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【生命科学対談】SF作家・瀬名秀明×東北大教授・大隅典子 ヒトゲノム解読完了宣言から20年(後編)
【生命科学対談】SF作家・瀬名秀明×東北大教授・大隅典子 ヒトゲノム解読完了宣言から20年(後編) 東北大学副学長で、脳や神経の発生を研究する大隅典子教授と、『パラサイト・イヴ』などのSF小説をはじめ、科学を題材に執筆する作家の瀬名秀明さん 国際プロジェクト「ヒトゲノム計画」が、人間のゲノム(全遺伝情報)の解読完了を宣言したのは2003年のこと。それから20年、テクノロジーの進化とともに生命科学を取り巻く環境は大きく変化しました。東北大学副学長で、脳や神経の発生を研究する大隅典子教授と、『パラサイト・イヴ』などのSF小説をはじめ、科学を題材に執筆する作家の瀬名秀明さんが、その変遷と課題について語り合いました。前編に続き、後編をお届けします。 ※中高生向けに生命科学の魅力を伝える書籍『マンガdeひもとく生命科学のいま ドッキン!いのちの不思議調査隊』(朝日新聞出版)に収録された特別対談より一部抜粋。 *  *  * AIにビッグデータ。最新テクノロジーをどう活用する? 瀬名 AIはさまざまな分野で応用されていますよね。でも残念ながら、医療現場での活用がうまくいっているとは言い難い現状です。例えば、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)対策として、台湾ではオードリー・タンさん(台湾のデジタル担当相を務める天才エンジニア)が感染追跡アプリを作って感染抑制に貢献しましたが、日本のCOCOAはあまりうまく機能しませんでした。保健所が使っているハーシス(HER-SYS、感染者情報を把握・管理するシステム)や、医療機関のデータベースも仕組みとしてはあるけれど、横の連携がなされておらず有効活用できていません。  理由の一つは、日本人の多くが、医療分野でビッグデータを扱うことに抵抗を感じること。コンピュータに病気の詳細や生活を管理されるのは「監視されているようで気味が悪い」と感じる人がまだ多いんですね。先ほどのコホート研究も、本当は全国民でやったほうがいいと思うんですよ。そうしたら土地や国による違いなど、いろいろなことがわかってきますから。こうしたことを一部の熱心な研究者だけで行うのは難しい。今後はますますビッグデータの活用が重要になってきますから、これから社会に出ていくデジタルネイティブ世代には、有効活用できる手段を考えてほしいなと思います。 大隅 近年の生命科学の世界に強烈なインパクトを与えたものとしては、先ほどの次世代シークエンサーのほか、PCR(ポリメラーゼ・チェーン・リアクション)とCRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)、iPS細胞が挙げられます。  PCRは、コロナで一般の人も知るところになりましたが、そのために開発されたものではもちろんありません。生物や医学をはじめとするさまざまな分野で、遺伝子解析の基礎となっている技術で、開発者のキャリー・マリス博士は1993年にノーベル化学賞を受賞しています。わずかなDNAを短期間で大量に増幅させることができるそのテクニックによって、病気の迅速診断が可能となったり、遺伝子の異常を発見できたり、農作物へ応用したりなど、生命科学は一変しました。 東北大学副学長で、脳や神経の発生を研究する大隅典子教授と、『パラサイト・イヴ』などのSF小説をはじめ、科学を題材に執筆する作家の瀬名秀明さん  CRISPR-Cas9は、画期的なゲノム編集の技術で、エマニュエル・シャルパンティエ博士とジェニファー・ダウドナ博士が2020年にノーベル化学賞を受賞しました。ゲノム編集の第三世代に当たるCRISPR-Cas9の技術は、それまでと比べ物にならないくらい正確なものでした。狙った位置で、望みの改編を高確率で行えるのです。この技術によってゲノム編集に関する研究が一気に加速し、医療や生命科学だけでなく、農業、畜産業、漁業をはじめ、化学産業など広い範囲に大きな社会的なインパクトを与えています。  iPS細胞は、人工的に作られた多能性の幹細胞のことです。京都大学の山中伸弥教授のチームが作製に成功し、2012年、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。iPS細胞は、一般の方には、臓器をカスタムメイドできるという応用面で知られていますが、生命科学界で最も有用なのは、成熟した細胞を多能性を持つ状態に初期化するという基礎的なメカニズムの部分なんです。実際、臓器をカスタムメイドしようとすると、iPS細胞では手間がかかりすぎるので、ES細胞などを使ったほうが効率がいいのです。iPS細胞はむしろ、臓器細胞に分化させて薬の効能をチェックするとか、ミニ脳を作るとか、研究材料として使える点がものすごいインパクトなのです。例えば、自閉スペクトラム症の人の脳は、そうではない人とどう違うのかという研究をする場合、胎児の脳そのものを扱うのは倫理的に難しいですよね。そこで自閉症の方からいただいた細胞を初期化してiPS細胞にして、ミニ脳を培養皿の中で作って比べてみるとか。そんなことも可能になるんです。ちなみに、Pax6は自閉症にも影響を及ぼしているんですよ。 夢物語が現実になるとき、浮き彫りになる課題 瀬名 再生医療やゲノム編集しかり、そうしたことができるようになってくると、湧き上がってくるのが生命の本質への問いですよね。なぜ人は生まれ、死ぬのか。なぜ老いたり、病気になったりするのか。不老不死は可能なのか。人間が遥か昔から追い求めていた永遠のテーマです。荒唐無稽な夢物語だと思っていたことに、なんとなく近づきつつある感触がある。今の時代の生命科学には、そんなおもしろさがあります。 大隅 テクノロジーの発達によって、その哲学的な問いに、生命科学、あるいは一部の脳科学がアプローチすることが可能となってきている実感がありますね。だからこそ、科学者が倫理観を持って研究に取り組むことの重要性が増していると思います。一般の方に向けての伝え方も配慮が必要ですよね。 瀬名 僕は科学を題材にしたSFやホラー小説を書いているわけだけど、めざしているのは、何年経ってもテーマがおもしろいと思われるまま残る小説なんです。例えばiPS細胞で臓器を作ることができなかった時代に、「作れた!」という話を書いたら、そのときは「へえ~」と思うかもしれないけれど、10年後にはおもしろくもなんともないでしょう。科学ってそういう表面的なものではないですよね。謎はもっと深いところにあって。例えば再生医療が普及したとき、身体を治すだけではなく、エンハンスメント(身体などの機能を向上させること)の領域に飛び込むか否かとか、難病が当たり前に治せる時代が来たら、今を知らない子どもたちとどんなギャップが起こるかとか。そういうことまで考えていくと問題はすごく大きくて深いわけです。 大隅 カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』や『クララとお日さま』の世界ですよね。病気の人に臓器を提供するために人工的に作られたクローン人間の話や、遺伝子操作によって知性の「向上処置」を行う社会で、人間そっくりのAIロボットを通して生きる意味を問う話。その社会では当たり前となっていることだけれど、その裏にはさまざまな問題や闇がある。科学者が研究を行う際には、ELSI(エルシー、Ethical,Legal and Social Issuesの略)、つまり、倫理的、法的、社会的課題についても、より慎重に考えていかなければいけない時代になってきていると思います。 【プロフィール】 東北大学副学長(広報・ダイバーシティ担当)および附属図書館長 東北大学大学院・医学系研究科・ニューログローバルコアセンター長 発生発達神経科学分野 教授 大隅 典子 さん 1960 年、神奈川県生まれ。東京医科歯科大学大学院・歯学研究科・博士課程修了。歯学博士。歯科医師免許取得。国立精神・神経センター・神経研究所室長を経て、1998 年から東北大学大学院医学系研究科・教授に就任。専門は発生生物学、分子神経科学。著書に『脳からみた自閉症 「障害」と「個性」のあいだ』(講談社ブルーバックス)、『脳の誕生 発生・発達・進化の謎を解く』(ちくま新書)など。 作家 瀬名 秀明 さん 1968 年、静岡県生まれ。東北大学大学院薬学研究科博士課程修了。薬学博士。1995 年、大学院在学中に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞を受賞しデビュー。SF 小説をはじめ、ロボット学や生命科学など科学をテーマにした著作を多数執筆。1998年、『BRAIN VALLEY』で日本SF 大賞を受賞。2006 年より3 年間、東北大学工学部機械系特任教授を務めた。
高血圧の基準がゆるい高齢者 「もう年だから」に医師「家族の生活はどうなると思いますか」
高血圧の基準がゆるい高齢者 「もう年だから」に医師「家族の生活はどうなると思いますか」 ※写真はイメージです(写真/Getty Images) 高血圧と診断された患者の半数が医療機関を受診しておらず、さらに受診した人でもしっかり治療をして目標値まで血圧を下げられた人は、その半数といわれます。つまり、高血圧の人の約4分の3が血圧を適切にコントロールできていない、それが日本の現状なのです。一方、高血圧は早く治療するほどコントロールしやすく、休薬や断薬が可能になることもあるといわれます。「自覚症状がなくても早期治療」を合言葉にできるよう、週刊朝日ムック「手術数でわかるいい病院」編集チームが取材する連載企画「名医に聞く 病気の予防と治し方」からお届けします。「高血圧」全3回の3回目です。 *    *  * ■支える家族のためにも積極的な治療を  高血圧の人の多くは自覚症状がなく、一見、とても元気です。しかし、放置すると動脈硬化が進み、ある日突然、重い病気を起こすことがあります。  兵庫県尼崎市で、日々多くの患者の診療にあたる勝谷医院院長の勝谷友宏医師は、「これらの病気は患者さんだけでなく、ご家族の生活も一変させてしまう」と話します。  勝谷医師は、大阪大学で20年間、高血圧やアルツハイマー病などの診療と研究に携わってきました。父の後を継いで同院院長となり、病気の治療から予防、介護の相談など幅広く地域の人々の健康をサポートしながら、現在も千里金蘭大学や大阪医科薬科大学で教鞭を執っています。また、日本高血圧学会理事として、高血圧に関する研究に携わるなど治療の進歩や医療連携などにも貢献しています。 「高血圧が引き起こす病気は、脳卒中(脳梗塞・脳出血)や心筋梗塞などで、運よく命が助かっても半身不随や寝たきりなど、要介護状態になるリスクも高い。ある日突然、人の手を借りなければ何もできなくなってしまうのです。『元気なのになぜ治療しなきゃいけないのか』『もう年だから何があってもいい』という患者さんもいますが、『あなたはよくても、ご家族の生活はどうなると思いますか』と話します」(勝谷医師)  高血圧はほとんど自覚症状がないため、多くは健康診断で見つかります。血圧の基準には、病院で測る「診察室血圧」と、自宅で測る「家庭血圧」があり、病院では緊張などにより血圧が高くなりやすいため(白衣高血圧)、家庭血圧のほうでは低い基準が用いられます。  日本高血圧学会が定める基準では、診察室血圧の最高血圧が140mmHg以上、かつ/または最低血圧が90mmHg以上、家庭血圧の最高血圧が135mmHg以上、かつ/または最低血圧が85mmHg以上で高血圧と診断します。  佐賀大学病院副病院長・循環器内科主任教授の野出孝一医師は、「健康診断などで血圧値がこの基準以上だったら、自覚症状がなくても受診してほしい」と話します。  野出医師は、大学病院で長年にわたり循環器病の診療や研究に携わり、2022年には日本高血圧学会の理事長に就任。同学会が展開する「高血圧の国民を10年間で700万人減少し健康寿命を延ばす」プロジェクトを牽引し、高血圧の予防や早期治療のための啓発にも積極的に取り組んでいます。  高血圧と診断されたら、血圧値と患者の年齢、ほかの病気の有無、家族歴などにより、治療を始めるタイミングや治療目標を検討します。 「一般的に、140mmHgぐらいであれば、まずは生活指導をおこないます。食事などでの生活改善を試みながら1、2カ月様子をみて、改善しない場合は薬物療法を開始します。ただし、糖尿病などの合併症がある人や、家族に高血圧や脳卒中になった人がいる場合などは、すぐに治療を開始します」(勝谷医師) ■「夜間高血圧」や「早朝高血圧」にも注意  本来、血圧は夜寝ているときがいちばん低く、朝起きてから数時間が最も高くなります。しかし、夜も高い「夜間高血圧」や、朝でも正常の範囲を超えて血圧が上がる「早朝高血圧」と呼ばれるタイプもあり、腎臓病や糖尿病、肥満、睡眠時無呼吸症候群の人などに起こりやすいといわれます。 「例えば、体内に塩分や水分がたまっていると、本来は血圧が下がる夜間も血圧を上げて体外に排出しようとするため、夜も朝も、ずっと血圧が高い状態が続くのです」(同)  このようなタイプは、心臓や血管にかかる負担が大きく、脳卒中や心筋梗塞などのリスクがより高くなるため、早期治療が必要になり、治療により血圧をどこまで下げるかという目標(降圧目標)も厳しくなります。 「高血圧治療ガイドライン2019」では、75歳未満の成人の降圧目標が診察室血圧で130/80mmHg未満なのに対し、75歳以上の高齢者は140/90mmHg未満と、少しゆるく設定されています。高齢になるとさまざまな病気を持つ人が多く、体調や体力に個人差が大きいこと、血圧の変動が起こりやすいことなどにより、一概に降圧の基準を定めることが難しくなるためです。  ただし、高齢でも血圧が高い人はしっかり下げる必要があることに変わりはありません。「高齢者は基準をゆるくしていい」と一概にいうものではなく、一人ひとりの患者に適切な降圧目標を、医師と相談して設定することが必要です。  高血圧の治療に使われる薬は、近年、種類が増えており、それぞれで血圧を下げるしくみが異なります。 「血管拡張薬」とよばれる、血管を広げることで血液の流れをよくして降圧する薬では、「ARB(アンジオテンシンII受容体拮抗薬)」「ACE阻害薬(アンジオテンシン変換酵素阻害薬)」「カルシウム拮抗薬」などがあります。  また、腎臓でのナトリウムの再吸収を抑えることで尿量を増やし、体内の血液量を減らす「利尿薬」もよく使われます。  ほかに、心臓の負担を減らすことで血圧を下げる「β遮断薬」。ナトリウムの再吸収を防ぐなどして降圧する「選択的アルドステロン拮抗薬」、血管拡張作用や利尿作用などがある「ARNI(アンジオテンシン受容体ネプリライシン阻害薬)」などが使用されることもあります。 「高血圧の原因や合併症などにより、例えば、塩分過多の人なら利尿薬、血管が収縮している人ならカルシウム拮抗薬、心不全を合併している人ならARBやACE阻害薬にβ遮断薬も検討するなど、それぞれの患者さんに適した薬剤を選択します」(野出医師) ■治療で高血圧が改善すれば、薬を一生飲み続ける必要はない  多くの人が「高血圧の薬は一生飲み続けなければならない」と思うようですが、「それは誤り」と両医師は口をそろえます。治療により高血圧が改善すれば、薬を減らすことも、やめることも十分に可能だといいます。 「症状の改善については個人差がありますが、明確なのは、早く治療を始めたほうが治る可能性は高いということ。高血圧に長期間さらされると血管は硬くなり、戻らなくなります。血管のしなやかさが失われる前に、早く治療することで改善し、薬を飲まずに生活できるようになることもあります」(勝谷医師)  受診する場合は、「まずは内科のかかりつけ医への受診でいい」と両医師は話します。 「持病があってかかりつけ医にみてもらいながら、一緒に血圧の管理・治療をしてもらっている人は大勢います。近くてすぐに行ける、何かあれば気軽に相談できるなど、信頼できるかかりつけ医がいることが大事です。必要があれば、より高血圧の治療に詳しい専門医に紹介してもらえるでしょう」(勝谷医師)  降圧薬の進歩が著しい一方で、高血圧患者のうち、きちんと降圧目標までコントロールできている患者は約27%といわれています。 「高血圧患者の半分は病院を受診しておらず、受診してもその半分の人はしっかり治療できていないのが現状です。これらの患者さんの血圧を降圧目標まで下げることができれば、脳卒中は2~3割減少するともいわれています」(同)  そのためにも、勝谷医師は「生活習慣の是正と降圧剤による治療を両輪に、社会全体で高血圧の予防・治療に取り組むことが大事」といいます。 「国を挙げて減塩政策を実践し、成功したのがイギリスです。減塩に取り組む企業に対しては減税し、そうでないところは増税して、主食のパンを中心に少しずつ塩分含有量を減らしました。それにより国民全体が減塩でき、年間1万人の循環器疾患による死亡者が減ったとされています」(同)  野出医師も、「社会的予防が重要」と話します。日本高血圧学会では、食品のおいしさをできるだけ維持しつつ塩分を減らす取り組みを産業界に提言し、とくに減塩に貢献している製品に「減塩食品アワード」を授与。多くの企業の協力により、2013年以降で累計8530トンの減塩につながっています。  さらに、早期の啓発を目的として、中学生と高校生が対象の高血圧の授業や血圧測定も開始しました。 「若い世代に高血圧を理解し、関心を持ってもらうため、佐賀大学と佐賀市の学校が連携し、高血圧の授業と血圧測定をおこないます。来年度からは学校での血圧健診も始める予定で、早期からの血圧管理・生活改善で将来の高血圧を予防すること、子どもの血圧管理をきっかけに家族全員の生活改善と高血圧予防につなげることを期待しています。まずは週に2、3回でもいいので、家庭で血圧を測る習慣をつけましょう」(野出医師) (文・出村真理子) 勝谷医院 院長 勝谷友宏(かつや・ともひろ)医師 1989年、和歌山県立医科大学卒業。93年、大阪大学大学院修了、スタンフォード大学医学部Falk心臓血管研究所 postdoctoral fellow、98年大阪大学医学部助手などを経て2019年、同大学院招聘教授に就任。09年から勝谷医院院長。大阪医科薬科大学教育教授など、大学でも教鞭を執る。日本高血圧学会理事、日本抗加齢医学会理事、日本血管不全学会理事、兵庫県内科医会会長など。医院の診療で地域の人々の健康を支えつつ、大学や学会での研究などにも参加し、高血圧に関わる研究での受賞も多数。 勝谷医院 院長 勝谷友宏医師 佐賀大学病院副院長・循環器内科 主任教授 野出孝一(ので・こういち)医師 1988年、佐賀医科大学医学科卒業、大阪大学病院第一内科医員。97年、同大学院修了。ハーバード大学博士研究員、大阪大学第一内科講師を経て、2002年から現職。22年、副病院長に就任。日本循環器学会常務理事・学術委員長、日本高血圧学会理事長なども務め、高血圧などに関する研究、啓発活動、国民の健康増進のために尽力。 佐賀大学病院副院長・循環器内科 主任教授 野出孝一医師 連載「名医に聞く 病気の予防と治し方」を含む、予防や健康・医療、介護の記事は、WEBサイト「AERAウェルネス」で、まとめてご覧いただけます
佳子さまに勧める「本当のひとり暮らし」 皇族たちの「特権」と経済的な余裕
佳子さまに勧める「本当のひとり暮らし」 皇族たちの「特権」と経済的な余裕 「第22回東京都障害者ダンス大会ドレミファダンスコンサート」に出席し、拍手を送る佳子さま=7月17日、東京都渋谷区  約30億円をかけて増改築工事をした宮邸に移らず、「ひとり暮らし」を始めた秋篠宮家の次女・佳子さま。宮内庁は「経費節減のため」と説明するものの、その根拠は示されておらず、国民からの共感を得るのは難しそうだ。「世間」に出て活動する女性皇族もいるなか、皇室に仕えた人からは「いっそ真の『独立』をなさっては」との声も聞かれる。 *   *   * 「あれでは、どうもいけませんね」  佳子さまの「ひとり暮らし」騒動に、皇室に長く仕えた人物はため息をついた。  約30億円をかけて宮邸の増改築工事をしたのならば、一緒に住むのが普通。「ひとり暮らし」の目的が経費節減ならば、根拠を示さなければ国民の納得は得られないのが当たり前だと話す。  天皇家の歴史に詳しい国士舘大の藤森馨(かおる)教授は、こう説明する。 「財政にそれなりに余裕のあった戦前の皇室とは違います。終戦の際、昭和天皇の母である貞明皇太后は『維新前に戻るだけですね』とおっしゃったといわれています。  たとえば江戸時代、禁裏御料(きんりごりょう)と呼ばれた皇室の所領はわずか3万石。小大名や余裕のない公家よりも経済的には厳しい状況でした。その3万石のなかから、人件費や日常の生活をまかなっていたのです。皇室はむしろ、そうした時代が長かった」  高齢化と少子化が顕著な皇室において、公務を支えてきた秋篠宮家。皇嗣家ともなれば、海外の王族や賓客の接遇も宮邸で行われる。宮邸の増改築に相応の費用もかかるのはやむを得ない部分もあるだろう。 「確かに佳子内親王が公務に励んでおられるのは、国民の目にも明らかです。しかし、公務の内容と住居の広さは関係ありません。広く独立した住居が必要だという理屈は、飛躍がすぎるのではないでしょうか」と、藤森教授は指摘する。 ■大学近くの「自宅」から通学  学業や活動の必要から、東京・赤坂御用地とその周辺にある宮邸以外に住まいの拠点を置く皇族もいる。  たとえば、高円宮家の三女・守谷絢子さんは、千葉県にキャンパスのある城西国際大に在籍中、大学の近くの一戸建てから通学していた。  また、日本の伝統文化を伝える一般社団法人「心游舎」の総裁として全国で活動し、京都産業大や京都市立芸術大、立命館大、国士館大や国学院大などに客員教授や特別招聘教授、研究員などとして務めている三笠宮家の故寛仁親王の長女・彬子さまは、関西に拠点を確保しているという。  彬子さまを知る人物は、こう話す。 「私が知る範囲では、大学での講演会や特別講義をなさっても公務の一環という形をとり、謝礼を受け取ることはなさらなかった」  皇族であっても天皇の直系ではない彬子さまや高円宮家の長女・承子さまなど女王が受け取る皇族費は、佳子さまら内親王の7割程度だ。そこから家を維持する人件費や生活費、さらに宮家の女性皇族に限っては学費も皇族費からまかなう必要がある。  また、活動範囲が広ければ、支出も比例して増える。経済的に余裕のある皇族ばかりではないとは、よく耳にする話だ。 ■いっそ御用地を出て  そうはいっても、世間からみれば少なくない金額を毎年受け取るという「特権」を享受する立場にあるのが皇族だ。皇室に仕えた別の人物も、こう嘆く。 「佳子さまもよいご年齢なのだから、ご両親と距離を置きたいこともあるでしょうと、秋篠宮家に寄り添った感想を漏らす宮内庁の人間もいます。しかし、金銭的な事柄で国民に説明できなかったり、国民の共感を得られなかったりする状況は、皇室にとってよいことではありません。  それほど、おひとりで暮らしたいのであれば、9億8千万円の『分室』ではなく、いっそ赤坂御用地の外に出て、おひとり暮らしをなさるのもよろしいのではないか」  宮内庁は今年4月、積極的な広報や情報発信の強化を見すえて「広報室」を新設したばかり。秋篠宮邸の増改築工事における「経費節減」の根拠を示すことこそ、国民との信頼を結ぶ情報発信へとつながるのではないだろうか。 (AERA dot.編集部・永井貴子)
「殺人的な攻撃をされたのは9回」 ツキノワグマを50年追い続ける写真家・米田一彦
「殺人的な攻撃をされたのは9回」 ツキノワグマを50年追い続ける写真家・米田一彦 広島県、2013年7月。なぜ、このように倒木の上や土が露出した所で眠りたがるのか。クマはマムシ避け、害虫避け、それに腹部の冷却をしているようだ(撮影:米田一彦)    ツキノワグマを追って50年になる米田(まいた)一彦さんによると、クマは本来、臆病な動物で、人間の存在を察知すると、そっと逃げていくという。 *   *   * 「クマは森林の動物ですから、森の中にいるときは非常に穏やかな顔をしているんですよ」  米田さんの作品には、夏の小川のせせらぎのなかであおむけになって気持ちよさそうに昼寝をするクマの姿や、森の中に座ってのんびりと毛づくろいする様子が写っており、なんともほほえましい。  一方、狭い穴の中で迷惑そうな目でこちらを見るクマの写真もある。 「これはクマが越冬している穴の中にカメラを持った腕を突っ込んで、ストロボをたいて写した写真です。カシャっと撮った瞬間、ガーッとカメラをかじられた。レンズに装着したフィルターに穴が開いた」と、淡々と語る。  これまでに米田さんが出合ったクマは数えきれない。襲われることも珍しくない。 「一般的な攻撃とは違う、殺人的な攻撃で襲われたのは9回。捕まえるときに麻酔で失敗したとか、越冬穴に入ったら襲ってきたとか」  いずれも重大な事故にならなかったのは、経験によってクマの動きを読めたからだという。 広島県、2012年7月。クマは森の中では自由自在、座って20分も毛づくろいをしていた。動きは黒い毛皮を着た人のようだ。北米先住民も、そう言う(撮影:米田一彦) ロボットカメラは嫌い  米田さんは1948年、青森県十和田市で生まれた。秋田大学を卒業後、秋田県庁に就職し、生活環境部自然保護課に配属された。 「50年前、行政も研究者も、クマのことは何も知らなかった。研究は全く揺籃(ようらん)の時期だった。クマの管理といえば駆除がほぼ100%だった。そこで不法な捕殺行為がたくさん行われていた」  米田さんの業務は農作物被害をもたらす野生動物や、希少生物の確認だった。 「その際、写真を撮って確認を行うんですが、それをきっかけに、写真に凝るようになった。『アサヒカメラ』もずいぶん読みましたよ。それで、機材をたくさん買わされた。大迷惑ですよ(笑)」  昭和40~50年代はニホンカモシカによる食害が深刻だった。 「それで撮影したカモシカの写真を何げなく『アサカメ』に送ったら、カラーで大きく掲載された」  米田さんはいわく、「カモシカは明るいところに出てくるから、撮影は簡単なんです」。 「一方、クマの撮影は難しかった。森の中は暗いので、高感度フィルムを使ってもほとんど写らない。なので、クマがやってくる場所にロボットカメラなどを仕掛けて、ストロボをたいて撮るしかなかった」  ロボットカメラというのは、クマがカメラの前を横切ると自動的にシャッターが切れる仕組みだ。 「でも、ロボットカメラは好きじゃない。できるだけ自分の手でシャッターを切りたかった」 広島県、1998年8月。枯れ木にニホンミツバチが巣をつくっているが爪で破壊できず、上から入ろうとしている。ミツバチの蜜はもちろん、クロスズメの幼虫も好物だ(撮影:米田一彦)  米田さんは森の中に1畳ほどのスペースの小屋を設け、クマが訪れるのをじっと待った。 「クマは来る場所は決まっています。夏は沢で草を食べているし、秋は実のなる木の上にいる。そこにカメラを仕掛けて、クマが来たら遠隔操作でシャッターを切る。昼も夜も、日曜日も。ずっと仕事の延長だった」 「動物写真家とやっていることは変わらないですね」と、筆者が言うと、「へっへっへ」とうれしそうに笑う。 秋田から広島へ  ちなみに、最近のクマの研究は、クマにGPSを装着して人工衛星で行動を追跡したり、体毛やふんなどから取り出した遺伝子の分析が主流になっている。  それに対して、米田さんの研究は、山に分け入って、クマはどのようなところで暮らしているのか、「森を見る」と表現する。 「最近の研究者はずいぶん遠くからクマを見ている感じがします。彼らが話すクマの生態は、本当のクマの生き方とは違うような気がしてね」  86年、米田さん秋田県庁を退職し、90年にフリーのクマの研究者として広島県廿日市に移住した。 「環境省が『西日本のクマの実態は全然わからない。研究者が誰もいない』って、言うんですよ。それで、こっちに引っ越してきた。広島県の一番山奥です」 広島県、2013年7月。若いクマは林内では見晴らしのよい地点から危険なクマがいないかうかがう。ブナ林内でクマを待つのは非常に寒くて私は主に夏に観察する(撮影:米田一彦)  秋田県とは異なり、中国地方に生息するクマは「絶滅のおそれのある地域個体群」に指定されている。  クマとの共存を訴える米田さんは、農作物被害を防ぐために捕獲したクマを殺さずに山奥に放つ「奥山放獣」を始める一方、これまでと同様、クマの観察や撮影を続けた。 「最近はカメラがデジタルになって、感度がすごく上がったのと、さまざまな画像処理が施せるようになったので、暗くて陰影の強い森の中でもふつうに撮れるようになりました」 秋田で撮り続ける理由  米田さんは7月18日から東京・新宿のニコンサロンで写真展「クマを追って50年 思い出の40コマ」を開催する。 「写真作家の登竜門と言われるニコンサロンに応募して、通ったわけですから、もう写真家だよね。ははは」 秋田県、2021年7月。雨の中に直立して6メートル先の私を見続ける。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」五段目に出て来る雨に濡れた「斧定九郎」みたいな虚無感と殺気を感じて足がすくんだ(撮影:米田一彦)  展示作品の約半数は自宅のある広島県で写した写真だが、その他は比較的最近、秋田県で撮影したものである。理由を尋ねると、衝撃を受けた。 「秋田の写真は16年に4人が殺された『人狩り熊』の延長で撮影しています。個体識別をする必要があるので、クマの顔写真を全部撮っています」  山菜採りに入山した4人が死亡、4人が重軽傷を負った本州最悪の獣害事件、いわゆる「十和田山熊襲撃事件」である。  事件はすでに終息しているはずだが、なぜ今も当時の現場に通い、クマを撮り続けているのか。 「あの事件は1頭が起こしたわけじゃないんですよ。関係したクマが6、7頭いる。それが、どう駆除され、残存しているのか、写真を撮って、識別している」  先に書いたように、クマは基本的に臆病な動物で、不意に鉢合わせしたりしなければ、まず人を襲うことはない。 「ところが、クマが人を襲う重大事件はどの地域でも同じように起きているのではなくて、特定の地域で継続して起きている。そこには攻撃性の強い、凶暴な家系のクマが生息していると、研究者の間では言われています」 秋田県、2020年7月。牧草に隠れるぐらいの幼熊を2頭つれた100キロ級のメスグマ。クローバーを食べている(撮影:米田一彦) それでも襲われる  広島県の自宅周辺の森では5メートルくらいまでクマに近づいて顔のアップを写したりする。クマの対処法を知っているので、それほど怖くないという。  一方、秋田県で写した写真の多くは大豆やソバの畑にやってきた来たクマである。 「畑で撮るのが一番怖いですね。相手からこちらが必ず見えていますから。もちろん、気づかれないように『だるまさんが転んだ』方式で接近します」  クマが他の方向を見ているときに、たたっと走って、止まり、クマにレンズを向ける。 「この母子グマの写真は距離10メートルくらいです。非常に緊張しました。子連れの場合はどう反応するか、わかりませんから」  襲われた場合は、催涙スプレーの一種である「クマ撃退スプレー」を使用する。 「これまでに何回もクマスプレーに助けられました。メーカーによると、90%の撃退実績があるそうです。でも残り10%はそれでも襲われる」  米田さんは「クマがクマの世界で暮らしている姿をみんなに見てもらいたい」と言う一方、「場合によってはクマは害獣でもある。だから殺すことも手伝ってきた」と語る。 「私はクマの被害対策をずっとやってきたわけですが、今、山村の人々の被害意識と、都市住民の愛護の意識との乖離(かいり)がひどいんですよ。クマを捕獲すると、地元の自治体に『殺すな』と電話がたくさんかかってきて、事務停滞を引き起こす。なので、都市住民にもクマの実像を伝えたい。日本の中心で写真展をやるなんて、望まなかったんだけれど、やることになっちまった、という感じです」 (アサヒカメラ・米倉昭仁) 【MEMO】米田一彦写真展「クマを追って50年 思い出の40コマ」 ニコンサロン(東京・新宿) 7月18日~7月31日
ローソン社長・竹増貞信「注目のプラントベース食材 代替卵のサンドイッチ食べ比べて」
ローソン社長・竹増貞信「注目のプラントベース食材 代替卵のサンドイッチ食べ比べて」 竹増貞信/2014年にローソン副社長に就任。16年6月から代表取締役社長 「コンビニ百里の道をゆく」は、53歳のローソン社長、竹増貞信さんの連載です。経営者のあり方やコンビニの今後について模索する日々をつづります。 *  *  *  環境への負荷の少ないサステナブル(持続可能)な食材として、植物性原料で作った「プラントベース」の食材が注目されているのをご存じでしょうか。  ローソンでも2017年から、大豆ミートを使ったパスタやおにぎりなどを順次販売してきて、好評をいただきました。それらに続いて7月4日から、植物由来の代替卵を使ったサンドイッチ「食べ比べ!2種のスクランブルサンド」を、関東甲信越エリアにある約4800の店舗で発売しています。  豆乳加工品ベースからできた卵の代替食品に、ポテト、ハム、きゅうり、玉葱を合わせたサラダ仕立てのサンドイッチ。鶏卵を使用したスクランブルエッグとハム、レタスを挟んだものとセットでの販売です。今回のような規模での代替卵を使った商品は、コンビニ業界で初の試みです。  背景の一つには、鳥インフルエンザの拡大や飼料高騰などの影響で高止まりする鶏卵価格があります。本来、卵は価格が安定している点や、良質なたんぱく質がとれる点で食品の中でも「優等生」であり、必需品です。  鶏卵不足は徐々に回復してきていますが、私たちとしてはお客様の生活を持続的に支えるために、チャレンジが必要でした。 植物由来の代替卵を使ったサンドイッチ「食べ比べ!2種のスクランブルサンド」  プラントベースの代替食材で安定した価格をしっかりと実現していくことが、サステナブルの観点から必要となる植物由来の食材をより広めていくことにつながる、という思いもありました。  植物由来の代替卵と言われても、食わず嫌いの方もいらっしゃるでしょう。そこで今回、通常の鶏卵を使ったサンドイッチと食べ比べができる仕組みにしました。  ぜひ「面白がって」食べ比べにトライしていただき、「あ、確かに代替卵もおいしいね」と気づく機会になればと考えています。 竹増貞信(たけます・さだのぶ)/1969年、大阪府生まれ。大阪大学経済学部卒業後、三菱商事に入社。2014年にローソン副社長に就任。16年6月から代表取締役社長 ※AERA 2023年7月24日号
「病気だ」と言われた私が片づけたら、家族で食卓を囲む日が増えた
「病気だ」と言われた私が片づけたら、家族で食卓を囲む日が増えた なんとか食事を並べていたダイニングテーブル/ビフォー  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 case.48  「いる・いらない」の判断が片づけの決め手 夫+子ども1人/歯科衛生士  もともと片づけができる人にとって、「片づけられない」という悩みは理解できないことかもしれません。その悩みを持っているのが、たとえ身近な存在である家族だとしても。  今回ご紹介する女性は、小さな頃から片づけが苦手でした。でも、モノが少なかったので、当時はそれほど困ることはありません。だんだんと生活に影響してきたのは、就職をしてから。 「仕事で疲れて、家に帰ると何もやる気が起きなくて。最低限の家事として料理と洗濯はしましたが、片づけや掃除までは手が回りませんでした」  結婚してからも片づけは苦手なままで、子どもが小学校入学のタイミングで引っ越した家も、すぐにモノでいっぱいになりました。夫も息子もどこに何があるかわからず、手がつけられない状態に。 夫は片づけが得意というわけではありませんが、自分のモノは把握していて、それなりにきれいな状態に保つことはできました。夫が探し物をする度に、ケンカになりました。なぜ片づけられないのかわからないという夫や息子からは、「片づけられない病気だ」とも言われたこともあります。 「息子はモノだらけの家が普通だと思っていて、小学生のときに友だちを家に連れてきたことがあるんです。そうしたら夫が『こんな汚い家で恥ずかしい!もう家に人を呼ぶな!』と、烈火のごとく怒りました。それ以来、今は成人している息子が友だちを連れてきたことは一度もありません」 モノがなくなりスペースが広がって家族の憩いの場に/アフター  夫にも息子にもずっと申し訳ない気持ちを抱えてきた彼女は、自分なりに努力をしました。「○分で片づく!」というタイトルに惹かれて、片づけのノウハウ本を買って読んだこともあります。でもやっぱり片づけられず、自分でも「これは病気なんだ」と思うようになりました。  何とかしたいけれど、どうしていいかわからない。悶々と悩んでいたある日、彼女はSNSで「家庭力アッププロジェクト®」の存在を知ります。 「家事代行サービスとかを使って他人に片づけてもらうよりも、自分が変わらなければいけないと思ったんです。そのきっかけになればと参加を決めました」  家の中を見回すと、棚からはモノがはみ出して床置きがいっぱい。3LDKのうち、1つの部屋は完全に物置状態です。まずは不要なモノを手放すことから始めます。 「私の場合、どれが大事なモノなのかという判断が難しくて全部手放せなかったんです。でも、プロジェクトで教わった通りに『未来に持っていきたいモノだけを選ぶ』という基準で考えたら、『いる・いらない』がわかりやすくなりました」  フルタイムで仕事をしている彼女は、片づけの時間を捻出するために残業ばかりだった業務をコントロール。これまでは「自分がやらないと」と必要以上に抱え込んでいた仕事を、後輩に割り振るようにしました。さらに、定時から逆算して時間内に終わるように仕事をこなし、以前より2時間近くも早く帰れるように。 「時間の使い方も、プロジェクトで教わったことを実践しただけですけどね。『自信は自分との約束を果たすことでついてくる』という話を聞いてから、課題をクリアする度にちょっと自分に自信が持てるようになりました」  片づけが進むと、夫から「家がきれいになってきているね」と声をかけてもらえました。 「ケンカの原因はいつも片づけのことなので、ほめてもらえてうれしかったです。ケンカと言っても、私は夫の文句を聞いて泣くだけでした。片づけられない私が悪かったので。でも、今は『弱気になることはない』と思って、少しずつ言い返せるようになりましたよ」 足の踏み場がないほどモノを押し込んだ洋室/ビフォー  きれいになったキッチンは料理がしやすくなり、料理の品数が多くなりました。これまでモノに占領されていたダイニングテーブルも広く使えるようになると、家族一緒に食事をすることも増えました。 「息子の外食の回数が減ったんですよね。テーブルにきれいにお皿が並んでいるからか、『いただきます』を丁寧に言ってくれるようになりました。息子は無口なタイプなので言葉にはしないですが、喜んでくれているのかなと思いますね」  今回、自分のモノの片づけに集中したので、夫と息子のモノには手をつけていません。自分もまだまだ家の中をブラッシュアップしていくので、その影響で夫と息子も自分のモノを片づけるようになってくれたら……と彼女は期待しています。  また、片づけの悩みが軽くなったおかげで、仕事や17年以上続けている趣味にも打ち込めるようになりました。 「今までは、片づけもできていないのに趣味を続けていることに罪悪感がありました。でも、もう堂々とできますね。仕事も現状維持ではダメなので、スキルアップをめざします!」 残っているのは夫と息子のモノのみ/アフター  以前は病気かもしれないと悩んでいた彼女が、将来のことを明るく話してくれました。さらに、自分自身の変化についても教えてくれました。 「学校では先生が教えてくれることが正解だったし、家庭では夫の言うことの方が正しいと思っていました。でも、もしかすると自分にとっては正解ではないかもしれない。最善解を自分で導き出すことが大切なんですね。人と比べることもなくなったし、ストレスも減りました!」  「片づけられない」というコンプレックスによって自信を失うと、自分以外の判断基準に頼ってしまうことも。もし同じように悩む女性がいるならば、彼女のように片づけを通して自信を取り戻し、自分の人生を輝かせてほしいと思います。 ※AERAオンライン限定記事 ●西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・家族間コミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト?」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。NHKカルチャー講師。「片づけを教育に」と学校、塾等で講演・授業を展開中。テレビ、ラジオ出演ほか、メディア掲載多数。
留置場の弁当が原因で「脚気」に 中身は白米とコロッケ…静かに広まる「ビタミンB1欠乏症」
留置場の弁当が原因で「脚気」に 中身は白米とコロッケ…静かに広まる「ビタミンB1欠乏症」 さいたま地裁(撮影・米倉昭仁)  留置場の食事が原因で「脚気(かっけ)」になった――。さいたま地裁は6月、埼玉県警川口署に勾留されていた男性の訴えを認め、県に55万円の損害賠償を命じる判決を出した。健康上必要な量のビタミンB1が、食事に含まれていなかったことが発症の原因と認定した。ビタミンB1の不足は、倦怠感や食欲不振、足のむくみ、さらに悪化すると「脚気心」とも呼ばれる心不全を起こす。食生活が改善された現在、脚気は過去の病気と思われがちだが、実は栄養バランスの悪い食事による脚気や、生活習慣病として「隠れビタミンB1欠乏症」が静かに広まっているという。 *   *   *  男性の弁護士などによると、男性は2017年11月に詐欺容疑で逮捕され、川口警察署の留置場に勾留された。その後、18年5月ごろから手足のしびれ、筋力の低下、腹部の異常を感じるようになり、次第に歩行が困難になった。  そして男性は18年8月15日、手足がしびれたり、力が入らなくなったりする「ギラン・バレー症候群」の疑いで同県川越市内の病院に入院。翌16日には容体が急激に悪化し、いつ心臓が止まってもおかしくない状態に陥ったという。  そんななか、男性の血液中のビタミンB1濃度が低下していることに医師が気づいた。すぐに補充を開始したところ、17日には全身状態が改善。1カ月後には退院することになった。  診断された男性の病名は「脚気心、ビタミンB1欠乏症」だった。  男性は、勾留中に出された弁当のビタミンB1不足によって脚気になったとして、県を相手に1000万円の損害賠償を求めて提訴。さいたま地裁の沖中康人裁判長は男性の請求を一部認め、慰謝料など55万円の支払いを県に命じた。  判決は、ビタミンB1の不足が脚気の原因であることは広く知られているとし、「(県警が)注意義務を怠った」と結論づけた。 ■まさに「江戸患い」  男性の勾留中の食事はどんなものだったのか。  裁判記録によると、朝食はパン、昼食と夕食は弁当だった。弁当は白米が主食で、漬物やうぐいす豆のほか、1グラム程度のキャベツ、コロッケなどの揚げ物がおかずだった。さらに土・日曜日に野菜はまったくなかった。男性の弁護士は「勾留中、野菜はほぼない状態だった」と語る。  入院する前の18年7月中旬、同署の職員が男性の足を確認したところ、「両足の膝の上下一帯が赤黒くなっており、歩行がつらそうな様子だった」と、典型的な脚気の症状が見られていたという。  ビタミン欠乏に詳しい静岡県立総合病院リサーチサポートセンターの田中清・臨床研究部長は、 「コロッケの中身が何だったのかはわかりませんが、毎日、違うメニューが出されていたら、こんなことは起こりません。白米がメインなのも問題で、まさに『江戸患い』ですよ」  と指摘する。  日本で脚気が広まったのは、白米が常食されるようになった江戸時代から。当時の食事は白米に味噌汁、漬物が普通で、主食の占める割合が非常に大きかったのだという ■脚気で心臓が止まる理由  ビタミンB1とは、どんな栄養素なのか。 「ビタミンは全部で13種類ありますが、特にビタミンB1は体内に2~3週間しかストックがないのが特徴で、とらなくなると割と早期に欠乏症になってしまいます」  と、田中部長は説明する。  ビタミンB1は炭水化物や脂質を分解してエネルギーに変えていく際に不可欠なビタミンで、これが不足すると、筋肉を動かすことができなくなってしまう。 「なかでも心臓は伸縮を繰り返して血液を送り出す、大量にエネルギーを消費する臓器です。そこでビタミンB1が不足すると、ポンプがきちんと機能しなくなる。つまり心不全になってしまいます」  脚気は現在でも、特定の食品にこだわった極端な偏食(ダイエットも含む)、清涼飲料水やアルコールの過剰摂取などによって引き起こされることが報告されている。 「古典的なビタミンB1欠乏症としての脚気はまれです。しかし、それよりも軽度の不足症状の、いわゆる『隠れビタミンB1欠乏症』を患っている人はずっと多いと思われます」  それでは、「隠れビタミンB1欠乏症」になると、どんな症状が見られるのか。「そこがとても難しいポイント」と田中部長は話す。  ビタミンB1欠乏に伴う症状は多い。循環器系・呼吸器系では足のむくみや肺高血圧症、右心不全、頻脈、頻呼吸など。運動器系では筋萎縮、末梢神経障害、筋力低下。神経系では運動失調、脳の炎症、認知機能低下、眼振、眼球運動障害などがある。 「例えば、消化器系の症状は、食欲不振、便秘、下痢、嘔吐。そんなのは何の病気でも起こるので、この症状でビタミンB1欠乏症を疑うなんて普通はしません。ですから、症状で診断する病気ではなく、血液検査で診断する、臨床検査の病気という医師もいます。ただ、現実的に医師が検査をするかというと、なかなか難しい」  さらにビタミンB1の不足は心不全のリスクを増大させ、生死にかかわりかねない。しかし、田中部長は、 「ただ残念ながら、ビタミン欠乏や不足による病気は、もう『過去のもの』と見られることが多い」  と嘆く。 「ビタミンの状態を改善すると、さまざまな症状がよくなります。本当は大切なことなんですが、体内のビタミンを測定して研究をする人はとても少ないのが現状です」 ■特定の食品に偏らず  さまざまな不調、そして生死にもかかわるため、ビタミンB1が不足していないか気にしておく必要がある。ビタミンB1は豚肉、ゴマ、大豆、落花生などで摂取することができるが、そればかりに注目するのは問題だという。 「マスコミが『○○予防にはビタミン◯◯を多く含む、この食材がいい』と取り上げると、消費者が飛びつく。でも、ビタミンだけでも13種類あるわけです。毎日、特定のビタミンのことを考えて暮らしていけるわけがない。それに、たんぱく質が全然足りない人がビタミンだけ補充してもしょうがない。ですから、私のおすすめは、特定の食品に飛びつかずに、可能な範囲で毎日いろいろなものを食べましょう、ということです」  ただ、バランスのよい食事をしたくても、どの食材も値上がりしている昨今だ。 「一番安くビタミンを充足させる方法は、総合ビタミン剤を飲むことですが、バランスの悪い食事をして、ビタミン剤を飲むことはおすすめできません。できれば、食生活を改善していただきたい。ただ、ビタミンの欠乏しやすい高齢者が総合ビタミン剤を飲むことは悪くないと思っています」 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
人気まんが『はぐちさん』作者が語るプロへの道「悩んでTwitterに投稿したら…」
人気まんが『はぐちさん』作者が語るプロへの道「悩んでTwitterに投稿したら…」 くらっぺ/1986年生まれ。徳間書店のCOMICリュウ第8回龍神賞への初投稿作品『アイツのミー』が銅龍賞を受賞しデビュー。謎の生き物はぐちさんとOL八千代のゆるゆるライフ『はぐちさん』が大人気 (C)くらっぺ  まんが投稿・公開サイトが花盛りだ。かつて、まんが家になるには、出版社への持ち込みやまんが雑誌の新人賞に応募するというのが王道だったが、いまは、Twitter、pixivなどのコミュニケーションツールのほか、まんが投稿・公開サイトで自ら作品を発表し、話題になったり編集者の目にとまったりして、デビューが決まるケースもある。  子どものころ、誰しも一度は好きなキャラクターの絵をかくことに夢中になった経験があるだろう。その延長線上でまんが家という職業に憧れを抱いたとしても、プロデビューできるのはほんの一握りだった。現在も、狭き門であることは間違いないが、かつてに比べるとプロのまんが家へと続く道は増えていると言っていい。  7月に刊行された『キャラとストーリーがもっとつくれる!まんがのかき方パーフェクトBOOK』はまんが家を夢見る子どもたちに向けて、おもしろいまんが作りの核となる「ネーム作り」のコツを丁寧にレッスン。四つの例題でストーリーの展開のさせ方を学ぶことができる。別冊付録には、なぞったり描き足したりできるオリジナルの原稿用紙も収録。プロの漫画家インタビューもあり、子どもの「やってみたい」を刺激する構成となっている。  夏休みを前に、今回はこの本に収録されているまんが家くらっぺさんへのインタビューを公開したい。くらっぺさんは、不思議な生き物「はぐちさん」とOL八千代のちょっと変わった日常を描いた『はぐちさん』(祥伝社)の作者。「厳しい世界だ」という親の言葉に、自分がまんが家になるのは無理だと思い込み、一度は就職。でも、子ども時代からの憧れは捨てられなかった。くらっぺさんを人気まんが家にしたきっかけは、Twitterへの投稿だった――。 *  *  * ――くらっぺ先生が、はじめてまんがをかいたのはいつですか?  小学2年生のころ、兄がノートにかいていたのをマネしてかいたのが最初です。私は3兄弟の末っ子で、2人の兄も、小さいころは夢中になって絵をかいていたのですが、年齢が上がるにつれて2人とも絵をかかなくなり、自分だけが何歳になってもかき続けていました。  はじめてかいたまんがは『ぼくはアシカくん』というギャグまんがです。ノートの1ページを切りとり、8ページの冊子のようにする折り方があるんです。小さいスペースに、コマを割ってオチをつけて、かき上げていた記憶があります。冊子が増えていくのがうれしくて何冊もつくりました。  まんが家は子どものころから、あこがれの職業でしたが、親に厳しい世界だと言われていたので、「なりたいな、でもなれないな」と思っていました。1人でかいているだけでは、自分の実力もわからず、自分には無理だと思いこんでいました。 ――デビューまでの道みちのりを教えていただけますか? 「まんが家になるのは難しくても、絵をかいて生活できるようになりたい」と思い、美術大学に入りました。風景をかくことが好きだったので、アニメの背景をかく会社に入ろうと考え、ひさしぶりにまんがをかきはじめました。背景とキャラクターを同じコマにかくまんがは練習になると思ったんです。  卒業後は希望どおり、アニメの背景をかく会社に就職できましたが、うまくいかずに退社しました。子どものころに憧れていたまんが家になりたいという強い気持ちが、心の底にあったのだと思います。退職後はアルバイトをしながら、まんがをかき続けました。同人誌用にかいたストーリーまんがを「月刊COMICリュウ」(徳間書店)へ投稿したところ、賞をいただくことができ、2011年に24歳でデビューできました(当時は本名で活動)。自分のまんがを認めてもらえたことで、はじめて「まんが家になろう」と思えました。 Twitterに掲載している『はぐちさん』の4コマまんが。「かわいい!」「ほっこり笑って癒される」と話題 (C)くらっぺ ――4コマまんが『はぐちさん』はTwitterからスタートしたのですよね?  そうなんです。『はぐちさん』はTwitterでスタートしました。デビュー後に、はじめての連載を終えたあと、じつは少しなやんでいた時期がありました。「何か行動に移さなければ」と思い、Twitterに絵を投稿しはじめたんです。行動すると見えてくることがありました。時間をかけてかきこんだ絵より、4コマまんがの『はぐちさん』のように、ササッとかいた絵のほうが、フォロワーさんの反応がよかったのです。これは当時の自分にはとても意外なことでした。  今ふりかえると、『はぐちさん』は、いい感じに力が抜けていて受け入れてもらいやすかったのかなと。「必要とされるものを提供することが大切」だと実感できました。2015年の12月から約1年間、日記のような感覚で、毎日投稿し続けた結果、『はぐちさん』の雑誌連載につながりました。 ――まんがをかいていて楽しいこと、苦手なことはありますか?  話の「オチ」ができたときが、いちばん楽しい瞬間です。また、空気感をうまく伝えられるように、フキダシの位置や構図を工夫して表現することが得意なので、「これだ」という絵がかけたときもうれしいです。プロになっても、苦手なことはありますが「苦手は苦手なまま、得意なことをのばす気持ち」でいればいいかと開き直っているところもあります(笑)。 ――キャラクターや物語はどのようにつくっていますか?  ふだん、キャラクターを考えるときは「読者さんに見てほしいキャラ」をはじめに決めて、あとは対比を大切にしています。例えば、器用なキャラに対しては不器用なキャラをつくります。どこかに欠点があるキャラにすると、それを克服していく物語がつくりやすいです。  物語は「かいてみたい題材」をはじめに決めます。意外性のあるシチュエーション(状況)や設定をつくるときには、やはり対比で考えることが多いです。例えば、暑い陸地の鉄工所で、涼しい海にいるクラゲが働いていたらおもしろいかなとか(笑)。あとは、エンターテインメント作品のエンディングには「救い」があるほうがよいと考えているので、できるだけハッピーエンドを目指しています。 ――まんが家を目指す人へのメッセージをください。  以前は「雑誌への投稿」「出版社への持ちこみ」が主流でしたが、今はSNSを通して声がかかってデビューする道もあります。紙やWEBなどの形にこだわらずに、作品をどんどんつくることが大切です。同人誌の即売会への参加もおすすめ。「締め切り」に向けてがんばれますし、新人発掘をしている編集者さんに、気軽にアドバイスをもらえることもありますよ。 『はぐちさん』は1~9巻が発売中。コミックスには月刊「フィールヤング」(祥伝社)に掲載した作品と、Twitterに投稿した作品がまとめられている (C)くらっぺ/祥伝社フィールコミックス  まんが家は、ハードなうえに不安定な仕事ですが、まんがを生活の一部にできる人には向いています。かいたキャラが人と人をつなげてくれるうれしさがあったり、寒い冬の日も外に出ずに、大好きなまんがをかいて暮らせたりする幸せな職業です。  みなさんは可能性の塊です。今から何かを目指して毎日努力すれば大抵の夢はかなうので、まずそれを信じてほしいです。いつかプロになったときには、何かしらの形で教えてくださいね。それまで私もまんが家として、活躍していられるようにがんばりますね。 (構成/生活・文化編集部 上原千穂)
「恋人のSNS監視」恋愛のNG行為をやってしまうのはナゼ? 精神科医の答えは
「恋人のSNS監視」恋愛のNG行為をやってしまうのはナゼ? 精神科医の答えは (写真はイメージ/GettyImages) 「恋人のSNSを監視する」「スマホを見る」などは、恋愛でやりがちなNG行為。早稲田大学スポーツ科学学術院教授で精神科医の西多昌規さんは、「恋人のスマホを見たり、SNSを監視するように見るのは束縛したい心理」だという。(一文削除)西多さん監修の『やめてもいいこと86 心の疲れをとる事典』(朝日新聞出版)から束縛など恋愛でやりがちなNG行為をやめる方法を紹介する。 *  *  * イラスト/うのき  恋愛をするのはすばらしいことですが、相手のことを「好きでたまらない」がゆえに陥りがちなのが「束縛」。疑心暗鬼から恋人のSNSを監視したり、スマホをチェックしたり、異性の連絡先を削除させたり……。どんなカップルでも多少はあるものですが、あまりに束縛がエスカレートしてしまうと、本来望まぬ「別れ」のきっかけにもなってしまいます。  束縛は愛情の裏返しの一つですが、女性の場合は相手をできるだけ独り占めしたいという「独占欲」から、男性の場合は、相手を自分の支配下に置きたいという「支配欲」や、彼女を自分の専有物にしたいという「所有欲」から起こることが多いようです。  いずれも自己評価が低くて、不安が強いタイプの人が陥りやすいと言われます。なかでも一番の問題は「相手に対する信頼感が薄い」こと。パートナーは愛情を持って接しているにもかかわらず、それを信頼してもらえないのでは関係の継続は難しいと言わざるを得ません。  束縛は「自分自身の不安の投影」と言われます。自分の仕事が充実している、趣味に夢中になっているときは、相手を束縛する気持ちは起きません。自分の生活を見直して、恋愛以外にある本当の「不安の種」を解決することを目指しましょう。 ■自分をよく見せてしまうのは「嫌われたくない」「傷つきたくない」心理が原因 イラスト/うのき  自分が人より劣っていると思っている部分や短所を、恋人にさらけ出すことができない……。まだ交際歴が浅く、お互いに相手の気持ちがつかみきれない恋愛初期の段階なら当然のことです。また、個人情報やプライバシーに敏感な昨今。恋人とはいえ他者に自分のすべてをさらけ出す必要もないのかもしれません。  しかし、交際も順調で大好きな相手にもかかわらず、本当の自分をなかなか見せられないことで悩んでいるのだとしたら、それは「プライドの問題」です。そのせいで無理をしているのです。「嫌われたくない」「傷つきたくない」と自分を隠していても、幸せにはなれません。  なぜなら、恋人との関係性をもう一歩進めるには、自分をさらけ出すことが必要だからです。等身大の自分をさらけ出すことで、相手の許容度を測ることもできます。例えば、本当はお酒が強いにもかかわらず、恋人の前では「飲めないふり」をしていたとします。  そのまま交際していたとしてもストレスはたまる一方。二人の関係も深めることはできません。そこで、ある日のデートで「実はね」と断って、思いきりお酒を飲んでみる。そのときの恋人のリアクションこそ、最も大事な「相手の本心」なのです。 (構成 生活・文化編集部 端 香里)
「0.00005g」の変化で廃止された古いキログラム、新しい定義は量子論の世界
「0.00005g」の変化で廃止された古いキログラム、新しい定義は量子論の世界 ※写真はイメージです(Getty Images)  毎日当たり前のように使っている測定単位。とくに、体重など身近なものの重さを測るための「キログラム」は、日常生活で目にしない日はほとんどない。しかし、なぜこの単位が使われているのか知っているか、考えたことがあるだろうか。世界で多くの人が使っている測定単位「キログラム」は、2019年におよそ130年使われてきた定義が変わり、今日ではある領域の科学が進歩したことによって定義されている。そのキログラムの成り立ちを、『測る世界史 「世界の基準」となった7つの単位の物語』(朝日新聞出版)を抜粋、再編集し、解説する。 *  *  * ■重さの計測は「秤」から始まった 「重量」は商業取引の上で重要な指標となっている。  たとえば、原材料や食品などの取引は「(キロ)グラム当たりの単価」で行われることが多い。他方、宝石のように軽くて少量かつ、価値の高いものには「カラット」が使われることもある。ほかにも業界によって独自の重さを示す単位が使われる場合がある。  ただ、この場合の重さは、いずれも「量を比較する基準」として用いられている。  古来から重さを測る道具として知られているのは、「秤(はかり)」である。片方に測りたいものを載せて、もう片方に置いた基準(分銅)と重さを比較する。  紀元前2400年から紀元前1700年頃にさかのぼるパキスタンのインダス遺跡からは、すでに秤を使っていた形跡が見つかっている。  その後も、古代ローマやイングランド王国など、それぞれの地域ごとに、それぞれ重さの基準を定めて、連綿と測る作業は進められてきた。  そんな中、変革のときが18世紀に突然訪れる。日常生活でますます多くの人と関わるようになり、商業取引の範囲が広がっていくにつれて、重さの単位を統一していく必要性が出てきたのだった。 ■4度の水によって「キログラム」が定義される  1799年、革命期のフランスで、1キログラムの基準が定められた。そのときの定義は「水温4度のときの1立方デシメートル(1辺が10センチの立方体の容積)の水の重さ」である。水温が4度と限定されたのは、その温度のときの水は、密度が最大で最も安定した状態であるからである。  同年、この定義に従って作られたのが、白金製のシリンダーである「キログラム原器」である。この最初の原器は、パリの国立公文書館に保存された。  その後、1875年のメートル条約において、キログラムの定義は再度確認され、新たな原器である「国際キログラム原器」が作られた。この原器は、白金90%とイリジウム10%で構成されている。そして、この原器は多くのコピーが作られ、世界中に配布されることになった。  しかしその後、この「国際キログラム原器」には、100年間で平均50マイクログラムの重量が増加したことが確認された。些細な重量の変化にも思えるが、この誤差は現代科学では「許容できない劣化」と考えられる。そこで、またしても新しい基準の作成が必要となったのだ。 ■そのとき、科学はどう発展していったのか?  キログラムの新たな定義が求められる中、科学が飛躍的な進歩を遂げていた。  350年前に、「リンゴが木から落ちる姿を見て重力を発見した」という逸話で知られるニュートンは、物体の均衡と動きを研究する「古典力学」の基礎を作り上げた。  19世紀の終わりに至るまで、この古典力学によって、天文学から産業革命の機械まで、世界は完全に説明できるものになった、と考えられてきた。  実際、この理論によって、物体の動きの予測は、ある程度まで説明できるようになった。とくにこの古典力学が機能するのは、惑星の動きや宇宙空間である。  たとえば、1969年7月のNASAによる月面着陸。人類が月に降り立ち、無事に地球へ帰還できたのは、古典力学による貢献も非常に大きかった。  ところが、古典力学という基礎は、突如として崩れ始める。それと同時に新たに登場したのが「量子力学」である。  古典力学が物体の動きを確定的に予測しようとしていたのに対し、量子力学によってもたらされたのは、その不確定性である。原子や量子など、極微細な世界では古典力学はそのまま当てはまらないのだ。 ■「不確定性」が、重さを「確定」させる不思議  2011年10月21日の第24回国際度量衡総会。ついに、キログラム原器の廃止が決まった。人工物として作られた原器で、最も寿命が長かった。  その代わりにもたらされたキログラムの新しい定義は、現代物理学の基本である「相対性理論」と「量子力学」に基づいている。  そして、新たな定義には、新たな測定方法が求められる。そこで一役買ったのが、ワット天秤(キブル天秤)である。この天秤の基本的な仕組みは、数千年前からある秤と同じである。しかし、計測の際には分銅ではなく、電磁力を使用する。  この電磁力の値は、量子効果を用いることで非常に正確に把握できるようになった。この超高精度な測定により、ついに現在に至るキログラムの定義は完成したのである。 ●執筆者:富山佳奈利(とやま・かなえ)総合電機メーカー、宇宙航空研究開発機構(JAXA)等を経て、2016年よりサイエンスライターとして活動。数多くのインタビュー記事を執筆し、過去21冊以上もの書籍出版に協力した実績がある。 ●著者:ピエロ・マルティンイタリアのパドヴァ大学の正教授。専門は、実験物理学(熱核融合)。物理学の進歩に貢献した人物として、アメリカ物理学会で「フェロー」に選出されている。国際雑誌に120 本以上の科学論文を執筆し、パドヴァでのRFX 実験、欧州特別委員会の「ユーロフュージョン中型トカマク」など、大規模な国際研究プロジェクトの科学責任者を務める。 ●訳者:川島 蓮(かわしま・れん)翻訳・通訳者、文化人類学およびジェンダー学研究者。オーストラリア国立大学博士号取得(PhD., International, Political and Strategic Studies)。NHKワールドニュース同時通訳、在日本メキシコ大使館、国連女性開発基金(UNIFEM、現UN Women)勤務、イタリアのローマ・サピエンツァ大学非常勤講師などを経て、今に至る。
宅配便が届くのが遅くなっているのはなぜ? 物流の「2024年問題」をわかりやすく解説
宅配便が届くのが遅くなっているのはなぜ? 物流の「2024年問題」をわかりやすく解説 写真はイメージ(iStock)  今年の春から一部の宅配便が値上げされたり、荷物が届くのが遅くなったりしています。私たちのもとに商品を届ける「物流業界」に何が起こっているのでしょう? 小中学生向けニュース誌「ジュニアエラ」(朝日新聞出版)7月号から、ジャーナリストの一色清さんが詳しく解説します。 *  *  *  暗くなってから宅配便が届くことがあり、「こんな時間まで仕事をしてご苦労さま」と頭を下げたくなる。きっと遅くまで働かないと、その日のぶんを配り終えることができないのだろう。  長い時間働いているのは、宅配便を配達するドライバーだけではない。長距離を運転する大型トラックのドライバーは、長い距離を何日もかけて夜通しで運転したり、倉庫の前で長時間待機させられたりすることがよくあるそうだ。  背景には、ネット通販の利用が増えるなど物流が活発になっているのに、ドライバーはそれほど増えていないことがある。調べると、ドライバーの労働時間は全産業の平均より2割ほど長く、平均年齢も高く、仕事が原因で体を壊す人が多いという。  このため、トラックドライバーについて働きすぎを防ぐ新しいルールが2024年4月から適用されることになっている。ただ、このルールが適用されるとドライバーが足りなくなるといわれている。それが物流の「2024年問題」だ。  野村総合研究所は「2024年問題」により、30年に予測される国内の荷物量の35%が運べなくなるという推計を発表している(上のグラフ)。地域別では、東北や四国などが深刻で、一部の地域では離島のように配送料が高くなる可能性があると指摘している。  影響はすでに出始めている。ヤマト運輸は6月1日から関東と中国・四国の間などの一部地域の宅配便(ヤマト運輸の名称は宅急便)の配達日を「翌日」から「翌々日」に変える。  また、ヤマト運輸と佐川急便は4月から宅配便の一部の値上げを実施している。日本郵便(ゆうパック)も今秋に値上げすることを明らかにしている。 生活用品会社の花王の豊橋工場では、商品の入庫から出庫までを自動化。トラックが倉庫についたらすぐに商品の積み込みができるよう、ドライバーを待たせない仕組みをつくった(4月、愛知県豊橋市)  ほかにもローソンが弁当、サンドイッチなどの店舗への配送回数を、1日3回から2回に減らしたり、首都圏を地盤とするスーパー4社(サミット、マルエツ、ヤオコー、ライフコーポレーション)が180日以上の賞味期間がある加工食品の納品期限を延ばすなど、物流の効率化に共同で取り組んだりしている。  荷物を積み込む企業の側も、ドライバーを長時間待たせないように倉庫の自動化を進めたり、ドライバーが荷物を手で積み込むのではなく、まとまった量をパレットに載せてフォークリフトで積み込めるようにしたりしている。  ただ、民間企業のこうした取り組みだけでは「2024年問題」を解決することは難しいと思われ、政府が対策づくりに乗り出している。方向としては、(1)荷主と物流事業者との商慣行の見直し(2)DX(デジタルトランスフォーメーション)による物流の効率化(3)荷主や消費者の行動変容を促すしくみの導入、の3点を打ち出している。  私たち消費者に関係するのは、(3)の「消費者の行動変容を促す」という部分だ。確かに私たちも安さや便利さを求めすぎてきたように感じる。ネット通販で買い物をするときには送料無料を求め、配達はできるだけ早いものを選ぼうとしてきた。それに応えようとする宅配業者や通販サイトなどの競争によって、それが実現されてきた。しかし、実際に配達するのにはコストがかかるし、注文した当日や翌日に配達するのは負担が大きい。受け取る人の不在による再配達も少なくない。  ドライバーの働きすぎを防ぐ新しいルールができる来年以降、宅配便の配達が今より少し遅くなったり、送料が少し高くなったりする可能性がある。しかし、私たちはその目的を理解して受け入れることが必要になりそうだ。 (ジャーナリスト・一色清) 一色清(いっしき・きよし)/ジャーナリスト。1956年生まれ。78年、朝日新聞社入社。経済部記者を経て、「アエラ」編集長、「WEBRONZA」編集長などを歴任。「報道ステーション」「グッド!モーニング」(ともにテレビ朝日系)のコメンテーターを務めた。 2024年問題/2024年4月からドライバーの働きすぎを防ぐ新ルールが適用される。働く時間は年3300時間まで、残業は年960時間までに限られる。これは仮に毎日働いても1日あたり9時間、残業2時間以上という計算で、十分に長い。しかし、これまではもっと長く働いていたので、今までのようには荷物が運べなくなるといわれている。 【↓一色清さんの解説を聞くにはこちらをクリック↓】(視聴には無料の会員登録またはログインが必要です)
死別した妻への本音を言える相手をアプリでしか探せない人も マッチング・アプリ症候群の葛藤
死別した妻への本音を言える相手をアプリでしか探せない人も マッチング・アプリ症候群の葛藤 ※写真はイメージです(Getty Images) 『マッチング・アプリ症候群 婚活沼に棲む人々』(朝日新書)を、ジャーナリスト・速水由紀子氏が上梓した。速水氏は同書でマッチング・アプリをやめられない人たちの実態をつづり、彼ら・彼女らを「マッチング・アプリ症候群」と名付けている。「病んでいるかどうかは人それぞれだが、彼らがみんなあるジレンマを抱えていることは確かだ」という速水氏。同書から一部を抜粋、再編集し、マッチング・アプリ症候群の実態を紹介する。 *  *  *  マッチング・アプリ症候群の定義をここで確認しておく。 1 アプリで真剣に結婚相手、もしくは結婚を前提にした恋人を見つけたいと思っている。 2 登録してから最低1年以上、常時アプリをやっている。 3 次々にマッチングすること、またはそれを期待することが通常運転で生活の一部となっている。マッチングがないと自分に自信が持てず不安になる。 4 今までに15人以上とマッチングして付き合ったがうまくいかず3ヶ月以内に別れてはまた付き合うことを繰り返している。 5 短期の交際と別れを繰り返すのは、自分と相性のいい相手に出会えないからだと思っている。例えば性格や価値観、ライフスタイルなど。 6 「いいね!」をもらうと、その瞬間だけは自己肯定感を得られる。そのために足跡づけを必要以上にがんばる。 7 常時、複数進行が当たり前になる。 8 マッチングがないと物足りなくなり、注目させるためにプロフィールを常時あれこれいじったり、参加コミュニティをどんどん増やしてしまう。  5つ以上の項目に当てはまる人は、程度の差こそあれマッチング・アプリ症候群と言える。一言で言えば目的と手段が少しずつ入れ替わっており、結婚よりアプリで自己肯定感を得ることのほうが重要な目的になっている、ということだ。  そしてこの8つのうち、誰もが1は揺るぎないものだと考えている。  しかし、マッチング・アプリ症候群の人たちが抱えるジレンマとは、実はこの「自分は結婚したい。結婚を前提にした恋人を見つけたい」という前提条件の部分にもある。そんなバカなと思うかもしれないが、人は過去に傷ついた経験があると心の奥底にある恋愛・結婚への本音をなかなか正視できないものだ。  8番目にマッチングした52歳のカイさんも、そんなジレンマを抱えていた1人だ。  建設現場の工事監督をしている彼は、地味だがプロフィールから誠実で優しい雰囲気がにじみ出ている。アプリの流動的な人間関係に疲れきっていた私はそのほっこりした笑顔に癒されて、もらった「いいね!」をつけ返した。  ただプロフィールの「結婚歴」に「死別」と書いてあるのが気になる。マッチングした人で何人かパートナーが病気や事故で亡くなったという人がいたが、みんな性格や価値観の不一致による離婚に比べると遥かに深く過去を引きずっていた。当たり前の話だが亡くなった方には絶対に勝てないし記憶の書き換えもできないから、せいぜい思い出話を聞いてあげることぐらいしかできない。でもそれがあまりに近い過去の場合は、こちらも苦しくなるので躊躇してしまう。  カイさんとは過去の話を聞くチャンスもないままメッセージを重ねていき、おたがいに水族館好きだと判明したので、週末、品川のアクアパークで会った。  その日、魚を見ながら雑談を始めて間もなく、私はカイさんに聞くべき質問をぶつけることにした。妻と死別したのはいつ頃だったのか。  亡くなったのが3年以内なら、こちらとしても心が痛むのであまり突っ込むのはやめようと思っていた。が、聞きにくい。さんざん回り道をしたあげく、ようやくこう聞くことができた。 「もし話すのが辛かったらスルーしてもらって構わないんですけど、プロフィールに書いてあった死別っていうのはいつ頃……?」 「逝ったのは4年前。もともと持病があったんですけど、いろいろな事情で離れて生活していて。で、予想以上に進行していて看取れないままに……」  それからカイさんは事情を詳しく話してくれた。亡くなった妻はベトナム人だった。カイさんが仕事でホーチミンに6年間住んでいた時に出会い、付き合って結婚したのだ。が、カイさんの仕事が終わって日本に帰国する時、彼女は体調を崩して入院していた。そばについていてあげたかったが、入院費と生活費を稼ぐには、ベトナムより日本のほうがずっと効率がいい。仕方なく彼女を家族に託して帰国し、必死に働いている時に状態が悪化して亡くなった。 「葬儀には行けたんですけど、ビザの滞在期間の問題で埋葬までいられなくて……その後はコロナ禍でベトナムと行き来ができなくなってしまった。でも墓参りにだけはどうしても行かなくちゃと決意しています。今、2つの仕事を掛け持ちしているのも、その費用を工面するためなんです」  聞いているうちにカイさんの亡くなった奥さんへの気持ちが溢れてきて、アプリなんてやっている場合じゃないのでは?という気持ちになる。余計なお節介と思いつつ、思わず、「そんなに奥さんの供養をしたいと願っているのに、アプリに登録するのはおかしい。何より墓参りを優先させるべきでは? 今のままでは前に進めないと思う」とはっきり言ってしまった。  カイさんは言葉に詰まりながら、ベトナム暮らしの間に日本の友人とも疎遠になり、誰も話せる相手がいなかったため、心の支えが欲しかったと答える。だが、私の言葉を聞いてモヤモヤしていた自分の気持ちに踏ん切りがついたという。 「今まではそういうことを言ってくれる友人さえ近くにいなかった。ようやく自分が今すべきことがわかりました。ありがとう」  アプリでしか本音を言える相手を探せない、というのはかなり辛い状況だ。だが現実にはそういう人たちはたくさんいる。たまたま私のような仕事をしている人間だったからカイさんの本音を指摘できたのだろうが、他人が付き合う相手をどんなふうに探すかに口を挟むなんて、余計なお世話以外の何ものでもないのだ。  今までなら仲間内や職場での飲み会、昼食時のちょっとした近況報告や無駄話で知ることができた相手の個人的な境遇が、人間関係やコロナによる変化でどんどん減ってしまったのだと実感した。  カイさんは「結婚相手を探している。結婚を前提とした恋人との出会いを求めている」という心境に到達していなかった。なのにプロフィールには「2人で温かい家庭を築きたい。なんでも話し合える関係が理想」などと書かれている。  つくづく人の心の矛盾を感じてしまう。1週間後、そのアプリの「メッセージのやりとり」ページで確認すると、カイさんはすでに退会していた。きっと私の言ったことを考えて素直に受け止めてくれたのだろう。  ひとつの出会いの後ろには、ひとつの別れや弔いがある。  そんなシンプルなことさえわからなくなってしまうのは、アプリでしか繋がれない時代のせいなのかもしれない。 ●速水由紀子(はやみ・ゆきこ)大学卒業後、新聞社記者を経てフリー・ジャーナリストとなる。「AERA」他紙誌での取材・執筆活動等で活躍。女性や若者の意識、家族、セクシャリティ、少年少女犯罪などをテーマとする。映像世界にも造詣が深い。著書に『あなたはもう幻想の女しか抱けない』(筑摩書房)『家族卒業』(朝日文庫)『働く私に究極の花道はあるか?』(小学館)『恋愛できない男たち』(大和書房)『ワン婚─犬を飼うように、男と暮らしたい』(メタローグ)『「つながり」という危ない快楽─格差のドアが閉じていく』(筑摩書房)、共著に『サイファ覚醒せよ!─世界の新解読バイブル』(筑摩書房)『不純異性交遊マニュアル』(筑摩書房)などがある。
ryuchellさん「自分らしさを隠していた経験があるから悩みに寄り添える」 生前語っていた思い
ryuchellさん「自分らしさを隠していた経験があるから悩みに寄り添える」 生前語っていた思い 直感を信じて生きてきた。時代を嗅ぎ分ける「嗅覚はあるかも」と自己分析する。「いま10代だったらティックトッカーになっていたと思います」(撮影/篠塚ようこ)   タレントのryuchellさん(27)が7月12日、亡くなったことが判明しました。AERA 2022年9月5日号の現代の肖像では「自分らしさを隠していた経験があるからこそ、同じような悩みを持っている人に寄り添える」と語っていたryuchellさん。現代の肖像の全文を掲載します。(年齢などは当時)。 * * *  タレント・比嘉企画代表取締役、ryuchell。7年前、金髪にメイクをほどこし、ハイテンションなキャラクターでテレビに登場したryuchellは、世間をあっと驚かせた。今では、ryuchellの言葉にも注目が集まるようになった。ダイバーシティー、子育て、沖縄についてと話題は幅広い。ryuchellはいつも自分に正直に生きようとしている。その生き方は、きっと私たちの価値観をも変えていく。  廊下の先にあるそのドアからは、エキゾチックで甘い香りが漂っていた。室内に入ると、赤と紫に彩られた空間が広がる。壁を飾るのはバービー人形、お菓子のパッケージ、LP盤のレコード……。芸能事務所とは思えない雰囲気に圧倒されていると、「はじめまして」と、はにかんだようなryuchell(りゅうちぇる)(26)の顔がのぞいた。黒髪に大きな瞳。少し日に焼けた肌にほどこされたメイクがナチュラルで、最高に可愛らしく、かっこいい。  7年前、初めてテレビに登場したときの印象は強烈だった。金髪にヘアバンド、1990年代からタイムスリップしてきたような“ダサかわ”ファッションにキラキラなメイク。ハイテンションなキャラクターでガールフレンドのpeco(ぺこ)(27)とのラブラブぶりを見せつけ、あぜんとする周囲をみるみるうちに自分のペースに巻き込んでいく。  その存在は大げさでなく、当時の日本人の旧態依然としたジェンダー感覚を揺さぶったといっていい。21歳でpecoと結婚。22歳でパパとなり、そのスピード感あふれる展開が、常に世の注目を浴びてきた。  そして現在。芸名を「りゅうちぇる」からアルファベット表記のryuchellに改め、自らの事務所「比嘉企画」を立ち上げた。さまざまなメディアで子育てについて語り、ダイバーシティーやSDGsなど社会の課題についても発信する。SNSで放たれるまっとうで真摯(しんし)なメッセージは多くの人の心に刺さりまくり、ニュース番組では祖母から聞いた沖縄戦について語り、若者たちに「歴史を忘れないで」と呼びかける。YouTubeチャンネル登録者数は48万3千人を超えた。  彼は変わったのか? いや、ryuchellはいつも自分の気持ちに正直に生きようと、もがいてきた。 幼い頃から可愛いもの好きのびのびと育てられた  ryuchellは1995年、沖縄県の宜野湾市に生まれた。5人きょうだいの末っ子で、一番上の姉とは16歳、すぐ上の姉とは8歳年が離れている。沖縄の方言で「わしりんぐゎー」、忘れたころに生まれた子ども、というらしい。  父は「ザ・沖縄の男」。お酒好きでポジティブ、常に人を笑わせる「なんくるないさ~」精神の持ち主。いっぽう母はリアリストで細やか。ryuchellは二人の性格をきっちり等分に受け継いだ。  3歳のときに両親が離婚して、以後は母と暮らし、週に何度かは父の家に泊まるようになった。5歳の誕生日、父と母と北谷(ちゃたん)にある大観覧車に乗ったときの記憶は鮮烈だ。二人は言葉を交わすわけでなく、ただ自分のためだけに同じ空間にいてくれた。 「ああ、自分はどちらからもたっぷりの愛をもらっている!とあのとき感じた。いままでの人生で、あれを超える喜びはないですね」  年の離れたきょうだいにも可愛がられた。3人の姉たちはryuchellをバービー人形のように着替えさせ、ショッピングや彼氏とのデートにも一緒に連れていった。家に誰もいなければ近所のおばあのところで「ゆんたく(おしゃべり)」すればいい。沖縄では地域で子どもを育てる、が当たり前。寂しいと感じたことはなかった。ただ、母の苦労は感じていた。 「やっぱり女手ひとつで子どもを育てるのは大変で、お金もなくて。子どもながらに、お母さんを悲しませないようにしないといけないなあ、といつも思っていました」  母は何かを思い詰めると、ベランダでタバコを吸う。母が部屋に戻ってきたときには何か絶対おもしろいことを言って笑わせてやろう、と思った。人を笑わせる、という感覚はこのころ身についた。  幼稚園にあがる前から、自分の好きなものが、同世代の男の子とは違うことは感じていた。お人形遊びが好きで、可愛いものが好き。幼稚園でバービー人形で遊んでいると、同い年の子に「りゅうは男なのになんで?」と言われてしまった。「僕、ちょっと変?」と心の片隅で思うこともあった。  だが両親は「男らしくしなさい」などと一切言わなかった。姉たちの影響を受けながら、子ども時代はのびのびと自分の好きなものを貫いた。  もともと沖縄は、多様性が根付いた土地だとryuchellは言う。特にryuchellが住んでいた中部には普天間、嘉手納基地をはじめ広大な米軍基地があり、暮らしのそばにアメリカ兵がいる。国際結婚も多く、離婚率も高く、シングルマザーも多い。ryuchellの父方の祖父も米兵だ。父が生まれてすぐアメリカに帰った祖父について、祖母は多くを語らなかった。 2022年5月に東京・丸ビルのマルキューブで行われた「沖縄復帰50年 HAPPY OKINAWA FESTA 2022」にゲスト出演し、具志堅用高(写真左)やゴリ(右)と爆笑トークで盛り上げる。自身のルーツ・沖縄にできる限りのことをしたいと考えている。(撮影/篠塚ようこ) 「中部は貧富の差も大きくて、小学生から新聞配達をしたり、中学生から路上でアイスクリン売りをしたりするのが当たり前。僕だけじゃなくみんな『修羅くぐってる』んです。いろんな人を見るなかで多様な考え方になるし、自立心も強くなる」 「あの子誰?」「可愛い!」高校で男女から注目される  ファッション面でもアメリカンカルチャーにどっぷり影響された。ジャスティン・ビーバーにブリトニー・スピアーズ、「シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ」などの米ドラマ、ビジュアル系ロックバンドの美しい男性たちにも憧れ、自分もああなりたい、と思った。  しかし中学に入ると状況は一変した。  ryuchellは、沖縄の中学校はヤンキーがトップに君臨するカースト社会だという。入学早々、上の階から新入生めがけて唾が降ってきた。しかし絶対に上を向いてはいけない。見上げてしまった友人は即、呼び出されてボコボコにされた。 「中学では目立ったらアウト。目を付けられないようにファッションはもちろん、話し方や好きなものが女の子っぽいということを必死に隠していたんです」  孤立する勇気はなかった。ヤンキー友達とほどよく付き合い、自分を隠して振る舞った。 「自分の好きなものを我慢するだけじゃなく、自分を捨てていく作業だった。それは、自分が弱いからなんですけど」  中2で初めてメイクをした。外では見せられない自分を発散したかったのだ。中3からツイッターに写真をアップした。もちろん鍵アカウントで、誰にもバレないように。この自分を殺した3年間が、その後のryuchellを決定づけた。もう自分を偽りたくない。地元の友達もいない、自由な高校へ行こう。そして選んだのが、学区外の県立北中城高校。実際、そこはパラダイスだった。  高1からの親友・山田祐也(26)はryuchellとの衝撃的な出会いを覚えている。 「入学式のとき、りゅうは赤髪だったんです。僕も僕の親もびっくりしたけど、でもすごく可愛かった。話しかけたらしゃべり方もめちゃくちゃ可愛くて。『りゅうちゃん、って呼んでもいい?』『嬉しいです!』みたいにして仲良くなった」  山田が特別だったわけではない。やはり高校の同級生で現在アーティストとして活動するAqua roove(アクアルーヴ)(27)も証言する。 「僕はバスケ部でモテたいがために部活をやっていたようなものなのに、りゅうのほうが断然、男子にも女子にも注目されていました。『あの子誰?』『可愛い!』って」  学年に一人は「ryuchellみたいになりたい!」と真似(まね)する男子がいた。そこにある「可愛い」に男女の区別はなかった。 所持金6万円で上京テレビ番組出演でブレイク  高1から「りゅうちぇる」の名で堂々とツイッターを始めた。プロフィルは「ちぇるちぇるらんどの王子様」。お気に入りのコーデや「盛れた」メイクをアップし続け、フォロワーは2万人を超えた。それが憧れの東京行きにつながった。 「高校を卒業したら、うちの店で働いてみませんか」。原宿の人気ショップからDM(ダイレクトメッセージ)を受け取ったのだ。「行きます!」と即決した。猛反対する母を説得し、卒業と同時に飛行機に飛び乗った。焼き肉屋での時給630円のアルバイトでためた全財産の半分を母に渡し、残りを上京資金にあてた。  所持金は6万円。東京に知り合いはいなかったが、不安はまったくなかった。  だが、すぐに厳しさに直面する。ショップには全国各地からスカウトされた個性的な子たちが集まってくる。みな店で働きながら雑誌の読者モデルとして有名になりたいと、火花を散らしていた。人とかぶらない、オリジナルな個性が何より必要だった。「負けたくない!」と、少ない給料は洋服代に消えた。毎朝、出勤時には体重チェックもある。竹下通りのケバブ屋やクレープ屋を横目に、スルメを囓(かじ)り、マシュマロで糖分を補った。  3カ月もすると、竹下通りで「ryuchellさんですか?」と声をかけられるまでになった。未来はまだ見えないけど、どうにかやっていけるかもしれない。そんなとき店に後輩として入ってきたpecoと出会った。  pecoは大阪出身。高校在学時から「カリスマモデル四天王」と呼ばれるほどの人気者だった。ブロンドのウェーブヘアに愛らしい瞳。動くバービー人形のような彼女に一目ぼれをした。 「可愛いだけじゃなくて『自分』を持っている。こんな人がいるんだ!って、衝撃でした」  pecoもまったく同じことを感じていた。 「理想の人が目の前に現れた!って思いました。自分の力だけで上京して、甘ったれたところがないのも、かっこよかった」  メイクをしている男の子に会ったのは初めてだったが、違和感はまるでなかった。すぐにお互い思い合っていることがわかり、恋が実った。東京での生活が、ハッピーに輝き始めた。  いっぽうでryuchellは別の壁にぶち当たっていた。店員に向いていないことに気づいたのだ。 「僕は本当に嘘が下手というか、どうやっても似合っていない服をお客さんに売れない。『こっちのほうが似合わない?』とか一生懸命やっていたんですけど、苦しくなっちゃって」 「比嘉企画」代表取締役としての顔も持つ。書類仕事をするのは得意。考えを整理するときには文字を書いてまとめる。手紙を書くことも多い。「本当に伝えたいことは、LINEじゃだめなんですよね」(撮影/篠塚ようこ)  店員を辞めpecoの所属事務所に移籍し、タレントとしての道も探り始めた。あるときpecoの彼氏としてテレビの取材を受けた。「彼氏として出るのに、女の子っぽいのはどうなんだろう?」と悩み、自分を隠した。結局、オンエアではカットされた。友人たちに告知もしたのに、と恥ずかしさと悔しさでいっぱいになった。そんなryuchellにpecoは言った。 「ryuchellらしくなかったからやん。てこ(peco)はいつものryuchellが好きだよ」  その言葉で吹っ切れた。やっぱり自分は、自分でいなくちゃいけない。その後はありのままの自分を全開にし、番組スタッフの目にとまり「行列のできる法律相談所」に出演。司会の明石家さんまにおもしろがられ、ブレイクした。前出の同級生・山田とAqua rooveは声をそろえて言う。 「キャラを作っていると思っていた人も多かったみたいだけど、まったく普段どおりで、高校時代から変わらない。なんならテレビ用にマイルドにしてる?って、同級生みんなが思いました」  当時からマネージャーを務める片山朝子(32)はryuchellを「瞬発力がある」と評する。 「しかも柔軟で、人の意見をちゃんと聞こうとする。髪の色などルックスは常に変化するけれど、しっかりした考え方や、ぶれないところは変わらない」  2016年にpecoと結婚。22歳で1児の父となり、忙しい日々は続いた。16年、17年はほぼ休みなし。バラエティー番組に多数出演し、紅白歌合戦にもゲスト出演。そんな日々のなかryuchellは次第に消耗していった。  原宿時代は「オンリーワンな個性」の戦いだった。芸能界では「おバカタレント枠」の戦いになった。番組でひとつしかない枠を奪い合う。さらに、ここでも「嘘がつけない」苦しさが生まれた。 「バラエティー番組では思っていないことを言わなきゃいけないときもある。『おいしい!』とか『これ流行(はや)ってる!』とか。大人にならなきゃ、とこなせるときもあったけど、やっぱりつらくて」  結局、ryuchellという人は正直すぎるのだ。  どこにでも馴染(なじ)めるバラエティータレントにはなりきれなかった。が、世はSNSの時代。YouTubeも話題になりだしていた。テレビにこだわることはない。 やられてもやり返さないアンチの人も抱きしめる 最近「変わったね」と言われる。「中身は変わってないけど、成長はしたかなと思います」(撮影/篠塚ようこ)   17年ごろから、雑誌や新聞の取材で自分を隠した中学時代のつらさ、故郷・沖縄への思いなどを話し始めた。バラエティー番組ではマジメな話をしたらアウト。でもSNSならできる。それまで眠らせていたものが自然に湧き出てきた。 「おバカキャラだと思っていたけれど、バックグラウンドを知って点と点とがつながった、って言ってくださる方がいて嬉しかった。自分はヘアバンド時代から変わってない。でも人が受ける印象は違うかもって思っていたから」(ryuchell)  実際SNSで心ない言葉を投げつけられることもある。あるとき書き込まれた「ブス、死ね」のメッセージ。だが考えた。その言葉を、わざわざ知らない僕に投げつけなければやっていけないその人には、どんなことがあったんだろう。言葉の裏に思いを巡らせ、こう返信した。 「僕は可愛いし、生きます。そしてあなたも、生きて」──。ryuchellは言う。 「学生時代からSNSで『男なのにメイクして』とかディスられることもたくさんありました。当時は向こうがレベル3できたら、10で返す! みたいなこともしていたんです。でも原宿時代にSNSの裏アカウントで人の過去を暴露するとか、汚い裏側を見て、やられたらやりかえす、とかはやめよう、って思った。アンチも抱きしめてあげよう!って決めたんです」  僕のテーマは愛だから。そう言えるのは自身が愛をたくさんもらってきたからだ。だから人にも愛を分けてあげたい。ryuchellの行動原理はここにある。pecoも言う。 「ryuchellがあのスタイルで、ありのままでメディアに出たことで、勇気をもらえた人はきっといると思う。自分らしさを隠していた経験があるからこそ、同じような悩みを持っている人に寄り添える。いま、そういう経験を発信して仕事にさせてもらっているのはすごいことだし、なるべくしてなったのかな、と思います」  そしてこの夏の終わりに、ryuchellとpecoは話し合い、「夫婦」を卒業する決断をした。「夫」らしく、正真正銘の「男」でいないといけない、ということにつらさを感じてしまった、とryuchellは文章で発表している。そんなryuchellをpecoは受け入れた。共同で発表した文章にpecoは「それはryuchellがほんとうにたくさんの本物の愛をくれたからだと思います」と綴った。二人は変わらず一緒に暮らし、人生のパートナーとして新しい家族のかたちを描いていくという。  より正直に、ありのままに。僕はこれからも生きていく。だから、みんなもそうして。ryuchellはそう語りかけながら、今日も誰かに愛を届けている。(文中敬称略) (文・中村千晶) ※AERA 2022年9月5日号
医学博士と料理家が考案した「更年期」を乗り切るための献立ルール
医学博士と料理家が考案した「更年期」を乗り切るための献立ルール まずは一食分の基本の献立を覚える。主食、主菜、副菜、汁物を揃えると、栄養バランスを確保しやすい(撮影/吉田篤史)  7月11日に配信した記事「更年期は女性でも内臓脂肪がつきやすくなる! 避けるのに有効な栄養素とは」で、更年期の不調を改善するためにとりたい栄養素を解説したが、いざ実践しようとすると、そう簡単ではない。どんな食材にどんな栄養素が豊富に含まれているのか把握しきれず挫折してしまうこともあるだろう。  医学博士の廣田孝子さんが監修し、料理家の上島亜紀さんが料理を担当した『女性に不足しがちな栄養がしっかりとれる 最強の献立 レシピBOOK』 では、女性の健康を支えるための最強の「献立ルール」を紹介している。「一汁三菜」を基本に、8つのルールを守るだけで、更年期の女性に不足しがちな栄養素を過不足なく、簡単にとることができる。抜粋して紹介したい。 ルール1 毎日の体重をチェック  更年期では基礎代謝が落ちるため、食べすぎたカロリーが体脂肪として蓄積されやすくなり、内臓脂肪へと蓄えられる。一方で栄養素の吸収率も徐々に下がっていくため、適正カロリーを守りながら栄養を過不足なくとるという、バランス感覚が重要。体重はそれを教えてくれるバロメーターだ。毎日チェックしたい。できれば毎朝、起床時に測定してメモする習慣を付けて。増加傾向にあるなら、食事の内容や量をチェックできる。 ルール2 良質のたんぱく質を毎食とる  筋肉を維持するためには、目安として体重1キロにつき1グラムのたんぱく質が必要と考えられている。体重50キロの人なら50グラム。この量を1日に摂取するのは意外と大変だ。三度の食事でたんぱく質量としてどれぐらいとれているのかを把握してみよう。  例えば、肉や魚介類なら、脂肪の少ない部位でそれぞれ100グラムあたり約20グラムのたんぱく質を含んでいる。大豆製品はたんぱく質量はいろいろだが、カルシウムや抗酸化物質も含んでいるので、週2回以上とるようにしよう。 ルール3 牛・豚の脂肪のとりすぎに注意 更年期はLDL(悪玉)コレステロール値が上昇しやすいため、脂質の取り方に気をつけたい(イラスト/ヤマグチカヨ)  更年期は、LDL(悪玉)コレステロール値が上昇しやすく、動脈硬化などを引き起こしやすくなるので、脂質のとり方には注意が必要だ。  優先してとりたいのは、青魚の油や、えごま油、亜麻仁油といったオメガ3系の良質な脂質。豚肉や牛肉は部位により脂肪が多く、食べすぎると動物性脂肪のとりすぎにつながるので、注意しよう。鶏肉ならむね肉やささみ、豚肉、牛肉ならもも肉、ヒレ肉などの赤身を。ひき肉は脂肪がどのぐらい入っているかわからないので、鶏ならむね肉、豚、牛なら赤身のものを選びたい。 ルール4 牛乳・ヨーグルト・チーズのどれかを毎日2回以上とる  牛乳や乳製品は、更年期でとくに不足しがちなたんぱく質、カルシウムが豊富。そして、注目すべきは、カルシウムの吸収率の高さだ。骨粗しょう症や骨折の予防に有効だ。骨粗しょう症予防には1日にカルシウムを700~800ミリグラムとることが望ましいとされており、牛乳なら毎日コップ2 杯(カルシウム約400ミリグラム)飲むことが推奨されている。加えて、ヨーグルト、チーズのどれかをとるようにすると、効率よくカルシウムを摂取することができる。また、乳製品にはカリウムやマグネシウムも多いので、高血圧や心臓病などの循環器疾患予防にもおすすめだ。 ルール5 新鮮な魚を週2~3回以上とる  今、世界的に魚食が注目されている。2010年に「週に2~3回魚を食べると虚血性心疾患や突然死などのリスクが低下」という研究結果がアメリカで発表されて以来、魚食の健康効果に関する研究が進んでいるのだ。週に2~3回と言わず、毎日でも魚を食べ、血管の若さを保とう。ただし干物や加工食品は塩分が高くなりがちなので控えめにし、生の魚を刺し身、塩焼き、煮魚などにして食べるのがいい。 ルール6 野菜・果物を1日2~3回はとる  1 日に野菜350グラム、果物20グラムという摂取推奨量のをとるのは意外に難しい。重要なのは、なるべく毎食、意識して野菜や果物をとるということだ。野菜や果物に含まれるビタミンやミネラル類の多くは排泄されやすく、体内に長く貯蔵できないので、こまめにとる必要もある。また、加熱することによって失われたり、こわれたりする栄養素もある。いろいろな調理法でとるようにしたい。 健康のために大切なことだとわかっていても、十分な量の野菜を毎日摂取することは難しい(イラスト/ヤマグチカヨ) ルール7 食物繊維の多い食事で腸内環境を整える  更年期には、自律神経の乱れなどでお通じも不調になりがち。腸の状態は自律神経を通じて心身の健康にも影響を与え、さらなる不調の原因になるなど、悪循環を招いてしまう。便秘を防ぎ、腸内の善玉菌を増やしてくれる可能性がある食物繊維を多めにとって、腸内環境を良好に整えよう。食物繊維には不溶性と水溶性があり、それぞれの働きがある。食物繊維が多い野菜や果物、海藻、ナッツなどを意識してとるほか、主食には玄米や雑穀、オートミール、ライ麦パンなどを選ぶといい。 ルール8 外食での塩分と脂肪のとりすぎをおうちの食事でリカバリー 自炊することで極力脂質を控え、塩分は1食2グラム以下を目安にしたい(イラスト/ヤマグチカヨ)  毎日忙しいと、つい外食したり、スーパーやコンビニの弁当・惣菜に頼ってしまいがち。そのような食生活では、野菜不足、脂肪や塩分過多となり、栄養が偏って、さらに不調を助長する結果になる。だからこそ、自炊できるときは塩分と脂質を抑え、野菜を増やす工夫を。また、とりすぎた塩分や脂肪を排出してくれるカリウム、食物繊維などを積極的に摂取しよう。野菜や海藻を多めにし、素材の味を引き出す調理法で味わいたい。 (構成/生活・文化編集部 森香織)
「塩分とり過ぎ」が招く高血圧 予防は少しずつ減らす「減塩」 医師「幼少期から取り組むことが必要」
「塩分とり過ぎ」が招く高血圧 予防は少しずつ減らす「減塩」 医師「幼少期から取り組むことが必要」 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)  血圧が高くても自覚症状はほとんどありません。そのため、「高血圧は予防が大事」といわれても「ピンとこない」という人もいるかもしれません。でも、自覚症状がないからこそ、気づかぬうちに進行し、大きな病気を引き起こす高血圧の予防は重要なのです。さらに、予防を始めるのは早いほど望ましく、子どものころから高血圧予防を意識した生活を送ることで、将来の高血圧と、その先にある病気のリスクを軽減できるメリットもあります。  高血圧予防の大切さと、無理なく続ける予防のポイントを知ってもらうため、週刊朝日ムック「手術数でわかるいい病院」編集チームが取材する連載企画「名医に聞く 病気の予防と治し方」からお届けします。「高血圧」全3回の2回目です。 *    *  * ■自覚症状がない高血圧が生命に関わる病気のリスクに  日本の患者数は約4000万人以上といわれる高血圧。その予防が重要視され、行政や医療機関、学会などではさまざまな取り組みがおこなわれています。なぜ予防が必要かといえば、高血圧には自覚症状がなく、気づかないうちに動脈硬化を促進し、心筋梗塞(こうそく)や脳梗塞、脳出血など生命に関わる病気を引き起こすリスクが高まるためです。  筑波大学医学医療系社会健康医学教授の山岸良匡医師は、「高血圧予防は、その先に待つ多くの病気を防ぐことにつながる」と話します。  高血圧などの生活習慣病に関する疫学研究や予防医学を専門とする山岸医師は、厚生労働省の一般向け健康情報サイト「e-ヘルスネット」の情報評価委員として生活習慣病に関する記事を作成するなど、啓発にも積極的に取り組んでいます。  高血圧は、食事での塩分のとり過ぎや運動不足、睡眠不足、ストレスなど生活習慣に起因することが多いため、自らの生活を振り返り、「心当たりがある人=予防を心がけるべき人」といえます。  また、糖尿病や腎臓病、肥満の人、家族に高血圧や脳卒中になった人がいる場合などは、「高血圧になりやすいため、より注意が必要」と、勝谷医院院長の勝谷友宏医師は指摘します。  勝谷医師は、大阪大学で20年間、高血圧やアルツハイマー病などの診療と研究に携わってきました。父の後を継ぎ兵庫県尼崎市にある同院の院長となり、地域の人々の健康をサポートしながら、現在も千里金蘭大学や大阪医科薬科大学などで教鞭を執っています。さらに日本高血圧学会理事として、高血圧に関する研究に携わるなど治療の進歩や医療連携などにも貢献しています。 「両親やきょうだいなどが高血圧の人は、今は血圧が高くなくても将来、高血圧になる可能性が高いため、注意して経過をみることが必要です。ただし、親が高血圧でも、しっかり予防を心がけることで高血圧にならない人も多くいます」(勝谷医師)  では実際に、高血圧はどのように予防すればいいのでしょうか。主な対策として「家庭での血圧測定」「減塩」「適度な運動習慣」「毎年の健康診断」の四つが挙げられます。 ■家庭で使用する血圧計は上腕式タイプがおすすめ  家庭で血圧を測る習慣をつけることには、「自分の血圧を知る」「血圧を意識して生活する」という二つの意義があると勝谷医師は話します。家庭血圧の重要性を示す研究報告もあり、岩手県花巻市大迫町で35年以上続けられてきた、東北大学の今井潤医師による「大迫研究」では、病院で測る診察室血圧より、自宅で測る家庭血圧のほうが、心血管疾患による死亡リスクと関連が深いこと、脳卒中発症リスクの予測能が高いことが示されました。 「世界保健機関(WHO)など世界的な血圧の基準が、この研究データに基づいて決められたという日本が誇る疫学研究です。この研究では、住民に家庭での血圧測定を習慣づけたことで、脳卒中などの病気が減ったともいわれています」(同)  正しく血圧を測るためには血圧計選びも重要です。勝谷医師は、手首で測るものより、「上腕で測るタイプのほうが、より正確な血圧値が得られる」と勧めています。  日本高血圧学会では、家庭での正しい血圧の測り方として、毎日、朝と夜に測定すること、朝は起床後1時間以内を目安に朝食や服薬の前に測定すること、夜は就寝前に測定すること、測定前には1~2分座って落ち着いてから測ることを推奨しています。  家庭での血圧測定と同様に、高血圧予防に不可欠なのが「減塩」です。厚生労働省の「日本人の食事摂取基準(2020年版)」では、1日の食塩摂取量の目標を成人男性では7.5g未満、成人女性では6.5g未満、高血圧や慢性腎臓病の人では6g未満と定めています。  しかし、自分が毎日どのぐらい塩分をとっているかを把握している人は少ないでしょう。勝谷医師は患者に減塩指導をするとき、まず「塩分チェックシート」に記入してもらうといいます(図)。このシートは、漬物を食べる頻度などの当てはまる部分にチェックを入れて、合計点数を出すことで塩分摂取の状況を把握することができるものです。 社会医療法人製鉄記念八幡病院の許諾を得て掲載 社会医療法人製鉄記念八幡病院の許諾を得て掲載 社会医療法人製鉄記念八幡病院の許諾を得て掲載 「どこで塩分をとっているか一目でわかるので、『ここを減らしましょう』と具体的な説明ができ、患者さんもどうすれば塩分を減らせるかわかります」(勝谷医師) ■ちょっとの工夫で減塩はできる ポイントは「少しずつ減らす」こと   減塩のコツとして、厚生労働省の「e-ヘルスネット」では、「漬物は控える(自家製浅漬けにして、少量に)」「麺類の汁は残す(全部残せば2~3g減塩できる)」など、減塩に有効な食行動の例を紹介しています(表)。山岸医師は、「まずは減塩を意識することが大事」と話します。 「一度に多くのことをおこなおうとすると、長続きしないことがあります。ひとつからでもいいので、まず自分にできそうなことから試してみましょう」  醤油などの調味料は、回しかけるのではなく小皿に少量入れ、つけて食べるようにする、プッシュ式やスプレー式の容器に替える、減塩タイプの調味料に替える、などの工夫だけでも塩分を減らすことができます。 「それまで10gとっていた塩分を急に6gにしようとすると、味気ない食事となり物足りなく感じてしまいますが、人間の味覚は、1カ月に1gずつ減塩すると感知できないといわれます。ストレスなく減塩するためには『少しずつ減らす』のがポイントです」(勝谷医師)  ちなみに、塩分1gの目安は、濃い口しょうゆなら小さじ1杯、みそ大さじ1/2杯、たくあん1~2切れ、ロースハム2枚ほどです。  さらに、塩分を排出しやすくするカリウムを豊富に含む野菜やくだもの、大豆製品をとる、血圧を安定させる効果のあるカルシウムを多く含む牛乳や乳製品をとることも勧められます。ただしカリウムについては、腎臓病など持病のある人は主治医と相談が必要です。  そして、適度な運動も有効です。運動習慣がない人や運動する時間がとれない人は、エレベーターではなく階段を使う、バス停一つ分歩く、少し遠回りして買い物に行くなど、「生活の中で少し意識して歩く機会を作るだけでもいい」と山岸医師は言います。  また、自覚症状のない病気だからこそ、健康診断を受けることも大切です。 「高血圧だけでなく、糖尿病や脂質異常症、腎臓病など健康診断で見つかる病気は無症状のものが多く、早期発見には健診を受けるしかありません。症状がないから健診を受けない、ではなく、症状がない人こそ健診を受けることが必要です」(山岸医師) ■年齢に関係なく、味覚が発達する幼少期から減塩に取り組もう  高血圧予防の「始めどき」について、両医師は「早ければ早いほどいい」と口をそろえます。 「高血圧の予防や早期治療の大切さ、減塩の方法を学校教育に組み込むなど、子どものころから理解し、意識することが将来の高血圧予防につながります」(山岸医師) 「食育のひとつとして、味覚が発達する幼少期から減塩に取り組むことが必要と考えます。以前、小学生を対象に減塩について講演したことがありましたが、とてもよく理解してくれました。家族みんなで減塩に取り組むことで、若い世代の親も子も、共に将来の病気のリスクを減らすことができます。また、高血圧予防は一生続くことなので、極端な制限をして息切れするより、少しずつでも無理なく、継続できることが大切です」(勝谷医師) (文・出村真理子) 筑波大学医学医療系社会健康医学 教授 山岸良匡(やまぎし・かずまさ)医師 2000年、筑波大学医学専門学群卒業。03年、同大学院修了。同大学院医学研究科博士特別研究員、人間総合科学研究科講師、ミネソタ大学公衆衛生大学院客員講師などを経て2019年から現職。高血圧など生活習慣病の予防と疫学研究が専門であり、厚生労働省の「e-ヘルスネット」情報評価委員として啓発記事を執筆。 筑波大学医学医療系社会健康医学 教授 山岸良匡医師 勝谷医院 院長 勝谷友宏(かつや・ともひろ)医師 1989年、和歌山県立医科大学卒業。93年、大阪大学大学院修了、スタンフォード大学医学部Falk心臓血管研究所 postdoctoral fellow、98年大阪大学医学部助手などを経て2019年、同大学院招聘教授に就任。09年から勝谷医院院長。大阪医科薬科大学教育教授など、大学でも教鞭を執る。日本高血圧学会理事、日本抗加齢医学会理事、日本血管不全学会理事、兵庫県内科医会会長など。医院の診療で地域の人々の健康を支えつつ、大学や学会での研究などにも参加し、高血圧に関わる研究での受賞も多数。 勝谷医院 院長 勝谷友宏医師 連載「名医に聞く 病気の予防と治し方」を含む、予防や健康・医療、介護の記事は、WEBサイト「AERAウェルネス」で、まとめてご覧いただけます
緊急避妊薬が処方箋なしで100円で手に入る衝撃 女医が憤ったミャンマーと日本の対応の差
緊急避妊薬が処方箋なしで100円で手に入る衝撃 女医が憤ったミャンマーと日本の対応の差 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師  日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「緊急避妊薬」について、NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  先月末、厚生労働省は望まない妊娠を防ぐ「緊急避妊薬」を、処方箋なしに販売する調査研究を始める方針であることを発表しました。早ければ今年の夏から来年の春にかけて、都道府県ごとに最低1カ所設けられた一定の要件を満たす薬局で、その調査が実施される予定です。 「緊急避妊薬」とは、その名の通り、避妊に失敗したときに緊急的に内服する避妊薬のことです。性交渉から3日以内、ないしは5日以内に内服しないと避妊効果が期待できない薬であり、避妊に失敗してしまった場合や、そもそも避妊をしていなかった時に、緊急的な手段として翌朝に内服されることが多いことから、「モーニングアフターピル」や「アフターピル」とも呼ばれています。「こちらの名称の方なら聞いたことがある」という方も多いのではないでしょうか。  世界保健機関(WHO)は2018年、「意図しない妊娠のリスクを抱えた全ての女性は、緊急避妊薬にアクセスする権利がある」として、必要とするときに手に入れることができるよう、複数の入手手段を確保するように各国に勧告しました。また2020年4月には、薬局での販売の検討も含めた緊急避妊薬へのアクセスを確保するように提言しています。  そのような働きかけもあってでしょうか。世界にはすでに市販化されている国や、処方箋がなくても薬剤師を通じて購入することができる国が多く存在しています。しかしながら、日本では、今の所、緊急避妊薬は市販では販売されていません。病院を受診し、処方箋を発行してもらわないと、緊急避妊薬を手に入れることはできません。その上、価格も1万円前後と高額です。  恥ずかしながら、私が薬局で緊急避妊薬を購入することが他国では可能であることを知ったのは、医師になってから4年目の秋のことでした。とある学会に参加するためにミャンマーのヤンゴンを訪問した際、会場近くにあったスーパーの中にある薬局に、緊急避妊薬が陳列してあるのをたまたま発見したのです。  処方箋がないと緊急避妊薬は手に入らない、と思い込んでいた私にとって、この発見は驚かずにはいられない出来事でした。さらに、日本だと1万円前後くらいの値段で処方されている緊急避妊薬が、もちろん物価の差はあるものの、当時の物価で100円もしなかったことへの衝撃は、今でも忘れられません。  薬局で緊急避妊薬を購入することができれば、いざ必要になった時に駆け込むことができますし、念のために日々持ち歩くことも可能になります。WHOが勧告するような、全ての女性が緊急避妊薬に容易にアクセスできる環境の整ったミャンマーの実態を目の当たりにした私は、日本の現状に憤りを感じざるを得ませんでした。処方箋がないと緊急避妊薬が手に入らない日本の現状は、避妊法の一つである緊急避妊薬にアクセスするハードルが高いと言わざるを得ないからです。 「避妊具はつけていたのですが、いつの間にか破れてしまっていたみたいで……。ネットで調べたら、緊急避妊薬があることを初めて知りました。休日でも処方してもらえる病院を必死に探して、ここ(このクリニック)を見つけました」  とある連休最終日の正午に、勤務先のクリニックに20代前半の女性が一人、緊急避妊薬の処方を希望してクリニックを受診されました。「緊急避妊薬の存在自体、知らなかった」と言う彼女は、インターネットで必死に調べて、避妊法の一つに緊急避妊薬があるということ、そして、日本では薬局では買えないこと、入手するためには処方箋が必要だということを初めて知ったといいます。  外来の現場で緊急避妊薬をたくさん処方したことで、自分なりに分かったことが2つあります。一つ目は、必要とする女性がクリニックを受診すること自体のハードルの高さです。「仕事を休めないから、休日にも診療しているクリニックを探しました」「勤務の合間や、昼休みの時間に、なんとか受診できてよかった」「夜遅くまで診療してくださって、助かりました」緊急避妊薬を希望して受診された多くの方がこうおっしゃるのです。 米国カリフォルニア州の薬局では緊急避妊薬(ラック右上段)はこのような感じで陳列棚に/山本佳奈医師提供  二つ目は、緊急避妊薬の処方を希望する理由として、「避妊自体していなかったから」という理由は思ったより少なく、「避妊していたが避妊に失敗してしまったから」という理由の方が思ったよりも多かったことです。「コンドームを適切に使用できていたか不安に思うことがあったから、緊急避妊薬を内服しておきたいと思った」といった声も、よく聞かれたことも印象に残っています。  ちなみに、私が今滞在しているカリフォルニア州でも、薬局で緊急避妊薬を購入することが可能です。近所の大手薬局チェーン店では、盗難予防でしょうか、女性のヘルスに関する薬の陳列棚に、箱のみ透明のケースに入れられて、緊急避妊薬が販売されていました。価格は50ドルほどと、日本よりも安価でした。   女性が緊急避妊薬を入手する上でのハードルを下げ、アクセスしやすい環境を整備することは、女性がからだを守る上でとても重要なことだと私は思います。その点において、他国よりも遅れをとっている日本において、緊急避妊薬を処方箋なしに処方する調査を開始するという政府の方針は、大きな一歩だと思います。  一人の女性として、1日も早く、日本において、すべての女性が緊急避妊薬まで容易にアクセスできる環境が整うことを切に願っています。 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師。医学博士。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。2022年東京大学大学院医学系研究科修了。ナビタスクリニック(立川)内科医、よしのぶクリニック(鹿児島)非常勤医師、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書)
意外と知らない「痔の手術」のリスク 大量出血、肛門損傷、死亡事例まで…専門家は「必要ない手術は多い」
意外と知らない「痔の手術」のリスク 大量出血、肛門損傷、死亡事例まで…専門家は「必要ない手術は多い」 痔の治療は「切らない」のが欧米の主流になっている。画像はイメージ(GettyImages)  まさか、痔の手術で死んでしまうとは。6月20日、愛知県医療療育総合センター中央病院(同県春日井市)は、10代の男性患者が痔の手術後に出血性ショックで死亡する医療事故が2年前にあったと発表した。男性が重度の脳性まひを抱えていたり、心肺蘇生時に投薬ミスもあったりと、悪条件が重なった背景はあるが、痔の手術によって命を落とした事実は、医療関係者にも衝撃を与えた。日本人の3人に1人が悩んでいるといわれる、痔。死のリスクを負って手術しなければ治らないのだろうか。 *  *  *  開業88年の歴史を持つ平田肛門科医院(東京都港区)の平田雅彦院長は、事故の報道を受け、「一体何があったのか……」と首をかしげる。 「痔の手術は手技が確立されていて、1時間以内で終わるものばかり。肛門科の専門医が痔の状態を見極め、きちんと手術プランを立てて臨めば、事故が起こることはほとんどありません。もし病院内に専門医がおらず、痔も重症化していて手術難易度が高かったのだとしたら、別の病院に引き受けてもらうことはできなかったのかと悔やまれます」  痔の手術は、あまたある手術のなかでもリスクが少ない部類に入る。しかし、患者自身の「術後管理」が不可欠という点で、特有のハードルがあるという。 「肛門は多くの血管が走っていて、傷口が開くと大量出血する可能性があります。手術当日は排便をしない、翌日以降排便する際は力まないよう気をつけるなど、極力肛門に負担をかけないよう、患者さんの協力が欠かせません。もし、今回亡くなった男性が脳性まひによって意思疎通が難しかったのだとしたら、一時的に腸の動きを止める薬や、便をやわらかくする薬を使うなどの対策が必要になり、術後管理はぐっと難しくなると思います」  日本では、痔の治療=手術のイメージを持つ人が多く、実際、手術を積極的に行う病院も少なくない。だが平田院長によると、痔のなかで最も症例の多い「いぼ痔」の手術率は、イギリスやアメリカではわずか5%ほど。欧米では、切らない治療が主流だそうだ。 平田雅彦院長  手術以外には、投薬のほか、患部にレーザーを当てたり、「ジオン」と呼ばれる薬剤を注射したりして痔を小さくする方法がある。だがジオン注射は、注射液に含まれるアルミニウムの脳に対する安全性が確立されておらず、欧米では認可されていない。また、手術や薬、レーザーでいったんは痔を治しても、痔を引き起こす生活習慣を続けていれば再発の可能性がある。  そこで、平田肛門科医院では、「食物繊維の豊富な食事をとる」「こまめに運動して体を温める」「肛門に負担をかけない排便法を身につける」などの生活指導に力を入れている。ほかの病院で手術を勧められた患者が転院してくるケースも少なくないが、実際、生活習慣を改めることで9割の患者が痔を克服しているという。平田院長はこう話す。 「当院で1000人の患者さんにアンケートをしたところ、痔と自覚してから受診するまでの期間は、平均7年。ここまで時間がかかっている要因の一つが、手術への恐怖でした。でも治療が遅れることで、痔が悪化して手術せざるを得なくなったり、痔だと思っていたら直腸がんが潜んでいたりする危険があります。肛門の出血や痛みが1週間以上続く、または月に何度も起きる場合は、早めに病院に行ってください。もし医師から『すぐに手術しましょう』と言われたら、きちんと理由を聞きましょう。私が担当した患者さんで、この5年間で緊急手術が必要だった方は一人もいません。その医師に書いてもらった診断書を持って、ほかの専門医にセカンドオピニオンを求めるのも手です」  医師の言葉どおり急いで痔の手術をした結果、激しい後悔を抱えている人物が、AERA dot.編集部にいる。57歳の男性記者Aさんは、まだ20代半ばだったある日、肛門にブドウの粒のような小さなできものがあることに気づいた。軽度のいぼ痔だった。そこで、過去に盲腸の手術でお世話になった病院に痔の名医がいたことを思い出し、迷わず受診。それが運の尽きだった。 理想のうんこを出すモーニングルーティーン(平田院長の著書『マンガでわかる 痔の治し方』より抜粋)  名医はすでに引退しており、診察室にいたのは若先生。あちゃーと思ったのもつかの間、若先生は「あなたね、痔を軽く見ちゃいけないんだよ! 今手術しないと一生困ることになるよ!」と、悪質な訪問販売員のようにたたみかけてきた。あまりのけんまくに押し切られ、渋々承諾したA。だが、若先生は手術の腕にも問題があったようで、術後、Aの肛門は極度に狭くなり、便を出すのに大変な苦労を伴うようになった。  いぼ痔が治った代わりに、切れ痔にさいなまれる毎日が幕を開けた。便座に座るたび、「ここはゆっくり圧力をかけて慎重に出すべきか? いやいや短時間で一気に勝負に出るか?」と逡巡する。忙しいので、たいていは後者をチョイス。そして肛門は裂け、鮮血が流れる。ひどいときは便が出るまでに1時間かかり、トイレから出るころには汗だくだ。  手術から30年ほどたった今も、状況は大きくは改善していない。「今はまだ便をしぼりだす気力と体力があるけど、老後寝たきりになったらどんな悲惨な最期を迎えるのか……。いやーもうほんと、俺の肛門返してくれよ!」   Aの悲痛な叫びは、すでに廃業した若先生の耳に届くことはない。  前出の平田院長は、Aのように手術の後遺症に苦しむ人々の姿を何人も見てきた。ある20代の女性は、肛門の太さがボールペンほどになってしまったことで自殺を図り、見かねた母親が平田院長のもとに連れてきた。ここまで細い肛門では皮膚移植もできないため、投薬と生活指導を3年続けた結果、粘膜が柔らかくなり伸縮できるようになった。回復してから3年後、女性から「結婚して子どもができました」と喜びの手紙が届いたという。  一方、空手のチャンピオンだった20代の男性は、手術の際に誤って肛門の括約筋を切られてしまい、常に便が漏れてしまう状態になっていた。だが、完全に断裂した括約筋を再建することは不可能だ。その旨を伝えると、男性は泣いて帰っていったという。  では、なぜ日本では痔の手術率がいまだ高いままなのか? 平田院長はため息まじりにこう語った。 「痔の場合、日本の医療制度では生活指導をしても保険点数がつかず、病院にお金が入らない。だから、当院は保険診療ではなく自費診療です。糖尿病と同じように、『痔は生活習慣病』という認識が早く広まってほしいですね」 (AERA dot.編集部・大谷百合絵) ●平田雅彦(ひらた・まさひこ) 1953年、東京都生まれ。1981年に筑波大学医学専門学群卒業。社会保険中央総合病院大腸肛門病センターで、大腸肛門病の専門医として臨床経験を積んだのち、現在は平田肛門科医院の3代目院長を務める。「Dr.Hips(ドクターヒップス)」のニックネームで、痔にまつわる啓発活動にも積極的に取り組み、YouTubeチャンネル「おしりの医学」では80本以上の動画を公開している。『マンガでわかる 痔の治し方』『38万人を診た専門医が教える 自分で痔を治す方法』『痔の9割は自分で治せる』など、著書多数。
更年期は女性でも内臓脂肪がつきやすくなる! 避けるのに有効な栄養素とは
更年期は女性でも内臓脂肪がつきやすくなる! 避けるのに有効な栄養素とは 女性に不足しがちな栄養素がとれ不調を改善する献立で、更年期を健やかに過ごしたい(撮影/吉田篤史)  更年期を不安に思う人は少なくないだろう。女性の場合、50歳前後の閉経を挟み、10年ほど続く。女性ホルモンが減少していく過程で、月経不順が起こり、ほてりやめまいをはじめ、うつなどの心の症状、高血圧、肌の乾燥、記憶力の低下まで、実にさまざまな体調の変化が表れる。  だが、医学博士の廣田孝子さんが監修し、料理家の上島亜紀さんが料理を担当した『女性に不足しがちな栄養がしっかりとれる 最強の献立レシピBOOK』によれば、食材や食べ方を工夫することで、更年期の不調を改善することができるという。本では、「不調別」のおすすめ食材や食べ方に加え、大豆製品、魚介、肉など113に及ぶレシピも紹介している。  この記事では、『最強の献立レシピBOOK』から、更年期の不調を改善するために摂取するべき栄養素について解説したい。  更年期に差し掛かった女性が健康に生きていくためには、どんな栄養素を1日にどれぐらい摂取すればよいのか。指標となるのが、厚生労働省がその基準値をまとめ、5年ごとに改訂を行っている「日本人の食事摂取基準」だ。誰もがより長く元気に活躍できることを目指し、高齢者のフレイル予防や、若いうちからの生活習慣病予防に重点を置いて科学的根拠に基づいた数値が示されている。  女性が1日に摂取すべきエネルギー量や栄養素を年齢ごとに示したものが以下の表だ。 更年期以降の女性の主な栄養素の食事摂取基準。自分の年齢なら何をどの程度摂取すればいいのか、ぜひ参考に  女性ホルモンが豊富に分泌されている時期は、少々栄養バランスに問題があっても、女性ホルモンの働きで健康が保たれる。例えば、カルシウムが不足した場合でも、腸からのカルシウム吸収を増加させるなど、女性ホルモンが調整してくれていたからだ。  こうした女性ホルモンの「サポート」が減少する更年期では、栄養の過不足が顕著に健康に影響してくる。若い頃と同じ食生活をしていると、血圧が少しずつ上昇し、血中コレステロールも増加。体重は変わらないのに、お腹回りに男性のように内臓脂肪がつきやすくなる。  更年期ではこれまで以上に、カロリー摂取、脂質の過多、ビタミン、ミネラル類の不足に注視していく必要がある。  特に採るべきなのは、以下の栄養素だ。 ・ たんぱく質・ 良質の脂質・ カルシウム・ ビタミンD・ 抗酸化物質・ ビタミンやミネラル類・ 食物繊維  良質のたんぱく質は、血管壁を丈夫にし、ハリのある肌や髪の毛、引き締まった筋肉をつくってくれる。肉や魚介、卵、乳製品に含まれる動物性たんぱく質は、必須アミノ酸をバランスよく含むため、体内できちんとたんぱく質が合成される。豆、大豆製品、穀類などに含まれる植物性たんぱく質も、必須アミノ酸をバランスよく含むが、動物性よりは含有量が低い。とはいえ、脂質の含有量が低く、低カロリーなので、たくさん食べても脂肪がつく心配が少ない、更年期に嬉しいたんぱく質。植物性たんぱく質を摂るときは動物性のものと組み合わせるのがおすすめだ。  いい脂質は、悪玉コレステロールを低下させ、血管を若々しく、栄養素の循環と代謝を活発にしてくれる。代表的なのが、あじ、いわし、さばなどの青魚に含まれるDHA、EPA。血液や血管を良好に保ち、脳の神経機能を高める働きもある。アマニ油や荏胡麻油などからEPA、DHA、α-リノレン酸などのオメガ3系の摂取も意識しよう。  吸収のいいカルシウムは、骨粗しょう症の予防する効果がある。カルシウム吸収率の高さではトップクラスの牛乳や乳製品。発酵食品であるチーズやヨーグルトなら乳酸菌もとれて一石二鳥。牛乳に次いで吸収率がよいのが豆腐や高野豆腐などの大豆製品。たんぱく質やイソフラボン(抗酸化物質)も豊富なので、積極的に活用しよう。  免疫力アップに効果があるのが、ビタミンD。不足しがちな栄養素だが、うなぎや小魚、ぶり、さんまなどの魚介類に豊富に含まれる。たんぱく質やDHA、EPAなども豊富なので、毎日摂取したい。きのこ類の中でビタミンD含有量が多いのはまいたけ。ただし、魚介類に比べると含有量はかなり低いので、上手に組み合わせたい。  抗酸化物質は、老化の大敵、活性酸素を撃退しフレッシュな細胞を維持してくれる。大豆に含まれるポリフェノールの一種「イソフラボン」には抗酸化作用があるほか、女性ホルモンと似た働きで心身を健やかに調整する。緑黄色野菜や果物類にも、抗酸化物質が豊富に含まれている。たっぷり摂取して、活性酸素の影響を体内から除去しよう。  栄養の代謝や体内の機能調整に関わるのが、ビタミンやミネラル類。抗酸化ビタミンの中でも脂溶性のビタミンが多いのが、緑黄色野菜やうなぎ、たらこなど。油と相性がよいので加熱調理がおすすめだ。亜鉛、銅、セレン、マンガンは体内の抗酸化システムに重要。これらが豊富な牛肉、牡蠣、魚介類や海藻、ナッツ、そばを積極的に活用したい。  腸内環境を整え、便秘予防や血糖値上昇の抑制などに効果があるのは、穀類やごぼうなどの根菜に含まれる食物繊維。腸内で水を吸ってふくらみ、不用なものを排出させ、活発なぜん動運動を引き起こす働きがある。りんごなどの果物、オートミールに豊富に含まれる水溶性食物繊維は、善玉菌のえさになるほか、血糖値や中性脂肪の上昇を緩やかにしてくれる。 この計算式を使って、1日に必要なエネルギー量を計算してみて。身長はセンチではなくメートルの数字を使う  そして、塩分摂取を減らしたり排泄することで、血圧を下げ、心臓や血管の疾患を予防することができる。牛乳や乳製品、大豆製品などのカルシウム源のほか、カリウム、マグネシウムの多い野菜、海藻、ナッツ類などを摂取して、積極的にナトリウムを排泄しよう。塩分摂取の目安は1日6.5グラム未満。酢やスパイス、だしで味つけを工夫したい。また最近では塩気を感じやすくして減塩できる食器などもあるので、活用してみてほしい。 (構成/生活・文化編集部 森 香織)
音楽への愛と大自然がつくる夢のような色彩 コロナを経て変化するキューバを現地報告
音楽への愛と大自然がつくる夢のような色彩 コロナを経て変化するキューバを現地報告 ハバナの老舗ホテル、オテル・ナシオナルのバーで。一瞬、夢のような色彩を見せてすぐに消え去った。この世と人生のはかなささえ思わせる美(撮影/板垣真理子)  そろそろ海外旅行に行きたいと考えている人もいるだろう。カリブ海の島国・キューバで異文化体験はいかが? 25年通い続ける写真家が現地からいまのキューバを報告する。AERA 2023年7月10日号より紹介する。 *  *  *  いまキューバは私が25年見続けてきた中で、これまでにないほどの過渡期を迎えている。その理由の一つは、言わずと知れた新型コロナウイルスによるパンデミックの影響だ。  2020年にはキューバ滞在中にロックダウンを経験し、私も6カ月間、ホテルで巣ごもり生活を送った。ただ、キューバは医療意識の高い国として国産ワクチンを開発、国民への接種も順調に進んで21年11月には外国人の受け入れも再開した。今こうして現地で原稿を書いている私はコロナのことをほぼ忘れていられる。そのありがたさを享受し、この国の良さ、楽しさ、美味しさを徹底して味わいたい。  キューバは言わずと知れた音楽大国。ルンバやソン、マンボなどなど、ここで書ききれないほど多くのダンス音楽と優れた歌を生み出してきた。 今はこの黄色い花の季節。背景はカピトリオと、大劇場=グラン・テアトロ(撮影/板垣真理子) ■「楽しませるのが一番」  今回の滞在中に、キューバの国民的サルサバンド「ロス・バン・バン」の現リーダー、サミュエル・フォルメル氏にインタビューした。  彼の父親は、バン・バンの創始者であり長年のリーダーで、カリブ全体、いや世界の音楽に影響を与えてきたフアン・フォルメル。サミュエルの語る言葉全てに、父に対する尊敬の気持ちが見えたのも印象的だった。  今年8月には13年ぶりにフルメンバーで来日し、福岡、東京、名古屋、大阪で公演も控える。 「僕たちは人々を楽しませるのが一番大切なんだ。いつもみんなが何を求めているかを見ている。巷(ちまた)で語られる言葉を拾って歌詞にすることもあるくらいだよ。でも今はね、現実を語る時ではない。喜びが先だ。みな、一生懸命なんだから」  しかし、一方で現地でのライブの情報を得るのは簡単ではない。全て現場での確認が必要だ。 米国置き土産のアンティークカーは、観光の目玉で大活躍。こういうきれいなモノが出現したのは、十数年前だったか(撮影/板垣真理子)  キューバを訪れたら、歌やリズム、ダンスを聴き、観るだけでなく、体験できる楽しみもある。すでに音楽を奏で、踊りを体験済みの方たちもいるに違いないが、まったく未経験でも楽しめる場もある。例えば首都ハバナの旧市街にある「La Casa del Son」で。サルサをはじめ、数多ある踊りを教えてくれる。ぜひ旅の体験を自らの体内に入れ、持ち帰ってみてほしい。  かくいう私も、人前で突然歌い始める、という思いがけない体験が始まったのはここキューバだった。彼ら彼女らの音楽に対する愛にはいつも心を動かされる。それは、自らだけではなく、人が学び演奏し楽しむことへの情熱も伴っていて、いつも、「やってごらん」「できるから」と背中を押してくれるからだ。キューバが音楽大国となっている大きな理由の一つがこれなのではないかと思えるほどだ。ぜひ、みっちりとキューバの音楽を楽しんでほしい。毎年6月に開かれるボレロフェスティバルも素晴らしい。今年は5年ぶりに開催され、盛り上がった。  また、キューバで最も面白いもの、興味深いものに“人”を挙げる人もいる。言葉をさほど話せなくても友達ができるのは、人々の人懐っこさと遊び心満載の性格のおかげに違いない。さらに今は強い味方もいる。スマホの音声翻訳アプリである。これでコミュニケーション成立。ほっとしたようににっこりしてくれる笑顔が素敵だ! バラデロのとろけるように美しい海。雨が上がった直後に日が差した時の海が一番きれい、とはキューバの人の言葉。これはまさにそれ(撮影/板垣真理子) ■自分を取り戻す感覚  そして自然。ぐるりと海に囲まれた島国で、どこのビーチも美しい。海の楽しみ方はそれぞれだが、ハバナから東へ140キロの細長く突き出たイカコス半島のバラデロ。ここで「オールインクルーシブ」を体験してしまうのも一つの手だ。  オールインクルーシブとは、 ホテルの宿泊代の中に食べ物やアルコールを含む飲み物、アクティビティーなどの代金が全て含まれているプランのこと。そこそこリーズナブルな価格で贅沢(ぜいたく)な気分を味わうことができる。  なにより海が美しい! 刻々と色を変えるその姿は、自然の持つ圧倒的な力を思い出させてくれる。熱帯の珍しい植物や鳥の姿に浮世を忘れ、ニュートラルな自分を取り戻す感覚もいい。  こうしたプチ贅沢が、キューバの観光と経済の復興にも一役買うのなら、それも喜びの一つになるはずだから。(写真家・板垣真理子) ※AERA 2023年7月10日号
「1秒」とは何か? 時間を見えるものにするために、人類が4万年かけてたどり着いたもの
「1秒」とは何か? 時間を見えるものにするために、人類が4万年かけてたどり着いたもの ※写真はイメージです(Getty Images)  毎日当たり前のように使っている測定単位。人と約束をするとき、時間を決めない人はほとんどいないだろう。一日の中で時計を見ない日はおそらくほとんどないだろう。実は、世界の時計は「秒」という単位を基準にして動いている。目に見えない時間を、人類はどのように可視化し、「秒」という単位にたどり着いたのか。その過程を、『測る世界史 「世界の基準」となった7つの単位の物語』(朝日新聞出版刊)を抜粋、再編集し、解説する。 *  *  * ■「時間」を可視化しようとした人類の叡智  原子時計をご存じだろうか。1971年、ジョセフ・ハフェルとリチャード・キーティングは、巨大なこの時計を持って飛行機に乗り込んだ。その目的は、アインシュタインの相対性理論の実証実験のためであった。  特殊相対性理論では「速く動く物体ほど時間がゆっくり進む」という仮説が立てられ、一方で一般相対性理論では「重力が強い場所ほど時間はゆっくり進む」という予測がされていた。飛行機に持ち込まれた原子時計によって実験されたのは、この二つの仮説を一挙に実証するためであった。  この日から、時間は「人間の手の中」から「宇宙理論」へと変化していったのである。  科学とは関係のないところで最も大きな影響を持つ単位こそが、「時間」だ。あらゆる面で常に我々に付きまとう「時間」だが、その定義を端的に伝えることには想像を絶する困難がある。 「時間とは何か?」という問いに、4世紀、西ローマ帝国時代の神学者であり哲学者のアウグスティヌスは「誰にも問われなければ、この答えはわかるが、問われて説明しようとすると、答えがわからない」と答えたという。1965年にノーベル賞を受賞したリチャード・ファインマンもその著書で「本当に重要なのは、それをどのように定義するかではなく、どのように測定するかだ」と記している。  人類は「時間とは何か?」を突き詰めるよりも先に、時間を測ることに重点を置いていた。  暦の発明は非常に古く、約4万年前のマンモスの牙に刻んだものは月の満ち欠けの記録であるとする説や、約1万年前の石に刻まれたポケットサイズの暦など、確定されてはいないものの、数万年の昔から時間の可視化が試みられてきたのは事実だ。  時の経過を主観の世界の産物から「客観的で共有可能な情報」にするための工夫は、世界各地で行われてきた。現代でも時間の単位とされている60進法は、シュメール・バビロニア文明に由来する。また、エジプトの「王家の谷」では、紀元前13世紀にさかのぼると考えられる最古の日時計が、最近発掘されている。  太陽が出ている時にしか使えない日時計から、夜間や天候に左右されないもっと汎用性がある時計を求めるのは、自然の流れだった。古代ローマでは、エジプトから持ち込まれた日時計や水時計は広く普及した。しかし、このころはまだ、一般に普及したとは言い難い状況だった。 ■「感性」ではなく「慣性」で測定する  季節の移ろいや昼と夜の繰り返しなど、周期的な出来事を元に暦が作られた。しかし次第に、人類は「より短い時間」を正確に知りたいと思うようになる。最も身近で短時間に繰り返す信号として、現在の秒針の役割を担うものとして、重宝されてきたのが、脈拍である。  しかし、人体での計測にはやはり限界があった。そこで登場したのが、振り子である。揺れるシャンデリアを見て「振り子の等時性」を思いついたガリレオの伝説など、現代でも、振り子に関する印象的な逸話が残っている。これらは、振り子に見られる振動の等時性の発見が、当時いかに画期的であったかということを物語っている。  この振り子の等時性の発見は、さまざまな分野で応用された。たとえば、音楽の演奏速度の基準となるメトロノームの原型は17世紀の終わりごろに作られた。それまでは、作曲者が楽譜に書き込んだ「アダージョ(緩やかな速度で)」や「アレグロビバーチェ(快活に速く)」といった指示を指揮者や演奏者が独自に解釈して演奏されていた。まさに文字通り、一期一会の演奏である。しかしメトロノームの登場により、音楽演奏の再現性は飛躍的に高まったといわれている。  14世紀のイタリアでは、経済活動の発展と共に機械式時計が普及した。そして、人々は時計と共に生活するようになったのである。とはいえ、1日あたり15分程度の誤差は生じ、まだまだ精度は高くなかった。その後17世紀後半には1日当たりのズレが15秒ほどになり、18世紀半ばには1日あたりの誤差が3秒という高精度な小型の時計が開発され、航海に不可欠なアイテムとなった。  科学の歴史では、従来の技術革新がピークに達したとき、それにとって代わる新しい芽が出てくることがよくある。それは「時間計測」の歴史でも、同じだった。  1921年に、イギリスのウィリアム・ショートが開発した電気機械式振り子時計によって、1年間で生じる誤差も約1秒程度となった。 ■原子の周期を用いて、時間を測る  1927年、アメリカのベル研究所で、ウォーレン・マリソンとジョセフ・ホートンが、世界初のクォーツ時計をつくった。  クォーツ(水晶)には音叉のように働く性質がある。電流が水晶を通過するときに、水晶にひずみが生じ、非常に規則的な速度で変形をする。この変形で発生する小さな電流を、信号として使うことができるのだ。クォーツ時計は、構造的に磁気や振動など外部からの悪影響を受けにくく、コンパクトなうえにメンテナンスがほとんど必要性ない。このような特性からも、時間を測るときには、クォーツ時計が用いられるようになっていった。  さて、「“1秒”の定義とは何か?」と聞かれたら、あなたはなんと答えるだろうか。長い間信じられていたのは、地球の自転1回分を「1日」としたうえで、その8万6400分の1という答えである。しかし、これに異を唱えたのが1956年の国際度量衡総会だった。地球の自転速度は、変密にはわずかに変動している。そこで、太陽を中心とした地球の公転周期から「秒」を割り出すことが採択された。  このときから、単位の基準は人工物から理論へと拠り所を移していった。  冒頭で紹介した原子時計が基にしているのは、セシウム133原子の基底状態の二つの超微細準位の間の遷移の周波数である。なお、最初の原子時計は1949年に米国国立標準局の研究所(現・NIST)で作られ、今日でも米国では公式の時刻を示すものとされている。 ■時間は空間と融合し、人類は「現在」を見失う  長い間、時間は、主観的かつ個人的なものと考えられてきた。しかし、ガリレオやニュートンなどの「科学者」と呼ばれる人たちの登場により、時間は物理現象のパラメーターとして、個人とは切り離された存在となった。  飛行機が飛び始めた頃もまだ、時間はどこにいても一定であると信じられていた。しかし、アインシュタインがすべてを変えたのである。  ガリレオによる「時間計測の革命」から3世紀も経たないうちに、新たなる革命が起こった。それが、アインシュタインの相対性理論だ。  それを簡単に言うならば「ある慣性系で同時に起こる二つの事象が別の慣性系では同時に起こらない可能性がある」という。つまり、移動している人と静止している人では、流れる時間が異なるというのだ。私たちはもう、共通した「今」を誰かと話すことはできない。  近代哲学などでも「時間」と「空間」は、それまで全く別物と考えられてきた。しかしこの両者を、「時空」という概念でまとめ上げたうえで、距離や移動速度、質量など無関係に思えるものが、時間にどのような影響を与えているのかを明らかにしたのが、アインシュタインの功績だと言えるだろう。まさしく、時間の「相対性」だ。  その後、超高精度な原子時計による実証実験の結果、地表から離れるとわずかではあるが時間の流れが速いことなども観測された。たとえば、そうした研究のおかげで、GPS(全地球測位システム)の精度は担保されるようになった。  人類が探究してきた「時間」という見えないものを可視化しようとする営みは、私たちの日々の生活を支えているのである。 ●著者:ピエロ・マルティンイタリアのパドヴァ大学の正教授。専門は、実験物理学(熱核融合)。物理学の進歩に貢献した人物として、アメリカ物理学会で「フェロー」に選出されている。国際雑誌に120 本以上の科学論文を執筆し、パドヴァでのRFX 実験、欧州特別委員会の「ユーロフュージョン中型トカマク」など、大規模な国際研究プロジェクトの科学責任者を務める。 ●訳者:川島 蓮翻訳・通訳者、文化人類学およびジェンダー学研究者。オーストラリア国立大学博士号取得(PhD., International, Political and Strategic Studies)。NHKワールドニュース同時通訳、在日本メキシコ大使館、国連女性開発基金(UNIFEM、現UN Women)勤務、イタリアのローマ・サピエンツァ大学非常勤講師などを経て、現在に至る。 ●執筆者:富山佳奈利総合電機メーカー、宇宙航空研究開発機構(JAXA)等を経て、2016年よりサイエンスライターとして活動。数多くのインタビュー記事を執筆し、過去21冊以上もの書籍出版に協力した実績がある。

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