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なぜ我妻善逸は猗窩座戦に参加しなかったのか――善逸が「ひとりで戦う」理由 植朗子
なぜ我妻善逸は猗窩座戦に参加しなかったのか――善逸が「ひとりで戦う」理由 植朗子 我妻善逸(右)画像はコミックス「鬼滅の刃」3巻のカバーより 【※ネタバレ注意】以下の内容には、今後放映予定のアニメ、既刊のコミックスのネタバレが含まれます。 28日、アニメ「鬼滅の刃」無限列車編が最終回を迎えた。フィナーレでは上弦の鬼・猗窩座と炎柱・煉獄杏寿郎が文字通りの死闘を演じた。この“炎柱の最後の戦い”を炭治郎と伊之助がすぐそばで見届けたのに対して、善逸だけはその場にいなかった。なぜ善逸は“ひとり”別の場所にいたのか? そこには、善逸ならではの“戦い方”の流儀があった。<本連載が一冊にまとめられた「鬼滅夜話」が即増刷され、好評発売中です> *  *  * ■善逸は弱虫?  我妻善逸(あがつま・ぜんいつ)は、騒がしく、訓練をサボりがちな、お調子者の「弱虫キャラ」である。鬼殺隊の入隊試験時には誰よりもおびえた様子を見せ、「鼓の鬼」がひそむ屋敷では、鬼の恐ろしさにふるえながら炭治郎(たんじろう)に助けを求めた。 <炭治郎 なぁ炭治郎 守ってくれるよな? 俺を守ってくれるよな?>(我妻善逸/3巻・第21話「鼓屋敷」)  やがて「鼓の鬼」の血鬼術(けっきじゅつ=鬼の特殊能力)によって、善逸は炭治郎と引き離されてしまった。善逸はたったひとりで、「正一くん」という名の一般の少年を守らねばならなくなった。 ■善逸の真の姿  自分の強さに自信がない善逸は、緊張が極限まで高まると昏倒(こんとう)してしまう。しかし、彼はこの「昏倒」によって、真の強さを発揮する。 <雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃(へきれきいっせん)>(我妻善逸/3巻・ 第23話「猪は牙を剥き 善逸は眠る」) 「本当の善逸」は強い。雷鳴を思わせる爆音をたてながら地面を踏み切り、稲光を思わせるようなスピードに乗って、強烈な威力の剣技を放つ。善逸は「雷の呼吸」の後継者のひとりで、すさまじい必殺技を持っていた。しかし、本当の意味での「善逸らしさ」は、実はこの必殺技の前のコマで描かれている。  緊張から眠りに落ちた善逸は、意識を失っているにもかかわらず、正一くんの悲鳴に反応し、彼を襲う鬼の前に立ちふさがった。「霹靂一閃」を放つための抜刀直前、正一くんをかばうように広げられた善逸の左手。“守る”という強い意志。このたった1コマから、善逸の優しさが伝わってくる。鬼におびえて泣いていた正一くんの涙が止まる。 ■善逸の戦いの動機  かつて善逸は何度も泣いて剣術訓練の邪魔をしたために、兄弟子である獪岳(かいがく)に厳しく叱責されていた過去があった。 <なぜお前はここにいるんだ!!なぜお前はここにしがみつく!!>(獪岳/4巻・第34話「強靭な刃」)  当時の善逸は獪岳の問いにうまく答えられなかった。しかし、善逸には夢があった。 <幸せな夢なんだ 俺は強くて 誰よりも強くて 弱い人や困っている人を 助けてあげられる いつでも>(我妻善逸/4巻・第34話「強靭な刃」)  表面上は鬼殺の任務を嫌がる善逸であったが、弱音を吐きながらも、彼は他者のために懸命に戦っていた。恐ろしい鬼と、弱い自分の心と向き合いながら。善逸は誰かを助けられる自分になりたかったのだ。 ■無限列車での善逸の戦い方  こんなふうにアンバランスな「優しさと強さ」を抱えた善逸は、無限列車編ではまだまだ“責任感”が足りていない。炎柱・煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)から、無限列車には鬼が出ると聞かされると、「降ります!!」と堂々と叫んだりしている。  しかし、下車する間など当然なく、すぐに「下弦の壱」の鬼・魘夢(えんむ)との戦闘へ突入することになった。高速で走る8両編成の列車内という細長い空間、守らなくてはならない一般市民200人という過酷な状況によって、炭治郎たちは戦力を分断されてしまった。  炭治郎は禰豆子の戦闘力を信じて、彼女をその場に残し、自分は離れた場所で戦い始めてしまう。列車内の乗客を守る奮闘の中で、禰豆子は四肢をもがれそうになった。そんな彼女の危機を救ったのは、兄ではなく善逸だった。 「禰豆子ちゃんは 俺が守る」(我妻善逸/7巻・第60話「二百人を守る」) ■禰豆子を「守る」善逸  禰豆子は以前も善逸に「守られた」ことがあった。まだ事情を知らない伊之助(いのすけ)から、「鬼だから」という理由で攻撃されたことがあったのだ。それを助けたのも善逸だったが、その時、禰豆子は「箱」に入ったままだったので、善逸の姿を見てはいない。  それに対して、無限列車内の救出シーンでは、禰豆子は戦闘中の善逸の姿をかなり間近で見ることができた。善逸の強さと、自分を「守る」という言葉に、禰豆子の心が動く。  禰豆子は鬼だ。ともすれば、炭治郎に匹敵するほどの強さを持ち、傷の修復力は鬼殺隊の隊士よりはるかに上だ。しかし、そんなふうに強い「鬼の禰豆子」を見ても、善逸は彼女のことをまるで「か弱い人間」のように扱った。善逸にとって禰豆子は、守らねばならない人のひとりなのだ。陽光という弱点、鬼を滅殺する集団の中での危険な戦闘、長時間の睡眠の必要性など、禰豆子のパワーの”不安定さ”を考えれば、善逸の判断は正しい。 ■なぜ善逸には“ひとり”で戦う場面が多いのか 「鼓屋敷」で正一くんを守った時、伊之助に攻撃されそうな禰豆子を守った時、「那田蜘蛛山編」で炭治郎と禰豆子が危険な鬼の住処に入山してしまった時など、自分が誰かを守らなくてはならない時、善逸は“強くなる”。そうした場面で善逸は単独で戦い、その「強さ」を発揮してきた。この特性のため、善逸の初期の戦闘シーンは“ひとり”なのだ。  無限列車編でもそうだった。煉獄と猗窩座の死闘の最中、その場から離れることができない炭治郎と伊之助の代わりに、車両のけが人たちをフォローし、日光が弱点である「鬼の禰豆子」を太陽から守った。炭治郎が戦いに集中し、禰豆子への注意が散漫になってしまった時、善逸は身を挺して彼女を守り続ける。善逸の集中力と戦闘力は、「誰かを守る時」に飛躍的に上昇する。無限列車の戦いで、善逸のフォローがなければ、禰豆子はかなり危険な状態にさらされていたはずだ。激しい列車の横転と、上弦の参ですら逃走する陽光から、善逸はたったひとりで禰豆子を守った。個人で柔軟に状況に対応できる善逸の機転が、この後の戦いでも生かされていく。「孤立」した状況と、「他者への愛」が善逸を強くする。 ■ひとりで戦う善逸  無限列車編後、善逸は任務に出かけることを嫌がらなくなる。煉獄の死が、そして“煉獄の死”に胸を焼かれる仲間たちの悲嘆が、善逸を大きく成長させた。この後の「遊郭編」では、善逸は仲間たちと「連携しながら戦う姿」を徐々に見せるようになる。  そうして皆と戦えるようになった善逸だったが、最終決戦では、再び“ひとり”で戦うことになる。今度は「眠る」ことさえ許されない。最大の悲しみが善逸を襲い、その苦悩に善逸はたった1人で向き合うのだ。勝利というにはあまりにもつらい「決戦」が、彼を待ちかまえる。 「無限列車編」は、善逸の大きな転換期のエピソードでもあった。「遊郭編」では、善逸の姿に新たな成長をさらに感じることができるだろう。 鬼滅月想譚 『鬼滅の刃』無限城戦の宿命論 商品価格¥1,650 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。   ◎植朗子(うえ・あきこ) 1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。AERAdot.の連載をまとめた「鬼滅夜話」(扶桑社)が11月19日に発売されると即重版となり、絶賛発売中。
動線を見直しながら片付けたら、娘の部屋の床から洋服が消えた
動線を見直しながら片付けたら、娘の部屋の床から洋服が消えた 動線を見直す前はテーブルへのアクセスが悪く、家族全員のストレスになっていました/Before  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 *  *  * case.13 家族関係は動線を意識するとうまくいく(夫+子ども2人/教育関係) 「夫には笑いながらですけど『結婚詐欺やな』と言われていました。ふだんの私とイライラが爆発した私が違いすぎて、もっと穏やかな女性がよかったって。そうは言うけど自分はこういう人間やし、ほんまに仕方ないと思っていたんです」  関西の若い夫婦らしい冗談まじりのやりとりをテンポよく話す彼女は、2人の子どものお母さん。若い学生に専門技術を教える仕事熱心な女性です。  家を片づける前をこう振り返ります。 「コロナで撮影や資料づくりといった家での仕事が増えました。リビングに小さい机を出して仕事をしはじめたらますます散らかりました」折しも外出が制限され、大型の不用品や洋服を売りに行くこともままならず、家に不要な物や資料がたまっていきました。  家族との関係はどんなだったか聞くと、 「夫は家事と子育てに協力的で最高です。ただ多少の散らかりは気にしない人。高校生の娘は散らかしの天才。仲は悪くないけど反抗期なので片づけをめぐる衝突もよくありました」 家族も片づけが苦手。だから結局は自分が片づける。片づけたところでリバウンド。そのループから抜けられず、心中はつねに穏やかではなかったそうです。 「家族で楽しく会話していても、仕事や用事を思い出すと切羽詰まってくるんです。イライラしたあげく『部屋が汚い!』って当たり散らしてました。急に雰囲気が悪くなってみんながリビングから散って終了。リビングにあるのはほとんど私の物なんですけどね」  裏には、あれもこれもやらねばと追われながら、行動できないジレンマがありました。何もしていないのに「やっている感」だけ出す罪悪感も。家族が起きている時間はなぜか仕事に手がつかず、深夜から動き、寝不足で翌朝仕事へ行く日もあったとか。 使いやすく、仕事もしやすくなったダイニング。テーブルに着くと家族が笑顔になります/After  行動が遅いのもイライラも自分の性格のせい。諦めかけていた折、家庭力アッププロジェクトが目に留まったのでした。  プロジェクトではまず家全体の物を整理し、課題のひとつとして家族の家での動線を観察してもらいます。この「動線検証」が片づけをあと押ししました。 「引っ越して10年、家具はそこにあるものだと思っていました。動かすとか捨てる感覚もなくて。でも動線を意識したら『ここに置いたらスムーズに動けるんちゃう?』ってアイデアが降りてきたんです。固定観念から外れて考えられたとき、片づけがめちゃくちゃ楽しくなりました」ダイニングテーブルの向きを変え、棚とともに移動すると人の流れができた。すると不思議とイライラが減ったのだとか。  いきおいでキッチンも仕上げていきました。料理をする夫にもヒアリングしながら進めました。 「これまで家族の意見はぜんぶ却下。はじめて夫に相談したらびびってましたね。夫はふりかけが大好きで見える所にたくさん置くけど、私はどうも嫌。聞くと夫はお弁当づくりにはここがいいと言う、じゃあどうしようか。細かい問題から一緒に考えました」  妻とふつうに相談ができる。“鬼嫁”の変化を一番喜んだのは夫でした。キッチンの“コックピット化”を目指して二人三脚で収納の型をつくりました。  娘の意見も聞きました。娘は部活やバイトへ行くとき靴下を履き替えたいけど忘れ、玄関と部屋をバタバタ往復することがありました。 「靴下どこに置きたい?って聞いたら玄関と言うんです。玄関の収納がうまく使えていなかったので思い切って靴下をそこへ入れました。すると娘も下の子も出発前のバタバタがなくなりました」  ほかにも、却下していた娘のアイデアを参考に収納をつくると、娘は洋服を元に戻すようになりました。リバウンドさせないコツは家族の言葉にありました。  45日間で家具のレイアウトも収納も見直したら、彼女は家で怒らなくなりました。お母さんの変わりように家族は驚き、笑顔も増えました。 ソファとテーブルの間もちゃんと通れるようにしました。これで、朝のバタバタが激減/After  彼女の中でどんな変化があったのでしょうか。 「家事も仕事もすぐやる習慣が身につきました。時間通りにやれるからゆっくりする時間の罪悪感がなくなりました。先にやる気持ちよさがわかったので継続できています」  小さい机はやめて、落ち着くダイニングで仕事。集中できて、「夜行性だと思っていた」日々は一変。早く寝る生活が訪れたのです。「1日が48時間やったらええのに」が口癖だったのが今は、時間が増えたように感じるそうです。  変わったのは彼女だけではありません。娘にも、奇跡が起きました。 「どれだけ床に物を置くなと言っても翌朝には脱ぎ散らかして学校へ行き、脱ぎ散らかして部活へ行き、脱ぎ散らかして寝ていたんです。それが今は、荷物、靴下、ペットボトル、娘の部屋の床には何もないんです」  娘はプロジェクト中にお母さんと自室を片づけました。ビフォーアフターの写真を見たとき娘は何かを感じたみたい。 「これまで朝はギリギリに起きて、ぶすーっとして朝食を食べて、聞こえるか聞こえないかの声で『いってきます』とつぶやいて家を出るのが日課でした。それがある朝、『行ってきまーす!』って大きな声で家を出たんです」  その日娘から来たメッセージには「もう脱ぎ散らかさない 変わろうと思う」とありました。娘は片づけられた自分が誇らしかったのです。難しいはずの思春期、母と娘の関係は今が一番良いそうです。  正体不明のイライラを乗り越えた彼女は、新しい自分に出会えたと言います。 「あかんと思うけどイライラの時代は、夫が『腰が痛い』と言うときに、大丈夫?って言えなかったんです。大丈夫で治ったら病院なんかいらんと。でもある時ふつうに大丈夫?って言葉が出て自分が一番驚きました」 “鬼嫁”は本当の自分じゃなかった。脱皮できたと言う彼女は、これからが楽しみだと感謝の気持ち伝えてくれました。 ◯西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・夫婦間のコミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト®」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。ラジオ大阪「西崎彩智の家庭力アッププロジェクト」(第1・3土曜日夕方)が2021年5月1日からスタート。フジテレビ「ノンストップ」などのメディアにも出演 ※AERAオンライン限定記事
「娘がコワい」母、「優しくなれない」娘 なぜうまくいかないのか
「娘がコワい」母、「優しくなれない」娘 なぜうまくいかないのか ※写真はイメージです 「いつも娘から怒られる」「ついつい母親に厳しくあたってしまう」。そんな母娘関係をよく聞く。それぞれの家庭環境など要因は様々だが、背景には、世代などの共通項もあるようだ。コロナ禍を経験し、新たな価値観も見えてきた。3人の専門家に聞いた。 *  *  * 母のケース(1) 「先日病院の売店で、ちょっと立ち読みをしたんです。そうしたら娘にひどく叱られましてね。『いい年をしたおばあさんが、立ち読みだなんて品がない!』って」  苦笑まじりに話すCさんは都内で夫婦2人暮らし。娘世帯は駅三つほど離れたところに暮らしている。 「声が大きいだの、みっともないだの。なぜこの年になって娘からケチをつけられなきゃならないのか。でもねえ、同じことを息子に言われても、ここまで腹は立たないと思うの。同性だからでしょうね、きっと」 母のケース(2)  東京郊外に暮らすMさん(86)は、キャリアウーマンの娘夫婦と孫2人と同居中だ。Mさん自身、子育て中の一時期家庭に入ったものの、70代を過ぎるまで仕事を続けてきた。それだけに娘のことは応援したいし、もちろん孫も可愛い。 「孫のしつけにはつい口出ししたくなる。それが内政干渉と映るみたい。娘は常にピリピリしていて、何か言えば何倍にもなって返ってくるんです。先日も話しかけたのに無視されました」  コロナ禍で娘夫婦がリモートワークをしている間は、お茶をいれに階下に下りるのもおっくうになり、居室にミニポットを持ち込んで、顔を合わせないようにしていたという。  一方、娘の立場ではどうだろう。 娘のケース(1)  都内で働くSさん(49)はバツイチ、子なしのキャリアウーマンだ。一人っ子で、70代後半の母と2人暮らしをしている。 「結婚生活は母と同居。しかし母の干渉がきつくて、夫は出ていってしまった。彼のいない家で暮らすのがつらくて、引っ越したんです」  どこに住みたいか相談したところ、今の街を指定したのは母だったが、 「移ってから、やれ病院が遠い、スーパーが良くないと文句ばかり。母は私のすることに満足したためしがない。言い返せば大騒ぎされるので、黙って聞くしかない」  それほど娘を認めないのに、対外的には「恥ずかしいほど」の娘自慢が止まらないのだという。 「勤め先が大手だとか、年収が何百万だとか。恥ずかしくて、母の友達には会いたくないんです」 娘のケース(2)  最後のケースは千葉県に住むNさん(56)。88歳になる母は認知症を患い、バツイチ独身の姉(62)が同居して面倒をみている。 「『いい会社に勤める高収入の男性を捕まえるのが一番の幸せ』って刷り込まれて育ちました。子どものころ、お尻にアトピーが出ただけで『もうお嫁に行けない』とまで言ってたくらい」  就職はしたものの、ほんの腰掛けで結婚退職。夫の転勤であちこち転居し、母から離れた。 「大阪でイキイキとパートの仕事に打ち込んでいる元気なおばちゃんたちに出会ったとき、初めて『私の人生、何だったんだろう』と。それでようやく解放された気がしたんです。今は地元に戻ってパートをしていますが、生まれて初めて、真剣に仕事に取り組んでいます」  母のケース(1)をのぞけば、どの母も娘も何だか生きづらそう。 ◆ゆがんだ関係性 団塊世代から上 信田さよ子氏  1995年に原宿カウンセリングセンターを開設し、現在は顧問を務める臨床心理士の信田さよ子さんは「母娘問題に正解ナシ」と断言する。 「世間の目から見れば毒母やDV夫は歴然と加害者側ですよね。でも長年カウンセリングしてきた経験から言うと、どちらかが一方的にうそをついている、というケースはまずないんです」  ではなぜ、世の中にあふれる母娘問題の書籍や記事は、娘サイドに同情的なのか。それは娘のほうが、社会的に圧倒的に弱い立場にいるからだという。 「『あなたのためを思って』。これはすべての母娘問題に共通する言葉。このひとことでどんなことも『愛』になる。そこに『母の』が加われば、もはや無敵の呪文です。母の愛を素直に受け取れない娘は、社会的に非難の対象になってしまうんです」(信田さん)  しかも母側には支配した覚えなどみじんもない。なぜこんなにもゆがんだ関係性になってしまうのだろうか。  信田さんによれば、その理由は、団塊の世代以上の夫婦関係に起因するという。 「団塊世代は恋愛結婚が主流になり始めた年頃。夫は企業戦士で、子育ては妻の仕事。問題があるなら、それは『育て方が悪い』。もちろん妻は反発しますが、満足のいく結果は得られず、やがて夫に期待しなくなる。その一方で、この夫を選んだのは自分なのだという自責の念もある。結果、『この子は私が何とかする!』とすべてを背負い込み、先回りした過干渉や支配へと結びつくのです」  著書に『母は娘の人生を支配する』(NHKブックス)などがある精神科医・斎藤環さんはこう語る。 斎藤環氏 「『親ガチャ』という言葉は、子どもの側に一切の選択肢がないことを意味しますよね。その点、親の側には選択肢がある。結婚の選択をしたのも親なら、子どもを産む・産まないの決断も、どう育てるかも、親にかかっている。だから『子ガチャ』は成立しないんです」  斎藤さんによれば、基本的な自己肯定感や自尊感情を醸成する上で親の影響は大きい。肯定されずネガティブなことばかり言われて育った人は、大人になってから自尊感情を再生しようとしても多大なコストがかかるという。 「深刻な場合は治療やカウンセリングが必要です。そこまでではなくても、自力で何かを成し遂げて、自分を肯定できるだけの自信を身につける必要がある。自己肯定感は自我の土台ですから、それが親によって損なわれたとわかれば、恨まれても仕方がないでしょう」  先に紹介した娘(1)の徹底して娘を認めない母親はその典型だろう。それでいて対外的には娘自慢をする心理とは、どういうものなのか。 「娘を所有物とみなしているんです。だから他人には持ち物自慢をしたい。しかし所有物でい続けてもらうためには、自立してもらっては困る。だから絶対に肯定はしません。もはや虐待レベルの共依存ですが、娘が母から離れられないのは『このろくでなしは私がそばにいないとダメなの』とDV夫から離れられない妻と同じ図式です」  母娘問題には、日本と韓国だけに見られる特徴もあるという。その背景にあるのは儒教的思想だ。 ◆人としてでなく女としての規範 「儒教的家族主義では親孝行こそが美徳。成人しても社会参加できない子どもは、ホームレス化しないで家に残ります。これが日本では『引きこもり』なわけですが、女性の場合は『家事手伝い』という名で表向きは隠蔽(いんぺい)されてきた。さらに親世代の長寿化で、親子共存の時間がどんどん長くなり、娘が還暦近くなっても母の呪縛から逃れられないケースが増えています。母たちは果たせなかった夢を娘に託して『生き直そう』とする。そのくせ結婚して家族を持てと無理なプレッシャーをかけるのです」  そうなると、母(2)のキャリアウーマンの母親と、娘(2)の専業主婦志向の母親、一体どちらが娘にとってしんどいのだろうか。 「何をもって女性の幸せと考えるかによるでしょう。高収入の夫を捕まえろと刷り込む母親は娘の自立を妨げる。その点、働く母親は自立したい娘にとっては楽なはず。ただし、その母親が自分のキャリアで挫折感を味わっていた場合、話は複雑です。『本当ならもっと活躍できたはず』と、結局は『生き直し』を求めてしまい、支配的になるリスクがあります」  団塊の世代の問題点については信田さんとは違う視点からの指摘もある。 「団塊世代は戦後の民主教育の中で建前(男女平等)と現実(男尊女卑)の落差に翻弄(ほんろう)されてきました。ねじれた社会を生き延びようと必死で磨いたスキルが、ゆがんだ形で娘に伝わってしまっている。『稼ぎのいい男性を捕まえなさい』という価値観はいまだ根強く、娘たちは人としてではなく女として育てられる。持ち物の色や着る服のデザイン、しぐさ。そうしたもので『女らしさ』を植え付けられ、本人の思いとは別の規範にはめ込まれるんです」  こうしたゆがんだ価値観の継承が、無意識に行われているところが恐ろしいのだ。 「買い物中、品物を選択する場面でふと『お母さんならどっちを選ぶかな』と考えてしまう。それがパートナー選びのときに発動してしまったらどうなるか、ということです」 ◆これからの時代、頼れるのは「友達」 樋口恵子氏 「娘も私も口が達者。それは激しい舌戦を繰り広げることもありますよ。彼女が子どもだったころ、私が毎日世話を焼いていた同じことを、今私が言われてる。やれやれですよ」  そう話すのは、NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」の理事長を務める、評論家の樋口恵子さんだ。  樋口さんが、同会・広島(春日キスヨ代表)がまとめたひとつの調査データを示してくれた。コロナ前と後で、高齢者の意識と行動がどう変わったか、という調査だ。マイナスなことが多かったコロナ禍で、プラスな経験だったと思うことは何か?との問いへの回答が下のグラフ。75歳以上で見ると、第1位は「当たり前の日常のありがたさ」、第2位は「友人のありがたさ」である。 (週刊朝日2021年12月3日号より) 「私たち世代にとって、友情というのはもっぱら男のものだったんです。それが今や、高齢女性にとっても家族と変わらないほど大切でありがたい存在になっている。これは特筆すべきこと。高齢社会で母と娘が密接に過ごす時間が長くなった。家庭が密室になってしまうとストレスの行き場がない。だったら、友達に会いに行きましょうよ」  樋口さん自身、娘と衝突して落ち込んでいるとき、家に出入りするスタッフの言葉に救われるという。 「娘さんは言葉はきついが、本当に優しい人ですよ、て言われるとね。母としては本当に救われた気になるし、誇らしくもなる。親バカですが、いがみあうのに手いっぱいになっているところへ、第三者の視点が持ち込まれるのは本当にありがたいことです」  当事者ではない誰かに、つらい気持ちを聞いてもらうのは大切だ。樋口さんのように、第三者から意見をもらうことが、どれだけ救いになることか。 「世間から、子どもから、夫から、親戚からも責められる母親。それでいて誰も『よく頑張ってきたね』と言ってくれる人はいない。そんな理不尽ってある? 今は全国に電話やネットで相談できるところもたくさんあります。原宿カウンセリングセンターでは母親だけを集めたグループカウンセリングもリモートで行っている。まずは電話一本かけることから始めればいい、と知ってもらいたいですね」(信田さん) ◆手ごわい娘ほど立派に育てた証し  樋口さんは、重要な視点としてこう指摘する。 「今25歳の娘と50歳の母なら、同じ時代を生きているでしょう。問題は私たち世代。孫の進学、子どもの結婚など口出しするチャンスはいくらもあるけど、ばあさんの価値観が通用することなんて、ひとつもありません。いい学校もいい会社も、評価は時代と共に変わるんですから」  これまでの話とともに、樋口さんの以下の指摘をぜひ参考にしてほしい。 1.母や祖母は社会に出よ。友と交わり世間にふれ、自分の立ち位置をしっかり確保できれば、家庭内の瑣末な問題などスルーする力はつく! 2.自分の子育てに自信を持つ。頼りなく見えても、娘は今の情報に一番通じている。自分が手塩にかけた子なら大丈夫、と任せておけばヨシ。 「元気に寝て起きて食べていられりゃ御の字。どこの世界に子犬が反抗的だからって悩む雌犬がいるものか。悩むのは人間である証しです。敵(娘)が手ごわければ手ごわいほど、あなたが立派に育てた証拠なんですよ!」 (ライター・浅野裕見子)※週刊朝日  2021年12月3日号
かまいたち濱家や錦鯉・渡辺など続々…「痛風芸人」が新しいジャンルに!?
かまいたち濱家や錦鯉・渡辺など続々…「痛風芸人」が新しいジャンルに!? かまいたちの濱家隆一(左)と錦鯉の渡辺隆  最近、芸人の間で話題になっている病気がある。痛風だ。流れを作ったのは、いま売れに売れているお笑いコンビ、かまいたちの濱家隆一(38)だろう。以前から痛風エピソードをテレビなどで披露していたが、1月にYouTubeチャンネルで「かまいたち濱家が10回以上発症してきた痛風について全て話します!」と題し、その壮絶な病状を約20分に渡って力説した動画がバズった。この動画は460万回以上再生され、芸能メディアが取り上げたことでさらに広まっていった。 「痛風」は尿酸の血中濃度が高くなるなどの理由で、足の指などに腫れや痛みが生じる病気。突然、激痛がやってくることで知られるが、28歳で最初に発症したという濱家はその後も年間1~2回のペースで痛風の症状が出るという。以降、バラエティー番組などで「痛風5カ所同時爆発」や「薬を毎日50錠飲んでいた時期もある」など衝撃エピソードを告白し、一時期、濱家にとって「痛風ネタ」は定番となった。  濱家だけではない。昨年のM-1ファイナリストとなり一躍人気者の仲間入りを果たした漫才コンビ、錦鯉の渡辺隆(43)も最近は痛風エピソードで笑いをとっている。10月27日に放送された「ネオバズ!! 2分59秒」(テレビ朝日)で痛風をテーマにスピーチ。芸人のコウメ太夫との共演NGについて語ったが、その理由が「コウメ太夫の『チャンチャカチャンチャン』のチャの1個1個が全部足に響く」から。また、痛風仲間とモツ鍋屋にいく際は、「おい、明日お前死ねるか?」と覚悟を確かめるといい、共演者を沸かせた。  一方、5月にはマテンロウのアントニー(31)も痛風の症状が出たことを自身のYouTubeチャンネルで告白。「ずっと野球の硬式ボールを親指に投げつけられてる感じ」と激痛ぶりを振り返り、「歩く歩かないじゃない。寝てても痛すぎて寝られない。もう『死ぬ』と思った」と語っていた。また、昨年インスタグラムで「イラスト痛風日記」を“連載”していたのはガリットチュウ福島善成(44)。痛すぎて眠れないエピソードや、妻に座薬の鎮痛剤を入れてもらおうとお願いしたら即拒否された話など、痛々しいエピソードが注目を集めた。  このように痛風をネタにする芸人は数多いが、実はこれまでもさまざまな芸人が痛風に悩んでいる。なかでもさまぁ~ずの三村マサカズ(54)は有名だ。10年以上、痛風に悩まされ番組を急きょ休んだり、激痛を押して収録する姿も放送されてきた。ほかにもケンドーコバヤシや陣内智則などが、痛風をネタにしている。  一部では“美食家のぜいたく病”とも呼ばれる痛風だが、なぜ芸人に多いのか。ある若手お笑い芸人はこう説明する。 「芸人はまずお酒を飲む機会が多い。先輩との人脈づくりやスキルアップのために若手の時から芸人同士で飲みに行くのは当たり前。打ち上げの飲み会もライブとセットになっています。売れれば売れるほど、舞台やテレビ出演の機会も増え、必然的に外食や飲み会の回数も増えてきます。結果、舌が肥えた食通になり、さらに暴飲暴食を続けていくことになります。忙しくなればとくに独身芸人の場合、不摂生になりがちです」 ■現代版「飲む・打つ・買う」なのか  一方で、お酒以外の原因を指摘する声も。民放バラエティー番組プロデューサーはこう分析する。 「理由は2つあると思います。まず、芸人さんに限らず、テレビマンや放送作家も痛風の人は多い。不摂生や暴飲暴食以外の理由として考えられるのはストレスの影響です。テレビ制作の現場は演者も含め、ものすごく大きなプレッシャーがかかります。また芸人さんの場合、ネタがすべったり、露出が減ると心理的にすごく大きな負荷がかかる。お笑い芸人がこれだけ多い昨今、売れている芸人さんでもなかなかリラックスできる状況にないのです。もうひとつは、昭和の芸人の定番ネタだった『飲む・打つ・買う』の武勇伝が昨今のコンプライアンス強化で使いづらくなったこと。借金取りに追われながらギャンブルする話や、愛人を何人も囲って妻から叱られる、といった話は視聴者からも嫌われます。こうしたなか、自身の不摂生や暴飲暴食による痛風自慢だけは、芸人としての豪快さをアピールでき、かつ笑いにも繋がりやすい」  お笑い評論家のラリー遠田氏は言う。 「本来、病気というのはデリケートな話題ですが、痛風は一種のぜいたく病と世間では認識されており、飲みすぎ食べすぎが原因でなるものだというイメージがあるので、芸人がネタにしやすいのだと思います。芸人が病気のことを話すと、笑いを交えながらも『こんなふうにならないように皆さんは気をつけましょう』と健康への意識を高める効果もあります。病気ネタは面白くてためになる一石二鳥の優良なコンテンツという見方でもできます」  痛風の予防や啓発に一役買っているとしたら、歓迎すべき流れかもしれない。(黒崎さとし)
中古マンション争奪戦「10年間、タダで住めたようなもの」世帯年収800万円夫婦も狙う物件とは
中古マンション争奪戦「10年間、タダで住めたようなもの」世帯年収800万円夫婦も狙う物件とは 写真はイメージです(Getty Images)  新築信仰は今は昔。都心部で家を買う場合、中古マンションが争奪戦となっている。超低金利時代、世帯年収がそれほど高くなくても手が届くようになったことも大きい。最近の不動産事情を探った短期集中連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。子育て世代がいま、都心で家を買うならば、何が“正解”なのか。今回は、中古マンション購入のリアルな事例と最近の傾向を紹介する。 *     *  * 千代田区、2LDK、55平米、最寄り駅から徒歩10分以内。  都心の大手企業に勤めるAさんは、妻(33)と1歳の子どもと3人暮らし。そのAさんが3年前に購入したマンションの特徴だ。子どもが小さいとはいえ、子育て世代の“あこがれあのマイホーム”としては、55平米はちょっと手狭ではないだろうか。子どもはこれからどんどん大きくなる……。  すると、Aさんはあっけらかんと答えた。 「5年後にはだぶん売却していますよ」  いまAさんが住んでいるマンションは中古物件で購入時の価格は約6千万円。土地柄、文教施設も多い。「周囲に大学が多く、資産価値が下がりにくいだろう」という不動産屋のアドバイスを踏まえ、決めた。  このマンションを購入するまでは、渋谷区で月18万円の賃貸マンションに夫婦で住んでいたが、「高額の家賃を払い続ける生活はもったいない」と、購入に踏み切った。その時に大きな後押しとなったのが、10年前に買った渋谷区のマンションを、購入時とほぼ同じ価格で売却したという会社の先輩の話だ。  その先輩は妻と子ども2人の4人家族。子どもの成長とともに部屋が手狭になったことから、2人目の子どもが小学校に上がるタイミングで、「より広い部屋に移り住もう」と住んでいたマンションを売却。利便性が高い人気エリアだったこともあり、購入時とほぼ同じ金額でも、すぐに買い手がついたという。「10年間、タダで住めたようなもの」とホクホク顔の先輩を見て、Aさんは「自分も資産価値が保てる家を選ぼう」と心に決めた。  買うと決めてから、今の家に出会うまでの期間は約半年。子どもが小学校に上がる5年後のタイミングで資産価値が大きく下がらなければ、今の家を売却し、その資金を元手に、もう少し広い部屋に住み替えを検討しているという。 「売却時に実際いくらで売れるかはその時になってみないと分かりませんが、現状の周辺エリアの売却相場を見る限り、価値は維持できるだろうと踏んでいます」(Aさん) 写真はイメージです(Getty Images)  今、Aさんのように、都市部を中心に、いずれ売却することを想定してマイホームを買う人が増えているという。たとえ「一生住み続けるつもり」で家を買ったとしても、人生100年時代と言われる中、自分を取り巻く状況がいつ変わり、何が起こるか分からない。先が見通しにくい時代だからこそ、リスクヘッジという意味でも、「いざとなれば家をお金に換えられる」買い方を望む人が増加している。 「今は家の選び方によって、その後の人生の明暗が変わってくる可能性があると言えるほど、物件選びが重要な時代です。選び方の知識がないと、後悔することになりかねません」  首都圏を中心に不動産の購入、売却など、これまで6千件を超える取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは、こう指摘する。  現在、首都圏の住宅購入において最も取引が活発なのは中古マンションだ。都心を中心に新築マンションの価格が高騰していることからも、中古マンションに目を向ける人が増えており、激しい争奪戦が繰り広げられているという。  マンショントレンド評論家の日下部理絵さんも、こう続ける。  「以前は新築信仰が強い傾向でしたが、今は中古に対する抵抗感を持つ人が少なく、ここ最近は築浅物件のみならず、都心にある築30~40年の古い物件もよく動いています。リノベーションの専門業者も増え、中古物件を自分好みにリノベーションして住みたいと考える人も増えています」  とはいえ都内、それも都心周辺に家を購入できるのは、高額所得者に限られるのではないか。 「そうとも言えません」というのは、前出の後藤さんだ。後藤さんによれば、資産価値を考えたマンション購入を検討している層は、30代~40代の共働き世帯も多く、購入予算は5千万~6千万前後。平均の世帯年収は800万~1千万前後で、自己資金として夫婦で400万~600万程度貯めている世帯が多いという。 「例えば年収500万円前後の夫と400万前後の妻で、二人合わせて世帯年収が800~900万前後という方も多く検討されています。今は住宅ローンが史上最低とも言える超低金利ということもあり、金利が上がらないうちに、ここ1年ぐらいで買おうと考えている方も少なくありません」(後藤さん)  いずれ売ることを視野に入れて家を買うとなると、選び方にもコツが必要だ。もちろん実際に自分が住む家となると、資産価値という尺度だけでは測れない“住み心地”や“快適さ”など、感覚的な部分も大事だが、それは人それぞれの価値観がある。ここではあくまで、「資産価値を保ちやすい家」という視点で解説しよう。専門家らの話を紐解くと、4つのポイントが浮かび上がってきた。(松岡かすみ)  >>【後編:マンション購入「妻の実家の近く」で選んで失敗 いい物件の見極めは? 駅徒歩7分、60平米…】に続く
マンション購入「妻の実家の近く」で選んで失敗 いい物件の見極めは? 徒歩7分、60平米…
マンション購入「妻の実家の近く」で選んで失敗 いい物件の見極めは? 徒歩7分、60平米… 写真はイメージです(Getty  Images)  都心部で働く子育て世代の夫婦が家を買うとしたら、どんな物件が“正解”なのか。そこ一生住むつもりで物件を選ぶよりも、将来、住み替えることを前提にした購入がトレンドだという。つまり、売ることを前提にした購入だ。だが、購入してから資産価値が落ちたり、いざ売る際になかなか買い手がつかなかったりしたら、のちの人生設計も狂ってくる。最近の不動産事情を探った短期集中連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。今回は物件選びのポイントを不動産のプロに聞いた。 >>【前編:都心中古マンション争奪戦「10年間、タダで住めたようなもの」 世帯年収800万円夫婦が狙う物件とは】から続く *     *  * まずは「こんなはずじゃなかった」と頭を抱えてしまったBさんのケースを紹介しよう。  埼玉県内に、10年前にマンションを購入したBさん。妻の実家近くにある、最寄り駅から徒歩18分の4LDK(81平米)の新築物件を3500万円で購入した。うち3300万円は住宅ローンを組み、月々の返済額は約12万円。返済も順調だった。  しかし、ローンがあと20年ほど残っている時点で、仕事と子どもの学校の関係で、どうしても引っ越さないといけなくなり、売却したいと考えた。現在の売却想定額を査定したところ、金額は1800万程度だという。住宅ローンの残債はまだ2400万前後あり、売却想定価格をはるかに上回っている。「ならば貸せないか」と考え、今度は家賃を査定してもらったところ、相場から月10万5千円前後を算出された。Bさんの物件は駅から距離があり、購入時には営業していた近隣のスーパーマーケットなどが撤退し、買い物にも不便という環境要因が響いた。毎月12万の住宅ローンの支払いを考えると、貸しても赤字という計算になる。  Bさんは、購入時点では生涯住むつもりだった。子どもの成長などライフステージの変化に対応する間取りを考え、それが無理ない予算で買える場所という視点から物件選びを始め、「まったく知らない土地に行くよりは、子育ても考えて妻の実家近くにしよう」と決めた家だった。試算が狂い、Bさんは今、人生設計を見直している。  首都圏を中心に不動産の購入、売却、賃貸など、これまで6千件を超える取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは、こう指摘する。 「自分たちにとっては良い場所であっても、売る・貸すとなった時に価値が維持できるとは限りません。一般的に、郊外のマンションは都心のマンションに比べ、買うときの価格が安い一方で、売るときには価格が下がっている可能性が高い。資産価値という視点から見た場合、マンションにおいては立地の影響が想像以上に大きく、価格が落ちにくいマンションとは、都心に近く交通の便が良いマンションの場合が多いのです」  どこから光を当てるかによって、その家の価値は変わる。ここではあくまで、「資産価値を保ちやすい家」という視点で解説しよう。専門家らの話を紐解くと、4つのポイントが浮かび上がってきた。 (1)  山手線沿線の駅から電車で15分圏内  まっさきに押さえるべきポイントは、都心に近く、交通の便が良い場所という条件。具体的に挙げると、山手線の駅周辺の都心、または山手線の駅から電車で約15分圏内の準都心と呼ばれるエリアだ。例えば小田急小田原線の場合は経堂駅ぐらいまで、京王線の場合は千歳烏山駅ぐらいまで、東急田園都市線の場合は二子玉川駅ぐらいまでが準都心の目安となる。 「都心、準都心のエリア内であれば、築35年の60平米ぐらいのマンションでもそれなりの価格で取引されていることが多い。例えばここ10年ぐらいの間でも、港区、千代田区、渋谷区、目黒区などでは4千万~6千万台ぐらいで、新宿区、文京区、豊島区、杉並区、品川区などでも3千万前後から5千万台ぐらいで取引されています」(同) (2)  駅近の目安は徒歩7分以内  主な物件の探し方がインターネットである今、駅から遠い物件は検索段階で切り捨てられてしまうことも多い。通勤や通学ともなると毎日のことなので、「駅から徒歩何分以内か」という点は資産価値を維持する上で重要なポイントだ。 高齢化率の上昇や、全国的に市街地計画をコンパクトに形成していこうとする行政の動き(コンパクトシティ構想)を踏まえても、駅から近い物件は今後ますます有利に働く可能性が高いという。不動産コンサルタントの午堂登紀雄さんは言う。 「エリアにもよりますが、原則、駅から徒歩10分以内の立地で選ぶと比較的売りやすい。駅からの近さはどの世代にも共通して求められているポイントです。郊外の戸建に住んでいたシニア層が駅近のマンションに住み替えるケースも増えています。できれば5分以内、目標は7分以内と、少しでも駅に近い方が有利です」 (3)  ファミリータイプは需要減、60平米が売れ筋  国立社会保障・人口問題研究所「日本の世帯数の将来推計」によれば、2015年時点でいわゆるファミリー世帯である「家族と一緒に住む世帯」は約1429万世帯なのに対し、「1人暮らし世帯」は約1842万世帯、「夫婦のみ世帯」は約1072万世帯。さらに2025年の予測では、「家族と一緒に住む世帯」は約1369世帯と減る一方で、「1人暮らし世帯」は約1996世帯、「夫婦のみ世帯」は約1120世帯と増えることが予想されている。 生涯未婚率や離婚率の上昇、シニアの増加により、1人暮らし世帯が急増し、ファミリー世帯が減っているのが現状だ。 「この状況を踏まえると、これまでファミリー用マンションとして考えられていた70~80平米前後と広めのマンションは、これからは長い目で見ると需要が見込みづらい。一方で狭すぎず、広すぎない60平米前後のマンションは、都心においては需要が多いのに供給が少なく、貸しやすい面積帯です。一人暮らし世帯、夫婦のみ世帯を中心に、夫婦と子ども1人、夫婦と小さな子ども2人、シニアと幅広い層が住みやすく、価格も手頃な60平米前後が最も売れやすく、貸しやすいでしょう」(後藤さん) (4)  中古でも2001年以降に完成  「住宅の品質確保の促進等に関する法律(品確法)」(2000年)の施行により、デベロッパーの建物に対する責任性が強まったことから、2001年以降に完成した物件は一般的に住宅の基本性能が高まっている傾向にあるという。 「2001年頃からの完成物件は、耐震や省エネルギー、遮音性などを向上させた物件が比較的多く出ています。今は新築マンションでも設備をチープにする物件が増えているため、むしろ10年ほど前に完成した物件の設備の方が優れている場合も少なくありません。中古物件を選ぶ際は、2001年以降に完成した物件であれば、価格が手頃で良質な建物であることが多い」(後藤さん) ◇ 写真はイメージです(Getty Images)  資産価値が落ちない家を選ぶためには、価格が安い物件を買おうとするのではなく、少し価格が高かったとしても購入後に価格が落ちにくいであろう物件を購入する姿勢が必要だ。  大切なのは、今後住み替えなどの可能性があり、住まいに換金性を求める場合に、希望する額から大きく目減りすることがないかどうか。10年、20年先を想定した売却のみならず、「最終的に高齢者施設に入ることを考えたら、家を売って少しでも施設費の足しにできた方がいい」と考える人もいるという。 先行き不透明な時代だからこそ、それだけ後悔しない買い方を求める人が増えているのかもしれない。家を買うことにも、これまで以上に戦略が必要な時代だといえそうだ。(松岡かすみ) >>【11月28日10:00公開】それでも夫婦は東京に家を買う#5
都心タワマン新築1億円を共働き夫婦が「買える」理由 パワーカップルの意外な金銭感覚
都心タワマン新築1億円を共働き夫婦が「買える」理由 パワーカップルの意外な金銭感覚 写真はイメージです(Getty Images)  コロナ禍で田舎暮らしへの憧れはあるものの、都心で働く夫婦が家と買うとなればやはり首都圏の物件が現実ではないだろうか。共働き夫婦のリアルな事例事情や最近の不動産動向を探った短期集中連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。一回目のテーマはパワーカップルとタワマン。首都圏の新築マンションの価格は高騰し、タワーマンションならば1億円超えの「億ション」も珍しくなくなった。資産家の投資用かと思いきや、普通の会社員夫婦が購入して住んでいるのだという。共働きで稼ぐ、いわゆるパワーカップルだ。 *   *  *東京都中央区、最寄り駅から徒歩5分、33階建ての新築タワーマンションの一部屋。窓からはいかにも東京らしい都心のビル群や湾岸エリアが一望できる。ここを約8千万円で昨年購入したのは会社員男性のAさん(41)だ。  「夫婦ともに定年まで辞めるつもりはないので、払えると踏んで購入しました」  都内の大手商社に務めるAさんは、広告代理店勤務の妻(40)と夫婦二人暮らし。共働きのAさん夫婦の世帯年収は、約1600万だ。頭金1千万円を夫婦の貯金で支払い、残りの7千万は35年の住宅ローンを組んだ。月々の返済額は、管理費と合わせて22万円程度。夫婦の手取り月収は合わせて78万円前後なので、毎月約28%の収入がローン返済に充てられることになる。かなり高額な買い物だが、会社の同僚には1億円超えの物件を購入した人もいるという。  Aさんの背中を押したのは、「駅近で都心までのアクセスも良く、活気あるエリアの物件で、今後も一定の資産価値を維持できるだろう」という不動産屋の言葉。購入時と同じ8千万円の価格か、それ以上に価値が上がる可能性もあると期待している。一生住むつもりで買った物件だが、「何かあれば買った金額で手放せるはず」ということが、安心感に繋がっているという。 「言ってみれば、貯蓄効果もある買い方。もちろん高い買い物ではあるけれど、値段が下がりづらい物件を買うことは、資産防衛術とも言えると思う」(Aさん)  コロナ禍で景気低迷ばかりが取り沙汰される現在だが、実は首都圏を中心に、高額の新築マンションを買う人が増えている。主な購入層は、「パワーカップル」とも呼ばれるAさん夫妻のような高収入の共働き世帯だ。首都圏のマンション価格は年々高騰しており、不動産経済研究所の2021年度上半期(4~9月)の新築マンションの一戸当たり平均価格は、首都圏(1都3県)で前年同期比10.1%増の6702万円。1973年の調査開始以来、上半期としてバブル期を超える最高値を記録し、高額の東京都心の物件を中心に人気が集まっている。 写真はイメージです(Getty Images)  都心のタワーマンションといえば、不動産業界でも、以前は限られた富裕層のみが買う「特殊住戸」と呼ばれていた。一定の収入がないと買えない物件であることは今も変わりないが、その敷居は以前に比べると下がっており、積極的な購入層は世帯年収1千万~2千万円前後の会社員だという。Aさんはその典型例だろう。  なぜ、会社員夫婦がこうした物件の購入ができるようになったのだろうか。  まず、背景にあるのが、超低金利という今の時代だ。頭金をそれほど用意せずとも、長期のローンを組むことで、年収の高い会社員であれば6000~7000万円程度は容易に借り入れすることができる。夫婦ともに稼ぐ共働き世帯ともなれば、2人で1億円を超えるローンも組むことができる時代だ。大手銀行の借り入れ限度額は1億円が主流だが、ここ数年で高額物件用の借り入れ需要が増している背景から、新興金融機関では上限2億円超えまで対応しているところも多い。こうして夫婦両輪で多額のペアローンを組み、新築の億ションを共有名義で買っている世帯が増えているという。  「一昔前まで住宅ローンの返済額の目安とされていた『世帯収入の20~25%が上限』というセオリーが崩れ、過大なローンを組む人が増えている」  こう指摘するのは、大手デベロッパー出身の不動産コンサルタント、長谷川高さん(長谷川不動産経済社代表)。初めて家を購入する平均年齢は、40歳前後の現在。働き盛りで管理職などになり、それなりの収入を得られていると実感しやすい年齢だ。また、共働きが当たり前の時代になったことも大きい。 「少し前までは、夫婦共働きであっても、どちらか一方の収入を元にローンを組むことが一般的でした。ですが今は、夫婦両輪の“大車輪”のごとく、多額のペアローンを組む例が珍しくない」(長谷川さん)  ローン完済年齢も上がってきている。人生100年時代、60歳以降も働くのが当然という意識を持つ人は多い。「10年ほど前までは、60歳以降は働かない前提で考える人が多かったのが、ここ最近は70歳まで働くことを見据えてローンを考える人が増えている」とは、首都圏を中心とした住宅購入における相談実績も多いファイナンシャルプランナーの飯田敏さん(FPフローリスト)。 写真はイメージです(Getty   Images)  Aさん夫妻も、仕事が生活の中心というライフスタイルを変えるつもりはなく、今後子どもを持つ計画もない。ともに働き盛りの40代。仕事は多忙を極め、帰宅は連日深夜がお決まりだ。終電を逃してタクシーで帰宅することも多く、会社のある都心に近いことは必須条件だった。40歳から35年のローンとなると、完済時の年齢は75歳。だが、繰り上げ返済を計画的に行うことで、60~65歳のローン完済を目指している。 「今の社会の流れを見ると、自分たちの頃には70歳まで働くことが当たり前の時代になっているのでは。年金には期待できないけれど、長く働くことで一定の収入は得られるはず」(Aさん)  こうした時代の流れに加えて、タワマンを購入するパワーカップルは「意外と生活は堅実」という点も特徴かもしれない。冒頭のAさん夫妻も高収入ではあるが、ブランド物を買ったり、頻繁に贅沢な食事をしたりするわけでもなく、夫婦一緒に毎月コツコツと貯金を続けている。頭金として1千万円を用意できたのも、浪費をせず、計画的に貯金してきたからこそだ。つまり、ぜいたくな暮らしをしたいからタワマンを購入したわけではないのだ。タワーマンションなどいわゆる高級マンションに住む理由は、ステイタスやブランド意識からではなく、Aさん夫妻のように「資産価値が優れていて、価格が下がりづらい」という背景から選ぶ人も多いという。  不動産コンサルタントの後藤一仁さんは言う。 「確かに都心のタワーマンションはよく売れていて、積極的に買おうとする動きが活発です。ただ、こうした物件を購入する会社員夫婦は、資産を持て余しているから買うのとは少し違います。自分たちの収入の中で買える範囲で、なるべく資産価値を維持できる住宅を求めており、“稼いだお金を減らしたくない”と考える人が多い」  すなわち、現金という流動資産を一旦「タワーマンション」という固定資産に変え、十分に利用したら、またほぼ同じ金額の流動資産や他の固定資産、金融資産などに変えるという作業を計画的に行うという流れだ。 「つまり1億円で買ったマンションが、10年間住んだ後も1億円で売れる可能性が高い、という理由からタワーマンションを選ぶ人も少なくない。タワーマンションは、街の再開発とセットで建てられるケースも多く、一般的に駅近であればなお価値が下がりにくいと言えます」(後藤さん)  Aさんもこんなことを言っていた。 「いざとなれば、買った時と変わらない金額で手放せる物件。この新築タワーマンションは、その条件に当てはまると思いました」  なるほど、今、タワマンを買うのは意外と堅実な選択肢なのかもしれない。しかし、大きな買い物には、ときに意外な落とし穴が潜んでいるもの。次は、長い目で見たときの不動産リスクについて説明しよう。(松岡かすみ) >>【後編:新築マンション高騰の裏で設備がチープ化?ローンを返せない共働き夫婦も 超低金利時代の落とし穴】に続く
【兵庫2児放火殺害】逮捕された同居の伯父は「コロナ失業」で自暴自棄に?卑劣すぎる犯行
【兵庫2児放火殺害】逮捕された同居の伯父は「コロナ失業」で自暴自棄に?卑劣すぎる犯行 放火され、焼け落ちた松尾さんの家(筆者提供)  兵庫県稲美町の民家が放火され全焼し、焼け跡から2人の子供の遺体が発見された事件が大きく動いた。兵庫県警は24日、民家に同居していた松尾留与容疑者(54)を現住建造物等放火と殺人の疑いで逮捕した。    事件は19日深夜の午後11時35分ごろ、住んでいた自宅に火を放ち、同居していた小学生の兄弟・松尾侑城くん(12)と真輝くん(7)を殺害した容疑だ。  松尾さん一家は、侑城くんと真輝くん、50代の父、40代の母、そして松尾容疑者の5人暮らし。松尾容疑者は母の兄で、亡くなった兄弟にとって伯父にあたる。1、2年前に実家に舞い戻ってきたという。 「情報があり、24日午後1時ごろ、大阪市北区の扇町公園に捜査員を派遣。ベンチに座っている留与容疑者と似た人物がいたので声をかけたところ、本人だと認めた。車に乗せ、捜査本部がある加古川署へ任意同行。放火と殺人について認めたので、逮捕となった。取り調べにも素直に応じている」(捜査関係者)   所持金は数千円しかなく、逃走したり抵抗したりすることもなかったという。甥たちを殺害した松尾容疑者はどんな人物なのか。  「兄の留与容疑者もここが実家ですね。実家は両親が亡くなった後、妹一家が住んでいたが、留与容疑者は『長男なので家を相続した』と語っていた。地元の中学校を卒業して、神戸の方の会社に就職した。そして、大阪市の会社に転職したと聞いた。卒業後も、お正月とかには帰ってきたみたいです。道で会ったら『久しぶりやね』とか挨拶したことがあった。ですが、半年ほど前か、たまたま留与容疑者を見かけてどうしたのかと聞くと、『いろいろあってね』というばかり。断片的な会話からわかったのはコロナが影響して、仕事がなくなってしまい実家に帰ってきたそうです」(前出・近所の人)   松尾さん夫妻は近所の人に、「(兄は)コロナでどうしようもなくなり、戻ってきた」と話していたという。   放火された日、兄弟の父親は、深夜まで続く母親のスーパーマーケットの仕事が終わる時間に車で迎えに行った。そのすきを狙った留与容疑者の卑劣な犯行だった。  亡くなった兄弟(SNSより) 「入手先などはわからないが、油をまいて火を放ったことも認めている。恨みがあるなど、犯行動機はまだ供述していないが、どうも自暴自棄になっていた感じのことを口にしている」(捜査関係者)  亡くなった2人の兄弟は、松尾さん夫妻にとっては自慢だった。 <息子の成長と家族の日記>というタイトルでSNSに侑城くんと真輝くんの日々の様子の写真を掲載している。2人が好きな野球をしている様子や、キャンプなどアウトドアが趣味で、笑顔いっぱいの2人が写っている。事件の約1カ月前が、侑城くん12歳の誕生日だった模様で、ケーキとプレゼントを前に2人が嬉しそうな表情を見せている。  まさか、これが侑城くんの最後の誕生日になるとは、想像できなかったであろう。2人の小学校の友達は話す 「侑城くんと真輝くんは左打ちで、ようお父さんに野球を指導してもらっていた。『2人とも中学では野球部に入るねん』『左やから1番打ちたいな。阪神の近本みたいに』と侑城くんは言っていた。2人とも阪神が好きで、いつも帽子をかぶっていた。外に遊びに行くときは、いつもグローブを持っていくほど野球が好きやった」   SNSを見ても、侑城くんが阪神タイガースの帽子をかぶっている写真が数多くアップされている。留与容疑者が逮捕された日の夕方、近所の人によれば放火現場近くに松尾さん夫妻が来ていたという。 「旦那さんは子煩悩、奥さんは愛想のいい人ですよ。花を手にして沈痛な表情で声もかけれんかった。松尾さんのところは大きな田んぼを持っていて、春になると、2人の子供も手伝って田植えされていました。アットホームなご家庭でしたよ」  SNSに母親は、<心を和らげ笑顔でいれば 幸も福もたくさん たくさん>という詩をシェア投稿していた。子供たちにも、そう教えていたのだろう。2019年7月に父親が書き込んだSNSは以下の通り。  <末っ子真輝5歳の誕生日おめでとう。幼稚園にも慣れ園長先生や担任のお気に入り皆にも好かれる優しい子供に成長しています。今は侑城と熱烈な阪神タイガースのファンです>  前出の捜査関係者はこう話す。 「放火した時間帯は、両親が家を不在していた30分ほどのタイミング。そこに可燃性がある油をまいて、放火している。留与容疑者からみれば亡くなった兄弟はかわいい甥っ子。なぜ、計画性、恨みがうかがえる犯行となったのか、今後、解明しなければならない」 (AERAdot.編集部 今西憲之)
10万円給付の“家庭モデル”は古すぎる? ネットで不満続出、「もらっていいのか」と戸惑う声も
10万円給付の“家庭モデル”は古すぎる? ネットで不満続出、「もらっていいのか」と戸惑う声も 1997年以降、共働き世帯数が専業主婦世帯数を上回り、現在は共働き世帯数が専業主婦世帯数の2倍以上になっている(撮影/写真部・加藤夏子)  18歳以下の子どもを対象にした10万円相当の給付をめぐり、所得制限の線引きに不満がくすぶっている。何を基準にして決まったのか。AERA 2021年11月29日号の記事を紹介する。 *  *  *  不満の声がSNS上で続出している。「18歳以下の子どもへの10万円相当給付」についてだ。  すでに報道されている通り、夫婦と子ども2人の世帯では「年収960万円未満(年収103万円以下の配偶者の場合)」が対象となるが、世帯年収ではなく、「世帯主」年収。共働きで一方が年収959万円、一方が103万円、世帯年収1062万円の世帯では10万円支給の対象となるが、夫婦どちらかが年収960万円、片方が無収入という年収960万円世帯では給付を受けられない。困窮世帯でも、子どもがいなかったり、19歳以上だと不支給となる。 給料増えても負担も増  横浜市に住む40歳の女性は息子に発達障害があり、通院や療育で手がかかるため、5年前に会社を辞め、専業主婦となった。5歳年上の夫は建設業で管理職をしており、昨年の年収は約1100万円。以前は児童手当を月額1万円もらえていたが、所得制限で5千円に減額された。 「私が仕事を辞めた分、夫が一生懸命働いて昇進し、給料が上がった。喜ばしいが、子ども関連のさまざまな手当の対象外となってしまい、家計が厳しくなりました。共働きで明らかにうちより世帯年収が多い人たちが10万円相当の給付を受け取れるのは納得できません」  共働き世帯も困惑の声を上げる。「ありがたいものの、コロナで家計が苦しくなっていない私たちがもらっていいのか」と話すのは、都内に住む会社員女性(36)。年収約700万円で、共働きの夫(38)の年収と合わせると、世帯年収は1600万円ほど。2歳と5歳の子どもがいるので、20万円相当が支給されることになる。 「本当に困っている人に行きわたってほしいという思いがある。国の借金が過去最高と言われる中でのばらまきは、将来、子どもたちが負担することになるかと思うと不安です」 だれのための支援か  家計簿・家計管理アドバイザーのあきさんは「児童手当の所得制限の算定基準が不公平」と指摘する。昨年12月10日、政府・与党は中学生以下の子どもを対象とした児童手当のうち、高所得者向けの「特例給付」について、年収1200万円以上の世帯は廃止することで合意。だが、所得制限の算定基準については、夫婦の収入を合算する方式の導入を見送り、所得の高い方のみの年収で判断する現行方式の続行となった。  男女共同参画白書(2021年版)によると、共働き世帯はこの40年、年々増加。1997年以降は共働き世帯数が専業主婦の世帯数を上回る。20年では、共働き1240万世帯に対し、専業主婦世帯数は571万世帯。児童手当ができた70年代の「夫が働き、妻は専業主婦か、働いても年収100万円以下が当たり前」という状況なら世帯主の年収で所得制限をかける方法でも問題なかっただろう。  しかし今は女性で正社員として働く人も多く、「年収の多い方」で所得制限をかけるのは時代に即していないと言える。 「合算方式を見送った時点で、児童手当の所得制限の条件がおかしいと感じている。もともと不公平な児童手当の条件を当てはめるから、『だれ支援?』となるのでは」(あきさん)  第一生命経済研究所首席エコノミストの熊野英生さんは「迅速な支給のために児童手当のルールを使うしかないなら、960万円未満というのは高すぎます。世帯収入の全国平均は約550万円なので、600万円ほどが妥当だったのでは」。  さらに、「なぜ迅速にやる必要があるのでしょうか? 公明党の政策を丸のみするのではなく、世帯年収で所得制限をかけるなど、新しいルール作りをするべきだったのではないでしょうか」と話す。  時代に即していないモデル家庭は見直す時期にきている。(ライター・羽根田真智)※AERA 2021年11月29日号
小室さんと眞子さん夫婦共働きを考える 女性皇族の結婚相手の経済力頼みは「不幸」?
小室さんと眞子さん夫婦共働きを考える 女性皇族の結婚相手の経済力頼みは「不幸」? 悠仁さま12歳の誕生日に宮内庁から提供された写真。赤坂御用地の庭で3姉弟でシャボン玉で遊んでいた/2018年8月(宮内庁提供)  小室眞子さんが、司法試験受験中の夫の圭さんを支える──。結婚相手の経済力に頼る内親王の結婚システムは転換点を迎えている。AERA 2021年11月29日号から。 *  *  *  11月14日朝(現地時間)、眞子さんは新しい人生の舞台、ニューヨークに到着した。圭さんは法律事務所に勤めながら、来年2月にニューヨーク州の司法試験を再受験する。眞子さんは「司法試験受験中の夫」を持つ一人の女性。なんの問題もない。  と思っているのは私だけではない。と言いたいので、1冊の本を紹介する。『皇室、小説、ふらふら鉄道のこと。』だ。 女の人を不幸にする  政治学者の原武史さんと作家の三浦しをんさんの共著で、深くて楽しい対談で構成されている。三浦さんが熱く語ったのは、「内親王の就職」だった。2人の結婚についてはこう言う。 「あの騒動で一番思うのは、なぜ男性の職業や稼ぎだけが問題になるのか、ということです。結婚相手がまだ稼げない状況にあるのならば、女性が稼げばいいのではと思うんですが、内親王の結婚は『専業主婦になること』を基本的な前提としているのかなと。(略)それって時代遅れじゃありませんか?」  18年8月、小室さんが米国留学に旅立ってすぐの発言だが、今でも全く違和感がない。三浦さんは結婚相手の経済力に頼る内親王の結婚システムを、「これでは女の人を不幸にしますよ」と言った。女性皇族も「女の人」という立場で語っているのだ。そして、こんな提案をする。 「例えば会社で自分の仕事はしつつ、祭祀のスケジュールに合わせて有給休暇を取得することもできるんじゃないですか?」  働くことは、人生への対応力。それが三浦さんの考え方だ。 そんなの気にしないで  眞子さんは博物館で勤務をしていた。だが、三浦さんの提案した姿とはだいぶ違った。だからこそ、これからの眞子さんに期待したくなる。三浦さんのこんな言葉があったからだ。 米国に向け出発する小室眞子さん、圭さん夫妻。圭さんは渡米前に、母親の金銭トラブルの解決金を支払った/11月14日、羽田空港(撮影/写真部・松永卓也) 「内親王だって自分のやりたい仕事をしたらいいのに。好きな人と自由に結婚するためにも。実力で一般企業に入社しても、きっとコネとか言われちゃうんだろうけど、そんなの気にしなきゃいいのです」  眞子さんの渡米を伝えるNHKのニュースは、出発時も到着時もこう言っていた。 「関係者によりますと、小室さんと眞子さんは小室さんの知人らの協力も得て見つけたニューヨーク州の賃貸マンションで暮らし、夫婦共働きでの生活も考えているということです」  共働きという方向性を報じていたのは、NHKだけではない。眞子さんが「ミュージアムやギャラリーで勤務する」と予測するメディアは複数あった。「最有力候補はメトロポリタン美術館」という報道も「メトロポリタンでなく、アメリカ自然史博物館」という報道もあった。  どちらなのかどころか、就職するのかどうかも本当のところは知るすべもない。だけど、眞子さんがパンツをはいてニューヨークで働く。その姿はカッコいいだろうな、と思う。インターメディアテクでのパンツ姿がよく似合っていたからだ。  メトロポリタン美術館でも、アメリカ自然史博物館でも、他のどこかでも、眞子さんが就職すれば「特別扱い」と言われることだろう。  だから最後にもう一度、三浦さんに登場いただく。 「そんなの気にしなきゃいいのです」 (コラムニスト・矢部万紀子)※AERA 2021年11月29日号より抜粋
日大背任事件後も沈黙したまま、君臨する田中理事長に疑問の声 自宅に現金2億円「ごっちゃん」体質
日大背任事件後も沈黙したまま、君臨する田中理事長に疑問の声 自宅に現金2億円「ごっちゃん」体質 日大出身力士らへの化粧まわし贈呈式で記念撮影する田中英寿理事長(前列左)、理事の井ノ口忠男被告(後列右)と隣は医療法人「錦秀会」前理事長の籔本雅巳被告(日大ホームページより)  日本大学板橋病院をめぐる背任事件で、東京地検特捜部は4億円あまりの損害を与えた、日大元理事・井ノ口忠男(64)と大阪の医療法人「錦秀会」(大阪市)の前理事長、籔本雅巳(61)の両被告を背任罪で追起訴した。だが、大学のトップである田中英寿理事長は未だに沈黙している。公共性の高い大学で起こった背任事件だけに説明責任を果たすべきだと疑問の声が上がっている。  19日夜、保釈された井ノ口被告は保釈金4千万円、籔本被告は8千万円を支払い、条件として多数の事件関係者と接触が禁止されたもようだ。  今後の捜査の焦点は、両被告から田中理事長に渡ったとされる約7千万円の現金だ。  朝日新聞(11月14日配信)によると、井ノ口被告は東京地検特捜部の調べに対し、薮本被告と相談し、逮捕容疑となった取引の「お礼」の趣旨で、田中理事長や田中氏の妻に総額7千万円を渡したと供述。田中氏は受領を否定しているが、このうち1千万円についてはお札を束ねた銀行の帯封が田中氏の自宅から見つかったという。 「田中理事長の最側近だった井ノ口被告は理事長からの”天の声”で動いたとは、一貫して認めず、籔本被告も田中理事長に現金を渡したことは認めるも、賄賂性は否認。趣旨はビジネス上の謝礼と主張したことで、田中理事長の立件は見送られた」(捜査関係者)  東京地検特捜部の捜査で背任の「被害者」に位置づけられている日大は6日、ホームページで「損害を被ったという事実関係が不明であり、被害届の提出は保留する」と発表している。  だが、東京地検特捜部は、2度に渡って田中理事長の自宅、妻が経営するちゃんこ料理店などを家宅捜索。現金約2億円超が自宅にあったことも明らかになった。東京地検特捜部は2億円についていた札束の「帯封」などを押収したと相次いで報じられた。 「田中理事長が2人から現金で受け取ったとされる約7千万円は申告漏れではなく、所得隠しの疑いがある」(前出の関係者) 田中理事長宅へ家宅捜索に入る東京地検特捜部  日大相撲部OBはこう振り返る。 「田中理事長は、日大からの報酬以外は銀行口座を使わない人です。なんでも現金ですね。とりわけ、大相撲の人気力士、遠藤の騒動以降は現ナマ主義に徹していた」  日大相撲部出身の遠藤は、田中理事長にとって大事なOBだ。遠藤が活躍し、人気がでると、「藤の会」という後援会が結成された。2014年5月に都内のホテルで開催された「藤の会発足会」で発起人会長として壇上にあがったのが、籔本被告だった。井ノ口被告も発起人として名前を連ねる。 「遠藤の後援会が発足し、たくさんのOBや支援者からカンパをしたいと、申し出があった。その時、日大相撲部の銀行口座を使った。すると、あっという間に億単位のカンパが集まった。おまけに相撲部の会計とごちゃ混ぜになり大混乱。そこに、税務当局が目をつけて、厳しく調べられた。『銀行口座を使うから、こんなことになる』と田中理事長はえらく立腹していたそうです」(前出・日大相撲部OB)  田中理事長の妻が経営するちゃんこ料理店では、日大関係者だけでなく業者なども顔を出していたという。 「ちゃんこ店で”闇の理事会”が開かれることもありました。田中理事長の財布にはいつも100万円の札束が1つ、2つと入っており、相撲部のOBの力士らがくると『メシでも食ってこい』と現金をポンポン、配っていく。それを『ありがとうございます』『ごっちゃんです』ともらう。普通の学校法人ではありえない光景。そういう積み重ねが、今回の事件となったんだろう」(前出の相撲部OB)  田中理事長を巡っては、常務理事時代の2007年にも、日大発注の工事業者からリベート約500万円を受け取っていた疑惑が読売新聞(2013年2月2日付)で報じられた。  日大は、事態を重く見て「第三者委員会」を立ち上げて真相解明にあたった。この時も「中間報告」では<田中常務理事が芸術学部江古田キャンパス工事に関し、電気工事業者から、指名・発注に対する謝礼として金を受け取ったという極めて濃厚な疑いが残る>と記載されている。  第三者委員会関係者はこう振り返る。 「田中理事長は当時、現金は受け取っていないと強硬に主張していた。いろいろな大学関係者、業者、田中理事長が関係する弁護士からも話を聞いたが誰もが口が重く、調査がスムーズにいかなかった。業者が払った金が受注の謝礼であるのか否かが大事なポイントだったが、そこに切り込むとますます喋らなくなった。田中理事長の強大な力を感じた」  今回も田中理事長は井ノ口被告、籔本被告からの現金授受について、「カネには不自由していないので、クロになるカネはいらない」などと東京地検特捜部に反論したという。  日大は幼稚園から大学院まで、10万人の在校生がいる。卒業生は100万人ともいわれ、日本最大のマンモス学校法人でまたもトップである田中理事長の疑惑。国から日大への補助金は昨年度、約90億円が交付された。だが、背任事件で今年は保留されており、学校経営にも影響を与えかねない。日大広報部に取材を申し込んだところ、以下の回答があった。 「理事長の両事件への関与はないものと認識しています。両被告からの現金授受の事実はないものと認識しています。(家宅捜索の際、理事長宅から見つかった現金は)適正に税務申告していると聞いています」  元東京地検特捜部の落合洋司弁護士はこう指摘する。 「背任や贈収賄で狙ったが共犯関係の立証ができないことはよくある。だが、今回の事件では田中理事長へカネが渡ったことは認めているとされ、特捜部は国税庁への課税通報を詰めていくでしょう。そして、2人の公判でも、徹底的に田中理事長へのカネの流れを追及するのではないか。学校法人で背任事件というのは、コンプライアンス的にアウト。理事長は説明責任がある」     (AERAdot.編集部 今西憲之)
内田樹「地方移住の課題は情報不足 雇用やビジネスチャンスつなぐ支援を」
内田樹「地方移住の課題は情報不足 雇用やビジネスチャンスつなぐ支援を」  哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。哲学者 内田樹 *  *  *  瀬戸内海に牛窓という古くからの港町がある。そこに映画監督の想田和弘さんと柏木規与子さんご夫妻をお訪ねした。ニューヨークに拠点を置くお二人は以前から柏木さんの母方の故郷であるこの町で長い休暇を過ごしていた。「牡蠣工場(かきこうば)」と「港町」という二つのドキュメンタリーの傑作もここで撮影された。  コロナで日米の行き来が不自由になったことをきっかけに、ご夫妻は長く暮らしたニューヨークを離れて、牛窓に定住することを決めた。世界で最も活動的な都市を離れて、老人と猫ばかりが目立つ過疎の港町で暮らすことにしたのはどうしてなのか、それに興味があった。  目の前がすぐ海という部屋で話し込んでいるうちに、日が傾き、海に沈み、空が紅に染まり、やがて群青色の夜空に星が輝き始めた。部屋の灯(あか)りを点(つ)けずに、月明かりと星明かりの下で話し続けた。贅沢(ぜいたく)な時間だと思った。  ここでは時間の流れは時計で計測されるものではなく、五感に直接触れてくる。日々、スケジュールに追われながらあくせくと暮らしている私に比べて、ここの人たちはなんと豊かな時間を享受しているのか。羨(うらや)ましくなって、「時間富豪ですね」と嘆息してしまった。  われわれの話の主題は「地方移住」だった。牛窓にも移住者が増えている。古い町屋を改造してカフェやパン屋や工房や画廊を営んでいる。家賃が都市の5分の1ほどだから、あくせく働く必要がない。「いい店なんですけれど、なかなか開けてくれないんです」と想田さんが笑っていた。  都市で低賃金・非正規労働で心身をすり減らすよりも、こんな静かな町で暮らす方がはるかに豊かな生活が送れるのに、なぜそういう選択を試みないのだろう。最大の理由は情報が足りないことだ。地方にどんな雇用やビジネスチャンスがあるのか、都市の労働者には知る手立てがない。「喉(のど)から手が出るほど人が欲しい」地方の求人の事業体と都市の求職者をつなぐ就職情報システムが存在しないのだ。キーボードを叩(たた)くだけで仕事がみつかるシステムの構築こそ「地方創生」の急務のはずなのだが政府も自治体も動く気配がない。いったいなぜなのか。 内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数※AERA 2021年11月29日号
夫・妻と死別したら…30~40代も参加する“没イチ”交流会
夫・妻と死別したら…30~40代も参加する“没イチ”交流会 ※写真はイメージです (GettyImages)  そばにいるのが当たり前のパートナー亡き後の人生について考えたことがあるだろうか? 死別経験者の心情や受け止め方、今できることを考える。 *  *  *  シニア生活文化研究所代表理事で、10年前に夫(当時42)を突然死で失った小谷みどりさん(52)は、自身の体験をきっかけに配偶者と死別後にどんな悩みを持ち、どう立ち直ったか、自分が没イチになった時にどうすればいいのかなどをまとめた『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)を出版。昨年12月からは「イブニング」(講談社)で、小谷さんが企画協力という形で、マンガ「没イチ」の連載が始まった。 ◆いつ死んでも悔いはないか 「没イチ」(講談社)  物語は、45歳の白鳥学が、39歳の妻・愛を突然死で失うところから始まる。学が愛の死を受け入れ、残された人生を歩もうとする過程を丁寧に描いている。作者のきらたかしさん(51)は、小谷さんの著書を読んだ時、ひとごととは思えなかったという。 「3年前からパートナーと暮らすようになり、自分にも起こりうる内容だと思いました。つらい出来事ですが、小谷さんの明るい性格もあって、没イチのことが前向きに書かれているのがいいと思いました。だからマンガでもコメディーとして描いたほうが、読んでもらいやすいのではないかと考えました」(きらさん)  ストーリー展開を練っている時に、知人が若くして妻を亡くし、話を聞く機会があった。 「その時、この作品は実際に配偶者を亡くされた方が読むかもしれないので、いい加減な気持ちでは描けないと思いました。自分が経験していないことが経験した方にも通じるかを常に意識していて、毎回悩みながら描いています」(同)  主人公の学は、全くできなかった料理や掃除に取り組み、出会う前の妻の過去を調べながら、妻のいない現実と向き合っていくようになる。 「生きているといつ何が起こるかわかりません。自分がある日突然死んでも悔いがない生き方をしているかはとても大事で、自分自身、そのことを意識するようになりました」(同)  同時に、自身の両親のようにパートナーが健在で年を重ねられることの貴重さも実感するようになったという。 「長年一緒にいると惰性になりがちですが、パートナーがいることのよさを改めて実感し、相手の新たな一面を知ろうとしたり、喜んでもらおうとしたりすることが大事ではないかと考えるようになりました」(同)  マンガ「没イチ」の主人公は45歳、小谷さんは42歳と、若くして配偶者と死別したが、その衝撃は何歳であってもこたえるものだ。そして、死別経験者は身近に体験を話せる人がおらず、心を閉ざしてしまう人も少なくないという。  インターネット上の交流サイト「パレット倶楽部」は、そうした死別経験者の心のよりどころとなっている。運営するのは、かつて結婚相談所を営んでいた林文勇さん(66)。バツイチ仲間の交流会を開いていたところ、参加者から「離婚と死別は違うので、死別だけの交流会をしてほしい」という声が上がり、2009年に倶楽部内に死別経験者のみの交流会「天国組会」を作った。  当初は参加者が集まっての会だったが、コロナの影響で、現在はオンラインのみの開催となっている。 「死別というと80代以上の高齢者ばかりが集まるのかと思ったのですが、やってみると30~40代の若い人も集まって驚きました」(林さん)  現在、メールマガジンの登録者数は約3千人。30~60代が中心で、女性が多いという。「天国組会」は、入会金や月会費などはなく、発生するのは参加費のみ(オンライン会は1500円)。 「死別を経験すると、『自分の人生は終わった』と感じる人が多いようです。経験者同士で話すだけに心が軽くなり、少しずつ元気になって、前を向いてもらえるようになったらいいと思っています。友達ができる人もいますし、中には交際に発展する人もいますが、それはご縁なので、自然に任せています」(同)  林さん自身、運営にあたってグリーフケア(遺族に寄り添い、サポートすること)や傾聴(相手の話に耳を傾けて共感する手法)などについて学び、交流を裏から支えている。林さんにとって「パレット倶楽部」はライフワークのようなもので、利益は出ていないという。 「参加者に、『こういう会があってよかった』『人生もう一度やり直そうと思えた』などと言ってもらえるのがうれしくて、ここまで続けてこられました」(同)  交流会は「天国組会」の中に、「死別3年以内の会」「40代50代子供のいない方の会」「高校生以下の子供がいる方の会」「伴侶自死の会」など、細分化されているのが特徴だ。 「ある程度細分化することで、参加者に同じ経験を共有、共感してもらいやすくしています」(同) ◆没イチという呼称の是非  さまざまな交流会を主催してきた林さんは、死別経験者の苦悩を間近で見続けてきた。 「故人を思って一生暮らすのが筋、と言われることもあるようですが、いま生きている人のほうが大事で、支えが必要なはず。暗くなる必要はないし、交流会はいつも笑いあり涙ありです。オンライン開催になったことで、地方の人や子育て中で手が離せない人も参加しやすくなりました」(同)  参加者の中には、「自分の経験を生かして活動を手伝いたい」という人もいるといい、ある女性は九州を拠点にした交流会「彩(いろどり)にじ倶楽部」を立ち上げた。  ところで死別経験者の中には、没イチという呼称に嫌悪感を抱く人も少なくない。前述の小谷さんが「没イチ会」を立ち上げた時には、既にこの単語があり、小谷さんが発案者ではないという。 「『バツイチ』を言い始めた明石家さんまさんが『僕はバツイチ、君は没イチ』と言ったという話があるのですが、定かではありません。“没”には戦没者のように死の意味があるのですが、捨てるというイメージがあり、故人を捨てるようで冒涜していると感じる人もいるようです」(小谷さん)  小谷さんは、「没イチ」という言葉はあくまで当事者が「死別」を端的に表すために用いるものだと考えている。 「誰かが『あなた没イチですよね』と言ったらそれは失礼でしょう。でも、死別、未亡人、男やもめという単語がいいとも思えません。バツイチのように端的な言葉があることによって、死別経験者の存在がもっと知られていくことになるのではないでしょうか」(同) “没イチ”というと、特殊な存在と感じる人もいるかもしれないが、離婚しない限り、誰もがいつかは没イチになる。 「どちらが先に死ぬかはわかりません。その確率はフィフティー・フィフティーです。もし自分が没イチになった時に、どう生きていくかは誰もが考えなくてはいけないことなんです」(同) (ライター・吉川明子)※週刊朝日  2021年11月26日号より抜粋
「先に死にたい」夫は約80%、一方妻は50% 一人残され苦労しないために
「先に死にたい」夫は約80%、一方妻は50% 一人残され苦労しないために ※写真はイメージです (GettyImages)  結婚式で「死が二人を分かつまで……」と誓いを立てるが、離婚しなければ、いずれはどちらかが先に亡くなることになる。もしも自分が配偶者に先立たれたとしたら、どうなるかを考えたことがあるだろうか?  日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団が、20~70代の既婚者の男女計694人に、自分で死の時期を決められるとしたら、配偶者より「先に死にたい」か、「後に死にたい」かを尋ねたところ、「先に死にたい」を選んだ男性は78.3%なのに対して、女性は約半数の49.9%だった。 (週刊朝日2021年11月26日号より)  女性は50代までは男性同様に「自分が先に」が多かったが、60代以上で逆転。「自分が後に」が多くなり、70代では67%を占めている。 「50代以下が男女とも『先に死にたい』を選んでいるのは、配偶者が早く亡くなった後、自分が一人取り残される恐怖が強いから。でも、残された人生はその後も続いていきます」  そう話すのは、シニア生活文化研究所代表理事の小谷みどりさん(52)。自身も10年前に夫(当時42)を突然死で失った。 「朝、起きている気配のない夫に近づくと、すでに死んでいました。私は第一生命経済研究所で、お葬式や死の迎え方など、死の前後にまつわるテーマで研究をしていました。でも、夫を亡くしてはじめて、配偶者と死別した人はその後、一人でどう生きていくかという問題をなおざりにしていたことに気づきました」(小谷さん)  死別して3日後、50歳以上を対象とした立教セカンドステージ大学で、死に関する講義を担当することになった。そこで夫と死別したことを受講生に話したのがきっかけで、同じく配偶者を亡くした受講生同士で「没イチ会」を結成。現在は約25人が参加し、親交を深めている。 「この会は『死んだ配偶者の分も、2倍人生を楽しむ使命を帯びた人の会にしよう』というもの。雑談ばかりの飲み会で、身の上話をしたい人はすればいいし、したくなければ聞き役に回ってもいいんです」(同)  同会の目的は、小谷さんの願いでもある。 「夫を亡くした時、『かわいそうに』と声をかけられました。夫は突然死で、私よりも死んだ本人がかわいそうなのに!と腹立たしく思ってしまったんです」(同)  また、「死別して間がないのだから、楽しそうにしないほうがいい。後ろ指をさされるから」と言われたこともある。 「市川海老蔵さんが、妻の麻央さんが亡くなった直後にディズニーランドに行って、『不謹慎だ』とネットで炎上したことがありましたが、何が悪かったのでしょうか。配偶者を亡くしたら、一生喪に服さなきゃいけないような社会の圧力みたいなものはあります。残された人も生きていかなくてはならないのに、生きている人のことはないがしろにされがちだと感じました」(同) ◆配偶者頼りは苦労することに  残された人は、配偶者の死という受け入れ難い事実を背負うだけでなく、日常生活でも困難に直面することが多い。家事を妻に任せきりだった男性は、妻亡き後、身の回りのことができずに困り、女性は経済的に不安定になることがある。 「特に男性は根拠なく『自分が先に死ぬ』と思っている人が多く、妻に先立たれて何もできないことがよくあります。男女ともに一人で生きていけるだけの生活力や経済力を身に付けておくことは本当に大事です」(同) 「没イチ会」メンバーの一人である岡庭正行さん(66)は、59歳の時に妻を突然死で失った。 「妻が亡くなる前日の夜、二人で東北旅行を計画して、『ホテル取れたよ』と話したのが最後。妻は朝、台所で倒れていました。私は単身赴任が多く、身の回りのことはできたのですが、家にいる時間が短くて妻に任せていた分、家の中のどこに何があるか全くわからず、お金の管理にも無頓着で、今は無駄な出費が多いかもしれません」(岡庭さん)  妻を亡くした1カ月後に会社から中国赴任を打診され、悲しむ間もなかったという。 「赴任後は月に1回帰国していたのですが、飛行機の待ち時間などで少しずつ妻のことを思い返すようになりました。旅行が好きで、コンサートや美術館によく行きました。妻はいつも楽しそうにしていました」(同)  1年間の中国赴任を終え、定年退職した岡庭さん。仕事が忙しかった分、地域ボランティアや神社の氏子など、やれることを何でもやっているという。大学で学びなおしたいという気持ちもあり、立教セカンドステージ大学に入学し、没イチ会に出合った。 「妻が亡くなった時のことは、経験したことがない人の前では言えないし、言う気もありませんでした。だから『没イチ会』は傷をなめ合うような会かもと思っていました。でも同じ境遇の人と話してみたかったので参加したら、みんな明るくて楽しかったんです。没イチのことも、それ以外のことも話しているうちに気持ちのひっかかりがとれてきた気がします」(同)  地域活動や大学での学びは、妻を失う前からやろうと考えていたことだが、妻がいたら思う存分活動できなかったかも、と思う時があるという。 「妻が亡くなってできなくなったこともあれば、できるようになったこともある。プラス面に目を向けてみるのも大事ではないでしょうか」(同)  妻に対する心残りはあるが、それよりも今できることをやりたいというのが岡庭さんの考えだ。 「妻とは生前、時間をつくっては旅行や美術館、コンサートに行くなど、仲良くいろんなことをやっていたから、今もいい思い出が頭の中に残っています。失って初めてわかることも多いので、いまパートナーがいる人は、今のうちにいろんなことを楽しんだほうがいいと思います」(同) (ライター・吉川明子)※週刊朝日  2021年11月26日号より抜粋
投資信託64%下落… 会社員“億り人”が秘める「リスク許容度」とは
投資信託64%下落… 会社員“億り人”が秘める「リスク許容度」とは 億り人会社員、個人投資家の橘ハルさん(イラスト/本人提供)  宝くじに当たって富を手に入れると、人生が暗転するという話がある。宝くじのように運や勘だけで「投資で資産1億円」は達成できない。ブレのない運用手法、失敗から学ぶ姿勢が大切だ。深くてタメになるお金の考え方を、一歩先行く「億り人」である橘ハルさんに聞いた。 橘ハルさんと「リスク許容度」  30代の若さで資産1億円を達成した橘ハルさん。妻、子ども2人の4人家族で普通の会社員だから、生活費もそれなりにかかると思うが、その若さで1億円!? うらやましい限りだ。  ハルさんが株やETF(上場投資信託)への投資をはじめたのは2005年のこと。その3年後に起きた2008年9月のリーマン・ショックをはじめ、数々の非常事態を乗り越えてきた。ラクに億の資産を築いたわけではないのだ。  ここ10年以上は米国株を中心に上げ相場が続いている。ネット上では冗談のように「S&P500への投資はもはや貯金」といった書き込みも見かけるようになった。  ある日、ハルさんは、自身のツイッターで「リスク許容度を把握できていますか?」というアンケートをした。約45%の人が「把握している」と答えたそうだ。 「投資経験の浅い人のほうが『把握している』を選ぶ傾向が強かったのが気になりました。リーマン・ショックのような大暴落に遭遇すると、自分の考えていたリスク許容度が合っていたのか、間違っていたのか、はっきりわかります。  私自身、株式投資をはじめてすぐの2006年1月にライブドア・ショックを経験しました。リーマン・ショックのときも、保有していた日本の個別株が暴落していくのをぼうぜんと眺めているだけでした」  ここ数年で投資信託などを買い始めた人は、ひたすら上がり続けてお金が増えるばかり。2020年3月の「コロナショック」はあったものの、すぐにV字回復した。つまり本物の大暴落を見たことがない人が多いのではなかろうか。  6割減っても生活に困らない金額  ハルさんにとってリスク許容度とは、「どれぐらいの損失なら生活と心に影響しないか」である。 『AERA Money 2021秋号』 「生活費は、過去数カ月~1年の支出を記録すれば、毎月必要なお金がざっくり把握できます。不測の事態に備える資金も含めて、リスクにさらすべきではないお金の量がわかれば、リスクにさらしてもいい金額もわかるはずです」  では、リスクにさらしたお金が自分のリスク許容度に収まっているかはどうすれば確認できるのだろう。  過去の暴落時のデータが参考になる。リーマン・ショックの際のS&P500の最大下落率は月間で見ると約50%、日次では約64%にもなる。ハルさんは、資産が6割程度マイナスになった場合まで想定して投資資金を管理している。  あなたもここで想像してみてほしい。これまでコツコツ積み立ててきた投資信託が100万円になっているとする。突然、暴落しはじめて、1カ月で64%マイナス……つまり36万円になってしまったら、心も生活も耐えられるか? 耐えられる範囲の資金で投資をしてほしいと思う。 「リスク許容度を決めるうえで、知識も重要です。S&P500や全世界株式などは過去の暴落を何度もはね返し、上昇してきた歴史があります。それを知識として知っていれば、資産の一時的なマイナスを精神的にも受け入れられる可能性が高くなります」  そう、長期投資なら「株価が戻るのを待つ時間」もある。生活費に手を付けていなければ、あとは心の問題。「いま、大暴落しているが10年待てば戻るだろう」と思えるかどうかが分かれ道になる。  一番もったいないのは、せっかくこれまで積み立ててきたのに暴落が来たとたんに焦って投げ売りしてしまうこと。積み立ては「安いときにたくさん買える」のもメリットの一つなのだから、落ち着いて続けることだ。  ◎橘 ハル/億り人会社員、個人投資家。米国の高配当株やナスダックETF、全世界株式投信への投資で30代ながら億り人に。優待株も楽しむ。4人家族。ツイッター @haru_tachibana8 (編集・文/綾小路麗香、伊藤 忍) ※『AERA Money 2021秋号』から抜粋
コロナで変わった“遺産バトル” 財産激減に延滞税発生、うつ病発症も
コロナで変わった“遺産バトル” 財産激減に延滞税発生、うつ病発症も (週刊朝日2021年11月26日号より)  新型コロナウイルスがもたらした経済的打撃は、「遺産相続」にも影響を及ぼしている。緊急事態宣言発令による行動制限や、病院内での面会謝絶、株価の暴落をきっかけに、思わぬ“争続”に発展したケースを紹介する。 *  *  *  愛知県在住の70代男性Aさんは、昨年春に父親を亡くし、不動産(実家の一軒家)を相続することになった。 「8年前に母を亡くした後、妻子と一緒に実家に移り住み、父の介護をしながら暮らしてきました。私には姉と妹がいますが、どちらも遠方に住んでいて相続放棄しても構わないとのことだったので、このまま実家に住み続ける予定でした」  ところが新型コロナの感染拡大により、状況は一変する。緊急事態宣言の発令により、妹の夫が経営していた飲食店の売り上げが激減。その後、妹夫婦から「相続放棄はしない。法定相続分の財産を受け取りたい」とAさんに連絡が入ったのだ。 「父は遺言を残しておらず、財産は不動産だけで預貯金はありませんでした。そこで土地の権利を分割することも提案したのですが、拒否されてしまいました」  結局、不動産の評価額を算出し、法定相続分の現金(代償金)を支払う「代償分割」を行うことで決着したが、「仕方ないとはいえ、老後の蓄えから数百万円を持ち出すのはかなり痛手」とAさんは話す。  Aさんの相続トラブルはこれで終わらなかった。不動産の相続登記を進める中で、司法書士から戸籍謄本の調査結果について連絡があり、父親に前妻との子どもがいることがわかったのだ。 「寝耳に水でしたね。父は母と出会う前に婿養子に入っており、前妻との間に子どもを3人もうけていたんです」  法律上、前妻の子は後妻の子と同等の相続権を持つため、遺産分割協議を行わなければならない。しかし関係性が完全に途切れているうえに、コロナ禍で思うように動くこともできず、相続手続きは暗礁に乗り上げたままだという。 「もしかすると家を手放すことになるんじゃないかと今も不安です。遺産相続は気が滅入ります」 (週刊朝日2021年11月26日号より)  OAG行政書士法人で、これまで500件以上の相続・遺産整理支援業務に携わってきた行政書士の加藤健司さんは、「新型コロナの影響により、遺産相続を進めるうえで大きく二つの問題が生じた」と話す。 「一つは、遺産相続に必要な手続きが進めづらくなったことです。故人の財産を相続するためには、諸々の必要書類を役所や税務署、金融機関の窓口に提出しなければなりません。しかし、特に緊急事態宣言下では、入室制限や窓口予約が必要なところも増え、通常よりも多くの時間がかかりました。もう一つは、相続人間での話し合いが困難になったこと。コロナの影響で葬式が直葬になったり、長距離移動が制限されたりしたことで、遠方に住んでいる兄弟姉妹と遺産分割協議を進めたくてもできないという状況が多く生じました」  相続の手続きには、期限が設けられているものも多い。例えば、「相続放棄」は被相続人の死後3カ月以内、「準確定申告」(被相続人に代わって相続人が行う確定申告)は死後4カ月以内、「相続税の申告」は死後10カ月以内に原則として手続きが必要だ。  だが、加藤さんが挙げた二つの事情により期限内に間に合わず、延滞税などのペナルティーを受ける場合もあると言う。 ◆コロナで株暴落 財産4分の1に 「私が担当した中では、法定相続人と連絡が取れず、遺産整理が進められないケースがありました。そのご家族は、今年の2月に父親が亡くなり、母親と姉妹2人が法定相続人となりましたが、長女が精神的な病気で人と会話することができない状態で、長らく音信不通となっていました。依頼人のご家族は東北、長女は関西に住んでいたため、しばらくは電話やメール、手紙などで一方的に連絡していましたが、半年経っても返信がない状態。父親は財産が1億円近くあったため、あと数カ月以内に相続手続きを完了させないと申告期限に間に合わない状況に追い込まれ、依頼人もかなり焦っていました」 (週刊朝日2021年11月26日号より)  その後、弁護士から内容証明郵便を送ったことで、ようやく長女とは連絡が取れた。住民票から現住所はわかっていたため、コロナがなければ直接訪問するという手段を取ることもできたが、母親も次女も高齢で、緊急事態宣言下では難しかったと話す。 「こうした状況を鑑みて、国税庁から、相続税の申告期限の延長を認める“コロナ特例”も出されました。ただし、相続人がコロナに感染したなど、やむを得ない事情がないと認められないため、いずれにせよ通常よりも早め早めに対処していく必要があります」  一方で、コロナの影響により、こんな相続トラブルも起こり得る。  関東地方で暮らすBさん一家は、2019年12月に父親が肺がんで亡くなった。残された財産は、不動産(持ち家)と預貯金3千万円、父親が運用していた株式(時価1千万円)だ。遺族である母親と兄弟2人で遺産分割協議を行った結果、母親が不動産、長男が預貯金2千万円、残りの預貯金1千万円と株式を次男が相続することに。  ところが20年3月に国内で新型コロナの感染が拡大し始めると、株価が大暴落。次男が相続した株式の時価は、コロナ前の4分の1にまで下落してしまった。慌てた次男は、「株価の暴落は予測できず、遺産分割の方法が不公平だ」と、協議のやり直しを主張する。しかし財産の名義変更が完了していたことから、母親と長男は話し合いに応じず、家庭内トラブルに発展したという。  加藤さんは、「コロナに限らず、相続で最もトラブルが起こりやすいのが、遺産の分配方法。特に値動きのある株式など有価証券がある場合は注意が必要です」と話す。 ◆遺産相続進まず うつ病を発症 「遺産分割協議が終わっても、当事者全員の合意があれば、再度の話し合いは可能です。ただし、『相続人間で贈与があった』と税務署に判断され、贈与税が課されるリスクはあります。財産の名義変更まで済ませている場合は、やり直しに想定外の手間や費用も発生するので注意が必要です」 (週刊朝日2021年11月26日号より)  コロナをきっかけに、相続トラブルに発展したケースはほかにもある。  全国でも高齢化率が高い北九州市で、相続・遺言・後見業務にあたり、近著に『図解でわかる 改正民法・不動産登記法の基本』(日本実業出版社)などがある司法書士のぞみ総合事務所代表の岡信太郎さんは、「コロナによって、約2年間、人流や話し合いが途絶えたことで、今になって相続人が増えている、あるいは病気が進んで相続人の意思確認が取れなくなり困るケースが増えている」と話す。  九州地方で暮らす70代男性Cさんの例を挙げよう。Cさんは3兄弟の次男で、長男、三男とは仲が良く、定年後も交流してきた。そんな中、長男が1年前に亡くなる。長男には妻子がいなかったため、Cさんと三男が法定相続人となり、2人で長男の財産(持ち家と預金2千万円)を分け合うことになった。  ところがコロナ禍により遺産分割協議は延期に。Cさんは「コロナが落ち着いてから再開しよう」と考えていたが、その間に三男が大動脈瘤破裂により突然死してしまう。これにより「数次相続」が発生し、三男の妻と子ども2人(甥姪)に、長男の遺産を分け与えることになってしまった。 「数次相続の場合、自分とは血縁関係のない『兄弟姉妹の配偶者』も相続人となるため、『どうして故人と関係のない者にまで遺産を渡さなければならないのか』とトラブルになるケースが少なくありません。また、相続人が増えることで、必要な手続きや費用が予想外に膨らんでしまい、不公平感を抱く人も多いですね」(岡さん)  関西地方で暮らす60代女性のDさんは、遺産相続が難航したことが心的負担となり、うつ病になってしまった。  Dさんは、親元を離れて夫と子ども2人と暮らしていた。しかし昨年末に、福岡で一人暮らしをしていた父親が死去。母親は持病があり入院していたため、一人娘のDさんが遺産整理を進めることになった。  会社役員だった父親は、不動産、預貯金、株などの有価証券と、複数の財産を所有していたが、遺言は残されていなかった。そこで法定相続人である母親と遺産分割協議を始めようとしたが、その矢先、コロナにより病院が面会謝絶となってしまったのだ。 (週刊朝日2021年11月26日号より)  さらにその後、母親は認知症を発症。手紙や電話のやり取りだけでは内容を理解してもらえないだけでなく、母親から「私の財産を奪おうとしているのか!」とあらぬ疑いをかけられるなどした結果、Dさんはついに過労で倒れてしまった。 「法定相続人が複数いる場合、一人でも意思確認が取れなければ、財産の継承は進められません。ただ、Dさんの母親のようにやむを得ぬ事情がある場合は、成年後見人を立てることで、本人の意思確認がなくとも遺産分割協議を進められます。ただし、成年後見人はあくまで本人に代わって財産を管理する者。分割した遺産は、成年後見人やほかの家族が自由に使えるわけではありません」(岡さん)  また、弁護士や司法書士など、外部の専門家が成年後見人になった場合、財産の管理費用が毎年発生することも頭に入れておく必要がある。  コロナによって、家族間のコミュニケーションの希薄さが浮き彫りになった側面もあるという。 「相続トラブルのほとんどは、連絡ミスや説明不足といった“コミュニケーション不全”をきっかけに起こります。何十年も連絡をとっていない親族から、一方的に書類を送り付けられて『印鑑だけ押して』と言われても、到底納得はできない。今回のコロナ騒動で、家族や親族間の関係性の脆弱さが、より表面化した感じはしますね。半年に1回でいいから兄弟姉妹と電話で話す、年賀状だけは毎年送り合うなど、最低限であっても付き合いを継続しておくことがトラブルを防ぐ要になると思います」(同) ◆おひとりさまの空き家は放置  一方、コロナ以外で最近増えつつあるのが、「おひとりさま」の相続トラブルだ。行政書士の加藤さんは、「法定相続人がいない場合、故人の財産、特に不動産は放置されたままになる可能性もある」と話す。 「以前、故人の遠戚から『遺産整理を手伝ってほしい』と頼まれたことがあります。故人は、親や配偶者、子もいない、いわゆる“おひとりさま”でした。しかし結論から言うと、依頼人と金銭面で折り合わずに契約には至りませんでした」  おひとりさまの遺産整理が進まない背景には、費用負担の問題があると加藤さんは指摘する。法定相続人がいない場合、故人の財産は、最終的には国庫に帰属する。しかしそのためには、戸籍確認のほか、家庭裁判所で「相続財産管理人」(故人の財産などを代理で管理する者)を選任するといった手続きが必要になる。管理費用を先に納めなければならないケースもあり、手続きを専門家に依頼すると100万円単位での出費となることもある。 「問題は、その費用が遺産額によっては依頼人の持ち出しになってしまうという点です。法定相続人でなくとも、『特別縁故者』として認められれば財産を分けてもらえますが、これはかなりハードルが高い。認められるのは、故人の財産形成に寄与した場合などで、生前に親しかった、少し世話をしたという理由だけでは通りません。そのため依頼人が善意で財産整理をしてあげようと思っても、多額の出費を負うことになるため、そのまま放置されてしまうケースが少なくないのです」  現在、日本各地で放置された空き家が増えているのも、背景にこうした問題がある。 「おひとりさまに限りませんが、相続トラブルを防ぐためには、やはり遺言を残しておくことです。公正証書遺言がお勧めですが、自筆証書遺言でも法務局が保管してくれる制度があります。また、遺言者の希望に応じて、関係者に遺言の存在を知らせる制度もあるので、亡くなったことが認知されず手続きが長期間停滞するのを防ぐことも期待できます」 “死後に頼れる人”を生前に見つけておくことが大切だ。(ライター・澤田憲)※週刊朝日  2021年11月26日号
複数人との恋愛を受け入れた鎌倉時代の日記「とはずがたり」 貴族社会の「愛」の姿とは?
複数人との恋愛を受け入れた鎌倉時代の日記「とはずがたり」 貴族社会の「愛」の姿とは? 写真はイメージです(gettyimages) 『戦国武将を診る』などの著書をもつ産婦人科医で日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授の早川智医師が、歴史上の偉人や出来事を独自の視点で分析。今回は「とはずがたり」について“診断”する。 *  *  *  1938年、宮内庁書陵部で鎌倉時代末期の王朝女性の日記が発見された。  作者・後深草院二条は大納言源(久我)雅忠の娘である。母大納言典侍は四条隆親の娘で、幼少の後深草天皇に「新枕」(性のてほどきをさずける役)から中流公家である雅忠のもとに降嫁した。  しかし、彼女は幼小期に父を失い、4歳から後深草院のもとで養育される。そして母のことを忘れられない院により14歳から寵を受ける。  だが、以前から慕っていた「雪の曙」(モデルは太政大臣西園寺実兼)や後深草院の弟の亀山院、そして、やはり帝の弟にあたる御室仁和寺の門跡の「有明の月」(性助入道親王)という阿闍梨とも関係を結び、幾人かの子をなしている。さらに後深草院が紹介した近衛の大殿(関白鷹司兼平)とも交わるがひたむきな有明阿闍梨との交情も続く。  後深草院は有明との関係をとがめないのみならず、懐妊が判明するとその子を院の皇子として引き取る。作者は31歳になって宮廷と愛欲の世界から身を引いて出家し、鎌倉への修行の旅に出る。信濃の善光寺、浅草の観音堂を詣で、鎌倉に戻っては多くの御家人たちと和歌を交わしたあと、都を経て奈良へ、そして石清水八幡に参拝したところで後深草院の御幸と巡り合い、一晩語り合う。  その後も院や貴族たちとの交流は続く(有明の月のみは流行病で死去)が、嘉元2年(1304)、後深草院の死を迎え、葬列を裸足で追ったところでいったん終わる。後半は49歳までの二条の旅行記なので省略。 13世紀のポリアモリー  かつて、この日記「とはずがたり」は、源氏物語や伊勢物語のパロディーや一人の多情な女性の懺悔(英訳はThe Confessions of Lady Nijoとなっている)というコンテクストで考えられてきた。だが、彼女の愛は初めての男性である後深草院、初恋の「雪の曙」、弟宮の亀山院、有明阿闍梨、そして大殿といずれもひたむきであり、後深草院ほか他の恋人たちも(内心の嫉妬はあったとしても)彼女の愛を受容している。  その意味で、これこそ日本におけるポリアモリー女性の記録として貴重なものであろう。  このポリアモリーとは、20世紀になって欧米で市民権を得た概念で、ノンモノガミー(排他的な一夫一妻制ではない関係)の一種と定義される。ポリアモリーには、関係者全員が合意に基づき、多重的な性愛関係やロマンチックな関係を認めるという条件がある。  古代は知らず、キリスト教倫理の支配した欧米では不倫はあってもこのような愛の形は長く受け入れられなかった。仏教や儒教、イスラム教でも一夫多妻のハーレムはあっても自由な多重恋愛は絶対的な禁忌であった。  非常に興味深いことは、摂関時代から院政期を経て、武家が権力を独占するまでの数百年は、少なくとも日本の貴族社会ではこのような愛の姿を受け入れる土壌があったのだろう。 宮廷恋愛は書物の中だけに  この後、権力を握った武士は家と領地を死守するためのポリガミーを基本とし、庶民は経済的理由もあってモノガミーが基本となったと同時に、平安期の華麗な恋愛文学も終焉を迎える。  時を経て江戸時代初期に、「猪熊事件」というスキャンダルがあった。名門貴族である権大納言四辻公遠の子で山科家の養子(のちに猪熊と改名)となった、教利は在原業平や光源氏を想わせる「天下無双」の美男子であったが、女性関係も派手で「公家衆乱行随一」といわれた。  慶長12年(1607年)2月、宮中の女官との密通が明るみに出て、後陽成天皇の勅勘をこうむり、さらに成立後間もない徳川幕府の命により斬罪に処せられ、自由恋愛を楽しんでいた多くの貴族や女官たちは配流に処された。  以降、王朝の恋物語は、能楽や草紙のなかのみとなってゆくのである。 ◯早川 智(はやかわ・さとし) 1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)など ※AERAオンライン限定記事
樹木希林さん、ドラマ演出家の不倫暴露も “一番弟子”浅田美代子が振り返る
樹木希林さん、ドラマ演出家の不倫暴露も “一番弟子”浅田美代子が振り返る 浅田美代子 (撮影/写真部・高橋奈緒)  今秋、長くから交流のあった樹木希林さんとの思い出をまとめた本を上梓した浅田美代子さん。作家・林真理子さんとの対談では、本の誕生秘話、希林さんとのいろんな話と話題が尽きることはありませんでした。 *  *  * 林:樹木希林さんが亡くなって、もう3年なんですね。それに合わせて浅田美代子さんが『ひとりじめ』という本を出しましたけど、すごく評判がよくて売れているみたいですね。 浅田:うれしいです。この本は真理子さんたちがいなかったらできてないですよね。 林:美代子さんと私と、中園ミホさん(脚本家)、元編集者の女性とでごはんを食べてたら、「希林さんのことを書いてくれって頼まれてるんだけど、どうしようかと思って」って美代子さんが。 浅田:そしたら「来年あたり本を出したほうがいいわよ」って中園ミホさんが言ったの。 林:あの占師ですね(笑)。 浅田:真理子さんも「いいんじゃない? 出したほうがいいよ」って言ってくれて、「でも美代ちゃん、写真が多くて文字が大きいタレント本はダメよ。文字がいっぱい詰まってて、写真も1枚にして」とか言って、「出版社、どこがいいかしら」って、そこからが早かったの。2、3日後には編集者も紹介してくれて。 林:「用事は忙しい人に頼め」っていうけど、私、頼まれた用事はすぐするの。忙しくてまごまごしてるうちに忘れちゃうから。 浅田:あれだけ早いとは思わなかったから、感動しちゃった。 林:浅田美代子さんが書いた樹木希林さんの本、私も読みたいし、みんなも読みたいだろうと思って一生懸命やらせていただいたかいがあって、いろんな人が希林さんの思い出を書いている中で、具体的でいちばんおもしろい。いいことばっかりじゃなくって、希林さんと二人で誰かの悪口を言った思い出なんかも書いてるし。 浅田:書いてるうちに希林さんのことをどんどん思い出してきて、「この話もあの話も入れたい」って思っちゃったんだけど、こんなことをやってたら焦点がぶれちゃうなって思って、やめました。 浅田美代子さん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・高橋奈緒) 林:希林さんにも前にここに出ていただいたことがあって。 浅田:変な人だったでしょ?(笑) 林:かなり個性の強いお方でした(笑)。希林さんと美代子さんって、親子みたいな関係に見られてるけど、親子ほど年は離れてないんですよね。いくつ違うんだっけ。 浅田:13歳かな。 林:だから親子じゃなくて、一番弟子って感じよね。「なんで私のこと、こんなにかわいがってくれるの?」って聞いたことがあるんでしょう? 浅田:ふつうの女子高生が芸能界に入るきっかけになったオーディションに、希林さんが審査員としてかかわっていて、「だから責任があるのよ」なんて言ってたけど。私、意外と性格がひねくれてるから、彼女みたいな変わった人、好きなんですよ。「おもしろい、この人」と思って、それこそ金魚のフンみたいにずっと一緒にいたんです。 林:1カ月に何回ぐらい会ってたんですか。 浅田:多いときは多いし、会わないときは月に1回ぐらいだったり。 林:それは二人っきりで? 浅田:だいたい二人っきり。あと、(内田)裕也さんがいたりとか。 林:裕也さん、希林さんのご夫妻と3人で、ハワイで過ごしたんでしょう? そんなコワいこと、よくできましたね(笑)。 浅田:部屋は違うし、飛行機だって私は私で別に行って、向こうで合流してたんですよ。1週間ぐらいの滞在だったんだけど、希林さんは物件好きだから、最初の3日とあとの3日、ホテルを引っ越したりするの。 林:不動産マニアだったみたいですね。美代子さんも、賃貸だったのに「家を買いなさい」って言われたんですよね。 浅田:延々言われてましたよ。「いいのよ私は。子どももいないし、残す人もいないんだから」と言ったら、「そういう問題じゃないのよ。60過ぎたら誰も貸してくれなくなるわよ。年寄りは孤独死とかあるから」って言われて、一緒に探してくれて。買ったら買ったで、「あんた、なんかコマーシャルに出てたけど、あれはギャラいくらだった? 100万でもいいから繰り上げ返済しなさい。借りたものは早く返しなさい」って。 林:それはすごく正しいアドバイスですね。 浅田:そうですよね。買わないつもりだったのに、「終のすみか」を持ったことで結局、精神的に変わったというか、落ち着きました。それまでは、たとえば車を買ったりすることでヨロイをつけてた気がするんだけど、家というちゃんとした資産を持ったことで、それがいらなくなったというか。 林:亡くなる少し前の希林さん、ご自分の死期がわかってたのか、いろんな映画に出てましたよね。 浅田:ほんとに状態は悪かったのに、メチャクチャ出てましたよ。「モリのいる場所」(2018年)、「万引き家族」(同)、「日日是好日」(同)、「エリカ38」(19年)、ドイツの映画(「命みじかし、恋せよ乙女」19年)にも出ていて、すごく精力的に仕事してらしたのよね。 林:「エリカ38」は、希林さんが「美代ちゃん、このままだったらバラエティータレントになっちゃうよ」と言って、美代子さん主演の映画を自分でプロデュースしたんでしょう? 浅田:「バラエティー色が強すぎるし、『釣りバカ日誌』とか、いい人、やさしい人の役ばっかりでおもしろくないわよ。犯人役をやりなさい」ってずっと言われてて。50代女性が起こしたワイドショーをにぎわすような殺人とかがあると、「こういうのやればいいのよ」って。「私にはこんな役来ないよ」と言ってたんだけど、年齢を20歳以上若く偽って男をだました詐欺事件があったときに、「これはいい。あんた、やれるよ」と言って、希林さんが動いたんです。 林:美代子さんへの最後のプレゼント、という感じですよね。 浅田:そうですよね。でも、ちゃんとお返ししてない感じがする。あの作品ではまだ。 林:希林さんが亡くなったとき、美代子さん、お葬式のときもご遺族の一員として、ずっと一緒に立ってましたよね。それが希林さんとの関係をあらわしてますよ。 浅田:自然にあそこにいましたね。 林:希林さんってとても冷静で知的な人ですが、本を読むと、びっくりするような一面もあるんですね。久世(光彦)さんのドラマの打ち上げのときに、久世さんがそのドラマに出ていた若い女優さんと不倫して、その女優さんがいま妊娠中だということを、希林さんが突然暴露したんでしょう? あれについて希林さんは何かおっしゃってたんですか。 浅田:希林さんは久世さんと同志みたいな感じで一緒にいろんなものをつくってきてたから、あれにはほんとにアタマに来たんだろうと思う。久世さんには家庭があったし、そういうのは許せないタイプなんですよね。周りはみんな知っているのに、誰もそれに触れないで、見て見ぬフリしてるし。それで最後の打ち上げのときに言っちゃったんだよね。 林:久世さんは激怒? 浅田:激怒というか、それでTBSをやめなきゃいけなくなっちゃって、人生が変わっちゃった。あのあと私、「仲直りしようよ」って両方に言ったけど、両方とも「絶対イヤだ」って。 林:でも、最後は和解したんでしょう? 浅田:うん。10年ぐらいたってからかな。和解したら、またベッタリになっちゃったの。 林:あ、そうなんだ。 浅田:希林さんが乳がんで入院したとき、私もしょっちゅう病院に行ってたんだけど、行くと久世さんがいつもいるんですよ。久世さん、自分が出版する小説とかについて、相談しに来てたの。希林さんの意見は的確だからね。 林:やっぱり久世さん、あんなことがあっても希林さんからは離れられなかったんですね。 浅田:希林さんと仕事した演出家とかは、離れられないと思う。 林:是枝(裕和)監督もそうみたいね。 浅田:ホン(台本)について本音で意見を言うし、それが的確だし、あんな役者さんいないと思う。「このシーンは私、いなくてもいいよね。ロケには行かないよ」ってほんとに来なかったり、セリフがすごく長いと「後半のここのセリフ、あんたが言って」って人にセリフ渡しちゃったり(笑)。 林:すごいですね、それは。 浅田:でも、そのほうがおもしろくなるのよ。それがすごい。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 浅田美代子(あさだ・みよこ)/1956年、東京都生まれ。73年、ドラマ「時間ですよ」でデビュー。劇中歌「赤い風船」が大ヒットし、同年の日本レコード大賞新人賞を受賞。「寺内貫太郎一家」「時間ですよ・昭和元年」「釣りバカ日誌」などのドラマ・映画など出演多数。2019年、映画「エリカ38」に主演、21年には映画「朝が来る」で第30回日本映画批評家大賞助演女優賞を受賞。動物愛護団体への支援をライフワークとしている。俳優・樹木希林さんとの思い出をつづったエッセー集『ひとりじめ』(文藝春秋)が発売中。 >>【浅田美代子「上白石萌音ちゃんに『雰囲気似てるね』って言われる」】へ続く※週刊朝日  2021年11月26日号より抜粋
11月22日発売のAERAは生田斗真さんと関ジャニ∞がジュニア時代から現在までを語り合う「対談」&6ショットを掲載
11月22日発売のAERAは生田斗真さんと関ジャニ∞がジュニア時代から現在までを語り合う「対談」&6ショットを掲載  11月22日月曜日発売のAERA11月29日号には、公開中の映画「土竜の唄 FINAL」の主演俳優・生田斗真さんと、主題歌を担当する関ジャニ∞がそろって登場。ジャニーズJr.時代から旧知の仲だという6人で、現在までを振り返り、語り合いました。貴重な6ショットも掲載しています。巻頭特集では、高視聴率ドラマ「日本沈没-希望のひと-」が描く「日本沈没」をまじめに検証しました。「温暖化」「感染症」「地震」「テロ」の4項目を立てて、それぞれの専門家に取材しています。表紙は、東京五輪の種目別ゆかで銅メダル、世界選手権の同種目で金メダルを獲得後、現役を引退した村上茉愛さん。高橋大輔・宇野昌磨両選手のNHK杯や藤井聡太四冠の竜王戦4連勝も詳報しています。 AERA11月29日号※アマゾンで予約受付中  11月22日発売のAERAには、前号で表紙にご登場いただいた関ジャニ∞の5人が再び登場。公開中の映画「土竜の唄 FINAL」で主演俳優を務める生田斗真さんと、主題歌を担当するアーティストとして「対談」しています。ジャニーズJr.時代から旧知の仲だという生田さんと関ジャニ∞の5人は、「このメンバーはみんなジュニアの本流からはずれた感じがあったから、それぞれ絶対売れると思ってなくて」と笑います。そこから、10代のころに共に務めた舞台でのエピソードや、互いへのリスペクト、「土竜の唄」と主題歌「稲妻ブルース」への思いなど、6人の話は尽きません。貴重な6ショットと共にお楽しみください。  1973年刊行の小松左京氏によるSF小説「日本沈没」を原作に、大きくアレンジしたというドラマ「日本沈没-希望のひと-」が高視聴率を続けています。カギとなっているのは「地球温暖化」。これまでに、関東の一部が沈没するシーンが放送され、主人公たちは今後、日本沈没に向き合っていくとされています。この号の巻頭特集では、ドラマが描く「日本沈没」を、「温暖化」「感染症」「地震」「テロ」という4つのリスクを立てて、まじめに検証しました。  私たちは実際、かつて経験したことのない環境変化の只中にいます。「滝のように降る」とされる1時間に50ミリ以上の雨が降る回数は、最近10年間の年平均で約334回。大雨による荒川の氾濫や、それに伴う東京の大洪水は実際に起こりうることとして心配されています。新型コロナウイルスの感染者が人口密度にほぼ比例して分布する、と結論した専門家、東京のインフラの脆弱さを見せつけた10月の地震、あまり考えたくない「テロ」の可能性……。ドラマ「日本沈没-希望のひと-」のプロデューサー東仲恵吾さんのインタビューとともに、一緒に考えましょう。  表紙には、体操選手として、東京五輪の種目別ゆかで銅メダル、世界選手権の同種目で金メダルを獲得、現役を引退して指導者の道を歩き始めたばかりの村上茉愛さんが登場します。インタビューでは、決して順風満帆ではなかった体操人生について、率直に語ります。仮病で練習を休んだこと、隠れてお菓子を食べたこと、ノートには「こんなんじゃ、死んだ方がましだ」と書いたこと――。立ち直らせてくれた監督の言葉も、意味を理解するのに時間がかかったと話します。それを乗り越えて結果を出したからこそ、「競技としての体操はもういい」と言いつつ、「日本女子を強くするためなら何でもします」と口にする村上さん。蜷川実花撮影のゴージャスな写真も必見です。  フィギュアスケートのグランプリシリーズ第4戦となるNHK杯では、男子シングルで優勝した宇野昌磨選手と、村元哉中選手と組んでアイスダンスで好演した高橋大輔選手に特に注目しました。シルバーコレクターなどといわれてきた宇野選手は「トップ」へのこだわりを口にし、高橋選手は最大の難関とされた「リフト」で確かな成長を見せています。それぞれに、北京五輪に向けて、歩みを進める様子をリポートします。  渡辺明名人は、藤井聡太新竜王が誕生した竜王戦第4局を「将棋史に残る戦いにふさわしい名局でした」とたたえています。本誌はこの名局を2ページにわたり詳報。特に、104手目、122手目に注目し、最年少四冠達成直前に見せた「人の子」の顔をとらえました。 「短期連載 起業は巡る」第2シーズンに登場するのは、フェムテックの分野で注目のfermata(フェルマータ)創業者、杉本亜美奈さん。フェルマータの通販サイトには、ナプキンのいらない生理用吸収型ショーツや、シリコン製の月経カップ、骨盤底筋を鍛える機器などが並びます。タンザニアで育ち、日英独の大学で公衆衛生学を学び、福島第一原発事故の国会事故調のメンバーでもあったという彼女が、なぜフェムテックに注目するようになったのか。これから何を目指すのか。「あなたのタブーがワクワクに変わる日まで」を掲げる彼女の快進撃を体感してください。  King Gnuの井口理さんがホストを務める人気の対談連載「なんでもソーダ割り」は、ポルノグラフィティの岡野昭仁さんをゲストに迎える最終回。「昭仁さんは僕の19年後ですから」と語る井口さんとそれを喜ぶ岡野さんの、いつまでも続いてほしい対談をお見逃しなく。 ほかにも、・眞子さんの「パンツ姿」に素が見えた・安倍派30年ぶりの復活は安倍氏の「焦り」の裏返し・「10万円給付」が前提にするモデル家庭が古すぎる・大谷翔平「MVP」の後の伸びしろ・松坂世代は「あきらめない」・氷川竜介×サンキュータツオ「庵野秀明展」を語り尽くす・公立教員代訴訟「翌日の授業準備は1コマ5分」への困惑・などの記事を掲載しています。 AERA(アエラ)2021年11月29日号定価:440円(本体400円+税10%)発売日:2021年11月22日(月曜日)https://www.amazon.co.jp/dp/B09HLDNJ6J
6時間超の映画「水俣曼荼羅」 原一男監督「水俣病の問題は解決していない」
6時間超の映画「水俣曼荼羅」 原一男監督「水俣病の問題は解決していない」 原一男監督 (撮影/写真部・高橋奈緒)  上映時間、6時間12分。「ゆきゆきて、神軍」の原一男監督の「水俣曼荼羅(まんだら)」が公開される。「水俣を描いた映画ですが、ああ面白かったと言ってもらえるのが最高の褒め言葉だと思っています」と語る原監督に「今、水俣を撮る意味」を聞いた。 *  *  *  原監督が撮影を開始したのは、2003年。「和解」を拒否し、国や熊本県の責任を問う裁判を続ける訴訟団の支援者から求められ、現地に足を運んだのがきっかけだった。撮影に15年、編集に5年をかけた映画がようやく公開となる。こんなに長期の撮影になるとは原監督自身、考えもしなかったという。 「現地をいろいろ案内してもらうまでは、水俣病はもう終わった話だと思いかけていたんです。けれども、そうじゃなかった」 写真は「水俣曼荼羅」から (c)疾走プロダクション  戦後の高度経済成長の黒い裏面ともいえる「公害」。その象徴でもある水俣病をもたらした加害企業チッソと、被害を放置し続けた行政の責任を問う裁判闘争、そこに関わる人たちを描き出した大作だ。「怒り」をともなう題材ではあるが、原監督らしいというか、意外なほど「笑顔」の場面が多い。試写室で笑いの波が起きたのも二度や三度ではなかった。  なかでもチャーミングなのは、15歳のとき手足のけいれんなどを発症した男性患者の「生駒さん」だ。「いちばん私たちを喜んで迎え入れてくれたひとですね」と原監督。  その生駒さん夫婦が新婚旅行に行った旅館に誘いだし、豪華なお膳を前にインタビューを試みる。その前に、生駒さんひとりに原監督が話を聞く場面がある。「初夜はどうでしたか」と尋ねられた生駒さんが、照れながら「もう何もできなかったですよお」とこたえる。ユーモラスで人間味の表れる場面だ。 「もちろん、いきなり聞いたわけじゃないですよ。何度も会って、生駒さんの人生について聞いていました。ヨメさんが欲しかったというのを。そうした流れがあって、あの日も新婚旅行のことをうれしそうに語るんですよね。下ネタというのは、その人らしさを見せてくれるものだと思っているものですからね。いまなら聞いても大丈夫と思ったんですよね」 写真は「水俣曼荼羅」から (c)疾走プロダクション  下世話な興味からではないという。水俣病を発症し、いまも震える手で舟作業をする。海に出る姿を時間をかけて映した上で、妻とのなれ初めについて語る場面に入っていく。生駒さんの少年のような笑顔が魅力に富んでいる。  後日、玄関先で生駒さんの頭を、妻がバリカンで刈り上げていく一コマがある。 「たまたまあの日、生駒さんの家に行ったら、きょう散髪するんだよと言うので、撮らせてよとお願いしたんです。そう。なごむ場面でしょう。だけど私が驚いたのは、最後に鼻の下のひげもそるんですよね、バリカンで。ええっ!?となりました。見ている側の思い込みを裏切ってくれるのがドキュメンタリー。そういうシーンがたくさんあるほど面白い映画になるんですよね」 写真は「水俣曼荼羅」から (c)疾走プロダクション  ほかにも試写室に「ええっ!?」という声が起きたのは、「包丁」のシーン。熊本大の解剖学の浴野成生教授が、保存されていた患者の脳を解剖するという際に、家庭用の包丁を取り出すのだ。 「私も驚きましたよ。だけども、それは私たちが勝手に思い込んでしまっていることなんですよね。当然、専門の器具を使うはずだと。私、浴野さんに言いましたもの。『これ、家庭の包丁じゃないですか?』と。そうしたら、心外だという表情で『新しい包丁を買ってきて使っているんだから』と反論される。もちろん、ぞんざいに扱っているわけでもないんですよ」  水俣病の物語の中ではこれらは枝葉末節のディテールだが、笑いとともに観客は医学に携わる者のリアリズムと、市井の意識とのズレを目撃することになる。  日本軍の戦争犯罪を問い詰める元兵士の奥崎謙三氏にカメラを向けた「ゆきゆきて、神軍」もそうだが、ドキュメンタリーはシナリオのないドラマ。意外な場面に遭遇した際、現場でワクワクするものなのだろうか。 「そりゃあワクワクします。ええっ!?という場面に立ち会うんですから、感動しますよ。その後のカメラワークもそうですが、その余韻は映像に映りますから」 写真は「水俣曼荼羅」から (c)疾走プロダクション ──それも含めての水俣病の現実だと? 「そう。裁判闘争などシリアスなテーマを扱っていても、作品としては絶対エンターテインメントとして出さないと誰も映画として見てくれませんから」 ──映画は2回の休憩を挟んだ3部構成。とりわけ第3部では「センチメンタルジャーニー」として、胎児性患者の坂本しのぶさんの失恋遍歴をたどっていきますが。 「彼女はこのあいだ還暦祝いをされましたが、地元では“恋するしのぶ”と言われている。映画では3人ですが、彼女が好きになった男の人たちを一緒に訪ねていってインタビューしています」 ──支援施設の代表者や新聞記者らに彼女の隣に座ってもらい、バラエティー番組のように聞いていく。もじもじと横を向く姿が乙女のように愛らしいです。 「あれ、いいでしょう。しのぶさんが少女のように初々しい表情をする。私、何度見ても、泣けますもんね」 ──しのぶさんを、原さんは「おんな寅さん」と言われていますね。渥美清が演じたフーテンの寅同様、意中のひとの前で恥じらう姿はほほえましく喜劇タッチになっています。彼女は詩を書いたりもする。恋することの意味を掘り下げられています。 「性というのは大きなテーマだと私は思っていますから。あのシーンを撮るのに、じつは3年チャンスを待ったんです。つまり、彼女は自分が水俣のシンボルのような役割を負っているというのはわかっている。でも、それってつらいことですよね。自分の肉体を肯定できない。否定しないといけない。たくさんの人を前にして、水俣病というのは、こういうひどい身体になるんですよ、と言うわけだから」  どう思われますか?と原監督が問うてくる。 「でも、人間は、自分を肯定しないと生きてはいけないと思うんです。その絶対矛盾を引き受けた生き方を強いられるわけですよ」  どう撮れば、彼女が生きる意味を問えるシーンになるのか。心の動きを、映像としてつかまえられるだろうか。カメラを向けながらその一点を考え続けたという。 写真は「水俣曼荼羅」から (c)疾走プロダクション ──タイトルに「曼荼羅」とあるように、「患者」「支援者」といった枠で語れないユニークな人たちが次々と登場します。さきほど名前の出た、熊本大学の浴野さんもそうです。水俣病の認定にあたって「末梢(まっしょう)神経」の障害を基準とすることで行政は実質的に患者の枠を狭めてきた。その「基準」が根本的に間違っていたということを立証する研究を地道に続け「定年退職してもいくところがないんだよ」とぼやきながらも飄々(ひょうひょう)とされています。 「そう。いつも愚痴っぽいことをあっけらかんと話すんですよね」 ──原監督らしいと思わせるのは、その浴野さんが患者さんの検査をする場面を、時間をかけて見せている。6時間もの大作となったのは、こうした細部の積み重ねでもありますよね。 「まあ、どういうテストなのかを説明するだけなら短くてすむんでしょうけど、水俣病の症状はまず感覚が鈍くなる。それで医者は針を指にあてるんです。血がにじみ出るくらいにして、やっと反応する。それでこのひとは水俣病なんだと診断する。ところが浴野さんは、感覚が鈍っているのは、神経に指令を発する大本の脳がやられているんだということを実証しようとしてきた。その際、医者だって、水俣病を背負っている患者の人生と向き合おうとするわけです」  だから検査の合間に、患者一人ひとりの生い立ちに絡んだことを聞き、返ってくる答えも重要だと考えたという。  ところで水俣病は「過去」ではなく、問題解決を先送りしたものだと知らされる場面がある。汚染された海は1990年に埋め立て、現在は運動公園となっている。汚染流出を防ぐため海岸には円筒状の鋼鉄板が打ち込まれ、50年の耐用年数があるといわれる。しかし老朽化の「不安」はどうなのか。原監督自身が海に潜り、撮影を試みている。 「あれは自分が見たかったから。ヘドロを埋め立てた壁が30年経って、現在どうなっているのか。このために潜水撮影のライセンスを取りました。50年の耐用年数があると言われても、ヘドロも完璧に除去されたわけでなく、泥を検査すると微量の水銀が含まれている。ある研究者は、不知火海は湾になっているから汚染されたものが外海と混じって希釈されるというのは10年、20年単位ではありえないと言うわけです。つまり、残り続けている。しかし国は根本的、抜本的な対策を打とうとしないというのが今の問題です」 写真は「水俣曼荼羅」から (c)疾走プロダクション ──先送りですね。原さんはこの映画について「自分は中継ぎ投手」と語られています。水俣をテーマに記録映画を撮り続けた土本典昭監督が「先発」で、その後を描いたものだと。問題が残る水俣病、6時間の映画で「中継ぎ」の役目は果たせましたか? 「魅力的なひと、一人ひとりにカメラを向けてシーンをつくって一本の映画にしようとしてきました。6時間もの映画だから描き切ったでしょうと言われると、いやいや、とんでもない。描き切れない悔しさが大きい。それは実感なんですよね」 (取材・構成/朝山実) 水俣病……熊本県のチッソ水俣工場の排水による公害病。1956年に公式確認されるまで「奇病」とされた。排水に含まれるメチル水銀が病因と明らかになった後も、行政との間で「患者認定」と被害者補償を求める裁判闘争が続いている。※週刊朝日  2021年11月26日号

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