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“リアルアナ雪” 眞子さんが突きつけた女性皇族の「存在の曖昧さ」と「公と私」
“リアルアナ雪” 眞子さんが突きつけた女性皇族の「存在の曖昧さ」と「公と私」 10月26日、小室眞子さんと圭さんは都内ホテルで結婚の記者会見を行った。会見は約12分で終了した(c)朝日新聞社  10月26日、小室眞子さんが結婚、皇籍を離脱した。妹の佳子さまは26歳、愛子さまは今年12月、20歳になる。女性皇族という存在の曖昧さと、その「公」と「私」という問題が突きつけられている。AERA 2021年11月8日号から。 *  *  *  リアルアナ雪──SNSの世界では、そう命名されたそうだ。10月26日、秋篠宮家を出発する眞子さまと妹の佳子さまとのハグのことだ。映画「アナと雪の女王」に重ね、ネットでは「尊すぎる」などと感想が飛び交ったという。儀式なし、一時金辞退、そして「複雑性PTSD」と引き換えのように実現した結婚だった。旅立ちの最後のハグ、眞子さまは一生忘れないだろう。  さて「眞子さま」はここまで、ここからは「眞子さん」とする。26日、眞子さんは小室圭さんと結婚、2人で記者会見に臨んだ。眞子さんはその席で、「婚約に関する報道が出て以降、圭さんが独断で動いたことはありませんでした」と述べた。「お母様の元婚約者の方への対応」「留学」を例に、「私がお願いした」と言い切った。  これまで私は、眞子さんを「優等生」だと思っていた。「天皇陛下(現在の上皇陛下)の初孫」として生まれたのだから当然、と。が、この日は全く違った。 「結婚を主導してきたのは私」と表明すると同時に、小室さんへの批判を「一方的な憶測」「誤った情報」「謂(いわ)れのない物語」とし、それらに抱いた感情を「恐怖心」「つらく、悲しい思い」と強い言葉で表した。 ■人生は自分が決める  眞子さんは吹き荒れる逆風に、心の傷を負った。それでも結婚を貫く強さがあり、最後に「主導」を表明した。「自分で決めてきた」という説明であると同時に、「これからも自分の人生は自分が決める」という宣言のようにも感じられた。  眞子さんの結婚を通し、「皇室の『公』と『私』」が注目されるようになった。公の存在ではあるが、天皇も皇族も一人の人間。そのことに国民がどう向き合うかという問題だ。  眞子さんの結婚について、秋篠宮ご夫妻と共に佳子さまもコメントを発表した。中に「結婚に関して、誤った情報が事実であるかのように取り上げられたこと、多くの誹謗中傷があったことを、私もとても悲しく感じていました。そのような中でも、姉と小室圭さんがお互いに支え合う姿を近くで見てまいりました。本日、2人が結婚できたことを嬉しく思っております」という一節があった。  佳子さまは、「本音」を明かすのが上手だ。批判するというより、前向きに伝える。姉の結婚を応援する気持ちもはっきり表明していた。そこから、佳子さまの「皇室を出たい」という気持ちを勝手に読み取っていた。眞子さんと共有する気持ちだろう、と。姉の結婚を通し、佳子さまは「公と私」の問題を考えに考えたはずだ。これから佳子さまは、どうするのだろう。 26日朝、秋篠宮邸を出発するにあたって、妹の佳子さまと抱き合う小室眞子さん(c)朝日新聞社 ■女性宮家と佳子さま  皇室には「人手不足」問題もある。眞子さんの結婚で、皇室の構成員は17人になった。30歳未満は、佳子さまと愛子さまと悠仁さまの3人だけ。だから、女性皇族が結婚後も皇室に残る「女性宮家」が議論されている。  実現すれば、佳子さまが第1号となるのが自然な流れだろう。それを佳子さまが望むのか、気がかりでならない。「女性宮家」が実現しても、女性皇族という存在の曖昧(あいまい)さは解消されそうにないから、余計にそう思う。そもそも女性皇族は、「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」(皇室典範12条)としか定められていない。男系男子が継承する皇室で何をする存在なのか。  眞子さんは会見で、「皇族としての仕事を、自分なりにできる限り大切に果たそうと努めてまいりました」と語った。そう、眞子さんは公務に勤しむ女性皇族だった。初の単独公務は学習院女子高等科2年生の2008年。15年、英国のレスター大学大学院を修了すると、すぐに日本テニス協会名誉総裁に就任。同年12月にエルサルバドルとホンジュラスを訪問、以後中南米を6カ国、ブータンと合わせ計7カ国を公式訪問している。 ■公務邁進型の皇族像  この「成人前から開始」「学業終了後に本格化」という公務邁進(まいしん)型女性皇族像は、天皇陛下の妹、黒田清子さんが築いた。清子さんは学習院女子高等科の3年間、両親(上皇陛下と美智子さま)と全国高校総体に臨席、学習院大学1年で初の単独公務、卒業3年後のブラジルを皮切りに、36歳で結婚するまで14カ国を公式訪問した。  04年、35歳の誕生日にあたって清子さんは、「公務は常に私事に先んじるという陛下のご姿勢は、私が幼い頃から決して崩れることのないものでした」と文書で述べている。「私より公」が清子さんの規律だ。ただ、こうも述べている。「内親王という立場は、先行きを考えるとき、将来的にその立場を離れる可能性がどうしても念頭にあるため、(略)継続的な責任ある立場に就いたりすることは控えてきたということはあるかもしれません」(02年、33歳の誕生日の文書回答) 愛子さまは12月1日、20歳の誕生日を迎える。会見で何を語るかが注目される(宮内庁提供)  清子さんが控えた「責任ある立場」に就く女性がまだ少ないから、日本のジェンダーギャップ指数は21年も120位。それを「とても残念なことです」と語ったのは佳子さまだ。10月10日、「国際ガールズメッセ」でのビデオによる挨拶だった。「今後、ジェンダー平等が達成され、誰もがより幅広い人生の選択肢を持てるようになることを、自らの可能性を最大限いかす道を選べるようになることを、それが当たり前の社会になることを切に願います」と述べた。それが佳子さまの時代感覚だ。  そして天皇陛下の長女愛子さまが今年12月1日、20歳になる。成人にあたっては、記者会見が恒例になっている。愛子さまはそこで、何を語るだろうか。 ■困難は国民全体のもの 「成人前からの公務開始」という清子さん、眞子さんの路線を愛子さまは取っていない。母の雅子さまが「適応障害」という病を得て、長く苦しんでいることが影響しているかもしれないと想像する。令和になってすぐに「コロナ禍」が広がったという事情も大きいだろう。そもそも皇室全体で、国民と直接触れ合う機会が激減している。 「愛子天皇待望論」がメディアから消えることがないのは、悠仁さまは「次男の長男」で愛子さまは「長男の長女」という“ねじれ”があるからだ。それなのに政府は、「女性、女系天皇」問題の議論を避けている。  怠慢ではないだろうか、と書いたところで眞子さんに戻る。  会見の最後、眞子さんはこう言った。「今、心を守りながら生きることに困難を感じ傷ついている方が、たくさんいらっしゃると思います。周囲の人のあたたかい助けや支えによって、より多くの人が、心を大切に守りながら生きていける社会となることを、心から願っております」  昨年11月、眞子さんは「お気持ち」を発表、「結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」と訴えた。この時に感じた「心を大切に守りながら生きることの困難さ」を眞子さんは国民全体のものと捉えていた。そして、「心を大切に守りながら生きていける社会」となることを望んでいた。  眞子さんはこれまでも今も、「公」と共にある。そう思うと、とても切ない。(コラムニスト・矢部万紀子)※AERA 2021年11月8日号
「住宅ローンが払えない」住居喪失の危機続く 「債務の減免」制度がスタート
「住宅ローンが払えない」住居喪失の危機続く 「債務の減免」制度がスタート 都内に住む男性(50代)に裁判所から届いた「競売開始決定通知」。最終的には任意売却で、競売価格より1千万円強高く自宅を売却できた(撮影/写真部・高橋奈緒)  長引くコロナ禍で、住宅ローンの返済に行き詰まる会社員が増えている。民間による支援の動きも始まった。解決策はあるのか。AERA 2021年11月1日号から。 *  *  * 「住宅ローンのことを考えると、夜も眠れません」  建材メーカーで働く男性(40代)は、言葉少なに語る。  5年前、子どもが小学校に入学したのに合わせ、埼玉県内に約4千万円でマンションを買った。35年ローンで、支払いは月9万円と年2回のボーナス払いが10万円ずつ。給与は手取りで月35万円程度。妻(40代)も近所のスーパーでパートとして働いていたので、難なく返せていた。 ■競売より任意売却  だが、コロナ禍で男性の会社の業績が悪化。収入は半減し、昨年冬のボーナスも全額カットされた。妻もコロナを理由にパートを解雇された。家計は一気に赤字になり、住宅ローンの支払いが苦しい状態が続く。男性は、金融機関にローンの返済条件の見直しの相談をしている。 「真面目に働いてきたのに」  昨年から続くコロナ禍で、失業や収入減により住宅ローンの返済に窮する人が増えている。  住宅ローンを扱う独立行政法人「住宅金融支援機構」によれば、全国のコールセンターに寄せられたコロナ禍に起因する住宅ローンの条件変更の相談は、昨年2月から今年9月までの間に累計6240件。最近は昨年より減ったものの、高止まりの状態が続く。  住宅ローンが滞納した状態が続くと、家を差し押さえられ、「競売」にかけられる。競売は、裁判所主導で市場価格よりかなり低い価格で売却される。  そうした人たちの「駆け込み寺」が、任意売却だ。住宅ローンが支払えなくなった債務者と債権者(金融機関)の間に不動産会社が仲介に入り、双方が納得する形で売却する。  任意売却を専門に行う不動産会社「明誠商事」(東京都)の飛田芳幸社長によれば、現在、月35件近い相談があり、40代、50代が中心。これらは昨年とあまり変わらないが、今年に入って客層の変化を感じると話す。 AERA 2021年11月1日号より 「昨年はイベント関係や観光など、コロナによって真っ先に打撃を受けた人たちが中心でした。しかし今年になって、普通の会社員が圧倒的に増えました。会社の業績が悪化し残業もできなくなり収入が減り、住宅ローンが払えなくなるのが理由です」  任意売却の最大のメリットは、競売より高く売れる点だ。両者には雲泥の差があり、飛田さんによれば任意売却の方が500万円から1千万円近く高値で売却できることがあるという。  自宅を手放す人が続出する現状に対し、民間による支援の動きも始まっている。 ■来年倒産増える恐れ  昨年12月、全国銀行協会などが策定したガイドラインに基づく、「コロナ版ローン減免制度」がスタートした。東日本大震災後に整備された減免制度が原型で、ローンを返済できなくなった人が金融機関の同意を得た上で弁護士の支援を受け、簡易裁判所に特定調停を申し立てて債務が減免される。弁護士などの支援も無償で受けられるなど、メリットは多い。  制度に詳しい松浦絢子(あやこ)弁護士は、制度の最大のメリットは信用情報に問題があるブラックリストに掲載されない点だと話す。 「自己破産すると、信用情報機関にその旨の情報が登録されブラックリスト入りし、数年間は新たにローンを組んだり、クレジットカードをつくるのに支障をきたします。しかし、この制度はその心配はありません」  一方、制度には課題も多いという。  例えば複数の金融機関から借りている場合、1社でも拒否すれば制度が使えないなど利用のハードルは高いと指摘する。 「制度の認知度も低く、救済されるべき人に情報が届いていません。政府系金融機関のコロナ融資の期限が年末で切れますが、来年以降、会社が倒産してローンを払えなくなる人が増えると考えられます。国は制度のPRなど、本腰を入れて取り組むべきです」(松浦弁護士) (編集部・野村昌二)※AERA 2021年11月1日号
元祖「ひょうきん」アナ・山村美智が語る夫の看取りと「不倫」  葬儀に一人で訪れた小泉進次郎氏の言葉
元祖「ひょうきん」アナ・山村美智が語る夫の看取りと「不倫」  葬儀に一人で訪れた小泉進次郎氏の言葉 夫の看取りを綴った本を出版した山村美智さん(撮影・上田耕司)  フジテレビの伝説のバラエティ番組「オレたちひょうきん族」(1981~89)で、初代ひょうきんアナとして活躍した山村美智さん(64)。  現在は女優として活躍するが、フジテレビのプロデューサーだった最愛の夫・宅間秋史(たくま・あきふみ)さんを昨年12月、看取った。著書「7秒間のハグ」(幻冬舎)で山村さんの夫の看取りから不倫写真を発見した瞬間、小泉進次郎前環境相との交流など様々なエピソードを赤裸々に綴っている。山村さんにインタビューした。 【前編】フジ元祖「ひょうきん」アナの山村美智が語るたけし、さんま、島田紳助の思い出「スカートめくりの洗礼も」 ***  36年半連れ添った夫の宅間さん(享年65)に病院の検査で食道がんが見つかったのは19年7月のこと。がんは既にステージIIIになっていた。手術をしたが、あちこちに転移してしまい、13回も入退院を繰り返した。   最後の入院では、山村さんは51日間、毎日午前7時から午後7時まで、夫に付き添った。その頃の宅間さんは胸の辺りから気管を切開し、人工呼吸器を入れて、言葉を失った。ふたりはノートでの筆談を交わすしかなかった。山村さんは「痛い、痛い」と苦しみ、気持ちが悪くなった宅間さんの背中をさすったり、少しでも痛みが和らぐようにオイルマッサージをしたりと、夫のために全てを捧げていた。どうしてそこまでできたのか?  「何とか生きて欲しいと思ったからです。一緒にいる2人の生活を手放すことができなかったから。彼に生きてもらうためには何をすればいいんだろう、それしか考えられませんでした」   最愛の夫が病に苦しんでいる時に、一緒に付き合うのは辛いことだったでしょうと尋ねると、  「それは精神的にしんどかったです。病院から家に帰る車の中で、本当にいつもいつも号泣しながら帰っていました」   悩みながら、生きるとは何かを考え続けた山村さん。著書の中で、  <秋史も(染めていた)頭髪が真っ白で、人から見たらおじいちゃんだけど、中身は昔と変わっていない。結局歳を取るということは、外側だけ肉体だけのことなんだ>  闘病中の夫と山村さん(提供) <秋ちゃんは、これからの人生、65歳からの人生のために生まれてきたんだよ。早くにこんな大変なことを経験したのは、これからの人生のためなんだ。凄い使命を持ってるよ> とつづっている。   病院で夫の最後を看取った山村さんは "没イチ"となった。初めての著書を書こうと思い立った理由を山村さんはこう語る。  「夫は病床で、映画の構想を何本も練っていました。私は苦しい思いをする夫に、『これから撮る映画に生かすために病気になったんだよ』と言って励ましていました。なのに彼は死んじゃった。だから映画の代わりに、私が書くことで、宅間の生きた爪痕を残したいと思いました」    山村さんが宅間さんと結婚したのは84年5月26日。結婚式・披露宴は、東京都港区のホテルオークラで開かれ、流行作家の「狐狸庵(こりあん)先生」こと、遠藤周作夫妻が晩酌人を務めて盛大に行われた。    それから36年半の夫婦生活を送ったが、夫婦の危機が訪れた瞬間もある───。  山村さんは34歳のある日、夫の不倫を知ることになる。  「夫が犬の散歩中、ハンカチを入れてあげようと思って彼のビジネスバッグを開けると、10枚ほどのポラロイド写真が束になっているのを見つけたんです。手にとってみると、夫と女性の親密なツーショット写真でした」    山村さんは犬の散歩から帰宅した夫を問い詰めた。夫は最初、「見間違いだ」とごまかしていたそうだが、憔悴する山村さんを前に観念して、こう謝罪したという。   「『僕は十字架を背負うことになるけれども、みっちゃんと一緒に生きて行きたい』と言いました」   山村さんは夫を「秋ちゃん」と呼び、夫は山村さんを「みっちゃん」と呼び、ほとんどケンカもしないラブラブの仲良し夫婦だっただけに衝撃は大きかった。  不倫相手について尋ねると、「それはちょっと…………」と言葉を濁した山村さん。夫の謝罪を受け入れたのだろうか。 「ミスターフジテレビ」と呼ばれた夫と山村さん(提供) 「その時は2人の生活を終わりにする自信がなくて許しました。でもこのことは忘れないで、いつか絶対別れてやると思っていました」    夫は謝罪したはずだった。  「けれど、この後も、浮気があったかもしれませんね。どれも軽い感じだったと思いますけどね。宅間は凄くモテたんですよ。ユーモアがあって、おしゃべり上手で、女の子たちをキャッキャッと喜ばせるのがうまかった」     夫の宅間さんは結婚当初、フジテレビの営業部に所属していたが、結婚後1カ月もしないうちに編成部へ異動。    その後、編成担当として、「ドリフ大爆笑」「夜のヒットスタジオ」「火曜ワイドスペシャル」など、数々のヒット番組を手がけ、フジテレビの黄金時代を創った。その後、映画部へ異動からは、「GTO」「ウォーターボーイズ」「大河の一滴」などのヒット映画を世に送り出した。「ミスターフジテレビ」と呼ばれるようになっていった。  不倫について書いた理由は?  「はじめは積極的に書きたかったわけではないんですけれど、夫婦のことを書くのに、ウソをついたり隠したりしてしまうと、また別のところでウソをついて、隠さなければいけなくなりますよね」   編集サイドからのアドバイスもあったと明かす。 「『ご主人が浮気をしたんだったら、そういうことも書きましょう』と言われて。その時、私も綺麗ごとばかりを並べてみても、人に響くものがないし、自己満足の本になってしまうと思ったんです。酸いも甘いも書くことが、人の心に残るものにつながると考えました」   モテるということなら、キュートな山村さんの方が宅間さんよりもさらにモテたのではないか。 他の男性から誘惑されることはなかったのかと質問してみた。 「そりゃあ、ありましたよ。だけど、そんなことはもう大丈夫です、私はね」とひょうきんアナだった時代のようにかわされてしまった。   不倫が発覚した当時は別れることも考えたが、そのうちに別れる意志はお互いになくなっていったという。 ニューヨークに遊びにきた明石家さんま(C)朝日新聞社 「一緒に暮らしていると、食べ物の趣味も何もかも同じになっていくんですよね。生活のすべてが、あうんの呼吸。彼は私で、彼との生活が私だった。夫も同じ気持ちで、今、私たちが離婚して、他の人と結婚するなんて絶対ありえない。この生活、他の人とは考えられないね、それは勘弁だねと言っていました。だから、夫の最大の裏切りは不倫ではないんです。私を残して死んだことなんです」    山村さんは大学時代、劇団「東京キッドブラザース」の主宰者・東由多加さんにスカウトされて女優として1年間活動した後、1980年にフジテレビに入社した。宅間さんと結婚した翌年の85年に退社した。   2002年には、山村さんが脚本、演出をした2人芝居「私とわたしとあなたと私」に主演。その舞台が好評で、翌年には女優吉川ひなのと共演して再演された。  ところが、ちょうどその時期に、宅間さんがフジテレビ本社からアメリカのニューヨーク赴任を命じられる。山村さんはせっかく舞台が軌道に乗ってきたところでと、迷ったが夫とニューヨークに行くことに決めた。2003年から08年までの5年間は一緒にニューヨーク生活を送った。   当時の生活をこう振り返る。 「ニューヨーク市マンハッタンのコンサート会場『カーネギーホール』の裏手にある高層マンションの48階に住んでいました。1LDKでしたが、リビングは30畳くらいありました」   部屋の窓からはセントラルパークやメリディアンホテルの屋上を見下ろせた。ホテルのプールサイドでは、客たちが水着で日光浴を楽しんでいる光景が見えたそうだ。  「この頃、夫婦の絆が深まりました。それまではそれぞれが好き勝手に生きるニ心ニ体の私たちでしたが、ニューヨークでは、どこへいくにも、なにをするにも夫婦一緒。一心同体となりました」  ニューヨーク滞在中、明石家さんまもやって来たという。    「さんまさんは時々、ニューヨークにいらっしゃったけれど、ブロードウェイのミュージカルを毎日がんがん見て、ゴルフしてっていう感じの過ごし方だと聞いています。それくらい勉強家でいらっしゃるんでしょうね」  小泉進次郎前環境相(C)朝日新聞社  宅間さんは、自民党の小泉進次郎前環境相ともニューヨークで交流があった。小泉氏は04年3月に関東学院大学を卒業後、渡米し、コロンビア大学大学院の政治学部に進み、06年に修士号を取得し、米国戦略国際問題研究所(CSIS)の研究員となった。  「小泉さんがコロンビア大学に通っている時、夫が頼まれて、彼のお世話をしたと聞いています。夫もニューヨーク近郊の大学院を卒業していますから、ニューヨークには詳しかった。私が時々、日本へ仕事で戻っていたので、そういう時に夫は小泉さんと会って、レストランとかいろんなところにお連れしたんじゃないでしょうか」    山村さん自身も、ニューヨーク滞在中に小泉氏と電話で話したことがある。  「夫と一緒に小泉さんと会うことになっていた日があったんですよ。ところが前日、チャイナタウンで買ったアサリでボンゴレを作ったら、2人とも食あたりしてしまった。それで、小泉さんに電話をして、『すいません、2人ともお腹を壊しちゃったので、きょうの会食はやめにさせてください』と、お詫びしたことがありました」     小泉氏と再び会話を交わしたのは、昨年12月20日、東京都港区青山の梅窓院で行われた宅間さんのお通夜だった。 「お通夜が終わり、片づけ出した頃、小泉さんが一人で飛び込んでいらしたんです。小泉さんは『私は本当に宅間さんにお世話になったんです。ありがとうございました』と言って下さった。それはもの凄く胸を打ちました」   通夜・葬儀には、前出の小泉進次郎氏以外に、藤原紀香、長谷川京子、内田有紀、南野陽子、田中麗奈、ともさかりえ、石黒賢らが参列。長野智子、河野景子、近藤サト、寺田理恵子、中井美穂、越智(高木)広子らのフジテレビの先輩、後輩アナたちも駆けつけた。  貴乃花の元妻・河野景子はこの頃、エステサロン経営者で映画監督のジャッキー・ウー氏との交際が発覚して騒がれていた渦中だった。  在りし日の夫と山村さん(提供) 「河野景子さんに、『こんな時に景子ちゃん、ありがとう』って声をかけたら、『私のことなんてどうでもいいんです』と言ってくれて。近藤サトちゃんはお通夜と葬儀と2日間も来てくれました。皆さんの温もりが本当にありがたかったです」    夫を亡くしてそろそろ1年が経つ。最近の生活と心境は?    「一心同体だった夫が亡くなり、本当に自分が半分なくなっている感覚です。夫婦ってお互いの素敵なところで繋がっているんじゃなくて、お互いのボロボロになっている姿を愛おしいと思うことでつながっていると思うんです。夫の前だと私は失敗してもいいし、ぐちゅぐちゅの顔で、ボサボサ頭でも良かった。人の愚かさをお互いに愛おしいと思っていくというのを夫に教えてもらった気がします。まだ私には母が施設にいるし、シェットランドシープドッグのカレンとセリーナの2匹の愛犬もいるので、今は倒れられないですね」     夫婦の習慣も失ったという。山村さんと宅間さんには2人にしかわからない毎日の儀式があった。   「私たち夫婦は毎日ハグをしていました。そして『愛しています』と『おやすみなさい』がひとつになった『あいてまなさい』という言葉をかけあっていました。夫の闘病中も、病院の自動販売機の裏で、1、2、3、4、5、6、7と、7秒間抱き合って、体を離す時に『あいてまなさい』と言っていました」   それが10月27日に発売された著書のタイトル「7秒間のハグ」につながった。  抱き合うのは7秒は長いんじゃないですか、3秒くらいでいいのでは?と突っ込みを入れてみた。  「7秒じゃなきゃダメなんですよ。絆が深まらないんです」   こう真剣に返された。かけがえのない伴侶を失った山村さん。"7秒後"のこれからの活躍に期待したい。   (AERAdot.編集部 上田耕司)
三十三回忌松田優作のシナリオ「真夜中に挽歌」を43年ぶりに再演するわけ
三十三回忌松田優作のシナリオ「真夜中に挽歌」を43年ぶりに再演するわけ 1978年の「真夜中に挽歌」初演楽日終演後に撮影。前列中央のサングラス姿が松田優作さん(渡邉俊夫さん提供)  11月6日に三十三回忌を迎える俳優・松田優作が遺したシナリオ「真夜中に挽歌」が11月3~7日、東京・サンモールスタジオで43年ぶりに再演される。三十三回忌に向けて公演を準備した文学座演劇研究所同期の野瀬哲男さん(69)に、思いを語ってもらった。  文学座付属演劇研究所の1次試験が新宿の文化服装学院であって、そこに集まっていた1200人の中で見かけたのが最初なんですが、やたら目立ってました。休憩時間にタバコを吸いに出たら人だかりができてて、その中にアニキがいまして、身長が高かったのとアフロで、すっげーデカく見えてね。《アイツは誰だ?》というのが第一印象です。はなっから存在感が並外れてました。芝居以前の話です。  約200人が1次を通過して文学座のアトリエで2次試験があり、そのときアニキは入り口に近いところに座ってて「おう、合格したのか。頑張ろうな」と声掛けてきたんです。1次で目立ってた記憶が残ってたんで《あ、あの時の……》と、それが第2印象です。既にその時点で何人かが周りを囲んでて、その中心にいました。その頃のアニキは、どこいくにもジーパンに下駄というスタイルで、僕もまねしました。文学座の後輩になる中村雅俊がドラマでそういう格好をしてましたけど、それは、そのずっと後のことです。  最終的に40人が合格(12期生)し、その中に僕もアニキもいました。信濃町の文学座のアトリエの反対方向に歩くと文学座の練習所があるんです。入所して3日くらいしたとき、授業が終わってから「飲もうじゃないか」となって、先生の許可を得て練習場でゴザひいて、酒を買いに行ってね。ちょうどそれが僕の二十歳の誕生日で、酔っ払っちゃって、僕は割れたビール瓶で首を切ってしまったんです。大けがではなかったけど血がバーッと出たとき、「おーい、何か持って来い」って言って最初に動いてくれて、介抱してくれたのがアニキです。傷口を押さえてるだけで包帯なんか巻きませんでしたし、病院にも行ってませんけどね。そのあと喫茶店に入って「お前、ゆっくりしとけ」と。で、「血が止まったな」と言うと、また仲間集めてどっかに飲みに行っちゃて……僕は置いてけぼり(笑)。 松田優作さんの墓前に、今回の公演の報告をした野瀬哲男さん(後列右から2人目)ら=提供写真  文学座時代、教室でも目立ってました。授業でラブシーンを演じたとき、その稽古でホントにブチューッとキスしたんで、皆びっくりしたんです。うわーっ、となりました。本番でやるのは分かるんですけど、普通、稽古ではしません。まねするだけです。アニキは練習のときから本気なんです。相手の女性はビックリして、そのあと、惚れてましたね。  格好良かったし、アニキはモテましたよ、メチャクチャ。本気度が分かるんじゃないですか。それは何事に対してもで、芝居に対しても、勝負事に対しても……麻雀ひとつ取ってもね。当時、授業が終わると、雀荘に行って麻雀するか飲むかで、僕もバイトが始まるまでの時間に麻雀しましたけど、バイトの給料の半分はアニキの財布の中です。強いんです。アニキが一番強くて、皆から巻き上げてたって印象です。  めっちゃくちゃ負けん気が強いんですよ。負けず嫌いです。たとえば、僕がオセロを持ってったとき。アニキはそれまでやったことがなくて、僕が勝ったんです。そうすると、「もう一回」「もう一回」となって、本人が勝つまで止めさせない。で、アニキが勝つようになったら僕は二度と勝てませんでした。  将棋でも、僕、サウナで意識不明になりましたからね。「すみません。水飲ませて下さい」って言っても「まだ勝負がついてねぇ」って言って、出してくれないんです。で、勝負がついて「テツ、水風呂でも浴びて来い」って言われて「ありがとうございます」と言ったあと、脱水で意識不明になって……気が付いたときは「テツ、大丈夫か」って言いながらボンボンたたかれてて、そこまで僕は記憶がないんです、危ないでしょ。見境ないですよ。二度とサウナで将棋しませんでした。  何であんなに勝負事が強かったかって言うと、そういうことだと思うんです。僕が勝ったのはオセロぐらいですよ(笑)。  日テレのプロデューサーたちが「太陽にほえろ!」の、ショーケン(萩原健一)のあとの刑事を文学座に探しに来るらしい、って情報が流れたことがあってね。皆、緊張してたんですが、アニキ一人だけ緊張してなかったなぁ。 「真夜中に挽歌」(作・松田優作)の公演ポスター  まだ若いときから言ってたのが「現場には最低20分前には入ってろ。で、先に入ることで周りに気を遣え」でした。僕が運転するときも「30分前に着けるように俺はお前を呼んでる。そうしとけば、道が混んでも20分前には着くだろう」と。で、遅れそうになると「おい、20分前には着くぞ。これ、着かんぞ。あっち、あっち」「おい野瀬、出せ、出せ」って感じで後ろからせかされて、警察に捕まったことがあります。ワーッとスピード出したらそこでネズミ捕りをやってまして(笑)。  時間を守ることにうるさかった。キッチリしてるんです。遅刻なんて、自分も他人も許さない。だから、アニキがキャストだったり、監督だったりしたら、現場は張り詰めた空気でした。初めてきた役者さんは僕に「おい、優作ちゃんの現場って、こんなに緊張感あふれる感じでいつも始まるの」と聞いてきて「そうだよ。心地いいでしょ」と答えると「いや、オレ、どうやっていたらいいかわからん」と言ってましたね。  アニキは、ハッキリしてるんです。道理に合うか合わないかにものすごくこだわる人でした。その辺が分かれば付き合えるんですが、それが分からなくて離れていく人も多かったですね。最後の頃は「人として、どうか」と言い出して、こだわってました。「その行動は、人として成り立っているのか」とかね。  愛情深い人なんです。ただ、それに甘えるやつは、殴られる(笑)。ある時期、あの人は、気を遣え、ではなく、「心を遣え」と言ってました。「気を遣っておべんちゃらを言うのではなく、心を遣って接しろ」と。そういう色んなことを飲みながら聞かされました。  皆さん、何それ、と思われるかもしれないけど、飲んでる最中に「オレ、昨日、月を1周してきた」とか「この前、ジュピターに行ったらな」なんて話をするんです。有り得ないけど、そのときの僕らは《この人は行ってる》《幽体離脱でもして行ってきたんじゃないか》と思ったんです。そう思わせるものがありました。だから「どうでした?」って真剣に聞きました。  仲間が死んだときの悲しみ方もすごかった。  何と言ったらいいんでしょう……次元が違うんですよ、アニキは。スポーツで言うなら大リーグで活躍してる大谷翔平。彼は次元が違うと言われてますよね。似たようなものです。  一緒に芝居するようになってから、10年先行ってる、と思いました。付き合えば付き合うほど、もっと先行ってると思いました。だから、飲んでて言ったことがあるんです。 「アニキは、追い付け、って言うけど、追い付こうと思って頑張ってると、そのまた先へ行く。一生かかっても追い付けない。ゆっくり進んでくれませんか」と。それは芝居の話じゃないんです。あの人は、僕にはまねできない、色んなアンテナを張り巡らせてて、生き方が先行ってるんです。感覚だから説明できないけど、2、3年分追い付いてきたかな、と思うと、さらに10年先に進んじゃってて、つまりは17、8年先行ってることになる。というぐらい、どんどん開いていく……そういう感覚にさせられるんですよ。  カリスマって、神に一番近い人のことですが、僕にとってのカリスマはアニキです。  僕が「アニキ」って言い出したのは、一緒に芝居するようになって、2本目くらいのときです。  アニキは原田芳雄さんのことを「アニキ」、渡哲也さんのことを「あにい」、勝新太郎さんのことを「師匠」って呼んでました。で、アニキのことを周りは「優作」とか「松田」とか呼んでて、同期(年齢は向こうが3歳上)の僕もそう言っていいんだけど、言えなくて、文学座当時に僕が付けたあだ名の「ジャンボ」と呼んでたんです。で、あるとき「やめてくれよ。呼び方、変えてくれないか」と言われて、「俺にとってジャンボはアニキだよね」「いいね、その響き」。次の日から「アニキ」で、「お前が俺をアニキと呼ぶなら、俺はお前のことをテツと呼ぶ」と。  ある年齢になったとき、急にカヌーの練習に付き合わされました。「今から、あるところに行く。一緒に行こう」と言われてね。  埼玉の戸田ボート場の横に学生が練習する場所があって、そこに行ったんです。何すんだ? と思ってたら、若い男の子が2人来て「優作さん、本当にやりますか」「おう、お願い」。訳が分からないまま付いてくとカヌーが用意されてて、「今から練習をします」「え、聞いてねえよ」ってやつです。  だけど、ひっくり返ったらどうやって抜け出すか、どうやってカヌーを起こすか、ってところから始まって、アニキも一緒に1日中カヌーの練習でした。で、その帰り、「俺、ちょっと寄りたいところがある」と。「いいっすよ」と言った俺は、どこかの飲み屋に行くのかと思ってたら池袋の西武デパートのスポーツ売り場に行って、その場でカヌーを買ったんです。1日しか練習してないのに。  で、ちょっと仕事が落ち着いた日、「テツ、行くぞ」。「は?」「乗れ。1泊で行くから」「は?」。着いたのは秩父の奥の方。カヌーで川下りすると……。平坦なところは何とかなっても、急流とかゴツゴツした岩場とか、危ないでしょ、1日しか練習してないんですから……。だけど行くんです、アニキは。実際、僕には死にそうなことが起きて「助けてくれ~」と言ったんですが、釣り人に「邪魔だぁ」とか言われてねぇ。アニキは振り返らないですから。先に降りて待ってて、「おう、テツ、大丈夫か」(笑)。そういうこともありました。  やろうと思ったらすぐやって、それもトコトンなんですよ。手を抜くとか気を抜くことがないんです。遊びでも一生懸命で、本気。何に対しても前向き。それが皆さんにも伝わってたと思うんです。  あるコンサートで、暴走族が集まったんです。アニキは、そういう人たちにも人気がありましたから。で、会場で騒ぎまくって、松田優作の歌を聞きに来てた他のお客さんの迷惑になってたんです。そしたら舞台の上から観客席の暴走族たちに「てめーら、この野郎! おとなしくできねーのか。黙ってろ」。見事に静かになりました。その暴走族たち、コンサートが終わったあと、出待ちのところで整列してました。本気で怒るから、向こうにも、その本気が伝わるんです。  彼らにとっても憧れになっちゃってたというか、別のとき、アニキが渋谷でファンに取り囲まれて歩けなくなっちゃってたら、バッと人を分けて「どうぞ」ってやってくれたのも暴走族たちでした。  男にも女にも惚れられた人でしたね。 「ブラック・レイン」に出られたことはうれしかったと思います。アニキは日本という枠から外れちゃってましたから。昔から大陸願望が強くて、大陸に行って勝負したい、って気持ちが強かったと思います。ブラックレインが最後になってるのが惜しい。次の作品までやって欲しかった。デニーロと共演の話があったようですからね。大好きな俳優さんがデニーロで、いつかデニーロ共演するって気持ちを持ってたと思いますし。  僕と、本公演のプロデューサーである西田聖志郎くんとで作った四月館という劇団がありまして、それを解散するとき、アニキに言われたんです。 「お前、今、一番やりたいものは何だ?」と。 「『真夜中に挽歌』を、僕の手で再演したい」って言ったんです。そしたらアニキが「やめろ。恥ずかしいから」というので止めて、それを題材にして作ったのが『マオモ』という作品で、それが四月館の最後の上演になりました。  その後、僕は義父の会社を引き継ぐために役者を辞めました。アニキが亡くなる年です。で、アニキの七回忌が近付いてきたころ、《芝居やりたいな、『真夜中に挽歌』を》と思ったんですが、義父の会社の経営が傾いてそれどころじゃなくなって、結果、会社は潰れ、保証人になってたので借金を負い、芝居どころじゃなくなって、その状態が20年以上続いてました。  そんな中で4年前、膵臓(すいぞう)に腫瘍(しゅよう)が見つかって、《これで終わるのかも……やり残してることがある》と思ったとき、一番に浮かんだのが、《この作品を、どうしてもやりたい》ということでした。《やらないままでは逝けない》と。あのときできなかったことをやりたい、というより、アニキに近付くためにね。近付ける訳がないんですけどね。それで(松田優作の妻)美由紀さんに「三十三回忌までに上演したい」と相談して、その翌年、聖志郎くんに話したんです。  アニキの作った作品で、台本が残っているのがこれしかないんですよ。それも1978年の初演の本番の10日ぐらい前にアニキが「テツ、どうだ、まとまってきたよな」って言うから「随分まとまりましたね」と答えると、「じゃあ、本にしとけ」と。それまでは、皆がアニキの口にする言葉をノートに書きながらやってたんです。アニキはそういう作り方でしたが、普通は台本がありますから例外的な話です。  で、今回、演出は僕。勝てないんですけど、僕は僕なりに、この『~挽歌』を、こういう風に理解して作り上げます。それを天国のアニキに見せたい。《つたないけど、観て下さい》。そういう感じです。  発病から5年目を迎える来年12月、僕はがん再発の不安から一応開放されます。だけど、《この芝居で、怒り心頭になったら、僕を連れて行ってください。もし、やったな!と思ったら、もう少し生かして下さい》……この前、そういう気持ちでアニキのお墓参りに行ってきました。だから必死です。 (聞き手・構成 渡辺勘郎) 「真夜中に挽歌」(作・松田優作、演出・野瀬哲男)公演。11月3~7日、東京・サンモールスタジオ。出演=松永涼平、野元空、藍梨、崔哲浩。4500円(全席自由)。予約=CoRich/問い合わせ=パディハウス(電話03-3385-2256)。公式HP(https://mayonakanibanka.com/) ※週刊朝日 2021年11月5日号の記事に加筆
眞子さんの悲壮な防衛 政治学者・原武史さんが指摘する「皇族の結婚」への圧力の共通点
眞子さんの悲壮な防衛 政治学者・原武史さんが指摘する「皇族の結婚」への圧力の共通点 小室圭さんと眞子さん(c)朝日新聞社  小室眞子さんと圭さんが10月26日、結婚会見を行った。天皇制を研究する政治学者、原武史放送大教授が、会見を振り返り、この結婚と一連の騒動が示すものについて読み解く。 *  *  * ■過剰なまでに防衛的 ――原教授は、会見の印象をこう語った。  眞子さんには、ありうべき攻撃に備えようとするからか、過剰なまでに防衛的で、ある種悲壮感というべき雰囲気すら漂っていました。「事実に基づかない情報」に苦しめられてきた、と眞子さんも小室さんも同じことを言っているんですが、小室さんに悲壮感はなく、若干にこやかな印象もありました。小室さんはずっと米国にいましたが、眞子さんの場合は、東京でバッシングを浴び続けていました。そんな物理的な距離の違いがあるのかなと思いました。  もちろん、二人への批判の中には向き合うべき意見もある可能性はあり、「誹謗中傷」という言葉ですべてひとくくりにしてしまうのは、本来であればよくないと思います。けれどもあまりに誹謗中傷が多いと、自分が潰されてしまうのではないかという恐怖を感じるだろうし、冷静な判断ができなくなることもあるでしょう。「情」を捨てて「理」だけで二人を批判するのは酷だろう、という気持ちが私にはあります。私自身も経験しているのでよくわかりますが、SNSはあっという間に拡散しますので、大きなストレスを抱えてしまうのは想像に難くありません。 ■大正から結婚に「恋愛感情」 ――二人の結婚は、皇族としては異例づくめと言われている。  儀式を行わない、一時金を受け取らないなどの点では異例ではありますが、私が研究する明治以降の皇室の歴史を見ると、すべてが異例というわけではなかったと思います。  少なくとも明治時代まで、天皇家では政略結婚が当たりまえで、結婚について本人の意思は介在していませんでした。たとえば、嘉仁皇太子、後の大正天皇の結婚相手に内定していた伏見宮禎子女王は、体調に問題があるとして婚約が破棄されました。明治天皇は子どもを側室たちが生んでいましたが、近代国家としてそれを改めたいと考えた政府の意向でした。結果、大正天皇は1900年、子どもが生めそうだという理由で急浮上した九条節子と結婚します。本人の意思があずかり知らぬところで決められたので、スムーズに結婚は進みましたが、皇太子夫妻の関係はぎくしゃくしたものになります。新婚旅行に相当する旅行で二人は日光田母沢御用邸に向かいましたが、嘉仁皇太子は近くにあった鍋島直大の別邸を訪れ、すでに梨本宮守正王と婚約していた娘の伊都子に会っています。大正天皇が女官を追い回したり、貞明皇后の怒りを買ったりしていたことは、元女官の山川三千子や坂東登女子が手記や聞き取りのなかで回想しています。 政治学者、原武史放送大教授(c)朝日新聞社  昭和天皇が皇太子(裕仁皇太子)だった大正時代から、結婚はスムーズにいかなくなりました。裕仁皇太子は久邇宮良子と婚約します。皇族や華族としか結婚できなかった点は嘉仁皇太子と共通しますが、決定的な違いは恋愛感情が芽生えたことです。ところが良子女王の家系に色覚異常の遺伝があるとわかり、山縣有朋ら政府の主要メンバーが反対して、久邇宮家に辞退を求めました。これが、1920年の宮中某重大事件です。 ■万世一系の家系が傷つく  山縣らは「天皇家という万世一系の家系が傷つく」と考え、反対したわけです。しかし、皇太子の意思は揺るがず、婚約は解消されませんでした。2014年に公開された『昭和天皇実録』にもこの経緯が書かれています。昭和天皇と久邇宮良子は婚約内定から結婚まで5年以上かかりましたが、結婚後の新婚旅行では日光よりも遠い福島県の猪苗代湖畔まで出かけ、2人だけの幸せな日々を過ごしています。  昭和時代に明仁皇太子(現上皇)が正田美智子(現上皇后)と結婚したときも、決してスムーズではありませんでした。史上初めての皇太子と平民女性との結婚を、当時の皇后や(元)皇族女性らが猛反対した経緯があるからです。しかしこのときも、皇太子は正田美智子との間に、誰にも邪魔されずに長時間通話できる電話のホットラインをつくるなど、初志貫徹して一緒になりました。  いずれも大正天皇とは対照的に、結婚までには紆余曲折あったが、結婚後は愛情によってより固く結ばれたように見えます。 ■歴史をよく調べたのでは  一方、昭和天皇の娘たちは、いずれも皇族や旧華族のような家柄を重視した結婚をしましたが、結婚して幸せになったかというと、必ずしもそうではなかった。たとえば、鷹司平通と結婚した三女の和子内親王は、平通が銀座の女性と心中して一大スキャンダルになり、その後自らも包丁を持った男に襲われて負傷しています。  鷹司平通の死が投げかけた皇室内の波紋については、『昭和天皇実録』にも記述があります。これは憶測ですが、秋篠宮家にも『昭和天皇実録』は当然全巻そろっているでしょうし、眞子さんもこれまでの皇室の結婚というものをよく調べているのではないかと思います。 小室圭さんと眞子さん(c)朝日新聞社 ■バッシングに家主体の発想 ――原教授は、皇族の結婚を取り巻く批判的な世論に共通点を感じるという。  眞子さんと小室圭さんの結婚に関し、二人の愛情を優先させるという振る舞いに対してさまざまな非難が起こりました。そのなかに、「これから皇族の人数が減り、女性宮家の創設も検討されようとしているのに、自分たちの愛情ばかりを優先させ、皇室の将来について考えていない」という反対意見は当然あったと思います。ただ、「私よりも公を優先すべき」という論理は、先ほど言った宮中某重大事件の際の政府側の論理と似ています。  バッシングが、秋篠宮家に波及し、「教育方針に問題がある」という声が出るのも、やはり家主体の発想です。  伝統という意味では、眞子さんが伝統を覆したように思う人もいるかもしれませんが、私はそうではないと考えます。 ■女性皇族たちの挑戦  これまでも皇族、特に女性皇族は常に、宮中の伝統や常識というものに対して、「新しい風」を入れようとしてきました。  例えば貞明皇后は、大正天皇とともに避暑や避寒のため葉山や日光田母沢の御用邸に長期滞在しました。これもまた公よりも私を優先するスタイルでしたが、明治天皇を理想とする山縣有朋らによって結局つぶされ、定着しませんでした。香淳皇后は、子どもが生まれた時、乳母に子どもを預ける宮中の伝統を破り、自分の母乳で第一子を育てようとしました。父と母がいて、子どもたちも同じ家の中にいるという、近代的なファミリーを作ろうとしたのです。しかしこれもまた私的な愛情によって甘やかすことを心配した貞明皇后や高松宮らの反対にあい、子どもたちは就学年齢になると、寮に入ることになりました。  香淳皇后は4人続けて女子が生まれ、なかなか男子が生まれなかったこともあり、目に見えて体型が変わってしまいます。子どもたちをすべて夫婦で育てられるようになったのは、戦後の皇太子明仁・美智子夫妻のときからでした。 ■キャリアと宮中の伝統  雅子妃は外交官という職業をもちながら皇太子妃になった初めての女性でした。そのキャリアを生かした皇室外交を目指したのですが、これもまた良妻賢母が美徳とされてきた宮中の伝統とは相いれませんでした。  雅子妃は男子が生まれなかったこともあって適応障害に苦しみ、2004年5月には当時の皇太子が「雅子のキャリアや、そのことに基づいた人格を否定するような動きがあったことも事実です」という衝撃的な会見を行ったわけです。 ◎はら・たけし/1962年生まれ、政治学者、放送大学教授。近現代の天皇制や皇室を研究する。 ※後編「眞子さん苦しめた「平成流」とコロナ禍 天皇制をいま再検討すべき理由とは」に続く (構成/編集部・井上有紀子、熊澤志保) ※AERAオンライン限定記事
楽天・田中将大にNYメディアからラブコール 米国分析家「契約を求める球団はいくらでもある」
楽天・田中将大にNYメディアからラブコール 米国分析家「契約を求める球団はいくらでもある」 楽天の田中将大(c)朝日新聞社  またもプレーオフで敗退したニューヨーク・ヤンキース。かつて「球界の盟主」と呼ばれていた同球団は、松井秀喜がシリーズMVPを獲得した2009年以降、優勝はおろかワールドシリーズへの出場も果たしていない。ニューヨークの地元メディアやファンたちは全米一の辛口で知られており、毎回シーズンやプレーオフで敗退すれば猛烈な批判がわき起こるのだが、それは今年も同じであった。  ヤンキースの地元メディア『NJ.com』は、10月6日、ア・リーグの地区シリーズ最後の1枠を決めるワイルドカードゲーム(ボストン・レッドソックスに6-2で敗退)で先発を務めたゲリット・コールを「もはやヤンキースのエースではない」と痛烈に批判した。その怒りはコールへの批判だけでは収まらず、その矛先はGMにも向けられ、昨オフに田中将大(現・楽天イーグルス)との契約を見送ったことを強く責めた。 「振り返ってみると、ブライアン・キャッシュマン(GM)の最大の過ちの1つは、田中将大の契約を見送り、同じ1100万ドル(約12億5280万円)でコーリー・クルーバーを得たことだろう。確かに、田中は衰えがあったかもしれないが、彼は賢くてタフだった。ますます神経質になっていたコールは、(田中がいれば)そのプレッシャーからも解放されていただろう」。  昨季までヤンキースで7年間プレーしていた田中は、コロナ禍で試合数が全60試合に短縮された昨季を除き、メジャーでは毎年2桁勝利という安定した成績を残していた。しかし、契約が満了した昨季のオフ、ヤンキースは田中に再契約のオファーをしなかった。  メジャーの他球団に移籍するという選択肢もあったが、田中は、古巣の楽天と2年契約(推定年俸9億円+出来高)を結び、8年ぶりの日本球界復帰を選んだ。その理由としては、田中がコロナ禍のアメリカで経験した、アジア系住民に対するヘイトクライムから家族を守りたかったからだとも言われている。  楽天への入団が決まった時、現地メディアは田中の退団を悲しみ、シーズン中もそれを惜しむ声をあげていた。  今季開幕すぐの4月16日、米大手スポーツメディア『スポーツ・イラストレイテッド』系の『インサイド・ピンストライプ』は、「田中将大を手放したことはヤンキースにとって大きな間違いだった」と題し、開幕直後からつまずいていたヤンキースの先発投手陣に落胆し、「田中を連れ戻すことができていれば、この穴の1つを埋めることができたのだが」と嘆いた。また、ヤンキース専門メディア『ピンストライプ・アレー』は今季終盤の9月15日、「田中は今年違いを生む男になっていたかもしれない」という記事を載せ、「先発ローテーションの中に、もう一人安定した投手(田中)がいれば今季は大きく違っていたかもしれない」と嘆息を漏らしている。  このように、現地メディアの間でわき起こる「今すぐ田中をヤンキースに連れ戻せ」という訴えは、ワイルドカードゲーム敗退以降さらに広まっている。  前述の『NJ.com』の記事もその1つであるが、他にも野球専門メディア『リフレクション・オン・ベースボール』は、「もしヤンキースが田中将大に接触していないのなら、今すぐにすべきだ」という記事を載せている。  記事には、「ヤンキースは、コールの家に直接訪問して、コール夫妻のお気入りのワインと共にチーム残留を求めた」と書かれ、「ヤンキースは、田中にもコール同様に誠意を見せるべきだ」という主張がされていた。さらに、「ヤンキースは2年5000万ドル(約57億円)を提示して、田中からそれ以上の要求があれば、それに従うべきだ。また、もし、田中がアメリカで不安があるとなった場合に備え、いつでもオプトアウト(契約破棄)ができる権利を含むべきだ」と、契約内容についての提言もされていた。  これらの記事からも分かるように、ヤンキースの地元では今でも田中のチーム復帰がかなり熱望されている。しかし、もし田中がメジャーに再び戻ったとして、これまでと同じような活躍はできるのだろうか。  筆者は、”ピッチング・ニンジャ”の愛称で知られ、ダルビッシュ有や千賀滉大などプロの投手からも慕われている、有名な投手分析家のロブ・フリードマン氏に取材を行い見解を求めた。フリードマン氏に田中の9月末までの成績と映像を確認してもらうと、次のように回答した。 「(映像を観る限り)彼の状態は最高で、引き続きメジャーでも通用すると感じられます。私は彼のシンカーが特に好きで、この球は打者をも凍らせるほどの威力がありますが、切れ味は相変わらず良いです。また、スプリットやカーブも同様に好調ですね」。  同氏によれば、今季の田中はメジャー時代と大きな差はないようだという。ただ、「速球はメジャーでみせた速度と動きのままだが、打たれる可能性は多少残っています。また、スライダーの切れ味がたまに平坦になっています」と気になる点は指摘され、「今のメジャーは三振を高く評価しますから、理想としては三振率を高くしてほしいですね」という提言も出た。  それでも、同氏は、「(本人が望めば)契約を求めるメジャー球団はいくらでもありますよ」と太鼓判を押す。というのも、田中がメジャーで得た豊富な経験は、若い投手にとっても良きメンターやコーチのような存在にもなれ、そういった選手はメジャーでも大変重宝されるからだという。さらに、「(大谷翔平が所属する)ロサンゼルス・エンゼルスが彼を迎え入れたらとても面白いかもしれませんね」という大胆な考えも披露した。実現の有無は別にしても、エンゼルスが投手陣の再建を目指していることを考えれば、田中のエンゼルス入りは案外良いアイデアかもしれない。  いずれにしても、今回のフリードマン氏への取材から、田中は今でもメジャーで通用する力を十分持っていることが明らかになった。となれば、田中のメジャー復帰は、本人の希望次第となりそうだ。  アメリカでは依然として、アジア系住民に対するヘイトクライムがあるため、田中の早期のメジャー復帰は難しいかもしれない。しかし、その可能性はゼロではない。それも今年1月末に行われた楽天の入団会見で、田中が「ヤンキースと再契約したかった」と正直な心境を明かし、「アメリカにもやり残したことはある」とも語っていたからだ。  現地でも熱望される田中のメジャー復帰はいつか実現するだろうか。田中を巡っては、ヤンキースを含めメジャー球団の今後の動向に注目していきたい。(澤良憲/YOSHINORI SAWA)
【眞子さん、小室圭さんの回答全文】金銭トラブル、ネット上の書き込み、メーガン妃との比較…質問に文書で回答
【眞子さん、小室圭さんの回答全文】金銭トラブル、ネット上の書き込み、メーガン妃との比較…質問に文書で回答 質問の回答文書  10月26日に開かれた秋篠宮家の長女眞子さん(30)と小室圭さん(30)の記者会見で、宮内記者会と日本雑誌協会、在日外国報道協会の質問に対し、お二人が文書で回答した。回答全文は次のとおり。 ご質問へのお答え 【はじめに】  この度、宮内記者会より3問、日本雑誌協会より1問、外国報道協会より1問、質問をいただきました。いずれの質問も丁寧に考えてくださったものと思います。ただ、これらの質問の中に、誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねない質問が含まれていました。このことに衝撃を受けるとともに、このような質問に会場で口頭でお答えすることを想像すると、恐怖心が再燃し心の傷が更に広がりそうで、口頭で質問にお答えすることは不可能であると思いました。誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねない質問をいただいたことは、誠に残念に思います。 【宮内記者会質問】 問1 お二人にお伺いします。眞子さんと小室圭さんは、婚約内定から4年余りを経て結婚されました。一連の結婚の儀式は行われず、皇室を離れられる際の一時金も受け取らない異例の形となりました。今の心境とともに、これまで心の支えとされてきたことについてお聞かせください。結婚に当たり、ご両親やご妹弟、天皇、皇后両陸下、上皇ご夫妻からどのようなお言葉があり、どのように受け止めていらっしゃいますか。 答 今の心境としては、結婚できたことに安堵しております。これまで心の支えとしてきたのは、お互いの存在と、私たちを変わらずに励まし応援してきてくださった方々の存在です。結婚にあたっていただいたお言葉と、私がお言葉をどのように受け止めているかということについては、私の心の中に大事に留めておきたいと思います。(小室眞子)  眞子さんとは3年間も会っていませんでしたので、帰国して眞子さんに会えた時、とても嬉しかったです。そして、本日結婚できたことを幸せに思っています。長い間離れて過ごしてきましたが、眞子さんが同じ気持ちを持ち続けてくださったことに感謝しています。私が心の支えとしてきたことは、眞子さんと日々連格を取り合う中で、色々な気持ちを共有できたことです。(小室圭) 会見した小室圭さんと眞子さん(c)朝日新聞社 問2 まず、眞子さんにお伺いします。 眞子さんは30年間過ごした皇室を離れ、民間人となったことへのお気持ちをお聞かせください。皇族の立場は、ご自身にとってどういうもので、特に思い出に残っていることはどんなことでしょうか。また、小室さんは、アメリカで就職しましたが、お二人はこの先、どのような環境で、どのような家庭を築いていくことを希望されていますか。また、それはいつ頃から相談して決められましたか。期待や不安、そして、眞子さんの就職や将来の夢などを含めてお聞かせください。お二人は今後、元皇族、その夫として皇室とどう関わっていくおつもりでしょうか。 答 本日の午前中に皇室を離れてから間がありません。民間人となったことへの気持ちは、おそらく早くても今日という日を終えて明日という日を迎えてから、感じられてくるものではないかと思います。 数時間でどのような気持ちかということについてお答えするのは、なかなか難しいです。  私にとって皇族の立場は、たくさんの人から助けられ、見守られ、支えられ、あたたかい気持ちをいただくことで成り立っているものでした。皇族として過ごした時間は、数々の出会いで彩られています。ひとつひとつの思い出が宝物で、特定の思い出を選ぶことは出来そうにありません。  私の今後については、私的なことですのでお答えを控えたいと思いますが、心穏やかに過ごすことの出来る環境で、あたたかい家庭を築いていくことが出来ればと思います。ただ、これについては、相談して決めたということではありません。  これからは、穏やかな気持ちで生活できることを期待しております。新しい環境に入るのですから不安は様々あります。一番大きな不安を挙げるのであれば、私や私の家族、圭さんや圭さんのご家族に対する誹謗中傷がこれからも続くのではないかということです。  私と圭さんが元皇族とその夫として皇室とどう関わっていくつもりかというご質問についてですが、私がお伝えできるのは、一人の人として、皇室の方々のお幸せをお祈りしたいと思っているということです。(小室眞子)  これから眞子さんと一緒に暮らしていくなかで、その日その日を大切にして、あたたかい家庭を作りたいと思います。 そして、眞子さんが居心地が良いと思えるような環境を作れるよう、引き続き精進したいと思います。お付き合いを始めた当初からずっとそう思ってきました。  最後のご質問ですが、私も眞子さんと同じ気持ちです。(小室圭) 会見した小室圭さんと眞子さん(c)朝日新聞社 問3 お二人にお伺いします。小室家を巡る「金銭トラブル」について、秋篠宮さまはこれまで、小室さんに「相応の対応」と「見える形での対応」を求められました。その求めをどのように受け止め、どの程度応えることができたと考えていますか。お二人の結婚に今も否定的な報道やインターネット上の書き込みがありますが、お考えがあればお願いします。宮内庁は、眞子さんが複雑性 PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)と診断されたことを公表しましたが、公表を望まれた理由をお聞かせください。これまでご体調とどう向き合い、お二人でどのように話し合われてきたでしょうか。現在の体調も合わせてお教えください。 答 父の求めをどのように受け止めたかは、その後の私たちの対応に反映されています。私たちは精一杯対応してまいりましたが、どの程度応えることが出来たかについては、対応をごらんになった方が判断されることかと思います。否定的な報道やインターネット上の書き込みについてですが、誤った情報が、なぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、謂れのない物語となって広がっていくことには、強い恐怖心を覚えました。  複雑性PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)については、結婚との関係で公表することを決めました。現在の体調は決して良くありませんが、周りの方々の助けにより何とか今日まで過ごしてこられました。圭さんも、私の体調を心配し、支えてくれています。(小室眞子)  これまで、精一杯対応をしてまいりましたが、どの程度応えることができたかについては、私が判断できることではないと思います。私たちの結婚に否定的な考えがあることは承知していますが、これからは二人で始める生活を大切にしたいと思います。  眞子さんの体調が早く良くなるよう、自分ができる限りのことをして、支えていきたいと思います。(小室圭) 会見した小室圭さんと眞子さん(c)朝日新聞社 【日本雑誌協会質問】 問 今回のご結婚は、秋篠宮さまが望まれた「多くの人が納得し、喜んでくれる状況」には至らないと判断されたことから、関連儀式は行われないことになりました。「納得と祝福」が広がらない理由には、(1)小室さんの母親の金銭トラブルが解決されていないこと、(2)小室さんの経歴に“皇室利用”と受けとめられかねない事柄があることだと考えます。  (1)について、小室さんは、母親の元婚約者の方と直接交渉をするお考えがあるとのことですが、発端となった金銭トラブル、また、すでに刑事告発されている、小室さんの母親による遺族年金の不正受給の疑惑について、現在の状況を詳しくご説明ください。また、皇嗣職大夫は今年4月、これまでの対応について眞子さまが相談に乗られてきたことを明らかにしましたが、具体的にどのような助言をなさっていたのかを教えてください。また、「納得と祝福」につきまして、眞子さま、小室さんご自身は、現在の状況をどう捉え、どのようなお気持ちを抱かれているのでしょうか。  (2)について、小室さんの留学先である米フォーダム大学が公式サイト上で「プリンセス・マコのフィアンセ」と紹介したことがありました。関連して、本来は法学部の学位を所有している人に入学資格がある「LLMコース」に法学部を卒業していない小室さんが入学したことや、学費全額免除の奨学金を受給したことなどから、「婚約者」として特別な待遇を受けたのではないかと、疑念の声が上がっています。この点を、小室さんはどうお考えですか。また、眞子さまは小室さんが「フィアンセ」としてフォーダム大学に入学することを容認しておられたのでしょうか。 答 この質問は、誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねない質問であると思います。このような質問に会場で口頭でお答えすることを想像すると、恐怖心が再燃し心の傷が更に広がりそうで、口頭で質間にお答えすることは不可能であると思いました。誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねない質問をいただいたことは、誠に残念に思います。 質問の回答文書  (1)に関連する質問についてお答えします。既にお話しした通り、圭さんのお母様の元婚約者の方への対応は、私がお願いした方向で進めてもらいました。具体的な助言については数多くありましたが、それらをこの場で羅列するわけにはまいりませんので、お答えすることは控えます。「納得と祝福」については、それぞれの方のお気持ちがあると思います。ただ、私たちは、厳しい状況の中でも変わらずに私たちを応援してくださり、今日という日を祝福してくださっている方々に、感謝しております。そして、根拠のない多くの厳しい批判にさらされてきた圭さんが、私と結婚するという意思を持ち続けてくれたことに感謝しています。私との結婚を諦めれば、圭さんはこれだけの根拠のない批判に数年間にわたってさらされ続けることはなかったはずです。  (2)に関連する質間についてお答えします。圭さんが「フィアンセ」としてフォーダム大学に入学しようとしたという事実はありません。(小室眞子)  (1)に関連する質間については、「これまでの出来事に対する思い」でお話ししたことと回答が重なる部分があります。  私の母と元婚約者の方との金銭トラブルと言われている事柄について、詳しい経緯は本年4月に公表したとおりです。元婚約者の方には、公表した文書でも書いたように、これまでも折に触れて私と私の母からお礼を申し上げており、今も感謝しております。  母と元婚約者の方との話し合いは、元婚約者の方が指定なさった週刊誌の記者の方を窓口として行われてきました。この記者の方に対応したのは、私の母の代理人弁護士です。  本年4月に解決金をお渡しすることによる解決をご提案したところ、母と会うことが重要であるというお返事をいただきました。しかし、母は精神的な不調を抱えており、元婚約者の方と会うことにはドクターストップがかかっています。そのため、私が母に代わって対応したいと思い、母の代理人弁護士を通じてそのことをお伝えしました。元婚約者の方からは、元婚約者の方の窓口となっている週刊誌の記者の方を通じて、前向きなお返事をいただいています。解決に向けて、私が出来る限り対応したいと思います。解決金を受け取っていただきたいという気持ちは変わっていません。  遺族年金の不正受給については、そのような事実はありません。  (2)に関連する質問にお答えします。私が皇室利用をしたという事実はありません。 「婚約者としての特別な待遇」もありません。フォーダム大学の Admission policy (大学の入学者受け入れ方針)には、入学資格は法学部卒業生だけでなく、それと同等の法学教育を受けたことと規定されています。私の場合は、フォーダム大学ロースクールが、ロースクール入学以前に修了したlaw studies を認めたため、申請が受け付けられました。学費全額免除の奨学金については、私が提出した成績を含む総合的な評価に基づいて決まりました。入学選考において、私が「プリンセス・マコのフィアンセ」であるとお伝えしたことはありません。日本のメディアから大学に問合せが来る可能性があり、ご迷惑をおかけするかもしれないという状況については、入学決定後に説明をいたしました。大学のHPでの記載については、状況を総合的に踏まえたうえで、大学が判断したことでした。(小室圭) 【在日外国報道協会質問】 問 小室眞子様に質問いたします。  ご婚約がメディアでメーガン妃と比較されるなど、大きな物議となったことをどのように思われるでしょうか。  今はご結婚されるところですが、ニューヨークでのご計画はおありでしょうか。  オプラ・ウィンフリーさんのような方からのテレビインタビューに応じるお気持ちはあるでしょうか。   How did you feel when your engagement became a big scandal in the media, including being compared to Megan Markle? (ママ)  And now you are married, what are your plans in New York --are you open to the idea of doing a TV interview, such as with Oprah Winfrey? 答 この質問は、英語版と日本語版でいただきました。英語の質問で使われている scandalには不祥事という意味もありますが、私たちの回答では、scandal は物議という意味であるという前提でお答えします。  今回のできごとが物議となったのは、誤った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、謂れのない物語となって広がったからだと考えます。このことには、恐怖心を覚えるとともに、辛く、悲しい思いをいたしました。  比較されていることについては、思うことは特にありません。  先ほどいただいたご質問への回答と同様に、今後の私的なことについては、お答えを控えたいと思いますが、現在のところ、インタビューに応じることは考えていません。新しい環境で心穏やかに生活を送りたいと考えています。(小室眞子)   It is sad for me to receive this sort of question, which may give the impression that false information is a fact. We have never considered our engagement to be a “scandal,” though unfortunately, there have been some disputes. We have been horrified, scared, and saddened by the fact that false information has been taken as fact and that unfounded stories have spread.   As for the comparison, I don’t have any particular thoughts.   I would like to refrain from answering any questions about my future personal life. I am not considering giving any interviews at the moment. What I would like is just to lead a peaceful life in my new environment. (Mako Komuro) 令和3年10月26日 小室眞子 小室圭 
眞子さまバッシングで皇室がさらに先細りとなることを恐れる 
眞子さまバッシングで皇室がさらに先細りとなることを恐れる  10月26日に会見した小室圭さんと眞子さん(C)朝日新聞社  昭和から平成に代わる時期に宮内庁を担当した縁で、職員だった方から毎年「皇室カレンダー」をいただき、我が家に飾っている。ことしは7・8月が秋篠宮ご一家の写真だった。昨年の夏に撮影された写真だろう。眞子さまは薄桃色のワンピース姿で穏やかな笑みを浮かべている。  しかし26日の会見に、この笑顔はなかった。婚姻届けを済ませて「小室眞子」として会見に臨み、結婚に際しての思いを硬い表情で述べた後、お相手の小室圭さんと一緒に退席した。結婚の会見なら、新しい生活を待ち望む喜びやうれしさが表情や仕草にあふれ出て当然なのに、まったく感じられなかった。  その原因が、お相手の小室さんと眞子さまに対する執拗なバッシングにあることは間違いない。  お二人の婚約が17年9月に内定してほどなく、小室圭さんの母親と元交際相手の金銭トラブルが報じられた。このトラブルをテレビのニュースショーや週刊誌が繰り返し取り上げ、ネットのSNSにもお二人を誹謗するメッセージがあふれるようになった。  ツイッターには「#眞子いいかげんにしろ」「#秋篠宮家全員皇籍離脱せよ」など10近いハッシュタグができた。「疑惑のデパート小室母子」「ただのヒモ男と金づる皇族女」「税金泥棒」という激越な言葉もある。これらがリツイートされ、拡散した。ネットの動きをニュースショーや雑誌が増幅し、結婚反対の「空気」をつくり続けた。  SNSの発言者はほとんど本名がわからない。どんなに人を傷つけても自分は安全だと思える。だから平気で人を傷つける。ネット上で誹謗されたプロレスラーの木村花さんは自殺に追い込まれた。「ネットのいじめ」を遺書やメモに書き残して自殺した子どもたちも相次いでいる。同じことが眞子さまと小室圭さんにも降りかかった。 ◆「PTSDの惹起は刑法にいう傷害にあたる」  宮内庁は眞子さまが「複雑性心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された」と明らかにした。誹謗中傷が長期的に反復され、逃れることができないという体験をしたこと、平穏で幸福な生活を送りたいという願いが不可能になってしまう恐怖を感じるようになったこと、それらの結果だという。 記者会見の会場へ入る小室圭さんと眞子さん(C)朝日新聞社  最高裁は9年前、「PTSDの惹起は刑法にいう傷害にあたる」という判決を下した。その後、PTSDを惹き起こした被疑者を傷害罪で有罪とした判決がいくつも出ている。つまり眞子さまは傷害事件の被害者なのだ。前代未聞のゆゆしいできごとである。  しかし、お二人の今後について、私は心配していない。なによりも4年近くに及んだ誹謗中傷の嵐に耐えた芯の強さ、お互いの信頼の深さに感心するからだ。  眞子さまが皇族である間は、名誉棄損罪が成立しない特例である「公益を図る目的」「公共の利害に関する事実」を盾にして、メディアやネットが群がり続けた。しかし、眞子さまは今や一市民である。メディアは「公益」「公共の利害」を振りかざすことが難しくなり、群がりにくくなる。ネットの騒ぎも潮が引くだろう。  菊栄親睦会という団体がある。戦後、昭和天皇の弟である3宮家を除く11宮家が臣籍降下する際、皇族と旧皇族の親睦を図るためにつくられた。結婚して皇室を離れた元内親王は旧皇族扱いであり、紀宮(黒田清子さん)と黒田慶樹さん夫妻も正会員だ。会の親睦行事だけでなく、宮中晩さん会などの公的な行事で賓客の接遇をお手伝いすることもあった。  眞子さまと小室圭さんも元内親王および配偶者として会員になる資格があり、「だから二人は一市民となっても皇室の公的な行事に参加するはずだ」という意見が散見される。しかし、お二人は日本を出て、ニューヨークで暮らすことが決まっている。わざわざ帰国して皇室行事に参加することなど考えられない。  時事通信によると、ニューヨーク州の弁護士会が学生を対象に募集したビジネス法についての論文コンペで、小室さんが優勝した。前回のコンペでも2位に入賞したという。小室さんはビジネス関係の弁護士がひしめくニューヨークでも仕事の足場を固め、眞子さまとの生活を守っていけるだろう。 ◆皇室が直面する難問とは?  私が心配するのは、むしろ皇室の存続だ。もともと危ぶまれていたことだが、今回の事件で危機が助長されるのではないか。 小室圭さんと眞子さんがメディアに出した文書  皇室典範は、皇位継承者を「男系男子」に限っている。現在の資格者は秋篠宮さま、秋篠宮さまの長男の悠仁さま、常陸宮さまの3人。このうち現在の天皇陛下の「次の世代」は悠仁さまだけだ。皇族の数を確保するために「女性宮家」「旧宮家の男系男子の皇籍復帰」などが検討されているが、論議の先送りが続いている。  仮に女性宮家や旧宮家の復帰が実現したとしても、悠仁さまの次の世代の皇位継承を確かなものにするには、皇族の結婚問題を避けて通ることはできない。戦後、皇族の結婚相手はずっと民間から選ばれてきた。今後、皇族の配偶者になることを打診される人も民間人だろう。その人たちは、皇室を出ていく眞子さまでさえ耐えられぬほどのバッシングを受けたことを記憶しているに違いない。  これから皇室に入るとなれば、ネットの投稿者が勝手に言い募る「皇室の品位」「国民の期待」を果てしなく押し付けられることになる。その重圧を覚悟のうえで結婚を決意する人がどれほどいるだろうか。  皇室がこの難問に直面する日は遠からずやってくる。政府が一日も早く打開策を講じなければ、皇室はいっそう先細りになるのではないかと恐れている。 (清水建宇 元朝日新聞宮内庁担当記者)
なぜ眞子さまの結婚にザワついた? 背景に「小室さんが皇室を変えてしまう」懸念も
なぜ眞子さまの結婚にザワついた? 背景に「小室さんが皇室を変えてしまう」懸念も 19日、結婚の報告のために皇居・宮中三殿を参拝した眞子さま。小室圭さんは18日、東京・元赤坂の赤坂御用地を訪れ、秋篠宮ご夫妻に結婚のあいさつをした (c)朝日新聞社  テレビのワイドショーやネット、雑誌……。さまざまなメディアで報じられてきた眞子さまと小室圭さんの結婚。婚約内定会見から4年。いよいよ結婚が実現する。これほど注目され、話題に上り、世間で賛否が議論されてきたのはなぜなのだろうか。AERA 2021年11月1日号は「眞子さまの結婚」特集。 *  *  *  秋篠宮家の長女・眞子さま(30)と小室圭さん(30)が今月26日、結婚する。小室さんの母親の金銭トラブルが明るみに出て2018年に結婚はいったん延期になったが、その頃から、結婚に否定的な世論が次第に大きくなっていった。ネットなどでの誹謗中傷が原因で眞子さまは複雑性PTSDの状態であることも今月、明かされた。  9月に行われた毎日新聞の世論調査では、結婚を「祝福したい」との回答が38%、「できない」が35%。今月の読売新聞の世論調査では「結婚はよかったと思うか」に対し「思う」が53%、「思わない」は33%と、いずれも否定的な声は3割を超えた。この数字を大きいとみるかどうかは判断が分かれるが、否定派が一定数いることは確かだ。  ネットではさらに批判の声が大きくなる。アエラドットが9月下旬に行ったアンケートでは、1人が何度も回答できるなど世論調査とは調査方法が異なるが、3万5千件以上の回答が集まり、「祝福する気持ちはあるか」との問いに93%が「ない」と答えた。なぜ、結婚を祝福できない人がこれほど多いのだろうか。 ■自分の中に眠る価値観 「何かの情報に接したときにザワつくとしたら、自分が大事にする価値観が脅かされている表れ。反動で誰かを責めたくなる気持ちも起きやすいんです」  こう話すのは星槎大学大学院教授でコラムニストの三田地真実さん(59)だ。  たとえば、結婚は個人の自由だと思っている人でも、皇室の結婚となると「家と家のバランス」を考慮することはやはり大事という、自分の中に眠っていた価値観が呼び覚まされる。 「皇室はこの国の(私たちの)顔であり『自分事』と感じる人ほど、自分と関係した大切なこととして小室さんに関するさまざまなことが気になってくるわけです。その結果、本当はお母さんの問題であるはずの金銭トラブルも、『小室“家”の問題』となり、批判してしまうのでは」  結婚とは、「家と家」。そんな意識を根強く持つ層はまだ多いと話すのは、精神科医の香山リカさん(61)だ。 「選択的夫婦別姓への強い反対もそうですが、『結婚は家と家とのつながり。皇室という自分の理想であるべき家の娘が理想とは言えない家に嫁ぐなど許せない』といった価値観を持つ保守層が、安倍政権の長期化とインターネットの普及でむしろ勢力を強めていること。これがまず、お二人の結婚に否定的な声の背景としてあると思います」  もう一つは、多くの人が自分を抑えながら生きるコロナ禍で、「好きなことを選択する人」に対して、「私はこんなに我慢しているのに」という自分の葛藤をそのまま「許せない」とぶつけてしまっているのではないか、という点だ。 「その際によく使われるのが『税金』という言葉。血税でニューヨークで優雅な暮らしをしようとしているらしい。でもこっちがスポンサーなんだから好きには使わせない、とか。この『払っている側にモノを言う権利がある』というおかしなお客様意識は少し前から広まっていて、公務員バッシングとも地続きだと感じています」(香山さん) ■分をわきまえていない  批判の背景として、小室さんが皇室を変化させてしまうのではという懸念がある。そう見るのは成城大学教授で『天皇家の財布』などの著書もある森暢平さん(57)だ。 「1970年代、女性週刊誌は現在ほど皇室を大きく扱ってはいなかった。これは、経済がうまく循環し豊かだったから、あえて皇室を参照する必要がなかったという側面がある。ところがいま経済が停滞し、日本の先行きは明るくはない。天変地異があると急に神仏を信じたくなるのと同じように、不安の時代には不変なものを信じたくなる。だから、皇室のなかに過剰に伝統を読み込もうとする傾向があると思います」  加えていま日本では階級性がほとんどなくなり、社会は平準化された。だから小室さんのように「『平民』から急に成り上がろうとする者」が、皇室に不変性や権威・威厳を求めたい人たちにはどこか胡散臭く見えてしまう、そう森さんは見る。  変化を恐れる傾向は若い世代にもあると指摘するのは、筑波大学教授で社会学者の土井隆義さん(61)だ。 「同じく民間人と皇室の結婚で、美智子さまのときは皇室の『変化』を期待した。もちろんそのときも伝統重視の反対派はいましたが、いまは若年層も変化に懐疑的。変化とは希望を感じるものではなく、不安を煽るもの。変化を望まない若年層の保守化とも根がつながっています」  いまの30代以下世代の意識の特徴は、「分相応をわきまえる生き方」だと、土井さんは言う。 「彼らにとって、『分をわきまえていない』ように見える小室さんが、『自分たちの秩序感覚を乱す存在』に見えて、許せない。そんな面もあるのかもしれません」 ■承認の重みがなくなる  土井さんは「家族のあり方の変化」も背景として指摘する。明治維新後の日本では、日本全体が大きな家族であり、頂点にいる父が天皇家、臣民はその子ども、という「疑似家族」のイメージで国家が形作られてきた。 「実際の家族も、家父長的なものが強かった。しかし戦後、家父長制からいわゆる愛情家族(相互の愛情と合意によって結ばれた民主的な家族)へとだんだん変わっていき、家庭内での父親は権威を体現するものではなくなってきたんです」  その結果、父親と子どもは権威と服従の関係ではなく、「相互に承認し合う関係」に近づいてきた。 「日本という家族の父親的なものだった天皇家と、国民との関係もまた、相互承認の関係に変わってきた。私たちが好ましい存在として認めるから天皇家なんだし、天皇家も国民のことを愛して認めるから日本という国が安定する、というような関係。その承認が、さまざまに批判される小室さんの登場で揺らぎ、安定感に楔を打ち込まれたような感覚があるのかもしれません」  どういうことか。自分を承認してくれる天皇家には、昔のように絶対的な権威でなくとも、「ある程度は」絶対的なものでいてくれないと困るという思い。でないとその承認の「重み」がないため、安定しないのだ。 「しかし今回のことでさまざまな『世俗的なゴタゴタ』を見せられ、『なんだ、天皇家も私たちと同じことやってる』と見えてしまう。そこで何となく安定せず落ち着かず、苛立ったりしてしまう面もあると思います」  批判の声が多いことが注目される一方で、結婚にポジティブな意見も多い。前出の森さんは、眞子さまは今回の選択で「皇族の結婚では、旧華族や学習院関係者を選ぶべきだという従来の『同等性の原則』にこだわらなくていいことを見せてくれた。いろんな結婚の形がありうることを示した」と話す。 「皇室は社会の鏡です。たとえば、同性婚でも、非婚でもいい。釣り合いの取れた結婚でなくても、広く世間が認める結婚でなくてもいいということを、眞子さまは私たちに見せてくれた」  かつて、美智子さまは失声症、雅子さまは今も適応障害に苦しむ。そして、眞子さまも。前出の香山さんは言う。 「皇族としての生活が、私たちのようにはのびのびと生活できない、さまざまな面で不自由な空間であることは、3人を見ていてもう多くの人が気づいていると思うんです。眞子さまは生まれたときからそんな環境で育ってきたにもかかわらず、強い意思を育み、それをもって今回の選択をした。私はひじょうに肯定的にとらえています」 (編集部・小長光哲郎) >>【後編:眞子さまの結婚で考える「天皇・皇族の公と私」 人間としての意思は認められないのか】へ続く ※AERA 2021年11月1日号より抜粋
「妻の年金」徹底研究 “60歳からの穴埋め”で増える!
「妻の年金」徹底研究 “60歳からの穴埋め”で増える! (週刊朝日2021年10月29日号より)  妻の年金について、どこまでご存じだろうか。厚生年金の加入者で年下の妻がいれば一定の条件で夫の年金が増額され、やがてはそれが妻の年金に振り替わる。妻自身の年金はいろいろな方法で増やせるし、夫が死亡した後はどうなるのかも重要だ。このさい徹底研究をしてみよう。 *  *  *  総額675万6300円──千葉県に住む会社員のAさん(56)が将来、主に妻がいるおかげでもらえる年金額の合計だ。  どうして、こんなにもらえるのか。秘密を解くカギは夫婦の年齢差にある。 「ウチの女房は私より15歳下なんです」(Aさん)  会社員や公務員が加入する厚生年金には、「加給年金」という家族手当ともいえる仕組みがある。一定の条件を満たす配偶者がいれば、年金にプラスアルファがつくのだ。  配偶者は年下が絶対条件で、配偶者が65歳になるまで年金額が増額される。つまり、妻と年齢差が大きいほど増額期間が長くなる。  また、高校を卒業するまでの子供がいれば、さらに加給年金が増額される。50代半ばならその年齢の子供はいないことが多いが、Aさんには今6歳になる娘がいる。  Aさんが加給年金のことを知ったのは約10年前、自分にあてはめてみて金額の大きさに驚いたという。Aさんは今では具体的な加給年金額をそらんじている。 「私が65歳で年金をもらい始めると、女房分として15年間、毎年『39万500円』が、そのとき中3の娘の分は高校を卒業するまでの4年間に毎年『22万4700円』がそれぞれ加給年金として増額されます」(価格は今年度の基準)  冒頭の金額は、「39万500円×15年+22万4700円×4年」の答えなのだ。  もちろん年金をもらうようになっても、子供の教育費などにお金がかかる。Aさんがしみじみと言う。 「年をとって年金をもらう時期が近づくにつれて、『これがないと、やっていけない』と実感するようになりました。こんなに貴重な財源はほかにありません」  夫婦の年金というと、どうしても夫の年金が中心になりがちだ。金額が大きいからだが、Aさんのように妻がらみで大きく年金額が変わることもある。実はその視点で「妻の年金」を眺めると、2人の老後のために知っておいたほうがいいことがいっぱいある。このさい、徹底研究をしてみよう。  まずは、妻の年金の「形」である。  現在の年金世代の妻たちは学校を出てから短期間働き、結婚して専業主婦になったケースが多い。たいていは夫が3~4歳上で、結婚後(1986年以降)は国民年金の第3号被保険者として年金に加入してきた。こうした場合は老齢基礎年金が中心で、その上に若い間働いた成果として、軽く老齢厚生年金がのっかっている格好になる。  年齢が4歳差、夫の年金が200万円(老齢基礎年金78万円+老齢厚生年金122万円)、妻の年金が80万円(老齢基礎年金74万円+老齢厚生年金6万円)の夫婦を想定し、2人の年金額の推移を見てみよう。 (週刊朝日2021年10月29日号より)  Aさんが話していたとおり、夫が65歳で年金受給を始めると加給年金が出る。妻の分をもらうための条件は、(1)夫の厚生年金加入期間が20年以上あること、(2)妻と同居していること、(3)妻が働いている場合は年収が850万円未満であること、の主に三つ。年間約39万円で妻が65歳になるまで出るのは見たとおりなので、この場合は4年分約156万円になる。月3万円強だから大きい金額だ。  妻が65歳になると、加給年金がなくなる代わりに、妻の基礎年金に「振替加算」という年金がつく。加給年金が切り替わる格好。こちらは生年月日によって受給額が異なり、今年度65歳になる妻なら「年約4万5千円」だ。加給年金に比べると金額は低い。元々は女性の低年金対策であったため、66年4月1日以前生まれの女性(今年度56歳以上)に限られ、年齢が若くなるほど年金額も低くなる。  妻が年上だと加給年金は出ないが、振替加算はもらえる。夫が65歳になった時点から出るが、この場合は妻が受給の手続きをしなければならないので注意が必要だ。 ◆老齢基礎年金を「満額」にしよう (週刊朝日2021年10月29日号より)  60歳代後半の夫婦の年金額は年によって数十万円単位で動く。家計に影響が出かねないので、それぞれの家計で「ねんきん定期便」の情報に加給年金・振替加算を加えて計算しておくのがよいだろう。いずれにせよ、「老齢基礎年金+軽い老齢厚生年金+振替加算」が、よくある妻の年金の最終形だ。 では、有利なもらい方や注意点を探っていこう。  金額的には100万円に満たないことが多い妻の年金だが、やはりもらえる年金は多いほうがいい。これからでも増やせる方法はあるのか。  まず考えたいのが、老齢基礎年金を「満額」にする対策だ。老齢基礎年金は、20歳から60歳まで40年間年金制度に加入した場合に約78万円の満額がもらえる。ところが、91年3月までは大学生が強制加入ではなかったためなどで、今の受給世代で40年を満たせている人は少ない。  そんな人のために用意されているのが「任意加入」の制度だ。60歳から65歳までの間、国民年金に加入して保険料を納めるのである。今年度の保険料は月1万6610円で年約19万9千円。老齢基礎年金は1年の加入で約1万9500円増える(約78万円÷40)から、10年受給すれば元がとれる。  加入期間が35年以上の人なら満額に届くが、社会保険労務士で女性の年金に詳しい井戸美枝さんは、これからは「繰り下げ」との選択になるのではとする。 「私自身も40年に2年足りないので検討しましたが、やりませんでした。保険料を払って増やすのもいいですが、『繰り下げ』ならお金を払わずに増やせます。私は後者を選びました」  繰り下げについては後述するが、任意加入以上にお得感があるのは実は会社で働いて厚生年金に加入する方法だ。報酬に応じた年金が増えるだけでなく、60歳を超えて働けば国民年金の40年に足りない分を厚生年金で穴埋めできる。なんとダブルで増えるのだ。 (週刊朝日2021年10月29日号より)  これまでは年間130万円以上の収入がないと厚生年金には加入できなかったが、今では従業員501人以上の企業で週20時間以上働けば、月8万8千万円のパートでも加入できる。企業規模のハードルは今後、来年10月からは「101人以上」、2024年10月からは「51人以上」に下がる予定で、今以上に厚生年金に加入できる働き先を見つけやすくなる。  月10万円で10年働けば年6万5千円、20年なら13万円年金が増える。パートでも長く働けば年金を増やせることがわかるが、驚くのは、やはり先述した60歳を超えてからの穴埋めだ。  詳しい説明は省くが、「経過的加算」という年金がもらえるようになるのだ。1カ月働けば約1630円年金を増やせる。1年だと約1万9500円で、ちょうど先に触れた老齢基礎年金の1年分に相当する。これが「40年」に足りない分、37年の人は3年間、38年の人は2年間まで認められるのだ(20歳前の厚生年金加入期間がない場合)。  ただし、妻が厚生年金に加入すると、夫の扶養から外れ自ら税金や社会保険料を支払わなければならなくなる。 ◆基礎繰り下げでお一人さま対策  働く場合はもう一つ、加給年金との絡みでも注意しなければならない。実は妻が厚生年金に20年以上加入し、その年金をもらい始めると、加給年金は支給停止になってしまうのだ。先の井戸さんによると、相談者にこの事実を告げると、大半の人が仕事をやめたがるという。 「金額が大きい加給年金に魅力を感じるのでしょうが、そんなに短絡的に考えないで働く期間を管理すればいいのです。極端なことを言えば、『19年11カ月』までなら働いても加給年金に影響は出ません」  なるほど、若いときに働いた分とパート分を足して20年を超えないようにすればいいのだ。なお働く場合は、早いうちから準備したほうがよさそうだ。できれば好きな職種や会社で働きたいもの。気に入る勤め先が、探しだしてすぐに見つかるとは限らない。  妻の年金を増やすには、もう一つ方法がある。普通は65歳から支給が始まる年金を遅らせてもらう「繰り下げ」だ。1カ月遅らせるごとに0.7%年金額は増える。現在は70歳まで、来年4月からは75歳まで遅らせることができるようになる。  井戸さんは、夫に先立たれて「おひとりさま」になったときに備えるためにも、妻は老齢基礎年金を繰り下げたほうがいいという。 「夫が80歳代前半で亡くなると10年近く、長寿ならそれ以上、おひとりさまの期間が続きます。これからは子供に頼る時代ではありません。自分の介護のことも考えると、お金は多いに越したことはない。そのためにも金額が大きい基礎年金の繰り下げを考えましょう」  ある夫婦を例に考えてみよう。妻の老齢基礎年金は74万円だから、70歳まで5年繰り下げると42%(0.7%×12カ月×5年)増額で「約105万円」になる。  おひとりさまになると、妻の年金はどうなるのか。妻は夫の遺族厚生年金をもらえるが、その金額は夫の厚生年金の4分の3、この場合は約90万円(122万円×75%)だ。妻の増額された老齢基礎年金を合わせると年金額は約195万円で月16万円強となる。夫婦2人のときの生活費を月25万円とすると7割弱だから、何とか一人で暮らしていける金額だ。 (週刊朝日2021年10月29日号より)  妻が働いた場合は妻の老齢厚生年金がもっと増えるはずと思われる方がいるかもしれないが、実は夫が亡くなった後は増額分どころか妻の老齢厚生年金はすべてが「帳消し」になってしまう。現在の遺族厚生年金は、妻の老齢厚生年金を優先して支給し、夫の遺族厚生年金がその金額を超える場合に「差額分を支給する」ことになっているからだ。 「この説明をしたときも、やはり『働くのが嫌になった』と話す女性が多いです。自分が働いた分が意味がなくなってしまうと感じるのでしょう」(井戸さん) ◆5歳超の年齢差 思わぬ注意点も  先の20年以上働いた場合の加給年金の取り扱いとあわせて、妻の多くは損得感情に非常に敏感なようだ。そんな妻に役立ちそうなのが、井戸さんのこんなアドバイスだ。 (週刊朝日2021年10月29日号より) 「余裕があればの話ですが、おひとりさまになってみじめな思いをしないためにも、2人のときの生活はできるだけ夫の年金でまかない、自分の年金は温存するようにしてください」  そのほかの注意点も見ておこう。  一つは、これからは夫が「長く働く」時代に入るが、夫が65歳を超えると会社で働いても2号被保険者にはなれないことだ。何が問題かと言うと、これだと妻は第3号被保険者になれず、その時点で妻が60歳未満なら第1号被保険者として国民年金の保険料を支払わなければならなくなるのだ。  冒頭のAさんは、まさにこのケース。夫が65歳のとき、妻はまだ50歳だ。せっかく約39万円の加給年金をもらっても、国民年金保険料(今年度は月1万6610円)で、今年度なら約半分が出ていってしまう。5歳超の年齢差がある夫婦は、こうなる構図を知ったうえで、妻が働いて厚生年金に加入するなどの「防衛策」を考えたほうがいいだろう。  もう一つ。妻が50代以上なら今年度の「ねんきん定期便」を必ずチェックしてほしい。老齢厚生年金の「見込額」が昨年度より増えている可能性があるからだ。  かつて大企業を中心に数多く設立されていた厚生年金基金(以下、基金)。基金は国の厚生年金の保険料を代行して運用していたが、昨年度まで入っていなかった、その代行部分の年金額が今年度の定期便から含まれるようになったのだ(本誌21年5月21日号参照)。  当時の収入状況や加入期間の長短で違うが、10万円以上増えているケースもある。もし昨年度より見込額が増えていて、これまで基金がらみで何の通知も来ていない場合は、「企業年金連合会」へ問い合わせて、自分の基金の記録を確かめよう。60歳以降に受給する場合も連合会へ申請することになるので、あわせて手続きを確認しておけばよい。(本誌・首藤由之)※週刊朝日  2021年10月29日号
「名字を変えたくない」から事実婚でいいのか?悩む33歳男性に、鴻上尚史が「選択的夫婦別姓」が実現しない不思議を解説
「名字を変えたくない」から事実婚でいいのか?悩む33歳男性に、鴻上尚史が「選択的夫婦別姓」が実現しない不思議を解説 鴻上尚史さん(撮影/写真部・小山幸佑)  婚約者から「名字を変えたくない」と告げられた33歳男性。「親の都合による不利益を将来生まれてくる子に背負わせていいものか」と悩む相談者に、「強制的夫婦同姓」が法律義務で課されているのは世界で日本のみという事実と、「選択的夫婦別姓」が実現しない不思議を、鴻上尚史がわかりやすく解説する。 【相談121】結婚を決めた彼女から「名字を変えたくない」と告げられました(33歳 男性 スタベッキ)  34歳になる会社員男性です。職場の3歳下の後輩との結婚についてご相談です。  もともとずっと同じ職場で働いていたのですが、間の悪いことに私の東京転勤を機に付き合うことになり、4年の遠距離恋愛を経て昨年春、初任地に戻ってきました。破局したとき尾を引かないようにと今でもまだ関係は周囲に伏せています。ようやく昨秋に結婚の合意はしたのですが、そこで「名字を変えたくない」と告げられました。煩雑さやアイデンティティがその理由といいます。  正直なところ全く想定していなかったので動揺しましたが、話し合ったりいろいろ調べたりして悩んだ末に、あちらも変えたくないしこちらも変えたくないのなら、結局は事実婚という選択をするしかない、と考えて大まかな合意に至りました。正式な顔合わせはまだですが各々両親に方向性を伝えてもいます。「基本、二人の好きにすればいい」と共に言ってくれてはいますが、長男である私の両親からは若干の寂しさが言外に感じられ、一人娘の彼女の両親からは「あなたが折れたら?」という意図を感じたといいます。  問題は、互いにいい歳でもあり、一緒になるなら子供ができたときのことも考えなければいけないという点です。私は当初「子供ができたら婚姻届を出す、どちらの姓かは神社でくじ引いて決める、二分の一で恨みっこなしだ」という覚悟でいたのですが、彼女は乗り気ではないようです。  事実婚の子は非嫡出子として親権が片方だけになるなどの不利益があります。「親と名字が違うと子供がいじめられるからかわいそう」という意見には与しませんが、「子供は親の姓が違うことなんて全く気にしない」と信じるにはためらいがあります。「互いが名字を変えたくない」という親の都合による不利益を将来生まれてくる子に背負わせていいものか、と二人でずるずる話が長引いています。その場合も私と彼女のどちらの姓にするかで結論が出ていません。  子供が生まれると決まったわけではもちろんありませんが、その時ではなく今決めておく必要はあると考えています。 写真は本文とは関係ありません(※イメージ写真/iStock)作家・演出家の鴻上尚史氏が、あなたのお悩みにおこたえします! 夫婦、家族、職場、学校、恋愛、友人、親戚、社会人サークル、孤独……。皆さまのお悩みをぜひ、ご投稿ください(https://publications.asahi.com/kokami/)。採用された方には、本連載にて鴻上尚史氏が心底真剣に、そしてポジティブにおこたえします  5年半もの付き合いで喧嘩もほとんどなかったとはいえ、掃除も料理もあまりせず、ひいきのプロ野球球団が勝っておいしい外食ができれば満足で、乱雑で汚い部屋の中で一日の大半を眠って過ごす能天気な彼女と生きていくことに不安はかなりありますが、遠距離恋愛中も結局別れを選ぶには至りませんでした。俺、柔弱なだけかも、と思う夜もあります。  選択的夫婦別姓制度ができていればすんなりとその道を選んでいたことでしょうが、6月の最高裁判決からしてもそう簡単にはいかないと落胆しています。  指輪もいらん、式も身内だけで食事会やって終わりでいい、そんなドライな夫婦のまま共に同じ職場で働いていくことになりそうですが、結婚と姓、そして家族について、私はどう向き合っていくべきなのでしょうか。 【鴻上さんの答え】 スタベッキさん。困っていますね。ずっと「選択的夫婦別姓」が実現していないことへの憤りだと思って読んでいたら、突然、「乱雑で汚い部屋の中で一日の大半を眠って過ごす能天気な彼女」なんて文章が出てきますもんね。迷って、揺れて、思わず書いたんでしょうか。 「俺、柔弱なだけかも、と思う夜もあります」と書かれていますが、そんなことはないと思いますよ。  スタベッキさんは、彼女の「名字を変えたくない」という思いをちゃんと受け止めているじゃないですか。たくさん話し合っていろいろ調べていっぱい悩むのは、人間関係を作り上げる最も大切なことだと思います。  それで、「事実婚という選択をするしかない、と考えて大まかな合意」というのも、僕は二人が納得したことなら、素敵なことだと思います。それぞれの両親が「基本、二人の好きにすればいい」と言ってくれているのも、素晴らしいと思います。どんなに内心、淋しいと思っても、「あなたが折れたら」と思っても、それを口に出すかどうかはまったく違います。お二人の両親は「結婚は二人のことだから、二人が決めればいい」と言ってくれているのです。  僕は、「選択的夫婦別姓」がこの国で実現しないことが、不思議でしょうがないのです。  2015年の閣議決定では、日本の現状に関する質問に対して「現在把握している限りにおいては、お尋ねの『法律で夫婦の姓を同姓とするように義務付けている国』は、我が国のほかには承知していない」と答えています。  先進国の中だけではなく、日本は世界で唯一の法律による「強制的夫婦同姓」の国なのです。  欧米でも、昔は夫の姓に変えることが一般的でした。  1979年に採択された国連の「女性差別撤廃条約」が変化のきっかけになりました。世界的に「女性が結婚したら男性の姓に合わせなければならないのは、おかしい」と思われるようになったのです。  それほど昔のことではないですよね。でも、ここから世界は変わり始めました。  同姓を法律で義務付けていたドイツでは、連邦憲法裁判所が91年「違憲」と判断し、93年に別姓を認める法改正がなされました。オーストリア、スイスも変わりました。  アジアでは、タイが2005年「選択的夫婦別姓」に、トルコは02年、妻について夫と妻の姓をつなげる「結合姓」を認めました。  アメリカやイギリス、フランスなどは、法的には結婚後の姓に関して決まりがないので、最近は夫婦別姓を選ぶ人が増えました。また、これらの国々の植民地だったアジア・アフリカの国々は、宗主国の夫婦別姓をそのまま取り入れた国が多かったようです。  国連の女性差別撤廃委員会は、03年と09年、日本の民法の夫婦同姓規定について「差別的だ」と批判し、選択的夫婦別姓制度の導入を求めました。  というような世界のことを話しても、夫婦同姓にこだわる人は、「世界は関係ない、これは日本の伝統なんだ」と言ったりします。その発言を聞くたびに、いつからの伝統と考えているのだろうと僕は思います。  断言しますが、江戸時代までは、そんな伝統はありません。一部の武士の例を出して、「日本は昔からそうだった」と言っている人をネットで見ましたが、それはたった一頭の白いトラを見つけて、「すべてのトラは白い!」と言うことと同じです。  そもそも、一般庶民は名字を許されたり勝手に名乗ったりした人もいましたが、名前だけの人も多く、武士は結婚しても、妻は実家の姓を名乗るのが一般的でした。こんなことは、少し調べればすぐに分かることです。数頭の白いトラを見つけたからと言って、すべてのトラの色を変えることはできないのです。  多くの国民が姓を持つことが認められた1870(明治3)年でも、政府は妻には結婚後も実家の姓を名乗るように指示しています。そして、1898(明治31)年に施行された明治民法が「家族は同じ家の姓を名乗る」と規定したのです。 本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!  ですから、1898年からの伝統だというのなら、分かります。でも、僕の考えだと、それは「伝統」ではなく、120年ほど昔の「社会制度」です。  また、「夫婦別姓を認めると家庭が崩壊する」と語る人もいます。海外でももちろん、同姓を選んだ夫婦はいます。別姓にしたら崩壊すると言う以上、「夫婦別姓の夫婦の離婚率と、同姓を選択した夫婦の離婚率」のデータがないと断定できません。でも、そんな調査は見たことがありません。  だいいち、日本の離婚率は、2019年のデータだと34.8%です。三組に一組が離婚しています。これは世界の統計の中だと、特別上位でもなく、極端な下位でもありません(統計を取る国の数で動くので、正確に何位とは言えないので)。  夫婦別姓だと家庭が崩壊する、一体感が持てないというのなら、世界で唯一の強制的夫婦同姓のわが国の離婚率は極端に低いはずです。でも、そうではありません。強制的夫婦同姓を主張する人は疑問に思わないんでしょうか。  どちらかに決めるんだから強制じゃない、選択しているという、食事中だったらごはん粒を噴き出しそうな意見をネットで堂々と言っている人もいます。夫の姓を選ぶ割合は、2015年のデータで96%です。これで夫婦の自由な選択だとは言えません。  子供の名字が親と違うのは可哀相というのは、本末転倒の話でしょう。現状、強制的夫婦同姓だから、親と子供の名字が違うことが、一般的じゃないというだけです。 「選択的夫婦別姓」になれば、それは当り前になります。  というか、そもそも、「選択的」なわけです。  別姓になったら家庭が崩壊すると本当に信じている人は、話し合って同姓にすればいいし、スタベッキさんの彼女のようにそれは嫌だという人は別姓にすればいいだけです。つまりは、大きなお世話です。夫婦がどんな名字を選ぶかは、当人同士の問題なんだからほっといてちょうだい、というだけのことです。  と書きながら、この原稿にも烈火のごとく怒る人がいます。それはもう、宗教的情熱だと思います。「夫婦同姓は誰がなんと言おうと、事実がどうであろうと、日本文化の根本。変えてはいけない」という宗教的信念です。自分の信仰しか認めない態度からは、何も生まれないと思います。  スタベッキさん。僕も、2021年6月の最高裁判決には失望しました。  現状の民法の「夫婦同姓」を違憲(憲法違反)としたのは、15人の裁判官のうち4人のみでした。  もうすぐ、衆議院選挙と共に、「最高裁判所裁判官国民審査」の投票も行われます。今回は11名の裁判官が国民審査を受けます。先に述べた最高裁判決で「夫婦同姓を義務づける民法等の規定」を「違憲」としたのは宇賀克也裁判官、草野耕一裁判官、三浦守裁判官の3名(宮崎裕子裁判官は残念ながら定年退官されたようです)、「合憲」としたのは深山卓也裁判官、林道晴裁判官、岡村和美裁判官、長嶺安政裁判官の4名。このことをしっかり覚えておこうと僕は思っています(残りの4人は2021年6月の最高裁判決後に就任した裁判官です)。  ただし、合憲だとした多数意見も、「制度の在り方は、(中略)国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならないというべきである」としています。  つまりは、国会に丸投げしているのです。最高裁判所が高度に政治的な案件に対して、よくやる方法です。  国会ということは、つまりは、国民ということです。  国連の勧告に対して日本政府は「法改正は国民の理解を得て行う必要がある」と弁明しました。  やっぱり、国民ということです。  さて、スタベッキさん。「夫婦同姓」の問題をいろいろと調べたスタベッキさんにとっては、すでに知っている情報を長々と並べたと思います。  いろいろ書いたのは、「選択的夫婦別姓」問題は、宗教的信念のある政治家が決めるのではなく、私達国民が決められる問題だということを伝えたかったからです。そして、「強制的夫婦同姓」の問題点を多くの人に知ってもらうことが重要なことだと思っているからです。それが、スタベッキさんの問題を根本的に解決することにつながるだろうと思っているのです。  日本で「選択的夫婦別姓」が実現しないのは、ほんの一部の宗教的信念の人をのぞけば、多くの人が「自分には関係のない話」だと思っているからだと僕は考えています。  関係ないと思った場合は、私達日本人は「波風が立たない結論」を選びがちです。僕が繰り返して書く「世間」の「所与性」です。変わることを嫌い、同じことを続けていくことが一番重要だと思ってしまう感覚です。  でも、将来にわたって、本当に「強制的夫婦同姓」が自分に関係ないかどうかは誰にも分かりません。自分が男でも、スタベッキさんのような場合もあるし、すでに夫婦同姓を選択していても、自分の子供や孫がぶつかるかもしれないし、結婚してなくても子供がいなくても、友人や親戚の子供が直面するかもしれません。  そのために、今、どうしたらいいかと考えるのは、人間の大切な能力、想像力です。  スタベッキさん。「親の都合による不利益を将来生まれてくる子に背負わせていいものか」と書かれていますが、(この気持ちはよく分かりますが)子供が生まれる前に、まずは、夫婦関係が大切です。生まれてくる子供のために、二人の関係がギクシャクしたら、それこそ本末転倒です。 「結婚と姓、そして家族について、私はどう向き合っていくべき」とも書かれていますが、スタベッキさんは、今、ちゃんと向き合っていると思います。  僕のアドバイスは、「二人が納得しているのなら、とりあえず事実婚で始めてみる」というものです。  子供ができた時のために、「今決めておく必要はあると考えています」と書かれていますが、今、これだという決定的な案が浮かぶとはあまり思えません。  世の中には、いろんな形で「強制的夫婦同姓」を拒否しているカップルがいます。いろんな形を知ることはスタベッキさん夫婦にとって役に立つと思いますし、いろいろと二人の考えが変わっていくかもしれません。なにより、時代が変わるかもしれません。未来なんて誰にも分からないんですから。  スタベッキさんと同じ問題を抱えて、うんうんと試行錯誤しているカップルは多いと思います。納得できないまま、夫の姓にした女性も多いと思います。内心、名字を変えた妻に対して申し訳ないと思っている男性も少なくないと思います。  スタベッキさんとパートナーは、今、時代と格闘しているのです。  その戦いを、僕は応援します。 ■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!
神宮寺勇太が「週刊朝日」の表紙&グラビアに単独登場!「僕、癒やしは捨てている派です」の真意とは?
神宮寺勇太が「週刊朝日」の表紙&グラビアに単独登場!「僕、癒やしは捨てている派です」の真意とは? 週刊朝日11/5号 表紙は神宮寺勇太さん※アマゾンで予約受付中  今週の「週刊朝日」の表紙には、King & Princeの神宮寺勇太さんが登場! 紳士的な優しさから「国民的彼氏」の異名をとる神宮寺さん。子どものような無邪気さと、芯の真面目さがキラリと光るその魅力を、カラーグラビアでお届けします。スペシャルインタビューでは、今冬にひかえる単独初主演舞台について語っていただきました。他にも、ついにご結婚となった眞子さまと小室圭さんへの、各界識者6人からの「祝辞」、独居でも認知症でも「在宅ひとり死」をやり遂げる方法、「沢田研二像」を決定づけた衣装デザイナーにしてアートディレクターの鬼才、早川タケジさんへのインタビュー&独占ジュリーグラビア、妻・美由紀さんが語る松田優作の素顔など、読み応えある充実のラインナップでお届けいたします。  今冬、単独初主演舞台で三島由紀夫の「近代能楽集」から、欲望や情念など人の心の闇をえぐる2編、『葵上』と『弱法師』に挑戦する神宮寺さん。「いやな男」と「闇を抱えた青年」を表現する難しい役どころは「国民的彼氏」と言われるキャラクターとギャップがありますが、戸惑いはまったくないと言います。「真面目そうとよく言っていただきますが、意外と僕、おちゃらけた、ふざけた奴なので(笑)」。役でむしばまれた精神をどうやって癒やしているか、という質問に対しては、「僕、癒やしは捨てている派ですね。自分を追い込むのはけっこう好きです」と、ストイックぶりを披露。優しさの裏にある、意思の強さが伝わってくるインタビューとなりました。  その他の注目コンテンツは、 ●拝啓 眞子さま小室圭さん「私からの祝辞」 10・26ご結婚への期待と不安 婚約内定会見から4年。多くのバッシングを受けながらも、結婚の意志を貫き通した眞子さまと小室圭さんが、夫婦としての歩みを始めます。「多くの人が納得し喜んでくれる状況」とは言えないまでも、若い2人の新たな門出です。人生の先達たちからの「祝辞」を紹介します。歌手の加藤登紀子さん、漫画家の倉田真由美さん、上皇陛下のご学友・木下崇俊さん、世代・トレンド評論家の牛窪恵さんら、各界の識者たちはこの結婚をどう見ているのでしょうか。 ●独居でも認知症でも…「在宅ひとり死」をやり遂げる 在宅看取り実績のある診療所リストつき 大反響の「在宅死」シリーズの第5回。ひとり暮らしの高齢者が増え、さらにコロナ禍もあって、自宅で最期を迎えたいと願う人は増えています。たとえ認知症になっても、適切なサービスと周囲の理解があれば、「在宅ひとり死」はできるといいます。その準備と課題を専門家に聞きました。在宅看取り実績のある診療所・全国508カ所のリストもついています。 ●“沢田研二”をつくったアートディレクター早川タケジにインタビュー 「ジュリー×タケジ」奇跡のコラボ独占グラビアも 「勝手にしやがれ」「サムライ」「TOKIO」……数々のヒット曲とともに、日本の音楽シーンに革命を起こした不世出のスター“沢田研二”のあの世界観は、この人のアートディレクションなくして語れません。画家、衣装デザイナー、アートディレクターと多彩な顔を持つ鬼才・早川タケジ。今冬、奇跡のコラボレーションの集大成ともいえる写真集が刊行されるのを前に、早川さんにお話をうかがいました。意外に淡泊だったという、二人の関係とは? 美と退廃(デカダン)に彩られたジュリーの独占カラーグラビアもお楽しみください。 ●松田優作「蘇る伝説」 妻・美由紀さんが語る「夫婦愛、子供、そして映画にかけた夢」 11月6日は稀代の個性派俳優・松田優作さんの三十三回忌。「太陽にほえろ!」のGパン刑事で鮮烈なデビューを果たし、「ブラック・レイン」で米国進出後、病気で夭逝した松田さん。今も輝きを放つ「伝説のスター」の魅力を、妻・美由紀さんと文学座の同期生に語ってもらいました。松田さんとの関係を「私の幸せであり、悲劇」と語る美由紀さんは、最愛の人の死とどう向き合ってきたのか──じっくりと語っていただきました。唯一残る優作氏の脚本の舞台を再演する文学座同期、野瀬哲男さんが振り返る「アニキ」のエピソードも必読です。 週刊朝日 2021年 11/5増大号発売日:2021年10月26日(火曜日)定価:470円(本体427円+税10%) ※アマゾンで予約受付中!
スタッフ“総上がり”の危機に「お前が残るんだ」 須賀洋介が向き合う喪失と創造
スタッフ“総上がり”の危機に「お前が残るんだ」 須賀洋介が向き合う喪失と創造 東京でいちばん予約が難しい店、と称される「SUGALABO」は、オープンキッチン型の設計。厨房はその名の通り「ラボ(実験室)」のような趣だ(photo 工藤隆太郎) 「フレンチの貴公子」として知られるシェフの須賀洋介さんは、コロナ禍にあっても、常に新しい道を開拓している。己を貫く信念は、長年師事したジョエル・ロブションから学んだものだ。いまも挑戦は続く。AERA 2021年10月25日号から。 *  *  * ――「京都 舞鶴 あおりいか」「千葉 大原港 器械根あわび」「北海道 噴火湾 毛蟹」──。須賀洋介が采配をふるう「SUGALABO」のメニューは、料理名ではなく素材が並ぶ。 須賀:いい食材がなければおいしいものはできません。産地と生産者に敬意を払い、その日の仕入れを第一にして、そこから料理を組み立てる。そのことを大切にしています。日本は食材の宝庫だけでなく、料理人のレベルも高い。でも、自ら発信するよりも、海外から見つけてもらうのを待っているのが現状です。「Japan to the world」を合言葉に、食材、料理を世界に発信したいと考えています。 ――ルイ・ヴィトンとの協働で、同メゾン世界初となるカフェと紹介制レストランを手がけたことも「日本発」の挑戦だった。 須賀:大阪のオープンは、コロナ禍が本格化した2020年2月で、まさしく「失われた1年半」に突入したタイミングでした。世の中のスピード感が薄れてしまったからこそ、僕自身は勢いをゆるめず、予定通りにプロジェクトを進めていこうと決めていました。週日は東京、週末は大阪というリズムで動いて、今年3月には東京・銀座のヴィトンにカフェを出店しました。4月にはメゾン初のチョコレートラインも打ち出しました。ルイ・ヴィトン本社も注視する中、日本発をどれだけ極められるかが勝負です。 ■新しいシェフ像に刺激 ――チョコレートは稀少な材料を吟味して作り上げる。 須賀:甘さは抑え気味に、ピュアな味わいを最大限に引き出しました。やるからには最高峰を作る。それは料理の世界に入ってから、ずっと変わらない自分の芯です。 ――背景には、21歳で出会い、17年にわたって仕えたフランス料理界の巨人、ジョエル・ロブションの存在がある。 須賀:ロブションと出会った時、彼は50歳を過ぎ、自身の三ツ星レストランをいったん閉め、食のコンサルタントに転身した節目でした。テレビで料理番組を持ち、カルフールやエールフランスでの食の監修や、グルメホテルのプロデュースなど、料理をクリエイティブなビジネスに発展させようと最前線を走っていた。僕はテレビ番組収録の時に下ごしらえを担当したり、レトルト食品の開発に携わったりしていました。厨房にこもるだけではない、新しいスターシェフ像を開拓するロブションの姿は、野心的で、刺激的でした。 東京・銀座のLE CAFE Vの開店前、スタッフに指示を出す。世界へ食材や料理を発信したいという思いは変わらない。「だって、自分しかいないでしょ?(photo 工藤隆太郎)(笑)」 ――2003年、26歳の時に、六本木ヒルズに初出店した新業態「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」のエグゼクティブシェフを任された。 須賀:それをきっかけに、ラスベガス、ニューヨーク、台北、パリで、次々と新店の立ち上げに責任者兼総料理長として携わりました。ロブションの下で過ごした17年間のうち、14年は海外を転々と飛び回る日々でしたね。 ■「お前が残るんだ」 須賀:強烈な体験として記憶に残っているのは、六本木ヒルズでの出店です。20代で日本人で、料理長の経験はない。フランスにはロブションの愛弟子がたくさんいて、候補はいくらでもいる。腰が引ける要因はいくらでもありましたが、僕には根拠のない自信もあって、「やるか?」と挑発されると「やります!」と、応えてしまう。  でも、現実は厳しかった。フランス料理店というのは伝統的に大箱です。六本木の店は席数60で、メニューもアラカルトとコースのフルバージョン。厨房ではオーケストラの指揮者のような統率力が求められます。外国人も含んだスタッフは、みんな年上で百戦錬磨で、普通にしていたら、僕の言うことなど、聞いてはくれません。だから常に緊張して、怒っていました。 ――ギリギリの状態で楽屋裏を回す中で、ある時、恐れていた破綻が起きた。 須賀:業界で「総上がり」というスタッフの離反です。「須賀が辞めなければ、自分たちが辞める」と詰め寄られて、実際、数人を残して、20人以上が一度に辞めました。それでも、店を閉めるわけにはいかない。残ってくれた人と共に不眠不休で踏ん張りましたが、「挑戦する」とはなんてつらいことなんだろうと、身に染みて感じました。 ――そこで頑張れた理由は何か。 須賀:責任を取るつもりで「僕が抜けます」と運営会社に伝えたら、ロブションが「何言ってるんだ、お前が残るんだ」と、きっぱり言ってくれたことです。  ほかならぬロブション自身が、総上がりを乗り越えてきた人でした。彼は28歳で「オテルコンコルド・ラ・ファイエット」の総料理長に就任し、1千人のスタッフを統率していましたが、一気に辞められたことがあった。地獄だったと思います。でも、そんな経験があったからこそ、彼一流の料理とビジネス哲学が磨かれていった。シェフには「この人のために働きたい」と思わせる迫力が絶対に必要です。修羅場を踏み、覚悟を決めていないと、その迫力は出ないんです。 ■ショコラトリーの夢 ――「アイアンシェフ」への出演は、世界中の店を飛び回り、多忙を極める中でのものだった。 須賀:日本のテレビ局から依頼をいただき、ロブションに話したら、「さすがにムリだから断れ」と言われました。それで余計に「やってやる」となった(笑)。僕がロブションから薫陶を受けたことは確かですが、それ以上に「あいつなら俺の思うように動いて、この先10年、20年と使っていける」という計算が彼にはあったと思います。その通り、僕は彼の掌の上で踊らされ、踊っていました。 ――そのロブションは18年、73歳でこの世を去る。 須賀:先日、夢を見たんです。フランスの田舎の小さな村で、僕がショコラトリーを営んでいる。店は古いアトリエのような建物で、アンティークの家具に囲まれていて、懐かしいような、悲しいような。目覚めた後も余韻がずっと後を引いて、あ、自分は疲れているんだな、と思いました。でも、そこに次の挑戦を見た気がしたんです。 ■答えはわからない 須賀:11月で45歳になります。料理の世界は40歳までは修業。そこから60歳を照準に、自分の世界を極めていく。そう考えてきた僕は、10代からずっと気を張り詰めて闘ってきた。今もそう。でも、その状態に疲れ果てている自分もいる。もう、いち抜けた!でもいいじゃん。小さなビストロで、ゆるくやるのもいいじゃん。そんな声が心の奥から聞こえる。そうかと思うと、集大成を求める気持ちも、どんどん大きく膨らんでいく。 ――昨年、妻が闘病の末、他界した。大きな喪失と痛みがある。 須賀:ロブションとの日々も含めて、すべてが幻のように思えることがあります。何のために生きているのか。何をモチベーションに、仕事を続けているのか。  考え続けていますが、答えはわかりません。ただ、自分の料理では、力みや雑味をできるだけ消していきたい。  妻を失った時に、人は孤立しては生きていけないということを痛感しました。  その意味でいうと、僕にとって料理と直結する生産者の方々は、なくてはならない存在です。店を完全紹介制にしているのは、排他的な高級店にしたいからではなく、素材も含めて料理と真剣に向き合いたいから。店名の通り、ここを「ラボ(実験室)」として、とらえているのです。  コロナ禍の制約はまだ続いていますが、その中でも、料理の可能性を広げ、最高の形で世界に発信していきたい。その思いだけは、この先もずっと変わらないと思います。 (構成/ジャーナリスト・清野由美)※AERA 2021年10月25日号
眞子さまは“結婚”後、渡米までホテル暮らしか 気になる祖父・川嶋氏の容体と金銭トラブルの未解決
眞子さまは“結婚”後、渡米までホテル暮らしか 気になる祖父・川嶋氏の容体と金銭トラブルの未解決 結婚を控えた眞子さま(c)朝日新聞社(宮内庁提供)  10月23日、秋篠宮家の長女、眞子さまは30歳の誕生日を迎えた。皇族として最後の誕生日となる。眞子さまと小室さんの結婚は3日後に迫るが、いまだに周辺は落ち着かない。 *    *  * 深いボルドー色のニットとまとめ髪が落ち着いた雰囲気を醸し出している。  眞子さまが30歳を迎えた日、妹の佳子さまと住まいのある赤坂御用地を散策する映像が公開された。眞子さまが皇族として過ごすのは残り3日余り。名残を惜しむように姉妹は、池のほとりを歩き、優しくほほ笑みあう。  秋は皇族の誕生日が続く。3日前の10月20日は、上皇后美智子さまの87歳の誕生日だった。誕生日に際して側近の上皇職が公表した文書には、眞子さまについてこうつづられていた。 <今月26日に皇室を離れられる秋篠宮眞子さまのことは、両陛下とも常に大切に愛おしんでおられましたので、お別れはお寂しいことと拝察いたします>  結婚を祝福する直接的な言葉は見当たらない。そのため、「お寂しい」という言葉が強い響きを帯びた。 秋篠宮ご一家(c)朝日新聞社(宮内庁提供)  その日、紀子さまの父親で、眞子さまの祖父にあたる川嶋辰彦さん(81)が、「東京都内の病院に緊急入院していた」との速報が流れた。前日の19日、眞子さまは皇居の宮中三殿を結婚の報告のために参拝したが、その午後に、紀子さまと眞子さま、佳子さま、悠仁さまが川嶋辰彦さんのお見舞いに病院を訪れていたことが報じられたのだ。  容体によっては結婚の延期もあるのでは、と言及したワイドショーもあった。  しかし、状況はやや違うようなのだ。川嶋辰彦さんはもともと都内の病院に入院しており、19日は治療の都合に合わせて計画された転院だという。 「川嶋さんの容体はいいとはいえませんが、危篤で今日明日にもといった状況ではないと聞いています」(皇室記者)   結婚前日の25日には、眞子さまは仙洞仮御所を訪問し、私的に上皇さまと美智子さまにあいさつをする。川嶋辰彦さんへのお見舞いは、病床にある祖父への結婚のあいさつも兼ねていたと見ることもできる。  このように世間は落ち着かないものの、26日の午前中に宮内庁職員がふたりの婚姻届を自治体に提出する予定だ。眞子さまは午前のうちに住み慣れた秋篠宮邸を後にする。そして午後、眞子さまは、「小室眞子さん」として都内のホテルで小室圭さんとともに記者会見にのぞむ。  記者会見の会場は、もともとふたりが式を挙げる予定だった帝国ホテルも候補のひとつとして検討されたようだが、決まったのは別のホテル。警備の行いやすさと同時に、サービスに対して料金の手ごろさで知られる。会場費は、「小室夫妻」の私的な費用でまかなわれるが、ホームページに掲載された料金表では正規料金でも20万円程度。関係者の割引があればさらに、リーズナブルな料金となるだろう。 婚約内定の会見の際の眞子さまと小室圭さん(c)朝日新聞社  国民の関心が高い記者会見で、特に注目が集まるのは、小室家と母、佳代さんの元婚約者の金銭トラブルが、どのように説明されるのかである。  26日の結婚と記者会見の前に、小室家が金銭問題にある程度のめどをつけるのでは、との見方もあった。  帰国後、小室さんが外出したのは18日。秋篠宮ご夫妻に結婚のあいさつをするために、赤坂御用地内にある赤坂東邸を訪問した。午後にパラリーガルとして勤務していた奥野総合法律事務所を訪問したあとは、すんなり横浜の自宅に戻った。 18日に車で移動する小室圭さん(c)朝日新聞社  果たして金銭問題は、解決に向けて話が進んでいるのだろうか。元婚約者の代理人によれば、眞子さまの複雑性PTSDが公表された直後、元婚約者は熱を出して会社も休み、ふせっていたという。 「ショックを受けた末の心労もあるのでしょう。解決金の件も進展はありません。小室さんサイドの代理人である弁護士からは、とくに解決につながる連絡はありません。連絡を待っていましたが、いま(22日)はもう金曜日の夜ですから、火曜日の記者会見までに何か動くということはないでしょう。そもそも金銭問題と眞子さまと小室さんの結婚は、別の問題ですしね」  もう一つ、国民の関心事といえば、民間人となった眞子さまが米国に出発するまでの間、どこに滞在するのか。出発までの期間がそう長くないことを考えるとマンションなどは現実的ではない。また、「儀式なし婚」のけじめをつけた父、秋篠宮さまの性格を考えると、民間人となった眞子さまを宮内庁の関連施設に滞在させる公私混同も考え難い。ホテルの滞在が現実的では、と見られている。 笑顔がまぶしい眞子さま(c)朝日新聞社  皇室の事情に詳しい人物がこう話す。 「会見会場は実は、雅子さまが皇太子妃時代に、友人らとお忍びで食事会をしたホテルでもあります。皇太子妃のお忍びの会場に選ばれるくらいですから、警備も手堅い。小室圭さんは、仕事の関係で早々に米国に戻るようですが、記者会見場のホテルにそのまま滞在なさるのが安全に思われます」  眞子さまの結婚は3日後に迫った。記者会見では、小室家の金銭トラブルに触れた厳しい質問も出ると見られている。 「小室夫妻」は、何を語り新しい生活へとどのようにして踏み出すのか。国民が見守っている。(AERAdot.編集部 永井貴子)
真田昌幸、毛利元就、淡路水軍…戦国の山城で「防御力」が高かったのは? 歴史研究家が分析
真田昌幸、毛利元就、淡路水軍…戦国の山城で「防御力」が高かったのは? 歴史研究家が分析 七尾城(石川県)の本丸。本丸から七尾湾や市街が見下ろせる。南端に土壇(天守台)があり、瓦は出土していないが天守相当の櫓が存在した可能性は高い。  城といえば、都市部に築城された平城や平山城の印象が強いが、江戸時代以前に築かれた城の大多数は、山城だった。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』では、城関連の著書も多い歴史学者・小和田泰経氏に自身が訪れた山城を「遺構の保存状態」「防御力」「登りやすさ」「交通アクセス」の4つの基準で採点してもらい、戦国最強で「訪れるべき」山城ベスト50を選出してもらった。ここでは、「防御力」が高かった城をピックアップ。前回配信の記事<訪れるべき「戦国最強」の山城を歴史研究家が格付けランキング!>で戦国最強の山城トップ5を分析したが、それ以外にも防御力が高い城はある。いったいどこか。 *  *  * 小谷城(滋賀県)信長を裏切り織田軍に攻め滅ぼされた城  小谷城は、戦国大名浅井氏の居城である。浅井氏は、浅井亮政の代に京極氏を下剋上で倒して戦国大名化を遂げたものである。以後、久政・長政三代にわたって、北近江を支配した。  この地域は南側を東山道(中山道)が通り、東山道から分岐して越前に向かう北国街道が城下を貫く。城は伊吹山に連なる麓からの高さ230mほどの小谷山に築かれている。山麓の清水谷には、浅井氏や重臣の屋敷が設けられており、谷の入り口は、土塁と水堀で守られていた。 小谷城(滋賀県)の本丸石垣。本丸には、天守台とよばれる土壇が築かれ、土壇南面には石垣も残る。この石垣は織田信長が攻略する前、浅井氏が構築したものとみられる。  山上の曲輪は本丸を中心に、大広間・中丸・京極丸・小丸・山王丸などが連郭式に配置されている。ただし、曲輪の名称は江戸時代の絵図によるもので、当時の呼称は不明だ。曲輪間は堀切などで遮断され、斜面には竪堀が構築されている。  なお、小谷城の本丸は、小谷山の山頂にあったわけではない。小谷山山頂には、大嶽とよばれる詰の城があり、また、谷を囲んで福寿丸・山崎丸などの曲輪も設けられていた。いずれも、浅井長政の時代に、織田信長との戦いに備えて構築されたものである。  元亀元年(1570)、長政は信長に反旗を翻す。そのため、小谷城は天正元年(1573)に攻め落とされてしまう。その後、羽柴秀吉が在城するが、長浜城を新たに築いたため、廃城となっている。 【遺構の保存状態 24点/城の防御力 25点/交通アクセス 20点/登りやすさ 22点】 *  *  * 七尾城(石川県)越後の龍・上杉謙信も攻めあぐねた城  七尾城は、能登守護畠山氏の居城である。この畠山氏は、室町幕府の管領を務めた畠山氏の一族であった。  七尾の地名は、石動山に連なる松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾という七つの尾根に由来する。海陸交通の要衝で、古代には国府がおかれていた。  七尾城は、麓からの高さが250mほどの城山に築かれている。城山の頂上に本丸を配し、主郭部は本丸のほか、二の丸・三の丸・西の丸・調度丸・遊ゆ佐さ屋敷・温井屋敷・桜の馬場などの曲輪群が尾根上に連なる。ちなみに、曲輪の名称については、七尾城も江戸時代の記録に基づいており、戦国時代の呼び方は定かではない。それはともかく、要所には桝形虎口が設けられるなど、防御力は高かった。 七尾城(石川県)の桜馬場。軍馬を調練した場所とされ、曲輪東北側には石垣が五段に積まれていた。城下から高石垣に見える効果を狙ったらしい。  天正五年(1577)に七尾城が越後の上杉謙信に包囲されたとき、遊佐続光・温井景隆ら重臣は、織田信長の支援を受けて徹底抗戦しようとする長続連の一族を殺害し、降伏開城した。その後、織田氏が七尾城を奪還し、新たな城主となった前田利家が付近の小丸山に新城を築き、廃城となっている。  城跡は広く、現在整備されているのは城の一部に過ぎない。主郭部から枝分かれして延びる尾根筋にも曲輪が設けられていた。さらに整備が進めば、その全容をうかがい知ることができるだろう。 【遺構の保存状態 22点/城の防御力 25点/交通アクセス 19点/登りやすさ 24点】 *  *  * 洲本城(兵庫県)壮大な石垣が残る淡路水軍の拠点  洲本城は、戦国時代に三好氏の家臣であった安宅治興が築いたという。安宅氏は淡路水軍を率いており、洲本城は水軍の城だったことになる。天正十三年(1585)、羽柴秀吉の命により脇坂安治が城主となり改修し、四国平定における水軍拠点ともなった。  城は、麓からの高さが130mほどの三熊山に築かれている。東側は海、南側は山続きで、北側は断崖絶壁というまさに天然の要害であった。 洲本城(兵庫県)の本丸大石段。本丸の大手虎口に至る階段で、幅は5mほどもある。城主の権威を高めるため、重厚な石段によって構築されている。  本丸は三熊山の山頂におかれ、その周囲に設けられた東の丸や南の丸などの曲輪群で主郭部を構成。主郭部は眺望にも優れ、紀淡海峡や遠く堺や和歌山方面も望めた。また西側に設けられた西の丸は南の乙熊山からの攻撃を想定した出丸であり、敵が主郭部を攻撃した際には、挟撃することが可能だった。  本丸には天守もあり、主郭部での戦闘が想定されていた。ただし、居館は山麓にあったため、北側斜面の東西には、登り石垣が構築されている。この登り石垣によって、山麓の居館部分と山上の主郭部を一体化していたのである。 洲本城(兵庫県)の腰曲輪。東の丸直下の腰曲輪。腰曲輪は、主要な曲輪の下に設けられた小規模な曲輪のこと。この腰曲輪からは、大手門に向かう敵を攻撃できた。  元和元年(1615)の大坂の陣後、阿波の蜂須賀至鎮が淡路一国を加増され、洲本は蜂須賀領となる。このとき山上の主郭部は廃され、洲本城は山麓の居館のみとなった。 【遺構の保存状態 22点/城の防御力 25点/交通アクセス 19点/登りやすさ 23点】 *  *  * 岩櫃城(群馬県)「表裏比興」と称された真田昌幸の支城  岩櫃城が築城された経緯については、よくわかっていない。鎌倉時代に上野国吾妻郡一帯を支配していたのは吾妻氏であり、吾妻氏によって築かれたともいわれる。吾妻氏が没落したのち、室町時代には斎藤氏が居城としており、実際にはこのころに築かれたものらしい。 岩櫃城(群馬県)の本丸櫓台。本丸の北東隅に1段高い土壇が残され、櫓台の跡とされる。それが事実であれば、櫓が存在していたことになる。  戦国時代の城主であった斎藤憲広は、越後守護の上杉氏に従って勢力を拡大したが、永禄六年(1563)、武田信玄に従う真田幸隆よって攻略されてしまう。以後、岩櫃城は沼田城を押さえた真田氏の支城となった。  岩櫃城は、吾妻川の北岸にそびえる標高802mの岩櫃山に築かれている。ただし、主郭部は山頂ではなく、東尾根の先端におかれている。この尾根上に、本丸から東側へ二の丸・中城などの曲輪が連郭式に配置されていた。  城の南側は、蛇行する吾妻川を天然の堀としており、北側は岩壁、西側は岩櫃山の山頂であった。自然の要害性を生かしており、防御力は高い。横堀のほか、斜面には人工的に竪堀を構築していた。弱点となった東側には出丸として天狗丸などを設けており、厳重に守備していた。 岩櫃城(群馬)  関ヶ原の戦いで、真田昌幸の長男信幸は東軍についたことで、岩櫃城を安堵された。しかし元和元年(1615)、一国一城令により廃城となっている。 【遺構の保存状態 23点/城の防御力 25点/交通アクセス 19点/登りやすさ 22点】 *  *  * 吉田郡山城(広島県)尼子との攻防戦に耐え抜いた毛利元就の居城  吉田郡山城は、毛利氏歴代の居城である。毛利氏は、もともと相模国愛甲郡毛利荘を本拠としていたが、鎌倉時代に安芸の地頭として下向した。それが毛利元就の代に戦国大名化を遂げている。 吉田郡山城(広島県)の釣井の壇。本丸の北西に配されていた曲輪。ここは、郡山城の水の手で、直径2.5mほどの石組井戸が残る。現在は埋もれており、水を汲むことはできない。  天文九年(1540)、出雲の尼子晴久が攻めてきたとき、毛利元就は籠城し、大内義隆の支援により尼子軍は撤退した。このあと、大改修され、現在の規模にまで拡張されたとみられる。  城は、吉田盆地の北側、可愛川と多治比川の合流点を臨む、麓からの高さが190mほどの郡山に築かれている。築城当時は郡山の一角を城域としていたにすぎないが、元就の時代には1キロメートル四方の郡山一帯を城域としている。 吉田郡山城(広島県)の、城内最大の曲輪・三の丸に残る石塁。三の丸は内部が四段に分かれ、西の段と南の段の間を石塁で隔てていた。  縄張は、郡山の山頂に本丸をおき、本丸から放射状に延びる6本の尾根に曲輪を配置する。二の丸や三の丸のほか、城内には300以上の曲輪が存在していたという。毛利元就自身は、山上の本丸で生活していたようで、家臣もそのほかの曲輪に屋敷を構えていたと考えられている。  元就の死後、孫の輝元は織田信長と覇を競ったが和睦し、信長の後継者となった豊臣秀吉に服属。その後、郡山城の軍事的な必要性は薄れ、天正十九年(1591)、輝元は広島城を新たに築いて移った。そして、関ヶ原の戦い後に毛利氏が安芸を去ったことで廃城となっている。 【遺構の保存状態 23点/城の防御力 25点/交通アクセス 19点/登りやすさ 21点】 *  *  * ※ランキングの採点方法日本全国に数多く残る山城。その中から、小和田氏がもう一度訪ねたいと願う「戦国の山城」を、編集部が独自に選んだ以下の4つの項目で採点してもらった(採点は、小和田氏の主観によるもので、訪れる時期や季節によっても大きく印象が変わります)。●遺構の保存状態……曲輪(郭)や石垣、石塁、土塁、空堀、堀切、切通などが良好に保存されているか否かで採点。●城の防御力……軍事要塞として築かれた山城。曲輪や空堀、土塁などが城の防御力を高める配置になっているか否かで採点。●アクセス……最寄り駅からの交通の便や、高速道路からの利便性。また、山頂部まで車で行けるかなどを総合し、多角的に採点。●登りやすさ……城内散策路の整備状況や駐車場の場所。さらに案内板の設置などを含めて採点。 ◎監修・文/小和田泰経(おわだ・やすつね)1972年、東京都生まれ。歴史研究家。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期退学。専門は日本中世史。著書に『家康と茶屋四郎次郎』(静岡新聞社)、『戦国合戦史事典 存亡を懸けた戦国864の戦い』(新紀元社)など。 ※週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』では、戦国最強の山城「ベスト50」を徹底解説しています
夫婦生活は小さな嘘で回っている? さんま御殿を見て「妻よ、ありがとう」鈴木おさむ
夫婦生活は小さな嘘で回っている? さんま御殿を見て「妻よ、ありがとう」鈴木おさむ 放送作家の鈴木おさむさん  放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、結婚20年目を迎えた夫婦生活について。 *    *  * 先日、妻が「踊る!さんま御殿!!」という番組に出ていた。その回は、いろんな奥様が集まり夫への不満を言いまくるやつです。  妻は日ごろたまっている不満を、この手のテレビ番組で言うのだが、本当に僕に言ってないやつが多い。つまり僕は番組で知ることが多いのです。今回もそうでした。しかも、かなり痛い所を突いてきます。  まずは僕が打ち合わせに行くと言って出て行って、帰ってくると酔っているという話。「打ち合わせに行ってなんで酔って帰ってくるんだよ」と。これにはスタジオの奥様方も凄く頷いていました。妻はお酒を飲みません。だから、どうしても理解してもらえないのですが、打ち合わせには色んな種類がありますよね。リモート打ち合わせ。会議室での打ち合わせ。会食しながらの打ち合わせ。お酒を飲みながらの打ち合わせ。  妻には「会食しながらの打ち合わせ」と「お酒を飲みながらの打ち合わせ」がなかなか理解してもらえません。これ旦那さんあるあるなんじゃないでしょうか。妻からすると「飯食いながら打ち合わせしなくていいだろ」とか「酒飲みながら打ち合わせになんねえだろ」。そして、「打ち合わせと言ってるけど、本当は酒飲みたいだけなんだろ?」と思ってるはずなんです。  だから、「お酒を飲んで打ち合わせ」のあと、家に帰る時に、僕は酔ってない顔を作ります。なるべく妻に「飲んできたの?」と思われないような顔を作っているつもりでした。  そして「また飲んできたの?」と言われた時には、本当は5杯以上飲んでいるときも「うん、2杯だけ」と小さな嘘をついてしまいます。一杯だと嘘過ぎるだろと思って、3杯減らして2杯にする。  僕と妻は結婚して20年。子供は6歳。子供には嘘をつくな!と教育しなきゃいけない立場なんですが、夫婦生活はこういう小さな嘘で結構回っているものです。  妻は番組で、お風呂の苦情も言っていました。僕は朝と昼、必ずお風呂に入ります。目が覚めないからです。  妻が怒ってるのは、僕がお風呂を出た後に、掃除してこないことです。妻は「お風呂、掃除してきてね」と言いますが、僕はシャワーで流して終わりにしてしまいます。  妻は「掃除」とリクエストしていますが、僕は「流す」で終わりにしてしまう。本当は掃除しなきゃと思っているんですよ。だけど、流すことしかできない。なんでだろ?と聞かれても答えが出ない。でも、結局のところ、それって甘えているってことなんでしょうね。いや、そうなんです。  妻がやってくれると思うからこそ、流すだけで終わらしちゃうんですよね。僕は流してるからOKだと思ってましたが、こないだの番組を見る限り、OKじゃなかったんですね。  こうやって妻が我慢していることをテレビを通して知れるだけ幸せかもしれません。  あえて言わないけど、小さな我慢と許しをたくさんしてくれているから、成立しているんだなと20年目のスタートで気づく。  妻よ、申し訳ない。そしてありがとう。これからも。こんな僕をお許しください。 ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中。毎週金曜更新のバブル期入社の50代の部長の悲哀を描く16コマ漫画「ティラノ部長」と毎週水曜更新のラブホラー漫画「お化けと風鈴」の原作を担当し、自身のインスタグラムで公開中。コミック「ティラノ部長」(マガジンマウス)は10/4に発売になった。「お化けと風鈴」はLINE漫画でも連載スタート。YOASOBI「ハルカ」の原作「月王子」を書籍化したイラスト小説「ハルカと月の王子様」が好評発売中。長編小説『僕の種がない』(幻冬舎)が発売中。
二階氏が後継めぐり水面下で暗闘 広島3区は公明・斉藤氏への自民「全力支援」がカギ
二階氏が後継めぐり水面下で暗闘 広島3区は公明・斉藤氏への自民「全力支援」がカギ 急ピッチで進む衆院選のポスター掲示場づくり (c)朝日新聞社  10月19日公示、31日投開票の日程で火ぶたを切った衆院選。政治ジャーナリストの野上忠興氏と角谷浩一氏に、北信越・東海・関西・中国地方の選挙区の情勢を聞いた。 *  *  * ※獲得議席予測、各選挙区の当落予測については調査の結果ではありません。公示日前に識者2人が予想しました。 (週刊朝日2021年10月29日号より) ■北信越・東海  北信越では、新潟5区の元知事対決が注目だ。野上氏、角谷氏ともに米山隆一氏に軍配を上げる。  角谷氏が言う。 「米山氏は妻の作家・室井佑月さんとの二人三脚が功を奏しています。女性問題は相当に痛手だったはずですが、怯まずツイッターでの発信力を発揮。弁護士としての弁舌も有利に働いています」  福井2区は、国対委員長に就任した高木毅氏が過去に女性の下着泥棒疑惑が報じられた(高木氏は否定)。そんな汚名もどこ吹く風、無風で当選を重ねてきている。意外な一面を角谷氏が明かす。 「前任の森山裕氏は野党の国対をなだめながら収めるタイプでしたが、高木氏は『戦う国対』タイプだそうです。立憲の安住淳・国対委員長に言い負かされるのではないかと心配する人もいますが、『とんでもない、高木さんはきついですよ』という評価を聞きます」 ※獲得議席予測、各選挙区の当落予測については調査の結果ではありません。公示日前に識者2人が予想しました。 (週刊朝日2021年10月29日号より)  静岡5区では、二階派会員で自民党入りを目指す無所属・細野豪志氏が、自民前職の吉川赳氏とぶつかる。過去、3度の直接対決で細野氏がいずれも勝ちを収めているが、吉川氏は首相派閥の宏池会。二階派との代理戦争の様相だが、後ろ盾だった二階俊博氏の幹事長退任は細野氏にとってはマイナスか。  静岡8区は、塩谷立氏の苦戦は不可避だという。野上氏が語る。 「当選9回で閣僚経験もあり、清和会(細田派)の事務総長を務めた重鎮ですが、すでにかつての存在感もなく、県連関係者の間にも落選の可能性ありとの見方が少なくありません」  愛知11区は、トヨタ労組出身の無所属・古本伸一郎氏が不出馬を決めた。自民党との連携を模索する全トヨタ労連の意向に沿った形だが、ライバルの“消失”で自民の八木哲也氏が有利か。 ■関西・中国  京都1区は、自民・伊吹文明氏が引退。角谷氏は「後継の元総務官僚の勝目康氏は知名度に乏しい」として、共産の穀田恵二氏に勝機あり、と見る。 ※獲得議席予測、各選挙区の当落予測については調査の結果ではありません。公示日前に識者2人が予想しました。 (週刊朝日2021年10月29日号より)  大阪は全19選挙区のうち、維新が10選挙区前後で有利な情勢で自民を圧倒しそうだ。公明も大阪の4選挙区、兵庫の2選挙区で手堅く勝ち上がりそうだ。  和歌山3区の二階氏は、岸田文雄政権の発足とともに無役になった。 「二階氏は息子に譲りたいという気持ちを持っているようですが、今回、二階派が窮地に立たされたことで辞めるに辞められない状態です。自身の引退とともに、地盤が重なる参院幹事長の世耕弘成氏が衆院に鞍替えしてくる恐れもある。世耕氏は『世襲なら衆院選に出馬する』と揺さぶっているだけに、直前まで目が離せません」(角谷氏)  全国的な注目を集めるのが、広島3区。公職選挙法違反の罪で実刑判決を受けた河井克行被告の選挙区だ。 ※獲得議席予測、各選挙区の当落予測については調査の結果ではありません。公示日前に識者2人が予想しました。 (週刊朝日2021年10月29日号より)  与党は公明の斉藤鉄夫副代表に候補を一本化。斉藤氏は岸田内閣で国土交通相に就任した。角谷氏はこう予測する。 「自民県連は支部を公明に取られてしまうことになるから、斉藤氏の名前を書けないでしょう。現職大臣が落選となれば大ごとですが、最終的には、ライアン真由美氏が勝つのではないかと思います」  当初から斉藤氏の苦戦が予想されたことから、「閣僚ポストを与えて下駄を履かせた」との見方も広がっている。また、公明では異例となる比例との重複立候補も検討されているというから、かなりの念の入れようだ。  一方、野上氏は「広島は岸田氏の地元であり、自民県連も公明=学会と話をまとめざるを得ません。自民末端まで公明候補で動くかは疑問ですが、斉藤氏の落選までは考えにくい」と見る。  地元政界関係者が語る。 「確かに、いまも自民県連の一部に反発はありますが、さすがに表立って反旗を翻すわけにはいかない。ただ、公明や学会とはあまりなじみがない土地柄です。いま、地元を走るJR芸備線が利用者減のため廃線も含めて検討されていますが、存続を求める声もある。7月に赤羽一嘉国交相(当時=公明)が大雨被害の視察に訪れた際、『安易に廃線なんてことはしないでくれ』とJR西日本にクギを刺したのですが、これは斉藤氏へのバックアップのためとも言われています」 ※獲得議席予測、各選挙区の当落予測については調査の結果ではありません。公示日前に識者2人が予想しました。 (週刊朝日2021年10月29日号より)  山口3区は、前職の河村建夫氏と、参院から鞍替えする林芳正氏との激突が話題となっていた。  自民県連関係者が語る。 「総理の座を狙う林氏の圧勝と見られていましたが、河村氏も『打倒・林』でやる気満々でした」  だが、自民執行部は保守分裂選挙を回避するため、河村氏に立候補見送りを打診。秘書の長男を比例で処遇する案も伝えられた。 「河村氏は、実弟の田中文夫・萩市長らと親族会議を行って受け入れを決め、みんなで号泣したそうです」(県連関係者) (本誌・亀井洋志、秦正理、池田正史) ※獲得議席予測、各選挙区の当落予測については調査の結果ではありません。公示日前に識者2人が予想しました。※週刊朝日  2021年10月29日号より抜粋
岸田・自民vs.枝野・立憲で政策激突 「消費税」「選択的夫婦別姓」「モリ・カケ・サクラの再調査」で比較
岸田・自民vs.枝野・立憲で政策激突 「消費税」「選択的夫婦別姓」「モリ・カケ・サクラの再調査」で比較 「分配なくして成長なし」と訴える枝野代表(左)、「成長も分配も」が基本だが、まずは成長と話す岸田首相(c)朝日新聞社  4年ぶりとなる総選挙が始まる。与野党はどんな政策を訴え、コロナ禍で疲弊する日本をどう導こうとしているのか。AERA 2021年10月25日号の記事を紹介。 *  *  *  10月14日、午後1時。衆議院本会議場。すでに政界からの引退を表明している大島理森衆院議長の元に、恭しく紫の袱紗(ふくさ)に包まれた解散詔書が届けられた。数秒後、静寂に包まれた国会に大島議長の声が響き渡った。 「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する」  直後、議場のどこからともなく「バンザーイ」の声が上がり、自民党議員を中心に万歳三唱が続く。あっという間に本会議は終了。身分を失った前衆院議員は、少しでも早く自身の選挙区に戻ろうと議場を後にした。 ■数十兆円の経済対策  解散総選挙は「政権選択」の選挙だ。岸田文雄首相率いる「自民党」と、野党第1党の枝野幸男代表率いる「立憲民主党」。どちらが今後の政治の舵取りを担うのかを決める選挙だ。与党・自民党にとっては「安倍・菅政権」の約9年間に、国民が審判を下す選挙とも言える。  そこで、政権を握る可能性があるこの2党の政策を吟味しようというのだが、争点の中でも違いが際立つ「消費税」「選択的夫婦別姓」「モリ・カケ・サクラの再調査」を取り上げる。  まず、消費税の取り扱いは「社会保障の財源として位置づけられており、当面、触れることは考えていない」という岸田氏。「時限的に消費税率を5%に引き下げる」という枝野氏と、真っ向から異なる。  そもそも、新型コロナの影響で冷え込んだ経済をどう立て直すのか。岸田氏は総裁選の公約で、数十兆円規模の経済対策を断行するとしたが、その原資は国債を充てるという。また、総裁選では株式の譲渡や配当金など「金融所得課税」の引き上げに言及したが、早くも所信表明でその文言は抜け落ち、自民党の選挙公約にも入らなかった。背景には日経平均株価の下落がある。ある金融庁関係者は渋い顔をする。 自民と立憲の主な主張の違い(代表質問などから AERA 2021年10月25日号より) 「マーケットは岸田首相の誕生を正直、喜んでいない。連日、下落だよ。新自由主義からの脱却など、国がもうかることを歓迎していないかのようだ」  対する枝野代表は年収1千万円程度以下の人の所得税を一時的に実質免除し、低所得者には年額12万円の現金を給付。富裕層や大企業の優遇税制を是正し、所得税の最高税率を引き上げ、法人税にも累進制を導入するとした。立憲民主党の中堅議員の一人はこう胸をなで下ろす。 「枝野代表が時限的でも、消費税の5%引き下げに言及するか、やきもきした。当初は党内の増税派を意識してか、具体的な数字を口にしませんでしたから。後になってはしごを外されるのも困るので、地元で配るビラに消費税のことはふれないようにしていたくらいです」  とはいえ、財源は「100年に一度の緊急時だから国債でやるしかない」(枝野氏)と、この点は岸田氏と同じだ。  次に「選択的夫婦別姓」について。枝野氏は、11日の代表質問で岸田首相にこう迫った。 「選択的夫婦別姓制度の導入を法制審議会が初めて答申したのは1996年。私は初当選以来28年間も、その実現を訴え、何度も議員立法を提案してきました。もはや議論は十分です。決断と実行の時であります」 ■消えたLGBT法  これに対し岸田首相は「しっかり議論します」と暖簾(のれん)に腕押しの回答だった。「選択的夫婦別姓」とLGBTなど性的少数者をめぐる「理解増進」法は自民党内では意見が二分されるテーマだ。稲田朋美元防衛相が超党派で「理解増進」法の成立に旗を振った。だが、最後の最後に反対派の激しい抵抗に遭い挫折した。その急先鋒の一人が政調会長となった高市早苗氏だった。「理解増進」や「選択的夫婦別姓」は自民党の政権公約から文言が消えた。自民党ベテラン議員の一人はこう内情を打ち明ける。 「自民党の政策の門番と言われる政調会長に高市氏が就いたことで、何をか言わんやです。岸田さんは非常にリベラルですが、自民党の政策を左右できる力もないし、そこにエネルギーを注ぐ気もない。党内のリベラル派にとって冬の時代になることは間違いありません」  衆議院解散の3日前。立憲民主党・辻元清美副代表の代表質問の時、国会の傍聴席には「森友学園」をめぐる財務省の公文書改ざんで自死した近畿財務局職員の赤木俊夫さんの妻・雅子さんの姿があった。夫の無念を晴らすべく、雅子さんは財務省に改ざんの関連資料の開示を求めていた。だが、財務省は11日付で不開示決定とした。 ■政策を見て判断して  総裁選の当初、岸田氏は森友問題の再調査に「国民が判断する話だ。国民が足りないと言っているので、さらなる説明をしなければならない課題だ。国民が納得するまで説明を続ける」と前向きともとれる発言をしたが、党内の反発を受け事実上、撤回した。  立憲民主党の福山哲郎幹事長は、200以上の選挙区で野党一本化を実現できたとした上で、自民党との対決構造についてこう説明する。 「自民党は変わらない。安倍・麻生の支配が続く自民党は構造上、誰も変えることができない。森友問題であれ、加計学園の問題であれ、政権が真相究明をやる気になったら何とでもできる。総選挙では、自民党と立憲民主党は、意見が真っ向から対立している。だからこそ、有権者にはどちらの政権がいいのか、政策を見て判断してほしいです」  総選挙は19日公示、31日投開票。国民が政権を選択する日が迫る。(編集部・中原一歩)※AERA 2021年10月25日号
「インスタは子どもにとって破滅的」FB元社員が内部告発 ザッカーバーグ氏は「証言は誤っている」と反論
「インスタは子どもにとって破滅的」FB元社員が内部告発 ザッカーバーグ氏は「証言は誤っている」と反論 フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEO。内部告発については、「多くの主張は意味をなさない」などと反論した (c)朝日新聞社  ユーザーの健康や安全より利益を優先している──。世界30億人が利用する フェイスブック元社員が内部告発し糾弾した。巨大企業の社会的責任が問われている。AERA 2021年10月25日号の記事から。 *  *  *  フェイスブック傘下の写真共有アプリ、インスタグラムで、一度でもエクササイズの投稿をいいねすると、タイムラインに関連アカウントや広告が表示されるようになる。自分の体形とはかけ離れた割れた腹筋、くびれたウエスト、鹿のような足の映像が、タイムラインにこれでもかと出てくる。 「10代の少女の32%は、自分の体形に不満を感じている時にインスタグラムを見ると、さらに自己嫌悪感が強まると話している」  と報告するのは、2020年3月にフェイスブックの内部メッセージボードに貼られたスライド。別の社内プレゼンでは、自殺願望を報告している10代の若い人のうち、英国ユーザーの13%、米国ユーザーの6%が、原因はインスタグラムとしている(ウォールストリート・ジャーナル=WSJによる)。しかし、若い人を体形コンプレックスと自殺願望に陥れる「自動推奨システム」は、今も続いている。 ■道徳的に破綻している  フェイスブック社内だけで共有されていたこれらの文書を公にして内部告発したのは、同社を今年5月に退社したばかりの元社員、フランシス・ホーゲンさん(37)だ。ホーゲンさんは、グーグルや画像共有サービス「ピンタレスト」などでアルゴリズムの担当として勤務後、19年にフェイスブックに入社した。  内部告発したのは、「利用者の健康や安全性について綿密な調査と報告がされていたにもかかわらず、無視されてきた」と感じたためだという。彼女は、数万点に及ぶ内部の報告やプレゼン資料をWSJに提供。同紙は9月13日を皮切りに、大型特集で告発内容を報道した。  同紙はさらに、「インスタグラムが他のソーシャルメディアに比べ、10代の若者に精神的苦痛を引き起こす傾向が過度に強い、とフェイスブックでさえ信じるに足る理由がある」と批判した。  反響は素早かった。WSJが告発を報道し始めてから10月1日までに、フェイスブックの株価は約9%下落した。10月5日には、上院の消費者保護に関する小委員会がホーゲンさんを呼んで、詳細な証言を得ている。ホーゲンさんはこの中で、 「フェイスブックが選択してきたことは、子どもと民主主義にとって、破滅的だ」 「今回の危機の深刻さは、過去にあった規制の枠組みから脱却しなければならないことを示している」  と熱心に訴えた。 内部告発したフランシス・ホーゲンさん。「フェイスブック幹部は重要な情報を国民から隠している」と強調した(gettyimages)  リチャード・ブルーメンソール委員長(民主党)も、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)の議会証言を要請すると表明。 「同社は、自分たちの製品が、子どもの依存症を引き起こし、毒性もあることを認識している。(中略)同社は道徳的に破綻している」  との見解を示した。 ■チームは突然解散  バイデン大統領の民主党政権の下、激しく対立し協調路線を拒否している共和党議員も、同調した。フェイスブックをはじめソーシャルメディアに対する規制を強化する機運は一気に高まった。  これに対し、フェイスブックは声明で、告発内容に反論した。 「10代の若者が、困難な瞬間や問題に悩んでいる際、インスタグラムを使うことで助けられると感じていることが実証された」(声明) 「当社が見てきた研究内容は、他者とつながるためのソーシャルアプリの利用が、心の健康面にプラスの効果をもたらし得るというものだ」(ザッカーバーグCEO)  これらは、ホーゲンさんの告発内容と真逆で、問題を小さく見せようとしているようにみえる。  ホーゲンさんが、内部告発を決意した背景は何か。  彼女は、フェイスブックを使って海外政府などが一国の選挙に介入するのを防ぐ対策チームのマネジャーとして、ヘッドハントされた。16年の大統領選挙の際、トランプ共和党候補(当時)に有利になるように、ロシア政府機関が、ハッカーを使ってサイバー攻撃を仕掛けたり、ソーシャルメディアにフェイクニュースを流したりしたことは、大問題になった。選挙という民主主義の根幹を揺るがす問題だったためだ。  ところが、WSJによると、ホーゲンさんのチームは突然解散され、同社の決断に疑問を感じたという。また、強制売春や臓器売買など犯罪につながる投稿を検知するチームも、わずか数人という体制だったという。  ホーゲンさんは、内部文書のコピーを始め、非営利法人の「ウィッスルブロワー(内部告発者)・エイド」の弁護士に連絡を取った。文書はWSJだけでなく、米証券取引委員会(SEC)にも持ち込まれている。 ■セレブには優遇措置 「破滅的」なのは、子どもと民主主義に対してだけではない。WSJによると、世界600万人ものセレブが、フェイスブックのルールに反した投稿をしても、それを放置する優遇措置さえあった。  例えば、サッカーのブラジル代表ネイマール選手は、自分をレイプ容疑で訴えた女性のヌードを投稿したが、1日以上も削除されずにいた。また、トランプ前大統領の支援者らが、「ヒラリーとビル・クリントン夫妻は児童性愛グループの一員」としたり、トランプ氏が「難民は動物」としたなどの問題投稿は無数にあった。  インスタグラム利用者の若年化は進んでおり、40%以上は22歳以下で、米国では1日平均約2200万人の10代の若者がインスタグラムを利用している。これに対し、フェイスブックでは10代の利用者は同500万人しかいない(WSJによる)。これが、議会が規制論で一致している理由だ。  しかし、ソーシャルメディアを規制する法案がどのような形なら可能なのかは、長年の課題だった。  インスタグラムの裏にある「自動推奨システム」などは、刻々と変わっている。若い人がよく使うTikTok(ティックトック)やSnapchat(スナップチャット)も然りで、各社全く異なるシステムを設定している。このため、議会で法案の草稿に着手したとしても、1年以内での制定は困難とされる。  そんな最中の10月4日、フェイスブックとインスタグラム、同じく傘下の対話アプリ「ワッツアップ」が、長時間にわたりダウンする大規模な障害が起きた。これらのアプリでビジネスをしたり、社内連絡に使ったりしている事業者や利用者が大打撃を受けた。内部告発と相まって、ニューヨーク・タイムズなど米メディアは一斉に、フェイスブックが弱体化している可能性を指摘した。 ■証言は誤りだと指摘  ザッカーバーグ氏は、メディアの報道やホーゲンさんの証言は、同社の業務や目的を誤って伝えていると指摘。一方、ソーシャルメディアが持つ潜在的な危険性については、内部調査を続けていくと述べた。しかし、告発内容についての社内調査をするとは、同社の誰も言っていない。なぜか。  ザッカーバーグ氏は、大統領選挙などの問題をめぐり、過去に何度も議会に呼ばれて証言している。しかし、常に世間の非難からうまく逃れる反論を見つけ、同社は20年の年間売上高860億ドル(約9兆8千億円)という急成長を続けてきた。ただ、今回ばかりは、そうはいかない「最大の危機」と言えるだろう。(ジャーナリスト・津山恵子=ニューヨーク)※AERA 2021年10月25日号
眞子さまと小室さんの結婚に「切ない親心」 秋篠宮殿下と紀子さまもきっとお辛い 池内ひろ美
眞子さまと小室さんの結婚に「切ない親心」 秋篠宮殿下と紀子さまもきっとお辛い 池内ひろ美 婚約内定の際の会見の眞子さまと小室さん(c)朝日新聞社  秋篠宮家の長女・眞子さまとの結婚を来週に控えた小室圭さんが18日、秋篠宮ご夫妻への挨拶を行った。赤坂御用地には午前9時15分ごろに入り、約3時間半滞在。秋篠宮ご夫妻は、娘の婚約者と約3年2カ月ぶりに顔を合わせた。  家族問題研究家の池内ひろ美さんは、ご夫妻の親心をこう推し量る。 「秋篠宮殿下としては、決して手放しで喜べる状況ではありません。ですが、皇籍を離脱し、婚姻届けを提出することが確実になった以上は、『娘をよろしくお願いします』と言わざるを得ない。皇室から出れば、宮内庁もご両親も守ってあげることはできなくなります。娘を預ける相手に対しては、どんなに心配でもきつく問いただすことはできない状況なのです。皇嗣殿下としてはさぞお辛く、切ない心境だと思います」  池内さんはさまざまな家族と接してきた経験から、秋篠宮殿下と紀子さまとで温度差があり、殿下の方が小室さんを厳しい目で見ているのではないかと推測する。一般的に男親と女親では、婚約者を迎える際の心境は異なるという。 「一般家庭でも男親は娘が結婚する際には、娘には『彼のことが好きなのか』とは問いませんね。娘の夫となる人に対して『社会人として、同じ男として評価できるか』という目で見る。大切な娘がこれから生活をともにするのですから、責任をもって娘を幸せにできるのかと相手に問うのです。男親にとっては、結婚相手は自分から愛娘をさらっていくようなもので、父親からしたら嫌なものですから……。  一方の女親は、社会人として相手の男性を見定めるよりも、自分の娘に対して『本当に彼のことが好きなのか。あなたの正直な気持ちを教えて』と問う傾向があります。愛娘には、同じ女として幸せになってもらいたいのです」  秋篠宮殿下は18年11月誕生日に際した会見の場で、2人の結婚について「多くの人が納得し、喜んでくれる状況にならなければ、納采の儀は行うことはできない」と明らかにされた。 帰国時の小室圭さん (c)朝日新聞社  昨年11月の誕生日の際の会見では、金銭トラブルについて「今までの経緯も含めてきちんと話すことが私は大事なことだと思っている」と述べられていた。  池内さんはこれらを「男同士の約束」とみなし、「だからこそ、国民が説明責任を果たしていないと思えるような状況での挨拶は、皇嗣殿下としては余計に切ないと思います」と話す。  今回のご挨拶で、小室さんが話すべきことは何だったのだろうか。 「まずは『様々お騒がせしています』といった説明があってしかるべきです。秋篠宮殿下としては、『お金の問題はどうなっているのか』と直接的にはお尋ねにならないと思います。小室さんからきちんと説明していることを祈るばかりです」  この日、公の場に姿を現した小室さんはストライプのネクタイを締めたスーツ姿だった。帰国時に後ろで束ねていた長髪は、襟足まで短く切りそろえられていた。 「カットされたのは当然だと思います。そもそも、あのような姿で帰国したこと自体が疑問でした。服装や髪形はその人の趣味で他人がとやかくいうことではないのは確かです。とはいえ、対面する相手に合わせるのが礼儀というもの。帰国前にきちんと襟を正してほしかったなと思います。マスコミが取材に入るのはわかっていますし、警護がついて帰国なされるわけですから、わざわざ好みがわかれる恰好を選ぶ必要はなかったのではないでしょうか」  結婚を機に、皇室を離脱する眞子さま。26日の会見では「小室眞子さん」として会見に臨まれる。 「一日も早く皇籍離脱をしたいというお気持ちなのか、皇室に迷惑がかかることをご心配されたのか。いずれにせよ、日本から離れるほうが、眞子さまとしては自由を手に入れることができます。しかし、自由にはリスクがつきものです。そのリスクをご理解なさっているのかと心配になってしまいます。小室さんは弁護士として働けば年収1800万円とも報じられていますが、物価が高いニューヨークで安全な生活を送るのに十分とは言えません。お守りしようと近づいてくる人たちに、利用されてしまわないか……」 皇居に入る眞子さま(2019年) (c)朝日新聞社 「皇籍を離れても、生まれも育ちも民間人とは違って、皇室と深いつながりのある人間だというご自覚は生涯お持ちいただきたいのです」  池内さんは数々の夫婦を見てきた立場から、最後にこう話す。 「結婚することがゴールではありません。若い人はお互いに3年も思い続けているんだから結ばれて幸せになってと思っている人も多いかもしれませんが、『結婚はゴールではなくスタート』だと身をもって知っている世代は、この先が心配なのです。おとぎ話のように結婚して『めでたし、めでたし』ではないのです。結婚前にトラブルが解決できていないのに、結婚後に何か問題が生じたときにうまく対処できるでしょうか」 (AERA dot.編集部・飯塚大和)

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