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手作り梅酒の仕込みはいま! 基本は「生梅・焼酎・砂糖」アレンジを梅干し研究家が紹介
手作り梅酒の仕込みはいま! 基本は「生梅・焼酎・砂糖」アレンジを梅干し研究家が紹介  毎年5~6月に巡ってくる、生の梅が出回る季節。梅仕事というと「梅干し」ですが、実はビギナーにも挑戦しやすいのが「梅酒」です。梅干し研究家の小川睦子さんは、著書『はじめてでもおいしくできる 梅干し・梅レシピの基本』(朝日新聞出版)で、基本の梅酒の作り方だけではなく、ブランデーやウイスキーを使ったアレンジ梅酒レシピも掲載している。基本の梅酒は、生梅・焼酎・砂糖を保存瓶に入れるだけと、とても簡単。甘さを控えめにしたい場合の分量などとともに、本から抜粋して紹介したい。 *  *  * ■5~6月に仕込んだら3カ月後には飲める  使用する梅は、青梅でも完熟でも、熟しすぎたくらいのものでも構いません。青梅ならすっきり爽やかな味わいに、熟した梅なら香り高いコクのある味わいになります。どちらもおいしいです。おいしい焼酎を選べば、さらにおいしくなります。  そして、漬け込みをしてから約3カ月がたつと、飲むことができます。時間が経てば経つほど、旨味が深まりますので、長く保存しておくのも楽しみです。 ■基本の梅酒の作り方 【材料】 梅500g 焼酎 (ホワイトリカー)900ml 砂糖200g  *甘さ控えめのレシピです。甘くしたい方は砂糖600 ~700g で作ってください。 【作り方】 (1)梅を用意します。  スーパーなどで販売されているものは通常1袋が1kgです。5月中旬~下旬頃に、「梅酒用」「梅シロップ用」と書かれたまだ青くてかたい梅が並びます。入荷時期はお店で聞いてみましょう。  基本的には、キズや打ち身があまりないものを選びましょう。とはいえ、少々のキズであれば、さほど気にする必要はありません。果物を選ぶ感覚と同じです。キズや傷みがひどい場合は、ジャムや梅味噌などを作るとよいでしょう。  収穫からあまり時間を置かずに作業を行うのが理想的です。お店の人に入荷日を確認して購入するとよいでしょう。なお、梅の実は温度変化に弱いので、冷蔵庫から出した場合、常温で保存していたものよりも早いスピードでカビや腐敗が進む可能性もあります。お店で冷蔵庫に保管されていた梅は早めに作業を始めましょう。  梅の実は、「自分の住んでいる場所に近い梅が一番おいしい」という言い伝えもあるとか。産地、品種によって少しずつ味が違い、それぞれにおいしさがあるので、いろいろ試してみるとよいでしょう。 (2)梅を水で洗います。  梅を水で洗う  ボウルに入れて2~3回水を替えて洗います。強くぶつけたりしなければ、ごく普通に果物などを洗う感覚でOKです。汚れが気になる場合はホワイトリカー(焼酎でも可)を少量使って洗うとよいでしょう。青梅の場合は、水に浸けてアク抜きをします。 (3)水気を拭きます。  清潔なふきんやタオル、キッチンペーパーなどで水気を拭き取ります。水気が残っていると、カビの原因になります。ざるに上げて水を切り、そのまま乾かしてもOKです。 (4)消毒した容器に梅と砂糖を入れて焼酎を注ぎます。  果実酒用のガラスびん、密閉できるガラスびんなどを使いましょう。写真では氷糖を使用しています。 梅と氷砂糖を焼酎 (ホワイトリカー)で漬ける                       (5)常温で置いておきます。 3カ月~半年程度で少しずつ色づく  3カ月~半年程度で少しずつ色づいてきて、色は年々、濃くなってきます。置く場所は、直射日光の当たらない室内であればどこでも構いません。 ■アレンジ梅酒の作り方 ブランデー梅酒  お好みのお酒で作ると、楽しみはさらに広がります。ブランデーやジン、ウォッカ、ウイスキーなどの洋酒だけではなく、泡盛でも梅酒ができます。アルコール度数が35度以上のお酒で作りましょう。漬け込んだ梅のおいしさにもこだわるならブランデーです。お菓子作りなどに活用もできます。毎年、使うお酒を変えて楽しむのもいいですね。  ブランデーで作る梅酒  使用する砂糖はお好み次第ですが、氷砂糖ならゆっくりと旨味を引き出してくれます。さまざまな砂糖をブレンドしてもよいでしょう。市販の甘い梅酒が苦手という方はぜひ手作りしてみてください。砂糖の量を控えめにすると、すっきりとした旨味のある仕上がりになり、梅酒のおいしさを発見できるはずです。  作り方はいずれも、基本の梅酒の作り方とほぼ同じ。「基本の梅酒の作り方」の(5)の焼酎を好みのお酒に変更するだけです。 【ブランデーの場合の材料】  梅250グラム、砂糖150グラム、ブランデー500ミリリットル 梅250g ブランデー500ml 砂糖150g 【ジン、ウォッカの場合の材料】 梅250g ジンまたはウォッカ500ml 砂糖50~100g 【ウイスキーの場合の材料】 梅250g 酒500ml 砂糖100g 【泡盛の場合の材料】 梅250g 酒500ml 砂糖70~100g 小川睦子・梅干し研究所(UMEBOSHI-LABO)主宰。梅干し研究家であり、編集者&ライターでもある。幼少の頃より梅干しをこよなく愛し、梅干しの研究に励む傍ら、梅干しの魅力と梅干し作りの楽しさを伝える活動を関東と福岡を中心に行う。簡単にできる梅干し作りや梅干しを使った料理などの講座も好評。自然食品店などでは手作りの梅干しも販売する。 (構成 生活・文化編集部 森 香織)
【特別インタビュー】村上春樹が語った60~70年代、音楽、若者へのメッセージ
【特別インタビュー】村上春樹が語った60~70年代、音楽、若者へのメッセージ   村上RADIOのスタジオで(TOKYO FM提供)  作家の村上春樹さんが「週刊朝日」の休刊にあたり特別インタビューに応じた。自身がDJをつとめるTOKYO FM「村上RADIO」のゼネラルプロデューサー・延江浩さんを相手に、昨年自らがプロデュースした「再乱入ライブ」や今夏発売のレコード、さらに放送50回を迎えた「村上RADIO」への思いを語った。  世界中で若者たちの反乱が起こったのは1960年代後半。ベトナム戦争の泥沼化に伴う反戦運動など、世界全体で同時多発的に起きた体制改革を求めるうねりの主役といえば、アメリカならベビーブーマーたちで、日本では団塊の世代だった。僕にとって10歳ほど年上の兄貴・姉貴たち、つまり村上春樹さん世代の反乱ということになる。  変革のエネルギーに満ち溢れた彼らの青春は読み物や映画でたどることができるが、音楽こそ最も大切なアイテムだ。  若者たちの闘争の季節の真っただ中、69年7月、早稲田大学の教室で行われた山下洋輔トリオ(ピアノ山下洋輔、サックス中村誠一、ドラム森山威男)のフリージャズライブはその象徴として今も語り継がれている。  仕掛け人は当時東京12チャンネル(現テレビ東京)のディレクターだった田原総一朗さん。革マル派が支配していた大隈講堂から黒ヘルのノンセクトラジカルがピアノを勝手に運び出し(その中に作家の中上健次もいたという)、4号館でゲリラライブを敢行するという企画だった。  田原さんを訪ねると、「こんな危険なことはなかったよ。だってそこには民青(共産党系の日本民主青年同盟)が立てこもっていたんだから」と言う。「いやね、山下洋輔さんが、『どうせならピアノを弾きながら死にたい』っていうから、よし、だったら死に場所を探してやるって」  田原さんは温和な表情でどこか面白そうに乱暴なことを口にする。  死に場所を提示された一方の山下さんは、「当時は特別な状況でね。火炎瓶が飛び交ったらどうやって逃げようか。ピアノは早稲田のものだから置いて逃げちゃえばいい。中村もサックスを抱えて逃げますなんて言ってね。森山はドラムに火をつけられたらどうしようもない。だけど、その日、対立するセクトの学生たちが僕たちのフリージャズに聴き入ってしまった。音楽が勝ったんです」   圧巻のライブを繰り広げた山下洋輔トリオ(左から山下、中村誠一、森山威男=TOKYO FM提供)  そんな伝説のライブが昨年7月、大隈講堂で再現された。題して「山下洋輔トリオ再乱入ライブ」。名付けたのは、他でもない村上春樹さん。そもそもの始まりは2021年9月にあった早稲田大学国際文学館(通称村上春樹ライブラリー)開館前の記者会見だった。マイクを持って壇上に立った村上さんが69年の山下トリオのライブに触れ、「いつかまた、早稲田であんなライブができるといいですね」と語ったその翌日、僕のスマホに山下さんのマネージャーM氏からの着信が。折り返すと、「ぜひ、実現させましょう。山下もその気です」  コロナ禍の中、プロジェクトが動き出した。 「オリジナルの乱入から既に半世紀以上が経過してしまったわけですが、大丈夫。ご安心ください。乱暴な精神はまだしっかり生きて、引き継がれています」。  これはプレスリリースに村上さんが寄せたコメントだ。 「ジャズの伝統を継承し、引き受けながら、新しい独自の地平をがっつり拓き続けてきた山下洋輔さんの音楽。それをひとつの糧として、推進力として、ぼくら自身の新しい地平を共に明るく拓いていこうではありませんか」  満を持してステージに登場した山下トリオはのっけから凄まじい演奏を繰りひろげ、集まった聴衆(現役学生も含めて)の度肝を抜いた。その模様はネットで世界配信され、村上RADIO特別番組としてJFN(ジャパンエフエムネットワーク)38局をネットして北海道から沖縄まで全国放送された。  今年の夏、その熱狂ライブがいよいよレコード化され、「村上RADIOレーベル」から限定発売されることになった。プロデューサーは村上春樹さんで、ライナーノーツも寄稿している!  4月下旬、「RADIO PAPA」のために米マサチューセッツのウェルズリー大学に滞在中の村上さんが、メールでの僕らの質問に答えてくれた。さらに帰国した村上さんを5月19日に事務所に訪ね、インタビューした。 ――春樹さんは村上春樹ライブラリー開館前の記者会見で54年前の山下洋輔トリオライブのお話をされました。会見でこの伝説のライブに言及された理由を教えてください。  国際文学館は大学の現在の4号館を改装したものですが、1969年の「山下洋輔トリオ乱入演奏事件」はやはり当時の4号館(現8号館の場所にあった校舎)で行われました。現在の4号館と、当時の4号館とは名前が同じというだけの違う建物なんだけど、でもこれも何かの縁で、当時の山下トリオがキャンパスに持ち込んだエネルギーのようなものを、ここでもう一度再現できるといいなとふと思いました。大学というのは静かに学ぶ場所であるばかりではなく、いろんなものを賑やかに攪乱(かくらん)する場所でもあるべきだと思うんです。そういう二重性みたいなものを、少しでも今のキャンパスに再現できるといいなと。 ステージで当時の思い出を語る村上さん(中央、TOKYO FM提供) ――1968年に神戸から早稲田大学に入学され、上京後、真っ先に新宿ピットインに行ったとお話されていました。当時、どんな生活を送っていらっしゃいましたか。  1968年から70年くらいにかけての東京は本当に見事に混乱した都市で、すべてが刺激に満ちていました。なんでもありというか、おもちゃ箱をひっくり返したようなスリルに満ちていた。古い価値観が力を失って、自由に呼吸ができるようになったみたいな・・・。そういうのはもちろん一種の錯覚だったし、長くは続かなかったんだけど、そんな錯覚、というか幻想が確かなリアリティーを持てる時代でした。  当時のピットインは新宿の紀伊國屋書店の裏にあって、エネルギーに満ちた場所でした。そこに行けば何かが起こる・・・みたいな期待に満ちていた。ジャズもロックもどんどん目まぐるしく変化していて、そんな世の中の流れについていくだけで忙しくて、あっという間に時間が経ってしまったような気がします。でも楽しかったな。みんな髪を長くして、髭を伸ばしていて。その頃みんなが集まる場所は新宿だったですね。僕も新宿の街でいろんなアルバイトをして、歌舞伎町東映でほとんど毎週ヤクザ映画を観ていました。 ――伝説のライブの再演が決まった2022年はパンデミックやウクライナ軍事侵攻など、世界が揺れた1年でもありました。プロデューサーとしてイベントにどんなメッセージを込めたのでしょうか。  コロナ禍の最中に行われたコンサートだったんですが、ちょうどコロナが一時的に、台風の目みたいにすっと収まった時期にあたっていたので、なんとか無事に決行することができました。考えてみれば幸運だったですね。そういう久しぶりの心の解放感も、コンサートの成功に結びついていたのではないかと思います。コロナの蔓延といい、ウクライナの戦争といい、気持ちの晴れない日々が続いていたわけですが、善き音楽の力というか、そういう心の昂(たかぶ)りは、そんな困難な時期にこそ必要なんだと痛感しました。 ――2018年に第1弾が放送された「村上RADIO」は5月で放送50回を迎えました。今後はどんなことをしていきたいですか。  全部成り行きだからね、方針も何もない(笑)。思いつきでやっています。特に回数を数えてもしょうがないというか、ただやりたいことをやっているだけ。これからも気の向くままじゃないかなと思うけど、やりたい、かけたい音楽もいっぱいあるし、こういう企画をやりたいなっていうものはいっぱいあるからまだまだできる。でも、あの曲をかけたいと思っても探してくるのが結構しんどいですね。僕はジャズに関しては全部きちっと整理しているか、何がどこにあるか頭に入ってるんだけど、CDに関しては整理してないんだよね。 村上RADIOのスタジオで(TOKYO FM提供) ――村上RADIOを始めるとき、何人か気の置けない仲間に自宅で音楽を聴かせる風に、とおっしゃっていました。そのスタンスは変わらないわけですね。  僕はジャズの店を辞めてからずっと1人で音楽を聴いてきたから、そろそろ誰かと一緒に聴いてもいいかなという気持ちになってきて。1人でいるのは全く苦痛じゃない人間だから1人で音楽を聴いてりゃいいやと思ってたんだけど、だんだんやっぱり人間が少し練れてきて、いまは人と一緒に聴いてもいいかなという感じです。 ――春樹さんは、収録日になってリスナーが絶対知らないだろうなって曲を出してくる。いわゆる新譜ばっかりじゃない。そこが、春樹さんがDJをつとめる番組ならではの醍醐味という気がします。  でも同時に、この前スガシカオさんと公開収録をやったとき(今年4月放送)に有名な曲ばかりかけたけど、2人で話しながらかけてると、有名な曲でも新鮮な印象が出てくるよね。「そうか、こういう聴き方があるんだ」とか「こういう感じ方があるんだ」とかいうのがあるじゃない? そういうものも必要なんだよね。 ――番組から派生して「MURAKAMI JAM」というイベントも開きました。どんな思いでプロデュースをしたんですか。  僕はジャズの店をやってるとき週末に生演奏をやってたから、生演奏には慣れてるんですよね。音楽ってね、レコードばっかり聴いていると偏っちゃうから、生の音楽を時々聴かないとうまくバランスが取れないんですよ。番組も生の音楽を時々入れないと、酸欠に近い状態になっていくんじゃないかなと思うんだよね。外気を取り入れないといけない。 ――山下洋輔トリオの大隈講堂でのライブもそうした企画の一つですか。  うん、ちょっと揺すってみるというか。毎月毎月同じ僕が喋って、音楽かけて、っていうのをやってると固まってきちゃうから時々揺さぶりをかけて、いろんなことをやらないと物事はうまく動いていかない気がするんですよね。それと、若い人がどれぐらい放送を聴いているのかわからないけど、普通だったら聴けないような音楽を若い人たちに聴いてほしいという気持ちはなくはないよね。 村上春樹presents山下洋輔トリオ再乱入ライブ Original Vinyl Limited edition ――春樹さんのリスナーは10代の男の子もすごく多いです。  とにかく新しい体験みたいなものをしてもらえばいいと思ってます。だからなるべく(音楽ストリーミングサービスの)Spotifyで検索できない音楽をかけるとかさ。ほとんど嫌がらせだけど(笑)。「これはSpotifyにありませんでした」という反応が来ると、なんか嬉しくて。 ――先ほどの伝説のライブの模様を「村上RADIOレーベル」としてアナログレコード化されました。どんな方にこの演奏を届けたいですか。  限られた数の聴衆を前にした一度限りのコンサートだったんだけど、実に充実した素晴らしい演奏だったので、少しでも多くの人に聴いてもらいたいと思います。「フリージャズ」っていうとなんだか難しく聞こえるけど、要するに「自由な音楽」のことです。狭いカテゴリーにこだわらず、もっと広い意味を持つ自然な音楽として聴いてほしいですね。時代やファッションを超えた音楽として。僕もライナーノーツを書いています。 ――聴きどころをお願いします!  山下さんの音楽の神髄はやはり自由さにあると思います。その自由さは高い壁を越え、時間を通り越していきます。だから聴き手もしっかり心を拡げて、ナチュラルに耳を澄ませることが何より大事になります。最近はみんな何でもすぐに批評する傾向があるみたいだけど、ちまちました批評なんか抜きにして、とにかく自由に音楽そのものを聴いてもらいたいですね。 ――当日は若い現役学生世代も大興奮でした。若い世代へのメッセージがあればお願いします。  若い人のことって、僕にはもうよくわからないです(笑)。だからっていうか、昔からほとんど自分のことしか考えてないんだけど、でも若いときに大事なのは、鮮やかな思い出を少しでもたくさん作っておくことですね。歳をとるとその思い出のストックが大事な燃料みたいになります。ソーシャル・メディアみたいなのも便利で有用だけど、五感をしっかりと使ったフィジカルな思い出作りも大切ですよね。そういうのって、意外にあとまで残るから。優れた生の音楽を聴くというのもとても大事なことだと思う。(構成 本誌・佐藤秀男) 村上春樹presents山下洋輔トリオ再乱入ライブ Original Vinyl Limited edition(村上春樹さんによる書き下ろしライナーノーツを含む16頁冊子・特別付録付き/シリアルナンバー入り / 重量盤 / 9000円+税別)TOKYO FM公式通販サイトで5月30日から予約開始。全国CDレコード店は7月以降発売予定  週刊朝日と「村上朝日堂」 村上春樹さんが身辺雑記を赤裸々に綴った「村上朝日堂」は1985~86年と95~96年にかけて掲載された本誌の名物連載エッセー。挿絵はイラストレーターの安西水丸さん。安西さんが亡くなった2014年には村上さんが書き下ろした特別編が掲載され、1回限りの名コンビ復活が話題を呼んだ。 ※週刊朝日2023年6月9日号
日経平均3万円超えを「的中」させた専門家が警告する“バブル”と日銀のジレンマ
日経平均3万円超えを「的中」させた専門家が警告する“バブル”と日銀のジレンマ 3万円を超える日経平均株価を示すボード=5月19日、東京都中央区  昨年12月31日、AERA dot.編集部は「日本経済は30年ぶりにデフレ脱却して成長軌道に 『日経平均は年末に3万円を予測』の真実味」という記事を配信したが、それから半年もたたずに「3万円超え」は現実のものとなった。この株高は日本経済の実態を反映した「本物」なのか。株価上昇の理由や不安材料について、再びJPモルガン証券のチーフエコノミスト、藤田亜矢子さん聞いた。 *   *   *  年明け2万5000円台だった日経平均は5月17日、終値で3万円を超えた。「一気にきましたね」と、藤田さんは振り返る。  この株高は実体経済を反映したものなのか?  それとも日本株へ資金が流れ込む別な理由があるのだろうか?  筆者の問いに対して、「両方だと思います」と藤田さんは答える。 「やはり今、日本経済は好調なんですね。その要因がアフターコロナのペントアップ需要、いわゆる『リベンジ消費』です。訪日観光客もすごく増えていて、経済成長に寄与しています。これはなかなか珍しいケースです」  これまで日本の景気循環は製造業の業績とほぼリンクしてきた。ところが今回は、「コロナ明け」という特殊要因によって経済が成長軌道に戻ってきた。 ■相対的に力強い日本経済  2023年第1四半期の実質GDP成長率(1次速報)は前期比年率1.6%と、市場予測0.8%程度を大きく上回る伸びとなった。それをけん引したのがプラス0.7%の内需で、マイナス0.3%の外需とは対照的だ。  個人消費はインフレによる実質所得の減少にもかかわらず、前期比年率2.4%の伸びとなった。 「昨年から物価が大きく上昇しましたが、個人消費が生活防衛のようなかたちで腰折れするようなことはありませんでした。みなさん、コロナ禍で外出して消費をする機会が少なかったので、その間に『過剰貯蓄』が生まれた。それが世の中に出てきて、ペントアップ需要につながっています」 藤田亜矢子さん(撮影・米倉昭仁)  度重なる利上げで欧米の経済に減速感が出始めている一方、日本のPMI(購買担当者景気指数)は突出している。 「なので、相対的に日本経済が強く見える状況は明らかにあると思います。円安の影響もあって外国人旅行者の関心はすごく高いですし、これまで日本に来たことがなかった投資家も日本へ関心を示しています」  アフターコロナの経済回復や外国人の積極投資が日経平均を上昇させている、という報道もよく目にする。  ところが、藤田さんは「それだけではこの株価上昇は説明がつきません」と懐疑的だ。 ■実質的に大幅な金融緩和  実は今、インフレによって実質金利が大幅に下がり、インフレ対策として株や不動産に資金が流れやすい状況が生まれているという。 「これまで、リーマン・ショックなどで実質的な金利が一時的にマイナスに振れることはありました。ところが現在の実質短期金利はマイナス3%くらいです。そんな数字はコロナ前には見たことがありません。これが何を意味するかというと、もはやバブルを生み出しかねない条件なんですよ」  しかも、この状況は一過性のものではなく、マイナス2%程度の実質短期金利が今後、数年間は継続すると予測する。 「歴史的なインフレ下にもかかわらず、日銀が動かないことで、結果的に大幅な金融緩和の状態になっています。普通、この金利を考えれば、株を買うか、不動産を買う、ということになるでしょう。この流れは日銀が止めなければ、止まりません。もしくは、急にインフレ率が下がるか、ですね」  日銀は今のインフレは一時的なもので、今後3年間のインフレ率を約1.8%と見込んでいる。しかし、藤田さんの目には日銀のインフレ予測は相当あまいと映る。  独自のシミュレーション結果を基に「日銀の植田和男総裁が言う『今年度半ばにかけて2%を下回る水準に低下していく』というインフレ見通しは、いったい何を根拠に語っているのでしょうか」と指摘する。 「マーケットの予測に比べてかなり低い日銀のインフレ率のもとですら、金融政策の調整が行われなければ、大幅にマイナスの実質金利がずっと続くわけです」 ■住宅ローンが払えなくなる  本来なら、利上げに着手しなければならないタイミングだが、日銀はそれができないジレンマに直面していると、藤田さんは考える。 「もし、日銀が100ベーシス(1%)、短期金利を上げると表明したら、政治的にものすごく反発があるでしょう」  そう言うと、藤田さんは身近な例として住宅ローンを挙げた。 「日本では約7割の人が変動金利で住宅ローンを組んでいるといわれます。それを外国人に話すとびっくりします。金利上昇のリスクが大きいので、彼らは普通、固定金利を選ぶんですよ。ところが長年、ゼロ金利に慣れてしまった日本人にとって、変動金利は当たり前の選択になってしまった」  特に心配されるのはタワーマンションなどをほぼ頭金ゼロで購入したダブルインカムの世帯だ。 「1%金利が切り上がったらものすごい利払いになります。ローンが払えなくなる人が続出するでしょう。それが社会問題化する可能性があります」  一般の人々だけでなく、企業でも同様のことが起こるという。 「多少、金利が高くなっても継続可能な事業ならいいのですけれど、ゼロ金利を前提に進めてきたプロジェクトは、金利が上がれば立ち行かなくなります。当然、倒産も増えるでしょう」 ■日銀も赤字に陥るリスク  さらに、短期金利の引き上げは日銀自体にも問題を引き起こす。  日銀の当座預金残高は約553兆円(23年4月末)。ちなみに、過去最大といわれる23年度政府予算、一般会計の総額は約114兆円である。日銀がこのバランスシートを維持したまま短期金利を引き上げると多額の利払いが必要になる。単純計算では、現状のまま政策金利を0.5%引き上げれば年間2.6兆円の利払い負担が生じ、日銀は赤字に陥る。 「中央銀行は債務超過になったからといってオペレーションを続行できなくなるわけではありません。ただ、日銀が赤字になれば毎年、国庫に納めていた約1兆円が支払えなくなります。国にとってはそのぶんの税外収入が減ることを意味します」  黒田東彦前総裁時代に膨れ上がったバランスシートを元に戻すには、国債やETF(上場投資信託)などの資産を売却する必要があるわけだが、相当慎重にゆっくり売却しないと市場は大混乱に陥ってしまう。 「まあ、10年では終わらないでしょう」  仮に、日銀がバランスシートを調整せずに金利を引き上げ、債務超過の状態でオペレーションを続ければ、金融市場における「円の信認」が損なわれる危険性がある。そうなれば、さらなる円安をまねき、輸入品の価格上昇による物価高に結びつく。 「そのようなリスクを避けるためにも日銀は早い段階で、本当はバランスシートの調整を始めなければいけないわけです」 ■バブルを止めるのは米国か  藤田さんは今年度末までに、日銀がバランスシートの調整に着手すると予測する。ただ、利上げについては政治的な摩擦や利払いによる損失リスクを避けるため、今後しばらくは消極姿勢を見せると考える。 「そうなると、どうしても株や不動産にお金が流れ込みやすい状態が続く。日銀には1980年代にバブルをつくってしまったという反省があるはずなんですけど……。今はその可能性が出ています」  近い将来、日経平均が下落に転じるとすれば、その原因の一つとして考えられるのは米国の景気後退だ。日本企業の収益が悪化し、日本経済にも悪影響を及ぼす。 「いずれ米国は景気後退に陥るでしょう。当然のことながら、大幅な利上げによって経済の減速感は出ています。ただ、今は景気後退という感じでは全然ありません。景気後退までには時間がかかるという見方をしています」  一本調子の上昇とはならなくても、しばらくは日経平均の上昇が続きそうだ。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
簡単手作り梅干しはジップ付き袋で10分 梅干し研究家の「失敗しない」とは?
簡単手作り梅干しはジップ付き袋で10分 梅干し研究家の「失敗しない」とは?  梅干しづくりに挑戦する人は、コロナ禍で外出がままならない3年の間に増えたのではないかと思う。その証拠に、2022年に配信した記事『10分でおいしい梅干しが自分で作れる! はじめてでも簡単な「白干し梅」レシピ』はよく読まれた。 梅干し作りができる時期は年1回、生の梅干し用の梅が出回る6月上旬~下旬だけ。あらためて『はじめてでもおいしくできる 梅干し・梅レシピの基本』(朝日新聞出版)から、梅干し研究家・小川睦子さんに、所要時間10分、とにかく簡単な梅干しの漬け方を教わりたい。 *  *  *  梅干しづくりはやってみたけど、ちょっと面倒。そんな人に試してほしいのが、省略しても大丈夫な工程はとことん省いた、手間なし梅干しのレシピです。「初めてでも、忙しくても大丈夫」と小川さん。思い立ったらすぐに作れて、失敗もありません。 ■漬けこむのは6月、食べごろは10月  青梅でも完熟でも、熟しすぎたものでもいいので、6月に梅を手に入れたら、塩で漬けるだけ。作業はたった10分程度です。 食べごろになるのは10月ころ。それまでは、常温の室内に置いておきます。  茶色っぽく柔らかそうな見た目になれば、2~3カ月目から食べることができますが、塩辛く感じる時はさらに置いておきましょう。時間がおいしくしてくれます。半年くらい経つと、さらにおいしくなります。 ■【材料】 梅1キロと塩180グラム 梅1kg 塩180g(梅の重量の18%) ジップ付き袋(大サイズ)を2枚 ジップ付き袋(大サイズ) *梅の分量に合わせて塩を用意。例えば梅500gでは塩90g、梅300gでは塩54g、梅200gでは塩 36g(これらの分量の場合は、中サイズのジップ付き袋2枚) *しょっぱい味が苦手な方は、16%(梅1キログラムに対し塩160g)くらいまで減らしても大丈夫です。 *1kg 以上を漬ける場合は、袋を2つ以上に分けて作るとよいです。 ■【作り方】 (1)梅を用意します。  スーパーなどで販売されているものは通常1袋が1kgです。梅干し用と表示されているものをお求めください。地域やその年にもよりますが、6月上旬頃から下旬頃に梅干し用の梅がスーパーや八百屋さんなどに並ぶようになります。  基本的には、キズや打ち身があまりないものを選びましょう。とはいえ、少々のキズであれば、さほど気にする必要はありません。果物を選ぶ感覚と同じです。キズや傷みがひどい場合は、ジャムや梅味噌などを作るとよいでしょう。  収穫からあまり時間を置かずに作業を行うのが理想的です。お店の人に入荷日を確認して購入するとよいでしょう。  なお、梅の実は温度変化に弱いので、冷蔵庫から出した場合、常温で保存していたものよりも早いスピードでカビや腐敗が進む可能性もあります。お店で冷蔵庫に保管されていた梅は早めに作業を始めましょう。  梅の実は、「自分の住んでいる場所に近い梅が一番おいしい」という言い伝えもあるとか。産地、品種によって少しずつ味が違い、それぞれにおいしさがあるので、いろいろ試してみるとよいでしょう。  5月中旬~下旬頃は、「梅酒用」「梅シロップ用」と書かれたまだ青くてかたい梅が並びますが、「梅干し用」と表示されたものを手に入れてください。入荷時期はお店で聞いてみましょう。 (2)さらに熟すのを待ちます。(省略OK) 青い梅を黄色くなるまで2~3日常温で置く  梅がまだ青い場合は、紙袋や段ボールなどに移して、黄色くなるまで2~3日常温の室内に置きます。ポリ袋のままではカビたり腐敗しがちです。熟してくると家中が梅の香りに包まれます。  熟してから漬けたほうがふっくらした仕上がりでおいしいですが、時間がない場合、この工程は省いてもOKです。 青い状態の梅 熟した状態の梅 (3)梅を水で洗います。 梅を水で洗う  ボウルに入れて2~3回水を替えて洗います。強くぶつけたりしなければ、ごく普通に果物などを洗う感覚でOKです。汚れが気になる場合はホワイトリカー(焼酎でも可)を少量使って洗うとよいでしょう。 (4)水気を拭きます。   梅の水気を拭く  清潔なふきんやタオル、キッチンペーパーなどで水気を拭き取ります。水気が残っていると、カビの原因になります。ざるに上げて水を切り、そのまま乾かしてもOKです。 (5)塩を入れます。  梅の水気を拭く  ジップ付き袋に梅と塩入れ、空気を抜いて袋をしっかりと閉じます。シャカシャカ振って、塩を全体になじませましょう。液が漏れる可能性もあるので、袋は2枚重ねにすると安心です。 (6)そのまま置きます。 ジップ付き袋で梅を漬ける  塩を加えて数時間で梅から水分が出てきます。これが梅酢と呼ばれる梅のエキスです。漬け込んでから最初の1週間は1日に1回くらい軽く振って、梅酢を全体になじませるとよいでしょう。  その後は、このまま常温の室内に置いておきます。秋~冬まで待てば食べ頃です。1週間~10日ほど経って、梅酢がたっぷり出てきたら、消毒したガラスびんなどに移してもよいでしょう。  ひと手間加えるとすれば、土用干しと呼ばれる天日干しをするとさらにおいしくなります。梅雨明けの晴れた日に行います。  ジップ付き袋のまま、日光に当てます。屋外でも屋内でも日が当たればOK。合計で1週間ほど日光に当てることができれば、よりよいでしょう(土用干しを行わないものも、本書では「梅干し」と呼んでいます)。 小川睦子・梅干し研究所(UMEBOSHI-LABO)主宰。梅干し研究家であり、編集者&ライターでもある。幼少の頃より梅干しをこよなく愛し、梅干しの研究に励む傍ら、梅干しの魅力と梅干し作りの楽しさを伝える活動を関東と福岡を中心に行う。簡単にできる梅干し作りや梅干しを使った料理などの講座も好評。自然食品店などでは手作りの梅干しも販売する。 (構成 生活・文化編集部 森 香織)
男女の秘め事、戦争…黒柳徹子が「徹子の部屋」を語る「100歳まで続けたい」
男女の秘め事、戦争…黒柳徹子が「徹子の部屋」を語る「100歳まで続けたい」 黒柳徹子(くろやなぎてつこ)/ 1953年、テレビ女優第1号としてNHK放送劇団に入団。ラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」のトン坊役で人気になり、58年、当時最年少で紅白歌合戦の司会を務める。71年にニューヨークに留学。72年に始まったニュースショー「13時ショー」の司会を経て、76年「徹子の部屋」スタート。81年『窓ぎわのトットちゃん』がベストセラーに。84年からユニセフ親善大使を務める。12月には初のアニメ化作品として「窓ぎわのトットちゃん」が公開。(撮影/下村一喜)  日本を代表するインタビュー番組「徹子の部屋」は、1976年のスタートから今年で48年目を迎えた。「100歳まで続けたい」と語る黒柳徹子さんの尽きない好奇心と健康の源とは? *  *  *  1972年の夏のことだ。ニューヨークの演劇学校に通っていた徹子さんのもとに、NET(現在のテレビ朝日)のプロデューサーから電話があった。「日本で初めてのニュースショーがスタートするのですが、その司会をやってもらえませんか?」という依頼だった。 「ニューヨークに留学して1年、まだ日本に帰るつもりはなかったんです。でも、女性がメイン司会者のニュースショーができるというお話には興味を持ちました。それまでのニュースショーやワイドショーといえば、女性はアシスタント的な存在で、男性のそばでニコニコしていればいい、という感じ。おまけに、観ている主婦の反感を買わないように、主婦か主婦の経験がある人でないとダメと言われていた時代です。服装も白いブラウスに紺のスカートがお決まりだったので、『私は主婦でもないし、主婦の経験もありません。白いブラウスに、紺のスカートのような服装もできません』とお伝えすると、『今はむしろ、あなたのような独身でプラプラしてる方の感性が必要なんです』とおっしゃる(笑)。好きな服を着てもいいということだったので、『じゃあ帰ってみようかな』という気になったんです」  その頃、徹子さんが演劇学校で知り合った仲間は、年齢もバックグラウンドもバラバラ。肉体労働などで生活の糧を稼ぎながら、芝居のオーディションに挑戦している40代、50代も少なくなかった。誰もが夢を追いかけて集まるニューヨークで、必死で夢を追う人たちとの出会いによって、自分を必要としてくれる場所があるありがたみを再認識してもいた。  徹子さんが担当したニュースショー「13時ショー」は、76年2月に「徹子の部屋」というインタビュー番組になった。番組内容が変わるにあたって、徹子さんはいくつかの条件を出した。 「生放送のように、45分間の収録時間を守って、合間にCMの時間を入れたりして、編集は一切しないでほしいとお願いしました。編集の手を加えると、ゲストは『ここをカットしてください』と言いたくなるだろうし、ディレクターは『あそこを絶対に残したい』と思ってしまう。そうなると、局やプロデューサーの意向で、ゲストの発言をいかようにも変えて伝えることができてしまいます。それは嫌だったので、話が終わらなかったら、また来ていただきましょうよ、と。私自身、インタビューを編集されることで、ずいぶん『黒柳さんはおしゃべり』みたいに誤解されることがあって。でも、本当は人の話を聞くことのほうが好きなの」  第1回のゲストは森繁久彌さん。当時は、まだ大学生だったラビット関根(関根勤)さんのクイズコーナーもあった。 「関根さんが、宇野重吉さんとか嵐寛寿郎さんなんかのモノマネを、ご本人の前でやるのがおかしくて(笑)。クイズコーナーも視聴者参加型で盛り上がったのですが、しばらくして、『もっとゲストの話が聞きたい』という要望が視聴者から殺到したんです。人ってそんなに他の人の話が聞きたいのか、と私自身がビックリしました」  スタートから1年後、クイズコーナーは別番組として独立し、「徹子の部屋」は45分間みっちり、ゲストの話を聞くスタイルに。当時は俳優としてテレビドラマにも出演していた徹子さんだったが、あるとき、「もう女優の仕事は舞台だけにしよう」と決意させる出来事に遭遇する。 「若尾文子さんと一緒のドラマで、ほろ酔いの芸者さんの役をやったんですが、その演技を見ていた小道具さんが、私に『本当は飲んでるんでしょ』と言うんです。私のほろ酔い演技がよっぽどうまかったんだと思うけれど(笑)、その徳利の中身は、小道具さんが入れてくれたお水だったのに、『あなたが入れたお水を飲んだだけ』と言っても、全然信用してくれない。こんなに身近な人が、私の演技に騙されるなら、悪女の役なんかしちゃったら、『徹子の部屋』で、『悪女がゲストに話を聞いている!』って思われるかもしれないでしょう? それで、女優としては、もうテレビに出ないことに決めたんです」  話が盛り上がって、2日間にわたって登場してもらったゲストも少なくない。作家の宇野千代さんが出演したのは、宇野さんが84歳のとき。徹子さんが若さの秘訣を尋ねると、「あのね、クヨクヨしないの! 陰気は悪徳、陽気は美徳!」と軽快に語ったという。 「あんなにあっけらかんとした方は、後にも先にもいらっしゃいませんでした(笑)。作家の尾崎士郎さんや北原武夫さん、画家の東郷青児さんとのお付き合いすることになったきっかけなんかも話してくださって。宇野さんは、よく失恋するけれど、『失恋してちょっと泣いても、いい着物着て表へ出ちゃうと、男は女の数とおんなじほどいるから、すぐいい人がめっかっちゃうの』なんておっしゃって(笑)」  徹子さんがとくに驚いたのは、宇野さんが、男女の秘め事をサラリと明るく話すこと。 「東郷青児さんと出会ったときのことも、『僕の家に来ませんか、と言われたのでついていったの。そいで、寝ちゃったの』なんて(笑)。宇野さんは、『恋愛はスピードが命』だったそうですが、おしゃべりしていても、『こんなこと言って大丈夫かしら?』みたいな迷いがないんです。宇野さんの文章が素晴らしいのはもちろんですが、その天真爛漫な人間性は、テレビだからこそ伝わる部分もあるのかもしれないとも思いました。『不思議なことに、男とはケンカしない。別れた後もみんな仲良し』ともおっしゃっていました(笑)」  ある時期から、徹子さんは、戦争に行った俳優たちに、戦争の話を聞くようになった。きっかけは池部良さん。76年12月に、池部良さんがゲストに決まったとき、マネジャーからは「面白い話ができるかどうか。30年前にパリで買ったセーターをいまだに着ていて、そのぐらいしか話すことがない」と言われた。 ■誰もが「話」を持っている 「でも、なんとかなるかな?と思っていて、そのセーターの話を伺った後、何げなく『そういえば、終戦のときはどこにいらっしゃったんですか?』と聞いてみたんです。そうしたら、『太平洋の海の中にいました』とお答えになって。なんでも、映画スターになる前の池部さんは、陸軍少尉として上海に赴任していたんだそうです」  戦況が悪化し、南方に移動している途中で、乗っていた輸送船が潜水艦の攻撃を受けて沈没。池部さんは、海に飛び込んだときに体が沈むといけないからと、大事な軍刀を船に残していった。 「太平洋の真ん中を泳いでいたら、自分より年上の部下が、波間から、『上官殿、刀は持っております!』と言って、軍刀を頭の上に掲げたのを見て、池部さんは思わず泣いてしまったんですって。自分が身の安全のために残してきた軍刀を、部下はむちゃを承知で持ってきてくれた。その部下の忠誠心に、胸が張り裂けそうになった、と。でも、『海の中だから、涙は見せずに済みました』と付け加えていたのも、池部さんらしいなと思いました」  以来、「戦争体験を次の世代に伝える」という使命のもと、戦争の話をしてもらうことは、「徹子の部屋」の夏の恒例企画になった。 「戦争について語っていただいたほとんどの人がもうお亡くなりになっていますが、本当に、さまざまな体験を伺っているので、戦争資料としても貴重なものになっていると思います」 「徹子の部屋」はあと3年で50周年を迎える。以前はよく、「50年続けることが目標」と発言していたが、最近は「100歳まで続けたい」と思うようになった。 「長く続けてきて、改めて『人間には、誰にも面白い話があるものだなぁ』と実感しています。人間、生きている限り、『話』は増えていくものです。まだまだ、ゲストの方から、『徹子の部屋』に出たいとか、ぜひこんな話を聞いてほしい、と言っていただけているので、好奇心の続く限り、皆さんのお話を聞いていきたいと思っています」 (菊地陽子 構成/長沢明)※週刊朝日  2023年6月9日号
夫婦の老活は“おひとりさま”で暮らす準備 住み替えや「つみたてNISA」のススメ
夫婦の老活は“おひとりさま”で暮らす準備 住み替えや「つみたてNISA」のススメ 「おいしい!」など褒め言葉を口にしよう。言われた側は素直に「ありがとう」。「こんなときばかり褒めても」と憎まれ口を叩くのは論外(gettyimages)  今は忙しく暮らしていても、いずれどちらかが先に逝く。やがてくる老いに備え、夫婦間でも経済面や心の面での準備は不可欠だ。心構えや気をつけるべきことを聞いた。AERA 2023年6月5日号から。 *  *  *  今年49歳になる女性は、30年前の4月1日を忘れられない。両親の反対を押し切り、東京の大学へ進学。奈良県の実家を出た日、母親は泣いていた。  ひとり娘で、仲良し母娘。上京後、近所に住む叔母から聞いたところによると、母親はかなり落ち込んでいたが、友人の誘いでスポーツジムに入会。ジム仲間とお茶をしたり、観劇に出かけたりするようになった。  女性は大学卒業後、東京で就職。その頃から、母親は父親との旅行が増えた。「土日にお父さんとお遍路してる」と、土産をもらうこともあったそうだ。  現在72歳の母親は毎日ジム通い、75歳の父親はカラオケやパソコン教室で、2人とも忙しそうだ。「娘には頼れない」が口癖で、夫婦でハイキングや温泉旅行などを楽しんでいる。  女性にも娘がいる。巣立った後は、両親のような関係を夫と築きたいと思っている。  厚生労働省の人口動態統計特殊報告2022年度「離婚に関する統計」では、離婚した夫婦の同居期間が「20年以上」の割合は約70年間上昇傾向にあり、2020年では21.5%。「20年以上」とは、まさに熟年離婚だ。子どもがいる家庭なら、子育てがひと段落したタイミングと重なるかもしれない。 「人生は長い。子育てがひと段落したら、あえて離れて過ごす時間を作りませんか、と勧めることがあります。『半日婚』や『卒婚』と呼んだりもします」  こう言うのは、夫婦・カップル間のカウンセリングを主に行う公認心理師の潮英子さんだ。知人に、仲良し夫婦がいた。妻ががんで亡くなり、夫は周囲から励まされ続けたものの立ち直れず、うつ病になってしまった。 「必ずやどちらかが先に亡くなり、1人の生活になる。仲はそれほど、という夫婦でも、実は依存し合っていることは珍しくありません。老後1人になったときに備える必要があります」 ■1人で生きていく術  自分だけの時間やスペースを持つ。可能であれば、経済も分ける。休日は朝昼は別々に、夕飯だけ一緒に。共通の趣味があるに越したことはないが、それとは別に自分だけが没頭できるものを見つける。そうすれば、新たな人間関係が構築される。 井戸美枝さん(いど・みえ)/ファイナンシャルプランナー。近著に『親の終活 夫婦の老活』(写真:本人提供) 「クライアントさんを見ていると、夫が妻に依存しているケースが少なくない。それでは妻が窮屈。先手を打ち、『ひとり遊びを覚えさせる』くらいの気持ちで接した方がいい」 『親の終活 夫婦の老活』(朝日新書)の著書があるファイナンシャルプランナーの井戸美枝さんも、将来の「おひとりさま」を見据え、人生設計をしていくことを提唱する。 「長くシングルの人は1人で生きていく術を身につけている。それに比べ、配偶者や子どもがいる人は『おひとりさま』に弱い。夫婦ともに元気な今、将来の『おひとりさま』に向けての準備を始めるべきです」  何をおいても必要なのは、お金だ。支出を把握し、カットできるところはカットする。支出は2種類ある。固定費(住宅ローン、固定資産税、家賃、通信費、各種保険料など)と変動費(食費、水道光熱費など)だ。 「食費や水道光熱費の節約はやり過ぎると体調を崩しかねません。カットするなら固定費。なかでも保険は、証書をすべて並べて精査し、今後の人生で必要なのか、取捨選択を」 ■住み替えも検討する  余剰資金があるなら、投資するのも手だ。 「投資信託を対象にした非課税制度『つみたてNISA』はいかがでしょう。投資の利益には20%の税金がかかりますが、つみたてNISAは税金がかかりません。制度改正で24年からは非課税期間は無制限、つみたて投資枠で年間120万円まで投資できます」 「住み替え」も検討項目に入れたい。子どもの独立後、広い家に夫婦2人で過ごすのは防犯上問題がある。「おひとりさま」になった時、孤独感が増すかもしれない。井戸さん自身、36年間住み慣れた一戸建てから賃貸マンションに転居した。一戸建てでは物が増え夫婦に何かあったとき息子に迷惑がかかると思ったこと、その息子が結婚で家を出たことなどが契機となった。 「断捨離ができて身軽になり、実際に転居を経験したことで、自分にとっての適切な住居を改めて考えられました」  その後さらに引っ越しをし、現在は築3年の分譲マンションに暮らしている。利便性が良く、静かな環境で、自分のスペースがある。気密性が高く、一戸建ての時と比べて光熱費が大幅に減った。(ライター・羽根田真智) ※AERA 2023年6月5日号より抜粋
胃がんと何が違う? 健診で「粘膜下腫瘍」と診断されることが多い「GIST」とは?
胃がんと何が違う? 健診で「粘膜下腫瘍」と診断されることが多い「GIST」とは? ※写真はイメージです(写真/Getty Images) がんの一種であるGIST(ジスト)は「消化管間質腫瘍」といわれるもので、胃に多く発生するが、胃がんとは異なる。GISTの治療方法は、手術と薬物治療が基本となる。患者数が少なく治療に慣れていない病院も多いため、確実な診断や治療には専門医のいる病院を受診することが望ましい。 *  *  *  GISTは、発生率が10万人に1~2人程度といわれる希少疾患である。主に胃や小腸、大腸などに発生するが、日本人の場合は胃のGISTが最も多く、患者の約7割を占める。  一般的な胃がんや大腸がんは粘膜から発生するが、GISTは粘膜の下にある筋肉など間質と呼ばれる部分に発生する。健診などで受ける通常の内視鏡検査では、粘膜の下にある腫瘍(粘膜下腫瘍)と診断されることが多い。  粘膜下腫瘍にはいくつかの種類があり、GISTかどうかを確実に診断するには組織を採取しておこなう生検が必要だ。採取した組織の免疫染色をおこない、KITやDOG1というタンパク質の発現が陽性であればGISTと診断される。悪性度の高いGISTであれば、進行が速く命に関わる場合もあるため経過観察や治療が必須となる。  GISTの治療は、手術での切除が基本だ。大きさが10センチを超えるなど非常に大きく、切除することで胃や周辺の臓器の機能が損なわれるような場合には、手術の前に薬物治療をおこなうこともある。また、発見時にすでに他の臓器に転移していた場合などでは薬物治療が主となる。 ■できた部分だけ取る局所切除が標準  胃のGISTの手術は、一般的な胃がんの手術とは少し異なる。胃がんの場合、一般的に高い確率でリンパ節に転移があるので、腫瘍を中心に周辺のリンパ節も切除することが必要だ。一方GISTでは、リンパ節転移が非常にまれなためリンパ節切除の必要がなく、GISTができた場所だけの切除ですむ。大阪大学病院消化器外科准教授の黒川幸典医師は次のように話す。 GISTデータ 「胃がんの手術はリンパ節を広範囲に切除するのが特徴で、最低でも胃の3分の2を取ることが標準です。GISTではその部分だけを取る局所切除が標準なので、むしろ胃がんの手術より単純だと言えるでしょう。ただ10センチを超えるような大型のGISTでは、胃をかなり大きく取ったり、また胃の周りの臓器までGISTが食い込んでいるような場合には、それらの臓器を一緒に切除しなければならないケースもあるため、難度が高くなります」  小腸や大腸のGISTでも基本的にはできた場所を取る局所切除だが、肛門に近い直腸にできた場合には大腸がんの手術と同様、肛門や排便機能の温存を図る必要があり、難度が高い。  手術後は、再発のリスクが低いと判断されれば経過観察となり、定期的にCT検査を受けて再発の有無をチェックする。一方、再発のリスクが高いと判断された場合には、再発や転移を予防するための薬物治療をおこなう。  GISTの再発リスクは、腫瘍の大きさ、細胞の分裂能力、できた場所の三つを考慮して判断される。大きさが大きいほど、また細胞の分裂能力が高いほどリスクが高く、できた場所が胃以外のほうがリスクが高い。これをGISTのリスク分類といい、超低、低、中、高の4段階で判断される。高リスクの患者の再発率は40%程度とされている。 ■新薬も含め4種類の薬剤を使用  GISTの薬物治療では、四つの薬剤が使用される。その中で第一選択として使用されるのが、分子標的薬のイマチニブ(グリベック)だ。  国立がん研究センター東病院総合内科長・腫瘍内科の内藤陽一医師は、次のように言う。 「イマチニブは、発見時に腫瘍が大きく手術ができない場合でも投与によって小さくなったり、大きさは変わらないものの安定した状態が2年以上続くことも多い効果の高い薬剤です。高リスクの人の術後の再発予防としてイマチニブを3年ほど服用します。それで再発しなければ治ったということになりますが、残念ながら再発や転移をしてしまった場合には、二つ目以降の薬剤を順に使用していくことになります」 胃のGISTと胃がんの主な違い  イマチニブ以降の薬剤は、2番目にスニチニブ、3番目にレゴラフェニブ、さらに4番目の薬剤として2022年6月にピミテスピブが承認された。 「これらの薬は効果の持続期間が数カ月から8カ月程度と短く、4番目のピミテスピブの効果がなくなると、そのあとの手立てがありません。海外には効果が認められている別の薬剤もあり、日本での承認をめざしてさまざまな努力を試みています」(内藤医師)  GISTを発生させる細胞の遺伝子変異を起こす原因や生活習慣との関わりは、まだわかっていない。そのため明確な予防方法もないのが実情だ。患者も少なく、健診などで粘膜下腫瘍として発見されても、確定診断のための生検や治療の経験があまりない医療機関や医師も多い。 「健診や人間ドックなどで粘膜下腫瘍が見つかった場合、生検の前にGISTの専門医やGISTを扱っているがん専門病院に相談していただくのがよいと思います。また薬物治療では使われる薬剤の種類は胃がんや大腸がんよりも少ないですが、副作用のコントロールなどが難しい場合もあるため豊富な経験が必要です。こちらも腫瘍内科がある病院の受診をお勧めします」(黒川医師)  GISTはがんの一種であり、治療が遅れれば命に関わる。もし粘膜下腫瘍が発見されGISTが疑われたら、GISTの専門医がいる病院、GIST研究会、患者の会などが発信している正しい情報にアクセスし、早い段階で適切な治療を受けることが重要である。 (文・梶 葉子) ※週刊朝日2023年6月9日号より
地方移住で一世帯100万円支給に新幹線定期、家賃補助も 支援金バラマキ「競争」の功罪
地方移住で一世帯100万円支給に新幹線定期、家賃補助も 支援金バラマキ「競争」の功罪 ふるさと回帰支援センターは土日も営業。月曜日と祝日が定休日  地方への移住者が若年層で増えているという。国や自治体も支援金をばらまき、地方移住の後押しをしている。とはいえ、仕事はあるの? 住民とのトラブルは大丈夫? 現在の移住事情に迫った。  人と話すのが苦手で。こんな私でも働けたりするところありますか(20代前半女性)  保育園やスーパーは近くにあって、利便性が高いですね。税制も安くて、子育てに向いてそう(30代男性)  初めてなんですけど、どんなところがあるか気になって。子どもが暮らしやすいところがいいなと。上がもうすぐ2歳で、下が1歳になりそうで(30代夫婦、4人家族)  買い物客やサラリーマンで賑わいを見せる平日の東京・有楽町。JR有楽町駅の中央口から歩いて1分の交通会館8階にある「認定NPO法人ふるさと回帰支援センター」は、移住に関する相談に訪れる人で賑わっていた。  ふるさと回帰支援センターは2002年の創立で、移住の相談受け付け窓口として、44都道府県が個別のブースを出している。ブースごとに専属相談員が常駐し、相談にのっている。  広報担当者によれば、年間の相談件数は5万件を超えるという。ところが、理事長の高橋公さんによれば、年齢層については、ここ数年で変化が訪れているという。 ブースのほか、移住に関するセミナーもしている 「創立当初は団塊世代の定年後を対象に、都心から地方への移住を促進してきました。リーマンショックを境に、20~40代の利用者が増え、2017年には7割を占めるようになりました。非正規雇用が増えたほか、都心部にこだわらないなどといった若者の価値観も多様化し、地方への移住を希望する現役世代が増え始めました」  また、コロナによっても変化があるという。高橋さんはこう語る。 「テレワークが普及したことにより、移住の選択肢が増えました。都内にある会社で働いていても出社する必要がなくなりましたから。都心に住む必要性もなくなってきたと感じている人が多いのではないでしょうか」  都道府県別で見ると、40代以下は働き盛りのため、地方でも仕事が多くある政令市などの地方都市が人気という。また、都心部へアクセスがいいところも多いという。  同法人が年に1回行う「移住地希望ランキング」の2022年版(アンケート調査、有効回答数:6746人)によれば、移住先の希望地として最も相談された県は静岡県で、次に長野県、栃木県と続いた。静岡県は2020年から3年連続の1位となる。  静岡県は東海道新幹線が通っており、東京駅までも1時間ほどで着く。名古屋駅にも54分とアクセスが良好でありながら、山と海に囲まれた自然豊かな県として人気があるのだという。 ●鍵は「職」の有無  ただ、移住には課題も伴う。なかでも仕事に関する不安が多いという。  ふるさと回帰支援センターの来場者アンケート(2022年版、有効回答数6018人)によれば、移住先を選択するにあたっての条件についての質問に対し、(1)就労の場があること(58.5%)、(2)自然環境が良いこと(32.5%)、(3)住居があること(31.1%)と回答が続いた。  働く先がちゃんと見つかるのか。ふるさと回帰支援センターでは、相談フロアにハローワークを設けている。 事前予約をすれば、相談員が納得いくまで時間を確保してくれている。もちろん、飛び込みでの来場も可能  地方へのテレワーク事業推進やサテライトオフィスの誘致などを手がける企業にも話が聞けた。イマクリエ(東京都港区)の代表取締役の鈴木信吾氏は、官民一体で地方創世を推し進めるべきだと話す。 「地方への移住が人気な一方で、若年層による都心部への人口流出が止まらないのが現状です。これまで100以上の自治体を見てきましたが、第一次、二次産業以外では若い人の働き口が少なかったです」  同社は2011年からテレワーク事業を展開している。「テレワークのノウハウは十分にある」と鈴木氏。オンライン業務で対面式と変わらないコミュニケーションを取るにはどうすればいいかなど、企業が抱えるテレワーク業務の課題を、セミナーの開催やコンサルティングとして組織開発を手がけることで解決してきた。  石川県羽咋市と手がけた「女性のテレワーク支援事業」で2023年1月に、テレワークを通して地方への活性化に取り組む「地方創世テレワークアワード」の地方創生担当大臣賞を受賞した。 「子育てのしやすさももちろん大切ですが、男女問わず地方で働ける場所の設置が求められています。コロナ禍で都心部の多くの企業が、テレワークの可能性を認識したのでは。全国各地で優秀な人材を雇用できるチャンスでもあります。また、いろんな企業が地方に入ることで、地方経済も活性化しますし、お互い『win-win』では」  その上で、「地域交流の場の設置も進めていきたい」と鈴木氏は語る。 「鹿児島県いちき串木野市では、サテライトオフィスを開設した傍ら、オフィスのコ・ワーキングスペースを地元の人の集会に利用してもらうことで、地元の人と企業、移住者の交流の場を実現してきました。企業のオフィスなどが、地域住民の集まれる場所となれば、さらに活性化するとも考えていますので、今後もこのような事例を増やしていきたいと考えています」 ●補助金ばら撒く行政 地域住民とのトラブルも  国も2019年から移住支援事業を始めている。  地方へ移住する際に条件を満たすと世帯あたり100万円(単身は最大60万円)が支給される。移住先で地域の課題解決を目的とした起業をする場合は、最大200万円が補助され、前出の100万円と併用も可能だ。そのうえ、子ども1人当たり100万円の補助金が出ることも決定している。  自治体も誘致に必死だ。各自治体は独自に、移住の際の支援金や補助金の制度をつくっている。東京都から最短で75分の新潟県湯沢町では、上越新幹線を利用して東京都内へ通勤する人に対し、新幹線の定期券を毎月最大5万円、10年間補助する。  山梨県都留市では条件を満たす30歳未満を対象に、返還する奨学金の一部として最大100万円が支給される。宇都宮市では住宅購入時に最大で60万円の支援金を出す。  ある自治体の幹部は「地方がみな支援金をばらまいて『移住者獲得戦争』になっている。どこも充実していて、支援金のばらまきは横並びとなっている」と実情を語る。  一方で、地方移住ではトラブルも絶えないという。  2023年2月には、福井県池田町の広報誌やホームページに掲載された表現に批判が相次いだ。「池田暮らしの七か条」と題した移住者への提言には、「これまでの都市暮らしと違うからといって都会風を吹かさないよう心掛けてください」「多くの人々の注目と品定めがなされていることを自覚してください」と記載されていた。  2022年12月にYoutubeで公開された「【移住失敗】色々ありすぎて引っ越すことになりました」では、山奥での自給自足的な生活がしたいことから、東京を離れ地方へ移住し、住民関係の悪化などから移住先を去る内容を紹介。同動画は、2023年5月9日時点で400万回再生を超えている。  前出のふるさと回帰センターの高橋さんによれば、「地方移住を促進させるため、お金は確かに必要だが、移住者と地域住民が交流できる場など、移住者の今後のために使わなければ。そもそも、何をテーマに移住するかが一番重要です」と指摘する。 「どんな目的で移住をするのかをちゃんとヒアリングして、その人にあった移住先をご案内するようにとセンターの相談員には伝えているんです。支援金目的で移住したって、本末転倒ですから。どうしたら自分の人生が豊かになるのか。そんなサポートをしたいです」(高橋さん)  行政からもこんな声が聞こえてきた。  人口約11万人の滋賀県長浜市で、移住政策を手がける市総務部政策デザイン課の安藤和人氏は「支援金をばらまいて移住者の取り合いをしても仕方ない」と話す。 「人っていろんな生き方があって、最適な人生を送っていただくというなかで、長浜市を選んでくれたらうれしいです。都会に比べて間取りが大きいですし、自分の好きなことができる場所を持てる。琵琶湖にも面していて、釣りやカヤック、ボートなどで遊べて、余暇を楽しめることがウリです。私たち行政が移住者をサポートして、地域住民との交流の場を設けることができたら」  実際に長浜市は、JR長浜駅直結の複合商業施設「えきまちテラス長浜」で、コワーキングスペースを設置するほか、住民との交流を目的としたイベントを企画している。同施設は、同市の第三セクター「えきまち長浜株式会社」が運営している。  「移住先が自分に合うかどうかは、徹底的に調べて、探された方がいいと思います。都心へのアクセス、地域性、居住環境などは、かなり重要な要素ですから。人生の大きな決断でもあるので、補助金を目的として移住先を選ぶのはかなり危険だと思います」 (AERA dot.編集部 板垣聡旨) 
巨人・梶谷隆幸はまだ期待できる存在なのか 「巻き返しのキーマン」と期待する声も
巨人・梶谷隆幸はまだ期待できる存在なのか 「巻き返しのキーマン」と期待する声も 巨人・梶谷隆幸  巨人・梶谷隆幸は今後チームの戦力になれるのだろうか。3年前のオフにDeNAから同リーグのライバル球団へFA移籍をしたものの、これまで戦力になれていない。8月に35歳を迎えるベテランは、選手生活の晩年を迎えてもう一花咲かせたいところだが……。  開幕直前の3月24日、巨人は育成契約だった梶谷の支配下選手登録を公示した。昨年5月に左膝の手術を受け、オフに育成契約となっていたが、再び一軍出場が可能な文字通り「プロの舞台」に戻ってきた。 「チームの編成面も担う原辰徳監督は、1日も早い支配下登録を待ち望んでいた。イキの良い若手選手の台頭が目立つが、経験不足は否めない。プロとして修羅場を知っているベテラン選手の重要性を常に感じていた。有形無形の大きな戦力として期待している」(巨人関係者)  巨人は近年ファーム施設やスカウト部門へ力を注ぎ、若手発掘と育成を重視するようになった。投打で20代の選手が続々と一軍デビューを果たしている。しかし若い力だけでシーズンを勝ち抜くことは難しいため、並行して経験豊富なベテランも多く揃えている。  昨オフにはソフトバンクで何度も日本一を経験した松田宣浩を獲得。また、丸佳浩のFA獲得に伴う人的補償で広島へ移籍していた長野久義も5年ぶりに復帰を果たした。 「松田と長野には若手中心チームのまとめ役を任せたかった。将来の幹部候補生とも言われている。梶谷は2人と役割が異なり、戦力として結果を出すことが求められている。1番もしくはクリーンアップの一角を期待されていたが、これまで期待に応えられていない」(巨人担当記者)  日本一の請負人として加入した2021年は死球で右手を骨折するなど怪我で何度も離脱。61試合の出場にとどまり、打率.282(227打席64安打)、4本塁打、23打点という結果に終わった。そして、再起を目指した昨年も膝を故障し、シーズン中に同箇所を手術。一軍での出場はなく、オフに“年俸2億円の育成選手”となったことが話題となった。 「DeNA時代から故障も多くて調子に波があった。ハマった時には信じられないような素晴らしいプレーをするが、あまり計算が立たなかった印象。身体能力はトップクラスのものを持っているのに、もったいなかった」(DeNA担当記者)  DeNAでは2014年に盗塁王に輝き、本塁打も2013年から5年連続で2ケタを記録するなど、走攻守揃った球界を代表する外野手に成長した。巨人移籍前の2020年にも出場は109試合ながら、打率.323(433打数140安打)、19本塁打、53打点、14盗塁という好成績をマーク。新天地では攻守でチームの勝利に貢献することが期待されていた。 「ケガや故障は、攻撃的なプレースタイルが原因の名誉の負傷という見方もある。あまり感情を表に出さない選手が多い巨人ではチームの起爆剤になれる存在。万全な状態で試合に出続ければ大きな戦力になれるはず」(巨人OB)  コンディションが整えば確実に戦力として見込める選手。それもあって、見切り発車感はあったものの今シーズンの開幕は一軍で迎えた。しかし手術後の状態は完璧にはほど遠く厳しいものだった。 「支配下選手登録、一軍登録が時期尚早だったとも感じる。もともと上半身が強いので打撃は問題なかったが、走塁面、スライディングなどが完璧に戻ってなかった。無理をしてプレーすれば他の場所にも負担がかかるし、精神面でも良くない」(在京球団編成担当)  今シーズンも開幕から1カ月も経たない4月17日に出場選手登録を抹消された。その間13試合に出場(スタメン8試合)し、打率.206と目立った数字は残せなかったが、東京ドームでお立ち台に上がるなど見せ場も作った。 「起用方法を見ても原監督の期待度の高さがわかる。状態が悪いなりに必死にプレーしていたが、あれがあの時点での限界だったと思う。開幕ダッシュがうまくいかなかったチームの立て直しも必要。シーズンは長いのでしっかり調整して活躍してくれるのを期待している」(巨人関係者)  二軍への降格の際には「できるってことは分かったから、もう一回鍛え直してこいというところ」と原監督はコメント。梶谷本人も「疲れてはいない。単純に技術不足」と二軍では連日、バットを振り込んでコンディションを上げ、5月5日の名古屋遠征からは再び一軍昇格を果たした。 「打撃はもちろん外野守備への期待も高い。入れ替わりで一軍昇格した秋広優人が打撃でアピールしている。しかしオコエ瑠偉など守備力の高い選手がスタメンを外れると、外野の守備力がかなり下がる。守備を固めないと上位は狙えないので、梶谷の存在価値は高い」(巨人OB) 「新外国人で打力があるブリンソンを中堅で固定。守備力の高い丸、オコエ、梶谷のうち調子が良い選手を両翼で起用したいのだろう。強打の秋広優人の守備には不安があるので、梶谷が入ると外野は締まる。他選手の調子が戻るまでは頼りたいはず」(在京球団編成担当)  だが、その守備の面では再昇格した翌日の試合(中日戦)でミスを犯してしまった。同点で迎えた8回2死二塁の場面、浅いレフト前安打で本塁生還を許し、それが決勝打となった。「あえて言うならあそこで回られる守備位置ではいけない。若い人たちも見ている」と原監督も苦言を呈したほどだったが……。 「コンディションは戻りつつあるので、あとは精神面も含めた一軍における試合勘。取り戻すには試合に出続けるしかない。打撃で結果を残して常にスタメン出場すれば、チームの得点力も高まり勝率も上がる。間違いなく巻き返しのキーマンです」(巨人関係者)  絶対的なエースだった菅野智之の一軍復帰のメドは立たない。復活の兆しはあるが坂本勇人も本調子ではない。投手では戸郷翔征が柱となり、野手は秋広が牽引するなどチームは過渡期だ。しかし目先の勝利を簡単に捨てるわけにもいかない。 「巨人は常に勝利を目指す。数年後を見据えての低迷などは許されない。勝利の可能性が高まるのなら梶谷を使い、ダメなら引導を渡す。本人も巨人でプレーすることの覚悟を再度、肝に銘じるべき」(巨人OB)  FA時には原監督が直々に電話で交渉し、1番打者として起用することを明言。当時32歳と脂の乗った時期だったとはいえ、4年総額8億円(推定)というのは破格の契約オファーだった。巨人として最大限の誠意を見せた形だったが、未だその金額に見合った活躍を見せられていない。今季もここまで27試合の出場で打率.236(55打数13安打)、0本塁打、3打点、1盗塁と物足りない数字が並ぶ。  だが、このまま終わるわけにはいかない。梶谷のケガを恐れないガッツ溢れるプレーが増えれば、個人の成績はもちろん、チームの順位も上がってくるだろう。若手中心の新たなチームとなりつつある巨人だが、その中で苦しむベテランの梶谷が存在感を見せれば勢いは増すはず。移籍3年目を迎えた梶谷の活躍を関係者の誰もが望んでいる。
ChatGPTは最高の家庭教師にもなる可能性 AI社会を生きる子どもに何を教えるべきなのか
ChatGPTは最高の家庭教師にもなる可能性 AI社会を生きる子どもに何を教えるべきなのか 「GIGAスクール」以前からICT活用授業の先進事例を作ってきた近畿大学附属高校(写真:近畿大学附属高校提供)  今、人類は猛スピードでAI時代に突入している。子どもたちが巣立つのは、今とは価値観も働き方も大きく異なる社会だ。そんな子どもたちに何を教えればいいのか? AERA 2023年6月5日号の記事を紹介する。 *  *  *  生成系AIの利用について議論が重ねられるなかで、教育現場でAIがどう役立つかが分かり始めてきた。世界経済フォーラムのレポートはAIをうまく活用すれば教育を生徒一人一人にパーソナライズでき、教育機会が公平になる、と指摘している。  これまで教育現場では、無理に平等を貫いた結果、学習ペースが速く退屈する生徒や、逆に遅く脱落する生徒がいた。  生徒にはそれぞれ学び方のクセがある。しかし通常学級では、1人の教員で数十人の生徒に教えなければいけない負担から、一律の教育をせざるを得ない。そのため、クセの強い生徒や学習障害の生徒なども教室では部外者として扱われがちだ。ここに、教育を補助するツールとしてAIが介入すれば、生徒個々の能力や学習方法に合わせた個別指導が実現する可能性がある。  先日、そんな理想の教育の未来像を実践して話題になった人物がいる。子育て漫画『ニブンノイクジ』などの作品のある夫婦2人組の漫画家「うめ」の小沢高広さんだ。  今年3月、12歳の次女が「小学校生活で一番心に残った思い出」という作文を書けずにいる様子を見た小沢さん。ChatGPTを「家庭教師」に仕立てるプロンプト(指示)を与え、それを次女に渡した。最初はChatGPTに「(思い出が)いろいろあって(何を書いたらいいか)わからない」と答えていた次女に、ChatGPTは「大丈夫です!一つずつ考えていきましょう」「6年生の音楽会で、どんな演目を披露しましたか?」と丁寧に質問を繰り返す。次女は音楽会に備えてピアノの鍵盤にドレミのシールを貼って一生懸命練習したこと、嫌いだった音楽が初めて好きになったことなどを答えていくうちに頭の中が整理されていき、10分ほどやりとりをしたところで、「あとは書けそう」と机に向かい、作文を仕上げた。 AERA 2023年6月5日号より AERA 2023年6月5日号より ■まず使ってみてほしい  その様子を見ていた小沢さんは「人間と違って、焦ったり、恣意(しい)的な誘導をしたりしないのが素晴らしい」と感心したという。  その後、小沢さんはやりとりについて複数の教職員に意見を求めたところ、ChatGPTを授業で使ってみたいというポジティブな意見ばかりだった。「本当は、あのサポートプロンプトのように一人一人、丁寧に指導したいのだけど、手が足りない」という声もあった。小沢さんはこう語る。 「教員も生徒も、まずは使ってみてほしいですね。いくつかのルールは必要です。ただそのルールが本当に必要かどうか、ただ単に知らないから怖がっているだけなんじゃないか。そんなふうに考えて余計なルールをひとつでも減らす工夫をしてくれるといいな、と思っています」  今後出されるガイドラインも最初から完璧なわけではない。実践してみて初めてわかる課題もあるだろうし、AIは休むことなく進化を続け、その活用法も次々と発明されていくことを考えると、ガイドラインも絶え間なく更新される必要がある。  そんななかで教育を行うには、やはり教員自身が日頃からAIに触れて勘所を養っておくことが重要だ。その上で、AIが語っても説得力のない自分自身の経験や、そこから生まれた感情を通して子どもたちの健やかに生きる力を引き出し、学ぶことの面白さを教える。それがAI時代の教職員に与えられる新しい役割だと筆者は思っている。(ジャーナリスト・林信行) ※AERA 2023年6月5日号より抜粋
午前中で終わる運動会が増加「主流になる」「物足りない」保護者からは賛否の声
午前中で終わる運動会が増加「主流になる」「物足りない」保護者からは賛否の声 GettyImages  一昔前は9月や10月が運動会のシーズンだったが、春に開催する小・中学校が増えている。温暖化の影響で気温が高まっていることから、秋の運動会では夏の猛暑の時期に練習しなければいけなくなる、子供に健康面で負担がかかることを配慮して、春開催の学校が増えているが、近年は午前中ですべてのプログラムが終了する「半日開催」の運動会も増えているようだ。  転機は新型コロナウイルスの感染拡大だった。2020年にコロナ陽性者が首都圏を中心に増え続けると、感染拡大防止のために教育現場でも「新しい生活様式」が奨励された。人と身体的距離をとることで接触を減らすこと、マスクをすること、手洗いをすることが徹底され、給食の時間も同じ方向を向いて私語をせずに食事する「黙食」が日常の風景となった。  コロナの影響で運動会など学校行事は軒並み中止となり、翌21年以降も教育現場は頭を悩ませる。運動会を朝から夕方まで終日開催する方式だと、マスクをした子供たちが熱中症になる危険性があり、集中力も切れて待ち時間に会話をする時間が長くなることで感染のリスクが高まってしまう。そこで身体的接触があるプログラムを削って、午前中で終了する「半日開催」の運動会が各地で行われるようになった。  都内の小学校に勤務する40代の男性教諭は、「最初は保護者から反対の声が多かった」と振り返る。 「私が勤務する小学校は21年から運動会が半日開催になりましたが、午前中で終わることに『味気ない』、『物足りない』と反対する親御さんが多かった。でも、実際にやってみると子供は集中して取り組んでくれるし、間延びした感がなくなって盛り上がりました」  富山市の草島小学校は5月に運動会を開催。コロナ禍に引き続き、今年も半日開催を決断した。教職員たちが話し合い、保護者との意見交換で了承を得たという。山口浩二校長はこう語る。 「半日で開催するメリットはいくつかありますが、最も大きな理由は子供たちの健康面です。コロナ禍で体力が落ちており、5月でも気温が高い日は熱中症の危険性があります。午前中に終わらせることで、体調を崩す健康面のリスクを減らすことができる。もう一点は教職員の負担を減らすことです。運動会の準備、打ち合わせに時間がかかっていたが、種目数を減らすことで軽減できる」  前出の小学校の男性教諭も「働き方改革と言われている時代ですが、現場の教職員は大変です。授業で教えなければいけないカリキュラムが増えているのに、運動会など学校行事に忙殺される。一昔前のように運動会の準備に毎日時間をかけていたら、教職員も子供も疲弊してしまう。半日開催は教職員の負担軽減の観点で理にかなっているし、時代の流れだと思います」と賛同する。  札幌市の二条小学校は運動会を半日で開催している。子供が熱中症になるリスクを減らし、運動会の準備に時間を割く教職員の負担を軽減することも目的だったが、それだけではない。全校生徒650人が集まるとグラウンドが手狭になるため、1、3、5年生は午前8時半~10時半、2、4、6年生は午前10時半~12時半までと「2部制」に分けて開催している。  永洞純一教頭は「家族や保護者の皆さんが1人でも多く、お子さんが頑張っている姿を見てもらいたいという思いで、時間を分けて開催しています。子供たちの集中力も続くし、短距離走など出場するプログラムで全力を出し切れる。半日開催だから手を抜くわけではありません。運動会の意義は大きいと思います」と強調する。  保護者からも理解を示す声が多い。神奈川県在住で中学2年生の長女を育てる母親(48)は、「1日開催の時はお弁当を作っても雨で中止になった場合は、また作り直さなければいけない。共働きの身としては大きな負担になっていました。場所取りもしなければいけないので、当日の午前7時前にはシートを持って学校に向かっていました。半日開催なら2時間で終わるので、立ち見でも大丈夫です。シートを持って朝早くに学校へ行く必要がないので、親の立場からすればありがたいです」と歓迎する。  また、小学3年生の長男の運動会に駆けつけた都内在住の40代の男性会社員も、「午前中だけなので時短を意識してサラッと終わるかなと思ったのですが、応援合戦は盛り上がっていたし、徒競走やリレーも盛り上がっていた。1日中運動会をしている時と熱気は変わらないなと感じました。これから半日開催が主流になっていくのでは」と話す。  一方、違った意見も。神奈川県で小学2年生の孫の運動会を見に来たという76歳の男性は、「家族みんなで弁当を食べて夕方まで盛り上がるのが運動会だと思っているので、午前中で終わるのは物足りないかな。組体操とか危険だからなくなっているけど、今の子供たちは体力がない。普段体を動かさないのに、過保護すぎると感じる」とプログラムを減らし、半日開催の運動会に疑問を呈した。  時代の流れと共に、運動会のあり方も変わっていくのかもしれない。草島小の山口校長は、「保護者の方々から様々な意見が出るのは当然だと思います」と前置きした上で、続けた。 「仲間たちと共に目標に向かって努力するという教育目標で、運動会は大切な行事です。コロナ禍で大人だけでなく子供たちも大変な思いをしましたが、色々な規制がある中、半日開催でテキパキと動いて創意工夫をしながら取り組んでいました。その姿を見て凄いなと感じさせられました。今後も地域の方々と話し合って助けてもらいながら、子供たちの思い出に残る運動会を作り上げていきたいですね」  全国各地の小・中学校で運動会の声出しが解禁され、大歓声と激励の拍手が子供たちに注がれる。今後も運動会は半日開催が主流になるだろうか。 (今川秀悟)
「督促状」で発覚も…老いた親の金銭事情を知るべき理由と方法
「督促状」で発覚も…老いた親の金銭事情を知るべき理由と方法 ※写真はイメージです(Getty Images)  人生は想定外の連続だ。しかし、「親の見送り」は将来必ず起こる。その時にどう備えておくか、ファイナンシャルプランナーで社会保険労務士の井戸美枝氏が、『親の終活 夫婦の老活 インフレに負けない「安心家計術」』(朝日新書)でそのポイントをまとめた。同書から一部を抜粋、再編集し、いつか来る“親の旅立ち”への対策を紹介する。 *  *  * 【関連の記事を読む】 #1 「督促状」で発覚も…老いた親の金銭事情を知るべき理由と方法 #2 平均580万円かかる親の介護 お金に困らないために知るべき3つの制度 #3 企業も勘違いしている「介護休業」 意外とハードルは低い?  新型コロナが長引き、この間、帰省できずに親やきょうだいと、なかなか顔を合わせられなかった人も多かったと思います。  年末年始やお盆などの大型連休で久しぶりに家族が集まるときに、終活や相続の話を一気に進めたくなってしまいますが、久しぶりに会う親たちに向かって「終活」「相続」というワードは禁句です。「自分たちが死ねばいいと思っているのか」と不快な気持ちにさせてしまうこともあります。  はやる気持ちを抑えて「コロナが落ち着いたらやってみたいこと」「旅行に行きたいところはないか」といった話をしながら、親の話にゆっくりと耳を傾けてみましょう。  今、どんな持病を抱えていて、どこのクリニックがかかりつけ医なのか。まずは、親の体調面を気遣いながら、話を進めると親の状況を把握できるようになります。  一度の帰省ですべてを聞き出そうとしないで、何回も実家に顔を出しながら、「親の困りごと」をひとつずつクリアしていきましょう。  例えば、新型コロナに感染したときなど、病気で倒れたらきょうだいの誰が「キーパーソン」になるのか。  私の場合、父が倒れたときは母がまだ元気でしたので、父の身の回りの世話や入院時の手続きなどは母が行いました。父が他界して、母が入院するときは、誰が入院時の手続きをして主治医の話を聞くのか。今はきょうだい間で、SNSなどでつながっておくことができますので、普段からトークルームで「連絡網」を作っておくと、“もしも”のときでも連携して対応できます。 ■親の入院時に必要なことを知る  私の経験上、親が入院したときのために、以下の準備が必要です。 ・健康保険証、お薬手帳、かかりつけ医の診察券、マイナンバーカードなどをまとめておき、持ち出せるようにしておく。 ・病院に入院したときのため「緊急連絡先」「保証人」(住民票が異なる親族が2人)を決めておく。 ・主治医から治療方針、経過、退院の目安などの説明を受ける人を決めておく。 ・入院が決まったらすぐに「入院保証金」を支払うケースがあるので、お金はどうするのか、入院費の支払いについて親から聞いておく。 ・民間の医療保険に入っていないか(入院給付金や一時金の手続きはどうやって行うのか)事前にチェックする。  急に入院するとき、「健康保険証」と「お薬手帳」を持参していないと、応急処置がスムーズにいかなくなることがあり得ます。実際に、心臓病や高血圧、糖尿病の持病がある高齢女性が、皮膚科の診察を受けようと、予約してから病院に行ったとき、「お薬手帳」を忘れたために、診察できなかったと聞いたことがあります。  普段から親とコミュニケーションをとっていないと、“もしも”のときに受診できない、あるいは子どもたちがお金を立て替えることになりかねないので注意しましょう。 「入院」をきっかけに、今後の生活、将来的にどんな介護を受けたいのか、終末期はどうしたいのか、といった話を聞きながら、お金のことを切り出すと、うまくいくかもしれません。  入院費などの支払いは親に代わって子どもが行うことを想定して、メインバンクのキャッシュカードの暗証番号を聞いておきたいですね。このほかにも、事前に確認しておかないと後で大変な事態に陥るお金の話は、次のようなことが考えられます。 ■メインバンク以外に口座開設していないか  金融機関が破綻した場合に、預金保険機構が元本1000万円までとその利息の払い戻しを保証する仕組みを「ペイオフ」と言います。元本が1000万円超あり、また万が一のときに資産が減ると思い、それに対応するため、いくつもの銀行口座を開設している人がいます。  休眠預金等活用法に基づき、2009年1月1日以降の取引から10年以上、取引のない預金等(休眠預金等)は、民間公益活動に活用されます。1万円以上の預金があると、金融機関から通知が来ますが、対応はその金融機関によって異なります。子どもが親に代わって口座の解約はもとより、出入金をするのは「委任状」「身分証明書」等が必要になりますので、親が元気なうちに、銀行口座は、メインバンク以外は解約しておいてもらいましょう。 「やり方がわからない」というのであれば、解約に必要なものは何か金融機関に事前に聞いておき、親と同行することも考えましょう。 ■子どもにも言えない経済的な悩みはあるか  実家に帰省しても、親がどんな経済状況なのかはまったく知らないという人がほとんどではないでしょうか。  母と同居していたある女性の話で、母親の入院中に、自宅に「督促状」が届き、開封したらキャッシングの返済期限が来ていたことがわかり、女性がかなりの金額を立て替えたという例もあります。  女性は朝、仕事に出かけてしまうと、普段母がどんな生活をしているのか把握できず、同居していても「キャッシングしていたことはわからなかった」と言っていました。年に数回しか会わない親子であれば、親の経済状態はさらにわからないことでしょう。 ■年金収入で生活できるか“さりげなく”聞く  昨今は、水道光熱費、食料品、生活必需品など、生活に不可欠なあらゆるモノの値段が上がり続けています。親の1カ月の生活費を知りたいと思ったら、いきなり「1カ月の生活費はいくら?」などと切り出さないで、身近な話題を振ってみることをお勧めします。例えば、 「先月の電気代が急に上がっているけれど、うちは大丈夫?」  大丈夫? と心配してみるのがポイントです。 「全然平気」という親はほとんどいないはずです。大半は「もう大変」と言うでしょうから、そこで1カ月の生活費が年金収入の範囲内で収まっているのか、確認をしましょう。  家計が赤字で、貯蓄から取り崩していたら、入院や介護などの“もしも”のときに、お金が足りなくなって、子どもが立て替える、ということにもなりかねません。また、月々の支出がオーバーした分を仕送りする必要も出てくるかもしれません。そうなったとき、ひとりで全部背負わないで、きょうだいと話し合って負担を分担するようにしましょう。今は便利なキャッシュレス決済があり、その機能を使って送金・入金が簡単にできます。どんどん活用しましょう。 ■スーパーやコンビニの総菜ですませていないか注意  また、普段の買い物はどうしているのか聞いてみる方法もあります。  高齢になって自炊が億劫(おっくう)になってくると、出来合いのおかずに頼るようになります。便利でおいしいかもしれませんが、日常的に利用する場合は、食費が高くつくので家計的にはおすすめできません。また、味付けが濃いめなので高血圧症や糖尿病などの持病がある人は悪化させてしまう可能性もあります。  高齢になって食事の支度や後片付け、家のなかの掃除やゴミ出しなど、身の回りのことが不自由になったらどう支援したらいいのか、同時に考えておく必要があります。 【関連の記事を読む】 #1 「督促状」で発覚も…老いた親の金銭事情を知るべき理由と方法 #2 平均580万円かかる親の介護 お金に困らないために知るべき3つの制度 #3 企業も勘違いしている「介護休業」 意外とハードルは低い? ●井戸美枝(いど・みえ) CFP®認定者、社会保険労務士、国民年金基金連合会理事。生活に身近な経済問題、年金・社会保障問題が専門。「難しいことでもわかりやすく」をモットーに雑誌や新聞に連載を持つ。著書に『一般論はもういいので、私の老後のお金「答え」をください!増補改訂版』(日経BP社)、『お金がなくてもFIREできる』(日経プレミアシリーズ)など。
息子が語る黒川紀章と膨大な借金「とにかく努力の人だったと知った」
息子が語る黒川紀章と膨大な借金「とにかく努力の人だったと知った」 延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)  TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は中銀カプセルタワーと黒川紀章さんについて。 *  *  *  銀座8丁目の中銀(なかぎん)カプセルタワービルが昨年姿を消した。11階建てと13階建て2棟に140個のカプセルユニットがあり、SONYのAV機器が据え付けられ、円形の窓が近未来を示し、一つ一つのカプセルの中で日々の生活が営まれていた。  新陳代謝を意味する建築運動「メタボリズム」のリーダーだった黒川紀章はその象徴として中銀カプセルタワーを設計、1972年に竣工した。「時代の変化に沿って建物は変化し、増殖していくべきだ」。カプセルを交換しながら200年維持する構想だったが、どれか一つを取り換えるのが難しく、全てを一挙にという手法も所有者の意見がまとまらなかった。  時代に建築は即応するべきと黒川が唱えたが、このビルの消滅は衰退の一途を辿(たど)る日本のディストピアを示していた。これもまたメタボリズムなのだろう。  ギャラリーを営んでいる友人から誘われた。軽井沢にカプセルが遺(のこ)されているという。山の中腹で待っていると、先導のためにスポーツカーが下りてきた。「こんにちは」。降りてきた黒川未来夫(みきお)は長髪でロックミュージシャンのような風貌だった。世界に名を知られた建築家の息子は50代半ばだが、切れ長の目は父に似て鋭い知性を感じさせ、少年のような印象を持った。「カプセル建築は可能性が無限。都会にそびえ立つ中銀カプセルタワービルに対し、小さなサマーハウスを作ることでその可能性を示したかったようです」  外から眺めるとサマーハウスは森の中でひっそり呼吸しているように見えた。国内外で出版された黒川紀章作品集、レコード……。そこかしこに父の匂いのする品々が置かれた部屋で彼は話し始めた。 「父の周辺にはいたくなかったんです」。受けたのは東京藝術大学だが、建築ではなく美術学部。「藝大? 受かるわけない」と父の言葉も聴こえてきたが「2浪の末、合格しました。美術学部絵画科油画専攻です。この科が日本で現代美術を勉強する上で適した場所だと聞いていたから」 森の中のサマーハウス(カプセルハウスK) (c)MIRAI KUROKAWA DESIGN STUDIO  父が亡くなり息子は父の会社を継ぐが、そこには膨大な借金も残されていた。 「父は世界のコンペで闘い続けていた。そのためにも運転資金を必要としていたんですね。父が死ぬとたちまち資金が枯渇して……」  父の会社で激務の中、役員、社員から父のことを毎日のように聞く日々が始まった。もちろん良いことばかりではない。怒鳴られたり、叱咤(しった)されたり。殆(ほとん)ど知らなかった父の日常が見えてきた。「睡眠は3時間以内。それ以外は事務所での設計か、本を書くか、読書か。とにかく努力の人だったと知ったのです」  息子は父の作品を語った。「森の中の空港というテーマで設計されたクアラルンプール新国際空港は連鎖する森のような機能に対するデザインが高い次元にあるし、大阪の国立文楽劇場には伝統的なディテールが編み込まれ、それでいて和の建築ではない。見事と思った」  改めて話を聴いたのは半蔵門のビルの一室。夕刻になり、隣の建物も彼の父の作品だと気づいた。そのワコール麹町ビルを見上げ、今度一緒に黒川紀章が関わった建築を観て歩きたいと思った。 延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞。新刊「松本隆 言葉の教室」(マガジンハウス)が好評発売中※週刊朝日  2023年6月2日号
梅雨を元気に過ごすには? 「スッキリ食材」で体の「外」と「内」のジメジメを吹き飛ばす
梅雨を元気に過ごすには? 「スッキリ食材」で体の「外」と「内」のジメジメを吹き飛ばす ジメジメする梅雨の季節も健やかに過ごしたいですね ※写真はイメージです (c)GettyImages  気持ちのいい春の季節が終わると、やってくるのは梅雨の季節。ジメジメ不快で嫌な方は多いのではないでしょうか? そんな梅雨の季節を少しでも快適に過ごすには、いくつかポイントがあります。この記事では、日本の漢方のルーツである中国の伝統医学である「中医学」をもとに、梅雨に起こる不調の原因を分かりやすく説明します。また、手軽に取り入れられる食養生など、改善ポイントもお伝えします。 *  *  * ■ 湿気はさまざまな不調の原因に  ジメジメとした梅雨の季節は、なんとなく身体の重さやだるさを感じたり、食欲がなくなったりと、天気と同じように体調もすっきりしないことが多いもの。中医学では、このような湿気が多い時期の体調不良を「湿邪(しつじゃ)」と結びつけて考えます。  湿邪は外から入ってくる「外湿(がいしつ)」と、体内から生じる「内湿(ないしつ)」に分かれ、いずれも身体にさまざまな不調を引き起こす原因となっています。身体のだるさや鈍い痛み、水分の停滞によるむくみ、胃の不調といった症状が現れますが、その症状は治りにくく、ズルズルと長引くこともあるため注意が必要です。 【チェック】梅雨の健康は「湿退治」がポイント  湿邪による体調不良には「外湿」と「内湿」の2つの原因があります。外湿と内湿では症状が異なりますので、自分がどちらに当てはまるか見きわめた上で、毎日の食事を少し工夫して湿邪を退治しましょう。 【対策1】ジメジメした日は要注意 身体の外から入ってくる!「外湿」対策 <気になる症状>頭や体が重い、むくみやすい、皮膚のトラブル、尿のトラブル <改善ポイント>毎日湿邪を発散して、ためこまない  湿気の多いジメジメした季節は湿邪が身体に入りやすくなり、さまざまな不調が現れます。では、身体が湿邪に侵されると、どのような症状が現れるのでしょうか。  まず、湿邪には重いという特徴があり、頭や身体が重い、頭がすっきりせず身体の動きが鈍くなる、といった症状が現れます。普段から血行が悪く、水分代謝(水分の排出がスムーズにされないこと)が良くない人は注意してください。水分代謝がさらに悪化して、身体のむくみが普段より強く出ることがあります。  湿邪はもう一つ、濁(だく)という特徴があります。清い、清潔の反対ですね。皮膚のトラブル、分泌物が多くジュクジュクするなど、皮膚が不安定な状態になります。皮膚の慢性疾患のある人は、この時期、特に注意してケアしましょう。そして、尿の濁り、残尿感、排尿痛など、尿のトラブルも多く見られるので、なるべく膀胱に負担をかけないよう心がけてください。  また、湿は下に集まるので、女性はおりものが多くなることもあります。できるだけ清潔にして、コットンなどの通気性の良い下着を選びましょう。湿邪が身体に停滞していると、舌に苔がたまりやすく、口の中がネバネバします。とくに身体の不調を感じていなくても、そのような状態に気づいたら要注意。  湿邪は、たまってしまう前に毎日すこしずつ取り除くことで、症状を抑えることができます。利尿作用のある飲み物や、香りの良い食材を選んで湿邪を発散し、身体にためないよう心がけましょう。 <摂り入れたい食材>利尿作用のあるもの、香りの良いもので、余分な水分を取り除き湿邪を発散させましょう。しそ、もやし、春雨、冬瓜、お茶、コーヒー、ココアなど 余分な水分を取り除く食材、冬瓜 【対策2】胃の不調は要注意 身体の内側が原因!「内湿」対策 <気になる症状>胃もたれ、下痢・軟便、食欲不振、身体の倦怠感 <改善ポイント>脾胃を丈夫にして、湿邪を撃退  内湿は、おもに「脾胃(ひい)」(胃腸)の機能が低下することで身体の内側から生じるものですが、外湿の存在とも深い関わりがあります。脾胃は、食べ物を消化、吸収して栄養や水分を全身に運ぶと同時に、体内の水分代謝を管理する大切な役割を担っています。この機能が低下すると、外から入ってきた湿を取り除くことができず、脾胃の機能がさらに弱くなって内湿が生じるのです。  身体に内湿がたまると、脾胃にかかわるさまざまな症状が現れます。まず、脾胃は四肢や筋肉と関わりが深いため、脾胃が弱くなることで身体に倦怠感、疲労感が強く現れます。  また、脾胃の機能が低下するため、食欲がない、少ししか食べられないといった、食欲不振に悩まされることも。いつもと同じものを食べていても、梅雨時は消化しにくいことがあります。  水分代謝が悪く、栄養分が消化、吸収されずにそのまま排出されてしまうため、下痢や軟便になりやすいのも特徴です。軟便などの症状が現れれば、それは脾胃が弱っているサイン。症状がひどくなる前に、早めの対策を心がけましょう。そのほか、湿邪の影響で脾胃が弱くなると、顔色は黄色くつやがなくなり、舌は腫れぼったくなるなどの症状が見られることもあります。  内湿の影響で弱った脾胃を回復するには、脾胃の機能を健やかに保つよう補いながら、湿邪を取り除いていきます。「食の養生」に記載した、3種類の食材を、バランスよく食事に摂り入れてみてください。 <摂り入れたい食材>  この時期は食材をなるべく加熱するようにしましょう。例えば豆腐なら冷奴ではなく、湯豆腐などにして食べるようにしてください。 ・脾胃を元気にする食材:いんげん豆、山芋、大豆製品、蓮の実、栗・脾胃を温める食材:山椒の実、フェンネル、生姜、ニンニク、キムチ・湿を取り除く食材:はと麦茶、とうもろこし、小豆、鯵(あじ) 湿を取り除く食材、とうもろこし 【ポイント】梅雨だからこそ、毎日を楽しく  雨の日が続くと、外出もおっくうに。そんな季節だからこそ、毎日を楽しく過ごす工夫をしたいものです。例えば、悠々自適な暮らしを表現する「晴耕雨読(せいこううどく)」という言葉があるように、雨の日に家で読書をするのはなかなか贅沢なこと。読書に限らず、映画を観たり、梅酒作りに挑戦したり、思い切って部屋の模様替えをしてみるものいいかもしれません。  梅雨はうつ状態になりやすい時期でもあります。電車やバスも遅れがちなので、出かけるときは時間にゆとりを持つようにするなど、なるべくストレスを溜めない工夫も必要です。食事や生活のちょっとした心がけで、心身ともに元気な梅雨を過ごしましょう。 【おすすめのツボ】  入浴後などのリラックスした時間に、呼吸を整えつつ、指の腹などでやさしく刺激しましょう。 ・足三里(あしさんり):胃腸を強くするツボ。膝頭の外側の下にできるくぼみから指4本下。 ・内関(ないかん):精神の安定、ストレス解消に。手首から肘に向かって指3本分置いたところ。指をツボに当て押す。 足三里と内関のツボ イラスト:イラストAC  監修:菅沼 栄先生(中医学講師) 監修:菅沼 栄先生(中医学講師)1975年、中国北京中医薬大学卒業。同大学附属病院に勤務。1979年、来日。1980年、神奈川県衛生部勤務。中医学に関する翻訳・通訳を担当。 1982年から、中医学講師として活動。各地の中医薬研究会などで薬局・薬店を対象とした講義を担当し、中医学の普及に務めている。主な著書に『いかに弁証論治するか』『いかに弁証論治するか・続篇』『漢方方剤ハンドブック』(東洋学術出版)、『東洋医学がやさしく教える食養生』(PHP出版)、『入門・実践 温病学』(源草社)など。 本記事は、イスクラ産業株式会社監修の中医学情報サイト「COCOKARA中医学」より、一部改変して転載しました
映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』の劇伴で話題に 菊地成孔率いるギルド的なクリエイター集団とは?
映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』の劇伴で話題に 菊地成孔率いるギルド的なクリエイター集団とは? 映画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」の劇中音楽を“菊地成孔/新音楽制作工房”として担当する菊地成孔さん(撮影/写真映像部・高野楓菜) 5月26日に公開された映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(原作/荒木飛呂彦、監督/渡辺一貴、主演/高橋一生)。ドラマ版に引き続き、劇中の音楽は“菊地成孔/新音楽制作工房”が担当する。音楽家、文筆家、ラジオパーソナリティーとして才能を発揮している菊地。新音楽工房は、菊地の私塾である「ペンギン音楽大学」の生徒のなかで、特に優れたセンスや技術を備えたメンバーによるギルド的なクリエイター集団だ。菊地成孔が、“先生と生徒”“師匠と弟子”ではなく、フラットな関係の音楽制作集団を立ち上げた理由とは?   *  * * ■きっかけは、ドラマ『岸辺露伴は動かない』だった ――新音楽制作工房は、菊地さんが長年続けてきた私塾・ペンギン音楽大学の生徒のみなさんで構成されているそうですね。  はい。ペンギン音楽大学では、サックス、音楽理論などを教えているのですが、突然変異的にとんでもない才能を持った生徒が現れるんですよ。たとえばどちらも2003年にリリースしたDC/PRG(菊地が主宰していたバンド/2021年に解散)の「構造と力」、SPANK HAPPY(菊地と女性ボーカリストとによるユニット)の「Vendome,la sick Kaiseki」の打ち込みおよびマニピュレーターは同一人物で、ペン大(ペンギン音楽大学)の生徒です。 その後、基礎科ではなく、さらに高度な内容を教える“大学院”を作りました。モダンジャズの楽器演奏を教える「BBLS」(ビーバップ・ロー・スクール)、そしてDTM(デスク・トップ・ミュージック)に特化した「BM&C」(ビートメイキング&コンポーズ)です。後者は課題に沿った楽曲を提出してもらい、全員で批評し合うクラスなんですが、そこでも優れた才能を持った人が少しずつ現れてきた。日本初のタイプビートの制作サイト「MCKNSY」(マッキンゼー)を立ち上げたメンバーも、「BM&C」の生徒なんですよ。 当初は「20人のクラスに2人か3人、プロとして稼働できる人がいる」という割合だったのですが、3~4年前から突如として、「クラスのほとんどがすごい」という状況になった。異常値の要因はよくわからないのですが、「作風や考え方は全く違うけど、全員がプロ級のクオリティーを持っている」ということになったんです。和声理論やリズムに関して僕の薫陶を受けている人ばかりだから、当初は僕の作品の影響を受けている部分もあったんだけど、途中からそれもなくなって。そうなると先生と生徒の関係ではなくなるんですよね。ちょうどその時期に、ドラマ『岸辺露伴は動かない』の劇伴の依頼がきたんです。 「僕の活動には、インターネットを介したアイデアが入ってない」という菊地さん(撮影/写真映像部・高野楓菜) ドラマの制作チームからのオファーは、「“ペペ・トルメント・アスカラール”(菊地が主宰するバンド)の作風でお願いします」という内容だったんですよ。それで、こういうのは本当に偶然で、僕は偶然によってしか動かないんですけど(笑)、ドラマのエンディングテーマ曲の方向性を示す締め切りの日に、たまたま「BM&C」の授業があって。その日に生徒が提出してくれた楽曲をドラマの映像に合わせてみたら、何曲か「ピッタリだな」という曲があって。そのなかの1曲が、『岸辺露伴は動かない』のエンディング曲のリファレンス(参考音源)になったんですよね。  ■「生徒たちの作品は宝の山」 ――それが新音楽制作工房の設立につながった?  まず考えたのは、「この状況をもっと面白くするにはどうしたらいいだろう?」ということでした。生徒たちの作品は宝の山。それをリファレンスにして、「俺の作品だ」と言い張ることもできるだろうけど、そんなのは最悪じゃないですか。日本ではこうした事は当たり前にあったりするんですが、アメリカの音楽界は50年代から分業が進んでいて、作曲家の先生がメインのメロディーを書き、オーケストレーター(編曲家)がアレンジする、それを正規クレジットして報酬を出す、という形式が確立されていた。もっとさかのぼれば、ミケランジェロなども一人で描いていたわけではなく、すべて工房制作だった。 生徒は授業提出物が、僕の手によって完成し、作品にクレジットされれば喜ぶでしょうし、僕はすごい才能をチャージした状態になる(笑)。ただ、そのとき僕が思ったのは「それはつまらないな」だったんです。この状況をもっと面白くするためには、クラス全体を作曲家同士のギルドにするべきだなと。最初は僕に来た仕事を配分することになりますが、続けているうちに「新音楽制作工房」の名前が広まれば、工房のメンバーを1本釣りして、「あの人にお願いしたい」というケースも出てくるはずだと。そのことを生徒に伝えたら、全体が「やります」と言ってくれたんです。  ――才能のある生徒との出会いと、『岸辺露伴は動かない』の劇伴制作のタイミングが重なった。  先ほど言った通り、僕は計画性では動きません、全て偶然に任せています。博打打ちに近いかもしれないですけどね。「え? え? こいつらヤバくない?」という思いが高まった時と、『岸辺露伴は動かない』のシリーズ化が決まったのが同時でしたし、もう一つ、NFTが話題になったことも関係しているかもしれないです。僕自身NFTには興味がないし、クラウドファンディングすら抵抗があるんです。「舞台で演奏して、木戸銭をもらうのが音楽家じゃないの?」と思っている年寄りなので(笑)。つまり僕の活動には、インターネットを介したアイデアが入ってないんですよね。メンバーの音源を販売するためのカタログサイトは作りましたが、あとはLINEで連絡事項のやりとりをしているくらい(笑)。「新音楽制作工房」の実質はむしろ江戸時代の浮世絵師に近いというか、前近代的なんです。とはいえ、たとえば漫画家とアシスタントの場合、漫画家の先生の存在は絶対で、その関係性が転倒することはない。それもつまらないです。システムとして実際に現存するので。 菊地成孔さん(撮影/写真映像部・高野楓菜) ■芸術的な労働に対する人権の在り方 ――工房のメンバーとの関係はあくまでもフラットにしたい、と?  そうですね。僕には子供がいませんが、多くの人が子供に向ける夢があるじゃないですか。「俺以上の人間になってほしい」とかなんとか。僕の場合はそれが、若いミュージシャンと生徒に向けるしかないですね、構造的に。で、ミュージシャンに関しては、僕よりすごい人たちが次々と登場しているし、そこに関しては夢が叶ってるんですよ。新音楽制作工房のメンバーに対しても、同じような気持ちがあるんですよね。 年寄りというのは、才能のある若い世代が登場したときに、厳しく当たって潰してしまうようなタイプと「俺はいいから、どんどんやって」というタイプがいると思うんですが、僕は完全に後者なので。というか、どうやったら前者になれるのかすら分かりません(笑)。この記事が出るころには還暦ですからね。チャーリー・パーカーやジョン・コルトレーンはとっくに亡くなっている年齢ですし、自分が尊敬しているクリエイターが60歳のときになにをやっていたか調べてみると、やってもやらなくても良いようなことをして時間を潰してるか(笑)、後進のために活動しているかのどちらかなんです。流れに身を任せているうちに「あ、オレ、ギルドを作るんだ」と思いましたね(笑)。  ――ギルドという形式は中世から存在していましたが、21世紀の音楽制作にも有効だと。  芸術的な労働に対する人権の在り方にも関わっていると思います。アメリカのヒップホップの楽曲のクレジットを見ると、10人くらい名前が並んでいるんですよ。フックになるメロディーを作った人、トラックを作った人から、ちょっとしたリズムのアイデアを出した人からドラムキットを組んだだけの人まで、関わった人の名前を全部乗せるのが当たり前になっている。日本は制作に携わっているのに、よっぽど主要な仕事をしないと名前が出ないというケースが一般化しています。まあ、徒弟制の歴史だとか、日本の情緒的なフィクスもあるとは思いますんで、人様のことはどうでも良い。それよりも何よりも、今は激動期なんです。Chat GPTをはじめとするAIの登場はMIDIより大きいかもしれないです。AIにディープラーニングさせ、曲を作らせるということが当たり前になると、著作権は誰が持つのかわからない。他にも実に様々な点で、インターネット、SNSによる音産変化の、数千倍はヤバい時期だと思います。この時期に「生身の接触があるギルドを作り、代表を名乗る」と言うのは、我ながら自分らしいなと思います(笑)。 ――「菊地成孔/新音楽制作工房」という名前が最初にクレジットされたのは、2021年12月に放送されたドラマ『岸辺露伴は動かない』(第4話~第6話)でした。  先ほども言ったように『岸辺露伴は動かない』の音楽には、2020年に放送された第1シーズンから新音楽制作工房のメンバーによるリファレンス使用がありました。そして、第2シーズン(第4話~第6話)からは劇伴全体に関わってもらうようになったので、「菊地成孔/新音楽制作工房」としたわけです。もちろん、今回の映画化(『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』)もそうですね。第一にテレビドラマや映画の劇伴は納品する曲の数が多いです。これこそ工房製作の力が発揮される現場なんですね。  菊地成孔さん(撮影/写真映像部・高野楓菜) ■プロデューサーではなく“セールスマン” その他、『almost people』という映画の劇伴も制作しています。これは先方からオファーを頂いた後に、僕のほうから「これが合うんじゃないですか?」とカタログサイトの音源を持っていったんですよ。生演奏の部分は僕がやるんですが、基本的には工房のカタログからピックアップして、それをお買い上げいただいた。黎明期はセールスマンをやらないといけない(笑)。セレクトショップの店員みたいで楽しいですけど(笑)。 もう一つは「Q/N/K」というプロジェクト。僕と元SIMI LABのQNによるコラボレーション・ユニットですが、半分は新音楽制作工房のビートメイカーが作り、半分はバンドセットという構成になっています。アルバムのためにビートを集めたら、アッという間に100トラックくらい出てきて。総じて高いクオリティーだったのですが、そのなかからQNと一緒に5曲を選んで。 そのほかにも映像作家の方が楽曲を購入してくれたり、webでのポッドキャスト番組のテーマ曲に使用されたり、少しずつ認知されてきたのかなと。とはいえ、まだ始まったばかりでヨチヨチ歩きなので、今は業務内容や実績をまとめたコーポレートサイトを準備しているところです。 ――菊地さんはメンバーのみなさんの作品をプロモーションしているというか。プロデュースしているわけではないんですね。  まったく違います。いくつかプロデュース業もやりましたけど、正直、向いてないんですよ。「売れるためにこうしろ」と強制できないし、アーティストから「こうしたいです」と反論されると、「いいよ」って言っちゃうので(笑)。それはプロデューサーとして市場で売るという責任を放棄しているとも言えるし、ダメな親みたいな状態になってしまうんですよ。アイドル産業のように「ここに入ってきたからには、上の言うことは聞かなきゃいけない」という現場は効率がいいし、クオリティーも上げやすいと思うんですが、僕には向いてない。自己プロデュースしかできないですね。僕がたどり着いた道はギルドだったんだなあと思いました。  ――なるほど。これまで通りの授業も行っているんですか?  月に2回集まって、楽曲を提出し、みんなで批評し合うことは今も続けています。その時間が1番楽しいんです(笑)。当たり前ですけど、クライアントから依頼を受けて音楽を作るのは大変じゃないですか。新音楽制作工房にはいろんなタイプの人間がいて、作風もそれぞれ違うんですが、とにかくクオリティーが高いし、もし将来、彼らが金儲けしたいと考えだすとしても、かなり先か、高い確率でそれは無いと思います。我々は既得権益がないので、どの業界に対しても格安でやっています。それよりも我々のブランディングと実力が理解され、日本のあらゆる、音楽を必要とする現場に音源を提供することで、何かが根底から変わる。例えばニュースショーのジングル一つとっても、低予算のアートフィルムに流れる劇伴一つとっても、アメリカと日本ではクオリティの差がありすぎます。生活に密着しているので、実際に変わるまで気がつくエンドユーザーはいません。 とまあ、理念は業界改革みたいな大袈裟なことにつながってしまうんですが(笑)。改革は目的格にはない。月2回の集まりはただただ楽しいです。僕はトラブルでも病気ですら、楽しく乗り越えないと気が済まない楽しい嗜好なんで(笑)。作品はアーカイブしているし、新作も常にカタログにアップしています。 「Uber Eatsよりも、電話をして出前をとることを選ぶ」という菊地成孔さん(撮影/写真映像部・高野楓菜) ――現在は音楽制作もミーティングもすべてオンラインで完結できますが、同じ場所に集まって批評し合う場があるのも興味深いです。  今は至る所でコミュニケーション障害が起きていますからね。上司と話ができない、恋人と痴話ゲンカが絶えない、家族もウザい、となると、人は絶対に嫌なことを言わないChat GPTとしかコミュニュケーション出来なくなります(笑)。生身の対人拒否傾向はずっと流れている線ですが、言語コミュニュケーションもやばい時代になっていますよね。僕の精神分析医だった医師も「人によってはカウンセリングもChat GPTのほうがいいかもしれない」と言っていました。 昭和では、回転寿司屋の寿司をロボットが握っているなんてディストピアでした。ただ、僕はまったく逆で、なるべく人と接したいんですよ。タクシーも手を上げて止めたいし、Uber Eatsではなくて、蕎麦屋に電話して出前してほしい。料理屋でも洋服屋でも必ず店員としゃべるし、二十世紀的なコミュニケーションの固まりなんですよ、僕は(笑)。コミュニュケーションの怪物だと言える(笑)。なので「新音楽制作工房」でも月に2度、みんなで会っているんでしょうね。 組織の運営も全員の合意で進めているし、著作権や印税などもすべてクリアにしています。もし何らかの受賞があったときは、僕一人ではなく、全員で受け取ろうと思っています。決まったメンバーで制作するわけだから、当然、音楽的な制限もあるんですよ。僕はSNSやらずのガラケー使いで、クリエーターがダメになるかならないかの人体実験中の音楽家です。見知らぬクリエイターとのコラボと言う冒険ではなく、わずか20名のギルドのメンバーと音楽を作って、「作品の質が下がった」ということになればそれは実験の失敗です。まずは映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』の音楽がどう評価されるか、ですね。  (森 朋之)  きくち・なるよし/1963年千葉県出身。ジャズミュージシャンとしてそのキャリアをスタートし、現在は文筆家、作詞家、作曲家、音楽講師など多彩な活動を行う。1984年にプロデビュー。その後、山下洋輔グループやティポグラフィカ、などに参加する。2004年からは東京大学、東京芸術大学、慶應義塾大学などで教鞭を執り、主にジャズに関する講義を担当。実学の音楽講師としては、02年から就任のアテネフランセ映画美学校/音楽美学講座セオリー科主任講師業、社会人向けに夜学で音楽理論とサキソフォンを教える私塾「ペンギン音楽大学」の講師業を務めている。現在は、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール、ラディカルな意志のスタイルズ、菊地成孔クインテットのリーダーおよびペンギン音楽大学の塾生からなる「新音楽制作工房」の代表。22年には元SIMI LABのQNとユニット「Q/N/K」も結成し、23年7月にデビューアルバム「21世紀の火星」をリリース。 新音楽制作工房の音源はYou Tubeチャンネル(@shin-on-gak2556)で聴くことができる
熟年離婚しないためには? AV界の巨匠・代々木忠「相手を思いやる『対人的感性』が必要不可欠」
熟年離婚しないためには? AV界の巨匠・代々木忠「相手を思いやる『対人的感性』が必要不可欠」 代々木忠(よよぎただし)/ 1938年、福岡県生まれ。若き華道家として将来を嘱望されるが、親友に請われて極道となる。カタギに戻ってからはピンク映画を経てビデオの世界へ。2021年に引退するまでAV監督としての作品は約600タイトル。愛称はヨヨチュー。著書に『プラトニック・アニマル』(幻冬舎アウトロー文庫)、『つながる』(新潮文庫)などがある。(撮影/写真映像部・上田泰世)  現代人の愛と性の悩みに回答する『人生を変えるセックス 愛と性の相談室』(幻冬舎新書)が話題だ。著者は伝説のAV監督・代々木忠さん。心の奥まで写し撮るドキュメンタリーの手法でAVを撮り続け、長年、性と向き合ってきた。そんな“ヨヨチュー”の回答には、老後を変えるヒントも詰まっている。そこで、中年・熟年世代の「あるある」の悩みに回答してもらった。 *  *  * Q:セックスが好きじゃないのは問題ですか? A:セックスが好きじゃない人はたくさんいます。嫌いとまでは言わないけれど、あまりしたくないという人まで含めると、セックスに興味を持てない人が多数派になろうとしている時代です。  生きる目的や意義は千差万別ですが、人はみな「快」によって生かされています。いい仕事ができたという達成感は快だし、功名心がくすぐられるのも快なら、収入が増えるのも快。人生における快は至るところに存在していて、セックスで気持ちよくなるのは、そのうちの一つです。  だからセックスなしの人生も、「今」に満足していれば、何の問題があるはずもありません。  余談ですが、人生を重ね、快を求め続けた先にあるのは「利他の心」ではないでしょうか。利他とは自分を犠牲にしてでも他人のために何かをすること。自分だけが幸せになるよりみんなが幸せになってくれたほうが嬉しい。人間とは、本来そう感じる生き物なのだろうとも思うのです。 Q:結婚生活が長すぎて愛がわからなくなります。 A:うちも結婚生活は長いですが、僕がたまにやっているのは、家族の思い出が詰まった昔の写真を見ることです。最初の子どもは生まれてすぐに死んでしまったのですが、そのあと女房と二人で行った伊豆の遊覧船に乗っている彼女のスナップ、そのあと生まれた娘が幼い笑顔で女房と笑い合うスナップなど「あぁ、こういうときがあったなぁ」と家族の歴史を思い出すような写真を見るんです。そうすると胸にじんわりとしたものを感じます。 スマホに準備した回答を読み上げながら取材に応じてくれた代々木さん(撮影/写真映像部・上田泰世)  じんわりとした、そのあたたかいものは、感情です。感情は「今」この瞬間にしか存在しません。この瞬間、瞬間の積み重ねこそが愛ではないでしょうか。いずれにしても愛は定義するものではなく、感じるものです。そして「今」に宿るものだと思います。 Q:熟年離婚しないために大切なことは? A:僕の作品に出てくれる女性に離婚に至る原因を尋ねると、多くに共通するのは、夫が妻に、妻が夫に、本当の自分を出してこなかったということです。良いところだけでなく、弱点やコンプレックスも全部見せるなかで信頼関係が生まれます。  夫婦間に会話があればお互いにわかり合えている、というわけではありません。  かつて、サイト上で女性からの愛と性の相談に乗っていたころ、やってきた奥さんは離婚寸前という状態でした。旦那さんに何を言っても理屈で返され、それがもう耐えられないと言うのです。旦那さんからすればコミュニケーションが取れている。でも、奥さんが求めているのは論理的な解釈ではなく「心」だったわけですね。これは大きなすれ違いです。一般的な社会生活ならば、頭脳と頭脳のコミュニケーションで成り立ちますが、夫婦生活においては、お互いの心が交わるコミュニオンと、相手を思いやる「対人的感性」が必要不可欠です。  その「対人的感性」は心がイクオーガズムによって成熟します。心と心がつながる営みができれば、セックスレスはもちろん、不倫や離婚、DVや虐待まで激減するのになぁと僕は思うのです。 (構成/大道絵里子)※週刊朝日  2023年6月2日号より抜粋
村上宗隆が“苦しむ原因”はどこに 今季は「本物のスター」になるための正念場
村上宗隆が“苦しむ原因”はどこに 今季は「本物のスター」になるための正念場 ヤクルト・村上宗隆  ヤクルト・村上宗隆のパフォーマンスが一進一退を続けている。「村上様」と呼ばれた昨年のような勢いが感じられない中、「初心に戻り、ハングリー精神を思い出せ」という声が各方面から聞こえてくる。  シーズン初戦のアーチは昨年の活躍を再び予感させた。3月31日、広島との開幕戦(神宮)では第1打席でいきなりの本塁打。その後もスタートダッシュに成功したチームの中で見事な打棒を見せてくれるはずだったが……。 「昨年終盤からの不振がWBC本戦中も続き苦しんだ。オープン戦への出場がなく、ぶっつけ本番の開幕に不安要素がないわけではなかった。それでも開幕から結果を残したことで格の違いを感じさせていたが、その後は調子を一気に落としてしまった。現実は甘くなかったようだ」(ヤクルトOB)  4月11日のDeNA戦(神宮)での本塁打を最後にバットから快音が消えた。4月終了時点で打率は1割台と低迷し、本塁打は2本と昨シーズン最年少で三冠王となった打撃が鳴りを潜めた。 「昨年の夏頃から打撃フォームを崩した感じで、1打席、時には1球ごとに構え方を微調整していた。グリップの位置を高くしたり前に出したりする。タイミングの取り方も同様で、常に試行錯誤。スイング軌道がハマった時だけ本塁打になる感じが続いている」(在京球団スコアラー) 「打撃フォームが固定できないからタイミングの取り方も流動的になる。打席ごとに足の上げ方が変わってしまい、時にはすり足に近い時もある。頭の中が混乱しているように見える。打席に入る際のルーティーンすら変わる時もあるほど」(ヤクルト関係者)  昨シーズンの終盤から調子を崩しているようだった。CS、日本シリーズ、そして今季開幕前のWBCでもここぞの打撃は見せたものの、安定感のあるパフォーマンスを見せることはできなかった。 「他球団が徹底研究しているのが不振の原因の1つ。年に何十回と対戦するプロ野球では膨大な量のデータが蓄積するため、どんな強打者でも弱点は見つかる。同じ打者に何度もやられるのは恥ずかしいことなので、相手も必死なのは当然。短期決戦で結果が出なかったのも同様の理由だと考えられる。」(ヤクルト関係者)  相手からの徹底マークは強打者の宿命であり、乗り越えて結果を出し続けることが求められる。 「コンディション不足で体のキレが悪いのもある。昨年あたりから体が一回り大きくなったが、筋肉のみでなく脂肪も付いた。練習、食生活を見直し、今後のプランを再設定してさらなる成長を目指すべき」(ヤクルトOB)  ヤクルトOBの宮本慎也氏から「アドバイス的に言うとすれば、守備位置が深すぎるんですよ」(5月9日、野球系YouTube『野球いっかん!』)と指摘されたが、守備でも体のキレが不足しているという声もある。 「打球への反応に自信があれは守備位置は浅めになる。村上は体のキレが鈍く反応が遅れがちになるため、守備位置を深めに取っている。宮本氏はシェイプした方が良いと遠回しに言っているのではないでしょうか」(在京球団スコアラー) 「結果が出て知名度が高まればスポンサーなども多くなり、付き合いが増えるのは仕方がない。それでも時間を見つけてバットを振っているのは誰もが知っている。しかしコンディションに関しては普段からの継続的な節制が必要。ここからどうするのか、野球選手としての分岐点」(ヤクルトOB) 「村上様」として日本中が注目するアスリートとなりCMでも多く見かける。女子ゴルファー・原英莉花とのカラオケデートも話題となった。知名度が上がり、誘惑が多い今こそ地に足をつける必要性がありそうだ。 「史上最年少の三冠王になり、推定6億円と言われる年俸も手にした。熊本出身で野球だけしかやってこなかった20代前半の男だけに、浮つかない方が難しい。ここからが本当に正念場、真のスーパースターになれるかどうか」(ヤクルト担当記者) 「結果が出ていた開幕時から休日返上でバットを振っている。その際も悩んでいるように見えたのは、現状に納得できていなかったからでしょうね。野球への情熱は誰よりもあるので、自分自身で調子を取り戻してさらなる成長をしてくれるはず」(ヤクルト関係者)  球界で不祥事が多発している昨今、村上への期待度は大きい。グラウンドで結果を残し、プロ野球界を盛り上げて欲しいと思っているのはヤクルトファンだけではない。 「もっとバットを振って汗をかくこと。体が絞れてキレが良くなり結果もついてくるはず。ベースとなる打撃力はすでに身についている。こんなところで足踏みしている暇はない」(ヤクルトOB)  本塁打を数本コツコツ打つことで満足できるレベルの選手ではない。大谷翔平(エンゼルス)も認める強打者。昨年以上の信じられないような打撃を期待したいところだ。  18歳でプロ入りし、野球に没頭することで同年代の選手たちの中で一気に別格の存在となった。昨年までのブレイクにつながったハングリーさ、向上心を「再び」思い出して欲しい。その先には今までの選手が見たことのない景色が広がっているはずだ。
小学4年で英検準1級に合格した「ギフテッド」少年の生きづらさ 「正直、学校は好きじゃない」と適応に苦しみ
小学4年で英検準1級に合格した「ギフテッド」少年の生きづらさ 「正直、学校は好きじゃない」と適応に苦しみ 小林都央(とお)さん  ギフテッドという言葉を聞いたことがあるだろうか。「飛び級で進学」「教科書は一度読めばほとんど理解」など、天才少年少女というイメージをもつ人も多いだろう。しかし本人は、「授業が全く面白くない」「同級生と話が合わない」「学校に行くのが辛い」といった負の側面を感じていることも少なくない。表からは見えづらい「心のうち」はいかなるものなのか。今回は、IQ154、小学4年生で英検準1級に合格したという小林都央さん(11)のケースを紹介する。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部を抜粋・再編集> *  *  * ■小2で高IQ集団「MENSA」に認定  パソコンの画面に映る少年は、大きく口を開けて笑顔を見せてくれるとてもあどけない小学生だった。東京都に住む小林都央さん(11)とオンラインツールの「Zoom」で初めて会ったのは2021年12月のことだった。ヘアドネーション(髪の毛の寄付)のために伸ばした長い髪を束ね、くるくると変わる表情で語ってくれたのは、学校に通うことのつらさだった。 「学校に行かないといけない必要性や義務は理解しています。でもぼくにとって学校は、ありのままでいられない場所で、本音を言うと好きじゃない」  都央さんのIQ(知能指数)は154。平均とされる100を大きく上回る。特別な才能を持つとされる「ギフテッド」だ。  小学4年で英検準1級(大学中級程度)、小学5年で漢字検定2級(高校卒業程度)に合格し、英語と日本語を操るバイリンガル。人口の上位2%のIQを持つ人たちが参加する「JAPAN MENSA」に小学2年生で認定された。複数のプログラミング大会で、特別賞などを受賞。住んでいる地元の教育委員会からは、映像コンテストやギフテッド向けのプログラムで優秀な成績を収めたとして、2年連続で表彰を受けた。世界屈指の医学部を有し、最難関大のひとつであるアメリカのジョンズ・ホプキンス大学のギフテッド向けプログラムでは最優秀の成績を収めた。  都央さんの経歴には、こうした数々のきらびやかなものが並ぶ。一方で、幼いころから集団での生活にストレスを感じ、適応に苦しんできた。現在は週に2日ほど学校に行く「選択的登校」をとっている。  都央さんとの出会いのきっかけとなったのは、コロナ禍の一斉休校を機に不登校になった子どもたちを紹介した連載だった。連載が朝日新聞に掲載された21年11月、一通のメールが届いた。 都央さんは3歳の時には機械式時計の仕組みを本で読んでいた(写真=家族提供) 「『不登校は問題』『学校には行かなくてはならない』という考えに疑問を持ちます。 僕は、勉強は好きです。友達と遊ぶのも好きです。でも、ずっと学校に行くのは好きではありません。今日は、午前中は勉強をして、午後から美術館に行く予定です。こんなスケジュールを考えるとワクワクしてきます」  大人びた文面に書かれた自己紹介には、小学4年生と書いてあった。学校に行かないといけない現状を憂う文章と書かれた学年が一致しなかった。  メールの差出人が都央さんだった。ちょうどメールをもらう前からギフテッドに関する取材を始めていた折。もしかして、都央さんはギフテッドではないだろうか。母親の純子さんとすぐに連絡を取り、やりとりをするうちに、都央さんが生まれつき飛び抜けた才能を持っていることが判明した。  Zoom取材での第一印象は、多彩な語彙(ごい)を操り、目を輝かせながらはきはきと答えてくれる小学生だった。だが学校生活に話題が及ぶと、次第に表情は硬くなっていった。都央さんの口から紡ぎ出される言葉は、学校という場がいかにつらいのかを物語っていた。 ■「行っても何も学ばない」  取材の前に都央さんがまとめてくれた「なぜ学校に行きたくないか」というチャート図がある。 「時間の無駄→行っても何も学ばない→つらいだけ」 「知っている→楽しくない→つまらない→つらいだけ」  だから、やりたいことを家でやりたい、そのほうが有意義と書かれている。都央さんにとって学校は「ありのままでいられない場所」となった。毎日登校することが負担になり、泣いて帰宅する日もあった。  どんな時に学校がつらいと思うのか。  授業で、海の生き物を描いて色を塗りましょうと先生が言った時、都央さんは、白いチンアナゴを描いて提出した。すると、先生からは「色を塗っていない」と言われてしまった。「白という色ですよ」と言ってもなかなか理解してもらえず、そこで諦めた。「自由に描いていいよ、と言われても理不尽な枠を決められているようだった」と感じた。  算数の時間に、指定された解き方以外のやり方を見つけても、言われた解き方の通りにしないといけない。  黒板は先生が書いた通りに書き写さないといけない。 「それが当たり前なんだから」。「言われたこと以外はしてはいけない」。そんなことを言われ、自分のアイデアを諦めることもある。がやがやと様々な音がする教室にいるだけで疲れてしまう。好奇心を抱くものを学びたいと思っても、それが叶わない。  ヘアドネーションのために髪を伸ばしていると、「なんで女子が入ってくるんだよ」と言われた。左右違う色の靴下をはいていくと「おかしい」と揶揄(やゆ)される。都央さんは「じゃあなんで左右同じ色をはいているのか、逆に聞き返したりします。たいてい答えられないです」と振り返る。 ■学校に行くことが解決法ではない  登校する時も、下校した時もつらそうな表情をしていた。「普通」の枠に押し込められ、そこから外れると指摘される。そんな学校生活を過ごす都央さんを見て、純子さんは「『自分らしさ』や『自分が好きなこと』を見つける機会が少なくなってしまうのは悲しいこと」と感じるようになった。  そうして、毎日登校するのではなく、疲れた時には「リフレッシュ休み」をとる。週に何日か学校に行く「選択的登校」という方法をとった。純子さんは悩みながら都央さんの思いを尊重したという。 「学校に行くのが当たり前で、なんとかして学校へ行かせようという風潮がある中で、息子にとって学校があんまり勉強できる場所じゃないようで。息子はすごく勉強したいのに、教室はザワザワしていたり、自分の学びたいことができなかったり。息子を見ていると、学校に行くことが解決法ではないと気づきました。自分の思い込みや世間体を気にして学校になんとしても行かせようと思わないようにしました」  二人でどうしたらいいのかと対話を重ねながら、選択的登校というスタイルにたどり着いたという。 (年齢は2023年3月時点のものです) 【後編】小学1年で息子が「IQ154」と発覚したときに母親は何を思ったのか 「ギフテッド」の子ども持つ親の“本音”に続く
森澤恭子・品川区長「政治は“普通の人”がやるべき」 次世代に渡したいバトンとは 
森澤恭子・品川区長「政治は“普通の人”がやるべき」 次世代に渡したいバトンとは  森澤恭子(もりさわ・きょうこ)/神奈川県出身。慶應義塾大学卒業。日本テレビ記者、森ビル社員、東京都議会議員などをへて、2022年から品川区長(撮影/植田真紗美)  AERAは今年、創刊35周年を迎えた。1988年の創刊時から、世界は大きく変わった。では、より良い35年後の未来を迎えるために、私たちはどのように生きるべきなのか、どんな社会であることが望ましいのか。品川区長・森澤恭子さんが語る。AERA 2023年5月29日号から。 *  *  *  最近、大学の卒業論文を読み返して驚きました。まさに今、私が取り組んでいる課題が書かれていて。タイトルは「少子化を通して考えるこれからの日本のあり方」。仕事と家庭の両立に必要な政策や女性議員の比率がどう政策に影響するかとか、社会における女性の生きづらさみたいなものが少子化の要因となっているのではないか、という研究をしていたんです。  私が大学3年生だった2000年は、太田房江さんが大阪府知事に当選した年です。太田さんは日本初の女性知事でした。  あれから二十余年、今も同じ問題意識で訴え続けています。  私自身が卒論で書いた課題に実際に直面するのは、少し後になってからです。世の中の最先端を見たいと報道の仕事に就き、記者をしていた20代の頃は、男女の差を感じることはありませんでした。けれど、出産・育児のタイミングで、夫の仕事の都合でシンガポールに行くために仕事を辞め、日本に戻ってきたのは13年。子どもは2歳と0歳でした。仕事を探しましたが、当時は今でいう“柔軟な働き方”はまだ少なく、残業が前提、フルタイムでないと難しかった。再就職したのは、下の子が7カ月になった時です。子どもを保育園に入れるのも大変でした。  改めて、政策決定や政治の場に女性や子育て世代の声が届いていないから、課題が課題のまま残っているのだと考えました。女性が政治の世界に少ないことも課題だと感じており、であれば自分がやってみようと、16年に政治塾に入り、のちに都議になりました。  最近、ジェンダーギャップへの意識は少しずつ高まってきたと思います。21年の森喜朗元首相の「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」という発言をきっかけに、女性を含めた多様な視点がまだ少ないという認識が強くなってきたと感じます。今年の統一地方選を経て、23区の女性区長は私を含めて6人になりました。杉並区と武蔵野市の議会は、議員の半数が女性です。 AERA 2023年5月29日号より  コロナ禍で在宅ワークが普通になり、男性の育児休暇取得も少しずつ増えてきて、柔軟な働き方も受け入れられるようになってきました。私自身も、子育てをしながら、持続可能な政治活動をしてきました。  これまでは「子育て支援は票にならない」「投票に行く高齢者に施策を訴えた方がいい」といった考え方もありましたが、それも変わりつつあるのではないでしょうか。  子育て支援策の充実がすべての世代にとっていかに大切であるか受け入れられるようになってきました。35年後には、およそ現役世代1人が高齢者1人を支える時代になります。この状況を脱却しなければという危機感が共有されてきたのではないでしょうか。 ■次の世代にバトン渡す  けれども、管理職に占める女性の割合は12%。リーダー層の多様性にまだ課題があります。  政治は、子育てや介護を担っていたり、社会で生きづらさを感じている普通の人こそがやるべきです。生活者感覚を持つ、そして世の中の課題に気づいた人が政治の世界に踏み出すことで、社会は変わっていくと思うのです。 AERA 2023年5月29日号より  35年後、私は80歳近く。早い時期に次の世代へバトンを渡したいと思います。退かないと次の世代が活躍できないことは、上の世代を見てきて思いますから。だからこそこの10年15年で、いまできることをし、ギャップを解消すべく動いていきたいと思っています。  高度経済成長期のように、物に囲まれることが幸せとは言えなくなりました。一人ひとりが生きがいを感じて自分らしく生きていける、人としての幸せを実感できる豊かな社会をつくっていく。いまがその過渡期だと思うのです。 (構成/編集部・井上有紀子) ※AERA 2023年5月29日号
ムツゴロウさんが「娘として育てる」と誓ったヒグマを棒で殴り殺そうとした理由
ムツゴロウさんが「娘として育てる」と誓ったヒグマを棒で殴り殺そうとした理由 写真はイメージ/Gettyimages 23年4月に逝去した「ムツゴロウさん」こと畑正憲氏はかつて、離乳期のヒグマのメスを娘として育てると誓い、人間とヒグマの共存に挑戦した。そして、その記録を小説に書き記しているのだが、その顛末は衝撃的なものだった。(イトモス研究所所長/小倉健一) ムツゴロウさんが決意したヒグマとの共存生活  フジテレビ系の大人気番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」などを通じて、また、「ムツゴロウの青春記」などの数々の小説を通して、多くの国民に親しまれた「ムツゴロウさん」こと、作家の畑正憲氏が4月5日、心筋梗塞で亡くなった。87歳だった。  1986年には自身が監督・脚本を手がけた映画「子猫物語」が約750万人の観客動員を記録している。  ムツゴロウさんが、麻雀がものすごく強いとか、幼少期を満州で苦労して過ごしたという解説をする人も多いが、やはりムツゴロウさんといえば、動物研究家としての活動だろう。子どもの頃から動物と共に過ごし、小学3年生で日本に帰国してからは、大分県日田市で暮らし、手づかみで魚を捕るなどして過ごしたという。  東京大学を卒業後、33歳で「われら動物みな兄弟」で第16回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したことを契機に、作家の道に進んだ。  1970年、ムツゴロウさんは猛獣として知られる「ヒグマ」を北海道の無人島で飼うことを決意し、その模様を「どんべえ物語」という小説に書き記している。この本は、ムツゴロウ流の動物記なのであるが、いわゆる動物観察日記かと考えて読み進めると、面を食らうハメになる。  ムツゴロウさんによれば、それまでの北海道民とヒグマの関係というのは、暗いものであったという。  あるとき、稚内の近くでヒグマが一頭、海を泳いでいたそうだ。これに驚いた漁師たちが総出で船を寄せ、カイ(オールのこと)でめった打ちにして沈めたのだという。そんな話を聞いたムツゴロウさんは、「キザな言い草だが、ヒグマと共同生活をするために必要なのは力ではなく、やさしい粘り強い愛であろう。害を与えない仲間として人を認識させねばならぬ」と決意したのだ。 20年飼育していたヒグマが飼い主を惨殺する痛ましい事件も  しかし、ムツゴロウさんは当然知っていたと思われるが、ヒグマは「友情」などという概念を基本的に理解できるか、できないのかがよく分かっていない動物である。  ちょうど最近も、クマが20年間にもわたって飼っていた飼い主を惨殺するという痛ましい事件が起きている。  2022年11月28日午前9時20分ごろ、長野県松本市五常の住宅で、この家に住む丸山明さん(75)がクマに襲われたと家族から警察に通報があった。警察官が駆けつけたところ、扉が開いたおりの近くに倒れている丸山さんの周辺を、体長1メートルほどのクマがうろうろしたり、おりから出たり入ったりしていた。そのため、地元の猟友会のメンバーがクマを射殺したという。その後、松本市内の病院へ搬送された丸山さんの死亡が確認された。  この事件を扱ったNHKの記事『飼っていたクマに襲われ 75歳男性死亡 松本』は次のように報じている。 「警察によりますと、丸山さんはおよそ20年間、このクマを飼っていたということで、丸山さんの73歳の弟は『兄は山に仕事に行った時に親からはぐれた子グマを見つけ、それからずっと飼っていた。こんなことになって残念だ』と話していました」「松本市保健所によりますと丸山さんは、クマの飼育の許可を受けていたということで、ことし5月におりの構造や施錠などについて検査を受け、問題はなかった」 「友情」という人間の概念をクマは理解できるのか 『人間とクマは「友達」になれるのか?』(GIZMODO、17年3月23日)でインタビューに答えたイスラエルの生態学者によると、クマは野生動物で、「友情」という観念は人間の作ったものであり、クマは人間の作り出した「友情」というコンセプトが理解できないのだという。よって、母グマが子どもを守ろうとしたからか、冬眠前で手当たり次第に食べ物を探していたからか、人間の手からものを食べていたクマが、次の日にはその人を食べてしまうこともあり得るのだという。  やはり、クマは「友情」を理解できないのだろうか。  その報道に真っ向から反論していたのが、一般社団法人日本熊森協会の顧問である宮沢正義氏(96歳、22年11月29日当時)だ。宮沢氏は10頭のツキノワグマと20年間家族として暮らしてきたという。宮沢氏は、人間とクマの間に友情は存在すると話す(以下、引用は「一般社団法人日本熊森協会ホームページ」より)。 「クマはね、噛むことで親しみを表す動物なんだ。クマ同士遊ばせておくと、楽しそうに首とか絶えず噛み合っているよ。好きな人がいたら、どんどん噛んでくるよ」 「クマの皮はものすごく厚くて硬いから、クマ同士はどうもないが、人間は皮膚が薄いから、こんなことされたらひとたまりもない」  つまりクマにとっては戯れているつもりなのかもしれないが、丸山さんは不幸にも人間としてその戯れに付き合っていたら死んでしまったのではないかということだ。先の丸山さんが殺害された事件については、こう解説している。 「事故後、クマ(オス、80キロ)は、丸山さんのすぐ横をうろうろしていたというから、逃げ出そうとしたわけでも、丸山さんを噛み殺してやろうとしたわけでもなく、最大の親しみを込めて抱き着いていっぱい噛んだら、丸山さんが倒れてしまったので、戸惑っていたことが考えられます。クマ君は、自分がなぜ射殺されねばならないのか、訳がわからなかったと思います」 ムツゴロウさんが「娘」のヒグマを棒で殴り殺そうとした理由  向こうが殺すつもりはなく、ただ戯れて遊んでいるだけなのに、人間にとっては致命傷になるというのは、いかにクマが危険な動物かを表しているようにも思う。ムツゴロウさんは、こうした危険を承知した上で、「(離乳期から育てることができれば)ヒグマといえども友だちになれるだろう」と考えて、無人島でヒグマを飼うことにしたのだった。  果たして、ヒグマの子どもを育てるというのは、動物研究家のムツゴロウさんといえども、やはり命懸けだったようだ。  一緒にいて、おならをすると、まず耳を立てて、それからにおいを嗅ぎにやってきて、鼻を引くつかせた後で、おしりをガブリと噛むのだという。ヒグマはふんのにおいに敏感らしく、ムツゴロウさんにとってトイレの時間が一番危険な時間なのだという。  さらには、ヒグマは戯れているつもりで鼻を噛んでくるのだ。気分にもムラがあり、自分より弱いと判断したムツゴロウさんの妻や娘のいうことを全く聞かない。  そんな毎日のイライラがついにピークに達してしまったムツゴロウさんは、娘として育てると誓ったヒグマを棒でぶん殴って殺そうとしてしまう。 「僕の腹ワタは煮えくり返り、胸に熱い怒りが込み上げてきた。もうこれまでだ。僕は左手で持っていた鎖を手放し、両手で棒を引きむしると、ありったけの力を込めて棒を振り下ろしていた。ガツン。鈍い音がした。渾身の力をこめて振り下ろした棒は、どんべえの右腕に食い込んだ。―――死ね! 隠さず正直に書こう。その時の僕の怒りは、どんべえ(子ヒグマのメスのこと)をぶち殺しかねないものだった。手をかけて愛育しておきながら、棒には愛などひとかけらもこめられていなかった」  激しいムツゴロウさんの怒りをぶちまけられたヒグマの子だったが、幸いにして命に別状はなく、また怒りの甲斐があって、ヒグマはムツゴロウさんのいうことをきちんと聞くようになったのだという。「世界中の人に誇りたい気持ちだった」というムツゴロウさんは、ヒグマとの共存ができると確信したのだった。  ムツゴロウさんのようにヒグマと命懸けで共存を図るならできなくもない。しかし、多くの人にとっては、そしてクマにとっても、やはりクマと人間とは、別々に生きていたほうが良さそうである。本書を読んで、ヒグマの生態が嫌というほどよく分かった。今はただ、ムツゴロウさんのご冥福を祈りたい。

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