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女性アスリートも快挙連発! スポーツ界の注目若手選手5人
菊地武顕 菊地武顕
女性アスリートも快挙連発! スポーツ界の注目若手選手5人
佐々木朗希 (c)朝日新聞社  麗(うら)らかな陽気のもと、花見で大騒ぎ……は避けねばならない今春。スポーツ観戦で、爽快さを満喫してはどうだろう。  若きアスリートの進境が著しい。女子ゴルフでは、今年初戦と第3戦で勝利したのが22歳の小祝さくら、第2戦を制したのは21歳の稲見萌寧(もね)。JRAでは20歳と18歳の新人女性騎手が勝利をあげ、F1には20歳のドライバーが誕生した。若手の活躍が、コロナ禍で漂う閉塞感を吹き飛ばしてくれる。 ■過酷な状況でこそ本領を発揮 【ゴルフ】小祝さくら(22) 今季再開初戦(今年初戦)は、首位と2打差で最終日をスタートし、最終ホールでバーディーを奪って劇的な逆転優勝。3戦目は、雨と強風の悪コンディションの最終日にベストスコアの70で優勝した 小祝さくら (GettyImages) ■セリエAで開花したDF 【サッカー】冨安健洋(22) 2019年に伊セリエA・ボローニャに移籍し、大活躍。シーズンオフにはACミランが獲得に動き出したほど。日本代表では吉田麻也と最終ラインを死守する 冨安健洋 (GettyImages) ■ホンダ最後の切り札がデビュー 【F1】角田裕毅(20) 昨年はF2で総合3位。今季はF1アルファタウリ・ホンダに。日本人として7年ぶりのF1ドライバーだ。今季限りで撤退するホンダの有終の美を飾れるか 角田裕毅 (GettyImages) ■新人女性騎手が2週連続勝利 【競馬】古川奈穂(20) 藤田菜七子以来、5年ぶりのJRA女性騎手。名伯楽・矢作芳人調教師の指導を受けている。同期の永島まなみ(18)と共に12戦目で初勝利(藤田のJRA初勝利は51戦目)。古川は翌週も勝利の快挙 ■ベールを脱いだ異次元の剛腕 【野球】佐々木朗希(19) 昨季は体作りに専念し、一度も実戦で投げなかった。今季も育成重視の方針だが、オープン戦に登板。抑えた投球でも150km台を連発。完成時にどれだけの剛球を投げるか。夢を抱かせてくれた (文/本誌・菊地武顕) ※週刊朝日  2021年4月9日号
週刊朝日 2021/04/05 16:02
京大だから奇人変人が生まれる? プロ雀士、パズル博士、手品師、林業女子
京大だから奇人変人が生まれる? プロ雀士、パズル博士、手品師、林業女子
松嶋桃さん (提供)  卒業生8人がノーベル賞を受賞するなど、京大は個性あふれる人材が輩出することで知られる。「奇人」や「変人」と呼ばれることは、学内では勲章に値する。プロ雀士(じゃんし)、パズル博士、マジシャン、林業女子──。在学中に人とは違う道を見つけ、卒業後も活躍を続ける若手OB・OG4人を紹介する。 *  *  *  法学部出身の松嶋桃さん(36)は日本プロ麻雀(マージャン)協会に所属し、対局したり実況を務めたりする。攻撃的な麻雀スタイルで、肉好きでもあることから「京大式小型肉食獣」との愛称を持つ。  中高一貫の南山(愛知)卒。両親も祖父母も麻雀好きで、小学生のころから休日になると弟を含む一家4人で雀卓を囲んだ。  入学前の親睦会で「麻雀ができる」と自己紹介したところ先輩に声をかけられ、数時間後には雀卓を囲んだ。1年夏に麻雀サークルに入り、部室に通い詰める日々。授業はほぼ出なかった。 「サークルには留年を繰り返している先輩が多くいました。中には受講登録すらしない人も。頭はいいのに社会からはみ出している方々としゃべりながら卓を囲む時間は何より楽しく、その空間の魔力にはまっていきました。今思えば京大でしか過ごせない自由な時間を生きていたと思います」  卒業後は同志社大法科大学院に進学した。ただ、毎日十数時間勉強する周囲を見て、「自分には無理」と弁護士は断念。修了後まもなく、「人生の楽しい時間をできるだけ多くしたい。1回やってみるなら今しかない」とプロ麻雀試験を受験し、首席で合格した。 「世の中では麻雀=ギャンブルという負のイメージが強い。京大という肩書も戦略的に使い、麻雀界のイメージを変えていきたいです」  大学・大学院でパズルについて研究し、博士号まで取得したのは東田大志(ひろし)さん(36)だ。 松山市でビラまきをする東田大志さん (提供)  小学2年のとき、知的な遊びのパズルの楽しさを知った。中高一貫の甲陽学院(兵庫)に入ると自分で問題を作り始め、雑誌に投稿するようになった。  大学では法学部に入ったが、3年時に総合人間学部に転部した。独特の研究ができる学部だ。 「キノコについて何でも知っている人、カレーの歴史を調べている人、毎日自作の詭弁(きべん)を考えて披露する人。とにかくユニークな人が多く、僕のなかでは今も京大といえば『総合人間学部』のイメージです」  卒論のテーマに「創造行為としてのパズル」を選んだ。パズルの歴史を調べ、記号論を使って分析。「自分にしか研究できない分野」と手ごたえを感じた。大学院では歴史や芸術学など様々な角度から研究を深めた。また、47都道府県を回り、自作パズルのビラまきもした。 「自由に研究テーマを決められる環境は何よりの魅力でした。パズル学という先駆者なき分野を研究できたのも、京大だったからと思っています」  現在はパズル本の執筆やパズル教室の運営で生計を立てている。パズルの普及はもちろん、「宇宙人がもし現れたなら、宇宙人とパズルでコミュニケーションを取りたい」のも目標の一つだ。  工学部出身の鈴木大河さん(29)は2018年、マジックの世界大会「FISM」でベスト8入りした実績を持つ。今年11月に開かれるアジア予選でも日本代表に選ばれた。 鈴木大河さん (提供)  もともと人前に出ることが得意ではなく、手先も「器用なことはなく、平凡だった」という。 「マジシャンをしていることをかつての同級生が知ったら驚くと思います」  中高一貫の日向学院(宮崎)に通い、バンド活動に熱中した。大学入学当初も軽音サークルに入るつもりだった。だが、「ご飯をおごる」と誘われて行った手品サークルで見たマジックがおもしろく、入会を決めた。 ■自由な校風ゆえ教授は否定せず  お客さんをいかに喜ばせられるか。その研究が楽しく、のめり込んだ。3年時に出場した全国大会の結果が振るわず、「自分の納得がいくところまでマジックを続けたい」と決意。卒業後は京都のレストランやマジックバーなどで芸を披露し、生計を立てた。  仕事が入らず、携帯電話料金を払えなくなることもあった。それでも、「マジック以外で収入を得ると、就職を先送りにした意味がない」とマジック一本で勝負した。  現在は東京・六本木のマジックシアターにレギュラー出演する傍ら、依頼に応じて全国を回る。 「卒業後はマジシャンとしてやっていきたいと話したとき、教授で否定する方は一人もいませんでした。自由な校風があってこそ選べた道だと思っています」  農学部森林科学科出身の井上有加さん(33)は大学院時代、女性にも林業に親しみを持ってもらおうと「林業女子会」を立ち上げた。女性だけで山に入るツアーや京町家で森について話す茶会などを企画。東北、北陸など組織を全国に広げ、17年には海外部もできた。 北山丸太に囲まれて結婚式を挙げた井上有加さんと夫 (提供)  小学生時代を富山県で過ごした。イタイイタイ病が発生した神通川流域でごみ拾いをしたことなどがきっかけで、環境問題に関心を持った。  大学では山仕事サークルに所属。週末に京都市内を流れる鴨川源流域の雲ケ畑地区に通い、植林のほか、手斧や鉈(なた)を使って間伐・枝打ちなどを経験した。 「切った木が倒れたときの爽快感や、地下足袋で味わう地面の感触など、すべてが新鮮で楽しかったです」  26歳のとき、高知大農学部森林科学科出身の男性と結婚。式は京都の伝統工芸品・北山丸太の生産協同組合で挙げた。荷台に乗って二人が登場したり、丸太のバウムクーヘンに入刀したりした。  現在は高知県で夫と工務店を営みながら、休日には「林業女子会」の活動として現地の山を視察する。1児の母。今後は、林業の世界でも女性が働きやすいように産休・育休制度など環境整備に力を入れていきたいという。(本誌・松岡瑛理) ※週刊朝日  2021年4月9日号
京大
週刊朝日 2021/04/05 11:32
参加無料なのに日本酒やお米がもらえる「オンライン帰省イベント」 人口3千人の町の狙いとは
参加無料なのに日本酒やお米がもらえる「オンライン帰省イベント」 人口3千人の町の狙いとは
オンライン帰省イベント参加申込者に届いた、約4千円相当の特産品(写真提供/株式会社YUKARI) SHIBUYA QWS(東京・渋谷)の磐梯町官民共創拠点の3人と、磐梯町長とをオンラインでつなぎトークセッション。和気あいあいとした雰囲気で進行した(写真提供/磐梯町)  新型コロナの影響で「帰省はオンラインで」と呼びかけられるようになって久しい。そんななか今年3月、福島県にある人口3千人あまりの町が、異例のオンライン帰省イベントを開いた。参加費は無料なのに、申し込むと約4千円相当の町の特産品が届くのだ。しかも、その町に何の縁もない人でも参加できるという。なぜこんなイベントを企画したのか。町の担当者に取材した。 *  *  *  福島県の会津地方にある「磐梯町」。全国的にも知られる「磐梯山」を擁するが、人口約3300人の小さな町だ。  その磐梯町が主催したのが、参加無料のオンライン帰省イベントだ。申し込むと、同町産の日本酒や米、ごはんのお供など数点の「磐梯の愛情コメコメ乾杯セット」(約4千円相当)が事前に自宅に届く。「帰省」と銘打つが、「コロナ禍において帰省や旅行を自粛している満20歳以上の方」なら、同町出身者でなくても参加できる。そのため、募集3日で定員は満席になった。  当日は磐梯町長による町の紹介や、参加者同士がZoomで顔を合わせながら、届いた日本酒で乾杯する一幕もあった。また、事前に各自が磐梯町産の米を炊いておいて、一緒におむすびをつくるワークショップも行われた。  参加者35組のうち磐梯町出身者はわずか3~4組。ほとんどが町とはゆかりがない人で、首都圏や関西圏をはじめ、北海道や鹿児島県からの参加者もいたという。  同町がこうしたイベントを行うのは、昨年8月に続き2回目だという。町と直接関係ない人たちに約4千円分もの特産品を無料で提供するのはなぜなのか。イベントを主催した町職員、五十嵐大輝さん(31)はこう話す。 「特産品を食べたり飲んだりすることで、これまで磐梯町を知らなかった人にも『第2の故郷』のように感じてほしいという思いから企画しました」  だが、真の狙いはそれだけではないと、五十嵐さんは言う。 「人口の少ない磐梯町は高齢化も進み、自治体の存続すら危うい状況です。そこで、少ない人口でも住民が豊かな生活を送れるよう、デジタル技術も取り入れて町を変革する『自治体DX(デジタルトランスフォーメーション=デジタル変革)』を昨年スタートさせました。町外に住みながら“複業”として町のDXにかかわってくれる“複業人材”を集めるのも、この企画の目的です」  デジタル化を担うシステムやセキュリティーの専門家を町内で探すのは難しい。そこで同町は、町外から人を集めることに力を入れている。同町ではすでに、町外のIT専門家やデザイナー、スタートアップ企業の経営者らを町の「デジタル変革審議会」「官民共創・複業・テレワーク審議会」の審議委員として招き、オンラインで審議会を実施している。自治体の審議会を完全にオンラインで行うのは、全国で初の試みだという。 「町外に住みながらも町おこしや仕事にかかわってくれる『関係人口』を増やすために、まずは磐梯町に興味を持ってくれる人を増やしたい。『モノで釣る』というわけではないですが、まずは何がきっかけであれ、磐梯町と接点を持ってもらえたら、と」  そう話す五十嵐さん自身も、東京都在住だ。中学卒業まで磐梯町で育ったが、進学とともに町を離れた。現在はフリーランスで企業のブランディングや広報の仕事をしながら、業務委託の磐梯町職員としてDXの推進役を担う。まさに「関係人口」の一人だ。SNSやYouTube、各種アプリなど、従来の役場職員だけでは扱いにくかったデジタルツールを使って、積極的に町の魅力を発信している。  今回のイベントは同町の官民共創拠点がある「SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)」(東京・渋谷)から配信し、3人のゲストが登場した。若者に日本酒の魅力を広める女性グループ「PON酒女子」代表の塚原彩衣さん、首都圏を中心におむすびのケータリングやイベント開催をしている「笑(わらい)むすび∞」代表の山田みきさん、進行役の渡部久美子さん。3人はいずれも同町に縁があるものの、都内在住で町の出身者ではない。これには“町外に住んでいても町に関わることができる”ということを参加者にアピールする狙いもあるという。  イベント後、参加者からは「磐梯町の良さを初めて知り、ぜひ行ってみたいと感じた」「おむすびに込められた愛情が印象的だった。いつか絶対に訪れたい」「東京から磐梯町を共に盛り上げていこうという思いが伝わった」などの感想が寄せられた。  さらに生配信中、同町が取り組む官民共創プロジェクト「ばんだい宝ラボ」のオンラインキックオフイベントの告知をしたところ、配信終了後すぐに数件の参加申し込みがあった。また、Facebookの町公式ファンコミュニティ―の参加者も10人以上増え、少しずつだが帰省イベントの手ごたえを感じている。  町では今後もお土産付きのオンラインイベントを開催する予定だという。予算の関係で参加者は数十人が上限になるが、少ない人数であっても町に深くかかわりを持ってくれそうな人と接点を持つことが重要だと考えている。 「小さな町ですが、だからこそ新しい取り組みにどんどん挑戦しているので、これから注目してもらえると嬉しいです」(五十嵐さん) (文/白井裕子)
オンライン帰省
dot. 2021/04/03 11:30
文在寅大統領が狙う支持率挽回の秘策は東京五輪「南北チーム」と中国人票
朴承珉 朴承珉
文在寅大統領が狙う支持率挽回の秘策は東京五輪「南北チーム」と中国人票
韓国の文在寅大統領(C)朝日新聞社 北朝鮮の金与正氏と金正恩氏(C)朝日新聞社  4月の補選を控え、支持率の低下に苦しむのは菅義偉首相だけではない。来春の韓国大統領選の前哨戦とされる4月7日のソウル、釜山両市長選の投開票まであと1週間だが、文在寅(ムン・ジェイン)大統領と与党「共に民主党」の支持率の低下もとまらないのだ。  多くの世論調査専門会社の調査で、文大統領の国政支持率が就任後、歴代最低値を記録している。韓国ギャラップ会社の調査では国政支持率が34%で就任後、最も低かった。否定的な評価は59%と就任後、最も高かった。ソウルでは否定的な評価が65%で肯定的な評価の26%より39%も高かった。リアルメーターも国政支持率が34%で同じ数字だ。  世論調査機関によっては、国政支持率が30%まで下がったところもある。文大統領に対する否定的な評価の最大理由は、不動産政策(34%)だ。文政権で不動産政策は25回以上変更された。  さらに最近、韓国土地住宅公社の役員や職員、文大統領の側近の国会議員までが業務過程で入手した情報で、新都市開発予定地など不動産に投機した容疑で調査を受けている。  政権はこの疑惑に対する1次調査を土地住宅公社の上の省庁である国土交通部に調査を任せたが、まともな調査が行われるはずがない。  そのうえ、文政権は尹錫悦(ユン・ソクヨル)前検事総長との対立で、目の上のこぶのような検察を最初は捜査から排除した。検察はこのような捜査に最も多くのノウハウを持っている捜査機関であるにも関わらずだ。  そしてソウル釜山市長選では与党候補が圧倒的にリードされ、国民の怒りが収まらないということを感じたのか、3月29日になって検察に捜査を許可。検察500人、政府合同特別捜査本部の規模を2倍に拡大して1500人と、合わせて2千人以上に捜査人数を増やした。  だが、韓国民はいわゆる玉ねぎ男「曺国(チョ・グク)事態」のように文政権の身内に対して甘い処罰、生ぬるい対応を見て怒りが爆発する形になっているのだ。  ここにきて、文政権の「コンクリート(一枚岩)支持層」といわれていた20代の離脱傾向が尋常ではない。ソウル市長補欠選挙関連の各種世論調査を見ると、20代で野党候補の支持が目立っている。  世論調査会社リアルメーターが、ソウル市長選でどの候補に投票するかを聞いた結果、20代(満18歳~29歳)では最大野党の「国民の力」呉世勲(オ・セフン)候補が60.1%で、与党「共に民主党」の朴映宣(パク・ヨンソン)候補が21.1%と3倍近くリードした。  このような世論の流れに危機感を感じた与党は26日、永住権を持つ中国人にまで地方選挙の投票権があるという事実を強調し、朴映宣候補への支持を訴えた。外国人は大統領選挙と国会議員選挙では投票権を持っていない。しかし、地方選挙では永住資格を取得して3年が過ぎた登録外国人に限って投票権を行使できる。  与党が中国人の票を当て込むのは、地方選挙の投票権を持っている外国人の多くが中国人だからだ。昨年12月時点でソウル市に登録された外国人24万人のうち、韓国系中国人(朝鮮族)は約9万人で、これらを除いた中国人は約5万人。ソウル市に登録した外国人の半分以上が中国国籍者であるわけだ。このうち永住資格を持ち、投票権を持っている外国人は約4万5000人で大多数が中国人とされる。  与党は中国人たちの支持と投票を期待しているが、皮肉にも韓国では最近、反中国感情が広がっている。  中国の有名なYouTuberが「韓服は中国の伝統衣服であるハンプの影響を受けている」「キムチも中国から輸入された」などと主張した。  韓国古代史を自国の歴史の一部と歪曲した中国の東北工程(中国東北部の歴史研究を目的とする国家プロジェクト)、韓国のサード配置後に始まった中国の限韓令(韓流の規制)などを経験した韓国民は「中国が巨大市場と資本を前面に出し、Kコンテンツ全般に“文化の東北工程”を繰り広げている」と反感を強めているのだ。    限韓令と新型コロナ感染症などで見せた中国の対応に嫌気がさした若い世代が主導する反中キャンペーンが多くの国民に支持されているという分析も出ている。  与党が中国人有権者にまで支持を訴えているのは、それだけ今回の韓国2大都市の首長補欠選で苦境に立たされていることを物語っている。  来春の大統領選までに支持率を挽回したい文大統領の秘策は、なんと7月の東京五輪にあるという。  日・米・南・北4カ国首脳会同を実現させた上で、選手団の南北単一チームと南北選手団の合同入場などを文大統領は構想しているという。その後、米朝首脳会談と南北会談まで実現させ、3年前の板門店会談、平壌南北会談のような「春の日」を再現しようとしているのだ。  文政権はさらに来年2月の「北京冬季五輪」の際も同様に首脳会談を駆使し、平和ムードを造成して来年3月の韓国大統領選挙での政権継続に命運をかけているという。  文政権は18年2月の平昌冬季五輪で、「女子アイスホッケー南北合同チームを」を作って、南北平和ムードをアピールし、北朝鮮は金正恩(キム・ジョンウン)委員長の妹、金与正(キム・ヨジョン)特使を派遣した。この五輪を契機に、北朝鮮は長距離ミサイルなどの実験を中止。平昌五輪の2か月後、板門店南北会談が開催され、同年6月にはシンガポールで史上初のトランプ前大統領と金正恩委員長の米朝首脳会談が実現された。  東京五輪開催はコロナ感染拡大でまだ不明なものの、文政権は「平昌の春の日」を東京五輪で再度、実現したいというのだ。  ところが、まだ実際に南北合同チームを構成するために、南北関係者の話し合いが行われた様子はない。北朝鮮の金正恩委員長が特使として妹の金与正氏を日本に派遣するか、否かも不透明だ。  北朝鮮は文政権の「南北チーム」構成や、五輪開会式に南北の選手団が合同で入場して世界に南北平和をアピールしたい意図について理解している。だが、文政権の足元を見透かして、北朝鮮がこうした要請に応じる可能性は極めて低い。  金与正氏は3月16日、韓米合同軍事演習を問題視して「3年前の暖かい春の日は戻ってくることが容易ではないだろう」「任期末期に入った南朝鮮(韓国)当局の前途は非常に苦しく、楽ではないだろう」と、文政権を批判した。  そして5日後の3月21日、北朝鮮が西海(黄海)上に短距離巡航ミサイル2発を発射した。米国の ジョー・バイデン政府発足61日目にして初の武力デモをしたのである。  だが、韓国の合同参謀本部は、ミサイル発射状況をリアルタイムで確認したにもかかわらず、これを公開せず黙殺した。3月24日に米メディアの報道が出た後、ミサイル発射をしぶしぶと認めた。 「米政府が非公開情報をメディアに流す意図的リーク」と専門家たちは指摘し、米政府が迂回的に情報を公開したというのだ。  続いて北朝鮮は同25日、咸鏡南道咸州一帯から短距離ミサイル2発を発射した。しかし、韓国の合同参謀本部関係者は同日、最初はミサイルを「短距離発射体」と呼んだ。その後、発射4時間が過ぎた時点でミサイルであることを認めて飛行距離と高度を遅れて公開し、批判を受けた。日本より4時間も遅れの発表だった。 「文政権はこれまで一貫して北朝鮮の挑発を縮小して発表したり、弁護してきた。何があっても金正恩政権の気分を害さないように努力している。文政権は北朝鮮に対しては一貫して低姿勢だが、同盟国の米国に対しては非協力的だ。北朝鮮の核ミサイルを阻止する在韓米軍の高度防衛ミサイル(サード)基地の正常運用にも協力していない。最近、オースティン米国防長官が訪韓した際、『サード基地を今のように放置するつもりか。同盟として受け入れられないことだ』と強く抗議した。慶尚北道星州のサード基地では、デモ隊の阻止で駐留地(駐屯地)の工事も4年間できず、韓米の将兵がコンテナなどで温水と暖房もなく生活している。これは中国を慮った意図的な行動だ」(韓国政府関係者)  こうした事情のため、文政権が東京五輪後、米朝首脳会談をもう一度、プロデュースしても高齢のバイデン大統領が参加するかどうかは、不透明だ。最近、ホワイトハウスのスポークスマンは「バイデン大統領は金正恩に会う意向がない」とはっきり話している。  冷静的に考えれば、北が核を放棄する可能性も低いし、たとえ米朝会談が行われても、成果が何も出ないかもしれないのに、バイデン大統領が会談するメリットがあるのか、ということも考えなければいけない。  文政権の支持率低迷の起爆剤に東京五輪を利用するという戦略は、かなり厳しい道のりであることは間違いない。(在ソウル・ジャーナリスト 朴承珉)
dot. 2021/04/01 07:00
超難関大学の女子大生が好きが高じてストリッパーになった仰天の理由 今や客の4割が女性
超難関大学の女子大生が好きが高じてストリッパーになった仰天の理由 今や客の4割が女性
つむぎさん /川崎ロック座  ここ数年、ストリップ劇場の客席に女性の姿が増えている。老舗「浅草ロック座」では、時には客の4割前後を占めるほどだという。さらには、ストリップ好きが高じて踊り子になったケースもある。なぜ、彼女たちはストリップのステージを目指したのか。4人の踊り子に取材した。 ●女子大生ストリッパー 卒業を節目に引退 つむぎさん 「超難関大学の現役女子大生が、鮮烈デビュー」  こんなセンセーショナルな告知で昨年7月、ストリップファンの注目を浴びた、つむぎさん。  踊り子になったきっかけは、客としてストリップを見たことだった。 「大学にストリップ好きの先輩がいて、『一緒に行こう』と誘われ、浅草ロック座で観劇したんです。踊り子さんたちの美しさ、衣装や照明の豪華さにみせられ、『私もお姐(ねえ)さんたちみたいに輝きたい、あそこに立ってみたい』と思ったんです」  深く考えるよりすぐに動いてしまうタイプ。浅草ロック座に自らを売り込み、デビューが決まった。  初舞台は、姉妹劇場の川崎ロック座。昨年11月には浅草ロック座の20日間連続公演のステージを飾った。 「親にはもちろん、ごく一部を除き友人にもナイショです(笑)」  バレる心配はなかったのだろうか? 「もちろんありました。でも大学4年生ですから最後のチャンス。就職後では無理です。どうしてもやってみたかったので、デビューできて本当に良かったです」  一番の思い出は20日間連続公演のレッスン。10日間、「毎晩終電で浅草(ロック座)へ行ってエナジードリンクを飲んで眠気を飛ばし、始発まで繰り返し踊って体で覚えました」  楽屋での休憩中に参考書などを開き、熱心に勉強していたのは、踊り子の間でも語り草だ。  先日、大学を卒業した。この先はストリップとは別の道に進む。 「ストリッパーを辞めるのは、まずは新卒として社会に出て、あらゆる知識を身につけたいからです。いろんな経験を積んで、さらに自分を成長させたい」 浅井ひなみさん/ライブシアター栗橋 ●大学卒業後の就職先が舞姫 ストリップが人生の転機 浅井ひなみさん  デビューから1年半。若手舞姫の中でも注目株なのが浅井ひなみさんだ。 「ストリップの魅力は、お客様も踊り子もプラス思考で楽しんでいるところだと思います。みんなが幸せになれる場所、ストレスを忘れられる万能薬です」  現役大学生のとき、初めてストリップを見た。 「友人が誕生日に『行ったことがないところに行ってみたい』と言うので出かけました。でも最初は乗り気じゃなかったんです」  だが、ステージが始まると引き込まれた。 「それぞれの演目の作り込まれた世界観に圧倒されました。どれを見ても、この人はどんなことを考えてこの作品を作ったんだろうとか、なんでこんなきれいに笑えるんだろう、とか色々なことを考えてしまい、泣きっぱなしになりました」  その感動が忘れられず、何か嫌なことがある度に「駆け込み寺」としてストリップ劇場に通った。  そして迎えた就職活動。将来に不安を感じ、どんな仕事が自分に合うのか迷っていた。そんな時に、顔見知りになった憧れの踊り子さんから購入した写真にこんなコメントが書かれていた。 「ストリップはアイドルじゃない女の子が輝ける場所だから、私はこの世界が好き」  スッと肩の荷が下りたような気がした。踊り子の道を選んだ。 「女優やキャビンアテンダント、素敵なお嫁さん、人魚……。日常ではなかなかなれないけれど、ステージの上では大丈夫。お客様は笑顔で拍手を送ってくれます。それもストリップの素敵なところ」  だが、友人は皆が皆、好意的ではなかった。交友関係が切れた人もいた。 「人は人、私は私。こんなにやりがいのある仕事は他にないと思います」  ライブシアター栗橋(埼玉)が活躍の場だ。 ●カリスマ書店員、エッセイストが“三足のワラジ”に 新井見枝香さん 「花のトップステージを飾るのは新井見枝香さんです。盛大な拍手でお迎え下さい」  都内・上野公園そばのストリップ劇場「シアター上野」。2月下旬のデビュー1周年記念公演では、各ステージのトップバッターを務めた。  本好きの人であれば、「新井見枝香」の名前を見て、ピンと来た人もいるはずだ。  2014年に、芥川賞、直木賞と同じ日に独断で本を推薦する「新井賞」を始めた人だ。三省堂書店(東京)を経て、現在も都内・日比谷の大型書店に勤務している。 書店員をしている新井見枝香さん  週刊誌や月刊誌は言うに及ばず、テレビの人気番組、NHKラジオにまで書評を求められ、書籍の帯にコメントを寄稿する。著書は3冊。「カリスマ」書店員であり、名エッセイスト。  そして昨年2月、ストリッパーの肩書が加わった。 「今が人生の中で一番充実しています。こんな日が来るとは思ってもいなかった」  ストリップとの出会いは18年6月。心酔する直木賞作家で、大のストリップファンの桜木紫乃さんから、こんなメールが来た。  見枝香よ、書を捨てて小屋へ行こう。おやつは鰻だ  “小屋”とはストリップ劇場のこと。誘われるまま足を運んだのが、シアター上野だった。 「衝撃的でした。こんな世界があるのか、と」  とりわけ印象的だったのが、桜木さんの小説「裸の華」のモデルでもある踊り子の相田樹音さんだ。 「表現力、ストーリー性、キレのいい踊り、とにかく圧倒されました」  劇場を出てからも興奮は覚めやらず、ランチをしながら桜木さん相手に熱弁を奮った。  それからストリップ劇場通いが始まり、1年8カ月後に39歳でデビュー。ステージ度胸の良さとクオリティーの高さから「新人とは思えない」と、初舞台を踏んだあわらミュージック劇場(福井)の社長を驚かせた。 新井見枝香さん/シアター上野 「ストリップの良さは、『脱ぐ』というお約束さえ守れば、自由にセルフプロデュースができるところ。劇団やバンドと違い、誰にも気兼ねしなくていいのが魅力です」と新井さん。  現在、40歳。ステージでは年齢を感じさせないものの、人気のバロメーターの一つ、写真販売に苦戦し、落ち込むこともしばしば。  それでも、と新井さんは言う。 「楽しいことをやってるからヘコんでばかりいられません。曲、衣装、ダンスが独りよがりにならないよう、お客さんが求める演目作りを心がけていきたい」  三足のわらじで走り続ける。 ●アルコール依存、摂食障害……「命の恩人はストリップ」 葵マコさん  関西の芸術系大学を卒業した。舞台芸術を専攻し、仲間と結成したパフォーマンスグループの公演は、卒業制作作品学長賞を受賞するほど高く評価された。  そんな葵マコさんをストリップの世界へ誘ったのは、たまたま見たクラブイベントに出演していた踊り子さんだった。 「身体の見せ方やポーズの美しさに魅了されました」  そしてストリップ劇場へ。 「目の前で服を脱いでいってあらわになっていくその身体や表情をみながら、『私にとっても大事なところをさらけ出してくれてるんじゃないか』って思いました」  すでに家庭問題や摂食障害で精神的に追い詰められ、酒に依存していた。それを乗り越える術をストリップに託し、08年7月にDX東寺(京都)でデビュー。夢にまで見たストリッパーとしての第一歩を踏み出した。  しかし、理想と現実の乖離(かいり)に悩み、一人になると孤独感にさいなまれ、ますます酒に溺れた。過食・嘔吐(おうと)も一段とひどくなった。 「朝起きられず、出番ギリギリでステージに出たり、忘れ物も増えたり。依存症によるミスを隠すことに追われて精神的にもいっぱいいっぱい。やむなく休業することにしたんです」  リラクゼーションサロンやパン屋で計1年9カ月働いた。 「両方とも一生懸命だったのですが、『ここじゃない。ずっといるのは違うな』と。それで復帰したんです」  だが、酒はなかなか止められない。 「缶チューハイの空き缶の山のなかで寝たこともありました」  何かと理由をつけて酒に逃避する自分に嫌気がさした。「このままでは本当にダメになる」と一念発起。15年4月、酒を断った。 「自分を冷静に見つめるにはストリップに打ち込むしかない。ちゃんと踊れるようになろう」 葵マコさん/大和ミュージック劇場(神奈川)  以来、これまで一滴も口にしていない。最近はたびたび、「実はぼくもお酒やめてます」と声をかけられることが増えた。 「断酒の輪が広がってきているのはとてもうれしいです。楽しく飲めればいいですけど、コントロールできなくなった時の孤独が一番危ない。1人じゃできないことも皆でだったら乗り越えられる。そんなことを教えてくれたのもストリップでした」  ストリップに命を救われたと思っている。 (取材・撮影/高鍬真之) ※週刊朝日オンライン限定記事
週刊朝日 2021/03/31 11:30
【人工関節置換術・膝関節】ひざが痛い患者はどう治療法を選べばいい? 専門医が解説
【人工関節置換術・膝関節】ひざが痛い患者はどう治療法を選べばいい? 専門医が解説
週刊朝日ムック『手術数でわかるいい病院2021』より  週刊朝日ムック『手術数でわかるいい病院2021』では、全国の病院に対して独自に調査をおこない、病院から得た回答結果をもとに、手術数の多い病院をランキングにして掲載している。また、実際の患者を想定し、その患者がたどる治療選択について、専門の医師に取材してどのような基準で判断をしていくのか解説記事を掲載している。ここでは、「人工関節置換術・膝関節」の解説を紹介する。 *  *  *  ひざの痛みは、その多くが「変形性膝関節症(OA)」によるもので、関節の軟骨がすり減って骨の変形が進行することで起こる。ほかに、「関節リウマチ」、大腿骨の関節面が部分的に壊死する「膝関節特発性骨壊死症」などもある。  ОAの発症は、加齢にともなって増加する。日本人はО脚が多いため、負荷が片側に集中して、膝関節の内側がすり減って変形しやすい。  病状は、「前期」「初期」「進行期」「末期」へと少しずつ進む。歩く、階段を下りるなど動作時の痛みに始まり、徐々に痛みの長さや程度が増し、ひざの動きが悪くなる。進行を抑えるには保存療法が有効だ。炎症や痛みを抑える薬物療法や、ひざの負担を減らすための減量、生活動作の見直し、膝関節を支え、動かす筋肉をきたえる運動療法などがある。 ■人工関節の耐久性が向上、進行しないうちに手術を  膝関節の変形が大きくなり、保存療法では痛みが改善せず日常生活において困る場合には、手術が検討される。手術法は次の3種類がある。 「関節鏡視下手術」は、部分的な関節軟骨の損傷部位の切除などに適用する。関節の変形が進んだ患者には効果が期待できない。「人工膝関節置換術」は、傷んだ膝関節を全て人工関節と入れ替える「人工膝関節全置換術(TKA)」と、部分的に入れ替える「単顆人工膝関節置換術(UKA)」があり、変形があり痛みが強い高齢者に適する。「高位脛骨骨切り術(HTO)」は活動度が高く、若い患者に向く。山形済生病院の福島重宣医師はこう話す。 「痛みを取って歩きたいと希望する患者に、人工膝関節置換術を検討します」  80歳以上で受ける人の割合も増えているが、人工関節の寿命が20~30年に延びていることから、50代の若い人が希望する場合もあるという。 「ただし、活動度が高いと人工関節の摩耗やゆるみが早まることもあり、新しい人工関節への再置換術が必要になる可能性もあることを必ず説明しています」(福島医師)  人工膝関節はあぐらや正座など、ひざを深く曲げる動作は困難になる。東京女子医科大学病院の岡崎賢医師はこう話す。 「通常、術後のひざの動きは、術前の曲がる角度に依存するため、症状が悪化してひざが硬くなる前に、タイミングを逃さず手術を受けることが大事です」  術後はジャンプなど、衝撃が加わる動作は避ける必要があるが、ウォーキングやゴルフなどのスポーツは再開できる。 ■より大きく自然に動かせる骨切り術、UKA  自分の関節を残せるHTOと、悪いほうの片側だけ部分的に人工関節を入れるUKAは、術後のひざの違和感が少ない。 「いずれも、変形が中等度までで、正常な軟骨や靱帯が残っていることが適応の条件です。正常な部分の関節が残せるため、ひざの動きがより大きく自然です」(岡崎医師)  HTOは、術後リハビリに長期間を要するが、約半年後にはスポーツに復帰できる。技術と経験の必要な手術のため、実施する病院は限られる。  UKAは近年、長期の治療成績が向上して実施する病院が増えている。主流となるのはTKAだが、UKAを得意とする病院では一部の条件に合う患者に実施している。 「UKAは、適応条件の見きわめが重要です。変形が進行している人に無理をすれば1、2年後に残した関節や膝蓋骨の裏側に痛みが出てくることがあります」(福島医師) 「TKAかUKAか、UKAかHTOか、迷う症例は多くあります。3種類の手術をすべておこなっている病院であれば、患者に一番いい治療の選択肢を提案できるでしょう」(岡崎医師)  患者のニーズを聞いて治療法を選び、利点と限界を説明してくれる病院を選びたい。  手術後も、定期的な経過観察をして、人工膝関節の状態を確認することが大切だ。  ランキングの一部は特設サイトで無料公開しているので参考にしてほしい。「手術数でわかるいい病院」https://dot.asahi.com/goodhospital/ 【医師との会話に役立つキーワード】 《ひざの可動域》 ひざの可動域とは、曲げ伸ばしや、ひざ下のねじりの動作で、膝関節が動く範囲のこと。一般的にTKAでは術後に120°~130°までしか曲げられないことが多いため、正座は難しくなる。UKAの場合、+10°くらい可動域が大きいことが多い。 《サルコペニア》 サルコペニアとは、おもに加齢とともに全身の筋肉量が減り、筋力が低下していく現象。寝たきりの原因にもなる。ひざが痛くて運動しなくなると起こりやすい。反対に、サルコペニアにより肥満になると、変形性膝関節症を悪化させる要因になる。 【取材した医師】 山形済生病院 副院長・整形外科診療部長 福島重宣医師 東京女子医科大学病院 整形外科教授 岡崎 賢医師 (文/坂井由美) ※週刊朝日ムック『手術数でわかるいい病院2021』より
いい病院2021病気
dot. 2021/03/30 17:00
早稲田・慶應の20年後は? スポ科が文学部より上、SFCも出世学部に!?
吉崎洋夫 吉崎洋夫
早稲田・慶應の20年後は? スポ科が文学部より上、SFCも出世学部に!?
左から、慶應・三田キャンパス (c)朝日新聞社、早稲田・大隈講堂 (撮影/吉崎洋夫) 【図1】 5つの早慶異変!! (週刊朝日2021年4月2日号より) 【図2】 分析方法は、図1と同じ (分析)井上孟、西田浩史 (週刊朝日2021年4月2日号より)  私学最難関大として競い合う早稲田と慶應義塾の学部序列に異変が起きている。インターネットでの検索数などを分析したところ、早稲田の社会科学部(通称・社学)が看板学部になりつつあることなどがわかった。両大の現状と未来を紹介する。 *  *  *  今春、慶應の医学部に合格した女性(18)は言う。 「慶應の医学部は別格です。早稲田? 受けようとは思いませんでした」  データを見ても、両大を通じて最上位に位置していることがわかる。早稲田には医学部がなく、「慶應との決定的な差はここにある」と指摘する早稲田OBは多い。  慶應医学部といえば、私学最古の歴史を持つ医学部だ。付属病院は臨床の最先端を行き、研究もトップクラス。学閥が強く、各界へのパイプもある。  そんな医学部の地位がさらに上がる出来事が起きた。昨年11月、慶應が東京歯科大との合併協議を始めると発表したのだ。合併が実現すれば、文系・理系の学部がある総合大学で、医・歯・薬・看護を持つ医療系総合大でもあるのは、慶應が日本で唯一となる。  近年の教育や研究の現場では他学部との連携が必須だ。慶應では医学部と理工学部が、治療・手術支援や診断・評価支援などの研究を一緒に行っている。医学部、薬学部、看護医療学部も共同で授業を実施するなどしている。医学部に合格した女性は期待を寄せる。 「世の中は医療だけで成り立っているわけではありません。歯・薬・看護や理工系の学生と一緒に学べるのは大きいです」  今回、教育ジャーナリストで追手門学院大客員研究員の西田浩史さんとデータサイエンティストの井上孟さんに、早稲田・慶應両校の最新学部序列を作ってもらった。過去3年間のインターネットでの検索数や言葉の種類の多さといったデータ(約5億件)を分析した結果だ。データによると、医学部をはじめ、理工、薬、歯、看護といった理系学部のブランド力は上がると予測されている。私立医学部・歯学部専門予備校メルリックス学院の鈴村倫衣学院長が指摘する。 「早稲田も医学部創設の話がありますが、もたついています。慶應は看護医療学部を作り、薬学部を合併し、サクサクと医療系総合大学に発展していきました。早稲田も東京女子医科大と連携するなど取り組んでいます。ただ、学内で連携できる慶應とは差がつくでしょう」  慶應の序列で最下位に沈むSFC2学部(総合政策学部、環境情報学部)も上昇傾向にある。湘南藤沢キャンパス(神奈川県藤沢市)の頭文字を取ってSFCと言われる。  両学部とも90年に創設され、日本で初めてAO入試(現・総合型選抜)を導入。外国語教育やコンピューター教育、ディスカッションなどの双方向授業に力を入れ、看板学部にのし上がった。その後、そうした特徴も他大学で取り入れられ、独自性は薄れた。都心から離れた立地の悪さや就職率の伸び悩みなどから、人気は落ちた。  しかし、状況は変わりつつある。例えば慶應義塾高からSFCに進学した生徒は、19年の20人から20年は74人に増えた。学びの魅力に注目が集まっているとされる。推薦・総合型選抜の対策を専門にする洋々の清水信朗代表が説明する。 「AOの志願者は増加しています。教員の入れ替えが多く、第一線で活躍する旬な人が授業を持っていて、学生の満足度は高い。1期生が50歳を超えるころ。卒業生の活躍の姿が見えてきているこれから、より人気が高まると思います」  最後に20年後の序列を見ておこう。文系学部では早稲田に勢いがあり、特に社会科学部の上昇が目覚ましい。政治経済学部と並ぶ看板学部になり、両学部は慶應の経済学部、法学部よりも上位に来る。スポーツ科学部は文学部より人気を集め、上位と下位の学部の差はなくなっていく。  慶應では医学部を筆頭に理系学部がブランドを牽引(けんいん)する。そのなかでSFCも人気が急上昇する。井上さんはこう見る。 「SFCは文系学部だけでなく、理工学部など理系学部とも比較されています。こうした比較は、慶應の経済学部や早稲田の政治経済学部など最難関学部ぐらい。SFCは早稲田の社学並みか、それ以上の大出世学部になる可能性を秘めています」 (本誌・吉崎洋夫) ※週刊朝日  2021年4月2日号より抜粋
大学入試
週刊朝日 2021/03/27 11:30
綾野剛バラエティ番組であふれる「いい人感」 コワモテもラブコメもできる全方位俳優に
丸山ひろし 丸山ひろし
綾野剛バラエティ番組であふれる「いい人感」 コワモテもラブコメもできる全方位俳優に
綾野剛(C)朝日新聞社  4月14日スタートのドラマ「恋はDeepに」(日本テレビ系)で、石原さとみとW主演を務める俳優の綾野剛(39)。本作は石原演じる魚オタクの海洋学者・渚海音と、綾野演じるロンドン帰りのツンデレ御曹司・蓮田倫太郎の恋を描いたラブコメディで、綾野は昨年6~9月に放送された「MIU404」(TBS系)以来の連ドラ主演となる。  星野源とW主演だった「MIU404」は視聴率で健闘。昨年11月には、北川景子と共演した主演映画「ドクター・デスの遺産-BLACK FILE-」も公開された。今年に入ってからは映画「ヤクザと家族 The Family」で主演を務め、スマッシュヒット。4月には人気マンガを原作とした主演映画「ホムンクルス」の公開が控えており、40歳を目前に飛ぶ鳥を落とす勢いだ。そんな活躍ぶりに加え、「最近ではバラエティ番組への出演で好感度がアップしている」と言うのはテレビ情報誌の編集者だ。 「アウトロー役もピタリとハマることから、『恐い』というイメージもある綾野さんですが、一方で最近では出演作の宣伝も兼ねてバラエティ番組に出演する機会も多く、言動から優しさがあふれ出ています。例えば、昨年11月に放送されたバラエティ番組内の、女子大生2人の『大人の女性コーデを知りたい』という願いを綾野が叶えるという企画。その日、綾野の服装は黒を基調としたモノトーンコーデで、そのファッションのテーマについて聞かれると、『あんまり男性(の服装)がゴチャゴチャしていても、女性が魅力的に映らないから』と返答。さらに、服を試着する2人を見て『俺まで楽しい』と笑顔。そんな、女性や周りを気遣う振る舞いに、SNS上では『内面も素敵』『スマートでかっこよかった』と、称賛の声が目立っていました。また、産後の北川景子と出演したトーク番組で、北川が共演者と『まばたき我慢対決』をしたのですが、大激戦となったところで綾野が『景子ちゃん無理しなくて大丈夫だよ』と優しく声をかけていました。これにも『めちゃめちゃ綾野剛のこと好きになった』などの声が見られ、好感を持った人が多かったようです」  性格もイケメンの綾野。「ウチのガヤがすみません!」(日本テレビ系、1月26日放送)に出演した際は、「僕にとって、現場に行くのは狂いに行くようなものなんです」という綾野の過去発言が取り上げられ、「いや~、恥ずいっス」と照れていたことも。 「そうした振る舞いを見ると、単純にいい人なのでしょうね。1月に39歳の誕生日を迎えた時は、SNS上での祝福の声に対し自身のインスタグラムのストーリーで、『いいから明日に備えて体調整えて早く寝ろよ こんな事のために夜ふかしするんじゃないよ まったく』『全部ひっくるめて そんなみんなが大好きだ馬鹿野郎』とつづっていました。そんな感謝の仕方にもいい人感がにじみ出ていますよね」(同) ■好きな女性のタイプは「穏やかな人」  そして、最近では結婚願望を口にしたこともあり、ファンを騒然とさせているという。 「結婚について、『考えるだけで楽しくなる』と昨年11月に放送されたトーク番組で明かしていました。仲の良い俳優たちが結婚して父親となり、彼らの笑顔がどんどん魅力的になっているのだとか。ちなみに、好きなタイプは『穏やかな人』だそうです。綾野といえば役の幅が広く、時にはコワモテも演じます。それでいて、芝居をしていない時は『いい人』というのは、好感度上がりますよね。役者は慣れないバラエティ番組に出ないほうがいいという意見もありますが、綾野の場合はプラスに働いていると思います」  ドラマウォッチャーの中村裕一氏は、そんな綾野の魅力についてこのように語る。 「デビュー作である『仮面ライダー555』(2003年)でも、わずかな出番ながらすでに他とは違う雰囲気をまとっていたのがとても印象的でした。これまでのキャリアを振り返っても、硬い役から柔らかい役まで、どんな役も自在に演じることが可能で、欠点が全く見当たりません。特に信念を持った切れ味の鋭いキャラクターを演じさせれば随一で、彼が出ているだけで安心して見ることができます。まさに、今の日本を代表する俳優の一人と言っても過言ではないでしょう。確かに近寄りがたい“孤高の人”というイメージがありますが、これだけ多くの作品に主演・出演し続けるということは、人間的な魅力にあふれていることは間違いありません。あえて言えば舞台経験が少ないことくらいですが、順調に年齢を重ねていけば、芝居や表情にも相応の渋みが増していくでしょうし、何の問題もないと思います。これからもその活躍を見届けていきたいですね」  今やドラマや映画に欠かせない存在となった綾野。演技力の高さは誰もが認めるところだが、その人間性に関して改めて魅力に気付いたという人も多いのではないか。40代に入っての演技も楽しみでならない。(丸山ひろし)
dot. 2021/03/20 11:32
「うっせぇわ」に「いたたまれない気持ち」の25歳、「けっこう楽しめた」57歳 “令和の反抗ソング”を考察
「うっせぇわ」に「いたたまれない気持ち」の25歳、「けっこう楽しめた」57歳 “令和の反抗ソング”を考察
大人も子供も「うっせぇわ」と叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。子供の言葉遣いが悪くなって困る、なんて親たちは心配するが、それも「うっせぇ!」(撮影/写真部・高野楓菜)  大人社会に呪詛を投げつける歌が大ヒット。社会現象となるほどの人気だ。入社したての25歳記者と田舎のロートル57歳記者が、聴いた。考えた。AERA 2021年3月22日号の記事を紹介する。 *  *  *  男性の同僚から引き継いだ取材先には「おたく、色仕掛けにギアチェンジしたの?」、相談すれば最後まで聞かず「そんなの甘え。おれが若手のころはぁ~(以下武勇伝)」。  うっせぇ、うっせぇ、うっせぇわ!  わたし(若いほう、女性)も、叫び出したいことは、ある。ない人なんて、いるのか?  Adoが歌う「うっせぇわ」が大ヒットしている。オリコンのデジタルシングル(単曲)ランキング、ストリーミングランキングで、2月にともに1位。  歌い手のAdoは女子高校生。作詞作曲のsyudouは、どうやら社会人経験のある若い男性らしい。 「最新の流行は当然の把握/経済の動向も通勤時チェック/純情な精神で入社しワーク」  そんな“ルール”を強制する社会に「うっせぇ!」。  グラスがあいたら酒をつげだの、串焼きから肉を外して食べやすくしろだの、だりぃ大人の“マナー”に「うっせぇ!」。  自分は天才で、現代の代弁者。自分以外は一切合切凡庸。悪罵の限りを尽くすのも、「頭の出来が違うので問題はナシ」。 ■自分を世界から遮断  過激な歌詞とキンキーなボーカル、メタリックな激しい曲調。 「Ado聴きながら出勤してうっせぇわのマインドで仕事してる」「これ、上司の前で歌えたら気持ちいいべなー」「心底見下して嗤ってる感じがゾクゾクする」など、ネットは絶賛の声であふれる。 「令和の反抗ソング」とも称賛されるこの曲を聴いてわたし(若いほう、女性)が抱くのは、しかし、どこか居心地の悪い、いたたまれない気持ちなのだ。  歌詞から推して、歌う主体=主人公は、おそらく社会人数年目の若者。もう立派な大人だ。それが、周囲の大人へ、むき出しのヘイトを向ける。「ちっちゃな頃から優等生」だった自分は、まだ「遊び足りない」「何か足りない」。それは「誰かのせい」。  これでは、子供じゃないか。  曲を特徴づけるのは、なにより「うっせぇ」の連呼。その感情を、他者にも、自分にも、説明しない。自分を、世界から遮断する。パチン。OFF。 ■人間は機械に近づく  自分と世界/他者の遮断は、21世紀を特徴づける社会現象だ。  テクノロジーの発達は、機械をどんどん人間に近づけている。AI(人工知能)の驚異的な高度化は、じつは、機械が「他者」を受け入れているからだ。将棋や囲碁でトップ棋士をAIが打ち負かすほどの強さになったのは、AIが、他者(他のAI)と戦い、知見を寄せ集め、自己対局を繰り返し自分を磨くから。そうした相互干渉の結果、人間に近づいてきている。人間らしい思考の揺れ、表現の幅を学んでいる。  反対に、人間は機械に近づいている。インターネットのコンシェルジュに聞けば、答えられない疑問はない。スマホに登録してある電話番号、五つ以上覚えている人、いるか? カーナビの出現で、地図を「読める」人はもうすぐ絶滅する。運転さえ人間がすることはなくなるだろう。  記憶や思考、空間認識能力を機械にアウトソーシングする。他者を受け入れるどころか、インターネットさえあえば、自分だけの世界観、自分だけの“正解”を持ち続けることは可能だ。 ■誤解も誤読もない 「うっせぇ」と他者を切断する。その感情を、ただ、口にする。いわば「一次感情」のダダ漏れ。  思えば似たような一次感情ソングは、平成末期からずいぶん増えたのだ。3人組男性ユニット「ソナーポケット」のアルバム収録曲「遠恋だけど逢えない時間もアイシテル。」(2011年)のサビは「逢いたい。逢えない。つらい。寂しい。逢いたい。笑い合いたい。ギュッとしたい。」  西野カナ「Best Friend」(10年)は「ありがとう君がいてくれて本当よかったよ」「私たちBest Friend 好きだよ 大好きだよ」。  昨年紅白歌合戦にも出場した瑛人の「香水」は、「君をまた好きになるくらい君は素敵な人だよ」。  好き。寂しい。つらい。  そうした感情を、そのまま歌う。感情言葉のパッケージ。だから誤解しない。誤読できない。  かつての邦楽ヒット曲は、けっして「好き」「会いたい」の一次感情を連呼していたわけではない。ただ「悲しい」のではなく「あなたが時計をチラッと見るたび泣きそうな気分になる」(松田聖子「赤いスイートピー」)のだし、「切ない」のではなく「見覚えのあるレインコート/黄昏の駅で胸が震えた」(竹内まりや「駅」)のだった。  歌に背景がある。意味の「幅」がある。誤解のしようがない一次感情とは、ずいぶん遠い地平で歌っていた。 「うっせぇ、うっせぇ、うっせぇわ」  この歌の激発をもって、現代人の感情が劣化したと、つい断罪してしまいたくなる。だがわたし(古いほう、男性)は、人間はそんなに変わらないんじゃないか、とも思うのだ。  ではなにが変わったのか。  メディアだ。  好き。会いたい。寂しい。  日本人は大昔から、その感情を歌にしてきた。世界最古の小説・源氏物語も、主人公の光源氏は、好き、会いたい、悲しい、ぼく泣いちゃうと、歌にして連呼している。しかし、その歌に選ばれる言葉は、ダブルミーニングがふつうだ。二重、三重に意味をとれるしかけがある。掛詞を、必ず入れる。読み手に、想像させる。  歌は、唐紙に書かれたり、紙に香りがついていたりする。丁寧な毛筆で心を込めて書いたり、わざとぞんざいに書き殴ってあったり。書き手の意図を想像させる手がかりを、たくさん残す。 ■解像度の低いメディア  手書きの紙→活版印刷→電話→メール→SNSやツイッター、LINE。  感情を運ぶ「容れ物=メディア」は、テクノロジーとともに“進歩”してきた。情報量は、格段に増えた。と、される。  ほんとうか。わずか十数文字で、ときにはスタンプだけでメッセージを伝えるLINEと、紙や筆記具や字を工夫する手紙とを比べると、どちらが情報量豊かなメディアかは、明らかだろう。LINEやツイッターは、じつは解像度の低い、粗雑なメディアなのだ。  だからこそ、メッセージの送り手は、誤解しないような言葉を選ぶ。ダブルミーニングなど、とんでもない。  かつての名曲は、情景や行為の描写に感情を語らせた。聴き手が曲の余白を自由に解釈できる。歌詞は聴き手の自分事として落とし込まれ、深い共感を生んだ。しかし、解像度の粗いメディアが意思疎通の主力となった時代、背景も理由もない一次感情、たとえば「うっせぇ」と連呼する歌が現代の名曲になるのは、むしろ必然ではなかったか。  そして、わたし(古いほう、男性)は、けっこうこの曲を楽しめたのだった。デスメタルとアニソンをデジタルで融合したような楽曲も、ボカロを思わせる歌唱も、反抗というより、コミカルに思える。「私が俗に言う天才です」と断言する根拠のない無敵感は、まじめにとるより、かわいらしく感じた。  無根拠で無力で無反省。この曲は、そんな自分を、いちばん罵倒しているんじゃなかろうか。「アタシも大概だ」「言葉の銃口をその頭に突きつけて撃て」とも歌っているし。 「うっせぇ」と叫ぶ自分たちが、いちばんうっせぇ。世界/他者への罵倒も、自分が覚めているなら、余白がある。  笑える。(朝日新聞記者・松田果穂、近藤康太郎) ※AERA 2021年3月22日号
AERA 2021/03/18 11:32
美と実力を併せ持つ“ビーチの女神” 坂口由里香は、運も味方する「持ってる」選手
美と実力を併せ持つ“ビーチの女神” 坂口由里香は、運も味方する「持ってる」選手
坂口由里香(撮影/平野敬久)  ビーチバレーボールといえば、灼熱のビーチをダイナミックに舞うスポーツ。小麦色の肌に身を包む選手たちのはじける汗とその笑顔はいつも眩しい。かつて、『ビーチの妖精』と呼ばれた浅尾美和が一躍このスポーツをこの世に広めた。しかし、浅尾が引退した現在でも妖精に負けない光り輝く個性を持つ若き『ビーチの女神』たちは存在する。4回に渡ってビーチの女神の武器とその横顔を紹介する連載の第2回目(第1回は鈴木千代)。  運や実力のよしあしを判断するときに、「持っている」、「持っていない」という表現することがある。ビーチバレー界でも「持っている」選手はいる。たびたび運を引き寄せ、確実にトッププレーヤーの階段を上っている。それが今回紹介する坂口由里香(大樹グループ)、26歳である。  今から7年前。坂口のジャパンツアーデビューは衝撃だった。2014年の秋、青山学院女子短大2年時に石井美樹(現日本代表、荒井商事/湘南ベルマーレ)と、『JVAビーチバレーボールシリーズA坂大会』(現ジャパンツアー)に出場した。2人とも初めてのトップツアーだった。予選から出場した坂口・石井組は、石井の鋭いサーブと坂口の攻守に渡るテクニックが光り、あれよあれよと予選、本戦プール戦を突破した。準々決勝も格上のチームとフルセットゲームで渡り合い、堂々のベスト4入りを果たしたのだ。 「奇跡が重なって初めてのツアーで3位になりました。ダークホースとも言われたし、よくがんばったなぁと余韻に浸りたかったんですけど、新幹線の中では一睡もすることなく、ひたすら美樹さんと反省会でした(笑)。美樹さんは今と同じで当時からストイックで、同じコートの中にいて勉強になりましたね。結果を残すことができたから、一緒にやってきたことが合っていると思えました」  坂口は実は小さい頃から、「かっこいよくてきれいな」キャビンアテンダントになりたかった。就職活動も、航空会社を中心にまわっていた。けれども、「ビーチバレーと出会ってからはまわらなくなりました(笑)。あんなに10年以上も憧れていた職業だったのに一瞬で興味がなくなりました」。  就職は定時で上がれて土日休みの地元・神奈川の信用金庫に決めた。平日はナイターで練習し、土日はビーチバレーの試合に出るためだ。昼間は信用金庫の制服を身にまとい、正面入り口の目の前の窓口で接客をしていたという。 「ある日、『週明けに黒くなっている窓口の銀行員がいて、遊んでいるかもしれないから信用してお金を預けられない』というクレームが入ったんです。その時、支店長が窓口に出てきてくれたんですけど、支店長もゴルフが好きなので真っ黒(笑)。2人して黒いから説得力がありませんよね。だからそれ以降、クレームが入らないように夏でも長袖の制服を着ていましたし、ストッキングの色もツートーンくらい明るいものを選んで気を遣っていました」  約2年間の信用金庫時代を経て、坂口はビーチバレー一本に絞ることを決めた。幸いなことに所属先はすぐに見つかり(当時はオーイング所属)、念願だった練習に専念できる環境を手にした。しかし、練習量が増えたことで身体は少しずつ悲鳴を上げ始めていた。2017年7月、練習中に左ひざの半月板損傷を負い、シーズン後半は治療に専念したため、棒に振ることになった。  しかし、ここから坂口の「持っている」運命の真骨頂だった。2018年はビーチバレージャパンで初めてファイナリストになり、ジャパンツアー都城大会で初のベスト4入り。2019年にはジャパンツアーファイナル大会へ初出場を果たし、準優勝。次々に運命の新しい扉を開き、いまや日本を代表する若きトッププレーヤーに成長した。 「ケガした年のファイナル大会は、同じ所属だった先輩の村上めぐみさんの試合を観にいきました。その時、自分は何もできなかったけど、この舞台にどうしても立ちたい……と思いました。その2年後、それまでの憧れを現実にすることができた。自分でも、運がいいというかタイミングがいいというか、恵まれているなとは思います。でも、それは先輩たちや所属先の強力な後押しがあったからで、その中でチャンスを生かせたのはよかったと思います」  現在は、鈴木千代(クロス・ヘッド)とペアを組み、アップテンポでボールをつなぐ、スピーディーなビーチバレーを展開。パートナーの鈴木は「最初は私がリードしていたけれど、今は由里香に助けられることが多い」と語るほど、坂口の安定したプレーはチームの武器となっている。  鈴木をはじめ、先輩プレーヤーたちとしっかり波長を合わせてチームを作ってきた坂口。普段の口調はやわらかく陽だまりのようなふんわりとした雰囲気を醸し出し、一見おっとりした性格のように思える。しかし、「新しいことを始めるのが好き」と自負するようにプライベートではアクティブな一面をのぞかせる。 「コロナ禍で遠征に行けなくなったので時間ができた分、いろいろ始めてみました。サーフィン、ボルダリング、キックボクシング、ヨガ、裁縫……。最近ではテニス(笑)。新しいことができるようになるとうれしいし、クリアしていくのが好きですね。生活の中で刺激がほしいというか(笑)」  2020年4月。1度目の緊急事態宣言が発令され、自粛生活を余儀なくされた時には、自身の部屋で撮影を試み編集した動画をYouTubeで配信した。そのチャンネル名は「ゆりちゃんねる」。女子ビーチバレー選手個人の動画コンテンツとしては唯一である。 「あの時はコートが使えなかったので早朝、人が来る前に公園で軽く身体を動かして、それが終わって帰ると10時30分(笑)。ずっと家にいたので動画を検索していたら、意外にビーチバレーのルールや技術、戦術を紹介する動画がなかったので、作ってみました。私たち選手からしたら当たり前のことだけど、サインとか面白そうなことを伝えられたらいいなと思っています」  テーマはプレーのことだけではなく、遠征の荷造りやスポンサー商品の紹介まで多岐に渡る。反響もじわりじわりと広がっているようで、それがじかに伝わる出来事があった。 「ジムに行った時、会員さんに『ビーチバレーの坂口さんですか? YouTube見てます!』って話かけてもらいました。回数を重ねるとなかなかネタを考えるのが大変なんですけど、その後すぐに更新しました(笑)。観ていただけるのは本当にうれしいので、これからも合間を見て続けていきたいと思います!」  常に探求心を抱き、興味を持ったことに挑戦してきた坂口由里香。「そんな中でもずっと続いているのは、ビーチバレーだけ。ビーチバレーはまだまだできることがたくさんあるし、奥が深いですから」。新たな刺激を求めて、坂口はさらなる高みを目指し続ける。(文・吉田亜衣) ●吉田亜衣/1976年生まれ。埼玉県出身。ビーチバレーボールスタイル編集長、ライター。バレーボール専門誌の編集 (1998年~2007年)を経て、2009年に日本で唯一のビーチバレーボール専門誌「ビーチバレーボールスタイル」を創刊。オリンピック、世界選手権を始め、ビーチバレーボールのトップシーンを取材し続け、国内ではジュニアから一般の現場まで足を運ぶ。2021年4月、ビーチバレーボールスタイルWEBサイトをリニューアルオープン予定。
dot. 2021/03/16 17:00
ある夫婦が出会った、人生を変えるそれぞれの「師」
ある夫婦が出会った、人生を変えるそれぞれの「師」
【夫】内田泰文 [46]豊中愛整骨院院長 柔道整復師:1974年、大阪市生まれ。大阪経済大学を卒業後、2003年に故・日野原重明氏の本に出合い、同年に京都仏眼医療専門学校(現・京都仏眼鍼灸理療専門学校)へ。07年卒業後、10年に「豊中愛整骨院」を開業/【妻】内田明子 [44]「エンカウンター」代表 日本営業大学講師:1977年、長崎県対馬市生まれ。京都橘女子大学卒業後、99年にJALエクスプレスに客室乗務員として入社。2014年に退職し、18年に「パーソナルフィロソフィ共育」として、講師業をスタート。21年に夫婦で合同会社「エンカウンター」を設立  AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2021年3月15日号では、柔道整復師の内田泰文さん、妻でエンカウンター代表の明子さん夫婦について取り上げました。 *  *  *  夫39歳、妻37歳で結婚。夫婦二人暮らし。 【出会いは?】2011年に妻が夫の整骨院に患者として訪れた。妻は初対面から優しく患者に向き合う姿勢に「素敵だなあ」と思っていた。 【結婚までの道のりは?】14年に患者という立場を離れて再会し、意気投合。その日のうちに結婚を前提に交際スタート。半年後に結婚。 【家事や家計の分担は?】家事はほぼ妻が担当。掃除や買い物を手伝ってほしいときには夫が気持ちよく協力してくれる。家計は一緒。 夫:内田泰文[46] 豊中愛整骨院 院長 柔道整復師 うちだ・やすふみ◆1974年、大阪市生まれ。大阪経済大学を卒業後、2003年に故・日野原重明氏の本に出合い、同年に京都仏眼医療専門学校(現・京都仏眼鍼灸理療専門学校)へ。07年卒業後、10年に「豊中愛整骨院」を開業  僕は20代、引きこもりだった時期があるんです。大学を出たものの何をしたいのかがわからず自暴自棄になっていた。体重も105キロあって動くのもしんどく「人生、何が楽しいのかな」と思っていた。そんなとき母が日野原重明先生の本『生きかた上手』をくれたんです。衝撃的でした。  当時90歳を超えていた先生が「今日は人のために何ができるだろうと思うと嬉しくて飛び起きる」と書いている。29歳の自分が何をやっているんだろうと目が覚めました。  本にあるように生活習慣を変えたら健康になり、人生が変わった。29歳で医療専門学校に通い、2010年にいまの整骨院を開業しました。その場で痛みを和らげるだけでなく、その人が生き生きと健康に人生を過ごせるようなサポートを念頭に置いています。  妻とは価値観がものすごく合っている。ともに人と人との出会いやつながりの尊さを第一にしています。これからもお互いの得意分野を持ち合って、地域の「居場所」作りをしていきます。 妻:内田明子[44] 「エンカウンター」代表・日本営業大学 講師 うちだ・あきこ◆1977年、長崎県対馬市生まれ。京都橘女子大学卒業後、99年にJALエクスプレスに客室乗務員として入社。2014年に退職し、18年に「パーソナルフィロソフィ共育」として、講師業をスタート。21年に夫婦で合同会社「エンカウンター」を設立  私にとって2011年が大きな変化の年でした。JALエクスプレス(現・日本航空)の客室乗務員からスーパーバイザーとして80人の部下を指導する立場になったんです。前年に親会社の日本航空が会社更生法の適用を受け、問題が山積するなかで、どう後輩を導くのか不安でいっぱいでした。そんなとき「JALフィロソフィ」を掲げて改革を行った会長・稲盛和夫さんに学ぶ機会をいただいた。このとき教わったことは、いまも私のベースにあります。  夫に出会ったのも2011年。長らく片思いでしたが2年半後に患者の立場を離れて再会でき、あまりにも意気投合して夜8時から朝4時までしゃべり続けたんです(笑)。その日に結婚を決めました。  何事にも慎重派の私ですが、夫に背中を押され、現在は企業や団体でのチームづくりのお手伝いや、アスリートのセカンドキャリア支援をしています。JALで培った経験をもとに人の可能性を引き出し、自信と勇気につなぐ活動ができればと思っています。(構成・中村千晶) ※AERA 2021年3月15日号
はたらく夫婦カンケイ
AERA 2021/03/13 17:00
長編小説に俳句の本 「とてもまだ死ねませんね」と瀬戸内寂聴
長編小説に俳句の本 「とてもまだ死ねませんね」と瀬戸内寂聴
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 残された日々』(朝日新聞出版)。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「何をでも如何にでもなく超越して描く」  セトウチさん  長いつき合いなのに、自分のことを理解してくれてないと怒ってらっしゃいますが、人を理解するなんて、自分の存在さえ不確かなのに無理です。次の一件でもセトウチさんは不可解です。ヘェー、何(な)んだか狐(きつね)につままれたような話です。デパートの一階で、誰かの絵の展覧会で若い絵描きさんが──? そこに集まっている見物人の中に僕の家族がいた──? セトウチさんが女子大生の頃、神戸のデパートでの出来事。しかも、そこで会話を交わしていた人達が僕の実の家族だと確信されたとか。  80年前の話でしょ。当時実の家族は(兵庫県の)西脇に住んでいて、「裕福そうなインテリ」どころか、長屋住いで僕の養父母は、尋常小学校しか出ていません。  当時、セトウチさんが女子大生だとすると、僕は四歳で養子になった年です。セトウチさんは僕の家族とは親類でもないのに交流があるはずがないし、どうしてそこにいた人達が四歳の僕の実家族だなんて、おわかりになるんですか。第一、セトウチさんが十四歳違いの四歳のチビの僕の存在など、知りようがないんじゃないでしょうか。  セトウチさんのお話を分析すると四歳の子供がデパートで個展をして、集まった人たちに絵の説明をしていたということになりませんか。第一、僕の存在など80年前のセトウチさんの意識の中では無いも同然です。セトウチさんは夢でも小説でもないとおっしゃっています。これが現実なら悪夢です。  さらに以前こんな話を僕にしたら、「何という大バカなのだろう。このオンナ!」と凄(すご)い言葉をまるで僕が吐いたかのように、ののしっておられます。僕はゾッとしました。あまりにも品性がなさ過ぎませんか。もうこの話は僕には身に覚えのない支離滅裂な話にしか聞こえません。  非現実的な話から現実的な話に切りかえます。僕の現実はやはり創作を抜きにして考えられません。  僕の場合はいつもいうように特定の主題がありません。主題は何んだっていいのです。何を描くかではなく、如何(いか)に描くか。つまり絵をフォルムとして考えています。世の中に存在する森羅万象は全てフォルムでしょ。人間自身もフォルムでできています。人と人との付き合いもフォルムと考えれば実にシンプルです。それが複雑になるのは感情が入り込むからです。だから感情もフォルムにしてしまえばいいんじゃないでしょうか。  生が複雑なのはフォルムではなく感情だからでしょ。そういう意味では死はフォルムです。だから死は単純で、いいと思います。もっというと考えなくっていいということです。考えるから感情的になって生にしがみつきたくなって、ますます複雑になるんじゃないですかね。描きたくないというのは究極のフォルムというか、フォルムさえ否定するフォルムです。フォルムで生きるということは単純に生きるということです。  ですから、何を描くかでも、如何に描くかでもなく、それらを超越して如何に生きるかということになります。ゴーガンの大作の題名に「われわれはどこから来たか、われわれとは何か、われわれはどこへ行くか」。結局この言葉につきると思います。  頭を空っぽにして寝ます。 ■瀬戸内寂聴「未来の小説 閑かに想えば落ち着きます」  ヨコオさん  今日、寂庵は、朝から雨に包まれています。  まさに春雨です。  想(おも)い出はみなやさしくて春の雨  ふっと、口をついてきた句です。寂庵はまだ梅が満開で、座敷には、お雛様(ひなさま)が壁一杯に並んでいます。例年の今頃は、お詣(まい)りの人々が次から次に訪れて、お雛様の前で、お菓子を食べながら、口々にお喋(しゃべ)りをしているのに、コロナのせいで、今年の春は訪れる人がなく、ひっそりとしています。  閑かでいいなど言っていたのは、とうの昔のことで、こうまで人の訪れがないと、やはり淋(さび)しくて、身も心も持て余します。  毎年の寂庵の春の行事のお釈迦さまの誕生日のお祭りも、今年は、庵の者たちで、お釈迦さまの像に甘茶の雨をかけてお祝いすることでしょう。  今年の春は、見事に改装出来た天台寺へ、ぜひ来いといわれているので、迷っています。とてもこの老衰体では、天台寺までの旅は無理と思う一方で、今年行かないと、もう死ぬまで行かれまいという想いも強く、心が乱れます。  墓の字も書いておかなければ、墓石屋が待ちかねています。井上光晴さん御夫妻のお墓は、すでに天台寺に造られています。井上さんの雄渾(ゆうこん)な字で、井上さんの詩が書かれた墓石です。遠い所なのに、御家族は言うまでもなく、井上さんの小説のファンたちのお詣りもあります。  甥(おい)の敬治の三回忌がこの間過ぎましたが、徳島の墓の外に、天台寺にも敬治の墓をたててやりたいと思います。  りんどうを踏まねばゆけぬ天台寺  という敬舟(俳号)の句を刻んでやろうと思います。  彼を見送ったのが、ついこの間のような気がするのに、もう三回忌とは!  別に朝も晩も自分の死や墓や、遺言のことばかり考えているわけではないのですが、考えておかねばならない事情も出て来て、そういうことも少しずつ片づけています。  ヨコオさん、改めて考えてみればあなたは私より十四歳も若いので、余生の時間はたっぷりありますね。  それまでにどんな大きな絵を描き残されることでしょう。  大きな絵を描く体力と、情熱は、長篇を書く小説の労力と比べたら、はるかに力が必要でしょう。その体力と、情熱を想像しただけでも体がきしみます。  私も一つ長篇を書き遺(のこ)したいと想い、題も内容も決めてあるのですけれど、この体力では、果(はた)して書けるかどうか怪しくなりました。  それを書くには、遠い旅も必要なので、さあ、出来るかどうか。  でも、今日のような静かな雨の日などに、一行も出来ていない未来の小説のことなど考えるのは心が落ち着くものです。出来れば俳句の本ももう一冊遺したいものです。  わあ、これではとてもまだ死ねませんね。まあ、想うことにはお金がかかりませんから、せいぜい、見る夢の数を増やしましょう。  そうだ! 油絵もせめて三枚くらいは遺さないとね。ああ、忙し。なかなか死ねないぞ!  春風邪にかからないように! おやすみ ※週刊朝日  2021年3月19日号
週刊朝日 2021/03/11 11:32
福島第一原発が元職場の丸山桂里奈「福島の応援がW杯優勝につながった」#あれから私は
福島第一原発が元職場の丸山桂里奈「福島の応援がW杯優勝につながった」#あれから私は
丸山桂里奈さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・高野楓菜 ヘアメイク/松田美穂) 丸山桂里奈 (撮影/写真部・高野楓菜 ヘアメイク/松田美穂)  元サッカー女子日本代表でありながら、バラエティー番組を中心にタレントとしての才能も開花させた丸山桂里奈さん。林真理子さんとの対談で、新婚話や現在の活動などを語りました。 *  *  * 林:遅ればせながら、ご結婚おめでとうございます。 丸山:ありがとうございます。 林:結婚生活にはもう慣れました? 丸山:慣れました。ただ、旦那さんがサッカー関係の人(元サッカー日本代表選手の本並健治)で、私もサッカー選手だったので、芝の上にいないのが不思議な感じです(笑)。 林:アハハハ。私も結婚したのが、丸山さんと同じぐらいで36歳のときでした。当時は「晩婚」とか言われたけど、今はべつにどうってことないですよね。 丸山:そうですよね。逆に20代とか30代の最初に結婚しなくてよかったなって思います。 林:ご主人、めちゃカッコいいですね。イタリア人みたいな顔で。 丸山:本人は「日本人だ」と言ってますけど、私はまだ日本人だと思ってないです(笑)。絶対イタリアの血が入ってると思います。 林:日本語よりイタリア語をしゃべりそうな感じですよね。 丸山:しゃべりそうですけど、関西弁です(笑)。 林:二人でお料理したりするんですか。 丸山:料理は私の担当です。旦那さんは今、56歳なので、硬いものはあまり食べさせないようにしたり、お餅もあんまり食べさせないようにしてます。のどに詰まらせないように(笑)。 林:そんな老人扱いしないで(笑)。でもそうか、けっこう年が離れてるんですね。 丸山:はい。だから健康管理は気を付けてます。旦那さんは血圧も少し高いので、塩分も控えめにしたり。 林:お掃除なんかは? 丸山:お掃除と洗濯は旦那さんが担当なので、結婚してから洗濯機のボタンを押したことがないです。家事もよくやってくれるし、基本的に何でも許してくれるので、私が捨てられないかと思って心配です(笑)。 林:そうなんだ。お酒も二人で飲んだり? 丸山:はい、夫婦の楽しみが晩酌の時間ですね。サッカー見たりしながら。現役のときは飲んでないですけど、今はけっこう飲みます。旦那さんもめっちゃ飲むんです。 林:最高じゃないですか。ところで、オリンピックの聖火リレー、第1走者は「なでしこ」の元メンバーたちなんでしょう? 丸山:正式な連絡はまだ来てないんですが、当初の予定どおりで進めば、福島のJヴィレッジから「なでしこジャパン」が第1走者で走ることになります。 林:五輪も揺れてますが、森(喜朗)さんは散々たたかれまくって何だかお気の毒でしたよ。あそこまで悪の権化みたいに言われるの、私はちょっと集団リンチのようだと思う。こんなこと言うとたたかれるのかもしれないけど、83歳のおじいさんだし、ついぽろっと言っちゃったんじゃないかな。 丸山:会見が始まる前と終わったあとと、顔のやつれ方が違いましたよね。ゲッソリして干からびちゃった感じで。私もあれはかわいそうだと思いました。 林:丸山さんといえば、震災の年(2011年)のワールドカップの準々決勝、ドイツ戦での決勝ゴールが伝説となってますけど、日本の女子サッカーを世界に知らしめたのは、何と言ってもあのときの優勝ですよね。表彰式で金色の紙吹雪が舞う中で、「なでしこ」のみんなが抱き合ったあのシーン、ほんとに感動的でした。 丸山:あそこで見た景色が、今まででいちばん良い景色でしたね。監督(佐々木則夫)とか岩清水(梓)というディフェンスの選手も東北出身だし、私も東京電力(福島第一原子力発電所)に勤めてたので、福島の人たちがすごく応援してくれて、それが結果につながった大会でしたね。 林:丸山さんの上司だった福島第一原発の吉田(昌郎)所長、そのあと亡くなっちゃったけど、応援してくれてたんでしょう? 丸山:そうなんです。吉田所長にはずいぶん可愛がっていただいてました。 林:震災で本当に暗かったけど、あの「なでしこ」の優勝で日本中が明るくなりましたよね。日本のスポーツ史だけじゃなく、日本の女性史にとっても大きな出来事でしたよ。優勝して成田に帰ってきたとき、すごかったでしょう。 丸山:あれはすごかったです。出発するときは愛知の空港からだったんですけど、出発時に空港に取材に来ていた記者さんって、一人だったんですよ。女子はそんなに注目されてなかったので、それは違和感なかったんですけど、帰ってきたときは、韓流スターが私たちと同じタイミングで来たのかと思うぐらい、ものすごいカメラの数でした。「人生が変わった」とはっきり悟った瞬間でした。 林:選手だったときの顔と、今まったく違いますね。現役時代は目つきも鋭くて、すごいシャープな顔をしてましたけど、今は柔らかい優しい雰囲気になって。 丸山:現役時代と比べると、10キロぐらい太っちゃいました。 林:でも、今のほうが女性としては魅力的なんじゃない? 丸山:そうですか? やせたいですけどね。 林:そのエクボも、少し顔にお肉がないと、こんなに可愛いエクボにならないと思う。 丸山:ほんとですか。うれしい。 林:現役時代の澤(穂希)さんにも、ここに出ていただいたことがあるんです。朝日新聞の屋上でちょっとボールを蹴っていただいたんですけど、カッコよかったです。 丸山:澤さんはほんとにカッコいいです。 林:前園(真聖)さんにも、昔ここに出ていただいたことがあるんですよ、現役時代に。 丸山:へぇ~、そうなんですか。私、今、前園さんと一緒にレギュラーやってるんですよ、ラジオで。 林:アスリートの人が芸能界に入っても、成功した例ってあんまりないけど、前園さん、こんなふうになるとは思わなかった。 丸山:現役のときはほんとにスーパースターでしたよね。前園さんも「現役のときはいろいろストイックに考えたけど、今は何かに追われてる感じがないから、自由に楽しく生きてる」って言ってました。確かに私も同じだなと思って。 林:丸山さんは愛されキャラで、画面に出るだけで全体が明るくなるから、タレントさんとしての素質がすごくあると思うんですよ。誰にも不快感を与えないしね。鈴木奈々ちゃんが「ライバルは丸山さんです。あの人にはどんなことをしてもかなわない」って言ってましたよ。 丸山:それは逆で、私、出る(デビューする)前に奈々ちゃんを見て、あんなに小さいのに体を張って一生懸命やってすごいなと思って、背中を追ってるという感じなんですよ。 林:お笑いの人も、丸山さんをイジってるようで、心の奥底でちゃんとリスペクトしてると思うな。国民栄誉賞をもらうような、あれだけのことを成し遂げた人だから。 丸山:ほんとですか。うれしいです。そう言われることはほとんどないので(笑)。最近は「サッカーやってた人」と思われてなくて、サッカー教室とか行くと、「丸山さん、サッカーうまいですね」って言われるんですよ(笑)。 林:まさか。それは小さい子からでしょう? 丸山:それが知らない人がたまにいるんですよ。大人の人でも「ほんとにサッカーやってたんですか?」って(笑)。 林:そんな(笑)。今、お子さんのための活動もいろいろなさってるんですよね。 丸山:はい、各地でサッカー教室をやってます。サッカーをやってなかったら今の自分はないので、何か恩返ししたいなと思うんです。 (構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄) 丸山桂里奈(まるやま・かりな)/1983年、東京都生まれ。元サッカー選手。現役時代のポジションはFW。2002年、第14回アジア競技大会の北朝鮮戦で代表デビュー。五輪はアテネ、北京、ロンドンの3大会に出場。11年、FIFA女子ワールドカップで優勝を飾る。16年、引退を発表。その後、タレントとして、バラエティー番組を中心に活動。20年9月、元サッカー選手の本並健治氏と結婚。現在、静岡第一テレビ「まるごと」火曜コーナーレギュラー出演、ラジオ番組「丸園音楽堂」(JFN系)レギュラー放送中。 >>【後編/丸山桂里奈「福島にできること10年間考えてきたが、まだ」複雑な思いを語る】へ続く ※週刊朝日  2021年3月19日号より抜粋
林真理子
週刊朝日 2021/03/10 11:32
丸山桂里奈「福島にできること10年間考えてきたが、まだ」複雑な思いを語る #あれから私は
丸山桂里奈「福島にできること10年間考えてきたが、まだ」複雑な思いを語る #あれから私は
丸山桂里奈 (撮影/写真部・高野楓菜 ヘアメイク/松田美穂) 丸山桂里奈さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・高野楓菜 ヘアメイク/松田美穂)  元サッカー女子日本代表で、現在タレントとして活躍中の丸山桂里奈さん。現役時代には、東京電力福島第1原発に勤めながらサッカーをしていました。震災から10年経つ今、福島への特別な思いを抱えているようで……。作家の林真理子さんとの対談で、人生の転機、福島のためにできることなどを明かしました。 【前編/福島第一原発が元職場の丸山桂里奈「福島の応援がW杯優勝につながった」】より続く *  *  * 林:丸山さんは小学何年生でサッカーを始めたんですか。 丸山:6年生で始めました。 林:当時、女の子のサッカー教室なんてあったんですか。 丸山:ぜんぜんなかったです。まず小学校の部活に入ったんですけど、そのときも男の子の中に一人でした。読売ヴェルディ(現・東京ヴェルディ)って男子のチームがあったんですけど、中学校のときに読売ヴェルディの女子チームの読売ベレーザ(現・日テレ・東京ヴェルディベレーザ)の下部組織にあたる読売メニーナ(現・日テレ・東京ヴェルディメニーナ)という少女チームのセレクションがあったんです。私は中学校でもサッカーを続けようと思ってたんですけど、中学校には男子のサッカー部しかなかったので、試しにメニーナを受けたら受かったんですよ。 林:すごいじゃないですか。 丸山:ぜんぜんうまくなかったんですけど、足がメチャクチャ速くて、それだけで受かったんです。だから中学の3年間は読売メニーナでサッカーをしてました。そのとき、メニーナの上位チームにあたる読売ベレーザに、澤(穂希)さんがいたんです。 林:あ、そうなんですか。 丸山:そのときから澤さんにはけっこう可愛がってもらってて、この人といつかサッカーしたいなと思っていたら、澤さんがアメリカに行っちゃったんです。そのころ、私もベレーザに上がる話があって、ベレーザに入ってやったほうがうまくなることは想像できたけど、女子の高校サッカー選手権があるということを聞いて、「自分が行く高校サッカーを自分が強くしたい」と思っちゃったんです。だから読売ベレーザには上がらずに高校に進みました。私はそうやって、人生の選択として、絶対こっちを選んだほうがいいというのとは、違うほうを選んできてるんです。 林:へぇ~。 丸山:大学進学のときもベレーザから話があったんですが、大学を選びました。私が行った日本体育大学は当時、女子のサッカーチームがすごく強かったんですよ。高校で一緒にサッカーをやってた先輩も日体大にいて、「サッカー、めちゃくちゃ強いし、共学だし、めっちゃいいよ」みたいに言われて、楽しそうだなと思って日体大に行ったんです。 林:楽しかったですか、大学は。 丸山:めちゃくちゃ楽しかったですね。私、大学1年のときから彼氏ができちゃって……。 林:同じ学校の? 丸山:同じ学校のサッカー部で、隣のコートで練習してたんで、サッカーしながら隣のコートにいる彼氏を見たり。私、それでサッカーにも生きる視野が広くなったような気がします(笑)。 林:彼をチラチラ見ていたことで視野が広がったの? 丸山:はい。ボールが飛んできたらボールだけ見るんじゃなくて、誰がいるかいないかとか、人の間を抜いていくときに、こっちのルートを通ったほうが抜きやすいとか、サッカーをやるときって、瞬間的にいろんなことを考えるんですよ。自分がサッカーしながら隣のコートにいる彼氏を見るという大学4年間だったので、そこを養ったかなと思います。 林:ああ、そういう視野ね(笑)。その彼とはどうなったの? 丸山:彼は大学を卒業してから1年間アメリカに留学したんです。私は社会人になって福島にいたんですけど、彼が帰ってきて会ったときに、やっぱりちょっと違うなと思って、オリンピックも近かったので、「私はサッカーに集中したいから」という話をして別れたんです。そのあと恋人ができたり、つき合ったりもしたんですけど、結婚しようと思ったことは一回もなくて。37歳まで結婚しなかったのもそれが理由で、やっと今の旦那さんと出会って、初めて結婚したいなと思ったんです。 林:いい話じゃないですか。丸山さんもアメリカのプロリーグに行ったことがあるんですよね。どうでした、アメリカは。 丸山:もうちょっと言葉を勉強しておけばよかったなと思いましたね。サッカーがうまいことはわかってもらえても、言葉がわからないからチームとコミュニケーションが取れない。だから私がチームの戦術を理解できなくて、「カリナよりうまくないけど、こっちの選手を使う」って言われて。 林:そんなことがあったんだ。 丸山:サッカーを始めてから、初めての挫折でした。結局、アメリカでは3試合ぐらいしか出られなかったんです。アメリカにいたころ、「私もワールドカップの日本代表に選ばれたいし、日本に帰って日本でサッカーをしよう」と何度も思ったんです。でもこのまま帰ったら、これから先、自分の人生で何かがあったとき、ラクなほうを選ぶ人生になるなと確信して。だからつらくても最後までいて、シーズンを終えてから帰るほうを選びました。 林:つらい期間だったんですね。 丸山:アメリカではずっと泣いてたかもしれないです。悔しいから英語だけはマスターしてやろうと思って家庭教師をお願いしたんですけど、逆に私が日本語を教えちゃって、家庭教師が日本語を覚えちゃって。それで英語をしゃべらない家庭教師になっちゃったから、私は全然英語が身につかなくて(笑)。 林:アハハハ、おかしい。そのときのつらさを思えば、芸能界はみんな親切だし、イヤなこともない? 丸山:イヤなことは一つもなくて、みんなほんとにやさしいんです。 林:ドッキリ仕掛けられたときも、イヤじゃなかった? 丸山:ドッキリの仕掛けで穴に落ちるたびに、「うわっ、クソ!」と思うんだけど、「この一瞬にスタッフさんもみんな賭けてるんだな。いろんな人がこの一瞬のためにかかわってるんだ」と思ったら、ジワジワと感動が来て、ドッキリにかかったけど、めちゃくちゃ幸せだったなと思って帰るんです。 林:ほぉ~。そうは言っても、芸能界ってヒエラルキーがあるでしょう。目上の人の楽屋にあいさつに行くとか、皆さん番組で話してますよね。 丸山 ああ、そうですね。でもサッカーを現役でやってたときも「目上の人にはあいさつしなきゃいけない」というのは鉄則でした。大学のときなんか、先輩を見つけたら、100メートル先からでもあいさつするような学校だったので、あいさつは染みついてます。私も目上の人にはあいさつしてからじゃないと、収録に臨めない感じがあります。 林:年下でもキャリアが長い人には自分からあいさつに行くんですか。 丸山:行きますね。私、現場にいる人たちのキャリアの長さとかはわからないので、全員にあいさつに行きます。お菓子を持って。みんなにお菓子を渡すというのが、自分の中ではルーティンになってますね。 林:話が変わりますが、この3月で東日本大震災から10年ですね。東北と縁が深い丸山さんですが、3月11日に向けて何かなさったりするんですか。 丸山:(急に真剣な表情になって)震災から10年というのもありますけど、何か福島のためにできることはないかというのは、ずっと考えています。東京にいて何かできることはないかなと考えて、福島産のものを探して食べたり、お取り寄せしたりは、この10年ずっとしてきました。そうすると福島につながってる感じになるんで。ただ、「これだ」というものはまだ探せてないんです。 林:そうなんですか。 丸山:現実にはなかなか復興が進んでない部分もありますし、発電所もなかなか難しい問題がある。だけど町が元気にならないと本当に復活したとは言えないと私は思ってるので、本当の意味で町が元気になることをできたらいいなといつも思ってるんです。 林:そういう気持ちを持っていたら、福島の人たちもすごくうれしいと思いますよ。私が幹事長をやってる「エンジン01」(文化人を中心としたボランティア集団)では、震災で親を亡くした子どもたちの支援をやっていて、チャリティーコンサートを毎年サントリーホールでやっています。氷川きよしさんとかもいらして、皆さん無償で歌ってくれるんです。 丸山:そうなんですか。私にも何かできることがあればやらせてください。 林:ぜひいらしてください。 (構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄) 丸山桂里奈(まるやま・かりな)/1983年、東京都生まれ。元サッカー選手。現役時代のポジションはFW。2002年、第14回アジア競技大会の北朝鮮戦で代表デビュー。五輪はアテネ、北京、ロンドンの3大会に出場。11年、FIFA女子ワールドカップで優勝を飾る。16年、引退を発表。その後、タレントとして、バラエティー番組を中心に活動。20年9月、元サッカー選手の本並健治氏と結婚。現在、静岡第一テレビ「まるごと」火曜コーナーレギュラー出演、ラジオ番組「丸園音楽堂」(JFN系)レギュラー放送中。 ※週刊朝日  2021年3月19日号より抜粋
林真理子
週刊朝日 2021/03/10 11:32
家事の男女不平等、なぜ男性に「当事者意識」なし? 背景に「稼ぎは夫」「ケアは妻」の根深さ
家事の男女不平等、なぜ男性に「当事者意識」なし? 背景に「稼ぎは夫」「ケアは妻」の根深さ
コロナ禍でテレワークが増え、家族内のスケジュール調整や宅配の管理など目に見えない家事も増えている(撮影/写真部・松永卓也) AERA 2021年3月15日号より  森喜朗氏の女性差別発言で注目されたジェンダー問題。職場以上に家庭でこそ、女性は不当な思いを抱いているという調査結果もある。不平等を感じる根源は家庭のどこにあるのか。今こそ、社会全体で考える好機だ。AERA 2021年3月15日号は「家庭内ジェンダー」を特集。 *  *  *  ふーっ。  電話に出ない夫に送ったメッセージの返信が届いた。スマホの画面には「ごめん、仕事だから無理」の文字。都内に住む会社員の女性(38)はスマホを握ったまま、深いため息をついた。  大事な会議の直前、保育園から1歳の息子が発熱していると連絡があった。夫にお迎えを頼んだが、拒まれた。「私だって無理だよ……」と泣きそうになりながら、上司や同僚に何度も頭を下げ、職場を後にする。  夫は、実父のようにソファにふんぞり返って妻に「お茶!」などと命令しないし、毎朝出勤前に子ども2人を保育園に送っていく。家事も育児も「協力的」なほうだと思う。それでも育児に対する当事者意識は低く、「できるだけ」の範疇を超えることはない。「無理」の一言で責任を放棄し、同じフルタイムで働いている自分ばかりが急なお迎えや病院の受診などに対応している。会社の新規プロジェクトに参加したかったが、挑戦する余裕も自信もなく、あきらめた。  社会のジェンダー意識は確実に変化し、家事育児を分担する男性も珍しくなくなった。  NHK放送文化研究所が1973年から5年ごとに実施している「日本人の意識」調査では、父親が台所の手伝いや子どものおもりをすることについて、「するのは当然」が2018年は89.4%。この45年間で36.2ポイントも増えた。一方、総務省の社会生活基本調査(16年)では、夫婦と子どものいる共働き世帯で、妻の家事関連時間は1日で4時間54分なのに対し、夫はわずか46分と6分の1以下。家事や育児の負担が女性側に大きく偏っている現状がある。 ■家事分担で不当な扱い   ビジネスに特化したSNSを展開するリンクトインが20年に実施した「日本女性の仕事と生活に関する意識調査」では、「女性であるというだけで不当に扱われた」と感じる場面(複数回答可)のトップは「家事分担の話し合い中」(33%)で、2位の「職場」(30%)を上回った。さらに、仕事の機会を妨げているもの(複数回答可)として、「家庭内でのサポートが足りない」と回答した女性は44%で、「組織内でのサポートが足りない」(24%)の2倍近かった。  つまり、ジェンダー不平等の元凶は「家庭内」にあるとも言えるのだ。リンクトインの広報担当者は言う。 「女性であるがゆえに家事育児の負担が重くのしかかり、そうした家庭内の不平等が女性の仕事の機会や昇進の障壁にもなっています。その結果、4割を超える女性が『もし自分が男性だったら仕事でより良い業績を出せる』と考えています」  この家庭内男女不平等を生んでいる原因の一つが、「稼ぐのは男の責任、子育ては女の責任」という性別役割分業意識だ。30年以上共働き夫婦の家事分担について研究を続ける日本女子大学の永井暁子准教授(家族社会学)は言う。 「男性も家事育児をするのが当然という意識が高まってきた一方で、『世帯の稼ぎ主は夫』という稼得責任への意識の強さは男女ともあまり変わっておらず、家事育児などのケア役割は女性に、仕事については男性に偏りがちです」 ■夫は加点で妻は減点  東京都内に住むフリーランスライターの女性(44)も「家事育児は女の役割」という意識が抜けない夫に悩まされている。 「夫は、家事育児に関して自分のことは加点法、私のことは減点法で考えるので、私は『やって当たり前』で感謝もされず、やらなかったときだけ失敗をつつかれます」  性別役割分業の意識が浸透しているのは日本だけではないと、アフリカ出身の夫を持つ滋賀県在住の女性(46)は言う。 「フルタイム勤務なのに、家庭のことはすべて私が担当という状態で、『あなたがやらないことは、全部私がやらなければいけないんだよ』と話したらやっと理解できたようで、掃除を少し手伝ってくれるようになりました。夫の家庭も家事育児はすべて義母が担っていたので、彼自身もロールモデルがないのだと思います」  妻自身がジェンダー意識を内面化し、良き妻・母でありたいとの思いから、家事育児を夫に任せないということもある。  都内在住の会社員男性(36)は朝食づくりや夕食後の洗い物、洗濯を担当。週末には率先して外で子どもを遊ばせる。 「でも、妻は僕が子どもを遊ばせているのを見かけたと近所の人に言われると、まるで自分が何もしない妻と思われるのでは、と不安みたいです。食事もデリバリーなどをもっと使ってもいいよと言っても『自分で作りたい』と言って譲りません。女がやらなければという義務感みたいなものがあるようです」  小学生、中学生の2人の娘がいる名古屋市に住む勤務社労士の女性(45)は、大手企業に勤める夫の方が家事が得意だという。例えば夕食も、女性が担当するときは手軽に作れる丼ものが多いが、夫は平日でも栄養バランスを考えて3品作る。 「彼を見ていると、自分の家事スペックの低さに罪悪感を抱くこともあります。これって、女性の方が家事はうまくて当たり前というバイアスがあるからですよね」 (編集部・深澤友紀、フリーランス記者・宮本さおり) ※AERA 2021年3月15日号より抜粋
AERA 2021/03/10 08:02
各国男女格差指数、日本は110位→121位に 日本の女性差別はなくならないのか?
山本佳奈 山本佳奈
各国男女格差指数、日本は110位→121位に 日本の女性差別はなくならないのか?
山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師 写真はイメージ(GettyImages)  日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「国際女性デーに考える日本の女性格差」について、NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  3月8日は「国際女性デー」でした。「国際女性デー」とは、女性の権利や政治的・経済的分野への参加など、女性が達成してきた成果を認識する記念日で、1975年に国連によって「国際婦人デー」と定められ、現在「国際女性デー(International Women’s Day)」と呼ばれています。  きっかけは、1904年3月8日、ニューヨークで女性の労働者による参政権を求めるデモが行われたことに始まります。さらに6年後(1910年)にデンマークで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう記念の日」として正式に制定されたことから「国際女性デー」が始まったと言われています。  今年はコロナ禍ではありましたが、シリアやフランスなど世界各地で女性の権利向上を求めて集会が行われたようです。 「国際女性デー」は「ミモザの日」とも呼ばれています。3月になるとイタリアでは街中に黄色の花を咲かせるミモザですが、イタリアではもともと、感謝の気持ちを込めてミモザの花束を贈る習慣があったそうです。イタリア女性組合のシンボルとして3月頃に花を咲かせるミモザが選ばれ、またミモザの花束を贈る習慣が世界に広がったことで、ミモザが「国際女性デー」を象徴するようになったというわけなのです。  2019年12月、世界各国における男女格差を測る「ジェンダー・ギャップ指数2020(Global Gender Gap Report 2020)」が世界経済フォーラム(World Economic Forum)より発表されました。調査されたのは153カ国であり、調査国全体で見ると政治や経済における格差が大きく、新興国と発展途上国では男女格差が悪化する傾向にあったが、2018年時点で世界における男女格差が完全に解消されるまでに108年もかかると推定されていた期間が、99.5年に縮小したといいます。  昨年は110位だった日本はどうだったのでしょうか。アイスランドやノルウェー、フィンランドなど北欧の国々が上位を占める中で、日本は121位とG7の中では最下位。昨年から大幅に順位を下げる結果となりました。その要因として、ランキングが上位の国と比べて女性の政治参加度が低い、女性管理職が少ない、家庭における女性の負担が大きいことに加えて、伝統的な社会の構造や風習が要因としてあるのではないかと分析されています。  2017年の秋以降、女性が受けた嫌がらせやセクハラ、性的暴行の被害体験を告白し共有する「#MeToo」運動がS N Sを通じて世界に広がり、世界中で性暴力やセクハラ被害が次々と明るみに出てきましたが、日本の医療界での女性差別といえば、女子受験生への一律減点による不正入試は記憶に新しいのではないでしょうか。2018年、東京医大が女子受験生を一律減点し、恣意的操作を行っていたことが発覚したことを発端に、女子受験生や浪人生への一律減点など医学部における不正入試の実態が続々と明らかになりました。  東京医大では、2010年の医学科一般入試で女子の合格者数が全体の38%に達したため、2011年頃より女子受験生を一律に減点し、女子の合格者数を3割に前後に抑えていたといいます。女子は結婚や出産で医師をやめるケースが多いことや、緊急手術が多く勤務体系が不規則な外科系の診療科では、「女3人で男1人分」と、出産や子育てを経験する女性医師は男性医師ほど働けないことが、女子のみ減点していた理由でした。系列の病院で勤務する医局員不足を懸念しての必要悪であり、暗黙の了解であったといいます。  一般に、女性の労働力率は、結婚や出産期に当たる年代に一旦低下し、育児が落ち着いた頃に再び上昇することが知られています。これは「M字カーブ」と言われており、女性医師も例外ではありません。平成18年度厚生労働科学研究「日本の医師需給の実証的調査研究」によると、女子医師の就業率は、医学部卒業後減少傾向を認め、卒後11年目(36歳)で76.0%まで落ち込んだ後、再び回復を認めています。  結婚や出産、不妊治療を機に医師をやめる、ないしは勤務を中断する選択をする女性医師がいることも事実ですが、ベビーシッターを雇いながら勤務を続ける医師もいれば、出産後すぐに復帰して第一線で働く医師もいます。多くの女性医師は職場や働き方を変えながら、時に休みながらも医師を続けています。けれども、経営側からすると、出産や子育てを理由にやめてしまい、男性に比べて戦力にならない女性医師はいらない、ということになるのでしょう。  医師の給与は、一般に男性医師の方が女性医師に比べて多いです。シカゴのSaunders氏らは、米国を代表する医師374人の調査の結果、女性内科医の年収中央値は20万ドルであり、男性内科医の25万ドルに比べて5万ドルほど低かったこと、さらにはまた、専門分野を問わず女性医師の方が男性医師に比べて年収が少なかったことを2018年に報告しています。  しかし、医師の性別の分布差が少ない職場ほど給与の差が縮まっていることが、米国のWhaley氏らの報告で明らかになっています。外科以外の専門医を調べたところ、男性医師が90%以上を占める職場では男性医師は女性に比べて1年間に19.9%(91,669ドル)も多くもらっていた一方、女性が半数以上を占める職場で男性医師が女性より多くもらっている分はその半分ほどの11.7%(36,604ドル)でした。外科でも同様の傾向が認められたといいます。  米国のハーバード大学のLy氏らが、2000年1月から2015年12月までに結婚した米国の夫婦ともに医師である4934組を調査したところ、子どものいる女性医師は子どものいない女性医師より勤務時間が短い一方で、男性医師についてはそのような差は認められない、つまり、育児にかかわる時間に男女差があったのです。  先月、「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」という東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗・元会長の発言が、国内のみならず世界を巻き込む騒動にまで発展しましたが、女性に対する差別的な問題は依然として残ったままです。年に一度の「国際女性デー」をきっかけに、こうした問題が少しずつでも着実に解決されることを願っています。 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員
dot. 2021/03/10 07:00
“100歳”瀬戸内寂聴 横尾忠則に“相手にもされなかった”話を思い出す
“100歳”瀬戸内寂聴 横尾忠則に“相手にもされなかった”話を思い出す
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 残された日々』(朝日新聞出版)。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「孫の説教『ジャカマシイ!』と無視を」  セトウチさん  前回の手紙で「呆(ぼ)けた」ご自分を想定して上手(うま)いこと逃げちゃいましたが、僕はセトウチさんのこと、おっしゃるような「呆けたバアさん」なんて一度も思ったことはありません。本当に呆けてたら小説など書けません。  セトウチさんの今の関心事はやはり「百歳」ですかね。色んなメディアで「百歳宣言」をしてはしゃいでおられるようにみえるのですが、もし呆けたと思われた時に百歳のせいにしたいのか、それとも百歳が嬉(うれ)しいからか、それとも怖いからか。そのへんがよくわかりませんが、仏教のどっちでもあって、どっちでもないみたいな中庸の精神ですかね。中庸というのはある意味で偏らない理想的な生き方ですよね。偏らない生き方は、僕の作品の態度にしたいところです。まなほ姉妹とセトウチさんの「だって、百だものね!」という合言葉は相手を寄せつけない妙なパワーがありますね。  では僕の今の関心事を述べます。「百歳」という時間的なものではなく、以前にも二度ばかり、ぼやきましたが、絵を描くのが面倒臭くてねえ。三歳ぐらいからほぼ毎日のように絵を描き続けると、描くのが嫌になります。その点、セトウチさんは飽きませんね。やっぱり書くのが面白くて愉(たの)しいからですかね。アスリートは「体力の限界!」なんて言って引退ができますが、僕の場合アスリートと違って描こうと思えば、その体力の限界内で描いておればいいんですが、体力というより、描くことに飽きたんですよね。  以前セトウチさんは生まれ変ってもまた女流小説家と書いておられましたが、僕は死ぬ前から今の職業に飽きています。芸術にはゴールはないですが、ゴールに着くまでのプロセスが面白いので、まあそれを愉しんでいたってわけです。人間に輪廻(りんね)転生があるのは、百歳たらずの人生で転生して、また違う時代と国と性も変るのが宇宙の摂理で、生と生の間を死でつなぐという発想は誰が考えたのか、多分神でしょうね、まるで駅伝のタスキ渡しみたいにタスキが魂のように別の人間に転生して、また短い人生を走る。だから、今生と来世は別の人間になって、やったことのない人生をやるのが一番いいことで、来世も小説家なんていわないで、今生で目いっぱい小説家をやるだけやって、思い残すことなく、来世は画家にでもなって下さい。  また人間の肉体寿命は限られていますが魂寿命は永遠だから、今生が無理なら百歳は来世に廻してもいいんですよ。あんまり、百歳、百歳というと、そこを生のリミットにしてしまいます。だから、年は忘れて下さい。他のことは呆けていても、「百歳」だけは呆けないなんて、「耳無し芳一」の宙に浮いた耳みたいで怪談じみていて怖いですよ。  でも、そうか、今のセトウチさんから「百歳」を取ってしまうと、逆にペットロスみたいになって、かえってストレスになると困りますね。なんだか僕はおばあちゃんに孫が説教している気分になってきました。そんな小うるさい孫は「ジャカマシイ!」と言って無視して下さい。  それは別として、北斎も「百歳宣言」して、百になれば宇宙の真理に到達すると考えていました。やっぱり「百歳」か。  では次回をお待ちしています。 ■瀬戸内寂聴「ヨコオさんは、不思議な存在ですね」  ヨコオさん  あなたは、長いつきあいなのに、私のことちっとも理解していないみたいですね。今の私の関心事が「百歳」なんて、およそ的外れもいいところです。色んなメディアで私が「百歳宣言」をして騒いでいるとおっしゃってますが、一九二二年(大正十一年)生(うま)れの私が、現に「百歳」になっていることは、れっきとした事実なので、話が歳のことになれば、そこへ落ち着くのも、まあ、御挨拶(ごあいさつ)というところでしょう。私はあなたのように天才でもないのに、天才が好きで憧れています。天才は、必ず、若死(わかじに)です。九十歳の天才なんて、何だか薄汚く感じます。  三島さんは、自分は天才だと信じているのに、四十過ぎても一向に死にそうにないので、焦って、あんな死に方をしてしまったのです。  ヨコオさんは、天才だと私は信じていますが、年中、病気ばかりして、よく入院していますが、必ず治って出てきます。  第一、入院中も病室で絵を描いたりしています。そんなこと出来るホントの病人なんている筈(はず)ありません。それなのに、今や世界じゅうでヨコオさんは天才で通っています。不思議な存在ですね。  三つや四つの頃から絵が上手だったのは、現在残っているその頃のヨコオさんの絵を見てもうなずけます。  ヨコオさんが赤ちゃんの時、さっさと養子に出してしまった実の御両親がご生存だったら、まあ、どんな気持ちでしょうね。  ところで私は、何という縁か、ヨコオさんの実の御家族に逢(あ)っているのですよ。この話はたしかヨコオさんにした筈だけれど、ヨコオさんは、呆(あき)れたような顔で横目で私を見て、「何という大バカなのだろう。このオンナ!」という顔をして、返事もしませんでした。  所は神戸のデパートです。頃は、私の女子大生の時代です。当時、私は大学の休みは、せっせと、徳島の実家へ帰って、休みの終わりには、四国の徳島から、舟や汽車で神戸へ出て、そこから急行列車で一直線に東京の女子大の寮へ帰っていました。  神戸は、何となくしゃれた町で、デパートなども結構ハイカラな物があり、私は服や靴をそこでよく仕入れていました。  その日もそうして、神戸のデパートをブラブラしていると、一階のどこかで、人だかりがしていて、覗(のぞ)くと、誰かの絵の展覧会で、若い絵描きさんが、自分の絵の前に立って、集まっている見物に、何か説明していました。人ごみの背後で覗いていると、私の前にいた家族らしい数人で、ひそひそ話をしていました。 「うまくなったねえ!」「いいじゃない、この絵なんて」「個性的だよ、ホンモノだよ!」  私は、とたんに、その人たちが、あなたの実の家族だと察し、秘(ひそ)かにその出会いに興奮していました。あなたの実の家族に逢うなんて……彼等(かれら)は見るからに裕福そうなインテリ家族に見えました。夢ではありません。大方八十年前の出来事です。それでも、私の夢だとおっしゃいますか? 私の造りものの小説でもありませんよ。たしかこの話、ヨコオさんにした筈だけれど、相手にもされなかった。今でも私は、なつかしくその光景を抱いています。では、またね。春らしくなりました。 ※週刊朝日  2021年3月12日号
週刊朝日 2021/03/08 11:32
なぜ無理だとわかるのか? チェ・ユンテ監督が映画「野球少女」を撮った理由
なぜ無理だとわかるのか? チェ・ユンテ監督が映画「野球少女」を撮った理由
CHOI Yun-tae/1982年生まれ。2016年、韓国映画アカデミー卒業。本作が長編映画デビュー作となる。短編映画での監督作品に、「Scooter」(07年)、「Rough,Hard and Sad」(09年)、「Test Flight」(12年)、「Knocking on the Door of Your Heart」(16年)がある (c)2019 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED 「野球少女」/大ヒットドラマ「梨泰院クラス」でブレークしたイ・ジュヨン主演作。3月5日公開予定 (c)2019 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED 「少女は自転車にのって」/発売・販売元:アルバトロス、価格3800円+税/DVD発売中 (c)2012, Razor Film Produktion GmbH, High Look Group, Rotana Studios All Rights Reserved.  AERAで連載中の「いま観るシネマ」では、毎週、数多く公開されている映画の中から、いま観ておくべき作品の舞台裏を監督や演者に直接インタビューして紹介。「もう1本 おすすめDVD」では、あわせて観て欲しい1本をセレクトしています。 *  *  *  いくら実力があっても、女性というだけで門戸を閉ざされてしまう職業がある。ましてや、誰もがそれを当たり前のように思っている“男性のスポーツ”、プロ野球だったら、多くの人が受け入れてしまうのではないか。 「野球少女」は、“天才野球少女”と称される、野球が大好きな女子高校生チュ・スイン(イ・ジュヨン)が主人公だ。子どもの頃からすべてを野球に捧げてきた彼女が、プロ野球選手になる夢をかなえるため、周囲に反対されながらも突き進む姿を描いた。  本作が長編映画デビューとなるチェ・ユンテ監督は、妻から聞いた話に着想を得たという。 「妻はインターネットで、野球をしている少女がインタビューを受けるところを見たと話してくれました。でも、『いくらこの少女が頑張ってもプロには行けないのに』と残念がっていたんです。それで私が『いやいや、女性でも行けるよ』と話したら、新しい事実を知ったかのように驚いていました。その反応を見て、こういう話を映画にしたら意味があるのではないかとシナリオを書き始めたんです」  韓国も男女間格差は根深く、2019年公表のジェンダーギャップ指数は108位だ。 「企画の段階から苦労しました。そもそも女性が主人公になる商業映画は価値がない、と言われてしまったんです」  そこで、商業映画がダメなら公的機関と、監督自身が通っていた韓国映画アカデミーに制作を依頼した。ところが、そこでも「この予算では無理」と断られてしまった。 「『商業映画でも撮れず、インディーズでも撮れないなら、一体どこで撮ればいいんですか!』と怒ったことを思い出します。ただ、以前そこで短編映画を制作した時も予算で一度は断られたものの、結局撮った経験があったので、あきらめずに説得し、いろいろなことが重なってなんとか今回も撮ることができました」 「なぜ無理だとわかるんですか? 私がプロになれるかなれないか、なぜ無理だと?」。スインの質問に答えられる大人はいない。なぜ無理なのか。スインの言葉は、当たり前のように性差別を受け入れている自分自身にも跳ね返ってくる。  切実なスインのせりふは、どのように生まれたのか。妻や女性たちへの取材からだったのか。そう監督に問うと、「女性の気持ちを書こうと思っていたわけではない」と、思いがけない言葉が返ってきた。 「実は、私自身の気持ちをスインに語ってもらうように書きました。私自身、少し言語障害があり、学力も高くはありません。監督になる前は、いつも撮影現場で『君は監督にはなれない』と言われてきました。そんな体験もスインのキャラクターを創作する上で助けになったと思います」  韓国で多くの人の心に響いたのは、単に「男女差別」だけにとどまらない、普遍的な「差別」の意味を問うているからなのだろう。 ◎「野球少女」 大ヒットドラマ「梨泰院クラス」でブレークしたイ・ジュヨン主演作。3月5日公開予定 ■もう1本おすすめDVD「少女は自転車にのって」  サウジアラビア映画「少女は自転車にのって」(2012年)は、「女は自転車なんてダメだ」「自転車に乗ったら妊娠できなくなる」と、職業どころか自転車に乗ることさえ許されない少女の物語。声高に男女差別を訴えるのではなく、ダメだと言われてもあきらめない少女の奮闘ぶりを、ユーモアをもって描く。  10歳のワジダは校則を破るのもへいちゃらの問題児。自転車を乗り回し自分をからかう幼なじみの少年に、「自転車を買ったら競争よ」と負けん気も強い。ワジダは自転車競争を実現すべく、母に自転車をねだるが「女の子が自転車なんてとんでもない」とにべもない。そこでワジダはミサンガを編んでは友人に売りつけたり、恋の仲介役となって手数料を取ったり。小銭を貯めるが自転車代の800リヤルには遠く及ばない。  そんなある日、学校で「コーランの暗唱大会」が開催されることに。賞金はなんと1千リヤル。ワジダは賞金欲しさに、猛然とコーランの勉強を始めるが……。  男女差別が当たり前の国で、したたかに生きるワジダの姿に希望を見る。行動しなくちゃ始まらない! 見ているうちにそんな力が湧いてくる。 ◎「少女は自転車にのって」 発売・販売元:アルバトロス 価格3800円+税/DVD発売中 ※AERA 2021年3月8日号
AERA 2021/03/06 17:00
81歳にして中村玉緒が「インスタデビュー」 苦難に満ちた人生を支えた「2人の恩人」
三杉武 三杉武
81歳にして中村玉緒が「インスタデビュー」 苦難に満ちた人生を支えた「2人の恩人」
81歳にしてまだまエネルギッシュな中村玉緒 勝新太郎さんと子どもたちとの貴重な家族写真(写真=本人提供)  昨今は、パートナーの不倫に泣かされる女優や女子アナが世間の話題になることが多い。だが、愛する夫の浮気に借金、逮捕といった逆境をものともせず、苦労を笑いに変えて、明るくポジティブに人生を謳歌してきた女優がいる。中村玉緒(81)だ。  父親に人間国宝の中村鴈治郎を持ち、歌舞伎界の名門のお嬢様として生まれ育ち14歳で女優デビューした玉緒は、俳優・勝新太郎から熱烈な求愛を受けて22歳の時に結婚。その後は、芸能界屈指のおしどり夫婦として知られ、今でも「生まれ変わってもあの人と一緒になりたい」と語るなど、勝を愛し続けている。  とはいえ、これまで歩んで来た道はけっして平坦なものではなかった。夫は豪放磊落なイメージと愛嬌のある人柄で愛された昭和を代表する大スターだけに、結婚後も自然と多くの女性たちがその周りには集まった。 「当時は『女遊びは芸の肥やし』なんて言われていた時代でしたし、今どの人と付き合っているのか分からないくらい相手も多くて、やきもちを焼くヒマがなかったんです。それに私は15歳であの人と出会って、他にほとんど恋愛というものをしないまま結婚したので。他の男性と比べようもなかったですし、それが当たり前という感じでしたね」  困難は夫の女性関係だけではない。記者会見での「もうパンツは履かない」という“迷言”が生まれた米ハワイでの麻薬所持による夫の逮捕、勝の映画制製作への徹底的なこだわりと毎晩繰り広げられる豪遊による総額14億円もの借金など、さまざまな逆境が玉緒の身に降りかかる。そんな中、1997年に最愛の夫だった勝は旅立ってしまった。  それでも、玉緒は毎月500万円ずつ20年以上かけて借金を返済し、80歳を超えた今も女優、タレントとして芸能界の最前線で活躍している。 「私はお金に恵まれていないけど、人には恵まれていると思います」  こう話す玉緒が明かすのは、2人の恩人の存在だ。  1人はエリザベス・テイラー、グレース・ケリーらのドレスを制作するなど日本を代表する友禅作家として世界中で活躍する千地泰弘氏。  千地氏の勧めで自身がデザイン、プロデュースする着物ブランド「中村玉緒のきもの」を立ち上げると好評を博し、以来30年続く人気ブランドへと成長した。  もう1人が、今年1月にも放送された毎年恒例の正月特番「さんま・玉緒のお年玉! あんたの夢をかなえたろかSP」(TBS系)でもタッグを組んでいる、お笑いタレントの明石家さんまだ。  さんまとの出会いは30年ほど前。夫の事件の影響でテレビ出演を控えて舞台やショーを中心に活動していた玉緒のもとに「さんまのまんま」(フジテレビ系)のゲスト出演のオファーが届いたのだ。 「その頃、私は女優しかやっていなくて、バラエティーというものがよく分からず、事前に台本を用意して頂いたんです。でも、さんまさんは『お母さん、台本なんていりまへん!』と途中から無視し出して。それで私が『あきまへん!』と口喧嘩みたいになったら笑いが起こったんです。それに当時は借金で宝飾品をほとんど手放していて、唯一残っていた母からもらった指輪をしていたのですが、ちょうどけがをして別の指にばんそうこうをしていたんです。そしたら、さんまさんから『立派な指輪を2つしていると思ったら1つや!』とツッコまれて思わず笑ったら、その(私の)独特の笑い声がものすごくウケてくれたみたいです」  こうして新たな才能をさんまから見いだされた玉緒はバラエティータレントとしてブレークし、数多くの番組から出演オファーを受けることになる。  それから四半世紀以上が過ぎた現在も2人は番組で共演する仲だが、玉緒は「私にとって、さんまさんとの出会いは一生涯忘れられません。さんまさんは私のことを『お母さん』と呼んでくださるのですが、それがとてもうれしいんです」と目を細める。  そんな玉緒は、今年に入ってからも「さんま・玉緒のお年玉! あんたの夢をかなえたろかSP」や「ありえへん∞世界『美容整形&究極ダイエットで大変身!世界衝撃事件』2時間SP」(テレビ東京系)に出演するなどエネルギッシュに活動。  プライベートでは長年の趣味であるパチンコに加えて、今年1月からはなんと81歳にしてインスタグラムを始めたという。  玉緒のインスタグラムには自身の動画や日常の様子などが公開されているが、インスタを始めたきっかけについてこう明かす。 「スタッフから多くの方がやっていらっしゃることを耳にするようになり気になりだしました。実際にやってみて、ハートマークやコメントなど反響があるとうれしいもの。周囲の方に『インスタグラムに載せていいですか?』と直談判してみると喜んでくださるので、やりがいを感じています」  さらに、「YouTubeも始めてみようと、協力してもらっているスタッフさんが生配信などを持ちかけてくださる。想像がつかないけど、面白そうだと思っています」と今後の抱負も語る。  YouTubeに関しては、昨年12月に放送された「爆笑!明石家さんまのご長寿グランプリ2020」(TBS系)で、玉緒は番組とのコラボ企画としてYouTuberデビューを果たしている。 「初めてのYouTubeは何だかよく分からないままでした。バラエティーでは女優とは別のもうひとつの私をたくさんの方に知って頂けました。元気のある今はYouTubeもやってみて、若い皆さんにももっと知って頂いて、お年寄りからお子さんまで一緒に元気になってもらえるような作品が作れたらと思っております」  何かと暗い話題の多い昨今だが、どんな試練や困難に遭遇してもめげることなくエネルギッシュに前を見据えて歩み続け、81歳になった今でも新しいことにチャレンジし、前向きに楽しもうとするその姿勢からは学ぶべき部分も多そうである。(取材・文=芸能評論家・三杉武) ●中村玉緒(なかむら・たまお)  1939年7月12日生まれ、京都府出身。53年に「景子と雪江」で映画デビュー。女優として数多くの映画やドラマ、舞台に出演し、「ブルーリボン賞」や「毎日映画コンクール」、「日刊スポーツ映画大賞」の助演女優賞、「日本映画批評家大賞」のダイヤモンド大賞などを受賞。その一方でコミカルなキャラクターを発揮し、「さんまのスーパーからくりTV」をはじめ数々のバラエティー番組で人気を集める。01年から「京都市特別観光大使」、11年からは「京都名誉観光大使」を務めている。
dot. 2021/03/06 16:00
「自粛しない若者」像にうんざり 自粛する若者たちが抱く虚しさの背景とは
福井しほ 福井しほ
「自粛しない若者」像にうんざり 自粛する若者たちが抱く虚しさの背景とは
アエラが10~20代を対象に行ったアンケートでは、自粛しない若者像への違和感が複数寄せられた(撮影/写真部・高野楓菜) AERA 2021年3月1日号より  大学生活は自粛一色なのに、「自粛しない若者」像ばかりがクローズアップされる。割を食っている──。若者たちが抱える虚しさの背景には、国や自治体のコミュニケーションの失敗と、若者たちの間で進む孤立化がある。AERA 2021年3月1日号から。 *  *  *  自粛続きで、タイムワープしたような1年だった。 「2020年を振り返ったら、本当に何もなかった。時間が失われた感覚がしました」  神奈川県に住む大学生の女性(20)はコロナ禍の1年をそう振り返る。一度も大学に入構せず、授業はすべてオンラインで受けた。図書館は条件付きで利用できるが、県をまたぐ移動を避けているため、活用できていない。 「小中高生や社会人は制限付きでも、通勤通学できています。それを見ていると、モヤモヤしてしまう。県外に住む友達とは、もう1年以上会っていません」  それなのに、国や自治体からの呼びかけに「20代」「若者」という言葉が相変わらず目立つ。 「若い方は体力があり、行動力がある方々が、自分自身が感染している自覚がないままあちこち活動される」(20年3月、小池百合子都知事)、「どうか、若い世代の皆さん、日本の危機を救う立役者になってください」(今年1月、尾身茂・政府分科会会長)。  後者の発言の若い世代とは20~50代を指すが、2月2日には同分科会は若者に卒業旅行や謝恩会を控えるよう呼びかけた。 ■涙が出る日も多かった  これでは「若者」が自粛せず出歩いているように思われ、自粛している若者まで悪者にされてしまう、と危惧した。世代間の断絶を煽る姿勢とも感じた。 「若者に呼びかけるのに、政治家はクラブに行ったり、飲酒を伴う会食でクラスターが発生したりしている。私たちが我慢していることのすべてが無駄に思えました」(女性)  昨年10月頃は、虚しさが募り、泣きたくないのに涙が出る日も多かった。今は、医療従事者にできるだけ迷惑をかけないようにという一心で、なんとか気持ちを保っている。  コロナ禍で、若者たちは何を感じ何を考えているのか。アエラでは、インターネットを通じて10~20代を対象にアンケートを実施した。程度の差はあれ、回答した若者の多くが、「自粛しない若者」のレッテルに違和感を持っていた。 「若者が感染を広げているというのは、コロナ禍の初期に作られた設定なのかなと思うようになりました」  そう話すのは、慶應義塾大学3年の女子学生だ。若い人に無症状感染が多いことには、もちろん気を付けるべきと考えている。ただ、「自粛しない若者」がテレビやネットで話題になる度に、やるせなさを感じていた。 「どんどん新しい情報が出て、何が許されて何が許されないのかの設定が変わっていく。そう考えるようになってからは、そこまで気にならなくなりました」  だが、その“設定”の矛先は、たやすく若者へ向く。  接待を伴う飲食店で立て続けに五つのクラスターが発生した石川県では、2月12日、“「飲食」「若者」感染拡大特別警報”が発令された。同県在住の男性(29)は言う。 「カラオケクラスターが頻発したときには、カラオケや高齢者を名指しした警報は出なかった。また『若者が』と言われる日がくるのかとうんざりしています」 ■若者の孤立化進む  憤りはあるが、若者たちの視点はどこか俯瞰している。アンケートでも、「自粛の線引きは人それぞれだが」「一個人の意見として」などと前置きして、意見を述べる人が目立った。  客観性の裏側には、生き方が多様化して若者の孤立化が進んだことがあるという。  立命館大学准教授で社会学者の富永京子さんはこう分析する。 「近年は出自が多様化し、またそれが顕在化したことで、他人と自分は異なるものだという感覚が強まっています。さらに、コロナ禍では集まって相互理解を深めることもできません。自分が何かの代表という意識を持って発言することはますます難しい状況です」  SNSなどを通じてつながることはできても、1対1以上のコミュニケーションは生まれにくい。互いの利害が見えないため、踏み込んだ話もできない。孤立化はさらに加速する可能性もある。 「東日本大震災時や就職氷河期の若年層にも、その世代特有の問題はありました。ただ、コロナ禍ではそれが顕在化しづらい。震災などの災厄とは違うレベルで孤立化が進んでいると感じます」(富永さん)  若者たちが抱く将来への不安も少しずつ表面化している。 「できるものなら1年を返してほしい」  そう話すのは、「若者全般の意見ではない」とした上で取材に応じた20歳の大学生だ。 ■自粛の「見返り」どこに  本来なら、今年は成人式で久しぶりに会う友人たちと楽しい時間を過ごすはずだった。だが、式は中止になり、その後に予定していた同窓会もなくなった。 「成人式の後に同窓会があるかないかは、今後開かれる同窓会にも影響します。私たちの代は、将来音信不通になったり、生死不明の同級生が増えたりするのではないかと思います」  この学生にとって、20歳の節目となる年は、「人生で一番楽しかったはずの大学2年生」。その時期を思うように過ごせなかったことが、悔しかった。 「当事者しかわからないかもしれませんが、18~30歳くらいの世代とそれより上の大人の1年は遥かに重みが違います。なのに、どうして『最近の若者は』なんて言う人たちのために我慢しなければいけないのか。『見返りは?』というのが本音です」 「見返り」というと、自分勝手に聞こえるだろうか。だが、そうした感情を持つ人は少なくないようだ。心療内科医の海原純子さん(68)は、若年世代が受けた教育の影響を指摘する。 「診察していて感じるのは、大学入試や就職といった『目標』が掲げられ、その結果のために行動を求められ、行動してきた世代だということです」  前出の富永さんは言う。 「若い世代と年長世代の見返りへの感覚は大きく異なります。我慢という形で貢献すれば、安全になった社会で楽しさを享受できるというのが年長世代の考える見返りです。ただ、若い世代からすれば、楽しさは本当に享受できるのかと疑ってしまうほど、社会の展望が見えない状況です」  青山学院大学を卒業した女性(25)もキャリアが見通せず、不安を抱えている。  女性の卒業は、留学したため、昨年9月。卒業時期に合わせて就活に励んだが、売り手市場は買い手市場に激変していた。目指した客室乗務員やメイク業界はコロナ禍の打撃を受け、採用は見送られた。「せめて空港内で働きたい」とアパレルショップに就職。ノルマを伴う激務のため転職を考えているが、志望業界は経験者募集ばかりだ。 「若い頃の方が吸収する力は圧倒的に大きいのに、行動制限で活動範囲が狭くなってしまったことは、今後の人材育成にも影響するように感じています。いつまで我慢していればいいのか、夢だった仕事に就くことができるのか、不安なままです」 ■不満は人に伝えて  大手企業が相次いで早期退職を募集するなど、先行きは不透明なままだ。国や自治体などが行う就職氷河期世代向けの支援も、どれだけの人に届いているのかわからない。  そんな状況で若い世代が将来を想像するのは至難の業だ。 「若い世代の方には、不満を個人の中にため込まず、人に伝えてほしい。そして社会はその声に耳を傾けなければいけない。過去の若者政策の失敗は、彼らの声に対して社会が適切なセーフティーネットを提供できなかったことにあります」(富永さん)  一人ひとりの不安感を矮小化せずに吐き出すことで、社会が動く。それが「見返り」にもつながっていく。第二のロスジェネを生まないためにも、上がった声を殺してはいけない。(編集部・福井しほ) ※AERA 2021年3月1日号
AERA 2021/02/27 17:00
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