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「どうせ好きな人とは結婚は出来ない」眞子さま結婚問題で佳子さまが漏らした悲痛な声
「どうせ好きな人とは結婚は出来ない」眞子さま結婚問題で佳子さまが漏らした悲痛な声 眞子さまと佳子様(C)朝日新聞社 「ここ(皇室)にいる限り、どうせ好きな人とは結婚を出来ないと思っている」 「皇室から出たい。出るためには、結婚しかない」 「自分でいいと思える相手と結婚できるならば、(細かい欠点など)構わない。姉が『いい』と思うならば、結婚すればいい」  秋篠宮家の次女、佳子さま(26)は、周囲にこう語っていたという。  国民の反発をよそに、眞子さま(29)と小室圭さん(29)の結婚への準備は、力業で進んでいる。  9月27日の帰国を前に、フジテレビがニューヨークで小室さんを直撃した映像が流れた。長髪を無造作に束ねた小室さんが、質問を投げかける記者を無視して立ち去る様子は、視聴者に衝撃を与えた。 フジテレビで9月24日、報じられた小室圭さんの直撃取材の様子(FNNプライムオンラインより)  皇族が通う学校として知られた学習院女子中・高等科の同窓会の役員を務めた女性は映像を見てこうつぶやいた。 「女性皇族のお相手となる方ならば、品位をもった行動を求められるはずです」  だが、冒頭であげたように、そこに重きを置いていないご様子なのだ。  2017年に眞子さまと小室圭さんの婚約内定会見が行われた。実はその時期に佳子さまは、こう悔しそうに口にしていたという。 「どうして、(姉は、結婚について)何も相談してくれなかったのか」  姉の結婚話にためらいつつも気持ちを整理していったのだろうか。  2019年に国際基督教大学(ICU)を卒業した佳子さまは、記者会の質問に答えた文書回答で、眞子さまの結婚にこうエールを送った。  <姉が結婚に関する儀式を延期していることについてですが、私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています>  秋篠宮家の事情に詳しい人物はこう話す。 「佳子さまは、早く皇室を出て民間の世界で生きて行きたいというお考えを持っておられたようです。皇室を出る手段のひとつが結婚であるのでしょう」  ただし、皇族である限り好きな相手と結婚することは簡単ではない。姉の眞子さまの結婚相手は、世間で言う「ふさわしいお相手」ではない。 婚約会見をした眞子さまと小室圭さん(C)朝日新聞社 「しかし、家と家の結婚で相手が決められるぐらいならば、自分の意思で結婚したい。自分たちが納得した相手であれば、多少の問題があっても構わないー。私は佳子さまのお気持ちを、そう受け取りました」(前出の関係者)  実際、過去の皇族女性の結婚を振り返ると、家同士の結びつきから離れた、自由な恋愛結婚はかなり難しい。皇族女性のお相手は、旧皇族か旧華族、もしくはその家に連なる家柄だ。  2005年に結婚した上皇ご夫妻の長女の黒田清子さん(52)は、「ふつうの市民と結ばれたはじめての皇女」と言われた。  そうはいっても夫の黒田慶樹さんの伯母は、旧華族の税所家に嫁ぎ、伯父の妻は旧華族・秋月家の出身。黒田さん自身も大学まで学習院で、秋篠宮さまとは初等科時代からの親友なのだから普通の家庭とは言い難い。  14年、日本最古の旧家同士の慶事と祝福されたのが、高円宮家の次女、典子さん(33)と出雲大社の宮司の長男である千家国麿さん(48)との結婚だ。 「憲仁親王が02年に亡くなってから、久子さまご一家を支援してきたのが、千家宮司夫妻であったのは、有名な話です」(神社関係者)  18には、高円宮家の三女絢子さん(31)と日本郵船社員の守谷慧さん(35)が結婚。守谷さんの母・季美枝さんと親しい久子さまが、絢子さんに紹介して結婚の運びとなっている。高円宮家の姉妹は、自らの結婚感についてこう話していたという。 ◆女性皇族の運命とは? 「結婚と恋愛は別」  三笠宮家の長女、彬子さま(39)と次女の瑶子さま(37)は未婚の女性皇族だ。  しかし父の故・寛仁親王は娘に対して、条件をつけていた。 「結婚するならば、旧皇族が相手だ」   彬子さまご本人も周囲にこう話しているという。 「結婚はしない。三笠宮家に人生をささげるつもりだ」  皇族女性の将来について興味深い記事を共同通信(9月6日付)が報じている。 <天皇ご一家と4宮家存続の構想 政府、女性皇族が継ぐ案を想定> 愛子さま(C)朝日新聞社  記事では、眞子さまが結婚をして皇籍を離れることによる皇族の減少を防ぐために、天皇ご一家と今ある4つの宮家を存続させる構想を政府は持っていると書いている。構想の中身は、女性皇族が結婚後も皇籍を維持する有識者会議の案を基に、愛子さま(19)が天皇ご一家に残り、佳子さまが秋篠宮家を継ぐというものだ。  残る3宮家について記事では触れていなかったが、「現存の4宮家」となると、高円宮家は未婚の長女の承子(35)さま、三笠宮家は長女の彬子さま、お子さまのいない常陸宮家は、三笠宮家の次女である瑶子さまが継ぐということになる。  記事は、<本人の意向に最大限配慮する内容とすることを想定している>と結んでいる。  しかし、ご本人方は、「自由がある」とは考えていないようだ。 「多くの皇族方は、皇室に生まれた以上、定められたなかでの結婚や人生であると、理解しておられる」(かつて天皇家に仕えた人物)  皇族でありながら「私」に生きることを決めた眞子さま。宮内庁が調整している小室さんと臨む記者会見で、内親王は最後に、国民に何を語るのか。 (AERAdot.編集部 永井貴子) 
ダウンシフターと「稼がない自由」 収入を減らしても健やかに暮らす
ダウンシフターと「稼がない自由」 収入を減らしても健やかに暮らす 薪を燃やしてドラム缶風呂を沸かす高坂さん。右後ろ側の排気口に網をのせて野菜などを焼き、雑談しながら約1時間かけて適温になるのを待つ(撮影/今村拓馬)  人生の大半を、住宅と車と教育ローンの返済に追いかけられるような都市型生活──。コロナ禍でその価値観が揺らいでいる人も多いはずだ。ダウンシフターとの出会いをきっかけに、千葉県の「チョイ田舎」で暮らす人々がいる。AERA 2021年9月27日号の記事を紹介する。 *  *  *  見渡す満天の星は爽快だった。ソーラーパネルと並んで設置されたドラム缶風呂の燃料は、室内に設置されたストーブと同じ薪(まき)だ。  ドラム缶の排気口には網が置かれ、缶ビールを片手にシシャモや野菜を焼き、約1時間かけて風呂を沸かした。  千葉県匝瑳(そうさ)市に約3年前に移住した高坂勝(こうさか まさる)さん(51)宅は、太平洋に近く、真夏でも朝夕に涼しい潮風が吹きつけるので、冷房設備さえない。 「2台のソーラーパネルを小型ラジカセ大の蓄電池(約4万円)につなぎ、スマホやパソコンを充電します。スマートスピーカーと風呂の給湯、急な停電に備えて、台所とリビングに張りめぐらせたLEDライトも、電力を自給できています」(高坂さん)  昭和初期のドラム缶風呂と、電気を蓄電池にためて持ち運ぶ近未来が混在する暮らし。共通点は「持続可能な低エネルギー生活」の先がけだ。  しかも高坂さんは月収15万円で、数万円を貯金する生活を送っている。  主な収入源は、匝瑳市内の田んぼで都市生活者に無農薬米の栽培体験を提供するNPO法人(SOSA Project)の理事と、自分の生活を軸としたスローライフ論を教える大学の非常勤講師、自宅を利用した民泊などだ。 「食料は市内で借りている田んぼで無農薬米と大豆を、自宅庭の畑で約30種類のオーガニック野菜を育てています。野菜は知り合いの農家さんからタダでいただくことも多いですね」(高坂さん)  味噌や醤油、梅干しも自家製。オーガニックの調味料、食パンや豆腐などを時々買う程度で、食費は月約2万円。  高坂さんが暮らす匝瑳市は、千葉から電車で約70分、新宿から約2時間半の「チョイ田舎」。人口は約3.5万人で、人口過密な大都市と、限界集落のような過疎地との中間だ。  この7月末で、高坂さんのNPOでの農体験を経て同市に移住した人は、単身者と家族世帯で40人を超える。 「お米の自給を前提に、空き家利用で家賃の目安が5千円から2万円。食費2万円で合計4万円です。単身者で10万円、家族で15万円を、こちらで稼げれば暮らしていけます」(高坂さん) 熊谷さんと友美さん。サトイモ栽培中の畑で(写真:熊谷さん提供) ■週休3日を選択、「稼がない自由」を体現  彼が2010年に出版した『減速して生きる ダウンシフターズ』は、米国発の「ダウンシフター(減速生活者)」という暮らし方を、日本に広めた一冊だ。原典は米国人経済学者ジュリエット・B・ショアの著書『浪費するアメリカ人』(00年刊)。1990年代後半の米国で大都市から地方へ移住し、消費主義から抜け出して減収前提に生活を見直し、自分に快適で、意義のある暮らし方を実現した人たちのことだ。  高坂さんは大手百貨店を30歳で退職、都内でオーガニック居酒屋を開業。週休1日から始めたが、「昼寝と無農薬米づくりを楽しむため」、最終的に週休3日にし、「稼がない自由」を体現した。百貨店時代は年収600万円だったが居酒屋時代は350万円、移住後は180万円とダウンシフトしながら、貯金できる生活を確立した。 「今は個人と社会の幸せをテーマに暮らしています。個人としては、何事もすぐにお金で解決せず、時間をかけてでも自分でできるようになること。今は屋根の修繕を自力で続けています。自分ができる手仕事を増やすことが本当のクリエイティブだと思います」  社会の幸せとは、持続可能な生活を広めていくことと地域社会への参画。 「古民家を仲間と改修して、『農』体験付きの民宿を始めたり、地域の活性化にも関わったりしています」(高坂さん)  高坂さんとの出会いをきっかけに、ダウンシフト生活を始める人も増えた。  脱サラ移住した漫画編集者の熊谷(くまがえ)順平さん(40)の、昨年からの変身ぶりはどこか落語っぽい。元コスプレイヤーで、妻の友美(ゆみ)さん(42)から「引退してしばらく休みたいから養って」と言われ、知人を頼って漫画編集の仕事を探した。講談社「イブニング」の編集長から「君の話が面白いから、漫画にしてみたら?」と言われ、去年から実体験マンガ「漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件」の連載を開始。単行本2巻が発売中だ。  実は、黒衣である編集者から原作者への転身は、編集長に会う当日まで、彼の頭には一切なかった。振り返ると、友美さんの「養って」のおかげだ。  脱サラの発端は14年、夫婦で出かけたイベントで、高坂さんの生活を聞きカルチャーショックを受けたこと。関わっていた漫画雑誌が休刊になり気力が失せ、退職を考え始めた頃だった。 「それまでは会社を辞めることも、東京を離れることも考えたことがない超安定志向でした。『食料はお金を出して買うもので、高い家賃を払い続けるには稼がないといけない。だから会社は辞められない』という考えを、疑ったことがなかったんです」(熊谷さん) ■味噌づくりや野菜づくりは食べるところまでエンタメ  だが、高坂さんの話を聞いて、目からうろこが落ちた。 「自分で米や野菜を作れば、『会社を辞められない』世界から抜け出せるぞ、と直感しました。その後、匝瑳市にある4LDKの知人宅に家賃1万円で間借りできると聞いて、心が動いたんです。当時は渋谷区の広めの1Kで家賃約12万円のアパートに、彼女(友美さん)と住んでいましたから。でも、移住したら虫の多さや湿気のスゴさに、約2カ月半で挫折したんですけどね……」(熊谷さん)  しかし、東京に戻ろうとは考えなかった。米や味噌を自給する生活が楽しかったし、貯金もなかった。無農薬米や有機野菜の栽培を続けられる、千葉県内の別の場所へ移り住んだ。  現在暮らす60平方メートル弱の2LDKは、駐車場付きで家賃は7万円台。渋谷と比べ家賃は約5万円減り、広さは約2倍になった。今は匝瑳市とは別の場所にある有機農園で、無農薬米の栽培を再開する一方、その農園主が育てた野菜が月5千円で取り放題というサービスを利用中。同農園内で、約20種類の有機野菜を育ててもいる。  友美さんは一見面倒臭そうな味噌や野菜づくりは「実はエンタメ」と話す。 「味噌づくりは、友人たちとわいわい仕込むのが楽しいんです。米や野菜は種や苗から育てて収穫して、どう料理しようかと考えて、2人でおいしいねと食べるところまでエンタメ。自分たちの命につながる楽しいイベントです」  熊谷さんの仕事観も大きく変わった。現在の自宅に転居後、オーガニックカフェでアルバイトしていた頃の話だ。 「店舗もお洒落で、店長も素敵な方でしたが、自分の時間を切り売りして、その対価としてお金をもらう働き方はもう無理だと実感しました。好きな農作業か、新しい漫画の企画でも考えているほうが、絶対に楽しいですから」  会社員時代の年収は400万円強だったが、脱サラ後200万円台に減り、現在は漫画の連載開始で400万円台ペースに再上昇した。(ライター・荒川龍)※AERA 2021年9月27日号より抜粋
天皇家の引っ越し 三種の神器「勾玉」を28年前に運んだ元侍従が明かす秘話「天皇は日本文化の継承者」
天皇家の引っ越し 三種の神器「勾玉」を28年前に運んだ元侍従が明かす秘話「天皇は日本文化の継承者」  9月20日、15日間に渡った天皇ご一家の引っ越しが終わった。21年9月6日午後3時前  皇居の新御所に入る天皇、皇后両陛下と長女愛子さま (c)朝日新聞社  天皇陛下と皇后雅子さまは、赤坂御所を離れるにあたり、こう感想を寄せた。 「歴代の天皇がお務めを果たされる上での礎となってきた皇居に移ることに身の引き締まる思いが致します」  おふたりが、「身の引き締まる思い」と表現した通り、 「天皇家の引っ越しは、それは厳かな空気に包まれたなかで行われます」  そう話すのは、かつて侍従として天皇家の引っ越しを経験した多賀敏行元チュニジア大使である。  天皇家の引っ越しが特別なのは、皇位のしるしとされる三種の神器の存在だ。  神器のうちの草薙剣(くさなぎのつるぎ)と八尺瓊(やさかにの)勾玉(まがたま)が天皇とともに新御所に運ばれ、「剣璽(けんじ)の間」に納められるからだ。  9月6日、天皇ご一家は、両陛下が結婚の翌年から25年間を過ごした赤坂御所を出発し、皇居に入った。  陛下のうしろに二人の侍従が続き、皇后雅子さま、長女で内親王の愛子さまの順で新御所に入った。  二人の侍従の手にあるのは、「皇位のしるし」とされる剣と璽(じ=まが玉)だ。引っ越しに伴い、新御所の「剣璽の間」に納められるのだ。 「28年前の光景がありありと思い出されます」  元侍従の多賀さんは、懐かしそうにテレビの映像に写った引っ越しの光景を眺めた。  平成の天皇ご一家が、赤坂御所から新御所に移ったのは、1993年12月8日のことだ。  この日、多賀さんは侍従として勾玉<まがたま>を運ぶという重要な役目を担っていた。  三種の神器のうち、八咫鏡(やたのかがみ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)の本体は、それぞれ伊勢神宮と熱田神宮が「天皇よりお預かり」する形で祀られている。  皇居・賢所にある鏡と御所にある剣は「形代(かたしろ)」と呼ばれる分身だ。  剣と勾玉は合わせて剣璽(けんじ)と呼ばれ、御所の「剣璽の間」に納められる。 「天皇陛下のすぐあとに続いたのは、陛下のハゼの研究に深く関わった古参侍従の目黒勝介さんでした。目黒侍従が剣を運び、勾玉(璽)を運ぶ私が続きました」(多賀さん)   1993年 赤坂から新御所へ引っ越す平成の両陛下と紀宮さま。中央奥には、勾玉を運ぶ当時の多賀侍従の姿がある (C)朝日新聞社  平成も令和も共通するのは、天皇に続くのが皇后ではなく剣と勾玉を運ぶ侍従である点だ。 「通常ならば、天皇陛下に続くのは皇后さまですが、順番を譲られて剣璽のあとにおられた。剣と勾玉が皇位継承のしるしであるためでしょう」  剣璽が運ばれるときは、黒い箱に納められる。 三種の神器は、天皇自身も直に目にすることが出来ないとされており、もちろん侍従が箱を開け中を見ることもない。 「勾玉を運ぶ役目を、当時の山本悟侍従長より言いつかったのは数日前でした。両陛下と宮内庁は、外務省から侍従職に出向して間もない私に任せてくださった。その寛容さにただただ驚き、同時に間違いがあってはいけないと自分に言い聞かせました」  もっとも忠実な側近のひとりと言われた目黒侍従が背中を押してくれたこともあり、多賀さんは大役に臨んだ。  あまり知られていないが、天皇家の引っ越しならではの習慣もあった。   のちに侍従次長となる八木貞二侍従が、多賀さんにこう話しかけた。 「新御所へのお引越しの際は、お祝いの気持ちを謳う和歌をつくり、陛下に献上するのが習わしですよ」  和歌を詠んだこともない。ましてや陛下に献上した経験もない。  四苦八苦しながらなんとか一首を詠んだ。そして慣れない手つきで筆を持ち、半紙につづった。  天皇陛下にお供して、勾玉を捧げつつ、新しい御所の玉砂利を踏みしめて進む。新御所での陛下とご家族のご多幸をお祈りせずにはいられないーー。  陛下に献上したのは、そんな内容の和歌であったという。 「天皇家の日常は、和歌とともにありました。天皇が1月に催す『歌会始の儀』は、よく知られていますし、私がお仕えしていた頃は、毎月催された月次歌会(つきなみのうたかい)もありました」  かつて昭和天皇と平成の天皇の和歌の御用掛を務めた岡野弘彦さんは、こんな話を記者にしたことがある。  和歌といえば10万首を残したた明治天皇が有名だ。昭和天皇もまた、1万首の和歌を残したとされ、和歌のお好きな方だった。   昭和天皇が和歌推敲に使ったとみられる原稿 (c)朝日新聞社  お出かけ先で、安珍清姫伝説の伝わる日高川(和歌山県)をご覧になると、「日高川という題で和歌を作ってみたらどうだい」  と、そばの者におっしゃる。昭和天皇の時代は、そういう雰囲気があったという。  「いまも地方に天皇が行かれると、その土地の川や山の名前を詠み込んで、和歌をお作りになる。  それは、その土地で暮らす人々の生活への祝福の意味を持ちます」(岡野さん)  さかのぼること平安の時代。醍醐天皇が命じて編纂されたのが、日本最初の勅撰和歌集となった『古今和歌集』だ。歴代天皇や上皇、法皇が命じて編纂された勅撰和歌集は21集にも及ぶ。 「天皇陛下は日本文化の伝統を引き継いでおられる存在なのだと、あらためて実感したものでした」 御進講室・応接室。新年の天皇ご一家の集合写真の撮影にも使用される(c)朝日新聞社  平成の天皇ご一家が新御所へ引っ越した際や上皇ご夫妻の仙洞仮御所への引っ越しでは、作業をする間、ご本人方は御用邸などに滞在してきた。 コロナ禍がおさまらない今回の引っ越しでは、県をまたいだ行動を控えるために、天皇ご一家は宮殿に滞在した。 「もともと御用邸、というのは作業を職員に任せて、ご一家がのんびり休暇をお過ごしになるという話ではないのです。ご本人方が引っ越し先におられると、職員の作業がはかどらないという問題が生じます。そのために、いわば、職員の働きやすさへの配慮から、御用邸などに滞在していただいていたわけです。今回、天皇ご一家が御用邸に代わって滞在なさった宮殿は、生活する場所ではありませんのでさぞかしご不便もあったと思います」  天皇ご一家が新御所に移り、いよいよ本格始動する。令和の皇室は、どのような顔を見せてゆくのだろうか。 (AERAdot.編集部 永井貴子)  たが・としゆき 1950年生まれ。大阪学院大学外国語学部教授、中京大学客員教授。外務省に入省後、国連日本政府代表部の一等書記官などを経て93年から天皇陛下の侍従を務める。駐チュニジア大使、駐ラトビア大使を務め、2015年に退官。
「取り返しがつかないのが人生」だからこそ“諦める”ために必要な行動 作家・森博嗣氏の人生作法
「取り返しがつかないのが人生」だからこそ“諦める”ために必要な行動 作家・森博嗣氏の人生作法 「突っ慳貪(つっけんどん)な印象を持たれ、好感度ダウンとなること必至だろう。だが、好感度を上げたいという欲求は僕には皆無なので、まったく影響を受けずに書いた」『すべてがFになる』『スカイ・クロラ』数々のベストセラーを生みだした作家・森博嗣氏の新刊『諦めの価値』(朝日新書)からの言葉だ。現在森氏は、労働時間は毎日1時間で、幼い頃からの夢だった「庭園鉄道」(庭に敷設する鉄道模型)を整備する毎日を送っている。森氏が夢を叶えられた理由は、仕事や人間関係など多くを「諦めた」からだという。森氏にとって「諦め」とは何なのか? 森氏に寄せられた人生相談を本書から一部抜粋して紹介する。*  *  *■あの人と結婚していたら【相談1】 結婚して15年以上になり、子供も2人いるのに、何故この人と結婚したのか、自分と合わないのではないか、別な女性と結婚した方が幸せだったのではないか、このまま暮らしていると身体に良くないのでは、との思いが毎日頭を過(よぎ)ります。 当時、ほかに結婚までいくぐらい長くつき合った人がいたわけではないので、現実問題として「あの人と結婚してたらな」という人物は、特には存在しないのですが、「早まったな」とは思うのです。自分は自己中、「べき」思考の塊、気難しいので、合う人間などいないかな、とも思うのですが、子供が成人するまで忍耐でしょうか?【森博嗣さんの答え】 結婚というものに対して、大いなる期待を抱かれているように見受けられます。 あるいは、他者に依存している、ともいえるかもしれません。非常に限られたものにしか「幸せ」を感じられない、と思い込んでいるのは、どうしてでしょうか? もっといろいろな幸せが、あるはずですし、それは、あなた個人の中から生まれてくるもののはずです。 家族は、人生のほんの一部でしかありません。ご自身と向き合い、自分が何をしたいのか、をもう少しお考えになってはいかがでしょうか?  ちなみに、人生の時間の中で、子供という家族がいるのは、ほんの一瞬といって良いほど短期間です。そのときにしかできない経験をしておくのも一興かと。■どきどき・きらきらのない人生【相談2】 40代の既婚男性です。もう自分の人生に「恋愛」はないのでしょうか? それを求めるとすれば、あらゆる程度がありますが、つまるところ「不倫」ということになるのでしょうか。 妻を人間として裏切りたくはないので、不倫はしたくないなと思うのですが(まあ、もてないんだから取り越し苦労ですが)、どきどきやきらきらがない人生も、元気が出ないものです。 打ち込める仕事や趣味を見つけなさい、なのでしょうか? 振り返れば、人生におけるどきどきやきらきらの「総量」が、「これっぽっち」で「終わり?」ということに愕然とします。 幸福感は、きゃあきゃあ言われた総量に比例する、という幻想が抜けません。こういう思いは、幸せだからこそのふざけた悩みだともわかっており、日常が失われたときにその価値に気づいても遅い、ということも自覚していますが、「気分」なのでどうにもなりません。 どうか、助けて下さい。【森博嗣さんの答え】 世の中に存在するほんの僅かな一部のものにしか、どきどきやきらきらがないと思われているようですし、その中でしか、ご自分は元気が出ないと感じられているようです。さらには、周囲がきゃあきゃあ言うことでしか幸福を感じられない、と認識されているわけですね。 ただ、本当にそうなのか、と疑っているのは、歳を重ねて、多少は理解が広まってきたからなのかもしれません。 人生はこれからともいえます。若い頃の「気分」を無理に引きずらない方が、このさきは生きやすいと想像します。 もちろん、すべては自分で納得される道を選んで下さい。 あらゆるものが、取り返しがつかない、というのが人生です。■ものごとを面白がり続けるには?【相談3】 自分の考えること、たとえば、テレビを見ていて頭に過る感想が、おそろしくつまらなく、いや、最近では「へえ」か「こいつは嫌だな」以外の感想が出てこないことが多く、そんな自分が不快であり、情けなくなります。  無駄に歳だけ食った頭の固い老人予備軍だ、と呆れます。歴史、音楽、美術、政治、経済、流行りもの……一分以上語れるジャンルが、なにもありません。なんの話題もない、初老の老いぼれた男。勉強してこなかったからしかたありません。見聞の狭さ、教養の浅さに呆然とし、しかし、これから頑張ろうと本を読んだりしても、記憶力、理解力もめっきり落ちて身につきません。 いろいろ書きましたが、今の望みは、「さっぱり」した気分で、いろんなことを「面白がりたい」。「それだけ」なのですが、諦めなければいけないでしょうか?【森博嗣さんの答え】 実際に何を試されましたか? というのが、この種の相談に対するお答えの定番です。 なにかを少しでも試す、実際に行動すれば、見方も考え方も変わってきます。元気とか気分とか興味などといったものは、簡単に現れたり消えたりしますが、しょせん大したものではない、といえます。そういった小さなものに囚われるよりも、自分で考え、自分が今できることを試してみましょう。 なにもしないうちから、「諦める」ことを考えて悩まれているわけですが、なにもしなければ、諦めることさえできません。なにかやってみて、壁にぶつかったときに、「そうか、これが諦める機会というものか」とわかることでしょう。 無駄に歳を取った、とおっしゃっていますが、生活するだけで大変だったり、家族のために犠牲になった時間というのもあることと想像します。「こんな年寄りになってしまった」と嘆くよりも、今からでも、なんでも始めてみてはいかがでしょうか? もし、やってみて駄目だったら、別のものを試してみましょう。20くらい試してからでも、駄目だと諦めることはできます。 そうですね、とりあえずは、テレビを見ることをやめてみてはいかがでしょうか? やめることも「行動」です。時間がそこに生まれます。なんでも自由にできる、自由に考えられる時間です。一番良いのは、勉強でしょう。勉強をされることをおすすめします。 ただし、人に「語れる」ようになるためにするのではありません。そこをお間違いなく。【謝辞】 ご協力というのか、ご相談をいただき、感謝いたします。返答がお気に召さなかった場合は、上がった血圧を利用して、是非問題解決に活かしていただければ、と思います。
「悪いことが続いているな~」と感じている人にオススメの神様
「悪いことが続いているな~」と感じている人にオススメの神様 ※写真はイメージです(Getty image)  私たちの生活には、いろいろなところで神様の存在を感じられることがあります。身近なところでは、「初詣」。受験生なら「合格祈願」。ビジネスパーソンなら「商売繁盛」。名だたる経営者も、日本の歴史をつくった戦国大名や歴代天皇も、神様を信仰し、力を借りて成功を収めてきました。漫画やゲームのキャラクター名でつかわれていることもあります。もしかしたら、ヒットの要因は、神様のご利益かもしれませんね。  日本には、八百万(やおよろず)の神様がいると言われています。膨大な神様の中から100項目にわたって紹介する新刊『最強の神様100』には、古代から現代まで、めちゃくちゃ力のある神様が登場します。最強クラスの神様なので、ご利益も多種多様。  今回、紹介するアヂスキタカヒコネは、「雷神」とも言われ、「日本最古の最強の神様」です。「気分が落ちている」「疲れがたまっている」人には、いい神様かもしれません。 出雲から来た最強の刀剣  漫画で、序盤に最強とされた存在は実は最強ではなく、真の最強の存在がいた。いやいや、さらにその背後に真の真の最強がいたなんて設定がありますね。アヂスキタカヒコネはまさにそんな「真の真の最強の神様」です。歴史に残る日本最初の天下人・葛城氏が最も信仰した神様でした。葛城氏は外国との関係が深く、ヤマト王権の外交と内政を主導。天皇と並ぶ存在で、最初期の天皇の母や妻もまた、葛城氏の出身でした。 アヂスキタカヒコネ (イラスト/朝倉千夏)  アヂスキタカヒコネは「雷神」と言われますが、まさに雷神を感じる出来事がありました。高鴨神社を参拝した後、別の神社で宮司さんと話をしていたら、突然雨が降り出して、雷が落ち、近くの給湯器が壊れたのです。「名前を読んだら来るんだな」と実感。給湯器が壊れたのは悪いことですが、厄除けできたなと感じました。  アヂスキタカヒコネを祭る高鴨神社は奈良県御所市にあり、京都の上賀茂神社や下鴨神社など、全国にあるカモ(賀茂・鴨・加茂)神社の総本社です。カモは神の語源ですから、神様のオリジナルかもしれません。  アヂスキタカヒコネの別名は迦毛大御神(かものおおみかみ)。「大御神」と称えられる神は、他に古事記などの神話で主役の大活躍をする神しかいません。しかし、アヂスキタカヒコネは端役です。神話が書かれる頃には、葛城氏は没落し、軽く扱われたようです。すごい神なのに、注目されていない。ご利益は大きいのに、求める人が少ないのですからお得ですね!  神話では、長い刀剣をふるい、うん百キロ以上遠くまでモノを蹴り飛ばす怪力の持ち主で、ケガレを祓います。「気分が落ちている」「疲れがたまっている」など、悪いものを振りはらう強いお力があり、そのご利益は絶大ですね。  ちなみに高鴨神社のある御所市は、「日本最初の首都」。6代天皇の頃まで、首都の多くは御所市でした。アヂスキタカヒコネは、「日本最古の最強の神様」なのです。 【主なご利益】厄除祈願、身体健全、商売繁盛【こんな人にオススメ!】「悪いことが続いているな~」と感じている人*本原稿は、八木龍平著『最強の神様100』からの抜粋です。 八木龍平(やぎ・りゅうへい)1975年、京都市生まれ。博士(知識科学)。スピリチュアルな感覚を活用する社会心理学者。科学とスピリチュアルを組み合わせた今までにない「神社分析」が好評を博し、『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』(サンマーク出版)はまたたくまに27万部超のベストセラーに。NTTコムウェアのシステムエンジニア、富士通研究所シニアリサーチャー、北陸先端科学技術大学院大学・客員准教授、青山学院大学・非常勤講師などを歴任。性格分析やコミュニケーションの学術論文を出版する社会心理学者である。2006年度コンピュータ利用教育学会(CIEC)学会賞・論文賞。現在は武蔵野学院大学・兼任講師として「情報リテラシー」を教えるかたわら、ブログや神社ツアーで「リュウ博士」と呼ばれ活躍中。全国の企業・団体での講演や、神社ツアーには、毎回多くの参加者が集まり、人気を博している。
プロ野球界から異業種への転身 公認会計士、宅建士、ライターだけじゃない意外な転職先
プロ野球界から異業種への転身 公認会計士、宅建士、ライターだけじゃない意外な転職先 イラスト:佐野文二郎  正統派ノンフィクション『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』から、プロ野球本の奇書『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた!』まで、球界の表と裏を書き続ける長谷川晶一。最新作『プロ野球ヒストリー大事典』は、日本プロ野球の約90年にも及ぶ歴史(正史・秘史・俗史)を佐野文二郎の膨大なイラストと写真で明解にまとめた集大成(?)的作品。そのPART2「キーワード別 日本プロ野球史」から「異業種転身史」を紹介する。*  *  *■うなる16文、「世界の巨人」から「ブルース・リーと戦った男」まで 現役引退後、プロ野球の世界から異業種に転身して、成功を収めた選手も多士済々だ。その筆頭として忘れてはならないのが1955(昭和30)年から59年まで巨人に在籍していた馬場正平。そう、後に「世界の巨人」として国際的存在感を誇ったプロレスラー・ジャイアント馬場だ。56、57、59年と二軍では最優秀投手賞を獲得する逸材だったが一軍では結果が残せずに現役を引退。その後、力道山率いる日本プロレスに入門し、その巨体を生かして大スターとなった。 青汁のCM、「ああっ、マズい。もう一杯!」でおなじみの俳優・八名信夫は56~58年まで東映フライヤーズに在籍。その後、親会社である映画会社、東映からのスカウトで悪役俳優に転身。「長嶋や王に打たれるより、高倉健に撃たれろ」と口説かれたというのは有名な話。 意外と知られていないのが、53~59年まで毎日、大毎オリオンズに在籍した橋本力。現役引退後、大映・永田雅一から「役者になれ」と勧められ、俳優に転身。背の高さを生かして『大魔神』のスーツアクターとして活躍。香港映画『ドラゴン怒りの鉄拳』ではブルース・リーの敵役として国際的存在となった。 テレビタレントとして大成功を収めたのが、59~69年まで中日に在籍していた板東英二。70年にCBCラジオでパーソナリティーデビューを果たすと、その後はテレビ、ラジオに大活躍。俳優として、『金曜日の妻たちへ』に出演、篠ひろ子、小川知子の夫役を見事に務め上げた。その後、税金のことや頭髪のことでいろいろあったものの、ここでは割愛。武士の情け。現在では長嶋一茂が連日、テレビに登場、お茶の間をザワつかせている。 イラスト:佐野文二郎  スポーツキャスターとして『プロ野球ニュース』を大成功に導いたのが高橋ユニオンズなどに所属した佐々木信也。寄席に通って話術を研究した努力が実った。「野球選手は歌がうまい」という俗説を実証するようにムード歌謡の世界では、「マムシ」と呼ばれた巨人・柳田真宏、同じく巨人・藤城和明が有名。なんと藤城は「ムード歌謡の帝王」と呼ばれた『敏いとうとハッピー&ブルー』にメンバー入りし、メインボーカルを任された経験を誇っているのだ。 意外な転身と言えば、東映、南海、阪神で現役を過ごした江本孟紀は、92(平成4)年にアントニオ猪木率いるスポーツ平和党から比例代表で出馬し、参議院議員となった。98年には民主党から出馬して再選。2期12年を無事に務めた。■公認会計士、宅建士、ライター、そして、犯罪を犯した者まで 飲食業界に進出したプロ野球選手は枚挙にいとまがない。立教大学からドラフト1位で巨人入りした横山忠夫は現役引退後に、堀内恒夫の紹介で銀座のうどん店で修業を積み、母校のすぐそばに「手打ちうどん 立山」をオープン。「横山」をもじって「立山」と名づけて現在も大繁盛。「巨人とうどん」で言えば、00~05年まで巨人に在籍した條辺剛。24歳で現役引退後、同郷の先輩である水野雄仁の勧めでうどんの世界に飛び込み、その後は讃岐うどんの本場・香川県で修業。08年に『讃岐うどん 條辺』を開店。暖簾に染め抜かれた店名は長嶋茂雄の手になるものとして有名だ。 近年では、西武、巨人に在籍したデーブ大久保が新橋に「肉蔵でーぶ」をオープン。ヤクルト、西武、日本ハムを渡り歩いた米野智人は、現役引退後に「食の伝道師」として、東京・下北沢にヘルシー志向の自然食レストランをオープンした。21(令和3)年からは古巣・メットライフドームにビーガン専門店「バックヤード・ブッチャーズ」を開店した。 難関資格を取って新天地で成功を収めているのは98~01年まで阪神に在籍した奥村武博。13年に公認会計士試験に合格し、プロ野球出身者初の偉業を成し遂げた。また、お立ち台での「キモティー!」で人気だったGG佐藤は現役引退後、父親の経営する住宅測量、地盤改良会社に就職。新規事業立ち上げのために宅地建物取引士(宅建)試験に一発合格。 イラスト:佐野文二郎  意外なところでは、巨人、日本ハム、DeNAに在籍した林昌範は、現在では父の経営する船橋中央自動車学校の取締役となり、「東大出身」と話題になった元ロッテの小林至は、桜美林大学教授であり、福岡ソフトバンクホークス元取締役であり、江戸川大学教授、立命館大学客員教授などなど、さまざまな肩書を誇っている。川本良平はアパホテルのやり手ホテルマンとなり、鵜久森淳志はソニー生命の営業マンとして日々奮闘中。 野球選手の形態模写が得意だったDeNA・高森勇旗は野球雑誌『野球太郎』で「ブルペンキャッチャー高森勇旗」の連載を持つスポーツライター、世界を股にかける実業家として活躍中。 また、現役引退後に殺人を犯して現在も服役中のA、覚せい剤取締法違反での執行猶予を経て奮闘中のB、強制性交で逮捕されたCなど、新世界での生活になじめなかった者もいる点も念のため、指摘しておきたい。長谷川晶一1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた! 』『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(以上、集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『虹色球団 日拓ホームフライヤーズの10カ月』(柏書房)、『プロ野球語辞典 令和の怪物現る! 編』(誠文堂新光社)、『プロ野球バカ本』(小社刊)ほか多数。Twitter @HasegawSh
京本大我「週刊朝日」の表紙に登場!「SixTONESの中にいると完全に甘えっぱなし」
京本大我「週刊朝日」の表紙に登場!「SixTONESの中にいると完全に甘えっぱなし」 週刊朝日10/1号 表紙は京本大我さん※アマゾンで好評発売中  今週の週刊朝日の表紙&カラーグラビアには、SixTONESの京本大我さんが登場。「舞台のことなら京本に聞く」とメンバーが信頼を寄せるほど数多くのミュージカル作品に出演してきた京本さんですが、スペシャルインタビューでは、「やりたいのかって言われると、わからない」という意外な言葉が──。他にも、結婚へ秒読み段階に入った秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さまのお相手・小室圭さんについて小学校時代の恩師が初証言した独自記事や、自民党総裁選で安倍・麻生体制に反旗をひるがえした河野太郎行政改革相の素顔、多くの人が密かに悩んでいる「尿漏れ・便漏れ」問題、自称“時給最低ライター”和田静香さんと立憲民主党・小川淳也衆院議員の「ガチンコ対談」など、盛りだくさんのラインナップでお届けします。  今秋、ディズニーの大ヒット作「ニュージーズ」の日本公演で主役に挑む京本大我さん。ミュージカル作品の出演経験が豊富ですが、それが自分の強みと感じるかという記者の質問には「強みって言い切れるほど、まだ結果は出せていないです」としながらも、「でも舞台はナマモノで、お客さんからすべてが見えるからごまかしがきかない。ぼろも出やすい。だからこそ、鍛えられるんです。力をつけるなら俺にはミュージカルがいちばん合ってるかなと思います」と、ミュージカルというジャンルへの思い入れを語ってくれました。「ニュージーズ」は元々、昨年5月に上演予定だったものが、コロナ禍で全公演中止に追い込まれた作品。再び上演が決まったことに、京本さんは「いくつもの奇跡が重なった巡り合わせの結果だと思っています」と語ります。今作にかける意気込みや、二十歳を超えたここ数年で「信じちゃう病」にかかったという気になる話まで、読みどころ満載のインタビューとなりました。  その他の注目コンテンツは、 ●眞子さま10月ご結婚へ 小室圭さん小学校時代の恩師が語った「人を引きつける『何か』を持っていた」 秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さま(29)の結婚に向けた動きが慌ただしくなっています。お相手の小室圭さん(29)は月末にも帰国する見通しで正式発表も近そうですが、お二人は新天地での生活を無事に終えることができるのでしょうか。本誌は小室さんの小学校時代の恩師に独占取材。「目立つわけではないんだけど、今の言葉で言うと『持ってる』というのかな」と、当時の思い出を初めて語ってもらいました。さらに、婚姻届やパスポート取得の手続きがどうなるかなど、「異例の結婚」の詳細も取材しました。 ●河野太郎は「改革者」か「暴君」か 安倍・麻生体制に挑む“総裁選アウトレイジ”の行方 9月17日に告示された自民党総裁選は、混戦模様となっています。安倍晋三前首相ら“キングメーカー”の動向に注目が集まるなか、河野太郎行革相は小泉進次郎環境相、石破茂・自民党元幹事長との「小石河連合」を結成し、長老たちに“ケンカ”をふっかけたかたちになりました。果たして河野氏とは何者なのか。国会議員、霞が関官僚、地元関係者らの証言で、「令和の変人」の素顔に迫りました。 ●「尿と便」はもう怖くない! 60代を境に増加する「漏れ問題」に挑む 大人気シリーズ「誰にも聞けないカラダの悩み」の最新作は、多くの人が密かに悩んでいる排泄トラブルについて。尿失禁や便漏れは誰もがなる可能性があり、便漏れに悩む患者は全国で500万人にのぼると想定されています。放っておけば悪化の一途であり、外出もままならず、うつ病になってしまう人も。だだ、どちらも改善できる病気です。専門家に対処法を解説してもらいました。 ●“時給最低ライター”が立憲民主・小川淳也議員とガチ対談「『私の不安』をつきつめたら日本の政治問題に行きついた」 ライターの和田静香さんと立憲民主党の小川淳也衆議院議員の政治問答本が話題です。政治の素人である和田さんが、自らが感じる生きづらさの原因を求め、プロに挑んだ本音のデスマッチは激高あり、涙あり。読者の多くが和田さんに共感し、政治を「自分ごと」として考え始めています。衆院選が間近に迫る今、私たちは政治とどんな距離感で生きればいいのか。二人にあらためて真剣対談してもらいました。 週刊朝日 2021年 10/1号発売日:2021年9月21日(火曜日)定価:440円(本体400円+税10%) ※アマゾンで好評発売中!
「素直に反省できない妻。4歳の娘がまねしないか」 心配な父親へのアドバイスは?
「素直に反省できない妻。4歳の娘がまねしないか」 心配な父親へのアドバイスは?  素直に反省せず、他人のせいにしてばかりの妻に夫は不満を募らせています。娘が同じ振る舞いをしないか心配の様子。「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、「論語」から格言を選んで現代の親の悩みに答える本連載。今回の父親へのアドバイスはいかに。 *  *  *【相談者:4歳の娘を持つ30代の父親】 保育園年少の娘を持つ30代の父親です。娘には「ありがとう」「ごめんなさい」と素直に言える人になってほしいのですが、うちの妻は、とにかく素直に反省することができません。結婚して10年たちますが直りません。たとえば朝食時、妻がスマホをテーブルの端ぎりぎりに置いたため、娘のひじが当たって落下しました。そこで妻がまず放った言葉が「パパが新聞を広げているから、ここにしか置けなかったのよ」。 先日デパートに出かけた際も、妻がスマホを家に忘れたため、私と娘が、妻とはぐれてしまい、やっと会えた瞬間も「なんで2人ともママのそばにいないの!」とキレる始末。「ごめんね」「次から気をつけるね」といった言葉は一切出てこず、他人のせいにしてばかりです。私はその都度、「素直に謝ることの大切さ」を言い聞かせてきたのですが、改善しなければ娘も同じように振る舞うのではと心配です。私が我慢するしかないのでしょうか。【論語パパが選んだ言葉は?】・「子曰わく、君子の天下に於(お)けるや、適(よ)きも無く、莫(あ)しきも無し」(里仁第四)・「直(なお)きを挙げて諸(こ)れを枉(まが)れるに錯(お)けば、能(よ)く枉(まが)れる者をして直(なお)からしむ」(顔淵第十二)【現代語訳】・「君子は世の中のあらゆる物事に対して、決して、こうしようと固執することなく、また絶対にこうしないと決めることもない」・「まっすぐな材木を曲がった材木の上に置けば、下の曲がった材木が押されてまっすぐになるように、正しい人間を曲がった人の上に置けば、曲がった人はおのずと正しくなり心服する」 ※写真はイメージです(写真/Getty Images) 【解説】 お答えします。相談者さんは妻に「言い聞かせる」必要も、「割り切って我慢する」必要もありません。相談者さんご自身の考え方を変えたほうがいいでしょう。娘さんに素直に「ありがとう」「ごめんなさい」を言える人になってほしいのであれば、自分が実践すればいいのであって、妻にまでそれを強要すべきではありません。 2500年前の『論語』は、優れた「リーダー育成本」としても知られていますが、そのなかで孔子は、人の上に立つ者のあるべき姿を、こう説いています。「子曰わく、君子の天下に於(お)けるや、適(よ)きも無く、莫(あ)しきも無し」(里仁第四)「人格者は世の中のあらゆる物事に対して、決して、こうしようと固執することなく、また絶対にこうしないと決めることもない」という意味です。 世の中には、決して「これが正しい」という基準はありません。時代や地域、その時の状況によって「正しさ」は常に変化します。一家を支える父親は、「こうしなければ」と物事に固執することや、忌み嫌うこと、つまり先入観や偏見をもってはいけないと思います。 たとえば海外では、「日本人はすぐ謝る」と言われています。テレビでもよく、企業のトップや政治家、タレントの謝罪会見が放送されますよね。でも海外メディアがこのような「謝罪」をわざわざ報じることはあまりありません。相談者さんが妻に求めている「素直な謝罪」や「反省する態度」は、日本人にとっては美徳なのかもしれませんが、海外では自分の過ちを認めると、罪を償わなければなりませんから、そうやって必ずしも人生を暗いものに必要もないと私は思うのです。 それよりも「ありがとう」は、何に対しての「感謝」なのか。「ごめんなさい」は、何に対しての「謝罪」あるいは「反省」なのか。こうした物事の本質をしっかり自覚することこそ、娘さんの教育に必要なのではないでしょうか。「君子の天下に於けるや~」の言葉の後には、こう続きます。 「義にのみ之(こ)れ与(とも)に比(した)しむ」と。「ひとえに正しきもの、理にかなっているものにこそ従うべきである」という意味です。  スマホの落下、デパートではぐれたくらいのことは、罪を償わなくてはならないほどの非礼ではありません。相談者さんは素直になれない妻の態度を「良い」だの「悪い」だのと固執することなく、どうか笑って済ませられる父親になってください。難しいかもしれませんが「良い」「悪い」ではなく、「正しさ」に対して柔軟に対応できる人間になれば、人生のどんな局面も楽しめると思います。 妻の性格の改善を試みたり、娘さんの将来を心配したりする相談者さんは、とてもまじめな性格なのですね。論語にはこんな言葉もあります。「直(なお)きを挙げて諸(こ)れを枉(まが)れるに錯(お)けば、能(よ)く枉(まが)れる者をして直(なお)からしむ」(顔淵第十二)と。 これは、「まっすぐな材木を曲がった材木の上に置けば、下の曲がった材木が押されてまっすぐになるように、正しい人間を曲がった人の上に置けば、曲がった人は自ずと正しくなり心服する」という意味です。 相談者さんが大切にしている「ごめんなさい」「ありがとう」という言葉を「マナー」ととらえるなら、それは実践して初めて身につくものです。まずは相談者さんが率先して実践することを提案します。娘さんは自発的に「感謝」と「反省」を体得することになり、そんな夫の姿を見て妻も変わってくれるかもしれません。【まとめ】素直に謝ることより、「何に対して謝るのか」本質をつかむことが大事。父親がまず正しいマナーを実践しよう山口謠司(やまぐち・ようじ)/中国文献学者。大東文化大学教授。1963年、長崎県生まれ。同大学大学院、英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。NHK番組「チコちゃんに叱られる!」やラジオ番組での簡潔かつユーモラスな解説が人気を集める。2017年、著書『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。著書や監修に『ステップアップ  0歳音読』(さくら舎)『眠れなくなるほど面白い 図解論語』(日本文芸社)など多数。母親向けの論語講座も。フランス人の妻と、大学生の息子の3人家族。
瀬戸内寂聴 子ども時代の“洟たれ松っちゃん”と涙の思い出
瀬戸内寂聴 子ども時代の“洟たれ松っちゃん”と涙の思い出 瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。単行本「往復書簡 老親友のナイショ文」(朝日新聞出版、税込み1760円)が発売中。  半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供) ■横尾忠則「今年は『入院の秋』は延期になりました」  セトウチさん  この手紙を書いている今日は九月一日。忍びよる秋の気配、秋深まる、秋たけなわ、木の実がなり、台風が来る。読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋、食欲の秋、旅行の秋、惰眠の秋、僕ならさしずめ芸術の秋と思うでしょ。芸術は飽き秋。  僕の恋こがれる秋はやっぱり「入院の秋」です。夏が終り秋口にさし迫る頃、ジワジワやってくるのが喘息の季節です。発作的に咳が出て呼吸困難になります。救急車で入院するほど危機一髪寸前で担架で運ばれて命拾いです。ハイ、これで入院が決定。ヤッタネ気分で、明日から楽しい入院生活の始まりです。  何んでもいいんです。怠惰な日常世界から脱出できれば、そこは芸術世界です。入院は芸術です。未知の世界です。何が起こるかわからない世界です。シュルレアリスムとダダと、ポップアートと、バロックと、抽象表現主義と未来派と、浪漫派と、コンセプチュアルアートの狂気と快楽の世界の入院の秋です。だから入院が止められないのです。採血や点滴はまだ快感の域です。脳の液体を採取するために尾てい骨にブスリと太い注射が入ったり、顔面の内部からボコボコわけのわからない突起的な衝撃が走ったり、まあ恐しい検査はこの辺にしますが、やはり「入院の秋」は醍醐味です。狂気と快楽は病いのアレです。アレとはアレのことです。忘れてアレの言葉が出てきません。  さあ一通り病院の通過儀礼が終れば、いよいよ病室の改善です。病室のアトリエ化です。ズラッと壁に並んだキャンバスに片っ端から絵を描いていきます。先生も看護師もアトリエ化した病室に見学に来ます。医療関係者対象の公開制作の始まりです。38度あった熱が制作の開始と共に、平熱に下がります。「絵画治療ですなあ」と感心する医師の先生方。絵を描き過ぎて病気になって、絵を描くことで病気を治す芸術的自然治癒です。芸術的創造は延命も約束します。  病気は脳内を観念と言葉と論理と理屈でギッシリ埋め込んでいるから病気になるのです。如何なる病気でも頭の中を空っぽにすれば、すぐ治ります。病気の原因の99.9パーセントはストレスです。芸術もストレスが必要不可欠ですが、そこはいい頃を見計らって入院して、病室をアトリエ化することで、ストレスは解消します。創造とストレスは往復運動です。往復書簡とは違いますよ。報復運動とも違います。  セトウチさん、僕の入院趣味がやっとおわかりになったかと思います。入院があって芸術が存在し、芸術があって入院が存在するのです。この芸術と入院の両輪が僕自身を存在させているのです。そろそろ「入院の秋」到来ですが、今はコロナで病室が空いていないので残念ながら入院はできません。コロナに感染しても入院はできません。恐しい世の中になりました。自宅を病室に一変させて、妻に白衣を着せて、脈を取らせるしかないです。病院食はいやなので、ステーキとカレーとぜんざいの家庭食に変更します。折角の秋も自宅療養では絵も描けません。  今年は残念ながら「入院の秋」は延期することになりました。ゴホン、ゴホン、喘息は止みません。ゴホン。セトウチさんゴ本(ホン)大好きで読書三昧とか、そんな面白いゴ本ってありますか。 ■瀬戸内寂聴「私も入院が最近とても好きになりました」  ヨコオさん  九月のはじめは台風が来ると思っていたのに、今年はなぜか、毎日おだやかな朝を迎えています。  子供の頃、長い夏休みが終わって、学校が始まると、休み中に力を尽くした宿題を山のように抱えて、久しぶりの学校に行った心のたかなりを思い出します。私の故郷の徳島では、この時、必ずと言っていいほど、雨が降ってきたものです。  小学校に上がったのは、八歳だったので、六年通った小学校は、人生最初の社交場でもあり、数え百歳まで生きた私の思い出の中でも格別のものがあります。  小学校は眉山の山懐にある新町小学校というものでした。家がその近くに引っ越したので、近所の子供ともまだ馴染んでいなくて、五十人のクラスでも知った子は一人もいなく、わびしいものでした。その上、私の教室の席は、一番後ろで、隣には大きな、髪の長いのをおさげに編んだ妙に大人びた子が、いつもニヤニヤしながら座っていました。  苗字は忘れましたが、名前は松子か、松江でした。私たちは間も無く、その子を「洟たれ松っちゃん」と呼ぶようになりました。いつも洟を二本垂らしていたからです。先生はなぜか私に、優しい笑顔をむけ、「松っちゃんにやさしくしてね、松っちゃんは小さい時病気をして、脳が弱いだけなのよ。お母さんもお父さんもいなくて、おじいちゃんひとりが、世話をしているのよ」と言うのでした。 「はあちゃんは、しっかりしてるから、先生からも、松っちゃんのこと、よろしくお願いするわ」  と続けられます。その間も松っちゃんは洟をたらしたまま、ニタニタ笑っているばかりです。  その頃から男女は別の教室でしたから、クラスに乱暴な男の子がいないのが、何よりでした。  秋には運動会があります。生徒たちは、運動会のため、リレーの稽古や、男の子は野球の練習に集中しました。私たちは、みんなで踊るダンスを習いました。私は何よりもダンスが得意でした。クラスみんなで輪になって踊るのです。私たちはみんな張り切って、音楽隊に合わせて踊り始めました。だんだん私たちは動いて、見物席の貴賓席の前まで来ました。なんとしたことか、洟たれ松っちゃんが木のように突っ立って、いくら私がその体を回そうとしても石が埋まったように動きません。  私は必死になって、松っちゃんの体にしがみつき、なんとかその体を引き回そうとするのですが、動きません。そのうち、見物席から、突然、拍手がわきおこりました。私の大奮闘ぶりがいじらしく見えたのでしょうか。でも、私は悲しく、悔しく、涙が堪えられませんでした。空いっぱいに張り巡らせた万国旗が涙に霞んで見えなくなりました。  あ、さっきまで晴れていたのに、いつの間にか雨がひっそりと降っています。  突然思い出した洟たれ松っちゃんは、どこでどうしていることでしょう。ヨコオさんが、早くも宮本武蔵の絵を描いている頃のことです。  入院は、私も今年はずいぶんしました。ヨコオさんのように傍若無人な患者ではなく、終日、おとなしく本を読んでいる模範患者だと思いますよ。私も入院が最近とても好きになりました。ヨコオ夫人が白衣を着せられた姿が見たいものです。三宅一生のデザイン? またね。※週刊朝日  2021年9月24日号
公立優位の地方都市・金沢に中高一貫校が来春開校 金沢学院大附属中の「秘策」とは
公立優位の地方都市・金沢に中高一貫校が来春開校 金沢学院大附属中の「秘策」とは 来春開校する金沢学院大学附属中学校の正門(学校提供)  27年にわたり中学受験指導を行っているベテラン塾講師・矢野耕平さんが、実際にかかわった受験生の実例や、自身で足を運んで取材した私立中高の様子をもとに、中学受験や学校選びのヒントをつづります。受験するなら知っておきたい、私立中学と中学受験の「リアル」とは――。 *  *  * ■わが子を置いて残していきたくなる街  2022年4月。新たな共学の中高一貫校が誕生する。  石川県金沢市。かつてこの地は「北陸の小京都」と呼ばれていた。古くから残る建物や街並み、和菓子の店や茶屋街、数々の伝統工芸品、地の野菜、あるいは、日本三名園のひとつである兼六園をはじめとした観光名所など……。確かに京都と共通項の多い土地柄であるように感じられる。  しかし、金沢の人々は「小京都」と言われることに違和感を抱くようだ。 「『加賀百万石』という有名なことばがありますが、公家文化を中心に栄えた京都に対して、金沢は最大の外様といわれた前田利家が築いた、いわゆる武家文化で発展した街です。加賀藩は武士のみならず、庶民を対象に学問や文芸にも力を入れました。その影響でしょうか。人口10万人当たりの大学数では石川県は京都府に次いで全国第2位です。『学都・金沢』とも呼ばれているのですよ」  こう説明してくれたのは学校法人金沢学院大学・企画部部長補佐の西念佑馬先生。  この西念先生の名刺を見ると、その所属先に「中学校設置準備室」と添えられている。  学校法人金沢学院大学は現在、「大学」「短期大学」「附属高校」を有しているが、来春2022年度に中学校を新規開校する。前身の私立金沢女子専門学園が1946年に創立されてから75年経ったいま、なぜ中学校を開設するのだろうか。聞くところによると、来年1月には東京・名古屋・大阪でも中学入試を実施し、広範囲から入学生を集めたいという。それを見越して、寮制度を充実させるらしい。  そういえば、東京から金沢に赴任した教育関係者が次のような発言をしたことをふと思い出した。 来春開校する金沢学院大学附属中学校の校舎(筆者撮影) 「金沢はほどよく都会でほどよく田舎。そして、文化的な環境のある街。わたしの周囲にいる、都心から金沢に転勤してきた人たちは、帰京する際にこんなことをよく口にするのです。『わが子をこのまま金沢に置いていきたい』。……それくらい教育環境的にも魅力ある街なのでしょう」  西念先生は中学校の新設に挑戦する理由をこんなふうに説明してくれた。 「金沢は全体的に保守的な地域であり、依然として公立高校が中心です。そんな中で、中高一貫校を開設し、6年間かけて高い学力レベルを誇る生徒たちを育てたいと考えたのです」 ■民間教育機関が全面協力する学習プログラム  金沢学院大学附属中学校は2コース体制で運営されるという。スポーツや芸術などの個性や才能を伸ばすために設置される、大学付属色の強い「総合コース」。そして、国立大学・医学部・難関私大への進学に対応した「特進コース」である。  東京をはじめとする県外入試で受験生が集まるのは「特進コース」になるのだろう。  前出の西念先生のことばは力強い。 「特進コース1期生の目標として、全員が旧帝大もしくは医学部に合格することを掲げています」  そのために、主要3教科である「国語・数学・英語」については、その充実を図るためにチームティーチングによるきめ細かな授業を毎日おこなっていくという。また、「共創型対話学習」という対話によって在校生たちが深い思考力・判断力・表現力を培う学習に取り組むという。さらに、生徒たちがアカデミックな学びを堪能するために、隣接する系列大学の教員が自らの研究室で直接指導もおこなうらしい。  そして、次の点が珍しい。  同校の教育内容の策定には全面的に民間教育機関がかかわっている。教育アドバイザーとして著名な清水章弘さんの率いる「プラスティー教育研究所」だ。  その清水さんはこう語る。 「金沢学院大学からこの話をちょうだいしたときは、正直新しい中学校をつくるのは難しいのかな、と感じました。既に高校があってその文化がありますしね。しかし、今回中学校を開設するに当たって、学校は力量のある教員を一斉に新規に採用したのです。これは相当な力の入れようだなと感心させられました。学校側も『良い学校をつくるためなら、どんどん意見を言ってほしい。それに応えてみせる』というスタンスでしたから、その懐の深さと器の大きさにわたしは突き動かされたのです」  新規開校する中高一貫校には陰で民間教育機関が携わることが多い。しかしながら、それはあくまでも助言役やサポート役といったいわば「お客様」であることがほとんどだ。  この点、同校は他校と一線を画している。プラスティー教育研究所はれっきとした「学校スタッフ」であり、教員たちと協同して教育内容やそのプログラムを構築、実践するという。もちろん、代表の清水さんはじめ、プラスティーのスタッフたちも授業を受け持ち、子どもたちひとりひとりのコーチングも担っていく。  わたしは来春から中学校に勤務する教員たちとプラスティーのスタッフたちとのミーティングの場にたまたま居合わせたが、活気ある雰囲気の中、互いに本音をぶつけ合い、良い学校を皆でつくり上げていこうという熱気に満ちていた。 ■子どもたちが成長する「寮制度」  そして、同校の敷地内には3階建てで200の個室を備える新築の寮(中学清鐘寮)を用意する。寮内には大人数で使用する学習室を5室設けたり、系列大学の教育学部の在学生たちがチューターとして個別指導に携わったりするなどして、子どもたちの6年間の学びを支援する。  そして、この寮では中学校で教頭を務める予定の望月尚志先生が寮監を兼ねるという。  望月先生は熱弁を振るう。 「寮生たちが学習成果を出すためには、生徒たちにとってストレスフリーな生活を用意しなければいけません。教頭であるわたしが寮監を兼務することで、学校内と寮での様子を交互にチェックし、寮生ひとりひとりに細かに配慮することができます。なお、わたしの妻が寮母を務めます」  驚かされたのは、望月さんご夫妻は富山県の私立中高一貫校で16年間、寮長・寮母として多くの寮生やその保護者たちと関わってきたという。そのノウハウを基にさらにオンラインなどを活用した新しい試みを導入するという。  学期ごとの寮生保護者会、週に1度配信される寮生活のライブ動画、YouTubeを活用したイベント動画配信など……。  また、この寮では「特進コース」と「総合コース」の生徒たちが共同生活を送ることになる。学力トップ層の生徒と、スポーツや芸術で才能を発揮する生徒が互いに良いところを学び合い、切磋琢磨できる環境の構築が狙いだという。 ■子どもたちはどんな6年間を過ごすのか  金沢学院大学附属中学校は、金沢駅からバスで35分ほどの距離にあり、豊かな緑に囲まれた環境である。広々とした敷地内には、体育館やサッカー場、ラグビー場、野球場、剣道場、柔道場のほか、トランポリン場や相撲場まである。  来春入学する第1期生たちは、どんな6年間をここで過ごしていくのだろう。 「2022年4月、開校へ」と記された同校のパンフレットを開くと、そこには学校が思い描く6年間の歩みが樹木のイラストとともに掲載されている。  わたしが学校内を訪れて見学していた折、学校関係者のひとりがふとつぶやいた。 「中高6年間を過ごしたこの金沢の地は、子どもたちにとって『故郷』になるのでしょうね」  まだ開設していない学校ゆえ、わたしは在校生たちの声を直接聞くことはできない。  第1期生となる彼ら彼女らがこの金沢の地に根を張って、新しい学び舎の中でどのようにして学びの枝葉を伸ばしていくのか。わたしは楽しみにしている。(矢野耕平)
「男性不妊は他人事と思ってたけど」 鈴木おさむが「僕の種がない」に込めた願いとは
「男性不妊は他人事と思ってたけど」 鈴木おさむが「僕の種がない」に込めた願いとは  放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、男性不妊について放送作家の鈴木おさむさん *    *  *  僕が30代後半になった時くらいから友達と飲んでる時に、「体外受精」の言葉がちらほら聞こえるようになってきました。そのころは僕にとっては「不妊治療」は他人事だと思っていた。  2度の流産を経て、妻が仕事を休んで妊活に専念したいと言って仕事を休みました。2014年に妻が妊活休業に入る時に、妻からのお願いで、精液検査に行ってほしいと言われました。僕は好奇心がとても強いので、むしろやってみたいと思っていたけど、タイミングがなかった。  正直、行くときは、ワクワクしている自分がいた。自分の精液の状態を知れるんだと。  でも、検査が終わって、僕の精液の状態が良くないことを突き付けられた。その数カ月後に、別の病院で再び精液検査をすると、そこでも僕の精液の状態がよくないことを知る。 男性不妊という言葉は聞いたことがあったけど、当然、他人事だと思っていた。  そのあともいろいろ調べてみたり、仕事も兼ねてお医者さんの話を聞いていくとわかったこと。赤ちゃんを授かりたくても授かれなかったり、妊娠しても残念なことになってしまったり。  どうしても、まだ女性が一人でその責任を背負ってしまいがちだけど、子供ができるというのは精子と卵子が受精するところから始まるわけです。それが女性の体の中で育っていくから、女性が背負ってしまいがち。  でも、それではいけない。精子と卵子から始まることですから。精子に問題がある可能性がある。僕は50%50%だと思っている。どっちのせいというわけではないですが、精子に問題がある可能性だってかなり高いわけです。  それを認識している男性ってどのくらいいるのかな?と思うんです。  僕の後輩の20代の男性A君。結婚してもなかなか子供ができないと去年、言っていたので、僕は言いました「精液の検査行った?」と。  A君はその時は「まさか自分のせいじゃないでしょ」と思っていたはず。だけど、僕が何度も言うので検査に行くと、彼の精子の数がかなり少ないことが判明し、自然妊娠は諦めて、早めの体外受精を行い、この秋出産予定。  そうなんです。男性で「自分の精液に問題はないでしょ」と思ってる人は多いと思うんです。  だけど、検査に行って僕やA君のように現実を知る。これがとてつもなく大事だと思うんです。早くわかれば、対処のしようがある。  この10年で男性不妊ということも、段々、浸透してきたとは思うけど、でも、男性は「俺は大丈夫」と思ってる人多いと思います。  なので、この状況を少しでも変えることができないのかなと、2016年の年末から男性不妊をテーマに小説を書きました。「僕の種がない」という小説。  男性不妊をテーマに、それをエンターテイメント性のある小説にできないかと挑戦してみました。その結果、一人のドキュメンタリーディレクターと、余命半年の芸人さんの話を作りました。結婚している芸人さん。子供はいない。その芸人さんが病気で余命宣告をされ、  ディレクターに自分のドキュメンタリーを撮影してほしいとお願いをする。  そこで、ディレクターが突きつけたこと、それが「余命宣告がされている中で、子供を作ることに挑戦しましょう」ということ。だけど、芸人さんの精子は……という物語なのですが。  賛否両論出るだろうなとは思っています。だけど、男性不妊と言うものに対する考えが、何かをきっかけに変わってくれることで、夫婦の形ももっと変わってくると思うんですよね。そんなことを願い書いたこの小説。  書き始めたのは2016年12月27日。その前日に20年やっていた番組が終わった日でした。  大切なものが終わりを迎えたからこそ、新しいことを始めようと作ったこの作品、「僕の種がない」で。少しでも何かが変わってくれることを願っています。  ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中。毎週金曜更新のバブル期入社の50代の部長の悲哀を描く16コマ漫画「ティラノ部長」と毎週水曜更新のラブホラー漫画「お化けと風鈴」の原作を担当し、自身のインスタグラムで公開中。コミック「ティラノ部長」(マガジンマウス)が10/4に発売決定。YOASOBI「ハルカ」の原作「月王子」を書籍化したイラスト小説「ハルカと月の王子様」が好評発売中。作演出を手掛ける舞台「もしも命が描けたら」が9/17(金)20:00 より配信が決定(見逃し配信:~2021/9/23木23:59)。長編小説『僕の種がない』(幻冬舎)が発売中。
コロナ禍で夫婦円満の秘訣は同じ寝室? テレワークは「息抜きない」と専業主婦 満足度調査が示すリアル
コロナ禍で夫婦円満の秘訣は同じ寝室? テレワークは「息抜きない」と専業主婦 満足度調査が示すリアル 夫婦関係はコロナ禍でどう変化した?※写真はイメージです(Getty Images)  昨年から続くコロナ禍で、働き方に大きな変化が生じたことで、家庭での過ごし方や生活スタイルが一変したという人は少なくない。それによって今、夫婦の関係はどのように変化しているのか。最新の調査結果とコロナ禍の夫婦の現状を紹介。識者の解説とデータから夫婦関係を良好に保つコツを探った。 *  *  *  昨年、第一子を出産した専業主婦のAさん(35歳)。コロナ禍で、会社員の夫は自宅で仕事をすることが増えた。夫は子育てに協力的。だが、ワークスタイルの変化はAさんの子育てにも影響し、自宅で気を遣うことが増えた。 「夫はリモート会議がとにかく多いのです。会議中に赤ちゃんが泣き出さないよう、必死であやしたり寝かしつけたり、神経をすりへらす毎日にクタクタです」(Aさん)  リモートワークで夫が常に家にいるようになり、妻の心理的な負担や家事が増えたというケースはめずらしくない。Aさんと同じく夫が自宅で仕事をするようになったパート勤務のBさん(44歳)は、こう不満を吐露する。 「夫は週1回の出社以外すべてテレワークになったが、私の週4日パート出勤は変わらず。なのに、夫は家事は今までどおり私の役割と考えているのが不満。子供の宿題はみてくれても、家事は自分から手伝ってくれないので私の負担ばかり増え、息抜きの時間もなくなった」(Bさん)  一時“コロナ離婚”という言葉も注目を集めたように、コロナ禍の生活の変化は夫婦関係に悪影響を及ぼすものと考えられていた。だが、実際には逆の声もあった。共働きのCさん(30歳)の場合、夫婦ともどもテレワークだ。 「家事は2人で分担。一緒に過ごす時間が増えて、夫婦間の結束も強くなったと思う」  Aさん、BさんとCさんの差を生み出しているのは何か。夫婦の事情はそれぞれといえども、最新の調査にこの差を読み解くカギがあるかもしれない。 ■ 専業主婦世帯は夫と妻の満足度に開き 「夫婦関係調査2021」(リクルートブライダル総研)によれば、夫婦関係に満足している割合は4年前と同水準の67.2%。全体でみれば、それなりに満足という数字に変化はない。しかし、その内情は、夫婦の勤務形態の変化が「夫婦関係の満足度」に大きく影響しているようなのだ。  リクルートブライダル総研の金井良子さんによると、共働き世帯では夫も妻も満足度が上昇。一方で、専業主婦世帯では夫の満足度が上がる反面、妻は下がる傾向に。兼業主婦世帯では夫・妻ともに下降傾向にあるという(※兼業主婦世帯=夫の扶養家族に入っている妻がパートやアルバイトに従事している世帯)。Aさん、Bさん、Cさんはこの傾向にピタリとはまっているように見える。  同調査で夫婦関係の満足度について、専業主婦世帯の場合、夫は「上がった」と13.7%が回答。対する妻は「下がった」が12.0%で、「上がった」よりも2.7ポイント上回っていた。 リクルートブライダル総研調べ※本調査では、性・年代別に定数にてサンプルを回収し、集計の際に実際の性・年代別既婚者の人口構成に合わせるために、サンプルに重みづけを行った(ウエイトバック集計)。数値(構成比・割合)は、一部を除きウエイトバックによる補正後の件数で算出したもの。また、小数点第2位以下を四捨五入しているため、構成比が100%にならない場合もある。 「共働き夫婦は理想的な家事分担ができやすいのに対し、専業、兼業主婦世帯の妻は夫の在宅で家事時間が増え、自分ひとりで過ごす自由な時間が激減。たまった心身の疲れとストレスで夫婦関係の満足度も下がっているとみられます。また、兼業主婦世帯で妻のパートタイム就業の働き方が以前と変わらない場合、家事や育児の負担が増えた夫側の満足度も下がるという結果が出ています」(金井さん)  同調査の結果では、特に40代の兼業主婦世帯は、夫も妻も満足度の低下が顕著だった。  住宅ローンや子供の教育費など出費も多い。高齢の親のケアや介護の問題が出てくる時期でもある。年齢による体力の低下もあって、そもそも疲れとストレスをため込みやすい世代だ。そこにコロナ禍が直撃。感染防止にピリピリするなか、夫と言い争うことに疲れたとの声が聞かれた。 「夏場、わが家の必需品は冷たい麦茶。夫がテレワークになってから消費量がハンパない。飲み終えたら冷蔵庫に補充してと何度も言ったのに、『ゴメン忘れてた』と、毎度スルーされて腹立たしい。こっちはパート以外に、家事と子育てをワンオペでこなしてるのに……。最近はあきらめて注意もしなくなった」(47歳・兼業主婦)  一方、調査の結果は、満足度は40代、50代を底にして、夫婦関係は再び安定してくる傾向に。60代に入ると子どもも独立。家庭内も落ち着いてくるからだとみられる。 「その年代になると、趣味や友人との旅行など、夫や妻が『自分の好きなことをやらせてくれる』点で、相手への評価がグッと高まっているんです。ある意味、40代以降の時間経過中に調整を重ねて導き出された結果であり、見方によっては、この一連の流れは期待値の表れと考えることもできるわけですね」(金井さん) ■ 毎日1時間以上の夫婦の会話  年齢を重ねれば関係が改善する可能性があるとはいえ、40代、50代の夫婦が今できる、解決策はないのだろうか。  ヒントは若い世代。全体的に満足度が高い20代、30代は、お互いの不満を改善するための話し合い、すり合わせが十分に行われているとみられる。夫が家事と育児に協力的なことも大きいだろう。  実際、年齢を問わずに出した同調査の結果では、コロナ禍で夫婦関係の満足度が上がったと回答した人は、パートナーが家事や育児をする傾向にあった。それは兼業主婦、専業主婦世帯でも同様だった。  また、配偶者と同じ寝室ということも夫婦円満コツのようだ。同調査では、夫婦関係の満足度が上がったと回答した人と下がったと回答した人とで差がはっきりみられた。夫婦関係の満足度が上がったと答えた人の67.5%がほぼ毎日同じ部屋で寝起きをしているのに対し、満足度が下がったと回答した人は29.9%にとどまっていた。 リクルートブライダル総研調べ※本調査では、性・年代別に定数にてサンプルを回収し、集計の際に実際の性・年代別既婚者の人口構成に合わせるために、サンプルに重みづけを行った(ウエイトバック集計)。数値(構成比・割合)は、一部を除きウエイトバックによる補正後の件数で算出したもの。また、小数点第2位以下を四捨五入しているため、構成比が100%にならない場合もある。  そのほか、同調査では「配偶者に感謝の気持ちを伝える」「毎日1時間以上の夫婦の会話」の2点を行なう頻度も夫婦関係の満足度と関係していることがわかった。満足度が上がった人は、当然、パートナーとの会話が多く、「ありがとう」と相手に伝える機会も多い傾向にあった。 「当たり前のことですが、何かしてもらったら必ずおたがいに『ありがとう』を。たった一言でも関係が良くなる大事な言葉です。また、うまくいっている夫婦は日常の雑談が多いもの。話題に困ったら、子供の父母としての業務連絡のような会話でもOK。『私たちの頃は~だったね』など、会話を広げていくことができます」(同) ■ 結婚式を経験していたほうが関係に満足  さらに、興味深いことに、結婚時の結婚式や披露宴といたイベントの実施の有無も関係しているようなのだ。同調査の結果によると、結婚式や披露宴、記念写真撮影など、結婚時に何らかのイベントを経験しているほうが、未経験の場合より夫婦関係に満足している傾向にあった。過去には戻れないものの、夫婦関係を考えるうえでの一つの参考にしてほしい。 「結婚に関するイベントを通して、相手の性格や考え方、人間関係などを知り、家族観や金銭感覚のすり合わせができる好機といえます。二人で大きなお金を遣う、大きな決断をするなども、改まったイベントならではのこと。お互いの家族や友人が交流することで、自分と相手に対する周囲からの評価を知ることもでき、培った経験がその後の夫婦関係に良い影響を与えると推察できます」 リクルートブライダル総研調べ※本調査では、性・年代別に定数にてサンプルを回収し、集計の際に実際の性・年代別既婚者の人口構成に合わせるために、サンプルに重みづけを行った(ウエイトバック集計)。数値(構成比・割合)は、一部を除きウエイトバックによる補正後の件数で算出したもの。また、小数点第2位以下を四捨五入しているため、構成比が100%にならない場合もある。 ■ 「対等な関係を」コロナ禍を機に働き出した妻  日常生活の中でも夫婦円満のコツがある一方で、今までの生活を見直し、夫婦そろって新しい環境での暮らしに踏み出したケースもあった。いくつか参考までに紹介したい。  小学生と幼稚園児の子育て中のDさん(36歳)は、専業主婦からコロナ禍を機に就職した。夫は在宅勤務になったものの、家事にノータッチで、何度も衝突。対等な関係だと認めさせるには自分も稼ぐしかないと思い、行動に移したのだ。 「再就職して正解。現在は週3回午前中のみテレワークで事務の仕事をしている。コロナ禍がなかったら、就職は考えなかったし、良いきっかけになった」(Dさん)  共働き夫婦のEさん(40歳)は、都心のオフィス機能縮小化を機に、思い切って前から住んでみたかった静岡県へ一家で移住した。 「夫婦ともに100%テレワーク。自然豊かな環境は子育てに最適、趣味の釣りやキャンプなどアウトドアざんまいの暮らしを満喫中!」(Eさん)  ちなみに、移住・二拠点移住したいエリアランキングでは、ともに八王子・奥多摩エリアと鎌倉・三浦エリアの人気が高く、都心部からのアクセスが良い埼玉県内や、千葉県の外房エリア、避暑地として評判の高い軽井沢なども人気だそうだ。 「希望地域へ移住した世帯は、自分たちの理想とする環境でのびのび暮らせる充実感から、夫婦関係の満足度も高め。テレワークが普及した現在、新たな選択肢として検討している人たちも増えていますね」(金井さん) ■ ポジティブな気持ちを直接伝えること  夫婦の時間を“増やしてくれる”コロナ禍は、実はおたがいの関係を改めて見直し、バージョンアップする絶好の機会だと金井さんは語る。 「今は誰にとっても大変な時期。とにかく夫婦でコミュニケーションの量を増やし、ポジティブな感情をたがいに直接届けあうことが何より大切だと強く感じます。今、自分は何が楽しく、何が大変か、本当はこうしてほしいなど、素直な気持ちで向き合い、ホンネを伝えあってほしい。『コミュニケーションをあきらめないで!』と声をかけたい気持ちです。同じ家に助けてくれる家族がいる、一緒に出かけられる人がいるって、本来とても素敵なこと。変化をおそれず、今をともに乗り越えられたら、夫婦関係はきっともっと強いものになると確信しています」  どんな夫婦も、もとは他人同士。縁あって家族になっても、人と人が暮らすうえで、あれこれ問題が出てくることは否めない。それでも長い人生を考えれば、本当に困った時にそばにいて、自分を心配してくれる存在がいるのは本当に頼もしいこと。夫婦で真摯に向き合い、より良い関係を築くことができれば、ほっと息をつける自分の家が最高の居場所になることは間違いない。(取材・文/スローマリッジ取材班 山本真理) 金井良子(カナイヨシコ)/リクルートブライダル総研研究員。リクルートにて「じゃらんnet」「ゼクシィnet」など数々のネットサービス立ち上げと運営に携わる。2004年10月より「ゼクシィnet」編集長、2010年4月より現職。「GOOD WEDDING AWARD」運営責任者や“ブライダル専門家”としてテレビ番組でのアドバイザーを務める。 ※(株)リクルートが運営するリクルートブライダル総研における「夫婦関係調査」 夫婦関係の満足度や夫婦関係に対する考え方など、結婚後の夫婦の意識と行動を把握するために、2011年より行なっている調査。本調査では、性・年代別に定数にてサンプルを回収し、集計の際に実際の性・年代別既婚者の人口構成に合わせるために、サンプルに重みづけを行った(ウエイトバック集計)。数値(構成比・割合)は、一部を除きウエイトバックによる補正後の件数で算出したもの。また、小数点第2位以下を四捨五入しているため、構成比が100%にならない場合もある。
「選挙の得票を稼がなければ、出世に響くかも」不祥事続出の郵便局長の闇を暴く
「選挙の得票を稼がなければ、出世に響くかも」不祥事続出の郵便局長の闇を暴く 日本郵政の看板(C)朝日新聞社  古い体質や慣習を残しながら、隠然たる影響力を握っている任意団体の郵便局長会―-。  郵便局長による犯罪や不祥事が続発していることから、これまで隠されてきた組織の実態が注目されている。  <これ以上、局長による犯罪等の不祥事の発生を許すわけにはいかない。犯罪の撲滅には、会員の皆さんも熱い思いを持っていると思っている。是非とも一緒にこの難局を乗り切っていきたい>  そんなメッセージが7月下旬、全国約1万9千人の郵便局長に向けて発信された。発信主は、局長の頂点に立つ全国郵便局長会の末武晃会長だ。  局長会とは、約1万9千人の郵便局長らでつくる任意団体。全国郵便局長会を筆頭に、12の地方郵便局長会、約240の地区郵便局長会、約1600の部会で構成するピラミッド組織だ。  冒頭の文面によると、5月に開いた全国郵便局長会の通常総会で、末武氏は「何よりも局長による犯罪の続発が大きな課題だ」と語っていた。それにもかかわらず、6月以降に局長による不祥事や逮捕が相次ぎ、危機感を強めていたのだ。文面はこう続く。  <かんぽ生命の不適正募集の問題では、日ごろからの地道な努力と活動により、局長への信用・信頼が大きく損なわれていなかったと多くの皆さんは肌で感じていたと思う>  <しかし、局長による犯罪が連日のように報道され、局長のパワーハラスメント事案が非常に大きな問題として取り上げられている現状では、そのように言うことは困難と言わざるを得ない>  末武氏はさらに、会員間のコミュニケーションを活発にして「風通しの良い組織」とすることが防止対策の要だと訴え、新たに実施する「地方会役員、地区会役員による対話、点検、指導の強化」への協力を求めている。だが、そんな呼びかけの矢先、今度は指導や点検をするはずの役員による不祥事まで浮かびつつある。 ◆世襲局長たちの事件簿  末武氏のメッセージ発信に先立つ6月14日には、多数の顧客や知人から20年以上にわたり、12億円超をだまし取っていた長崎住吉郵便局(長崎市)の元局長の男(68)が詐欺容疑で長崎県警に逮捕された。父親と息子と計3代にわたる「世襲局長」で、一部の詐取行為は退職後、息子が局長在任中の郵便局内で行われていた。  6月23日には、愛媛県愛南町の深浦郵便局の30代の男性局長が、抜き打ちの調査当日に局を抜け出して死亡し、5~6月に計2億4千万円を着服していたことがのちに判明した。  さらに6月29日には、熊本県天草市の二江郵便局の40代の元局長の男が、日本郵便株式会社法違反(収賄)容疑で熊本県警に逮捕された。かんぽ生命の顧客情報を保険代理店側に流した見返りに、現金を受け取っていたとされている。  大阪府守口市では、実際には使っていない会議室の費用を請求して着服する行為に複数の局長が関与していた疑いが浮上。日本郵便は詳細を公表していないが、すでに解雇や減給などの懲戒処分が出ているという。  そして末武氏のメッセージ発信から1カ月もたたないうちに、今度は福岡県内の統括局長2人の解任が社内でひっそりと発表されていた。取材を進めると、2人が経費の不正利用を理由に懲戒戒告処分を受けていたことが明らかになった。  統括局長は100前後の郵便局を束ねる局長幹部で、地区内の人事や評価に強い影響力を持つ。同じエリアの地区郵便局長会で会長となった郵便局長が、そのまま会社で統括局長に就くケースがほとんどだ。  日本郵便などの説明によると、2人の統括局長は2019年春ごろ、実際には行っていない会合を名目に、ホテルでそれぞれ数十万円分の飲食チケットを購入し、その後に別の会合に流用していた。さらに、この不正な経費処理に関わったホテル従業員が、福岡県内の郵便局の局長に採用されていたというから、驚くしかない。いったいどんな理由や根拠で局長になれたのだろうか。 ◆局長会はアンタッチャブル  相次ぐ局長不祥事の発生は、日本郵便、ひいては親会社日本郵政による企業統治が機能していないことを象徴している。その最大の理由は、日本郵便の経営陣や各支社が局長会という組織に怯え、不都合な事実にも目をつぶり、「アンタッチャブルな存在」として跋扈されるのを許してきたからだ。  局長会の会員は、約1万9千の旧特定郵便局の局長が中心だ。明治初期、資金の乏しい政府に代わり、地方の名士の私財提供でつくられた小規模郵便局がルーツで、世襲によって局長の座や局舎の所有権が引き継がれてきた例も多い。伝統や歴史に敬意を払い、慣習が一部、残ることもあるだろうが、それを上場企業の経営にまで持ち込んで影響を及ぼしているとなれ ば、話は別だ。  日本郵政グループは2007年に民営化し、2015年には日本郵政、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の3社が東証一部に上場した。国がまだ株式の過半を握っているとはいえ、郵便事業を担う日本郵便は、上場企業である日本郵政の主要100%子会社である。日本郵便社員であるはずの郵便局長で構成される任意団体が、会社の人事や事業方針にまで深入りしているのであれば、その実態を投資家や国民に対して説明する責任が会社側にはあるはずだ。  全国郵便局長会では、「選考任用」「不転勤(任地居住)」「自営局舎」の三本柱が重要だと会員に向けて唱えており、その実現に向けて行動するよう局長たちに求めている。具体的には、局長として採用されるべき人材を選んで推薦し、局長を転勤させないよう働きかけ、局長が自ら郵便局舎を持つようプレッシャーをかけている。有能な人材として選び抜かれた局長が、生涯をかけて地域の中核的存在となり、自らも局舎も持つことが「後継者育成」や「組織力の発揮」、「時代の変革への対応」に役立つ―ーというのが局長会の教本に書かれた理屈である。  だが、現場の実態はどうか。  局長会で「後継候補」を選ぶときは、単なる「地域密着」だけでなく、局長会の活動に積極的に参加し、とくに局長会が組織内候補を立てる選挙運動に取り組めるかが重視されているとみられる例が少なくない。自分で局舎物件を買って保有する考えがあるか、局長候補となる社員の妻が「ともに局長会活動に参加できるか」と確認されることもある。    そうした局長会活動への参加をためらい、局長となる道をあえて選ばない社員もいる。  局長になってからも茨の道だ。局長会で先行して決めた局長たちの役職が、ほとんどそのまま連動して日本郵便での役職に反映されている実態は、拙著『郵政腐敗 日本型組織の失敗学』(光文社新書)でも詳述している。  局長は局長会で出世を果たせば、日本郵便の役職もほぼ自動的に昇格していく。しかし、局長会で出世できなければ、会社でも「ヒラ」レベルにとどまるのが大方の宿命となる。  問題なのは、局長会における評価が必ずしも日本郵便社員として優れているとは限らないことだ。たとえば、選挙運動に消極的で得票を稼げないような局長は局長会での出世が見込みにくくなり、仕事の能力とは関係のない理由によって会社での出世も阻まれる恐れがある。そうしたいびつな実情を日本郵便経営陣も知っているはずだが、問題に斬り込むどころか、局長会の人事をほとんど追認しているという事実まで否定して目をそらしている。  今年は郵政事業の創業150年という記念すべき年だったが、不祥事にまみれて沈みゆく姿勢ばかりが際立っている。 (朝日新聞経済部 藤田知也) ◆ふじた・ともや 朝日新聞記者。早稲田大学大学院修了後、2000年に朝日新聞社入社。「週刊朝日」記者、特別報道部などを経て現在、経済部に所属。近著は『郵政腐敗 日本型組織の失敗学』(光文社新書)。郵便局長会に関する情報を募っています。筆者への情報提供はfujitat2017@gmail.comへ
「差別と偏見の違い」とは? 憲法学者・木村草太がずばり解説
「差別と偏見の違い」とは? 憲法学者・木村草太がずばり解説 木村草太さん(左)と林真理子さん (撮影/大野洋介) 木村草太 (撮影/大野洋介)  子どものために書かれた入門書『ほとんど憲法 小学生からの憲法入門 上・下』など、多くの著書を持つ憲法学者・木村草太さん。作家・林真理子さんが多様性や女性活躍など、気になることを伺いました。 【護憲派の主張の背景に「第2次世界大戦の遺恨と警戒心」 憲法学者・木村草太が解説】より続く *  *  * 林:パラリンピックが開催されましたね。昨今、「多様性」というキーワードが話題になっています。以前、差別と偏見の違いについてお書きになっていましたが、なるほど、と思いました。 木村:差別は感情の問題で、偏見は事実認識の問題というのが私の理解でして、たとえば「女性は文章が書けない」というのは事実認識の誤りなので、偏見だと思うんです。一方、「女性が文章を書くのは気に食わない」というのは、事実認識ではなくて感情的なものなので、これは狭い意味の差別である、というのが私の認識です。単に事実を間違えているだけなら、事実を摘示するだけで偏見は解消できるはずなんですね。 林:そうですね。 木村:一方、差別は感情の問題なので、事実を摘示することで解消できる話ではない。「女に文章を書いてほしくない」という人に対して、「いや、女の人も素晴らしい文章が書けますよ」と言ったところで、「それが気に食わないんだ」となるわけですから。 林:なるほど。 木村:もう少し言えば、「多様性の尊重」というのは「差別の禁止」になるわけです。それでは差別を禁止するためには、どうすればいいか。人はどうしてもいろんな感情を持ってしまうので、「差別感情を持っても、それを公共の場に持ち込むな」というのが正しいやり方だろうと思います。 林:家の中でテレビを見ながら差別的なことを言ってる人を、どうにかするのは難しいですもんね。 木村:そうですね。ただし、たとえば国会議員という権力者を選ぶ選挙は公共的な場ですから、「そういう場に差別感情を持ち込まないでくださいよ」ということは言わなきゃいけないと思います。 林:でも、じつは私、「多様性」という言葉が適切に使われていないな、と思うこともあって。この言葉を使っていればすべてよし、というか、無批判に乱用している場面もある気がしています。「ちゃんと多様性、意識しているよ」というアリバイ作り的な、ああいう感じが、ちょっと私はどうも……。 木村:形だけで終わってしまうのではないかということですよね。たとえば今年、五輪開催にあわせようと、LGBT差別解消に向けた法整備が試みられましたが、結局、法案の国会提出は見送られた、ということがありました。 林:「女性活躍」もずいぶん前からキーワードのひとつになっていますが、先生は2人のお子さんのお父さんでいらっしゃるんですよね。若い世代は、共働き世帯が多いのもあって、男性が家事や育児によく参加していると聞きます。 木村:はい、そういう傾向はありますね。 林:心からうらやましいです。本当に少しでもいいから、夫に家事や育児に参加してほしかった、と思いますよ。私たちの年代の配偶者は、家事や育児をまったくやってくれない人がたくさんいますからね。むしろ、男性は家事や育児をすべきじゃない、と思っている人も一定数いるくらいじゃないでしょうか。でも、いまさら70代の夫に家事分担を求めても無理なので、もうとっくに諦めています。 木村:婚姻に関する憲法24条は、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と定めています。日本国憲法ができたとき、この「夫婦が同等の権利を有する」、つまり家庭内の男女平等を定めたこの条文を武器として、妻が夫やしゅうとに対抗することがあった、と昔の文献で読んだことがあります。 林:そうですか。憲法に保障されている「夫婦の平等」が、私の家には当てはまらない。わが家は憲法違反ですね(笑)。 木村:ところで、私もこの夏、著作を読ませていただきました。 林:ありがとうございます。 木村:エッセーや小説、いろいろと読んで、印象的だったのは、フィクションであるはずの小説よりも、エッセーのほうが虚構っぽい感じがしたんですよ。小説はご自分の体験から距離をとって、加工し、整理をして書かれているのに対し、エッセーは「このようなものを見たら、このように感じなきゃいけない」というような、少なからず演じているような雰囲気を感じたんです。 林:ああ、なるほど。たしかに、「こう書かなきゃいけない」という強迫観念はあるかもしれません。エッセーは自分の生活や体験から切り出すものですから、あらかじめ予防線を張っておかないと、SNSなんかでネガティブな反応が必ず来る、ということがわかっているからかもしれないですね。この2、3年、私たちみたいに勝手なことを書いてる人間にとっては、すごい苦難で……。 木村:何でも揚げ足をとって攻撃してくるということですね。 林:だから「エッセーに虚構を感じる」とおっしゃったのは、指摘されるとそうかもしれないな、と思います。炎上してしまった経験、ありますか。 木村:特に憲法的な争点というのは、わりと政治的な問題にもかかわってくるので、攻撃を受けることがなくはないですね。 林:ネットでたたかれたりすると、イヤな気持ちになりませんか。 木村:私の本を読んでたたくのは、ちゃんと読めていないということなので、あまり気にならないですね。インターネットという場で、匿名で人を攻撃するというのは、かなり特殊な行動だと思っています。 林:私も見ないように、気にしないようにしていますが、いまだに目についちゃうと、イヤだな、と思うこともあります。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 木村草太(きむら・そうた)/1980年、神奈川県生まれ。憲法学者。中学生時代から法律に興味を持つ。東京大学法学部、同大学院法学政治学研究科助手を経て、現在、東京都立大学大学院法学政治学研究科教授。著書に『憲法の創造力』(NHK出版新書)、『憲法という希望』(講談社現代新書)、『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『ほとんど憲法』(河出書房新社)、『憲法学者の思考法』(青土社)など。趣味は音楽鑑賞と将棋観戦。 ※週刊朝日  2021年9月17日号より抜粋
「あいのり歯科医」が語った「支払い難しければ診察一回タダ」のワケ
「あいのり歯科医」が語った「支払い難しければ診察一回タダ」のワケ 派手な「あーす歯科」の外観 「一度だけ無料で診ます」と書かれた看板 あーす歯科院長の奥寺大さん ある日、東京・東村山市の秋津駅(西武池袋線)から新秋津駅(JR武蔵野線)まで約300メートル続く商店街を歩いていると、ピンク色の派手な看板が目に留まった。近づいてみると、「あーす歯科」という名の歯科医院だった。看板に、こんなメッセージが記されている。 「このご時世ですので毎日2千円以内に治療はできないかとか 後払いはできないかとお問い合わせいただいております。どうしてもお支払いが難しい痛みでお困りの方 当日はご予約の方がいらっしゃいますので 次の日の院長のお昼休みに一度だけ無料で診ますので 保険証もお金もいりませんので 院内でご予約ください」  実質無料で診察。いったい、どうしてこんな取り組みをしているのだろう。話を聞いてみることにした。  取材当日、院内の椅子に腰かけて待っていると、診察室から長身の男性が現れた。この男性こそ、あーす歯科の院長にして「1回診察無料」の考案者、奥寺大(まさる)さん(46)。40代とは思えない若々しさだ。  奥寺さんはなぜ「1回無料診察」の取り組みを始めたのか。 「コロナ禍に突入してから、『次回の診療費はどのぐらいですか』『支払いは給料日後でも構いませんか』などの問い合わせが増えました。なかには国民健康保険料を払えずに、資格が停止してしまった方もいました。そういう方たちのために何かできないかと思ったことがきっかけです」  現在は週平均で2、3人の申し込みがあり、昼休みに対応している。診療にあたって、個別に事情をたずねることはない。 「一般患者と同じように『大変でしたね、どこが痛いんですか』と治療を始めます。さすがに『何でお金ないんですか?』と、こちらからは聞けませんから。ただし自分から打ち明けてくださる場合はあって、お話を聞く限りでは失業した方が多い印象です」 「1人1回」が原則だが、治療が終わらず、継続して通っている患者もいる。その場合も治療費は発生しない。なぜ、そこまでするのか。そこには、奥寺さん自身の過去が関わっていた。  奥寺さんは盛岡市の出身。外科医の父と専業主婦の母を持ち、裕福な家庭に生まれ育った。学生時代、東京に遊びに来た際に声をかけられ、ファッション誌のモデルとして活動を始める。大学を卒業した後は、千葉県内の歯科医院で研修医として勤務。モデル時代の知り合いに誘われ、ゆくゆくは歌舞伎町で歯科医院を開くことが決まっていた。  開業を視野に入れて奥寺さんがしたことが2つある。1つは、歌舞伎町でホストの仕事を始めたこと。当時、研修医の収入は月15万円。出勤中、マクドナルドの前を通ると「こっちで働いた方が儲かるな」とため息をつくこともしばしばだった。歌舞伎町を知ることを目的に、平日は21時まで歯科医院で働き、その後、店に出勤。朝の5時まで接客する日々を続けた。  もう1つは、フジテレビ系の人気番組「あいのり」に出演したこと。「あいのり」は見知らぬ男女7人が「ラブワゴン」と呼ばれる車に同乗し、各国を旅しながら愛を育む模様を追う恋愛バラエティーの先駆けともいえる番組だ。2006年1月にハンガリーで乗車し、約5カ月かけてオーストリアやスイスを巡った。  開業前に知名度を上げることが目的だったが、旅先での経験は自身の価値観に大きな影響を与えた、と奥寺さんは振り返る。 「歯科医を目指すのはお金持ちが多く、歌舞伎町も華やかな世界でした。ところが、あいのりでは日々の予算が決まっていて、食べるものも満足にありません。おなかがすいて仕方ありませんでしたが、世界には自分とは違う価値観や文化で生きている人たちがいると、身をもって学ぶことができました」  旅行中、奥寺さんは一緒にワゴンに乗った女性に恋をした。女性が番組スタッフに思いを寄せていたことがわかり、一度は旅をリタイアするが、帰国後にカップルとなり、ほどなくして結婚した。「有名になりたい」と出演していたため「誰かとカップルになるということは考えていませんでしたし、結婚はさらに予想外でした」と奥寺さんは振り返る。  帰国したその年、複数のオーナーから援助を受け、歌舞伎町に「あーす歯科医院」を開業。「あーす」(earth)の名は、世界を旅した「あいのり」の経験からとった。観光バスのツアー先に指定され、多いときは1日3、40人の新規患者が訪れる日もあったが、約1年でたたんでしまう。 「オーナー陣は他業種に就いていたこともあり、売上主義が強かった。女性が持つブランドもののカバンや時計の値段を覚えさせられ、『相手がどのぐらいお金を持っているのか見極めろ』と言われたこともありました。そんな文化に疲れて、もっと好きに経営したいと思うようになったんです」  移転先を探していた時、妻に勧められたのが、彼女の出身地である秋津だった。かつては人通りの少ない農村地帯だったが、1973年にJR新秋津駅が開業すると、住宅地や飲食店が激増した。  見ず知らずの土地だったが、初診の患者には奥寺さん自身がお礼の手紙を書き、23時まで医院を開けるなど営業努力を重ねた。今では20~30代を中心に利用客が増え、多忙な日々を過ごしている。  一方でハロウィーンには医院の前でお菓子を配ったり、クリスマスはひとり親の家庭の子どもにプレゼントを届けたり。地域の奉仕活動にも力を入れている。 「患者さんの子どものなかには、いつも同じ服しか着られなかったり、ハロウィーンでもお菓子を買ってもらえない子もいる。治療中にお話を聞きながら、自分に何ができるかを考えています」    月収15万円の研修医時代には「お金持ちになりたい」「有名になりたい」という気持ちがすべての行動基準になっていた。しかし「それはもう十分に達成できました」と奥寺さんは言う。 「今は患者さんから『ありがとうございます』と言ってもらえることが純粋に嬉しいんです。自分自身、学生時代はろくに勉強もしていなかったし、決して褒められた人生ではなかった。でも歯医者の仕事をするようになって、やっと人から感謝をしてもらえるようになった。これからの人生は、人から受け取ってきたものを返す段階だと思っています」(松岡瑛理)
電話交換手、灯台職員、ドックかんかん虫... 昭和の仕事はこうして消えていった
電話交換手、灯台職員、ドックかんかん虫... 昭和の仕事はこうして消えていった 『イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑』澤宮優,平野恵理子 原書房  コンピュータなどの技術革新がすさまじく進む一方で、人知れず消えていく職業たち。一説によれば10年後には半分以上の仕事がなくなるともいわれており、そう考えるとコンビニや飲食店から完全に店員が消える日も遠くないのかもしれない。ただこうした現象は今に始まったことではなく、これまでにも多くの仕事が利便性と引き換えに姿を消していった。  わかりやすい例を挙げるなら、昭和40年代後半頃まで存在した「電話交換手」。今でこそものの数秒で相手と通話できる時代だが、当時の電話は電話機から電話機へと直接かけることができなかった。そのため電話をかける際は交換手を必ず介す必要があり、相手の電話番号を告げてから交換手が繋げることで、初めて相手との通話が可能であった。  だが、そんな電話交換手も今や姿を見ることがなくなった。昭和40年代後半になると電話回線が発達し、交換手を介さずとも電話ができるようになったからだ。  このように私たちの生活が快適になっていく裏では、人知れずさまざまな仕事が姿を消している。ではそれらはいったいどのような仕事なのか。本稿では澤宮 優氏の著書『イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑』(原書房)を参考に、激動の時代を支えた「昭和の仕事」を振り返りたいと思う。なお、ここで言う「昭和の仕事」とは、同書の説明に則り、昭和を象徴する仕事や昭和に消えた仕事、あるいは昭和に全盛期を迎えた仕事などをひっくるめて「昭和の仕事」とする。  まずは、百貨店やホテル、企業ビルなどでエレベーターに乗って操作をおこない、客の案内をする女性、エレベーターガールから。そもそもエレベーターガールといえば、「上へ参ります」などと乗客を案内するイメージが強いだろう。しかし戦前のエレベーターはハンドルを回して運転するように作られていたため、エレベーターガールは各階を案内しながらエレベーターの運転もしなくてはならなかった。 「慣れないうちはハンドルに気を取られ、案内を忘れるときもあれば、エレベーターを各階にきちんと止めるのも難しく、案内しているうちに、床と三十センチほど離れて止めることもあった」(本書より)  おまけに振動も激しいため脚の疲労に苛まれ、ストレスもあって肩こりや胃炎など内臓を痛めることも......。私たちが想像する以上にエレベーターガールは重労働だったと言えよう。しかし近年は人件費削減のために、ほとんどの百貨店のエレベーターが自動運転になった。同時にエレベーターガールはその数を減らしていったが、今も一部の百貨店ではまだ姿を見ることができるという。  一方"完全に姿を消した"という意味では、「灯台職員(灯台守)」が挙げられる。灯台職員とは文字通り、船舶の航路標識としての役割を果たすように維持管理をする職員のこと。言わば海の守り人である。灯台の点灯・消灯はもちろん、光源の回転、気象観測、沖合の監視、時には見学者の案内など職員の業務内容は想像以上に多いのだが、何よりも1人(もしくは数名)で勤務する孤独な仕事であるがゆえに寂しくてやりきれなかったそうだ。加えて日常生活は不便極まりないものがあり、その苦労については以下のように記されている。 「赴任地が人口の少ない地域であるため、飲料水に乏しい、医者がいない、近所づきあいしたくても人がいない、子供の友人ができない、妻の出産のときは夫が産婆代わりに取り上げるなど、日常生活での不便はあった」(本書より)  そんな苦労の多い灯台職員も、機械による自動化によってその数は減少。平成18年には最後の有人灯台であった長崎県女島灯台も自動化され、ついに灯台職員はいなくなった。  対して「ドックかんかん虫」という珍妙な名前の正体は、鉄製船舶の錆を落としたり修繕したりする工員のこと。ハンマーで鉄をかんかんと叩き、鉛虫のようにへばりついて仕事をする様子からその名がついたらしい。昭和15、16年までは姿を見ることができたが、やはり彼らの仕事も時代とともに消失。モーターや電気式、金属製タワシなどもできて、人手による錆落としはおこなわれなくなったのだ。  もちろん技術が進歩し、生活が便利になるのは決して悪いことではない。ただいつかコンビニや飲食店から店員が完全に消え、人がいなくても作業できる時代になったとき、私たちはいったい何を思うのだろうか。本稿のラストは、本書に掲載されている筆者のあとがきで締めたいと思う。 「昭和の消えた仕事を振り返ることは、時代の進む進行方向がこれでいいのかと問いかける作業である。昭和の時代に仕事に携わった人々の矜持や生きがい、社会を考えることから答えが生まれると信じたい」
「相手に諦められたのではなく、あなたが諦めたのです」作家・森博嗣氏の“諦め”論が深い
「相手に諦められたのではなく、あなたが諦めたのです」作家・森博嗣氏の“諦め”論が深い 気づいたときにはもう遅い(※写真はイメージ/Gettyimages) 「突っ慳貪(つっけんどん)な印象を持たれ、好感度ダウンとなること必至だろう。だが、好感度を上げたいという欲求は僕には皆無なので、まったく影響を受けずに書いた」 『すべてがFになる』『スカイ・クロラ』数々のベストセラーを生みだした作家・森博嗣氏の新刊『諦めの価値』(朝日新書)からの言葉だ。現在森氏は、労働時間は毎日1時間で、幼い頃からの夢だった「庭園鉄道」(庭に敷設する鉄道模型)を整備する毎日を送っている。森氏が夢を叶えられた理由は、仕事や人間関係など多くを「諦めた」からだという。森氏にとって「諦め」とは何なのか? 森氏に寄せられた人生相談を本書から一部抜粋して紹介する。 *  *  * ■この歳まで、なにも成し遂げられていない 【相談1】 「俺はこれをやった」という仕事が、50歳近くなって、ほとんどありません。諦めるのは早いでしょうか?  これからそういう仕事をするよう頑張るのか、そういう無駄な気持ちを持たないよう にするのか、あるいは別の道か、どうすれば良いでしょうか? 【森博嗣さんの答え】  仕事というものは、「これをやった」というものが存在しなければ、賃金を得ることができません。もし、仕事をして賃金を得ているなら、なにかはしているはずです。 「ほとんどありません」とおっしゃっているのは、おそらく謙遜なのでしょう。 「これをやった」と他者に語れるものがない、という意味かもしれませんが、仕事でなにをしても、大して威張れるようなものではない、と僕は考えています。威張るために仕事をするわけではないからです。  仕事は、対価を得るために、自分の時間と労力を差し出す行為のことです。賃金が得られたら、それが「やった」ことのすべてと考えるべきです。  どんなに目立つことをしても、あるいは、どんなに人から感謝されることをしても、それが仕事だったら、偉くもなんともない、と僕は感じます。大変な作業、あるいは才能がなければ成立しない作業であれば、それに応じた賃金が支払われているわけですから、そこで帳尻が合っている。誰にもできる簡単な仕事をして、少ない賃金を得ても、誰にも真似ができない仕事をして、多くの賃金を得ても、どちらが偉いわけでもありません。  たまに、「あの橋は俺が造った」とか「ひと頃一世を風靡(ふうび)したものだよ」とか、過去の仕事の自慢をする人がいますが、ちょっと派手な服を着ている人、程度の印象で、服が人間の価値を高めているようには見えません。  もし、人に語れるようなことがしたいのなら、ボランティアとして奉仕活動をされるのが適切でしょう。見返りを求めない作業の方が、仕事よりは少し偉いといえます。でも、人に語れることが見返りになっているとしたら、それほどでもありません。  そんなことよりも、自分の趣味に没頭して、俺はこれをやった、と自分一人で悦に入(い)る方が、よほど健全なのではないか、と僕は思いますが、いかがでしょうか。 ■やりたい仕事を諦めるべきか? 【相談2】  20代後半の女性です。現在の会社には、もともと企画志望で入社をしました。  ところが、入社して以来ずっと営業部門に配属され続けています。強い意志で会社を辞めるなりすることも考えたのですが、今以上に待遇の良い会社で企画の仕事をできる保証もなく(むしろその可能性は非常に少ないでしょう)、行動に移せずにいます。 「置かれた場所で咲きなさい」の心情にも近いのですが、この方針で、20代の若い時期を過ごして、のちほど後悔しないかどうか不安です。 【森博嗣さんの答え】  仕事というのは、自分一人で決められない、他者との関係の上に成立しているものですから、全員がそれぞれ、すべて納得のいくようには運びません。それはわかっていらっしゃることと想像します。「強い意志」かどうかはわかりませんが、夢を追うために転職するかどうか、という判断は、メリットとデメリットを確率的に天秤にかけることになります。 「後悔しないようにしたい」というのは、よく聞かれる言葉ですが、いくら考え抜いて決断しても、運が悪いときには、その判断が間違っていた、と考えがちです。でも、それは単なる結果論にすぎません。もともと、そういったリスクは考慮されていたはずなので、あとは確率の問題です。馬券を買っても当たらなかったから、別の馬に賭けておけば良かった、と後悔するのと同じです。  明らかに判断材料を見誤った場合であれば、それを教訓にして、今後の判断基準として反映させることができますが、それでも過去へ時間を戻すことはできません。チャンスは未来にしかないのです。今という時間は、過ぎてしまえば取り返せない、という当たり前のことに悩むのも、どうかと思います。  将来後悔しないためには、今、とことん考え抜くしかありません。可能な限りの観測と、精一杯の考察が、今できることです。できるかぎりのことをしていれば、不運に見舞われても諦めがつくでしょう。 ■人に諦められたときの対処法 【相談3】  ここ数日、妻が目を合わせてくれず、冷たい態度を取られています。思い当たることといえば、妻がやってと言っていたことを放ったらかしてしまった、妻との時間より仕事を優先することが多すぎた、などでしょうか。話し合おうとしたところ、「もう期待するのに疲れた」と。  良い関係に戻るには、どうしたらいいのでしょうか? 【森博嗣さんの答え】  正直いって、全然わかりません。  良い関係に戻れるとお考えなのでしょうか?  それこそ諦めるべきではないか、と思いました。つまり、もし本気で良い関係に戻りたいのなら、考えつくあらゆることを、既に実行しているはずだからです。  それをしないで、こんな質問をすること自体がとても不思議でなりません。  おそらく、あなたは良い関係に期待をしていない、今の状況が特に悪いものだとは思っていない、あるいは、奥様の方に問題があるという疑いを持たれている、ということでしょう。文面からは、そういったことが読み取れました。  つまり、諦めているのは、あなたの方なのです。 【謝辞】  ご協力というのか、ご相談をいただき、感謝いたします。返答がお気に召さなかった場合は、上がった血圧を利用して、是非問題解決に活かしていただければ、と思います。
このままでは中国に乗っ取られる…マレーシア元首相が中国人の大量移住に激怒するワケ
このままでは中国に乗っ取られる…マレーシア元首相が中国人の大量移住に激怒するワケ 独立を記念する第64回ナショナル・デーの祝賀会に先立ち掲揚されるマレーシアの国旗=2021年8月30日、クアラルンプールのムルデカ・スクエア ■中国大陸から大量の定住申請が舞い込んでいる 「あの人たちには、定住条件を引き上げたところで、何も響きません。中国のお金持ちにとっては、保証金なんてどこからでも引っ張ってこれますから――」  マレーシアに移住してから4年になる日本人のM子さんは、中国人の富裕層の「お金持ちっぷり」をこう表現する。  マレーシアは長年、世界各地からの定住者誘致を推し進めてきた。だがこのほど、突如として受け入れ条件の厳格化を打ち出した。定住希望者向けビザの取得に必要な保有資産証明などの必要額を、従来水準よりも4倍以上に引き上げるというのだ。  日本にとって、マレーシアは14年連続で「ロングステイの希望国トップ」と、海外での定住を検討する人々の間で高い人気を誇っている。その一方で、現地の受け入れ当局は過去数年にわたって、中国大陸から大量の定住申請が舞い込み対策に苦慮していたという。マレーシアで、目下どんなことが起きているのか。 ■仕事をしなくても外国人が定住できる「MM2H」ビザ  マレーシアではいま、新型コロナウイルスのデルタ株による感染が広がり、市民生活にも大きな支障が出ている。厳しい行動制限を打ち出しているにもかかわらず、新規感染者数は連日、過去最多水準にある。先には、コロナ禍対応へのまずさから、昨年2月に生まれたムヒディン政権がとうとう倒れ、新首相としてイスマイル・サブリ首相に交代する事態にもなっている。  マレーシアには、「マレーシア・マイ・セカンドホーム(MM2H)」と称する外国人の定住希望者を誘致するスキームがある。一定額の保有資産証明を提示し、定期預金を現地金融機関に積み立て、諸条件をクリアできれば、現地に居を構えることができるというものだ。現地での就業、投資をしなくても住めるとあって、中国をはじめ、韓国、英国そして日本からもこのビザを使って住んでいる人がいる。  MM2Hは2002年の制度開始以来、正常な形で承認発給が行われていた2018年までに総計4万3943人の外国人が同ビザを取得、これまでの経済効果は120億リンギ(現在のレートでは3240億円)に上っている。 ■月収27万円で住めたのに新条件は「月収108万円以上」  マレーシア経済にも一定の効果が上がっているにもかかわらず、同国政府は条件を厳格化しようとしている。変更点は別表の通りだ。  最も大きな変更は、資産や収入条件のハードルが一気に上がったことだ。例えば、「マレーシア外で稼いでいる安定的収入」が、従来のひと月当たり1万リンギ(約27万円)が一気に4万リンギ(約108万円)に引き上げられる。  マレーシア政府が外国人定住者を絞り込みたい理由とはなんだろうか。ひとつのヒントになりそうな話をM子さんが教えてくれた。 ■英語を習うはずが…教室で飛び交うのは中国語  M子さんの子供はペナン島のインターナショナルスクールに通っているのだが、「カリキュラムには満足しています。ところが、中国大陸出身のお子さんが次々と増えてしまっていて……」と嘆く。英語を習うために入学したのに、授業前後の教室で飛び交う言語は中国語。子供はいつのまにか、英語ではなく中国語を覚えるようになっている。  もともとマレーシアはインターナショナルスクールの誘致、そして外国人学生の募集にも力を入れており、米国や英国はもとより、豪州やカナダなどの名門校への進学も目指せる卒業資格が取得できるメリットがある。  M子さんによると、中国の人々は「『マレーシアは不動産価格が中国の大都市と比べて、格段に安い。環境は良いし、中華料理も安く食べられる』って手放しで喜んでいます」 ■華人にとってマレーシアは「中国大陸の地方都市のよう」  マレーシアは、全人口のおよそ24%を中国本土にルーツを持つ華人が占める。民族別人口のうち、マレー系が65%と多数派を占めるが、8%いるインド系とともに、3つの主要民族が共存しているというのがマレーシアの特徴と言えようか。使用言語や食生活などの文化も3民族間で大きく異なり、例えば、華人の間では中国大陸で使われている標準中国語(日本では北京語とも)が広く使われている。 「マレーシアには華人が至るところにいます。中国の人によっては、大陸の地方都市のどこか、くらいにしか思っていない人もいるようです(M子さん)」  言葉が通じて、物価も安いとなれば、住環境の良いマレーシアを、中国大陸の富裕層が見逃すはずはない。続々と定住しているのも当然のことだ。数字で見ても中国国籍者のMM2Hビザ取得者に占める割合は全体の30%を超えている。 ■マハティール元首相が「中国人への居住権販売」に激怒  こうした中国人富裕層のマレーシア移住にレッドカードを出したのは、親日派としても知られるマハティール元首相だった。同氏は、2018年の政権交代を経て、90歳を超える長老ながら首相の座に返り咲いた。  その当時、中国の不動産デベロッパーによる、シンガポール対岸にあるジョホール州の一角で2006年に始まったタワーマンション群(現地では、コンドミニアムと呼ぶ)「フォレスト・シティ」の開発が進んでいた。総面積が1400ヘクタール弱と東京ドームの250個分の広さを持つ大規模案件で、しかも売却対象は中国大陸の富裕層だった。  当時、“爆買い”の勢いで売れていた物件に関し、中国人への訴求効果を高めるためにデベロッパーが「物件を買ったら居住権も付与します」と謳っていたことが、「家とセットで居住権を売り渡すとは許せない」と元首相の逆鱗に触れた。 ■「早くビザ復活を」中国側の要請は受け入れられたが…  どうもこの話は、中国大陸の物件購入者に対し、MM2Hビザの申請を促すものだったようだが、中国との関係を警戒する元首相の怒りを買って以降、ビザ発給は大幅に滞った。その後、新型コロナ感染拡大で外国との出入りをほぼゼロまで絞った影響もあり、政府は2020年8月、正式にビザ発給の停止を発表。「12月をメドに制度の見直しを図る」としていたものの、延期を繰り返し、ついには今回の規定厳格化の発表となった。  この背景には、申請者の国別割合で最も大きい中国が公式に苦情を出したことがある。マレーシア駐在の白天中国大使は2020年9月、マレーシア政府に対し「問題を抱えたMM2Hビザの発給をできるだけ早く復活してほしい」と要請していた。中国側の要請は受け入れられた格好だが、新規申請者への収入条件が4倍増になるとは思ってもみなかったのではないか。 ■別荘目的のビザで不動産をどんどん買い漁るように  MM2Hビザ申請の従来規定は、マレーシアの観光振興を目的に、外国人の長期滞在を促すものだ。しかも、ビザの名称のうち「M2H」とはマイセカンドホームの略とあり、制度設計上は「どこかにメインの住宅を持っている外国人が別荘目的でマレーシアに滞在する時のビザ」というのが前提と見るべきだ。  ところが、現実にはMM2Hビザを使って現地に定住している層がいる。日本人の場合「年金暮らしの退職者とか、ユーチューバーなどオンラインビジネスで稼ぐ人とかが多い」(M子さん)。他にも、子女への教育目的で母国の家族から仕送りを受けている親子、あるいはマレーシアが英連邦の国という縁からか、「ロンドンの自宅を売っぱらってペナンに来た」という英国人リタイア組もいる。  ここに中国人からの大量申請が舞い込んで事態はさらに複雑となった。MM2Hがスタートした2002年時点では、中国人が他国の不動産を買い漁ることなど、全く想定できなかったはずだ。 ■「国の安売りはよくない」「移住できる人が減る」  今回の定住条件の厳格化について、マレーシア国内ではどう受け止められているのだろうか。「過去20年余りでマレーシアの経済的価値は向上したのだから、従来のような低い規定で定住者を受け入れるべきではない」という意見がある。これまでの規定では、マレーシアに完全に住みつかなくても、現地金融機関に口座を開いてそこそこのお金を積めば許可が出るといったもので、こうした「国の安売り姿勢」に疑問を抱く人もいた。  現地で日本人向けの企業進出コンサルティングを手掛ける40代華人男性は「マレーシアのASEANにおける経済力や、各国の定住に関する規定などを総合的に判断したら、今回発表された新規定はむしろ妥当な水準ではないか」と指摘。「別荘目的で使う一時在住者向けにビザを出しても、大した経済的利益は上がってこない。国の経済を考えれば、ハードルを上げてでもしっかりした定住ビザを出すことは悪いことではない」と主張する。  一方、マレーシアの日本人向けフリーペーパー「Mタウン」の発行人、広岡昌史さんは「他国での移住施策と比べ、資産や居住条件等のハードルが低いため、マレーシア政府にとっては想定したほど利益になっていなかった可能性がある」と指摘しつつ、「新条件の導入で、マレーシアへの移住を検討していた人々にとってハードルが上がるため、個人的には残念に思う」と語る。 ■中国人向けタワマンがある“州王”は抗議  そんな中、中国人向けのタワマン群が立ち並ぶジョホール州の州王は今回の改定に異議を唱えた。マレーシアでは13の「州」のうち、9つの州に現在もなお州王(スルタン)という王族がいる。  州王は今回の改定を「極めて後ろ向きな判断」と断罪、「新規定は、マレーシアから投資家や観光客を遠ざけるだけ」と政府方針に苦言を呈した。  王族がクレームをつける事態になったひとつの理由として、新規定の対象が新規申請者だけでなく、すでに定住している外国人に対しても、ビザ更新の際にはこの規定を遵守することが求められるからだ。M子さんは「こんな条件では、いま居住している外国人はほぼ全員住めなくなります。わが家のような現役世代でも、住み続けることは無理」と政府の方針に怒りを示す。 ■「彼らがこの国から消えるとは到底思えません」  マレーシア国内が賛否両論に沸く中、8月下旬に生まれたばかりのイスマイル・サブリ新政権で内務大臣を担うハムザ・ザイヌディン氏は、9月1日の会見で「ビザを取りながらもマレーシアに全く住まない人が(全体の6分の1近い)7000人に達する」と説明。「この国への経済貢献ができる『良質な定住者』に絞るのが目的」と強調する一方、「厳格化について再検討する」とも約束した。  もし、ビザ既得者に対し、従来規定に近い形でビザの延長申請を認めるのであれば、M子さんのようなマレーシアだけに居を構える外国人は今後と同じように住み続けられることになる。しかし、M子さんはこうも指摘する。「保証金などを値上げしたところで、中国の富裕層からすれば大した額ではない。彼らがこの国から消えるとは到底思えません」  マレーシアは近年、急速な経済成長を遂げてきた。しかし、それをテコに、国外への勢力拡大を狙う中国の動きを野放しにしておくのは妥当な判断と言えるだろうか。イスマイル・サブリ首相を軸とする新政権はどんな結論を出すのか、注視したい。 さかい もとみ(さかい・もとみ)/ジャーナリスト 1965年名古屋生まれ。日大国際関係学部卒。香港で15年余り暮らしたのち、2008年8月からロンドン在住、日本人の妻と2人暮らし。在英ジャーナリストとして、日本国内の媒体向けに記事を執筆。旅行業にも従事し、英国訪問の日本人らのアテンド役も担う。 ・Facebook/・Twitter
眞子さまと小室さんは共働きに? NY在住者「外食減らしてお弁当がいい」と助言
眞子さまと小室さんは共働きに? NY在住者「外食減らしてお弁当がいい」と助言 眞子さまと小室圭さん (c)朝日新聞社(代表撮影)  小室圭さんの仕事が決まり、眞子さまと結婚してニューヨーク(NY)に住むとしたらどんな生活が待っているのか。NY在住18年のジャーナリスト津山恵子さんにアドバイスをしてもらった。  NYの中心、マンハッタン。ここでマンションに住む場合、筆者がサイトで見た限りでは、日本の1LDKの間取りであれば、築年数にもよるが40平方メートルの広さで家賃が三十数万~四十数万円という感じであった。  報道では、小室さんの母佳代さんや祖父も呼び寄せるのでは、との話も出ていたが、「それならば100万円以上になることを覚悟したほうがいいでしょう」(津山さん)。  眞子さまと住むとなれば、40平方メートルというわけにはいかないだろう。セキュリティー面も重要だ。ちなみに、家賃を考えず、セキュリティーも万全で、最も住みやすい高級住宅街といえばどこか。 「マンハッタンのアッパーウェストサイドやアッパーイーストサイドですね。市長や大企業のCEO、医者といった富裕層が住んでいます」(同)  これだけ家賃が高いと夫の収入だけでは厳しい。駐在員の家庭では共働きのケースもあり、駐在員の妻ができるのは日本語学校の講師などだという。仮に眞子さまが働くとすればどんな仕事だろうか。眞子さまの職歴としては、東京大学総合研究博物館が運営するミュージアムでの、週3日程度の特任研究員がある。 「若くて職歴がほとんどない場合、米国ではいきなりどこかに就職するというのは難しいです。インターンなどを経て、初めて同じスタートラインに立てます。眞子さまとはいえ、すぐに仕事というのは厳しいのでは」(同)  ならば、家賃が安い郊外に住むのも一つの手だ。津山さんのお薦めは、NY市北部のウェストチェスター。マンハッタンまで電車で40分程度といい、「外食も減らして、お弁当を持っていくのがいいですね」(同)。  しかし、これだけ生活費がかさむとなると、やはり気になるのは、皇室を離れる際に「品位保持のため」支出される一時金だ。眞子さまの場合、1億円を超えるとみられているが、辞退するとの見方も出ている。しかし、津山さんは「絶対もらったほうがいい」と話す。  日本では話題の二人の結婚について、NYではどのように受け止められているのだろうか。  津山さんがSNSなどでつながっている女性たちの間では、メーガン妃の時と同様に関心が高いという。日本では、佳代さんのスキャンダルなどが明らかになり、結婚に否定的な見方が多いが、津山さんは「米国では家族がどうこうというのは関係ない。本人の意思が尊重されます。メーガン妃も父親が“トラブルメーカー”でした。眞子さまを応援している人は多いと思います」。  小室さんがフォーダム大に入ったころから、「眞子さまも早くこっちに来ちゃえばいいのに」といった会話が出ていたという。ただ、小室さんには「特に関心はなさそうです」。“駆け落ち婚”の先は楽しい新婚生活、とはいかなそうだ。(本誌・矢崎慶一) ※週刊朝日  2021年9月17日号
「攻め」の小倉優子VS「守り」の熊田曜子 したたかな戦略で“生き残る”のはどちらか
「攻め」の小倉優子VS「守り」の熊田曜子 したたかな戦略で“生き残る”のはどちらか 小倉優子(左)と熊田曜子(C)朝日新聞社  ともに3児のママでグラドル、かつてはママタレのシンボル的存在だった小倉優子(37)と熊田曜子(39)。現在は、どちらも夫とは別居中で離婚問題を抱えながら、子育て真っ最中という“共通点”がある。  小倉は2018年に交際半年で再婚したが、わずか1年後には別居。しかも夫の子どもを妊娠中のことだった。 「SNSでは自慢の手料理の写真を投稿し、幸せいっぱいと思われていましたから、この別居には驚きました。しかも、夫が家を出て弁護士を通じて離婚を求めていると報じられているので、当事者にしかわからない根深い問題があるのでしょう」(スポーツ紙記者)  小倉は昨年7月に第3子となる三男を出産した。その後、SNSで夫の存在をにおわすような投稿があったため、夫婦関係の回復がささやかれたものの膠着状態が続いたままだという。 「夏頃から小倉は積極的にテレビ出演しています。別居報道も認め、私生活では3人の子どもたちの育児に追われる様子をありのままに見せるなど、余裕すら感じさせます。一部で報じられた、夫の用意した数千万円の使い込み報道についても《三割が本当で七割は嘘です》とブログで一部を否定しました。最近はすっぴんを公開したり、食器や洗濯物を放置した写真なども投稿したり、かつてのきれいで家事も完璧にこなすセレブ妻から、ワンオペの大変さを出しながらも、かわいいくてたくましいママへとイメージチェンジ。同世代のママたちの共感を呼び、エールを送られるほどです」  一方、熊田は今年5月18日に夫婦で口論となり、夫から暴行を受けたとして、自ら110番通報し被害届を提出した。(夫は暴行容疑で逮捕され、その後、釈放された)。その後、「夫と離婚することを決意」としたとコメントを発表し、弁護士をたてて協議離婚に入ったことを明かしていた。 「当初は夫のDV被害者かと同情を集めていましたが、その後、夫が熊田の不倫の証拠となる音声データや“大人のおもちゃ”の存在を明らかにしたことや景品表示法に違反しているハーブ茶の広告塔を務めていたことなどが発覚すると、一気に熊田への批判が集中しました」(女性誌記者)  渦中の熊田は9月5日に大阪で開催されたファッションイベント「関西コレクション2021 A/W」に出演。熊田は黒のコート姿でランウエーに登場すると、中央でコートを脱ぎ捨てゴールドの水着姿を披露した。 「イベントに出演するために2~3キロほどダイエットしたそうですが、アラフォーとは思えない見事なスタイルでした。『私の制服である水着』と本人が言っていましたが、ここまで潔く露出できるメンタルは恐るべしです」(スポーツ紙記者)  だが、ネット上では「スタイル抜群なのを自慢したいのだろうけど、子どもはどう思うのかな」「不倫の証拠とかを知ってビキニを見せられると、見ているこちらが恥ずかしい」といった批判的な声も見られた。 「熊田は、やはり不倫疑惑が生々しく報じられたことで同世代の女性からは嫌悪感を持たれているようですね。もともと夫がご飯も食べてくれないというSNSでの投稿で同情を集め、さらに夫からDVを受けている被害者として、『かわいそう』というイメージを守りたかったのかもしれません。でも、銀座の一日ママとしての妖艶な姿やゴールドの水着姿を見せられては、気の毒な妻という“守り”のイメージは逆効果でしょう」(ワイドショーデスク)  グラドル、ママタレとして一世を風靡した小倉と熊田の生き残りをかけた作戦は、今後どんな展開をみせるのだろうか。(宮本エミ)

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