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ジェーン・スー「好奇心は敵か味方か ままならない働き方改革」
ジェーン・スー ジェーン・スー
ジェーン・スー「好奇心は敵か味方か ままならない働き方改革」
週末もヒーヒーままならない働き方改革(イラスト:サヲリブラウン)  作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんによるAERA連載「ジェーン・スーの先日、お目に掛かりまして」をお届けします。 *  *  *  2023年の目標は「仕事量を減らし、質を上げる」です。なのに、なぜか私は週末もヒーヒー言いながら働いています。どうしてこうなった。  答えは簡単。未経験の新規案件を引き受けたからです。「量を減らし、質を上げる」のどちらにも反するんですから、私の反逆精神もたいしたもの。いや、冗談を言っている暇はない。経験も知識もない上に、時間もないなんて!最大の敵は好奇心です。敵であり味方でもあるのが難儀。  仕事量を減らそうと思ったのは、体力がもたなくなってきたから。加えて、今年は50歳になる年。仕事以外に時間も心も使う時期と悟りました。  にもかかわらず、アミノ酸サプリ摂取で取り戻した元気を、好奇心に任せて受けた新たな仕事に使うだなんて。私は本当に学習能力がない。いくつになっても好奇心を失わないことが大切だと聞いたことがありますが、何事も程度問題でしょう。  私は会社員時代から、興味本位で仕事を変えてきました。そのたび、好奇心と成果の帳尻を合わせるため、多少の無理を自分に強いてきました。そうやって、できることを増やしてきたのは間違いない。  50歳からは腰を落ちつけて、体得したことを生かし、質を高める働き方をしたい。心からそう願っていたのに、3月にしてこのありさまです。さあ、どうしよう。下手すると、次の10年もバタバタだ。  40歳になったとき、イメージしていた40歳と自分は大きくかけ離れていました。アレをまたやるの? 友人たちは、昇進したり、子育てがひと段落したりと、落ち着きモード。どうして私はいつも、みんなと同じ列車に乗れないのだ。 イラスト:サヲリブラウン  いい加減自分の性質を受容しろとも思いますが、私はいくつになっても人は変われるという言説を信じたいのです。誰にだって、また同じことをしている!と自分に憤り、変わりたいと願うことがひとつやふたつはあるはずだもの。  私とは逆に、新しいことを始めるのが苦手な人。意見が言えない人。言いすぎてしまう人。その性質のおかげでいいこともたくさんあったはずなのに変わりたいと思うのは、導き出される結果に変化がなく飽きているからかも。少なくとも私はそうです。  自分の働き方改革がままならない中年、私以外にもいるといいな。集まって会議でもしたいところですが、また仕事を増やすことになるので自粛します。 ○じぇーん・すー◆1973年、東京生まれ。日本人。作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニスト。著書多数。『揉まれて、ゆるんで、癒されて 今夜もカネで解決だ』(朝日文庫)が発売中 ※AERA 2023年3月27日号
ジェーン・スー
AERA 2023/03/23 19:00
今田耕司がパワハラマネージャー役で出演した舞台が終わり、鈴木おさむが感じた「人に嫌われる」ことの必要性
鈴木おさむ 鈴木おさむ
今田耕司がパワハラマネージャー役で出演した舞台が終わり、鈴木おさむが感じた「人に嫌われる」ことの必要性
放送作家の鈴木おさむさん  放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、時代と仕事のやり方について思うこと。 * * *  今田耕司さん主演で僕が作・演出する舞台「正偽の芸能プロダクション」が無事終わりました。今田さん、舞台稽古中に誕生日を迎えてなんと57歳。ヤングです。感覚もお肌も。飲みに連れて行っていただくと深夜3時まで飲む時もあり。常々、今田さんは僕に「生き残るには体力」と言っていて。体が無事だったらなんでも出来るんだよなと自分も50を過ぎて痛感しています。  今回は芸能プロが舞台で、今田さんが演じる役は芸能プロダクション社長です。以前は、かなり怖くてテレビ局にもかなりのパワーファイトでごり押ししていたという人。  ずっと育ててきた俳優さんと一緒に独立するのですが、その俳優が約束を破って、若い女性モデルと付き合い、妊娠してしまう。それを機に物語が悲しい方向に展開していくのですが・・・。この俳優に今田さん演じる社長が激怒します。恋愛するなと言ってたのに恋愛したこと。  残酷な世界だなと思いますが、僕の知り合いの俳優さんも、結婚した途端に舞台の集客力が一気に落ちてしまった人がいます。舞台の運営側は彼の「演技」ではなく、「集客力」に期待してキャスティングしていたんですね。その証拠に、彼はその会社からあまり声をかけられなくなってしまったので。「人気商売」と言われる通りで、仕方ないと言えば仕方ない。  舞台の上で、社長は俳優に大激怒して、思いを告げます。「俺はお前のために沢山の人に嫌われてきた」と。 今田耕司さん  まだ売れてない時は使ってもらう人に頭を下げるしかありませんが、徐々に人気が出てきた時にこそ、マネージャーの手腕が生きると思います。ドラマの役どころ一本で、運命変わりますからね。だからマネージャーさんによっては、とことん、プロデユーサーたちと向き合い話し合う。  90年代はすごかった。納得しないマネージャーがテレビ局のプロデユーサーにブチ切れたり恫喝したり。とある局では、マネージャーが納得しなくて椅子をぶん投げたなんて話を聞きました。  ここだけ聞くと、スーパーパワハラ・モラハラマネージャーですが、その根底にあるのは自分が担当するタレントへの愛なんですよね。怒れば怒るほど周りからは嫌われるし、面倒くさがられる。ただ、その緊張感があるからこそ、作り手も「あのタレントのマネージャー、面倒だからな」と、ちゃんと考えることも沢山あったと思います。  ある意味嫌われることが仕事だった時期もあるんです。だけど、売ってもらった方のタレントさんはその裏側を見てないし知らなかったりします。今は時代も変わり、そんなことしたら逮捕されるでしょう。  そんな「嫌われることが当たり前」のマネージメントをしていた人は50~60代になっているでしょうし、その頃怒られた局側の人は偉くなっているかもしれない。若いころに怒られたこととか一生忘れませんから。  今田さん演じる社長は、最後に会社もなくなり仕事もなくなり、舞台で嘆きます。「俺は何者なんやろうな・・・」。一生懸命会社のために頑張ってきた人が、気づくと何もなくて、自分は何者かと・・・。  過去のやり方を今の時代に当てはめてすべて批判するのは良くないと思いますし、その時その時の功績をある意味誰かが誉め続けてあげないと・・・と思ったりするんですよね。最近。 ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)、長編小説『僕の種がない』(幻冬舎)が好評発売中。漫画原作も多数で、ラブホラー漫画「お化けと風鈴」は、毎週金曜更新で自身のインスタグラムで公開、またLINE漫画でも連載中。「インフル怨サー。 ~顔を焼かれた私が復讐を誓った日~」は各種主要電子書店で販売中。コミック「ティラノ部長」(マガジンマウス)が発売中。
鈴木おさむ
dot. 2023/03/23 16:00
管理職「なりたくない6割」時代の背景 出世より「持続可能な働き方」の価値観に変化
小長光哲郎 小長光哲郎 古田真梨子 古田真梨子
管理職「なりたくない6割」時代の背景 出世より「持続可能な働き方」の価値観に変化
街を行き交う人々。職場や組織内では管理職をめぐる悩みも多い(撮影/写真映像部・加藤夏子)  約6割が「管理職」に昇進したいと思わない──。目標であり、出世のための階段とされてきた管理職が揺らいでいる。責任の重さ、長時間労働、部下との関係。その憂鬱さ、つらさを訴える声が聞かれる。打つ手はないのか。AERA 2023年3月27日号の記事を紹介する。 *  *  * 【管理職 官公庁・企業・学校などで、管理または監督の任にある職。また、その任にある人】  辞書に載っている管理職の定義だ。かつては、出世コース上にあるとされ、多くの人が同期や先輩を出し抜き、我先にと目指したポジションに異変が起きている。  厚生労働省の「労働経済白書」(2018年版)によると、役職に就いていない職員や係長・主任相当の職員で「管理職に昇進したいと思わない」のは61.1%。「管理職以上(役員含む)に昇進したい」の38.9%を大きく上回っているのだ。  厚労省の元労働局長で、事業創造大学院大学の浅野浩美教授(キャリア論)は、 「管理職は、責任が重くなり、長時間労働になるので避けたいと考える傾向が強まっています。また、強く言えば、ハラスメントだと訴えられる可能性だってある。マネジメント力に自信がない人は手を挙げなくなっている」  と説明する。 ■「死にたい」と思った  その言葉を痛切に受け止めるのは、東京都内のメディア関連会社員の男性(59)だ。21年、勤務先の副社長を自ら降りた経験がある。  副社長になって4年目のことだ。海外にいることが多い社長に代わって実質的な経営の指揮を執っていたが、相次ぐ新興メディアの台頭で業績が急速に悪化。ギスギスしていく社内の雰囲気が全身に突き刺さるうちに、次第に心のバランスを失ったという。男性は、 「なんとか出社はしていましたが、毎日死にたいと思っていた。限界でした」  と話す。うつ病と診断され、心療内科に通った。他の役員が「しんどいでしょう」と声をかけてくれた時、素直に降格人事を受け入れたという。  同じ頃、信頼し、評価していた部下のひとりからパワハラで訴えられた。  育てようという一心で叱咤激励しながらも、家族のように親しく付き合っていたが、部下には受け入れてもらえず、会社からは懲戒処分を受けた。 AERA 2023年3月27日号より 「ショックでしたね。約15年前に初めて管理職になった当時は、違う景色が見えたような気がして、高揚感がありました。優秀な部下とともに日夜問わず夢中で働き、休日は自宅に招いて食事会もしていたのに。自分にはリーダーシップがあると思っていただけに、コミュニケーションの取り方に悩むことが増えました」(男性)  20年に実施された厚労省の「職場のハラスメントに関する実態調査」によると、過去3年以内にパワハラを受けたことがあると回答した人は31.4%。声をあげやすい環境が整いつつあるということでもあるが、前出の浅野教授は、こう指摘する。 「管理職は、部下の指導によりきめ細やかさを求められるようになりました。その上で、自分の仕事をこなしながら、この変化の激しい時代に職場のパフォーマンスも上げなければならない。大変なことばかりに見えて、敬遠されてしまうのは仕方がない面があります」 ■変化している意識  働き方の変化も「管理職離れ」を加速させている。  例えば、この5年ほどで急速に広がっている「ジョブ型雇用」。会社があらかじめ職務(ジョブ)と賃金を定め、それに見合う技能をもつ人を雇う制度だ。社員は原則その職務以外はせず、年齢が上がっても賃金は増えないとされている。働き方評論家で千葉商科大学准教授の常見陽平さんは、 「昇進はキャリアの断絶だと考えられるようになりました。管理職になることは、必ずしも好意的にとらえられていません。自分のやりたいこと、深めたいことを仕事にしたいと考える人が増えました。管理職になるということは、それまで夢中になってやっていたことができなくなるということです」  と話す。昇進や昇格は、仕事ぶりを評価されているからこそであり、会社からの期待の表れのはず。しかし、 「キャリア形成に対する人々の意識が変化しているということです。さらに、かつては部下といえば『男性新卒プロパー』しかいなかった企業で、非正規雇用、テレワーク、時短勤務など、雇用形態や勤務形態、給与も千差万別な部下をまとめる必要が出てきた。負担を感じる人は多いでしょう」(常見さん)  共働き家庭が増えたことも、管理職に対する意欲に影響を与えているようだ。 AERA 2023年3月27日号より  静岡県のメーカーで働く男性(60)は、かつて班長として部下を抱えていた時期があるが、課長への打診を断ったことがある。当時、45歳。とても忙しく、まだ保育園児だった2人の子どもの世話は、金融機関でフルタイム勤務をしている妻に任せがち。長期の海外出張に行った時に、妻が精神的にまいってしまったこともあったという。男性は、 「会社からはコストダウンを厳命されていたけれど、人を減らすことしか解決策がない状況だった。その分の仕事は、管理職がカバーしなければならないことは明らか。私がこれ以上忙しくなれば、妻が倒れてしまうと思いました」  と振り返る。妻が仕事を続けることを希望したことに加えて、右肩下がりの経済状況を考えると、共働きを続けられる「持続可能な働き方」を夫婦ともに選択する方が賢明だと判断したという。以来、イチ社員として定年までを過ごし、現在は再雇用の身だ。あの時の判断について男性は、こう話す。 「後悔は全くないです。管理職になっても、たいして給料は上がらない。休日もない状態で働き続けていたら、私自身の心身も家族もボロボロになっていたでしょう」  常見さんは、若い世代を中心に同様の価値観が広がっているとし、 「ストレスなく続けられるということは、働き方のひとつの答え。偉くなるより、一人前になりたいと考え、その選択ができるようになった」  と時代の変化を評価する。  けれど、管理職になりたくない人ばかりになると、組織が立ち行かなくなってしまうケースも出てくるだろう。打つ手はないのか。突破口になるかもしれない興味深いデータがある。 ■意欲が高いのは  21世紀職業財団(東京都)が22年、従業員101人以上の企業に勤務している20~59歳の正社員男女4500人を対象に行った調査によると、「管理職になりたい」割合は、総合職男性24.8%、総合職女性12.0%と、男性のほうが高かったが、「管理職に推薦されればなりたい」との回答は男性31.3%に対して女性は33.2%。わずかに、女性が上回っているのだ。  事業創造大学院大学の浅野教授は、 「上を目指したい気持ちのある女性は多いけれど、躊躇(ちゅうちょ)があることがわかる。自信が持てなかったり、子育てや夫との関係などを考えてしまったり。甘えているように見えるかもしれないけれど、その一方で、推薦されるなど後押ししてくれる理由があれば、管理職をやろうという女性はいるのです」  と話す。  また同財団の別の調査では、女性は男性に比べて、年齢が上がっても仕事への意欲が衰えないこともわかっている。内閣府によると、民間企業の女性管理職比率(課長相当職)は21年時点で12.4%だが、管理職のなり手不足に悩む企業は、この女性たちの意欲を見逃す手はないだろう。 「男女問わず、働く人は上司の言葉、態度、雰囲気で自分が評価されているか否かを感じ取り、それがやる気につながる。性別に基づくアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)を取り除き、今こそ企業は本気を見せる時です」(浅野教授) (編集部・古田真梨子、小長光哲郎) ※AERA 2023年3月27日号より抜粋
AERA 2023/03/23 07:00
あなたのLINEも「おじさん構文」かも?Z世代が毛嫌いする3つのポイント
あなたのLINEも「おじさん構文」かも?Z世代が毛嫌いする3つのポイント
LINEのおじさん構文はなぜZ世代に嫌われるのか(写真はイメージ/GettyImages)  近年、SNSなどで話題になることが多い「おじさん構文」。元々はZ世代を中心に広がったネットスラングの一種でしたが、ここ最近ではテレビなどのメディアでも取り上げられるようになりました。主にLINEなどのコミュニケーションツールで使われる中高年世代の言葉、文章をやゆするものです。Z世代に嫌われるコミュニケーションのスタイルでもあります。一方で、実際にこういった文章を使っている人たちは、無意識なことがほとんど。あなたのLINEはおじさん構文になっていませんか?  そもそも、おじさん構文とは何か 「おじさん構文というけれど、具体的にはどのような文章なのか分からない」という方も多いでしょう。ここ数年で使われるようになった言葉であり、明確に定義化されていないこともあって「なんとなく」分類されているケースがほとんどです。どんな文章がおじさん構文と呼ばれるのか。いくつかポイントを挙げて詳しくご紹介します。 ・カタカナのあいさつ、絵文字・顔文字を多用  おじさん構文の特徴として最初に挙げられるのが、カタカナのあいさつや絵文字や顔文字などを多用するという点が挙げられます。 「ヤッホー」「オツカレサマ」「オハヨー」  など、チャットツールでは省略されることの多いあいさつなどを、なぜかカタカナで表記しているというケースが多く見られます。同時に絵文字や顔文字などでメッセージを必要以上にデコレーションしてしまうという点も特徴です。 ・聞かれていない近況報告をする  聞かれてもいない近況報告が入ってくるのもおじさん構文の定番です。  「忙しくて徹夜しちゃったよ(汗」「急に出張がはいっちゃった」  など、不要な報告が入ってくるのが特徴です。この近況報告によって、本題が分かりづらく、意味不明なメッセージとなっているケースも少なくありません。受け取った側は「だから何?」としか返しようがなく、困惑してしまうのです。 ・長い&下心を見せてくる&保険を掛ける  無意味なあいさつや絵文字と顔文字、そして近況報告などによって、おじさん構文によるLINEはまるで一昔前のメールのような長さになっています。意味不明で、長いだけでも厄介なおじさん構文ですが、さらに下心を見せてくることがあります。むしろ、これがメインであるケースも少なくありません。ストレートに誘うのではなく、 「出張先のホテルで一人はサミシイヨ~(泣 ○○ちゃんが一緒だったら良かったのに(ハートの絵文字)ナンチャッテ♪」  のように冗談に見せかけて「あわよくば感」を出してきます。本気で誘っているのに、断られたときの保険を掛けておくのもおじさん構文の特徴です。  この中の一つでも当てはまれば、おじさん構文認定される可能性があるので注意が必要です。 おじさん構文はなぜZ世代に嫌われるのか  このおじさん構文を嫌うZ世代は多いものです。理由は単純に無駄が多く、返信も面倒だからです。聞いてもいない、まったく興味のない近況報告であっても、相手が上司や目上の人であれば無視することはできません。ある程度の反応をする必要があります。タイパ(タイムパフォーマンス)を重視するZ世代にとって、おじさん構文への返信にかける時間は完全に無駄なものです。それだけでもZ世代に嫌われる理由になります。  その上、下心を丸出しにしてくるのであれば、嫌われる要素しかありません。  一方、おじさん構文の使い手たちは、相手に嫌がられている、相手が立場上仕方なく対応していることにも気付きません。結果として、おじさん構文のLINEを連発して、さらに嫌われていくという悪循環に陥るのです。 どうしておじさん構文になってしまうのか  おじさん構文を使いがちなのは、Z世代&ミレニアル世代(1981年~90年代半ば生まれで2000年代に成人した世代)以上、つまり1980年より前に生まれた年代の男性です。Z世代から見れば文字通り“おじさん”世代です。  なぜ、おじさんが書くLINEはおじさん構文になってしまうのでしょうか。その理由としてはこの世代が若者だった頃に使っていたコミュニケーションツールの違いが挙げられます。現在40代前後の方が10~20代だった頃は、コミュニケーションの定番はケータイのメールだったはずです。  メールはLINEのようなチャットツールとは異なり、あいさつから始まり、近況報告などを挟んで本題に入るといった流れが一般的でした。また、絵文字や顔文字などが使われるようになったのもこの時代であり、いわば流行の最先端だったのです。メールを大量の絵文字や顔文字などでデコるのも人気でした。  これらはおじさん世代の常識となり、これをそのままLINEに持ち込んでしまったと考えることができます。若者に対する無意識の迎合というか、「自分もまだ若い」というアピールのために自分たちの時代の流行を押し付けてしまっている結果が「おじさん構文」といえるでしょう。 あなたのLINEはおじさん構文になってない?シチュエーション別に実例をチェック  このようにおじさん構文にはさまざまな特徴がありますが、どういったLINEがおじさん構文なのかまだまだピンとこない方もいるでしょう。ここではおじさん構文の実例を挙げながら、その特徴をより詳しく紹介します。  いくつかのシチュエーション別に、特にひどい例のLINEを用意しました。自分が無意識におじさん構文を使っていないか確認してみてください。 ・飲み会の後のLINE  まずは飲み会後のLINEを例として挙げてみます。  典型的なパターンです。謎のカタカナのあいさつに始まって、聞かれてもいないのに電車に乗り遅れたという報告をします。しかもこれは、次は二人きりで飲みに行きたいという下心を見せるための伏線になっています。さらに「ナンチャッテ」と冗談めかすことで、断られたときの保険まで掛けています。セクハラ扱いされることを避けるためという意図もあるのかもしれません。  若い世代は職場の飲み会に出席するだけでもかなりの気を使い、疲れてしまうものです。終わった後でこんなLINEが来たら大きなストレスになってしまいそうです。それだけに、これは絶対に避けるべきおじさん構文の例です。  では、正解はどのようなやりとりなのでしょうか? 同世代同士の飲み会後のLINE例をご紹介します。  チャットらしい最低限のやりとりです。一文の短さと、メッセージを送るスピードも大事。若い世代は会話をするような感覚でLINEを使ったコミュニケーションを取っています。 ・会社を休んだ同僚へのLINE  続いては会社を休んだ同僚、または部下へのLINEの例をご紹介します。  こちらもおじさん構文の定番パターンです。体調が悪い相手への配慮や心配ではなく、自分が代わりに仕事をしたアピールをしています。ただでさえ具合が悪いのにお礼を強要するような文章を送ると、相手からは無神経に見えることに気付いていないのでしょう。その上で下心を見せてセクハラまがいの発言までしています。おじさん構文の中でも特に悪質な例であるといえます。  一方で、若者世代同士のLINEの場合はこのようなパターンになります。  こちらも飲み会の例と同じく短い会話で、必要な情報だけでやりとりをしています。お互いの負担を最小限にしつつ、相手への気遣いと「明日から出社できる」という情報の交換ができているという点もポイントです。  Z世代の若者を中心にやゆされることの多いおじさん構文。40代以上の人は、無意識のうちにおじさん構文を使っていた、というケースも少なくないと思います。単にネタにされる程度であれば問題ありませんが、悪質なおじさん構文は、円滑なコミュニケーションを阻害し、嫌われる原因にもなります。これまで自分が送ったLINE、今まさに送ろうとしているLINEを改めて見直し、おじさん構文になっていないか確認してみてください。(フリーライター マキ・ユウタ) 
LINEオジサン
ダイヤモンド・オンライン 2023/03/21 07:00
好き嫌いが分かれるタレント「アンミカ」はどこが好かれ、何が嫌われているのか
丸山ひろし 丸山ひろし
好き嫌いが分かれるタレント「アンミカ」はどこが好かれ、何が嫌われているのか
アンミカ(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)  バラエティー番組や情報番組で活躍しているモデルでタレントのアンミカ(50)。売れっ子タレントとなり久しいが、「女性自身」(3月14日号)の「好きな・嫌いな女性コメンテーターランキング」の“嫌い”では1位三浦瑠麗、2位フワちゃんに続いて3位にランクイン。一方、“好き”ランキングでも2位に選ばれており、極端に好き嫌いが分かれるタレントでもある。  アンミカの持ち味といえば、マシンガントーク。情報番組のコメンテーターでも、通販番組のゲストでも、とにかくしゃべりまくる。今は「しゃべり」がメインだが、10代のころはトップモデルを目指し、単身パリに渡って売り込みをしたこともある。全てのオーディションに落ちるも帰国後、努力を重ね1993年に20歳でパリコレクションへ初参加するなど、実はモデルとしての実績も豊富だ。2010年ごろから活動拠点を大阪から東京に移し、「国際的スパイと付き合っていた」「1000万円をだまし取られ、暗殺されかけた」という強烈なエピソードを武器に、トーク番組で認知度を上げてきた。  キャラクターも明るく、歯に衣(きぬ)着せぬコメントも魅力だが、前出のランキングを見ると“苦手”と感じる人もいるようだ。 「アンミカといえば、ポジティブ思考もウリで、昨年9月には自身がプロデュースした手帳『ポジティブ手帳2023 365日、アンミカ思考で幸運体質!』を発売しています。この手帳には自身が厳選したポジティブワードが週ごとに書かれており、発売時の取材では『落ち込みやすい方に使ってほしい』『幸せ脳を育む手帳です』とアピールしていました。そんなアンミカに対し、ポジティブの“押し売り”のような感じを抱く人もいるでしょう。ポジティブも過度になると受け取るほうは疲れるので、そこが“苦手”とされる一因だと思います」(テレビ情報誌の編集者)  さらに一昨年に発覚した夫の不祥事疑惑の影響もあるかもしれない。米国人の夫が経営するイベント会社の雇用調整助成金不正受給疑惑が「週刊文春」で報じられたのだ。直後に出演した「バイキングMORE」(フジテレビ系、21年9月13日放送)でアンミカは「夫の会社のことなので、詳細は私は把握できてない」「疑惑を払拭すべくきちんと調査、訂正していただきたい」とコメント。それまでは辛口コメントで目立っていたアンミカなだけに、これには、「普段偉そうにいろいろコメントしてるんだからちゃんと説明しろ」「自分のことになると、とたんに口が重くなるのね」など、ネット上では厳しい声も少なくなかった。 ■標準語と関西弁を使い分け  一方、ポジティブコメントを返す瞬発力や、ポジティブワードの語彙力はさすが。その頭の回転の速さは、彼女が評価される大きな要素だろう。 「人志松本の酒のツマミになる話」(フジテレビ系、21年8月20日放送)では、コップ1個でもタオル1個でも、小さいものの良いところを探すのが好きというアンミカに、千鳥・ノブが「その(手元の白い)タオルもいけます?」と振ると、「白って200色あんねん」と即答。これに出演者たちは大爆笑し、その後、ツイッターでミーム化(まねること)するなど話題になった。 「ワードセンスだけでなく、話に説得力もあります。“通販番組の女王”ともいわれるアンミカですが、テクニックとして、商品によって方言を使い分けていることをバラエティー番組で明かしています。ジュエリーを売るときは標準語で、理由は高価なものはそのほうが雰囲気が出るから。一方、化粧品など人の悩みに寄り添う商品の場合は、身近な人でなければならないので関西弁を使うと説明し、スタジオも納得してました。万人を“なるほど”と思わせるような話術があるのも好印象につながっていると思います」(同)  また、「幼少期から今に至るまでの生き方に共感する人も多いのでは」と語るのは、女性週刊誌の編集者だ。 「6歳のころは4畳半に家族7人で住み、夜中3時ごろに家族でリュックを背負って市場に行き、捨ててある野菜を拾って帰ったなど、バラエティー番組でたびたび貧困エピソードを明かしています。学生時代に、友人とお好み焼きを食べることになったが、自分だけお金がないのでひとり鉄板でしょうゆを焼き、すごくおいしかったというエピソードも。友人も『おいしそう』と興味を示し、お好み焼きとトレードしてくれたそうです。アンミカの場合、好感度だけで勝負するタレントではないですし、ファンもアンチも多いということは、ある意味、それだけ強烈な魅力を持っているということだと思います」  元「週刊SPA!」芸能デスクの田辺健二氏はアンミカについてこう述べる。 「今の活躍の契機になったのは、通販番組です。初期のころはジュエリーが一つしか売れず、しかも買ってくれたのは夫でかなり苦戦したそうです。そこから一念発起してジュエリーコーディネーターの資格を取るなど努力を続けた結果、“1日5億円を動かす通販の女王”というポジションを確立しました。通販番組にはさまざまな細かい規約があり、それでいて短時間で視聴者の心をわしづかみにしなければいけないという、テレビで最も難しい仕事といわれています。近年は、通販番組で培った独自のバランス感覚やプレゼン力を武器に、バラエティー番組で活躍しています。『元カレがスパイ」など強めのエピソードだけではなく、非常にわかりやすいキャラを確立できたことで、視聴者的にも見やすくなった印象です。今後はご意見番としてだけでなく、ロケやトークもできるマルチなテレビタレントとして、さらなる進化を遂げていくはずです」  チャキチャキの関西弁のなかに、どこか品の良さも感じさせるアンミカ。独自のポジションで、今後も重宝されそうだ。 (丸山ひろし)
アンミカ
dot. 2023/03/18 11:00
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市川綾子 市川綾子
RIKACO「2人の息子は人生の一番のギフト」 涙があふれた「子育て卒業」の瞬間を語る
RIKACOさん。自身が手掛ける洋服ブランド「LOVE GIVES LOVE ecru 」を着て。(写真は提供) 13歳でモデルデビューし、ファッションアイコンとして注目を浴び、ドラマやバラエティでも活躍してきたRIKACOさん。プライベートでは、脚本・演出家の長男28歳、俳優の次男24歳と2人の息子を育て上げ、今を楽しんでいる。出産・育児、子離れと、女性にとって大きな変化があるそれぞれのステージをどう通ってきたのか、かっこいい女性の代名詞RIKACOさんに聞いた。 *   *   * ――母になることは、どういう意味を持ちましたか。  2人の息子が生まれたことは人生の一番のギフトで、子育てを大切にしたいと思えたことが自分の中の大きな変化でした。結婚して間もなく妊娠したので、母親になる準備や仕事の整理が計画的にできていませんでした。長男の妊娠がわかってすぐのころ、舞台のお稽古で腹痛に襲われて、切迫流産の可能性があると診断されたこともあり、その時受けていた仕事を全て降りたんです。迷いは一切なく、この先仕事がなくなってしまってもいい、授かった大事な命には代えられないという強い覚悟が生まれました。  芸能界の仕事は時間が不規則なうえ、子どもから一時も離れたくなかったですし、誰かに子育てを任せる勇気もありませんでした。なので、長男が2歳になるまでは家のなかにいて、育児に専念していました。目の前にあることを無我夢中でやる日々、子どもと過ごす濃密な時間に幸せを感じて、自分の時間がほしいというストレスは不思議とありませんでした。 ――育児は自分を育てるとも言われますが、なにか変化はありましたか。  まだ息子たちが小さいときにシングルマザーになりましたが、両親が助けてくれたので、今よく言われているワンオペ育児で大変という意識はなかったんです。でも、不安がありました。教育や日々の細かなことを全て1人で判断しなければならない。自分の考え方で大丈夫かと自信を持てないこともありましたが、それでは子どもが惑わされてしまう。途中で考えをガラッと変えました。自分を信じて自分がいいと思ったことをすべきだ、とひたすら子どもたちを引っ張ってきました。シングルマザーは強くならざるを得ないんです。  そういった思いが息子たちに伝わったのかわかりませんが、男の子として母親を守るという正義感をどこか持ってくれているように感じます。困ったときには助け合い、その関係性に常に安心感を持てる、家族に強い絆も生まれました。 人生の一番のギフトである息子たち、いくつになっても子育てに終わりはないとも語るRIKACOさん。(写真は提供)  でも、ふと、思うときもあります。私はこの3月で57歳になりますが、パートナーがいない姿を息子たちに長く見せてきています。言葉を交わし、食事をし、買い物に行く、そんな夫婦の普通の姿から学ぶことってあるのかもしれない。息子たちは優しい男性に育ってくれてはいますが、恋愛に対する考えやパートナーへの接し方等を育むことができただろうかと。唯一、私が息子たちにきちんと手本を示せなかったことなので。 ――お子さんたちに向き合ってきたなかで、必ず訪れる子離れの時期。どんな思いでしたか。  息子たちが幼稚園から高校を卒業するまで、夏の2カ月間を主にハワイで過ごしていました。日本のインターナショナルスクールに通わせていたので、長い夏休みに英語から離れて学習に支障が出ることを避けたかったんです。それで、語学力を鍛えようと、現地のサマースクールに通わせながら、家族での時間も大切にしていました。  次男が高校3年の夏、大学は留学を考えていたこともあり、この時間は最後になるんだなと実感しました。毎年ずっと続けてきたことが来年からはもう必要ないと思ったときに、なんともいえない寂しさを感じ、胸がいっぱいになりました。もちろん、息子とはそんなことは話しません。夜、一人になって、涙があふれました。  次男の成人式の日にも、写真を一緒に撮りながら、一つの区切りを実感しました。息子2人が成人したことに、本当にここまできたなと。自分もよくやった、褒めてくれる人がいたら嬉しい、とそれまでの時間が流れて、いろんな思いが一気に込み上げてきました。 ――子育てを卒業された寂しさを、どう受け止めましたか。  子どもという愛情の対象が離れていくと、ぽっかり穴があいて無気力になってしまうという話はよく聞きますが、誰かのために生きる、誰かに依存して生きるのは危ういことで、どんな時もまずは自分を軸にすべきだと思っています。そもそも自分が潤っていないと、相手に思いやりをもって接することはできないかなと。もちろん成長過程で子どもとの時間がなくなる悲しみや寂しさを感じることはあるでしょうけれど、自分の軸を大切にしていれば自然に乗り越えらえるもの。  とはいえ、いくつになっても子育てに終わりはないと感じています。もう長男は28歳、次男は24歳になりましたが、今も相談にのったり、食事の気遣いをしたりと、母であることに変わりはありません。仕事柄、全く別の世界で生きているわけでもないので、最近も長男プロデュースの舞台を一緒に立ち上げましたし、次男のモデル業のマネジメントなどもやっています。相手が大人になると、ぶつかる瞬間も多いですね。小さいころのように、こちらの言うことをそのまま聞かせるわけにはいかず、話し合ってお互いの考えを理解して着地点を探す時間がいります。 <<後編:56歳のオシャレ番長RIKACOが語る「リーバイス501に白Tが似合う」生き方>>へ続く RIKACO/モデル、タレントとしても活躍。自身の経験や資格を活かし、食や美容、ファッションなどの情報をYouTubeチャンネル「RIKACO LIFE」やインスタグラムで発信。2020年にはライフスタイルブランド「LOVE GIVES LOVE」を立ち上げ、新たに洋服ブランド「LOVE GIVES LOVE écru 」も展開(23年3月14日オンライン発売開始)。 (構成/AERA dot.編集部・市川綾子)
RIKACOライフスタイル出産と子育て
dot. 2023/03/15 11:00
【独自】熊本・国立小学校、教員急死の背景に「パワハラ」疑惑 「プライドをたたき、ゼロから鍛え上げる」過酷すぎる職場環境
大谷百合絵 大谷百合絵
【独自】熊本・国立小学校、教員急死の背景に「パワハラ」疑惑 「プライドをたたき、ゼロから鍛え上げる」過酷すぎる職場環境
熊本市にある熊本大学教育学部附属小学校の校門  熊本の国立小学校に勤めていた教員が、職場でパワーハラスメントを受けて自殺したようだ──。編集部への情報提供をもとに関係者たちに取材すると、学校内で先輩教員からの行き過ぎた指導が横行していたことや、教員が亡くなった原因がきちんと調査されていないことが明らかになった。全国の公立校の“手本”となるべき国立校に深く根を下ろす、病巣の実態とは。 *  *  * 「熊本大学教育学部附属小学校(以下、附属小)でパワハラが原因とみられる教員の自殺があったが、実質的に隠ぺいされている。教育界の闇を改善してほしい」  本誌に対し、怒りと失望をにじませてこう訴えたのは、附属小の内部事情に通じているA氏だ。パワハラを受けて亡くなったと問題視されているのは、当時40代だった元教諭Bさん(男性)。一昨年4月に附属小に赴任し、その翌月亡くなった。附属小勤務は初めてとはいえ、教員歴は15年以上のベテランだった。  Bさんの死の原因は公表されておらず、それがA氏が疑うように「パワハラによる自殺」だったことを直接示す証拠や証言はない。  Bさんの妻をはじめとした遺族は本誌の取材に対し、「お話しすることはありません」と沈黙している。附属小関係者の口も重く、ある教員は学外の友人に「Bの死は職場では突然死のように扱われている」と語ったものの、何があったのかは濁したという。  だが取材を進めると、「自殺だったというのは周知の事実」「附属小では長時間労働やパワハラが蔓延している」という話が出てきた。 「B先生は周囲の教員に『睡眠不足』『眠れない』などと漏らしていた」 「亡くなる数日前には教卓に伏せて寝ていて、担任のクラスの児童が心配していた」  との証言もあった。  Bさんの高校の同級生は、「訃報を知って同級生一同驚きました。3人の子どもをもうけ、家も建て、穏やかな生活を送っていると思っていたのに」と話す。 「Bは大人しく、とても真面目で優しい人間でした。以前ホームセンターで会ったときは、当時の赴任先で顧問だった野球部のために飲み物などの買い出しをしていました。夫婦で教員だったので、奥様は余計ショックでしょうね」 熊本市にある熊本大学教育学部附属小学校の校舎  Bさんが勤務していた附属小は、特異な環境として知られていたという。 「附属小への赴任は、県や市の小学校教員のうち優秀な人に声がかかるものの、ハードさから大半は断るそうです。そんななか、やる気を持って赴任したはずのBが短期間で自殺に追い込まれたとしたら、なんて職場なのだろうと思います。どうして亡くなったのか、きちんと知りたい」  附属小は創立約150年の歴史をもち、画家の藤田嗣治などを輩出した名門校。受験や附属幼稚園からの内部進学によって入学する児童たちは、総じて「優秀」だ。  だが国立学校という性質上、一般的な公立校と比べて教員の負担は大きくなりがちだ。文部科学省の指揮下で最先端の教育を実践する「研究機関」として、授業研究や教育実習生の指導など、膨大な“プラスアルファ”の業務が発生する。A氏によると、「附属小勤務はいわゆるエリートコースで、授業スキルを磨きたい真面目な先生や、管理職を目指す上昇志向の強い先生が集まる」という。 ■手作り弁当強要 異論には叱責も  これらの事情から、「非常に忙しく、先輩からは厳しい指導を受ける」のが附属小勤務の定評だが、実際の職場環境を知るC氏とD氏は、その行き過ぎた実態を明かす。  教員の間には「附属小勤務歴が長いほど偉い」という独特の文化があり、「一回り年下の同僚から怒鳴られることもある」(C氏)、「児童や保護者の前でも平気で叱責される」(D氏)。さらには、「教材室(3人でシェアする教員室)に先輩教員のお客さんが訪ねてきたら、後輩教員はその間起立していなければならない」(D氏)という不文律まであった。  またC氏によると、新人には運動会やうさぎ狩り(明治時代から続くとされる冬の伝統行事。教員と児童で野山に入り、竹の棒を打ち鳴らしながらうさぎを網に追い込む)などのイベント準備も一任され、経験のなさゆえに苦痛に感じる教員は少なくない。それでも大半は、「異を唱えるとさらに大きな叱責がある」「最初の1年さえ耐えれば、次の新人が来てくれる」と考え、声を上げずにやり過ごしてきたという。  だが、過去に附属小で教育実習を受けた経験者たちからは「小学校教員になりたいと思わなくなった」と、不満が噴出する。理由は以下の体験談の数々から一目瞭然だ。 「ずっと立ちっぱなしだったし、トイレに行ける雰囲気でもなかった」 「深夜1時ごろまで自宅での残業が必要だった」 「手作りの弁当を強要された。しかも、彩りが悪いと注意された」 「市販のサンドイッチは弁当箱に詰め替えて、自作を装うよう指導された。ペットボトルも禁止で、水筒に入れ直した」……。  さらに、数年前に校内を訪れた関係者からは、「実習生が教員に怒鳴られていた」との目撃証言もあがっている。  附属小におけるパワハラや長時間労働を生み出す温床として問題視されているのが、長年行われてきた「授業研究会(通称・校内研)」だ。様子を知る人々の話を総合すると、その実態はこうだ。  毎週木曜日、その週の担当教員は同僚に授業の様子を公開する。基本的に校内の全教員が参観するため、その時間は、担当教員のクラス以外の児童は自習となる。  放課後は2~3時間にわたる「事後研究会」が開かれ、先輩教員からの厳しい指導がある。授業の様子を撮影した録画を見せながら、「ほら、このとき子どもに顔を向けていない」などと細かく指摘されることもあり、D氏によると「附属小歴の短い教員のプライドをたたき、ゼロから鍛え上げる」のだという。  その後、半強制の飲み会が待ち受けているのも、「昔からの伝統」(C氏)。翌日も仕事があるにもかかわらず深夜まで拘束され、飲み代や代行運転の費用もかさむ。耐えかねて管理職に相談する教員もいたが、改善されることはなかった。 ■異例の転出者数「もみ消し」の噂  さらにコロナ禍では、酒盛りの場は学校内へと移った。輪になって集まり、指導とは名ばかりの「いびり」や「吊るし上げ」が加速し、帰宅できなくなった教員が教材室のソファで寝泊まりすることが常態化。附属小は“不夜城”と呼ばれていた。授業研究会はBさんが亡くなって以降中止になったが、昨年から再開しているという。  附属小の教員が自殺したという話は、事件から半年も経たないうちに小学校内外に広まった。同時に、「大学はまともに調査をしていないようだ」という噂もあったが、Bさんの死の翌年にあたる2022年度の定期人事異動が発表されると、関係者たちの疑念は一気に膨らんだ。  校長・教頭ふくめ、附属小の教員の3分の1以上にあたる9人が他校に転出したのだ。転出者は例年、数人なので、異例の事態だった。「附属小で何かがもみ消されようとしている、と噂が流れました」(D氏)  実は、Bさんが亡くなった後、大学は附属小の職場環境について現場の教員たちへの聞き取り調査を実施しており、一部の関係者は大学幹部から、調査結果の説明を受けていた。事情を知る人によると、その内容は、 「授業研究会では大量のレポートが課されるため、『ふとんで寝ることができない』と話す新任の先生がいた」 「一生懸命やっているにもかかわらず人格を否定するような言葉をストレートにぶつけられ、傷ついた方もいた」  などというもの。長時間労働やパワハラが蔓延していたことをうかがわせるが、肝心のBさんの死の詳細については一切が伏せられた。  説明をした大学幹部は「自殺だったかどうかは回答しない」「附属小での勤務の在り方を調査しただけで、教員が亡くなったこととの関連は調べていない。これ以上調査すれば、学校組織を壊すことに必ずつながる」と言ったといい、各所から「組織を守るために教員の死を隠ぺいするのか」と憤る声があがっている。  大学の調査報告について、組織内部にいる人はどう思うのか。複数の大学教員に見解を求めたところ、同大教育学部准教授の白石陽一氏は「このような不誠実さやいい加減さを見れば、普通の大人は隠ぺいだと感じる」と非難した。 「教員の自殺を受けて調査を始めたということは、自殺と労働環境の間に因果関係があるかもしれないと判断したからのはず。それにもかかわらず、自殺の理由は調査しないなんて、責任逃れ以外の何物でもない」 熊本大学教育学部の本館(熊本市)  関係者たちの証言によると、附属小への調査結果を受けて、いちおう現場の教員数人に処分が下っている。  だが、その理由は「熊本大学の就業規則違反となる校内での飲酒」。前出の証言にあった「授業研究会の名を借りた酒盛り」が問題視されたと思われるが、Bさんを追い詰めるようなパワハラ行為があったかどうかは追及されていない。  しかも、下された処分の種類は、「訓告」程度だという。これは文書や口頭で注意をするもので、懲戒の扱いにはならない。公立学校内で飲酒があった場合は停職処分相当という見方もあり、県内の教育委員会関係者からは「この処分は軽すぎる」という意見が出ている。大学内外で「報道発表を避けるために軽い処分にしたのではないか」と、臆測が飛び交うのも無理はない。  本誌は大学に対し、処分内容についての情報公開請求をしたが、 「当該事実の有無を明らかにすることは、当該教職員の特定が可能になるおそれがあり、当該個人の権利利益を害するおそれがある」  と、拒否された。  前述のとおり、附属小では昨年、教員の大掛かりな入れ替えがあった。関係者たちは「これ以上の処分や事情聴取は難しくなった」と見ており、A氏も「真相究明をあいまいにすれば、現状をますます悪化させるのではないか」と危惧している。 ■報告書は非開示 大学内にも怒り  一連の大学側の対応に納得できない白石准教授は、昨年9月、学長宛てに「要望書」を提出した。教員の死の真相究明と、そのための第三者による調査委員会の設置が、主な訴えだ。翌月、大学からの回答が届いたが、その内容は、 「亡くなった教員についての調査は既に完了し、これ以上は必要ない。調査報告書も開示しない」 「附属小の問題を改善するための第三者委員会が既に立ち上がっており、今月(昨年10月)、最初の会合が開かれた」  というものだった。白石准教授は語気を強めてこう語る。 「調査報告書を開示しない理由を尋ねても、『開示しないことになっているから』の一点張り。まったく許しがたい。それに第三者委員会を立ち上げたといっても、学校内のハラスメントや労務災害に詳しい専門家が参加しているのかは不透明。『附属小の問題を改善する』という目的を果たせる委員会になっているのか、疑問が残る」  本誌は、教員の死やそれをめぐる対応などについて、大学広報に見解を求めた。すると、文書で以下のような回答が返ってきた。 「附属学校及び大学としては教員の私生活等について詳しく知りうる立場にないことから、逝去の背景について意見を述べることは出来ません」 「本学の附属学校について、数度にわたって改革に向けた調査を実施し、検討委員会を開催し、改善に努めているところです。具体的には、校務支援システムを導入する、教育実習や授業研究会に関する負担を軽減するなどの対応を行っています」  附属小では、Bさんが亡くなった後も、赴任したばかりの教員から休職者が出ているという。本当に状況は改善されたのだろうか。  子どもたちの学び舎でパワハラや長時間労働が横行し、現場の教員が亡くなってもきちんとした調査を行わない。結果、旧態依然とした体質の被害者が後を絶たない実態があるのだとしたら、冒頭でA氏が訴える「教育界の闇」は、恐ろしく深い。(本誌・大谷百合絵)※週刊朝日  2023年3月24日号
週刊朝日 2023/03/14 17:00
熊に9年間も育てられ、人間性を失った…行方不明ののち発見された子どもが語った「人さらい熊」の真実
熊に9年間も育てられ、人間性を失った…行方不明ののち発見された子どもが語った「人さらい熊」の真実
写真はイメージ/GettyImages 熊にとって人間はどのような存在なのだろうか。ノンフィクション作家の中山茂大さんは「人を襲うだけでなく、人間を愛でることもある。熊が子どもをさらって育てようとした事件が多数報告されている。中には9年間熊に育てられたケースもある」という――。 「森の中に友達がいて、その友達はクマだった」 2019年1月29日にCNNが配信した興味深いニュースがある。 (CNN)米ノースカロライナ州で行方不明になり、丸2日以上たって森の中で見つかった3歳の男児は、森にいる間ずっとクマと一緒だったと話していることが分かった。ケイシー・ハサウェイちゃん(3)は22日、親類宅の庭から姿を消した。大規模な捜索の末、24日に無事発見された。地元捜査当局者が28日、CNNに語ったところによると、ケイシーちゃんは搬送先の救急病院で、それまでどうしていたかを語り出した。森の中に友達がいて、その友達はクマだったと話したという。同当局者によれば、この地域には確かにクマが生息しているものの、その1頭がケイシーちゃんと一緒にいたことを示す証拠はない。だが最初の夜は氷点下まで冷え込み、2日目の夜には50ミリの雨が降る過酷な状況の中で、何かがケイシーちゃんの助けになっていたならよかったと、同当局者は指摘する。(「『クマが一緒にいてくれた』 行方不明の男児を森で発見」CNN.co.jpより) 幼児をさらう「人さらい熊」の話は、戦前の資料等でもたびたび散見される。いずれも人を「喰う」というよりも、むしろ「慈しむ」のが目的としか思えないケースだ。 たとえば大正13年9月2日付の「小樽新聞」は、「巨熊の傍に一夜を明かす」という不思議な事件を報じている。 雨竜(うりゅう)郡幌加内(ほろかない)村二十四線の農業、山田藤太郎の娘ミツ(3歳)が、母親が洗濯に出た留守中、行方不明となり、村中大騒ぎとなった。 手分けして付近の山中を探したが、夜になっても手がかり一つ見つからず、熊にさらわれたのだろうと諦めていた。 熊が子供をつれて、抱いて寝たらしい形跡 ところが翌日の午後3時頃、村人が山林を通行中、子どもの泣き声を耳にする。不思議に思って草むらに分け入って百間ほど進むと、「顔面虫にさされて血にまみれ虫の息となっているミツ」を発見。 その2間先に大きな熊がうずくまっているのを見つけて仰天し、村人はミツを抱え一目散に逃げ出した。ヒグマも驚いたのか、山中深く逃げ込んでしまったという。 『幌加内町史』によれば、「その場所をよく調べてみたところ熊の足跡が一面についており、熊が子供をつれて、抱いて寝たらしい形跡がありありとのこっていた」という。 このヒグマが女児と一緒にいたことは間違いないらしい。当時この事件は大衆誌『キング』にも掲載されて評判になったという。(大正13年9月2日付「小樽新聞」をもとに作成) むしろ赤ん坊を助けようとした ほかにも、次のような事件が報告されている。 ある日、二ッ岩というところで女性が畑仕事をしていた。そこに子供の泣き声が聞こえ、驚いて行ってみると、熊が女性の子どもをさらっていくところだった。 母親は驚いたが、死に物狂いで熊の後を追い、崖を登って熊に追い付いた。 熊は女性の執念に圧倒されたのか、子供を放し、山林の中に姿を消した。子供にはカスリ傷ひとつなかったという。(『北の語り 第二号』北海道口承文芸研究会の「羆見聞記 網走在住 小笠原勇氏」をもとに作成) このヒグマも、赤ん坊に危害を加えるつもりではなかったらしい。むしろ、放置されている赤ん坊を助けようとしたようにも見える。 ヒグマは子どもを育てようとした 次の悲しい事件も、もしかすると「人さらい熊」によるものかもしれない。 大正14年8月13日、北海道の勇払ゆうふつ郡厚真あつま村の中山長蔵の二男清治(6)は、兄(11)、隣家の遊び友達(11)と3人で、マッチ工場付近の小川で遊んでいた。 午後4時頃、急に清治がいなくなったので、兄と友達が急いで帰宅し、大人たちを呼んだ。消防組青年団員などが総出で三日三晩不眠不休で付近を捜索したが、清治は見つからなかった。 「大蛇に呑まれたのではなかろうか」とか、「頭は赤く首から下肢は真っ黒な老狐に連れて行かれたのだ」などと、さまざまな噂うわさが立った。 事件発生から12日後の8月25日、炭焼き人夫が、事件現場から1里(4キロ)も離れた山中で幼児の死体を発見した。 警察と医師が検視をしたところ、死因は餓死で、死後5日と判定された。たった6歳の子どもが山中を4キロもどうやって移動したのか、村人には見当が付かなかったという。 清治は直径3尺もの大きな倒木の側で発見された。下肢には草で擦った傷があり、死に顔は安らかだった。 しかも、着物や帯を枕元に置いてあり、山葡萄を三百匁もんめもそなえ、ふきの葉を敷いてあった。 その様子から、当時の人々は、「老狐のために78日も養われたらしい形跡がないでもない」などと噂しあったという。(「北海タイムス」大正14年8月28日「奇蹟的な幼児の死 深山中で死体発見」より要約) もしかすると、この事件では、ヒグマが男児をさらい育てようとしたが、うまくいかなかったのではないだろうか。 というのも、ギリシャでも次の事件が報告されているのだ。 少女は熊に育てられ、人間性をすっかり失っていた 昭和3年、オリンポス山で名高いウルダー山中で、生後間もない乳児が行方不明になった。大捜索を行ったが、子どもの行方は分からず、熊の餌食になったのだろうとあきらめていた。 9年後、猟師の一隊がとある森で一頭の大きな牝熊を発見し、射殺した。すると、熊の死体の陰から、真っ裸の少女が現れ、歯をむき出して猟師達に飛びかかった。 猟師たちはその子供をなんとか「生け捕り」にして村へ連れ帰ったが、この子供こそ9年前にウルダー山中で消息を絶った乳児だった。 この少女は9年もの間熊に育てられ、人間性をすっかり失っていた。子熊のように唸り声を発し、人間が近づくと爪を立て、歯をむいて飛びかかったという。 彼女はのちにイスタンブールの精神病院に収容され、熊から人間に生まれ変わる日を静かに待っている。(「北海タイムス」昭和12年7月29日「9年間熊と育つ 女ターザン出現 乳呑児時代にさらわれる」を要約) まさに「カマラとアマラ」を彷彿とさせる事件である。 「カマラとアマラ」は、インド東部ベンガル地方ミドナプールの孤児院に引き取られた姉妹で、「狼に育てられた野生児」として知られている。一説には2人は精神疾患だったともされている。 動物が人間の子供を育てることは、母乳の成分が違ったり、行動学的に無理があるなど、生物学的な理由で不可能というのが定説である。 しかしこれらの事件を見る限り、ヒグマが人間の子供を慈しみ、育てようと試みることは、あるのかもしれない。 中山 茂大(なかやま・しげお)ノンフィクション作家・人力社代表/昭和44年、北海道深川市生まれ。日本文藝家協会会員。上智大学在学中、探検部に所属し世界各地を放浪。出版社勤務を経て独立。東京都奥多摩町にて、築100年の古民家をリノベして暮らす一方、千葉県大多喜町に、すべてDIYで建てたキャンプ場「しげキャン」をオープン。主な著書に『ロバと歩いた南米・アンデス紀行』(双葉社)、『ハビビな人々』(文藝春秋)、『笑って! 古民家再生』(山と溪谷社)、『神々の復讐』(講談社)など。北海道の釣り雑誌『North Angler’s』(つり人社)にて「ヒグマ110番」連載中。
プレジデントオンライン 2023/03/14 07:00
「自分を奮い立たせるために」pecoがインスタライブを再開した驚きの理由とは
ryuchell & peco ryuchell & peco
「自分を奮い立たせるために」pecoがインスタライブを再開した驚きの理由とは
最近のpecoさん(インスタグラムより)  現在4歳になる男の子を育てるpeco(ぺこ)さんとryuchell(りゅうちぇる)さん。昨年8月、婚姻関係を解消しましたが、これまで通り3人で「新しい家族の形」を築いていくことを公表しました。本連載では、お二人の日々の育児や家庭について交互に語ってもらっています。今回はpecoさんに、最近再開したインスタライブついて話を聞きました。 *  *  *   最近、インスタライブを再開しました。洗濯ものとか、お皿洗いをしながら配信しています(笑)。  インスタライブは、昔は結構やっていたんです。だけど、最近はやるタイミングがなくて。  息子を学校に預けたら、食器洗いや洗濯、お掃除、買い物に行ったりして。アリソン(愛犬)を飼い始めてからは、1時間ほどお散歩にも行っています。そんな感じで、自分の時間のために少しダラダラとしていたら、あっと言う間に学校のお迎えの時間になっちゃいます。その後は息子と遊んだり、息子のお友達と遊んだりしていると、夕ご飯にお風呂に寝る時間と怒涛のように時間が過ぎますね。  そんな状況でインスタライブはずっとできてなかったんですが、最近、息子が学校に行っているときとか、寝たあとにやり始めました。  きっかけはお皿洗いです。私、お皿洗いが本当に嫌いなんです。インスタライブで話しながらやると、あっという間に終わるからいいんです。   恥ずかしながら、夜のインスタライブでは、ドスッピンで、メガネで登場したりします。スッピン、メガネは嫌だなぁ、と思って躊躇していることもあったんですが、食器を洗う自分を奮い立たせるために、「もういいや」と観念しました(笑)。 「食器洗いが嫌いなら食洗機を買えばいいやん」という声もあります。実は、家に食洗機はあるんです。あるんですが、使いたくないんです。なんかちょっとでもヌルヌルしていたら、許せないんです。洗い残しが嫌で、自分の手しか信用できないんです。 3月3日配信のインスタライブでスッピン・メガネ姿を見せるpecoさん。ファンとの交流を楽しんだ。(一部加工)  やり始めれば、そこまで嫌な感じはないんですが、家事をやっている中で一番「ダルっ」と思ってしまうのが、食器洗い。いつもやり始めるまでに、すごく大変なんです。  おしゃべりするだけのインスタライブは、あんまりやらないです。妊娠する前はよくやっていましたが。例えば、お出かけから帰ってきて、やろうかなと思ったら、やっていました。見てくれている方からのコメントを見ながら、ひたすらしゃべるとか、悩みを聞いたりするとか。インスタライブは皆さんと交流できるところが、めっちゃ好きです。  インスタライブ再開は「自分のお仕事の復帰に向けて動いている?」と思われる方もいたかもしれませんが、そういうわけではありません。  完全に復帰、とか、復帰しない、とかもありません。今も仕事はゼロというわけではないですし、ただ、息子が生まれる前のように毎日バリバリ働くというのは難しいので、いまのようなペースで、やんわりとやっていきたいと思っています。  今でもやらせていただけるお仕事が何かあれば、絶対に今はやりません、ということはないです。やらせてもらうことは普通にあると思いますが、でも、あくまでも私のいまの職業は「主婦」ですね。 「新しい家族のかたち」となったのは、人生で一度あるかないかの経験をしたと思います。それが無駄にならないように、この経験のおかげでさせてもらえる仕事だったり、伝えられることがあったりすれば、嬉しいなと思います。  今は子育てにとても忙しい日々を送っていますが、息子が中学生とか、高校生とかすごく大きくなったときのことをすごく考えることがあるんです。だんだんと親の手を離れていくんだと思いますが、アリソンのほうは年齢を重ねても離れていくわけではないんですよね。  だから、ママとしての役割を長くできるんだろうなと思っています。 (構成/AERA dot.編集部・吉崎洋夫) 80年代のファッションを意識したpecoさん(インスタグラムより)
pecoryuchellぺこりゅうちぇる
dot. 2023/03/12 11:30
ハーバード卒の廣津留すみれが嫌なことに悩まず笑顔でいる秘訣は? 書く習慣で一日の区切りをつける
廣津留すみれ 廣津留すみれ
ハーバード卒の廣津留すみれが嫌なことに悩まず笑顔でいる秘訣は? 書く習慣で一日の区切りをつける
学校や仕事、生活での悩みや疑問。廣津留さんならどう考える?(撮影/吉松伸太郎) 小中高と大分の公立校で学び、米・ハーバード大学、ジュリアード音楽院を卒業・修了したバイオリニストの廣津留すみれさん(29)。その活動は音楽だけにとどまらず、大学の教壇に立ったり、情報番組のコメンテーターを務めたりと、幅広い。「才女」のひと言では片付けられない廣津留さんに、人間関係から教育やキャリアのことまで、さまざまな悩みや疑問を投げかけていくAERA dot.連載。今回は、いつも笑顔でいる廣津留さんに、「人間関係での悩みや嫌な思いをした経験は?」という20代女性からの素朴な疑問に答えてもらった。 * * * Q. いつもニコニコ笑顔の廣津留さんですが、人間関係で悩んだり嫌な思いをしたりしたことはありますか? A. うーん、私は何か嫌なことがあっても、基本的には寝たら忘れるタイプなんですよ(笑)。でも、1回でも嫌な思いをした人とはあまり関わらないようにしたり、何か問題が起こりそうだなと思ったら距離を置いて自分からは深入りしないようにしたりしていますね。あとは、まわりの人に相談してみる。そうすると、嫌だと思っていた相手にも何か事情があることが分かって、仕方ないなと思えることもあります。  ジュリアード音楽院はみんなが音楽でトップを目指しているという環境だけに、学生同士がライバル心を持つことが結構ありました。「あの人の演奏は微妙だったね」とかはまだ良い方で、「あの子性格悪いよね」とか批評ではない悪口のようなことを言う人もいました。私はそういう話が始まるとそっと席を外したり話題を変えたりして、ネガティブな話には乗らないようにしていました。指揮者だって演奏家だって、人間みんな欠点はあるし、自分もそんな風に言われたら嫌だから。ジュリアードの前に通っていたハーバード大では、それぞれが異なる分野を学んでいたこともあり、お互いにリスペクトを持って話すことが当たり前だったので、その頃を思い出してなるべく人の良いところを見つけるようにしていました。 「日記や翌日のTo Doリストを書き、毎日に区切りをつけています」と廣津留さん(撮影/吉松伸太郎)  嫌なことがあっても寝たら忘れる、というのは性格的なものもあるかもしれないけれど、“その日のことはその日のうち”に、毎日に区切りをつけるようにしていることも大きいかもしれません。一日の終わりに日記や明日のTo Doリストを書く習慣も役に立っています。うまくいかないことも日記に書いて記録することで自分の気持ちに整理がつくし、気にしなくていいと思えます。やるべきことがたくさんある……、などプレッシャーを感じてしまうような状況でも、前の日の夜のうちに明日やることを決めてしまえばひとまずその日は落ち着きます。  夜にごはんを食べに行くなど予定が入っているときは、出かける前に翌日のTo Doリストの作成だけは終わらせておく。そうしたら、あとは心置きなく楽しめて、いい息抜きや気分転換の時間になるし、たとえその日に終わらなかったタスクがあっても、翌日のTo Doリストに繰り越しておくだけで「明日やれば大丈夫」って思えます。「実はまだ仕事が残っていて……」なんて一緒にいる相手に言うこともなく済みます。そうやってきちんと区切りをつけることでさっぱりして、また明日、新しい一日を始めようっていう気になるんですよね。 Q. 仕事などどうしても関わらざるをえない相手の場合は、どうすれば……?  A. 難しいけれど、自分が一歩引いて大人になることでしょうか。問題になっている人間関係を心理的にちょっと遠くから見てみて、まずは自分が抱えている悩みや嫌な思いをしている原因を冷静に分析します。相手の行動のせいなのか、それとも自分の捉え方なのか。  もし相手の行動が原因なのだとしたら、人を変えることはできないし、いちいち嫌だなと思っていたらこちらの気も持たないので、「そういう人なんだ」と割り切るしかないと思っています。そういう目線で相手を観察してみると、「この人はこういう表現でしか思ったことを伝えられないんだな」とか「人間の心理って不思議だなぁ」って、どこか観察者のような捉え方になってくるんですよ。そうやって心理学の勉強だと思って対応する(笑)。  一方で、もし自分の捉え方が理由なのだとしたら、頑張って相手のちょっとでも尊敬できるところや良いところを探してみる。例えば「言い方はきついけど、この人仕事が超絶早いんだよなあ」とか。これは人間関係だけでなく、何かしら理不尽な目に遭ったときも同じ。「気難しい上司の手なずけ方を会得した」とか「この難題を克服したからにはもうどんな目にあっても余裕!」とか、何でもいいのでプラスになったことを探してみるといいですよ。そうすると、気持ちがラクになってちょっとは救われるんじゃないかなと思います。 構成/岩本恵美 衣装協力/BEAMS 英語や海外事情、勉強、音楽、学校、これからの日本。気になることをなんでも聞いてみよう(撮影/吉松伸太郎) AERA dot.では、ハーバード大学とジュリアード音楽院を卒業・修了した廣津留すみれさんのライフヒストリーを紹介する連載「廣津留すみれのアタマの中」を掲載。2023年からは「Season 2」として、バイオリニストでありながら、情報番組のコメンテーターや大学の教員など多方面で活躍する廣津留さんが、勉強やキャリア、海外のことなどにまつわるさまざまな悩みや疑問に答えます。 そこで、みなさんからの質問を大募集します! お子さんから学生、大人まで、年齢は問いません。 【こちらから気軽にお寄せください】 例えば…… 「歴史と英単語の暗記のコツを教えて」 「これって今の英語ではなんて言うの?」 「ピアノがなかなか上手くなりません。習い事はいつまで続けたほうがいい?」 「日本に遊びに来た若い外国人を、廣津留さんならどこに案内しますか?」 「英語でプレゼンするときに相手に響くポイントは?」 「今、勉強しておくといいジャンルは何だと思いますか?」 「ずばり、日本の教育を変えられるならどこを変える?」 廣津留すみれさんのファーストCD「メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲+シャコンヌ」
廣津留すみれ
dot. 2023/03/10 08:00
500人を率いる “すご腕”女性実験物理学者52歳の素顔 家では「ダメキャラ」、いつもウジウジ悩んでる
高橋真理子 高橋真理子
500人を率いる “すご腕”女性実験物理学者52歳の素顔 家では「ダメキャラ」、いつもウジウジ悩んでる
ニュートリノビームを作る装置を設置するとき、T2Kチームのメンバーと一緒に装置の前で撮った記念写真=2009年1月、市川温子さん提供   ニュートリノという素粒子の実験では、日本はこの35年間ずっと世界をリードしている。岐阜県飛騨市神岡町に大型装置カミオカンデを造った小柴昌俊さん、それより一まわり大きいスーパーカミオカンデで実験した梶田隆章さんが、どちらもノーベル賞に輝いた。現在、人工的につくったニュートリノビームを茨城県東海村から神岡町に向けて飛ばす「T2K実験」(Tは東海村、2は英語のto、Kは神岡を表す)が進行中である。実験チームには現在、14カ国から500人を超す研究者が集まる。  この大所帯の代表を務めるのが、実験物理学者の市川温子さんだ。京都大学准教授を経て2020年から東北大学教授。夫は東海村にある大強度陽子加速器施設J-PARCで働く加速器の研究者、一人娘は高校3年生だ。子育ては「旦那さんががんばった」、家では「いろんなことができないダメキャラ(ダメなキャラクター)」だそうだが、仕事では新しいニュートリノ実験プロジェクトを自ら中心になって立ち上げようと奮闘中である。目指すは物理学の根本に横たわる難問の解決だ。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子) *  * *――500人といえば、1学年2クラスの小学校の全校生徒数より多い。社員が500人いれば、立派な大企業です。それだけの人数を束ねていらっしゃるんですね。  代表に選ばれたのは4年前です。メンバーのうち日本人は100人ぐらいですが、装置が日本にあるので、実験代表は日本人と日本人以外が共同で務めるルールになっています。選定委員会が候補者を決めて、可否投票をメンバー全員でします。  物理学の世界ではいろいろな実験プロジェクトがあって、どれにどのくらい時間を割くかは人それぞれなんですけど、私は博士号をとって以降ずっとT2K実験に集中してきました。だから、そろそろ代表かなとは思っていました。私と一緒に共同代表を務めているのはスイスにいるスペイン人物理学者です。 ――代表の任務って、どういうものなんですか?  いっぱい決めなきゃならないことが出てくるんですよ。みんなの意見を聞いて、最終決断をするのが仕事ですね。それに、うまくいっていないところがあったら、どうしたらうまくいくのか考える。 ミーティングで講演する市川温子さん=2013年1月9日、市川温子さん提供  ミーティングは北米と欧州をつないでやるので、開始が夜の10時か11時なんです。忙しいときは毎日、そうじゃないときは週に2回か3回やっています。 ――大変ですね。英語でやるんですよね。  聞き取れないことはしょっちゅうあるんだけど、それは「what?」って聞き直せばいい。日本にある施設で研究する外国人は日本人に慣れているので、聞き直すのは全く恥ずかしくないし、日本人にわかるようにしゃべらないほうが悪いってみんな思っているから、とくに困らないです。 ――私は東海村のJ-PARCを見学したことがありますが、加速器も巨大だし、ニュートリノ実験用の装置も大きなものでした。これを造ったんですか?  はい。加速器から出てくる陽子を炭素にぶつけてニュートリノビームをつくり出すという装置を、(日本の素粒子実験の中心地である)茨城県つくば市の高エネルギー加速器研究機構(KEK)で共同研究者たちと一緒に設計・開発して、東海村に設置しました。京大で博士号を取得した後に始めて、KEK助手時代はこれにかかりきり。ヘルメットをかぶって作業着を着て機械の下に這いつくばっていた。 ――お生まれは愛知県一宮市ですね。  家は毛織物工場で、一日中大きな機械がガッシャンガッシャン動いていました。私は子どものころから覚えるのが本当に苦手で、融通がきかないというか、興味のないことはやれない。夏休み、冬休みの宿題が全然できないんですよ。いわゆる成績優秀者に入ったことはなかった。  ただ、数学と物理だけは覚えなくても解けたので楽しかったし、難しい問題ほど一生懸命やりました。5歳違いの兄が京大理学部に進んで、家にカール・セーガンの『コスモス』や相対論の本なんかがあったので、物理をやりたいと思うようになり、1浪して京大に入りました。  でも、1年生のゴールデンウィーク明けくらいから大学にほとんど行けなくなった。コンビニでバイトだけはしていましたが、自分を怠け者だと思って、つらかった。だいたい私はいつもウジウジしていて、私の人生に迷いがない時期なんてないんです。  学部時代は1年生のときが暗黒時代で4年生になるまでに少しずつエンジンがかかった感じ。何となく実験が面白そうだと思えて、物理の大学院に進みました。  親は早く就職してほしかったんだと思います。「そんなに勉強してどうするの?」みたいなことはよく聞かれた。こちらも、将来、研究者になろうとか、なれるとか、思っていたわけではありません。 ――大学院はどうでしたか?  つらかった。研究室で、私の参加する研究を手伝う助手の方はいなかったんです。教授はテーマをくれて「つくばに行って実験してこい」って言うだけ。「原子核の性質を調べるための検出器を開発する」という実験なんですが、期限までにできないんです。やってもやっても間に合わない。何とか先輩たちに助けてもらって修論を書きましたが、審査員の先生にはボロクソに言われ……。それでも博士課程に進み、修士で始めた実験を続けました。  博士課程って、普通は3年なんですけど、私は5年かかった。最低限の結果が出るまでにそれだけかかったんです。やっているときは、ずーっとつらかったです。楽しむ余裕は全くなかった。でも、振り返ると楽しかったんですね。先生が放置主義だったのが、私には合っていた。先生のお陰で「自分で何とかしなくちゃいけない」ということをすごく学びました。  学生を指導する立場になってみると、博士号を取った人の中でも「自分で何とかする人」って少ない。そういう人を育てるという意味で私の先生は偉かったと思いますし、多分そのお陰で私はずっとやってこられたんだと思います。 ――博士課程の最後のころに研究対象を変えたんですね?  このころもウジウジと悩んでいたんです。博士号をとってからどういう研究をするか、本当に自分が打ち込める面白いプロジェクトは何なのか、と。隣の研究室に西川公一郎さんという世界で初めて加速器を使ったニュートリノ実験を始めた人がいたので、ある日、話を聞きにいったんです。「まだ面白いこと何か残っているんですか」って。そうしたら西川さんが「CP対称性の破れだよ、これからは」って。私は「ウワーッ、これだ」ってなった。そういう単純な、わかりやすいものを目標にするのが性に合っていた。 市川温子さん ――単純といっても、説明するの難しいですよ。  難しいですけど、でもまあ、単純なんですよ。 ――物質には必ず反物質があって、宇宙誕生のころ両者は同量だったのに今の世界はほとんど物質ばかり。それは、物質と反物質の対称性が破れているからだと考えられており、それを「CP対称性の破れ」と呼ぶ。しかし、実験で見つかっているCP対称性の破れはわずかなもので、これでは現状を説明できず、物理学の根本に横たわる大きな謎となっている。きっとどこかでもっと大きな破れが見つかるはず、それはニュートリノで見つかるのではないか、ということですよね。  そうですね。ニュートリノ実験は、それまでやっていた原子核実験と手法としてはあまり変わらなくて、実験としてはどっちも楽しいんです。だけど、目標はこういう大きな話がいいと思った。私、ずっと将来が不安でしたけど、自分の中には「自分はできる人なんじゃないか」という思いもあった。同僚やスタッフと話していて、「自分のほうが深いところまで物理を理解している」と思うときもあったので。  私が大学院を終えるころ東海村でJ-PARCの建設が始まったんですが、ここにニュートリノ実験施設を造るかどうかはまだ決まっていなかった。これは私がいないとダメな状態にできるなって思いました。 ――2001年に博士課程を修了して、2002年7月にKEKの助手に。  博士号取得後から、ポスドクとしてニュートリノ実験で働いていました。ひたすら施設の建設をやりました。仕事は大変だったけれど、助手になるちょっと前ぐらいから大変さというか、ウジウジする自分を楽しむようになってきました。 ――そして2007年に京大の准教授に就任された。  西川さんが京大からKEKに移って、後任のリーダーになった中家剛さんから京大に来てほしいと声がかかった。でも、まだ子どもが1歳か2歳のときで、「無理だ」と言って一度は断ったんです。 日立シビックセンターのプラネタリウムを訪れた一家3人=2012年7月15日、市川温子さん提供 ――いつ結婚されたんですか?  最初に言ったように私は記憶力がないので覚えていないんですが、たぶん2001年ですね。 ――どういうきっかけで?  いや、別にそろそろもういいんじゃないかっていうことで。修士のころからの同級生です。大学院はすごくつらい日々だったんですけど、それでも何とか続けられたのは彼がいたからというのはあると思います。私に限らず大学院生って割と不安定な状況で、この道でいいのかってみんな悩むところで、そういうとき、励まし合える人がいるというのは大きいと思います。  長女が生まれたのは、いま18歳なので逆算すると、う~んと2014年、いや違う、2004年12月ですね。 ――彼もKEKにいたんですか?  ちょこっとはいたけど、そのころはもう日本原子力研究所(原研、その後2005年に日本原子力研究開発機構に改組)に就職して、J-PARCの加速器の研究開発をやっていました。 ――J-PARCは、KEKと原研が協力して造った大型加速器施設ですからね。  最初に京大の話をもらったときはつくば市に住んでいて、とても無理だと思ったんですけれど、7年間、施設の建設をやってきて、そろそろちょっと違う研究スタイルにしたいという気持ちはあった。中家さんから「やってみてダメなら戻ればいいじゃない」と言われ、さらに「最初の1、2年は大学の仕事を減らしてできるだけつくばにいられるようにするから」と言ってもらって。実際、どこに所属しようとニュートリノ実験をするにはつくば市や東海村でやる仕事が結構多いんです。 ――旦那さんは何と? 「いいよ。子どもの面倒は俺がみるわ」って。子どもが生まれたときから育児は半々でやってました。うちの旦那さんは偉いです。めちゃくちゃ偉いです。そのうち旦那さんの仕事の拠点が東海村になったので東海村に引っ越しました。 ――どのくらいの頻度で京都に?  最初の1年は2週間に1度、1泊するぐらいで、アパートを借りるのももったいないんで、大学の会議室の片隅に簡易ベッドを広げて寝ていました。その後はだんだん京都にいる時間が増えて、週の後半は京都にいて、そこに授業とか実習とか全部集めていました。 ――先生として京大生と付き合うことになって、どうでした?  若いころは自分自身の中に「女でやっていけるのか」みたいな気持ちはあった。なんか、想像がつかなかったんですよ。女性研究者の下に学生が来てくれるのか、とか。自分の偏見だったと思います。実際の学生さんは「女だから」みたいに見ることは全然なかったですね。女だからなめる、みたいなこともなかったし。若い世代だからなのか、そもそも元々そんなふうなのか、わからないですけど。 ――なるほど、困ることはとくになかったわけですね。  そうですね。毎週、行ったり来たりするのが体力的にきつかったですけど。旦那さんは私がいない間はワンオペで育児していたので、それは大変だったと思います。  育児をしていると家で自分の時間がとれないので、私は最初のころは移動時間にゆっくり考え事ができてリフレッシュになっていた。でも、片道6時間の通勤がだんだんしんどくなって、10年超えたあたりからうんざりしてきました。 ――結局、京都との往復を13年続けたんですね。そして、東北大教授になられて、今度は仙台との往復になった。  片道3~4時間程度になりました。東海道線と常磐線では車窓の景色がすごく違っていて、私は常磐線の景色が好きです。すごくのどかで、ちょっと寂しい感じもするところがいい。 ――それでも、体力的に大変そうです。ずっと遠距離通勤を続けるパワーはすごいですね。振り返って、子育てはいかがでした?  うーん、とにかく旦那さんががんばって、私は語る資格がないかな。高校は毎日お弁当がいるんですが、旦那さんが作ったんです。私は実験代表になって深夜のミーティングをするようになったので、朝6時に起きられない。家ではいろんなことができない「ダメキャラ」で、娘からもお父さんからも当てにされていないです。でも、娘は娘なりに、仕事をがんばっている私をすごく理解してくれている。  やっぱり、苦労があったというよりも面白かったですね。子どもは自分と似ているところと似ていないところがあって、面白い。 娘とは仲良し親子だ。仕事場にもよく連れて行った=2015年10月14日、東海村のKEK東海キャンパス、市川温子さん提供 ――お嬢さんは理科系ですか?  いや、文系にいっちゃいました。子どものころ、楽しそうな図鑑を一生懸命そろえて、それを楽しそうに見ていたから、理系にいってくれるかなと思っていたんですが……。何で文系なのって聞いたら、古い歴史とか文化に興味があるって言われた。「そんな食っていけそうにないものを」っていう言葉がのど元まで出かかったんですが、ぐっとこらえた。私の親の気持ちがこのときわかりました(笑)。 ――実験代表はいつまで?  たぶん、2期4年やったら交代です。代表を外れたら、自分のプロジェクトとして立ち上げている別の実験にもっと力を入れたい。ニュートリノと反ニュートリノは同じ粒子なのかっていう大問題があって、それを解くための実験です。T2Kは大きな実験プロジェクトに入っていったっていう感じがあるんですけど、こちらは自分のプロジェクトとしてがんばっています。あと、他にもやりたい研究があります。その内容は恥ずかしくてまだ言えないけれど、でもやりたくて、相変わらずウジウジ悩んでいます。 市川温子さん ――実験はチームでやるんですよね。人集めには苦労しないんですか?  苦労してます、苦労してます。プロジェクトが大きくなって大きな船になると、人は集まってくるんですけれど、うまくいくかどうかわからないプロジェクトにはなかなか集まってこない。規模が大きいので、いくつかの研究室が集まらないとできないんですが、まだ集められていない。 ――大変さはそういうところにもあるわけですね。  そうですね。ただ、この業界、つまり素粒子実験をやる人たちは必ず多人数の共同研究をするので、互いに助け合う風土みたいなものがある。私は周りにいた研究者から裏で相当サポートしてもらいました。その人たちの影響を受けて、いろんな仕事を引き受けてもきました。  日本では、この業界に女性が少ないですけれど、世界ではもう半分ぐらい女性じゃないかな。日本中にうちの旦那さんみたいな男の人が増えればいいと思います。 市川温子(いちかわ・あつこ)/1970年、愛知県一宮市生まれ。京都大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了、理学博士(京都大学)。高エネルギー加速器研究機構助手、京都大学准教授を経て2020年から東北大学教授。専門は素粒子実験。世界から500人以上が参加する大型国際実験プロジェクトT2K実験の代表を2019年から務める。優れた女性研究者をたたえる「猿橋賞」を2020年に受賞。
ニュートリノ京大実験物理学者東北大
dot. 2023/03/07 17:00
若きSAM、CHARAとの接点や暴走族との交流も 元「東京ボンバーズ」小泉博が回顧
若きSAM、CHARAとの接点や暴走族との交流も 元「東京ボンバーズ」小泉博が回顧
小泉の仲間たちと田宮の集合写真  1970年代、ブームを巻き起こしながらもはかなく消えたローラーゲームチーム「東京ボンバーズ」。スター選手だった小泉博さんは、失意の中であらたな出会いを得て、エンタメ界を陰で支える存在へ成長していく──。短期集中連載「日本を明るくした男」では、ノンフィクションライターの渡辺勘郎さんが彼の人生を追った。 *  *  *  東京ボンバーズが解散してしまい、途方に暮れた、という小泉博。  ローラーゲームの実況をしていたアナウンサーの土居まさるが「うちの事務所でタレントとして活動しながら、好きなローラーゲームをやればいい」と声をかけてくれたというが、「タレントになりたくてやってた訳じゃないので」と断った。  そして最初にやったのが、筑波大学構内の現場に職人を運ぶ運転手の仕事。お昼時、作業着を脱いで自分が着ているボンバーズのTシャツやトレーナーが目に入る度、こんなふうにさせちゃダメだ、仲間たちにちゃんと飯を食わせられるようにしなきゃ、と思った。 「僕は上の人にたくさん可愛がってもらったから、今度は僕が稼いで、下の連中には、僕がしてもらったようにしてあげよう」  雌伏のときの、こんな思いが、その後の彼の生き方に反映されていく。  心配した小泉の母がボンバーズ時代の先輩の若松雅俊に相談したこともあり、若松は自分が勤める会社で運転手の仕事を紹介してくれた。この会社に、元東京ビートルズのドラマーがいて、小泉は早速、「もったいない。カントリーミュージックやれよ」と誘われたが、「芸能がやりたい訳じゃない」と、ここでも表舞台への誘いを断った。ライブハウスまでドラムを運ぶのを手伝い、ミッキー・カーチスから革ジャンをもらったこともあったが、気持ちは変わらなかった。  この会社で働き出して1年した頃、小泉は若松に相談した。 「ローラーゲームをやってほしいと手紙がくるんですけど、どうしたらいいですかね?」  若松は、こう言った。 田宮二郎 「違う名前でゲームを作ろうぜ。仲間はいるんだから」  そこで小泉がこだわったのは“リアル”スポーツ。ローラーゲーム時代、「八百長だ」「やらせだ」と言われて苦しかったからで、スポーツ性を重視したい、と考えた。  そして誕生したのがスクランブルローラー。アメフトの楕円のボールを使い、ローラースケートを履いてやるハンドボールのような競技で、楕円のボールには、どう跳ねるかわからないから八百長を疑われる余地がない、という意味もあった。 「高い技術を持った者同士なら、あ・うんの呼吸で動いて披露できるレベルの高いパフォーマンスがある。ストーリーを作らなくても魅せることはできる、ということで、観客の興奮度を高めるために技術を追求し、進化したかった。それこそエンターテインメントでしょ」  練習は週2回、夜に原宿の代々木公園内で行った。そして……同じ原宿が舞台だったテレビドラマ「白い荒野」で主演した田宮二郎が、彼らが滑っているのを見て「カッコいい」と思ったそうで、「タイトルバックで映るシーンとして撮影させてほしい」と打診があった。小泉は当初、乗り気でなかったが、仲間たちが「出たい」というので引き受けた。 「田宮さんは撮影が終わったあとも寄ってくれて、『頑張ってるね』と声をかけて頂きました。その翌年ですよ、自殺されてしまったのは……」 田宮二郎からのサイン  一期一会。田宮のお陰で、ローラースケートの映像が多くの業界関係者の目に留まり、小泉の人生は急展開していくことになる。縁遠くなっていた後楽園に顔を出せるようになった。 「スクランブルローラーのデモンストレーションをしたいというので、78年から、営業中の15分くらいの休憩タイムに試合をしてもらいました」 ■演劇・ドラマに次々と演出協力  というのは、後楽園ローラースケート場の当時の主任・小林澄夫。彼は元ローラーホッケー日本代表選手。ローラーゲームのことは最初、ショー的な要素がかなり強いから日本人の気質に合わないのでは、と冷ややかな目で見ていたという。 スクランブルローラーでシュートする小泉(後ろ姿) 「人気が出て、凄いな、と思っていました。小泉さんと最初にお会いしたときは、ラテン系の2世かな、と思いましたよ。それほど熱い人でした(笑)。スクランブルローラーはボールを使うことでわかりやすくスポーツ性が増していて、ショーをスポーツに、という小泉さんの気持ちが感じられました」  翌年、新展開があった。まず、人気劇団の東京キッドブラザースが「オリーブの枝」という演目にローラースケートを取り入れたいと、指導と演出の協力を求めてきた。小泉は会社の仕事後に稽古場に通い、スクランブルの仲間にも手伝ってもらって、帰りに皆にご馳走した。 「オリーブの枝」は、斬新な舞台、と演劇界で評価され、続いて古谷一行主演で熊谷美由紀のデビュー作品だった角川映画「金田一耕助の冒険」への協力依頼がきた。大林宣彦監督から誘われたのだ。この映画の中で、古谷演じる金田一はローラースケート姿を披露。金田一を襲う集団として、スクランブルの仲間も出演機会を得た。  さらに田中健と岡田奈々主演で8割がローラースケート・シーンという東映映画「暴力戦士」にも協力し、石坂浩二の劇団にも協力した。  演出“される”側から“する”側に回った小泉は、その現場経験をどんどん重ねていった。  同じ頃、タイガー森たちが、バンクも自分たちで作って大田区体育館でローラーゲームの復活興行を催した。それを小泉はスクランブルローラーの仲間と観に行き、仲間たちから「バンクで滑りたい」と言われた。 「僕もそうさせてやりたいと思ったし、同時に、やっぱり日米対抗だ、アメリカの選手を呼びたい、と思ったんです」  小泉は、しばらくして森に、バンクを譲ってもらえないかと頼みに行った。実は小泉はその興行のとき「一緒に滑らないか」と誘われていたのに、スクランブルの活動を第一に考えて断っていた。そんな経緯があったので、なかなか森は首を縦に振らない。何度も頼み、ようやく100万円で譲ってもらえることになり、2人の兄から50万円ずつ借りてバンクを買うのだが、これがまた、新たな展開につながっていく。  小泉の実家から近いレジャーランド平和島のプールは冬場、ローラースケート場になるので、そこに半年間、バンクを置かせてもらうことになった。そこに沖縄でローラースケート場を経営する会社の東京支社長がやってきて、「ローラーゲームの小泉さんですね。アドバイザーをしていただけませんか」というのだ。  当時、ブームが去ったボウリング場を改装する形で、ローラースケート場が全国で増え始めていた。音楽をガンガンかけ、ネオンがギラギラのローラーディスコというもので、その第1号が、彼らが経営する沖縄の那覇ローラースケートランド。小泉は、そのアドバイザーとなり、スケートも教えた。それが79年のこと。同じ年に発売されて全世界で話題になったソニーのウォークマンのキャンペーンが、このローラーディスコで行われた。小泉の人生は、あちこちで、時代を象徴する出来事と絡む。 ■新支配人として若者たちに影響  好事魔多しというが、81年、スクランブルローラーで事故が起きてしまう。ある選手のヘルメットが飛んでしまい、頭から出血する重傷を負ったのだ。責任を感じた小泉は彼が回復するまでの約2年、スクランブルローラー活動を自粛し、治療費と生活費とアパート代も支払い、送り迎えはもちろん、土日には家の手伝いにも行った。  同じ頃、東京都板橋区志村にローラーインTОKYО(以下RIT)というローラースケート場がオープンした。ローラーディスコの第2号となる店は、かつての東京ボンバーズの練習場から2キロも離れていなかった。その経営者が代わり、支配人を紹介してほしい、と相談された後楽園が送り込んだのが小泉だった。 「君だったら我々の考えを理解しているから、君に支配人になってもらって、敵対せず、共にファンを増やしていこう、と言われたんです」  小泉は、まず原宿のスクランブルローラー仲間を呼び、華のあるスケート場にした。自らスケート指導もし、ディスコ調の音楽をガンガンかけた。 「ローラースケート場の真ん中でライブをしてもらったり、ブレイクダンスの集団・Be Bоp Crewを呼んで踊ってもらったこともあり、その中に後のTRFとなるSAMがいました。高校のバトン部の発表の場として提供したこともあり、その中に、ローラースケートを履いてマドンナを踊り、歌いたい、という女の子がいて、それが後のCHARAでした」  一方で、地方で出会った才能のある子をRITに来ないかと誘い、やってきた彼に「本気でスピードスケートをやらないか。アマチュアの選手権に出て、世界大会に行け」と言い、その後、ムラサキスポーツに就職させた。 「ムラサキで売っている商品を使い、ムラサキに遠征費を出してもらって……彼は全日本500メートルのチャンピオンになりました」  どのスポーツでも聞く課題だが、有望な素材がいても、競技を続けられる環境がなければ才能を伸ばすことができない。小泉の方針は明快だった。 「スケーターとして、ちゃんとギャラをもらって食べていけるようにする、ということ。それは僕がかつて得られなかったことで、それをベースに考えるということです」  小泉は「近所の学校に先制攻撃もしました」と笑う。RITの近くは夏休みになると暴走族が多くなる地域だそうで、学校側が、遊技場に行ってはいけない、という前に「ウチに来ているそちらの学校の生徒さんなんですが、態度が悪いんです。そういう生徒を来させないでほしいのですが」と伝えたのだ。学校側から一方的に不健全だとレッテルを貼られる前に、健全にやっています、とアピールしたのである。  小泉が振り返った暴走族とのエピソードには驚いた。 ■ルール違反には反省文300回  かつての東京ボンバーズの練習場の隣には作業員の宿舎があり、そこで生まれ育った子供は選手たちと交流があった。その中の一人が暴走族のリーダーになり、RITのそばでたむろしていたという。小泉は、彼に声をかけた。 「おい、スケート場に入れよ。お前、好きだったじゃないか。滑ろうぜ」 「俺は滑れるけど、コイツらはどうかな」 「いいから入れろ。滑ってみろ。教えてやろう」  スケート場に「入れ」と言うと皆、エンジンを切ったそうで、それを小泉は「かわいいでしょ」と言って笑う。  彼らは「ローラースケート、面白ぇ」と言って大騒ぎになったという。 「だろ。面白いから、皆、ココに来るんだよ」  そこで小泉は埼玉県から来た暴走族の話をして、 「お前たち、ココを守れよ」と言うと「守るよ!」。 「でも、喧嘩はするなよ、自分が傷付くんだから」  RITに通い、以来ずっと小泉を見続けてきた人たちに話を聞いた。 「僕は当時、東京都北区の高校1年生。友人に誘われてRITのローラーダンスコンテストを観に行ったのが最初で、以来、入りびたりになりました。  ローラーダンスの技術の教科書がなかった頃で、見て盗め、という感じでしたが、和気あいあいとしていた。小泉さんはインストラクターとしていつも現場にいて、DJをすることもあって、お客さんを楽しませるために色々なことをするんです。  たとえば『これから“メチャぶつけ”やりま~す』。ローラースケートを履いた状態のお客さん全員が対象で、柔らかいボールを投げつけ、キャッチできたらセーフ。当てられたらリンクから出る、というルールで、勝ち残るとフライドポテトチケットがもらえます、と。これは盛り上がった(笑)」(Yuuki・映像制作プロデューサー) 「小泉さんはお客さんにも厳しかった。中学生がリンクに居られるのは18時までで、それ以降もたむろしていると一発で出禁。それで『反省文を持ってこい』。それは“今後は規則正しく生活します”という一文を300回書いてこい、ってことで、筆跡が変わる(代筆)とダメ。ゴミ袋を渡して『空き缶を100個拾ってこい』ですよ。で、100個拾ってきたら『今日はいいぞ』(笑)」(村上仁。ムラサキスポーツ勤務) 「弱冠24歳で支配人としてやってきた彼は人を集めるために地域のバイク店の協賛でバイク10台が当たる抽選会とか、松茸ごはん食べ放題とか、様々な企画を次から次に考えていました。元有名人なのにお高くとまっているところがなく、損得抜きで相手に尽くす面倒見の良さで、愛があるんです」(RITを活動拠点としてスタートし、40年の付き合いになる志村ローラークラブの木下廣監督) (文中敬称略。次号へ続く)※週刊朝日  2023年3月10日号
小泉博東京ボンバーズ
週刊朝日 2023/03/07 17:00
「野球選手の妻なんだから…と厳しい意見も」板野友美がブランド経営で挑む“働く母の壁”
「野球選手の妻なんだから…と厳しい意見も」板野友美がブランド経営で挑む“働く母の壁”
板野友美さん(撮影/写真映像部・高橋奈緒)  結婚、出産を経て、2022年に自身のライフスタイルブランドの新会社を設立し、経営者としてもスタートを切った板野友美さん(31)。夫は今年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選ばれた東京ヤクルトスワローズの高橋奎二投手。手料理で家族の健康を守りつつ、「妻だからとバッググラウンドに囚われて、好きなことを諦めて後悔したくない」と仕事と子育ての両立に奮闘している。自身と同じく子育て中で、地方に住むデザイナーを採用するなど、多様な働き方も取り入れる思いとは。  *  *  * ――出産後、芸能活動を続けながら、自身のライフスタイルブランドを立ち上げています。どんな生活ですか? 産後1カ月半で徐々に仕事に復帰して、娘が1歳になった今は週3~4日、1日6~7時間を仕事の時間と決めています。でも娘を寝かしつけた後、夜10時~2時ぐらいまで家でできる仕事をやってしまうこともあって……。夜間授乳もあるので睡眠時間は細切れで4、5時間ぐらい。 昼前にベビーシッターさんにタッチして仕事に行き、夕方6時半にスーパーに寄って帰ります。旦那さんが帰宅していたら娘を見てもらっている間に夕飯を作り、お風呂に入れて寝かしつけですね。土日は基本的に家族の日にしています。 楽しいから倒れずにやれていますが、結局、そうしないと会社が回らないんですよね……。働くときは働く、子どもといるときは子どもと向き合って、短くてもギュッと密に時間を使うようにしています。 母娘でお揃い水着コーデ(本人のSNSより) ――子育てのモットーや家族と過ごすときに決めていることは。 旦那さんの栄養管理は妻としてやらなきゃいけないと決めていて、どんなに仕事が忙しくても旦那さんと娘の食事は作ります。それは母から「ご飯はちゃんと作るもの」とずっと言われてきて、私も食べることが好きだし、家に帰ったら温かい食事があったから私も芸能生活を頑張れたという経験があるので。 結婚した時に、アスリートフードマイスターの資格を取りたいなと思っていた時期もあったのですが、旦那さんは好き嫌いが多いのでやめました(笑)。決められた通りにやるより、自分達らしく、好きな料理の中で少しずつ野菜を増やして、栄養バランス良く食べられるようにしていく方がいいかなと。もちろん栄養士の方にも相談して、今の食事で大丈夫と言ってもらっています。 板野友美さん(撮影/写真映像部・高橋奈緒) ――普段の料理の写真を見ると、品数も多いですよね。 明太子とかを1品に数えちゃうと(笑)、6~7品。シーズン中は昼ご飯を球場で食べるので夜だけ、シーズンオフだと昼も夜も作ります。 芸能の仕事も会社の経営もやっていて、子育てもしていると、結局はそれだけに100%集中できる人には勝てないと思う。それでも中途半端にしたくないなっていう気持ちがあります。負けず嫌いなんですよね。手が抜けない。一緒に働いている方たちに「子育て中だからあまり仕事ができないのかな」と思われたくないので、自分の時間を削ってでも真剣にやりたいですし、だからこそ達成感もすごくあります。 ――ライフスタイルブランド「Rosy luce」を始めた理由は。 コロナ禍で娘を妊娠して、旦那さんも遠征があったりするので、(妊娠期間の)10カ月のうち半分以上を家で1人で過ごしていました。スーパーに行くのも避けるような生活で、ちょっと不安になったり気持ちが落ち込んだ時、ファッション雑誌を読んだりメイクをしたりすると、すごく気分が上がったんですよね。 それまでは、お仕事で人に見せるためにメイクをしたり、着飾ったりすることが多かったんですが、女性にとってメイクやファッションって自分自身を勇気づけてくれたり気持ちを上げてくれるものなんだと、すごく感じました。 私はもともと花が好きなので、女性を花に例えてブランドのコンセプトをつくりました。女性は男性よりも選択肢が多いからこそ、人と比べて悩んだり、今まで一緒に歩んできた友達とタイミングによって共感できることが少なくなってしまったり、フェーズが変わってしまうことも少なくないと思うんですが、自分で自分を大切にして、水や肥料をあげていればそれぞれのタイミングで花開いていく。咲く時期も色も形もさまざまでそれぞれが美しい、そういう思いを込めて花柄や花のモチーフを多く使っています。女性をエンパワーメントするようなプロダクトや言葉を届けたいと思っています。 夫婦2人で笑顔で入籍を報告(本人のSNSより) ――10代からアイドルとして活躍されてきて、仕事と結婚・出産のタイミングなど自身の悩みも原点にあったのでしょうか。 そうですね。母も祖母も30歳で子どもを産んでいるので、「30歳で私も!」という意識は幼いころからあって、でも仕事もすごく好きなので、結婚のタイミングや自分のキャリア、仕事と結婚のどっちを取るかという悩みはありました。 今も疑問に思っているのは、10代、20代の頃は周りの大人たちに「やりたいことは?」「好きなことを見つけなさい」と言われて、みんな頑張って勉強したり、いい大学を目指したり、働くことをイメージしますよね。私も頑張って芸能界でキャリアを重ねてきました。 それなのに年を重ねていくと、いつからか女性だけが「結婚するか仕事するか」どちらを優先するのかを考えたり、周りからも「そろそろ子どもは?」「いい人いないの?」と心配されたり期待されたりします。そんな時にやはり今まで積み上げてきた仕事をどうしていくべきか、なかなか答えを出せず……。男性みたいにどっちも選択できたらいいんですが、どうしても出産の期間は休業しなきゃいけないし、子どもの預け先が見つからなかったり高額だったりして、すぐには仕事復帰が難しく、結局キャリアを諦めたり、自分の立ち位置を誰かに譲らなきゃいけなかったりする場合も少なくないです。 私も出産前は「結婚しても子どもが産まれても仕事したい!」って軽く言っていたのですが、思っていたより何倍もパワーが必要でしたし、そのギャップに悩んでいる方もすごく多いんじゃないかと思うようになりました。仕事を続ければ「子どもがかわいそう」と言われることもあるし、すごく複雑。正直、まだまだ男女平等ではないのかなと感じる場面も多いです。 私が、妊娠が分かったときにライフスタイルブランドを立ち上げ、出産後すぐにスキンケアブランドを始めたのも、女性だって結婚も出産もやりたい仕事も夢も全部選択してもいいという考え方が広がるといいなと思うからです。考え方が変われば、保育園やベビーシッターが使いやすくなったり、男性も育児に参加できるようになったりするかもしれない。女性がやりたいことを犠牲にしない社会になってほしいですし、社会全体で子育てができて助けてもらえるといい。これって少子化問題にも関わってくると思います。 家族3人の様子(本人のSNSより) 私が仕事をしていることに対して、「プロ野球選手の妻なんだから、もっと家で旦那さんを支えた方がいい」と厳しい意見をいただくこともありますが、もっと長い目で考えると、いつか旦那さんが選手を引退するときに私が働いていた方が支えられるんじゃないかなとも思います。それは経済的にも、精神的にも、ですね。 ――自社内の働き方はどうしていますか。 地方在住で小さなお子さんを子育て中の女性のデザイナーさんとは、打ち合わせはすべてオンラインにしています。私がSNSで作品を見かけて素敵だなと思い、自分でアポイントを取って仕事をお願いするようになったのですが、詳しく話を聞くと彼女も結婚前はバリバリ働いていて、転勤族の旦那さんとの結婚を機に仕事を辞めていて、「自分って何なんだろう」と考えた時期もあったそうです。 一緒に働くスタッフは、今は独身の子が多いので、勤務時間は夕方18:30までにしていますが、今後は20代で積み重ねてきたキャリアと子育てを両立できたり、女性が働きやすい、多様な働き方ができる企業を目指してベース作りをしていきたいです。もちろん経営者として、成果とどうバランスをとっていくかも考えたいです。 板野友美さん(撮影/写真映像部・高橋奈緒) ――忙しくて心身ともに疲れてしまったり、悩みを抱えたりすることもありますか。 会社を経営しているとショックなことや、いきなり起きてしまう出来事も多いので、一喜一憂していられないです。どうやって問題解決していくか考えて、すぐに意思決定していかなきゃ務まらないので、引きずらなくなったのかもしれません。仕事もあって、旦那さんとの時間も娘との時間もあるから、切り替えができて良いバランスなのかな。 それでも精神的に疲れたときは、まず寝ますね。悩みやモヤモヤしていることがあれば、その日のうちにマネージャーさんや会社のスタッフに話して、アドバイスを聞きながら自分の頭を整理します。私が弱音を吐いても、周りに心配をかけてしまったり皆を振り回してしまうだけですし、会社のスタッフの皆がいつも前向きで意欲的なので私もその姿勢に励まされることも多いです。やってもどうにもならなかったことはきっぱり諦めたり、一時停止させたり。ぐるぐる考えることはしないです。これは芸能生活で身に付けた「切り替え」ですね。 板野友美さん(撮影/写真映像部・高橋奈緒) ――仕事と家庭を回していくためには、自分にかける時間はすごく短くなってしまいますよね。 そうですね。以前は仕事の一部みたいな感じで、月2、3回は美容室に行き、週1でマッサージに通っていたんですが、今は休みがあれば進めておきたい仕事をやったりするので、美容室も月1ぐらい。マッサージも3カ月は行っていないですし、ジムにも行けていないです。でも食事に気を付けてセルフケアしていると、意外と体型はキープできています。そんなに行く必要なかったのかも(笑)。 でも我慢して後悔したり、それで家族や娘に当たったり仕事のせいにしたりしたくないので、ストレスは溜めないように睡眠時間を削ってでも行くこともあります。ちゃんと消化しているので、毎日ハッピーです! ――出産を経て、一般的には「ママタレ」と呼ばれることになりますが、どう感じますか。 独身時代にそれぞれ好きな世界観を発信していて、子どもを産むとひとくくりに「ママタレ」になってしまうのはもったいないなと思いますね。子どもができて変わるのは素敵なことだと思うのですが、全てを子ども色に染め本来の自分を失うのではなくて、ママという面も持ちながら、今までと変わらず“自分らしさ”も大切にしていきたいです。 お母さんだから爪を伸ばしちゃダメとか、髪を切らなきゃダメとか、妊娠中のヒールだって、みんな自分の子どもに危害を加えたいと思っているわけじゃないですし、子どもを大事にしてシーンを選びながら、たまには自分が好きなファッションを楽しむ瞬間がないと息が詰まってしまうんじゃないかなと思います。 独身だから、結婚しているから、お母さんだからというバックグラウンドに囚われて、今ある幸せを感じられなかったり、独身時代の方が自分らしかったなって後悔するのは悲しいじゃないですか。ずっと綺麗でいなきゃいけないわけでもないですが、やりたいことを自由に選択できる、なりたい自分になれる環境が大切だと思います。 私のファンの方は同世代で結婚や出産のタイミングという子も多いし、もっとずっと下の世代もいるので、「ともちんが仕事もして旦那さんと子どもとの生活も楽しんでいるからこそ、私もそうなりたい!」と言ってもらえることがすごく嬉しいですね。それがあるから、また頑張ろうと思えるんです。 (聞き手/AERA dot.編集部・金城珠代) 
プロ野球働く女性出産と子育て
dot. 2023/03/06 10:00
片づけたら、帰りたくなかった家が最高の場所に変わった
西崎彩智 西崎彩智
片づけたら、帰りたくなかった家が最高の場所に変わった
収納場所のないモノたちがあふれている和室/ビフォー  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 case.41  自分の手で作り上げたからこそ居心地のよい空間に 夫/保育士  家はとても個人的な場所なので、部屋をどのように使うか、どのように暮らすか、というのは人それぞれ。家の中が散らかっているように見えても、住んでいる人が快適だと感じることもあります。  逆に、他の人からはそれほど散らかっているようには見えないけれど、住んでいる人が「汚い」「片づけなきゃ」と悩んでしまうことも。貴子さんは、こちらのケースでした。 「キッチンや引き出しの中はけっこうきれいだったんです。でも、部屋の中にモノが散乱していて、片づけなきゃいけないとわかっていても見て見ぬふりをしていました」  3LDKの家に夫と住み、保育士としてフルタイムで働く貴子さん。過去には大掃除などのタイミングで家の中をきれいにできたこともあるので、自分はやればできるという自信があったそう。  貴子さんは、少しでもモノが収納場所に入っていないと落ち着かないタイプ。 「一度パントリーの中を片づけたことがあって、そこだけが癒やしの空間でした。ちょっと座れるくらいの広さがあるんですが、汚いリビングにいたくないので、そこに入って本を読んだりしていましたね」  仕事が忙しいこともあって片づけは進まないのに、大好きなフリマアプリを見て買い物をする毎日。いつのまにか、収納場所からはみ出たモノが家の中に広がっていきました。 「仕事から帰ったら片づけようって、いつもイメージはしていました。でも、玄関を開けた途端にやる気がなくなって、ソファに座ってダラダラしちゃって」 不要なモノを手放したのですべて収まってスッキリ/アフター  汚い家に帰るのがいやで、仕事が終わってからカフェで何時間も過ごしてから帰ったことも。片づけに関する本を読んだりセミナーに行ってみたりして実践してみたものの、納得できるところまでは片づけられませんでした。  夫とはたまに「片づけようね」と話をしますが、お互い積極的には動きません。この状態をなんとかしなければと、家庭力アッププロジェクト®を知ったときに参加を決意。  片づけていると、プレゼントなどでもらったモノに執着している自分に気づきました。ずっと使っていないのに、モノにまつわる思い出がよみがえると手放せない。  でも、プロジェクト中に気持ちが楽になるこんな学びがありました。 “プレゼントをくれた人が本当に贈りたかったのは、感謝やお祝いの気持ち。しっかり気持ちを受け取ったら、モノを手放しても罪悪感を持たなくていい” 「この話を聞いて、何十年も前に友人が小さなブーケをくれたときのことを思い出しました。お花はもうないけれど、もらったときのうれしさや彼女の気持ちは私の中で色あせていない。それが腑に落ちてから、いただいたモノも手放せるようになりました。もちろん、残しておきたいモノは捨てていませんけど」  さらに貴子さんのモノへの執着心を和らげたのは、ずっと保管していたブランドの洋服をリサイクルショップに売ったとき。 「10着で7,000円くらいになったらいいなって思っていたけれど、古かったのでたったの420円にしかならなかったんです!今まで420円にこんなに執着して場所も取って……ってショックでしたけど、なんだかスッキリしました」  不用品を手放すと、散乱していたモノたちの収納場所ができました。心が折れそうなときも、一緒に片づけを始めた仲間たちと励まし合うことで乗り切れました。少しずつ貴子さんの理想的な家に近づいています。  片づけに時間がかかってしまったのは、意外にもずっときれいだと思っていたキッチン。すぐに終わらせて他の部屋を片づける予定だったのに、使いやすくしようと手をつけたら、収拾がつかなくなってしまいました。 「横置きのお皿をワンアクションで取れるように縦置きにしたり、しまい込んでいたお気に入りの食器をすぐ使える位置に置いたり。悩みすぎて夜中にキッチンで寝てしまったこともありましたけれど、今はものすごく使いやすくてキッチンに立つたびにニヤニヤしています」 床にモノが散らばって居心地がよくなかったリビング/ビフォー  45日間の片づけが終わったとき、これまで自分だけでやっていた片づけ方では得られなかった満足感がありました。リビングで寝そべることが好きな夫も、スペースが広くなって自分の枕の置き場所もできたことで、心地よさそうです。 「自分でできないことを人に頼るのは、一つの突破口になりますね。でも、誰かにお願いしてきれいにしてもらっていたら、きっとまた汚くなってしまっていたでしょう。やり方を教わりながら、自分の手で自分が過ごしやすいように片づけたことに意味があると思います」  かつての“帰りたくない家”は、“早く帰ってくつろぎたくなる家”に変わりました。今では、仕事終わりの寄り道は一切ありません。 「あんなに好きだったフリマアプリも全然見なくなりました。不思議ですね。何も買いたくないんです。家でソファに座ってコーヒーを飲んでいるだけで、ものすごく快適」 見えるのはお気に入りのモノばかりでくつろげる空間に/アフター  貴子さんは知識をインプットするのが好きで、実際に行動に移すまでに時間がかかると自分のことを分析しています。片づけを通して、今年は“とにかく動く!”ということをテーマにしたと話してくれました。 「今まで片づけに悩んでいましたけれど、そこがクリアになった上に“自分でできた”という自信も持てました。料理とか掃除とかインテリアとか、さらに生活をブラッシュアップしていきたいですね」  目の前にある問題が解決すれば、未来が見えてきます。もし家が汚いことで明るい未来が描けないでいるなら、もったいないことですね。私は片づけにとらわれていた貴子さんのような女性を、軽やかに次のステップに進めるようなサポートを続けていきたいと思います。  ●西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・家族間コミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト?」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。NHKカルチャー講師。「片づけを教育に」と学校、塾等で講演・授業を展開中。テレビ、ラジオ出演ほか、メディア掲載多数。
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AERA 2023/03/06 07:00
一之輔が焼き魚で思い返す“昭和最後の飼い犬”「ごめん、ベンジー」
春風亭一之輔 春風亭一之輔
一之輔が焼き魚で思い返す“昭和最後の飼い犬”「ごめん、ベンジー」
春風亭一之輔・落語家  落語家・春風亭一之輔さんが週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「昭和」。 *  *  *  昭和53年生まれの私は子どもの頃の原風景が『昭和』です。みなさん、今年は昭和98年ですよ。何でも昭和で勘定したほうが早くないですか?  先日「骨まで食べられる干物」なるモノを頂いた。なるほど、圧力調理で頭までサクサクいけて美味しい。こんな商品、昭和にはなかったなぁ。鯵の干物を食べ終えると目玉の硬いところがふたつぶだけ残った。なんか魚を食べた気がしない。どれだけ上手に魚を食べるかが、昭和男子の肝だと思っている私にはちょっと寂しい。  焼き魚の骨を捨てる時、私はいつも「ベンジーが居ればなぁ」と呟く。ベンジーとは幼い時に飼っていた雑種犬。私が生まれる前、姉が白い雌犬を拾ってきた。その「シロ」がどういうわけか孕(みごも)って、数匹の子を産んだ。それぞれを知り合いに分けて、我が家に残ったのが母親シロとその子ベンジーだ。犬が主役の映画『ベンジー』からとったらしい。シロよりは捻りがあってよろしい。私が物心ついた時、シロはもう居なかった。私よりひとつ年上のベンジー。5、6歳から散歩は私の係。昭和の犬の散歩は乱暴だ。令和はそんな小さな子に犬を散歩させないだろう。ベンジーがおしっこをしてもそのまま。ウンコをしてもそのままだったような気がする。うちの近所は舗装されてない道が多かったので便は全て「土に返す」システム。日本人が犬のウンコを持ち帰るようになったのはいつからなのだろう。昭和の飼い主はそんなことしてなかったんじゃないか。  もちろんベンジーは家の外で飼っていた。座敷犬なんて金持ちの道楽だ。犬の仕事は「番」。犬小屋に毛布が一枚。雪が降るくらい寒くないと家には入れない。  去勢する、なんて感覚はなかったから発情期になるとクルクル回ったり落ち着かない。やたらにしがみついてきてクンクンしてきた。私は意味もわからず「ベンジー、おかしいよー!」と訴えても、親は「ははは!」と笑うばかり。ははは、じゃないよ。他人の発情を笑うな。可哀想に。 イラスト/もりいくすお  ゴハンは朝晩2回。食器は使わなくなったアルミ鍋。基本的に人間の残り物を食べていた。夜に鍋物をしたらその残り汁に冷やご飯とオカズの残りを入れ温めてやると、顔を洗うようにムシャムシャ食べる。そんなだからドッグフードには一切見向きもしない。我々家族も「犬のえさに金をかけてなんになる?」という感覚だった。一番好きだった(と思われる)のは、味噌汁の残りにご飯と鯵の開きの残骸をぶち込んだもの。あんなに硬い頭と骨をガリガリと齧ってのみ込んでいた。ベンジー、凄えなぁ、と思いながら眺めていたっけ。 「この鯵の残り、ベンジーが居れば食べてくれたのに……」と言う私に妻が「いや、それ、明らかに塩分摂りすぎだから! 味噌汁と干物なんて絶対ダメでしょ!?」と全否定。そうだったのか。ベンジーの人生、否「犬生」11年。その時代なら長生きか。平成になる直前にこの世を去ったベンジー。まさに昭和最後の日本の飼い犬。令和のワンちゃんは幸せだ。  ちょっとだけごめん、ベンジー。 春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。この連載をまとめたエッセー集の第1弾『いちのすけのまくら』(朝日文庫、850円)が絶賛発売中。ぜひ!※週刊朝日  2023年3月10日号
春風亭一之輔
週刊朝日 2023/03/05 16:00
コロナ禍の政策は「恋愛ロックダウン」で若者が一番割を食った 独身研究家荒川氏×元衆院議員宮崎氏
吉崎洋夫 吉崎洋夫
コロナ禍の政策は「恋愛ロックダウン」で若者が一番割を食った 独身研究家荒川氏×元衆院議員宮崎氏
元衆院議員の宮崎謙介氏(左)と、独身研究家の荒川和久氏  少子化を食い止めるには、異次元の対策が必要だ。子どもだけ欲しい女性、一夫多妻を望む男性……。常識からは外れているが、ちまたの本音にはヒントも溢れているようだ。男性の国会議員として初めて「育休宣言」をした元衆院議員の宮崎謙介氏と、独身研究家の荒川和久氏の2人に、国会では聞けない、本当の少子化対策について議論をしてもらった。<後編> 【前編:「恋愛強者3割の法則」とは?少子化対策で見落としがちな視点】からづづく *  *  * ――「少子化」は、婚姻数の減少による「少母化」が大きいと指摘する荒川氏。ならば「子育て支援」だけでは少子化は食い止められないだろう。2人はどう考えるか。 宮崎 恋愛結婚をして子どもを産むことを想定すると、少子化を改善するには、男女が3つの山を順番に越えないといけない。子どもを生む前に、結婚があり、さらにその前に「恋愛」というハードルがあるのです。  最初の恋愛でつまずいてしまっている人が多い印象です。子育て支援だけではなく、ここも真剣に議論しないといけない。  また、結婚というハードルを取っ払って、恋愛からそのまま子どもを産める社会にするというのも考えの一つだと思います。  極端な例かもしれませんが、たとえば銀座や六本木のホステスの方と話していると、優秀な経営者を見てきて、一般の方との恋愛できなくなっている人も多い。でも、子どもは欲しいと。既婚者ばかり見てきて、結婚にはあまり夢がないと気づいたけど、子どもは欲しいという人もいました。 荒川 夫はいらないということですね。ノーベル賞学者の精子が欲しいというような話もありました。 宮崎 そう。優秀な遺伝子を1億円で買うというような話もある。将来、そうした遺伝子を手に入れるための「遺伝子ローン」という金融商品も出てくるかもしれません。  恋愛には、ちまたでまことしやかにささやかれている「グッピー理論」というのがあります。同じ水槽内に同数のオスとメスのグッピーを入れます。その中で1組のオスとメスが交尾をはじめたら、他のメスたちもそのオスを選んでしまうというものです。つまり、モテるオスをメスは選び、結局モテるオスに集中する。生物学の理論として本当に正しいのかはさておき、平等にマッチングするのは難しいということを言い当てている気がします。 宮崎謙介(みやざき・けんすけ) 会社経営者・コンサルタント・テレビコメンテーター。 2012年、衆議院議員総選挙で自民党から出馬し、初当選。男性国会議員で初めて「育休」を宣言して話題を集めたが、16年に議員辞職。著書に『国会議員を経験して学んだ実生活に即活かせる政治利用の件。』。 荒川 実際、人間の社会でそういった側面はありますよ。たとえば、再婚する男性の割合は、再婚する女性と比べて多いです。私はこれを「時間差一夫多妻制」と呼んでいます。恋愛強者の男性が結婚を繰り返せば、一度も結婚できない男性が出てくることはありえます。 宮崎 経営者の方々と話していると「多夫多妻でいいんじゃないか」といった声をよく聞きます。彼らは異口同音に「2人目の奥さんをOKにしてほしい」と。「2人目の奥さんがOKになれば、お金をもっと使うようになるから経済も回るし、少子化対策にもなるだろう」って夜な夜な言っていますよ。納税額に応じて配偶者の数を増やす制度が導入されたら、経営者たちは節税に頭を悩ませるよりも、より納税をする方法を考えるかもしれません。 荒川 そういう経済的に余裕のある人が、社会で子どもを育てることにお金を回す仕組みがあればいい。アンジェリーナ・ジョリーみたいに、養子を迎えるのもいいでしょう。彼女は3人の実子と3人の養子を育てています。 宮崎 そうなんですよね。様々な家族のかたちというのをもっと考えるべきです。 ――結婚する、しないの判断には所得も影響する。若い世代はその点においても、かつてない厳しい環境に置かれていると2人は指摘する。 荒川 若い世代で可処分所得が減っている問題もどうにかすべきです。年収が上がっても、社会保障費や税金があがり、手取り額が減り続けています。 宮崎 その課題はあります。その結果として、「パパ活市場」がおそろしいくらいに大きくなっている印象があります。  先日、知り合いから「近くでご飯食べてるからおいでよ」と誘われていくと、男4人と女の子4人の食事でした。そしたら最後に「話はついているから」と。何のことかと思ったら「パパ活」の場だったんですね。若い子を1人当てがわれそうになりましたが、僕は「いやいや、そういうつもりで来てるんじゃないから……」と断りました。 荒川和久(あらかわ・かずひさ) 独身研究家、コラムニスト。大手広告会社において、企業のマーケティング戦略立案やクリエーティブ実務を担当。その後、「ソロ経済・文化研究所」を立ち上げ独立。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者として活躍。著書に『結婚滅亡』『ソロエコノミーの襲来』『超ソロ社会』など。 宮崎 このようにパパ活マーケットはかなり定着している印象です。普通に働いている女の子がですよ。仕事をしているけど、それでは賄いきれず、家賃とか生活維持のために割り切ってパパ活をやっているんですよ。 荒川 かつての援交(援助交際)のようですね。 宮崎 そう。昔は高校生が小遣い稼ぎのためにやっているといわれていましたが、パパ活は社会人が生活のためにやっているんです。ショックでした。  今の政治家はこうした実態を知っているんでしょうか。マスコミの目を恐れて、飲み会も1次会で帰りますが、やはり2次会も行って、色んな話を聞かないとダメですね。冗談のような話ですが、ハプニングでパパ活の場に居合わせるようなことがないと、こうした声は聞くことはできません。 荒川 女性はパパ活で、男性はどうしているのでしょう。 宮崎 普通の仕事をしながら、闇金に手を出したり、ギャンブルに流れたりしているのではないでしょうか。「ルフィ」と名乗る人物が主導した闇バイト事件が問題になっていますが、あの事件に加担した若者には、やはり経済的背景もあるのではないかと見ています。 荒川 昭和の時代は、初任給が低くても数年後には給料が上がるという希望がありました。それが今では、先輩を見ていても、ハードワークな割に、給料が上がっていないのがわかる。若者は希望が持てません。 宮崎 右肩上がりであれば安心して結婚、出産となりますが、そうではないと「もう少し安定してから」となってしまいますよね。 荒川 コロナ禍で一番割を食ったのは、若者でした。オンライン授業や飲食店への時短要請、酒類の提供禁止は、若者の出会いの機会を奪いました。政府のコロナ対策は、若者にとっては、ある意味「恋愛ロックダウン」政策であり、今後の婚姻数の減少に大きな影響を与えます。 宮崎 様々なシワ寄せが若者にいっているところはありますよね。 荒川 先日、SNSで「デート代は男性がおごるべき」論争が起きていましたが、男性は自分にもおごってあげられないのに、かわいそうですよ。 宮崎 僕はよく起業を勧めています。夜のお店で働いている「黒服」(ボーイ)で、非正規で働いていて、「生活が厳しい」と言っていた。それで何に興味があるのと尋ねたら、「夜のお店ではない飲食」と。「それならそこに丁稚奉公に行ったらいい」と僕は言いました。  興味のあるところで働くほうが楽しいし、そこから起業すればより稼げますから。成功するかはまた別の話ですが、今のまま変化を起こさなければ環境は変わらないですからね。 ――ここまで、どうやったら子どもを持つことができるか、結婚できるか、恋愛できるかを考えてきた。しかし視点を変えたほうが、道が開けることがあるという。結婚の先に「幸せ」があると考えがちだが、実はその逆なのかもしれない。 荒川 結婚することや、子どもを持つことだけが幸せということではないと思います。恋愛することも、結婚することも、子どもを持つことも、自分が幸せになるための手段の1つであって、目的ではない。恋愛や結婚という手段に頼らずとも、幸せに暮らすことはできます。  これは、調査でも明確なんですが、オタクはものすごく幸福度が高い。コミケ(コミックマーケット)に行くとわかりますよ。みんなとても楽しそうです。 宮崎 行ったことないですが、行ってみたくなりました。 荒川 自分が幸せになれば、お金も結婚もついてくると私は思っています。 宮崎 それはありますね。僕の友達で、ぽっちゃり系で、第一印象はあまり冴えない人がいるんですが、彼はすごくモテるんです。付き合っている彼女のほかに、さらにいつも複数の女性が周りにいる。なぜモテるかというと、私の分析では、自己肯定感が高くて、人間力があるからです。  彼曰く、「昔はどうしようもないただの童貞だった」そうですが、いろんなことに詳しいんです。ワインとか、車とか。家電量販店で迷ったときに彼に相談すると即答で返事がくる。「ビックカメラの店員か」ってツッコミたくなるぐらいすごいですよ。 荒川 そういう人は頼られると嬉しいんですよ。そこは自己肯定感と大きくかかわっていると思います。 宮崎 専門的なスキルを身につけることは大切ですね。現状のままでいたら、キャリアパスはないということです。「明日になれば宝くじが当たるかも」と受け身の姿勢ではなくて、自分で宝くじをつくりにいかないと。  恋愛面なら、合コンするとか。筋トレをするでもいいですよ。そこから花が開くことがあります。最近ジムに通っているんですが、筋トレしている人は自己肯定感が高いですね。 荒川 鍛えれば、筋肉を人に見せたくなりますからね。それがコミュニケーションの入り口になります。 ――最後に、政府の取り組みについての正直な感想や、政治家への注文を聞いてみた。 荒川 内閣府の研究会で、恋愛支援として教育に「壁ドン」を取り入れてはどうか、という議論があって、SNS上で炎上したことがありました。国の婚活支援で「壁ドン」はありえないでしょう。 内閣府の「人生100年時代の結婚と家族に関する研究会」資料。批判的な意見が多数あった。 宮崎 アハハ(笑)。非モテの人がいきなり壁ドンなんかしたら、恐喝、脅迫になりますからね。  だけど、僕はそういう発想は大事だと思います。つまり、この問題についてはタブーのない議論を思い切ってしていくべきです。政治家は恋愛のメカニズムと恋愛現場のリアルをもっと勉強しないといけませんね。 荒川 今の政治家を見ると、還暦以上の方々が多いですよね。 宮崎 この問題は若い政治家が声を上げないといけません。 「結婚のメリットは何?」と聞かれたら、「楽しいよ」ぐらいしかないのは問題です。「結婚したら、このくらい有利な税制がある」「子どもをつくったら、国からのサポートが格段に増える」とか言える状況をつくらないといけないと思います。  しょぼい対策では若者のマインドは変わらない。明日が不安で結婚もできない、子どもも産めないというのであれば、思い切った対策をすべき、ということです。 荒川 ところで、宮崎さんは政治家には戻らないんですか。 宮崎 いやぁ、政治家に対して世間から厳しい目がありますよね。僕の元同僚も息苦しそうにしている人は多いですね。窮屈な立場だとまた皆様にご迷惑をおかけするかもしれないので、僕は民間の立場で、社会課題に向き合っていきたいですね。 (構成/AERA dot.編集部・吉崎洋夫)
少子化少子化対策
dot. 2023/02/28 16:00
インボイスは事業者のデス・ゲーム? 「見通し偽装」で広がる負の影響
インボイスは事業者のデス・ゲーム? 「見通し偽装」で広がる負の影響
インボイス制度に反対する署名を財務省に提出する業界関係者たち(斎藤貴男さん撮影)  今年10月に始まる消費税の「インボイス(適格請求書)制度」。その実態は、クリエーティブ産業など日本経済を支えてきた「フリーランス」という働き方を破壊しかねないものだ。事業者同士に「デス・ゲーム」を強いる残酷なその実態とは。ジャーナリストの斎藤貴男さんが調べた。 *  *  * 「これは税務署も含めて誰一人として得をしない、幸せになれない制度です。実質的には増税でしかないものの負担が、誰に押し付けられるのかという問題。私の場合だと発注先の声優やアニメーター、スタッフさんたちに背負わせるのか、自分が被るか。いずれにしても立場の弱いほうが犠牲になる。そこに至るやり取りをすること自体、信頼関係を壊し、溝が深められてしまう可能性もありますね」  植田益朗氏(67)が筆者の取材に語った。「機動戦士ガンダム」「シティーハンター」「犬夜叉」などの名作を手掛けたアニメプロデューサーにして、現在はコンテンツの企画・製作会社「スカイフォール」の代表が、この10月からスタートする「インボイス制度」に対する憤りを隠さない。 「アニメはもちろん、文化や芸術の世界に飛び込んでくる若者がいなくなりかねない。大切なのは裾野の広さです。あの宮崎駿(はやお)さんにだって、長い下積み生活があったんですから」  インボイスとは、「適格請求書」のことだ。個々の商取引において、正確な適用税率や税額などを明記した書類。標準税率10%と軽減税率8%(飲食料品および週2回以上発行される新聞の定期購読)が混在する現行消費税税制に対応した仕組みだと、徴税当局は説明している。  制度化されると、売り手は買い手に求められたらインボイスを交付しなければならない義務を負う。ただし交付資格が与えられるのは登録された「(消費税の)課税事業者」だけ。年商1千万円以下の「非課税事業者」は、税務署に同様の登録を申請し、自ら免税の立場を返上して「課税事業者」とならなければ、資格を得ることができない。 週刊朝日 2023年3月3日号より  ただでさえ不安定なフリーランスが、コロナ禍や物価高のただ中で、払う必要のなかった税金をわざわざ志願して“納めさせていただく”? これほどの不条理があろうか。  非課税事業者のままでいる選択肢は取りにくい。アダム・ロドリゲスや、イ・ビョンホンの吹き替えで知られる阪口周平氏(45)が教えてくれた。 「ある声優が所属事務所のデスクに、インボイスの登録がないと仕事が減るかも、と言われたと聞きました。経理部門からの圧力で、自然とそういう流れになるのではないかという話だったとか」 “そういう流れ”とは何か。フリーを使う発注側は、徴税当局の回し者なのか?  事はそう単純ではない。1989年に導入された消費税は、過去三十有余年、政府やマスコミが喧伝し続けた「広く薄く中立的でシンプル」だという刷り込みとはまるで裏腹の税制だ。筆者は逆に、弱者のわずかな富をまとめて強者に移転する税制に他ならないと断じよう(全体像は拙著『決定版消費税のカラクリ』<ちくま文庫>など参照)。  消費税法によると、そもそも納税義務者は消費者ならぬ年商1千万円超の「課税事業者」。かつ、原則あらゆる商品やサービス(医療や居住のための家賃など社会政策上の例外あり)の、すべての流通段階で課税される。 ■生き残りのため弱者にしわ寄せ  課税事業者が常に「コスト+利益+税」を積み上げた値決めをできるなら、まだしもだ。だが市場経済の日本で、そんな殿様商売が可能な事業がどれほど存在するか。取引先との力関係が弱ければ弱いほど、競争相手に負けない低価格設定をと利益を削り、コストダウンするしかない。などと言えばもっともらしいが、所詮(しょせん )はより弱い立場の従業員や仕入れ先が、玉突きよろしく負担を押しつけられてきたのが実態だ。  いわゆる「転嫁」の問題だ。もちろん元請けが下請けに無体な値引きを迫れば独禁法の「優越的地位の濫用」に該当する。「転嫁対策特別措置法」が制定された近年は、公正取引委員会もそれなりの意欲を見せていなくもないものの、もはやズタボロ、“安いニッポン”とまで揶揄(やゆ)される経済社会で通用するはずもない。  さて、内実はどうあれ、課税事業者は税務上、「本体価格」に上乗せして顧客から“預かった”体裁ではある消費税分を丸ごと税務署に持っていくかと言うと、違う。そこから仕入れ先や必要経費のために支払った消費税分を差し引いた額を納める。この計算式を「仕入れ税額控除」という。  ところが、である。インボイス制度の下では、 <(課税事業者が)「仕入れ税額控除」を使うには、仕入れ元が発行したインボイスが必要となる。それがなければ、仕入れ分の消費税を差し引けず、自社の負担増になる>(朝日新聞2022年10月27日付朝刊)。  節税できない、のではない。課税事業者は非課税事業者との取引では、消費税の基本的な計算を行う権利を剥奪され、余計な税金を取り立てられる羽目に陥るのだ。  それが嫌なら非課税事業者に課税事業者への転換を促すしかない。慎重な者にはギャラを引き下げて帳尻を合わせるか。いや、面倒な非課税事業者など切っちまうのが手っ取り早い、という話だ。  つまり課税事業者は、苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)の化身としての消費税をめぐり、インボイスなる新兵器を駆使して、弱い者イジメを徹底しないと、自分自身が生き残れない。アシスタントに「申請して課税事業者になれ」と申し渡さざるを得ない漫画家の心中はいかばかりか。  ちなみに、1万人超と言われる日本の声優の76%は年収300万円以下で、1千万円を超える収入がある人は4%にとどまるという。インボイス反対の声優団体・VOICTIONのインターネット調査なので、回答者に偏りがないとは言えないが、それでも9割以上は非課税事業者だと推定されている。  声優はあくまでも一例だ。アニメや漫画、演劇など、文化・芸術、エンターテインメントの世界で下積みに耐えている人々の多くは、安定より夢を優先し命を燃やしている。だが、インボイス制度に生活そのものが侵食され立ち行かなくされてしまえば──。その世界は確実に衰退していく。やがて誰もいなくなる。 ■タクシー業界も「締め出し」危機  そんな近未来が、あらゆる分野に及んでいくに違いない。フリーランスの名で括られる職種に限らず、店舗を持つ自営業もプロのスポーツ選手も、要は源泉徴収と年末調整のコンビネーションから成るサラリーマン税制の枠に入らない、申告納税をしている「個人事業主」「一人親方」たちと、彼らの棲む業界は、みんな。  安倍晋三政権で副首相と財務相を兼任していた頃の麻生太郎氏(現自民党副総裁)が、だからどうした、と言わんばかりの答弁をしたことがある。件(くだん)の軽減税率を柱とする税制改正関連法案の国会審議入り直前、インボイスが零細な商店を廃業に追い込む危険を衝かれ、 「そういった例がないとは言いませんよ。ないとは言いませんけれども、(中略)一つや二つあったとか、百あったとか千あったとか、いろいろ例が出てくると思いますよ。それは今の段階で私どもはわかりません、そういったようなことは」(16年2月15日、衆院予算委員会)  破壊はすでに全国で始まっている。当事者には存立に関わる理不尽を、百だの千だので済ませられる為政者が、我が物顔で罷(まか)り通る国の絶望と言うべきか。昨年からこのかた、たとえば──、 ●広島県の個人タクシー組合が組合員らに、「インボイス対応車以外は駅構内の乗り場に入れなくなる」旨を通知した。鉄道会社の意向もあり、非課税の運転手と代金を勤務先に請求する客とのトラブルを回避する目的だった。同様の動きは各地で見られる。 ●福島市がホームページに「インボイスをできない事業者は競争入札に参加させない」旨を記載した。民間だけの問題ではない。長崎県西海市の学校給食会も食材納入業者に対してインボイス登録の意向調査を行っていた。 ●JU群馬(群馬県中古自動車販売協会)が会員業者にインボイス登録を呼びかけた。「登録番号のない会員様はオークションに参加できません」と明記されていた。  物証があったり、議会等で取り上げられたケースだけを列挙した。公取委や総務省などが対応して改善された場合もあるようだが、どこまでも氷山の一角に過ぎない。やはりフリーランスの一人である私にも、年明け以降、いくつもの出版社から、インボイス登録を求める書状が届いている。 「デス・ゲームですね」  フリーライターで、「インボイス制度を考えるフリーランスの会(STOP!インボイス)」の発起人でもある小泉なつみ氏(40)の形容が耳について離れない。隔離された登場人物たちが主催者の提示する「ゲーム」で殺し合う筋立ての創作ジャンルを指している。  消費税について、政府はウソばかりついてきた。それが許され続けている現実と、新聞が飲食料品とともに軽減税率の恩恵を享受していることとは無関係だ、と言い切ることのできる信念を、私は持ち合わせていない。  興味深い数字がある。インボイス制度が開始されると、農林水産業などを除く非課税事業者約372万社のうち、約161万社が課税事業者に転換。その売上高平均を約550万円、粗利益150万円と想定して、1社当たり平均の負担額は15.4万円となるという。19年2月26日の衆院財務金融委員会で明らかにされた財務省の試算だ。  粗利の1割以上を持っていかれる零細事業はそれだけで成り立ちようがない。しかも161万社という数字は、いわゆるBtoC(一般消費者との取引)が主体と思われる小売業やサービス業などを除外したものだった。 ■あまりに粗雑な主税局長の答弁  質問に立った野党議員は、スナックなどの飲食業の例を挙げた。会社の交際費で使われる社用客を引き留めようと思えば、 「BtoC中心の業者でも課税事業者になって、インボイスを発行できるようにならなきゃという話になると思うんですが」  きわめて適切かつ普遍的な例示だった。数の内に含めてもらえなかった事業者のほぼすべてが、同様の事情に直面しよう。  にもかかわらず、財務省主税局長(当時、後に国税庁長官)の答弁は以下の通り。 「さまざまなケースがございますので、一定の仮定として」  絶句。ここまでいいかげんな、言わば「見通し偽装」に基づいてまで、「デス・ゲーム」は強行されようとしている。  混乱も廃業や倒産も、貧困も格差の拡大も、当然のことながら、フリーランスや自営業だけのコップの中の嵐では終わらない。消費税とはより弱いほう、弱いほうへと向かっていく悪魔的な特性を湛えた税制であり、人間は誰しもが生きるために必死だ。弱い者イジメの玉突きが幾重にも繰り返されて、もはや明々白々な経済社会全体の凋落が、取り返しのつかないところまで堕ちていかない保証はない。 週刊朝日 2023年3月3日号より  こんなこともあった。昨年6月、参院選を目前に控えて放送されたNHK「日曜討論」。消費税の廃止を訴えるれいわ新選組の大石晃子政審会長に、自民党の高市早苗政調会長(当時)が声を荒らげた。 「消費税が法人税の引き下げに流用されているかのような発言がこの間に何度かあったが、まったくの事実無根。消費税の使途は社会保障に限定されている。でたらめを公共の電波で言うのはやめていただきたい」  すかさず大石氏は挙手したが、司会者は無視。高市発言の根拠は消費税法第1条2項「消費税の収入については、(中略)年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費に充てるものとする」にあるようで、政府も自民党も何かと言えばこれを持ち出したがるのだが。どちらがデタラメなのかは一目瞭然である。  権力者にとって消費税は、実に使い勝手のよい打ち出の小槌だ。自民党の甘利明・前幹事長は先月、岸田文雄首相が「異次元の少子化対策」を言い出した直後にも、そのためには消費税だと言い出した。中国の脅威を理由とする軍事拡大路線の財源にしても、早ければ統一地方選後にはまたぞろ消費税大増税に向けた世論誘導が演出されていくのではないか。所得税や法人税の小手先改変ばかりが前面に掲げられている現状が不気味だ。  インボイスに戻ろう。この制度の恐怖は、仕入れ税額控除との関係だけではない。その以前に、決定的な災いが付き纏(まと)っている。登録事業者が強いられる、途方もない事務負担量の増大と煩雑化だ。詳細は割愛するが、新たに保存義務を課せられる書類や伝票類の、なんと膨大なことか。  この難題を解決する手段の市場が、昨今、ビジネス界で一気に広がってきた。クラウド型会計ソフトである。  インターネット上にデータを保存するサービスで、これを利用すれば請求書の一元管理も、記帳の自動化が容易で、データ間の連携や外部の税理士との共有も可能という。 ■クラウド会計に統べられる未来  代表的なベンダー「freee(株)」(本社・東京)の小泉美果・金融渉外部長兼プロダクトマネージャーに会って話を聞くと、 「紙で処理していたら本業に手が回らなくなってしまう事業者やフリーランスの方々の力になりたい。当社はクラウド型販売管理ソフトも販売しているのですが、これを使って毎日の業務を遂行していくだけで自動的に会計ソフトと連動するという、特に税務を意識させない“統合型”のプロダクト作りを目指しています」  と言う。総務省で12年間、デジタルガバメントの推進や働き方改革に携わった経歴を持つ元官僚だ。なお、freeeの創業者で現在もCEOの佐々木大輔氏(42)は、「グーグル」の元プロダクトマーケティング・マネージャー。祖父の代から美容院を営んでいた実家の苦労をどうにかしたいとの思いを糧に、12年に同社を立ち上げた由。  17年にはクラウドソーシング仕事依頼サイトを運営する「ランサーズ(株)」などと共同で、フリーランスのバックオフィスを支援する非営利団体「フリーランス協会」の設立も支援した。大手損保会社の協賛で所得補償や賠償責任の保険に加入できる体制は、フリーの身空にとって福音ではある。  言うまでもなく、クラウド型会計ソフトはfreeeの専売特許ではない。ライバルの「マネーフォワード」や、「弥生」「ミロク情報サービス」といった老舗も覇を競っている。彼らはインボイス制度のスタートを前に「デジタルインボイス推進協議会(略称EIPA)」を結成。会員企業203社の他に全国銀行協会や日本公認会計士協会、日本税理士会連合会などの特別会員等を擁し、デジタル庁とも協同しながら、システムの共通化・全体最適化に躍起だ。  関係筋の話を総合して考える。このまま進めば、日本のフリーランスは近い将来、クラウド型会計ソフトを中心に統べられていくのではないか。働き方改革──働かせ方改革──の奔流で正社員が激減し、フリーランスの重要性が叫ばれている状況と、デス・ゲームとしてのインボイス制度が共存することになる奇観は、ここにおいて矛盾しない。  ただし、そのようなあり方に「フリーランス」の呼称は相応しいだろうか。フリージャーナリスト歴三十余年の筆者には強烈な違和感が残る。さらにまた、デジタルインボイスとキャッシュレス化で先行する韓国では、徴税当局がほぼ全国民の金銭のやり取りを逐一、リアルタイムで掌握・監視していると伝えられてもいる。  いいのか、それで? この先はまた別の機会に譲りたい。※週刊朝日  2023年3月3日号
インボイス制度
週刊朝日 2023/02/27 11:30
「関西とは全然違う」神戸出身のラーメン店主が東京で受けた衝撃 「今のままでは大将を超えられない」
井手隊長 井手隊長
「関西とは全然違う」神戸出身のラーメン店主が東京で受けた衝撃 「今のままでは大将を超えられない」
「柳麺 呉田-goden-」の黒舞茸と近江黒鶏の昆布水つけ麺は一杯1200円。太め平打ちの自家製麺が特徴(筆者撮影)   日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、その店主が愛する一杯を紹介する本連載。埼玉県朝霞市にある塩ラーメンの名店の店主が愛する一杯は、名店を渡り歩いた店主の紡ぐ極上の自家製麺が光る一杯だった。 ■塩ラーメンは“スキマ産業”っぽい  2010年にオープンした埼玉県朝霞市の人気店「中華蕎麦 瑞山(ずいざん)」。東武東上線・朝霞駅の南口から徒歩10分の公園通り沿いにある。オープン当初から塩ラーメンを看板メニューにしており、埼玉エリアで塩の人気店として知られる。 店主の初谷智久さん。中華蕎麦 瑞山/埼玉県朝霞市本町2-8-15/11:30~22:30営業。詳細はお店のTwitter(@zuizan0707)にて/筆者撮影   塩ラーメンは数あるラーメンの種類の中でもかなり難しいラーメンといわれている。醤油や味噌ほど味がハッキリしていない上に、香りを出すのも難しい。単体だとしょっぱいだけなので、塩ダレとスープのバランスが肝になってくる。店主の初谷智久さんは塩ラーメンの難しさをこう語る。 「お客さんには自分のラーメンがどのぐらい響いているのかがしばらくわからなかったです。ですが、愚直にラーメンを磨き続けました。レシピも何度も変えました。ただ、長くやっているうちに醤油よりも差別化しやすいとも感じています。塩ラーメンはなんとなく“スキマ産業”っぽいですが、作り上げるのが大変だからというのはあると思います。盛り付けなどもかなり大事な要素ですね」(初谷さん) 高級中華の料理人だった店主が作る「中華蕎麦 瑞山」の「しおそば」は一杯850円。具材は、豚チャーシュー、鶏チャーシュー、メンマ、ノリ、カイワレ、ネギ(筆者撮影)   初谷さんはチャンスが来たらすぐにそれに乗ってみるタイプで、店舗展開にも積極的だ。スナックのママからの誘いで東京都練馬区の平和台に支店を出店したかと思えば、埼玉県鶴ケ島市にあった名店の跡地にも出店。さらに、埼玉県新座市にある老舗「麺家 うえ田」の女将・上田みさえさんから、事業承継で店を引き継いだ。  店を増やしているのはスタッフのためだという。昔は修行して独立するのが基本的な流れだったが、今はそういう時代でもなく、新しい店を作ってチャンスを与えることで成長していくという流れもあるという。 「スタッフが育ったからお店が増えたんです。若いスタッフが店舗運営まで経験できればと思って増やしました。人には本当に恵まれています。スタッフたちが羽ばたいていったら、最終的には小さなお店が1つ残ればよいかなと思っています。基本的には『瑞山』を守っていくことが私の役割だと思っています」(初谷さん) 「スープ作りは失敗しては作り直し、徐々に完成に近づけて今があります」と初谷さん(筆者撮影)  「瑞山」は多くの優秀なスタッフに支えながら、今日も各地でおいしいラーメンを提供している。そんな初谷さんの愛するラーメンは、名店出身の店主が北浦和で開いた人気店の一杯。小麦を誰よりも愛する自家製麺マニアの店主だ。 柳麺 呉田-goden-/埼玉県さいたま市浦和区常盤9-16-7/火曜から金曜昼11時~14時30分、夜17時30~21時30分L.O/土曜昼11時~15時、夜18時~21時30分L.O/日曜祝11時~16時、月曜定休。詳細はお店のTwitter(@godenken)にて/筆者撮影 ■関西とは全然違う… 神戸出身のラーメン店主が受けた衝撃  JR京浜東北線・北浦和駅の西口から徒歩3分。線路沿いを歩いていくと一軒のオシャレなラーメン店がある。「柳麺 呉田-goden-」である。「ざるチャーシュー」や「黒舞茸と近江黒鶏の昆布水つけ麺」など極上の自家製麺を生かした一杯でファンを魅了する。  店主の中野憲さんは神戸市出身。高校2年生で老舗の名店「もっこす」でアルバイトを始めたのがラーメンにハマったきっかけだ。「もっこす」は1977年創業の神戸のソウルフードとも言われる有名店だ。  中野さんは高校卒業とともに「もっこす」に正式に入社した。ホールから始まり、盛り付け、ラーメン作り、スープ工場までの仕込みまで経験した。 「修業して、最後はのれん分けして独立したいなと考えて『もっこす』に入社しました。忙しい店だったのでお店を回すのが本当に楽しかったんです。ラーメン作りも楽しく、お客さんから『おいしかった』と言われた時の快感からラーメン屋を一生の仕事にしようと思いました」(中野さん)  それまで関西のラーメンしか食べたことがなかった中野さん。「東京のラーメンなんてうまくない」とうわさで聞いていたので少しばかにしていたが、東京に遊びに行った時にラーメンを食べ、そのおいしさに衝撃を受けた。ふと厨房(ちゅうぼう)を見ると、関西とは全然違う作り方をしていて、レベルの高さを感じたという。 「柳麺 呉田-goden-」店主の中野憲さん。神戸の名店「もっこす」で修行した経験も(筆者撮影)  「ここからモヤモヤが始まりました。今のままでいいのかなと。『もっこす』で独立しても大将のことは超えられない。東京に行って飛躍して自分のラーメンを作ることで大将を超えられるんじゃないかと思い、次なるチャレンジをすることにしたんです」(中野さん)  中野さんは東京で勝負しようと、寮のあるラーメン店で働きながら、原付きでラーメン本を持って食べ歩きを始めた。2年ほどたった頃、護国寺にあった「ちゃぶ屋」でまたしても衝撃を受けた。  オシャレな店の作りや今まで食べたことない味わいの一杯に深く感動し、「従業員募集」の貼り紙を見て応募することにした。こうして、中野さんは「ちゃぶ屋」に入社することになった。26歳だった。 「『ちゃぶ屋』での修業は厳しかったですが、それよりも楽しかったという思い出の方が強いです。ここでの経験が今の私のラーメン作りの基礎になっています。店主の森住さんは食材を大切にすること、お客さんを喜ばせることばかりを考えてお店を運営していました」(中野さん) 「柳麺 呉田-goden-」の黒舞茸と近江黒鶏の昆布水つけ麺。チャーシュー、舞茸、白髪ネギ、ネギがのっている(筆者撮影)   ちゃぶ屋の店主・森住康二さんは一つひとつの工程を大切にする大事さを教えてくれた。小さなことを大切にしていくと最後に大きな結果が待っている。森住さんの繋がりで他の名店の店主の話が聞けるのもとてもうれしかった。  4年の修業を終えるも、まだ独立できる状況ではなく、2、3カ月悩んでいる時期があったが、そんな時、横浜家系ラーメンの名店「六角家」の社長・神藤隆さんと食事に行く機会に恵まれ「うちで働かないか」と誘いを受けた。 「六角家」でさらに3年間の修業を積んだのち、独立に向けて物件を探し始める。都内ではなかなか見つからず、たまたま見つけた北浦和の物件に決定した。駅からは近いが、分かりづらい場所にある隠れた立地なのが気に入ったという。 創業時から自家製麺を貫いてきた(筆者撮影)   こうして2015年2月に「柳麺 呉田-goden-」はオープンした。「呉田」は実家のある神戸の地区の旧地名から取っている。ラーメンはあっさりした清湯系にしよう決めていて、関西の醤油、関西の鶏を使い、関西縛りの一杯を作り上げた。  初日はたった5人のお客さんだったが、徐々に口コミやネットでお客さんが増えていった。とはいえ、はじめの半年は大赤字。それでも中野さんは愚直にラーメンを作り続けた。  その後、『ラーメンWalker埼玉』の新人グランプリ、『TRYラーメン大賞』の新人部門の受賞もあり、人気店の仲間入りとなった。特に自家製麺のこだわりは尋常ではなく、創業時から自家製麺を貫き、今も麺のうまい店として人気を博している。 「瑞山」の初谷店主も中野さんの麺には一目置いている。 「塩ラーメンには絶対においしい麺を使いたいと思い、『呉田』の麺を使わせてもらっています。とにかく小麦粉に詳しく、麺を上手に作りますね。武骨で真っすぐでその姿勢にはいつも刺激を受けています」(初谷さん)  中野さんは初谷さんの行動力の早さにいつも驚いているという。 「いつもおちゃらけているように見えますが、厨房に入ると人が変わったように真剣な方です。普段からいろいろなものを食べて研究してそれを自分のラーメンに生かしています。アクティブでフットワークが軽く、考える前に動くタイプで、私にはない行動力でいつも尊敬しております」(中野さん)  埼玉のラーメンシーンをけん引する二人。中野さんの麺が進化することで「瑞山」の塩ラーメンもさらに進化していくだろう。(ラーメンライター・井手隊長)
AERAオンライン限定ラーメン井手隊長
AERA 2023/02/26 12:00
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上田耕司 上田耕司
宮台真司氏襲撃事件から約3カ月 宮台氏の知人の「精神科医」の見立てとは
警視庁が公開した容疑者の男の画像(22年11月29日午後0時ごろ、相模原市中央区で撮影されたもの)  東京都立大学教授の宮台真司氏(63)が昨年11月29日に刃物で切りつけられ重傷を負った事件で、警視庁は2月16日、昨年12月に死亡した相模原市の無職の男(41)を容疑者として特定したと発表した。衝撃的な事件から約3カ月。その間にさまざま明らかになった事実もある。宮台氏とトークイベントで共演したこともある筑波大学教授で精神科医の斎藤環(たまき)氏が事件を読み解いた。 *  *  *  男の実家は神奈川県相模原市にある。2階建ての一軒家で、ここに男の両親が住んでいる。そこから約300メートル離れた場所に「別宅」があり、男はここで寝泊まりする生活を送っていたようだ。  近所の主婦は、男の暮らしぶりをこう話す。 「7~8年くらい前、母親が『この家を購入しました』とあいさつに来ました。最初の数年は、キリスト教系の宗教の食事会を開いていたようで、人が集まっていました。4~5回、そんな光景を見かけました。私も母親から『来ませんか?』と2度ほど勧誘されましたが、仏教徒なのでお断りしました」  母親はキリスト教系の新興宗教「エホバの証人」の信者だったとされ、男の別宅は集会所になっていたとの報道もある。  2月6日、「エホバの証人」はメディア用ステートメントと称して、「私たちは,こうした痛ましい事件が起きたことを大変残念に思っています。(中略)エホバの証人は暴力を憎み,避けています」と遺憾の意を表明している。AERA dot.が改めて教団に事実関係を問うと「母親はエホバの証人の一人です」と認めたうえで、集会所という指摘については「母親が個人として友人をお茶や食事に招く際,別宅を使用していたようです。この家屋がエホバの証人の集会場として使用されたことは一度もありません」と回答した。なお、容疑者の男については「エホバの証人とは一切関係がありません。エホバの証人の集まりに出席していたこともありませんし,エホバの証人と聖書を学んでいたこともありません。エホバの証人の中に容疑者と面識のある人もいません」とのことだった。 事件直後の様子。救急隊員にタオルのようなもので首元を押さえられる宮台真司さんの姿が見える  前述の主婦が、容疑者である「息子」を見かけるようになったのは3~4年前だという。 「男は、この家(別宅)には寝るために帰ってくるだけという感じでした。男が住み始めてからは、昼間に信者らしき人たちが出入りすることはなくなりました。午前7時半ごろに私がゴミ出しに行くと、男が自転車で出かけるのを見かけました。いつも男は目をそらし、うつむいていて、あいさつはしませんでした。人と関わりたくなかったのでしょう」  近所に住む別の女性はこう証言する。 「さびてボロボロの自転車に乗っていましたね。朝、自転車に乗って(別宅から)実家にご飯を食べに行くのが日課だったようです。夜になると、また自転車で(別宅に)帰って来ました」  そして、こう首をかしげた。 「朝に男が出かけると、母親が午前9時半ごろにやってきて、家の玄関をはき、雨戸を開けたりしていました。男はバイトなどの仕事をしている様子はありませんでした。なぜ、ひきこもりのような生活をする息子を別宅に住まわせ、掃除も母親がやっていたのか不思議でした。掃除くらいは息子が自分でやればいいのにと思っていました」  近隣住民によれば、男が別宅を出た後に訪ねて来るのは母親だけで、他に人影はなかったという。  母親は午前9時半ごろに別宅にやってきて、玄関前のはき掃除をする。男は帰宅後に「実家」に立ち寄り、別宅には夜、寝に帰るだけという生活スタイルだったようだ。  そんななか、昨年12月17日の昼ごろに救急車やパトカーが集まり騒然となった。 「何があったんだろうと思いましたが、母親が息子が死んでいるのを発見し、救急車を呼んだようです。今から考えれば、その前日(16日)に息子が自殺したのだと思います」(近所の主婦)  男の別宅から実家へ移動すると、家の前には軽自動車が止まっていた。実家の近隣住民はこう話す。 「男は無口で、引っ込み思案な性格でした。上に姉2人がいて、3人きょうだいの末っ子。姉たちは結婚したりして実家を出ています。男は野球部のピッチャーをやっていましたが、高校2年ごろから学校へ行かなくなったようです。母親から『どこか良い精神科の病院を知らないか』『心療内科の看護師さんを紹介して』などと相談されたことがあります。男が仕事をしている様子はありませんでした」  被害にあった宮台氏は、この男について「心当たりはない」と捜査員に答えたという。現時点では宮台氏と男をつなぐ接点は見えていない。自宅のリビングからは、父親が買ったという宮台氏の共著『おどろきの中国』(講談社現代新書)が1冊見つかったと報じられているが、男が読んだかどうかは定かではない。  別の住民が「男を図書館で見かけましたが、そのときは没頭して本を読んでいました」と証言するように、男は近所の図書館でも目撃されている。  図書館は男の別宅から自転車で20分ほどのところにある。図書館には、宮台氏の著書の蔵書は15冊ある(共著含む)。相模原市内の複数の図書館には計43冊もの“宮台本”があり、他の図書館からも取り寄せが可能だという。  男は図書館で宮台氏の著書を読み、何か刺激を受けたのだろうか。宮台氏とも共演経験がある、筑波大学教授で精神科医の斎藤環氏はこう話す。 「その可能性もあるが、私は本よりもネットの影響があったのではないかと思います。宮台さんの場合、ネットでバッシングをする人もいたので、そこで辛辣な書き込みや批判的な動画などを目にすることで、何か“思い込んでしまった”可能性があります。ただ、どういう思いから襲撃を意図したのか、なぜそこまで思い詰めたのかは、今となってはわかりません」  男が死亡したことから、犯行の動機が明らかになる機会は失われてしまった。近隣住民が語るような「ひきこもり」生活を送るなかで、何らかの妄想を抱いてしまったのだろうか。斎藤氏はひきこもりを「家族以外の他者と親密な人間関係を持たずに生活していること」と定義したうえで、こう話す。 「容疑者の状態は『ひきこもり』の要件に当てはまるように見えます。人と接しない生活を続ける中で、宮台さんに対して、妄想的な思いを募らせていった可能性は否定できません。診察してみないとわかりませんが、何らかの精神疾患を持っていた可能性もある。突如発生した妄想的な思いにとらわれて襲撃を思い立ったということも考えられます」  容疑者は宮台氏を背後から襲い、執拗(しつよう)に刃物で切りつけており、強い攻撃性を感じさせる。両親が男を別宅に住まわせていたのは、家庭内暴力があったからではないかと推測した評論家もいる。  そこで、別宅や実家周辺で、これまで物を壊す音や怒鳴り声を聞いたことがあったかをたずねたが、近隣住民は「言い争いはなく、静かだった」と口をそろえる。 「一般論ですが、もし親が息子の暴力を避けるために別居していたとすれば、息子が食事をとるために親元(実家)に通うという生活スタイルは成り立たない。家庭内暴力の可能性は低いと思います。息子に(別宅で)単身生活をさせれば、早く自立してくれるかもしれないという親の期待があり、あえて実家から離れた場所で生活させていた可能性があります」  ではなぜ、普段は無口でもの静かな41歳の男が刃物で宮台氏を襲撃するような凶行に至ったのだろうか。「動機はわからない」と前置きしたうえで、斎藤氏はこう話す。 「世間では誤解されているが、ひきこもっている人が犯罪や通り魔など、犯罪に走ることはきわめてまれです。そういう攻撃的な思いを抱いても、普通は家族との関係が歯止めになります。家族への気持ちがあるから思い留まる。ただし、家族との絆が希薄な場合は、歯止めも弱い。容疑者の場合、家族とのつながりが希薄だったのかもしれません」  前述のように、母親は「エホバの証人」の信者だった。もし息子にも信仰を強いていたとすれば、親子関係がゆがんだ形になりやすいことは、最近報じられる「宗教2世」のケースを見ても明らかだ。斎藤氏はどう見るのか。 「宗教が無関係だったとは思えません。『エホバの証人』は、信者の親が小さい子どもを連れ、布教活動に付き添わせたり、学校で剣道や柔道の授業を受けるのを禁止させたり、日常生活でも非常に制約事項が多いことで知られています。そのため、容疑者は子ども時代に孤立したり、仲間外れにされたりする環境だった可能性もあります。そう考えると、本人がひきこもり状態になった遠因には、宗教が影響していた可能性は否定できません。宗教2世問題とは断定できないにしても、全く無関係だったとは考えにくいですね」  これまで、斎藤氏は宮台氏と対談やトークイベントなどで何度か共演してきた。最近の宮台氏の様子についてこう話す。 「先月も、宮台さんがレギュラーを務めるニコ生の『深掘TV ver.2』に出演しました。以前と変わらずお元気そうで、とても安心しました」 警視庁は家宅捜索などで遺留品などを分析し、容疑者死亡で男を書類送検する方針だ。事件の背景や動機が少しでも明らかになることを期待したい。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
dot. 2023/02/24 08:00
ジャニーズの魅力は「夢の国と似ている」? 美 少年・浮所飛貴が考えた!
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※写真はイメージです (GettyImages)  天性の愛されキャラはまさにわんこ……な浮所飛貴さんが、元・犬の役に大抜擢! ドラマ「すきすきワンワン!」は、人生諦めモードの雪井炬太郎(こたろう)[岸優太さん(King & Prince)]が、人間に生まれ変わった愛犬・木ノ宮天[浮所さん]と出会い、夢を見つけていく物語だ。インタビューでは、前回に登場した岸さんとのほほえましいエピソードも飛び出した。「岸くんはもう浮所ファン」と自信満々な理由とは。 *  *  * ──てんにとっての炬太郎のように、大切な人が人生諦めモードになっていたらどうする?  そういうときって、「頑張れ」とか言われても余計「えー」ってなると思うので、何も言わずにそばにいるのが一番心の支えになるんじゃないかなあ。21歳間際になった今[取材当時、※2月27日が誕生日]、そう思います。僕という存在がいることで、明るくなってくれたらいいな。 ──てんのように誰かに尽くそうとするタイプ?  尽くすタイプなんですよね、僕は。人に何かしてあげることが好きなので。たとえば誕生日にサプライズでプレゼントをあげるとか……。家族にもそうしてもらって育ってきたので、記念日は大切にしたいですね。  昨年の二十歳の僕の誕生日はバラエティーの収録があって、終わったのが遅かったから、家族には「もう寝ていいよ」って伝えてたんです。12時前に「ただいまー」って帰ったら、家は真っ暗だったんですけど、リビングのドアを開けたらみんないて、「誕生日おめでとう!」ってパーンってクラッカーを鳴らしてくれて。ケーキも妹と母親が作ってくれてて。あのときはめっちゃうれしかったですね。 ──一番自信のある“尽くした”エピソードは?  去年、(同じ美 少年のメンバーの)藤井(直樹)が(舞台)「少年たち」の期間中に誕生日を迎えたんですけど、僕が幹事みたいな感じでお店を決めて、(出演している)美 少年とHiHi Jetsのメンバー全員に声をかけて、舞台終わりにパーティーをしました。プライベートで11人が集まったのはそれが初めて。もちろん藤井くんの人柄の良さもあって集まってくれたと思うんですけど、彼自身すごく喜んでたので、うれしかったです。 ──作中ではてんが炬太郎をキュンとさせる場面も数多くありますが、今回の撮影の経験はアイドル活動にも生かせそう?  いやーどうだろう、普段は女の子をキュンキュンさせる立場だから……(笑)。でも、今ふと、男性ファンの獲得っていう意味で生かせる場所はあるんじゃないかなーと考えました。男の人にも「可愛い」とか「癒やされるなー」とか思ってもらえたり、はたまたどこかかっこいい部分を見つけてもらえたりしたらいいなと。  岸くんはもう浮所ファンになってると思います。本当に、だいぶ仲良くなったので。岸くん、撮影終わりにけっこうご飯に誘ってくださったんですけど、それをいろんなところで話すと、「後輩に奢(おご)らないことで有名なあの岸くんが!?」ってみんなびっくりしてて。だから、僕は岸くんにはハマってたんだと思います。 ──奢ってもらったご飯で印象的なものは?  玉ねぎとかラードが入った八王子ラーメンがおいしかった。また行きましょうねって話してます。岸くんが奢ってくれたので、逆に僕は食後のデザートのアイスクリーム代を出させてもらいました。 ──岸さんへの取材で、浮所さんに聞いてみたい質問を尋ねたら、「好きな食べ物なんですか?」と。  何度も現場でその話、しましたよ!(笑)。肉です。焼き肉です。焼き肉行きましょうっていう話もたしかした気がするんですけど……。岸くんって天才的に面白いと思う。 ──無気力だった炬太郎は次第に夢を見つけていきますが、浮所さんの今の一番の目標は?  ジャニーズで活躍することです! 僕、もともとジャニオタ[ジャニーズオタク]で、(事務所に)入る前から嵐さんとかSexy Zoneさんのコンサートに行ってたんです。今もジャニーズと会えるのが本当にうれしくて、このあいだの(ジャニーズ)カウントダウン(コンサート)なんか、右見たらSexy Zone、左見たらKing & Prince、前見たら関ジャニ∞みたいな空間が幸せすぎて(笑)。  だから、ジャニー(喜多川)さんとの出会いは、僕が今まで生きてきたなかで一番のターニングポイントだし、本当に感謝だなと思います。まあ、ずっと怒られてましたけど……。こんな感じでずーっと大きい声でしゃべってるから、「もううるさいよYou」って(笑)。 週刊朝日 2023年2月24日号 ──浮所さんの考える、ジャニーズの魅力とは?  夢の国と似ている気がします。非現実的な空間を作り出す力があって、普段の嫌なこととか疲れることを忘れさせてくれる。学校とか仕事とか育児とかいろいろあっても、明日からまた頑張ろうっていう気持ちになれる。美 少年も、嵐さんみたいに国民的スターとして誰もが認めるグループになれたらいいな、という夢はありますね。 ──3月から、美 少年としては初の全国アリーナツアーが始まります。  やっぱりコンサートって僕らジャニーズの一番メインの仕事なので、懸ける思いはメンバーそれぞれすごいです。舞台[1月に上演された「JOHNNY’S World Next Stage」]期間中も、どんなセットにしようか楽屋で話してました。今回のツアーのタイトルは「We are 美 少年~Let’s sing it~」。これが美 少年ですよって伝えることをテーマにしています。 ──新曲「吉吉 Bang!Bang!」の注目ポイントは?  振り付けですね。みんなで楽しくノレるこの曲を一番うまく表現してくれそうな振付師さんを、今回、僕たちが指名させていただいたんです。メンバー同士のアイコンタクトとか、みんなで「カモーン」って指スマを始める[※拳を握り親指を立てる]とか、そういうグループの仲良し感が見られると思います。  え、タイトルが「すきすきワンワン!」に似てる? たしかに……狙ったわけではないです(笑)。楽曲を作ってくれた方、「すきすきワンワン!」知ってたのかな? 浮所もびっくりです! ──4月からは大学4年生。大学生活最後の一年でやりたいことは?  今さら?って感じなんですけど、キャンパスライフを楽しみたいなと思ってて。コロナで最初は授業がリモートだったから友達とも会えないし、お仕事をしていると学校に行く時間がなくて。  だから、普通の大学生の生活がしてみたいです。5時に講義が終わって、中人数ぐらいで夜までゆっくりご飯を食べて……。忙(せわ)しないスケジュール感で働いているので、大学生っていうものを味わってみたいですね。 (構成/本誌・大谷百合絵) 取材終了後、テーブルに用意していたクッキーを見て、「これ好きなんですよー!」とにっこり。浮所さんの取材の直前、岸さんが「これ、浮所くんが一番好きなお菓子なんで、僕は我慢しておきます」と話していたことを伝えると、「あとでお礼言います!」と、両手ですべてのクッキーをわしっと掴み、パンツのポケットに詰めてはみ出させていた。※週刊朝日  2023年2月24日号
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