中島晶子
元日経記者・後藤達也 日銀キャップ退職に「会社員の立場を捨てることに家族のほうが前向きだった」
「日経の退社に関し妻は『辞めろ』に近い勢いだった」と後藤さん(撮影/小山幸佑)
後藤達也さんが日本経済新聞社を辞め、会社員からフリーランスに転じたのが2022年4月。今の仕事状況は? 普段見せないプライベートは? アエラ増刊「AERA Money 2023春夏号」より5ページのインタビューを抜粋してお届けする。
ツイッターのフォロワー数50万人超(2023年4月20日現在/以下同)、ユーチューブのチャンネル登録者数約25万人、noteの有料読者約2万人といった驚異的な数字を、経済系インフルエンサーでは史上最速レベルで達成した。
フリーランスへの理想形のような転身に成功した後藤さんだが、インタビューでお会いしたときは濃紺のスーツにネクタイ姿。絵に描いたような「大手企業に勤めるエリートビジネスパーソン」に見えた。
実際、エリートだったことは間違いない。文春オンラインが2022年3月、実名こそ伏せたが「精緻(せいち)な解説で人気だった日銀キャップが退職届を提出」したことを報じたとき、業界に衝撃が走った。
日銀記者クラブは報道各社が精鋭記者を投入する経済報道の主戦場。現場責任者である「キャップ」は出世コースに乗った人が通る道だ。
後藤さんは妻と子どもの3人暮らし。日経を離れることに家族の反対は全くなかったという。本人の気持ちはどうだったのか。
「辞めたくて仕方がないほど嫌気が差していたわけではありませんが、仕事は過重気味で窮屈さはありました」
退社直前、ニューヨーク特派員時代にはじめたツイッターのフォロワー数は30万人を超えていた。独立にあたってこのアカウントは閉じ、イチから再スタート。
「情報発信で生計を立てられるほど世の中に求められているか……。不透明でしたが、試してみたい気持ちが強まりました」
迷う心境を妻に話したら「『辞めろ』に近い勢いで強力に背中を押してもらいました(笑)。もしかしたら日経にずっと残るほうがリスクなのではないか、と」。
「妻はシンクタンクで働いていて、収入があります。少しは貯金もあったので、1年働いて100万円しか稼げなくても、すぐに生活に困るわけではないだろう、と。全然食えないとなったら、また職を探せばいいと楽観的に考えていました」
「ツイッターなどのSNSで経済に関し『断言』する人は信じないほうが」
後藤さんは慶應義塾大学経済学部を2004年に卒業し、日経入り。金融市場全般と日銀、財務省、企業調査を主なフィールドにニューヨーク特派員も経験し、取材や執筆の幅を広げてきた。
記者の仕事は情報入手で競う面が強いが、後藤さんは日経在職中に米国コロンビア大学留学も経験している。シンクタンクのCJEB(日本経済経営研究所)で2年、エコノミストとしての修業を積んだ。
独立して、暮らしはどう変わったか。
「気が向いたとき、働きたいときに働いています。夜9時に寝て深夜2時に起き、執筆することもある。午前3時に寝ることも」
どんなに忙しくても1日6~7時間の睡眠は確保する。寝不足は大敵。
「家では自室に行けばいつでも仕事ができてしまうので、オンとオフの境目があいまいになった感じはあります」
後藤さんとマーケットとの接点は学生時代にさかのぼる。
「2000年夏のマネックス証券上場直前、創業者の松本大(おおき)さんの講演を聞いて株に興味を持ちました。当時は大学生でしたが、なけなしの貯金でマネックスの株を買ったのが最初です。
その後20年以上も経って松本さんと対談(2022年12月28日「マネクリ」<マネックス証券のマネー情報メディア>)したときはうれしかった」
一口にお金や経済の情報と言っても、ツイッター、note、ユーチューブ、テレビ番組と各媒体に適した伝え方がある。
「noteは日本経済新聞に近いかもしれません。月500円の課金をしてでも勉強したい人たちが読んでくださっているので、『つみたてNISA(少額投資非課税制度)って何?』みたいな超初心者向けの内容はマッチしづらい。
ツイッターのフォロワーも金融リテラシー(お金や経済の知識と判断力)が高めの人が多いように感じます。ユーチューブは視聴者の視聴結果を元におすすめ動画が表示されることもあり、少し受け身。
とはいえ経済に興味のある人が見る前提ですから、わかりやすいグラフを自作し、視聴してくれる層を探っています。
「正直にやる。小金目当てに読者の信頼を失うほうが怖い」
テレビは『関心はなかったけど、たまたま(後藤が)出ていたから見た』という人も多いでしょうから、金融の知識ゼロの人にもわかるような解説を心がけています」
お金についての興味や勉強の熱意は千差万別。だからこそ一律に同じ情報を発信するのではなく、伝えるべきポイントや話し方も変えていく必要がある。
後藤さんファンにはどんな人が多いのだろう。なぜここまで支持されているのか。
「金融機関も大手メディアも相手にしてこなかった『カネにならない人たち』がついてきてくれている気がします」
証券会社や銀行では、高い手数料を払ってさまざまな金融商品を買ってくれる人が「いい顧客」だ。買わせるために、あの手この手で新商品の紹介をする。
相場解説もどちらかといえば「上昇期待」に寄る傾向にある。大手ウェブメディアや雑誌はクライアントの絡みもあり、いいものは褒めるが悪いものには触れない(けなさない)ことが多い。
テレビは「年金の運用成績が悪い」「投資で損した」など悪い話のほうが視聴率を稼げるので、民放が大きく報じるのはネガティブな話題——。
「日経新聞の読者は数百万人。その読者には、金融や経済を知り尽くしたプロもいます。その対極に『消費者物価指数やFOMC(米連邦公開市場委員会)などという言葉を見かけるけど、実はよくわからない』『NISAなどで資産運用をしたいが知識ゼロ』という人がいて、こちらが数的には圧倒的に多い」
「NISAって何?」「投資信託はどれを買えばいいの?」という情報はあっても、経済の流れを自分で判断できるようになる力が養える場はなかった。
後藤さんの言う通り、この層を鍛えてもカネになりにくいのである。NISAで低コストなS&P500の投資信託を買う「だけ」の人は、証券会社の利益にはほとんど貢献しない。
複雑に絡み合う経済動向をわかりやすく解説するのはプロでも難しい。そして経済の知識が豊富な人が、初心者に理解させるスキルを持っているわけではない。
「SNSなら忖度(そんたく)なしに情報発信できます。ネットのおかげで、これまで情報が届かなかった人たちにアプローチできています。
経済を知らなくても生きていけるし、興味がなければ調べなくてもいい。でも、よほどの富裕層でない限り、預金以外での資産形成は避けて通れない問題でしょう」
わかりやすく、おもしろく、偏りなく。後藤さんの情報発信に共通する3カ条だ。ツイッターでもnoteでもユーチューブでも、読者数や再生数を稼ぎたいための過激な「釣り見出し」コンテンツはない。
ネット上には有料無料を問わず、情報があふれている。大げさなもの、間違っているものも多々ある。
「特定のインフルエンサーの1人か2人だけを信奉することは勧めません。『この人に聞けばすべて完璧』なんて、ありえないからです。
また、断定口調を連発する人は危険かもしれない。株価や為替の見通し、買うべき金融商品を断定的な言葉で語られると、インパクトがあって『この人の言うことはすごい』と思ってしまうかもしれませんが……ご注意ください」
金融機関やきちんとしたメディアは基本的に断定口調を使わないので、特に初心者は「言い切られると新鮮に感じる」のだ。言葉のマジックである。
「マーケットと長年向き合っていると、断定口調で話すことが恥ずかしくなってくるものです。世の中は複雑ですから。明日は何が起こるか、誰にもわからない」
ツイッターもユーチューブも、怪しいもののほうが多いと思うぐらいでちょうどいい。発信するのに資格は不要だし、過激なことを言うほど注目され、フォロワーも増える。
大手金融機関に勤めていたことを信頼性の担保にする人もいるが、どの部署にいたかで知識の程度は変化する。正確な情報を丁寧に発信している人ほど目立たない(後藤さんを除く)。
最近はSNSだけでなく、書籍も見極めないと危ない。フォロワー数の多さに目をつけた版元から声がかかり、付け焼き刃の知識しかない人が出す「トンデモ本」が存在する。
証券会社のレポートや新聞にも、それぞれのバイアスがかかっている。
そういえば後藤さんのSNSには、アマゾンアフィリエイトのリンクすらない。アマゾンアフィリエイトとは、読者がリンクを踏んでから一定時間内に何か買い物をすれば、アカウント保有者に売り上げの一部がバックされる形のネット副業の定番だ。
「そもそもツイッターのリンクを踏んでもらうことで直接稼ぐ気がありません。自分が本を出したらお知らせしますが、そのリンクにさらなる収益の仕掛けは入れない」
自分の本なら、本を買ってもらうだけで多少なりとも収益につながるから、そこにわざわざアフィリエイトは仕込まないというわけだ。何かと正直な人なのである。
「自分の小金稼ぎのために、フォロワーにとって重要じゃなかったり、時には有害だったりする情報も発信すると思われたら、信頼度が下がってしまう。アフィリエイトで得られる目先の利益を優先して信頼を失うほうが、よっぽど損だと思います」
政府は2024年、値上がり益や配当が非課税のNISAを拡充。年間投資枠を最大360万円、非課税保有限度額を1800万円に広げる。後藤さんはどんな資産運用を勧める?
「NISAに工夫なんて、必要ないです。他の人が知らない裏ワザもありません。よくわからなければ、米国主要企業を網羅するS&P500や全世界株式に連動する投資信託をつみたてればいいと思います」
この1年で1ドル=一時150円超えまで円安が進み、全資産を円だけで保有することのリスクに気づいた人は多いはず。
「日本の円預金以外に、米国株などの海外資産をある程度保有することは必要でしょう。儲けるためではありません。自分の資産や生活を守るためです」
後藤さんは高校や大学で金融教育の出張授業も行う(2023年5月末まで募集、予定が埋まり次第終了)。謝礼どころか交通費も不要という。現在、はじめての著書を執筆中。日経BP社から発売予定だ。
最後に素顔をのぞくべく、お酒について。
「ウイスキーが好きです。『マッカラン12年』などのスタンダードな銘柄。あとは日本酒。吟醸香や甘味の強いものより、すっきりした味のものを選びます」
◯後藤達也(ごとう・たつや)/経済ジャーナリスト。1980年生まれ、大阪府出身。慶應義塾大学卒業後、日本経済新聞社入社。金融市場全般、日銀、企業取材などの記者になる。その後、シンクタンク系の部署を経て2016年よりコロンビア大学ビジネススクールの付属機関、日本経済経営研究所(通称CJEB=Center on Japanese Economy and Business)へ。2019年4月~2021年9月、ニューヨーク特派員。このときツイッターによる経済情報の発信をスタートし、フォロワー数30万人超に。2022年3月に日本経済新聞社を退社、ツイッターアカウントも改めて新規で立ち上げ、現在のフォロワー数は50万人超。現在は「note」で月額500円のメンバーシップマガジン(会員数約2万人)やツイッターで情報を発信。YouTubeやテレビなどにも出演し、ファンを増やし続けている。“経済をわかりやすく、おもしろく、偏りなく”がモットー。既婚、子ども1人。好きな食べ物はすし、好きな酒はウイスキーと日本酒
編集/綾小路麗香、伊藤忍
※『AERA Money 2023春夏号』から抜粋
AERA
2023/05/20 17:00