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“3枠目”は超激戦 北京五輪の女子フィギュア、熾烈な代表争いを勝ち抜くのは?
“3枠目”は超激戦 北京五輪の女子フィギュア、熾烈な代表争いを勝ち抜くのは?
現在の日本女子フィギュア界で頭一つ抜け出している紀平梨花 (c)朝日新聞社  2022年北京冬季五輪の開幕まで、1年を切った。フィギュアスケートの国別出場枠は、3月22日からスウェーデンで開催予定の世界選手権で大半が決まる。  最大出場枠「3」を獲得するための従来の条件は、前年の世界選手権でその国の代表上位2名の合計順位が「13」以内であること。しかしコロナ禍にある今季、国際スケート連盟は、3月1日で締め切られる各国のエントリー状況により、五輪出場枠の決定方法について再検討する可能性を示唆している。  流動的な状況下、それでも選手は五輪出場枠を獲得するため、世界選手権に向け鍛錬を積んでいるだろう。日本女子代表の紀平梨花・坂本花織・宮原知子は、18年平昌五輪では「2」だった出場枠を「3」に増やすことを目指す。だが出場枠を「3」と仮定した場合でも、代表の座を巡る来季の戦いは熾烈を極めることが予想される。  今季の試合での点数を見ると、まず紀平、次いで坂本は頭抜けている印象だ。全日本選手権(昨年12月)のフリーで4回転サルコウを初めて成功させ、連覇を果たした紀平の合計点は234.24。また、NHK杯(昨年11月)でショート・フリーともにほぼ完璧に滑り切った坂本は合計229.51というスコアで優勝している。現状、紀平を坂本が追うかたちで、この2人が日本のトップを走っていると言っていいだろう。  3人目の代表候補を今季NHK杯以降の試合で合計200点越えを果たした選手としてみると、その数は6名。全日本でショート6位と出遅れながら、フリーで追い上げ総合3位に入った宮原の合計点は、209.75だった。来季も継続するというフリー『トスカ』(ローリー・ニコル振付)は迫力に満ちたプログラムで、2度目の五輪出場を目指す宮原の切り札となる予感が漂う。  NHK杯・フリーで、4分の1回転不足と判定されたもののトリプルアクセルを着氷させた樋口新葉は、合計200.98で銀メダルを獲得している。全日本では7位と予想外の苦闘を強いられたが、樋口の強みは平昌五輪シーズンにあと一歩で出場を逃す悔しさを味わったことかもしれない。平昌五輪の約1カ月後に行われた18年世界選手権で銀メダルを獲得し意地を見せた樋口は、決意をもって来季に向かうはずだ。今季果敢に挑み続けてきたトリプルアクセルが安定すれば、大きな武器になるだろう。  昨季は体調不良で試合に出場できなかった三原舞依は、今季見事な復活劇をみせてくれた。合計203.65というスコアを出した全日本は、ショートで3位につけたもののフリーで順位を落とし、総合5位で終えている。来季、フリー後半まで力強く滑れる体力を取り戻せば、もっと点数を上げることができるはずだ。  若いスケーターも着々と実力をつけている。今季全日本ジュニア選手権を制した16歳・松生理乃は、完成度の高い演技が持ち味だ。NHK杯では、200点目前の合計198.97というスコアで銅メダルを獲得。4位に入った全日本の合計点は204.74で、遂に200点越えを果たした。伸び盛りの松生は地道に努力する選手でもあり、伸びしろは計り知れない。また昨季全日本ジュニア女王の河辺愛菜も、合計201.58で6位に入った今季の全日本で、ショート・フリーともにトリプルアクセルに挑んだ。16歳の河辺は、スピード感あふれるスケーティングでもポテンシャルの高さを感じさせる。  昨季の全日本で3位に入った川畑和愛は、今季はジャンプが安定せず、全日本でも11位と振るわなかった。しかし、今年1月の国民体育大会でようやく本来の力を発揮し、合計202.36で坂本に次ぐ2位に入っている。来季の試合で持ち味の大きなジャンプを決められれば、五輪代表争いにからんでくるかもしれない。  百花繚乱の日本女子、北京への切符を手にするのは誰だろうか。(文・沢田聡子) ●沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」
dot. 2021/02/23 17:00
10年間、被災地の桜を撮り歩いた写真家・大沼英樹の葛藤
米倉昭仁 米倉昭仁
10年間、被災地の桜を撮り歩いた写真家・大沼英樹の葛藤
岩手県山田町、2011年4月30日(撮影:大沼英樹)  写真家・大沼英樹さんが東日本大震災の津波で被災した東北沿岸部と、事故があった福島第一原発周辺に咲く桜をこつこつと撮りためた作品集『未来へつなぐ千年桜』(玄光社)を出版した。今年で10年目となる取材活動の経過報告でもある。大沼さんに聞いた。 「千年桜」というタイトルには、未来への希望として、大震災に生き残り、耐え抜いた桜の命を、せめて千年は語り継いでほしいという作者の願いが込められている。  写真集の始まりは宮城県名取市の海の見開き写真。ほとんど波のない静かな海。水平線の上に広がる光のない空に薄っすらと赤みが差している。  ページをめくると、何の変哲もない若い桜が咲いている。岩手県大船渡市。昨年撮影した桜で、ひょろっとした細い幹が気持ちのよい青空に伸び、満開の白い花をつけている。すぐわきには、たぶん、あの日までここに立っていた桜の太い切り株が写っている。その奥に小さく見える防災無線のスピーカー。 岩手県大槌町、2011年4月29日(撮影:大沼英樹)  そして、2011年。岩手県陸前高田市。樹齢数百年と思われる大きなエドヒガンザクラが、幹を引き裂かれたまま花を咲かせている。どす黒く染まったカキが鈴なりについた養殖いかだが、ぶら下がっている。根元から奥に広がる平地はがれきで埋め尽くされ、その向こうには流されてきた家が傾いてぽつんと見える。 日々生活している場所で戦争があった。そういう場所を撮影してきた  インタビューで強く印象に残ったのはこの作品を撮り始めるまでの大沼さんの葛藤だった。いや、葛藤などいう言葉では言い表せないほどの心の揺れ動きが10年にわたって取材を続けてきた土台にあるように思えた。  大震災の直後から多くの写真家が被災地を訪れた。しかし、大沼さんは積極的に被災地を撮り始めたわけではなかった。むしろ消極的――というか、「逃げた」。 「もうそこにいることが苦しくなってくるわけですよ。生活が変わってしまって、逃げたかったんでしょうね。うん。『逃げる』とは言って家を出なかったけれど、『毎年撮っているから、今年も行く』って。車で九州まで行って桜前線を追いかけた。それで桜といっしょに北上してきたんです。あの年も」 福島県南相馬市飯崎のしだれ桜、2013年4月8日(撮影:大沼英樹)  1969年、大沼さんは山形県天童市のサクランボ農家に生まれた。その後、専門学校入学を機に仙台市に移り住んだ。 「18歳で仙台に出て、いま、51歳ですから、もう、こちらのほうが長くなりました」  卒業後は「私の先生である宍戸清孝さん(※)と出会って、写真を始めるようになりました。コマーシャルよりは取材系の仕事をする方で、アメリカの日系二世の取材をいまもずっと続けられているんです」 (※宍戸清孝さんは第二次世界大戦中にアメリカ軍の一員として戦った日系二世を写し続けている写真家で、2004年に伊奈信男賞受賞) 福島県南相馬市、2013年4月8日(撮影:大沼英樹)  約7年間のアシスタントを経て独立後は、沖縄、広島、長崎などの戦跡を写すようになり、02年に写真展「SAKURA-なんでもない幸せの行方」を開催した。 「先生の影響もあって、『戦争と平和』を写真で表現して残していこうと思いまして。撮影スタイルはいまとほとんど変わらないんですが、日々生活している場所で戦争があった、そういう場所を撮影してきたんです」  戦跡だけでなく、空襲のあった全国各地を訪ねるようになり、そこに寄り添うように咲く桜を写してきた。  さらに、女子学徒隊など、沖縄戦の証言者や戦跡を撮影してまとめた「沖縄語」を発表。 「生活感ある桜と戦争の跡を撮るのと平行して、沖縄をずっと写してきたんです。震災の年までは」 カメラは出せなかった。いいこととは思わなかった  震災直後、大沼さんは被災地を撮る気にはまったくなれなかったという。 「仙台空港近くに住む友人に物資を届けたときもカメラを取り出せなかった」。理由をたずねると、「うーん」とうなった。 「あの惨状のなかでは、やっぱりカメラは出せない。申し訳ない、なのかな。罪悪感でしょうか。とにかく、出せなかったんですよ。いいこととは思わなかった。写真家である前に人間であれ、というか。仕事でしたら逆でしょうけれど」 宮城県南三陸町、2013年4月22日(撮影:大沼英樹)  写真を撮影することを意識し、自転車を漕いで海に向かったのは震災から2週間になろうとする3月24日だった。 「じっとしていられなかったんでしょうかね。使命感を持って行く、ということではなかったです。ただ、自分の目で、いま、見ておかなければいけない、と思ったんでしょうね。何があったのかを。ただ、もう精神的にどうしていいかわからなかったので、何をどう撮るとか、そういう感覚ではなかったです」  話す言葉が途切れ途切れになり、いつの間にか涙声に変わっている。  その後、大沼さんは桜を撮るために九州へと旅立った。 「毎年行っていたように。普通に、っていうか。行ったんです。ちょっと、やっていることがおかしいんですよ。ははは。いま、何をすべきか、ということがわかっちゃいない、というかね」 東京の人と同じように、外から入ったから撮れた  大沼さんは例年と同様に九州から桜取材をスタート。桜前線を追って本州を北上していった。 「東北に入ったのは4月21日。白河小峰城、東北の境ですね」  日没間近に城に着くと、崩れた石垣が目に飛び込んできた。しかし、その石垣の上には満開の桜が、傷つきながらも力強く咲いていた。 「そのとき、『東北が大変なときに東北から離れて、何をやっているんだ』と、桜に言われたように感じたんです。この状況の桜を撮るべきではないか、と思い直して、沿岸部に向かったんです。そこの桜を写真で残そうと思ってからは何を言われてもいいと、腹が座ったというか」 宮城県南三陸町、2018年4月13日(撮影:大沼英樹)  原発周辺の避難指示区域を迂回して相馬へ。海沿いを撮影しながら一旦、自宅に戻り、再び、石巻から三陸海岸を北上した。 「気仙沼から陸前高田へ。そこで一本の桜に出合ったんです」  その言葉にピンときた。 「(先に書いた)養殖いかだの桜ですね」 「そうです。そのとき、もっと強く、だんだんと……」  声が途切れる。言葉が続かない。大沼さんはこの桜を涙を流しながら撮影したという。そして毎年、この場所を訪れ、手を合わせてきた。  ときおり冷静さを失う大沼さんの様子に、地元の写真家が被災地を撮ることの重々しさを感じずにはいられなかった。しかし、そんな思いを伝えると、大沼さんは即座に言った。 「やっぱり、ぼくは外の人間ですよ。東京だろうが仙台だろうが、外の人間じゃないかなあ。あのとき、地元の人は桜が咲いていたという記憶もない方が多い。色がなかった、という話もけっこう聞きました。でも、ぼくは東京の人と同じように外から入ったから撮れたんです」 福島県南相馬市、2020年4月9日(撮影:大沼英樹) 震災のとき、写真を「紙」で残そうと誓った  震災の翌年からは長期取材を意識して定点撮影も行うようになった。 「後々まで記録として残るように、(この木は切らないよね)、と思った場所の桜を選んで」、毎年、同じ場所で写してきた。  ところが、「想像していたのとはまったく違って。この木も切ってしまうのか、と思うくらい、軒並みなくなりました。嵩上げ工事で」。  その言葉どおり、ページをめくっていくと、沿岸部の桜の景色が一変していく、復興の風景。それとは対照的に、原発事故で避難指示が出された地域の桜はあのときから時間が止まっているかのようだ。 「震災のとき、電気がなくなりましたけれど、あのとき、写真を紙で残そうと誓ったんです。本にして、記録を残していきたい。やっぱり、デジタルとは『温度』が違いますから。写真集はある意味、置いておくとじゃまになる存在というか。じゃまものって、残っていけると思うんです」                   (文・アサヒカメラ 米倉昭仁)
アサヒカメラ写真集大沼英樹
dot. 2021/02/22 18:00
慰安婦報道関連裁判で敗訴した元朝日新聞記者の植村隆氏は、それでもなぜ「裁判内容では勝った」と主張したのか?
慰安婦報道関連裁判で敗訴した元朝日新聞記者の植村隆氏は、それでもなぜ「裁判内容では勝った」と主張したのか?
櫻井よしこ氏らを提訴した訴訟の判決のため、弁護士らとともに札幌高裁に入る植村隆氏(手前中央)/2020年2月6日、札幌市中央区(c)朝日新聞社  植村隆・元朝日新聞記者が、ジャーナリストの櫻井よしこ氏らに名誉を傷つけられたと訴えた裁判。最高裁で敗訴が確定しながら、植村氏はなぜ「裁判内容では勝った」と主張したのか――。  朝日新聞編集委員・北野隆一氏が昨年8月に出版した『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』(朝日選書)。朝日新聞の慰安婦報道と、これに対して右派3グループが朝日新聞社を相手に起こした集団訴訟、さらに植村氏の訴訟の経過が記されている。植村氏の言葉の意味 を、裁判で明らかにされた事実に基づいて北野氏が読み解く。 *  *  *  昨年11月19日、札幌市の法律事務所に最高裁から1通の書面が届いた。18日付で「上告を棄却する」とする第二小法廷の決定が記されていた。  裁判の原告は元朝日新聞記者で「週刊金曜日」発行人兼社長の植村隆氏。元慰安婦の証言を伝えた記事をめぐって、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が「捏造」と記述したことで名誉を傷つけられたとして、櫻井氏と出版3社を相手取り損害賠償などを求めていた。最高裁が上告を退けたことにより、原告の請求を棄却した札幌地裁と高裁の判決が確定した。  原告弁護団と支援者らは19日、札幌市で急きょ記者会見した。韓国カトリック大学で客員教授を務める植村氏は、コロナ禍のため急な帰国がかなわず、ソウルからリモートで参加。画面越しにコメントを発表した。「櫻井氏の記事は間違っていると訂正させ、元慰安婦に一人も取材していないことも確認でき、裁判内容では勝ったと思います」  敗訴が確定したのに、植村氏はなぜ「裁判内容では勝った」と主張したのか。ことの経緯は30年前にさかのぼる。  朝日新聞大阪社会部記者だった植村氏は1990年7月、日本軍の慰安婦だった女性の証言を聞き出そうと2週間程度、韓国内で探し歩いたが、見つけ出すことができなかった。翌91年夏、朝日のソウル支局長が「元慰安婦の女性が名乗り出てきている」との情報を得て、大阪に戻っていた植村記者に「取材に来たらどうかね」と電話で誘った。植村氏はすぐソウルへ飛んだ。  韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉・共同代表は、女性のプライバシー保護を理由に、本人に直接会わず、名前も出さないよう植村氏に求めた。植村氏は直接取材を断念し、匿名の証言テープを聴いて記事を書いた。記事は91年8月11日付朝日新聞大阪本社版朝刊社会面に「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口開く 思い出すと今も涙 韓国の団体聞き取り」の見出しで掲載された。  記事が出た3日後の8月14日、この女性は金学順という実名を明かして記者会見した。12月6日には日本政府を相手取り、損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。植村氏は裁判準備のため訪韓した日本の弁護士らに同行して取材。金さんに直接会って聞いた証言を、12月25日付朝日新聞大阪本社版朝刊に「かえらぬ青春 恨の反省 日本政府を提訴した元従軍慰安婦・金学順さん ウソは許せない 私が生き証人」の見出しで記事に書いた。  植村氏の記事について櫻井氏は、月刊誌「WiLL」2014年4月号で「植村氏は、彼女(金学順さん)が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とは何の関係もない『女子挺身隊』と結びつけて報じた」と主張。「植村記者が、真実を隠して捏造記事を報じた」と断定した。「週刊新潮」「週刊ダイヤモンド」でも同様に書いた。  植村氏は2015年2月に札幌地裁に提訴し、櫻井氏の文章に誤りがあると指摘した。金さんによる1991年の提訴をめぐって櫻井氏が「訴状には、14歳のとき、継父によって40円で売られた(中略)経緯などが書かれている」と書いた箇所だ。金さんの訴状にその記述はない。指摘を受けて櫻井氏は、2018年3月の被告本人尋問で「間違いですから、これは改めます」と認め、「WiLL」と産経新聞に訂正記事を載せた。  2018年11月の札幌地裁判決は、植村氏の請求を棄却した。金さんが「継父によって人身売買され慰安婦にさせられた」と櫻井氏が記した点について「真実と認めることは困難」と認定。櫻井氏の記述の「真実性」を否定した。ただし植村氏の記事が事実と異なると櫻井氏が信じるのには「相当の理由があった」として「真実相当性」を幅広く認めて櫻井氏を免責した。2020年2月の札幌高裁判決も一審を追認している。  最高裁決定直後、SNSで安倍晋三前首相のアカウントが反応した。ツイッターでは、昨年11月19日に産経新聞が植村氏の「敗訴確定」を伝えた記事を同日夕にリツイートした。フェイスブックでも翌20日午前に同じ産経記事を引用して紹介したうえで、コメント欄に21日未明、「植村記者と朝日新聞の捏造が事実として確定したという事ですね」と書き込まれた。  これに対し植村氏は24日、弁護団を通じて安倍氏あてに内容証明郵便を送付。「植村氏が捏造記事を書いたと認定した判決が確定した事実はない」と指摘し、1週間以内にコメントを削除するよう求めた。  コメントは12月4日までに削除された。削除の理由や経緯について、安倍氏側から植村氏への説明はなかった。代わりに「WiLL」2021年2月号に掲載された特集「元朝日新聞植村記者『慰安婦捏造』に最高裁の鉄槌!」で、櫻井氏と対談した阿比留瑠比・産経新聞編集委員が「面倒な人たちに絡まれるのを嫌ってか、安倍前首相はフェイスブックのコメントを取り下げました」と述べ、安倍氏を事実上代弁した。  植村氏の裁判ではもう1件、西岡力・麗沢大学客員教授と文藝春秋を東京で提訴した訴訟が最高裁に上告中となっている。東京地裁、東京高裁とも原告の請求を棄却したものだ。  一連の裁判に臨む植村氏の姿を、元RKB毎日放送(福岡)ディレクターの映像作家、西嶋真司監督がカメラに収め、ドキュメンタリー映画「標的」をつくった。  西嶋監督 は植村氏が元慰安婦の記事を最初に書いた1991年から3年間、ソウル特派員だった。「私を含め、当時ソウルにいた記者はみな慰安婦問題の記事を書いた。20年以上たってなぜ彼だけが標的にされ『捏造』と攻撃されるのか 」と感じ、撮影を始めた。  当初はテレビ番組にまとめる予定だったが、国内で慰安婦問題の番組を放送するのは極めて難しい状況。しかし「作品を完成させず勤め続けても後悔する」と考えた西嶋監督は、定年後の延長雇用を打ち切ってテレビ局を離れ、映画づくりに専念し、昨年秋までにほぼ完成させた。今年は各地での上映を進める予定という。「現代日本で起きている言論へのバッシングがいかに不当であるかを知ってほしい」と話している。(朝日新聞編集委員・北野隆一)
朝日新聞出版の本読書
dot. 2021/02/20 08:02
ダウン症モデル・菜桜さんが「かわいい」と話題! 15回の手術を乗り越えて母子が抱く夢
ダウン症モデル・菜桜さんが「かわいい」と話題! 15回の手術を乗り越えて母子が抱く夢
モデルとして活動する菜桜さん。■菜桜さんインスタグラム @nao_angel_smile ■ブログ https://ameblo.jp/nao-angel-smile/ 振袖を着てポーズを決める菜桜さん(studio Erika提供) ■菜桜さんインスタグラム @nao_angel_smile ■ブログ https://ameblo.jp/nao-angel-smile/ 赤いワンピースと、頭にはリボン型のスカーフ(由美さん提供) ■菜桜さんインスタグラム @nao_angel_smile ■ブログ https://ameblo.jp/nao-angel-smile/ 「ダウン症モデル」として活動している菜桜(なお)さん(16)が、注目を集めている。昨年から本格的に活動を開始するや、インスタグラムのフォロワー数は月を追うごとに増え、昨年12月末には1万人を超えた。投稿の中には45万回再生された動画などもあるが、なぜここまで人気を集めているのか。本人と母の由美さん(50)に話を聞いた。 *  *  *  青空の下で、鮮やかなピンク色の帽子が映える写真、艶やかな振り袖の写真……菜桜さんのインスタグラムには日々、さまざまなコーデが投稿される。  それに対して、「笑顔に元気をもらえる」「かわいくて素敵な写真!」といった応援コメントが数多く寄せられる。フォロワー層は障害のある子の親や家族にとどまらず、菜桜さんと同年代の女子高生なども多いという。  写真で目を引くのは、その天真らんまんな笑顔だ。母・由美さんは、そんな菜桜さんの笑顔を「エンジェルスマイル」と名付けた。 「わが娘ながら、かわいいんです」  現在は静岡県内の特別支援学校に通いながら、県内のモデル事務所「スタジオ・エリカ」に所属し、撮影やファッションショーの仕事をしている。事務所の青島えりか代表も期待を抱く。 「注目度が高まってきた。事務所としては、プロとして生活できるよう、ギャラを発生させてあげたい。フォロワーを増やし、アパレルと契約することが目標です」  服は親子で月に1~2回、県内のショッピングモールで選んでいる。ブランドはGAPやOSADAがお気に入りだ。  菜桜さんにお気に入りの色を聞くと、「ピンク!」と笑顔。由美さんは「私は白とグレーが似合うと思うんですけどねえ」と言って笑い合う。 「金銭的に余裕があるわけではないのでたくさん買ってあげることはできませんが、娘が自分から服を選んでいる様子を見ると、うれしくなります」(由美さん)  インスタグラムは毎回、由美さんが投稿している。投稿に対する思いについて、由美さんは言う。 「この子がまだ小さかった頃、ダウン症の子を持つブログを見ても、特徴のある顔つきや短命であることなど、出てくる情報はマイナス面ばかりだった。ネット掲示板では、生きている価値がないとまで書かれている。調べれば調べるほど、気持ちが落ちていきました。だからこそ、明るくなれるような、希望を持てるような情報を発信したかった」  今でこそ仲むつまじい母子だが、出産当初、母は娘を愛せなかった。 「染色体異常があるかもしれない」  産んだその日に告げられて、由美さんは頭が真っ白になった。「ダウン症」という言葉が頭をよぎり、ショックで大泣きをした。赤ん坊のわが子を看護師に触るよう勧められても、「触らない!」と意固地だった。  産んだ翌日に、無理を言って退院した。 「他の元気な赤ちゃんの声が聞こえるのが、つらくてたまらなかったんです。『ここにはいたくない!』と言って、菜桜を置いて帰ってしまった。今では考えられないのですが、当時はパニックになって、現実を認めたくなかった」(同) 「ダウン症」と診断された上、食道がつながっていないことも分かった。ミルクをあげられず、胃ろうで命をつないだ。 「夢だと思っても、朝目覚めたら現実が待っていて、絶望する日が続きました。娘と向き合うこともしませんでした」(同)  その言葉通り、生後2カ月までの菜桜さんの写真は1枚もない。だが、生後2カ月半の時、由美さんの中で何かが変わった。 「抱っこをした時に、私の顔を見て笑ってくれた。それを見て初めて、『かわいい!』と思えたんです」  成長をブログに載せるために、写真を撮るようになった。娘に対するいとおしさは、歳月とともに増していった。とはいえ、 「小学校高学年ごろまでは、正直、普通の子だったらいいなと思うこともありました。『ダウン症の菜桜だからこんなにかわいいんだ』と思えるまでには時間がかかった」(同)  当初は周りの目が気になったという。出掛けるときは髪をツインテールにし、かわいい服を着せた。 「少しでもかわいい服や髪形をさせてあげたかった。最初は見栄もあったと思います。障害のある子だから、親が子どものおしゃれに気を使ってあげない、というのは嫌でした」(同)  当初は母主導であったが、菜桜さん自身がおしゃれに目覚めたのが9歳の頃。「世界ダウン症の日(3月21日)」のイベントで、ファッションショーに出演することになった。2日間ウオーキングレッスンに通って本番に臨んだ。黄緑色のかわいらしい衣装で笑顔を振りまいた。  その後、何年たっても、菜桜さんはファッションショーのことを覚えていた。折に触れ、「またやりたい」と口にした。だが、障がい者モデル向けのレッスンを受けるには東京まで通う必要がある。経済的に厳しかったため、由美さんは応援したい気持ちを抑えて娘をなだめた。  転機は一昨年の2月。 「菜桜ちゃん出ない?」  友人から誘われる形で、静岡県内の百貨店で開かれた「障がい者モデルファッションショー」に参加することになった。出演が決まると、菜桜さんは「楽しみだね!楽しみ!」とうれしそうに毎日を過ごした。本番の衣装は、抜けるように白いロングシャツ。きびきびとステージを歩き、腰に手を当てて笑顔でポーズを決めた。  イベントで指導をした担当者が、静岡市で障がい者モデル向けのレッスンを開いていることがわかった。 「静岡なら通える!」  由美さんは出演後にレッスンを志願。それからは月2回ほどのレッスンに通いつつ、約2年間で計8回のファッションショーに出演した。  モデルとして、乗り越えるべき課題もある。カメラのレンズを見るときに視線が泳いでしまったり、カメラマンの指示をくみ取れなかったりする。筋力が弱いため、ウオーキングの姿勢は猫背になりがちだ。そうした課題を、菜桜さんは自分でも意識して克服しようとしている。目線や姿勢は少しずつ改善し、撮影時間は以前ほどかからなくなった。直近の撮影では、数分でOKが出たほどだ。 「少しずつですが、着実に向上している。経験を積んでいけば、障害があっても上達できると実感しています」(由美さん)  モデル活動をするようになってから、菜桜さんの様子に変化があった。YouTubeで他のモデルのファッションを見るようになったほか、おしゃれに興味が出たことで、「こんな服が着たい!」「髪は長いままがいい!」と意思表示をするようになった。ドラッグストアに行けば、化粧品コーナーの前で立ち止まるようになった。 「年頃の子のおしゃれは、本来当たり前のこと。ダウン症でも、おしゃれしたって化粧したっていいはず。そんな気持ちを応援したい」  当然ながら、裏では苦労もたくさん経験してきた。菜桜さんは生まれてから現在まで、手術と隣り合わせで生きてきた。これまで手術は15回。食道に食べ物が詰まってしまうので、3カ月ごとに拡張手術をしている。食べものは慎重に口に入れ、ゆっくりと水分で流し込まないと簡単に詰まってしまう。合併症を患っているので、心臓や目の手術なども経験した。 「こんなに手術する子もそうそういない。親として、ただただかわいそうで……」  入院や手術が続くと気持ちがめいってしまいそうだが、モデルの活動が支えになっている。入院中は、親子で次の撮影の話をして、今後の楽しみに目を向ける。  大変な思いもたくさん経験してきたが、菜桜さんの笑顔は周囲を明るく照らす。記者も取材中、その笑顔に心がふっと軽くなった。彼女の目標は、自分だけでなく、他人を笑顔にすることだ。菜桜さんは取材の最後、「みんなが笑顔になれるモデルになりたいです!」と宣言した。  菜桜さんが歩んできた道は決して平たんではない。そして今後も困難はつきまとうだろう。日本の障がい者モデルへの理解や活躍の場は、まだ限られている。でも、菜桜さんの笑顔が未来を明るく照らしてくれるはずだ。(取材・文=AERA dot.編集部・飯塚大和)
dot. 2021/02/17 11:32
松村北斗さん(SixTONES)が「ジュニアエラ3月号」のスペシャルインタビューに登場/特集は「東日本大震災から10年」/2月15日(月)発売
松村北斗さん(SixTONES)が「ジュニアエラ3月号」のスペシャルインタビューに登場/特集は「東日本大震災から10年」/2月15日(月)発売
「ジュニアエラ3月号」 ※アマゾンで予約受付中!  小中学生向けのニュース月刊誌「ジュニアエラ3月号」は2月15日(月)発売。映画「ライアー×ライアー」に主演するSixTONESの松村北斗さんがスペシャルインタビューに登場し、映画への思いを語るほか、小学生からの質問にも答えます。特集は「東日本大震災から10年」。2011年3月11日に何があったのか、それから10年の間にどう復興したのか、防災のために何を気をつければいいのかなど、子どもたちにわかりやすく解説します。学びも楽しさも詰まった一冊です。  SixTONESの松村北斗さんが演じたのは二面性を持つ男子。「クールだけど、怖くなりすぎないように感情や言い方の足し引きをした」と言います。映画に出てくる地味だけどかわいい女子大生と、華やかなギャルの2人ではどちらがタイプかも聞きました。松村さんが何と答えたかは誌面をご覧ください。映画にちなみ、松村さん自身のきょうだい関係についても質問。3歳違いのお兄さんと仮面ライダーごっこをした話を楽しそうにしています。さらにはジュニアエラ読者の小学生からの質問にも回答。「ドッジボールの当たった、当たってないでいつももめます」という小学生らしい相談に、「これはもう永遠のテーマ!」と言い、真剣に考えて納得の回答をしています。  特集は「東日本大震災から10年」。震災が起きた時まだ小さくて、記憶に残っていないという子どもたちが、あの日を知り、これからに生かせるように特集をつくりました。震災当時の写真、被害や復興の状況のデータをふんだんに使ってわかりやすく解説しています。当時子どもだった人たちに、あの日どんな経験をしたのか、その後どう変わったのかを聞いたアンケート結果も載っています。さらに、防災意識をアップデートするため、専門家のアドバイスも聞きました。親子で改めて震災のおそろしさや防災の大切さを学ぶきっかけにしてください。  人気のSexy Zone連載には、佐藤勝利くんが登場。「不安だとすぐに泣いてしまう」という読者からの質問に答えます。自身も昔は、不安で泣いていたという勝利くん。「不安は誰にでもあるから、自分を否定しなくていいし、無理にポジティブにならなくていい」とアドバイスします。前号登場の松島聡くんからのムチャぶりも。「最近許せなかったことを教えて」というお題に、勝利くんは、菊池風磨くんのドッキリにひっかかったエピソードを話してくれました。 ほかにも、 ・ニュースが知りたい ワクチンで新型コロナは収まるの? ・ニュースが知りたい 圧巻! 羽生結弦選手を支えるもの ・サイエンスジュニアエラ 都会と農地で姿が違う雑草の謎に迫る ・子ども地球ナビ リトアニアの女の子 ・のぞき見探偵が行く!! 消防署 ・「東大クイズ王」に挑戦!! 謎解きクイズノック ・中学受験に強くなる! 読解力講座 など、多彩な企画が満載です。 ジュニアエラ3月号 定価:454円+税 発売日:2021年2月15日(月曜日) https://www.amazon.co.jp/dp/B08T42FNHJ
dot. 2021/02/12 12:05
利き足の概念なし? 日本サッカー史上「最も両足ともに上手かった」選手は誰だ
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利き足の概念なし? 日本サッカー史上「最も両足ともに上手かった」選手は誰だ
両足ともに質が高かった三浦淳宏 (c)朝日新聞社 「両足を使える」というのは優秀なサッカー選手の条件のひとつだが、どれほどトレーニングを積み重ねたとしても「利き足>逆足」の関係は変わらず、Jリーガーの中でも左右両足を全く遜色なく使える選手というのはそれほど多い訳ではない。だが、その不等号を限りなくイコールに近づけた選手はいる。  真っ先に思い浮かぶのが、天才・小野伸二だ。保育園時代から自宅の前で黙々とボールを蹴っていたという日本サッカー史上最高のテクニシャンは、毎日のリフティングでボールタッチの感覚を養い、逆足である左足の精度も磨いた。その技術は清水商高校時代にはすでに完成されており、浦和レッズ入団から18歳でのW杯出場、ワールドユース準優勝、さらにフェイエノールト時代と、随所で天賦の才を見せつけてファンを虜にした。  特に味方が走り込んだ足元にピタリと止まるパスは最高品質。2001年7月のパラグアイ戦では、自陣左サイドから相手DFラインの裏へ、左足でバックスピンをかけたピンポイントパスで柳沢敦の先制ゴールをアシスト。逆足でのボールタッチ、スルーパスは他の追随を許さない。  シュートに注目すれば、“キング・カズ”こと三浦知良の名前が挙がる。1993年のJリーグ初代MVPから54歳となる今年もJ1でプレーするレジェンド。最近はその年齢にばかり注目が集まるが、生まれ育った静岡、単身で旅立ったブラジルの地で培った技術は確かなもの。  左右両足から精度の高いシュートを放ち、23点を奪って得点王に輝いた1996年は、右足よりも左足での得点の方が多かった。また、若い頃はプレスキッカー役も務め、逆足の左足でFK直接弾、さらにCKから巻いたボールで直接ゴールネットを揺らしたことも。2017年3月のJ2・群馬戦で決めたギネス世界記録認定の50歳14日での“最年長ゴール”も左足で決めたもの。まさに「両利き」のゴールゲッターである。  同じ三浦姓である三浦淳宏も、左右両足から正確かつ鋭いキックを繰り出した。利き足は右だが、マラドーナに憧れて磨いたという左足も高精度。鋭いドリブルを武器に、左アウトサイドから縦に突破しての左足クロス、切り返しての右足クロス、さらに中央に切り込んでのシュートと多彩なバリエーションで相手DFを苦しめた。  サイドバックもこなした三浦淳宏だが、左足も蹴れる右利きの左サイドバックとしては、古くは都並敏史や相馬直樹、現役選手では駒野友一、長友佑都、酒井高徳も同じ系譜だ。この中ではフィジカル自慢である長友の左足精度がやや落ちるが、それ以外の面々は「両利き」と言えるほど左足の精度が高く、オーバーラップしてからの左足クロスで多くの得点チャンスを演出した。プロフィールデータがなければ、「左利き」と勘違いするファンもいるだろう。  先ほど新天地・ギリシャ1部のPAOKへの移籍が決まった日本代表の元エース・香川真司も「両利き」に近い。バイタルエリア内で左右両足を巧みに使ったターン、ドリブル、パスで相手守備網に穴を開け、シュートも両足遜色なし。ハイライトシーンだけではどちらが利き足か判断するのが難しいほどだ。  さらに現代表のプレーメーカーである柴崎岳の左足も光るものがある。基本技術の高さは折り紙付きで、ヘタフェ時代の2017年9月16日のバルセロナ戦で決めた左足のボレーシュートは、準備動作からインパクトの瞬間まで、まったく力みのない美しいゴラッソだった。その他、20代前半のJリーガーたちの中にも、ヴィッセル神戸に所属する初瀬亮や今季から浦和レッズでプレーする小泉佳穂なども「両利き」を売りにした選手。あとは、その武器をどこまで磨き上げることができるかどうかになる。  この他にも両足を使うのが上手い選手はいるが、「日本サッカー史上最高の両利きは誰?」と問われれば、2011年のW杯優勝に大きく貢献し、アジア年間最優秀選手賞も3度受賞した女子サッカーの宮間あや、と答える。  広い視野と左右両足から繰り出される正確無比なパスで試合をコントロールし、CKやFKなどの止めたボールの精度は抜群。右でも左でも、サイド、角度によって蹴り分ける世界でも稀な「両足プレースキッカー」だった。この宮間に限らず、世界の他国選手と比べると逆足の精度の高さは日本人選手の特徴のひとつと言える。“日本の技術力”の高さを、サッカーの世界でも再証明してもらいたい。
dot. 2021/02/11 17:00
旭川医科大学長、超・長期政権が続くか 学長で比べる大学ランキング
旭川医科大学長、超・長期政権が続くか 学長で比べる大学ランキング
旭川医科大学病院院長の解任問題などについて会見した旭川医科大学・吉田晃敏学長((c)朝日新聞社) 学長の出身大学  新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、医師、看護師、保健師ら医療従事者は、日夜過酷な勤務状況で献身的な仕事をされている。私たちはいつもたいへんな敬意を払っている。 こうしたなか、残念なできごとが起こった。 日本で最北端の医学部、国立の旭川医科大の吉田晃敏学長が、付属の旭川医科大学病院の古川博之院長を解任したのである。学内の会議の内容を外部に漏らした、また新型コロナウイルス感染症患者の受け入れをめぐる吉田学長とのやり取りを恣意的に報道機関に話した―――というのが解任理由だった。 これに対して、古川博之前院長は、情報漏洩はなかった、学長の「患者を受け入れるなら辞めてください」という発言はパワハラにあたる、と反論している。 コロナ禍という緊急事態において、こうした問題は速やかに解決し、緊急事態に対応してほしい。 今回の問題で注目されたのが、旭川医科大学長の強い権限と、長い任期だ。 吉田学長は同大学の1期生(1979年卒)。2007年に学長となった。その後14年にわたって大学トップの座にある。現在、国立大学のなかで、学長在任期間はもっとも長い。 国立大学長は2期6年務めるのが一般的である。多くの大学で学長の任期に上限を設けているからだ。ところが、昨今、任期を撤廃する大学が増えている。旭川医科大、筑波大、東京芸術大、東京工業大、大分大などである。 2020年、筑波大では永田恭介学長の再任が決まった。2021年4月から2024年3月まで学長を務めることになり、任期をまっとうすれば11年間の長期政権となる。同大学には学長の再任回数の上限がなく、定年制もないため、永田学長はそれ以降も引き続き筑波大トップであり続けることができる。 国立大学の学長任期のあり方についてはさまざまな意見がある。 任期撤廃の根拠は「大学改革で長期計画を進めるため、学長は長くリーダーシップを発揮し大学運営を安定させるべきだ」といったものなど。その逆に任期を定める理由は「長期になるほどまわりの意見に耳を傾けず独裁的になり、大学運営を誤ってしまう」などである。  一方、私立大学では、事情がかなり違ってくる。オーナー系つまり創設者の親族が学長を務めている大学では、2代目3代目で10年選手、20年選手の学長がいる。オーナー系学長の長期政権であっても、大学運営がしっかりなされているところはいくつかある。が、独裁色が強すぎてまわりの意見を聞かずに新しい学部づくりに失敗し、定員割れで苦労する大学もある。「大学ランキング2021」(朝日新聞出版)では、学長の在任期間、学長の最年少と最高齢、学長の出身大学ランキングを掲載している(2020年1月現在。カッコ内は就任期間) 在任期間の長さでは次の学長が紹介されている。 大阪学院大・白井善康(43年) 名古屋商科大・栗本宏(39年) 武蔵野音楽大・福井直敬(39年) しかし、3学長はいずれも2020年内に新しい学長と交代し、親族が後継者となった。 現在、在任期間が長い学長は次のとおり。(2021年1月現在。カッコ内は在任期間) 至学館大・谷岡郁子(35年) 北海商科大・森本正夫(30年) 東邦音楽大・三室戸東光(28年) 玉川大・小原芳明(27年) 岡山商科大・井尻昭夫(26年) 次に学長の年齢を見てみよう。キャリアを積んだ50代、60代を想像しがちだが、40代も活躍する。たとえば以下の学長だ。 松山大・新井英夫 函館大・野又淳司 大阪経済大・山本俊一郎 帝京大・冲永佳史 名古屋産業大・高木弘恵 名古屋女子大・越原もゆる 若い学長のなかには、創設者の親族も多い。 一方、学長の最高齢は、横浜薬科大の江崎玲於奈である。1925年生まれでまもなく96歳になる。大正、昭和、平成、令和を生き抜いたノーベル賞学者だ。 最後に学長の出身校を見てみよう。 東京大、京都大がかなりの数を占めるが、10年前に比べると出身校にバラツキが見られるようになった。 東京大出身 2009年 127人、2019年 79人 京都大出身 2009年 70人、2019年 45人 大学間の人材交流が進んだ結果ともいえる。学問を発展させる、最先端研究を進めるにあたって、アカデミズムの世界をタコツボ化させないためには、良いことである。 地域ブロック別に見ると、かつては、たとえば北海道地方の大学は北海道大出身、東北地方の大学は東北大出身の学長が多かった。が、これも多様化が見られる。 前出・旭川医科大の吉田晃敏は、同大学が1973年に開学して以来7代目の学長になるが、それまでの6人中5人は北海道大医学部出身であり、「北大の植民地」と揶揄されることもあった。 吉田学長は旭川医科大出身である。同大学では初めて母校出身者が大学トップとなり14年が経った。リーダーシップを発揮しすぎ、周囲と軋轢が生まれたようにも思える。 コロナ禍という緊急事態において、医学部、大学付属病院の役割は大きい。学内でもめることより、コロナ禍で不安を抱く地域住民に目を向けてほしい。(文中敬称略、文/教育ジャーナリスト・小林哲夫)
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dot. 2021/02/11 08:02
日本で承認の子宮頸がんワクチン発売へ 根強いワクチン不信を払しょくできるのか?
山本佳奈 山本佳奈
日本で承認の子宮頸がんワクチン発売へ 根強いワクチン不信を払しょくできるのか?
山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師 写真はイメージ(GettyImages)  日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「日本で承認された子宮頸がんワクチン発売」について、NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  日本で承認された9価HPV ワクチンが今月24日より発売されることが先日発表されました。HPVワクチンとは、ヒトパピローマウイルス(HPV)の感染予防に効果的なワクチンのこと。日本では子宮頸がんワクチンと呼ばれることが一般的であり、こちらの呼び名なら聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。  9価HPV ワクチンは2014年12月にアメリカで承認されたのをきっかけに、翌年の2月にはカナダ、6月にはオーストラリアと欧州連合(EU)で承認され、昨年7月時点で80カ国以上の国と地域で承認(※1) されています。日本は世界からはかけ離れた状況と言わざるを得なかった状況からほんの少し、世界の水準に近づくことができそうです。  主に性交渉によって感染するHPVには100種類以上の型があり、子宮頸がんのほとんどは高リスク型のHPVに持続的に感染することで発症します。世界保健機関(WHO)によると、2020年には推定60万4千人の子宮頸がんが新たに診断され、34万1千人の女性がこの病気で亡くなりました。  HPVの感染によって引き起こされるのは、子宮頸がんだけではありません。肛門がんや中咽頭がんなどもHPVの感染と関連していることがわかっています。そのため、米国や英国、カナダ、ブラジルなどでは、これらHPV関連がんの予防に対して女子だけでなく男子への接種もすでに推奨され、接種が進んでいます。世界では高リスク型である9つの型のHPV感染を抑える9価のHPVワクチンが標準となっているのです。  日本はというと、2013年4月から2価と4価のHPV ワクチンの定期接種(小学校6年生から高校1年生相当の女子が該当)が開始されたものの、2カ月後には副反応の懸念から積極的な接種勧奨は中止。現在もHPV ワクチンの積極的勧奨中止の状態が続いているため、HPV ワクチンの接種率は激減しています。  なんと、1994から1999年度生まれは55.5~78.8%あった接種率が、2000年度生まれは14.3%、2001年度生まれは1.6%、2002年度生まれは0.4%、以降1%未満と、2000年度以降に生まれた女性のHPVワクチンの接種率が大幅に減少していたことが大阪大学の研究グループによって判明しています。さらに、HPVワクチンの接種率が激減していた2000年度から2003年度生まれの女性では、子宮頸がん患者が約17,000人、子宮頸がんによる死亡者が約4,000人増加する可能性が示唆されるといいます。  日本では副反応が懸念され続けているHPV ワクチンですが、HPVワクチンの有効性と安全性についてこれまで多くの研究が発表されています。  例えば、韓国で2017年にHPVワクチンの接種を受けた11歳から14歳の女子約38万人とHPVワクチンの接種を受けなかった約6万人を調べたところ、33の深刻な有害事象とHPVワクチンの関連は認められなかったことが、今年の1月に医学誌に報告されています。昨年の10月には、スウェーデンの研究グループが2006年から2017年の間に10歳から30歳だった約167万3千人の女性を対象として4価のHPV ワクチンの接種と子宮頸がんの発症との関係を調べたところ、子宮頸がんの累積発生率は予防接種を受けた女性では10万人あたり47人、予防接種を受けていない女性では10万人あたり94人と、4価のHPVワクチン接種は子宮頸がんのリスクの大幅な低下と関連していることがわかったと報告しています。  WHOは、2017年の諮問委員会による安全性に関する声明で、「HPVワクチンが承認されて以降、多くの大規模で質の高い研究・調査において、懸念されるような新たな有害事象は認められていない。HPVワクチンは極めて安全であると考えられる」との声明を出しています。  一方で、ワクチン拒否やワクチンに対する信用度については、日本に限らず世界で問題です。しかしながら、日本は世界のなかで最下位レベルのようなのです。というのも、世界149カ国で実施された290の調査から得られたデータによる調査結果によると、ワクチンの安全性、重要性、または有効性に強く反対する回答者の割合が高い10カ国の一つに日本が挙げられており、「ワクチンは確かに安全である」と回答した割合も17%と、とても低いことが判明しています。この報告の中で、どうやら2013年にHPVワクチンの積極的な推奨を控えたことが災いしているようだと、考察がなされていました。  オーストラリアのKaren氏らは、HPVワクチン接種・検診・治療の普及を達成すれば低所得国や中所得国では、今後100年で子宮頸がんによる死亡はほぼ消失するといいます。しかしながら、日本はというと、HPVワクチンの接種のみならず、子宮頸がんの検診率は半数にも達していません。子宮頸がんの検診率は、経済協力開発機構(OECD)加盟国30カ国の中で最低レベルです。HPVワクチン接種や検診が普及しているとは言えない日本では、子宮頸がんに罹患する女性が増加すら示唆されているというわけなのです。  4価HPV ワクチンは定期接種(小学校6年生から高校1年生相当の女子が該当)の対象でしたが、昨年12月25日、4価HPV ワクチンの男性への接種と肛門がんへの適応拡大が承認されています。しかしながら男性への接種は任意接種のため、全額自費負担です。国産の9価HPV ワクチンも現時点では定期接種の対象ではなく、価格もまだ公表されていません。海外の多くの国で接種されている9価HPV ワクチンは輸入ワクチンの扱いのため、標準の接種回数である3回の接種をするとなると、費用は10万円前後となっているのが現状です。国産の9価HPV ワクチンを接種するのに、果たしていくらかかるのか、とても気になるところです。  (※1)https://www.msdconnect.jp/products/gardasil-silgard9/gl_hpv_vaccine.xhtml 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員
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dot. 2021/02/10 07:00
川栄李奈に続き「西野七瀬」も快進撃 坂道系と48系の卒業後の成功モデルの違いから見えるもの
宝泉薫 宝泉薫
川栄李奈に続き「西野七瀬」も快進撃 坂道系と48系の卒業後の成功モデルの違いから見えるもの
川栄李奈(左)と西野七瀬(C)朝日新聞社  最近、西野七瀬のCMをよく見る。 「au」の「意識高すぎ!高杉くん」シリーズでは新キャラの「貯杉先生」として登場。神木隆之介扮する高校生を悩殺し、松本穂香扮する女子高生を嫉妬させる役どころだ。そのかわいさを武器に、人気シリーズを活性化させる働きを見事に果たしている。  また「アサヒスーパードライ」の「春、待ってるよ」編では、同じく元・乃木坂46の白石麻衣と共演。「スーモハウス」の「ナナセさんの絞り込みカンリョウ!」編には単独で出演中だ。  どのCMでも、長年在籍したグループを2年以上前に卒業した26歳とは思えない新鮮な魅力が感じられ、ファンならずとも目を奪われる人が続出している。  ただ、こうした姿を見せているのは西野だけではない。欅坂46のセンターだった平手友梨奈は年明けの「世界の果てまでイッテQ!」(日本テレビ系)でかくし芸に挑戦するなどして、グループ時代とはまた違ったアイドル性をアピール。同じく元欅坂の長濱ねるも、一年近くの活動休止を経て、しっとりとした魅力も加えたかたちで戻ってきた。  前出の白石もきれいなイメージをキープしているし、坂道系の卒業組はもっぱらアイドル性を維持、もしくは更新しながらソロに移行しているのである。  一方、AKB48をはじめとする48系グループの卒業組は対照的だ。女優なり、バラドルなり、アイドル的ではないイメージを強く打ち出しているように見える。例外として渡辺麻友がいたものの、昨年、引退してしまった。  これにはAKBのほうが歴史が古く、また、乃木坂などは芸能史的にも空前絶後のルックス偏差値を誇るグループだからということも関係しているだろう。しかし、それだけではない。AKBは「ヘビーローテーション」や「恋するフォーチュンクッキー」といった、老若男女が知る大ヒット曲を生むなどして、正真正銘の国民的グループへと到達した。それゆえ、48系全体に時代を象徴するブームを作った印象がともなっている。その物語は、ファン以外にも共有されているのだ。  握手会や選抜総選挙を連動させるシステムは大きな注目を集め、AKB商法という言葉も生まれた。そのサクセスストーリーの主人公というべき、前田敦子が発した、 「ひとつだけお願いがあります。私のことは嫌いでも、AKB48のことは嫌いにならないでください」  という名言は、キンタロー。の物まねネタにもなり、多くの人が知っている。指原莉乃や峯岸みなみのスキャンダル、あるいはNGT48で起きたファンも絡んだトラブルについても、またしかりだ。  このため、48系で活躍したメンバーはそのキャラをとことん消費されることとなった。卒業後は別の顔を見せなくてはいけない。それがいかに難しいかは、過去の国民的グループにおける事例が示している。ピンクレディーのふたりも、モーニング娘。の卒業組もかなりの苦労を味わうこととなった。  そんななか、ヒントになるような成功モデルを示したのが、川栄李奈と指原だ。前者は女優、後者はバラドルとして、道を切り開いた。特に川栄は、選抜総選挙の最高順位が16位と、グループ時代は大した実績を残せず、ファンによる握手会襲撃事件の被害者という印象くらいしか持っていなかった人も多いだろう。そんな脇役的存在が卒業後、出世頭と呼ばれるほどの大躍進を遂げたのである。  その転機となったのが、2016年前期のNHK朝ドラ「とと姉ちゃん」。ヒロインが身を寄せる下町の弁当店の娘を演じて、爪痕を残した。その後、ドラマや映画、CMにも引っ張りダコとなり、本年度後期の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」ではヒロインのひとりに決定。今月スタートのNHK大河ドラマ「青天を衝け」にも出演する。  これが女優志向の48系卒業組に影響を与えたことは、想像に難くない。大島優子は二度目の朝ドラとなった「スカーレット」(19年度後期)でヒロインの幼なじみをオバサンになるまで演じきり、評価を高めることに。島崎遥香は「ひよっこ」(17年前期)でクセの強い役をこなし、女優としての株を上げた。松井玲奈は二度目の朝ドラ「エール」(20年度前期)にヒロインの姉役で登場。二階堂ふみや森七菜と絶妙なコントラストを見せたものだ。  また、朝ドラとは縁のない前田敦子にしても、川栄のことは気になるのではないか。こちらは卒業後しばらくソロ歌手としても活動したが、やがて女優に専念。一昨年の映画「葬式の名人」や昨年のドラマ「伝説のお母さん」(NHK総合)など、個性的な主演作を残している。AKBの象徴的なポジションだった分、その後の展開が難しいことを思えば、十分に健闘しているといえる。  なお、川栄は早くから女優志望で、朝ドラへの憧れも強く、初めてオーディションを受けたのはグループ在籍中の「あさが来た」(15年後期)だという。ヒロインを射止めた「カムカムエヴリバディ」は6度目の挑戦だったとのことだ。  そこにはAKBならではのハングリー精神もプラスに働いたのだろう。なにせ、わずか観客7人の前で行われた初公演以来、この手のグループの草分けとして歴史を作ってきた存在だ。「努力は必ず報われる」(高橋みなみ)という言葉に象徴されるメンタリティーが、第11期の川栄にも受け継がれていたのだろう。  これに対し、乃木坂などは絶頂を極めていたAKBの「公式ライバル」として用意されたグループ。それこそ、自分が頑張らないとグループが存続しないかもというところでやってきた48系とは状況が異なる。語弊はあるが、自分がいなくてもなんとかなりそうな坂道系、と表現することも可能だ。  実際、西野七瀬は5年前のインタビューで、デビュー当初は芸能界の競争主義に違和感を抱いていたことを明かした。 「『上を目指す』っていうのは別にいいやって。(略)でもだんだん、そうじゃなくなりました。最初は『ぐるぐるカーテン』の選抜のときに隣にいた子が、次の『おいでシャンプー』では選抜から居なくなって…、自分は2枚目で選抜に残れるとは思ってなかったのに、なんでだろうって思って…。そこまで『次のシングルに入るために何かしなきゃ』って、あんまり思ってなかったんです」(ベストタイムズ)  また、白石麻衣は1月27日放送の「突然ですが占ってもいいですか?SP」(フジテレビ系)で、グループ入りの3カ月後、こんな境地だったことを告白。 「もともとそんな、アイドルになりたくて入ったわけじゃなかったので、慣れない生活と周りについていけなくなって、辞めよう、と一瞬、決心しかけました」  このふたりの発言から、欲のなさに驚くより、むしろ乃木坂っぽいなぁと感じる人も少なくないのではないか。そういえば、初代センターの生駒里奈もちょっとオタクっぽくて素朴なところが魅力だった。もちろん、乃木坂にもガツガツしたタイプはいるだろうが、グループ全体としてはそういうイメージはない。  メンバー同士も仲がよさそうで、序列が崩れにくい安定感があるとでもいおうか。それは欅坂改め櫻坂46にも、日向坂46にも共通する印象だ。  そのせいか、坂道系では卒業後、川栄みたいな大逆転劇を起こすようなメンバーは出にくい気がする。そのかわり、市來玲奈(日本テレビ)や斎藤ちはる(テレビ朝日)のような、大学も卒業して女子アナになるようなメンバーもいたりするあたりが興味深い。それでもいずれは、坂道版の川栄が現れるのだろうか。  なんにせよ、未曾有のアイドルグループブームが10年以上続いているわけで、すでに大量の卒業者が発生、今後もどんどん増えていくはずだ。そのなかには、想像もしないような転身を遂げる人もいるだろう。アイドルシーンは今、魅力的な女の子たちのさまざまな変化と成長を楽しめるという、ぜいたくな状況を迎えている。 ●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など
dot. 2021/02/07 11:32
値上げラッシュで負担増 加えて「70歳就業時代」に来る「収入減の崖」とは?
池田正史 池田正史
値上げラッシュで負担増 加えて「70歳就業時代」に来る「収入減の崖」とは?
左から、東京ディズニーランド(c)朝日新聞社、日清オイリオグループの「日清キャノーラ油」(提供)、マルハニチロの「さんま蒲焼」(提供) 2021年から始まる主な値上げ (週刊朝日2021年2月12日号より) 70歳就業時代にやってくる収入減の“崖” (週刊朝日2021年2月12日号より)  新型コロナの収束が見えずに誰もが負担を感じているが、身の回りのサービスや生活用品の値上げも“待ったなし”だ。  高齢者などが利用する介護保険サービスは、4月から基本料が値上げになる。週2回の訪問介護を受ける場合は、月4990円から5020円へ、週3回の通所介護は同1万100円から1万200円へ変わる。  公共料金も上がる。例えば、水道料金。サービスを提供する自治体は、人口減で料金収入が落ち込むなか、老朽化した水道設備も改修しなければならないためだ。埼玉県川口市は1月から平均25%の値上げ、横浜市は7月から同12%の値上げに踏み切った。  足元では、電気代やガス代も上昇傾向だ。寒波などもあって、火力発電の原料となる液化天然ガス(LNG)価格が上がり、3月は東京電力や中部電力など大手7社が値上げする見通しだ。  銀行の手数料も値上げラッシュが続く。三井住友銀行は4月5日から、平日昼間のコンビニのATM手数料を110円から220円に引き上げる。それ以外の時間帯は330円となる。みずほ銀行は1月18日から通帳発行手数料を有料化した(70歳以上は無料)。新しくつくった口座は1冊当たり1100円が必要だ。埼玉りそな銀行は同日から、小銭やお札への円貨両替手数料を変更。これまで1日1回50枚まで無料対象だったが、10枚までに縮小した。  損害保険でも大手4社が1月、火災保険料を6~8%ほど値上げした。地震保険は、将来の災害リスクが高まったとして損害保険料率算出機構が基準料率を平均5.1%引き上げたため、各社が値上げ。最高14.7%上がったケースもある。  ファイナンシャルプランナー(FP)の丸山晴美さんは「高齢者ほど負担感は大きいはず」と懸念する。 「銀行の手数料の値上がりは、紙の通帳や店舗への来店を前提とした従来型サービスで多い。今までどおりに使い続けると、割高になるリスクが大きい。水道料金も、収入が限られると少しの値上げでもダメージは大きい」  水産大手のマルハニチロは4月から、サンマの缶詰4品目を1缶当たり30円値上げする。「さんま蒲焼」は参考小売価格230円が260円になる。サンマが記録的な不漁に見舞われて調達コストが上昇しているためで、昨春に続く値上げだ。  他にも2021年に値上がりするものは多い。東京女子医科大の学費や、東京ディズニーリゾートの料金など、まさに新型コロナが直撃して“価格転嫁”のようになったケースも目立つ。  高齢者には、とくに医療費の負担増が気がかりだ。医療制度改革関連法案が国会で可決されると、75歳以上の後期高齢者の窓口負担が1割から2割になる。政府は22年度以降の引き上げをめざしている。  こうした負担増に、肩を落としてばかりはいられない。4月の「改正高年齢者雇用安定法(70歳就業法)」施行によって、高齢者が働いて収入を増やすチャンスも広がるからだ。  同法は企業に対し、社員が70歳まで働き続ける仕組みをつくるように求める。現在は「65歳」までの定年の延長、再雇用、定年の廃止のいずれかを義務づけるが、改正後は70歳まで拡大。さらに三つの対応に加えて、企業は、別会社への再就職の支援や業務委託契約の締結、起業の後押し、社会貢献活動への参加支援という四つの対応も求められるようになる。  改正は「努力義務」のため企業で異なるものの、やがて義務化されるとの見方もある。再雇用契約を65歳から最長80歳まで延ばせる制度を導入した家電量販店のノジマなど、先取りの動きも出ている。 『定年の教科書』(河出書房新社)などの著書があるFPの長尾義弘さんは、同法について「より長く働く選択肢が増える」と歓迎する。 「老後資金に不安があったり、実際に足りなかったりする人は多い。働いて収入が得られれば、家計は当然、楽になります。元気なうちは働いたほうがいい」  セコムが成人500人を対象に実施した20年6月の調査によれば、最も不安を感じることとして「経済的な負担」と答えた割合が48.2%でトップだった。一方で、具体的にどんな対策をとっているかを聞くと、半数超が「対策をしていない」とした。70歳就業時代となれば、なおさら心配になる。 「老後のお金について不安が大きいのは、どれだけ足りないかがはっきりとわからないから。収入がいくらあればよいかがわかれば、どんな働き方が自分に合っているかも見えてきます」(長尾さん)  老後には、多くが直面する「収入減の崖」が待ち受ける。一つは「再雇用・再就職の崖」。定年退職後、それまで勤めていた会社に再雇用されたり、別会社に再就職したりすると、現役時代よりも収入が減るケースが多い。  次に「65歳の崖」。再雇用の期間が終わり、収入が年金だけになるタイミングだ。その後に訪れる「企業年金終了の崖」も、要注意。公的年金のように、生涯もらえるとは限らないからだ。受給期間が終われば、公的年金だけになる。  さらには、本人だけでなく、親や配偶者を含めた「介護・認知症の崖」や、「配偶者の死亡の崖」も収入ダウンにつながる。(本誌・池田正史、浅井秀樹) ※週刊朝日  2021年2月12日号より抜粋
お金
週刊朝日 2021/02/04 08:02
女子高生がショッピングモールのトイレで出産 望まない妊娠、えい児殺しは誰の罪?
北原みのり 北原みのり
女子高生がショッピングモールのトイレで出産 望まない妊娠、えい児殺しは誰の罪?
北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表 写真はイメージです(Getty Images)  作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、日本におけるえい児殺しの背景について。 *  *  *  栃木県のショッピングモールのトイレで出産し、乳児を死なせたとして高校生が逮捕された。  トイレでの出産、どれほど恐ろしかったことだろう。しかも出産してすぐの逮捕だ。彼女は今、どのような扱いを受けているのだろうか。まずは柔らかいベッドで休み、カウンセリング態勢を整えてあげてほしい。  増えているのか、または昔から変わらないだけなのか。商業施設やコンビニのトイレなどで1人で出産し、その後に乳児を遺棄し、逮捕される女性のニュースを頻繁に目にするようになっている。  昨年11月には空港のトイレで出産し、公園に遺棄した23歳の女性が逮捕された。彼女の名前も顔もメディアにさらされ、まるで社会的制裁が与えられたようなものだった。10月には岡山で35歳の女性が出産直後に用水路に子どもを捨てて逮捕。彼女には内縁の夫と2人の子どもがいた。また同じく昨年には、広島、熊本、岡山で解雇を恐れたベトナム人技能実習生が出産後に遺棄したとして逮捕されている。妊娠を理由に解雇も帰国もさせてはいけないのだが、その権利が女性たちには周知されていなかった。ベトナム人技能実習生のほとんどが借金を背負って来日し、雇い主に「妊娠するな」と言われた女性も少なくない。さらにベトナムなら合法的に使用できる中絶薬が日本では認可されておらず、病院で高額な手術を受けなければならないことも、彼女たちを追い詰めたという。  ……と記しながら改めて気づくが、妊娠しても相談する人がおらず、中絶したくても費用がまかなえず、外国なら手に入る安全で安価な中絶薬を使うこともできず、そうこうするうちに中絶可能な21週が過ぎてしまうという現実は、借金を背負い、解雇におびえ、最低限の生活を強いられているベトナム人技能実習生も、この国に生まれ育った女性たちも変わらない。  ベトナム人技能実習生も、日本にいなければ、中絶できたかもしれない。安心して産めたかもしれない。ショッピングモールで出産した高校生も、緊急避妊薬を薬局で買える国に暮らしていたら。中絶薬を使える国で暮らしていたら。そして、高校生が妊娠しても学業を諦めなくてよく、シングルマザーへの公助が充実している国だったら。トイレで1人で産まなくてもよい未来があったかもしれない。  昔からえい児殺しはあった。そしてそれは個人的な事情とされ、国は女性たちを逮捕してきた。それでも本当にこれは個人的な事情なのだろうか。女性だけの責任なのだろうか。  避妊の知識を子どもに教えず、多くの国で緊急避妊薬は薬局で販売されているが日本産婦人科医会はそれを「時期尚早」として認めず、国際的に一般的である中絶薬すらなく、高額で女性の身体に負担の大きい中絶手術を強いる社会の責任はないのだろうか。男女の経済的格差を放置し、シングルマザーの貧困対策が不十分な国の責任はないのだろうか。そもそも妊娠の責任を半分背負うはずの男性の存在は、こういう事件の時、なぜいつも見えないのだろうか。  女性福祉関係者のもとには、望まない妊娠や性暴力の相談が例年に比べ数倍の勢いで増えているという。今後、もしかしたら同じような事件はさらに増えていく可能性はあるだろう。特に若年層の女性たちにとって、中絶へのハードルが高いことは、このような悲劇的可能性を生むことになりかねない。  増えているのか、それとも変わらないのか。1970年代はコインロッカーなどにえい児を遺棄する事件が多発し、「コインロッカーべビー」が社会問題となったが、今、「社会問題」にもならないほど、私たちは“慣れて”しまっているのではないだろうか。過去40年分の朝日新聞、共同通信の記事で「えい児殺し」「出産直後殺害」「遺棄」などのワードで検索してみたが、以前はここ数年ほどの勢いでは表示されない。いったいどういうことなのだろうか。  増えたのか、変わっていないのかは分からない。でも少なくとも「減っていない」こと自体が、妊娠するかもしれない身体を持つ女性たちに対して、社会の冷酷さが強まっていることの証しなのかもしれない。 ■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表
dot. 2021/02/03 16:00
【「本屋大賞2021」候補作紹介】『犬がいた季節』――18歳ならではの葛藤をみずみずしく描き出す青春小説
【「本屋大賞2021」候補作紹介】『犬がいた季節』――18歳ならではの葛藤をみずみずしく描き出す青春小説
『犬がいた季節』伊吹 有喜 双葉社  BOOKSTANDがお届けする「本屋大賞2021」ノミネート全10作の紹介。今回取り上げるのは、伊吹有喜(いぶき・ゆき)著『犬がいた季節』です。 ******  二度と戻ることのない、みずみずしくて繊細だった青春時代。あのころの自分がページをめくるたびに蘇ってきそうな小説が、実力派作家・伊吹有喜が描き出す『犬がいた季節』です。  昭和63(1988)年、三重県四日市市にある進学校・八稜(はちりょう)高校に、捨てられた一匹の白い犬がやってくるところから物語は始まります。在校生の名前をとって「コーシロー」と名付けられた犬は、校長の許可を得て美術部の部室で飼われることになります。  コーシローの視点を織り交ぜながら、八稜高校3年生たちを主人公とした連作形式で紡がれてゆく本書。何度も巡る季節と、コーシローの成長とともに、第1話(昭和63年4月~平成元年3月)から第5話(平成11年4月~平成12年3月)にいたるまで、およそ12年の年月を経て物語が進んでいきます。  第1話「めぐる潮の音」は、家がパン屋を営む美術部員の女子・塩見優花と、同じく美術部員でコーシローの名前のもとになった男子・早瀬光司郎にまつわる物語です。  受験を控えながらも、なかなか勉強に身が入らず、成績が下降気味な優花。そんな折、店に食パンを買いに訪れた光司郎と会話をし、彼が食パンをデッサンの消しゴム代わりに使っていることを知ります。東京藝術大学を目指し実技の練習に励む光司郎に、優花は店の売れ残りのパンを定期的に渡すようになり、ふたりは次第に心を通わせるように――。光司郎の入試への熱意に心を動かされたのか、優花も勉強への意欲を取り戻し、成績が飛躍的に上がっていくのです。  「女が勉強できてもどうにもならん」という態度の祖父母や兄を前に自分の本心に蓋をしていた優花ですが、晴れて合格した東京の私立大学へ進むことを決意します。  優花の淡い初恋は、読んでいて誰もが応援したくなるはず。そして、光司郎の優花に対する思いを最後に知ったとき、読者は胸が締め付けられるような切なさを感じるのではないでしょうか。  このほか、鈴鹿サーキットのF1レース観戦に出かける男子二人の友情を描いた「セナと走った日」、阪神淡路大震災をきっかけに同居することになった祖母との交流を描いた第3話「明日の行方」など、どの作品も18歳ならではの心情が丁寧に描かれたものばかりです。  第1話では子犬だったコーシローは、第5話ではすっかり老犬になり、第1話ではまだ幼かった男の子が第5話では学生に成長していたり、すでに登場した人物の後日譚が別の物語で語られており、一冊を通してひとつの大きな時の流れを感じられる構成になっているのも、本書の秀逸なところといえます。  とくに優花はほぼ全話を通して登場しており(名前だけのこともありますが)、令和元年夏を舞台とした最終話では、現在の優花や光司郎の姿を知ることができて感慨深い気持ちにさせられます。  この物語の主人公たちと同じ時代を過ごした年代の読者にとっては、安室奈美恵やMr.Children、たまごっち、アイルトン・セナなど当時を彩る固有名詞が登場するため、懐かしさもひとしお。自身の青春時代と重ね合わせて思わず胸がいっぱいになることでしょう。  一方で、初恋や友情、家族、進路といった青春時代の悩みや葛藤は普遍的なものでもあります。本書は今を生きる若い世代にとっても共感できる珠玉の小説としてこれからも愛されていくのではないでしょうか。 [文・鷺ノ宮やよい]
BOOKSTAND 2021/02/01 19:00
東京五輪まで約半年 競泳平井コーチが明かすチームで練習する理由
平井伯昌 平井伯昌
東京五輪まで約半年 競泳平井コーチが明かすチームで練習する理由
平井伯昌(ひらい・のりまさ)/競泳日本代表ヘッドコーチ、日本水泳連盟競泳委員長 昨年12月の日本選手権女子400メートル個人メドレーで優勝した清水咲子 (c)朝日新聞社  指導した北島康介選手、萩野公介選手が、計五つの五輪金メダルを獲得している平井伯昌・競泳日本代表ヘッドコーチ。連載「金メダルへのコーチング」で選手を好成績へ導く、練習の裏側を明かす。第54回は、五輪まで約半年という時期の練習について。 *     *  *  今年の初戦となる北島康介杯が1月22日、東京辰巳国際水泳場で始まりました。オフシーズンの練習が試合でどう生かされるかを見る貴重な実戦の場です。首都圏に緊急事態宣言が出る中、新型コロナウイルス感染拡大防止の対策を徹底して、大会の実現に向けて力を尽くしていただいた関係者のみなさんに、感謝を申し上げます。  東京五輪に向けて8人の選手を教えています。この時期に大切なのは、意欲も含めて、みんなの調子をそろえることです。同じ方向を向いて、ともに苦しい練習を乗り越え、楽しい時間を共有することで、より高いところに到達できる。それがチームで練習をやるいいところだと思います。  昨年10、11月にハンガリー・ブダペストであった国際リーグ(ISL)で多くのレースに出た選手たちは、スピードが出せる状態になりましたが、その間の泳ぎ込みが十分にできなかったことから、12月の日本選手権では後半の粘りが足りない課題が見えていました。  年末年始の練習では、スピードを維持するためにスプリント練習をたくさん入れつつ、8人の共通テーマとして持久力アップと陸上トレーニングによる体づくりに力点を置きました。  2大会連続で五輪を目指す2人の女子選手の頑張りが目を引きます。ISL後に合流した個人メドレーの清水咲子は練習への取り組みがとにかく積極的です。萩野公介と同じ、みゆきがはらスイミングスクール(宇都宮市)出身で栃木・作新学院高校の2年先輩。4月に29歳になるチャレンジャーがチームに刺激を与えています。東洋大1年、19歳の酒井夏海は陸上トレーニングで筋肉痛になりながら、「今までできなかったことができるようになるのは楽しい」と言います。昨年の日本選手権は背泳ぎと自由形で3冠。前向きな気持ちが記録の伸びにつながるはずです。  北島康介が初出場した2000年シドニー五輪以来、様々なアプローチで五輪に挑んできましたが、前回書いたように、他人に左右されない思いが強い選手が結果を出してきました。  12年のロンドン五輪女子400メートルメドレーリレーで銅メダルを獲得したリレーメンバーでは、背泳ぎの寺川綾、バタフライの加藤ゆか、自由形の上田春佳の3人を教えていました。  寺川と加藤は08年北京五輪後、社会人になってから指導を始めましたが、東京スイミングセンター出身の上田は、北島が男子平泳ぎで2大会連続2冠を取った北京五輪までの強化練習にも参加していました。  正月をはさんだ年末年始の練習で寺川、加藤の持ち味を生かすためにスピード強化のアプローチを試みました。そんな時期に上田と国立スポーツ科学センター(JISS)のプールサイドで話をしたとき、「綾さんたちがきたら練習量が減って、北京五輪を目指していたときの7割ぐらい。これでは私、強くならない」と涙ながらに訴えてきたことがあります。  決して泣き言を言わない上田は、強い意志で日本の弱点と言われた自由形のレベルを引き上げて、五輪銅メダリストになります。  五輪まで約半年。北島康介杯と2月のジャパンオープン(東京アクアティクスセンター)の結果を見て、泳ぎを研ぎ澄ましていく練習計画を立てていきます。(構成/本誌・堀井正明) 平井伯昌(ひらい・のりまさ)/競泳日本代表ヘッドコーチ、日本水泳連盟競泳委員長。1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。86年に東京スイミングセンター入社。2013年から東洋大学水泳部監督。同大学法学部教授。『バケる人に育てる──勝負できる人材をつくる50の法則』(朝日新聞出版)など著書多数 ※週刊朝日  2021年2月5日号
平井伯昌
週刊朝日 2021/02/01 17:00
「大迫超え」の万能型、走り高跳び2強に風穴、体操で年齢制限クリア… 五輪延期で輝く「超新星」
「大迫超え」の万能型、走り高跳び2強に風穴、体操で年齢制限クリア… 五輪延期で輝く「超新星」
三浦龍司選手(みうら・りゅうじ、18)/2002年2月11日生まれ。島根県浜田市出身。洛南高校(京都)を経て20年に順天堂大学に入学。20年7月には男子3000メートル障害で日本歴代2位の8分19秒37をマーク=写真。全日本大学駅伝、箱根駅伝で1区を走った (c)朝日新聞社 真野友博(しんの・ともひろ、24)/1996年8月17日生まれ。広島市出身。中学1年で陸上を始める。広島・山陽高では2、3年時に全国総体出場。福岡大学を経て2019年に九電工入社 (c)朝日新聞社 相馬生(そうま・うい、15)/2005年2月28日、東京都出身。1歳で渡米し、6歳で体操を始めた。昨年夏に帰国し、日本を拠点に練習を続け、12月の全日本選手権では初出場で個人総合3位に輝いた (c)朝日新聞社  東京五輪の1年延期で引退を決めたベテランがいる半面、この1年で五輪代表候補に名乗りをあげた若手もいる。開催はなお不透明だが、選手たちは今も「今年こそ」と信じて努力を続けている。AERA 2021年2月1日号は、延期の期間に力を伸ばした「新星」たちを紹介する。 *  *  *  20年は東京五輪・パラリンピックの1年延期に加え、新型コロナウイルスの影響で試合も開催されず、練習場所の確保が困難だった競技も多かった。  多くの選手たちが練習の継続やモチベーション維持に悩み、リオ五輪バドミントン女子ダブルス金メダルの高橋礼華(30)、7人制ラグビーで東京を目指していた福岡堅樹(28)、ロンドン五輪銅メダルのバレーボール女子・新鍋理沙(30)ら、引退を決めた選手もいた。  一方で、この期間に着々と実力を伸ばし、代表に名乗りを上げた若手選手がいる。  陸上男子の三浦龍司(順天堂大学1年)は、20年7月のホクレン・ディスタンスチャレンジ千歳大会の3000メートル障害で、日本歴代2位の8分19秒37をマークした。世界陸連の規定により、昨年4月6日から11月までの記録は五輪参加標準記録に認められないが、標準記録(8分22秒00)を上回る好タイムだった。  さらに昨年10月の箱根駅伝予選会では、初めてのハーフマラソンにもかかわらず日本人トップでゴール。1時間1分41秒のタイムは、マラソンの東京五輪代表に内定している日本記録保持者、大迫傑(29、ナイキ)が早稲田大学時代に出したU20(20歳以下)の最速タイム1時間1分47秒を上回る。  11月の全日本大学駅伝では1区を担当し、区間賞も獲得した。今年1月の箱根駅伝では1区を走り、後半のペースアップに対応しきれずに区間10位というほろ苦いデビューだったが、トラックでもロードでも存在感を放つオールラウンダーとしての期待が高い。  五輪代表選考レースとして実施された昨年12月の日本選手権(長距離種目)は右足のけがで欠場したため、五輪切符は今後の選考レース次第だ。 ■2強独占に風穴あけた  男子走り高跳びでも20年、大きな動きがあった。  14年以降、日本選手権の優勝は現日本記録保持者の戸邉直人(28、JAL)とリオ五輪代表の衛藤昂(29、味の素AGF)が独占してきた。だが20年、24歳の真野友博(九電工)がその2強時代にピリオドを打った。しかも記録は、日本選手権では14年ぶりとなる2メートル30の大台に乗せた。  まだ国内大会しか経験がないという真野は19年、練習の拠点である福岡で開かれた日本選手権で最初の高さの2メートル10をクリアできず、記録なしに終わった選手だ。だが20年は最初にその高さを成功させて勢いに乗った。  東京五輪の参加標準記録は2メートル33。真野の自己ベストは昨年9月の全日本実業団対抗で跳んだ2メートル31(日本歴代4位タイ)でまだ届かないが、20年だけで自己記録を3センチアップさせた勢いで五輪出場を狙っている。  あの浅田真央(30)も、直前のグランプリファイナルで優勝しながらわずか87日差でトリノ出場を阻まれた五輪の出場年齢制限。20年に五輪が開かれていたら参加できなかったが、1年の延期で道が開いた選手もいる。その一人が、昨年12月の体操の全日本選手権に初出場し、4種目の合計で争う女子個人総合で3位と大健闘した15歳の相馬生(朝日生命体操クラブ)だ。  1歳でハワイに移住し、6歳で体操を始めた。12歳のときには国内選手権の10~12歳部門で全米王者に輝いたこともある逸材。もともとは24年のパリ五輪を目指していたが、五輪の延期が決まり、国際体操連盟が年齢制限を1年延ばしたため、参加の可能性が開けた。新型コロナウイルスの影響もあって昨年の夏に日本に帰国。現在は日本代表として東京五輪を目指している。 ■パラ花形に新ヒーロー  昨年9月に開かれたパラ陸上日本選手権で、会場にどよめきが走った。花形種目のT64(下腿義足・機能障害)男子100メートル決勝で、アジア記録保持者の井谷俊介(25、SMBC日興証券)らを抑え、当時20歳の大島健吾(名古屋学院大学3年)が初制覇したからだ。  大島は生まれつき左足首から先がなく、生活用義足で中学時代は卓球、高校ではラグビーに打ち込んだ。大学入学を機にスポーツ用義足で陸上を始め、最初の大会で12秒67。2年あまりで12秒を切り国内トップに立った。「番狂わせ」とも言われたが、その後の大会でさらにタイムを上げて11秒59をマーク。 「まだ全然、自分の限界とかそういう感じはしない。これからもどんどん記録を伸ばして、東京パラリンピックで決勝の舞台に立ちたい」(大島)  再延期や中止もささやかれるが、マイナスばかりではない。伸び盛りの新星たちから目が離せない。(文中敬称略)(編集部・深澤友紀) ※AERA 2021年2月1日号より抜粋
AERA 2021/02/01 17:00
キラキラの人生を目指さなくても、身近にあるものを最大限に活かすだけで暮らしはもっと豊かになる
キラキラの人生を目指さなくても、身近にあるものを最大限に活かすだけで暮らしはもっと豊かになる
『36歳独身、派遣OL、女子力ゼロ お気楽ひとり暮らし。』yoriko KADOKAWA  安定した職業に就いていないとダメ、30歳までに結婚しなければいけない、仕事もプライベートももっと充実させなくちゃ――。そんなふうに、自分で作り出したハードルにとらわれ、苦しみもがいている人は意外と多いのではないでしょうか。  yorikoさんの著書『36歳独身、派遣OL、女子力ゼロ お気楽ひとり暮らし。』では、yorikoさんもかつてそうだったひとりだと記されています。けれど、10年以上付き合っていた彼と別れたことで、それまでの人生が一変。そのときの彼女は36歳、独身、派遣社員。「すべてが『無』になったような絶望感に襲われました」(本書より)と当時の心境を綴ります。  それまでさまざまなことを頑張ってきたけれど、頑張れば頑張るほどに悲しくなって、虚しくなって、心底疲れてしまったというyorikoさん。本当に大事なことは「誰かが決めた素敵な生活に向かって努力をすることではなく、小さなことにもワクワクできる『気持ちの透明度』を上げること」(本書より)だと悟ります。  本書は、そんなyorikoさんが「気持ちの透明度を上げ、日々の暮らしを1.5倍増しに感じられるコツ」を具体的に紹介した一冊。日々の生活から居心地の良い部屋の作り方、掃除やおしゃれ、自炊、お金・働き方などについて詳しく書かれています。  yoriko流ライフスタイルのキーワードを挙げるとすれば「ミニマル」です。彼と別れて引っ越した部屋は6畳ひと間のワンルーム、ユニットバスでクローゼットもなし。そのため、「ほかのもので代用できるものは買わない」が信条。ベッド、テレビ、掃除機、炊飯器は持たずに、ものを増やさないシンプルな部屋作りを徹底しています。  たとえば、ベッドの代わりに使っているのが折り畳めるマットレス。折り畳んで壁に立てかけると、かなりのスペースがキープできるのだそう。しかも、床掃除がラクというメリットも!  限られた空間をうまく使うには、アイデアも必要です。浴室で使う手桶や掃除用品、アロマオイルなどはシャワーカーテンを外して穴の開いたランナーに吊るす、備え付けの小さな冷蔵庫は収納庫として食器や調理道具をしまうなど、こうしたところにも「最小限のものを最大に活かす」という、yorikoさんらしいミニマリストの発想が活かされています。  とはいえ、本書はけっして節約生活を勧めているわけではありません。衣類に関しては、yorikoさんは安いものを買うのではなく、「必要なら少し高くても、定価で購入し、お気に入りだけを揃えるようにしている」そう。また、洋服を選ぶときにはトップス、ボトムス、アウターを組み合わせて3パターン以上のコーディネートができることを心がけているといいます。もともと250着あった洋服は現在25着にまで減ったそうですが、自分の好きな服や着回しやすい服を揃えることで、じゅうぶんおしゃれも楽しめているようです。  「何者かになろうとしなくても、暮らしはたのしんでいいらしい。寝て、起きて、ご飯食べて、仕事して、笑って、泣いて、無になって、ただ生きるってそれだけですごい」(本書より)と呼びかけるyorikoさん。シンプルでミニマムな暮らし方のコツを身につければ、ひとりで暮らす日常はさらに心地よく豊かになる可能性を秘めているのかもしれません。 [文・鷺ノ宮やよい]
BOOKSTAND 2021/01/27 19:00
天龍源一郎が語る“同世代プロレスラー” 藤波辰爾、長州力への思いとハンセン、ブロディからのアドバイス
天龍源一郎 天龍源一郎
天龍源一郎が語る“同世代プロレスラー” 藤波辰爾、長州力への思いとハンセン、ブロディからのアドバイス
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子) 昨年2月のアントニオ猪木氏の77歳喜の寿のお祝いのステージにて(撮影/小暮誠)  50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。2020年2月2日に迎えた70歳という節目の年に、いま天龍さんが伝えたいことは? 今回は「同世代プロレスラー」をテーマに、飄々と明るくつれづれに語ります。 *  *  *  昨年2月に日本プロレス殿堂会を立ち上げて間もなく1年が経つ。今回は一緒に立ち上げ人になった同世代のプロレスラーである藤波辰爾選手、長州力について少し話そうかと思う。  藤波選手は殿堂会について話をしていて、一番常識的で、普通に人に伝わって、ファンに寄り添った話ができる人物だ。俺と長州は突拍子もないことを言うけど、それもちゃんと反映して発信してくれるんだから頼りになるよね。さすが、新日本プロレスの社長を任されただけはある。俺がフリーで新日本プロレスの試合に出ていた頃、彼は社長という立場だった。俺が若い選手と汗まみれで試合をしている中、彼は社長として試合を差配して、俺に会っても「ご苦労さま! 今日はよろしく頼むよ!」なんて言って試合を見ているんだから。同世代の選手がそうなっているのを見ては、そうなりたくてもなれない自分と比べてしまって忸怩(じくじ)たる思いをしたもんだ。だから、藤波選手が社長を辞めて現役復帰したときは大いに喜んだよ(笑)。  彼はからだが大きくない割に懐が深くて、プロレスの引き出しが多い人だ。そしてなによりガッツがある。柔道や相撲から転向してプロレスラーになる場合は地域や周囲の関係で勧誘されることも多いが、藤波選手はプロレスラーになるために中学卒業と同時に大分県から上京したからね。イスで殴られて血みどろになっているプロレスラーを見て、“俺もなりたい”って、普通の中学生だったら思わないよ(笑)。だから肝が据わったところがあるのかな。  それに藤波選手はいろいろな技を開発しているけど、どれも理にかなっているというのも特徴だ。例えばドラゴンスリーパーホールド(※相手の背後から顔面と片腕を絞める技)は柔道の絞め技やテコの原理を応用している。ドラゴンスクリュー(※相手の片足を抱えて巻き込むようにからだごと回転して倒す技)はアマレスの片足タックルを元にカール・ゴッチさんと開発したとそうで、食らった方が無理に踏ん張ると足首をやられるから倒れざるを得ない。俺もこの技を使わせもらったよ。俺はアントニオ猪木さんの延髄斬りやこのドラゴンスクリューとか、なんでも人の技をコピーして使っていたから(笑)。  トぺ(※リングから場外にいる相手に向かってダイブして体当たりをする技)をやったり、自分のオリジナルの技を開発したり、そうやってアピールして、猪木さんや坂口征二さんのようなからだの大きい人がいる新日本プロレスでトップを張ったのはすごいことだよ。  そのトぺでの思い出といえば、いろいろなところで話しているが、東京ドームで藤波選手と対戦した時、トぺをかわそうとして俺が出したグーパンチが彼の鼻にもろに入ってしまって、大量の鼻血が噴き出してしまったことだね。試合の後、バックヤードで伽織夫人とお会いしたから、すれ違いざまに挨拶したら、夫人にはツンとした顔で無視されたよ。あの時の夫人は怒っていたね……! それから俺はずっと気がかりだったんだけど、2020年2月に猪木さんの食事会で藤波選手とご一緒して、夫人が気にしていないと聞いて、ようやく安心した。当の藤波選手は「天龍にやられたせいで鼻が低くなった。本当はもっとハンサムだったんだ」なんて方々で言ってるからね。もともと、八頭(やつがしら)みたいな鼻だったろうに!(笑)  冗談はさておき、そんな彼はいまでも現役で、今年でデビュー50周年を迎える。70歳近く(67歳)になってもあの体形をキープしているのがすごいよ。さらに、猪木さんから植え付けられたプロ意識だろうと思うが、あの歳でもサポーター類を一切つけてないのもすごいね。ジャンボ鶴田がニーパットを付け始めたとき「膝を痛めたのか?」と聞いたら、「将来悪くならないために、今から付けているんだよ」だって。いかにもジャンボらしいし、藤波選手とは正反対だ。あの歳で現役で、自分の気持ちを作るのは大変だと思う。俺も晩年は試合前にリングシューズの紐を通している時「いつまでこんなことをしているんだろう」「周りもこのおっさんはいつまでやるんだって思っているんだろうな」という葛藤があった。藤波選手もそういった葛藤と戦っていると思う。息子のLEONAも現役プロレスラーだから、頑張っている姿を息子に示したいという気持ちも強いだろう。だからLEONAがもっと頑張ればいいんだよ! そうしないと安心して引退できないじゃないか!?(笑)  藤波選手は殿堂会でも天龍、長州に囲まれてほんわかしているけど、結構負けん気が強いよ。だって、猪木さん、山本小鉄さん、坂口さんがいる環境で育って、その下の世代も面倒な奴らが多いだろう(笑)。そこでずっと第一線でやっていたんだから強いはずだよ。ここまで来たら長く頑張って、自分でプロレスは腹いっぱいだって満足するまでやってほしいというのが、先に引退した俺の思いだ。あと「藤波家の食卓」のスペアリブは旨い! いつも食ってるよ!  長州力については、これもあちこちで話しているけど、フロリダで転戦していた時にお世話になっていたタイガー服部さんから、「光男(吉田光男=長州力)がここにもいたんだ。アマレスからプロレスに転向して最初はうまくいかなくてよく愚痴をこぼしていた」という話を聞いて、面識はないけど身近に感じるようになった。俺も相撲からプロレスに転向してうまくいかずに悩んでいた時期で、同じような経験をしているんだなって。  長州力との初対面は帰国後、記者クラブの表彰式だった。その当時、女子プロレスの人気がすごくてね。俺はひねくれているから「ふん、女子プロなんて」と斜に構えていたけど、長州はダンプ松本を見かけたとたん「おお! ダンプちゃん! 元気~?」なんて気軽に声をかけて驚いたよ! あの頃は仏頂面で気難しそうな男だったから、こんなにフランクに声をかけるんだってね。  この時をきっかけに親しくなって、よく飲みに行くようになったんだ。見かけはいかつくてムカデみたいな顔してるけど、一度気を許した相手には楽しくてフランクになるよね。ジャイアント馬場さんから「お前は長州と仲がいいんだろう? 全日本に来ないか聞いてみてくれないか?」と言われて、長州に打診したことがあるけど、そのときは「俺は今の新日本で満足しているから」と断られた。だから、数年後に全日本プロレスに移籍してきたときはビックリしたよ。その時は俺は絡んでいないからね。  それから約2年間、毎週、どこに行っても長州と対戦したけど、一度も飽きることがなかった。すごく楽しくて、プロレスをやっているという実感があったね。「今日はこうやって仕掛けたら、長州は驚くかな?」「これをやったら長州はどうやって受けるだろうか」なんてことをいつも考えていて、長州もそれを受けて返してきた。アマレスのバックボーンもあって実力があるから、俺が仕掛けたことは全部受けて返してくれる。おかげで俺のプロレスのレベルがグッと上がった2年間だった。その後の自分の試合を見ても明らかに自信を持って戦っているのがわかるからね。歌手が紅白歌合戦に出場したくらいに自信がついたんじゃないか。  当時の全日本はNWAのアメリカンスタイルの試合が主流で、最後のフォールに向けてじっくり試合を組み立て行くスタイルだった。俺は技のバリエーションも少なく、まだ実力もなかったから、全日本のスタイルは苦手だったのかもね。長州の試合開始と同時にガシャーン! と来て、エネルギーを一気に放出するスタイルが相撲出身の俺には合っていたんだ。あのときは長州だけじゃく、アニマル浜口さんや谷津嘉章もムキになって向かって来ていたなぁ。  長州の方が俺より年下だけど、彼の方が先にデビューしている分だけ、俺は先輩だぞっという感じを今でもグイグイ出してくるよ(笑)。一緒に飲んでいても自分が先に酔っぱらったような仕草は絶対に見せないし、今だって会ったときに「最近飲んでる?」って聞くと、「全然飲んでないよ。泡盛が好きで飲んでるくらいかな~」とか「朝まで飲んで一睡もしていないからちょっと寝るわ!」なんて言ったり。とにかく負けず嫌いでカマしてくるんだよね……。  それでもずいぶん柔らかくなったよ。東京ドームのリングに孫と一緒に上がったり、YouTubeやTwitterでいろいろやったりね。俺からしたら「えー! 長州、そんなことするの!?」だけど、そのギャップがいいんだろうね。「飛ぶぞ!」だって若い子の間でも人気があるんだろう? 彼の発言は独特の感性があるよね。まぁ、すべて計算してやっているよ。だって彼は大卒だから! 俺と藤波選手は中卒だから馬鹿正直なんだよ(笑)。  長州には気持ちでは負けたくないとか、後れを取りたくないとか、引退したレスラーの中ではライバル視している人だ。逆に言えば、長州が元気だったら俺も元気でいなきゃいけないって気持ちだよ。  スタン・ハンセンもそうだけど、昔ガンガン戦った相手が元気にしていると俺も頑張ろうって思える、戦友みたいなもんだね。ハンセンとは最近はコロナ禍で会えていないけど、以前は来日するたびに会っていた。プロレスで悪くなったところは手術で全部直したって。ハンセンは現役時代に稼いだ金を貯蓄と資産運用に回してね、うまくやっているよ。現役時代はブルーザー・ブロディと2人で株の新聞をよくチェックしていてね。俺たちが遊んでばかりいると、ハンセンとブロディに「この職業は長く続けられないから、ちゃんと計画立ててやらないとダメだぞ」ってよく言われたもんだ。やっぱり大学を出ている奴は違うよ(笑)。  他に同世代だと藤原喜明さんはいまだに現役で、さらに絵をかいたり、盆栽や陶芸をしたりと多趣味でうらやましいね。俺も引退してからは趣味を持ったらとよく言われるが、今さら他の人に遅れをとった状態で始めるのも癪(しゃく)だしなぁ。ゴルフを勧められたけど「プロレスラーだから300ヤードくらい飛ばすだろう」っていう期待の目で見られている中で、チョロっと転がしたくらいになって、それ以来やっていない。女房がボウリング好きで連れて行かれるけど、これも「天龍だったら豪快にピンをぶっ飛ばすんじゃないか」という期待の中でガターを連発でやる気が起きない。映画も見始めてつまらないと思ったら、途中で映画館を出るし「なんだあの映画は。つまらないのに金を払って損した」と文句を言っている方が楽しいくらいだ。やっぱり、相撲と一緒ですぐに勝敗がわかる競馬が一番だな(笑)。  最後に、今の現役のプロレスラーについてだが、先日、全日本プロレスの試合を見たけど、みんなすごくいい試合をしていたね。ちょうど、その前の週の「週刊プロレス」で全日本の文句を言ってしまって訂正しなきゃと思っていたところだったから、この連載があってよかったよ(笑)。特に宮原健斗と青柳優馬はよかった。俺が脊椎管狭窄症(せきついかんきょうさくしょう)手術から復帰を目指してトレーニングしていたころの若手が、みんな上手になっていてうれしかったよ。ただ、宮原! 師匠の佐々木健介と北斗晶に似たのか、パフォーマンスが少ししつこいぞ!(笑)  そのほか、真霜拳號、火野裕士はインディー団体の選手だけど、見た目やからだつきはスター性があっていい選手だ。いろいろな団体に出てもっと自分自身を磨いてほしい。そうしたらもっと高みに行けるぞ。今はみんな大変な時期だけど、プロレス人生はあっという間だ、頑張れ! (構成・高橋ダイスケ) 天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。
プロレス天龍源一郎相撲
dot. 2021/01/24 07:00
元ソフトバンク摂津正氏「慢性骨髄性白血病」 新薬登場で根治可能に
元ソフトバンク摂津正氏「慢性骨髄性白血病」 新薬登場で根治可能に
ソフトバンクホークス時代の摂津正投手(C)朝日新聞社 『新「名医」の最新治療2020』より  元ソフトバンクの摂津正氏(38歳)が23日、自身のインスタグラムで「慢性骨髄性白血病」と診断されたことを公表した。「同じような病気で苦しんでいる力になれれば」と公表を決意したという。  急性白血病と比較し、病状がゆるやかに進行する慢性白血病だが、中でも慢性骨髄性白血病はかつて移植が必須だった。しかし、近年は新薬の登場で治療の選択肢が増えてきているという。週刊朝日ムック『新「名医」の最新治療2020』で、慢性白血病の治療法について専門医に話を聞いた。 *  *  *  慢性白血病はゆるやかな進行経過をたどる。  慢性骨髄性白血病と慢性リンパ性白血病に分類される。慢性骨髄性白血病は白血病患者全体の1割程度、慢性リンパ性白血病は日本人では稀な病気だ。高齢者に多い。  慢性骨髄性白血病は、急性と違い、成熟した白血球を中心に増加するのが特徴だ。90%以上にフィラデルフィア染色体という、染色体異常の結果生じる異常な融合遺伝子が発症の原因だ。  慢性骨髄性白血病は、発症後5~6年慢性期が続き、その後6~9カ月の移行期を経て、急性転化期を迎える。東京女子医科大学病院血液内科教授の田中淳司医師はこう話す。 「慢性骨髄性白血病は、ゆるやかに進行しますが、ひとたび急性転化すると急性白血病よりも抗がん剤の効き目が悪くなります。以前は、ドナーが見つからずに移植ができない場合には、発症から6~7年で亡くなってしまう病気でした」  ところが01年、チロシンキナーゼ阻害剤というタイプの薬であるイマチニブの登場で状況は一変する。今では治療開始後の5年生存率が約9割と、早期固形がんのような良好な生命予後を達成している。 ■新薬登場により治療選択肢が増えた 「昔は、根治に導くためには、移植が絶対必須でしたが、今や移植をしないでも根治が見込める病気となりました」(田中医師)  イマチニブは、チロシンキナーゼ阻害剤の第1世代で、その後、第2世代のニロチニブ、ダサチニブ、ボスチニブ、そして第3世代のポナチニブと次々に新しい薬が開発され、治療の選択肢が一気に増えた。最初の治療が奏効しなくても次々と治療をつないでいけるようになったわけだ。  ただし、チロシンキナーゼ阻害剤は、ずっと飲み続ける必要がある。薬によっては1カ月の薬価が高くつき、医療費が逼迫することになるため、休薬できるタイミングがないかどうかが臨床試験で評価されてきた。都立駒込病院副院長の大橋一輝医師はこう説明する。 「深い寛解(ほぼ根治に近い状態)を2~3年維持できている症例であれば、そのうちの5割くらいは休薬しても再発しないことがわかってきました。休薬した場合は、少なくとも半年間は毎月来院して遺伝子を調べ、経過観察が必要です。その間、再燃しても、チロシンキナーゼ阻害剤を再開すれば、多くの場合深い効果が見られ、再度休薬することも不可能ではありません」  慢性骨髄性白血病は、根治する、亡くならない病気となってきた。  一方、慢性リンパ性白血病は、白血球の一種のリンパ球のうち成熟した小型のBリンパ球が悪性化し、がん化した細胞が無制限に増殖し発症する。完全に根治することは難しいが、長期生存が可能だ。多くはゆるやかに進行するため、無症状の場合は経過観察をする。  進行期には抗がん剤の多剤併用療法をおこなう。 「近年、再発・難治性の症例について、イブルチニブとベネトクラクスという2剤が使えるようになりました。ベネトクラクスは急性骨髄性白血病にも使えるようになる可能性もあり、抗がん剤治療が困難な高齢者にとっての福音になるかもしれません」(大橋医師) ■高齢の患者にはミニ移植の選択肢も  白血病は治りやすくなったが、最後の砦となる治療は、やはり造血幹細胞移植だ。移植前処置として化学療法や全身への放射線療法をおこない、その後に健常ドナーから採取しておいた造血幹細胞を点滴投与する。  移植前処置は、腫瘍細胞をできるだけ減らし、患者自身の免疫細胞を抑制するためにおこなう。患者の免役力を低下させておくと、移植するドナーの細胞を拒絶せずに生着しやすくなるためだ。 「生着すれば血液細胞が作れるように復活しドナーのリンパ球が腫瘍細胞を攻撃する移植片対白血病効果(GVL効果)もあります。けれども生着せずに失敗したり、移植片対宿主病(GVHD)という、移植したドナーの細胞が、他人の体と認識し、正常な細胞や臓器を攻撃してしまう大きな副作用に見舞われることがあります。移植関連合併症によって約2割の患者さんが死亡することもあり細心の注意を要します」(田中医師)  通常、移植の適応は50歳以下とされるが、それ以上の年齢の場合も、現在ではミニ移植がおこなわれる。ミニ移植は、通常の移植よりも弱い移植前処置をおこなって移植する。 「ミニ移植は、造血の回復が早く、移植関連の合併症も減ります。そのため高齢者や合併症を持つ患者さんに適応できるのです」(同)  半合致移植という、ドナーの確保が難しい場合におこなわれる移植法もある。移植にはHLA(ヒトがもつ白血球の型)一致が必須だが、その半分の合致でも可能な移植で、家族内ドナーの可能性が高くなる。 「副作用である移植片対宿主病を抑制するために移植直後に免疫抑制剤の投与が必要ですが、治療予後は、通常の移植と遜色なくなってきています」(同)  さまざまな新薬の登場と、造血幹細胞の進歩により、白血病は死の病ではなくなってきている。 (文・伊波達也) ≪取材協力≫ 東京女子医科大学病院 血液内科教授 田中淳司医師 がん・感染症センター 都立駒込病院 副院長 大橋一輝医師 ※週刊朝日ムック『新「名医」の最新治療2020』より
がん病気病院
dot. 2021/01/23 20:13
「スポンサーの意向が絶対」民放の地上波ドラマから飛び出した WOWOWドラマプロデューサー・岡野真紀子<現代の肖像>
「スポンサーの意向が絶対」民放の地上波ドラマから飛び出した WOWOWドラマプロデューサー・岡野真紀子<現代の肖像>
「行き過ぎ」といわれるほど、現場に通う。「目撃していないと、大事なことが分からなくなるから」(撮影/今祥雄) 「トッカイ」主演の伊藤英明(右)とロケの合間に。関係者とはきめ細かいコミュニケーションを欠かさない。毎年、手書きのメッセージを添えた年賀状を1200枚ほど出す。「八方美人」の呼称は、いまや「万方美人」に拡大(撮影/今祥雄) 「コールドケース~真実の扉~」シーズン3のプロモーションイベントで司会を務める(左)。主演の吉田羊とともに三浦友和、永山絢斗、光石研、滝藤賢一が登場(撮影/今祥雄)  プロデューサー、岡野真紀子。WOWOWで初めて作ったドラマが、山口県光市の未成年者による母子殺害事件の被害者を描いた「なぜ君は絶望と闘えたのか」。それからも「しんがり」「コールドケース」「坂の途中の家」など重みあるドラマを多く手掛け、1月から「トッカイ」がスタート。プロデューサーの岡野真紀子は、怒りをもって闘う人間が好きだと言う。有意義なドラマを作りたいと、使命感を燃やす。 *  *  *  群馬名物、赤城おろしが吹きすさぶ12月、前橋市内でテレビドラマ「トッカイ~不良債権特別回収部~」のロケが進んでいた。コロナ禍が続く中、俳優もスタッフもみな、マスク姿で本番を待つ。一人の感染者も出さないように。それでいて、人と人がぶつかりあう、ドラマならではの臨場感を損なわないように。戸外で音を立てる北風は、その困難な状況を覆って、なお冷たい。  昨年来のコロナ禍は、私たちの日常からさまざまな楽しみを奪っている。当たり前のように生み出されてきたテレビドラマもその一つだ。緊急事態宣言下にあった4月から5月は、撮影中止、放送延期に追い込まれる作品が続出した。  それ以前に、日本のテレビドラマにはすでに大きな逆風が吹いていた。動画配信サービスが急激に浸透する中で、ネットフリックスやアマゾンが豊富な資金でオリジナルのドラマを制作し、話題を取る。地上波では「半沢直樹」のような勝ち組ドラマとその他、のようにいびつな視聴率格差が出現している。  その中で異例の存在感を発揮しているのが、WOWOWドラマ制作部のプロデューサー、岡野真紀子(おかのまきこ)(38)である。  男性優位のテレビ界で、まだ40歳に手の届かない岡野が手がける作品は、「トッカイ」をはじめ、「しんがり~山一證券 最後の聖戦~」「石つぶて~外務省機密費を暴いた捜査二課の男たち~」と、昨今の地上波ではすでに見ることのない重みのある“社会派”だ。  一方、昨年5月、自粛期間の只中に打ち出した「2020年 五月の恋」では、リモート時代におけるテレビドラマの新しい形を率先して示した。岡田惠和の脚本、1日15分の4夜連続、ネット上で無料配信。吉田羊、大泉洋が演じる元夫婦が、間違い電話をきっかけに、二人だけに通じる辛辣な会話を交わしながら、コロナ禍の中で奇跡的に仲を取り戻す予感で終わる。  苦しい現実と、その先にある希望が交差する物語は、自粛のプレッシャーにさらされる人々から「このご時世に、こんなに素敵な最終回」「何げない面白さに励まされた」という共感を呼んだ。  岡野はドラマを次のようにとらえている。 「震災、コロナ禍、または家族の病気と、つらい現実に直面した時に、人を救ってくれるものの一つがドラマです。私にとっては現実逃避であり、同時にエンターテインメントで、テーマが暗いか、明るいかは関係ありません。そして、自分が作るならば、少しでも有意義なものにしたい」  今から10年以上前。鬼怒川温泉で岡野は警官の職務質問にあっていた。直前までスタッフとともに、吊り橋からマネキンを何度も川に投げていたというから、警官だって見逃せないだろう。 「はい、人をどう殺せばいいか、それを考えていました」  04年に新卒でTBSテレビ系の制作会社テレパックに入社。ドラマ制作のAD(アシスタント・ディレクター)を経て、AP(アシスタント・プロデューサー)を務めていたが、そこで直面していたのは、民放の地上波ドラマに課せられた宿命的な制約だった。 「端的にいうと、殺し方が限られていたんです。なぜならスポンサーの意向が絶対だったから。製薬会社なら毒殺、自動車メーカーなら交通事故はあり得ない。もちろん当たり前のことではありますが、その結果、崖や吊り橋からの投身しかできなくなっていたんですね」  殺し方だけではない。家電メーカーがスポンサーなら新しい冷蔵庫なりを、どこかで必ず映さねばならない。そうなると、本筋とは関係ないところでドラマが停滞する。仕事に打ち込んでいた分、フラストレーションは大きかった。  そんな時、WOWOWで観たドラマに衝撃を受けた。同局の看板プロデューサー、青木泰憲(やすのり)が制作した「パンドラ」。がんの特効薬をめぐる医療サスペンスで、そこでは毒殺をはじめ、あらゆる禁じ手が堂々と使われていた。  なぜそれが可能だったか。WOWOWがスポンサー収入ではなく、契約者が支払う加入料金で経営される有料ペイチャンネルだからだ。ここに新天地を感じ、09年、同社に中途採用で入社する。  1982年生まれの岡野には、ドラマ好きの素養があった。子どものころから無類の読書家で、中高大は演劇部に所属。思春期に夢中で観た安達祐実主演のドラマ「家なき子」は今も原点にある。  岡野が10代だった90年代は「愛していると言ってくれ」「ロングバケーション」など、ラブロマンスも輝いていた。岡野自身も、放課後にミニスカート、ルーズソックス姿で、友達とプリクラ三昧という、キラキラな青春を送っていた。  スポンサーの制約から逃れ、新天地を得たのであれば、そのような「女子ドラマ」を志向してもおかしくなかった。しかし、岡野がここで選んだデビュー作は「なぜ君は絶望と闘えたのか」。山口県光市で起きた、未成年者による母子殺害事件の被害者を、門田隆将(62)が描いたノンフィクションが原作で、重すぎるほど重いテーマである。  この事件は、残虐な罪を犯しても、加害者が未成年であれば少年法に守られる一方で、被害者遺族の苦しみや、知る権利が置き去りにされているという制度のねじれを内包していた。被害者の夫、本村洋が全力を振り絞って、遺族の権利保障を世に訴える姿は、メディアを通して全国に伝えられ、注目度は抜群だった。 (文・清野由美) ※記事の続きはAERA 2021年1月25日号でご覧いただけます。
AERA 2021/01/23 17:00
SNSの写真とは違う魅力 映画が物語る“モノクローム写真の威力”
延江浩 延江浩
SNSの写真とは違う魅力 映画が物語る“モノクローム写真の威力”
延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー 映画『この世界に残されて』(c)Inforg-M&M Film 2019  TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は、映画『この世界に残されて』について。 *  *  *  この映画には二人の主人公が登場する。それは42歳の婦人科医アルドと少女クララ。ナチス・ドイツのホロコーストを生き残った者同士である。 「古いアルバムを見てみるといい。ただ自分には辛くて見られない」。そんなアルドの置き手紙にクララはアルバムを開く。そこには妻との結婚式の写真が貼られていた。そして二人の子供たちも。  モノクロームの写真は無言なのに、そこからは微笑みと小鳥のさえずりさえ聴こえてきそうだ。凄惨な殺戮シーンはないが、それだけにアルドがいかに過酷な時間を過ごしたかを物語る場面だった。  僕は写真の力を知った。映画『この世界に残されて』は、ハンガリーだけで56万人ものユダヤ人が殺戮されたという事実を、抑制をもって指し示す詩のような作品だった。  1948年、第2次世界大戦後のハンガリー。ホロコーストで両親と妹を失ったクララは16歳になるのに初潮がない。それを心配した大叔母が婦人科に連れていく。そこでアルドと出会う。彼の腕にはユダヤ人収容所にいたことを示す刺青が刻まれていた。アルドもまた犠牲者だった。二人は互いに会話をはじめ、少しずつ笑顔を取り戻すが、そこへまた、大国ソ連による弾圧が、嫌な時代を思い起こさせる。  バルナバーシュ・トート監督はこの作品を携えて世界を回った。 「ボストンで出会った男性は母親と兄弟四人をアウシュヴィッツで亡くしたそうです。(略)とても近しい家族を五人もです。(略)他の誰かが彼に『映画を観ていかがでしたか?』と聞いた。彼は『当時のことは、忘れようと努めてきて、心の奥底にしまっていました』と答えました。(略)でもクララがアルバムを開くシーンで、彼女の気持ちが分かったとおっしゃっていました」 「喪失の意味を探し求めることで普遍性を獲得したかった」という監督は「その普遍性とは愛」と答え、アルバムのシーンでは「SNSの写メとは違う、思い出の力を訴えたかった」と言う。  物語の後半はナチスに代わってソ連がハンガリーに侵入してくる。「外からの国家支配はどういうものだったのか?」と訊くと、「ナチと共産主義はハンガリー国民全員のトラウマになっている。僕の祖父母の代は特に(監督自身は43歳)。ブダペストの広場にはソ連がハンガリーを解放したとされるモニュメントがあるが、解放だなんてそれは嘘だ」と作品の静謐さとは真逆の激烈な言葉が返ってきた。 「歴史の事実を否定したり、違う文脈に変えるのはダメだ。これはユダヤ人の物語だが世界に共通のポピュリズムによる危機を訴えている」  主人公クララは16歳にして初潮が来ない。僕は自分の第1作『アタシはジュース』を思い出した。女子高生「ジュース」にも初潮は来ない。イラン人の恋人が不法入国の廉(かど)で国外退去になったその日に初潮を迎えるストーリーを描いた。この映画でも主人公が初潮を迎えると同時に婦人科医との淡い恋も消える。  未成熟の象徴として生理の来ない少女像を造形したと監督は言ったが、少女の成熟が物語を包み込み、温かな希望を感じさせてこの映画は終わる。 延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京 都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞 ※週刊朝日  2021年1月22日号
延江浩
週刊朝日 2021/01/17 16:00
TBS宇内梨沙アナの「ガチゲーマー」ぶりが話題 「休みの日は15時間くらいやってます」
TBS宇内梨沙アナの「ガチゲーマー」ぶりが話題 「休みの日は15時間くらいやってます」
TBSの宇内梨沙アナ(撮影/加藤夏子) 学生時代には「ミス慶応」に選ばれたこともある(撮影/加藤夏子)  TBSアナウンサーの宇内梨沙さん(29)が「ゲーマー」としても注目されている。昨年11月には、自身もメンバーであるTBS eスポーツ研究所がYouTubeチャンネル「ゲーム実況はじめました。~女子アナゲーマー宇内e~」を開設。「うりゃー!」と叫びながらゲーム実況をする様子は、従来の女子アナ像とは一線を画している。“にわか”には厳しいゲーム愛好家からも「宇内は本物だ」との声が上がる。本人インタビューでも、その尋常ならざる「ゲーム愛」は止まらない。「かわいい女子アナ」ではなく「ガチゲーマー」としての宇内アナの素顔に迫った。 *  *  * ――チャンネル登録者2万人突破、おめでとうございます。宇内さんの動画からは、本気で楽しんでいる様子が伝わってきます。 宇内:プレイしているとムキになっちゃうんですよ。楽しそうにやっているというよりも、(思い通りにならない展開に)ずっとキレてるような(笑)。正直、直属のアナウンス部の先輩方には、声を大にして「動画を見てください!」とは言えないですね……。 ――実況するソフトのラインアップは、玄人寄りのものばかり。ファミリー向けのソフトはほとんどありません。 宇内:私の嗜好(しこう)で、どうしてもハードコア寄りになってしまうんです。中学生ぐらいまではポケモンやマリオシリーズなどもよく遊んでいたのですが、洋ゲー(外国のゲーム)に触れるようになってから、だいぶ嗜好が変わりました。 ――動画では『デモンズソウル』の再生回数が伸びています。でも、いわゆる“死にゲー”(ゲーム中に何度もゲームオーバーになることを前提とした高難度のゲーム)には苦手意識を持っていたそうですね。 宇内:そうなんです。クリア前に投げ出してしまったソフトがあって、苦手意識がありました。(死にゲーとして有名な)『デモンズソウル』も一切触ったことがなかったんですけど、せっかくPS5があるんだし、ローンチタイトル(ハード機と同時発売されるソフト)を絶対にやりたいと思って、手を出してみました。難しいですが、これがもう楽しいんですよ! 負荷のあるゲームって高ストレスなんですけど、その分、達成したときの興奮や多幸感がすさまじくて。疲れてゲームを中断しても、また1時間後ぐらいにもう一回プレイしたくなる。癖になっちゃいましたね。この中毒性が、精神的にも技術的にも負荷のあるゲームの魅力なんだなと、配信してみて気付きました。 ――2020年は、どのゲームに一番ハマりましたか? 宇内:『エーペックスレジェンズ』です。もともと私、バトルロイヤル系のゲームにはハマらなかったんですよ。野良(※)で、まったく知らない人たちとプレイするよりも、友達とやらないとそんなに面白さを感じられなくて。でも、エーペックスは野良でやっても楽しい。  ホラーだったりアクションだったり、友人にそういったゲームをプレイしている子もいなかったので、TBSに入社するまではずっと、ゲーム仲間は兄しかいませんでした。アナウンス部でも、マリオシリーズやどうぶつの森など幅広い世代に愛されるゲームは話題になることはありますが、『デット バイ デイライト』や『バイオハザード』といったホラーゲームの話ができるのは、男性アナ含めていないですね。 ※野良=仲間を連れず、マッチングシステムに任せて知らない人とゲームプレイを楽しむこと ――自宅には500本のソフトを持っていると聞きました。にわかに信じがたいのですが、本当ですか? 宇内:処分しているものを入れたら、もっとあると思います。飽きっぽいので、一つのソフトをずっと味わうというよりは、どんどんクリアして、次のゲームにいきたい。だから、トロフィーコンプリートとかはほとんどやらないんです。  自粛期間中も、ちょうどビッグタイトルが連続して発売された時期で、結構買いましたね。『FF7(ファイナルファンタジーVII)』のリメイク版や、『The Last of Us PARTII』とか。月に1本くらいのペースで出てくるので、とにかく大変! 「次のタイトル出るまであと1週間しかないから、早くこれクリアしよう」みたいな感じで(笑)。 ――これまで、1日の中で、どれぐらいの時間をゲームに充てていましたか? 宇内:長い日だと、1日15時間ぐらいやっていました。「寝る」か「ゲーム」みたいな(笑)。ごはんもゲーム時間の中に差し込んでいるので……。1日24時間の過ごし方をグラフ化したら、寝るかゲームかの真っ二つに割れますね。 ――ここまでゲームにのめり込むようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか。 宇内:2人の兄がいて、小さいときから、兄の横でゲームを見るのが大好きだったんです。ハード機もほとんどそろっている環境でした。  5歳ぐらいの時に初めてプレイしたゲームが、ポケモンの「赤」でした。友達との会話の中心には必ずポケモンがあったくらいブームでした。アニメも欠かさず見ていましたし。 さらに「ピカチュウ」「金・銀」などを遊んでからは、色んなジャンルのゲームに興味を持つようになり、RPG系に手を出すようになりました。「FF」も、兄が購入していたためソフトが全部あったんです。私は10から始めたんですけど、10は私のゲームに対する価値観を完全に変えましたね。映画みたいな物語の広がり方と、映像のクオリティーが圧倒的で。 ――すると、人生において一番大事なソフトはFF10ですか? 宇内:え~、選べないなぁ、選べないよ~(笑)。ゲーム自体の面白さを考えるとほかにも出てくるのですが、ちょうど思春期で人間関係に悩んでいた時期だったので、時期と境遇を踏まえると、やっぱりFF10ですね。10って言うと「ああ、ミーハーね」って思う方もいるんですけど、「いろいろ背景があるんだ、こっちは」って言いたい(笑)。 ――親御さんからゲームを制限されたりはしなかったのでしょうか。 宇内:それが、なかったんですよ!今思えば本当に不思議で、ゲームで夜更かししても怒られなかったんですよ。母は価値観が割と古風で、娘には「ピアスを開けてほしくない」というタイプだったのですが、ゲームについては文句が一切なくて。今どきのお母さんでいう、「子どもにYouTubeを見せれば、おとなしくしてくれる」みたいな感覚だったのかな。兄たちと3人で、やりたい放題ゲームしていました(笑)。 ――幼少からそんなゲーム生活を送りながら、大学は慶應義塾大学に合格されています。勉強に支障はなかったのでしょうか。 宇内:勉強はちゃんとやっていたんですよね。そこはプライドがありました。兄が優秀で、いい高校、大学に行っていたので、負けたくないという気持ちもあって。キャンパスライフの話を聞くうちに「私もこうなりたい!」と思うようになり、中学生ぐらいから早慶かMARCHに行きたいと考えるようになりました。ゲームも勉強も、兄の背中を見て育ちましたね。 ――アナウンサーという職業に就きながら、ゲーム実況で宇内さんの“素”を見せることには、どんな思いがありますか? 宇内:アナウンサーは「ニュースを伝えることが仕事」と思う方が多いと思いますが、実際はそれだけにとどまりません。テレビに出ている以上は、他のタレントさんや芸人さんと一緒で、「表現者」としても立ち振る舞う。ゲーム実況も「表現」の一つであると思うので、挑戦することで自分の幅が広がるはずです。また、普段テレビを見ない方々に、どういうものを見せれば面白いと思ってもらえるのかを勉強することもできます。 ――宇内さんのゲーム実況が軌道に乗ったら、このままYouTuberに転身してしまうんじゃないかという心配もありますが……。 宇内:いやいやいやいや(笑)。それは考えていないです。もちろんゲーム実況は大好きですが、アナウンサーの仕事も同じくらい好きなんですよ。極論、仕事詰めになってゲームが一切できなくても、それで満足できるくらいですから。  仕事から得られるものって、現実世界での自分のレベルアップなんですよね。昨日できなかったことができるようになると、ドラクエのレベルアップの音が、自分の中で鳴るような感じです。ゲームはそれを疑似体験できるし、自分の人間性や忍耐力の土台を培ってくれたと思っています。それを実社会で生かしてみるというのが理想の循環ですね! ――最後に、宇内さんにとって「ゲーム」はどのような存在ですか? 宇内:人間関係などでどうしようもなくつらいとき、ゲームがいつも、現実逃避させてくれました。「ゲームに救われた」と言うと嘘っぽく聞こえるかもしれませんが、本当にゲームに救われたと思える出来事が何回もあって。だから、ゲームをやらせたくない親御さんには、「教育に案外悪くないよ!」というところを伝えていきたいですね。特に最近は、『マインクラフト』や『フォートナイト』など、コミュニケーションありきのゲームが人気なので、現実世界で人間関係につまずいた時に社会性を培うためのセーフティーネットになってくれています。ゲームに対するポジティブなイメージをもっと伝えていきたいなぁと思っています!(構成=AERAdot.編集部・飯塚大和) ●うない・りさ 1991年生まれ。慶應義塾大学卒業後の2015年、TBSテレビにアナウンサーとして入社。主な担当番組は、ひるおび(水/金) / 有田プレビュールーム(月) / CDTVライブライブ(中継担当) / Bizスクエア(BS) / アフター6ジャンクション(ラジオ) など。ゲーム好きが高じて、格闘ゲームの大会『EVO Japan』に2度出場。YouTubeチャンネル「ゲーム実況はじめました。~女子アナゲーマー宇内 e~」のチャンネル登録者数は、開設から約1カ月半で2万人を突破した。
dot. 2021/01/10 11:32
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