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「置き配」の窃盗がじわり増加中 被害にあえばほとんどが「泣き寝入り」で宅配ドライバーも不安視
「置き配」の窃盗がじわり増加中 被害にあえばほとんどが「泣き寝入り」で宅配ドライバーも不安視 暴排対策としても有効な「置き配」だが、置かれた荷物を狙う窃盗がじわり増えている(写真はイメージ/gettyimages) 「置き配」は防犯対策としても有効だ。強盗が宅配業者を装う手口があり、警察は業者と対面することなく荷物を受け取る置き配を推奨している。だが、置き配の荷物を狙った窃盗もじわり増えている。 *   *   *  今年9月、近畿地方に暮らす40代の男性はインターネットの通販サイトでモバイルバッテリーを注文した。荷物の到着日は外出予定だったので、ガスメーターボックス内への「置き配」を指定した。  帰宅後、ガスメーターボックスを開けたが荷物は見当たらない。宅配業者に問い合わせると、配達時の画像を見せられた。そこには確かに荷物が置かれた様子が写っていた。  ――何者かに盗まれてしまったのだ。  男性は宅配業者に対応を求めたが、返答は「指定された場所に荷物を置いた時点で配達は完了となるため、後はお客様の責任になります」。  宅配業者から「通販サイトに相談するように」とうながされて問い合わせたものの、対応を断られた。男性は警察に盗難届を出した。被害額は約8000円。  こんなケースもある。同10月、首都圏に住む30代の女性はフリマアプリを利用してネックレスを販売した。荷物を発送し、しばらくするとスマホの画面に「配達済み」と表示された。  だが、いつまで経っても購入者から受け取り評価のメッセージが届かない。  その後、購入者から「置き配を指定したところ、盗難に遭い、商品を受け取っていない」という連絡を受けた。女性は「受け取り評価がないと、商品取引が完了しないため、入金されないかもしれない」と困惑する。  置き配は非接触で荷物の受け取りができることから、コロナ禍に感染症対策として注目された。宅配業者にとっては再配達の負担を減らし、効率化が図れるというメリットもある。  昨今、凶悪化が報じられる「強盗」対策としても有効で、「宅配業者の訪問があったときは、できる限り業者と対面することなく、非対面での受け取りを希望してください」と警視庁の担当者は話す。  だが、ここへきて置き配の「盗難」がじわり増えている。 便利な置き配は「善意」に支えられていることを実感する=米倉昭仁撮影 保険での救済は2%未満  国民生活センターによると、置き配された荷物の盗難の相談が増え始めたのはコロナ禍の2020年。22年には置き配の盗難リスクについて、注意喚起を行った。現在も被害は増加傾向にあるという。  残念ながら、置き配の窃盗犯が検挙され、商品が戻ってくることはめったにない。ほとんどのケースは泣き寝入りだ。  昨年度、東京都内で「置き配が盗難に遭った」という消費生活センターへのトラブル相談は368件。今年度は上半期だけで234件と、かなり増えている。  このうち、盗難保険の補償によってトラブルが解決したケースは昨年度で5件、今年度上半期は5件。 「盗難被害のうち2%弱しか補償されていません」と、東京都消費生活総合センター・相談課長の高村淳子さんは明かす。  まず、置き配盗難保険自体が少ない。大手宅配3社(ヤマト運輸、佐川急便、日本郵便)のうち、置き配盗難保険を用意しているのは日本郵便だけだ。1事故当たりの支払い限度額は1万円(送料、消費税および使用ポイント分を含む)。  補償を受けるには被害者が盗難に遭った証拠を集め、警察に盗難届を提出しなければならない。保険金請求フォームに盗難届の受理番号を記入する必要があるからだ。ところが、盗難届が受理されないケースが多いのだ。 「一番の問題は、『盗難』なのか、『誤配』なのか、よくわからないことです」(高村さん) 商品が再送されることもあるが 「置き配」では、現在、ほぼすべての宅配業者が指定された場所に荷物を置いた時点で「宅配完了メール」を荷受人に送信する。  配達した状態の写真を添付せず、メールだけを送信する業者もある。この場合、荷物が届いていなくても、「誤配」の可能性が生じる。確実に荷物が配達されたことを証明できなければ、盗難届は受理されない。  また、「置き配」で盗まれる荷物の多くは通販サイトで購入した商品だという。  同センターは「注文した商品が届いていない」旨を通販サイトにメールするか、書面で伝え、調査を依頼することをアドバイスする。通販サイトに相談した時点で、同じ商品を再送してくれることもある。しかし、対応を断られれば、「まず、泣き寝入りとなってしまう」(同)。 「家電製品のような高額商品が被害に遭ってしまい、『もう置き配は使わない』と、悔やむ人もいます」(同)  商品の配送の初期設定が「置き配」になっている通販も増えてきた。それに気づかず、置き配された荷物を盗まれてしまったケースもある。 「指定しなければ、対面の配達ではなく、『置き配』になってしまう配送システムに怒りをぶつける人もいます」(同) 宅配ドライバーの多くが不安  宅配ドライバーたちも置き配に不安を感じている。  宅配ボックス大手「ナスタ」(東京都)は昨年11月、宅配ドライバー400人に置き配についてのアンケートを実施した。  荷物を置く場所として断トツで多く利用していたのは「玄関先」で66.5%。「宅配ボックス」は28.2%、「郵便受け」は1.8%だった(複数回答)。  荷受人から「玄関先」を指定されて荷物を置いた後、「荷物がない」というクレームを受けた経験のあるドライバーは18.3%。玄関先に荷物を置くことを「不安だと思う」という回答は75.3%に達した。 盗難リスクの軽減策は  では、「置き配」荷物の盗難を防ぐにはどうすればいいのか。  置き配された荷物を盗難から防ぐには、配達完了メールを受け取ったら、なるべく時間をおかずに荷物を回収することだとセコムの濱田宏彰研究員はいう。  宅配業者が自宅を訪れた際、手が離せなかったため、インターホンで置き配を依頼。数時間後に確認したら荷物がなくなっていたというケースもある。  ヤマト運輸は置き配の日時指定が可能なサービスを「クロネコメンバーズ」「EAZY」で展開している。 「お客さまの在宅・帰宅時間に合わせてご指定いただくことで、少しでもお荷物の盗難リスクを軽減できると考えております」(ヤマト運輸)  佐川急便も「スマートクラブ」に登録すれば同様のサービスを受けられる。  記者も置き配のお世話になっているが、さいわい、盗難に遭ったことはない。近隣の人たちも同様のようだ。置き配は「善意」に支えられていると実感する。破綻せずに続いてほしい。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)  
平日に学校を休んで家族旅行はアリ? 休んでも“欠席扱い”にならない「ラーケーション」が全国に広がる背景とは
平日に学校を休んで家族旅行はアリ? 休んでも“欠席扱い”にならない「ラーケーション」が全国に広がる背景とは 写真はイメージ(GettyImages)  子どもの学び(ラーニング)と保護者の休暇(バケーション)を組み合わせた子どもの新しい学びスタイル「ラーケーション」が、じわりと全国に広がってきています。2023年9月から愛知県が全国で初めて導入した制度で、自主学習活動は学校に登校しなくても欠席扱いにはならないというもの。子ども時代の豊かな体験の重要性は、保護者の間でも理解が広がってきて、ラーケーションの有無にかかわらず平日に家族旅行へいく家庭も多くなってきましたが、それには懐疑的な声も。ラーケーションの現在や、平日に学校を休むことの是非について専門家らに聞きました。 全国に広がりつつある「ラーケーション」 「ママが一緒に公園で遊んでくれるって何年ぶり? この時間がずっと続けばいいのにね」  そう言って見上げる10歳の娘の言葉に、「ぐっときた」と話すのは茨城県に住む40代女性です。経営者という仕事柄、土日も仕事になることが多く、土日に子どもの習い事が入ることも。平日は学校で目一杯がんばってくる子どももくたくたで、土日にお出かけするのは混雑している人気スポットばかり。「気付けばゆっくり過ごす親子の時間を持てていなかった」と女性は振り返ります。  昨年9月、愛知県(名古屋市は除く)が全国で初めて導入した「ラーケーション」。ラーニング(子どもの学び)+バケーション(保護者の休暇)の造語で、愛知県が推進する「休み方改革」プロジェクトの一環で生まれた制度です。子どもが平日に学校を休んで保護者らと一緒に過ごし、学校ではない場所で興味のあることを体験し、探究して学びを深めようという画期的な取り組みで、欠席扱いにはなりません。愛知県は年3回までで、分散して取ることも、連続して取ることもできます。このラーケーションの動きが全国にじわりと広がり、2024年11月現在で愛知県(年3回)、茨城県(年5回)、山口県(年3回)のほか、大分県別府市、栃木県日光市、沖縄県座間市など、県や市町村単位で拡大してきています。  前述の女性が暮らす茨城県では、今年4月から導入。この親子が選んだ行き先は、車で20分の近くのぶどう園と運動公園でした。「あえて近場を選んだ」といいます。 「時間かけて遠出するよりも、移動時間を短くしていつもと違う平日を2人でゆっくり過ごしたいね、と言って決めました。気になっていたぶどう農家さんの畑へ行って、ぶどうの味や品種についてたくさん教えてもらいました。そのあと2人でランチして、広い公園へ行きました。平日だから誰もいなくて、一緒に歩きながら歌ったり、遊具に登って遊んだりもしました」 「この時間が続けばいいのに」娘の言葉で行動を変えた  ラーケーションを取ったことで、親子の時間が足りていなかったことに気付かされたそうです。 「『この時間が続けばいいのに』と娘に言われて、子どもって大人よりすごく親子の時間を大事にとらえているんだなぁって感じました。ラーケーションのあと、今の生活スタイルを見直して、子どもと共有できる時間を1週間に1回でも取る、と目標リストに書き加えました。次のラーケーションは、2人で藍染体験に行きます」  平日の魅力といえば、混雑を避けゆっくり過ごせること。ゆえに人気のアミューズメントパークを選ぶ家族も少なくありません。  愛知県で暮らすパートの40代女性は、今年9月の金曜日、ラーケーションを利用して小学3年の娘(9)と2人でユニバーサルスタジオへ行きました。平日が休めない夫とは週末に合流。昨年は初めてのラーケーションを利用し、家族3人でディズニーランドへ。女性は「親子で行く修学旅行のようでした」と振り返ります。一方、「周囲の誰もが気軽に使えている雰囲気ではない」と打ち明けます。 「うちの子の周りを見ると、土日が仕事で平日休みの保護者や、平日休みを取りやすい保護者はラーケーションを利用している印象です。わが家も今年は母と娘の2人旅でした。ラーケーションを取れる子は取るし、どこも行かない子は行かないという雰囲気です」と話します。 「仕事の都合で難しい」保護者が23%  愛知県教育委員会がラーケーション導入初年度の今年1〜2月、市町村立学校の保護者を対象に実施したアンケートによると、「既に取得した」「取得する予定」が合わせて35.4%。一方、「取得したいが、仕事の都合で難しい」という保護者は23.6%という結果でした。  愛知県教育委員会の担当者は、「ラーケーションは、子どものラーニングと大人のバケーションで、そこで子どもは何を学ぶかを明確にすることが重要です。遠出しなくても親の職場を見学する、公園で生き物を観察する、親子で料理をするなど、活用方法はさまざま。大切なのは、子ども本人が追究したいことを親子で探究することです」と話します。 「ラーケーション制度」、課題は?  子どもの新たな可能性が広がるラーケーションについて、元小学校教員で教育評論家の親野智可等(おやのちから)さんは、「いつもは忙しく過ごす親子が、“ほんもの体験”を伴いながら一緒に過ごせる素晴らしい制度」と評価します。  一方で、児童生徒の格差が出ないよう気を付けることが大事だと指摘します。 「ラーケーションに限りませんが、よく言われていることは、親の経済格差によって子どもの体験格差が生まれる、ということです。でもお金や時間が十分にない親はいっぱいいるわけで、そのまま自然に任せていると、格差が拡大することは目に見えています。  校外での学びという意味では、家の中や近所でもラーケーションにはなるかもしれませんが、やっぱり子どものときめき感は少ないでしょう。子どもは必ず友だちと比べてしまいます。  だからこそ補うものが絶対必要になるわけです。いろいろなアイデアがありますが、ラーケーションで利用できるクーポン券を出すなど、自治体の補助が必要になってきます。こういうところに自治体はお金をかけるべきです」(親野さん) 「家族旅行で学校を休む」 それっていいの?  旅を教育と捉える「旅育」の考え方も広がるなか、ラーケーションに関わらず、平日に小学校を休ませて国内外を旅行したり、アミューズメントパークを楽しむ家庭も、以前より増えているようです。「私の時代は、『熱があっても学校へいけ!休むなんてとんでもない』と言われていたので、家族旅行で学校を休む子どもの同級生たちを見ると、違和感がある」(港区の40代女性)という意見も。こうした現状に対して、親野さんは「これも当然いいことだと思う」と肯定します。 「学校だけで教育は完結するものではありません。子どもが学校へ行く目的は、子どもを伸ばすため、幸せにするためであって、学校は手段です。いま不登校の子どもがとても増えていますが、『どうしても学校へ行かせなくちゃ』という考えは、手段を目的化してしまっていると感じます。  平日に学校を休んで親子でテーマパークや海外旅行を楽しんだとして、それでその子が幸せな気持ちになって、成長していくのだとしたら、学校を何日か休んだっておつりが来るくらい得るものは大きいのではないでしょうか」(親野さん) (取材・文/大楽眞衣子) 親野智可等さん  〇親野智可等/教育評論家。教師経験をもとに、子育て、しつけ、親子関係、勉強法、家庭教育について具体的に提案。『子育て365日』『反抗期まるごと解決BOOk』など著書多数。インスタグラムやスレッズでも発信中。全国各地の小・中・高等学校、幼稚園・保育園のPA、市町村の教育講演会、先生や保育士の研修会でも大人気となっている。公式ホームページ https://www.oyaryoku.jp/
鈴木涼美が振り返る「小手先のテクニックでいまいちなものを量産していた時期」 作家として守りたいマイルールとは
鈴木涼美が振り返る「小手先のテクニックでいまいちなものを量産していた時期」 作家として守りたいマイルールとは 鈴木涼美さん  作家・鈴木涼美さんの連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」。本日は特別に、悩めるオトコにお越しいただきました。 Q. 【vol.28】書けない日があることに悩む物書きのワタシ(30代男性/ハンドルネーム「ヴィヒタ」)  わたしもフリーランスの物書きをしています。ただ、一日に書ける分量が安定せず、二十枚くらい書ける日もあるのですが、ならすと五枚にも満たない日が多いため、もう少し一日に書ける分量を安定して増やしたいです。涼美さんはたくさん書かれ、発表されていると思いますが、その秘訣はなんですか? よろしければアドバイスお願いします。 A. 一文字に悩んで暮れる日があってもいい  私の場合、一日平均の書く量が一番多かったのは会社を辞めて三年目から五年目くらいの時だったと思います。とは言っても多い人に比べればたいしたことはなく、平均で十枚ちょっとでした。その前はもっとばらつきがあって、たまに二十枚書いて、まったく書かない日が何日も続いて、という感じだったし、その後はまったく書かない日はかなり少ないものの、平均枚数にすれば一日十枚に満たないペースだと思います。ちなみに今は出産後ちょうど二カ月ですが、ここ二カ月は週の平均がせいぜい二十~三十枚という程度、パソコンを開くことができない日もあるし、たった数枚のゲラに赤字をいれるのに締め切りが守れなかったこともありました。 安定している=手慣れている  そんな感じで、別に私はハイペースで安定して書いてきたわけではないのですが、一つ言えるのは最も平均枚数の多かった二、三年の間に書いたものは、必ずしも気に入っていないということです。安定したペースで書いていたということは、悪い言い方をすれば手慣れてしまって、小手先のテクニックで自分が書けるとわかっているクオリティのものを量産していた時期でもあるからです。当時書いた本を読み返すことは滅多にないですが、別にめちゃくちゃつまらないわけでも、駄作ばかりというわけでもないとは思いつつ、器用さで書けてしまっている感は否めません。それはフィクションであれエッセイであれちょっとした映画コラムや書評であれ、そうです。  それに対して、自分が比較的好きな作品を書いた時のことを思い出すと、一カ所の形容詞が気に入らなくて、その七文字を削ったり書き直したりしていたら一日経ってしまったということもあれば、図書館でトイレも行かずに二十枚以上書いた日もあるという調子でまったく安定しておらず、時に連載の原稿を休んでいることすらありました。それに、安定して器用なコラムを量産していた時に比べて、ものによっては文章のリズムが悪くかったるいし、全然面白くないエッセイもあるし、書きたいことはあったはずなのに書いているうちに見失って何が言いたいのかわからなくなり、すべて消してしまうようなことも多かったと思います。  今ももしかしたら安定したペースでそこそこのものを書くことはできるかもしれません。それはおそらく新聞記者、つまりサラリーマンライター時代に、気が乗らなくてもつまらなくても書くという訓練をしたからかもしれないし、もともとのある程度の器用さがあるからかもしれない。そういう能力が必要な持ち場というのはあります。生活系の記事が多い、地方面の担当記者だった時にはとにかく一枚の新聞紙を安定した内容の記事で埋めなくてはならなかったし、週刊誌でもインタビュー系のウェブサイトでも、とにかく分量とスピードが求められる場所というのはあるからです。 自分が心底面白がれるものを書く  ただ私の場合はそこそこ器用にたくさんの記事を書いていても、二、三年で自分に飽きてしまうため、多少不安定で、三日かけて書いた二章分を全部消してしまうような時があっても、まれにでいいから自分が心底面白がれるものを書けるほうが性に合っていると思い、形にならない日が続いてもあまり焦らないようにしています。とはいってもそれを仕事にしている以上、一年で一枚の時があってもいい、とか、十年休載してもいい、みたいな特殊な人気漫画のようなことを言うには厳しいものがあります。  気乗りしない時でも、かならず一日一文字以上は書く、いまいちな出来であっても書き上げたものはとにかく一度編集者に見てもらうというのが、少なくとも仕事として書いていくにあたって私が維持したい姿勢です。安定して量産する時に書いたものは気に入らないものが多いとはいえ、一文字も書けない日が続くような時期に書いたものもまた、いまいちなことが多いからです。 連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」では、恋愛、夫婦、家族、仕事、友人など、鈴木さんと同世代の30~40代女性を中心に、お悩みを募集しています。ご応募はこちらのフォーム(https://forms.gle/vH3KMGRGBPJb2TE5A)から! ●鈴木さんからのメッセージ 私はずっと地べたにはいつくばって生きている感じなので、こんな風にすれば素敵な人生送れるよ!というアドバイスは何もないですが、ピンチに陥ったり崖っぷちに立ったりすることは多い日々だったので、痛み分けする気分で、気負わずなんでもお便りお待ちしてます。
なぜ独身時代から「賃貸」でなく「持ち家」にすべきか 元メガバンク支店長が教える「お金を回す仕組みづくり」
なぜ独身時代から「賃貸」でなく「持ち家」にすべきか 元メガバンク支店長が教える「お金を回す仕組みづくり」 お金の専門家・菅井敏之さん(本人提供)  物価高が続き、給料も上がらず、なんとなく生活が苦しい時代。長生きリスクが心配でこの先、お金に困らない生活を送るには……。お金に関する「教えて!」を解決する短期連載の最終回のテーマは、「これから安心して生きるために」。元メガバンク支店長でお金の専門家・菅井敏之さんに、貯蓄も投資も節約も苦手の、バブル時代に青春を謳歌した筆者(バブル女子)が聞きます。教えて、菅井さん! ――世知辛い世の中。報道される闇バイトのニュースを見るにつけ、胸が痛みます。 菅井:若者が闇バイトに手を出す背景として、非正規採用の増加など雇用の劣化による若者の貧困化があると思います。正規雇用であっても、過重労働で時給換算すれば非正規雇用とさほど変わらない。手取りも少なくいつも生存ギリギリ。まだ20代なのに老後のことを心配しなければならない閉塞感があります。だからなのでしょうか。今は多くの若者が限られた手取りの中でやりくりをしてしっかり貯蓄までなさっていますね。 住宅購入を検討すべき ――でも、それだけでは安心できない人がほとんど。物価高ですし、何歳まで生きるかわからないです。借金をしてでもお金を回す仕組みをつくっておくべき、ということでしたね。 菅井:はい。お金に困らない人生を歩むための着実な一歩が、低い金利の住宅ローンを活用した住宅購入です。住宅ローンの利息分は銀行に払う経費ですが、元金分は返済が進めば自分の資産になります。多くの方が結婚して子どもができてから「そろそろ」と家の購入を検討されますが、20代の若い独身時代から住宅購入を検討すべきです。一生住み続ける家ではありません。資産目的の家と割り切る。将来貸しやすい、売りやすい資産性の高い家を購入して「資産」を作るべきです。そもそも資産というものは、負債(借金)と純資産を合わせたものです。 ――連載1回目の復習ですね。 菅井:毎月の家賃を払っているぐらいでしたら、独身の若い方なら中古の30~40㎡くらいのマンションを買ってみてはどうでしょうか。そして結婚まで自分が住んでおき、結婚した時に売却するなり、賃貸に出すなりすればよいのです。 ――結婚といえば、菅井さん。銀行員時代に結婚相談にも乗っていたとか。 菅井:そうなんです(笑)。取引先の企業さんとか、地元の大家さんとか顔なじみになってくるといろんな話になる。うちの子が独身なんだけど……という相談もありました。本来、銀行って、そういう色々なお困りごとの相談場所であるべきだと思うんです。信頼がすべて。ネットワークがすべてかと。 ――どれだけAI社会が進んでも人にしかできないものがありますね。それは人と人の結びつきです。 菅井:私は、税理士の資格も宅建の免許も持っていません。CFP(公認ファイナンシャルプランナー)の資格だってありません。でも私には持っているものがある。それは人脈です。多方面で活躍されるさまざまな人々、たくさんの優秀な方たちとつながっています。そういうものを常に持って、丁寧な人付き合いをしていくことがビジネスで成功していく秘訣かもしれませんね。 ストレスがない生活 ――冒頭で闇バイトに触れましたが、もしも本当に切迫した事情でお金が必要で「助けて」と言える環境があれば、もしかして誰かの命が失われなかったかも……。人とのつながりの薄さを感じざるを得ません。残念です。 菅井:誰かの喜ぶ顔が自分の働く喜びになる。そんな経験を沢山しながら育った子どもは、大人になってからも働く意味や自分の生きる意味を見失うことはないと思います。誰かの「困った」を発見し、それを自分が「解決」する。その対価として「お金」を得る。第二の人生にやりがいを求めてボランティア活動に取り組まれる方もいらっしゃいますが、長続きしないケースも見てきました。どうしても疲弊してしまうんです。お金は「消しゴム」みたいなもので、それによって人間関係をニュートラルにすることができるものです。前回で触れた「ライフワーク」と「ライスワーク」。これを分けて考える方が、ストレスがない生活が送れる気がします。 ――お金は便利ですね。沢山増やせば、消しゴムもいっぱい。より良い関係で人と繋がっていれば、人生も豊かになりますね。好きなことを仕事に出来たら最高ですが、実際にはそれで食べていける人はごくわずかなのかもしれません。 菅井:これまで私はいろいろとお話をしてきましたが、私だって多少なりとも失敗をしています。その都度いろいろな人の力を借りたり、温かい言葉に救われたり、力をもらったりしました。いろいろな経験が今につながっています。結局、お金の使い方に正解はないんです。どういう方法で資産を増やすべきか、自分にあった方法を選べばいいのです。たまたま私はそれがアパート経営だったというだけ。お金が足りない、老後が不安という人は、お金に対する考えを少し改めて「貯める」から資産に「働いてもらう」という思考に少しだけ変えてもよいと思います。 自分株式会社 ――それだけでも全然違いそうですね。 菅井:大事なのは自分の老後や、今の生活にいくら欲しくて、そのためにはどうやってお金をつくっていけばいいのかを「逆算」して考えること。「簡単なこと」と思われるかもしれませんが、多くの方がそれをせずにただ「お金が足りない」と嘆いています。あなたは、「自分株式会社」の社長なのですから、5~20年後の人生中長期計画、つまりライフプランニングを自分で鉛筆をとって行いましょう。それをするだけでも全然違いますよ。お金を回すことを人に感謝し、人の信頼を得ながら丁寧にやっているとお金は増えていきます。 ――ありがとうございました! (構成/AERA dot.編集部・大崎百紀) 菅井敏之(すがい・としゆき)/1960年、山形県生まれ。学習院大学卒業後に、三井銀行(現・三井住友銀行)に入行。東京と横浜で支店長を務め、25年間銀行マン。48歳で早期退職。現在は10棟のアパート経営で年間7,000万円の不動産収入を得ている。また、人気講師として全国で講演やセミナーを行っている。現在は帝国ホテル内でお金に関する相談を受けている。著書に「お金が貯まるのはどっち!?」(アスコム)など。お金の専門家・菅井敏之公式サイト「お金が貯まるのは、どっち!?」(https://www.toshiyukisugai.jp/)
地方からベストセラー本を連発するライツ社 「世の中を揺り動かす本だけを作る」徹底的なこだわり
地方からベストセラー本を連発するライツ社 「世の中を揺り動かす本だけを作る」徹底的なこだわり 「海とタコと本のまち」兵庫県明石市で創業し8年。自分たちが本当に面白いと思う本を世に問い続ける(写真/MIKIKO)    本は売れないと言われて久しい。それなのに、兵庫県明石市の出版社「ライツ社」は、ベストセラーを次々生み出す。編集長の大塚啓志郎は一冊ずつ、丁寧にこだわり抜いて作る。その本を、営業責任者の髙野翔がベストセラーにするべく営業をかける。きちんと作って売れば、出版はまだ儲かる。何よりも本を大事に思う2人が、どうやってヒットを生むのかを追った。 *  *  *  明石海峡大橋を過ぎて西に走る電車の窓に、夏の終わりの光にきらめく瀬戸内の海が現れた。JR明石駅を降り、商店街の新鮮なタコや魚を売る店を眺めながらしばらく歩く。やがて着いた古い5階建てのマンション。1階の窓ガラス越しに数名の男女が机に向かい働く姿が見えた。ここから全国で話題のベストセラーが次々生まれているのが意外に思えるほど、その出版社は住宅街に溶け込んでいた。  髙野翔(たかのしょう・41)と大塚啓志郎(おおつかけいしろう・38)がライツ社を創業したのは2016年のことだ。  出版業界は20年以上にわたり業界全体の売り上げ減少が続いている。スマホの普及で電車内で「本を読む人」を見ることも珍しくなった。そんな時代に兵庫県の明石市で2人は起業した。最初は「無謀」と評する声もあったが、今では「出版界の希望」と言われるほどの快進撃を続けている。  2万部を超えればヒットといわれる近年の出版市場の中で、ライツ社の刊行物のヒット率は驚異的だ。YouTubeで大人気の料理研究家リュウジのレシピ集『リュウジ式至高のレシピ』と同『悪魔のレシピ』はそれぞれ31万部、24万部を超え版を重ねる。写真家ヨシダナギが世界の少数民族を撮影した写真集『HEROES』は1万2222円と高額ながら1万部以上も売れ、数々のニュースに取り上げられた。小説家・知念実希人が執筆した児童向けミステリー『放課後ミステリクラブ』は児童書で初めて本屋大賞にノミネートされ、シリーズ累計25万部を超える。ヒット作に恵まれた2年前は社員一人あたり7千万円もの売り上げを達成。この数字は最大手の出版社に比肩する。 「僕らはもともと出版の良かった時代を知らないので、必死で努力してきただけです」とにこやかに言う髙野。「今でも出版は儲かりますよ。ちゃんとやれば、ですが」と静かに、信念に満ちた口調で語る大塚。 余震の中テーブルの下で 兄と本や漫画を読んだ  なぜライツ社は出版界の逆風をものともせずヒット作を生み出し続けられるのか。  編集長としてライツ社のすべての本の制作に携わってきた大塚は1986年、明石市で男4兄弟の末っ子として生まれた。母が本好きなことから家の壁一面に本が並び、物心つく前からたくさんの絵本を読み聞かされ育った。  8歳のときに阪神・淡路大震災が起き、幸い家族にけがはなかったが、古い木造の家が半壊した。大塚は余震に揺れる家で、ダイニングテーブルの下に兄と潜り込み、本や漫画を読みながら親の帰りを待ったのを覚えている。設計士の父は、震災直後から自宅を後回しに、被災した近所の家々を修理して回った。大塚が父と仕事を手伝う家族の様子を作文に書くと、しばらくして、小学生の震災に関する記憶をまとめた本に収録された。 「誰かに何かを伝えることに関心を抱いた最初のきっかけが、その作文だったと思います」  編集者と打ち合わせをする大塚(上)と、営業の確認をする髙野(下)。ライツ社では改まった会議等を行わず、LINEのやりとりと顔を合わせての会話ですべての本の企画を決め、仕事を進めている(写真/MIKIKO)    勉強とサッカーに打ち込んだ中学時代を経て、県立明石南高校へ進学した大塚は、3年生のときに忘れられない経験をした。 「好きになった同級生の女子が、家族である宗教の熱心な信者だったんです。彼女のことを理解したくて図書館でその宗教について調べ、自分も集会に参加しました。でも結局、同じ宗教を信じる人でないと付き合えないと言われて……。その経験で自分の無力さとともに、『世の中のことについて何も知らない』と感じたんです」  社会のこと、人間のことを深く知りたい。そう考えた大塚は、指定校推薦枠があった関西大学の社会学部で心理学を学ぶことにした。  だが、授業は面白くなかった。目を向けたのは海外だった。ベトナム戦争を取材していたジャーナリストの講義をとり、現地でのスタディツアーに参加すると、枯れ葉剤の影響で障害を持って生まれた人や地雷で手足を失った人の姿に衝撃を受けた。その後、世界の広さを体感するためにバックパックを背負い、トルコ、ヨーロッパ、インド、ネパールなどを一人で旅した。 「そんなときに大学の先輩から『いくら旅をしても、得たものを他の人に伝えないと、意味がなくないか?』と言われたんです」  大塚は旅の仲間たちに声をかけ、自分たちが旅の中で出会った世界の子どもたちの写真展を開催、2日間で関大生を中心に数百名の来客があった。伝えること、たくさんの人に思いが届くことを実感した。  写真展のきっかけをくれた先輩はその後大塚に、『1歳から100歳の夢』という京都のいろは出版が出した本を貸してくれた。1歳から100歳までの無名の一般の人々が、それぞれの「夢」を写真とともに語るその本を読んでいるうちに、感動して涙が止まらなくなった。「この本を出した会社で働きたい」。いろは出版に応募した大塚は、3千人ものエントリーの中から内定を得て、08年から編集者の道を歩み始めた。  ライツ社で営業責任者を務める髙野は、1983年、福井市に生まれた。 「明るい元気な子どもでした。ただすごく忘れ物が多くて。20歳になったときに両親から初めて『昔ADHDって診断されてね……』とその事実を告げられて自分でも納得したのですが、ランドセルを学校に忘れて帰宅するようなタイプでした。本は大好きで、レ・ミゼラブルを読んで感動して泣いたことを覚えてます」  髙野の人生に大きなインパクトを与えた一冊が、中学生のときに読んだ『ソフィーの世界』だ。 「自分は小さな頃から『宇宙が始まる前には何があったんだろう』とか『この世界で本当に意識があるのは自分だけで、他の人は全部ロボットかもしれない』みたいなことを考えていました。そんなときにソフィーの世界を読んで『2千年以上前から自分と同じことを考えている人たちがいたんだ!』とびっくりしました」  成績は良く、地元中学から福井県有数の進学校である県立高志高校に進んだ。だが入学すると全員勉強ができる生徒ばかり。マージャンを覚えたことで成績が急降下した髙野が、唯一高校で面白さを感じたのが「倫理」の授業だった。プラトンやアリストテレスなどギリシャの哲学者たちが、人の幸せやあるべき社会について思索を深めていることに魅了された。自分も哲学者になりたいと考えた髙野は関西大学の文学部哲学科に進学する。 「でも結局、哲学者になることはできませんでした。神戸大の大学院に進んだんですが、周りがものすごく優秀で、自分は努力できなかったんです。4年間ずるずると大学院に在籍しているうちに、彼女にも振られました」 東京の出版社の経営層と4人で席を囲み情報交換。2人が酒席をともにするのは珍しい。「創業直後に1回だけ2人で飲みましたが、会社で仕事も夢も全部話してるからお互いほぼ無言でした」(髙野)=東京・神田小川町の鮪のシマハラプラスで(写真/写真映像部・上田泰世)   失恋でナンパに開眼 その経験が面接で生きる  大好きだった人生初の彼女に去られ、悲しみに沈んだ髙野は、そこから唐突に「ナンパ」にはまる。「女性は星の数ほどいるよ」と慰める友人の言葉に「なのに自分にはぜんぜん話せる女性がいないのはなぜだ」と思ったのがきっかけだ。 「ナンパといっても深い関係が目的ではなく、ただ友だちと一緒に街を2、3人で歩いている女性に『よかったら一緒に飲みませんか』と声をかけて、安居酒屋でごちそうして楽しく話し、さよならするだけです。本職のナンパ師の人には『お前ら何がしたいんだ?』と怒られました(笑)」  髙野は「今考えると『自分が勇気を出せば、世界の全員と友だちになれる』ことを確かめたかったんだと思います」と振り返る。  大学院の在籍期限が近づき、就職先を探し始めたとき、最初は本を大事に思っていたがゆえに出版業界を目指さなかった。だが書店営業の面白さ、楽しさが書かれた本を読み、「営業ならできるかも」と考え始める。関西に愛着がある髙野は、いろは出版の採用に応募。面接でナンパの経験を話すと面白がられ、27歳の新人営業として採用された。  大塚はいろは出版で本づくりへの基本姿勢を、髙野は書店営業の面白さをそれぞれ学んでいく。  入社して4年目、大塚は『僕が旅に出る理由』という本を手掛ける。中央大学と早稲田大学の大学生バックパッカーが持ち込んだ企画だった。大塚は彼らとともに、大学生100人の個人旅行の思い出を文章と写真にまとめた。同書は無名の大学生の本にもかかわらず飛ぶように売れ、4万3千部まで版を重ねる。その経験で大塚は「自分の得意な領域で勝負すれば、無名の著者でも売れる本ができる」と確信した。  大好きな本を売る仕事についた髙野も、書店営業にのめり込んでいった。だが雑貨が商材の中心のいろは出版には一般書の営業ノウハウがなく、書店の新刊棚にとにかく多数積んでもらうしか売る方法がなかった。 「『農家の夢』って本を渋谷のTSUTAYAにゴリ押しで数十冊積んでもらいましたが、渋谷で農家の本が売れるわけありませんよね(笑)。それぐらい何もわかってなかった」  ある日、社外のアドバイザーが雑談で「出版営業って売り方の工夫ができないから可哀想(かわいそう)だよな」と言ったことに、髙野は腹を立てた。 「自分たちが知らないだけで、歴史ある出版社がうちのような単純な売り方をしているわけがない」  そう考えた髙野は知人の書店員が誘ってくれた出版業界の飲み会で、初めて会った他社の営業に「どうやって売っているんですか」とストレートに疑問をぶつけた。そこで初めて、売れた冊数に応じて書店に渡す報奨金のことや、トーハン・日販などの取次に対する営業、書店本部のキーマンの存在や、紀伊國屋書店での実売データの活用法などを知った。 「それを聞いて『やれること、めちゃくちゃあるやん』と、営業が一気に立体的になりました」  大塚が面白い本を作り、髙野が仕掛けて売る。いろは出版の出版部門は着実に成長を続けた。だが2016年、他部門の不振で社員全員の給与がカットされることをきっかけに2人で独立を決意。明石にある大塚の祖父が建てたマンションをオフィスに、ライツ社を設立した。 ライツ社にレシピ本が多いのは大塚が料理好きなことが理由の一つ。レシピを参考に家族に料理を作るのが日常だ(写真/MIKIKO)   「独立したのは自分たちが生きるためでした。僕も髙野も失敗したら、家族全員が食えなくなる。だからこそ一冊一冊に集中して、絶対に売れる本にする。他の出版社にない自分たちの『強み』があるとすれば、その覚悟です」(大塚)  ライツ社は全書籍をベストセラーにすることを念頭に置いた。それには編集と営業が車の両輪となりバランス良く走れるかどうかがカギとなる。髙野と大塚が社長となり、2人が対等に決裁権を持てるようにした。そのうえで、それぞれが自分の業務に専念する。  本づくりにおいて、大塚は細部まで編集にこだわる。たとえば書評家・三宅香帆の『人生を狂わす名著50』を作ったときのこと。三宅が書いたまえがきに「私にとって、読書は、戦いです」という文章を見つけた大塚は、「すべての本に『愛したいvs.愛されたい』といった対立のキャッチフレーズをつけましょう」と提案。さらに50冊それぞれに次にすすめる本3冊の紹介文をつけることも求め、合計200冊の本を同書で紹介した。 写真集の製本にもこだわり 一冊ずつ職人が仕上げる 髙野にとって飲み会は、出版界全体を盛り上げるための決起集会となっている(写真/MIKIKO)   「『良い本を作るにはここまでやるんだ』と、大塚さんにデビュー作で教えてもらいました。その後、いろんな編集者と仕事をするようになって、大塚さんほど徹底してこだわる人は珍しいことがわかりました」と三宅は言う。7年前に刊行された同書は、最近になって最大の増刷がかかり、2万部を超えた。  また、18年にヨシダナギの写真集『HEROES』を作ったときには、ヨシダの写真の美しさを印刷で表現するため、社運をかけた融資を元手に国宝などの美術印刷で知られる京都のサンエムカラーという会社に印刷を頼んだ。写真集を開いたときに真ん中で折り目が出ないよう職人が一冊ずつ手で仕上げるというこだわりだ。同書のデザインを担当したデザイナーの北原和規(43)は大塚をこう評する。 「世の中に対して斜めに構えず、自分が感動したことを素直に他の人に伝える。そういう姿勢が大塚の本作りにも共通していると思います」  創業して1年はヒット作に恵まれず、地元の銀行などから借りた4千万円の資金が1千万円程に減り「冷や汗をかいて起きた夜もあった」という。だが三宅やヨシダの本の成功によって、「誰も読んだことがない、しかし完成した本を見ればみんな『これが読みたかった』と感じる本を作る」「過去に出た本もずっと大切に売り続ける」という方針が定まり、ライツ社の躍進が始まった。4年前にフレーベル館から転職してきた編集の感応嘉奈子(46)が、ライツ社で働くなかで一番感じるのは「圧倒的なスピードで仕事が進むこと」だ。 仕事の行き帰りに子どもをママチャリで送迎するのも2人の日課だ。都会過ぎず、田舎でもない日本の「真ん中」にある明石市に暮らす中で感じる生活実感を、本の編集にも活かしている(写真/MIKIKO)   「編集でも営業でも、社員同士がつながるLINEで聞けば秒で返事が返ってくるので、仕事は本当にやりやすいです」と笑顔を見せる。  営業の髙野は自社の本を「爆弾を仕掛けるようなイメージ」で売っているという。 「書店に並びだした途端に爆発して、世の中を揺り動かす。そういう本だけを作って売りたいんですよね」  設立当初は取次との契約に奔走した。近年創業したベンチャー出版社の中には、本の取次を通さずに自社で直接書店と流通を行う会社もある。そのほうが資金の回収が早くコストが抑えられるからだ。だが、各書店と個別のやりとりが必要になるため、売れ始めた本をスピーディーに10万部以上に売り伸ばすことは難しい。 「ライツ社は最初からベストセラーを出すことを念頭に置いて創業したので、取次との契約はマストでした」(髙野) 飲み会で会社を超えた交流 出版界をもっと元気に  取次を通して自社の本を全国の書店に置いてもらい、さらに売り上げを伸ばすために本の広報活動もやれることはすべてやる。「ライツ社の本なら」と、重点的に売ってくれる書店も増えた。また、髙野の営業の真骨頂は「飲み会」にある。書店経営者や店長、出版社の取締役など、本に関わる人たちに声をかけ、頻繁に飲み会を開く。出版社や書店に勤める人々の会社を超えた交流を促したいという思いに加えて、「自社の本を売るだけでなく、出版界全体がもっと元気に盛り上がってほしい」と心から願っているからだ。 「僕は人生の節目節目で悩んだときに本を読み、本に助けられてここまで生きてきました。本は他の商品と違い、人生を良い方向に変える力があります。誰かの救いになるかもしれない本を届けるこの仕事は、天職です」(髙野)  あらゆる情報がスマホから無料で瞬時に手に入る時代に、なぜ人は紙の本を読むのか。大塚は「本って『個人の思い』と『社会』をつなげる、めっちゃシンプルで、ある意味便利で簡単な方法だと思うんです」と語る。情報が勝手に流れてくるWEBのニュースやSNSとは違い、書店に「置かれている」本は、自分が「買う」という能動的な行為で初めて触れることができる。 「だからこそ読み手に生まれる衝撃や変化ってすごいものだと思うんです」(大塚)  2人が本を愛し、仕事とするのは、きっと本こそが最も人の心の奥深くまで届くメディアだからなのだろう。書く力を信じてまっすぐに、ライツ社の本はこれからも世を照らしていく。 (文中敬称略)(文・大越裕) ※AERA 2024年11月25日号  
空き地に響く「ユーココール」 ガザで心身が疲弊していた私に元気をくれたのは現地の子どもたちだった
空き地に響く「ユーココール」 ガザで心身が疲弊していた私に元気をくれたのは現地の子どもたちだった イスラエルからの爆撃から避難していた子どもたちと、持参したペンを使ってお絵描きする国境なき医師団の中嶋優子医師(左)=2023年11月29日(写真 国境なき医師団提供)    昨年10月7日、イスラム組織ハマスによる攻撃への報復として、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への攻撃が始まって1年。いまも攻撃は続き、これまでに4万人を超える犠牲者が出ている。さらに、食糧不足や衛生面の悪化など人びとの生活状況は深刻だ。昨年10月の攻撃後に届いた派遣要請に応じ、11~12月にガザに入った国境なき医師団(MSF)日本の会長で救急医・麻酔科医の中嶋優子さんは、帰任後も取材や講演等で現地の状況を証言し、停戦を訴え続けている。当時の日記をもとに、全10回の連載で現地の状況を伝える。 * * *  イスラエルとイスラム組織ハマスは11月24日から4日間の停戦に入った(その後2回延長し、実際の停戦期間は7日間)。ガザに入ってからずっと聞こえていたドローンの「ブーン」という不気味な音や、昼夜関係なく響きわたる爆撃音がなくなった。すっかり音に慣れてしまっていたので、静けさが新鮮に感じた。 ----- 《11月24日の日記から》  今日からcease-fire(停戦)!  朝すごい子どもたちの声がした。朝ちょっとミーティングしてから病院にいった。街中はすごい混んでて少し平和が戻ってきてなんか活気がある。  病院は住人(※避難者が集まって寝泊まりしていた)が引き払ったからかいつもよりだいぶ空いてた。それでも混んでたけど。 (略)  今夜はドローンの音がしない! -----    病院に爆撃による重傷者がどっと押し寄せる「mass casualty」はなく、停戦初日は病院も落ち着いていたが、2日目以降、普段と違う種類の患者さんが増えた。受傷後数週間経った重傷患者さん、慢性疾患の悪化、透析患者さん、などなどが北部の機能しなくなってしまった大病院のシファ病院及びインドネシア病院から運ばれてきた。それまでは受診や転院搬送が必要でも、移動中にいつ攻撃を受けるかわからず、危なくて移動が出来なかった人たちがやっと移動できるようになったからだ。あっという間にベッドが足りなくなり、患者さんは廊下まであふれていた。意外とこの時の方がベッドの不足が深刻になり、病院は史上初めて「これ以上患者さんを受け入れ出来ません」という宣言を出した。そうは言っても機能している病院は少なく、何の効力もないのだけど。この状態で戦闘再開したらどうなってしまうのだろう、と思った。  病院側は駐車場にテント等を大急ぎで増設し始めていたが、外のテントでは出来る医療行為は限られている。停戦中は複数の組織からの支援物資が届いたが、ランダムな医療物資がごっちゃになって届いて整理するのが大変だった。必要ではない医療物資が届いたり、必要な医療物資が依然として届かなかったりした。こういった状況――医療支援物資が複数組織から届くものの、本当に必要なものが届かず、使えない医療資材が倉庫にほこりを被りながらたまっていく状況は他にもあった。もう少しコーディネート、統制が取れると良いのだが……、と前回の赴任地でも思ったが複数の組織間で、戦渦ではなかなかそこまで送る方も受け取る方も手が回らないのだろう。 停戦の初日、ナセル病院に届いた支援物資=2023年11月24日(写真 国境なき医師団提供)   ----- 《11月27日の日記から》  昨日は風邪がひどくて超早めに寝た。寝袋二重にして寝たけど結構暖かかった。  今日はER(救急救命室)が思ったより混んでる……と思ったらadmission hold(入院待機)の患者さんばかり。昨夜北部からたくさん転院で来たらしい。でもどこにも行くとこなくて蘇生室までベッド待ちの患者さんが……敗血症、血胸、大腿骨骨折、心不全……などadmission holdの患者さんばっかりだった。ドクターがあまり来なかった。  でも頑張ってERに居座ってみた。もう新しい患者さんを診るところがない。  病院の横っちょでテントを作り始めてた。どうやって(病院の)スペースとベッドを増やすか。  足が痛かったおじさんを放射線科に連れていって放射線技師数人でエコーして、血流ないということで別の病院に転送になった。  なんかユーウツだ。今日は水も出ないし。 -----    この頃は冬に向けてだんだんと寒くなってきており、栄養状態も悪かったし、気持ちも落ち込んでいたので身も心も調子を崩していた。そんなときに元気をくれたのは現地の子どもたちだった。   ----- 《11月28日の日記から》  昨夜も鼻づまりつらかった。水出ないしつらい。  朝とぼとぼオフィスに行こうとしたら子どもたちに見つかってかこまれてハグされて、たき火のところに連れていかれた。元気なかったのがすごい元気出た。 -----    私たちが寝泊まりしている建物の向かい、病院に行く毎朝の集合場所の前の家に複数の大家族が避難していた。その横にちょっとした空き地があってそこで大家族は毎朝焚き火をして暖をとっていた。おじいさん、おばあさん、親御さんたちとたくさんの子どもたち。ガザ地区の学校は全部避難所と化していたので子どもたちは学校に行けずに暇を持て余しておりいつもその空き地で遊んでいた。攻撃が始まってやってきた多国籍のMSF チームは子どもたちにとって大きな関心だった。もともとそこの大家族、子どもたちの輪に引き込んでくれたのはMSFの50代のフランス人男性の整形外科医。他のチームメイトは通り過ぎて、手を振ったりはするけど空き地の中までは入っていったりはしなかった。MSF チームで毎日向かいの空き地の中に行って交流できていたのはその整形外科医と私だけだった。 宿舎近くで避難生活を送る子どもたちと遊ぶ国境なき医師団の中嶋優子医師(右)=2023年11月25日(写真 国境なき医師団提供)    私がちょっとしたシールやお絵かき帳、折り紙、ペンなどを持っていたことや、私が今まで見たことのないアジア人で直毛なのも珍しいらしく、女の子たちには髪の毛を触られまくっていた。3、4日に1回しかシャンプーできていなかった私の髪の毛は汚れた子どもの手で触られまくりますます汚い状態になっていたと思う。子どもたちは学校に行けなくなってしまっているので知的刺激に飢えていたのかなと思う。学校で習った英語での自己紹介やアルファベットの歌などなどみんな自分たちの習ったことを誇らしげに披露してくれた。スマホで写真や動画を撮られるのが大好きなおしゃまな女の子たちも多かった。当たり前だけど日本やアメリカで見る子どもたちと全く雰囲気が同じなのだ。私と整形外科医がいつも「わーすごーい!」と子どもたちを褒めると子どもたちは満足げだった。  こうやって毎朝、病院に行く前と帰ってきてから子どもたちと交流をして仲良くなっていった。  ただ、精神的に凹んでいて今日はそんなエネルギーがないかも……という日は、子どもたちとの交流を正直避けようとしたこともあった。病院に行くのにはいつもの空き地の前を通らないと行けないのだが子どもたちに見つからないようにこっそり通り過ぎようとしても遠くからでもすぐにみつかってしまい、大勢で笑顔で駆け寄ってきて空き地に引きずり込まれたりした。「ユーコ!ユーコ!(ヨーコに聞こえる)」と大勢でユーココールしてくれた。嬉しいような、困ったような複雑な気持ちだった。でも子どもたちと触れ合うと、元気が出た。それでまた1日がんばれた。日が経つにつれてこの紛争のひどさへの絶望感も大きくなり、自分も憔悴して元気がない時も多くなっていったので、子どもたちが私の元気の源として欠かせない存在となっていた。  ※AERAオンライン限定記事     中嶋優子(なかじま・ゆうこ) 東京都出身。東京都立国際高校、札幌医科大学卒業。日本と米国の医師免許を持つ。日本で麻酔科医として勤務の後2010年に渡米、救急医療の研修を開始。2014年に米国救急専門医取得、2017年には日本人として初めて米国プレホスピタル・災害医療専門医を取得。国境なき医師団には2009年に登録。2010年に初めての海外派遣でナイジェリアで活動し、その後もパキスタン、シリア、南スーダン、イエメン、シリア、イラクで活動。2023年11~12月にかけてパレスチナ自治区ガザ地区で活動した。2017年より米アトランタ・エモリー大学救急部の助教授を務め、24年9月からは准教授職に。
「いつか使う」「いつか着る」で家の中はパンパン 片づけたら暮らしやすくなって体重も減った
「いつか使う」「いつか着る」で家の中はパンパン 片づけたら暮らしやすくなって体重も減った キッチンの棚はお皿やストック品でギュウギュウでした/ビフォー    5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 case.84 母親の介護をきっかけに暮らしをアップデート 夫と二人暮らし/保育士  人生には、進学や就職、結婚、子どもの誕生など、身の回りの環境がガラリと変わるようなことが起こります。そのたびに自分や家族の生活も変わるので、家の中もあわせて見直すことが必要です。 進学や就職などはある程度予測できて準備もできますが、中には予期せぬタイミングで訪れることがあります。例えば、介護。  息子が独立し、夫と二人で暮らしている恭さんは、母親の病気がわかって通いの介護が始まりました。フルタイムだった仕事を、柔軟に働けるように時間を短く調整。月に1回ほど、遠方にある実家に3~4日滞在する生活が2年ほど続きました。  この間、自分の家のことはいろいろと後回しになり、少しずつ暮らしにくさを感じるように。 「それまでは、片づけはモノを棚とかにしっかり収めていればいいと思っていました。実際、家の中のモノは多くなくて、どこに何があるかをちゃんと把握できていたんです」  ところが、いつからか恭さんは家の中のモノが管理しきれなくなってしまいました。 「あれ、なんでこれがここにあるの?」「同じようなモノがいっぱいある……」  それでも片づけに費やせるほどの時間の余裕はありません。仕事と介護に割く労力が大きくなり、“相方さん”と呼ぶ夫にすべての家事を任せることもしばしば。 「相方さんは、家が散らかり始めていることについて特に何も言いませんでした。私だけが気にしていたのかもしれないですけど……」  通いの介護生活が2年ほど続いた頃、母親が他界します。遺品を整理しているときに、恭さんはふと不安に駆られました。 量をグッと減らしてワンアクションで取り出しやすい配置に/アフター   「けっこういろいろなモノを捨てているけれど、これって自分のときも息子に負担がかかるのかな?」  改めて自分の家の中を見回してみると、「いつか使うだろう」「いつか着るだろう」という“いつか”のモノばかり。気づけば自分の環境は変わっていたのに、必要ないモノばかりに囲まれていました。  介護がなくなって時間はできたので、片づけをしようと思いましたがどうにも進みません。 「友だちが気を使ってくれて、食事や旅行、ライブなどに誘ってくれたんです。そういう楽しい方に流されてしまいました」  片づけたい気持ちがあった恭さんの手元には、一向に実践されない片づけ本が積み上がっていきます。これではいけないと思っていたところ、“家庭力アッププロジェクト®”を見つけました。 「片づけで暮らしをアップデートできるという話にハッとしました。仕事では研修を受けたりしてアップデートをするのに、暮らしもできるなんて思いもしなかった!」  片づけ始めて感じたのは、自分の決断力のなさ。“いる・いらない”を決めるのが苦手だったので、モノがたまっていってしまったのです。また、買い物で「これとこれ、どっちにしようかな」と迷ったときに二つとも買ってしまうということもしばしば。  プロジェクトで一緒に片づけを始めた仲間の様子を見て、「あ、これもいらないな」と気づくことができると、決断力もついてきました。 そうはいっても、仕事をしている恭さんは片づけばかりしていられません。活用したのは、スキマ時間です。 「仲間たちと一緒に朝10分間オンラインで片づけをする“朝活”をして、不用品をとりあえず出します。私は終わったらすぐに家を出て仕事をして、帰ってきてから“夕活”の時間を作りました。朝出しておいた不用品を、ゴミとして手放すモノとリサイクルでお店に持っていくモノに分けて、お店に持っていくモノは車に乗せる、というところまでその日のうちに終わらせるようにしました」  朝あったはずの不用品の山が、夜帰ってきたらなくなっていることに、「相方さんもビックリしていました」とのこと。  家の中のモノが減ると、パンパンに詰め込まれていた棚がスッキリしてきました。 床に置いているモノが多くてゴチャゴチャしているリビングの一角/ビフォー   「モノを入れる場所だからとたくさん入れていましたが、空間ができるとなんだかホッとしたんです」  空間の余裕とともに、恭さんの心にも余裕が生まれてきました。 「今まで、ごはんを自分のために作るのが面倒だったんです。息子が家を出たときに『子どものために作らなくていいのか』と、一旦放心状態になって……。そこからは相方さんのごはんを作るついでに自分も食べるという感じでした。でも、今は自分の健康がありがたくなって、『おいしい!』ということは活力なんだなと感じています」  恭さんは片づけで運動量と代謝がアップしたのか、体重が5キロも落ちたそう。片づけが終わった今もキープしています。 「体がすごく軽くなりました! 動きやすくて調子もいい。もともとヨガをやっていて、片づけ終わってから筋トレも追加で始めました」  これまで家族に向けられてきた意識が、自分にも向けられるようになってきました。 床置きがなくなり空間にも余裕ができました/アフター   「片づけたら、こんなにキラキラした未来が待っていたんだなってうれしくて! これまで家族のために動くことが多くて、自分のことまで考えられませんでした。仕事柄、お母さんと接することが多いですが、『ママがご機嫌でいることが、家にとっても、家族にとっても、いいことだよ』ということを自分なりに伝えていきたいですね」  恭さんの片づけを見て、相方さんも少しずつ自分のモノを片づけ始めています。犬とウサギとともに暮らす恭さんたちの生活は、まだまだブラッシュアップして輝かしい未来に向かっていきそうですね。 ※AERAオンライン限定記事
信子さま「皇族費は月10万円しか受け取っていない」と訴えていたことも 彬子さまとの母娘の溝と三笠宮家「新当主」の行方
信子さま「皇族費は月10万円しか受け取っていない」と訴えていたことも 彬子さまとの母娘の溝と三笠宮家「新当主」の行方 2024年の秋の園遊会で、「三笠山」に並ぶ皇族方=2024年10月30日、赤坂御苑、JMPA    101歳で亡くなられた三笠宮妃百合子さま。一般の納棺にあたる儀式「お舟入(ふないり)」が11月16日、東京・元赤坂の赤坂御用地にある三笠宮邸で営まれた。26日に文京区の豊島岡墓地で執り行われる、本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」で、宮内庁は孫の彬子さまが喪主を務めると発表した。その一方、百合子さまの長男寛仁さまや三笠宮崇仁さまなど、これまでの三笠宮家の皇族の死去に伴う一連の儀式に参列していないのが、寛仁親王妃の信子さまだ。そこには長年の確執があり、三笠宮家の「新当主」問題にも影響しそうだ。 *   *   *  16日の「お舟入(ふないり)」の儀式は、百合子さまが長くお住まいだった三笠宮邸で営まれた。孫で故・寛仁親王の長女の彬子さまと次女の瑶子さま、高円宮妃久子さまと長女の承子さまら親族が見守る中、百合子さまのご遺体がひつぎに移された。  続いてご遺体に別れを告げる「拝訣(はいけつ)」が営まれた。天皇、皇后両陛下の長女愛子さま、秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さま、長男の悠仁さま、常陸宮妃華子さまらが加わり、お別れの拝礼をした。  三笠宮家の行事として営まれた一連の儀式には、参列していない皇室メンバーもいる。  慣例により参列しない天皇陛下と皇后雅子さま、そして上皇ご夫妻は、前日に引き続き16日も儀式の前に弔問に訪れた。  そして、三笠宮家の一員であるにもかかわらず、参列していなかったのが、百合子さまの長男の妻である寛仁親王妃の信子さまだ。    信子さまは前日の15日、弔問のために車で赤坂御用地に入った。信子さまだけが外から車で訪れたのは、信子さまは2009年以降、家族と「別居」しているためだ。  百合子さまの容態が悪化したことで、孫の彬子さまは訪問先の英国から帰国。高円宮妃の久子さまも奈良県や米国訪問を中止するなどして、入院先の聖路加国際病院へ駆けつけていた。 「しかし、信子さまとご家族の断絶は続いたままで、百合子さまのお見舞いに訪れた姿は確認されていません。15日も赤坂御用地を車で訪れていますが、今回も弔問はできなかったという話も聞こえてきます」(事情に詳しい人物)   信子さま(当時の麻生信子さん)との婚約会見では寛仁さまが「7年前に結婚を僕が申し込んだが、若すぎると反対された。7年目にして実現した」と話し、7年越しのプロポーズが話題に=1980年4月、宮内庁   「宮家へ戻るとストレス性ぜんそくが再発」  信子さまと家族の溝は、なぜ生じたのか。  信子さまは、明治の元勲である大久保利通を親戚に持ち、九州財界を代表する名家に生まれ育った。兄は麻生太郎元総理だ。  1980年11月に“ヒゲの殿下”と親しまれた寛仁さまと結婚。当時、「長年好意を寄せ続けた寛仁さまが、7年越しの恋を実らせた」と、熱愛ぶりが話題になった。だが、十数年で破綻することになった。  信子さまは2004年以降、気管支ぜんそくによる入退院を繰り返し、軽井沢での療養生活に。09年秋には宮内庁が「宮邸にお戻りになると、ストレス性ぜんそくが再発する恐れがある」という主治医の見解を公表。信子さまは入院先から宮邸に戻らず、宮内庁分庁舎として使われていた旧宮内庁長官公邸で暮らし、寛仁親王家では寛仁さまと彬子さま、瑶子さまの3人が生活するようになった。    複数の関係者によると、寛仁さまは長い闘病の末、12年に亡くなったが、それまでの数年、信子さまが病院へ見舞いに訪れることはなかった。息を引き取る直前にようやく足を運んだが、すでに寛仁さまは意識がない状態。まだ意思疎通できたころの寛仁さまの意向や周りの反対から、信子さまは病室に入れなかったともいわれる。  そして寛仁さまの葬儀の喪主は、彬子さまが務めた。妃の信子さまではなく娘が喪主となった理由について、宮内庁は当時、筆者の取材に「寛仁殿下のご意向」と答えている。   「母には三笠宮両殿下にお詫びしてほしい」  その後の寛仁親王家は、混乱が続いた。  寛仁さまが亡くなって1年を経ても当主が決まらず、寛仁親王家は消滅。母娘3方は百合子さまを当主とする三笠宮家に合流した。   2007年秋の園遊会に臨んだ寛仁さまと瑶子さま。寛仁さまは、留学で学んだ英国ファッションの著書も出されており、シルクハットを手にダンディな装いがお似合い=2007年10月、赤坂御用地、JMPA    寛仁親王家をめぐる混乱については、彬子さまが「月刊文藝春秋」(2015年7月号)に載せた手記「彬子女王 特別手記 母には三笠宮両殿下にお詫びしてほしい」でも触れている。   寛仁親王家は長い間一族の中で孤立していた。その要因であったのが、長年に亙る父と母との確執であり、それは父の死後も続いていた。母は父の生前である十年ほど前から病気療養という理由で私たちとは別居され、その間、皇族としての公務は休まれていた。私自身も十年以上きちんと母と話をすることができていない。父が亡くなってからも、何度も「話し合いを」と申し出たが、代理人を通じて拒否する旨が伝えられるだけであった。    彬子さまは信子さまについて、公務に復帰するのであれば、三笠宮両殿下にお詫びとご報告をしてほしい、ともつづっていた。  16年の三笠宮崇仁さまの葬儀でも、高齢の百合子さまに代わり、彬子さまが喪主代理を務めた。信子さまは、三笠宮さまが亡くなる1カ月ほど前に、入院中の聖路加国際病院を訪ねたが、このときも面会はできていない。もっとも、この一件も「面会できない状況だとご存じのはず」と、三笠宮家側は不信感を募らせたようだ。   信子さま「月10万円の皇族費しか…」と訴え 24年秋の園遊会に臨んだ信子さま。帯からのぞく翡翠のような玉飾りは、おそらくご愛用の懐中時計=2024年10月30日、赤坂御苑、JMPA    この年の夏には、信子さまと三笠宮家の間で、あるトラブルも起きていた。  彬子さまも妹の瑤子さまも不在中だった旧寛仁親王邸の三笠宮東邸を、信子さまが訪問。弁護士と鍵の専門業者を連れてきていた。  宮邸の職員は信子さまに「扉は開けられません」と繰り返したが、鍵の専門業者が通用口の鍵を開けて信子さまは邸内に入り、荷物をまとめて宮邸をあとにしたのだ。    事情を知る人物によれば、この「騒動」で信子さまはご自身の「正当性」を主張されていたようだ。  当時、信子さまは、ご自身に年間1525万円が支給されている皇族費について「月額10万円しか受け取っていない」と訴えており、日常の費用は三笠宮東邸に請求していたという。 「妃殿下は『月額10万円では、新しい物品をそろえることができない。自分の荷物を取るために鍵を開けざるを得なかった』と正当性を主張されていたようです」  宮内庁も、長年にわたる宮家内の愛憎劇に頭を悩ませているようだという。   2024年の秋の園遊会に臨んだ彬子さま。日本美術の研究者として活躍し、英国留学生活をつづったエッセイ「赤と青のガウン」は異例のベストセラーとなっている=2024年10月30日、赤坂御苑、JMPA   妻以外の女性皇族は「当主」になれないのか  宮殿行事や皇室行事で、隣に並ぶ信子さまと彬子さま、瑤子さまが、互いに目を合わせたり、母娘でほほ笑ましく談笑したりする光景を目にしたという話は、あまり聞こえてこないようだ。  そしてこれから問題となるのは、三笠宮家の「当主」問題だ。    戦後の皇室において、宮家の男性皇族が亡くなった後は、故・秩父宮妃勢津子さま、故・高松宮妃喜久子さま、高円宮妃久子さま、そして三笠宮家では宮妃の百合子さまが当主を務めてこられ、妻である宮妃以外の女性皇族がなった例はない。  そもそも「当主」はどのように決まるのか。  元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんは、「当主」について法律で定められた規定はないと話す。  ただし、生活には資金が必要で、それぞれの皇族には、「皇室経済法」に基づいて、品位保持のための「皇族費」が国から支給されている。同法には「独立の生計を営む親王」を基準に、妻は2分の1、子どもは減額されるとある。 「つまり、その家の生計の中心になる皇族がいわゆる『当主』です。それぞれの皇族費の額はさておき、まずはご家族と宮内庁が話し合い、どなたが『当主』になるかの合意が必要です。その結果を天皇陛下にご報告し、了承が得られれば、内閣総理大臣や衆参両院議長ら8人で構成される皇室経済会議に諮ることになります。そして、皇室経済会議で『独立の生計を営む皇族』として認定されれば、その皇族はいわゆる宮家の『当主』となります」  皇族の身位によって支給される皇族費の額面の増減はあるが、「独立の生計を営む皇族」については、同法6条2項の「皇族が初めて独立の生計を営むことの認定は、皇室経済会議の議を経ることを要する」という規定があるのみだ。   寛仁親王妃信子さまの療養先となっている宮内庁分庁舎。下の1棟が旧宮内庁長官公邸で、もう1棟は旧侍従長公邸。25年度から始まる改修工事には13億円が計上されている=2009年、東京都千代田区三番町   13億円で改修する信子さまのお住まい  では、誰が三笠宮家の「新当主」となるのか。  もともと三笠宮家については、長男の寛仁さまが継承することを想定し、寛仁さまは宮号を受けないまま寛仁親王家として独立した生計を営んできた経緯がある。 「これまでの慣例に従えば、寛仁親王妃の信子妃殿下ですが、寛仁親王を含め三笠宮家の皇族のお見舞いにも葬儀に伴う儀式にも参列できていらっしゃらない。そうした方に当主が務まるのかといえば、難しいでしょう」(前出の宮家の事情に詳しい人物)  親王妃以外の女性皇族が「当主」になった例はないが、法律上は内親王、女王も「独立の生計を営む」皇族になることが想定されている、と山下さんは分析する。となれば、信子さま以外にもこれまで親王が亡くなった宮家を支えてきた彬子さま、瑶子さまのいずれにも可能性としてはあり得る、という。 24年秋の園遊会に臨んだ瑶子さま。金髪ピンクメッシュのまとめ髪と、「裏葉柳(うらはやなぎ)」のやさしい地色の訪問着が品良く調和している=2024年10月30日、赤坂御苑、JMPA    また、山下さんは「三笠宮家」とは別の宮家ができる可能性もある、と話す。  というのも三笠宮家の3方の女性皇族は、3つの「宮邸」をお持ちだ。 「故・百合子妃殿下がお住まいだった三笠宮邸、旧寛仁親王邸である三笠宮東邸、そして信子妃殿下がお住まいの、旧長官・侍従長公邸だった宮内庁分庁舎の3つです」  そして信子さまがお住まいの宮内庁分庁舎は、バリアフリーなどの改修工事が予定されており、宮内庁は25年度の概算要求に約13億円の予算を計上している。 「多額の国費をかける改修工事が意味するのは、宮内庁も含めて周囲は信子妃殿下の終のお住まいと考えてのことでしょう。信子妃殿下、彬子女王殿下、瑶子女王殿下がそれぞれ『独立の生計を営む皇族』として、別々の宮家の当主としてお暮しになる可能性もあると思っています」(山下さん)    26日には、豊島岡墓地で百合子さまの本葬にあたる「斂葬の儀」が執り行われる。果たして信子さまは参列されるのか。そして、三笠宮家をめぐる「新当主」の行方が注目される。 (AERA dot.編集部・永井貴子)    
「寿命を決める臓器=腎臓」機能低下を示す兆候5つ  ダメージを受けてもほとんど症状が表れない
「寿命を決める臓器=腎臓」機能低下を示す兆候5つ  ダメージを受けてもほとんど症状が表れない 1個の腎臓に、1分間で約1リットルの血液が流れ込んでいるという(写真:gettyimages)   「寿命を決める臓器」として、昨今の医療現場で注目を集めている腎臓は、人間が生きるうえで欠かせない機能をコントロールするという役割を担っている一方で、「沈黙の臓器」とも呼ばれ、ダメージを受けてもほとんど症状が表れることがないと、医学博士で腎臓専門医の髙取優二氏はいいます。  そんな腎臓の状態を知る5つのチェックポイントについて、髙取氏の著書『腎機能を自力で強くする 弱った腎臓のメンテナンス法』から、一部を抜粋・編集して紹介します。 「1分間に約1リットル」の血液が流れ込む腎臓  突然ですが、腎臓に関してひとつ質問をします。もし腎臓がなくなったとしたら、どうなると思いますか?  では、その答えの一例をあげてみます。 ●体中に水分がたまり、むくみやすくなってしまう ●高血圧になり、心筋梗塞や脳梗塞などになりやすくなる ●骨がもろくなり、骨折しやすくなってしまう ●ほかの臓器の機能が低下してしまう  もちろん、これだけではありませんが(そもそも、腎臓の機能がまったく働かない場合、10日~2週間ほどで命の保証がなくなってしまうのですが)、腎臓が全身に深く関わっている臓器だということがおわかりいただけるかと思います。  昨今、「腎臓が寿命を決める」といわれていることをご存知でしょうか。それは腎臓が人間が生きるうえで欠かせない機能をコントロールするという役割を担っているからです。  ここから腎臓がいかに私たちにとって大切な存在であるのか、詳しくお話ししていきましょう。  そんな大切な腎臓が体のどこにあるかというと、体の背中側の腰の上部に背骨をはさむように左右にひとつずつ位置しています(下のイラストを見てください)。 (出所:『腎機能を自力で強くする 弱った腎臓のメンテナンス法』より)    腎臓1個の重さは約150gで、握りこぶし程度の大きさしかありませんが、そこに、心臓から出た血液のおよそ4分の1が流れ込んでいます。これだけだとピンとこないかもしれませんが、体重の200分の1以下の重さの腎臓に、1分間に約1リットルの血液と聞くと、かなりの負荷がかかっていることがおわかりになると思います。  これだけ大量の血液が流れ込んできている理由は、腎臓が非常に重要な役割を果たしているからです。 「縁の下の力持ち」意外にスゴい腎臓の"底力"  生きていくために必要不可欠な腎臓の働きのひとつが、「ホメオスタシス(生体恒常性)」を保つということです。少し言葉が難しいですが、簡単に言うと、環境に左右されずに体内を一定に保つしくみです。  私たちが生活している環境はつねに一定ではありません。雨が降ったり、暑くなったり、寒くなったり、ジメジメしたり、乾燥したりと、刻々と変わっていきます。  そして、その変化に左右されることなく体の内部がいつも一定に保たれていなくては私たちは生きていくことはできませんよね。たとえば、暑さや寒さなどに影響されて体温が激しく変動したら、体は機能停止状態に陥ってしまいます。このホメオスタシスを維持するうえで、とくに重要な働きをする臓器が腎臓です。  具体的には、がぶがぶと大量に水を飲んだときには尿を増やし、逆に飲めない状況に陥ったときには尿を減らすといった調整を行っているのです。  また血管、細胞、神経、筋肉などの機能の調整に欠かせない、体液に含まれている電解質(ナトリウムイオンやカリウムイオンなど)にも目を光らせて、体にとって不必要なぶんは尿として排泄し、必要なぶんは体に戻しています。こうして、体液はちょうどよい量と濃度になるように調整されているのです。  もしも腎臓がなくなったら、体の中はゴミだらけになるだけではなく、ホメオスタシスも維持できなくなって、脳や心臓などの全身の臓器が本来の機能を果たせなくなってしまいます。これが、「腎臓が寿命を決める」といわれている所以なのです。  そんな腎臓はとても複雑な構造をしています。順番にひとつずつみていきましょう。  心臓から送り込まれた血液は、毛細血管(細い血管)の塊でできている「糸球体」という場所で、必要な赤血球やタンパク質などと、不必要なゴミなどとにふるい分けされます。ゴミなどを含んだ水分(原尿)を受け止めているのが、「ボウマン嚢」です。  原尿には、水分も含め、体にとって必要な物質がたくさん含まれています。こうした物質を「尿細管」が再吸収しています。  このように血液のろ過と再吸収を365日、24時間休まず行っているため、血液に糖がたくさん含まれていたり、血圧が高くなったりすると、糸球体や尿細管はダメージを受けてしまいます。  ただ、「沈黙の臓器」と呼ばれている腎臓は、ダメージを受けてもほとんど症状が表れることはありません。腸のように「おなかが痛い」といった直接的なサインを出さないのです。そのため、本人が気づかない間に、ジワジワと機能低下が進行していく可能性が高いのです。  いまの腎臓の状態を知るには、次のような体の変化を確かめるといいでしょう。 あなたの腎臓は大丈夫? 5つのチェックポイント ① 突然、尿の量が減ってしまった 「急性腎障害」といって、尿細管に激しい炎症が起こっている可能性があります。急性腎障害は薬剤が引き起こすケースが多いのですが、サプリメントや食品で炎症が起こることもあります。  尿の量を推し量る目安としては、トイレの回数があります。一般的に正常であれば1日当たり5~7回といわれており、2回以下であると尿の量が少ないといえます。ただし、頻尿などは膀胱に問題があるときに発生することもあるので、トイレの回数だけで判断するのは早計です。  尿の量の減少に加えて、とても疲れやすくなり、ひどいむくみや食欲不振が表れた際には、すぐに腎臓内科や内科を受診してください。 ② 夜に尿意で目が覚める  子どもと大人とでは、尿の出方が違いますよね。赤ちゃんのときは尿の出をコントロールできないので、おむつをつけます。そして、幼い頃はおねしょをするときもありますが、成長するにつれてそれがなくなっていきます。  大人になれば、昼間は何度かトイレに行きますが、夜はほとんど行かなくなっているはずです。トイレに行かなくても済むのは、腎臓に夜間の排尿回数を減らして尿を濃縮する機能が備わっているからです。  それにもかかわらず、「トイレに行きたい」と尿意を覚えて夜中に何度も目を覚ますのは、腎臓の機能が落ちて、尿の濃縮力が低下しているからです。 ③ よく足がつる  眠っているときに、突然、足がビリビリと強く痛んでつることはありませんか? これは「こむら返り」とも呼ばれていますが、頻繁に起こる場合は、腎臓に不調をきたして体液のバランスが保たれなくなっている可能性があります。 「血圧」や「血糖値」の変化にも注意が必要 ④ 頭痛や首のこりに悩まされがちだ  血圧が高いときには、血管がギュッと収縮していて、血行障害が起こっています。そのために、頭痛や首のこりが発生しやすくなります。  さらに血圧の高い状態が続くと、全身の血管は高い圧力を受け続けることになり、次第に血管の内部が硬く、もろくなってしまう「動脈硬化」が起こります。当然、毛細血管という細い血管の集合体であり、たくさんの血液が送り込まれる腎臓の血管は、その影響を大きく受けてしまいます。高血圧気味で、さらに頭痛や首こりが続くようなら要注意です。 ⑤ 食後に強烈な眠気に襲われる  食事でとった炭水化物(糖)が消化吸収されるとブドウ糖に変換されて血液の中に放出されます。これが「血糖」で、その量を示すのが血糖値です。  食事をする前と後で血糖値が異なるのですが、食事をすると食べ物が消化吸収されて血中に糖が放出されるため血糖値は上昇します。しかし、食べたものによっては血糖値が急上昇した後、急降下を起こすことがあります。  この状態は「血糖値スパイク」と呼ばれ、血糖値が急降下するときに、強い眠気に襲われたり、動けなくなるほどのだるさを感じたりします。  この血糖値スパイクをくり返すことで血管は大きなダメージを受け、腎臓にも悪影響を及ぼします。そのため、食後に頻繁に強い眠気に襲われる方は、腎臓がダメージを受けている可能性があります。  ここであげた5つの症状のうち、「①突然、尿の量が減ってしまった」については、早急に治療が必要なケースが珍しくありません。ですから、放置せず、すぐに病院を受診してください。  残りの4つの症状については、これから生活習慣を改善することで、十分に対処できますので、ぜひ日常生活を見直してみてください。 腎臓は、意外と「タフな臓器」でもある  ここまで読んでいただき、腎臓に不安がある方には「やっぱりもうダメかもしれない」と思われる方もいらっしゃったかもしれません。しかし、そんな方にお伝えしたいのは「心配し過ぎないでください」ということです。  20~30代の頃の腎臓の機能を100%とした場合に、「10%が残っていたら、普通の生活を送るには十分です」と言われたら、驚かれるでしょうか。  じつは、腎臓は意外とタフです。たとえば、「生体腎移植」といって、ふたつある腎臓のうちのひとつを、親族から提供してもらう治療法があります。腎臓を提供した人(ドナー)は腎臓がひとつになりますが、機能はほぼ正常に保たれ、健康に暮らせています。  腎臓は生命を維持するうえで重要な役割を果たしていて、ほかの臓器よりも潜在能力は高いのです。年齢を重ねるとともに腎臓の機能は低下していくものの、もともと余力はあるので、本来であれば厳しい食事制限や服薬、透析などを行わずに、私たちは寿命をまっとうできます。  たとえ高齢になって、健康診断で腎臓の機能を示す数値が少々悪くなっていても、食生活や生活習慣を改善するなどして腎臓のメンテナンスを心がければ「もうダメだ」と悲観する必要はないということです。  ただし、糖尿病や高血圧、偏った食習慣などで腎臓を痛めてしまったら、若くても腎臓の機能は落ちてしまいます。私の元を訪れる患者さんたちの中には、まだ40代前半にもかかわらず糖尿病などの治療を怠って、腎臓が取り返しのつかないほどダメージを受けてしまい、「こんなことになるなんて、知らなかった」と後悔している人も少なくありません。  ほかに、感染症、薬剤などで腎臓の機能が急激に低下することもあります。タフで、滅多なことでは弱音を吐かない臓器だからこそ、日頃からちょっとした体の異変には敏感になる必要があります。少しでも異変を感じたらかかりつけ医などに相談するようにしてください。
片づけられない人は未来については思考停止状態の人が多い 片づけの専門家がアドバイスする考え方の変換
片づけられない人は未来については思考停止状態の人が多い 片づけの専門家がアドバイスする考え方の変換 捨てるモノはゴミではなく“成果物”だと西崎さん。ずっと捨てられなかった紙袋も成果物に  片づけられないと悩む人は多い。そんな片づけを習慣化することで部屋がきれいになるだけではなく、人生までも変わる――。そう提唱するのは、大人気のお片づけ習慣化コンサルタント、西崎彩智さん。片づけるには未来を考えることが大事とも。最新刊『人生が変わる片づけの習慣 片づけられなかった36人のビフォーアフター』(朝日新聞出版)から一部を抜粋する。 *  *  * ある男子高校生の悩み  最近は、学校などにも片づけの講座を依頼されてお話しすることがありますが、そのときにも片づけは自己選択の連続である、ということをお伝えします。  ある有名男子校でお話ししたときのことです。  講演終了後にある男子生徒が近づいてきて、「僕は今まで周りが決めたレールの上を歩いてきたんだと思います。だから、今将来の目標が見つからないのが悩みです」と言われてびっくりしました。親御さんにいろいろ指示される人生を送ってきて、あまり自分で選択する機会を与えられなかったのかもしれません。  でも、それを今、自分で気づいたのは素晴らしいことだと思ったので、それを伝えました。その生徒さんはもちろん、私たちだって遅すぎることはありません。気づいたときから、小さなことから、自分で決定していけばいいんだと思います。 なりたい未来を描こう  家の外では頑張っているけれど、家の中はぐちゃぐちゃ、という人は本当の自分を隠して生きています。こんな私はダメなんだとか、こんな汚い家に住んでいることをバレたくない、など自己肯定感も下がっていることが多いです。  けれど、片づけをしてどんどんモノを手放していくことで、「自分は本当はこんなことを考えていたんだ」とか「こんなことをやりたかったんだ」と薄皮が剝がれるように、本来の自分に気づく人が多いです。  思考の変化は行動の変化を生むので、最近夫とケンカしていないなとか、子どもを怒ることが減ったな、などの行動の変化から自分の思考の変化に気づく人もいます。  片づけに共通の正解はありません。  自分の正解を探すためには、自分自身がどうなりたいのか、という未来を描くことが大事になります。片づけるときにゴールを描かないと、自分は何のために片づけているのかわからなくなり、途中でやめてしまうのです。 ずっと取っておいたお祝い袋を整理すると、なんと中から現金が出てきた!  未来を描くと言ってもわからない、という方は、分けて考えてみればいいのです。 「家の全体像は? 時間の使い方は? お金の使い方は? 家族との関係性は? 自分の感情は?」などです。  目の前の仕事やタスクを優先し、頑張っているのにいつも不安な人は、子どもの将来は考えても自分の未来については完全に思考停止状態の人が多いです。  未来なんて何も浮かばない!という人もいるかもしれません。そういう人は「こんな生活は嫌だ」ということを考えていけばいいのです。その反対のことが「なりたい未来」になります。  未来が見えてくると、そこに必要なモノといらないモノを選別することができます。  モノに執着してどうしても捨てられない人は、今、あなたが捨てようとしているモノは「ゴミ」ではなく、「成果物」と考えて手放しましょう、とお伝えします。  ちょっとした思考の変換ですが、それだけでモノが捨てられなかった方が「今日はこれだけの成果物が出ました!」と嬉しそうに報告してくれるようになります。  自分がなりたい未来を描けたら、次は家族の未来も聞いてみます。  夫婦関係がギクシャクしてしまうと、「どう暮らしたい?」なんて聞きづらいものです。でも片づけの苦手な妻がキッチンをピカピカにしているのを見れば、夫も変化に気づき、協力してくれるでしょう。  すると、「夫がこんなふうに考えているなんて知らなかった」「実は子どもにとって使いにくい収納だった」といった意外な思いや、独りよがりな自分の考えに気づくことができます。  みんなが暮らしやすい家が作られると、家族のシナジーの効果によって「私だけが頑張らない」家庭に近づいていくのです。  家族と暮らしていても、一人暮らしでも、家は、自分がいちばん自分らしくいられて、自分自身をパワーチャージできる場所であるべきです。  そういう場所であれば、今日どんなに疲れていてもまた明日から頑張っていけるはずです。 ※西崎彩智著『人生が変わる片づけの習慣 片づけられなかった36人のビフォーアフター』より抜粋 【こちらも話題】 ゴミ箱を選ぶことさえ自信が持てない女性に片づけの専門家がアドバイス 片づけを習慣化するために大事なこととは? https://dot.asahi.com/articles/-/240842
女性の夫は「一人だけエッチな要求をしなかった」  お金の不安と「風俗」の達成感の間で揺れる思い
女性の夫は「一人だけエッチな要求をしなかった」 お金の不安と「風俗」の達成感の間で揺れる思い   女性と夫は仲良し。出会いはアダルトライブチャットだったという(撮影/インベカヲリ☆)  現代日本に生きる女性たちは、いま、何を考え、感じ、何と向き合っているのか――。インベカヲリ☆さんが出会った女性たちの近況とホンネに迫ります。 *   *   * 出会いはアダルトライブチャット 「夫は、アダルトライブチャットのお客さんでした」 インターネットが普及してから男女の出会いの場は大きく広がったが、地方都市出身である日葵さん(仮名/30代)の夫との出会いは、かなり変わっていた。  アダルトライブチャットとは、スマホやパソコンのWEBカメラを通して、男性客と性的な会話をしたり、服を脱いだりして生配信するサービスのことだ。日葵さんはそこで、性的サービスを提供するチャットレディとして働いていたのである。  引退して主婦となった今は、ナチュラルメイクで落ち着いた雰囲気だ。が、当時はアイドルのようなルックスを生かして、「少女っぽさ」を売りにしていたらしい。 お互いに「会いたいね」  とはいえ、直接対面する風俗店とは違い、ネットでつながるライブチャットは、物理的な距離がある。どうやって特別な関係に発展したのだろう。 「夫は最初から性欲を感じさせない人で、たくさんいるお客さんの中で、一人だけエッチな要求をしてこなかったんです。それがうれしかったんですね」  何度もアクセスしてきては会話だけを楽しんでいる彼に、気が付くと日葵さんは、個人的な話や、仕事の愚痴などを話すようになっていた。お互い「会いたいね」と言い合うようになり、WEBカメラ越しに連絡先を聞くと、関西に住む彼の元まで会いにいったという。その後、とんとん拍子で結婚し、数年が経つ。 「今も仲良しです」  そう断言する日葵さんだが、「エッチな要求がない」のは、今も変わらないようだ。 セックスはしない 「夫は残業が多いけれど、いつも深夜まで待って一緒にご飯を食べます。一緒に布団に入って、手をつないだりハグしたりキスしたりするけれど、セックスはしない。夫は、もともと性欲が薄いんです。  私は体を求められないほうが愛情を感じるんですね。たぶん風俗で接客していたせいだと思うんですけど、エッチなことイコール、性的な道具として扱われている感じがしてしまって、ないほうが人として見てくれている気がしてうれしい。でも、そう思うっておかしいですよね?」  だが、それゆえに、相性がバッチリ合ったということだ。  なぜそもそも風俗業界に足を踏み入れたのだろう。 大卒で正社員になったのに、手取りは13万円。生活はギリギリ、結婚式にも行けなかった(撮影/インベカヲリ☆) 大卒正社員で手取り13万円 「大学を卒業して福祉の仕事に就いたとき、正社員で手取り13万円だったんです。私は一人暮らしだったので、自炊しても、本当にギリギリ生きていられるぐらいのご飯しか食べられなかった。お金に余裕がないから遊びの誘いも断っていたし、結婚式に呼ばれてもご祝儀が用意できないから欠席したこともあって、友だちはかなり減りました」  そんなとき、同僚の女性からランチに誘われた。パスタ屋に入ってメニューを見た日葵さんは、「こんな金額は払えない」と驚いた。どうして同じ給料のはずなのに、お金を持っているのだろうと不思議に思って聞いたところ、副業で風俗の仕事をしていることを教えられたという。 「実は私も、お金がなさすぎて、以前から出会い系の掲示板でパパ活をしたことはあったんです。彼女の話を聞いて、お店で働くほうが安全で効率的だなと思って始めました」 結婚後、生活は安定しているが  仕事終わりに風俗店へ出勤するようになると、すぐに人並みの生活が送れるようになった。その後、コロナ禍で対面接客が下火になり、ライブチャットへ移行したという流れだった。  結婚後は、夫の収入でやりくりしているため、生活は安定している。それでも日葵さんは、夫に内緒で風俗で働いていた時期があるという。 「別に生活が苦しいわけではないんですけど、『稼がなきゃ』みたいな強迫観念がずっとあるんですよね」  それは、自分自身でも説明のつかない、漠然としたお金の不安だという。 「本当にカツカツな生活をしていたから、風俗でお金がガンガン入るようになったとき、今のうちに貯めなきゃって気持ちになったんです。何があるかわからないし、若くて稼げるうちに稼がなきゃみたいな。どうしてなのかわからないけど、今もその気持ちが消えないんです」 心の安定のためのパパ活  現在は、風俗店こそ辞めたものの、やはり夫に内緒で男性客の1人とつながり、月一回の契約でパパ活をしているらしい。 「一応、収入源をキープして風俗をやめました。お金の不安を解消するために、保険をかけたんですね。お金はいくらあっても不安。安心できたことはありません」  つまり、心の安定のためのパパ活ということだ。  夫の収入だけでは安心材料にならないのだろうか。 欲しいものなくても「稼がなきゃ」 「なんなんですかね? お金遣いが荒いわけではないんですよ。服はしまむらでいいし、下着はユニクロでいい。生活費が足りなくなったら、夫に『ちょうだい』って言えば、たぶん貰えるんですよ。でも、なぜか言いづらい。で、自分の貯金が100万円を切ったりするとかなり焦って、欲しいものもないのに『稼がなきゃ』って気持ちになる。お金に対するコンプレックスなのかな?」  その感情は、子ども時代の体験に由来するようだ。 「家がずっと貧乏で、自分のものを買ってもらえたことがほとんどないんですよ。必要なものは全部近所のお姉さんからのお下がりで、それも10歳以上離れていたから、どれも昭和テイスト。誰も持っていないような筆箱とか、古いデザインの服を恥ずかしい気持ちで着る、みたいな。流行りのものを持っている子がうらやましかったけど、見ているだけで、親には言えない関係性だったんです。幼少期のトラウマというか、植え付けですかね。今も貧乏性は治らないし、人におねだりすることができないんです」 夫の収入は知らない  そのため、貯金が減ると不安になり、自分でなんとかしなきゃという気持ちになるようだ。 「夫がお金の管理をしていることとも関係あるのかな。なんとなく収入があるっていうことがわかるくらいで、全体が把握できないんです。本当は『通帳見せて』って言いたいけど、『君のも見せて』って言われたら困るから言えない。謎の入金があるから」  通帳の履歴から、風俗やパパ活で稼いでいたことがバレてしまうことを、日葵さんは恐れていた。 風俗の仕事で自己肯定感が上がる  一方で、こんなことも言う。 「風俗の仕事は結構楽しいんです。なんか自己肯定感が上がるんですよ。だから、またすぐやりたくなるかもしれない」  性欲を向けてこない男性に愛情を感じながら、風俗で働くことで自己肯定感が上がる。  一体どういうことなのだろう。  「なんだろう。お客さんが予約してくれたり、リピートが増えていったりすると達成感があるんですよ」  日葵さんは、男性受けする容姿に加え、コミュニケーション能力が高いことも影響しているのだろう。聞けば、そうとうな売れっ子だったらしい。 予約が埋まるうれしさ「麻薬みたい」 「出勤日の1週間前から予約開始なんですけど、深夜0時になった瞬間に予約がバーッと入って、30秒で全枠が埋まったりするんですよ。それがうれしくて、麻薬みたいでした」  日葵さんは、プライベートでも男性にモテてきたタイプに見える。そうしたことは自信につながらないのだろうか。 「モテることイコール、自己肯定感とはならないですね。風俗だと、好意を向けてもらうことも仕事のひとつだから、成果になるという意味で気持ちが違います」  それは、他の仕事では得られないものだという。 「福祉の仕事の成果は、数字で見えない。風俗は、自分の成果がわかりやすく数字で表れるから、そこに中毒性があるんです」 夫との関係と達成感は別  それほどやりがいのある風俗をやめたのは、夫との関係を壊したくない気持ちがあったからだ。 「夫には申し訳ないと思う。でも、中毒性とお金の不安、いろんな要素が重なると気持ちが傾く。夫との関係は良好だけど、数字による達成感はまた別なんですね。今は風俗をやめて扶養内で昼職をやっているんですけど、本当はもっとバリキャリみたいに働きたい。けど働けないもどかしさやコンプレックスを、数字による達成感が癒やしてくれる面があるのかも。やめようやめようとは思っているけど、こういう話をしていると、また働きたくなっちゃう」  日葵さんは、困ったように笑った。  女性の貧困や性的搾取の構造など、風俗を取り巻く問題はさまざまに語られるが、働く女性の心情は複雑に絡み合っているのだということを改めて感じた。  (ノンフィクション作家・インベカヲリ☆)
すでに組んだ住宅ローンの金利は交渉で下がる!? 元メガバンク支店長が教える「交渉の余地が十分にある人」とは
すでに組んだ住宅ローンの金利は交渉で下がる!? 元メガバンク支店長が教える「交渉の余地が十分にある人」とは お金の専門家・菅井敏之さん(本人提供)   物価高が続き、給料も上がらず、なんとなく生活が苦しい時代。長生きリスクが心配でこの先、お金に困らない生活を送るには……。お金に関する「教えて!」を解決する短期連載。第3回のテーマは「銀行とどう付き合えばいいのか」。元メガバンク支店長でお金の専門家・菅井敏之さんに、バブル時代に青春を謳歌した筆者、バブ子(バブル女子)が聞きます。教えて、菅井さん! ――前回、銀行との正しい付き合い方でお金を借りられるという話を聞いて、さっそく地元の金融機関に口座をつくりました。人生後半戦、家を売ったり買ったりするということが、必ずあると思うので、少し安心した気分です。 「この物件ステキ!」 菅井:それは良かったですね。銀行は「返済率35%(収入の35%)」まで貸してくれます。でも私は自分で返すことができる金額は年収の20%くらいまでと考えています。年収が600万円の人であれば、120万円ぐらいまで。ローンの支払い額を低く抑えるために最初に年収の20%の借り入れと決めておけば、購入できる物件の価格が自動的に決まりますよね。年収500万円なら住宅ローンの支払いは年間100万円。毎月でいえば8万3000円。仮に住宅ローン(35年)の金利 が1%だとすると、だいたい3000万円の物件になります。これに預貯金で頭金を用意できる人はその額をプラスした物件が購入できるというワケです。このように金額を定めてから物件を探せばいいのですが、多くの人が物件を先に見て「この物件ステキ! 予算以上だけど買うわ」となってしまいます。これが悲劇の始まりです。 ――わかりますが、ハマります(笑)。 菅井:「お金を借りることができる」と「お金を返すことができる」はまったく違います。借りられる額を聞いて、自分がその額を返せると思うのがキケン。身の丈以上の物件を購入し、ドツボにハマってしまいます。 ――わかります。わかります。ではどうすれば。 菅井:まず夫婦の収入を合算したローンを組むことは避ける。妻側が出産や育児で収入が減れば、返済が厳しくなりますから。そうなって返せなくなりカードローンを借りてその支払いもまた別のカードローンから借りる……という悪循環の果てに破綻した人をこれまでに私はたくさん見てきました。ボーナス払いも絶対にやめましょう。ローンは年収の20%に抑え、毎月均等に返済することです。もしローンの支払いを3カ月以上延滞してしまったらアウトです。せっかく購入した家だけでなく、預貯金まで差し押さえられてしまいます。そして債権回収会社は任意売却にかけますが、それでも成立しない場合は最終的に競売にかけられることがあります。夢にまで見た我が家が、あっという間に知らぬ誰かのものになり、手元に残ったのは残債のみ。これは悲惨です。 10年持っていくらで売れるか ――ローンの話はそれくらいにして……。損しない不動産の買い方を知りたいです。 菅井:「おすすめ5原則」があります。これは、「安全性・収益性・健全性・成長性・流動性」です。これらが高いものを選べば、失敗しにくいと言えると思います。安全性でいえば築年数が古すぎないというのもポイント。陥りやすいのが、利回りの高さだけを見ること。「10年持っていくらで売れるか」のトータルで見てください。パートナーとなる仲介会社や管理会社が健全であるかもポイント。将来性のあるエリアで需要のある間取りや立地であることも重要です。お勧めエリアはこっそりお教えします。 ――実は驚いたことがあります。すでに組んでいる住宅ローンの金利ですが、「もう少し下げてもらえませんか」と掛け合ってみると、意外とできるって本当ですか。 菅井:はい、本当です。現在の市場金利や、銀行の金利を調べて比較して、他行で低い金利の住宅ローンを見つけたら、それをもとに(交渉材料として)自分の銀行に交渉するのです。「借り換えを検討していますが、登記費用などがかかるので、レートを下げてもらえませんか」と。銀行員時代はローンの引き下げ交渉なんて日常茶飯事でしたよ。相手が信頼のおける顧客で、ローン返済履歴が良好であれば銀行側にとっては手放したくないわけですから、交渉の余地は十分にあります。それを機に銀行が条件を見直すきっかけにもなります。 ついで買いの誘惑 ――何でも任せきり&ほったらかしにしないで、自分で情報をとって、まめに行動するって大事なんですね……。 菅井:銀行に対する意識を変えて、もっと銀行を上手に使ってほしいと思っています。ところで、お金をどこでおろしていますか? ――コ、コンビニです……。楽ですもん。 菅井:確かにコンビニでの現金引き出しは非常に便利で良いと思いますが、私から見ればお金が必要になってコンビニでその都度下ろすというのはキケン。手数料がかかる人もいるでしょうし、ついで買いの誘惑もあります。お金はもっと計画性を持って下ろして使うのが理想です。 ――結局お金が貯まる人と貯まらない人の違いはそこにあるんですよね。計画性……。 菅井:1回目でもお話ししましたが、同じ45歳で年収1300万円の人が貯金ゼロなのに、年収500万円の人が預金2000万円という例。これ、本当にシンプルなんです。計画性の違い。お金をどう使い、どう回し、どう貯めていくかを考えて生きる人と、その場しのぎでお金を使っている人の違い。実はお金持ちになるって、すごく難しいことでもなくて、極めてシンプルな心掛けでなれるんです。次回はそのお金持ちの人のお金に対する捉え方と管理の仕方についてお話ししたいと思います。バブって生きるのも楽しそうですが、ほんの少しお金との向き合い方を変えるだけで、もっと違った楽しさも加わると思いますよ。 ――お金を増やすことや回すという感覚がわからなくて……。次回楽しみにしています! 次回の「教えて! 菅井さん」のテーマは、お金持ちの人がやっていることについて。「お金が貯まらない私は、貯まっている人と何が違うの?」です。 (構成/AERA dot.編集部・大崎百紀) 菅井敏之(すがい・としゆき)/1960年、山形県生まれ。学習院大学卒業後に、三井銀行(現・三井住友銀行)に入行。東京と横浜で支店長を務め、25年間銀行マン。48歳で早期退職。現在は10棟のアパート経営で年間7,000万円の不動産収入を得ている。また、人気講師として全国で講演やセミナーを行っている。現在は帝国ホテル内でお金に関する相談を受けている。著書に「お金が貯まるのはどっち!?」(アスコム)など。お金の専門家・菅井敏之公式サイト「お金が貯まるのは、どっち!?」(https://www.toshiyukisugai.jp/)  
水がめの底に開いた大きな穴 日本のガソリン・電気・ガスの補助対策と同じ構図 田内学
水がめの底に開いた大きな穴 日本のガソリン・電気・ガスの補助対策と同じ構図 田内学 AERA 2024年11月18日号より    物価高や円安、金利など、刻々と変わる私たちの経済環境。この連載では、お金に縛られすぎず、日々の暮らしの“味方”になれるような、経済の新たな“見方”を示します。 AERA 2024年11月18日号より。 *  *  *  永遠に水を汲み続ける罰というものが存在するそうだ。  ギリシャ神話に登場するダナイデスという娘たちは、水がめを満たすために水を汲み続けているのだが、底に大きな穴が開いているせいで、永遠に作業を終えられない。  この神話が、いまの日本の状況に思えてならない。  自民党の政権運営は混迷しそうだが、経済対策の大きな柱の一つはガソリンや電気代の物価高対策になりそうだ。  電気代が上がっても、政府がお金を払ってくれるなら、個人としては嬉しい。しかしながら、そのお金はダナイデスの水がめのように、海外に流れ続けることになる。  2年前、世界的にエネルギー価格が急上昇し、ガソリンや電気代の高騰が国民の生活を圧迫した。それ以来、激変緩和対策として、11兆円を超えるお金が投入されている。  痛みを抑えるには対症療法も必要だが、水がめの穴を小さくする対策も必要だ。それは長期的な財源の問題ではなく、エネルギーをどうやって確保するのかという問題だ。 たうち・まなぶ◆1978年生まれ。ゴールドマン・サックス証券を経て社会的金融教育家として講演や執筆活動を行う。著書に『きみのお金は誰のため』、高校の社会科教科書『公共』(共著)など    日本のエネルギー自給率は約13%と極端に低く、大部分を輸入に頼っている。財源が国債であれ税金であれ、投入されたお金は、エネルギーの購入を通して、最終的に海外へ流れる。水がめの底には大きな穴が開いているのだ。  エネルギーの購入には大量のドルの購入が必要になる。それは、円の価値を押し下げ、結果的に食料品や資源など他の輸入物価も上昇させる。補助金によって表面的にはガソリンや電気代の高騰は収まるが、問題を別の輸入品に移し替えているだけだ。  根本的な解決のためには、エネルギー政策から逃げることはできない。  現在、日本の電力構成は火力発電が70%以上を占め、化石燃料に大きく依存している。この依存度を下げるためには、当然、他の発電方法に切り替える必要がある。しかしながら、太陽光発電は、地方では自然破壊や景観悪化の懸念から反対意見が多く、東京都が新築住宅に太陽光発電設置義務をもうけることについても反対の声が大きい。また、風力発電も自然環境への影響から計画の中止が相次いでいる。原子力発電も、安全性への懸念から再稼働に反対する声が依然として根強い。  エネルギー需要そのものを抑えるという方法もある。実際に昭和のオイルショックのときはそうやって乗り越えてきた。一人ひとりが節電に努めることもさることながら、省エネ技術の研究やエネルギー効率の向上も急務だろう。  このままでは、CO2排出量を抑える温暖化対策や脱炭素化に逆行するという問題もある。  補助金投入という鎮痛剤を飲み続けると、根本的なエネルギー政策についての議論が後回しにされ、環境負荷を減らす努力も鈍化してしまう。  持続可能なエネルギー政策を打ち出すことが、円安やインフレといった問題の解決につながる。国会での議論が、表面的な価格抑制や財源だけの話で終わらないことを願う。  繰り返しになるが、財源を確保しても、そのお金がじゃぶじゃぶと海外に流れていることを忘れてはいけない。エネルギー問題の解決に必要なのは、財源ではなく、水がめの穴を小さくすることだ。目先の物価高対策だけではなく、未来へのビジョンを示してほしい。 ※AERA 2024年11月18日号  
なぜ金持ちは「家計簿」を重視しないのか 元メガバンク支店長が教える「収入ー支出」より「資産ー負債」の考え方
なぜ金持ちは「家計簿」を重視しないのか 元メガバンク支店長が教える「収入ー支出」より「資産ー負債」の考え方 お金の専門家・菅井敏之さん(本人提供)  人生も中盤にさしかかり、いつまで生きるかわからないし、いつまで稼げるかもわからない……。90まで生きるかもしれないし、100を超えるかもしれない。物価高が続き、給料も上がらず、なんとなく生活が苦しい時代。長生きリスクが心配でこの先、お金に困らない生活を送るには、どうしたらいいのか。お金に関する「教えて!」を解決する短期集中連載。第一回のテーマは「お金が減らない生き方、暮らし方」。  答えるのは、元メガバンク支店長でお金の専門家・菅井敏之さん。48歳でリタイアし、現在は10棟のアパート経営で年間7000万円の不動産収入があるそう。聞き手は、貯蓄が苦手で「入った金は使うもの」がポリシーのバブル時代に青春を謳歌した女子、バブ子です。教えて、菅井さん! 夫なし、職なし、お金なし(僅か) 菅井:ある女性、美子さん(仮名、40代)のケースからお話しします。彼女は、海外赴任の夫とともに、海外を渡り歩いてきました。現地では働かず、友人を自宅に招いてお茶を飲んだり、お稽古事をしたり。優雅な海外生活でした。高身長、高収入、高学歴の「3高」の夫を持つ、容姿端麗な方です。しかし、人生が一転します。夫から「別れてほしい」と離婚を切り出されてしまいます。財産分与で得た額は、なんと500万円。夫の資産は1000万円の現金のみでした(理由は最後まで明かされず)。50を前にして、夫なし、職なし、お金なし(僅か)の生活に。長年染みついた贅沢な生活からの脱却は厳しいものがあります。50、60となっていざお金が必要となったとき、先立つものが何もないのは非常に危険。美子さんのように離婚までいかないまでも、夫が定年退職して収入が減っているのに生活レベルを落とせない人はたくさんいます。その結果、お金が湯水のようになくなっていく。とくにバブル世代の女子はキケン。お金を「管理」できない人が多い印象です。 ――み、耳が痛い…。どうすればいいのでしょう。 菅井:あたり前ですが、まず基本はきちんと収入と支出の「管理」をして、収入の中で暮らすということが大切です。そのうえで重要なのは、お金の話は「資産」を含めて見るということです。 ――なんだか難しいです。収入から支出を引いて、残りを貯蓄という発想はダメですか? 菅井:それは家計簿的な発想です。それだと見ているのは収入と支出だけで、いくら足りないと嘆き、もっと節約しようとか考えます。私が考える資産の種類は3つ。定期預金の利息や株の配当金を生む「金融資産」、家賃などの収入を生む「収益不動産」、そして「ビジネス力」です。ビジネス力は、あなたのスキルをお金に変える力のこと。収入は結果に過ぎません。お金持ちは、収入のもとになる「資産」を重視して、お金を管理しています。資産=負債+純資産で考えます。  ――そういう視点だと、毎月の住宅ローンの支払いがあったとしても、それは苦しさだけでなく、一戸建てなりマンションなりの資産があるという安心感に繋がりますね。 菅井:その通り。所有している不動産を新たなお金を生む可能性がある資産として考える。日々の生活ではどうしても「収入ー支出」に目が向きがちですが、「資産ー負債」で見た場合、思っている以上に純資産が大きくなっている人は多いのです。   「金融資産」、「収益不動産」、そして「ビジネス力」 ――おぉ、そうなんですね。バブリー女子としては、いろんなところに住んで引っ越しを繰り返して、自由に身軽に生きたいです。しかしそれもお金がかかり、最後にお金が残らないということに気づいてきました。 菅井:おぉ、さすがバブル女子……って褒めていませんよ(笑)。若い時から不動産資産を持たず貯金もしなければそうなりますね。日本の個人資産のおよそ6割は不動産です。私は不動産を含めた資産活用を勧めています。 ――もうあと10年早く、菅井さんの話を聞いて心を正しておけばよかったとも思いますが、今からでも遅くないですよね。 菅井:今後の生活設計を親や子どもといった家族全体、つまり「連結」で考えると可能性は広がります。親との連結ベースで寝かせている資産はありませんか?親の残した家だったり別荘だったり……。働いていない資産を動かして輝かせるのです。親がもつ資産を「連結」して考えると、道は拓けます。企業が親会社・子会社といったグループ全体で考えて経営するのと一緒です。 ――リスクが怖くて、銀行口座に寝かしたままの僅かな貯金で不安を感じているのが、なんとなくもったいないようにも思えてきました。 菅井:漠然と将来が不安なのは、将来自分に必要なお金や、そのために今どのくらい足りないのかがわからないからです。私は48歳で銀行を退職するときまでにアパートを6棟買いました。その分借金がありますが、資産もあります。バランスシートで見ているので、あまり不安もありません。お金に困らない生活ができるかどうか。それはお金を運んでくれる仕組みづくりをできるかできないかだと思います。不動産投資が怖いという気持ちもわかります。失敗も怖いですし、不動産価格だけでなく、変動金利が不安な方も多いと思います。私は不動産投資だけが良いと言っているわけではなく、その人にあった資産の増やし方というのがあると思うので、それを自分のスキルや個性にあわせて見つけてほしいと思っています。ポイントは、それを自分の持ち金の中で完結させて考えるのではなく、「資産を増やしたければ、他人のお金を使う」という点。資産をつくるためのポイントはいかに「銀行の力」を利用できるか、にかかっています。  ――借金をして資産を増やす。親の資金をグループ化して連結で考える。まるで企業の代表になって、会社を大きくするような感覚ですね。そういう視点が大切なのですね。  菅井:そうです。  ――借金をしてお金を回すという感覚がなかなかもてないバブ子には目から鱗。でもクレジットカードはどんどん使ってしまいます。  菅井:借金には2つ種類があります。いい借金と悪い借金です。新しいお金を運んでこない借金は悪い借金です。クレジットやカードローンは計画性が大切です。これで破綻した人も少なくないんです。年収1200万円で、月の手取りは50万円以上あるという人が毎月60万円以上を普通に使ってしまって。こっちで100万円、あっちで50万円。全部あわせて500万円ぐらいの借金を重ねた挙げ句、毎月の返済が回らなくなってしまう。カードローンが破綻への「最初の一歩」となるケースが非常に多い。 「稼ぐ力」だけでなく「管理する力」  ――どうすればお金に対する意識を変えられるのでしょうか。とても難しいです。  菅井:行員時代、お金が貯まる人とそうではない人の差をたくさん見てきました。たとえば「大企業にお勤めで年収が1300万円の45歳、だけど貯金ゼロ」という人もいれば、「中小企業のメーカー社員で年収は500万円。同じ45歳だけど預金が2000万円」という人。この違いは何か。お金を貯めるには、「稼ぐ力」だけでなく「管理する力」の両方を備えないといけないということ。私の周りには年収1200万円超なのに、貯金ゼロ、なんていう人がいっぱいいますよ。特にマスコミ(笑)。もう一度言いますね。一番大変なのは、バブルの意識が抜けないご主人任せの50代半ばから後半くらいのバブル女子なんです。  ――ガーン。次回、またお願いします。  次回の「教えて! 菅井さん」のテーマは、お金の借り方について。「家を買うのも、不動産投資も不安。銀行とどう付き合えばいいのか」です。 (構成・AERA dot.編集部・大崎百紀) 菅井敏之(すがい・としゆき)/1960年、山形県生まれ。学習院大学卒業後に、三井銀行(現・三井住友銀行)に入行。東京と横浜で支店長を務め、25年間銀行マンとして働く。48歳で早期退職。現在は10棟のアパート経営で年間7000万円の不動産収入を得ている。また、人気講師として全国で講演やセミナーを行っている。現在は帝国ホテル内でお金に関するさまざまな相談も受けている。著書に『お金が貯まるのは、どっち!?』(アスコム)など。お金の専門家・菅井敏之公式サイト「お金が貯まるのは、どっち!?」(https://www.toshiyukisugai.jp/profile.html)
【品田遊×pha】異色の二人が異色の対談!なぜ日記を書き続けられるのか、なぜ日付がないのか、謎に迫る
【品田遊×pha】異色の二人が異色の対談!なぜ日記を書き続けられるのか、なぜ日付がないのか、謎に迫る インターネットの話、日記の話ですぐに打ち解け合うphaさんと品田さん(撮影/中山圭)  2024年10月25日、東京・高円寺の蟹ブックスにて、『納税、のち、ヘラクレスメス』の刊行を記念し、品田遊さんとphaさんの異色対談が実現。ライター、小説家、漫画原作者、YouTuberとして幅広い分野で活躍する品田さんに対し、蟹ブックスのメンバーであり、元「日本一有名なニート」としても知られるエッセイストのphaさんが問いを投げかける。果たして品田さんはどう応じたのか。大きな盛り上がりを見せた注目の対談から一部を要約し、前後編でお届けする。 *  *  * pha:蟹ブックスでは、品田さんの前作の『キリンに雷が落ちてどうする』がとても売れ行きがよかったんですよね。それで気になって、僕も『ウロマガ』を読み始めたんですが、本当に面白くて、これだけとりとめがなく抽象的な内容を毎日次々と生み出せることにとても感心しました。 品田:ありがとうございます。実は私が書いている文章のロールモデルの中に、phaさんの文章が含まれているんです。インターネットの世界で活躍している方として、とても印象的でした。特に、Twitterの初期、2010年代前半のインターネットの雰囲気を感じていたとき、phaさんのシェアハウスに集まるネットの人たちが大きな存在として映っていて、無意識のうちに影響を受けていたのかもしれません。 pha:それはうれしいですね。今回の『納税、のち、ヘラクレスメス』を拝見すると、断片的な感じがとてもインターネット的な文章だと感じました。ネットから紙にすることで、何か変えたことはありますか? 品田:本にするには最低限の体裁を整える必要があると思っていましたが、整え過ぎるのは嫌だったので、基本的にはとりとめのないままにしておきました。 pha:なるほど、気楽に読めて疲れなくてとてもよかったです。 品田:ただ、連続したビックリマーク(!)はネット上の横書きでは問題ないのですが、紙の縦書きにするとおかしくなるので、そこは消すようにしています(笑)。 品田遊『納税、のち、ヘラクレスメス』(朝日新聞出版)>>書籍の詳細はこちら 自由な表現としての日記 pha:品田さんは日記を毎日欠かさず書いているのがすごいと思います。 品田:1週間に1回まとめて書くといったようなことができない性分のため、毎日書くようにしています。習慣にしてしまえば、どんなに眠くても寝る前に書くことができますよ。日によってはいたずら書きで終わらせる日もありますが、そこは甘えちゃっています。 pha:僕も日記は書いていますが、とりあえずメモだけ取っておいてやる気が起きたときにまとめるという感じで、4〜5日に1回のまとめ書きになっちゃってます。品田さんは、日記を読み返しますか? 品田:日記や本などはほとんど読み返さないです。自分がこんなことを書いていたのかということを直視することが苦手なんです。自分を鏡で見ることすら苦手なもので……。 pha:鏡を見られないと、動画出演のときなどは誰が見た目を整えてくれるんですか? 品田:誰もやってくれないので、髪型がいつもランダムです。動画のコメント欄をみると、「恐山の今日の髪型はすごいな」といったコメントがポツポツと来るので、髪型おかしかったんだって後で気付かされることもあります。そういえば、phaさんは、日記を読み返すことはあるのですか? pha:僕は、むしろ読み返すために日記を書いているといっていいくらいですね。過去にこういう1日があったんだということを思い出して、振り返りたいから書いているので、日付は必ず入れています。そういう意味では、日記なのに日付を取ってしまうという、品田さんの日記はあまり他にないものだな、と思いました。 品田:歌人の穂村弘さんが著した「にょっ記」という日記的なテイストのエッセイがあるのですが、こちらを読んだとき、日付が「○○月××日」というような形式で表現されていたんです。これに驚くと同時に、この独自のアプローチは素晴らしいと思い、私もあえて日記に日付を記載しないことにしました。 pha:『にょっ記』は本当かウソかわからないような雰囲気がいいですよね。本来日記は事実を書くものだけど、日付を入れないことによってそのへんを曖昧にできるんでしょうか。 品田:そうなんです。そのため日記が急に物語になるような展開もあったりします。 意外にも、phaさんと直接お話しするのは初めてだという品田さん(撮影/中山圭) “しゃあなし”で書き続ける理由 品田:phaさんは短歌を書きますよね? 私の周りにも短歌を書いている人はいるのですが、「何で書いているんですか?」と聞くと、皆一様に「何でですかね〜」と言うので、要領を得ない感じがしてしっくり来ないんです。まあ確かに私も、周りから「何で日記を書いているんですか?」と問われたら、「何なんすかねー」とお茶を濁すようなことしか言えないのですが。 pha:短歌なら短歌、日記なら日記という型があって、それが自分の中に身についていると、自然とその型に沿ったアウトプットが出てくるようになるんですよね。でもその型を共有してない人からすると、何でそうなるのだろう、と不思議に思われるんでしょうね。短歌は、僕は若い頃に型を身につけたので書ける感じです。 品田:私の場合、日記は書けるから書いているということと、書く約束をしたから書いているわけであって、実は半分“しゃあなし”という気持ちがあります。といいつつ、日記を書くことは、同じ“しゃあなし”でも、かなりストレスの少ない“しゃあなし”なのでやれている部分はありますね。 pha:心から書きたいとかではなく、“しゃあなし”だったんですね。意外。でも確かに、僕も心から日記を書きたいかというとそうでもなくて、でも書かなくなったら寂しいとか、書かないともったいない、とかそういう気持ちが出てきそう。実際やめたら、毎日書かずに寝ていいんだとか、日中も日記のことを考えなくていいんだとか、そう思って落ち着かなさそう(笑)。 品田:それわかります! もう日記を書かない生活のこと自体を忘れているので、周りの人たちは普段日記を書かないで寝ているんだなぁとか思ったりしますね。  私自身、締め切りに追われる生活を10年近くやっているので、普通に働いて、普通に家帰って生活している人たちって締め切りというものがない場合が多いんだなぁとかも考えることがありますね。もちろん、そのことを羨ましいと思っているわけではないのですが……どちらにも大変さはあると思いますけどね。 pha:そういった生活が良いのか、当たり前のように書くという生活が良いのか、もう我々はわからなくなっちゃいましたね。自分にやれることをやっていくしかない。 『パーティが終わって、中年が始まる』を刊行されたphaさん(撮影/中山圭) 仕事をくれる人のところに行くスタイル pha:インターネットをやっていく中で、どれに対して一番やる気を持っていますか? 品田:特にどれというのはないのですが、何事に対しても頼まれたら絶対にやるというところが私のモチベーションになっています。今振り返ってみれば、人に見せる用の文章を書き始めたのは高校生の頃でした。  演劇部に入ったときに、先輩から「お前は脚本を書け」と言われ、「書きます!」と言ったのが始まりです。もちろん、芝居の脚本なんて書いたことがありませんでしたが、「文章が書けそうに見える」と言われたので、「わかりました!」と二つ返事で引き受けることとなりました。  初期衝動というより、仕事として書く感覚がその頃から身についていたのかもしれません。また、この頃、演劇部のほかに文芸部も兼部していたのですが、そのとき書いていた合同誌の締め切りが定期的にあったため、こちらも「書け」と言われて当たり前のように「書く」という感覚がそのときすでに養われていましたね。 pha:意外と社会性のある環境下で書いてきたんですね。 品田:そうなんですかね。社会の後押しがないと構想の段階から甘えてしまい、エターナルな構想の中で安住してしまうところがあるので、「仕事をくれる人のところに行く」というスタイルが確立されたのかもしれません。  逆に、phaさんはどうですか? 今もコラムなどのお仕事で書かれていると思いますが、仕事がなくても定期的に書き続けることはできますか? pha:僕はわりと自分の中のモチベーションだけで書き続けられるタイプですね。むしろ仕事としてやるのは不純だ、と感じてしまう部分があったりします(笑)。でも、完全にひとりでやるより編集者といっしょに作ったほうが、遠くまで届くものができる感じもあるので、迷いますね。仕事もやりつつ、ときどき100%趣味で何かを作るのがいいのかも。人によってアプローチや仕事のやり方、きっかけが異なるというのは面白いですね。 ※後編「【品田遊×pha】異色の二人が異色の対談!実は悲観的な品田が、それでもテキスト文化を盛り上げたい理由」につづく (構成/中山圭)
「五星三心占い」で2025年の運勢丸わかり! ゲッターズ飯田が来年の運気を徹底解説
「五星三心占い」で2025年の運勢丸わかり! ゲッターズ飯田が来年の運気を徹底解説 げったーず・いいだ/これまでに7万5千人を超える人を、20年以上にわたり無償で占い続ける。その占いの勉強と実践のなかから「五星三心占い」を編み出す(写真:Gオフィス提供)    ゲッターズ飯田がこれまでの占いの勉強と実践のなかから編み出した占術「五星三心(ごせいさんしん)占い」。六つのタイプがあり、羅針盤座、インディアン座、鳳凰座、時計座、カメレオン座、イルカ座と、実際の星座に由来して名づけている。それぞれに 「金」「銀」があり、さらに、もっている欲望をかけ合わせた、全120タイプで細かく性格を分析し、運命を読み解く。AERA 2024年11月18日号より。 *  *  * 【探し方】 (1)表1で生まれた年と月の交差する位置の数字を調べる (2)(1)で調べた数字に自分の生まれた日を足す。61以上になった場合はその数字から60を引く (3)表2で自分の数字が当てはまったものがあなたのタイプ [例]1965年1月25日生まれの場合、表1で導かれる数字は51。それに25を足して76。数字が61以上になるので、 76から60を引いて16。西暦で奇数年生まれなので、銀のインディアン座 奇数・偶数年は西暦で判断する AERA 2024年11月18日号より AERA 2024年11月18日号より   金の羅針盤座(撮影/写真映像部・上田泰世)   金の羅針盤座「しっかり遊んで人生を楽しもう」 [開運3か条] 真面目に遊ぶ 不運を「この程度でよかった」と言う ドジや失敗は話のネタにする  正義感があり上品な人。礼儀正しく真面目で、規律やルールをきっちり守る。ただし好きなこと以外では抜けが多く、サボり魔な一面も。指導者や組む相手によって人生が変わる。ネガティブなので、楽観的な発言と行動を意識するといい。  25年は〈準備の年〉。しっかり遊んで人生を楽しむことで、ドンドン運気がよくなる。旅行や音楽ライブ、舞台などに行くのもおすすめ。ただ、思わぬミスをしやすくなるため、事前準備はしっかりと行い、事故や怪我にも要注意。  25年はミスが増えるが、隙を見せることでかえってかわいがられる場合もあるので、失敗談で笑いをとるくらい気楽に過ごそう。また、ふだん行かない場所へ行き視野を広げることも大切。お店ではあえて定番を外し、新しいものを選んで。 ラッキーカラー:ピンク、ブルー ラッキースポット:お笑いライブ、テーマパーク 銀の羅針盤座(撮影/写真映像部・上田泰世)   銀の羅針盤座「最高の運気がスタートする」 [開運3か条] 特技や好きなことをアピールする 運気がいい年だと信じて行動する 周囲の人の個性をほめる  生真面目でていねいな、品のある人。完璧主義者だが、言われないとやらないところも。ネガティブな情報に振り回されやすく、甘えん坊なのに人は苦手。好きなことが見つかると探究心や追求心に火がつき、スペシャリストになれる。  25年は、魅力と才能が注目される〈解放の年〉。運が味方する5年間が始まるので、積極的に行動しよう。また、人生を左右することになる先生や指導者も現れるとき。遠慮せずにいろいろな人に会い、学んでみたいことにチャレンジを。  25年をなんとなく過ごすと、翌年以降の運気の流れにうまく乗れなくなるため、大きな目標と小さな目標を掲げよう。運がいいからこそ縁が切れる人もいるが、別れることでやる気が出る場合も。過去を引きずらず、前へ進むことが大事。 ラッキーカラー:イエロー、朱色 ラッキースポット:おいしいお店、美術館 金のインディアン座(撮影/写真映像部・上田泰世)   金のインディアン座「12年に1度のもっとも輝ける年」 [開運3か条] 挨拶やお礼は自ら笑顔でする 新しい出会いと買い物を楽しむ 早寝早起きをする  明るく陽気な楽観主義者。好奇心旺盛で、心は中学2、3年生のまま。おしゃべりだが、ベースがアホなので言ったことをすぐ忘れる。自由を好み、ベッタリした関係は苦手。知り合いを増やすことで人生が好転していくタイプ。  25年は運を味方につけられる〈開運の年〉。積み重ねてきたことの結果が出て輝けるとき。チャンスも巡ってくるので、つかめば大きな幸せが手に入る。もしこの年いい結果が出ない場合は、環境を変えるなどして気持ちを新たに挑戦を。  25年は、スタートを切るにも最高の年。習い事を始めたら、なんとなく続けられるペースで4年以上は継続を。4~5月は、12年に1度だけもっとも運気のいい「開運の月」が続く。次の12年に向けて目標と人生設計を考えよう。 ラッキーカラー:オレンジ、黄緑 ラッキースポット:デパート、水族館 銀のインディアン座(撮影/写真映像部・上田泰世)   銀のインディアン座「期待に応え調子に乗ろう」 [開運3か条] 調子に乗る 評価は素直に受け止める 付き合いの長い人を信じて行動する 「人は人、自分は自分」と、超マイペース。心は永遠に中学生のままで、妄想や空想が好き。三つのことを同時進行できるマルチタスクの星をもつ。社会に出てから本領を発揮し、仕事が楽しくなると人生が急激におもしろくなってくる。  25年は〈幸運の年〉。頑張ってきて良かったと思える出来事が次々と起こり、仕事で重要なポジションを任されることもある。周囲の期待に応えられるよう努めることで、道がひらける。一方、努力をしてきていないと厳しい結果が出る場合が。満足できないなら、生き方や考え方を変えていこう。  25年は過去の縁がつながるとき。懐かしい人に会ってみると、話が盛り上がり新たな展開も期待できる。ここから3年間は絶好調の運気なので、調子に乗れるだけ乗ってみよう。 ラッキーカラー:濃いレッド、ピンク ラッキースポット:牧場、温泉 金の鳳凰座(撮影/写真映像部・上田泰世)   金の鳳凰座「注意が必要な守りの一年」 [開運3か条] 現状維持をする マイナス面を見るよりプラス面を探す 体力があると過信しない  忍耐力があり、意志が強い人。じっくりゆっくり考えてから行動し、決めたことは貫き通す。情熱的なぶん、執着もしやすい。ひとりでいる時間が多く、口下手な面も。思い込みが激しいため、「運がいい」と思い込むとうまくいく。  25年は、12年中もっとも注意が必要な〈乱気の年〉。自分の不慣れなことや苦手なこと、弱点や欠点が見えてくるので、人生の課題だと思ってゆっくり克服していこう。また、体にも気をつけること。体力はあるが、過信しないように。  25年は、23~24年の流れをできるだけ変えないことが大切。ただし、人から任されたことは引き受け、流れに逆らわないように。予想外のトラブルが起きやすくなるが、いろいろと予想しておくことで回避できる場合も多い。 ラッキーカラー:モスグリーン、グレー ラッキースポット:森林浴、展望台 銀の鳳凰座(撮影/写真映像部・上田泰世)   銀の鳳凰座「上半期は攻め下半期は守る」 [開運3か条] 上半期は行動し、下半期は現状を守る 計算しながら買い物をする これまで支えてくれた人に感謝する  自分の意志を貫き通し、人の言うことを聞かない超頑固者。慎重で簡単には動かないが、道が決まると習得に時間がかかる技術でも身につけられる。交友関係は狭く、集団のなかではサポート役として活躍し、信頼を得るタイプ。  25年は〈ブレーキの年〉。考え方やこれまでの努力など、すべてのことに答えが出る。年末まで全力で取り組めば、最高の1年に。とくに上半期は攻めの姿勢で行動を。結婚や引っ越し、転職、投資、高額な買い物などもこの時期に。  下半期になると、運気にゆっくりブレーキがかかりはじめるため、徐々に守りに入ろう。人間ドックを受けるなど、健康にも気を使うこと。これまでの頑張りが買われ出世の話がきたら、不慣れなポジションでも素直に引き受けて。 ラッキーカラー:ライトブルー、ライトオレンジ ラッキースポット:海、博物館 金の時計座(撮影/写真映像部・上田泰世)   金の時計座「次へ進むための区切りがつく」 [開運3か条] 大掃除をして不要な物を処分する 人との別れを覚悟する 上半期は視野を広げる  人にやさしく、人間関係を築くのが上手。相手を喜ばせることに幸せを感じる庶民派。誰とでも対等かつ平等に接することが正しいと信じており、権力を振りかざすような人は嫌い。気配りができるが、そのぶんストレスをためやすい。  25年は〈整理の年〉。考え方や生き方、人間関係などが大きく変わり、良くも悪くもひと区切りつく。現実を受け止め、ときには諦めることも肝心。直感的に「流行る!」と思うものの情報を集めてみると、進むべき道が見えてくるはず。  26年からは、新たな山登りが始まるような運気なので、25年は不要な荷物を下ろすとき。「執着しない」をテーマに、過去の栄光も、嫌な出来事も、ここで手放そう。もう使わない物は処分し、悪い癖や悪習慣も断ち切るように。 ラッキーカラー:ラベンダー、イエロー ラッキースポット:草原、おしゃれなカフェ 銀の時計座(撮影/写真映像部・上田泰世)   銀の時計座「不慣れや苦手を乗り越える」 [開運3か条] 意外な人脈を楽しむ ポジティブな言葉を使う ひとりで楽しめる趣味をつくる  人との関わりが好きな博愛主義者。世話好きでお人好しだが、根は甘えん坊。人の意見に振り回されやすい面も。サポート役についたり、対等なパートナーがいると能力を発揮する。運気のいいときと下降気味のときで心の振れ幅が大きい。  25年は、これまで積み重ねてこなかったことが表に出てくる〈裏運気の年〉。不慣れなことや苦手なことを、ひとつずつ乗り越えていくとき。他人の雑なところも見えてくるため、人間観察をする一年にしてみよう。注意したいのが健康面。食生活を改善し、体に異変を感じたら早めに病院へ。  一方で、25年は隠れた裏の個性や才能を輝かせることができ、縁のなかったような人に出会える運気。宝くじや馬券が当たる可能性もあるが、この年だけの特殊なことだと思おう。 ラッキーカラー:パープル、グリーン ラッキースポット:植物園、プラネタリウム 金のカメレオン座(撮影/写真映像部・上田泰世)   金のカメレオン座「経験を増やし人脈を広げよう」 [開運3か条] 考える前に行動する 初対面の人にたくさん会う 変化を楽しむ  学習能力が高く、コツコツ努力できる人。現実的で、大人の心をもっている。カメレオンのように真似がうまく、周囲の人に似てくるため、輝いている人のそばにいると自然と輝ける。新たなことを取り入れるのは苦手で、考え方はやや古い。  25年は〈チャレンジの年〉の2年目。とにかく動いて、体験や経験を増やそう。自分に必要な人に出会える時期でもあるので、フットワークを軽くして人脈を広げるように。 「変化」の流れが必ずやってくる25年は、これまでと似たような生活を送らないよう意識し、変化を楽しんでみよう。転職や引っ越し、イメチェンをするにもいい運気。真似のうまさを生かして習い事を始めても。好奇心に従って挑戦を繰り返すことで、自分の進みたい道が見えてくるはず。 ラッキーカラー:ダークオレンジ、グレー ラッキースポット:果樹園、博物館 銀のカメレオン座(撮影/写真映像部・上田泰世)   銀のカメレオン座「新たに変化していく年」 [開運3か条] 「新しい」に注目して生活する とりあえずやってみる いろいろな人に会う  要領よく立ち回ることができ、几帳面で器用。周囲の人の影響を受けやすいため、人脈や交友関係によって人生が変わってくる。肝心なときに優柔不断になりやすく、家族に甘えすぎるところも。目標が定まるとすごい底力を発揮する。  25年は〈チャレンジの年〉の1年目。視野が広がり、経験が増えるとき。少しでも興味がわくことがあれば行動に移そう。交友関係も変化するため、昔の友人知人に執着せず、何かを極めている人や向上心のある人の近くにいるように。  25年からの3年間は、坂道を駆け上がるような運気。「新しい」に注目し、店では新商品や新メニューを選んでみよう。一流の先生のもとで習い事を始めるのもおすすめ。たとえうまくいかなくても、そこから学ぶことが大切。 ラッキーカラー:紺色、ベージュ ラッキースポット:動物園、博物館 金のイルカ座(撮影/写真映像部・上田泰世)   金のイルカ座「きちんと休み心身にゆとりを」 [開運3か条] しっかり仕事をしてしっかり休む 負けは素直に認める 睡眠時間は8時間以上とる  負けず嫌いの頑張り屋。仲間意識が強く、明るく話し上手だが、本当は好き嫌いが激しい。目立つポジションについてこそ輝けるタイプ。雑用や苦手なこと、面倒を避けるところがあるが、頑張っている人をライバルに設定すると燃える。  25年は〈リフレッシュの年〉。22年頃から新しい挑戦をしたり環境が変わって頑張ってきた人ほど、疲れて限界を感じてしまうことがあるので、無理をせず調子を整えよう。負けず嫌いな性格だが、25年は勝ちを譲ってしっかり休むこと。  体調を崩しやすい25年は、用事を詰め込まず、あえて何もしない時間をつくるのもいい。睡眠時間をできるだけ増やし、人間関係での争いや面倒なことは気にしないように。運気が良くなる26年に備え、心身にゆとりをもっておこう。 ラッキーカラー:明るいレッド、パープル ラッキースポット:森林、美術館 銀のイルカ座(撮影/写真映像部・上田泰世)   銀のイルカ座「今後の6年間が決まるとき」 [開運3か条] 覚悟を決めて動き出す 得意を見つける 異文化に触れ、価値観の違う人と話す  華やかで遊び心があり、自然と人を引き寄せる人気者。話がうまく、教養を身につけると才能が開花する。人間関係に運命を左右されるため、いろいろな人に会うことが大事。場を盛り上げて目立つのはいいが、挨拶やお礼を忘れずに。  25年は〈健康管理の年〉。運気を登山に例えると、中腹にさしかかったあたり。ここでの頑張りや取り組み方、覚悟によって今後6年間が決まる。自分の向き不向き、得意・不得意を分析し、現実的で具体的な目標をしっかり掲げよう。また、体の変化には敏感になり、生活リズムも整えること。  遊びの延長で物事を極められるので、25年に先のことを決めるときほど、「正しい」よりも「楽しい」を選ぼう。自分も周囲も笑顔になる方法を探すと、運を味方につけられる。 ラッキーカラー:エメラルドグリーン、紺色 ラッキースポット:テーマパーク、劇場 (編集協力/吉田真緒) ※AERA 2024年11月18日号  
「医療は総合力が重要なのです」 徳田虎雄の主治医、湘南鎌倉総合病院院長・小林修三の命の支え方
「医療は総合力が重要なのです」 徳田虎雄の主治医、湘南鎌倉総合病院院長・小林修三の命の支え方 徳田虎雄の「生命だけは平等だ」の理念を受け継ぎ、「やさしい病院」を追い求める(写真/倉田貴志)    湘南鎌倉総合病院院長、小林修三。湘南鎌倉総合病院は、徳田虎雄が創設した徳洲会グループで、「24時間・年中無休の救急診療」を受け継いでいる。その院長である小林修三は、徳田の最期を主治医の一人として看取った。内科医として、日々、患者へも向き合う。救急は外科医が花形になるが、それを支える内科も麻酔科も重要。院長として総合力を高め、健康と命を支えていく。 *  *  * 今年7月初旬、徳洲会湘南鎌倉総合病院のA棟15階の特別室で、小林修三(こばやししゅうぞう・69)は重大な判断に直面していた。14年間、主治医として診てきた患者の治療が限界にさしかかったのだ。  患者の名は、徳田虎雄。傘下に77の病院と、4万3千人以上の職員を抱える徳洲会グループの創設者だ。小林が徳洲会に入職したときの総帥でもある。  徳田は「生命だけは平等だ」と唱え、ゼロから巨大病院グループを築いたが、60代で難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症。全身の筋肉がやせ細り、力を失った。気管を切開して人工呼吸器をつけ、胃ろうで栄養を補給する。  小林が医療チームを率いて主治医に就いたころ、徳田はベッドの背もたれを上げ、秘書が持つ透明な文字盤にギロリ、ギロリと視線を向けていた。視線の先の文字を秘書が一つずつ指して周囲に意思を伝える。徳田は声も出ず、身体も動かない状態で、病院運営の指令を発していたのだ。  やがて体力が衰え、腎不全となり、2017年に人工血液透析が装着される。腎臓内科医の小林は、緻密な全身管理をして徳田の命をつないだ。  その徳田の寿命が尽きかけていた。  小林は、特別室の隣室で徳田の親族と会い、病状を説明した。終末期の「インフォームド・コンセント(説明と納得・同意)」にとりかかる。その場で、いたずらな延命処置はしないと決まる。  7月10日午後8時15分、徳田は86年の生涯を閉じた。ようやく全身不随という肉体の檻(おり)から徳田の魂は解放されたのだった。 朝会で患者の待ち時間について訓話。待っている患者への説明の大切さを強調する(写真/倉田貴志) 入院患者の回診風景(写真/倉田貴志)   人の死からは逃れられない 人生の幕引きも考える  小林は、親族と交わしたインフォームド・コンセントについて、こう語る。 「徳田先生は、まぎれもない傑物です。ご家族に、まず申し上げたのは、ご本人の尊厳を重んじましょうということです。それで、強く、美しいままお見送りしようとなりました。医師は、人が亡くなる場面から逃れられません。嫌な商売ですが、先逝く方に人生の幕をどう下ろしていただくか、そのエンディングの舞台を設(しつら)える者でもあります。みんなが拍手をして、あなたはよくやった、すばらしい、ありがとうと言える場を提供するのも、われわれの仕事の一つです」  徳田が逝った翌日も、湘南鎌倉総合病院には救急患者が次々と運び込まれ、669床のベッドはほぼ埋まった。徳田が掲げた「24時間・年中無休の救急診療」は徳洲会の旗艦病院に受け継がれている。  院長の小林は、そのかじ取りに全力を傾ける。  毎朝、7時に自宅を出て迎えの車に乗り、大好きなクラシック音楽を聴きながら出勤する。病院に着くと、書類の山に目を通し、8時から講堂の「朝会」に出て職員を前にスピーチをおこなう。  私が取材で密着した日、小林は朝会を終えると、腎臓内科病棟の入院患者の診療検討会(カンファレンス)に加わり、部下の医師たちの治療法を厳しくチェックした。10時30分、数人の若い医師を引き連れて病棟の回診に出る。70代の糖尿病性腎症の女性患者と向き合い、こう語りかけた。 「おはようございます。元気そうじゃないですか。どうですか、あ、足がつったの。この病気で足がつるのはね、そろそろ腎臓が音を上げているサインです。でもね、ここからが再スタートですよ。いいですか。第二の人生の始まりですよ」  女性患者は、糖尿病の合併症で腎臓が機能せず、血液中の老廃物や余分な水分を尿として排泄(はいせつ)できなくなっていた。体外の人工腎臓に腕の血管から取り出した血液を送って浄化して戻す人工透析に踏みきるかどうか迷っていた。人工透析は、一度始めたら止められない、生涯つづく治療法なのだ。  患者の不安を小林は和らげようとする。 「透析ライフという言葉があります。1回4時間、週3回の透析が必要ですが、それ以外の時間をあなたらしく過ごしてほしい。いまお読みのその本は? へぇ、辻仁成の『冷静と情熱のあいだ』。恋愛小説ですね。音楽がお好きですか。カントリー&ウエスタンのファン! おー、透析を始めてもライブハウスに行けるよう、われわれも支えます。一緒にやっていきましょう……」 腎臓内科病棟に入院中の三十数人の患者全員のカンファレンス(写真/倉田貴志)    小林は、患者を包み込むように第二の人生に誘う。回診後、小林は口惜(くちお)しそうに言った。 「いまの患者さん、生活動作もしっかりしていたでしょ。ご本人、腎臓移植を希望していたんです。でも、ドナーとつながらなかった。もしも移植できたら、いつでも好きなときにカントリーソングを六本木のライブハウスに聞きに行けますよ」  脳死したら腎臓を提供すると表明しているドナー希望者は少なくない。問題は医療体制だという。 「日本では、突発的な脳死の臓器提供に即応できる移植医が少ないし、手術を支える麻酔科、術後のICU(集中治療室)、入院管理の腎臓内科の支援力が弱い。医療は外科が花形に見えますが、総合力が重要なのです。まだまだですよ」  と小林は話しながら足早に次の病室へ向かった。  物腰が柔らかく、穏やかに患者に接する小林だが、妻の孝子(61)は「根は短気です」と言う。 「最近はアンガーマネジメントを覚えたらしく、怒りがわくと、家では自室にこもってから出てきます(笑)。夫は大阪生まれでわたしは東京。彼の大阪弁はユーモアがあって、とてもいいんです。なのに標準語を使いたがる。何言うてんのぉ、と叱られると腹も立ちませんが、何言ってるんだい、とか言われると冷たい感じでしょ。もっと大阪弁を使えばいいのに、と思ってます」  小林は、大阪のど真ん中、四ツ橋の近くにあった料亭旅館(のち廃業)に生まれた。お座敷から三味線の音が聞こえ、母は長唄の師匠、父は貿易会社も営んでいた。  旅館のぼんぼんは、小6のときに家庭教師の大阪大学医学部の学生からベートーベンの交響曲第5番「運命」と第8番のLPレコードをプレゼントされ、聴いてみた。「世のなかにこんなすごい音楽があったのか」とぶっ飛ぶ。クラリネットに魅せられた。家庭教師のように大学の交響楽団に入ってクラリネットを演奏したいと憧れる。  高校は府立の進学校、天王寺高校に進み、浜松医科大学に第1期生として入学した。浜松医大は新設されたばかりでオーケストラはなく、浜松の室内管弦楽団に入った。 自宅近くの公園で、目に入れても痛くない孫たちと過ごすひと時が最高のリラックスタイム(写真/倉田貴志)    大学の医学部は、各診療科の教授を頂点に助教授(准教授)、講師、助手、研修医と、上意下達の強固なピラミッドで構成されている。  小林は、博士号を取り、卒業後も大学病院の医局に残った。ピラミッドのてっぺんを目ざして臨床と研究に打ち込む。86年に友人を介して知り合った孝子と結婚し、翌年、長女が生まれた。妻と幼い子を連れてテキサス大学に留学する。 収賄事件に巻き込まれ アカデミアに愛想が尽きる  小林を迎え入れた腎臓病理学の世界的権威、ベンカタッチャラム(愛称ベンケ・84)は、「勤勉で科学的好奇心が旺盛な修三は、自ら進んで腎臓病が移植や透析を必要とする末期段階に至るメカニズムの解明に努めました」と述べる。とくに助言はせず、「地位に関係なく、オープンな交流のなかで事実を語りなさいとだけ伝えた」と言う。ベンケ自身、南インドのケララ州で生まれ、米国で学問を究めている。その秘訣(ひけつ)を弟子に教えた。  小林は米国留学中に次女も授かり、研究が波に乗った。そこにピラミッドの頂から「帰国せよ」と声がかかる。仕方ない、大学病院に戻って患者を診ながら研究に打ち込もうと思った。  だが、いったん大学病院に復帰した後、次の赴任先に指定されたのは静岡県・伊豆の片田舎の病院だった。小林はキャリアを断たれて、茫然(ぼうぜん)とする。魂が抜けたような小林にベンケはぶ厚い3巻セットの自著にサインをして贈った。その3巻本は小林の宝物となる。 「修三は臨床分野の経験を広げなければならないとわたしも感じていた。だから励ました。彼の選択は正しかったのです」とベンケはふり返る。 民間では日本最大の病院グループ・徳洲会の旗艦病院の陣頭指揮を執る。小林の秘書・後藤順子は「院長は舞台の演出家のような周到さで皆を導く」と言う(写真/倉田貴志)    小林は、アカデミアを出て、伊豆の病院に移り、「世のなか」への目をひらく。「ごみ屋敷」の独居老人を往診し、医療の現実を知る。救急患者の受け入れへと動いた。 (文中敬称略)(文・山岡淳一郎) ※記事の続きはAERA 2024年11月18日号でご覧いただけます
「日本人が歯を失う原因第1位」毎日3回歯を磨いているのに歯周病になる人の意外な共通点
「日本人が歯を失う原因第1位」毎日3回歯を磨いているのに歯周病になる人の意外な共通点 ※写真はイメージです(gettyimages)    歯周病を予防するにはどうすればいいか。医師の各務康貴さんは「口腔ケアを歯ブラシで済ませている人は注意が必要だ。歯ブラシを使った歯磨きだけでは、60%しか歯垢を落としきれない」という――。 歯周病の怖さは「歯を失う」だけではない  歯は食事を楽しむことはもちろん、発音や顔の印象にも大きく関わっています。そんな大切な歯を失う原因の第1位の「歯周病」に、日本の成人の約8割がかかっていることはご存じでしょうか? 出典 = 公益財団法人8020推進財団「第2回 永久歯の抜歯原因調査 報告書」P29より加工    歯周病とは、歯の周りの骨や組織が細菌によって破壊される病気です。最初は歯茎の炎症から始まり、放置するとやがて歯を支える骨を破壊します。特に働き盛りの世代では、忙しさの中で口腔ケアが不十分になりやすく、気づかないうちに歯周病が進行してしまうことも少なくありません。  しかし、歯周病が恐ろしいのは単に歯を失うリスクだけではありません。実は全身の健康にも深く関係しています。  実際に私が救急医として勤務していた際、糖尿病などの病気と歯周病が同時に発生し、その影響で相互に病状が悪化していた患者を数多く見ました。歯と身体はお互いに影響することで、深刻な状態を引き起こすことがあります。 妊婦が歯周病になると、出産に影響  では、歯周病と全身の関係には具体的にどのようなものがあるのでしょうか? 重要な血管が傷つく  歯周病菌が歯ぐきの血管を通じて全身に広がることで、血管の炎症を引き起こしたり、心臓の中に菌の塊を作って心臓や脳の血管をふさいでしまうことがあります。  また、糖尿病の患者は免疫力が低下しているため、歯周病が進行しやすくなると同時に、歯周病の慢性的な血管の炎症が血糖値の上下を激しくするという悪循環を引き起こします。 認知症の進行に影響  近年、歯周病と認知症、特にアルツハイマー型認知症の進行を助長する可能性が示されてきています。歯周病による慢性的な炎症や酵素が悪影響を与えるとみられ、関連性が研究されています。 低体重児・早産のリスク  若い女性にとっても歯周病のリスクは無視できません。妊娠中はエストロゲンという女性ホルモンのバランスの変化で歯周病にかかりやすくなると言われてます。  歯周病にかかることによって、低体重児および早産のリスクが7倍ほど高くなることも明らかになっています。これは、タバコやアルコール、高齢出産よりもはるかに高いリスクです。 歯周病の全身への影響(出典=hanaravi)   歯周病菌の「大好物」は炭水化物  歯周病は生活習慣が一番大きく関係します。以下のような生活習慣の方は、特に歯周病になりやすい傾向があります。ご自身の生活習慣を見直すきっかけにしていただければと思います。 ①間食の多い人やタバコを吸っている人  間食が好きで、糖分の多い食べ物や飲み物を頻繁に飲んだり食べたりする人は、歯周病のリスクが高まります。  炭水化物は歯周病菌のエサになりやすく、口のなかに食べ物のカスが残る時間が長いと歯周病菌の繁殖を助長します。そのため、間食の回数を減らすか、間食後にすぐ歯磨きを行うなどして口の中を清潔に保つことが重要です。  また、喫煙者も非喫煙者に比べて歯周病のリスクが非常に高いことが知られています。タバコに含まれる有害物質は歯茎の血流を悪化させ、歯周病菌に対する抵抗力を低下させます。また、喫煙による歯茎の色の変化や出血が少なくなるため、症状が進行していても気づきにくい傾向があります。 歯ブラシをしても40%の汚れが残る ②「歯ブラシのみ」で口腔ケアを済ませている人  口腔ケアとして最も一般的なのは、歯ブラシを使った歯磨きだと思います。しかし、実は、歯ブラシを使った歯磨きだけだと、60%しか歯垢を落としきれないと言われています。1日3回、食後に歯ブラシをしていても落としきれない40%の歯の汚れが積み重なることによって、歯周病に繋がってしまいます。  歯垢をきっちり落とすために、デンタルフロス(歯間ブラシでも可)を使うことが理想的です。1日3回フロスをするのが大変であれば、夜1回だけでも十分効果があります。 ③次の歯医者の受診日が決まっていない人  歯医者の定期健診を受けてない人は歯周病になりやすいです。歯肉に隠れている歯の部分は完璧に磨くことができないので歯垢がたまり、歯石になってしまいます。  そういった歯石を歯磨きで落とすことはできないので、歯科医院の定期健診で掃除をする必要があります。私の経験では、1年以上歯科検診に行っていない方は、ほぼ歯周病だと思ってよいと思います。 フッ素で「歯の健康」の基礎固めを  色々問題となる生活習慣を挙げてきましたが、実はなんとなく知っていたというものではなかったでしょうか?  一番難しいことは今の生活習慣を変えることですので、ここでは理想的な対策は一旦置いておいて、まずは一歩踏み出すための実践的な改善策に絞ってお伝えしたいと思います。 ・歯科医院に行く  まずは1回「歯のメンテナンスをしたくて」などの理由で歯科医院にいってみましょう。そうすればお口の状況に合わせて今後どうすれば良いか教えてくれると思います。 ・フッ素入り歯磨き粉で歯周病を予防  歯磨き粉を選ぶ際には、フッ素が含まれているものを選びましょう。フッ素は、歯の表面を酸に溶けにくい状態に修復し、歯周病菌から歯を守ってくれます。歯の表面が酸で溶けると、歯周病菌が侵入しやすくなりますが、フッ素によって強固な歯を作ることで、虫歯や歯周病の予防につながります。  昨今、ホワイトニング歯磨き粉が人気ですが、ホワイトニング効果があまり期待できないものも多いように感じます。気づかずに歯周病になってしまっている状態でホワイトニングをしても本末転倒なので、まずはフッ素入りの歯磨き粉で歯周病予防をし、歯の健康を基礎からしっかり固めるほうが効果的でしょう。 ・夜は歯磨きに加えてフロスを活用  自宅では歯磨きの一環としてフロスを活用して、歯と歯の間にたまった汚れを取り除くことが効果的です。ドラッグストアやコンビニでどれでも良いのでまず買ってみましょう。使い方はYouTubeなどで見て真似するのがよいでしょう。  フロスを使用する際は歯磨き前に使うほうが効果的です。フロスで先に汚れを取り除くことで、歯磨き粉の成分が歯に直接届きやすくなるからです。 ジェットウォッシャーとフロス(出典=リリモアクリニック内科歯科HP)   歯と歯茎の境目の汚れは水圧で洗い流す  もし、1日1回のフロスでもめんどくさいという方は、より簡易なジェットウォッシャーを使ってみましょう。  ジェットウォッシャーとは、細い水流を使って歯と歯の間や歯と歯茎の間を洗浄する手のひらサイズのガジェットです。通販サイトで3000円くらいの価格から販売されているので、手頃に始められます。  歯周病の要因となる歯と歯茎の境目の汚れは、歯ブラシやフロスで取り除くことが難しく、ジェットウォッシャーの水圧で洗い流すことで、より効果的に口腔ケアをすることができます。  歯周病は、初期段階では自覚症状がないため、気づかぬうちに進行してしまっているケースも少なくありません。  日本人の8割がかかっているという厚労省の調査からも、「自分は歯周病だ」という前提で治療を進めたほうが良いでしょう。毎日の口腔ケアや定期的な歯科検診、そして適切な生活習慣の見直しによって、予防しましょう。  本記事で紹介した、一歩を踏み出すための実践的な対策から取り入れていただき、日常生活の中で歯周病を防ぎ、全身の健康を保ちましょう。 (各務康貴 医師)
大谷翔平と藤井聡太「天才の親」に共通する、たった1つの心構えとは?
大谷翔平と藤井聡太「天才の親」に共通する、たった1つの心構えとは?     昨今、多くの親が他者との競争を煽るような声かけをしてしまい、わが子の個性をつぶす結果になっているケースが増えている。そんな中、前人未到の道を突き進む大谷翔平さんや藤井聡太さんの両親の子育ての姿勢には共通するものがあったのだ。子を超一流に育て上げた「親としての姿勢」とは?本稿は、辻秀一『メンタルドクターが教える 個性を輝かせる子育て、つぶす子育て』(フォレスト出版)の一部を抜粋・編集したものです。 超一流選手たちの育ちを探る! 彼らの両親に共通する姿勢とは  メジャーリーガー大谷翔平さんのような人物に育ってほしいと多くの親は考えているかもしれません。大谷翔平さんのバッティングやピッチングや大きな身体は真似できないでしょうが、彼の持つ人間性や非認知的スキルやあり方を少しでも自分の子どもに持ち合わせてほしいという願いがあるでしょう。  大谷翔平さんのご両親の子育て論などはまったく知りませんが、おそらく「アートな子育て」だったのではないかと推察されます。  週刊誌「週刊現代」にこんな記事があったのは有名です。  大谷翔平さんら多くの「超一流選手」の親を取材し、書籍『天才を作る親たちのルール』(文藝春秋)を著したスポーツライターの吉井妙子氏は、「両親たちの姿勢には共通点がある」と語っています。 「それは、頭ごなしに怒らないこと、そして子どもの考えを否定しないことでした。『なぜできないのか』『お前はダメだ』と言われた瞬間、子どもは強烈なコンプレックスを植え付けられてしまう。その2つを『しない』ことが、子どもたちの個性を大きく育てているのです」(「週刊現代」2021年12月11・18日号)  まさに、この2つをしてしまうことは、「認知的思考で期待があるから怒る」「正しさを主張するから否定する」わけです。つまり、大谷翔平さんの親はもちろん、自分らしく個性をつぶされることなく生きているアスリートたちの親は、間違いなく「非認知的でアート的な子育て」を実践しているのです。  特別な厳しさが彼らを超一流にしたのではなく、誰もができる「非認知的な脳による生き方を大切にした子育て」と言えます。 将棋界の至宝・藤井聡太は どのようにして育てられたのか?  大谷翔平さんと同じくらい、多くの日本人が注目する若者の1人が将棋名人の藤井聡太さんです。彼の親もまた、「非認知的なアプローチの価値観」を持った子育てをされた方なのではないかと推察されます。 「親は親、子どもは子ども」という意識のもとで、子どもの「好きなこと」「やりたい」という意欲を重んじ、「余計な口出しはしない」という原則を徹底されたそうです。  藤井聡太さんのご両親は、「息子がなにかに集中しているときは絶対に止めないように心がけていた」というのは有名な話です。  普通であれば、「ご飯の時間だよ」「お風呂に入りなさい」などと、予定を重んじる大人たちは、生活のリズムに合わせて中断させたくなるでしょう。しかし、子ども自身で区切りがつくまで声をかけなかったと言います。「子どもに対して見通して待つ」を実践していたことになります。  中学校に上がると、藤井聡太さんが熱中したのは、英語や数学などの「主要教科」ではなく、地理だったそうです。 「藤井さんは、他科目はそっちのけで山や川の名前ばかり熱心に覚えていたそうです。でも、ご両親は『もっと英語を勉強しなさい』とか、『数学をやりなさい』ということは言わなかった」(前出)  との取材記事もありました。  藤井聡太さんが負けて泣くのを止めなかったときのご両親の対応も、信じて個性をつぶさない対応のように感じます。床にひっくり返るほどの泣き虫だった藤井さんを、お母さんは気が済むまで泣かせたそうです。  これも、「応援」「信じる」「見通して待つ」といった非認知的な姿勢を感じます。  まさに子どもの感情を大切にしている証のように思います。子育てを、認知的に、マーケティング的に見ていると、これらのことが簡単ではなくなるでしょう。  親もまた、誰かに育てられて、社会の中で大人として生きているので、認知的なアプローチを他人や子どもにしてしまうのは、人間の性(さが)でもあります。でも、大谷翔平さんも藤井聡太さんも特別だからと言って、うちの子どもは大谷翔平や藤井聡太とは違うとあきらめてしまうのはやめましょう。 KEYWORD 「する」より「しない」。 《声かけサンプル》 「ぐずぐずしないで、もっと早くしなさい!そもそも何でやってないの?ちゃんとやらないとダメでしょ!」  より 「みんなと同じじゃなくてもいいよ。無理にみんなに合わせてやらなくてもいいんだよ」 これからの時代に必要な 「FLAP人財」とは何か?  これまでの日本の文科省の進める教育の主体は、認知的に優れた人づくりでした。  学校教育のほとんどは、偏差値と受験を中心としたこの認知的な脳のトレーニングだったと言えるでしょう。すなわち、外的な課題に対して、対応・対策・対処できる能力です。  私は大企業とかでサラリーマンとして働いたことはないですが、おそらくそこで必要な能力のほとんどは、ほぼ認知的な脳の使い方です。外界に向けて、上司やルールや結果や目標や命令に合わせて仕事をしていることも少なくないと聞きます。ただ近年、日本の国力がどんどん低下していっているように感じるのは、私だけでしょうか?  そんな中、三菱総合研究所が「これからの時代に必要なあり方」として、「FLAP人財」なるものを提唱しています。  FLAPとは、Find(知る)、Learn(学ぶ)、Act(行動する)、Perform(活躍する)のことを言います。  欧米をはじめとする、個性を大切にする先進国での人財教育方針にもマッチする考え方としても知られています。  私が一番大切だと思っているのは、Find(知る)です。  何を知るのかと言うと、「自分自身」です。すなわち、非認知的な脳を働かせて、自分自身を見つめ、内観することです。 「自分は何を感じているのだろうか?」「自分はどんな感情を持っているのか?」「それは、どんな価値観があるからなのか?」「自分は何が好きなのか?」「『自分らしさとは?』などの個性を重視すること」  などなど、アート思考にもつながる脳の使い方をFindと考えています。 「Find」こそが ブレずに生きていく礎  認知的な脳は、このFindが苦手です。内ではなく、外へ、外へとマーケティングする思考だからです。  Findこそ、本当は生きる力の源であり、自分がブレずに生きていく礎のはずです。  ところが、私が見る限り、今の日本の学校教育は、FindのないFLAP教育のような気がしています。それこそが認知的な教育です。  決められた試験範囲、定められた条件の中で、Learnし、Actionし、そしてPerformanceすれば、私のように医学部も入れてしまいます。  自分よりも外界を中心にした学び方、行動の仕方で動いて、そこから生まれたパフォーマンスとしての結果のみが、その人の価値だとされる社会的な仕組みが、今までの世の中です。  このLAPサイクルを回せば、偏差値や学歴の中で勝ち抜ける構造になっています。  そのような人が大企業で“LAPer”として働き、企業の中で偉くなっているように思うのです。  必要な能力は決められた中で、「ただ耐える力」だったり、「頑張り我慢する力」のように思うのですが、どうでしょうか?  学校と社会がそうだから、家庭の子育てもその準備のために、認知的にマーケティングのような子育てで、“LAPer”を育て続けていていいのでしょうか?  それとも、これからの時代は“LAPer”はデジタルやAIに淘汰されていくと考え、家庭の子育てだけでもFindを重んじるアート的な子育て方針に転換していくのか?  ここまでお読みの皆さんはいかがですか? まずは家庭の中で 「FLAP人財育成」を実践!  社会はすぐには変われないので、家庭教育だけではシフトチェンジはできないでしょう。  しかし、少なくとも将来に備えて、認知的な思考だけでなく、非認知的な思考も大事にして、自身をFindし、その上でLAPしていけるような子育てをしていこうではありませんか。  子育ては、時間のかかる作業です。社会が変わってからマーケティング的に、そんな社会に合わせて急に子育てのポイントを変えたとしても手遅れです。  親と保護者の責任において、子どもたちのためにも、今から自分らしく個性を大事にした生きる力を育んでいきたいものです。 KEYWORD 「LAP」より「Find」。 《声かけサンプル》 「言われたとおりにしなさい!つべこべ言わずにやればいいのよ。宿題、もうやったの?」  より 「あなたは何がしたいの?あなたは今日、どんなことを感じたの? あなたの感じる好きなことをまずは大事にしてほしい!」
古田敦也、谷繁元信、高橋由伸…最初の監督就任では苦戦した名選手たちの“再登板”あるのか
古田敦也、谷繁元信、高橋由伸…最初の監督就任では苦戦した名選手たちの“再登板”あるのか 古田敦也氏が再びプロ野球の球団を指揮する日は来るのか…  今オフはプロ野球界で監督人事が盛んとなったが、将来的に“再登板”があるのか気になる人物たちがいる。古田敦也氏(元ヤクルト)、谷繁元信氏(元中日)、高橋由伸氏(元巨人)の3氏だ。いずれも最初に監督を任された際は結果を残せなかったが、球史に残る名選手たちだけに再びプロ野球チームを指揮することを望む声は多い。  球界だけではなくスポーツ界では「名選手、名監督にあらず」と言われる。もちろん川上哲治氏(元巨人)や野村克也氏(元ヤクルトほか)、森祇晶氏(元西武ほか)など選手、監督の両方で結果を出した人物も存在するが、指揮官としては失敗した名選手も多い。名球会入りを果たしている“ミスタードラゴンズ”の立浪和義監督も2022年から古巣の中日を指揮したが、3年連続最下位とチームを浮上させることはできずに今季限りでチームを去った。 「(古田、谷繁、高橋の3氏は)現役時代は各々が球界を代表する名選手だったが、指導者としての経験不足は否めなかった。監督就任に向けての準備不足も露呈、結果にも現れてしまった」(スポーツ新聞野球担当デスク)  古田氏には今でも毎年のように監督待望論が浮上する。球史に残る名捕手として活躍し、卓越した野球理論は誰もが認めるところで、古巣・ヤクルト以外の球団にも“候補”として取り沙汰されることも多いが……。 「前回の監督を務めた時は球界も過渡期で時代が古田氏に追いついていない感じもあった。野村氏に徹底的に教え込まれた野球脳の高さは球界トップクラス。今なら勝てて人気のあるチームを作れるはず」(ヤクルトOB)  2006年から2年間にわたってヤクルトで選手兼任として監督を務めた。グラウンド外でも、「Fプロジェクト」を立ち上げファンサービスに取り組むなど期待が高まった。しかし成績は2006年が3位、翌年は最下位と低迷したのに加えフロントとの対立もあったと噂される。 「(今年は古巣ヤクルトの)春季キャンプで臨時コーチを務めるなど、野球への情熱は衰えていない。しかし現在はテレビ地上波での出演も多く高収入がある。余程の好条件でない限り可能性は低いのではないか」(スポーツマネージメント会社関係者) 「また会いましょう」と挨拶してから17年が経った。一時は「楽天やソフトバンクで監督就任」という噂も流れたが実現には至っていない。来年8月には60歳を迎えるため、この先も「現場復帰はないのでは?」という意見も少なくないようだ。  谷繁氏は低迷が続く中日で再登板を望む声もあった。また今季セ・リーグ3位から“下剋上”で日本一となったDeNAの監督に就任する可能性も囁かれていたが……。 「中日は切り札・立浪前監督でも立て直しができず谷繁監督待望論も湧き上がったが、井上一樹二軍監督の内部昇格となった。(谷繁氏は)監督解任時の流れに納得していなかったという話もあり、今後も中日で指揮官に就任する可能性はないのではないでしょうか」(中日関係者)  谷繁氏は2001年オフにFAで横浜(現DeNA)から中日に移籍、球界を代表する名捕手として活躍した。2014年から中日で選手兼任監督となり、専任となった2016年の8月には成績不振で休養(事実上の解任)となった。指揮した3年間でいずれもBクラスと指揮官としては苦戦が目立った。 「横浜に生活拠点を戻してからはDeNAとの関係性も良い。今季、日本一を逃すことがあれば、谷繁監督誕生の可能性も高かったと言われる」(スポーツマネージメント会社関係者)  DeNAの本拠地・横浜スタジアムで開催される試合ではイニング間に谷繁氏をモデルとした「たにしげるくん」人形が現れイベントが行われる。また4月9日には野球殿堂入りセレモニーが横浜スタジアムで開催されるなど関係性は抜群。DeNAが日本一となったことで三浦大輔監督の続投となったが、次期指揮官の候補なのは確かだ。  高橋氏は監督復帰へ向け、ファンや関係者から常に大きなラブコールを受けている。 「ヨシノブは生え抜きで実績、人気ともに球団史に残るスター。現役続行の意向を翻意させて監督を任されたと言われ、当時は戦力的にどん底の状態で結果を出せという方が無理だった。泥を被ったままで居させるわけにはいかないと思う」(巨人OB)  高橋氏は2015年に現役引退すると同時に監督に就任。2016年から指揮を執った3年間の順位は2位、4位、3位とそこまで悪くはないが、2017年には球団ワーストの13連敗を喫するなど、失敗のイメージもついている。 「巨人が迷走していた次期で、人気面を考慮しての監督起用とも言われた。順位だけを見ればそこまで悲観する必要もなく、岡本和真を我慢して起用することで経験を積ませた実績もある。時期がくれば再登板も現実味を帯びる」(スポーツマネージメント会社関係者)  巨人は今シーズン阿部慎之助監督が就任1年目でリーグ優勝を果たしたため、今後、数年は現体制が続くはず。しかしその後に関しては誰が監督になってもおかしくない。現在49歳の高橋氏に再び大役が回ってくる可能性は低くない。 「3人は非常に頭が良い。(選手時代は)長きにわたって結果を出し続けられたのは考えて野球をプレーできていたから。監督としての第1次政権はうまく行かなかったが、そこで学んだものを今後に生かせるはず。次回、監督になった時には同じような失敗はしないだろう」(スポーツ新聞野球担当デスク)  関係者の間では3人の評価は下がっておらず、むしろ期待の声が聞かれる。何よりもファンは彼らが現場に戻ってくるのを待っている。見慣れたユニホームを着て古巣を指揮する日はやってくるのだろうか。

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