「日本人にアメフトは無理」を覆せるか? NFLを目指す、丸尾玲寿里の“描く夢”
日本人として初めてNFL出場を目指す丸尾玲寿里(写真提供:アサヒ飲料チャレンジャーズ)
丸尾玲寿里(元アサヒ飲料クラブチャレンジャーズ)はアメリカンフットボール(=アメフト)界の夢だ。
4月15日(日本時間16日)、CFL(カナディアン・フットボール・リーグ)は北米以外の外国人選手対象にしたグローバルドラフトを開催。6人の日本人選手が指名された中でも、丸尾はウィニペグ・ブルーボマーズから1巡目(全体4位)という高評価で指名された。まずはCFLでの活躍が大きな目標であるが、その先にはNFLも視界に入る。
アメリカ4大スポーツで日本人選手が唯一プレーしたことないNFL。フットボーラー究極の頂を目指し今季はカナダ拠点のプロリーグCFLでプレーする。日本生まれの米国育ち、そして日本経由の北米挑戦と海を挟んだビッグチャレンジだ。
「アジア人にはフットボールはできない。アジア人にスポーツはできない」
米国での中学生時代、周囲の米国人からは冷ややかな目で見られた。
「Xリーグの中では彼のプレースタイルは少しワイルドだ」
大学卒業後、帰国してプレーした国内Xリーグでたびたび耳にした評価だった。
スコットランド人の父親と日本人の母親の間に静岡県で生まれた。父親は3歳時に他界、10歳の時に母親と2人で米国カンザス州へ移住した。子供の頃からスポーツに親しんできたが、米国は事情が大きく異なった。米国人にとってアメフトは子供の頃から身近にあるスポーツ。しかし日本人にとっては縁遠いモノであった。
「母親は日本人でおじいちゃんも含め家族は日本人。父は早く死んでしまったので、スコットランド人の家族とは話したことない。だから僕も100%日本人。野球は日本にいた小学1年からやっていた。野茂英雄(ドジャース他)やイチロー(マリナーズ他)の活躍もあり、野球に関しては周囲から何も言われなかった。でもアメフトでは違った。身体も大きくなかったから、このアジア人は何してるんだ、という感じで見られた」
「アジア人ということで下に見られた。でも負けたくなかった。ウエイトリフティングやスピード練習などを高校1年くらいから始めて身体もでかくなった。高校3、4年生の時はチームで1番活躍している選手だった。良い選手になって来たら、アジア人で最初のうまいフットボール選手、1番でかい選手、と認められた」
渡米当時は英語もまともに話せない状況、ホームシックなどがあったことも想像できる。簡単なことではなかったはずだが、「デカくなって見返す」という気持ちだったので気にならなかったと振り返る。負けず嫌いでポジティブな思考が、トレーニングに駆り立てた。身体ができてくると共にアメフトも上達。大学はテキサス大サンアントニオ校でプレー、周囲の選手から多くを学んだ。
「大学ではレッドシャツ(練習生扱い)のシーズンが1年あった。この時期が自分を大きく成長させてくれたのは間違いない。手術などをしたがシーズンインにはプレーできる状態だったけど、チームと自分のためにレッドシャツをやる、と決めた。ここが自分にとって多くを学べた時期だった。サイドライン(ベンチ外)にいることで、トレーニングもできたし多くの選手から色々学べた」
レッドシャツ時のチームメイトには、後にラウンドワンドラフト(18年1巡目14位指名)されるマーカス・ダベンポート(セインツ)がいた。4年時にはオールアメリカン・ラインバッカーのジョサイア・タウエファ(ジャイアンツ)と共にプレーした。全米最高クラスの選手たちから得るものは大きかった。
「NFLやCFLでプレーすることは小さい頃から夢だった。実際にプロ入りする選手も近くで見ていたしね。でも大学4年の『プロ・デー』という、プロのスカウトによる公開トライアウトの日にスカウトされなかった。だから北米でプレーすることは少しギブアップして、Xリーグへ行った」
フィジカル、メンタル両面の足りなさ、レベルアップの必要性を感じた。帰国してXリーグでのプレーを選択。国内リーグのレベルの高さも感じたが、同時に違いもあった。プレースタイルを指摘する人もいた。NCAAルール適用のXリーグではあるが多少の違いもあった。ハードでタフなプレー、感情を露にする姿には逆風も吹いた。
「やっていることは同じアメフトでジャパニーズ・フットボールではない。変わらずにプレーしていても、日本人の視点で見るとワイルドと見られた。僕はヘルメットを投げたりラフプレーなどは絶対しない。でも良いプレーをして喜びを表現するセレブレイトをすることがある。自分の気持ちを自然に出しているだけだけど、良く見られないこともあった」
公式戦でセレブレイトした際にペナルティを取られた。来日当初ということもあって、受け入れるのに苦しんだ。しかし時間が経過すると共に、Xリーグの慣習や流儀にも慣れてきて適応できるようになった。しかしその中でも自分のスタイルを変えるつもりはない。
「最初はなんでこんな感じでやっているのかなと思った。楽しくないと感じたし理解するのが難しかった。でもペナルティを取られたことで、日本ではこれはダメなんだ、と勉強する機会にもなった。ただ僕自身は小さい頃からこのスタイルでやってきたので、プレースタイルは変わらないと思う。でもサイドラインなどでは礼儀正しくやりたい。セレブレイトなどはワイルドに見えるかもしれないけど、あの人アメフト好きなんだな、という感じで捉えて欲しい」
Xリーグでプレーしながら北米でのプレーも頭の片隅にはあった。しかしアサヒ飲料チャレンジャーズ(クラブ)の一員でもあり、目標をクラブと日本代表での活躍へシフトし始めた時だった。来日1年目19年冬、日本代表のトライアウトを受けた際、視察に訪れたCFLスカウトから尋ねられた。なぜCFLのトライアウトを受けないんだ?と。
「CFLスカウトがクラブ側と話し合ってくれた。クラブも快く受け入れてくれて、21年のトライアウトを受けさせてくれた。日本でプレーする選択肢もあったが、可能性があるなら1年でも早く挑戦したいというのはあった。だから25歳で挑戦できるのは、感謝しかない。僕は今ピークになっていると思う。今後ボディケアや食事、リカバリーなどをしっかりやれば、30歳くらいまではピークでやれる」
「まずはCFLで活躍しているのを見て欲しい。北米にはアジア人選手がほとんどいないから。もちろん先のNFLも目指していますけど、まずはCFLでロースターに入る。次にスペシャルチームで活躍、ラインバッカーでローテーションに入り、スターティングメンバーになる。そういう小さいゴールをだんだんと積み重ねていく。それからNFLに挑戦したいというプラン」
男子日本人初の北米プロリーグ選手誕生の可能性が高い。これまで女子アメフト界では北米プロリーグで活躍した選手もいた。しかし男子でこれまで挑戦した選手は多いが、レギュラー獲得に成功した選手はいなかった。丸尾本人も「日本人」というフレーズを多く使う。しかしその思いが逆にプレッシャーになる心配もあるのだが。
「自信満々な選手なので大丈夫。大学の時は日本人選手としてやっているという気持ちはなかった。でも日本でプレーして、日本人選手として活躍したい気持ちが大きくなった。日本のアメフトを大きくしたい。やっている選手たちにもモチベーションを上げて欲しい。海外でプレーする選手が増えて欲しい。そう思ってプレーした方が、自分自身もっとレベルアップできるとも思った。日本人として最初にピックされたので、モチベーションも高くなった。プレッシャーがあった方が頑張れる」
母国・日本のチャレンジャーズでのプレーは束の間だった。だがその間に改めてアメフト、そしてルーツである日本への思いを強めた。
「アメフトは歩けなくなるまでやりたい。35歳くらいまでプレーしたい。いつか再びXリーグでプレーする気持ちもある。チャレンジャーズも年々、別チームのように強くなっている。どうなっているのか楽しみ」
北米でさらにタフになり、Xリーグの舞台へ戻ってくる可能性もありそうだ。その時にはチャレンジャーズを含めた、日本のアメフト界が大きく進化しているはずだ。
「Xリーグでペナルティを取られたセレブイトは、CFLでは大丈夫だと思う」
北米での活躍を予告するように、笑顔で締めてくれた。(文・山岡則夫)
●丸尾玲寿里(まるおれすり)
1996年2月14日生まれ。183cm102kg。テキサス大サンアントニオ校から19年アサヒ飲料チャレンジャーズへ加入、20年日本代表選出。21年CFLグローバルドラフトでウィニペグ・ブルーボマーズから1巡目(全体4位)指名される。
●山岡則夫
1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍、ホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!公式ページ、facebook(Ballpark Time)に取材日記を不定期更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。
dot.
2021/05/31 18:00