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眞子さまと紀宮さまの結婚はなぜ、こんなに違ったのか? 明かされる宮内庁と報道陣との裏交渉
眞子さまと紀宮さまの結婚はなぜ、こんなに違ったのか? 明かされる宮内庁と報道陣との裏交渉  内親王の結婚問題をめぐり、報道と公益性が問題になっている。だが、皇室が「公」として存在であるのも事実だ。これまでの内親王の結婚報道に対して、宮内庁はどう折り合いをつけてきたのか。  内親王の結婚は、2005年に都庁職員である黒田慶樹さんと結ばれた黒田清子さん(紀宮さま)以来の慶事のはずだった。  実際、2017年に眞子さまと小室圭さんの婚約内定が宮内庁から発表されたとき、世間は祝賀ムード一色だった。  だが、小室家と母、佳代さんの元婚約者との金銭トラブルが報道されたことで空気は一変した。元婚約者の返済の訴えに対して、小室さんが「贈与」だと主張し続けた姿勢に、世論は反発し、現在の報道合戦へとつながって行った。  そして今回、宮内庁は10月26日の眞子さまと小室さんの結婚と記者会見を発表した。同時に、小室圭さんとの結婚をめぐり、誹謗(ひぼう)中傷と感じられる出来事が続いたことで、眞子さまが「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」の状態であると診断されたことも公表した。  男性皇族の結婚は、宮内庁が組織をあげてお相手選びを行う。 他方、民間に出てゆく内親王や女王など女性皇族の場合、結婚までの過程は宮内庁でもごく一部の幹部しか把握していない。  結婚後は、女性皇族本人が民間人になることもあり、デリケートな問題になりがちだ。  それでも、内親王のお相手に注目が集まるのは、特別なことではなかった。  実際、「紀宮さまの婚約」もスクープで始まった。東京都渋谷区にあった黒田さんの自宅マンション周辺には報道陣が押し寄せ、警察官も動員された。 「どのメディアも黒田慶樹さんの近影を持っていなかったこともあり、映像や写真を撮るまでは、一歩も引けないという空気だった」(当時の報道関係者)  緊迫した現場の調整にあたったのが、宮内庁だった。当時の宮内庁次長が水面下で調整役を務め、総務課長が責任者として現場に駆けつけた。 2004年11月14日 「婚約へ」のスクープが報じられた日、自宅マンションに報道陣が殺到した。自宅前で紀宮さまとの婚約について会見する黒田慶樹さん  黒田慶樹さんが自宅に引きこもっていたのでは、いつまでも騒ぎがおさまらない。総務課長は、黒田さん側にこう交渉した。 「メディアの気がすむように、すこしでいいから本人が顔を出してくれないか」  報道陣にも、本人がこれだけは対応するからあとは引いて欲しいと伝えた。  黒田さんはマンションの敷地に顔を出し、やや緊張しながらも笑顔をみせた。 突き出されたマイクやカメラを前に、ミニ「会見」が行われた。  紀宮さまという内親王の結婚報道。お相手の黒田さん側と宮内庁、そして報道の間に、ある程度の信頼関係があり、連携がうまくいったケースだ。  実際、当時の朝日新聞は、婚約内定のスクープを出すにあたり、紀宮さまの気持ちを傷つけないよう、また黒田家に迷惑をかけないよう細心の注意を払っていたという。黒田さんの職場や自宅に報道陣が殺到することを考慮し、勤務のない日曜日を選ぶなどした。そうした配慮は、黒田家にも伝わった。記事を出す前日に、黒田家周辺から、「配慮に感謝申し上げ、ありがたく思っています」とのメッセージが担当記者に伝えられたという。  眞子さまの結婚問題で議論が白熱したのは、”内親王にふさわしいお相手であるか”という点だった。  過去の内親王や女王など皇族女性のお相手は、格式のある家柄であるという意識が、国民の側にもあったからだ。  だが「紀宮さま」の結婚で、黒田慶樹さんが特段、”ふさわしいお相手”として認識されていた訳でもなかった。取材した人物は、こう話す。 「黒田さんが内親王に”ふさわしいお相手”であったかと言われれば、特段そういう訳でもなかった。学習院初等科からの秋篠宮さまの同級生ではある。しかし、ご本人は都庁職員といういち地方公務員で、ごく平凡な市民。親縁をたどれば旧華族がいるとはいえ、それもあとから分かった話だった」  当時の新聞には、「皇女が普通の市民と結婚するのははじめてのこと」と書かれた。  黒田慶樹さんは、まだ学生のときに父親を亡くしている。当時の記事を読み返すと、宮内庁関係者の話として、黒田さんの人物像をこう表現していた。「若くして苦労し、人の気持ちがわかる人」ーー。  清子さんと黒田慶樹さんの結婚を取り持ったのは、兄の秋篠宮さまだった。秋篠宮ご夫妻は、妹と友人の関係に必要以上に立ち入ることなく、そっと見守った。   眞子さまの婚約内定当時、宮内庁幹部を務めた人物はこう話していた。 「民間に出る皇族女性の場合、お相手が皇族方と交流のある家の出身であることがほとんどで”身辺を確認”する慣習がなかった。小室さんの場合も、同様です。ましてや、小室さんの場合、秋篠宮家が調べることを望まなければ、宮内庁が勝手に調査などする訳にはいかなかった」  清子さん自身も、自分が民間に出るにもかかわらず、お相手について情報が公にされ過ぎることに、よい思いはなかったようだ。  そうした妹の気持ちを秋篠宮ご夫妻は知っていた。だからこそ、眞子さまの結婚に際し、小室家をあれこれ調べることをしなかったのだろう。  「2017年5月に、NHKが『眞子さまご婚約へ』とスクープを打った後、いざ報道各社が小室さんのあたたかなエピソードを取材しようと周辺を当たった。しかし、出てくるのは予想と異なる内容で、戸惑ったのは確かです」(皇室記者)  宮内庁は眞子さまについて、「自分自身と家族、結婚相手と家族に対する、誹謗中傷と感じられる出来事が長期的に反復され、逃れることができないという体験をされた」と説明した。  一方で、内親王の結婚相手についての取材と報道によって、結婚相手である小室家が「金銭トラブル」という問題を抱えていたことが、結婚前に判明した。それはまぎれもない事実だ。  小室さんがパラリーガルとして日本の法律事務所に勤務していた当時には、こんなこともあった。小室さんの仕事に関係する人物が、自分の知人まで呼んで、小室さんと眞子さまと一緒に食事をしたこともあった。当時、眞子さまの「皇族」という立場が利用されかねないと、紀子さまが心配していたと聞いている。  宮内庁は、「誹謗中傷が眞子さまを追い詰めた」として、「誹謗中傷がなくなれば症状は改善する」と主張する。  では、皇族やその結婚相手に対する報道を止めさせれば、問題は解決するのだろうか。  象徴天皇制を研究する名古屋大の河西秀哉准教授(歴史学)は、ことはそう単純ではない、と話す。 「眞子さまと小室さんは、他の元皇族のように、結婚後に晩さん会や祭祀に出席することはないと思います。しかし、小室さんが皇位継承順位2位の悠仁さまの義兄となるのは事実です。元皇族の肩書や、天皇家の親族という立場が、『皇室ブランド』のように影響力を保持する可能性はあると思います」  皇族の結婚相手の背景や人となりについて国民が知る機会がなくなれば、ブラックボックス化する。仮に問題が起きた時、皇室に対するダメージは計り知れないだろう。 「もちろん、皇族に自由意思はあります。だからと言って、『眞子さまの意思を全て聞き入れましょう。自由に結婚してください』という訳には、単純には行かないでしょう。皇族が民間人と同じ条件で、自由意思を認められるのであれば、その存在は、我々と変わらない。皇室の存在意義を失う矛盾を抱えてしまう。皇族にも人権がある、といった憲法上のロジックでは解決できないところに、この問題の難しさがあります」  自由意思を求めた内親王の結婚問題は、皇室制度そのものに、波紋を投げかけている。 (AERAdot.編集部 永井貴子)
武田真治、15年前の初ミュージカルに自責の念「認められるまでやめられない」
武田真治、15年前の初ミュージカルに自責の念「認められるまでやめられない」   武田真治 [撮影/写真部・高野楓菜、ヘアメイク/杉村理恵子、スタイリング/伊藤伸哉]  ミュージカル「オリバー!」で、「スリの元締」役を、市村正親さんとのダブルキャストで演じる俳優の武田真治さん。作家の林真理子さんが、ミュージカルへの思いや魅力をうかがいました。   *  *  * 林:お久しぶりです。9年ぶりですよ、ここに出ていただくの。「ピーターパン」でフック船長をなさったときでした。 武田:そうでしたね。2回も出していただいてよろしいんでしょうか(笑)。 林:もちろんです! 武田さん、絶対忘れていらっしゃると思いますが、あのときコースターに「武田真治」ってサインして、携帯の番号も書いてくださったんです。 武田:えっ、そんな生意気なことをしたんですか。 林:私、それを今も大切に持ってるんですよ。 武田:うれしいです。 林:今度のミュージカル「オリバー!」(東京公演10月7日~11月7日、大阪公演12月4~14日)で、武田さんはフェイギンの役をなさるんですね。タイトルは「オリバー!」で、オリバー役は少年たちだけど、フェイギンって実質的な主役って言えるくらい、重要な役ですよね。 武田:ありがたいなと思います。コツコツやっていればこういうこともあるんだなと思って。 林:今回は市村正親さんとのダブルキャストですけど、私、「オリバー!」はずっと昔、マーク・レスター主演の映画で見ましたよ。フェイギンってすごいワルなのに、何とも言えない愛嬌(あいきょう)がありますよね。歌いながらお金を数えたり、ニヤニヤしながら宝石を見たりするしぐさが、とても魅力的だった記憶があります。難しいけど、いい役じゃないですか。 武田:はい。親がいない子どもを集めてスリ集団をつくっているので、設定だけを考えたらとんでもない悪党なんですけど、自分がいなきゃ子どもたちは生きていけないし、子どもたちによって自分も生かされているから、情は存在していると思うんです。その情を深く演じすぎると、殺伐とした時代を生きる厳しさを表現しづらくなるし、厳しくしすぎてもお客さんに感情移入していただけないし、というバランスの難しさはあります。 林:踊りもあるんでしょう? 武田真治さん(右)と林真理子さん [撮影/写真部・高野楓菜、ヘアメイク/杉村理恵子、スタイリング/伊藤伸哉] 武田:映画版ではムーン・ウォークみたいな動きもあったのですが、なにぶん70歳の役なので、それほど激しい踊りはないです。「僕、もうちょっと体が動きますよ」ということを演出の方にお伝えしたので、これから増えるかもしれません。歌も朗々とは歌わずに、なるべくセリフの延長で歌うように指示されています。 林:そうなんですか。映画と舞台とはちょっと違うわけですね。ヒロインのナンシーは、濱田めぐみさんとソニンさんのダブルキャストですね。フェイギン、ナンシー、オリバーと子どもたちのほかにも、大勢の方が出るんですよね。 武田:トータルで95人、子どもだけで54人ですね。 林:子どもたちとは仲良くなったんですか。 武田:それが今、コロナで差し入れ禁止なんですよ。お菓子とか、モノで釣ろうと思っていたのでなかなか(笑)。 林:アハハハ。舞台の名作でいえば「レ・ミゼラブル」が1830年ぐらいで、パリとロンドンの違いはありますけど、「オリバー!」も同じころですよね。産業革命で格差が広がって、貧民街に住む人たちは盗みでもしなきゃ生きていけない。対比するように上流社会にいっそう富が集まって。 武田:今回の上演にあたり、イギリスの演出家とスタッフの方が日本に20人以上来てくださっていますが、彼らはイギリス人として、世界を変えたと言われる産業革命に対するプライドをすごくお持ちなんですよね。今でも経度0度はロンドン郊外ですし。もちろん、産業革命は貧富の差を生んでしまったけれど、その大変な時代を乗り越えたご先祖さまがいたから、今の世の中があるという誇りとともに、当時虐(しいた)げられた人たちに物語のスポットを当ててあげることが、彼らイギリス人にとってのレクイエムなんじゃないかと思うんです。 林:ああ、なるほどね。 武田:「虐げられて生きたことを、みじめに演じてほしくない。もっと元気に、もっと大声で演じてくれ」って貧民窟の子役たちに常に言ってますから。 林:やっぱりミュージカルっていいですよね。私、オペラも大好きですけど、ミュージカルはまた違う魅力があって、みんなが集まって合唱したり、一緒に踊ったり、すごくすてきだと思いますよ。人の感情を全開にさせてくれて。 武田:「オリバー!」はそういうシーンがいくつもあって、ものすごいパワーがある作品ですよ。稽古の場で初めて、自分が出ていないシーンを見たとき、僕、涙が出ました。力強くてエネルギーにあふれていて。 林:劇場は……(パンフレットを見て)東京は渋谷の東急シアターオーブで、大阪は梅田芸術劇場メインホールなんですね。シアターオーブって、「ウエスト・サイド・ストーリー」とか「雨に唄えば」とか、海外から来るミュージカルをよくやる大きな劇場ですよね。 武田:僕は初めてなんですけど、いい作品が多いんですよね。 林:私、このあいだ「メリー・ポピンズ」も見ました。うちからも近いし、必ずうかがいます。 武田:お待ちしています。 林:これは本邦初演ですか。 武田:東宝版は31年前に帝劇で上演されたようですね。そのときナンシーは前田美波里さんが演じられたということを聞きました。(編集部注:日本での初演は1981年の劇団四季) 林:私、日本での初演ミュージカルは「レ・ミゼラブル」とかいろいろ見ていますけど、当時はミュージカルをやれる俳優の方、多くなかったようです。そのときは、コゼットは斉藤由貴さんで、マリウスは野口五郎さんでしたよ。 武田:へぇ~、そうですか。 林:でも、今はミュージカル俳優も育ってきましたよね。 武田:かつては、世界的にミュージカル俳優が少し軽んじられている時代があったと思うんです。でも、ヒュー・ジャックマンがそれを変えてくれたと僕は勝手に思っています。「X‐メン」のウルヴァリン役でハリウッド俳優として有名になった方ですが、その後「レ・ミゼラブル」や、「グレイテスト・ショーマン」などのミュージカル映画でも活躍されて。圧倒的な表現力で、「ミュージカルって凄い!」というのを広く伝えてくれたと思っています。 林:ミュージカルって、見る人は楽しいですけど、俳優さんは大変ですよね。演技、歌、ダンス、全方位をカバーしなきゃいけなくて。 武田:この世でいちばんスリリングで、楽しい仕事だと思っています。 林:武田さん、「エリザベート」にもお出になったんですよね。 武田:はい。僕、15年ほど前に「エリザベート」でどういうわけか物凄くいい役をいただいて、それからミュージカルに出るようになったんです。 林:黄泉の帝王、トートの役だったとか。 武田:はい。キャリアの頂点で目指すような役がスタートになってしまって、幸運すぎました。 林:私、宝塚版も東宝版も見てますけど、どうしてでしょう、武田さんのときは見ていなくて、とても残念です。初期のころですよね。 武田:2006年です。 林:そのときエリザベート役はどなただったんですか。 武田:一路真輝さんです。 林:えっ、最初にエリザベートを演じた一路真輝さんと? 武田:はい。そのときは本当に一生懸命やったんですけど、一生懸命ってだけでは到達できないものがあるんだと痛感して……。 林:大変だったんですね。それでも、またミュージカルをやろうと思われたんですか。 武田:はい。悔しさが残ったからですね。日本の芸能界は、準備ができていない人にチャンスが与えられすぎる傾向にあって、それがエンターテインメントの質を落としているんじゃないかという問題意識を以前から持っていたんです。にもかかわらず、自分がチャンスを与えられたときにそれをやってしまったという自責の念があって。僕にチャンスをくれた人たちに「あの日あのとき武田にトート役をやらせたのは時期尚早ではあったかもしれないが、その目に狂いはなかった」と思ってもらえるように、このミュージカルシーンで認められるまでやめられないと思ったんです。 林:なるほど。それが今度の「オリバー!」で……。 武田:どのような評価を受けるかわかりませんが、少しでも見返せたらいいなと思っていますね。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 武田真治(たけだ・しんじ)/1972年、北海道生まれ。89年に「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリ、翌年に俳優デビュー。映画「御法度」(99年)で日本アカデミー賞優秀助演男優賞など受賞。テレビ、映画、舞台などで活躍する一方、サックス奏者としても活動。2018年からNHK「みんなで筋肉体操」に出演。フェイギン役で出演するミュージカル「オリバー!」がプレビュー公演中。本公演は東京・東急シアターオーブで10月7日~11月7日、大阪・梅田芸術劇場メインホールで12月4~14日。 >>【武田真治、妻に愚痴らず「笑い話」に変換 「どう話せばおもしろくなるかな」】へ続く ※週刊朝日  2021年10月15日号より抜粋
AERA「現代の肖像」にモデルの滝沢カレンさんが登場!表紙は杉野遥亮さん/10月11日発売
AERA「現代の肖像」にモデルの滝沢カレンさんが登場!表紙は杉野遥亮さん/10月11日発売 AERA10月18号 表紙は杉野遥亮さん!※アマゾンで予約受付中  10月11日月曜日発売のAERA10月18日号は、創刊から続く人物ノンフィクション連載「現代の肖像」にモデルの滝沢カレンさんが登場します。9月に著書『カレンの台所』が料理レシピ本大賞を受賞したばかり。神田伯山をして「明るく、異常なほど美人で、ストイックで、芯が強い」と言わしめた彼女の人物像を描き出します。  この号の表紙には俳優の杉野遥亮さんが登場。3ページにわたるカラーグラビア&インタビューからは、等身大の「杉野遥亮」が浮かび上がります。巻頭特集のテーマはアレルギー。「アレルギーの誤解を解く」と題し、一時期のブームともいえる現象以降、一般的になったあるアレルギー検査の実際や、卵に代表される子どもの食物アレルギーなどについて、レポートしました。さらに、ジャーナリストの池上彰さんと政治学者の山口二郎さんが次の衆院選での「野党の戦い方」をテーマに対談しています。 *  *  *  滝沢カレンさんは、1992年東京都生まれの29歳。2011年にファッション誌「JJ」の専属モデルになり、16年にインスタグラムを始めて長い文章や料理の腕前が話題になると、そこからどんどん、活躍の場を広げてきました。著書『カレンの台所』が料理レシピ本大賞を受賞、冠番組を持ち、ドラマや映画にも出演。「現代の肖像」は、彼女へのインタビューはもちろん、恩師や友人、出演番組の共演者や演出家にも取材を重ね、忖度なしの独特の言葉、自分にも人にも「プロの仕事」を求める厳しさなどを読み解きながら、滝沢カレンが滝沢カレンたるゆえんを描き出します。  この号の表紙は俳優の杉野遥亮さん。スタートしたばかりのドラマ「恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~」では、弱視のヒロインと惹かれ合うピュアな不良少年を演じています。インタビューの話題はこのドラマでヤンキー役を演じる際の試行錯誤から始まり、コロナ禍の自粛期間に自分自身が疲弊していることに気づいたこと、再会した仕事の現場では自分の興味が切り替わっていたこと――。そしていま、特に心がけていることがあると杉野さんは言います。25歳の「等身大」を映し出すインタビューになりました。  この号の巻頭特集は、「アレルギーの誤解を解く」。記事冒頭には、妻が「遅延型食物アレルギー検査」を受けて、小麦などの穀物に含まれるタンパク質「グルテン」に陽性が出たことをきっかけに、グルテンフリー生活を続けているという家族が登場します。ところが、小児アレルギー領域を専門とする医師は「遅延型、という食物アレルギーはありません」ときっぱり。「遅延型食物アレルギー検査」は「IgG抗体」の値を調べる検査で、日本小児アレルギー学会はIgG抗体の食物アレルギーへの診断的有用性を否定、日本アレルギー学会も「診断として推奨しない」という見解を示しています。特集では、この「遅延型食物アレルギー」に代表されるアレルギーを巡る誤解や間違いについて、何が違っているのか、何が正しいのかを解説しています。  発足したばかりの岸田文雄新内閣が、「ご祝儀相場」を当て込んで決めた10月14日衆院解散、19日公示、31日投開票。野党はこの選挙をどう戦えばいいのでしょうか。ジャーナリストの池上彰さんと政治学者の山口二郎さんが、AERAで対談しました。池上さんは、「前回の衆院選で野党が候補を一本化していれば、自民党に変わって議席をとっていた選挙区が結構な数ある」と指摘。市民団体「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」として野党の政策合意を進めてきた山口さんは、今回は半分以上の小選挙区で一本化ができると話し、「野党共闘」が選択肢だという点で一致をみます。「共産党アレルギー」とはどう折り合いをつけるのか。投票率を上げるにはどうすればいいのか。野党の底力が問われています。  ほかにも、 ・ 小選挙区の25年「人」を選べなくなった・ 岸田新内閣「冴えない支持率」と3Aのパワーバランス・ 任天堂「マリオでミッキー超え」目指す・ 恒大集団「経営危機」は習指導部のリスク管理・ 校則見直しは「生徒×第三者」で進む・ きょうこ先生に聞く中学受験「本番」の心構え・ 非正規公務員「年収200万円未満」の実態・ 大谷翔平にはMVPがある・ 初対談 ryuchell(りゅうちぇる)×ひろゆき・ 東出昌大 最新作で知った「無になる瞬間」・ ユニコーンのロックは「偶然とアドリブ」・ 村上春樹と英訳とノーベル賞 などの記事を掲載しています。 AERA(アエラ)2021年10月18日号定価:440円(本体400円+税10%)発売日:2021年10月11日(月曜日)
死海付近の新発見「直径50メートル」の隕石が古代都市を破壊? 映画の題材にもなったナゾの解明
死海付近の新発見「直径50メートル」の隕石が古代都市を破壊? 映画の題材にもなったナゾの解明 塩湖である死海(gettyimages) 『戦国武将を診る』などの著書をもつ産婦人科医で日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授の早川智医師が、歴史上の偉人や出来事を独自の視点で分析。今回は古代都市を襲った隕石について「診断」する。 *  *  *  旧約聖書の創世記に「ソドムとゴモラ」という話がある。死海のほとりソドムとゴモラの町は大変栄えていたが、性的放縦の都市であった(ことになっている)。後世、ソドミー(男色、獣姦)という言葉ができたが、この伝承に由来する。ノアの洪水でほとんどの生き物を滅ぼした恐ろしい旧約聖書の神は、(水で滅ぼすことはないと民に約束したので)今回は火で滅ぼすことにした。どちらも迷惑な話であるが、神様は約束を律義に守るのである。 「主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅された。しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった」  この悲劇については、様々な解釈がなされ、絵画や映画の題材にもなってきた。多くはヴェスヴィオ火山の噴火によるポンペイの滅亡と同様のイメージであるが、我が国と同じように火山国であるイタリアと違い、死海の周りに活火山はない。空から降ってくるというと、隕石か彗星であるがはっきりした考古学的な証拠はなかった。 隕石の衝突  今年の9月20日になって、「サイエンティフィック・リポーツ(Scientific Reports)」に驚くべき考古学的発見が報告された。  紀元前1650年に、死海の北東に位置するヨルダン渓谷の南部にある中青銅器時代の都市トール・エル・ハマム(Tall el-Hammam)が、直径50m隕石によって破壊された痕跡が見つかったというのである。この爆発は広島型原爆の1000倍のエネルギーがあり、市街地全体に1.5mの厚さで、衝撃を受けた石英、溶けた陶器や泥の塊、ダイヤモンド様炭素、煤(すす)、鉄とSi(ケイ素)に富む球状物質などが検出されたという。  人体は跡形もなく骨片化し、当時から塩水湖だった死海から大量の塩分が析出。半径25km以上の地域にある120の集落に降り注いだ、この地域ではその後300~600年農業ができなかったと推測される。詳細に遺跡を検証すると、南西から北東に極めて強力な爆風が発生し、地表温度が2500度以上に達するとともに強烈な爆風がこれらの都市を襲った。  比較的損傷の少ない遺骨も多くは原型を留めないほど破壊され、高さ10~15mの泥レンガの建物や城壁も圧壊されただけでなく、炭素から高温によってのみ形成されるナノダイヤモンドやダイヤモンド様粒子が見つかったという。  同じころに戦争で破壊されたジェリコやトロイア戦争の遺跡ではやはり火事の痕跡はあるものの、鏃(やじり)や投石が発掘されるが、ここではこういった人為的な破壊の後は見られない。おそらくは直径50~70mくらいの隕石が大気圏を通り過ぎて地表近くで爆発した、ツングースカ隕石と同じかそれを上回る天体衝突だったらしい。 破壊の理由付け  人間というのは良いことも悪いことも何らかの理由付けを求めるという性質がある。  理不尽な天災に対し、当時の人々が考えたのはその土地に住む人々が何か悪いことをして神の怒りに触れたのではないかということである。当時の人々は堕落した町が悪かったからだという話に展開していったのだろう。現在ではこういった発想は少なくとも文明国ではなくなってきたが、筆者が子どもだった昭和30~40年代は、神社仏閣や教会、仏壇、神棚に悪戯や不敬なことをすると「バチが当たる」といって祖父母や学校の先生に怒られたものである。  それはそれとして,同性愛や性認識は遺伝子や認知機構による人間の多様性の一つであり、もし、当時のソドムとゴモラで同性愛が一般的であったとしても、その人々それ以外の人々も滅ぼされてよいということにはならない。その意味で、自然災害を同性愛に対する天罰と理由づけた昔の宗教家の罪は大きいとしか言いようがない。 ◯早川 智(はやかわ・さとし) 1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)など ※AERAオンライン限定記事
コロナ禍で増加の「在宅療養」 幸せな生活送るためのサービスは?
コロナ禍で増加の「在宅療養」 幸せな生活送るためのサービスは? ※写真はイメージです (GettyImages)  最期まで満足のいく生活を送るために──。在宅療養者にとって、生活維持の要となるのが「訪問診療」と「訪問介護」だ。生活の質を落とさないために、受けることのできる医療・介護サービスや、使える制度は何があるのか。徹底取材した。 *  *  * 「ここ数年、在宅診療の患者数は右肩上がりです。特に昨年からは、新型コロナの影響で入院すると家族との面会が制限されることもあり、在宅を選ぶ方が増えていますね」  そう語るのは、東京都新宿区を中心に訪問診療を行う「あけぼの診療所」院長の下山祐人医師だ。あけぼの診療所では、毎月500人前後を診察。月30~40人の新規患者がいる一方で、20人前後を看取っている。同院では、がん、心臓病、腎臓病、認知症など、さまざまな疾病を診療しているが、最も多いのががん患者で、全体の約半数を占めるという。 「例えば、すい臓がん末期の70代女性は、入院して化学療法を数回行いましたが、効果が得られなかったため在宅療養に切り替えました。われわれが初めて訪問したとき、女性はがん悪液質が進行していて、食事をとることも歩くことも困難な状態でした。そこで投薬のほか中心静脈栄養(栄養点滴)を行ったところ、状態が改善。亡くなる直前まで、ご家族や友人と話したり、自分で身辺整理をする時間が作れたといった例があります」  また、大腸がん末期で在宅療養に切り替えた70代後半の男性は、「入院していたときは、抗がん剤の副作用や点滴で“食べる楽しみ”を奪われることがつらかった」という。そこで副作用が減るように薬剤の量を調整し、好物のアイスやヨーグルトを食べられるようになったそうだ。 「在宅診療では、『ご本人が最期まで満足のいく生活を送れるようにすること』を最優先に考えます。完治や延命のための治療はもちろん必要ですが、一方で残された時間でできることの選択肢を狭めてしまうこともある。患者さんのQOL(生活の質)を高めながら、ご自身やご家族が看取りに向き合う時間をもてるようにすることも、在宅医療の大切な役割だと感じます」 ※写真はイメージです  簡易的な治療しか受けられないイメージがあるかもしれないが、下山院長によると「大掛かりなオペやCT検査などの医療装置が必要になるもの以外は、在宅でも病院とほぼ同等の治療を受けられる」という。例えば、点滴や注射、薬の配達のほか、輸血や人工呼吸器の装着、胃や腸に直接栄養を送り込む経管栄養といった診療も可能だ。また、血液や尿の検査、心臓や肺など臓器の超音波検査、X線検査、看取り(死亡診断書の作成)も頼める。  診療には公的医療保険が適用されるため、通院に比べ治療費が大きく上がることはない。自己負担額は年齢や所得によって変わるが、70歳以上の高齢者(1割負担)で月2回訪問診療を受けた場合は月7千~8千円ほど。高額療養費制度(※)が適用されるため、「一般所得者」以下の区分であれば、訪問回数が増えても月1万8千円を超えることはない。ただし、上限金額を超えた分は一時的に支払わなければならないため、治療によっては数万~数十万円の出費になることもある。その場合は、事前に役所に「限度額適用認定証」を申請し取得しておくと、上限金額までの請求となるため安心だ。  訪問診療のかかりつけ医を探すときは、地域包括支援センターに相談するか、「在宅療養支援診療所」の認定クリニックに問い合わせるのも手だ。24時間365日往診可能のほか、地域の基幹病院と連携して緊急入院にも対応。また、診療記録を担当ケアマネジャーと共有して適切な介護サービスにもつなげてくれる。  下山院長は、「在宅診療は密室で行われるため、初めは不安を感じる方も多い」と話す一方で、「体調だけでなく、家計やご家族の状況も含めて、患者さんが自分らしく過ごせる“環境”を作ることもわれわれの使命。自宅でできること、やりたいこと、やりたくないことを率直に医師に相談してほしい」と語る。 ◆家族の食事準備や片付けはNG  一方、食事や入浴、排泄など、日々の生活行動を自力で行えない場合は、介護保険サービスを利用したい。対象は65歳以上の高齢者だが、40~64歳でも16の特定疾病(末期がん、認知症、重度の糖尿病など)に当てはまる場合はサービス利用の申請ができる。  ただ、申請からサービス開始までには、訪問調査や認定審査、ケアプランの作成などの工程があるため、最大で1カ月程度(原則30日以内)の期間を要する。では、入院先から急遽(きゅうきょ)自宅に戻ることになった場合などは、どうすればいいのか。  東京都江東区の長寿サポートセンター(地域包括支援センター)の主任ケアマネジャーは、「緊急性や必要性が高いと判断されれば、審査結果が出る前でもすぐにホームヘルパーを派遣できます。また、その後の審査結果で『要支援』以上の認定が下りれば、申請した日までさかのぼって(審査結果が出る前に使ったサービスにも)介護保険が適用されます。まずは最寄りの地域包括支援センターに相談してみてください」と話す。  では、具体的に自宅でどんな介護サービスを受けられるのだろう。 (週刊朝日2021年10月15日号より)  主に利用するのは、ホームヘルパーによる「訪問介護」だ。これは「身体介護」と「生活援助」の大きく二つに分けられる。身体介護は、食事や入浴、排泄、着替えなど、体に直接触れて行うサービス。一方、生活援助には、洗濯や掃除、食事の準備、買い物のような、家事代行的なサービスが含まれる。ただし生活援助は、一人暮らしか、家族が病気や障害などで、利用者が十分な支援を受けられない場合に限られる。 「例えば、2人暮らしの夫妻で、『妻が病気になり料理ができないので夫のご飯も一緒に作ってほしい』といった場合、妻の食事の準備や介助(食べさせる手伝い)はできますが、夫の食事の準備や片付けはできません」  介護サービスは社会資源であり、利用者以外の援助や利益に与する行為はできないのだ。  そのほか、ペットの世話や庭の手入れ、家具の修理などは、介護サービスの対象外となる。必要な場合は民間のサービスを利用しよう。  訪問介護のほかに、デイサービスやショートステイも必要な場合は、「小規模多機能型居宅介護」の利用を検討してみてもよい。従来は、サービスごとに異なる事業者に依頼しなければならなかったが、同じ事業所のスタッフが「訪問」「通所」「宿泊」サービスを一貫して担当するため、利用手続きが楽で、安心感が大きいのが特長だ。また、もう一つの特長として、利用料が月額制で、月に何回サービスを利用しても料金が変わらない点が挙げられる。 ◆看護師が入浴の安全性を確認 ※写真はイメージです 「ただし、利用料は要介護度に応じて変わる(本人負担が1割の場合、自己負担額は月1万~3万円程度)ほか、事業所ごとに定員数や収容力の上限があるため、その範囲内でのサービス利用となります」  また、訪問介護と訪問看護を組み合わせて利用したい場合は、「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」がお勧めだ。 「毎週決まった時間にホームヘルパーが訪問する『定期巡回』、利用者や家族からの依頼で訪問する『随時訪問』、看護師が訪問して健康状態を確認する『訪問看護』などのサービスをまとめて受けられるのが特徴です。24時間態勢のため、緊急時にもすぐに対応してもらえる安心感があります」  こちらも利用料は月額制で、要介護度のほか、訪問看護の有無によっても変動する(本人負担が1割で、訪問看護ありの場合、自己負担額は月1万~3万4千円程度)。ただし、要介護認定を受けている者が対象で、要支援では利用できない。  訪問介護や訪問看護に加えて、自宅での終末期ケアでニーズが高いのが、「訪問入浴」と「介護用ベッドのレンタル」だ。  訪問入浴は、移動入浴車で個人宅を訪問する入浴サービスだ。ホームヘルパーによる入浴介助とは異なり、体が動かず自宅の風呂に入れない利用者のために、看護師を含む2~3人のスタッフが、室内に簡易浴槽を持ち込んで入浴をサポートする。入浴前は、看護師がバイタルチェックを行い、入浴の安全性を確認。また、入浴後の爪切り、保湿ケアなども行ってくれるほか、地域によってはアロマや天然温泉などを選べる事業所もある。  電動で起き上がりや寝返りを補助してくれる介護用ベッドは、寝たきりや床ずれを防ぐうえで有効だ。基本的に、介護用ベッドや車椅子のレンタルは「要介護2以上」(要件あり)でなければ保険が適用されないが、例外もあるという。 「軽度者(要支援1・2、要介護1)であっても、末期がんで今後重度化することが明らかな方や呼吸が不安定な方など、医療的に必要性がある場合は『例外給付申請』をすることで保険が適用できます。また自治体によっては、社会福祉協議会などで介護用ベッドや車椅子を無料レンタルしている場合もあるので、一度調べてみるといいでしょう」  自宅の介護環境が整っておらず、在宅療養が長期に及ぶときは、「住宅改修」を行うのも手だ。例えば、廊下や階段に手すりやスロープを設置する、扉を開き戸から引き戸に取り換えるといった工事がしたい場合、自治体に申請をして認められれば、住宅改修費が最大で18万円(本人負担1割の場合)支給される。 「一度改修費の支給を受けた方でも、重度化して(要介護度が3段階以上変わって)さらに自宅の改修工事が必要になった場合は、再度支給を受けることもできます。介護区分の見直しは、本人の状況が変わればいつでも申請できるので、現状のサービスでは苦しいと感じたらケアマネジャーに相談してみてください」  ほかにも、介護保険の対象ではないが、自治体によっては、配食サービスや訪問理美容サービス、紙おむつの配送サービスも行っている。いずれも無料、もしくは民間業者よりも低額で利用できるので、積極的に活用して在宅療養のQOLを上げていきたい。(ライター・澤田憲) ※同一月(1日から月末まで)にかかった医療費の自己負担額が高額になった場合、一定の金額(自己負担限度額)を超えた分が、あとで払い戻される制度。70歳以上の場合、低所得者(住民税非課税者等)は月8000円、一般所得者(給与等の標準報酬月額が26万円以下の者)は月1万8000円を超えた分の金額が、のちほど払い戻される。※週刊朝日  2021年10月15日号
パンツ一丁の2人に勇気をもらえた キングオブコントの空気階段が痛快な理由 鈴木おさむ
パンツ一丁の2人に勇気をもらえた キングオブコントの空気階段が痛快な理由 鈴木おさむ 放送作家の鈴木おさむさん  放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、キングオブコントで空気階段がみせたコントの痛快さについて。 *  *  * キングオブコントを見させていただきました。妻と妻の友人と家で一緒に見た。いや~、おもしろかった。全組おもしろい。レベルが高すぎる。  空気階段の一本目のコントは涙を流して笑ってしまいました。なんだろう、あの気持ちよさは?と考える。  それから数日後、若手芸人の方々と、とあるお仕事をしていました。キングオブコントのファイナルにも出ていたあるコンビがいました。そのコンビは、相方が女装しているコントがあり、以前は、コントの中で女装した相方が出てきた時には、「うわ、なんだこいつ!!」みたいなリアクションにしていたのだが、最近はそういうリアクションを削ったのだと言う。時代の変化に合わせたのだとか。若手芸人のコントでもそういうことを考えて作らなければならないのだ。  そんな話をしていると他のコンビが、テレビのネタ見せの時に、一人がカタコトの日本語を話す外国人の設定だったのだが、スタッフから「その設定をやめてほしい」と言われたらしい。外国人差別になるという判断だろう。まさか、もう、それもダメだとは……。  ここ数年で、テレビにおいて、表現できることは確実に削られていると思う。5年前だったらOKだったことが、今はOKじゃない。  より、さまざまなコンプライアンスを意識しながら作らなければいけない時代。その時代に文句を言うつもりもないし、そこに合わせていくべきだと思う。  で、空気階段のコントに戻るのだが、あのコント。パンツ一丁でSMクラブに来ていた客同士が、火事の中、建物の中を勇敢に逃げて行くという設定。人の容姿をいじるわけでもない。一見下ネタっぽい設定なのだが、物語は勇敢な消防士と警官の話。コンプライアンスに引っかかりそうだが、引っかからずに、コンプライアンスの炎から逃げきっているのだ。  裸なのに、SMなのに、うまいことコンプライアンスには引っかからない。  一休さんの「そのはし渡るべからず」な感じというか。  この時代に、いろんなものを通り抜けてそれをコントで表現していることの通快感があった。  それがあったから余計に僕の中で気持ちよく大笑いをした気がする。高校の時に初めて映画「ダイハード」を見た時の気持ちに似てるんだよなー。  ちなみに、6歳の息子は、いつも家のテレビでユーチューブを見ている。ユーチューブ以外の時は、Netflixかディズニープラス。  その日は息子に「今日は、3時間、テレビ見るからね」と言ってキングオブコントを見た。  息子はipadでユーチューブを見ながらも、テレビの大画面でユーチューブを見たい様子。途中、駄々をこねたりする。  キングオブコントが終わり、妻が「もうテレビで見ていいよ」と言うと、大急ぎでリモコンを取り、テレビでユーチューブを見始めた。  その姿を見て思う。昔は家族でリモコンを取り「チャンネルの奪い合い」なんてことをしたものだが、今はリモコンを奪い合うが、チャンネルの奪い合いではなく、「サービスの奪い合い」なんだなと思う。  地上波のライバルはめちゃくちゃ増えた。とんでもない数です。その中で、コンプライアンスを潜り抜けながらも、まだテレビで爆笑できるものは作れるのだと、パンツ一丁の2人に勇気をもらえた気がする。 ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中。毎週金曜更新のバブル期入社の50代の部長の悲哀を描く16コマ漫画「ティラノ部長」と毎週水曜更新のラブホラー漫画「お化けと風鈴」の原作を担当し、自身のインスタグラムで公開中。コミック「ティラノ部長」(マガジンマウス)は10/4に発売になった。「お化けと風鈴」はLINE漫画でも連載スタート。YOASOBI「ハルカ」の原作「月王子」を書籍化したイラスト小説「ハルカと月の王子様」が好評発売中。長編小説『僕の種がない』(幻冬舎)が発売中。
家一軒まるごと片づけたら「モラハラ夫」を克服できた
家一軒まるごと片づけたら「モラハラ夫」を克服できた ダイニングは生活感丸出し/Before  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 *  *  * case.9 丸ごと一軒片付けて自信と居場所を手に入れた(夫+子ども2人/会社員)  夫婦関係が何かの理由でこわれ、パートナーとの生活にわだかまりができ、土台となる家を大切にできなくなった人を少なからず見てきました。思えば離婚前の私もそうでした。  2人のお子さんがいる理枝さんは、12年ほど前に夫のある行いが原因で関係が損なわれたときからずっと、家に居場所がないと感じていました。  夫婦仲が最悪だったときに建てた家は、義理の両親との2世帯住宅。夫一人が内装から間取りまで決めた家は、理枝さんにとっては「よその家」でした。そんな感覚を抱きながら、家族経営の会社で夫と両親とともに働き、夜はスポーツ選手を目指す子どもの練習に遅くまでつきあう生活を続けていました。  家族につくすことは、「良い妻」「良い母」を理想としてきた理枝さんの生きがいです。とはいえモラハラ気味の“王様夫”との関係は、望んだかたちではありませんでした。夫は自分の行いを正当化するように、理枝さんだけに冷たい言葉をかけ、気に入らないときはものに当たったりすることもありました。 片づいたらモノトーンの家具が映えた/After  離婚はつねに頭にありました。別れる選択をしなかったのは、子ども時代に実父が離婚・再婚・離婚をくりかえし、つらい経験をしたから。自分の子どもには安心できる場所でのびのびと育ってほしい。理枝さんは、子どもと夫が仲良くできるように配慮し、自分は夫の地雷を踏まないように、息を潜めて暮らしていました。  片づけられないのは苦手で忙しいだけでなく、「よその家」に入りこめなかったから。もちろん、あきらめていたわけではありません。片づけ本を読んで「お皿は立てて収納する」「種類別にしまう」などのノウハウを学んでは、ああしたい、こうしたいと考えていたのです。  夫とも、できれば仲良くしたい。けれど散らかった部屋のせいでいつも下に見られている気がして。離婚したとしても、「あの嫁、最後まで片づけられなかったよね」なんて言われたくない。自分のスペースを完璧に片づけて、ドヤ顔で夫を見返したい。そう思っていました。  わかっているけどできなくて、一人ぐるぐると考えていたとき、「片づけ」と「家庭力アップ」にピンときてプロジェクトへの参加を決めました。  プロジェクトがはじまると理枝さんは最初の2週間、「Facebookグループへの1日1投稿」「15分の整理・掃除」「シンクをキレイにして寝る」を目標にしました。  動ける時間は週末と、家族が寝静まった後、集中できる夜中だけ。子どもたち同様に理枝さんもアスリート気質です。やり出したら火がつき、頭の中で「カーン」とゴングが鳴って朝方まで片づける日もありました。 「やり方は知っているけどやっていない」というところから、「やっている」が普通になると、「自分は片づけができる人だ」という自信がわいてきました。  本を読んで妄想していたキッチンがイメージ通りになると、ウキウキが止まりません。家中に片づいていない場所があって「夫になにか言われるんじゃないか」といつも不安だったけど、きれいにしたらビクビクする生活とサヨナラできる!と思えるようになりました。 コンロ下収納は鍋が取り出しにくくて最悪/Before  毎日の習慣が、理枝さんを変えていきます。2週間前の自分との約束を守ることができると、不思議なことに、夫を見る目も変わっていきました。  家族経営だから、平日に仕事を休んだのはインフルエンザにかかったとき、それも1日だけ、という理枝さん。プロジェクトの4回の講座も週末に参加していましたが、どうしても予定があわず、平日の講座に変更したい、ということがありました。王様夫におそるおそる相談してみたところ、思いのほかあっさりと、「行って来れば?」。夫は応援してくれている。そう感じました。  こんなこともありました。夫が午前中に自宅へ戻ったきり、仕事場に帰ってこない。のぞきに行くと、黙々と自分のスペースを片づけていました。前の晩、娘と相談しながら片づける理枝さんに触発されたのでしょうか。「自分だけやって仕事中に片づけるなんてムカつく」と思いながら、夫の変化をうれしく思えました。  子どもに対しても「練習頑張って」と言えるようになりました。  45日間でキッチンやダイニングは本来のシックな雰囲気と輝きを取り戻しました。  理枝さんは家を丸ごと片づけて気づいたことがあったと言います。 「もっと自信を持ちなよと言われるとき、そもそも自信ってなに?と思っていたんです。それがわかった気がします。自分を信じると、相手を信じることも怖くなくなるんですね」  前は夫と会話がないことにビクビクしていたけど、いまは一日中、夫が無言でも平気。返事がないときはどうやら「考えている」とわかったから。プロジェクトで教わった通り、相手を理解したらラクになったと理枝さんは言います。 「家に居場所はあったんです。家の中をさわっても大丈夫だったし、夫の言葉も受け流せるようになりました」  片づけても、王様夫からねぎらいの言葉はありませんでした。でも、その夫が初めて言ったんです。「スポーツの仲間を家に呼んでいい?」と。理枝さんはその日の夕方から1時間ほどでサクッと準備。すっきりと片づいた家に、お客さまを「どうぞ」と迎え入れることができたのでした。  仕事でも、それまでは内勤だったのが外勤の営業も任され、理枝さんの活躍に期待しているみたい。夫も妻の見方が変わった?と思えた出来事でした。 ピタッと収納。ウキウキが止まらない/After  義母も「片づけてよかったね」と言ってくれたし、自分も周りの人も楽しいWin-Winの関係を築こうと思えるようになりました。離婚なんて、もうどうでもいいことになっていました。  プロジェクト中に中学受験した下の子は、スポーツの強豪校に合格。最近は、理枝さんの夢でもあった全国大会への出場が決まり、片づけでできたゆとりをすべて子どものサポートに使う予定だそうです。  いまの理枝さんはこんな気分。 「10年先がどうなるかはわかりません。わかっていることは、片づけも子どもへの関わりも、今日を全力でやれば、思った方向へ進んでいったということ。いまを出し切れば、数年先も大丈夫だと思えるようになりました」 ◯西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・夫婦間のコミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト®」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。ラジオ大阪「西崎彩智の家庭力アッププロジェクト」(第1・3土曜日夕方)が2021年5月1日からスタート。フジテレビ「ノンストップ」などのメディアにも出演 ※AERAオンライン限定記事
悪人と言われてきた戦国武将にいま日本人が学ぶこと 垣根涼介が語る『涅槃』
悪人と言われてきた戦国武将にいま日本人が学ぶこと 垣根涼介が語る『涅槃』 垣根涼介(かきね・りょうすけ)/1966年、長崎県諫早市生まれ。2003年の『ワイルド・ソウル』で大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞。05年の『君たちに明日はない』で山本周五郎賞。他の作品に『信長の原理』『室町無頼』など (撮影/写真部・加藤夏子)  備前の戦国大名、宇喜多直家の生涯を描いた本誌の連載小説『涅槃』が、900ページを超える上下巻の長編(垣根涼介著、朝日新聞出版 上・下 各1980円※税込み)として出版された。 「直家はずっと悪く言われっぱなしで気の毒だったんですよ。僕が調べたところ、そんなに悪いことはしていない。宇喜多家が滅んで、かばってくれる人間がいないから、せめて僕ぐらいは味方して、史料に基づいて書こうと思いました」  敵の武将を鉄砲で撃ち殺し、織田家と毛利家を天秤にかけたことから悪評がたったが、むしろ織田信長や武田信玄のほうが悪行は目立つと垣根涼介さんは言う。  直家は6歳のときに家が滅んだため、武士には珍しく商家と尼寺で育った。宇喜多家を再興したものの、戦は好きではなかったらしく、初期を除くとほとんど戦場に出ていない。その代わり、商人的な戦略には長けていた。金銭面では農作物の収入だけではなく、水運料や物品税を徴収した。 「直家が大叔父と4年間、戦い続けて勝ったのは安定収入があったからです。戦は勇ましさではなく最後には資金力のある人が勝つ。戦費が調達できないと動けませんから」  直家には商人に対する差別意識がなく、商家からも有能な人を取り立てた。その中には後の小西行長もいる。さらに商人と共に城下町を築いた。現在は岡山市の繁華街になっている。  戦国武将ものの歴史小説というと、のし上がっていく武勇伝の印象が強いが、垣根さんは現代人が共感できる悩みを描こうとした。女性との交わりや妻との関係にも十分な紙幅を割いている。物語の後半、直家は毛利と織田に挟まれて身動きが取れなくなる。 「直家はせいぜい50万石になるくらいで、それ以上の規模拡大は望みませんでした。その中でやる気を失わずに生きていくのはすごく難しい。最後は負けるにしても交渉して、よりよき条件で降伏する。弱者のタクティクス(戦術)ですね」  その生き方は今の日本にも通じるという。 「バブルの時代から凋落し続けてきて、大多数の人間は、もう大きな夢は見られない。せめて大負けしないよう、地道にやっていこうという人生です。負けない戦いを続けていくしか生き延びる術がない。直家の生き方は参考になりますよね」  朝9時から正午までの3時間に集中して執筆し、午後は2時間の散歩、買い物、昼寝など。車で三崎にマグロを食べに行くこともある。その間も頭の中では小説の次の展開を考えている。 「書いているときは、つらいと思うことがほとんどですね。いかに自分の感覚を、正確に文字に置き換えるか。特に歴史小説だと、それは難しい」  史実があるから物語の展開が制限されるし、「正義」のような現代的な言葉は使えない。かつ自分の視点も入れるという縛りの中で、どれだけ独自の物語に仕上げられるか。そのつらさが見事に結実した大長編だ。(仲宇佐ゆり) ※週刊朝日  2021年10月8日号
ハワイ気分が味わえる 薬丸裕英の妻・石川秀美デザインのアクセサリー
ハワイ気分が味わえる 薬丸裕英の妻・石川秀美デザインのアクセサリー 薬丸(石川)秀美さん(提供)  放送作家でコラムニストの山田美保子氏が楽屋の流行(はや)りモノを紹介する。今回は薬丸(石川)秀美さんプロデュースのジュエリーブランド「ALOHILANI(アロヒラニ)」を取り上げる。 *  *  * 山田美保子・放送作家、コラムニスト  先日、他誌の連載でヤックンこと薬丸裕英さんと対談させていただいた。『2年B組仙八先生』(TBS系)やNHK大河ドラマ『峠の群像』に出演し、デビュー前から人気を博したヤックンは、本木雅弘さんや布川敏和さんと「シブがき隊」を結成。アイドルグループとして一世を風靡する。  同期=「花の82年組」の石川秀美さんと90年に結婚し、今年1月には初孫が誕生したことが、おおいに話題となった。 「花の82年組」は、女性陣も変わらず第一線で活躍している人たちばかりだが、秀美さんだけが表舞台に出てこない。その理由が「僕も妻も、シッターさんやハウスキーパーさんに任せるのを好まなかったから」と例の対談で知り心から驚いた。  果たして、5児の子育てが一段落した秀美さんが6年前、ハワイで立ち上げたジュエリーブランドが『ALOHILANI』(アロヒラニ)。ハワイ語で「天国の輝き」という意味だ。 身に着けるだけでハワイ気分が味わえ、多くの芸能人に愛される「ALOHILANI(アロヒラニ)」のアクセサリー。薬丸(石川)秀美さんがプロデュースし、オリジナルデザインも手がけている。ブランド名は、ハワイ語で「天国の輝き」の意。その名の通り美しくカットされた石が、動いた時の振動で揺れて輝き、抜群の存在感を誇る。素材はシルバーのロジウムメッキ、石はジルコニア。「ALOHILANI」ペンダント、ブレスレット、バッグチャームなど多数展開。130ドルから180ドル+ハワイ州税。写真の「ALOHILANI ロゴデザイン」は、ハワイ州税込みで136.13ドル。公式サイトhttps://www.royalselectionselecthawaii.com/で問い合わせや購入が可能。  芸能人とハワイが切っても切れない関係であることは、年末年始のホノルル空港からの中継を見ればわかろう。が、近年は、ワイドショーの取材班が縮小傾向にあるうえ、コロナ禍によって、別荘をもっていたり、お店を経営したりしているタレントでさえ、ハワイとは疎遠になってしまっている。 『ALOHILANI』もコロナで休業を余儀なくされるも、現地スタッフの尽力によりネットで購入できるようになった。  愛用者は多く、たとえば「82年組」の松本伊代さんは、番組出演時に着用。ほか、千秋さんや保田圭さんなど、多くの女性タレントがSNSに『ALOHILANI』のアクセサリーをアップ。 “お付き合い”ではなく、純粋に気に入って購入し、出演時に着けているのは、文字通り、“天国の輝き”でキラキラ輝いて、映りがいいからなのである。  アクセサリーそのものが揺れると、マイクが音を拾ってしまったり、ピンマイクに当たったりしてしまってNGだが、『ALOHILANI』のそれは、中央のジュエリーだけが鼓動に反応して揺れてキラキラ輝く理想形。  ヤックンが『バイキングMORE』(フジテレビ系)で着けているのも発見した。ジャケットの襟元が輝いていて、すごく素敵だった。  芸能人がこよなく愛するハワイの気分が味わえる『ALOHILANI』。買いやすい価格も人気だ。 山田美保子(やまだ・みほこ)/1957年生まれ。放送作家。コラムニスト。「踊る!さんま御殿!!」などテレビ番組の構成や雑誌の連載多数。TBS系「サンデー・ジャポン」などのコメンテーターやマーケティングアドバイザーも務める※週刊朝日  2021年10月8日号
【独自アンケート3万5651回答】眞子さまの結婚会見で聞きたいことは?「小室さん一人でやるべき」
【独自アンケート3万5651回答】眞子さまの結婚会見で聞きたいことは?「小室さん一人でやるべき」 婚約内定の際の会見での眞子さまと小室圭さん(c)朝日新聞社  10月1日、宮内庁は、秋篠宮家の眞子さまと小室圭さんの結婚を正式に発表した。ニュースサイトAERA dot.編集部では、2人の結婚についてインターネット上でアンケートを実施。計3万5651件の回答が寄せられた。「結婚についての意見編」「会見で聞きたいこと編」の2回に分けて寄せられた回答を紹介する。本編では、「会見で聞きたいこと編」を紹介する。 *    *  * アンケート回答者の年代  アンケートは9月22日から28日まで実施。回答者を無作為に抽出した調査ではなく、インターネット上で意見を募るという方法で、期間中は何度でも回答できた。締め切り前日の27日(17時時点)に、2051件の回答があった中間速報(【独自アンケート速報】眞子さまと小室圭さんの結婚「祝福する」5% 会見で「借金問題」聞いてほしい)を公開し、最終的に、28日までに計3万5651件もの回答が集まり、国民の関心の高さがうかがえた。内訳は、女性27242件(76.4%)、男性8337件(23.4%)、その他72件(0.2%)。年齢層は、50代10826件(30.4%)と40代10414件(29.2%)、60代6502件(18.2%)が占めた。 アンケート回答者の性別  主な設問は、結婚を祝福する気持ちはあるか、会見で眞子さまに聞きたいこと、小室さんに聞きたいことの3つ。結婚を祝福する気持ちはあるかについては、<【独自アンケート3万5651回答】眞子さまと小室さんの結婚どう考える?「ぶれない愛」か「説明責任放棄」か>で詳報した。ここでは、予定されている会見で聞きたいことを取り上げる。 結婚についての意見 ◆会見で眞子さまに聞きたいこと  眞子さまと小室圭さんは、26日に婚姻届けを提出し、2人で記者会見を行う予定だ。アンケートでは、会見で眞子さまと小室圭さんのそれぞれに聞きたいことを尋ねた。まずは眞子さまに聞きたいことの回答から。  小室さんが米国留学に旅立ったのは2018年8月。それから今まで、2人はリモートで愛を育んでいたと思われ、素朴な疑問もあった。 「小室さんとお会いできなかった3年2カ月間、毎日どのようなお気持ちでお過ごしだったのでしょうか。何を支えになさっていたのですか」(30代女性) 眞子さまと佳子さま(c)朝日新聞社  眞子さまの恋心に共感するこんな回答も。 「私も恋に盲目です。どうしたらいいですか?」(20代女性)   一方、眞子さまがこだわったと思われる「30歳までに結婚」については、あまり理解を得られていないようだ。皇室は社会の映し鏡ともいわれるが、この点は世間の認識とズレているのかもしれない。 「30歳までに結婚は、古くないですか?」(40代女性) 「『公』よりも『私』を優先してまで、30歳までにご結婚を希望する理由が知りたいです」(20代女性)  中高年女性の回答には、質問というよりは、人生の先輩としての進言もちらほら見られた。 「結婚はゴールではなくスタートだと分かっていますか? 育ててくれたご両親に感謝の気持がありますか?」(50代女性) 「愛では、食べていけない」(60代女性) 「お姑さんと上手くやっていけますか?」(50代女性)  こうした回答について、夫婦・家族問題評論家の池内ひろ美氏は、次のように分析する。 「恋愛は、互いに機嫌がいい時にデートしますが、結婚は日常の生活。恋愛は2人ですが、結婚には親族が連なってきます。母親のコントロール下にいる息子に苦しめられている妻は多いので、40代・50代はそこに関しても心配しているのだと思います」  一方で、多かったのは、この結婚についてはいまだ納得せず、批判的な姿勢の質問だ。 「天皇陛下が述べられた『多くの人が納得し、喜んでくれる状況』になっていないのに、結婚を強行する理由を国民に説明していただきたい」(60代男性) 「多くの反対を押切り、多くの人が納得し喜んでくれる状況に至らないまま結婚を強行することにより、皇室全体に大きなダメージを与えていることをどうお考えか」(50代女性)  対して、2人の結婚を祝う気持ちがあると回答した人の中で目立ったのが、「特にありませんが、幸せになってほしい」(40代女性)といった簡潔な内容にとどめた記述だ。 「何も無い。そっと見守りたい」(50代男性) 「ない。皇室生まれても好きな人と結婚して欲しい」(30代女性) 小室圭さん(c)朝日新聞社 ◆会見で小室圭さんに聞きたいこと  小室圭さんに対して会見で聞きたいとは、小室家の金銭トラブルに関することなど、これまでに週刊誌などで報道されてきたことへの説明を求める内容が多かった。次のような声が寄せられた。 「海外へ行く前に、疑惑をすべて晴らして、多くの国民が祝福できるような状況を作るべきではなかったのでしょうか。なぜ、3年間も海外で過ごし、アクションを起こさず、眞子さまを矢面に立たせていたのでしょうか」(30代女性)  母親の金銭トラブルについての説明した文書の内容について、子細に問う内容も目立った。小室さん側が4月に公表した文書では、元婚約者との交渉で、小室圭さん自身がやりとりの一部を録音していたことを明らかにしていた。 「お金を工面してくださった人(元婚約者)に会うときに、録音器を持って行ったのはどのような気持ちからですか」(50代女性)  また、「皇室を利用している」という疑念について小室さんにたずねる質問もあった。 「これまでに眞子さまの名前を使って進学や就職したことはありますか。ニューヨークでの生活費や警備費などの捻出の見通しについてお聞かせください。経済的に立ち行かなくなった時、皇室に頼ることはしない、と明言できますか」(40代女性)  皇室の女性と結婚する覚悟を問う回答もあった。眞子さまを大切にできるのか、尋ねたいようだ。 「皇室という特殊な環境と更に日本からも離れる眞子さまをどのように支えて行こうと考えているのか」(50代女性) 「眞子さまが1銭ももたず、親からの援助もえられなかったとしても、結婚し守り抜く自信はありますか」(50代女性) 「いわば『駆け落ち』とも言われていますが、皇族として30年育てられてきた御嬢様をそうした形で皇室から引き離すことを、どう思いますか」(50代男性) 「眞子さまに不自由ない幸せな生活を送っていただく為に、小室さんはどのようになさるおつもりですか?具体的にお願いします」(20代女性)  さらに、2人の結婚が今後の皇室に与える影響を心配し、やはり世間は今回の結婚を、当事者2人だけの問題ではないと考えている声は多い。 秋篠宮家(c)朝日新聞社(宮内庁提供) 「天皇陛下、上皇陛下など皇室の方々や、眞子さまのご両親としての秋篠宮さまに、何年も気苦労をかけたことに対して、きちんとお詫びの言葉をお伝えしているのか」(40代女性) 「貴方のトラブルによって秋篠宮家及び、皇族方、宮内庁に対して国民が失望してしまったことをどう思っていますか」(40代男性)  アンケートの回答からわかるのは、結婚に対して否定的で会見では厳しい内容を聞いてほしいという人の意見があるものの、皇室への敬愛の気持ちが入り交じっていたこと。実際の会見はどうなるのだろうか。  在米ジャーナリストの岩田太郎氏は、2人の会見が「火に油を注ぐ事態は避けられない」と悲観的な見方をしている。 「記者会見といっても、結局は用意された質問だけされて、用意された答えを読み上げるような場になるでしょう。会見をするならば、国民の前に出てくるべきは、この結婚を許した秋篠宮殿下です。もはや、この結婚問題は、皇室の存在意義が問われるところまで、膨れ上がっているので、そのレベルのお答えをしていただけるのは、もう眞子さまや小室さんではありません。2人が出てきて、何を言ったとしても、もう国民は納得しません。会見が火に油を注ぐものになるというのは、避けられないと思います」  一方、前出の池内ひろ美氏は、会見に小室圭さん一人で立つべきであるという。 「小室さんは、眞子さまを盾にして、厳しい質問を避けることができるでしょう。小室さんは、これまでもギリギリの逃れ方をしてきたように思います。3年前は、秋篠宮殿下から金銭トラブルについての説明を求められていたのにもかかわらず、突然留学してしまった。国民が納得する説明なく、入籍して、ニューヨークへ行くような、一方的に既成事実を積み重ねていこうとしているように見えます。その先に危惧されることは、元皇室としての眞子さまの利用価値に寄ってくる人が出てくることです。それは、英国の元ヘンリー王子や元メーガン妃が証明したことですから。自覚のないまま利用され、日本の恥を世界に晒しかねない事態とならないよう心配しています」 眞子さまと佳子さま(c)朝日新聞社  2人の結婚を祝福できない人も、会見で眞子さまを追及したいというよりは、心配なのだろう。アンケートにはこんな回答があった。 「眞子さまには『青い鳥』の絵本をお読みいただきたい。どうかどうかお母様と心深く語らう時を求めてくださいますよう……」(70代女性)  青い鳥はメーテルリンクの童話劇。幸せの象徴の青い鳥を探して旅をする物語で、幸福はすぐ近くにあるという寓意が込められている。  会見まではあと1カ月もない。2人の口からどんな説明がなされるのか。国民の注目が集まっている。 >>【アンケート前編:眞子さまと小室さんの結婚どう考える?「ぶれない愛」か「説明責任放棄」か】に戻る (AERAdot.編集部 岩下明日香)
「宮内庁の策は、火に油を注いでしまった」眞子さまの結婚と「複雑性PTSD」公表の全内幕
「宮内庁の策は、火に油を注いでしまった」眞子さまの結婚と「複雑性PTSD」公表の全内幕 帰国した小室圭さんとの結婚を発表した眞子さま(C)朝日新聞社  秋篠宮家の長女、眞子さま(29)と小室圭さん(29)の結婚と記者会見が10月26日に行われると発表された。同時に、眞子さまは「複雑性PTSD」と診断されたことを明かした。  10月1日の会見の数日前、複数の宮内庁幹部らに会った人物は、こう証言する。 「これで、結婚のめどがついた。よかったよかった、ホッとした、といった空気だった」  この人物は、9月6日に公開された秋篠宮家の長男、悠仁さまの誕生日に公開された映像を見て、記者にこう、ささやいていた。 「秋篠宮さまが見せた笑顔。抱えていた重いものをあきらめて、吹っ切ったといった表情だ。近く、何かありそうだね」  映像が撮影されたのは、8月5日。その二カ月後に、「何か」は、起こった。10月1日、午後2時。宮内庁の会見が庁舎の3階で始まった。加地隆治・皇嗣職大夫は、26日に眞子さまと小室さんの結婚と会見が行われると発表した。  だが続いて加地氏は、「複雑性心的外傷後ストレス障害(PTSD)」と診断されたと明らかにした。  数日前の幹部らの表情からは、意外にも思える内容であった。会見には、永井良三皇室医務主管と、精神科医であるNTT東日本関東病院の秋山剛・品質室長が同席した。秋山医師はこう説明した。 「ご自身とご家族及びお相手とお相手のご家族に対する、誹謗中傷と感じられるできごとが長期的に反復され、逃れることができないという体験をされました。このため、2018~19年頃から、誹謗中傷を正すことが難しい、状況を変えることが困難であるという無力感を感じる状態で、ご自分達の人間としての尊厳が踏みにじられていると感じ、結婚後、平穏で幸福な生活を送りたいという願いが、不可能となってしまう恐怖を感じるようになられた」  診断の時期には言及しなかったが、秋篠宮家からのサインはあった。  2018年6月15日、英国のリーズ大学に留学していた佳子さまが帰国した。その日、眞子さまは、宮内庁病院で診察を受けていた。 「詳しい病名は聞こえて来ませんでしたが、かなり身体が弱っていたそうです」(宮内庁関係者) 2020年2月皇居に入る眞子さまと佳子さま (c)朝日新聞社  この年の11月、秋篠宮さまの誕生日会見で、紀子さまは、眞子さまの不調を訴えている。 「昨年(2017)の暮れから、だんだん寒くなっていく中で、長女の体調が優れないことが多くなりました。そうした状況が長く続き、長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は大変心配でした」  秋篠宮ご夫妻と交流のある人物は当時、記者にこう話していた。 「小室さんの金銭トラブルを報道で知った眞子さまは、ひどいショックを受けていました。胃から食べ物を戻してしまうことも珍しくなかった」  それでも眞子さまは、力を振り絞って公務に出席し、笑顔さえみせてきた。  痛々しいまでに傷ついた娘の姿に、両親はこれ以上我慢ならなかったのだろう。秋篠宮さまは、18年の誕生日会見で、小室さんに、具体的な対応を求めた。 「私は、今でも二人が結婚したい気持ちがあるなら、(略)きちんと説明して、多くの人に納得してもらい喜んでもらう状況をつくる、それが『相応の対応』の意味です」  だが、小室さんが「説明」する準備は整わなかった。  その間、眞子さまは、ある行動に出る。20年の年明け間もない時期、宮内庁参与を個別に呼び出し、「結婚についてどう思うか」と相談をした。さらに、数カ月前から、小室さんとの「結婚宣言」ともいえる文書を準備していたのだ。文書には、「年内に入籍します」「一時金は受け取らない」といった内容が記されていた。  そして20年11月、宮内庁は、眞子さまが、「結婚は、生きていくために必要な選択」とつづった「お気持ち」を公表した。  これは、第一稿をオブラートに包んで書き換えたものだと見られる。  小室さんが金銭トラブルに関する説明文書を公表したのは、約2年と5カ月後の今年4月である。  西村泰彦宮内庁長官が、小室さんの代理人弁護士を宮内庁に呼び出し面談を重ねるなどの準備を重ねてようやく出されたものだった。    だが、金銭トラブルは今日にいたるまで解決しておらず、批判は続いた。 「眞子さまの状況を見かねた秋篠宮ご夫妻が、天皇皇后両陛下に相談し、結婚を進める流れになったと聞いてます」(宮内庁関係者)  一方で、宮内庁が目的とした「批判の鎮火」は、うまくいったとは言い難い。SNSなどでは、反発する意見が膨れ上がった。皇室制度を研究する小田部雄次・静岡福祉大名誉教授(日本近現代史)も、首をかしげる。 「宮内庁が策を練ったであろう今回のやりかたは、火に油を注いでしまった。皇室と国民の溝をさらに深めたという印象しかない」  医師は、説明のなかで、「誹謗中傷」という言葉を6度繰り返した。 「誹謗中傷」の意味を調べると<根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけること(大辞泉)>とある。  宮内庁は、「どの報道が事実に基づかない誹謗中傷なのか」、具体的に説明していない。  小室さんと元婚約者の金銭トラブルを報じたのは、「事実に基づかない誹謗中傷」なのだろうか。皇室を長く見てきた人物もこう話す。 「秋山医師が、『結婚されることで、誹謗中傷と感じられる出来事がなくなれば改善が進む』と結んだ。あれでは、『国民も報道もこれ以上、批判するなよ』と脅したも同然。そもそも、批判を招いた原因は、ふたりの未熟さと拙劣さにもあった。眞子さまだけを被害者だと訴える構図は、決して上手いやり方ではない」   26日の結婚と同時に行われるふたりの会見は、高級ホテルなど一般の施設で行うと見られている。 「複雑性PTSDの件を会見で発表すべきことだったのか、疑問があります。診断内容しかり、批判が止めば、良くなる旨の話しかり、医師に全てを負わせ、眞子さまを守ろうという宮内庁の姿勢しかありません。小室さんとの会見が眞子さまにとって大きなプレッシャーになっているようです」(政府関係者)  眞子さまと小室さんは意思を貫いた。ならば、金銭問題に対して誠実な説明を行って欲しい、と国民は望んでいる。 (AERAdot.編集部 永井貴子) 
眞子さまの結婚と「複雑性PTSD」を見守る美智子さま「苦しんで自分で決めたならば…」
眞子さまの結婚と「複雑性PTSD」を見守る美智子さま「苦しんで自分で決めたならば…」 結婚を正式に発表し、複雑性PTSDを公表した眞子さま(C)朝日新聞社  結婚が正式に発表になった秋篠宮家の長女、眞子さま(29)と小室圭さん(29)。婚約内定約から4年もかかった異例の結婚と報じられることに「皇室の結婚というのは時間がかかるものなのです」とは、ジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。ベテラン皇室ジャーナリストの渡邊みどりさんが、過去の皇室の結婚から、紀子さま、眞子さまの“異例の結婚”を紐解く。 *  *  *  上皇皇后・美智子さまにとっては初孫である眞子さまの結婚――。そのお気持ちはほとんど伝わってこないが、美智子さまはいま、どのようなお気持ちなのか? 長年、美智子さまを取材した渡邊さんはこう語る。 「美智子さまは眞子さまと小室さんの一連の結婚問題を静かに見守っておられたそうです。眞子さまには『私も苦しんで自分で結婚を決めました。あなたも自分で考えて決めたのだったら……』というような声をかけられたと聞いています」  眞子さまと小室圭さんの結婚は、小室さんの母親の金銭トラブルなどが報道で発覚し、婚約内定から4年あまりの歳月がかかった。さらに宮内庁は眞子さまが「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」と診断されていたことも発表。加熱する報道合戦に「(眞子さまが)誹謗中傷と感じられるできごとがなくなれば、複雑性PTSDの改善が進むと考えられます」と釘を刺した。皇室の結婚問題は過去にも様々な試練があったと解説する。 「皇室の結婚というのは近代の歴史を見ても、時間がかかるんですよ。一番いい例が昭和天皇と香淳皇后。腕輪を差し上げることとなり婚約が内定したのが大正時代の初めで、1920年(大正9年)に、宮中某重大事件というお妃内定していたにもかかわらず紛糾した大騒動がありました」   渡邊さんの言う宮中某大事件とは、 【大正時代に起こった皇太子妃の決定をめぐる紛争。1919年(大正8)6月皇太子裕仁(ひろひと)親王と久邇宮(くにのみや)家の長女良子(ながこ)女王との婚約が成立したが、翌年、良子女王の母方の島津家に色覚異常の血統があることが判明した。皇室に色覚異常の血統が入ることをおそれた元老山県有朋(やまがたありとも)らは婚約解消を図り、久邇宮家にその辞退を求めた】/出典;日本大百科全書  深刻な政治問題まで発展したが、1921年(大正10年)2月に皇太子妃内定に変更がないと発表されて一件落着となった。渡邊さんは、この騒動が解決した背景と結婚まで道のりを解説する。 「漢書の言葉『綸言汗の如し(りんげんあせのごとし)』を引用し、君子から出た言葉は一度出た汗のように引くことはできない、つまり、お妃内定を覆したら国民が君子の言う事をきかなくなると、婚約は成立にこぎつけました。そこに、1923年(大正12年)9月1日に関東大震災。さらに1年延びて1924年(大正13年)1月26日に当時の大正天皇の皇太子さま(昭和天皇)ご成婚となりました。なので、昭和天皇はお妃内定からご結婚まで足かけ7年くらいかかっているんですよ。長くかかるのは当然のことであって、それだけ時間がかかるのは、天皇家に対して国民みんなは関心を持っているからです」  時は流れ、正式に結婚が決まった眞子さまの母・紀子さまの婚約内定では「紀子さまブーム」が巻き起こった。当時、紀子さまの結婚を精力的に取材していた渡邊さんはこう振り返る。 「紀子さまが婚約された時は、美智子さまは『紀子ちゃん、紀子ちゃん』と気さくに呼びかけるなど、紀子さまのことを大変可愛がっていらっしゃいました。美智子さまや紀子さまが何人かの仲間たちでテニスを楽しまれたあと、赤坂御用地で解散となった時に『ごきげんよう』とごあいさつされる美智子さまの横には紀子さまがいらっしゃった。まだ、結婚されていないのに、紀子さまは送られる側ではなく送る側に立っていたということ。それくらい美智子さまが自然に接していらっしゃいましたね」  皇室の男性のほとんどは宮内庁が決めた女性と結婚するが、秋篠宮夫妻の結婚は違った。 「礼宮さま(現在の秋篠宮さま)は大学の書店の方に『誰かいい結婚相手いませんかね?』と聞きに行き、川嶋教授のお嬢さんである紀子さまを紹介された。当時学習院大学の新入生の紀子さまに一目ぼれして、交際を温め、婚約内定となりました。婚約内定発表は平成元年9月13日とまだ昭和天皇の喪中だったんですよね。これは、当時、私が記者をしていたということもありますが、非常に記憶に鮮明に残っています。記者会見で紀子さまに『紀子さんの初恋ですか』の質問に、紀子さまは礼宮さまの方を向いて『申し上げてもよろしいですか』と聞いて、礼宮さまが『うん』と促し、紀子さまが『そうでございます』と答えた。これで、紀子さまブームが起こり大変な人気となりました。長い歴史とともに皇室の婚約から結婚までというのは変わってきていると思います。一般的にもそうですが、何事においても家と家というものは時間がかかるんです。さかのぼると、美智子さまがお妃に内定した時も、最初は美智子さまに対して『一般市民』と周りが騒いだんですからね」   2005年、栃木県那須町の『千振開拓地』をお訪ねになられた時の美智子さま(右)と眞子さま(C)朝日新聞社  美智子さまは初孫・眞子さまの誕生の喜びを和歌に残している。 <春の光溢るる野辺の柔かき草生(くさふ)の上にみどりごを置く> 「1992年(平成4年)に眞子さまの誕生を歌に込められたほど、それはそれは可愛がっていらっしゃいました。美智子さまと眞子さまのエピソードはいくつかあって、2005年の夏に上皇ご夫妻は満蒙開拓の引揚者が入植した栃木県那須町の『千振開拓地』をお訪ねになりました。美智子さまは、ちょうど那須御用邸に滞在中の眞子さまを開拓地にお連れになったのです。当時、眞子さまは中学2年生でしたが、満州からの引き揚げ者の実体験に基づいて書かれた『流れる星は生きている』をお読みになっており、美智子さまは『色々な事を学ばれている』と喜ばれたそうです。眞子さまは小さい頃から養蚕のお手伝いもしていて、お蚕さんのことを質問する眞子さまと美智子さまとのお手紙のやり取りは有名なお話です」  眞子さまは26日に婚姻届けを出すものの「儀式なし」のため、天皇、皇后に別れを告げる「朝見の儀」もせず、祖母・美智子さまとの思い出の詰まった皇居を出ることとなる。このことに渡邊さんはある意味では肯定的に捉える。 「眞子さまも苦しんで自分で決めたのでしょう。儀式だけでなく、国民の感情も考えて1億5000万円と想定されている支給金を置いていくと決めた。このお金を辞退する、しないでは大きく国民感情が変わったと思います。その点ではよく考え抜いたと思いますよ。眞子さまは、小室さんの働くニューヨークで暮らすとされていますが、米国には皇室や王室がないので、プリンセスとしてものすごくモテるというか注目を集めて、色々な仕事が舞い込んでくる可能性がある。講演会の依頼がきたり、小室さんの収入を上回ることだって可能かもしれません」  26日の婚姻届け提出までには少し日にちがあるが、まだまだ波乱がないとは言えない。(構成/AERAdot編集部 太田裕子)
「水俣」をいま考える意味 「見た人の心が動いてくれたら」 アイリーン・美緒子・スミスの思い
「水俣」をいま考える意味 「見た人の心が動いてくれたら」 アイリーン・美緒子・スミスの思い 美波(みなみ、左):1986年、東京都生まれ。2000年「バトル・ロワイアル」で映画デビュー。14年には文化庁新進芸術家海外研修制度研修員のメンバーに選出され、フランス・パリのジャック・ルコック国際演劇学校に1年在籍。現在は日本、フランス、米国を拠点に活動/アイリーン・美緒子・スミス:1950年、東京都生まれ。70年に広告代理店の通訳者として富士フイルムのCM制作の仕事に携わる。ユージン・スミスと出会い、結婚後すぐに水俣に移住。91年、環境市民団体グリーン・アクション設立。代表を務める(写真:本人提供)  ジョニー・デップ主演の映画「MINAMATA‐ミナマタ‐」で、ヒロインに抜擢された美波さんが、演じたご本人アイリーン・美緒子・スミスさんとオンラインで語り合った。AERA 2021年10月4日号から。 *  *  * アイリーン:ユージン・スミスと水俣については、実は、これまで2度ほど映画化の話があったのですが、実現しなかったので、今回も1~2%ぐらいの可能性だと思っていました。でも、ジョニー・デップさんがユージンを演じたいと話していると聞いた瞬間、実現すると確信したんです。不安はありましたが、多くの人に水俣のことやユージンのことを知っていただく、大きなチャンスだと思いました。 美波:アイリーンさんは長く水俣と関わってこられました。 アイリーン:私にとって水俣は第2の故郷であり、大人の私を形成してくれた場所と人々です。水俣の患者さんと一連の出来事は大切であり、ユージンも大切。ユージンと私がどうやって仕事をしたかも大切な思い出です。水俣病の問題は今も終わっていません。映画化に当たって私がすべきことは、知っていることを正確にお伝えし、アンドリュー・レヴィタス監督の質問にきちんと答えることでした。責任をすごく重く感じましたね。 美波:私がオーディションでアイリーンさんの役に決まるまで、1カ月くらいかかりました。フレンチアクセントがなかなか抜けない苦労もありましたが、できることは全部やったので、「これで受からなかったら仕方がない」と思っていました。決まった時はすごくうれしかったんですが、同時に途方もないところに向かっているのではという漠然とした怖さもありました。「進むしかない」という気持ちで撮影現場のセルビア共和国に行ったことを覚えています。後々ですが、ニューヨークのユージンの自宅へ向かった時のアイリーンさんと、その時の私の気持ちはもしかしたら少し近かったかもしれない、と思いました。 アイリーン:美波さんと最初にお会いしたのは、セルビアの撮影現場でしたね。 美波:あの時はすでに役を作っていたので、ご本人とお話しすることで私自身がブレてしまうのがすごく怖かったんです。演じるにあたっては、ご本人を真似た方がいいのか悩みましたが、私には伝えるべきメッセージや、アイリーンさんが担っているものを表現しなくてはいけないという使命があったので、結局、似せることはしませんでした。 写真家ユージン・スミスと彼の妻だったアイリーンが手掛けた写真集を原案に、産業公害に苦しむ人々の闘いを描く。TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開中 (c)Larry Horricks (c)2020 MINAMATA FILM,LLC ■ユージンとの共通点 アイリーン:私は撮影前に情報や思いをすべて監督に託していたので、美波さんの演技にこう思うとかこうすればとか、一言も言わないことが大切だと思っていました。美波さんがジョニーから学んだことや印象に残っていることはありますか。 美波:演技が本当にうまい! そう思う瞬間が何度もありました(笑)。特に驚いたのは、ライトやカメラ位置をはじめ、どこに映れば一番美しく映るか全部把握されていること。私との会話のシーンでは、私が自然と輝くスポットライトに入るように誘導してくださった。すごく感動しました。ジョニーは私が何をしてもどんなボールを投げても全部受け止めてくださった。おかげで感情のままに動けたように思います。アイリーンさんはジョニーのユージンをご覧になっていかがでしたか。 アイリーン:人間は50歳にもなれば、子どもらしさを持っている人はほぼいません。でも、ユージンは持っていたんです。無邪気さ、純粋な子どもの心っていうのかな。それは彼のクリエイターとしての大切な要素の一つでした。ジョニー自身を見ていてもそれを感じました。二人の共通点だと思います。 ■私にできることは何か 美波:ユージンに似ていると感じたシーンはありましたか。 アイリーン:まず冒頭のニューヨークで写真を焼いている時ね。体形や体の動かし方、手つきから何から本当にユージンに似ていました。ジョニーは特に特殊メイクをしたわけでもなく、ベレー帽とメガネとヒゲだけ。現場で撮影を見ていたある日、とても不思議な体験をしました。美波さんとジョニーが高台から工場を見下ろすシーンを見ていて、「ユージンがあそこにいる。しばらく会ってないし会いに行こうかな」と一瞬本気で思ったんです。 美波:これまで台本を読むと、「(私が演じる人物は)なぜ、何を思ってこのせりふを言っているのだろう」と疑問に感じることが多かったんです。でも、今回はそんな疑問がほぼなく、言葉に気持ちがすんなり乗っていきました。英語でお芝居するのは難しかったですし大変だったんですが、アイリーンのせりふにはそれを超えたストレートさ、どんどん進んでいくという気持ちがありました。 アイリーン:美波さんは撮影前は水俣病についてどう考えていましたか。 美波:学校で習ったことくらいしか知りませんでした。映画に参加して、水俣の問題だけに限らず、声を上げるべきことには声を上げていかなくてはいけないという自覚がすごく強くなりました。見て見ぬふりをしていたり、意識にふたをしていたり。自分の中で冷たかったマグマがふつふつと湧き出てきている感覚がすごくあります。世の中はものすごいスピードで変わっているので、今まで通りのやり方や固定観念は捨て、私たちがどんどんアップデートしていかないといけない。私にできることは何だろうと、すごく考えるようになりました。 ■もっと良い世の中に アイリーン:美波さんが言ってくださったように、映画を見た人がワクワクして「今のままでは違うのでは」とか「何か自分もしたくなってしまった」とか、心が動いてくれること、それが私の願いです。この映画はドキュメンタリー映像なども出てきますし、ユージンと私の写真集や実際の出来事に基づいています。見る人が実際の人物たちや起こった出来事について知りたいという思いに辿り着いてくれたら、うれしいです。 美波:私にとってこの映画は人生の大きな宝物になりました。俳優として飛躍する大きなきっかけになりましたし、環境問題に対する意識も変わりました。日本で起こった出来事を米国が映画という形にし、メッセージとして世界に向けて伝えてくれたことにもすごく感動しています。日本人でないからこそ、描けたものもあると思います。  水俣病は日本での出来事ですが、世界中の人々が国を超えて共通して話せるテーマがあります。もともとレヴィタス監督は、水俣病は日本だけの出来事ではないという意識で映画を作ったと思うんです。エンディングで、世界各地で起こっている汚染や公害の写真が出てくるのも、この映画を見て湧いたエネルギーが世界中の人々と共有しやすいからだと思います。見終われば自ずと「みんなが幸せに生きる世界とは?」と考えるはず。だからといって、説教くさくはない。この作品に参加できたことをとても誇りに思っています。 アイリーン:水俣病関連の裁判は現在、いくつも続いています。ひどく汚染された環境の中で胎児・乳幼児期を過ごし、今も行政から被害を認められていない人たちが数多くいます。国は汚染された魚介類を摂取した全ての人たちを網羅する疫学調査を、この65年間1回も実施していない。今も「調査方法について考えさせてくれ」と言ってずるずると引きのばしています。この映画は「こんなひどい話はない。もっと良い世の中にしようよ」と、みんなが気づく大きなチャンスではないかと思っています。 (構成/フリーランス記者・坂口さゆり)※AERA 2021年10月4日号
脳出血・麻痺から復活の塩見三省「ずっと死ぬことばかり考えていた」
脳出血・麻痺から復活の塩見三省「ずっと死ぬことばかり考えていた」 塩見三省さん (撮影/写真部・高橋奈緒)  8月20日。晴れ。東京最後の日。いつものベンチに座って、大川端の夕焼けを眺めていた。夕暮れ時は、一日の中で一番好きな時間。自分の東京に対する感慨を、すべてそこに置いていこうと思い、「さらば東京!」と心の中でつぶやいた。ミンミンと、蝉の声が響いていた。  この夏、俳優の塩見三省さんは50年間住み続けた東京を離れ、妻の実家を改築して横浜に移り住んだ。眼下に隅田川を望む中央区の高層マンションから、横浜の住宅街にある一軒家へ。その理由について、「都会の喧騒から離れて、もっと人生の“余白”を楽しむ気持ちになったのかもしれない……」と、熟考しながら、淡々とした口調で話す。  脳出血による左半身の麻痺により、手足に大きな障害を負ってから7年の歳月が流れた。取材の日、インタビューの部屋に現れた塩見さんは、杖を支えにして、ゆっくりと歩みを進めていた。  発症後は、懸命なリハビリの末、映画「アウトレイジ 最終章」で復活を果たし、その後もドラマ「この世界の片隅に」や大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」などに出演しているが、新たに、自身を再生へと向かわせる“本”を生み出したことも、東京を離れるきっかけの一つになった。脳出血、闘病、リハビリの日々から俳優として復活するまで。そして岸田今日子さんやつかこうへいさん、大杉漣さんなど、この世を去ってしまった大切な人たち、今も一緒に生きる大好きな人たちのことを綴ったエッセー『歌うように伝えたい 人生を中断した私の再生と希望』を上梓したのだ。 「発症したときからずっと、死ぬことばかり考えていましたからね。それが、徐々に“生きなければならない”と思うようになった。時の流れに伴う、その気持ちの変化を書きたかった。コロナもそうですが、ある日突然、日常が奪われ、人生を中断せざるを得なくなって呆然としている人たちがいる。書いているうち、その苦しみの中から立ち上がって、復活と再生をするため、懸命に生きる姿を意識することで、『そうか、苦しみと闘っているのは自分一人ではないんだ』という気持ちが生まれてきたんです」 塩見三省さん (撮影/写真部・高橋奈緒)  引っ越し後、東京に出たのはこの取材が初めて。時間が読めず、取材現場には予定の1時間以上も早く着いてしまった。 「引っ越しをしたことで、生活の中に余白が生まれた感じはしますね。以前だったらタクシーで10分もかからない場所まで、家から1時間以上かけてたどり着く。でも、車窓から外の景色を眺めながら、今の時代には効率的でない生産性のない“時間の余白”が、私には真っ白で大切な時のように思われて、自分にいい作用をしてくれるんじゃないかと思った。私にとって、東京って何だったのかなとも考えたけど、東京でなかったら、病気になってもここまで復活できなかった。東京じゃなかったら、この本も書けなかっただろうし。だから、東京にはいろんな感慨があるけど、それは全部、8月20日にあのベンチの上に置き去りにして(笑)。今、私は新しい自分に出会えたような気がしているのかもしれない」 (菊地陽子 構成/長沢明) 塩見三省(しおみ・さんせい)/1948年生まれ。京都府出身。舞台を中心に活動を始める。91年、映画「12人の優しい日本人」を機に映像にも進出。主な出演作に映画「Love Letter」(95年)、「アウトレイジ ビヨンド」(12年)、連続テレビ小説「あまちゃん」(13年)など。14年に病に倒れるも、17年、映画「アウトレイジ 最終章」で復活を果たし、第39回ヨコハマ映画祭助演男優賞を受賞。※週刊朝日  2021年10月8日号より抜粋
北海道に「子連れワーケーション」を実現した人も 自治体は“関係人口”創出に期待
北海道に「子連れワーケーション」を実現した人も 自治体は“関係人口”創出に期待 この夏を北海道厚沢部町で過ごした山本雅也さん一家。夫婦はワーケーション、娘は保育園留学をし、週末には農産物の収穫体験も楽しんだ(撮影/Keita Shigaya)  旅行先で仕事もする「ワーケーション」が、新しい働き方として注目を集めている。働く場所を変えるという単なる気分転換でなく、人生を変えるきっかけ、をつかめるかもしれない。AERA 2021年10月4日号の記事を紹介。 *  *  *  神奈川県に住む山本雅也さんは今夏、幼い子どもと一緒に「家族ごとワーケーション」を実現した。山本さんは「ふるさと食体験」の事業を行う会社キッチハイクの代表。地域のおいしい食材と、その土地の人や食をテーマにした動画をセットで販売するオンラインサービスを運営している。  仕事を通じて全国各地の「地方」とつながりをつくってきたなかで、山本さんが注目したのが北海道厚沢部町(あっさぶちょう)だった。メークイン発祥の地としても知られる、函館から車で1時間ほど西に行った小さな町だ。  山本さんには2歳の娘がいる。いわゆる待機児童で、横浜市の認可外の保育園に通っている。商業ビルの中にあり、園庭もない。「もっと自然あふれるところで遊ばせられたらなぁ」という思いを募らせていた。  たまたま仕事で厚沢部町について調べていたところ、一つの写真が目に飛び込んできた。広大な原っぱのような園庭を持った、町認定こども園「はぜる」だった。  ここに子どもを通わせたい!  そう思った山本さんが考え付いたのが、子どもは保育園留学、親はワーケーション、というスタイルだ。  保育園やこども園には「一時預かり」という制度がある。方法や月次の上限は自治体によって異なるが、施設の定員に空きがある場合、一時的に受け入れてくれる。 「ワーケーションって、どうしても子どもがないがしろにされている感じがしていて、違和感があったんです。でも、『保育園留学』なら、子どもを主役にしながら、親がワーケーションできます」(山本さん) ■家族ごと地域に入って、思い入れは一生続く  妻の勤め先はフルリモート。二人ともWi‐Fiさえあれば仕事は回る。そして今年7月、山本さん一家は3週間のワーケーション+保育園留学を実現させた。  住まいは3LDKの新築一戸建て。厚沢部町が「お試し移住」での利用を目的に建てた「ちょっと暮らし住宅」を利用した。すぐ隣には移住交流センターがあり、ワークスペースとして開放されている。どちらもWi‐Fiが整備され、仕事には何の支障もない。 「何よりも、いま子どもをのびのびと遊ばせられているという親としての充実感、安心感があります。いつも以上にバリバリ仕事に向かうことができた気がします」(同) 北海道厚沢部町の認定こども園「はぜる」(撮影/Ikuya Sasaki)  夫婦はいつもの生活と同じように、子どもを午前9時前に園に送り、午後5時に迎えに行った。週末には家族でジャガイモ掘りなどの収穫体験にも参加。取れたての農産物を満喫した。帰ってからも、厚沢部町の特産米「ふっくりんこ」を買って食べるなど、そのつながりは続いているという。  主な費用は、お試し住宅の利用料が3週間で9万円、保育料は1日3千円。それに函館までの交通費。その間は自宅の家賃も払っているため、決して安いとは言えない。それでも間違いなく費用以上の価値があったと、山本さんは満足げだ。 「家族ごと地方の日常に入っていくからこそ、気づきや発見があるし、思い入れのある地域になるんだと思うんです」(同)  山本さんはいま、同じような子育て世代のために、町役場と一緒に保育園留学+ワーケーションを事業にしようと動き始めている。地域の側からも、この事業への期待は大きい。 「うまく進めば、いろんな課題解決に寄与できると思います」  と話すのは、厚沢部町政策推進係の木口孝志係長。なかでも一番期待するのが長期的な“関係人口”の創出だ。  30代の山本さん夫婦にとって、今後の人生において厚沢部が思い出深い場所になった。それは2歳の娘にとっても同じことだ。つまり、その先の人生がとてつもなく長い。木口さんによると、これまでお試し住宅の利用者のメインは60~70代だったという。そこには数十年単位の差が生じてしまう。 「直接移住に結びつかなくても、自宅に帰った後に厚沢部のメークインを食べようか、と思ってもらえることが大切。その積み重ねが移住につながるかもしれない。とにかく何もしなかったら、人が減っていくだけですから」(木口さん)  厚沢部町では過疎が進み、20年前と比べて、すでに70%まで人口が減った。子育て世帯も流出している。  認定こども園「はぜる」の開園は2019年。子育て世代が移住・定住したくなるような環境を整えるねらいがあった。定員120人だが、現在は90人を切っている。 園舎は大きく、広い園庭を子どもたちがのびのびと走り回る(撮影/Ikuya Sasaki)  都市部では待機児童が問題になっているが、全国的にみれば、保育園の定員に対しての空きは16万人分もある。町が誇る自慢の園だからこそ、もっと多くの子どもを受け入れたいとの思いもある。それが保育士の雇用を守ることにもつながる。 「先生たちもすごく娘のことを気にかけてくれて、ありがたかったです」  と山本さんは保育の充実ぶりを振り返る。 「来てくれる子どもたちがどうしたら満足してくれるか、園の先生たちは職員会議を開いて受け入れに備えています」(木口さん) (編集部・高橋有紀)※AERA 2021年10月4日号より抜粋
新幹線乗務員のアルコール「誤検知」 過去にはバス運転手自殺の悲劇も 遺族側弁護士の思いは
新幹線乗務員のアルコール「誤検知」 過去にはバス運転手自殺の悲劇も 遺族側弁護士の思いは 消毒用アルコールを検知した可能性があるという ※写真はイメージ(c)GettyImages  JR西日本が27日朝、運転士らへの出発前検査でアルコールが検出されたとして、山陽新幹線の一部区間を運休したが、その後の調査で「誤検知」である可能性が高いことが分かった。交通機関の乗務員へのアルコール誤検知を巡っては、過去にバス会社で運転手が自殺するという悲劇も起きている。当時、遺族側の代理人を務めた弁護士は「安全のためにチェックすることはとても重要だが、今の技術では誤検知は避けられない。会社側も世の中も、誤検知があるという前提に立つ必要がある」と警鐘を鳴らす。 *  *  * 出発前検査でアルコールが検出されたのは、新岩国発新大阪行きの山陽新幹線こだま838号に乗り込む予定だった男性運転士と女性車掌。新岩国駅でおこなった呼気による検査でアルコールが検出されたが、代わりになる人員がいなかったため、新岩国―広島間の運転を取りやめた。  ただ、2人とも「酒は飲んでいない」と話したため調査した結果、検知器を保管していたロッカーで消毒用アルコールの液体が漏れており、それを検知した可能性が高いことが分かった。JR西は当初、アルコール検出の事実と運休について発表していたが、改めて誤検知の可能性について公表した。  当初のアルコール検出の報道に対しネット上では、「自覚が足りない」などと2人の飲酒を厳しく問う書き込みも目立ったが、誤検知の可能性が報じられると「疑いが晴れて良かった」などと当事者を気遣うコメントが増え、JR西の早い対応を評価する声もあった。  公共交通機関が乗務員へのアルコール検査を行なうことは安全管理上、当然のこと。だが、過去には誤検知を巡る悲劇も起きている。  2008年、都内のバス会社で、当時51歳の男性運転手への飲酒検査で2度にわたりアルコールが検出された。上司らから飲酒を疑われて厳しい調査を受け、解雇されてしまうと思い込んだ男性は、「検査が怖くてたまらない」との遺書を書き、妻と子どもを残して自殺した。 「退職を強要され自殺に追い込まれた」として労働災害だと訴えた遺族に対し、労働基準監督署は労災を認めなかった。だが、その後の裁判では労基署の判断が取り消され、アルコールの検知器の誤作動も認められた。判決では「会社は、アルコールが検出されること自体が乗務員の落ち度、という姿勢だった」と会社の姿勢を指弾し、「身に覚えのないアルコールがまた検知され、解雇されるという強い心理的負荷を受けた」と、自殺との因果関係を認めた。  この裁判で原告側の代理人を務めた八王子合同法律事務所の尾林芳匡弁護士は、「安全のために交通機関がアルコールのチェックをするのは重要なことですが、今の技術では誤検知は避けられません。会社側も、誤検知が起こるという前提に立つ必要があります」と指摘する。  事実、検知器のメーカーらで構成する「アルコール検知器協議会」のホームページでは、飲酒していなくても検知器が反応することはあるか、という質問について、「あります」と明記し、「飲食物や体調により反応する場合がある他、薬の服用、喫煙、洗口剤使用や歯磨き後等でも反応する場合があります。また、ノンアルコールビール等、アルコール成分を含まないと思われがちな食品類にも微量のアルコールを含んでいる場合がありますのでご注意ください」と呼び掛けている。  尾林弁護士によると、自殺した男性運転手も、味噌汁などの発酵食品が原因ではないかと考えられていたという。 「JR西の早い対応は良かったと思います。自殺した男性のケースでは、会社側が男性の自宅に行って家宅捜索のようなことまでおこない、男性は心理的に圧迫されていました。アルコールが検出されたという事実だけを金科玉条のように扱って、従業員に厳しく対応したり、処分や解雇につなげたりすることはあってはなりません。また、ひとたびアルコール検知の事実が報道されると、交通産業の企業はより大きな問題としてとらえ、重罰を与えないと、という姿勢になりかねません。原因がわからない段階ではできる限り慎重に報道してほしいと思います」  JR西での誤検知を受け、都内のタクシー運転手は「同じ業界内では誤作動が起こることは当たり前のように知られているけど、経験がない人は酒を飲んだとすぐに疑ってしまうんじゃないか。今回のニュースも、2人から同時にアルコールが検出されるなんて不自然だなと感じたけど、2人とも飲んでたのかと思ってしまう人もいるんでしょう」と話す。  乗務員の飲酒は大惨事につながりかねないため、日常の安全管理は言うまでもなく大事である。一方で、推測による被害者を生まないために、「アルコール検出」が直ちに飲酒が原因とはならないことも、理解しておく必要がある。(AERA dot.編集部・國府田英之)
医療費2割負担に備えよ 意外に知らない“高額療養費制度”の注意点
医療費2割負担に備えよ 意外に知らない“高額療養費制度”の注意点 写真はイメージです (c)朝日新聞社  今は原則1割の75歳以上の医療費の窓口負担を、年収200万円以上の人は2割に引き上げる改正法が今年6月に成立した。制度を支える現役世代の負担を抑える狙いだが、国の医療費は膨らみ続け、今後さらに負担が増える可能性もある。負担増に備えるコツを専門家に聞いた。 *  *  * 「これからも検査や経過観察が必要で通院しなければなりません。でも、75歳以上は医療費が1割負担でいいっていうから、あまり気をもまなくていいよね」  茨城県に住む男性はこう話す。男性は75歳になったばかりのこの夏、前立腺がんの手術をした。毎年、地元自治体の健診を受けてきたので、幸い、早期に見つかった。前立腺の摘出手術は思っていたよりも時間はかかったが、入院も10日前後で済んだ。 「手術ロボットを使うと聞いたときは、費用が高くならないか不安もよぎりました。ところが高額療養費制度を利用すると、限度額以上は払わなくて済むという。保険も入っているので何とかなりそう」  医療はお金がかかる。「がん」や「手術」ならなおさら。これまで大きな病気にかかったことがなく、がんと聞いてから不安を抱えて過ごしてきただけに、病院側の説明に胸をなでおろした。しかし将来にわたり、今の制度が続くとは限らない。高齢者の負担を減らす制度は、これから変わるかもしれないからだ。  6月の法改正で、今は原則1割の75歳以上の医療費の窓口負担は、来年10月から半年以内に2割になる。対象者は単身で年収200万円(夫婦で320万円)以上に限られるが、75歳以上の人のうち20%に及ぶ。引き上げの実施から3年間は、1カ月の負担増を最大3千円までとする激変緩和措置も取られるというものの、対象者の自己負担額は1人当たり平均で年に2万6千円程度増える見込みだという。  高齢化が進み、高齢者医療制度を支える健康保険組合の財政も余裕がなくなってきている。少子化で、支え手の現役世代も減っていく。そこで政府は現役世代だけでなく、余裕のある高齢者にも相応の負担を求める方向で改革を進めている。75歳以上の医療費の自己負担割合を引き上げる見直しもその一環だ。 『定年前後のお金の正解』などの著者で、老後のお金の問題に詳しい板倉京(みやこ)税理士は「医療費はこれから増えていくでしょう」として、しっかり備えておく必要があると強調する。 「将来の人口構成を考えると、医療や介護の負担を現役世代ばかりに負わせる今の制度は限界があります。実際、70歳以上の医療費はかつては無料でしたが、月あたり400円、1割負担、そして一定の所得以上と限定的ながら75歳以上も2割や3割負担へ、といった具合にどんどん上がっています。医療技術の進歩や、長寿命化で治療費や薬代もより多くかさむようになっており、自分自身で備える重要性が高まっています」  では、どうすべきか。見直しが進んでいるとはいえ、国内の公的な制度はなお手厚い。まずはこうした制度を上手に活用するとよい。  代表的なのが、冒頭の男性も利用した健康保険の高額療養費制度だ。治療や薬代のうち、自己負担額が一定額に達すると超えた分が戻ってくる。つまり、決まった額以上は負担しなくてすむ。  この上限(自己負担限度額)は、収入や年齢に応じて決まっている。70歳以上の場合、年収156万~約370万円なら月5万7600円、住民税非課税世帯は同2万4600円、さらに年金収入80万円以下だと同1万5千円といった具合だ。70歳以上は外来だけの上限もある。年収が約370万円以上と現役並みの収入がある場合は、下の表の計算式にあてはめて計算する。 (週刊朝日2021年10月1日号より)  年に3回以上、高額療養費の支給を受けている場合(多数回該当)は、4回目から自己負担限度額はさらに下がる。ただし前出の板倉税理士は「意外と細かいルールがあって、知らないと損する場合もある」と言う。  その一つが、医療費は月単位で計算する点。その月の1日から末日までにかかった医療費をもとに限度額を出すので、月をまたいで治療した場合は月ごとの計算となる。 「注意したいのは入院費。同じ条件でも月をまたいだ場合は、同じ月内に治療を終えた場合よりも負担が増えてしまいます。急ぎの入院は仕方ないとしても、時期を選べるならば月をまたがないほうが、負担も少なくなる可能性が高い」(板倉税理士) ■家族の医療費を 合算することも  また、家族が同じ健康保険に加入していれば、その家族の医療費も合算できる。必ずしも同居していなくてもよい。ただし合算したい場合は加入する健保に申請をする必要があるので、忘れないようにしよう。  もう一つ注意したいのが、対象とならないものもある点。入院中の食費や居住費、差額ベッド代、通院にかかる交通費は対象外。治療が長引けばこうした費用もかさむ。  冒頭の男性は地元の大きな病院で治療を受けたが、差額ベッド代は個室を選んだこともあり、1日1万5千円以上かかった。寝間着など身の回り品は妻に届けてもらったものの、入院がもっと長引いていたらレンタルする必要があったかもしれない。  さらに、保険がきかない先進医療も対象にならない点は注意しておいたほうがよいだろう。板倉税理士は、制度の「穴」を埋めるためにも「医療保険は入っておいたほうが安心だ」と主張する。 「最近は医療保険も、ひと昔前に比べて安くなってきました。保険料との相談になりますが、高額療養費制度でカバーできない先進医療の治療費を補填してもらえる『先進医療特約』や、入院や手術をしたときに『入院給付金』や『手術給付金』が受け取れる保障のついたものを選ぶとよいでしょう。差額ベッド代や雑費がかさんだときに充てられます」  とはいえ、保険に入れば毎月、保険料を払い続ける必要がある。「それなりの蓄えがあれば、高額療養費制度など公的な制度でカバーできる。病気で収入が大きく減る恐れのある現役世代でなければ、必ずしもいらない」(ファイナンシャルプランナーの長尾義弘さん)といった見方もある。  自分の収入や貯金、支出や保険料を踏まえ、慎重に考えよう。 「最近の医療保険は進歩しているので、若いころに入った保険の保障内容を見直すことをおススメします。保障内容がよくなるのに加え、保険料が下がる場合もあります」(前出の板倉税理士)  医療負担を抑えるため、もう一つ押さえておきたいのが「医療費控除」だ。1年間に使った医療費のうち、高額療養費制度や医療保険で補填されなかった部分の合計が10万円、もしくは所得が200万円未満で所得の5%を超えた場合、税務署に確定申告や還付申告をすると、払いすぎた税金が戻ってくる。  年金生活者の場合、年金が年400万円以下などの場合に適用される「確定申告不要制度」の対象になることもあって、申告する人の割合は少ない。自分の税金をチェックする機会も多くないはずだ。  また医療費控除というと、「10万円」ラインが意識されることが多い。「所得の5%」という点も見逃さないようにしよう。収入が年金だけの場合、所得が年間200万円を下回る人は少なくない。例えば所得が100万円なら、5%にあたる5万円を超えた分の控除が受けられる。「10万円」にとらわれず、その年にかかった医療費をチェックする必要がある。領収書や明細書は捨てずに取っておこう。 ■グレーゾーンの見極めポイント  申請にあたり、まぎらわしいのはどんな医療費が対象になるかだ。下の表を見てほしい。風邪薬など治療のための薬代は対象になるが、疲労回復のために買ったビタミン剤や健康ドリンクは対象外。資格者による整体やメガネ、補聴器、歯並びの矯正も、治療が目的ならば対象になる。 (週刊朝日2021年10月1日号より)  反対に医師の診断によらなかったり、美容のためだったりすると対象にはならない。前出の板倉税理士は、見極め方のポイントを解説する。 「グレーゾーンも多いが、対象になるのは基本的に『治療』目的のもの。『健康増進』や『予防』が目的のものは対象にはなりません」  難しいのが人間ドック。病気の「予防」のためだから原則は対象にならない。だが人間ドックでがんや心疾患、高血圧や糖尿病といった重大な病気が見つかり、その治療を続けると、人間ドックにかかった費用も医療費控除の対象にできる。  とはいえ、ややこしいので迷ったら税務署や税理士らに相談しよう。  便利な制度があっても使わなければ得にならない。知らないと負担ばかり押しつけられる。アンテナは高く張っておこう。(本誌・池田正史)※週刊朝日  2021年10月1日号
小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀
小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀 小室圭さん(c)朝日新聞社 颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。 自称・皇室系YouTuberも待ち構えていた  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。 自宅前には報道陣が詰めかけた  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」 小室さんを乗せた車が自宅前に到着    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)
小室圭さん帰国「だめんずではない!眞子さま、しんどくなったら帰ってきて」漫画家の倉田真由美さん
小室圭さん帰国「だめんずではない!眞子さま、しんどくなったら帰ってきて」漫画家の倉田真由美さん 一時帰国の小室圭さん(左)と眞子さま(C)朝日新聞社  秋篠宮家の長女、眞子さま(29)と結婚に向けて27日に一時帰国となった小室圭さん(29)。かつて、小室さんを“売れないミュージシャン”と例えた、『だめんず・うぉ~か~』の著書がある漫画家の倉田真由美さんは、いま改めておふたりの結婚に向けて、小室さんに「いいとこ見せてよ」と言う。 *  *  *  倉田さんが“小室圭さんは売れないミュージシャン”とバッサリ斬っていたのは、母親と元婚約者の金銭トラブルが騒がれていた頃。 「そんなこと言ってましたっけ!?(笑)そう言ったのは、収入のことが一番気になっていました。ミュージシャンと例えましたが、夢を追いかけるのはいいけど、金額が多いとか少ないは関係なく収入があるのか、ないのかは大事。結婚の報道を見ると、どうしても、娘を嫁にやる親の気持ちになってしまうから、そう考えるんです。2人がお互いがすごく好きだったら、それはそれだけで、いいと思うんですよ。でも、お金はないと暮らしていけません。だから、仕事に就いていないのはさすがにちょっと待てと思ってしまうんですよ。ただ、最近の報道でアメリカの法律事務所に勤めているとありました。だったら、いいんじゃないとは思います」  小室さんは米法律事務所「L」のホームページで“法務助手”として紹介されていることが25日、分かった。12月の司法試験の結果を待ちながらも、就職先は決まったことになる。この事務所は米国本土に5カ所の拠点があり、350人以上の弁護士が働いているという。全米法律事務所協会によれば、大手法律事務所の初年度平均年収は約1800万円だそうで、小室さんが就職した法律事務所「L」の求人には、初年度年収は205,000ドル、日本円で2,250万円にのぼる。倉田さんは、仕事があることはなによりと言う。 「彼を取り巻く金銭問題があったけれども、どんな仕事でもお金が稼げればなんとでもなる。そこですよね、大事なのは。ただ、ずっと、司法試験を目指して頑張っていたけれども合格しましたというのはまだ聞かないし。それで、どうすんるだ!?とはずっと思っていたんですよね。資格って取れればいいけど、長い間挑戦しても取れないままだったらさっさとあきらめて就職するなりすればいいんですよ。売れないミュージシャンのまま、何年もミュージシャンを目指されてもねぇ……。眞子さまは何にもしてあげられませんからね、箱入り娘ですから、今どきの夫婦のように妻が稼いで世帯の大黒柱であるということは考えにくい」 MYでフジテレビ記者に直撃された小室さん。ロン毛をちょんまげにしたスタイルだった(FNNプライムオンラインより)  眞子さまは結婚に伴う国からの一時金の受け取りを早々に辞退されていたとも報じられる。その金額、1億5000万円と想定されている。不支給は戦後の女性皇族の結婚で初のケースとなる。なんとも、お金の心配はつきまとうものの小室さんは就職した法律事務所を出入りする姿がキャッチされた。4年前の眞子さまとの婚約内定会見とはガラリと雰囲気が変わっていたことに関して、倉田さんはこう言う。 ◆ロン毛の小室さんに日本国民が沸いた 「別人でしたね。ロン毛をちょんまげにしているヘアスタイルには国民が沸いていましたね。この沸きっぷりって、前代未聞ですよね。日本人、小室さんのことが色々な意味で大好き。男性も女性も小室さんの話が大好き。こんなこと皇室の結婚で前代未聞でしょう。プリンセスやお妃さまであれば話題になるのはわかるけど、皇室から嫁に出て、結婚するお相手って、人となりは報道されるけど、そこまで注目されないじゃないですか。サーヤこと黒田清子さんのお相手の黒田慶樹さんも、もちろんある程度は報道されましたけど、こんなにワーワー騒がれなかった。ということは、小室さんのキャラが超立っているってことですよね。ある意味スターだと思うし、その分、これからも大変だとは思う。サーヤの旦那さんの黒田さんの顔って、知り合いの人以外は、今、もう誰もわからないんじゃないですか? 黒田さんと道ですれ違っても気付かれないと思うけど、小室さんの場合は“あ、小室さん”と指をさされてしまうほどの人になってしまった」  ここまで注目されてしまう結婚を貫く眞子さまに倉田さんは称賛を送る。  「眞子さまはずっと彼のことを好きでいたし、これだけ色々言われていることを今の時代、眞子さまが知らないわけないじゃないですか。それにも関わらず、眞子さまが気持ちや考えを変えないというのは、これは日本が誇っていいプリンセスだと思いますよ。そういう女性であることは、皇室の女性として素晴らしいと思いますし、尊敬しています。誇らしい気持ちです。ここまで騒がれていたら“だったら、やめておこう”ってなりますよ。結婚を反対する圧力って、一般の人ならば、言うてもまぁ、親兄弟、親戚、親友レベルの反対だけだけれども、いまだ、日本中が反対しているっていう勢いですから、その外圧たるや物凄いものだったはずです。でも、眞子さま、それに負けていないんだもの! みなさんに想像してもらいたいのは、“小室さん以外のお相手を探します”ってなった時に、それって素敵なことかって言ったらそうではないと思う。眞子さまが小室さんを好きって気持ちがなくなったのであれば、それは仕方のないことだけれども、眞子さまが、“周りの人が小室さんを反対するから、じゃあやめます”という女性ではないところが本当に素敵!」 婚約内定会見の小室圭さんと眞子さま(C)朝日新聞社  倉田さんは自身の仕事から「だめんず」について聞かれることが多いが「小室さんはだめんずではない」と言う。 ◆くらたまが小室さんに頑張ってほしい理由 「だめんずの定義って、“どう見てもアイツはだめんずでしょ”って周りがどんなに騒いでも、本人がそう思わなければ、だめんずではないんですよ。他人が決めることではない。相手の女性が決める事。そういうことで言うと、小室さんはだめんずとは言えないですね。日本中が、小室さんのことをだめんずだっと思っているかもしれないけれども、そんなの眞子さまが思っていないんですもの。ダメな男=だめんずではないとは最初から言っていまして、“〇〇さんはだめんずですか?”ってよく取材を受けたんですけど、それは私がその方と付き合ったことがないからわかりませんと答えていました。付き合っている女性とか結婚したパートナーの人が決めることだから」  小室圭さんは2週間の隔離期間を経て、10月中旬には記者会見をするとされている。これに対して倉田さんは小室さんに対してある意味エールを送る。 「ホント、頑張れよ、小室くん!って思いますよ(笑)。ずっと、私は眞子さまのことを素敵だとかほめていますけど、彼のいいところって、実はほとんど見ていない。だから、もうちょっと、いいところ見せてね! 記者会見とか関心を寄せていますし、いいところを見せられるかは心配ですけど…。まだ、日本国民は誰ひとり小室さんのいいところを見たことがないですから、ぜひ、彼の魅力的なところを見せていただきたいです! そうじゃないと、ずっと心配は心配です。そこだけはお願いしますね。しんどくなったら、眞子さまには“帰っておいでね”と言いたい。今まで日本の皇室であんまり離婚はないけれども、皇室を出られた方が、結婚でうまくいかなくて戻ってきても。結婚する前にこんなことを言うのもなんですが、その辺りも自由でいいと思う」  まだまだ注目を浴びてしまう小室さんだが、いいところを見せてほしい。 (AERAdot.編集部 太田裕子)
妻は低い声で夫に「あんたのママじゃないから」 夫婦の呼び名で抵抗がある呼称は?
妻は低い声で夫に「あんたのママじゃないから」 夫婦の呼び名で抵抗がある呼称は? 写真はイメージです(Getty Images)  ひと昔前は、妻を「家内」、夫を「旦那」と呼び、パートナーに呼びかけるときは「あなた」や「お父さん」、「おまえ」や「母さん」が一般的だった。昭和、平成を経て令和の現在、夫婦の呼び方は、どのように変化しているのだろうか。直近の統計を紹介しつつ、名前の呼び方に表れる現代の夫婦関係について考えた。 *     *  *   飲食関係の仕事に就く男性(39歳)は、子どもが3歳のときに妻に言われたことをときどき思い出す。ある日、家族で近所のスーパーへ。子どもも一緒にいたため、少し離れた売り場にいた妻を呼ぶときに「ママ―!」と言った。妻は表情を変えずに「はいはい」とこちらにやってきたが、男性の顔をみると低い声で不機嫌そうにこういった。 「ママだけど、あんたのママじゃないから」  それ以降、妻をママと呼んではいけない、名前で呼ぼうと男性は肝に銘じたという。  同級生と結婚した事務職の女性(33歳)も「夫からママと呼ばれたらピンとこない」という。 「夫が同級生だったため、学生時代から一貫して名前呼び。子どもが生まれてからも変わらず、他人に話すときの呼び方も名前です」(女性)  時間が経つと、相手の呼び方が変わるかというと、そうでもないようだ。電機関係の企業に勤める男性(51歳)は、結婚前の呼び方のまま20年が過ぎた。 「結婚前から名前に『ちゃん』『くん』づけで呼び合っている。20年以上経ったいまも変わらない。友人に話すときは名前で、それ以外の人には『妻』。妻も自分の友人には名前で、職場の人間に対しては『夫』呼びをしている」(男性)  現代の夫婦間では、配偶者に対し、お父さん、お母さん、パパ、ママと家族の中での役割で呼んだり、呼ばれたりするのは抵抗感や違和感があり、名前で呼び合うのが「普通」なのかもしれない。 この10年で変化した夫婦の呼び名  リクルートブライダル総研では、2011年より隔年で「夫婦関係調査」を実施。今回(夫婦関係調査2021)は「夫婦の呼び方」にも着目した。同総研研究員の金井良子さんによると、10年前とは集計方法が異なるので参考値ではあるものの、興味深い変化が見てとれるという。 リクルートブライダル総研「夫婦関係調査2021」/性・年代別に定数にてサンプルを回収し、集計の際に実際の性・年代別既婚者の人口構成に合わせるために、サンプルに重みづけを行った(ウエイトバック集計)。数値(構成比・割合)は、一部を除きウエイトバックによる補正後の件数で算出したもの。また、小数点第2位以下を四捨五入しているため、構成比が100%にならない場合もある  同調査の結果、配偶者の呼び方は、夫と妻ともに「名前や名前にちなんだニックネーム」が全体の46%と最も多かった。次いで、夫は約3割弱が「(子供の)お母さん、ママ」など、妻は「(子供の)お父さん、パパ」などで全体の約4割弱を占めた。昭和の家庭でみられたような「おい、ねえ」「あなた、おまえ」は、かなり少数派だ。  年代別でみると、夫は60代を除く全世代、妻は20代~40代が『名前や名前にちなんだニックネーム』呼びをしていると回答していた。若年層の20代や30代では、約7~8割近くが名前呼びをし合っており、10年前よりはるかに多いという。  たとえば、こんなニックネームで呼び合う夫婦もいた。なんとも微笑ましく、仲の良さが伝わってくる。  「結婚直後に飼った子猫の名前が『ミイ』。最初はおたがいの名前で呼び合っていた私たちも、ひょんなことから私の名前『ハルナ』をもじって『ミイナ』、夫の名前『コータ』をもじって『ミイ太』に。最初は少々混乱ぎみだった猫も今ではすっかり慣れ、猫キャラ家族のように呼び合うスタイルが定着。親たちからは『変な呼び方』と、けげんな顔をされるが私たちは気にしない(笑)」(28歳・美容師)  配偶者の呼び方は夫婦関係に何か影響を与えるのだろうか。 「今回の『夫婦関係調査2021』の別の質問項目では、夫婦関係の満足度をたずねています。その質問で満足度が高いと答えた人のほとんどが日ごろから名前やニックネーム呼びをしていることが明らかになりました。お互いの呼び方と夫婦関係満足度は大きく関係していることがうかがえます」(金井さん) 「旦那」はよくても「主人」「亭主」には抵抗感  一方、夫婦間以外ではパートナーをどう呼んでいるのか。同調査によると、他人に話すときの自分の配偶者の呼び方では、夫は20代を除いて「嫁、嫁さん」が、妻は60代を除き「旦那、旦那さん」が全世代でトップ。ちなみに、20代男性では「名前」、60代女性では「主人」という呼び方が首位だった。参考値で10年前と比較すると、20代夫による「嫁」呼びは大幅に減少しているが、配偶者のことを他人に「奥さん」と丁寧な呼び方をする夫が増えているという。 リクルートブライダル総研「夫婦関係調査2021」/性・年代別に定数にてサンプルを回収し、集計の際に実際の性・年代別既婚者の人口構成に合わせるために、サンプルに重みづけを行った(ウエイトバック集計)。数値(構成比・割合)は、一部を除きウエイトバックによる補正後の件数で算出したもの。また、小数点第2位以下を四捨五入しているため、構成比が100%にならない場合もある  この点について、若い世代の男性にリアルな意見を聞いてみた。 「上司など年長の世代は『嫁』呼びが圧倒的に多い。同世代でも使う人は使うので不自然とは思わないが、自分自身は『嫁』という単語とは無縁。たとえば、『姉が結婚する』という言い方はしても、『姉が嫁に行く』『姉が嫁ぐ』という古い感じのフレーズはまず使わない。他人に話すときは『名前』か『妻』が基本」(29歳・IT)  また、妻による「主人」「亭主」といった呼び方が10年前との比較では激減。とくに50代、60代の妻による減少が大きかった。代わりに「旦那・旦那さん」呼びが増えた。これにはジェンダー平等の意識が影響しているとみられる。  実際に、次のような声もあった。 「そもそも、『主』という字が使われているのが不愉快。主従関係や上下関係を連想させる言い方に感じられるため、抵抗感がある。夫婦は対等な関係で、べつに夫が妻よりえらいわけじゃない。呼び方も対等でなければダメ」(44歳・公務員) 「祖父母や両親世代の呼び方で、古くさい感じがするから」(35歳・設計)  金井さんは次のように分析。夫婦のあり方に対する意識の変化が大きく影響しているという。 「妻側の意見にみられるように、主人という言葉の感じが『カッコ良くない』『抵抗がある』などの理由から、時代にそぐわない呼び方と考える人が多いようですね。配偶者はパートナーという考え方がこの10年でいっそう深く世間に浸透したいま、夫を『主人』と呼ぶことに若い世代のみならず、広い世代で抵抗を感じる人が増えたと考えられます。その点、『旦那』という呼称は、『ダンナ』のような軽い感じでとらえられるぶん、まだ抵抗がないのかもしれません』(金井さん) 「日本はまだまだ男社会だ」という批判は令和の現在も根強い。しかし一方で、「夫婦の呼び合い方」からは、時代とともに一人ひとりの意識が確実に変化していることを改めて認識することができた。 (取材・文/スローマリッジ取材班 山本真理) 金井良子(カナイヨシコ)/リクルートブライダル総研研究員。リクルートにて「じゃらんnet」「ゼクシィnet」など数々のネットサービス立ち上げと運営に携わる。2004年10月より「ゼクシィnet」編集長、2010年4月より現職。「GOOD WEDDING AWARD」運営責任者や“ブライダル専門家”としてテレビ番組でのアドバイザーを務める。 ※(株)リクルートが運営するリクルートブライダル総研における「夫婦関係調査」 夫婦関係の満足度や夫婦関係に対する考え方など、結婚後の夫婦の意識と行動を把握するために、2011年より行なっている調査。本調査では、性・年代別に定数にてサンプルを回収し、集計の際に実際の性・年代別既婚者の人口構成に合わせるために、サンプルに重みづけを行った(ウエイトバック集計)。数値(構成比・割合)は、一部を除きウエイトバックによる補正後の件数で算出したもの。また、小数点第2位以下を四捨五入しているため、構成比が100%にならない場合もある。

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