熊に9年間も育てられ、人間性を失った…行方不明ののち発見された子どもが語った「人さらい熊」の真実
写真はイメージ/GettyImages
熊にとって人間はどのような存在なのだろうか。ノンフィクション作家の中山茂大さんは「人を襲うだけでなく、人間を愛でることもある。熊が子どもをさらって育てようとした事件が多数報告されている。中には9年間熊に育てられたケースもある」という――。
「森の中に友達がいて、その友達はクマだった」
2019年1月29日にCNNが配信した興味深いニュースがある。
(CNN)米ノースカロライナ州で行方不明になり、丸2日以上たって森の中で見つかった3歳の男児は、森にいる間ずっとクマと一緒だったと話していることが分かった。ケイシー・ハサウェイちゃん(3)は22日、親類宅の庭から姿を消した。大規模な捜索の末、24日に無事発見された。地元捜査当局者が28日、CNNに語ったところによると、ケイシーちゃんは搬送先の救急病院で、それまでどうしていたかを語り出した。森の中に友達がいて、その友達はクマだったと話したという。同当局者によれば、この地域には確かにクマが生息しているものの、その1頭がケイシーちゃんと一緒にいたことを示す証拠はない。だが最初の夜は氷点下まで冷え込み、2日目の夜には50ミリの雨が降る過酷な状況の中で、何かがケイシーちゃんの助けになっていたならよかったと、同当局者は指摘する。(「『クマが一緒にいてくれた』 行方不明の男児を森で発見」CNN.co.jpより)
幼児をさらう「人さらい熊」の話は、戦前の資料等でもたびたび散見される。いずれも人を「喰う」というよりも、むしろ「慈しむ」のが目的としか思えないケースだ。
たとえば大正13年9月2日付の「小樽新聞」は、「巨熊の傍に一夜を明かす」という不思議な事件を報じている。
雨竜(うりゅう)郡幌加内(ほろかない)村二十四線の農業、山田藤太郎の娘ミツ(3歳)が、母親が洗濯に出た留守中、行方不明となり、村中大騒ぎとなった。
手分けして付近の山中を探したが、夜になっても手がかり一つ見つからず、熊にさらわれたのだろうと諦めていた。
熊が子供をつれて、抱いて寝たらしい形跡
ところが翌日の午後3時頃、村人が山林を通行中、子どもの泣き声を耳にする。不思議に思って草むらに分け入って百間ほど進むと、「顔面虫にさされて血にまみれ虫の息となっているミツ」を発見。
その2間先に大きな熊がうずくまっているのを見つけて仰天し、村人はミツを抱え一目散に逃げ出した。ヒグマも驚いたのか、山中深く逃げ込んでしまったという。
『幌加内町史』によれば、「その場所をよく調べてみたところ熊の足跡が一面についており、熊が子供をつれて、抱いて寝たらしい形跡がありありとのこっていた」という。
このヒグマが女児と一緒にいたことは間違いないらしい。当時この事件は大衆誌『キング』にも掲載されて評判になったという。(大正13年9月2日付「小樽新聞」をもとに作成)
むしろ赤ん坊を助けようとした
ほかにも、次のような事件が報告されている。
ある日、二ッ岩というところで女性が畑仕事をしていた。そこに子供の泣き声が聞こえ、驚いて行ってみると、熊が女性の子どもをさらっていくところだった。
母親は驚いたが、死に物狂いで熊の後を追い、崖を登って熊に追い付いた。
熊は女性の執念に圧倒されたのか、子供を放し、山林の中に姿を消した。子供にはカスリ傷ひとつなかったという。(『北の語り 第二号』北海道口承文芸研究会の「羆見聞記 網走在住 小笠原勇氏」をもとに作成)
このヒグマも、赤ん坊に危害を加えるつもりではなかったらしい。むしろ、放置されている赤ん坊を助けようとしたようにも見える。
ヒグマは子どもを育てようとした
次の悲しい事件も、もしかすると「人さらい熊」によるものかもしれない。
大正14年8月13日、北海道の勇払ゆうふつ郡厚真あつま村の中山長蔵の二男清治(6)は、兄(11)、隣家の遊び友達(11)と3人で、マッチ工場付近の小川で遊んでいた。
午後4時頃、急に清治がいなくなったので、兄と友達が急いで帰宅し、大人たちを呼んだ。消防組青年団員などが総出で三日三晩不眠不休で付近を捜索したが、清治は見つからなかった。
「大蛇に呑まれたのではなかろうか」とか、「頭は赤く首から下肢は真っ黒な老狐に連れて行かれたのだ」などと、さまざまな噂うわさが立った。
事件発生から12日後の8月25日、炭焼き人夫が、事件現場から1里(4キロ)も離れた山中で幼児の死体を発見した。
警察と医師が検視をしたところ、死因は餓死で、死後5日と判定された。たった6歳の子どもが山中を4キロもどうやって移動したのか、村人には見当が付かなかったという。
清治は直径3尺もの大きな倒木の側で発見された。下肢には草で擦った傷があり、死に顔は安らかだった。
しかも、着物や帯を枕元に置いてあり、山葡萄を三百匁もんめもそなえ、ふきの葉を敷いてあった。
その様子から、当時の人々は、「老狐のために78日も養われたらしい形跡がないでもない」などと噂しあったという。(「北海タイムス」大正14年8月28日「奇蹟的な幼児の死 深山中で死体発見」より要約)
もしかすると、この事件では、ヒグマが男児をさらい育てようとしたが、うまくいかなかったのではないだろうか。
というのも、ギリシャでも次の事件が報告されているのだ。
少女は熊に育てられ、人間性をすっかり失っていた
昭和3年、オリンポス山で名高いウルダー山中で、生後間もない乳児が行方不明になった。大捜索を行ったが、子どもの行方は分からず、熊の餌食になったのだろうとあきらめていた。
9年後、猟師の一隊がとある森で一頭の大きな牝熊を発見し、射殺した。すると、熊の死体の陰から、真っ裸の少女が現れ、歯をむき出して猟師達に飛びかかった。
猟師たちはその子供をなんとか「生け捕り」にして村へ連れ帰ったが、この子供こそ9年前にウルダー山中で消息を絶った乳児だった。
この少女は9年もの間熊に育てられ、人間性をすっかり失っていた。子熊のように唸り声を発し、人間が近づくと爪を立て、歯をむいて飛びかかったという。
彼女はのちにイスタンブールの精神病院に収容され、熊から人間に生まれ変わる日を静かに待っている。(「北海タイムス」昭和12年7月29日「9年間熊と育つ 女ターザン出現 乳呑児時代にさらわれる」を要約)
まさに「カマラとアマラ」を彷彿とさせる事件である。
「カマラとアマラ」は、インド東部ベンガル地方ミドナプールの孤児院に引き取られた姉妹で、「狼に育てられた野生児」として知られている。一説には2人は精神疾患だったともされている。
動物が人間の子供を育てることは、母乳の成分が違ったり、行動学的に無理があるなど、生物学的な理由で不可能というのが定説である。
しかしこれらの事件を見る限り、ヒグマが人間の子供を慈しみ、育てようと試みることは、あるのかもしれない。
中山 茂大(なかやま・しげお)ノンフィクション作家・人力社代表/昭和44年、北海道深川市生まれ。日本文藝家協会会員。上智大学在学中、探検部に所属し世界各地を放浪。出版社勤務を経て独立。東京都奥多摩町にて、築100年の古民家をリノベして暮らす一方、千葉県大多喜町に、すべてDIYで建てたキャンプ場「しげキャン」をオープン。主な著書に『ロバと歩いた南米・アンデス紀行』(双葉社)、『ハビビな人々』(文藝春秋)、『笑って! 古民家再生』(山と溪谷社)、『神々の復讐』(講談社)など。北海道の釣り雑誌『North Angler’s』(つり人社)にて「ヒグマ110番」連載中。
プレジデントオンライン
2023/03/14 07:00