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タイガー・ウッズと11歳息子の違いは? 丸山茂樹「スイングは似ているが…」
丸山茂樹 丸山茂樹
タイガー・ウッズと11歳息子の違いは? 丸山茂樹「スイングは似ているが…」
丸山茂樹 ウッズ親子のほほえましいグータッチです (GettyImages)  丸山茂樹氏は、タイガー・ウッズ選手の息子について素質や将来のことなどを語る。 *  *  *  週刊朝日の読者のみなさん、あけましておめでとうございます。いろんなことに気をつけながらにはなりますが、今年も前向きに頑張っていこうと思います。どうぞよろしくお願い致します。  少し前の話になっちゃいますが、アメリカ男子の親子大会「PNC選手権」(12月19~20日、フロリダ州オーランドのリッツカールトンGC)は、ウッズ親子の話題で持ちきりでしたねえ。タイガー・ウッズ(45)と息子のチャーリー君(11)が2日目は赤いシャツと黒いパンツの「勝負服」でそろえてね。  スイングはちょっと今風ですけど、お父様のいいところを受け継いでる気がしますね。やわらかい感じとか、ボールを曲げたりする感性とか、パッティングで頭が動かないとか。父親をよく見てるんだなと思いますね。  彼がプロゴルファーを目指していくにあたって、お父さんの名前は必ず壁になってくると思うので。もう大変ですよ。歴史的人物がお父さんなんですから。えらいこっちゃですよ。小さいうちはまあ何とかやれますけど、パワーがついてきてからゴルフって難しくなるときがあるんでね。  でも見てると、タイガーは伸び伸びやらせてる感じがしますね。あんまり理想を押しつけてない感じがします。まったくパパとやってることが違うんで。スイングは似てますけど、手の使い方はぜんぜん違います。体のアクションも違う。  なんたってお父さんが世界のスーパー頂点ですから。そうなると僕らの中では見たことのないところの息子さんですよね。ハハハ。どうなっちゃうんだろう。やりづらくてしょうがないでしょうね。いまはまだ11歳だけど、これが反抗期になってきたらどうかな。  ただ、尊敬できるお父さんであることは間違いないですからね。まったく離れていくのか、お父さんにずっと指導を仰いでいくのか、どっちかじゃないですか? タイガーはどこかのタイミングで息子にコーチをつけるんじゃないかと思いますけどね。自分であんまり見ないで。あの人は頭がいいから、自分が全部見るってのは親子関係によくないと思うんじゃないですか?  例年は8月にある「全国高校ゴルフ選手権」(通称・緑の甲子園)が中止になったので、先月中旬に2日間、極寒の中で特別大会がありました。女子は双子の岩井姉妹を擁する埼玉栄が優勝したんですよね。  実は2月にマルジュニアの高校生大会を改めてできないかと考えてるんですよね。僕自身はアメリカに戻っちゃってていないんですけども。寒波が来るなんて言われてる中でやるのもどうなんだろ、とは思いますけどね。  11月に高校生大会をやったときに、親御さんから「またやってほしい」という希望がありまして。こういう状況下なんで、あんまり安易には決められないんですよね。どうやったら実現可能かしっかり案を出して、前向きに考えていきたいと思います! 丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表ヘッドコーチを務める。19年9月、シニアデビューした。 ※週刊朝日  2021年1月15日号
ゴルフ丸山茂樹
週刊朝日 2021/01/10 07:00
「私大合併」時代が到来 早稲田×日本医科、明治×順天堂…専門家が予想
吉崎洋夫 吉崎洋夫
「私大合併」時代が到来 早稲田×日本医科、明治×順天堂…専門家が予想
左上から時計回りに、早稲田大大隈講堂、立教大モリス館、明治大リバティタワー(撮影/吉崎洋夫)、同志社大彰栄館(c)朝日新聞社 主な合併シミュレーション (週刊朝日2021年1月15日号より)  大学に合併・再編の波が押し寄せている。18歳人口の減少のためで、入学定員を満たせず、定員割れする大学が相次ぐ。すでに国公立大は統合に向けて動いているが、私大では今後、どんな合併があり得るのだろうか。あくまでも専門家による予想だが、そのシミュレーションをもとに分析した。 *  *  * 「慶應とはまた差がついた感じがあるね」  こう苦い顔をしながら言うのは早稲田大の関係者だ。昨年11月下旬、慶應義塾大と東京歯科大が合併に向けて協議を始めることが発表された。  2008年に共立薬科大との合併で薬学部ができたのに続き、歯学部も開設されれば、日本で初めて医・歯・薬・看護の医療系4学部を持つ総合大学となる。研究力・教育力が高まり、ブランド力はより強化される。  一方、後塵(こうじん)を拝する形の早稲田大にも医学部設置に向けた動きがある。医学部は創設者・大隈重信の悲願であり、設置に向けて歴代の総長が取り組んできた。卒業生の間にも、医学部の有無が早慶の差と考える向きもある。  早稲田大が目指すのは、医科単科大との対等合併だ。これまでも合併の提案などはあったとされるが、実現しなかった。 「単に合併すればいいというわけではない。財政的にも健全な相手と、医学に貢献できるという見立てがあった上で、合併を考えないといけない」(前出の同大関係者)  そうした中で有力候補として注目されているのが、日本医科大だ。早稲田大の付属・系属校である早稲田実業、早稲田高等学院、早稲田本庄高等学院の3校と高大接続連携の協定を調印し、指定校推薦の枠を2人ずつ設けた。両大学とも「合併の話はない」というが、前出の同大関係者は言う。 「連携が深まれば、合併という話に進展することは十分にある」  いま、こうした合併に向けた動きが水面下で行われていると言われる。背景にあるのが、18歳人口の減少だ。文部科学省の資料によると、1992年の205万人をピークに減少に転じており、20年には117万人、40年には88万人にまで減少する見込みだ。  私大の経営状況を調査する日本私立学校振興・共済事業団によると、全国593校のうち、入学定員を満たしていない大学は184校(31%)にも上る。赤字になっている大学も多い。 「今後、私大の合併は出てくる」  こう語るのは、大学経営コンサルタントで大学選びにも精通する加藤雄次さんだ。 「新たに学部をつくるとなると費用や時間、労力もかかるため、合併が経営力を強化するための効率的な手段となる。まずは大規模有力大学やオーナー系大学など組織力や決断力のある私大による合併が先行するのではないか」  それでは具体的にどんな合併が可能性としてあるのか。予想ではあるが、大学関係者や専門家にシミュレーションをしてもらった。  共通して指摘があったのは、単科大と総合大との合併だ。  早稲田大だけではなく、明治大、中央大など東京の有力な総合私大には医療系学部を持っていないところが多い。関西も同様で、同志社大、関西学院大、関西大にはない。一方で、近隣には医療系の単科大がある。  合併に向けて重要になるのが、教育連携や共通項の有無だ。  例えば、明治大と順天堂大は15年に大学間交流に関する包括協定を結んでいる。立地も近くて連携がしやすく、合併に発展する素地がある。  上智大は11年に看護学部を持つ聖母大と合併し、14年には聖マリアンナ医科大と大学間交流の包括連携協定を締結している。いずれの大学もキリスト教カトリックの精神を持っており、「合併も視野に入れているのでは」という見方もある。  かつて立教大と看護系の学校を持つ聖路加国際病院との合併の話もあった。立教大と聖路加国際病院は米国聖公会の宣教師によって創設されており、戦時下と戦後に、合併し立教大に医学部を設置する動きがあった。同大の理学部は医学部設置に向けた前段階として作られた経緯がある。  武蔵野美術大と多摩美術大も、実は同じ一つの大学だったという歴史がある。帝国美術学校として創設され、1935年に分裂している。美大の早慶と言われる両大学が合併すれば、美術系では東京芸術大にも匹敵するという期待もある。  買収を予測する見方もある。関西では京都先端科学大が30年を目標に医学部を設置することを掲げている。同大を運営する学校法人「永守学園」の理事長は、日本電産の永守重信会長兼CEO(最高経営責任者)で、経済誌フォーブスによると永守会長の資産は3千億円以上。同学園は今年4月、中学・高校を持つ学校法人「京都光楠(こうなん)学園」と合併する予定で、積極的に動いている。将来的には東京女子医科大などを買収する動きを見せるのでは、との予想もある。  教育ジャーナリストで大学業界に詳しい神戸悟さんは、こんな指摘をする。 「とがった大学同士の合併もあり得る」  例えば、国際教育に強い神田外語大と、経営分野に定評のある産業能率大、広く工学系の学部を持つ東京工科大の組み合わせだ。いずれも卒業生の評判は良く、互いに強みを生かせるという。  オンライン授業を実施する学校の合併も相性がいいと神戸さんは見る。  ネットで高校の授業を受けることができるN高と、通学せずに学士号が取れるサイバー大、経営学修士(MBA)が取れる大学院を持つビジネス・ブレークスルー大との組み合わせだ。海外にも米国のミネルバ大など全ての授業をオンラインで実施するところもあり、海外大との合併も考えられる。  理工系同士の合併も可能性はありそうだ。例えば、東京都市大、芝浦工業大、東京電機大、工学院大の「大理工大」だ。受験生は学部・学科を決めて志願するが、入学後に関心が変わるという学生も多い。研究室を選ぶ際に大学を超えて選べるようにすれば、学生にとって大きなメリットが出ると神戸さんは見る。 「大理工大構想。ここに千葉工業大が入ってもいい。東京理科大にも匹敵する魅力を持つと思う。駒澤大、専修大など文系中心の大学と組めば、さらに研究力、教育力を強化できる」  こうしたシミュレーションの一方で、すでに統合に向けて話が進んでいる大学もある。積極的なのは国公立大で、昨年4月には名古屋大と岐阜大が経営統合し、東海国立大学機構を設立した。北海道では国立の小樽商科大、帯広畜産大、北見工業大が22年4月の統合に向けて動いている。大阪では大阪府立大と大阪市立大が22年4月に統合し、大阪公立大になる予定だ。  また、前京都府知事・元全国知事会長で、中央教育審議会臨時委員でもある山田啓二さんは言う。 「地方私大の合併・再編に向けた動きは始まっている」  文科省は昨年10月、「地域連携プラットフォーム構築に関するガイドライン」を発表した。このプラットフォームは各地域で大学や自治体、産業界などが課題などに関して対話をする場だが、地域の現状に即した大学の再編、統合なども検討課題になると見られている。こうした取り組みを経て、各地の私大同士の連携が深まり、合併・再編に向けた動きも進んでいきそうだ。 「合併・再編ありきではなく、地域がビジョンを描いて、高等教育をどうするべきか考えていく必要がある。その中で私大同士の連携、学部の再編、さらには合併という選択肢も出てくる」(山田さん)  京都府立大と京都府立医科大の合併・連携の仕方にも山田さんは注目する。両大学とも歴史があり、その独自性が失われる懸念があったが、新しく学校法人をつくり、そこに2大学を残すことで統合を果たした。さらに国立の京都工芸繊維大と連携し、教養教育の共同化を実現した。京都市に本社を置く京セラの稲盛和夫名誉会長から20億円の寄付などを受け、施設を建設した。 「それぞれの大学の良さを残しながら、多様な学生が集まり、ないものを補い合いながら学ぶことができている。この合併・連携のあり方は私大でもあり得る。ただ、地方では合併に伴う資金が足りない可能性がある。強い大学同士が合併するだけでは、格差が広がるばかりだ。政府は補助金をつけるなど地方私大の取り組みを支援する必要がある」  学生にとっていかにいい学びの場を残し、発展させられるか。国にも大学にも戦略が求められている。(本誌・吉崎洋夫) ※週刊朝日  2021年1月15日号
大学大学入試
週刊朝日 2021/01/09 08:02
“自撮り人妻熟女”写真家・マキエマキが「昭和B級エロ」を表現する理由
“自撮り人妻熟女”写真家・マキエマキが「昭和B級エロ」を表現する理由
マキエマキさんがさまざまな熟女に扮して撮影した作品(以下同)  SNSには無数の自撮り写真がアップされているが、写真家・マキエマキさんの “自撮り人妻熟女”写真はひときわ強烈な存在感を放っている。現在、54歳のマキエマキさんは、ラブホテルやうらびれた路地裏などに赴いて自撮り撮影を行い、“昭和B級エロ”を表現し続けている。2019年から20年にかけて、たて続けに2冊の写真集も刊行。このような写真を撮るようになったきっかけは、2015年に行きつけの飲食店で開催された「セーラー服ナイト」というイベントだったという。 「みんなでセーラー服を着て飲むというイベントでしたが、この時のためにセーラー服を買いまして、自撮りしてSNSに載せたら反響がすごかった(笑)」  当時、マキエさんはフリーランスのカメラマンで、風景や建築、商品、人物の撮影などで幅広く活動していた。49歳にしてセーラー服で味をしめたマキエさんが次に挑戦してみたのは、ホタテの貝殻ビキニ。その飛躍っぷりに驚かされるが、マキエさんは純粋に人が見て面白いと思うものを追求してみたいという気持ちから、自然とホタテの貝殻ビキニが思い浮かんだという。  ホタテの貝殻ビキニ姿で撮影したのは、東京駅前、中野の商店街、銀座四丁目交差点、はては福島の雪の安達太良山頂など。もちろんどれもゲリラ撮影だ。写真の中のマキエさんはどれもいい笑顔を見せている。その次に手掛けたのが「空想ピンク映画ポスター」シリーズ。ロケ地や衣装にこだわって撮影し、「団地妻 ピンクのエプロン」「秘湯 奥まで覗いて」「マキエマキのお風呂でビバビバ」などといった、いかにもなタイトルやキャッチコピーをつけて昭和感満載のポスターを作り上げた。こちらのマキエさんは主演女優になり切っており、妖艶な表情を見せている。いずれも、マキエさんがのびのびと楽しそうに作品を作っていることが写真からしっかりと伝わってくる。 撮影:マキエマキ  撮影にはマキエさんの夫が全面的に協力。撮影現場に同行し、マキエさんが構図を決める時に代理でポーズを取ったりしている。本業はグラフィック・デザイナーで、「空想ピンク映画ポスター」の制作ではデザインを担当しているという。  マキエさんとしては、“自撮り人妻熟女”で人に面白がってもらえるものを追求していたつもりだったが、SNS上で男性から露骨に性的なコメントを投げかけられて面食らうことに。 「ババアがこんなことやってて面白いでしょう? という感覚で写真をアップしていたのに、見知らぬ男からまともに女として食いつかれたので驚きました。ほんとにひどい“クソリプ”だらけで気持ち悪かったです。リアルな知り合いにセクハラされるよりも嫌でした。また、世の中には熟女を性的対象として見ている人がこんなにも多いことにも驚いたんです」 撮影:マキエマキ ■女性であるために受けてきた不当な扱いに対する反発  マキエさんはそうした相手はリプライで晒し者にしつつ、即ブロック。そして、性的対象として見られることを逆手に取って、開き直って“昭和B級エロ”の世界観づくりに邁進した。そうするうちに、“クソリプ”は減っていった。一方で女性からの反応は男性とは対照的に、共感の声が多く集まったという。 「女性はどこかで老いに対する恐怖を持っていると思うのですが、それが解消されたという反応がすごく多かったです。2年くらい前に私が撮影した20代のモデルの方にも、『年齢が上がるにつれてどんどん自分の価値が減り、自己肯定感もどんどん削られていくんです。その削られた部分をマキエさんが埋めてくれた』って言われました。私も若い頃に同じような恐怖感がありましたからよく分かりました」 撮影:マキエマキ  女性であるがゆえの葛藤は、カメラマンという職業選択においても、否応なく突きつけられたという。 「女性が少ないカメラマンという仕事を選んだのは、自分が女性であるために受けてきた不当な扱いに対する反発という感覚がすごくありました。でも、女性性を意識せずにできる仕事を選んだつもりが、クライアントから肉体関係を迫られたり、宴会への出席を求められたりしたこともありました。また、男性と同じ仕事をしていても仕事が増えないという現実があり、本来はカメラマンの仕事ではないのにスタイリングや、メイクがつかないモデル撮影の時にメイクをするなど、女性ならではの気遣いで仕事を取ってきたところもあります。モヤモヤはありましたけど、そこはもう割り切るしかなかったです」  こうした葛藤は、40代を過ぎて以降、どんどん楽になっていった。 「周囲が女として見なくなってきたことで、やりやすくなったというのがあります。また、私自身も閉経したことで生き物として女でなくなったと思うようになったから、開き直って熟女自撮りヌードができたんだと思います」  また、普段の自分では選ばないような服や下着を身に着けることが、“コスプレ”のような切り替えをもたらしてくれた。 「私の作品を見たトランスジェンダーの方に、『マキエさんの作品、これって女装なんだよね』って言われた時に、自分でもすごく腑に落ちたんです。カメラマンの仕事をしている時は黒っぽい服やパンツ姿が当たり前で、ことさら女性っぽい服装を避けきたので、今になって思い切ってやっているというのは確かに女装だなと」 撮影:マキエマキ ■「私のエロは、私が決める!」  半ば趣味のように“自撮り人妻熟女”を続けていたマキエさんだが、2019年2月に初の写真集『マキエマキ』(集英社インターナショナル)を発売したことで、写真家としての自覚がより明確になったという。この写真集の仕掛け人は元小学館の名物編集者で、矢沢永吉さんの『成りあがり』などをヒットさせた島本脩二さんだった。 「島本さんが関わっているギャラリーで個展をする話があって、作品を見せに行ったのがお会いしたきっかけでした。その時に島本さんが、『展示だけじゃなくて図録にしたら面白いんじゃない?』と言ってくださって、トントン拍子に話が進んでいきました。その時、島本さんがすごい編集者ということを存じ上げておらず、後で調べてびっくりしました(笑)」  写真集制作の話が出た頃、世間では、セクシャル・ハラスメントや性的暴力の被害者である女性が声を上げる「#MeToo」のムーブメントが起こっていた。そんな中、島本さんはこの写真集に「私のエロは、私が決める!」というコピーを掲げた。 「女性のセクシュアリティを踏みにじるようなことが社会に明るみになったときに島本さんが私の作品に共感してくださり、このコピーを持ってきてくださったのはある意味象徴的なことでした。私が自撮り人妻熟女を面白がってやっている根っこには、ルッキズムや若さ至上主義への反発というのがすごくありましたから」  改めて昭和の“エロ”を見返してみると、男の妄想によって生み出されたものであり、そこに被写体である女性の自我は微塵も感じられない。マキエさんは長年仕事で培った写真の技術を駆使して、昭和の“エロ”の世界観を自由に表現し、自ら面白がることで、女性の主体性を実力で取り戻しているように見える。写真の中のマキエさんを露出狂で欲求不満の人妻熟女と結びつけるのは早計で、実は女というだけで性的対象として見られ、仕事でも軽んじられてきたことへの復讐に似た、アーティストとしての表現活動にほかならない。 「はじめは遊び半分だったので、自分を写真家と名乗ることも、これをアートだというのはおこがましいと思っていました。でも、島本さんにこの写真集を作っていただいたことで、今までみたいにユルくやっていたら島本さんにも、支えてくださった人にも失礼だということに気づきました。だから、私は写真家として堂々とアートをやってやることにしたんです」  2020年には2冊目の写真集『マキエマキ 2nd 似非』(産学社)を出版し、2月4日(木)~22日(月)には「カフェ 百日紅」(東京・板橋)で個展も開催する(入場無料、喫茶店につき要オーダー)。マキエさんの自由で大胆なエロの“復讐劇”からますます目が離せない。                         (文:吉川明子) 衣装を身に着けたまま、仁王立ちで構図を決めるマキエマキさん マキエマキ 1966年大阪生まれ。1993年よりフリーランスの商業カメラマンとして雑誌、広告などでの活動を始める。2015年に「愛とエロス」をテーマにしたグループ展に出展したことで、自撮り写真に目覚める。その後、「自撮り人妻熟女写真家」として作品を発表し続けている。『第5回 東京女子エロ画祭グランプリ』受賞。写真集『マキエマキ』『マキエマキ 2nd 似非』を出版。
アサヒカメラセルフヌードマキエマキ写真集
dot. 2021/01/08 18:00
「2016年の週刊文春」の金言と「スラムダンク」の名言に学ぶ2021年 鈴木おさむ
鈴木おさむ 鈴木おさむ
「2016年の週刊文春」の金言と「スラムダンク」の名言に学ぶ2021年 鈴木おさむ
放送作家の鈴木おさむさん  放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、年末に読んだ一冊の本について。期待をいい意味で裏切る内容だったという。 *    *  *  柳澤健さんというノンフィクション作家さんがいて、僕はこの方の本が大好きです。プロレス・格闘技系の本が多いのですが、「1976年のアントニオ猪木」「1985年のクラッシュギャルズ」「1984年のUWF」などなど、年代をタイトルの最初につけるのが特徴。情報の整理力と、その時々に起きた事件を間近で見ているかのように思わせる文章に、何度も興奮させられました。  この方が昨年末に「2016年の週刊文春」という本を書いたと言うのだから、興味を持つに決まっています。  この柳澤さんが元々文藝春秋社の社員であり、自分の目で見てきたことも書いているというから、見る前から期待値が上がりまくる。  2016年と言えば「週刊文春」がスクープを連発した年。甘利大臣、ベッキー、などなど、世の中のワイドショーは文春砲をきっかけに動いた年。  読む前は、2016年のあの様々なスクープの裏側が読めるのかなとか思っていたんですが、そんな甘っちょろいものではなかった。  文藝春秋社の成り立ちから、出版してきた雑誌の誕生、廃刊の裏側も。  そして80年代からの週刊文春の衝撃のスクープ。裏話なんて言葉では片づけられない衝撃の事件とその裏で起きていたこと。社長の家が銃撃された話なんて、背筋が凍る。  僕が個人的に熱くなったのは、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を実名報道に至るまでの経緯。伝えるとは何か?法律って何なのか?思わず読んでいて、決断を下した編集長の気持ちになり、思わず拳を握り締めてしまう。  今、「週刊文春」というと、世の中の人は、芸能スクープのことを思い浮かべる人も少なくはないだろう。が、読んで思い出すのは、世の中を変えた週刊文春の政治家のスクープの数々。政治家のスクープを取材し、掲載することがどれだけの努力と覚悟がいることかと思いしらされる。  本の中で、「文藝春秋」1974年11月号巻末の編集長の文章が引用されている。『「特集・田中角栄研究」は正義からではなく好奇心から発した企画である』と。  正義感からではなく好奇心。  結局「好奇心」が入り口であり、「おもしろいかどうか」が大事なのだ。  そして本の冒頭部分に、おもしろいものを作るのに必要なものは「企画力」と「人脈」だと書いてあるところがあり、激しく同意する。  特に最近思っていた。僕はテレビの現場で様々な番組を作ってきましたが、「おもしろいもの」を作れた番組は、まさしく「企画力」のあるスタッフと、人脈力のあるプロデユーサーがいた時だ。面白い企画を考えられる能力はもちろん大事だが、僕は、人脈力を兼ね備えている人が最強だと思う。  週刊文春で様々なスクープを追いかけていく中で、この人脈がかなりものを言うのだが、人脈なんて簡単に作れるわけではなく、その人脈力を鍛えていく。人脈力も努力で才能になっていくのだと確信した。  最初の100ページほどは、僕的には知らないことも多く、基礎知識を覚えていくつもりで読んでいたので、多少苦労したが、そこを超えてからの怒涛のスピード感。  さまざまな金言溢れる中で、新谷学さんの「断られたところから俺たちの仕事は始まる」という言葉。スラムダンクで「諦めたら試合終了だよ」という名言があるが。  断られたら終わりじゃない。始まりなのだ。そう考える根性を持っていたい。  ダメだったところからが新たなスタートなのだと肝に銘じて、2021年、おもしろいものを作りたいなと強く思う。 ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中。バブル期入社の50代の部長の悲哀を描く16コマ漫画「ティラノ部長」の原作を担当し、毎週金曜に自身のインスタグラムで公開中
鈴木おさむ
dot. 2021/01/07 16:00
異色女優・伊藤沙莉 芸歴すでに17年で20代にして漂う「名脇役の風格」
丸山ひろし 丸山ひろし
異色女優・伊藤沙莉 芸歴すでに17年で20代にして漂う「名脇役の風格」
伊藤沙莉(C)朝日新聞社  近年の活躍ぶりには目を見張るものがある女優の伊藤沙莉(26)。11月に公開された波瑠主演の映画「ホテルローヤル」で女子高生役を演じているが、今年は主演映画「タイトル、拒絶」の他、「劇場」「十二単衣を着た悪魔」や、声優を務めた「小さなバイキング ビッケ」「映画 えんとつ町のプペル」(12月25日公開)など、合計9本の出演作が公開。サントリーや日本マクドナルドのCMにも出演し、お茶の間での人気や知名度も上昇している。  伊藤は子役として9歳でデビューし、芸歴はすでに17年。だが、注目を集めるようになったのは2018年に放送されたNHK連続テレビ小説「ひよっこ」に出演してから。その後、Netflixドラマ「全裸監督」や「これは経費では落ちません!」(NHK総合)など話題作で存在感を発揮。シリアスもコメディも演じることができる女優として、SNS上でも「何か人を惹きつける」「ドラマでふと脇役にいると嬉しくなる」など称賛する声が多く、ファンは着実に増えている。もはや、若くしていい味を出す名バイプレイヤーというポジションを確立しつつあるが、本人自身も相当、個性的のようだ。 「20歳くらいまで様々なアルバイトをしていたとインタビューで明かしていましたね。何をやってもダメだったそうで、コンビニのバイトではカウンターのレジで寝てしまったり、パンを温める際に電子レンジで爆発させてしまったりしたこともあるとか。自ら『社会に適合できない人間』と言っていました。ちなみに、過去にはトーク番組で1人暮らしを始めたことを明かした際、『出したものを戻せるようにはなった』とも。また、先日放送されたバラエティ番組では、過去の恋人全員に『明日、私が死んでも後悔しないくらい私を愛して』と伝えていると、独特な恋愛観も披露していました。出会ったことが奇跡で、せっかく付き合っても、自分の存在が当たり前になっていくことに腹が立つのだとか」(テレビ情報誌の編集者)  恋愛に関しては、さっぱりした人に見えて意外と“重いタイプ”のようだが、一方で子役出身ゆえ小学生時代からエゴサーチを覚え、現在では悟りの境地まで達したというエピソードも。「ブス」とか「つまらない」とかネガティブな意見を目にしても、「そうですか……」くらいにしか感じないのだとか。むしろ、どんな反応があったにしても自分が相手の視界に入ることが原動力になるそうだ(「ABEMA TIMES」11月8日配信)。また、逃げられないという状況が楽しめる性格だとも。「もうヤダ~」と思っている状態が意外と気持ちいいそうで、自ら「ちょっと変態なんですけどね」と明かしていた(「NB Press Online」11月8日配信)。 ■フェイクドキュメンタリーに本人役で出演  何より、相当なメンタルの強さがうかがえるが、加えて自身の容姿に関しても前向きな発言が目立つ。 「自ら『私は正統派美少女というわけでもない』と話しています。他の女優さんと比べて落ち込むのではなく、可愛いって思われなくてもいいなら、全力で変な顔もするしリアクションもしてやると、振り切ることにしたそうです。そんな個性的かつメンタルが強いところは、女優としての魅力につながっていると思います。だからこそ、自立した女性やアクの強い役が見事にハマり、脇役という立ち位置で輝くのでしょう」  ドラマウォッチャーの中村裕一氏は、そんな伊藤の魅力についてこう分析する。 「子役出身とあって、まだ26歳ながら漂うベテランの落ち着いた風格と、その中から時折、見え隠れする繊細ではかなげな表情が彼女の魅力。親友でもある松岡茉優主演のフェイクドキュメンタリードラマ『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』では、伊藤沙莉本人役で出演。時として主役の松岡を超える存在感を発揮し、インパクトを残しました。また、ドラマ『獣になれない私たち』や『これは経費で落ちません!』で演じた、“仕事はできないけど要領のいい後輩”役は、今のところ彼女の右に出る者はいないくらいのハマりぶりでした。脇役・主役問わずまだまだいろいろな役が出来るだろうし、いち視聴者、いち観客として多彩な面を見せる彼女を見てみたい。これから先も息の長い女優生活を続けてほしいですね」  愛くるしいベビーフェイスにハスキーボイスというギャップも魅力の伊藤。似たようなポジションの女優は見当たらないため、キャスティングしたくなるような存在なのかもしれない。まだまだ快進撃は続きそうだ。(丸山ひろし)
dot. 2020/12/28 11:32
コロナ禍……年末年始に家族で帰省はしていいの?「やっていいこと・悪いこと」
コロナ禍……年末年始に家族で帰省はしていいの?「やっていいこと・悪いこと」
昨年末までは駅の改札口で帰省する孫を待受ける光景が(C)朝日新聞社 【表1】「年末年始の帰省」ネオマーケティング調査(Webアンケート方式で実施。調査期間は10月27~29日/20歳以上の男女、有効回答数は1000人) 【図1】感染リスクが高まる「5つの場面」(厚生労働省ホームページより) 現代礼法研究所 代表 岩下宣子/全日本作法会の内田宗輝先生、小笠原流小笠原清信先生に師事し、マナーを学ぶ。お茶の水女子大学の森下はるみ教授から動作学を学ぶ。1985年、現代礼法研究所を設立し、2003年に特定非営利活動法人(NPO)マナー教育サポート協会理事長に就任。19年から理事・相談役。他にNPOりすシステム 監事。「マナーは愛(思いやり、大切にするこころ)」を原点として、多くの企業、学校、商工会議所、各種団体等で研修指導、講演を行うと同時に、執筆活動、テレビ出演など幅広く活動  今年の4月と8月にピークを迎えた新型コロナウイルスの流行は、12月初旬においても第3波と呼ばれる感染拡大によって国民を不安にさせました。結果、観光支援策「Go To トラベル」をめぐり、28日から2021年1月11日にかけて全国一斉に停止すると、菅義偉首相が12月14日に表明しました。  お正月といえば、家族や親戚が一堂に会する家庭も多く、帰省ラッシュの混雑具合は毎年、テレビで放映されるなど話題になりますが、今年の帰省はどうなるのでしょうか。「孫に会いたい」という両親への気遣いや、「コロナだからこその年末年始の過ごし方」についてのマナーを中心にお伝えします。 *  *  *  例年ならば忘年会にクリスマス、新年会など、イベントが多い季節である師走。しかし今年はコロナの影響で、いつも通りに友人や職場のみんなとワイワイと楽しむのをためらったり、5人以上の宴会はNGだったりという企業も多いのではないでしょうか。  また毎年、夫や妻の実家に子どもを連れて帰省する家族も、地方に住む高齢の親に「万一のことがあってはいけない」と、年末年始のスケジュールを決めかねている人も多いのではないだろうか。  ■6割を超える人が「帰省するのをやめる」と回答  11月27日、ネオマーケティングは「年末年始の帰省」をテーマにした調査結果を公表しました。新型コロナウイルスの影響もあり、年末年始に「帰省する」と回答した人は14.2%、「帰省しない」と答えた人は63%と、6割を超える人が帰省するのをやめるといいます(表1)。 「帰省しない」理由として、新型コロナウイルスの感染リスクを避けるためという意見がある一方、今年はGWも夏休み(お盆)も帰れていないので、年末年始こそは帰省したいという意見もありました。新型コロナウイルスの状況次第で判断をするため「まだわからない」と回答した人も22.8%いました。 (※Webアンケート方式で実施。調査期間は10月27~29日/20歳以上の男女、有効回答数は1000人)  新型コロナウイルスは、飛沫感染(マイクロ飛沫)と接触感染によって感染するといわれています。クリスマスや忘年会にお正月、新年会など、人が集まるイベントが多くなる年末年始。感染リスクを高める行動や場面として、新型コロナウイルス感染症対策分科会では、感染リスクが高まる「5つの場面」としてまとめました(図1)。 場面1)飲食を伴う懇親会等 場面2)大人数や長時間におよぶ飲食 場面3)マスクなしでの会話場面 場面4)狭い空間での共同生活 場面5)居場所の切り替わり    年末年始に帰省することによって、地方の実家や親戚宅へウイルスが広がってしまうかもしれないという不安を払拭するのは難しいでしょう。  しかし、今年は高齢者にとっても「我慢の1年」でした。「孫の顔が見たい」という声をかなえたいのはもちろんのこと、帰省する人も親戚と会うことでストレスが和らぐなど、大切な癒やしの時間になるかもしれません。では、実際に帰省することを迷っている人は、どうすればいいのでしょうか。 ■コロナ禍の中、高齢者がいる実家に帰省してもいいのか 「帰省をするかどうか迷ったら、まず、ご両親に電話やメールなどで相談をしてください。その際、実家の近所に住む方々の雰囲気を知ることが大切です」  そう話すのは、現代礼法研究所の代表である岩下宣子先生です。日ごろから周囲とのコミュニケーションがきちんと取れているか、実家の近所の住人たちとの関係性がより良いものであるかどうかが、コロナ禍の今だからこそわかるといいます。 「『息子夫婦が年末に帰省します。家族全員、PCR検査を受けて陰性という判断が出ましたので安心してください。よろしくお願いします』。ご近所の方へ、この一言があるのとないのとでは、今後の関係がもっと窮屈なものになってしまうこともあるでしょう。相手のことを先回りして考え、丁寧に説明をし、ご近所さんの不安を和らげてあげることが大切です」  最近、都内の駅前にはクリニックで自費検査を受けるよりもPCR検査が安く受けられる施設が開設。唾液からウイルスの感染を調べるもので、手軽に受けられると評判になっており、帰省する際に利用する人もいるといいます。  高齢者の両親が「マスクをするのが窮屈」とすぐに外してしまったり、マスクをすること自体を拒んだりしている場合は、「孫が選んだの、ぜひつけてみて」とプレゼントをしてみるのも手だと、岩下先生は話します。 「白や黒だけでなく、昨今はカラフルなモチーフのマスクもたくさん売られています。また、『自分のために選んでくれた』という気づかいが喜びを生みます。マスクのプレゼントを通して、親とのコミュニケーションがより増えていくきっかけになるはずです」 ■残念ながら、帰省しない・できない場合はどうする!?  高齢の両親の健康を考えて、帰省しないことを選ぶ人も多いだろう。その場合でも、一言添えることが重要だ。 「ただ『帰れない』とだけ告げてしまうと、息子・娘や孫の帰省を楽しみにしていた親をもっと悲しませることになります。『お花見のころは行けるようになると思う』など、未来の言葉を添えることで、親にとって希望や目標が一つできます」  年末年始は仕方がない……でも、お花見の季節になったら会える! 未来へ思いがいくのが喜びにつながるという。  逆に、コロナ禍だからこその年末年始を考えてみるのはどうだろうか。パソコンや携帯電話などを使って、実家とオンラインでつないで同時に一体感を楽しむのだ。 「購入した正月飾りを見せあう。年始には、お屠蘇を一緒に楽しみ、互いのおせち料理を紹介しながら食べる。カルタもいいですね。同じカルタを用意しておいて、おじいさんとおばあさんが交代で読み手となり、画面の先にいる孫や家族がその札を取って枚数で競うのです。会えない今だからこそ創造力を働かせて、新しい年末年始を過ごしてみましょう」 ■コロナ禍だからこそ、正月飾りをきちんとしてみる  では、コロナ禍だからこそ、年末年始にやっておいたほうがいいことはあるのだろうか。   「まず、両親への新年のあいさつを丁寧にすること。その際に『元気でコロナを乗り切ってほしい』と元気な声を伝えること。そして、コロナ禍の今、正月飾りをきちんとしてみてはいかがでしょうか。福をたくさんもたらす年神さまは、松をアンテナにして天からいらっしゃいます。松がないと降りてこられないんですね。そして、降りてきた年神さまは、鏡餅に鎮座します。正月だからこその、日本古来の伝統を子どもに言って聞かせ、体験させてあげることで、家族に言葉のエネルギーをあげられるのです」 「大丈夫、健康でいられるよ」「その鏡餅を食べれば、より元気になれるね」こんな時期だからこそ言葉の力で家族を元気にし、新しい年を迎えてほしい。(文/AERAムック編集部・長谷川拓美)
dot. 2020/12/20 18:00
難関進学校・吉祥女子が芸術系大学に強い秘密
矢野耕平 矢野耕平
難関進学校・吉祥女子が芸術系大学に強い秘密
デッサンをする吉祥女子の生徒(写真/同校提供) レンガ造りの塔(写真奥)が印象的な吉祥女子のキャンパス(写真/同校提供) 美術科の施設には陶芸用の窯も用意されている(写真/筆者撮影) ■ほかの進学校とは「ひと味違う」大学合格実績  JR中央線の下り線、西荻窪駅を過ぎると、車窓から教会と見まがうようなレンガ造りの塔がちらりとみえる。「真理」という意味のラテン語「VERITAS」の文字が刻まれているこの塔は、吉祥寺にある中高一貫校、吉祥女子中学・高等学校の1号館のシンボルタワーだ。  吉祥女子は東京の難関女子進学校のひとつであり、大手進学塾の模擬試験で活用される、いわゆる「偏差値一覧表」に目を向けると、洗足学園、白百合学園、頌栄女子学院、鴎友学園女子などとほぼ同じような位置にある。  吉祥女子の起源は1938年、新宿区に設立された帝国第一高等女学校。創立者は地理学の権威であり、「帝国書院」を立ち上げた守屋荒美雄氏である。戦後すぐに同校は武蔵野市吉祥寺東町に移転し、その名を吉祥女子に変更した。校名を「吉祥寺女子」にしなかったのは、「寺」をつけることで仏教系の学校という先入観を持たれたくなかったからだとか。  2020年の同校の大学合格実績に目を向けてみよう。東京大学4人(うち現役3人)、早稲田大学88人(同73人)、慶應義塾大学58人(同48人)、上智大学42人(同38人)など、難関大学の合格者が数多く輩出していることが分かる。  しかし、他の女子進学校と比較して「ひと味違う」合格実績がある。  多摩美術大学11人(同11人)、武蔵野美術大学23人(同23人)……。そう、芸術系大学の合格者が多いのだ。  実はこの吉祥女子、かつては「芸術コース」を設けていた学校である。このコースは完全中高一貫体制になった2007年に廃止されたが、いまもなお同校は「高度な技術の習得と創造性を学ぶ」という方針のもと、芸術教育に力を入れている。 ■声楽、バレエ、日本舞踊…多彩な課外授業講座  吉祥女子は完全中高一貫教育をおこなっていて、高校2年生のとき進路別に“系”の編成がなされるという。同校の広報部部長・杉野荘介先生は説明する。 「本校では高校2年から文系、理系、そして芸術系(音楽・美術)に分かれて学びます。言い換えれば、高校1年の秋までは自らの進路について、芸術系も含めてじっくりと考えることができます」  とはいえ、文系に進んだ生徒の中にも芸術分野の道を考えている生徒が含まれているとか。杉野先生はこう言い添える。 「近年の傾向としては、たとえば早稲田や一橋などの難関大と、音大や美大を掛け持ちして受験するような生徒もいます」  同校は高1以下の通常カリキュラムの中にもさまざまな芸術教育を組み込んでいて、生徒たちがさまざまな分野に興味関心を抱けるようにしているという。  それだけではない。同校では芸術分野を中心にした課外授業講座を用意している。「ピアノ」「声楽」「ヴァイオリン」「フルート」「トランペット」「クラリネット」「ソルフェージュ」「中学美術」「高1~3造形」「華道(草月流)」「茶道(裏千家)」「筝曲(生田流)」「中国語会話」「着付」「日本舞踊(坂東流)」「バレエ」「英会話」「英語外部試験対策」の18分野。この課外授業、授業料は別途必要だが、かなり格安である。加えて、その道の一流講師陣から直接指導を受けられるという、何ともぜいたくな環境が用意されている。  生徒指導部副部長であり音楽科教諭の山田成香先生は言う。 「課外授業は音楽系の講座だけでも約140人の生徒たちが受講しています」  杉野先生が付け加える。 「美術系の講座も人気がありますし、茶道には100人以上が集まります。生徒たちは、これらの課外授業に、部活の合間に取り組む『習い事』のような感覚で参加しています」  山田先生は「中学受験で私学を選んだからこそ、課外授業には意味がある」と語る。 「中学受験の勉強のために、それまで習っていた音楽や美術の習い事を中断した生徒は少なくありません。実にもったいないことだと思います。さらに、私学である本校には時間をかけて遠方から通学してくる生徒もいる。家に帰ってから習い事に行くのが難しい生徒も、学校の中にこのような講座があると、習い事を続けられますよね」  これらの講座の醍醐味を堪能できる施設や設備も整えている。そのひとつひとつを見学させてもらったが、どれも本格的な造りである。たとえば、美術科の施設ではアトリエのみならず、陶芸用の窯まで用意されている。 ■芸術系生徒は認められて成長し、力を発揮する  美術科教諭の德山高志先生は、課外授業についてこんな話をしてくれた。 「課外授業は絵を描くのが好きだからという動機で受講し始める生徒がほとんどです。が、彼女たちの成長過程において、社会的な問題に目を向けるようになる中でデザインに関心を抱き始めるとか、芸術のさまざまな分野を深く学んでいこうという姿勢が生まれてきます」 「うわあ! 德ちゃん!? 懐かしい!」  德山先生の取材模様の話をわたしから聞き、こう嬉しそうに声をあげたのは、同校出身で現在はイラストレーターとして活躍する平井さくらさん(34歳)だ(平井さんのwebサイトはこちらhttp://on-line.sakura.ne.jp/)。  平井さんは学校生活をこう振り返る。 「吉祥では本当にいろいろな分野をじっくり学べました。デッサンに陶芸、段ボールアート、油絵など……。さまざまな世界をのぞくことで、絵画の見方が変化したのを覚えています」  平井さんには德山先生との忘れられない思い出があるという。 「吉祥祭(文化祭)のポスターを作る係になったとき、私を含めた5人の案から一つが選ばれることになりました。わたしは自信がなかったのですが、なんと德山先生はわたしの案を選んでくれて、『平井はセンスがいいな』なんて言ってくれて(笑)。結果的にはほかの子の案が選ばれたのですが、あのときは自分を認めてくれたように感じて、嬉しかったです」  芸術系の生徒たちは、どこかで自分を認められる場面を経験して、成長していくようだ。  また、芸術系には「面白い性格の生徒が多い」という。広報部副部長で家庭科教諭の山根晶子先生はこんな話を教えてくれた。 「芸術に打ち込んでいる生徒たちはそれぞれの視点や切り口、発想が独特ですよね。文系や理系の生徒は、それをどこかリスペクトする空気があります。教員の目線から見ても、たとえば講演会が開催され、その感想文を書かせると本当に面白いものが多い。ほかの生徒たちも『ええ!? あの子、こんな鋭いことを考えていたの!?』なんてびっくりすることがよくあります。行事等においては、芸術系の生徒たちはここぞという場面で頼りにされています」 ■お互いの個性を認め合える雰囲気  吉祥女子創立時の話に戻そう。  同校の創立者である守屋荒美雄氏は「社会に貢献する自立した女性の育成」を掲げ開校準備を進めたが、開校直前に急逝してしまう。同氏の遺志を継いだのは、数学者である息子の守屋美賀雄氏であった。親子2代で興された学校でありながら同族経営ではなく、教職員の自主性に委ねることで現場の創意工夫を促した。それを象徴するのは、守屋美賀雄氏自身が敬虔なカトリック信者であったにもかかわらず、「学校としての多様性を尊重したい」と、宗教色を一切学校に持ち込まなかった点だ。  それから時代は流れた。いまの吉祥女子の生徒たちの雰囲気はどういうものなのだろう。杉野先生はこう表現してくれた。 「本校は、『どんなタイプ』であっても『共存』できる良さがありますね。グループが固定されるようなこともあまりないですし」  山田先生も杉野先生の発言に深く同意する。 「運動系の部活で活躍する生徒、クラスの雰囲気を盛り上げる生徒、芸術に打ち込んでいる生徒、とにかく本が大好きな生徒、あるいは特定分野においてオタク気質な生徒……。本当にいろいろな生徒がいます」  芸術コースを廃しても、吉祥女子が芸術教育をいまもなお大切にしている理由が分かったような気がした。  杉野先生は胸を張る。 「わたしたちは『多様性』という表現をさほど押し付けているわけではありませんが、生徒たちに本校の特色を語らせると『多様性』ということばが自然にたくさん登場します。本校では芸術だけではなく、ジェンダー、国際理解といったものも含めて、さまざまな多様性を認める文化が根付いています。相手をすぐに否定するのではなく、その良さを見つめつつ、互いに尊重し合いながら自分の意見を表明することができる……そういう環境があるのだと思います」  吉祥女子には創立時の精神が確かに引き継がれているのだ。
AERA with Kids+ 2020/12/14 17:00
レストランに逃げ込んだ母子3人と訳アリな人々の人間模様を描く
レストランに逃げ込んだ母子3人と訳アリな人々の人間模様を描く
Lone Scherfig/1959年、デンマーク・コペンハーゲン生まれ。「幸せになるためのイタリア語講座」(2000年)でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。イギリスで製作した「17歳の肖像」(09年)が米アカデミー賞3部門にノミネートされるなど、世界でも注目される監督となった。その他のおもな作品に「ワン・デイ 23年のラブストーリー」(11年)、「ライオット・クラブ」(14年)、「人生はシネマティック!」(16年)などがある (c)Yu Tsai Contour RA Getty Images 「ニューヨーク 親切なロシア料理店」/クララと子どもたちは、人々の助けによって再び人生を取り戻す。12月11日から全国順次公開 (c)2019 CREATIVE ALLIANCE LIVS/RTR 2016 ONTARIO INC. All rights reserved 「偽りなき者」/発売元:キノフィルムズ、販売元:KADOKAWA、価格4700円+税/DVD発売中  AERAで連載中の「いま観るシネマ」では、毎週、数多く公開されている映画の中から、いま観ておくべき作品の舞台裏を監督や演者に直接インタビューして紹介。「もう1本 おすすめDVD」では、あわせて観て欲しい1本をセレクトしています。 *  *  *  デンマークのロネ・シェルフィグ監督(61)は、「17歳の肖像」(2009年)が米アカデミー賞3部門にノミネートされ、世界的な脚光を浴びた。彼女のオリジナル脚本となる新作「ニューヨーク 親切なロシア料理店」は、老舗レストランで出会う人々の群像劇だ。 「あるイベントに参加した時、美しい女性がテーブルに用意されていたカナッペを盗んで逃げる場面に遭遇したの。外には子どもの乗った車が停まっていて、事情を察した。それをきっかけに貧困や家庭内暴力などの問題について考えるようになった。でも本作における家庭内暴力は作品の一要素でしかなく、見知らぬ人同士でもお互いを助け合うことができるかがテーマなの」  主人公は二人の幼い息子を抱えたクララ。暴力的な夫から逃れてマンハッタンにやってきたが、大都会でのサバイバルは厳しい。寝泊まりや食事に困っていたところ、たまたま転がり込んだロシア料理店で、見知らぬ人々から優しく手を差しのべられる。 「ニューオーリンズやルイジアナを訪れた時、橋の下で寝ている人たちを見て、世界中にこのような境遇の人がいるのだ、と考えさせられた。そんな折、ニューヨークで、夜に橋の下で寝ている人を訪ねて温かい飲み物を届けている人たちに出会った。スカンジナビアでは社会保障が整っている分、チャリティーはあまり活発ではないのだけれど、アメリカにはボランティア活動をする人が大勢いる。彼らの姿を見てとても感動した」  ロシア料理店を舞台に、世渡りの下手なジェフ、兄をかばい犯罪歴を背負うマーク、献身的な看護師のアリスなど訳アリな人々が登場する、人種のるつぼビッグ・アップルならではの物語だ。 「さまざまな人生が交差するパッチワークのような物語にしたいと考えた。貧富の差が極端で、社会的な階級差が大きいという点でニューヨークを選んだの。ニューヨークの現実を反映させつつ、人々の私生活にも目を向けたかった」  テレビやコマーシャルフィルムでのキャリアを経て、1990年に長編映画監督デビューした。デンマーク映画シーンを牽引(けんいん)するムーブメント“ドグマ95”として発表した「幸せになるためのイタリア語講座」(00年)は、ベルリン国際映画祭銀熊賞など数々の賞に輝いた。問題を抱えた人々が語学講座を通して出会う物語で、本作と同様、現代社会に失われつつある人の絆の貴重さがコミカルに描かれている。いずれの作品も観る者の心をほんのりと温めてくれる。それが彼女の映画の魅力と言えるだろう。 「映画には自分の価値観が反映されるという点で、強い責任を感じる。デンマークで作られる映画は予算が小さいけれど、だからと言ってちっぽけなテーマの映画を作らなければならないということはない。大きなテーマ、大きな闘争を、小さな予算でも取り上げられるのではないかと思う。観てくれた人に価値をもたらすような作品を作っていきたい」 ◎「ニューヨーク 親切なロシア料理店」 クララと子どもたちは、人々の助けによって再び人生を取り戻す。12月11日から全国順次公開 ■もう1本おすすめDVD「偽りなき者」  同じデンマークのトマス・ヴィンターベア監督は、名作「セレブレーション」(1998年)で知られる。マッツ・ミケルセンがカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞した「偽りなき者」(2012年)の主人公は、住民全員が知り合いのような小さな町の幼稚園に勤めるルーカスだ。ある日、園児に大人気の彼に思いを寄せる女子園児の発言により、性的虐待の容疑で逮捕されてしまう。無罪になったものの、町の人々は彼を有罪と決めつけ過酷な仕打ちをする。彼は一人孤独に耐え、真実を主張し続けるが──。  家族のように親しかった友人や住民たちが、手のひらを返したように敵意をむき出しにしていく。信頼や友情のもろさ、子どもと性犯罪をとりまく環境の危うさ、善悪白黒つけがたい人々の行動などについて深く考えさせられるストーリーが心を打つ。  ハリウッド映画にも進出し、いまや世界的な人気を誇るマッツ・ミケルセンの演技が最高に光るのは、デンマーク映画だと痛感する。ヴィンターベア監督の最新作「アナザー・ラウンド」(20年/日本公開未定)も再びミケルセン主演で、中年男性の友情とメンタリティーが描かれる期待作だ。 ◎「偽りなき者」 発売元:キノフィルムズ 販売元:KADOKAWA 価格4700円+税/DVD発売中 (ライター・高野裕子) ※AERA 2020年12月14日号
AERA 2020/12/13 17:00
コロナ禍における「オトナ女子の年末年始の過ごし方」意識調査で電子ピアノが爆発的大人気
コロナ禍における「オトナ女子の年末年始の過ごし方」意識調査で電子ピアノが爆発的大人気
コロナ禍における「オトナ女子の年末年始の過ごし方」意識調査で電子ピアノが爆発的大人気  新型コロナウィルスの脅威によってここ日本も緊急事態宣言まで発令され、世界的に未曾有の事態に見舞われた2020年。12月1日現在、全国の新規感染者数は過去最多へ。不要不急の外出を控えてステイホームで過ごす生活様式が求められる中、オトナ女子を中心に電子ピアノに注目が集まっているのはご存知だろうか。  マーケティングを行う(株)アイ・エヌ・ジーは、ライフスタイルにも大きな変化が起こったコロナ禍において「オトナ女子の年末年始の過ごし方には一体どのような影響が出るのか?」20~40代女性を対象に意識調査を実施。帰省のタイミングでもある夏休みやゴールデンウィークの時期はリモート帰省をする人が多かった一方で、2021年のお正月の過ごし方は「自宅でゆっくり過ごす」が49.6%とほぼ半分を占める結果となり、具体的な過ごし方としては「片付け」「料理・自炊をする」「映画鑑賞」「語学勉強」に加え、意外にも「楽器演奏」と回答する人が多かった。  有意義にステイホームを楽しむべく、流行に敏感なオトナ女子の中で楽器を始める人が爆発的に増えているようで、その中でもスペースを取らず、維持費もかからず、ヘッドホン使用で音問題もクリアできる「電子ピアノ」への注目が集まっている。  カシオPrivia PX-S1000(https://bit.ly/2JJRl5U)は特に人気が高く、インテリアとしても映えるデザインや、楽器としてのクオリティー、そして、世界最小のスリムボディ(※ハンマーアクション付き88鍵盤・スピーカー内蔵デジタルピアノの奥行サイズにおいて(2019年7月現在、カシオ調べ)が愛用される要因となっている。  Withコロナの年末年始、オトナ女子中心に電子ピアノブームが起きるかもしれない。 ◎調査の概要 調査期間:2020年11月10日~11月13日 調査地域:全国 調査対象者:20~45歳の女性141名 調査手法:インターネット調査(株式会社アイエヌジー調べ)
billboardnews 2020/12/11 00:00
2度のトライアウト挑戦…夢破れた元巨人選手の思い 「燃え尽きるほどやっていない」と心残りも
2度のトライアウト挑戦…夢破れた元巨人選手の思い 「燃え尽きるほどやっていない」と心残りも
 プロ野球の12球団合同トライアウト。毎年、主に戦力外通告を受けた40~50人程の選手が参加するが、日本プロ野球機構(NPB)の球団に獲得されるのは数人という狭き門で、「事実上の引退試合」との指摘もある。その厳しい現実の一方で、NPB復帰を諦めず複数回、トライアウトに臨み夢破れた選手たちもいる。何が彼らを突き動かしたのか。過去に2年続けてトライアウトに挑んだ元巨人の外野手に、思いを聞いた。 *  *  *  多くの選手が生き残りをかけて臨むトライアウトだが、育成契約を含めNPB球団への道が開けたのは2019年は3人(参加43人)、2018年は5人(同48人)、2017年は3人(同51人)。2019年からは同一選手による参加を2回までとする制限が設けられ、ハードルも上がった。 「トライアウトは基本的には選手を『発掘する』場ではなく、獲得するかしないかを検討していた選手について、十分な動きができるか確認するのが目的です。他球団を戦力外になった選手で、積極的に獲得したい選手にはトライアウト前に水面下で接触するので、そういう選手はトライアウトに出ないケースが多いと思います」と語るのはセ・リーグの球団関係者だ。個々の選手のモチベーションもさまざまで、活躍の場を得ようと全力プレーで必死にアピールする選手もいれば、一軍で活躍した元投手は「半分以上は諦めていて、野球人生の最後のけじめとして参加した」と素直に認める。  あまりに厳しい現実――。 「(NPB復帰が)難しいことは分かっていました」  こう振り返るのは、元巨人の外野手、高橋洸氏(27)だ。2017年に戦力外通告を受け、その年と翌2018年のトライアウトに参加した。  日本文理高(新潟)から2011年のドラフト5位で巨人に入団した高橋氏。俊足強打の外野手として期待されたがケガが続き、2013年のシーズン後に育成選手として再契約した。その後は足のスペシャリスト・鈴木尚広氏に弟子入りし、2017年には三軍で31盗塁を記録するなど結果を残しつつあったが、そのシーズンオフに2度目の戦力外通告。一軍での試合出場は一度も果たせなかった。 「数字を残しても二軍にすら呼ばれず、他球団だったらどうなのかという思いがありました。24歳でしたし、まだまだやっていけるという気持ちで、トライアウトに参加しました」  17年の11月15日。運命のトライアウトが行われる球場に入ると、小学1年で野球を始めてから、甲子園でも巨人在籍時代にも味わったことのない空気に驚かされた。 「まさに異次元の空間でした。『おはようございます』『おつかれさまでした』のあいさつ以外は選手同士で言葉を交わすことはなく、たとえ知った選手でも『頑張ろう』と励ますこともない。ノックもみんな無言で、ゲームでヒットを打っても誰も喜びません。すべての空気が、僕が知っている野球の世界と違いました」  プロ野球選手としての「生死」がかかる場、参加者は仲間ではないのだから当然と言えば当然だろう。  独特の緊張感の中で、結果は4打数1安打。俊足強肩を評価され、社会人野球や独立リーグのチームからは声がかかった。運動神経抜群の若者とあって、球場に新人発掘に来ていた自衛隊や警察、消防からも就職案内のパンフレットを渡された。  こうした意外な“スカウト”を受けた一方で、希望したNPBの球団からは連絡が来なかった。 「ただただ、悔しかったですよ。でも、まだやれるという思いは全く変わらず、もう一度トライアウトを受けようと決めました。簡単じゃないことはわかっていました。でも、やってみなければわからないじゃないですか」  18年に、社会人野球チームを持つ企業に入社。もう一度トライアウトを受けるという条件を受け入れてくれたのが決め手だった。  とび職として毎朝4時半に起きて都内の建設現場に出向いた。車で帰宅して、練習は21時ごろから。自主練習が主体で、バッティングセンターで日付が変わるまで打ち込むこともあった。厳しい環境でも、モチベーションは下がることはなかった。  そして同年11月13日、迎えた2回目のトライアウト。「異次元の空間」は2回目でも慣れなかった。盗塁を1つ決め持ち味は出したが、無安打に終わった。  この後、高橋氏の中で、何かが変わった。 「翌朝、目が覚めると、『もういいかな』って思っている自分がいました。『もういいかな』というのは、僕では通用しないという諦めの意味ではないんです。自分でもうまく説明できない感情で……理由は今でも分からないですが、NPBの球団から連絡が来ないまま(期限の)一週間が過ぎても、去年のような悔しさはありませんでした」  引退を決意し、野球の道具はすべて新潟の実家に送った。  それから2年――。  7日に行われた今年のトライアウトには、巨人時代の先輩だった宮国椋丞、吉川大幾が参加した。まだ28歳、高橋氏の一歳年上の2人が野球選手として「生死」をかけた場に挑んだ。  高橋氏は、一時期は野球から離れ営業マン生活を送ったが、縁あって今は山梨県の女子硬式野球チーム「バンディッツ・ガールズ」の監督に就いている。中学生の硬式野球チームも指導している。再び野球を仕事とする世界に戻った今、2度のトライアウト挑戦に何を思うのか。 「受けて良かった……うーん、でもどうなんだろう。結局、あきらめることができなかったんですよ。2回とも(NPB球団に)受かる気で参加したけど結果は出ず、引退しました。じゃあ、2回も挑戦したんだから十分やり切ったんだろうと言われると、『燃え尽きるほどやってないじゃん』と思う自分もいます。ただ、子どもたちを教える側に回ってみると、トライアウトを、あの選手たちの姿を子供たちにみせてあげたいという思いは湧きました」  そして、こう続ける。 「トライアウトが自分にとって何だったのかは、今でもうまく話せません。でも、自分自身が、何か強くなれたのかなとは思っています」 (AERAdot.編集部)
dot. 2020/12/09 16:00
両陛下が寝耳に水だった「皇女制度」 眞子さま“結婚” で両陛下は?
両陛下が寝耳に水だった「皇女制度」 眞子さま“結婚” で両陛下は?
57歳の誕生日を迎える雅子さま (c)朝日新聞社 国会開会130周年の式典に出席した両陛下と眞子さま(C)朝日新聞社 「皇女制度」創設でどうなる?眞子さま(左)と佳子さま (宮内庁提供)  今年はコロナ禍で「立皇嗣の礼」が行われ、眞子さまの「結婚宣言」、「皇女制度」創設が取り沙汰されるなど異例続きとなった。ジャーナリスト・友納尚子氏がその裏側の様子などを明かす。 *  *  *  両陛下は11月29日、国会の「議会開設百三十年記念式典」にご出席された。お二人が公務で周年式典にお出ましになるのは初めてのこと。さらに雅子さまは、皇室入りされてから国会に行幸されるのも初めてだった。  会場には、小室圭さんとの「結婚宣言」以来、初めて公務に出席された眞子内親王殿下のお姿もあった。意外な組み合わせに、両陛下が眞子さまをアシストされたのではという見方もあった。  しかし、真相は秋篠宮殿下が皇嗣となられたため、秋篠宮家を代表されて長女の眞子さまがご出席されたに過ぎないという。  両陛下と眞子さまが今回のことで、どのような言葉を交わされたのかはわからないが、この日、雅子さまは眞子さまを見守るような視線を向けられていた。  11月20日には秋篠宮皇嗣殿下の誕生日(同30日)会見が事前に行われたが、その驚きの内容で未だ、騒然としていた。  皇嗣として初めて秋篠宮が何を述べられるか期待されるはずだったが、11月13日に眞子さまが文書で小室さんとの「結婚宣言」をされたことから、秋篠宮が結婚を認められるかどうかが注目されていた。 「結婚することを認めるということです」  こう述べられたが「結婚と婚約は違いますから」と従来の主張も繰り返されたことから、秋篠宮のご真意は測りきれないところがあった。  そのご様子を紀子妃は、実に複雑なご表情でご覧になっていたという。  11月24日の新聞には、タイミングを合わせたかのような記事の見出しが並んだ。 <皇族女子 結婚後に特別職 「皇女」創設 政府検討>(読売新聞) <皇籍離脱女性に「皇女」政府検討 公務への協力委嘱>(毎日新聞)  共同通信も同様の記事を配信した。  結婚によって皇籍離脱した女性皇族に「皇女」という新しい呼称をおくる新制度が急浮上したというもので、政府は来年から検討に入るという。  想定される対象は愛子内親王殿下、眞子さま、佳子内親王殿下、黒田清子さんだった。眞子さまが結婚されると、「皇女第1号」となることを意識して検討されている新制度だった。  これに驚かれたのは、天皇、皇后両陛下だった。愛子さまにも関わってくる重要な制度だが、菅政権は両陛下のご意向は確認していなかった。  宮内庁次長は、定例会見で記者から「皇女」について質問されると、憮然とした表情で「宮内庁としては聞いていない」と答えた。  政治部記者が「皇女」が検討されるという背景をこう解説する。 「明仁天皇の退位を実現するため、2017年に制定した特例法の付帯決議は、女性宮家の創設などを政府に求めていました。しかし、女性宮家で生まれた子どもは『女系』となるため保守派議員から反対も多い。今回の皇女制度の案は皇位継承権とは別なので保守派からも受け入れられやすい、いちばん簡単なものです」  今後、女性皇族が皇室と関わっていける間口を広げた案ではあるが、このタイミングでの発表と対象となる女性皇族の数など課題もある。  寝耳に水だった両陛下のお気持ちはいかばかりなのだろうか。 ※週刊朝日  2020年12月18日号より抜粋
皇室眞子さま
週刊朝日 2020/12/09 11:30
「北島康介へのリスペクトが強くした」 競技力向上と人間性の関係
平井伯昌 平井伯昌
「北島康介へのリスペクトが強くした」 競技力向上と人間性の関係
平井伯昌(ひらい・のりまさ)/競泳日本代表ヘッドコーチ、日本水泳連盟競泳委員長 ISLに初参戦した東京フロッグキングスの北島康介GM(ハンガリー・ブダペスト)=(c)ISL  指導した北島康介選手、萩野公介選手が、計五つの五輪金メダルを獲得している平井伯昌・競泳日本代表ヘッドコーチ。連載「金メダルへのコーチング」で選手を好成績へ導く、練習の裏側を明かす。第47回は「連戦で磨かれる選手の適応力」について。 *  *  *  ハンガリーのブダペストで開かれた競泳の国際リーグ(ISL)に参加した約1カ月の遠征から11月17日に帰国、選手たちは12月3~6日の日本選手権に向けて調整を続けています。  コロナ禍で4月から延期になった日本選手権は、初めて五輪会場の東京アクアティクスセンターで開催されます。無観客で行われますが、夕方の決勝は連日、NHKでライブ放送されます。ぜひ多くの人に見ていただきたいと思います。  21、22日に決勝があったISLは、米国を拠点にするカリ・コンドルズが優勝しました。北島康介GMがチームを編成した東京フロッグキングスは準決勝敗退でしたが、海外の選手と同じチームで戦った経験は日本の選手たちにとって大きな刺激になりました。  副キャプテンとして女子をまとめてくれたリア・スミスは、米国代表でリオ五輪女子800メートルリレーの金メダルを獲得した自由形の実力者です。独自の応援のやり方を考えて、チームを盛り上げてくれました。  大学で様々な人種の人たちと交流ができて多くの学びがあったと言います。今回は日本人中心のコミュニティーでどんな経験ができるか楽しみだったそうです。選手との会話で「私は競泳が好きで楽しいから続けている。あなたはなぜ続けているの?」といった質問もしていました。レースに出てスピードを磨くだけでなく、海外の選手たちとの交流を通して自分の幅を広げたいという目的意識がはっきりしていました。  一日に複数のレースに出場することも多いISLでは、疲れがたまる中で気持ちを奮い立たせる必要があります。チームの外国選手とのコミュニケーションも大切です。いつもと違う状況でチームとして戦った経験は、今後に生きてくるはずです。  帰国後、東洋大での練習に一時参加している清水咲子を交えて、ISLを振り返るミーティングをしました。専門の個人メドレーだけでなく平泳ぎ、バタフライとフル回転した清水は「レースでやろうと決めたことは、どんなに苦しくてもやりとげようと思っていた」と話しました。  そして、こう付け加えました。「これまでは試合でほかの選手が活躍していると『自分も頑張らなければ』と焦っていました。今回はチームメートのだれかが活躍すると自分のことのように思えてうれしかった。大会を通して成長できたと思います」。28歳のベテランスイマーが、そんないい話をしてくれました。  競技力向上には人間性を伸ばしていくことが大切と言われます。他人の成功を素直に認められることは重要な要素だと思います。  ISLの準決勝の後、会場で北島GMがテレビの取材を受けているところに、イギリスのアダム・ピーティーが近づいてきました。男子100メートル平泳ぎで短水路世界記録を出したリオ五輪の金メダリストです。それを察してインタビューを中断した北島GMに緊張した面持ちで手を差し出し握手を求めていました。  25歳のピーティーにとって同じ平泳ぎで五輪2大会2冠を果たした北島GMは、子どものころのあこがれだったでしょう。「いつか北島選手のようになりたい」というリスペクトの気持ちが、彼をここまで強くしたのだと思いました。 (構成/本誌・堀井正明) 平井伯昌(ひらい・のりまさ)/競泳日本代表ヘッドコーチ、日本水泳連盟競泳委員長。1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。86年に東京スイミングセンター入社。2013年から東洋大学水泳部監督。同大学法学部教授。『バケる人に育てる──勝負できる人材をつくる50の法則』(朝日新聞出版)など著書多数 ※週刊朝日  2020年12月11日号
平井伯昌
週刊朝日 2020/12/07 17:00
彗星のごとく現れ駆け抜けた「美白の女王・鈴木その子」とは何だったのか【没後20年】
鎌田倫子 鎌田倫子
彗星のごとく現れ駆け抜けた「美白の女王・鈴木その子」とは何だったのか【没後20年】
鈴木その子さん(SONOKO提供) 若いころの鈴木その子さん(SONOKO提供) 鈴木その子さん(SONOKO提供) 若いころの鈴木その子さん(SONOKO提供) 「美白の女王」として、バブル崩壊後の日本で一大ブームを巻き起こした鈴木その子さん。急逝してから、12月5日で20年がたつ。一度見たら忘れられない白さと、バラエティー番組での受け答えのかわいらしさ。それでいて、カリスマ経営者でもあった。関係者の話から、鈴木その子さんの人物像に迫ってみたい。 *  *  * 「わずか3年ばかりのことでしたので、強い閃光を残して白色彗星のように駆け抜けた感が強いです。ブームの火付け役を担ったことは、その後の『猛獣使い』としてのスキルを買われて芸能活動の自信になりました」  浅草キッドの水道橋博士は、このように「その子先生」をしのんだ。意外と知らない人も多いが、浅草キッドの2人こそがテレビの世界に「鈴木その子」を引っ張り出して、世間を熱狂させた張本人なのだ。  バブル経済が完全に弾けた後の20世紀末、「鈴木その子」は一種の社会現象だった。屋上にその子さんの白い顔の看板が掲げられた銀座のビルは東京の新名所になり、「笑っていいとも」にも准レギュラーで出演、紅白歌合戦にも白組応援団で駆けつけた。いつしか白すぎる顔も「不気味」を通り越して「かわいい」に。育ちの良さを感じさせるキャラクターとあいまって、その子人形や携帯ストラップなどのグッズも大人気になった。  ただ、浅草キッドの2人は当初、ブームを予見していたわけではなかったという。水道橋博士が振り返る。 「(ブームは)まったく予想だにしていませんでした。その子先生に冗談で言っていた話が現実にかなって目を白黒させましたよ」  その子さんがテレビのバラエティーに出るようになったきっかけは、浅草キッドの2人が担当していた深夜番組「未来ナース」。その番組で、その子さんの豪邸を探訪するという企画があった。初対面の日、あろうことか、2人はその子さんの面前で以下のような実況をやってのけた。 「場所は目黒ですが、お肌は真っ白、ご本人は、リアル“シロガネーゼ”でしょう」 「誤解しないでください。ここは熱海のホテルのローマ風呂大浴場じゃありません!」 「我々、決してマルサの査察官ではありません」 「フィリピンのイメルダ夫人の隠し財産を調査しているわけではありません!」 「経済ジャーナリストの皆さん!日本のバブルは弾けておりません!この部屋を見れば、内閣府も経済白書を上方修正するでしょう」 「さてさて、さきほどから紹介しているこの家の持ち主は、伯爵夫人ならぬ色白夫人、映画『スクリーム』の白い仮面のモデルになった方です!」 (浅草キッド著『お笑い 男の星座2』より)  こんなことを言われたら、不快に思っても当然。ましてその子さんは一般人。スタッフは冷や汗をかいていたという。ところがその時、その子さんはプロに委ねるという判断をしたという。その子さんの発言を同書から抜粋する。 「わたくし、テレビはほとんど見たことがないけど、この番組は、確か“お笑い”とか“バラエティー”とかいう、そういう種類のものなんでしょう。この人たちは漫才師なんだかでプロで何年も食べてらっしゃる方々なんだから、いろいろ注文はつけないで彼らを信頼してやりましょう」 (浅草キッド著『お笑い 男の星座2』より)  語彙が豊富で機知にも富む浅草キッドの2人には全幅の信頼を寄せており、その子さんの会社の部下がクレームをいれようとすると逆にその部下を叱ったほどだったという。ただ、浅草キッド以外のタレントとの共演だとご機嫌ななめになることも。その子さんは芸能界においては素人だが、芸の良しあし、ホンモノを見抜く目は持っていたとういことだ。  こうしてブームに向かうわけだが、深夜番組の人気コーナーからお茶の間のアイドルになるには大きな転機があった。「その子ライト」の“発明”である。しかし、その説明の前に、その子さんの人生の別の側面を少し紹介しよう。 ◆ 「やせたい人は食べなさい」    これは、1980年に出版され、ミリオンセラーになったその子さんの著書のタイトルである。ブームで「鈴木その子」を知った35歳から45歳くらいまでの人は、美容、化粧品のイメージが強いかもしれないが、その子さんの原点は「食」。50代、60代には独自の食事理論を確立した人として知られる。  その子さんが創業した会社SONOKO(以前はトキノ)は今でも、商品展開は食品がメーン。会員に対する通信販売が大きなウエートを占めるが、ロングセラー商品はその子さんが考案した献立だ。カレーやビーフシチューなどのおかずがセットになっていて、ごはんや調味料などを自分で用意する仕組み。献立は、食品添加物は不使用でノンオイル調理が基本。このSONOKO式のモットーは、我慢しないで、食べてきれいになること。今はやりの糖質カットダイエットとは異なり、炭水化物をとることをすすめている。 「体の中から健康をつくるために、正しい食事にもどすというのがSONOKOの原点。会員の方の中には、摂食障害に苦しみ、食べることが恐怖だった人も少なくないのです。何かを抜く、何かだけだべる、というダイエットは一時的には痩せるかもしれませんが、後から体に不調がきます。鈴木その子に出会って食べられるようになって、救われたという人が多いんですよ」  と話すのは、2019年6月に8代目の社長に就任した宇田川裕昭氏だ。SONOKOは現在、丸亀製麺で知られる東証1部上場の「トリドール」の完全子会社。宇田川氏も当初は同社の社員として事業に携わっていたが、その延長で社長に就任したという。 「その子さんに恩返しがしたいという会員の方が多く、その子さんが作った会社だからと、歴代社長の名前をフルネームが言える人が珍しくない。そこまで大切にしてもらえるのは、小売りのビジネスでなかなかありませんよ」  とはいえ、自然食品、無添加、体にやさしいとうたった商品はちまたにあふれている。会員制の通信販売も珍しいものではない。ただ、その子さんのビジネスには唯一無二のストーリーがあった。  鈴木その子(本名 鈴木荘能子)さんは1932年、実業家の裕福な家庭に生まれた。学習院女子短期大学で栄養学を学ぶものの、卒業と同時に結婚して専業主婦に。結婚を機に家庭に入るのが当たり前の時代だった。父親の死をきっかけに42歳のとき、レストラン「トキノ」を開業した。  開業当初は一般的なレストランで、健康志向の店ではなかった。それが1976年、美容健康料理の店にリニューアル。きっかけは、愛する息子の不慮の死だった。極端なダイエット結果、体力が著しく落ちたことによる事故だった。また、母親は美食による肥満から動脈硬化を患った末に亡くなっていた。  ただ、こうしたことを初めて公表したのは息子の死から17年後の1992年のこと。当時の新聞の夕刊に「料理研究家の鈴木その子さん 秘話公表」との見出しで記事が掲載された。記事には、予備校生だった長男がマンションの5階から転落死したのは、拒食症による貧血が原因だったと著書の中で初めて明らかにした、とある。それまでの17年間は誰にも話したことがなかったが、「若い人の拒食症がとても多いから、公表することにした」とも。  食べて健康になれるような「食の理論」を伝える、それが経営理念となった。家族の死を胸にしまいながら事業にまい進。1985年には全国へ通信販売を開始し、食品で体のなかがキレイになったら今度は体の外につけるものを変えたいと化粧品へと事業を拡大していく。  こうした「事業家その子」の原点を象徴するような話は各方面で聞いた。ブームのさなか、その子さんを直接取材した女性編集者(51)は、真っ白な顔に面食らったものの、その手をみて「この人は本物だ」と思ったという。 「お顔とは対照的に、手がごつごつしていたんですね。あれは料理をする人の手です。それを見た時、ああ、昭和のお母さんの手だって思いました。あの手はすばらしかった」  経営者でありながら母のような存在。それと符合するような話を宇田川氏もしていた。 「今でも、12月5日の命日にはお墓参りに、会員の方が遠くは青森から来るんです。古くからの会員の方には、レストランで食事をしているとその子さんが来て太り過ぎよっておなかをつままれた、不妊に悩んでいると大丈夫よとおなかをさすってもらったという話を聞きました。学校の先生であり、母親のような存在なんですね」  ただし、その子さんは宗教家やボランティア活動家ではなったのも確か。例えば、食にこだわりはあったものの、野菜は売らない方針だったという。それは身もふたもない言い方になってしまうが、もうけが少ないから。かといって、「その子さんに人生救われました」という女性の目を見ると、単なる“銭ゲバ”とも違う気がするのだ。人を喜ばせたい。そんな思いを、天性の商売の才覚を発揮して実現した女性だったのだろう。  商売のセンスでいえば、その子さんの死後、会社の業績は低迷。売り上げは右肩下がりで落ちていった。それが、2020年3月期決算では増収に転じた。社長の宇田川氏がやったことの一つは「その子色」をもう一度出すこと。シンボルとしてだけでなく、商売のやり方にもその子色を出した。カタログは、新規会員獲得を狙って手が届きやすいレトルト食品を前に出したり、逆に目玉になるような化粧品やサプリメントを前に出したりしがちだが、献立、食材、化粧品の順番にページを並べ変えた。つまり、レストランから初めて、通信販売、化粧品と拡大していた事業の順番どおりのページ構成だ。 「なじみの会員の方に訴求する効果もありますが、(商売のやり方として)結局、その子さんのやり方が正解だったのです」(宇田川氏) ◆  さて、話を「その子ライト」と本格的な「その子ブーム」の到来に戻そう。その子ライトとは、あの白い顔をいっそう白くみせる照明のこと。女優やタレントがシミやしわを飛ばす技術として、カメラの外から出演者の顔に光をあてることがある。が、あくまでそれはテレビの視聴者には「ないもの」で、決して映してはいけないもの。  ところが、だ。浅草キッドの2人はわざとそれを「フレームイン」してしまったのだ。さすがのその子さんも不審に思ったはず。どのように2人は切り抜けたのか。以下、『お笑い 男の星2』を引用させてもらう。    今まで黙っていたことを告白し、正直に、この“狙い”を白状しようと腹を決めた。 そして俺たちは、お白砂の上の下手人のように緊迫した面持ちで清廉潔白に事の次第を敬白すると、その子先生は一拍おいてこう復白した。 「ふーん。その方が見ている方はおもしろいと思うのね。だったらヨロシイわ。そういうことって、あたくしシロートだから、わからないから、ちゃんと言ってね」  (浅草キッド著『お笑い 男の星座2』より)  かくして、浅草キッドの2人によって発明された「その子ライト」。すると不思議なことに未来ナースだけなく、他のバラエティーでもその子さんに対するお決まりの演出になっていった。  そして、その子ライトによって、その子ブームは加速したのだと、かのナンシー関さんが見抜いていた。 「その後、鈴木その子はだれでもイジることができるようになったが、あの頃はアンタッチャブルなバリアの中にいた。じっと見てはいけないような気がした。しかし、慣れた。なぜか。浅草キッドの先兵としての功績もあるだろうが、照明ネタのネタバラシも大きかったと思う。どんどんきれいになってきているのではなく、どんどんこっちが慣れていっているのだ」 (連載「小耳にはさもう」326回 週刊朝日1999年9月17日号より)  その子ブームの背景として、もうひとつ、言及しておくべきことがある。なぜ「美白の女王」と呼ばれたのか。当時、その子さんと対照的な存在といえば、日焼けした肌で渋谷を闊歩していたコギャルたち。水道橋博士が次のように指摘する。 「ガングロコギャルブームの反動は大きいと思います。その子先生は、ダイエット本の大ヒットも経験しており、まるでファッションのように、コスメや美容に旬があることを体験的にわかっていましたね。時代の寵児と呼ばれる人はそういう大衆が群れるところに竿を落とす勘所があると思われます」  ところで、その子さん自身は、ブームを本当はどう思っていたのだろうか。天然キャラで、無自覚だったのか。SONOKOの女性スタッフはこう話す。 「テレビに出ていじられることに対しては、嫌だとか、恥ずかしいとかは思っていなかったと思います。むしろテレビに出ることで、直接会えない会員さんに元気な姿をみせることができるからいいのよ、って言っていたそうです」  テレビの世界で最も近くにいた水道橋博士も似たような意見を持つ。自らが広告塔となり世間にさらし者になることに躊躇をしていない、前に打って出ていたと。 「ブームには、意志を持って乗っかっていく決断をされていたと思います。社長としての振る舞いとして神輿に乗るのをよしとしていましたね」  もともと経営者として働き詰めの生活だったが、ブームで忙しさは加速。2000年11月末、パリから帰国すると、銀座の店に立ち寄り、その足で「いいとも」に出演するために新宿のスタジオアルタへ。その子さんは「元気です」と言っていたが、側にいたスタッフにはどこか疲れているように見えたという。  それが、その子さんが表に出てきた最後になった。12月5日、風邪をこじらせて肺炎のために亡くなった。68歳だった。 ◆  あれから、20年の月日が流れた。  2021年1月20日、その子さんの誕生日に令和版「やせたい人は食べなさい」が出版される。白米のごはんを主食にするその子さんの食事法を紹介する内容だ。最近の糖質カットダイエットへのアンチテーゼでもあるという。  水道橋博士いわく「美容に旬があることをわかっていた」その子さん。生前、やり残したことがあるとも口にしていたとか。  彗星のごとく現れ、去っていったカリスマ。再びブームはわき起こるのだろうか。(AERAdot.編集部/鎌田倫子)
dot. 2020/12/05 12:15
柳ジョージの名曲もピックアップ 米若手バンド、クルアンビンの審美眼
岡村詩野 岡村詩野
柳ジョージの名曲もピックアップ 米若手バンド、クルアンビンの審美眼
「レイト・ナイト・テイルズ:クルアンビン」のジャケット(写真提供:ビートインク) クルアンビン(写真提供:ビートインク)  昔の日本のポップ・ミュージックが、海外で注目され始めて久しい。山下達郎、竹内まりや、細野晴臣、清水靖晃といったアーティストたちが1970~80年代に残してきた音楽の多くがここ数年、シティーポップの原点として、環境音楽やAORといった音楽の再評価と連動しながら、国内外で高く評価されている。  最近話題となっているのは、79年に発表された松原みきのデビューシングル「真夜中のドア」。発売から40年以上経過した今、サブスクリプションサービスのSpotifyで460万回、Apple Musicでは100万回以上再生されている。インドネシア、タイ、マレーシアといったアジア各国では、より多く再生されているというのも興味深い。  日本だけではないし、必ずしも古い音楽に限ったことでもない。今はアジアの新旧様々なポピュラー音楽が世界中で注目を集めている。特に、誰でも自由に動画や音源を投稿できるサイトが充実してからというもの、これまであまり表立って紹介されてこなかった国や地域のポップスの情報が、一気に世界中に拡散されるようになった。最近では日本の女子4人組バンド、CHAIもカバーした竹内まりやの「プラスティック・ラブ」(84年)はまさにそうしたネットミームで再評価された一曲と言える。また、韓国のオルタナティブ・ポップ・バンドのイナルチらは伝統的な芸能音楽であるパンソリを貪欲に取り込んでいる。  それでもまだまだ知られざる秘宝は世の中に多くある。アジアやアフリカ、ロシアまで……世界の多様な音楽をさらに深く楽しめるコンピレーション・アルバム「レイト・ナイト・テイルズ:クルアンビン」が12月4日、リリースされる。選曲したのはクルアンビンというアメリカ・テキサスを拠点とする3人組。フジロックフェスティバルにも昨年出場した人気の若手バンドだ。  クルアンビンは元々、タイのファンクやアフリカのブルーズのような音楽をガレージ・ロック・スタイルの演奏で聴かせるユニークなたたずまいが持ち味。そんな彼らが世界中の、わけてもアジアの音楽を多くチョイスしているのが「レイト・ナイト・テイルズ:クルアンビン」だ。マニアックという言葉も軽く越えるほどディープな選曲には、ただ舌を巻く。  驚くべきは、柳ジョージの「祭ばやしが聞こえる」のテーマが選ばれていることだ。これは77~78年に放送された、萩原健一主演の同名テレビドラマの主題歌として親しまれた曲。柳のしゃがれた歌声と、しっとりとした曲調、ホーンがウェットな風合いを醸し出すAORポップスの名曲と言っていい。2011年に63歳で亡くなった柳ジョージだが、キャリアの最初期にはグループサウンズ時代の人気バンド、ゴールデン・カップスの後期メンバーとして活動した。そんなブラック・ミュージック指向のルーツを、今日レアグルーブとして再評価されるこの曲から感じることもできる。  クルアンビンのメンバーは去年、単独で来日公演を行った際、東京の友人宅でこの曲を知ったのだという。たまたま聴いて夢中になった彼らは、このコンピレーション・アルバムの選曲をしている最中だったこともあり、すぐさまレパートリーに入れることを決めたようだ。  70年代後期に活動を開始した韓国のサヌリムの「Don’t Go」が選ばれているのも注目だ。サヌリムはキム3兄弟を中心としたベテランロックバンドで、日本にも熱心なリスナーが多い。サイケ、ソウル、フォークなどの要素を取り込んだ彼らの作品は、人間臭くエネルギッシュ。クルアンビンのメンバーがソウルを訪ねた時、中古レコード店でこの曲の入ったアルバムを見つけたという。  彼らは万事このように、熱心なリスナーとしての経験を重ねていく中で、刺激的に新たな音楽と出合っている。音楽ファンとしての邪気のない息吹が選曲を豊かなものにしていると言っていい。他にもパキスタン、エチオピア、ベラルーシ、ナイジェリア、スペイン、スウェーデンといった国のアーティストがセレクトされている。カルロス・サンタナがアリス・コルトレーンと組んだ曲も含まれるなど有名無名を問わずチョイスされている。一方、クルアンビン自身によるクール&ザ・ギャングの「サマー・マッドネス」のカバー(新録)も含まれていて、こうした世界のポピュラー音楽の歴史にしっかりと自分たちの名も刻もうとする姿勢が感じられるのもいい。  この「レイト・ナイト・テイルズ」というコンピレーション・アルバムは、01年にスタートしたシリーズだ。これまでに、アークティック・モンキーズ、ザ・シネマティック・オーケストラ、フランツ・フェルディナンド、ベル・アンド・セバスチャン、ボノボといった人気アーティスト、バンドが選曲してきた。テーマはタイトル通り、深い夜のムード。いわば“夜聴きコンピ”として知られる人気シリーズなのだ。だが、このクルアンビンの選曲ほどテーマに合った作品はないだろう。実際、ここで選ばれている曲は、街が寝静まった漆黒の風景にぴったりなナイトミュージックばかりだ。  クルアンビンがそうした音楽を愛し、自分たちもまたそういう音楽づくりをするバンドだということが、このアルバムをいっそうメランコリックなものにしている。クラブやライブに足を運べない今、ぜひこのアルバムで世界の夜へと思いを馳せてみてほしい。 (文/岡村詩野)  ※AERAオンライン限定記事
AERA 2020/12/02 16:00
「ありがとう、シャンシャン」パンダに別れ、限定商品発売も
「ありがとう、シャンシャン」パンダに別れ、限定商品発売も
愛らしい写真満載の『ずっとだいすきシャンシャン』(日本パンダ保護協会編、朝日新聞出版)が発売中 (c)朝日新聞社 パンダ (c)朝日新聞社 JR上野駅のシャンシャンツリー (撮影/鈴木裕也)  シャンシャンが中国に返還される。名残惜しむ人々は上野動物園に詰めかけるが、コロナ禍の影響で入園は予約制、移送日程も未定だ。「さよなら」の不完全燃焼ムードも漂うが、カンカン・ランラン以来パンダを愛する上野の人々はめげない。  愛くるしいシャンシャン。3年前、誕生したときは上野の街をあげてのフィーバーとなったが、お別れが近づくなか、街はお別れイベントには積極的になれずにいる。コロナ禍が影を落としているのだ。  11月中旬、平日にもかかわらず、上野動物園前には予約入場の客が行列していた。100メートル以上にも及ぶ行列は予約入場時間ごとに仕切られ、さまざまな年代の客が入場を待っている。  パンダのイラストが描かれたマスクをしていた60代の女性は「癒やされに来た」と言う。 「シャンシャンが中国に帰るまではできるだけ会いに来たい。なにしろ、生まれたときから見てきたんです。もうわが子以上に私の子っていう感じ。いなくなるって思っただけで涙が出る」  リモートの授業をサボって来たという女子大生コンビは10月28日の「パンダの日」にも入園申し込みをしたが、残念ながら入場できなかった。満を持して会いに来た。「シャンシャンがいない上野動物園なんて想像できない。どうしてもお別れが言いたくて、来ちゃいました」  同行したお友達もパンダ好きを自認。「返還しないでずっと上野にいられるようにしてほしかった。今日は見納めです。写真を撮りまくるつもり」  当の上野動物園も、シャンシャンとのお別れを思い出にするイベントを企画中。ウェブサイト上に「花ひらけパンダの未来~ありがとうシャンシャン~」特設ページを開設し、未公開映像を紹介。園内のショップでは、シャンシャンのイラスト入りのマグカップ「サンキューマグ」、「パンダ缶プチクッキー」「パンダもなか」を限定発売。シャンシャンのハート形のメッセージ付きマスコットを通販などで販売している。18日からは、中川翔子が歌うメモリアルソング「ありがとうシャンシャン」のCDとDVDが園内で販売スタート。  シャンシャンは日中の協定で12月31日までに中国・四川省に返還される。本来は去年6月に返還予定だったが、東京五輪後もシャンシャンが上野で過ごせるようにと協議した結果、返還期限が延長された。五輪はなかったけど、返還期限はあと1カ月ほどになってしまったのだ。  ただ、新型コロナの感染者の拡大に歯止めをかけられないなか、街は「さよなら」の機を前にしても大々的に集客イベントを打てないでいる。  普段からパンダグッズを多数用意している駅構内の和風小物店「遊中川」では「駅全体で検討中」と言う。土産店「上野ランド」の店員は「なんらかの記念商品を販売したりしたいけど、今回は諦めないといけません」と残念そうに語る。  駅前のフードコートで各種「パンダパン」を売る「うえのの森のパンやさん」では動物園帰りの客がパンダのパンを買い占めていた。店員は「うちはパンダの恩恵を受けている店。シャンシャンがいなくなってしまうのは残念。記念の商品を作るかどうかは検討中だけど、このご時世ではなかなか……」と話す。  どうやら、上野の街は「ありがとうシャンシャン」イベント前夜という状況で、本音では盛大に送り出したいのだが二の足を踏んでいるようだ。  アメ横商店街で皮革用品を売る店では「パンダのおかげでここまでやってこれたといってもいいと思ってる。大々的にさよならイベントをしたいところだが、やっぱりコロナがね。人が集まって密になるようなことはやりにくいよね。例年なら歳末にかけて買い物客が増えるかき入れどきなんだけど、そうも前のめりになれないよ」と打ち明けてくれた。  実はコロナ禍で、シャンシャンの中国返還日程も、その決定が遅れている。本来なら返還1カ月前には検疫をスタートし、移送のためのおりに入れる訓練も始めなければならない。しかし、コロナで航空便は軒並み欠航。特にジャイアントパンダ繁殖研究基地がある中国・成都への直行便は出ていない。直行便のある上海便に乗せ、その後は陸路で移送するなどの案も出ているが、シャンシャンの負担を最小限にするには時間のかかる陸路はできるだけ避けたい。というわけで、現在も東京都と中国で協議が続けられているという。  そんななか、JR上野駅構内では巨大なクリスマスツリーを飾り、「メモリーオブシャンシャンクリスマス2020」としてシャンシャンの写真を多数展示中だ。  東京メトロは「『ありがとうシャンシャン』東京メトロオリジナル24時間券」を限定発売し、売れ行き好調。 「カンカン」「ランラン」以来、パンダを愛してきた上野界隈。コロナ禍にも簡単にはめげない。上野観光連盟は「ありがとうシャンシャンフェス」を計画中だ。  連盟会長で二木商会社長の二木忠男さんは、黒柳徹子さんらとともにシャンシャンの命名に携わった御仁だ。 「12月4~6日に松坂屋上野店前のパンダ広場で、街をあげてのありがとうイベントを実施します。スタンプラリーや未公開写真の展示など盛りだくさんなイベントにして、シャンシャンを送り出してあげたい」と意気込む。シャンシャンの移送時期がよくわからないので、早めの12月初旬にイベントを実施することに決めたという。 「東日本大震災の直前に日本に来たリーリーとシンシンが自然交配で産んだ貴重なシャンシャンが行ってしまうのは残念。新しくなるパンダ舎でお婿さんを迎え、赤ちゃんパンダを産んでもらうのが夢でした」(二木さん)  シャンシャンが日本にいられるのはあと1カ月程度。密を避けながら、盛大に送り出したい。(本誌・鈴木裕也) ※週刊朝日  2020年12月4日号
動物
週刊朝日 2020/12/01 18:00
安藤美姫らに続く快挙の「小学生スケーター」も登場、女子フィギュアの“未来”感じさせた若き才能たち
安藤美姫らに続く快挙の「小学生スケーター」も登場、女子フィギュアの“未来”感じさせた若き才能たち
女子シングルで優勝した松生理乃(代表撮影)  才能豊かなノービススケーターと滑りに磨きをかけるジュニアスケーターが、それぞれの輝きを放ってぶつかり合う、見応えある戦いだった。  11月21~23日、八戸で行われたフィギュアスケート・全日本ジュニア選手権。女子シングルは、松生理乃(高校1年生・16)が優勝(合計198.38)、吉田陽菜(中学3年生・15)が2位(合計189.49)、島田麻央(小学6年生・12)が3位(合計173.44)という結果になった。  10月の全日本ノービス選手権でノービスA(11~13歳)を制し、推薦選手として全日本ジュニアに出場した島田の銅メダル獲得は、衝撃的だった。全日本ジュニアで表彰台に乗っているノービススケーターは、過去に3人しかいない。島田は、安藤美姫(2000年3位)、羽生結弦(2007年3位)、宇野昌磨(2009年3位)に続き、快挙を成し遂げたことになる。  ノービスの試合はフリーのみで行うため、全日本ジュニアのためだけに練習してきたショートプログラムでは、島田はジャンプの回転不足もあって6位と出遅れている。しかし、3回転―3回転を二つ、しかも一つは基礎点が1.1倍になる後半に組み込んだフリーで追い上げた。  島田の特長は、ジャンプの回転が速いことだ。身長138cmの小さな体が、細い軸で高速回転する。公式練習で調子が上がらなかったためこの日は回避したトリプルアクセルを、優勝した全日本ノービスでは、転倒したものの演技に組み込んでいる。しかし島田本人は、得意のジャンプだけに頼るつもりはないようだ。 「スケーティングや表現力はまだまだできていないので、スピードを出すことと、曲を上手く使えるようになりたいです」(島田)  島田の本当の強さは、小学生らしからぬこの冷静さにあるのかもしれない。  ジャンプ以外の要素からも抜群の身体能力が感じられる島田だが、生まれつきの才能だけで勝負しているわけではない。現在、京都と大阪を拠点とする選手育成組織・木下アカデミー(今年4月発足)に所属し濱田美栄コーチに師事する島田は、今年2月まで東京に住んでいた。よりよい練習環境のため、父を東京に残し、母と妹と共に京都に引っ越したのだ。 「スケートをもっともっと頑張るために(京都に)来たので、『毎日練習を一生懸命やらないと』と思っています」(島田)  幼いながらもしっかりした口調ににじむ覚悟が、島田の成長を支えている。目標とするのは、母がファンであったため名前の由来にもなっている浅田真央だ。 「浅田真央選手みたいに、自分が笑顔で滑っているのはもちろん、観ている人も笑顔にできる選手になりたいです」(島田)  スケーターとしての理想像をしっかりと持っている島田は、これからも進化し続けるに違いない。  2位の吉田は、フリー冒頭でトリプルアクセルを成功させている。これからもトリプルアクセルの確率を上げることを目指すというが、ジャンプだけに重点を置いているわけではない。 「ジャンプの加点も少しは増えたかなと思うんですけど、スケーティングとか表現の面でたくさん練習してきたことが少しずつ評価されるようになってきたのかなと。まだまだなんですけど、一歩前に進めたかなと思います」 「(プログラムの)曲調も、ノービスの時よりは大人っぽい曲。今までは、幼い感じが出てしまっていた。今年はバレエとかもたくさんやっているので、そういう面で表現が少しは成長したかなと思います」(吉田)  吉田がトリプルアクセルだけでなく滑りや表現も磨こうと意識するのは、所属する木下アカデミーで島田や今大会4位の柴山歩(12歳)らと一緒に練習しているからかもしれない。 「ノービスの選手は安定感もあるし、すごく上手。負けたくはないんですけど、ノービスの選手のことも応援したい。お互いいい刺激になって、頑張っていけたらいいなと思います」 「今回は練習してきたことが出せたからギリギリ勝てた、という感じ。ノービスの子達がジュニアに上がってきた時にも勝てるような選手になれるよう、これからもっと先輩として頑張りたいです」(吉田)  優勝した松生は、フリーは最終滑走で登場している。三つのコンビネーションジャンプをすべて後半に組み込む構成を大きなミスなく滑り切り、頂点に立った。ノービススケーターの好演技でかかったプレッシャーをどう乗り越えたか問われた松生は、次のように答えた。 「全日本ジュニアという大きい舞台で最終滑走になるのは、ものすごい緊張もあった。前の人達もいい点数をたくさん出していたので緊張はしたんですけど……とりあえずその緊張はいったん置いておいて、今までノーミスできた自分の演技をしっかり思い返して『自分なら大丈夫』と言い聞かせて演技しました」(松生)  ショート・フリーをミスなくまとめて優勝した松生の演技には、磨き上げてきた美しさがあった。ショートでは直前に滑った柴山の好演技の余韻が残る中堂々と滑り、会場の空気を自分のものにした。またフリーでは、極限まで高まった会場の緊迫感を、優しい曲調に溶け込むスケーティングで柔らかく緩めていくような素晴らしい滑りをみせている。フリーについて、松生は次のように語った。 「この曲は、男の人と女の人のボーカルが両方入っている曲。男の人と女の人が愛しあって、いろいろな障害を超えて最後は一緒になる、というストーリーを自分の中で考えてやっている」(松生)  ストーリーを動きや表情で表現するのは難しかったと松生は語るが、その苦心は演技構成点での評価につながっただけではなく、観客の心も動かした。  今季全日本シニア強化合宿に参加した松生は、そこで同じ班だった坂本花織から多くのことを学んだという。 「一歩一歩の伸びがすごいな、と感動した。それを少しでも真似できればいいな、と思って練習しました」 「比べたら全然足元にも及ばないんですけど、でも膝を曲げて柔らかく滑るところは、前よりは少し成長したかなと自分では思います」(松生)  学んだスケーティングの技術をどう生かすかが大事になると思っていたという松生は、この全日本ジュニアで自信を深めている。 「ジャッジスコアを見て、前の試合よりも点数が伸びたので『自分の練習が評価してもらえているんだな』と思って、すごく嬉しかったです」(松生)  小学生・中学生や高校生、各世代の若いスケーターが、それぞれの個性を見せてくれた全日本ジュニア選手権。これからの日本女子が切磋琢磨して伸びていくことを、予感させる大会だった。(文・沢田聡子) ●沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」
dot. 2020/11/24 17:00
米倉涼子や山本舞香の失速で「サバサバ系」女子の時代は終わるのか
宝泉薫 宝泉薫
米倉涼子や山本舞香の失速で「サバサバ系」女子の時代は終わるのか
左から米倉涼子、山本舞香(C)朝日新聞社  最近、物議をかもしたのが楽天モバイルのCMだ。始まりと終わりに出て来る「♪ラックテンモバ~イル!」という女性のシャウトが耳障りだと批判が飛び出し、代役にしてシャウトを控えめにするという対応がとられた。考えてみれば、大声で叫ぶこと自体、コロナ禍にはそぐわない気もするし、広告効果についても疑わしい。  そのCMに出演しているのが、米倉涼子。シャウトしているのは別人だが、米倉本人もミソをつけた感がある。なにしろ、長年所属した大手事務所からこの春、独立したばかりだ。このCMの不評は、代表作での決めぜりふ「私、失敗しないので」とは裏腹に、独立が失敗する兆しなのではとも勘ぐってしまう。  いや、それだけではない。このところ、米倉に代表される「サバサバ系」の女性タレントたちが軒並み失速気味なのである。  たとえば、山本舞香。まだ23歳で、サバサバ女子界期待の若手だ。10月27日「ノンストップ!」(フジテレビ系)に出演した際には「サバサバ性格女子が最高です」という視聴者のツイートも紹介されていた。  が、その2日後、交際を報じられている伊藤健太郎がひき逃げで逮捕されてしまう。伊藤がやんちゃ化したのは山本の影響だとする記事まで出て、とばっちりを食ってしまった。  また、失速どころか、消えてしまったのが木下優樹菜だ。昨年11月のタピオカ恫喝騒動でケチがつき、活動休止中の12月に離婚。今年7月にはいったん活動を再開したものの、離婚前からの不倫が報じられるなどして、わずか5日後に引退となった。  もともと、サバサバ系は押しの強さも売りなので、反発を買ったり、スキャンダルに巻き込まれたり、トラブルを起こしたりということもありがちだ。それでも好きというファンに支えられているわけだが、最近はちょっと飽きられてきた印象もある。そのあたりを検証すべく、サバサバ系の歴史を振り返ってみよう。  転機となったのは、1945年の終戦。そこから「戦後、強くなったのは女性と靴下(ストッキング)」という流行語が生まれ、高度経済成長期にはウーマンリブ運動も起きた。やがて、バブルが到来し、男女雇用均等法なども施行されたことで「女らしさ」のトレンドが変化する。  大ざっぱにいえば、家庭で夫や子どもに尽くす「かわいい」女より、外に出て男に負けじと働く「かっこいい」女がもてはやされるようになったのだ。テレビドラマでは「自立した女」が好んで描かれ「W浅野(温子・ゆう子)」ブームが起きた。さらに「おやじギャル」や「メッシー、アッシー、ミツグくん」といった現象も含め、1990年代、あるいは平成初期の日本はサバサバ系女子の時代といえる。  その後、景気後退にともなう揺り戻しも来たが「女らしさ」のトレンドは意外と揺るがなかった。ドラマなどでは相変わらず「かっこいい」女が優勢で、江角マキコの「ショムニ」(フジテレビ系)や篠原涼子の「ハケンの品格」(日本テレビ系)がヒット。前出・米倉や宝塚歌劇団の男役だった天海祐希も高視聴率女優として君臨した。また、バラエティーから出た前出・木下も「理想の母親」に選ばれたりしたものだ。  そんな風向きが変わってきたのではと感じさせた出来事がある。2017年、前出・江角の引退だ。彼女の好感度が大きく損なわれたのは、その3年前に発覚した長嶋一茂邸落書き騒動。彼女のマネジャーが長嶋邸の壁に「バカ息子」などと落書きしたという。その背景には、江角と長嶋夫人との確執が存在したとされ、両者はママ友だったが、途中で激しく対立する関係になっていたと報じられた。  とまあ「サバサバ女子」には似つかわしくないスキャンダルだったわけだが、意外とこういうことはあるのかもしれない。11月10日の「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ系)ではふたりのフリー女子アナがこんな指摘をしていた。 「自称サバサバ女子ほど悪口を言ったり、ねちねちしてる女子のいや~な面を持ってる人が多いと思います」(寺田ちひろ) 「ただ口が悪いだけっていう。男っぽいから言っちゃう、みたいな感じで言ってるんですけど、実際、それはサバサバでもなんでもなくて」(鷲見玲奈)  江角、そして木下はそのあたりを実証してしまったのかもしれない。  また、ここ数年は世の中の安定志向がますます強まっている。そのぶん、押しの強さや攻めの姿勢、やんちゃっぽさが売りで、とかくリスキーでもあるサバサバ系はあまり歓迎されなくなっているのではないか。  例によってドラマシーンを見ても、今年、13年ぶりに復活した「ハケンの品格」はかつてほど盛り上がらなかった。サバサバ要素に頼りすぎでは成功しにくい状況を象徴しているようでもある。  そのかわり、サバサバ要素にふわふわ要素を加えたものならアリかもしれない。今期の連ドラでいえば「姉ちゃんの恋人」(フジテレビ系)や「リモラブ~普通の恋は邪道~」(日本テレビ系)がそれに当てはまる。どちらも数字的には今ひとつながら、それぞれ有村架純・波瑠という朝ドラ女優を主役に起用。令和に通用するホームドラマだったり、新しい生活様式向けのラブストーリーだったりを追究する意欲作だ。  朝ドラ女優といえばもうひとり、吉高由里子がヒロインを演じているのが「危険なビーナス」(TBS系)。ドラマ自体はサスペンスだが、吉高こそまさに「サバふわ女子」的な魅力でやってきた女優といえる。  その一方で、田中みな実が象徴する「あざかわ(あざとかわいい)女子」のブームもあり、こちらは昭和のぶりっこが進化したものだ。「サバサバ女子」にもなんらかの進化が必要だとすれば「サバふわ」はそのひとつのかたちかもしれない。  とはいえ、サバサバ女子界にも、前出・山本のほか、伊藤沙莉やファーストサマーウイカといった若手がいる。米倉らに続くにはまだ小粒な印象だが、はたしてどうだろう。 ●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など
宝泉薫
dot. 2020/11/24 11:32
HAN-KUN、ドラマ『年の差婚』ED主題歌担当決定
HAN-KUN、ドラマ『年の差婚』ED主題歌担当決定
HAN-KUN、ドラマ『年の差婚』ED主題歌担当決定  HAN-KUNが、12月15日からスタートするドラマ『年の差婚』のエンディング主題歌を担当することが決定した。  11月11日にオリジナルアルバム『UNCHAINED』を発売し、盟友キヨサク(MONGOL800 / UKULELE GYPSY)との共作楽曲も収録され話題となっている中、同アルバムに収録され、ファンからも熱烈な支持を受けている冬の名曲「TO-KE-TE」がドラマ『年の差婚』のエンディング主題歌になることが決定した。  「TO-KE-TE」はHAN-KUN自身初となる冬をテーマにしたラブソング。本人曰く“リリックは、地元神奈川の「みなとみらい」の情景を意識したラブソングで、サウンド的には「レゲエ」というよりも、トレンドを取り入れたミディアムナンバーとして新たな音楽感が表現できたかなと思っています”と答えている。  『年の差婚』は、月間利用者数2500万人の“めちゃコミック”でランキング1位を獲得した人気漫画の実写化で、恋愛経験ほぼゼロの超ピュア女子・村上舞衣子(演:葵わかな)が、父親のススメでお見合いをした20歳年上の44歳バツイチ中年男子・花里晴海(演:竹財輝之助)と超スピード婚し、20歳の“年の差婚”ならではの問題に直面しながらも、前向きに乗り越えてゆくという胸キュン必至の“おじキュン”דピュアラブ”ストーリーとなっている。 ◎番組情報 『年の差婚』 放送局:MBS、TBS 放送日時:2020年12月15日(火) 24:59~
billboardnews 2020/11/24 00:00
ジュノンボーイコンテスト史上初のリモート選考 選ばれし者はガチでイケメンか見てきた!
ジュノンボーイコンテスト史上初のリモート選考 選ばれし者はガチでイケメンか見てきた!
 全国各地でコロナ感染が急増し第3波とされ、「我慢の3連休」と称された連休中日11月22日に「第33回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」の最終選考会が東京・恵比寿で行われた。  イケメンを世に輩出し続けて33年間という長い歴史において、今回の最終選考会はコロナ禍で史上初の無観客、リモート審査となった。  そもそも“ジュノンボーイ”の選考方法は、丸1年前からスタート。昨年の第32回の最終選考会の翌日から芸能事務所に所属していない12歳から22歳の男子の募集が開始される。今年の応募総数は17,158人。書類審査で「BEST1000」が第2次審査へ進出し、例年は地方予選をしていたところ今年は動画とオンライン配信による選考に。「BEST150」まで絞られ、月刊誌「JUNON」(主婦と生活社)、公式携帯サイト、公式アプリ、ライブ配信サービスでの人気投票の第3次審査で最終「BEST10」までに。これに敗者復活戦を勝ち残った5名が加わり15名が最終選考会の大舞台に立てる。  最終選考会の審査では、審査員長、ゲスト審査員(今年は第19回グランプリの溝端淳平、ゆきぽよ)、協賛社審査員、芸能事務所関係者、読者審査員の採点でグランプリなどが決定する。  審査員の一員である「読者審査員」は例年であれば最終選考会の会場で審査をするのだが、今年は残念ながらリモート審査となった。例年のコンテストならば読者審査員とレアな一般観覧の抽選に当たった人たちによって最終選考会の会場は熱気に包まれる。 「丸1年かけて15名まで絞り込んで、その最終決戦なのでここまで応援してきた女子たちの熱量はものすごいんです。まだデビューしていな男の子にすでにファンが付いていて、アイドルのライブで使う応援うちわに推しの子の名前も。そのうちわの数を見れば“あぁ、この子が人気なんだ”と一目瞭然、グランプリ予想ができるくらいです。審査のパフォーマンスに登場したときの“キャー”という声援でも人気の度合いがわかります」(テレビ誌編集者)  かくいう筆者は第6回からジュノン・スーパーボーイ・コンテストを見続けてきている、まぁ、言ってみれば“ジュノン追っかけおばさん”。第6回といえば、グランプリは柏原崇、準グランプリは伊藤英明。翌年の第7回のグランプリの子は芸能界を退いたものの最終選考会でスカートをひるがえして舞台に登場したのは今でも鮮明に印象に残っている。なんといっても圧勝だったのは、今年のゲスト審査員の溝端淳平で、歴代最多の40社もの芸能事務所からの勧誘を受けた。最終選考会で和太鼓を披露した溝端淳平を見た瞬間、「はい、グランプリ、ね!」と心の中でつぶやいたのは筆者だけでないはず。  そんな毎年印象に残る出来事があるジュノン・スーパーボーイ・コンテストが史上初のリモートということもあり、“ジュノン追っかけおばさん”の(勝手な)ミッションとしては、「リモートで選ばれたグランプリは、本当にイケメンなのか?」この目で確認してくること。感染拡大予防のガイドラインを遵守したうえでの取材は許可されており、応募総数17,158人から選ばれし15名、そして、その頂点に立つジュノンボーイの誕生に立ち会ってきた。  最終選考会の第1次はパフォーマンス。第2次審査はゲスト審査員であるゆきぽよを相手役に自身で考えた「告白」シーンを演じる。審査を勝ち抜いたのは、グランプリが前川佑(まえかわ・たすく)さん。北海道函館市出身の14歳、中学3年生! 準グランプリは青山凌大(あおやま・りょうた)さん、審査員特別賞は伊藤佑晟(いとう・ゆうせい)さん、フォトジェニック賞は関隼汰(せき・はやた)さん、協賛社賞である明色美顔ボーイ賞は金井丈留(かない・たける)さん、ミュゼボーイ賞は北村一貴(きたむら・いっき)さんが選出された。  さて、グランプリの前川佑さんがイケメンかどうか? 「最終選考会に残る子たちが、みんな“いい子”になってしまったよね、今回だけでなくここ最近。トンガってもいないし、何か面白そうと思える部分が見えてこない。グランプリの前川くんは(グランプリに)いくとは思っていたけど……」(芸能記者)  最終選考会の会場にいたベテラン芸能記者の意見は厳しい。 「5名ほど“この子は何かの賞を取るであろう”というのを予想していました。5名中4名は的中。エントリ―ナンバー13の岸本舜生(きしもと・しゅんき)くんは、賞を取ることができませんでしたが、舞台を降りるときにおじぎをしたり礼儀正しい姿が垣間見えて、好感度が高かったです。イケメンかどうかだけでなく、そういうところも見てしまいます」(週刊誌グラビア記者)  そうそう、顔のイケメン度も重要だが、たたずまい全体も思わず見てしまう。さて、グランプリの前川佑さん、筆者はグランプリとまでは思っていなかったものの、もちろんイケメンです。身長179センチ、マスクをしたら顔の半分以上が隠れる、まぁ、小顔。何より前川さんのすごいのが、自分に対する自信!  「(グランプリになる)自信はあったけど、受賞した瞬間はすぐには実感が湧かなかった。でも“やってやったぜ!”って思って、自信はあったので嬉しかった。審査員特別賞で(自分の名前が)呼ばれなかったので“俺、ヤバイかもしれない”と思っていた」  と、最後にグランプリとして呼ばれるという確信をジワジワ抱いていたことを受賞後の囲み取材で前川佑さんが明かしていた。隣にいたゲスト審査員のゆきぽよが「14歳だよね?」って確認するほどの何とも言えない大物感。取材中に2回も「自信があった」と力強く言い放った前川佑さんだが、これほどまでに自信にみなぎっているイケメンは見たことない! 仮面ライダーなのか戦隊ヒーローなのかはたまた朝ドラか大河ドラマか、前川佑さんの活躍する姿が見られる日はそう遠くない感じだった。
dot. 2020/11/23 11:32
天龍源一郎が語る“5年ぶりの興行” 引退試合の相手、オカダ・カズチカとのトークバトルは意外な結果に
天龍源一郎 天龍源一郎
天龍源一郎が語る“5年ぶりの興行” 引退試合の相手、オカダ・カズチカとのトークバトルは意外な結果に
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子) 一杯飲んだら東スポ読んで寝る! と天龍さん/天龍源一郎公式インスタグラム(@tenryu_genichiro)より。  50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。2月2日に迎えた70歳という節目の年に、いま天龍さんが伝えたいことは? 今回は11月15日開催された天龍プロジェクトの興行を振り返ります。 *  *  *  俺の引退試合からちょうど5年目となる2020年11月15日、天龍プロジェクトの興行『革命伝承』を東京・後楽園ホールで行った。代表(※娘の嶋田紋奈さん)が選手やファンとコミュニケーションを取ろうと思いたって開催した興行で、ちょうど俺の引退5周年に合わせたんだ。当日はさまざまな団体から参加してもらった選手による全5試合+メーンイベントで天龍源一郎 V.S. オカダ・カズチカ(新日本プロレス)のトークバトルという、引退試合と同じ相手とのカードで、当日のことを順番に振り返っていくけど、まず感じたのは引退から5年経っていても、後楽園ホールを見ると気持ちが高揚するということだね。会場に到着してからは控室のモニターで試合の様子を見て、トークバトルの出番が近くなってくると、テンションが上がって、現役時代の試合前のような気分になったね。  控室で試合を見ていると、リングに上がって自分の気持ちを表現できるのは幸せだなと感じる一方で、それがうらやましくてやきもきしている俺がいたね。プロレスラーは自分の怒りや嫌なことがあっても、すべてリングで発散できるという特異な職業だよ。なにがあってもリングで発散して、感情をストレートに表現すればいい。これが演劇だったら、役者がイライラしてても感情を抑えなきゃいけないし、喜劇だったら自分が悲しくてもお客さんを笑わせなきゃいけない。プロレスは特異なエンターテイメントだと再認識したね。  さて、俺が試合を見ていて一番印象的だったのは、やっぱり鈴木みのる(パンクラスMISSON)だ。彼はからだが大きいわけではなく、何か特別なことをしているわけでもないんだけど、あれだけの選手がいる中で、お客さんの注目を一番集めていた。いろいろな団体の大きい選手や実力者と長年戦い続けてきたという自信があるんだろうね。何をやるのでもないけど、とにかくインパクトがあった。  それから、驚いたのはDASH・チサコと橋本千紘(共にセンダイガールズプロレスリング)の女子選手だ。男子選手との混合タッグマッチだったけど、その中にあってあの2人はキレイな小気味いいプロレスをしていたね! 取材に来ていた記者たちからの評価も高かったよ。女子選手ながら潔い試合をしていて、俺は少し悔しかったくらいだ。女子だから目立ったんじゃなくて、あの日の試合の中で目立って、引き立っていた。チサコは5年前の俺の引退試合興行にも出場していたけど、橋本は初めて。この5年間でチサコの成長した姿が見られて、さらに橋本という新しい才能を持った選手も見ることができた。ここに5年間という月日を感じたね。  彼女らだけじゃなくて、5年前は若手だった拳剛(フリー)、河上隆一(大日本プロレス)、那須晃太郎(ランズエンドプロレスリング)たちも、当時とはくらべものにならないくらいからだも“態度も”大きくなって(笑)、久しぶりに会っても最初は気づかなかったくらいだ。5年前はおどおどしながら試合をしていた彼らも、今回は堂々と自信満々に試合をしている姿を見て、本当に成長したんだなと感じることができた。変わっていなかったのは(78歳の)グレート小鹿くらいだ! 変わらないのがすごいんだよね(笑)。プロレスの先輩として、成長した後進の姿を見られるのは嬉しい。相撲界で言ったら、今の北の富士さんのような気分かな?  さて、いよいよ、天龍源一郎とオカダ・カズチカのトークバトル。本当は俺がオカダの後にリングインする予定だったんだけど、俺の希望で先にリングに上がらせてもらった。オカダの入場シーンをリング上から見てみたいと思ったからだ。まず、俺がリングイン。今は脊柱管狭窄(きょうさく)症の影響やら、引退後にからだのケアをしていなかったツケで、杖をつきながらの入場となったわけだけど。以前はお客さんの前に杖をついて出るのはカッコ悪い、恥ずかしいという気持ちもあったが、今ではそんなモヤモヤもすっかり消えている。どう思われようと俺の成れの果て……と言っていいのかな(笑)、今のありのままの姿を見てもらいたいと思っている。プロレスラーが引退して長生きすると、からだにどれだけのダメージが残るのか。それを後輩やファンの方たちに身をもって見せることも、俺たち世代の役割だと思うんだよね。  とはいえ、今のからだの状態で堂々と歩けるか、ちゃんとリングインできるか不安はあったんだ……。ところが、いざ入場となって現役時代のテーマ曲『サンダーストーム』がかかると、これまでにないくらい絶好調にからだが動くんだよ! いやあ、音楽というのは不思議なものだね。俺の葬式のときはこの曲をかけないでくれよ。この曲を聴いて起き上がったりしたら大変だろう!  俺が先にリングインしてオカダの入場を見ていたけど、5年前よりも風格があったね! 俺が相手の入場する姿を見てカッコいいと思ったのは、高田延彦とこの日のオカダだけだ! ただ、入場する姿はカッコいいが、俺はオカダに対してある不安を持っていた。それは、トークバトルが決まってから周囲の人間によく言われていた「オカダは口下手でトークが苦手。時間が持つのか?」ということだ。そんな話を散々聞かされていたから、俺は「時間が余ったらどうするんだよ……。俺もそんなに話をひろげられないぞ……」と、ソワソワしていたんだ。  ところが! トークバトルが始まるとオカダは「こんなにしゃべるのかよ!」というぐらい、流暢にグイグイ話し出したんだよ! いやぁ、完全に予想外だったし、コテンパンにやられたね。トークバトルの結果は引き分けとなっているけど、俺の完敗だったよ。オカダは自分のプロレス人生に自信があるから、同じレスラー同士でも位負けしないで堂々としゃべることができる。自分でも「トークは苦手で……」なんて言っておいてよ(笑)。それにトークが始まる前に、オカダがマイクを両手で持って俺に渡してくれた。こういうちょっとした気遣いができるのも憎らしいね。思わず「ありがとう」と言ってしまって、トークバトルする前から“あ、これは負けたね”と思ってしまったんだ。引き分けという結果になって、再戦要求があったけど、次は居酒屋開催してオカダを酔いつぶして、なんとしてでも勝とうと思っているよ(笑)。  オカダは5年前の引退試合のときは俺のファンに囲まれてアウェー状態だったけど、今回は「引退試合で天龍を介錯してくれたオカダ、よくぞ来てくれた!」という感じで歓迎されていたね。天龍プロジェクトの興行に新日本プロレスのトップレスラーが来てくれたこともあって、その漢(おとこ)気に彼のファンがまた増えたんじゃないか。当日は新日本プロレスの試合が名古屋であって、すぐに現地に行かなきゃいけないから本当は最初にトークバトルをする予定だったんだ。でも向こうの試合編成が変わって、時間に余裕ができたおかげでメーンイベントにすることができた。試合があるにも関わらずオファーを受けてくれたオカダには感謝だよね。やっぱり、プロレスという共通のエンタメがあると、誰としゃべってもいい回答が出るもんだね。オカダもそつなく、リズムよく答えていたし、『クイズダービー』の大橋巨泉と北野大さんの問答にも負けていなかったんじゃないか。って懐かしいこと言うだろう(笑)。  興行全体を振り返ると、コロナ禍の厳しい状況でもお客さんが集まってくれたことにまず感謝しているよ。プロレスが低迷していた頃も、今のような状況でも応援してくれるファンがいるのはすごいことだ。俺のイメージではプロレスファンは偏屈だけど愛情がある、昔のちゃぶ台をひっくり返すオヤジのような感じ。プロレスファンはプロレスラーになるヤツよりもよっぽど不思議な人が多いよね(笑)。  また、他団体から参加してくれた選手たちをケガ無く、送り返せたことになにより安心している。団体の大事な選手をお借りして、ケガをさせてしまうのは恥だからね。俺の引退試合のときに女房から「試合が終わったら自分の足でちゃんと歩いて帰って来てね」と言われたけど、そのときは「何を言っているんだ??」という感じだった。でも引退してほかの選手を預かる立場になってようやくその意味がわかったよ。こんな気持ちだったんだね(笑)。  代表とも話したけど、天龍プロジェクトとして、今後も興行をやっていきたいと思っている。プロレスラーの収入は「1試合いくら」という世界。興行が増えれば、その分だけレスラーが潤うということになる。「天龍は引退したくせにまだ興行をやるのか」と思う人もいるかもしれないけど、なるべく後輩のプロレスラーの収入になればいいと思っているんだ。だから、ファンの皆さんはこれからもどうか応援をよろしく! (構成・高橋ダイスケ) 天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。
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dot. 2020/11/22 07:00
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