米倉昭仁
「海のシルクロード」に魅せられた少年時代の夢を実現した写真家・前田宏人
撮影:前田宏人
写真家・前田宏人さんの作品展「海の駱駝の住処」が8月26日から東京・新宿御苑前のアイデムフォトギャラリーシリウスで開催される。前田さんに聞いた。
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前田さんがインド洋で活躍する木造船「ダウ」に魅せられたのは、もう30年以上も前のこと。
1988年に放映されたNHK特集「海のシルクロード」は、かつてブームを巻き起こしたほどの人気番組「シルクロード」の第三部で、前田少年は父親とともにテレビ画面に見入った。
特に毎回のオープニングシーンは古代から続く壮大な海の旅のロマンを感じさせた。
大海原を切り裂くように白波を立てて疾走するダウ。空に向かって伸びる鋭い舳先(へさき)。巧みにマストによじ登る褐色の肌の船員たち。その映像は少年の心に深く焼きついた。
番組のキャッチフレーズは「シンドバッドの船に乗ってアラビア海を越える」。
「千夜一夜物語」で描かれた船乗りシンドバッドはインド洋を股にかけて波乱に富んだ大航海をしたが、シンドバッドが操った船もダウと言われる。
大航海時代といえば、コロンブスやマゼラン、バスコ・ダ・ガマが思い浮かぶが、その1000年以上も前からアラビア人たちはアフリカとインドを海路によって結びつけていた。
砂丘が続く広大な砂漠は「砂の海」という表現がぴったりだが、「砂漠の船」ラクダに対してダウは「海の駱駝(らくだ)」と呼ばれた。撮影:前田宏人
■「あなた、何を考えているの?」
実は、5年前まで前田さんは専門商社に勤めるふつうのサラリーマンだった。
「写真は趣味だったんです。いまでこそ写真で生活していますけれど、そのころはいまの自分をまったく想像できなかった」
会社を辞め、ふらりとアジア放浪のバックパッカーの旅に出たのは2016年。
「もう41歳でしたから、周囲からは完全に引かれましたね。『あなた、何を考えているの?』って」
仕事はそれなりに大変だったが、特に不満もなく、安定した生活を送っていた。
それに区切りをつけた理由をたずねると、「もともと、いろいろな世界を見たい、という気持ちがすごくあった」と言う。
「でも、休みはとれないし、諦めていた。で、あるとき、ふと思った。定年になって60を過ぎてからインドとかに行きたいって、思うかな、と」
撮影:前田宏人
1年ほどかけてタイからキルギスまでアジア諸国を巡った。
「バックパッカー時代は『旅写真』というイメージでスナップ写真を撮影していた。いまでも旅の写真はすごく好きなんですが、次第に何かテーマを決めてドキュメンタリーを撮りたいな、と思うようになった」
17年に帰国すると、写真館に勤めながら、休暇を利用して中国の東チベット地域を訪れた。しかし、公安警察の目が年々厳しくなり、遊牧民にレンズを向けても撮影を拒否されることが増えていった。
本格的にダウ船を探し始めたのはそのころだった。
■Googleマップで見つけた港町
「実はこういう本がありまして」と言い、前田さんは取材記『NHK 海のシルクロード 第2巻 ハッピーアラビア/帆走、シンドバッドの船』(日本放送出版協会)を見せてくれた。
「小学生のころテレビで見たダウ船の印象がずっと頭に残っていました。大人になってからも、まだあるのかな、と思っていたら、いまでも現役で使われていることがわかったんです。じゃあ、どこにあるのか? 調べ始めた」
本には番組の取材班がUAEのドバイからにパキスタンのカラチまでダウで旅をした様子が詳しく書かれていた。「でもいま、カラチの港は相当治安が悪いらしいんです」。撮影:前田宏人
撮影の実現性を考え、前田さんが目を向けたのはインドだった。
「地図を広げたとき思ったんです。ダウは交易や漁業でインド洋をめぐっていた。ならばインドにもダウの拠点があるんじゃないか、と」
ところが、いろいろな本を調べてはみたものの、インドのダウの情報はまったく見つからない。
そこで活用したのはGoogleマップの航空写真だった。海岸線を拡大してしらみつぶしに探しまわった。そして見つけたのがムンバイの北西約450キロにある港町、ポルバンダルだった。
「最初、港っぽい地形が目についたんです。拡大すると、細長い入り江と港が見えてきた。そこが船だまりになっていて、びっしりとダウがとまっていた。近くの陸上にもダウが何隻も置かれていて、船を造っているか、整備していることわかった。ここに行けば間違いなく撮れるな、と思いました」
■毎日、魚まみれの取材
2年ほど勤めた写真館を退職して、インドを訪れたのは19年12月。
まず、バックパッカー時代に訪れたジャイプール郊外の染め物工場を取材し、年が明けると、ポルバンダルへ向かった。
撮影:前田宏人
長距離バスがポルバンダルに到着すると、すでに日は落ちていた。
翌早朝、宿から徒歩で海岸を目指した。朝日に輝くアラビア海を見たかった。航空写真で目星をつけていた海岸沿いの道を進むと「目に飛び込んできたのがまさにこの光景です」。
そう言って見せてくれた写真にはダウがびっしりと写り、水面がまったく見えないほどだ。
かつて、ポルバンダルは海上交易都市として栄えたが、停泊していたダウはすべて漁船だった。
「7、8人乗りのダウで、アフリカのほうまで3週間から1カ月ほどかけて航海するそうです。途中、カラチの港に寄ったりして捕った魚を降ろして、水や燃料を補給しながら航海を続ける」
船底には倉庫が設けられ、出港時に氷を満載して、捕った魚は氷漬けにして持ち帰る。
前田さんは船倉から魚をスコップですくい上げ、港に下ろし、仕分けする作業を追った。毎日、取材から帰ると体を隅々まで洗うのが日課になった。
「頭から足の先まで魚の汁がこびりついて、全身から異様なにおいが発散して、すごいことになっていた」撮影:前田宏人
■「いっしょに航海に行くか?」
船に薪を積み込む写真もある。舳先に近い甲板にはかまどが設けられ、そこで料理番が薪を燃やして食事をつくるという。
「航海から戻ると、家に帰る船員もいましたけれど、船に住んでいるような人もいた。船の中で捕った魚をさばいて、油で揚げた料理をいっしょに食べました。あと、インドですから、どこに行ってもチャイをごちそうになった。それでもう、お昼はいらないくらい」
毎朝、港に通っていると、顔見知りが増えていく。「手を振りながら、『おはよう』『おはよう』って」。港に外国人が来ることは珍しく、みな親切だった。
「船長に1回、誘われたんです。『いっしょに航海に行くか?』って。でも途中、寄港したパキスタンで、もし見つかったらどうなるか。それに帰国便に間に合わないと思って」、断った。
帰国の途に就いたのは昨年2月。経由地の上海で空港に降り立つと、白い防護服を身に着けた人々の姿が目についた。世界が変わり始めていた。
実は当初、この作品をまだ発表するつもりはなかったという。
「もう一回くらい取材に行こう、と思っていたんです。でも、新型コロナで今後の状況がまったく読めない。それで、悩んだ末に発表することに決めました」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】前田宏人写真展「海の駱駝の住処」
アイデムフォトギャラリーシリウス 8月26日~9月1日
dot.
2021/08/25 17:00