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勝間和代「湯水のようにお金を使っても幸せになれない」お金はなんのためにある?
勝間和代「湯水のようにお金を使っても幸せになれない」お金はなんのためにある? 最新刊は『100歳時代の勝間式人生戦略ハック100』(撮影/張 溢文) 勝間和代さんの好評連載、第6回のテーマは「お金は人生の選択肢を増やすためにある」。アエラ増刊「AERA Money 2023春夏号」より。  こんにちは、勝間和代です。こちらのコラムでは、お金の上手な稼ぎ方や使い方を知ることで、人生を豊かにするための「レシピ」について書いています。  今回のテーマは「お金は人生の選択肢を増やすためにある」です。お金を持っていれば「自分で選べること」が増える、これが一番のメリットだと私は考えます。 「今、やりたいと思ったこと」があるとしましょう。ある程度、お金に余裕があれば「今、やりたいと思ったこと」を実現できる可能性は広がります。自分のやりたいことが次から次へとかなえられたら幸せですよね。  とはいえ、それは湯水のようにお金を使えば幸せになるという話ではありません。 「常に高級な店で食べ、高級な宿に泊まれば幸せになれるか」について考えてみましょう。  私は無駄遣いが好きではないこともあり、チェーン店によく行きます。日本そばの「ゆで太郎」やイタリアンの「サイゼリヤ」、スイーツの「ミスタードーナツ」が大好きです。廉価なホテルチェーン「スーパーホテル」にも泊まります。  でも、高い店で食べ、高い宿に泊まるお金が財布に入っていないわけではありません。私がわざわざチェーン店を選ぶ理由は、どこにあるのでしょうか。答えはこうです。 「自分が高い店、宿を選びたいときは、もちろんそうしている。でもコストパフォーマンスを考えて、あえてチェーン店を選ぶときもある。そのほうが、自分がいろいろな面で快適に過ごせるから」  お金がないから「仕方なく」チェーン店を選んでいるのではなく、「自分の意思で」店やホテルを選んでいるわけです。そのことが、私の喜びや快適さにつながっているのだと思います。  私たちは、自分の力だけで自分の暮らしのすべてをまかなうことはできません。何らかの形で人の力を借りることになります。  そして家族や友人「以外」からの力を借りるときには、お金が必要になります。お金を多めに持っていれば、「どの人(会社)のどの力をいくらで借りるか」ということを自由に選べるようになります。  スーパーへ買い物に行き、夕飯に使う野菜を買うときの場合で考えてみましょう。 ・見切り品、または特売品の野菜「しか」買えないのか ・オーガニック野菜まで含めて、いろいろな選択肢の中で「自分の中で最もバランスがいいもの」を買えるのか  自分の都合に合わせてどちらからでも選べるほうが、日常的に行くスーパーでも満足度は変わります。常に、値段が高いオーガニック野菜だけを買う必要はないということも重要なポイントです。  人との付き合いに関しても、お金がないと細かい面で不自由になるかもしれません。食事や旅行に誘われたとき、持ち合わせがさみしかったらどうでしょう。  本当はお金を理由に断りたいのですが、「お金がないから行けません」とは自尊心の面でなかなか言えない人も多いと思います。結局、他の予定が……などと違う理由をこじつけて断ることになります。  住宅ローンや車のローンなど一点集中型の高いローンを組むことを私が勧めないのは、自分の可処分所得(自分の収入のうち税金などを引いた手取り)の中で、あまりにも配分の高い項目ができてしまうと、それ以外の選択肢が狭まるからです。  よく聞くのが「身の丈に合わない住宅ローンを組んだため、他にほとんどお金が使えなくなる」というケースです。  子どもの小遣いが減ったり、家族旅行に行けなくなったり。結果、子どもも含めて人付き合いが不自由になることもあります。  最終的に自宅は残りますが、過度な節約生活は子どもの成長にいい影響を与えないのではないでしょうか。 「収入は安くても、やりがいがあればいい」という考え方も、程度問題です。あまりに低賃金で働き続けると、自分の将来の選択肢を削ってしまいます。  なるべく上手にお金を稼ぎましょう。そしていろいろな選択肢の中で、無駄遣いせずにコストパフォーマンスを考えながら消費するイメージを持ってください。そうすれば、お金に振り回されなくなります。 ◯勝間和代(かつま・かずよ)/経済評論家、中央大学ビジネススクール客員教授。1968年、東京生まれ。早稲田大学ファイナンスMBA(経営学修士)、慶應義塾大学商学部卒業。当時、最年少の19歳で会計士補の資格を取得。アーサー・アンダーセン、マッキンゼー、JPモルガンを経て独立。スキルアップや起業、出版などをサポートする「勝間塾」や無料メルマガが大人気。ツイッターのフォロワー数75万人超。著作の累計発行部数は500万部を突破 構成/中島晶子(編集部) ※『AERA Money 2023春夏号』から抜粋
36歳「ギフテッド」男性が社会で味わった絶望 「頭が悪い」「使えない」と上司や医師が人格否定
36歳「ギフテッド」男性が社会で味わった絶望 「頭が悪い」「使えない」と上司や医師が人格否定 吉沢拓さん  高い知能や、さまざまな領域で特別な才能を有する「ギフテッド」。世間では「天才児」のイメージも少なくない。しかし現実には、さまざまな才能があるがゆえに、周囲との軋轢に悩みながら社会を生きる当事者もいる。吉沢拓さん(36)は小学生時代、算数オリンピックの全国大会に出場し、学校でも前例がないほどの高IQを出した。自由な校風の中高、研究に没頭できる大学時代を経て、社会に出たところ、そこで、会社の上司や同僚との人間関係に絶望するほどの苦難を味わった。その半生を紹介する。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集> *  *  * ■沈黙の全校集会  学校になじめないギフテッドを取材してきたが、会社ではどのような苦労があるのだろうか。そう考えていた時に、出会ったのが吉沢拓さん(36)だった。  ブログやツイッターで情報発信されている吉沢さんは、壮絶な経験をつづっていた。社会人になってから3度の長期休暇、自殺未遂を経験した。周囲との「ずれ」は、自分ができないからなんだ――。そう絶望した中で、自身がギフテッドであると知ったという。ぜひ会って話を聞きたいと思い、取材を依頼した。  初めて吉沢さんと出会ったのは、クリスマスムードに包まれた2022年12月のことだ。勤務先のIT企業は、東京の高層ビルにある。若者でごった返す道をかき分け、オフィスにたどりついた。  無人の受付機で来館の手続きを済ませると、すぐに吉沢さんが駆け寄ってきてくれた。細身の黒いスーツに身を包み、きれいにセットされたパーマヘア。清潔感あふれる姿からは、都会のビジネスパーソンのにおいがした。 「普段はこんな格好しないんですよ」  はにかみながらそう教えてくれた。  苦難の連続である社会人生活の前に、幼少期の吉沢さんについて、まず聞いてみた。  小学校低学年の時は、折り紙に没頭。大人向けの難しい本を見ながら、80センチ四方の紙から巨大な作品を作り上げた。習い事のピアノではソナタを弾けるものの、耳で聞いたものを再現するやり方で、譜面は読めないままだったという。  そして、小学生の時から、周囲との「ずれ」を感じていたという。算数オリンピックでは全国大会に出場し、出題されたある問題に魅了された。「こんな問題がこんなシンプルな方法で解けた。僕はそれが素晴らしいと思った」と全校集会で報告すると、聞いていた児童たちは黙り込んだ。算数の解き方をうれしそうに力説するものの、その内容は同級生には理解できなかったのかもしれない。 「それが初めて盛大にスベった経験で、すごくよく覚えています」  吉沢さんはそう言って苦笑いする。  小学校で行われたIQテストの結果は、80年の歴史がある小学校の児童でも前例がないほどの高い数値で、母親が学校に呼び出されたという。理解がゆっくりの児童に合わせた授業の進め方が合わず、いつの間にか学校が嫌いになっていた。 「なんとなく、周りとは合わないな、うまくいかないなと思っていました。自分が面白いって思うことを言うと、怪訝な顔をされたこともあります」  そんなことが積み重なり、授業中に教室を飛び出すことが何回もあった。屋上に行って、一人で泣いていたこともある。高学年のころから、学校にはあまり行かなくなったという。  一方で、自分で教材を進める方針の塾ではぐんぐんと吸収していき、10歳で中学の範囲までの勉強を終わらせた。楽しかった塾が居場所となり、模試では全国ランキングに入る点数を取り、表彰された。 ■自由な中高、楽な大学から一転  中学受験で、校則がなく自由な校風の進学校に合格。数学がおもしろくなくなり、勉強に割く時間は徐々に減っていったものの、数学や物理は自然と点数が取れた。日本史や世界史は苦手だったが、成績は学年の中で真ん中くらい。 「中高の時は、周りに賢い子がいっぱいいたので、会話のレベルがずれるというのはありませんでした。でも、クラスや部活ではなじめない。絡んでくる相手に『なんや!』と神経質な態度で接してしまうこともあった」と話す。  だが、自分の「居場所」が他にあった。インターネットで知り合った年上の友人たちのおかげで寂しい思いはしなかった。インターネットでやり方を調べて独学でサイトを作り、ゲームに熱中。多くの時間をインターネットで過ごすようになったのだという。  大学では、情報工学系のコースに進学した。 「授業も自分で選べ、他人に気を使わなくていい。生活が自分で完結していて、授業の単位を取れば文句を言われることもない。自分一人で研究でき、とても楽だった」  自分が興味を持ったシステムをつくることが評価の対象となり、とんとん拍子で卒業した。「社会をのぞいてみたい」と思い、研究職ではなく、就職を選んだ。  社会人生活では、視野の広さを活かした仕事ぶりが評価される一方、従来通りのやり方を踏襲する上司や同僚からは疎まれることもあった。学生時代の話をテンポ良く語ってくれた吉沢さんの表情が、真剣になっていった。 ■上司の「当たり前」が理解できず……  社会人になりたてのころは順調だったという。研修では、チームを組んでシステム開発をする場面があった。システムエンジニアとして入社していた吉沢さんはチームのメンバーを牽引してプログラムを作成。最優秀のリーダーとして、表彰された。  変化があったのは、現場に配属されてから。「配属されると、『半沢直樹』で見た世界が広がっていました。お気に入りとそうでない部下への扱いの差が大きく、『お前本当に使えないな』と言われることもありました」  自分以外の人が怒鳴られる場面も我慢できなかった。上司が大声で誰かの名前を呼び出すたびに吉沢さんも席を外し、トイレに逃げ込んだ。  システムエンジニアといっても、やることは議事録の作成や委託先の管理だった。議事録をつくるにも、上司やチームに「お伺い」を立てないといけない社風だった。上司から言われた通りに委託先へ依頼すると、委託先の人たちが倒れていく。どうすれば委託先の人も作業がしやすいのかを考え、働きやすい環境を提案。すると、委託先からは感謝された。  次第に、社内での調整や人間関係が複雑な社風についていけなくなった。上司が思い描いている通りの行動をしないと怒られ、上司の言う「当たり前」が理解できない。「自分はダメな人間なんだ。頭が悪いからわからないんだ」と考えるようになり、精神科を受診した。「うつ状態」と診断され、薬を飲んでも回復しない。長期休暇をとり、どんどん投薬の量が増えていった。  人事コンサルティングの会社に転職しても、順調とはいかなかった。「前例踏襲」を当たり前とする会社にとって、「前例」にとらわれずにより良い成果を求める吉沢さんの発想は、歓迎されなかったようだ。  より効率の良いシステム管理の方法を委託先と検討していると、不要な作業や発注方法に問題があることがわかった。その問題を解決することで委託先の品質が改善し、信頼係を築いた。本質的な解決に導けたことに手応えを感じていたが、「どっちの味方なんだ。厳しく取引先を管理しろと言っただろう。言われたことをやってない」と上司から怒られた。 ■がんばった時ほど「頭が悪い」  自分のアイデアや課題を解決するための踏み込んだ思考をもとに主体的に動くと、上司や先輩たちの考えと合わなくなり、低評価を受ける。「人の気持ちが理解できない」「思考能力がない」「自分の頭が悪いことを受け入れろ」とののしられることもあり、体調が悪化。休職した。経緯を聞いた重役と他の上司からは「あなたのような人材が会社に必要だ」と言ってもらえた。嬉しい半面、「だったら、なぜ守ってもらえないのか」という悔しさも入り交じった。  上司と吉沢さんの間には、見えている視点や仕事のやり方に大きな違いがあった。吉沢さんには、保身のためにやり方を変えようとしない上司の思考が見て取れた。一方で、上司や周囲の人には、会社やグループ企業全体のことを考えて提案する吉沢さんの考え方は理解できなかったのかもしれない。  吉沢さん自身は、上司や同僚と衝突するたびに悩んだ。「自分は正しいことをしているはずという思いと、自分ができないから悪いんだという葛藤をずっと続けてきた」という。  自分の能力を発揮できたと感じた時ほど「頭が悪い」「使えない」と批判された。既存の方法にとらわれずに効率の良い方法を考えようとすると、受け入れてもらえない。そんな思いがずっと頭をめぐった。  休職した時には、産業医にも相談へ行ったという。すると5分も話さないうちに「あなたはきっと境界性パーソナリティー障害で、人に興味のない人格障害」と言われた。それをかかりつけ医に相談すると、精神科病院への入院を勧められた。その診断に納得できず、外部の心理検査を受診。周囲とのなじめなさの原因は、境界性パーソナリティー障害などではなく、吉沢さんのIQの高さにあると判明した。  仕事場でも、医師からも、自分の人格や能力を否定されることを言われ続け、自分を支えることが難しくなってきた吉沢さん。このころには、趣味の音楽でイベントを開催してなんとか自分を保っていた。計画的に人をまとめて動かすのは得意だったため、手応えも感じていた。多くの人に楽しんでもらえる場を作れることに、喜びを見いだしていた。しかし、心身への負担も大きく、酸素が足りないなか、海面でもがくような感覚だったという。 (年齢は2023年3月時点のものです) ※<【後編】人生に失望した36歳「ギフテッド」男性はなぜ転職先で成果を出せたのか 「社会性が低い」の誤解>に続く ●阿部朋美(あべ・ともみ)1984年生まれ。埼玉県出身。2007年、朝日新聞社に入社。記者として長崎、静岡の両総局を経て、西部報道センター、東京社会部で事件や教育などを取材。連載では「子どもへの性暴力」や、不登校の子どもたちを取材した「学校に行けないコロナ休校の爪痕」などを担当。2022年からマーケティング戦略本部のディレクター。 ●伊藤和行(いとう・かずゆき)1982年生まれ。名古屋市出身。2006年、朝日新聞社に入社。福岡や東京で事件や教育、沖縄で基地や人権の問題を取材してきた。朝日新聞デジタルの連載「『男性を生きづらい』を考える」「基地はなぜ動かないのか 沖縄復帰50年」なども担当した。
ジョニー・デップがついに“お騒がせ”を返上? フランス人も認めた完璧な台詞回しで復活【カンヌ写真館】
ジョニー・デップがついに“お騒がせ”を返上? フランス人も認めた完璧な台詞回しで復活【カンヌ写真館】  11日間にわたって開かれた第76回カンヌ国際映画祭。多くの俳優や監督、関係者が南仏のリゾート地カンヌを訪れ、華やかに新作映画を披露する。今年話題を呼んだ顔ぶれと言葉、その反響を写真とともに振り返る。  ●ジョニー・デップは流暢なフランス語 観客うならせる。  本年度のオープニング 作品は仏女性監督マイウェンの『ジャンヌ・ドゥ・バリー(Jeanne Du Barry)』(原題)だ。18世紀のフランス王、ルイ15世の公妾として歴史に残る女性ドゥ・バリー夫人の自伝的ドラマ。本作でなんとフランス王ルイ15世を演じるのがジョニー・デップ! 映画幕開から話題騒然となった。 「マイウェンと最初にミーティングしたとき、“この役にフランス人俳優を起用したと思わなかったの?”と尋ねたんだ。“勿論それは考えた。でもあなたを絶対に起用すると決めたの”と彼女は言った。僕みたいなケンタッキー州出身の田舎者がルイ15世をホントに演じていいのかな、彼女は本当に勇敢だね」と記者会見でジョニー。  華麗な衣装をまとい鬘とメイクを施しルイ15世を堂々演じる彼の台詞は、100%フランス語だ。マイゥエン監督やフランス人俳優はジョニーのフランス語は最初から完璧だと絶賛する。容赦ない批判をすることで有名なフランス人観客をうならせ公式上映では何分ものスタンディング・オベーションが続いた。最近は私生活の否定的ニュースが多かったジョニー。英国サンデー・タイムス紙の取材でハリウッドにボイコットされたと告白。現在もそう感じているのか、本作はカムバックになるのか?という質問に、 「当時は(『ファンタスティック・ビースト』)役を下ろされたこともあり、確かにそう感じた。今ではそう感じない。というかハリウッドについて考えたりしないから。僕はどこへも行っていないからカムバックと言われるのは不思議な心境だ。実のところここから車で45分くらいのところにずっといたから」と本音をちらり。 「1992年、偶然に出演した映画で初めてカンヌ映画祭に降り立った。来る人の顔は変わったが映画祭は変わっていない。この場で自分が信じている映画を、多くの人に見てもらえる機会がもらえたことを誇りに思う。それが一番の焦点であるべきだ」と語る様子は熱かった。女優として活躍するジョニーの長女リリーローズ・デップも米HBOのドラマの新作『THE IDOL』をひっさげカンヌ入り。若手人気ポップ・ミュージシャンを過激に演じ話題を振りまいた。 ●世界の是枝監督 『怪物』に感動の波  カンヌ映画祭の常連巨匠の仲間入りをした是枝裕和監督の新作『怪物』は、コンペティション部門の上映作1本目として上映された。湖を望む諏訪市を背景に二人の少年の成長と心の変化を、日本社会の構図を投影しつつ描く。やさしさにあふれた坂元裕二氏による見事な脚本が脚本賞を獲得、是枝作品を最高のレベルへと押し上げた。 「ともすれば混沌とした現代社会を緻密に観察し、深く慈しみにみちた思いやりでつづる名作」とたたえたのは英国BBC、「ニュアンスがとにかく美しい」とは米ヴァニティー・フェアー誌、「坂本龍一の遺作となる哀愁を帯びた繊細なサウンド・トラックは宝」と表現したのは業界紙スクリーン・デイリー。世界中の媒体がポジティブに反応した。  会見では多くの人が監督や主演の黒川想矢くんや柊木陽太くんにサインを求め、押し掛ける人も続出した。 ●スコセッシとディカプリオの再度タッグ 長編大作の評価は?  タレンティーノ作でブラッド・ピットと共演した『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』以来4年ぶり、レオナルド・ディカプリオは『キラーズ・オブ・フラワー・ムーン(Killers of the Flower Moon)』を引っ提げカンヌ入りした。スコセッシ監督とロバート・デニーロが二人で一緒にカンヌに来るのは、1976年衝撃の『タクシー・ドライバー』がパルムドールを受賞した時以来と語り、意外な事実に一同びっくり。 『キーラーズ~』は、石油の発掘により栄えたオクラハマ州、先住民オーセージ族の所有する土地で起こった連続殺人事件に基づく同タイトルのノンフィクション本を映画化したスリラー。出所したばかりのレオナルド演じるアーネストが、信頼する叔父ウイリアム(デニーロ)のめぐらす犯罪の巣にひきずりこまれる中、モリーという先住民女性(リリー・グラッドストーン)と恋に落ちる。  レオナルドは「オーセージ族の人々が僕らを信頼し、本作の制作が実現した事に感謝している。この悲劇を映画として語れたのは、忘れることのできない美しい瞬間だった。またオサージ族の仲間がカンヌに来てくれたことに熱く感謝する」と語った。  3時間26分という長編大作、原住民に寄り添い詳細にまで気を配った映画つくりに称賛が集まった。オーセージ族のチーフ、スタンディング・ベアー氏もカンヌ入り、レッドカーペットや会見に参加した。 ●最新作『インディ・ジョーンズ』これが最終章?   80歳になるというハリソン・フォードがインディー・ジョーンズ・シリーズの最新作を世界に先駆けカンヌで披露した。  共演者のマッズ・ミケルセンやフィービー・ウォーラー=ブリッジなどに見守られるように会見に臨んだハリソン。6月30日世界同時封切に先駆けたプレミア上映の感想を、「ただただ観客の暖かさと映画を通して感じるコミュニティとしての連帯感に圧倒され嬉しさがこみ上げた」と感極まる様子で語った。「キャスト、スタッフ全員が高齢の自分をサポートするために集結してくれた制作に感謝している。この作品で今まで語ってきたインディの物語をしめくくりたかった」とも。  報道陣からの「これが本当に完結作ですか」「ひょっとしてもう1本あり?」との質問には、「私を見てもらえればその答えは明解でしょう。ここで腰をおろし休息する必要があるんです」と語った。  共演者マッズ・ミケルセンは「1作目を見たのは確か15歳のころだったと思う。圧倒され兄とともに何度も繰り返してみた。当時自分は俳優になることは全く考えていなかったけれど、とにかくインディ・ジョーンズになりたい!!と思った。そんな少年は僕だけではなくて、世界中にいたはず。世界中の人がインディを愛した。自分がそのインディの世界の一部になれたのは栄誉」と語った。  記者や共演者などからの賛辞を浴びて感激もひとしお、涙をこらえるようなハリソンの様子が印象的だった。 ●世界のキタノ北野武も新作『首』で豪華キャストと共に 邦画はソールド・アウト  世界のキタノとして確固たる地位を築き、熱烈な支持者がいる北野武の新作『首』が上映された。戦国武将を演じた西島秀俊、加瀬亮、中村獅童、浅野忠信、大森南朋が監督と共にカンヌ入り。   本能寺の変の内情を描く本作は外国人には若干難解な点があったようだが、「ところどころに織り込まれた笑いは国境を越えて伝わったと感じた」と語ったのは西島さん。きれいごとではない戦国の武将を生々しく描きたかったと監督は強調した。   とにかく日本びいきのフランス、上映された邦画のチケットはすべてソールド・アウト。ACID部門で上映になった二ノ宮隆太郎監督の『逃げきれた夢』は、主演光石研の故郷北九州市でロケ撮影された家族ドラマ。現代の日本人家庭の明暗によりそう人間劇に様々な反響を巻き起こした。 ●母を演じたスカーレット・ヨハンソンの魅力  今やハリウッドの大物女優となったスカーレットだが、そもそも子役時代からインディ映画で個性的な役を演じた経験の持ち主。尖がった映画で娯楽大作では見られない彼女の魅力が全開する。最たる例がウェズ・アンダーソン監督の新作『アステロイド・シティ(ASTEROID CITY)』だろう。砂漠のど真ん中にある休暇村で開催されるスターゲージング・イベントに集う家族の会話で綴るSFロマンティック・コメディー。 「ウェズの世界が物理的に存在し、そこに飛び込んでいく体験だった。映画というより舞台をやっているような形に近く、満足度が高かった」とスカーレット。トム・ハンクスやマーゴ・ロビー、マット・ディロンなど、そうそうたる豪華キャストが一堂に介する。日本9月1日公開予定だ。(高野裕子)
衆院通過LGBT法案に当事者やフェミニストから「廃案を」の声 「折衷案」は誰のため? 北原みのり
衆院通過LGBT法案に当事者やフェミニストから「廃案を」の声 「折衷案」は誰のため? 北原みのり 写真はイメージです(Getty Images) 作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、衆議院で可決されたLGBT法案について。 *   *  *  日本では長い間、性転換手術(性別適合手術)が許されなかった。法律上、厳密に禁止されていたというよりは、今から約60年前(1964年)に男性から女性への性転換手術を3人に行った医師が逮捕されたことをきっかけに、医療がその分野から一斉に手を引いたためだ。果敢にファーストペンギンになり逮捕されたのは、都内で開業していた産婦人科医師だった。当時の銀座には「ブルーボーイ」と呼ばれる性を売る「男性」たちが街に立っていたという。日頃から彼女たちの声を聞いていた医師が一人に外科手術を施し、その成功を聞いた他のブルーボーイたちも医師のもとを訪ねた。その結果、医師は生殖能力を不可逆的に不能にした優生保護法の罪に問われることになった。  日本で「治療」として公的な性転換手術が行われたのは、事件から30年以上後の1998年だ。今でも手術費の安い海外に行く人は少なくない。また、日本の医療はこの分野を封印してきたため、技術も、その後のホルモン治療についても、海外にだいぶ後れを取ってきているともいわれている。というより、どの国で生きていたとしても、性転換手術やホルモン治療など、人類にとってはまだまだ分からない領域を現在進行形で当事者たちは生きている。子宮と卵巣を摘出し男性ホルモンを投入してきた友人は、その後の十数年にわたって更年期障害と同じ症状に苦しむことは、全く知らなかった。男性ホルモンを打ってすぐに髪が薄くなってしまうことなども、聞かされていなかった。胸を切除したら酷いやけどの痕のようになってしまい、人前で上半身裸になれない人もいる。何より、術後の継続的なホルモン治療を続けながら思わぬ副作用に苦しみ、「どのくらい生きられるのか」という不安を抱えて生きている当事者は少なくない。  そういう背景もあり、自分の性に違和感のある人が外科手術をせずとも性別変更できる制度が、北欧など人権先進国といわれる国では取られてきている。実際、性別に違和感があったとしても、生殖器を不能にするまでの外科手術を望む人ばかりではない。乳房だけ取りたい(作りたい)という人もいれば、ホルモン治療だけしたいという人もいるし、服装を変えるだけでいいという人もいる。週末だけ女性(男性)として街を歩きたいと願う人もいる。花の名がついた「女の子っぽい」名前から、男名と分かるものに変えることだけで、生活の質が変わったと満足する人もいる。そういう人たち全てを総称して「トランスジェンダー」と呼ぶような流れが世界的に合意されてきている。本人の「性自認」が優先されるべきだというリベラルな考えだ。  今月13日、性的少数者への理解増進を目的としたLGBT法案が衆議院で可決された。性的指向によって差別されるべきではないという、ごくごく当たり前のことを目指したものだが、政府案をめぐり与野党で議論が炸裂した。複雑だったのは、性的指向だけではなく、「性自認」(後に「性同一性」と変わり、最終的に「ジェンダーアイデンティティ」となった)という言葉が入ったからだ。トランスジェンダーへの理解を深めるためのものだが、「性自認」の定義が明確でないことが指摘された。  セクシュアリティーとはそもそもグラデーションのなかにあるものだが、「トランスジェンダー」と総称される人たちも相当な濃いグラデーションを生きている。少し前ならば「女装家」と自らを名付けていた人たちもいれば、「自身を女性として想像することで性的に興奮する」という性的嗜好を持つ人もいる。「性自認」は、性的指向はもちろんだが、体の性別、性的嗜好を問わない。  LGBT法案について様々な声が飛び交うなか、まさに議論の種になるようなことが起きてしまった。三重県津市の女性浴場で入浴していた男性が建造物侵入の疑いで逮捕されたのだ。逮捕されたその人は、「自分は女性だ」と主張しているという。特殊な例かもしれないが、性自認が優先される社会ではこれからも起こりうることだろう。体をベースに分けられているスペースで、「心の性」「性自認」はどのように理解されるべきなのか。  ここで、葛藤が起きる。というより、葛藤しなければならない場面だろう。  今回のLGBT法案に最初から反対しているのは、「同性愛者は悪魔!」「LGBTが家族制度を壊す!」といったカルト宗教や保守系の政治家だけでなく、男性身体に恐怖を感じる性被害者やそういう女性たちと連帯するフェミニストたちでもある。だからこそ複雑なのだ。LGBT法を「家族制度が壊れる」から反対しているのではない女性たちに「特殊な例を持ち出してトランスジェンダーを犯罪者扱いすべきではない」という批判もあるが、たとえ特殊な例であったとしても、実際に起きうるかもしれないことを軽視する理由はない。むしろ性犯罪者がトランスジェンダーであることを利用するなんてあってはならないセクシュアルマイノリティーへの重大な差別だ。だからこそ、この葛藤を乗りこえる道を諦めないで考えるべきだ。  憲法学者の木村草太さんがTwitterで「『男女を区別しない場面で生じているトランスジェンダー差別の問題』と『男女の区別が要求される(正当とされる)場面での男女の区別基準の問題』とを分けて考えるのが、混乱を解消するカギだと思われる」とスマートにまとめていたが、体の性別を基準に区分されているスペースで、「性自認」をどのように定義するのか、法律にどのように組み込んでいくのか、「疑問を挟むこと自体が差別」と封殺することなく議論をしていきたい。  与党に加え、維新・国民の修正案が加えられたLGBT理解増進法案は「LGBT差別増進法案だ」として、LGBT当事者の運動団体からも抗議運動が起きている。廃案を求める声は、女性スペースの安全を求める運動側からも出ている。「折衷案」でしかない法案ならば、誰のためにもならないのはその通りだろう。  だからなんだ、という話でしかないが、私はLGBTにくくられるのはなんだか居心地悪いねと感じるセクシュアルマイノリティーだ。同性婚ができる国だったら結婚しただろうなという相手もいた。そして20代の時からずっと、生理用品や女性向けのセックスグッズや、トランス男性やトランス女性のサポートグッズを販売してきた。私はたまたま女性に生まれたが、女に生まれたというだけでなぜこんな理不尽な思いをしなきゃいけないのか、とフェミニストになった。ジェンダーなんて邪魔だと思っているし、「心に性別がある」とはどういうことか分からない類いのフェミニストである。もちろん当事者として、当事者に寄り添うLGBT法案によって救われる命があることも分かっている。心からセクシュアリティーで差別されない世界を生きたいと思う。一方で、女性たちが不安に感じている起きるかもしれない暴力は、女の体で生きてきた身としてはリアルな懸念だ。性は決して安全地帯ではない、この社会で女の体は徹底的に不利で、搾取され続けている。 「恐怖を感じている女性たちに、その恐怖こそが差別なのだと教えてあげるべきだ」  そのように、この問題を、黒人差別をする白人の構造にあてはめ、トランス女性=黒人VS.女性=白人の構造で語る人もいるが、そう簡単な話ではないだろう。女性は世界最大のマイノリティーなのだから。誰もが性で貶められない世界を。その当たり前を実現するための議論を惜しむことなく、性被害者の声を無視することなく、「ジェンダー」がどのように私たちを縛っているのか、体に振り回されながら自らのセクシュアリティーを肯定できる力を、教育や、社会の力で培っていきたい。丁寧な語りと思考が必要だ。
細菌性膣炎に女医が罹患 「便利」だと思ったアメリカの受診システムとは?
細菌性膣炎に女医が罹患 「便利」だと思ったアメリカの受診システムとは? 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師  日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「細菌性膣炎にり患してみて」について、NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  「デリケートゾーンのにおいが気になる……」「おりものが増えた気がする……」このような女性特有のデリケートゾーンのトラブルを経験したことはありませんか?  白色や灰色のサラサラしたおりものが生じ、外陰部のかゆみはあまり見られないものの、おりものや外陰部は魚が腐ったような生臭いにおいがする疾患に「細菌性膣炎」があります。  アメリカ疾病予防管理センター(CDC)によると、細菌性膣炎は15歳から44歳の女性にとって最も一般的な膣疾患であり、2001年から2004年にかけて実施された調査によると、米国の女性における細菌性膣炎の有病率は29.2%であると推定されています。  ワシントン大学のKathryn氏らが世界の地域ごとの細菌性膣炎の罹患率を推定したところ、地域ごとに異なるものの、23%から29%の範囲にあり(ヨーロッパと中央アジアは23%、東アジアと太平洋は24%、北アメリカは27%、南アジアは29%)、世界的に細菌性膣炎の罹患率が高いことを指摘しています。  私ごとで恐縮ですが、先月末に人生で初めて細菌性膣炎に罹患しました。「おりものの量が普段よりも多くなってきたかもしれない」と感じつつも様子をみていたら、おりものの生臭いにおいを感じるようになりました。そのにおいも次第に強くなり、パートナーにも気が付かれてしまうほどになりました。  おりもののにおいが、今まで感じたことのない魚が腐ったような生臭いにおいだったことから、「細菌性膣炎かもしれない‥」と思いました。細菌性膣炎だとすれば、治療には抗菌薬が必要です。それに加えて、異常なおりものの匂いに、放置は良くないと不安になり、病院にかけこんだのでした。 (写真はイメージ/Gettyimages)  担当してくださったドクターに症状経過を伝えたところ、分泌物を採取する検査をすることになりました。診察室には、日本の婦人科でよく見かける内診台はありません。四角い平な診察台が1台あるだけです。仰向けに寝転んだ後に、診察台の下のほうから足を乗せるための足台が出てくる仕組みで、自然と膝が曲がりリラックスでき、羞恥心を感じるまもなく、検査は終わっていました。  顕微鏡での確認を待つこと数分足らず。「あなたの予想通り、細菌性膣炎だから抗菌薬を飲むように。」と細菌性膣炎についてわかりやすく記載された用紙を渡されました。最後に、「採取した分泌物で性感染症の検査も実施したから、もし陽性が出たら1週間以内に電話をするわ。電話があったら受診してね」と言われ、診察は終了。受付で1週間分の抗菌薬をもらい、帰宅したのでした。  抗菌薬を内服してから翌々日には、気になっていたおりもののにおいが消え、おりものの量も減ったように感じました。病院から再受診を促す電話はなかったため、「性感染症ではなかったんだ」とホッとしていたところ、検査結果を確認するように指示が書かれたメールが届きました。指示通りにログインし、検査結果を確認したところ、細菌性膣炎は陽性と書かれていましたが、クラミジアやトリコモナスなどの性感染症は陰性。抗菌薬も飲み切り、再受診することもなく、診察も治療も全て終了することができました。  コロナパンデミック下では、コロナPCR検査に限り、結果が判明した時点でメールや電話で結果をお伝えするような対応をとっていましたが、日本では何かしらの検査を実施した場合、クリニックや病院に再受診していただき、結果をお伝えすることが一般的です。そのため、「時間がなかなか確保できず、受診が遅れてしまいました」といった声や、「よくなってしまったので、結果を聞きに行くことをすっかり忘れていました」なんていう声が外来診療の現場ではよく聞かれていました。  そのため、今回のように受診が必要な場合に限って受診を促す連絡があるということ、そして結果がインターネット経由でいつでも確認できる、というシステムはあらゆる人にとって、とても便利だと感じました。  私の場合、車が必須のアメリカに長期滞在しているものの、車を運転することができません。そのため、通院のためにウーバーを利用しなければなりません。ウーバーに支払う費用を考慮すると、再受診しなくても結果を知ることができるシステムは、私のような交通手段のない人にとって、とてもありがたいものであると思います。もちろん、仕事が忙しくてなかなか受診できない人にとっても、大変助かるシステムであることは間違いないでしょう。  さて、女性にとって最も一般的な疾患の一つである細菌性膣炎ですが、再発も少なくないようです。再発がないことを願うばかりではありますが、また異変を感じたら、今度は「治るかもしれないから、様子をみよう」と期待を抱くことなく、なるべく早めに受診して相談しようと思っています。 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師。医学博士。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。2022年東京大学大学院医学系研究科修了。ナビタスクリニック(立川)内科医、よしのぶクリニック(鹿児島)非常勤医師、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書)
マクドナルド“平成バーガー大復活”騒ぎでも炸裂!「昔はよかった」日本人の現実逃避グセ
マクドナルド“平成バーガー大復活”騒ぎでも炸裂!「昔はよかった」日本人の現実逃避グセ 平成ブームなんて存在しない?ずっと「レトロ」に囚われている  今や世は、空前の「レトロブーム」らしい。  今年1月、酒類の販売などを行うカクヤスが、メルマガを登録するユーザーに「レトロブームを感じることがあるか」と質問をしたところ71%が「感じる」と回答した。「ファッション」「お酒」「音楽」「商品デザイン」という順番でレトロブームの影響を目にしているという。  最近もマクドナルドが平成に発売したハンバーガーを復刻した「平成バーガー大復活」のCMが話題になった。令和も5年までくると、もはや平成も「レトロ」ということで、当時のヒット曲を流して「チョベリグ」なんて言う感じが、ちょっと古臭くて注目を集めているんだとか…。  という話を聞くと、「デジタルネイティブのZ世代からすると昭和の不便なモノとかアナログなデザインがエモいんだよ」とドヤ顔で語る昭和生まれの中年もいらっしゃるだろう。しかし、その認識はちょっとばかり正確ではない。  マスコミが「ブーム」と騒ぐので、この現象が何やら一過性のトレンドのように誤解させられているが、そうではない。実は「平成」に入ってから、「昭和」のものを懐かしみ、それをコンセプトとしてモノやカルチャーが支持されるという現象はずっと続いているのだ。  つまり、正確には「昭和・平成レトロブーム」なんてものは存在せず、日本人はこの30年間ずっと「レトロ消費」を続けているという状況なのだ。  なぜか。  ご存じのように、この30年というのは、日本経済が停滞していた「失われた30年」でもある。つまり、やたらと「レトロ」がもてはやされる風潮というのは、日本人が「高度経済成長期」「バブル経済」に思いをはせて、いつまでも「昔はよかったなあ」なんて現実逃避しているから、という可能性もあるのだ。  そう聞くと、「テキトーなことを言うな!だいたいレトロブームが30年も続いているなんて聞いたこともないぞ」と怒る人もいるだろうが、歴史を客観的に振り返れば、それは動かし難い事実なのだ。 「ALWAYS 三丁目の夕日」に「ラーメン博物館」、レトロにのめり込む日本人  まず、今のレトロブームが2010年代から続くものだということは、多くのメディアでも語られている。日本人の「ブーム」でメシを食っている大手広告代理店「博報堂」の方もこうおっしゃっている。 <Google Trendで、「レトロ」と検索してみると、2010年代から緩やかに上昇傾向にあります。ご存じの通り、2010年代には若者を中心に、使い捨てカメラ、レコード、順喫茶、メロンソーダ、シティポップなど、いわゆる『昭和レトロ』なアイテムやカルチャーがリバイバルされました>(ヒット習慣予報 2021年8月31日)  では、2000年代初頭は「レトロ消費」がなかったのかというと、そんなことはない。03年にNHKクローズアップ現代が「なぜか“昭和レトロ”が大ヒット~ブームの舞台裏~」という番組を放送し、モノが売れない時代に「昭和」を打ち出すと売れるという現象を取り上げている。実際、05年には昭和30年代を舞台にした「ALWAYS 三丁目の夕日」が公開され大ヒットした。  さらに、さかのぼれば1990年代も「レトロ」は売れた。それを象徴するのが、1994年に3月にオープンした、高度経済成長期の街並みを再現した「新横浜ラーメン博物館」である。 「社会学論考」(第32号2011年10月)の青木久美子氏の『変わりゆく「昭和30年代ブーム」』の中に、この時代の「ブーム」を端的に説明されている箇所があるので引用させていただこう。 <1990年代半ばから2000年代半ばにかけて、「昭和30年代(1955~1964年)」の事物が頻繁にメディアなどで取り上げられてるようになったことを指す。居酒屋やテーマパークの内装が古めかしい昭和30年代のポスターや看板で飾られ、各地の博物館で当時の生活再現展示にスペースが割かれ、当時の世相や風俗をテーマとした出版物が続々刊行され、映画がヒットするなど、それはきわめて広範囲にわたる社会現象であった>  もう少し探ると「昭和レトロブーム」の源泉はもっと古い。実は1990年代初頭だ。コラムニストの泉麻人さんが昔のテレビ番組やおもちゃを紹介する「テレビ探偵団」(TBS)が大人気となり、「昭和レトロ」に注目が集まった。筆者も当時は中高生だったが、つぶれかけのおもちゃ屋をまわって、「プレミアがつくかもしれない」と、昔の超合金やウルトラマンの人形、昭和スターのブロマイドなど買い集めていた。  つまり、Z世代がどうしたとか、デジタルネイティブがアナログに温かみを感じるうんぬんというのは、「後付け」にすぎず、日本人はこの30年間「レトロ」にのめり込み続けてきたのだ。 政治の世界も「レトロ」、実はアメリカもロシアも中国も…  しかも、もっと言ってしまえば、我々が昭和レトロに魅せられているのは、ファッションや音楽だけではない。政治もそうだ。  やはりこの30年、たびたび「田中角栄ブーム」が定期的に起きている。近年では、石原慎太郎氏が政界引退後の2016年、田中角栄を描いた小説『天才』がベストセラーになった。そして、今年3月には田中角栄の91万のベストセラー「日本列島改造論」が復刻発売された。その帯を引用させていただこう。 「稀代のリーダーの実行力から学ぶ 日本の歩むべき方向のヒント」  筆者も今から20年前の雑誌編集者時代、政治記者をしていた先輩から「今こそ田中角栄だ」と売り込まれ、まったく同じコンセプトの記事を企画したことがある。政治の世界でもこの30年、「田中角栄というレトロブーム」がずっと続いているのだ。  では、なぜこんなにも我々は30年もの間、「レトロ」に魅せられ続けているのか。まず、考えられるのはこれが現代人の特有の「病」だということだ。 「社会学の巨人」と呼ばれるジグムント・バウマンは、『退行の時代を生きる――人びとはなぜレトロトピアに魅せられるのか』(青土社)の中で、今の先行き不透明な世界では、「昔はよかった」と現実逃避をする風潮があるとして、レトロ(懐古趣味)とユートピア(理想郷)を組み合わせた「レトロトピア」という造語をした。  その代表が、「アメリカをもう一度、偉大な国に」というスロガーンを掲げた米トランプ前大統領だという。これは、ロシアも同様で19年、独立系世論調査機関「レバダ・センター」の定期調査では、ロシア人の中でスターリンへの肯定的評価が年々上がっていて50%を超えた。また、別の世論調査では、ソ連時代は最高だったと答える人が75%にのぼっている。  お隣・中国も然りで、クーリエジャポンの『ブーム再来!中国のZ世代が今、毛沢東に夢中なワケ』によれば、中国のZ世代のあいだで毛沢東の人気が再燃中で、図書館や地下鉄のなかで『毛沢東選集』を読んで、その感想を動画などで語り合っているという。  日本もレトロピアの傾向が強い国のひとつだ。朝日新聞社が15年に行った世論調査(郵送)で「戦後日本が一番輝いていた時期」を「戦後の復興期」「高度経済成長期」「バブル経済期」「現在」の4択で尋ねた。すると、「高度経済成長期」が最多の58%で「バブル経済期」が17%、「戦後の復興期」が14%と続き、「現在」と答えた人はわずか7%だったという。つまり、日本人の9割以上は「今より昔の方がよかった」と思っているのだ。  この世界的に見られるレトロピアという現象が、日本の30年近く続く「レトロブーム」にも大いに影響しているのではないか。 敗色濃厚になると精神論にすがりたいちょっと怖い「楠木正成ブーム」  ただ、日本の場合、「昔はよかった」というムードがあまり強くなりすぎるのは、あまりよろしくないと思っている。ファッションや音楽くらいならばいいが、おかしな精神論・根性論がまん延するおそれもあるからだ。  レトロピアなんて言われるはるか以前から、実は日本人は「過去」が好きだ。昭和初期には明治ブームが起きているし、明治には江戸ブームもあった。昔から「過去」に魅せられる国民性があるのだ。  その中でも「歴史の偉人」に弱い。さきほどの田中角栄ではないが、偉人の生きざまやら哲学がブームのように広まって、誰も彼もが、その人から「今を生きるヒント」を見出そうとする。  先人をリスペクトすることはいいことだ。  ただ、国防や安全保障の面でそういう「歴史の偉人ブーム」が起きると、単なる立派な人を「軍神」などと持ち上げて、精神論を正当化するアイコンにして、目もあてられない大惨事を招く。わかりやすいのは、「楠木正成ブーム」だ。  ご存じのように、楠木正成は南北朝時代の武将なのだが、後醍醐天皇に最後まで忠義を尽くして敗戦後に自害をしたことで忠臣の鏡とされていた。その評価は江戸時代からあって、庶民の間では「楠木正成ブーム」が起きた。  しかし、近代になるとこの人気がおかしなことになった。単に「立派な人」として人気だった楠木公は、国によって「湊川神社」が建立されたことで「軍神」とされるのだ。そして、帝国陸海軍の中でこれまでとちょっと意味合いの違う「楠木正成ブーム」が起きる。  さまざまな兵器には楠木公の「菊水の紋」が彫られて、神風特攻隊も「湊川だぜ」という言葉を残して敵艦に突っ込んでいく。つまり、かつて江戸庶民の間の「ブーム」とガラリと変わって、「忠君愛国」「滅私奉公」「七生報国」という精神論を叩き込むためのシンボルになってしまったのである。  そんな「楠木正成ブーム」が近いうちにリバイバルするののではないか、と個人的には思っている。  実は19年から、産経新聞では「日本人の心 楠木正成を読み解く」という長期連載をして書籍にもまとめられた。ゆかりのある河内長野では、「楠木正成をNHK大河ドラマに!」という動きが盛り上がっている。  実際、これからの日本には「楠木公精神」は必要だ。日本の労働生産性はOECD加盟38カ国中27位となり、1970年以降で最低となっている。また、日本経済研究センターによれば、日本の1人当たり名目国内総生産(GDP)が2022年に台湾、23年に韓国をそれぞれ下回るとの試算をまとめている。  ここまで「敗色濃厚」になると、あとは精神論にすがるしかないというのは今も昔も変わらない。まさしく楠木公の「忠君愛国」「滅私奉公」はぴったりではないか。  今の社会が息苦しくなればなるほど、人は「昔はよかった」と思う。そういう傾向がいろいろな国でも見られているということは、この感情を我々は抑えきれないものなのだろう。  これから日本は人口も減るのでもっと息苦しい社会になる。これから我々が心の安らぎを得られるのは、もはや「レトロピアへの現実逃避」しかないのかもしれない。 (ノンフィクションライター 窪田順生)
ブレイディみかこ「来年の政権交代が予想される英国、労働党は14年ぶりに政権奪還か」
ブレイディみかこ「来年の政権交代が予想される英国、労働党は14年ぶりに政権奪還か」 作家、コラムニスト/ブレイディみかこ  英国在住の作家・コラムニスト、ブレイディみかこさんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、生活者の視点から切り込みます。 *  *  *  今号から当コラムを担当する。この時期というのも何かの縁だと思う。私は1996年から英国在住だが、今年は当時を思い出すことが多いからだ。あれは、1979年から続いていた保守党政権の支持が落ち、翌年の総選挙で大勝した労働党が旋風を巻き起こしていた年だった。サッチャーからメージャーへと続いた保守党政権から、ブレアの労働党へと、政権交代が起きる前年に私は英国に来たのだ。  来年、英国では総選挙が行われる。そしてちょうどあの年のように、2010年から続いている保守党政権がじり貧の状況だ。5月に行われた地方選でも大幅に議席を減らした。嘘を重ねて保守党への信頼を失墜させたジョンソン元首相や、記録的な物価高の影響もあり、来年は政権交代かという見方が強い。  労働党は、ブレアが登場した時と違い、破竹の勢いというわけではない。ただ現政権が不人気なのだ。スナク首相は、G7で訪れた日本でお好み焼きや焼き鳥を食べ話題になったようだが、間違っても庶民派ではない。2023年度版の国内長者番付によると、妻と合わせた合計資産額は5億2900万ポンド(約920億円)。これでもスナク夫妻は、前年から資産を減らしている。1日あたり50万ポンド(約8700万円)を失った計算になる。人が一生働いても貯められないような金額を「1日あたり」で、である。  年間数百億円を失ってもビクともしない大富豪が、年収数百万円の庶民に緊縮財政の必要性を訴えるとき、人々はそこに生活の現実との乖離を感じる。英議会の超党派議員連盟の調査によれば、英国の人々の39%が最も影響力を持っているのは富豪だと答え、政府だと答えた人々(24%)を抜いたという。5年前の調査では逆の結果だった。  つまり、スナク首相は、「結局は大金持ちが政治も動かしている」という、人々がなんとなく感じている印象をズバリ形にしたような首相なのだ。ここまで極端な例はコミカルでもあるが、その滑稽さを相殺する有能さを彼はまだ発揮していない。  来年の今ごろ、労働党は14年ぶりに政権を奪還することになるのだろうか。地べたからその動きを報告していきたい。 ブレイディみかこ(Brady Mikako)/1965年福岡県生まれ。作家、コラムニスト。96年からイギリス・ブライトンに在住。著書に『子どもたちの階級闘争』『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』『他者の靴を履く』『両手にトカレフ』『オンガクハ、セイジデアル』など※AERA 2023年6月19日号
わが子が脳性まひと知り闇の中にいるママたちが笑顔に ピアサポートの力とは
わが子が脳性まひと知り闇の中にいるママたちが笑顔に ピアサポートの力とは NPO法人かるがもCPキッズで始めたピアサポートプログラム「ひまわり」のホームページ。複数の当事者ママがピアサポーターになり、相談希望者の方とグループトークを行っています。(撮影/江利川ちひろ) 「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。 * * *  6月になりました。私が運営しているNPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもたちとパパママの会)には、「ひまわり」というピアサポートプログラムがあり、ひまわりを立ち上げてから、今月で5年が経ちました。  ピアサポートの「ピア」は仲間という意味であり、文字どおり、障害のある子どもを育てている先輩ママや当事者がサポーターとなり、不安や悩みを聞きながら相談に乗るシステムです。ひまわりのピアサポーターは、特別支援教育がご専門の大学教授から研修を受け、後輩ママたちの相談支援を担当しています。現在は神奈川県社会福祉協議会から活動助成金をいただき、無料で相談を行っています。  私がひまわりを立ち上げた2018年は、日本ではまだピアサポートという言葉は一般的ではありませんでしたが、現在では多くの分野のNPO法人や自治体がこのシステムを導入しています。  今回は、ピアサポートについて書いてみようと思います。 ■障害児育児の実体験  私が社会福祉を学んだ大学の授業では、ピアサポーターがアルコールや薬物の依存症の当事者グループの中で活躍している場面をよく見かけました。専門家のアドバイスだけではなく、当事者が自分の経験を語ることにより、相談者には共感が生まれ、サポーター本人には自信が付くというお互いのメリットがあるのだと思います。どんなに知識を積んでも、やはり実体験とは違います。相談者にとっても当事者である先輩は親近感がわき、専門家には言いにくいことも話せるのかもしれません。  障害児育児のピアサポートにも、この「実体験」がとても重要だと思っています。  脳性まひは、出生前後に赤ちゃんの脳がダメージを受けたために起きる運動機能の障害です。障害の程度はそれぞれですが、生まれて来た赤ちゃんの病気の告知を受けた時のショックや、社会で生活する心細さ、「障害」と書いてある書類を目にするたびに「わが子は障害児なんだ…」と思い知らされる苦しさなどは、経験しないと奥底まで理解しあうのはなかなか難しいと思います。  ひまわりの相談を利用する方の大半は、周りに障害のある子どもを育てている家庭がなく孤独を感じて連絡をくれるので、このような「障害児育児あるある」を一緒に話すだけで、はじめは泣いていたママに笑顔が戻るケースもよくあります。ご家族であっても、夫(子どものパパ)や両親(子どもの祖父母)とは考え方が違ったり、不安や悩みに対し「大丈夫」や「考えすぎじゃない?」という言葉で話が終わってしまう葛藤などは多くのママたちが経験していることであり、そんな時も“あるある”話をするだけで、「こんな気持ちを抱えているのは自分だけではないんだ」と安心してもらえるようです。 ■すべてが不安だった頃  以前、ひまわりのピアサポーター5人で「どん底話」というタイトルの動画を撮影して、限定公開でYouTubeにアップしたこともありました。今では小学生~高校生になった子どもたちがまだ赤ちゃんだった頃には、すべてのことが不安で自分だけが不幸なように感じてしまったこと、障害が少しでも軽くなるように、良いと言われたことは一生懸命に試したことなどは、全員共通の話題となりました。そして当時は泣いてばかりいたママたちも、いつの間にか苦労を笑いに変えることができるくらい強くなっていたというのも共通点でした。  でも、そこに至るまでには何年もの時間が必要で、闇の中にいる時間は本当に心細いものです。そんな時に、SNSとは違い、オンライン上で顔が見えるサポーターに直接相談できるしくみの存在はとても大きいと思っています。 ※AERAオンライン限定記事
「野菜中心のダイエットはリバウンドしやすい」脂肪を手放しやせる生活を続けるには?
「野菜中心のダイエットはリバウンドしやすい」脂肪を手放しやせる生活を続けるには? 皮下脂肪と内臓脂肪がつく部分のイメージ。内臓脂肪は内臓の隙間につく ダイエットに成功してもリバウンドで元に戻ってしまうのは残念。肥満予防健康管理士・菅野観愛(かんの・みあ)さんは、「ダイエットの目標は体重を減らすことではなく、体脂肪を減らすこと」だと話す。筋肉をつけて体脂肪を減らすことができれば、基礎代謝が上がり、リバウンドしにくくなるという。菅野さんが監修し、重信初江さんが料理を担当した『やせない人がいないと話題のミア式 料理研究家がダイエット教室に通ってみたら、こんなにやせた!』(朝日新聞出版)から、体脂肪を効率的に減らす方法を抜粋して紹介する。 *  *  *  脂肪は、体にとっては備蓄エネルギーで、長時間栄養が入ってこないときに、最後の手段として燃やしてくれるものなんです。例えば山で遭難して食糧が尽きたとき、体はまず筋肉を分解してエネルギーを作り出します。それが限界にきて初めて脂肪を燃やす。つまり脂肪が燃えるのは最後なんです。  これを逆手にとれば、効率的に脂肪を燃やすことができます。筋肉にとって高たんぱく質で低カロリーの食事で高栄養の状態を作れば、余分な脂肪から消費していく。だからミア式では植物性たんぱく質を摂取しながらのダイエットをおすすめしています。 ■ダイエットしたいのは体重ではなく体脂肪率   意外と多いのが、隠れ肥満。女性の場合、体脂肪率が30%を超えていると、見た目が細くても肥満に分類されます。20%~25%が女性の標準ですが、25%くらいだと気が緩むとすぐ30%になってしまいます。リバウンドを防ぐために、体脂肪率22%以下を目指してダイエットをしましょう。  脂肪は皮下脂肪・内臓脂肪の2種類。「皮下脂肪型肥満(洋梨型)」は、皮下脂肪は内臓脂肪に比べて燃焼しにくく、やせにくいのが特徴です。特に女性の体は、妊娠準備や妊娠期の子宮保護、授乳用のエネルギー源として積極的に皮下脂肪を蓄えようとします。 皮下脂肪型肥満(洋梨型)  逆に「内蔵脂肪型肥満(リンゴ型)」は、皮下脂肪に比べて燃焼しやすく、やせやすいのが特徴。カロリーの過剰摂取、脂肪や糖質、アルコールの過剰摂取・運動不足などで内臓のすき間につく脂肪が内蔵脂肪にあたります。 内蔵脂肪型肥満(リンゴ型) 監修の肥満予防健康管理士・菅野観愛(かんの・みあ)さん  女性は女性ホルモンの影響で皮下脂肪がつきやすく、男性は内臓脂肪がつきやすいと言われています。ですが更年期に入ると、女性ホルモンが20代の半分以下になってしまいます。すると男性同様、内臓脂肪がつきやすくなります。つまり、女性は皮下脂肪にプラスして内臓脂肪もつきやすい体になってしまうんです。 ■野菜中心のダイエットはリバウンドしやすい 「野菜だけ」などのローカロリーダイエットは、一時的に体重は減るかもしれませんが、入ってくるものが低栄養のため、栄養不足の状態に陥ってしまいます。そうすると、体は体脂肪をためて筋肉から落とし始めます。こうなると、やせたように見えても実は体脂肪が残っている。つまり、わざわざリバウンドしやすい状態を作っていることになります。  ミア式ダイエットで摂取するものを植物性たんぱく質のみにしぼるのは、体の中を単純化させたいから。体の中に入ってくるのがたんぱく質だけなら、それだけを処理すればいい体になります。いろんな食品が入ってくると、体の中はパニック状態になってしまいます。本当は必要のない栄養素が入ってくると、対応できずにとりあえず脂肪として体の中に残すように働いてしまうんです。  たんぱく質だけにしぼって体内を単純化させることで、だんだんと栄養素の処理が早くなります。早く満たされれば備蓄している脂肪を手放すことができ、ダイエット成功につながります。 (構成 生活・文化編集部 森 香織)
山極壽一が語るSDGsの原点とは「信頼社会を作るための最古の仕組みは食事です」
山極壽一が語るSDGsの原点とは「信頼社会を作るための最古の仕組みは食事です」 山極壽一(やまぎわ・じゅいち)/総合地球環境学研究所所長。1952年東京生まれ。京都大学理学部卒、同大学院で博士号取得。財団法人日本モンキーセンターリサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、同大学理学研究科助教授、教授、理学部長、理学研究科長を経て、2020年9月まで京都大学総長を務める。21年より現職(撮影/佐藤佑樹)  私たちは今、デジタル社会に暮らし、人間同士の関わりよりも情報収集に時間を多く費やしている。人とのつながりを手放して代わりに手に入れた世界は、私たちに何をもたらしたのだろうか。  人工的に作り出せる利便性や安全、契約に基づく関係に対し、安心や信頼関係は人との関わりのなかから生まれ、決して一人では得られない。「安心できる信頼社会」は、誰ひとり取り残さない持続可能な世界のキーワードだ。発売したばかりの『やるべきことがすぐわかる 今さら聞けないSDGsの超基本』では、山極壽一総合地球環境学研究所所長に、人類学を起点とした「SDGsの本質」について話を聞いている。一問一答を公開する。 *  *  * ――感染症のパンデミックは人類の危機の象徴のように言われますが、そうだとすれば、人間の進化とはいったいなんだったのでしょうか。  新しいウイルスが、今後も人間を脅かし続けるという可能性は否定できません。世界の人口は80億、家畜の頭数もそれぞれの種で10億を超えている。地球にすむ哺乳類の9割が人間と家畜なのです。しかも野生動物がすむ森林は、地球の陸地の3割を占めるにすぎなくなった。牧場と畑が4割以上を占めています。  ウイルス性感染症や細菌性感染症のほとんどが家畜由来です。要するに、感染の広がる個体群が大きくないと広がらないわけですから、「家畜を経て人間」という経路がウイルスや細菌にとって一番たどりやすいのです。 ――科学の力でウイルスの蔓延を食い止めることはできないのでしょうか。  ウイルスが人間に戦争を仕掛けているわけではないのだから、ウイルスと共生する状況をいかにして作るかを考えないといけない。人間は物言わぬ自然を支配しようとしてきた。それが間違いだということを思い知らされたわけです。自然と共生する方策を探らないといけません。 ――共生という言葉を手がかりにして、SDGsについてのお考えを教えてください。  SDGsの17の目標の一つひとつが独立しているわけではなく、それらを一つのシステムとしてとらえることによってトータルな目標のなんたるかが見えてくると思います。17の目標があって、より具体的な169の数値化されたターゲットが並べられています。それらを個々別々に達成したからといって、全体としての目標が達成されるわけではありません。 地形の原風景になじむように設計された地球研の建物。環境への配慮が評価され、2007年MIPIMAsia Awards 環境調和部門最優秀賞を受賞(撮影/NeemTree羽田朋美) 「持続可能な開発のための実施手段を強化し、グローバル・パートナーシップを活性化する」という目標17がありますよね。世界中の人びとがつながり合って、誰ひとり取り残さないようにというわけですが、それは信頼社会の構築にほかなりません。  とはいえ、実際には、信頼社会は壊れ始めていますよね。信頼を欠く社会では、契約があらゆる関係のよりどころとなる。先進国と途上国の間に契約に基づく分業体制が確立され、先進国の人びとが欲するものを途上国の人びとに作らせる。契約は先進国に利益をもたらすようにできている。今ある奇妙な契約社会を信頼社会に戻すことこそが、SDGsの目指す究極の目標ではないでしょうか。  信頼社会を作る原資は社交なのです。人と人をつなぎとめる見えない糸が社交なのです。地球的規模での社交の回復こそがSDGsの本質だと僕は考えます。  SDGsに欠けているものは何かというと、それは「文化」です。地球研初代所長の日高敏隆先生は、「地球環境問題を解決するのは自然科学ではなく文化である」とおっしゃった。2001年にパリで開催されたユネスコ総会で「文化の多様性に関する世界宣言」が採択されたのですが、その第1条に「生物の多様性が生物にとって重要であるのと同じく、文化の多様性が人間にとって重要である」と書かれています。  ところが現実に目を向けると、文化の無国籍化、すなわち多様性の喪失が限りなく進行しています。多様な文化によってレジリエンスを高めてきた人類にとって、文化の均一化は陥ってはならない罠だったのです。ですから今求められているのは、文化の個性化、つまり無国籍化してしまった文化の多様性を取り戻し、認め合うことではないでしょうか。 最も深刻な問題はフードロスだと語る山極所長。地産地消や生産者から食材を直接購入する仕組みに活路を見出す(撮影/佐藤佑樹) ――最後にご家庭でのSDGsについてお話しください。  家庭というと食ですね。類人猿と分かれた人間が最初に持った文化装置である食事、つまり食物を分けあって一緒に食べることが、家庭の基本です。お互いの信頼関係を高め、信頼社会を作るための最古の仕組みが食事なのです。食を通じて、人間は集団の規模を大きくしてきたのです。だから、孤食になったりレトルト食品に頼ったりするのは、しがらみを抜け出す自由をもたらすかもしれないけれど、その代償として「信頼」という関係を手放すことになる。  肉食動物とは違って、人間は一日に複数回食べないといけません。食事のためには、食材のほかに、調理をする人、場所、服装、調度品が必要です。それらすべてが社交の要素です。食事は、人間にとって最古の文化であると同時に最古の社交なのです。そんなわけで、食事が僕のSDGsの原点です。 (構成/生活・文化編集部 上原千穂)
太ってしまう7つの習慣と行動「遅い時間の食事は通常の約2倍のカロリー」気をつけたいこととは?
太ってしまう7つの習慣と行動「遅い時間の食事は通常の約2倍のカロリー」気をつけたいこととは? ダイエットが成功しても、数カ月後にリバウンドで元の体重に戻ってしまう人は多い。一時的にやせても太ってしまう原因は何だろうか? 肥満予防健康管理士・菅野観愛(かんの・みあ)さんは「何が自分を太らせたのか? 原因を知ることは、どうすればやせるのか? の答えにつながる」と話す。菅野さんが監修し、重信初江さんが料理を担当した『やせない人がいないと話題のミア式 料理研究家がダイエット教室に通ってみたら、こんなにやせた!』(朝日新聞出版)から、太る生活習慣と、やせる習慣に改善するテクニックを抜粋して紹介する。 *  *  *  まず、いま現在のあなたが、以下の習慣のどの党に所属しているか、振り返ってみましょう。ひとつだけとは限りません。 肥満予防健康管理士・菅野観愛(かんの・みあ)さん 【太る7つの習慣】 (1)過食党    いつもお腹一杯になるまで食べる。 過食党 (2)運動不足党  なるべく楽な姿勢で動きたくない。 運動不足党 (3)アルコール党 お酒がやめられない。 アルコール党 (4)油党     揚げ物や肉類が好き (5)間食党    常に何かをつまんだり、口に入れている 間食党 (6)夜食党    遅めの飲食が日常化 夜食党 (7)甘党     甘いものを食べないと気がすまない 甘党  加えて、上記の7つの習慣の原因となる具体的な行動を上げていくと、「早食い」や「ストレス食い」「外食型」「食事不規則」が挙げられます。 さらに言うと、「つられ食い」に「ファストフード型」「コンビニ弁当型」「食べ物ストック型」「買い物大好き」「スローリズム」「朝食抜き」「中食中心生活」「濃い味好み」「残り物処理係」「だらだら食い」「あきらめ型」「料理作り過ぎ」……。当てはまるものを数えたら、片手では足りないという人も、多いのではないでしょうか。 ■食べ過ぎないで「腹六分目」を心がける  よく「食事は腹八分目」と言いますが、肥満予防の観点では腹八分でも多く、腹六分でいいと考えます。いつも満腹に近い状態になっていると、胃が広がって余計に食べてしまいます。常に少なく食べる習慣をつけたほうがいいのです。  腹六分がわかりにくいという人は、基礎代謝の半分のカロリーを目指しましょう。もちろん食べるのはたんぱく質です。そしてたくさん水分をとる。食べるものではなくて、水分でお腹を満たすのはOKです。  揚げ物や炒め物などの油を使う料理は、食欲を刺激する原因になり、たくさん食べないと気がすまなくなってしまいます。でも、脂っこいものを食べたくなることってありますよね。これは、体が油を欲しているサインです。この場合は、魚の油がとれるサプリメント(DHAなど)がおすすめ。良質な油をとってダイエットを乗り切りましょう。 ■ビタミン・ミネラルや食物繊維をしっかり摂る  ビタミンとミネラルを補給するのに、サプリメントを飲む人がいます。もちろんこれは間違いではないのですが、植物性たんぱく質を摂っていると、ビタミン・ミネラルは自然と摂取できるので、サプリメントは必須ではありません。  ただし、忙しすぎる人やストレスがたまりやすい人は、ビタミン・ミネラルが燃焼される傾向にあります。そうすると自律神経が乱れてバランスが崩れてしまうおそれがあります。疲れやすかったり翌日に疲れが残るという人は、ビタミン・ミネラルのサプリメントを上手に取り入れていきましょう。  糖質は、控えること。スイーツだけでなく、アルコール類にも糖分が多く含まれているので、とらなくていいように工夫をしましょう。 ■空腹時の買い物はNG 食べたくなったらトイレへ  お腹が空いた状態で買い物に行くと、余計なものを買ってしまいがち。空腹時の買い物は避けましょう。また、事前に買うものを決めておくなど、余計なものを買わないように工夫してください。  買い置きもNGです。あると食べたくなります。食欲を刺激しないために、たくさん買ってストックしておくようなことはしないでください。  間食は無駄なエネルギーになりやすいので、ダイエット中は控えましょう。もともと間食はOKなのですが、そうすると毎回食べてしまう人がいるので、基本的には食べずに、どうしても必要な時だけにしてください。  食べたいと思った時に、別の行動に置き換える訓練をしてみましょう。例えば、間食したくなったらトイレに行く、深呼吸をする、など自分の中で決めごとをつくって実践しましょう。  また遅い時間の食事は、普通の時間に食べた時の約2倍のカロリーを摂取してしまうのと同じことになるので注意しましょう。 ■大皿ではなく1人分を取り分け「エアー」噛みを10回  中華料理やホームパーティーなど、大皿で料理を出されると、ついつい食べ過ぎる傾向にあります。ひとつのお皿からみんなで少しずつ取っていると、自分がどれだけ食べたのかわからなくなってしまいますよね。また、周りの人のスピードに流されやすくなることも食べ過ぎにつながります。  これを防ぐためには、自分のひとつのお皿にのる分だけ、と決めるのがポイント。さらに、料理が出そろうまで待つとタイミングをずらすことができるので、食べるスピードも抑えられますよ。  早食いは肥満のもと。満腹中枢が刺激される前に余分に食べてしまうので太りやすくなります。逆によく噛んでゆっくり食べることで、その間に満腹中枢が刺激され食べ過ぎを防ぐことができます。  ゆっくり食べるために、一口食べたら20回噛むように心がけましょう。でも、豆腐だったら10回ぐらいでなくなってしまいますよね。そんなときは、残りの10回をエアーで噛むイメージです。噛むことで満腹中枢が刺激されて食べ過ぎを防ぎます。 ■お酒の飲み過ぎ、おつまみの食べ過ぎに注意する  お酒の飲み過ぎ・おつまみの食べ過ぎは昼間の努力を台無しにします。お酒自体がカロリーになって蓄積されるのはもちろん、アルコールにより味覚が鈍感になりやすくなります。揚げ物のような脂っこいものも、塩辛のように塩分が多いものも、味を感じにくいので食べ過ぎてしまいがち。お酒は飲まないのがいちばんですが、飲んでしまった場合は倍量の水を飲むようにしてください。もちろん翌日は調整日です。  水分摂取はダイエットにも美容にも健康にも非常に有効なので、積極的にとることが大事。ダイエット中の便秘の原因は水分が足りていないから。または座っていることが多かったり、運動不足で腸の中の動きが少ないと便秘が起こりやすくなります。まずは水分をたっぷりとって、腸の中を動きやすい状態にすること。  座りっぱなしが多い人は、さらにお腹をマッサージしましょう。手で円を描くようにマッサージしてもいいですし、空気をお腹に入れるイメージで、お腹を膨らませたりへこませたりして、腸の運動を促すようにしましょう。 (構成 生活・文化編集部 森 香織)
「学年なし」「時間割なし」だった江戸時代の教育 識字率世界一は「多様性」が支えていた
「学年なし」「時間割なし」だった江戸時代の教育 識字率世界一は「多様性」が支えていた 寺子屋の子どもたちが成果を発表する「席書会」の様子。部屋のあちこちに書の作品が掲げられ、楽しげな雰囲気が伝わってくる。(一勇国芳「幼童席書会」の部分/国立国会図書館蔵)  大河ドラマ「どうする家康」はまだ戦乱のさなかだが、その戦乱の先にやってくる「江戸時代」の日本は、現代人から見ても、庶民の教育水準が高かったとされている。  江戸時代の人々の知的好奇心には目を見張るものがあり、藩校や寺子屋といった教育施設では、武士だけでなく町人などの庶民に至るまで、一般教養を身につけようと励んでいた。数学書『塵劫記』がベストセラーとなったことからも、そのレベルの高さがうかがえる。江戸のエスプリを支えたのは、教育の多様性だったのだ。  江戸時代の教育の実際について、『朝日脳活ブックス 江戸時代の言葉遊び・浮世絵・和算で楽しむ お江戸脳トレ帳』から抜粋して紹介したい。 *  *  *  幕末に日本を訪れた海外の要人たちは、日本に暮らす人々を見て、その識字率の高さに驚いたという逸話がある。当時のイギリスやフランスなど西洋の国々では識字率が3割にも満たないのに対し、江戸時代の日本の識字率は6 割を超え、地域によってはさらに高い識字率だったと見られている。  鎖国という極めて内向きの対外政策を取りながらも、江戸時代の教育水準は世界水準をはるかに超えていた。当時の教育を支えたのは、藩校と寺子屋という二つの「学校」だった。 長州藩(萩藩)の藩校「明倫館」は、幕末に数多くの英傑を生み出した。その跡地にある「萩・明倫学舎」は近年まで小学校として使われていた木造校舎を本館とし、明倫館の歴史を伝える展示室もある photo Hiroko/PIXTA(ピクスタ)  藩校は、各藩が学問興隆のために開いたもので、武士の子どもが対象。読み書きだけでなく儒学や兵学など、統治者として必要な高い教養を身につける場という役割を担った。  一方の寺子屋は、庶民向けの学校。義務教育ではないので入門は自由で、現在の学校のような学年も時間割もなく、児童の性格や家業などに合わせて、講師は一人一人に教育内容を用意した。往来物という当時の教科書は、歴史や漢詩、算学など、なんと7000種にも及ぶものが確認されている。  寺子屋の開設については許可が必要なわけではないので、基本的にはどこでも開くことがでた。その数は江戸だけでも1300以上とされ、明治時代初期の調査によれば全国で1万6500にも及んだ。 江戸時代の算術書のベストセラーとなった『塵劫記』は初版以来、何度も改訂版が刊行された。写真はその改訂版もその一つ。数の単位が説明されるなど、算術の基本的な知識が網羅されている(吉田光由『新編塵劫記』/国会図書館蔵)  これほどまでに教育が充実した背景には、江戸時代の「文書主義」が挙げられるだろう。書類のやりとりに基づいて物事を進め、記録をしつかり残そうとする意識が、幕府や各藩から農村にまで浸透していた。「読み・書き・そろばん」はあらゆる人々にとって欠かせないものだったのだ。  学習の場は実用的なものだけではなく、三味線や琴、長唄といった大人の手習い塾も人気だった。とくに江戸には、昌平坂学問所など公立の学校から、専門性の高い私塾までさまざまな教育施設が立ち並び、郊外からも多くの人々が熱心に通っていたそうだ。こうした庶民の知的好奇心が、日本を世界有数の教育国家に押し上げたのだ。  とりわけ「和算」は、江戸時代の人々の教養の高さを示し、日本の数学を発展させる基礎となった。 「和算」の歴史は、奈良時代にまでさかのぼることができ、その源流は中国の数学にある。とはいえ、和算が発展しはじめたのは江戸時代に入ってからのこと。戦乱の世が終わり、本格的な経済中心の社会になったことで、算術の需要が高まったのだ。  その象徴的な出来事は、寛永4(1627)年に出版された『塵劫記』の大ヒットだろう。『塵劫記』は庶民向けの数学書で、その内容は、両替や利息の計算といった実用的なものから、「ねずみ算」や「鶴亀算」、数学パズルまでさまざま。同書は和算の代名詞的な存在となり、広く一般に数学的素養を高め、のちに多くの数学者を生み出した。なかでも、関孝和は代数の計算法や円弧の長さの計算法を発見するなど、当時のヨーロッパに引けを取らない数学者として知られている。  江戸時代の数学者たちが多くの業績を残した一方、和算は庶民の間では実用だけでなく、趣味や芸事の一種としても親しまれていた。当時の人々の熱心ぶりは、神社仏閣に奉納された算額から垣間見ることができる。算額は数学の問題を額や絵馬に記したもので、その難題が解けたことを神仏に感謝し、さらなる精進を誓うものだった。なかには、自らの研究の発表の場として、その成果を絵馬にする者もいたようだ。  江戸時代に花開いた、数学を学び楽しむ和算文化だが、明治維新以降は世界基準に合わせて西洋の数学が採用されるようになり、次第に廃れていった。 (構成/生活・文化編集部 塩澤巧)
ダイエットに効果的なのは野菜よりもたんぱく質の摂取 「野菜は不向き」な理由とは?
ダイエットに効果的なのは野菜よりもたんぱく質の摂取 「野菜は不向き」な理由とは? 間違ったダイエットをすると、同じ体重でも筋肉だけ減り、代わりに脂肪だけ増える  ダイエットには野菜中心の食事がいいというイメージがあるが、肥満予防健康管理士・菅野観愛(かんの・みあ)さんは「ダイエットには野菜よりもたんぱく質を摂取する方が効果的」だと話す。「野菜は体にいいが、体脂肪が多い状態では、筋肉を増やす食べ物以外は、体がただのカロリーとみなして吸収してしまう」(菅野さん)のだという。  菅野さん自身が監修し、重信初江さんが料理を担当した『やせない人がいないと話題のミア式 料理研究家がダイエット教室に通ってみたら、こんなにやせた!』(朝日新聞出版)から、ダイエットにたんぱく質が効果的な理由を抜粋して紹介したい。 *  *  *  ダイエットというと、食事制限が一般的ですが、筋肉に必要なたんぱく質まで制限してしまうのは、間違ったダイエット。まずは、筋肉を残して脂肪を落とすダイエットの基本を理解しましょう。  間違ったダイエットをすると、同じ体重でも筋肉だけ減り、代わりに脂肪だけ増えているので、肥満度は大幅にアップし、やせにくく太りやすい体になってしまいます。脂肪だけで体重が減り、体脂肪率が下がって筋肉や基礎代謝は減らないのが、正しいダイエット。これなら、リバウンドの心配もありません。 脂肪だけで体重が減り、体脂肪率が下がって筋肉や基礎代謝は減らないのが正しいダイエット ■たんぱく質を積極的に摂取すると太りにくい体になる たんぱく質は、筋肉を作る材料となり、筋肉維持&増加に役立ちます。結果、基礎代謝が上がるので太りにくく、やせやすくなります。 そもそも、たんぱく質は皮膚、骨、筋肉、髪の毛など体を構成する主成分。良質なたんぱく質を摂れば肌のツヤや髪の毛のコシも生まれ、美容やアンチエイジングにも役立ちます。 また、酵素・神経伝達物質といわれるものもたんぱく質でできています。たんぱく質を食べることで交感神経が刺激され、「これ以上食べる必要なし」と脳へ信号が送られるため、空腹を感じにくくなります。 ■肉よりは魚、動物性よりは植物性のたんぱく質がいい  肉より魚、魚より豆のほうが低カロリーでたんぱく質を多く摂ることができます。肉や魚に比べ、脂肪分がないのも豆の魅力です。 肉を構成するのは、動物性たんぱく質と動物性の脂肪で、これらを体内で燃やすには、とても時間がかかってしまいます。その分、体に負荷がかかり、体脂肪が多いままの体では、どんどん大きくなってしまうのです。  一方、植物性たんぱく質は低カロリーで、筋肉をつける材料として効率がいいんです。特に大豆たんぱくは血中コレステロールや中性脂肪を減らし、心臓病や更年期障害の予防もしてくれます。そして何よりも体脂肪の燃焼に効果があります。  例えば、植物性たんぱく質を多く含む食品は以下のようなものです。 木綿豆腐150g(たんぱく質10.5g/120kcal) 納豆40g(たんぱく質6.6g/80kcal) 豆乳(無調整)200ml(たんぱく質7.2g/92kcal) ■甘い物が食べたい時は豆乳ヨーグルトが活躍  ダイエット中に甘いものが食べたくなったときにおすすめなのが、豆乳ヨーグルト。豆乳ヨーグルトをフルーツにかけて食べると、量が少なくてもたくさん食べたように感じます。オレンジだと半分、バナナは1本も食べられなかったりします。  満足感を得られるだけでなく、乳酸菌も摂れて腸の中をキレイにしてくれますよ。豆乳ヨーグルトは、種菌があれば家でも簡単に作ることができます。 (構成 生活・文化編集部 森 香織)
カラダの夏対策で猛暑に備える! 漢方養生法にもとづく「生活のこつ」と「おすすめ食材」
カラダの夏対策で猛暑に備える! 漢方養生法にもとづく「生活のこつ」と「おすすめ食材」 本格的な夏が来る前の今から、暑さ対策を始めましょう ※写真はイメージです (c)GettyImages  夏になると、食欲不振になったり体調を崩したりしませんか? 夏は、生命活動の原動力となる「陽気」を養う季節です。ところが、暑さで食欲不振や睡眠不足が続くと、体内の陽気も不足しがちに。食事や睡眠にはいつも以上に気を配る必要があります。この記事では、日本の漢方のルーツである中国の伝統医学「中医学」をもとに、【健康的に夏を乗り切る方法】を分かりやすく説明します。 *  *  * ■ 夏の健康維持のために「心(しん)」を守り、「熱」「湿(しつ)」を除く  夏は「血(けつ)」の巡りが盛んになり、五臓の「心」が活発に働く季節。その分、心にかかる負担も大きくなります。また、暑さで大量の汗をかくと、体内の「津液(しんえき)」(「水」ともいう。潤いのこと)や「気」(エネルギー)を消耗し、血が濃縮してドロドロ血になったり、エネルギー不足から心の疲労を招いたりすることも。  このように、夏は心に負担がかかりやすく、動悸や息切れ、不整脈、疲労感といった不調が起こりやすくなります。  心の働きが弱くなると、脳に十分な血(栄養)が送られず、意識がもうろうとする、頭がぼーっとするといった症状が現れることも。高血圧や狭心症、動脈硬化症などの生活習慣病がある人は、特に意識して「心を守る」ことを心がけましょう。  もう一つ、夏を元気に過ごすためには、体内の「熱」と「湿」(余分な水分や汚れ)を上手に取り除くことも大切。身体にこもった過剰な熱は、熱中症などの原因となるだけでなく、イライラや不眠を招く要因となります。結果、体力や精神を消耗し、疲労やだるさに悩まされることに。また、身体に湿が溜まると「脾胃(ひい)」(胃腸)の働きが低下するため、食欲不振や消化不良などを起こし、夏バテしやすくなってしまいます。  暑さの厳しい夏は食事が偏りがちになりますが、体力を消耗しやすい時期だからこそ、バランスや体調に配慮して十分に栄養を摂ることが大切。上手な水分補給も心がけながら、積極的な養生で夏に負けない元気な身体を養いましょう。 【チェック】暑さに負けない! カラダの夏対策  夏は身体を養い、エネルギーを蓄える季節です。この時期に身体を消耗すると、冬に蓄えがなくなり病気にかかりやすくなることも。毎日の食事や睡眠にしっかり気を配り、夏を健やかに過ごしましょう。  夏は、生命活動の原動力となる「陽気」を養う季節です。ところが、暑さで食欲不振や睡眠不足が続くと、体内の陽気も不足しがちに。食事や睡眠には十分気を配り、陽気をしっかり養って夏を元気に過ごしましょう。 【ポイント1】「気」と「津液(しんえき)」を養い、「心(しん)」を守る <気になる症状>汗が多い、疲労感、動悸、息切れ、頭がぼーっとする、口やのどが渇く、皮膚の乾燥、尿が少ない、便秘気味、舌の色が淡い <改善ポイント> 中医学では、汗をかくと「津液」と一緒に体内の「気」(エネルギー)も流失すると考えます。そのため、たくさん汗をかく夏は、体内の津液や気が不足しがちに。その結果、ドロドロ血(血の濃縮)やエネルギーの消耗から「心」に大きな負担がかかり、動悸や息切れ、疲労感などの不調が起こりやすくなるのです。  また、心の働きが低下すると脳にも十分な血(栄養)が届かず、頭がぼーっとするなどの不調が現れることもあります。  心の働きを守るポイントは、こまめな水分補給や食事の気配りで、体内の潤いを十分保つこと。また、暑さに負けずしっかり食事を摂り、気を充実させることも大切です。体内の「気」が充実すると、免疫力がアップして夏かぜの予防に。また、気は身体を温めるため、冷房による“冷え対策”にもつながります。 <摂り入れたい食材>潤いを生む:レモン、梅干し、トマト、いちご、ざくろ、ヨーグルトなど気を養う:小麦、山芋、豆腐、湯葉、桃、りんご、鶏のハツなど 潤いを生む食材、レモン PhotoAC 【ポイント2】「サラサラ血」を保って、「心(しん)」を守る <気になる症状>動悸、心痛、胸が重苦しい、不整脈、頭痛、手足のしびれ、顔色が悪い(つやがなく黒ずんでいる)、舌の色が暗くお点・お斑がある <改善ポイント> 食の不摂生、多量の汗による血の濃縮などが原因でドロドロ血になると、血を全身に送る「心」にとっては大きな負担となります。血流も悪化し、動悸や心痛、頭痛、手足のしびれといったさまざまな不調につながることも。  特に、夏は屋内外の気温差が大きいため、血管の急な収縮による詰まりには要注意。高血圧や狭心症、動脈硬化症などの生活習慣病がある人は、いつも以上に“サラサラ血”を保つよう意識してください。  夏に気をつけたいのは、まず不足しがちな体内の潤いを十分に保つこと。また、脂っこい食事は控えめにするなど、食生活を見直すことも大切です。 <摂り入れたい食材>血流を良くする:たまねぎ、らっきょう、なす、シナモン、赤ワイン(少量)、サンザシ、紅花、カレー、わかめ、昆布など 血流を良くする食材、なす PhotoAC 【ポイント3】過剰な「熱」をスッキリ冷ます <気になる症状>熱っぽい、顔が赤い、口やのどが渇く、冷たいものが飲みたくなる、イライラ、怒りっぽい、不眠、舌の色が紅い、舌の苔が黄色い <改善ポイント> 夏の暑さで身体に過剰な「熱」がこもると、体温が上昇して「心(しん)」や「脳」に影響し、熱中症などを引き起こす原因に。また、イライラや怒り、不眠といった精神の不安定にもつながるため、心身を大きく消耗させてしまいます。  基本的には、適度に汗をかいて自然に身体の熱を冷ますよう心がけて。涼性の食材、利水作用のある食材を積極的に摂るなど、食生活の工夫も効果的です。また、冷房を上手に使うことも大切ですが、頼り過ぎると“汗をかきにくい体質”になってしまうので要注意。汗が引いたら止めるなど、冷房は“ほどほど”を心がけましょう。 <摂り入れたい食材>身体の熱を冷ます:すいか、きゅうり、苦瓜、トマト、れんこん、はすの葉茶、緑茶など精神を安定させる:百合根、はすの実、牡蠣、真珠粉など 身体の熱を冷ます食材、にがうり PhotoAC 【ポイント4】「湿」を溜めず「脾胃(ひい)」を元気に <気になる症状>食欲不振、消化不良、胃もたれ、膨満感、軟便、下痢、頭が重い、身体が重い、舌の苔が黄色く粘りがある <改善ポイント> 夏は湿気や水分の摂り過ぎなどで、体内に「湿」(余分な水分や汚れ)が溜まりやすくなります。湿が溜まると「脾胃(ひい)」(胃腸)の働きが低下して、食欲不振や消化不良、軟便などを引き起こす原因に。結果、栄養を十分に摂ることができず、夏バテしやすくなってしまうのです。  また、脾胃は冷えに弱いので、冷たい飲食物の摂り過ぎにも注意して。暑くても“常温の飲み物”“温かい食事”を摂るようにして、脾胃にやさしい食生活を心がけましょう。  夏バテ気味で食欲が落ちているときは、無理に肉類などを食べ過ぎないこと。消化の良い食事を心がけ、まずは「脾胃を元気にする」ことが大切です。 <摂り入れたい食材>湿を取り除く:はと麦、緑豆、もやし、春雨、冬瓜など脾胃を養う:米、山芋、いんげん豆、かぼちゃ、大豆製品、うなぎ、はも、卵、鮭など食欲を促す:しそ、みょうが、しょうが、カルダモン、フェンネルなど 食欲を促す食材、みょうが PhotoAC ■生活と食事のヒント <生活>・身体が消耗しないよう、夏の睡眠はたっぷりと。・家事やスポーツは、朝夕の涼しい時間を活用して。・お風呂につかって疲労を回復。血行促進にもつながります。 <食事>・食事は温かいものが基本。生ものや冷たいものは控えめに。・潤いの多い食材を積極的に。不足しがちな水分を養います。・飲み物は常温のお茶を。利水作用で身体の熱をクールダウン。・水分補給は“適温・適量”を心がけて。冷たい飲み物、水分の摂り過ぎは脾胃の負担になるので注意しましょう。 お風呂につかって疲労を回復し、血行を促進させましょう PhotoAC 監修:菅沼 栄先生(中医学講師) 監修:菅沼 栄先生(中医学講師)1975年、中国北京中医薬大学卒業。同大学附属病院に勤務。1979年、来日。1980年、神奈川県衛生部勤務。中医学に関する翻訳・通訳を担当。 1982年から、中医学講師として活動。各地の中医薬研究会などで薬局・薬店を対象とした講義を担当し、中医学の普及に務めている。主な著書に『いかに弁証論治するか』『いかに弁証論治するか・続篇』『漢方方剤ハンドブック』(東洋学術出版)、『東洋医学がやさしく教える食養生』(PHP出版)、『入門・実践 温病学』(源草社)など。 本記事は、イスクラ産業株式会社監修の中医学情報サイト「COCOKARA中医学」より、一部改変して転載しました
ぼくは20代で「木こり」になった「樹齢50年だから伐採する、をやめたかった」
ぼくは20代で「木こり」になった「樹齢50年だから伐採する、をやめたかった」 千葉貴文/1999年宮城県栗原市に生まれ、現在も暮らす。木こり歴2年目の24歳。工業高校の機械科を卒業したのちに、地元建設会社に就職。転職し、NPO法人しんりん所属の木こりに。趣味はお酒を飲みながら、動画を見ること(撮影/益本省吾)  多種多様な生物を育み、水を蓄えて土砂災害を防ぎ、二酸化酸素まで吸収してくれる森林。その存在自体が、SDGsに大きく貢献している。戦後、木材の輸入自由化で急激に林業が衰退した日本では、手入れされずに放置された森林が多いが、人間が手間暇かけて管理しなければ、森林の恩恵を受けることはできなくなる。  いま、日本各地で森林を保全し、100年後、200年後まで続く林業をめざす若者や移住者が増えている。それを支援する自治体もある。発売されたばかりの『やるべきことがすぐわかる 今さら聞けないSDGsの超基本』では、20代で「木こり」に転職した千葉貴文さんに取材。山を育てる林業に魅せられ、宮城県鳴子温泉地域で「循環する林業」に取り組む千葉さんの一問一答を公開する。 *  *  * ――なぜ林業に携わることになったのですか。  もともとうちは農家で山を持っていて、ひいおじいさんが山を管理していたんです。農家をやりながら山で椎茸の原木栽培をしていたそうです。昔は父親も手伝いで山の仕事をしていたという話を聞いているうちに、自分もひいおじいさんのように山の管理をしてみたいという気持ちが湧きました。 ――数ある林業の会社や団体の中で、NPO法人しんりん(以下、しんりん)で木こりになることを選んだ理由を教えてください。  しんりんが、山を育てるような林業をしているからです。一般的な林業では効率を重視するために、「皆伐」といって山の木をすべて伐採します。この、林木を伐採する時期のことを「伐期」というのですが、ほとんどが樹齢50年程度、長くても樹齢80年から100年の間にはすべての林木を切って、リセットしてしいます。  丸裸になった山は大雨が降ると土砂災害の危険性も出てきますし、再び植林し直してから50年待たないと、森は育ちません。その間、林業者の収入は絶たれるので、生活費は補助金で賄うしかなくなるんです。補助金をたくさんもらうためには、いくつも山を持つ必要がありますし、効率よく作業するために、重機も大きくしなければなりません。ところが、大きな重機は森を傷めて、山を壊してしまう。そういった林業は森を汚すだけではなく、めぐりめぐって水を汚すことにもつながるんです。 大きな重機は使わない。切る木はもちろん、周囲にある木も傷つけないように切って倒す(撮影/益本省吾)  しんりんでは、皆伐はしません。過密になった樹木の一部を伐採する「間伐」という方法で、森を育てながら少しずつ木を切ります。間伐にすれば森が循環していくので、僕たちには「樹齢50年だから伐採する」というような伐期の概念がありません。そして、山を壊さないように最小限の大きさの機械を使い、状況に合わせて山で伐採した木材を馬で運ぶ「馬搬」をする林業を行っています。  しんりんでは、SDGsが広まるずっと前から、こうした山にやさしい林業をしてきたそうです。僕も森を守り、山を育てる林業がしたいと思い、ここで木こりになることを決めました。 ――森を守るために、私たちにできることはなんでしょうか。  家を建てるときにどんな木を使うかということも大切だとは思いますが、それよりももっと大切なのは、“気持ち”です。僕もしんりんに入る前はまったく山に興味がなかったんです。でも、実際に山に入っていろいろなことを知り、意識が変わりました。  山の木をすべて伐採してしまったら、森が育つのに50年の年月がかかるとわかれば、木を大事にしようと思うのではないでしょうか。まずは森や山に興味を持ち、木を大事にする気持ちを育んでもらうことが第一歩だと思っています。 ――木こりの仕事のやりがいを教えてください。  通常、木こりには自分たちが切った木が最終的にどうなるかということは見えません。伐採した木はそのまま原木市場に行って、どこかの誰かが買います。でも僕たちは自分たちの伐採した木がどんなふうに使われているかを知ることができます。  伐採した木は、グループ会社に運ばれ、そこでまず製材されます。製造過程で廃棄される木の皮や木屑などは、また別のグループ会社に運ばれてペレットなどの燃料になります。最後に製材された木材はグループの会社が建築に使います。僕が住んでいるアパートも自分たちの切った木で建てられているんですよ。こうして自分たちの切った木が無駄なく使われている過程を近くで見ることができることに、大きなやりがいを感じています。 間伐や下草刈り、植林などの地道な作業によって、100年、200年続く森が作られる(撮影/益本省吾)  あとは大層なことではないのですが、もう一つあります。やっぱり間伐すると山がとてもスッキリするんです。管理されていなかった山を間伐して日の光が入るようになると、下草が生えてきて山がまるで生き返ったみたいに感じるんです。それがとても気持ちがいいんです。これからも木こりを続けて、木こりとして生きていきたいと思います。 (構成/生活・文化編集部 上原千穂)
イスラエルで考古学者が「新たな発掘はやめて」と言われている、意外な理由とは
イスラエルで考古学者が「新たな発掘はやめて」と言われている、意外な理由とは イスラエルの考古学(提供/ニシム・オトマズキン)  イスラエル・ヘブライ大学のニシム・オトマズキン教授によると、海外の日本研究者のあいだで知られていないのが「縄文時代」だと指摘します。AERA dot.コラム「金閣寺を60回訪れたイスラエル人教授の“ニッポン学”」。今回は、日本とイスラエルの考古学について。 *  *  *  私はいま、縄文時代を知るため、本州北部への調査旅行から戻ってきたところです。国際的な学者や思想家のグループと一緒に、この5月に、日本国内のいくつかの重要な場所を訪れました。例えば大湯ストーンサークル(秋田県鹿角市)、標高280メートルで日本のピラミッドともいわれている黒又山(秋田県鹿角市)、奥入瀬渓流の「石ケ戸」(青森県十和田市)、大石神ピラミッドともいわれる巨石群(青森県新郷村)、そしてもちろん三内丸山遺跡(青森市)にも行きました。ツアーの最後に、東京都心にある倫理研究所紀尾井清堂(東京都千代田区)で2日間のシンポジウムを行い、一行が見学してきたことを振り返りました。  不思議なことに、日本国外では、縄文時代についてはほとんど知られていません。私たちのグループメンバーの一人で、シカゴ大学とヘブライ大学で学び、イスラエルとトルコで大規模な発掘プロジェクトを率いたイスラエルの考古学者、アミール・フィンク博士は、このツアーに参加するまで縄文時代について「聞いたことがなかった」と教えてくれました。  日本国外での縄文時代の知識が不足している理由の一つは、3500年前にさかのぼることのできる古代エジプト、メソポタミア、中国などには膨大な文書が存在し、書かれたことに基づく物的証拠の確認を行う伝統がありますが、それと比較して、縄文時代について書かれた文書と証拠が不足していることに関係しているのかもしれません。  もう一つ考えられる理由としては、縄文時代が2つの異なる考古学的カテゴリーに分類されないということです。縄文時代は世界史における先史時代ではありませんが、古代でもありません。多くの点で、縄文時代は解決されていない学術的状況に置かれており、そのためのカテゴリーが必要です。 イスラエルの死海文書(提供/ニシム・オトマズキン)  第三の理由は、私自身、日本研究者として重要に感じているのは、縄文時代が日本史研究にうまく統合されていないことにあります。日本史の授業では、縄文時代は部外者として扱われるか 、通りすがりにしか言及されません。 ハーバード大学で歴史学の博士号を取得したヘブライ大学の同僚に、以前、日本史のコースを教えるように頼んだところ、彼の返答は、「ほとんどわからない縄文時代について教えなくていいのであれば、喜んで日本史を教える」というものでした 。  一方、イスラエルは、イスラエル人学者だけでなく、海外の学者にとっても考古学への関心が非常に高い地域です。それは、学術的および政治的理由の両方があります。学術的に見れば、イスラエルの土地はヨーロッパとアジアの交差点に位置し、歴史的にはさまざまな時期にさまざまな軍隊に侵略されました。エジプト、アッシリア、バビロニア、ギリシャ、ローマ、アラブ、十字軍、マムルーク、そして最近ではオスマン帝国とイギリス(大英)帝国、したがって考古学的証拠は膨大です。エルサレムでは、どこを掘っても、考古学的証拠が見つかる可能性が高いのです。  さらに考古学者は、少なくとも3500年前にさかのぼる古い書面による証言にも容易にアクセスできます。これらには、エジプトの象形文字、シュメール語、アッカド語、シリア語、コプト語、アラム語、バビロニア語、アッシリア語、そしてもちろんアラビア語、ペルシャ語、トルコ語、古代ヘブライ語で書かれた証言が含まれます。   最も印象的な文書の発見の一つは、1946年から1956年の間に死海側のユダヤ砂漠で発見された、古代ユダヤ人の写本である「死海文書」です。 紀元前3世紀から西暦1世紀にかけて書かれた死海文書は、考古学上、歴史の要石と見なされており、歴史的、宗教的、そして言語的にも非常に重要です。 巻物のほとんどはヘブライ語で書かれていますが、アラム語またはギリシャ語で書かれたものも少数あります。この写本は当時の人々の生活と哲学を理解するための鍵です。それらは現在、エルサレムのイスラエル博物館に保存されており、ヘブライ大学のオリオンセンターで現在も研究されています。 http://orion.mscc.huji.ac.il/ 縄文土器(撮影/Alina Imas)  イスラエルでの考古学への大きな関心は、政治的および宗教的動機によっても推進されています。ユダヤ人は、現在のイスラエルのさまざまな場所、特にエルサレムの旧市街で、少なくとも2000年前にさかのぼるユダヤ人の生活の存在を可能な限り明らかにしたいと考えています。ヨーロッパとアメリカの考古学者の中には、キリスト教への強い動機を持ち、イエスが 生きていた時代の人生について可能な限り多くのことを知りたいと思う人もいます。  興味深い例の一つは、バプテストの牧師であり、アマチュア考古学者のベンディル・ジョーンズ氏です。彼はイスラエルで「契約の箱」を探しつづけた人物で、インディ・ジョーンズの映画のモデルとしばしば噂されていました。2010年に亡くなるまで、ジョーンズ氏は40年以上にわたり、箱舟と死海写本の有名な銅の巻物に挙げられている貴重な宝物を、ユダヤ砂漠で探し回りました。  発見すべきものがたくさんあるイスラエルでは、考古学への世界的な関心が高く、多くの国際的な考古学者がイスラエルへの代表団を組織するようになりました。イスラエルの多くの地域で巨大な発掘プロジェクトを実行しているイスラエルの6大学の考古学部に出資されます。私が学部長をしているエルサレムのヘブライ大学では、14人の学者たちが国のさまざまな地域で大規模な発掘プロジェクトを担当しています。 https://archaeology.huji.ac.il/  イスラエルでは、考古学的物的資料の発掘が比較的簡単ですが、難しい部分は、その発見されたものを分析して公表すること。この作業は、はるかに時間がかかります。ヘブライ大学には、カタログ化と分析を待っている考古学資料でいっぱいの巨大な倉庫があります。考古学的分析のためのより良いAIを開発しない限り、それを行うには数十年かかります。  考古学的発掘が多すぎるという理由で、イスラエル考古学庁は 今年4月、考古学者たちに新しい発掘をやめるように求めることを発表しました(!) 。  イスラエル考古学庁の国宝局には、先史時代の石器からオスマン帝国時代の遺物まで、人類のあらゆる時代の考古学的遺物が130万点、6kmの長さにおよぶ棚にあります。ほとんどのアイテムは青いプラスチック容器に保管されていますが、大きな粘土の容器や納骨堂は棚に直接置かれています。他の場所では、何千ものガラス製品がボックス式の引き出しにあり、金属製のものは温度調節された部屋に保管されています。スタッフは3万を超える新しいアイテムを毎年、カタログ化しており、このペースについていくことができません。彼らは少なくとも今あるものをカタログ化できるまで発掘をやめるように求めています。  日本に話を戻すと、興味深いことに、日本の縄文後の歴史は、イスラエルのユダヤ人の歴史が終わるのとほぼ同じ時期、約2000年前に始まります。 その意味で、イスラエルと日本の考古学の比較は光り輝いています。 日本の、特に縄文時代の文書による証言の欠如は、 過去について学ぶ方法を開くことを私たちに強いています。また私は、縄文時代の研究分野を日本研究、そして日本史のより広い分野にうまく統合することも重要だと感じます。 〇Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、人文学部長。トルーマン研究所所長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年エルサレム・ヘブライ大にて政治学および東アジア地域学を修了。2007年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に送られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。12年エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。
桐島かれんにSDGs的視点をもたらした会話とは?「人の幸せを考えられるのが真の豊かさ」
桐島かれんにSDGs的視点をもたらした会話とは?「人の幸せを考えられるのが真の豊かさ」 桐島かれん/1964年、作家・桐島洋子の長女として神奈川県に生まれる。86年にモデル活動を開始し、93年に写真家の上田義彦と結婚、4児の母。現在は、さまざまな国の手仕事や文化をエッセンスにしたファッションブランド「HOUSE OF LOTUS」のクリエイティブディレクターも務める 写真提供 スタジオオーデュボン  持続可能な世界の実現のために「自分にできることは何か」を考えるとき、世界の現状に目を向けることも大切なこと。積極的に海外ニュースメディアを視聴したり、売っているものの産地やフェアトレード商品であるかをチェックしたり、まずは関心を持ち、行動することがSDGsへの第一歩だ。  累計100万部突破の「超基本」シリーズ最新刊『やるべきことがすぐわかる 今さら聞けないSDGsの超基本』では、性別も年齢も置かれた環境も異なる著名人にインタビュー。SDGsを「自分ごと」としてとらえるためのヒントを紹介している。  そのひとり、モデルの桐島かれんさんは、自身のブランド「ハウス オブ ロータス」を通じて、世界の優れた手仕事や文化を伝えている。桐島さんの世界への興味や多角的な視点は、家族との会話で育まれた。彼女との一問一答を公開する。 *  *  * ――アジアやアフリカなどの手仕事雑貨や手工芸品を買い付けていらっしゃいますが、きっかけはどんなことでしたか。  母に連れられて幼少期から世界を旅するうちに、観光よりも、その国の人たちがどんな服を着て、どんな食器で食事をしているのか、そんな人びとの日常の暮らしや文化に深く興味を持つようになりました。日本では失われつつある手仕事が、例えばインドやタイ、インドネシアではまだまだ残っていて、まるでタイムトラベルしたような新鮮な驚きがたくさんあったんです。  日本ではプラスチック製の大量生産品がもてはやされた時代、丁寧に編まれたカゴやひと針ひと針刺繍された服など……とにかく美しく魅力的に感じて、自分のために工芸品を買い集めました。  世界各地の優れた手工芸品は完成度が高くて、真似できない素晴らしい技術がたくさん詰まっています。決して劣っているわけではないのに、ブランド化されていないために知名度が低く、正当に評価されていないのが残念です。 衣装に小さな鏡の小片を縫い付けるミラーワーク刺繍は、インド西部のグジャラート州を代表する手仕事で、伝統工芸のひとつ。女性たちにより、小さな鏡の周りを刺繍糸でかがり、布にとめていく細やかな作業(写真提供:ハウス オブ ロータス) ――それがご自身のブランドにつながったんですね。  世界各国で集めた手工芸品を日本でも紹介できないかと、30代の頃は自宅を開放して陳列することもありました。来てくれた人たちは「まるで世界を旅した気分」と反響も大きかったのですが、雑貨ですから大した利益は出ませんし、周知にも限界がある。そこから始まったのが「ハウス オブ ロータス」です。  伊勢丹での期間限定ショップから始まり、雑貨だけでなく服づくりに着手することになりました。インドにはハイメゾンのオートクチュールにも対応できる技術がまだまだ残っているので、上質な服の制作が可能なんです。 ――買い付けなどでアジアのシビアな現実を目の当たりにすることもありますか。  家計を支えるために子どもが働く姿を見たり、若い女性の人身売買の話を聞くこともあります。深刻な問題を抱える国は多いのに、実態はこちらからは見えない。これが一番の問題ですよね。  質のよい手工芸品や農産物を必要以上に安く買おうとすることで、作り手や生産者を苦しめたり、チャイルドレイバー(児童労働)を生むかも……と日本で買い物をするときに意識することが大事だと思います。 ――かれんさんにとって「働きがい」を感じるときは? 「働きがい」というより、「生きがい」でしょうか。最近、私たちはなんのために働くのだろうとよく考えます。我々日本人の多くは、「好き」や「楽しい」を我慢し、自己犠牲のもとに仕事へ向き合う傾向にあると感じることがあります。好きなことを仕事にし、収入につながれば素晴らしいことですが、残念ながらそれはひと握りの方々です。となれば、ワークライフバランスに着目し、プライベートも充実させられるような働き方を探ることが重要です。一人ひとりが満足した生活を送るためには社会全体で助け合い、お互いが思いやりを持って協力し合う仕組みも必要になりますね。 ハウス オブ ロータスのオリジナルアイテムに欠かすことができないインドのブロックプリント。図案を彫った版木に一色ずつ染料をつけて、スタンプのように手作業で生地に押していく技法(写真提供:ハウス オブ ロータス) ――「豊かに生きる」とはどういうことでしょうか。  私が買い付けに行くのはいわゆる「発展途上国」と呼ばれる国が多いですが、私自身はこの呼び方に強い違和感があります。貧しいかどうかは経済力で測るけれど、それが本当の「豊かさ」なのかと。格差があるのは問題ですが、車を持っていないから貧しいのか、働き蜂のように生きているのが豊かで幸せかというと疑問です。  人は幸せになるためにこの世に生まれてきたのですから、自分以外の人の幸せを考えられることが「真の豊かさ」だと私は思います。 ――2030年はどんな未来になってほしいと思いますか。 「ジェンダーの平等」「平和で公正な社会」「貧困・飢餓をなくす」はとても気になるテーマです。今は偏った情報や極端な考え方が、インターネットで一気に広まる時代。陰謀論などが拡散される一方、本来は民主主義の国が強権的になったり、ポピュリズムの考え方に偏ったりしていますね。自分自身のアンテナを張って、各自がクリティカルシンキング(批判的思考)をしないと間違った方向に流されてしまいます。  母は私が世間話をすると嫌な顔をするような人で、家族で世界のニュースの話をするのが日常でした。「多角的にものを見る力」は、その習慣や話し合いの中で育まれたもの。母には本当に感謝しています。  今は家にいても世界の問題に意識を向けて、情報収集することができますよね。 未来を担う子どもたちには「日本や自分だけよければいい」というガラパゴス化した感覚は捨ててほしい。もっと視野を広げて、地球環境のことや他国の問題を身近なこととして考えられるように、広い視点を持ってもらいたいと思います。 (構成/生活・文化編集部 上原千穂)
誰でも手が届く"幸せな人生"とは? ハーバード大学史上最長の研究が解き明かす
誰でも手が届く"幸せな人生"とは? ハーバード大学史上最長の研究が解き明かす 『グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない (&books)』ロバート・ウォールディンガー,マーク・シュルツ,児島 修 辰巳出版  「幸せな人生」と聞いて、みなさんはどんな人生を思い浮かべるでしょうか。何不自由なくお金をたくさん使える人生? 多くの人から尊敬されるような偉業を成し遂げる人生? それとも今の人生こそがあなたにとっての「幸せな人生」でしょうか。人によって答えはずいぶん違ってくることでしょう。  では質問を変えて「幸せな人生の条件とは何か?」を考えてみてください。そもそも人によって「幸せな人生」が違うのなら、この質問の答えもバラバラになるのでは、と思うかもしれません。しかしハーバード大学による史上最長の研究「ハーバード成人発達研究」は、ひとつの答えにたどり着きました。その答えは、2023年6月20日(火)発売の書籍『グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない』に記されています。  同書は、2000人以上の人生を84年かけて調査した「ハーバード成人発達研究」をもとに、人々の幸福の秘訣を解き明かしています。ハーバード大学医学大学院・精神医学教授のロバート・ウォールディンガーと、「ハーバード成人発達研究」の副責任者でありブリンマー大学の心理学教授でもあるマーク・シュルツによる共著です。すでにアメリカやイギリスでは刊行されており、各種メディアで紹介され、「Amazon USA」のLongevity(長寿)部門やFriendship(友人関係)部門で1位を獲得。「The New York Times」でもベストセラーに選ばれました。  また、ロバート・ウォールディンガーのTEDトーク「何がよい人生をつくるのか」(What Makes a Good Life)は、全世界で4400万回も視聴され、TEDの再生回数ランキングの歴代トップ10にもランクインしています。TEDトークユーザーの中には、先ほどの質問「幸せな人生の条件とは何か?」の答えをすでに知っている人もいるかもしれません。  「ハーバード成人発達研究」が導き出した、「幸せな人生の条件とは何か?」の答えは、以下のとおりです。 「健康で幸せな生活を送るには、よい人間関係が必要だ。以上」(同書より)  あまりにもシンプルな答えに、「そんなことはもう知っている」と言いたくなるのもわかります。それに、人間関係は多くの人の悩みのタネでもあり、特に近年はそのわずらわしさから逃れるために"ソロ活"が人気を高めているほど。"よい人間関係"のメリットは日に日に薄れているようにも感じます。「他人と関わってもロクなことがない」「一人のほうが気楽だ」と思う人も少なくないでしょう。そこで、同書に記された「電車の中の見知らぬ他人」という実験を紹介します。 「一人で電車に乗っているとしよう。周りには見知らぬ人たちが座っている。車内でできるだけ楽しく過ごしたいなら、選択肢は二つある。近くにいる見知らぬ乗客に話しかけるか、黙ったまま過ごすか? あなたなら、どちらを選ぶだろうか?」(同書より)  これに対して多くの被験者が誰にも話しかけないほうを選びます。おそらくみなさんもそちらを選んだのではないでしょうか。 「『見知らぬ人に話しかければ不快な経験になるだろうから、黙って過ごすほうがはるかに快適に過ごせるはず』という予測が圧倒的多数だった。自分が何をすれば幸せな気分になり、何をすればみじめな気分になるかを予測したわけだ」(同書より)  しかし実験の結果、被験者たちの予測は見事に外れました。 「隣の人に話しかけた被験者の大半は、普段の通勤時より気分のいい体験になったと言い、普段は通勤電車内で仕事をしている被験者たちも、隣の人に話しかけても作業の生産性は落ちなかったと答えた」(同書より)  いったいなぜなのでしょうか。これには、「人間は自分の感情を予測するのが不得手である」ということが関係しています。これは今回の実験に限らず、多くの研究結果から明らかになっていることなのだそうです。 「電車内実験のような短期的状況だけでなく、長期的状況でも同じだ。人は人間関係がもたらすメリットを予測するのがとくに下手だ。人間関係は面倒で厄介だし、何が起こるか予測できないのは事実だ。だから一人でいることを好む人は多い。単純に孤独を求めているわけではない。他者と関わることで起こりうる面倒を避けたいのだ。だが、面倒事を過大評価し、人とのつながりがもたらすメリットを過小評価するのが人間だ」(同書より)  人間関係で嫌な思いをしたことばかりに意識が向いていないか、これまでに幸せで楽しい人間関係や人とのふれあいで生じる温かな感情も確かにあったはずなのに、それをないがしろにしていないか、それらをよく考える必要がありそうです。「一人が気楽だ」と人間関係を切り捨てるのは早計かもしれません。同書で紹介される「ハーバード成人発達研究」の被験者たちがたどった人生からは、よい人間関係の重要性やメリットなど学ぶことが多くあります。 「自分の人生は今はこんなふうだけど、幸せな人生に必要なものはどこか別の場所にある、あるいは未来にあると思い込むようになる。(中略)ここで種明かしをしてしまおう。幸せな人生は、複雑な人生だ。例外は、ない。幸せな人生は喜びにあふれている......けれど、試練の連続だ。愛も多いが苦しみも多い。それに、幸せな人生とは偶然の賜物(たまもの)ではない。幸せな人生とは、時間をかけて展開していく一つの過程(プロセス)だ」(同書より)  同書では、第1章「幸せな人生の条件とは?」のほか、先述の「電車の中の見知らぬ他人」の実験が記された第2章「なぜ人間関係が重要なのか」から第6章「問題から目を背けずに立ち向かう」で人間関係の基本的性質を掘り下げ、同書の教訓を日常生活に活かす方法を詳しく説明しています。第7章「パートナーとのグッド・ライフ――隣に寄り添う人とのつながり」以降では、家庭、夫婦や恋愛、職場など、人間関係を種類別に深く掘り下げています。そして最後に、同書の副題でもある「幸せになるのに、遅すぎることはない」につながります。 「幸せな人生は目的地ではないと認識することだ。幸せな人生とは道そのもの、道をともに歩く人たちそのものだ。人生という道を歩みながら、一瞬ごとに、注意を誰に、何に向けるかを決めていこう。週を追うごとに、人との交流を優先し、大切な人といることを選択しよう。年を追うごとに、人生を豊かにし、人間関係を育むことで、人生の目的や意味を見出していこう」(同書より)  科学的に分析しながらも優しく温かな言葉で導いてくれる同書。現在いい人間関係を築けていないから手遅れだ、などと思わず、同書を手に取ってみてほしいです。厳しくあたっていた人に優しく接するようにしたり、新しく出会った人とよい人間関係を築けるような工夫をしてみたり、小さなことから始めてみようという気持ちになります。「幸せな人生」は今すぐにでもスタートできると同書が何度も教えてくれています。
英紙も絶賛の役所広司「風変りな禅的キャラクター」 日本びいきの監督と本人が語る名演の裏側
英紙も絶賛の役所広司「風変りな禅的キャラクター」 日本びいきの監督と本人が語る名演の裏側 撮影・高野裕子  本年度カンヌ映画祭(5月16日~27日開催)で役所広司さんが主演男優賞を受賞したニュースは、日本を歓喜させた。同時に国民から愛される名優役所さんの受賞を、当然と感じた人も多いだろう。海外でも彼の演技はこれまでも高く評価されてきたが、一部の映画ファン域にとどまっていた。役所さんを受賞に導いた要因はなにか。カンヌで本人や監督らを取材した。 * * *「ほろ苦くもあり風変りな禅的なキャラクター」  今回の役所さんの演技を、英国ガーディアン紙は高く評価した。特に幸福と悲しみが交互に混じりあう彼の顔の表情を長いクローズアップで追うシーンは圧巻だとした。  カンヌで、役所さんが最優秀男優賞に輝いたのは、ドイツのヴィム・ヴェンダース監督の作品『PERFECT DAYS』(原題)の演技だ。東京・渋谷のトイレ清掃員の日々を描いた作品で、役所さんは主人公の「平山」を演じている。  役所さんのカンヌ映画祭における銀幕デビューは、1997年に最高賞であるパルム・ドールを受賞した『うなぎ』(今村昌平監督)。その後同映画祭では、『EUREKA』(2000年、青山真治監督)や『回路』(2001年、黒沢清監督)、『トウキョウソナタ』(2008年、同)、メキシコの巨匠アルハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督『バベル』(2006年)などの出演作が上映され、徐々に名優として存在感を示していった。  ただ、名優と評される俳優の中でも世界3大映画祭で名誉を受けるのは、ほんの一握り。今回、日本人の俳優が最優秀男優賞を受賞するのは19年ぶり2人目だった。  要因として考えられるのは、まず、ヴィム・ヴェンダース監督との共作が実現した点だろう。映画監督として知られるばかりでなく、写真、オペラ、舞踏などボーダレスに創作活動を続ける。その彼に、本作の発案者が、「自由に作品を制作できる」環境を彼に提供した。  本作は上映時間2時間程度の長編映画。驚くことに、監督は本作をわずか3週間で撮影した。3D長編作『ANSELM』を編集中で、スケジュールの問題が大きかったのだろう。役所さんは撮影を次のように振り返った。 「監督のいつものスタイルではないと思いますが、テストはなくてすべてが本番なんです。監督は、東京にはたくさんのノイズがあるので、まず音は待たない、ずっとカメラを通しで回し続けると。テストもしないで一気に撮るとおっしゃったのです。その点ちょっとドキュメンタリーを撮るような初めての経験ですし、撮影しているというより、そこで生活しているというような気持ちにさせてくれたのです。スタッフも大変だったと思います。でも何か現場でよどみなく流れていく撮影を経験でき、俳優として初めてで貴重な体験でした」 撮影・高野裕子  この3週間強行撮影が、演技にはいい方向に作用した。長編映画の撮影では、1シーンを何度も繰り返し撮影することが多い。完璧を追求するあまり俳優の演技が煮詰まることも多々。本作ではぶっつけ本番により役所さんの泉が湧くようで新鮮かついきいきした演技が見る者の心をとらえることになった。 「脚本のト書きは最小限度だったように思います。その場での演出と脚本に書かれている部分を混ぜ合わせながらの撮影でした。シーンによっては、監督は脚本とは全く違う方向で作られる場合があったので、それはその都度対応しながらの作業でした。いろんなことを想像させてくれるような脚本だったので、自分との違和感はなかったのです」(役所さん)  主人公平山を演じる役所さんの台詞は多くない。平山は、規則正しく自分の決めた生活を日々くりかえす一人の男という設定だ。朝起きてから夜眠りにつくまでカメラで追うことで、自然に彼の人生観や価値観、行きつくところ哲学までを透視する。 「平山の過去は当初僕たちの目の前には出てこなかったんです。僕もプロデュサーもそこが知りたいということで監督にお願いし、一晩で平山の過去を書き上げてもらいました。その時は本当に感動しましたね。美しい。平山は地獄を見た男ですが、その風景が美しかったんです」(同)  脚本は、無駄な説明がなく、詳細のない謎の多い脚本だったという。 「現場に立って平山はどういう男で、どのくらいのお金を使いながら生活しているんだろうか、と自分なりに考えたりしました。他の部分はすべて準備されていたので、そこから平山を引き出していきました。例えば使って切るはさみとか、歯磨き粉とか、そういった細かいものから平山という男が僕のなかに忍び込んできてくれて」  時々は監督からメモのようなものをもらい、特に迷っているときに役に立ったそうだ。平山という男について、役所さんは「うらやましい」と語る。 「僕も共演者の田中泯さんも、平山がうらやましい。平山さんのようになりたいと感じました。彼には物欲が一切なくて、最低限度の生活をして、好きな音楽を聴いたり、毎晩好きな本を読んだりして眠りにつく。うらやましくて、あんな生活がしてみたいと感じました」  一方、ヴェンダース監督は役所の演技をこう語る。 作品の場面カット(原題: 『PERFECT DAYS』/上映時間:124分 / 製作:日本 / 日本配給予定/プロダクション Wenders Images Wenders Foundation Spoon/(C)2023 MASTER MIND Ltd.) 「映画にはスピリチュアルなレベルがあります。役所さんはそれを承知し演技しました。説明する必要はありませんでした。演技で、精神的な面で表現してくれたのです」  監督によると、俳優の作業で大切なのは空間をいかに埋めるか、空間との関係性をうまく作り上げることだという。例えば平山が部屋を掃除するシーン。 「箒ではくことを想定していたのですが、彼が、祖母がやった方法で掃除しようと提案し、いきなり本番でバケツに新聞紙を入れて濡らし、それを畳に散らまき彼は部屋という空間を見事に埋めてくれたのです。あれ以上ベターな方法はないと思います」(ヴェンダース監督)  ちなみに、監督が明かしたところによれば、平山という主人公の配役が決定した段階で、役所さんは自らトイレの清掃を体験。監督は役作りで助言は必要なかったとか……。  役所さんはこう説明する。 「(清掃会社の方から)あすからうちで働けますよ、と言われました(笑)。一日ふつか、プロに密着し学びました。例えば洗剤もひとつだけでなく、汚れによって違い、道具もいろいろあって。ここは傷つくからこれでやってくださいと。細かいんですよ。よくやったといわれました」   実はヴェンダース監督は、日本びいきで日本に精通している。小津安二郎監督を尊敬してやまず、1985年に『東京画』という小津監督に捧げるドキュメンタリーを制作しているほどだ。今回、その監督が高崎卓馬氏と脚本を共作したことで、日本人が見ても違和感ない東京の生活を描いたあたりにも自然な説得力が生まれたのだろう。  ヴェンダース監督自身はこの作品をどう見ているのだろうか。 「不思議ですが、小津映画を通し私は東京の20年代から彼が他界する60代までを目撃したような気持ちです。『東京画』を作り、彼がやってきたことを続けたいいと思いました。小津没60年の今、それを続けたいと感じている。東京も過酷な時代を潜り抜けた。85年、『東京画』を制作したときは、東京はSF都市のようで、世界の中心だと思った。90年代厳しい時代を潜り抜け、世界がパンデミックを体験した後では、現在東京も再生の途中にあると感じる。今回そこに自分がコネクトできた。東京は強健かつ健康的な都市である感じているのです」  監督の日本へのリスペクトとタイミングや環境が作用して、生み出された役所さんの名演。今回世界最大の映画祭で、主演男優賞を授与されたことで、世界的トップ俳優として役所広司の名前は世界の隅々まで届くはずだ。 (高野裕子)
屈強な自衛官でも、心は壊れる。うつで地獄を見た元自衛官2人が話す、本当に役に立つメンタルスキル【前編】
屈強な自衛官でも、心は壊れる。うつで地獄を見た元自衛官2人が話す、本当に役に立つメンタルスキル【前編】 屈強な自衛官だからといって、メンタルが強いわけではない ※写真はイメージです。本文とは関係ありません(Mehmet Ozkan / iStock / Getty Images Plus)  4月から新しい環境で生活をスタートさせた人も多いでしょう。新生活に慣れた頃にやってくるのが、五月病。最近では六月病という言葉も使われます。  元陸上自衛隊のメンタル教官で、定年退官後はNPO法人メンタルレスキュー協会理事長を務め、数多くのカウンセリング経験を持ち、新書『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』の著者の下園壮太さん。陸上自衛隊の幹部自衛官だったときに、上司のパワハラでうつとなり地獄を見て、その後、退官して現在は航空業界で働くわびさん。その際の経験を記した著書『メンタルダウンで地獄を見た元エリート幹部自衛官が語る この世を生き抜く最強の技術』は、各方面で反響を呼びました。  自衛官の先輩、後輩でもある二人が、自身の自衛官時代のうつ体験、そしてそこからの回復の道のりについて、語りあいました。 *  *  *■自衛隊でまず、叩きこまれること わび:下園先生は防衛大学を何期に卒業されたのですか。 下園:26期です。 わび:私は一般の大学を卒業してから陸上自衛隊に入隊したのですが、下園先生の25年ほど後輩になります。 下園:わびさんも、入隊後に「陸上自衛隊幹部候補生学校」で学んだんですよね。鍛えられる場所だったでしょう。 わび:のんびりとした大学生活を送っていたので、幹部候補生学校の規律の厳しさには面食らいました。起床ラッパで目を覚ましたら3分以内に着替えて外で整列しないといけないわけですから。印象的だったのが半長靴(はんちょうか)という隊員用のブーツを毎日ピカピカに磨かなければならず、できなければ何度でもやり直しになることでした。 下園:大学時代から全寮制の生活を送ってきた防大卒でも厳しいと感じるので、一般大卒の方にはなおさらだったでしょう。そうしたしきたりを通じて、それまでの価値観をいったん壊し、自衛隊の流儀をたたき込みながら、メンタルの強さを育んでいくのが自衛隊の流儀ですね。戦場にいることを想定した組織ですから、普通の日常生活とは違う感覚、意識を植え付けます。 下園壮太著『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』(朝日新書)※Amazonで本の詳細を見る  戦場にいるときに、上官の命令にいちいち、「これをやる意味はあるのですか?」などと反論していたら、その間に敵にやられてしまうかもしれないので、まずは上官の命令に即座に動けるような訓練をするわけです。 わび:自衛隊で教わったことで今も役に立っていることはたくさんありますが、「簡明を基調とせよ」というのも心に刻まれています。上官に報告するときに、モタモタと話していると、「結論から言え。グダグダ話して、結論を言わないうちにお前が敵にやられたら、他に報告する人間はいないんだぞ」と叱られました。  極端に聞こえるかもしれませんが、言われてみれば、これが戦場の現実です。それ以来、口頭の報告でも文章でも、簡明を基調とし、結論から伝えることを習慣にしています。 下園:その考え方は、自衛隊以外の会社でも当てはまるものですね。自衛隊というのは、シビアな戦場を生き抜くことを基本とした行動や考え方が蓄積されていますので、その他の世界でも有用なことがたくさんあります。 ■屈強な自衛官だからといって、メンタルが強いわけではない わび:本当にそう思います。ただ、だからといって、自衛官がみんな絶対に壊れない強靱なメンタルを持っているのかというと、そういう訳ではありません。 下園:そうですね。自衛官は、自分の身体に自信を持っている人が多いです。だからこそ、ちょっとした病気をしたり、ケガで思うように動けなくなったりしたときに、ズンと落ち込んでしまうことがあります。  有名な人でいえば、東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉さん。陸上自衛隊の幹部候補生学校の登山走大会では、彼が残した記録が今でも破られていないはずです。  そんな円谷さんも、持病の腰痛が悪化し、理想となる走りができなくなり、メキシコ五輪に向けての訓練中に自死してしまったわけです。  そこから読み取れるのは、1つのことに全集中してしまうよりも、複数のより所を持つべきであるということ。それも、「静」と「動」、身体を動かすことと、静かにできることの両方を持つことをオススメしています。 わび著『メンタルダウンで地獄を見た元エリート幹部自衛官が語る この世を生き抜く最強の技術』(ダイヤモンド社)※Amazonで本の詳細を見る わび:私自身もメンタルを壊したことがあるので、よくわかります。「剛健」であれという幹部候補生学校の理念に染まった私は、学級委員的なポジションである「自律実践係」に立候補します。幹部のあるべき姿を追いかけ、「意識高い系」の幹部自衛官としてキャリアをスタートしました。  その後、師団司令部から幹部上級課程(AOC)を経て、方面総監部へと異動したのですが、そこでうつになったんです。 下園:師団司令部と方面総監部、それに陸上幕僚監部を加えた3つの部署は業務内容の高度さや多忙さ、緊張感などで過酷な部署なんですよ。私も師団司令部で任務に当たっていたときは辞めたくなりました(笑)。 わび:師団司令部の仕事は非常に高度で緊張感もありましたが、人間関係に恵まれ、明るく前向きに取り組むことができました。私生活も順調で、AOCを修了したころに双子に恵まれました。転落のきっかけとなったのは、方面総監部への転属です。そこで、パワハラにあったんです。 ■パワハラで身も心もぼろぼろに 下園:どんなパワハラでしたか。 わび:嫌がらせと理不尽な叱責です。報告や連絡を後回しにされるのは当り前。仕事のことばかりでなく、弁当の中身や子どもの名前などのプライベートについても言いがかりをつけられました。  常に「怒られる」ことが頭から離れず、缶コーヒーの種類も選べないほどになってしまいました。どの缶コーヒーなら怒鳴られずに済むのかなって考えてしまって……。  覚えていないのですが、ある日、職場で叫びながら自分のデスクの中に潜っていたようで、そのまま病院に運ばれました。「過労状態」「うつ病」「不安神経症」と診断を受け休職することになりました。 【図版】ライフイベントのストレス 下園:アメリカの学者であるホームズとレイがまとめた、ライフイベントのストレス表があります。様々なライフイベントが心に与えるストレスを数値化して評価するものです(表参照 ※外部配信先では図版などの画像が全部閲覧できない場合があります。図版をご覧になりたい方は、AERA dot.でご覧ください)。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません  お子さんが生まれたとわびさんはおっしゃっていましたが、家族が増えるという幸せな出来事も、実は心に重圧を与えるものなんです。さらに異動による新しい仕事と労働環境の変化があった。そんな状態の時に、たまたま強烈なパワハラのストレスが加わって、心が悲鳴を上げてしまったのでしょうね。 わび:追い込まれすぎてしまっていて、別の上司に助けを求めたり、担当窓口に相談したりする気力もありませんでした。 ■メンタルを指導する教官自身がうつになる 下園:私も在職中にうつになったことがあります。でも、言葉は変ですが、わびさんに比べると“恵まれた”うつでした。  1996年に自衛隊初の心理幹部に就任してから、色々な場所に派遣されてカウンセリングをしたり、講演をしたり、最初の著書を執筆したり、家を建てたり、新しい車買ったりと、私も、多数のライフイベントが重なっていたんです。  そんな折、アメリカで「9.11」テロが発生し、よりメンタルヘルスの重要性が認知されるようになりました。張り切った私はより精力的に仕事をしていたのですが、ある講演のときに急に吐き気がして話せなくなって講演を中止して、そのまま倒れてしまったんです。 わび:それは大変ですね。 下園:講演では「誰でもうつになる」と言いながら、自分は絶対にならないという変な自信がありました。でも、まんまとそうなったわけです。  翌日には師団等の幹部約500名を集めた重要な講演があったのですが、それもドタキャンさせてもらいました。私がラッキーだったのは、それを許容できる職場だったことですね。講師役を変わってくれる勇気ある同僚もいたし、メンタルヘルスを担当する部署だったので、休める雰囲気もあったのです。信頼できる精神科のドクターと一緒に活動していたので、すぐに受診し、うつの診断をもらいました。  休養のため1カ月は完全に休みを取り、休み後も業務量を絞って勤務をするうちに、1年ほどで元の状態に戻ることができました。「また壇上で喋れなくなったらどうしよう」という恐怖のあった講演の仕事も、復帰から1年経った頃には再びできるようになりました。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません ■うつからの回復には「自信」がポイントになる わび:復活するきっかけはあったのですか? 下園:やはり「自信」を回復したことでしょう。自信とは、成功を重ねて、「もう失敗しないだろう」という予測ができるようになることだと思うんです。  私の場合は、先ほども言ったように周りの理解のもとに少しずつ仕事をできたことにあると思います。カウンセラーとしてクライアントと面談をする際にも、回復を焦らないように抑えつつ、ある段階からは1歩ずつ挑戦して、「できた」という達成感を積み重ねて自信にするように伝えています。 わび:私の場合も、小さな達成感の積み重ねでメンタルダウンから回復しました。医師の指示に従いながらトレーニングをしたり、神社の御朱印巡りをしたりすることで、職場復帰への自信をはぐくむことができたんです。 下園:それはよかった。 わび:復帰後には、陸上自衛隊のある学校へと異動になるのですが、そこでの自衛官との出会いが私を大きく変えました。「自衛官はかくあるべき」と凝り固まっていた思考から、人生という物事を戦略的、大局的に見る術を獲得できたのです。  その方は高度な知識を持っていましたが、いわゆる出世コースからは外れた人でした。以前の自分でしたら、自分の目標とする自衛官ではないとたいして気にもしなかったかもしれませんが、その生き方は爽快で、組織にとって本当に必要だと思うことは、上司に忖度することなく意見していました。  この方の「人生戦略」とも言える生き方、考え方は、私のメンタルを回復する土台となりました。 下園:わびさんのキャリアを拝見していると、今の言葉は非常に納得できます。AOC(幹部上級課程)では戦術・戦略についても学びます。ただ、一般的な自衛隊幹部は、AOCで学んだことをきちんと理解できる人はそれほど多くないと思っています。なぜなら、現場での経験が少ないから。また、戦場では当たり前の「人の極限の心理状態」を知らないから。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません(francescoch / iStock / Getty Images Plus)  でも、わびさんはAOC入校前から師団司令部に所属し、宮崎県の口蹄疫問題や東日本大震災などの災害派遣の実績もある。さらに幸か不幸かメンタルダウンを経験した。だからこそ、その戦術的・戦略的な考え方を自分のものにできたのだと思います。その知識を生かし、退官後も異なる職場で活躍できている。しっかりとレジリエンス(しなやかな回復力)を身に付けられたのとだと思います。 わび:ありがとうございます。 ■うつからの回復は慎重に、でもどこかで勇気も必要になる 下園:もうひとつ、わびさんのキャリアで良いチョイスだと思ったのが、メンタルヘルス回復期の熊本地震の災害派遣です。 わび:私も運命的な出来事だったと考えています。職場復帰から3年ほどの時間が経っていましたが、薬は手放せず、メンタルダウン以前の自信を取り戻せてはいませんでした。その頃に熊本地震が発生しました。  災害派遣に参加することに周囲の人は反対しましたが、熊本は幹部候補生学校を出た後に最初に配属されたところであり、東日本大震災での活動経験もある私にとっては、なかば使命感のような思いから志願したんです。  災害派遣先の南阿蘇司令部は、師団長自らが指揮をとる緊張感のある現場でした。まったく知り合いもおらず、手探りの任務でしたが最終的に「来てもらってよかった」との言葉をいただけたのです。それがすごく自信になりました。 下園:うつからのリカバリーは、とても難しいことです。沈んでしまった心をなんとか引き上げて現実に向き合えるまで持ってこなければならないのですが、どのステージで挑戦するのかのチョイスが大事です。私もカウンセリングで、「焦らないで復帰しよう」と伝えながら、どこかのタイミングで、「勇気を出してやってみよう」と背中を押すようにしています。周囲が反対したにもかかわらず、飛び込んでいったわびさんの勇気は素晴らしいと思います。 ※後編「五月病、六月病にも効く「心の予防注射」とは? うつで地獄を見た元自衛官2人が話す、本当に役に立つメンタルスキル」へつづく (構成/星政明) 下園壮太さん 下園壮太(しもぞの・そうた)1959年、鹿児島県生まれ。NPO法人メンタルレスキュー協会理事長。元・陸上自衛隊衛生学校心理教官。1982年、防衛大学校を卒業後、陸上自衛隊入隊。筑波大学で心理学を学び、1999年に陸上自衛隊初の心理幹部として、多くの自衛隊員のメンタルヘルス教育、リーダーシップ育成、カウンセリングを手がける。2015年に退官し、講演や研修を通して、独自のカウンセリング技術の普及に努める。惨事ストレスに対応するMR(メンタル・レスキュー)インストラクターでもある。主な著書に『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』『自衛隊メンタル教官が教えるイライラ・怒りをとる技術』(以上、朝日新書)など多数。 わび航空業界で働く危機管理屋。某国立大学卒業後、陸上自衛隊幹部候補生学校に入隊。高射特科大隊で小隊長、その後、師団司令部や方面総監部で勤務。入隊後10年間は順風満帆だったが、早朝から深夜までの激務と上司によるパワハラが重なり、メンタルダウン。第一線からの異動を経て、「出世ばかりが人生ではない」「人に認められるためではなく、もっと楽しく生きたい」と思い、市役所に転職。激務だった自衛隊時代に比べると天国のような場所だったが、自らの成長の機会を得るため、転職後1年半で航空業界にキャリアチェンジ。給料は市役所時代の倍に跳ね上がった。自衛隊などの社会人経験で身につけたメンタルコントロール術、仕事や人間関係に対する向き合い方などを中心にツイッターで発信を開始。普通の会社員にもかかわらず、開始して2年で8万人フォロワー突破。ツイートはネットニュースにも取り上げられ、人気を博している。著書に『メンタルダウンで地獄を見た元エリート幹部自衛官が語る この世を生き抜く最強の技術』(ダイヤモンド社)。

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