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「日本人にアメフトは無理」を覆せるか? NFLを目指す、丸尾玲寿里の“描く夢”
「日本人にアメフトは無理」を覆せるか? NFLを目指す、丸尾玲寿里の“描く夢”
日本人として初めてNFL出場を目指す丸尾玲寿里(写真提供:アサヒ飲料チャレンジャーズ)  丸尾玲寿里(元アサヒ飲料クラブチャレンジャーズ)はアメリカンフットボール(=アメフト)界の夢だ。  4月15日(日本時間16日)、CFL(カナディアン・フットボール・リーグ)は北米以外の外国人選手対象にしたグローバルドラフトを開催。6人の日本人選手が指名された中でも、丸尾はウィニペグ・ブルーボマーズから1巡目(全体4位)という高評価で指名された。まずはCFLでの活躍が大きな目標であるが、その先にはNFLも視界に入る。  アメリカ4大スポーツで日本人選手が唯一プレーしたことないNFL。フットボーラー究極の頂を目指し今季はカナダ拠点のプロリーグCFLでプレーする。日本生まれの米国育ち、そして日本経由の北米挑戦と海を挟んだビッグチャレンジだ。 「アジア人にはフットボールはできない。アジア人にスポーツはできない」  米国での中学生時代、周囲の米国人からは冷ややかな目で見られた。 「Xリーグの中では彼のプレースタイルは少しワイルドだ」  大学卒業後、帰国してプレーした国内Xリーグでたびたび耳にした評価だった。  スコットランド人の父親と日本人の母親の間に静岡県で生まれた。父親は3歳時に他界、10歳の時に母親と2人で米国カンザス州へ移住した。子供の頃からスポーツに親しんできたが、米国は事情が大きく異なった。米国人にとってアメフトは子供の頃から身近にあるスポーツ。しかし日本人にとっては縁遠いモノであった。 「母親は日本人でおじいちゃんも含め家族は日本人。父は早く死んでしまったので、スコットランド人の家族とは話したことない。だから僕も100%日本人。野球は日本にいた小学1年からやっていた。野茂英雄(ドジャース他)やイチロー(マリナーズ他)の活躍もあり、野球に関しては周囲から何も言われなかった。でもアメフトでは違った。身体も大きくなかったから、このアジア人は何してるんだ、という感じで見られた」 「アジア人ということで下に見られた。でも負けたくなかった。ウエイトリフティングやスピード練習などを高校1年くらいから始めて身体もでかくなった。高校3、4年生の時はチームで1番活躍している選手だった。良い選手になって来たら、アジア人で最初のうまいフットボール選手、1番でかい選手、と認められた」  渡米当時は英語もまともに話せない状況、ホームシックなどがあったことも想像できる。簡単なことではなかったはずだが、「デカくなって見返す」という気持ちだったので気にならなかったと振り返る。負けず嫌いでポジティブな思考が、トレーニングに駆り立てた。身体ができてくると共にアメフトも上達。大学はテキサス大サンアントニオ校でプレー、周囲の選手から多くを学んだ。 「大学ではレッドシャツ(練習生扱い)のシーズンが1年あった。この時期が自分を大きく成長させてくれたのは間違いない。手術などをしたがシーズンインにはプレーできる状態だったけど、チームと自分のためにレッドシャツをやる、と決めた。ここが自分にとって多くを学べた時期だった。サイドライン(ベンチ外)にいることで、トレーニングもできたし多くの選手から色々学べた」  レッドシャツ時のチームメイトには、後にラウンドワンドラフト(18年1巡目14位指名)されるマーカス・ダベンポート(セインツ)がいた。4年時にはオールアメリカン・ラインバッカーのジョサイア・タウエファ(ジャイアンツ)と共にプレーした。全米最高クラスの選手たちから得るものは大きかった。 「NFLやCFLでプレーすることは小さい頃から夢だった。実際にプロ入りする選手も近くで見ていたしね。でも大学4年の『プロ・デー』という、プロのスカウトによる公開トライアウトの日にスカウトされなかった。だから北米でプレーすることは少しギブアップして、Xリーグへ行った」  フィジカル、メンタル両面の足りなさ、レベルアップの必要性を感じた。帰国してXリーグでのプレーを選択。国内リーグのレベルの高さも感じたが、同時に違いもあった。プレースタイルを指摘する人もいた。NCAAルール適用のXリーグではあるが多少の違いもあった。ハードでタフなプレー、感情を露にする姿には逆風も吹いた。 「やっていることは同じアメフトでジャパニーズ・フットボールではない。変わらずにプレーしていても、日本人の視点で見るとワイルドと見られた。僕はヘルメットを投げたりラフプレーなどは絶対しない。でも良いプレーをして喜びを表現するセレブレイトをすることがある。自分の気持ちを自然に出しているだけだけど、良く見られないこともあった」  公式戦でセレブレイトした際にペナルティを取られた。来日当初ということもあって、受け入れるのに苦しんだ。しかし時間が経過すると共に、Xリーグの慣習や流儀にも慣れてきて適応できるようになった。しかしその中でも自分のスタイルを変えるつもりはない。 「最初はなんでこんな感じでやっているのかなと思った。楽しくないと感じたし理解するのが難しかった。でもペナルティを取られたことで、日本ではこれはダメなんだ、と勉強する機会にもなった。ただ僕自身は小さい頃からこのスタイルでやってきたので、プレースタイルは変わらないと思う。でもサイドラインなどでは礼儀正しくやりたい。セレブレイトなどはワイルドに見えるかもしれないけど、あの人アメフト好きなんだな、という感じで捉えて欲しい」  Xリーグでプレーしながら北米でのプレーも頭の片隅にはあった。しかしアサヒ飲料チャレンジャーズ(クラブ)の一員でもあり、目標をクラブと日本代表での活躍へシフトし始めた時だった。来日1年目19年冬、日本代表のトライアウトを受けた際、視察に訪れたCFLスカウトから尋ねられた。なぜCFLのトライアウトを受けないんだ?と。 「CFLスカウトがクラブ側と話し合ってくれた。クラブも快く受け入れてくれて、21年のトライアウトを受けさせてくれた。日本でプレーする選択肢もあったが、可能性があるなら1年でも早く挑戦したいというのはあった。だから25歳で挑戦できるのは、感謝しかない。僕は今ピークになっていると思う。今後ボディケアや食事、リカバリーなどをしっかりやれば、30歳くらいまではピークでやれる」 「まずはCFLで活躍しているのを見て欲しい。北米にはアジア人選手がほとんどいないから。もちろん先のNFLも目指していますけど、まずはCFLでロースターに入る。次にスペシャルチームで活躍、ラインバッカーでローテーションに入り、スターティングメンバーになる。そういう小さいゴールをだんだんと積み重ねていく。それからNFLに挑戦したいというプラン」  男子日本人初の北米プロリーグ選手誕生の可能性が高い。これまで女子アメフト界では北米プロリーグで活躍した選手もいた。しかし男子でこれまで挑戦した選手は多いが、レギュラー獲得に成功した選手はいなかった。丸尾本人も「日本人」というフレーズを多く使う。しかしその思いが逆にプレッシャーになる心配もあるのだが。 「自信満々な選手なので大丈夫。大学の時は日本人選手としてやっているという気持ちはなかった。でも日本でプレーして、日本人選手として活躍したい気持ちが大きくなった。日本のアメフトを大きくしたい。やっている選手たちにもモチベーションを上げて欲しい。海外でプレーする選手が増えて欲しい。そう思ってプレーした方が、自分自身もっとレベルアップできるとも思った。日本人として最初にピックされたので、モチベーションも高くなった。プレッシャーがあった方が頑張れる」  母国・日本のチャレンジャーズでのプレーは束の間だった。だがその間に改めてアメフト、そしてルーツである日本への思いを強めた。 「アメフトは歩けなくなるまでやりたい。35歳くらいまでプレーしたい。いつか再びXリーグでプレーする気持ちもある。チャレンジャーズも年々、別チームのように強くなっている。どうなっているのか楽しみ」  北米でさらにタフになり、Xリーグの舞台へ戻ってくる可能性もありそうだ。その時にはチャレンジャーズを含めた、日本のアメフト界が大きく進化しているはずだ。 「Xリーグでペナルティを取られたセレブイトは、CFLでは大丈夫だと思う」  北米での活躍を予告するように、笑顔で締めてくれた。(文・山岡則夫) ●丸尾玲寿里(まるおれすり) 1996年2月14日生まれ。183cm102kg。テキサス大サンアントニオ校から19年アサヒ飲料チャレンジャーズへ加入、20年日本代表選出。21年CFLグローバルドラフトでウィニペグ・ブルーボマーズから1巡目(全体4位)指名される。 ●山岡則夫 1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍、ホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!公式ページ、facebook(Ballpark Time)に取材日記を不定期更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。
dot. 2021/05/31 18:00
吉田羊「父のことが好きすぎて、母とはちょっと険悪に」 ジェーン・スーは「親ってガチャだから」と持論 対談で家族を語る
吉田羊「父のことが好きすぎて、母とはちょっと険悪に」 ジェーン・スーは「親ってガチャだから」と持論 対談で家族を語る
ドラマ「生きるとか死ぬとか父親とか」から、ジェーン・スーさんにあたる蒲原トキコを演じる吉田羊さん(左)、その父親・蒲原哲也役の國村隼さん (c)「生きるとか死ぬとか父親とか」製作委員会  ジェーン・スーさんのエッセー『生きるとか死ぬとか父親とか』がドラマ化。作品のテーマである、父親との関係性や家族のありようなどを、主人公・蒲原トキコを演じる吉田羊さんと語ってもらった。AERA 2021年5月24日号に載せきれなかったトークも含め、特別にロングバージョンでお届けする。 *  *  * ――ジェーン・スーさんが、父親との関係を中心に描いたエッセー『生きるとか死ぬとか父親とか』が原作のドラマで、主演をつとめる吉田羊さん。じつは、二人の父親同士がそっくりだという。 吉田:そうなんですよ。血のつながり、同じDNAを感じました(笑)。 スー:まず顔が似てますね。たぶん、日本人を100に分けても同じ部類に入るなってくらい。 吉田:ほんと、姿形がね。びっくりしちゃった。でも、雰囲気も似ているなと思います。品が良くてスマートで、それでいてユニークで、ユーモアがあって。スーさんのお父さん、一度現場に来てくださったんですよ。 スー:そうそう。そのとき、父が私の顔をじーっと見ながら、「吉田羊さんは、美人だね」って。お前いますぐ表に出ろ! 最小の単語数で、よくそこまで娘を小バカにできるなって感心しました(笑)。しかも後日、村上開新堂のクッキーをあげたいって言い出した。その場にはスタッフもたくさんいたのに、吉田さんだけに渡したい、って。出たよ、必殺、村上開新堂のクッキーが! よしだ・よう/俳優。ドラマ・映画・舞台など、 幅広く活動。現在放送中のドラマ「生きるとか 死ぬとか父親とか」(テレビ東京系)でジェー ン・スーにあたる蒲原トキコ役をつとめる  じぇーん・すー/コラムニスト、作詞家、ラジ オパーソナリティー。『貴様いつまで女子でい るつもりだ問題』で講談社エッセイ賞受賞。本 誌で「先日、お目に掛かりまして」連載中(撮影/写真部・加藤夏子) 吉田:現場でみんなでいただきました(笑)。ちゃんと、スーさんのお父さまからです!って言って。一見さんは買えない開新堂を、さらっと贈ってくださって。そりゃモテるわと思いました。何よりイケメンだし。 スー:女の人に甘えるのがうまいんですよね。困ったなあ。 ――そんなスーさん自身も、父親に対して「この男に何かしてあげたい」と思ってしまうのだという。 吉田:娘に男としてそう思わせるって、すごいことですよね。 スー:まあ、そういう男なんですよ。父は人たらしなんですね、究極の。吉田さんのお父さんは? そもそもどんな人なんですか? ドラマ「生きるとか死ぬとか父親とか」から、ジェーン・スーさんにあたる蒲原トキコを演じる吉田羊さん、その父親・蒲原哲也役の國村隼さん (c)「生きるとか死ぬとか父親とか」製作委員会 吉田:うちの父はね、基本的に、世のため人のために生きている人。 スー:真逆―! うちの父と。 吉田:ほんと? 家族よりも、困っている人、悲しんでいる人を優先して生きているんです。 スー:なるほど、家族以外にも大切なものがあるっていうところは似てるのか! でもうちの不真面目な父と一緒にするのは気が引ける。 吉田:たしかに私は父の浮気を疑ったことはないけれど、職業柄、相手の心に近いところに立ってしまうから、相手が求めてくることももしかしたらあったのかな?とは思いますよ。 スー:でも、吉田さんはお父さんに裏切られたと感じたことはないってことですよね。片や、私は裏切られたことばかり(笑)。父の私に対する接し方は、親としての責任じゃなくて、動物と同じ、ペット感覚なんですよ。かわいいかわいいって言って、飽きたらぽいって出かけちゃうとかね。だから、私には子どもの頃から父と親子らしい関係がないっていうか。吉田さんは? 吉田:私ね、父親っ子なんですよ、ファザコンで。何かしてあげたいとしか思ったことがない。 スー:わああ、すごーい! 吉田:ちっちゃいときから、母が私に本気で嫉妬するぐらい仲が良くて。 小学生のときね、長期出張から帰ってきた父に、久しぶりに会えて嬉しくてまとわりついてたんです。そうしたら父が着替えに引っ込んだ瞬間に、母が鬼の形相で「あんただけのお父さんじゃないのよ!」って。 ドラマ「生きるとか死ぬとか父親とか」から、ジェーン・スーさんにあたる蒲原トキコを演じる吉田羊さん、その父親・蒲原哲也役の國村隼さん (c)「生きるとか死ぬとか父親とか」製作委員会 スー:ええええ! そんなにお父さんのことが好きな娘さんがいたら家族としては幸せだろうに、お母さんはそれに嫉妬してしまうこともあるんですね。 吉田:父のことが好きすぎて、母とはちょっと険悪になることが多かったなぁ。 スー:なるほど……。 吉田:それは多分、母も自覚してたと思います。死ぬ間際、私は決していいお母さんじゃなかったね、って謝られましたから。スーさんのお母さまは? スー:母が私に嫉妬? まったくなかった。一度も。 吉田:否定強め!(笑) スー:母にとって父は年の近い息子みたいな感じで。どっちかっていうと父と私で母の取り合いをしてました。 ドラマ「生きるとか死ぬとか父親とか」から、ジェーン・スーさんにあたる蒲原トキコを演じる吉田羊さん、その父親・蒲原哲也役の國村隼さん (c)「生きるとか死ぬとか父親とか」製作委員会 ――スーさんには、自身をファザコンだと感じることは一度もなかったのだろうか。 スー:ファザコンの自覚はありませんが、人から見たらそうなのかもしれませんね。母親が底なし沼のように懐の深い女だったので、私にもその気質が多少は遺伝してるんですよ、やっぱり。影響も受けてますし。 ――そんな、両親との関係性が大きく異なる二人が、いま父親に向ける感情が似ていることは、とても興味深い。 スー:吉田さんもうちも、たまたま運がよかったのかな。親を愛したいのに愛せないっていう話はとてもたくさん聞くし。親ってガチャだから、もう。 吉田:ガチャ!(笑) スー:ガチャって、お金を入れてつまみを回すまで、何が出てくるかわかんないじゃないですか。それと同じだなって。子どもと相性の悪い親もいるでしょう。私たちは、紆余曲折あっても、親に何かしてあげたいという気持ちになれたけれど、別にそれが偉いとも思わない。たまたまラッキーだった、っていう感じですかね? ドラマ「生きるとか死ぬとか父親とか」から、ジェーン・スーさんにあたる蒲原トキコを演じる吉田羊さん、その父親・蒲原哲也役の國村隼さん (c)「生きるとか死ぬとか父親とか」製作委員会 吉田:でも私は、母が生きてた頃は、ネガティブな思いのほうが強かったな。母が私に嫉妬して冷たかったから、私が母親を好きになれなかったのか、私が反発していたから、母がそういう態度をとったのか、それはわからないけれども。常に、母に反発する思いと、なぜもっと母に優しくできないんだろうって思いがありました。 スー:わかる。私は多分、父がそうなる予感がある。母が死んだあと、父親とものすごく険悪になった時期があって。「父親」「縁を切る」で何回も検索して、どうやったら籍を抜けられるかまで考えたことがあるくらいだから。でもね、大好きだった母親を私が24歳の時に亡くして、限界まで献身的に看病して、それでも、二十数年経ったいま、まだ後悔があるんです。ということは、父が死んだらたぶん私、後悔の塊になるなと思っていて。だからね、いま父と上手くやっているのは、保身でもあるんです。 吉田:家族って、大切だけど、面倒くさいんですよね。親とつきあうヒントが、この作品にはたくさんあるなと思います。 (構成/編集部・伏見美雪) ※AERA 2021年5月24日号をもとにしたAERAdot.オリジナル記事
AERA 2021/05/21 11:30
眞子さまと小室圭さん世代の「自分ファースト」 上皇陛下の「国民ファースト」は難しい?
矢部万紀子 矢部万紀子
眞子さまと小室圭さん世代の「自分ファースト」 上皇陛下の「国民ファースト」は難しい?
眞子さまと小室圭さんの結婚の行方は国民の関心事となっている。一般人なら本人たちの気持ちが最優先で済むが、なかなかそうはならず先行きが見えない (c)朝日新聞社 2005年に八ケ岳を訪問した際に、集まった園児にしゃがみこんで話す現・上皇夫妻と紀宮さま。紀宮さまはお二人の姿から公務への姿勢を学んだという (c)朝日新聞社  小室圭さんが公表した文書への批判が続いている。その文書と小室さん自身を貫くのは「自分ファースト」。「オンリーワン」偏重の時代を生きてきた眞子さまと小室さん。皇室が貫いてきた姿勢を求めるのは簡単ではない。AERA 2021年5月24日号の記事を紹介する。 *  *  *  秋篠宮家の長女眞子さまとの婚約が内定している小室圭さんの評判が、どうにもよくない。  母・佳代さんの「借金問題」について説明する文書を4月8日に公表、捲土重来になるはずだった。が、「(解決金を渡せば)早期解決と引き換えに借金でなかったものが借金であったことにされてしまう」「将来の私の家族までもが借金を踏み倒そうとした人間の家族として見られ続ける」と大見えを切ったわずか4日後、代理人弁護士が「解決金」の支払いを検討していると明かしたことで、火に油をそそいでしまった。  当事者である元婚約者(以後Aさんとする)も4月27日に代理人を通じ、「一連の出来事に関しては大変困惑いたしました」というコメントを発表した。さもありなんと思いつつ、600字余りの全文を読むと、小室文書との趣の違いに気づく。  まず、「私と小室佳代さんとの間の金銭問題が、いまだに世間を騒がせていることに関して、誠に申し訳なく感じております」と始めている。おいおい、金銭問題を週刊誌上で公表したのはあなたで、何を今さら。とは思うのだが、「以前もコメント致しましたが、私と佳代さんの金銭問題と圭さんの結婚は別問題だと今も考えています」などという文章を読むと、少し気の毒になってくる。思っていた以上の騒動になり、困っているのだろうと思えてくるのだ。 ■世界に一つだけの花  で、小室さんの文書には、こういうところがまるでない。「借金ではなく贈与だ」と延々説明するだけ。文書が遅れて申し訳なかったとか、「贈与」してくれたAさんへの謝辞とか、そういうものがあればここまで不評にはならなかった、と思う。  公表翌日、眞子さまの「いろいろな経緯があったことを理解してくださる方がいらっしゃればありがたい」というコメントも、宮内庁から発表された。2人で相談し、合意した文書だったという説明もあった。眞子さまは昨年11月にも「お気持ち」を文書で公表している。「お互いこそがかけがえのない存在」で、結婚は「心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」と熱く訴えるものだった。  名古屋大学の河西秀哉准教授(歴史学)はアエラ4月26日号で、「小室さんと眞子さまはよく似ていると思う」と語っていた。取材時、具体例としてあげたのが、この「お気持ち」だった。皇族の言葉や文章を研究してきた河西さんには、この文章は「きつい言葉」に映った。「自分」を主張する強さという点で、眞子さまと小室さんは似ている。そういう分析だった。  突然だが、2003年が分かれ目だったと思う。  その年の3月、SMAPのシングル「世界に一つだけの花」が発売され、大ヒットした。「そうさ僕らは、世界に一つだけの花」なのだ、だから「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」。そう歌い上げるこの曲への認識が変わったのは、17年だった。  脚本家・岡田惠和さんのインタビューを読んだ。その年、NHKの朝ドラ「ひよっこ」で何も成し遂げないヒロインを描いた岡田さん。高度成長期という舞台について、こう語っていた。 「ナンバーワンもオンリーワンも特に求められてなかったと思うんですよ。そういう考え方が、いま、生きている子たちの枷(かせ)になっている気がするんです」 ■国民ファーストの徹底 「世界に一つだけの花」のメッセージは、「そのままでいい」だと思っていたが、近ごろの若者は「オンリーワンになれ」と受け止め、苦しんでいるのか。岡田さんの指摘で、そう理解した。  すっかり「自己責任」の社会で、「勝ち組」「負け組」が当たり前。それを新自由主義というらしい。生き残るには「オンリーワン」にならねばならず、「自己主張」が必需品。  そんな時代を生きる29歳の小室さんと同い年の眞子さま。2人の文書に漂う「自分ファースト」の空気は、時代の必然。そんなふうに思う。が、ここでひとつ問題が。眞子さまは皇室のメンバーで、小室さんは眞子さまと結婚すれば、皇室と縁続きになる。そういう2人が「自分ファースト」でよいのだろうか。  それを実践し、挫折したのが英国王室のメーガン妃だとすれば、皇室はさらに厳しいに違いないと個人的には思う。戦後の皇室像を築いてきた上皇陛下と美智子さまが、徹底した「国民ファースト」だったからだ。  18年10月、美智子さまは皇后として最後の誕生日に文書を公表した。天皇退位まで半年に迫った心境を聞かれ、こう述べた。 「振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで、どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの、というその時に伺ったお言葉のままに、陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました」 ■「アピール力」が彼の才  長い長い「自分セカンド」の日々。それを娘の目で描写したのは、長女紀宮さま(現・黒田清子さん)だ。04年のお誕生日に公表した文書で、「公務は常に私事に先んじるという陛下のご姿勢」を語った。そのために家族の楽しみや予定が消え、残念に思うことも多々あったとした上で、こう続けた。 「そのようなことから、人々の苦しみ悲しみに心を添わせる日常というものを知り、無言の内に両陛下のお仕事の重さを実感するようになりましたし、そうした一種の潔さが何となく素敵だとも感じていました」  自分セカンドであることを「何となく素敵」ととらえる感性。紀宮さまには確かに受け継がれたが、眞子さまはどうだろう。昭和生まれの紀宮さまと平成生まれの眞子さま。その差はとても大きく、ましてや父を早く亡くし、苦労する母の下で育った小室さんは、「自分ファースト」という思いを支えに生きてきたのだろう。28枚に及ぶ小室文書を読了し、思ったことだ。 「文藝春秋」6月号は「小室文書が晒した『眞子さまの危うさ』」と題し、座談会を開いている。  信州大学の山口真由特任教授(家族法)はそこで、ニューヨーク州弁護士会主催のコンペで準優勝したという小室さんの論文の話をした。タイトルは「社会的企業のためのクラウドファンディング法改正の可能性への課題と示唆」。「センスがいいです」というのが山口さんの評価だった。  ホットイシューを選び、実務家主催のコンペに出すセンス。トレンディーにまとめる力もある。ただし突き詰めて思索するタイプではないかもしれない。「際立ったアピール力」が彼の才だとしたら、「自分を評価してくれるコミュニティにばっちりハマれば成功する方だと思います」と山口さん。 ■一般と同じ自由な生活  やはり小室さんは、「アピール力」の人。その人が入ろうとするコミュニティーは、「自分セカンド」を素敵と思う感性を求めている。その困難を国民は、日々見ているのだと思う。  もう一人の出席者・毎日新聞編集委員の江森敬治さんは「この問題は、そもそも眞子さまが早く皇室を出たい。皇室を出て一般国民と同じ様な自由な生活がしたい、というところから出発していると思います」と語っていた。皇室典範は「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と定める。眞子さまにとって、それは小室さんなのだ。  紀宮さまは都庁勤務の黒田慶樹さんと結婚するにあたり、「三十六年を振り返って」という長い文書を公表した。最後に書いたのが、美智子さまはなぜつらい体験をしながらも、人への信頼感を失わないのかという話だった。そこで紀宮さまは、ある「皇后様のお言葉」を紹介、「よく心に浮かびます」とした。最後にそれを紹介する。 「人は一人一人自分の人生を生きているので、他人がそれを充分に理解したり、手助けしたりできない部分を芯(しん)に持って生活していると思う。……そうした部分に立ち入るというのではなくて、そうやって皆が生きているのだという、そういう事実をいつも心にとめて人にお会いするようにしています。誰もが弱い自分というものを恥かしく思いながら、それでも絶望しないで生きている。そうした姿をお互いに認め合いながら、懐かしみ合い、励まし合っていくことができれば……」 (コラムニスト・矢部万紀子) ※AERA 2021年5月24日号
皇室
AERA 2021/05/19 08:00
いまだに現役も多い? なでしこジャパンのW杯制覇から10年…選手たちのその後
いまだに現役も多い? なでしこジャパンのW杯制覇から10年…選手たちのその後
2011年の女子サッカーW杯を制したなでしこジャパン (c)朝日新聞社  なでしこジャパンが世界を制した2011年から、もう10年を迎えることになる。フランクフルトの大観衆の前で、優勝カップを掲げた彼女たちは、その後、どうしているのか。  女子W杯・ドイツ大会の決勝戦で、延長後半、起死回生の同点ゴールを流し込んだ澤穂希は、得点王と大会最優秀選手に輝いた。そして、2015年12月27日の皇后杯決勝戦を最後に、スパイクを脱いだが、そのゲームでも唯一のゴールを奪い、有終の美を飾ったのは、語り草だ。  その決勝戦で1ゴール、1アシストの宮間あやは、優勝翌年からキャプテンマークを受け継いだ。世界一には届かなかったが、重圧のかかる中、ロンドン五輪、女子W杯カナダ大会と2回に渡り、世界大会のファイナルに進出。その役目を全うし、現役生活を終えている。  決勝戦でスポットライトを浴びたのが、PK戦でゴールにかんぬきをかけた海堀あゆみ。現役生活の終盤には、フィールドプレーヤーとしても活躍した。昨年度の高校女子サッカー選手権の組み合わせ抽選を、大野忍と担当している。  現在、テレビ等で最も露出が多いメンバーが、タレントへ転身した丸山桂里奈だろう。現役時代はスピードに乗ったドリブル突破で魅せていたが、バラエティー番組などでは軽妙なトークに乗って、サッカーファン以外にも笑顔を届けている。  引退後、指導者への道を進んでいるのは3名。矢野喬子は、帝京平成大学の指揮官として、昨年の全日本大学女子サッカー選手権大会を制覇。現役時代からミッドフィルダー、センターバック、サイドバックをこなし、3バック、4バックの異なるシステムにも、柔軟に対応するセンスを見せていた。チームを初の大学日本一に導いたのも、フロックではない。  ちふれASエルフェン埼玉(以下、EL埼玉)でゴールキーパーコーチを務めているのが、山郷のぞみだ。千葉Lから移籍してきたベテラン・船田麻友、なでしこジャパン招集経験のある浅野菜摘らを指導している。EL埼玉には、山郷とともに、2004年のアテネ五輪予選で北朝鮮を破った荒川恵理子、山本絵美もおり、初代なでしこジャパンの力を結集して上位進出を目指す。  大野忍は、EL埼玉と同一県内の大宮アルディージャVENTUSで指導している。WEリーグの創設にあわせて誕生したチームは、2月に初めての全体練習を行い、ここまで約3カ月。プレシーズンマッチでも、一戦ごとに内容を良化させていっている。トレーニングでも、選手に交じって汗をかいている大野の貢献もありそうだ。  かつての女子サッカー界では、30歳を待たずに引退する選手がほとんど。それでも川澄奈穂美(米女子リーグ・ゴッサムFC)は「厳しい環境が可能性を摘んでいただけで、30代でプレーをするのは普通のこと」と語っていた。これは2015年時点でのコメントだったが、彼女自身をはじめ、2011年の優勝メンバーの三分の二が現役を続けていることを考えると、正確な分析だったと言えるだろう。  世界一を決定するPKを決めた熊谷紗希は、なでしこジャパンのキャプテンを務めている。世界有数のビッグクラブ、オリンピック・リヨン(今季限りでのリヨンからの退団が決定)の一員として、女子チャンピオンズリーグなど、多くのタイトルを手にしている。岩渕真奈は、アストン・ヴィラで、海外再挑戦を始めている。  欧州、オーストラリア、日本では男子チームにも所属した永里優季は、アメリカへ戻って新設チーム、レーシング・ルイビルの一員となった。永里と同時期にドイツでプレーしていた安藤梢は、古巣へ復帰し、昨季の優勝にも大きく貢献。プレシーズンマッチから元気な姿を見せており、三菱重工浦和レッズレディースの頼れる切り札として、今季も機能しそうだ。  ブンデスリーガのピッチに立ち、現在は、韓国の慶州韓国水力原子力FCにいる田中明日菜や、フランス、アメリカでプレーした宇津木瑠美たちにも、それぞれの国で得た知見を、いずれはWEリーグで生かしてほしい。  日テレ・東京ヴェルディベレーザの岩清水梓は、結婚、出産を経て、現役生活を続行。先日行われたWEリーグのプレシーズンマッチで、ピッチへ復帰した。アルビレックス新潟レディースの上尾野辺めぐみ、INAC神戸レオネッサの高瀬愛実も、ひとつのクラブでキャリアを積み、レジェンドとなっている。  いっぽう、WEリーグに向けて立ち上げられた新規チームで、新たな挑戦を始める選手もいる。大宮アルディージャVENTUSには阪口夢穂、鮫島彩が、サンフレッチェ広島レジーナには福元美穂、近賀ゆかりが加入した。戦力としてはもちろんのこと、チームを取り巻く周囲の人々へ、女子サッカーのわかりやすいアイコンとして機能している。  道なきところへ道を切り開き、世界の頂点へたどり着いた2011年の優勝メンバーたち。その開拓者魂は、新時代を迎える女子サッカー界で、これからも輝きを放ってくれるだろう。(文・西森彰)
dot. 2021/05/11 18:00
茨城一家殺傷事件 逮捕の26歳男は「人を殺してみたかった」と殺人未遂、放火、猫殺しの過去
茨城一家殺傷事件 逮捕の26歳男は「人を殺してみたかった」と殺人未遂、放火、猫殺しの過去
2019年に4人が殺傷された事件の茨城県の事件現場(C)朝日新聞社 茨城県警に移送される岡庭由征容疑者(C)朝日新聞社  幸せだった一家を突如、襲った惨劇は発生から1年8カ月を経て大きく動いた。  茨城県境町の民家で2019年に会社員の小林光則さん(当時48)と妻の美和さん(当時50)が殺害され、子ども2人も重軽傷を負った事件で、茨城県警が埼玉県三郷市に住む無職、岡庭由征容疑者(26)を夫婦への殺人の疑いで逮捕した。  捜査関係者によると、岡庭容疑者は現在、茨城県警境警察署に拘留中。 県警はことし2月に岡庭容疑者が偽造した警察手帳を所持していたとして公記号偽造容疑で逮捕していた。  しかしこの逮捕には前段があった。 「去年11月に埼玉県警が危険物を所持しているとの情報提供を受けて岡庭容疑者の自宅を家宅捜索。44キロに及ぶ硫黄が見つかったため、消防法違反罪などで男を逮捕していた」  岡庭容疑者はどんな人物なのか。  警察関係者によると、岡庭容疑者は10年ほど前に埼玉県と千葉県で女子中学生、小学女児に対する殺人未遂事件を起こし逮捕・起訴されていた。  岡庭容疑者は当時16歳。自宅からは数十本の刃物が見つかり、調べに対し「人を殺してみたかった」と供述していたという。  岡庭容疑者はこの事件の他に17件の放火や猫の死骸を遺棄したとして立件されている。  岡庭容疑者を巡っては、請われるままに刃物を買い与えていたとして父親が銃刀法違反で書類送検されている。  今回の事件では催涙スプレーをかけられ軽いけがをした小林さんの次女(当時13)が「帽子とマスク姿の男に襲われた」と供述。  警察は付近の聞き込み、防犯カメラの映像を調べるなどして行方を追ってきた。  記者は事件発生から1か月後の現場を取材したが、当時は有力な手掛かりはなく、2人の捜査員が被害者宅の目の前に拡がる釣り堀の会員名簿を押収し調べるなどしていた。  捜査関係者によると、境署捜査本部では不審者情報を中心に裏付け捜査をすすめていたという。 「岡庭容疑者と一家との接点は見当たらないが、犯行を裏付ける物証が得られた。今後は供述面で裏を取っていく」(警察関係者)  男は凄惨な事件の動機について何を語るのか。(野田太郎)
dot. 2021/05/07 15:04
黙々&おひとり様で楽しむ 究極の「黙ソロ活」はいかが?
黙々&おひとり様で楽しむ 究極の「黙ソロ活」はいかが?
ドラマ「ソロ活女子のススメ」の一場面。水族館でビール片手にゆっくり観覧する主人公(江口のりこ) (テレビ東京提供) ソロ活女子におススメのスポット (週刊朝日2021年5月7―14日号より)  黙活なんて耐えられない──。大半の人の本音ではないだろうか。しかし、この状況を逆手にとった黙活・ソロ活向けのサービスが続々と出てきている。ソロでも楽しめるスポットは確実に増えている。これを機に、究極の「黙ソロ活」を見つけてみてはいかがだろう。 *  *  * 「黙」を逆手に取り、「売り」に変換できている商業施設は増えている。 「声出しNG 黙筋トレ」。こんな標語を貼り出したのは会員制フィットネスクラブ「ゴールドジム」。1月からはジムはもちろん、ロッカールームでも会話は禁止。エアロビクスも会員いわく「黙レッスン」。参加者はマスク着用で黙々と踊る。  それでも人は集まるという。エリアマネージャーの米倉拓也さんは言う。 「昨年の緊急事態宣言中、営業を停止していました。クラスターとか出ると閉めなければならなくなるから、みなさん黙ってやっています。また閉められるのは困るという思いがあるのでしょう」  会話が減り、トレーニングに打ち込みやすい環境になっていることで、「黙」が良い方向に作用しているという。  東京タワーでは、空気が澄み渡る2月に、黙って景色を眺める「黙展」をした、と申告すれば記念品をプレゼントするイベントを行った(現在は終了)。夜はカップルが愛をささやくデートスポットにもなる場所。普段から「黙」に近い場所ではあるが、コロナ禍で黙活という概念が広がってきたせいもあるのだろうか、実際に黙展をした人は「改めて黙って見ると景色にすごく集中できた」と話したという。  広報担当者が話す。 「ある意味、黙食(などのブーム)に乗った、というのはあります。ただ、東京タワーという建造物は、60年以上前からあり、変わらない場所から変わりゆく東京の景色を見ることで、改めて自分自身と向き合えるもの。そこに言葉は要らないのだと思います。『黙』はコロナ禍では確実にキーワード。いい意味で使いたいです」  商業施設に限らず、黙活は教育現場にも採り入れられている。  千葉県の八千代市立阿蘇中学校では、「静の時間」を大事にしている。朝の学級活動前に15分間、読書する。昼の清掃は開始の号令とともに校内から一斉に音が消える。  学校によると、「もっときれいに」「もっと使いやすく」と考えながら黙って清掃を進めることで、きれいな校舎を保てるだけでなく、気づきや思いやりといった心も育めるという。これを「黙動気づき清掃」と呼んでいる。他にも「黙考」や「黙動移動」があり、合わせて「四黙」活動を続けている。  こうした黙活の広がりは、そのままソロ活(一人での活動)の多様化につながっているようだ。 『ソロ活女子のススメ』の著者の朝井麻由美さんは、 「ようやくソロに市民権がやってきた」  と話す。これまでは、店や場所、シチュエーションなどによっては、ソロ活が奇異な目で見られ、行動が制限されることも多かった。  行きたい飲食店が「おひとり様お断り」だったり、一人だとアラカルトメニューしか予約できない制限があったり。特にビアガーデンやレストランにその傾向がある。  それがコロナ禍も相まって、ソロ活をする人が少しずつ増え、ソロ客を受け入れる場所も増えてきたと実感しているという。朝井さんは言う。 「コロナ禍でも、感染対策をしっかりやって、今も時々一人で外食しますが、一人ですから会話もありません。店もソロ客を歓迎しているように感じています。“密”や飛沫の迷惑をかけにくいライフスタイルだと思います」  関西在住の主婦のミカさん(仮名・52歳)は、まさにソロ活が増えた一人だ。  もともとは一人で喫茶店にすら入れなかったのに、コロナ禍で一人の行動が増え、「一人旅からバイキング、最近はUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)まで一人で行ってしまいました。実際に一人でやってみると意外と楽しめることがわかって癖になりそう(笑)」。  黙活で行動が制限されて残念というよりも、ソロで行動する人にとっては人目を気にせず過ごせる日常になったと感じているという。 『ソロエコノミーの襲来』などの著書があり、ソロ社会の消費行動を研究する独身研究家の荒川和久さんは、こうした動きについて「ソロ活ならば自動的に黙活になります」と話し、こう力説する。 「外食産業の人たちはこれまでも多くのソロ客に支えられてきたと気づいているはず。『Go To Eat』ならぬ『Go To SOLO』にすればいいのです」  ソロ活市場の規模に関していえば「ソロキャンプ」人口の激増を指摘する。 「16年時点では人口比6%ぐらいでしたが、20年の調査では13%と2倍以上に増えているんです。ざっくりですが、現役世代(20~50代)の4割がソロ活好きなんです」  SMBC日興証券が投資情報の提供を目的として作成している「週刊株式アウトルック」の今年2月5日号では、「感染防止意識で人気高まる『黙活』と『ソロ活』」を注目テーマとして取り上げ、以下のような分析をしている。 「ひとりで行動する『ソロ活』は新型コロナの発生以前から人気が高まっていた行動スタイル」「黙活(≒ソロ活)は人々に受け入れられる土壌ができていた」「新型コロナ感染防止意識の高まりと継続により、黙活やソロ活はさらに日常生活に浸透していくことになろう」  調査会社の矢野経済研究所の「おひとりさま関連市場の動向調査」(2020年)では、「おひとりさまが市場の担い手となっている産業も数多く存在し、経済に与える影響も徐々に拡大している」「あらゆる業界で一人利用を対象としたサービスの提供も増えている」などと分析。「独身・一人暮らし以外の人に関しても一人で消費、行動する傾向が高まっているため、今後もおひとりさま市場は拡大していく」などと予測している。  黙活が言われ始める以前から増えていたソロ活は、時代に乗ってドラマにもなっている。  金曜深夜放送の「ソロ活女子のススメ」(テレビ東京系)は、江口のりこ扮する主人公の五月女恵が、一人で焼き肉店や水族館、動物園、ラブホテルなどを訪れ、ソロ活を存分に楽しむドラマだ。  撮影現場では感染対策のためスタッフは20人以下とし、ほぼ一発撮り。カットもソロシーンが中心で、ドキュメンタリーのようなノリで撮影しているという。まさに「黙」とソロの現場だ。  ドラマの五月女は、ソロ活中に声を発するシーンはない。第3話では、プラネタリウムに行き、周囲のカップルは気にせず、ふかふかのプレミアムシートでリラックス。その気持ちよさに開始早々に爆睡してしまうが、癒やしと贅を極めた今時の設備に大満足する。  撮影現場となった「プラネタリア TOKYO」を運営する、コニカミノルタプラネタリウムの広報担当者はこう話す。 「コロナ前後あたりからおひとり様でお越しになる方が増えています。一人でシングルシートで鑑賞し、『日常を忘れられた』『頭がリフレッシュできた』とかのお声はよく聞きます」  ほかにも番組で紹介された(予定も含む)ソロ活スポットを上にまとめたので参考にしてほしい。 ■ソロ活で始まる自分との対話  プロデューサーの森田昇さんは、ソロ活は自由な人生につながっていくと考える。 「一人でいると、好きな食べ物でも景色でも、その対象物とちゃんと向き合えるようになる。欲望に忠実になると、自分自身が見えてくる。自分自身を知れば、ちょっぴり自由になる感じがしてくる。最終回に近づくと、昔見ていた世界とほんのちょっと違う世の中になっている。それは自分が経験をして勇気がもらえて自由になったから、というふうに終わろうと思っています」  実際に、ドラマを見た視聴者からは「心が軽くなった」「楽しくなった」という反響が初回から寄せられている。原案の著者の朝井さんも言う。 「互いの生き方を認め合う自由な人生の選択肢をとれるのがいい」  前出の荒川さんも、 「一人で行動するということは自分との対話をするということ。自分の中にもう一人の新しい自分が必ず生まれるので寂しくないのです」  黙活・ソロ活をしたことがなかった人も、やってみたいと思っていた人も、まずは挑戦してみては。(本誌・大崎百紀) ※週刊朝日  2021年5月7-14日合併号より抜粋
週刊朝日 2021/05/06 11:30
母との別離、人質生活…労苦を重ねた「徳川家康」 天下人に上りつめた乱世の勝利者
母との別離、人質生活…労苦を重ねた「徳川家康」 天下人に上りつめた乱世の勝利者
駿府城公園内に立つ徳川家康像(c)朝日新聞社  150年におよぶ戦乱の世に終止符を打ち、慶長8年(1603)、幕府を開いた徳川家康。そして、父・家康がつけた道筋を愚直なまでに継承した二代・秀忠。武断政治を進め幕府の支配をさらに強化した三代・家光。週刊朝日ムック『歴史道 vol. 14』では、「徳川300年の泰平」と謳われた時代の礎はいかにして築かれたのかを特集。ここでは「家康」を解き明かす! *  *  *  家康といえば、江戸時代後期の勘定奉行・町奉行を務めた根岸鎮衛の『耳嚢』、平戸藩主松浦静山の『甲子夜話』などに記されている、「鳴くまで待とう」のホトトギスの句から「忍耐」の人というイメージを抱かれる方も多いのではないか。確かに家康は、幼い頃から苦労を重ねてきたといえるだろう。  天文十一年(1542)十二月二十六日、家康は、岡崎城主松平広忠と、刈谷城主水野忠政の娘於大の間に生まれた。同十三年、母との別れが訪れる。当時の織田家と今川家は敵対関係にあり、松平家、水野家ともに今川方であったが、於大の父が死去し、兄信元が織田方に属したことから、松平家では於大を離縁したのである。その後、家康の父松平広忠は、田原城主戸田康光の娘を迎え、於大は、阿久比城主久松俊勝と再婚した。なお、家康が母と再会するのは、別離から16年後の永禄三年(1560)に、桶狭間の戦いの先鋒として出陣し、久松の館に立ち寄った際のこととなる。  天文十六年、織田信秀(信長の父)の軍勢が岡崎城に迫る事態となり、今川家に頼った松平広忠は、6歳の家康を人質に差し出すことを求められた。しかし家康は、継母の父戸田康光の裏切りにより織田家へ送られてしまう。この時から、長きにわたる人質生活が始まった。  その後家康は、今川義元が捕らえた安城う(安祥)城主織田信広(信長の庶兄)との人質交換で岡崎に戻るが、父広忠はすでに死去しており、義元の居城がある駿府に住むことになる。弘治元年(1555)に14歳で元服し、義元から「元」を拝領し、元信と名乗り、その2年後に今川氏一門関口義広の娘(築山殿)と結婚した。義元の期待がうかがえる。  同四年には、祖父清康の一字を取り「元康」と改め、岡崎の家臣とともに戦場に出るようになった。  おなじみの「家康」と名乗るようになるのは、嫡男信康と織田信長の娘徳姫との婚約が成立し、信長と同盟を結んだ永禄六年(1563)頃である。しかし信康は、家康の命令に従わず、信長をも軽んじ、家臣にも非道な扱いをしていたため、天正七年(1579)、家康は、信長に信康の処分の許可を求めたという。その結果信康は切腹し、母の築山殿も家臣により殺害されたのである。なお徳姫が、信長に信康への不満を書き送り、それを受けた信長が、家康に信康の切腹を命じたというエピソードは、『三河物語』などに記されているフィクションである。  3歳での母との別離、長きにわたる人質生活、嫡男と正室の死。それは、今川家と織田家との関係に翻弄される中、松平家(のちの徳川家)の生き残りのため、奮闘した結果であっただろう。これらの経験が、家康の人格形成や、その後の生き方に大きく影響したに違いない。 ■「人を動かし、生かす!」文官重用への巧みな転換  家康の重臣をめぐる次のようなエピソードがある(『寛政重修諸家譜』)。  信長の死後家康は、天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いで、秀吉と覇権争いをした後、同十四年に、和議のしるしとして秀吉の妹朝日姫を継室に迎えることとなった。無事婚儀が調ったことを秀吉に報告するため、家康は奉行の天野康景を上洛させた。すると秀吉は「この使者には、酒井忠次・榊原康政・本多忠勝のような者が来ると思っていたのに、名前も聞いたことがない」とつぶやいたという。それを聞いた織田信雄(信長の次男)は、家臣を通して家康に「老臣」のだれかを上洛させるよう知らせた。家康が、あらためて本多忠勝を遣わしたところ、秀吉は大変喜んで彼をもてなしたとのこと。  秀吉が名前を挙げた3名に井伊直政を加えた家臣たちが「徳川四天王」といわれ、いずれも、家康の信頼厚く、ともに数々の戦場で活躍した猛者たちであることは説明するまでもないだろう。そのような、戦時下で最も活躍した彼らの家は、江戸幕府が開かれてから、どのような位置づけとなったのだろうか。  江戸幕府の家臣団のトップと言えば、政務を統括する役職の「年寄(老中)」である。なお、家康の時代は「年寄」と言われ、寛永十五年(1638)以降「老中」と呼ばれるようになる。   しかし江戸時代を通して、譜代大名の中で最高の家柄である直政の彦根藩井伊家(二十五万石)が、老中より上の大老を輩出したことは別として、榊原康政の家(十五万石)は、一度も老中を出すことはなく、本多忠勝の家(十五万石)が二人、酒井忠次の家(十四万石)が一人しか出していない。  これら「老臣」「宿老」と言われた家は、譜代大名としては破格の石高を有し、その役割は、重要な城を任され、有事の時に軍団を率いて徳川家を守ることだったのである。よって、将軍の側にあって、政治の補佐役ともいうべき「年寄」では役不足であり、彼らよりも石高が下の譜代大名が務める役と考えられていたのだ。そのため、戦場の猛者たちが、江戸幕府の政治向きの職務につかなかったのは当然のことであった。  幕府が開かれた時、まず年寄を務めたのは、本多正信・大久保忠隣である。「百姓は生かさぬように、殺さぬように」との一節がよく知られる『本佐録』は、その書名が「本多佐渡守」の意味であることから、本多正信の書という説がある。その真偽のほどは確定していないが、このようなエピソードがあるほど、正信が農政に力を注いだことがわかる。  一方の大久保忠隣は、時代劇などで天下の御意見番として有名な大久保忠教(彦左衛門)の甥にあたり、11歳の頃から家康の小姓として側そばに仕えていた人物である。  家康の政治は、武将たちばかりでなく、豪商、僧侶、学者など、多士済々の人々に支えられていた。  その代表的な人物に、家康が三河国にいたころから仕えていた豪商・茶屋四郎次郎家初代清延がいる。諜報活動や、軍事物資の調達に従事し、小牧・長久手の戦いの際には、秀吉との和解に貢献した。    天正十八年(1590)の秀吉の小田原攻めで北条氏が滅び、家康が江戸を本拠地とすると、江戸の町割りに関わった。また、幕府の呉服師として京都の町支配にもあたっている。二代清忠、三代清次も家康の政治に貢献した。  また、外国人の存在も忘れてはならない。慶長五年(1600)に、暴風雨のため豊後に漂着したオランダ東インド会社のリーフデ号に乗船していた中に、ウィリアム・アダムスがいた。彼は日本に来た初めてのイギリス人であり、ヤン・ヨーステン(オランダ人)とともに、家康の外交顧問として仕えることになった。  ウィリアム・アダムスは、日本名では三浦按針と名乗る。日本橋の近くに邸宅、相模国三浦郡に二五〇石を与えられ、イギリス船の建造や、イギリス平戸商館の開設に携わり、朱印船貿易も行っている。 ◎監修・文 福留真紀/1973年東京都生まれ。東京女子大学文理学部卒業。お茶の水女子大学大学院博士後期課程修了。博士(人文科学)。長崎大学准教授などを経て、東京工業大学准教授。著書に『名門譜代大名・酒井忠挙の奮闘』(文藝春秋)、『名門水野家の復活』(新潮社)など ※週刊朝日ムック『歴史道 vol. 14』から抜粋
歴史道
dot. 2021/05/05 07:00
声を上げる=「意識高い系」は古い! 個人で国際協力も…社会派インフルエンサー活躍の背景
川口穣 川口穣
声を上げる=「意識高い系」は古い! 個人で国際協力も…社会派インフルエンサー活躍の背景
L tokyoディレクター ぷるこさん(22)/名前の由来は本名の楓(メープル)から。18歳で立ち上げたアパレルブランド「L tokyo」のブランドサステナブル化第1弾として、4月30日に付け襟を発売する(本人提供) フリーランス国際協力師 原貫太さん(27)/早稲田大学在学中に国際協力NGOを設立。卒業後に適応障害を発症したことで団体を離れ、個人で国際協力に携わりながらYouTube、オンラインサロンなどで生計を立てる(撮影/写真部・戸嶋日菜乃)  国際協力やサステナブルといった社会問題を発信する、Z世代のインフルエンサーたち。社会問題への興味と発信は、彼らの特徴でもある。AERA 2021年5月3日-5月10日合併号は、フリーランス国際協力師の原貫太さん、ぷるこさんを紹介する。 *  *  *  路上の薄いシートに横たわる少年の手足は異常なほど細い。目に生気はなく、口は半開き。傍らには通行人に小銭を投げ入れてもらうためのボウル。  ひと目で心をえぐられる写真から始まる一本の動画が、YouTube上で注目を集めている。途上国で、物乞いのために子どもが貸し借りされる「レンタルチャイルド」について取り上げたもの。投稿されたのは去年だが、今年2月から急速に再生数が増えはじめた。現在までに約61万回再生され、600件近いコメントも寄せられている。  動画を作成したのは、「フリーランス国際協力師」原貫太さん(27)。草の根でアフリカ支援に従事しつつ、途上国や国際協力について発信する。これ以外にも、性暴力や迷惑寄付について取り上げた動画が「バズって」きた。YouTubeのチャンネル登録者は5万人に上る。  発信を始めたのは、学生時代に訪れたウガンダで元子ども兵の話を聞いたことがきっかけだ。その経験をネットメディアに寄稿すると10万人以上に読まれ、SNSでは1千件超の「いいね」がついた。以来、ブログやツイッターを経て、今はYouTubeを主戦場に発信を続ける。 「目指しているのは『関心を持ち続けてもらう』こと。何かのきっかけで記事を読んだり動画を見たりすれば、その瞬間は関心を持つと思う。でも、考え続けるのは難しい。発信を通してそこを超えていきたいんです」 ■意識高い系ではない 「重たいテーマ」から目を背けず、独特の語り口でわかりやすく解説する。アフリカ人との軽妙なやり取りを見せることもある。「原貫太が語る動画」として緻密にブランディングされている印象だ。動画ごとに多少の違いはあるが、視聴者の半数超が34歳以下で、なかでも24歳以下が35%ほどを占めるという。  よりコアなファンや深く学びたい人向けに開設したオンラインサロンも、学生や20代が多い。サロンメンバーの山崎達夫さん(28)は、個人の立場で国際協力活動を続ける原さんの働き方と発信方法に興味を持った。 「大学時代には国際協力に関わってきたけれど、卒業後離れてしまった。また何かしたいと思っていたときに原さんを知り、発信方法やアクションに結びつける姿勢に惹かれてサロンにも参加しています」(山崎さん)  今では、ライターとして国際協力関係の記事をネットメディアに執筆するようになった。ほかにアフリカでの起業を目指す高校生もいる。発信が、具体的アクションに結びついている。  インフルエンサーたちが牽引するのは、流行や消費に留まらない。社会課題について発信するインフルエンサーは数多く、その声を受け取るのも若い世代だ。社会への無関心が若者の代名詞だった時代は去り、社会課題への興味は、Z世代を特徴づける大きな要素になっている。社会派インフルエンサーのプラットフォーム「RICE INFLUENCERS」を運営するTomoshi Bitoの廣瀬智之代表はこう実感する。 「一昔前は社会問題に声をあげる人を『意識高い系』と揶揄する風潮がありました。しかし、最近の高校生や大学生と接していると、社会問題について意見を言う人が増えたし、それを恥ずかしがる様子も、周りが笑うような雰囲気もない。意識は確実に変わってきています」 ■高いエンゲージメント  インフルエンサーの発信とSNS上の拡散で盛り上がった社会運動もある。週刊誌記事「ヤレる女子大学生ランキング」への抗議や、環境と未来を守るためのアクション「ATO4NEN(あと4年)」。心肺蘇生の普及を目指すTikTok上のキャンペーン「#BPM100」は、2カ月で関連動画が約3千万回再生され、151万件のいいねがついた。社会問題についてスマートに発信し、それが自然に受け入れられる。かつての活動家のような野暮ったさはない。発言することはかっこいい。彼らには、そんな印象を強くする。  ぷるこさん(22)はインスタグラムを中心にガーリーなファッションやライフスタイルを発信するインフルエンサーだ。インスタのフォロワー3万2千人の多くが彼女と同世代か、女子中高校生。コーディネートを紹介すると、多いときで3千超のいいねがつく。フォロワー数に対してどれだけの反応があるかを表す「エンゲージメント率」は10%を超えることもある。高いエンゲージメント率は、ファンの心を強くとらえている証左だ。  そんなぷるこさんが大事にするのが、サステナブル(持続可能)でエシカル(倫理的)な商品やライフスタイルについての発信。フェアトレードのアイスクリーム、オーガニック素材を使った服や動物実験を行わない「クルエルティフリー」のコスメ、お気に入りのエコバッグやマイボトル……。19年6月以来、定期的に投稿を続けている。そこには、自身のコーディネートを紹介した投稿と同じようにファンの反応がある。 ■私はこうと気楽に言う  ぷるこさんがサステナブルについて考え始めたのは3年前。その年の4月、18歳最後の日に自身のアパレルブランドを立ち上げた。精力的に活動したが、シーズンごとに売れ残りが出る。アパレル業界の宿命で、セールでも売れなければ廃棄するのが一般的。しかし彼女は違った。 「各工程に全力で取り組んで作った大切な商品。新品を捨てるしかないことに納得できませんでした。そんなときにサステナブルファッションと出合いました」  なにも知らないふりをして服を作り続けるのは違うと思い、いったんブランドを休止。サステナブルについて学ぶうちに自身の生活も見直すようになった。 「いろいろな選択肢があるし、個人の思いを人に押し付けることもしたくない。それでも、私はこうですって気楽に言えたらいいなと思うし、知ってほしいと思ったから発信を始めました」  ファンから返ってきたのは「初めて知った」という声から「私はこう思う」という意見まで、多くが前向きな反応だった。 「少し不安もあったんです。『エコとかハードル高いよね』と思われたらどうしようとか、『ひとりでやっても変わらない』という反応が多かったら……とか。でも、『私もやってみた』『できることから始めます』と前向きな発言をしてくれる人が多くて勇気づけられるし、メッセージや行動が少しずつ広がっている実感がある。いいアクションをつないでいけるよう頑張ります」  一時休止していたブランドも、サステナブルにリブランディングしてこの春再開する。「好き」を追求しながら、社会課題への発信も躊躇しない。  前出の廣瀬さんは、インフルエンサーは考えるきっかけや消費選択のきっかけをつくる「橋渡し役」になっていると話す。 「Z世代の価値観は『沈黙が美徳』とは対極です。社会問題に対して発信するのが当たり前になるでしょうし、影響力を持つ人も増える。SNSを活用したムーブメントは今後さらに大きくなる可能性を秘めています」 (編集部・川口穣) ※AERA 2021年5月3日-5月10日合併号より抜粋
AERA 2021/05/02 08:00
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宝泉薫 宝泉薫
【デビュー40年目】中森明菜がひょうきんキャラから「不機嫌な歌姫」に変わるまで
中森明菜(C)朝日新聞社  中森明菜(55)は1982年5月1日「スローモーション」でデビューした。歌手生活も40年目に突入、というわけだ。  デビュー前、彼女はオーディション番組「スター誕生」(日本テレビ系)に三度挑戦している。最初は中2のときに岩崎宏美の「夏に抱かれて」を、二度目は翌年に松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌った。そして、高1の夏、山口百恵の「夢先案内人」を歌い、番組史上最高得点で合格。11月の決戦大会でもこの曲を歌って、翌年の歌手デビューが決まる。  デビュー曲の「スローモーション」は名曲との評価を得たものの、オリコンチャートでは最高30位にとどまった。しかし、3カ月後に発売されたセカンドシングル「少女A」は最高5位のヒットを記録。一躍、トップアイドルになった。  ブレークの決め手は、歌唱力やルックスに加え、この曲の不良っぽくて不機嫌そうなイメージがピタリとハマったことだろう。おかげで彼女は「ぶりっこ」キャラで君臨していた松田聖子の対抗馬として持ち上げられた。「ツッパリ」キャラという正反対なタイプの歌姫の出現が面白がられたのである。  しかし、ブレーク前の彼女に「少女A」のイメージはなかった。デビュー1カ月前に行われたインタビューでも、芸能界の印象についてこう語っている。 「みんな優しい方ばかりです。やっぱりこう、忙しくて辛いことがいっぱいあるんじゃないかナと思ってたんですけど、楽しいことが多いんで。でもこれからなんですけど、今は楽しいことばかりです」(「よい子の歌謡曲」9号)  実際「昨日、目をあけてイビキかいて寝てたって(略)よっぽど疲れてたんでしょーね」と明かしたうえで、その姿を再現して「すごい笑われちゃったんです」と自ら笑い話にしてみたり、デビュー曲がロサンゼルスで録音したという触れ込みなのは「ただ言ってるだけなんです、カッコつけてね(笑)」と一種のハク付けだったことをぶっちゃけたりしている。本人いわく「一応レコーディングをやってきた」ものの「帰ってきたときには試聴盤がもうできてた(笑)」らしい。  ハードなスケジュールや業界的な裏事情も含め、入ったばかりの芸能界を楽しんでいることが伝わってくる。また、家族との仲良しぶりも語っていたし、松任谷由実の「女の子の気持ちをわかってくれるよーな」詞に共感するという憧れも口にしていた。  ちなみに「スタ誕」で歌った3曲も、明るくポップなナンバー。彼女が「全部好き」だと言う百恵の曲にはロック調のツッパリ路線と、ソフトな叙情路線があるが「夢先案内人」は後者に属する。歌いだしが「いつでも夢を」(橋幸夫・吉永小百合)に似たミディアムテンポの人気曲だ。  こうした選曲やユーミンへの憧れからは、明るくポップでおしゃれな音楽への嗜好がうかがえる。とはいえ、洋楽には疎かったようで、インタビュアーが「スローモーション」について、ある洋楽曲と似ていることを指摘すると、 「いい曲なんですね、ソレ。とか自分で言っちゃったりして(笑)」  と、冗談で返していた。  とまあ、16歳の少女らしい飾らない素顔というか、まだまだあどけなく、それでいてスターを目指し頑張ろうという大人びた覚悟も秘めた等身大の彼女自身が、けっこう冗舌に語られていたのである。  ところが、ブレーク後のインタビュー(「ブーム」82年12月号)では、様子が一変。こちらのインタビュアーいわく「ほとんど一問一答」なやりとりに終始している。 「芸能界に入る前と後で何かギャップは感じましたか」という問いには「いいえ別に」。「兄弟とは遊ばないの?」という問いには「皆バラバラに好きなことしてましたから」。そのあげく、インタビュアーの「割とまわりに無関心ですね」というあきらめ気味の投げかけにも「無関心です」とそっけなく答え、インタビューは締めくくられる。  唯一、少女らしい本物の笑顔を見せたのは、インタビュー後のこと。その場にあったテレビでアニメの「魔法使いサリー」が流れたのを見て「サリーちゃんだ!」と声をあげたときだけだったという。  この記事からは、まるでメディア、あるいは大人に対して、心を閉ざしかけているような印象も受ける。  その背景には、ブレークでますます多忙になったことに加え「少女A」のおかげで不良っぽいイメージが生まれ、あることないこと騒がれるようになったことが関係していたのだろう。  最近も「うっせぇわ」をヒットさせた女子高生歌手・Adoの正体や素顔をめぐってさまざまな詮索が行われたが、このときの明菜をめぐる過熱ぶりはそれ以上だった。なにせ、聖子の対抗馬、かつ、待望久しい百恵の後継者と目される逸材が出現したのだ。  ではいかにして、彼女はこの曲と出会ったのか。そこには、ある新進作詞家の登場が関係していた。前年、コピーライターから作詞家に転向して、この曲で認められ、80年代を代表する作り手のひとりとなっていく売野雅勇(うりの・まさお)だ。  彼は2年後、こんな発言をしている。 「特に不良性の高い子という風評も、あの時点では全くなかったものだ。(略)『少女A』の詞は、中森明菜本人がモデルだったのではないかという、いつも受ける質問に対して。絶対にそうではない。事実、ぼくは彼女の私生活なんか全く知らない。推測するに、彼女はきっと、とてもナイーブな女性だ。ぼくが『少女A』という詞を書いてしまったことを、恨んでいるかもしれない」(「プールサイドに3Bとステドラーをくれ 売野雅勇の世界」田中良明)  実際、明菜は当初、この曲を歌うことすら嫌がったという。所属レコード会社(ワーナー・パイオニア)でプロモートを担当していた富岡信夫によれば、 「明菜自身が『少女A』の“A”を自分のことだと勘違いしていたんです。それで詞の内容を含め、最初から『イヤだ!』『絶対に歌いたくない!』と言い張っていたんです。確かに10代の明菜にとっては強烈的な詞でしたから、余計にそう思ったのかもしれませんね」(zakzak:夕刊フジ)  スタジオでは、周囲が時間をかけてなだめ、どうにか録音にこぎつけた。セカンドシングルにするという決定についても、レコード会社の宣伝を統括する実力者の判断だと聞いて納得。ただ、富岡いわく「ジャケットの…あの、どこかにらみつけているような表情も気に入っていなかったようでした」ということで、不良イメージでの売られ方自体、不本意だったのだろう。  なお、この記事を書いた芸能ジャーナリストの渡邉裕二は当時、この曲の発売記念イベントを観覧。「司会者の質問に無愛想に返答するなど、どこか不機嫌そうだった」という印象を語り、富岡は「おそらく楽曲について、あまり聞かれたくなかったのかもしれませんね」と答えている。  また、売野は「少女A」を機に明菜にとって重要な作詞家となるが、本人に会ったのは一度だけだという。 「明菜さんが何か言ったら、僕に失礼になるとディレクターが気を遣ってくれていたようで。(略)挨拶を交わしましたが、ふて腐れている様子で、目も合わせてくれませんでした(笑)」(週刊ポスト)  ではなぜ、売野は16歳の少女が嫌がるような詞を書いたのか。それは、新進作詞家らしい野心からだった。朝日新聞デジタルの取材によれば、アイドルの詞に初挑戦するにあたり「歌謡曲の世界には媚びた言葉があふれ、似たような語彙が、そのシステムの中で繰り返されている。(略)その枠内ではなく、外で曲を作りたい」と考えたとのこと。そこで「反社会」というコンセプトを思いつき、事件報道用語である「少女A」というタイトルが導きだされた。しかも、最初は「少女A(16)」というもっとそれっぽいものだったという。  とはいえ、いい詞がなかなか浮かばないため、以前、沢田研二に書いてボツになった詞を再利用することに。年配の男が少女をナンパする「ロリータ」という詞だ。それを少女の側から描いてみようと思い立ったのである。  こうしてできあがった詞に、芹澤廣明の曲があてられた。こちらはこちらで、すでにあるストックのなかから、合うものを選ぼうという異例のやり方。その結果、百恵の「赤い絆(レッド・センセーション)」の歌謡ロック色を強めたようなあのメロディーに決まったわけだ。  ちなみに、芹澤もまた「少女A」で高く評価され、80年代を担う作曲家となっていく。翌年には、チェッカーズのデビュー曲「ギザギザハートの子守唄」を康珍化(かん ちんふぁ)とのコンビで手がけた。前出の「うっせぇわ」絡みで「似ている」とか「パロディー?」などと再注目された作品だ。  そういう意味で、この3曲は同じカテゴリーのものなのかもしれない。いつの時代にも必要とされる、大衆の鬱積した気分を代弁して発散させるようなナンバー。ただ「少女A」で気になるのは、本人が当初嫌がっていたのに、あそこまでハマったという事実だ。  歌手と作品の関係性を考えた場合、本人のなかにまったくなかったものが反映され、ヒットに結びつくことはまずない。聖子のぶりっこソングはそのちやほやされたいという並外れた願望によってパワーを得たし、百恵のツッパリソングは父親から虐げられた実体験によって説得力を増した。明菜についても、不良っぽさなどとは別の鬱積した何かがあり、それが「少女A」によって解き放たれたと見ることも可能だ。  そのパフォーマンスはファンだけでなく、プロをも瞠目させた。たとえば、佐野元春はサビでのステップについて「プログレッシブなものを感じる」などと発言。明菜は歌のみならず、あらゆる部分で独特の魅力をアピールしたのである。  ただ「少女A」でのブレークはちょっぴり不幸なことでもあった。そのハマり具合が魅力的すぎたために、多くの人が彼女のイメージを同化させ、本人もまた、メディア対応などを通してやや同化してしまったふしもあるからだ。 「少女A」は不機嫌な歌姫としての原点であり、そうあり続けることを宿命づけた曲といえる。明菜のカリスマ化も試練も、そこから始まった。 ※「後編」の「中森明菜『飾りじゃないのよ涙は』の秋元康もうらやんだ傑作性」に続く ●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など
うっせぇわ中森明菜売野雅勇少女A松田聖子
dot. 2021/05/01 11:30
「小室さん問題」は女性皇族の悩みの表れ 女性皇族の位置づけと敷かれたレールの問題点
矢部万紀子 矢部万紀子
「小室さん問題」は女性皇族の悩みの表れ 女性皇族の位置づけと敷かれたレールの問題点
内親王である愛子さま、秋篠宮家の眞子さま、佳子さまは、現行制度では婚姻に伴い皇籍を離れることになる (c)朝日新聞社  安定的な皇位継承を議論する政府の有識者会議が、3月23日からスタートした。女性天皇や女性宮家について話し合われ、政府は年内をめどに論点を整理する方針だ。AERA 2021年5月3日-5月10日合併号から。 *  *  *  安定的な皇位継承策に関する有識者会議の主な論点 ・天皇、皇族の役割や活動 ・皇族数の減少についての意見 ・男系男子のみが皇位を継ぎ、女性皇族は婚姻に伴い皇族を離れる現行制度の意義 ・女性皇族に皇位継承資格を認めること、女系に拡大することについての考え ・女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する、あるいは皇室の活動を支援することへの意見 ・皇統に属する男系男子を皇族と養子縁組することを可能にすること、あるいは現在の皇族と別に新たに皇族にすることについての意見  秋篠宮家の長女眞子さまとの婚約が内定している小室圭さんを抜きに皇室のことは考えにくい。はっきり書くなら、小室さんのことを考える時しか皇室のことを思わない。そんな昨今だ。  が、こう考えるとどうだろう。 「女性皇族たちは、濃淡はありながらも自分たちという存在について悩んでいる。それをまざまざと見せられているのが小室さんという存在で、彼女たちの悩みを受け取め、どう解消していったらよいか、国民の側も考える必要があると思います」  名古屋大学准教授の河西秀哉さん(歴史学)に「安定的な皇位継承のあり方を議論する有識者会議」について尋ねた時の発言だ。詳しく説明する前に、まずはこの会議について。  3月下旬にスタートし、正式名称は「『天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議』に関する有識者会議」。2019年施行の「皇室典範特例法」の附帯決議が「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について」速やかに検討し、結果を国会に報告せよ、と政府に求めた。その宿題を果たすための会議で、座長は前慶応義塾塾長の清家篤さん。千葉商科大学教授の宮崎緑さんや、女優で作家の中江有里さんら男女3人ずつ計6人のメンバーからなる。 ■皇族は曖昧な存在  会議に示された検討課題は10項目あるが、上の表に示した通り「女性、女系天皇」「女性宮家」など女性皇族の位置付けが主たるテーマになる。そこで気になるのが「女性皇族」の扱いで、「女性活躍社会」のようにならないか、と危惧している。  女性活躍と言いながら女性は人手不足対策の駒で、実は女性不在。それと同じように、皇室の人手不足対策としての「女性皇族活躍社会」になるのではと思うのは、一つには昨年11月に急浮上した「皇女制度」がある。結婚した女性皇族に「皇女」という呼称を与え、公務員のような立場で公務を続けてもらうというが、「結婚退職→パート労働の義務化」ではないかと思う。  こんなものを検討してしまう政府だから、有識者会議にはぜひ女性皇族のことをきちんと考えてほしい。本当の意味での「女性皇族活躍社会」の道を見つけるべく話を聞いたのが、最初に紹介した河西さん。「女性皇族に限らず、皇族はそもそも曖昧(あいまい)な存在です。何をするのかは皇室典範にも書かれていません」という話から入った。  確かに皇室典範第2章「皇族」が定めているのは、誰を皇族とし、どう呼ぶか、どういう時に身分を離れるかだけ。「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」は12条の規定だ。 「女性皇族は、20歳で成人し、二十数歳で結婚する。それまで、つなぎで公務をしてくれればいい。そんな存在でした。でも今の時代、それでは当事者は人生への期待感を持てないですよね」と河西さん。例えば眞子さまは二つの「総裁」職に就いているが、佳子さまは就いていない。「女性皇族に敷かれたレールに反発があるから、就かないのだと思います」 ■小室問題は悩みの表れ  淡々と公務をこなしているように見える眞子さまだが、自分という存在に悩まなかったはずがない。そこに現れたのが小室さんだとすれば、「小室さん問題」は女性皇族の悩みの表れ。「彼女たちの悩みを受け取め、どう解消していったらよいか」国民も考える必要がある。冒頭近くの言葉は、この文脈で語られたものだ。  前提として河西さんが指摘したのは、拡大した象徴天皇の仕事をどうするのか、それを先に話すべきだということ。平成の時代、天皇は皇后とともに仕事を広げ、それが国民の敬愛につながった。だが、人手が減るこれからも続けていくのか。それを話さず、女性皇族の活用を議論するのは本末転倒だ、と。 「眞子さんと佳子さんは20代、愛子さんも今年20歳になります。だからとにかく彼女たちの位置付けをということで、『宮家』の検討に収斂する可能性はあると思います。ですが、退位を強くにじませた16年の『おことば』で、当時の天皇は象徴の役割、仕事について考えを述べた。それに対し、国民の側はどう応えるのか。そこから議論するのが本来だと思います」  次に憲法の話になった。天皇制維持のために「皇位は、世襲のもの」と定めた第1章と、「基本的人権」視点で貫かれた第2章以降。そのずれが「皇室という苦しみ」の根本にある。だから、「制度そのものがなくなれば、矛盾は解消します。でも日本を統合していたものの一つをなくしていいのかというと、なかなか答えが出ない」と河西さん。でも、と言ってこう続けた。 「世襲の人たち、つまり人権が制限されている人たちがいることで『統合』というものがある。国民がそう意識すると、小室さんという存在も違って見えるのではないでしょうか」 (コラムニスト・矢部万紀子) ※AERA 2021年5月3日-5月10日合併号より抜粋
皇室眞子さま
AERA 2021/04/29 08:00
旭川女子中学生凍死事件はなぜ起きたのか 「心のホームレス状態」を見逃さないで
石井志昂 石井志昂
旭川女子中学生凍死事件はなぜ起きたのか 「心のホームレス状態」を見逃さないで
記者会見した旭川市長と教育長(c)朝日新聞社 女子中学生が亡くなったとみられる公園  北海道旭川市の公園で中学2年の女子生徒(当時14歳)が凍死しているのが見つかり、市と市教委は、いじめの有無などを調査することを決めたと報じられました。なぜこんな事件が起きてしまったのか、周囲にはどんな対応が求められるべきだったのか。まだ明らかになっていない事実もありますが、現段階での報道をベースに、不登校新聞編集長の石井志昂さんが私見をまとめました。   ■3か月でエスカレートしたいじめ  報道によれば、女子生徒へのいじめが始まったのは2019年4月。中学校に入学後すぐでした。女子生徒は、男子生徒から脅迫されて自身の裸の画像を撮らされる。画像を同級生らのLINEグループに拡散される。同級生から詰め寄られて川に飛び込むなど、壮絶ないじめを受けていました。  そのほか事件については文春オンライン「旭川14歳少女イジメ凍死事件」にくわしく書かれています。文春オンラインの報道によれば、2019年6月、川に飛び込んだ事件を機に警察が介入。しかし、バックアップデータなどを使用され、写真の拡散が続くなど、その後も、女子生徒はいじめに苦しみました。そしてこれらのいじめにより、PTSDを患っていた女子生徒は2021年2月13日に家族の外出中に自宅から失踪。1カ月後の3月23日に遺体で見つかりました。事件性はないとみられています。 ■なぜ凍死だったのか  なぜ女子生徒が凍死に至ったのか。私見を言えば、これは形を変えた自殺だと思っています。壮絶ないじめに傷つけられ、心のよりどころがなくなって家出をしたのだろう、と。心のよりどころがなくなることを「心のホームレス状態」とも言い、家出や自殺未遂などがくりかえされる危険な状態に追い詰められます。  女子生徒と同じ北海道出身の作家・雨宮処凛さんも、心のホームレスでした。雨宮さんは小学校からいじめが続き、中学校の部活では、しごきの名を借りたいじめを受けたそうです。いじめに苦しんできた当時の気持ちを、雨宮さんはこう語っていました。 「いじめを機に『どこへ行っても私は否定される』『いつ人に裏切られるかわからない』という不安や人間不信が植え付けられたと思いますね。だから、生きづらくなって、リストカットや家出をくり返して、親との関係も悪化して、さらに人間不信になってしまった」(2007年『不登校新聞』)  雨宮さんは、冬の北海道で何度も家出をしていますが「死んでもいいと思っていた」と語っています。 ■くりかえした謝罪の意味  家庭内でも異変は明らかだったようです。文春オンラインによれば、4月にはいじめについて母親に相談。母親は学校へ相談していますが、この時を含めて保護者は計4回、学校へ相談しています。また、5月には母親に「死にたい」と漏らし、同級生からの呼び出しには、ひどく怯えるようすもありました。そして6月には「ごめなさい」「殺してください」という独り言が自室から聞こえるようになり、「外が怖い」と外出もできなくなっていったそうです。  女子生徒は、わずか3か月で決定的に追い詰められました。  私が印象的だったのは「ごめんなさい」という謝罪のようなひとり言です。いじめなどを受け、どこにも解決先が見つけられないとき、人は強烈な自己否定感に苛まれます。そして、自己否定感から逃れた一心で謝罪を始めます。この謝罪はSOSの一つなのです。  いじめによって不登校をしていた15歳の女性から、小学校6年生のときに、部屋でひとり、謝罪したときの心境を聞いたことがあります。  「小学6年の秋まで、いじめられながらもなんとか学校に行っていたのですが、ある日から、いじめが激しく、先生からも怒鳴られて、本当に嫌なことばかりが重なり、自分のなかの何かがぷつんと切れてしまい『もう死のう』と思いました。家に帰ってきて、2階で泣きながら、この世のすべてのものに謝りました。『もう死にます、ごめんなさい』と。学校にも家にも居場所がなく、どこにも逃げ場がありませんでした」   彼女はいじめについて家族の誰にも言えなかったそうです。そして親に対しては「学校へ行きたくないと言っても無理に連れていく人だったから話してもわかってくれない」と思っていたそうです。いじめだけでなく学校や親への不信感なども重なって追い詰められてしまったのです。  旭川の女子生徒も雨宮さんや彼女のような心境だったのかもしれません。 ■いじめはなかったという学校  女子生徒が通っていた中学校は、これまで女子生徒に対するいじめがあったとは確認できない、と旭川市に報告していました。現在は市長が「報道とわれわれの認識とかなり相違がある」として、第三者委員会による調査が決定しています。    しかし、これまで「いじめまでには至っていないなかった」という学校の対応にはネット上でも批判が集まっていました。まるで死者にムチを打つような学校対応なのですが、20年以上、不登校やいじめの取材してきた私は、何度も同様の対応を見てきました。  とくに印象的なのが、2007年に起きた北本いじめ自殺裁判です。2006年、ある女子中学生(当時12歳)が自殺をし、両親はその原因はいじめだったと訴訟を起こした裁判でした。1審判決では両親の訴えは棄却。2審では同級生が「いじめがなかったという判決を聞いてびっくりしました。彼女はいじめられていました」と泣きながら証言台で訴えました。しかし判決では「いじめはなかった」と結論づけられています。  裁判では終始、学校側は「いじめはなかった」と主張。遺族への反省や謝罪の言葉もなく、両親の家庭環境に問題があるかのような証言を重ねました。さらに、いじめに関する校内アンケ―ト結果などの証拠品も破棄。組織ぐるみで責任を回避するかのような行為に両親は心を痛めていました。  こうした遺族が苦しむ裁判を、私は何度も見てきました。学校や教育行政は子どもの自殺から学んで考えを改めていただきたいと思います。  そして保護者の方にも、お願いがあります。学校も、先生も、同級生も人です。人間ですから、善い面も悪い面も併せ持っています。「学校でちょっとでもおかしなことを感じたら言ってね。かならず助けになるから」と、お子さんに伝えてほしいのです。学校も組織なので、それを相手に一個人や家庭が立ち向かうにはハードルが高すぎます。教員も市教委の人間もその組織の一員です。過去のいじめ裁判での学校側の対応を見てきた経験から、組織防衛のために学校が責任回避する可能性は否めません。  自分の子どもや周囲の子どもの安全を優先して対応してもらいたいと思うのです。では、どうすればよいのか。具体的には下記の原則に従った対応をお願いいたします。 ■SOSに気がついたときの原則  最後に、子どもの異変や命の危険を感じた際、周囲はどうすればよいのかをお伝えしたいと思います。というのも、子どもの自殺が増えています。昨年の小中学生の自殺者数は499人(警察庁まとめ)。小中高生の自殺者数の統計がある1980年以降、最多に上りました。  しかし、これらは苦しんでいる子の氷山の一角です。国立成育医療研究センターの調査によれば、小学校4年生から高校3年生の715人に聞いたところ、4人に1人の子どもが「死にたい」と悩んでいたことがわかりました。  コロナ禍で子どもたちは精神的な不安にさらされ、一斉休校などで政府にも翻弄されてきました。声に出さずとも、苦しんでいる子は多いはずです。そこで、目の前の子が苦しんでいた場合には「TALKの原則」を守った対応をお願いいたします。「TALKの原則」とは、以下の原則です。 (1)Tell:言葉に出して心配していることを伝える。 (2)Ask:自殺についてはっきりと尋ねる。 (3)Listen:相手の訴えに傾聴する。 (4)Keep safe:安全を確保する。  精神科医・松本俊彦さんによればポイントは2つ。「自殺についてはっきりと尋ねる(Ask)」ことは悪いことではないこと。もう1つは「相手の訴えに傾聴する(Listen)」というのは「バカなこといわないの」「冗談はやめてよ」と相手の話を遮ったり、「死んではいけない」「死んだら残されたら人はどうするのだ」などといった正論をぶつけないこと。  TALKの原則は「非専門家向け」の対応です。ほとんどの人が精神医療関係者ではないので、まずはこのTALKの原則をもとにして緊急対応をし、専門家につなげるのがSOSの基本手順です。連休明けや夏休み明けなど、子どもが揺れ動く時期はとくに注意をしていただきたいと思います。  昨年、自殺で亡くなった子は499人です。1日に1人以上の子が亡くなっていますが、そのほとんどは報道されていません。報道される自殺は特別な例だとは思わず、目の前にいる子どもに心を砕いていただければと思います。(文/石井志昂)
いじめぶらり不登校学校教育委員会旭川女子中学生凍死事件石井志昂自殺
dot. 2021/04/25 10:00
池江璃花子に競泳・平井コーチ「このタイムまでいくとは」 五輪へ意欲新たに
平井伯昌 平井伯昌
池江璃花子に競泳・平井コーチ「このタイムまでいくとは」 五輪へ意欲新たに
池江璃花子 (c)朝日新聞社 萩野公介(左)と瀬戸大也 (c)朝日新聞社 平井伯昌(ひらい・のりまさ)/競泳日本代表ヘッドコーチ、日本水泳連盟競泳委員長  五輪会場となる東京アクアティクスセンターで4月3~10日に開かれた、代表選考会を兼ねた競泳の日本選手権で、代表の顔ぶれが固まった。連載「金メダルへのコーチング」拡大版は、平井伯昌・日本代表ヘッドコーチの発言で構成します。 *   *  *  白血病の治療から競技に復帰した池江璃花子が4日、女子100メートルバタフライ決勝でメドレーリレーの派遣標準記録を突破して優勝。五輪代表に内定した。 「(前日の)準決勝では最後の2かきくらい腕が上がらなくなっていた。決勝ではどう泳ぐか見ていたのですが、最後はかかないで伸びてタッチして、うまく合わせていた。勝つかもしれないとは思っていたけれど、疲労もある中、このタイムまでいくとは考えられなかった。もともと力を出し切る能力や高い集中力を持っていましたが、それが変わっていないのは驚きです。チームに彼女が入ってくれるのはみんなが勇気づけられるところもあるし、戦力としても頼もしい」  5日、指導する青木玲緒樹(れおな)が女子100メートル平泳ぎで2位に入り初の五輪代表に内定。萩野公介も男子200メートル自由形で3位に入り800メートルリレーの代表に内定した。 「女子の平泳ぎは渡部香生子(かなこ)選手と青木の二人が派遣標準記録を突破できた。東京スイミングセンターのときから指導してきた青木は、12歳で米国の高地合宿に連れていって、北島康介選手、中村礼子選手、寺川綾選手らと一緒にやってきて、いつかはオリンピックと考えてきた。両コウスケ(北島、萩野)の金メダルのレースよりも緊張しました」 「(リオ五輪男子400メートル個人メドレー金メダルの)萩野は、リオの後、モチベーションがなくなったこともあって、コーチとしてどこまで我慢できるか、ということが課されていると思いながら指導してきました。メダルの色とかそういうことではなくて、3回目の五輪に行けること、チャレンジしていくこと自体に価値がある、と話してきました。内定をいただいたことを素直によろこんでいた。私も一緒に戦っている気持ちでやってきたので、うれしいです」  8日、男子200メートル個人メドレーで、この種目で代表内定を決めている瀬戸大也と、萩野がデッドヒート。2位の萩野も派遣標準記録をクリアし、個人種目でも五輪代表内定を決めた。 「萩野と瀬戸、両選手と決勝のあとに話をしてきたんですが、自由形で競るといつも伸びないんですよ。二人とも1分56秒台をめざしていたと思いますが、よく力を出してくれたと思います。瀬戸選手の復調ぶりもすごいし、萩野も個人種目で代表内定をとれたというのは心からうれしいし、よくここまで身体面、技術面だけでなく、精神面も戻ってきてくれたな、と思います。二人でインタビューを受けている姿を見ると個人メドレーはこうだなと思うところがありますし、若い世代が二人のレベルに到達できるように、頑張ってもらいたいなと思いました」  10日、競技を終えて大会を総括した。 「(男子平泳ぎで)金メダル候補の渡辺一平選手が代表に入れないなど、波乱のあった選考会だったと思います。まだ内示の前ですが、五輪代表は予想していた35人くらいより若干少ないかなという感じです。強化してきたリレーは、男子が松元(克央)選手、中村(克)選手が実力を発揮して予想通り。女子は池江選手の頑張りが予想以上だったので、本番までに記録を上げれば十分戦える内容で、いけるんじゃないかと思っています。  個人種目で目を引いたのは、男子200メートル自由形を日本新で制した松元選手、男子200メートル平泳ぎで世界記録に迫った佐藤翔馬選手。二人ともオリンピックは初めてで、女子個人メドレーの大橋(悠依)選手もそうですが、初代表で金メダル、メダルを狙うということになるので、コーチ陣だけでなく、ベテランの入江(陵介)選手らの協力も得て、しっかり頑張っていきたいと思います。  今回の大会は、世界のコーチが結果や映像を見て、おどろいた種目もあったはずです。そういった種目は金メダルにつなげられるように、まだまだの種目はしっかりレベルを上げていきたい。選手団で複数の金メダル、そして全員決勝進出というのも大きな目標の一つです。一人ひとりの頑張りが結果につながるので、ミーティングを重ねて意識を高めていきたい」 (構成/本誌・堀井正明) 平井伯昌(ひらい・のりまさ)/競泳日本代表ヘッドコーチ、日本水泳連盟競泳委員長。1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。86年に東京スイミングセンター入社。2013年から東洋大学水泳部監督。同大学法学部教授。『バケる人に育てる──勝負できる人材をつくる50の法則』(朝日新聞出版)など著書多数 ※週刊朝日  2021年4月23日号
平井伯昌東京五輪
週刊朝日 2021/04/19 17:00
「優しくさわやかだった古賀さん」…丸山茂樹が亡き柔道家をしのぶ
丸山茂樹 丸山茂樹
「優しくさわやかだった古賀さん」…丸山茂樹が亡き柔道家をしのぶ
丸山茂樹 梶谷さん、おめでとう (GettyImages)  丸山茂樹氏が柔道家の急逝、競泳の池江璃花子選手などについて語る。 *  *  *  先月のことになりますが、柔道のオリンピック金メダリストの古賀稔彦さんが亡くなられました。53歳の若さでした。かなり厳しい闘病生活をされてたと聞いてるんで、つらかったでしょうね。残念でならないですよね。  古賀さんはちょっと上の先輩で、ほぼ同世代です。何回かお目にかかったことがありますけど、違う業界の我々に対しても優しく、さわやかな感じでね。僕の同級生の吉田秀彦もそうだし、野村忠宏君もそうですけど、柔道界の人は優しくてさわやかな人が多いですね。それでいて道着をつけたら一気にキリッとする。古賀さんがその代表例みたいなもので、カッコよかったです。  僕は柔道が好きで、リオのときも応援しに行ったりしたんでね。そういう意味では結構見てきたんで、非常に悲しいですね。今年に入って僕のアメリカ在住の知人も亡くなって。古賀さんと同い年でした。自分もいつこんなことになってもおかしくないトシなんだな、と痛感しますね。  古賀さんが亡くなって2週間も経たない4月4日に、次男の玄暉(げんき)君(22)が全日本選抜体重別選手権の男子60キロ級で優勝しました。お父さんが生きてたら「試合に集中しろ!」って言うと思って、通夜の日も告別式の日も練習は休まなかったそうですね。そんなこと知っちゃうと、泣けてきます。  3人のお子さんにも熱心に柔道の指導をされてきたというのは聞いてたので、いちど古賀さんに、どんな風に子どもたちに教えてきたのか質問してみたかったです。天国からお子さんたちをあたたかく見守っていかれるんでしょうね。ただただ、ご冥福をお祈りします。  さて競泳の池江璃花子さん(20)が日本選手権で東京オリンピックの代表入りを決めました。白血病にかかっているのが分かってから2年と少しですか。並大抵じゃない努力をしてきたんだと思います。  病気になった当初は2024年のパリオリンピック出場を目指すと言ってましたけど、この短期間であそこまで持っていくとは、ほんとに頭が下がる思いですね。同じ日本大学ということもあって、この復活は非常にうれしいですね。無理をしないように気をつけて、頑張っていってほしいなと思います。  ゴルフです。いやあ、おめでたい。「オーガスタ・ナショナル女子アマ」(3月31日~4月3日、米ジョージア州オーガスタのオーガスタ・ナショナルGCなど)で、17歳の梶谷翼さん(兵庫・滝川二高)がアジア人として初優勝を飾りました。  オーガスタで開催される試合といえば長らくマスターズだけでしたが、女性やアマチュアへ門戸を開く流れになって、19年に初開催された試合で、今回が2回目ですか。まあ、僕らがジュニアのころはアマチュアがオーガスタでプレーするなんてあり得なかったですから。とにかくすごいですよ。  彼女もより注目されるでしょうから、頑張ってほしいなと思いますね。 丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表ヘッドコーチを務める。19年9月、シニアデビューした。 ※週刊朝日  2021年4月23日号
丸山茂樹
週刊朝日 2021/04/18 07:00
掴んだ想像以上の手応え…サッカー日本女子代表、東京五輪での“躍進”あるぞ!
掴んだ想像以上の手応え…サッカー日本女子代表、東京五輪での“躍進”あるぞ!
サッカー女子日本代表の長谷川唯 (c)朝日新聞社  4月8日(木)、11日(日)、なでしこジャパンは、昨年のシービリーブスカップ以来、約1年ぶりの対外試合を行った。ユアテックスタジアムで行われたパラグアイ戦に続き、本番を視野に入れて中2日で臨んだパナマ戦も、菅澤優衣香(三菱重工浦和レッズレディース)のハットトリックなどで7対0。快勝を収めた。  苦戦すれば「こんなことで大丈夫か?」と厳しい声を出し、ゴールラッシュを見ると「相手が弱すぎたんじゃないか?」と、異なるクエスチョンマークを頭に浮かべるのがファン心理だ。昨年の12月18日に発表されたFIFA女子ランキングでは、初戦のパラグアイが47位で、パナマは59位に位置づけられている。  一昨年の女子ワールドカップ・フランス大会で、最も涙を呑んだのがパナマだ。北中米予選では、世界大会常連のメキシコを2対0で破る番狂わせを演じた。準決勝(対カナダ●0対7)と3位決定戦(対ジャマイカ●2対2、PK2対4)、さらに大陸間プレーオフのホーム&アウェー(対アルゼンチン、アウェーで●0対4、ホームで△0対0)と4試合を戦ったが、本大会の出場権を逃した。  今回来日したメンバーは、カウンターの中心となるナタリア・ミルズなどの海外組や、二十歳のリネス・セデニョのような気鋭のストライカーまで、世界大会の切符を賭けて戦った当時の主力選手が占めていた。試合の前日には、母国のメディアから「パナマの女子サッカーの将来を占ううえで大きな一戦」とハッパもかけられていた。 「もちろん『FIFAランク的に言えば、圧勝して当然だ』という声ももちろんあると思いますけれども、パナマは各選手個々のレベルの高さというのを感じましたし、チームとしてもそのサッカーに対する熱というのは、ものすごく高いなという風に感じました」(高倉麻子監督・なでしこジャパン)  新型コロナウイルスの感染拡大を徹底する国策もあって、対戦相手を探すにも大きな障害がある現状を考えれば、悪くない対戦相手に思われた。 「ミスマッチ」の声も出る大差になったのは、パナマのせいではなく、なでしこジャパンのデキが、シリーズ前の予想を上回ったからだ。鹿児島合宿ではオフ明けの重さも感じたが、トレーニングを積み、身体が絞れていた。また、海外組も長い旅程や時差をハンデとしないプレーを見せた。  試合の2日前に合流した長谷川唯(ACミラン)もそのひとり。イタリアで戦いながら、球際の強さを向上させるとともに、パスワークを強みとするなでしこジャパンの特長を考え、自らをそこにフィットさせた。立ち上がりから、左サイドを主戦場に躍動。34分には、菅澤のシュートのこぼれ球に反応し、コースを消そうとするGKジェニス・ベイリーと3人のDFを手玉にとるようなループシュートを、ゴール右隅に放り込む。前半終了間際の菅澤、籾木結花(OLレインFC)のゴールも、パナマのDFを引き付ける仕掛けからパスを通した、長谷川の動きが光った。  56分にも、左サイドから中央へドリブルしながらタメを作り、自分と入れ替わるように左のスペースへ侵入した岩渕真奈(アストン・ヴィラ)へボールを預けて、菅澤のハットトリックを演出。60分からは、4-1-4-1に組み替えたシステムの中で、林穂之香(AIKフットボール)と並んでトップ下へ。90分フル出場で、チーム最多のシュート6本を放った。  ハットトリックを達成した菅澤、岩渕、籾木、そして長谷川のカルテットは、2年前の女子W杯でもオランダをKO寸前に追い込んでいた。主力選手が普段の体調で試合に臨めば、これだけの破壊力がある。その証左になったし、フランス大会経験者以外も、それぞれ成長を感じさせた。  この2連戦では、攻撃の強化へ、大きく針を振ることができた。海外組やディフェンスラインも交えて、崩しのパターンを共有できた。大量得点を体感して、自信がついた選手もいるだろう。 「トライアンドエラーはありましたが、チームとしても、個々の選手も、攻撃の多彩さを発揮してくれたんじゃないかなと思います。これまでは、もっと強いチームとやることを選択してきましたけれども、攻撃の部分でたくさんの形や課題が出た、非常に価値のあるゲームだったと思います」(高倉監督)  高倉監督のチームは、これまで同格以上の相手を求めながら、敵地での武者修行を軸に活動を続けてきた。その結果、守備は整備されていったし、強豪国と接戦も演じた。一方で、必死に食い下がる格下から、なかなか点が取れない傾向もあった。底力で相手を振り切ったアジアの戦いや、女子W杯フランス大会のアルゼンチン戦(△0対0)がそうだ。  東京オリンピックの開幕戦まで100日を切り、女子サッカーの組み合わせ抽選会は、4月21日に行われる。FIFAランキングと地域バランスを考え合わせると、日本は、スウェーデンかイギリス、ブラジルかカナダと同居することになるだろう。いずれもFIFAランキングでは、日本よりも上位にいる。一方で、下位に位置するニュージーランド、チリ、ザンビアのいずれかも、同じグループに入ってくるはずだ。落とせないゲームをしっかりモノにできないチームが、上に進むことはない。 「国際試合でFIFAランクの高いチームと対戦する機会は、何物にもかえがたい経験ではあるんですけれども、(本大会での対戦相手の強さを)全員が理解して、鹿児島合宿からひとつひとつのプレーに対して100%のプレーをしてくれました。ちょっとしたミスであったり、食い違いであったりというものに関しても、みんなで真摯に話し合いをしていました」(高倉監督)  そう口にする指揮官を含めて、強豪との対戦機会が得られない中で「今、できることは何か」と、ひとりひとりが自分自身にベクトルを向けている。新装・国立競技場で、今度はオリンピックの決勝戦を戦うために。(文・西森彰)
dot. 2021/04/16 18:00
「そんな人、誰が入学させたいと思う?」模擬面接での先生の言葉がトラウマに…22歳女子大生に鴻上尚史が勧める克服方法
鴻上尚史 鴻上尚史
「そんな人、誰が入学させたいと思う?」模擬面接での先生の言葉がトラウマに…22歳女子大生に鴻上尚史が勧める克服方法
鴻上尚史さん(撮影/写真部・小山幸佑) 写真は本文とは関係ありません(※イメージ写真/iStock)作家・演出家の鴻上尚史氏が、あなたのお悩みにおこたえします! 夫婦、家族、職場、学校、恋愛、友人、親戚、社会人サークル、孤独……。皆さまのお悩みをぜひ、ご投稿ください(https://publications.asahi.com/kokami/)。採用された方には、本連載にて鴻上尚史氏が心底真剣に、そしてポジティブにおこたえします  4年前の模擬面接の先生の言葉に苦しみ、面接が苦手になってしまったという22歳の女子大学生。就職活動を前に焦る相談者に鴻上尚史が勧める「まず始めること」「一番してほしいこと」とは。 【相談102】模擬面接の先生の言葉が未だにトラウマです(22歳 女性 ヌーナナ)  大学3年女子です。  私の悩みは高校生の時のある出来事が未だにトラウマになってしまっているということです。  その出来事について、少々長くなりますが、説明します。  高3の時、担任や進路主任の勧めで地元の国立大学の推薦入試(試験内容は小論文+面接)を受験しました。  その推薦入試の1週間前に、高校で教員3人を面接官に見立てた模擬面接がありました。  その模擬面接で真ん中に座っていた先生から、「そんな人、誰が入学させたいと思う?」「いつものあなたじゃ受からないよ」とキツめに言われました(実際、不合格でした)。  もちろん自分のダメなところもわかった上で、面接では自分の長所や、大学では自分のダメな所をどう変えたいのか、をアピールしたつもりでした。  それでも「そんな人」と言われたのです。  この時、私は初めて、自分が「そんな人」なんて言われてしまうような人間で、いつもの自分はダメな人間なんだと思い知らされました。  この出来事からもう4年も経つのに、未だにこの出来事がフラッシュバックしたり、夢にみたりします。 「面接」という文言を見聞きしただけでも腹痛を起こします。  そろそろ就活しなきゃなのに。  どうしたら、この過去から解放されるのでしょうか?  ぜひご意見伺いたいです。 【鴻上さんの答え】  ヌーナナさん。大変な目に遭いましたね。  ヌーナナさんは何も悪くないですね。高校3年で、緊張していて、必死に面接の練習をしている時に、きつい口調で「そんな人、誰が入学させたいと思う?」「いつものあなたじゃ受からないよ」と言われたら、それはショックでしょう。  ヌーナナさんが面接をナメて、バカにしていたのならともかく、教師から見て足らないと感じても、こんな言い方はしなくてよかったのにと思います。  それでも、「面接」の季節はやってきますね。  残念ながら、就職と「面接」は切っても切れないものですからね。  とすれば、ここはひとつ、なんとかして「面接」に対する苦手意識を和らげるしかないと思います。  ヌーナナさんは、「トラウマ」という言葉を使っていますが、ただ緊張するだけではなく、腹痛という身体反応を起こすのですから、事態はちょっとやっかいですね。  一番のお勧めは、カウンセラーとか精神分析医、心理士に話を聞いてもらい、治療を受けることです。  4年たっても「フラッシュバックしたり、夢にみたり」するのですから、このさい、ちゃんと治療した方がいいと思います。 「薬をもらって、3分で終了」というタイプではなく、じっくりとヌーナナさんの話を聞いてくれる人を選ぶのです。  先日、精神分析医で、作詞家の北山修さんと対談したのですが、いい先生を選ぶためには、まずは、「本人の書いた著書を読んで、信頼できる先生を見つけたら、そこを訪ねる」という方法、「ホームページが丁寧でしっかりしているクリニックや病院を選ぶ」「身近な内科や小児科の先生から、信頼できる精神科医を紹介してもらう」という方法を教えてもらいました。  北山さんは、「自分のことは自分が一番分からないんですから、他の人の力を借りて、自分を知ることはとても有効な方法です」とおっしゃいました。長年、人の悩みを聞き続け、治療してきた人の言葉だと感じました。  ですから、ヌーナナさんもカウンセラーなどの力を借りて、ゆっくりと治療するのがいいと僕は思います。  いきなりは抵抗があると思うのでしたら、その前の段階としては、友達に頼んで「模擬面接」をするというのがあります。友達に面接官として、いろいろと質問してもらうのです。  最初は、自宅とか公園とかファミレスとか、ラフな雰囲気の場所で始めて、やがて、大学の教室とか会議室などの硬い雰囲気の場所に移ります。人数も頼めれば、一人から二人、三人へと増やします。まあ、みんな就活の季節なら、持ち回りでやるということもあるでしょう。  そうやって、少しずつ、本番の「面接」に慣れていくのです。  たくさんやることが大切です。一回や二回だけだと、ドキドキするだけで効果はあまりないと思います。  さらにその前の段階だと、自室で目の前に椅子だけを置いて、一人で「面接の予行演習」をするというのもあります。  目の前の椅子に面接官が座っているとイメージするのです。それだけでドキドキすると思います。腹痛も起こるかもしれません。一人だと、いつでもやめられるので、まずはここから始めるのです。  これも、繰り返しやることが大切です。  でも、一番のお勧めは繰り返しますが、クリニックや病院、精神分析医や精神科医を訪ねることです。  最初は、ハードルが高いと思うかもしれませんが、行ってみたら、きっと良かったと思うはずです。  もちろん、この人とは「合わない」と思ったらすぐに別の所に行って下さい。無理をすることはないです。  ヌーナナさん、どうですか? ■本連載の書籍化第2弾!『鴻上尚史のもっとほがらか人生相談』が発売中です!
読書鴻上尚史
dot. 2021/04/13 16:00
松山英樹がマスターズ制覇! 勝利の要因は“日本メディア”が少なかったから?
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松山英樹がマスターズ制覇! 勝利の要因は“日本メディア”が少なかったから?
マスターズで優勝した松山英樹(Getty Images Sport)  ゴルフの松山英樹が日本人初の快挙を達成した。  現地4月8日から始まった“ゴルフの祭典”マスターズ。松山は3日目に「65」をマークし、2位に4打差の単独首位に立つと、11日の最終日は4バーディ、5ボギーの「73」と苦しんだものの、通算10アンダーで逃げ切り、日本人として初めてグリーンジャケットに袖を通した。  かつては世界ランキングで最高2位にまで上り詰めた松山だったが、PGAのツアーでは2017年の世界ゴルフ選手権シリーズ「WGC ブリヂストン招待」以来優勝がなく、今季も苦しむ場面が目立った。  だが、自身10回目となる今年のマスターズでは初日から好調を維持。ウィル・ザラトリス(米)や、ザンダー・シャウフェレ(米)らを振り切り、約4年ぶりとなるツアー6勝目をメジャー大会で挙げることに成功した。  昨年は新型コロナウイルスの影響で11月開催となったマスターズだが、今年は例年通り4月に開催。そして人数制限はあるものの、パトロンが戻って来た中で、アジア人としても初めての勝利を挙げた29歳の松山に対し、現地メディアは称賛を送るとともに過去の成績や、人間性などにも改めて注目している。  米スポーツ専門サイトのSBネーションは優勝が決まった直後に、松山の経歴などをまとめた記事を掲載。今回の勝利が日本人として初めての快挙であることや、過去に優勝に近づいたメジャー大会(2017年の全米オープン2位タイほか)、マスターズ制覇前の獲得賞金などを紹介している。  他にもバックスイングのトップで“止まる”特徴的な動きなどを動画を交えて紹介し、世界的なスタープレイヤーのタイガー・ウッズ、ローリー・マキロイ、ジェイソン・デイと共演した“コミカルなCM”に出演した動画についても触れている。  一方、米スポーツ専門局ESPNのウェブサイトは、優勝が決まった同日の記事で、松山の性格を含めた人間性に注目。今大会の3日目に雨で中断になった際、他の選手が集まり会話などをしている中で、車でスマホのゲームをしていたことについて言及した。  記事の中で、2013年のマスターズを制したアダム・スコットは「これはパーソナリティの一部なんだろう。彼は自分の世界の中で生きているような感じがする。言葉の壁も少し影響はしているんだろうけど、恐らく彼は表向きの姿より英語は理解できているはず。でもそれが周囲の状況や雑音に集中をそがれない環境作りを簡単にしているんだろうね」と松山のことを分析している。  また、同サイトは新型コロナウイルス下での渡航制限により、日本からのメディアの数が減ったことに触れ「松山はスポットライトの外にいることを楽しんでいるように見えた」と、例年より少ないメディアが松山にとって気分転換になったとも述べた。  マスターズの公式YouTubeチャンネルがアップロードしたトロフィー授与式の動画でも、ファンから「最も短い勝利者インタビューだったね!おめでとうマツヤマ」と多くを語らないことについて言及された松山。同時に「偽りのない謙虚さ」とシャイな松山を称賛するコメントもあった。  2019年にAIG全英女子オープンを制した渋野日向子は「笑顔」が現地メディアを魅了したが、逆に松山は「シャイで実直」な性格がファンなどにウケている。マスターズの優勝で今後はさらに多くの視線が向けられるのは間違いないが、そんな中で松山がどんなプレーを見せてくれるかにも注目したい。
dot. 2021/04/12 13:26
町田啓太「掘り進めて共感したい」「根底を理解したい」 役柄との真摯な向き合い方
古谷ゆう子 古谷ゆう子
町田啓太「掘り進めて共感したい」「根底を理解したい」 役柄との真摯な向き合い方
俳優 町田啓太(撮影/植村壮駿) AERA 2021年4月5日売り表紙に町田啓太さんが登場  朝ドラに大河、深夜ドラマまで、幅広い役柄を演じている。チャレンジングに見える役柄も、共感できる点を探して掘り下げ、製作陣とつくり上げていく喜びを語った。AERA 2021年4月12日号から。*  *  *——放送中のNHK大河ドラマ「青天を衝け」に土方歳三役で出演する。幼い頃からダンダラ羽織に憧れ、新選組の物語を好んで見てきた。念願の役柄のひとつだという。町田啓太(以下、町田):子どもの頃は、当時の社会も新選組がどんな存在だったのかもあまりよくわかっていなくて、扮装(ふんそう)や出で立ちを見て、素直に「かっこいいな」と思っていました。 新選組に関する漫画や小説、ドラマは数えきれないほど存在していて、これまでも土方はさまざまな役者さんが演じてこられました。プレッシャーを感じないと言ったら嘘になります。でも、百余年という時を経ても、ドラマや小説になるということはやはりすごいことです。これまで演じてきた方々をリスペクトしつつ、自分なりの土方像を楽しみながら全うできたらいいなと思います。 いまの状況では、新選組ゆかりの地を実際に訪ねたりすることはできないので、自分なりに資料を調べたり、殺陣師の先生から参考になる映像などを送っていただいたりしながら、役と向き合っています。歴史なので諸説ありますし、一般的には渋沢栄一との接点はあまり知られていません。でも、「実は土方と渋沢には接点があった」と文献にも少し残っているようなので、意外なつながりも楽しんでいただけたらと思います。■まずはやってみる——連続テレビ小説「花子とアン」、ドラマ「女子的生活」「中学聖日記」などで、時代もテイストも異なる幅広い役を演じてきた。高校時代はパイロットを目指し、その後ダンサーを経て、俳優の道に進み、10年になる。町田:思い返すと、いろいろな転機がありましたし、自分はウロウロしていたなとも思います(笑)。自分自身が、いろいろなことを探したかったんだろうな、と。まずはやってみて、違うと思ったら、方向転換する。行き当たりばったりの感じはありましたが、いつも自由にさせてくれた両親がいたのが、大きかったと思います。  小学校から中学へ進む頃、当時漫画『テニスの王子様』が人気だったこともあって、「絶対にテニスをやりたい」と、ラケットや練習道具を買ってもらったんです。なのに結局野球部に入ったり、高校に入学したら、ダンス部に進んだり。親としては、「えー!」の連続だったと思うのですが、わがままを聞いてくれて、本当に感謝しています。 俳優になりたての頃は、アウトローやワルの役がすごく多かったんです。だからこそ、最近はできるだけ幅広い役柄にチャレンジできたらいいな、と思うようになっています。——昨年放送されたドラマ「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」は大きな反響を呼んだ。男性同士のラブストーリーはチャレンジだったのではないか、と尋ねると、真っすぐな答えが返ってきた。町田:ファンタジー要素もありながら、ラブストーリーであり、コメディーであり……。「挑戦」と言えば挑戦ですし、あれだけ監督と意見を交わして、話し合いながら作品をつくりあげていくのは、そうそうできない、刺激的な経験でした。監督一人がディレクションするわけではなく、一つのチームとして面白いものを丁寧につくろう、という思いを皆で共有できたのは、本当にうれしかったですね。 僕は役を演じるときは、キャラクターとしてではなく、ひとりの人間としてその人物を探るようにしています。もちろん、技術だけでできる俳優さんもたくさんいらっしゃると思いますが、僕の場合は自分も共感できないと難しいと感じるので。たとえば、ぶっ飛んでいる役なら、なぜそう見えるのか、根底にあるものを理解したい。自分がキャラクターの「この部分は理解できる」「気持ちがわかるな」というところを発見し、発掘していく。その作業はできる限り怠らないようにしたいんです。 メインのキャラクターなら、多くの場合、物語の中に資料や参考にするものがあって人物像を深く掘っていけますが、それがない時、難しさを感じます。自分なりに多角的に考えて、監督に「こうですか?」と尋ねて、「ちょっと違います」と言われたら、また一からやり直す。物語の中で、小さな役で出させてもらう方が難しいのではないかな、と思うこともあります。 ■漫画の主人公になる——現場で経験を積むにつれて、自然と「企画や制作段階から作品に携わってみたい」という思いが芽生えるようになった。そんななか、テレビ東京と「めちゃコミック」のコラボコンテスト「僕を主人公にした漫画を描いてください!それをさらにドラマ化もしちゃいます!!」という企画が届いた。町田:僕自身、漫画が大好きで、さまざまな漫画に影響を受けてきた人生だったんです。小学生の頃は『るろうに剣心』が大好きで、「抜刀斎(ばっとうさい)になりたい」って思っていましたし。自分をもとに漫画を描いてもらえる日が来るとは、思ってもいませんでした。普段は逆で、漫画が原作で、その登場人物を演じることがほとんどなので、「こんなことがあるのか!」と。 長期のプロジェクトになるので、作者の負担も大きいと思いますが、試行錯誤をしながら、そうしたもがきや苦しみも楽しみながら、一緒につくっていけたらいいなと思っています。まだ動き始めたばかりの企画ですが、「誰からも応募がこなかったらどうしよう」という不安もあったので、まずは応募してくださった方がいてよかった、というのが正直な気持ちです(笑)。 仕事をするなかで、共演者やスタッフの方をはじめ、先輩方に声をかけてもらったり、助けてもらったりしてうれしかったことがたくさんあるんです。同年代や年下のスタッフが増えたいま、自分もそんな存在になっていけたら、と思っています。(ライター・古谷ゆう子)※AERA 2021年4月12日号
町田啓太
AERA 2021/04/12 11:30
1年半で10ヤードアップか 丸山茂樹が期待する若手ゴルファーたち
丸山茂樹 丸山茂樹
1年半で10ヤードアップか 丸山茂樹が期待する若手ゴルファーたち
丸山茂樹 いつの間にか身長が大逆転 (事務所提供)  丸山茂樹氏がジュニアの大会で活躍した選手や若手プロゴルファーについて語る。 *  *  *  節目の大会も無事に終えられ、ホッとしました。3月29日、千葉・浜野GCで「第20回丸山茂樹ジュニアファンデーションゴルフ大会」を開催しました。  新中学1年生から新高校3年生までの男女70人が参加してくれました。中学生・高校生女子の部で総合優勝したのは、共立女子第二高(東京)1年の上田澪空(うえた・みく)さん。上田さんは国内女子ツアー「中京テレビ・ブリヂストンレディス」の主催者推薦選考会の出場権をゲットしました!  中学生・高校生男子の部で勝ったのは西武台千葉高(千葉)3年の小林大河君でした。彼は小学校のころからマルジュニアに参加してくれてて、最初に会ったころは背丈が僕の胸ぐらいだったのが、いまや僕の背が彼の胸あたりになっちゃいました。大逆転です。ハハハハ。  ほんとにビックリですよ。こういうことがあると、2000年からジュニアの世界に携わってきた歴史を感じますよね。  コロナのことがあるから、みんなのプレーを近くでは見られませんでした。小林君はもともとは思いっきりのあるプレーヤーで、最初のうちは荒い部分もあったんですけど、そのへんはだいぶ自分で調整できるようになって、力を出せるようになってきたんじゃないかと思います。  小林君は国内男子下部のAbemaTVツアー「i Golf Shaper Challenge in 筑紫ケ丘」の出場権を手にしました。下部ツアーとはいえ、プロとの差はかなりあると思いますんで、そういうところを目の前でしっかり見てきて、自分に何が足りないのか、今後何が必要なのかを勉強してほしいです。  話は変わりまして、国内女子ツアーの「アクサレディス in MIYAZAKI」(3月26~28日、宮崎・UMKCC)で、19年の最終戦以来で飛距離の計測をしたそうです。1位は勝みなみさん(22)で260.1ヤード。勝さんの19年シーズンの平均が249.6ヤード。状況が違うので単純比較はできないですけど、10ヤード以上伸ばしている可能性が高いです。  クラブが進化して女子もヘッドスピードが格段に速くなりましたから、勝さんレベルだったら1年半で飛距離が10ヤード伸びてても何の不思議もないですよね。  米PGAツアーの世界選手権シリーズ「WGCデルテクノロジーズ・マッチプレー」(3月24~28日、米テキサス州オースティンのオースティンCC)は、34歳のビリー・ホーシェルが米ツアー6勝目を挙げました。  トータルスコアで争うストロークプレーに比べて、マッチプレーは何が起こるか分からない。世界ランキング20位以内でも簡単には勝てないんです。だから、これから上を目指す選手にしてみたら、楽しみな試合なんです。ランキングが上の選手をガツンとやっつけるチャンスがあるから。でも興行としては……、だそうで。難しいところですね。 丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表ヘッドコーチを務める。19年9月、シニアデビューした。 ※週刊朝日  2021年4月16日号
ゴルフ丸山茂樹
週刊朝日 2021/04/11 07:00
“推し”選手をファンが支援できる「スポーツギフティング」 コロナ禍でアスリートとの新たな関係を構築
“推し”選手をファンが支援できる「スポーツギフティング」 コロナ禍でアスリートとの新たな関係を構築
スポーツギフティングで集まった資金でアイスリンクを貸し切り開催された練習会。西山選手は「支援をしっかり活用したい」(写真:西山さん提供) プロサーファー 須田那月選手(25)/1995年生まれ、種子島在住。11歳でサーフィンを始め、15歳でプロに。2019年国内グランドチャンピオン(写真:須田さん提供) プロサーファー 須田那月選手(25)/1995年生まれ、種子島在住。11歳でサーフィンを始め、15歳でプロに。2019年国内グランドチャンピオン(写真:須田さん提供)  コロナ禍で、スポーツの試合の中止や観戦の制限により好きな選手に声援を送りにくい。ファンが選手の活動やビジョンを支える新たな応援の形に、いま注目が集まっている。AERA 2021年4月12日号で取り上げた。 *  *  *  都内のアイスリンクに昨年12月のある晩、10代のフィギュアスケート選手が集まった。全日本ジュニア選手権アイスダンスで2連覇している西山真瑚選手(19)が呼び掛けた練習会だ。アイスダンスはリンクを広く使うことなどの理由から、練習の際にはリンクを貸し切らなければならず、都内のリンクは1時間3、4万円かかる。全国的にアイスリンクが不足し、予約を取るのも難しい。 「参加したみんながとても感謝してくれて、それだけ練習場所に困っているんだと思いました。アイスダンスを日本でメジャー競技にするためにも貸し切りの機会を作りたい」(西山選手)  貸し切り練習会の費用は、ファンがアスリートに直接金銭的支援ができる「スポーツギフティング」で集めたものだ。  新型コロナウイルスの感染拡大で、ファンは会場で熱狂を共有できなくなった。スポンサー離れも進み、アスリートは逆境に立たされている。そうしたなか、ファンとアスリートが新たな関係を築き始めている。 ■低額から気軽に寄付  アスリートフラッグ財団が運営するスポーツギフティングサービス「Unlim(アンリム)」はホームページを開くと、スキージャンプの高梨沙羅選手(24)やバドミントンの奥原希望選手(26)ら150以上の選手やチームの写真がずらりと並ぶ。  応援の方法は簡単で、選手を選び、贈りたい応援ポイント数を選択。1ポイント1円分で、10ポイントから寄付できる。集まった寄付金額の67~83%が選手、チームに贈られ、残りは公益性のあるスポーツ振興団体や財団の運営費などに配分される。  自らの活動資金への支援を呼び掛けている選手が多いが、「(コロナで大会が中止された)中高生の活躍の場、育成の場を提供したい」(奥原選手)、「女子スキージャンプの環境整備等に活用したい」(高梨選手)といったように、スポーツ振興や社会貢献などのビジョンを掲げ、そのための資金を呼び掛けている選手も目立つ。  Unlimを立ち上げたのは、SNSやスマホゲームを手掛けるミクシィだ。2017年に同社がBリーグの千葉ジェッツふなばしとスポンサー契約を結ぶと、「私も支援してもらえないか」と選手たちからの問い合わせが相次いだ。同社スポーツギフティング部長の武本泰伸さん(45)は言う。 「思った以上に選手たちの競技環境が厳しいことを知り、人と人とのつながりを大事にしてきた企業として、アスリートとファンをつないで応援を形にできないかと考えました」 ■絶えず届くメッセージ  クラウドファンディングのような支援者への返礼のシステムはなく、試合での活躍や掲げたビジョンの実現が応援への対価となる。財団の事務局長の松崎貴宏さん(40)は言う。 「これからは、選手たちがSNSなどで積極的に自分のメッセージを発信していくことも大事になってくると思います」  寄付の際には、選手にメッセージを送ることができる。前出の西山選手は言う。 「試合以外のタイミングでファンの方から直接応援の声をもらうことがすごくうれしくて。自分の気持ちを奮い立たせてくれるシステムです」  昨年8月からUnlimを利用する、サーフィンショートボード女子の19年国内グランドチャンピオン、須田那月選手(25)もこう話す。 「コロナで大会もなくなり、活動資金も厳しい中、半年間絶えず届く応援メッセージがすごく励みになっています」  サーフィンは東京オリンピックで新競技として加わることになったが、まだ認知度も低く、多くのプロサーファーが活動資金集めに苦労している。国内ツアーを転戦するには年間約150万円、海外ツアーなら年間600万円程度の遠征費がかかるが、国内ツアーの優勝賞金は数十万円が相場で、女子は男子よりも低く設定されていて、さらに厳しい。 ■コロナで契約が白紙に  須田選手は海外のツアーに出場するため、19年は日本一にこだわり、目標を達成。だが、年明けからコロナの影響が表れ、途中まで進んでいたスポンサー契約の話が白紙になった。  そんな折、知り合いを通じてUnlimの存在を知った。さっそく登録すると、ファンの一人から「資金集めを頑張っているなら力になりたい」と連絡があり、3カ月ほどUnlimを通して支援を受け、その後、スポンサー契約を結んだ。  須田選手は当初、活動資金の支援を呼びかけていいのか、葛藤もあったという。 「オリンピックを目指してサーフィンを始める子どもたちが増えてきているなかで、国内チャンピオンになった私が活動資金に困っていると発信することは、その子たちの夢をつぶしてしまうのではないかとも思いました。でも、次世代の子どもたちに自分のような苦しい思いをしてもらいたくないから、正直に伝えることでサーフィンを取り巻く状況を少しでも改善できたらと思うようになりました」(須田選手) ■小口の支援をたくさん  東京オリンピック・パラリンピック後には、今結ばれているスポンサー契約やアスリート雇用が解消される選手も少なくないと言われている。前出の武本さんはこう話す。 「企業からの資金提供がシビアになっていくなかで、企業からの大口の支援ではなく、たくさんの個人が少しずつ支援してアスリートを支える仕組みが選択肢の一つになればいい」  こうしたファンとアスリートの新たな関係について、筑波大学体育系教授の菊幸一さんは「寄付文化が根づいていない日本で、真のボランタリズムやドネーション(寄付)文化を育てていく一つの突破口になる可能性がある」と興味を示す。  スポンサー契約は、ユニフォームなどに企業ロゴをつけ、その広告の対価として資金を提供してもらうのが一般的だ。一方、スポーツギフティングはファンが、たぐいまれなる能力を「ギフト」された人にほれ込み、その能力を発揮してもらうための資金を提供する。いわば「無償の愛」だ。 「アスリートは、常に自分を見守ってくれている何かに対してきちっと応えられているか、と自分に問うことで、活躍し続けるモチベーションを保つことができます」(菊さん)  多くのアスリートが直面するセカンドキャリア問題にも、スポーツギフティングサービスが有効ではないかと指摘する。 「選手がサービスを利用することで、ただ競技をしているだけでなく、自分は社会に対してどういうメッセージを訴えることができるのかを考え、自らをブランディングする機会を持っておくことは、引退後にも生きてきます」(同) (編集部・深澤友紀) ※AERA 2021年4月12日号
AERA 2021/04/08 08:00
女性アスリートも快挙連発! スポーツ界の注目若手選手5人
菊地武顕 菊地武顕
女性アスリートも快挙連発! スポーツ界の注目若手選手5人
佐々木朗希 (c)朝日新聞社  麗(うら)らかな陽気のもと、花見で大騒ぎ……は避けねばならない今春。スポーツ観戦で、爽快さを満喫してはどうだろう。  若きアスリートの進境が著しい。女子ゴルフでは、今年初戦と第3戦で勝利したのが22歳の小祝さくら、第2戦を制したのは21歳の稲見萌寧(もね)。JRAでは20歳と18歳の新人女性騎手が勝利をあげ、F1には20歳のドライバーが誕生した。若手の活躍が、コロナ禍で漂う閉塞感を吹き飛ばしてくれる。 ■過酷な状況でこそ本領を発揮 【ゴルフ】小祝さくら(22) 今季再開初戦(今年初戦)は、首位と2打差で最終日をスタートし、最終ホールでバーディーを奪って劇的な逆転優勝。3戦目は、雨と強風の悪コンディションの最終日にベストスコアの70で優勝した 小祝さくら (GettyImages) ■セリエAで開花したDF 【サッカー】冨安健洋(22) 2019年に伊セリエA・ボローニャに移籍し、大活躍。シーズンオフにはACミランが獲得に動き出したほど。日本代表では吉田麻也と最終ラインを死守する 冨安健洋 (GettyImages) ■ホンダ最後の切り札がデビュー 【F1】角田裕毅(20) 昨年はF2で総合3位。今季はF1アルファタウリ・ホンダに。日本人として7年ぶりのF1ドライバーだ。今季限りで撤退するホンダの有終の美を飾れるか 角田裕毅 (GettyImages) ■新人女性騎手が2週連続勝利 【競馬】古川奈穂(20) 藤田菜七子以来、5年ぶりのJRA女性騎手。名伯楽・矢作芳人調教師の指導を受けている。同期の永島まなみ(18)と共に12戦目で初勝利(藤田のJRA初勝利は51戦目)。古川は翌週も勝利の快挙 ■ベールを脱いだ異次元の剛腕 【野球】佐々木朗希(19) 昨季は体作りに専念し、一度も実戦で投げなかった。今季も育成重視の方針だが、オープン戦に登板。抑えた投球でも150km台を連発。完成時にどれだけの剛球を投げるか。夢を抱かせてくれた (文/本誌・菊地武顕) ※週刊朝日  2021年4月9日号
週刊朝日 2021/04/05 16:02
学校現場の大問題

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クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

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働く価値観格差

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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ロシアから見える世界

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プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

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