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眞子さまと小室圭さんは結婚後、皇居に足を踏み入れることはできるか “サーヤ”黒田清子さんご夫婦との違い
眞子さまと小室圭さんは結婚後、皇居に足を踏み入れることはできるか “サーヤ”黒田清子さんご夫婦との違い  秋篠宮家の長女、眞子さま(29)との結婚を控えた小室圭さん(30)は18日、秋篠宮邸がある東京都港区の赤坂御用地を訪れ、秋篠宮ご夫妻に結婚のあいさつをした。眞子さまは22日に天皇・皇后両陛下、25日に上皇・上皇后両陛下に結婚の報告をするという。皇室ジャーナリストの神田秀一氏にこれらの予定ついて、その意味を読み解いてもらった。婚約内定の際の会見の眞子さまと小室圭さん(c)朝日新聞社  小室さんは18日午前8時前、横浜市内の自宅マンションからスーツ姿で出てきた。右手にはカバン、左手には白い紙袋2つを持っていた。   「秋篠宮家に持っていく手土産とご夫妻や宮内庁に見せるための書類などが入っていたのではないでしょうか。アメリカで用意した手土産かもしれませんが、どんな中身かはわかりません」   後頭部で縛っていたロン毛は短く整えられていた。  「小室さんは髪型でいろいろと騒がれましたし、秋篠宮家に正式な挨拶に行くのですから、きちんとした髪型にしたのでしょう。皇室であのような頭髪であいさつをする慣習はないんですよね。民間人が皇族に会うのですから、切らざるを得なかったのでしょう」    神田氏が着目したのは小室氏を出迎えた黒いワゴン車。午前9時15分ごろ、赤坂御用地の巽門(たつみもん)へと入って行った。  「車には、宮内庁発行の門鑑(もんかん)がステッカーとしてついていましたね。ということは宮内庁が、小室さんが秋篠宮ご夫婦に会いに行くことを認めたのです。アメリカから帰国し、結婚を進める上で、あいさつだけはしておかなければ、という小室さんの考えと、宮内庁の意見が一致したのでしょうね」    8日後に迫った結婚。秋篠宮ご夫妻は、2人の結婚を認めたのだろうか。  「憲法の規定により、日本人であれば両性の合意に基づく結婚そのものをダメだとは言えない。秋篠宮ご夫妻も宮内庁も政府も同じ考えです。しかし、結婚は認めるものの、その前に解決しなくてはいけないこと、あるいは報告を受けなければいけないことがいろいろあると思います。それは今のところ未解決のままなので、秋篠宮さまとしては『挨拶にはおいでになってもかまいません。聞くことは聞きましょう。いらっしゃるというのなら待っております』というスタンスで、そこまでは許したのだと思います」  赤坂御用地から出て、かつての勤務先に向かった小室圭さん(c)朝日新聞社   眞子さまと小室さんは3年2カ月ぶりに再会した。  「私の得た情報では、小室さんが秋篠宮ご夫妻にあいさつしをして30分後くらいに、秋篠宮邸のどこか別室で眞子さまと小室さんが会うことを許してもらえたと聞いています。眞子さまの部屋かもしれませんね。佳子さまがいらっしゃったかもしれませんが、2人だけの可能性が高いと思います」   眞子さまは22日、皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下に結婚を報告し、25日には東京都港区の仙洞仮御所を訪れ、上皇陛下と美智子さまにも結婚を報告する予定だ。現時点でそれに小室さんが同席する予定はない。  「一般の結納にあたる『納采の儀』も行っていませんし、皇籍を離脱する際に支給されるはずの『一時金』も眞子さまは辞退なさった。小室家を巡る諸問題も解決されていないので、天皇・皇后両陛下は眞子さまからの結婚報告を受けても、『体に気をつけて、元気で』とか『健康でお幸せな日々をお祈り致します』とお伝えするのにとどまるのではないでしょうか。『おめでとう』とおっしゃることはできないと思いますよ」   眞子さまは26日に婚姻届を自治体に提出し、皇籍を離脱する予定。今後、皇室との距離はどうなるのだろうか。  「皇室としての結婚を許したわけではないけれども、2人の意思で一緒になるならば致し方ないということ。もう2度と皇居に足を踏み入れることが許されなくなる可能性はありますね。サーヤの愛称で親しまれた黒田清子(さやこ)さんも結婚して皇籍を離脱しましたが、お相手の黒田さん一家には何の問題もないし、清子さんは皇室とゆかりのある伊勢神宮の祭主を務めているので、皇籍離脱後も皇居を訪れています。けれども、眞子さまの場合は、黒田さんご夫婦と同じようにはならないでしょう」    26日に予定されている記者会見はどのようなものになるのだろうか。  「報道陣と宮内庁の係官が合わせて50人くらい集まるのではないかと聞きます。警備も、コロナ対策も万全なホテルというのは限られてきます。宮内記者会、雑誌協会、外国人記者クラブで合計3問くらいの質問ではないか。それ以上、質問の声を上げ続ける記者がいるかもしれませんが、『本日の会見は終了します』と打ち切るでしょう。政治家でも誰でも、長く話すとボロが出るものですから」  結婚式を終え、披露宴に先立って記者会見する黒田慶樹さんと質問に答える清子さん (c)朝日新聞社  会見に先立ち提出される自治体への婚姻届けについて、神田氏は次のように推測する。  「秋篠宮家から命令を受けた職員が、小室夫妻になる2人の代理人として、自治体の戸籍係のところに持って行くというふうに聞いています」   会見後、 眞子さまは年内にも渡米し、ニューヨークで新生活を始めるとみられている。お2人の行く末は……。  「ヨーロッパの王室ではこのくらいのことはあるレベルのことのようですが、日本の皇室では前代未聞の事態で、眞子さまは離婚しても、もう皇族には戻れません。幸福になるか、不幸になるかはチャレンジしてみなければわからないですね。結果は誰にもわかりません」 (AERAdot.編集部 上田耕司』
妊娠できないのは女性のせいか 認知されにくい「男性不妊」に、鈴木おさむが正面から切り込む
妊娠できないのは女性のせいか 認知されにくい「男性不妊」に、鈴木おさむが正面から切り込む すずき・おさむ/1972年生まれ、放送作家。数多の人気番組の企画、構成、演出を手がけるほか、近年はドラマ「M 愛すべき人がいて」の脚本、舞台「もしも命が描けたら」の作・演出なども務めている(撮影/写真部・高橋奈緒)  AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。  鈴木おさむさんによる初めての小説『僕の種がない』が刊行された。「男性不妊」という難しいテーマを扱いながらも、「面白いことは尊い」という視線が作品全体を貫いている。 そこには、ビートたけしさんや明石家さんまさんといった、人生で起こったことを笑いに変えてきた、日本の大物芸人たちに対する尊敬の念が刻まれている。筆者である鈴木さんに、同著について話を聞いた。 *  *  *  ストレートで潔くて、目を背けようとも脳裏に焼きついて離れないタイトル。恐る恐る読み始めると、そこに宿る熱量に圧倒される。『僕の種がない』は、鈴木おさむさん(49)が「男性不妊」という、現代的なテーマに真正面から切り込んだ小説だ。  ドキュメンタリーディレクターの真宮勝吾は、がんで余命半年の芸人、一太に「子どもを作り、その姿をドキュメンタリーとして残さないか」と提案する。一太は無精子症で、妻との間に子どもはいなかった。勝吾と一太は深い信頼関係で結ばれながら、無謀とも言える挑戦に乗り出す。  鈴木さん自身、妻である大島美幸さんと妊活を始める際、精子検査を行った。そこで目にした光景が忘れられない。雪が降る日にもかかわらず、病院の前には朝から100人以上もの人が列をなしていた。 「好奇心が強いこともあり、僕はどこかウキウキしていたところがあったのですが、なかには暗い顔をしている人もいました。実際に検査をしてみると『精子の運動率が悪い』と言われて。そこで初めて、『自分のせいなのか?』と」  周囲の仕事仲間たちに話すと、「実はうちも」という言葉が何度となく返ってきた。 「男性の多くはオープンに口にすることができないんだ、と気づきました。男性不妊に対する認知度の低さから『妊娠できないのは女性のせい』と思われてしまう傾向もある。自分なりの形で世に知らしめることはできないか、と」  一太はがんを患いながら、そのうえで子どもをつくろうとしている。繊細なテーマゆえに、執筆中は不安や悩みから解放されることはなかった。  書くことから逃げ出したくなるようなシーンもあった。それでも、逃げずに向き合った。「自分がエンターテインメントにすることで、傷つく人がいるかもしれない」という思いがあったからだ。  鈴木さんの“本気”が充満する、印象的なシーンがある。一太の睾丸を包む膜をメスで開き、医師が精子を見つけだそうとするシーンだ。そうした一見小さな行為から生命が誕生することのすごさを知ってほしいという鈴木さんの姿勢は、作中に登場するベテラン医師の言葉にも滲(にじ)む。 「また僕がトリッキーなことを題材にしている、と思われても、世の中がちょっとざわつくきっかけになったらいいな、と本気で思っています」  近年はドラマや舞台の脚本も手がける。多忙を極めてまで「小説」に挑むのはなぜか。 「文字だけで表現するって、とてつもないことだと思うんです」と鈴木さんは言う。 「でも、挑戦してみたいし、そこでしか表現できないことがきっとある。例えば、小説で描いた、精子を探し出すシーンをそのまま映像にしても、文字で書いたものと同じにはならないと思うんですよね。すべてを文字だけで表現するって、エンターテインメントの中で一番難易度が高い。そう僕は思っています」 (ライター・古谷ゆう子) 『僕の種がない』(1650円〈税込み〉/幻冬舎) 人気お笑い芸人の一太は、自分の最期の瞬間まで「面白くありたい」と、残りの人生の舵取りをドキュメンタリーディレクターの真宮勝吾に託す。「男性不妊」という難しいテーマを扱いながらも、「面白いことは尊い」という視線が作品全体を貫く。そこには、ビートたけしさんや明石家さんまさんといった、人生で起こったことを笑いに変えてきた、日本の大物芸人たちに対する尊敬の念が刻まれている ※AERA 2021年10月18日号
上野千鶴子「在宅ひとり死は孤独死じゃない」 介護保険が可能にした選択肢
上野千鶴子「在宅ひとり死は孤独死じゃない」 介護保険が可能にした選択肢 うえの・ちづこ●東京大学名誉教授。認定NPO法人WAN理事長。『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『おひとりさまの最期』(朝日文庫)など著書多数。 (c)朝日新聞社 「おひとりさま」の生き方を発信してきた社会学者・上野千鶴子さんがさいごの迎え方について語った本『在宅ひとり死のススメ』が話題となっています。「孤独死」とは異なる「在宅ひとり死」を積極的に肯定する、その真意とは。現在発売中の週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん 2022年版』から抜粋して紹介します。 *  *  * ――「在宅ひとり死」という言葉は前向きな印象がありますね。  出版社が最初に提案してきたタイトルは「孤独死なんて怖くない」でした。一般ウケすると思ったんでしょうね。でも私が見てきた高齢者の死は孤独とは全く違うものです。違うものは違うとちゃんと言いたいと思って、「在宅ひとり死」という言葉を作りました。私がおひとりさまに関する研究をやってきたこの20年の間に社会も現場も変化して、「ようやくこのタイトルの本を出せるようになった」という感慨がありますね。 ――おひとりさま高齢者の満足度に関する調査を引用されています。  メディアで紹介される国の統計はトップからボトムまで全部含まれているマクロデータで、それを見ると独居高齢者はとても悲惨です。その一方で、大阪府門真市の辻川覚志医師の調査(図参照)は、持ち家率の高い中産階級の高齢者を対象にしたところに意味があります。対象を区切ってみれば、独居でも満足度が高いということがはっきりと示されました。 60歳以上の男女924人を対象に、生活の満足度と悩み度を聞いたアンケート調査(辻川覚志医師による)。独居高齢者のほうが同居よりも平均満足 度は高く、平均悩み度が低い。 <出典>『ふたり老後もこれで幸せ』(辻川覚志 水曜社、2014年) ■おひとりさまは覚悟が決まっている  独居高齢者には「余儀なくおひとりさま」と「選んでおひとりさま」があります。後者には「おひとりさま資源」が必要です。持ち家とか経済力、おひとりさま耐性とかですね。  辻川医師のデータでは、子どもの有無は生活満足度に関与しないということも示されていました。子どもがいる人は、子どもが家から出ていったらさびしいと思うかもしれません。でも最初から子どもがいない人は、さびしいと思う理由がありませんから。 図(2) 60歳以上の570人を対象にしたアンケート調査(同)。子どもがいない人(無子)、子どもが遠距離に住む人(遠子)、近距離に住む人(近子)のなかでは、無子がもっとも平均満足度が高く、平均悩み度が低い。 <出典>『続・老後はひとり暮らしが幸せ』(辻川覚志 水曜社、2016年) ――おひとりさまは、近年啓発が進んでいるACP(人生会議)にどう関わるべきですか。  ACPは共同意思決定のこと。でも現実的には、要介護高齢者は関係者のなかで一番弱者です。世話をしてくれる人が強者に決まっている。私はジェンダーの問題を扱ってきましたが、日本の高齢女性は自己主張しない人が多い。世話するのが女の役目で、世話する役目を果たせなくなった女は家に居場所がありません。 写真はイメージ/Getty Images  共同意思決定という理念は正しいけれど、声の大きい人の意見が通るか、その人の顔色を見て忖度してしまうのが日本の高齢女性です。それならば本人の気持ちを日頃から聞いておけばいいだけです。死や死後について話すというタブーが最近やっと消えてきたせいで、そのようなコミュニケーションができるようになりました。  50代の初めに、86歳の父を看取りました。がんの告知を受けていたのですが、父は医師だったので自分が末期だとわかっていて、受ける治療も対症療法だけということを理解していました。  しかも彼は、小心で絶望したがん患者でした。病床の上で日に日に言うことが揺れ動きました。ある時は「一日も早く死なせてくれ」と言い、次の日には、「リハビリ病院に転院したい」と言う。この状況でリハビリ病院に行っても意味がないとわかっていながら言うのです。でも「そんなの無駄だからやめなよ」とは言えません。だから父の希望をかなえるために転院先を探すと、「気が変わった」と。  父は一日ごとに迷い、意見を変えました。その時に、死にゆく人の気持ちに「振り回されるのが家族の役目」と覚悟が決まりました。15カ月間それが続いて、面倒を見るきょうだいの間で同志愛が育ちましたね(笑)。 ■おひとりさまは孤立しているわけではない ――家族がいない人の場合はどうでしょうか。  家族がいない人は振り回す周囲がいません。振り回すというのは甘えるということですから、同じ要求を赤の他人には言わないでしょう。話を聞いてくれる家族だから振り回すのです。つまり長年おひとりさまをやってきた人は、「こんなことを他人に言っても仕方がない」と覚悟が決まっているわけです。  人間らしいというのは、迷いとか悩みとか、弱さを見せること。もちろんおひとりさまでもそのような人はいるでしょう。だから夜は一人でいるのが不安だと訴える人のために、夜間に泊まってもらえるサービスもある。またある医師は、末期に「さみしいなあ」と言う患者に「誰に会いたいですか」と聞いて、その人に連絡するのだそうです。おひとりさまは単に独居なだけで、孤立しているわけではありません。 ――日本の高齢者は友人がいない人が多いというデータもあります。  家族持ちの人たちを見ていると、家族のほかに人間関係を作ってこなかったのか、と本当に不思議ですね。「この人から家族を引き算したら何が残るんだろう」と思うことがあります。男性はとくに妻への依存度が高いですから、老後も妻さえいたら十分だと思うのかもしれません。でも妻に先立たれたら何もなくなってしまいます。 60歳以上の男女を対象にした国際比較調査。同性の友人も異性の友人もいない人の割合は、日本がもっとも多く、とくに男性は40.4%と突出している。 <出典>内閣府「令和2年度 第9回高齢者の生活と意識に関する国際比較調査結果」  友人もいなければ家族もいないという、本当に孤立した人も確かにいます。でもその人たちも、介護保険と医療保険というインフラを利用することはできます。  面白い話があります。石垣島には、死に場所を求めて移住する人がいます。全員、男性だそうです。アパートを借りたり、都会よりも安いから家を買ったりして、住み着く。でもその人たちは、現地のコミュニティーと交わったりせず、年金を受けて一人で暮らします。  その人たちも病気になったり要介護になったりすれば、介護保険と医療保険を利用します。ケアマネジャーやホームヘルパーに支えてもらっているのですが、石垣島の人たちはとても親切だから、その後始末まで考えてくれる。「亡くなったら家族に連絡しましょうか」と聞いたら、「家族はいない」「連絡しないでくれ」と言われるそうです。それでも家族の連絡先がわかっている場合は、死後、遺族に「遺骨を引き取ってくれませんか」と通知すると、受け取りを拒否されたり、「宅配便で送ってくれ」と言われたりするとか。  家族と縁を絶った人でも、介護保険と医療保険があれば、ちゃんとした最期を迎えさせてくれる。そこまでできる社会保障制度を私たちは作りあげたのです。 ■介護現場の経験値は世界に誇れる  一方でさびしさの問題は、制度では解決できません。  ずっと一人で暮らしてきたためさびしさ耐性がついて、お友達がいなくても平気という人はけっこういます。でも、家族がいないことに不安を感じて、積極的に人間関係をメンテナンスしてきた人もいます。人間関係は、種をまいて水をやらないと育たないものです。放っておいてできるものではありません。女おひとりさまはそこを上手にやっていますよね。 ――一人暮らしで認知症というケースも近年増えていると思います。  私はかつて認知症に苦手意識がありましたが、今はなくなりました。認知症でおひとりさまでも、最期まで自宅にいられた事例が蓄積されてきたからです。家族の都合で施設に入れられるのではなく、認知症のおひとりさまでも在宅でそれなりに機嫌よくしていける。その事例を支えているプロが現れてきたことも大きいでしょう。  この20年間の、介護保険による現場の経験値はすばらしく進化しました。かつて介護保険がなかったころには考えられなかった「在宅ひとり死」の選択肢が生まれ、不可能が可能になってきました。私はこれを世界に誇れることだと思っています。 (構成/白石圭) ※週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん 2022年版』から
「まさかの落選危機も…」官邸と与党が心配する岸田内閣の現職3閣僚
「まさかの落選危機も…」官邸と与党が心配する岸田内閣の現職3閣僚 左から遠藤選対本部長、麻生副総裁、岸田首相、甘利幹事長(C)朝日新聞社  自民党は衆院選に向けて、第2次公認を発表した。二階派と清和政策研究会(細田派)、麻生派などで保守分裂か、と注目されていた群馬1区や福岡5区などの小選挙区の候補者が決定している。  党内で公認争いが激化していた小選挙区の調整は、甘利明幹事長と遠藤利明選対本部長が中心になっていた。だが、公認直前には麻生太郎副総裁も加わった。 「15日に官邸で麻生氏、甘利氏、遠藤氏が岸田首相と断続的に会談して、候補者を調整していました。岸田首相はずっと険しい表情でしたね」(自民党幹部)  岸田内閣が発足し、わずか10日で解散となり、選挙に突入するという異例の短期決戦。組閣から間がないので、現職閣僚が苦戦している小選挙区がいくつもある。  特に自民党、官邸が「負けたら大変なことになる」と力を入れるのが、初入閣した大臣たちの選挙区だ。  西銘恒三郎・復興相(竹下派)の沖縄4区、山際大志郎・経済再生担当相(麻生派)の神奈川18区だという。  西銘氏は当選5回で父親の順治氏は沖縄県知事、衆院議員を務めた政治一家だ。しかし、地元の自民党県議は険しい表情だ。 「西銘氏が復興相になったのは追い風だ。これで挽回したい」   自民党の西銘恒三郎・復興相兼沖縄北方相(C)朝日新聞社  自民党が10月に実施した世論調査では西銘氏と立憲民主党の新人、金城徹氏は差がわずかで、大接戦となっている。立憲の世論調査の数字では、金城氏が西銘氏に対し、わずかに優勢という数字だった。西銘氏は過去5回の当選の中で、4回は小選挙区で当選、1回は比例復活している。 ◆西銘復興相と「オ-ル沖縄」立憲新人が接戦の沖縄4区  2009年に旧民主党政権が誕生した選挙では、比例復活もできなかった。相手の金城氏は元那覇市議で議長も務めた。元沖縄県知事の翁長雄志氏(故人)と近く、市議時代は自民党から出馬したこともあった。保守と革新が呉越同舟の「オール沖縄」からの支援も受けている。 「もともとは西銘氏の強固な地盤でしたが、沖縄で強い革新票は確実に金城氏がとるでしょう。金城氏は自民党にいたこともあり、西銘氏支援の保守層にも食い込んでいる。それが接戦になっている要因の一つです」(立憲幹部) 自民党の山際大志郎経済再生相(C)朝日新聞社  17年の衆院選で自公政権が圧勝した中でも、沖縄は小選挙区4つのうち1つしかとれなかった。それを死守したのが、西銘氏だった。今回もデッドヒートを勝ち抜くことができるのか?  一方、経済再生担当相の山際氏の地盤、神奈川18区は、立憲元職の三村和也氏と日本維新の会の新人、横田光弘氏の3人が争う構図だ。 ◆山際経済再生担当相と立憲元職が激戦  山際氏は当選5回。自民党の世論調査では山際氏が立憲の三村氏や維新の横田氏より優勢となっている。しかし、山際氏と三村氏には、わずかな差しかないという。また立憲の世論調査では、山際氏と三村氏は接戦となっている。17年の衆院選では、山際氏が希望の党から出馬した三村氏に5万票ほどの差をつけて圧勝した。 「前回のように、圧勝してほしいですが、現状では1票差でもいいので小選挙区当選が目標です」(山際陣営の地方議員)  立憲の三村氏はかつて菅義偉前首相の神奈川2区が地盤だった。09年に民主党と政権交代を果たした選挙では、菅氏を約500票差まで追い込み、比例復活当選を果たし、バッジをつけた。  その後、選挙区を何度か変更し、今回は前回(希望の党)と同じ神奈川18区から出馬となった。 「これまで選挙区が定まらなかったが、神奈川18区で連続しての出馬となり、三村氏の名前が浸透してきた。また野党共闘で共産党候補がいない。世論調査でも立憲や共産党の支持者から確実に数字がとれている。神奈川18区の政党支持率も自民と立憲の差はわずかで、いい勝負をしている。山際氏という現職閣僚に勝てる小選挙区として重点を置いている」(立憲の幹部)  神奈川18区は川崎市高津区など北部に位置するが、8月の横浜市長選が微妙に影響している。菅氏が必勝を期して送り込んだ、小此木八郎氏が落選し、立憲が推した山中竹春氏が勝利した。 「川崎市は横浜市に隣接する都市部。まだ8月の横浜ショックが尾を引いて自民党と訴えても反応が鈍い。山際氏は経済再生担当相とコロナも担当する。多忙でしょうが、頻繁に地元に帰ってもらわないと厳しい」(山際陣営の地方議員) 公明党の斉藤鉄夫国交相(C)朝日新聞社  そして現職閣僚でもう一人、苦しい選挙戦となっているのが、連立与党・公明党の斉藤鉄夫国交相だ。これまで斉藤氏は比例中国ブロック選出だった。  だが、19年の参院選で自民党の河井克行、案里夫妻が広島県選挙区の地方議員や有権者に計2900万円をばらまいた公職選挙法違反事件が起こった。法相まで務めた克行被告は、1審の有罪判決で議員辞職。そこに名乗りを上げたのが斉藤氏だった。広島3区で当選してきた克行被告は、約8万5千票を獲得していた。 ◆議員辞職した河井元法相の広島3区 自民動かず、焦る公明  17年の衆院選で公明党が広島3区の比例代表でとったのは、約2万5500票。広島市議選などの結果からも公明党の基礎票は2万5千票とみられる。そこに6万票の上積みが必要で自民党の協力なくして、当選はない。  また、公明党の小選挙区立候補は原則、比例代表との重複立候補はしないので、斉藤氏は勝ち抜くしかないのだ。  最新の自民党の世論調査を見ると、斉藤氏が立憲の新人、ライアン真由美氏に大きな差をつけている。だが、今夏の世論調査ではライアン氏が僅差だが斉藤氏を上回っていた。  立憲の世論調査では、斉藤氏とライアン氏はまったくの横並びだった。公明党幹部は浮かない顔でこう話す。 「斉藤氏が勝つには自民党さんに頑張ってもらうしかない。だが、河井夫妻の事件があって正直、動きは鈍い」  自民党広島県連から河井夫妻の事件に関与した県議や市議らに対し、「一切、衆院選には関わるな」とお達しが出ているという。 「岸田首相も以前、河井夫妻の事件に関係した地方議員は処分という趣旨の話をしている。公明党が何を言っても動きようがありません。岸田首相が手のひら返しで斉藤氏を応援しろと言っても、やる気はしませんね。有権者の目線も冷たいです」(自民党の広島県議)  だが、斉藤氏も黙っていることもできず、河井夫妻の事件に関与した地方議員にも声をかけて応援を要請するという歪な展開になっている。 岸田文雄首相(C)朝日新聞社  立憲幹部は自信ありげに言う。 「自民党は動いていない。それで公明党は必死になっており、政権与党の足並みが乱れている。ライアン氏は広島3区で長く活動しており、国交相を新人が破るという大番狂わせも十分、可能性がある」  広島3区からは他にも日本維新の会が新人の瀬木寛親氏、「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」の矢島秀平氏、無所属の大山宏氏と玉田憲勲氏も立候補を表明している。広島3区は中選挙区時代、岸田首相の地元でもあった。  そこで指導力を発揮できなければ、「自公政権に亀裂が入りかねない」(自民党幹部)という声もでている。 (AERAdot.編集部 今西憲之)
城郭考古学者が選ぶ「絶対に攻めたくない山城」ベスト10! 1位は埼玉「杉山城」、2位は?
城郭考古学者が選ぶ「絶対に攻めたくない山城」ベスト10! 1位は埼玉「杉山城」、2位は? 杉山城の馬出し曲輪/緻密な縄張りで「芸術品」にもたとえられる杉山城だが、実は誰がいつ築城したのか、諸説あって明らかになっていない謎の城だ。  一見、「天守や櫓がなく、土と山だけ」と思われがちな山城。しかし開発にさらされがちな平城等に比して保存状態が良く、ほぼ往時の姿をとどめている山城も多い。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』では、「戦国の山城の歩き方」を特集。3人の専門家に「オススメの山城」を推薦してもらった。今回の推薦者は、城郭考古学者で山城ファンの千田嘉博さん。選定のテーマは「絶対に城攻めしたくない山城」だ。 *  *  * ――山城にもさまざまな楽しみ方があると思います。当時の武将の視点で、「絶対攻めたくない城」をご紹介ください。  城はとても美しく壮大で、鑑賞するのはとても楽しいです。しかしそもそも城は戦いのために構築されたもので、第一に求められる機能は防御・反撃力です。今回は、その点で極めて優れた山城をご紹介します。実際に足を運べば、おそらく「もう助からない」「絶対死ぬ」と感じますが、堅固な城を造って自分たちの村や所領を守ろうと努力した先人たちの思いを、ぜひ想像してみてください。  なお、山城の定義はあいまいですので、ここでご紹介する城には、一般的には平山城と言われているものも含んでいます。 ――よろしくお願いします。 週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』から  まず、“戦国の土づくりの城の教科書”と呼ばれているのが、埼玉県の嵐山町にある杉山城です。それほど大きな城ではありませんが、本丸を頂点に各尾根に曲輪を階層的に設け、入口付近には必ず横矢をかけ、初期段階の馬出しも重ねています。おそらく攻めたとしても理路整然と効率的に弓矢や鉄砲の餌食になったでしょう。  福島県の会津美里町にある向羽黒山城も、ものすごい山城です。山の頂上の本丸から麓まで、まるで迷路のように横堀、竪堀を縦横無尽に巡らし、山の中段も曲輪と堀と土塁を複雑に配置している。城を守っている兵も道に迷うのではないかという複雑堅固な山城です。軍事要塞に必要な要素を全部詰め込んでいて、攻めても生きて帰れる気がしません。  見た目の凄さでいえば、群馬県東吾妻町にある岩櫃城です。太古の昔から信仰の対象となってきた巨大な岩山である岩櫃山に守られた、まさに鉄壁の城で、戦意喪失は間違いありません。 岩櫃城がある岩櫃山の遠景/岩櫃城は岩櫃山の北東に延びる尾根に位置する。東は吾妻川、西は岩櫃山、南は吾妻川へ下る急斜面、北は岩山という要害。 ――この険しい岩山は、とても攻められませんね。  しかし、実は城があるのはこの垂直岩盤の上ではなく横なんです。岩櫃山がある側から攻められる心配はないので、その方向は堀をあまり整備していません。しかし、その反対側を見ると、山頂の本丸の周囲には横堀をめぐらすなど、守りが重視されていますし、東側の山麓を流れる吾妻川は堀の役割を果たしています。この岩櫃城ほど、天然の地形を巧みに利用した山城は珍しいと思います。  愛知県新城市にある古宮城は、武田方の軍事拠点で、当時の技術の粋を凝らした城です。それほど高い山ではないのですが、完全に堀で囲み、山中にも縦横無尽に横堀をいれ、さらに山のほぼど真ん中に巨大な堀を設けて山を真っ二つにするという大土木工事がなされています。まさに武田流の理想の城を具現化した山城です。古宮城は、巨大勢力の境界域にあった「境目の城」でしたが、長篠合戦ののちは軍事的役割を終えて廃城となったので、武田氏当時の姿がよく保存されていて、「土の城でもこれだけスゴイことができるのか」と体感することができます。 週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』から  新潟県上越市の春日山城は、全国の山城のなかでも、その巨大さ壮大さでは並ぶものがありません。行けども行けども曲輪が連なっていて、上杉謙信の毘沙門堂がある中心部まで、到底たどりつけません。山中に堀は少ないのですが、何しろ切岸の落差がものすごいので、とても攻める気にはなれません。 ――ほかに特徴的な山城で、「攻めたくない」城は?  日本列島にあった城の多様性を示す、北海道と沖縄の城も入れたいと思います。北海道上ノ国町の勝山館は蠣崎氏の拠点城郭で、和人の城としては最大級のものです。コシャマインとの戦いを経験した蠣崎氏は、防御を重視して夷王山の山上に城を移したと考えられています。山上からは中世の港だった大澗湾を見下ろす立地で、港を押さえる城でもあったことが分かります。尾根上にはいくつもの屋敷が立ち並ぶ、壮大な北の山城です。 今帰仁城の城壁/2000年に、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、首里城などとともにユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。  沖縄県の今帰仁村にある今帰仁城は、沖縄を代表する山城の一つです。琉球王国成立前の三山時代に北山王が拠点とした城で、山上の断崖絶壁を利用した堅固な城です。曲線を描く城壁の石垣がひときわ美しいのですが、敵に対してあらゆる場所で横矢がきいていて、攻め手からすれば、まことに恐ろしい石垣です。 ■千田嘉博さん「城攻めしたくない山城」ベスト10 1位 杉山城土の城の芸術品ともいわれる緻密な縄張りで知られる山城。遺構の残存状態は良好で、堀や土塁、馬出しなどが一目でわかる。 2位 向羽黒山城東北地方随一の規模を誇る山城。技巧の限りを尽くした複雑な縄張りが特徴で、歴代城主の蘆名氏、蒲生氏、上杉氏の手が入っている。 3位 高崎山城別府湾を望む高崎山に築かれた城。豊後の守護大名大友氏の詰城と考えられている。山頂付近には土塁や主郭の跡が残っている。 4位 岩櫃城天険の要害である岩櫃山に築かれた山城。豪壮な岩山は見るものを圧倒する。主郭部分周辺の巨大な竪堀も見どころ。 5位 古宮城武田氏と徳川氏の勢力圏が接する境界域に築城された境目の城。白鳥神社の神域が含まれているため城跡の保存状態は良好。 6位 春日山城越後長尾(上杉)氏の居城。巨大な山城で、本丸下には無数の曲輪が段状に築かれていて、攻め落とすことは極めて難しい。 7位 今帰仁城沖縄の城(グスク)を代表する一つ。城壁に上ると、中国や西欧の城と同じく城壁で守る城であることがよくわかる。 8位 勝山館夷王山山麓の台地上に建つ山城。主郭内部には中央通路があり、その左右には掘っ立て柱建物が並んでいたことが発掘により判明した。 9位 岡豊城長宗我部氏の居城。畝状空堀群が特徴的。帯曲輪の城壁の外側は土で、内側に石垣を用いる特異な構造を見ることができる。 10位 信貴山城松永氏の居城で、織田信忠に攻め落とされたが、山頂から延びる複数の尾根に築かれた曲輪群は見事で、技術的には優れた山城である。 ◎千田嘉博(せんだ・よしひろ)/1963年生まれ。城郭考古学者。奈良大学教授。主に中近世の城郭の考古学的研究に取り組む。主な著書は『信長の城』(岩波新書)、『真田丸の謎』(NHK出版新書)、『城郭考古学の冒険』(幻冬舎新書)など。 (インタビュー構成/安田清人)
小室圭さんはひと足先に米国へ 眞子さまの病状説明で宮内庁はなぜ「批判」と言わず、「誹謗中傷」と強調したのか
小室圭さんはひと足先に米国へ 眞子さまの病状説明で宮内庁はなぜ「批判」と言わず、「誹謗中傷」と強調したのか 婚約内定の際の会見の眞子さまと小室さん(c)朝日新聞社  秋篠宮家の長女、眞子さま(29)と小室圭さん(30)は、今月26日に婚姻届を提出し、記者会見を行う。結婚の日が迫るなか、小室家と小室さんの母、佳代さんの元婚約者との間の金銭トラブルは解決しておらず、儀式なし一時金なしの異例の結婚。だが、宮内庁の空気は明るいようなのだ。 *      *  *  18日午前、小室圭さんが秋篠宮ご夫妻へのあいさつのため赤坂御用地にある秋篠宮邸を訪れる。この日に眞子さまとも3年2カ月ぶりに再会するという。  眞子さまと小室さんの結婚は、女性皇族の結婚時に通例行われる結婚に伴う儀式は行わず、皇籍を離脱するに伴う一時金も受け取らない「異例婚」だ。  秋篠宮さまは、昨年の誕生日の記者会見で、「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」と定めた憲法を引き合いに出し、結婚を認めると発言した。   一方で、金銭トラブルに対して国民が納得し、祝福する状況にはない以上、「納采の儀」など家同士の儀式にあたることを行わないというのが、一貫したスタンスだった。  黒田清子さんと黒田慶樹さんのように結婚後も晩さん会や祭祀に夫婦で出席するような親戚づきあいは、小室家とは行わないのではないか、とみられていた。    それだけに、小室さんが秋篠宮ご夫妻に直接会い、あいさつを行うか否かは、関心事のひとつでもあった。 「意思を通したけじめはつけるべきだ、というのが秋篠宮さまのお考え。一方で、眞子さまが後ろ指をさされることのないよう、ご両親としてできることはしてあげたいということでしょう」(宮内庁OB)  もうひとつの関心事は、米国への出発の日だ。  26日の結婚と記者会見を終えたら、小室さんは早々に日本を発ち米国での勤務に戻る――。そうした見方が有力になっている。  眞子さまは、皇籍から抜けて民間人となったあとにパスポート取得の手続きに入るため、2週間程度は日本に滞在する必要がある。小室さんが先に出発したあとは、眞子さまはひとりで出発までの準備を行うことになりそうだ。 小室圭さんと眞子さま(C)朝日新聞社  26日に眞子さまは結婚の手続きを済ませた後、「小室眞子さん」として記者会見に臨むことになる。予定されているのは、都内の老舗ホテルだ。  思い起こせば、05年に黒田清子さんと黒田慶樹さんが挙式と披露宴、記者会見を行ったのは、帝国ホテルだった。白のシルクのロングドレスに真珠のネックレスをつけた清子さんは、「扇の間」で会見に望んだ。黒田さんとほほ笑みながら見つめ合い、こう述べた。 「黒田家の一人として、新しい生活に臨んで参りたいと思います」   清子さんの場合と異なり、眞子さまと小室さんの記者会見では、場所の選定は重要なポイントになる。金銭トラブルが解決しないまま結婚することに、国民感情として納得がいかないという空気が強いからだ。 「そうした国民感情に配慮したなかでの記者会見だけに、紀宮さまと同じ帝国ホテルで行えば、ぜいたくと批判されかねない。かといって、参加するテレビや大手メディア、雑誌や外国のプレスに対応できる会場である必要がある。『身の丈に合っている』と受け止められる場所であることが重要です」(前出のOB) そもそも天皇や皇族の記者会見は、宮内記者会があらかじめ提出した質問に対して準備した内容を回答する。その場で自由に質疑ができる関連質問もあるものの、そう厳しい質問が出ることはないのが一般的だ。 眞子さまと小室さんの記者会見は、小室さんの母親と元婚約者との金銭トラブルの説明の場としてもとらえられている。  その金銭トラブルは、結婚まで2週間を切ったいまも解決にはほど遠い状況だ。  小室家の代理人弁護士が、一部メディアの取材に、<圭さんが母親に代わってX氏と話をすることを提案し、先日お返事をいただいたので方法等について調整中です>  と回答すれば、元婚約者サイドは、「了承はしていない」とのコメントを公表するなど、事態は泥沼化する一方だ。    だが宮内庁は、金銭トラブルなど、もはや気にもかけていないような空気だという。 眞子さまと佳子さま(C)朝日新聞社  皇室の事情に詳しい人物は、こう明かす。 「結婚の日取りも決まって、やれやれホッとしたという空気に満ちていた。『結婚前に金銭問題にめどをつけなければいけない』といった焦りはまるで感じなかった」  この宮内庁の様子について、次のように分析する。 「というのも、金銭問題に対して国民の納得と結婚への祝福を得られていないまま突き進むことへのけじめが、異例の『儀式なし婚』となった訳です。すでにある種のペナルティを課したうえで結婚を決めた。だとすれば、何が何でも結婚前に、解決しなければならない理由はなくなったということです」  加えて、会見自体はそう厳しいものにはならないとみられている。  布石になっているのは、10月1日の会見だ。  永井良三皇室医務主管と精神科医でNTT東日本関東病院の秋山剛医師が同席し、「複雑性PTSD」と診断されたと公表した。 小室圭さんの母親の金銭トラブルに対する批判が続く中、眞子さまが、結婚に関するご自身や家族、相手とその家族への誹謗(ひぼう)中傷と感じられるできごとを長期にわたり反復的に体験したことが原因だという。眞子さまに診断を下した秋山医師は「結婚されることで、誹謗中傷と感じられる出来事がなくなれば改善が進む」と話した。  この説明に対して、一部の国民は「誹謗中傷」という言葉に敏感に反応した。誹謗中傷とは、<根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけること>を指すからだ。  宮内庁の会見に同席した医師は、眞子さまが「誹謗中傷と感じる出来事」について「週刊誌報道」「ネット上のコメント」が含まれると述べているが、具体的にどの部分が「事実に基づかない誹謗中傷」であるのかを明らかにしていない。   また、宮内庁は出した眞子さまの病状と診断について説明した文章では、「批判」という言葉を一度も使っていない。  代わりに、「誹謗中傷」の単語を6度用いている。  なぜ、宮内庁は、「批判」ではなく「誹謗中傷」という言葉を選んだのか。 声を失われた頃の美智子さま(C)朝日新聞社  思い起こされるのは、1993年、皇后であった美智子さまが59歳の誕生日に公表した文書回答だ。  昭和から平成の世に移るなかで、平成流皇室に対する批判の矛先は、美智子さまに向けられた。  10月20日、誕生日の祝賀行事に出発しようとしていた美智子さまは、突然倒れて声を失った。  最終的な引き金となったのは、皇太子妃決定過程に関連した人物からの手紙という指摘もあり、皇后バッシングで声を失ったという単純な構図ではないようだ。  それでも、バッシングは美智子さまを苦悩に追いやった原因のひとつだ。   宮内記者会からの、「最近目立っている皇室批判記事についてどう思われますか」という質問に対して、美智子さまは文書でこう回答を寄せた。 <どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。今までに私の配慮が充分でなかったり、どのようなことでも、私の言葉が人を傷つけておりましたら、許して頂きたいと思います。 しかし事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます。批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であって欲しくはありません。幾つかの事例についてだけでも、関係者の説明がなされ、人々の納得を得られれば幸せに思います。>   「批判」とは、<人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること>(大辞泉)。対して、「バッシング」は、<打ちのめすこと。手厳しく非難すること>(同)。「批判」は、ある程度の事実に基づいた意見であり、「バッシング」は、ちょっとした根拠をもとに相手を打ちのめすニュアンスだ。  美智子さまは文書回答で、「どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います」と答えている。 「つまり、今回、眞子さまが複雑性PTSDと診断された背景について、宮内庁が『批判』という言葉を使えば、『ある程度、耳を傾け、受け止めなければならない』という含みを持ってしまう。宮内庁は、『批判』ではないと強調したかったのでしょう。だが、誹謗中傷という言葉は報道や国民を萎縮させる表現で、宮内庁がたやすく使ってよい言葉ではなかった」(前出の人物) 黒田清子さん(C)朝日新聞社  26日に行われる、「小室眞子さん」と小室圭さんの記者会見。メディアと「小室夫妻」のやり取りが、表面をなぞったような言葉で終わってほしくはない。 ふたりから、金銭問題について国民が納得のゆく説明がなされるのか。眞子さまは、「ねえね」と慕った黒田清子さんのようにほほ笑んで、「新しい生活に臨んで参りたいと思います」と口にすることができるのか。  眞子さまは、内親王として歩んだ30年の矜持を胸に会見に臨む。 (AERAdot.編集部 永井貴子)
義経と弁慶像が立ち並ぶ白旗神社 義経信仰と弁慶のフィクション
義経と弁慶像が立ち並ぶ白旗神社 義経信仰と弁慶のフィクション 藤沢市にある「伝 義経首洗井戸」 白旗神社(藤沢市)の境内にある義経弁慶像  日本人に特有の感情として「判官贔屓(ほうがんびいき)」というものがよく指摘される。この言葉を解説するならば、「弱者などに理屈抜きで同情し味方すること」とでも説明できるが、似たような意味の「依怙(えこ)贔屓」とは相手の立つ位置がかなり違っている気がする。この贔屓される対象は、強者から弾圧や嫌がらせを受けていなくてはならず、得てして強者は世間一般から嫌われているのである。  ご存じのように、この言葉は源義経の活躍と断罪から誕生した。源義経とは鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟で、兄の挙兵に参加し壇ノ浦で平氏を滅亡させ、やがて頼朝から疎まれ討たれた人物である。通称、九郎(源義朝の9男)判官(役職)義経ともよばれていたことから、彼の人生を哀れに思った人たちが持った感情が判官贔屓という言葉となった。もちろん、これは鎌倉幕府という複雑な背景の元に綴られた「吾妻鏡」に仕掛けられた巧妙な記述によるところも大きい。頼朝を直接に批判できない執権北条氏が語った歴史書であるのだから。  父である源義朝が謀反人として没した時、義経は数え2才、2人の兄とともに母・常盤御前につれられ京から逃れた。この兄たちは醍醐寺と園城寺で僧になり、牛若丸と呼ばれた義経も11才になると鞍馬寺へ預けられることとなった。  結局、源義朝の子(男子)は、伊豆に流された三男・頼朝、土佐に流された五男・希義、京にいなかった六男・範頼と合わせて6人が生かされたことになる。そして、その後平氏に追討された希義以外は、挙兵した頼朝に参集し、進撃の力となっている。  父の死去から20年後の治承4(1180)年10月21日(旧暦)、義経が富士川で戦う兄の元へ数十騎で駆けつけた時、義経は21才、頼朝は33才、初対面だったと言われる。この時頼朝が陣を張っていたと伝わる黄瀬川八幡神社には、二人が腰掛けたとされる対面石が残されている。  義経が身軽で武芸達者だった理由のひとつとして、鞍馬寺のある山で修行したという話がある。鞍馬寺は奈良時代に鑑真の弟子である鑑禎が霊夢により、毘沙門天を祀って開いたものと伝わる寺で、鞍馬山は天狗の棲む山とも言われている。ここには本堂脇から、貴船神社まで続く山道が続いているのだが、途中、木の根道と呼ばれる歩きにくい場所があり、ここで義経は天狗と修行を重ねた。木の根道を少し進むと遮那王(鞍馬寺での義経の稚児名)尊として祀られる義経堂が、もう少し奥には、650万年前に金星から飛来した魔王尊を祀る「魔王殿」もある。鞍馬寺を訪れた際には、義経に関係なく、是非立ち寄ってほしいパワースポットである。 鞍馬寺から貴船神社へ続く山道脇にある義経堂  その後、義経は17才で鞍馬寺を脱走、奥州藤原氏を頼って平泉(岩手県)へと渡る。頼朝の元へは、藤原氏の家臣を引き連れて奥州から駆けつけたのである。その後、頼朝に許可なしに平氏を壇ノ浦まで追い詰め、天皇の証とでもいうべき三種の神器を海へ沈めたことなどから頼朝から不信を買い、対立するまでは初対面からわずか5年。頼朝は凱旋する義経を鎌倉へ入れず、1185年10月、ついには義経討伐へと頼朝は舵を切るのである。壇ノ浦の戦いから7か月後のことである。  義経は、再び奥州へ下り藤原氏へ匿われるも4年後、代替わりした藤原氏・4代目泰衡に急襲された居館地で妻子とともに自害して果てた。享年31。江戸時代になり仙台藩主・伊達綱村がこの地に義経を偲び「義経堂」を建立、源義経公像を本尊にしたお堂は世界遺産のひとつである毛越寺(もうつうじ)の境外社として奉斎されている。ちなみに、義経を匿った藤原秀衡は、平氏全盛のころから都の権勢に加わることなく独自の勢力・文化を築き、財力は鎌倉を凌ぐほどだったと言われる。また、源平の争いに加わることなく、頼朝にも毅然とした態度で義経を匿っていたが、秀衡の死去が義経の命運を終わらせたと言えるだろう。なお、義経を急襲した泰衡は、すぐに頼朝に滅ぼされる運命にあった。  義経の首は美酒に漬けられ、約2か月後に頼朝の元に届いたが頼朝は自ら首実検をせず、部下に確認させている。その首は片瀬の浜へ投げ捨てられたと言われ、潮によって川を登ってきた首を里人が拾い洗い清めたと伝わる井戸が藤沢にある。そして近くにあった寒川神社付近に首は埋められたという。その後、義経を神として合祀、江戸時代に白旗神社と名を変更した。白旗神社の境内には、義経と弁慶の像が立ち並ぶ。  結局、頼朝は兄弟すべてを戦さで亡くし、生き延びた者も断罪してしまった。息子2人も悲惨な最後を遂げているし、唯一庶子だった子は、北条政子の悋気のせいで隠棲していたため生き延びたが、生涯僧侶として子孫は残せていない。つまり、頼朝が落ち武者までをも追討させた平氏の子孫は生き延び、自らの男系子孫は絶えてしまったのである。鎌倉幕府は北条氏によって続くわけだが、義経の伝説が美しくなるのはここからである。義経の短所や欠点はほとんど指摘されず、弁慶との伝説などが各種美化されていった。  義経を上げることは頼朝を下げることになる。義経にまつわる慣用句は「判官贔屓」だけではない。壇ノ浦での「八双飛び」、弁慶との出会いを描く五条橋の「欄干飛び」、義経が得た六韜(りくとう/中国の兵法書で全6章)のうち虎韜が戦さでの必勝法を記したものだったことからの「虎の巻」など、ほとんどが伝説の類である。おかげで義経伝説は、生き延びた説まで登場、北海道で余生を送った、果ては海を渡りモンゴル帝国を作ったチンギス・ハーンとなった説まで登場した。  さて、ほんとに健気な義経が冷血な頼朝に利用され誅されたのか。もはや義経のダメだったところを語ることすら許されない空気が、鎌倉時代にすらあったような気がする。それこそが北条氏が狙ったまさに判官贔屓なのだろうから。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)
社内恋愛が推奨される職場で結ばれた夫婦 社員200人の前で社長が結婚を祝福
社内恋愛が推奨される職場で結ばれた夫婦 社員200人の前で社長が結婚を祝福  AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2021年10月18日号では、DYMで人材事業部主査代理を務める前畠宏美さん、同じくDYMで人材事業部課長代理を務める島袋太輔さん夫婦について取り上げました。 *  *  * 夫24歳、妻27歳で結婚。長男(2)、長女(1)と4人家族。 【出会いは?】妻が会社の先輩で、夫は2年後輩。部署は違ったが、社内の飲み会で初めて話した。 【結婚までの道のりは?】妻が熱を出したとき、夫が自宅に食料品を届けた。ほどなくして付き合うようになった。 【家事や家計の分担は?】朝はそれぞれが身支度をしながら、子どもの保育園に行く準備をする。夜は夫が遅くまで仕事をすることが多く、家事は基本的に妻が担当している。家計は、妻が管理する。夫はお小遣い制。 妻 前畠宏美[30]DYM 人材事業部主査代理 まえはた・ひろみ◆1991年、千葉県市川市生まれ。東洋大学卒業。2014年にDYMに就職。子ども2人の出産を経て、現在は求職者への就職斡旋を担当している  弊社では社内恋愛が推奨されています。交際宣言をすると、カップル手当が3万円支給される制度があります。ただし申請は1回までですが。私たちは、カップル手当はもらわなかったのですが、結婚するときは、30万円のお祝い金をもらいました。会社が恋愛や結婚をお祝いするのは、珍しいですよね。引っ越し費用に充てました。  長男の妊娠がわかって結婚することになり、社長にも伝えました。そうしたら、なんと数日後にあった社内の表彰式で、社長が発表してくださったんです。3カ月に1度の社内行事です。ステージに呼ばれて、そのとき集まっていた200人くらいの社員から「おめでとう」と言ってもらいました。うれしい気持ちしかなかったですね。安定期に入って、上司にやっと報告ができたばかりでした。みんなに知ってもらえて、すごくすっきりしました。  結婚すると、家庭もあって忙しくなります。そんななかで夫婦の頑張りを認めてくれる制度だなと思います。 夫 島袋太輔[28]DYM 人材事業部課長代理 しまぶくろ・だいすけ◆1993年、沖縄県浦添市生まれ。立教大学卒業。学生時代はバスケットボール漬け。2016年にDYMに入社。人材事業部で事業推進室のマネージャーとして勤務する  新型コロナウイルスが流行する前は、会社の人との飲み会の頻度が高く、平日の仕事後よく行っていました。飲みの場で、「後輩力があるね」とよく言われました。  学生時代、高級な飲み屋でバイトをしていました。そこで厳しく指導されたので、お酒をつぐタイミングとか、店員さんを呼んだり、テーブルを拭いたりとか、そういうことが得意になったんです。  中学、高校、大学とバスケットボールをしていましたから、上下関係はなおさら鍛えられたのかもしれません。僕の周りは強豪選手もいましたし、ゴリゴリでやんちゃな体育会系ばかりです。ですが、妻はいままで会ったことのないタイプだったので、ギャップを感じました。新入社員だった頃、先輩だった妻がすごく優しくしてくれました。結婚式で妻の友達を見たときも、穏やかでなんて心の澄んだ人たちなのだろうと思いました。僕の友達のカラーとは違っていて、学生時代だったら、仲良くなれなかったかもしれません(笑)。 (構成/編集部・井上有紀子)※AERA 2021年10月18日号
「好きな政治家」トップは河野氏「嫌いな政治家」は安倍氏 岸田首相は圏外
「好きな政治家」トップは河野氏「嫌いな政治家」は安倍氏 岸田首相は圏外 左から、稲田朋美氏、志位和夫氏、河野太郎氏 (c)朝日新聞社  人の話をよく聞くことを特技とする総理大臣が誕生した。ならば総理、本誌読者の声を真剣に聞いていただけまいか。永田町にいてはわからない国民の感覚を知ることができるから。ご自身の存在感の希薄さを認めるのは嫌かもしれないけれど。 *  *  *  やはり河野太郎氏は強かった──。  本誌が行った「好きな政治家、嫌いな政治家」アンケート。「好き」の1位に輝いたのは、先の自民党総裁選で敗れた河野氏だった。その他にも「好き」にランクインした政治家の名前を見て、政治ジャーナリストの角谷浩一さんが驚きの声を上げた。 (週刊朝日2021年10月22日号より) 「永田町の常識と国民の感覚とのズレを感じます。政界にいる人たちでは予想できない顔ぶれ。皆、ブレない人であるのがポイントですね。反タカ派が多く、全体のトレンドとして“安倍疲れ”があるのではないでしょうか」  河野氏が好きな理由として、以下のような声が届いた。「一番政務に取り組んでいる」(26歳・徳島県・男性)、「改革してくれそうだ」(56歳・神奈川県・男性)、「行動力と発言力と誠実さ」(65歳・福岡県・男性)、「発信力があり革新的」(82歳・福岡県・男性)  総裁選で河野氏支持に回った石破茂氏も「好き」で4位にランクイン。 「政権与党にいながらも総理や政府に物申す姿勢を持っている」(46歳・秋田県・男性)、「真剣だから」(70歳・栃木県・女性)、「国民に寄り添ってくれる。流されない人」(60歳・岐阜県・女性)  さて人気の河野氏を抑えて総理総裁の座に就いた岸田文雄氏だが、なんと「好き」9票、「嫌い」2票で、ともに十傑の圏外。つまりはちっとも関心がないということ。「嫌い」ランキングで金銀銅に輝いた歴代首相と違い、悪役ですらない。  作家の鈴木涼美さんはこの結果を見て、 「岸田さんは、まるで『半沢直樹』に出てくる体制側の悪の手下みたいです。国民が感想を持てないような人が、総理になるシステムを見直すべきでしょう。そういえば子どものころに見ていた総裁選でも、一番印象の薄い人が勝っていましたよね。小渕(恵三)さんとか。私たちのあずかり知らないところで首相が決まってしまうんです」  岸田氏を嫌う数少ない人は理由として「森友問題」(29歳・東京都・女性)を挙げていた。なかには「従来の政治手法とは異なる価値観を持っている可能性が高い」(76歳・千葉県・男性)と期待する人もいるのだから、声は声でも国民の声を聞いてほしいものだ。  そんな岸田政権を誕生させた元首相ふたりが、「嫌い」ランキングを爆走。1位の安倍晋三氏と2位の麻生太郎氏は、3位の菅義偉氏に圧倒的な差をつけている。  安倍氏を嫌う理由として届いた声は「自己保身が甚だしく説明責任を果たしていない」(42歳・東京都・男性)、「国を私物化」(32歳・東京都・女性)、「嘘を嘘と思わず、まるで真実のように嘘をつく」(70歳・福岡県・男性)、「官邸主導で官僚を骨抜きにして政治を駄目にした」(56歳・東京都・女性)、「安倍、麻生ともに坊ちゃん育ち。しょせん庶民の生活なんてわかりはしない」(80歳・神奈川県・男性)など。  もっとも安倍氏の名誉のため、「好き」でも5位に入っていることを付け加えたい。  さてこうした国民の指摘についてどう考えるか。安倍晋三事務所にコメントを求めるファクスを送ったが、残念ながら(当たり前か)期日までに返事はもらえなかった。  一方の野党だが、共産党政治家の人気が高い。志位和夫氏が2位、小池晃、田村智子両氏が同数の6位に入っている。衆参両院の定数は合わせて710。共産党の議員が25人しかいないことを考えれば、「好き」の十傑に3人がランクインしていることは驚異的だ。  とりわけ女性読者からの人気が高い。男女別に回答を集計すると、女性は志位・田村両氏で「好き」の1位2位を独占した。  この快挙(!?)に関する党のコメントをもらいたく、参院補選告示で慌ただしい7日に国会を訪ねた。応じてくれたのは、志位委員長その人。 「女性の方の期待をいただいたのは、大変光栄です。ここ1、2年、ジェンダー平等を求める非常に強いうねりが起こっていると思うんですね。党を挙げて、ジェンダー平等の問題に取り組んできました。それが評価いただいているとすれば、嬉しいです」  ランクインした他党の政治家についてもコメントを求めたが、「それは勘弁してください」と、まんざらでもない表情でかわされてしまった。  それに対して立憲民主党は……。来たる総選挙でも枝野幸男、蓮舫両氏が前面に出るのだろう。しかし「好き」「嫌い」ともに6位の枝野氏と、「好き」は圏外で「嫌い」で5位の蓮舫氏が選挙の顔でよいのだろうか。 「このふたりは挑発的、攻撃的で、キンキン怒っているイメージがついています。文句ばっかり、反対ばっかり言っている様子が頭に残っているんですね」(角谷さん)  大きなお世話かもしれないが、いっそ選挙の顔を長妻昭、小川淳也両氏に変えてみてはどうか。  長妻氏は「好き」の3位。「現状に満足することなく変化を与えられると思うから」(42歳・東京都・男性)、「物事の説明ができる。筋が通っている」(60歳・東京都・男性)、「異なる多様な意見にも耳を傾け謙虚に学ぼうとするから」(62歳・東京都・女性)など。  昨年公開されたドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」で、一躍知名度と好感度が上がった小川氏。女性だけの回答に限ると、「好き」で3位にランクインする。 「自分の仕事をしていると思う。パフォーマンスではなく」(62歳・兵庫県・女性)、「言動が的を射ている。自身の言葉で話す」(50歳・東京都・女性)、「明るく誠実そう」(70歳・兵庫県・男性)  前述の田村氏と小川氏の名を挙げて「国会でデータに基づいた論理性のある質疑をするから。生活者の目線で考えてくれるから」(58歳・東京都・女性)、「国民のことを真剣に考えてくれている」(59歳・北海道・女性)という声もあった。 (週刊朝日2021年10月22日号より)  女性の声が届きにくいといわれる日本の政治。女性政治家に期待する声が多いが、単純に女性政治家だからよいというわけでもなさそうだ。女性読者が「好き」だと選んだ政治家の中で、十傑に入っている女性は田村氏と小池百合子氏、高市早苗氏の3人。反対に「嫌い」では、稲田朋美、杉田水脈、三原じゅん子、蓮舫各氏の計4人がランクイン。  自民「嫌い」3氏については「誠実さが感じられない」(51歳・神奈川県)、「そもそも勉強不足」(50歳・東京都)、「日本会議系だから」(38歳・東京都)、「差別主義」(51歳・東京都)、「品格と勤勉さの欠如」(53歳・神奈川県)と、やや感情的なコメントが寄せられた。 「稲田氏が二階氏を上回る4位に入ったのには驚きました。以前、安倍さんとベッタリだったイメージが強いのでしょう。今はそういうこともなく普通に活動しているんですけど」(角谷さん) 「田村さんのように、女性に人気の女性政治家はとても貴重。それとは対照的に、自民党の女性は女性の支持を得られていません。というのも男性権力者に魂を売った彼女たちは、私たち女性のことを男性よりもわかっていないから。でも彼女たちが悪いというわけではなく、そうしなければ役職につけない自民党の体質が問題なんだと思います」(鈴木さん)  このアンケートは本誌公式ツイッターとAERA dot.で募集したもの。回答数が136と少なく「それだけ今の政治には関心がないのでしょう」(角谷さん)というなか、真摯に答えてくれた読者の声である。  ここで紹介した感覚が、永田町の常識になる日はくるのだろうか。(本誌・菊地武顕)※週刊朝日  2021年10月22日号
終末期患者の願いを「かなえるナース」 結婚式、旅行、帰省の付き添いも
終末期患者の願いを「かなえるナース」 結婚式、旅行、帰省の付き添いも 歯朶山さんのケアをするハレの小渕さん (撮影/写真部・戸嶋日菜乃)  その願い、かなえます──。終末期の患者にとって外出はリスクにもなる。でも、娘のウェディング姿が見たい、温泉に入りたいといった希望を持つ人もいる。そんな思いを実現するための訪問看護サービスがある。その名も「かなえるナース」。 *  *  *  7月のとある午後、一台の介護タクシーが横浜市内の結婚式場に到着した。介助する看護師に付き添われ車いすで降りてきたのは、礼服を着た歯朶山(しだやま)孝男さん(63)。 「お父さん、ありがとう」  そう言って傘を差し出し、歯朶山さんを出迎えたのは、ウェディングドレス姿の三女、上野美佳さん(25)。この日、身内だけで小さな結婚式を挙げる。  歯朶山さんは進行した肺がんを患い、脳への転移も確認されている。積極的な治療をする段階は過ぎ、現在は神奈川県内のホスピスで療養する。  歯朶山さんのひざの上には、1カ月前に白血病で急逝した妻みどりさん(享年60)の遺影が置かれている。式は「母の望みだったんです」と、美佳さんの姉は話す。  この結婚式をサポートし、医療的なケアが必要な歯朶山さんの介助をバックアップしたのが、看護師による新しい訪問看護サービス「かなえるナース」を手がける株式会社ハレ(東京都港区)だ。  代表取締役で看護師でもある前田和哉さん(35)に、結婚式の依頼があったのは式の1週間前だった。そこから何度か打ち合わせをし、ドレスやブーケ、ウェディングフォトに加え、患者が利用する革製の車いす、介護タクシーの手配などの準備を整えた。  前田さんらが聞いた主治医の話では、末期がんの歯朶山さんの脳は腫瘍(しゅよう)で圧迫されている可能性が高く、意識がない日が何日かあったという。 「看護師の目からみても外出が許可されるかどうか、微妙な状態でした。ところが、美佳さんの挙式の話が具体的になると、歯朶山さんの容体が徐々によいほうに変わってきたのです」(前田さん) バージンロードを娘と歩く。ひざには亡き妻みどりさんの遺影 (撮影/写真部・戸嶋日菜乃)  意識がはっきりしている時間が増え、大好きなチャーハンやコーラを口にできるほどにまで回復した。この変化には家族も驚くほどだった。  当日はハレの看護師らが歯朶山さんに付き添い、体調管理にも目を配っていたが、周りの心配をよそに容体は安定。痛み止めも酸素ボンベも使うことはなかった。挙式の間も体調を崩すことなく、ウェディングドレス姿の美佳さんを、ときに目に涙を浮かべながら、誇らしげに見つめていた。  念願のバージンロードを父と歩いた美佳さんは、「今日、こうして父が来られただけでも本当に感謝です……」と声を詰まらせた。  挙式後、前田さんが病室に挙式の家族写真を届けた。ベッドサイドに飾られているみどりさんの遺影の横に、美佳さんの結婚式の写真が加わった。  前田さんがハレを立ち上げ、終末期患者のサポート事業を始めたのは2018年。きっかけは末期がんの義母に、ウェディングフォトをプレゼントしたことだった。 「写真館でメイクをし、ウィッグをかぶってドレスに着替えた義母は、とてもうれしそうでした。このときに、終末期であっても患者さんにはやりたいことがあるはず、これまで培った救急看護や訪問看護などの経験を生かせば、こうした患者さんの希望をかなえるお手伝いができるのではないかと考えたのです」  現行の訪問看護でできる(健康保険が使える)サービスは、「療養を手助けする」という目的に限られ、また訪問も「自宅に1時間半まで」という縛りがある。かなえるナースでは、これを自由診療にすることで縛りをなくした。  旅行や帰省の付き添いなどもできるため、「死ぬ前に一度、両親に会っておきたい」「仲たがいした親との関係を修復したい」といった若い患者からの依頼も多い。30年以上疎遠になっていた両親に会いに、沖縄まで行ったがん患者に付き添ったこともある。この患者は家族と和解した2日後に亡くなったという。  ほかにも、おいしいそばを食べたいという患者には都内から長野県まで車を走らせ、温泉に入りたいという患者には浴槽から脱衣場まで酸素ボンベのチューブを伸ばすなどして対応した。もう少し手軽なことであれば、お墓参りや花見、ペットと過ごしたいから自宅に一時的に帰りたいという依頼などもある。 「サービスの使い方は自由です。終末期の患者さんが中心となりますが、看護師がいればかなえられることを無制限にサポートします」(同)  かなえるナースの料金は時間あたりで、別途、出張費や交通費などがかかる。結婚式であればウェディングドレスやヘアメイク、ブーケ、車いすの手配などはサービスの中に含まれる。  冒頭の上野さんの結婚式にも関わった、終末期の患者や介助が必要な人のサービスに詳しい医師の伊藤玲哉さん(トラベルドクター代表取締役CEO)は、「海外も含め、こうしたサービスは基本的にはNPOなどが寄付を募り、ボランティアのようなかたちで実施しているケースがほとんどです」と話す。  有名なのは「メイク・ア・ウィッシュ」で、日本にも法人がある。これは難病などの子どもの願いをかなえるものだ。 「終末期の患者さんへのサポートに関しては、例えば、オランダやドイツ、北欧では介護タクシーが旅行の移動をサポートして支援していますが、規模はあまり大きくなく、車で移動できる範囲に目的地も限定されているようです」(伊藤さん)  日本でも訪問看護のサービスの枠組みの中でされていたり、一般企業のCSR事業の一環として取り組みが始まったりしている。ただ、伊藤さんによると「入れ替わりが激しい」とのこと。  終末期の患者の旅行をかなえるには、準備にかかる人的・時間的コストや大きな責任が伴い、これらを限られた時間内で実施しなければならない。「情熱だけでは続けていけない事業」(同)という。  では、かなえるナースに関わる看護師はどう思っているのだろうか。2年ほど前にハレの社員となり、今回、歯朶山さんに付き添った看護師の小渕智絵さん(34)は、このサービスに関わる理由を、「自分がやりたい看護がこれだったから」と明るく答える。  小渕さんは、大学病院や美容外科のプライベートクリニックなどを経て、沖縄の市民病院に派遣看護師として赴いた。そこで知り合った関係者を通じてハレに入社した。 「終末期の患者さんの願いをかなえるサービスをビジネスでやっていると聞いて、しっかり働きたいと思いました。ボランティア活動だったらやっていなかったかもしれません」(小渕さん)  収入は美容外科に勤めていたころとは比べものにならないほど大きく減った。だが、それに勝る経験を得ているという。何より代えがたいのは、病棟に勤務していたころのように雑務に追われ、患者といる時間が取れないということがない、という点。一日の依頼であれば24時間、つきっきりでみることができる。  とはいえ、主治医の同意を得て、事前に必要な医療ケアについて打ち合わせをしていても、終末期の患者を外出させるのは大きなリスクだ。しかも自分の経験と技術だけが頼りだ。小渕さんは「医療機関で働いているときより責任は重い。緊張感も何倍も強いです」とも言う。 「でも、ある患者さんが言ったんです。『生きていると、こんな良いことがあるのね』って。こういう言葉をいただくと、どんなにたいへんなことも忘れちゃいます」(同)  ハレは4年目を迎えたが、この事業を継続するための課題は少なくない。その一つは、こうした取り組みがまだ多くの人に知られていないことだ。  前田さんは潜在的なニーズはあると考える一方で、「終末期という重要な時期に患者さんをお預かりする。次から次へとご依頼を受けるような性質の事業ではない」とも話す。  二つめは主治医の理解だ。依頼があっても実際に請け負えるのはごく一部。断念する理由の多くは患者の体調の急変だが、主治医が反対するケースもある。家族が希望を伝えても、主治医が「そうですねぇ……」と首をかしげた段階であきらめてしまうという。  しかし、終末期の患者の思いをかなえることは、残された家族の精神的な安定にもつながる。 自宅で子どもの結婚パーティーを開催。前列の右から2人目が木村さんの母親(写真・株式会社ハレ提供)  末期がんの母(当時84)のために「かなえるナース」を利用し、自宅で子どもの結婚パーティーを開いた木村茂子さん(61)。親族の反対がなかったわけではないが、「やってよかった」と笑顔を見せる。 「看護師さんがつきっきりでみてくれたので安心でしたし、何かあったら在宅医を呼べる態勢も整っていました。私たち家族にもいい思い出がいっぱい残りました。母が亡くなって寂しいですが、生ききったという感じがして、悔やまれることはないです」(木村さん)  厚生労働省の「人生の最終段階における医療に関する意識調査報告書(2018年)」によると、最近5年間で身近な人の死を経験した人のうち、心残りがあると答えたのは42.5%。理由で多かったのは、「あらかじめ身近で大切な人と人生の最終段階について話し合えていたら」「大切な人の苦痛がもっと緩和されていたら」だった。がん患者や家族の精神的なケアを行う精神腫瘍医の清水研さん(がん研有明病院)は言う。 「大切な人の体力がだんだん落ちていき、亡くなっていく場面をみれば、誰でも不安になりますし、何かしてあげたいという気持ちが湧いてくるのは自然なことです」  一方で、実際に何かをしたという結果よりも、むしろ「それまでのプロセスを大事にしてほしい」と言う。結婚式や旅行などはあくまでも海面に見えている氷山の上の部分であり、海面の下の大きな氷の塊、つまり亡くなりゆく人に対して寄り添うことだったり、対話をすることだったりが、重要なことだという。 「そのためには、終末期よりも前、もっというと健康なときからお互いによく話し合っておくことだと思います」(清水さん) (山内リカ)※週刊朝日  2021年10月22日号
白井晃が解釈する“おたく”の苦悩 「居場所を模索している人は多い」
白井晃が解釈する“おたく”の苦悩 「居場所を模索している人は多い」 白井晃さん(撮影/二石友希)  演劇と出会う前のことだ。白井晃さんは、他者との関係の中で、うまく“自己”というものを築けない自分に悩んでいた。ままならない自分と社会との関係に悶々とし、常に、自分とは何か、他者とは何か、世界とは何かを考えていた。そんな青臭い疑問を胸に抱えているうちに、演劇と出会った。古の時代から、似たようなことで悩んでいる人たちがいること、またそういったテーマの戯曲に取り憑かれた“演劇人”と呼ばれる人たちが世界中に大勢いることを知って、救われた気分になった。  早稲田大学演劇研究会出身のメンバーを中心に、1983年に劇団「遊◎機械/全自動シアター」を立ち上げ、2002年に解散してからは、ストレートプレイからミュージカル、オペラまで、幅広い舞台の演出を手がけている。14年から7年間は、KAAT神奈川芸術劇場のアーティスティック・スーパーバイザーと芸術監督を歴任した。  9月には、日生劇場で、ミュージカル「ジャック・ザ・リッパー」が上演され、10月にはシアタークリエで鈴木京香さん主演の「Home’I’m Darling~愛しのマイホーム~」、11月には草なぎ剛さん主演の「アルトゥロ・ウイの興隆」と、立て続けに演出作品が続く。中でも、「Home’I’m Darling~」は、今の、このコロナ禍にこそ見てほしい舞台だという。 「19年にイギリスの名誉ある演劇賞であるローレンス・オリヴィエ賞を受賞した作品です。一見喜劇のようで、コミカルなシーンも多いのですが、全体としては、折り合いのつけにくい社会の中で、なんとか自分にとって居心地のいい場所を探そうとしてもがく夫婦の姿を描いています。台本を最初に読んだときは、現代の風刺だと思いました」  主人公のジュディは3年前に職を失い、愛する夫のために、専業主婦として1950年代の完璧な主婦になることを決意した。その上で、偏愛する50年代のファッションやインテリアに囲まれた生活を送っている。やがて思わぬことがきっかけで夫婦の積もり積もった隠し事や心に秘めていたことがあらわになり、幸せだった家庭は崩壊の危機に直面するというストーリーだ。 白井晃さん(撮影/二石友希) 「自分が生まれる前の時代に憧れて、そのライフスタイルをそっくりまねようとするのは、日本でいう“おたく”の人の感覚に近いのではないかと思うんです。理想と現実との折り合いがつかず、自分が少しでも生き生きと生きられる場所を模索している人は、日本にもすごく多いでしょう? 今この時代に、うまくこの社会を受け入れた上で商売をやっている人たちは──たぶんIT企業などに大勢いると思うんですが、彼ら、彼女らはちゃんと現実社会が自分の生き場所になっている。でも、そこに自分の生き場所を見つけられない人たちは、なんとかして、趣味の世界だけでも、生き場所を探ろうとする。だから、ジュディは“レトロおたく”なんです」  自分が心からハマっているものに対して時間を費やしているときに、生きる実感を覚える──。誰もがそうやって自分だけの“推し”を持つことが推奨される時代に、ジュディの生き方に共感する人は多いかもしれない。 「ジュディが解雇されるとき、『この社会が私を必要としていないならば、私は私の社会を作ればいい』と宣言します。でも、結果的に夫を自分の趣味に巻き込もうとして、夫は妻に息苦しさを感じるようになる。自分一人でなら生きやすい場所でも、そこで誰かと共生するとなると、やはり折り合いや歩み寄りは必要になってきてしまう。コロナ禍で、どう他者とつながっていくか。まだまだ人と会うことが制限された日常の中で、どう自分が生き生きといられる場所を作ることができるのか。それが誰にとっても切実な問題になっている今、この作品のセリフが心に響く人は結構いるのではないかと思うんです」  戯曲の説明を聞いていると、不思議と、白井さんが10代の頃に悩んだという、「他者とは何か」「自己とは何か」というテーマにも相通じるものがあるように思えてくるが。 「僕は、作家ではなく演出家です。演出家のずるいところは、『この作品を、私はこう読み、こんなふうに解釈したんですがどうでしょう?』と、自分流の味付けで作品を提示できるところなので、無意識的に、自分の好きなテーマに寄せているのかもしれません(笑)」 (菊地陽子 構成/長沢明) 白井晃(しらい・あきら)/1957年生まれ。大阪府出身。早稲田大学卒業後、1983~2002年「遊◎機械/全自動シアター」主宰。14年KAAT神奈川芸術劇場のアーティスティック・スーパーバイザー、16年芸術監督に就任。21年3月に退任後も、旺盛な創作活動を続ける。11月、KAAT神奈川芸術劇場で「アルトゥロ・ウイの興隆」、来年1月、世田谷パブリックシアターで「マーキュリー・ファー」が上演予定。※週刊朝日  2021年10月22日号より抜粋
交際ゼロ日から結婚20年目に突入の鈴木おさむ 夫婦が続いていたら「一日100円」の顛末とは
交際ゼロ日から結婚20年目に突入の鈴木おさむ 夫婦が続いていたら「一日100円」の顛末とは 放送作家の鈴木おさむさん  放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、20年目を迎えた結婚にまつわるお話です。  *    *  * 2021年10月14日は僕と妻の結婚記念日です。2002年に結婚したので結婚20年目に突入しました。交際期間0日の結婚から始まり、あっという間でした。  日本テレビ「電波少年」のT部長でもおなじみだった土屋敏男さん。土屋さんは、森三中がデビュー当時からお世話になっていました。僕は直接、レギュラー番組のお仕事をしたこととかなかったのですが、2002年に結婚したときに「結婚生活が続いてたら一日100円あげる」と僕と妻が言われました。  20年前に、交際期間0日という、当時、ふざけたかのように見える結婚だったので、土屋さんも、たぶん、そんなに長く続かないと思っていたのでしょう。みずほ銀行にそれ用の口座を作り、一年ごとに1日100円×365日分の3万6500円を本当に振り込んでくれたのです。2年、3年とたつごとに、毎年、3万6500円を振り込んでくるのです。振り込んだ後に「振り込んだから」とかの連絡もなく。いつの間にか振り込まれている。  数年たって、振り込みがなくなりました。だからと言って僕らはなんとも思わない。っていうか数年振り込んでくれただけでも申し訳ないと思っていました。そしたらある時、振り込んでなかった分のお金が一気に入っていたのです。そこからも忘れた頃にまあまあ大きなお金が何十万円と振り込まれていました。妻が記帳してきて確認して。「もう、本当にいいいのに」と言うが、土屋さんも意地ですよね。  そして結婚20年目に突入した今年。土屋さんに用事があって久々に連絡を取り合っていました。土屋さんは「息子、何歳になった?」と聞いてきたので「6歳です。来年小学生です」と言うと「じゃあ、ランドセルを俺が買うから、それで1日100円は終わりにしよう」と言い出したのです。そもそも、1日100円払うと言い出したのは土屋さんだし、途中で何度も「もう、大丈夫ですから」と言ったのに意地になって払い続けたのも土屋さんです。  この20年近くで僕らは結婚していただけなのに、十分すぎるお金をもらってしまったのです。そして結婚20年目に突入する今年、ランドセルを買って終わりにしようと。  でもね、もうランドセル頼んじゃってるんですよ。だから土屋さんにメッセージを送りました。「土屋さん、もうランドセル頼んじゃってるので大丈夫ですから。もう終わりで大丈夫ですから」と。するとメッセージが帰ってきて「嫌だ」と。嫌だじゃないんですよ。  そして続くメッセージには「ランドセル、二つあったっていいだろ」と。僕が「二つは困ります」と返すと「なんでだよ。常識を疑えよ」と。  その言葉でハっとする。ランドセルは一つ。という常識。なんで二つじゃダメなんだっけ?  常識に疑問を持ち、そこを掘り始めることから、新しいものが作れるのかも……と思ってしまったり。そもそも自分たちの結婚も常識とははずれたところから始まったし。  だから返しました。「ありがとうございます」。というわけで、結婚20年目になり、土屋さんの1日100円生活は終了です。  有言実行って難しい。しかも長く続けることは本当に難しい。  カメラが回ってなくても、たくさんの人が見ているわけじゃなくても、「おもしろい」と思って決めたことを貫き通す。  観客がたった二人でも、やり続ける。  土屋さん、今までありがとうございました。この20年分の100円は笑福が大きくなったときに彼に何か「おもしろいこと」で渡します。  ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中。毎週金曜更新のバブル期入社の50代の部長の悲哀を描く16コマ漫画「ティラノ部長」と毎週水曜更新のラブホラー漫画「お化けと風鈴」の原作を担当し、自身のインスタグラムで公開中。コミック「ティラノ部長」(マガジンマウス)は10/4に発売になった。「お化けと風鈴」はLINE漫画でも連載スタート。YOASOBI「ハルカ」の原作「月王子」を書籍化したイラスト小説「ハルカと月の王子様」が好評発売中。長編小説『僕の種がない』(幻冬舎)が発売中。
ホントに「グルテンアレルギー」?  専門医も警鐘、誤解だらけの“遅延型アレルギー検査”
ホントに「グルテンアレルギー」? 専門医も警鐘、誤解だらけの“遅延型アレルギー検査” ※写真はイメージです(GettyImages)  エビ・カニ、小麦──。なにがしかの食物アレルギーに、心当たりがある現代人は多いはずだ。けれど、その検査法を正しく理解しているだろうか? AERA 2021年10月18日号から。 *  *  *  外食がめっきり減ったのは、コロナ禍のせいではない。「グルテンフリー」のせいだ。  大阪在住の40代夫婦はともに大阪育ちで、無類の「粉モノ」好きだった。中学生の娘を含む家族3人で、たびたびお好み焼き店めぐりをしていた。  だが、2年ほど前、妻が「遅延型食物アレルギー検査」の話を聞いてきた。友人がその検査で小麦などの穀物に含まれるタンパク質「グルテン」に陽性が出て、グルテンフリー生活を始めた。すると、「痩せて体調も良くなった」という。  その言葉に触発され、妻もその検査を受けると、グルテンに陽性が出た。小麦を控えてみたところ、疲れにくく、睡眠の質が向上したように感じた。そこで、家族全員の食事もグルテンフリーに切り替えたのだ。  小麦を含む食品は多い。当初はパンやパスタを避ける程度だったが、だんだん徹底してきた。外食は避けて自宅での食事ばかりになり、とんかつやムニエル、シチューやカレーのルウ、醤油など調味料まで、グルテンフリーを徹底して貫くようになった。  今ではお好み焼きも米粉使用だ。やっぱり「粉モノ」が恋しいし、地味にお金もかかる。「何より、子どもの栄養や食育が心配」と夫は言う。  あの時受けた検査で妻は、リンゴやモモ、キウイなどの果物にも陽性反応が出ていた。 「いつ果物もやめようと言い出すのでは、と戦々恐々としています」(夫) ■よく食べるものが陽性  食物アレルギーとは、ある特定の食物を口にしたり触れたり吸い込んだりした時に、それらに含まれるタンパク質に「免疫」が過剰に反応、体にさまざまな症状が起こる疾患のことだ。  摂取後すぐ、遅くとも2時間以内に症状が出る「即時型」と、数時間以上経ってから症状が出る「遅発型」がある。食物アレルギーの大半は即時型で、一般に食物アレルギーというと、即時型を指す。9割の人に蕁麻疹(じんましん)やかゆみなど皮膚症状が見られるほか、ゼイゼイした呼吸(喘鳴)や咳、腹痛、下痢、嘔吐、充血やまぶたの腫れなどが典型的だ。 (AERA 2021年10月18日号より)  では、冒頭の男性の妻が受けたアレルギー検査の「遅延型」とは一体なにか? 「“遅延型”という食物アレルギーはありません」  小児アレルギー領域を専門とする国立病院機構相模原病院臨床研究センターの佐藤さくら医師は、こう否定する。  通常、食物アレルギーは、即時型も非即時型も採血でIgE抗体の値を測定する特異的IgE抗体検査(以下、IgE抗体検査)で調べる。  だが、「遅延型食物アレルギー検査」はIgG抗体の値を調べる。前者は健康保険適用だが、IgG抗体は非適用の自由診療で、200項目近い内容で5万円前後の価格設定が多い。  IgG抗体は、食べ物の摂取量に比例しているので、よく食べる食品は数値が高くなる。つまり、食物アレルギーのない人にも存在し、全く症状がなくても高確率で陽性になってしまう。 「IgG抗体検査で原因食品は診断できず、この結果で食べ物を除去すると食物アレルギーの原因ではない食べ物まで除去することとなり、健康被害を招く恐れがあります」(佐藤医師)  グルテンに異常な免疫反応が生じるセリアック病や、IgE抗体検査や食物経口負荷試験で確認された小麦アレルギーなど、グルテンフリーが必要な人もいる。だが、例えば、セリアック病は北欧系に見られる遺伝性の病気だ。日本の患者数は諸説あるものの、人口の0.05%程度に過ぎない。 ■IgE抗体検査が指標  昭和大学医学部教授の今井孝成医師もこう指摘する。 「IgG抗体検査の結果や自己判断でグルテンフリーを行うのは、成人が嗜好でやるならかまいませんが、広めるのは賛成しかねます。成長期の子どもにやらせるのはもってのほかです」  ネットで遅延型食物アレルギーを検索すると、この検査を行う医療機関が多数ヒットする。「食べて数時間~数日経ってから症状が表れる」「気づきにくい」「さまざまな不調の原因」といった説明が並ぶ。子どもの発達障害や不妊に関わるかもしれないという医療機関まである。  米国や欧州のアレルギー学会をはじめ、日本小児アレルギー学会では、IgG抗体の食物アレルギーへの診断的有用性を公式に否定している。日本アレルギー学会も「診断法として推奨しない」と学会ホームページに明示している。  さて、食物アレルギーが疑われる場合は、問診と前述のIgE抗体検査で診断する。  IgE抗体検査には、疑いが強いアレルギーの原因物質を自由に選んで定量的に検査する方法(保険適用でできる項目は13項目まで)と、決まったアレルギー物質が数十個のパッケージになっていて半定量的に検査する方法がある。 「IgE抗体検査でもアレルギー症状の原因ではないものまで陽性と出る可能性がよくあり、パッケージ型での検査は、大まかな方向性を知るのには役立つかもしれません。しかし、正確に調べたいなら、問診で医師が必要と判断したものを選んで調べる定量性の高い検査がおすすめです。いずれも、検査で陽性=原因物質というわけではないことを理解しておくことが大切です」(今井医師)  そして、IgE抗体検査もあくまで入り口に過ぎず、確定診断の根拠とはならない。 「原因と疑う食物で明らかな全身症状などが起こる上に、IgE抗体検査が陽性」といった場合を除き、アレルギーが疑われる食べ物を実際に食べて症状を観察する「食物経口負荷試験」を経て、原因物質を確定することになる。経口負荷試験は9歳未満、1年に2回までが保険適用だ。だが、実施する医療機関は限られ、小児ですら受けられていないケースが多い。保険適用とならない成人の食物アレルギーにはほぼ行われていないのが実情だ。 「小児で食物経口負荷試験を受けられない、または成人で食物アレルギーを疑うという場合は、IgE抗体検査の結果から、制限や除去すべき食べ物を指導してくれる医師を受診するといいでしょう」(今井医師)  食物アレルギーを含めて、自分にどんなアレルギーや傾向があるかは非常に気になる。  AERA編集部では、花粉症があったり、ある種の食物アレルギーを疑っていたり、カニやエビがダメだったり、といったさまざまな自覚症状のある男女5人で、まずはパッケージ型のIgE抗体検査を受けてみた。  皮膚科専門医で日本大学医学部附属板橋病院の葉山惟大医師もやはり、「ある程度のあたりはつけられるが、定量的な検査や問診をしないとわからない」と前置きしたうえで、データから類推できることを解説してくれた。 (AERA 2021年10月18日号より)  5人中4人が「ハウスダスト」「ダニ」で陽性だが、4人はそれぞれ自覚症状があった。葉山医師は、「都会に住んでいる人にありがちな検査結果」という。 「日本人の約4割が、ハウスダストに陽性になります。が、5や6といった数値は高いですね」  ハウスダストや、犬や猫のフケには、空気清浄機が有効なこともある。  葉山医師は、6だった男性(44)についてこう指摘した。男性はアトピー性皮膚炎がある。 「アトピー性皮膚炎があると、全体的にIgEの値が高く出る傾向があり、疑陽性の場合もあります。おそらくハウスダストとダニは『本物』でしょう。マラセチア(カビ)も高いので、汗によるアレルギーが出やすいかもしれません。まずは皮膚炎の治療を優先するのがよいと思います。他の方も気になることがあれば、アレルギー科を受診してください」 (ライター・羽根田真智、編集部・小長光哲郎、井上有紀子)※AERA 2021年10月18日号より抜粋
なぜ超人気?韓国ドラマ『イカゲーム』が世界中でヒットした3つの理由
なぜ超人気?韓国ドラマ『イカゲーム』が世界中でヒットした3つの理由 Netflixオリジナルシリーズ「イカゲーム」Netflixにて独占配信中  Netflixで配信され、世界的な大ヒットとなっているのが韓国ドラマ『イカゲーム』。日本では9月中旬から配信され、瞬く間に世界を席巻した。ネット上には「一気に見た」「面白すぎ」といった感想が並ぶ。その理由は?(フリーライター 鎌田和歌) 空前の大ヒット、すでに二次創作も  9月17日にNetflixで配信された韓国ドラマ『イカゲーム』が記録的な大ヒットとなっている。現時点で、世界90カ国で視聴回数が1位となったというから恐ろしい。しばらくはその記録を伸ばし続けそうだ。海外メディアでも、英語圏以外のドラマがこれだけの反響を呼ぶのは珍しいと伝えている。  日本語版ツイッターでも、その面白さを伝えるコメントのみならず、深い考察が熱く語られ、キャラクターのイラスト化などの二次創作もすでに始まっている。今年のハロウィンでは、登場人物が着用していた印象的なコスチュームがはやるのではと予測する声もある。ショッピングサイトで確認すると、すでにイカゲームの「コスプレ服」が複数見つかった。  なぜ、これほどまでにヒットしたのか。ネット上の声を拾いながら分析してみたいが、その前にひとまず最低限のあらすじを紹介する。ネタバレにならないよう留意するが、どうしてもストーリーを知りたくない方はご注意いただきたい。 よくあるシンプルなストーリー?  主人公は中年男のソン・ギフン。借金を抱えて妻とは離婚、今は実母と二人暮らしのうだつの上がらない男だ。実母は生活のために行商を続けていて、ギフンは母のためにも、また離れて暮らす娘のためにも一発逆転を夢見ている。  そんなギフンが、謎の男に導かれてあるゲームに参加することになる。勝者となれば、456億ウォン(約45億円)が手に入るサバイバルゲーム。参加者たちは離島のような場所に設置された建物に隔離され、「だるまさんがころんだ」など子どもの頃に楽しんだゲームで競うこととなる。タイトルとなっている「イカゲーム」も韓国の子どもが親しんできた陣地取りゲームだ。ゲーム自体は単純なものばかりだが、脱落者は即射殺される。 参加者たちは年齢も性別もさまざま。それぞれにゲームに参加しなければならない背景があり、ギフンは次第に一部の参加者に心を開いていくが……というストーリーだ。  ギフンは、借金を抱えるダメ親父でありながら、実は情に厚くて友達思いというよくあるキャラ設定。演じるイ・ジョンジェは同じくNetflix配信ドラマである「補佐官」でも主人公を演じたが、「補佐官」とは打って変わって落ちぶれた雰囲気を醸し出す。大泉洋や、コミカルな演技をする際の役所広司といったところだろうか。  ストーリー自体も、勝者が決定するまで争い続けるという、これまで何度もフィクションで描かれてきたデスゲームであり、シンプルだ。  よくありそうなドラマなのに、なぜ、こんなにも世界中で人々の心をつかんでいるのか。 (1)ストーリーのテンポが抜群に良い  非常に単純な分析ではあるのだが、言語の壁を超えるためにもこの点は大きいのではないかと感じる。日本語版ツイッターでも目立つのは「一気見した」「一気に完走」という感想だ。筆者の知人でも、途中まで試聴していた他のドラマシリーズをいったん保留にして見始めたところ、気づいたら「イカゲーム」を先に見終わっていたという人がいる。  とにかくストーリーのテンポが良く、途中で飽きさせない。視聴者に「次はどうなるのだろう?」「これはなんの伏線なのか?」と思わせる箇所が1回の中に何度もあり、惜しみなくその小さな伏線が回収されていく。 また、うまいなと思わされたのが、前半でゲーム参加者らの背景が明らかになる仕掛けだ。  隔離された場所でのサバイバルゲームの場合、参加者たちの過去や素性はどうしても回想シーンや本人の語りに頼らざるを得なくなる。しかし『イカゲーム』では、ゲームのあるルールを使うことによって、参加者の背景説明をストーリーの中にうまく組み込ませた。脱北者、チンピラ、外国人労働者、落ちぶれたエリートと、どれもわかりやすいキャラクターだけに、最低限の背景描写だけで理解できるということもあるだろう。 (2)ビジュアルが記憶に残り、情報処理しやすい  ゲームの参加者は緑色のジャージーを着用させられ、支配する側はピンクの防護服のようなものを着ている。最初にタイトル画面でこれを見たときは「緑のジャージーとピンクの防護服か……」と、あか抜けない印象を感じたが、見続けるうちにこれは視聴者の情報処理の負担を減らす仕掛けになっているのではと気づいた。  これ以外にも、参加者たちが毎回ゲーム会場まで上らされる階段は、けばけばしく見えるほどのカラフルな色使い。ゲームを象徴するのは丸・三角・四角の図形で、これは敵キャラたちのマスクにも使われている。  子どもは黒や茶色よりも赤や黄色などカラフルな色にひかれやすい傾向があり、これは本能的なものだと言われる。子どもにもわかりやすい強い色使いやシンプルな図形は、大人の記憶にも残りやすい。情報過多であり、次々とコンテンツが消費されていく現代において、記憶に強く残りやすいビジュアルはかなりの強みであるはずだ。ビジュアルは言語の壁を超える。 配信から間もないにもかかわらず、すでにイラスト化(二次創作)やコスプレ服があることも、ビジュアルのキャッチーさを証明している。今後、緑のジャージーといえばイカゲーム、丸・三角・四角といえばイカゲームといった連想が世界中で行われることは想像に難くない。  また、ドラマ内で「敵キャラ」たちのほとんどはマスクを着用している。彼らはモブキャラ(主人公以外のその他大勢)であり、視聴者からしても顔の要らない存在だ。狙っているかどうかはわからないが、ここでも情報処理の負担が減らされている。  人間は自分と異なる人種の顔を見分けづらい傾向があるという。海外の作品で「登場人物の顔が途中まで見分けられなかった」という経験はないだろうか。筆者はある。イカゲームの場合、性別と年齢が近いメインキャラクターは、メガネと髪形でわかりやすく区別がつきやすくなっている。全員が緑のジャージー姿でありながら、1回見ればメインキャラの識別が容易だ。アジア圏以外でのヒットの理由はこういった点にもあるのではないか。 (3)考察マニアも満足できる仕掛け  ここまで『イカゲーム』の「わかりやすさ」を強調してきたが、もちろんそれだけではない。考察マニアたちを夢中にさせる仕掛けも、ちりばめられている。  特に、ゲーム終了後の主人公のある変化について、ネット上ではさまざまな考察が行われている。個人的にはキリスト教と結びつけた考察が面白く感じた。韓国では人口の3~4割をキリスト教徒が占めるといわれ、作品中にもキリスト教の布教シーンがある。  また、言うまでもなく『イカゲーム』は格差社会を痛烈に風刺した作品でもある。脱北者や外国人労働者、被虐待児が登場するし、力の弱い(労働力のない)者や女性が排除されやすい現状への風刺もある。2020年のアカデミー賞作品賞を受賞した『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ監督)のテーマも格差社会であったが、社会問題への問題提起は見る側の余韻を深くさせ、語りがいを持たせる。 伏線を確認するため、完走した後、もう1回最初から見直してみようと思う人も多いだろう。  ちなみに、すでに視聴した方は、作品内である電話番号が提示されるのを覚えているだろう。この番号が韓国内で実際に使われている番号で、持ち主の女性の元に「ゲームで遊びたい」という電話が殺到したことをBBCニュースが伝えている。  女性は、制作側から提示された補償金500万ウォン(約50万円)の受け取りを拒否したとも伝えられている。話題作りではと勘繰りたくなるが、ともあれ『イカゲーム』が全世界でヒット中なのは間違いない。未見の方には秋の夜長に、ぜひおすすめしたい。
赤木雅子さんの“総理への手紙”が生んだ奇跡 森友問題が衆院選で最も重視するテーマ1位に
赤木雅子さんの“総理への手紙”が生んだ奇跡 森友問題が衆院選で最も重視するテーマ1位に 赤木雅子さんから手紙を受け取った岸田総理(C)朝日新聞社  1通の手紙が今、話題を呼んでいる。便せんに1枚と少々。短いけれど手書きで丁寧に思いをつづっている。 「内閣総理大臣 岸田文雄様 私の話を聞いてください。」  こういう書き出しで始まる文面は、すぐに深刻な内容に変わる。 「私の夫は三年半前に自宅で首を吊り亡くなりました。亡くなる一年前、公文書の改ざんをした時から体調を崩し、身体も心も壊れ、最後は自ら命を絶ってしまいました。」  当時、安倍政権を揺るがせた財務省の公文書改ざん事件。森友学園への国有地巨額値引きが不透明だと国会で追及される中、取引に関連する決裁文書を改ざん。安倍晋三総理(当時)の妻、昭恵さんの名前が書かれていたのをすべて消した。これを現場の近畿財務局で実行させられた職員、赤木俊夫さん(享年54)が、1年間苦しみぬいた末、改ざんを告発する文書を残し、命を絶った。ところが… 「財務省の調査は行われましたが、夫が改ざんを苦に亡くなったことは(調査報告書に)書かれていません。なぜ書いてないのですか?」 「夫は改ざんや書き換えをやるべきではないと本省に訴えています。それにどのように返事があったのか、まだわかっていません。夫が正しいことをしたこと、それに対して財務省がどのような対応をしたのか調査してください。」  最後に改めて総理に訴えかける。 「正しいことが正しいと言えない社会はおかしいと思います。岸田総理大臣ならわかってくださると思います。第三者による再調査で真相をあきらかにしてください。赤木雅子」  手紙の送り主、赤木雅子さん(50)は、改ざん事件で犠牲になった近畿財務局職員、赤木俊夫さんの妻だ。夫を死に追い詰めた改ざん事件の真相解明をめざし、国と、改ざんを指示した佐川宣寿元財務省理財局長を相手に、裁判で闘っている。 ◆総理への手紙を出した後の赤木雅子さんの1週間  今なぜ“総理への手紙”を出したのか? それから1週間の怒涛の展開とともにお伝えする。 総理への手紙を手に会見した赤木雅子さん(筆者提供)  始まりは、立憲民主党副代表の辻元清美議員から、人づてに寄せられた申し出だった。 「国会の代表質問で森友事件の再調査を取り上げます。赤木雅子さんの言葉を直接岸田総理に伝えたいと思いました。もしも総理に訴えたいことがありましたら、私から伝えさせていただけませんか?」  辻元議員はそれまで雅子さんとのやり取りはなかった。うかつに政治に巻き込んではいけないと、連絡を控えていたそうだ。でも今回、総理大臣が岸田氏に代わり、「人の話を聞くのが得意」と述べたことから、雅子さんの言葉を何とか総理に伝えたいと考えたという。  総理大臣に直接言葉を伝えてもらえるとは、ありがたいことだ。しかも代表質問はNHKのテレビで全国に生中継される。またとないチャンスだけれども、雅子さんには不安の方が強かった。辻元さんは国会でもネットでもよく誹謗中傷のような攻撃を受けている。総理への訴えを託したら雅子さんも攻撃されるかもしれない。申し訳ないと思いつつ、丁重にお断わりした。  でも、これを機会に雅子さんは真剣に考えた。総理大臣に直接、思いを伝えるというアイディアはすごくいい。人に任せず自分で出せばいいのでは?…いや、それでも「総理に直接手紙なんか出して」と批判されるかもしれない。夫を亡くし独り暮らしになった雅子さんは、常に不安と孤独の中にいる。怖い気持ちと、かすかな希望。どうしよう…数日間、迷いに迷った末、朝の目覚めの後、神戸市内の自宅でコーヒーを味わいながら決めた。 「やっぱりやってみよう。手紙を送るだけなら、すぐできる」  いったん決断すると、雅子さんの行動は早い。その日の午前中、予約していた歯の治療を受けながら頭の中で文案を練った。治療が終わるとすぐに手元のスマホで入力。自宅に帰って便せんに丁寧に書き始めた。やはり手書きの方が思いがこもるから。でも2回書き損じた。3回目でようやく書き上げると、記録用に写真とコピーをとった。再び自宅を出て郵便局へ。間違いなく届いたことを確認するには、郵便局で配達証明付きで送るのがいい。森友学園の小学校の名誉校長を務めていた安倍昭恵さんにお手紙を出す時にもそうした。  朝、決めて、夕方には手紙を出す。即断即決即実行。10月6日、水曜日のことだった。この日から、雅子さんが思いもよらぬ勢いで事態が進展してゆく。 赤木俊夫さんの遺影を手にピンクのマスク姿の雅子さん(筆者提供)  速達で出したから着くのは早い。翌7日午前10時23分に総理大臣官邸に届いたことが配達証明で確認できた。約1時間後の午前11時半、雅子さんは大阪で弁護士と記者会見。岸田総理宛に手紙を送ったことを明らかにした。手紙のコピーを掲げて文面を読み上げた。「岸田さんならわかってくれる」という言葉にどういう思いを込めたのか、質問が出た。よくぞ聞いてくれました、という表情で答える雅子さん。 「総裁選の時、岸田さんは最初、再調査をするような発言をしていました。でもすぐに変わりました。誰かから何か言われたんでしょうか? 本当は再調査すべきだと思っているから最初そう言ったんだと思います。正しいことが正しいと言えない社会はおかしい。それが誰よりわかるはずだから、こう書きました」  会見の後、雅子さんは弱気なつぶやきをもらした。 「みんな、どれだけ記事にしてくれるかなあ?」  そんな心配は皆無だった。早くもお昼のニュースで“総理への手紙”がオンエア。テレビも新聞も各社次々に記事を出し、ネットにも流れた。一時はヤフーのトップニュースにあがるほどの勢いだった。 ◆予想外に大きかった総理への手紙の反響  この日、岸田総理大臣は参院補選の応援で静岡にいた。手紙について記者団に問われた総理は…「お手紙まだちょっと手元に届いておりません。受け取った上で対応を考えたい」  次の日、8日は国会で岸田総理大臣の所信表明演説が行われる日。雅子さんは初めて傍聴に訪れた。衆議院の本会議場、一段高い所にある傍聴席で、総理の演説にじっと耳を傾けた。  演説中、自民党議員の席から盛んな拍手が、野党議員の席からはヤジがとばされる。その時、雅子さんの耳にこんな言葉が飛び込んできた。 「再調査はどうした!」  はっとして野党席を見つめた。今、誰かが「再調査」と言った。「人の話を聞く力がある」と自認する岸田総理にとって、もっとも聞きたくないヤジの一つだろう。その言葉が国会の議場に響いたことが純粋にうれしかった。演説中、再調査に関するヤジは少なくとも3回聞こえた。 赤木雅子さんが新幹線から見た夕焼けに雲(筆者提供)  その日、手紙の記事を見た辻元議員から連絡があった。公開された赤木雅子さんの手紙を、代表質問で全文読み上げてもいいだろうかという打診だった。総理に回答を迫るという。“総理への訴え”を託すのを断ったのに、そこまでしてくれるなんて…雅子さんは再び即断した。 「辻元さんにお礼を伝えに行きます」  誹謗中傷への怖さより、大切なことがある。帰りの新幹線から見えたきれいな夕焼け雲も、励ましてくれるようだった。 ◆大阪で初めて対面した辻元議員の素顔  翌9日、午後6時半、大阪府高槻市。雅子さんは辻元議員の地元事務所を初めて訪れた。ここ数日、初めてのことだらけだ。辻元議員は総選挙を前に大阪府豊中市で応援演説をしていて、少し遅れるという。豊中といえば因縁の場所。森友学園に8億円値引きして売却されたあの国有地があるところだ。  しばらくすると、「すみませ~ん、お待たせしちゃって」とお詫びしながら部屋に入ってきた辻元議員。室内の雰囲気がさっと明るくなったように雅子さんは感じた。 「こちらこそ、お忙しい所にいきなりお時間をとっていただいて」  向かい合ってあいさつするやいなや、辻元議員が雅子さんの口元を指して笑顔を見せた。 「あ~っ、同じや!」 「そうですね」  二人とも同じピンクの不織布マスクをつけていたのだ。 「どこで買うたん?ネットやろ?」 「いくらやった?〇〇円ちゃう?」  ポンポン飛び出る、いかにも大阪人らしい言葉に、初対面の固さが一気にうちとけた。辻元議員はバリバリの大阪弁で笑かしてくれるが、ご本人はとてもスマートだ。雅子さんは見とれてしまった。手元を見ると、スマホのカバーもピンク、その他の身の回りの品もピンク。 「男が中心の政界で頑張っているけど、本当は可愛い人なんだな」  なんだかほっとした。そこでふと気がついた。 「私は辻元さんのように攻撃されるのが怖かったけど、辻元さん自身は怖くない。怖いのは攻撃してくる人たちなんだ」  やがて辻元議員が雅子さんの目をじっと見ながら心配するように語り掛けた。 「一人で暮らしてるの?」  その言葉に雅子さんは、お互い一人で闘う女性としての心遣いを感じた。辻元さんも攻撃されれば傷つくし怖いこともあるだろう。雅子さんも同じだ。政界も裁判も財務省も、周りは男だらけ。男性たちに囲まれる圧迫感、攻撃される恐ろしさ。女性同士だからわかりあえる。 「私の裁判人生に、やっと女性が現れた…」  そう思うと気持ちが落ち着いた。…帰りに、辻元議員おススメの地元中華料理店の餃子をいただくのも忘れなかった。 ピンクのマスクの辻元清美議員(筆者提供)  週明けの10月11日。赤木雅子さんは朝早くから新幹線で東京へ向かっていた。この日、衆議院本会議で行われる代表質問を傍聴するためだ。報道各社には事前に、立憲民主党の辻元清美議員が代表質問で雅子さんの“総理への手紙”を読み上げること、それを傍聴した後、取材に応じることを伝えていた。 ◆冷やかだった麻生前財務大臣の反応  でも、どのくらい取材に来てくれるだろう? 麻生前財務大臣は先月の記者会見で再調査について「読者の関心があるのかねえ?」と冷ややかに語った。世間の関心があるのか、雅子さんにも自信がなかった。  ところが報道各社から次々に問い合わせの電話が入る。議場に着くと取材席のテレビカメラが傍聴席の雅子さんを狙っている。かなり関心がありそうだ。  午後3時過ぎ、辻元議員は代表質問で、赤木雅子さんと初めて面会したことを明かした。その時に受け取った“総理への手紙”のコピーを取り出し、全文を読み上げて紹介した。傍聴席の雅子さんは身じろぎもせず、じっと手元のハンカチを握りしめたまま聞いていた。  辻元議員の質問には普段、自民党議員のヤジが激しく飛ぶが、手紙の朗読中、議場は静まり返り、誰一人ヤジを飛ばす議員はいなかった。手紙を読み終えると辻元議員は岸田総理に向き直った。 「どんな思いでお手紙を出したのですか?と(雅子さんに)お聞きすると、『岸田総理は人の話を聞くのが得意とおっしゃっていたから、私の話も聞いてくれるかと思い、お手紙を出しました』とおっしゃっていました。総理はこのお手紙、どのように受け止められましたか? 総理、お手紙で求めていらっしゃる『第三者による再調査』、実行されますか?」  岸田総理は答えた。 「御指摘の手紙は拝読いたしました。その内容につきましては、しっかりと受けとめさせていただきたいと思います」  手紙を読んだことを認めたが、対応については…。 「今現在、民事訴訟で法的プロセスに委ねられていて、返事などは慎重に対応したいと思っています」 佐川宣寿・元国税庁長官(撮影・西岡千史) 「財務省で事実を徹底的に調査し、自らの非を認めた調査報告書を取りまとめています。検察の捜査も行われ、結論が出ています」 「本件については、これまでも国会などにおいて、さまざまなお尋ねに対して説明を行ってきたところであると承知をしており、今後も必要に応じてしっかり説明をしてまいります」  要するに、安倍政権、菅政権と同じ。「調査は尽くした。問題はない」を繰り返し、最後は「裁判中なので」と逃げる。再調査を行う気がかけらもないことはよくわかった。ところが雅子さんの感想は少し違った。 「岸田さんの答弁は言葉が丁寧ですね。そこが安倍さんや麻生さんとは違います。内容はゼロ回答なんだけど、何だか今後に期待できるような気がしてしまいます」  だから、代表質問が終わった後の報道各社の取材でもこう答えている。 「再調査にむけて前向きな返答を頂けなかったことは、本当に残念です。だけど(岸田総理の)考えが変わる時がくるんじゃないかと思うので、期待してまだ待っていようと思いました」  雅子さんの手紙は議場の議員たちの心も揺さぶったようだ。内容に「胸を打たれた」という声が、与野党双方の議員から辻元議員に寄せられている。手紙のことは報道で知っていても内容まで詳しく知らない議員がほとんどで、「全文を読み上げてもらってよかった」とも言われたという。 ◆赤木雅子さんと会い、うつむく財務省職員  偶然ってあるものだ。取材対応が終わると、赤木雅子さんはとある用事で都内のある建物のエレベーターに乗った。乗り合わせた5人の男性の首から身分証が下がっている。それを見て雅子さんは気づいた。 「この人たち、財務省の人たちだ」  そこで雅子さん、彼らに向き直るといきなり「すみません、皆さん財務省の方ですか?」と問いかけた。戸惑いながらも「ええ」と答える男性たち。すると雅子さんが笑顔で踏み込んだ。 「私の夫も財務省に勤めていたんですよ」 赤木俊夫さん(筆者提供)  筆者は横で見ていて「ここで寸止めするんだろうな」と思った。だがそれは甘かった。最後にとどめの一撃が。 「夫は亡くなったんですけどね。3年半前に」  これで彼らも、目の前にいる女性が誰か、はっきりわかっただろう。返事もなく、うつむきながら、先にエレベーターから降りていった。  翌12日、雅子さんの代理人弁護士のもとに、財務省近畿財務局から文書が届いた。8月に雅子さんが提出した情報開示請求に対する回答だ。裁判の資料とするため、財務省が改ざんの調査報告書をまとめる際に使ったすべての文書と、事件の捜査で検察庁に提出したすべての文書を開示するよう求めていた。 岸田総理への手紙(筆者提供)  しかし回答は、すべて「不開示」。まさにゼロ回答。岸田総理の答弁と同じだ。これより先、岸田総理は「裁判の中で、財務省として丁寧に対応するよう、私からも財務省に指示を出した」とも発言している。そこにこの回答、雅子さんもあきれた。 「丁寧に出した答えがこれです。何度も聞かされてきたフレーズです」 ◆衆院選挙で最も重視するテーマ1位に森友問題  ところが話はこれで終わらない。ヤフーニュースの中の「みんなの意見」というコーナーで現在、「衆院選、あなたが最も重視するテーマは?」というアンケート調査が行われている。12日の時点で12万人余が投票(締め切りは31日)。その結果を見ると… 1位…「森友問題の再調査」 3万2000人余 27.2% 2位…「外交・安全保障」 2万4000人余 20.5% 3位…「経済・成長戦略」 1万5000人余 12.4% 4位…「コロナ経済・補償対策」 1万人余 8.7% 5位…「憲法改正」 8000人余 6.8% https://news.yahoo.co.jp/polls/domestic/42663/result  森友再調査がダントツのトップ。普段なら選挙の最重要テーマになりそうな項目をはるかに上回っての1位だから、何か原因がないとありえない。  この調査が始まったのは10月5日だ。その後、事態を大きく動かしうる出来事と言えば…6日に出した赤木雅子さんの“総理への手紙”しかないだろう。  勇気を出して手紙を書いた。それがマスコミで大きく報じられた。国会の代表質問で全文が読み上げられ、その様子がNHKのテレビ中継で全国に流れた。代表質問2日目の12日、共産党の志位委員長も“総理への手紙”を取り上げた。共同通信の世論調査では「再調査すべき」という回答が6割以上を占めた。流れは今も続いている。 ◆わずか1週間で”亡霊”を呼び覚ます  国有地の巨額値引きと、取引を記した公文書の改ざん。森友事件は4年前に発覚し、3年前にまじめな公務員の命を奪った。  その後、忘れられかけていた事件が今、“亡霊”のように蘇っている。それは犠牲者の妻、赤木雅子さんが出した“総理への手紙”がきっかけだ。わずか1週間で“亡霊”を呼び覚まし、日本中に共感が広がっている。奇跡の1週間だ。  奇跡による“亡霊”の復活を怖れているのは、事件を“なかったこと”にしたい人たち。その筆頭が、安倍晋三元総理ではないか。  手紙を出して1週間となるきょう13日、赤木雅子さんは大阪地裁で国と佐川氏を相手の裁判に臨む。翌14日に衆議院が解散。日本は総選挙に突入していく。多数の人々が支持する「森友再調査」が実際に選挙の最重要争点になれば、本当に“奇跡”が起きるかもしれない。 (相澤冬樹) ◆あいざわ・ふゆき NHKで31年、記者。現在は無所属で週刊文春、ヤフーニュースなど各種メディアに執筆。各地で取材・講演中。
【独自】眞子さまの「儀式行わない」意向も、天皇陛下は「朝見の儀」を望んでいた
【独自】眞子さまの「儀式行わない」意向も、天皇陛下は「朝見の儀」を望んでいた 婚約が内定し、記者会見する眞子さまと小室圭さん=2017年9月3日 (c)朝日新聞社  婚約内定発表から4年、秋篠宮家の長女・眞子さま(29)の結婚が正式に発表された。結婚一時金を受け取らず、関連儀式は行わないとされる。そうした中、天皇陛下は、単に挨拶だけではない理由で儀式を望んでいたという。ジャーナリスト・友納尚子氏が綴る。 *  *  *  小室圭さん(30)との結婚を控えた眞子さまは、宮内庁による正式発表(10月1日)以降、皇族としての最後の務めを粛々となさっていた。  12日には、昭和天皇が眠る武蔵野陵と香淳皇后が眠る武蔵野東陵を参拝。曽祖父母への結婚のご挨拶をされた眞子さまは、今後、上皇、上皇后両陛下、天皇、皇后両陛下、皇族方と順番に私的な挨拶をなさる予定だという。高橋美佐男上皇侍従次長は、8日の会見で眞子さまについて、「上皇后陛下にとって、眞子さまはより近いところにいた。(結婚なさる)幸せを願われないはずがない。健康を害していらっしゃるということは驚かれたと思うし、ご心配されている」と述べた。  眞子さまの結婚騒動で、的確な判断をなさる美智子上皇后(86)が沈黙されているのは、気になるところだったが、上皇侍従次長は、「眞子さまの内心の問題、心の問題であり、自分で考えを深めるためには、周囲からの雑音が無いように見守ることが大事と当初からのお考えなので、一切自分たちは何も言わないし、尋ねることもしないという姿勢を貫いていらっしゃいます」と語る。  上皇、上皇后へのご挨拶の日程は決まっていないというが、眞子さまも初孫として可愛がっていただいてきたお礼をお伝えしたいと願われているといわれる。  同日、眞子さまに、日本人移住110周年にあたる2018年に訪問されたブラジル政府から、日本と両国を繋ぐ深い敬意、友情、親近感の証しとして、「リオ・ブランコ勲章大十字型賞」が贈呈された。同年のブラジル訪問は、眞子さまの公務の中でも、思い出深いものの一つだとされる。11日間に五つの州と14の都市を回り、各地での記念行事に臨席され、2国間の友好親善に貢献された。  眞子さまは、皇族としてこれまで何年にもわたって公務に尽くされてきた。過密なスケジュール、長期滞在の外国訪問、厳しい気候の中での長時間のご臨席などもあった。やがて皇室を離れる女性皇族には、単発的な公務が多くなりがちだといわれるが、その分、集中力が問われることも多かった。  今回、眞子さまは結婚一時金を受け取らないと言われたが、これまで伝えられていなかった貢献ぶりや決して自由とは言えない生活を強いられてきたことを考えれば、受け取られても良かったのではないかと思う。  実際の皇族の仕事というのは決して楽なものではないということを、取材を通じて実感する。  眞子さまは17日、最後の祭祀にご出席。後日、宮中三殿に結婚報告をなさるという。結婚会見の当日は、小室さんとお二人で出席。気になるのは小室さんの髪形の変化ではなく、4年前の婚約内定会見時のように、一連の騒動を吹き飛ばしてしまうお二人の仲睦まじい姿が見られるかどうかだ。そうであって欲しいと、待ち望んでいる国民もいる。 秋篠宮ご夫妻の近影(宮内庁提供)  このところの赤坂御用地内にある秋篠宮邸では、夜遅くまで灯りがついているという。眞子さまが引っ越しの荷物をまとめられたり、小室さんとやり取りをなさったりされているためだ。新居となる米ニューヨーク州のマンションに荷物を送られるのは、26日の婚姻届提出後だが、必要最低限のもの以外は引っ越し先で揃えるので、荷物は意外に少ないといわれる。  秋篠宮家の次女の佳子さま(26)は、荷物が積まれた部屋の外から眞子さまのご様子を、そっとうかがっていることが多くなったそうだ。仲が良い姉妹は、これまで学校のことやおしゃれのこと、友人のことなどたくさんの話をしてこられた。佳子さまにとって眞子さまは、よき理解者であり、頼りになる存在だった。希望を胸に旅立つ眞子さまの姿はうれしくもあるが、少しお寂しい気持ちもあるのではないだろうか。 「長らくお会いできなくなることへの実感が、日を追うごとに迫ってきておられるのではないでしょうか」と秋篠宮家関係者は語った。 9月27日、米国から帰国した小室圭さん(中央) (c)朝日新聞社  眞子さまのご結婚についての正式発表は、慶事とは思えない後味の悪さがあったが、宮内庁関係者は、いまだその話題となると色よい対応をしない。結婚一時金を受け取らず、儀式は行わないという妥協点で、事態を収めようとしているかのようにも見える。  結婚に関する儀式は、「国民からの理解」の有無を問わず行っていただきたかったと思う。眞子さまのご意思や両陛下、秋篠宮皇嗣同妃両殿下のお気持ちがあるのはもちろんだ。しかし、厳粛な儀式に臨まれるお二人の姿を国民が見られれば、一連の騒動を払拭できた可能性もあったかもしれない。  儀式とは、簡単に立ち入ることができない厳かなものであり、喧しい俗世の声を静粛に導く力があるからだ。 「人格否定発言」のあった会見時の皇太子(現天皇、2004年)(代表撮影) (c)朝日新聞社  天皇陛下(61)も当初は「朝見の儀」を望まれていたという。「朝見の儀」とは、眞子さまが天皇、皇后両陛下にこれまでのお礼とお別れの挨拶をされて、陛下からお言葉を頂く儀式で、皇族方もそろって参列される。陛下が執行に心を寄せられたのは、挨拶の重要さだけではなく、正式な儀式を経たほうが、いつか眞子さまが皇室に連なる仕事に携わる時に、戻りやすいのではないかとのご配慮だったとされる。  皇室関連の行事や執務を担う皇族の人数は圧倒的に少ない。天皇の妹で眞子さまが「ねえね」と呼ぶ元皇族の黒田清子さん(52)は、都庁職員の黒田慶樹さん(56)と正式な儀式を経て挙式し、結婚後も伊勢神宮祭主として活動されている。  秋篠宮家の「儀式を行わない」という意思は固かったといわれる。さらに眞子さまが精神疾患だということも、天皇陛下のご意思の方針転換に繋がったようだった。陛下は同様の精神疾患の雅子皇后(57)と歩まれてきただけに、眞子さまに無理はさせたくないとのお気持ちも強かったのかもしれない。(ジャーナリスト・友納尚子) >>【後編/美智子さま、雅子さま、眞子さま…繰り返される皇室女性の悲劇「宮内庁は変わるべきだ」の声】へ続く※週刊朝日  2021年10月22日号
岸田派VS二階派VS麻生派VS石破派「仁義なき」自民党の公認争い【西日本編】
岸田派VS二階派VS麻生派VS石破派「仁義なき」自民党の公認争い【西日本編】 地元の会合で目もあわせない河村建夫元官房長官(左)と林芳正元農相(C)朝日新聞社  自民党は10月11日、第一次公認候補を発表した。だが、公認争いで保守分裂に発展している山口3区、長崎4区、徳島1区、福岡5区などの選挙区では結論が先送りとなった。西日本での「仁義なき」公認争いをルポする。  現在、参院山口県選挙区の補欠選挙の真っ只中の山口3区。自民党は参院比例区選出だった北村経夫氏を擁立している。だが、10月7日の選挙戦初日は不穏な空気に包まれたという。  北村氏の出陣式に公認争いをしている二階派で現職の河村建夫元官房長官と参院から鞍替えの岸田派・林芳正元農相がともに挨拶に立ったのだ。 「衆院選の日程も決まり、公認争いも佳境でどうなるかとハラハラでした。お互い目も合わせずそっぽ向いたままでしたよ」(自民党の県議)  長崎4区では現職の北村誠吾前地方創生担当相(岸田派)ではなく、前県議会議長で県議の瀬川光之氏を地元県連が公認候補としての推薦を党本部に求めたことで、騒動となっている。  地元県議によると、県連での投票で瀬川氏が北村氏より上回ったことと、「大臣時代のあまりに情け無い答弁は県民の不評を買っている」との理由だという。  北村氏は「現職優先」だとして公認されるべきと主張したが、第一次公認では名前は発表されなかった。  北村氏が岸田派に属しているので陣営は「岸田首相になったので、現職優先という原則から県連決定は覆るはず」と強気を崩さない。  一方、高知2区は現職の山本有二元農相(石破派)の地盤だが、前高知県知事、尾崎正直氏(二階派推薦)が公認に決定した。 「山本氏が対応を県連に一任したことが大きい。二階氏が幹事長時代に尾崎氏の出馬を宣言していたので、あまり揉めなかった」(二階派の国会議員)  10月19日スタートの衆院選まであとわずかだ。岸田文雄新首相のデビュー戦でもある。岸田派の国会議員がこう内情を語る。 「まだ就任したばかりで、国会もある中、正直、頭を悩ませています」 後藤田正純衆院議員夫妻(C)朝日新聞社 いくつもの小選挙区で未だに候補者調整がつかず、保守分裂となっているからだ。その中で注目されるのが、徳島1区だ。  今年5月、自民党徳島県連幹部たちは党本部に7回当選の後藤田正純衆院議員(石破派)を衆院選では「非公認」とするように要請する「申し入れ書」を提出した。 ◆後藤田氏に「堪忍袋の緒が切れた」と県連 「申し入れ書」では、後藤田氏の言動に「堪忍袋の緒が切れた」として公認しないようにと訴えている。そこには、自民党の徳島県議23人の手書き署名もついていた。 「今もって、申し入れ書の回答が党本部から来ません。どうなっているのか」  地元の自民党県議は憤懣やるかたない口調でこう語る。逆に自民党本部も対応に苦慮しているようだ。  しかし、県連が推していた徳島県の飯泉嘉門知事は10月1日、次期衆院選に徳島1区から出馬しないと県議会で表明した。  飯泉氏の出馬が有力視されていたことも徳島県連の「後藤田おろし」の背景にあったという。 「飯泉氏が出るものとばかり思っていた。その時、自民党に推薦願もくるので、どう対応すればいいのか、と考えていたのですが…」(自民党幹部)  地元の世論調査では、後藤田氏と無所属で出馬する仁木博文元衆院議員の支持ポイントはほぼ横並びだが、飯泉氏はやや下回っていたという。 「飯泉氏は9月末まで『衆院選に出馬予定』と周囲に挨拶をしていた。それが自民党県議団から世論調査の数字などの説明を聞いて断念となった。世論調査で差はあるが、自民県連が一丸になればまだひっくり返せる数字だった。ポスターの撮影までしていたそうですよ。それが出馬断念でますます混乱しています」(前出・自民党県議)  県連からNOを突き付けられている後藤田氏だが、自民党県連との対立についてこう訴えている。 「自分のことを考えたら(地元の)政治家と仲よくした方がいい。見て見ぬふり、長いものに巻かれたらいい。しかし、私は県民、国民のために政治をやっている」 党本部に提出された徳島県連の申し入れ書 今回は飯泉氏が出馬せず、後藤田氏が公認された。だが、情勢は過去2回、後藤田氏は仁木氏に勝利しているが、世論調査ではほぼ互角。 「仁木氏は医師で、自分のクリニックではコロナのワクチン接種をしていることで評判がいい。世論調査にあるように、今回は互角の戦いで後藤田氏も厳しい。しかし、県議は誰も後藤田氏の応援はしませんよ」(前出・自民党県議) ◆福岡5区は麻生派VS岸田派 紙爆弾が飛び交う 福岡5区は原田義昭元環境相(麻生派)が9期目を目指す。しかし、待ったをかけているのが、福岡県議会議長の経験もある、栗原渉県議だ。  原田氏は現職優先だと、立候補の構えを崩していない。一方、地元の自民党支部は栗原氏を推しており、混沌としている。 「岸田首相となったことで、ますます混乱しています」  地元の自民党県議はこう打ち明ける。原田氏は麻生派で、甘利明幹事長となったことで公認が得られると見込む。だが、栗原氏は若い時から太田誠一元農相と秘書となり、県議へと歩んだ。太田氏は岸田派、宏池会の会長代行まで務めたこともあり、栗原氏は岸田派の支援を得ている。岸田派と麻生派の代理戦争の様相を呈しているのだ。  原田氏は支援団体に向けて、<自由民主党としても、すでに「公認」の決定を頂いており、私もその責任と誇りの上であらゆる努力を傾注している>と見解を述べた。 「岸田首相誕生に大きく貢献した麻生派から甘利氏が幹事長。現職優先ですし、うちの公認はゆるぎない」(原田陣営の地方議員)  だが、栗原氏もあきらめていない。選挙戦に向けて決起大会も準備。地元の関係者には<私の決意>という書面を発送した。 <私は国と福岡5区の課題に対し、皆さまと一緒に取り組ませていただきたい。その一心で国政参画を「決意」しました>(栗原氏文書より) 「岸田首相となったから、期待している。事実、地元では福岡5区にある7つの支部のうち5つが栗原氏の推薦を決めている。地元の声を必ずや岸田首相は聞いてくれるはず」(栗原氏陣営) 西日本の保守分裂の選挙区(作成・吉埼洋夫)  そんな中、地元では原田氏、栗原氏を中傷するチラシや記事がまかれるようになった。 「福岡5区は紙爆弾が飛び交い大変だ。岸田首相と麻生氏のトップ同士で話し合ってもらうしかない。ただ今回は総裁選直後とあって、世話になった麻生氏に岸田氏が譲る可能性もある」(自民党幹部) ◆大阪3区は自民VS公明?  大阪3区では政権与党の自民党と公明党に亀裂が入りかねない状況だ。公明党の現職、佐藤茂樹氏の地盤に自民党の元府議で大阪市長選にも出馬した、柳本顕氏が無所属で出馬表明したのだ。  柳本氏は自民党大阪市議団の幹事長も経験し、大阪都構想に真っ向から反対してきた。だが、公明党は山口那津男代表が大阪入りまでして、大阪都構想を支援。そのしこりが残る。  また、柳本氏は2019年の参院選に大阪選挙区から自民党公認で国政進出が決まっていた。だが、大阪都構想の是非をめぐる大阪府知事と大阪市長のダブル選挙が行われ、柳本氏は大阪市長選挙に立候補。敗れたことで、国政への道が断たれた。 「柳本氏は今も大阪都構想のことを蒸し返すがもう終わった話です。大阪都構想も否決されてしまった。なぜ、選挙直前に出馬なんて言い出すのか理解できません」  公明党の幹部はこう怪訝そうに話す。自民党の大阪選出の国会議員は内情を打ち明ける。 「当初、柳本氏は10月8日に出馬会見を設定。それを党幹部が説得して待ったをかけた。柳本氏が言うことも理解できるが、自民党と公明党は政権与党です。特に大阪は日本維新の会の力が強く、自民党も公明党も厳しい状況。柳本氏が無所属でも出馬となれば、公明党から猛反発をくらい政権与党で共倒れ、維新を利することになる」  まだ大阪3区には柳本氏の<国を動かす大阪の底力 新起動>というポスターが複数の場所で貼られている。 「柳本氏は打倒維新のために火中の栗を拾ってくれたのは事実。ただ、自公政権の枠組みをはみ出すようなことは考え直してほしい。今、比例もしくは来年の参院選で処遇することで調整しているそうだ。なんとか聞き入れてほしい」(自民党幹部)  自民党の「仁義なき公認争い」の結末はいかに。 (AERAdot.編集部 今西憲之)
クルド人家族、5年前に難民申請も結果出ず 「就労不可」「病院に行けない」過酷な日々
クルド人家族、5年前に難民申請も結果出ず 「就労不可」「病院に行けない」過酷な日々 蕨市の古い木造家屋で、家族5人で暮らすクルド人一家。「家族みんな、一緒にいる時が一番幸せ」と夫婦は声をそろえた(photo:横関一浩)  日本政府が8月、サッカーのミャンマー代表選手を難民認定したことは記憶に新しい。だが、日本で難民認定されることは簡単なことではない。AERA 2021年10月11日号は、難民認定を待つ、あるクルド人一家を取材した。 *  *  *  いつ入管に収容されるか。そう考えると、不安と恐怖で押しつぶされそうになる。 「毎日、すごい心配」  埼玉県南部の蕨市。この街の古い木造家屋で、家族5人で暮らすクルド人の男性(30代)は心情を吐露する。 「国を持たない世界最大の民族」と呼ばれるクルド人。トルコやイラク、シリアなど中東地域に暮らす。推定約3千万人。独自の言語や文化を持つ一方、少数民族としてどの国でも差別と弾圧を受けてきた。迫害を恐れた人々が、世界中に散らばる。  トルコで生まれた男性も、職業的・精神的な差別を受けてきた。親戚が理由もなく逮捕され、釈放されたが廃人となって亡くなったこともあった。救いを求めた先が、日本だった。  日本にはクルド人のコミュニティーがあると、インターネットで知ったのが大きな理由だ。数年前、妻(20代)と幼い子ども2人と来日した。 ■ありふれた日常を望む  だが、到着した成田空港で入国を拒否され、帰国を拒むと家族別々に3カ月近く入管施設に収容された。収容中、「蕨に行けばクルド人が多く、仕事もある」と聞き、入管を出るとこの地に来た。ありふれた日常を送れると思っていた。が、待っていたのは見えない「壁」だった。 「何でも大変、何もできない。どこにも行けない」  日本で生まれた子ども1人を含め、一家5人全員が在留資格のない「仮放免」の状態だ。就労はできず、公的な医療保険にも入れず、県外への移動は原則禁止。住民票がないので、新型コロナの経済対策として国からの1人10万円の特別定額給付金も受け取れなかった。  一家の暮らしは、在留資格を持つ親族の援助に頼らざるを得ず、逼迫(ひっぱく)している。 極端に少ない日本の難民認定率(AERA 2021年10月11日号より) 「病院にも行けない。けがをしても我慢しています」  と訴える。保険証がないので、医療費は実費だ。風邪はもちろん虫歯も我慢し、よほど体調が悪くならない限り病院には行かない。長男が足を骨折した際も、病院で一度だけX線写真を撮ったきりだったという。  5年前に家族で難民申請をしたが、結果はまだ出ない。そんな男性が最も恐れるのが、入管への収容だ。  仮放免者は通常、2カ月に1度、入管に呼び出され更新手続きをする。今はコロナ禍のため呼び出しはストップしているが、いつ再開するかわからない。呼び出されると、そのまま収容されることもある。収容期間に上限はなく、強制送還される可能性もある。子どもたちのためにも、日本で頑張って生活していきたいと訴える男性。将来の夢を聞くと、こう言った。 「難民として認めてもらい、働いて税金も払って、日本人みたいに生活したいです」 (編集部・野村昌二)※AERA 2021年10月11日号より抜粋
身長2メートル超のチェ・ホンマンと顔の大きさが同じ?! 俳優・佐藤二朗の“都市伝説”
身長2メートル超のチェ・ホンマンと顔の大きさが同じ?! 俳優・佐藤二朗の“都市伝説” 俳優・脚本家の佐藤二朗さん  個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は、佐藤さんの手足や顔の大きさとそれにまつわる逸話について。 * * * 末端が大きい。  いきなり何だとお思いだろう。  体の末端のことである。  俺は、身長に比して、顔、手、足が異様に大きい。  俺の顔や足が大きいのは、知らない人は知らないが、知ってる人は知ってるので(←当たり前)、何を今さら、と思う人もいるかもしれない。  社会現象や時事問題、政治経済、そういったことは僕より5千万倍ほど頭がいい人が書くので、僕は当コラムで主に、くだらない、どうでもいいことを、皆さまに少しでもご笑納頂ければとの思いで書いている。  人さまの見た目の特徴を嗤うのは言語道断だが、自らの身体の特徴ならば切り売りしてもよかろう。  そんなわけで俺は、末端が大きい。  身長とのバランスというものがある。身長が170センチの人にはそれ相応の顔の大きさ、身長が150センチの人にはそれ相応の顔の大きさ。しかし俺は、身長181センチなのに、顔は、身長5メートルの顔の大きさなのだ。  身長5メートルの顔の大きさというのがいかほどのものかよく分からないし、それはもはや人というよりビルではないか、ビルディングではないかという気もするが、実はあながち大袈裟でもないのだ。ドラマ「JIN」で僕はスキンヘッドの特殊メイクをしたのだが、その特殊メイクを担当したスタッフが言った。 「僕、今まで何百人の俳優さんの頭を見てきましたが、二朗さんほど頭が大きい人には、今まで一度しか出会ってません」  おぉ。一度でもあるのか、俺ほどの巨顔に。期待に胸を膨らませて俺は聞いた。「誰、その人は?」 「チェ・ホンマンさんです」 「お、おぅ」。それはもう、「お、おぅ」である。「お、おぅ」としか言えなかった。好きだけど。チェ・ホンマンさん、強いし、愛嬌もあって、結構好きだけど。でも「お、おぅ」しか言えなかったよね。チェさん、身長2メートル以上だからね。その人と同じくらいの顔の大きさっていうと、なんだろう、僕、2等身くらい?  誰が2等身だ馬鹿野郎。ドラえもんじゃないんだよ。のび太と一緒にタケコプターでどこまでも飛んでいくぞ馬鹿野郎。  逸話(?)はまだある。小顔で名高い向井理と連ドラで毎週隣り合わせで画面に映った時は、お茶の間で遠近法に酔う人が毎週続出したという都市伝説がある。嘘。そんな都市伝説あるわけないだろ馬鹿野郎。ただ俺は酔った。毎週遠近法に酔った。理と並んでるのにものすごい近くにいるように見える我が顔面の大きさに酔った。  顔だけではない。足にいたっては、31センチだ。もう一度言う。俺の足の大きさは31センチなのだ。もはやここまでいくと、笑って頂いて差し支えないわけだが、僕の足の大きさを知った人、僕の靴を見た人は、笑わない。笑わない代わりに、息を飲む。目をむく。顔が紅潮する。なんなら震える。ひとは人智を超えた事象を目の当たりにすると思考が停止するのだろう。目の前にある靴が靴と認識できない、それはもう普通に考えれば靴以外の何物でもないはずなのに、そのあまりの大きさにより、「これは…何?建築物?何かの建築物?もしくは…小舟?小舟なの?ううん、小じゃない、こんなに大きいのだもの。小ではないはず。舟?これは舟なの?この舟で大海原に漕ぎ出でようとしてるの?」と震えながらも必死に思考を巡らせている人の表情を皆さん見たことがありますか?僕はあります。54568回ほどあります。  さらにだ。手も大きい。僕の手の小指の長さは、平均的な女性の手の中指より長い。それを信じない女性に対し、実際に比較して驚かせるという形で何人もの女性の手を握ることに俺は成功している。ちょ待て。なんでそんなセクハラまがいのことを告白せねばならんのだ。てか妻がこれ読んだらどうするつもりだ。あの、冗談ですからね。単に現場の雰囲気を和らげる余興のひとつとして、僕の手の大きさをネタにしてるだけですから。  いや、冗談ではないのだ。俺の顔や足や手の大きさは、もはや冗談では済まされないのだ。実はね、僕、産まれた時の体重、4250グラムだったんす。まさに巨大児。巨大二朗。その巨大二朗が、成長するにつれ、全部末端にいっちゃったんでしょうな。で、末端巨大二朗になっちゃったんでしょうな。  いいな。「末端巨大二朗」。なんかいいな。少し気に入った。俺、これから芸名「末端巨大二朗」でやっていこうかな。「皆さんこんにちは。俳優の末端巨大二朗です」。長いか。ちょっと長いか。  問題は長さではない。大きさなのだ。俺の顔や足や手の大きさなのだ。だからね僕、バランスいいスタイルとか、小顔とか、そういったものに、嫉妬や憧れがすごーくあるんです。ただまあ、これで52年やってきましたからね、もうあきらめて、これからも末端二朗でやっていくことにします、はい。 ■佐藤二朗(さとう・じろう)/1969年、愛知県生まれ。俳優、脚本家。ドラマ「勇者ヨシヒコ」シリーズの仏役や「幼獣マメシバ」シリーズで芝二郎役など個性的な役で人気を集める。ツイッターの投稿をまとめた著書『のれんをくぐると、佐藤二朗』(山下書店)のほか、96年に旗揚げした演劇ユニット「ちからわざ」では脚本・出演を手がける。原作・脚本・監督の映画「はるヲうるひと」(主演・山田孝之)が全国公開中。
武田真治「筋肉体操」で役をゲット? 筋トレは「長期的な努力ができる証しに」
武田真治「筋肉体操」で役をゲット? 筋トレは「長期的な努力ができる証しに」 武田真治 [撮影/写真部・高野楓菜、ヘアメイク/杉村理恵子、スタイリング/伊藤伸哉]  ミュージカル「オリバー!」で、「スリの元締」役を演じる武田真治さん。俳優として、サックス奏者として、そして筋トレの伝道師として、年々活躍の場を広げています。作家の林真理子さんが、筋トレや今後の仕事についてうかがいました。 【武田真治、妻に愚痴らず「笑い話」に変換 「どう話せばおもしろくなるかな」】より続く *  *  * 林:今、武田さんに何回目かのブレークが来ていますよね。 武田:「再ブレーク」と言われてますので、ありがたいなと思ってます。 林:2、3年前の「紅白」でも、サックス吹いて腕立て伏せもしちゃって、すごくおかしかった。 武田:「紅白」に出られるということで舞い上がって、何の疑問もなく参加させていただいたんですが、まさか天童よしみさんが歌われている横で腕立て伏せするとは……。あんなハプニングみたいな映像って、なかなかないですよね(笑)。 林:「紅白」はその年に話題になったものが詰め込まれますから、「筋肉体操」はピッタリでした。 武田:何が自分の人生を切り開くチャンスになるかわからないですね。「オリバー!」は、「レ・ミゼラブル」や「オペラ座の怪人」をプロデュースしたサー・キャメロン・マッキントッシュさんが最終オーディションの映像を見て合格をくださったのですが、「筋肉体操」がなければ、そのオーディションのチャンスさえなかったかもしれないと思っています。「筋肉体操」で注目していただいて、今回のチャンスが回ってきたのかなと思って。 林:筋肉は裏切らない……。 武田:そうですね。長期的な努力ができる人間だという証しにはなるのかな、と思います。 林:耳が痛いです(笑)。鍛え始めたきっかけは、何かあるんですか。 武田:じつは僕、20代のころに体調を崩してしまって、そのときには周りから人も離れていって、いろいろ失うものがあって……。 林:えっ、そうだったんですか。 武田:はい。精神的に弱い部分があるので、死んでしまいたいぐらいの気持ちになってしまったんですが、そのときに自分としっかり向き合って「いままで本当の努力ってしてきたのか? 一度、とことん自分を追い込んでみよう」と思って鍛え始めたんです。 武田真治さん(右)と林真理子さん [撮影/写真部・高野楓菜、ヘアメイク/杉村理恵子、スタイリング/伊藤伸哉] 林:ジム通い、週に何回ぐらいから始めたんですか。 武田:鍛え始めたころは結果がわかりやすいので、「もっと、もっと」という気持ちになって、02~05年ごろは1日おきにハーフマラソンを走ってました。走らない日はベンチプレスとボクシングのジムに通って。 林:体形、どのぐらいで変わっていくんですか。 武田:これは何のエビデンス(根拠)もないですけれど、筋トレ界では「3」の数字で体が変わるなんて言われていて、ヘトヘトになるぐらい運動すると、3日目に「あれ?」という小さな変化があって、次は3週間ぐらいでまた少し変化があって、次、3カ月ぐらいすると体形がかなりスッとしたことに気づくんだとか。その次が3年目。僕の実感では、そこからはあまり変化がわからないですね。だから「最近、体を鍛えてますね」みたいなことを言われても、「実はもう20年近くこの体形なんですけどね」と思っていたりします(笑)。 林:食べるものも変えたんですか。 武田:いえ、それはまったく変えてないんです。 林:ジャンクフードも召し上がったりするんですか。 武田:むしろ好きなほうです。なにかで読んだのですが、人間にとって楽しいものって「太るもの」か「違法なもの」なんですって。 林:きょうも私、出かける前に芋けんぴ食べてきちゃいましたよ(笑)。知り合いから段ボールいっぱいに送られてきて。 武田:段ボールでですか? そんな罪な……(笑)。ストイックな生活をしている、と思われがちですが、僕も芋けんぴの魅力に勝てる気はしませんね。 林:それを聞いて、ちょっと安心しました(笑)。今後のことをお尋ねしますが、これからもミュージカルをガンガンやっていきたいな、と思われているんですか。 武田:先ほども話に出てきましたが、今回「オリバー!」で、イギリスのエリザベス女王から「サー」の称号を受けたサー・キャメロン・マッキントッシュさんの作品に初めて参加させていただいたことが、僕にとってはすごく大きい出来事で。地球の裏側で出会った人に「何の仕事してるの?」と聞かれて、「役者やってます」と言えるかどうかの分岐点にいると思うんです。でも、だからといって今後ミュージカルだけをやっていくというわけではありません。 林:ドラマや映画にも、もっと出ようかなと考えてらっしゃる? 武田:はい、もちろん積極的に参加していきたいと思ってます。役者業に限らずまだまだ何でもやりたいと思っています。「筋肉体操」も自分の一部です。コロナ禍で外出もままならない時代に、家にいながら運動できることを少しでも広められたことを誇らしく思っています。誰に頼まれたわけでもないサックスを続けてきたのも自分だし、これからもいろいろやっていきたいと、これまで以上に思っています。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 武田真治(たけだ・しんじ)/1972年、北海道生まれ。89年に「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリ、翌年に俳優デビュー。映画「御法度」(99年)で日本アカデミー賞優秀助演男優賞など受賞。テレビ、映画、舞台などで活躍する一方、サックス奏者としても活動。2018年からNHK「みんなで筋肉体操」に出演。フェイギン役で出演するミュージカル「オリバー!」がプレビュー公演中。本公演は東京・東急シアターオーブで10月7日~11月7日、大阪・梅田芸術劇場メインホールで12月4~14日。※週刊朝日  2021年10月15日号より抜粋

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