きていけるようにしたい──。これが彼女の原動力だ(撮影/高野楓菜)  デザイナー・社会活動家、幾田桃子。ファストファッションが世界中を席巻していたとき、廃材をアップサイクルして「消耗されない美しい子ども服」をつくった。国連サミットでSDGsが採択されるよりも前から、「セールをしない」「ゴミを増やさない」「職人を守る」を貫いてきた。デザインには、人と社会を美しく変えるちからがある。職人が丁寧に仕立てた美しい服に、幾田桃子は社会へのメッセージを託す。 *  *  *  東京・新橋駅から歩いてすぐのところに、「堀ビル」という名の古い建物がある。小雨が降り続いた5月半ばの月曜日、その2階にある小さなブティックには、絶えず常連客の姿があった。  そこは、デザイナー・幾田桃子(いくたももこ・47)が運営する「サヴァン・ショールーム」。彼女の店は、2021年に当地へ移転するまで、南青山で18年間「ル・シャルム・ドゥ・フィーフィー・エ・ファーファー」として親しまれていた。  夕方、半年ぶりに訪れたという50代の女性は、艶のあるやわらかいシルクで仕立てた黒いロングスカートを、迷わず購入した。右腿(もも)の部分に反人種差別を意味する「Anti Racism」(アンチレイシズム)の文字が大きく立体的に刺繍(ししゅう)され、大粒のビーズとスパンコールが輝いている。 「自分自身が美しい存在になって、社会に問題を提起していってほしい」  幾田は、このスカートにこめた思いをそう語る。オートクチュールのように一点ずつ仕立てられているが、「みんなが買えるような価格にしている」という。実際、同様の技法でつくられたものは、ラグジュアリーメゾンでは少なくとも2倍以上の価格で売られている。  デザインを使って美しく、誰のことも傷つけないかたちで社会問題を提起し、その解決をめざす幾田がつくるものにはすべて、メッセージが与えられている。Tシャツには「Animal Rights」(動物の権利)の文字が刻まれ、マイクロプラスチックに生命を脅かされている海の生き物たちを、ユニコーンのような姿をした「モチちゃん」が救う絵がプリントされている。「アンチレイシズム」は以前からジュエリーで展開しており、このモチーフのリングを二階堂ふみが20年、NHK紅白歌合戦で司会を務めたときに着用し、注目された。 ■社会や学校の仕組みに幼い頃いつも怒っていた  幾田は内装業を営む両親のもとに生まれ、今も暮らす埼玉県蓮田市の田園地帯で育った。夕方に父と弟と3人で散歩に行くのが日課で、葉っぱを見たり星を数えたりしながら長い距離を歩いた。大人になってからも、実家に帰ると父とふたりで──15年に突然、父が心臓発作で亡くなるまでは──よく散歩に出かけた。父はボランティア精神が旺盛で、公園のトイレが汚れていると、掃除を始めた。「『臭いけどね』と言いながらも明るく楽しそうにやる父を見ていたので、私もそういう感覚で社会活動をしている」と幾田は言う。  現在も近くにいて幾田を応援し続ける母の美津枝は、娘が幼い頃から「為(な)せば成る、為さねば成らぬ、何事も」としつこいほど言い続けた。 「桃子は意志が強くて、自分のやりたいことをやっていく子でした」  幾田自身は「小さい頃、自分はいつも怒っていた」と回想する。「なぜ女性は上座に座らないの?」「なぜ引き取り手のない犬は保健所で殺処分されてしまうの?」。社会のあらゆる仕組みや決まりごとに疑問をもち、憤っていた。学校でも「なぜ運動靴は白じゃないとダメなんですか?」などと先生に質問するので、教室で浮いた存在だった。  発言することが善しとされる場を求めて、高校在学中に交換留学生として米国に渡った。みずから課題を見つけて解決策を考えることに重きを置く米国の教育は、自分に合っていると感じた。  南カリフォルニア大学に進み、国際関係学と女性学を専攻する。「社会をより良くするための、自分なりのやりかた」を模索し始めた頃、環境に負荷をかけている二大産業は石油とファッションであることを、大学の授業で知った。  それはちょうど、彼女が「自分らしい見た目のアイデンティティー」について考えていた時期でもあった。金曜日の夜になると、パーティーやクラブでファッションを使った「実験」をしていたという。ある種のファッションに身を包むと、ある特定の人種の人たちと仲良くなれた。だが見た目を変えたら、その人たちからは声もかけられなくなった。逆に、以前は幾田に冷たい視線を向けていた白人のお嬢さまグループが、彼女たちと似たような格好をすると、友だちになってくれた。人種や社会階層などで集団が形成されがちな米国社会において、「ファッションは区別されたグループに入っていけるパスポートになる」と実感した。そんなすごいちからをもつファッションで、社会問題を解決したい。幾田はそう思い始める。 父のお気に入りだった散歩道を、いまは夫の千々松と歩く。「ふたりで相当な量の会話をするので、ぼくが考えていたことを話すと、桃子さんも同じことを考えていた、ということがよくある」(撮影/高野楓菜)  01年、古着から子ども服をつくる「ル・シャルム・ドゥ・フィーフィー・エ・ファーファー」をロサンゼルスで立ち上げた。日本の高校時代の親友であり、当時英国の芸術大学で学んでいた女性とふたりでデザインし、型紙をつくるパタンナーや縫製の職人は新聞の求人欄で募った。  古着を安く買い集め、シミのある部分を取り除き、残った生地で愛らしいトップスやパンツなどをつくった。でもなぜ子ども服だったのだろう? 「消耗品のイメージが強いけど、子ども服もハイジュエリーのように代々受け継がれていく美しいものだったら、捨てられない。人々の価値観を変え、環境問題に関する気づきを与えられるんじゃないかと思いました」  廃材を再利用して、より価値の高いものを創造するという発想は、今でいうアップサイクルだが、ファストファッションが全盛を誇っていた当時、まだとても斬新だった。試作の段階で偶然、高級セレクトショップ「バーニーズニューヨーク」の販売員の目にとまり、同社の2店舗(ニューヨーク、ロサンゼルス)で販売されることになる。 ■廃材利用でセールはしない 美しいものはいつか売れる  それから数年後、幾田は拠点を日本へ移すことに決め、しばらく米国と日本を行ったり来たりする生活が続いた。夫の千々松由貴(ちぢまつゆたか)と東京で出会ったのもこの頃だ。  芝浦工業大学で建築を学びながらモデルとして活動していた千々松は、幾田のもとで男の子用の服をデザインすることになった。 「就職というより、お手伝いのボランティアでした。気づいたら『この会社にこういうのがあったらいいな、必要だな』と思ったものを提案するようになり、自由にやらせてもらった」  だが、高い理想をもつ幾田のお眼鏡にかなうのは、昔も今も容易ではないという。立体の感覚にすぐれ、細部にまで美しさを宿すことにこだわる千々松の才能は、ジュエリーで開花した。やがて、「なくてはならない存在」になった。  03年、金融機関から融資を受け、幾田は南青山の一角に路面店を構える。このとき、五つの企業理念を掲げた。「セールをしない」「在庫消化率99%/ゴミを増やさない」「職人を守る」「美を育む」「知的交流の場を創る」  廃材を利用し、職人に適正な対価を支払って手間ひまかけてつくるので、そもそも大量生産はしない。服は腐らないし、美しいものは時を超えるから、すぐに売れなくてもいつか誰かが買ってくれる──。国連サミットでSDGs(持続可能な開発目標)が採択されたのは、15年。そのずっと前から、幾田はこうして持続可能でより良い世界の実現にコミットしてきたのである。 (文中敬称略) (文・原賀真紀子) ※記事の続きはAERA 2023年6月26日号でご覧いただけます
長さの単位「メートル」に隠された権力と革命の物語…測定単位はフランス革命によって勝ち取ったものである
長さの単位「メートル」に隠された権力と革命の物語…測定単位はフランス革命によって勝ち取ったものである 来日した当時のアインシュタイン博士  毎日当たり前のように使っている測定単位。とくに、モノの長さを指し示す「メートル」は、日常生活の中でも使わない日はないだろう。しかし、なぜこの単位が使われているのか知っているか考えたことがあるだろうか。世界で多くの人が使っている測定単位「メートル」は、フランス革命によって人類が勝ち取ったものであった。そのメートルの成り立ちを、『測る世界史 「世界の基準」となった7つの単位の物語』(朝日新聞出版刊)を抜粋、再編集し、解説する。 *  *  * ■太古より「測定」は権力の象徴だった  1946年5月3日、リンカーン大学での名誉学位授与式典にアインシュタインが出向いたエピソードから、「1メートル」の物語が始まる。相対性理論を生み出した、現代物理学史上最大の立役者の信念はメートルが生まれた必然と相通ずるものがあったからだ。  相対性理論は「時空」という、すべての物理現象が発生する「環境そのもの」を説明する、宇宙の大原則だ。「もっと小さなものを測りたい、より遠くのものを正確に捉えたい。」と、人間の活動範囲はあらゆる方向に拡大している。かつては権力者が領地・領民の管理のために必要とした測定が、現在では通商産業、技術、科学的探究心のすべてにおいて世界共通で永久不変の単位システムを求めるようになった。この単位システムは人類全体の財産となるはずだ。  長さの計測は、時間と質量計測と同様に最も古く、人間にとって最も身近なものの一つだ。農業など生活の基礎的な活動にも関係している。  起源はエジプト文明からと言われている。古代エジプトでは、度々起こるナイル川の氾濫は土地を肥沃に保つ代償に、耕作地を押し流し土地の境界線を曖昧にする。合理的な税収のために、測量や幾何学が発展していったのだ。  エジプトに限らず、初期の文明では最も身近な基準として人体のサイズが用いられた。肘の先端から指の先端までの長さ「キュビト(約0.5メートル)」は、古代世界の測定単位として非常に広く普及した。聖書の中で308回も登場し、神がノアに箱舟の作り方を示す際にも使われているのだ。  ローマ文明では、最盛期には8万キロメートルにまで及んだ街道を築き、ローマや最寄りの庁所在地からの距離を示すマイル標石(マイル塚)を設置することで支配力を知らしめていた。ちなみに、当時の距離の単位はマイルで、ラテン語の1000歩に由来する。現在の1480メートルだ。1歩の数え方、基準となる身体的な特徴などは文明とともに変化していくが、人体をサンプルにすることから離れるまでには長い時間が必要だった。 ■フランス革命とメートルの意外な関係  広く通商を行う時代になると、地域ごと、文化ごとに用いられた個別の基準では取引に大きな支障が出る。布や紐の販売は、単位長さ当たりの単価に購入量を掛け算するが、相手が変わるたびに単位長さの変化が余儀なくされる。土地についても同様だ。商業活動や所有財産の評価に関しても、社会の最も弱い階層は、地域の権力者に翻弄される歴史が続いた。  ガリレオと共に始まった科学革命が測定システムを普遍的な基準に変えるには、さらに数世紀、100年単位の時が必要だった。  フランス革命は悲劇的な出来事として多くの物語のモチーフになっているが、旧来の時間的権力や宗教的権力からの解放や、新しい「革命的な」単位の基礎を生み出した側面もある。現代まで生き延びている「キログラム」と「メートル」の概念だ。これまでの「誰かにとって有利な基準」を廃止し、地球の大きさにその拠り所を求めたのである  1791年「パリを通過する子午線に沿って測量された北極点から赤道までの距離の1000万分の1」と定められた。  1799年、6年の歳月をかけて測量された長さを元に、後に「アルシーヴ原器」と呼ばれる白金の棒が製作され、1メートルを表す基準サンプルとしてフランス国立中央公文書館に保管される。  ヨーロッパ諸国にメートル法が定着するのは19世紀後半までまたなくてはならなかった。普及には長い時間と多くの労力が必要であり、レプリカの展示や学校の初等教育現場での奮闘が伝えられている。 ■より正確な測定を追い求めて  1875年には17か国が「メートル条約」に署名するなど、国際的な単位として認められ、同時に、正確な基準としてのメートル原器を維持管理する必要と責任が生まれる。条約と同時に設立された政府間組織の国際度量衡局(BIPM)では白金とイリジウムの合金で作成されたメートル原器を保管していた。  どんなに正確に造形し、注意深く管理をしても、物理的な実体を持つものの宿命として、変形や測定誤差が生じる。ピッタリ1メートルの金属から、バーに刻まれた二つの印の間の距離が1メートルなど、より正確に測定し、保持できる方法が模索されるなか、運命の時は近づいていた。  19世紀後半から20世紀初頭にかけては、現代の物理学と技術の基礎を築く数々の大発見が相次いだ。1873年にスコットランドの科学者ジェームズ・クラーク・マクスウェルが発表した『電気磁気論』は、空の青さから電気自動車、加速器の素粒子の動きまでも記述ができる方程式を紹介している。電磁波の存在が実験で証明され、X線が発見される。1887年にヘルツにより光電効果が発見されると、10年後には「原子は陽子と中性子でできた核と、核自体の外側に配置された電子で構成されている」ことを理解するための鍵となる重要な理論が提唱された。  もはや、金属の棒に付けられた目盛りでは世界を測定することができない、新時代がやってきたのだ。 ■光速という最も“平等”なもので測る  1960年、原子番号36のクリプトンという元素が、メートル原器に引導を渡すことになる。クリプトン86原子がエネルギー遷移中に出す光の波長の165万763.73倍を1メートルと定義したのだ。人間の目には赤橙色に見えるこの光が、測定を「自然に委ねる」プロセスの扉を開いたのだ。  アインシュタインの相対性理論では、光はすべての慣性系で常に同じ速度c(光速)で移動することを示した。これが物理学に革命をもたらしたのだ。レーザー光線の登場で1983年にメートルの定義に変更が加えられ、2018年には、国際単位系全体が普遍的物理定数に基づいて再定義された。  現代の科学技術では、クリプトンの赤橙色の光でさえ対応できないほどの高精度を求められる。そこで採用されたのが光速度「c」である。1983年時点で最も正確な値である毎秒2億9979万2458分の1に等しいと定義されている。「秒」は原子時計で計測しており超高精度が実現される。  人類は、物理的物体に依存せず、光速度など普遍的な物理定数に完全に基づくシステムを承認し始めている。真の測定システムが誕生したことに他ならない。 ※ 当初の本文中に以下のような誤りがあり、訂正しました。(誤)「1789年」に「アルシーヴ原器と呼ばれる白金の棒が製作された」→(正)「1799年」に「後に『アルシーヴ原器』と呼ばれる白金の棒が製作された」。メートル条約に署名した年(誤)1975年→(正)1875年 ●著者:ピエロ・マルティンイタリアのパドヴァ大学の正教授。専門は、実験物理学(熱核融合)。物理学の進歩に貢献した人物として、アメリカ物理学会で「フェロー」に選出されている。国際雑誌に120 本以上の科学論文を執筆し、パドヴァでのRFX 実験、欧州特別委員会の「ユーロフュージョン中型トカマク」など、大規模な国際研究プロジェクトの科学責任者を務める。 ●訳者:川島 蓮翻訳・通訳者、文化人類学およびジェンダー学研究者。オーストラリア国立大学博士号取得(PhD., International, Political and Strategic Studies)。NHKワールドニュース同時通訳、在日本メキシコ大使館、国連女性開発基金(UNIFEM、現UN Women)勤務、イタリアのローマ・サピエンツァ大学非常勤講師などを経て、現在に至る。 ●執筆者:富山佳奈利総合電機メーカー、宇宙航空研究開発機構(JAXA)等を経て、2016年よりサイエンスライターとして活動。数多くのインタビュー記事を執筆し、過去21冊以上もの書籍出版に協力した実績がある。
人間関係を変える“四つの小さな自問” 重要なのは「相手を理解」より「共感の努力」を伝えること
人間関係を変える“四つの小さな自問” 重要なのは「相手を理解」より「共感の努力」を伝えること ※写真はイメージです(Getty Images)  誰もが求める「人生の幸せ」。ハーバード大学では84年にわたって2000人以上の人生を調査し、「幸せの研究」をしてきた。そんな長年の研究をまとめたのが、『グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない』(辰巳出版)だ。そこで言及されているのは、幸福な人生において「よい人間関係」が重要だということ。同書で挙げられている人間関係をよくする方法を、一部抜粋、再編集し、紹介する。 *  *  * 「ここにあるのに、私が今まで気づいていなかったものは何?」という質問は、人間関係に当てはめると、非常に大きな効果が期待できる。「この人について、私がこれまで気づいていなかったことは何?」「この人が感じていることで、私がとらえ損ねていることは何?」という質問は、「強い好奇心の大切さ」にも通じるものだ。  誰かと一緒にいても、私たちはその人の経験していることの多くをとらえ損ねている。頭の中で大量の感情や思考が行き交っているからだ。どんなやりとりだろうが、相手が誰であっても(最も親しい間柄であっても)関係ない。だが、究極的に考えたとき、相手の経験について「正しく理解する」ことと「好奇心を寄せること」のどちらが大切なのだろうか?  二〇一二年、筆者はこの問題の答えを探るべく実験を行った。配偶者や恋人と口論になると、雰囲気はギスギスするし、誤解がどんどん重なっていくものだ。そこで、さまざまな背景をもつ一五六組のカップルを被験者として集め、過去一ヵ月間で相手に対して不満や苛立ち、失望を感じた出来事(例えば、約束を守らなかった、重要なイベントの情報を共有してくれなかった、分担している家事をしなかった、など)を一、二文にまとめ、それを読み上げてもらって録音した。その後、互いの録音を再生し、二人で話し合ってもらったが、その際にはその出来事をよく理解しようと努力してほしい、と指示を出した。  被験者には知らせていなかったが、共感の重要性を調べる実験だった。相手の気持ちを正確に理解していることが重要なのか、それとも理解しようとする努力が相手に伝わることが重要なのか? それを知りたいと思っていた。  次に、話し合いの最中の自分の気持ちとパートナーの気持ちについて質問した。また、相手の意図や動機をどう感じていたかも尋ねた。なかには、相手が自分を理解しようとする努力がどのくらい感じられたかを尋ねる質問もあった。  筆者らは、共感の正確性──相手の感情を正しく理解すること──が、関係への満足度の高さと相関すると予想していた。たしかに相関関係はあった。パートナーの感情を理解している場合、満足度も高かった。  だが、もっと重要なのは共感しようとする努力だった。とくに女性の被験者にとってはそうだった。相手を理解しようとする真摯な努力をパートナーから感じた場合、理解の正確さとは関わりなく、話し合いを肯定的に受け止めていた。  つまり、相手を理解するのはすばらしいことだが、理解しようと努力するだけでも、人間関係は大きく改善される。  他者を理解する努力が自然にできる人もいるが、意識しないとできない人もいる。最初はうまくできなくても、努力を重ねると楽にできるようになる。パートナーとの交流では、こう自問してみよう。 ・この人は今、どんな気分だろう? ・何を考えているのだろう? ・私は何か見逃していないだろうか? ・自分が相手の立場だったら、どう感じるだろうか?  そして、できれば、相手に興味があり、理解しようと努めていることを伝えよう──小さな努力ではあるけれども、極めて大きな効果を生む可能性がある。  レオは、家族と過ごした時間が被験者のなかでとくに長いわけではなかったが、長年、この点を改善しようと意識的に努めていたし、実際に家族と過ごす時間をとても大切にしていた。といっても、壮大な冒険や外国旅行に連れていったり、家族との時間に刺激的な企画を目一杯詰め込んだわけではない。その逆だ。レオは日常生活のなかで子どもや妻にしっかりと注意を向け、しかもほぼ一生を通してそれを実践し続けた。家族がレオを必要としているときは、すぐに対応した。話に耳を傾け、問いかけ、いつでも力になると態度で示した。  高校時代に出会った妻のどこに惹かれたのかと尋ねると、知的なところ、気さくなところ、いわく言いがたいミステリアスなところ、とたくさんの面を挙げた。「とにかく惹かれる部分がありました。出会ったとたん、好きになったんです」。だが、妻は自分のどんなところに惹かれていると思うか、と尋ねると、ハッと驚いた。 「正直、考えたことがなかったですね」とレオは言った。グレースへの関心が深すぎて、彼女が自分をどう見ているかなど考えたことすらなかった。  自分自身以外の世界に集中すること、それがレオの人生だった。家族全員が揃ったときも、聞き役に徹してみんなを見守るのが心地いいのだと言っていた。家族同士の関係をじっくり観察し、自然にふるまうようすを眺め、自分と二人きりでいるときとの違いを見るのが楽しかった。家族の仲のよさが活気にあふれる家庭をつくっていた。「家族のおかげですばらしい人生を送れています」とレオは言った。  レオは幸運だった。好奇心を持ち、自分より他者に注意を向けることが当たり前のようにできた。誰にでもできることではない。意識的に努力しないとできない人もいる。生涯を通じて妻に注意を向けたレオだが、子どもたちとの関係では、常に積極的につながり続けたわけではない。子どもたちが家を出てからは話をする機会もどんどん減り、前よりも注意を向けなくなった。第二世代の被験者となった末娘のレイチェルは、三〇代半ばのとき、質問票の自由記述欄に次のように書いている。 父と母を心から愛しています。今年になって、両親と一緒にいる時間を意識的につくらなければならないと気づきました。とくに、父と話をするには。父は子どもたちとのコミュニケーションをいつも母にまかせてしまいます。今は、夜にじっくり話すようにしているので、父を前よりもずっと親しく感じています。  このコメントは、とても大切なことを教えてくれる。デマルコ家は仲のいい家族だった。だが、仲がいいだけでは十分ではないときもある。レイチェルが大人になると、両親とは以前ほど親密ではなくなった。レイチェルはそれが嫌だった。だから、積極的に両親との時間をつくり、父親との絆を取り戻すしかなかった。もともとコミュニケーション能力が高く、親密になる素質のある家族だったが、それでも、努力と計画は必要だった。親密さは自然に生まれるものではない。人生は忙しいものだ。あまりにも多くのことが次々と起こるため、つい受け身になり、流されるままに生きてしまう。レイチェルはこの流れに逆らい、再び両親とつながることを選んだ。  レイチェルは、理由もなくそうしたわけではなかった。若い頃のレオは、本人も気づかぬうちに、絆を育む種を蒔いていた。それが育ち、めぐりめぐってレオ(と子どもたち)に実りをもたらした。レイチェルや他の子どもたちにとって、父親との絆はかけがえのないものであり、他の人との関係では得られないものだった。親子の絆が若い頃のレオの努力の賜物であることも理解していた。  質問票の最後に、レイチェルはこう書き添えた。 追伸。質問票への返信が遅くなってごめんなさい。私は今、山奥の森の中に住んでいて、水道も電気もない生活をしているものですから。締め切りをちょっと過ぎてしまって!  なるほど、親子のキャンプ旅行からの学びは、十分生きているようだ。  デマルコ家の例をつぶさに見ていくと、誰かにしっかりと注意を向けると、相手も自然に同じ姿勢を学ぶことがわかる。愛情や思いやりを与え合い、帰属感を育み、人間関係全般についてポジティブな感情をもつようになり、それがさらにポジティブな人間関係の育成を促し、健康増進にもつながる。レオとデマルコ家の場合、互いにしっかりと注意を向け合っていたことが、家族全員の人生に大きな恩恵をもたらしたようだ。 ■毎日、ほんの少しずつ注意と気配りを増やそう  今よりも時間をかけるべき人間関係を考えてみてほしい、ということはすでにお伝えした。そこで、もう一歩踏み込んだ質問をしようと思う。一緒にいることが多い相手の中で、あなたの注意を十分に受け取っている人は誰か?  思っている以上に答えにくい質問かもしれない。私たちは、注意ならいつも十分に払っている、と思っているものだ。だが、無意識の行為や反応は、なかなか正確に把握しづらいものだ。大切な人に対して十分な注意を向けているかどうかを確認するには、自分自身をよく観察する必要がある。  具体的な方法は人によって変わるが、ここでは簡単な方法を三つ紹介しよう。  一つめは、人生を豊かにしてくれる人間関係を一つか二つ思い浮かべ、相手に今まで以上の注意を向けること。「大切な人に注意を向け、感謝を伝えるために、今日できる行動はあるだろうか?」と考えてみてもいい。  二つめは、一日の過ごし方を少し変えること。とくに、大切な人と一緒にいるときには、注意が途切れない時間をつくること。夕食にはスマホを持ち込まない。あるいは決まった相手と毎週または毎月、定期的に会う時間をもつ。日課を少し変更し、決まった時間に大切な人や新しい友人とコーヒーを飲んだり散歩をしたりしてもいい。情報端末のスクリーン越しのやりとりを増やすより、室内の家具を会話が弾む配置に模様替えするほうがいい。  三つめは、誰かと過ごすときには好奇心を忘れないこと。よく知っている相手、一緒にいて当たり前だと思っている相手に対しては、特別に意識してみよう。訓練は必要だが、すぐに上達するはずだ。「今日はどうだった?」「別に」というやりとりで会話を終わらせず、真摯な関心を寄せること。すると、相手もそれに応えようという気になるものだ。少し冗談っぽく「今日一日でいちばん面白かったことは何?」と声をかけてもいいし、「今日、何かびっくりすることはあった?」という訊き方もある。打ち解けた返事が返ってきたら、「もう少し聞かせてくれるかな。面白そうだし、もっと知りたい気がするな」と掘り下げてみよう。相手の立場になり、相手が体験したことを想像してみること。こういう視点をもつだけで、会話は弾み始めるし、好奇心が相手にも伝染する。相手に興味をもつほど、相手も自分に興味をもつものだと気づくだろうし、このプロセスの面白さに驚くはずだ。  人生は、いつだって気づかぬうちに過ぎ去ってしまう。月日の経つのがあまりにも速いと感じているなら、何かに注意を傾けることが改善策になるはずだ。注意を傾けた対象に生命を吹き込み、自動操縦で流される日々を生きてはいないと実感できるからだ。注意を向け、気を配るとは、その瞬間を生きている相手を尊重し、敬意を払うことだ。自分自身に注意を向け、自分の生き方、自分が今いる場所、将来たどりつきたい場所を確認すれば、最も注意を向ける必要があるのは誰なのか、何なのかが見えてくる。注意は最も価値ある資産だ。注意をどう使うのかは、このうえなく重要な決断だ。幸いなことに、その決断は、今この瞬間、そして人生のあらゆる瞬間に下せるものなのだ。 ●Robert J. Waldinger(ロバート・ウォルディンガー)  ハーバード大学医学大学院・精神医学教授。マサチューセッツ総合病院を拠点とするハーバード成人発達研究の現責任者であり、ライフスパン研究財団の共同創立者でもある。ハーバード大 学で学士号取得後、ハーバード大学医学大学院で医学博士号を取得。臨床精神科医・精神分析医としても活動しつつ、ハーバード大学精神医学科心理療法プログラムの責任者を務める。禅の師でもあり、米国ニューイングランド地方はじめ世界中で瞑想を教えてもいる。  ●Marc Schulz, PhD(マーク・シュルツ)  ハーバード成人発達研究の副責任者であり、ブリンマー大学の心理学教授でもある。同大学の データサイエンスプログラムの責任者であり、 以前は同大学の心理学科の学科長を務め、臨床発達心理学博士課程の責任者でもあった。アマースト大学で学士号取得後、カリフォルニア 大学バークレー校で臨床心理学の博士号を取得。ハーバード大学医学大学院で博士研究員として健康心理学および臨床心理学の研鑽を積んだ後、現在は臨床心理士としても活動している。 ●児島修(こじま・おさむ)  英日翻訳者。立命館大学文学部卒。主な訳書に、パーキンス『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』、ハウセル『サイコロジー・オブ・マネー 一生お金に困らない「富」のマインドセット』(ダイヤモンド社)などがある
工藤夕貴が語る、“ステップファミリー”で子を育てる喜び 「自分にも子どもがいればという後悔はない」
工藤夕貴が語る、“ステップファミリー”で子を育てる喜び 「自分にも子どもがいればという後悔はない」 工藤夕貴(撮影/写真映像部・東川哲也)  過酷な家庭環境で育ち、「私はそこらへんに落ちている石よりも価値がない」と、若いころは自己肯定感を持つことができなかったという工藤夕貴(52)。30歳手前で体も心もボロボロになったとき、ついに自分を変える決意をする。畑でトラクターを乗りこなしたり、真冬の湖に飛び込んだりと、今ではパワフルな生活を謳歌(おうか)している工藤。彼女はいかにして人生を「再生」したのか。 【前編】<「非行少女の母」を演じる工藤夕貴が明かした壮絶な幼少期 「子どものころ、家族愛に飢えていた」>より続く *  *  * ――29歳のとき、健康不安を抱えて追いつめられたことで「生き方や価値観にパラダイムシフトが起きた」とのことですが、どうやって自分を変えたのですか?  まず、その人(※映画祭で出会った、ステージIIIの乳がんを患うカナダ人女性。前編参照)が言うように、オーガニックのものを食べて、野菜中心の食生活にしました。それまでは、おなかがいっぱいになればいいって思って食べていた人間だったので、朝はポテチとコーラで、昼はファーストフードのハンバーガーで、夜もフライドチキンとか、めちゃくちゃな食生活でした。  私、子どものころから1週間に1回は新しい口内炎ができてたんですよ。体質だと思って、当たり前のようにステロイドの薬をつけていたんですけど、食べ物を変えてからは一切できなくなりました。人間の体ってこんなに正直なのかって。ミネラルがきちっと入っている野菜とか、本物の栄養が入っている自然のものを食べてこそ、自分の生命力に変わるんです。あとは運動して汗をかいて、お日様にあたる。やっていることは、本当にベーシックですよね。人間は崇高な生き物ではなく、ただの動物なので、動物として必要最低限のものから離れていくと、体も心もどんどん病んでいくと思います。  精神面で大きかったのは、ヒプノセラピー(催眠療法)と出会ったことです。眠たいときとか、ちょっとぼーっとしているときには、わざとポジティブなことしか自分に言わないようにする。自己暗示です。そうして少しずつ少しずつ潜在意識を書き換えて、自分を変革していきました。今あるものに感謝して、日々幸せに生きられるようになるまでには15年くらいかかりました。 工藤夕貴(撮影/写真映像部・東川哲也) ――その結果、どんな自分に変わりましたか?  心がいろんな囚われから解放されて、フリーになりすぎちゃった(笑)。この前、ある有名なレストランに人を連れて行ったとき、店員さんがすごく感じ悪かったんです。そのとき、ここで私が怒らなくてだれが怒るんだって思って、「ふざけんな!」みたいな感じでがっつり言っちゃったんですよ。  昔は人の陰に隠れて、「ちょっと言ってくれる?」みたいなタイプだったのに、今じゃ自分で腕まくりして、ケンカしちゃう。「言いたいことあるならかかってこいよ、カモーン!」みたいな(笑)。周りからは、「芸能人なんだからそういうこと言わないでください」とかしょっちゅう言われちゃって、猛犬注意みたいになってるんですけど、やっぱり自分に正直でいたいので。  あとは、死に対する考え方も変わりましたね。昔は常に死を意識して、心配ばかりしていたんですが、今はその日その日を生きることをなによりも大切にするようになりました。今の楽しい時間が、神様に許されているぶんだけ続けばいいなって。ただ、できれば母親の面倒は見て、ちゃんと恩返ししてから死ねたらいいなと思うんですけど。 ――お母様は工藤さんが幼いころに家を出て行かざるを得なくなったそうですが(※前編参照)、親子間の確執はなかったのですか?  小学生のときは、なんで私たちを置いて出ていったの?って母を恨んでいました。でも6年生くらいになると、仕方なかったんだっていう事情が見えてきて、ママもつらかったんだろうなーって急にかわいそうになって。それに、母自身も、さらに母の母も、すごく複雑な育ち方をしているんですよ。愛情不足で育ったことで、母親の完全愛みたいなものを表現しきれないっていうのが連綿と続いているんですよね。その中にあっても、母は不器用ながら一生懸命に私を育ててくれたんだなって。  でも、頭ではそうわかっていても、愛情不足っていうのは心の奥に眠っているものなんですよ。自分のなかに広がっているのは、愛情っていう栄養が全然ない畑だから、肥料がほしくて仕方ない作物しか生えてこない状況だった。だから土を変えて、種をまき直したっていう。満たされない部分があるからこそ、紆余(うよ)曲折ありながら、今の自分にたどり着いた歴史があるので、人間はどんな人でも絶対変われると思っています。 工藤夕貴(撮影/写真映像部・東川哲也) ――工藤さんが子どもを持たないという選択をしたのは、幼いころの家庭環境も影響しているのでしょうか?  というよりは、タイミングがあまりよくなくて。もっと若いときに子どもをつくっておけばよかったんですけど、気がついたら適齢期を過ぎていました。だけど、今の旦那に子どもがいて、できる範囲で一生懸命子育てをさせてもらってるから、それで十分かなって。  私自身は父が再婚してから実家に帰れなかったから、彼の子どもに対しては絶対そういう家を作りたくなかったんですよね。だから、「お母さんだと思う必要はなくて、お姉ちゃんとか友達みたいに思ってくれればいい。玄関はいつでも開いているから、お父さんに会いたいときは会いに来てね」って言って、家族になったんです。  でもね、前にその子が本当に困っていたとき、私に相談の電話をくれたんですよ。父親(夫)は怖いから(笑)。それはすごくうれしかったです。お嫁さんを連れてあいさつに来たときも、めちゃくちゃうれしかった。グッときましたね。だから、自分にも子どもがいれば……という後悔は全然ありません。 ――今後の人生に望むことは何ですか?  とにかく気持ちが幸せでいられることが一番大切だと思いますね。世間的な意味での欲がないので。日当たりのいい南向きの平屋に住んで、田んぼと畑を持って、近所に釣りに行って、自分が作ったお米と野菜と自分が釣った魚をしっかり食べる。それが自分にとっての幸せな風景なんですよね。 ――波乱の人生を乗り越えて、幸せをつかめた理由は何だと思いますか?  どんなに病んでいるときでも、私って最低!って自分を嫌いになるような生き方はしてきませんでした。ここでこの人の悪口を言っておけば絶対得するなとか、自分の心のなかで善人と悪人が戦うときも、ぐーっと我慢して。  私、因果応報を信じているんです。うちの母もおばあちゃんも「天に向かってペッって唾を吐くと、自分の顔にかかるよ」って言っていたので。どれだけそのときに得をしたと思っても、人間って死ぬときまでわからない。「あー、いい人生だったな」って死ねる人が本当に幸せな人だと思うので、そんな人生を歩みたいですよね。今のところは順調です(笑)。 (聞き手・構成/AERA dot.編集部・大谷百合絵) ●工藤夕貴(くどう・ゆうき) 1971年、東京都生まれ。中学2年生のとき、音楽番組「ザ・ヒットステージ」で芸能界デビュー。歌手やアイドルとして活動する一方、映画「台風クラブ」「戦争と青春」で主演するなど女優の才能も開花させる。89年の日米合作映画「ミステリー・トレイン」への出演を機に、本格的にハリウッドに進出。映画「ヒマラヤ杉に降る雪」では、ゴールデン・サテライト賞の主演女優賞にノミネートされた。ドラマ「下町ロケット」「着飾る恋には理由があって」「山女日記3」など、近年も話題作への出演が続く。自然農法家の顔もあり、静岡県富士宮市で農業や日本酒の醸造、カフェ経営などに取り組んでいる。
10年で2、3歳しか老けない高齢者は何が違うの? 老年科学者がすすめる「健幸華齢(けんこうかれい)」とは
10年で2、3歳しか老けない高齢者は何が違うの? 老年科学者がすすめる「健幸華齢(けんこうかれい)」とは 年齢を重ねても、若々しく生き生きと人生を楽しみたいですね ※写真はイメージです (c)GettyImages  人生100年時代、自立した生活を長く送るためには、要介護状態になるのを避ける、できるだけ遅らせることが重要です。そのひとつのカギは、立ち上がる時や転倒の防止に必要な「筋力」にあります。本連載では、年齢を重ねた親と子が一緒に考え、取り組んでいきたい「シニアの筋トレ」についてお届けしていきます。4回目は、齢(よわい)を重ねても若々しく生き生きと人生を楽しんでいる人たちの【健康長寿の秘訣】に迫ります。 *  *  *  寿命が延びて、いまや100歳以上の高齢者は全国で9万人以上います。そのため、たとえ何かしらの病気があったとしても、高齢期を健やかに活動的に過ごし、元気長寿を達成することが社会的な課題となっています。世界的に目を向けると、高齢期の生き方のモデルとして「豊かに老いる」ことを意味する「サクセスフルエイジング」という言葉が広がっているようです。 ■年をとっても「総合的な健康度」は若く保てる  健康でいられる期間の長い高齢者の多くは、元気長寿の高齢者「アクティブシニア」として、運動やスポーツ活動を含む日常生活を積極的に楽しんでいます。世の中には、90歳、100歳を超えてもゴルフやボウリング、ウォーキングなど趣味のスポーツを満喫しながら、活動的な人生を送っているアクティブシニアがいます。スポーツ医学の第一人者、筑波大学名誉教授の田中喜代次氏の研究結果によれば、そんな元気な高齢者の場合、10歳年をとっても、「活力年齢」は2、3歳しか増えないそうです。 「活力年齢」とは、動脈硬化や生活習慣病の促進に関わる、血圧・中性脂肪・コレステロール・腹囲・ヘマトクリット(血液中に赤血球が占める割合)・骨強度に加えて、心肺機能(持久力)・動きの素早さ(敏捷性)・バランス感覚(平衡性)などのデータを元にして算出される、総合的な健康度指標です(主成分分析による成人女性の活力年齢の推定.体育学研究,田中喜代次ほか、1990)。  第3回で紹介した「体力年齢」は、体力測定結果から算出される指標で、運動能力が高いほど低くなるものです。この体力の水準に、さらに健康度に関わる身体データを合わせて算出されるものが「活力年齢」です。活力年齢が暦年齢(実際の年齢)よりも10歳程度若い場合、その人は健康・体力指標のバランスが良い(血圧や血液検査結果が良好で、体力が標準または高い)ことが示されます。運動習慣のある人では、活力年齢が暦年齢よりも12歳ほど若くなるという研究結果も報告されているそうです。  田中教授は、サクセスフルエイジングを発展させて「健幸華齢(けんこうかれい)」という言葉を提唱しています。 「健幸華齢とは、身体が健康であるだけでなく、精神面においても生き生きとして『幸せな気持ちで華やかに齢を重ねる』ことを表します。高齢者の一人ひとりが、食べられる喜び、仲間とともに運動・スポーツを楽しめる喜びに溢れ、日々の生活を満喫しながら、積極的に健幸華齢に取り組み、アクティブに生きてほしいと思います」(田中教授)  では、健幸華齢を達成するためには、どんなことをしたら良いのでしょうか? ■高齢期の「余生の質」を保持しよう  お勧めしたいのは、スマートに(賢く、知的に)生きる・老いる、「スマートライフ」の実践です。スマートライフには複数の要素がありますが、それらを通じて高齢期の「ELQ(End of Life Quality: 余生の質)」を保持することができます。  まず初めは、「スマートエクササイズ」です。これは各自が日々の楽しみ・習慣として主体的に取り組んでほしい、一連の「運動」です。食事の献立を主食+主菜+副菜(1)+副菜(2)で組み立てるのと同様に、週当たりのエクササイズも自分の目的、好み、体調、ライフスタイルなどに合わせて、以下の「コーディネーション系」「レジスタンス系」「ストレッチ系」「有酸素系」の四つのカテゴリーのエクササイズから種類と量をバランス良く選んで組み合わせていきましょう。 【4つのスマートエクササイズ】 <1>コーディネーション系:これは動きの巧みさ、バランス感覚などを保持・向上させる運動です。回数に制限はありません。ヨガや太極拳、ラジオ体操、ダンス、卓球などがお勧めです。日常生活では、料理や楽器演奏、囲碁・将棋などが含まれます。 <2>レジスタンス系:筋肉、筋持久力の保持・強化につながる運動です。少しきついと感じる程度の強度で、1セット8~12回を2~4セット、週2~3日程度おこないましょう。スクワットなどの自体重をかけた筋肉トレーニングやダンベル体操、マシントレーニング、ボールエクササイズなどが良いでしょう。日常生活でも、布団干しや階段昇降、イスの立ち座りなどをおこなうと良いですね。 <3>ストレッチ系:柔軟性や関節可動域を保持・向上させる運動です。「心地良い張り」を感じる程度の強度で、反動をつけずにゆっくりとおこないましょう。筋群あたり1回15~60秒、全身で10分程度、毎日おこないます。ストレッチ運動、深呼吸、マッサージなどがこれに含まれます。日常動作では、身体拭きや靴下履きなどの動作が相当します。 <4>有酸素系:これは全身持久力を保持・向上させることができる運動です。ウォーキング、ジョギング、エアロビクス、自転車こぎなどがあります。「ややきつい」と感じる程度の強度で、1回10分以上、1日合計30分以上、週5日以上行うと良いでしょう。日常生活では、散歩や買い物、旅行など、歩く動作の運動です。  以上のような「スマートエクササイズ」による運動の習慣化は、総合体力の維持、向上に役立つのみならず、精神面で「身体が動く喜び」「動ける幸せ」が感じられ、脳神経系の認知機能にも良い影響を与えます。 図 スマートエクササイズ(包括的健康運動プログラム) 食事は毎日バランス良く、運動は1週間でバランス良く。  そして、運動と同じくらい重要なのが「栄養」です。食が細くなり、消化吸収力が低下しやすい高齢期に陥りがちな「低栄養状態」を防止するために、「スマートダイエット」を実践しましょう。糖質と脂質を控えめにすることを原則としながら、栄養バランスの取れた食事法です。  乳製品、卵、肉、魚、大豆製品、野菜、海藻類、キノコ類、果物、米穀類、油脂、砂糖など、いろいろな素材をバランス良く取ることを心がけましょう。標準的な日本食や地中海食のメニューを取り入れるのがおすすめです。地中海食は、食物繊維やビタミンが豊富な野菜、ナッツや果物、全粒粉など未精製の穀類、乳製品、魚介類をバランス良く取ることができる食事です。低飽和脂肪酸のオリーブオイルをほぼ毎日摂取し、肉類を控えて魚介類を多く摂取することで、健康寿命の延伸に効果があるといわれます。 ■主治医に相談して、定期的に飲んでいる薬を見直す  そのほか、高齢者の場合、普段自身が飲んでいる薬による影響を考えた「スマート服薬」を意識することも大切です。例えば糖尿病の薬の副作用で低血糖になり転倒・昏睡を起こしたり、睡眠薬の副作用により認知機能の低下をきたしたりすることがないように気をつけましょう。自己判断で服薬を中止することは危険ですので、飲んでいる薬の定期的な見直しを、年齢や体格、筋肉量を考慮しながら、主治医に相談すると良いでしょう。  さらに、認知機能を賦活させるために、「スマート脳トレ」も組み合わせると良いでしょう。教養を問うようなクイズを解くのではなく、記憶・学習・感情など脳のさまざまな機能を賦活(活性化)させることが大切です。楽しみながら頭(脳)を日常生活の中で積極的に働かせて、知的活動を促進しましょう。  健幸華齢を実現するには、(1)運動・フィットネス、(2)食事・栄養、(3)服薬管理と、精神的な強さである(4)メンタルタフネスの4大要素が重要になります。加齢に伴って起きる生理的老化現象を素直に受け入れ、不必要に思い悩まず、気丈に生き延びるメンタル力を身につけましょう。 提供:筑波大学名誉教授 田中喜代次先生  特別なことを実践するのではなく、日々の生活の過ごし方がうまくなることで健康力が高まります。アクティブシニアになるための初めの一歩として、スマートライフを継続して送れるように、まず心のスイッチを入れることから始めていきましょう。 (取材・文/坂井由美) 【取材した専門家】筑波大学名誉教授 田中喜代次先生
CAMPたかにぃがBBQ芸人のキャンプ道具を10キロ減! たった一つの「コツ」とは
CAMPたかにぃがBBQ芸人のキャンプ道具を10キロ減! たった一つの「コツ」とは CAPMたかにぃ氏(右)とBBQ芸人のたけだバーベキュー氏。バーベ氏の荷物軽量化の悩みに、たかにぃ氏が答えた。キャンプ初心者にも大いに参考になる(撮影/依田裕章)  2010年代前半から始まった第二次キャンプブーム。そのブームは「3密を回避できる」とコロナ禍で加速し、ここ数年でキャンプ場の開業も相次いでいる。家族や仲間と出かける以外にソロキャンパーも増え、たき火重視やキャンプ飯重視、ゴージャスなグランピングからバックパック一つで出かけるウルトラライトスタイルまでと、楽しみ方も多様化している。 『キャンプ道具を軽量化してULな旅を楽しむ ミニマライズキャンプ入門』を監修したCAMPたかにぃ氏は、アウトドアメディア「minimalize gears」の運営者であり、ウルトラライトキャンパーのカリスマだ。  軽量な道具の選び方や活用術、パッキング方法、自転車に荷物を積載するテクニックなど、バックパックキャンプの基本をビギナー向けに解説したこの本の中では、BBQ芸人として活躍するたけだバーベキュー氏と対談。「荷物軽量化」に悩むたけだ氏のキャンプ道具を10キロ減量することに成功している。  カリスマキャンパーのノウハウが1冊につまった初の書籍として話題の『ミニマライズキャンプ入門』から、2人の対談を公開する。 *  *  * バーべ氏のバックパックとトートバッグの中身の総重量は、なんと20キロ!でも、一つひとつ見ていくと、TPOを考え抜いた無駄のないギア構成だった(撮影/依田裕章) たけだバーベキュー(以下バーベ):今回はわたくしバーベのどこからどう見ても重たいキャンプ道具を、見事に軽くしていただきありがとうございました。ウルトラライトキャンプ(UL)ってストイックなイメージがあって、自分のスタイルとは対極であり、縁のないものだと思っていました。でもカッコ良いじゃないですか! 正直内心では憧れていましたし、そぎ落としたい欲求もスゴくあったので……その理想に近付けたことに大満足です。 CAMP たかにぃ(以下たかにぃ):最初運んできたときはかなりの量だなと身構えたんですが、並べてみると思いのほか散らかってはいなかったです。アイテム一つひとつに明確な目的があってさすがだな、と。その分、軽量化作業は苦戦しました! たかにぃ氏の道具選びは至ってシンプル。「キャンプで何をしたいのか」を尊重し目的以外の道具を軽量化した結果、総重量でマイナス10キロが実現した(撮影/依田裕章) バーベ:またそんなこと言って!結果、重量的には半減してますからね。でも確かにやってみた感覚としては、思っていたよりストイックな感じではなかったんです。なのに、これだけ洗練されたのはなんでだろう? たかにぃ:シビアなUL思考の方は洋服のタグを取り除くなど0.1グラム単位で削っていくので、本当にストイックな世界だと思います。私はそこまでストイックにはなれなくて、バックパックひとつに収めて自転車に乗ったりハイキングしたりを目的にしたULキャンパーなんです。でも荷物がコンパクトにまとまるだけで、ずいぶんと変わりますし、自由度は高まるので。 バーベ:その軽量化の基準みたいなのはあるんですか? たかにぃ:バックパックでいえば40リットルまでですね。それ以上になるとちょっと大きいかな?って。道具がそろうまでは大きくてもいいと思いますが。 バーベ:ギアのサイズが小さくなればやりたいことができる、という感覚はすごく納得。何がスゴいって、僕はキャンプするなら一品でもいいから料理をしたい人なんです。その想いをくんでもらっての結果が、これだということ。 たかにぃ:何に比重を置くかは、道具選びでは大事ですよね。私の場合なら料理はインスタントでよくて、アクティビティがメイン。バーベさんは料理がメイン。でもテントに入っている時間は寝るときくらい、ということがわかったので、テント自体をキュッとできたのが大きかったです。 パッキングはULキャンパーのワザの見せどころ。たかにぃ氏自身は、「バックパックの意匠に合わせた素直な収納」を心がけているという(撮影/依田裕章) バーベ:あれには驚いた! 付属のスタッフサックは使わないってところがワザだなと。空気を抜いて極限まで小さくするとテントがあんなに小さくなるんですね。しかもフレームと幕本体を別に収納するというのも目からうろこでした。 たかにぃ:自分がやりたいことに必要なものを持っていけないのは本末転倒。せっかく軽くしても、あれがないこれがないじゃ楽しくないですよね。だから削れるところはできる限り削り、必要なところは極力残す。これが大事だと思っています。今回は、料理道具や使い慣れた熱源は残しつつ、テントやマットなどをコンパクトにすることで軽量化がうまくいきました。 パンパンに詰まったバックパックを背に、両手にも大きな荷物を抱えたバーベ氏は歩くのもしんどそう。たかにぃのアドバイスで両手が自由になった(撮影/依田裕章) バーベ:結果的にはほぼバックパックひとつに収まってしまったのには驚きました。正直、両手に持っていた荷物がなくなるといいなくらいに思っていたのですが、バックパックの両サイドに付けていた拡張用ポーチまで省いちゃいましたからね。両手フリーのままもう少しアイテムを詰められる余力まで残ったので……でもたかにぃ的にはもっと軽量化できるんですよね? たかにぃ:バックパック自体をよりUL志向のものに変えることで、もう少し軽くできるなと。もちろんバーべさんが今使っているバックパックは私も好きなモデルなんです。だから、これはこれで使い続けてほしいと思います。ただ、もうひとつ軽量モデルを買うのなら……。 バーベ:何かオススメのアイテムはありますか? たかにぃ:やはり自分が使っているHYPERLITE MOUNTAIN GEARの「ウィンドライダー2400」。これは決して超軽量モデルではないのですが、その分、耐久性や防水性にも優れているので安心感があるバックパックです。 バーベ:目の前で良いなって思ったものをススメられるとすぐ買っちゃうんですよね。それこそ今、たかにぃの目の前でポチっちゃいそう。実は私、そんな風にして買い集めた末に、いまだ未開封のULギアが段ボールのまま家の中で積まれていまして……。結構家にULな道具がそろっているんです。 たかにぃ:縁のないものと思いながらもしっかり買い集めていたんですね(笑)。 バーベ:そぎ落としたい願望が顕在化しているというか(笑)。でも今回、UL化する方法を学べたのでやっとそれらのアイテムも報われそうです! 次にお会いするときはきっと同じバックパックだと思います。 たかにぃ:良いですね! バックパックの「ペアルック」で一緒にキャンプしましょう! (ライター:岡本546、構成/生活・文化編集部 塩澤巧)
バリ島「世界一エコな学校」は「教科書なし」「備品は廃材」「お皿はバナナの葉」
バリ島「世界一エコな学校」は「教科書なし」「備品は廃材」「お皿はバナナの葉」 グリーンスクールは、校舎や体育館、遊具、机や椅子に至るまで、さまざまな施設・設備が竹で作られている。壁がないのも特徴(写真提供 Green School BALI)  インドネシアのバリ島に、「世界で一番エコ」と言われる学校がある。SDGs人材を育成するインターナショナルスクール「グリーンスクール」だ。2008年に開校。広大なジャングルの中にあり、3歳から18歳までの子どもたち400人ほどがが世界中から集まっている。自然や人、地域とのつながりのなかで子どもたちが主体となっていくつものプロジェクトを動かし、自分たちのアイデアを形にするユニークな授業が行われている。  シリーズ累計100万部突破の「超基本」シリーズ最新刊『やるべきことがすぐわかる 今さら聞けないSDGsの超基本』には、著者の泉美智子さん(子どもの環境・経済・教育研究室代表)が現地を訪問し、エコ教育の最前線を取材したルポが掲載されている。そのルポを、特別に公開したい。 *  *  *  今回、インドネシア・バリまで足を運んだのは、グリーンスクールが2012年に「地球上で最もグリーンな学校」賞を受賞し、エコ教育に特化した学校だと知ったからです。日本でも情報は得られますが、自分の目で確かめたいと思いました。壁がないと言われる校舎で、多国籍の子どもたちの授業をどのように行っているのか。教師陣は子どもたちの自立心や自主性を、どのように育てているのかなど、たくさんの好奇心と疑問を抱えて現地に赴きました。 太陽光発電と水力発電の設備があり、大半の電力を時給しているという。この設備にも竹が使われている(写真 Doddy Obenk)  山を切り開いて作った敷地は橋や川、牧場、畑、カフェテリア、ジム、バイオマス発電施設など、生活に必要なすべてが凝縮されているような場所で、きっと迷子になる子もいるだろうと思うほど。風や光が差し込む竹製の校舎は学校のシンボルで、まさに学校の心臓部。子どもの好奇心や五感を養い、クリエイティブに成長するために重要な役割を果たす象徴的な建物になっています。  取材は放課後のみとのことだったので、授業の様子を見ることはできませんでしたが、動植物への水やりや餌やり、研究に没頭する子どもたちの姿を見ることができました。 コンポストトイレは水を使わず、肥料を作れるトイレ。このトイレで年間9万リットルを節水できる(写真 Doddy Obenk)  廃タイヤを持ち寄って家具を作ったり、車のボンネットを再利用してホワイトボードにしたり、学校内には子どもたちのアイデアで作られたものがあふれていました。これらは子どもたちが「捨てられてしまうもので何かできないか」と自主的に廃材を集めて作ったもの。この学校では一人でも自由に挑戦できる仕組みが確立していて、指導者は過度なサポートを行わないようです。 校内に流れる川を渡るための橋は、子どもたちと先生が数式を解きながら作った。校内に子どもたちのアイデアで生まれたものがあふれている(写真 Doddy Obenk)  世界各国から子どもが集まってきますが、「子どもの自立」や「自主性を育てたい」という学校の強い意志を感じました。グリーンスクールの授業には教科書がありません。例えば海洋プラスチック問題を学ぶ授業では、海に行きゴミを拾う。そこで子どもたちが考えたこと、問題解決の方法を実際に行動させるのです。この「行動」「実行」が一番の肝で、とにかく理解するだけで終わりにしないのが素晴らしい。 カフェでは、子どもたちと近隣住民が協力して育てた野菜や果物を食べられる。栽培には校内で作った堆肥を使い、お皿はバナナの葉で作る。どこまでもエコだ(写真 甲斐昌浩)  給食やカフェテリアで使う皿は、使用後に堆肥にできるバナナの葉を使っていますが、これも使い捨て容器の廃棄問題から生まれたアイデアだそうです。「問題になっている」「自然環境のことを考えなければ」と言っているだけでは、なんの解決にもならないことをよくわかっているのでしょう。  社会の仕組みがわかるような取り組みも、面白かったですね。例えば、子どもたちが種をまいて育てた野菜をカフェテリアで提供したり、愛情をこめて育てた家畜を売りに出すことで経済が回っていることを理解させたり。子どもたちが取り組んだプロジェクトの成果物を商品としてバザーで販売し、会社を作る、販路を開拓するなど、この世の中の仕組みやお金の流れが、机上の勉強ではなく、自分たちの行動とつながって理解できるシステムです。  サル・ゴードン校長もお話しされていましたが、「若い人材の育成」は喫緊の課題であり、そのためには世界の学校のシステム、教育環境を見直さなくてはいけません。教育に携わる人たちは「国からの通達が」「学校は変えられない」とよく言いますが、この学校を見ていると「学校は変えられる」と勇気が湧いてきます。 座学だけでなく、実践を重視。子どもたち主導のさまざまな学習スタイルで知的好奇心を満たしている(写真提供 Green School BALI)  ここの卒業生が人道支援団体などで活躍することも大切ですが、子どもたち一人一人が学んだこと、学校のこと、自然のこと、環境のことを親や友人に話し、その考え方を周囲と共有すれば、それが裾野から広がっていくはずです。  今すぐ何かの形にならなくても、子どもたちの心の中にしみ込んだものが、きっと将来の行動を決めるときの基準や指針になる。それがこの学校で学んだ意義になるのだと思います。「一人だけじゃ変わらないけど、一人からしか変わらない」という卒業生の露木しいなさんの言葉が、学校を見たときにすーっと胸にしみるような気がしました。 (構成/生活・文化編集部 上原千穂)

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