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痛々しい老人にならないために…若さにしがみつく危険性と日本人が知らない「今を生きる」楽しみ
痛々しい老人にならないために…若さにしがみつく危険性と日本人が知らない「今を生きる」楽しみ 高齢者としての自分を肯定的に受け止めたい ※写真はイメージです(Getty Images)    若き日の思い出や栄光はいつまでも色褪せないもの。しかし、それにすがりつき自らの老いを受け入れられない人も。心理学者の榎本博明氏がその危険性を説く。新著『60歳からめきめき元気になる人 「退職不安」を吹き飛ばす秘訣』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、紹介する。 *  *  * 若さに、しがみつこうとしない  平均寿命が80年の時代の60代は、人生の4分の3を歩んできたことになる。そんな60代の人にとって、遊びが生活そのものだった幼い子どもの頃や青春を謳歌していた学生時代はとても懐かしく、思い出すと心が温まるものである。受験勉強に苦しんだ頃のことも、今となっては懐かしい思い出であろう。  そうした懐かしい思い出に浸ることで、心のエネルギーを補給することができるし、それはストレス解消にもなる。その意味でも、心が疲れたときなどは、昔のことを思い出し、懐かしさに浸るのもよいだろう。  ただし、若かった頃を懐かしむのはよいが、若さにとらわれるのは禁物だ。  大学生を対象に行われた調査ではあるが、自分が若いことに価値を置いている者の方が、そうでない者よりも、高齢者に対する評価が否定的になりやすいことを示すデータもある。それは、考えてみれば当然だろう。  高齢者自身にしても、自分が年相応に成熟していることを肯定的にとらえていたり、経験が豊かなことや知識・教養が豊かなことを誇らしく思っていたりすれば、高齢者としての自分を肯定的に受け止めることができる。  だが、若さに価値を置き、成熟に価値を感じることができなければ、しだいに若さを失っていく自分を素直に受け入れることができず、高齢者としての自分を肯定的に受け止めることができないだろう。  容姿・容貌など自分の外見的魅力が支えだった人が、容色の衰えに脅威を感じ、自己イメージの揺らぎに苦しみ、何とか若さを取り戻そうと若づくりの装いをするなど、必死の抵抗をしている姿は痛々しい。エリートビジネスパーソンとしてバリバリ働くのが支えだった人が、定年退職して社会的役割を失ったことで、まるで別人のように精気をなくしている姿を見るのは悲しいものである。  そのような人たちが悲惨なのは、若かった頃の自己イメージにしがみつき、高齢期にふさわしい自己イメージ、それも肯定的な自己イメージをもつことができないでいるからである。  テレビのコマーシャルでも、雑誌やネット記事の広告でも、若さにしがみつこうとする人たちをターゲットにしたさまざまな商品が宣伝されている。そうした商品にも何らかの若返り効果があるのかもしれないが、いくら若さにしがみつこうとしても、若さを基盤とした自己イメージはいずれ手放さなければならない。蠟人形のように寿命が尽きるまで若さを保った老人などいないのだ。  若かった自分を懐かしむのはよいが、高齢期を生きる自分を肯定できるような自己イメージの形成がこの時期の課題であり、そのための自分磨きは、若かった頃の自分磨きとは当然ながら違ったものになっていくはずである。 これからは「今を生きる」ことができるようになる  そこで目を向けたいのが、退職後だからこそ手に入る大きな自由である。  これまでは日々ゆっくりと自分を振り返る間もなく、目の前の課題解決に向けて、あるいは課せられたノルマ達成に向けて、ひたすら走り続けてきた。そんな心の余裕のない生活から解放されるのである。  絶えず急かされている感じがあり、「今」をじっくり味わうことなく通り過ぎていくような毎日から解放されるのである。  定年退職というと、仕事を失う、職業上の役割を奪われるというように、なぜか否定的なイメージでとらえられがちである。でも、学生の頃、これから就職して何十年も働き続けなければならないと思うと憂鬱な気分になったりしなかっただろうか。そこまでではなかったという人も、自由を謳歌する学生時代が終わってしまうことに一抹の淋しさを感じなかっただろうか。  私たちは変化を恐れる。どんなに充実した生活をしている人であっても、惰性で動いている部分はあるものだ。そのため職業生活が終わりを告げる際には、これまで惰性で動いていた部分が失われ、生活のすべての部分を自分で組み立てていかなければならない。それには気力が必要だ。心のエネルギーを注入する必要がある。これまでのやり方を続けるわけにはいかない。それが不安をもたらし、ストレスになる。  私たちは、小学校に入学以来、時間割に縛られる生活が続き、就職してからは日々職務に縛られ、常にすべきことに向けて駆り立てられるような毎日を送ってきた。それが当たり前だったため、すべきことが与えられ、それに向けて絶えず駆り立てられる生活にすっかり馴染んでしまった。  だからそんな生活が終わることに大きな喪失感を抱き、大いに不安になる。でも、よく考えてみれば、時間割やノルマに縛られない生活こそ、ほんとうに自分らしい生活と言えるのではないだろうか。そんな生活がようやく手に入るのである。  幼い子を連れてハイキングに出かける父親が、家から駅に向かう道で、トンボや蝶が飛んでいるのを見て追いかけたりする子に、 「電車に乗り遅れるから、そんなもの追いかけないで速く歩きなさい」  と急かす。この場合は、電車に乗って郊外にハイキングに出かけるという目的のために駅までの道を急いでいるので、急かすのもやむを得ないだろう。  だが、やはり幼い子を散歩に連れ出した父親が、アリが自分の身体より大きい虫の死骸を必死になって運んでいるのをしゃがんで眺めている子に、 「いつまで見てるんだ。もう行こう」  などと急かす。散歩というのは、何か目的があって歩いているのではなく、散歩自体を楽しむものだろう。この場合、急かす父親と興味のままに漂う子と、どちらが散歩を楽しんでいるだろうか。どちらが豊かな時間を過ごしているだろうか。  アリの観察に夢中になっている子は、散歩そのものを思う存分楽しむことができている。それに対して、そんな子を急かす父親は、何か別の目的のために歩くことに馴染みすぎたため、散歩そのものを楽しむことを忘れてしまっている。  これでおわかりのように、退職後は、何からも追い立てられずに、「今」を存分に味わいながら大切に生きることが許されるのである。学校に入る前の幼児期以来、ほぼ60年ぶりに、地に足の着いた生活を楽しめるのである。  もはや時間に追われて暮らす必要などないのだ。時間とのつきあい方に関して頭を切り換えることができれば、これまで以上に豊かな時間を過ごすことができる。  時を忘れるような瞬間をもつことで、「今」を充実させることができるし、時間的展望をめぐる葛藤からも解放される。時を忘れるような瞬間をもつこと自体が、悔いのない自分らしい過ごし方ができている証拠と言える。  文豪森鷗外は、日本人は「今を生きる」ということを知らないのではないかと、小説の主人公の日記の形をとって、つぎのように指摘している。 「いったい日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門をくぐってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。その先には生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり付くと、その職業をなし遂げてしまおうとする。その先には生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。現在は過去と未来との間に画した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。」 (森鷗外『青年』より) 榎本博明 えのもと・ひろあき  1955年東京都生まれ。心理学博士。東京大学教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授等を経て、MP人間科学研究所代表。『「上から目線」の構造』(日経BPマーケティング)『〈自分らしさ〉って何だろう?』 (ちくまプリマー新書)『50歳からのむなしさの心理学』(朝日新書)『自己肯定感という呪縛』(青春新書)など著書多数。
自民党女性局のフランス研修写真は「許容範囲」か? 今井絵理子氏弁明も「国民は許せない」
自民党女性局のフランス研修写真は「許容範囲」か? 今井絵理子氏弁明も「国民は許せない」   今井絵理子議員   松川るい参議院議員や今井絵理子参議院議員らが投稿した写真が炎上中だ。  松川議員や今井議員のツイートによると、写真は自民党女性局の研修で、フランスを訪れた際のもの。3泊5日の日程で、少子化対策、政治における女性活躍、3歳からの幼児教育の義務教育化などについてフランスの国会議員や有識者らと意見交換をしたという。研修に参加したのは38人で、国会議員は4人、それ以外は地方議員や民間人だった。  研修の目的自体は問題ないが、物議を呼んでいるのは、観光旅行を思い起こさせるような写真だ。  松川議員は「大阪の仲間と」というコメントとともに三人でエッフェル塔のポーズを真似た姿で撮った記念写真を投稿。さらに、フランス上院のリュクサンブール宮殿での記念写真とともに「パリの街の美しいこと!」などとツイートした。  今井議員も、渡仏前日に「私は初のフランス」と投稿し、到着後には「無事にフランス到着」などと空港での写真や参加者らともにバス車中で撮った記念写真を投稿していた。  これらの投稿に対してSNS上では、〈旅行のようで楽しそうですね〉、〈重税で苦しむ国民に税金でフランスに行って笑顔みせられても悲しい〉、〈38人も行く必要ありません〉などと批判的なコメントが殺到した。  こうした批判を受けて、松川議員は、エッフェル塔での記念写真を削除し、さらに研修でのスケジュールの詳細を説明しながら、こう弁明のツイートをした。 〈意見交換などの合間に、エッフェル塔に立ち寄って記念写真も撮りました。そのことが問題だとは思っておりません〉、〈非常にまじめな内容ある研修であったにも関わらず、「税金で楽しそうに大人数で旅行している」と多くの皆様の誤解を招いてしまったことについて申し訳なくおもっています〉  今井議員も自身のSNSに〈海外研修に対して、「公金を使って無駄だ」という指摘もありますが、無駄な外遊ではありません。旅費についても党の活動ですから党からの支出と、参加者の相応の自己負担によって賄われています〉などとツイートし、問題がなかったという見解を示している。  しかし、こうした弁明に対しても〈今は他にやるべき事が沢山あるように思います〉、〈遠足気分でしたごめんなさいってなんで言えないのでしょうか〉、〈SNSの投稿は「研修」の様子や報告のためにされるべき〉などと炎上はとどまりそうもない。  専門家はどう見るか。政治ジャーナリストの角谷浩一さんは「あの写真だけで炎上するのはさすがにかわいそうだ」と話す。  現状では今回の38人が観光に興じていた具体的な事実は明らかになっていない。批判されている写真で羽目を外したものは、エッフェル塔の前で塔の形を真似て撮った写真くらいだ。角谷さんはこう説明する。 「記念写真であの程度のポーズをとるのは、許容範囲だと思います。この程度の内容で炎上するとなると、議員はその活動をSNSで投稿するのを自粛するようになってしまう。そうすると議員がどういった活動をしているのかわからなくなります。そちらの弊害のほうが大きいと思います」  本来、批判の対象となるのは、その視察の中身や今回の研修をどう今後に生かしたかであるべきだ。この写真一つで判断するのは早計だという立場だ。他方で、自民党や国会議員らは今回の炎上を軽視するべきではない、と角谷さんは指摘する。 「国民の不満が爆発している背景には生活が苦しくなっている現状がある。こうした写真が許せないくらい不満が溜まっているのでしょう。国民の不満の原因に思いを至らせる必要があります。また、視察に行くのであれば、それが政策に役立っていることをしっかり示していく必要があります。例えば、報告書を作成したら誰でも閲覧できるように公開するべきです。そうした説明をこれまでしてこなかったことで国民の不信を高めてきた。政治家側の落ち度です」  今回の炎上の背景には、岸田内閣への不満、より深くは政治に対する不信というものがありそうだ。 (AERA.dot 編集部・吉崎洋夫)
片づけたら、倉庫みたいな家が生活できる場所に変わった
片づけたら、倉庫みたいな家が生活できる場所に変わった 家族のモノが部屋からあふれてリビングまで散らっていました/ビフォー  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 case.49  「今までゴミに家賃を払っていた」と反省 夫+子ども1人/会社員  家にモノが多い期間が長く続くと、それが当たり前になってしまいます。せっかく家が広くても、モノに占領されて生活できるスペースが狭くなり、それが不便だということも気づきません。  麻衣子さんもそんな感覚に陥っていました。夫と息子の3人で暮らす4LDKの家はモノでいっぱい。家事をするにも、始めるまでに探し物やモノをどかす作業が挟まって時間がかかり、集中できません。 「実家も散らかっていたので、きれいな家に住んだことがなかったです。雑誌ですっきりと丁寧に暮らしている家を見ると、憧れはありましたが特殊なことだと思っていました。家は雑然としているのが普通なんだと」  夫もモノをためこむタイプ。自分の欲しいモノはすべて手元に置きたいようで、家には夫が買ったモノがしょっちゅう宅配便で届きます。でも、持っているだけ満足するので、ほとんど使ったり飾ったりすることはありません。  自分以外のモノも捨てたり売ったりすることに抵抗があり、麻衣子さんが何か手放そうとすると「もったいない」「まだ使える」と語気を荒げることも。 「夫は一人暮らしをしていたときから、自分のモノを保管するために広めの家に住んでいたんです。そこに私が一緒に住むようになり、子どもも生まれて、さらに荷物がどんどん増えていきました。引っ越しのときも、荷物をそのまま移動しただけでしたね」  夫婦の荷物をそれぞれの部屋に押し込んで引っ越しが終わりました。そこからもどんどんモノが増え続け、リビングなどの共用スペースもモノに占領されてしまったのです。   管理できる量に減らしてリビングに置くモノを厳選/アフター  子どもが歩き始めると、転んでケガをするのではと麻衣子さんは心配になり、せめて床にモノを置くことをやめたいと思って片づけようと決心します。意気込んで片づけのノウハウ本を買ったものの、読んだだけで片づけることはできませんでした。 「私の部屋から同じ片づけの本が3冊も出てきました。1冊目は自分で読んで、2冊目は家族にあげようと思ったけれどなくしてしまって、3冊目はやっぱり家族にあげるために買ったけれど渡さなかった。知識は得たつもりでしたが、これでは全然ダメですよね。実際に最後までやり通すって大変だな、と」  自分でやろうと思ってもうまくできない麻衣子さんは、「家庭力アッププロジェクト®」に申し込みました。1人でやるよりも、誰かに教わりながら仲間と一緒に片づけるという今までにない方法なら、片づけられるようになるかもしれないと思ったのです。  モノだらけの家に住む麻衣子さんにとって、手放す行為はとても難しくつらいこと。最初は家にあったコスメの試供品を使って捨てるという、少しの量から始めました。それが、プロジェクト中に教わったことを実践するうちに、最終的には10分間で段ボール2箱分のモノを手放すまでになりました。 「私も夫と同じく、もったいないという気持ちが大きかったんでしょうね。でも、『何かを捨てる』じゃなくて、『必要なモノだけを残す』と考えを変えることを教わってから、手放すスピードが速くなりました。今までいらないモノのスペースのために家賃を払っていたと思うともったいない!」  また、人からもらったモノを持ち続けていた麻衣子さんは、プロジェクトの中で「人の想いとモノは別」と聞いたときに、目から鱗が落ちたと言います。 「いただいたものは、使わなかったとしても『申し訳ないな』と思って手放せなかったんですが、モノがなくなってもその人の想いは自分の中に残りますよね。くれた方は意外と忘れていることもあって、自分だけが執着していたということに気づきました」 空いている場所があればモノを置いていたダイニング/ビフォー  麻衣子さんはフルタイムの仕事をしながら、片づけに大奮闘。ほぼ在宅勤務で自由度の高いフレックスのため、朝4時に起きて仕事を始めて夕方早めに仕事を切り上げるなど調整して片づけるための時間を捻出しました。  疲れた麻衣子さんを元気づけてくれたのは、同じように片づけに参加した仲間たち。悩んだときにアドバイスをもらったり、片づけ方を参考にしたり、大きな支えになりました。  そして、身近にもう1人、応援してくれる人がいました。3歳の息子です。「きれいにできたね」「えらいよ!すごいよ!」と、喜ぶような言葉をかけてくれて、さらに自分のおもちゃも選別し始めます。  お母さんが頑張る姿を、子どもはちゃんと見ていてくれます。今から一緒に片づけられるようになると、片づけが習慣化されて、将来は散らかった家に悩むことはないでしょう。 みんなで使う場所にはなるべく個人のモノを置かないようにしました/アフター  片づけが終わり、麻衣子さんは「片づけはモノを減らすだけじゃない」とわかりました。 「とにかくモノを減らせばいいというわけではなくて、自分が管理できるモノの量にすることが大切。どこに何があるかわからない、という状況が散らかってしまう原因でした」  モノが適量になった麻衣子さんの家は、これから夫と息子も含めて家族全員が暮らしやすくなるように、さらにブラッシュアップを続けていく予定です。 「モノを所有したがる夫は相変わらずですが、少しずつ私の気持ちを理解してくれるようになってきました。夫婦でも、価値観は違いますからね。夫を否定するわけでも、ケンカしたいわけでもないので、建設的に話し合っていこうと思います」  家が片づいているということは、生活する土台が整っているということ。頭の中も整理されるので、家事にも仕事にも打ち込めると、麻衣子さんは話してくれました。 「できないことをグチグチ言っても、何も解決しないですよね。『どうしたらできるようになるか』を考えて進む方がずっといい。片づけを通して、私はそういうことを学びました」  片づけられない悩みを、実際に行動に移して解決した麻衣子さん。これから他の悩みが出てきたとしても、まずは一歩動き出すことで状況を変えていけることでしょう。 ※AERAオンライン限定記事 ●西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・家族間コミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト?」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。NHKカルチャー講師。「片づけを教育に」と学校、塾等で講演・授業を展開中。テレビ、ラジオ出演ほか、メディア掲載多数。
「アベノミクスは資本家が成長するための政策」 置き去りにされていく“働く人々”
「アベノミクスは資本家が成長するための政策」 置き去りにされていく“働く人々” 法政大学教授(経済学)水野和夫さん  法政大学教授水野和夫氏は経済学者ケインズの言葉を借り「豊かにすること」はあくまで中間目標でその先に「明日のことを心配しなくていい社会」を目指さなくてはならないと主張する。水野氏を取材した朝日新聞社編集委員の原真人氏の新著『アベノミクスは何を殺したか 日本の知性13人との闘論』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、いま必要な「新しい資本主義」について紹介する。 *  *  *  どんな資本主義が望ましいのか。そもそも資本主義や経済成長は私たちにとって必要不可欠なものか。この章では、そういう大きな問題意識をもって賢人たちの意見を聞いてみたい。まずは「資本主義は終焉した」と喝破する経済学者、水野和夫の話を聞く。  数百年レベルの歴史軸のなかでアベノミクスはどう位置づけられる政策なのか。いま起きている経済現象はどんな歴史的意味をもつのか、巨視的な歴史観で存分に読み解いてもらおう。 ――「アベノミクス」とは歴史的な視点からはどう位置づけられる試みだったのですか。 水野:すでに終わってしまった近代を「終わっていない」と勘違いしている人たちが作った支離滅裂のフィクション(幻影)と言えましょうか。いわば16世紀の宗教改革の時代に反宗教改革をリードしたイエズス会のようなもので、騎士の時代が終わっているのに騎士道を説くドン・キホーテのような存在でした。 ――ずいぶん時代はずれの試みだったことはわかります。具体的にはどういうことですか。 水野:アベノミクスの「3本の矢」のうち、第1の矢は大胆な金融緩和です。物価を上げ、成長率を上げることをめざす政策でした。実質GDP(国内総生産)が成長すれば、あらゆる問題が解決できるようになります。フランスの歴史家フェルナン・ブローデル(1902〜85)は「成長はあらゆるケガを治す」と言いました。まさに彼の時代はそういう時代でした。成長すれば税収や保険料収入も増えるから、社会保障政策もうまくいく。人手不足になれば賃上げがおこり、生活水準が上がって、中産階級ができる。そうすると政治も安定して不都合なことは何もない。成長さえしていれば、すべてうまくいくと考えられてきました。しかし、そういう時代はおそらく1970年代、80年代で終わったのだと思います。  この20~30年で起きたのは、資本は成長しているけれど賃金が下がっている、ということです。「成長があらゆる問題を解決する」というのは、いまや資本家だけについて言えることです。その背後で働く人々は踏み台にされ、生活水準を切り詰めることを迫られています。先進国はどこも一緒です。米国ではトランプ現象が生まれ、欧州ではネオナチが移民排斥を唱え、英国は欧州連合(EU)からの離脱を選びました。先進国はどこもガタついている。民主主義国家の数が減って、専制主義や権威主義の国が増えているのはそのためです。  ――成長で人々は豊かになれなくなったと? 水野:アベノミクスが失敗したのは、そもそも近代の土台となってきた、中間層を生み出す仕組みがなくなってしまっているためです。いままでは成長で中間層が増え、みなの生活水準が上がっていった。そこまでは、成長はいいことだ、ということで良かったのですが、成長しなくなったとき、いったい何をめざしたらいいかわからなくなってしまったのです。安倍晋三元首相も成長の先にどういう社会をつくりたいのか、結局言えませんでした。本当は「成長」は最終目的ではなくて、中間手段のはずなのです。    経済産業省の産業構造審議会の分科会が出した、悪名高き「伊藤レポート」というのがあります。伊藤邦雄・一橋大教授(当時)が2014年に座長となってまとめたものです。ここで日本企業はROE(株主資本利益率)を8%以上にする目標が掲げられました。さらに欧米企業の水準である15~20%まで上げてほしいということも、明文化こそされなかったけれど報告の行間に漂っていました。       当時、日本企業の平均的なROEは5~6%でした。つまりアベノミクスというのは「ROEを5%から8%に引き上げよ」という資本の成長戦略だったのです。安倍政権は、成長の主語が資本家だということを隠していたのではないでしょうか。  安倍政権は「新3本の矢」で、「名目GDPを600兆円にする」という目標も掲げました。当時のGDPは500兆円。5%だったROEを15%くらいに引き上げるためには、名目GDPが増えた分100兆円がすべて当期純利益に回らないと、そこまでいきません。これらの目標に賃金はもともと反映されていません。もし賃上げにも反映させたいなら、実質2%、名目3%ていどの成長ではぜんぜん足りません。安倍政権は賃上げを企業に求めましたが、具体的な数値目標は言いませんでした。 ――第1の矢(金融緩和)が資本家のための成長戦略だったとしても、第2の矢(機動的な財政出動)で労働者らへの分配を念頭に置いていた可能性はないですか。 水野:ちがうと思います。なぜなら安倍政権は社会保障をそれほど充実させてきませんでした。機動的な財政政策というのは、異次元緩和で物価が上昇していけば、さらに機動的な財政で実弾を注ぎ込む、という程度の意味だったと思います。 ――あくまで資本家のための戦略だったということですか。 水野:そうです。 ■何のためのアベノミクスなのか ――アベノミクスの第3の矢は文字どおり「成長戦略」です。ただ、それは安倍政権に限らずこの何十年も歴代政権が打ち出してきたことです。経済学はここ数十年、サプライサイド(供給重視)が主流だったので、政治も経営者も「供給側さえ強くすれば景気がよくなり経済が強くなる」という発想になっています。あとはトリクルダウンで生活者も豊かになるという発想ですね。それがまちがっていたのでしょうか。 水野:供給サイド経済学の大本はイノベーションです。技術革新を起こさないといけない。近代社会のイノベーションというのは、より遠く、より速く、でした。ジェームズ・ワット(1736〜1819)が開発した蒸気機関がもたらした効果を、当時のジャーナリストは「結合」と言ったそうです。欧州と米国をつなぐ定期航路ができて大陸がつながったのです。何月何日の何時ごろに欧州からの荷が米国の港に届く、ということの確実性が増しました。  産業革命は今、「第4次」と言われていますが、その中心となるITだって(効果は)結合です。蒸気機関と違う発明だと言いたいので第4次と言っているのでしょうが、結合という観点でいえば第1次の延長線上でしかない。人々は今、インターネットやメールでより短く結合している。その結果、より遠く、より速くの限界がいま来ています。  象徴的なのは、マッハ2のコンコルドが技術的な問題なのかコスト的な問題なのかわかりませんが、今世紀初頭に運航停止になりました。さらに太平洋航路のジャンボ機もその後、運航停止になりました。どちらも合理性に合わなくなったのです。  情報の流通も同様です。米ウォール街で普及した(コンピューターで自動的に大量に株売買をする)高速高頻度取引は、10億分の1秒で取引をやってしまうそうです。これは国民の幸せとはまったく関係ない速さですよね。 ――たしかに本末転倒になっています。何のための技術革新なのか。 水野:ニューヨークでやっているから東京証券取引所でもやるというのも、おかしな競争です。これも限界にきています。たとえば高速取引を10億分の1秒から100億分の1秒にできたからといって、どうなのかということです。これは中間層にはまったく関係ない話です。何十億円、何百億円の投資をする人だけがアクセスできる取引の話であり、ふつうの人にはまったく関係ない。  国民国家体制というのは国民が幸せになる仕組みのはずです。国王や貴族だけが幸せになることでなくて。では国民が豊かになるというのはどういうことか。フランス革命は「自由と平等」を掲げました。「自由というのは所有の関数」と言ったのはカナダの政治学者、C・B・マクファーソン(1911〜87)です。所有物が多ければ多いほど人間の自由度は高くなる。自由に行動するためには所有権が必要だと。うまいことを言うものです。  たとえば今、ビリオネア(保有資産10億ドル=1300億円以上)と呼ばれる人たちが金融資産(現金や預貯金、株式、投資信託など)をどんどん増やしています。金融資産を保有していない人は日本でも2割強いますが、80年代後半は3%しかいなかった。つまりこの30年で資産をなくした人がいっぱいいたわけです。これは資産をたくさんもっている資本家のための自由はあるが、多くの国民はどんどん自由を失っているということです。 ■めざすは明日の心配をしなくていい社会 ――経済学者アンガス・マディソン(1926〜2010)の長期経済推計調査によると、人類は紀元1年からずっとゼロ成長が続いていて、それが19世紀になると1人当たりGDPが2%成長に急激に上昇したそうです。そのころ所有権などの法整備が整い、産業革命の技術の粋を資本にもっていける基盤が整ったからです。つまり所有権が成長を生んだことになります。所有権は民主主義、個人主義の基盤でもあるので、多くの人はこれを必要と考えているのではないですか。 水野:17世紀の英国の哲学者ジョン・ロック(1632〜1704)は「所有権」の正当化を主張した人ですが、「所有権は正義でもあり悪でもある」と言っています。前後の文脈を読むと、豊かな人は死にそうな人を助けなければいけない、それも豊かな人の所有権に含まれている義務だと言うのです。 ――欧州の富裕層には今もそういう思想が残っているのでしょうか。 水野:そうですね。ただ、だんだん社会が大きくなっていくと、倒れている人がどこにいるのかわからなくなる。それで生まれたのが福祉国家です。社会保険、失業保険、介護とか。ロックの思想をもとに、第2次大戦後の英国では社会保障制度の土台となったベバリッジ報告が出てきました。困っている人を助けようにもお金持ちはなかなか目が届きません。そこでその代わり累進課税にして、困っている人を救うための負担を金持ちにさせることにしたのです。その仕組みがいま崩壊しつつあります。  世界のビリオネアの総資産は13兆~14兆ドル、日本円にして1600兆円超あります。もし、その半分でもコロナ禍の対策のために寄付していれば、800兆円が捻出できました。だけど、そんなことをビリオネアからは言い出しません。コロナ基金を作って病院を設けましょう、などという動きはなかった。欧州の伝統もなくなり、困っている人がいたら「自助努力が足りないからだ」ということになってしまいました。 ――どうしたらいいのですか。 水野:経済学者のJ・M・ケインズ(1883〜1946)が言っているのですが、経済学の目的である「豊かにすること」はあくまで中間目標です。その先にあるのは「明日のことを心配しなくていい社会」です。そのためには社会保障を充実しないといけない。困ったときには援助の手がさしのべられる。今なら国家によってです。  労働問題でいえば、非正規労働者が3年勤務して更新できないなんて問題も最近はあります。非正規労働、派遣制度はすぐやめるべきです。勤めている人の最大の特権は辞める自由です。だけどいまは会社が「辞めさせる自由」をもっている。これはおかしい。働く人は労働力を提供しないと生きていけない。だが資本家はAさんの労働力を買わずともBさんを買う自由がある。非対称的な力関係です。  辞める権利は労働者側にはあるが、辞めさせる権利は会社側にはない、というような仕組みにしないといけない。そうなれば、人事担当は真剣に採用しないといけないし、入ってからの研修制度も充実させないといけないということになる。働いている人も、引退した人も、明日のことを心配しなくていい社会にしないといけない。 ●原 真人(はら・まこと) 1961年長野県生まれ。早稲田大卒。日本経済新聞社を経て88年に朝日新聞社に入社。経済記者として財務省や経産省、日本銀行などの政策取材のほか、金融、エネルギーなどの民間取材も多数経験。経済社説を担当する論説委員を経て、現在は編集委員。著書に『経済ニュースの裏読み深読み』(朝日新聞出版)、『日本「一発屋」論─バブル・成長信仰・アベノミクス』(朝日新書)、『日本銀行「失敗の本質」』(小学館新書)がある。
「ママ友地獄」格付けやいじめなど特有の問題を回避するには? 心理カウンセラーが解説
「ママ友地獄」格付けやいじめなど特有の問題を回避するには? 心理カウンセラーが解説 (写真はイメージ/GettyImages)  子どもの公園デビューから始まり、幼稚園・保育園、小学校とママ友の付き合いは続く。その中でママ友特有の人間関係に悩む人も多いのではないだろうか。心理カウンセラーで「自分中心心理学」を提唱する心理相談研究所オールイズワン代表の石原加受子さんは、「ママ友は、自分が選んだ友というよりは子どもを介しての関係。いずれは小学校、中学校と環境が変わると変化していく関係なのだから、ママ友特有の人間関係であまり深刻になる必要はありません」と話す。石原さんが監修した『心理学でわかる 女子の人間関係・感情辞典』(朝日新聞出版)からママ友グループの特徴と上手に付き合うコツを紹介する。 *  *  *  ママ友とは幼い子どもの母親であることからできた人間関係のことで、子どもの公園デビューに始まり、保育園・幼稚園入学、習い事など子どもが成長するたびに新たなママ友ができていく。  出産や子育てに関する苦労を分かち合ったり、保育園・幼稚園に関する情報を交換したり、小児科の情報を得たりするなど、有益な関係ではあるが、ママ友カーストや格付け、ボスママの支配、いじめなど、特有の問題が発生しやすい場でもある。  近年はママ友同士のあつれきやトラブルがクローズアップされ、人間関係で心をすり減らす人も多いことから、「ママ友地獄」という言葉も生まれた。 ママ友グループのルールがプレッシャーをかける 「ママ友仲間になじめない」「何となく浮いている」と感じたときは、そのママ友グループの集団規範に抵抗を感じているのかもしれない。集団規範とは、どんなゆるやかなグループ・つながりであっても複数のメンバーがいるところで自然にできあがるルールのことだ。ひとたびできあがると、メンバーをしばり、心理面でプレッシャーをかけ続ける。これを集団圧力という。 ママ友カーストの頂点にいるボスママがやっかい  ママ友にも上下関係や序列が生まれやすい。やっかいなのはボスママという特別な力をもった人物が、どのママ友グループにも存在していることだ。  ボスママは保育園・幼稚園の保護者会でも役職に就いていることが多く、特別な発言力と影響力があり、その人に嫌われるとグループでの立場が大幅に悪くなる。場合によっては他のママ友から無視されたり、いじめられたりすることもある。  人は人間関係を結んでいる相手や結ぼうとしている相手の好意を得ようとして、さまざまな働きかけをする。相手の意見に賛成したり、味方であるとアピールしたりするなど、相手の好意を得るために行うことを心理学では「取り入り」と呼ぶ。 「取り入り」の対象は権力者とは限らないが、権力者が対象に選ばれることは自然と多くなる。そうやってボスママに権力が集中していく。  ボスママは声が大きく、反対者には容赦がない。ボスママに従う人が増えていけば、ママ友内に上下関係が生まれ、力をもったボスママに、さらに力や権限が集中することになる。ママ友内のポジションもボスママにかわいがられている人ほど高く、ボスママに嫌われたり、軽んじられたりする人ほど低い。 子どものためでもママ友の付き合いに無理はしない  ママ友グループから離れるのはリスクが大きいのであれば、最初は少数でも気の合う仲間を見つけ、人間関係づくりに力を入れることだ。気の合う仲間がひとりでもいれば、つらいときや苦しいときも互いに励まし合って乗り越えられる。  ただ、子どものためと思って無理をしないこと。もともと、子どもの延長線上での関係だ。子どもが大きくなれば、自然と離れていく可能性が高いからだ。 (構成 生活・文化編集部 端 香里)
出生率の低い首都圏の日本人は生物学的には絶滅へ 生き残るのは職住環境が安心な“過疎自治体”
出生率の低い首都圏の日本人は生物学的には絶滅へ 生き残るのは職住環境が安心な“過疎自治体” 地域エコノミストで日本総研主席研究員の藻谷浩介さん  現在、全国約1700自治体のうち、300近い自治体で70歳以上人口が減少している。「こうなれば福祉予算を減らして、子育て支援に予算を振り向けられるようになります。それで子育て環境が整えば、子どもが増え始める」と地域エコノミストの藻谷浩介氏は語る。同氏を取材した朝日新聞社編集委員の原真人氏の新著『アベノミクスは何を殺したか 日本の知性13人との闘論』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、人口についての観点で見たアベノミクスを紹介する。 *  *  *  一昔前なら日本経済が停滞する要因は、円高不況や産業競争力の衰退が理由にされることが多かった。一方、アベノミクスは、デフレが停滞の原因だとして金融緩和や財政出動が不足していることを問題視した政策だった。  そうした視点とはまったく違う「生産年齢人口の減少」という現象に最初に光を当て、政策論として初めて採り上げたのは藻谷浩介である。今の日本の等身大の姿、自画像を描いていくうえで人口減少と超高齢化という事実を避けては通れなくなった。  話題の著『デフレの正体』から10余年、そこで示した日本経済の診断や提言は生かされてきたのだろうか。当事者にその後の経過といまの思いを聞いてみよう。 ――経済を動かすのは景気の波でなく、人口の波だという藻谷さんの発見は今では賛同者も多いですが、2010年に『デフレの正体』を発表した時には多くの批判があったそうですね。 藻谷:商業統計を調べていて、生産年齢人口の減少と消費停滞の連動に気づきました。でも当時は少なからぬ経済学者らが「人口とデフレは無関係だ」「人口減で供給力が落ちるならむしろインフレ要因になる」などと反論してきました。真の病因が特定できなければ誤った治療法に迷い込んでしまうと考えて提言したのに、古いセオリーを丸暗記していると、眼前の現実が見えなくなるのでしょうか。   ――2010年といえば、日本は中国に国内総生産(GDP)で抜かれ、半世紀近く続いた世界2位の経済大国の座を失ったタイミングです。人口減と経済大国からの転落。二つのショックがその後、日本全体に悲観的な空気を広げていったと思います。 藻谷:世の中に何となく漂っていた不安の正体を突き止め、指し示すのが狙いでしたが、結果的にショックを助長することになったのかもしれません。でも私は過度な悲観は無用だし、打つ手はあるとも訴えてきました。たとえば若者の賃上げとか、女性就労、外国人観光客の誘致などの内需底上げ策がそうです。 ――その後もすぐに人口減少問題は政策の焦点にはなりませんでした。その後に発足した第2次安倍政権は、むしろ「デフレの原因は金融緩和が足りないからだ」という方に焦点をあてて、日本銀行にインフレ目標を掲げさせ、異次元金融緩和をやらせるようなことになりました。 藻谷:私が唱えた「人口原因説」に最も強く異論を唱えてきたのが、アベノミクスを支持するリフレ論者たちでした。「金融緩和で物価や株価を上げれば、消費も増える」という彼らの空論を信じ込んだ安倍元首相は鳴り物入りで異次元緩和を日銀にやらせました。その結果、株価は急騰しましたが、肝心の消費は私の本で予言した通り、ほとんど増えませんでした。 ――アベノミクスの「人為的にインフレを起こす」という処方箋は見当ちがいだったということですね。 藻谷:1980年代後半のバブル経済の後の20年間の金融緩和で、10年前にはお金の量は3倍になっていましたが、それでも効果がなかったのですから、アベノミクスの結果は最初から明らかでした。本の発刊後に、小野善康・大阪大特任教授のいわば「預金フェチ(偏愛)」説を知って、いっそう理解が深まりました。現役世代は所得を消費に回しますが、高齢富裕層は欲しいものがなく、消費より貯金が快感になってしまっています。こうした預金フェチの人にため込まれてしまうので、金融緩和や財政刺激をしても需要は伸びないのです。 ――コロナ禍のもとでもモノが足りなくなる供給ショックは、マスクなど一部を除けば起きませんでしたね。 藻谷:経済学の祖アダム・スミスの生きた18世紀なら、感染拡大下で働き手が足りなくなり、供給力が落ちたかもしれません。でも今はこんな事態になってもモノ不足にはならない。ロボットなどの進化によって生産力は補完され大きくなりました。太陽光エネルギーのような技術革新もあって資源制約も受けにくくなりました。人類は巨大な供給力を手に入れたのです。一方で消費が盛んな生産年齢人口が減っているうえに、お年寄りはお金を使わないから消費数量は減ってしまうのです。 ――問題は生産力ではなく、需要をどう増やすか、ですか。 藻谷:需要なき生産拡大は値崩れを起こすだけです。(現在主流の)生産に重きを置く経済学の枠組みは時代遅れです。人口成熟のもとでの成長の条件は、現役世代の所得が増え、人口当たりの消費額、時間当たりの消費額が増えることです。 ――消費が増えない背景に、政府の財政悪化の影響はありませんか。人々が将来の増税を予想し、将来の生活を心配してしまうからです。 藻谷:影響はあるでしょう。政府が返済計画の立たない借金を積み重ねる姿には、社会の病理を感じます。だから当然ながら財政規模は肥大化してきましたが、内需はほとんど増えていません。さらなる財政拡大を提唱している、最近はやりのMMT(現代貨幣理論)論者たちはその事実を見ていません。 ――このまま財政を維持していけるとはとても思えません。 藻谷:日本の経常収支の黒字の規模はコロナ禍が起きた2020年も世界3位でした。これが続いて財政赤字を国内資金で賄えるうちはいいのですが、戦争や天災など何らかの理由で金利が急騰したら、巨大な借金を抱えた政府機能は即刻止まってしまいます。そうでなくとも南海トラフ地震は近未来の発生が想定されていますし、豪雨災害も続くでしょう。いざ本当に財源が必要な時のための備えがどうしても必要です。 ■世界に先駆け超高齢化、でも子どもは増える ――いま備えるべきことは何ですか。 藻谷:やれることはたくさんあります。たとえば自然エネルギーや、国内産の食料・飼料の生産を増やして自給率を上げて、輸入額を抑えることです。日本の農業がまだ試していない技術革新の材料はいっぱいあります。世界には降水量、日照量、土地などの好条件がそろわない国が多いなかで、実は日本にはそのすべてがあります。現在4割ほどの自給率を6~7割にすることは十分可能です。それに生産年齢人口が減ったとしても、AI(人工知能)とロボットによる省力化でこれも乗り越えられるはずです。 ――本来、長寿大国は誇るべきことなのですが、最近は先々の生活資金面から長生きに不安を抱く人が増えています。これも消費を控える要因ではないですか。 藻谷:高齢者の多くが金銭面の不安を抱えているのは確かですが、一方で高齢の富裕層が膨大な金融資産を抱え込んでいる現実もあります。持てる高齢者が生涯使わない貯蓄の一部を、持たざる高齢者の生活資金に回す。それだけで若者に負担をかけずに事態は改善できるはずです。年金は、現役世代の保険料で今の高齢者の年金原資を賄う「賦課方式」になっています。これを制度通り運用して支給額を減らし、貯金のある間は取り崩して生活してもらうようにする。他方で、生活保護制度の運用を改め、貯金の尽きた高齢者がすぐに生活費を受給できるようにする。そうすれば、受取額が年金より多くなる人も増えます。全体でみれば財政負担は減り、消費は増えるでしょう。 ――人口減で過疎化がより進めば、地方が滅びてしまいませんか。 藻谷:人口減の理由は少子化です。だから、むしろ過疎自治体の方が生き残る確率は高いと思います。こんなデータがあります。2020年までの5年間に0~4歳の乳幼児人口が増えた過疎自治体は100以上ありました。逆に首都圏1都3県は、地方から親世代となる若者を集め続けたにもかかわらず5%減です。出生率の低い大都市圏の日本人は、生物集団として見ればすでに絶滅に向かう状態です。3人以上産んでも普通に暮らせる職住環境がないと、人口は維持できません。東京ではとても無理です。でも人口が数百人規模の過疎集落なら可能かもしれない。それにコロナ禍のような状況下では、密集度が低い田舎の方が感染リスクが低く、安全・安心な場所でした。 ――藻谷さんが提唱していた訪日観光客の誘致は、コロナ禍がなければ年間4千万人が見込まれるほど順調でした。でもそれは円安のおかげであって、見方を変えれば一種の「日本の安売り」だったのではないですか。 藻谷:必ずしもそうとは言えません。16年から為替は円高方向に戻りましたが、訪日観光客数はむしろその後、急増しました。日本には国際観光地としての絶対的な優位性があるのです。地図アプリの衛星から見た世界地図をご覧いただくと、よく分かります。日本と同じ緯度、同じ経度をぐるっと1周してみてください。緑の山と青い海に恵まれた日本がいかに例外的な場所かわかるでしょう。世界から見た日本の自然や環境は、四季折々に訪れたい庭園のような場所なのです。しかも、とびきりおいしい食事までできる場所なのです。   問題は日本の観光政策が、客数だけを目標に安売りに走ってしまったことです。コロナが収束すれば外国人観光客は黙っていても再び増えるでしょう。それはデータからも予想できます。19年には豪州人の39人に1人、台湾人の5人に1人が日本を訪れました。米国(187人に1人)や中国(143人に1人)からも豪州や台湾並みに訪れるようになったら、とても対応できないほどです。東南アジアや欧州からの訪日客だってもっと増えるでしょう。だから客数を増やす目標はもうやめた方がいいです。日本経済の付加価値を効率よく高めるためには、中長期の滞在客に地場産品をより消費してもらう。そういう戦略に転換すべきです。    ――中国も2014年に生産年齢人口が減少に転じました。22年には総人口が減少に転じる見込みです。いまは驚異的な成長を見せる中国ですが、近い将来、日本と同様に停滞の道をたどるのでしょうか。  藻谷:中国では高齢者が爆発的に増加しており、少子化も止まりません。20年遅れで日本を後追いしている感じです。日本や世界が中国の消費に依存して成長するのは早晩難しくなっていくでしょう。日本はかつて労働力不足の穴埋めに日系ブラジル人を呼び集めました。中国も同じように東南アジアに広がっている華僑を呼び集めざるを得なくなると見ています。 ――そのころ日本はどうなっていますか。 藻谷:主要国で最初に65歳以上人口が増えない時代を迎えるはずです。すでに全国約1700自治体のうち、過疎地を中心に300近い自治体で70歳以上人口が減り始めました。こうなれば福祉予算を減らして、子育て支援に予算を振り向けられるようになります。それで子育て環境が整えば、子どもが増え始めるでしょう。私はそう予測しています。 (インタビューは2021年7月に朝日新聞に掲載) ●原 真人(はら・まこと) 1961年長野県生まれ。早稲田大卒。日本経済新聞社を経て88年に朝日新聞社に入社。経済記者として財務省や経産省、日本銀行などの政策取材のほか、金融、エネルギーなどの民間取材も多数経験。経済社説を担当する論説委員を経て、現在は編集委員。著書に『経済ニュースの裏読み深読み』(朝日新聞出版)、『日本「一発屋」論─バブル・成長信仰・アベノミクス』(朝日新書)、『日本銀行「失敗の本質」』(小学館新書)がある。
ハーバード卒・廣津留すみれの読書術 本は意外に「紙」派。その理由は?
ハーバード卒・廣津留すみれの読書術 本は意外に「紙」派。その理由は? 学校や仕事、生活での悩みや疑問。廣津留さんならどう考える?(撮影/吉松伸太郎) 小中高と大分の公立校で学び、米・ハーバード大学、ジュリアード音楽院を卒業・修了したバイオリニストの廣津留すみれさん(29)。その活動は音楽だけにとどまらず、大学の教壇に立ったり、情報番組のコメンテーターを務めたりと、幅広い。「才女」のひと言では片付けられない廣津留さんに、人間関係から教育やキャリアのことまで、さまざまな悩みや疑問を投げかけていくAERA dot.連載。今回は、本の内容を理解し上手に要約する際のポイントを教えてほしいという、20代男性からの相談に答えてくれた。 * * * Q. 本の内容を、特に長い本について簡潔にアウトプットできるくらい理解するにはどんなことを意識して読めばいいでしょうか。また、スマホのメモにうまく要約するポイントもあれば教えてください。 A. ハーバード時代は課題として読まなければならない論文がたくさんあり、その内容を授業で発表しなくてはいけないこともよくありました。そんな時は、パラグラフごとに最初と最後の部分を読み、真ん中はさっと流し読みという感じで進めるのですが、その際にパラグラフごとに1文でごく短いメモをつけていました。長編のものになると「最初のほうで書かれていたことって何だったっけ?」と忘れてしまうこともあるので。  すべてを読み終えたら、メモだけを読み返します。そして、その中から特に大事なメッセージだと思ったものにグルッと丸をつけていき、それらのポイントを説明できるようにしていました。本が自己啓発本やビジネス書なのか、文芸小説やエッセーなのかでだいぶ読み方は違ってきますが、前者であれば時間をかけてじっくり読むというよりも、論文と同じような読み方で全体の構造を見ることを意識するといいんじゃないかなと思います。  要約は、そもそも必要なのかという話になってしまいますが、要約することが目的にならないよう、本を理解しようと意識することが大事ですよね。読まなくてもいいのならChatGPT(チャットGPT)にまとめてもらうほうがいいような。 スケジュール管理はデジタル派だけど、読書は紙派(撮影/吉松伸太郎)  もし本の内容を理解するためにメモをするなら、自分にとって有用だと思った部分だけをメモすれば十分。自分には関係ないけど大事そうなところって、メモしても後で見直すことはほとんどない気がします。  スマホでメモを取るときは、音声入力が断然おすすめです。読書しているのにメモに時間をとられてしまったらもったいない! 手入力よりも音読したほうがきっと頭にも入ってくるはずです。 Q. ふだんはどんな本を読みますか? 廣津留さんの読書ライフについて教えてください。 A. 本は移動中に読むことが多いので、基本的には文庫派です。ジャンルは小説かエッセーが好きで、ビジネス書は読みませんね。  自分の部屋の真ん中にあるテーブルにいろんな読み物を積んでいます。書店で気になった文庫本や定期購読している雑誌の「The New Yorker」のほか、勉強中のスペイン語のテキスト、aikoさんのファンクラブ会報など。英語の本も何冊かありますが、積んだままです(笑)。  読む本はその日の気分や状況次第。例えば、国際線の飛行機に乗るときはしっかり時間がとれるので長編小説、電車を細かく乗り換えて動くようなときは1編が6ページくらいのエッセーなど。だから、読みかけの本が多いかもしれません。最近は、辻村深月さんの『傲慢と善良』や岡田光世さんの“ニューヨークの魔法”シリーズを読みました。  本に関しては、デジタルよりも紙派です。というのも、スマホやタブレットで読んでいるとメールなどの通知が気になってしまって……。お風呂でも読むので本がしわしわになってしまうんですけどね。私はボーッとすることができないというか、何かしていないと気が済まない体質なんです(笑)。ちょっとでも時間があるとスマホやPCの画面を見てしまって、Netflixを見たりメールに返信しちゃったり。ある意味、そこから気をそらすために本を読んでいるところがあるかもしれません。あちこち画面を見ないための、デジタル・デトックス的な読書タイム。デトックスできるうえ、本の内容も面白くてハマれたらラッキーだなって思います。 構成/岩本恵美 衣装協力/BEAMS 英語や海外事情、勉強、音楽、学校、これからの日本。気になることをなんでも聞いてみよう(撮影/吉松伸太郎) AERA dot.では、ハーバード大学とジュリアード音楽院を卒業・修了した廣津留すみれさんのライフヒストリーを紹介する連載「廣津留すみれのアタマの中」を掲載。2023年からは「Season 2」として、バイオリニストでありながら、情報番組のコメンテーターや大学の教員など多方面で活躍する廣津留さんが、勉強やキャリア、海外のことなどにまつわるさまざまな悩みや疑問に答えます。 そこで、みなさんからの質問を大募集します! お子さんから学生、大人まで、年齢は問いません。 【こちらから気軽にお寄せください】 例えば…… ·「歴史と英単語の暗記のコツを教えて」 ·「これって今の英語ではなんて言うの?」 ·「ピアノがなかなか上手くなりません。習い事はいつまで続けたほうがいい?」 ·「日本に遊びに来た若い外国人を、廣津留さんならどこに案内しますか?」 ·「英語でプレゼンするときに相手に響くポイントは?」 ·「今、勉強しておくといいジャンルは何だと思いますか?」 ·「ずばり、日本の教育を変えられるならどこを変える?」 廣津留すみれさんのファーストCD「メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲+シャコンヌ」
勉強しても成果が上がらない人の陥りやすい過ち 自分のやるべき課題が把握できていない
勉強しても成果が上がらない人の陥りやすい過ち 自分のやるべき課題が把握できていない 目の前の課題を掘り下げることが必要 ※写真はイメージです(Getty Images)  スキルアップのために日々勉強しているビジネスパーソンの中でも努力が報われて、成果が上がる人とそうでない人がいます。努力が報われる人の特徴の一つが、「何が自分の課題なのか把握できている」という点だと、『9割の「努力」をやめ、真に必要な一点に集中する勉強の戦略』(朝日新聞出版)の著者岡健作は語ります。自分の目の前にある課題をより精緻に突き詰め、解消していくノウハウを、同書から一部抜粋して解説します。 *  *  * 「課題」をさらに掘り下げてみる 「努力が報われる人は、どういう人なのか?」 そのような人の特徴の一つとして、「何が自分の課題なのか、をきちんと把握している」という点が挙げられます。  この課題に対しての解像度の差が、努力が報われる人と、報われない人の大きな違いなのです。  私は、課題の解像度を高めることを「イシューの精緻化」と呼んでいます。イシューは「課題」、精緻化は「細かい部分まで明確にする」という意味です。  これだけではわかりにくいと思うので、勉強ではないのですが、身近な例で説明していきましょう。  ある会社員が「お金がない」ことに悩んでいるとします。  ここで「生活を切り詰めよう」「ボーナスまで耐えよう」「がんばっていればいつか昇進するだろう」と思ってしまってはダメです。それは「思考停止」です。  本当にお金がないことに悩んでいるのなら、それよりも「イシューの精緻化」を進めるべきです。課題を掘り下げていくのです。 「お金がない」という課題の解消を突き詰めていくと、どうなるでしょうか?  お金がないとき、まずは大きく2つのルートがあります。「支出を減らす」もしくは「収入を増やす」です。当たり前ですね。  多くの人は節約をして「支出を減らす」ことはわりと実践しています。一方で「収入を増やす」ための方法は実践していなかったりします。  そこで「会社員が収入を増やすにはどうすればいいのか?」をさらに掘り下げていきます。すると昇進、転職、副業あたりが思い浮かぶでしょう。 イシューの解像度を上げる  ここで「昇進を待とうかな? いや、転職しようかな?」と考えるだけでは意味がありません。さらに一つひとつの選択肢を掘り下げる必要があります。  たとえば「昇進」をするために、さらにイシューを掘り下げるなら、図のように整理できます。  同様に、「転職」についても、掘り下げておく必要があります。 「イシューの精緻化」というのは、図のように、いくつかのステップを踏んで、問題点を深く掘り下げていくことです。  すると根本的な問題が「具体的な行動」として浮かび上がってきます。 課題の達成確率は、シビアに考えておく  さて昇進と転職、まずは2パターンで「イシューの精緻化」を行いました。わざわざ2つのパターンで精緻化を行ったのは意味があります。  この結果、「訪問数を3つ増やす」と「IT業界への転職活動をする」という、変えるべき行動がそれぞれ浮かび上がりました。ここで、はじめて両者を比べるわけです。  もし「訪問数を変えるだけで、売上が伸びて昇進できそうだな」と思うのなら、昇進を目指した方がいい。一方で「同じ仕事をしていても、別の業界に行くだけで評価が上がりそうだな」と思うのなら転職を選べばいい。  多くの人が「昇進と転職のどちらを選べばいいか?」という時点で立ち止まって考えてしまうのですが、そこで終わってはいけません。 「訪問数を変える」のと「IT業界への転職活動をする」こと。どちらのコスパがいいか、と考えて、最終的に行動同士を比べることが大切なのです。  解決すべきそもそもの課題は「お金がないこと」でしたよね。よって、ただ「どちらの行動を選んだ方が課題解決の確率が高いのか」を考えればいいだけなのです。  人生でも勉強でも「がんばればなんとかなる」と思っている人はたくさんいます。  もちろん、がんばることも大切です。  しかし、その前にきちんと戦略を立てなければ、ムダな努力で終わってしまう危険性があります。  先ほどの例でも挙げましたが、まさにキャリアに関してもそうです。  よく「会社にしがみついていればなんとかなる」と思っている人がいます。「やりたくない仕事だけど、がんばっていればいつかは報われる」と思っている人もいます。  そういうこともあるかもしれませんが、もっと具体的にロジカルに戦略を考えることです。  戦略がなければ「報われない努力」で終わる危険を察知できません。  少しだけ私の話をします。  私は大学卒業後、老舗のカメラ会社に就職しました。配属されたのは、体育会系ゴリゴリの営業部。  入社したのは2000年でした。ちょうどカメラがフィルムからデジタルにシフトしているときです。ただ会社からは「デジカメを売ると利幅がすごく減るから、フィルムカメラを売ってくれ」と言われていました。  しかし、その努力もむなしく売上はどんどん落ちていき、営業所の人数も減らされていきました。一人あたりの担当エリアはどんどん広くなっていき、挙句の果てに他の会社に買収される話まで出てきました。  当時はまだ入社二年目。世間的には「三年は耐える」ことがよく言われます。周りの人にもそう助言されました。「がんばっていたらいいことがあるはずだ」と。  ……でも、それはちょっと考えにくいと思っていました。  もちろんすでに50、60代で、このまま大きい会社に買収されて、退職金も満額もらえるというのであれば「いいこと」なのかもしれません。  しかし入社2、3年目の人で、そのままがんばって得することなんてかなり可能性は低い。そこに賭けるのはリスクだと思いました。  私は早々に転職を決断しました。  その後、塾の経営に乗り出し、今ではおかげ様でうまくいっています。  もしあのまま「がんばればなんとかなる」と会社に残り続けていたら、今の自分はなかったでしょう。  大切なのは、根性論で乗り切ろうとしないことです。  冷静に課題を分解していけば、自ずと答えは見えてくるはずです。 課題の発見に「思い込み」は禁物  人は現状維持の方がラクですし、安心感を覚えます。  カメラ会社の例でも、会社に残り続けた人は「現状維持はリスクが少ない」と判断したのかもしれません。  しかしそれはただの「心理的なバイアス(偏り)」です。ここに気をつけなくてはいけません。  たとえば、キャリアを考えるとき、多くの人は「転職よりも昇進の方が現実的だ」と思いがちです。でもこれも、立派な心理的なバイアスです。  そう思ってしまうのは「同じ会社に長くいると信用があるよ」とか「3年間は働かないとダメだよね」などと思い込まされてきたからです。  そんなバイアスに騙されてはいけません。  仮に製造業からIT業界のような人材の流動性が高い業界に移ったとしても「この人は3年経たずに辞めているから信用できない」などと思う人の割合は、IT業界では相対的に低いでしょう。  実際には制約ではないことを、制約だと思い込んでいることはよくあります。  そこをできるだけフラットに見ること。そのためにも、まずは課題を分解して、本当にやるべきことをあぶり出すべきなのです。  課題を分解していくことが、戦略を立てるときの基本です。 「お金がない」「英会話ができない」などの課題があるなら、それをどんどん掘り下げていって、本当の問題点を見つけ出す。  たとえば、英会話では、ネイティブスピーカーとの会話経験が重視されがちです。  ある程度の単語の知識がなければ、会話も成り立ちません。日本語で会話がかみ合わないときも、そのような場合が多いですよね。  確かに、ネイティブの方との会話経験は大切ですが、それよりも優先すべきは、自身の課題を発見することです。  後は、その課題をつぶすソリューションを実行するだけで、万事解決するはずです。 ●岡 健作(おか・けんさく)  スタディーハッカー 代表取締役社長  1977年生まれ、福岡出身。同志社大学(文学部英文学科)在籍中から英語教育に関わる。大手学習塾の講師・教室長を経て、2010年に京都で恵学社(現:スタディーハッカー)を創業。“Study Smart”(学びをもっと合理的でクールなものに)をコンセプトに、第二言語習得研究(SLA:Second Language Acquisition)などの科学的な知見を実際的な学びの場に落とし込んだ予備校を立ち上げる。予備校で培った英語指導ノウハウを活かした社会人向けの英語のパーソナルジムENGLISH COMPANYを2015年に設立。その他、学びやスキルアップにまつわるアプリ開発なども行っている。著書に『TOEIC(R)テスト科学的攻略法』(秀和システム)『逆転合格を実現する 医学部受験×パーソナルトレーナ』(幻冬舎新書)などがある。
不景気に強い「金」投資の超基本!お金のプロが解説する「メリット」「デメリット」
不景気に強い「金」投資の超基本!お金のプロが解説する「メリット」「デメリット」 (写真はイメージ/GettyImages)  金(ゴールド)の価格が歴史的高値で推移している。不景気に強いと言われている金だが、金の現品を保有せずに投資する方法もあり、少々複雑だ。金投資はどんなもので、どんな種類があるのか。子どもの環境・経済教育研究室代表・泉美智子さん著、ファイナンシャルプランナー奥村彰太郎さん監修の『今さら聞けない投資の超基本』(朝日新聞出版刊)から、金投資のイロハを学びたい。 *  *  *  金は、「金」そのものに価値がある「実物資産」のため、株式や債券など、発行体が破たんすると価値がなくなる金融商品に比べて安全とされています。希少性が高く、品質が変わらないこと、世界中のどこでもほぼ同じ価値で換金できることも、金の安定性の要因といえます。 ■金投資のメリットとデメリット  金は価値が安定しており、世界中でほぼ同じ価値で取引されています。景気などの影響を受けにくく、安全性が高いのが金投資のメリットです。一方、デメリットと言えるのは、保有しているだけでは利息などの利益が得られないこと。また、実際に金の延べ棒などの現物を持つ場合は盗難などのリスクに備えてセキュリティを高める必要があります。  金に投資しようと思うなら、メリットとデメリットを理解したうえで、純金積立など金の現物を保有するやり方なのか、金の値動きを利用した先物取引や投資信託といった現物を保有しないやり方なのかを選ぶ必要があります。 ■純金積立は安全性が高く初心者向け  毎月お金を積み立てて「金」を購入するのが純金積立です。1000円単位から気軽に投資ができ、またさまざまなリスクの影響を受けにくいので、将来のための財産として保有するのに向いています。  その場合、考え方は二つ。毎月1000円、1万円などと、金額を決めて購入する「定額積立」は、月々の投資額が明確で、かつ、ドル・コスト平均法で平均購入単価を下げられるのがメリットです。  毎月〇グラムと数量を決めて購入する「定量積立」では、金が高値の時も安値の時も同じグラム数を購入するので、高い値が続くほどリスクが生じることになります。  注意したいのは、誰に金の「所有権」があるのか。投資家にある場合と運営会社の場合があって、投資家にある場合を「混蔵寄託(混合寄託)」、運営会社にある場合を「消費寄託」と呼びます。  前者の場合、所有権は投資家にあっても金利はありません。後者の場合、投資家は運用益の一部を受け取れるが、会社が破たんした場合は資産が目減りしたり返却されなかったりすることもあります。  金を利用した上場投資信託(Exchange Traded Funds)=「金ETF」という選択もある。金の値動きから損益を受けるもので、株式を売買するように金に投資することができます。  金と交換できるものもありますが、現物を保有するわけではありません。証券会社に口座があれば買うことができ、株価が下がっても金が支えてくれますが、配当がないのが辛いところです。 ■コロナ禍など有事に強い金 金先物の取引が1982年3月から約39年間の値動きと変動要因   有事に強いといわれる金ですが、コロナ禍では2020年8月7日、過去最高の1グラム7769円を記録しました。これは10年前の2倍以上です。  背景には、世界的な不安から資産保有の意識が高まったこと、米ドルの価値が下がったことなどがあります。過去のリーマンショックなどの例を見ても、ドルが下がれば金は上がるというように、逆の動きをする傾向があります。  宝飾店や地金商、金属メーカーなどで金地金(きんじがね。金の延べ棒)や金貨を購入することもできますが、すでに述べたように盗難のリスクがあるので、銀行の貸し金庫に保管するなどの対策が必要になります。 (構成 生活・文化編集部 上原千穂)
「給食がなくなる」夏休みの困窮世帯の不安 一袋20円のうどんに草を分け合い、冷房もない
「給食がなくなる」夏休みの困窮世帯の不安 一袋20円のうどんに草を分け合い、冷房もない 写真はイメージです(Gettyimages)  子どもたちが待ちに待った夏休みが始まった。しかし、生活が困窮している家庭の子どもたちにとっては、学校給食がなくなることで栄養不足に、電気代を抑えようと冷房を使えない自宅では熱中症になりかねない「危険」な夏でもある。「無事に乗り切れるのか」「命の危険にさらされている」と、困窮する子育て世帯を支援する人たちは警戒している。 *   *   * 「物価高騰と猛暑で、困窮家庭のお子さんたちは大変な目に遭っています。食費を削るのが第一で、次に電気代。でも、この気温では、エアコンを使わなければ家の中で熱中症になりかねない。そういった心配を抱えながら生活されている方がほとんどです」  困窮する子育て世帯を支援する認定NPO法人「キッズドア」のファミリーサポート担当、渥美未零さんは、そう話す。  育ち盛りの4人の子どもを育てる西日本在住の40代の女性から今月、キッズドアにメッセージが届いた。この女性は病気のために働きたくても働けず、川岸で採ってきた草を入れた1袋約20円のうどんを分け合って、1日1食もしくは2食で過ごしているという。  キッズドアが今年5~6月に実施した調査によると、回答した1538世帯のうちの約6割が、2023年の収入(予測)を200万円未満とした。回答者の9割が母子世帯だ。  6月の全国消費者物価指数(生鮮食品を除く)は、前年同月比3.3%上昇。特に「生鮮食品を除く食料」は9.2%も上昇し、約1年前から高止まりの状態が続いている。一方で困窮する子育て世帯の多くは全く賃金が上がっておらず、実質賃金は低下している。  渥美さんは「物価高騰で、これまで積み立ててきた大学への進学費用を取り崩さざるをえない家庭もあります」と話す。賃上げやボーナス、株価上昇などのニュースが流れるたびに絶望的な気分になり、精神を病む人もいるという。  コロナ禍を受けての国や自治体からの支援もほぼなくなり、困窮世帯は今、この3年間で最も厳しい状況におかれているという。 キッズドアの渥美未零さん ■「給食って本当に神」  キッズドアの調査での回答には、「物価高騰により、食料の質をさらに落とすしかなく、育ち盛りの子どもに栄養不足を感じます。学校の健康診断でも、子どもの痩せすぎで注意を受けましたが、どうしようもない状態です」との「悲鳴」がつづられていた。  そんな困窮世帯の子どもたちが栄養を摂れる重要な機会が、学校給食だ。  女子栄養大学の石田裕美教授らの研究によると、収入が少ない世帯の子どもは欠食の割合が高く、栄養摂取量に対する学校給食の寄与も低収入世帯の子どものほうが高いという。 「給食って、本当に神」  渥美さんも支援を受けている人から、そんな言葉を聞いたことがある。  キッズドアの調査でも、給食がなくなる夏休み中の食事について「不安がある」と答えた人は91%にも上った。「子どもに十分な食事を与えられない」と回答した割合は、2021年の調査では46%だったが、今回は60%に増えていた。  困窮する世帯では、食事は主食に偏り、副食はおろそかになりがちだ。 「食事はご飯にふりかけだけになり、米を買えない家庭ではめん類を食べる。つまり炭水化物ばかりで、タンパク質やビタミンがなかなか摂れない。以前は目玉焼きや卵焼きが食べられましたが、最近は卵でさえ値上がりして気軽に買えなくなった」  と、渥美さんは言う。  ビタミン欠乏に詳しい静岡県立総合病院リサーチサポートセンターの田中清・臨床研究部長によると、最近は栄養バランスの悪い食事による「隠れビタミンB1欠乏症」が静かに広まっているという。豚肉などに多く含まれるビタミンB1は、炭水化物などを分解してエネルギーに変えていく際に不可欠なビタミン。これが不足すると、倦怠感などの症状が表れる。 「体のだるさが抜けない、という保護者の声はすごくある」  渥美さんは、そう指摘する。 「それでも、お母さんは自分の食事を1食にして、『私は水で全然かまわない』と言って、その分を子どもたちに食べさせる。そんな姿を見ていると、『体をこわしてしまっては元も子もないので、お母さんも食べてくださいね』と、お声がけするんですけれど、なかなか難しい」  子どもの服や靴を支援した際、年齢から想像するよりもずっと小さなサイズで申請されているのを見て、子どもたちが必要な栄養が摂れていない現状を痛感するという。 ■エアコン使わず保冷剤で  食費もさることながら、困窮世帯は光熱費を削ってしまうことが珍しくない。 「もう何年も冬は暖房をつけていません、という声があるのと同様に、夏でも冷房を使っていない困窮子育て世帯は多いです」(渥美さん)  現在、公立小中学校における普通教室の冷房設備設置率は95.7%(22年9月)。なので、学校にいる間はなんとかなる。ところが、キッズドアの調査では、回答者の64%が「(自宅で)エアコンをつけないようにしている」という。 「エアコンはアパートに備え付けですが、入居してから7年、1度もコンセントを入れたことがありません」 「熱中症が怖いのですが、なるべくエアコンを使わないで扇風機や保冷剤でやり過ごすようにしたい。けど去年も電気代が上がるということで、それをやったら娘が熱中症になり、点滴になったので、うまく考えたいです」  調査の回答には、そんな言葉が並ぶ。  日中は児童館や図書館を利用して暑さをしのぐ子どもたちもいる。 「都市近郊であれば、ショッピングモールのフードコートで1日過ごしたりするお子さんがたくさんいます。でも、地方だと、子どもだけで移動することがなかなか難しい」(渥美さん) ■無関心とバッシング  そんな苦しい家庭の状況にもかかわらず、生活保護を受けていない世帯は多い。 「私たちも生活保護を受けたほうが楽なのではないかな、と感じることがよくあります。でもみなさん、踏ん張って生活している」  困窮する子育て世帯は、 「もう本当にひっそりと暮している、というのをすごく感じます」  と、渥美さんは言う。  一方で、子育て世帯を支援しているキッズドアに対して、「何をやっているんだ」とバッシングするメールが届く。ネット上に支援の記事が出ると、「働かなくて楽をしている」というような非難のコメントが書き込まれるという。 「それを見て萎縮し、SOSの声を上げることを躊躇しながら暮らしている人が大勢いると実感します。ひとり親でも仕事をして税金を納めている人がいるし、すべてのひとり親家庭が児童扶養手当をもらえているわけでもありません。でも、働きたくても病気で働けない人もいる。そういう実態を知っていただきたいと思います」  厚生労働省の「2021(令和3)年 国民生活基礎調査の概況」によると、児童のいる世帯の平均所得金額は、11年の697万円から20年の813万5000円と、16.7%増加している。  一見すると子育て世帯の所得は増えているようだが、この数字を押し上げているのは主に世帯所得が1000万円以上の裕福な家庭。この世帯が占める割合は11年の15.6%から21年には24.8%に増加している。  一方で、21年の年収800万円未満の子育て世帯は全体の59%を占める。つまり、この10年で、一部の富める子育て世帯と大多数の中間層以下の世帯との二極分化が著しくなっているのだ。 「子育て世帯の年収が二極化してしまったので、高所得の家庭の人たちは困窮している子どもたちのことが本当にわからないのだと思います。そのことが無関心やバッシングにつながっているのではないでしょうか」(渥美さん) 「異次元の少子化対策」を掲げる政府。しかし、その足元では、子どもたちを守る最低限のセーフティーネットすら機能していない現実が広がっている。(AERA dot.編集部・米倉昭仁)
日本は本当にデフレだったのか? 白川元日銀総裁へのインタビューから再考、分析する
日本は本当にデフレだったのか? 白川元日銀総裁へのインタビューから再考、分析する 白川方明・元日銀総裁  アベノミクスの名付け親である原真人氏は、新著『アベノミクスは何を殺したか 日本の知性13人との闘論』(朝日新書)の中で、白川方明元日銀総裁について「これほど金融理論や金融政策を深く究めることに誠実で、説明責任を果たそうと努めた総裁はいなかった」と評する。ただ「日銀は政府の子会社」と言ってはばからない安倍晋三氏が第2次政権を発足させると、白川日銀は激しい批判にさらされた。白川氏はアベノミクスの10年をどう総括するのか。原氏が過去の白川氏へのインタビューから紐解く。同書から一部を抜粋、再編集し、紹介する。 *  *  *  安倍によって生み出されたアベノミクスと黒田日銀の異次元緩和は、白川日銀を完全否定するところからスタートした。それは伝統的な中央銀行のあり方を覆そうという試みでもあった。  今日的な意味での中央銀行が誕生したのは19世紀後半に入ってからのことだ。独立した中央銀行という考え方が多くの国に広がったのは、せいぜいここ数十年のことだろう。この数世紀にわたっていくつものバブル崩壊と財政破綻、通貨暴落という不幸な歴史を重ねた末に、やっとたどり着いた人類の知恵の結晶でもあった。  通貨を発行する主体は政治から距離をおいたところにあるほうがいい。そのほうが通貨価値を守りやすく、経済を安定させやすい。そう考えられて中央銀行が誕生した。  その仕事に忠実であろうとしたのが白川であり、逆に批判的だったのが安倍や黒田であった。  たぶんこうしたあつれきは民主主義のなかではいつでも起きうる。時の権力者には常に景気刺激的な金融緩和をさせたいという誘惑がつきまとうからだ。  新型コロナ感染拡大とウクライナ戦争という二つのショックに際し、先進諸国はどこも超金融緩和や財政出動によって、極端に拡張的なマクロ政策を繰り出した。その反動でもたらされたのが昨年来、世界中を襲った激しいインフレ圧力である。  欧米の中央銀行は超金融緩和から一転して急な引き締めで対応せざるを得なくなった。この激しい政策の振れ幅がいま金融危機を引き起こしつつある。2023年3~5月、米国では史上2番目、3番目、4番目の規模の銀行破綻が相次ぎ起きた。欧州では名門クレディ・スイスが破綻の危機に瀕して身売りせざるを得なくなった。  わがままな民意に振り回されることも多い民主主義のもとで、中央銀行はときに「打ち出の小槌」のような役割を求められる。紙幣をどんどん刷って政府の借金の肩代わりをしろ、ということだ。そのとき中央銀行はどうすべきか。  この問いに対し、アベノミクスの10年を経て、白川は何を感じ、どう考えてきたのだろうか。これまでのインタビューと発言から紹介したい。  コロナ危機前の2018年に、「民主主義と中央銀行」をテーマに朝日新聞に掲載したインタビューをご覧いただこう。白川はそこでこう述べている。 「経済は常に変化する。だから中央銀行は永続的な学習組織であり続ける必要がある」  政府からも国民からも、その時々の環境によって求められるものは百八十度変わることもある。権力の思惑で理論や論理がねじ曲げられることも珍しくない。そのなかで生きた経済を相手にする中央銀行がどう行動すべきかという答えは簡単には見つからない。常に学習し続けるしか道はない、ということか。 ■金融緩和は将来からの需要の「前借り」 ――先月(2018年10月)の著書『中央銀行』の出版で、2013年春の総裁退任以来の沈黙を破りました。なぜいま回顧録を書いたのですか。 白川方明(以下、白川):中央銀行や金融政策の役割について社会全体で議論を深めたいからです。その材料を提供するためにも、激動の時代の記録を残しておく義務があると考えました。 ――インフレ目標もテーマの一つですね。総裁時代、政府・日銀の共同声明をめぐって政府と意見が対立した際の経緯も詳しく書かれています。 白川:2012年12月の総選挙で自民党が(大胆な金融政策で物価を上げるべきだと唱える)リフレ派の主張を全面的に掲げ、日銀法改正にまで言及して圧倒的勝利を収めました。国民もある種の実験的政策に賭けてみようという気分になったのでしょう。一方、日銀には法の規定に従い、独立した中央銀行として物価と金融システムの安定を維持する責任があります。民主主義のなかで、どう対応すべきか考え抜きました。そして、なんらかの共同文書を公表するのはやむをえないと判断しました。もちろん私が不適切な文書にサインした結果、通貨の安定が脅かされるようなことになるのだけは絶対に避けなければなりません。(共同声明には)2%のインフレ目標を、期限を区切って機械的に追求しなくてすむように、日銀として譲れない基本原則をすべて書き込むことを求め、そうなりました。  政府と日銀の「共同声明」とは、2013年1月、リフレ論を唱える第2次安倍政権が日銀に強く求めて作った「デフレ脱却」を目標とする政策連携の合意文書のことである。安倍政権は当初、日銀に「物価安定目標2%を、2年以内に達成する」と期限目標つきで公約するよう強く求めた。しかし白川らは期限の設定を強く拒んだ。その結果、共同声明の文書には、日銀は金融面での不均衡やリスクを点検しながら運営する、そして政府は成長力の強化や持続可能な財政構造を確立するための取り組みを強力に推進する、という前提条件つきで「できるだけ早期に実現することを目指す」という表現が盛り込まれることになった。  ちなみに白川は2023年1月に朝日新聞に載った別のインタビューで、2%目標を機械的に追求しなくても済むような共同声明にこだわった理由について、「政府の深刻な財政状況を考えると、日銀が金融緩和を通じて際限のない国債の買い入れに組み込まれる懸念があり、(中略)日銀の使命達成が難しくなると考えたからだ」と述べている。  2018年のインタビューに戻ろう。 ――ただ、後任の黒田総裁になると、日銀は「2年」の目標期限を掲げてしまいました。そうなってしまったのは、2%目標を設けたことがそもそも間違いだったのではないですか。 白川:民主主義のもとで、日銀は(国民から金融政策を)白紙委任されているわけではありません。それに日銀法で政策目的が「物価の安定」と決まっている以上、日銀は国民に対して数字的なイメージをあるていどは説明する必要があります。だから、そこまではやむをえないと判断しました。とはいえ、経済の不均衡がすべて物価に表れるわけではありません。1980年代後半の日本を含め、近年の国内、海外のバブル経済はいずれも物価が安定するなかで起きています。本当は2%がいいか1%がいいか、という目標数字が本質的な問題ではなく、一つの数字に過度にこだわらず、金融の不均衡を含めて持続可能かどうかを点検することが大切なのです。 ――総裁当時の白川さんは「緩和効果の限界を正直に説明しすぎる」「もっと政策効果があると演じるべきだ」という批判もされましたね。 白川:グローバル経済という外部環境に恵まれれば、演技に効果があるように見える局面はあるでしょう。でもそんな効果は長続きしません。いずれその言葉に日銀自身が縛られ、持続可能性のない道にはまりこむことを懸念しました。政策の大前提は、(正直に説明する)日銀の誠実さに対して国民の信頼があることです。 ――安倍政権がリフレを掲げた目的は「デフレ脱却」でした。それにしても日本は本当にデフレだったのでしょうか。 白川:緩やかな物価下落が生じたのは事実です。それをデフレと定義すればデフレです。98年から2012年までの15年間で物価は累計4%弱、年率で0.3%下落しました。しかし、これが日本の低成長の根本原因とは思えません。もしそうなら2000年以降の日本の成長率が1人当たりではG7(先進主要7カ国)の平均並み、生産年齢人口1人当たりでは最も高いという事実は説明できません。 ――それでも多くの人が「デフレが日本経済の最大の問題」と信じこんでしまったのはなぜだったのでしょうか。 白川:多くの国民は「デフレ」という言葉を物価下落という意味より、将来の生活不安など現状への不満を表す言葉として使ったのでしょう。他方でエコノミストにとって、デフレは1930年代の大不況を連想させる恐怖感の強い言葉でした。「失われた20年」という言葉のナラティブ(物語)の心理的作用も大きかったのでしょう。アジェンダ(課題)が正しく設定されなかったように感じています。 ――正しいアジェンダは何だったでしょうか。 白川:最も重要なのは超高齢化への対応と生産性向上です。金融緩和とは、将来需要を「前借り」して「時間を買う」政策です。一時的な経済ショックの際、経済をひどくしないようにすることに意味があります。でもショックが一時的ではない場合、金融政策だけでは問題は解決しません。 ●原 真人(はら・まこと) 1961年長野県生まれ。早稲田大卒。日本経済新聞社を経て88年に朝日新聞社に入社。経済記者として財務省や経産省、日本銀行などの政策取材のほか、金融、エネルギーなどの民間取材も多数経験。経済社説を担当する論説委員を経て、現在は編集委員。著書に『経済ニュースの裏読み深読み』(朝日新聞出版)、『日本「一発屋」論─バブル・成長信仰・アベノミクス』(朝日新書)、『日本銀行「失敗の本質」』(小学館新書)がある。
まつ毛エクステで結膜炎 女医が滞在中のアメリカで選択した「治療」とは?
まつ毛エクステで結膜炎 女医が滞在中のアメリカで選択した「治療」とは? 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師 日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「結膜炎」について、NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  先日、結膜炎になりました。高校生の時に結膜炎を引き起こしてからというもの、目のトラブルを経験したことはなかったので、実に20年ぶりのことでした。   気がついたのは、夕方5時ごろのこと。ジムで、筋トレとサイクリングを30分ずつ行い、帰宅してシャワーを浴びて洗顔しようとしたときでした。あまりの痛みにびっくりし、鏡を見てみると、白目の部分が左右どちらも真っ赤に充血していたのです。  「結膜炎だ……」  そう思った私は、その日の午前中、自宅近くのサロンで、まつげエクステをつけてもらったときに、液体が入ってきてとても痛かったことを思い出しました。その刺激で結膜炎になってしまった可能性があると思った私は、担当してくださった女性に連絡してみたのです。  すると、「まつげエクステをした後、結膜炎になるのは、コモンなことよ。この目薬を使ってみるといいわ」と、アメリカの薬局で購入できる目薬の詳細が送られてきました。  なんと、日本を代表する目薬ブランドの目薬ではありませんか。「それならきっと効きそうだ」そう思った私は薬局に直行し、おすすめされた目薬を購入しました。  ゴロゴロするような異物感と、ジュワッとした熱感や痛みも感じるようになっていたので、さっそく、購入した目薬を両目に点眼しました。症状が改善することを願い、点眼を続けることにしました。  翌日には、目の充血がやや改善。2日後には、充血がかなり改善したのです。3日後には、異物感や熱感が消失し、4日後には、充血も症状も消失し、完治することができました。悪化するようだったら医療機関を受診しようと思っていましたが、その必要もなく済んだのでよかったです。 写真はイメージ(Gettyimages)  さて、20年ぶりに発症した「結膜炎」ですが、英語では「conjunctivitis 」といいます。「pink eye」ともいいます。「pink eye」の方がイメージしやすいからなのでしょうか。「Pink Eye Drops」と書かれた目薬を、アメリカの薬局ではよく目にしています。  アメリカ疾病予防センター(CDC)によると、結膜炎の主な原因は、ウイルス・細菌・アレルゲンです。その他に、化学薬品、コンタクトレンズの装着、コンタクトの不適切な使用(長期間の使用や、不適切な洗浄など)、目の中の異物(抜けたまつ毛など)、煙やほこり、化学物質との接触なども原因となってしまいます。  結膜炎になってしまった時の症状は、充血(白目部分がピンク色または赤色になる)だけではありません。結膜(白目の部分とまぶたの内側をおおう薄い層)やまぶたの腫れ、涙の量がふえる、異物感(目に異物が入っているような感覚)、かゆみ、刺激感、灼熱感(ヒリヒリ、ちくちく、焼けるような痛み)、排出物(膿や粘液)がでてくる、コンタクトレンズをつけた時の不快感なども、よく見かけられる症状です。  一般に、原因に関係なく結膜炎の症状は同じ、または似ているため、結膜炎の正確な原因を特定するのは難しいと言われています。私の場合、まつ毛エクステをつける時の異物による目の刺激が原因となり、結果的に、結膜炎になってしまったのではないかと、思われます。  では、結膜炎になってしまったら、どうすればいいのでしょうか?CDCによると、  結膜炎の治療は必ずしも必要ではなく、コンタクトの使用を中止し、結膜炎による炎症や乾燥を和らげるために、市販されている点眼薬や保冷剤を使用する  とあります。  結膜炎の症状に加えて、目の強い痛み、目のかすみや光に対する過敏症、強い充血といった症状がある場合や、症状が悪化し改善しない場合、HIV感染やがん治療など病気や治療により免疫力が低下している場合には、医療機関を受診するよう指示がなされています。 「市販の目薬で対応していいのかな、大丈夫なのかな」「やっぱり医療機関を受診した方がいいのかな」私自身、結膜炎を発症した直後は、このように不安に駆られてしまいました。しかし、CDCのページを検索し、必要な情報を手に入れることができたので、安心して目薬をさして、様子を見るという対応を取ることができました。  内科外来の診療でも、たまに見かけることがあった結膜炎。結膜炎になってしまった時は、ぜひ参考にしてみてくださいね。なお、どう対応したらいいか分からない場合は、自己判断せずに、医療機関の受診をおすすめしたいと思います。 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師。医学博士。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。2022年東京大学大学院医学系研究科修了。ナビタスクリニック(立川)内科医、よしのぶクリニック(鹿児島)非常勤医師、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書)
マニュアルに依存する人が「仕事で使えない」当然の理由
マニュアルに依存する人が「仕事で使えない」当然の理由 写真はイメージ(GettyImages) あらゆる業界でマニュアル化が積極的に進められている。業務効率化やミスの防止のため、今や企業にとっては必須の武器となっている。メリットが大きい半面、マニュアルに頼ることには大きな落とし穴があることを知っておく必要がある。今回は、マニュアル化に伴うリスクについて考えてみたい。(心理学博士 MP人間科学研究所代表 榎本博明) 仕事のマニュアル化により、個人の特性によるムラを防げる  マニュアル化のメリットは、仕事に最低限必要とされる程度の質が担保されるところにある。習熟している人物なら自ら考えて適切な動きが取れるだろうが、まだ慣れない人物は、自ら考えるように言われても、どう動いたらよいか分からない。そんなときに威力を発揮するのがマニュアルだ。  臨時アルバイトや派遣社員など、その職場の仕事にまだ不慣れな人材をすぐに戦力として活用するには、マニュアル化が必要不可欠だ。仕事に習熟しているか、まだ慣れていないかということだけでなく、人による性格の違いやそれまでの生活習慣の違いも仕事に質の差をもたらす。  たとえば、レジでの顧客対応でも、気持ちよくあいさつができる者もいれば、あいさつの言葉がスムーズに出ない者もいる。客からの電話での問い合わせに対しても、丁寧な対応ができる者もいれば、ぶっきらぼうな対応をしてしまう者もいる。受付で無理な要求をする客に対して、相手の気持ちを配慮して傷つけないような対応ができる者もいれば、非難がましい言い方をしてしまう者もいる。  よく気がつく人とあまり気がつかない人。他人への配慮が得意な人と苦手な人。自分が発する言葉が相手の気持ちに与える影響を的確に想像できる人と、そのようなことにまったく無頓着な人。仕事の丁寧な人と雑な人。  そうした個人の特性の違いによる仕事のムラを最小限にするためには、マニュアルがとても役に立つ。マニュアルがあることで、個人の特性の違いにフタをして、一律の対応ができるようになる。  そのため、あらゆる分野で仕事の手順や顧客対応などのマニュアル化が進められている。ヒューマンエラーによる事故を防ぐのにもマニュアルは威力を発揮しているが、接客業などでは、SNSでクレームが拡散するおそれがあるため、クレーム防止のため、応対方法などのマニュアル化が推し進められている。 効率性の追求が創意工夫の余地を奪う  マニュアル化により個人の特性によるムラを防ぐことができる。仕事の流れがマニュアル化され、細かく指示が与えられ、具体的なやり方についても懇切丁寧な決まりごとがあれば、迷うことなく仕事に取り組めるし、失敗への不安もなくなるので、安心して仕事に向かえる。  そのような意味においてマニュアルは有効だし、多くの職場でマニュアル化が進んでいるわけだが、不安の解消だけではモチベーションは上がらない。  マニュアルで定められた通りに動けばよい、逆に言えば、マニュアルにないような勝手な動きを取ってはいけないということになると、個人の創意工夫の余地がなく、働く側のモチベーションは上がらない。これがマニュアル化に伴う一つ目のリスクである。  モチベーションには、失敗回避動機というものがある。失敗を恐れ、極力失敗しないようにしようとする動機だ。失敗回避動機の面からすれば、マニュアル化は失敗への不安を軽減し、モチベーションを高めることになる。  ただし、モチベーションには別の要因もある。なかでも重要なのは自律欲求だ。心理学者マレーによれば、自律欲求とは、強制や束縛に抵抗し、権威から離れて自由に行動しようとする欲求のことである。  失敗への不安の解消だけでは、モチベーション全体の高まりは期待できないが、自律欲求が満たされれば、かなりモチベーションが高まることが期待できる。その意味で言えば、マニュアル通りに動けばよいというのではモチベーションは上がらない。  もともと能力的に自信のない人や仕事へのモチベーションの低い人は、マニュアル通りに動くのは安心だし楽でいいかもしれない。でも、能力的に自信のある人や仕事に対するモチベーションの高い人の場合は、創意工夫の余地が乏しいとモチベーションを低下させてしまう。 マニュアル化が奪う、思考力と考える習慣  だが、ここで指摘したいのは、それとは別の弊害だ。それは、マニュアルに従って動くことばかり意識することで、自分で考えて動く姿勢が奪われ、創意工夫したり、試行錯誤したりする気持ちが薄れ、思考停止状態で機械的に仕事をこなすようになってしまうことである。  懇切丁寧なマニュアルがあることで安心し、いつもの手順で対応すればいいということで、仕事がほぼ自動化していき、思考停止状態になっていく。これがマニュアル化に伴う二つめのリスクである。  こうしてみると、熟練者でなくても一定の質の仕事ができるようにマニュアル化し、また無駄を省き効率重視に向かっている今の社会の動きは、思考停止を人々に強いているような気がしてならない。  これからは、上司から言われた通りに動けばいい時代ではなくなっていく。自分で考えて動くようでないと困る。そう言われるようになって久しいのに、自分で考えて動けない指示待ち人間が多くて困るという声をよく耳にする。そこには非常に便利なマニュアルの存在が関係していると言わざるを得ない。  もちろんマニュアル化の効用も無視できない。不慣れな人も即戦力にするための強力な武器がマニュアルだ。経験を積むことで勘が働き適切な動きを取れるようになるものだが、マニュアル通りに動けば、取りあえずは無難に対処できるようになる。  だが、その便利さが思考停止をもたらし、自分から動ける人材に育っていかないという問題が生じているのだ。  仕事のマニュアル化により、決められた通りに動く人材を量産する方向に社会は動いている。経営者や管理職は、従業員たちに自ら考えて動くようになってほしいと思いながら、実際にはマニュアル通りに動くことを求めている。そこの矛盾に気づくべきだろう。そして、基本はマニュアルに則るにしても、個人の創意工夫の余地を与えるような何らかの仕組みを、職場ごとに考案していく必要がある。
【社会人の学び直し】農業と福祉の連携「農福連携」 千葉大学プログラム受講をきっかけに転職する人も
【社会人の学び直し】農業と福祉の連携「農福連携」 千葉大学プログラム受講をきっかけに転職する人も 応用コースの実習。柏の葉キャンパスの圃場で、豆類の播種、サトイモの植え付け、ジャガイモ圃場の除草、ニホンナシの摘果、巨峰の管理を行った 社会人が学び直すリカレント教育には、さまざまな学びの場がある。そのなかでも60時間以上を受講する履修証明プログラムは、大学院だとハードルが高いけれど、しっかり学びたいという人におすすめだ。その一例として、農業と福祉の連携「農福連携」を学ぶ千葉大学のプログラムをAERAムック『大学院・通信制大学2024』で取材した。 *  *  * ■農業と福祉をともに学び、人脈も広がる履修証明プログラム  千葉大学は、農業技術教育を担う環境健康フィールド科学センター(柏の葉キャンパス)で農福連携を学ぶ履修証明プログラム「多様な農福連携に貢献できる人材育成プログラム」を2019年にスタートした。受講しやすいよう考慮し、オンラインの双方向授業やオンデマンドで空き時間に講義を視聴することもできる。  農福連携は、障がい者が農業を通じて社会との関わりを広げるための取り組みだ。農業分野は人手や後継者が不足し、一方で福祉分野では就労機会に恵まれない障がい者が多い。このプログラムを担当する野田勝二助教は「農業という私たちの得意分野を生かして福祉分野と連携し、生活の質(QOL)の向上や生きがい創出につなげるプログラムです。福祉と農業が抱える課題は共通するところが多く、農福連携には誰でも活躍できるフィールドがあります」と話す。 導入コース「屋内緑化の理論と実際」の講義。観葉植物の挿し木と種まきも体験した  障がい者は、農産物を育てながら自然と触れ合い、収穫の喜びを体感することができる。仕事をしたいが就業していない障がい者はかなりいると見られ、農業関係者からは期待の声が寄せられている。また最近では国が、高齢者や困難を抱える若者なども含め多様な人たちが参加する「ユニバーサル農園」で農業体験をして、社会的課題の解決につなげる動きを後押ししている。  プログラムには導入、応用、園芸の3コースがあり、受講生は社会人が多い。純粋に農福連携を学びたい人だけでなく、障害福祉サービス事業所、農家や農業法人、障がい者が就労する特例子会社を持つ企業などからも通ってくる。  農福連携に長年携わる吉田行郷教授は「一口に農福連携といっても多様な取り組みがあり、多様なバックグラウンドの方たちが受講しています」と話す。 「農福連携では、障害の特性に合った作業を細かく分けて考えます。通常、農家は種まきから収穫まで一人で作業をやるわけですが、障がい者には、その障害特性から得意な作業もあれば、苦手な作業もあるので、一人ひとりの得意な作業を見極めて分担を決めていきます」(吉田教授) 「品目によって難易度に差があり、たとえばアスパラガスのようにある程度の大きさに育ったものだけを収穫してあとは残していく作物もあれば、タマネギのようにトラクターで畑を掘り起こしてから、みんなでいっせいに拾って集める作物もあるので、それぞれで対応が異なります。このように、農業と福祉の両方について多様な理解が必要になるので、さまざまな分野の講師をそろえています」と吉田教授は説明する。  野田助教も「農業には総合的な能力が求められ、あらゆる学問が必要です」と強調する。 修了生や学生、関係者、近隣の人たちが集まるノウフクマルシェ。2023年3月からほぼ月1回のペースで定期的に開催されている 「生産だけでなくパッケージデザインや販売のしかたも大切な要素になるので、マーケティングやブランディングが得意な人も活躍できます。農福連携という大きな枠組みの中で、自分の能力を生かせる場を知るために、全体を網羅した導入コースから始めるようにすすめています」(野田助教) ■現場で活躍している人たちと直接話をし、ネットワークが広がる  導入コースを修了して応用コースを受講中の川添公貴さんは、中小企業向けのIT支援をする有限会社ケーズオフィスの代表が本業だ。千葉県内で減農薬の米づくりもしているが、人手不足を実感し、農業と福祉をつなげることができればという思いで学んでいる。 「導入コースでは最初、午前中に講義を受けて午後から農作業をしました。たとえば看護学を始め、これまで触れる機会がなかった多くのことを知ることができ、それがすぐに役立つので自信がつきます。農福連携の現場で活躍している人たちとも直接話をして、ネットワークが広がっています」(川添さん)  応用コースを修了した濵崎由紀子さんは、受講中に知り合った福祉事業所の代表に誘われて保育士から転職した。 「千葉大学のプログラムで一番ありがたかったのは、学問に裏づけされた実習がたくさんできたことです。後継者を探している農家が本当に多いことも知りました。今の職場は就労移行支援のための福祉事業所で、農業を通じて一人ひとりの力を伸ばすことが目的です。力仕事や手作業だけでなく、収穫量のデータを集めたり、販売のためのポップ広告を作ったりする人もいます。私自身は障がい者だけでなく老人福祉にもつなげられればと思っています」(濵崎さん)  濵崎さんが勤める「エシカルベジタブルス八王子」では、プログラムの履修証明書を事業所の玄関内に貼り出している。農福連携について大学で学んだことを知ってもらうことができる。このように、学んだ成果をさまざまな形で運営に役立てている。  NPO法人エコグリーン協会の理事を務める宇野理佳さんも、この履修証明プログラムがきっかけで新たな職場を見つけた一人だ。福祉のあり方について、高次脳機能障害者となった夫の介助をしながら疑問を感じていたという。 「作業所に行くと缶拾いぐらいしかすることがなくて、もっとできる仕事があるはずだと感じていました。福祉について勉強したいと思って2021年に聖徳大学心理・福祉学部社会福祉学科の3年次に編入し、そこで農福連携という言葉を初めて聞きました」(宇野さん)  農福連携を学ぶプログラムがあることを知って受講するうちに、宇野さんは、農業なら与えられた仕事ではなく人間として尊厳を保ちながら働ける、と考えるようになった。入門コース(現・導入コース)の最後の日には、受講生のプレゼンテーションと修了式が行われる。このとき宇野さんは農業と福祉と手仕事についての自らの考えを発表した。  それを聞いたプログラムの講師に声をかけられて応用コースに進み、修了すると2022年11月にこの講師が理事長を務める前述のNPO法人の理事に就任した。  職場は授業を受けた環境健康フィールド科学センターの敷地内にある水耕栽培の植物工場だ。ここで障がい者の就労への橋渡しをしながら、特別支援学級と通常学級の児童・生徒がともに植物に触れるインクルーシブな場を提供している。そのほかにも、障害のある学齢期児童のための放課後デイサービスにも働きの場を持ち、現場視点から農福連携の可能性を見いだそうとしている。 「農福連携のプログラムでは、大企業にいた人を始め、いろんな経験を持った人の声を聞くことができます。そういう意味でもリカレント教育はすごく大切です。学校の先生や銀行員の人など、農業や福祉にこれまで関係がなかった人にも入ってきてほしい。そこからまたいろんな知恵が出てきます」(宇野さん)  昨年応用コースを修了した今村直美さんは、千葉大学園芸学部園芸別科を卒業後、生産者と消費者のコミュニティーによるCSA(Community Supported Agriculture:地域支援型農業)に取り組んできた。福島県郡山市の土水空(どみそら)ファームでは障がいのある人たちと農業を通して自立訓練に取り組み、CSAや地域交流活動を幅広く行い23年3月に退職。現在は千葉県我孫子市の川村学園女子大学で学生たちに畑で農業を教えている。  リカレント教育は、これまでの自分について振り返るいい機会になったと今村さんは話す。 「学び直しで知らなかったことを新しく採り入れて、リフレッシュできました。CSAは日本ではまだ広がっていませんが、地域の農業を支えるだけでなく、福祉施設と消費者、都市部と農村部をつなげることもできる仕組みで、何らかの形でこれからも関わりたいと思っています」  このようなさまざまな思いやバックグラウンドを持つ社会人が、履修証明プログラムで出会い、農福連携の可能性を広げようとしている。農産物などを販売するイベント「ノウフクマルシェ」も、環境健康フィールド科学センターで、月1回のペースで開催していて、プログラムの受講生や修了生、近隣住民たちの交流の場となっている。 (取材・文 福永一彦) 野田勝二 助教  のだ・かつじ/千葉大学環境健康フィールド科学センター助教。2000年岐阜大学大学院連合農学研究科博士課程修了。2007年から千葉大学助教。研究テーマは園芸を活用したヒトのQOL向上など。 千葉大学環境健康フィールド科学センター 野田勝二 助教 吉田行郷 教授 よしだ・ゆきさと/千葉大学大学院園芸学研究院教授。東京大学農学部卒。1985年農林水産省に入省し、総括上席研究官、企画広報次長などを歴任。2021年から現職。 千葉大学大学院園芸学研究院 吉田行郷 教授
森永卓郎氏「生活のためには岸田首相の交代しかない」 内閣不支持率増加は経済政策が最悪だから
森永卓郎氏「生活のためには岸田首相の交代しかない」 内閣不支持率増加は経済政策が最悪だから 千葉県八街市の落花生を贈呈され、発言する岸田文雄首相=7月20日、首相官邸  岸田首相の不支持率が高まっている。朝日新聞が今月15、16日に実施した世論調査によると、岸田内閣の不支持率は4ポイント増加の50%になった。主な政策の評価については、物価高騰の対応で「評価しない」が77%と特に高い数字だった。岸田首相の経済政策の問題点はどこにあるのか。経済アナリストの森永卓郎さんに聞いた。 *   *   *  岸田内閣の不支持率が50%になったということですが、支持する人たちがいまだに37%もいるということが信じられません。岸田政権が行っている経済政策は最悪です。というのも、景気が沈み込んでいるときに、歴史上類を見ない、空前絶後の財政引き締めをやっているからです。  安倍政権のときの2020年度の基礎的財政収支は80.4兆円の赤字でしたが、23年度は10.8兆円の赤字になっています。物価高など経済状況が厳しいときは財政出動をして経済を支える必要があるのですが、岸田政権は逆に財政支出を絞り込んでいることがわかります。安倍政権のときと比べて、70兆円もの緊縮です。  具体的な施策を見ても、いま国民を苦しめている物価高の対策に取り組んでいるとは思えません。  今年から電気代・ガス代の補助金が出ていますが、9月使用分までで終わる予定です。ガソリンの補助金についても6月から縮小されており、9月末には打ち切られる予定です。  また、新型コロナ対策も打ち切っています。政府はこれまで中小企業向けに実質無利子・無担保の「ゼロゼロ融資」を実施していましたが、その返済が今月から本格化しています。  ウィズコロナの社会になったとはいえ、まだコロナの影響から経営の苦しい企業は多いです。当初は「徳政令」(債務の減免)を出すとも言われていましたが、結局実施せず。多くの中小企業が倒産しています。 ■さらに増える国民の負担  これだけではありません。今後、庶民の負担はどんどん増えていくと見られます。 森永卓郎さん  岸田首相は防衛増税を掲げて、消費税や所得税から財源を賄うことも検討しています。また、高齢者の社会保障の歳出を削減し、公的年金の支給額も引き下げる方向で動いていくでしょう。  首相の諮問機関である政府税制調査会が出した答申では、配偶者控除や扶養控除、生命保険控除の見直しが盛り込まれています。さらには会社員の退職金や、現在非課税の通勤手当や社宅の貸与も狙われており、課税の見直しが検討されています。  いずれもひどい話ですが、会社に通勤するだけで税金を払わなければいけないのでしょうか。まさにサラリーマン増税、弱者への増税で、庶民から搾れるだけ搾り取ろうとしている意思を感じます。  目玉政策も効果は中途半端です。  少子化対策では「異次元」をうたっていますが、政府が検討する児童手当の拡充と税制見直しは低中所得世帯にまったく効果のない施策になっていることがわかりました。  第一生命経済研究所の試算では、子ども1人で親の年収(共働き夫婦で収入が多いほうの額)が300万円の世帯だと高校卒業までの増収分が約20万円である一方で、年収900万円と1100万円の世帯は110万円超増えます。しかも、年収800万円の世帯ではたったの約3万円増でした。富裕層が特に増収になる仕組みになっています。 ■岸田首相がめざすものは  岸田首相はいったい何をしたいのか。それは財政の健全化です。岸田首相はたびたび財政健全化の目標について言及しています。国民の生活については本気で向き合っていないんです。  財政健全化の前提にあるのは、国の借金が1000兆円以上にも上っているということです。ただし、この認識は間違っています。  財務省が発表している20年度の政府の連結貸借対照表を見ると、1661兆円の負債がある一方で、資産も1121兆円あります。差し引き540兆円の借金ですが、日銀が保有する資産と負債もあわせて考えると、日本の借金はわずか8兆円になります。  物価高の影響で過去最高の税収になっていますから、すでに財政黒字になっている可能性があります。黒字なのに「増税させて」というのはおよそ考えられない経済政策です。  私は、岸田首相は財務省の影響を強く受けているのだろうと考えています。財務省の目標が、財政の健全化、言い換えれば、増税です。財務省では増税をして、財政を健全化させた人が出世するといわれています。増税が教義になっているんですね。私はこうした財務省のあり方を、「ザイム真理教」と呼んでいます。  岸田首相の目的にはもう一つ、金融の正常化があります。日銀は金融緩和で金利を低く抑え、市場に回るお金を増やすことで、経済を支えてきました。  しかし、岸田首相はかつて金融緩和が長く続くことを問題視し、出口戦略について考える必要があると述べています。新しく日銀総裁に就任した植田和男氏は、岸田首相の意向で、金融緩和をやめるタイミングを計っていると見られています。今月27、28日に日銀の金融政策決定会合があるのですが、金利の引き上げに舵を切る可能性があります。 ■「令和恐慌」が起きかねない  ただ、金利が上がれば、住宅ローンが組めない人が出てくるでしょうし、すでに変動金利で借りていた人も追いつめられる。中小企業も資金繰りが悪化するところが出てくるでしょう。  経済理論からすれば、財政も金融も引き締めて、緊縮・増税をしながら経済成長を達成することなどあり得ません。収支の改善は、経済が成長をしてから取り組むべきことなのです。経済を成長させるのであれば、増税ではなく、減税すべきです。岸田首相は経済理論を理解していないと言わざるを得ません。  1929年に就任した浜口雄幸首相は、世界経済が後退するなか、財政の健全化と金融の正常化に取り組み、昭和恐慌を引き起こしました。再び「令和恐慌」を引き起こしかねない状況です。  岸田首相には最初は期待していました。「成長と分配の好循環」を掲げ、富裕層の金融所得課税を強化し、それを国民に分配すると言ったからです。ただ、それもどんどんと内容が変わってしまって、「資産所得倍増プラン」を掲げ、国民に投資をさせようとしています。国民がリスクのある投資に乗ってバブルとなり、最後のオチに庶民が何もかも失うということが起こらないよう願っています。  いまの私たちの生活をよくするためには、もう首相が代わるしかないと思っています。 (AERA dot.編集部・吉崎洋夫)
汗のかき過ぎで「ドロドロ血」に 夏の【血行不良対策】で脳梗塞・心筋梗塞リスクを遠ざける
汗のかき過ぎで「ドロドロ血」に 夏の【血行不良対策】で脳梗塞・心筋梗塞リスクを遠ざける 夏は“汗のかき過ぎ”でドロドロ血になりやすいので注意が必要です ※写真はイメージです (c)GettyImages  血行不良は寒い冬に起こりやすいイメージがありますが、実は夏も多量に汗をかくことなどが原因で血行が悪くなることがあります。血行不良はさまざまな不調の要因となり、脳や心臓の病気を招く心配も。そこで本記事では、日本の漢方のルーツである中国の伝統医学「中医学」をもとに、【夏の血行不良対策】を4つのタイプ別に分かりやすく説明します。暑い夏を元気に乗り切るためにも、日々の養生でスムーズ血流を保ちましょう。 *  *  * ■夏は“汗のかき過ぎ”でドロドロ血に  脳梗塞や心筋梗塞といった血流に関わる病気は、寒い冬に多いと思われがち。ところが、実際には暑い時期にも多く見られ、特に脳梗塞は夏に発症しやすいことがわかっています。  その主な要因は、暑さによる汗と熱。たくさん汗をかくと体内の「津液(しんえき)」(潤い)」が不足し、血液が濃縮してドロドロ血の状態に。また、身体の熱を放出しようと血管が拡張し、血流が緩慢になることもあります。こうした“ドロドロ血がゆっくり流れる状態”が血栓を招き、脳梗塞や心筋梗塞などの血管疾患を起こしやすくなるのです。また、脳の血流の悪化は「熱中症」の要因にもなるので注意が必要です。  一方、中医学では、汗をかくと津液と一緒に体内の「気」(エネルギー)も消耗すると考えます。気は血と一緒に体内を巡り、血を推し流すエネルギー源。そのため、たくさん汗をかくとドロドロ血に加えて血流を促すエネルギーも不足し、血行不良を起こしやすくなるのです。この他、暑さによる体内の熱、夏の冷え、慢性的な「お血(おけつ)」なども、夏の血行不良を招く要因となります。  また、“汗は心(しん)の液”とも言われ、多量の発汗は「心(しん)」のダメージに。ドロドロ血が心の負担となり、動悸や息切れ、心筋梗塞といった心疾患を招きやすくなるため、中医学では“夏は心(しん)を大切にする時期”とされています。 ■タイプ別 夏の血流改善ケア  夏の血行不良は発汗による津液(しんえき)の不足が主な要因ですが、水分補給だけでは改善できないことも。自分の体質にあった養生を心がけ、スムーズ血流で夏を元気に過ごしましょう。 【タイプ1】汗のかき過ぎ 津液(しんえき)と気の不足タイプ  夏の暑さで汗をかき過ぎると、体内の「津液(しんえき)」(潤い)や「気」(エネルギー)を過剰に消耗してしまいます。その結果、体内の潤い不足でドロドロ血になり、血を推し流すエネルギーも不足して、血行不良を起こしやすくなるのです。  気は身体の活動のエネルギーでもあるため、不足すると臓器の働きも低下しがちに。胃腸不調などから夏バテもしやすくなるので、気になる症状があれば積極的に対処しましょう。  養生の基本は、不足しがちな津液と気を十分養うこと。こまめな水分補給を基本に、潤いの多い食材選び、栄養バランスの良い食事などを意識して、ドロドロ血の改善を目指しましょう。 <気になる症状> 多量の発汗、口やのどの渇き、皮膚の乾燥、息切れ、動悸、疲労感、倦怠感、食欲不振、頭がボーっとする、尿が少ない、便秘気味、舌苔の乾燥 <食の養生> 気を養う甘味、汗を抑える酸味の食材を。 山芋、大豆製品、にんじん、米、ごま、うなぎ、豚肉、鶏肉、鴨肉、卵、枸杞(くこ)の実、桃、リンゴ、レモン、梅干、杏、トマト、さんざし、ヨーグルトなど 汗を抑える酸味の食材、梅 【タイプ2】暑さが原因 熱こもりタイプ  夏の暑さで身体に「暑邪」(しょじゃ)が入り込むと、体内に過剰な熱がこもるように。すると、熱を発散させるために血管が拡張し、血流が緩慢になって血行不良を起こしやすくなります。  このタイプはたくさん汗をかいてドロドロ血になっていることも多く、こもった熱と脳への血流の悪化で「熱中症」を起こしやすいので注意しましょう。  養生の基本は、まず身体にこもった過剰な熱を冷ますこと。涼性の食材、利尿作用のある食材などを積極的に摂り、過度な血管の拡張を抑えて血流をスムーズに保ちましょう。 <気になる症状> 熱っぽい、顔が赤い、多汗、口やのどの渇き、イライラ、怒りっぽい、不眠、舌の色が紅い、舌苔が黄色くベタつく <食の養生> 熱を冷ます涼性・苦味・利水作用のある食材を。 すいか、冬瓜、きゅうり、苦瓜、はと麦、そば、緑豆、もやし、れんこん、寒天、とうもろこしの髭茶、菊花茶、緑茶など 熱を冷まし、利水作用のある食材、すいか 【タイプ3】冷房に注意 夏の冷えタイプ 「血」は冷えると固まる性質があり、血管は冷えによって収縮しやすくなります。そのため冬は血行不良を起こしやすのですが、暑い夏も油断は禁物。冷房の効いた部屋に長時間いたり、冷たい飲食が増えたりすることで、身体の中から冷えてしまうことが多いのです。  夏でも手足を冷たく感じるような場合は、“夏の冷え”と考えて積極的に対処を。過度な冷房に注意し、避けられない場合は長袖を羽織るなどの工夫で身体を冷やさないことが大切です。飲食も冷たいものは控え、常温または温かいものを取るよう心がけましょう。 <気になる症状> 夏でも手足が冷える、冷房が苦手、顔色が白い、むくみ、舌苔が白い <食の養生> 温性・辛味の食材で冷えを取り除く。 よもぎ、シナモン、カルダモン、しょうが、ねぎ、にんにく、フェンネル、山椒の実、八角、しそ、紅茶、黒糖など 冷えを取り除く食材、しょうが 【タイプ4】慢性的な血行不良 お血(おけつ)タイプ  食の不摂生によるドロドロ血、慢性疾患(糖尿病や高血圧、動脈硬化症等)による血管力(しなやかな血管でスムーズに血を巡らせる力)の低下などで「お血(おけつ)」(血行不良)の状態が慢性化していると、夏の暑さや発汗の影響でさらに血流が悪くなる心配も。お血(おけつ)は脳血管疾患を招く要因にもなるので、思い当たる人は積極的な改善を心がけて。  養生の基本は、血をサラサラにしてスムーズに巡らせること。脂っこい料理や甘いもの、過度な飲酒を控えるなど、食生活を見直して栄養バランスの良い食事を心がけましょう。 <気になる症状> 頭痛、物忘れ、手足のしびれ、胸が苦しくなる、胸痛、顔色の黒ずみ、不整脈、舌の色が暗くお点がある <食の養生> 黒色・辛味の食材でサラサラ血流に。 玉ねぎ、長ねぎ、らっきょう、ターメリック、黒豆、納豆、黒きくらげ、なす、わかめ、昆布、さんざしなど  サラサラ血流食材、なす ■暮らしの養生 ● 水分補給は“少量・常温”でこまめに。一度にたくさん飲むと胃の負担になるので気をつけて。 ● 食事は“潤いの多い食材”“夏でも温かいもの”を意識して。 ● 睡眠を十分に取ることも大切。睡眠不足は気・血の消耗につながります。 ● 冷房は適度な使用を。外気温との温度差、冷え過ぎなどは血行不良の要因に。 ● 夏でもこまめに入浴を。疲労回復、血行促進につながります。 ● 朝晩の涼しい時間に適度な運動習慣を。血流を促し、冷房の冷えを解消します。 朝晩の涼しい時間に適度な運動習慣を 監修:菅沼 栄先生(中医学講師) 監修:菅沼 栄先生(中医学講師) 1975年、中国北京中医薬大学卒業。同大学附属病院に勤務。 1979年、来日。 1980年、神奈川県衛生部勤務。中医学に関する翻訳・通訳を担当。 1982年から、中医学講師として活動。各地の中医薬研究会などで薬局・薬店を対象とした講義を担当し、中医学の普及に務めている。 主な著書に『いかに弁証論治するか』『いかに弁証論治するか・続篇』『漢方方剤ハンドブック』(東洋学術出版)、『東洋医学がやさしく教える食養生』(PHP出版)、『入門・実践 温病学』(源草社)など。 本記事は、イスクラ産業株式会社が発行する中医学情報誌『チャイナビュー』より、一部改変して転載しました。同誌は日本中医薬研究会の会員店で配布しています。
親が入居した老人ホームのスタッフへの不満 要望はどこまで言っていい? 介護のプロの答えは
親が入居した老人ホームのスタッフへの不満 要望はどこまで言っていい? 介護のプロの答えは ※写真はイメージです(写真/Getty Images)  離れて暮らす親、一人暮らしが難しくなった親を、希望の高齢者施設に入居させて一安心。これからは施設の介護スタッフとの新しい付き合いが始まります。訪問頻度はどれくらいがベスト? 気づいたことを、どの程度話していいの? 介護アドバイザーの高口光子さんは「実際に施設での生活がスタートすると、いろいろな疑問や要望が出てくるもの。なんでも話して、スタッフと共に解決してほしい」と言います。上手な付き合い方のコツをうかがいました。 *  *  * ■入居した親への訪問頻度は? 「施設に入った親への訪問は、どれくらいの頻度にしたらいいのだろう」と、親を施設に入居させた当初、疑問に思う人は多いようです。だれしも親が新しい環境にうまく慣れてくれるか気になり、なるべく頻回に通いたいと思います。しかしあまり心配し過ぎるのも、逆にあまり出向かないのもいけないのではないかと考えます。 元気がでる介護研究所代表・高口光子  以前は、「家族の顔を見ると里心がつくから、入居してしばらくは面会に来ないでください」と言う施設もありましたが、これはとんでもないこと。面会は、施設側が一方的に制限することではありません。新型コロナ感染症で長時間の面会制限を実施したことさえ、現在では大きな反省点となっています。高齢者本人にとっても、家族や地域にとっても、面会することは大切なことです。  私はいつも、「普通に、無理なく続けてください」とお願いしています。買い物のついでにちょっと立ち寄る、休みの日に都合のついた孫と一緒に外出した帰りに顔を見に来るなどは、とてもいいと思います。  1対1で自宅で介護していたケースなどでは、介護されていた親、あるいは夫(妻)を、介護していた子どもや妻(夫)が毎日訪問するケースもあります。片方の住む場所は変わっても、2人で成り立っていた生活が続いているということでしょう。逆に、仕事や家事、子育てに追われて時間が取れず、あまり訪問できないという家族もいます。どちらの場合も、「毎日来ては迷惑だろうか」「行けなくて申し訳ない」という気持ちをもつ必要はありません。それが家族にとって普通で、無理がないのであれば、それでかまわないのです。 ■きょうだいや親族で役割分担をする  私は、施設への訪問や手続きなどは、きょうだいや親族で、役割分担することをおすすめしています。  お金のことを担当する人、ふだんの、たとえば夏物と冬物の交換やちょっとした買い物など身の回りのことをする人、入院など緊急の場合に中心になって動く人、契約書などの書類の管理をする人など、負担を分散して全員でかかわることが無理をなくします。  1人に偏ると、最初はよくても、いずれは「なぜ私ばっかり?」という思いが生まれて、きょうだい間の関係がぎくしゃくしたり、さらには入居している親に対しても、素直な気持ちをもてなくなったりします。 ■親の快適な生活のためなら、施設への疑問や要望は大歓迎  何度か面会に通ううちに、いろいろと疑問や不満は出てくるものです。入居者本人が、介護スタッフに言いづらくて、我慢しているようなこともあるでしょう。おとうさん(おかあさん)を見て、家族の目だからこそわかることもあると思います。  かつて私が勤務する施設でこんなことがありました。母親が入居している女性から、「母は社交的な人なのに、なぜレクリエーションに参加したがらないのでしょうか。何か問題が起きているのでしょうか」と聞かれました。担当スタッフが、母親本人から話を聞いたり、ほかの職員に母親の生活ぶりを確認したりしました。  その結果、参加したがらないのは午前中のレクリエーションで、午後は楽しそうに参加していること、夜眠れないことがあって、午前中はあまり動く気がしないことなどがわかりました。母親は不眠が毎日ではないので、言うのを遠慮していたということでした。女性にも話をして、睡眠を十分とれる工夫を実践することで、午前中もレクリエーションを楽しむことができるようになりました。  このように、お年寄りの気になる変化には、原因がわかりにくい場合もあります。このケースでも、女性の申し出があったことで、スタッフの観察がより充実して、おかあさんの眠れない状態が明らかになり、改善に導けました。  何か気づいたことがあったら、自分の親を担当している介護士でも事務担当の職員でもいいので、話してみてください。「こんな細かいことを言ったら、クレーマーと受け取られるのでは?」という心配は無用です。対処できることはすぐに改めますし、難しいことは話し合って、改善策を見つける努力をします。  ただし、疑問や文句、要望は、特定の職員を責めて辞めさせようとしたり、施設側の言うことすべてに揚げ足をとって混乱させるための行為ではありません。なんのために文句を言い、要望を出すのか。それはひとえに、親に最もよい環境のなかにいてもらうため、介護職員や家族の充実した人間関係のなかで心地よく暮らしてもらうためです。そのことは忘れないでほしいと思います。 ■名前で呼び合う関係になるのがベスト  なんでも言っていい、とはいっても、入居して日も浅い間は、なかなか言い出しにくいものです。忙しくしている介護職員に、話しかけるタイミングをとらえるのも難しいかもしれません。  そんなときは、まずはケアマネジャーに相談し、さらには親と介護職員とのつながりをきっかけにします。たとえば、「おとうさんが頼りにしている田中さん」「おかあさんのお気に入りの佐藤さん」など、単なる「施設の人」「スタッフさん」ではなく、個人名を呼び合うようなつながりを足掛かりにしましょう。そして、その人を中心に、スタッフとの良好な関係を築いていきましょう。  親の施設での幸せな生活は、家族と介護職員が共同してつくっていくものです。施設で暮らす間には、病気になったり転倒したり、さまざまなことが起こり得ます。そのときどきの局面で、スタッフと悩みや喜びを共有しながら、親のこれからの人生、生きる場所をあなたの判断で積み上げていってください。 (構成/別所 文) 高口光子(たかぐちみつこ) 元気がでる介護研究所代表 【プロフィル】 高知医療学院卒業。理学療法士として病院勤務ののち、特別養護老人ホームに介護職として勤務。2002年から医療法人財団百葉の会で法人事務局企画教育推進室室長、生活リハビリ推進室室長を務めるとともに、介護アドバイザーとして活動。介護老人保健施設・鶴舞乃城、星のしずくの立ち上げに参加。22年、理想の介護の追求と実現を考える「高口光子の元気がでる介護研究所」を設立。介護アドバイザー、理学療法士、介護福祉士、介護支援専門員。『介護施設で死ぬということ』『認知症介護びっくり日記』『リーダーのためのケア技術論』『介護の毒(ドク)はコドク(孤独)です。』など著書多数。https://genki-kaigo.net/ (元気が出る介護研究所)
高知東生さんが語る「陰謀論」から抜け出した瞬間 「信頼している全員が一斉に笑った」
高知東生さんが語る「陰謀論」から抜け出した瞬間 「信頼している全員が一斉に笑った」 俳優の高知東生さん  安倍晋三元首相の銃撃死亡事件や新型コロナワクチン、2020年の米大統領選などをめぐる「陰謀論」にハマる人が後を絶たない。俳優の高知東生(たかち・のぼる)さん(58)もその一人だ。「陰謀論を信じ込む危険は誰にでもあると思う」と話す高知さん。なぜ陰謀論を信じ、そこから目が覚めた今、何を思うのか。 *   *   * 「すごい情報にたどり着いてしまった……この俺だけが」  2年ほど前のこと。YouTubeで2020年の米大統領選をめぐる動画を眺めていた高知さんは、「選挙で不正があった」との“衝撃の事実”に釘付けになった。陰謀論に片足を突っ込んだ瞬間だった。 ■暇があればSNSを見るように  高知さんは、2016年に覚醒剤取締法違反などの容疑で逮捕された。その後は自身の薬物依存からの回復に取り組むとともに、依存症に関する情報を発信するなど、依存症者を支援する活動を続けてきた。  そんな高知さんが、どのようにして縁遠いはずだった「陰謀論」と結びついたのか。  きっかけは、依存症の情報発信のためにSNSやYouTubeを使うようになったことだった。 「この年齢で動画やSNSでの情報発信を始めてみたものの、どんなやり方が良いのかわからない。他の人の動画や投稿を見て、とにかく情報を取り込まないと若い世代についていけないと思ったんです。いつの間にか、暇があればSNSを見るようになっていましたね」と高知さんは振り返る。  いわゆる「都市伝説」に関する話題やテレビ番組はもともと好きだったが、あくまで娯楽の範疇(はんちゅう)だった。  父親が暴力団員だったため、物心ついたときから組員たちがそばにいる生活だった。物事には表と裏があることを嫌というほど目の当たりにしてきた。芸能界だって、自身のキャラクターや、ドラマや番組も「作り込む」世界だ。 「裏だらけの世界で生きてきましたから、ウソは見極められると思っていました。色々な人が近づいてくる芸能界で生きてきて、その人のウソを見抜いた成功体験もありましたから」  そう話す高知さんだが、米大統領選に関する「陰謀論」の動画をたまたま見つけると、そこからまったく抜け出せなくなった。ある動画を眺めていると、類似した内容の動画がどんどん出てくる。SNSでは関心がある情報ばかりに包まれる「フィルターバブル」が生じ、極端な考えに染まってしまうことがあるが、ネットに疎い高知さんは、その仕組みそのものを知らなかったのだ。 「俺だけがこの情報を見つけられたんだ。マスコミが報じない真実がここにある。日本も世界もやばい。見つけたことを自慢したいし、周りに知らせないといけない。そんな感情だけが頭の中を支配していました」  今でこそ笑いながら陽気に振り返るが、当時は“洗脳”のような状態に陥っていた。ちょっとでも時間があればスマホを手にしてYouTubeやSNSで陰謀論の情報を検索。「内容がわかりやすくて、こんな話もあったのか! 届いちゃったよ俺だけに! と、どんどん深みにはまっていきました」  のめり込んで半年が経ったころ、依存症からの回復を図る自助グループの集まりに参加した高知さんは、「すごい話があるんだよ」と陰謀論を唐突に、冗舌に語りだした。  お互いに信頼し合い、何も包み隠さずに話すことができる仲間たち。その全員が即座に、どっと笑った。 「一瞬、ムカッとしましたよ。でも、関連動画の仕組みを説明されたとたんに恥ずかしさが襲ってきて……そうだったのかって」 ■「誰にでも信じてしまうリスクがある」  高知さんと一緒にYouTube動画を運営している元ギャンブル依存症当事者の田中紀子さん(公益社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」代表)も、その場にいた一人。米大統領選だけではなく、コロナワクチンについても陰謀論を口にしていた高知さんの姿をよく知っている。 「信頼している全員が一斉に笑ったから、高知さんもハッとしたのだと思います。一対一だったら反発して陰謀論を信じ続けていたかもしれません」(田中さん)  高知さんを「無知」などと片付けたくなる人もいるだろう。ただ、高知さんは「誰にでも信じてしまうリスクはあると思います」と話す。  陰謀論にハマる人の傾向として識者らが指摘するのが、「孤立や劣等感を抱えていて『自分だけが知っている』という優越感を得たがる人」や、「パンデミックやテロ事件が起きた理由を知りたがる、自分が納得できる情報を探す」などの不安感に基づいた知識欲にかられた人だ。  高知さんは自身を顧みる。  物事に「正解」を求めてしまう性格。  芸能界で名前が売れるようになると、周囲から特別扱いされることも増えて優越感を抱いたこともあった。だが、優越感を求める本当の理由は、自分の孤独と自信のなさの裏返しだとも気づいていた。他人の視線ばかりに意識が持っていかれ、ありのままの自分を失っていたのだと今は思う。 「笑わせたり、面白い話をしたりしないといけない。かっこつけなければいけない。それができるのがかしこいやつだし、芸能界で生き抜くには、その力が必要だと信じ込んでいました。でも、根っこにあるのは自信のなさと不安だったんです」  ひがみやねたみも味わい、誰を信じていいか分からなくなっていったという。 「『都会の人間は信用しない』なんて強がってましたけどね。本音は誰よりも、信じて話せる人がほしかった」 ■仲間がいること、「立ち位置」に戻ること  陰謀論になぜハマったのか。明確な答えはない。ただ、自分の「心の隙間」をほどよく埋めてくれる存在だったのかもしれない、とは思う。  今後も、大きな事件や災禍のたびに、陰謀論が飛び交う可能性がある。  頭が冷静になった今、高知さんは、 「人それぞれ、置かれた環境が違うので、対策だとか解決策って簡単には見つからないと思います。ただ、自分を作らずに弱さをさらけ出せる仲間がいること。たとえケンカ腰になっても、お互いに指摘し合える仲間がいることは、冷静になるためにとても大切だと実感しています」  と仲間の重要性を示す。その上で、 「ネットに情報があふれているなかで、色々な考え方があるんだなと認めつつも、最後は『では、自分はどうするか』。その立ち位置に戻ることが重要だと考えています」  と語った。 (AERA dot.編集部・國府田英之)
高額転売「刑務所せっけん」で注目された“塀の中のものづくり”の実態 有能な受刑者は取り合いも
高額転売「刑務所せっけん」で注目された“塀の中のものづくり”の実態 有能な受刑者は取り合いも CAPIC製品における売り上げナンバー1である石鹸「ブルースティック」(3本組で税込み400円/横須賀刑務支所製)  驚異の汚れ落ちで人気の石鹸「ブルースティック」が高額転売されているというニュースが、7月12日、ネット上でバズった。話題の理由は、ブルースティックが「刑務所製」だったこと。受刑者たちは義務である刑務作業の一環として、日々、さまざまな製品を生産している。なかには「まさかこんなものまで?」と驚くような品もあるが、コスパや品質を評価する消費者は多い。いっぽう専門家からは、刑務作業のあり方についての疑問の声も上がっている。刑務所における“ものづくり”の実態を取材した。 *  *  *  7月12日、突如Twitterでトレンド入りした、謎のワード「刑務所製せっけん」。「3倍で転売される『刑務所製せっけん』 専門官も驚く品質維持の現場」という朝日新聞デジタルの記事が、猛烈な勢いで拡散されていた。「汚れがよく落ちると評判のロングセラー商品だが、コロナ禍で生産量が減少して、転売のターゲットになったようだ」という記事内容に、「これな!えり汚れとか袖汚れとか全部キレイに落ちるやつ!」「息子たちの野球ユニホームや靴下洗うのに重宝なんですよね。3倍はひどい」などと、ブルースティックの洗浄力を称賛し、転売に憤るコメントが相次いだ。  刑務所で作られたオリジナル製品(通称、CAPIC製品)を販売する公益財団法人「矯正協会」によると、横須賀刑務支所で作られているブルースティック(3本組で税込み400円)は、売上ナンバー1商品だという。協会の刑務作業協力事業部・副部長の櫻井智さんは、「『泥汚れがきれいに落ちる』というお母さんたちの口コミで人気が広がったんです」と胸を張る。  ブルースティック以外では、赤穂の塩を使った乾麺(「ひやむぎ」は20袋セットで税込み3600円/横浜刑務所製)や、スタイリッシュな「マル獄」のロゴがプリントされた前掛け(「ヴィンテージ風」は税込み2200円/函館少年刑務所製)も売れ筋。市原刑務所内で育てた菌床栽培のシイタケや、富山刑務所製の400万円超えのお神輿といった変わり種もあり、ラインアップはかなり幅広い。 刑務所をイメージした屋号をプリントし、ブリーチ加工により使い込んだ雰囲気に仕上げた「刑務所の前掛け ヴィンテージ風」(税込み2200円/函館少年刑務所製)  売りは、「安さと高品質」。公益目的事業ということで販売利益が低く抑えられ、刑務作業だからこそのメイドインジャパンの安心感や、手作業の温もりがある。各刑務所には、木工や洋裁などの専門技術を持った「作業専門官」と呼ばれる職員がおり、受刑者への技術指導や商品企画を担っている。  CAPIC製品は、協会のオンラインショップや、全国の刑務所に併設されている展示場などで買える。客層について、櫻井さんは、「値段の安さや使い心地を気に入ってくださったリピーターが多いですが、売り上げの一部が犯罪被害者支援に使われていることに意義を感じて買ってくれる人もいます」と話す。 ■刑務所ではこんなものまで作られている! だが同協会によると、CAPICブランドで販売されている商品は、実は刑務所で作られている製品の約25%でしかない。残りの75%は企業からの発注品だというが、一体どんなものが作られているのだろうか。  法務省職員として刑務所で勤務した経験をもつ、浜井浩一・龍谷大学教授(犯罪学)に話を聞くと、「たとえば……」と次々に例を挙げてくれた。 「電気製品のコードや、市販の弁当に入っている総菜の小分けカップ、ブランドものの紙袋などを作ったり、神社仏閣関連の依頼に応えたり。閉鎖された環境を生かして、秘匿性が必要な作業も請け負っていますよ。資格試験の問題の印刷なんて、大変です。試験が終わるまでに出所する受刑者や、身内や友人に受験する人がいる職員は絶対携わってはいけないし、現場の巡回も所長など決められた者しかできません」  刑務作業に給与が発生することはないが、受刑者のモチベーションを上げるために、「作業報奨金」が支払われる。週に40時間働いて、1カ月の平均支給額は約4500円。浜井教授によると、高齢や病気によりほとんど働けない人は2000円程度、難しい作業や多くの仕事をこなせる人は8000円程度と、働きぶりに応じて値段は変わる。有能な受刑者は刑務所同士で取り合いになるそうだ。 矯正協会の建物内にある販売店「キャピックショップなかの」に鎮座している「神輿 けやき2尺」(税込み425万円/富山刑務所製)  企業から製作依頼をもらえるかは、作業専門官をはじめとした職員の営業努力にかかっている。情報管理が徹底されている、民間と比べて工賃が安い、など刑務所ならではのメリットを売りにして、受注を取りつける。なかには、「受刑者の更生に役立つなら」と、積極的に発注してくれる企業もあるという。  しかし、「うちの製品は刑務所で作っています」とアピールする企業の声は、ほとんど聞こえてこない。その背景について、浜井教授はこう指摘する。 「日本では、刑務所製=犯罪者が作ったものというネガティブなイメージになりますが、たとえばイタリアでは、高級食材を扱う店の一番目立つ場所に、刑務所で焙煎(ばいせん)したコーヒーが置いてあったりする。それを購入すること自体が社会貢献であり、ある種のステータスになるんです。市民としての意識が、日本とはまったく違います」  そして、社会の不寛容さは、罪を犯した人の更生の機会を奪う。浜井教授が続ける。 「せっかく釈放されても、職につけずに刑務所に戻ってくる人は少なくありません。刑務所では、きちんと刑務作業に打ち込めば、周囲から一目置かれる。ブルースティックのような人気商品や、もはや刑務所の中でしか技術が継承されていない伝統工芸品を作っていた人であればなおのこと、自分の仕事にプライドもあります。結局人は、自分を必要としてくれるところを“居場所”にするんです」 ■「刑務作業があってよかった」まさかの理由  刑務作業のあり方自体にも、日本は課題を抱えている。浜井教授は、法務省に在籍していた当時、同僚が受刑者に対して行ったアンケートを見て、現実を目の当たりにしたという。 「8割の受刑者は、『刑務作業があってよかった』と肯定的でしたが、その理由の大半は、『何かに集中していると時間が早く過ぎるから』というもの。ポジティブに『社会復帰に役立つから』と答えた人は、わずか15%ほどでした。日本における刑務作業は、受刑者の社会復帰のためというよりは、刑罰の一環という意識が根強い。なので、仕事がないときでも、『懲役刑である以上、何かしら作業をさせないといけない』と、ただ工場に集めて黙って座っていてもらうという運用もあったと聞いています」  では、具体的にはどのような改革が求められるのか。 「刑務所に視察に行くと、受刑者たちはみな下を向いて黙々と作業しているんです。質問があるときは、覚悟を決めて手を挙げて、『願います!』と言う。『なんだ?』と指されてはじめて、『材料がなくなりました!』などと発言できます。こんなやり方では、受刑者のコミュニケーション能力を奪ってしまう。『刑務作業によって、規則正しい生活や労働の習慣が身につく』と話す刑務官もいますが、強制的にやらせているだけ。本人の更生というより、刑務所の規律を維持する効果しか期待できません。現場の風通しをよくして、受刑者も生産工程や製品開発に意見できるようになれば、もっとやる気が出るようになると思います」  取材終わりに、記者もブルースティックを買い、家で使ってみた。靴の泥汚れがみるみる落ちていくその様に、“メイドイン刑務所”ブランドの明るい未来を願った。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵)
【生命科学対談】SF作家・瀬名秀明×東北大教授・大隅典子 ヒトゲノム解読完了宣言から20年(後編)
【生命科学対談】SF作家・瀬名秀明×東北大教授・大隅典子 ヒトゲノム解読完了宣言から20年(後編) 東北大学副学長で、脳や神経の発生を研究する大隅典子教授と、『パラサイト・イヴ』などのSF小説をはじめ、科学を題材に執筆する作家の瀬名秀明さん  国際プロジェクト「ヒトゲノム計画」が、人間のゲノム(全遺伝情報)の解読完了を宣言したのは2003年のこと。それから20年、テクノロジーの進化とともに生命科学を取り巻く環境は大きく変化しました。東北大学副学長で、脳や神経の発生を研究する大隅典子教授と、『パラサイト・イヴ』などのSF小説をはじめ、科学を題材に執筆する作家の瀬名秀明さんが、その変遷と課題について語り合いました。前編に続き、後編をお届けします。 ※中高生向けに生命科学の魅力を伝える書籍『マンガdeひもとく生命科学のいま ドッキン!いのちの不思議調査隊』(朝日新聞出版)に収録された特別対談より一部抜粋。 *  *  * AIにビッグデータ。最新テクノロジーをどう活用する? 瀬名 AIはさまざまな分野で応用されていますよね。でも残念ながら、医療現場での活用がうまくいっているとは言い難い現状です。例えば、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)対策として、台湾ではオードリー・タンさん(台湾のデジタル担当相を務める天才エンジニア)が感染追跡アプリを作って感染抑制に貢献しましたが、日本のCOCOAはあまりうまく機能しませんでした。保健所が使っているハーシス(HER-SYS、感染者情報を把握・管理するシステム)や、医療機関のデータベースも仕組みとしてはあるけれど、横の連携がなされておらず有効活用できていません。  理由の一つは、日本人の多くが、医療分野でビッグデータを扱うことに抵抗を感じること。コンピュータに病気の詳細や生活を管理されるのは「監視されているようで気味が悪い」と感じる人がまだ多いんですね。先ほどのコホート研究も、本当は全国民でやったほうがいいと思うんですよ。そうしたら土地や国による違いなど、いろいろなことがわかってきますから。こうしたことを一部の熱心な研究者だけで行うのは難しい。今後はますますビッグデータの活用が重要になってきますから、これから社会に出ていくデジタルネイティブ世代には、有効活用できる手段を考えてほしいなと思います。 大隅 近年の生命科学の世界に強烈なインパクトを与えたものとしては、先ほどの次世代シークエンサーのほか、PCR(ポリメラーゼ・チェーン・リアクション)とCRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)、iPS細胞が挙げられます。  PCRは、コロナで一般の人も知るところになりましたが、そのために開発されたものではもちろんありません。生物や医学をはじめとするさまざまな分野で、遺伝子解析の基礎となっている技術で、開発者のキャリー・マリス博士は1993年にノーベル化学賞を受賞しています。わずかなDNAを短期間で大量に増幅させることができるそのテクニックによって、病気の迅速診断が可能となったり、遺伝子の異常を発見できたり、農作物へ応用したりなど、生命科学は一変しました。 東北大学副学長で、脳や神経の発生を研究する大隅典子教授と、『パラサイト・イヴ』などのSF小説をはじめ、科学を題材に執筆する作家の瀬名秀明さん  CRISPR-Cas9は、画期的なゲノム編集の技術で、エマニュエル・シャルパンティエ博士とジェニファー・ダウドナ博士が2020年にノーベル化学賞を受賞しました。ゲノム編集の第三世代に当たるCRISPR-Cas9の技術は、それまでと比べ物にならないくらい正確なものでした。狙った位置で、望みの改編を高確率で行えるのです。この技術によってゲノム編集に関する研究が一気に加速し、医療や生命科学だけでなく、農業、畜産業、漁業をはじめ、化学産業など広い範囲に大きな社会的なインパクトを与えています。  iPS細胞は、人工的に作られた多能性の幹細胞のことです。京都大学の山中伸弥教授のチームが作製に成功し、2012年、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。iPS細胞は、一般の方には、臓器をカスタムメイドできるという応用面で知られていますが、生命科学界で最も有用なのは、成熟した細胞を多能性を持つ状態に初期化するという基礎的なメカニズムの部分なんです。実際、臓器をカスタムメイドしようとすると、iPS細胞では手間がかかりすぎるので、ES細胞などを使ったほうが効率がいいのです。iPS細胞はむしろ、臓器細胞に分化させて薬の効能をチェックするとか、ミニ脳を作るとか、研究材料として使える点がものすごいインパクトなのです。例えば、自閉スペクトラム症の人の脳は、そうではない人とどう違うのかという研究をする場合、胎児の脳そのものを扱うのは倫理的に難しいですよね。そこで自閉症の方からいただいた細胞を初期化してiPS細胞にして、ミニ脳を培養皿の中で作って比べてみるとか。そんなことも可能になるんです。ちなみに、Pax6は自閉症にも影響を及ぼしているんですよ。 夢物語が現実になるとき、浮き彫りになる課題 瀬名 再生医療やゲノム編集しかり、そうしたことができるようになってくると、湧き上がってくるのが生命の本質への問いですよね。なぜ人は生まれ、死ぬのか。なぜ老いたり、病気になったりするのか。不老不死は可能なのか。人間が遥か昔から追い求めていた永遠のテーマです。荒唐無稽な夢物語だと思っていたことに、なんとなく近づきつつある感触がある。今の時代の生命科学には、そんなおもしろさがあります。 大隅 テクノロジーの発達によって、その哲学的な問いに、生命科学、あるいは一部の脳科学がアプローチすることが可能となってきている実感がありますね。だからこそ、科学者が倫理観を持って研究に取り組むことの重要性が増していると思います。一般の方に向けての伝え方も配慮が必要ですよね。 瀬名 僕は科学を題材にしたSFやホラー小説を書いているわけだけど、めざしているのは、何年経ってもテーマがおもしろいと思われるまま残る小説なんです。例えばiPS細胞で臓器を作ることができなかった時代に、「作れた!」という話を書いたら、そのときは「へえ~」と思うかもしれないけれど、10年後にはおもしろくもなんともないでしょう。科学ってそういう表面的なものではないですよね。謎はもっと深いところにあって。例えば再生医療が普及したとき、身体を治すだけではなく、エンハンスメント(身体などの機能を向上させること)の領域に飛び込むか否かとか、難病が当たり前に治せる時代が来たら、今を知らない子どもたちとどんなギャップが起こるかとか。そういうことまで考えていくと問題はすごく大きくて深いわけです。 大隅 カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』や『クララとお日さま』の世界ですよね。病気の人に臓器を提供するために人工的に作られたクローン人間の話や、遺伝子操作によって知性の「向上処置」を行う社会で、人間そっくりのAIロボットを通して生きる意味を問う話。その社会では当たり前となっていることだけれど、その裏にはさまざまな問題や闇がある。科学者が研究を行う際には、ELSI(エルシー、Ethical,Legal and Social Issuesの略)、つまり、倫理的、法的、社会的課題についても、より慎重に考えていかなければいけない時代になってきていると思います。 【プロフィール】 東北大学副学長(広報・ダイバーシティ担当)および附属図書館長 東北大学大学院・医学系研究科・ニューログローバルコアセンター長 発生発達神経科学分野 教授 大隅 典子 さん 1960 年、神奈川県生まれ。東京医科歯科大学大学院・歯学研究科・博士課程修了。歯学博士。歯科医師免許取得。国立精神・神経センター・神経研究所室長を経て、1998 年から東北大学大学院医学系研究科・教授に就任。専門は発生生物学、分子神経科学。著書に『脳からみた自閉症 「障害」と「個性」のあいだ』(講談社ブルーバックス)、『脳の誕生 発生・発達・進化の謎を解く』(ちくま新書)など。 作家 瀬名 秀明 さん 1968 年、静岡県生まれ。東北大学大学院薬学研究科博士課程修了。薬学博士。1995 年、大学院在学中に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞を受賞しデビュー。SF 小説をはじめ、ロボット学や生命科学など科学をテーマにした著作を多数執筆。1998年、『BRAIN VALLEY』で日本SF 大賞を受賞。2006 年より3 年間、東北大学工学部機械系特任教授を務めた。

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